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#ローカルとかよそ者関係ない
kennak · 11 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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ari0921 · 1 month
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月23日(火曜日)
    通巻第8225号 
 「AI主権」とは何か? 米中が突然言い出したニューターム
  日本はこの議論に置いてきぼりになっていないか
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中国の関心事は「米中AI協力関係」で、いかに西側のAI技術を入手できるかにある。
「サイバー主権」のパラダイムら生まれた「AI主権」。国家が自国の価値観や利益に従ってAIを規制することだ。
具体的に言えば中国はグーグルなど西側の検索エンジンやニュース媒体や議論のプラットフォームとは繋がらないようにしている。米国はファーウェイのスマホ使用禁止、TIKTOK禁止に動いている。
習近平は「経済安全保障、国家安全保障、その他の分野の安全保障」を優先させ、ソフトウェア、半導体、携帯電話オペレーティング、ロボット工学などで「自立」を達成するための政策変更、法律改正を屡々行ってきた。
 米国のビジネスリーダーらは中国の要請に応じ、たとえば北京のAIカンファレンスにはサム・アルトマン、イーロン・マスクらが駆けつけ、「チーム人類」の利益になる(人類に役立つ)として「米中AI協力」を呼びかけた。
バイデン米国大統領は、APECで習主席と会談し、24年4月初旬にも電話会談をしているが、このなかで「AI米中対話」の拡大の必要性を認めたと『人民日報』(4月2日)が報じた。
 しかしこの動きは過去の対中ハイテク供与制限、半導体ならびに製造装置輸出規制とまったく矛盾している。
 1990年代後半、クリントン政権は「インターネットを中国共産党に提供すれば、中国国民が権威主義を拒否することになる」と楽観的未来を語った。ところが、中国共産党はインターネットを民衆の監視、検閲に駆使した。
2010 年の中国国務院白書は「中国国内のインターネット技術とネットワークは『中国の主権』の管轄下にある」と宣言し、この政策枠組みが「サイバー主権だ」と成文化した。
「AI 主権」とは何か。
エヌヴィデアCEOの黄仁◎ は、「文化と言語を保護しながらAI インフラストラクチャを開発」する国民国家の能力、それがAI主権だ」とした。
中国の学者らは、エンヴィディアの定義を取り入れて、主権AIを実現するには、各国が「自国の特定の生産ニーズを満たし、自国のデータとインテリジェンスのセキュリティを管理し、他国のAIの侵入を防ぐためのローカルAIシステムとインフラストラクチャを確立する必要がある」と複雑な表現をしている。
そして「主権AIの確立に失敗すれば、中国は「デジタル植民地化」や「西側のイデオロギー的傾向の浸透」に対して脆弱なままになるだろう」とした。
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delorean · 9 months
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マンションでの電動車充電サービス体験会、終了しました!
先週土曜日の26日、自宅マンションにて「電動車充電サービス体験会」を開催した件は無事、終了しました。ワンオペでバタバタと準備した関係で至らない部分も多くありましたが、管理組合の理事長をはじめディーラーや友人のご協力により、一定の成果があったと思います。本当にありがとうございました。
当日の様子は、取材に来られたTBS系列のRCC(中国放送)が夕方のニュースで放送し、動画ニュースとしてネットでも配信してくれました。当然、Yahoo!ニュースでもリンクされる形に。もうローカル局でも全国ネットレベルで情報が伝わる時代なのですね。
面白かったのは、記者さんが到着してすぐ「充電器ってどこにあるんですか?」。駐車場に設置した200Vのコンセントを示し、EVに付属(またはオプション購入)する充電ケーブルを繋いで使うやり方や、アプリで使用時間をセットすると初めて電気が流れるため課金が確実で盗電の心配もない、と説明すると「なるほど、そんな仕組みになってるんですか。面白い!」と反応をいただきました。その内容が、コンパクトに1分で表現している辺り、さすがです。
家族連れでEVの試乗をしてくださった住民は「坂道もスッと走るのが気持ちいい」と興味を示されました。そのうちEVを選ばれるのではないでしょうか。その時に「ウチのマンションに充電設備があって良かった」と喜んでもらえたら何よりです。
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ちなみに、「MANSION+EV CHARGING MEET2023」のロゴマークは、日産初代LEAFのチーフデザイナー、井上眞人さんが作ってくださいました。Clubhouseの中で普通充電の重要性をアピールするイベントをやるんです、という話をしていたら「作りましょう!」となり。ホント、感謝です。
実は日経新聞さんも来られていましたので、そちらも掲載されたら紹介します。とにかく大変でしたが、やって良かったです。小さな一歩が今後につながりますよう。
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harusino · 6 months
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Fediverseに参加してみた一年を振り返る
この記事はFediverse Advent Calendar 2023 第二会場の8日目の記事です。 昨日の記事は、まくらさんの「FediverseとTwitterの反復横跳びをしてる」でした。
こんにちは、ヌヌです。 普段はマストドンやツイッターで独り言を垂れ流しつつ、イラストや短歌や俳句などを投稿しています。大体居るのはじゃぱねっと鯖(mastodon japan server)です。
ツイッターからマストドンにSNSの主軸を移してから大体一年が経ちました。移してみてから、いくつかのサーバに登録してみたり、自分でサーバを建ててみたりしたので、ツイッターやマストドン関係のことを中心に振り返ってみようと思います。
私がだいたい居たのはじゃぱねっと鯖なので、絵文字が追加されたとかなんかが流行っていたとか、何かを食べたとか、そういった事象はじゃぱねっと鯖のローカルTLでの流行・ネタです。
なお振り返るにあたり、今年前半トラベラーズノートにつけていた日記と、notestock(https://notestock.osa-p.net )が役に立ったので、何かしらのログをつけておいて見返したい人にはおすすめです。
2022.10月~12月
・マスク氏がツイッターのCEOになった
・ツイッターの創作界隈で頻繁に行われるコンテストや人気投票+それらにしつこく参加を募ってくる人がいてツラかった
・fedibirdにアカウントを作る。連合TLなどで自分とまったく関わりない人を探せるのが楽しい
・fedibirdに人が増えて重たくなったので、vivaldiやじゃぱねっとにアカウントを作る。ローカルTLの面白さを知る
・ホストドンで一人サーバを作成。自分でSNSを運営できる、という点に惹かれた。でも独りで使うにはもったいないような気もした(モデレーション関係の機能とか)
2023.1月~3月
・参加したツイッターの投票形式のコンテストで予選敗退し、投票形式のコンテストでダメってことは自分の作品て需要ないんだなーと落ち込む
・差別問題などでマストドン界隈一部がゴタゴタしていた。人が増えたから、そういうのもおこるよなーと思った。
・misskeyの一次創作サーバにアカウントを作る。ツイッターの創作関係のフォロワーがアカウントを作ったのに合わせてみた。
・なごやんを始めて食べる
2023.4月~6月
・ローカルTLで短歌を褒められる。嬉しい。
・事務のパートが雇用期間満了になり、6ヶ月の待機期間に入ったので、Linuxなどについて勉強してみようかなと思って職業訓練校に入学する。
・独りで使うにはもったいないのかなと思っていたホストドンを解約する。
・職業訓練校にトラブルメーカーが居て大モメ。殴り合いとかにならなくてよかった。
・ITパスポートの勉強を始める。
2023.7月~8月
・酔った勢いでconohaでVPSを契約し、misskey系のサーバを建てられないか悪戦苦闘する。  →最初、めいどるふぃんで建てようとしたけどうまくいかず、情報が多くて公式のマニュアルが詳しいmisskeyで建てみて、おおよその流れや各手順の役割を理解  →改めてめいどるふぃんで建てられた。
・有識者の「かんたんに」「サクッと」は信じてはいけない
・ツイッターがXになった
・ITパスポート取得した。大変だった。
・じゃぱねっとに人が増えた。ローカルTLの話題や流速についていけなくなり、未収載・ホームTL運用で壁打ちするようになる
・短歌を褒められる。嬉しい。
・御座候(ベイクドモチョモチョ)を食べる
2023.9月~10月
・就活失敗。元の事務の仕事に戻ることにする。
・じゃぱねっとのローカルTLに、スパムアカウントや怪しげなクスリを売ってるようなアカウントがあらわれる(人が増えた弊害?)
・人が増えたのでローカルTLもまったり和気藹々というカンジではなくなってきた。色々なタイプの人が増えた。
・ンァヒィ!の絵文字ができる(ツクツクボウシの鳴き声とのこと)
・手入れを怠った自鯖がダウンする  →とりあえず再起動したり、何か更新がないか確認してみた  →「容量がいっぱいで再インストールできない」みたいなエラーがでたので、該当フォルダを確認・いらなそうなファイル(キャッシュとか)を削除した  →復帰したけど、一部サムネイルが消えたままになってしまった(今も)
・DISTOPYAというSNSにアカウントを作ってみる。投稿をAIが検閲するSNSで、面白いけど普通に使うには不便だ(人が多いと投稿がすぐに反映されなかったり)
・マスク氏がヒゲ面になる。私的には不評。
・短歌を褒められる。嬉しい。
・私の創作物で何が見たいですか?というアンケートをとったら「絵を見たい」という人が多かったのが嬉しかった。
・モヒヒアッカが流行する。
2023.11月
・スカイミートというSNSにアカウントを作る。とにかく、改行すると一行空くのが使いづらくて運用してない
・じゃぱねっと鯖が1周年を迎えた。結構人の入れ替わり立ち代りがあったよなー。
・自鯖は管理に不安があるので閉じようかな……
【総評】
・今年の前半は、週末になるとツイッターで何かトラブルが起きて人が増えていた気がする。ユーザーを飽きさせないためのそういうイベントだったのか?
・場に人が増えると自然と何かしら衝突が起きてタイムラインがごたつき、やがて人が分散して落ち着く、という流れの繰り返しだった。
・ローカルTLでの交流が盛んなところで、ローカルで交流する人をフォローしつつホームTLを運用するのって難しい。やっぱりリストとか複垢を使い分けるのが良いんだろうか?
・とはいえ「同じ町内に住んでるけど面識はない人々」が、大通りでワイワイやっているのを眺めつつ自宅でぼんやりしてる、みたいな今の環境はわりと好きだったり
・来年はお絵かき掲示板周りを色々やれたらいいな~。misskeyと連携できる絵板を見つけるなどしたので。
ここまで読んでくださりありがとうございました。 最後に、自分なりのfediverse短歌を1首ひねってみたので記しておきます。
狂騒のタイムラインを差し退きて たゆたうFediverseとふ宇宙
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taquasb · 6 months
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MEET YOUR HEROES: RICK HOWARD (Good case of IBS)
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Rick Howardの長いキャリアの中において、彼は様々なことに関わっている―EMBのイノベーターであり、90年代のスーパー・チームの一員であり、そしてスケートシューズのパイオニアとして、最も重要なことは彼が「楽しむこと、友情そして創造性が他の何よりも大切である」と気づいた点である―特に冷酷なスケートボード・ビジネスにおいて。彼はサッカーボールをあなたの顔にぶつけ、あなたのシャツをトイレットペーパーに使う。しかしこれは1993年以来初となるThrasherのインタビューなのであります。ここにお集まりの皆様、カナダからやってきたRick Howardの登場です。 -Michael Burnett
-君はいわゆる「すべてのトリックを最初の6ヶ月で習得した」っていうSean Sheffeyタイプの一人だったのかな?
そうかもね。13歳で始めてスポンサーがついたのが16歳。これって早い「学習曲線」なのかな?オレらはただオーリーでなにか飛び越えたり、ジャンプランプやってたりして、その後ウォールライドが流行ったのかな?そんな感じだったよ。だから今あるトリックを身に着けていく状況じゃなかった。ハンドレールもまだ広まってなかったし。だから「学習曲線」で言えば全然緩やかな感じだったと思うよ。例えるなら「360サランラップ」対「今あるトリックすべて」みたいな感じじゃないかな。
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-かなり早い時期にカルフォルニアに来たよね?初めてのカルフォルニアでの冒険はどんな感じだった?
その時のトリップが動画で残ってることに驚いてるんだ―友達の一人で一緒にスケートしながら育ったKevin Chan、それとこのトリップに一緒に行ったBen Chibber。Kevin は片手で持てるビデオカメラを持ってたんだ。オレらはグレイハウンドバスでサンフランシスコまで行った。なぜかっていうと、Sick Boys(1988年リリースのスケートビデオ)に出てきたスポット全部を回るって目的があったから。消火栓に縁石、あのビデオに出てた全部をね。オレらはスケートボードを持って聖地を回る観光客みたいなもんだった。 85年だったと思うけど、その時Mike(マイク・キャロル)に会ってるんだよね―直接ではないんだけど。笑っちゃうことに彼のミニランプを無断で滑ってたんだ。その後、ちゃんとした形で会うことになるんだけど、記憶だとオレらが勝手に自分のランプを滑ってるのを観てたんだ。彼は寝室の窓から見ていてムカついてる…。彼は絶対そんなことないって言うけどMike独特の表情を知ってるよね?だから、ね…。
-当時、スポンサー契約っていうのは頭にあった?
あったね。そういう状況はローカルのパーク―Richmond Skate Ranchでも時々起きていたんだ。友達のPeter SullivanはSchmitt Stixから商品をもらってたり。Powellのチームが来たことがあって―たしかLanceとTony Hawkだったと思うけど、それって大事件で「ボーンズブリゲードが近所のパークに来たぞ!」ってことだから。結局、ローカルの何人かがPowellのライダーになった―Colinとその兄貴のCaseyのMckay兄弟とか。それを見てて「マジか。バンクーバーのキッズだよね。そんなことあるんだ」みたいに感じてたわけ。その後、自分でもBlockheadのDave Bergtholdからデッキをもらうようになった。それが人生を変えたよね。
-話をちょっと戻したいんだけど、Richmond Skate Ranchでの最高の思い出ってある?
すごいいっぱいあるよ。あの頃はむちゃくちゃ楽しかった。憶えてるのは地元に戻ってくるのが夜遅くになった日があって、たしか最終バスに乗り損ねたんだよね。その時期って、ちょうど皆がいろんなものを壊して回るのが流行りだした頃で―のちに彼らは自分たちをRed Dragonsって名乗りだすんだけど。で、その1人が小さな磁器の破片一つでどんな窓ガラスでも割ることができるって発見したんだよね。それでスパークプラグから磁気の破片を取り出して、ちっちゃなスリングショットを持ってたやつが車の販売店の窓めがけて発射したんだ。窓ガラスが割れ落ちていくのを目にして!?ってなった。「マジかよ?バスもないのにオレらなにやってんだ?」ってなって、地元までほとんど走って逃げ帰ったんだ。あの頃は「悪ガキ行為」がたくさんあったね。誰かがセブンイレブンで「襲撃だ!」って叫ぶわけ、で20人ぐらいのキッズが菓子だったり宝くじを盗んだりとかね。のちに何人かはCrime Stoppersってテレビ番組に出たりしたよ。だから、ものすごく楽しかった時期。めちゃくちゃ忙しくやらかしてた頃だけど、楽しかった。
-どういう流れでBlockheadからプロになったの?
Daveにサンフランシスコの"Back to the City"プロ・コンテストに出る気ある?って言われて。めっちゃ緊張したね。Tony Hawkの後、Mark Gonzalesの前だった記憶なんだけど、出場前に裏で吐いちゃったんだ。「ダメ。できない」って感じ。憶えてるのがSheffeyがちょっとした安心する一言をくれて、「オーライ。もういいや。なんでもこい。戻ってスケートするだけだ」ってなったんだ。
-Blockheadからリリースされたデッキ「スカンクとルートビア」のグラフィックは、なにを意味してたの?
それはたぶん、オレがIBS(過敏性腸症候群)のすごく良い例だからじゃない。オナラがすごく出る。それが「スカンク」。で、たぶんよく「ルートビア」を飲んでたから、(グラフィックを担当した)Ron Lemenが使ったんだと思う。あのグラフィック、実際気に入ってるんだよね。
-君はある意味、IBS(過敏性腸症候群)で有名だよね。聞いたところではBlockheadのビデオでシミのついた短パンで滑ってるシーンがあるとか。
あるね、EGで。たしか「Splendid Eye Torture」(1989年リリースのスケートビデオ)でちょっとしたシミが映ってると思う。スクショで送れるよ。
-履いてたLimpies(90年代のアパレルブランド)に?
LimpiesだかT-Bagsにね。 嫁Meganとの最初のデートで―彼女は君にこの話した?当時、World Industriesに勤めていた彼女のことが好きになったんだ。普段から見かけていて、ある日デートすることになった。Redond Beachに遊びに行くことになってちょうどIBSがはじまって-クソしたくなったら「どこでする?ここでなにが起きる?!」ってなるだろ。で、車を停めた。この頃彼女はなんも知らなかったけど、オレはかなり焦ってた。「そうだ、ビーチまで下りていけばトイレがあるよな」って思いついた。だけど、トイレは閉まっててオレはシャツも靴下もない状態で戻っていった。トイレの脇で済ませてシャツと靴下をトイレットペーパー代わりに使ったよ。その姿をを見て「なにがあったの?」ってなってたけど、彼女はオレとの最初の夜を乗り越えたんだ。そこで思ったよ、「オッケー、彼女なら間違いない」って。
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-90年代のEmbarcadero(EMB)のスケートシーンがどんな感じだったか説明してくれる?
それか。そうだな、最高の毎日だった、それは確実だね。当時Mikey(マイク・キャロル)の家に寝泊まりしてたから毎日あそこに滑りに行っていて―Henry Sanchezが新しいトリックをメイクしたりとか、なにかしら新しいことが起きてた。すごかったね。Kelch(ジェイムス・ケルチ)や皆があの場所をどうやって取り仕切っていたかも、振り返ってみるとすごかったなって思う。だから、彼らと一緒にスケートしてあの楽しい日々を送れたってことに感謝してる。あの場所が今みたいに有名になるなんてビックリだよ。後から聞くことになったんだけど、国中からスケーターが集まってきて、彼らを有名にしたトリックを「ザ・セブン」でやりだす前―その頃には俺はもうそこにはいなかったんだ。それは後の話だね。だから有名になる前の、ちょうどいい量のEmbarcaderoについての思い出がある。あそこは特別な場所だったんだ。
-君がPlan B結成を一番初めに知ったのはいつだった?
1989か90年の夏にヨーロッパのMünsterでコンテストがあったんだ。そこで、Danny(ダニー・ウェイ)が「見ろよ、これが始まるんだ」って、関係者のリストを見せてくれて、そこに俺の名前も候補として入ってたんだ。「え?うそでしょ。なんでこのリストに?」ってなったよ。Mikeyに(彼がこの件について)なにかしら関わっているのかどうか質問しないわけにはいかなかったね。間違いなく関わっていたと思うけど。
-あのビデオ(「Questionable」1992年)撮影時、新しいアプローチの作品になるのは君の中では明白だった?
そうだね、正解。H-Streetがすでにビデオをリリースしてたし、その内容は今まで見たことのないトリックの連続だったよね。Mike T(マイク・ターナスキー)の話からもその方向になるってわかってた。カメラの前で初めてメイクしたトリックも多かったよ。今になってみると「うわーめっちゃグラついてるしクオリティ低い」ってなるけど、今までやったことなかったり見たことのないトリックだったらその当時はクールだった。楽しかったよ。
-Matt Hensleyが(Plan Bの)最初のビデオで引退したことは良く知られてる話だね。
それからSal(サル・バービエ)が次だったよね?
-そうそう。当時、「わー、歳とってスケートしてたら自分の意志じゃなくてもリタイアさせられるのかも」みたいな感覚はあった?
うーん、あった。そういう雰囲気はかなり漂ってたね、もし君がその時23歳だったらそう思ったかも。なんていうか、クレージーな話だけど。その頃って「古いものはアウト、新しいものが正解」みたいな感じだったよね?そんな空気はたしかにあった。それがオレたちがGirlを設立したひとつのきっかけになってるかもしれない―(自分たちで会社を立ち上げれば)意志に反してリタイアすることないなって。おかしな時代だったね。
-Girlのチーム内でロゴについて反発はあった?
いや、記憶にないね。
-それとかブランドネーム自体?
Carrollがあの名前を思いついたんだ。反発があったって誰かから聞いたの?
-じゃなくて、個人的に気になってたんだ。19歳ぐらいのタフになろうとしている連中が「ロゴは女子トイレのマークにする」って言われたらどう思ったんだろうって。
だね。それってつまり、Carrollがどういう脳の使い方をするかってことだよね。人をおちょくるようなことが大好きなんだ。そう、だから反発はなかったよ。ロゴはもっと後にできたと思う。Mikeは「コンテストで『さあ、次は『女の子のためにスケートしている○○』ってアナウンスされたら笑えるよな」みたいな感じ(※通常、"skate for ~"の~にはスポンサー名がアナウンスされる)。彼はそう聞こえたらおもしろいよなって思ったんだ。特に長い間深く考えたネーミングじゃなかった。いろんなアホみたいなアイディアがあわさって、あの女子トイレマークがロゴになってツアーに出たんだ。
-GirlとChocolateって「スケート業界の老兵」にはどんな風に受け止められたの?
Girlをやり始めた頃はたくさんいる友だちを加えることができなかった。で、Girlが回りはじめた頃にChocolateをスタートさせた。だけど老兵には理解できないわけ。「こいつらなにやってんだ?また別の会社始めるだと?」みたいな感じ。で、老兵が集結するような感じでオレらを材木加工業者から締め出したんだよ。当時は2、3の業者しかスケートボードデッキを受注してくれなかった。Schmittはオレらのデッキを生産してくれたんだけど、老兵が彼に詰め寄ったんだ。「アンタがやつらを許すってこと���スケートボーディングを滅茶苦茶にしてるってことなんだぞ」みたいな感じでね。Paul(ボール・シュミット)は協力的だったけど、周りに脅されたんだと思う。Fausto(ファウスト・ヴィテッロ)に出会った時ことを覚えてるんだけど、彼はとっても興奮してくれて支持してくれた。オレらのウィールを生産してくれるって言ってくれて、それからもいろんなアドバイスやヘルプをできる限りしてくれたんだ。素晴らしい人だよ。彼の協力には本当に感謝してる。なんだけど、そうオレらは家具メーカーのTaylor Dykemaにデッキを発注するしかなかったんだ。理由は君が言ったように老兵が「ダメだ。おまえら他のことやってろ」って態度だったから。まあだから、困惑したよね。
-ヤバいね。Spike(スパイク・ジョーンズ)とはどうやって繋がったの?
オレらはただバカやって遊んでただけだよ。なんていうか、彼は今でも大きくなった子どもで「遊ぶこと」が好きなんだ。探求するのが大好き。今でもなにかを学んでる、そういうところが好きだね。出会えてすごくラッキーだと思う。しっかりした人間だし、最高の一人。
-たぶん無計画に方向づけされたんだとは思うんだけど、今までにオフィスで働くことで自分自身のスケートキャリアを犠牲にしたって感じたことってある?
Mikeがその話したの?
-いや、これはオレ自身からの質問だよ。
その質問は興味深いな。Mikeと共有した経験だからね。そうだね、苦しい思いになることもあった。でも、「ノー」だね。オレらの仕事は、一緒に働いている皆の喜びの為だし、それってかけがえのないことだから。まあでも、なにかを成し遂げるには時間がかかるだろ。もちろんそういう出張だったり、時期は当然あったよ―「ああ、みんなとスケートできたのになあ。もったいないなあ」なんてね。でもね、聞いてほしんだけど、結局は正当な理由があるからなんだよね。だから、キャリアを犠牲にしているとは考えないようにしてる。そんな考えが出てくる時って不思議だよね―オレはオフィスに一晩中ってわけじゃないけど「いる」。それは「その分、時間が経過した」ってことになる。でも、振り返ってみても「スケートすることだけ頭にあって、(現在の)責任ある立場にいない」という選択をしていても不思議じゃないからね。うん、どうなってたんだろうね。
-DC(スケートシューズ会社)とスケートシューズのゲームに乗り出した時の話を聞かせて。
素晴らしかった。すべての工程に関わらなきゃなくて、それからオレが一足作ることになったんだけど、その当時のオレたちの好みにはまるのがなかったんだ。だから現行のシューズと違うものを作り出さなきゃならなかった。クレージーだったよ。最終的には家を一軒買えるぐらいの経済的恩恵に与れたと思う。はじめは、正直乗り気じゃなかったんだ。自分のモデルのスケートシューズを出すなんて「陳腐で安っぽい」って思ってたから。でも誰かに「やったほうが良いぜ」って言われて、実際にやった自分を褒めたいね。Huf(キース・ハフナゲル)やDanny(ダニー・ウェイ)のような一緒に旅行に行きたいと思う連中すべて、憧れていた全員と過ごすことができたから。楽しかったけど、次第に何人かは別の道を選ぶことになったんだ。
-GirlとChocolateには「90年代初めの重たい状況」から出てきたパイオニアたちであり仲間同士の「バイブス」があった。そこから君たちはオリジナルのクルーではないスケーターを加入させていったよね。それって難しいプロセスだった?
自然とそうなっていった感じなんだけどね。何人かは以前よりスケートしない時間が増えていったり、別の興味を追求しだして―まだコンテストが重要視されていて頃だよね、McCrank(リック・マクランク)とBrian Andersonの2人がどんな大会でも入賞してヤバいビデオパートを残してたんだ。何人かに「このMcCrankとかいうヤツ、聞いたことないな!」みたいに言われたことを憶えてる。彼の加入は何人かの機嫌を損ねることになったね。
-その時期って、君がTy Evans(フィルマー・ディレクター)と作品に取り組み始めたのと同じ頃でもあるよね。なにが君のスケーティングを「再点火」させたの?
オレたちがPlan Bから離脱した時には、みんなもう疲れ果ててたんだ。最終地点まで、かなりの激務だったからね。それからGirlをスタートしてからは「なんでもいいから撮る」みたいな感じで、ボロいカメラでお互いを撮影してた。「Goldfish」はかなり経費がかかったけど、楽しかった。だからいくつかビデオをを作って、何年か楽な感じで過ごしてた。その後、Mikeに火がついたのに気がついたんだ。「このビデオパートにトライする、マジでやる」みたいな感じで。で、それから彼らと一緒にスケートするようになって、うん、あれは特別な状況だったね。楽しかった。Tyと一緒に作ったビデオは驚異だね。言い訳ができないんだ―彼はどんなものも「スケート可能」な状態にしちゃうんだ。「照明を点けろ!」なんて言ってね。それがオレたちをハードにトライさせる状態に持っていったんだ。
-その時にいたキッズたち、P-Rod(ポール・ロドリゲス)、Biebel(ブランドン・ビーベル)やSherm(ジェレム・ロジャースのニックネーム)はどんな様子だった?実際の10代をツアー・バンに詰め込むのはどんな感じだったのかな?
あれはホント楽しかった。JeremeとPaulはヘッドフォンをシェアしたりしてたね。キッズ、若いやつらと一緒にいるのって、自分がバンでツアーしていた頃を思い出させてくれるんだ。Biebelはヤバかったね。最高の時間だった。彼とサクラメントで過ごした週末?最高だったね―川でただプカプカ浮かんでみたり、昼も夜もスケートもして。それとヤツのエネルギー。たぶん君も体験したことあるだろうけど、あのエネルギーには誰も勝てないね。
-00年代を通して、本当にヤバいくらい積み重ねられたチームライダーたちが出てくる重要なビデオを作ってきてるよね。妥協しなければならない場面もあったと思うけど、チームライダーが去っていくベスト、またはワーストの状況ってどんな感じ?
なんていうか、家族みたいなものだから悲しいことではあるんだけど、場合による。初期はマジで今まで経験したことないもない最悪な出来事だった。実際の友達でもあったわけだから。いつどのタイミングでプロとしてデッキをリリースするべきかをチームライダーと話し合う、そういう立場になることにオレは同意してなかった。今はそんなことはないけど、スタートした頃は本当にラフな感じだったんだ。Mikeがいつも言うのは「くだらないことを言ったやつらが、少ない額で解雇されてきた」なんだ。誰かに去ってもらわなきゃならない場合、良い気分のはずないよ。オレらと一緒にやってきたこと以外に、彼ら自身の創造性を伸ばしたいとか何かを新しく始めたいとかであれば、それは別のシチュエーションになる。最悪なのは、その後の人生で繋がりや友情を失ってしまうことだよね。今まで仲良くしていた皆と、いまだに友達であり続けられているオレは幸運だなって思う。たとえば、New Yorkに行くならBrianがいるのを知ってるからいつも連絡するみたいに。すごいことだよ。この一連のできごとの最良の部分、それって「繋がり」なんだ。だから関係が悪化したときは悲しいし辛い。さらに、時には手に負えない状況もある。オレはただ単に、皆になにかをやるチャンスがあることが嬉しいよ。スケートボーディングには違う側面もあるよね。つまり、大金が流れ込んできたことで人生が一変した人たちもいるから。
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-オレたちが2004年にKIng of the Road(Thrasherの名物企画)に行った時、オレはBrian Andersonがゲイであることを知ったんだ。だから君たちの間では共有されていた話題なんだと思う。それから数年後、彼は公にカミングアウトすることになる…。
その時点で知っていたかわからないな。
-ある人物から聞いたんだ。
了解。それってオレらがZeroに負けたとき?
-オレたちはいつもZeroに負けてるよ
知ってる。クソ、Jamie Thomas(ジャーミー・トーマス)め!オーケイ、そうだな、オレたちは他の機会で(その件について)話したことがある。オレたちはBrianと最高のカミングアウト・パーティーをすることになったからね。
-どんな感じだったの?
オレらはSpikeのパーティーにいて、近くに滞在してたBrianもやってきた。たしか最初Meg(嫁)と話してて、それからこう言ったんだ。「ヘイ、俺がゲイだって知らせておきたかったんだ」。これが笑えるんだけど、彼女から聞いたのは、その時振り返ってオレをみたらオレは誰かの肩に乗ってダンスしてたみたいで、彼が「次はRickに伝えてくる」ってなったんだって。でも彼が話してくれた時、すごく楽しかったのを覚えてる。裸になってプールに飛び込んだかって?オレたち最終的にHollywoodのいくつかのバーに流れ着いた。まあでも、楽しい夜だったよ。もっと友達があんな風にカミングアウトしてくれたらいいのにって思う。そしたらお祝いできるからね!楽しい時間だった。
-うん、なにしろ90年代初頭なんて「黄色いTシャツを着てスケートしたから」って理由で周りから追放されたからね。だからこの件に関して君たちに躊躇いがなかったのはクールだった。
でしょ?うん、たしかにそんな風潮だった。それか「適切じゃないズボンを履いてる」とか、そんなのでしょ?まさにね、あの時代はすごく偏見も派閥意識みたいなものも強かったよね。
-君が故意に、あるいはアクシデントで最悪に誰かを傷つけてしまった経験は?
Carrollに聞くべき話題。オレとしてはだんだん落ち着いてきたと思ってるんだけど、一番最近だと、あるツアーでのこと。空気の抜けたサッカーボールがあってさ、それをピント(※フットボールで両手で持ったボールを落として蹴る動作のこと)したら、それが完璧なカーブを描いて50ヤード先のMikeの顔面にヒットしたんだ。で、彼は今までみたことないぐらいキレた。終いには「こんなことがファッキン30年間あったんだぞ!」って叫んだんだ。それを聞いてさ、わかるかな?彼が言ってることは正しいんだ。オレはずっとこんな調子のバカなんだよ。たぶん彼には「いつ痛めつけられるかわからない状況への耐用年数」みたいのがあって、そこにプラスしたような感じ。Mikeの「ちょっかいを出された場合の耐用年数」を越えちゃったんだね。
-自分で自分を痛めつけた経験は?もしかして間違った薬で、あるいは正しい薬を大量に摂取して有害な影響が���たことってある?
うわ。落ち着かない気分にさせる質問だな!まあでも、あるよ。本当に若い頃、たしか14か15の時に間違って大量のアシッドをキメちゃったんだ。いつ素面に戻るかわからなくなって怖かったね。数日後、医者のところというか病院に行ったんだ。その医者には「うーん、大丈夫でしょう。温かいミルクを飲んで安静にしてください」って言われた。その後再診を受けたら「言いたくはないのですが、あなたと同じことをして元に戻れなかった人たちもいます」って言うんだ。おそらくそれが今のオレである原因。良い気分じゃなかったね。たしか3、4日間ぶっ飛んでいたと思う。あれはクールじゃなかったね。
-Girlのビデオに出てくるスキット(寸劇)で好きなのはどれ?
Owen Wilson(俳優)があのセリフを練習して現れた時は、度肝を抜かれたよ。その時初めて「Hard Out」って業界用語を知った。たとえば、「Owenは20分でHard Outしなくてはならない」みたいな感じ。彼はあれを1、2回で撮り終えたんだ。Meza(Aaron Meza ディレクター・プロデューサー)があのセリフを書きだして「この男、どうやってこんなにスケーターみたいに喋れるようになったんだ?」って昂奮してたよ。彼の最初の演技を見てオレらは抑えきれなかったね、大爆笑。まあでも、Spikeとの仕事はいつでも楽しいんだ。スキットをやるだけでも彼とふざけまわってるのは楽しいからね。実を言うと今、ちょうどLakai用にもスキットを撮り終えたところ。口ひげとカツラをつける時はいつだって楽しい日になるんだ♠
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doctormaki · 8 months
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エジンバラは、実は人生3回目である。始めて行ったのは10歳の夏。Military Tatooのチケットを良く取れたなぁと、当時の商社の手配力に感動する。2回目は大学生の時。Balmoral城やSt.Andrewsへ行った。そして、今は一泊8万円出しても泊まれないThe Balmoralに宿泊して、エジンバラ城を見ながらEnglish Breakfastを食べてたっけ。ちなみに、ワシはお子様の頃から、English Breakfastが好きで朝からbaked beans, baked tomato, bacon, sausage, fried egg sunny side up, poached egg, toastなど、朝からガッツリ食べる朝食を、自分はそこまで食べない癖に、こよなく愛していた事を、今回アイルランド、スコットランドの旅では思い出した。大体、continental breakfastって何やねん。温かいんはお茶かコーヒーだけかい、ボケ。。。ジャム位出せや。。。と子供の頃に大陸ヨーロッパへ旅行する度に心の中で愚痴っていた事を思い出した。ガハハ。食べ物の恨みとは斯くも恐ろしい。
学会は適当に発表を済ませ、適当ツッコミも交わし、しつこい質問者には慇懃無礼に御礼を申し上げ、ちゃんとチェアもして、海外で活躍している事を鼻にかけながら日本に帰れないルサンチマンたっぷりの研究者や、海外に憧れているのに海外でポストなんか手に入るわけ無いやろ、明後日来いやボケ的な能力を棚上げして、海外に出ている研究者を憧れつつも、日本の処遇文句しか言わないルサンチマンたっぷりの研究者、日本の大学でテニア持ってるんやしもう十分やろと思うのに海外にいる研究者が妙に羨ましいルサンチマンたっぷりの研究者に会った。めんどくさ。。共通しているのは、日本人は老若男女関わらず、みんなルサンチマンたっぷり。何でなんでしょうね。誰も満足していない社会。
ワシは大学は好きだが、学問が好きなだけで、こういう大学関係者のつまらないルサンチマンの戦いは実に下らないと思う。まぁ勝手にやっててねと思うのに、何故か絡まれる。ベムが吠えてくるチワワに迷惑顔で棒ヨダレ垂らしつつ、勘弁してワンに。。。と苦笑いしていたのと全く同じ状態。流石に棒ヨダレは垂らせないので、たっぷり脇汗をかくことにしておく。ドイツが羨ましいなら、お前のポストくれっつーの。いくらでも代わったるで。。。っと、笑ってオチョクリつつ、大学教員の癖に、他人の家の芝生は緑に見えるということわざも知らんと、よう教壇にのうのうと立っとるわ。。。と感心する。ワシはワシの状況に十分満足しとる。所詮、運も含めて自分の能力に見合った所におるんでしょうと、自分のバカさ加減を承知の上、処遇なんて諦めていますんで。父上と母上にはせいぜい長生きして頂いて、不遇なアホ、天才とアホは紙一重レベルのアホに生まれた娘を養ってもらわんとね。
仕事が終わったら、後は、もうお隠れ遊ばす事にして、残りの滞在は学会はぜーんぶサボって、観光。子供の頃から憧れたネス湖へ、13時間の日帰りバスツアーに出かける。隣に座ったボストンから来ているNancy伯母さんに可愛がってもらって、バスの中ではおしゃべり、観光先ではジュースなどを奢ってもらう。ワシ、お前の住んでいる所の有名大学のライバル校におったんよ。。。と言うと、Yale?って聞いてくるので、そーそーと言うと、なんと娘婿が教授をしていると言う。世の中狭い。New Havenへは孫息子の面倒を良く見に行くという事で、New Havenのアイスクリーム屋さんやレストランで話がめちゃくちゃ盛り上がる。なんというローカル話。
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ネス湖ではボートにも乗って遊覧した。実に37年来の夢が叶ったのかと、地味に嬉しかった。インヴァネスにも行きたかったが、またの機会までお預け。エジンバラ城は、丁度、Military Tatooが終わったばかりで、まだ観覧席の取り壊し工事をしていたが、この観覧席に座っていた37年前の少女は、年齢を重ねて、色々あって、色々と病気して、色々な所で生活してみて、悲しいことも嬉しいことも色々とあったけど、心の中は、10歳のままかも。。。という驚愕の事実を再確認できた。
それにしても、英語ってラクざます。ぼんやりしていても、大体、意味が分かるので、全くホームの感覚。ドイツでは、それなりに気を張っているんだなぁと自覚。バスの中では意識不明になる事多し。今回の旅行では、自分のルーツ探し、あるいは親戚に会いに来ているアメリカ人たちの多さと、インド人の多さに驚愕した。そして、土産物が無い事にも驚いた。否、土産物は腐るほど売られているのだが、京都と同じ。欲しいという欲求が一切湧いて来ない品々だらけ。
タータンチェックも、ウール生地ではなくポリエステル混じりの物が多く、縫製もいい加減。手仕事が無くなっている。全世界的な現象で、手仕事をできる人がいなくなっているのだろう。タータンチェックのスカートのプリーツが、全くプリーツ無しの、タダの巻きスカートになっている事には驚愕した。逆に、男の正装用品だったので、男性のスカートのプリーツはきちんと作ってあった。そりゃ、あんな寒い中でスカートの中はノーパンフルチンらしいからなぁ。プリーツでも無いと、玉も縮み上がるだろうと思いつつ、土産物物色して何も買わず。ワシはあまりの寒さに、ネス湖へ行く途中のトイレ休憩で、ド田舎の洋品店で、店のおばあちゃん3名に、カシミアのマフラーを選んでもらった。おばあちゃんは、どの国でもお節介で優しい。写真で着ている紫のタータンチェックのマフラーは、店番おばあちゃん達のお見立てで選んで貰ったものです。一万円ちょっとのカシミアマフラー。
初日のエジンバラでは、胃に優しいものをと思い、ベトナム料理屋さんへ。ここで、ScottのラガーマンPeterとSarahの夫婦と意気投合。結局、奢ってもらう事になる。スコティッシュは温かい人々が多い聞くが、ロンドン生まれロンドン育ちのサラは、Peterほどの典型的なスコットはいないわよ!と笑う。Peterは74歳。人生は楽しまなきゃ。働いて、働いて、頑張って、頑張って、そして、多いに楽しむのが人生だよ。シンプルに考えなきゃ。今は、お前、アレだろ。携帯であーでもないこーでもないって情報ばかりに左右されて、ここで(デカイ手で自分の胸をバンバン叩きながら)感じる事をしないのさ。頭でばかりコネクリ回すから、何が幸せなのか分からなくなっている。お前、幸せって何だ? ワシ、うーん。。。笑ってる事かな。 ピーター、そうだろ。こうやって、お前は日本から来る。俺はここで好物のビールを飲む。サラは好物のフォーを食う。これで良いんだよ。幸せって。身近にあるんだ。とても身近にあるし、探す必要もない。幸せは、毎日、こうやって、美味いビールを飲みながら、ラグビー見て、笑って、時に怒って、泣いて、そして笑うことだ。なーんだお前、分かっとるやないか。おい、サラ。こいつはホンマモンの哲学者だ。話が通じるからな。ガハハと笑いつつ、私を抱きしめる。
サラは、麻貴は日本人なんだから、そんなにすぐ抱きつかないの!と嗜めつつ、笑っている。嫌なら言ってね。ピーターは、良い人なんだけど、スコットだから、すぐ気を許すとtouchy、触り魔になるのよ。でも、イヤらしい意味は無いのよ。ワシ、全然気になりません。大丈夫。というと、すかさずピーターは、サラのヤキモチー!とサラを冷やかす。ラグビーで玉を掴み合うのはスコットもやるけれど、掴み方にも色々とコツがあるのよと、掴み過ぎると反則になるしな、と慶應ビー部の友人マレが、ビー部で玉つかみ役だった事を話してみると、ピーターは真面目に玉つかみ談義。勿論、サラに怒られるピーター。楽し過ぎて名残り惜しく、スコティッシュの温かい人柄に存分に触れた夜だった。最終日にもう一度伺い、ありがとうのカードを店主のキム伯母さんに託す。キムは常連さんのピーターとサラ夫妻を中国新年に自宅にお招きするらしい。
今回のフライトは、毎回、delayの憂き目にあった。エジンバラからはヒースロー経由だったが、ヒースローではターミナルがラウンジのあるターミナル5だったので、馴染みのラウンジで、5時間ほど過ごす。父上に感謝。コーク行きの時はターミナル3だったので、レストランのハシゴをしたが、帰独便は楽だった。しかし。。。ワシはこのロンドンのラウンジで食べるものと相性が良く無いらしく、いつもお腹が空くので何かしら食べては、胸焼けがする。文句は言えないけど、微妙な気分。飛行機を待っている間に、悩んでいた公募に応募してしまった。人生なんて、適当。頑張って働いて楽しむ事に全力投球すれば、後は、適当良いのかも。。。と、少しだけ思えた旅だった。
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haru5586 · 11 months
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私たちは天刑を天啓にできるか。
東日本大震災から12年が経つ。果たして社会はよい方向に向かっているのだろうか。“心豊かな未来”をつくれているのだろうか。
東日本大震災、とくに福島の原発事故に関して、痛烈に反省したことがある。それは、暮らしの根本であるエネルギーについて、“ちゃんと”考えてこなかったことである。人類ではじめて原子爆弾を落とされたこの日本列島で、66年後、今度は自分たちがつくった仕組みで被爆し、故郷を離れざるを得ない人たちがいる。そんな時代を生きることになると誰が想像しただろうか。
“心豊かな未来”を本気でつくりたいのであれば、この現実を受けとめ、直視することからはじめたい。原爆にしろ原発にしろ、二度と故郷を被爆させないという誓いと哀切から、社会をつくりなおしたい。
なぜ、福島の原発事故を食いとめることができなかったのか。要因はさまざまあるだろう。私はその主たる原因は「日本人の身体が鈍感になっていることにある」と考えている。ここでいう「身体」とは、運動能力としての身体を指すのではない。いのちの器としての身体。環境や風土を感受するメディアとしての身体。私たちのいのちが環境や風土とつながっていることを実体験している身体。私たち人間もまた生きものであり、自然の一部であることを理解している身体。そういった意味での身体を指す。身体の鈍り、いのちと風土の関係の希薄さ...。ここに日本社会の最大の課題があるように思う。
日本国内で、農業・漁業・林業などの一次産業を生業にしている人の数は、約300万人と言われる。日本の人口1���2000万人、その約2.5%の人たちしか、私たちが暮らしている風土に直接的に関わっていない。そういう見方もできる。戦後、急激に都市化が進み、人々の多くが、山・川・海から離れていってしまった。同時に、山・川・海など風景の多くがコンクリートで固められていった。大人や子どもが川で遊んでいる景色を見ることは、都市部では極めて稀になってしまった。
嘆いてばかりはいられない。現代社会において、どのようにして身体感覚を磨き、いのちと風土の関係を深めることができるのか。学問や研究ではなく事業として社会に実装し、良質なインパクトを社会へ届けるには、どうしたらよいだろうか。そう思い、2013年3月に起業し、YAMAP(ヤマップ)という登山・アウトドアの事業をスタートした。
自然の中で遊ぶ。これに尽きると思う。ここでいう自然とは、どこか遠くの見知らぬ自然ではない。自分たちが暮らしている街の自然である。住んでいる街から見える山。街を流れる川。その川の源流の山へ行ってみて、自分たちが住んでいる街を山から見渡してみる。山と街がつながっていること。街の恵みは山の恵みに支えられていること。街を離れて山へ行けば、街とはちがう時間が山にはあること。植物を含め人間以外の生きものが山にはあふれていること。私たち人類もまた生きものの一員でしかないこと...。身近な自然の中での遊びを通じて、生きものとしての感覚を磨き、野性を培う。人間からではなく自然から学ぶ。人工知能が進み、知識のあり方が激変している今だからこそ、自然の中での学びに、人類の可能性の鍵があるように思う。
環境・風土・街を含めた地域生命圏を考えるとき、適切な範囲をどのように考えればよいか。岸由二さんが提唱する「流域」の考え方が、極めて有効であると思う。生きものたちの暮らしを支える生態系(ランドスケープ)を、山岳、丘陵を含めた流域でとらえる。流域を環境・風土・街を含めた生命圏のひとつの単位(ローカル)として位置づける。流域ごとに、山・川・海などの自然資本の価値を可視化し、食・エネルギー・教育・医療・福祉など、人間の暮らしに必要な営みを見える化し、社会をつくりなおしていく。
これはコロナを経験した人類が、ローカルに回帰している動きとも符合する。どれだけ時代が変わりテクノロジーが発展しようとも、いのちは有限であり、いのちの現場・社会の基盤はあくまでローカルであることを私たちは身をもって実感したのだと思う。グローバル経済がいかに脆弱で、不安定な仕組みで成り立っているか。海外からの物流が止まれば、食料もエネルギーも高騰し、暮らしが極めて不安定になることを、コロナで私たちは経験した。気候変動に直面している今だからこそ、自律分散型かつ循環型の社会を、流域を単位につくっていく。流域を単位とした地域生命圏の中で人々が遊び、学び、暮らしをつくっていく未来に、私は希望の光をみる。
私たちは心豊かな未来をつくっていけるだろうか。私たちは天刑を天啓にできるだろうか。私たち一人ひとりの生き方にかかっている。
▼ 参考書籍
内村鑑三『デンマルク国の話』
岸由二『生きのびるための流域思考』
宮台真司、野田智義『経営リーダーのための社会システム論』
富山和子『森は生きている』
中村桂子『科学者が人間であること』
長田弘『奇跡』
明石海人『明石海人歌集』序文
※ 2023年4月 会誌『ACADEMIA こころ豊かな未来のか・た・ちへ』の寄稿文を転載
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ophelia333k · 2 years
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2022年10月28日 めばえ誕生処方箋、アイロニカルなファッション
 夜の梅田の風俗店をいくつも越えていった先にあるメンタルクリニックで処方箋をもらったあと、近くの薬局に行って薬をもらうまでの待ち時間、前にあるテレビを見たら関西ローカルの番組の「めばえ」というコーナーでちょうど今日生まれてきた赤ちゃんの映像が流れている、という一連の記憶。
 今はもうそこには行っていないのだけど、冬だった印象が強くて、夜の冷たい空気に満ちた夜の梅田できらきら輝く風俗店の光、そしてメンタルクリニック、そしてその日生まれてきた赤ちゃんの牧歌的な映像(赤ちゃんの名前と、その赤ちゃんを抱いている夫婦というやわらかい質感の雰囲気)が何だか変に現実感がないし、それを薬局で薬を待つ人たちと半ば一緒に見ているのもなんなんだろう、と思う。
 自分もこの「めばえ」みたいにして生まれてきたのだとして、メンタルクリニックの処方箋持ち込んで薬局で薬を待つのも、風俗店の光が輝いているのも、すべてが繋がっていて、最終的にそれは生≒性と死に結びつけられる。「めばえ」に映っているほほえましい誕生の瞬間の先で、いま薬局でただ発達障害の薬の処方を待つだけの時間がある。問い直される、いま、という瞬間が存在するまでのすべての性と死について。
 という内容のことを140文字以内でツイートしたら、おそらく「風俗店」という言葉が入ったツイートをしたからなのか、瞬間にそういう感じのアカウント3つにフォローされ、まず頭の中に誘蛾灯、という言葉が思い浮かんで、そのあと夜のコンビニの光の周りを飛ぶ羽虫の姿が思い浮かんで、消えた。そのとき光とされているものっていったい何なんだろう? あと、そういう考えるより前のイメージみたいなものに接近したいと思う。言葉は結びつけるものであり、その意味では詩も小説も根源的に、何かを結びつけるもので、あとはその結びつけるものの距離と数と速さと緻密さ。
***
 ジェンダーレスなファッション、というのが最近(高い年齢層の人はともかく)少しずつ市民権を得てきた感じがする。そして、自分自身、そういうジェンダーレスなファッションは素朴に好きだからそれはよいことなのだけど、一方で、「そういう雰囲気のファッション」が領土化されて「ジェンダーレス」というカテゴリとして成立した時点で、もうそのファッションにベタに乗ることはできなくなってしまったとも感じる。そういうファッションに対する好意はある(あった)けど、別に「ジェンダーレス」というカテゴリを背負いたくはないし、そこにはなんか「女を殴ってそうな」感じとの接続なんかもあって、別にその具体的な内容はどうでもいいのだけど、すでに領土化されて何らかのイメージと結びつけられたカテゴリ、に属する服装をするということについて、変に敏感になってしまう。
 ただ、こういうのってまずはそのステレオタイプなイメージに乗った上で、後からそれを裏切っていくという方法を取るしかないし、ファッションって本質的にそういうものなのかも(ファッションについて何も知らないけど)。ベタにギャルのファッションをやる、とか、ベタに「女殴ってそうな」ジェンダーレスファッションをする人が当然いる一方で、アイロニカルにギャルをやったり、アイロニカルにジェンダーレスなファッションを着る、ということもありうる。あるカテゴリーに属しながら、同時にそのカテゴリーを裏切ること。ある系統のファッションをしてそのイメージに乗りながら、そのイメージを内側から塗り替えるようにして行為すること。その意味で自己を紹介することとファッションにはそれなりに深いかかわりがある、と思う。
***
 小説、あるいは文学という形式はたぶん恋愛(性)と死を扱うことに向いているから、小説と呼ばれているものはどれも恋愛と死のことばかりを描いている。ミステリー小説は死者によって動かされているし、文学もまた恋愛死恋愛死恋愛死、を描き続ける。ちょっと変わり種でSFとか言っても結局、物語は恋愛によって動かされる。
 そして、もちろんそれでいい。それでいいのだけど、小説から恋愛と死を引いたら何が残るんだろう。神様? 革命? 政治? 宗教? 友情? 祝祭? 祈り? 終わりを知らない遊園地の中で回り続ける観覧車、そういえば動物園の虎も、狭い檻の中を回り続けていた。動物園のことを考えると、いつもその虎を思い出す。
***  『インターネットと世界の果て、はて、ハテ』という記事を書いた。インターネットについて、幼少期の実感(それは距離)と大人になることについて、どこにもない果てについて。岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』浅野いにおの『おやすみプンプン』などから。あと村上龍『共生虫』や狐火『あの娘は夜通しインターネット』などの話しもしていて、それなりによく書けたと思うけど、ちょっとサブカル過ぎて自分では読み返せないし、自家中毒。  読めば分かる通り、「2,大人になること、なれないこと――『おやすみプンプン』」のところだけインターネットと無関係だけど、自分の中で、幼少期の世界に対する実感(鹿児島までの絶望的なまでの距離)とその喪失は、インターネットというもう一つの世界におけるあの「遠さ」と対応しているような気がする ***  フッサールとベルクソンは共に1859年に生まれていて、この1859年というのはダーウィンが『種の起源』を出版した年でもある。このことは何だか示唆的な気がしていて、哲学というのが自然科学の隅に追いやられていく時代の中で、異なる方法で哲学を行い続けた二人。そして、フッサールの現象学はハイデガー、メルロ=ポンティやデリダへと繋がっていくし、ベルクソンはドゥルーズやあるいは京都学派に影響を与えることになる。
 フッサールは『厳密な学としての哲学』で実験心理学(特にヴント)を批判していたけれど、このことは逆に実験心理学が哲学の領域を覆いつくそうとしていたことを意味していて、ベルクソンもまた実験心理学および自然科学に対して、哲学固有の仕事を主張し続けていたと思う。
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 どうせ死ぬから何をしても一切意味はないな、と思いながらも一応色々なことをしているわけだけど、そうやってこれまで何十億以上の人たちが「どうせ死ぬけど…」と思いながら一応何かをやって、その結果として現在、一応何かが積み上げられているの、怖すぎる。
 
 どうせ死ぬ、というかすべてのものは終わるのだから何かをすることに意味はないし、自分がどれだけ立派なことをしてどれだけ立派な人になっても、逆に一生ニートで過ごしても、何も変わらないな、ということを小学生くらいの頃から考えていた。でも、それが分かっても今すぐに死ぬこともできないから、それはそうとして一応、何かを書いたりバイトをしたり遊んだり勉強をしたりYoutubeを見たり、食べたり寝たり起きたりしていて、たぶんこれまで生まれて死んでいった人たちも、(何となく感じながらも深く考えずにいた人だっているにせよ)そうやって、どうせ死ぬけど一応何かするか、と思っていたはずで、なにか、その惰性のようなもので何となく科学とか芸術とか文学とか音楽とか全部積み上げられてしまった感があって、そう思うと世界なんて人類なんて文化なんて社会なんて人生なんてぜんぶ暇つぶしで、何となくの惰性で、一応やっておく、くらいの感じで何となく成り立っているものなだけに思えてくる。「人生は死ぬまでの暇つぶし」なんていう常套句(クリシェ)があるけど、それが別に比喩でも誇張でも何でもなく、そしてそれは世界とか人類とか文化とか社会とかぜんぶがそうなのかも。
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kennak · 6 months
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10月に発売されたNintendo Switch用「人生ゲーム」が一部で話題になっているようだ。例えば、研究分野に進んだ人に対しては、論文発表時に「似たような論文」がすでに存在するという厳しい指摘をされたり、研究に行き詰まってスランプに陥ったり、数値の差を誤差として扱うかどうかで研究倫理を問われたりといったリアリティが高い感じとなっているとのことで、研究者人生の厳しさを感じられるらしい(Togetter、その2)。 またこれとは別の部分の話題として同性婚も可能になっているそうだ。ゲーム内では、子供は全て天からの授かりものということらしいので、性別に関係なく子供を持つことができるとのこと(リアリティどこいった感)。SNSのX上では<これが同性愛が認められた世界かと衝撃を受けている人が多い模様。なお、ゲームはダウンロード販売となっており価格は6600円になっている。ローカル対戦やオンラインマルチプレイもサポートされているとのこと。
Switch版「人生ゲーム」は研究者の人生表現が生々しい | スラド サイエンス
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saintdesire · 8 days
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聖49.5
参加者 1 00:10
ブレイクしてて、これはその中じゃなくて、1つ前のアルバムから取ってきたアルバムの中にこのシングルカットされてると思うんですけど、 でも私ははちみつすごい。こんばんは、みほです。収録している今日は3月2日土曜日です。いや、実は結構今頑張ってまして、今うまく喋れる自信が全然ない。引っ越し先が決まりましてですね、 なんかその引っ越し関係のいろんなタスクと、そしてもう締め切りも間近の卒業アルバムのタスクとか、すごい私の、なんかその中にこう、
参加者 1 00:40
もういろんなことがいっぱいいっぱいで、いっぱいいっぱいの中で、こう、 何を喋るのか、一体何を喋れるのかっていうのでさ、短く喋りたいんだけど、またどうせ長くなって、そして編集できなくなって、日曜日あげれなくなって、みたいなって結構なってるんで、本当なんか変な感じだった。すみません。
そうなんですよ。引っ越し先がまず決まりました。わあ。まじでしんどかったですね。家が決まんなくて。結局こう、第2希望みたいな市区町村に落ち着きまして。第1希望ダメでしたね。
参加者 1 01:03
実はですね、国分寺に住みたくて、国分寺で物件を探してたんですよ。いらっしゃいますか。国分寺の。国分寺お住まいの方とか、国分寺ご出身の方とか。
なんか最近、中央線の沿線の町なんですけど、すごい中央線が最近奥の方まですっごい開けてきてて、行ったら、超都会でしたね だった。なんかすごい街がキラキラしててさ、それでもなんていうのと、東京の真ん中の方ほどゴミゴミ知ってなくて、すごい程よい感じでさ、こういう街に住みたいって心から思ってさ、その町の感じも国分寺ってすごい良くてさ、ぜひ住みたいと思って探してたんだけど、
参加者 1 01:29
とうとなの物件も出なかった。不思議パワマンの12階とか13階は出るんですけど、あとなんか大通り沿いとか線沿いで1回みたいな、 すっげえ上からすっげえうるさいうるさいって言っちゃった。人によるよね。うるさいかとか。住める。住める人もいるよね。ちょっと私はでもその、1回起こされると寝れなくなるタイプの、結構めんどくさい睡眠パターンの人間だからさ、ちょっとそういうとこに住むとどんどんhpが削られていくと思うんで、なんかそういう とこしか開かなくて、そのファミリー向けの物件で程よい静かな環境っていうのは最後まで一回も出ませんでしたね。
参加者 1 01:56
もしかしてそこだけなのかな。みんなマンションじゃないのかな。この辺はちょっと東京ローカルなんで、あんまり深堀りするのやめましょうか。今日お伝えしたいことはですね、 1番お伝えしたいことはこの通り。私がテンパっているので、ちょっとこの後しばらく更新がないかもしれないっていう、そのお知らせを主にしたくて今取っているところがあります。すいません。
3月恐ろしいですよ。やっと小学校が決まったとこだからさ、まだ何も準備してないんですよね。その小学校に何が必要か、私は今聞いてない状態だから、その新入学のタスクが入ってない状態でこのテンパを
参加者 1 02:21
ね、この後給食袋作ってくださいとかさ、だ、また作ってくださいとか言われんだろうな思いつつ。
だからちょっと次の更新は2週間どころじゃなく空いてしまうのですいませんが、ちょっと気長にこの次はお待ちいただけますと幸いです。そう、それだけで終わるのはもちろんなんなので、他にお話したいことがあるんですけれども、ちょっとそこは区切ってから行きましょうか。
じゃあ、これは気持ち的には始める。今の気持ちでは49.2回ぐらいです。なんか0.5回分のボリュームもないといいなと思ってます。では、始めましょう。せなる欲望ラジオ。
参加者 1 02:53
今日はテレビドラマの話をしたいんですよね、 私。ドラマもさ、すごい前回前回映画に詳しくないっていう話をすごいただただ序盤でしてしまったけど、ドラマもね、私の苦手分野その2です。これ、第2位文化系の苦手分野第2テレビドラマなんですよ。
やっぱみんな見てる。ドラマを見てない。101回目のプロポーズとかさ、私たちの世代だとさ、
参加者 1 03:09
あとさ、そのロンバケをさ、ロンバケyoutubeでやった時に紹介したんですけど、そのノベライズを今更読んで、すっげえ面白いという紹介をしたんですけど、リアルタイムで見たかっていうと、見てないわけなんですよね。
あとさ、本当なんか自分で、自力で。なんていうの。一生懸命見ようと思って、最初から最後まで毎週楽しみにして見たドラマってさ、人生で生涯わずか多分4本か5本。ちょっと今言ってくね。そう、最初にとある作品があります。これから紹介する問わる作品があって、
参加者 1 03:31
その次が新選組。と次が真珠夫人かな。ちょっとここ前後してた。すいません。真珠夫人で、菊池寛の真珠夫人ね。それひ、昼メロ、いわゆる昼メロでやってたやつね。あれめっちゃ盛り上がったな。あれとその次があちゃん で、あまちゃんで終わりかな。で、今婚活専門の子見てるっていう状態なんですけど、少ないんですよね。なんか映画の時色々環境のせいとかごちゃごちゃ言ったけど、私は多分長い動画をずっと座って見てるのが苦手っていう説がありますね。
参加者 1 03:51
面白いんだけどさ、見れば面白いのはわかるの。なんか別にあれなのよ、ドラマが嫌いとかじゃなくてさ、ばあちゃんが見てるやつとか、横で見てれば楽しいですよ。相棒とかさ、科捜研の女とか。なんかよくさ、ばあちゃんそういうの大好きで見てんだよね。なんか見てた見てた。
本当うちのばあちゃん相棒好きでさ、すごいミッチーがミツヒロの相棒が好きで、なんか見るたびにさ、この相棒よ、なかなか面白たって、 なかなか面白い子だってミッチーのことを評価しててさ、なんかすごい、結構好きらしいんだけど、なんかストレートに行ってこない。面白いっていう風にしか言わないなと思って。うん。
参加者 1 04:17
あと、ばあちゃんが好きなのは江口洋介とか、あと織田裕二。なんでばあちゃんが好きなあ言ってんだろう。そうじゃなくて、なんかそういうの多い。ばあちゃんが見てるのを横で見てるとかは楽しいけど、なんか一生懸命毎週ついていこうっていうモチベーションがなかなか持てない物なんでしょうね。すごい、ひたすらに腰が重いんでしょうね、残念ながら。
参加者 1 04:36
あんだけ熱意を持ってね、文庫も紹介させていただきましたからね。ここでね、どんなドラマになるんだろうっていうのをずっと見守っている。見守ってるんだけど、そのディーバーのcmでさ、なんかフジの、フジテレビハのドラマ祭りみたいな、そういう名前じゃないけど、もうちゃんとドラマ祭りっていう、安直な名前にしか鍵のタイトルもできないけど、それのcm流しててさ、なんか去年もやってたんですけど、 過去の名作みたいなのをね、普段はfodって言って、お金払って、フジテレビ専門のチャンネルみたいなので、こう、ストップしてるやつを、ちょっとだけtvに流してくれるんですよね。
参加者 1 04:59
普段は無料では見られないものを無料で流して、みんなfodに来てねっていうキャンペーンなんですけど。それで今年はさ、 私の大好きだった白線流しが入ってるっていうことに気づいたんですよ。もうそれで、もう。ってなってさ、もう即座これは見に行かねばってなってさ、婚活専門の最後にそのcmが流れたんだけど、なんかその、その手でもう、ぷぷぷってやってとたのまいたままついて、白線流し。うわ、本当にあると思って。
アクセの、あの、皆さん覚えてらっしゃいますでしょうか。96年の1月から3月に放映されたドラマですね。青春群像劇ですよ。地方の広部隊の青春群像劇ですよ。
参加者 1 05:27
私が好きなやつ。 もうどんだけ一生懸命見たかっていうことなんですよね。実はちょうど1年前にナルセが天下を取りに行くの紹介をした時にちょっと喋ってるんですよ。なんかその、一生懸命友達となんか青春してたあの子みたいな話で、白線流しに 影響を受けすぎて、ドラマが終わった後、自分たちでテレビドラマ研究会を立ち上げ立ち上げ、立ち上げまで行ってないけど、テレビドラマ研究会ごっこみたいな感じでドラマの脚本を書いて、なんか演じようとしたみたいな話をしてるんですけど、
参加者 1 05:48
本当さ、友達とみんなで見てさ、もう毎週もう見た見た。きゃー。みたいな感じでめっちゃ盛り上がって。
どういう話か説明すると、本当にさ、男女混合グループの中にカップルが1組いる高校3年生の5人組 がベースなんですよね。5人組がいて、でもその外側にその高校は定時制を併設してて、その生徒が入れ替わるんですよね。ヒートで。
参加者 1 06:07
で、主人公のその子ちゃんっていう子と同じ机を使ってる男の子、長瀬智也さん演じるワルさんって言うんですけど、ワタルさんとその子が同じ机を使ってることで、すれ違いまくりながらもなんとか出会って、で、ワルに絡んでる。
そ、一緒に。あれなんですか、誠実に通ってるわけじゃないんですけど、日中同じ工場で働いてるカヤノっていう女の子と、全体で7人になって、 こう、その7人のいろんな思惑が絡む。そして高校3年生、新の選択どうする。みたいなさ、すごい、それぞれの生きていく道を決めるまでの青春群像劇みたいな感じなんですよね。
参加者 1 06:37
本当に私の中では思い出のドラマで。たださ、中身をどんだけ覚えてるかって言うと、正直さ、正直、あの名詞、因果みたいなこと、みんな、みんなっていうかさ、 そのファンの人たちが言ってんの見ても、あったかな。みたいな踏み切りのシーンがあって、どの踏み切りのシーンが、みたいなさ、本当、見たら流しちゃう人間だから、何も覚えてなくて、ただその見た後の熱い思いだけがさ、残ってんですよね。
このドラマって、高校3年生の夏休みが終わった瞬間から卒業までを描くから、その1話終わるごとに、ドラマの最後にさ、卒業まであと166日とかっていうさ、そのそのカウントダウンが、そっとさ、画面の右下に入るんですよ。
参加者 1 07:07
なんかそれをすごい真似したくて、私、自分が翌年中3になった時にさ、100日前ぐらいからカウントダウン始めて、 でも画面の下には、自分の、自分の生活に、画面ないから、しょうがないから、自分の机の上にさ、なんか手作りで、もうちょきちょきっと紙で切ってさ、卒業まであと何日っていうボードを作ってさ、1人でずっと1日ずつ変えていくっていうことをしてたんですよね。
そんぐらい、そんぐらい、このドラマのことが大好きで、ただ、その後1回も見たことなかったんですよ。まず、再放送があったかどうかも知らない。
参加者 1 07:31
続編はあるんですよね。それ、結構覚えてらっしゃる方いるかなと思いますけど、なんか、第2の北の国からにスズキなんかなっていうぐらい、こう2年おきぐらいにさ、このドラマが終わって、次の年みたいな設定でさ、次の次の年かな、1度するから、そのこちゃんが、次の次の年か、 なんかそういう風にさ、みんながちょっとずつ年取ってた設定でさ、でもなんか、その7人が集まれたよ、集まれなかったりみたいな、ふわっとした得編をさ、作ってくれて、それも見てたけど、その本編
参加者 1 07:55
見たことはもうなかったんですよ。それが配信されててさ、なんか条件反射でばって見に行ったけど、見始めたらさ、なんか5分ぐらいで切りたくなっちゃったんですよね。
なんか見ていいのかなと思って、やっぱその冒頭のシーンがさ、高校生のグループの中で、主人公のその子ちゃんと、まどかとフミっていう女の子と3人、女の子3人なんですよ。その女の子3人で、松本住んでんですけど、東京に遊びに行って、もうギリッギリまで 終電、最後のあずまで、こう遊び倒して、もう遅れそうだわみたいな感じで、新宿の街を走るみたいなとこから始まるんだけど、もうそのさ、
参加者 1 08:26
そこに映し出されたさ、96年、95年かとってんの、95年の新宿の街とか、その見たことないぐらい古いあさとかさ、 そのあと、服装ですよね、その女の子たちのさ、絶妙に、 なんていうの、冬は結構今見てもおかしくない格好、多分その当時でもかなりおしゃれな格好してるんだけど、まどかとその子、結構こう、田舎の子が頑張ってきた服みたいなのを着ててな、なんかそれが、それ、わーと思っちゃって、
参加者 1 08:47
何もかも。そして画面もさ、もうみんな知ってると思うけど、私が見てなかっただけだけど、今までさ、その古いドアの再放送なんか、周りに枠とか入ってさ、ちっちゃくしか映んないじゃないですか、そのアナログ時代のドラマって。
なんかその全てが、自分にとって、なんだろう、もう青春そのものの白線流しという作品ともさ、 物理的距離みたいな、なんかその客観的距離みたいなのを、その冒頭5分ぐらいで見せつけられて、耐えられなくなってこう、止めちゃったんですよねえってなってさ。なんか
参加者 1 09:11
なんとも言えない気持ちでさ、多分赤面してたと思うんですけど。私、よく考えてみたらドラマの再放送っていうのをおそらく見たことがないんですよ。
あれですよ、水戸黄門とか暴れん坊将軍とか、その永遠に繰り返してるやつは、別にどの時代のお宅以外は自分が今どの時代の暴れ坊将軍を見てるのかなってことがわかんないみたいな。そういう再放送は置いといて、 そうじゃなくて、ある時代のある風俗を映し出した、その当時だっていうのがわかるドラマを時間を置いてもう1回見るっていうのをやってないみたいなんですよ。人生で1回も。
参加者 1 09:36
だからさ、なんか初めてそれをやろうとしてるっていうことに気づいてさ、なんか私、これダメなんじゃないかなと思って。
あと、やっぱ正直その白線流しっていう自分の人生にとって決定的な作品をさ、まじで決定的な作品なんですよ。私の小説を読んでくれた人にはわかると思うけど、あそこから莫大な影響を受けてるわけですよ。私はさ、もう頭の中で、なんかこう、概念、
参加者 1 09:54
概念でもないな、なんか1枚の抽象が見たくなってるみたいな。バーンってさ、それがこう、頭の中の美術館の1番いとこに展示され続けてるみたいな、そういう感じなのにさ、なんか、その、ベールをはし、なんかまじまじと点検していのだろうかみたいな、その頭の中の美術館にさ、 頭の中の美術館っ��言っても、今まで頭の中だったのに、なんかそこに土足で本当に踏み込んでいって、その絵を肉眼でみるみたいなさ、そのようなことはしない方がいいんじゃって思って、でもさ、
参加者 1 10:15
結局見ましたよ。その後もう1回、落ち着いてからさ、っていうか、多分正直暇で、なんかさっきタスクがタスクがって言ってたのにさ、なんか頭暇なんですよね。特に昼ご飯食べてる時すごい暇だからさ、なんかその暇に耐えられず、や、やっぱ見るかなと思ってつけてさ、ティアをさ、続きを見たらさ、 普通に面白かったです。面白かった。やっぱり学生な。面白かった。
すごい。それを私は今日言いたくて、結局20分ぐらい喋ってるっていうこの現状になってるわけなんですけど、みんなどうですか。そのドラマ。自分の大好きだったドラマの再放送、みんな普通に見てんですかね。
参加者 1 10:45
あと新選組。とかさ、すごい好きだったから、三谷コウキさんのね、新選組。好きでdvdまで買ったんだけど、そのdvdのパッケージを1度も向くことのないまま、結局売りましたからね。それ、 なんか持ってても見ないんだなと思って。うん。あと、私、今まで見たドラマってさ、その4つ。婚活専門ノック覗いた4つのドラマはさ、共通点があって、誰かと一緒に見てんですよね。
その白星なしは、その中学の友達と一緒に見て、新人婦人は高校の時��別の大学行った友と一緒に見て、新選組はまた中学の時の友達と見て、それ、遠距離
参加者 1 11:13
友情的なさ、長電話して、なんかこれ終わった瞬間にとるみたいなさ見たみたいな、なんかそういう感じで見てて、あまちゃんはやっぱ遠距離で、だけど、家族と見てたのかな。あれって。そうだよね、私、上京してからだよね。
しっかり非常に熱心に見てたんで、親たちがね、なんかそれでたまに話したりとか、なんかそういう人と見てるから面白いみたいな側面があるんではないか、 1人で見た時にめっちゃ面白いって保証がないんじゃないかって思ったんですけど、学生流しはやっぱり良かった。私がその、見始めた時って、その、毎週
参加者 1 11:41
配信してるけど、普通のドラマみたいに1週間経ったら消えちゃうみたいなんですよね。どうやら、その、春のドラマ祭りとか言ってもさ、 で、私が見た時は、その第1話は配信されてるけど、ずっと置いててくれるんだけど、2話の配信終わっちゃってて、3話に行ってたんですよね。だから、1と3しか見えなかったんだけど、みんな飛んじゃったんだけど、でも、なんかさ、予想以上に、みな話でさ、 私の心に刺さったポイントっていうのは、やっぱ、主人公のさ、その子ちゃん。酒井美紀演じるその子ちゃんがさ、医者の娘なんですよね。医者の1人娘なの。でも、医学部に行くほどの頭脳はないらしいんですよ。
参加者 1 12:07
てか、多分、文芸なんですが、感じ。 そんで、でも、親からの圧が結構すごくて、なんか親からも、とにかく、信州大学に行って、その、ちゃんとしたお嬢さんとしてお婿さんをもってほしい、医学部のお婿さんを回ってほしいみたいな 感じなんですよね。もう、だからもう間違いのないように、この写真集の土地で、信州松本の地でさ、お嬢さんとして育ってほしいんですよ。そこにさっきも言ったように定時制の男の子と出会うんですよね。
参加者 1 12:27
でもあれですよ、不良とかじゃないんですよ。ワタルさんがなんか真面目に働いている、本当は多分勉強が好きで 普通に行けば大学進学してたような子なんだけど、家が、そのお父さんが死んじゃって、お母さんは予想 に行っちゃって、自分が1人でお金の導入も演出できない。それで今働きながら定時制に通ってるっていう状態なんですよね。だから、全然ヤンキーとかではないんだけど、なんか2人の間に経済格差があるんですよ。この子ちゃんの箱入り娘っぷりとさ、工場でさ、な、ん。何らかの工場。なんの工場なんだ。あれ。塗装とか板金とかそういう感じかな。
参加者 1 12:54
その工場で働いてるさ、ワタルさんとさ、なかなかこう、やっぱ2人が。そんでワタルさんの方は特にさ、多分その子ちゃんと出会って、普通なら興味持つとこなんてか、多分興味あんだけど、全然さ、なんかその世界が違うとか言ってさ、 なんか全然仲良くなってくれないんですよね。なかなか全然恋愛として、恋愛として始まりもしてないし。なんで話題がずっと お金とかの話でさ、お金とか進路とか家が、みたいな話ばっかりす、地味でさ、本当に、本当にその、地方
参加者 1 13:17
っていうか、なんかそういうのがすごい出てて、よくこんな地味な話をフジテレビの夜10時のドラマでやったなっていう。あと、やっぱ高校生だからさ、さらに地味じゃないですか。あんまり楽しいこともないじゃないですか。
なんかもう、そこにさ、きゅっと、
参加者 1 13:33
なんか、でも、その中でも面白いんですよ、やっぱり。ちょっと待って、それ喋りすぎ。これを、これを今編集しなきゃいけない。喋りすぎ。
とにかく私はこのアクセなしをね、今後最後まで見届けようと決めました。もう1回見ようとね。
本当、熱い思いを全部語るとちょっとね、また1時間コースになってしまうので、この辺にしておきたいんですけど、皆さんももしアクセの好きだっていう人いたら、いらっしゃったら、
参加者 1 13:51
もう1回どうですか。っていうことでお願いします。これ日曜日にアップする予定なので、そん時4話になっちゃうよね、上がってんのがね、1話見て、次4話っていうことになっちゃうんですけど、なんか4話はみんな踏み切りのシーンガーって言ってたから、なんか目場面があるんだと思う。私が覚えてない名場面が。じゃあ、こんなところで本題は終了で。すいません。なんか本当、あまり面白くなかったかもしれない。
うん。じゃあお便りお読みしたいと思います。あのね、先週の募集した本のプレゼントへのご応募をね、少々いただいております。抽選は行いますね。無抽選ではなくなってまってすいません。
参加者 1 14:15
もう1度お伝えしますと、私が短編を昔書いた短編をもう一度採録してもらいました。あそじ君の知らない恋の物語切ない涙の恋という 図書館向けに再編集ルビーを増やしてジムおっきくして再編集した本をですね、1冊、私が2冊いただいたので、1冊リスナーさんにプレゼントします。ということで、応募を募っております。
詳しい募集要項は、前回の38分18秒からですね、49回の38分から詳しく説明してると思うので、ちょっとなかなかにここみった応募方法ですので、
参加者 1 14:38
ちょっとそちらをお聞きになって、ぜひご興味のある方はお願いいたします。3月3日24時締め切りって、前回ね、言い忘れて概要欄に書いてるんですけど、 要するに、このポッドキャストをあげたその日の夜中まではご応募お待ちしてますっていうことにしてたので ね、そこまでは、まだお待ちしております。もし、編集の遅れによって、またね、この番組のアップが日曜過ぎている場合は、このアップされた日の夜中までは、
参加者 1 14:58
24時。できるとね、私の編集さん、23時までかかったり、23時50分ぐらいの更新だったりするから、なんか、その夜中いっぱいぐらいまでは、お待ちしておりますので、ぜひ、よろしくお願いします。ご応募いただいたメッセージの中にご質問があったので、ここでね、1つお読みしたいと思います。
大阪府50代良さんからのご質問でした。tokテーマですが、もうお話されていたらすいませんが、podcast配信環境、どんなレコーダーを使っているか、どんな音声編集ソフトを使っているかなど知りたいです。とても良い音質なので。
参加者 1 15:20
ということでした。本当はもっと長いメッセージなんですけど、ご感想一緒にいただいててありがとうございます。あともう1つ、ねりょさんからはこの後すぐいただいてるんですけど、それは別の機会にお読みしたいと思います。
このポッドキャストの配信環境っていうのを1回もね、幸いにして1回もまだ質問受けておりませんので、こう簡単にですが、今ここでお答えしたいと思います。実はね、これ、ブログに密かに書いてる場所があるんだけど、非常にわかりづらいので、今読んでみますね。マイクがですね、タスカムtr07エなんかこう、
参加者 1 15:41
マスクが、マスクじゃないわ、マイクが2個、こう、お耳がぴょこって出てて、それがこう、左右に動くみたいなさ、分かれて動いて、注音の範囲が広くなるか狭くなるかみたいなのを選べるみたいなマイクを使っております。
これ、asmrの動画でよく聞くからさ、結構そこで使ってる方がいらして、それを真似したっていう感じですね。そしてそこにトップガードタスカム、同じくタスカのトップガードをマイクスタンドに一緒に無理やりくっつけて
参加者 1 16:02
やっております。で、それをadobeのプレミアプロ動画編集ソフトなんですけど、そこにそのまま直接繋いで喋ってる感じですね。こう、レコーダーの中に落とさないで、もうそのままパソコンに音声を落として撮ってます。
これね、動画編集ソフトなのは、youtubeを最初やろうとした名残りなんですよね。途中で変えようとしたけど、なんかね、音声編集ソフトの方が難しかった。プレミアプロにお金を払い続けております。でも、なんか音質褒めてくださってとっても嬉しいんですけど、なんかさ、不具合っていうか、
参加者 1 16:25
編集。私、いつもちょっと、実は声編集してるんですよね。ちょっとですけど、なんかのノイズカットするだけじゃなくって、若干のさ、若干の。私、このフィルターの名前をポッドキャスト用化粧って書いてあるんですけど、なんか声を化粧するみたいな感じで、ちょっとだけ いい声っていうかさ、こらラジオっぽく響く声に変えてるんだけど、そのフィルターが、なぜか音声編集した。つめカット編集つめにさ、ちょっと1秒にも満たない間かかんない部分がいつも出ちゃう。でも、いつもじゃなくて、それがさ、再現性が必ずしもなくって、今日は出ないなっていう時もあるし、でも大体出ちゃうっていう
参加者 1 16:52
とこがあって、それにずっと悩まされてるんですよね。だから、すごいいい環境とは言えないかもしれない、プレミアプロでやるっていうのは。
でも、プレミアプロで編集すると、その最後に、音声の全体のレベルを勝手にこう、目標値まで上げてくれる機能があるんですよね。目標ラウドネスって言うんだっけ。なんか設定のとこでさ、 ここを大きくする、ここを小さくするっていう、自分で手作業でやった上で、でも全体をこう、聞きやすい音量まで上げようといつもしております。
参加者 1 17:11
なんか他にはそんな特殊なことはやってないかな。ご参考にしていただけましたら幸いです。リョウさん、ご質問どうもありがとうございました。貴重なご質問というか、ありがたいご質問でありました。
じゃあ、抽選の結果はですね、日曜日を過ぎてから抽選して、当選の方にはその連絡住所を書いていただくね。匿名で送るための住所入力フォームをお送りいたします。
当然じゃなかった方には、どうしようかな。一言送ろうか、省かせてもらおうか。ちょっとなんか、でもなんか残念でした。メールみたいなのなんかいらなくない。と思ったり、なんか嫌じゃない。と思ったり。
参加者 1 17:35
療養してるんですけど、ちょっと私が今いっぱいっぱいだから、ちょっその辺気分に言わせてください。すいません。なんだそれって感じ。でもあたった方には必ずご連絡して早めに送らせていただきます。皆様ご応募お待ちしております。
この番組では皆さんのご感想、ご意見、それから話してほしいテーマなどお待ちしております。概要団に投稿フォームがありますので、そちらからお送りください。ラジオネームつけていただけるとありがたいですが、一応匿名でも送れるようになっています。
それから、あのぼかした年齢とか都道府県レベルの住所書欄があるので、気がつかれた方は書いてみてください。
参加者 1 18:00
じゃあ最後に曲紹介コーナー行きたいと思います。なんか短いけど、potifyがミュージックプラスト廃止するっていうから、残り少ない機会なので流していきたいと思います。
この番組では、番組の最後にspotifyのミュージックプラストーク機能を利用して、1曲テーマにまつわる曲を流すということをしております。spotifyで聞いてないし、有料プランじゃないよという方には、曲コーナーは曲自体はないんですけど、紹介まではお付き合いいただけますと幸いです。
今日ご紹介するのは、もう何のひねりもなく白線流しの主題歌でありました。スピッツの空も飛べるはずです。
参加者 1 18:21
スピッツ。うん、大好き。なんで、私がその白線流しをさ、ドラマが好きじゃなかったのに、そこから見たか。っていうことなんですけど、もう一重にこの主題歌のおかげなんですよね。てか、本当それまでね、ドラマを見たことがなかった 私が、この白線流しが中二の冬なんですけど、みんな一体何歳からテレビドラマを見てるの。っていうの、すごい思うんですよね。なんか私の周りではさ、小学校5、6年から 結構見始める子たちがぼちぼち出てきて、あれを、1つ屋根の下、1つ屋根の下、あれを結構みんな見てて、ちょっと今調べる。何年か。90、
参加者 1 18:51
93年4月ですね。私、小学校6年生。この時に周りがなんか見てて、なんかみんな見てるんだったら見るかみたいな形でさ、自分の部屋でさ、こっそりテレビを9時過ぎにつけた。月ですよね。あんま覚えてないけど、月だったと思う。それを なんか、ばあちゃんが現れてさ、すわけですって、現れてた。そんで、私が 見てるテレビを1つ屋根の下だと認識した瞬間にさ、すごい激怒してさ、もう何見てたらだ。みたいな感じで、えっ。え。ってもう固まってたらさ、うん、こんなもん見ない。20年生え。ってすごい叫ばれてさ、20年。
参加者 1 19:21
今私11歳だけど、20年後31歳だけど、本当にこの計算あってんのかなって思い、 一体何歳まで何かドラマみたいなものから遠ざけておくつもりなのかなって、すごい不思議に思ったっていう懐かしい思い出があって。もう本当さ、そうなの。私は結構箱入り娘なんですよ。そういうさ、風俗から遠ざけられて育ててきて、育てられてきたさ、白線のなの、その子ちゃんと同じくさ、そういう感じなんですよ。
何の話だっけ。と。そうそうそう、いつかドラマ見るかっていう話ね。だからうちはなんか消毒は禁止みたいな雰囲気だったんですよね。
参加者 1 19:45
1つ屋根の下の。なんかそんなに超見たいわけじゃなかったから諦めて。そんで、でもこの白線流しはさ、その12月からもう万全めっちゃかかってて、スピッツのそのまま飛べるはず、そしてその制服とさ、学生服の青春群像劇と分かる予告。それだけでさ、もうこれ絶対見る。これ絶対見る。ってなってさ、 この空も飛べるはずは、ドラマのための書き下ろしじゃなくって、書き下ろし。どこか新曲じゃなかったんですよね。この時、ご存じの方も多いかもしれないですけど、 この95年の夏にスピッツがそのハチ蜜でさ、大ブレイクを果たしてて、夏じゃないかな、春かな、またその辺にとにかくブレイクしてて、
参加者 1 20:13
これはその中じゃなくて、1つ前のアルバムから取ってきたアルバムの中にポジシングルカットされてると思うんですけど、ちょっと前の曲なんですよね。
でも私ははちみつですごいスピッツを好きになって、もうどんどんアルバム遡って全部聞いてたから、この空も飛べるはずのことも当然よく知ってて、なんかそれの、その曲のイメージが固まってて、それとの群像劇のオーバーラップによって、こう、最初からスイッチが入ったんだと思うんですよね。
なんかすごい主題歌の役割が私にとっては大きい。主題歌スピッツじゃなかったら見てないですね。
参加者 1 20:40
最初のシーンがさ。なんと私今見てさ、見てやっと意識したんだけど、第一話の最初、ミスチルのライブから始まるんですよね。
スピッツが主題歌なのにミスの内部から始まるの。なんかそこのライブ会場にその子とまどかがいて、でも終電だからって言って切り上げて帰んなきゃいけないみたいなさ。そんなとこなんですよね。
ミスチルがでも主題歌だったら多分見てないかな。ミスチルも全然私好きなんですけど、その時なんて別に超好きですけど。でもやっぱ私の中でスピッツと学生服だったから見たんですよね。
参加者 1 21:03
まあね、そうやって誰もが知る曲ではね、同じ世代だ、同じ世代だったらみんな知ってる曲だとは思うんですけど、改めてね、もう一度聞いていただければと思います。
spotifyではこの後曲が流れますが、私とはここでお別れになります。今回も最後まで聞いてくださりありがとうございました。なんかね、結構グダグダですいません。あ、ちょっと待ってちょっと待って。最後大事なお知らせが。私のお知らせじゃないんだけど、去年さ、去年の今頃告知したある18文学賞、 今年もやってます。今、最終選考の投票中です。私もね、今年も全作品読み終わったとこです。そしてまたコメントを書くっていう同じタイミングで喋ってますね。
参加者 1 21:29
今年もね、なんかすごいインパクトの作品があったので、ぜひ皆さんね、興味ある方は読んでみてください。
じゃあ今度こそ。じゃ、ここで皆さんお別れいたしましょう。最後まで聞いてくださりありがとうございました。またね。いつかわからないけど、桜が咲いてからかな。次回の更新でお耳にかかれましたら幸いです。皆さん、どうぞお体に気を付けて。私も引っ越し頑張ります。引っ越しと新生活の準備でもも
参加者 1 21:48
次は新しいお家の収録なのか。引っ越しが無事終わるように祈っておりますね。皆さんも祈ってくれたら嬉しいですね。他にもあれだわ、みんな新生活始めるっていう人もいるかもしれないよね。年取るとあんまり4月にちょうど新生活始めることなくなるかもしれないけど、やっぱね、お子さんがやっぱり進学するタイミングであったりとか色々あると思いますので。
あとね、もちろん、若い方はもちろんもちろんですよ。皆さん春ね、楽しみにして、心の中でそっとテンション上げていきたいものですね。それでは皆さん、今週もありがとうございました。また次回。それでは。
こんばんは、とし美穂です。ちゅう。
clovanote.line.me
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frlbmemo · 2 months
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END6回収
いくぞ!END6! 私は悪い腐女子なのでガスを撒きます。途中までね。
7日目の盗撮これで開くのかな?と思ったけど開かないなあ 何で開くんだろ……
いけ……ない!!!!!!!! 50% の確率になったけど確率に負けた! でもこれ本当に確率なんじゃなくて一定のバージョンいってないと強制失敗なんじゃないのお?
※この後虹3がブラックアウトしてしまい一回実験を中断した。
首絞めた後にセックスおあずけという人の心がないガスのまきかたしちゃった 2人には外に出た後エッチな気持ちになってほしいから……実験者心として……(?)
更新の自動アップデート  きたああああああああああああ これやっぱ確率は絶対失敗するんだ 1.6じゃないと駄目なんだな
え〜 あ〜 あの〜 これ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
つまりローカル環境からテスト環境に移したってこと? 「行こう!!」「うん!!」でめっちゃ涙腺刺激されて ああ〜ニシくん中2になってる 2人で 2人で生きていくんだ……って思った後のこの人の心のねえスチルはなんだよ 目が死んどるやないかい
研究室長!!!!!!!!!実験報告会2回目は!?!?!?!?!?! ちょっとお!!!!(カンカンカンカンカン)
ていうか私ちょいちょい間違えてるけど実験者=プレイヤーで被験者=ニシくんとヒガシくん だよな
強制的にクローズします クローズされちゃった されちゃったか〜 まじでこれトゥルーなんだよ ローダンセですね わかります。
えーと これまあおそらく 実験が数段階に分かれてて、1段階目が 2人を培養して記憶を入れて理想的な関係性へと導く→おそらくローダンセエンドを想定 というか、ローダンセ以外にも最適な状況にならないか色々試してみて駄目だったんだろうな 1は進退せず終了、2は被験者が死亡、7は実験想定から別の状態になってしまったので終了、8は被験者に欠損が出てしまったので終了、9は被験者が得るべきではない情報を得たため強制終了、10は被験者の目的消失により終了 なんだ?これ ヒガシくんが真実を知ってもニシくんを憎むことなく受け入れるのが目的? 現段階の主被験者はヒガシくんなので……。 次がニシくんだからニシくんは全部告白(やったこと全てを)吐かせるのが目的か?
これ、PC版で続き出るにしてもどうするんだろうって思ってたけど 1.6で街が出たってことは2は街が舞台なんじゃないっすか 普通のゲームっぽくなるっていうか
これなんで10日間なんだって思ってたけど 2人の肉体年齢が過剰に進まないようにか? 多分想定してる実験ロードマップがあるんだ それに一番確実性が高いのがローダンセなんだ END10はある意味成就はしてるんだけど〜なんていうか幸福ではないな…という感じなのかな END10の話やめてくれます!?(キレ)(いつでも新鮮にキレられる!!!)
ところでリボンついてるアクキーのブレザー姿なんだったの……? あれもしかして本編映像!?て飛び上がっちゃったんだけど
ええい俺はドラクエ10に帰らせてもらう(大型アプデがきたので…) ま〜た主従BLだよ〜運営も好きだな主従BL
とはいえ、END6 これ2人でどうしよう ここはおそらくきっと……という不安を抱えたまま 2人で手頃な家に入って生活するけど、自動給餌以外の配給がなく これは、アームで出てくる代わりの……と薄々気付き始めて言葉少なになり これ以上自分になにができるのか、若干無理がきたニシくんがヒガシくんに手をだしてしまう…… みたいなのあるんじゃないですか?ないよ!ニシくんの鉄壁の意志を甘く見るな! うるせえ!あるんだよ私の中では!2人で不安の中やることも無いから日がな一日スケベしてるifがよお! ほら〜……実験室作り直さないといけないし…… 準備がね 時間かかるから…… まあそれまでね 数日間か数週間か数ヶ月かわかりませんけど まあほら……ね!(ろくろ)
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psalm80-lilies-iii · 3 months
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自由祈祷入門・第5版
『自由祈祷入門・第5版』を書いた。
今回はアマゾンでの書籍化を念頭に書いたのだが、HTMLデータをローカル以外に保存する意味でネットに上げておく必要を感じたのである。ところが、タンブラーは最近受けつけるHTMLの仕様をぐっと限定することにした(「複雑な構造を持つHTML文書を載せるな、書くな、引用するな」という意味だろう)ため、ヘッダー要素とかリスト要素とかスタイル属性とかに関するマークアップが全部「溶けて」しまい、元のHTMLデータを保存するためにネットにアップする場所として、タンブラーはまったくふさわしくなくなってしまった。
で、HTMLマークアップをちゃんと保持できるFC2ブログに全文(約63,000字)をアップすることにした。1記事おおむね1万字以内を目安にすると全10章の作品をおおむね1記事1章でアップすることになる。FC2ブログに1作品を分割してアップするという方法を採りたくなかったのだが、考えてみればFC2ブログは「HTML作品集」として運用しているので、元データをタンブラーにアップしてそこからリンクでFC2ブログに引っ張ってくるという方法こそふさわしくない。
で、10もの記事を一度にアップすることもあり、代わりにシギサワカヤのレビューをタンブラーに「下ろす」ことにしたのである。
書籍化にあたって、「とび」というHNではないペンネームをと思い「まつやまひろかず」と名乗ることにした。「まつやま」というのは使い慣れた偽名(飲み屋でボトルキープする時などに使ってきた)なのでこの作品をきっかけにひとから「まつやまさん」などと呼ばれてもあまり違和感を抱かずに済む。ユーチューバーのようにネットがホームで書籍がアウェイな人はネット上のHNで書籍も通すのかもしれないが、ぼくは別にネットも書籍もどっちもホームということはなく、単に「勝手に本を書いたことが所属教会にバレないように」偽名を使うに過ぎない。
*
この機会に改めて考えてみる、「オレはどうして『自由祈祷入門』という作品を世に出すことにこんなにこだわってきたのか」と。
その理由というか動機は、おそらくふたつある。
ひとつは、母教会を受洗後1年半で離れていまの所属教団にたどり着くまで自分の祈りと聖書の学びだけで「自活」した、あの体験に何らかの逢着点を与えたかったからである。母教会で祈るY先生の背中を見て育ち、ふとしたきっかけで導かれたO先生の教会ではじめて御言葉を説き明かし祈りを教える説教を聞き、その後ある事情から母教会を離れることになった時ぼくのために祈って下さった母教会のM先生がいて、それから2年間ぼくは信仰の「荒野」をさまよったけれど、Y先生・O先生・M先生がいて下さったからこそぼくはクリスチャンとして生き延びることができたのだと、その感謝を何らかの形にしたかったのだ。もう亡くなったY先生、その教会の信徒ではなかったから面識はほぼなかったO先生(一度お会いしてお話ししたことがあるが)、そして今はもう戻れない母教会のM先生、どなたも直接謝意を伝えることは叶わないけれど、「先生方のおかげでいまの私があるのです」というその「いまの私」の逢着点を、自分の手で形にしたかったのである。
もうひとつは、ぼくが「マニュアルを書くのが好きだった」ということである。自分のやっていることをメソッドとして客観化する、それをひとに伝えて、その人がぼくと同じようにできるようになる、そういうプロセスが好きだったのだが、それをキリスト教自由祈祷においてやってみたいという気持ちがとても強くあった。もちろん自由祈祷を導かれるのは聖霊だろう。けれど、その聖霊の働き・導き・促しをどう受けとめてどう「言葉にする」かについてはある種のガイダンスが可能ではないか。ぼくは自分が自由に祈れるようになったかなり早い時期から、そう思うようになっていた。それを形にすることが、Y先生・O先生・M先生から自分が受けたものを形にすることなのではないかと、思うようになったのである。
そういうことを着想し始めた頃、ぼくはそれを「教会の中で実現する」ことを考えた。自分の書いた自由祈祷入門のマニュアルをもとに教会のいわば「弟・妹」が自ら祈れるようになる、そういう日が来ることを思い描いたのである。結果として、それは実現しなかった。新たに導かれた教会でぼくは「群れの模範」になれなかった。かりに「それはそれとして」おくとしても、その当時ぼくが構想できた「自由祈祷のマニュアル」では「祈りをメソッドとして客観化する」という目標にはあまりに及ばなかった。その後ぼくは、活動の軸足を教会の中からネット(ココログ)に移して、『自由祈祷入門』を形にすることにこだわり続けた。「群れの模範」になれない人間がネット上でキリスト教を語る、それが許されるのか、という疑念を抱え続けながら、他方で考え続けたのは、「祈りのメソッド」とは何なのか、というテーマは、ぼくが何者であるかとは関係なく存在するのではないかということだった。
では、今回書いた『自由祈祷入門・第5版』において、このふたつの理由というか動機は満たされただろうか。
ぼくとしては「満たされた」と思っている。まず「祈りのメソッド」。
クリスチャンの祈りは「人の願いを神へと届ける」ことではなく「神の願いを人が受け入れること」だという話もしました。私たちの祈りは「自分たちの願いを言葉にする」ことから始まりますが、それが神の「御心」に適っているかどうかを、私たちは聖霊とともに「吟味」してゆくことになります。こうした神の「御心」を、私たちは聖書を通して学ぶことができます。そこでここからは、聖書をひもときながら、「神が私たちに願っておられること」をいわば祈りの「キーワード」としてピックアップし、それらを使ってコンパクトな祈りを告白する練習をしてみたいと思います。(第四章「はじめに」)
「キーワードを使って祈りの練習をする、そのキーワードは聖書からピックアップする」、それは最初期から揺るがない構想だったけれど、そうすることの意味を「クリスチャンの祈りは『人の願いを神へと届ける』ことではなく『神の願いを人が受け入れること』であるから」と定式化できたのは、ぼくが22年間「聞かれない祈り」に釘づけになったあと突如として「ロシアのための祈り」が開かれた、その体験あってのこと、つまり神の恵みあってのことである。「自分の願いが神の御心に適っているかどうか聖霊とともに吟味する」、そうすることによって祈りそのものだけでなく祈る自分自身も「練り清め」られていく、そういう信仰生活の本質的な一部として自由祈祷を位置づけることは、ぼく自身にとっては以前からそうだったかもしれないが、それを定式化することは今回この作品を書く中ではじめて可能になったことである。
では、Y先生・O先生・M先生に対する、ひとことで言えば「恩返し」はどうか。「祈りのメソッド」の定式化によって『自由祈祷入門』という作品がひとつの形を取ったことで、Y先生・O先生・M先生への「恩返し」は叶ったと言える。だが、ぼく自身の「逢着点」という言い方をするなら、それは「祈りのメソッド」の定式化それ自体より、そのことの持つ意義の方にある。
自由祈祷とは「自分の信仰の『実存的』な側面を自覚すること」でもあります。教会で教役者の説教や信徒代表の代表祈祷(代祷)にただ「アーメン」と答えるだけではない、神さまは信じる私たちひとりひとりをいま・ここで導いて下さるはずだという確信を持つことでもあるのです。(第一章「クリスチャンの祈り その構造」)
信徒における「自分の祈りを持つことによるクリスチャンとしての主体性あるいはアイデンティティの確立」、それこそが、ぼくが母教会を離れて信仰の「荒野」をさまよった体験で得たものだったはずである。だから、「祈りのメソッド」の定式化に当たってそれが「クリスチャンとしての主体性あるいはアイデンティティの確立」につながるのだと宣言することは、自分の個人的な体験の逢着点としてこの作品を書くに当たっては必須だっただろう。そして、ぼくがこうした「成長」を遂げたことについて、Y先生・O先生・M先生は喜んで下さると思うのである。
だが、この話はここで終わらない。信徒における「自分の祈りを持つことによるクリスチャンとしての主体性あるいはアイデンティティの確立」は、神における「私たちの悩み苦しみに耳を傾けて下さる受動的な『牧会的存在』からご自分の御心をもって聖徒・教会そして世界に臨まれる『歴史の主権者』としての神の復権」へとつながっていく。世界史的に言えば「二度の世界大戦と国際共産主義の跳梁」、日本の教会史について言えば「戦争責任と左傾化」、それは現代の教会史に重い桎梏となり続けているが、それを振り払うスタートラインは「救われた私たちが御前にどう歩みたいか、自らの志を立てること」であり、そのためのツールこそが自由祈祷なのだ、話はそこまで広がっていくのである。
「祈りのメソッドの定式化」がぼく自身のずっと考え続けてきた「教会史の解放」というテーマとリンクすることに気づいたのは、『自由祈祷入門』という作品を書き上げた後である。気づいて、「そのことを明確に視野に入れた文章をどこかに盛り込むべきだったろうか」とも考えたが、「入門」をうたった作品に「教会史の解放・歴史の主権者としての神の復権」などと書いてしまったら読み手���引くだろう、と思い直し、FC2ブログ版に「解説」としてくっつけるにとどめた。
だがそのことによって、『自由祈祷入門』という作品は、ぼくにとってひとつの「おれたたエンド」(「俺たちの戦いはこれからだ!」という、打ち切られた少年マ��ガの最後のコマで常用される決めゼリフ)になったのである。ぼくがこのあと実際に「教会史の解放」についてどう考え何ができるのか、現時点では未知数である。だが、ひとつの逢着点として考える時、それはY先生・O先生・M先生がいて下さったことによってぼくがたどり着いた、逢着点であると同時に出発点なのである。
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mreiyouscience · 3 months
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 ダイナミックケイパビリティとは、急速に変化する事業環境に対応したり、可能ならば環境を形成したりするために、内外の資源やコンピタンスを統合・構築・再配置するような企業能力を決定する高次のコンピタンスである。すなわち、ダイナミックケイパビリティは適切な資源を機敏にマネジメントする経営戦略なのである。(ダイナミックケイパビリティは資産がどのように使いこなされ、どのようにレントの収入源が拡張され、刷新されるかを説明している)そして、ティースはダイナミックケイパビリティの変数に関して特定しているが、その構築のためには経営トップによる所謂「アート性」が求められるのだという。この「アート性」に対する実務レベルの手法を提示したいと思う。そのためにブリュノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論、ユーリア・エンゲストロームの活動理論、オットー・シャーマーのU理論、エドガー・シャインのプロセスコンサルテーション、ピーター・センゲの学習する組織、ピーター・フォナギーのメンタライゼーション、アーサー・クラインマンの医療人類学、マイケル・ホワイトのナラティブセラピーを概観し、それらを用いて歴史的に新しいダイナミックケイパビリティ構築のための手法を提示していきたい。
 連関の社会学であるアクターネットワーク理論は社会現象の原因をその現象の背後にある「社会」に帰するのではなく、アクター(行為者)による動的ネットワークに帰する点と社会を批判するのではなく、アクターに語ってもらうことで一連の社会的現象をたどって社会的なものを組み直す点が画期的である。つまり、連関の社会学者が希求するのは諸々の社会的連関の新奇さを記録し、その連関を満足のいくかたちで組み合わせて示すことなのである。よって、本書の目標は以下の三つに要約することができるだろう。
1;社会的なものをあらかじめ特定の領域に限定してしまうことなく、つながりをめぐる(アクターによる)数々の論争をどのように展開させるのか。
2;そうした数々の論争をアクターが安定化できるようにする手段をどのように記録するのか
3;どのような手続きであれば、社会ではなく集合体のかたちで社会的なものを組み直せるのか
また、連関の社会学者の務めは以下の三つに要約することができるだろう。
1;どのような連関が可能であるのかをめぐるあらゆる論争を展開させること
2;そうした論争がどのような手段を通して解決され、そうした解決がどのように維持されるのかを示すこと
3;社会学自体を研究対象者の関心を引くものにすることで、集合体を組み上げるための正しい手続きを定めること
さて、この連関の社会学には以下の五つの不確定性(留意点)が存在する。
1;グループの性質に関する不確定性―アクターには数々の相矛盾したかたちでアイデンティティが与えられる。
2;行為の性質に関する不確定性―各々の行為が進むなかで、実に多様な*エージェンシーが入り込み、当初の目的を置き換えるように見える。
*エージェンシー;行為に対する作用因のこと
エージェンシーには二つ種類があり、それらは異なる社会的過程をもたらす。
中間項;社会的過程に新たな変化をもたらさない作用因
媒介子;社会的過程に新たな変化をもたらす作用因
アクターネットワーク理論では媒介子による新奇な社会的過程を記述し、その社会的過程を安定化させることを目的としている。
3;モノの性質に関する不確定性――相互作用に参与するエージェンシーの種類は、いくらでも広げられるように見える。
4;事実の性質に関する不確定性―自然科学が社会の他の部分と結びついていることが、止むことのない論争の根源であるように見える。
5;社会的なものの科学というラベルの下でなされる研究に関する不確定性―社会科学が厳密に経験的であると言える条件は明確にならない。
このような五つの不確定性を検討することで社会科学の核をなす直観を保つことが可能となるのである。そして、アクターネットワーク理論に基づく手法は以下の三つである。
1;グローバルなものをローカル化する。
2;ローカルなものを分散させ直す。
3;複数の場を結びつける。
以上がアクターネットワーク理論の概略である。しかし、この理論は手法が明快だが、やや抽象的であり、また観念的でもあると感じた。そこでこのアクターネットワーク理論に
対して相補的な関係にあるユーリア・エンゲストロームの活動理論を説明していきたい。(エンゲストロームによる活動理論は具体的だが、手法が曖昧であるという点でも相補的である。)活動理論における活動とは社会・歴史的な動きに対して共同的に応答―現在生じていることに研ぎ澄ませ、世界との関係を協同的に調整する集団的な行動―することである。(添付した資料の「活動理論における活動とその構成要素」を参照されたい。この活動が主体、道具、ルール、共同体、分業、対象→結果で構成されていることが分かるだろう。)
Tumblr media
この活動は学習活動を通じて、活動そのものを対象化して、その過程の中で対象化した活動に潜在している内的矛盾を露呈しているいくつかの行為から新しい活動を生成するのである。すなわち、学習活動というモデル化はバラバラな個人的行為としての内的矛盾を露呈している学習のレベルを集団的な活動システムのレベルへと上昇させ(あるいは往還させ)、文化-歴史的な社会的実践や共同体や組織の視点から、人間の学習の文化-歴史的な基礎と動機を問うのである。換言すれば、学習活動とは、個々の学習の方式ではなく、活動システムの中に見出される矛盾を集団的に解決する過程、すなわち、「個人的行為から集団的活動への拡張的移行としての歴史的に新しい活動形式の生成」のサイク��における学びなのである。この学習活動の過程の中で活動の矛盾のレベルは止揚されていくわけだが、(活動の矛盾のレベルに関しては添付した資料の「人間の活動システム内における矛盾の四つのレベル」を参照されたい。)これはアクターネットワーク理論による媒介子とU理論によって説明することができるだろう。つまり、活動の第一の矛盾から第二の矛盾への止揚における媒介子を開かれた思考として、第二の矛盾から第三の矛盾への止揚における媒介子を開かれた心として、第三の矛盾から第四の矛盾への止揚における媒介子を開かれた意志として定式化できるだろう。このようにエンゲストロームによる活動理論によって「社会的なものを組み直す」とは「歴史的に新しい活動を組み直す」ことであると定式化でき、また、社会的なものを組み上げる過程を具現化できるのである。しかし依然として活動の矛盾が止揚されるための手法が明らかとなっていない。よって、その手法をエドガー・シャインのプロセスコンサルテーションとアーサー・クラインマンの医療人類学、マイケル・ホワイトのナラティブセラピーを援用して明らかにしていきたい。
 本書は心理療法の名著である。主に扱う心理療法の技法はマインドフルネスとメンタライジング(後述する)である。しかし、本書の技法以前の問題によりクライアントとの面談が機能不全に陥っているケースも珍しくない。そこで私は心理療法におけるプロセスのレベル化を提示したいと考えている。添付した資料の「ミクロ精神医学における心理療法プロセスのレベル」を参照されたい。
Tumblr media
レベル1ではクライアントによるドミナントストーリーと治療者によるパターナリズムとなっていることが分かるだろう。クライアントは面談の際、固定的かつドミナントなストーリーライン(それがしばしば問題を引き起こしている)に従事している。また、治療者は父権主義的な態度で治療に臨むため、クライアントは高圧的であると感じ、治療者と打ち解けて面談をすることができず治療者はエナクトメント(後述する)を感じ取ることが困難となるかもしれない。レベル2は信頼関係が構築できている状態を指す。このレベル2へと上昇するためにはエドガー・シャインによるプロセスコンサルテーションとクリスティン・ネフによるセルフ・コンパッションを組み合わせて治療に臨むことが求められるだろう。エドガー・シャインによると人間関係における信頼と率直さのレベルは4つのレベルに区分されるのだという。
レベル-1;ネガティブな敵対的関係、不当な扱い
レベル1;礼儀、取引、専門職としての役割に基づく関係
れべる2;固有の存在として認知する関係(個人的な知り合い)
レベル3;深い友情、愛情、親密さ
これらのレベルのうち、治療者とクライアントとの間に築くことが望ましいレベルの関係はレベル2のほどほどの距離間で必要な他人ではなくもっと個人的な話の出来る関係である。そしてレベル⁻1またはレベル1からレベル2への上昇過程をパーソナライゼーションと呼んでいる。次にクリスティン・ネフによるセルフ・コンパッションであるが、この技法は自他の垣根なく自他共に思いやりを持つようにクライアントに働きかける技法である。セルフ・コンパッションは「一切は空」であり、関係性(縁起)によってのみ存在するため、自他の区別がなくなり、自他に思いやりを持って接するようになる仏教的態度と共鳴するかもしれない。このセルフ・コンパッションの重要なテーゼを添付した資料の「セルフ・コンパッション」に記載したので参照されたい。自己批判ではなく自分への優しさへ、過剰同一化ではなく、マインドフルネスへ、孤独感ではなく共通の人間性の認識へと働きかけることで、クライアントは自分の気持ちが治療者によって受容されていると感じ、エドガー・シャインのパーソナライゼーションへと至ることができるだろう。続くレベル3ではクライアントのエナクトメントの解消を行うことができるだろう。エナクトメントとはクライアントの抑圧された感情が治療者の中に体現されることを指すが、私はエナクトメントをクライアントの身体化されたリビドー(性的欲求)であると定式化したい。しかしそもそもリビドーとは何であろうか?添付した資料の「ライフ・オブ・ラインズとライフ・オブ・ラインズの欠乏としてのリビドー」を参照されたい。
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ライフ・オブ・ラインズ(線としての生)は人をより人間的かつ調和の取れた生へと導きマインドフルネスへと至り喜びを感じることができることが分かるだろう。それとは対照的にリビドー��感情の抑圧を促進しそれは行為に対する認識されざる条件の作用となりダブルバインド(ジレンマ)が生じ、苦しみを感じさせるのである。このようにライフ・オブ・ラインズとリビドーは対照的な結果を生じさせるわけだが、リビドーはライフ・オブ・ラインズの欠乏状態を生じさせるエレメントとして定式化できるだろう。このライフ・オブ・ラインズの欠乏としてのリビドーは抑圧と視野狭窄(認知行動療法においてなじみ深いと感じる方もいるかもしれない)を生じさせ、将来に対する不安や過去に対する悲しみ、現在に対する怒りに悩まされやすくなると同時に慢性的に不安、悲しみ、怒りを抱えた状態へと導くのである。このような欠乏による現象をセンディル・ムッライナタンらはトンネリング税と呼んだ。(トンネリング税の具体例;貧困はお金の欠乏であり、お金の欠乏は貧困に関する視野狭窄を引き起こし、頻繁に貧困について悩ませられるようになる)さて、この身体化されたリビドーとしてのエナクトメントの解消のためには信頼関係の維持と治療者によるマインドフルネスとメンタライジングが必要となるだろう。前述したエドガー・シャインのプロセスコンサルテーションには謙虚に問いかけるという技法があり、この技法を駆使してクライアントの気持ちに寄り添いかつクライアントの気持ちを正確に把握することが可能となるあろう。この謙虚に問いかけるには以下の4つの問いかけが存在する。診断的な問いかけ、対決的な問いかけ、プロセス指向的な問いかけ、謙虚な問いかけである。これら4つの問いかけを駆使してエナクトメントを感じ取ることができるのである。だが、エナクトメントを感じ取り、解消させるための技法であるマインドフルネス(エナクトメントへの気づき)とメンタライジング(エナクトメントに対する反省と内省)をいかにして治療者は会得することができるのだろうか?私なりに試行錯誤した結果、「デヴィッド・ローム」著書「マインドフル・フォーカシング:身体は答えを知っている」を熟読しながら、マインドフル・フォーカシングを実践することでマインドフルネスとメンタライジングを修得することができるのではないかという結論に至った。修得には一年以上要するかもしれないが得るものは多いと感じている。最後のレベル4では道徳的人生の変容によるリビドーのメタノイア(リビドーからライフ・オブ・ラインズへの転換)が達成される。アーサー・クラインマンによると道徳的人生の道徳とは倫理を意味する狭義の道徳ではなく、われわれ個々にとって真にかけがえのないものを追求するという意味での広義の道徳であると理解してほしい。クライアントはリビドーが主たる原因の精神疾患である「病い」が生むドミナントストーリーに苦しんでいるのである。このドミナントストーリーによってクライアントの道徳的人生は大きく歪められ、それが苦しみを生むという悪循環に陥っているのである。このレベル4では個々のエナクトメントの背後にある道徳的人生を変容させることでリビドーをメタノイアさせることができるのである。そのためにはエナクトメントの解消と並行してマイケル・ホワイトによるナラティブセラピーを行うことが肝要となるだろう。つまり、個々のエナクトメントの解消を行いつつ、エナクトメントの背後にある道徳的人生を変容させ、これまでクライアントの心の中で支配的だったドミナントストーリーをオルタナティブストーリーへと変容させることが求められているのである。このナラティブセラピーは以下の6つの技法から構成されている。外在化する会話、再著述する会話、リ・メンバリングする会話。、定義的祝祭、ユニークな結果を際立たせる会話、足場作りの会話である。外在化する会話ではエナクトメントの背後にある問題をクライアントのアイデンティティー���ら切り離して客観化する技法である。再著述する会話では問題の語り直しを行うことでクライアントは問題に対する新たな洞察が可能となるのである。リ・メンバリングする会話ではクライアントの人生において重要かつ影響力を持つ人々を明らかにし、クライアントのアイデンティティーが独立したものではなく、多くの人の影響下にあることをクライアントに気づかせ、クライアントにとって害をもたらす人の影響を減じさせ、良い影響をもたらす人の影響を増やすように働きかけることを目的としている。定義的祝祭とは言わば当事者研究である。ユニークな結果を際立たせる会話ではドミナントストーリーに従属しておらず偶発的かつオルタナティブストーリーへと導く端緒となる出来事についてクライアントに語るように促すことが目的である。足場作りの会話ではクライアントは治療者の助けを借りながらドミナントストーリーをオルタナティブストーリーへと変容させることで、クライアントが成長するように働きかけることを主眼としている。以上が私の提唱するミクロ精神医学のプロセスである。以上の議論に基づいて、応答する組織の素描を描きたいと思う。
オットー・シャーマーのU理論によると人間の社会的学習は以下のプロセスを経るのだという。ダウンローディング、シーイング、センシング、プレゼンシング、クリスタライジング、プロトタイピング、実践。各自の思い込み(ダウンローディング)を保留して次のシーイングで新しい視座を獲得して、センシングでお互いが共感しあうことで議論が整理されるようになる。そしてプレゼンシングで過去から現在に至る捨て去るべきものを捨て、新しいものを受け入れ、クリスタライジングでプレゼンシングの時に受け入れた新しい価値観をより具体化し、プロトタイピングでその新しい価値観に基づいて学習しながら実行した結果として実践へと至り社会変革が実現するのである。このようにして社会変革が起こるわけだがダウンローディングからシーイングへのプロセスでは開かれた思考が、シーイングからセンシングへのプロセスでは開かれた心が、センシングからプレゼンシングへのプロセスでは開かれた意志が、プレゼンシングからクリスタライジングへのプロセスでは開かれた意志が、クリスタライジングからプロトタイピングへのプロセスでは開かれた心が、プロトタイピングから実践へのプロセスでは開かれた思考が求められるのである。翻ってエンゲストロームの活動理論に話を転じたい。前述したように活動理論では活動の矛盾が止揚されるメカニズムが解明されないままだったがついにU理論によってその全容が明らかとなるだろう。活動の第一の矛盾から第二の矛盾への止揚における媒介子として開かれた思考が、第二の矛盾から第三の矛盾への止揚における媒介子として開かれた心が、第三の矛盾から第四の矛盾への止揚における媒介子として開かれた意志が必要十分条件なのである。しかし依然として活動の矛盾が止揚されるための手法が明らかとなっていない。よって、その手法をエドガー・シャインのプロセスコンサルテーションとアーサー・クラインマンの医療人類学、マイケル・ホワイトのナラティブセラピーを援用して明らかにしていきたい。
 エドガー・シャインのプロセスコンサルテーションによると人間関係のレベルは以下の4つに区分されるのだという。
レベル-1:レベル-1;ネガティブな敵対的関係、不当な扱い
レベル1;礼儀、取引、専門職としての役割に基づく関係
レベル2;固有の存在として認知する関係(個人的な知り合い)
レベル3;深い友情、愛情、親密さ
これら4つのレベルのうちレベル2の関係がエドモンドソンの提唱する心理的安全性が保持されるレベルであり、レベル-1またはレベル1からレベル2に至るためにはシャインが提唱するパーソナライゼーションが求められるだろう。このパーソナライゼーションを行いつつ、シャインの提唱する謙虚に問いかける姿勢によってダウンローディングによる判断の保留ができるようになるだろう。謙虚に問いかけるは以下の4つに区分される。診断的な問いかけ、対決的な問いかけ、プロセス指向的な問いかけ、謙虚な問いかけ。このようにして判断を保留しながらお互いに謙虚に問いかけることで問題の全体像が浮かび上がってくるのである。そして問題の全容が明らかとなっていく過程でシステム思考を用いることによって問題の全体像を共有することができるのである。(第一の矛盾から第二の矛盾へと止揚されるのである)次のプロセスであるシーイングからセンシング(第二の矛盾から第三の矛盾への止揚)へと至るためにはピーター・フォナギーのメンタライジングが必要であろう。メンタライジングとは最先端の精神医学であり、フォナギーはポストフロイトの精神科医である。この理論を援用することで相手と自分の意見の共通点と相違点を明確にできるようになり、意見の対立が解消されやすくなるだろう。シーイングの際システム思考で問題を共有できたとしても意見の対立は未解決のままである。それを乗り越えるためには意見の最大公約数(妥協)ではなく、意見の最小公倍数(自分と相手の意見の共有点と自分と相手の意見の良い点を掛け合わせたもの)を見出すことが不可欠である。そしてこの意見の最小公倍数を見出すためにも相手の意見に対する深い傾聴と共感(すなわち、メンタライジング)が不可欠だ。そして、これによって後述する道徳的人生の分析を行うことができるのである。続いてセンシングからプレゼンシング(第三の矛盾から第四の矛盾への止揚)ではまず応答性が求められるだろう。センシングで得られた洞察に基づいて新しいシステム(新しい活動)を創出しなければならないのである。この新しい活動創出のために活動の新しい構成要素についてダイアローグしなければならないのだ。その過程で既存の活動とダイアローグの結果生まれた新しい活動との狭間で大きく揺れることだろ
う。この矛盾が止揚されるためには開かれた意志である道徳的人生の変容が求められるだろう。アーサー・クラインマンの医療人類学によると人はかけがえのないもの(生きる意味、大切にしている価値観)を追求しているのだという。そして道徳的人生は主観性、社会的体験、文化的表象の場の影響を受けて大きく変容していくのである。これを意図して大きく変容させ新しい活動を創出するための手法がマイケル・ホワイトのナラティブセラピーである。以下ナラティブセラピーの技法を示す。外在化する会話、再著述する会話、リ・メンバリングする会話、定義的祝祭、ユニークな結果を際立たせる会話、足場作りの会話。これらを駆使して道徳的人生を変容させることでプレゼンシングへと至ることができるだろう。プレゼンシング後は新しい活動を結晶化し(クリスタライジングし)、学習しながら実行する(プロトタイピングする)ことで実践へと至ることができるだろう。このようにして企業は歴史的に新しい企業活動を行うことができるのである。次に上記の論旨に基づいて実務レベルにおけるダイナミックケイパビリティ構築のための具体的なアプローチを提示したい。
 活動理論における企業の活動の第一の矛盾は以下のとおりである。
主体   :成長型マインドセット(学習)vs固定型マインドセット(結果)
道具   :リーダーシップvsマネジメントの三種の神器(計画、組織化、コントロール)
ルール  :公式の制度vs追従を基盤とした文化
共同体  :ダイバーシティvs画一性
分業   :チームワークvs全体性の喪失(サイロ化)
対象→結果:CSR→ESG投資による資金調達vs財務指標における短期的な視野に基づく経営戦略→イノベーションのジレンマ
活動の第一の矛盾から第二の矛盾への止揚にはパーソナライゼーションによる心理的安全性の担保が求められる。
 続いて活動理論における企業の活動の第二の矛盾は以下のとおりである。
道具:システム思考(*強者はますます強く)vs主体:メンタルモデル(*反カニバリゼーションのバイアス)
*既存の資源にますます多くの投資を行うことで、新しい資源の投資はますます減少し、いわゆる「イノベーションのジレンマ」が生じるのである。
*メンタルモデルの「反カニバリゼーションのバイアス」は資本の共食いを引き起こす経営陣のバイアスのことを指す。
活動の第二の矛盾から第三の矛盾への止揚のためにはメンタライゼーションによる道徳的人生の分析が求められるだろう。
道徳的人生の分析例
主観性    :結果主義によるリスク回避のバイアス
社会的体験  :企業の過去の成功体験への固執
文化的表象の場:企業史から生じるその企業のアイデンティティ
活動理論における企業の活動の第三の矛盾は以下のとおりである。
主体   :コンピテンシーの高い人材の多様化
道具   :コア・コンピタンス
共同体  :心理的安全性
ルール  :コーポレートガバナンスの徹底
分業   :両利きの経営
対象→結果:共有ビジョン→CSV
活動の第三の矛盾から第四の矛盾への止揚へはナラティブセラピーによる道徳的人生の変容が求められるだろう。
道徳的人生の例
主観性    :ワークエンゲージメント
社会的体験  :プレゼンシング
文化的表象の場:私たちは何者かという問いに対する答え
 活動理論における企業の活動の第四の矛盾は以下のとおりである。
CSV実現のためのダイナミックケイパビリティ構築の実務
ダイナミックケイパビリティは以下の三つに分類可能である。
感知:識別、開発、共同開発、そして顧客ニーズに関係する技術的な機械の評価
捕捉:ニーズと機械を引き合わせ、価値を引き出すための資源の動員
変容:絶え間ない刷新
また、これらの要素は以下の変数からなっている。
感知
1:社内R&Dを推進し、新しい技術を選択するプロセス
2:外部の科学や技術の発展を活用するプロセス
3:サプライヤーや補完者のイノベーションを活用するプロセス
4:ターゲットとする市場セグメント、変化する顧客ニーズ、カスタマーイノベーションを特定するプロセス
捕捉
1:カスタマーソリューションやビジネスモデルの記述
2:補完物のマネジメントとプラットフォームのコントロールのための企業境界の選択
3:意思決定プロトコルの選択
4:ロイヤリティとコミットメントの構築
変容
1:分権化と準分解可能性
2:共特化
3:ガバナンス
4:ナレッジ・マネジメント
 ダイナミックケイパビリティは持続的な競争優位性とそれによる長期的なキャッシュフロー生成の基礎や固有の源泉となりうるだろう。しかしながら、ビジョン(CSV)に対する強いコミットメントがなければダイナミックケイパビリティはおぼつかないものとなるだろう。多くの人が本書を手に取り、日本の持続可能な成長のために何ができるのか議論されることを願ってやまない。
 参考文献
ブリュノ・ラトゥール 社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス)
ユーリア・エンゲストローム 拡張による学習 完訳増補版―発達研究への活動理論からのアプローチ
C・オットー・シャーマー U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
エドガー・H・シャイン 謙虚なコンサルティング――クライアントにとって「本当の支援」とは何か
ピーター M センゲ 学習する組織――システム思考で未来を創造する
ピーター フォナギー 愛着理論と精神分析
デイビッド・J・ウォーリン 愛着と精神療法
アーサー クラインマン ケアをすることの意味:病む人とともに在ることの心理学と医療人類学
マイケル ホワイト ナラティヴ実践地図
キャロル・S・ドゥエック マインドセット「やればできる! 」の研究
マイケル E. ポーター [新版]競争戦略論I
マイケル E.ポーター [新版]競争戦略論II
「YouTube」 Wharton Prof. Sidney Winter on Dynamic Capability and Evolutionary Economics
「YouTube」 David Teece | Full Address and Q&A | Oxford Union Web Series
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sakumakou · 4 months
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20240205
0205 きままなTV・メディア情報です
「『2024年度のテレビ、ラジオ営業収入見通し』を発表」(民放連:添付あり)
https://j-ba.or.jp/category/topics/jba106183
「AMラジオ34局、1日から順次運用休止。FM転換目指す」(Impress)
「日テレHD株ストップ高 名簿外の外国人株主に配当で」(日経)
「出川哲朗『TXと結構もめた』と告白 『充電…』G帯進出時にルール変更めぐり」(ニッカン)
「日本シナリオ作家協会、原作者と脚本家の関係語った動画について謝罪、釈明も」(デイリー)
「『セクシー田中さん』作者急死 原作改変絶えぬトラブル、過去にも日テレで異例の事態」(産経/フジ)
「『ブス』『ケツバット』…昭和の死語が令和親子に大ウケのドラマ『不適切にも…』」(産経/フジ)
「テレ朝『関ジャム』名称変更検討中 CXはすでに新名称”SUPER EIGHT”に変更」(ニッカン)
「NHK、受信料を経営悪化のローカル局救済に投入か…二元体制維持に600億円」(BJ)
「リニア:川勝静岡県知事にJR東海が異例の反論…政治家なのに人の話を聞く気がない」(新潮)
「KDDI、個人向けスターリンクを国内販売 今春以降」(日経)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC021O70S4A200C2000000/
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crydayz · 2 years
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220822 EXTRA
今日から「嫌なこと貯金」を始める。
嫌な事があったら30円~100円をローカル貯金していく。
一日1000円くらい貯金できたらその日は超ラッキー。 年間50万貯金するには一日1380円くらい貯金しなければならない為、そんだけのストレスを毎日味わう必要がある。
まあ食費やネカフェ代・交通費から削ればそれくらいの捻出は容易だろう。 だがストレスが無い日は当然貯金できない。
だから頑張って一日1000円払えるだけのストレスを味わい、貯金し「満足」してゆく。
かつ、そのストレスが自分のキャリアや健康にプラスになるものになるよう、他者との関係性を強引に調整してゆく。
すなわち、チャレンジと投資の為の「苦痛と飢餓」の積極的摂取。
そういうゲーミフィケーション。
貯金する事そのものが快楽であり報酬であり、その為には一日に「1380円分のストレス摂取が必須」という。
「これは450円貯金するだけの苦痛度があるな~」という苦痛を日に最低3セット摂取すれば実現できる。だんだん苦痛耐性と報酬回路も太くなりやがて圧倒的なストレス耐性(マッチョイズム)が身につくだろう。
手持ちのお金がなくなってしまったら10円、20円でもいいから頑張って貯金。少しでもゲームを進行させる。
この行為を日常における「最大の面白体験」として処理する。
駄文抑制から始まった貯金システムは今新しい次元へと進んだ・・ 今度こそ3ヶ月やってやるさ。
捏造ストレスにまつわる駄文も毎日1hくらいかけてサクっと書いてやる。 Let’s 異常縛り!
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nyantria · 2 years
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🐸 が色々始めてるみたい。
What is a Parallel Economy?
https://www.gabpay.com/post/parallel-economy
パラレルエコノミーとは?
>GabPayプロジェクトを引き受けて以来、私は多くの人が思い切った対策と考えるような呼びかけをいくつか見聞きしてきました。暗号通貨、金、銀などの利用を含め、金融システムを完全に作り直すべきだという意見もあります。現在の銀行システムを崩壊させようという声も聞いたことがあります。物々交換だけの荒唐無稽なシナリオさえ聞いたことがあります。
>パラレル・エコノミーは、現在のシステムを崩壊させるものではありません。私たちの生き方を信じる人たちが団結して、現在の金融市場の枠内で私たちの経済を創造するシンプルなムーブメントなのです。これには、確立された銀行、処理、暗号、物々交換のネットワークが含まれます。
>金融市場とは何ですか?エネルギー、食料、住宅、娯楽など、あらゆるものを支配するものです。金融市場とは、あなたが作るものなのです。エネルギー会社、自動車、飛行機、列車、船は自分たちで作ることができます。食料を収穫し、エネルギーを生産することができます。テレビ局や映画会社を開発することもできます。数え上げればきりがありません。そして、私たちは自分たちが開発した市場の中で、互いに売り買いすることができます。
>銀行はどうでしょう?銀行システム全体が悪なのでしょうか?いいえ、その限りではありません。小さな銀行がまだ存在しています。FDICの制度から外れた民間銀行もあります。アメリカの隅々まで、あらゆる階層の善良な銀行経営者がいます。そして、これは世界中に言えることだ。専制政治よりも自由を信じる銀行家がたくさんいるのです。
>では、これらすべてを発展させるにはどうしたらいいのでしょうか。多くの人はすでにビジネスをしています。ガブのようなコミュニティの中で販売することから始めてください。あなたと同じような考えを持つ人たちのローカル・コミュニティをすぐ近くでサポートしましょう。同じことを信じている人たちを積極的に探し出し、そこから購入する。安易にAmazonで買い物をするのはやめましょう。安易な考えから脱却し、自分の輪の中でビジネス関係を築きましょう。
>最近、キッチン用の新しい包丁を探しに行きました。Gabで、欲しいものの写真を投稿し、コミュニティの協力を仰ぎました。すると一人のGabberが反応し、彼はすぐに作業に取り掛かった。2日後、彼は私の新しい肉切り包丁を完成させ、Gab TVにビデオも投稿してくれました。私は彼に300ドルを支払いました。ジェフ・ベゾスの代わりに彼を支援したのです。私たちのコミュニティはもっとお金を必要としており、政治的に意見の合わない人へのサービスを遮断するためだけでなく、良いことに使うでしょう。
>たとえ1年かかっても、必要なものを別の場所で見つけるために、Amazonから離れましょう。少しずつでも。その過程で、新しい友人を作ることができます。ある企業の言い分やお金の使い方が気に入らない?その会社から買うのをやめれば、あなたの経済的な世界を再構築することができます。あなたの財布で話す。敵の好きなもの、つまりあなたのお金を取り上げることで、敵をあなたの意志に従わせるのです。
>要するに、パラレル・エコノミーとは、あなたが作り上げるものなのです。金融のすべてを再構築するのではなく、すでにあるツールを使って自分自身を作り上げていくのです。敵が当然と思っている力を使って、あなたが発言するチャンスなのです。あなたのお金です。また、私たちは日々の仕事の中で、全能の神を認めることを忘れがちです。私もそうでした(教えてくれたD.Annaに感謝します)。この場をお借りして、皆さん一人ひとりに注意喚起します。私たちが行うすべてのことの最前線に、集合的に神を連れ戻しましょう。彼を通して、私たちがしてきたこと、そしてこれからすることはすべて可能なのです。
>質問はありますか?今話したことで、何か助けが必要ですか?Gab.comの@johnnydoesで私を見つけることができます。
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