Tumgik
#青山夏樹
xx86 · 4 months
Text
2023年、成熟、焦点、デトックス
フラペチーノは甘ったるいし、飲み会の次の日は二日酔いで丸一日潰す。今まで使っていたスキンケア用品では肌がカッサカサに乾燥するし、痣は治りにくい。私はそういった自分の変化ひとつひとつを大人になったなあと噛み締め愛おしく思っている。勲章のようなもの。
食の好みや似合う服がシンプルになると洗練されていっているような気持ちで気分が良い。山で迎える朝の空気のようだ。むかしのように無茶ができない体になっていくのも自分を大切に扱えるようになるのでとても良いと思っている。衰えて動かなくなる前に、今から体だけには気をつけてトレーニングとメンテナンスをして行きたい。8020運動みたいなもの。
大人も子供もやってみたけど俄然大人派だ。大人サイコー大人バンザイ。学生時代もそれなりに楽しくて大人になることに怯えたりしたけど、社会に出てから1度も学生時代に戻りたいと思わないほど大人の方が何倍も楽しい。そりゃそうだよな、大人の方がいいもんだから子供の期間より何倍も長いんだろう。
大人は好きだけ遊び、好きなだけ夜更かしできる。好きな人とだけ遊べる。夏にクリスマスパーティやれるし、毎日パーティドレスを着て過ごしても怒られない。ほんとうに平和で自由でほっとする。
私は営業をしていた時、ほかの営業同様とても嘘つきだった。年齢を偽り、感情を偽り、物の値段を偽った。それが悪だとは思わなかったし、今も思っていない。営業というのは嘘つきか、戦略的な正直者しかできないと思っている。
でも私は偽るうちに何がほんとか分からなくなった。自分が何が好きで、何に傷つき、何を目指しているのか、本音と建前がマーブル模様になって全く読めないのだ。特に物心ついた時から親の顔色を伺い、親の望むいい子を演じていたのも相まって、フィルターを通さず自分の感情を表に出すということが苦手だった。自分で発する言葉は自分が絶対聞くからこそ気をつけなければいけないというけれどまさしくそれで、私は心の奥底に秘めた真実よりも適当に口から出た嘘を信じてしまうようになったのだ。
この2年間、私はずっと自分と対峙してきた。何が好きで、何が嫌いなのか。何が大事で、何を捨てたいのか。いつ喜びを感じ、いつ苦しくなるのか。手帳やノートに丁寧に書き連ねたり、思いのまま支離滅裂な言葉で書き殴ったりして、ようやく自分の輪郭が見えた。初めて自分と目が合った。
おかげで生まれて初めてダメになる前に休むということが出来るようになった。無理をしないでがんばるとと言うのは矛盾、無理=がんばる。たかが1日休んだところで何も変わらない、ならば今つらいことから逃げずに真正面から向き合って解決出来た方がずっといい。そう思ってきた。それは確かに結構でかっこいいけど過去の自分に言いたい。私、そんなにメンタル強くないだろ。
理想を追い求めるのはすばらしいし、理想の自分になりきるのも良いと思う。でも現実の自分と乖離しすぎていれば首が絞まる。ずっと息苦しかったのはなりたい自分像を背負いすぎていたからだと思う。
私はどう生きたいのか自問自答した時、真っ先に出てきたのは息ができるようになりたい、だった。かっこよくキラキラしてなくても良いから、朝まで目覚めずぐっすり眠りにつきたい。ごはんを食べる事に疲れて何度も中断しながら食事をするのもやめたい。休みの日は朝から晩まで布団の中で過ごすのをやめたいし、時にバカみたいに衝動買いをしてストレス発散するのをやめたい。
かっこつけなくなったら世界がずっと色鮮やかに見えるようになった。夏の空の青さや秋の街路樹の色づきに何度も息を飲んだ。ここ数年私はどの季節の景色も灰色に見えていたとその時気づいた。
だけれど全て、そんなに簡単なことではなく突然ふっとしにたいと息が詰まることも何度もあった。今もある。なぜかはわからない。なぜしにたいのか考えると途端に自分の輪郭がかげろうみたいに揺れる。明るいということはその分影が色濃くうつるということを何度も実感した。
でも結局、デトックスみたいなものだと思う。毒を出しているからこそ、あぶくのようにしにたいが浮かび上がる。苦しくて、目の前が真っ暗になるけれど、完全に毒から開放されるまで何度ももがき苦しむかもしれないけれど、いつの間にかまた景色がすべて灰色になるかもしれないけれど、どんな感情であれ蓋をせず素直に感じていきたい。
色々ある。色々あるけど私は2024年とりあえずスキンケアをがんばりたい。肌の状態が悪すぎる。あとサルートの上下4万超える完全予約の下着も欲しいし、DIANAで今年の1月に買ったキラキラのハイヒールも冬のうちにたくさん履きたい。部屋の掃除にハマって以来整理整頓できているのも維持したい。
綺麗事だけで生きていかなくても動機が不純でもなんでもいい。私は私を大事にまた1年、年を越えたい。
32 notes · View notes
shunya-wisteria · 9 months
Text
Tumblr media
夏旅2023 庄内散策 - 山居倉庫・本間美術館
今回は、台風によるフェーン現象で酷暑となった山形県庄内地方へ出かけてみました。最初は酒田へ。
新潟からの特急いなほ にて酷暑の庄内地方 酒田に到着。駅から出た瞬間の日差しにくじけそうになりました… なるべく日陰を探しバス乗り場へ。酒田市のコミュニティバス るんるんバスに乗り込み15分ほど、山居倉庫へ。料金は一律200円、Suica等の交通系ICカードは使用不可なので注意。
Tumblr media Tumblr media
米どころ庄内における米の積出港としてにぎわった酒田。米保管倉庫として明治期にたてられたのが酒田のシンボルでもあるこの山居倉庫。フォトスポットとして有名なのが、夏の高温防止のため倉庫の裏地に植えられた樹齢150年以上のケヤキ並木。土蔵造りの倉庫と日差しに照らされ青々と輝く並木、抜けの良い石畳の道の組み合わせが実に趣がありますね。
9棟の倉庫の一部は現在、観光物産会や庄内米歴史資料館としてにぎわっています。
山居倉庫から徒歩1キロ弱、次は本間家旧本邸へ。酒田の豪商として地域社会の発展に努めた本間家のお屋敷。幕府巡見使一行の本陣宿として建造された後、本間家代々の本邸として使用されたとのこと。現在は観光施設として一般公開、古いお屋敷好きとしては欠かせないスポット。
Tumblr media Tumblr media
さらにもう1.5キロほど歩いた先、美しい庭園を望む別荘 清遠閣が佇む本間美術館にも足をのばしてみます。酷暑とはいえ風がやや強いことが幸い、日陰を探せば比較的 快適に歩けました。本間美術館は戦後の荒廃した時期に、地域の復興・活性化と芸術文化の向上の資することを目的に本間家が設立した私設美術館。本間家に代々伝わる貴重な収蔵品を見学した後、お庭へ。鶴が舞い降りたことから「舞鶴園」と名づけられた庭園。この美しいお庭は隣接する清遠閣から眺めてみるのがおすすめ。心地よい風を受けながらのんびりと流れる時間を満喫しました。
Tumblr media Tumblr media
昼過ぎに酒田に到着し、美術館の最終入場が16:30と、なかなかにせわしない旅路でしたが、ボッチ特有の歩く速さ(バスを待つより歩いたほうが早いときは歩き)で時間を稼ぐことで、一通り酒田の街を楽しめました。夕方の電車で鶴岡へ移動、翌日の散策に備えます。
34 notes · View notes
ari0921 · 4 months
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と ���く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
5 notes · View notes
m12gatsu · 1 year
Text
無題
挙式で引用した詩の全文です。
噴火口のあとともいふべき、山のいただきの、さまで大きからぬ湖。
あたり圍む鬱蒼たる森。
森と湖との間ほぼ一町あまり、ゆるやかなる傾斜となり、青篠密生す。
青篠の盡くるところ、幅三四間、白くこまかき砂地となり、渚に及ぶ。
その砂地に一人寢の天幕を立てて暫く暮し度い。
ペンとノートと、
愛好する書籍。
堅牢なる釣洋燈、
精良な飮料、食料。
石楠木咲き、
郭公、啼く。
誰一人知人に會はないで
ふところの心配なしに、
東京中の街から街を歩き、
うまいといふものを飮み、且つ食つて廻り度い。
遠く望む噴火山のいただきのかすかな煙のやうに、
腹這つて覗く噴火口の底のうなりの樣に、
そして、千年も萬年も呼吸を續ける歌が詠み度い。
遠く、遠く突き出た岬のはな、
右も、左も、まん前もすべて浪、浪、
僅かに自分のしりへに陸が續く。
そんなところに、いつまでも、立つてゐたい。
いつでも立ち上つて手を洗へるやう、
手近なところに清水を引いた、
書齋が造り度い。
咲き、散り、
咲き、散る
とりどりの花のすがたを、
まばたきもせずに見てゐたい。
萌えては枯れ、
枯れては落つる、
落葉樹の葉のすがたをも、
また。
山と山とが相迫り、
迫り迫つて
其處にかすかな水が生れる。
岩には苔、
苔には花、
花から花の下を、
傳ひ、滴り、
やがては相寄つて
岩のはなから落つる
一すぢの絲のやうな
まつしろな瀧を、
ひねもす見て暮し度い。
いつでも、
ほほゑみを、
眼に、
こころに、
やどしてゐたい。
自分のうしろ姿が、
いつでも見えてるやうに
生き度い。
窓といふ
窓をあけ放つても、
蚊や
蟲の
入つて來ない、
夏はないかなア。
日本國中の
港といふ港に、
泊まつて歩き度い。
死火山、
活火山、
火山から
火山の、
裾野から、
裾野を
天幕を擔いで、
寢て歩きたい。
日本國中にある
樹のすがたと、
その名を、
知りたい。
おもふ時に、
おもふものが、
飮みたい。
欲しい時に、
燐寸よ、
あつて呉れ。
煙草の味が、
いつでも
うまくて呉れ。
或る時に
可愛いいやうに、
妻と
子が、
可愛いいと
いい。
おもふ時に
降り
おもふ時に
晴れて呉れ。
眼が覺めたら
枕もとに、
かならず
新聞が
來てるといい。
庭の畑の
野菜に、
どうか、
蟲よ、
附かんで呉れ。
麦酒が
いつも、
冷えてると、
いい。
若山牧水『空想と願望』
22 notes · View notes
jpf-sydney · 3 months
Text
Besuto essei. 202
New item:
Tumblr media
日々の雑感、考察、失敗談から、亡くなられたあの方への追悼文まで… さまざまな書き手たちが、「エッセイ」という枠組みのなかで書き記した2021年の記録。 この年に新聞・雑誌等の媒体に発表された中から選りすぐった、珠玉のアンソロジーです。
Shelf: 914.68 BES 2022 Besuto essei. 2022 = The best essay. edited by Nihon Bungeika Kyōkai.
Tōkyō : Mitsumura Tosho Shuppan, 2022. ISBN: 9784813804147
337 pages ; 20cm.
Editorial board members: Kakuta Mitsuyo, Hayashi Mariko, Fujisawa Shū, Horie Toshiyuki, Machida Kō, Miura Shion. Text in Japanese.
Table of contets:
部屋にいる感じ / 武田砂鉄
ロクな恋 / 李琴峰
特に秘密、ありません / 二宮敦人
親父の枕元 / 原田宗典
犬の建前 / 宇佐見りん
いつか「コロナ福」だったと言える日 / 鷲田清一
紙 / 内田洋子
学び始める春、失敗を楽しむ / 山本貴光
瀬尾夏美 / おじいさんの空き地
落合博満への緊張感 / 鈴木忠平
月の砂漠 / 小池水音
冷水を浴びせる : 坂上弘の文体 / 三浦雅士
陰のある光 / 小泉凡
脳内・ドイツ / マライ・メントライン
父と兄の書棚が招いた変な読書 / 志茂田景樹
心の扉を開く音楽 / 寮美千子
立花隆さんを悼む / 柳田邦男
失われゆく昭和探して / 川本三郎
大人への扉を開けたのは / 加納愛子
関係性の結晶 / 齋藤陽道
ガラスのこころ / 岸田奈美
"諦められない"心でアイヌ語研究に夢中 / 金田一秀穂
アイヌとして生きる / 川上容子
佃煮に想う / 小泉武夫
最高の食事 / 田中卓志
珠玉の世界 / ブレイディみかこ
神様、世間様 / 尾崎世界観
さいとう・たかをさんの思い出 / 辻真先
コロナ禍社会と密になった / 本谷有希子
最後の飛翔 / 椹木野依 -- 我が町の「宝」 / 井上理津子
ネガティブな皆さんへ / 尾上松緑
「あいつなりに筋は通ってるんだ」 / 岩松了
翻訳とは / 村井理子
「覚えられない」 / 茂山千之丞
白土三平さんを悼む / 田中優子
そんな時代 / 海猫沢めろん
ともに歩けば / 小川さやか
(笑)わない作家 / 万城目学
雪原 / 岸本佐知子
河合雅雄さんを悼む / 佐倉統
学園の平和、取り戻せ! / みうらじゅん
料理 / 小山田浩子
田中邦衛さんを悼む / 倉本聰
「声」分かち合う喜び / 温又柔
エリック・カールさんを悼む / 松本猛
月みる月は / 彬子女王
トーストと産業革命 / 青山文平
祖父母のすずらん守る / 星野博美
考えることに失敗する / 神林長平
悪態俳句のススメ / 夏井いつき
死も遊びだと思いましょ / 横尾忠則
UFO / 柴田一成
「やめた」後の達成感 / ほしよりこ
息子よ安心しなさい、あなたの親指は天国で花となり咲いている / 青木耕平
那須正幹さんを悼む / 高樹のぶ子
愚かさが導いてくれた道 / 沢木耕太郎
クールでお茶目なかっこよさ / 谷慶子
機械はしない終業挨拶 / 黒井千次
閉、じ、こ、も、り / 村田喜代子
ナマケモノ / 奥本大三郎
夢を彷徨う / 髙村薫
愛しの小松政夫さん / 鈴木聡
胃袋の飛地 / 湯澤規子
『老人と海』をめぐる恋 / 高見浩
「すごい」と「やばい」 / 酒井順子
写真を撮られるということ / 松浦寿輝
安野光雅さんを悼む / 大矢鞆音
この世の通路 / 佐々涼子
◆編纂委員作品◆
瀬戸内寂聴さんを悼む / 林真理子
多分、両方だと思いますよ / 町田康
忘れがたきご亭主 / 三浦しをん
あそこの棚に置いてある。 / 堀江敏幸
それは私の夢だった / 角田光代
遠き花 / 藤沢周.
3 notes · View notes
yugoaoba · 6 months
Text
青葉祐五 / ベクトル・ユーゴ
Tumblr media
Profile
青葉 祐五 / ベクトル・ユーゴ
ミュージシャン
4月10日生まれ
東京都世田谷区出身
筆名:青葉祐五/Yugo Aoba/Yugo.A/ベクトルユーゴ
About
2003年より、シンガーソングライターとして活動開始。2010年より「ベクトル・ユーゴ」名義で、都内・横浜・名古屋などを中心に、現在に至り活動中。
2016年、1st EP「小さな日々」をリリース。
湘南工科大学イメージソング『湘南工科ラプソディ~最大公約数の恋~』作詞・作曲・歌唱担当。
2017年より、本格的に制作活動を開始。
坂道・48グループやK-POPグループや声優など数々のアーティストへの楽曲提供を行っている。
近年は絵本「ペロずきんちゃん(小学館刊行)」のテーマソング制作を手がけるなど活動の場を広げている。
Favorite
東京ヤクルトスワローズ/猫/豆柴/夏/快晴/プロ野球/競馬/麻雀/映画鑑賞/読書/コーヒー/Apple製品/都市伝説/銭湯/居酒屋/水族館/文房具屋/本屋/吉野家/東急大井町線沿線/自由が丘/尾山台/秋刀魚/ステーキ/そば/ラーメン/ドラえもん/美味しんぼ/火の鳥/古畑任三郎/深夜食堂/藤子・F・不二雄/庵野秀明/古谷実/吉本隆明/宮沢章夫/是枝裕和/沖田修一/坂元裕二/荻原浩/鈴木敏夫/リリー・フランキー/みうらじゅん/松本人志/野村克也/武豊/ディープインパクト/ドウデュース/キセキ/有村架純/深津絵里/蒼井優/黒木華
Works
【 提供作品 】
⚫︎日向坂46
青春ポップコーン(作曲・編曲/sugita.mと共作編曲)
⚫︎櫻坂46
ソニア(作曲/Kadonoと共作曲)
⚫︎AKB48
サヨナラじゃない(作曲/Toshikazu.Kと共作曲)
⚫︎STU48
雨とか涙とか(作曲/Toshikazu.Kと共作曲)
⚫︎NMB48
職員室に行くべきか?(作曲/Toshikazu.Kと共作曲)
選ばれし者たち(作曲/Kadonoと共作曲)
⚫︎NGT48
片想いのままじゃ終われない(作曲・編曲/S-TONEと共作編曲)
⚫︎GOT7
LOVE LOOP(日本語作詞/EastWest(1by1)、MAXINEと共作詞)
⚫︎CUBERS
ピンキーリング (作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎THE SUPER FRUIT
ボクらの夜明け(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎世が世なら!!!
鼓動のFighters (作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
Winter Prince (作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
ウオー!サオー!(作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎丘みどり
阿武隈・恋慕情(作曲・編曲/青葉紘季、大山聖福と共作編曲)
⚫︎増田俊樹
hikari(作詞・作曲・編曲/杉田昌也と共作編曲)
明日はきっと(作詞/HASEGAWAと共作詞)
⚫︎平野綾
Up To Date (作詞/小林光一と共作詞)
⚫︎MaxBoys(細谷佳正+増田俊樹)
恋のキセキ(作詞・作曲/松本有加と共作詞)
ボタン(作詞・作曲)
魔法(作詞・作曲/松本有加と共作詞)
⚫︎BoysRepublic
Only Girl(作詞/戸塚慎と共作詞)
⚫︎GoGoしんGoず!(CV:Lynn、芹沢 優、鈴木みのり)
メイド in わたし♪(作詞・作曲/中島彩歌と共作詞、ツタナオヒコと共作曲)
⚫︎タイトル未定
溺れる(作詞/青葉紘季と共作詞)
⚫︎Onephony
最高サマー!!!(作詞)
⚫︎ORIGAMI ZERO PROJECT
未完成にはつづきがある(作詞/青葉紘季と共作詞)
僕だけのFlower(作詞/青葉紘季と共作詞)
魔法の言葉(作詞/青葉紘季と共作詞)
ごめんね、両想い(作詞/青葉紘季と共作詞)
ギミギミ(作詞/青葉紘季と共作詞)
Brand New Story(作詞/青葉紘季と共作詞)
僕らはずっと友達だ(作詞)
iDOL宣言(作詞)
⚫︎EverZOne
ウイニングラン(作詞)
溺愛バニラ(作詞)
⚫︎新生おやゆびプリンセス
海鳴りDANCE(作詞・作曲/ツタナオヒコと共作曲)
⚫︎遠藤璃菜
笑っていたいんだ(作詞/青葉紘季と共作詞)
⚫︎田中海咲
青(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作詞曲編曲)
⚫︎Sayuki
恋しちゃいました。(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作詞曲編曲)
⚫︎うなき
愛して恋!!(作詞)
⚫︎とーま
茜(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作詞曲編曲)
⚫︎タオルズ
きみうた(作詞・作曲・編曲)
オレンジロード(作詞・作曲)
こいのうた(作詞)
⚫︎嶋雄大
四畳半(編曲)
⚫︎&CITY
broccoli night(編曲)
⚫︎AiRI
Hello (作詞)
風に吹かれて(作詞)
その他
⚫︎絵本「ペロずきんちゃん」(小学館刊行)公式テーマソング
ペロペロボワ〜ン(作詞・作曲・編曲/山本まもると共作詞)
ペロペロマ〜チ(作詞・作曲・編曲)
⚫︎湘南工科大学 公式イメージソング
湘南工科ラプソディ〜最大公約数の恋〜(作詞・作曲・歌唱/柴山健次と共作詞)
⚫︎ABCプロジェクトテーマソング
Happiness of CAP (作詞)
⚫︎配信アプリ Mildom テーマソング
It's a ショータイム!!!(作詞)
【 Vocal Direction 】
⚫︎CUBERS
ピンキーリング
人生Heyday
エブリデイ・アイシタイ
BOX
ゆらゆら
予感
そばかす
A Beautiful Magic
⚫︎末吉9太郎
機材席開放ってなんですか?
あたしの自名義
⚫︎THE SUPER FRUIT
ボクらの夜明け
ぼくたちバットウィール
叫べない僕らの
⚫︎世が世なら!!!
鼓動のFighters
Winter Prince
ウオー!サオー!
メダチタガリアン
俺ならやれそうじゃん?
KAKURENBO
⚫︎田中海咲
⚫︎Sayuki
恋しちゃいました。
⚫︎うなき
愛して恋!!
⚫︎とーま
6 notes · View notes
Text
今週の入手本(0513-0519)
『哺乳類前史:起源と進化をめぐる語られざる物語』(エルサ・パンチローリ著/的場知之訳/装幀:國枝達也/青土社)。既に今年の一月に電子書籍版では読み終えていますが、後々、必要なところを拾い読みするときなどには紙の書籍のほうが便利なので購入しました。
『沖縄の生活史』(石原昌家、岸政彦監修/沖縄タイムス社篇/まえがき:岸政彦/あとがき:石原昌家/カバー写真:上原沙也加/100人の語り手、聞き手の皆さん/みすず書房)
『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫)
『ぼくの死体をよろしくたのむ』(川上弘美著/カバー装画:伊藤絵里子/新潮文庫/Kindle版)
『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇』(尾崎翠作/川崎賢子解説/カバー:中野達彦/カバー図版:「琉璃玉の耳輪」手稿より/岩波文庫)。改めて購入しました。
『緋色の研究』『シャーロック・ホームズの思い出』『シャーロック・ホームズの冒険』(コナン・ドイル著/延原謙訳/カバー装幀:西浦玉美/新潮文庫)
『泣菫随筆』(薄田泣菫著/谷沢永一、山野博史編/山野博史解題装画:瀬川康男/装丁:辻村益朗/冨山房百科文庫)。
『マッカラーズ短篇集』(カーソン・マッカラーズ著/ハーン小路恭子編訳解説/西田実訳/カバーイラスト:桑原紗織/カバーデザイン:緒方修一/ちくま文庫)
『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫)掲載著名人:幸田文、瀬沼茂樹、森茉莉、三島由紀夫、小堀杏奴、大岡昇平、田山瑞穂、平野謙、徳田一穂、川端康成、夏目伸六、中野好夫、安倍能成、津田青楓、内田百閒、高橋義孝、谷崎松子、サイデンステッカー、里見弴、本多秋五、伊藤整、芥川比呂志、室生朝子、萩原葉子、掘多恵子、遠藤周作、野上彌生子、網野菊、湯浅芳子、津島美和子、ドナルド・キーン、稲垣達郎、小島信夫、江藤淳、山本有三、阿部知二、永井龍男、井上友一郎、田宮虎彦、河盛好蔵、小田切秀雄、立野信之、秋山駿。
『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版)
『アオイホノオ 28巻』(島本和彦著/ゲッサン少年サンデーコミックス/電子書籍版)
『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版)
3 notes · View notes
natsukikurai · 1 year
Text
LIVE SCHEDULE
共演する皆さんで、使うハーモニカや機材、音色が違います。それが僕のスタイルです。その時の自分に正直に。まっすぐ演奏しますので、どうぞ宜しくお願いします! 3/4 広沢タダシ / 滋賀 大津市伝統芸能会館 能楽堂 3/11 広沢タダシ / 下北沢 ニュー風知空知 3/16 とまべちなつき / 京都 Gorey Cafe 3/17 とまべちなつき / 大阪 猫のマダム 3/18 とまべちなつき / 岐阜 tamako 3/19 倉井智佳子 / 曙橋 Back In Town 3/20 木下弦二 & 倉井夏樹 / 辻堂 Bistro Zancn 3/21 with 伊倉まりえ & 矢後憲太 / 小田原MUSEUM CAFE and garden 3/22 即興の夜明け /  池袋 Absolute Blue 3/25 Regalos / 茅ヶ崎 Casa de Bamba 3/26 Stu Larsen & Natsuki Kurai / 藤沢本町 cafe&bar Calls 3/27 風響 / 四谷三丁目 homeri
4/2 矢井田瞳 / ビルボードライブ 東京 4/4 矢井田瞳 / ビルボードライブ 大阪 4/5 倉井夏樹 & 斎藤渉 / 辻堂 Bistro Zancn 4/7 倉井智佳子 / 茅ヶ崎 STAGECOACH 4/8 倉井夏樹 & 斎藤渉 / 前橋 中乃沢美術館 4/9 Regalos / 鎌倉 Tsuu 4/14 NONMALT / 元住吉 Powers 2 4/15 倉井夏樹 & 斎藤渉 / 瀬谷 ginkgo cafe 4/16 NONMALT / 新潟 GOLDENPIGS 4/18 NONMALT / 両国 SUNRIZE 4/21 NONMALT / 福岡 GRAF 4/22 Hitomi インスタレーション/ 代田橋 CHUBBY 4/23 Regalos / 横浜ホテルニューグランド 4/24 NONMALT / 青山 月見る君想う 4/28 とまべちなつき / 今池 バレンタインドライブ 4/29 とまべちなつき /  静岡 Living Room 4/30 とまべちなつき / 桜新町 NEIGHBOR
5/6 馬場俊英 / 大阪 なんば Hatch 5/7 馬場俊英 / 大阪 なんば Hatch 5/12 Regalos + Midori / 辻堂 Zancn 5/13 馬場俊英 / 愛知芸術劇場ホール 5/14 馬場俊英 / 愛知芸術劇場ホール 5/16 SUEMARR × カルメンマキ / 所沢 MOJO 5/18 倉井智佳子 / 横浜 Thumbs Up 5/20 倉井智佳子 / 北浦和 パラダイスロード 5/26 倉井夏樹 & 斎藤渉 / 中野坂上 LODI 5/27 馬場俊英 / 大手町三井ホール 5/28 馬場俊英 / 大手町三井ホール
and more… !!!
2 notes · View notes
comusooo · 1 year
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
望著一片海,直到長出青苔:台南、基隆 兩地移住者的中年鄉愁
台南
台南、基隆,兩個離海都很近的城市,一南一北、一晴一雨、一大一小,城市的尺度、氛圍截然不同,就連海的個性也不一樣。在漁光島看夕陽,總會想起基隆霧雨濛濛的天空;在和平島吹海風,也會惦記著台南那片魔幻時刻的晚霞。
過年期間買了一支牡丹菊當新年花,陪伴打包、搬家的生活。朋友都覺得我買花的地方很奇妙,自從移居台南,除了花店、花市,其實更常光顧傳統市場或廟宇周遭賣拜拜花的攤販,禮佛的花不但種類多,且鮮美價廉。在這個宮廟密集度最高,佛光與陽光普照的城市,舉頭三尺除了有神明,還有賞不完的花:春天風鈴木,夏天阿勃勒、鳳凰木,秋冬欒樹……。某夜自台南魔幻的古書店「憫堂」離開,往清水寺散步時突然被偷偷香了一下,抬頭竟是滿樹白燦燦的梅花。台南特別適合夜遊,夏季可以躲開白晝的溽熱,冬季四處掛滿了遶境的燈籠,總有股與神同行的溫暖。
近日因為房東賣了房,為了幫老貓和自己存點養老金索興就換租小點的地方。移居台南剛好十年,前後總共搬了三次家,對我而言貓在哪裡,歸屬感就在哪裡。但這個住處經營最久最用心,心中難免有幾分不捨。在台南對駕馭老屋已頗具心得,深知只要給予適度包容與照顧,就能住得便宜又宿喜。搭配老花磚挑選的燈具;與蛇紋岩、台灣白大理石很搭的綠皮老沙發;還有符合老公寓氣質的木櫃、桌椅老件⋯⋯但收納這一切的殼終究不是自己的。抱歉啊房子,即使工作了二十幾年還是買不起你。原��30多坪的東西接下來要塞進10多坪的空間大不易,必然的斷捨離,透過整理物件的過程,也順道理了理步入中年的自己。
Fion Tsao
宜蘭出生,基隆長大,目前與愛貓定居台南。專業寫字,偶爾拍照,近期參與著作有《山裏食》一書。最近沈浸製陶學習,喜歡透過創作與世界連結。
3 notes · View notes
tokyomariegold · 2 years
Text
2022/10/15〜
Tumblr media
10月15日 修理に出していたカメラを受け取って図書館へ行った。 神保町カレーフェスティバルのポスターにリラックマがいて、san-xに認められた大会になっていてすごい。私が屋台で売り子をしていた時は、小さな公園が会場で知らないコメディアンがMCを務めていたイベントだった(でも入場規制がかかる程混んでいた。)。 図書館で調べものをして、本をただ眺めているだけで、なんだか漠然と、なんでもやろう!という気持ちになれる。多分無理だろうけど、平日の夜にギンレイホールで映画を観る予定と、日曜の夜にライブへ行く予定を立ててみた。 個人空間について書かれたイーフー・トゥアンの本と、女子のSNS投稿について書かれた名物社会学者おじさんの本を借りた。SNSの方は、少し読んでみるとなんだか危なっかしい書きぶり…
Tumblr media
お茶をしよう・写真を撮ろう、の待ち合わせに向かう。 合流できたのは1時間半後。定刻に到着してしまった私は、お祭りを控えた神社の境内を行ったり来たりして、植樹されている木の縁石の上で本を読んだりして、なんだかんだ過ごした。 合流した後、1時間ちょっとお茶をして、30分位お散歩をして別れた。お茶をしましょう、が、成り立つことって凄いな〜、と改めて思う。何を話しても「まぁ皆いろいろ大変だよね」に落としどころをつけられるのが分かりきっているのに、会ってお茶をして近況を話すのって凄い。皆それぞれ衣食住で忙しいのにね。 神保町駅の青山フラワーマーケットに可愛いバラがあったので、ぜひ一輪挿しに!と、購入。お茶の席で「まるで甥っ子と姪っ子にあげるみたいに、お二人にお花を持ってきました…」と、お花を頂いたので、私のバラをあげてしまった。頂いたふわふわの赤いお花は、私の一輪挿しには合わないかもな〜、と思いつつ、帰って生けようとしたら、包装と栄養剤だけを残してお花はどこかへ消えてしまっていた。 作った女の子と写真についてのフォトブックを観てもらった! フィルムカメラが修理から戻ってきて嬉しけれど、自分はもっと喜ぶかと思っていた。 雑司が谷の街は思いがけず人が多くて「アド街効果すごいね〜」と言っていたら「そんなにみんなアド街で生きてない」みたいなことを言われた。 今年初の「よいお年を」を言った。
Tumblr media
10月16日 昨日、残り2つ88円に値引きされたバター餅が気になって、2回スーパーへ行った。午前中の予定を終えて、町のお花屋さんでバラを買う。昨日の分を取り戻す! 紫や青やオレンジのバラがあって、全部��前が違う。オレンジを下さい、と店主さんに言うと「アミナって言います。紙のお包みで良いですか?」と教えてくれた。お会計を済ませて店を出るときに、昨日もらった赤いふわもこのお花がいたことに気がつく。名前を確認すれば良かった…!
エレベーターを待っているとお隣さんと鉢合わせ。このところ結婚式続きなのか、いつも正装をしている気がする。「雨が降りそうですよ〜。傘持ちましたか?お気をつけて!」と言われる。 その後会った人に「目が半分くらいしか開いてなかったけれど、やっと開いてきたね。気をつけて帰ってね。」と言われる。 みんなお母さんみたい。
Tumblr media
セリーヌ・シアマの映画も観たい。借りてきた本も読みたい。あおいちゃんがブルーハーツを歌っていた頃のファッション雑誌を読みたい。 今日は自分の文章を見たくなくて、日記を更新できなかった。 帰りにスーパーへ行くと、バター餅はまだ2つ残っていた。でも42円に値引きされていた!セルフレジでお会計をして、スーパーを出るときにもう一度確認すると、1つだけになっている!明日はついて売り切れるかも。 来週は今住んでいる町の市長選なのだけれど、あまり興味を持ちきれない。市民でいるより国民でいたい。
Tumblr media
10月17日 バター餅はちゃんと売り切れていました! 紀の善の閉店を知って、抹茶ババロアを食べたくて仕方がなくなる。もうないものって安心して欲しいって思える。 特別にごほうび!と、修論を終えた時と、夏のなんか冴えないダメダメな日のバイト終わりに食べたことがある。いちごあんみつも美味しかったはず。 今日はつまらなさのターン。でも帰りにトゥアンの本が少し面白く読めた。 人間は神ではないので、複雑な絡みあうものたちを大きくまとめることが苦手。複雑な小さいことを処理することと、大きくて単純な仕組みを作ることが得意(回転寿司?)。社会的である時は全体。生物的、超越的である時は個人。超越的存在でありたいのに、生物的側面があることに恥じて、個を好むことがある、などなど…
Tumblr media
10月18日 昨日の夜、ひどく苦い半額シールのついた豆腐を食べたせいか、胃が気持ち悪い。 趣里ちゃんが根本宗子脚本の映画に出演するようなので是非観たい! 主演の前田あっちゃんを交えた3人でトーク番組に出演していたらしく、Tverで観てみる。おとぎ話のcosmosのPVのこと、おとぎ話みたいの映画のことを3人で「とっても良いよね〜!」と当たり前に話していて「!!!」となった。 10月19日 ライブカメラの映像を眺めるのが好きなマンスーンさんがおすすめしていた演劇をyoutubeで観てみる。 タナダユキの新作映画も観たい。 久しぶりに仕事中に、死んでしまうかも、と思った。 屋上から更に5m上の塔屋の上へ、屋外むき出しはしごで登った。何を考えて、はしごを登り降りすればいいのかよくわからなかった。一通り終えた後、このことを思い出しては、足がガクガクして手に汗を握っていて、心の負債をまた一つ負ってしまったことに気がつく。 紀の善閉店の件を知ってから、抹茶ババロアって他で食べられるところあるの?と検索している。検索結果は紀の善ばかりなので、もうこの世に抹茶ババロアはないのかも知れない!なので、抹茶ババロアが好きな食べ物です!って大声で言えるね。 ��原類って何しているのかな、と調べてみたらyoutubeにラジオをアップしていたので聴いてみている。ぼのぼのが好きすぎて、世の中でつかわれている“ほのぼの”という単語を“ぼのぼの”と無意識に読み違えていた話が良かった。
Tumblr media
10月20日 トゥアンの本、今日はテーブルマナーから個人空間の誕生を考察した章だった。中国では伝統的な、食事の場での作法があり、食べ物を“陰”と“陽”に分けてその案配でもっと健康が維持される、と、考えられているらしい。食事を自然界までひとくくりで考えている。一方で、西洋は、獣をとにかくごった混ぜたご馳走や壺のスープを回し飲む食事から、食事毎に食べ物を切るナイフを用意し、フレーバー毎にワイングラスを用意する程、神経質なテーブルマナーへ変わったために、そこに自意識を持ち出さずにはいられない、らしい。 (中国では穏やかな集団の食事会があるが、西洋にはなく、そこから逃れるために個人空間生まれて…というような流れのようだった。) 明日に予定されていたお部屋の消防点検、時間を早めてもらって午前休をとろうかと思っていたら「いや次回で大丈夫なんで!」と今回は行わなくて良いお返事をもらった。 明日から箱根へ旅行に行く話とこの週末にディズニーランドへ行く話を聞いた。 箱根へ行く方からは、昨日ふいにロイズの小さいラン���ドシャクッキーをもらって、それが久しぶりにいつもじゃない食べ物過ぎて、自分じゃない人が選んだもので、とても美味しく感じた。そのことを伝えると「いつも何も美味しくないんですか…!」と、今日は塩ちんすこうをくれた。 「箱根でも、美味しいって思ってもらえるお土産を買ってきますね!」と500mlパックの低脂肪乳を飲みながらお話してくれた。
Tumblr media
10月21日 フィルムカメラを持って貴族出勤した日。 同じバスに乗る推している方が、足を引きずって歩いているのに気がついて。大丈夫かしら。 母から珍しくメッセージが入っていて、ちらっと文を見ると、幼馴染(保育園〜中学まで)で家族ぐるみで付き合いのある人達との会が来月に予定されているらしいけれど、知ってた?とのこと。 とっても心がザラザラして、仕事中はなんとなく紛れていたけれど、帰宅してかなり焦っていることを実感している。とにかく掃除をして、爪を切って、体を洗って、さっき届いた新しい服をハンガーにかけて、バタバタしてしまった。 参加してみて何がどうなるのかを確かめたい好奇心があるのが嫌だ。 少し想像すると、その場で、社交無理でした!を120%でしでかして、何となく皆様からかわいそうだから優しくされているのを感じて泣いてしまうのが目に見える。心の負債を負うことなく母のメッセージを一先ず無視しようと決めた。セーフ。 明日は早く起きれたら映画を観に行こう。ダメだったらはとバスに乗って図書館へ予約した本を受け取りに行こう。 ひどくそわそわとザラザラが募り、カメラの前で飛び跳ねたりした。
Tumblr media Tumblr media
3 notes · View notes
violence-ruin · 2 years
Text
罪なる庭で(at the orchard of redemption)
Tumblr media
 錆びた柵のむこうで、檸檬の樹たちが未熟な実を揺らしていた。
 私は鉄扉をくぐり、果樹園に入る。午後の光はこの先にある真夏の烈しさを忍ばせ、僧衣に隠れていない部分が灼けて痛む。
 歩いているうち、鮮やかな黄色が目を刺した。
 ある一つの樹にだけ熟した果実が生っている。その側に立つ影は樹にほとんど同化していた。
「リーマスさん」
 名前を呼び掛けると、男は顔を上げてこちらを見た。
 葉影に紛れて、顔はよく見えない。灰色のものが混じる髭の中に、謹厳に結ばれた唇が見える。後退した額に生え残っている髪が、水鳥の冠羽のように輝いた。
 いつ見ても、ゴーレムだとはとても思えない。しかし、身に付けている黄色い衣が、彼が罪人であることを証明している。
「七月になりましたよ。今日はいいものを持ってきました」
 ちいさなベンチを目の前に置いた。普段なら、この果樹園を訪なう信徒たちが休めるよう、木陰に置いているものだ。リーマスさんの視線がゆっくりと私と椅子の間を往復した。
「座ってください。見てるだけで疲れちゃいます」
 ちょっと待ってみたけれど、動く気配はなかった。私は大仰に肩をすくめ、収穫に取り掛かる。
 呪刑官のつくるゴーレムには、人間にあるはずの微細な動きがない。微かなみじろぎ、呼吸による胸の膨らみ、眼球の震え、鼓動。それらが欠落した身体は、外見が人間らしいがゆえに違和感を与えたが、次第に慣れた。
 帰ろうとしたところで、唸り声が聞こえた。
「ゴーレムは疲れない。学校で習わなかったか」
 足を止めて振り返った。木漏れ日のなかで、リーマスさんは不機嫌そうに私を睨んでいた。
「疲れない。快適そうですね」
「感覚がないんだから快も不快もない」
 果樹園を出て聖堂へ帰ると、呪刑官が説教台の前に座っていた。私は、今日の分の収穫を渡した。数を確かめると無言で頷き、足早に立ち去った。
 呪刑官がここへやってきたのはつい先日のことだった。聖堂の裏の果樹園を使用する、という決定事項を伝えに来たのだった。そして、いちばん魔術への耐性が高い私を管理者に指名した。
 罪果の採集が聖堂で行われるのは、聖職者たちが生まれつき魔術を拒絶する体質を持っているからだ。果樹園には呪刑官たち自身が入れなくなるほどの強い防護の呪文を幾重にも張る。聖職者なら、中に入ることができる。
 あの檸檬の樹の根本には、リーマスさんの身体が埋まっている。魔術を掛けられた樹が、彼の記憶を吸い上げ、結実する。ひとつひとつに宿主の記憶が封入されたその実は罪果と呼ばれ、呪刑官のみが口にすることを許されている。呪刑官は、その果実に封じ込められた記憶を追体験し、真実を得る。
 私の仕事は、罪果を余さず採集して呪刑官に渡すことだった。
 *
 ミサが終わり、鐘が鳴る。信徒たちは立ち上がり、世間話に興じながら帰っていく。
 首都から遠く離れたこの聖堂を訪れるのは大体が地元の人々で、近所の大学からも学生が訪れる。彼らの卒業と入学で年月の経過を感じる。今年も、新しい顔がちらほらと見えた。
 回廊を巡りながらステンドグラスや聖遺物たちを眺める彼らを横目に、燭台を倉庫へと運んでいると、後ろから声を掛けられた。
「あの、すみません」
 顔を上げるとくろぐろと濡れた瞳がこちらを見ていた。新入生だろう。
「果樹園には誰でも入ることができると聞いてきたのですが、門に鍵がかかっていて」
「ああ」
 間の悪いことだ、と内心でため息をつく。
「今年は開けてないんです。ものすごい毛虫が出て、葉がダメになっちゃって。前までご案内することはできますけど」
「そうなんですか」
 青年は微かに目を伏せて、残念です、とだけ言い残し、出口へ歩いていった。申し訳ないなと思いながら、私は果樹園へと足を向けた。ちょうど収穫の日だ。
 リーマスさんはいつものように檸檬の木の下に立っていた。ベンチには土埃が付いている。
 収穫しながら、私は理髪師よろしく話しかける。
「息子さん、元気にしているといいですね」
 リーマスさんは首都に住んでいた。魔術師として警備に従事しながら、かつての恋人が遺した子どもを預かって、つましく暮らしていた。
 恋人は人狼との間に子供をなしていた。性徴期を迎えた子供は狼と化し、何人かの市民を襲い、郊外の家畜を殺害した。狼化を抑制する措置を怠ったことについて、リーマスさんは既に罪を負っている。
 子供の行方は分かっていない。リーマスさんが何か手を回して逃がしたことは明白だった。リーマスさんは、自分に口止めの魔術を施していた。呪刑官たちが束になって記憶の錠をこじ開けようとしても、だめだった。言葉か、物か、音か……何が鍵になっているのか、わからなかった。
 だから、からだに檸檬の樹を植えられ、魂を土人形に移し替えられた。呪刑官たちは血眼になって記憶を暴いている。
 蝉の声を聞きながら果実を籠へ放り投げていると、珍しくリーマスさんの方から話しかけられた。
「きみは、魔術を感じられないんだな」
「ええ。見えず、聞こえず。目の前で死の呪文を唱えられてもへっちゃらですよ」
 返答はなかった。私は、リーマスさんとの会話が途切れることを気にしなかった。
 高いところにある実を取ろうと、必死で脚立から腕を伸ばした。どうにかもぎ取った実を満足しながら眺めていると、葉擦れと蝉の声の間に小唄のような呟きが聞こえた気がした。呪文だと思った。告解の典礼文であることに思い至るまでに時間を要した。
 硝子玉の瞳が、脚立に座る私を見据えていた。
「あの子は、人狼であるだけでなく、きみと同じ体質だった」
 私の手から、檸檬が落ちて転がった。
 魔術が効かないということは、魔術による防疫や治療を施すことができないということだ。市居の人々は日常的に地域の治療師たちから病除けを受け、治療を施してもらう。でも、私たちは自然治癒に任せるしかない。
 魔術が身体をすり抜けていく子どもたちは親元から引き離され、教会のもとで保護される。私は孤児院からそのまま修道院へ移った。けれど、人狼の子供がこの体質だったら、どうなるのだろう。魔術によってしか抑制できないのだ。
「あの子を手元に置き続けたのが間違いだったんだろう。何も手を打てなかった。人狼の形質が発現したと疑うべき状況に直面しても、まだ信じられなかった。見て見ぬふりをしたんだ。
 罰せられるべきはおれだ」
 孤児院を脱走して下町で吸血鬼に噛まれたという腕白な男の子がいた。その子の姿を二度と見ることはなかった。
「あなたは、息子さんに逃げてほしいのですか」
 リーマスさんは目を伏せた。
「時間をやりたかっただけだよ」
 *
 八月になるころには、新しい実が付かなくなっていた。
 おそらく、そろそろ記憶が尽きるのだろう。その後で、リーマスさんにはどんな裁きが下るのだろうか。  
 ミサの準備をしながらそんなことをぼんやり考えていると、いつのまにか告解の時間になっていた。
 落ち着かない気持ちで告解室に座っていると、控えめに戸が開いて、信徒が入ってきた。
 仕切りを開くと、ちいさな手が隙間から覗いた。
 互いに誦唱を済ませると、相手は凛とした声で話し始めた。
「司祭さま。ぼくは人を傷つけました」
 言葉が途切れる。無言で続きを促すと、手が服の裾を掴んだ。   
「無意識でした。最初のときは、何が起きたのか分かりませんでした。ふと意識を失い、次に目覚めたときには見知らぬ家に血塗れで立っておりました。何が何やらわからぬまま、手頃な服を奪い、家へ帰って血を落としました。それから何週間か経ち、今度は家畜の骸たちの中に立っていました。そういうことが何度か続きました」
 聞き覚えのある声だった。残念です、という声の響きとともに、黒い瞳を思い出した。
「父には心配を掛けたくない一心で、黙っていました。でもある日、父はぼくを鍵の掛かった部屋に入れました。
 窓から、円い月が見えたことだけを覚えています。
 次に目覚めたとき、部屋の鍵は開いていました。父からの置き手紙には、長期の出張へ行くから南に住む知り合いのもとへ行くように、と書いてありました。
 その方は、ぼくを快く迎えてくれました。でも、満月の夜になると、ぼくに強い睡眠薬を飲ませて、外から鍵の掛かった部屋に閉じ込めます。
 父が逮捕されたと知ったのは最近です。
 ここまで、檸檬の植えてある教会を訪ねてきました。父は、よく檸檬を買ってきたものです。檸檬の樹が沢山生えているところで生まれたからだと、南を訪れてはじめて知りました。父の魂が選ぶ果物は、檸檬の他ないはずです」
 指から力が抜け、裾がぱさりと音を立てて落ちた。
「果樹園を見せて下さらなかったのは、この聖堂だけです。持ち出した睡眠薬は先月の分で尽きました。せめてこのミサだけ最後まで聞かせてください。そうしたら、呪刑官のもとへ出頭します」
 少年は、静かにブースを出ていった。
 引き戸に何かを挟まれたのか、私は外へ出ることができなかった。入れ替わりに告解をしにきた信徒に事情を話してこじ開けてもらったけれど、記憶の中の姿はあやふやで、聖堂のどこにも見つけることができなかった。
 途方に暮れて、果樹園へと向かった。けれど、リーマスさんを見た途端、来たことを後悔した。何も言えるはずがなかった。
 踵を返そうとしたが、肩を掴まれて振り向かされた。私がいつまでも目を合わせないでいると、腕に食い込んでいた指の力が抜け、腕が力なく垂れた。
 リーマスさんは私の手を引いてベンチに座らせ、自分も隣に腰を下ろした。
 はじめて書店に連れて行ったとき、とリーマスさんは話しはじめた。
「あの子は自分で絵本を選んできた。変わり者の吸血鬼たちの話だ。人の血を吸う代わりに、檸檬の実を齧って飢えをやり過ごすんだ」
 ミサが始まる時間だった。鐘の音が遠くから響いてきた。それが止むと、鳥と蝉の声ばかりがあたりを満たした。
「おれに見えるのは青い炎だけだ。樹も、果実も、同じ色に燃えて、おれを焼こうとしているみたいだった。この果樹園でほんとうの色を纏っているのは、きみだけだった」
 リーマスさんはそれきり何も喋らなかった。私は目を閉じて、冷たい炎に包まれた果樹園を想像した。けれど、再び目を開けると、そこには元通りの世界があった。枝葉と果実の緑が陽光のなかで燃え立ち、蝶の羽が鬼火のようにひらめいた。
 私たちはそのまま、ミサが終わるまでとなりに座っていた。
3 notes · View notes
ari0921 · 4 months
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)
   通巻第8068号  <前日発行>
 熾烈なAI開発戦争を横目に
   古代人の霊的な技術の脅威をどう評価するべきか
*************************
 十五年ほど前、チベットへ取材に行った帰り、高山病を調製し、乗り換え便を待つために四川省の成都に二泊した。
それ以前にも成都は何回か来ているので「珍しい所はないか?」とガイドに聞くと,クルマで二時間弱の場所に「三星堆遺跡」があるという。その時、筆者は初めて三星堆なる文明の存在を知った。
 戦後教育で教わった『世界四大文明』とはメソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明だが、マヤ文明、インカ文明と縄文文明がかけている。三星堆は中華文明とはまったく無縁で地理的な要件はともかくシュメール(メソポタミア)に似ている。
 早速、見に行った。
明らかに太陽信仰の農耕文明だが、出土した仮面、神樹(御神木)の高さは4メートルにも及び、巨木信仰を窺わせた。人物像や神具などシュメールとの共通要素が多いが、シナ歴史の起源とされる夏・殷・周の中華文明とはまったく別物である。
 ▼巨大な目玉のデフォルメ青銅像は霊力の象徴ではないのか
 道具類も多彩で1934年に本格調査が始まり数百点のめずらしい出土品があった。戦争を挟んで1982年に発掘が再開され,大きなミュージアムもできた。 ブロンズ像の特徴は大きな目、飛び出した目玉、大きな鼻など、これはエジプトと似ている。
 筆者は売店でミニチュアのレプリカを二つほどあがなって書棚に飾った。
とくに143センチの杖は力の象徴であり、大きな目玉は『ホルスの眼』「第三の眼」として神の力であり、シナの古典の『蜀王本紀』には「巨眼の王がいた」と書かれ,『華陽国史』には、この三星堆文明は、「民とともに王が去った」と書かれている。
そして数千年、三星堆遺跡は土に埋もれていた。
 わが国でも亀ヶ岡縄文遺跡からは巨眼土偶が出土している これを日本では「射光器土偶」などと言っているが、神話性を無視した近代人の解釈では古代の謎は解けない。
眼には霊力が宿ったのだ。シュメールもエジプトもヒンズーも古代人は眼に神の力がやどると信じてきた。
 「ホルスの眼」は古代エジプト文明において重要な象徴。目の形だが、人間の脳にある松果体という部分の断面図に酷似している。この「ホルスの目」は、癒し、修復、再生の象徴でありエジプト神話の太陽神であるラーの右目は全てを見通す「知恵の目」とも言われた。魔除けと守護のシンボルだった。
水木しげるの漫画をみよ。目玉の妖怪だらけだ。
 ユダヤ教やキリスト教では、ホルスの目は神の監視と保護を表し、イスラム教では、真理と力を表している。ホルスの目は、力、保護、治癒を表す、歴史と文化的背景にあふれた霊力の象徴である。
中国の監視カメラは前項の目的、宗教を軽んじている。
「第三の眼」とは目に見えない目、ヒンズー教では頭脳にあるとされ、ネパールでは額に眼を描いた巫女のような神職がいる。まさに松果体(脳に存在する内分泌器)に似ている。さきにマヤ文明と書いたが、最近は人工衛星によってホンジュラスの山奥からも古代遺跡の所在が判明し、どうやらインカ文明とマヤ文明はことなることも朧気にわかってきた。
 ▼あのプマ・プンク遺跡の巨石切断は古代人がレーザーを使ったのだ
インカ文明以前に南米で現代人の創造を絶する遺跡が発見された。
 プマ・プンク遺跡は巨石が組み立てられた謎の構造物として知られる。一番の謎は10噸以上の巨石を80キロ離れた石切場からどうやって運んだか、石を見事なH型に切断、生前と並べた技術はレーザーか、超音波か、あるいは宇宙人かまるで違う文明がもたらしたものだったのか。
 レーザーはいうまでのなく半導体製造の一等中枢にある技術で、数ミリのチップに数十億の回路を刻み込んで集積回路とする。
 プマ・プンク遺跡の場所はボリビアのチチカカ湖の南、ペルーとの国境で標高は3800メートル。建造は紀元前2000年頃と推定される。
一万年前と唱える考古学者もいる。
 世界の考古学者、建築学者が謎の究明に挑んだ。運搬に関してはチチカカ湖を筏で移動、あるいは運河を造成したとういう説は退けられた。
丸太をコロとして人間が引いた? 
英国のストーンヘンジはたしかにそうやって造られた。またチチカカ湖は古代には海だったという説、大洪水でノアの箱舟と関連があるなどの説もほぼ否定された。巨石は安山岩で、大理石よりも硬質、それゆえに数千年の風雪に耐えた。
  ▼これは天文台なのか。
古代人は始原的な天文学に通じていたことは明らかである。
邪馬台国の卑弥呼なる巫女も原始的な占星術、鬼道に通じていたと魏志倭人伝は書いた。
天文学的な、シャーマン的要素で戦争を指導したのは壬申の乱で勝利した天武天皇である。
プマ・プンクの巨石の列が山頂に建てられたのだから城塞ではなく神殿だろうが、文字がないうえに人骨が周辺から発見されておらず、この点では忽然と去った三星堆の謎に似ている。
ピラミッドは地下には美術館のような彫刻、地下に墳墓があるがやはり巨石の切断方法と運搬方法が解明されていない。
U型のフォーク形状の道具や、金の杖を共通に待つのは指導者の威信、力の象徴とされ、シュメール文明と共通である。ワトキンスという学者は,太陽光を人工的な集光器にあつめてレーザー光線として切断したと唱える。
もし、そうやって古代人が巨石を生前と切断し、神殿のような建造物を造成したとしたら、古代人の智恵は明らかに現代ホモサピエンスの知能を超えている。プマ・プンクの岩石には異様な磁力があるという。
 巨人(宇宙人?)がラッパを吹いて巨石を動かしたという言い伝えは超音波が運搬手段に使われたとする学説である。超音波の運搬も、否定できない。
 またファラオ、ツタンカーメン、オベリスクなどのエジプト古代文明とシュメールの共通点、類似性に神木がある。
神話でいわれたことで真実に近いことは夥しいのである。
 
AI開発が生成AIを産み、やがてチャットGPTが進歩すると逆に人間の思考力は低下し、いずれAIが人間を支配する。そうやってAIの脅威が語られているが、だれも霊力との関連を語ろうとしない。
6 notes · View notes
thus-library · 2 years
Text
97. 灼
(英題)The Unidentified
Tumblr media
2022/07/10
作曲: thus(2022) 編曲: thus(2022) 歌詞: thus(2022) © 2022 thus. Composed by thus
絵: 茶仔(2022) © 2022 茶仔. Art by 茶仔
動画: thus(2022) (フォント: あんずもじ2020)
ニコニコ動画 https://nico.ms/sm41292526
YouTube https://youtu.be/75pvCzWtGI0
哔哩哔哩 https://www.bilibili.com/video/BV1mV4y1g7w7/
【灼(あらたか)】
花火(はなび)は鳴(な)り終(お)わり 寂寥(せきりょう)と硝煙(しょうえん)の匂(にお)い 夏夜(なつよ)の闇(やみ)へ過(す)ぎて熄(き)える頃(ころ) 人気(ひとけ)のない畦道(あぜみち)の通(とお)りで 来(こ)いよ来(こ)いよと招(まね)いている影(かげ)が
何(なに)かと思(おも)って 近(ちか)づいてみるけど どうしたことか 距離(きょり)が縮(ちぢ)まらない あんまり暗(くら)くて 顔(かお)も良(よ)く見(み)えない おいでおいでと招(まね)いている影(かげ)が
私(わたし)は星(ほし)の仔(こ)よ 帰(かえ)れないと 大奥(おおおく)に佇(たたず)み こちらを見(み)ているのか 吹(ふ)く夜風(よかぜ)が 余熱(ほとぼり)を撫(な)で���ように 僕(ぼく)に何(なに)かを求(もと)めているのか
私(わたし)は星(ほし)の仔(こ)よ 帰(かえ)れないと ただ上(うえ)を見上(みあ)げて憂(う)いているようだった 天(あま)の川(がわ)を背(せ)に湛(たた)えた光(ひか)る山(やま)で 僕(ぼく)に何(なに)をか求(もと)めているのか
分(わ)からないけれど 困(こま)っていそうだから 僕(ぼく)は山(やま)を一緒(いっしょ)に登(のぼ)っていた 今日(きょう)も熱帯夜(ねったいや) 日付(ひづけ)が変(か)わる頃(ころ) 提灯(ちょうちん)を片手(かたて)に 深夜(しんや)の肝試(きもだめ)し
そう言(い)えば この山(やま)は初(はじ)めて登(のぼ)ったかな いや盆頃(ぼんごろ)先祖供養(せんぞくよう)で登(のぼ)ったかな どうも道中(どうちゅう)で 鼻(はな)突(つ)く屋台(やたい)の香(かお)りが 後(あと)の祭(まつ)りの余興(よきょう)と並(なら)んでいる
燐(りん)の人魂(ひとだま)が飛(と)んでいる 布地(ぬのじ)のお化(ば)けも交(か)っている 樹木(じゅもく)が唆(そそのか)す 籤引(くじび)き御布施(おふせ)のインチキ商売屋(しょうばいや)
私(わたし)は星(ほし)の仔(こ)よ 帰(かえ)りたいと 頂(いただき)に佇(たたず)み 空(そら)を見上(みあ)げていた 吹(ふ)く夜風(よかぜ)の冷(つめ)たさと同(おな)じような その素振(そぶ)りは 寂(さび)しそうだった
私(わたし)は星(ほし)の仔(こ)よ 帰(かえ)りたいと あの星(ほし)を指差(ゆびさ)し言(い)っているようだった 天(あま)の川(がわ)の繁星(はんせい)が集(すだ)く逆光(ぎゃっこう)に翳(かげ)る その姿(すがた)は 綺麗(きれい)で儚(はかな)かった
暫(しばら)くは静(しず)かに 何(なん)にもない時(とき)で 夜空(よぞら)の星(ほし)を 手持無沙汰(てもちぶさた)に眺(なが)めた 夏(なつ)の大三角(だいさんかく)を何(なん)となく探(さが)したら 青(あお)い地球(ちきゅう)が浮(う)いていたんだ
見(み)てはいけないものを 見(み)てしまったような気分(きぶん) そんな僕(ぼく)を心配(しんぱい)そうに覗(のぞ)き込(こ)む 月明(つきあ)かりと星(ほし)の輝(かがや)きに照(て)る 見(み)たその顔(かお)は 僕(ぼく)の顔(かお)だった
君(きみ)は星(ほし)の仔(こ)よ 灼(あらたか)の仔(こ)よ 貴方(あなた)の還(かえ)るべき星(ほし)はあそこにある 遠(とお)い向(む)こう側(がわ)で鈴々(りんりん)と聞(き)こえる囃子(はやし)を 耳(みみ)にしながら じっと見(み)つめていた
君(きみ)は星(ほし)の仔(こ)よ 灼(あらたか)の仔(こ)よ 貴方(あなた)の故郷(ふるさと)は まだここではないと 吹(ふ)く夜風(よかぜ)に 星(ほし)へ向(む)けて舞(ま)い上(あ)がれ 僕(ぼく)の身体(からだ)が ふわりと浮(う)いていく
私(わたし)の星(ほし)の仔(こ)よ 灼(あらたか)の仔(こ)よ その身(み)を輝(かがや)かせ さあ還(かえ)りなさいと 遠(とお)く離(はな)れていく 花火(はなび)も屋台(やたい)も小(ちい)さくなって 星(ほし)の彼方(かなた)へ消(き)えてしまった もう 夏(なつ)の終(お)わりと共(とも)に熄(き)えた
1 note · View note
wangwill66 · 10 days
Text
春夏秋冬
H:南宋無門慧開禪師的一首詩「好時節」: 「春有百花秋有月,夏有涼風冬有雪,若無閒事掛心頭,便是人間好時節。」 春夏秋冬四季,在我們平常人心中是無感的,除了農人的「春耕、夏耘、秋收、冬藏,四者不失時,故五穀不絕,而百姓有餘食也。」我們只知道寒冷冬天過後,春天覺得暖和,百花也開了。夏天來熱呼乎,秋天有點涼,落葉也多了。冬天來了又冷。其他無言。詩人作家寫四季,詩情畫意隨筆來,美美的意境詠嘆,無聊就念念解心煩。20240420W6
網路資料
正月期間,今天就介紹南宋無門慧開禪師的一首詩,它告訴我們甚麼是「好時節」: 「春有百花秋有月,夏有涼風冬有雪,若無閒事掛心頭,便是人間好時節。」 春花秋月,夏風冬雪,一年四季都可以是好時節,但最讓你能夠感到好時節的,不是外在的春夏秋冬,而是「若無閒事在心頭」,也就是說,心中沒有掛慮,沒有恐懼,那麼任何時候都是好時節。2021年3月1日
荀子王制:
聖主1之制也:草木榮華滋碩之時,則斧斤不入山林,不夭其生,不絕其長也。黿鼉魚鱉鰍鱣孕別之時,罔罟毒藥不入澤,不夭其生,不絕其長也。春耕、夏耘、秋收、冬藏,四者不失時,故五穀不絕,而百姓有餘食也。汙池淵沼川澤,謹其時禁,故魚鱉優多,而百姓有餘用也。斬伐養長不失其時,故山林不童,而百姓有餘材也。
作者:朱自清
1933年7月
姊妹計劃: 數據項
 參閱維基百科中的:春季 閲文言維基大典文
盼望着,盼望着,東風來了,春天的腳步近了。
一切都像剛睡醒的樣子,欣欣然張開了眼。山朗潤起來了,水長起來了,太陽的臉紅起來了。
小草偷偷地從土裏鑽出來,嫩嫩的,綠綠的。園子裏,田野裏,瞧去,一大片一大片滿是的。坐着,躺着,打兩個滾,踢幾腳球,賽幾䠀跑,捉幾回迷藏。風輕悄悄的,草軟綿綿的。
桃樹、杏樹、梨樹,你不讓我,我不讓你,都開滿了花趕䠀兒。紅的像火,粉的像霞,白的像雪。花裏帶着甜味;閉了眼,樹上髣髴已經滿是桃兒、杏兒、梨兒!花下成千成百的蜜蜂嗡嗡地鬧着,大小的蝴蝶飛來飛去。野花遍地是:雜樣兒,有名字的,沒名字的,散在草叢裏,像眼睛,像星星,還眨呀眨的。
「吹面不寒楊柳風」,不錯的,像母親的手撫摸着你。風裏帶來些新翻的泥土的氣息,混着青草味,還有各種花的香,都在微微潤溼的空氣裏醞釀。鳥兒將窠巢安在繁花嫩葉當中,高興起來了,呼朋引伴地賣弄清脆的喉嚨,唱出宛轉的曲子,與輕風流水應和着。牛背上牧童的短笛,這時候也成天在嘹亮地響。
雨是最尋常的,一下就是三兩天。可別惱。看,像牛毛,像花針,像細絲,密密地斜織着,人家屋頂上全籠着一層薄煙。樹葉子卻綠得發亮,小草也青得逼你的眼。傍晚時候,上燈了,一點點黃暈的光,烘托出一片安靜而和平的夜。鄉下去,小路上,石橋邊,撐起傘慢慢走着的人;還有地裏工作的農夫,披着蓑戴着笠的。他們的草屋,稀稀疏疏的在雨裏靜默着。
天上風箏漸漸多了,地上孩子也多了。城裏鄉下,家家戶戶,老老小小,他們也趕䠀兒似的,一個個都出來了。舒活舒活筋骨,抖擻抖擻精神,各做各的一份兒事去。「一年之計在於春」,剛起頭兒,有的是工夫,有的是希望。
春天像剛落地的娃娃,從頭到腳都是新的,它生長着。
春天像小姑娘,花枝招展的,笑着,走着。
春天像健壯的青年,有鐵一般的胳膊和腰腳,他領着我們上前去。
說夢
作者:朱自清
1925年10月
姊妹计划: 数据项
  偽《列子》里有一段夢話,說得甚好:
  “周之尹氏大治產,其下趣役者,侵晨昏而不息。有老役夫筋力竭矣,而使之彌勤。晝則呻呼而即事,夜則昏憊而熟寐。精神荒散,昔昔夢為國君:居人民之上,總一國之事;游燕宮觀,恣意所欲,其樂無比。覺則复役人。……尹氏心營世事,慮鐘家業,心形俱疲,夜亦昏憊而寐。昔昔夢為人仆:趨走作役,無不為也;   數罵杖撻,無不至也。眠中啽囈呻呼,徹旦息焉。……”
  此文原意是要說出“苦逸之复,數之常也;若欲覺夢兼之,豈可得邪?”這其間大有玄味,我是領略不著的;我只是斷章取義地賞識這件故事的自身,所以才老遠地引了來。我只覺得夢不是一件坏東西。即真如這件故事所說,也還是很有意思的。因為人生有限,我們若能夜夜有這樣清楚的夢,則過了一日,足抵兩日,過了五十歲,足抵一百歲;如此便宜的事,真是落得的。至于夢中的“苦樂”,則照我素人的見解,畢竟是“夢中的”苦樂,不必斤斤計較的。若必欲斤斤計較,我要大膽地說一句:他和那些在牆上貼紅紙條儿,寫著“夜夢不祥,書破大吉”的,同樣地不懂得夢!
  但庄子說道,“至人無夢。”偽《列子》里也說道,“古之真人,其覺自忘,其寢不夢。”——張湛注曰,“真人無往不忘,乃當不眠,何夢之有?”可知我們這几位先哲不甚以做夢為然,至少也總以為夢是不大高明的東西。但孔子就与他們不同,他深以“不复夢見周公”為憾;他自然是愛做夢的,至少也是不反對做夢的。——殆所謂時乎做夢則做夢者歟?我覺得“至人”,“真人”,畢竟沒有我們的份儿,我們大可不必妄想;只看“乃當不眠”一個條件,你我能做到么?唉,你若主張或實行“八小時睡眠”,就別想做“至人”,“真人”了!但是,也不用擔心,還有為我們掮木梢的:我們知道,愚人也無夢!他們是一枕黑甜,哼呵到曉,一些儿夢的影子也找不著的!我們徼幸還會做几個夢,雖因此失了“至人”,“真人”的資格,卻也因此而得免于愚人,未嘗不是運气。至于“至人”,“真人”之無夢和愚人之無夢,究竟有何分別?卻是一個難題。我想偷懶,還是摭拾上文說過的話來答吧:“真人……乃當不眠,……”而愚人是“一枕黑甜,哼呵到曉”的!再加一句,此即孔子所謂“上智与下愚不移”也。說到孔子,孔子不反對做夢,難道也做不了“至人”,“真人”?我說,“唯唯,否否!”孔子是“圣人”,自有他的特殊的地位,用不著再來爭“至人”,“真人”的名號了。但得知道,做夢而能夢周公,才能成其所以為圣人;我們也還是夠不上格儿的。
  我們終于只能做第二流人物。但這中間也還有個高低。高的如我的朋友P君:他夢見花,夢見詩,夢見綺麗的衣裳,……真可算得有夢皆甜了。低的如我:我在江南時,本忝在愚人之列,照例是漆黑一團地睡到天光;不過得聲明,哼呵是沒有的。北來以后,不知怎樣,陡然聰明起來,夜夜有夢,而且不一其夢。但我究竟是新升格的,夢盡管做,卻做不著一個清清楚楚的夢!成夜地亂夢顛倒,醒來不知所云,恍然若失。最難堪的是每早將醒未醒之際,殘夢依人,膩膩不去;忽然雙眼一睜,如墜深谷,万象寂然——只有一角日光在牆上痴痴地等著!我此時決不起來,必凝神細想,欲追回夢中滋味于万一;但照例是想不出,只惘惘然茫茫然似乎怀念著些什么而已。雖然如此,有一點是知道的:夢中的天地是自由的,任你徜徉,任你翱翔;一睜眼卻就給密密的麻繩綁上了,就大大地不同了!我現在确乎有些精神恍惚,這里所寫的就夠教你知道。但我不因此詛咒夢;我只怪我做夢的藝術不佳,做不著清楚的夢。若做著清楚的夢,若夜夜做著清楚的夢,我想精神恍惚也無妨的。照現在這樣一大串儿糊里糊涂的夢,直是要將這個“我”化成漆黑一團,卻有些儿不便。是的,我得學些本事,今夜做他几個好好的夢。我是徹頭徹尾贊美夢的,因為我是素人,而且將永遠是素人。
  (原載1925年10月《清華周刊》第24卷第8號)
揚州的夏日
  揚州從隋煬帝以來,是詩人文士所稱道的地方;稱道的多了,稱道得久了,一般人便也隨聲附和起來。直到現在,你若向人提起揚州這個名字,他會點頭或搖頭說:“好地方!好地方!”特別是沒去過揚州而念過些唐詩的人,在他心里,揚州真像蜃樓海市一般美麗;他若念過《揚州畫舫錄》一類書,那更了不得了。但在一個久住揚州像我的人,他卻沒有那么多美麗的幻想,他的憎惡也許掩住了他的愛好;他也許离開了三四年并不去想它。若是想呢,——你說他想什么?女人;不錯,這似乎也有名,但怕不是現在的女人吧?——他也只會想著揚州的夏日,雖然与女人仍然不無關系的。
  北方和南方一個大不同,在我看,就是北方無水而南方有。誠然,北方今年大雨,永定河,大清河甚至決了堤防,但這并不能算是有水;北平的三海和頤和園雖然有點儿水,但太平衍了,一覽而盡,船又那么笨頭笨腦的。有水的仍然是南方。揚州的夏日,好處大半便在水上——有人稱為“瘦西湖”,這個名字真是太“瘦”了,假西湖之名以行,“雅得這樣俗”,老實說,我是不喜歡的。下船的地方便是護城河,曼衍開去,曲曲折折,直到平山堂,——這是你們熟悉的名字——有七八里河道,還有許多杈杈椏椏的支流。這條河其實也沒有頂大的好處,只是曲折而有些幽靜,和別處不同。
  沿河最著名的風景是小金山,法海寺,五亭橋;最遠的便是平山堂了。金山你們是知道的,小金山卻在水中央。在那里望水最好,看月自然也不錯——可是我還不曾有過那樣福气。“下河”的人十之九是到這儿的,人不免太多些。法海寺有一個塔,和北海的一樣,据說是乾隆皇帝下江南,鹽商們連夜督促匠人造成的。法海寺著名的自然是這個塔;但還有一樁,你們猜不著,是紅燒豬頭。夏天吃紅燒豬頭,在理論上也許不甚相宜;可是在實際上,揮汗吃著,倒也不坏的。五亭橋如名字所示,是五個亭子的橋。橋是拱形,中一亭最高,兩邊四亭,參差相稱;最宜遠看,或看影子,也好。橋洞頗多,乘小船穿來穿去,另有風味。平山堂在蜀岡上。登堂可見江南諸山淡淡的輪廓;“山色有無中”一句話,我看是恰到好處,并不算錯。這里游人較少,閒坐在堂上,可以永日。沿路光景,也以閒寂胜。從天宁門或北門下船。蜿蜒的城牆,在水里倒映著蒼黝的影子,小船悠然地撐過去,岸上的喧扰像沒有似的。
  船有三种:大船專供宴游之用,可以挾妓或打牌。小時候常跟了父親去,在船里听著謀得利洋行的唱片。現在這樣乘船的大概少了吧?其次是“小划子”,真像一瓣西瓜,由一個男人或女人用竹篙撐著。乘的人多了,便可雇兩只,前后用小凳子跨著:這也可算得“方舟”了。后來又有一种“洋划”,比大船小,比“小划子”大,上支布篷,可以遮日遮雨。“洋划”漸漸地多,大船漸漸地少,然而“小划子”總是有人要的。這不獨因為价錢最賤,也因為它的伶俐。一個人坐在船中,讓一個人站在船尾上用竹篙一下一下地撐著,簡直是一首唐詩,或一幅山水畫。而有些好事的少年,愿意自己撐船,也非“小划子”不行。“小划子”雖然便宜,卻也有些分別。譬如說,你們也可想到的,女人撐船總要貴些;姑娘撐的自然更要貴囉。這些撐船的女子,便是有人說過的“瘦西湖上的船娘”。船娘們的故事大概不少,但我不很知道。据說以亂頭粗服,風趣天然為胜;中年而有風趣,也仍然算好。可是起初原是逢場作戲,或尚不傷廉惠;以后居然有了价格,便覺意味索然了。
  北門外一帶,叫做下街,“茶館”最多,往往一面臨河。船行過時,茶客与乘客可以隨便招呼說話。船上人若高興時,也可以向茶館中要一壺茶,或一兩种“小籠點心”,在河中喝著,吃著,談著。回來時再將茶壺和所謂小籠,連价款一并交給茶館中人。撐船的都与茶館相熟,他們不怕你白吃。揚州的小籠點心實在不錯:我离開揚州,也走過七八處大大小小的地方,還沒有吃過那樣好的點心;這其實是值得惦記的。茶館的地方大致總好,名字也頗有好的。如香影廊,綠楊村,紅葉山庄,都是到現在還記得的。綠楊村的幌子,挂在綠楊樹上,隨風飄展,使人想起“綠楊城郭是揚州”的名句。里面還有小池,叢竹,茅亭,景物最幽。這一帶的茶館布置都歷落有致,迥非上海,北平方方正正的茶樓可比。
  “下河”總是下午。傍晚回來,在暮靄朦朧中上了岸,將大褂折好搭在腕上,一手微微搖著扇子;這樣進了北門或天宁門走回家中。這時候可以念“又得浮生半日閒”那一句詩了。
  (原載1929年12月11日《白華旬刊》第4期)
夏日田間即景(近沙士頓)
作者:徐志摩 1922年寫於1922年2月,原載於1922年3月14日《時事新報·學燈》,並未錄入徐志摩在世時出版的4本詩集中。
版本信息
姊妹计划: 数据项
柳林青青,
南風薰薰,
幻成奇峰瑤島,
一天的黃雲白雲,
那邊麥浪中間,
有農婦笑語殷殷。
笑語殷殷——
問後園豌豆肥否,
問楊梅可有鳥來偷;
好幾天不下雨了,
玫瑰花還未曾紅透;
梅夫人今天進城去,
且看她有新聞無有。
笑語殷殷——
「我們家的如今好了,
已經照常上工去,
不再整天的無聊,
不再逞酒使氣,
回家來有說有笑,
疼他兒女——愛他妻;
呀!真巧!你看那邊,
蓬著頭,走來的,笑嘻嘻,
可不是他,(哈哈!)滿身是泥!」
南風熏熏,
草木青青,
滿地和暖的陽光,
滿天的白雲黃雲,
那邊麥浪中間,
有農夫農婦,笑語殷殷。
想飛
作者:徐志摩 1925年收錄於散文集《自剖》
姊妹计划: 数据项
假如這時候窗子外有雪──街上,城牆上,屋脊上,都是雪,胡同口一家屋簷下偎著一個戴黑帽兒的巡警,半攏著睡眼,看棉團似的雪花在半空中跳著玩……假如這夜是一個深極了的啊,不是壁上掛鐘的時針指示給我們看的深夜,這深就比是一個山洞的深,一個往下鑽螺旋形的山洞的深…… 假如我能有這樣一個深夜,它那無底的陰森捻起我遍體的毫管;再能有窗子外不住往下篩的雪,篩淡了遠近間揚動的市謠;篩泯了在泥道上掙扎的車輪;篩滅了 腦殼中不妥協的潛流……
我要那深,我要那靜。那在樹蔭濃密處躲著的夜鷹,輕易不敢在天光還在照亮時出來睜眼。思想,它也得等。
青天裡有一點子黑的。正衝著太陽耀眼,望不真,你把手遮著眼、對著那兩株樹縫裡瞧,黑的,有排子來大,不,有桃子來大──嘿,又移著往西了!
我們吃了中飯出來到海邊去。(這是英國康槐爾極南的一角,三面是大西洋)。勖麗麗的叫聲從我們的腳底下勻勻的往上顫,齊著腰,到了肩高,過了頭頂,高入了雲,高出了雲。
啊!你能不能把一種急震的樂音想像成一陣光明的細雨,從藍天裡衝著這平鋪著青綠的地面不住的下?不,那雨點都是跳舞的小腳,安琪兒的。雲雀們也吃過了飯,離開了它們卑微的地巢飛往高處做工去。上帝給它們的工作,替上帝做的工作。瞧著,這兒一隻,那邊又起了兩!一起就衝著天頂飛,小翅膀活動的多快活,圓圓的,不躊躇的飛,──它們就認識青天。一起就開口唱,小嗓子活動的多快活,一顆顆小精圓珠子直往外唾,亮亮的唾,脆脆的唾,──它們讚美的是青天。瞧著,這飛得多高,有豆子大,有芝麻大,黑刺刺的一屑,直頂著無底的天頂細細的搖,──這全看不見了,影子都沒了!但這光明的細雨還是不住的下著……
飛。「其翼若垂天之雲……背負蒼天,而莫之夭閼者;」那不容易見著。我們鎮上東關廂外有一座黃泥山,山頂上有一座七層的塔,塔尖頂著天。塔院裡常常打鐘,鐘聲響動時,那在太陽西曬的時候多,一枝艷艷的大紅花貼在西山的鬢邊回照著塔山上的雲彩,──鐘聲響動時,繞著塔頂尖,摩著塔頂天,穿著塔頂雲,有一隻兩隻,有時三隻四隻有時五隻六隻蜷著爪往地面瞧的「餓老鷹」,撐開了它們灰蒼蒼的大翅膀沒掛戀似的在盤旋,在半空中浮著,在晚風中泅著,彷彿是按著塔院鐘的波蕩來練習圓舞似的。那是我做孩子時的「大鵬」?
有時好天抬頭不見一瓣雲的時候聽著貌憂憂的叫聲,我們就知道那是寶塔上的餓老鷹尋食吃來了,這一想像半天裡禿頂圓睛的英雄,我們背上的小翅膀骨上就彷彿豁出了一銼銼鐵刷似的羽毛,搖起來呼呼聲的,只一擺就衝出了書房門,鑽入了玳瑁鑲邊的白雲裡玩兒去,誰耐煩站在先生書桌前晃著身子背早上上的多難背的書!
啊!飛!不是那在樹枝上矮矮的跳著麻雀兒的飛;不是那湊天黑從堂匾後背衝出來趕蚊子吃的蝙蝠的飛;也不是那軟尾巴軟嗓於做集在堂簷上的燕子的飛。要飛就得滿天飛,風攔不住雲擋不住的飛,一翅膀就跳過一座山頭,影子下來遮得陰二+畝稻田的飛,要天晚飛倦了就來繞著那塔頂尖順著風向打圓圈做夢……聽說餓老鷹會抓小雞!
飛。人們原來都是會飛的。天使們有翅膀,會飛,我們初來時也有翅膀,會飛。我們最初來就是飛了來的,有的做完了事還是飛了去,他們是可羨慕的。但大多數人是忘了飛的,有的翅膀上掉毛不長再也飛不起來,有的翅膀叫膠水給膠住了,融拉不開,有的羽毛叫人給修短了像鴿子似的只會在地上跳,有的拿背上一對翅膀上當鋪去典錢使過了期再也贖不回……真的,我們一過了做孩子的日子就掉了飛的本領。
但沒了翅膀或是翅膀壞了不能用是一件可怕的事。因為你再也飛不回去,你蹲在地上呆望著飛不上去的天,看旁人有福氣的一程一程的在青雲裡逍遙,那多可憐。而且翅膀又不比是你腳上的鞋,穿爛了可以再問媽要一雙去,翅膀可不成,折了一根毛就是一根,沒法給補的。還有,單顧著你翅膀也還不定規到時候能飛,你這身子要是不謹慎養太肥了,翅膀力量小也再也拖不起,也是一樣難不是?
一對小翅膀馱不起一個胖肚子,那情形多可笑!到時候你聽人家高聲的招呼說,朋友,回去罷,趁這天還有紫色的光,你聽他們的翅膀在半空中沙沙的搖響,朵朵的春雲跳過來擁著他們的肩背,望著最光明的來處翩翩的,冉冉的,輕煙似的化出了你的視域,像雲雀似的只留下一瀉光明的驟雨──「 Thou art unseen,ut yet I hear the shrill delight.」──那你,獨自在泥塗裡淹著,夠多難受,夠多懊惱,夠多寒傖!趁早留神你的翅膀,朋友。
是人沒有不想飛的。老是在這地面上爬著夠多厭煩,不說別的。飛出這圈子,飛出這圈子!到雲端裡去,到雲端裡去!那個心裡不成天千百遍的這麼想?飛上天空去浮著,看地球這彈丸在太空裡滾著,從陸地看到海、從海再看回陸地。凌空去看一個明白──這本是做人的趣味,做人的權威,做人的交代。這皮囊要是太重挪不動,就擲了它,可能的話,飛出這圈子,飛出這圈子!
人類初發明用石器的時候,���經想長翅膀,想飛,原人洞壁上畫的四不像,它的背上掮著翅膀;拿著弓箭趕野獸的,他那肩背上也給安了翅膀。小愛神是有一對粉嫩的肉翅的。挨開拉斯(Icarus)是人類飛行史裡第一個英雄,第一次犧牲。安琪兒(那是理想化的人)第一個標記是幫助他們飛行的翅膀。那也有沿革──你看西洋書上的表現。最初像一對小精緻的令旗,蝴蝶似的粘在安琪兒們的背上,像真的,不靈動的。漸漸的翅膀長大了,地位安準了,毛羽豐滿了。畫圖上的天使們長上了真的可能的翅膀。人類初次實現了翅膀的觀念,徹悟了飛行的意義。挨開拉斯閃不死的靈魂,回來投生又投生。
人類最大的使命,是製造翅膀;最大的成功是飛!理想的極度,想像的止境,從人到神!詩是翅膀上出世的;哲理是在空中盤旋的。飛:超脫一切,籠蓋一切,掃蕩一切,吞吐一切。你上那邊山峰頂上試去,要是度不到這邊山峰上,你就得這萬丈的深淵裡去找你的葬身地!
[這人形的鳥會有一天試他第一次的飛行給這世界驚駭,使所有的著作讚美,給他所從來的棲息處永久的光榮]啊!達文西!
但是飛?自從挨開拉斯以來,人類的工作是製造翅膀,還是束縛翅膀?這翅膀,承上了文明的重量,還能飛嗎?都是飛了來的,還都能飛了回去嗎?鉗住了,烙住了,壓住了,──這人形的鳥會有試他第一次飛行的一天嗎?……
同時天上那一點子黑的已經迫近在我的頭頂,形成了一架鳥形的機器,忽的機沿一側,一球光直往下注,硼的一聲炸響,──炸碎了我在飛行中的幻想,青天裡平添了幾堆破碎的浮雲。
(一九二五年十月六月)
故都的秋(郁達夫)
  秋天,無論在什么地方的秋天,總是好的;可是啊,北國的秋,卻特別地來得清,來得靜,來得悲涼。我的不遠千里,要從杭州赶上青島,更要從青島赶上北平來的理由,也不過想飽嘗一嘗這“秋”,這故都的秋味。
  江南,秋當然也是有的;但草木雕得慢,空气來得潤,天的顏色顯得淡,并且又時常多雨而少風;一個人夾在蘇州上海杭州,或廈門香港廣州的市民中間,渾渾沌沌地過去,只能感到一點點清涼,秋的味,秋的色,秋的意境与姿態,總看不飽,嘗不透,賞玩不到十足。秋并不是名花,也并不是美酒,那一种半開,半醉的狀態,在領略秋的過程上,是不合适的。
  不逢北國之秋,已將近十余年了。在南方每年到了秋天,總要想起陶然亭的蘆花,釣魚台的柳影,西山的虫唱,玉泉的夜月,潭柘寺的鐘聲。在北平即使不出門去罷,就是在皇城人海之中,租人家一椽破屋來住著,早晨起來,泡一碗濃茶、向院子一坐,你也能看得到很高很高的碧綠的天色,听得到青天下馴鴿的飛聲。從槐樹葉底,朝東細數著一絲一絲漏下來的日光,或在破壁腰中,靜對著象喇叭似的牽牛花(朝榮)的藍朵,自然而然地也能夠感覺到十分的秋意。說到了牽牛花,我以為以藍色或白色者為佳,紫黑色次之,淡紅色最下。最好,還要在牽牛花底,教長著几根疏疏落落的尖細且長的秋草,使作陪襯。
  北國的槐樹,也是一种能使人聯想起秋來的點綴。象花而又不是花的那一种落蕊,早晨起來,會舖得滿地。腳踏上去,聲音也沒有,气味也沒有,只能感出一點點极微細极柔軟的触覺。掃街的在樹影下一陣掃后,灰土上留下來的一條條掃帚的絲紋,看起來既覺得細膩,又覺得清閒,潛意識下并且還覺得有點儿落寞,古人所說的梧桐一葉而天下知秋的遙想,大約也就在這些深沈的地方。
  秋蟬的衰弱的殘聲,更是北國的特產;因為北平處處全長著樹,屋子又低,所以無論在什么地方,都听得見它們的啼唱。在南方是非要上郊外或山上去才听得到的。這秋蟬的嘶叫,在北平可和蟋蟀耗子一樣,簡直象是家家戶戶都養在家里的家虫。
  還有秋雨哩,北方的秋雨,也似乎比南方的下得奇,下得有味,下得更象樣。
  在灰沈沈的天底下,忽而來一陣涼風,便息列索落地下起雨來了。一層雨過,云漸漸地卷向了西去,天又青了,太陽又露出臉來了;著著很厚的青布單衣或夾襖曲都市閒人,咬著煙管,在雨后的斜橋影里,上橋頭樹底下去一立,遇見熟人,便會用了緩慢悠閒的聲調,微歎著互答著的說:
  “唉,天可真涼了─—”(這了字念得很高,拖得很長。)
  “可不是么?一層秋雨一層涼了!”
  北方人念陣字,總老象是層字,平平仄仄起來,這念錯的歧韻,倒來得正好。
  北方的果樹,到秋來,也是一种奇景。第一是棗子樹;屋角,牆頭,茅房邊上,灶房門口,它都會一株株地長大起來。象橄欖又象鴿蛋似的這棗子顆儿,在小橢圓形的細葉中間,顯出淡綠微黃的顏色的時候,正是秋的全盛時期;等棗樹葉落,棗子紅完,西北風就要起來了,北方便是塵沙灰土的世界,只有這棗子、柿子、葡萄,成熟到八九分的七八月之交,是北國的清秋的佳日,是一年之中最好也沒有的GoldenDays。
  有些批評家說,中國的文人學士,尤其是詩人,都帶著很濃厚的頹廢色彩,所以中國的詩文里,頌贊秋的文字特別的多。但外國的詩人,又何嘗不然?我雖則外國詩文念得不多,也不想開出賬來,做一篇秋的詩歌散文鈔,但你若去一翻英德法意等詩人的集子,或各國的詩文的An-thology來,總能夠看到許多關于秋的歌頌与悲啼。各著名的大詩人的長篇田園詩或四季詩里,也總以關于秋的部分。寫得最出色而最有味。足見有感覺的動物,有情趣的人類,對于秋,總是一樣的能特別引起深沈,幽遠,嚴厲,蕭索的感触來的。不單是詩人,就是被關閉在牢獄里的囚犯,到了秋天,我想也一定會感到一种不能自己的深情;秋之于人,何嘗有國別,更何嘗有人种階級的區別呢?不過在中國,文字里有一個“秋士”的成語,讀本里又有著很普遍的歐陽子的《秋聲》与蘇東坡的《赤壁賦》等,就覺得中國的文人,与秋的關系特別深了。可是這秋的深味,尤其是中國的秋的深味,非要在北方,才感受得到底。
  南國之秋,當然是也有它的特异的地方的,比如廿四橋的明月,錢塘江的秋潮,普陀山的涼霧,荔枝灣的殘荷等等,可是色彩不濃,回味不永。比起北國的秋來,正象是黃酒之与白干,稀飯之与饃饃,鱸魚之与大蟹,黃犬之与駱駝。
  秋天,這北國的秋天,若留得住的話,我愿把壽命的三分之二折去,換得一個三分之一的零頭。
  一九三四年八月,在北平
  
冬天(朱自清)
  說起冬天,忽然想到豆腐。是一“小洋鍋”(鋁鍋)白煮豆腐,熱騰騰的。水滾著,像好些魚眼睛,一小塊一小塊豆腐養在里面,嫩而滑,仿佛反穿的白狐大衣。鍋在“洋爐子”(煤油不打气爐)上,和爐子都熏得烏黑烏黑,越顯出豆腐的白。這是晚上,屋子老了,雖點著“洋燈”,也還是陰暗。圍著桌子坐的是父親跟我們哥儿三個。“洋爐子”太高了,父親得常常站起來,微微地仰著臉,覷著眼睛,從氤氳的熱气里伸進筷子,夾起豆腐,一一地放在我們的醬油碟里。我們有時也自己動手,但爐子實在太高了,總還是坐享其成的多。這并不是吃飯,只是玩儿。父親說晚上冷,吃了大家暖和些。我們都喜歡這种白水豆腐;一上桌就眼巴巴望著那鍋,等著那熱气,等著熱气里從父親筷子上掉下來的豆腐。
  又是冬天,記得是陰歷十一月十六晚上,跟S君P君在西湖里坐小划子。S君剛到杭州教書,事先來信說:“我們要游西湖,不管它是冬天。”那晚月色真好,現在想起來還像照在身上。本來前一晚是“月當頭”;也許十一月的月亮真有些特別吧。那時九點多了,湖上似乎只有我們一只划子。有點風,月光照著軟軟的水波;當間那一溜儿反光,像新砑的銀子。湖上的山只剩了淡淡的影子。山下偶爾有一兩星燈火。S君口占兩句詩道:“數星燈火認漁村,淡墨輕描遠黛痕。”我們都不大說話,只有均勻的槳聲。我漸漸地快睡著了。P君“喂”了一下,才抬起眼皮,看見他在微笑。船夫問要不要上淨寺去;是阿彌陀佛生日,那邊蠻熱鬧的。到了寺里,殿上燈燭輝煌,滿是佛婆念佛的聲音,好像醒了一場夢。這已是十多年前的事了,S君還常常通著信,P君听說轉變了好几次,前年是在一個特稅局里收特稅了,以后便沒有消息。
  在台州過了一個冬天,一家四口子。台州是個山城,可以說在一個大谷里。只有一條二里長的大街。別的路上白天簡直不大見人;晚上一片漆黑。偶爾人家窗戶里透出一點燈光,還有走路的拿著的火把;但那是少极了。我們住在山腳下。有的是山上松林里的風聲,跟天上一只兩只的鳥影。夏末到那里,春初便走,卻好像老在過著冬天似的;可是即便真冬天也并不冷。我們住在樓上,書房臨著大路;路上有人說話,可以清清楚楚地听見。但因為走路的人太少了,間或有點說話的聲音,听起來還只當遠風送來的,想不到就在窗外。我們是外路人,除上學校去之外,常只在家里坐著。妻也慣了那寂寞,只和我們爺儿們守著。外邊雖老是冬天,家里卻老是春天。有一回我上街去,回來的時候,樓下廚房的大方窗開著,并排地挨著她們母子三個;三張臉都帶著天真微笑地向著我。似乎台州空空的,只有我們四人;天地空空的,也只有我們四人。那時是民國十年,妻剛從家里出來,滿自在。現在她死了快四年了,我卻還老記著她那微笑的影子。
  無論怎么冷,大風大雪,想到這些,我心上總是溫暖的。
  (原載1933年12月1日《中學生》第40號)
白馬湖之冬
夏丏尊
在我過去四十餘年的生涯中,冬的情味嘗得最深刻的,要算十年前初移居白馬湖的時候了。十年以來,白馬湖已成了一個小村落。當我移居的時候,還是一片荒野,春暉中學的新建築巍然矗立於湖的那一面,湖的這一面的山腳下是小小的幾間新平屋,住著我和劉君心如兩家。此外兩、三里內沒有人煙。一家人於陰曆十一月下旬從熱鬧的杭州移居於這荒涼的山野,宛如投身於極帶中。
那裡的風差不多日日有的,呼呼作響,好像虎吼。屋宇雖係新建,構造卻極粗率,風從門窗隙縫中來,分外尖削。把門縫窗隙厚厚地用紙糊了,椽縫中卻仍有透入。風颳得厲害的時候,天未夜就把大門關上,全家吃畢夜飯即睡入被窩裡,靜聽寒風的怒號,湖水的洴湃。靠山的小後軒,算是我的書齋,在全屋子中是風最少的一間,我常把頭上的羅宋帽拉得低低地在油燈下工作至深夜,松濤如吼,霜月當窗,饑鼠吱吱在承塵上奔竄。我於這種時候,深感到蕭瑟的詩趣,常獨自撥劃著爐火,不肯就睡,把自己擬諸山水畫中的人物,作種種幽邈的遐想。
現在白馬湖到處都是樹木了,當時尚一株樹都未種,月亮與太陽卻是整個兒的,從山上起直要照到山下為止。在太陽好的時候,祇要不颳風,那真和暖得不像冬天。一家人都坐在庭間曝日,甚至於喫午飯也在屋外,像夏天的晚飯一樣。日光曬到那裡,就把椅凳移到那裡。忽然寒風來了,祇好逃難似地各自帶了椅凳逃入室中,急急把門關上。在平常的日子,風來大概在下午快要傍晚的時候,半夜即息。至於大風寒,那是整日夜狂吼,要二、三日才止的。最嚴寒的幾天,泥地看去慘白如水門汀,山色凍得發紫而黯,湖波泛著深藍色。
下雪原是我所不憎厭的。下雪的日子,室內分外明亮,晚上差不多不用燃燈。遠山積雪,足供半個月的觀看,舉頭即可從窗中望見。可是究竟是南方,每冬下雪不過一、二次,我在那裡所日常領略的冬的情味,幾乎都從風來。白馬湖的所以多風,可以說是有著地理上的原因的,那裡環湖原都是山,而北首卻有一個半里闊的空隙,好似故意張了袋口歡迎風來的樣子。白馬湖的山水,和普通的風景地相差不遠;唯有風卻與別的地方不同。風的多和大,凡是到過那裡的人都知道的。風在冬季的感覺中,自古占著重要的因素,而白馬湖的風尤其特別。
現在,一家僦居上海多日了,偶然於夜深人靜聽到風聲的時候,大家就要提起白馬湖來,說「白馬湖不知今夜又颳得怎樣厲害哩!」
0 notes
manganjiiji · 23 days
Text
さあ、デュエルしようぜ。
オーイシマサヨシの新曲。良いです。全員聞いてください。それでもおそらく遊戯王の新アニメの主題歌なのだと思うのだが、こんなおとな向け(かつての子供向け)の歌詞で大丈夫なのでろうかと思った。私は1度もデュエル、したことないが、ニコニコ動画ベータ世代なので、未来へと攻撃表示だ!と言われると、体の底からわくわくしてきてしまう。友人に借りっぱなしの遊戯王の文庫版1~10を、送られた箱をあけないまま実家に置いてしまっており、数年が経過しており、友人とは疎遠になってしまい(というか私が意図して離れてしまい)、かなりやばいなと感じている。私と遊戯王とのきずな。そんなところにもある。元は友人の書いた遊戯王の小説同人誌を読ませてもらい、それがあまりにも良かったので私が原作も知りたいと言ったところ送ってくれることになり、しかしそのころ私の生活および健康および魂は壊滅していたので、直ぐに送られてきたその文庫版入りの箱は、数年間引越し先を転々とした後、ついに実家に安置されている。送り返さなければならないという意識はかなりある。それと共に、実家に行くことの困難さが物理面でも精神面でもどんどん上がってしまい、このようにして、友人から借りたものの、返せていない物ものが、実家にかなり堆積してしまっている。最初の本屋の職場の先輩から借りたと思われる『鋼の錬金術師』など、なぜ、という感じだが、押し入れに入っていたりする。もうどう足掻いてもこの人生では巡り会えない方からの借り物である。借りパクである。なぜ。なぜ私は、どうやって返すつもりだったのか。先輩の連絡先はいったいどこにあるのか。分からなすぎて泣きたくなる。もちろん、鋼の錬金術師のコミックスの一部を失って泣きたいのは先輩である。ちなみに、だから何かということではないのだが、私の「これぞバイブル」と思う漫画は、友達に貸したまま消えているものがよくある。とにかく今手元にないとだめだ!と感じたタイミングで新品を買ったりしているが、多くの漫画を手放してしまったり実家に置いていたりするので、そのあたりは全然頓着していない。他人から借りたものはかなり心を圧迫している。今すぐどうにかできない、なぜ今までの私はどうにかしなかったのか、それもまたわからない、すべては最悪な先延ばし癖と、「元気になったらやる」という思考が諸悪の根源である。元気になどならない。病気のまま全てをやるしかない。もう絶対に他人に本や漫画を借りたくない。返せないので。とはいえ、いま実家にあるものは、できる限り送り返そうと思う。実家との関係がある程度良好になり、自分の部屋の整理に行く事ができたら、今度こそ全てにかたをつける。そんな日は来る。確かに来る。これは自信を持って言える。
なぜなら今、母親と激しくバトルしている。と、までは言うことはできないが、母親に再教育を施している。いつもの「たまにくる母からのLINE」への逆ギレなのだが、これが回を増すごとに、核心へせまってゆく。去年の夏から始まった、私の母親および父親へのキレ、心情の吐露は、今回とうとう「あなた達は産んだ子供を育てるということをしなかった」という言語化まで進んだ。これはLINEとはいえ、私はよく言ったなあと、言ってしまったなあと思った。ああこれでもう母親からは完全に捨てられるな、とマザコンの私は数日暗い思いをしたりもしたが、それから返信があり、最終的に、「今からでもお兄ちゃんに何をすべきだったのか、今から何ができるか、夫婦でよく考えてみてください。」まで言った。言い切った。おい本当に、36になってまで、生家の人間とこんな根源的なやり合いを……自分の家庭も持てないままで……みじめだなオイ、と思うが、これが現実なので仕方がないのである。その後、その話題に関しての返信はないので、この話はこれで終わったものにされている可能性があるが、折を見てまたつつくつもりである。親の体が動くのもあと10年といったところ。このあたりで最後の嫌味もしくはキレをぶつけて、それで動いてくれたらラッキーだし、何も変わらなかったらそれはそれで、諦めもつく。何もかも今更な話題ではあるが、生きているならまだ取れる責任がある。私が押し付けられる「ツケ」を少しでも軽くしたいため、親にできることは少しでもいいから、してから死んでもらいたい。なんでこんなことまで私が促さないといけないのか、という思考を最近やっとできるようになったが(カウンセリングの成果である)、将来兄の面倒を見る際のリスクヘッジを少しでもしておきたい。将来というのは、親が2人とも寝たきりになり、施設に入った時のことである。予想では10年後。この10年が終わったら、私の人生も、いよいよ(親の)ツケを払わされる最悪のパートが来る。そう、カウンセリングの先生は、3月にて退職となり、4月からは新しい先生にお世話になることになった。本当に前先生には、心から、全身で、お世話になり、という言葉では言い表せないほど、快方に向かうお手伝いを長らく(2年弱)していただいた。深く熱く感謝。こんなにいい先生とはもう生涯巡り会えないと思う。運が良かったとしか言いようがない。大好きだった先生。どうか幸せでずっといてほしい。
今日はミュージカル「VIOLET」を友人と観劇。その前に、友人の誘いで、生まれて初めてダーツに興じる。もうめちゃくちゃおもしろかった。ただ、最後の最後に私の肘の神経?が異常を訴え、時間もちょうど良かったのでそこで切り上げた。折に触れ右肩から右肘までの経路に痛みと違和感があるが、むち打ちみたいなもので、安静にさせておく他ないだろうと思う。的の真ん中(BULL)には1回だけ当たった。投げ方は安定せず、コツを掴む前に終わったので、ぜひまた行きたい。ミュージカルは、東啓介さん(もう10年は前の話になるが、舞台刀剣乱舞で燭台切光忠役だった)の歌唱が、やっと私の納得のいくレベルに到達した!という喜びに包まれた、記念すべき日だった。東啓介、これくらいはできるだろ、のハードルが私はかなり高いのだが、そのハードル、今日越えた。私の中で越えた。なんていいことなんだろう。悔いなし、とまで思った。これだよ、この東啓介の歌がききたかったんだよ。そう、俺はこの日を待っていた。そういう日だった。他にもミュージカルにはいい所がたくさんあったが、全体としてはなんだかもやもやとした仕上がりになっていて、部分点は高いが総合点が低い、という感じだった。藤田俊太郎さんの舞台を立て続けに見ていて(ジャージー・ボーイズ、ラグタイム)今回だったので、予算の低さや規模感、アンサンブルというか脇役の歌唱の貧しさ、ストーリーの飲み込めなさ、演出の山の作り方など、様々な点で靄がかかっていたように感じた。事前情報としてのあらすじや売り出し方も、見終わった今となっては「?」がある。何がどうなってこうなったのかはわからないが、どこかでどうにかなって、なんかこうちょっと違和感や不満足感がたまってしまう造りになっていたように思う。それでも東啓介と今日の主人公の三浦さん(Wキャスト)の歌唱がよかったので、私が今でも東啓介を追いかけていなくてよかったなと思った(追いかけていたらリピートしてしまっていたと思う。チケット代は今の私に身分不相応な価格である)。もう1人のキャストの屋比久さんのバージョンも気になってしまう。ストーリーに最終的にそこまで納得感がなかったため、主人公の差で何か変わるかどうか確かめたい気持ちもある。それにしても立石俊樹さんの顔面がほんとうに美しかったな、という思いがちらちら脳内をよぎる。立石俊樹さんはA3!の茅ヶ崎至さんの役者さんでもあり、かなり、かなりわたしは顔面が好みである。染谷俊之ラインというか、高校でいちばん顔が好きだった女(3年時にはミスに選ばれた)も完全にここだった。とにかくこの顔に弱い。この顔に弱いわりには高校でいちばん顔が好きだった女は、吹奏楽部で同じパートだったため、毎日ガチギレして、無言のまま帰路をたどり、無言の圧により泣かせたりしていた。若気の至りであるが、私の怒りもまた本気だった。彼女とは最終的にいい関係を築き、社会人になってから腹を割って話し、お互いの青春の傷を慰め合うなどのエピソードも発生した。今ではどこかで幸せな家庭を築いている。高校の友人たちとは年に一度部活のメンツで集まる慣例があったが、コロナ禍とみんなの子育ての忙しさがかさなり、そこで途絶えた。独身組がどうしているのかとか、私は結構また集まりたいなと思うしいろいろ親になった人間とも話したいことはあるのだが、まあもう難しいだろうなと思う。みんなの子供が中学や高校生になる10〜15年後あたりに、声をかけてみるのはいいかもしれない。
らでんさんというホロライブのVTuberの方の美術に関しての動画が良かったので、今日はラジオの動画を飛ばしながら見てみた。こういう文化人もVTuberをやっているの、いいな、と感じる。私もバ美肉(バーチャル美少女受肉)して、日本史の講義とかやりたい。
結局本屋かなと思った。体力さえ続くなら、一生本屋がいい。体力が続かないために本屋をやめなければならない気がしているが、それってそもそもがマイナスな考えではないだろうか。屈強な肉体を手に入れ、死ぬまで本屋でもいいではないか。今日初めて、本気で、自分が書店を構えるとしたら、ということを考えた。今までは空想や妄想でそういう話をすることがあったが、今日は、それをするとしたら何年後までに何をして、ということを具体的に考えた。まず既存の書店で管理職(店長等)になることは経験として必須だとして、しかしそれだけでは個人書店はひらけない。「ふつうの」書店業務をこなすだけでは、独立系書店は成功しない(書店の実店舗というのは急激に消滅に向かう存在である)。立地や選書を工夫し、広報を工夫し、イベントを開催し、コーヒーを出し、それでも、厳しい世界である。私は正直ここで、本以外を売ってしまえばいいのではないかと思った。すなわち、アニメグッズ。天下のアニメイト様が出店していない場所で、天下のアニメイト様のおこぼれをちょうだいするというか、ムービック以外の商品を入荷し、アニメイトで売り切れててもあそこにいけばあるかも的な隠れ家風グッズ屋さんをかわいい内装で作る。ターゲットは20代女性。アニメイトの客層は中高生だし、小さな個人経営のグッズ屋ができたところで敵視はされない(あたりまえ)。20代女性オタクが欲するタイトルのグッズだけをメーカーから直で入荷する(もちろん、ムービック=アニメイトの商品は入荷できないが。いや、できるのか?)。あんスタならパティスリーというメーカーの商品を入荷できれば、それだけで商売が立ち行く可能性もある。ただし、都市圏ではこれは通用しない。新商品発売日に在庫が全て売り切れ、その日にはお客様の列は店から道路にはみ出してなお50mは続くであろうからである。新商品は発売日に売り切れでも、なんらかの再販の商品を常に買える、洒落た店内の(いわゆる映え)グッズ屋さん、女性向けコンテンツのみ取り扱いなら、ちょっとした「(女オタクの)心はずむ店」になるかもしれないし、そこに書店を併設すれば、コミックの売上は見込める。現在、書店の実店舗はコミックの売上が屋台骨である。独立系書店はコミックを置かないことが多いが、私はコミックが好きなので、やるとしたらめちゃくちゃコミックを置く店舗にしたい。あと絶対にめちゃくちゃ万引きが難しい店舗として犯罪グループに認知させたい。というか、万引きが難しい店舗として犯罪グループに認知させる事ができなければ、コミックを置くことはできない。個人の万引きではなく、そういう犯罪ネットワーク(おそらく情報交換の場や買取先)があり、書店はつねにそれと戦っている。最近はどんな犯罪も組織だなと感じる。個人の犯行ではなく、組織犯罪と戦わなければならない。または、個人で犯罪をする(犯罪で手に入れたものを個人で利益化できる)ような豊かな時代は終わったとも言える。実行犯として捕まるのは末端の切り捨て要員であり、彼らも貧困の中で、組織に搾取されている側の人間である。犯罪者に同情の余地はないが、そういうトカゲのしっぽがうじゃうじゃいて、そういうトカゲのしっぽを使う組織があり、その組織がどこかで「クリーン」なものへと姿を変え、私たちは犯罪に加担していると知らぬまま消費行動を通じてかれらに益をもたらしてしまう。最悪な世の中であるが、政府や与党の発言を見ていれば、そのような腐敗はこの世の中にいくらでも蔓延る隙があるだろうと思える。南無三。
とにかくジャンプラ、ヤンジャンなど集英社がアプリでがんがんインディーズ発掘に成功しまくっている今、ジャンプコミックスはまた勢いがある。他出版社も電子書籍のコミックス化で結構紙の本も売っている。ジリ貧ではあるが、どうしても紙で揃えたい漫画を、Amazonではなく実店舗で買っていただく。そのための仕掛けを作れば、コミックはまだもう少し書店を支えてくれると思う。どうしても紙の本は電子書籍に勝てない。なぜか。電子書籍はコストがほとんどかかっていないので、定価よりもかなり安く売ることができる。人は当然安いほうを買う。文字情報が載っているのが紙か画面かの違いでしかない。そして電子書籍は場所を取らないので、日本の住宅にぴったりである。本屋(実店舗)はなんのために必要か。それは勿論、本が好きで、本を売りたい人が、それを仕事として行うため。買いたい人は全然いない。いたとしても日本全国に散らばっている数少ない愛好家のため、わざわざどこか1箇所にある実店舗まで��を運ぶことはほぼ不可能。でも、本屋で働きたい人は溢れている。本を買うのも、本を売るのも一瞬だが、本は読むのにその何千倍もの時間がかかる。それが、ほかの小売や飲食と比べて、かなりのディスアドバンテージ���なっている。もっと人間全員が本を読むようにならないかな。素敵な本をさ。
2024.4.7
1 note · View note
tsuntsun1221ts · 23 days
Text
2024.02 岩木山(撤退)
Tumblr media
一面銀世界だが残念なことに撤退、夏道とは必要体力が大違い
以前秋にも訪れた青森県の岩木山。今シーズンはまだ十分な積雪のある雪山にのぼれておらず、東北ならと思ってわざわざやってきた。前回と同様に行きは弘前行きの夜行バス、帰りは新幹線を使用。夜行バスは0640くらいに弘前BTに到着し、岳温泉行きのバスが0710に出発する。前回の秋は9時くらいが始発だった気がするが、早い時間に出てくれて大変助かる。乗客は5名だが、登山目的は自分ひとりだけ。
Tumblr media
約1時間で岳温泉に到着。いい感じに雪が積もっている。また空は曇りだが高層雲のため、これから登る岩木山もてっぺんがちゃんと見えている。
Tumblr media
登山口の鳥居。積雪は1m以上といったところか。
Tumblr media
本日付いたと思われるトレースが残っているが、たぶん入山者少ない。
【コースタイム】嶽温泉神社(0820)→八合目駐車場(1100-1105)→鳥海山(1150-1155)→鳳鳴ヒュッテ(1210)→八合目駐車場(1240)→嶽温泉神社(1345)
Tumblr media Tumblr media
最初はなんと2時間も延々と樹林帯の通過に費やした。樹林は雪を被りキレイだった。コンコンコンと木を叩く音が聞こえたが、あれはキツツキが巣を作っている音か?周りに登山者が誰もいないので、聞こえてくるのは自分が動くときに出す音のみ。非常に静か。
一方道に関しては、トレースをたどってもパウダースノーのためすぐ埋もれてしまい(ワカン装着)、常に雪の抵抗を受けながら進まざるをえない。ラッセルとは言えない程度の雪の深さだが、雪の抵抗により体力の消費が普段の1.5倍はあった。
Tumblr media
岩木山山頂ではないが、手前にある鳥海山のピークが見えてきた。あの上まで登り、さらに先に岩木山が隠れている。
Tumblr media
8合目駐車場のすぐ手前。どこにも色がなく、白銀の世界。見えているのは岩木山手前の鳥海山。
Tumblr media
ここまで登ると森林限界超えるため、振り返ると麓が一望できる。
Tumblr media
8合目駐車所に到着。麓から2時間経過。秋に登ったときはここまで1時間だったが、積雪による歩きにくさと体力の消耗がかなり違う。シーズン中は岩木山スカイラインにてこの駐車場までバスが出ているが、さすがにオフシーズン中は閉鎖されており、自力で登るしか方法は無い。またRWもご覧の通り雪に埋もれている。
Tumblr media
駐車場は完全に雪の下。
Tumblr media
続いて埋もれたRWに沿って登る。依然としてパウダースノーのためトレースたどっても足が深く埋もれてしまう。先行者発見。
Tumblr media
日本海が見えた!
Tumblr media
RWを登り切るのにさらに1時間。鳥海山に到着した。
Tumblr media
ようやく目的の岩木山が姿を現したが、はさらに奥。しばらく水平移動と先ほどよりラクになるが、今度は雪質がカリカリに変わりワカンからアイゼンへ切り替えた。
Tumblr media
RW頂上駅から15分水平移動して鳳鳴ヒュッテに到着。使用できないほど雪に埋もれている・・・これヒュッテだよね?
Tumblr media
さてここから先は山頂への最後の急斜面となる。本来なら岩がかなりゴロゴロしたやや危険な道だが、この季節は雪で均されている。ここから山頂までさらに1時間くらいは必要か?ここまでの体力の残量、日没までの時間の関係だったり、また帰りのバスの時刻からして登頂するのは得策ではなく、目前にして残念だがここで撤退することとする。先行者が2名いたが、そちらは登る模様。ふたりともマイカー組。
Tumblr media
山頂に登らいないと見ることができない方面の景色が一部だけ見える。撮っておく。
Tumblr media
下山時は景色一望でき、日本海と麓の街など、天気はそこまで悪くなく良い。
Tumblr media Tumblr media
振り返ると山頂にアタック中の2名が小さく見える。
Tumblr media
下山中。
Tumblr media
8合目駐車場。もう一人登ってきた。
Tumblr media
ここから下は樹林帯となる。白い樹林帯が眼下に広がる。
Tumblr media
下山時は雪が深くとも重力で歩が進むので早く、体力もそこまで消費しない。
Tumblr media
再び静かな森の中へ。
今回の教訓は、あまりマイナーなところに行くと、登山者が少ないためトレースが踏み固められてないので雪が深く、体力の消耗が大きく、限界を早く迎えてしまうということ。雪山ではやはりメジャーなところに行ったほうが良さそうである。岩木山は百名山でもあるのだが、やはり同じ青森県ならみんな八甲田山の方に流れてしまうか。自分もそっち登れば山頂まで行けたかな(RWもやってるし)。
0 notes