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#静岡花嫁
poddyshobbies · 12 days
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野芥縁切地蔵尊(福岡市早良区)
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全国的に有名なようで、多くの人の深い願いが込められた場所であります。
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説明板の前に車1台分の駐車スペースがあります。バス通りからもそう離れてません。(資さんうどん野芥店がある辺り)
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事の起こりは何と「和銅」の頃 ~ 『1300年程前に粕屋の姫が重留の長者の息子に嫁ぐ途中、「花婿は死んだ」と嘘の知らせを信じて野芥の地で自害。姫を不憫に思った村人が弔うために建てた』(福岡市のページより)のが始まりだそうです。その後に男女の縁切り、今は一切の悪縁諸病との縁切りに霊験あらたかであると全国的に有名になったそうです。
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お堂は昭和60年に火災で全焼し、その後に再建されてます。階段を登る必要がありますが、決しておどろおどろしい場所ではありません。
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火災防止のためマッチやライターは置いてないので必要な人は持参してください、またろうそくに火を灯した場合は必ず消して帰って下さいとなってます。(祈願文を留める押しピンは置かれてます。また、近所にマックスバリューがあります。)
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お地蔵さまは縁切りを願う人々によって削られてきたそうです。
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近所のリサイクルショップ TOMO(南へ歩いてすぐ)で絵馬を取り扱ってるそうです。
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手水舎
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すぐ前の裏道を通るバスもある ~ 国道まで出た方が便数が多い。
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お堂側の階段から
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こちらは何気にスルーしました。(個人が置いたように感じた)
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駐車スペース側の階段から
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福岡在住でも知らない人が多そうだし、知ってても「むやみにお参りする場所じゃない」って思ってる人も多そうです。確かに多くの人の切実な願い・念が込められた場所で���ありますが、お姫様を弔う気持ちや自分の邪心を静める気持ちでお参りするのは良いのではないでしょうか。とは言っても、他の参拝者が居る時は邪魔にならないよう時間を空けたほうが良いかもです。「迂闊に参拝してはいけない神社」(実際にあると思う)とは違って、多くの神社仏閣と同じで心を静めることができる場所のように感じました。まして、縁切り祈願で訪れる方にはなおさらではないでしょうか。(ちょっと言い訳っぽくなってます)
2024.4.14
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つて��ぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) …��…………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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bearbench-tokaido · 3 months
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発端 その一
青空に白い雲がゆっくり流れている。 こののどかな空模様から、町の方に眼を移すと、土蔵の白い壁が長く続き、行き交う人はみな急ぎ足である。 花の都は東京の、いえいえ、これは、まだ、東京が江戸と呼ばれていた頃の話である。 今の世と変わらずこの狭い日本では、繁盛すると、物価高になるのは道理らしく、土地の値段も上がりっぱなで、破れた傘の置き場まで、地主は無料では使わしてくれないほど。 でも、田舎者は、江戸に行けば、一儲けできるものと考えているものも多く、出かけてくる。 その幾多の中に、駿河(静岡市)出身の、栃面屋弥次郎兵衛(とちめんややじろべい)がいた。
この者、親の代からの商人で、なかなか繁盛していたが、色と酒とにはまり、しかも、旅役者である、華水多羅四郎(はなみずたらしろう)が抱えていた、鼻之助(はなのすけ)にいれあげて、とうとう店を潰してしまった。そのまま、駆け落ち同然に鼻之助を連れて江戸に逃げてきた。 さて、その弥次郎兵衛は、江戸は、神田八丁堀で借家住まいを始めたのだった。 逃げてきた時に持ってきたわずかの金で、暮していたが、ついに有り金を使い果たし、鼻之助を北八と名乗らせ、相応の商人のところに奉公に出した。 また、弥次郎兵衛といえば、絵など描いてその日暮らしをしていた。 そんな生活を見かねた近所の気のいい人たちが、嫁を世話してやる。 この女房、名前を「おふつ」といい、気立てのいい女で、弥次郎兵衛も落ち着いた生活をしだした。
それから、早、十年がたった。弥次郎兵衛は、相変わらずの貧乏な生活だった。
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<弥次郎兵衛>
「おふつさん。ちょっとばかり、醤油を貸してくれないか。」 隣りに住む「おちよ」が声を掛けながら、弥次郎兵衛の住まいを覗き込む。そこには、「おふつ」のほかに「おくん」もおり、三人で、井戸端会議が始まる。 と、そこへ、主人の弥次郎兵衛が帰ってくる。 「ええい、この犬は、いつも俺の家の裏口に寝てやがる。」 弥次郎兵衛は憎々しげにその犬をみた後、 「おおい、おふつ、お飯だ。」 おふつは、弥次郎兵衛が酔っているのをみて、 「お前さんは、酒は飲んできて、飯はまだ食べてないのかね?」 「居酒屋へは行ったが、居飯屋へは行ってない。」 「なんだい、その居飯屋ってのは。」
おふつは、ムッとして更に、 「そういえば、北八さんの所から度々人が来ていたけど、ありゃなぜだい。」 「ああ、あれか、俺に、金を貸せという催促だ。」 自慢そうにいう弥次郎兵衛に、おふつは、あきれて、 「なにを考えてるのやら。で、どうしたんだね。北八さんは。」 「どうやら、女に入れ揚げているらしい。で、店の金を少しばかり使い込んだとか。」 「おやまあ、ふん、それで。」 「まあ、ばれりゃ、店を追い出されるのは当たり前だが、ここで、追い出されると都合が悪い。実は、北八の勤めている店の主人が、この前、卒中で倒れたんだ。で、この主人には、若くて美しくいかみさんがいる。」 「・・・」 「しかも、このかみさんは病弱で、これも時間の問題。北八は、このかみさんといい仲で、もしかすると結婚するかもしれねえ。これは、俺にとっても悪い話じゃねえ。それで、失敗しないようにしてやってるのよ。さあ、飯だ。」 と、自分の言いたいことを言うと、飯を食べはじめる。
「駿河は府中の弥次郎兵衛殿は、こちらか。」 と、突然の声に、おふつが表に立っていくと、年の頃は50位の旅姿の侍が頭をさげている。 「は、はい、こちらでございますが、どちらさまです。」 と、ちょっと、びっくりした様子のおふつにかまわず、その侍は、 「ちょっと入らせてもらいます。」 と、30過ぎの女と共に入ってくる。
それを見ていた弥次郎兵衛、 「こ、これは、兵五左衛門様。妹様と一緒で、どうされました。」 と、いかにも驚いた様子である。 「どうと言うことはない。この妹をお前さんの嫁にと連れてきた。と、言ってもなんのことか解らないだろうが。」 と、兵五左衛門、説明を始める。
その侍の説明するには、どうやら、兵五左衛門の妹「おたこ」は、駿河で弥次郎兵衛と付き合っていた。 しかし、弥次郎兵衛が黙って逃げてしまったので、兵五左衛門は別の男に嫁がせようとしたのだが、おたこは、弥次郎兵衛以外の男はいやだという。しかたがないので、こうして連れてきたそうだ。
つづく。
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thyele · 1 year
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2023年4月22日
ラッコの水槽にiPhoneを落としてしまい、ラッコにより徹底的に叩き割られる | エピネシス https://epinesis.net/archives/post-12888.html
♠Schattenblume♠さん「ネット販売の注意喚起として聞いてほしい 最近は¥マークによる詐欺や間違いが多いとか…(;´∀`) 「¥」マークを巡ってトラブルが相次ぐ。中国の人民元と日本円の記号はともに「¥」なのはどうしてなのか(久保田博幸) #Yahooニュース」 https://twitter.com/KOHLAB1/status/1648866879098978304
谷原章介、「唐揚げ1.5キロ」10人家族を支える料理愛 毎日キッチンに立つ思い | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2276068/full/
「日本の首相を殺害します!」岸田総理大臣に対する殺害予告メールが衆議院に届く 不審物などの異常なし - ライブドアニュース https://news.livedoor.com/article/detail/24098937/
4.28公開『中森明菜イースト・ライヴ インデックス23 劇場用4Kデジタルリマスター版』公式さん「/ #中森明菜 さんご本人からの 音声メッセージ上映決定!! \ 1989年…デ��ュー8周年の伝説の野外ライヴが劇場で蘇る! 『中森明菜イースト・ライヴ インデックス23 劇場用4Kデジタルリマスター版』 4月28日(金)TOHOシネマズ日比谷 ほか全国の映画館にて公開 ▼予告編」 https://twitter.com/eastlive1989/status/1648864890034192386
heidi_staffさん「【NEWS】 New Single「エゴ」2023年5月6日発売! ★ライブ会場、heidi. store、主要配信サイトにて heidi. store→ 5月6日よりワンマンツアー「heidi. Road to 17th Anniversary Tour-EGO-」がスタートします! 公演詳細はこちらをご覧ください。」 https://twitter.com/heidi_staff/status/1649382485917315072
WBCで活躍のヌートバー、日本で〝CMデビュー〟へ 森永製菓と広告契約「光栄に思う」 - 産経ニュース https://www.sankei.com/article/20230420-Z5GATS4MDVCJDERKIWDRTRE56Q/
逹瑯 solo works officialさん「/ 出演決定🎤 \ [VOCAL SUMMIT 2023] 2023年9⽉23⽇(⼟) EX THEATER ROPPONGI [VOCAL SUMMIT CLASSICAL] 2023年9⽉24⽇(日) ⼤⼿町三井ホール 🎫HP先⾏🎫 https://t.co/j72YhFdqyQ 📅2023/4/21(金)20:00~5/7(日)23:59 📱詳細はコチラ👇」 https://twitter.com/tatsuro_sw/status/1649338433968685056
KISAKIさん「【トレーラー映像解禁】 -KISAKIバンド活動30周年企画第二弾- フルアルバム三ヶ月連続リリース!! ■FULL ALBUM 2023.4.26 「Providence」 LCD-010 3,300円(税込み) 10曲入 ※2曲入りCD「Another Image」プレゼント応募券封入。 #拡散希望」 https://twitter.com/KISAKI_OFFICIAL/status/1646458444499791872
サザエさんは24歳!?年齢にびっくりしたアニメキャラランキング【52キャラまとめ】|穴子さん,フグ田サザエ,磯野波平|他 - gooランキング https://ranking.goo.ne.jp/column/8712/
びっくりドンキーの「クソデカ観音開きメニュー表が消えた」とネットで目撃談多数 「便利」と歓迎の一方「好きだったのに」と寂しがる声も……(1/2 ページ) - ねとらぼ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2304/14/news167.html 先日とある店舗で食べたら冷えててガッカリした。
カフェで大事な仕事すな! 情シスがPCを閉じて回るBOSSのCMがIT業界に刺さる(1/2 ページ) - ねとらぼ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2304/19/news130.html まさに先日友人とこんな話を(笑)。
KINGRYOさん「皆様よろしくお願いします🎙♬」https://twitter.com/kingryoworld/status/1649338935624241158
前田 航 (ジャイアリズム) 🕊さん「2023.05.21 (日) 神戸三ノ宮 CHICKEN SHACK GIA RHYTHM〜ジャイアリズム〜 Aacoustic One Man Live 「鳥の巣」 開催決定‼︎ https://t.co/d6RsOfXoBL」https://twitter.com/GIA_RHYTHM/status/1649381041864589312
4PRIDEさん「4.22 広島 4.30 岡山 5.5 津山 5.13 水島 5.27 神戸 6.10 愛媛 6.17 豊橋 6.24 京都 7.8 平塚 昔から色んな所でライブさせてもらったけど、 この歳になって、まだ踏ん張れてる事、 支えてくれる人達に心から感謝。 まだまだ同世代にも若い奴らにも 絶対負けん、負けたくない!🔥 https://t.co/5OUxVqpVX8」https://twitter.com/4PRIDE0868/status/1649351782978695169
優貴さん「YUKI×惑 『Chain of Addict』 Its addiction is a chain reaction. https://t.co/2COQLlLicN 映像:YUKI 作曲,Voice:惑(@MSDV_infomation https://t.co/mW0xuyaSrT」https://twitter.com/YUKI8686kk/status/1639594644085563393
JROCK'N'ROLLさん「私? ゼツメイです! https://t.co/5Yc3fx1m0T @zetsumei_info 一番! https://t.co/Tz9JZx8EPK」https://twitter.com/JROCKNROLL_/status/1649524332069093377
JROCK'N'ROLLさん「If you need a band or event logo. Be free to contact JROCK'N'ROLL. JROCK'N'ROLL also does create logo's! バンドやイベントロゴをお探しの方。 JROCK'N'ROLLにお気軽にご相談ください。 ロゴの作成も行っております! 以下、いくつかのサンプルをご紹介します。 宜しくお願い致します! https://t.co/A85KN8K7OR」https://twitter.com/JROCKNROLL_/status/1649422064372142084
ドリームカプセルの中の人【公式】さん「🌟新入荷ガチャ商品プレゼントCP🌟 世界中で愛されているキャンディがかわいいクリアポーチに! 「チュッパチャプス クリアポーチ」 フォロー&RTしていただいた方の中から抽選で2名様に全5種セットをプレゼント🎁 ドリカプへの入荷日とキャンペーン詳細は↓ #ドリームカプセル #ガチャ専門店 https://t.co/L4sCVYOgJo」https://twitter.com/dreamcapsuleCEO/status/1649340775715721217
BOYS ROOM🚹🚺さん「リハーサル終了🍻 全員揃ったのは2月の上野以来でした。 Kakeru・SAWAお疲れさまでした〜 バンドは楽しいね🎶 今日も1日🙏 https://t.co/ot4oCQV2bX」https://twitter.com/BOYSROOM_info/status/1649041794196459521
Deshabillz2023さん「暇人写真没収公開、良かったな入院長引いて、おは 押忍! 1枚目は静寂の花嫁の原曲者で後にブランシュ行ったゆーじだ!30年前だな ぴったり、この人2歳上でな、初めてバンド組んだ人だ もう1枚は出回ってね?俺持ってるぞ笑 押忍!若い笑 19歳だから僕 押忍!クソガキ笑 そだよー #93年3月13日 https://t.co/aVVYjsSqxP」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1649523028542500864
Petit Brabanconさん「\チケット一般発売中🎫/ #PetitBrabancon Tour 2023 「INDENTED BITE MARK」 ⚠️残り僅か⚠️ 台場_SSスタンディング※ 台場_2階SS指定 台場_2階指定席※ 仙台_2階指定席 横浜_2階指定席 ※予約キャンセルにて若干枚数復活いたしました 🚫予定枚数終了🚫 福岡_2階指定席 🔗https://t.co/ODgQ8YgK4P https://t.co/fJAT3EUxA2」https://twitter.com/PetitBra_staff/status/1649608967734034433
ぶいにゃす😺🎀🍓さん「おはにゃ〜🍓 27年前の今日1989年4月22日はROUAGEがメジャー1枚目のシングル「Queen」をリリースした日にゃ〜💿 というわけで「Queen」のイントロ弾いてみたをアップにゃん🎸 #ROUAGE #Queen https://t.co/VG33TEVkuY」https://twitter.com/buinyasu/status/1649580608849596416
Crack6 officialさん「【Crack6 一般発売本日より開始‼️】 Crack6 2023夏TOUR 6月11日(日) 高田馬場👉7月2日(日) 渋谷REX ※全7公演 スタンディング:8,500円(税込/D別) 【一般発売(先着)】 4月22日(土) イープラスhttps://t.co/QsE35An8zB https://t.co/7uiPsAijpD」https://twitter.com/Crack6_info/status/1649578773296324608
indigo la Endさん「【明日・MVプレミア公開】 「瞳のアドリブ」 Music Video 明日4/23(日) 19:00 YouTubeプレミア公開決定! ↓↓ https://t.co/UHmb54AHPV https://t.co/Sy9jmNdlDn」https://twitter.com/indigo_la_End/status/1649609314502598660
源 依織さん「DavidとPhobiaの2manぶりにSUI君の横でギター弾いてきます。笑」https://twitter.com/prin_guitarist/status/1649587940564291585
凛として時雨さん「【TK初の書き下ろしエッセイ発売決定】 6/21にTK初の著書『ゆれる』の発売が決定。 TK自身の生き方や哲学を綴った書き下ろしエッセイ。本日より予約を受付開始いたします。 @uni_mafumafuさん、@iwaiyu_kiさん、@TONOHARUKAさんからコメントが届いています。 📕予約:https://t.co/FytxvUXGBH https://t.co/oUzhuS725c」https://twitter.com/sigure_official/status/1649352279940538368
umbrella.officialさん「【ソロ情報】 唯 2nd ミニアルバム 『iroha』 収録曲「切り刻んだ日常」 リリックビデオが 2023年4月24日 21:00 にプレミア公開! https://t.co/n1DAVXV8Ea https://t.co/JtG7HatyKJ」https://twitter.com/umbrella_DATA/status/1649405137998295040
BEAT SHUFFLEさん「≪5/5 BEAT SHUFFLEゲスト速報②≫ 5/31に5th Anniversary ニューシングル 「ラブレター」をリリース♪ 【The Brow Beat(#Ryuji #HAKUEI)】が8時台にリモート出演! #TheBrowBeat #bs795 #NACK5 https://t.co/6O0DARXCED https://t.co/nUcEC2MIX0」https://twitter.com/beat_shuffle/status/1649367471361761280
kazuyaさん「マイフォLIVE活動再開致します 今後活動的にはかなりフルスロットルになります それは夢に少しでも近づけるための 僕らなりの決意です そしてみんなを置いてかないようにするための どうすれば良いか大阪に来る新幹線の中で LINEで打ち合わせをしてきました それが正しいのかわかりませんが頑張ります」https://twitter.com/kazuya2418/status/1649340525168971778
ROCK_AND_READさん「【RR106内容紹介その13( #Ryuji #HAKUEI / #TheBrowBeat )】『五感』始動から5年。2人に5周年にまつわる話を聞いた。そもそもバンドがやりたかった俳優の佐藤流司がRyujiとして、PENICILLINのHAKUEIと組んで始めたThe Brow Beatは「ユニット」ではなく「バンド」なのだ。 https://t.co/6ofd3ffqCL https://t.co/D0qdstzSD0」https://twitter.com/rock_and_read/status/1649352046108381185
SUIさん「【SUI】 7/5 First&Last Mini Album発売決定! ▼発売記念東名Event Live 7/6 EDGE Ikebukuro Live Member Gt/cero(from 縁) Gt/源 依織(from Phobia) Ba/Toshi Dr/Seira(from AURORIZE) 7/21 HOLIDAY NEXT NAGOYA Live Member Gt/cero(from 縁) Gt/源 依織(from Phobia) Ba/Toshi Dr/Syu(from 縁) https://t.co/SIde4wjyHY」https://twitter.com/_David_SUI/status/1649382486760357889
KiD officialさん「【KiD feat.真宵new digital single release】 2023年4月23日(日) 「君のせいだ」 ストリーミング、ダウンロード配信開始!! https://t.co/OZMD39XQWd 「君のせいだ」リリックビデオ https://t.co/vrutKjzerQ https://t.co/FmzC1O5sRI」https://twitter.com/KiD__official_/status/1649352284869111811
芥 Chantyさん「改めて、ご心配おかけしました。 本日、正式にライブ再開について問題無いだろうとの診断を受けました。 ギリギリになってしまい申し訳ないです。 4月23日千葉LOOKからのライブ全て、噛み締めながら臨んでいきたいと思います。よろしくお願いします。」https://twitter.com/chanty_akuta/status/1649341902817492992
PALOOZAさん「【明日土曜日チケット一般発売開始!】 5/7 清春 LIVE 『alive』 L コード:71503 販売ページU R L : https://t.co/yL9Tq3x22n イープラス ■購入ページURL https://t.co/2fncajcgPl https://t.co/Dd1rkM9fzx」https://twitter.com/palooza_com/status/1649312331573366786
LIZA🩸IX🪓さん「QUASI | Official Trailer | Searchlight Pictures https://t.co/McWMeg6viq @YouTubeより 👆👆こちらは現在Hulu限定配信の 【QUASI】と言うコメディー映画🎥に 🩸INKの👑Spencer🎤さんが 参加ってカメオ出演した模様です😃😃 わぁーーー観たい😆😆探したい😆 出演したのかなぁ🤩」https://twitter.com/310_odas/status/1649373572530597894
Ryo-Taさん「先日の『無予告無観客無配信無化粧GIG』です!暇な時にでも見てください( ´ ▽ ` )ノ OmegaDripp/SEX DISTRACTION Instagramで最後まで見れるね https://t.co/zXEJ1K1GRb」https://twitter.com/Ryota666J/status/1503345116177600513
Ryo-Taさん「時迫る! 久しぶりっぽいOmega DrippのGIG イン池袋手刀!! 既にCHARGEEEEEE…氏が来日してるとかしてないとか…。お楽しみに!!! 5/1(mon)池袋手刀 「Omega Dripp(チャージだけ)来日公演 -Ah〜気づけばCHARGEEEEEE...が1人売れてる-」 Omega Dripp 少女S E.T camellia dystrudia 開演 18:00 https://t.co/Z3x41nqyvq」https://twitter.com/Ryota666J/status/1649383725371899906
杉本善徳(Waive)さん「限られすぎた範囲の話だが、 太ももの部分の生地がほつれるの、エレキギターを弾くけれど深く爪を切れないタイプでトラックパンツ(ジャージ)などを履く人あるあるなのでは? https://t.co/9uyDF59iTy」https://twitter.com/ys1126/status/1649300554395582464
杉本善徳(Waive)さん「コレ、届きました! https://t.co/VRoT3bypo0」https://twitter.com/ys1126/status/1649592842917134336
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greenroomyuka · 1 year
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静岡県からレカンフラワーの体験レッスンにお越しいただきました。 私は久しぶりに体験レッスンを担当しました〜 熱心に聞いてくださるのでいろいろお話し出来ました。 遠方からレッスンの場合は、一日で2〜3レッスンまで できます。ご相談くださいね。 これから冬のビオラやパンジー、水仙 等レカンフラワーには向いてる花が咲いてきます。この時期に始められるのはほんといい時期🌸🌸🌸 ご連絡お待ちしてますね。 #プロポーズフラワー  #結婚式ブーケ #プレ花嫁  #ブーケ保存 #保存加工専門店 #アフターブーケ #108本バラ #ダーズンローズ  #赤バラ #ドライフラワー  #レカンフラワー #レカンフラワー教室 #体験レッスン #アミュレットフルール #フラワーアレンジメント #ドライフラワー #一般社団法人押花芸術協会 #花と緑の研究所 #花 #杉野宣雄 #花と緑で彩る暮らし #花保存 #名古屋花屋 #グリーンルーム由花   #アトリエ由花 #名古屋 (フラワーアレンジメント教室 グリーンルーム アトリエ由花) https://www.instagram.com/p/CllgZ6Oy5Ie/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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honyakusho · 5 months
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2023年11月24日に発売予定の翻訳書
11月24日(金)には30冊の翻訳書が発売予定です。 そのうち、ハーパーコリンズのロマンスが14冊です。 ジョジョで英語を学ぶ本は純粋な翻訳書とは呼びにくいのですが、おもしろそうなので入れてあります。
ドゥニ・ヴィルヌーヴの世界 アート・アンド・ソウル・オブ・DUNE/デューン 砂の惑星 [普及版]
タニア・ラポイント/著 ドゥニ・ヴィルヌーヴ/著 ブライアン・ハーバート/著 ケヴィン・J・アンダーソン/著 阿部清美/翻訳
DU BOOKS
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ザ・シークレット・ランゲージ・オブ・ライト
デニース・ジャーヴィ/著 ダニエル・B・ホールマン/イラスト 福山良広/翻訳
ガイアブックス
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宇宙の途上で出会う
カレン・バラッド/著 水田博子/訳 南菜緒子/訳 南晃/訳
人文書院
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もし友だちがロボットだったら? : 哲学する教室のつくりかた 30の授業プラン
ピーター・ウォーリー/翻訳 永井玲衣/翻訳 小川泰治/翻訳 古賀裕也/翻訳 後藤美乃理/翻訳 ほか
晶文社
新装版 バウムテスト活用マニュアル : 精神症状と問題行動の評価
D.カスティーラ/著 阿部惠一郎/翻訳
金剛出版
オー・ヘンリー ショートストーリーセレクション 全8巻セット
オー・ヘンリー/著 千葉茂樹/翻訳 和田誠/イラスト
静山社
クロザピン ハンドブック
Jonathan M. Meyer/著 Stephen M. Stahl/著 藤井康男/監修 ほか
星和書店
『ジョジョの奇妙な冒険』で英語をたっぷり学ぶッ!
荒木飛呂彦/原著 マーティ・フリードマン/監修 北浦尚彦/翻訳
集英社
ブッダの奇しき事跡 : 梵文根本説一切有部律破僧事 全訳 上
平岡聡/著
法藏館
カラス殺人事件
サラ・ヤーウッド・ラヴェット/著 法村里絵/翻訳
KADOKAWA
インフィニット・フロンティア
ジョシュア・ウィリアムソン他/著 ジェルマニコ他/イラスト 中沢俊介/翻訳
小学館集英社プロダクション
ホワイトバード
R. J. パラシオ/原著 エリカ・S・パール/著 中井はるの/翻訳
ほるぷ出版
食べものはどこからきたの? : くらべて発見
ユリア・デュア/著 木本栄/翻訳 藤原辰史/監修
ほるぷ出版
キング・イン・ブラック
ドニー・ケイツ/著 ライアン・ステッグマン/イラスト 吉川悠/翻訳
小学館集英社プロダクション
アクアマン:ディープ・ダイブス
スティーブ・オーランド/著 トム・テイラー他/著 V・ケン・マリオン/イラスト ポップ・マン他/イラスト ほか
小学館集英社プロダクション
X-MEN:ヘルファイア・ガラ
ジョナサン・ヒックマン他/著 マテオ・ロリ他/イラスト 高木亮/翻訳
小学館集英社プロダクション
シチリア富豪の麗しき生け贄
ケイトリン・クルーズ/著 雪美月志音/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
愛は脅迫に似て
ヘレン・ビアンチン/著 萩原ちさと/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
イヴの純潔
キム・ローレンス/著 吉村エナ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
恋をするのが怖い
ペニー・ジョーダン/著 槙由子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
尖塔の花嫁
ヴァイオレット・ウィンズピア/著 小林ルミ子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
あなたに言えたら
ステファニー・ハワード/著 杉和恵/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ハイランドの白き花嫁
テリー・ブリズビン/著 すずきいづみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
やどりぎの下のキス
ベティ・ニールズ/著 南あさこ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
偽りの復縁
シャンテル・ショー/著 柿原日出子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
初恋の夢のあとで
マーガレット・ウェイ/著 山本みと/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
三人のホワイトクリスマス
ジェニファー・テイラー/著 泉智子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
公爵に恋した身代わり花嫁
エヴァ・シェパード/著 高山恵/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
家政婦がシンデレラになる夜
アビー・グリーン/著 児玉みずうみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
伯爵が遺した奇跡
レベッカ・ウインターズ/著 宮崎亜美/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
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heart-field · 2 years
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・ ふたりのオリジナルカクテル* 素敵なカクテル名も色も味もふたりの好みに合わせてつくれる演出! ____________ 𝙷𝙴𝙰𝚁𝚃 𝙵𝙸𝙴𝙻𝙳 トップページはこちら☟︎︎︎ @heartfield_wedding ご見学&資料請求は プロフィールのリンクから* [姉妹店のご紹介] 静岡 エスプリ・ド・ナチュール @esprit_de_nature_wedding 新横浜 ハートコート横浜 @heart_court_wedding 株式会社テイク・フォー ____________ #ハートフィールド #ハト嫁 #プレ花嫁 #プレ花嫁準備 #結婚式 #結婚式準備 #結婚式準備を楽しもう #ウェディング #ゲストハウス #貸切ウェディング #三島結婚式場 #沼津結婚式場 #静岡結婚式場 #三島花嫁 #沼津花嫁 #静岡花嫁 #静岡ウェディング #カクテル #オリジナルカクテル #結婚式演出 #ノンアルコールカクテル (ハートフィールド マナーハウスウェディング) https://www.instagram.com/p/CYbNezGP2Sd/?utm_medium=tumblr
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ginjifukasawa · 5 years
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WeddingPhotography ・ ・ hair make @onesmind_official Photo @ginji_fukasawa @lifeitwedding ・ ・ 2019年の結婚式撮影のご予約随時受け付けております💒 ・ 前撮りロケーション撮影は タキシードandドレス または 紋付袴and白無垢または色打掛 の衣装のレンタル 着付け、ヘア、メイク、撮影 全べて承ることが可能です。 衣装には限りがありますのでお早めに☺️ ・ ご質問などもお気軽にお問い合わせ下さい📩 お問い合わせは @ginji_fukasawa DMまたはHPよりお問い合わせ下さい☺️ ・ ・ #静岡県 #富士市 #結婚式 #結婚式当日撮影 #結婚式準備 #和装 #着物 #色打掛 #ウェディング #ウェディングフォト #weddingtbt #wedding #ウェディングカメラマン #instawedding #日本中のプレ花嫁さんと繋がりたい #全国のプレ花嫁さんと繋がりたい #2019春婚 #2019冬婚 #2019夏婚 #2019秋婚 #プレ花嫁 #weddingphoto #出張カメラマン (富士宮淺間大社) https://www.instagram.com/p/BzcseVaBPtN/?igshid=1lnnouau1gy5m
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#Repost @_st.croire with @make_repost ・・・ 間もなく新メニューがスタート😚✨ ご出席の皆さま、ぜひご期待ください🎶 ブライダルフェアでも事前のご予約でご試食が可能です🍴 皆さまのご来館をお待ちしております🍀 #セントクロワール#静岡結婚式場#ゲストハウス#ナチュラルウェディング#挙式#披露宴#静岡#掛川市#掛川#菊川#御前崎#牧之原#袋井#磐田#島田#森町#浜松#結婚式レポ#掛川花嫁#掛川プレ花嫁#静岡花嫁#静岡プレ花嫁#浜松プレ花嫁#静岡卒花嫁#結婚式演出#春メニュー#ブライダルフェア https://www.instagram.com/p/By3VR6ynOWI/?igshid=1j3iay4dx2jzw
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osekappa · 5 years
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お洒落な子😍✨ 花嫁みたい👰 オスだけどね😝 #大瀬崎 #マンボウ #静岡 #ダイビング #海童 #かっぱ #海 #西伊豆 #手話 #水中写真 #アットホーム #送迎無料 #クマノミ #産卵 #コノハガニ #湾内 #花嫁 #👰 #初めて見た (ダイビングショップ海童) https://www.instagram.com/p/By2IgOEBAhQ/?igshid=1uf7vgmr8ebmt
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petapeta · 3 years
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『鏡のなかの鏡』(丘沢静也訳)はカフカ=アインシュタインふうの一種の迷宮小説で、モモに代わってホルという少年が主人公になるのだが、『モモ』よりもずっと挑戦的である。文字だけでできている紳士、デュシャンのガラス絵のような花嫁と花婿、売春宮殿、部屋になっている砂漠、貧しい女王、輪郭を溶かせる男、伝達力を問うブリキ缶、格子のある螺旋階段、市街電車に合図をする白髭‥‥。  なんともいろいろなものが出てくるが、エンデはこれらを巧みに組み合わせて話を進める。とくに「列車の来ない駅カテドラル」の全面が紙幣でできていることを証かすと、この街のどこかで「奇蹟の金銭増殖」がおこっていることを仄めかす。  どうやらカテドラルの祭壇がお金を増殖させているらしい。案の定、祭壇についている説教師は大声で「真なるものも商品である!」「お金は万能である!」などと叫んでいる。その意味するところは、「われわれは永遠にわれわれ自身の債権者(グロイビガー)であって、かつまたわれわれ自身の債務者(シュルドナー)である」ということだった。  なるほど、われわれは何かの債権者であって債務者なのである。何を担保に債権し、債務を感じているのかといえば、生命と社会がもたらすイレギュラーなものいっさいに、債権し、債務を感じているのだ。セイゴオ流にわかりやすくいえば、われわれは生と死という両端の無明(むみょう)に挟まれて危険な日々を生きる不断のリスク・テイカーなのである。いや、そのはずだったのだ。  ところが「お金」が発達するにつれ、われわれのリスクはすべからく値段に換算されることになった。いまや出産も葬式も、結婚も病気も、洗濯も食事も、教育も音楽も、おいしい水も山の空気さえ、マネーゲームに関与しないものはない。リスクはすっかり貨幣に乗っ取られてしまったのだ。
1377夜『モモ』ミヒャエル・エンデ|松岡正剛の千夜千冊
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trinityt2j · 3 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には���本又一郎という男���いたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかし��の号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年���ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱���たものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
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kachoushi · 7 months
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各地句会報
花鳥誌 令和5年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年7月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あぢさいや錆ゆくときもずぶ濡れて 光子 雨に白く汚されてゐる木下闇 緋路 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 見覚えのビルはもう無くサルビアに いづみ 夏草のつぶやくやうな雨であり 和子 鉄条網梅雨の蝶さへ寄せつけず 同 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 飛石をぬらと光らせ五月雨 久 その人は梅雨に沈みながら来る 順子 五月闇不穏な波の来るといふ はるか
岡田順子選 特選句
列車音遠ざかるとき浜万年青 はるか 庭石は梅雨のものとて黄泉のもの 俊樹 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 雨の日の桔􄼷のうしろすがたかな 美紀 萱草のそびらに恩賜なりし闇 光子 潮入りのみづは昔や通し鴨 いづみ 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 瞬ける雨粒蜘蛛の囲の銀河 緋路 雨に白く汚されてゐる木下闇 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
鹿の子啼く隠れの島に入日濃く 修二 たはむれの莨にむせし桜桃忌 久美子 寂しさを下から崩すかき氷 朝子 茉莉花の別れ際こそ濃く匂ふ 美穂 不如帰久女の夢と虚子の夢 修二 首の無きマネキン五体暑き日に 愛 蟬生る瓦礫の闇の深きより かおり ひまはりの花と育ちて銃を手に 朝子 バレエ団の窓へブーゲンビリア満つ 愛 蔓薔薇をアーチに育て隠居せる 光子 うつし世のものみな歪み金魚玉 かおり バス停のバスまで覆ふ夏木かな 勝利 梅雨空にジャングルジムがひつそりと 修二 襖絵の孔雀の吐息寺炎暑 勝利 君嫁して香を失へり花蜜柑 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
らつぱ隊香り奏でる百合の花 さとみ 風鈴が相づちを打つ独り言 都 香水に縁の無き身や琥珀色 同 身ほとりの置き所無き土用の入り 同 滴りの奥にまします石仏 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
黒塀や蔵してをりし八重葎 宇太郎 ふりかへる砂丘の海の線は夏 同 葛切や玻璃にスプンの当る音 同 夏草の中の林道下りけり 同 ソーダ水斜めに建ちし喫茶店 同 向ひ風麦藁帽を光背に 同 白服を吊りたる明日の再会に 悦子 浜昼顔一船置きし沖を恋ふ 同 白南風旅の鞄をコロコロと 美智子 足跡や巡礼のごと砂灼けて 栄子 紫陽花やうた詠むくらし悔もなく すみ子 玫瑰の咲くや砂丘の果の路 益恵 躊躇なく風紋踏んで白い靴 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
早苗饗や手足を伸ばす露天の湯 幸風 はらからや薄れゆく過去心太 百合子 一品を後からたのむ心太 秋尚 青楓雄々しく抱ける年尾句碑 三無 天草の歯ごたへ確と心太 文英 朝顔に護符つけ市の始まりぬ 幸子 朝顔のつぼみ数へて市を待つ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
西日射す鏡に海女の手櫛かな 昭子 兜山古墳を包む大夕焼 ただし 良き事の有りや無しやの今朝の蜘蛛 信子 信州に梅雨のかけらの雨が降る 三四�� 石も又涼しきものの一つかな 昭子 香水や周囲の心独り占め みす枝 梅雨寒や口を預けて歯科の椅子 信子 うなだれて少年の行く片かげり 昭子 僧逝きて久しき寺の夏椿 英美子 猛暑日や万物すべて眩しめり みす枝 天近き牧牛の背や雲の峰 時江 コップ酒あふる屋台の日焼顔 英美子 サングラス外し母乳を呑ませをり みす枝 かぶと虫好きな力士の名をつけて 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
芋焼酎醸す香りの満つる街 三無 団扇さし出かける孫の下駄の音 ことこ それぞれが里の焼酎持ち寄りて あき子 老媼の団扇頷きつつ動く 和魚 児に送る団扇の風のやはらかく ます江 店先で配る団扇の風かすか ことこ 泡盛の味覚えたりこの良き日 同 団扇手に風のざわめき聞く夕べ 廸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
沖縄の鳳梨乾いた喉癒す 裕子 青空や収穫の日の夏野菜 光子 夕暮れは車窓全開青田風 紀子 貝釦一つ無くした夏の暮 登美子 まだ聴けるカセットテープ夏深し 同 雲の峰送電線は遥かなり 令子 夕焼に路面電車が揺れてゐる 裕子 鐘を撞く寺は山上雲の峰 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 萩花鳥会
透き通る海は自慢よ海開き 祐子 救助士の臀筋たくまし海開き 健雄 夏草や一対すべて青の海 俊文 生ビール久方ぶりや子とディナー ゆかり 引く波に砂山崩る海開き 恒雄 天の川点滅飛機の渡りゆく 美惠子
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令和5年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
羅を纏ひしものの身の一つ 世詩明 天国も地獄も自在孟蘭盆会 同 風の盆男踊りの笠深く 幹子 盆の供華華やいでゐる村の墓地 同 ギヤマンの風鈴揺れる蔵の街 嘉和 古団扇思ひ出の新しき 雪 縁側に男冥利の裸かな みす枝 ナツメロを口ずさみつつ草を引く 富子 蓮開く様自力とも他力とも やす香 神主の大きな墓を洗ひけり ただし 在りし日のままに夏帽吊し置く 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
田舎家の土間のだんまり朝曇 要 炎帝の遣はす鴉黒く群れ 千種 会釈する日傘に顔をなほ深く 同 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 飴色に枯れ空蟬の垂れ下がる 久子 古民家の故郷の匂ひ壁に黴 経彦 三猿の酔ふ草いきれ庚申塔 眞理子 古民家の茅屋根匂ふ炎天下 三無
栗林圭魚選 特選句
蓮花の水面の余白空の青 亜栄子 カラフルな浮輪乗り合ふ市民バス 久 じやぶじやぶと揃ひのティーシャツ水遊び 三無 咲き足せる泰山木の真白かな 秋尚 森少し膨らませをり蟬しぐれ 慶月 水音に誘はれつつ灼くる道 眞理子 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 ひとときの静謐滝に対峙して 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
マッカーサーパイプ咥へてアロハシャツ 千加江 遠雷や織部の茶碗非対称 泰俊 二業地に一の糸鳴る夜涼かな 同 悠久の光り湛へて滴れり 同 青田風満目にして夕仕度 清女 脱ぎ様のまことしやかに蛇の衣 雪 退屈をもて余しゐる古団扇 同 洗ひ髪訪ふ人も無く待つ人も 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月21日 さきたま花鳥句会
沢蟹の渡る瀬石に日の名残り 月惑 空蟬や辞書に挟まる紙兜 八草 家眠る厨にひとりバナナ剥く 裕章 山の水集め男滝の帯となる 紀花 どら猫にまさる濁声夏の風邪 孝江 炎天に心字の池面雲動く ふゆ子 打水や土の匂ひの風生まる 康子 行くほどに街路華やぐ百日紅 恵美子 睡蓮の葉を震はせて鯉の道 みのり 八の字を書きて茅の輪を潜りけり 彩香 誘蛾灯今は無人の故郷駅 静子 枇杷熟るる眷属訃報また一人 良江
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令和5年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
半夏生何処が嫌ひと云はれても 雪 蛇にまで嫌はれさうな蛇苺 同 何処をどう突いてみても蟇 同 お隣りは今はの際と虎が雨 一涓 師の友は文教場址合歓の花 同 守宮まづ招き入れくれ舎入門 同 忘れじの人今も尚蛍の夜 同 入道雲天下制する勢あり みす枝 藍浴衣片方だけにピアスして 昭子 サングラス外して妻は母となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
空蟬や地中の記憶あるらしく 要 靖国の坂みんみんの急くに急く 昌文 炎天に零戦仰角三十度 佑天 鳥居へとまぬがれがたき炎天を はるか その日近付き靖国の灼けてをり 慶月 みんみんの高鳴く魂の声として はるか
岡田順子選 特選句
熱き骨ぽきぽきたたみ日からかさ 眞理子 真白な祢宜の出て来し木下闇 政江 笛の音の遠くに生まれ夏の果 光子 零戦を撮る少年の夏休み 慶月 下乗せし老女紅濃く夏詣 同 英霊に七日の魂の蟬時雨 政江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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xf-2 · 5 years
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその���角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さん���特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉で���る。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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greenroomyuka · 2 years
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静岡県から青春18切符で来ました〜って😄もう嬉しいです❤️いつもは新幹線で名古屋駅でレッスンですが、 ランチ付きの特別レッスンだったので今回は名古屋東店にて開催しました。 野菜の花や、珍しい花が多くて保管ケースが賑やかでした😆🎶 作品展は9/13までです。 アミュレットレカンフラワーの新作15点❣️ 他では見れませんよ! ぜひぜひチェックしてね レカンフラワーとは生花を乾燥させた乾燥花を材料にしたフラワーアートです。 色や形が半永久的に保ちます。 アトリエ由花 レカンフラワー作品展 11cafe 〒465-0093 愛知県名古屋市名東区一社1丁目143 9月5日(月)9:00-17:00 ※在廊13 :30-15 9月6日(火)9:00-17:00 ※10:00-11、13-15 9月7日(水)9:00-17:00 9月8日(木)9:00-15:30 ※在廊 14-15 金/ 定休日 9月10日(土)11:00-21:00 ※ 在廊します。連絡下さい❤️ 9月11日(日)11:00-18:00 9月12日(月)9:00-17:00 9月13日(火)9:00-17:00 ※ 在廊 11:30-在廊します。連絡下さい❤️ 会期が1日延長しました。 🔸花の保存加工専門店 @greenroom.bouquetflame.yuka 🔸レカンフラワー教室 @greenroom.atelieryuka #プロポーズフラワー  #結婚式ブーケ #プレ花嫁  #ブーケ保存 #保存加工専門店 #アフターブーケ #108本バラ #ダーズンローズ  #赤バラ #ドライフラワー  #レカンフラワー #レカンフラワー教室 #体験レッスン #アミュレットフルール #フラワーアレンジメント #ドライフラワー #一般社団法人押花芸術協会 #花と緑の研究所 #花 #杉野宣雄 #花と緑で彩る暮らし #花保存 #名古屋花屋 #グリーンルーム由花   #アトリエ由花 #名古屋 (フラワーアレンジメント教室 グリーンルーム アトリエ由花) https://www.instagram.com/p/CiFbmEyr5Is/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hi-majine · 5 years
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崇徳院《すとくいん》
「こんにちは、旦那さま、熊五郎で……なにかおつかいをいただきましたそうで……」 「ああ、熊さんか、いそがしいところをごくろうさま。待ってたんだ。またひとつ、やってもらわなくちゃあならないことができた……というのは、せがれのことなんだが……」 「若旦那がどうかなすったんで?」 「うん、一月ほど前から、ぐあいがわるいと寝こんでしまった。いろいろと医者にもみせたんだが、どの医者も診立《みた》てがつかないと首をかしげるばかり……どうも弱ったことになってしまった」 「へーえ、ちっとも存じませんで……そりゃあ、お気の毒なことをしましたねえ。じゃあ、あっしは、これから寺へいってきますから、葬儀屋は、どなたかほかのかたを……」 「これ、これ、ちょっと待っておくれ。せがれは、まだ死んだわけじゃないよ」 「へーえ、まだなんですか? はかがいかねえ」 「なにいってるんだ。はかなんぞいかれてたまるもんか。あんまり病名がわからないから、今朝《けさ》、ある名医におみせしたところが、これは、気病《きやま》いだとおっしゃる。つまり、なにか心におもいつめたことがあるにちがいない。だから薬を飲むよりも、そのおもいごとをかなえてやりさえすれば、病いはたちどころになおるが、ほうっておけば、重《おも》くなるばかりだという。そこで、あたしと母親と番頭とあれこれ聞いてみたんだが、どうしても口をわらない。では、だれにならはなすんだと問いつめたら、熊さん、おまえさんにならばうちあけるというんだ。ちいさいときから、おまえさんにはよくなついていたし、親にもいいにくいことも、おまえさんにならいえるのかも知れない。だから、その願いごとというのを聞きだしてやってもらいたいんだ」 「そうですか。じゃあ、あっしが、さっそく若旦那の胸のうちを聞きだしましょう。どちらにおやすみで? へえ、奥の離れに……へえ、へえ」 「あ、それから、熊さん、せがれは、ひどくからだが弱って、先生のはなしじゃあ、へたすれば、あと、五日《いつか》ぐらいしかもたないというんだから、耳もとで、あんまり大きな声をださないようにな」 「へえ、承知しました。まあ、あっしにおまかせなすって……ええ、奥の離れと……ああ、ここだ。うわー、薬のにおいがこもってるな。病人の部屋をこうしめきってたらいけねえなあ。もし、若旦那、若旦那!」 「ああ、大きな声をしちゃあいけないといってあるのに……だれだい?」 「なんてまあ、情けねえ声をだして……これじゃあ葬儀屋へいったほうがよさそうだなあ……若旦那、熊五郎でござんす」 「ああ、熊さんか。こっちへはいっとくれ」 「どうしました、若旦那、病名がわからないっていうじゃありませんか」 「医者にはわからなくても、あたしにはわかってるんだよ」 「へーえ、医者にわからなくって、若旦那にわかってる? じゃあ、おまえさんが医者になったほうがいいや。で、なにをそんなにおもいつめてるんです?」 「これだけは、だれにもいわずに死んでしまおうとおもっていたんだが、おまえにだけは聞いてもらいたい……けど、あたしがこんなことをいったからって、おまえ、笑っちゃあいけないよ」 「じょうだんいっちゃあいけねえや。人の病いのもとを聞いて笑うやつがあるもんですか。いってごらんなさい」 「ほんとうに笑わないかい? もし笑われたら、あたしゃ、恥ずかしいから死んでしまうよ」 「笑いませんよ。笑いませんとも」 「しかし……そういってても、あたしがこんなことをいったら、えへへ、やっぱり笑うだろうねえ、えへへへ……」 「おまえさんが笑ってるんじゃあねえか……あっしは笑いもどうもしねえから、きまりなんかわるくありませんよ。いってごらんなさい」 「そうかい、ほんとうに笑わないかい? じつはね……じつは……あたしの病いは……恋わずらい」 「うふふ」 「ほら、やっぱり笑ったじゃないか」 「すいません。もう笑いませんから、かんべんしてくださいな……しかし、また、恋わずらいとは、いまどきめずらしい病気をしょいこんだもんですねえ。どういうことなんです?」 「一月ほど前に、上野の清水さまへおまいりにいきました」 「へえへえ、それで?」 「ひさしぶりにおまいりしたけれど、おまえも知ってる通り、清水堂が高台で見晴しがよくっていい気持ちだったよ」 「そうそう、下に弁天さまの池がみえるし、向が岡、湯島天神、神田明神がみえて、左のほうに、聖天《しようてん》の森から待乳山《まつちやま》なんてんで、いいながめですからねえ」 「で、清水さまのそばの茶店で一服した」 「あすこのうちは、腰をかけると、すぐにお茶と羊かんを持ってきます。あの羊かんが厚く切ってあって、うめえのなんのって……羊かん、いくつ食べました?」 「羊かんなんぞ食べやあしないよ……こっちがやすんでるところへはいってきたのが、お年のころは十七、八、お供の女中を二、三人つれて、それはそれは水もたれるようなおかただ」 「へーえ、ひびのはいった徳利みてえなひとですね」 「ちがうよ、きれいな女の人を、水がたれるようなというんだよ」 「へーえ、じゃあ、きたねえ女は、醤油がたれるかなんかいうんで?」 「ばかなことをいうんじゃないよ。あんまりきれいなので、ああ、世のなかには、美しいお人もあるもんだと、あたしがじーっとみてると、そのかたもこっちをじーっとみていたかとおもったら、にこっとお笑いなすった」 「それじゃあ、むこうが負けだ」 「にらめっこのはなしじゃないよ……そのうちに、お嬢さんがでていらしったあとをみると、膝においてあった茶袱紗《ちやぶくさ》がわすれてある」 「こりゃあもうかったってんで、あなた、ふところへしまったでしょ?」 「そんなことをするもんか。あたしが立っていって、『これは、あなたのではございませんか』と、手から手へわたしてあげると、お嬢さんが、ていねいにおじぎをなすって、また、茶店へもどっていらっしゃると、料紙《りようし》をだせとおっしゃった」 「そりゃあ無理だ、上野あたりに漁���《りようし》はいやあしねえ。ありゃあ、やっぱり房州あたりまでいかなくっちゃあ」 「なにいってるんだよ。料紙というのは、ものを書く紙じゃあないか。茶店の亭主が、紙と硯《すずり》を持ってくると、お嬢さんが、紙にさらさらと歌を書いてくだすった。手にとってみると、『瀬をはやみ岩にせかるる滝川の』と書いてあるじゃあないか……」 「なにも泣かなくってもいいじゃありませんか……『瀬をはやみ岩にせかるる滝川の……』ふーん、やけどのまじないかね?」 「ばかなことをいうなよ。これは、百人一首にもはいってる崇徳院さまの有名なお歌で、下《しも》の句が、『割れても末に逢はむとぞ思ふ』というんだが、それが書いてない。これは、いまはここでおわかれしますが、いずれ末にはうれしくお目にかかれますようにというお嬢さまのお心かとおもうと、もう、あたしゃあうれしくって、うれしくって……」 「また泣くねえ、若旦那、およしなさいよ」 「その歌をもらって帰ってきたが、それからというものは、なにをみてもお嬢さんの顔にみえて……掛軸《かけじ》のだるまさんがお嬢さんにみえる。横の花瓶がお嬢さんにみえる。鉄瓶がお嬢さんにみえる。おまえの顔までが、だんだんとお嬢さんに……」 「そばに寄りなさるな、気味がわるい。しかし、ひどくおもいつめたもんですねえ。よござんす。あっしも男だ。それだけおもいつめたもんなら、なんとかいっしょにしてあげましょう。で、相手は、どこのかたなんです?」 「それがわからないんだよ」 「わからねえ? ずいぶんたよりねえはなしですねえ……なにか手がかりは? ……うん、その歌を書いた紙てえやつを貸してください。いえ、じきにおかえししますから心配しねえで……まあ、万事あっしにまかせてください……ええ、旦那さま」 「おう、熊さん、ごくろうさま、どんなことをいってました? せがれのやつは……」 「せがれのやつはね」 「おまえまでが、せがれのやつというのがあるかい」 「へえ、なんでも一月ほど前に、上野の清水さまへおまいりにいって、茶店へ腰をかけたんですがね、あすこの茶店てえものは、腰かけると、すぐにお茶と羊かんを持ってきます。その羊かんが厚く切ってあって、うめえのなんのって……」 「ふーん、すると、せがれは下戸《げこ》だから、その羊かんが食べたいというのか?」 「いいえ、羊かんは、あっしが食いてえんで……」 「だれもおまえのことなんぞ聞いちゃいないよ。どうしたんだ?」 「若旦那が腰をかけてる前に、お供を二、三人つれた、年ごろ十七、八のお嬢さんが腰をかけたんですが、この人の顔が、ひびのはいった徳利みてえなんで……」 「ほほう、傷でもあったのかい?」 「いいえ、いい女のことをいうでしょ? 水がびしょびしょ……」 「それをいうなら、水のたれるようなきれいなかただというんだ」 「あっ、そうだ。やっぱり親子だね、いうことがおんなじだ」 「親子じゃなくったっておんなじだよ」 「で、若旦那が、そのお嬢さんをじっとみていると、そのお嬢さんも若旦那をじっとみていたかとおもったら、にこっと笑った。……旦那、これをにらめっこだとおもいますか?」 「そんなことおもいやしないよ」 「そうですか、あっしゃあ、てっきりにらめっこだとおもったんですが……そのうちに、お嬢さんがでていったあとに、茶袱紗がわすれてあったので、若旦那が、これをひろってお嬢さんにわたしてあげると、お嬢さんはていねいにおじぎしてうけとると、茶店へもどって、両親をだせといいなすった」 「なんだい、その両親をだせというのは?」 「旦那もわからないでしょ? 両親とはものを書く紙」 「それは料紙じゃあないか」 「そうそう、料紙だった。それをだしたら、お嬢さんが、さらさらと歌を書いてくだすった……百人一首にあるすっとこどっこいとかいう人の歌を……」 「百人一首にあるすっとこどっこいの歌? ……ああ、崇徳院さまのお歌か?」 「そうそう」 「崇徳院さまのお歌なら、『瀬をはやみ岩にせかるる滝川の……』」 「それそれ、その歌ですよ」 「割れても末に……」 「いいえ、それは書いてありません。こうして下《しも》の句が書いてないところをみると、いまはここでおわかれしますが、いずれ末にはうれしくお目にかかれますようにというお嬢さんの心かとおもったら、若旦那がぼーっとなってしまったと、こういうわけなんで……このお嬢さんをお嫁におもらいなされば、若旦那のご病気全快まちがいなしでさあ」 「こりゃあ、ありがとう。よく聞きだしてくれたねえ。熊さん、おまえさんは、せがれの命の恩人だ。ひとりむすこのあれが、それほどおもいつめた娘さんなら、なんとしてももらってやろう。で、熊さん、たのまれついでに、先方へかけあっておくれ」 「ええ、かけあえといえば、あっしも乗りかかった舟ですからかけあいますが、あいにく、相手のお嬢さんが、どこのかたかわからねえんで……」 「わからないといったって、日本人だろ?」 「そりゃあ日本人ですが……」 「そんなら東京中さがしてごらん。東京中さがしてわからなかったら、横浜、横浜でわからなかったら、静岡から浜松、名古屋、大津、京都、大阪としらみつぶしにさがしておいで。うまくさがしてくれたら、先月、おまえさんに貸した金、あれは棒びきにしよう。それから、いまおまえさんが住んでる三軒長屋、あれもあげようじゃあないか」 「へえ、そりゃあありがてえはなしですが、なにしろ雲をつかむようなことですから……」 「そんなことをいわないで、なんとかさがしてきておくれ。『瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末に逢はむとぞ思ふ』と、さあ、手がかりになる歌を紙に書いたから、これを持ってでかけておくれ。そうだ、さがしまわるのにわらじがいるな。おい、定吉や、そこにわらじが十足ばかりあるだろ? かまわないから、熊さんの腰へぶるさげちまいな」 「おいおい、なにするんだよ。人の腰へむやみにわらじをぶらさげて……これじゃあ荒物屋の店さきみてえじゃねえか……旦那できるかできねえかわかりませんが、とにかくいってきます」 「できるかできないかなんて、そんな不確かなことをいってちゃあいけない。お医者さんのはなしじゃあ、このままでは、せがれの命はあと五日しかないそうだ。だから、どうしても五日のうちにさがしだすんだ。もしもさがしだせないで、せがれに万一のことがあったら、あたしゃ、おまえさんをせがれの仇として討ち果たすからそうおもっておくれ」 「じょうだんじゃねえ。さよなら……こいつあ、とんでもねえことをおしつけられちまったもんだ。せがれの仇として討ち果たすってんだからおどろいたなあ……おう、いま帰ったよ」 「あら、お帰り。なんだったんだい、お店《たな》のご用は?」 「いえね、若旦那が病気なんだが、その病気てえのが、どっかのお嬢さんに恋わずらいだとよ。ところが、そのお嬢さんがどこの人だかわからねえ。だからさがしだしてくれってんだ。ところで、気前のいい旦那のこった、ただはたのまねえや。うまくさがしだしたら、先月の借金を棒びきにした上に、この三軒長屋をくださるとよ」 「あーら、運がむいてきたねえ。しっかりさがしとくれよ。はやくいっといで」 「おめえはそういうけど、どこのお嬢さんだか、まるっきりわかんねえんだぜ」 「だって日本人だろ?」 「きまってらあな」 「日本人なら、これから東京中をおさがしよ。東京中さがしていなかったら、横浜、横浜でわからなかったら、静岡、浜松、名古屋、大津、京都、大阪としらみつぶしにさがしておいで。ここにもわらじが十足あるから、おまえさんの腰へ……」 「おいおい、おめえまでがおなじように……」 「しっかりさがしてくるんだよ」  あっちをさがし、こっちをさがししましたが、その日はわかりません。そのあくる日も、朝はやくから、弁当持ちでさがしたがわからずじまい。そのあくる日もわかりません。 「あー、とんだことをひきうけちまったな。こうへとへとにつかれちまっちゃあ、自分のからだだか、人のからだだかわかりゃあしねえ……この調子じゃあ、若旦那よりもおれのほうがさきにまいっちまうぜ……かかあのやつ、また文句いうだろうなあ、まったくいやんなっちまう……おう、いま帰った」 「お帰り、その顔つきじゃあ、まただめだったんだね、どうするんだよ?」 「どうするんだよったって、おれだって、いっしょうけんめいにさがしてるんじゃねえか」 「どんなさがしかたしてるんだい?」 「このへんに水のたれるかたはいませんか……」 「土左衛門《どざえもん》をさがすんじゃあないんだよ。水のたれるかたなんていったってわかるもんかね。おまえさん、旦那に歌を書いてもらったんだろ? それがなによりの手がかりじゃあないか。それを大きな声でどなりながらあるいてごらん。そうすりゃあ、それを聞いた人のなかには、その歌についてこんなはなしがありますとか、こんなうわさを聞きましたとか、名のってでる人があるかも知れないじゃあないか。それでもだめなら、お湯屋とか、床屋とか、人のあつまるところへいってどなってごらん。お湯屋も床屋もすいてるところはだめだよ。あしたさがしてこなかったら、おまんま食べさせないよ」  たいへんなさわぎで……あくる日になると、熊さんは、朝めしもそこそこにしてでかけました。 「ああ、情けねえなあ、さがしてこねえと、めしを食わせねえってやがらあ……あの歌をどなってあるけったって、きまりがわりいじゃあねえか……このへんでやってみるかな、えへん、えへん……瀬を……瀬を……えへん……瀬をはやみ」 「ちょいと豆腐《とうふ》屋さん」 「なにいってやんでえ。人を豆腐屋とまちがえてやがらあ……こっちは、さがしものがあってこういう声をだしてるんじゃあねえか。しかし、ちょいとやってみたら、声がでてきたな。やってみるか……えへん……瀬をはやみ岩にせかるる滝川の……あれっ、ずいぶん子どもがあつまってきたな。人を気ちげえとまちげえてやがる。あっちへいけ、あっちへいけってんだ……瀬をはやみ」 「ウー、ワンワンワン」 「シー、シー。犬まで気ちげえあつかいにしやがる。こりゃあ、どなりながらあるいてもうまくいかねえや。床屋へでもいってみるか……うん、この床屋へはいってみよう。こんちわ」 「いらっしゃい」 「こんでますか?」 「いいえ、いまちょうどすいたところで……」 「さよなら」 「もしもし、すいてますよ。すぐにやれますよ」 「すいてちゃいけねえんだ。こっちは、都合があって、こんでる床屋をさがしてるんだから……よし、この床屋はどうかな? こんちわ」 「いらっしゃい」 「こんでますか?」 「ええ、ごらんの通り、五人ばかりお待ちなんで、ちょっとつかえてますから、あとできていただきましょうか」 「いえ、そのつかえてるところをさ��していたんで……」 「つかえてるところを? 煙突掃除みたいな人だね……じゃあ、一服しててください」 「そうさせてもらおう……すいません、そこでお待ちのかた、ちょいとたばこの火を……へえ、ありがとうございます……えへん……瀬をはやみ」 「ああ、びっくりした。あなた、なんです? 急に大きな声をだして……どうしたんです?」 「すいません。べつにおどかすつもりじゃあないんですが、ちょいと都合があるもんですから……やらしてもらいます……えへん、えへん……瀬をはやみ岩にせかるる滝川の……」 「ほう、あなたは崇徳院さまのお歌がお好きとみえますな」 「もし、あなた、崇徳院さまの歌をご存知で?」 「ええ、なんですか、うちの娘のやつが、このごろになって、始終その歌を口にしておりますんで、あたしもおぼえてしまって……」 「えっ、おたくのお嬢さんが? ……つかぬことをうかがいますが、おたくのお嬢さんは、たいへんにきりょうよしじゃあありませんか?」 「親の口からいうのもなんですが、ご近所では、とんびが鷹《たか》を産んだなんていってくださいますが……」 「とんびが鷹……しめた、水がたれますね」 「水はたれませんが、ときどき寝小便はやらかします」 「寝小便を? おいくつで?」 「五歳《いつつ》です」 「さようなら……瀬をはやみ……」  がっかりした熊さん、それから、風呂屋を三十六軒、床屋を十八軒とまわりまして、夕方になるとふらふらになって、 「こんちわ……こんちわ」 「だれだい? 情けない声をだして……」 「あの、ひげをやってもらいたいんで……」 「あれっ、おまえさん、朝から三べんめじゃあありませんか。ひげをやれったって、もうやりようがありませんよ」 「そうでしょう、あたしも床屋を十八軒もまわったんですから、顔なんぞひりひりして……」 「まあ、一服おやんなさい」 「やすましてもらいます……瀬をはやみ……」 「はあ、だいぶ声もつかれてきましたね」  そこへとびこんできたのが、五十がらみの鳶《とび》のかしらで…… 「おう、親方、ちょっといそぐんだけど、やってもらえねえかい? あっ、そこに待ってる人がいた。弱ったなあ」 「あたしですか? あたしならいいんですよ。もうどこも剃るとこがないんですから……」 「そうですか、すいませんねえ。じゃあ、親方、ひとつたのまあ」 「ああ、いいよ、しかし、ばかにいそぐんだねえ」 「うん、お店の用事でな」 「お店といえば、お嬢さんのぐあいはどうだい?」 「それがな、かわいそうに、もうあぶねえんだ」 「えっ、あぶない? 気の毒になあ、あの小町娘が……」 「旦那もおかみさんも眼をまっ赤に泣きはらしちゃって、気の毒で、みていられやしねえ」 「けど、あのお嬢さん、いったいなんの病気なんだい?」 「それが、いまどきめずらしいんだが、恋わずらいよ」 「へえ、あたしに?」 「ずうずうしいことをいうない。おめえなんぞに恋わずらいする気ちげえがいるもんか……なんでも一月ばかり前に、お茶の稽古の帰りに、上野の清水さまへおまいりにいって、茶店へはいると、前に若旦那風のいい男が腰をかけていたんだ。あんまりいい男なんで、お嬢さんがみとれてるうちに、茶袱紗をおとしたのも気づかずに茶店をでてきちまった。ところが、その若旦那が親切な人で、茶袱紗をひろってお嬢さんにわたしてくれたんだが、いい男ってものは、たいしたもんだねえ、お嬢さんは、おもわずからだがぶるぶるとふるえて、それから三日のあいだふるえがとまらなかった」 「へーえ、たった三日? うちのおやじなんぞ、一年もふるえがとまらないよ」 「ありゃあ中気じゃねえか。なにいってんだ……さて、それからうちへ帰ったんだが、床についたっきりあたまもあがらねえ。医者にみせても病名がわからねえ。で、ある名医にみせると、なにかおもいつめてることがあるにちがいない。そのおもいごとがかないさえすれば全快うたがいなしというんだ。ところが、そのおもいごとというのをだれが聞いてもうちあけようとしなさらない。だれにならうちあけるかといろいろかんがえたあげく、ちいさいときにお乳をあげた乳母をひっぱってきて聞かせると、ようやく恋わずらいということがわかった。そこで、その若旦那をさがせというので、出入りの者がみんな狩りだされて、東京中をさがしまわったんだが、どうしてもわからねえ。とにかく日本人にはちげえねえんだから、こうなったら日本中さがせってんで、ゆうべ金ちゃんが北海道へ発《た》って、けさ留公が四国へむかって、おれがこれから九州へでかけようってわけだ」 「たいへんなさわぎだねえ……けど、なにか手がかりでもあるのかい?」 「ああ、なんでもお嬢さんが若旦那に歌を書いてわたしてあるんだそうだ。おれも旦那に書いてもらって持ってるんだが……この歌よ……『瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末に逢はむとぞ思ふ』……この歌がなによりの手がかりってんだから、まったく心ぼせえはなしよ」  このはなしを聞いた熊さん、夢中でたちあがると、いきなり鳶頭《かしら》の胸ぐらをつかまえて…… 「三軒長屋……三軒長屋……」 「おいおい、なにをするんだ。いきなり人の胸ぐらつかまえて……」 「てめえに遇《あ》おうがために、艱難辛苦《かんなんしんく》をいかばかり……瀬をはやみ岩にせかるる滝川の……」 「おや、その歌をなんで知ってるんだ? え? てめえんところのお店の若旦那が? ……こりゃあいいとこで会った。もうすこしで九州へでかけちまうところだった……おれもおめえをはなさねえぞ。さあ、おれんとこのお店へこい」 「なにいってやんでい、てめえこそうちのお店へ……」 「なにを! てめえこそ」 「てめえこそ」 「おいおい、待った待った。ふたりとも胸ぐらとりあって……あぶねえ、あぶねえ……はなしをすればわかるってえのに……よしな、よしなよ」  ふたりがたがいにひっぱりあうはずみに、大きな花瓶がたおれて前の鏡にぶつかったから、花瓶も鏡もめちゃめちゃ…… 「そーらやっちまった。だからいわねえこっちゃあねえ。鏡をこわしちまって、どうしてくれるんだ?」 「いやあ親方、心配しなくてもいいよ」 「なぜ?」 「割れても末に買わんとぞ思う」
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