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#辻堂海水浴場
monk-tsujido · 2 years
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8/10(水) ・ 今日も猛暑日ですが、13:00〜22:00で営業しております☀️💦 本日は夜の時間帯はご予約で満席になっています。 お昼〜夕方の時間帯、またはお席空き次第ご案内可能です👍 明日は定休日、明後日は12:00〜愛ある食卓 @aiarushokutaku のマルシェ、通常営業は18:00〜24:00です。 ・ 【web掲載のお知らせ】 大人の女性に上質な旅時間を届ける電子雑誌「旅色 TABIIRO」 @tabiiro 専門プランナーによる日帰りの旅行プラン"夏の湘南でリフレッシュ クラフトビールを巡る旅"として、 サザンビーチちがさき海水浴場→ゴールデンバブ @goldn.bub →当店 @monk_tsujido というコースをご紹介いただいております❗️ ぜひ大人の女性だけではなく、皆々様ご覧くださいませ😊 Big thanks to @barpancho ・ 【今週の営業とお席の状況】 8/10(水)13:00〜22:00 夜は満席 8/11(木)定休日 8/12(金)12:00〜愛ある食卓 @aiarushokutaku のマルシェ 通常営業18:00〜24:00 まだまだ空きあり 8/13(土)15:00〜24:00 空きあり 8/14(日)13:00〜22:00 空きあり 8/15(月)13:00〜22:00 ガラガラ💦 8/16(火)13:00〜22:00 空きあり 8/17(水)13:00〜22:00 空きあり 8/18(木)定休日 ・ ご予約、お問い合わせは0466-66-6409、またはinstagram、メッセンジャーまで、お待ちしてます🎶 (Auto Reserveでのご予約は承っておりません) *ハヤシコウさんデザインのMONKの4周年ポスター、好評販売中です‼️ ・ お店の営業時間にかかる音楽をイメージして作ったプレイリストがApple music、Spotifyにてお聴きいただけます🎧 最新版の選曲はインストゥルメンタルのみ、バーバリックワークスのビールの名前の元ネタにもなっている"WHISTLE SONG"も収録です。 ぜひお楽しみくださいませ♬ ・ ・ ・ #monk #monktsujido #辻堂 #辻堂ランチ #辻堂昼飲み #辻堂ディナー #辻堂ワインバー #辻堂イタリアン #ナチュラルワイン #vinnaturel #vinonaturale #naturalwine #craftbeer #finefood #apero #aperitivo #愛ある食卓 #旅色 #thebeachboys #summerdays #お一人様歓迎 #お子様連れok #スナック跡地 (MONK Tsujido) https://www.instagram.com/p/ChEFD4PvjHc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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picworld1 · 3 years
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日本一の海水浴場の混雑可視化をサポート!片瀬東浜、片瀬西浜・鵠沼、辻堂海水浴場でリアルタイムに混み具合を可視化
日本一の海水浴場の混雑可視化をサポート!片瀬東浜、片瀬西浜・鵠沼、辻堂海水浴場でリアルタイムに混み具合を可視化 #海水浴 #海水浴場 #リアルタイム #可視化 #混雑状況 #湘南海岸
このあたりには、長いこと住んでいたけどね。 ずばり言うけれど、このシーズン(海水浴)は、空いていることなんてないから。 混んでると、はっきりと言える。 渋滞もひどいし、まぁ、行かないというよりは、近隣に住んでいる人は、近寄らないって感じだと思うけれど。 IoT…
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mixs-fan · 3 years
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日本一の海水浴場の混雑可視化をサポート!片瀬東浜、片瀬西浜・鵠沼、辻堂海水浴場でリアルタイムに混み具合を可視化
日本一の海水浴場の混雑可視化をサポート!片瀬東浜、片瀬西浜・鵠沼、辻堂海水浴場でリアルタイムに混み具合を可視化 #海水浴 #海水浴場 #リアルタイム #可視化 #混雑状況 #湘南海岸
このあたりには、長いこと住んでいたけどね。 ずばり言うけれど、このシーズン(海水浴)は、空いていることなんてないから。 混んでると、はっきりと言える。 渋滞もひどいし、まぁ、行かないというよりは、近隣に住んでいる人は、近寄らないって感じだと思うけれど。 IoT…
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seirinkogeisha · 4 years
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「泥船人生相談」第16回  幻の名盤解放同盟
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幻の名盤解放同盟がお悩みの泥沼から真理の大海へと解放致します!
「泥船人生相談」第16回 幻の名盤解放同盟
――平等に聴く耳を持て。悩みに貴賎はない。同情も同調もいらぬ。―― 人間の“生”の 現われである“悩み”を底辺から集め、既存のあらゆる倫理/道徳、価値体系の泥沼にはまったあなたを幻の名盤解放同盟が真理の大海へと解放致します。
■メイン回答:船橋英雄/一コマ漫画回答:根本敬/音盤回答:湯浅学 (毎月1回更新)
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相談其の31(82歳 男 不動産業)
私は都内で、長年地域密着型を自負する不動産業を営んでおります。
さて、私は今の日本の政治に失望しております。多分衆参ダブル選挙へなだれこもうという風向き。この機会に私自身が政界へ殴り込もうと思いました。が、しかし年齢や身体が弱いなど、他幾つかの事情から私自身の出馬はままなりません。そこで、社員の鎌田君(仮名/40代独身)を私の代わりに立候補させようと思います。彼も私が全財産を投げ打つとの心意気に応え快諾してくれ、まんざらでもありません。
ところが、他の社員始め周囲が反対します。理由は鎌田君の人相が悪いと、口を揃え皆がみな同じ事を言うのです。彼は話せば温厚で気さくな人物ですが確かに黙っていると人殺しにみえるのです。その彼をして「差別を助長する顔」と曰い笑う者もおるほどです。
そう言われればそうかとも悩みます。
お伝えするのが遅くなりましたが、私が選挙で訴えたいことは、同性愛から民族問題まで差別問題全般。そこへ「差別を助長する顔」を立候補させるのはどんなものか、同盟の皆さんのご意見を伺いたいと筆をとりました。
(※編集部注:この質問は2019年7月21日に行われた第25回参議院議員通常選挙の前に届いたものです)
メイン回答船橋英雄
仏教でいう差別(しゃべつ)とは本性が同一の万物における特殊相、差別界とは差別のある現象界つまりこの世を指す。抹香臭いお勉強なんぞしなくたって、そんなこたァ誰でも物心ついた頃から身をもって知ってるわな。差別/被差別の経験が連綿と続いている実情を認めないわけにはいきますまい。
反差別、非差別、無差別を訴える行動は現状転覆のテロ、ユートピア建設といえましょう。無駄、無理、無謀と揶揄するつもりは毛頭ない。大いに賛同いたします。被差別未解放歌謡と名づけた一群の特殊なレコード、CDの円盤を世間一般の人々の保守的でテレビ向きの耳孔へ向け、これでもかこれでもかと投げつけている我らが同盟の活動と一脈通じますからね。ほとんどが先様の鉄壁の守りたる耳くそにはね返されて届きませんが、鼓膜を震わせられませんが。大雑把にいって親しみやすい真っ当な音楽から外れたノイズに対する拒否反応は想像以上に強い。
歌の前に歌い手の顔ではじかれちゃう。陰気、不気味、凶暴などなどの負のイメージが邪魔して聴いてもらえない。差別のある現象界の現象とは表面の謂であり、素晴らしい内面、内実はないがしろにされがちなのである。多様性が損なわれる危険を憂慮し、イイ顔差別断固反対!
ことが政治の世界とあればなおさらだ。身体特徴=美醜を基準にして排除、政治理念や信条を無きものとする暴挙許すまじ。といえども差別界の岩盤は分厚く広い。でも、立候補するんだよ! 鎌田君とやらの人相、人殺しに見えるとな。そこまで強烈ならばかえって耳目を集めたりして。半端な不細工より好都合、集票の武器になったりしてね。
一粒の麦なら死んで花実が咲くかもしれないけれど、泡沫は……。
敵が幾千万ありとても我行かんといった心意気、ひとり立つ気高さに敬服しますが、戦術、戦略を練ってもよかろうかと。泡沫が集まって水たまりとなり、一筋の川となり、やがて大河となる青写真を抱くのも悪くなかろうかと。
イイ顔党の旗揚げだ。掲げる政策や主義、主張はバラバラでかまわない。とにかく、差別を助長するイイ顔の士を集めるだけ集めて小(大)選挙区比例代表並立制に揺さぶりをかける。イイ顔も一人では無力なれど塊に変ずれば魅力を放ち、政界に風穴をあける一石となるやもしれぬ。立候補自体が一種の思想行動、啓蒙活動と心得るべし。
とりあえず今は、あなたの代理たる鎌田君に奮い立ってもらう以外に術はない。白昼の通り魔と化す選挙運動、辻斬り辻説法、一人一殺の一念で声を張り上げてもらいたい。なんならポスター作成を手伝わせてくれませんか。バックに使うイイ顔の写真やらレコード・ジャケットやらを仰山所持しておりますので。
一コマ漫画回答根本敬
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音盤回答湯浅学
差別は差別、殺人は殺人、と割り切れないほどの人殺し顔ならもしかすると当選してしまわないとも限らない、と前向きに考えることが差別と戦う第一歩だと考えるまえに出馬してしまうのがよろしいし、それだけの人相なら選挙後話題になって次の選挙にプラスになる可能性もあります。ぜひ国政のみならず東京都知事選にご出馬ください。千葉県知事選に出て森田健作にエイッヤアットウッとやるのもいいと思います。
スイセン盤
ザ・スターリン「STOP JAP」※『STOP JAP NAKED』収録(2007年,いぬん堂)
相談其の32(71歳 男 出版業)
同盟の皆さん、こんにちは。私は長年出版に従事した団塊の世代に属するものです。混迷する社会情勢、暴走する安倍政権。価値観の多様化、そして先の見えない出版業界。今や星雲の志は私語から死語となり若者達にそのニュアンスすら通じない世の中に。平成生まれ諸君、21世紀世代諸君、スマホばかりいじっていていいのか!?
私は長年務めたさる大手出版社を6年前に退社し、しばらく外からの視点で出版業界を眺めておりましたが、6年の歳月などあっと言う間。そこで先の見えない出版業界に一撃を与えてやりたい、それにはどうすればと慎重に考えた挙げ句、ひとつの結論に達っしました。正確には「達っした気がする」というところです。つまり恥ずかしながら一抹の不安があるのです。そんなわけで「気がする」結論にご意見を頂戴出来ればと思います。
それは、ずばり、出版業務におけるふるさと創生。過疎化する地方へ拠点を移し地方から中央を撃つ! 私の場合故郷の国東半島から東京を撃つ、今はネットの時代ですし東京ばかりが日本ではない。「星雲の志」は揺らいでない、それは確かであり私の財産です。
尚、具体的な方策はこれからです。
メイン回答船橋英雄
青雲ならぬ星雲、ここに志のスケールのでっかさ、元出版人としての意匠を感じます。晩節にヒマを持て余し、やることといったら庭いじりとかゴルフ練習場通いとかテレビ見ながら飲酒三昧とかネットでエロ動画観賞とかしかない御仁が多いなか、私憤に燃え、義憤を覚え、世直しへの意欲満々という姿はあっぱれ、敬意を表する次第です。
故郷の国東半島から東京を撃つ、と。具体案が不明ゆえ雲をつかむような話ですが、星は感じます、あなたの。安穏とした生活に飽き足りない星の下に生まれた、いわば運命。雲は流れても、その星は動かず頭上で光り続けるでしょう。
やって! やって! 健康と地震にはくれぐれもご注意くだされ。
一コマ漫画回答根本敬
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音盤回答湯浅学
すべては気の持ちようですが、その持ちように不安があるということは誰しも持つ不安かもしれないがはたしてほんとうにそうなのか不安でしょうがないのだがそれもまた気の持ちようによるのだとするといったい気の持ちようとは何なのかと不安になってしまうのはやはり誰しも持つ不安なのかもしれませんが、それはもはや単なる不安です。そういう方にすべては気の持ちようだといっても不安になるだけなのは明かですが、しかし、すべては気の持ちようです。
スイセン盤
ベートーベン作曲「交響曲第九番ニ短調」合唱付/ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2018年,ユニバーサル ミュージック)
お悩み募集!!
幻の名盤解放同盟の「泥船人生相談」では特殊なお悩みからたわいも無いお悩みまで、ジャンルを問わず募集しています。相談内容(600字以内)・氏名(任意/公開しません)・年齢・性別・職業を明記の上、件名を「泥船人生相談係」としてメールにてご応募下さい。
※お寄せ頂いた全てのご相談にお答え出来ないことをご了承下さい。またサイトで採用されたご相談は書籍化の際に掲載する場合がございます。謝礼はお支払い出来ませんが予めご了承下さい。 ※頂いた個人情報をご本人の許可なく転用は致しません。
幻の名盤解放同盟 プロフィール
漫画家・根本敬(書記長)、音楽評論家・湯浅学(常務)、デザイナー・船橋英雄(社長)の3人が1982年に結成。以来、「すべての音盤はすべからくターンテーブル上(CDプレーヤー内)で平等に再生表現される権利を有するべし」をスローガンに、この世で最も地中に根を下ろしすぎた超俗エブリシング・オールライトな音盤たち(他)の探求に明け暮れること33年(2015年現在)。その活動――イイ顔とイイ歌を既存のあらゆる倫理/道徳、価値体系から解放する行為――が発端となり生じた社会現象が、90年代半ばに脚光を浴びたポンチャック・テクノの帝王李博士の活躍や昨今の昭和歌謡ブームである事を知る人はおそらく少ない。
なお幻の名盤解放同盟名義の業績として、音盤に「幻の名盤解放歌集」シリーズ・「幻の名盤解放箱」・「幻の名盤お色気BOX」(いずれもP-VINE)・「和ラダイスガラージ DJ MIX VOL.6 -女のスナッキーを踊ってみろ!」(永田プロモーション)、書籍に『ディープ歌謡 The dark side of Japanese pops』『夜、因果者の夜』(ともにペヨトル工房)・『幻の名盤百科全書』(水声社)、『お色気ディープ東京』(ブルース・インターアクションズ)・『元祖ディープコリア』(K&Bパブリッシャーズ※4半世紀に亘り3社の版元を経ての最新版)等がある。
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asasfsas24 · 5 years
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【2019.7.29】太平洋高気圧に覆われて夏空が広がる、しばらく波は期待薄 @asasfsas24 プロフィール記載のリンク先ブログを更新しました #surfing #波情報 #波乗り #サーフィン #surf #海 #japan #waveinfoshare (辻堂海水浴場) https://www.instagram.com/p/B0etYkhD9WW/?igshid=1iic6xbr5k8g1
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fukkunphoto · 2 years
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三が日も早々に過ぎ去ってしまいましたが本年もよろしくお願い致します🎍 . 初詣の代わり?に富士山(日没)を撮り初めとしました📷🌅 . 海辺は風が強くて寒かったですけれど波���良いのかサーフィンは盛況だったように思います🏄‍♀️ . 今年も荒波ばかりな予感がしますがうまく乗りこなせるといいなぁ😎 . 2022年1月 Camera : Nikon D850 Lens : AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR II (辻堂海水浴場) https://www.instagram.com/p/CYT2-nMF18a/?utm_medium=tumblr
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kachoushi · 2 years
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星辰選集
花鳥誌 令和4年1月号
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令和3年10月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
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森の翳負ひたる二人静かな 栗林 圭魚 寂として東の大河明易き 渡辺 美穂 籐椅子に虚子の影置く鹿野山 小川 笙力 涼しさや一重まぶたと長き指 上嶋 昭子 ゲルニカの炎のやうに薔薇果つる 野口 孝子 梅雨寒し眼を持たぬ深海魚 沢井 真弓 二枚目の女郎蜘蛛なる夏芝居 斉藤 いづみ 触るるもの青に変へゆく梅雨の蝶 栗原 和子 万緑や遺跡の底に笛の音 山﨑 久子 しぶき上げ滝壺に水沸騰す 山崎 肆子
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蟬時雨ひとり遠くへ来たやうな 大和田 博道 秋の夜いつしか君の生返事 伊藤 ひとみ 梅雨空へ九段会館高く高く 辻 梓渕 蛍川への足取りとなつてゐる 馬場 省吾 アイスキャンデー食ふ子とそれを見てゐる子 田丸 千種 風鈴や木挽町しか知らぬ風 岡田 順子 サングラス白洲正子の朝帰り 有馬 幸月 夏潮に仏蘭西からの帆を張りて 中里 三句 さやうならたつた五音の梅雨送り 渡辺 幸子 父の日の父と偲びぬ母のこと 田上 喜和
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浴衣来て春ちやん秋ちやん三姉妹 荒舩 青嶺 風は髪波は跣足と戯れて 譽田 若菜 海底の岩屋に入りし鮑海女 進士 里昇 運命の流るるままに夕焼けて 久保 光子 反対の車窓にばかり雲の峰 柴田 貴薫 蚊帳の中御伽草子を語る祖母 田辺 て津子 やうやくに楽屋貰ひて夏暖簾 加納 佑天 直木賞芥川賞なめくぢり 河野 公世 草刈の後はのつぺらぼうの午後 池松 伸子 採血の針よく通る薄暑かな 中山 昭子
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寄する波と遊ぶ素跣のまぶしくて 藤田 克弘 藍浴衣横顔ばかり流す川 永野 佐和 夏帽子どちらが姉か妹か 阿部 ひろし 蟻の道細く営々たる無音 尾田 美智子 梅雨じめる下乗の玉砂利を踏みて 下野 美智子 滝壺や太古の熔岩を底に秘め 舟久保 安子 サーフィンの店十薬の陸に立つ 髙橋 晁史 階に蛞蝓のあと雨意の濃き 秋吉 芙佐子 縄文へ吸ひこまれゆくサンドレス 大江 三郎 万緑や黄金の鯉水しぶき 幡生 啓子
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大池の雲に休んでゐる金魚 髙間 ヨシヱ 生きるとは我れも思考やチンアナゴ 蟹江 紅水 雷鳴は大夕焼けの露払ひ 和田 久鼓 水平線きらきら光り海開き 末政 千代子 梅雨の日の事情も知らず万歩計 平澤 蕉 香水に和服姿に覚えあり 小林 敏朗 八月の海に降りゆく足の裏 大村 八重子 雨風の鉄砲百合に容赦なく 岡田 圭子 歯並びのきれいな人や西瓜食ぶ 岩田 好松 白絣こぞの名残の畳皺 松雪 耿子
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さりげ無く団扇の風を送る恋 八木 惠津 万緑に森羅万象沸きにけり 有川 公子 裏木戸の紫陽花に身を細くして 田原 悦子 開け放つ百年の蔵夏燕 古川 時江 高倉健見し昂りに明易し 奥 清女 埒も無き焼酎談義酔ふほどに 杉原 久美子 虚子堂を出て栴檀の日の高し 浅川 走帆 干物干す梅雨の晴間を突堤に 富田 みな子
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/6/19
朝、間歇的に強まったり弱まったりする雨音を耳にしながらお昼近くまで微睡む。あまりにもしぶとくて、もはや常態化しつつある左目の奥の凝りがほんの少しだけ和らいでいる。いくつかの本を乱読する。
午後、支度をして外に出る。雨が少し降っている、傘はささない。柵に無数の円らな雨粒がぶら下がっている。やや冷たい空気が半袖から剥き出しの肌に触れる、歩きはじめると、からだからも熱を帯びてきて、冷たさと熱さとがたがいに触れ合うようになる。顔の表面が小雨の数々を受ける。公園に入って愕然とする。見慣れているはずの光景がまったくの別世界として瞳に殺到してくる。樹々のひとつびとつを目にとめながら、雨にぬれ湿って木肌の発色がいつもと大きくちがうのが原因かもしれないと思う。いや、全然それだけではなくて、それら樹々の強度な形質を明らかにはじめて目にしている。遥かな時の流れのなかで独自の踊りを展開する樹々たちが惑星の自転するように半回転しながら過ぎてゆく、無数に落下してくる小雨の雨粒が葉々の数々を小刻みに震わせている。かばんの中で鈴の音がカランコロンと転がっている。広場の真ん中の公園を象徴する大樹木ですら初見のものとして瞳に差し迫ってくる、幾重にも伸びひろがる触手のような枝の数々が思い思いに微かな雨風に四肢を揺れ動かしていて、その後方に白と灰色の複雑に入り混じってどこまでも流動的な紋様をいままさに描いていている曇天の空模様が広がっている。
墓場道を経由して、住宅街の細長い一本道に出る。ずっと先の車道と交わる辻で信号がオレンジから赤へ瞬間的に変わる。辻を行き交う自動車に人通り、それから自転車が辻のさなかですれ違う。一本道のなかごろを豆粒のようなスズメが跳ねている。いつのまにかスズメのところまで来ていたらしく、すこし大きくなったスズメが傍らをちゅんちゅんしている、もう一羽いる、水たまりに雨粒の織りなす波紋が幾重にも拡がり、その水たまりの歪んだ表面に反射して映っている赤信号のぼやけた光が瞬間的に青に変わる。青信号に目にを移す、青信号の発する光は雨に濡れる白い家の壁にも線を伸ばしている。
ルナさんのバジ・ボルタ。今日はシュキボルタではなく、珍しくニンニクのボルタ、それからインゲンのバジ、ほうれん草のバジ。ルナさん、ニンニクのボルタだけを指差して、ニンニクのボルタと一言添えてくれる。まえにFさんから、ニンニクのボルタはニンニクのひとつびとつをぜんぶ素手で潰して作るから、すんごい大変でルナさんもあまり作りたがらないと聞いたことがある。今日は作ってくれたんだぁ。一周まわってこころのほうは最強というか最凶な感じになってきたけれど、からだのほうはまだ疲れを引きずっているような感じがあるから、とってもありがたく思う。ルナさんありがとう。食べながら、からだの内側から大地のパワーをメラメラ感じる。食べ終わってラッシーを飲んでいると、厨房から唐突に馬鹿でかい機械音が響いて、ビクッとなる。音は一瞬で鳴り止んで、厨房のほうを見てみると、日本語ぜんぜん喋れないほうの店員さんが驚かせてごめんねって感じのちょっと悪い笑みでこっちを見ている。満面の笑みでどうぞ、どうぞ続けてくださいってジェスチャーを返す、店員さんにニコッとしてミキサーを回しはじめる。ごちそうさまでした。
清原、清原、清原……と清原の名前を呪文のように唱えながら、街の発散する克明な強度のひとつびとつに視線を差し向ける。どこまでも青々とした草木がいっせいに風に踊り震える清い原っぱのことを想像する。矢継ぎ早に瞳に飛び込んでくる克明な強度の数々を捉えながら、それはいまここのことだなぁと感じる。清原の呟きがたまにトム・クルーズになったり、ハーポ・マルクスになったりする。
鬱蒼と繁り過ぎるあまりにひと一人が通るのも困難な暗渠通りの緑の横溢を肩でばさばさ揺らしながら、葉っぱに付着した雨の滴の跳ね返りを浴びながら、帰路のついでにお寺に寄ることにする。線香の匂いを感じてからお堂の裏手の杜にまわる。ここでも年輪を増やしながら踊り震える樹々の強度が瞬間ごとに瞳を震わせる。とくに菩提樹の幹の複数の根のひとつに寄り集まって、そこから枝々の数々が無方向的に伸びひろがって、無数の葉々の一枚一枚が無作為的に垂れ下がり、微かな雨風に踊り震えているのに立ち止まらずにはいられない。そのイマージュに感化されたに違いない遥かむかしの先人のことを思い浮かべる。まえにNとお参りをした目の神様の祠にも立ち寄る。五円玉を賽銭箱に投げ入れ、こんなにも素晴らしい世界の強度が見えています、ありがとうございます、あわよくば左目の凝りを和らげてくださいとお願いをする。
お寺を後にして、自動車の瞬間ごとに過ぎてゆく大通りを歩いていると、唐突におばあちゃんに声をかけられる。「陸橋前」のバス停を探しているという。孫から送られてきたというラインを見せられ、その案内の文句にすぐあそこのことだってなる。行く先が同じだからいっしょに行きましょうと案内することになる。おばあちゃんはありがとうねぇ、とか、優しいひとだねぇ、とか、孫とちょうど同じ年頃よ、とか、このあいだワクチンの一度目を摂取してきたのよ、とか、色んなことをべらべら話す。大通りの自動車の行き交いで声が聞き取りにくくて屈みながら話しを聞く。ちょうど背丈がKさんと同じくらいで、Kさんと散歩したときもこうして身を屈めたなぁと思い出す���歩みの速度のこと(早過ぎたらどうしよう)を考えながらゆっくり歩くんだけれど、おばあちゃんの歩みはけっこう闊達で、話しを屈み聞きながら逆に追いかけるような感じになる。信号待ち、横断歩道をひとつ渡って「陸橋前」のバス停にたどり着く。手を小さく振って立ち去ろうとすると、おばあちゃん、ありがとうね、何かジュースでも買ってあげるって。いやいやいや、そんな、ほんとうに通り道で行く先が同じだっただけですよって、胸の前で両手を振って遠慮の姿勢の咄嗟にしているじぶんがいる、それと同時に素直におばあちゃんの気持ちに応じてもよかったんじゃないかと思うじぶんもいる。そんな相克する想いの狭間にいるうちにも、おばあちゃんに腕をガシッと力強く掴まれて自動販売機のまえに強制連行されている。どれがいいと優しく言うから、爽健美茶のペットボトルを指し示す。お財布の小銭入れをガサゴソして130えんを手渡される。10えん多いですって10えんを小銭入れにもどす。小銭を入れてボタンを押す。ガッシャーンっとペットボトルが落ちてくる。手にしたペットボトルの表面に微かな水滴が付着している。おばあちゃん、振り返り、振り返りしながらバス停のほうにもどる、振り返るそのたびに小さく手を振る、もう行きな、行きなって感じの手の振り返しを感じながら、お辞儀をする代わりに爽健美茶をグッと仰向けに飲んでその場を立ち去る。子どもの頃、よくお父さんに海に連れていってもらったことをその味から思い出す。お父さんはいつも釣りに行くとき爽健美茶を買っていた。ハト麦、玄米、月見草、、爽健美茶。ドクダミ、ハブ茶、プーアール、、爽健美茶。
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0mulanrouge0 · 4 years
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安原顕が編集していた雑誌『リテレール』1992年冬号に載せられたもの。「仕事がらみの本を除いたオール・タイム・ベスト」という副題がついている。以下リスト(表記は原典に倣った)。
弓館芳夫『西遊記』(第一書房)
江戸川乱歩『怪人二十面相』(講談社)
ボアゴベ『鐵假面』(講談社)
江戸川乱歩『孤島の鬼』(春陽堂)
夏目漱石『我輩は猫である』(岩波書店)
デュマ『モンテ・クリスト伯』(新潮社)
ケッラアマン『トンネル』(新潮社)
ウエルズ『宇宙戦争』(新潮社)
アプトン・シンクレア『人はわれを大工と呼ぶ』(新潮社)
ブラスコ・イバーニェス『地中海』(新潮社)
ズーデルマン『猫橋』(新潮社)
ズーデルマン『憂愁婦人』(新潮社)
アルツィバーシェフ『最後の一線』(新潮社)
アルツィバーシェフ『サアニン』(新潮社)
サバチニ『スカラムッシュ』(新潮社)
手塚治虫『ロスト・ワールド』(不二書房)
トオマス・マン『ブッデンブロオグ一家』(新潮社)
イプセン『ペール・ギュント』(白水社)
ディドロ『逆説・俳優について』(未来社)
高良武久『性格学』(未来社)
フロイド『精神分析入門』(日本教文社)
フロイド『夢判断』(日本教文社)
カール・A・メニンジャー『おのれに背くもの』(日本教文社)
カール・A・メニンジャー『愛憎』(日本教文社)
カール・A・メニンジャー『人間の心』(日本教文社)
丹羽文雄『小説作法』(文藝春秋新社)
ヘミングウェイ『日はまた昇る』(新潮社)
ヘミングウェイ『誰が為に鐘は鳴る』(新潮社)
カフカ『審判』(新潮社)
カフカ『城』(新潮社)
A・クリスティ『そして誰もいなくなった』(早川書房)
A・クリスティ『アクロイド殺し』(早川書房)
ダシェル・ハメット『血の収穫』(早川書房)
J・フィニィ『盗まれた街』(早川書房)
P・K・ディック『宇宙の眼』(早川書房)
F・ブラウン『発狂した宇宙』(早川書房)
ブーアスティン『幻影の時代』(東京創元社)
リースマン『孤独な群衆』(みすず書房)
丹羽小弥太編集『科学革命の世紀』(平凡社)
ロブ=グリエ『新しい小説のために』(新潮社)
小林秀雄『文芸評論』(筑摩書房)
コルバート『恐竜の発見』(早川書房)
W・バロウズ『裸のランチ』(河出書房新社)
デズモンド・ハリス『人間動物園』(新潮社)
ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』���早川書房)
ローレンツ『攻撃』(みすず書房)
沼田真『植物たちの生』(岩波書店)
マルケス『百年の孤独』(新潮社)
クルーチ『砂漠の歳月』(みすず書房)
カイヨワ『本能』(思索社)
日高敏隆『チョウはなぜ飛ぶか』(岩波書店)
ユング『分析心理学』(みすず書房)
藤枝静男『田紳有楽』(講談社)
壇一雄『火宅の人』(新潮社)
小林秀雄『本居宣長』(新潮社)
カート・ヴォネガット『屠殺場5号』(早川書房)
B・オールディス『地球の長い午後』(早川書房)
フィリップ・K・ディック『ユービック』(早川書房)
山田風太郎『幻燈辻馬車』(新潮社)
アレッホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』(サンリオ文庫)
フェレンツ・カリンティ『エペペ』(恒文社)
萩野恒一『現存在分析』(紀伊國屋書店)
ドノソ『夜のみだらな鳥』(集英社)
スタニスワフ・レム『浴槽で発見された手記』(サンリオ文庫)
バース『酔いどれ草の仲買人』(集英社)
賀川乙彦『宣告』(新潮社)
コルタサル『遊戯の終り』(国書刊行会)
カルペンティエール『失われた足跡』(集英社)
阿佐田哲也『麻雀放浪記』(角川書店)
ルーチョ・チェーヴァ『テスケレ』(河出書房新社)
安部公房『笑う月』(新潮社)
ル・クレジオ『巨人たち』(新潮社)
ミシェル・トゥルニエ『赤い小人』(早川書房)
外山滋比古『異本論』(みすず書房)
大江健三郎『同時代ゲーム』(新潮社)
フィリップ・ロス『われらのギャング』(集英社)
色川武大『怪しい来客簿』(話の特集)
『ハロルド・ピンター全集Ⅰ』(新潮社)
ロジェ・グルニエ『シネロマン』(白水社)
ウディ・アレン『羽根むしられて』(CBSソニー出版)
プイグ『蜘蛛女のキス』(集英社)
マルケス『族長の秋』(集英社)
ノースロップ・フライ『批評の解剖』(法政大学出版局)
T・イーグルトン『文学とは何か』(岩波書店)
W・イーザー『行為としての読書』(岩波書店)
ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』(書肆風の薔薇)
ユング『元型論』(紀伊國屋書店)
ロラン・バルト『テクストの快楽』(みすず書房)
ハイデガー『存在と時間』(中央公論社)
久間十義『マネー・ゲーム』(河出書房新社)
河合隼雄『昔話と日本人の心』(岩波書店)
色川武大『狂人日記』(福武書店)
ラカン『フロイトの技法論』(岩波書店)
ラカン『精神病』(岩波書店)
井上ひさし『四千万歩の男』(講談社)
バルガス=リョサ『世界終末戦争』(新潮社)
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』(東京創元社)
ミラン・クンデラ『不滅』(集英社)
アンリ・トロワイヤ『大帝ピョートル』(中央公論社)
ジョルジュ・ペレック『人生使用法』(水声社)
(via 筒井康隆 「わが生涯の愛読書」 - 昼の軍隊)
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zucheio-blog · 5 years
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日本人的度假胜地, 冲绳旅游全攻略 https://zuche.io/tumblr 说到冲绳冲绳县是由冲绳本岛及160个离岛构成,是日本最南边的县。冲绳本岛及其离岛,多为白色沙滩。毎年吸引近700万以上的观光客来到这里,可说是亚洲代表的渡假天堂。从东京飞那霸,距离约2,100km;距北京1,900km、首尔1,300km左右,这些地方都有直航班机,约2~3小时就能抵达那霸。距离台湾更近,仅750km左右,直达航班更是1个半小时就能到达。对于亚洲地方的国家来说,冲绳可以说是相当方便的国外旅游胜地。冲绳地处副热带地区,不同于日本本岛是温带。气候温暖是它的一大特征,也是鳯梨等热带水果及甘蔗的盛产地。日本本岛的武士及天皇为主要政治中心的时代,冲绳是由琉球王朝所统治,发展出其独自的文化。琉球王朝时期的城堡—首里城的遗迹,业已登记于世界遗产。冲绳的语言也不同于日本本岛,而是另有琉球语,めんそーれ(men sou re,欢迎光临)、はいたい(hai tai,您好)等。仍然可以在当地听到。色彩缤纷鲜艳的红染(红型染め)和琉球玻璃,是冲绳的传统工艺。同样的,EISA(エイサー)及琉球舞蹈是冲绳的传统艺术表演。这些冲绳文化与日本本岛不同的异国情调,正是冲绳吸引人的地方。目录:1.前往冲绳的交通2.冲绳当地交通3.按区域划分游览冲绳4.遍游冲绳海滩5.冲绳观光景点6.冲绳观光行程建议7.冲绳大事记8.冲绳活动9.冲绳特产10.冲绳渡假饭店介绍11.冲绳美食12.冲绳气候及相应服装建议13.冲绳方言说说看14.旅游便利报〜往冲绳的交通〜东京成田机场出发截自在羽田机场内住一晚的方法从成田机场到那覇机场,搭乘香草廉航、捷星廉航、乐桃廉航或ANA全日空等,一天有8班以上的直达航班。机票单程价约在12,000〜30,000日元之间。搭乘所需时间计3小时。东京羽田机场出发从羽田机场到那覇机场,一天单程就有30班左右,ANA、JAL、SKYMARK等都有飞,从早上6:00到晚上8:00,飞行所需时间约2小时30分钟左右,单程机票价格在13,790~44,090日元之间。想要节省机票费用的游客,可以购买SKYMARK的早鸟票。北京、台北、首尔往那覇从北京、台北、首尔前往那覇有不少直达航班。而且不需要经过日本东京等地转机,让许多海外旅客轻松畅游冲绳。北京首都国际机场一周有4个航班,搭乘时间约3小时左右。台湾台北桃园国际机场一天有9班飞机,搭乘时间约1小时30分。首尔仁川国际机场1天有8班飞机,搭乘所需时间2小时。那覇机场往冲绳市区从那覇机场往冲绳各观光景点可以搭乘机场利木津巴士,不管想去哪个景点都能带你去。另外,冲绳县的出租车和东京及其他县市相比,相对来说较便宜,车辆数也多,赶景点或飞机就利用一下吧~。推荐阅读:【交通】东京到冲绳怎么走?各种方式时间&花费大比较!去冲绳旅游?先了解交通吧!冲绳最大的国际机场-那霸空港往冲绳离岛的交通方法想倘佯在美丽海洋、天空及丰富大自然中的人,可以把脚伸长点,往冲绳的离岛看看。往石垣岛石垣岛为冲绳离岛之一。目前只能坐飞机前往。又,那霸及羽田等日本全国各地的机场都有直航班机可前往。往宫古岛宫古岛也是冲绳离岛之一,和石垣岛一样,只能坐飞机前往。不只那霸机场,羽田、关西机场也有直达航班。往与那国岛欲前往与那国岛的话,需要从冲绳本岛的那霸机场搭往与那国机场的班机,或者从那霸机场搭往石垣岛的航班,再换搭渡轮。往西表岛坐往石垣岛的飞机后,在搭往各离岛的船班码头坐快速游轮或渡轮前往。冲绳当地交通在日本唯一没有地下铁的地方,冲绳居民的公共交通工具是公交车及单轨电车。公交车在冲绳本岛,想去哪里都可以坐各路线的公交车到达。如果是观光游览为目的的话,推荐购买有一定限期的观光巴士套票。大人4,900〜6,000日圆,不管是首里城或姬百合之塔等地,想得到的观光景点都能载你去。大人660日圆、小孩330日圆,一天之内可以无限次数乘坐的那霸市公交车,让你轻轻松��游那霸市的「1日无限次公交车乘车券」,别忘了多多利用喔!这在那霸公交车服务中心可以买到。单轨电车来往于那霸机场站及首里站之间的冲绳都市单轨电车,市民票选命名为「ゆいレール」。从购入时点起算24小时可以无限乘坐的「1日乘车券」、48小时无限次乘坐的「2日乘车券」都有贩卖,另有搭配观光景点的门票等折扣优惠。1日乘车券价格为,大人700日元,小孩350日元;2日乘车券,大人1,200日元、小孩600日元。这些都可以在售票机及车站窗口购买。出租车、租车、市区youbike在冲绳,有出租车、租车、市区youbike可以选择。冲绳的每个观光景点相聚较远,公交车班次也没有像东京那么多。如果有国际驾照,不妨租车行动更方便喔!同场加映:想在冲绳以最实惠的价格租车?“Tabirai租车”,您的不二选择按区域划分游览冲绳冲绳本岛是冲绳县160个岛屿中最大的岛。以下分成北、中、南三个地方,为大家介绍各地方具看头的景点。冲绳本岛北部冲绳本岛北边包括名护市、国头郡、国头村。这边有「冲绳美丽海水族馆」、翡翠海滩、名护鳯梨公园等,倘洋冲绳海滩及较多土产贩卖店的地方。冲绳本岛中部中部有冲绳市、うるま市、宜野湾市等9个市町村组成。这里最吸引人的地方在于沙滩及崖岸地形。从断崖眺望大海的绝景景点—万座毛,还有能够体验冲绳文化、艺术表演、大自然的「琉球村」。冲绳本岛南部南边由那霸市、糸满市、南城市所构成,也是欣赏文化、史迹的重点地区。首里城、琉球玻璃村村等知名景点都在这个地方。冲绳的离岛冲绳大大小小共有160个岛屿,有人居住的为48个左右。其中,石垣岛、宫古岛、与那国岛、西表岛等岛屿有着美丽的沙滩及西表山猫的独特生态环境而广为人知,以渡假天堂之姿不断开发中。遍游冲绳海滩冲绳的本岛及离岛皆有数个海滩。游泳、水上活动、厕所等一应俱全,设备完整的人造海滩也很值得一游。另一方面,天然海滩则有美景等候大家到访。冲绳本岛北部海滩Best 31.翡翠海滩(エメラルドビーチ)翡翠海滩美如其名,呈现着翡翠色的海面,相当耀眼。附近还有「冲绳美丽海水族馆」,来到这边两个景点都别错过。地址:冲縄県国头郡本部町石川424(海洋博公园内)2.21世纪森海滩这是位于名护市,令人印象深刻的白沙滩。来个BBQ或沙滩排球都很适合喔!地址:冲縄県名护市宫里2-1-25(21世纪森海滩内)3.瀬底海滩冲绳本岛开车可以到达的瀬底岛,有着天然的海滩。这里的夕阳西下美景最是好评。地址:冲縄県国头郡本部町瀬底(くにがみぐん もとぶちょう せそこ)5750冲绳本岛中部海滩Best 31.Tropical beach(トロピカルビーチ)这是在宜野湾市的海滩。更衣室、置物柜,(投币式)冲洗室也有。来个BBQ烧烤趴吧?地址:冲縄県宜野湾市真志喜(ぎのわんし ましき)4-2-1(ぎのわん海浜公园内)2.西原marine park(マリンパーク)这是在西原町的一个人工海滩。冲洗室、更衣间、置物柜、小吃店、杂货店等应有尽有。不管是日光浴、BBQ、野餐、打棒球或是踢足球也可以唷!地址:冲縄県中头郡西原町字东崎173.残波海滩位于读谷(よみたん)村的海滩。相对上是比较小一点,不过,躺在银白沙滩上享受蓝天白云的悠闲自在,这里不失为好选择喔!地址:冲縄県読谷村宇座1933冲绳本岛南部海滩Best 31.新原(ミーバル)海滩新原海滩是南城市南边的一个天然海滩。从那霸机场坐车前往约40分钟左右就能抵达。地址: 冲縄県南城市玉城百名15992.波上海空(海の上うみそら)公园 波上海滩那霸市的波上海滩,从那霸机场乘车过去只要10分钟,交通非常方便。不管是浮潜还是深潜,也有许多水上游乐设施喔!地址:冲縄県那覇市辻3-3-1离岛海滩Best 41.久宇良Sunset海滩这是石垣岛最有名的海滩,久宇良Sunset海滩。纯白的海砂,透明见底的大海。海底是美丽的珊瑚群。地址:冲縄県石垣市平久保234-3232.砂山海滩宫古岛的砂山海滩有个珊瑚经年累月形成的天然拱门。地址:冲縄県宫古岛市平良字荷川取7053.与那霸前浜海滩宫古岛的与那霸前浜海滩,为喻为「东洋第一的白沙滩」,全长达 7km 之长而闻名。地址:冲縄県宫古岛市下地与那覇4.ロマンスロード(Romansu Road)久高岛上少数整理整顿过的道路。这条路的中途还有个休憩处,可以看到清澈见底的大海。地址:冲縄県南城市知念久高推荐阅读:【冲绳·久高岛】从那霸一天往返!去神之岛,感受冲绳往昔风采〜冲绳观光景点〜以下帮大家整理了冲绳必游观光景点。1.首里城首里城是14世纪左右,琉球王朝的城堡。战争时期曾被破坏,后来修复。没有被破坏的城墙及遗迹,也就是「首里城迹」已经登录于世界遗产。地址:冲縄県那覇市首里金城町1−2推荐阅读:抹茶速报!这个夏季,去冲绳南部景点浪~2.美丽海水族馆冲绳的美丽海水族馆就位于冲绳本岛的西北边。「チュらうみ(churaumi)」是冲绳语「清澈大海」的意思。馆内最受大家青睐的是 8.6m长的豆腐鲨及魟鱼。地址:冲縄県国头郡本部町石川424(海洋博公园内)推荐阅读:冲绳美丽海水族馆,如同置身于海洋世界,邂逅长达8.4米的大鲸鲨!在“沖縄美ら海水族館”,与海龟・海牛来个约会吧~3.琉球村琉球村是恩纳村里的主题乐园。在这里可以体验冲绳的传统工艺制作石狮、采收甘蔗后制作冲绳糕饼糖果、手作冲绳甜甜圈等冲绳特有体验。在这里穿上冲绳的传统服装来个纪念写真吧?地址:冲縄県国头郡恩纳村山田11304.今帰仁城(なきじんぐすく)迹今归仁城遗迹是14世纪时,比起琉球王国更早,位于北山的国王—北山王的城池遗迹。现在也已登录于世界遗产中。现在流行在这里穿上冲绳传统服饰来场今归仁城婚礼喔!地址:冲縄県国头郡今帰仁村今泊51015.残波崖残波崖在冲绳本岛最西边,是欣赏夕阳最佳的地方。高约30m的断崖,近约2km绵延的距离,相当著名的絶景。地址:冲縄県中头郡読谷村宇座18616.国际通大道国际通大道是从那霸市的县厅北口到到安里三叉路,约1.6km长。餐厅、礼品店林立,来到冲绳观光的人都不会错过的地方。7.琉球玻璃村琉球玻璃村是位于系满市的手作玻璃工房,可以体验制作琉球玻璃的地方。地址:冲縄県系満市字福地(いとまんし ふくじ)1698.万座毛恩纳村的万座毛,站在珊瑚礁形成的断崖上环视浩瀚壮观的海景。地址:冲縄県国头郡恩纳村恩纳9.幸福桥位于南城市的观光设施「がんじゅう駅・南城」,日文称为「道の駅」,是个有停车场、休憩场所、振兴地方的休息站。虽然在日本一样写作「駅」,可不是电车车站喔~。休息站后方有座小桥,是称为「幸福桥」的能量地点。地址:冲縄県南城市知念久手坚54110.名护菠萝园(ナゴパイナップルパーク)名护菠萝园(ナゴパイナップルパーク)是名护市内一处高地的鳯梨园。散步鳯梨田中,还可以试吃鳯梨喔!地址:冲縄県名护市为又119511.OKINAWA热带水果园OKINAWA热带水果园是名护市中专门栽种热带水果的主题园区。园内栽种着芒果、香蕉等热带植物。咖啡厅就贩卖着使用园内水果做成的各式甜点。地址:冲縄県名护市字为又1220-7112.斎场御岳琉球王国时期的祭祀场所「斎场御岳」。同样已登录于世界遗产中。地址:冲縄県南城市知念字久手坚270-1推荐阅读:冲绳最完美的圣地! 世界文化遗产---“斎場御嶽”冲绳观光行程建议想要完攻冲绳本岛的话,以下推荐你最佳的绕点行程,只需2~3天的时间,让你从北到南遍游冲绳。第1天(北部):美丽海水族馆、翡翠海滩、名护鳯梨园第2天(中部):万座毛、琉球村第3天(南部):首里城、琉球玻璃村、国际通大道冲绳大事纪日本最南边的城市—冲绳,不管是春天赏花季节,还是夏天泳季都比日本本岛早。冲绳的传统舞蹈也很值得欣赏。1月下旬(赏花)冲绳是日本最早樱花开的地方,最早甚至在1月下旬就能赏花。冲绳樱花的品种是称为寒绯樱的樱花,和关东地区经常可见的染井吉野樱不同,粉色更深为其特征。1月下旬~3月(赏鲸)座头鲸经常在冬天来到冲绳海域生产、育儿,是赏鲸最佳时期。冲绳本岛的那霸、中部、北部都有赏鲸船搭乘处。4月(海边开放)冲绳海边开放也是日本最早,4月左右就开放。7月(冲绳传统舞蹈「エイサー」)冲绳传统舞蹈「エイサー」,每年7月13〜15日的清明节时期会跳的舞蹈。将清明节回来探视子孙的祖先送回,男男女女穿上传统服装,一边打太鼓一边跳舞的场景,十分壮观。刚好在这个时期来到冲绳的人,千万不要错过「エイサー祭」。琉球村一天有2场エイサー的表演。推荐阅读:通过视频看九州、四国、冲绳特色祭典【九州·冲绳篇】一生至少要参加一次的日本祭典4选~11月(灯饰)一到冬天,丰崎海浜公园、冲绳outlet「あしびなー」、パレットくもじ、「冲縄こどもの国」动物园等地都有灯饰活动。冲绳活动在冲绳,深潜、独木舟等海边游乐设施,踏青、健行、泛舟等活动也有。另外,在琉球村等主题园区,可以试穿冲绳传统服装。冲绳传统服饰和日本和服不同,主要使用红、黄、蓝等鲜明原色为其一大特色。穿上冲绳传统服饰,增添冲绳之旅回忆吧!冲绳特产说到冲绳特产,有使用冲绳猪油的饼干、金楚糕、冲绳双胞胎更是必买伴手礼。这几年,冲绳名产红地瓜制成的红薯塔爆红,也是来到冲绳必败土产。消灾解厄的石狮饰品更是可爱无比。买个小型石狮当作回国伴手礼吧!冲绳传统工艺「红染」的手帕、丝巾等送女性友人最适宜。喜欢喝酒的男性友人,送他冲绳甘蔗制成的甜酒、泡盛吧!推荐阅读:在离新宿约10分钟的杉并和泉商店街「冲縄タウン」 尽享南岛风情!冲绳渡假饭店介绍入住冲绳渡假饭店,消解平日疲劳,以下为大家推荐几家知名的饭店。冲绳本岛RENAISSANCE冲绳渡假饭店从房间就可以看到私人海滩全景的RENAISSANCE冲绳渡假饭店。1整年都有海上游乐设施可以玩喔!地址:冲縄県国头郡恩纳村山田3425-2Kanucha Resort & VillasKanucha海边就在眼前的大型饭店。饭店还有高尔夫球场,脚踏车、健行等行程。地址:冲縄県名护市字安部156-2冲绳 MARRIOTT RESORT&SPA饭店冲绳 MARRIOTT RESORT&SPA饭店,是个有豪华庭园的大型饭店。饭店附近有个KARIYUSHI海滩。地址:冲縄県名护市喜瀬1490-1石垣岛Beach Hotel Sunshine饭店前就可以看到竹富岛、西表岛等八重山群岛。景色宜人的饭店。露天温泉在顶层。一边眺望夕阳一边泡汤,最是享受。地址:冲縄県石垣市新川(いしがきし あらかわ)2484宫古岛THE SHIGIRA饭店THE SHIGIRA饭店全部有10栋独立villa。每间villa都有面海的气泡浴池。另有高尔夫、餐厅、美容室。地址:冲縄県宫古岛市上野新里1405-3Shigira BaySide Suite ALLAMANDA客房有着气泡浴池的饭店。可以体验潜水活动。餐厅菜色是琉球料理。地址:冲縄県宫古岛市上野新里926-25宫古岛东急渡假饭店与那霸前浜海滩就在面前的渡假饭店。一边眺望白晳沙滩,悠闲渡过旅游时光。房间宽敞干净。地址:冲縄県宫古岛市下地与那覇914冲绳其他饭店设施除了渡假饭店,冲绳也有商务饭店、民宿等住宿选择。那霸的饭店那霸距离饭店、海边都很近。那霸 Beach Side 饭店、sunpalace球阳馆、饭店、Hotel Ocean等10多间商务饭店,就在热闹的那霸国际通大道上。几乎都是1万日圆以下就能入住的饭店。ANA 皇冠假日酒店 冲绳海景及那霸东急 REI 饭店等相对较豪华,待客细心、亲切,价格约在1晚20,000〜40,000日圆左右。那霸市区的民宿 CamCam 冲绳、冲绳民宿 Little Asia、民宿けらま等,价格则在4,000日圆以下就能入宿。石垣岛的饭店石垣岛上有先岛商务饭店、VESSAL 石垣岛饭店、东横INN石垣岛等商务饭店。想要更省钱的话,试试 emix 民宿或STREET MARINE CLUB石垣岛等民宿。宫古岛的饭店宫古岛上则有NEWPORT商务饭店、Southerncoast Miyokojima饭店、PEACE ISLAND MIYAKOJIMA饭店等。1晚4,000〜7,000日圆,相对上比那霸市的住宿便宜。另有familia民宿或Feenukaji民宿等。冲绳美食冲绳自古受到中国文化熏陶,战后又受美国统治缘故,料理也受到影响,这里经常可见中华料理、美式料理。来冲绳享受不同美食吧!冲绳面主要成份面粉,比荞麦面稍粗的面条。冲绳面味道是和风酱油味。在冲绳,到处都有在卖,可以每家都吃吃看。冲绳炒苦瓜「冲绳炒苦瓜」在冲绳语是「拌炒」的意思。这道菜里有苦瓜、豆腐、蛋等,是冲绳知名美食。猪耳朵(ミミガー)猪耳朵也是冲绳料理之一。卤猪肉另一道冲绳县的乡土料理,猪肉加入酒及酱油卤。泡盛(米酒)米发酵制成的泡盛,是琉球群岛盛产的蒸馏酒。喜欢喝酒的人一定要试试,记得顺便来道冲绳料理。这个酒精浓度较高,小心饮用。推荐阅读:在冲绳的“くんなとぅ”吃着荞麦看着海~冲绳气候&服装冲绳全年的平均温度约在23.1℃,全日本最高的地方,即使冬天也很少低于10℃。1整年的紫外线都过量的缘故,擦防晒、太阳眼镜、帽子等防晒措施请做好万全准备。3~4月的冲绳,比起日本各地都还有要早开放海水浴场。这个期间的温度约在20℃左右,夏游冲绳正是时候。5〜10月的冲绳经常有台风。尤其是8月,是台风最多的时期。台风来时,飞机停飞,请先知道。8月夏天的冲绳气温也经常突破30℃,又经常下雨,是湿热的天气。穿着舒适凉爽的衣服之外,也请做好防晒。学些简单冲绳方言「めんそーれ(mensoure)」めんそーれ(mensoure)冲绳语是「欢迎光临」的意思。可以在机场、卖场、商店等地听到、看到。「はいさい(haisai)、はいたい(haitai)」はいさい(haisai)、はいたい(haitai)是「日安」的意思。可对熟稔的人说。「にふぇーでーびる(nifeideibiru)」にふぇーでーびる(nifeideibiru)是「谢谢」的意思。来到冲绳多说にふぇーでーびる(nifeideibiru)准没错。其他旅游信息想换外币或日元时,可以找银行外汇汇兑窗口,或7-11 ATM。推荐阅读:【抹茶贴心懒人包】日元现金没带够?!换汇找准这4个地方现金不够时,找「PLUS」标记的ATM,让你轻松提领现金。推荐阅读:【日本旅游必读】日本plus标识提款机的设置场所入宿饭店时,若会一些简单日文,会很方便哦~,以下连结请参考。推荐阅读:日本旅游,酒店实用简单日语10选!日本提供外国旅客免费 Wi-Fi 服务「Japan Connected-free Wi-Fi」。事先要下载app哦。推荐阅读:什么是Japan Connected-free Wi-Fi服务?日本旅游免费wifi地点整理到日本旅行一天约需多少餐费?这篇帮你试算。推荐阅读:【日本旅游必读】在日本,1天吃饭到底要花多少钱呢?(便利店,餐厅,寿司屋)畅游冲绳这���做在冲绳,上山下海到处都有美丽的大自然景致,来到冲绳悠闲渡假。比日本本岛的紫外线量高的关系,请确实做好防晒。另外,台风期间不论是海上游乐设施或活动都停止,来之前务必确认好天气变化,免得扫兴啰! #zuche #租车 #自驾游 #zuche #汽車租賃 #租车 #租車 #自驾游 #自駕遊 #hirecar ##matcha-jp https://zuche.io/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e7%9a%84%e5%ba%a6%e5%81%87%e8%83%9c%e5%9c%b0%ef%bc%8c-%e5%86%b2%e7%bb%b3%e6%97%85%e6%b8%b8%e5%85%a8%e6%94%bb%e7%95%a5/?feed_id=193&_unique_id=5d6b9d604ee85
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yasuyuki-magic · 5 years
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こんにちは。 #イマソラ に #雲 が良い感じです。 #iPhone xrで撮影 #sky #cloud #tsujido #fujisawa #japan #iPhonexr #photography # photograp # photo (辻堂海水浴場) https://www.instagram.com/p/B123sIlJL5E/?igshid=1t382n3o94qv
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watanabeshinnosuke · 5 years
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#夏なのに #なかなか晴れる日がなかったから #やっと海に行けたの巻🏖 (辻堂海水浴場) https://www.instagram.com/p/B1QjayUhzvt/?igshid=kv2j4vrelaul
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ceciliawang1103 · 7 years
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│日本。大阪│交通便利、價格公道之和風旅館上本町,推薦給背包客旅人們一個住宿選擇。
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 這一趟京阪神親子遊在住宿方面,認真說~著實讓西姐有一點傷透腦筋呢@@ 
 話說~
今年3月初金主馬丁好不容易掏出信用卡刷了7月中飛往關西機場機票之後,
這一趟京阪神旅程等於確定了1/2呢~
疑......??那請教一下西姐,另外確定行程的1/2是指......啥啊??
 嘖嘖嘖,你們想啊~好不容易機票買了、飛機坐了、抵達目的地了、那....請問
晚上的落腳處在哪裡啊??
那就對了嘛,接下來就是要煩惱這些天在日本究竟要住在哪裡。(笑~)
 因為西姐這一趟旅程主要景點著重在京阪神,所以最後還是決定住在交通網絡
非常好移動的大阪市區,而之前也聊到西姐對於民宿或旅館第一選擇要件,
就是附近一定要有超市或便利商店及距離地鐵站近一點。
 畢竟對外出旅行的旅人來說,住宿地點附近有幾間便於購物的超市或便利商店,
會讓旅人想要購入民生用品都極為方便,而距離地鐵站近一點呢,也可以讓經過
一天行程洗禮,身心已疲累的旅人能盡早回到住宿處休息。
 這一次西姐一家人在大阪五夜的住所,其實西姐在各大訂房網站爬文許久,
一直在民宿或旅館之間做決擇@@
後來跟金主馬丁商量過後,決定選擇便宜簡單民宿即可,畢竟鐵血教官西姐安排
的行程,嗯哼,可是南征北討呢.....(是有多恐怖啊?),
所以囉,再貴的旅館也不過是很晚回家洗洗睡罷了。(手一攤~)
 而這一次住宿選擇在Agoda訂房網站訂購,地點就位於近鐵奈良線其中一站:
大阪上本町站附近的『和風旅館上本町』。
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    ※和風旅館上本町。優點※
1、價格合理 ( 5 晚*4人住宿費用$18,244元 )
2、周圍生活機能極為便利  ( 超市*2間、7-11*1間、全家*1間、Lawson*2間、
松本清*1間、大型購物中心上本町YUFURA*1間、近鐵百貨上本町店*1間 )
3、交通便利 ( 近鐵特急、近鐵奈良線、近鐵大阪線  )
※近鐵奈良線
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大阪上本町→近鐵奈良( 可以從大阪上本町搭乘近鐵奈良線不需轉車,直接前往
奈良找萌萌鹿玩啦~哈 )
※近鐵大阪線
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大阪難波→大阪上本町(約3分)   大阪難波→近鐵日本橋→大阪上本町( 距離心齊
橋、道頓崛只有一站而已,非常近啊~)
※重點是在離民宿不遠處的另一頭我那無緣的喜來登飯店,飯店門口還有利木津
巴士可以直接往來關西空港呢~
4、房間榻榻米、寢具都很乾淨  
5、每天都會有服務人員協助更換毛巾  及垃圾桶  ( 感謝有他們的服務~)
6、房間提供獨立衛浴設備  
7、語言可以溝通  ( 和風旅館上本町服務人員會講中文,所以溝通不是問題,
有問題請找李先生喔 )
 ※和風旅館上本町。缺點※
1、日式榻榻米房型 ( 其實對於睡在日式榻蹋米上,年青人應該沒甚麼問題,
但要是有帶長輩們前往住宿,可要考慮長輩是否習慣睡日式榻榻米 )
2、民宿有門禁 ( 和風旅館上本町規定晚上12點門禁,大門會鎖起來,但如果
真的玩到晚上12點過後,還是可以到旁邊巷內請服務人員協助開門 )
3、隔音稍微有點不好 ( 第二天晚上隔壁住了韓國家庭,小朋友在走廊上講話,
西姐在房間內聽的到聲音 )
4、西姐想到再說XDD
 ※和風旅館上本町※
地址:〒天王寺区石ケ辻町18-23, 天王寺, 大阪, 日本 543-0031 
 好囉好囉~
前面跟大家聊了這麼久,還是要進入今天的主題,就讓西姐分享『和風旅館上本
町』,也給未來想要前往大阪旅遊的你們一個住宿參考^^
 ▼瞧!這就是西姐每天都會出入的大阪上本町站,說真的~住在和風旅館上本町
走到此入口,只需要約3分鐘,距離非常近呢~
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  ▼抵達民宿時,約是晚上7點左右,西姐將大門推開,櫃台沒有人耶~
也是啦,因為櫃台只接待到晚上6點, 不過西姐有提早發mail給民宿李先
生,說明抵達民宿約7點~
馬丁跑到隔壁雙龍拉麵問櫃台人員,民宿是否有人可以協助接待。(據說,雙龍
拉麵是民宿老板經營,要是大家遇不到服務人員,可以問問隔壁唷~)
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 ▼拉麵店工作人員要我們稍待一下~
過沒多久,和風旅館上本町的李先生就出現在我們面前啦。
很謝謝他的幫忙,讓我們一家人順利入住,也謝謝他協助我們將行李搬上二樓房
間門口。
喔,對了~和風旅館上本町的樓梯比較狹窄,走路或搬運行李時要多加小心唷~
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 ▼這是白天版的和風旅館上本町,隔壁就是雙龍拉麵店,認真說其實門面不大,
但房型也夠我們一家四口住宿囉~
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 ▼哈哈哈~
西姐每天都會在和風旅館上本町前面留影,也順便在粉專跟大家說當天的行程唷
~ 
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 ▼好的~
這就是推開大門的第一眼印象,乾淨簡單的接待大廳,讓西姐覺得~嗯~真的
很舒服~ 
記得進入房間前,要在這裡換室內拖鞋,千萬不可以把自己的鞋穿上樓嘿~
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 ▼是的~
大廳接待處一旁還有一台投幣機,各式各樣的冷飲,方便大家突然想要喝點甚
麼,可以拿錢來投飲料。 
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 ▼嗯~接下來這一點非常重要,一定要告訴大家!
和風旅館上本町全館禁菸,畢竟是木造建築,如果被發現在館內吸菸,罰款1萬
日元喔。
請大家如果要入住,一定要遵守遊戲規則,才是一位好旅人的表現。 
(可能是西姐生活環境無人吸菸,所以西姐真的非常討厭有人在旅館房間吸菸,
簡直就是差勁自私鬼,根本不考慮其它人的感受!)
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 ▼和風旅館上本町還有洗衣服務,如有需要可以接洽服務人員。 
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 ▼和風旅館上本町入住相關規定! 
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 ▼因為和風旅館上本町民宿很多部份都是木造建築,所以對消防設備都非常重視。 
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 ▼剛剛前面提到過~
和風旅館上本町的樓梯非常狹窄,走路或是搬運行李一定要特別小心,不要摔跤
了~ 
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 ▼簡單分享和風旅館上本町二樓裝潢,非常幽靜~
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 ▼是吧~
簡單乾淨的住宿空間,其實西姐覺得不需要多麼豪華高級,這樣就夠了~ 
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 ▼哈哈哈~
二樓角落還有幾台扭蛋機,每天出門或回家,我家小妞總是望著這些台扭蛋機,
央求把拔給她扭一扭XD 
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 ▼再從另一個角度瀏覽和風旅館上本町二樓裝潢^^
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 ▼眼前就是這幾天西姐一家人即將入住的206號房囉~ 
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  ▼房門一打開~
登勒!簡單的和室裝潢,日式榻榻米上面整齊地放置四組的棉被及枕頭,整體
來說相當乾淨又舒爽~
是啊~這裡就是西姐一家人在大阪這幾天的家囉。 
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 ▼好!接著就簡單介紹一下房內的陳設喔~
房間門口擺有兩張桌子,要是大家晚上想吃點東西,可以在桌上食用,
千萬不要把榻榻米弄髒囉。桌上還有衛生紙盒及紙杯。 
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 ▼桌上還有擺設一組電話,要是有任何問題,可以透過電話與服務人員接洽。 
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 ▼再一次提醒!!
因為房間設計為日式榻榻米,千萬不要在房間內吸菸,因為容易引起火災,
要是發現有此行為,將會罰款1萬日元。 
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 ▼房間有一台應該是42吋電視,還有一台小冰箱~
說到電視,西姐一家人也很妙,明明日文根本有聽沒有懂,一回到民宿或一早起
床,一定要先開電視,重點是大家有天還看到忘了出門XDD
還有小冰箱,西姐每天回到民宿,第一件事除了趕小朋友快去洗澡之外,最喜歡
把當天在超市買的食物全部放進冰箱,一整個好滿足啊~ 
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  ▼沒圖沒真相啦,這....圖不就來了嗎!
就如同我第一天逛完超市,回到民宿之後,立馬將飲料、水果塞滿整座冰箱,
齁齁齁,超有成就感的啦~
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  ▼從另一個角度觀看房間,右手邊就是一間小型衛浴間,其實也已經很夠用了。 
對了,房型為日式榻榻米地板,請大家在房內搬運行李時,輪子不要接觸到榻榻
米,以免造成地板損壞。
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 ▼衛浴間小歸小,但該有的一樣也都沒有少,甚至還有一座小小的浴缸咧! 
對了,民宿也有吹風機提供給房客們使用唷~
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 ▼洗手台前方放置著三瓶分別為洗髮乳、潤髮乳以及沐浴乳,讓旅人洗澡時能
更加方便使用,喔,對了~還有牙膏耶。 
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 ▼馬桶上方還有放置一個小小藍子,裡面有簡易備品供大家使用。 
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 ▼退房時要是遇不到服務人員,請直接將鎖匙放置於桌上的瓶子中即可。 
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 ▼葛格就是這一副傻呼呼臉蛋討他娘親喜愛,即使他背著起碼5公斤相機包、
兩隻手拿滿剛剛超市、松本清買的商品還外加西姐的包包??
嘖嘖嘖~也一臉無怨無悔啊~ 
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 ▼最後~
就讓這勤奮年青人的背影,為今天簡單分享的民宿畫下一個完美句點嘿~ 
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  2017 夏✱日本京阪神親子遊 連載中..... 
 【2017 夏✱日本京阪神親子遊】京阪神六天五夜自助行程大公開!這趟旅程挑戰關西最熱鬧城市大阪、古意氛圍京都、洋風滿滿神戶,還有還有...就讓我們繼續看下去!
 【出國必備。網路分享器】帶著173wifi分享器環遊世界-日本武士機上網吃到飽wifi分享器超高速4G上網,前進日本京阪神感受無窮魅力!
 【日本關西。大阪市】住宿篇。交通便利、價格公道又充滿家的溫馨氛圍『和風旅館上本町』,誠摯推薦給背包客的旅人們一個住宿選擇。
 【日本關西。大阪市】美食篇。據說吃三次就會上癮的『神座拉麵』,大量蔬菜熬煮的湯底,吃起來居然有一股熟悉感受,好奇嗎?那就一起來上癮吧!
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 大家想不想知道西莉亞又跑去哪裡遊玩了呢?
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 ※日本關西京阪神六天五夜行程大公開※  
※Day1行程: 
桃園機場→關西空港→搭乘南海電鐵前往大阪→大阪上本町和風旅館(check in) →道頓崛、心齋橋 → 神座拉麵(晚餐) →激安殿堂→超市(KOHYO) →大阪上本町和風旅館 
※Day2行程:
大阪上本町和風旅館→大阪環球影城(USJ) 
※Day3行程:
大阪上本町和風旅館→ 奈良→興福寺→奈良公園(餵鹿趣)→東大寺→Gankoがんこ豬排店(中餐) →宇治→中村籐吉本店(抹茶冰淇淋)→平等院 x 鳳凰堂→稻荷→ 伏見稻荷大社 x 千本鳥居 →京都→大阪→千房大阪燒(晚餐) 
※Day4行程:
大阪上本町和風旅館→京都→嵐山→嵯峨野觀光鐵道(嵐山小火車) →嵐山竹林→渡月橋→京都→すき家(中餐)→清水寺→八坂庚申堂→星巴克京都二寧坂YASAKA茶屋店→大阪→超市(Harves 晚餐) 
※Day5行程:
大阪上本町和風旅館→神戶→北野異人館(風見鶏の館、萌黄の館)→美利堅公園→7-11(中餐)→大阪→無印良品→南海通激安殿堂→榮華亭燒肉(晚餐)→松本清藥粧店 →超市( Harves ) 
 ※Day6行程:
大阪上本町和風旅館→搭乘南海電鐵前往關空→關西空港→神座拉麵(中餐)→桃園機場  
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kizi-letter-blog · 7 years
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好きな本について
Twitterで「尊敬する作家は?」と聞かれ改めていろんな本を見返すと、私はたくさんの人の作品が好きでした。なので、今回はその内何作か(という量じゃないけれど)語ろうと思います。(一部敬称略)
   「バースデー・プレゼント」(角川文庫「眼球綺譚」より、綾辻行人作)
  まず綾辻さんの代表作「十角館の殺人」。私は微々たるものですが現代で流行ったミステリは読んでいます。その中で最も記憶に残るトリック、ばらし方です。綾辻さんの作品はどれも最後の、ただでは終わらせないどんでん返しが素晴らしいのですが、これもとある一文で真相に気付き、読者に鳥肌を立たせます。おすすめです。
この作品で綾辻さんが好きになり読むようになったのですが、一番のお気に入りは上記通り「バースデー・プレゼント」です。
「眼球綺譚」は仄かにミステリが香る幻想小説短編集となっていて、「バースデー・プレゼント」も不思議な話です。踏切の「かぁん、かぁん」の音、20歳の「私」が見た夢、そして作中のバースデー・プレゼント。それらが織りなす幻想的な雰囲気は中毒になります。
特に好きな場面は、
 「ひとつはわたしの右手を。わたしが書いたすべての罪深い文章のために」
 ここから淡々と続くシュプレヒコールです。どの言葉も大好きで、ここだけでも何度も読み返してしまいます。
「バースデー・プレゼント」は夢の話のように、すごく惑わされる話です。私の印象としては、赤黒い夢の中、話が終わっていきます。ぜひ。
    「京に着ける夕」(角川文庫「文鳥・夢十夜・永日小品)より、夏目漱石作)
  日本の文豪、夏目漱石は「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「こころ」などが有名ですね。私は、もっと短編が注目を浴びてほしい、とも思います。
 もちろん「夢十夜」「文鳥」とても好きです。しかし、この本の最初に載っている「京に着ける夕」もおすすめです。なんてことない、寒い時期に京都に泊まった私小説なんですが、表現が素晴らしい。冬の寒々とした、でも汚くない、どこか漂う厳しさが、連なる単語から伝わってきます。
特に、
「あたかも三伏(夏の猛暑の期間をさす)の日に照り付けられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へおちこんだようなものだ」
「陰気な音ではない、しかし寒い響きである」
このふたつの文が好きですね。内容よりも、紡がれる単語を楽しんでほしい作品です。
    「決闘戯曲」(角川文庫「千年ジュリエット」より、初野晴作)
  「ハルチカ」という題で確かアニメ化しましたね。それの原作です。ハルチカシリーズ4作目。
この人の作品は、地の文とセリフの離れ方が結構独特に感じます。クセはありますが、慣れるとそのテンポ良さが楽しいです。
内容はライトですが、ミステリーはどれもびっくりするものばかりです。中でも「決闘戯曲」はすごい。
話の内容はざっくり言うと、文化祭で行われる劇の台本の答え部分が分からないから、それを解こう! というものです。
この作品で問われるミステリーは、
・参加する1人が、右目が見えず、左手(利き手)が使えない状況で行われる決闘
・決闘内容は、弾丸が一発のみ装填された拳銃で、お互い背後に立ち、5歩歩いたのちに振り向いて銃を撃つ
・右目が見えない、左手が使えない彼はどうやって生き残るか?
一見生き残る確率は絶望的。しかし彼らはとある方法で生き残ります。その意志の強さに鳥肌が立ちます。ぜひ。
     「手作りチョコレート事件」(角川文庫「遠まわりする雛」より、米澤穂信作)
  「氷菓シリーズ」の4作目であり短編集。他の巻以上に登場人物の心情に焦点が近いので、とても好きな本です。と言ってもこのシリーズはジャンルがミステリーであり、この短編集でも推理がちりばめられております。
里志、という登場人物がいますが、彼の気持ちが少し書かれる話。この話で私は全巻揃えることを決意しました。悩むことが、なんというか、学生らしさが胸を打って。これは失礼な言い方ですね。ただ本当に好きで。
好きだ、という理由を上手く言い表せません。しかし好きです。とても読みやすいですから、心からおすすめします。ぜひ。
    「恋と禁忌の述語論理」(講談社NOVELS、井上真偽作)
  第51回メフィスト賞受賞作。(ちなみにメフィスト賞、どれもこれも個性的で面白いです。西尾維新もこれを取っていますし、高里椎名、高田崇史、森博嗣なども受賞しております。読もう)
こちらもミステリですが、トリックの暴き方が論理学を使ったもので、斬新です。数学嫌いでも楽しいと思います。比較的説明も分かりやすく、一見完全犯罪に見えた行為が理詰めで考えていくとぽかりと穴が開く、その感覚が楽しいです。
もっと有名になれ、と心から思う作品です。
     「きらきらひかる」(新潮文庫、江國香織作)
 こういう優しい話が好きです。実は現代作家で女性(ペンネームから明らかに女性と感じる方)はあまり読んできていなかったのですが、大好きになりました。本屋でふらっと買った本ですが、一切後悔しておりません。
最後の締め方は、「ああ、みんな幸せになれ」と素直に思います。春の太陽の日差しを思い出す、暖かい作品です。ぜひ。
     芥川龍之介
 ちょこちょこと好きな作品があるので、まとめて書きます。
  ・「歯車」
こういう私小説が好きなんですよ。ぐるぐる悩んで、思考が見れる、こういう作品。
  ・「地獄変」
高校の古典でも登場する、宇治拾遺物語「絵仏師良秀、家を焼くるを見て喜ぶ事」が元ネタであることは有名ですが、それで知った気になり読まないのはもったいない。火に焼かれるシーンは、一字一字想像しながら読むと絶句します。
  ・「蜜柑」
全てモノクロの世界だったのに、少女が電車から投げる蜜柑で色が変わります。その変わりようが大好きです。色の変化を感じるためにも、冒頭がどんなに退屈でもしっかり読んでほしいと思います。その後の蜜柑で感じる色の暖かさは、思わず読みが止まるほどです。
     「智恵子抄」(高村光太郎作)
  「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」が有名でしょうが、その2作が好きです。特に「レモン哀歌」は、
 「がりりと噛んだ」
「トパアズいろの香気が立つ」
 から、レモンの清潔さがまざまざと浮かびます。狂気を汚いと思わせない、どこまでも静謐で崇高な様子がため息をつくほど綺麗です。今は文庫本も出ていて(新潮文庫など)買いやすいので、ぜひ。
     太宰治
  「人間失格」で、自殺、暗い、死にそうになる、そんなイメージしかないからと、他の作品を読まないのはもったいないです。「走れメロス」もこの人の作品なんですよ。ちょっと他のも読んでみようかな、って思いませんか?
こちらも好きな作品があるので数作紹介。
  ・「葉」(新潮文庫「晩年」より)
 小説にならない、イメージの断片が転がっている短編。特に最初の段落のものが好きです。
  ・「秋風記」
 Kと「私」の、退廃的で明るくしようとしている会話が好きです。
  ・「畜犬談」
 笑って読んでいましたが、最後に、真面目に読まないと悪いな、という気になります。
  ・「姥捨」
 自殺決行前夜後の話。彼らは死にませんが、その日常に戻っていく感じがリアルで何度も読んでしまいます。
  太宰治は、「駆け込み訴え」が一番わかりやすいかと思いますが、話口調で紡がれる文章が読みやすいです。思考を文にした感覚で、一緒に考えている気分になります。そして、使う言葉がまた、読者の胸に引っかかるものばかり。だから私は彼の作品が好きで、いくつも読んでしまいます。
     萩原朔太郎
  この人はイメージがすごい。使う単語がすごい。私が踏み込んでこなかった世界を広げてくれました。好きな作品を紹介します。
  ・「笛」
 あの冬空の、高く青い空が見事に表現されていると私は思います。感動しました。手書きで何度もノートに書くほど感動しました。こういう表現力を身につけたいです。
  ・「最後の奇蹟」
 「毛がはがね」「ゆびが錐」なんて思いつ��ますか。結びつける想像力がすごい。
  ・「死なない蛸」
 散文詩ですが、あの、何度も言いますよ。想像力がすごい。
  「夜に吠える」を手ごろな文庫本で出してくれないかな、と思う今日この頃です。
     宮沢賢治
  彼の比喩は科学的なものが多いですが、それがとても綺麗です。
 「ガラスよりも水素よりもすきとおって」
 という一文が「銀河鉄道の夜」でございますが、ただ「透明」と書く以上に、神秘的で、光り輝いていて、とても澄んだ水を想像させます。
このように宮沢賢治(詩が最も顕著に感じられる)の美しい比喩の世界は、疲れている時ほどうっとりします。
 ちなみに、私が彼の作品で好きなものは「よだかの星」です。よだかの嘆きを読むたびに、胸が締め付けられます。
    「キッチン」(福武文庫「キッチン」より、吉本ばなな)
  この柔らかく暖かい言葉、地の文が大好きです。軽々として読みやすく、ともかく暖かい。絶望からも前を向く様子も、決意なんてたいそれたものじゃなくて、暖かい。すごく人間らしさが感じられます。こういう文が書けたらな、なんてちょっと思います。
「満月」もとても好きです。
     長々と書いてきましたが、他にも好きな作家はたくさんいます。高里椎名、高田崇史、有川浩、小路幸也、海堂尊、時雨沢恵一、江戸川乱歩、堀辰雄、野村美月、西尾維新、そして図書館で借りて、今では忘れてしまった本もたくさんあるでしょう。web小説でだって好きな方はいますし、漫画でだって好きな作品はたくさんあります。
 そのどれもに気に入った表現が、気に入ったキャラクターが、気に入ったシチュエーションがあります。尊敬している作家は? と聞かれましたが、いわば多くの人を私は尊敬しています。どれも自分に無いから羨むんです。
  こんなにもたくさんの文章に囲まれていたことを、最近忘れておりました。それを思い出すことが出来て良かったです。
それではこれで一度、筆をおきます。ありがとうございました。
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takanashikatsuo · 5 years
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GWも今日で終わり。 最後の3日間は土曜日二子玉川で会社のみんなと恒例のBBQ、日曜日は本当に久しぶりに子供と海へ、今日は行きつけのホルモン屋さんの集いでBBQ。ビーチヨガの方々も合流して大人数で開催でした。 50人前くらい焼き続けるハードな焼き担当の一日だったけど皆さん楽しんでくれていたようでよかったです。 明日からはいい充電が出来たので楽しく仕事だな! #海 #海が好き #湘南生活 #湘南ライフ #湘南 #鵠沼海岸 #鵠沼 #辻堂 #茅ヶ崎 #江ノ島 #海辺の暮らし #海のある生活 #海好きな人と繋がりたい #暮らしを楽しむ #丁寧な暮らし #日々の暮らし #サーフィン #ロングボード #shonan #beachstyle #beachlife #beachlover #beach #surfing #surf #longboards #fashion #instagood #写真好きな人と繋がりたい #GW (辻堂海水浴場) https://www.instagram.com/p/BxH4NbNj2uH/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1h8wrfci6gdzo
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kazumichi-komastu · 7 years
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Memorabilia
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photo by Tatsuki Katayama
Memorabilia (2017) 
This project is similar to the  collecting of memorial-objects which are put in a cabinet and left over. Some people may think that "food was better" when receive "objects" on some anniversary. Memorial-objects must be kept as long as possible. It is because that memorial-objects purpose to be a memorable item. However, memorial-objects are never a trapped one, it is a poetic thing that stays in your eyes and surrounded by people and makes a vivid memories talk. In the Obon festival, we surround the Buddhist altar, surround your grave when Buddhist memorial day, and surround the Kamidana with relatives in the New Year.  I think that the act includes sort of poetry. But the problem is that even such poetry is forgotten, only the home as a safe "shelter" is left. In my family, the old 16 graves and one big grave (ossuary) were left in different lands respectively. Now, the old graveyard has been refurbished and it is decided that (the soul) will be transferred to a new ossuary. The old graveyard is left as is, it becomes just "stone". It will return to nature, returning to the "earth". There is an ancient tomb called Egenoyama tumulus in Nagaokakyo Kyoto. Another new graveyard is now tightly built on this ancient tumulus. It is ridiculous, but the ancient tumulus is "an important historical site", a stone monument with written explanation was built, and the area became a park under administrative control. Still, people come to visit the graves, and they all return equally to Earth. And another grave is made. It seems like a symbolic thing. The grave was a “router” to such a transcendental time axis, and should have been not a shelter that would be safe and secure by uniform oblivion. I decided to make a memorabilia for that memorial before the graves of my ancestor finally disappeared. Decades later, the place is surely covered with vegetation, there must be 'Earth'. From such a long time, I would like to have A few hours in commemoration. Objects may be broken pieces for routing us back to time to be distant, and may start piling up complicated forgetful ripples.
vimeo
メモラビリア(記��すべき事/記念品)が意味するように、このプロジェクトは戸棚にしまわれ持て余されてしまう記念品の収集に似ています。記念品と言えば、何かの折にもらった記念品が「置物」だったとき、せめて食べ物にしてくれ、と思う人もいるでしょう。記念品は、ただ、できるだけ永く置いておかなければならない。それは、記念品にとって記念品であることが、当の目的であるからです。しかし、記念品は決して閉じ込められるものではなく、折に触れては目に留まり、人びとに囲まれて、鮮やかな思い出話を咲かしてくれる、詩的なものでもあります。お墓や仏壇や神棚だってその仲間でした。お盆には仏壇を、法事にはお墓を、正月には神棚を親類で囲む。家では、法事には毎年大勢の親族が集まり、皆でそれらを囲います。その行為は、ある種のポエトリーを含んでいると思うのです。しかし、問題となるのは、そのような詩性さえも忘却され、単に単一的で安心な「シェルター」としての「家庭」だけが残っていることです。私の家には古い16基のお墓と、一つの大きなお墓(納骨堂)が、それぞれ違う土地に残されました。今、古い墓地は改装され、(魂を)大きなお墓に移される事が決まっています。古い墓地はどうなるかと言うと、そのまま「石」になります。 それは自然に還る、いや、「地球」にこそ還る。 京都府長岡京に恵解山古墳という古墳が有ります。この古墳の上には、今は別の新しい墓地がびっしり作られています。なんとも滑稽ですが、古墳は「重要な史跡」として、丁寧に解説の石碑が建ってて、行政管理下の公園になりました。それでも、お墓参りに来る人がいる、そしてそれも全て等しく地球に帰る。そしてまたお墓は作られる。お墓は、そのような超越的な時間軸へのルーターであり、単一的で一様な忘却によって安心安全になるようなシェルターでは無いはずでした。 私は、ご先祖のお墓が無くなってしまう前に、その記念に記念品を作る事にしたのです。数十年後、お墓だった場所はきっと草木に覆われてしまう、そこにはただ「地球」があるに違いないのです。そんな長大な時間から、少しの時間を、記念に頂戴したい。そんな記念品は、折り返し私たちを、気が遠くなる時間へとルーティングさせる為の破片となり、単一ではなく複雑な忘却の波紋を重ね始めるかもしれません。 「Memorabilia」によせて
忘却と時間についてのメモ
1(時間と忘却)
 忘却曲線を発見したドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスは、列に並べられたリストにおいて初項と最終項とその中間とで記憶の想起における度合いに差異がみられる事を実験により発見した。複数あるもののうち最初の方と最後の方を比較的よりよく思い出すというものである。その理由の一つとして、特定の記憶において、始点となる部分は繰り返し触れる事になること。また、他人の印象や、音楽、映画、小説、何事においても最後の部分が強い印象を残すから(残存効果)(* 1) 、とされる。初対面は最初の印象と別れ際が肝心と言われる。本が表紙と背表紙により、その本の中身を幾分か物語るように。古い映画を映写機で再生する時は、フィルムの端を探すだろう。何かの記憶を思い出そうとするときも、本の表紙のような、あるいは題名のメモか、フィルムの整理番号のような、何かきっかけ的な「始まり」を探し出す。あるいはそれが何かのエンディングだったのかもしれない。とにかく前触れもなく記憶の内容が溢れ出てきたりするのではなく(例外としてフラッシュバック等、何か外部からの強烈な刺激により起こった精神的ショックが強制的に脳内に過去のイメージを蘇らせる事がある。脳内の一種の通信回路エラーである。)、慎重に思い出そうとするのなら、歩みを止めた棚に整然と並べられたアルバムのような記憶たちは、始まりと終わりを持つ。床にバラバラになってしまった写真のような断片的なものも、当初はそれらのインデックスであったかもしれない。
 ではなぜ始まりと終わりが有るののか、そこに順番があるのか。それは「時間」と関係している。今ふと思い浮かべるあの時の記憶にも、その時の「時間」が流れていたはずだ。時間と一口に言っても様々な解釈が存在し、大昔からの哲学上の大問題である。それもそのはずである。人は、今まさに世界を感知しているように、知覚認識した世界情報のディティールがリニアに変化することを絶えず受け取ることができるし、変化していると分かるからだ。カントは時間というものを「感性的直観の純粋形式」と言った。感覚の形式化のフレームそれ自体はアプリオリであるとし、時間もアプリオリな直感の形式とする。つまり、時間はそれ自体は外在する何かではなく、何かの経験を可能とする人間の直感の形式であるという。それは最初から絶対的に人間の中にインプットされているという。さらに、それらは私たちの内に内感する直感の形式であるが故に、私たちは時間を一定方向に伸びていく直線的なイメージで代行的に表象する。(* 2)  一方でこのように考えることもできるかもしれない。始点と終点があるから、「時間」というものが、まるでゆっくりとあるいは猛スピードで「流れている」かの様に感じる、という風に。ポール・リクールは、「時間は物語の構造における分節化という理解によってはじめて人間的時間として理解可能になる。」という。時間の認識をまさしく人が物語るという行為、語られた物語のなかに発見する。(* 3)
 リクールのこれらの時間への言及は、時間を表象する際の一つの方法論ととることができる。一方で、断片的なイメージがまずいくつかあり、その順序の中に前進する時間のおおまかなイメージが形成され、いわば私的な時間感覚を形作る。カントによると、時間は実態のある何かではない。しかし一方でもっと素朴にそれは、例えば時計の秒針が右回りに少しづつ振れ、周回を繰り返す動きをまず観れば分かるように、あるいは、カチカチと秒針が「進む」ことを知らせる音や、それとともに聴こえてくる窓を細かく揺らす風の音。あるいは、手首を押さえたときに感じる脈動のリズムの緩やかな変化にみてとれる。カントによれば、時間は空間のディテールのリニアな差異をまさに差異として認識するシステムということになるだろう。しかし、一方で時間は、今まさに空間を認識し続けるためのディテールの差異化のプロセスともいえる。
 
 エビングハウスの単純なシリーズによる実験によって発見された記憶の根本的な原理は、ある体験の始点と終点を強く覚えているという記憶の傾向を示している。むしろ、記憶全体はぼやけつつも確かに脳内にメモリーされていて、とりわけ始点と終点をよく思い出す傾向にある、というふうにも考えられる。それは言わば忘却による中略=形骸化のようなイメージで捉える事ができるのではないか。このような記憶の中略的忘却のゲインと、アプリオリな内的感覚として時間や、空間のリニアな差異化というかたちで姿を表す時間との関係は、どのようなものなのだろう。
2(伸縮する時間)
 アラン・レネによる初期のドキュメンタリー「世界のすべての記憶 (原題:Toute la Memoire du Monde)」では、16世紀以降の全ての文献が収蔵されているというフランス国立図書館の内部各所を丹念に映し出している。図書館で働く作業員が、新しく届いた書物を丁寧に仕分けしていく作業の様子、朽ちていきそうなふるい書物を修復する様子、図書館の全体的な俯瞰、内部の構造、膨大な書類の山、しまわれる場所に運ばれていく一冊、そして暗い書庫に無数に並べられた本棚たち。詩的で印象的な語り口とともに映像が映し出すのは、戦争を含む人類のあらゆる歴史、個人史、夢、などのあらゆる「記憶」がまさにその運命に従って「記憶されていく」様子に見える。さて、この巨大な書庫の奥底にしまわれている書物たちは、いつか、その背表紙の文字列を認められた誰かの手に取られ、机の上にもう一度開かれる事が有るのだろうか。
 柳田国男は1945年、終戦直後に出版された「先祖の話」の自序において、その執筆理由と合わせてこのように語っている。「常識の世界には記録の証拠などは無いから、たちまちにして大きな忘却が始まり、以前はどうであったかを知る途が絶えていくのである。(中略)日本民俗学の提供せんとするものは結論ではない。人を誤ったる速断に陥れないように、できる限り確実なる予備知識を、集めて保存しておきたいというだけである。(中略)今度という今度は十分に確実な、またしても反動の犠牲となってしまわぬような、民族の自然と最も良く調和した、新たな社会組織が考えだされなければならぬ。」柳田は東京大空襲のさなかで、大いなる忘却と大いなる過ちに未来を危惧し、筆をとったに違いない。
 記憶/記録とは何か。それを思い出すということはどのように可能なのか。それはもちろん、大きな意味での歴史から個人/家族史の形成に深く関わっている。(*4) また、脳科学によって記憶形成のメカニズムの多くの部分が解明されてきている。一説に寄ると、海馬は10年ごとに神経細胞を全体の5%ずつ失っていき、80歳の老人は20歳の若者に比べ、海馬の神経細胞の数が20%減少していると言う。(*5)  生物的な老化によって記憶力はおちていく。さらに、脳は記憶をでっち上げたり、完全消去したりしてしまうことも実証されてきた。何度も目にしている、耳にしたものでも、特に関心のないものに関しては断片的にしか覚えていなかったりする。例えば「100円玉のデザイン」を思い出そうとすると、その具体的な柄をはっきり覚えている人はかなり少ないのだ。逆に、なぜか幾度も思い出してしまうお気に入りの記憶もあったりする。私自身も悪い事はすぐ忘れ、良い事はそれなりにずっと覚えているような気がしている。何を忘れ、何を記憶しているのか。そこにはどんな秘密があるだろう。エビングハウスの例にあるような実験であっても、その閾を正確に数値化して測定することは不可能である。それは完全に人それぞれ、違った傾向があるのだ。
 
 ここで、記憶と忘却に関してのひとつ興味深い例として、埋葬や先祖参りといった「喪」がある。親しい、あるいは目上の人物が亡くなった際に行う様々なグリーフワークや喪の儀式は、人間の社会的なネットワークの発生初期から世界の至る所、様々な文化圏において様々な形態で自立的に発生し、いくつかは今日まで継続されてきた。喪とは、非常に極端に言うと、「忘却の促進の行為」と定義できる、と私は思っている。精神的な痛みを一時的に、あるいは時間をかけて忘れるために様々な、段階的な行為が、ときには瞬時に、ときには何度も長期にわたって行われる。つまるところ、それは「死」という絶対的な生理的臨界点をメルクマールとしたときの、時間の伸縮の行為であると。(*6)
 埋葬の形式、つまり「葬儀」や「墓」の制度は「喪」の直接的な形態として重要な位置を占めている。(*7) よく知られているように、柳田国男は日本の儀礼制度習慣と日常の分類に「ハレ」と「ケ」という言葉を使った。(葬儀をハレ(非日常的儀礼の一種)とするのか、ケ(日常生活)とするのかには諸説あるが、多分に曖昧な論争であり、そのどちらとも言える場合がある。)日本神道では、死そのものは穢れであり、塩をまいたり、祭壇に備えたりする。それらを祓い清めるためである。一方で「祭」という文字が本来葬儀を意味することからも読み取れるように、葬式はハレの側面を持っている。葬儀は非日常的で特殊な、日常から逸脱した時空間であったことが分かる。ここでも、大昔より、「死」という生理的な臨界的現象そのものと、それを特殊な集団的関係性の上で抽象化するような「喪」の非直線的な関係がみてとれる。柳田国男は盆と正月の起源にふれつつ「先祖の話」の一節「めでたい日」の中でこのように語る。
「盆でも最近の一年二年のうちに、不幸のあった家は一部分で、しばらくそのような悲しいことにも出逢わず、二親が揃ってながいきをしているような家々では目出たい日であった。現に田舎では、おめでとうと言って人が盆の礼に来ている。祝うという言葉はこのごろでは意味が少し変わって来たが、本来は身と心とを清くして、祭を営むに適した状態にいることを言ってものであった事は、書物に現れている古いこの語の用い方を比べても判る。もとは斎うという文字を書いていて、神の御社の祭の用意も「いわい」であった。祭をする人々が行いを慎み、穢れた忌まわしいものに触れず、心を静かに和やかにしているのが祝いであり、その慎みが完全に守られているのが、人にめでたいと言われる状態でもあった。」 -  「先祖の話」 柳田国男著 p46
 柳田国男は仏教の法事と日本古来の神道的、土着的風習をはっきりと区別していた。仏教では亡くなったものは皆仏となり、残された者は何年にもわたりその魂を年忌毎にまつるが、本来、そのような仏教的先祖観とは異なる日本人の先祖への向き合い方があったという。つまり、亡くなった者は皆ある程度時間が経つとご先祖さま、あるいはみたま様という大きな一つの霊体にとけ込む(氏神)。そして故郷の山々の上より子孫を見守り、盆や正月には家に帰ってくるという。(*8) そのように継続される氏神信仰なくして、日本人の「家」への特別な思いは育まれ、永きにわたって家系が続くことはなかったと分析した。また、柳田は「墓制の沿革に就いて」において故郷兵庫県辻川の調査をひきつつ両墓制という墓制習俗を取り上げる。それはお参りのための「祭地」と埋葬のための「葬地」を分けるという風習である。 詳しい発生原因はわからずとも、そこには死穢の観念や遺体恐怖といった「死」という絶対的な現象と、死者供養のモニュメントをはっきりと分けようとする意図が感じられる。柳田は、埋め荒れた場所は墓とは認識せず、詣り墓(祭地)こそが本来の墓であると考えた。
3. (墓という忘却の装置)
 しかし、「墓」という構造物は、もちろん日本にかぎったものではない。
 
 近代に古代ヨーロッパ、ギリシャ、ローマからエジプト、インド、カルデア、バレアリック諸島、シナにいたるまでの埋葬の跡や様々な葬儀の際の逸話を歴史、宗教、人類学的観点から収集し論じたものとして、1608年、ロンドンで生まれ、ノリッジで活躍したイングランドの著作家、サー・トーマス・ブラウンの著作『ハイドリオタフィア(壺葬論)』1658年 (*9) がある。原題は、Hydriotaphia, Urn Burial, or, a Discourse of the Sepulchral Urns lately found in Norfolk。そのまま訳すと、「ノーフォーク地方で最近発見されたローマ時代の骨壷に関する論述」。友人、トーマス・レグロウへの冒頭での付記には「しかし誰か、己の骨の運命を、掘り出されてはまた埋められることの幾度なるかを知るや。」とある。ブラウンの、儚き死後の世界への豊かな関心がみてとれる一文だ。本書の中では、柳田が論じた先祖論である「みたま」によく似た論考が記されている。
「古代の異教徒は、音楽を用いて、さまざまなハーモニーにより、残された友人の感情をかき立てたり、沈めたりした。さういふことの起る隠れた深い理由は、霊魂が一つのハーモニーであることに由来している。肉體から解かれたハーモニーは立戻つて、原初の天のハーモニーを享ける、本来そこから降下したものであつたのだから。その道筋を辿つた古代人に依れば、蟹座より下つて、山羊座を通つて戻つたというふ。 …  そして希望もなく喪に服しながら、深き悲哀は却って亡霊の安息を亂す(みだす)といふ通行の見解によつて、過度の悲歎を避ける幸便なまやかしの口實(こうじつ)を持つていた。」
 ��たブラウンは最終章では古代からの人々の欲求であった生命の永遠性への接近としての埋葬について論じ、派手な墓やエジプトのミイラ等にみられる工夫のこらされた埋葬形式がいかに永遠性と結びつき、あるいは結びつかず、儚さをたたえているのかを記している。ブラウンは死後の肉体の永続性についてはいささか批判的であり、ピラミッド、凱旋門、オベリスクなどの巨大な墓廟的建造物に対しても「虚栄に発する異常物」と語り、見つからざる墓、埋葬こそ、真の保存へとつながるのではな���かと考察している。
「さても、今般の死せる骨は、既に(969年間生存したといふ)メトセラ體内の骨よりも長く存し、地下三尺、薄い年度の壁の裡に、地表のあらゆる強固・壮麗な大廈よりも久しきに耐え、三度の征服(アングロサクソン、デイン、ノルマン)の戦鼓・蹂躙の下にも静かに眠つていたのであるからには、如何なる王侯も己の遺骨にかかる永續性を約し得ようか、欣然とかう言はずに居られようか、  骨トナリセバ、我モカク在ラマホシ<テイブルルス>  古代を古ならしめ、萬物を塵と化すすべを心得ている時ですら、なほこのささやかな思出草を有したのである。開かれて一目に触れる保存所に在つて世に傳へられる(つたえられる)ことを望むのは虚しい哉、世に知られざるこそ永續の手段であり、無名こそ保護の手立てであるのに。 
…(中略)
とはいへ、遺骨となつて存続し、ピラミッド内のミイラとして今に存へんとするのは、永生を誤り解したものである。名前、形容、時代環境、性別も忘却されて、實のない持続となり、後世に對してただ人間の虚しさの象徴として、傲慢、虚栄、狂へる悪徳の對症薬として立現れる遺骨は虚しい哉。この世は永久に続くと觀じた異教徒の思ひ上がりが、野望をそそのかし、わが名聲の不滅の糸を断つアトロポスを見ぬゆえに、その思ひ上がりには忘却が不可避であるとの冷水を浴びせられることもなかつた。
…(中略)
古代の英雄たちは既に己の記念碑、手を盡した保存遺體を超えて生きのびている。ところが今や、時の晩期において、われわれはそのやうな永続する記憶を期待できぬ。今や野望もエリアスの予言<この世はただ6千年しか続かぬであらうと>を恐れるであらうし、カルロス五世もヘクトルの如くメトセラ二代を存続することは全く望み得ないのである<ヘクトルの名聲は、かの高名な王カルロスの出現以前に、既にメトセラの生涯の二倍以上続いている>。まさにそれゆえに、われらの名聲の永続を求めて慌しく思ひ煩ふのは、現状を考へるにほとんど時代遅れの虚妄、退休せる愚行である。
…(中略)
この期に及んで、記念のものを以てわれらの名を残さうとする如きは、われらの信ずる處(ところ)と矛盾することにならう、われわれは最後の審判の日の到来を日毎に祈ることで、記念物の壊滅を願つているわけだし、その永続を望むのは、再臨の期待を裏切ることにならざるを得ないからである。… そして残る将来の短きを注視することを迫られて、自然と来世を思ふべくしつらへられ、それに較べればピラミッドも直ちに融ける雪の山、すべての過ぎ去りし時も一彈指の間といふべき、かの永劫に思ひを致さずしては許されぬのである。」
 キリスト教的世界の終焉(最後の審判)がそう遠くはないと常に意識された時代において、もはや死後の肉体の永続を望んでも無意味である、という。さらに、古代からの忘却と魂の行く末をこのように記した。
「闇と光とが時の流れを分け持ち、忘却は、われらの生きて在るときすら、記憶に対してかなりの部分を占める。極めてづきづきする災禍の打撃も短いうづきを残すにすぎない。人の感覚は極端に耐へぬ、悲哀は人を傷るか自らを破る。涙のあまり石に化するとはお噺である。度重なる災禍は不感性を齎し、悲惨はうつろひやすく、雪の如くわれらにかかる、とはいへこれは決して不幸な愚かしさではない。来る災厄を知らず、過ぎ去つた災厄を忘れることは、自然の恵み深き配劑なので、これによつてわれわれは短命で災多き日々と雑揉者をこなし、感覚は解放されて身を切る思ひ出に陥ることなく、悲哀は繰り返して生身に焼刃を感ぜしめることもないのである。古代の多くの人々はその存続の望みを魂の轉生輪廻に託して満足していた。…他の人びとは寧ろ落ち着かぬ無の闇に没して、共同の存在に加はり、萬物の共有する大霊の一部となつて満足した。これはとりもなほさずかの知られざる神の始原に戻ることに他ならなかつた。」
 自然より与えられた配慮として忘却を捉え、それゆえに苦しみから解放されると語る。最終章の末尾ではこのように記した。
「永く残る墓碑として存続し、己の造りしものの内に生き、己の名前と鵺の如き範疇のうちに存すること、これが往古の期待(する人びと)には���きな満足であり、そのエリジウムの一部を成した。しかしすべての斯の如きは、真の信仰に発する形而上学より見るに無に等しい。… サンティノサン境界の墓地<パリにある、ここでは死体の分解が早い>に横たはるも、エジプトの砂中にあるも全く同じこと、永遠に存することの恍惚感の裡に、何者にでも成ると覚悟せよ、そして六尺の僑居にも、ハドリアヌスの大廟<ハドリアヌスがローマに築いた壮大な葬廟(モーゾリーアム)、現在はサンタンジェロ城となつている>に在るが如く、心満ち足りてあれ。」
(原文:To subsist in lasting Monuments, to live in their productions, to exist in their names, and prædicament of Chymera's, was large satisfaction unto old expectations, and made one part of their Elyziums. But all this is nothing in the Metaphysics of true belief. To live indeed is to be again our selves, which being not only an hope but an evidence in noble beleevers; 'Tis all one to lye in St Innocents Church-yard, as in the Sands of Ægypt: Ready to be any thing, in the extasie of being ever, and as content with six foot as the Moles(Mausoleum) of Adrianus.)
 「本当に生きるという事は、後世に名前を残す事ではなく、自ら自身を再認識することだ。(To live indeed is to be again our selves)」とブラウンはいう。結局のところ巨大な墓を作っても、いずれ朽ち果てるか、後世の世の笑いものにされるか、どちらにせよ、形而上学的に哲学的に考えれば無意味である、そのような虚栄に傾くより、誰にも知られずにひっそり眠る方がまだ死骸も安泰だろう。自ら自身へ立ち返れ。とここでは啓蒙主義的主張で結ばれているが、本書の本領は古代ギリシャからシナにいたるまでの墓制や葬儀に対する習慣の詳しい文献調査によってもたらされたデータベースにあるだろう。「古代の人びと」も、逆らう事のできない記憶の忘却と時間の瞬く間に、死者への対面においては、特別で複雑な感情を持ち、それに向き合っていたのだ。また、ブラウンが強く退けるエジプトのピラミッドなどの巨大で「狂った」永続性の担保となる建造物も、ここでは、むしろ、古代の人びとがいかに死の断絶を乗り越え、超時間的に生を捉え、それを強く望んだかが強調され立ち現れてくる。
 お墓は私が忘却について考えるきっかけとなったきっかけである。実家に現在も残る墓地を改葬する(墓地の機能を排し、お参りする場所を一カ所にまとめる)ことで、改葬のあと、墓地に放置される墓石が、そのまま単なる石列に変わると言う特異な状況に先立って、先祖との関係性や個人史の形成に関心を持つようになったのだ。その後のリサーチを続ける中で、私は、お墓とは緩やかな「忘却」を促す装置なのではないか、というふうに考えるようになったのだ。(*10)
 お墓はアーカイブ(記録)の一種のように見える。ここでは、私たちはそこに眠る誰かの死という原体験に触れる事はできない。(異常な精神状態、フラッシュバック等で時として原体験が鮮明によみがえる場合もあるが。)本来、時間とともに、忘却によって原体験はかすんでいく。しかしそれらを記憶として思い出す事ができる。思い出すという行為は、物理的にも、感覚的にも忘却によって抜け落ちた箇所をフィクショナルに埋め合わせていく行為ではないか。このようなフィクショナルな埋め合わせを「記録」と呼ぶことができるとすれば、そしてそのように記録物によって思い出された記憶は今まさに新しい体験として更新されていき、また忘却していくことになる。(このような上書きされる新たな体験こそ忘却の本質とも言える。一方で、忘却故に「差異」がリニアに生まれ、現在を体験できるとも言えるのではないか。この論理は対立しながら循環している。)つまり、私たちは記録をし、それについて思い出すことで積極的に忘却していると言えるのだ。
4. (墓地という空間)
 ピラミッドは人工的な墓としては最大級のものであるだろう。しかし、ここ日本には面積においてはピラミッドの4倍はあろうかと思われる巨大な墓がある。大仙陵古墳である。(クフ王ピラミッドや秦の始皇帝墓陵と並び世界三大墳墓の一つ。高さではクフ王のピラミッド:146.6mが最も高いが、墳丘の平面規模は最大。)だれもが歴史の教科書で観た事があるにちがいない、独特の形状をした墓(前方後円墳)だ。前方後円墳の形状の由来として最も有力なものは、弥生時代の墳墓から独自に発展したとするものだ。従来より国内に存在した円形墳丘墓の周濠を掘り残した陸橋の部分で祭祀などが行われ、その後この部分が死の世界である「墓」と人間界を繋ぐ陸橋として大型化し円墳とつながったと考えられている。(*11) ここでも、興味深いのは、古墳時代の人びとの「死」の世界との関わり方である。(前方後円墳の出現は、ヤマト王権の成立を表すと考えられ、それと同時に埴輪もつくられるようになる。)(*12) 古墳の陸橋部分の周囲によく出土する埴輪は当初、墳墓上で行われた葬送儀礼に用いられた。その後、様々な種類に枝分かれし、死者の霊が生活するための依代、あるいは死者が生前に居住していた居館を表したとされるもの(家形埴輪)、ずらっと並べられ、葬送儀礼を表現したり、生前の祭政の様子を再現したとされるもの(人物埴輪や動物埴輪)など、死後の世界と現世のインターフェースとして大量に作られた。とりわけ、前方の陸橋部分を囲うように群像でならべられた埴輪は、死者の眠る地である墓を聖域化する境界として捉える事もできる。
 
 巨大な墓の建造には、やはり多くの人員と時間を費やす必要があった。そこには、死後もなお続くこの世に自らの存在を残さんとする強大な権力の行使にのみならず、一つの共同体として「死」というものを単なる個別の生物的な臨界的現象と捉えるのではなく、集団での巨大な政として昇華する営みがみえる。巨大な墓場は単に死者が眠る場所のみならず、墓地全体が所々に様々な理由で形作られたであろう工夫や様式を持ち、いわば集団的な祭の舞台装置としても機能していた。そして、この儀礼の舞台全体が、空間的にこの世/あの世の境界を代替する役目を持っているのだ。つまりそれは現世に「死」の世界を代替的に召喚する空間であった。前方後円墳の前方の陸橋は、墓の部分である円墳(あの世)へ徐々に近づく途のようである。しかしこのような祭儀の空間は、より一層強く「生」を勢いづかせるに違いない。生の中に死を見つめる舞台、生の中に死を取り込む為に、墓地は境界に囲まれた聖域でなければならない。そして祭事(葬儀)においては、人びとはまさにこの空間において、墓の一部となる。
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墓(古墳)の上に墓地ができてしまっている。恵解山古墳 2016 年 筆者撮影
 建築の世界では、建築物の設計図や断面図において、黒く塗りつぶされる厚い壁や柱の部分を「ポシェ」というらしい。そうするとピラミッドなどはほとんどがポシェであるということになる。ピラミッドを図面にしてみたらほとんど真っ黒になってしまうだろう。
 建築物は普通は外観と内観を併せ持ち、私たちはそれらのイメージ上の複合によって、建築像を作り上げている。しかし、実際にはその像はうまく噛み合なかったりする。その際に直接は知覚することができない余剰の部分がポシェである。ポシェは実際には視認したりすることができない。そこに入る事もできない。しかし、それゆえに実体を超えてまさに物質的に出現する。ポシェとは見えないから見えるものであり、知覚できなさゆえに、知覚を超えて知的に露出する領域だ。墓は、ポシェ自体ががむき出しになっている様なものだ。それは、知覚できない故の物質性そのものを、知覚可能なものとして露呈させているようなもの。つまり墓にとっては、それが知覚を超えてまさに物質的であるということよりもよりもむしろ実質的に物質的であることにより、知的な認識より前に墓そのものとして立ち現れる事が重要であるのだ。言わば、墓の目的はそれが墓であるということで達成される。
 墓は、まずはっきりと墓としてあること(実体的な物質性が強い)により、多くの事を隠し、多くの事を忘却させていく。葬儀や埋葬の「喪」の行為、その祭は、特殊な忘却的行為とも言えるのではないか。お墓は(モニュメントと同じように、)メモリアルな記録物だ。はっきりとした形でしっかりとした無機的な強度を持って存在感も大きい。つまり記録物としての強度が強いため、長期的に忘却を促し、そこでは特殊な時間との関係性が約束されている。日常(「ケ」)の時間軸を逸脱し、伸縮自在な時間(「ハレ」)へ。そのトランスフォームが、お墓と言う様式に現れ出ているのではないだろうか。
注釈/補足
*1 - Reference: Anderson, J. R. (1976). Language, Memory, and Thought, Lawrence Erlbaum Associates. /Erik M. Altmann, Memory in Chains: Modeling Primacy and Recency Effects in Memory for Order
*2 - イマヌエル・カント 『純粋理性批判』
*3 -  ポール・リクール 『時間と物語』
*4 - ポール・リクールによると歴史の記述は、記憶、忘却と時間との関係の中で、集団的・個人的に抑圧、濫用、強制されながら形成され、本来の意味での「記憶すること」はさまざまな方法で阻害を及ぼす捏造された記憶によって妨げられているという。個人、集団に関わらず、何かを記憶する為にはなにかを忘却する必要があり、何を忘却するのかによって記憶の性質は異なる。リクールは実際に起こってしまっている新たな殺戮(コソボ、パレスティナ、北アイルランド)が、ある政治的力の作用によって新たに作りだされ、操作された記憶によって生み出されていると指摘する。『記 憶、歴史、忘却 La mémoire, l’histoire, l’oubli』 (2000)  しかし、そのような記憶によって引き起こされる現在は今まさに差し迫っており、また、そのように見いだされた記憶による問いはまずもって他者的であるという倫理性の難問に直面し、それは「人の苦しみはそれを見た者に義務を負わせる」 というリクールの言葉にも現れている。
Reference: 2009年立命館大学で行われたヘイドン・ホワイトによる公開講義『ポストモダニズムと歴史叙述』url : http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/news/200901022_repo_0.htm
*5 - Reference : http://www.brainfacts.org/sensing-thinking-behaving/learning-and-memory/articles/2016/catharine-young-how-memories-form-and-how-we-lose-them-040516/
*6 - 日本における葬儀についての詳しい解説は 「葬送習俗事典: 葬儀の民俗学手帳」柳田国男著 河出書房新社 などに詳しい。 
 ここでは喪について簡単に例に挙げて触れるにとどまるが、その歴史や文化的背景、あるいは心理学的な考察は非常に深く広いものであるだろう。また、グリーフワーク(死に対面した際の人の心理的プロセス)と「喪」は全く別なものとして捉える事ができる。大まかに言えば、「個」と「集団」によって、である。
 「死」という現象の立ち現れ方も様々に分類される(大まかに分けるならば、1不慮の交通事故を目の前で観てしまった際などの、全くの個別的な他者の死との遭遇/2テロリズムなどによる集団的な他者の死との遭遇/3集団的な比較的近しい親族や友達の死との遭遇/4心理的に近しい親族、友達、恋人など特別な他者の死との遭遇 がある。そのそれぞれの中でさらに悲しみや衝撃の深さは違ってくる)。それぞれの場合での、死という絶対的かつ臨界的な現象に立ち会ったとき、様々な状況下における心理的行動としてグリーフワークは段階的に捉えられるだろう。例えば、瞬間的な感情として放心状態に陥ったり、泣き叫んだりする。あるいは精神的ショックにより拒食状態になったり、場合に寄っては自傷行為につながったりする。それらの行為は比較的即時的に行われる感情的かつ生理的な反応である。その後、さらに長期的かつ反復的な行動に変化していく。たとえば、ふとしたときに死の断片的記憶が副次的に蘇り、唐突に精神的不安状態になったり、感情的になったりする。
(グリーフワークを題材にした例としてイ・チャンドンの2007年の映画『シークレット・サンシャイン』がある。夫を亡くし、夫の故郷に移り住んだ主人公が、続いて最愛の息子の残虐な不幸に対面した際の心理描写や、その後宗教をとおした集団的なグリーフワーキングに没頭し始め、最終的にはそのグリーフワーク自体|を支えている神が全てのものに愛を与える、がゆえに許されざるものが許されてしまうという矛盾に遭遇する|に裏切られるというストーリー。グリーフワーキングの段階的な変容としても観る事ができる。)
 
 この様にみていくと、グリーフワークとは本来的には個々の心理的な反応とおおざっぱに捉えられる。それは言わば、忘れがたき、乗り越えられざる体験への、それでも乗り越えようとする人の心の率直な反応と、それによって引き起こされる行動と言える。つまりより生理的なものなのだ。そのように考えると対比的に、それら個人の深い心理的なプロセスを集団でカバーしたり、あるいは儀式的に、アイコニックな別の何かに変化させようとする行為を、ざっくりと「喪」ととらえる事ができる。こちらはより社会的といえる。「喪」の発生の期限は、ここでは集団的な人間のコミュニティの起源、そしてその死まで遡る事ができるのではないかと思われる。なぜならば、それは人間社会の動物的な欲求である、種の継続的保存に関わるであろうからである。(集団行動は人間に限った話ではないが、埋葬などの「喪」的行動を行うのは人間のみである。)「喪」への従事は、人間のプリミティブなコミュニタリアニズムと関わっている。それらは単に種の保存の最大化を乗り越え、人間特有の抽象的な思考力に基づいた文化的な行為ともとれるだろう、一方で、そのような思考力の結果、集団的な「死」との関わり方が、特殊な方法で発明されたとも考えられる。それらの実質的な起源については諸説あるが、少なくとも5万年前のネアンデルタール人による墓埋葬が行われたことがフランスのラ・シャペローサン遺跡の調査によって明らかにされている。「ネアンデルタール人が死者を葬っていたという見方は、彼らには象徴的思考の能力があり、豊かな文化を築いていたとする近年の知見とも符合する。例えば、ネアンデルタール人は自分の身体を顔料で飾り、鳥の羽や色味のある貝殻で作った装身具を身に付けていたことが分かっている。」Reference : http://www.pnas.org/content/111/1/81.full?sid=34e5470c-cf18-4485-bb80-cebe099dacbe
*7  - Reference http://www.osohshiki.jp/column/article/208/  /  http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199112.html
*8 - 「先祖の話」 柳田国男著 角川文庫
*9 - 「壺葬論(原題:Hydriotaphia, Urn Burial, or, a Discourse of the Sepulchral Urns lately found in Norfolk)」 ブラウン著 小池銈訳 『澁澤龍彦文学館5 脱線の箱』 筑摩書房 収録
*10 - 2015年のプロジェクト『Replication』 http://kazumichi-komastu.tumblr.com/post/139108725941/replication
*11 - Reference https://this.kiji.is/103424318918131713?c=39546741839462401
*12 -「前方後円墳に学ぶ」近藤義郎著 山川出版社
その他の参照項
*13 -  Reference 岡﨑乾二郎氏は2013年、武蔵野美術大学で開催された展覧会『ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか ─彫刻と呼ばれる、隠された場所』に寄せた文章で、墓と彫刻作品を対比させこのように書いている。
『彫刻芸術の核心は感覚の及ばぬ=決して現実空間の延長として捉えることのできない別の場所、すなわち感覚されうる現実と切断された、感覚の侵入できぬ別の場所を匿うことにある。視覚や触覚などの感覚が捉えうるのは、彫刻の表面にすぎない。感覚(視覚や聴覚、触覚も)は距たりある対象を捉え、ゆえにわれわれの知りえる現実を拡張する力をもつ。だが反対にいえば、よって感覚が捉えうるものは、その現実の境界面の現象にすぎない。 … 彫刻芸術の逆理は墓のもつ二重性そのものと重なる。例えれば感覚が捉えることができる彫刻は墓標のようなものである。けれどいうまでもなく墓の本質は、決して現世とは連続しえない、そして現世よりはるかに長く持続する時間と空間を墓室として保持し、そしてその場を現世のinterest(関心、利害)が侵入しないように匿うことにある。 cryptとは地下墓地であり、Cryptographyは暗号。すなわち彫刻は、感覚されることによって自らを隠す。現世という時空と不連続な空間、現世が拡張し侵入することが不可能な空間を隠し持つ���内包することにこそ本質があった。』 http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/6487
*14 - 『冥王星の発見者クライド・トンボーは1997年に死んだが、遺骨の一部が、2006年に冥王星探査機「ニュー・ホライズンズ」に搭載された。これは外宇宙に向けて遺骨が打ち上げられた本格的「宇宙葬」の最初の例だとされる。トンボーの遺骨が打ち上げられた数カ月後、冥王星は国際天文学連合において、「惑星」にはあてはまらないとして、「準惑星」に定義しなおされた。』http://wired.jp/series/commons-in-a-digital-age/2_pluto/ 
「宇宙葬と電脳「墓」星空とモニターに死者を想う人々」 畑中章宏 WIRED
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