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#ジャンパー膝
nopposeitai · 1 year
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先月は卒業シーズン! 4月はそれぞれ希望にあふれる 輝かしい春の出発シーズン!! 進級・進学という喜びと新学期が始まるまでのまったりした期間の春休み。 この春休みでオスグッドも軽減する子、まだ痛みがある子らも今がチャンスかもしれません。 毎年限られた営業日・営業時間ではありますが、オスグッドで悩んでるお子さんは年間50名弱の子が新規で来店しています。 初回の施術で効果があり自宅でのセルフケアを併用して、3〜5回ほどの施術で終える子もいます。 これから始まる部活動やシン・チームに向けて身体の調整やメンテナンスをしてはどうでしょうか。 お問い合わせや予約などは公式LINEでお願いします。 ↓簡単LINE登録↓ bit.ly/2Kt3TKW #のっぽ整体 #のっぽせいたい #nopposeitai #日曜日営業 #営業時間 #奥武山公園駅徒歩2分 #膝下靭帯炎 #ジャンパー膝 #オスグッド #成長痛 #有痛性外脛骨障害 #セーバー病 #外反母趾 #腰痛 #股関節痛 #膝痛 #肉離れ #足趾ストレッチ #内反小趾 #ゆびのばソックス #サッカー #野球 #バスケット #バレーボール #ハンドボール #陸上 #テニス #空手 #久米島 #恩送り (のっぽ整体) https://www.instagram.com/p/CqaY0lJPRR0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ichinichi-okure · 7 months
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2023.11.14tue_tokyo
目覚める 寒い 時刻を確認する 息子に布団をかけ直す 顔を見る 見守りカメラをセットする 膝が痛い 靴下を履く 布団から出る 寒い 上着を着る 夫におはようと言う 白湯を飲む 半分のどら焼きを食べる 1階に降りる リストを見る 本の在庫を出す 値段をつける マーマー!と呼ぶ声がする 2階に駆け上がる おはようと言う ハグする カーテンを開ける 換気する 息子を抱っこしてリビングに行く トイレを手伝う 着替えを手伝う 着替えと水筒とタオルとコップをリュックに詰める パンを焼く 食べる 息子とふざける 笑う ジャムと蜂蜜を塗る ヨーグルトを食べさせる 口を拭く ジャンパーを着せる 白い靴じゃないと嫌だ!と言われる 説得する 怒る いってらっしゃいと言う 着替える 顔を洗う メイクする 洗濯物を干す 本が早く届いて驚く 掃除機をかける 片付けをする ラジオを消す ネット検索をする 文章をチェックする 図書館へ行く 本を返却する おにぎりを食べる(リサーチする) コーヒーを飲む 本をパッキングする 値段をつける 片付けをする 模様替えをイメージする 本の写真を送る メールする 夕飯のメニューを考える 炊き込みご飯をセットする 膝が痛い 急いで歩く 鍵を開ける ドアを開ける 退園チェックする 息子を捕まえる 帰るよう促す 今日はママの膝が痛いからまっすぐ帰ろうね、とお願いする どの道で帰るか話し合う 手を繋いで歩く どんぐり公園でオバケに会った話を聞�� 庭で遊ぶ息子を家の中へ呼ぶ 足を拭く 手を洗うよう促す 手を洗う うがいをする お風呂を洗う 洗濯物を取り込む 魚を焼く パスタが食べたい!と言われる 悩む パスタサラダを作る 味噌汁をよそう 夕食を食べる トイレに付き添う グラノーラをよそう 体重計に乗る お風呂に入る 寒い 息子の頭の治りかけの傷を見る 膝が痛い 温かい マッサージする タオルで拭く パックする 服を着る クリームを塗る 歯を磨く 髪を乾かす トイレに行く 薬を飲む 絵本を読む 布団をかける 10から0まで数える 電気を消す お尻をトントンする 睡魔に襲われる 明日早起きしようと決心する 眠る時間をツイートする 眠る
何もない普通の一日。 泣いたり怒ったり笑ったり心配したり沢山のことがいつもながらに詰まっている。息子(4歳)の成長と共に毎日が日々変化する。手を繋いでくれる小さな手や、寝顔、わがままやイタズラ、泣き顔や抱っこの重み。大変なはずなのに、彼の親離れをすでに寂しく思っている。この生活もいつかなくなってしまう。大切な一日。
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-プロフィール- 平尾 菜美 東京都多摩市 美術作家、おむすびや•たまる、DOOKSマネージャー https://instagram.com/namihirao
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sportsrise092 · 11 months
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スポーツ整体院RISE
初めまして福岡市中央区薬院で整体院をしている桑名と言います。
スポーツでお悩みの方が大半ですが、腰痛・肩こり・猫背でお悩みの方など幅広く対応させて頂いてます。
よろしくお願い致します。
============== ■LINE公式アカウント https://lin.ee/P1kuELk
お友達追加で 初回体験3,980円クーポンGET! ※RISEでは公式LINEからのご予約が大半です。 公式LINEお友達追加で、空き状況から簡単にご予約可能です。 この機会にお友達追加を よろしくお願いします♪ ============== 【その他SNSご紹介】 ■HP 当店の詳細に関してはこちらからご確認下さい。 https://rise07.com/ ■Instagram 整体オタクの嘘偽りない治療風景をお届けしてます。 https://www.instagram.com/seitaiotaku_kuwana/ ■Twitter スポーツやカラダの座学をたまに呟いてます。 https://twitter.com/yuichi_kuwana
■note スポーツやカラダの使い方などのブログを書いてます。 https://note.com/seitai_kuwana ■tiktok 長編治療動画をお届けしてます。 https://www.tiktok.com/@yuichi_fukuoka092 ■YouTube 人間のカラダの座学などを配信してます。 https://www.youtube.com/channel/UCsS3LJLUaRXQM_Bl3qXtefA □■□■□■□■□■□■□■□ スポーツ専門整体RISE|代表|桑名 雄一 桑名 雄一(クワナ ユウイチ)。1986年、福岡県久留米市で生まれる。 母親の「作業療法士やってみれば?」の一言で専門学校卒業し、 特に強い気持ちはなく、24歳で作業療法士として総合病院に勤務。 しかしリハビリ業務に携わる中で、患者様の優しさや治したい気持ちに 触れる日々を送る事で… どうにか患者様の望む目標に近づけたい!という強い気持ちに変わり、その後数多くの勉強会に参加する。 その中で 自分の整体院を福岡に作る!!と高い目標を掲げ、 開業に向け、自分に足りない経験値を 求めに、整骨院・整形外科と転職し、 約13年の臨床経験、延べ5万人以上の施術経験を経て、 ようやく令和3年10月に福岡市中央区警固にスポーツ専門整体院 スポーツ専門整体RISEを開業
【適応疾患】 腰痛・肩こり・首こり・猫背姿勢・膝痛・足のむくみ・眼精疲労 【スポーツ障害】 運動性腰痛・オスグッド病・シンスプリント・テニス肘 野球肩・ランナー膝・ジャンパー膝・足底筋膜炎など 【アクセス】 薬院駅から徒歩10分 薬院大通り駅から徒歩5分 薬院2丁目バス停から徒歩2分 【詳細】 〒810-0023 福岡県福岡市中央区警固 1-9-2 MODERN PALAZZO KEGO SUN 602号        □■□■□■□■□■□■□■□
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kurumesports · 11 months
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【朝起きたら膝が痛い 10代や20代で疑うべき傷病】
久留米スポーツ整骨院整体院はこの度、【朝起きたら膝が痛い 10代や20代で疑うべき傷病】の記事を公開しましたのでお知らせします。
久留米スポーツ整骨院整体院は整骨院事業及び整体院事業を行っております。
【朝起きたら膝が痛い 10代や20代で疑うべき傷病】の記事は朝起きたら急に膝が痛くなった際に考えられる怪我などの名前を一覧にし解説をしています。ケースごとの考えられる怪我の可能性なども詳しく解説していますので気になる方は下記よりアクセスをお願いします。
久留米スポーツ整骨院 住所     :〒839-0863         福岡県久留米市国分町1611-2 アクセス   :JR南久留米駅 西鉄バス 八軒屋 TEL    :0942-27-7769 営業時間   :9:00~20:00 Instagram  :https://www.instagram.com/kurumesports/ 公式サイト  :https://kurumeseikotuin.com/ 求人サイト  :https://kurumeseikotuin.com/home/kyuzin 定休日    :祝日休暇 お盆休暇 年末年始休暇
田主丸整骨院 住所     :〒839-1233         福岡県久留米市田主丸町田主丸937-5 アクセス   :JR田主丸駅 徒歩2分 TEL    :0943-72-3677 営業時間   :9:00~20:00 Instagram  : 公式サイト  :https://tanushimaru-seikotuin.com/ 求人サイト  :https://tanushimaru-seikotuin.com/recruit/
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gonotoki · 1 year
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希望のひかり
 福島県伊達市は、大寒を迎えても雪がなかったのですが、数日して強烈な寒波が襲ってきました。1月25日は、日中の最高気温がマイナス5度台となり、冷凍庫にいるような寒さになりました。その後も最高気温がプラス1~2度台で推移しています。今朝も雪が降っています。
 筆者といえば、ラジオ体操と自前の10分ストレッチを日課にしています。防寒をしっかりし、外に出て、首・肘・肩・肩甲骨・手・背中・腰・足・アキレス腱・膝などをゆっくり伸ばします。からだが温かくなって、ジャンパーがいらないほどになります。あらゆる物価高には閉口していますが、やり繰りもまた楽しいものです。食材をひらめきでシンプルに調理します。頭の体操になり、からだも使い、安上がりです。
 さて、注目の第26期女流棋聖戦3番勝負は、1月26日に第2局が打たれ、挑戦者の仲邑菫三段が逆転で上野愛咲美女流棋聖に半目勝ちし、1勝1敗のタイとしました。最終局は、2月6日に東京都で行われます。
 1月23日発行の『週刊碁』によると、囲碁入門アプリ「囲碁であそぼ!」が昨年末に日本棋院からリリースされました。App Storeで無料ダウンロードできます。課金もありません。筆者はさっそくスマホに取り込みました。全国47都道府県の藩の家紋を集めていくと、自然に囲碁がわかっていくという仕組みになっています。お薦めです。
 日本棋院(公益財団法人)は、来年の創立100年周年を記念し、次の100年に向けた囲碁文化継承のための募金活動(2022年4月1日~2025年3月31日)を行っています。
 〈募金の使途〉※詳細は、日本棋院ホームページでご確認できます。
  1 日本囲碁界強化プラン
  2 囲碁人口増加プラン
  3 囲碁オンラインサービス・デジタル化対応プラン
 囲碁界には、このように希望のひかりが見え始めています。 
 中国の作家、魯迅の「故郷」から引用させていただきます。
『私は思った、希望というのはもともと、いわゆる有ともいえないし、いわゆる無ともいえないのだと。それはちょうど地上の路のようなものだ、実際は地上にはもともと、路というものはなかったのを、歩く人が多くなって、そこが路になったのである。』
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kazzmagicgo · 2 years
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久しぶりに、 日替わり🍚🥢 ボリューム満点ママのお店 としランチ😋 です。  GOくんの通院🦵🏻と 免許証🪪更新です。 変形性ひざ関節症と ジャンパー膝  別名:膝蓋腱炎(靱帯炎) でした。 しっかり完治します。 #bff #friends #family #ママ @toshitoshirose #love #fun #飯塚 #me #ランチ #husband #instagood #instalike #instapic #instafood #tbt #mother #実家 #favorite #father #月曜日定休日 #和風ダイニングとし #yolo #home #happy #smile #fun #swag (和風ダイニングとし) https://www.instagram.com/p/Cf5yYS7PB5e/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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unicodesign · 2 years
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2021仕事納め
2021年もあと2日となりました。
昨年以上に1年があっという間だった2022年。特に夏が終わってからが早かった。充実していると時間の経過が早い、とか言うけれど、あまりそんな実感もないコロナ禍2年目でした。
夏から進んでいた、コーポラティブハウスの住戸設計4軒は、7回ずつの打ち合わせを終えて、 昨日、うち2軒を見積に出すところまで終えて、本年終了です。ぎりぎりまでお施主様、業者とのやりとりが続きました。
事務所は、数々のサンプルで溢れております。
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そして、本日、今年最後の現地調査と打ち合わせ。
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1階下駄ばき住宅、2軒長屋が連なります、1969年竣工だそう。最後の最後に、おもしろい街並みに出会いました。
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この年末は、3年続いた大殺界の終わり、来年へのステップになりそうなワクワク感がありました。
ちなみに、大殺界の最後は、オーバーユースによる膝痛。
大腿四頭筋付着部炎症、という、いわゆるジャンパー膝で痛くて走ることができません。スポーツ整形のリハビリで体幹トレーニング中。ランはウォーキングに変えて、明治神宮を通り抜けるコースを歩いております。
新年をむかえる準備が整う明治神宮。
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ウニコデザインは、今日で仕事納めです。本年もお世話になりました。明日は大掃除します。
皆様、良い年末年始をお過ごしください。
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mark311text · 5 years
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mark=311
私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画���が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は­———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を��ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低���ので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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moai084 · 2 years
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気づいたら美男美女に囲まれていた-2022.05.15
いつのまにか森ガールがいなくなっている。
道ゆく人々はみんなおしゃれで、髪の毛もキュルンとして、肌がきれいで、とにかく私のようにアホ毛が立っている人類は、もうこの世界にひとりも居ないことに気がついた。森ガールもいなくなっている。人類はもう、重ね着をしていない。短いデニムのジャンパーを着てる人もいない。英語が胸元に書いてある服の人もいない。折り返すと袖口がチェックになる服は父が今も着ている。父以外の人は着ていない。
太古の昔、私は胸元に「Get Over」(乗り越えろ)と書かれたトレーナーを着て平然と街を歩いていた。大学の友達は「Lazy Cat」(だらしない猫)と書かれたパーカーを着ていた。おしゃれな同級生もたくさんいたが、中には森ガールもニーハイもジャージもいたので、紛れることができた。
今は、GUやユニクロ、H&Mなど、誰もがシンプルで形の良い服を安く買えるようになって、YouTubeでヘアメイクや美容の動画を見て学ぶことができる。一般人の、ファッションや美容の解像度がここ数年で急激に上がったような気がする。そして気づくと街には美男美女が溢れていて、アホ毛が立っていて適当な靴を履いているのは私だけになった。
友人に骨格診断やパーソナルカラー診断を勧められるが、似合いそうな服が着たい服じゃない気がしている。私の骨格はおそらくストレートタイプで、胸元の開いた服やタイトなスカートが似合うだろうと思う。正直、胸がちょっとだけ大きいのがコンプレックスで、肩幅があることもコンプレックスで、その、全てを隠したいと思って生きている。首元にレースがあるブラウスが好きだけど、そんな服は似合わないと骨格に否定されて、よくearth music&ecologyの試着室で泣きたくなっている。ナチュラルな女に生まれたかったが、生き様からしてナチュラルからはほど遠いので無理だ。そして胸の開いたトップスとタイトスカートという不二子ち��んファッションに身を包んだところで、童顔なので品がゼロなわけで、ただエロい人になる。
そもそも、私の顔が永遠に幼いのはどういうことか。勤務している大学の食堂でいつまで経っても学生限定のスタンプカードがもらえるのはなぜか。単純に5年も働いているのになぜなのか。ショートパンツやミニスカートは童顔なので今も似合うけど子どもみたいに見えるし職場にも履いていけない。上品な膝丈のスカートを売っている店は滅んだ。最近のスカートは、長すぎる!(楽天モバイル風に)
肌がマスクの下で悲鳴をあげている。愛嬌で許されてきたソバカスが、点と点をつなぎ線になりつつある。中学生のころ部活を辞めたらその冬に肌が真っ白になって、ソバカスが全部浮き彫りになった。その時から私はずっとソバカスのことを見て見ぬふりして生きてきたが、線になったものはソバカスと呼べないので、どうか離れてください、できたら愛してください。小鼻の毛穴は何を施しても手遅れになった。ときどき自分の鼻を見て絶望することがある。皮膚科に行けば良いんだろうが、ぜったいに怒らない女医の皮膚科に行きたいし、ぜったいに怒らない皮膚科の女医がこの世に存在するのだろうか。あとお金がない。コントをしている場合ではない。
髪の毛は、電車を降りて勤務地に着く頃にはボサボサしている。朝やったものが朝消えるなんて。なぜ、こんなにも統率がとれない。
統率がとれないで思い出したが、私の眉毛は意味が分からない。高校時代、眉を細くして先生に叱られているクラスメイトを見て不思議がっていた私も今は「良い眉毛」と「悪い眉毛」の見分けがつくようになった。見分けがつく私が判断するに、私の眉毛は意味が分からない形をしている。眉毛の義務を何もはたしていない。
髪型に話を戻す。大人なので仕方なくひとつに結んでいるが、本当はツインテールがいちばん似合う。でも大人なので仕方なくひとつに結んでいる。あと最近、前髪と前髪、前髪とおでこの間に空間を保っている人をよく見かける。そういう人は、実家が美容院なのか、母親がバブリーなんだと思う。
ネイル、指輪、ネックレス、イヤリング、私がつけるとぜんぶおもちゃみたいに見える。
せっかく小顔でも目が小さいので顔がほぼマスクになる。
ハァハァ…(息切れ)
以上です。
絶望している私に、RayCassinの店員さんは、試着した服を1から10まで褒めてくれて、ボトムスにベルトを合わせてくれ、他にも合いそうなトップスを持ってきてくれた。私は試着した服をぜんぶ購入した。商売がうますぎるし、私はカモすぎる。その日はRayCassinの紙袋と、小道具で使う虫取り網を両手に持って帰宅した。せっかくのRayCassinが台無しになった。
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nopposeitai · 1 year
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スマホ故障で写真なしで投稿したのか、昨年か、一昨年前に投稿したのか、再投稿になるのか…?定かではないのですが。 当時中学生、現在高校生。 野球部 両足オスグッド病 登下校 自家用車送迎 3回目施術後には痛み軽減 ゆびのばソックス使用し 靴の履き方、靴紐を指導する その後登下校は徒歩でできるも 不安があり野球復活は保留。 5回目以降ランニングマシン 痛みなくジョギング程度良好 コロナ禍規制中てありながら オスグッド病自体はほぼ終了 しかしながら、 動けるようになるもの 部活動なども禁止になり 半年後にメンテナンスて来店。 何度か、両膝オスグッド病の 痛みが出てくると言う事で、 再度、セルフケアの指導や ストレッチでの注意点を説明。 連絡はないので問題もなく 経過してるかと思います。 ↓簡単LINE登録↓ bit.ly/2Kt3TKW #のっぽ整体 #のっぽせいたい #nopposeitai #日曜日営業 #営業時間 #奥武山公園駅徒歩2分 #膝下靭帯炎 #ジャンパー膝 #オスグッド #成長痛 #有痛性外脛骨障害 #セーバー病 #腰痛 #股関節痛 #膝痛 #豊見城市 #肉離れ #那覇市小禄 #那覇市山下町 #足趾ストレッチ #内反小趾 #ゆびのばソックス #サッカー #野球 #バスケット #バレーボール #ハンドボール #陸上 #テニス #久米島 (のっぽ整体) https://www.instagram.com/p/Cp9lNS_vNH1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 3 years
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各地句会報
花鳥誌令和3年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和2年11月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
柿の村皆同姓の十戸かな 世詩明 時雨るや鯖江は橋の多き町 ただし 脱がされし菊人形の薫りけり 同  紅の雲の棚引く崩れ簗 同  ここからは一人でゐたい十三夜 秋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月5日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
最果ての北の海より冬に入る 喜代子 秋晴に喜寿の体背伸びせん 同  落葉焚き黒き煙りの後白く 同  冬めくや手に息かけて背をまるめ さとみ 雨音もそれらしき音冬に入る 都   良き日よと地蔵微笑む小春かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月5日 さざれ会
木の葉髪お粥嫌ひは母似とも 雪   月上り来て万葉の月見石 同  四方の風四方にみだれて秋桜 匠   花の守る岩佐又兵衛墓に石蕗 数幸 園児等の声に色づく榠樝の実 和子 巫女一人ぽつんと座る神の留守 啓子 行く秋や足羽に眠る夫の墓所 笑
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令和2年11月6日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
鴨来たる巡礼のごと湖に下り 都   露天湯の頭上ゆらりと初紅葉 すみ子 遠巻きに棕櫚剥ぐを見る車椅子 幸子 木洩れ日を残して発たれ神の旅 悦子 此処もまた日溜りの椅子黄落期 都   どんぐりの打つ音の善し帽の縁 宇太郎 遠山にあえかなる日や初時雨 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
海猫帰るために汽笛の響くかな 三郎 瓦斯燈の昔へ落葉踏みながら 光子 万国旗揺らさぬやうに神渡  久   朱雀門肌やはらかく神迎へ 三郎 赤いバス白い巨船も冬帝の遊び 順子 冬帝の過ぎるや小船きしませて 小鳥 麗人よ冬靴大きすぎはせぬか 公世 纜の過去を流して冬に入る 三郎 浜風の手首に触れて冬に入る 小鳥 フィアットを皮手袋で埠頭まで いづみ
岡田順子選 特選句
港町初凩の吹く番地 荘 吉 海月とも舎利とも沈む今朝の冬 俊樹 啄木鳥やわが郷愁の奥処より 公世 標的は船首に立てる皮ジャンパー いづみ タグボートの波にて洗ふ冬の岸 眞理子 冬浅きナイフの音を立てし皿 久   冬鴉とは姑娘を嫉妬せり 俊樹 枯蔦へ古き楔へとほり雨 光子 冬が来し港に船を見送れば はるか 汽笛吸うて海黒々と冬に入る 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
見据ゑたる鷹の視点の空遠き 秋尚 枯葉舞ふ径学食へ急ぐ径 あき子 枯葉舞ふこの先通り抜け禁止 有有 急降下一直線に鷹の影 秋尚 残照にしがみつきたる枯葉かな 有有 獰猛と記さる鷹の淋しき眼 三無 冬構大仰なほど周到に あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
信州の雲の中より林檎落つ 世詩明 天に星地に満天星つつじ燃ゆ 信子 小春日や臍見せ給ふ観世音 世詩明 庭下駄をあたためてゐる冬日かな 昭子 少年と岬鼻に舞ふ鷹仰ぐ 同  松手入れして青空へ引き渡す 信子 神の留守拍手の音の虚ろなる みす枝 行く秋の沖を指す舟帰る舟 清女 秋愁に横たふ夫は卒寿なる さよ子 霜月や日本海の色鈍し 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月10日 萩花鳥句会
秋惜しみ老後を惜しみ苦吟の夜 祐子 ボール蹴り落葉と遊ぶスニーカー 美恵子 落葉掃く心の荷物はふり投げ 陽子 久々に子と過ごす日々冬ぬくし ゆかり 苔むしし石灯籠や石蕗の花 克弘
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令和2年11月10日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
落涙も乾きたるかな小鳥来る 紀子 小春日や見返り阿弥陀拝観す みえこ 日本海黒光りして冬立てり 令子 黄昏や背中寂しき落葉道 実加 眠る子の時間ゆつくり小六月 同  静かなる朝さくさくと落葉踏む 紀子 早起きの母を手助け冬菜畑 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月13日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
柱時計止つたままに冬きざす 孝子 鰤起こし息子買ひきしカップ酒 寛子 ぬきん出て躑躅の奥の冬薔薇 よみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月14日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
初雪に老いの決意のあらたなる 独舟 水底に青空沈め冬たてり 同  蔦紅葉めらめら大樹登りゆく 美江 小春日や誘ひ出したき車椅子 同  冬に入る暗さの雲となりにけり 清   晩年をさらに孤独にマスクして 同  バスを待つ親子を包む木の葉雨 晶子 海光を宥め賺して冬耕す 岬月 風除を突き破りたる怒濤かな 同  冬眠の噴水かこむベンチかな 豊作 小春日や膝に針穴写真集 慧子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
雲幾重風のきままよ芭蕉の忌 美枝子 俳句の目持ち旅に出で芭蕉の忌 瑞枝 蒼穹の臍となりける木守柿 光子 茎漬や茶は熱く濃く夜半の飯 同  熟る郁子の紫映ゆる玻璃戸かな 三無 耳動く猫と小春を頒け合ひぬ ゆう子 句碑温め遍し多摩の小六月 百合子 散りゆけるものに紛れて冬の蝶 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
神の旅見送る西に消ゆるまで 久子 だるまさんがころんだ銀杏散りつづく 千種 剥落の幹に小春の水かげろふ 斉   元禄の立膝仏へ落葉積む 慶月 綿虫の朝日散らしてさ迷へる 秋尚 泣き声の遠くにありて空高し 幸子 その下に影を吊して吊し柿 千種 朴落葉蹴りて砕きし罪重し 三無
栗林圭魚選 特選句
神の旅見送る西に消ゆるまで 久子 黄落の激しき静寂くり返す 千種 空と樹の十一月がやはり好き 幸子 冬ぬくし髪に宿りし日の砕片 ゆう子 山茶花や噂話が通り過ぐ 千種 機関車の缶に冬蝶縋りをり 幸風 冬の蜂如雨露の口に来て休む 久子 落葉道抜けて燿ふ母の塔 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
曼珠沙華咥へて君を驚かす 雪   北風吹く越前岬海猫帰る ただし 雲水の跣足で駆ける初時雨 同  花八ツ手雨戸締めたるままの家 清女 日和得て足長く翔つ冬の蜂 同  うかつにも短き秋を逃しけり 和子 内蔵に何か貯め込み暮の秋 同  冬めくや北前船の大錨 月惑 秘め事の一つや二つ木の葉髪 英美子 時雨雲はりつき初める日本海 かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月18日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
クリームをつけて大根洗ひたる 世詩明 大根を洗ふ女ら尻向けて 同  能登半島かき消す時化や神の旅 千代子 和紙を貼り手遊びの箱小六月 昭子 マント着て父は時をり夢にくる 令子 犬の声重くて遠し冬の夜 同  亡き人をなつかしみゐるつはのはな 同  うかうかと道にまどふも小六月 よしのり 墓訪へば石蕗の浄土に入りにけり 数幸 黄を尽くし紫尽くし枯るるもの 雪   待ち人の訪るるごと初時雨 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月21日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
死ねばそれ迄の事よと螻蛄の鳴く 雪   蓬けたる芒を風の素通りす 同  石蕗の花より生れきし番蝶 信子 今日一と日神の子となる七五三 同  露の世の日光月光菩薩かな ただし 黄落やピンヒール行く音楽堂 上嶋昭子 愛すべき俗物集ひ薬喰ひ 同  白といふ豊かなる色菊人形 中山昭子 晩学や粧ふ山を範として 一涓 闇汁の何とらへしや女の座 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月25日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
神木の銀杏落葉の無尽かな 政江 黄落の骨董市の調べかな みもざ セーターに黒いクルスの祈り架け���順子 ハシビロコウ���直立不動憂国忌 公世 歳市のいかがはしさを売る子供 公世 冬帝の指呼に配られたる香具師ら 順子 音深き方の落葉を踏みにけり 秋尚 帯解やわづかに父を遠くして 千種 何も無き冬空やがて白き鳩 和子 朴落葉大往生でありにけり 公世
岡田順子選 特選句
蓮枯れて水漬くかたちを晒したる 要 歳市のいかがはしさを売る子供 公世 根の国に恋ふ人ありや紅葉落つ 圭魚 手触れたきかの狼のたなごころ 公世 小春日や得体の知れぬ骨董屋 月惑 裏門の無垢の落葉を衛士の踏む はるか 花八手見ゆる一ト間に巫女の昼 梓渕 あの空に触るる銀杏は黄葉せり 俊樹 黄落や黄色だらけと子が父に 和子
栗林圭魚選 特選句
神木の銀杏落葉の無尽かな 政江 すずしろの首の蒼白一葉忌 公世 大綿や土の匂ひを纏ひつつ 炳子 黄の帽子冬を掴みて走り出す ゆう子 帯解やわづかに父を遠くして 千種 祀らるる兵の数ほど銀杏散る 梓渕 黄落にセーラー服のひるがへる はるか
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年11月26日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
幸せの皺を増やして木の葉髪 喜和 杣人に神の高さの銀杏散る 成子 ふつくらと媼座はりて胡麻叩く 佐和 まだ熱を蓄へ普賢岳眠り初む 洋子 根深提げ鞄を持たぬ暮しかな 伸子 黄落を踏みゆく人と掃く人と かおり 北窓を塞ぎ夜明けは訪れず 愛   木の葉髪家居の好きで遊び下手 光子 本屋の灯また一つ消ゆ獺祭忌 千代 海哭きて榾火に明かき老の顔 桂   木偶の衣の一糸ほぐれし寒さかな 洋子 霜夜更く鬼も天女も鬼子母神 伸子 罪人の離島へクリスマスローズ 愛   マスクしてうはさ話をする女 ひとみ 前衛の画風守りて木の葉髪 かおり 手品師のやうな黄落きりもなく 久美子 北塞ぎては鳴り止まぬ古時計 愛   人住まぬ生家に灯る返り花 由紀子 文化の日誉められしこと在りや無し 豊子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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ksj3691000 · 3 years
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bnb-special · 6 years
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vol.07【2018ss】ショートパンツの丈は長めに。
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辻 まずはモデル紹介から?
ーーそうです。
德田 この人はね、ブルーナボインのプリントをいろいろやってもらってる会社の若手営業マン。直接の担当ではないけど、いい雰囲気なのでお願いしてみた。
ーーなかなかイカついですね。
德田 普段はものすごく穏やかよ。しゃべるとあんまり面白くないけど(笑)。
辻 それは書いたったらアカン(笑)。
德田 でも、その面白くないのが面白いという愛すべきキャラ。
辻 そうそう。
ーー貴重な人材ですね(笑)。
德田 そやねん。今回も気持ちよくモデルを引き受けてくれたし。
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ーーこれ、セットアップ(ソルト トルーパー ジャンパー&ソルト シャンブレー ショートP)で着てるのは、上下とも同じ素材ですか?
德田 同じ同じ。ナイロン素材のシャンブレー。
ーーナイロンでシャンブレーって作れるんですか?
德田 基本的には綿の糸で縦横で色を変えて平織りした生地のことをいうけど、それをナイロンで表現してみた。
ーー不思議な素材ですね。
德田 去年ぐらいからシャンブレーみたいな定番の生地を、化学繊維を使って未来感のある素材に仕上げるっていうのがフューチャーされてるところがあってね。そういう意味では新しいチャレンジの素材かな。
辻 シャンブレーのナチュラルな風合いと化学繊維のケミカルな光沢感という、相反するものがひとつにまとまってるから、独特な雰囲気があって面白いよ。
德田 シルエット的には全体的にゆったりした感じ。2017年の春夏から展開してるトルーパージャンパー型。
辻 まあでも「作業着やんけ!」っていわれたら作業着です(笑)。ただ、作業着をブルーナボインなりに拡大解釈して作ったアイテムが今シーズンは結構ある。
ーー「働くこと」がテーマだけに。
辻 そうです。
ーーこのジャケットって、背中はどんな感じなんですか?
德田 ヨークがコウモリみたいなカッティングになってる。
ーー前にシャツとかであったみたいな感じですか?
德田 そうそう。基本的にはジャンパーだけど、シャツみたいなディテールもちょっと入ってる。
ーーショートパンツなんですけど、丈がちょっと長めですよね?
德田 今シーズンはショートパンツでも、長めの丈を意識して作ったアイテムが多いのよ。
辻 膝のちょっと上とかギリギリ隠れるぐらいとか。
ーー何か理由があるんですか?
辻 もう忘れたわ。気分ちゃう(笑)。
德田 私は逆に短めがいいと思ってたけど、辻さんは絶対に長めやって、意見が分かれたのは覚えてる。でも辻さんの説明聞いて私も納得したような記憶が…。
辻 あ、思い出した。いまってだんだんトップスの丈が短くなってきてるのよ。これはもうトレンドやし、仕方がない。ただ、そこでショートパンツまでホットパンツみたいに短いのを穿いてしまうと、全体のバランスがワケわからんようになるやん。
ーー短すぎたらB'zとかジャニーズみたいですしね(笑)。
辻 それやったらショートパンツは長めにした方が、全体のバランスがよくなると思って長めにした…と思う。
ーー記憶があやふやですね(笑)。
德田 それもあると思うけど、ブルーナボインってショートパンツに長袖のシャツを合わせるっていう提案を昔からやっててね。ショートパンツを長くすると、半袖のシャツを着たときにもスゴいバランスがよく見えるから。
辻 それはホンマに。
德田 長すぎるっていう人は、裾をひとつ折りにしてもらったらいいし、そんな感じでバランスを楽しみながら穿いてくれはったら、よろしいんちゃうかなぁ~。
可愛さのギャップと色気。
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ーー中に着てるシャツって、いまホームページのトップ画面にも使われてる、動物たちの柄ですよね?
德田 そうそう。『フェイ・エリーシリーズ』。シャツ以外にも、バンダナとかピンズとかキャップとか、いろんなアイテムに登場してるよ。
ーー今シーズンを象徴してるような柄ですもんね。
辻 これ、取扱店のバイヤーさんたちの反応はよくなかったけど、直営店では評判もいいし、実際によう売れんねん。
德田 ブルーナボインの世界観を気に入ってくれてる人には特に。
辻 大阪店にカップルで来たお客さんがいてね。シャツで迷ってはってん。男の人は『フェイ・エリー』はまったく眼中になかったみたいやってんけど、彼女の方はパッと見た瞬間に「絶対これ!」って、いうたもんね。
ーー最終的に、どうなったんですか?
辻 『フェイ・エリー』買いはった(笑)。
ーーどうして女の人は、そう思ったんでしょうね?
辻 「そっちの方が絶対モテるから」って。だって、こんなシャツ着てる人、おらんやんか。
ーー確かに(笑)。
辻 そこが面白いねんけど、どうしても着たことのない服を着るっていうのは勇気がいるんかな? オネエちゃんとゴハン食べに行くときにもバッチリやのに(笑)。
德田 見た目は可愛い感じやけど、よく見るとクマがタバコ吸ってたりとか、何のために働いてるかがフキダシで描かれてたりとか、実はいろんなメッセージが入ってたりするしね。
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ーー「FAMILY」のフキダシもありましたね。
辻 あるある。でも「FAMILY」のところに集まってるのが、実は全部違う動物やったりして(笑)。
ーー意味深ですね~(笑)。
辻 まあ、そういうところまで見てもらえたら嬉しいけど。
德田 ブルーナボインとしては、懐かしい気持ちで作ったアイテムではあるけどね。
ーーどういうことですか?
德田 昔、「森の動物たち」っていう、わざと大人が子供っぽい柄を着るというシリーズを作ったことがあって。
辻 あー、やったやった。ドットが全部、動物になってたり。
德田 そういうのを「子供っぽいよね、フフッ」って笑う人もいるかもしれないけど、幼稚なモノを作って楽しんでるんじゃなくて、そこにはキッズ的な柄を大人が着るっていうギャップの面白さと色気がある。それをわかってほしいのよ。だって、おじいちゃんが『フェイ・エリー』着てたりしたら、めちゃくちゃ粋やん。
ーーそれは確かにカッコいいですね。
德田 若い人だったらいまも着れるし、着なくなっても置いといてもらって、50歳ぐらいになったときにまた出してきて着たらいいやん。男の人だけじゃなくて、女の人もね。そしたら「カワイイおばあちゃんやなー」っていわれると思うよ、みんなに。
辻 それは理想的やね。いい人生やわ。
スタイリスト 漣さんのワンポイント解説:
ユニフォームっぽい雰囲気もあって、僕の中では今回の「働く」というテーマに一番近いイメージのコーディネートです。スーツのVゾーンみたいに、首元に青いグラデーションを作ってみました。ちょっと派手かもしれませんが、面白い表現ができたかなと。荒々しいように見えて、実は服をキチッと着てる感じもあって、この空気感の中にウォレットチェーンがあるというのもポイントです。こんな感じで作業着にも洒落た要素が入っていけば、ちょっとずつですけど、見え方が変わりますね。1枚の写真としても気に入ってるカットです。
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omisesan · 3 years
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水道橋の骨盤矯正サロン_ルクス治療院
ルクス治療院
〒101-0061 東京都千代田区神田三崎町2丁目17−5 稲葉ビル 202
03-6380-8446
水道橋で骨盤矯正ならルクス治療院がおすすめ。 頭痛や肩こりなど、身体の不調を改善してくれます。
【ルクス治療院 による説明】 痛みに特化した治療院!改善されない慢性的な身体の不調「頭痛・肩こり・腰痛・自律神経の乱れ」を根本解決!その他では椎間板ヘルニア・坐骨神経痛・変形性股関節症・変形性膝関節症などの整形外科的疾患や、鵞足炎・ジャンパー膝などのスポーツ疾患にも対応!当院オリジナルの整体にて姿勢矯正・骨盤矯正・O脚矯正で痛みのない身体へ!小顔矯正や美容鍼などのメニューも好評頂いており、女性の方の来院が7割以上!痛みの予防として、歩き方や座り方などの指導もおこないます。JR水道橋駅徒歩1分。神保町・飯田橋・後楽園からも近く通いやすい立地です。平日は21時まで・土曜も17時まで受付しております。完全予約制なので待ち時間ゼロ!お身体の不調のことなら、お気軽にご相談ください。
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katchancho · 4 years
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#Goodevening * 大人しく膝の上に居ると思ったらコレだもんなぁ〜〜😅 #ジャンパーの紐食われる 😼 早くウチに帰れよ的な…😆💦 #参りました #堪忍なぁ * #kano #歌音 #カノ #カノスタグラム #calicocat #三毛猫 #cat #drive #youandme #date #icca #iwakicoastlinecruiseassociation #gs136v #crownvan #クラウンバン #instacat #instacar #instagood #instadaily #instajapan #japan #20201119 * これからの季節は手袋🧤注意⚠️😾😆💦 #Goodnight 🌠 https://www.instagram.com/p/CHvY4QEA1qf/?igshid=6guy06jvn0qs
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todasport-saitama · 4 years
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【あなたは臀部でからだを支えられる?】 . . 体を臀部で支えているか? それとも、ももの前で支えているか? . . この違いで、パフォーマンスやケガへの影響があります‼️ . . 特にももの前で支えることが多くなると 成長期のお子さんはオスグッドなどの膝の痛みにつながりやすいです‼️ . . またその他の膝のケガ ジャンパー膝、分裂膝蓋骨…などに 繋がりやすいです。 . . そうならないためにも 臀部でもからだを支えられるように なりましょう‼️ . . そんな時のチューブトレーニングですが この時もフォームがかなり大切です✨ . 三枚目の画像を参考に 自分との間違いを探してみてください!! . . この体勢で10秒間キープをしましょう❗️ 意識はお尻で支えられているか!! 実際にお尻を叩いてみましょう👏 . 力が入っているのがわかると思います!! . . 是非参考にしてみてください!! . . この投稿がいいね👍と思ったら 画像をダブルタップ♡ @todaspogram.saitama フォローもお願いします! . . __________________________________________⠀ 戸田市からプロスポーツ選手を‼️⠀ 怪我をする前よりパフォーマンスが上がり⠀ チームで活躍ための体づくりができる接骨院‼️⠀ 【戸田スポーツ接骨院】⠀ 〒335-0021⠀ 埼玉県戸田市新曽904 1F⠀ TEL.048-452-4958⠀ 診療日:月曜日〜土曜日⠀ 診療時間:平日午前 10:00〜13:00 ⠀ 午後 16:00〜21:00⠀ ⠀ 土曜午前 9:00〜13:00⠀ ⠀ 午後 14:00〜17:00⠀ 定休日:木曜午前・日曜祝日⠀ __________________________________________⠀ (戸田スポーツ接骨院) https://www.instagram.com/p/B-duxymB63C/?igshid=103hjgkwe0b8i
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