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#まだ6部咲きくらいかな
kyokocanary777 · 10 months
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象の鼻パーク近くのブルーブルーヨコハマ
以前、ここで象の鼻パークについて書きました。今日はその近くにあるブルーブルーヨコハマの写真を投稿します。
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アメリカにあるような古い建物に蔦がいっぱいの風貌がインパクトあるブルーブルーヨコハマ。
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3つの時計と3つの窓がバランスよく配置されてますね。
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早朝に撮ったのでドアなどが開いてませんが、ここ、アパレルショップなのです。
ブルーブルーヨコハマという名前のアパレルショップ👕
公式サイト↓
正面出口の前を通り過ぎて、象の鼻パークの方に歩いて行くと、
海に向かって「BLUE」と描かれてる面が見えてきます。
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蔦でちょっとわかりにくいけど、上部には白で「YOKOHAMA」と描かれてて。
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BLUEのところには錨(いかり)らしきものが何個かあります。
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見れば見るほど、面白い建物😎
ところで思い出したけど、このブルーブルーヨコハマを初めて見たのは、もう10年以上前で。
何人かでこの辺りに遊びにきてた日だったと思う。
大さん橋前の通りの方から入ってきたから、この浮世絵があったのもおぼえてる。
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この浮世絵の横の隙間に入ると、ブルーブルーヨコハマが見えて「わー、横浜だなぁ!」と感動していたはず。
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そのあと、象の鼻パーク近くにある象の鼻テラスで休憩してた。
今冷静に当時を振り返ると、あの頃の私は「私らしくできてたかな?」とクエスチョンが薄く浮かぶ。
もちろん、当時はそんなこと、ひとつも思っていなかったので、今改めて思い返しているだけで。
さっきまで明るく笑っていたと思ったら、急に静かになったりして。
そんな私だったなぁと思い返す。
さて。
この間の6月に訪れた時、ブルーブルーヨコハマの横に大きな紫陽花が咲いてました😊
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動画で見ると、こんな感じです♪
2023/08/02
19:20
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yoga-onion · 1 year
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (15)
H for Huath (Hawthorn) - May 13th - June 9th
“May tree - Sixth month of the Celtic tree calendar (Ref)”
colour: midnight blue; Gem: lapis lazuli; Gender: female; Patrons: Olwen, Blodeuedd, Chaldean, Humen, Selene, Virgin Mary; Symbols: love + marriage, fertility + birth, reproduction, heart
The short, thorny, graceful hawthorn. The slender hawthorn trunk and branches twist as the years go by. In winter they are particularly beautiful, standing clinging to misty wildernesses and craggy rocky outcrops, or clustered on open ranges of hills that their appearance is spectacular. Leaves and flowers appear simultaneously in May, signalling the change of season from spring to summer. Hawthorn flowers bloom in clusters, so that at the height of spring, rows of white froth run across the fields and mountains, a scene aptly captured by the English writer H. E. Bates as 'the fluffy cream floating in May'.
In spring, when the hawthorn flowers are in full bloom, the air releases a musky, sweet, rich fragrance all around. Small round berries turn burgundy in autumn.
In Ireland, hawthorn is still cherished as a magical tree protected by the fairy kingdom. Tradition has it that if you cut down a single hawthorn tree standing alone in a field or burial mound, you will lose your livestock and household possessions.
Hawthorn trees protect wells and springs as fairy trees. The beautiful flowers of hawthorn are also said to deliver prayers to the heavens. Even today, many people tie rags and other items to hawthorn trees standing near wells and springs, wishing for good luck or that their love will reach the person they love.
Before Christianity, hawthorn was the supreme fertility symbol and at the May Festival, people confided their love, danced to their heart's content and made love in the woods. Among the Celts, spring was the season for marriage, and it was customary to bring a bouquet of hawthorn flowers to weddings to ensure that the couple would be blessed with children.
In Britain, the earliest known hawthorn goddess was Olwen ('white footprints'), a woman of courage, wit and beauty. The well-known mythological tale of Culhwch and Olwen, in which King Arthur's cousin, Culhwch, overcame 40 impossible tasks that seemed virtually unattainable set out by Olwen's father, the giant king, Yspaddaden, and marry his beloved Olwen.
As the beautiful, white hawthorn flowers opened, people celebrated the power of nature and love to bring new life into the world and marvelled at the miracles of sexual activity, pregnancy and childbirth. For the Celts, sexual activity, pregnancy and childbirth were not something to be ashamed of, but an essential part of life and a sacred expression that one could love.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (15)
HはHuath (サンザシ) - 5月13日 - 6月9日
『5月の木〜 ケルトの木の暦(参照)の第6月』
色: ミッドナイト・ブルー; 宝石: ラピスラズリ; 性: 女性; 守護神: オルェン、ブロダイウェズ、カルデア、ヒュメン、セレネ、聖母マリア; シンボル: 愛+結婚、豊穣+出産、生殖、心臓
背丈が低くとげをもった優雅なサンザシ。ほっそりとしたサンザシの幹や枝は、年が経つにつれてねじれていく。冬になるとその姿は特に美しく、霧の立ち込めた荒野や、ごつごつとした岩の露頭にしがみつくように立つ姿、また広々と連なる丘に群れをなしている様子は、見事というより他はない。葉と花は5月に同時に姿を現し、春から夏に季節が変わることを知らせている。サンザシの花は群れを成して咲くことから、春の盛り、白い泡立ちの列が野山を縦横に走り、その様子を英国人作家のH・E・ベイツは、「五月に浮かび上がるふわふわしたクリーム」と的確に表現している。
春、サンザシの花が満開になると、麝香 (じゃこう)のような甘く濃厚な香りがあたり一面に放たれる。小さな丸い実は、秋になるとワインレッドに変わる。
アイルランドでは今もなお、サンザシは妖精の国に守られた魔法の木として大切にされている。野原や埋葬塚に一本だけぽつんと立っているサンザシの木を切ると家畜を失うか家財を無くすという伝承もある。
サンザシは妖精の木として、井戸や泉を守っている。また、サンザシの美しい花は祈りを天まで届けてくれるという。現在でも井戸や泉のそばに立つサンザシには、幸運が訪れるますように、あるいは好きな人に思いが届きますようにと願う大勢の人々が、布きれや品物を結び付けている。
キリスト教以前は、サンザシは最高の豊穣のシンボルであり、5月祭には、人々は愛を打ち明け、心ゆくまで踊り明かし、森で愛を交わした。ケルト人の間で春は結婚の季節であり、夫婦が子宝に恵まれるように、結婚式にはサンザシの花束を持っていく習慣があった。
英国では、サンザシの女神として最も古くから知られているのが、勇気と機転と美貌の持ち主、オルェン (‘白い足跡’の意)。アーサー王の従兄弟であるキルフーフが、オルェンの父である巨人の王アスパザデンが課した事実上達成不可能と思われる40の無理難題を克服し、愛するオルウェンと結婚した神話『キルフーフとオルェン』がよく知られている。
美しく、そして白いサンザシの花が開くと、人々は、新しい命を宿す自然と愛の力を祝福し、性の営み、妊娠、出産という奇蹟に驚きの声を上げた。ケルト人にとって、性行為や妊娠、出産は恥ずべきことではなく、人生になくてはならない大切な一部であり、人は愛することができるということの神聖な表現であった。
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houteiyugi-movie · 8 months
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舞台挨拶で模擬法廷 “無辜(むこ)ゲーム”が開廷!完成披露試写会のイベントレポートが到着!
この度、10月3日(火)に『法廷遊戯』完成披露試写会を実施!永瀬廉さん、杉咲花さん、北村匠海さん、大森南朋さん、戸塚純貴さん、 深川栄洋 監督の6名が登壇しました。 まずは黒衣をまとった6人の謎の男女が観客席を通ってステージに登場。QUEENの名曲『We Will Rock You』と同じリズムを刻みながら観客を煽り、クラシック曲のBGMが爆音になった途端、ステージ上の赤い階段にキャスト & 監督が一斉にラインナップしました。
まるでライブのような爆音BGMに加えて法廷を模した豪華なデザインのステージ。法律家を目指しロースクールに通う主人公・久我清義役の永瀬さんは「今日はもはやフェス? CO²の煙が出て歓声を頂いて…。まるで男女のダンスボーカルユニットみたいで踊りかけました」と満面の笑みを浮かべると、ロースクールの同級生・結城馨役の北村さんは「踊る?」と永瀬さんを焚きつけたりして、豪華演出にビックリしていました。
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法律家を目指す学生たちのロースクール、そしてその後実際の法廷までが舞台のミステリー小説が原作。永瀬さんは「完成した作品を皆さんにお届けできるのはありがたく、嬉しい気持ちでいっぱいです」とすがすがしい表情で「清義は優しくて真面目で大胆な部分もある。自分の中で大きな信念がありつつ、物語が進む中で色々と経験して清義自身が最後に下す選択が一貫している。信念と正義感の持ち主です」と役柄を分析しました。
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ロースクールの同級生・織本美鈴役の杉咲さんは「美鈴が起こす行動自体は共感しづらいかもしれないけれど、清義をただ一途に思い続けているという点では理解ができる人」と乙女心に共感。永瀬さん、杉咲さん、そして深川監督とは旧知の仲という北村さんは「この作品をやるという要素が3つも揃っていたので、2つ返事でした。このメンバーならばやろうと思った」と絆を強調し、ロースクールの同級生・藤方賢二役の戸塚さんは「短距離走100メートルを、息を止めて走っているような感じの撮影だった。この疲労感を観客にも感じてほしい」と期待を語りました。
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謎の男・沼田大吾役の大森さんは「謎の男ということで狂気的な世界でやってみようと思ったら、僕以上にこの4人(永瀬さん、杉咲さん、北村さん、戸塚さん)の方が狂気じみていた」と若手勢の奮闘に感激。そして深川監督は「この映画の答えは皆さんの中にあります。映画を観終わった後の皆さんの心にどのような変化があるのか。それを味わってほしい。原作小説と映画の違いを楽しんでもらえるはず」とPRしました。
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撮影が行われたのは2022年の秋。学校のシーンはもとより、法廷、そして無辜(むこ)ゲームと言われる模擬裁判のシーンは、印象的な洞窟が登場。これに戸塚さんが「僕は撮影の翌日、体調を崩しました」と洞窟ロケのハードさを思い出すと、北村さんは「電波もないし、コウモリもいるし」と過酷な撮影状況を解説しました。永瀬さんは「洞窟は寒くてヒートテックを5、6枚着ていました。しかも洞窟には1日いたので時間感覚もなくなってサバイバルをしているみたいだった」と振り返りながら「でも僕はそこで戸塚君と仲良くなりました。戸塚君は僕がイジっても優しく返してくれるから僕も楽しくなった。そこから仲良くしています」と戸塚さんの人柄に感謝していました。
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法廷を舞台にした本作にちなんで、個人的に疑問を持っていることを「有罪」なのか「無罪」なのか多数決でジャッジする企画を実施。歯磨き好きという永瀬さんは「歯磨きを始めたら長い。気づいたら移動時間ギリギリで、マネージャーから『時間に余裕を持って!』と言われる。でも余裕を持てば、またそれだけ歯磨きが長くなる。でも遅れるわけではなく、時間には間に合っています」と訴えました。これに北村さんは「時間に余裕を持ちなさい!」と友人として叱りながら、永瀬さんから「歯磨きの1日マックスは6回か7回」と聞くと、「歯が可哀想」と永瀬さんの歯に同情。しかし結局は無罪となりました。
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杉咲さんは「一つの役が終わると、サヨナラしようと思って髪の毛を切りたくなる。でも切り続けてしまってどんどん短くなる。今はウッカリアゲです」と短髪理由を明かして、これも無罪。一方、度を越えたゲーム好きという北村さんは「気が付けば1日椅子から動かず、15時間くらいゲームをやっている。12時間を超えると視界がぼやけます」と告白。これに友人の永瀬さんは「断トツ勝手にしてほしい疑問!」と突き放し、結果は有罪となりました。
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最後に永瀬さんは「それぞれが抱えているものがありつつ、各々の持っている信念や正義を貫き通すことの難しさや大切さ、その苦しさを色濃く描いている映画です。どの視点から見ても違った考えが生まれるだろうし、自分の正義感とは何かを見つめ直す映画になっています。たくさんの方に観ていただきたいです。楽しんでご覧ください」と力強くアピールしていました。
公式サイト
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kennak · 2 months
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実写映画化もされた「ソラニン」を始め「おやすみプンプン」「MUJINA INTO THE DEEP」など いくつものヒット作を生み出している漫画家・浅野いにおが2014年から2022年にかけて連載していた 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」、通称「デデデデ」が満を持して劇場アニメ化。 舞台は東京上空に突如出現した巨大な宇宙船『母艦』により一変してしまった東京。 慌ただしく動く政治家達と、青空を横切る迎撃ミサイルを眺めながら学生生活を送る少女達の青春を描く。 脚本は「聲の形」「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の吉田玲子、監督は「ぼくらのよあけ」の黒川智之。 声の出演は幾田りら、あの、種﨑敦美、島袋美由利、大木咲絵子、和氣あず未、白石涼子、 入野自由、内山昂輝、坂泰斗、諏訪部順一、津田健次郎。 映画は二部作構成になっており、前章は3月22日公開、後章は4月19日公開。 主題歌はano feat. 幾田りら「絶絶絶絶対聖域」(前章)と、幾田りら feat. ano「青春謳歌」(後章)。 私が試写で見せていただいたのは前章のみなので本年度No.1!と断定するには気が早過ぎるのだが 久しぶりにビビビと来た”クソやばい”劇場アニメなことは間違いない。 原作未読のため後章がどうなるのか予想がつかず、 最高潮のテンションで「続く」となるためコミックスを買おうか悩み中。 日常を切り裂き東京に襲来した宇宙船から、謎の言語を操る宇宙人らしき生命体が現れて どこにでもいる女子高生達のどこにでもある学生生活を掻き乱す。 新型コロナウィルスにより一変した世界を知っている私達は 非日常になった世界ですら、数年も続けば日常生活に侵食されて 共存の道を探り当てることを身を以て体験済み。 ゴーストタウンと化した街中を自転車で爆走した数年後に、 コロナのずっと前に描かれた本作の劇場アニメと出会えたのは、もはや運命的とすら思える。 平凡な毎日を繰り返しているだけでは聴こえなかった自分自身の心の声や、 人の優しさ、友情の尊さ、あれやこえやをくしゃくしゃに丸め、 非日常を溶かし込んで回る東京で青春を謳歌する少女達の輝きに目が眩む。 退屈な毎日が、ある日突然失ってしまうかもしれない危うさの上で奇跡的に成り立っていることを、 日々の忙しさに追い立てられてつい忘れがちになってしまう。 世界を変えてしまうものが宇宙船かウィルスか、はたまた別の何かであるかの違いはあっても この世界が明日にでも今日とは違う景色になってしまう可能性は全員が持っているのだ。 先月末に行われた完成披露に出席した浅野いにおは、アニメ映画化の話が来たのは5、6年前だったと話していた。 声優のキャスティングのオーディションが始まったのは2,3年前で、そこにやってきたのが今や大ブレイク中のあの。 「あのちゃんがテストをした時、現場の雰囲気が一変した」と語る通り 本作で本職の声優すら霞むほどの強烈なインパクトを与えているあのの爆発力と、 暴走機関車のようなあのを支え、語り部的な役割とヒロインを両立させた幾田りらの巧さも相当なもの。 はっきり言って、鑑賞前は人気取りのキャスティングかと疑っていたのだが 二人には土下座して謝らなければならない。 「漫画原作者と映像化の関係性は難しい。なるべくノータッチであることが望ましい。 でもふたを開けると、コンセプトからキャスト会議まですべて関わってきました。 最終的には前章だけでも100~200カットリテイクをお願いし、僕が直接レタッチした部分もありました」と 漫画原作をアニメ化する際の困難を語る。 浅野氏が隅々にまで関わった成果は、作品を見れば一目瞭然。 生き生きとした登場人物達が圧倒的なスピード感でディストピアと化した東京を駆け抜けるジュブナイルの傑作。 私的には、前章だけで大好きだった「鉄コン筋クリート」(2006年)とも比肩しうる劇場アニメになった。 後章も劇場に観に行こうと思う。
映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」2024年最高にクソやばいアニメ映画、かも - 忍之閻魔帳
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parakavka · 1 year
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こむぎ と こはる * on Twitter: "梅林公園にお散歩に行きました🌸 今年は寒かったから開花が少し遅れてるみたいで、まだまだ6部咲きくらいだった!それでもキレイだった✨ この2枚の写真、別々の写真なのに並べると1枚の写真みたいになってお気に入り📸✨ #柴犬のいる生活 #美濃柴犬 https://t.co/qFHpZBQM93" / Twitter
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semmaki · 1 year
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5月 いろいろ。 今年もスズランが届いた♡ 可憐だなー。今年のスズランは義父に育ててもらうことにしました。来年咲かせてくれる、きっと!久しぶりにミニシアターで映画鑑賞。暗い影を落とす内容だったけど観に来れてよかったと(ひとり映画はメンタル面で不安になることもあるけどこの日は��調で、さあ、帰ろうと)座席を立ったら、隣の男にあることで注意されてしゅん....となるどころか「はぁ?」と怒りが込み上げ、でも物騒な世の中、これは歯向う相手ではないと察知し、腑に落ちないけど謝りました。鼻の穴開いたまんま、地下鉄乗ってJR乗って、気づけば大の苦手な快速に乗れていたという(笑)不安なんて忘れるくらい怒りってすごい!ということを学べ?た。コロナが5類に移行し義母が入居する施設にいつでも会いにいけるので、Sさんと顔を見にいってきました。最近少し痴呆の気があるので、わたしのこと分かるかなぁとドキドキしたけど、忘れるどころか「その帽子、よく似合ってるねぇ」とお褒めの言葉をかけてもらえて、すごく嬉しかった。そういえばわたしの祖母もいつもわたしの身に着けてるものを褒めてくれた。どんなに奇抜で家族には不評でも、祖母は絶対悪くは言わなかったなー。いちばんの味方でいてくれたこと。ずっと憶えています。SNSの広告で好みの色のリップが紹介されていて、試しに買ってみたら…いくらプチプラとはいえサイズが異常にちっさい。ミニモニ。もしくはプッチモニ。そして購入した翌日にそのリップがセールになっていたという悲劇。そんなこんなですが、ユイットは日ごとにかわいい。どうしてこんなにかわいいんだろう。わたしの一部。なくなると死んじゃう。長生きを前提としてますが、いつかくる別れを想像すると胸が引き裂かれる思い。どうなっちゃうんだろうわたし・・・。少しでもこの気持ちを軽減したくて、伊集院静の「君のいた時間」を図書館にリクエスト。逆に疑似体験がつらくなる?そういえば、先日の徹子の部屋で室井滋の飼い猫が22歳と長生きで、秘訣はなぁに?と徹子さんに聞かれ「お白湯かなぁ」と答えていた。手で温度を確かめながら白湯を飲んでいるそう。かわいい。黒柳さんも白湯は欠かしてないそうです。元気に長生き、人間もペットも同じです。生きていればいろいろありますね。なんのこれしき、で、6月も(誕生日月だし!)歩みをすすめていこう。
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palakona · 2 months
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あ"ぁ"〜!!!
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
どうも、こんにちは。へら釣りやってると渓流まで行くのがめんどくさくwなるのですが、hrkさんにお誘いいただいたので、4月に入ってやっと解禁してきました。道中はあちこちで桜が咲いていて春が来たなあと。4月の渓流は清々しく爽快でした。めんどくさがっていたくせにw。入渓の準備をしていると、トヨタのライトバン(懐かしい響き)が停車してI田さんとN原さんが降りてきました。おお!I田さんとはヘラ釣りで何度もご一緒しましたが、やっと渓流で会えました。しばらく会話を楽しんだ後、I田さんたちは奥に向かい、僕たちはそのまま入渓。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
ここ数年、開幕戦は"じょっ"さんのロッドって決めてるんだけど、今年もHISHIDA ROD No.63でスタート。7ft6in#4のチャンバーロッド。セミパラボリックアクションです。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
入渓の時にhrkさんに聞こえるように「年功序列…」とボソッとつぶやいて威圧wしたのが効いたのか、先行はワタクシ。最初の好ポイントで紀伊半島では良型の20cmクラスが出たのですが、鉤が当たっただけで掛からず。その後アダムス・パラシュートが沈黙してどうしよう(汗)。先行を入れ替わっているうちにhrkさんが2尾釣って釣果でも先行されてどうしよう(^▽^;)。震える指先で隠し持っていた「HRKダン」をティペットに結んだら、あっさり今シーズン初アマゴが釣れました(嬉)。サイズは見逃してください(汗)。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
ちょっと反応がなくなって、HRKダンの浮き方もおかしいので、点検してみるとハックルが解けてる…(悲)。なので、オレンジ色のハックルの鉤を結びました。レッドクイルじゃないな…鉤の名前忘れた(汗)。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
鉤を替えても釣れました。ちっちゃくなってる…
せめて6寸(^▽^;)
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
名前を忘れた鉤で4〜5尾釣ってから、無くなったか見え難かったから交換したかったのか、フライボックスをゴソゴソ見てみたらウィッカムズ・ファンシーが目についたので交換してみました。昨シーズンはパッとしなかったような気がするが、今日はどうでしょう?
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
晴れてるとウィッカムズ・ファンシーは、赤いハックルがキラキラして意外と見やすい。反応も良くて好印象。この川のアマゴは、紀伊半島産の地物によくある丸い幼魚班なのですが、縦に崩れた幼魚班…1〜2年ぐらい前からこんなアマゴが増えました。なんかなあ。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
午前中、〆のアマゴ。山岳渓流やからポイントが狭いし、距離も近いし、まだ瀬に入ってないし、朝からアワセたらそのまま抜けるようなアマゴばかりでしたが、やっと小マシなサイズが釣れました。アマゴは瀬で掛けてギラッギラッと横に走るのを寄せながら釣るのが楽しいですよね。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
一旦上がって2本目の川へ。駐車スペースにI田さんたちの車ハケーン。朝から釣り上がってんのかなあ。数時間空いているはずなので、僕らもここから入渓の予定。コンビニのパンとお菓子の昼食を食べてから、さて釣りを始めるべと腰を上げて川に向かうと、目の前にフライマンが2名(汗)。食事中、誰も入渓しなかったけどなあ、下から上がって来たん?ひょっとしてI田さん?近づいて声をかけてみるとI田さんたちでした。このまま釣り上がらはんねやなあと思っていると、「もうここで上がりますから、上から入ってください」と。ええっ!天使や…(感謝)。聞けば、朝から最上流部に入って10枚ずつぐらい釣ったそうです。凄え!I田さんは、水藻フィッシングセンターでお会いした時に、21尺グルテン床釣りでバンバン釣って、床釣りしかしなくて床釣りが上手いはずの僕の立場を喪失wさせたことがあるのですが、フライフィッシングも上手いんですね…。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
で、入渓させていただきました。I田さんたちは、朝は最上流で、最下流をちょこっとやって帰るってことは、ここから先は手付かずってことなのかな?ワクテカw。だが、しかし…やらかしてます(^▽^;)。アワセ切れ連発でブチブチ切れる…僕も切れるわw。号数は別として、グンターは好きなんだけど、○鱗とかマキシマの茶色とかブチブチ切れる印象があるんですが、どうなんでしょう?
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
チャンスをフイにしている僕を尻目にhrkさんはボチボチと釣果を積み上げてはる。午前中僕が10尾でhrkさんが11尾で接戦だったが、差は開く一方。良いポイントを譲っていただいたが釣れず、先行を替わってからキャスティングとドリフトの練習がてら、大岩の「巻き」に沿っていやらしくネチネチと鉤を流していた。ここは昔はアマゴの良型が何尾も釣れたポイントなんですよね〜。鉤を目で追っていると、泡の下にイワナらしき黒い影があって水面の羽虫をパクッと。グッドタイミングで僕のウィッカムズ・ファンシーも流れて行った…喰ったw。イワナにしては水底に向かわずにノタノタ悶えるwだけだったけど、今日初めてマトモにフライフィッシングで釣った気がするw。もう満足です。
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2024年4月、紀伊半島某川 iPhone11
あと1尾釣れて〆のアマゴになりましたけど、金太郎飴みたいにこのサイズw。ワシの鉤は18禁やねんけどw。
ということで、4月6日の渓流解禁釣行はアマゴ11尾、イワナ1尾で合計12尾でした。hrkさんはアマゴ16尾、イワナ1尾で合計17尾でした。年功序列って言ったじゃないですかw。
では、また。
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oka-akina · 2 months
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0401(百合など)
高校生のとき書店で『百合姉妹』を見つけたとき、こういうのがあるんだと驚いた。女の子と女の子の恋愛の漫画があるんだ。ちゃんと雑誌で売ってるんだ。ドキドキしながら立ち読みして、その書店に何度も通った。今日もあるな、まだ売れてないな、じゃあこれはわたしが買っていいってことかな…。コミケで同人誌を買うよりよほどドキドキした。 百合っていう名前もいいなと思った。ボーイズラブがあるんならガールズラブもあるんだろうけど「ガール」はな〜と思っていた。「ガール」にどうしてもなじめなかったからお花の名前でごまかしてくれるのはいいなと思った。ただまあこれは当時高校生だったわたしの感覚なので、花の名前にされるのをいやがる人の方が多い気はする。あとこれ同世代なら伝わるかもなんだけど、「ガール」はYUKIとかあんじとか市川実和子のための語で、わたしの語ではないな〜みたいな感覚もあった。 百合姉妹の作家陣、ひびき玲音、硝音あや、蔵王大志…。当時のわたしとしては”ワンピースとかナルトの同人誌で見かけた名前”だったので、あっこの人たち女の子の話も描くんだ!とワクワクした。よく同人誌のあとがきとかで作家同士が「◯◯ちゃんもう結婚してくれよ〜」とか馴れ合っていたのを見ていたから、わーーっわーーってなんかこうジタバタしてよろこんだ。CUTiEのモデルより同人誌の作家の方が距離が近い感じ。
ボーイズラブの漫画や小説、二次創作の同人誌は身の回りにたくさんあって、でも女性同士の物語ってあんまりないんだなあと当時ちょっとさみしく思っていた。まあ探し方が悪かったんだけど、まだSNSもpixivもなかった時代の高校生だからそんなもんだったと思う。周囲に読んでる人もいなかったし。マリ見てはなんかしっくりこなかった。あずまんが大王はけっこう好きだった。NANAはナナとハチがカップルになる漫画かも?と思って読み始めた(ちがった)。少年漫画でいえばBLEACHのたつきと織姫の同人誌ないかな〜とか思っていた。ぜんぜんあったんだろうけどうまく探せなかった。BLEACH、クラスメイトでレズビアンのキャラクターがいて、クリトリスが勃起するってせりふがあってちょっとドキドキしたんだけど正直よくわからんと思っていた(自分の性器ってよく見えないから)。 あと当時ヤマシタトモコがワンピースの同人誌を描いていて、らくがき的に女性キャラクターの絵もちょこちょこ描いていたのがスタイリッシュでとても好きだった。秀良子、のばらあいこ、阿弥陀しずく…その後商業BLで活躍している作家たちがワンピースにいて(このいるって感覚面白いよな)、たまに描いてくれる女性キャラクターを大事に大事に噛み締めていた。 ジャンプだとジョジョの6部がやっていたころ。コミケで探せば徐倫とかエルメェスの同人誌があったことはあった。でもカップリング感はあんまなかったかな。ジョジョは当時そんなにスペース数なくてコピー本が多かった。まあでも徐倫とエルメェスとFFの連帯の感じは原作を読んでいるだけでも本当にワクワクして大好きだったので、二次創作でそれ以上の掘り下げは求めていなかったかもしれない。またジョジョの二次創作はおしゃれな絵柄が多くて、作家の絵柄に落とし込んだイラストを眺めているだけでも面白かった。
コミケではモー娘。の同人誌を買ってうれしくなっていた。芸能系二次創作というのはいろいろ危ういものがあり言及が難しいんだけど、女性と女性が恋愛することを喜びたかった。わたしが見た限りだと同人誌でもあまり激しいものは見たことなくて、いわゆる現パロとかおとぎ話パロでちょっといちゃいちゃしながら仲良く暮らすような感じ…いってしまえばガワだけ借りてきて、女性同士の親密さをよろこぶような感じのものをよく見かけた。女性作家が多かった記憶。 現実にいる人間でそういう創作をやるのはあんまり行儀のよくはないことではあり、その感覚は当時だってあったけども、とはいえ、自分の「これ」はうそではないのだと思いたい、そういう素朴な切迫をなぐさめるものとして現実の人間をモデルにした絵柄でやる漫画同人誌というのはありがたい存在だった。すごいおぼえてるのが、モー娘。の風俗嬢パロ。後藤真希の娘。卒業を作中では「嬢の引退」とし、いやーーすごい読み応えあったな…。 モーヲタみたいな呼称もけっこう便利だった。いや自分モーヲタなんで〜〜とか冗談ぽく言って、写真集やグラビア雑誌を買ってみたりして。アイドルだからそんなにきわどい衣装やポージングはなかったのが、わたしにはかえってうれしいものが多く、飯田香織が素敵なワンピース着てメガネかけて図書館に佇んでいるとか、後藤真希と吉澤ひとみがおそろいのパジャマで歯みがいているとか、すごく幸せな気持ちで眺めていた。
その後大学生になり、まあなんかこうそこそこ遊び回るようになって百合の漫画を熱心に読まなくなってしまったので、いわゆる百合ジャンルの盛り上がりみたいなのはあんまりよくわからない。志村貴子の漫画をけっこう買っていたくらい。百合姉妹が百合姫になってからのことや、「尊い」みたいな言い回しも正直馴染みがないし、百合雑誌、百合ジャンルがどっちかというとシスヘテロ男性向けっぽくなってからはよくわからない(『百合姉妹』の想定読者は女性だったと思う)。百合SFで「百合が俺を人間にしてくれた」とかの感じは本当にもうわからん…。ただまあわたしは百合以前のこともあまり掘り下げてないのでわたし自身リスペクトに欠けるといわれればそうではある。ジャンルのファンというわけではなくて自分の時間のなかでそうであったということ。まあ最近はまた百合の作品で好きなものけっこうあるので、マイペースに楽しんでるんだけど(妹サブスクリプションよかったです)。 だから百合について語れることってあんまりないんだけど、それでも自分としては、『百合姉妹』を見つけたときのうれしさをすごく覚えているので、エイプリルフールに百合的な表現と接続したかたちで悪ふざけをやるのは悲しい。同人作家同士の馴れ合い的なやりとりが、じっさいどういう感覚だったのかわからんけども、高校生の自分としては素朴にうれしかったという思い出もあるので、なんというかそういう…中の人のじゃれあい的なのが「営業」みたいになっちゃう、「営業」でしかないみたいなのも苦しい。オタク的な表現にとても救われた子どもはけっこういた・いると思う。 だから百合で活動(とくに商売)している人たちはそういう悪ふざけや迂闊さにNOって言ってほしいし、同性婚にも言及してほしい。ほんとは。べつに創作は創作だとは思うというのはそりゃそうなんだけど、「言及しません」って堂々と言うのはけっこう驚く。驚くというかさみしいし心ぼそいのだと思う。でもぜんぜん黙っててもいいと思います(言えることしか言えないと思うから。これ伝わるかな…)。
ぜんぜん余談だけど、自分が大学生のとき資生堂でブランド整理があり、マキアージュの登場が印象深い。篠原涼子、伊東美咲、蛯原友里、栗山千明。タイプのちがう4人が並んで、「この世のハルがきた」というキャッチコピー。なんとも鮮烈で感激したな。CM内のキャラにちゃんと設定もあって、スペシャルドラマもやって…。レズビアンの物語ってわけではなかったけど、ちょっと百合っぽい親密さがあって大好きだった。あと篠原涼子どタイプなので最高だった。コフレドールがブランド終了ときいて思い出したけど、百合の話題からの連想でもある。
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supertvkidharaso · 3 months
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ファミレス別に安くない
この間空手師範持ちの上司が、お前は態度が悪いから空手の礼儀作法を叩き込んでやると言って空手の話をし始めて、「空手の世界では、返事はハイか押忍しかなくて、いいえはない。押忍は押して忍ぶ、つまり耐え忍ぶという意味だから、イヤだな~と思う時は押忍と返事する」とか色々教えてきた。嫌いな先輩にご飯を誘われた時などに、俯いて「…押忍。」と返していたらしい。あと、空手は手足が長いと有利らしく、お互い腕の長さを比べたりしていた。仕事しなよ。わたしたちが腕の長さを比べている間に大谷翔平は結婚し、羽田空港からマニラ行きの飛行機が飛んだ。15:20 HND→19:40 MNL。5時間20分でニノイアキノ国際空港に到着する。上司はそのあと「もっと姿勢良くしろ」「早くこの仕事終わらせろ」などと言ってきたので早口で「押忍押忍押忍押忍押忍押忍」と返答した。5時間20分で毎週の業務と会議準備と会議、担当者と電話をして、工事の見積にケチをつけ安くすることに失敗した。疾走感のある文章が好きで、書きたいと思っている。疾走感のある文章は走りながら書かれているか?いいえ、そうではありません。文章は殆どの場合何度も推敲された上で書かれている。��言は推敲できない。本当の自分は文章には現れない、発言と行動がそいつの全てだ。という意見の方が真理っぽくてクールに聞こえるかもしれないがわたしはそうは思わない。対面面接。zoom.us / leave.me。サンタさんはいない。ディズニーランドで夢は叶わない。月曜から夜更かしは「一周目」の時にしか見ることができない。ファミレス別に安くない。でも先生、咲かない花もあるんじゃないですか。咲かないなら手品でも咲くしかない。手品で咲くか、13回手を叩いて死ぬかのどっちかだ。足速くて面白くて無双してたのに、中学入ってからダサくてなんか無理になられてたヤツ。に、告られてどうやって断るか、の相談をされた。マツコ・デラックスの現在の支持率。暗いけど明るい人。明るいけど暗い人。先生だって人間。親だって人間。設楽統とおぎやはぎは人間ではない。あの子の性格が超サイテーなことと人気があることに数式の狂いはない。同じ学歴を持っていても明確に差がある。努力もあるし運もある。漫才には台本がある。バラエティにも台本がある。「『テラスハウス』は見ず知らずの男女6人が共同生活する様子をただただ記録したものです。用意したのは、素敵なお家と素敵な車だけです。台本は一切ございません」。俺より面白いやつがいた。俺は今日からむかし明るかった人になる。18782+18782=37564。きさらぎ駅授業中に読んでた。タコスを食べた。タコス好きな人っているよね。タコス好きな人は必ずタコスに関する活動をSNSにあげると思う。なぜなら私がそうだから。店員さんは何も知らない。店員さんはこのメニューの味を知らない。メニューの説明の仕方を知っている。店員さんは店員さんたちで行くスノボについてよく知っている。文章を書くことは誰にでもできる。いつも何しようか考えて何もしない。何も知らない。わからない。家の近くにある静かなファミレスのことなら知っている。充電しながら操作しちゃいけないわけじゃない。ただバッテリーの持ちが悪くなる。iPhoneSE。まだSE使ってるんだ。仲間。わたしのiPhoneなんかおかしいんだよ。返事をするのに知りたいことは何ひとつ教えてくれないの。お水ください。お水で大丈夫です。エロ漫画家。エロ漫画家の娘。もっと渇きたい。渇き。渇きを感じたことがあるか?ずっと自分を隠している。ずっと自分のことを考えている。そのことはみんなにバレているに違いないがどうすることもできないし、受け入れる他ない。会社の先輩とチャットでいくつか短歌を送り合った。ねぇ、わたしが300万円の工事の承認出してるのおかしいと思う。取引先の佐藤さんはいつでも電話に出てくれるしなんでもすぐに対応してくれる。高校生の時は同級生の喧嘩を傍観し、警察が来た時に「警察来たぞー!」と叫んで一番に逃げていたらしい。「やっぱりぶっ飛んでる人が好きなんですよね」と言っていた。小説家と詩人はモテない。自分の中身を全部出さなきゃいけないから。誤魔化しがきかない。それは違う、誰もやってなくて誰かには必ず刺さるCOOLな表現をすればいいだけだ。松本人志の引退、わたしのずる休みデビュー。わたしのボーナスが667,732円なの、おかしいよ。それまでの半年間、冊子のスキャン頼まれて冊子ビリビリにしただけなのに。審美眼が欲しい。わたしたちって優先順位-高 の項目だけ消化して死んでいくの?仕事と日用品の買い物といくつかあるお気に入りの外れのないアルバム再生だけじゃなくて、街を破壊したいしワニも飼いたいのに。
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furoshikiblog · 1 year
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【 タケノコ 】
今まさに旬を迎えているタケノコ。 竹の地下茎から出る新芽の部分、竹の子供だから竹の子。 竹に「旬」と書いて「筍」。 竹の一番良い時期だから、 タケノコが10日で竹になるところから、とも言われます。
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ちなみに「旬」とは本来10日間の意味で、 一月30日を10日づつに分けて上旬・中旬・下旬というナルホド。
竹と言っても種類はいろいろあって、 一般的に食べられているほとんどは孟宗竹のもの。 地上に出る前後のものが良いとされ、採れたてはそのままでも食べられますが、 時間がたったものは米ぬかや重曹で湯がいてアク抜きします。
ビタミンは少な目ですが、食物繊維とカリウムが豊富なので、 美容と血圧が気になる方におススメです。
ご存じのように竹の花は100年に一度といわれるくらい咲きません。 なので種子栽培は行われておらず、移植によって増やすそうです。
水はけのよい土地があれば、移植の翌年には新芽が出て、 3~6年と比較的早い期間で収穫が見込めるそうです。
   筍の この重きこと 旨きこと  鷹羽狩行
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myonbl · 4 months
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2024年2月11日(日)
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拙宅から徒歩10分の梅小路公園、久しぶりに散歩にやって来た。水族館や鉄道博物館の開業ですっかり集客地となってしまったが、地元民にとってはジョギングやウォーキング、それにペットの情報交換といったコミュニケーションの場なのだ。お目当ては東南角にある梅園、個体差はあるがかなり開いている。中でも開花が進んでいる樹にはウグイスが集中、可愛い姿を見せてくれ、ちょっと得した気分になったのだ。
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5時45分起床。
日誌書く。
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朝食。
洗濯。
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韓国の原爆被害者を救援する市民の会・大阪支部のFacebookPageを更新、Threadsに露の新治師匠の出演情報をポスト。
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梅小路公園までウォーキング、梅が大分咲いている。久しぶりにワークアウトの記録を取ったが、やはり毎日取り組もう。
ランチ、息子たちにはレタス炒飯、私たちはUFO焼きそば+🍷。
録画番組視聴、名探偵ポワロ
第5話「4階の部屋」/ The Third-Floor Flatシーズン 1, エピソード 5 次回放送日: 2024/02/25(日)20:30〜 ポワロが住むマンションに、裕福なグラント夫人が引っ越してくる。ある日、ポワロとヘイスティングスは観劇に出かけ、劇場で、ポワロの階下の住人マシュー ズを見かける。劇が終了し、マンションに戻ったマシューズ達は、部屋を間違えて1つ下の36Bに入ってしまう。そこで彼らは引っ越してきたばかりグラント の夫人の死体を発見する。
軽く午睡。
ウォーキングを毎日続けるためには、やはり形を整える必要がある。ユニクロ五条丹波口店まで買い物、ジャージ上下を購入する。
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早めの夕飯は寄せ鍋、奥川ファームの野菜をたっぷり頂く。
やはりポワロ、
第2話「ヒッコリー・ロードの殺人」/ Hickory Dickory Dockシーズン 6, エピソード 2 次回放送日: 2024/03/24(日)18:10〜 ミス・レモンの姉、ハバード夫人が管理人を務める学生寮で盗難事件が続出。被害は大したものではないが、それを見たポワロは盗みの陰に潜む危険を察知する。その直後に寮生のセリアが怪死する事件が…。ポワロは二つの事件の裏の大胆な犯罪を読み、謎を解く。
片付け、入浴、体重は150g増、明日から頑張るぞ。
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やはり12,000歩を越えると見た目にも気持ちが良い、水分は1,700ml。
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sina1986 · 4 months
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3 to 8 × SINA SUIEN -ガールガイド-
あやちゃんから受け取ったのは40年代のシルク素材のブラウス。フロントはファスナー開きで、肩の部分はシフォン素材で透けています。1940年代らしい、細身のシャープなデザインです。
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このブラウスを着た人は世界大��前後の時代を、どんな暮らしをして生き抜いたのでしょう。
どんな状況でも明るい心で生きること、装うこと、生活の工夫は続きます。そんなことに想いを馳せながらリメイクしました。
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とても繊細でなめらかな織り目、上質なシルクシフォンに可愛らしい立体のお花のレースが丁寧に縫い付けられていました。
腕の擦れる部分などに損傷が激しかったので全部解いて一つ一つの布片にし、使えるところをピックアップし縫い合わせたパッチワークのキャミソールワンピースにしました。
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襟や袖のフリルが可愛かったので胸元に���飾として配置しました。
裏地は、表地の透ける特徴を活かし重なった時に動きが魅力的になるよう計算して構成しました。
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肩紐は長さ調節機能がついているので丈や身幅を調節できます。
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レースのお花を全体に散りばめて咲かせました。
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ボーイスカウトの創始者は戦争で軍に入隊した時に培った経験を大いに活かしボーイスカウト運動を始めたそうです。
すこやかであること、持っているものに満足し、それを最大限に活用し、まわりに幸福を分け与えること。
ボーイスカウト、ガールガイドは清潔な心の現れなのだと思います。
今の時代を生きぬくための羽毛のようにふんわり軽いワンピースです。
【有本ゆみこ(SINA SUIEN)新作発表会「コアラの人」】
会場|3 to 8 (サントゥエイト) Vintage Apartment Store(東京都渋谷区西原3-32-6 グランメール上原201)Closet gallery*代々木上原駅東口より徒歩2分
会期|2024年2月1日(木)ー2月13日(火)*6日、7日は休み
オープニングパーティー|2月3日(土)18:00-20:00
営業時間|平日13:00-19:00 土/日12:00-19:00
問い合わせ先|Instagram @3_to_8_apartment_store *DMよりお問い合わせ下さい
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longgoodbye1992 · 1 year
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久々の旅 二日目
二日目の朝は6時半に出発し、近所の神社を二つまわった。
一つは竹駒神社。
日本で有数の稲荷神社ということで、街中にあるにも関わらず中々雰囲気があるところだった。
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鳩がたくさんいるのを母が面白がっていた。
次に向かったのは竹駒神社から車で5分くらいのこれまた神社である。
その名は金蛇水神社。
居酒屋やスナックで出会った人から、今の季節は藤棚と牡丹が綺麗と言われ向かった。
朝早くから大勢の参拝者が訪れていて、確かに藤棚と牡丹が美しくて咲き誇っていた。
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神社を後にして朝食を買うためにコンビニに寄る。
普段食べないコンビニおにぎりも、旅の途中ということもあってかさらに美味しく感じた。
更に太平洋を南下していく。
海沿いを目指して走っていくと、高速道路のように高いところを走る県道を通った。
古いカーナビで見るとそこは線路だと言う。
調べてみるとここは常磐線が通っていたところだった。
線路移設によって空いた場所を県道にしたらしい。
震災から十二年でここまで景色を変えてしまう技術力に脱帽だ。
しばらく道なりに走ると通行止めの標識が見えた。
それは帰宅困難地域を表すものだった。
福島第���原発の近くだった。
国道へと導かれて大通りを通る。
コンビニ、紳士服屋、農機具屋の建物が朽ち果てている。
所々に放射線量を表す電光掲示板が置かれていた。
警備員が立っている小道もあり、通行者を選別しているように映った。
今もなお原発事故の跡が残っているのだと痛感した。
さらに南へ向かい、美空ひばりの名曲「みだれ髪」に登場する塩屋崎を過ぎるといわき市街にたどり着いた。
ここでいわき出身の上司から教えてもらった店で海鮮丼を食べることに決めていた。
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ネタが大きくとても食べごたえがあった。
写真には無いが、大粒のカキフライも見事に美味しかった。
次の目的地は栃木県は黒磯へ。
栃木に住んでいるときに同僚に勧められて行ったカフェへ母を連れて行く。
山をいくつか超えて黒磯へ着いた。
思ったより混んでいなかった。
カフェの名前はSHOZO。
カフェブームはここから始まったと同僚から聞いた。
お客さんが多いから賑やかなのは仕方ないとしても、雰囲気は相変わらずワンランク上の優雅なものだった。
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コーヒーの味もスコーンの香りも変わっていなかった。
普段カフェに入ることが少ない母はとても喜んでシフォンケーキを食べていた。
店を後にして、渋滞覚悟で那須高原へ。
並木道や牧草地など那須らしい景色を見て北へ向かう。
白河を越えて郡山方面へ。
福島市内の繁華街に宿をとることが出来た。
昨日と同じくシングルルームを二つ。
日が暮れる頃に福島市内に到着。
宿に荷物を置いて近くの居酒屋へ。
馬刺しを食べながら飲む地酒は最高だった。
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部屋へ戻って母とチューハイを飲む。
昨日に続いて母は寝てしまう。
というわけで繁華街へ繰り出した。
音楽バーという看板にひかれて店に入る。
混んでいたが運良く端に座ることができた。
ドラムやベース、ギターにキーボードまでが用意されていて、尾崎豊や長渕剛を常連客が歌っていた。
モスコミュールを飲みながらそれを聞いていると、自分も歌いたくなってきた。
客がひきはじめた頃、思い切ってギターを持つことにした。
奥田民生の「イージューライダー」を歌った。
旅している事に浸りたかった。
店のオーナーからは「もっと人が多いときにやってほしかった」と言われ、少し照れてしまった。
その後、ホテルに戻る。
ここでとある出会いがあるのだが、それはまた別の機会に。
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koga-kty · 6 months
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2023.11.17 植物のことについて
植物の基本情報についてまとめました。擬人化のキャラ情報などはこの情報を参考に行なっていきたいと思います。モチーフとして選択した植物に関してはゼミ展での反省を活かし、それぞれ色が異なるものかつ名前は知っているけど見た目まではいまいち想像できないな…というものを選択しました。
にしてもここ最近クオリティレビューの授業が大詰めになってきており卒制との両立?というか割合があまりよろしくない。要改善です。クオリティレビューで制作しているものに関してはAdobeくんが復旧次第ブログにて共有したいなと思います。
【カーネーション(carnation)-赤】
- ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属(多年草)
- 学名:Dianthus caryophyllus
- 原産地:南ヨーロッパ, 西アジア
- 開花時期:2~5月
- 花言葉:(赤)母への愛
- 誕生花:6/15
- キリスト教に由来した花言葉が多いため愛情や感謝を伝えたい際のプレゼントに最適とされている。
- 「母の日」に贈る花として知られているが、1907年にアメリカでクリスチャンの女性が母の命日に白いカーネーションを教会で信者に配ったことが始まりだと言われている。
- 名前の由来として「肉色の花(肉はラテン語でcarn)」と「戴冠式を意味するコロネーション(coronation)が訛ってカーネーションとなった」などの諸説がある。
【アジサイ(Hydrangea)-青】
- アジサイ科アジサイ属
- 学名:Hydrangea macrophylla
- 原産地:日本
- 開花時期:5~7月
- 花言葉:(青, 紫)辛抱強い愛情, 移り気, 冷酷
- 誕生花:6/3
- 普段花だと思われているものは萼(ガク)。花だと思われているものは萼が変化した装飾花と呼ばれる部分。
- 花の色には土の酸度が関係しており酸性→青、アルカリ性→ピンクに寄る特徴がある(白系の紫陽花は酸度の影響なし)
- 花の開花から色がどんどん変化していくことから移り気という花言葉が生まれた。
【アネモネ-紫】
- キンポウゲ科アネモネ属
- 学名:Anemone coronaria
- 原産地:ヨーロッパ南部
- 開花時期:12~5月
- 花言葉:あなたを愛します, はかない恋, (紫)あなたを信じて待つ
- 誕生花:3/12
- 毎年のように新しい品種ができており、色や咲き方など様々。
- 日当たりの良い場所を好み寒さに当てないと蕾ができない性質がある。春の穏やかな風が吹き始める頃に花を咲かせるため英語で別名「Wind flower(風の花)」と呼ばれている。
- 草自体に毒を持っており、茎を切ったり折ったりした際に出た汁が肌に触れると皮膚炎や水疱を引き起こす場合がある。
- 花びらに見えている部分は萼で、実は花びらは存在しない。光や温度に反応して開いたり閉じたりを繰り返し、花の終わりになると開きっぱなしになる。
【キンセンカ-オレンジ】
- キク科キンセンカ属
- 学名:Calendula officinalis
- 原産地:地中海沿岸
- 開花時期:12~5月
- 花言葉:別れの悲しみ, 忍ぶ恋
- 誕生花:2/8
- 日本ではあまり定着していないが食用の花としても名を馳せており、古くでは自然の着色料としてバターなどの乳製品や様々な料理の色付けとして利用されてきた。
- 花びらを乾燥させた商品が「マリーゴールド」という名前で出回っているがキンセンカのこと。
- エディブルフラワーに分類され、皮膚や粘膜の修復、殺菌作用、体の内側の炎症の抑制など様々な効能があるため「万能ハーブ」「皮膚のガードマン」と言われている。
- 太陽に反応し朝になると開き夕方に閉じる性質があり、雨の日は開花しない。
【ドクダミ-白】
- ドクダミ科ドクダミ属
- 学名:Houttuynia cordata
- 原産地:東アジア
- 開花時期:5~6月
- 花言葉:白い追憶, 野生
- 誕生花:5/15
- 名前の由来として毒や痛みを抑える効果を持つことから「毒痛み」が転じた説とはの特有の匂いが毒ではないかと言われたことで「ドクダメ」と呼ばれるようになり「ドクダミ」になった説がある。
- 花言葉の「白い追憶」は子供の頃ドクダミを嗅いだことや怪我をした時にドクダミの葉で手当てをしてもらったことなどの暮らしの中にあったドクダミにまつわる懐かしい記憶が由来とされている。
- 昔から民間治療で重宝されていた薬草で、10の効能があると言われ「十薬」とも呼ばれている。
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kennak · 5 months
Quote
中国に駐在する日本の垂たるみ秀夫大使がおよそ3年の任期を終え、日本への帰任を前に記者会見を開きました。 外務省で中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」として40年近い外交官生活の大半を中国との関係に費やすなど、キャリア官僚としては異例の経歴を歩んできた垂氏。 習近平国家主席への権力集中が進む中国で、何を目指し、何を感じたのか。離任を前に開いた記者会見の全文で迫ります。 離任の記者会見を行った垂秀夫大使とは 垂大使は、昭和60年に外務省に入り、中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」の出身として、中国・モンゴル課長や領事局長、官房長などを歴任し、およそ3年前から中国大使を務めてきました。 いわゆるキャリア外交官は、専門とする国以外に欧米先進国などへも赴任するのが通例ですが、垂氏が駐在したのは中国、香港、台湾で合わせて18年。異例の経歴です。 中国共産党の高官だけでなく、民主化を求め政権に異を唱える人たちにも人脈を築いてきたと言われ、中国政府が日本の政策を批判したときには、SNSも使ってすぐに反論するなど、異色の外交活動が注目を集めたこともありました。 その垂大使の離任に当たっての記者会見は、12月4日午後、北京の日本大使公邸で1時間あまりにわたって行われました。 以下、その全文です。 会見 (垂大使 冒頭発言) 皆さん、こんにちは。こんなにたくさんお集まりいただいて感謝いたします。離任記者会見ということで、ちょっとピンとこないですけれども、こういう機会をいただいたことに御礼申し上げたいと思っています。 中国駐在 垂秀夫大使 私は12月6日に任務を終え、この地を離れて日本に帰国することになっています。振り返れば大使の期間もさることながら、40年近い外交官生活の大半を中国関係に携わってきたという意味でそれなりの感慨はあります。 国民の税金で養っていただいたといいますか、公僕として、長年、力をためてきた知見とか経験とか人脈、これらを生かして、何とか大使の任務を、最後のご奉公をかろうじて勤めあげられたのではないかなと安堵しています。 後ほど皆さんから日中関係や中国の問題で質問があると思いますので、最初は私が大使として何をやってきたか、その時どういう気持ちでやってきたかという内容を簡単にご紹介、ご説明させていただければと思います。 私が中国大使として着任したとき、この場で記者会見が開かれました。そこで私は大使館の今後の大きな柱として2つのことを申し上げました。1つは日系企業支援、もう1つは邦人保護、邦人の安全確保でした。 まず日系企業の支援という点については、日々のいわゆるビジネストラブルへの対応、これはもちろんのことながら真剣に取り組んだつもりです。 また、中国で行うビジネスが昔に比べれば非常に難しくなっている昨今、どちらかというと互助団体的であった中国日本商会の組織改革を提案し、大きく改革していただきました。 その結果として、今年の春から日本商会は会長職が固定化されました。また、これまでの任務以外にもロービングや調査業務、発信機能、これらを非常に強化する力強い団体に変貌しつつあるところです。いいスタートを切れたのではないかと思います。 中国日本商会 本間哲朗会長(左)の記者会見  先ほど申し上げました難しい中国ビジネス、とりわけ経済安全保障という観点からも非常にいい動きではないかと思っています。 次に在留邦人の安全確保という点についてです。私は普段から同僚に対して、(大使館の)政治部にいようが経済部にいようが広報文化部にいようが、すべてが領事担当官であると。そう何度も言って常に館内の意識改革を行ってきたつもりです。 私もかつて領事局長を担当した身です。ひとつひとつの領事案件、本当に、なんというか、普通の事務処理で済ませてはいけないような非常に厚みのある案件がたくさんあるんですね。 そうしたときに、もし事件・事故が起きた時に当事者が自分の肉親であったらどうかと。自分の父親が、自分の兄弟が、自分の子どもが事件・事故に遭ったらどういう対応をするかと。常にそういうつもりで対応しようと皆で確認し合ってやってきたつもりです。 ときには涙を流すこともありました。それでも領事担当の同僚は非常によくやってくれたと思います。邦人の安全確保、邦人保護という点はわれわれの大きな柱でした。ただ、この邦人保護、在留邦人の安全確保という観点から申し上げれば、今年の3��に起きた、国家安全当局に拘束された在留邦人の方がまだこう留されているという状況につきましては、私個人としては極めてじくじたる思いです。 社員が拘束された大手製薬会社「アステラス製薬」 この2つの大きな柱に加えて、私は1つの試みを提案しました。それは何かといいますと、この大使公邸の開放です。この北京には多くの外交団がいます。その数ある外交団の中でもわが日本大使公邸は、その美しさ、あるいは格式の高さ、いずれの点においても最も優れた素晴らしい大使公邸だと自負しています。 調度品もたくさん素晴らしいものがありますし、平山郁夫画伯とか絹谷幸二画伯の絵がかけられているなど、本当に美術館、博物館のような大使公邸です。春には桜が美しく咲きますし、秋には紅葉が見事に色づきます。 北京の日本大使公邸の庭園(垂大使撮影) その美しい庭園も抱えたこの大使公邸を在留邦人に使っていただく。そういう試みでした。この公邸の建設はもちろん、維持管理は全て国民の税金で行われている。そういう観点から言えば使っていただいて当然であると。そういう出発点でした。 当初は、在留邦人の方も半信半疑のところはあったんですけれども、何度もわれわれが使ってくださいとお勧めしているうちにいろんなことで使われ、コロナの時期もありましたが、それでも私の任期中に120回を超える公邸開放、公邸の利用が行われました。 例えば企業間のMOU(基本合意書)の調印式だとか、あるいはジャズのコンサートだとか、あるいは剣道の試合だとか、あるいは某大学の同窓会だとか、もういろんな形で使われました。時には日本人学校の子どもたちを中心にこいのぼり参観、あるいはひな祭り参観、そういうことに使われたこともあります。 大使公邸で開かれた 日本の特産品などをPRするイベント(2023年3月) 普段、公邸とあまり関係がないと思われるような方々には、例えば駐在員の配偶者だとか日本人学校のPTAの方々には一般参観日も設け、対外開放する日もありました。そういう試みを行って、これまで十分に使っていただいたと思っています。この試みは非常に上手くいったのではないかと思っています。 さて、中国で仕事を行っていく上では、特に私の任期中はコロナが非常に蔓延まんえんしている時期でしたし、また、ちょうど去年は日中国交正常化50周年、今年は日中平和友好条約締結45周年というエポックメイキングなこともありましたが、時には厳しい勤務環境の中で日本ではちょっと考えられないようなことが起きることもありました。 閉鎖された武漢の海鮮市場(2020年) 例えば、去年の50周年の関係では、在留邦人の人たちが手作りで祝うために、いろんな交流事業、文化事業を準備したり用意したりしましたけれども、それを日中関係が悪いという状況の中で、コロナを理由に何度も延期されたり中止されたり、そういうことがありました。 また、われわれとしてはなかなか受け入れがたいような理由で、日本の政策を批判されるようなこともありました。そういう時、多くの日本の人たち、とりわけ中国に長く勤務しているような人たちには「中国だからしょうがない、郷に入っては郷に従わないといけない」と理不尽なことを受け入れてしまうきらいが、私はあるのではないかと思っています。 そうしたときに民間の人、それぞれの個人はなかなか言いにくいんだと思うんですね。立場上も言い難い、企業の人も言い難い。でも私は日本の大使として、しっかり主張すべきは主張する必要があるという気持ちで、必要に応じておかしいことはおかしいということを声にしてきたつもりです。 ただ、ここで大事なことは、相手に対して物申すようなときには、その基準が、私は日本の大使ですから、日本の国益、あるいは日中関係をしっかり維持し大局を守っていくためにやるということが基本であるべきだと思っています。 決して反中とか嫌中とかいう感情で批判したり物事を判断したりしてはいけないと自分を戒めてきたつもりです。私のそうしたやり方についてどう評価されるのかについては、これは私自身が決める話でもありませんし、日本の皆さん、あるいは世論が決めることでもないんだと私は思っています。私は常々歴史が決めるものだと。歴史が評価してくれると考えて仕事をしてきたつもりです。 日本では外交に関する資料は30年後には公表されることになるわけですね。その将来の、歴史家か評論家かわかりませんが、そういう人たちがどう評価するのか、判断するのかということが私にとっては一番大きな基準であると、そういうつもりでやってきました。 私は常々同僚に対して、歴史に耐えられる外交をやろうと。歴史に恥じない外交をやろうと。今、その時々を過ごすためのアリバイ作りのためだけの外交をやってはいけないと、そういうことを訴え続けてきました。同僚は皆、本当にそれに応えて非常によくやってくれたと思っています。 そういう意味においては、ちょっととんがっているかもしれませんが、そういう上司、大使を持って非常に大変だったと思いますが、私の同僚は本当によくついてきてくれて非常に良い仕事をしてくれたと思っていて感謝しかありません。 先般、サンフランシスコで岸田総理大臣と習近平国家主席との間で日中首脳会談が開かれました。一番大事な点として、日中両国は全面的に戦略的互恵関係を推進することを再確認するということが示されました。私は非常によい会談だったのではないかと思っています。 日中首脳会談(アメリカ サンフランシスコ 2023年11月) これからが実は大変だと思います。大きな方向性を示すこと、これは何とかやれました。ただそれを具体化、実現していくことが、実はある意味ではもっと大事である、そう思っています。そうした意味では、引き続き日中双方の外交当局、あるいは政府全体がともに努力して、日中関係をさらに高みに押し上げていく必要があると。建設的、安定的関係を強化していく必要があると考えています。 冒頭申し上げましたように、40年近い外交官生活において、18年間、中国大陸、香港、台湾と勤務して参りました。私なりに一生懸命やってきたつもりです。精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと今思っています。何の後悔もありません。「風光霽月」の心境です。非常に爽やかで、思い残すことは何もないと、そういう心境です。 私の第2の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかなと考えています。そのことを考えると、また非常にチャレンジ精神が出てくるという意味では、風光霽月と言いながら、また気持ちが震え上がってくるところがあります。中国も、日本も、あるいは台湾も、自然の美しさや一般庶民の喜怒哀楽には何の変わりもありません。私は中国大陸で撮りためてきた写真、そして日本、台湾で撮りためてきた写真、これらを多くの日本の方に示して、共通点をしっかりと伝えていくことによって、日中関係の更なる強化をお手伝いしたいと思っています。 垂大使が撮影した中国の農村 冒頭私からのご挨拶は以上です。 質疑応答 中国に長らく携わってきた外交官として今の日中関係についてどのような感想を。また今後の日中関係はどのようにあってほしいと考えるか。 今の質問で思い起こすのは、去年、日中国交正常化50周年のときの大使館公邸での記念レセプションです。私はそのレセプションの挨拶で、こういう風に日中関係をたとえました。これまでの日中関係はジェットコースターのようだと。上がったり下がったり、良くなったり悪くなったりだと。 遊園地で遊ぶジェットコースターは楽しいでしょうが、日中関係というジェットコースターに乗っている両国民はたまったものではないと。今後はジェットコースターではなく、ゆっくりゆっくり走る普通電車がいいのではないかと。要は、日中関係はしっかりと安定的に関係を構築していくことが大事だということを申し上げたつもりです。 日中関係が安定化するためには、やはり一番大事なものは日中間の意思疎通だと思います。日中は永遠の隣人であるのはこれはもう間違いのない事実なんですね。互いに引っ越すことはできないんです。国が違う以上、それぞれ国益を背負っているという意味において、ときには立場の相違だとか摩擦だとかがあるのは正常なことだと思うんです。自然なことだと思うんです。だからそれを恐れる必要は全くないんだと思うんですね。 恐れないといけないのは日中間で意思疎通がなくなることです。摩擦や意見の相違があればあるほど、本来であれば、日中の意思疎通は強化されなければならない。そういうふうに思います。首脳間から本当に民間レベルの交流に至るまであらゆるレベルで意思疎通が行われると。そういう関係が私は望ましいし、それが安定した日中関係につながるのではないかと思っています。 邦人保護の観点から。ことし3月に男性社員が拘束され、いまだ解放されていない。大使は11月28日にみずから領事面会に臨んだ。どういう思いで、なぜこのタイミングで臨んだのか。 サンフランシスコの日中首脳会談で、岸田総理は習近平国家主席に対して、できるだけ早期の釈放を要求されています。 それを受けて、この北京の一番の最前線で働く、なおかつその責任者である私が、そのための仕事を行うということ、これは、当然、まずやらないといけないことであると言えると思います。 さらに申し上げれば、私みずからが領事面会に行く必要があるとずっと考えていました。いろいろ事情があってそれは成し遂げられませんでした。 実は私による面会は領事面会としては8回目で、それ以前に7回領事面会が行われていました。その時、毎回、私は面会に行く同僚にメッセージを託していたんです。「われわれとしてはこの問題にしっかり取り組んでいくので気をしっかり持ってください」という趣旨のメッセージです。 今回、私が帰国することになり、やはりこのまま何もなしに本当に帰っていいのかと。私は、それは人の道ではないと。許されるのであれば直接会って帰国するという報告と、私の任期中に結果的には助けることができなかったことについてのお詫びを伝える必要があると感じていました。それが人の道であると感じていました。 また、私が行くことによって、例えば、メディアが関心を持ってくれ、日本政府としてこの問題にしっかり取り組んでいるというメッセージにもなると考えました。そして、非常に重要なことだと思いますが、この問題は決して風化させてはいけないと、忘れてはいけないと。多くの関係者の中でこの問題がだんだんと話題に上らないようになってはいけないと思っていましたので、私は自分が行くことが必要だと感じていました。 日中関係に関連した質問を。コロナが明けたあともビザの免除が回復しない状況。日本から中国を訪れる人が少ない状況になっている。今後何に期待するか。 人の往来が極めて少ない。とりわけ、日本から中国に来る人の数が極めて少ないです。いろんな理由があると思います。そもそもビザがなかなか取りにくい。昔はノービザということもありましたし。中国から日本へ行く旅行者、こちらも一番多かったときに比べればまだ半分にも達していません。ただこちらはそれでもそれなりの人が日本に行ってくれてはいます。 結果として何が起きるか。何が起こっているか、どういう影響があるかと申し上げれば、生の中国を見る機会があまりない、等身大の中国を知る機会がなく、中国に対する理解が深まらない。 上海 あるいは、万が一中国に対して誤解を持っていたとしたら、それにもかかわらずそれが増長してしまう、それが減じることもない、そういうことにも繋がってしまいます。 いずれにしろ、相互理解が深まらないということが、間違いなく起きています。昨今の日本人の対中感情の低さを表すいろいろな世論調査がありますが、それを見てもそのあたりは歴然と出ているのではないでしょうか。 広報スタイルについて。中国が発表した後に日本側が反論するという広報スタイルがあったと思う。それは垂大使から始まった形式だと思うが、この狙いは。 私どもからすれば、受け入れがたい理不尽な批判等もあったとき、あるいは申し入れがあったときには、われわれとしてあるいは私個人として、しっかり物申す必要があります。歴代の大使も同様にやられ、しっかりと反論されておられたと私は思っておりますし、信じております。 ただ、今おっしゃられたようなことが、私のやり方が特別に見えているのであれば、若干違いはあるのかもしれません。一般論で申し上げて、例えば中国側が私どもに申し入れをした時、私は必ず、あるいは歴代の大使もきっと同じだと思いますが、必ず反論する、あるいは日本側の立場を言う、日本としての申し入れを行うのです。 ところが、中国は国営の新華社通信がそれを流す場合、われわれの発言は完全に無視されるわけです。中国側の言い分しかないわけです。私はそれでいいのかと考えました。ある問題において、日本の大使が呼びつけられて、それに関する報道が中国側の一方的な主張しかこの世に出な���、それでいいのかという問題意識がありました。 ことばが悪くて申し訳ないのですが、中国が出していないのに、私どもがけんかを売る形で、われわれから直接出すということはなかったと私は信じています。中国側が出した時に、われわれが必ず反論すると。われわれも主張していることを出すということは確かに行いました。この世に中国だけの主張しかないことにならないように心がけたつもりです。 日本の(メディアの)皆さんを批判しているわけではありません。日本の皆さんは非常に立派なんです。中国側の主張も、日本側の主張も書かれるんですね。喧嘩両成敗じゃないですけど、大体、一応2つ書かれるわけです。最初の頃、私の主張がすごくちょっとしかなかった時もありましたが、だんだんと相当たくさん書いてくれるようになりました。 中国側はどんなことをしても自分たちのことしか書かないんです。それでも皆さん(日本のメディア)は書いてくれる。私はそれを信じて、中国側の主張しかないということになってはいけないと思ってやってきました。これは私の信念でやったことです。今後どうかということについては、私は申し上げる立場にありません。 大使の任期中、中国では習主席が3期目に入るという政治的に大きな動きがあった。3期目の習主席が率いる中国と日本は今後どう向き合っていくべきか。 極めて大事な、いい質問なんですが、私もまだ現役ですので、なかなか入り込めない部分もあり、答えが奥歯に物が挟まってるような言い方になるかもしれません。 中国は非常に変わってきています。どんどん変わってきています。それに応じた付き合い方、あるいは対中政策を考えていく必要があると思っています。一般論として言えば、私は首脳会談、この重要性がますます大事になっているんではないか。そういうふうに申し上げられるとこの場で言っておきたいと思います。 習主席になってから社会の統制が非常に厳しくなってきている。中国の人たちの価値観も多様化している。中国は社会統制の厳しさに耐えうるのか。また、仮に内側から変えようという動きが出てくる可能性があるかどうか、その場合日本としてサポートするようなことができるのか。 敏感な質問ですね。とても大事な質問なんですよ。いつもみたいに完オフ※だったらいくらでも喋りますが、ここは完オフではないので、そうした意味において申し上げればですね、今、言われたように、中国社会、社会統制がどんどん強くなってきているんじゃないか、それを内側から変えようとする力があるのではないか等々、そういう見方が存在していること自身、私は承知しています。そういうふうにだけ申し上げておきたいと思います。また日本がそれにどういう風に関わっていくべきなのか、あるいは関わっていくのがいいのかということについては、私はまだ現役ですので、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。ご理解ください。 完オフ 「完全オフレコ」のことで、取材相手の名前や発言内容など一切を公表しないこと。 福島の処理水の対応をめぐり日本産の海産物の全面禁輸が続いている。この問題について今後どのように対応していくのか。 福島第一原発での処理水の放出(2023年8月) 私の見方で申し上げれば、今回の首脳会談でも2つ大事な点があったと思います。1つは、日中関係の位置付け、戦略的互恵関係を再確認すること。もう1つは、処理水の問題について。日中が、例えば専門家どうしがしっかり意見交換する。そういう形で互いにこの問題の解決に向けて知恵を出すといった方向性を確認したことだと思っています。 もちろん日本としては、今の「ALPS(アルプス)」の処理のやり方について、政府の一員として絶対的な自信を持っています。そうではありますけれども、一方で隣国の中国が別の意見を持っていることに対して、その意見、その主張は一切聞かないと、耳も貸さないというような姿勢は必ずしも適切ではないと思っています。 日中の関係当局、あるいは専門家どうしの意見交換、これを通じて、何とか着地点を見いだしていく、一刻も早く中国側の水産物の全面禁輸を解除するために努力することが大事だと思っています。 大使の在任中に最も印象に残っていること、また離任に当たって心残りなことがあれば。印象に残っている中国の指導者は。エピソードなどあれば紹介してほしい。 まず最も印象がある出来事、これはもういろんなことがありました。コロナについては、皆さんも同じように経験された方はたくさんいらっしゃると思いますが、特に去年の今頃なんかもう大混乱でしたしね。隔離生活も長かったりと、いろんなことがもう走馬灯のようにあるので、どれがと言われるとなかなか難しい。 PCR検査場に並ぶ人々(北京・2022年11月) 中国の古い友人、それから新しい友人とまた深い付き合いができたということも私にとっては極めて印象のあることでした。 あえて1つ申し上げれば、先般の日中平和友好条約締結45周年の際に中国が釣魚台迎賓館で行った記念レセプションで、私は大使としてスピーチする機会を与えていただきました。私はその中で、戦略的互恵関係、これが生み出された経緯を紹介するとともに、日中は戦略的関係の再構築が必要であると訴えました。スピーチが終わったあと、壇上から降りてきたときに、皆が座っている中で、1人、王毅中央外事弁公室主任兼外交部長が立ち上がって私のところまで迎えに来て、「大使、スピーチは良かった。素晴らしかった。ぜひ、戦略的互恵関係を再構築しよう」ということを言って、握手を求めてきたことは、とても印象のある出来事だったと思います。 日中平和友好条約45年の記念式典で垂大使に話しかける 中国 王毅外相(右・2023年10月) 何かやり残したことについてですが、私はやり残したことは、あえて言えば先ほどの邦人拘束の件です。 それ以外に申し上げれば、私は大使になってこういう大使館を作りたい、こういう気持ちで大使としての仕事をやろうと思っていたことについては、ほぼできたと思っています。もちろん、私が独りよがりにできたというよりも、私の同僚たちがしっかりついてきてくれたことが一番大きな理由です。私が思い描いていた大使館像、これをしっかり作れたと思っています。そういう意味では何ら思い残していることはないというのが私の心境です。 それから、心に残った指導者、中国側の指導者でいいですよね。これは、長い外交官生活の中でということで申し上げれば、私はやはり、あえて中国側のことを申し上げます。 日本はまだ何とか頑張ってらっしゃる方がいらっしゃる中で、本当にリスクを取って日中関係をしっかり進めていくんだとか守っていくんだという指導者が、今やそう多くないというかほとんどいない。 そんな中にあって、思い起こせば2009年。詳しいことは申し上げられませんが、2009年に、ある場で引退された曽慶紅※さんに会う機会があったんですね。そこで曽慶紅さんに、私の方から1つ質問したんです。曽慶紅さんは、中央組織部長で、いわゆる江沢民さんの側近中の側近であった方ですが、2002年4月だったと思いますが、訪日しているわけですね。 曽慶紅そう けいこう氏とは 元国家副主席。江沢民前総書記に近い実力者で、日本の政界にも幅広い人脈をもっていた。習近平氏が中国政治の表舞台に出てきた背景に、曽氏の影響力もあったといわれている。 なぜその訪日が大事だったかというと、実は当時、小泉総理の時代で、小泉総理自身が靖国神社に参拝した直後だったんです。その直後に、曽慶紅さんは日本を訪問されたんです。日本といっても大分県でした。確か私の記憶が間違いなければ武漢と大分のチャーター便を飛ばすか何かそういう話だったかと思います。 私は聞いたんです。「なぜ日本に行けたんですか。いろいろ反対とかなかったんですか」と。 曽慶紅さんは非常に満面に笑みを浮かべて、「日本には私の友人2人が待っていた。1人は野中広務さんで、1人は大分県の平松知事だ。日本の友人が待っているので、私は行かなければならないと思った。私は、2人の指導者に許可をもらった。1人が江沢民さん。もう1人が外交担当の副総理であった銭其シン【※王へんに、深のつくり】さん。2人とも喜んで行ってきなさいと言ってくれたから行きました。友人が待っていたから私は行ったんだ」と。私は本当にリスクを取ってでも日本を訪問する、日中関係を進めるという素晴らしい人だなと感じました。私にとってはとても心に残ったやり取りでした。 曽慶紅 元国家副主席(右・中国共産党大会 2022年) 改革開放で多くの日本企業が中国に来て経済交流を進めてきたが、足元では中国での事業リスクの高まりもあって対中投資意欲を大きく下げているという実情もある。中国で日本企業がおかれている状況や日中の経済関係は今後どうなっていくと考えるか。 私は2つのアプローチが大事だとつくづく思っています。1つは攻め、1つは守り。現実問題として、改革開放以降、日本経済、日本のビジネス界は中国との間の経済交流・経済往来を強化させてきました。ある統計によれば、今や中国大陸に、拠点数を入れた数字で申し上げれば、3万以上の日本の会社あるいは拠点があると。中国大陸の中で最も大きなプレゼンスを示しているのが日本企業なんです。 日本経済を考える上で中国経済を抜きに語ることはもうあり得ないと思います。もちろん、中国経済の大きなマーケット、これも非常に魅力的ですし、イノベーションやデジタル経済など、日本から見ても極めて目を見張るような動きを示していることもあります。どういうふうにして日本経済としてこれを活用していくのかというような視点は非常に大事だと思います。そうした意味では、中国との経済関係を能動的にしっかりと強化していくということはとても大切だと思っています。 日系企業の自動車工場 一方で、中国でビジネスをやっていく上で、今どんどんと難しくなっているわけです。いろんな問題も生じてきています。まず最初に中国経済そのものが、特に今年に入って、あるいは去年ぐらいから、非常に不景気である、デフレ気味の状況を示しているということもあります。それはまだ1つの経済の状況ですが、それだけではなくて、例えば、よく言われる自立自強のサプライチェーン、あるいは自国産品を優遇するような政策があります。 表面的には否定するんですが、内外差別を行っているのではないかと思われるような対応も見受けられます。業種によっては強制的な技術移転というような動きについても、われわれはいろいろ相談を受けていることも事実です。そういう経済安全保障的な側面から見ても、しっかりと守り、しっかり脇を締めて、中国経済、中国とのビジネスをやっていく必要があると。 私は両方が大事だと思っています。決して守りだけではダメだ、もちろん攻めだけでもダメで、攻めがあって守りだと考えています。 「ゼロコロナ」政策について。大使は着任から隔離を受け、終了まで全部見届けた。日本と全く違うスタイルをとった「ゼロコロナ」政策をどう総括するか。 着任のときは2週間でしたね。10日ではなくて2週間の隔離生活でしたが、総括は、私が行うのではなく本来中国政府ないしは中国共産党が行うべきものです。実際もう何度も総括していて、中国政府・中国共産党としては勝利宣言を行っているので、それに私が横から総括するっていうのは変な話かもわかりませんが、印象だけ申し上げます。 正直申し上げて、前半期は、「ゼロコロナ」、一種の真空状態を中国の中でつくる。そのために隔離を2週間だ3週間だ、地域によっては2か月要求しているところがあったわけですね。そのかわり、そこに入れば無菌状態、実験室みたいな状況をつくって。実はそれはそれでうまく回っていたのも事実なんですね。 ところがオミクロン株の流行となって、それはもう効果を発せられなかった。オミクロンの威力、伝染力がもっと強かったんですね。私は政策を変更するタイミングを逸したんではないかと個人的には思っていますね。そのタイミングは相当間違ったんじゃないかと。それが私の印象です。その結果、後半の方は極めて、世界的にもまれに見るようなロックダウン等があったり、北京では「弾窓(タンチュアン)」という経験した人でないとわからないような政策がとられたり、いろんな不可思議なことがありました。最後は大混乱の中、「ゼロコロナ」政策が取り下げられていく。全体としての評価については、私の個人的印象だけを申し上げれば、タイミングがうまくいかなかったというか、良くなかったと思っています。 弾窓タンチュアン 「ゼロコロナ」政策のもと、スマートフォンの「健康コード」と呼ばれるアプリに表示されたポップアップメッセージのこと。感染者が出た地域に行ったと認識されると、濃厚接触者でもないのに「あなたはリスクが高い地域を訪問しました」と表示される。この表示は自分では解除できず、数日間建物へ入れなくなったり公共交通機関の利用ができなくなったりする。 米中関係について。サンフランシスコで米中首脳会談が行われたが、今後も米中対立の構図���続くとみられている。今後、米中対立が深まる中で日本の役割は何か。また日本政府として現状、どのくらい日本の役割を果たせていると考えるか。 米中首脳会談(2023年11月) 日本大使としての立場で第三国どうしの関係である米中関係について、表だった評価をするのはなかなか難しく、差し控えないといけないんですけれども、一般論として申し上げます。 米中関係の安定化は、日本としては非常に希望しているところです。今回のサンフランシスコにおける米中首脳会談についてもいろいろな論調があるのも承知していますけれども、私は今回の会談を歓迎しています。 日本がどういう役割を発揮するかということについて。アメリカはわれわれの同盟国であり、日米同盟という強固な信頼関係のもとで、われわれは必要に応じて中国に対して対話を重ねながら、必要な時には中国に対して大国としての責任を果たしてもらえるように働きかける。そういうふうに考えています。 拘束された男性社員に領事面会をした判断理由として、帰国の報告と、任期中に結果として救出できなかったお詫びを伝えたいということだった。実際に伝えて先方の反応はどうだったのか。 すみません、私の発言、私の思いはお伝えした通りですが、先方の方の発言、対応等については私の立場上、紹介するのは恐縮ですが、差し控えさせていただければと思います。 (12月4日 BS国際報道2023 などで放送) 垂氏が大使として赴任する前に行ったインタビューの記事はこちら
中国・習近平体制と対峙した垂秀夫大使 ゼロコロナ 邦人拘束 日中・米中関係 離任前に何を語った? | NHK
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europiumoon · 1 year
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粛々と生きている。粛々というよりシュクシュクと擬音に近い感じ。週末に院の同期と4月から当社に入るという後輩とご飯を食べた。卒業祝兼入学祝と前日に買ったプレゼントを渡した。同期にも久しぶりと贈与。とても喜んでくれたのでよかった。同期が花見をしたいというので、井の頭公園辺りも芽吹いてきたかなとは思ったものの彼女も後輩も大学近くに住んでいるというので候補にあった隅田川沿いにてランチ。「テレビの特集で蔵前神社でさくらとミモザが同時に咲いてるってやってた」と聞き、ランチ前に来たけど特集が組まれていたからか人手が多く車道にもはみ出て車も困ったようだった。ピンクと黄色、空の青々しさを見てもう春だ、と感じた。神社でスケッチをしていた人がいて後ろからこっそり見てみるととても鮮やかで素敵だった。店に向かうまで川沿いを歩いて仕事や資格、研修の話を伝えた。同期との仲良さはどうだと聞かれたので、まあまあ、と答えたら間を深掘りされたので付き合っていると答え直した。仕事よりもそっちの話に流れそうだったので立て直していると店に着いた。実は前に女神ときた店だったのを思い出して笑ってしまった。当時は川沿いを覗けたけど今回は見えない席だった。蛸と小松菜のショートパスタだった気がする。前回女神がショートパスタを食べて腹がはち切れんばかりだと言っていたけど本当だった。Infのランチおすすめです。料理が運ばれてくる間に後輩が「ニューヨークのお土産です」と調味料を、「帰りに韓国寄ったので」とパックをくれた。海外未上陸の私には未知で無知な世界。憧れ。食事を終えた後カキモリに足を運んだ。オーダーでノートを作った。私の選んだ表紙と裏はとてもかっこいい。デザインに長けてる彼女たちからも絶賛され、やっぱりデザインっていいよな、と思って嬉しくなった。ノートが出来上がるまでに1時間半かかると言われ蔵前の街を歩きカフェに入った。チャイを頼むと後輩もチャイを頼んでいて嬉しかった。出来上がったノートは中を交換出来るみたいなので仕事用メモノートにする。4月からのノートは6冊目に入っている。カキモリを教えてくれた同期はノートを見た時にとても嬉しそうだった。帰り道「沢山教えてくれてありがとうございました。」と何度も後輩が伝えてくれた。彼女の進む道がうまくいきますようにと願った。同期にも、また会おうと伝えて。
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シュクシュクな平日に戻りシュクシュクタンタンと業務をこなしている。こなしながら先日検討すると伝えてくれた公聴者に連絡を取ったら、今朝「学生時代物凄く頑張ったことが資料から伝わったし、内部でしっかり検討していこうと思います。ありがとう」と返事が来ていた。院の同期から「Euさんは素晴らしい研究をしたんだから、私だって誇り高いよ」と言われたことを思い出した。検討した中で上手く進みますように、成果が表に出ますようにと願った。行動できるところは行動する。と決めている。4年前、夢も何もかも失ってた私を私は葬った。だからこそ出来ることはやる。それだけ。シュクシュクではない熱い闘志🔥
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