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#拘りの1枚
cmk-k · 3 months
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2024年始まりました
年末から断続的にお仕事が続いていたので、新装版EDGEの作業がひと段落したらtumblr更新しよう(1月中頃には終わる予定だし…)と思っていたんですが、、、 元旦の震災の影響に始まり、にわかに親族関係の用事も重なって、さらに新装版の作業はギリギリまで加筆に拘ってしまい……気付けば2月でした。 1枚目の写真は正月に撮った写真です(遅)。 ようやく年を越えた気分です。 楽しみにしていた予定を既に2〜3つ飛ばしてしまって凹んでますが(お出かけ予定とか、作家さんとの会合とか…泣)、 個人的に人生のひと区切りの年になりそうなので、色々やりたい事もあるし、元気に貪欲に生きたいな〜と思っています。 本年もどうぞよろしくお願いします。 ・・・ 以下、最近のお仕事関連について。 ↓↓↓
まずは…ついに、劇場版SEED公開されましたね…! ここ半年くらい、新装版の作業でC.E.世界にどっぷり浸かっていたので、万全の準備体制で劇場版を浴びることが出来まして……無事昇天しました。 あまりの圧倒的なエネルギーに、鑑賞後、脳内で沸き巡る感想に数日翻弄されておりましたが、自分の中で少しずつ消化していっています。 いちファンとして、あの世界の続きを観せて頂けた事に本当に感謝です。 ・・・ 劇場版の流れで、昨年末から刊行して頂いている新装版THE EDGEにも興味を持って下さる方や、懐かしく思い出して頂いている方もいらして、とてもありがたい限りです。 当時の事など振り返って色々書きたいこともあるのですが、ひとまず最終巻の5巻が2/26発売ですので、その後にでもまた記せたらいいなと思ってます。 ・・・ そして新装版発売のタイミングで、ガンダムエースさんにも久々に色々と載せて頂いてますが、 こちらは原稿の再掲載がメインなので、あまり大っぴらに告知はしていません。 単純に、昔の原稿が雑誌サイズで載るのは、描き手としては結構恥ずかしいというのもあるんですが…、やっぱり再掲載だと読者さん的にはあまり嬉しくもないだろうなと。 実際、12月売り号は再掲載や流用ばかりでガッカリ…というメッセージを頂いてしまいまして、まあ、そうですよね…ごめんね…(私としても、すごく久しぶりのガンダムエースさん掲載で、しかも初めての表紙だったので、描き下ろしたかったなぁ…)と、ちょっと申し訳ない気持ちになりつつ、少しだけ事情説明させて下さい。 SNSなどでたまに漫画業界の話題を見ている方はご存知かもしれませんが、コミックスの加筆や描き下ろしって基本、無償なんです。 何か新しく描いても、稿料は出ません。新装版でも関係ありません。 (この慣習に反対する目的で、コミックスには一切描き下ろさない方針をとる漫画家さんもいます) 私もそれ自体については色々思うことはあり、編集さんと話すこともあります。 ですが今回は、劇場版SEEDが公開されるという、18年越しのお祝いの機会です。 デザイン変え+キャラ単体表紙など、「省エネ労力で出す」選択肢もありましたが、やっぱり、ちゃんと描きたくてですね………。 カバーはMS&キャラで5巻分+描き下ろし漫画もそれぞれページ数限界まで入れることにしました。 そこで担当さんが、 じゃあ、ガンダムエースの方にできるだけ色々載せましょうと。 そうすれば「雑誌掲載料」が少しはお支払いできますから、と。 取り計らってくれたんです。 その流れで付録のイラスト集も企画して下さいました。 ですので、 こんなブログ記事の文章まで読んで下さっている方で、 ガンダムエースも購入して下さったという方は、色々と再掲載原稿が載っていてちょっぴりガッカリされているかもしれませんが、そのような事情もあるんだな…と、少しだけご理解頂けましたら嬉しいです。 そんな感じですので、もし、新装版のカバー表紙や描き下ろし分など、気に入って&楽しんで下さいましたら、ぜひ話題にして頂いたり反応を頂けますと…とても嬉しいです…!!報われます。 ガンダムエースの方は、昔の雑誌は買ってなかったとか、買ってたけど記憶の彼方…という方が、雑誌サイズでの原稿掲載を少しでも楽しんでくれれば幸いです(昔の原稿は恥ずかしいですが!) ・・・
そして最後に。 なかなか御礼を言うタイミングが取れなかったのですが、 昨年〜年始にかけて、それぞれの編集部に、作品の感想のお手紙や年賀状を送って下さった方、本当にありがとうございました。 昨年は手術療養からの復帰に色々と不安もあり、掲載も少なかったので、届くお手紙にとても大きな活力を頂いておりました。 めちゃ遅いペースですが、お返事をたまにお送りしたりすることもありますので、期待せず気長にお待ち頂けると嬉しいです。 それよりまずは勿論お仕事の方で、少しでもお返ししていけるようにまた頑張っていきます…! ・・・ 2月中にはジエッジ新装版の最終巻が出ます。 もちろん加筆ありますので、手に取って頂けたら嬉しいです。 セインティアmemoriesの続きを期待して下さっている方、もう少々お待ち下さいね。 水面下ではずっと、聖域とC.E.を行ったり来たりしていたんですが、もう少ししたら落ち着く予定…です!
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ari0921 · 1 month
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月2日(火曜日)
  ��通巻第8198号
 モスクワ奇襲テロリストIS─Kはなぜタジク人だったのか
   金銭で雇用され、支払いはビットコインだった可能性が浮上
*************************
 3月22日の惨劇(モスクワのクロカスコンサートホール襲撃テロ)で、3月31日までの死者は143名、重軽傷が382名に及ぶ。実行犯、ならびに関与容疑で、ロシア当局は11名を拘束した(全員がタジク人だった)ほか、4月1日にはタゲスタンで、NAC(国家反テロ委員会)が新たに3名の「テロリスト」容疑者を拘束したと発表した。機関銃などの武器が押収された。
 最大の容疑は相当額の現金をどこかへ「送金」しているヴィデオが証拠だったという。
シリア内戦で、タジキスタンからシリア、イラクへ這入り込んで戦ったのは2000名と言われた。ISの構成員でタジク人部隊が一大派閥だった。
タジキスタンはラフモフ独裁にあってイスラム教国(スンニ派)でありながら、学校でイスラムを禁止している。
それゆえにイスラム過激派が扇動するプロパガンダに簡単に、その教条主義に染まるのである。戦時下、マルクスが禁止されていたがゆえに多くの青年がマルクスを密かに読みあって心酔したように。。
1960年代から70年代にかけて多くの日本の若者がアジビラ一枚で全共闘だとか、ノンセクトラジカルに染まったように。
それにしても、なぜタジキスタンなのか?
中国アジア五ヶ国のなかで、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタンはチュルク系民族である。タジキスタンだけはペルシア系で言語はダリ語。ただしも文字はキリル文字を採用している。
あまりに貧困なため、多くが出稼ぎに出る。モスクワにはタジクタウンがあり、ここがIS─Kのルクルート・センターになっているとも言われた。
IS─Kは秘密基地をアフガニスタンに構築し、兵士募集は金銭で行い、その支払いはビットコインではないかと言われる。ロシアは、その胴元がウクライナであると睨んだ。
 紀元前、タジキスタンの民族はアーリア系スキタイだった。その後、アケメナス朝ペルシアに帰属し、中世ではブハラカーンの一員だった。ロシアがブハラカーンを保護国としたためソ連邦に吸収された。1991年独立以後35年間もラシモフ大統領の独裁が続いている。1992~93年の内戦では五万人が死亡したとされた。
一人あたりのGDPは350ドル以下と世界最貧。国民の構成は、タジク人が84%、ウズベク人が14%、いったん棄てられたロシア語は出稼ぎ先が殆どロシア語のため最重視されており、それでいて反ロシア感情が強い。ISKがタジク人部隊だったことはウクライナ戦争を展開中のプーチンにとって、別の衝撃をもたらした筈である。
(余談)ウズベキスタンにはブハラカーン時代の面影、そのきらびやかな宮殿跡などの遺跡群があり、またタジキスタンへの国境は看板があるだけで入国審査もなかったのが90年代初頭のこと。ペンジケント(タジク)、サマルカンド、タシケントなどを回ったことがあります。ソ連時代にイスラムは禁止だったので、東西冷戦終了後、大量のコーランが、サウジとイランから空輸されてばらまかれましたが、アラビア文字だったので、キリル文字しかしらない人々は理解できなかった。
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kinemekoudon · 1 year
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【11話】 大麻所持で起訴されたくなかったので、裁判官や刑事に黙秘しておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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――逮捕から3日目。例によって、6時半に留置官の「起床―!」という大声で目を覚ました後、掃除やら片付けやらのルーティーンをこなし、朝食をとり、運動場で日光浴を済ますと、すぐに留置官から「5番、移送」と声がかかる。
今日は勾留質問というイベントがあることをあらかじめ伝えられていたので、手錠と腰縄をかけられると、昨日に引き続きワゴン車に乗せられ、両隣に留置官が座った。
勾留質問とは、地裁の裁判官が被疑者の言い分を聞いて、勾留の必要性があるかを検討し、勾留を認可するか却下するかを決定するというイベントなのだが、弁護士曰く、薬物事犯は確実に拘留が決定するらしいので、裁判官が“検討する”フリをして、拘留認可の通知を出すという作業に、形式上付き合わされるだけなのである。
※ちなみに、令和3年「犯罪白書」によると、大麻取締法違反の勾留決定率は約99.8%です(勾留却下率0.2%)。また、否認や黙秘をした場合、ほぼ確実に20日間(“勾留の”最長期間)拘留され、弁護士以外の全ての人と面会ができなくなるという“接見禁止”がつきます。
ワゴン車が地裁の地下駐車場に着くと、地下の入口から、50人くらいが一堂に集められた広間に連れて行かれ、地裁での規則を説明されたのち、2畳ほどの待合室に入れられる。その待合室の中は、片側に硬い木のベンチと奥に便器が剥き出しで置いてあるだけの殺風景な部屋で、必要十分な機能を備えた裁判所らしい待合室だと思った。
1人の留置官が僕と一緒に待合室に入り、もう1人は待合室の外で待機していた。最初は裁判所の規則通り静かにしていたが、10分もすると退屈に耐えきれなくなり、僕は留置官と世間話を始めた。
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その留置官は、珍しくヘラヘラとした顔つきをしている柔和な印象の男で、身の上話を聞くと、元々モデルガンを収集していたガンマニアで、モデルガン好きが高じて、拳銃を所持できるからという幼稚な動機で警察になったという馬鹿げた人間だった。
そいつは最近結婚したそうなのだが、嫁が真面目で性格が厳しいらしく、モデルガンのほとんどを捨てられたそうだが、何十万円もする高価なモデルガンだけは、同棲開始前に嫁にバレないよう押し入れに隠しておいたので捨てられずに済んだという話を得意げにしていた。
やがて、ようやく呼び出しがかかり、裁判官の待つ小部屋に連れていかれる。待機の時間は朝から夕方まで続いていたが、その留置官と雑談していたおかげで、地検の待ち時間より長かったにもかかわらず、待ち時間を短く感じることができたので幸いだった。
裁判官の待つ小部屋では、対面に机を介して阿佐ヶ谷姉妹風のおばさん裁判官、その隣に書記官が座っており、おばさん裁判官は見るからにこの業務を面倒くさく思っていそうな、やる気のない面構えをしていた。
おばさん裁判官は、黙秘権の説明と本人確認のための人定質問をしてから、勾留請求書に書かれている被疑事実を読み、「何か言いたいことはありますか?」と僕に尋ね、僕が「黙秘します」と答えると、「それでは、逃亡・証拠隠滅の恐れがあるので、10日間の拘留を認め、接見を禁じます」と告知し、僕が「はい」と応えると、勾留質問はこれにて終了となった。
僕の陳述を親身に聞くフリすらしないおばさん裁判官の無機質な対応に、僕は少し不快に思ったが、どのみち拘留になるわけだし、早く終わるに越したことはなかったので、流れ作業をしてくれてありがたいと思うことにした。
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そうして、勾留質問が終わると、再び待合室で数十分待機させられた後、駐車場に駐めてあるワゴン車に連れ戻され、同行の警官の一人が裁判所から拘留決定通知書を貰ってくるまで、1時間ほど待機させられた。
それから1時間ほどかけて署まで戻り、留置場の居室に戻る頃には、19時位になっており、夕食の時間からだいぶ遅れて食事をとることになった。
ガンマニアの留置官と喋って退屈を紛らわせていたとはいえ、長時間手錠をかけられ、座らされていることにかなりカロリーを消費していたので、弁当一つでは満足できなかった。
食後、ニューヨークの嶋佐似の留置官が「5番、これ接見禁止の通知書」と言って、一枚の紙を鉄格子越しに渡してきて、「もし抗告するなら…」と言ってきたので、食い気味に「大丈夫です」と言って紙を受け取った。
暇つぶしに接見禁止の通知書をしばらく眺めていると、裁判所のババアの顔が浮かんできて、今になって腹が立ってきたので、紙をくしゃくしゃに丸めて壁に向かって思いっきり投げ、嶋佐に怒られるまでしばらく壁当てをしていた。
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――逮捕から4日目。朝の9時半頃、朝食を食べ終え、再度寝ていると、嶋佐が「5番、取調べ」とだけ無機質に言うので、寝ぼけまなこで立ち上がり、鉄格子の前に立つ。
留置官に連れられ、留置場の出入り口前に着くと、壁に両手のシルエットマーク、その下の床に両足のシルエットマークが印された場所があり、そのマークの上に立ち、手をつくように指示をされる。
壁に手をつき、直立する僕の身体を留置官が上からまさぐり、便所サンダルを脱がされ、足の裏まで確認されると、壁を向いた状態で手錠をかけられる。未だに手錠をかけられると、警察モノの映画でも撮影しているのかと錯覚するくらい、他人事のように思えてしまう。
手錠をかけられた後、嶋佐が腰縄を巻き付けてキツく縛ってきたので、「ちょっとキツいです」と申し出ると、「キツくしないといけないんだよ」などとラチのあかないことを言ってきたので、「昨日はこんなにキツくなかったんですけど」などとゴネると、隣にいたガンマニアの留置官が「取調室に行くまでの間だけだからさ。我慢してよ」と柔和になだめてきたので、僕はガンマニアに免じて大人しく従った。
場内から出ると、廊下には前に取調べをしてきた女刑事を含む3人の刑事が立っていて、女刑事を先導に、2人の刑事が腰縄を握って、僕の後ろにつく形で階段を上る。
ひとつ上の階へ上がると、「薬物乱用やめよう」とか「ダメゼッタイ」だのと書かれているバカデカいポスターが間隔なしにびっしりと壁に貼られている廊下を進み、刑事課の横を通った先にある取調室に入る。
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取調室のパイプ椅子に座ると、手錠と腰縄を外され、外した腰縄でパイプ椅子に腰のあたりくくりつけられ、女刑事が湯飲みに入った熱い茶を持ってきて、「それじゃあ取調べ始めるね」などと優しい口調で言い、対面のパイプ椅子に腰掛ける。
女刑事は、じゃりン子チエみたいな顔をして、表面上は男勝りに気丈に振る舞っていたが、口調や表情からは女性的な献身性が感じられた。
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女刑事は、取調べの前に黙秘権について説明をしてきたので、僕はすかさず「事件については黙秘します」と言い、「雑談でしたらしてもいいですよ」と付け加える。
すると女刑事は急に真剣な眼差しになり、「どうして?」と聞いてくる。僕は、前に弁護士に「なんで黙秘するのか聞かれたら、“怖い弁護士に黙秘でいいと言われた”とでも言っておけばいい」と言われたのを思い出し、そのままその台詞を言っておく。
女刑事は「あなたの人生に関わることなんだから、弁護士のいいなりになるんじゃなくて…」うんぬんかんぬんと言ってきたが、僕は「でも黙秘しないと弁護士に怒られるので嫌です」などと幼稚な返答をして、テキトーにあしらっておいた。
刑事調べは、僕が黙秘権を行使したため、事件��は関係のない雑談をすることになった。女刑事は僕が出身した中学校の隣の中学校に通っていたらしく、色々と共通点が多かったので、割と会話が弾んだ。
昼食の時間になり、一旦休憩ということで、留置場の居室に戻される。昼食はいつも、コッペパン2本、小さい包装に入ったジャムとマーガリンに、チョコレートペーストかピーナッツバターが各1個、小さい容器に入った2口3口で食べ終わる惣菜、果物系の味の小さい紙パックジュースかカルアップなのだが、今日は日曜なので昨日購入した自弁もついてきた。
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自弁とは、自費で購入する弁当(お菓子や飲み物も含む)のことで、日曜の昼食はお菓子と飲み物を頼めることになっていたので、この日は小さい紙パックのコーヒー90円と、どら焼き150円を頼んでいた。
どら焼きは別に美味しくもなんとも思わなかったが、コーヒーはとても美味しく感じた。僕は毎日3杯はコーヒーを飲んでいたので、4日ぶりに飲むコーヒーの苦みは舌中に染み渡ったし、何よりカフェインが効いてきて、珍しく覚醒作用をしっかりと実感できた。
昼食後、玉音放送みたいなノイズ感のニュース音声がスピーカーから流れ、それから10分ほど日本の歌が流れる。この日は福山雅治の「家族になろうよ」とかいうしょうもない歌がループでかかっていた。
それからすぐに招集がかかり、例によって手錠をかけられ、取調室に連れて行かれる。女刑事は「まだ話してくれないかな?」などと物寂しそうな風を装って聞いてきたが、僕は「無理ですね。でも、留置場に戻っても退屈なので、雑談してくれると嬉しいです」と正直に応えた。
女刑事は聞き上手だったし、僕はカフェインを摂って多弁になっていたので、それから3時間半ほど、事件に無関係な戯れ言をほとんど一方的にベラベラと喋り続けた。
「ブラジルの刑務所は半年に一度女を連れ込んでSEXができるらしい」とか「ノルウェーの刑務所はスタジオがあってギターを弾けるらしい」とか、「日本の刑務所は娯楽の重要性を軽視していて人権侵害だ」みたいなことを言っていた気がする。
夕方頃、女刑事は少し疲弊した表情で「じゃあ、今日はこのへんで…」と話を切り上げて、「調書を取らなかった」と記載された調書に僕の指印を押させた。文言に問題はなさそうだったので指印を押しておいたが、別に押さなくてもよかった。
女刑事相手に一方的に喋り散らかすという行為でストレスを発散できたようで、僕は非常に愉快な気分で取調室を後にし、留置場の居室に戻っていった。
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つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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tailormadeyamaki · 8 months
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MOONLIGHTING - AL JARREAU LYRICS+SUBTITULADA ESPAÑOL
「Moonlighting」
このブログを10月1日に書いている。今日10月1日といえば、私が学生時代を過ごした80年代は就職活動の解禁日とされていた。
当時、会社訪問は4年生の10月1日と同時に始まり、面接を経て試験を受け「内定」が年末までに取れれば、それが就活の順当な在り方だった。現在とは違い、それはホントの「短期決戦」で、数か月という短時間をいかに動くかにより働く会社が決まり、その後に続く大半の人生までも確定してしまうというものだ。中には、私のように年が明けても会社は決まらず、卒業さえも危ぶまれる学生もいたが、それでも4月には無事に入社式を迎えることができていた。 時は昭和62年、西暦1987年。いわゆるバブル入社組は「全員入社」という意味でもバブルの恩恵を受けた「幸運な人たち」だったと思う。
「こちらブルームーン探偵社」というアメリカのテレビドラマをご存じだろうか? シビル・シェパードとブルース・ウィルスが共演するコメディタッチのドラマで、日本では80年代の後半NHKで放送されていた。日本で作られたモノもそうだが、80年代に製作された映画やドラマは、主人公たちの衣装や室内の設えに本物使いや拘りがあり、ストーリー以外にも多くの見どころがある。この「ブルームーン探偵社」でもその傾向は随所に見受けられ、いかにも高級そうなワンピースやジャケット姿で635を操るシビルや当時流行だったノーベントの上着をジャストフィットに着こなすブルース、そしてドラマのスタートとエンディングに華を添えるアル・ジャロウの歌など、CGが多様された今日のドラマにはない贅沢な空気感がこの作品には漂う。 ストーリーはドタバタでコメディテイストだが、衣装や車などの小道具や音楽が洗練され一流であるが故に、その対比がこのドラマを上質なエンターテイメント作品に仕上げている。吹き替え版は無いが、その映像はユーチューブで見ることができるので、興味がある方はご覧になられてはいかがだろう。
普段聴くのはジャズだが、本当はフュージョン好き。シンプルなコード進行の上にきれいなメロディが乗り、アレンジに少し捻りが利いたものをいいと感じる。特にキーボードにローズピアノのサウンドが使われていれば、私の頭の中は80年代の輝く光景で満たされる。今回ユーチューブの映像をきっかけに、80年代に録音されたアル・ジャロウのCDを数枚手に入れた。丸い声質、正��な音程、全体のサウンドは、とても私好みで耳触りが良く、もっと早く聴いていればよかったと思うほど心地よい気分と気分と時間を得ることができた。お店で聴く音楽もしばらくアルの歌声が続くことになるだろう。
アースカラーのスーツを着る男性。ハイウエストのパンツにジャケットを合わせる女性たち。シティポップが流れる街のパブは仕事帰りの男女で賑わう。 パソコンもスマホもなく、全てがアナログ。当然情報も少ないから、それを得るためには自ら体験するしかない。だから人は街へ出る。それが街の活気へと繋がる。人・街・生活スタイルが時間の経過とともに洗練されお洒落になっていったあの頃。80年代とはそんな時代だった。昨今は、便利で多くのものが手に入り、多様性が認められる文化風潮だが、なぜだか心持が豊かに感じられることがない。あの時代を過ごした人なら、きっと誰しもがそう思うはずだ。そういう観点に立てば、昭和末期の80年代は、「あのころはよかった」との懐古的感情では片づけられない「特別」な時代なのだと思う。私の趣味嗜好も当時をベースにするものが大半を締めるのだから、あの時代を生きたことを心から良かったと思うのである。
注文服ヤマキ  木下 達也
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thefunkychicken · 3 months
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(CNN) パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区でイスラエル国防軍(IDF)に拘束されたパレスチナ系米国人女性が、イスラエルで勾留されて暴行を受け、薬の服用も認められないと訴えている。家族が13日に発表した声明で明らかにした。
家族によれば、拘束から1週間以上たっても米領事の面会が認められていないという。
勾留されているのはサマヘル・エスマイルさん(46)。イスラエル国防軍によって自宅から引きずり出され、イスラエルで勾留されて激しい暴行を受けたと訴えている。エスマイルさんの自宅も急襲され、破壊されたという。
イスラエル国防軍は、エスマイルさんに処方された薬を逮捕時から持っていながら与えなかったと家族側は主張。米大使館は連日エスマイルさんとの面会を求めているにもかかわらず、ネタニヤフ政権が拒んでいると訴えた。
イスラエル国防軍はエスマイルさんの勾留を認め、SNSで扇動行為を行ったために逮捕したと説明。一方で、不当な扱いを受けたとする家族の訴えについてはコメントしなかった。
米国務省のマット・ミラー報道官は13日、プライバシー法を理由に個別の訴えについてはコメントできないとした上で、「そうした状況においてはイスラエルであれどこであれ、領事が本人との面会を求め、必要に応じて家族と話をする」と強調した。
イスラエル国防軍がCNNに寄せた13日の声明によれば、エスマイルさんはテロ容疑者の逮捕を目的に行われた作戦で今月5日に逮捕された。逮捕者は全員、治安部隊に引き渡されたとしている。
家族によると、エスマイルさんの逮捕理由は10年前のフェイスブックへの投稿と政治的漫画だった。
エスマイルさんのフェイスブックには、イスラム組織ハマスを好意的に描いた漫画と、自身が銃を持つ写真2枚が掲載されていた。家族によると、銃はエスマイルさんが住んでいた米ルイジアナ州で合法的に所持していた。
エスマイルさんは正式に訴追されておらず、12日の軍事委員会で保釈が認められたが、この決定に対してイスラエル国防軍が不服を申し立てたという。
「エスマイルさんの『逮捕』で、今のイスラエル政府が制御不能に陥っていることを裏付ける証拠がさらに増えた。米大使館が8日間もエスマイルさんに面会できないという事実は言語道断であり、イスラエル政府がエスマイルさんの体のあざを米領事に見せたくないと思っているのではないかとの疑念がある」。家族側はそう指摘し、領事をエスマイルさんに面会させるよう、もっと力を尽くしてほしいと米政府に求めている。
パレスチナで拘束されたり殺害されたりした米国人はエスマイルさんにとどまらない。米国にいる家族によれば、ほかにも20歳と18歳の米国人2人が先週、パレスチナ自治区ガザの自宅をイスラエル軍に急襲されて拘束された。国務省のミラー報道官はこの2人についてもプライバシー法を理由に現在の状況を明らかにしなかった。
ヨルダン川西岸ではこの1カ月足らずの間に2人のパレスチナ系米国人が殺害されている。支援団体によると、17歳の少年は10日、車で移動中にイスラエル軍に頭部を撃たれて死亡した。
パレスチナのWAFA通信によると、1月には別の17歳の少年が頭部を銃撃されて死亡した。
この事件についてミラー報道官は、現在も捜査が進められていると説明し、「捜査の結果、責任を問う必要があると判断されれば、責任が問われることを期待する」と述べた。
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helloharuo-diary-2023 · 4 months
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過去日記「Novel」からのメッセージ
Wednesday 22 January 2014
坐禅会に行く時間と学校に行く時間はほぼ同じ早朝5時。昨年3月坐禅を始める時にハルオは、考えた。坐禅も良し、そして坐禅を習慣付けて夜型生活を朝型生活に切り替えようと。学校の授業をもっと大切に組んで行こうと。それまでのハルオは、長年夜型生活をしていた。深夜2時、3時は当たり前だった。東京の学校の授業スタートは、朝9:20から。その時間に間に合う為には、御殿場から出発する高速バスを朝6:20の始発に乗らなければならなかった。
今朝は、昨日と同じく禅寺の都合で坐禅会は、お休み。今年に入って増々坐禅修行に取組もうと決意したハルオは、のっぴきならない理由がない限り坐禅会に毎朝参加することを義務づける様にしていた。しかし今日は、坐禅会も休みで学校もあった。茶畑庵から車に乗って御殿場まで進むと雪舞っていた。裾野と御殿場間では、断然御殿場の方が標高高いので雪が降り易い。ハルオは��慎重にドライブをした。道路が凍結したり雪で視界が覆われたりするからだ。
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ハルオは、5:50の高速バスに乗った。昨年秋頃からダイヤ改正があり始発は、6:20から30分繰り上げられていた。余裕を持って東京に行かないといつ何時東名高速内で事故や渋滞に巻き込まれ予定時間を狂わされるのを防ぐ為だった。今朝は順調に進みバスは、7:30すぎに新宿に到着した。ハルオは、時間つぶしにマクドナルドに入ってコーヒーとソーセージマフィンを注文し喫煙席を選んでカウンター席に座った。窓の外は、左右に忙しなく人々が歩いていた。この時ハルオは、気付いた。ポケットWIFIの電源部を忘れたことを。それがないとリチャージが出来ないからバッテリーが1日持たない。いつもならインターネットをして時間を潰すハルオだったがWIFIの電源を切って読書に切り替えた。今ハルオが読んでいる本は、「参禅入門」大森曹玄著。1964年、ハルオが生まれた年に出版されたこの本は、読書が苦手なハルオにも読み易い本だった。
新宿駅から市ヶ谷駅まで総武線を使って市ヶ谷の学校まで、電車はいつも混んではいない。学校に着くとジャックダニエルのウィスキーをパロッた音楽イベントの張り紙がエレベーターの横に見た。ハルオは、以前レギュラーで仕事をしていた雑誌を思い出した。今日の授業は、いつもと違い合同プレゼンテーションの日だった。卒業制作を終えた生徒の作品を生徒1人1人プレゼンして行く。プレゼンテーションの会場となる教室に入ると生徒の数は少ない印象を受けた。ハルオは、中央の一番奥の席に座った。それには理由があった。自分の生徒がプレゼンをしたら記録として動画を録りたかったからだ。用意してあった三脚をキャリーバッグから取り出しカメラをセットしようとするとハルオは、又やってしまったと後悔した。三脚のクイックシューを忘れてしまった。静岡と東京の行き来を5年間続けているハルオだがいつも何かしら忘れ物をする自分が嫌だった。にも拘らずまたその過ちを犯してしまった。ただ過ちと言っても旅にトラブルは付き物でそのトラブルをどう知恵を働かせるというのも大事だなと1人納得して済ますハルオもいる。今回は、三脚の上にカメラを置いて手で落下を押さえる様にすることにした。16人の生徒が次々と指名されプレゼンテーションを行った。同世代の女性のポートレイト、卒業後移住する母島の生活のドキュメント、台湾からの留学生は、台湾の古い町並みを撮り、宮崎県の口蹄疫問題で29万頭の牛や豚が殺傷された地元を撮った生徒、巨大物が怖いとその巨大物たる建築物を撮った作品、、、、、様々な作品が紹介された。このプレゼンを真摯に受け止めプレゼン内容の紙に書いて来てる生徒もいれば行き当たりばったりでプレゼンする生徒もいる。後者の方が多く感じた。ハルオは、少しばかりそれで気分が悪かった。そしてハルオにも生徒から意見を求められてハルオは、答えた。「考えること、感じること、その意識を忘れないこと」ハルオは、そうメッセージを送った。メッセージを送っても生徒に受信機がなければ受信ことが出来ない。受信機がなくても時にはメッセージを送り続けることは大切だとハルオは、過去の経験から知っていた。ただハルオは、自分にその資格があるのだろうか?とも自問しながら。
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学校が終ると急いでハルオは、市ヶ谷駅に小走りで向かった。今日は、Uさんのお母さんの告別式だった。告別式の会場は、大森駅からタクシーで10分ほどの臨海斎場だった。ハルオは、急ぐとろくなことがなかった。電車に乗り次は飯田橋駅と知った瞬間「あれれ逆方向?」と乗る方向を間違えたと勘違いをして飯田橋駅で下車。そして逆方向の電車にまた乗った。そしてまた実は間違えていなかったと気付き四谷駅で降りてまた最初の方向の電車に乗車。それは、自分が水道橋駅から乗っていると思ったからだった。水道橋駅には、ハルオのオフィスがありその習慣が仇となった。御陰で臨海斎場までの道のりは遠のいた。大森駅に着いたらまずはバスに乗ろうと考えていたがこのタイムロスとバスの時刻表をネットで見たらバスがこの時間運行していないと知る。タクシーしか手段はないと悟りタクシーに急いで乗り込む。
斎場に到着した時は、告別式の全て��行事が終わっていた。ハルオは、遺影の前で手を合わせて故人のご冥福を祈った。その遺影は、ハルオが撮影した写真だった。昨年Uさんの姪っ子さんが結婚をされた時ハルオは撮影を担当した。その結婚式にUさんのお母さんも参列していた。向き合ってのポートレイトではなくあくまでもスナップショットだったので目線は横を向いていたが遺影の写真として評判が良かった。やはり昨年ハルオの友人のお父上が亡くなりその時も以前ハルオが撮った写真が遺影に使われ、その友人から「ハルオ君は、遺影写真家になれる」と言われていた。奇しくもその機会がまたやって来てしまった。ハルオは、自分が撮影した写真が人の役に立つのなら本望と心の中で思っていた。斎場を後にしUさんとそのお姉さんと3人でタクシーに乗りUさんと故人が一緒に暮らしていた自宅へと移動する。
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UさんとUさんのお姉さんとハルオの3人でタクシーに乗りUさんと故人が一緒に暮らしていた自宅へ移動した。蒲田駅から近いその家に入ると窓の外には、地元の高校が見えた。ハルオとUさんの交流は、20年近くになるがUさんの家には初めて訪れた。つい先日まで故人が使っていた4.5畳の和室には、仏壇があった。斎場の係員が僕らの後から間もなくやって来てお骨と遺影が棚台の上に置かれた。ハルオは、再度故人の冥福を祈った。Uさんは、読書家で本棚にはハルオには縁のなさそうな本がぎっしり並べられていた。UさんもUさんのお姉さんもいつも変わりない表情で告別式の後始末をしていた。僕は、告別式の参列者に用意されたお弁当をソファに座りながら頂いた。この家には、ニーチェという名の雄猫がいる。この猫の話もUさんから何度となく聞いていた。ニーチェは、来客であるハルオを警戒してかあまり姿を見せなかった。コーヒーを飲みながら故人を偲んで思い出話をしたりUさんの少年、学生時代の古いフォトアルバムを見せてもらった。Uさんの大学時代の写真は見た事があったがその前のUさんの在りし日の姿を見たのも初めてだった。ハルオは、もしもUさんが同級生だったらどんな関係になっていたのだろうかと想像していた。悪ガキでもなく、優等生という雰囲気でもなく、生意気そうでもなかった。同じソファに座っていたUさんがニーチェをあやしているとハルオは、ニーチェを自分の膝に引き寄せてみると意外と大人しくしていた。そのニーチェにUさんは驚きiPhoneで写真を何枚か撮った。夕方5時になりハルオは、次の予定、歯医者に行けなければならなかった。Uさんは、ハルオを鎌田駅まで見送ってくれた。
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ハルオは、京浜東北線で鎌田駅から品川駅まで移動した。川崎駅は、ハルオが昔付き合っていた女の子との思い出がある駅だった。あの子は、どうしているのだろうか?会いたいなと思った。そして山手線に乗り換え渋谷駅に行き、更に井の頭線に乗り換え三鷹台駅まで移動した。ハルオは、静岡に移住してからもこの三鷹台にある歯医者に通っている。ハルオは、その歯医者と信頼していた。今回あの治療は、右の奥歯の詰め物が外れてしまったからだった。治療はすぐに終ってしまい時間の予約をして新宿へと向かう。8時発の高速バスになんとか間に合いハルオは、いつもの様に後ろの方の席に落ち着いた。このバスは、超特急便で通常の特急便よりも殆どのバス停を飛ばすので時間が若干乗車時間が短く今夜のバスは順調に東名御殿場バス停に着いた。
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バスから降りて駐車場まで移動したハルオは、いつもの「Today's Fashion」の撮影をすることにした。ストロボを使わずに駐車場の灯りと高感度ISOの組み合わせで撮る。カメラは、駐車場に駐輪してあった誰かの自転車のサドルの上に設置しセルフタイマーを使って10秒後に3枚が撮れる設定にして3回繰り返した。ハルオの愛車のアーティ21スペシャルのフロントガラスは、凍り付いていた。間スプレーの解氷剤を窓に吹き付け、暫くして車を走らせた。
茶畑庵に着く前にスーパーマーケットに寄りタイムオーバーで半額になった焼き鳥や刺身を夕食に買う。茶畑庵も冷えきっていた。ハルオは、1週間前Uさんから分けてもらっていた遺影用の写真をフォトフレームに入れてあったので仏壇の横に置き鈴を鳴らしてもう一度手を合わせて故人の冥福を祈った。
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9onmoleno · 7 months
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今月は波乱万丈だった。 まず1番のニュースはやはりアレだろう。 母親が熱と嘔吐で倒れたと日曜日の朝に叩き起こされた。 早朝に救急車でかかりつけの病院へ搬送されて 発熱外来で診察したがコロナもインフルエンザもどちらも陰性。 白血球が異常な高数値を叩き出してるにも関わらず 当直医が「本人さんが帰りたいと言ってるので」と 帰宅するように促してきた。 「それに僕、当直時間もう終わりだし早く帰りたいんですよね~」 は?ふざけんなクソ医者が…と苛立ちながらも渋々帰宅。 がしかし、夜になるとどんどん容態は悪くなり 39.7度まで熱が上がり水すら飲めなくなり 薬を飲まそうと体を起こそうとすると 引きつけを起こして体がガチガチに硬直して起こせない状態に…。 小柄な母親を抱えるのに父親と2人がかりで疲労困憊で このまま家にいたら確実に死ぬかもしれないと危機感を感じ またもや救急車を手配した。 2番目の当直医は1番目の当直医より更に悪く 面倒くさそうな怠そうな横柄な態度をする医者だった。 「おい、異常無いのにまた検査するんか?」 俺の目の前で言ったので俺に言ったのかと訊きなおすと 俺の顔の前に手のひらをかざして静止。 というか、俺に言ったのではないのなら 「ご家族に言ったのではなく看護師に言ったんですよ」 の一言すら無いのか、と。手のひらかざすの失礼だろ、と。 医者が看護師に同じセリフを言いなおしたら 「入院するなら検査はもう一度必要です」 と答えた看護師のセリフに「チッ」と舌打ちしてため息�� 早朝に対応した当直医とのやりとりを説明して 自宅療養は厳しいので入院させて欲しいと伝えたら 「そんなの知りませんよ、僕に文句言われても困ります」 という返事が返ってきた。 「アンタ…感じ悪いね」 気が付いたら医者を睨みつけて言い放ってた。 「嫌なら別の病院行っても良いんですよ?」 医者のこの一言で俺の理性のストッパーは完全に外れた。 「なんじゃとゴルァ!!  同じ組織の人間の対応が悪けりゃ謝罪するのが常識じゃろが!  病院じゃろうが会社じゃろうが組織に属する以上は  連帯責任は社会人としての常識じゃあ!!  お前の言うとることは幼稚園児以下じゃ!  医者なんかやめちまえ!  お前みたいな医者に診られる患者が気の毒じゃわ!!」 と堰を切ったように怒号を飛ばしてた。 すると医者が 「〇〇さん!〇〇さん!(母の名前)  入院したいんですか?したくないんですか?どっちですか?」 と意識混濁した母親に怒鳴り始めた。 「お前バカか!!  意識不明の重体患者に判断能力あるわけ無かろうが!!  コロナとインフルが陰性でも白血球の数値が高いんなら  原因が他にあることぐらい分かろうが!  お前の脳味噌と目の前のカルテは飾りか?!」 と胸倉掴んですごんだら 「本当に入院で良いんですね?!」 と医者が睨みつけながら俺に訊いてきた。 「さっきから入院させぇ言うとろうが!!  何回言わしゃ~気がすむんなら!!」 お互いに睨み合いながら緊迫した空間の中 看護師は恐怖でプルプル震えながら涙目。 そこへ救急車の後から追いかけてきた父親が到着。 医者は現場を放置して看護師に丸投げして部屋を出ていった。 その後、入院手続きの為看護師と父親と俺との3人で会話した際に 「あなたも医療従事者ですよね?  先程の件ですが、同じ医療の現場で働く者として  どのようにお考えか述べて戴きたい」 と看護師の目を凝視して言った。 もはやヘビに睨まれたカエル状態である。 「ドクターの態度が悪すぎることは私も気づいておりました。  でも私の立場はドクターより下なので  ドクターの尊厳を落とすことは出来ないので  指摘したくても出来ませんでした。  本当に…本当に大変申し訳ありませんでした…」 「存じておりますよ。  あなたからその言葉を訊けて良かった。  そう思って戴けてるならそれだけで十分です。  ありがとうございます。  あなたが言えなかったぶん私が彼を扱き下ろしましたので。」 と彼女にお礼を言った。 その後母親はICUに移され一晩を明かした。 主治医が出勤してきてすぐに診察をして 抗生物質を複数回投与したおかげか37.5まで熱が下がった。 その日の午後に主治医から呼ばれ父親と俺と3人で面談を行った。 病名は腎盂腎炎(昔で言う腎盂炎) 膀胱から腎臓へ細菌が逆流しており 下手すると敗血症で死んでしまう場合がある恐ろしい病気だ。 母親の場合はかなり重症だったらしく 当直医の言う通りに自宅療養していたら 今頃母親は死んでいたかもしれない。 土壇場で救急車をすぐに手配した判断力と 医者に怯まない強烈な発言力と精神力があったから 命拾いしたと言っても過言ではない。 本当はあの当直医を告発してやりたいほど腸が煮えくり返っているが 家族の体面を考慮して病院名と医者の名前は書かないでいてやる。 母親が退院する頃にはすっかり気温が秋らしくなって ここ最近では底冷えがするくらい寒くなった。 事前にZOZOTOWNで冬物衣料を仕入れてたので準備万端。 去年はMA-1スタイルにハマっていたが 今年は少しモードなスタイルにイメチェンして ドレープの効いたシックなアイテムを仕入れた。 東京と比べて広島人の方が服装に拘った人が多いので 毎日格好に結構困るんだよなぁ…。 意外と東京の人は地味な格好の人が多かったので 俺としては着る物をいちいち考えなくて良かったからラクだった。 SLで商品を買う時はFATPACKで買う習慣が身についてるので RLでもFATPACKで買うクセがついている。 特に着回し度の高い黒は同じものを複数枚持ってたりする。 嫁様に「必ずFATPACK買うのはくーたんくらいだよ…」と言われるが 世間様はシングルカラーしか買わないのだろうか? 東京滞在時の後半8年間はほぼ体調不良で寝込むことが多く 病院ジプシーの果てにやっと辿り着いた病院で 勧められた漢方薬のおかげで何とか生きてこれた。 一時期体調が良くなってたのに最近また再発したので 今度は自主的にAmazonで漢方薬を仕入れて飲んでいる。 甘草を摂りすぎないように含有量をチェックして 調整しながらセルフメンテナンスをしている。 もしかしたら医者より漢方薬に詳しいかもしれない…。 具合が悪いと大好きな音楽ですら雑音にしか聞こえなくて 専らここ最近愛聴していたのはNHKラジオだが 体調が良くなると激しめの曲でも楽しく聴けるようになった。 漢方薬の力、恐るべし…。
MAN CAVEで購入したモノ ■TOPS //Ascend// Alton Leather Jacket ■SHOES GUTCHI - Falcon H M2 //Zebra ■TATTOO . : Mea Tenebra : . Gloom Equal10で購入したモノ ■BACKDROP Amitie CHAINS ROOM BACKDROP
Other ■BOTTOMS -ODIREN- Bill Pants
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kaneninarananesaki · 8 months
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屋内でアウトドアごっこ
月初から忙殺され、活動する気力を奪われてやしないか。
記事を更新する気力もないか、実際何をするのも億劫か。
億劫という字は意外と難しくないな、書けと言われて書けそうだ。
ついつい活力の無い選択をしてしまうそんなあなたに、屋内で出来るソロキャンプがあることを知っているか?
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中身はこんな感じ、全部カードで構成されているゲームです。
山札からカードを引いて、基本3枚の手札をやりくりし準備を行い、不可抗力的なイベントにもめげずソロキャンプアクティビティを遂行するセットコレクションってやつです。
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緑のギア、黄色のメシを時間(手札)を消費しながらフィールドに置いていく、キャンプは準備が肝心です。多分。
フィールドにギア、メシを置くだけではポイントにならず、これらをアクティビティでコレクションすることでポイントとしていく。コレクションすることで効果を発揮するギアもある。
不可抗力なイベントが起きたり、ここでは「快晴」を引きましたね。なんかいい感じの事が起きます。
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テントのギアポイント2をコレクションに送り、手札2枚を捨て札に置くことでアクティビティ「天体観測」をコレクション、すでにイベントカード「快晴」を引いているので……
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「天体観測」は2ポイントから5ポイントに!幸先良いね。
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山札が尽きたら半日終了、捨て札をシャッフルし、新たなイベントカードを加えて次の半日が始まります。
最初の半日が過ぎた状況は上記の通り。速攻テントを張れたので手札4枚で展開できるのは心強い。フレーバー的にはキャンプ場ついてテント張ってカップ麺で飯を済ませて即トレッキング、コーヒー飲みつつ天体観測、半日で元気だなオイ。
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ラウンド2、アクティビティばかりで重い手札だが、フィールド上のコットをバードウォッチングでコレクション、昼寝もどうにか揃えて……
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くつろぎコンボ発動!アウトドアシミュレーションでも隙なくだらけていきます。無為に時間を捨てているのではなく、屋外で能動的にダラダラするためにあくせくしているのだ。
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ラウンド2のイベントはゲリラ豪雨、ラウンド数+1枚を山札の上から捨て札に。かなり凶悪だ。
ラウンド3もぼちぼち回しつつ、イマイチ点数が伸びないと思われたその時だった。
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虹が空にかかったのは。捨て札から好きな1枚を手札に加える。
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フィールドはメシ3、ギア3。手札に加えるのは、
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虹が絶景を連れてきてくれた。
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ラウンド3終了。つまりはゲーム終了。コレクションできたカードの右上の青いポイントの総計が結果となります。
ついでにフィールドエリアのギアメシをちょっきし使い切ったのでクリーンボーナス1点。キャンプ場はきれいに使いましょう。
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ちゅうわけで結果は42点!フィールドマスターの称号を手に入れた!
「年間100泊以上、もはや住所不定」らしい、勝利なのかそれは?
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このゲームのすごいところは上手くいかなくても楽しいと思えるフレーバーの強さだと思う。
今回のプレイングでは劇的な展開で得点が伸びたけど、ゲリラ豪雨や忘れ物、手札のかみ合わせが悪くて点が伸びなかったとしても「ソロキャンプに出掛けたものの準備が悪くて思ったより活動できなかった」とか、「それなりに周到に進めていたけど致命的な忘れ物をしてしまった」とか、それはそれでなんとなくいい思い出として人に話したくなるような感じになるのだ。1度フィールドマスター級のプレイングをするとそもそも点数自体に拘らなくなってくるところも実際のアウトドア趣味らしいじゃないか。「強烈な美しい体験」の残滓を味わおうとする感じがさ。
写真の通りマニュアルをpdfファイルにしてしまうことで徹底的にコンパクトにしているのも美しい、ルールはシンプルなので1度回せば大富豪のようにマニュアルはいちいちいらないしね。トランプみたいなパッケージで十分だ。
屋内で行えるソロキャンプごっこ、という贅沢。どうせ活力の無い今なら、失敗の思い出も美しい思い出も等しく愛せそうじゃないか。
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kobayashitool · 8 months
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Titanium Ultra Light Sierra Cup 発売開始(2023.9.7、12:00-)
金属洋食器の街である燕三条製のチタニウム ウルトラライト シェラカップ UL-SC320Ti を(2023.9.7、12:00-)より販売開始いたします。
アウトドア、登山を想定した唯一無二の多機能12マルチ目盛 軽量かつ調理可能な浅型チタン製シェラカップ(320ml)。 Mサイズ卵1個の軽さ、 耐食性にも優れたウルトラライトカップ 軽量化が求められる登山において1gでも軽く、壊れない製品を提案。 カップ本体に加え、柄部分もチタン製。 重量はMサイズ卵1個と同じ50g! 直火調理も可能な究極シェラカップです。 ダブルメモリ&底面マークの向きにも拘りを 対となるダブル目盛に加え、底面のマーク配置を吊り下げた場合にロゴが正対するようデザイン。 洗った後もインテリアとして主張します。
【セット内容】 ①チタニウム製シェラカップ 1個 ②専用台紙(裏面取扱説明) 1枚 ビニール袋付
【価格】 Titanium Ultra Light Sierra Cup UL-SC320Ti (税込2,750円・送料別)
◆ チタニウム ウルトラライト シェラカップ UL-SC320Ti 製品ページ https://muthos-homura.jp/items/ti-ul-sierra-cup/
なお今週末、2023.9.9(Sat)-10(Sun)開催予定の下記の新潟・燕三条Outdoor Expo 2023(新潟市万代島 大かま)の弊社ブースで特別に展示販売させていただきます。 日頃はECサイトのみで製品を販売しておりますが、アウトドアの展示会は初出展ですので、是非とも御来場お待ちしております。 https://www.west-shop.co.jp/expo2023/
今後もMuthos Homuraの展開にご期待ください。 引き続き、キャンプ好きのご友人、お知り合いへ、この投稿をシェア、SNSでの拡散して御紹介いただけると幸いです。 今後とも、ご愛顧のほど何とぞ宜しくお願い申し上げます。
小林工具製作所 #燕三条 #新潟県 #三条市 #2023年 #アウトドア #チタニウム #ウルトラライト #シェラカップ #MuthosHomura #ULSC320Ti #展示会 #チタン #キャンプ #新潟燕三条OutdoorExpo2023 #ナイフ #チタン #浅型 #唯一無二 #多機能 #メモリ #登山 #インスタントコーヒー #炊飯 #アルファ米 #半合 #カップメシ #万能 #軽量 #直火 #鍋 #フライパン #クッカー #計量カップ #風防 #調理 #ソロキャンプ
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takahashicleaning · 11 months
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TEDにて
エイブ・デイヴィス:物の隠れた性質を解き明かす新しい映像技術
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
音が物に引き起こす小さな振動をはじめ、私たちの周りでは微細な動きが絶えず起きています。
電波やマイクロ波やX線やガンマ線が、今、まさに、エネルギーとして、体を通り抜けているにも関わらず、人間の感覚器官では、まったく、認知せずに、気付かないのです。
物理学では、これらも統合して「電磁波」と呼ばれています。
最近の技術は、見たところ動きのない物の映像からそのような振動を拾い出し音や会話を復元することを可能にしていますが、エイブ・デイヴィスはそれをさらに1歩進めています。
物には、固有振動数と言われる現象もあるので、一度、外力が与えられると外部から力を加えなくても振動していきます。
固有振動数は、構造物自身が持つ固有の共振周波数のことです。
形状・拘束位置・材料のヤング率や密度によって周波数の状態が異なります。固有振動数の単位は、Hz(ヘルツ)であり、これは 1秒間に物体が振動する回数を表しています。
さらに、量子レベルでも観察していくと、結晶格子レベルでの振動が正負のイオンとして存在する場合、両方が共に振動する(力学的なゆらぎ)か。
互い違いに振動する(電気的なゆらぎ)か。で性質が異なる。
正確には、違いますが、この格子振動を遠くから眺めると「場のゆらぎ(場の対称性の破れ)」に見える(場の量子論)。
不確定性原理から個々の物質要素は、同時刻に正確に確定することはできません。
何の変哲もないビデオから物の隠れた性質を対話的に探れるソフトウェアのデモを是非ご覧ください。
数年前に、MITの同僚が「モーション・マイクロスコープ」というのを作りました。映像の中のこのような小さな動きを検出して拡大し、目で見て分かるようにするソフトウェアです。
そのソフトウェアを左の映像に使うと手首の脈動が目に見えるようになり、脈を数えて心拍数を測定することだってできます。そのソフトウェアを右の映像に使ったなら赤ちゃんのする呼吸が、目に見えるようになり、触れることなく赤ちゃんの呼吸の状況をモニタできるようになります。
これはとても強力な技術です。通常は触れなければ、分からない現象を接触せずに視覚だけで捉えられるからです。
iPhoneやiPadなどに搭載されるといいかもしれません。
分かるように説明しましょう。普通のマイクというのは、中にある振動板の動きを電気信号に変換する仕組みになっています。
振動板は音に敏感に反応して動くようにデザインされていて、その動きを音として解釈し記録できるようになっています。しかし、音はどんな物でも振動させます。ただそういった振動はあまりに小さく速いため目に見えないだけです。
この振動を高速度カメラで撮影してソフトウェアでその小さな動きを取り出し、分析することで、その振動を作り出したのがどんな音か?
知ることはできないだろうか?それができれば、離れたところにあるものを視覚的なマイクへと変えることができます。
使用するハードウェアという点でも限界を押し広げることができます。ここまで、ご覧頂いた実験は、どれも高速度カメラを使っていて、これは通常、携帯についているカメラよりも100倍高速に撮影することができます。
しかし、私たちは、普通のカメラでこの手法を使う方法も見つけました。ローリングシャッターと呼ばれる技術を利用しています。
多くのカメラは、画像を1行ずつ記録しています。1枚の画像の記録中に撮影対象が動くと、各行に時間的なズレがあるため、ビデオの各フレームに小さなゆがみが記録されることになります。
これは世界を見る新しい強力な方法です。新たな状況に対して、物がどう反応するかを予測することができるからです。たとえば、古い橋を前にして車で渡っても大丈夫か?分かりかねているという状況を想像できるでしょう。
この質問の答えは、橋を渡り始める前に知りたいはずです。もちろん、この手法にも限界はあり、その点は視覚的マイクロフォンと同じです。しかし、この方法は、予想以上に多くの状況で使え、長いビデオがある場合には特にそうです。
たとえば、2分のビデオがあれば、室内の自然な空気の対流で生じた気付かないような微かな動きや振動からシミュレーションを作るのに十分な情報が得られます。
このようなインタラクティブなものは、ビデオゲームや3Dモデルの中の架空の物として見慣れていると思いますが、現実の世界の実際の物から普通のビデオ映像を使って、このような情報を引き出すというのは、新しいことであり大きな可能性があります。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
2017年ノーベル化学賞のクライオ電子顕微鏡の開発は、液体窒素など「クライオ(低温)」で凍らせて電子顕微鏡で見る方法。
モーション顕微鏡、超解像蛍光顕微鏡、クライオ電子顕微鏡は、膨大な量の顕微鏡画像をコンピューターで解析、計算処理して、これらのビックデータから実像をコンピューターシュミレーションで自動的に立体構築していく。
ムーアの法則により、TFLOPS(テラフロップ)クラスにまで到達したCPUの処理速度の向上、ナノテクノロジーによる小型化・高性能化や、IT技術の発展やテラバイト規模の記憶容量の向上に関係しています。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
Gravitational waves are also integrated into electromagnetic waves. They are currently considered to be higher frequency than gamma rays, but no one in the world has been able to determine the exact frequency.
重力波も電磁波の中に統合されます。2020年時点は、ガンマ線よりも高周波とされていますが、正確な周波数は世界中の誰一人として明らかにされていません。
Since they can be detected by LIGO in the United States, it seems to be only a matter of time before the frequency is identified.
アメリカのLIGOで検出できるので、周波数の特定は時間の問題と思われます。
重力波は、アインシュタインの一般相対性理論によって予測され、 アメリカのLIGO(ライゴ)というプロジェクト名でデータ観測されて、2017年ノーベル物理学賞を受賞しています。
現在の検出の主流は、強力なレーザー光によるマイケルソン干渉計があります。
これは、さかのぼって、量子力学が産まれ始めたころ、絶対時空間であるエーテルという概念が根強くあり、これは、中世ヨーロッパから長く信じられてきた考え方で、信じていたかはわかりませんが、ニュートンやデカルトもひとまず取り入れていました。
それから1900年代に、アインシュタインの特殊相対性理論とマイケルソン=モーリー(Michelson=Morley)の実験から、検証されエーテルは完全否定されています。
光速度は、物理学の本質と深く関わる重要な普遍的基礎定数です。
これからは、衛星を打ち上げ宇宙空間からレーザー干渉計にて、重力波を検出しようというLISA(Laser Interferometer Space Antenna)計画がNASAとESAによって進められている。
これは、3台の衛星がお互いを追跡(人間ではないので基本的人権に十分配慮しています)し、コンピューターの自動同期で、一辺が500万kmまで現在、拡張できる。
将来は、その距離を物理的限界があるが、無限大にまで大きくできるようになります。
さらに、ニュートリノも周波数はわかりません。
背景重力波について
最近の重力波についての研究に進展が見られ、背景重力波というLIGOで測定した従来の重力波とは、違う周波数で重力波が存在する可能性が示された。
電磁波は、電場と磁場の組み合わせで進行する波ですが、重力波は一般相対性理論から導かれる空間の歪みで波が進行する。
そのため、電磁波は、ガンマ線やX線、紫外線や可視光線など、様々な周波数の総称として電磁波と呼ばれるが・・・
重力に関しては、LIGOに示された重力波の周波数だけかと思いきや、背景重力波と言う周波数も存在することが示されたため
どうやら重力波のカテゴリーの中にも様々な時空の歪みに関する指標的な意味合いの周波数帯が存在する可能性があるかもしれません。
このことから重力波は、電磁波の一種ではなく、時空の歪みから来る性質の違う独立した波として電磁波とは別々と考えた方が腑に落ちます。
もしくは、場の量子論から電磁波と重力波がハイブリッドに融合して、しかも、周波数が近い場合には相互作用しつつ共鳴して時空やそれ以外に何かしらの影響を与えているメカニズムも考えられそうです。
今後の研究次第で背景重力波以外の他の周波数も見つかるかも知れません。
<おすすめサイト>
ニック・ヴィーシー:見えない物を透かし出すテクノロジー
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
レイ・カーツワイル:加速していくテクノロジーのパワー
マイケル・ルービンスタイン:見えない動きを見、聞こえない音を聞く。すごい? それとも気味が悪い?
<提供>
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juichiomori · 1 year
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松本俊夫実験映像集1−詩としての映像−
本人解説要約
【西陣】
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●1961年発表。
●カメラマンは日本映画の天皇とも言われている宮島義勇が自ら名乗り出てくれた。
●詩人の関根弘。
●日常的な風景の積み重ねで見えなかった内向的な部分が見えてくる。
●見えない怖いもの、鬱屈した気分を拾い集めながら発酵させるスタイル。
●何かが出てくるのか出てこないのかは分からずに撮っている。
●インタビューを素材にしてモンタージュ(映画・写真で、いろいろの断片を組み合わせて、一つの場面・写真を構成すること。そうして作ったもの。)にしている。
●機械化(生産の合理化)と手織り(独自性)の対比。
●基本織物を織っている場面の積み重ねで進んでいく。
●織っている人の顔をほとんど出さないようにしている。
●西陣の全体像を作り上げさせる映像。
●おまじないが非常に目立つ世界を映している。
●西陣の中に沈んで溜まっていく心と身体の病が見えてくる。
●展示会等、表面の華やかな面を西陣のイメージとして作り上げるがその裏では歴史を背負った習慣が人々の意識を作り上げている。
●能を踊っているのはカンジヒデオ。
●蜘蛛の”糸”と織物の”糸”を掛けている。
●当時は五寸釘の遊びという子供の遊びがあった。
●釘抜き地蔵に職業病で悪くなっている身体の釘を抜いてもらうというもの。(これもおまじないの一部)
●西陣の良くも悪くも変わらない体質を表現。
●西陣の人手不足。
・若者を募集するビラ、集団就職。
・西陣の過酷さをそこまで過酷と思わない過酷な農村にいた中学生たちを集める。
●細い路地、屋根。
●経営者たちの会議を誇張して映し、モンタージュにしている。
・会議室の隣には誰もいない部屋がある。
・何か大きく穴が空いている様を表現。
・空洞性
●状況が行き詰まっているのをあるがまま映し出している。
●基本寄りでしか撮影していないが最後のみ、織る人の引きの画を映している。
●混沌とした世界。
●映画では最後までメッセージを伝えていない。
・観た後に考えさせる映像にしている。
●第13回ベネチア国際記録映画祭でサン・マルコ金獅子賞を受賞。
【石の詩】
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●1963年、TBSで放映された。
●アーネスト・サトウが700枚程白黒写真を撮ってきた。
●それを映像化するつもりだったがプロデューサーが危機感を抱く。
・誰かの「そんなときは松本に聞けば奇抜なアイデアを出してくれる」の一言で松本俊夫に話が来た。
●最初、石の映像のどこに切り口をつけていいか分からなかった。
●エンターテインメントよりも西陣でやったようなシネポエム(映画用語としては「映画自体が詩であるもの」つまり映像による詩的表現のことを指し、文学用語としてはシナリオ形式を借りた詩のことを指す。)のような考えを進めてはいけないかと考えた。
●写真素材は動かない、動きのない石がモチーフ、静物の静止画というのは映画表現から遠く難しいと感じた。
・非映画的。
●じっと眺めていると、別に何か自分の意識の奥底に蹲っているものがこれらの写真によって刺激されることに気が付いた。
●沈黙というのは死に近い世界。
●彫刻家の流政之は「石をみがくと石が生きてくる」と言っている。
●フレームを切り取ったり構築したりする中に映像が表現を孕んでくることによって、石が生きてくる次元で見られるのではないかと考えた。
●死と再生という根源的な題が隠喩されている。
●当時、安保の敗北で全てが終わったという空気になっていた。
・時代の沈滞化。
・63年になると死に近い状況。
・メタファー。
・その中に生が蘇ることをどこかで望みながら胎動を確信することが出来ないでいる。
・歴史のエアポケットのようなところだった。
●石が生きてきたことと映画が息衝き出したことを連鎖的に帯びさせたい。
●写真を映像にするにはアーネスト・サトウの写真のフレームを弄らねばならないが、写真家はフレームを拘って撮影する為に弄られることを酷く嫌う。
・「映像の尺問題があるのでそれがOKなら出来る」と言う。
・最初アーネストサトウは拘りたいと一日時間を置いたが良い手が見つからないとの事で託された。
・この時点で放送まで後10日。
●まずは3日間徹夜してグラフコンテを描き、それをスタッフに渡して指示。
・撮影とコンテを同時進行。
・撮影はすべてコマ撮りにして写真を原画にしたアニメーションにした。
・現像場でエフェクトをかける時間はない為、カメラでエフェクトを直接撮影して付けた。
・それを時間軸へと構成。
・イメージの流れ、時に飛躍をわざと含ます。
●映像内容で無く、素材自体の印象を意識。
・言語内容より言語そのものに刺激を受けるのに近い映像。
●石と作業の素材のみで世界を映し出す。
・沈黙の中に浮かび出す生。
・素材主義。
●音楽は透明な音が聞こえる。
・サウンドを担当した現代音楽の評論家秋山邦晴が石を楽器にしている。
・石から音楽を作っている。
・ミュージックコンクレート。
・速度を落としたり変調したりしたものを6mmテープで合成していった。
●スタッフの不眠不休。オンエアの1時間前に完成。
●出来上がって���体を見てみて初めてこういう映画だったのかと分かった。
●放送後「テレビの常識からかけ離れすぎている」と報道局の局長がひどく怒りプロデューサーは飛ばされてしまう。
・そして松本俊夫はTBS出禁。
●結果、賛否はあったが後にジョルジュ・サドゥールやクリス・マルケルに評価された。
【母たち】
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●1967年発表。
●石の詩からの3年半の間、テレビでも映画でも出禁状態の評判で干されていた。
・焦りも出ていた。
・その間は演劇に携わったりしていたが、やはり映画がやりたいと思っていた。
・映画製作会社「自由工房」を立ち上げた工藤充にやらないかと誘ってもらった。
・電通が絡んでいてスポンサーがプリマハム。
・たまたまプリマハムが当時ハムの中毒事件があってそのイメージを脱却したいとの意図。
・清潔なハムの製造のビデオになるはずだったがそんなのはつまらないし説得力を持たないと思った。
・そこで主婦に目を向けようとした。
●産業映画でなしに時代や人々を見つめる映画にしませんか?と提案。
・それは面白いとなった。
・世界の母親とその子供の姿を捉えることによって生活環境や感情を映し出す。
・共感関心を得られるテーマ。
・説明的ではなく一つの映画として。
・またやらかすともう作れないかもと思い、難解でないものにしようとした。
・「西陣」はベネチア国際映画祭で賞をとっている。
・それでプロデューサー等との葛藤が和らいだ。
・そこで賞を取れるレベルの映画にしようとは思っていた。
・30分くらいの長さにしよう。
・シナリオハンティングの予算はとても無かった。
・ぶっつけで撮影しにいく。
・シナリオではなく意図のみを書き出しスタートした。
・400字ほどの企画書を持って、アメリカ、フランス、ベトナム、ガーナ(アフリカ)の四カ国のオムニバスを撮影しに行った。
・南北問題
●白人が作った文化、社会、それによって苦しむ第三社会の対比。
・あまりキツくは出さずともなんらかの形で出るのではないか。
●予算問題が厳しかったので4カ国で40日間厳守でスタッフと四人旅。
・たまたま松本の発想で寺山修司の詩をコラージュしていた。
・寺山修司から許可をもらった。
・さらに「外国に行った事がないので一緒に行きたい」と言われた。
・寺山修司とも一緒に旅に行くことになった。
●アメリカはその時代ベトナム戦争中。
・黒人差別が露骨に残っている時代。
・そこらを切り口にしてアメリカとベトナム、ガーナ。
・ヨーロッパの経済発展に伴う空虚感を忍ばせるフランス。
・そういった意図でのこの4カ国。
●移動含めて一カ国10日。
・実際に撮影できる日にちは1カ国1週間。
・段取りはできないのでぶっつけで撮影していく。
●アメリカではハーレムにいく。
・当時かなり怖いところだったので、簡単に撮影は出来ない。
・事件が起きるのは夏というデータを取っていたので、事件があまりない冬にはなんとか撮られるのではないかと考えていた。
・現地で本屋を経営する日本人に案内をしてもらうつもりだったが急遽断られた。
・当時は現地の人がビビってしまうほどの状況だった。
・たまたまハーレムの中でアル中のお母さんを捕まえて強引に家まで押しかけて撮影。
●フランスの場合は、道で「こういった母親はいないか?」と聞いて回っていた。
●ベトナムは映像では三個目のシーンだが、最後に撮影した。
・ベトナムに入るには観光旅行の装いをしなければならない。
・アメリカ軍に申請をしようとしたら間に合わない為、世間知らずの若者たちが観光旅行をしながら撮影して入り込んで行っている装いを作ろうとした。
・そのために16mm(他は36mm)で行こうと考えた。
・ちょっとした金持ちのドラ息子だと思わせた。
・寺山修司は仕事で帰国しなきゃいけなかったのでデータや機材を託し、カバンに馬鹿げたお土産をたくさん詰めてベトナムへ行った。
・万一危険な状態になったら案内に従ってほしいと現地の案内人に言われた。
・メコンデルタに行った。
・昼は政府軍、夜はベトコン。
・ある時銃声が聞こえたら、自分たちへの威嚇だった。
・とりあえず捕まって永遠に田んぼを歩かされ、テントに連れてかれて尋問された。
・カメラが銃に見えたと言われた。
・戦場だと知らないで入ったといったらお前らはバカだと言われて強制送還された。
・バカを装って上手く騙したベトナム撮影。
・当時はベトナム戦争の最中だったので子供が死んで泣いている母親もいて深刻感が強かった。
●ガーナに映るときに気持ちを和ませてほしいと言われて最初は躊躇ったがクッションをいれた。
・ガーナでは解放、民主化が上手く進んでいた。
・将来へのビジョンが見えていてハーレムの空気とは対照的だった。
・ガーナの中での黒人の生活は精神的に豊かだった。
・オムニバスの最後に持ってくるのがいいとなった。
・野口英世は高熱病の件でガーナでは特別に扱われていて、それで日本人への対応も暖かかった。
・民族問題、宗教問題はアフリカの新しい矛盾としてなっていくことをこの頃は予想させなかった。
・紋様のデザインの感覚に驚いていたが何より驚いたのは商品自体の布がメイドインジャパンだった。
・アフリカの映像は映画のラストであり、持つ意味は大きい。
●海は母性。
・今この母子はどうしているのだろうかと思う。
●この映像は、普遍的な訴える力を持っている。
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tdcoral · 2 years
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天使の群れで空はいっぱい
ルーク・ハント2020誕生日に寄せて
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 1.十二歳
 「監獄」「軍隊」「学校」
 講師の男はそれらの言葉を黒板に大きく書くと、壇上から聴衆を振り返った。
「ここに書いた三つのものは、ある共通点を持っています。何だと思いますか」
 聴衆は少しくざわめいた。ルーク・ハント少年も、自身の通うミドル・スクールのロゴが入ったペンを振りつつ、その問いについて考えた。  それは演劇論の公開講座だった。この夕焼けの草原において著名な演出家が講師をつとめるとあって、いつもは予算消化のために惰性で行われるような市民講座に多くの人が集まっていた。駆け出しの舞台鑑賞家であるルークも、その演出家がこの町にやってくると聞いて心が踊った。それで、ルークの生まれ育ったこの地域で一番大きくて立派な公立学校の講堂は、今日はこうしてほとんど満員だった。  ルークは講堂の最後列に近いところで講義を聞いていた。ルークが受付を済ませた時点では前方の良い席も十分に空いていたが、座席には傾斜がついていたし、この程度の距離であれば板書も講師の表情も満足に目視できる自信が彼にはあった。それに何より、聴講に訪れる地域の住民、普段関わりを持たない彼らを後ろからゆっくり観察できるのが良いと思った。  さて、ルーク・ハント少年は、この講座の開講にあたって出された問いを考えるのが半分。それから聴衆をゆっくり見渡すのが半分。口もとに機嫌の良さそうな笑みをたたえ、緑色の目をきゅっと細めていた。  うごめく疎林のような群衆の間に、何か見たことのない生き物はいないだろうか。  最前列にいるウマ科らしい獣人属の婦人。横顔からでも分かるあの眼差しの熱っぽさ、あれは多分、演出家のファンだ。レジュメを見てもいないし特に考え込んでもいない様子から、この質問の答えを知っているに違いない。これは定番のアイス・ブレイクなのだろう。  ルークの数列先に座っている中年の夫婦。二人ともネズミ上科らしく愛らしい耳をぴこぴこと動かし、小声で相談している。ルークは耳をすませてみた。「関係ないじゃないの」「○○校でやるというから」「受験に有利」……聞こえてくる単語からすると演劇に関心があるわけではなく、どうもこの会場が子供の志望校で、学内イベントか何かと勘違いして情報収集のために来たようだ。  それから、それから……ルークの視点は次々に移ろう。どの聴講者もそれぞれの目的があって、それぞれの期待を持ってここへ集まっていた。  最初は灌木の林か何かに見えていた聴衆は、少し観察しただけで今や魅力的な動物の群れに姿を変えていた。ルークは眩しさに戸惑うようにぱちぱちと瞬きした。さほど広くはないこの地域に、こんなに多様な人が住んでいるとは! そう、それは十分に多様だった、十年と少しをこの町で生きただけのルーク・ハント少年にとっては。  それをこの目で確かめられただけで既に大変な収穫だと、ルークは感じ入った。
「さ、お時間です。皆さんの答えを聞いてみましょうか……その前に、答えを知っている人は先に手を挙げてくださいね。これ僕の鉄板ネタだから」
 微風のような笑い声とともに前列の方で何名かが挙手した。あのウマ科の婦人も、ルークの見立てどおりに手を挙げていた。
「では……」
 演出家は傾斜のついた通路を軽やかに上る。指名されることをいくらか期待している人々をいたずらめいた笑顔で眺め、そして中腹あたり、列の端に掛けていた三十代くらいの女性に声をかけた。  ルークは女性の答えに耳を傾けた。
「そうですね、監獄と、軍隊と、学校の共通点……」
 緊張に上ずった声で女性は続ける。
「私は学校しか行ったことないんですけど、全部同じようなものに思えます」 「なるほど。それはなぜ?」 「ウマの合わない人とも一緒に長時間拘束される場所、つらいところってイメージ」
 ウマ科の婦人がアッハッハ! と笑った。共感の笑いだった。彼女だけでなく会場中にその笑いが広がっていた。
「ありがとうございます。皆さん拍手を!」
 恥ずかしそうに顔を落としている女性を見つめながら、ルークは拍手を送った。  ルークは彼女の過ごした学生時代のことを考えた。「つらいところ」。彼女にどんな声をかけたらいいか分からなかったが、拍手さえすれば自分の役回りは全うできた。ルークはそれを少し寂しく、歯がゆく思った。そして自然と、自分がこれから過ごすであろう学生生活のことを思った。これから恐らくきっと進学するとして。
 私が行く学校はどんなところだろう?  そこにはどんな人がいるのだろう?
 演出家は壇上へ駆け戻ると、拍手の退く頃合いを見計らって片腕を上げた。チャーミングな唇をニコッとつりあげる。
「素直なお答えをいただき感謝します。さて……  監獄、軍隊、学校。これらは近代に入ってはじめて国家規模で制度化されたものです。近代という語の定義も問題ですが、ここでは薔薇の王国に端を発した技術革新と産業国際化、それにともなう世界的な言語統一運動が達成された革命期を節目に始まった一時代としましょう」
 ルークは配布されたレジュメにちらりと目を落とした。カリキュラムの第一項は脚本論のエッセンス講義とある。
「で、僕の質問は、この三つの共通点は何かということでしたね。多分いろんな答えがあると思います。今回はこの演劇論講座の導入として……それを『生まれも育ちも考えも異なる他者同士が生活をともにする場であること』としたい。  長い歴史の中で本当に最近まで、この国の人というのは人生を通して、自分の生まれた地域、せいぜい近隣の町くらいまでを最大の行動範囲とするものでした。故郷を離れて転々と生活するのは特定の職業人くらいで大変珍しかった」
 中年夫婦のネズミの耳がぴこぴこと跳ねる。
「それが国家制度によって、生まれも家業も異なる人々が、全く知らない都市に集められて生活を共にするようになった。そうすると当然、これまでにない衝突が生まれ、差別が顕在化し、そして……素晴らしかったり、特になんでもなかったり、とにかく色々の出会いが生まれる。このことが僕の作る舞台の根っこにはあるんです」
 不意にモーターの駆動音がした。講堂の天井に格納されていた大型のスクリーンが下りてきているのだった。その音と動きがピタリと止まった瞬間、会場の照明が落ち、暗がりの中をプロジェクタの光がさっと走った。  スクリーンの上に、ある舞台の映像が流れる。音声はない。それでもルークには、そこに映る人々が互いに語りあい、罵りあい、慰めあい、関わりあっていることを感じられた。
「そんなふうに他者と出会った時、僕らはかけがえのないドラマを授かるのです」
 ルーク少年の目はスクリーンを離れ、周囲��聴衆を再び見渡した。  ここ���りも更に広い場所。ここよりも更に遠い場所。  そんな学校へ行ってみたい、とルークは強く思った。
 2.九歳
 エレメンタリー・スクールの下校時刻はとうに過ぎていたが、ルーク・ハント少年は教室に一人残って算数の問題を解いていた。それは彼が授業中に外ばかり眺めていたために、教師によって課せられた罰だった。このプリント数枚にわたる問題を解ききるまで下校してはならない、と教師はルークに言いつけた。  算数の問題を解くことはルークにとって苦痛ではなく、数式の美しいルールを味わう時間はむしろ楽しくさえあったが、それにしても不思議だった。授業を疎かにしてしまった自分の失敗が、どうして算数のプリントによって挽回されることになるのか、ルークには理解できなかったのだ。なぜなら彼がぼうっとしていたのは算数ではなく美術の授業中であり、大好きな絵画制作もほったらかして、窓の外を飛んでいた見たことのない鳥を夢中で観察してしまったというのが事の次第であったから。ただしそれを教師に訊ねたところで答えは返ってこないだろうという予感があった。それなら問いただす甲斐はあるまい。  ルークは答えを書き終えたプリントの端をとんとんと整えると、それを提出するために職員室へ向かった。そのまま帰れるかどうか分からなかったが、一応、革の通学鞄も背負っていくことにした。  小ぶりの建屋がいくつか集まってできているスクールの構内には、既に夕日がさしこみ、日暮れ前の乾いた風が砂埃を立てていた。教室棟から出ると近くの通りから原付バイクの大きなマフラー音が聞こえてくる。ルークは早足になって、職員室のある棟を目指した。
「よう、遅かったじゃん、ルーク」
 職員室にはルークの担当教師はおろか、他の教職員の姿も見えなかった。代わりに同じクラスの少年が一人で、誰かのデスクから取ってきたらしい大人用の椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせていた。  その少年は同じクラスといっても特にルークと仲が良いわけではなかった。強いて言えば来月の全校レクレーションに向けて、クラス演劇の取りまとめを二人で任されているというくらいだ。しかしそれも二人で立候補したものではなく、他の生徒によって 「ルークがいいんじゃない? 話し方がエンゲキっぽいし」 「あと一人どうする? あいつサボってていないし名前書いちゃおうか」  とほとんど事故のように決められたものだった。  ルークとしては面白そうだったので断ることもないと思った。ただ少年に関しては、ここにいない人を勝手に任命しては後々お互いが困るからやめておこう、と提案した。  他の生徒は少し目配せをしあったが、一人が「大丈夫だよ」と言ったので、それに続いて皆うなずいた。後からそれを知らされた少年は露骨に嫌そうな顔をしていた。
 ルークは背伸びをして人気のない職員室を見渡す。
「先生はどちらだろう?」 「あいつ帰ったよ。プリント、その辺にテキトーに置いとけよ」
 答え合わせをしなくてもよいのだろうか、とルークは思ったが、解答を持っている教師が不在であれば仕方がない。数台しかない教師用のデスクから担任のものを見つけてプリントを置いた。そういえば先生に質問したいところがあったのだった、と思い出して、ルークは何か胸が痒くなるような気持ちがした。  突然、クラスメイトの少年がルークの肩に背後から顎をのせてきた。どうやらルークの置いたプリントを覗き込んでいるらしい。ルークは横目に少年の様子を見ていたが、やがて彼は、首に巻いたカラフルなビーズをしゃらりと鳴らして離れていった。
「どうだい、答えは合っているかい?」 「知らね」 「そうかい。ところでどうして君はここに一人で? 下校時刻は過ぎているし、先生も誰もいないじゃないか」
 もしかして悪だくみかい、とルークは微笑む。  少年は不機嫌そうに口を曲げた。
「お前さー、ムカつかないの? あいつ、居残りさせておいて自分が先に帰ってんだぜ。オレまじでイラッときたわ」
 少年は教師の話をしているらしかった。それでずっとふてたような態度をしていたのだろうか。  ルークは少し考えた。
「ムカつく、と私が言ったら、次から先生は帰らずにいてくれるだろうか?」 「それは分かんないけど」 「私もそう思うよ」 「じゃあお前ムカつかないの」 「今日のうちに質問ができなかったのは実に残念だけれど……」
 そう、と少年は言った。どうして一人で職員室にいたのか、というルークの質問は結局答えをもらえず終いだった。  このまま去るのも何やら歯切れが悪い。ルークは、自分より背丈の高い少年の顔を下から覗き込んだ。
「……もしかして、私を心配して残ってくれたのかい?」
 少年は「はあ?」と顔をそらす。
「ばか。違うよ。クラス演劇の相談しようって言ってたのにお前がプリントやってるから待ってただけ」 「おや!」
 ルークは両手を上げて驚いた。そんな約束はした覚えがなかったのだ。ルークは眉をハの字に下げて首を振った。
「ジュ・スイ・デゾレ。今日はどうにもぼうっとしてしまっていけない」 「……うっそー」 「えっ?」
 ルークは両手をそっと下ろして首を傾げた。
「嘘なのかい」 「嘘嘘。放課後に集合とか、オレそんなこと一言も言ってねーし」 「それはまた、どうしてそんな嘘を」 「知らねー。でもまあ、別に今から相談してもよくね? 演劇、何やるかとかさ」
 ルークは少年の真意を汲みきれなかった。しかし、少年の方からクラス演劇に対して乗り気な発言が出てきたことが喜ばしく、早くそちらの話をしたいと思った。そこへ他のクラスの担当教師がやってきて、「留守番ありがとうな」と少年の肩をたたいた。
 二人は通学路を歩きながら、ルークの鞄から出てきた分厚い動物図鑑を開いて話をした。人間ドラマより動物のメルヘンの方が、どの学年も楽しめるだろうと少年が言ったからだった。  ルークは立板に水を流すように喋り続けた。サバンナの動物たちに関する知識、家族と狩りに出るなかで実際に見た光景、それらがどんなに美しいか。それで少年は、多くの人がルークの話に対しそうなるように徐々にげんなりとしていったのだが、不意に「あっ」と企むような声を上げた。  少年がルークの肩をトントンと叩いて指さしたのは、通りの向こうから歩いてくる子供、少年を勝手にクラス演劇係へ任命した生徒のひとりだった。
「聞いたんだよね。あいつが『大丈夫だよ』とかテキトーなこと言ってオレのこと演劇係にしたって」 「おや」
 ルークも思わず目を細めた。クラス会の決議に異論のある者はどうやらルークの他にもいて、それは今や密告者となったらしい。  ルークは少年の「ムカつく」という言葉を思い出していた。  多分、私が感じて��るものは、「ムカつく」ではないと思う。でも、二人きりでこのまま図鑑を眺めるより、もっといい手があるとも思う。  ルークと少年は顔を見合わせてニヤリと笑った。少年は向かいから歩いてくる生徒、こちらに気がついて若干気まずそうな顔をしている彼に大声で話しかけた。
「なあー。どんなのがいいと思う」 「え、なに、突然」 「オレとルークが一緒にいるんだから、クラス演劇の話に決まってんじゃん。クラスメイトなんだから協力しろよ」 「別にいいけど……ていうかなんで歩きながら図鑑見てるの?」
 だんだんと日は落ち、そろそろ図鑑の文字も読めなくなりそうだった。こんなに遅く帰っては家族が心配していることだろうと思ったが、ルークはまだ、二人とここにいたいと思った。
 3.十五歳
 ナイトレイブンカレッジからの迎えが来たことは、ルークにとって経験したことがない種類の喜びだった。NRCへ進学する周囲の同級生は片手で数えても指が余るほど少なかった。それがルークの心をさらに昂らせた。  その昂奮は、同級生のほとんどがくぐれなかった難関を突破した、という自負心によるものではなかった。ルークは公表されているNRCの全生徒数から、彼の直接知っている生徒の人数を引いてみた。もちろん大変な数が残った。  これだけ多くの未知なる誰かと、私は舞台を共にするのだ!  それがルークの好奇心を、はちきれさせんばかりに膨らませたのだった。
 誰も自分のことを知らない世界へ一人で入っていくのだから、アクシデントの一つや二つは起きるだろうし、それさえも相手を知る機会として楽しみだとルークは思っていた。最初の大きな出来事は、秋の深まりだした頃、ルークが学園敷地内での狩りにいよいよ精を出し始めた時期のことだった。  学園の敷地には、島の自治体から管理を任されている小さいながらも豊かな山野があった。そこでの狩猟許可を得たルークは、授業が始まる前の早朝や部活のない放課後にたびたび山へ入って狩りをした。生まれ育った土地とは全く異なる生物相に、彼は夢中になった。  それに待ったをかけたのが、ルークと同室の一年生、そのうちの一人だった。
「寮長! ハント君の趣味をどうお思いですか? 流石に泥んこは落としてくるが、彼のまとってくる山と獣の匂い、そんなものを同室の我々三人は朝の起き抜けや夕餉の前に嗅がねばならないのです。それがこのところほぼ毎日……ほら、あの子なんかは育ちがずっと良いから家を恋しがって泣き出す始末! 我々はハント君の野蛮な行いに断固として抗議します」
 実際のところルームメイトの一人が家を恋しがっているのは単なるホームシックであったし、そうしたことを直接ルークに言えば「気づかずにすまない、狩りの後はシャワーを浴びてこよう」とでもうなずいて話が済んだはずだった。話が大きくなったのは、その生徒がポムフィオーレ寮長に直訴したためだ。  寮長としても、同じ四人部屋のうち他の二人からは苦情が出ていないからと当人同士の問題で済ませようとしたのだが、訴え出た側は「寮長から直接指導してほしい」と退く様子がない。つまりその寮生の唯一至上の要求は、「自分にとって理解のできない行いをハント君が即刻やめること」だったのだ。
「アンタが身だしなみを気にかけるようになったのはアタシも歓迎するわ。まあ最低限のレベルだけど……」 「ああ、恥ずかしい限りだ! 周囲に不快な思いをさせていることに気がつかなかったなんて」 「いい勉強になったじゃない」
 同じポムフィオーレの一年生・ヴィルはそう言って、食堂のビュッフェに並ぶサラダをトングでわっしと掴み、ルークの皿に盛り付けた。
「ほら、野菜も食べる!」 「おお……これも食べられるものなのだね」 「食べられないものが食堂に並んでるわけないでしょ」
 それもそうだ! と、この学園へ来てから初めて見る食べ物に日々驚いているルークは、今日も目を細めて笑った。
 その振る舞いのせいで周囲から浮きやすいたちのルークを、はじめから何かと気にかけたのがヴィルだった。最初に近づいて行ったのはヴィルの美しい風貌に魅せられたルークの方だったが、その屈託ない性根をヴィルの方でも気に入ったらしかった。  ヴィルは、人間社会で育ってきてはいそうなものの野性味にあふれていたルークに自身の外見を整えることを教えた。「そんな泥つきジャガイモみたいな見た目でアタシの隣に立たないで」と言いながら、彼に必要だと判断した美容知識を教え込んだ。
「アンタのことをよく知らない人間は、その行動と見た目のせいでアンタのことを単なる馬鹿か噛み癖のある猟犬だと思って、あなどるか過度に恐れるかのどちらかで接してくるわ。だから美しくありなさい。その危なっかしさを自覚して容姿に表現するの。他人を正しく威圧して、アンタの話を聞かせるのよ」
 ルークのひときわ目立つ奇天烈さの向こうにある本質を、ヴィルは出会ってそう経たないうちに見抜いていた。  こんなに明瞭な言葉のひとつひとつによって自分に輪郭を与えられるのは、ルークにとっては初めてのことだった。そして他人をそのように冷静に、対等に見つめようとするヴィルの美しさを思った。  ルークはヴィルの隣にいることを狩りと同じくらい愛するようになった。
 ルークは山盛りの野菜をもりもりと食べながら話を再開した。
「そう、それでヴィル、君の意見を仰ぎたいと思っていたんだ。同室の彼らとうまくやっていくためにどうしたものか」 「簡単なのはアンタが狩りをやめることでしょうね」
 そんな! とルークは大袈裟に悲しい表情をしてみせた。
「前にも言ったでしょう、アンタを恐がる人間も一定数いるのよ。特にそのライフワークのせいで……アタシだって寮の中庭に丸ハゲの山鳥が肉屋みたいに並んでた時は面食らったわよ」 「そうかい……」
 ルークはフォークを置き、その上に視線を落とした。自分にとっては日常の一部だったことが、他人にとっては大変なストレスの要因になる。逆も然り。それがつまり「見知らぬ他人と出会う」ことだと、頭では分かっていたものの、こんな悲しみをともなうものだとは経験するまで知らなかった。ルークはミドル・スクール生の頃に演劇論の講座で聞いた言葉を思い出していた。学校はつらいところだ、と。
「私は彼らと同室になれて嬉しいんだ。三人とも私とは全然異なる生き方をしてきたんだと、初めて言葉を交わした時にすぐ分かった。そんなまたとない出会いだから、それで、……だからこそ、退くべき時は退かなければならないと思うよ」
 ルークにしては珍しく語気も弱まったその言葉を聞き、ヴィルは「あら」と顎を上げた。
「そうなの? アンタたちってまだ、出会ってさえいないのかと思ってた」
 ルークは、ぱちぱち、と瞬きをしてヴィルを見る。  それを待っていたようにヴィルは折りたたみの手鏡を取り出した。食卓の上につき出して、ルークに自身の顔を覗かせる。
「アンタ、自分の顔、どう思う?」 「ヴィル、君の顔と並べて見ればその他の顔はたいてい霞んで見えるものだよ」 「そう? アンタの顔、肌ツヤが前よりずっと良くなったとアタシは思うけど。唇の手入れも行き届いているし、髪のセットもよく似合ってる」 「ふむ、たしかにその通りだ。自分の頬がこんなにすべすべとしているのは幼少期以来のことだね。それに唇に何種類ものスクラブやバームを塗るなんていうのは初めての試みだけれど、成果が出やすいから実に取り組みがいがある。ヴィル、全て君に教わったことさ」 「そうよ」
 ヴィルは鏡をポケットにしまった。
「そして泥ジャガを相手にこれだけのことを教えるなんて、アタシにとっても初めての経験だわ。アタシたちは出会ったの。それで……ルーク、アンタとあいつらはどうなの?」
 ルークは、なるほど、と言って帽子のつばを上げた。
 それから一週間ほど経って、ポムフィオーレの一年生に部屋替えが告知された。表向きは入寮から数ヶ月経った一年生同士さらに交友関係が広がるよう、とのことだったが、部屋分けを行う寮長の手元に「ルーク・ハントとの同室を望まない者のリスト」があることは多かれ少なかれ誰しもが察していた。もちろん当のルーク・ハント本人も。
「忙しい時に仕事を増やしてくれたわね」
 ヴィルは荷物を詰め込んだトランクを引越し先の部屋へ運びながら、同じようにバックパックを背負って隣を歩くルークに軽い調子で眉を顰めてみせた。
「私としても大変残念だよ」 「撮影から何日かぶりに戻ってきたらこの有り様なんだもの。一体どうしたっていうのよ」
 それがだね、とルークは事の顛末をかいつまんで説明した。  ヴィルに相談した後でルークは同室の生徒三人にこんな提案をした。明日か明後日か明々後日か、私と狩りに行かないかい?  忌避されるのは彼らが知らないからかもしれない。朝焼けに染まる山の景色、息を潜めて獲物を待つ時間。目の前に現れた獣との駆け引き、血が沸きたつその一瞬。そして暖かな動物が自らの手で冷たくなっていくときに感じる、自分の生来の暴力性。それを制御しなければならないと、毎回新たにする思い。  そうした美しい世界の一端を彼らに見せたい。ルークはそう考えて、彼らを狩猟の場へ誘ったのだった。  ルークに狩りをやめさせようと主導的に働きかけていた一人は「僕らにそんなことをさせるなんて」と憤慨したが、他の二人はおずおずとその提案を受け入れた。そして数の上で劣勢になった後の一人もついてきた。  それで四人でわらわらと狩りに出かけた。素人集団で山に入ったものだから、成果はルークが射落とした一羽の鳥だけで、それは夕食のスープにちょっとした具材として参加するに留まった。しかし、ルークが見せたかったものは彼らの目にも映ったようだった。  その夜遅く、小さな泣き声にルークは目を覚ました。それは狩りに行くことを最初に受け入れた生徒だった。  彼は怖いのだと言った。自分の腹の中にあの鳥がいるのだと思うと、そして今までに口にしてきた肉が皆あのように生きていたのだと思うと。  思慮深い人だとルークは思った。そしてルークは、そうした感情を彼がいま初めて味わった、人生の中でまたとなく美しい時間に立ち会っていることに対して、言いようもない震えを覚えた。二人がそうやって小さな声で会話していると、後の生徒らも目を覚ました。  そしてその中の誰が言い出したのかは分からないが、ルークと彼らはこれ以上同じ部屋で生活はできない、ということになった。
「よくやるわねえ」 「四人連れで山に入るのもまた楽しかったよ。狩りというよりはハイキングだったけれど。できれば違う季節にも行きたかった」 「そりゃアンタは楽しかったでしょうよ……ま、いたいけな少年にトラウマを植えつけた代償としては安い方かもしれないわね」
 その時、後ろから二人を呼び止める声があった。  それはルークを糾弾した生徒でも、夜中に泣いていた生徒でもなく、あと一人の元ルームメイトだった。
「ルーク! 置いていくなんてひどいじゃないか。そんなにヴィルと一緒がいいのかい」 「置いていくだなんてとんでもない、そんなつもりは……ええと?」 「君は重ね重ね失礼だな! 部屋割りをちゃんと見たのかね? 僕らはまた同じ部屋だよ。偶然にね」 「そうだったのかい」
 そしてルークは一拍おいて、もう一度、「そうだったのかい」と独り言のように呟いた。ルークを追いかけてきた彼は、「リスト」に名前が無かったようだ。  「よかったじゃない」と言うヴィルに、元ルームメイトで新ルームメイトでもある彼は、「よかったとも」と軽く返した。
 4.十六歳、前夜
 部屋替え騒動からひと月が経ち、あの一年生全員を引越しに巻き込んだ一幕のドラマは、早くも多くの者にとって学生生活の思い出の一つに変わりつつあった。  ルークはNRCで最初の誕生日を迎えようとしていた。  誕生日前夜の寮での夕食後、「これからバースデーパーティーの飾りつけをするから」と談話室を追い出されたルークは行くあてなく、しかし踊りだしたいような気持ちで、メイン階段の踊り場からバルコニーへ出た。  冬がもう訪れていた。空気の冷たさを追いかけるように視線を上げると、故郷ではこの季節に見られなかった星座が今日の夜空に浮かんでいた。  なんてまばゆいエトワール! ……ルークは寮服の裾をひらりとひるがえし、踊るようにくるりくるりと回り、白い息を吐いた。
「ルーク」
 不意に呼ばれて振り返ると、ステンドグラスの窓を押してヴィルが立っていた。他の寮生はまだ談話室で明日の準備をしているはずだったが、ヴィルは既にナイトガウンを身につけていた。
「君がそんな格好で歩き回っているなんて珍しい」 「明日は早朝に出るから寝支度をね」 「そうだ、仕事だと言っていたね。夕食も君がいないから、なんだか味気なかったよ」
 冷えてしまうよ、と言って、ルークはヴィルを室内に戻した。後ろ手に窓を閉める。おぼろな魔法の蝋燭だけが灯る薄暗い階段の踊り場に立つと、ヴィルは「ちょっと待って」とガウンのポケットを探った。  その横顔に、月明かりを受けたステンドグラスの赤色が溶けるように落ちていた。
「……ボーテ!」 「わっ、耳元でいきなり叫ぶんじゃないわよ」 「失敬、君があんまり綺麗だったから」
 ヴィルは長い睫毛に縁どられた目を少し見開いて、それから眉尻を下げて笑った。
「そう。ありがと」
 ルークは、おや、とヴィルの顔を覗く。自分の褒め言葉なんて毎時毎秒のように聞いているヴィルが、どうして特別こんな反応をしたのかが不思議だった。
「何よ。アタシが素直に礼を言ったらおかしいわけ」 「この場合は少しね」
 アンタって本当……とため息をつくヴィルの口の端には微笑みがのぼっていた。ヴィルはガウンのポケットから小さな箱を取り出すと、それをルークの手に握らせた。
「これは?」 「もちろんプレゼントよ。明日が誕生日なんでしょう? アタシは仕事でいないから今夜のうちにね」 「……オー・モン・デュー! ヴィル!」
 そう叫ぶやいなや、ルークの顔がぱあっと輝く。ヴィルは眉を下げ、片頬でニッと笑った。
「開けてみて、きっとアンタの好きな……きゃっ!」
 少し得意げなその台詞を言い終えないうちに、ヴィルの身体は宙に浮いていた。プレゼントボックスを寮服の懐へ大事にしまったルークは、返す動きでヴィルを抱き上げたのだった。  目を白黒させるヴィルのかたわら、頬を紅潮させたルークの喜びの声が、長い階段の上から下まで響き渡った。
「メルシー! メルシー、ヴィル! 君が私の誕生日を祝ってくれるなんて……ああ嬉しくて胸がはちきれてしまいそうだ! 私は一体どうしたらいいだろう⁉︎」 「いいからまずアタシを下ろしなさい! この腕力かぼちゃ!」 「……腕力かぼちゃとは何だい……?」 「急に冷静になるんじゃないわよ」
 ルークはヴィルに額をぱんと叩かれ、嬉しそうに笑った。そしてヴィルを床に下ろすと、すぐさまその両手をとってくるりと回りだす。そう来ると思った、とでも言いたげに、ヴィルは呆れ顔で軽やかにステップを合わせた。  静かな十二月の夜、でたらめな歓喜のワルツを踊る二人の衣擦れの音が石造りの階段に響く。魔法の灯りがくるくると、メリーゴーランドのように流れていく視界のなか、ルークはヴィルを見上げてふと呟いた。
「ヴィル、君にもらったプレゼントを開けてみるのは後でもいいかい」 「別に構わないけど。どうして?」 「君さえよければ、このまま少し話をしていたい」 「あら、滅多な話だったらアタシは先に寝るわよ……どんな話」 「ふふ……さて、私の生まれた日を迎えるにふさわしい話というと……」
 何かを思い出すように、ルークは瞼を伏せる。  それは例えば、ルークと再び同室になることを「よかった」と喜んだ、ポムフィオーレの同級生の話。  またあるいは、「ムカつく」という言葉をルークの語彙に与えた、エレメンタリー・スクールのクラスメイトの話。  そしてそれは、「学校はつらいところだ」と言った、あの人の話。
(私が行く学校はどんなところだろう?) (そこにはどんな人がいるのだろう?)
 ヴィルはルークの返事を待って、催促するようにじっと見つめる。  その強い眼差しにまっすぐ刺されて、ルークは確信をもって告げた。
「それはもちろん君の話さ。君がどれだけ美しい人かという話だよ、ヴィル」
 それらはみんな、私の人生に舞い降りた、途方もない祝福の話だった。
(天使の群れで空はいっぱい 了)
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k-rabyu · 2 years
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さらば京都∠( ˙-˙ )/また、来月来るからな。 いやぁ暗室作業は、楽しい(≧∇≦) でもめっちゃ疲れる😫際限無いんだもん。バライタ紙、高いじゃない。だから1冊しか持って行かなかったのよ。枚数焼けないって聞いていたから、そしたら早々25枚終わっちゃって焦りました。失敗とかあったから、まぁまともに出来たのは14枚。5パターン作れてそれぞれ本当に気に入ったのは2枚かな。でも、初日に作成した2パターンをもっと粘っても良かったかな、と言う気がしなくもない。どこまで拘るのかこだわれるのかで作品の善し悪しが決まるって事だけは、実感した。1秒の違いで見え方全然違うんだもん。暗室プリント、奥が深いです。 #京都 #芸術学舎 #銀塩 #バライタ紙 #モノクロ写真 #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい https://www.instagram.com/p/Ci7UQmErkqWqVpG9VTZs5e24TYw69y6i_GirhU0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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photohomekitai · 2 years
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・ 【photo home kitaiの客層は、、、】 ・ photo home kitaiはなぜか「カメラが趣味」「写真撮るのが好き」という方がとても多い。 先日 @hiltontokyo でウエディング撮影をした新郎新婦さんもそうだった📸 ・ 1枚目→新婦退場シーン 2枚目→その奥に構えているのは、、、 3枚目→うん、完全にプロ機材だね(笑��� ・ こんな感じで高砂にプロ向けの機材が鎮座する披露宴で、列席者の中にも同じように写真好き&プロ顔負け機材の方が多数😅 ・ こんな時は何とも言えぬ緊張感もありますが、それよりもそれだけ写真が好きで写真に拘っている方が僕を選んでくれた事が嬉しくて、やはりついつい撮りすぎちゃうのでした😊📸 ・ ・ ----- photo home kitai の撮影📸 🔹カット数制限なし、全データお渡し。 🔹日本全国撮影に伺います✈️ ----- #ウェディングフォトグラファー #結婚式カメラマン #2022冬婚 #2023春婚 #2022夏婚 #2022秋婚 #プレ花嫁さんと繋がりたい #花嫁準備 #関東プレ花嫁 #令和婚 #結婚式準備 #ナチュラルウェディング #photohomekitai #持ち込みカメラマン #プレ花嫁2022 #家族婚 #少人数結婚式 #少人数ウェディング #ロケーションフォトウェディング #前撮りレポ #レストランウェディング #ホテルウェディング東京 #外注カメラマン #ブライダルカメラマン #花嫁さんと繋がりたい #ヒルトン #ヒルトン花嫁 #ヒルトン東京 #hiltonhotel #ウェディングドレス選び ・ 🏢 @hiltontokyo @hiltontokyo_wedding 📸 @photohomekitai (ヒルトン東京 Hilton Tokyo) https://www.instagram.com/p/CgVa6kYP2Bl/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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volosupply · 2 years
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2022年4月25日(月)
「I LOVE YOKOSUKA」
買い付けから帰国して10日が経過した。
荷捌きも半分以上は終了し、買い付けた服たちは倉庫内で出番を待っている。
今回の第一目的地はテキサス州ヒューストン。
ヒューストンのジョージブッシュ空港からアメリカに入国し、レンタカーで服や物たちを探し回った。
個人の古着屋があまり行かない中南部テキサスにした理由は2つある。
1つは『アメリカ中南部を探検してみたい』というただの好奇心である。
ただの好奇心とは言ったものの、航空券を取る1ヶ月以上前から現地のリサーチはしていて、航空券の高騰や、ちゃんと買い付けになるのか、という不安もあり悩んでいた。
しかし、偶然にもその間に観た映画や本、曲などにテキサスやヒューストンが登場することが多く、僕はテキサスのカウボーイに鞭で尻を叩かれている気持ちになっていった。
テキサスと西海岸で熾烈な先頭争いをしていたが、尻を叩かれ続けた僕は不安が確信に変わり、見事テキサス行きを決めたのであった。
もう1つは、前回買い付けの帰りの飛行機で仲良くなったS君がテキサス州ヒューストンに滞在しているからである。
言うなれば
『飛行機で隣に座っただけ』の関係だったのだが、長い人生においても、そういう小さな縁が大きな決断の引き金となることもあるのではないか、と常に思っている。
ヒューストン滞在3日目、そのS君と久しぶりに再会。
食事をして、深夜0時前にホテルに送り届けた直後、事件は起きた。
ヒューストンからダラスまで400kmの深夜ドライブを控えていた僕は、ガソリンスタンドで給油を済ませ、エナジードリンクを購入。
眠い目を擦りながら車を走らせ始めた。
全米第四の大都市であるヒューストンのビル群のあいだを縫うように走る。
入り組んだダウンタウンを抜け、ダラスへの一本道であるI-45をひたすら北上。
30分くらい経過したころ、バックミラーにパトカーが映りこむ。
非常灯を回していたが、アメリカのパトカーは通常から非常灯を回して走っていることも多く、日本のように車上のスピーカーから『前の車止まりなさい!」といった物々しいアナウンスもなかったため、とくに気に留めず今まで通り前進を続けた。
しかし、2.3分経過した頃だろうか、後方のパトカーが蛇行運転を始めたのだ。
所謂、合法な煽り運転である。
『やばい、追いかけられてんじゃん!』
と、気づいた時にはすでに事が大きくなっていた。
僕はパトカーと数分間カーチェイスをしていたのである。
ハイウェイ上の路肩が狭かったため広いところまで行こうと思い、ハザードランプを点灯しつつ、さらに数十秒走る。
すると、その間に前方からパトカーがもう1台現れ、後方のパトカーも3台に増えていった。
『流石にこれはやばい...』
と思い、アーチ型の高架上だったが、路肩の拡大を待たずに停車。
前方のパトカーも後方に回り、計4台のパトカーは僕の車から十数メートル離れて停車した。
パトカー達が一斉に超強力ライトを照射してきたため、周囲は昼間のような明るさになっている。
後ろを振り返ると、警察官達はドアを開いて盾にし、こちらへ銃口を向けて何やら叫んでいる。
映画でよく見るあの光景である。
距離が遠いのと、大声、早口で完全に聞き取れていなかったが「エンジンを止めて手をあげて外に出ろ!」ということだったと思う。
僕はびびりながらも冷静に『撃たれたら終わりだ…』と思い、両手を頭に乗せ車の窓から身を乗り出した。
産まれて初めてレベルに盛大に両手をブンブン振り回してボディランゲージをしながら
「I don't think chasing me!sorry!」
(僕が追いかけられてるって思わなかった!ごめんなさい!)
何度もひたすら叫んでみたが、警察官達は許してくれるはずもなく
「早く出てこい!!」
と怒りまくっている。
車のドアを開け、両手を頭に乗せたまま外に出る。
いつか見た映画をなぞって地面に伏せようとすると
「そこじゃねぇ!こっちこい!こっちだ!」
と叫んでいる。
ゆっくりと警察官の近くまで行くと
「そこに伏せろ!」
と言ってきたため、地面に伏せようとした。
しかし、手をどの位置に置くのかが分からず(今考えたら頭の上で良かった)、とりあえず『大地に手のひらが付いていれば撃たれないだろう』と思い、両手を広げて足を伸ばし、まるでジーザスのような格好で地面に伏せたのである。
なんとも滑稽であるが、窮地に立たされた人間は、自分でも考えられないような可笑しな行動を取ってしまうということを痛感した。
すると、すぐさま警察官達が駆け寄り、僕のジーザスな両手を拾い上げて後方にまとめ、手際良くカチャカチャっと手錠をかけた。
手錠といえば『冷たく重い』イメージがあったが、人生初めての手錠は(そういうプレイもない)、意外と軽く、警察官の体温なのかテキサスの気候なのか、生暖かかった。
警察官は8人、顔も全員覚えている。
イーサンホーク似で50代くらいの小柄なおじさん警察官、若い頃のジャックブラック似で30代くらいのぽっちゃり警察官、この2人に脇を抱えられ立ち上がらせられ、念入りにボディチェックを受ける。
(この後もこの2人がメインで僕の取り調べをすることになる)
後方6人の警察官達はまだ僕に銃口を向けている。
小声で「I don't think chasing me... sorry...」と塩らしく言ってみたが、状況は変わらず。
柔らぐどころかイーサンホークおじさんは語気を強めて
「あんなに長い間追いかけられてて気づかねぇのか?!」
「日本では警察に後ろを付けられても止まんなくていいのかよ?!」
と返答してきたため
「日本ではスピーカーから止まれアナウンスがあるんだ」
と言ってみたがそれでもダメだった。
手錠が皮膚にくいこんで痛む。
名前や職業、在米理由など細々と職務質問され答えていると「今から車の中を捜索する」と言われ、どこからともなく麻薬探知犬のデカいジャーマン・シェパードが登場。
「こいつにタマを噛み切られてたかも...」と思うとピストルを向けられた瞬間よりも恐ろしかった。
車の捜索中は2台後ろのパトカーの後部座席に放り込まれて待たされた。(おそらく捜索の様子が見えないようにすぐ後ろのパトカーには乗せない様子)
パトカー内は、運転席との仕切りに分厚いアクリル板、両側の窓には鉄格子が付いている。
思った以上に座席の座り心地は良かった。
(黒のレザーでけっこうふかふか)
驚いたのはその狭さである。
運転席と後部座席との空間がとても狭い。
後方でキツく手錠をかけられているので背中を座席につける事が出来ず、椅子の座りが浅いため、両足を広げてガニ股にならないと座れない状態なのだ。
小柄な僕でもそれだけの窮屈さということは、大柄な欧米人たちは比べ物にならないくらい辛い体勢になると思う。
そんなことを考えながらぼんやりと鉄格子越しの窓の外を眺めていた。
一度パトカーから出されて指紋を取られたりしていると、イーサンホークおじさんとジャックブラック君以外はすでに『無害のアジア人』に飽きていて、僕に背中を向けたまま、久しぶり〜などと言いながらグーバンチをしたりしている。
すると、車内を捜索していたイーサンホークおじさんが鬼の形相で帰って来た。
イーサンホークおじさん
「お前名前なんだっけ?」
「TSUKASA KUROSAWAだよ」
イーサンホークおじさん
「なんでパスポートと国際免許が2人分あるんだよ。お前なんか嘘ついてないか?」
「え?そんなわけあるかい......あれ.....2枚ある.....」
パスポートを開いてもらい名前を確認すると
『S◯◯・O◯◯◯◯』
S君...
なんと、先ほどまで一緒にいたS君がパスポートと国際免許を助手席のダッシュボード内に忘れて帰っていたのである。
僕はより一層怪しまれてしまい、車内捜索は厳しさを増し、S君の情報(罪歴や盗難届など)を警察の機関に問い合わせたりと、拘束時間が長引く結果となってしまった。
手錠が皮膚に食い込んで痛む。
イーサンホークおじさんがS君の情報を調べている間、今しかない!とばかりにジャックブラック君が僕のところにやってきた。
ジャックブラック君
「TSUKASA、横須賀知ってる?」
「もちろん知ってるよ」
ジャックブラック君
「俺、2年間横須賀にいたんだよね〜。横須賀大好きだよ!」
「そうなんだ〜海軍だったの?」
(無駄話いいから早く手錠外して(心の声))
ジャックブラック君
「そうそう!横須賀また行きたい、いや絶対行くよ!」
「そっかそっか、じゃあ日本で待ってるからね〜」
(横須賀もう分かったから早く手錠外して(心の声))
ジャックブラック君
「いや〜横須賀の人たちめちゃくちゃ優しいしさ〜本当好き!」
「うんうん」
(横須賀ほんとにいいから早く手錠外せ(心の声))
僕が捕われの身である事はお構いなしで横須賀の話を永遠としてくるのである。
今となってはちょっと面白い話だが、手錠をかけられてから1時間半ほど拘束されている僕には横須賀話を楽しむ余裕は無いのだ。
邪険にする訳にもいかず、少しイライラしつつも適当に流して答えていた。
そして、ようやく捜索や照会が終わり、イーサンホークおじさんが僕を車の後ろに連れて行き、後ろを向かせてカチャっと手錠を外した。
拘束されてから2時間が経過していた。
くっきりと手錠の跡が付いた手首を撫でる。
僕は手錠のキツさと拘束されたダメージで疲れ果て、ハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさん
「もう行っていいぞ。とにかくアメリカでは警察が後ろに来たらすぐに止まれ。」
「分かった」
だべっていた警察官達はそそくさとパトカーに乗り込み、次々と走り去っていく。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさんとジャックブラック君もパトカーに乗り込む。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
ジャックブラック君がパトカーの助手席の窓を開けて何かを言おうとしている。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
イーサンホークおじさんとジャックブラック君のパトカーが走り出す。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
追い抜きざまにジャックブラック君が身を乗り出し何かを言おうとしている。
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
手錠の跡がキリキリと痛む。
追い抜きざまにジャックブラック君が叫ぶ。
「TSUKASA!!!! I LOVE JAPAN!!!! YOKOSUKA!!!!」
僕はまだハイウェイ上で呆然と立ち尽くしている。
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tsuneminnn26 · 3 years
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Kanazawa-Kuruwa
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郭の中の金沢、辺京の小宇宙
郭_この辺京の遊郭には、金沢の美しさと醜さがくるわれている。
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郭は...
北陸の美学の結晶であった。 卯辰山へまっすぐ伸びる石畳、黒光るボッテリとした能登瓦、弁柄色の木虫籠(きむすこ、細い桟の出格子)。九谷の襖の手掛けや輪島塗りの調度品、べっ甲のかんざしや色とりどりの菓子や酒、夜遅くまで鳴り響く唄、笛、鼓の音色。
同時に人身売買の巣窟でもあった。 極めて幼い頃に身売りされた少女は、楼主と養子縁組を結び、自らにかけられた身代金を返すまで拘束を受け、芸妓・娼妓として働いた���町を彩った女のいくらかは楼主となった。
今回は、金沢の光であり影である茶屋街について、制度・人びと・建物・遊び・性の観点から明治・大正の茶屋を前提にご紹介する。
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(参照:『金府大絵図』金沢市立玉川図書館所蔵)
明治に生まれた主計町を除けば、ひがし・にし・きた・愛宕の郭は2つの大きな川、犀川と浅野川の金沢城から見て外側に位置している。(これは、江戸の吉原が常に皇居から見て川向いに建てられて、都市の外周部に位置していたこと同様の理由で、穢の場所を都市の外側に配置するためであろう。)
その中でも、金沢人が憧れと嫉妬を込めて名付けた東の廓(言うまでもなく京都の祇園・東山にかけている)であるひがし茶屋街は、北陸の最も代表的な茶屋街であった。
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(参照:『金府町絵図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)
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A:郭の制度
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金沢の花街の仕組みは京都と同様にお茶屋が客の要望に応じて、芸妓を置屋か ら呼ぶ方式である。芸妓は置屋に所属し、お茶屋から依頼があれば、料亭やホテルなど地域外へも出張することが可能なのも、京都と同様の取引制度である。 さらに金沢の三茶屋街の特色として、お茶屋と置屋の兼業が挙げられる。つまり、お茶屋は場所を提供するのだが、同時に芸妓を抱え、他のお茶屋に派遣することもでき、食事は飲食店から取り寄せることとなる。
お茶屋には上茶屋、中茶屋、下茶屋の3つがあり、上茶屋は5等級に格付けされていた芸者の中でも、一等級のものしか置かなかった。上茶屋は農家の出や他国の婦女は抱えたがらない気風があり、それを誇りにしていた。加賀血筋を大事にし、みっちり芸と作法を仕込むとのこと。明治時代には能登半島をはじめ、日本全国から身売りされた少女が芸妓として所属しており、朝鮮出身の芸妓の記録もある。
郭では「旦那」は芸妓の経済的な保護者であり、後援者であった。旦那は月々お手当を置屋の女将に渡すかわりに、贔屓の芸者を自分一人のものにすることができた。女将は抱え芸者の旦那から一ヶ月の手当をもらうこと大きな収入源であった。ある置屋の抱え芸者が、別の置屋の客を旦那としている場合、旦那はその置屋の女将に毎月の斡旋料を支払うこととなっていた。
お茶屋では客は一見の客は挙げない。理由は、遊興費が後でもらえるか不安なことと、もう一つは酒癖が悪い客を案じてであった。たちの悪い客の中には、火鉢の中に小便をしたり、掛け軸に盆をぶつけたり、美人画を盗む客もいたという。二度目から置屋は電話で芸者の予約を受付け、時間の打ち合わせをする。客は遊興費を何ヶ月に一度、現金で女将に直接手渡しでまとめて払っていた。
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B:郭のひとびと
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お茶屋に以下の人々が住み込んでいた。どこの家もかなりの大所帯で、大抵は十数人で寝ていた。
①女将:
多くは元芸者で、お茶屋の経営をするとともに芸妓と養子縁組を組み芸妓を育てるとともに労働者として管理する。
②芸妓、娼妓:
女将と養子縁組を結び、芸者として客に奉仕する。住み込みと通いがあったが、殆どが住み込みで、通いは芸者でも年季明けの終わった歳高の人たちだけだった。年季明けや旦那がお金を支払った場合は妾として茶屋街の周辺に暮らしていた。
③たあぼ:
行儀見習いと諸芸習得の傍ら、日中は走り使いの雑用、夕方からは芸者衆の座敷勤めな三味線をもって供をなし、供先きの置き屋とか料亭では家族用玄関の片隅で芸者衆の座敷終わりを待つ。12歳になると振り袖芸者と呼ばれ見習いの芸者とみなされ、さらに15,6歳になると留め袖芸者と呼ばれ水揚げが行われた。このころには体だけではなく、三味線・踊り包などの芸も一人前の扱いを受けた。
④ばんば:
年寄りが多く、飯炊賄いが主な仕事。
⑤べえべ:
10-40代、女中、下働きの女で賄い全般、掃除洗濯、女将の身の回りの世話をした。やりてばばあと呼ばれるべえべは客から以下にして金を使わせるか、寝床での振る舞いを芸妓に教え込んだとのこと。
男衆:
登楼のの客引き、芸者の世話役として付き添い、用心棒兼見張り役をする。
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C:郭の建物
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
茶屋は2つの大門を持ち、文字通り塀によってくるわれていた。門の外には妾宅が並んでいた。2本の大通りは卯辰山に向かい、卯辰山がアイストップの役割を果たしている。かつては壱番町へは小川を越えてアクセスするようになっていた。
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(参照:『浅野川茶屋町創立之図』文政3年(1820年) 石川県立図書館蔵 「旧東のくるわ」伝統的建造物保存地区保存対策事業報告書 1975年 金沢市教育委員会)
建物の外観は、1階は出格子となっており、木虫籠と呼ばれる細い縦格子がはめてある。縦桟は断面が台形になっており、外から中が見えにくい仕掛けとなっている。2階は今では小窓付きの雨戸になっており、全て開け放てる仕組みになっている。祭りの際には大通りにステージが設けられ、開け放した2階の座敷から芸者の踊りを見下ろしていたのだという。現在では失われているが、かつては木部分に紅殻色の塗装が施されており、赤い色彩と卯辰山の緑が生えたことだろう。また、屋根はかつて石置き板葺きであったが、今では釉薬を全面に施した北陸特有の黒く厚い瓦が葺かれている。
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平面は時代を経て大幅に変更されており、機能上の要求から下記図面の小さい方の平面図(明治以降)へと変更されていったようだ。
明治以降の平面図を前提に話すと、まず玄関を入ると黒漆塗りの大きな階段があり、ハイサイドライトから薄光が差し込んでいる。階段の横は長火鉢が置かれた茶の間であり、女将が座って一切を指示していた。奥座敷と茶の間は主に女将が使用する部屋で、奥座敷は仏間、寝室として使用していた。
みせの間は支度部屋で、芸妓が詰めていたから、街路には芸妓の声がよく聞こえていたことだろう
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2階は大きく表(前2階)・中・奥(広間)の3室に分けられ、表と奥を座敷とし、中はロビーのように使用されていた。間口が大きい場合は表と奥は2室に分けられ、4畳の部屋を芸妓が踊り演奏するステージのように使用していた。2階の更に奥には廊下や小階段を隔てて「離れ」があり、数寄屋風のしつらえとなっている。水揚げや日中の娼妓の使用にはこの部屋は人目につかないので都合が良かった。
3階はどの家にもあるとは限らないが、座敷を1間もつ場合がある。
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
座敷の土壁は紅殻色が用いられる場合が多く、柱は紅殻と灰をあわせて塗装されている。金沢では紅殻色や群青色が来客の場所に使用されることが多いようである。
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(参照:https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10094.html)
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(参照:https://www.pinterest.de/pin/523332419194794021/)
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D:廓遊び 
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
宴会は夜だけではなく、遊びなれた客は深更にきて朝帰りということも珍しくなかったし、庄屋の番頭などが小僧の手前もあって夜抜け出せないために早朝に密かに遊びに来ることもあったし、昼遊びの客もあった。これらの時間の揚げ代は夜よりもむしろ高かったとのことである。
客としては、加賀友禅などの伝統工芸の職人の親方や商人、旅の客などがいた。
廓の花代の1単位は45分だった。1時間を1番木と言って、拍子木が隣の控えの間で打たれた。合図の1番木で、芸者は時間切れを伝えて帰り支度をはじめ、そこから客を送り出すまでを15分と見ていたようだ。これは線香1本が燃えるまでに40分かかったことからきていると聞いた。
婚礼の祝宴が夜通し続いたりすると、芸者たちは三日三晩睡眠を取ることもできないこともあった。
芸妓は昼に芸を磨いた。自由を厳しく制限された分、芸に自らの存在価値をかけたからなのであるが、当時の売れっ子は芸を磨くだけの時間的な余裕がなかった。遊客は気に入った芸妓がいると追い回し、昼夜となく名指しをしたため、彼女らは歌や踊りの稽古などしている暇がない。流行りっ子ほど無芸という結果になったのであった。しかし、芸に精進することは文字通り体をいじめ抜くことになり、体の形を崩してしまったようで、例えば、笛の達人と言われた美津は増えをあてがう下唇がミミズ腫れのように腫れ上がっていたとのことである。
お茶屋遊びは数多くあるが、ここで流行ったものに「かんざしえらび」がある。座敷で客と芸妓は輪になって歌った。
お姫さんと寝るがに かんざし引こう お姫さんを抱くがに かんざし引こう 人のかか抱きゃ せわしない ほれ せっせっせ せっせっせ
黒く塗った丸い盆の縁にかんざしが10〜20本、妓の数だけ放射状に置かれ、客たちはじゃんけんをして勝ったものからかんざしをとり、そのかんざしの持ち主と一晩寝ることとなった。
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E:郭の性
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中店以下にいる芸者は、多くは二枚鑑札を持っていた。芸者と娼妓を使い分けなくては前借りを支払うことができなかったからである。上店では芸者と娼妓の区別が一応はひかれていたが、明治から大正にかけてはほとんど建前になっており、体を張ることによって何十円と貰いが増え、前借金を返すことができたから、体を張る者も多かった。
朝から夜まで客が来た。一人は娼妓を置かなくては営業許可が降りなかったため、芸妓は自分の代わりに一日中客の相手をしてくれる娼妓には感謝していたとのことである。
日露戦争の折には、松山、習志野、大阪に加えて金沢もロシア人俘虜の収容地となり、4000人近くの俘虜が寺院などに収容された。彼らは「大切に」扱われたというが、国から通達を受けた市当局が置き屋の女将に協力を要請し、廓の芸者らがロシア人の相手をしたそうだ。廓には梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置され、性的搾取の対象となった。
第二次世界大戦の際には、芸者は三味線を弾くことや太鼓を禁じられ、専ら復員や動員に押しかける兵隊を相手に慰安婦、接待婦として働いた。
15歳ほどになると水揚げがある。水揚げの相手の旦那は、女将同士であらかじめ相談し、決められ多くは老人だったとのことである。若者では手荒く、過ちがあると良くないと考えられたためと、水揚げをするには大金が必要だったからである。相手が年寄りであることは女たちは皆嫌がった。水揚げというものは一回きりで一人前の女になるというわけではなく、二度も三度もしなければならない。水揚げは特別に料金が高いからお茶屋が儲かったとのことである。場所は自分の住むお茶屋とはとは限らず、離れの間が使用される事が多かった。
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(旦那衆が人目を避けて利用した梅ノ橋とかつての妾邸)
金沢の芸妓の生涯を描いたノンフィクション小説である『郭の女』(井上雪著)には花街の美しさと醜さがよく描かれている。
読者は気がつく。 あの美しく見えた芸妓は木虫籠という籠に囚われているのだと。
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