Tumgik
#キム・ヒョンヒ
metal-cn · 4 hours
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日本の、何某放送局金利前討ち事件と韓の関わり(2)、はき違ったらあきまへん!韓大統領→その道で卓越的専門家、しかも、、、被疑者性ある人物aらの引き渡しを日本が拒むと→日韓犯罪人引渡条約の破棄も!外交の対抗手段=当事国の一方的措置!aらで済まない話やろね→外交問題化する、、、それは、韓故キム・デジュン元大統領(ノーベル平和賞)事件でなく!日韓機密保護協定、また破棄する恐れやろね!
方法性、ちゃうねん?これを、日本の、元公安部員bに聞いたのか?いやいや、一昔前の、キム・デジュン事件より話は、デカくなりうる。またまた、日韓機密保護条約破棄やとなると。常態化する?飛んだ見込み違い、なんやろね。★だから、こういうタイミングで、ノーベル平和賞をぜひとも踏みにじりたいという、いわばかつて日本の軍靴的、軍国主義的復活を希う人らの、宿願がにじみててくるわけやろね。先の大戦の評価、反省、自省とも関わる、デカい話。となると、もう韓大統領は引かない。引くに引けない。ともするとこういったニッチな場面に、一気に問題が吹き出すんやろかね。早い話、韓サイドによる立件は、相当に早くなるか。★★しかるに、残存戦犯性を問うか、また問えるかは、別の話やろね。どこへ?ICCやICJ?だがいずれにせよ、韓大統領は、その道にて卓越的専門家やろね。故にその視界には、残存戦犯としての、訴追可能性をすでに置いていない、わけなかろう。★★★分かりやすく。となると、韓サイドとして、狙うのは、まず日本の、元公安部員bの国際裁判所訴追か。だから、日本の、何某放送局金利前討ち事件から派生したものとして、最優先して扱うのやろかね。もちろん、aらの、ガラ引渡請求も同時やろね。そうでないと、申立人となろう韓サイドとして、残存戦犯公判は維持がなかなか難しくなるか?まとめると、(あ)bや同人を呼んだ(依頼した)関係者らの、残存戦犯性を問う?これをルート(あ)とする。(か)aらの、金利前討ち事件にまつわる、韓内での、何らかの事件性(あれば、だがさきの(あ)により)、つまりは韓捜査機関は徹底的に被害者性のある人物を探して、早期立件するやろね。端的に、韓故キム・デジュン元大統領→ノーベル平和賞への、敬意なし、として、韓捜査機関がbをICCやICJに訴追?、同時にこれの公判維持に必須となるaらのガラも、日韓犯罪人引渡条約によって、求むやろね。由縁は、先の大戦などと。関東大震災を込みとするか。すなわち、関東大震災の、いわば歴史的清算。日本は前者を拒めない。後者を拒むと、韓はあらゆる外国的対抗措置をとる。まあ、こういった流れやろね。
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deepforest-tetsuji · 2 years
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. 北朝鮮で遊ぼう 楽しい北朝鮮 北朝鮮は、いい国 みんなの北朝鮮 キム・イルソン キム・ジョンイル キム・キム・キム・ヒョンヒ おーい!キムって呼べば 皆が振り向く 北朝鮮で遊ぼう 憧れの 北朝鮮は、いい国 平和な北朝鮮 憧れのきっと皆 仲良くなれる いつかきっとそんな 世界が来るさ 差別も偏見も 国境もなくなるさ 憧れの 朝鮮 民主主義 人民 共和国 お~いキム~ なんだ~いゼリ~ あこがれの北朝鮮を/不死身のタイマーズ . https://www.instagram.com/p/Ch211uBBY6K/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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c3oyama · 3 years
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11月29日いい肉の日 誕生日/ #尾崎豊 #小林麻美 #舛添要一 #勝新太郎 #柏戸 #シラク #林家ペー #車寅次郎 誕生日 1797年 ドニゼッティ(作曲家) 1803年 C.J.ドップラー(物理学) 1832年 ルイーザ・メイ・オルコット(作家『若草物語』) 1835年 マーク・トウェイン(作家『トム・ソーヤーの冒険』) 1835年 西太后(咸豊帝の側室) 1849年 ジョン・アンブローズ・フレミング(物理化学者) 1867年 大石誠之助(医師) 1909年 田中絹代(女優) 1927年 長谷川慶太郎(経済評論家) 1928年 尾崎秀樹(文芸評論家) 1931年 勝新太郎(俳優) 1932年 ジャック・シラク(フランス大統領) 1938年 柏戸(大相撲・横綱) 1940年 車寅次郎(映画『男はつらいよ』) 1941年 林家ペー(タレント) 1942年 高橋長英(俳優) 1947年 沢木耕太郎(作家) 1948年 舛添要一(政治家) 1950年 マイク・イースラー(野球) 1953年 小林麻美(歌手) 画像 1954年 ジョエル・コーエン(コーエン兄弟の兄・映画監督) 1956年 定岡正二(野球) 1965年 尾崎豊(歌手) 僕が僕であるために(87年 有明コロシアム) <iframe width="459" height="344" src="https://www.youtube.com/embed/WUL2tXHDxM0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> 1969年 たいせー(シャ乱Q・歌手) 1969年 森部達也(俳優) 1973年 古柴香織(タレント) 1985年 田口淳之介(KAT-TUN・タレント) 誕生花は へレニウム、花言葉は“理想の恋” 誕生石は ブルーサファイア(blue-sapphire)、宝石言葉は“慈愛・誠実” いい肉の日  宮崎県の「より良き宮崎牛対策協議会」が制定。  「いい(11)にく(29)」の語呂合せ。 いい服の日  「いい(11)ふく(29)」の語呂合わせから記念日とされています。  この日とは別に、2月9日が全国服飾学校協会・日本ファッション教育振興協会などが制定した「服の日」と11月12日が全日本洋服協同組合連合会が制定した「洋服記念日」となっています。 議会開設記念日  1892(明治23)年、前年の大日本帝国憲法発布を受けて初の帝国議会が開かれました。 パレスチナ人民連帯国際デー(International Day of Solidarity with the Palestinian People) 1977(昭和52)年の国連総会で制定。国際デーの一つ。 1947(昭和22)年のこの日、国連総会でパレスチナ分割に関する決議が採択された。 歴史・出来事 1828年 酒井抱一(絵師) 、没(享年67歳) 1890年 大日本帝国憲法施行 1926年 日本ラグビー協会設立 1934年 日本初のアメリカンフットボール試合開催 1947年 国際連合総会でパレスチナ分割決議案可決 1980年 川崎金属バット両親殺害事件 1980年 第1回世界女子柔道 1987年 金賢姫(キム・ヒョンヒ)、大韓航空機爆破事件 2001年 ジョージ・ハリスン(ビートルズ)、没(享年58歳) #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CIJ16kigK7p/?igshid=1l87ldxnuzpci
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hello-diversity · 4 years
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[写真レポート]「TRUST Dance Theatre (韓国)× 森田かずよ ダンス公演」
韓国・ソウルを拠点に、障がいのある人もない人も共にダンス作品を生みだしている「トラスト・ダンス・シアター」から7人のパフォーマー、4人のミュージシャン、振付家、通訳が来日。そこに義足のダンサーである森田かずよ、4人の車椅子パフォーマー、アフリカのトーゴ出身のアラン、西岡樹里という7人のダンサーが加わって、2週間の滞在制作と公演を行いました。
クリエイションの模様です。
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2週間の滞在の最終日である12月7日(土)の公演では2作品を上演しました。
一作品目:
『Shadow/影』
世界初演:2018年 @ソウル・アート・スペース Mullae
振付:Hyeonghee Kim
出演:森田かずよ、Hyunjung Lee、Yejin Kwon、Jongtaek Sung
森田かずよが、2018年にソウルに滞在し、共同制作しソウルで初演を迎えた作品をリ・クリエイションし上演しました。
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二作品目:
『もう一つの視線/Another Gaze』
振付:Hyeonghee Kim
出演:森田かずよ、福角宣弘、田村みくり、西岡樹里、アラン・スナンジャ、大畑楽歩、福角幸子、Hyunjung Lee、Minsoo Kim、Younghoon Hong、Yejin Kwon、Jongtaek Sung、Dahye Kang、Chaihyun Lee
音楽:Sungsoo Nah(ドラム)、Noah(ギター)、Woojae Jho(キーボード)、Hongboo Kim(ヴォーカル)
生演奏のもと、14名の多国籍な出演者が入り混じりながら、最後は観客を巻き込み、大きな盛り上がりを見せました。
キム・ヒョンヒ氏によるクリエーション、演出、振付は、国籍や言語、身体の状態を超えて互いを尊重しあうもの。舞台に立つ個々の声と身体を最大限に引き出しながら、ひとつの作品に昇華することで、とても上質な舞台となりました。
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「こんにちは、共生社会」プロジェクト1年目の締めくくりとして、今後に続くインターナショナルプログラムの第一歩を踏み出すことができました。
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記事入力 : 2010/05/20 11:40:12 【コラム】真実の前に「死に体」の社民党(上) 拉致 | 辛光洙 | 金大中 | 金賢姫 | 金日成
 北朝鮮による日本人拉致事件について調べていくと、「辛光洙(シン・グァンス)」という名前に突き当たる。辛光洙容疑者(80)は1980年に日本人調理師の原敕晁(はら ただあき)さん(当時43歳)を拉致した北朝鮮のスパイで、この事件で国際手配されている。韓国に潜伏中に逮捕されたのは85年。韓国政府により、その犯罪内容が明らかになった。政府はこれを日本に知らせ、当時の韓国各紙も詳しく報道した。  4年後の89年、首をかしげるような出来��が始まる。日本社会党(現:社会民主党〈=社民党〉)の国会議員らが、韓国に収監されている政治犯29人の釈放を求める要望書を提出した。その一人が自国民を拉致した辛容疑者だった。韓国の金大中(キム・デジュン)大統領(当時)が「ミレニアム恩赦」で辛容疑者を釈放したのは10年後の1999年。翌年には北朝鮮に送還された。その後、北朝鮮で「全国統一賞」を��与され、顔が印刷された切手まで発行された。
 この時の釈放要望書に署名した千葉景子議員は、97年に社会党を離党し、民主党に入党した。昨年、法務大臣になった時、「『うかつだったのかな』という気持ちはある」「大変申し訳ないという気持ちではある」と反省した。金大中大統領は2005年、朝日新聞とのインタビューで、「報告を受けていなかった。受けていたら別の措置を取っただろう」とし、それ以上は言及しなかった。
 日本人拉致が改めてクローズアップされたのは、大韓航空機爆破事件の犯人・金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員が日本語教師「李恩恵(リ・ウネ)」の存在を明らかにした87年だ。当時、韓国政府が日本に提供した情報は「李恩恵」の出身地・職業・特技・特別活動など具体的な内容だった。日本政府はこうした情報を基に似顔絵15万枚、ビラ130万枚を全国に配布した。
 日本が「『李恩恵』は拉致被害者の飲食店店員・田口八重子さん」と発表したのは91年だ。それでも社会党は「捜査当局の発表だけでは事実確認できない」と抵抗した。だが実は、当時の社会党は真実に最も近いところにいた。88年に拉致被害者家族が真っ先に訴えた政治家こそ、土井たか子社会党委員長(当時)だったからだ。北朝鮮と金日成(キム・イルソン)主席のことをよく知っているだけに、問題を早期に解決してくれると信じていた。だが、土井氏は沈黙した。
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 それでも、社会党(96年以降は社民党)は02年まで、北朝鮮による拉致を事実として認めなかった。辛光洙事件が明らかになってから17年間、金賢姫元工作員の証言から15年間、真実に目をつぶってきたのだ。02年は、金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮労働党総書記が自らの言葉で拉致の事実を認め、謝罪した年だ。土井氏は「拉致被害者に申し訳ない」という一言で、苦しい立場を逃れようとした。
 社会党は「朝鮮労働党唯一の友党」であることを誇りにしていた。北朝鮮とのパイプを政党の存在理由にし、強大な圧力団体だった在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の支援を受けた。国民の拉致や死に目をつぶり、朝鮮労働党の代理人的な役割をしたのには、そうした理由があった。
 社民党は今も北朝鮮を公然とは批判していない。それが理念であり、存在理由だというのだから、誰が彼らを止められるというのか。しかし、その社民党も、自らを徐々に、そして静かに枯死させていく有権者の前には無力だった。一時、衆議院議員166人を抱えた同党だが、現在の同院議員数は7人。真実から目を背けていたこの20年間に、野党第一党から一小政党に転落したのだ。
” - 【コラム】真実の前に「死に体」の社民党(上) | Chosun Online | 朝鮮日報 (via ittm) (via ipodstyle) (via yaruo) (via wingknights) (via darylfranz)
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precariouslife-blog · 7 years
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[翻訳]<いまーここ>から脱北者を思考する
<いま−ここ>から脱北者を思考する(1)                            キム・ソンギョン ・難民、場所を失いし者  難民の辞典的意味は、苦境に陥った百姓である。難は憂い、災難、病乱、戦乱などを意味するものであり、民は人民もしくは百姓を意味すると同時に、祖先代々に特定の場所で生きてきた者が、自分のことを指し示す代名詞でもある。難民という用語は、政治、社会、経済、環境的災いによって、自分の故郷や母国を離れた者たちを称するものとして用いられているが、その文脈は根づいた場所を剥奪されるほどの災禍的情況を意味すると同時に、百姓にとっては自分たちの場所を離れるほかない状況が「難」それ自体だという意味も含まれている。似通った英語で難民を意味する「refugee」は、フランス語において避難所を意味する「refuge」に起源を置いているのだが、危険や痛みのない「隠れ場」、「待避所」を意味していたものが、20世紀の世界大戦を経つつ、故郷を脱出し、安全な場所を求める者たちを称する用語に変形され使用された。似た意味として使われる概念が、’displaced’あるいは’uprooted’ということから推し量ると、難民は故郷という場所を剥奪された者もしくは自身が根づいていたところから追放された者を意味するものだ。それほど難民という概念は、場所と深い連関がある。
 ここでの場所は単に物理的空間、あるいは国籍のような政治的地位を意味するものだけではない。場所は時間が蓄積された社会的関係が幾重にも積み重ねられている象徴的空間であると同時に、個人だけの意味で構成された物理的実体でもある。自分だけの場所を剥奪された者たちは、単に故郷あるいは「家」を失うにとどまらず、自分たちだけの生、社会的関係、意味体系、歴史、そして未来の可能性まで根こそぎ失うようになる。場所を剥奪された難民は、自我の根幹を失った者だ。場所を剥奪される経験は、アイデンティティの大きな破裂を作りだし、以前の自我に戻ることを難しくさせる。ある理由からたとえ難民が定着することのできるまたべつの空間を探したとしても、決して彼/彼女たちを「主体」にする場所を復元することも、彼/彼女たちの破壊されたアイデンティティを回復することも簡単なことではない。
 しかし大部分の難民に関する議論は、難民が失った場所の時間性や文化的脈絡を十分に考慮しないまま、国籍や近代国民国家の枠に押し込めて解釈する傾向が存在する。このような接近において、難民と国民は対蹠点に置かれるようになり、難民の問題は究極的には彼/彼女たちが「国民」になればきっちり解決されるものとして単純化されさえする。これはたとえ難民が法的に国民の地位を回復したとしても、継続的に経験するようになる数多くの社会的・文化的混乱を隠蔽するだけではなく、難民が剥奪された場所があたかも再び構成できるだろうという純真な信仰を駆り立てもする。このような文脈において、難民を定着社会の構成員として受け入れなければならないというような議論や主張は空虚だ。さらに、難民を作りだした難を解決して彼/彼女たちが母国に帰させればいいというような解決策もまた、可能とはなりえない。彼/彼女たちを追放したその状況が簡単に解決されえないという現実的な問題提起はさしあたり棚にあげておくとしても、彼/彼女たちがたとえ物理的な空間としての故郷に帰郷すると言ったとしても、一度追放され難民的経験をした者は、故郷に帰ったとしても、これ以上そこを「家」と感覚することのできない可能性が高いからだ[1]。
 難民は例外的な問題ではなく近代社会の普遍的な現象だ。国家の境界の外に存在する難民は、その外部から国民国家と国民という枠を規定し、維持する役割を遂行してきた。いいかれば、近代国民国家が登場するとともに難民は継続的に生産されてきた。難民と拮抗関係にある「国民」は市民権を持ち、人権のような普遍的権利を保障される反面、難民は市民権のみならず人権をも保障されえない存在だ。先にアガンベンが主張したように、普遍的権利としての人権は、事実上国民国家と市民権なしには存在しえない虚構である[2]。「世界人権宣言」において明示された人間の権利は、国民国家の枠で構成されているがゆえに、国家の外に追放された諸存在は「人間」として存在できない。
 そうであるならば、難民が再び「人間」になるための条件は何なのだろうか。さらにいえば、果たして人間宣言において主張された自由、存在、平等などの価値が難民と対蹠点にある国民には十分に保障されているものなのだろうか。人権宣言において明示された人間としての権利が、果たして人間を「人間」となるようにさせる基本的条件なのだろうか。何が人間を「人間」にさせるのか対する哲学的議論は、歴史において多少異なるように進んできたが、その根幹には人間は「個人」として存在するのではなく、他者との関係を通して構成されるという合意点を基盤としている。いいかれば、人権の根幹である自由、尊厳、平等などの価値は、国家が保障してくれる条件ではなく、他者を前にしての主体の権利であり、主体が他者に向けて必ず堅持しなければならない姿勢でもある。このような文脈から見れば、難民は国家の境界の外に特定集団としてのみ存在するのではなく、他者の前で「主体」として存在することのできない数多くの者たちを含んでいる。さらにいえば、ある集団に属していたそれらの者が国民であれ、あるいは非国民であれ、誰であれ難民に転落する可能性は存在する。最近、シリア難民問題が大きくなるなかで登場した「私たちはみな難民だ」という多少転倒したスローガンは、国家の境界のなかの国民がその外に存在する「難民」を助けなければならないという恵与的な宣言にとどまるのではなく、国民もまた自分たちの場所を剥奪される難民的状況にいつでも置かれうるという意味において、再び読まれなければならない。さらにこのスローガンは、難民の対蹠点に存在する市民、または国民のような集団は、神話としてその見かけだけが残っていることを告発するメッセージとして再解釈されなければならない。境界の外の難民は、国家中心的な私たちの思考を再考させ、国民の境界の外の新しい人間と政治共同体を想像させる。アガンベンの言語を借りれば、難民は社会的集団ではなく実際に存在する真正な主体であり、「今日考えうる唯一の人民の形象」なのだ[3]。今まで主体として命名されてきたが、決して実体がなかった人民、市民、人間などの概念から抜け出し、国家、法、権利などの外に存在することを転覆的に思惟することによって、「むしろ個人の避難所」を生産することができるだろう[4]。
・人権より国家、そしてその上の分断  国民国家内部において場所を失ったまま浮遊する難民たちは数限りなく多い。新自由主義の暴圧から資本によって「難民」となってしまった市民たち、有無形の制度と規範として存在する家父長制が排除する少し「ちがう」人びと、国家主義と民族という名の暴力の前に自身の位置を失ってしまった者たちにいたるまで、自我あるいは他意によって自分たちの場所を奪われた��たちは、いたるところに存在する。彼/彼女たちのなかでも、脱北者が最も「韓国的難民」だ。アーレントが難民に注目し、難民が普遍的な現象であると主張した理由は、まさに近代国家体制の「政治的なもの」の限界と可能性を内包しているからだという議論は、脱北者を見るとき有効な視点を提示している。おそらく脱北者を問題視することは、朝鮮半島の文脈から「国家」そして「国民」の問題を思考するようにさせるだけではなく、国家の境界内において「人間」としての権利がどれだけ制限的に作動しているのか、そして人権より優先視されるものが何なのかを確認させてくれるだろう。
 憲法三条によれば、大韓民国の領土は朝鮮半島とその付属島嶼だ。これは大韓民国が朝鮮半島の唯一の合法政府であることを宣言するものであり、同時に国家の領土が朝鮮半島の北側の地域までを含んでいることを明確にしているものだ。この憲法規定によって、北朝鮮(2)住民は北朝鮮の主権によって、不法的に抑留された大韓民国の国民である。脱北者が韓国社会に到着するとすぐに提供される法的地位の根幹は、彼/彼女たちが大韓民国の国民という大前提を基盤としている。だが彼/彼女たちは、韓国社会の構成員たちと区別される、もう一つの名で呼ばれる。脱北者―これが韓国社会において彼/彼女たちのアイデンティティーと存在を規定づける名前である。彼/彼女たちが韓国国籍を得ることができたのは北朝鮮を「脱出」したためであり、南朝鮮行きを選択することで主敵たる北朝鮮に「害」を与えたためだ。法的には大韓民国の国民だが、彼/彼女たちは人間の基本的な権利より国家、そして分断という論理に規定される。そのうえ、法的に市民権と国家の警戒内に存在するが、国家は「分断」という理由を盾にし、平気で彼/彼女たちの人権を侵害しもする。ユ・ユソン氏事件においてもよく表れているように「間諜」という疑心だけで、彼の妹ユ・ガリョ氏を拘禁することも、兄と妹が会うことを不許可にすることも可能だ。韓国に到着した北朝鮮出身者であれば、みな通っていくほかない合同新聞センターで脱北者は潜在的「間諜」である。もしも疑わしいことがあるのならば、その疑惑が完全に解消されるまでいつまででも拘禁することができる。それだけではなく、ハナ院(3)の教育機関を経て、賃貸住宅を割り当てられ、韓国社会に定着するようになる脱北者には、各地域管轄警察署の担当刑事が付くのだが、彼らは「保護」という名目で周期的に脱北者を管理し動向を把握する。このように脱北者にとって法的身分は、分断と国家の安危という名でたやすく侵害されるだけでなく、国民であれば全員保障されるようになるであろうものと信じられていた人権は事実上、等しく作動していないことを確認させてくれる。
 さらに分断体制内において自分たちの場所を棄てて、南朝鮮に移住してきた脱北者たちは、自分たちの故郷を否定しなければ韓国社会で受け入れられない。彼/彼女たちが脱出してきたところ、その場所に関するあらゆることは消し去らなければならない。韓国社会は、北朝鮮体制と北朝鮮社会、あるいは北朝鮮の人を区別するのに疎い。そうであるがゆえに北朝鮮体制に対する敵対心は、北朝鮮社会とそこの出身者たちに向いたりもする。そのうえ北朝鮮経済が危険な状況に陥っており、政治と社会領域の全体主義的な作動が継続されながら、北朝鮮と関連されるあらゆるものは否定的で変化されなければならないものとして単純化され意味化される。だが、脱北者にとって自分たちのアイデンティティーの場所は、否定と肯定という二分法によって遡及されない、文化的価値と習性などの堆積物である確率が高い。そのために彼/彼女たちの北朝鮮的習性、あるいは行動様式は完全に空白にすること、そしてその空いたところを南朝鮮社会に合わせて新しくそれを再構成することは不可能であるだけでなく、このようなことを暗黙のうちに要求すること自体がまさに分断が生産した暴力性の一面であろう。
 少数者でありながら国民国家内の難民である脱北者は、社会が自分たちに差し出してくれる制限された場所に忠実であることによって、国家の枠のなかに存在しようとする。アイデンティティーの根幹である故郷、その場所の痕跡を消し去るために脱北者は今日も自発的に母国を批判し、それと関連するあらゆるものを否定する。韓国社会に同化するために北朝鮮式の抑揚や身ぶりを直すために努力し、韓国社会に自分たちを挟め合わすために最善を尽す。ラカンが主体化の過程における「早急な同一化(precipitous identification)」、あるいは「予期的な先立ちanticipatory overtaking」という概念で説明したように、韓国社会という他者に認められるために脱北者は、より過剰に、より先立ってここから彼らに差し出してくれた役割を遂行し抜く[5]。韓国社会が脱北者に要求する役割が自分たちの故郷を否定することだということをまず把握し、要求されるものよりも、より忠実に、過剰にその役割を内面化し、実践し抜くのである。最近、オボイ連合(4)デモにお金をもらって参加したことで知られた脱北者たちは、単にお金稼ぎのためにデモに参加したのではなく、韓国社会で自分たちを証明するためにデモ隊に立ったと見るのが妥当だ。自分たちが「反北」ということを満天下に「過剰に」表明することで、ここで認められようとする。万一、彼らのなかの誰であれ北朝鮮に対する友好的な視角を堅持したり、故郷を懐かしがるような態度を見せるならば、韓国社会の攻撃の対象となる可能性が高い。要するに2015年光復70周年を記念し、統一関連のTVドキュメンタリーに出現したある脱北大学生が、統一に関して否定的な意見を披露し、北朝鮮の人たちに対する愛情をあらわしたという理由でネット上の攻撃の対象となった事例は、多くのことを含意している。この脱北青年に対する書き込み攻撃は、主に「そんなにいいなら北に行け」という言葉で行われたのだが、これは日常において脱北者たちが「反北」ではない位置に立つことが、どれだけ難しいのかを推測させる。そのうえ、彼らは南北関係が悪化するたびに職場と日常において、激しい叱咤の対象となりもし、「北朝鮮がいいの?韓国がいいの?」というふうな二文法的質問をいつも受け、はやく南朝鮮の思考と習性になれなければならないという強要ないし脅迫にいつも苦しむ。
 そのくらい脱北者に向かう韓国社会の視線は二重的だ。彼/彼女たちに「故郷」を消してしまうことを暗黙のうちに強いつつ、同時に彼/彼女たちを「北朝鮮」以外のどのような特徴もない集団として同質化させてしまう。単に「北朝鮮」出身であるだけではない脱北者は、韓国社会が「北朝鮮」に対するどのような立場を堅持するのかによって区別される社会的位置を付与される。冷戦の暴圧のなかでは「帰順勇士」という名前で「英雄」の位置に存在していたが、東側諸国の没落と体制競争が事実上幕を降ろした80年代後半以降には、韓民族という当為性に基盤を置いた「帰順同胞」の位置に、そして北朝鮮経済難を起点に大量脱北がはじまると、「北朝鮮離脱住民」というまた異なる名前が彼/彼女たちに与えられた。北朝鮮を離脱した住民という意味の法的用語である「北朝鮮離脱住民」」は、彼/彼女たちが相変わらず故郷を棄てたということを明示的に表しつつ、「帰順勇士」あるいは「帰順同胞」よりは少し脱政治的な意味を持っている。これは脱北者の移住動機と特徴の変化ゆえでもあるが、要するに1990年代序盤までの脱北者の大部分は、男性でありながら政治的理由から南朝鮮行きを選択した反面、その以後には経済的理由へ移住動機が変わったのみならず、彼/彼女たちの性比も圧倒的に女性が優勢になった。2016年現在、韓国に定着した脱北者は、約29000余名に達し、このなかの70%を上回る比率が女性だ。だが、彼女たちの移住動機がどのように変わったのであれ、彼/彼女たちの性比の大きな変化があろうと、韓国社会での彼/彼女たちは「脱」北者であるだけだ。
・ジェンダー化された脱北過程  脱北者が韓国にいたるその旅程は苛酷だ。全世界で最も多い武器が密集している南と北の間のDMZを平凡な北朝鮮住民が渡ることは、事実上不可能に近い。それに大部分の脱北者は、北朝鮮と中国の国境を越え東南アジアを経て韓国に到着するようになる。中国は北朝鮮出身者を難民とし、北朝鮮体制は彼/彼女たちを「反逆者」として処罰までする。そうであるがゆえに、移動の旅程において彼/彼女たちは近代国家、あるいは法的体系から徹底的に「存在しない者」でなければならない。彼/彼女たちが法の前で立つ場合、彼/彼女たちの移動は無為と化してしまう。アーレントが、無国家者たちは犯罪を犯しながらはじめて法の前に人間として再び存在することができる機会が生じると主張したように[6]存在しなかった彼/彼女たちが中国を抜け出し、東南アジアに到着するようになれば、ついに「不法越境者」と自分たちのことを明らかにすることで、再び法的存在の位置を回復するようになる。つまり母国である北朝鮮を離れて、東南アジアで「不法越境者」として処罰を受けるまで、彼/彼女たちは人間ではない者、つまり存在しない者なのだ。
 興味深いことは、このように苛酷な旅程を耐えた後、韓国に到着する脱北者の大部分が女性だという事実だ。大部分の脱北女性は、短くは数ヶ月を中国で送ったり、長くは十年近い歳月を中国で「存在しないまま」生きてきた。綿密に調べてみると、北朝鮮女性がそもそも国境を越えることができるのも、彼女たちが北朝鮮社会の公的領域から事実上排除されてきたからだ。90年代中盤から苦難の行軍時期(5)の北朝鮮体制は「自力更生」を訴え、北朝鮮住民に国家の配給や安全網なしに自ら生き残ることを強いるようになる。国家主力産業や公的領域に服務する男性の場合、職場を離れることが事実上可能ではなかったが、主に男性労働力を支援する役割を遂行した女性たちは、職場や所属を離れ生活戦線に飛び入ることを国家が見逃してくれるようになった。はじめは家の中にある物品を小規模の市場で売ることからはじまったが、後には都市を移動して回り、本格的な商売をする女性たちが登場するようになり、いくらかの人びとは国境を越えて中国にいくお金を稼いだり、親戚の助けを受けたりもした。伝統的に社会主義国家は「移動の自由」が制限されているのだが、北朝鮮では経済難、特に苦難の行軍という極限の飢饉によって住民たちの移動が本格化される、予想することのできなかった結果を生むようになったのだ。特に移動の主体が女性だという事実、そしてその移動が可能であった理由がまさに彼女たちが北朝鮮社会で国家が統制する公的領域から一歩疎外されていたからという事実は、多くのことを含意している。もちろんこのような状況は、単に北朝鮮女性にのみ現われる現象ではないが、急激な都市化を経験した世界のいたるところで女性たちは、いつも移動の主体として再誕生して来た。逆説的にも移動する女性の移住動機は、家族や家父長制に服務するためであったが、移動の過程を経つつ独立的な主体へ再構成されもする。[7]
 中国行きを選択した相当数の北朝鮮女性が、それでも「ホモサケル」の生を維持することのできた理由は、彼女たちが「女性」であったからだ。要するに東北三省の朝鮮族社会の相当数の朝鮮族女性は、すでに中国内大都市あるいは韓国に労働移住に出かけた状態であり、北朝鮮女性たちは朝鮮族女性が残しておいたその空いた場所で、それでもしばらく自分の身分を隠すことができた。改革・開放の風に乗り、一層発展しはじめた中国の中小都市で女性の労働力受容が急増したことも、彼女たちがしばらく体を隠し耐えうるようにさせた。もちろんこの過程で「結婚」という名前の下で、暴力的状況が一度や二度ではなく発生し、「(類似)性産業」で体を隠した北朝鮮女性たちは、資本と性の搾取構造のうちで苦痛な生を延命した。この過程で「存在しない者」という彼女たちの極限の状況を悪用する数多くの男性たちと家父長的構造が、彼女たちに数多くの拭い去ることのできない傷を与えもした。しかしここで看過してはならない事実は、彼女たちが北朝鮮に北送されずに中国でずっと何年間も耐えることができたのは、まさに彼女たちが女性であったためであり、中国内に「存在しない者」が隠れることができるその僅かな隙間は、まさにジェンダーとセクシュアリティの空間だという事実だ。彼女たちのための法が存在しないところにも強固に作動するのはまさに男性中心の権力体系だということは、一方では彼女たちが法の前に立つことのできるところへもう一度移動することを可能にさせたという意図しない結果を生産すると同時に、女性に対する性的搾取と抑圧がどれだけ根深いか再び確認させる。
・北朝鮮出身女性に向かう性愛化された視線  脱北女性が国民になった後に彼女たちの位置は、むしろよりジェンダー化されるようだ。脱北過程の苛酷さを説明するたびにしばしば登場する人身売買の経験と性暴力に晒された記憶などは、時には「人権」の名で叙事化されるが、フェミニズム的資格において無国籍者のジェンダー化された状況に対する総体的な問題提起ではなく、脱北女性に向かった窃視症的視線のみ増幅させる水準につねに留まっている。要するに脱北女性をスタジオに招待し、彼女たちの脱北経路とその暴力的経験を選定的に報道する韓国メディアの形態を、「人権」問題を提起するための意味ある報道だとは言い難いだろう。少しでもより積極的な素材を探す総合編成ジャーナル(6)にとって脱北、女性、(性)暴力などの叙事は、非の打ち所ないよい獲物であることが明らかだ。さまざまな媒体は、競争的に脱北女性をカメラに写し、この過程で彼女たちのジェンダーとセクシュアリティは道具的に対象化される。
 例えば、最近集団的に脱北した海外食堂の労働者に対する韓国各メディアの報道は、韓国社会が北朝鮮出身女性に対してどのような視線を堅持しているのか確認させる。去る4月9日、政府は「緊急ブリーフィング」を通じて海外食堂で勤務中だった13名の北朝鮮住民の集団脱北を公開したのだが、このなかの北朝鮮男性1名は管理人の身分であり、残り12名は北朝鮮食堂で仕事をしていた女性従業員だった。お互いがお互いを監視する社会統制システムが作動する北朝鮮社会で、「脱北」という最も反体制的な行為が「集団的」に成されたという事実に社会が揺れ動き、これが第四核実験以降に韓国政府が念を入れてきた対北制裁の効果という分析から北朝鮮体制の崩壊可能性にいたるまで、いつものように脱北者にはじまる議論は、北朝鮮体制の行方を占うものに拡大再生産された。はじめは政府が力を入れてきた対北制裁の効果の証拠として扱われていた集団脱北は、より積極的なニュースの素材を探すメディアを経由しつつ、屈折を重ね、やがて彼/彼女たちに関する言論報道は、彼/彼女たちが着てきた服と外貌までを窃視症的視線で掘り返すにまでいたる。要するに大部分の総編放送においては、政府が公開した脱北女性の写真を分析しながら、彼女たちの外貌と面々を評価し、彼女たちの身なりまで「洗練された感じのスキニージーンズ、赤色のスボン、華麗な色感の服、キャラクターが描かれた鞄」などの表現を多用しイシュー化した。以後、北朝鮮政府が彼女たちの写真を公開すると、韓国テレビでは先を争ってこの写真を公開したりもした。彼女たちが大韓民国の国民であり、これから先韓国社会で定着し、いきていいかなければならないという点は全く考慮しないまま、彼女たちの身の上の事情に対する報道が続けられた。そのうえ、その後すぐ男性管理者と女性従業員のうち一人が不適切な関係だという風な、確認されてなかった諸事実を散々報道することで、韓国メディアの窃視症は頂点にいたった。
 北朝鮮出身女性に対する性愛化された視線は、そもそも今回の事件でのみ露呈されたものではない。一時期社会を騒がせた大韓航空機暴発事件(7)は、キム・ヒョンヒという人物の性的対象化に点綴された議論へと再生産され、体育行事に参加した北朝鮮チームを「美女応援団」と称し、対象化した視線、実体も確実でない北朝鮮の「喜び組」に対する先定的な報道など、北朝鮮女性は男性的視線に剥製されたまま、性的対象物として存在してきた。北朝鮮女性は、主体ではなく韓国社会という男性的視線のなかで存在する対象に留まる。韓国社会は時には同情と憐憫で、時には男性的優越感を内在化した他者的視線で、北朝鮮女性と向かい合う。分断が作り出した権力関係と男性中心的構造が、二重的に結合した現在の状況において、北朝鮮女性が「北朝鮮」出身ということから自由でありながら、同時に男性の視線のなかの性的対象ではない自由、平等、尊厳などの権利を持った人間として存在することは困難に見える。そのくらい韓国社会の北朝鮮出身女性は、二重の抑圧構造に位置しつつ、常時的な苦痛を経験するようになる。
・他者中心の倫理  韓国社会を離れて自ら難民の生を選択した脱北者が急増している。何名かの専門家たちは、その数が約5000余人に至るという主張をしたりしている[8]。南朝鮮に定着した脱北者の数が30000余人に満たないことを考えてみると、実にとてつもない規模だ。「存在しない者」として中国を彷徨うとき、あれほど望んでいた国民という身分を自ら捨て、その多くの数の脱北者が韓国社会ではない、べつのところでの「難民の生」を選択したわけだ。その理由は多様だと言えるが、大きくは彼/彼女たちが韓国社会で向き合った生が決して国籍なしに彷徨う「難民」と比べみたとき、よくなかったということだ。韓国社会で北朝鮮出身者に与えられた国民の権利、つまり人権は国家の安危と分断という名でいつでも留保されうる。母国の痕跡を消し去ることを涵養する韓国社会は、北朝鮮出身者に毎瞬間暴力的に近づいてくる。そのうえ、北朝鮮出身女性の移動を可能にさせた日常の男性中心的権力体系は、彼女たちが再び国民の位置を得るようになったときには、さらに暴力的権力の視線で彼女たちを対象化する。
 実に「いま−ここ」における脱北者の生は難民的だ。ここでの脱北者は、単に自分たちの場所を剥奪されたものに留まらず、絶えず自分を否定しなければならず、主体ではない対象としてのみ存在するというわけなのだ。脱北者は大韓民国の境界内で「人間」として存在できない。そうであるならば、彼/彼女たちが「人間」へと再び主体化することのできる方法はないのだろうか。脱北者という他者と韓国社会は、どのような関係性を作っていかなければならないのだろうか。問題は、難民的生を生きる彼/彼女たちを同等な社会構成員として受け入れなければならないという、あまりにも政治的に正しいその命題を繰り返すことによっては、解決するものがそれほど多くはないという事実だ。善意という名で向けられる数多くの行為が、結局は権力を持った者たちのアリバイとして活用されてきたことを、私たちはよく知っている。そのうえ韓国社会がどのような努力をしたとしても、分断という状況が継続される限り、いや仮に政治的に分断が克服されたとしても、文化と日常に残った分断は相当な期間の間、脱北者を国民の内の難民として区別する確率が高い。実践的水準で脱北者の生を画期的に変えうる機制を現在の社会体制から探すことは難しい。
 そうだとしてもこの文章が悲観的な現在の状況を責め、日常で向かい合う脱北者に対して何もする必要がないと主張したいのではない。現実的水準での努力や試みは続けられなければならないが、少しより巨視的でありながらも根本的な思考の転換が共になされなければならないということを強調したいのだ。先に言及したように脱北者の存在は、韓国社会を再び内省させる。脱北者は「いま−ここ」の作動メカニズムを解体し、その向こうを想像させる資源という側面において大切だ。韓国社会において脱北者を思考するということは、結局何がこの社会で重要視されているのか、分断体制を胚胎したこの場所で国民と国家がどのような方式で作動しているのか、そして日常の家父長制が(他地域出身、特に分断として対置状態にある北朝鮮)女性をどれだけ他者化しているのか、その現住所を確認させるという点で意味がある。
 アーレントが思考するものの重要性を強調しつつ、現代社会の多くの人びとが他人の日常で考えることのできない「思考の不能性」に陥っていると警告したことがある。悪は平凡な姿で存在し、日常において容易に探すことができる。語ることができず、そして他人の立場から思考することができないものは、結局人間を「人間」ではない悪へとつくりだす。[9]脱北者という「他者」と向かい合うこと、そして彼らの立場から考えることは、ここに生きている「平凡な」私たちが再び他者中心の倫理を回復し、思考する人間として存在することができる機会だ。他人に対する責任と倫理意識を回復することは、国民国家という神話的枠を越えて新しい共同体、いいかえれば疎外されたあらゆる個人の避難所としての政治共同体を、夢見るようにさせる始発点であることは明らかだ。国家、国民のようなあまりにも明確で強固に見えるもの、その向こうを想像することは痛ましいことだ。特にすべての人が一つの場所を眺めている群れのなかで、「べつの」何かを考えるということは、孤独なことであることは明らかだ。しかし他者を通して思考するということは、実存的挑戦であると同時にそれ自体として輝いている。  
原註 [1]Schuetz.A 「Homecomer」 『American Journal of Sociology』 1945 50-55頁 [2]ハンナ・アーレント『全体主義の起源Ⅰ』ハンギル社 2006 524-534頁(ハンナ・アーレント/大久保和朗『全体主義の起源Ⅰ』みすず書房 1972) [3]ジョルジョ・アガンベン/キム・サンウン, ヤン・チャンリョル 訳『目的なき手段』ナンジャン 2009 36頁(ジョルジョ・アガンベン/高桑和巳 訳『人権の彼方に―政治哲学ノート』以文社 2000) [4]ジョルジョ・アガンベン 同上 25頁  [5]スラヴォイ・ジジェク/イ・ソンミン 訳『否定的なものと共に留まる』図書出版b 2007 144-149頁(スラヴォイ・ジジェク/酒井隆史, 田崎英明 訳『否定的なもののもとへの滞留』太田出版 1998, ちくま学芸文庫 2006) キム・ソンギョン, オ・ヨンスク『脱北の経験と映画表象』文学と知性社 2012 221頁から再引用 [6]ハンナ・アーレント 前��書 517−518頁 [7]ホン・チャンスク「ドイツ独立後、旧東ドイツ出身女性の西ドイツ移住と西ドイツ化の多様性」『韓国女性学』27-4号 2011 84頁 [8]キム・ヨンチョル「誰が脱北者に「デモバイト」をさせたのか?」『プレシアン』2016年4月27日(‘누가 탈북자를 ‘알바 시위꾼’으로 만들었나?’) [9]ハンナ・アーレント/キム・ソンウク 訳『エルサレムのアイヒマン:悪の平凡性についての報告書』ハンギルシャ 2006 (ハンナ・アーレント/大久保和郎 訳『エルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』みすず書房1969)
訳注 (1)本稿は、韓国において刊行されている雑誌『言葉と弓』(말과활)11号所収の김성경 ’이곳에서 탈북자 사유하기’という論考を訳出したものである。 (2)原文は북한(北韓)となっている。実質的には朝鮮民主主義人民共和国の領土のことを指しているが、この論考全体として朝鮮半島の北側の地域という意味を含んでいるという点と原則的に原文に近い翻訳の作成という点から、以下「北朝鮮」と翻訳した。なお、남한(南韓)は南朝鮮と訳出した。 (3)ハナ院とは、北朝鮮からの移住者に対する社会定着支援のために設置された統一部所属機関である。移住者たちは、ここでさまざまな教育過程を受けることになる。 (4) 韓国の保守団体。「オボイ」とは、オモニ(母)の「オ」、アボジ(父)の「ボ」を組み合わせてつくられた言葉で「父母」の意味。したがって、オボイ連合の正式名称を訳出するとすれば、「大韓民国父母連合」となる。ちなみに参加者には高年齢の人たちが多い。 (5) 1995年に発生した自然災害によって経済危機がより深刻になるなかで呼びかけられた共和国政府に政治スローガン。共和国内の新聞が合同で「「苦難の行軍」の精神」で奮闘し、「自分の力で革命を最後までやりとげる自力更生」が求められた。「苦難の行軍」自体は、1938年11月から39年3月の金日成による満州抗日遊撃戦の最中において金日成部隊が日本軍を逃れて雪の中を行軍したことに由来している。 (6) ニュース報道やドラマ、教養番組をはじめとしたあらゆるジャンルの番組を編成して放送できるチャンネルのこと。他の地上波放送との差異点としては、放送がケーブルテレビと衛星テレビ加入者に限られ、他の地上波放送が一日19時間しか放送ができないのに対して、このチャンネルでは24時間の放送が可能であるという点をあげることができる。 (7)1987年11月29日にバクダッド発ソウル行の大韓航空機858便がビルマ沖で消息を断った事件。一通りの調査を終えた韓国政府は、88年1月に北朝鮮工作員の犯行によって爆破されたものだと発表。事件の際拘束された女性がキム・ヒョンヒである。それに対して共和国政府は一貫して韓国当局が作った陰謀だと主張している。
(翻訳:K)
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metal-cn · 4 days
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今さらだが、、、要注目では?国連総会決議(2014.3)!クリミア半島、露方による侵略、、、北、ベトナム、キューバ。後者2者、賛成せず!北は?その、怪しげなサークル、グルから、弾き出され?一つの証拠やも。
北は、その外交関係者を粛清するんか、判断するやも。せざるを得ないやろね。なぜか?北、キム・ジョンウン氏の、まさに明白すぎる、判断のブレやろからね。
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metal-cn · 2 months
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ウクライナのレジスタンス、ミュンヘン安全保障会議、米副大統領は、傍らに!西側メディア!既に米大統領選の実質は外交上からもスタートしていると、
既に前哨戦的なものと、見た方が良いのか、良くないのか?
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metal-cn · 5 months
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これね、"北"キム・ジョンウン氏、産めや増やせや政策、伏線があってね。
それは、CCP朝鮮族自治区の誰かさんに、"国"乗っ取られへんための、布石とも。CCPにて、飛び抜けた平均収入と、高学歴の朝鮮族。まあ、延吉なんか。物凄くCCPには、煙たがられているわけ。その決起に関しては、"北"キム・ジョンウン氏は常に警戒。だが、人口が足りないならばなおさら。CCP朝鮮族自治州の面々が、移住と称して、乗り込んでくる、いわば立場を簒奪される可能性に常にビビッている。
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metal-cn · 5 months
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緊急電;先日配信?大韓航空機爆破事件!ごく単純な話や!だが、数十年の扉を開いて、独自指摘すべきやと。。。
日本人、または、日系人は、往々にして西側諸国でこう聞かれる。いや、聞かれ続けた。コリア?ジャパン?とね。韓方による、いわゆる政策性移住とは、別の視点が必要かと。”北”は知っており、それに便乗しちぁえと。紛らわしいならば、利用(悪用)しちゃえと。だから、”北”工作当局は、事前に綿密に調べたはずやね。この入国審査官、両者を見抜けるか、見抜けないかね。あとその��港あたり。日本人、日系人なんかが意外にも、多数居住していたり、会食にきたり、親戚がいたりと。だからの意味もあって”北”の対北アフリカ方面工作はまあまあやろね。なーははは!by小五郎なんてな?
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metal-cn · 7 months
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日本の、経団連を巻き込むのは、全く不利そのものだろうね。
脱会する会員出てくる可能性。もしもや、86発に絡む話ならや。脱会否やは、会員の個別判断の任意性に委ねられるやろから。そもそも、この深い話は、次が発端ではなかろうか?
(あ)東日本大震災。げんばぇいしか、なかった。設立しなかった。本ブログが、当然と思う教育普及機構を発足させなかった。それは、誰にでも分かる話やろね。もはや、化学入門。また生物学入門。ヨウ素やね。あれから、10何年。マロさんの、そっちの、夫への、つきない不満、のほうじゃなくて。記憶。行列、できたよね。ヨウ素で。テープもそれと、同じくらいやったかな。だが、そもそも、義務教育かも?で学んだ?化学入門、生物学入門。忘れてもうた、だから、教育普及機構やね。
(か)最低限でも、英語での、リアルアップデートな、発信を専門的に行う主体がなかった。これに、国連常用語もやろね。それに、いくつか、プラスやろね。それらに、ほぼ全対応の、演者は?やはり、筆頭は、金城武氏(Takeshi, Kaneshiro)では、なかろうか。まさに急浮上する。ハングルは?あの人、、、?どなんやろね。金城武氏(Takeshi,Kaneshiro)は圧倒的に、華語世界(広東語、台湾語も)で、存在感がある。むしろ華語、広東語、台湾語、ハングルの伝達性≒伝わりやすさ≒存在感、こそ求められるのでは?華語世界(プラス広東語、台湾語)で金城武氏(Takeshi,Kaneshiro)は、極めてサラダが印象強い。もう一度、別に構成して、サラダ関連で演じてもらえば良い。福島の野菜でね。まあ、著作権クリアして、ね。
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metal-cn · 8 months
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北キム・ジョンウン氏、ドローン攻撃機に強い関心!それ、購入しても、、、部下やCCP朝鮮族が、乗っ取りうることも、、、知らず?なーははは!by小五郎なんてな?
どーなっとるんかいな?北は、積極的に対露武器輸出にとも。核兵器への、依存が高まりうる。ちゅう。北キム・ジョンウン氏。見てないの?大昔の、米名ドラマ、パーソン・◎ブ・■ンタレスト?乗っ取りましたよね。おもちゃの、操縦桿で。旅客機をね。まあ、乗客を助ける立場やったが。ごくごく簡単にね。まあ、ドローン、乗っ取られんうちにでも、偽装?娘役人物と、見ておくのもね。冥土の土産に、まあ、なりうるよ。何せ、米名ドラマや。なーははは!by小五郎なんてな?
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metal-cn · 8 months
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露軽便機、墜落?ヒントは、客室員Γにあるのでは?
何人が実際に搭乗していたか。仮に乗員乗客総員ε人とする。機長は、異変に気づいたようだ。よってε-1。Γの行動やろね。それと、機体整備士φやろね。これが、一人以上。だから、ε−1+N。1くN。そして、日本の、御巣鷹墜落事件。亡くなったヒトの命は、みな同じ。なぜ露方プーチン大統領は、(い)についてのみ、いかにも、勿体ぶった声明出したんか?マトモな人間やったら、ε全員について、何かする?まさに、露方プーチン大統領に今、求められているのは、人間宣言であり、ヒトを当たり前に追悼する、人間的情念やろね。それと、機体は?だから、Γ×φが、この話の大部分を左右するやろな。
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metal-cn · 10 months
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北ミサイル発射で、不思議なんは、、、
流布させてはる、情報や。原潜に不満やと。ホントかね。かね。カネ。金。まともなら、サードやんけ。誰かが、日本の、防衛装備強化、すなわち、先日に襲撃された、都立大教授が反対しとる、パトリオットを片鱗をも、メディアに載せないよう、蠢いている?それは、日本の、某官房長官しか、ありえへんわけでありまして。なーははは!by小五郎なんてな?金、金、金。とら、とら、とら。似たような、もんや。もはや。
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metal-cn · 10 months
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家茂のガラケ。
♨いった。晩飯食うた。何やったやな。
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metal-cn · 10 months
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孫文のガラケ。
♨行った。朝飯食うたか。なんとやった。
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