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#三八弁当
shuh2 · 2 years
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盛岡駅  三八弁当(三沢八戸弁当)
岩手行ってたけど思いっきり青森の駅弁、三八弁当w イカのわたのソースを付けた一夜干しが美味しかったよ
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mizu990612 · 1 year
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#寺町通り商店街 #寺町通商店街 の #三八市 に父と行って #魚末 #UOSUE #てらまちダイニング #うおすえ @uosue_teramachi_kuwana さんで #UOSUE弁当 買いました(^o^) #桑名市 #桑名 #kuwana #三重県 #三重 #mie #日本 #japan (魚末) https://www.instagram.com/p/ClsLPw8Jd8X/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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amiens2014 · 2 years
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自宅〜道の駅清流の里ひじかわ〜瀬戸展望休憩所〜三崎港〜佐田岬はなはな〜九四フェリー
道の駅清流の里ひじかわ 2020年5月17日、この日は自宅を車で出発し、道の駅清流の里ひじかわにやってきた。 地域密着型の道の駅らしく、生活に便利な店舗も併設しています。 道の駅 清流の里ひじかわ から引用 道の駅清流の里ひじかわ 愛媛県大洲市肱川町宇和川3030 0893-34-2700 (more…)
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kinemekoudon · 1 year
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スマホを解析されて、薬物売買のログを見せられたときのレポ
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―逮捕から7日目。この日は2回目の検事調べが予定されており、今回はワゴン車による単独の護送ではなく、護送車での複数人共同の護送になるとのことで、僕は初めて護送車に乗れることを少し楽しみにしていた。
朝8時30分頃、点呼とともに居室から出され、留置場の出入り口扉の前に連れていかれると、扉の前には既に2人の収容者が縦一列に並ばされており、僕はその2人の後尾に立つよう指示をされる。そして例によって身体検査をされると、いつもよりキツく手錠をかけられる。
その後、留置官が先頭の収容者の手錠の間の輪に、通常より長い腰縄を通してから腰に巻き付け、同じ要領で、その長い腰縄を中間の収容者、そして後尾の僕に巻き付け、見事に3人を数珠繋ぎにすると、その長い腰縄を自分の腰につけているフックに括りつけ、後尾に立つ僕の後ろについた。
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それから、3人の前後に警官が3人ずつついた体制で、地下の駐車場まで連行され、しばし駐車場で待機をしていると、白色と灰青色のツートーンカラーで、黒色のスモークガラス窓のマイクロバスがやってきて、3人の手前に停車した。
僕はその時まで、護送車とは、青地に白のラインが入っている、窓に金網のついたバス型の車だと思っていたので、実際の護送車がひどく凡庸なことにがっかりした。
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上が護送車、下は人員輸送車(警察官を輸送する車)
そうして、3人は連結されたまま護送車に乗せられる。護送車の車内は、右側2座席に左側1座席の3列配置で並んでおり、窓には鉄格子が嵌められていて、運転席との間には壁があって全く見えないようになっていた。
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また、護送車は周辺地域の警察署を順繰りにまわり、地検に移送する被疑者らを拾っていくシステムのようで、すでに15人ほどの先客が座っていた。
彼ら15人は、非常に長いロープで数珠つなぎにさせられており、全員が上下グレーのスウェットに茶色の便所サンダルの恰好で、手錠をかけられ、姿勢よく無言で着座しているので、捕虜の集団のようだった。
車内にいた警官らによって、3人は各自指定された座席に座ると、3人を連結していた長い腰縄が外され、今度は15人を連結している非常に長いロープに括り付けられる。
18人の被疑者と1本のロープによる数珠が完成すると、1人の警官が、「車内では会話や目配せはもちろん、足を組むのも禁止する」などという護送車内の規則を、大声かつ歯切りのよい口調で説明していた。
車内に5人ほどいる警官らも、これだけの逮捕者を移送するというだけあってか、非常に緊張感を持った面持ちで、ちょっとでも無駄に声を発したら怒鳴られそうな緊迫感がある。
僕は幸い、右側2座席の窓側の席であったので、外の景色でも見て気を紛らわせていようと思った。なんだったら、前回の単独移送では、両隣に警官が座っていて、窓はほぼ塞がれている状態だったので、久しぶりに外の景色を見られることは楽しみだった。
そうして、護送車が出発する。捕虜同然の惨めな状態というのもあってか、留置場では見ることのない格好や表情をした道行く人々を見ると、外の世界は自分とはもう関係がないように思えてきて、非常にセンチメンタルな気持ちになる。梅雨時で曇天模様だったのがまだ救いであった。
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出発からおよそ1時間が経過し、護送車が地検に到着する。護送車のドアが開くと、地検で待機していた警官がドア横に立ち、日本陸軍の点呼のような厳格さを感じる大声で「第三系統! 総員十八名!」と号令をする。車内の被疑者らが数珠つなぎにされたまま、1人ずつ車内から降りていくと、その警官はやはり日本陸軍のように「一!二!三!…」と点呼をとっていた。
数珠つなぎのまま連行され、待合室のある広間に出ると、そこには前回よりもはるかに多い、100人弱の被疑者らがおり、見るからに力士のような者からヤクザのような者まで、前回より威圧感のある男が多く集結していて、全体的に迫力があった。
また今回は人数が多いためか、警官の人数が多く、警官らはみな厳格な号令と点呼を行い、鋭い眼光で被疑者らを監視しているので、今までに味わったことのない張り詰めた空気が漂っている。
それから例によって、待合室という名の牢屋で、座る者の事など考えていない直角の硬い椅子にすし詰め状態で座らされ、時間もわからないままひたすら待ち、昼食時にコッペパンを食べ、いつ自分が呼ばれるか分からないまま、またひたすら待つ。相変わらず地獄。
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おそらく3時くらいになってようやくお呼びがかかり、僕は一人の警官に連れられて、検事のいる部屋に入室した。あくまで検事が起訴か不起訴かを決めるので、入室の際、僕は少しでも検事の心証を良くしようと、礼節を重んじている風の挨拶を決め込む。
前回同様、義務的な質問などがされ、黙秘権について告知がされるので、僕はここぞとばかりに、昨日弁護士にアドバイスされた通りに、「担当の弁護士さんから抗議書が送られていると思いますが、昨日、留置担当官の方に「ブチ殺す」などの脅迫を受けて、警察や検察の方を信用できなくなったので、取り調べには協力できません」などと、あくまで被害者ぶった深刻な表情で言う。
すると検察官は、こちらの会心の一撃をまるで意に介さないような表情と口調で「わかりました。その件についてはこちらでも事実確認と調査を行ってまいります」などと流暢に返事をし、「ただ、本日は見ていただきたい資料があるので、応えられるものに関しては応えていただけませんか?」と尋ねてきた。
僕はその見せたい資料とやらが気になったので、「資料は見せていただきたいですが、黙秘はします」と応えると、検察官はそれを了承し、A4サイズの紙が200枚ほど綴じられている分厚いバインダーを取り出して、付箋の貼ってあるページを開き、僕に見せてきた。
そのページには、僕がプッシャーから薬物を買おうとやり取りしていた、Telegramのログ画面の写真が貼り付けてあった。
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僕はまず、そもそもスマホの解析承諾をしていなかったので、無断で解析をされていたことに度肝を抜かれたし、露骨な薬物売買の証拠を見せられて、少し動揺が出てしまった。
ただ幸い、今回一緒に逮捕されたプッシャーとのやり取りのログは完全に消去していたし、見せられたログは、僕が「在庫はいかがですか?」と尋ね、プッシャーが「こちらになります」と隠語で書かれた薬物のメニュー表を画像で添付して送り、僕がそれを既読無視しているという、購入の意思を見せていない内容ではあった。
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メニュー表のイメージ
ちなみにTelegramにはパスコードロックをかけていなかった。
検察官は僕が動揺している隙に、「これは、あなたが薬物を購入しようとして、売人にコンタクトをとったものじゃないですか?」と単刀直入に質問をしてくる。
僕は、このログについてはどうとでも取り繕って否定できそうだったので、つい否定をしたくなったが、下手に喋ってボロを出しては検察の思う壺なので、「黙秘します」と応える。
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それに対し、検察官は無言で頷き、プッシャーが提示していたメニュー表の画像を指さして、「この“罰”っていうのは、コカインのことですよね?」と尋ねてくる。
僕は反射的に、「いえ、罰はMDMAの隠語です」と本当に危うく口走りそうになったが、一呼吸置いて「黙秘します」と応えると、検察官はやはり無言で頷き、再び付箋の貼ってある別のページを開いて、僕に見せてくる。
そのページには、一緒に捕まった友人の吉岡とのLINEでのやり取りの写真が貼ってあり、どう見ても薬物を言い表した代名詞でのやり取りや、それに付随して、「悟ってる時の顔」などと言って、僕がLSDのピーク中に目を瞑って微笑んでいる顔写真を吉岡に送りつけている赤面不可避のログも載っていた。
当然、これらに関する質問にも黙秘を貫いたが、検察官は少し呆れた表情で、「…うん。でもね、小林さん(一緒に捕まったプッシャーの本名)のTwitterアカウントのリンクが、吉岡さんからあなたに送られているんですね」などと言って、今度はそのログの写真を見せてきた。
僕は吉岡とは完全にクロな証拠のやり取りをしていなかったつもりでいたので、これにはさすがに焦りを感じたが、そのメッセージの前後に脈絡はなく、リンクだけが送られているという内容のログではあったので、これだけでは証拠として不十分であろうとは思った。
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検察官は続けて、「この小林さんのアカウントにコンタクトを取って、小林さんから大麻を購入したんじゃないですか?」と名推理をしてきたが、僕はなんとか無表情をキープしたまま、「黙秘します」とだけ言っておいた。
検察官は表情を変えず、「わかりました。それでは本日はこれで以上です」などと言って、この日の取り調べは終わることになり、僕は当然、調書への署名・押印を拒否して、部屋を後にした。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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hachikenyakaiwai · 5 months
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【かいわいの時】慶長十一年(1606)十二月十三日:秀頼、生国魂神社を再建(大阪市史編纂所)
家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた(略)当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など(柏原市「玉手山物語」)。※原文ママ
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがもし事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。 戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである(いくたま夏祭りみこし会)。
(写真)『摂津名所図会 巻之三』より「生玉神社 其二」(スミソニアン蔵)。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。寛永-正保期(1624 - 1648年)の「摂津国高帳」によれば、その社領地は下難波村(現在の浪速区)にあった。また5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、黄金若干を当社に寄進したという。『摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事の様子などが描かれている。幕末の『浪花百景』にも絵馬堂、弁天池が選ばれている。弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた《略》1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び焼失した。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列され、翌1949年(昭和24年)7月に本殿が再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊してしまった。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建された(ウィキペディア)。
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amiya3 · 5 months
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まだ出てない新刊『令和ブルガリアヨーグルト』連続ドラマ化
※長いです おはようございます。はじめまして。「地味にスゴい!校閲ガール・河野悦子」の原作の小説を書いた人です。名前は宮木あや子といいます。宮本あや子ではなく、宮木あやこでもありません。木です。子です。いろんな小説を書いています。
三年ぶりの新刊『令和ブルガリアヨーグルト』予約がはじまっております。食品会社に勤める20代の人間とブルガリア菌のダブル主人公でお送りする、笑いあり涙は特にないが謎の感動はたぶんある、ジャンル分けするのを諦めてほしいハートウォーミングな感じの長編です。 それから 三年ぶりの新刊「令和ブルガリアヨーグルト」、出版前からどういうわけかドラマ化が決まってました。やったねー! テレビ東京水曜25時~、題名は「推しを召し上がれ~広報ガールのまろやかな日々~」、主演は鞘師里保さん! https://www.tv-tokyo.co.jp/oshimeshi/ 略称は「オシメシ」だそうです。まさかこの内容で○○ガール系の題名になるとは。 「校閲ガール」書いてたときは「私も○○ガール市場(ルビ:しじょう)に参入したい! 先達のガールたちに乗っかってドラマ化とかでボロ儲けしたい!!」という打算100%でしたが、此度のガールはまったくもって意図していませんでした。したがって今回はどじょう100%(二匹目)
原作者プロフィール 1976年 神奈川県生まれ 東京都在住 2006年「花宵道中」で第五回女による女のためのR-18文学��受賞:デビュー 詳しくは上のほうにある「★」をクリックしてください。 ゆるキャン△に影響されて今年の八月にキャンプを始めました。
テレ東の深夜といえばもぐもぐドラマ。しかし原作はまったくもってもぐもぐしてません。かなり原作通りに脚本を作ってくださった感じがしますが、映像化ってぜったい「全く同じ」にはならないので、私の読者のみんなには今までの映像化と同じく、小説とは違う種類のエンターテイメントとしてお楽しみいただければ幸いです。脚本めっちゃ面白いです。 あと、この機会に各方面へお願いさせていただきたいこと。 今回のドラマは「乳酸菌を推すヒューマンビーイング」が主人公です。これまでも私は「推しがいる人間」が出て来るお話をいくつか書いています。その中のひとつが『婚外恋愛に似たもの』というアイドルファンの小説で、2018年にdTVでドラマ化されています。 が、最近dTVがなくなってしまい、あの名作ドラマが現在どの配信サイトでも観られなくなってしまいました。円盤も出ていません。親の欲目や自画自賛ではなく本当にこのドラマはみどころいっぱいの名作です。主演のオタクは麗しき栗山千明さん、今をときめくDa-iCEのおふたりや増子敦貴君も、推されるアイドル役で出ています。チカちゃん(あつきくん)マジ爆売れだよね……雅さんもきっと喜んでるわ。ここをご覧の関係者様、いらっしゃいましたらぜひ御社でお迎えのご検討を何卒お願いいたします。原作側の窓口は光文社です。
※ここから転載禁止※ ※以下の文章の一部およびぜんぶをどこにも転載しないでください。以下の文章をもとにした記事や動画を絶対に作成しないでください。※
公表されているキャストさんについて個人的なあれこれ
主演の鞘師さんについて ラッセ! めんつゆの国からようこそヨーグルトの国へ。 先日、豊洲のライブを拝見してきました。タレントとファンの信頼関係と双方の愛が溢れる素敵な現場で、余所のオタクながら見ていてすごく幸せな気持ちになりました。ありがとうございました。スマホライトの光の海、きっと綺麗だったでしょうね。私はその翌日幕張で似たようなことをしてきました。 テレビをほとんど観ない、芸能にすこぶる疎い私の薄い知識の中での鞘師さんは「BABYMETALのサポートですごいダンスを踊っていた子」でした。あとモモウメのラスクの歌と、やがて古田新太になる山田様の彼女、そして柚木麻子の推し。この原作でOKしてくださり本当にありがとうございます。 鞘師さんのファンの皆さま、原作者、ハロプロはほとんど判らなくて申し訳ないのですが、女子アイドル方面では細々とさくら学院が好きでした/です。当時はすぅちゃんと鞘師さんが同じスクール出身だとは知らず、サポートメンバーがほかのグループの子、というニュースにおおいに驚いた一人です。機会がありましたら原作の小説のほうもお手に取ってみてください。帯に鞘師さんのお写真が入ってます。あと、もし私の公開授業にいた父兄でハロ兼の方がいらっしゃったら、お手数ですが鞘師さんファンのお友達に私の説明(できれば良い印象を持ってもらえそうな)をお願いしたいです。ヲタ友の口伝が一番信頼してもらえると思うの。出身賞にR-18って入ってるし、映画で安達祐実さん脱がせた原作者でめっちゃ心配だと思うけど、手のひらの楽園という本は国語の試験や学習教材によく使われているんだよと(本当です)。そういう未成年向けのお話も書くんだよと。私の代わりに。弁明を。どうかお頼み申す。
明日海さんについて 宝塚の湖沼があるとしたら、私は離れた村落からその湖沼まで月に二回くらい水を汲みに行っている永遠のにわかです。 映像化していただく際、いつもダメモトで「私の夢の配役リスト」を出しています。好きな俳優を挙げるわけではなく、なんとなくこんな感じかなあ、と想像する容貌に近い役者さんのお名前を書くだけの熱量低めのものですが、此度の企画書のキャスト欄はほとんど空だったため、まあ今回もダメもとで出してみるかと、緑川役には現実的に依頼が可能そうな元宝塚の方のお名前を書きました。そしたらいろいろ飛び越えてすごいの来ちゃった……。なんか、鉄板焼��屋で私のお小遣いで食べられるせいいっぱいのお肉頼んだら、お店の手違いで松坂牛のシャトーブリアン出てきたみたいな感じで、「緑川は明日海りおさんです」って言われたときちょっと何を聞いたのか判んなくてリアクションできませんでした。いいの……!?! それ超高級なおにくだよ……!?! ファンの皆さま、よろしくお願いいたします。私は今までの推しが全員卒業後に芸能から離れており、今は直近の推しのお手伝いだった下級生さんを細々と応援しています。顔の造作ぜんぜん違うのに、ダンスも演技もお化粧も決めポーズの表情や首の角度も推しちゃんにそっくりで、スール制度(っていうのか?)すごいなと毎回感心しています。在団中のみりおさんの出演作ではハンナのお花屋さんが好きです。よろしければ原作本もお手に取ってみてください。帯には間に合いませんでしたが、書店にあるかもしれないPOPにはお名前を入れさせていただいております。
橋本さんについて 橋本さんにお願いしているとうかがったのがちょうどVIVANTが終わった直後くらいの時期で、え!?!?! あの製作費が民放最高額の超大作ドラマに出てた、「帝劇? 俺の別荘やで!」みたいな俳優さんに一人称が吾輩の微生物役頼んだの!?! 正気なの?!?! ってガクブルでしたがわりとノリノリでお引き受けくださったらしいという話を二人くらいあいだに挟んで聞きました。なんという懐深きイケメンタル。まことにありがとうございます。素晴らしきブルガリア菌20388株になる予感しかありません。楽しみにしてます!!! 余談ですが、企画書いただいた時点ではブルガリア菌はCGか声だけだと聞いていたため、夢の配役リストには少年役を得意とする若い女性声優さんのお名前を書きました。その後制作側で紆余曲折あったらしく、まさかの生身。しかも身長184㎝のアラ還イケオジプロフェッショナル。予想の斜め上にもほどがあるわ。ただ、この布陣になった以上橋本さんのファンにこそぜひ読んでほしいので、ファンの皆様は原作本をお手に取ってみたらそのままレジへ直行してください。橋本さんのお役がより愛しくなること、ドラマがより楽しくなること請け合いです。私が橋本さんのファンだったらぜったい「観る前に読んどいてよかった!」って思うと思う。発売日は11月29日です。何卒よろしくお願いいたします。
※※転載禁止ここまで※※
書籍に関する詳細は発売日近辺にまた書きます。見に来てください。 買い逃している人がいるかもしれないので再度のお知らせですが、小説「雨の塔」の続編が、今年の始めに出た「百合小説コレクションwiz」という百合アンソロに載ってます。題名は「エリアンタス・ロバートソン」です。よろしくね! あと校閲ガールシリーズの文庫がまた何度か重版されてました。ありがとうございます。電子の売り上げがわからない+単行本の刷数を憶えてないので、大幅に少ない/多い可能性もありますが、たぶん現在20万部くらいです。頑張ったわね悦子……これから頑張るのよ由寿……
近況(キャンプ) 順調に月二回ペースでキャンプしてます。楽しいです。先日新しいテントとガスストーブとめっちゃあったかいと評判のダウンジャケットを買いました。今からそれらを使うためにキャンプへ行ってきます。PCやタブレットは持って行きません。スマホは持って行きますが老眼で指もパサパサでキャンプ場は寒いです。お察しください。木曜には戻ります。あと上のほうで書き忘れましたがご存じない方のためにベビメタはさくら学院の元重音部です。それでは行ってきます。
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kennak · 3 months
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理財局長に就任[編集] 2016年6月17日、佐川は理財局長に就任[20]。同年6月20日、財務省近畿財務局は、学校法人森友学園との間で豊中市の国有地についての売買契約を締結した。売却金額は非公開とされた[25][26]。 2017年2月8日、豊中市議会議員の木村真は、国が森友学園に売却した国有地の代金が公開されないのは不当だとして、開示を求める訴えを大阪地裁に起こした[26][注 1]。2月9日、朝日新聞が、払い下げの国有地に新設予定の安倍晋三記念小学校の名誉校長が安倍昭恵であること、森友学園側に契約違反があった場合、国が「1億3400万円」で買い戻す特約がついていたこと、森友学園の籠池泰典理事長が売却額が買い戻し特約と同額と認めたこと、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1であること、籠池が日本会議大阪の役員を務めていることなどを報じた[28]。2月10日、同紙の報道を受け、財務省は一転して売却価格は1億3400万円であると公表した。売却価格が格安になった理由については「地下に大量のごみがあったため」と説明した[29]。 公文書改ざん[編集] 2017年2月15日の衆議院財務金融委員会を皮切りに野党の追及が始まる。日本共産党の宮本岳志は、国交省職員から土壌汚染除去費用の総額を聞き出し、佐川に対しても質問を行った[30]。 同年2月17日、安倍晋三首相は衆議院予算委員会で民進党の福島伸享から追及を受けると「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と答弁した[31][32][33]。2月23日午後、森友学園は「瑞穂の國記念小學院」の公式サイトから、安倍昭恵の写真と挨拶文を削除した[34]。 同年2月22日、佐川と財務省大臣官房総括審議官の太田充は菅義偉官房長官に官邸に呼ばれ、国有地売却の経緯などについて説明した[35][36]。 2月17日の衆議院予算委員会、2月24日の同予算委員会、同日の同財務金融委員会のいずれかの委員会において、安倍の秘書官の一人が十数メートル先に座る佐川に歩み寄り、「もっと強気で行け。PMより」と書かれた1枚のメモを手渡した[37][注 2]。2月24日、佐川は衆議院予算委員会で「森友学園との交渉や面会の記録は速やかに廃棄した」と答弁した[21]。同日午後、内閣官房長官長官記者会見で、記者は佐川の廃棄発言について菅に質問した。菅は「面会等の記録についてはその保存期間は1年未満とされている」と示したうえで、「契約書を含む国有財産の取得および処分に関する決裁文書については30年間の保存期間が定められており、そこにほとんどの部分が書かれてある」から問題はないと説明した[38]。 同年2月26日、財務省は、国有地売却の決裁文書から安倍昭恵、鴻池祥肇の秘書、平沼赳夫の秘書、北川イッセイの副大臣秘書官らに関する記述を「できる限り早急に」削除するよう、近畿財務局の職員7人にメールで指示[注 3]。近畿財務局は同日から文書の改竄を開始した[39][42]。安倍首相と籠池の関係を指し示す記述も改竄が行われ、「籠池康博氏は、『日本会議大阪代表・運営委員』を始めとする諸団体に関与」「日本会議と連携する組織として、超党派による『日本会議国会議員懇談会』が平成9年5月に設立され、現在、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任」などの文言が削除された[43][44][45]。 同年3月20日、財務省国有財産審理室は、近畿財務局職員に「局長からの指示により、調書につきまして、現在までの国会答弁を踏まえた上で、作成するよう直接指示がありました」と記されたメールを送信した[40][41]。当該メールは、元近畿財務局職員の赤木俊夫が改竄の経緯をまとめた文書(通称「赤木ファイル」)に保存されており、佐川の関与は、そののちファイルが公開されたことで明確なものになった[46]。 同年4月3日、衆議院決算行政監視委員会で、「行政文書は紙もパソコン上のデータも同様に取り扱いにしている。データは短期間で自動的に消去され、復元できないようなシステムになっている」と答弁した[47][48]。4月7日、部下の中尾睦理財局次長は衆議院内閣委員会で「自動消去という機能は基本的にない。データを削除した場合は14日間は復元可能だが、それを超えると復元できない。通常の職員はそういうことはできない仕組みになっている」と述べ、佐川の答弁を事実上訂正した。4月10日、財務省情報管理室の担当者は朝日新聞の取材に応じ、「復元は難しいが、できないとは断言できない」と復元の可能性を認めた[48]。しかし佐川は4月12日の衆議院財務金融委員会で「電子データも文書管理規則にのっとり、紙と同様に削除している。その後、一定期間が経過すれば、自動的に削除される」「専門家においてもデータの復元ができないと聞いている」と主張し続けた。また、「財務省全体として大量のデータを日々追加、更新しており、サーバーの容量にほとんど余裕がない中で、(削除されたデータは)日々置き換わっている状況だ」と述べた[48]。 同年5月15日、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」(代表:八木啓代)は、財務省が森友学園との交渉記録を廃棄したとして、佐川、迫田英典、田中一穂、中尾睦、武内良樹、田村嘉啓、池田靖ら7人に対する公用文書等毀棄容疑での告発状を東京地方検察庁に提出した[49][50][51](東京地検はのちに被疑事件を大阪地方検察庁特別捜査部に移送した[52])。 同年7月4日、財務省は、佐川を7月5日付で国税庁長官とする人事を発表した[3]。自由党の森裕子は「あからさまな論功行賞の人事だ。首相を守るため、『ありえない』答弁を平然と繰り返して栄転された」と反発。与党の閣僚経験者も「事実に背を向けてでも、官邸の意向に従っていれば出世できるというあしき前例になる」と述べ、起用した政府の姿勢を疑問視した。これらの声に対し麻生財務相と菅義偉官房長官は「適材適所」と口をそろえた[3][53]。 大阪地検特捜部は豊中市議会議員の木村真らが3月に行った刑事告発[54][55]を一旦は受理したものの、背任容疑の捜査に手間取っていた。そこで近畿財務局のコンピュータから押収したデータをもとに、先に公文書の変造容疑を固めることにした。同年夏から秋にかけてDF(デジタルフォレンジック)センター準備室がデータの復元および解析を行い、決済文書改ざんの痕跡を突き止めた[56]。 財務省を退官[編集] 2018年3月2日、朝日新聞が一面トップで、国有地取引をめぐる決裁文書が書き換えられている疑いを初めて報じた[4]。同年3月7日、赤木俊夫が神戸市内の自宅で自殺した[57]。翌8日、近畿財務局管財部長の楠敏志が赤木の家を弔問した[58]。 同年3月9日、佐川は麻生太郎財務大臣に、国税庁長官の職を辞し、退職したい旨を申し出た[5]。政府は持ち回り閣議で佐川の辞任を認める人事を決定した[59]。赤木の死について記者から問われると、佐川は「今日のニュースで知った」と答えた[58]。 同日夜、麻生は記者会見し、「国有財産行政に対する信頼を損なったことを踏まえ、減給20%3ヶ月分の懲戒処分を実施する」と述べ、同時に処分を科したことを明らかに���た[60][22]。辞任を申し出た理由は「(1)理財局長当時の国会対応が丁寧さを欠いており、混乱をもたらした。(2)行政文書の管理について指摘を受けた。(3)書き換え疑惑のある決裁文書について、担当局長であった」の三点とされた[61]。矢野康治財務省大臣官房長の財務金融委答弁によると、額にすると約66万円の減給となり、退職金4999万円から差し引かれた[62]。 同年3月12日、財務省は「14件の決裁文書を書き換えた」ことを認め[63]、「決裁文書の書き換えの状況」と題する書き換え前と書き換え後の対照表を公表した[64]。3月13日付の読売新聞夕刊は、自殺した職員(赤木)の遺書に「本省の指示で文書を書き換えさせられた」との記述があると報じた[65]。 同年3月27日、佐川は衆参両院の予算委員会で証人喚問を受けた[66][67]。文書改ざんの指示などに関する質問に対して「刑事訴追の恐れがある」との理由により証言を拒否した答弁は40回以上に及んだ[68]。ただし、自民党の丸川珠代から「安倍総理からの指示はありませんでしたね」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね」と聞かれると、それぞれ「ございませんでした」と明確に答えた。丸川は「官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官、安倍総理の秘書官、麻生財務大臣、麻生財務大臣の秘書官、財務省の事務次官、官房長などの大臣官房、他の局の幹部」からの指示はあったかと繰り返し尋ね、佐川はそのたびに立ち上がり「ございませんでした」と答えた[69][68][70][71]。 同年5月31日、大阪地検特捜部は、佐川ら財務省幹部38人全員を不起訴処分とした[72][73]。同年6月4日、財務省は「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を公表するとともに[74]、退職者2人を含む幹部ら20人の処分を発表した。佐川は停職3ヶ月の懲戒処分を受けた[75]。 2019年3月15日、大阪第一検察審査会は、不起訴処分とした38人のうち、有印公文書変造・同行使容疑などで佐川ら6人、背任容疑などで管財部次長の小西眞ら4人について「不起訴不当」と議決した[注 4]。しかし同年8月9日、大阪地検特捜部は佐川ら10人を再び不起訴処分とした[79]。 赤木雅子による提訴[編集] 2020年3月18日発売の『週刊文春』3月26日号が、総計15ページにわたる森友学園問題の特集記事を組み、赤木が死の直前に書いた手記全文を掲載した[80][81][82]。手記には「元は、すべて、佐川理財局長の指示です」「佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました」と記されていた[83][84]。 同年3月18日、赤木の妻の赤木雅子は、国に約1億700万円、佐川に約550万円の損害賠償を求め、大阪地裁に訴えを提起した[85]。雅子の弁護団は同日、手記全文を公表した[83][86]。 2021年12月15日、国は、自殺と森友学園問題に関する決裁文書改竄作業との因果関係を認め「請求認諾」を行ない、訴訟を終結させた[87]。 2022年2月9日、大阪地裁で口頭弁論が開かれ、赤木雅子は、佐川側が賠償請求を認めて「認諾」をすることを避け、尋問などで改ざんの経緯を明らかにするため、賠償請求額を550万円から1650万円に増やした[88]。 同年9月16日、赤木雅子、川内博史、辻恵らは、情報開示請求に「不存在」と虚偽の理由で不開示決定をされたとして、佐川、元理財局総務課長の中村稔、元同局国有財産審理室長の田村嘉啓の3人に対する虚偽有印公文書作成・同行使容疑の告発状を東京地検特捜部に提出した[89][90][91][92]。 同年11月25日、大阪地裁は、佐川に対する1650万円の損害賠償を求める裁判で、「公務員の個人責任を認める法的根拠は見いだしがたい」として請求を棄却した。佐川は裁判中は公の場所へはいっさい出ず、当該裁判においては代理弁護士まで出廷しなかった[93][94]。同年12月2日、赤木雅子は控訴した[95]。 同年12月27日、東京地検特捜部は、虚偽有印公文書作成・同行使容疑の刑事告発についていずれも嫌疑不十分で不起訴とした[96]。 2023年5月1日、佐川に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、赤木雅子は、一審で認められなかった佐川への本人尋問を実施するよう大阪高裁に申請した。またそのほかに、中村稔、田村嘉啓、近畿財務局の赤木俊夫の上司ら計4人の証人尋問も求めた[97][98]。同年9月13日に控訴審第1回口頭弁論が大阪高裁で行われ、黒野功久裁判長は「尋問を実施する必要がない」として佐川の尋問を認めず、結審した[99]。同年12月19日、大阪高裁は1審判決を支持し、赤木雅子の控訴を棄却した。判決理由で黒野裁判長は、赤木雅子が佐川に経緯の説明や謝罪を求めていることについて、「誠意を尽くした説明や謝罪があってしかるべきとも考えられるが、法的義務を課すことは困難」と言及した[100]。27日、赤木雅子側は判決を不服として上告した[101]。
佐川宣寿 - Wikipedia
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ari0921 · 2 years
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【変見自在】被爆国の権利
高山正之
            
 黒澤明の「七人の侍」を見たとき、ちょっと違和感があった。収穫を終 えた村を毎年のように野盗が襲う。実りを奪い、女を犯し、逆らえば殺し もすると映画は言う。
 確かに戦国時代に野盗の類はいた。ただそのころの野盗は普段は村で百 姓をやっている連中だ。彼らは近くで合戦があると出かけて行く。関ヶ原 の戦いでは手弁当持参で合戦を眺めていたという話も残る。
 大勢が決し、落ち武者が出ると百姓はとたんに見物人から追い剥ぎに変 身する。それを「野伏せり」という。襲ってカネ目になる武具を奪い、名 のある武将なら首級を取って褒賞に与(あずか)る。
 敵中突破をやった島津義弘も関ヶ原を脱出した後、この手の百姓に随分 痛めつけられている。因みにその関ヶ原の戦いも、百姓が稲を刈り入れ、 稲架(はさ)掛けを済ますまで待った。百姓に遠慮しいしいの合戦だった。
 そういうわけだから野伏せりが己の村を襲うという黒沢映画の設定がど うも落ち着かない。むしろ落ち武者が村を襲うというなら説得力がありそ うだが、日本の歴史はそれを否定する。
 例えば平家の残党は壇ノ浦の後、ただひたすら逃げ落ちていった。落ち 行く先は福井の赤谷とか南会津とか。八戸辺りにも落人の隠れ里が残る。 日経出身の評論家、故井尻千男(かずお)は戦国大名佐々木六角氏の末裔に 当たる。
 近江で負け、山梨の井尻村まで落ちて、六角を井尻姓に変えたと聞い た。劉邦は99回負けても諦めなかったが、日本人は一度でも諦める。それ が武士だ。
 もう一つ、武士の戦いは勝ったからと言って好きに殺戮や略奪はしな かった。関ヶ原の戦いでも石田三成を除けば西軍諸大名の誅求は石高を減 らす程度で収めている。
 欧州はそのころのウエストファリア条約を結び、勝手な略奪を禁じて国 が賠償義務を負うことにしている。
戦争の形も例えばナポレオンと欧州軍がベルギーのワーテルローに場所を 決めて戦うようになった。
 日本軍は日露戦争でも優しい戦争を実践した。捕虜の妻が四国の収容所 にきて夫を看病するのも許した。日本式の戦争に世界が目覚めたと思われ た20世紀。昔の戦法を蒸し返す国ができた。米国だ。
 真珠湾で始まった日米戦争は太平洋の島々を戦場としたが米国はそれを 飛び越えて日本本土を直接攻撃してきた
マッカーサーは飛び石戦と言ったが、別名は「サンドクリーク」と言っ た。コロラド州のシャイアン族の居留地の名で、米騎兵隊は戦士が狩にで るのを待って集落を襲い、女子供600人を皆殺しにした。
 民族を絶やすには女を殺せばいい。戦士を倒すより危険は小さく、おま けに手っ取り早い。米国は日本人をサンドクリークのシャイアンに見立て て女子供を集中的に殺したその象徴が広島長崎の原爆だった。
 そういう絶滅戦を米国はtotal war(総力戦)と呼ぶ。先祖帰り戦争と素 直に言えばいいのに。戦争倫理を育んだ日本が最も残忍な原始戦争の洗礼 を浴びたのは皮肉だが、これにどう対応するか。
「唯一の被爆国」だから「過ちは繰り返しませぬ」と逃げるか。「非核三 原則があるから何も考えない」(岸田文雄)とか「核兵器禁止条約に背を 向ければ日本は3発目を食らう」(ICANのベアトリス・フィン)と か、ふざけた雑音は多い。
 しかしウクライナ侵攻に見るように戦争に倫理は必要だ。日本はそれを 教えられる国だ。「唯一の被爆国」に続く言葉は「野蛮から国民を守るた めにどの国よりも優先して核兵器を持つ権利がある」に決まっている。
 それなのにマッカーサー憲法に拘(こだわ)って権利を留保するから支那 や北朝鮮まで図に乗ってくる。ロシアを含め戦争とは虐殺と強姦と略奪だ と思っている国ばかりだが、日本が持てばみんな黙る。
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myonbl · 6 months
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2023年11月4日(土)
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明日は私の誕生日、60代最後の記念日は東京遠征を企てた。昼は初めての浅草観光、夜は上野鈴本演芸場で憧れの柳家小ゑん師の高座を生で楽しむ。なんと、今夜は師の代名詞でもある<ぐつぐつ>を前から2列目で堪能し、次の紙切りでは<ぐつぐつ>をリクエストして切って頂いた。誕生日は毎年やってくるのだが、これほど充実した1日は恐らく人生初めてであろう(当社比)。つき合ってくれたツレアイと留守番の息子たちと同居猫・ココには本当に感謝している。みんな、ありがとー!
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4時30分起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
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朝食は納豆そば。
弁当がないのでゆっくりとコーヒーをいれる。
洗濯物を干す。
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あちこち片付けをしてからの出発。
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途中、富士山がきれいに見えたことを確認し、持参したおにぎりで昼食。
東京から上野、地下鉄に乗り換えて浅草へ。
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雷門の前の人混みに圧倒され、浅草寺にお詣りしてすぐに離脱、旧猿若町の三座跡を確認し、隅田川沿いに戻って田原町から上野へ。
コンビニでビールとつまみを購入してからホテルにチェックイン。
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持参したおにぎりで小腹を満たし、鈴本演芸場へ向かう。主任の柳家わさび師のチラシ画像を提示して200円引きで入場、前から2列目に席を取る。お目当ては4番目の柳家小ゑん師、なんと<ぐつぐつ>だ!余韻の冷めぬ間に、次の紙切りでは2人目に<ぐつぐつ>をリクエスト、これは帰宅したら額装して家宝にしよう。
 仲入りでiPhoneの電源を入れるとすでに小ゑん師のTwitterには今夜の報告、すぐにコメントを書く。
終演は20時15分、徒歩5分でホテルに戻る。
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 小ゑん師から返信を頂いていた。
今夜の番組は、
「子ほめ」金原亭馬玉、「太神楽」翁家社中、「初音の鼓」桂やまと、「ぐつぐつ」林家小ゑん、「紙切り」林家八楽、「真田小僧」鈴々舎美馬、「おばさん自衛隊」三遊亭白鳥、仲入り、「漫才」風籐松原、「つぼ算」春風亭一朝、「粋曲」柳家小菊、「水屋の富」鈴々舎馬るこ
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自宅から運んだ瑞冠と🍷、コンビニで求めたヱビスビールで晩酌開始、アテは鈴本で求めた井泉のカツサンドとコンビニの惣菜。
一杯飲んで食べて、今夜は体重も忘れて楽しんだ。酒はすぐになくなったのでシャワーを浴びて早めに就寝。
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さすがによく歩いた、水分はセーブしながらの1,480ml。
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tutai-k · 1 year
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旅の記録
12月3日~4日、友人と鎌倉・江ノ島旅行をする。
鎌倉文学館で没後35年特別展、澁澤龍彦・高丘親王航海記の展示があったので、鎌倉へ行こうと計画をしていたところ、友人が声をかけてくれて、ひとり旅でなくなった。
ひとり旅だと、どうしても鳥を探したくなって重いカメラを担いで、ワークマンの服を着て出かけることになる。鳥を撮影するようになってから、文化財を巡るような「旅」とは疎遠になっていた。
旅のルートは、 一日目 北鎌倉・浄智寺(澁澤龍彦の菩提寺)―鎌倉・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館/鳩サブレーで有名な豊島屋のカフェ「置石」/クルミッコ/桜貝アクセサリー店/鎌倉文学館 二日目 江ノ島(特にどこという予定は決めずに江ノ島とだけ決めていた)
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・北鎌倉 浄智寺 北鎌倉で待ち合わせをした。そのまま浄智寺へ。地図を見なくても、なんとなく歩いて行けばたどり着けた。 人生で一番通っている寺というのは、どう考えても地元の檀家になっている寺だが、そのつぎがたぶん、東大寺だろう。地元の友人とよく奈良へ行くし、奈良は鳥がたくさんいるので、バードウォッチングを始めてからも何かにつけて出かけている。だがその次は?となるとおそらく浄智寺ではないかと思う。 そんなに通っているのに、じつは一度も澁澤龍彦の墓にたどり着いたことがない。浄智寺は、拝観料が必要な文化財としての寺だけれど、檀家もいて、お墓があるのだ。それはつまり、地元のひとびとの暮らしと地続きの場所で、そこを、ただ澁澤龍彦のファンであるというだけの自分が「墓参りに来ました」と言っていいものか、というのをずっと迷っていて、聞けずにいて、見つけることができなかったのだ。 だが今回、どうしても澁澤に報告したいことができたので、澁澤の墓前に立ちたかった。寺の受付のひとに聞くと、わかりづらい場所にある、と言いながら親切に教えてくれた。いままでたどり着くことのできなかった墓前にたどりついて、いろんな報告をした。 澁澤にしてみれば赤の他人が急に墓にやってきて、あなたのファンです、やっとここまで私の人生がたどり着きました、なんて報告をされても知ったことではないだろうと思ったが、人生の一つの区切りとして訪れることができてよかった。矢川澄子は岩波の校正員時代に、龍子さんは芸術新潮の編集者のときに、澁澤と出会っている。 御朱印をもらって帰るとき、そのふたつ前のページが、以前訪れたときの浄智寺のものだった。文化財から足が遠のいている自分を発見してすこし苦々しく思う。
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・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館 カモメが群れになって飛んでいた。七五三の子供がたくさんあるいていて、成人式の前撮りの人たちもいた。 今期の大河ドラマを見ていないのでついていけるかどうか不安だったが、楽しそうにする友人を見ているだけで楽しかった。映像資料やジオラマ、体験コーナーなど、ドラマを見ていない人間でも楽しめた。舞台セットの時代考証の映像がとてもよかった。 ハトがたくさん歩いている。
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・クルミッコ/置石/桜貝のアクセサリー店 前回鎌倉旅行をするときに、地元の友人に「クルミッコ」というお菓子がおいしいと教えてもらった。そのときはお昼過ぎに店舗に立ち寄ったのだが、行列ができていてなかなかお店に入れなかった。「並ぶんだよ~」と言いながらお店にいくと、列ができていない…。もうクルミッコブームは終わったのか? とお店に入ると……クルミッコ、売り切れていた。まだおひるすぎだというのに。 置石へむかう。エクレアサンドとチョコレートパフェをたのむ。紅茶がとてもおいしいと友人が教えてくれたのでそれも注文する。紅茶はとてもおいしかった。そして……チョコレートパフェ、800円という金額なのにとても巨大だった。エクレアサンドを食べたあとに食べるサイズではなかった。ふつう、コーンフレークがいるところにおそらくは粉砕されたハトサブレが陣取っていて、それがとてもおいしかった。巨大だったが、おいしかったのでつるっと食べられた。 その後、桜貝のアクセサリー店へ行くまでに、鳩サブレー本店にたちよる。鳩サブレーグッズを買う。ここも行列。宿で食べるおやつに矢口餅を買う。大河ドラマに登場した餅らしい。何も知らずに求肥に釣られて買った。 桜貝のアクセサリー店も長蛇の列だった。列に並んでいるあいだ、「桜貝ってわれわれでも拾えるのかな」「由比ヶ浜にいくから打ち上げられてないかな」などと話をしていたら、前に並んでいた人が、「六時半くらいに行くと拾えますよ」と拾った桜貝の写真を見せてくれる。早起きして桜貝探しをすることを誓い合う。 どれもかわいくて迷いに迷って、桜貝のヘアピンを買う。
・鎌倉文学館 鶴岡八幡宮の門前町を楽しみすぎて、文学館が16:30閉館なのにたどり着いたのは16:00だった。高丘親王航海記の展示を見る。こぢんまりとした���示だったし、見たかったのは創作メモだけだったので、そこだけ重点的にみる。三島の影響を感じる部分などある。 リスが木を歩いていた。鎌倉にはたくさんリスがいると警備員さんに教えてもらう。宿までの道すじでもリスがいて、うんこされる。
二泊目
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・由比ヶ浜 約束通り6時に起きられたので、6時半に由比ヶ浜に到着する。もうサーファーが海にたくさん入っていておどろく。 桜貝を探す。海で貝を探すときは、一点を見ない方がいい。とはいえ、タカラガイを探すことは得意でも、桜貝用の「目」ではない。一つ目を探すのに苦労する。それでも一つ見つけると目が慣れてぽつ、ぽつと見つけられる。メダカラを一つだけみつけるが、擦れていたので拾わずおいてゆく。桜貝に孔をあけるツメタガイも打ち上げられている。 「朝日曇っているから見えないのかなあ」と言っていたら、背後の山のほうから日が昇る。朝日はいつでも海からのぼると思っていたが、そうでもないらしい。
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・江ノ島 江ノ島へ行く前に、クルミッコへもう一度。開店直後にお店に到着したのに、お店のかげまで行列ができていておどろく。ほしかったカンカン入りのクルミッコが買えたので満足する。 江ノ電に載り江ノ島へ。 江ノ島までの道にたくさんお店が並んでいる。家族には「わざわざ江ノ島まで行ってしらすを食べなくても地元で食べればいいじゃないか」と言われながら出かけたのだが、しらすピザは地元にはない。絶対しらすピザをたべたいと言い続ける。 弁天橋から鳥を見る。見たことのない鳥だったのでコンデヂだったが撮影する。帰ってから調べるとカツオドリで、どうして重いからという理由でミラーレス×超望遠を置いてきたのかと後悔する。 江ノ島神社への参道には、貝を売る店がおおくある。夜光貝やナンヨウダカラを見てはほしいほしいと騒ぐ。 江島神社へ到着する。弁財天をまつる神社もある。わたしは弁財天を見つけると必ずお参りするようにしている。弁財天は芸能の神様なので、小説の上達を必ず祈ることにしているのだ。弁財天のお守りももらう。新しい仕事の鞄につけようと思っている。 山頂まではエスカーにのる。エスカー、ケーブルカーのようなものだと思っていたらエスカレーターだった。だからエスカーか……。 参道で行列ができていたタコせんべいのお店が山頂にもある。そこも行列ができていたが、参道ほどではない。生のタコをまるまる一匹、プレスして作るせんべいは、タコをおしつぶすとき、悲鳴が聞こえる。あつあつのを、トンビに狙われながらたべる。 シーキャンドルという展望塔に向かう途中、鳥のような鳥じゃないような鳴き声が聞こえる。近づいていくとリスだった。至近距離でも逃げない。奈良の鹿のように、鎌倉にはリスが多い。クルミッコにリスが描かれていることに納得する。 シーキャンドルにのぼる。眺めがよく、ずっと見ていられそう。富士山がとても近い。わたしたちの住んでいるところでは、富士山は条件のいい冬にしか見られないが、関東では天気がよければそうめずらしくないらしい。 念願のしらすピザをたべる。めちゃくちゃ大きい。鎌倉野菜としらすのピザだった。とにかく大きい。おなかがいっぱいになりながらそれでもおいしいので完食する。はじめてクリームソーダを食べる。おいしかった。窓からは湘南の海だろうか、海と富士山が見える。SUPのひとたちがときどき通り過ぎてゆく。
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電車に乗り、友人と別れる。 先週の横浜行きでは売り切れていた崎陽軒のシウマイ弁当を食べる気満々でいたものの、しらすピザが大きすぎて全然おなかがすいていなかった。崎陽軒のチャーハン弁当(シウマイが2コ入っている)と、真空パックじゃない方のシウマイを買う。新幹線で食べるつもりだったが全然おなかがすかなくて、帰りの近鉄電車で食べた。おいしかった。
コロナ禍に入ってからバードウォッチングをはじめ、神社仏閣をまわったり、博物館へ行ったり、素敵なカフェやお土産を探したり、観光地をぶらぶら歩く旅から遠ざかっていたので、今回の旅ではそれができたことがとてもうれしかった。 いつのまにか、旅=探鳥になっていたけれど、こういう旅を好んでしていたなあ……旅といえば、博物館や美術館を探し、神社仏閣を巡っていたのは、つい二、三年まえのこと。それなのに、なんだかはじめての旅をしたような心地だった。
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ndmnemosyne · 9 months
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2023.8.12
わたしのヒースクリフ、台風が近づいていてわたしは気もそぞろ。今度こそもうだめだと思う。怖くてたまらない。何が起こるだろう、いつも一定でなければわたし��は耐えられない。怖くて苦しい。
三日間の休暇を終え出勤した。納品日は昨日だったので、検収は終わってるんじゃないかな、終わっているだろうと思ったら取っておいてあった。リスト作りと選書まで……。ばりばり選書した時の盛りだくさんなリスト作りはなかなか大変だが、やれば終わる作業なので嫌いではない。ついでというかおまけというか、もう一つの納品も(土曜だからないと思っていたのに)しっかりあり、かなりの量だなと思いながら午前中を終えた。そんなこともあろうかと、朝のわたしが弁当を、冷やしそばではなく冷やし中華にしておいたので、昼のわたしはわずかに喜んだ。昼からはひたすら整頓したり紙ものの調整をしたり、リストアップをしたり、探し物をしたりで忙しかった。マスクをしない人がやって来る。わたしはそのたびほんの少し、後退りをしてしまう。もちろんビニールカーテンがぶら下がってはいるが、マスクをしないのが当たり前のような環境にわたし(たち)はいる。わたしたちはマスクをする事になっているので、それだけが頼りだ。また陽性になりたいとは全く思えない。本当に?大丈夫なの?わたしは怖くてたまらない。
怖くてたまらないもうひとつは台風で、次の台風はどうも直撃するらしい。これがわたしをひどく憂鬱にさせる。毎日、台風だけでなく「明日はほんとうにやって来るのだろうか」とビクビクしながら導入剤でやっと眠る。起きたら起きたで「途中で世界ごと崩壊しないだろうか」と心が重い。そこに仕事と家庭と自分の事が加わるので、心中お察しいただきたい。精神的に脆いため、できるだけ同じことをできる限る再現しながら渡り歩いているというのに、イレギュラーが発生するとなるとわたしはもう使い物にならない。パニックになって走り回らないだけまだましだと思ってほしい。本当なら転げ回りたいくらい不安で、一秒ごとに「そんなに心配しなくていい、ちゃんとできる、ちゃんと大丈夫になる」と励ましてもらわなければ無理なのだ。大人なのに。だから頓服を飲んで布団をひっかぶって、ベッドに丸まっている間に終わってほしいと思っている、心の底から。
仕事のための新しい手袋は、百八円とは思えないほど重宝している。薬指と小指は本をたくさん抱えて持つ時に滑り落とさないよう力を入れがちだから、ずっと辛かった。その二本にグリップがついているのが素晴らしい。残りの三本は指ぬき状態なので、手袋をしたままでもキーボードを叩く事ができる。今日は検収が多かったのでずいぶん役に立ってくれた。書架を整理しながらブラウジングしていると、これは勉強に使えそうだから借りて帰ろうと思った本があった。『図書館「超」活用術 最高の「知的空間」で、本物の思考力を身につける図書』(奥野宣/朝日新聞出版)結局閉めの作業に気を取られて、借りて帰るのを忘れたので、明日は借りたい。明日が、わたしにあるのなら。
ねえヒースクリフ、笑ってしまう?わたしはずっと安心させてほしい、一秒ごとにわたしの手を握って、言葉をかけてほしい。明日は来るし、崩壊しない。台風はひどくならないし、何も壊れない。そう言ってほしい。明日も、明後日も、そう言ってほしい。そしてそうなるようにしてほしい。
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tanakadntt · 1 year
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三輪隊の小説(二次創作)
三輪隊で、たこパなんてどうだろう?
「たこ焼きを食べよう」
という話になったのは、三輪隊といえば焼肉、三輪隊といえばたけのこの里、三輪隊といえばコーヒー、三輪隊といえばカレーを食べたあとのお冷、である同隊にしては非常に珍しいことなのだが、いつも焼肉を遠慮する(おそらく苦手)月見蓮が珍しく興味を示したからである。
三輪隊オペレーター月見蓮は高嶺の花とも称される美しい令嬢ではあるが、同隊においてはクールな指導者で、かつマイペースな年長者だった。
皆に好みを合わせてまで一緒に食事はしない。以前、ハンバーガーを食べたことがないと聞いたことがある。飲食を伴うフランクな交流は作戦室のお茶の間まで。要は線引きがきっちりできている。
その月見がたこ焼きについて興味を持ったのだ。
元々は何の話だったか。場所はいつものお茶の間だった。
「お祭りの屋台で見たのよ」
出店は、チョコバナナにベビーカステラ、りんご飴と甘いものが多いが、たこ焼きのソースの香りと丸い見た目が印象に残っているという。
焼きそばは食べたことがあるというが、高級中華の色がついてないやつだと察せられた。
「そうなんですか? じゃあ、一緒にたこ焼き食べましょうよ?」
同隊狙撃手の古寺章平がそう誘ったのは軽い気持ちだった。買ってくればいい。チンでもテイクアウトでも、お茶の間で食べられる。今は十一月、日に日に寒さが増してくる季節だが、来年の夏になればお祭りに誘ってもいい。未成年者が多いこともあり、ボーダーにおける隊の結成期間はだいたい半年から一年と短いが、古寺には、この三輪隊が来年の夏までも、いやもっとずっと続くように思えた。
「ありがとう」
月見は微笑み、次のお茶菓子は菓子ではないけどたこ焼きだな、飲み物は何が合うだろうと考えていたところ、同隊攻撃手の米屋陽介がうなずいた。
「章平、いいこと言うじゃん。どうする? たこ焼きプレート、うちにはないぜ」
「え?」
「うちにある」
同隊狙撃手の奈良坂透が応じる。
「ええ?」
「奈良坂の家からじゃあ、ちょっと遠くねえ?」
「章平と運ぶ」
「えええ?」
古寺の驚きなどお構い無しに会話が進む。同隊隊長の三輪秀次は、そうかと言って腕組みをした。
「奈良坂、ガスか? 電気か?」
「電気だ」
「ていうか、作戦室でそういうのやっちゃっていいの?」
「加古さんだって、炒飯作ってるんだ。使ってもいいと思うが…」
三輪が顎に拳をあてて天井を仰いだ。
「…狭い」
ここで、ようやく古寺は口を挟んだ。
「作っちゃうんですか?」
「え?」
先輩三人は、意外なことを言われたような顔をして一斉に古寺を見た。顔の圧がすごい。
助けを求めて月見を見るが、抜群の指揮能力を持つ才媛もたこ焼きに関する知識がないので、頭の上にはてなマークを浮かべて、にこにこしている。
「作んないの?」
米屋が代表して無邪気に聞いた。
古寺はぐるりと狭い部屋を見渡した。狭いと言っても、作戦室のお茶の間よりはずっと広い。
(ここが三輪先輩の部屋)
たこ焼きパーティーの会場は本部住まいの三輪の部屋となった。
(シンプルだ)
予想通りというべきか。若くして人生から様々なものを削ぎ落としているひとつ歳上の隊長の私室は作戦室より更にすっきりしていた。仮設住宅住まいの古寺の部屋は二人の弟と一緒だ。漫画とトレカとゲームとランドセル、あと何だろう。様々なものが散らばる雑多な部屋とは大違いだ。
八畳程の広さのフローリングにソファと机、丸椅子ひとつ。それだけだ。どこで寝ているのか? 真ん中に折りたたみのローテーブルがある。みんなでおじゃましたあと、部屋の主である三輪がクローゼットから出してきたから、おそらく常日頃は仕舞われている。
その上に、
「四十個も焼くの?」
おっかなびっくりプレートをセットした月見がくぼみの数を数えている。
「四十個じゃ足りないですよ」
奈良坂がコードをセットしながら言う。米屋が家から持ってきた大きなボウルを取り出している。
「章平ん家、たこ焼き焼かねーの」
月見と一緒にたこ焼きの調理家電を覗き込んでいる古寺に米屋が聞いた。
「そもそも、うちにないですね」
両親は共働きだし、収納の少ない仮設住宅の台所で母親はなるべく物を増やさないようにしている。だから、こんな巨大なものが同じく仮設住宅の奈良坂の家にあったのは驚きだ。料理好きのお姉さんとお母さんがいるせいだろうか。
「あ、奈良坂、チョコを入れるつもりなわけ?」
「定番だろう」
各々手分けして買ってきた買い物袋を整理しながら米屋と奈良坂が会話している。
「オレもチーズとカニカマ買ってきた」
「生地を作るのはそっちの部屋でやってくれ」
台所から三輪が顔を出す。
「あ、おれは何をしましょうか」
古寺も立ち上がった。
「月見さんは机周りで進行状況の確認、奈良坂と米屋は具材のセットと生地作り、古寺は材料を切ってくれ」
「了解よ」
「わかった」
「オッケー」
的確に指示を出す隊長に古寺が声をかける。
「三輪先輩、慣れてますね」
「前にいた隊ではこういうことがたまにあった」
旧東隊のことだ。現東隊の奥寺と小荒井もそうなのだが、最初の狙撃手、東春秋を隊長とする東隊に所属していた事に古寺は憧れを感じる。
「よく作ってたんですか」
「いや、たこ焼きは初めてだ」
広いとは言えない台所で、まな板を古寺に渡しながら三輪は答える。
「でも、チームメンバーだから任務と同じに考えればいいかと思った」
「そうですか…」
古寺は不覚にもじんときた。不器用、と背中に大きく書いてあるような先輩に成長を感じる。
ネギを切って、蛸を切って、カニカマを切って。一心に切っていると目の前に花があるのに気づいた。
小さな花瓶に小さな花が無造作に挿してある。十七歳男子の台所にしては違和感があった。この後、テーブルに飾るには、既にたこ焼きプレートが占拠している。
「秀次、水と泡立て器だってさ」
そのとき、計量カップとボウルを持って米屋がキッチンにやってきた。
「泡立て器はないから箸でやってくれ」
三輪が言われた分量をしかめっ面できっちり測っているのを横目に米屋が花に向かって片手をあげた。
「お邪魔してまーす」
「先輩、何をしているんですか?」
古寺の疑問を受けて代わりに三輪が答える。
「ああ、陽介は姉さんに挨拶したんだ」
「お姉さん…ですか?」
四年前の近界民侵攻で、三輪は姉を目の前で亡くしたことは知っている。
しかし、目の前には花が一輪、写真も何も無い。
「前は写真立てがあったんだが、濡れるからしまったんだ」
なんでもないように古寺に説明する。しかし、それは本末転倒である。写真が本体ではないのか。
「台所にあるのは水が汲みやすいからなんだってさ」
米屋は付け加える。
「秀次って大雑把なとこあるよな」
三輪はムッとした。
「こういうのは気持ちだ」
さらに米屋が混ぜっ返そうと口を開けたとき、ピンポンとインターホンが鳴った。モニターを見る。
「弾バカだ」
A級一位太刀川隊の天才シューター出水公平である。彼は三輪と米屋の通う第一高等学校の同級生でもある。彼も参加することはあらかじめ聞いていた。
しかし、
「なんで太刀川さんまで」
一緒にモニターをのぞいた三輪はあからさまに嫌な顔をする。隊長はこのボーダー一位のアタッカーが苦手なのだ。
『餅を持ってきたぞ』
モニターの向こうでレジ袋を振っている。
「ごめんなさい。太刀川くん、私が話したから、羨ましかったのね」
月見が奥の椅子から立ち上がってやってくる。月見と太刀川が幼なじみの関係である���とを三輪隊の誰もが失念していた。
「どうする? 三輪くん」
暗に追い返してもいいと提案するオペレーターに三輪はため息をついた。
「材料も持ってきたみたいですし、いいですよ」
「あんた、たこ焼きに入れるってわかってて、なんで、でかいまま持ってくるんだ」
「これしか、売ってねえもん。それにチンすりゃいいだろうと思ったんだ」
「レンジなんてない」
「普通、あるだろ。おまえ、弁当温めないのか?」
「コンビニで温めてもらうから必要ない」
「や、ちゃんと切りますから大丈夫ですから!」
古寺は隊長二人に挟まれて泣きそうである。古寺が餅を細かく切るのに苦労しているのを見た太刀川が俺がそういうの得意と言い出し、三輪があんたがやったらまな板も切れると断って、太刀川が反論して今に至る。
「太刀川さぁん、そろそろ焼きますよぉ」
出水が助け舟を出す。
「おう」
太刀川がのっそりとキッチンを出ていって、古寺はほっとした。
「俺が切っておくから古寺も行ってこい」
三輪に促される。
「先輩はいいんですか?」
「…俺は疲れたから休んでる」
冷蔵庫から買い出しのジュースをひとつ取り出して栓を開けた。
早速チョコを入れようとする奈良坂を抑えて、最初の四十個は全て蛸である。正統派だ。このあともチョコを始めとして、様々な材料が控えている。ネギと天かすを上から振る。たこ焼き用のピックは人数分買ったので全員が持っている。
最初の一口はもちろん月見へ。三輪もペットボトルを持ったまま、キッチンから眺めている。
大騒ぎを伴って作成されたそれはパラリと青のりが振られ、かつお節が踊っている。
月見は品よく口に運んだ後、熱さに苦戦しながらひとつを食べ終わり、
「とても美味しいわ」
と、頬に手を添え微笑んだ。
(終わり)
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wearethekuuchann · 1 year
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おいしい話には気を付けろPART3
 世間では持眠がダメだから医心が受け皿になり、『生活が楽になる』と考えている有権者が多い様だが、はっきりいってそれは間違いである。医心(二本医心の貝・多逆医心の貝)は、存在感こそ無茶苦茶あるみたいだが、医心に行政権を取らせたり政権を取らせると、最後はこの国が潰れるだけである。『国破れて山河在り』そのものである。
 まず医心のホームページやニュースを拝見したが、『医心ハ策・嘘八百・三四がなくて・権力欲』といっても過言ではない。何が問題なのか、一つ目はベーシックインカムの導入を本気で実行しようとしている事。二つ目は減税を並行して公約し、国民住民を騙している事。三つ目は、『身を切る改革』と、公約して今も昔も一緒にして国民住民を騙し混乱させている事。四つ目は、一院制を含めて我が国を更に小さな政府にする事。五つ目は、IR(カジノギャンブルリゾート)を造る事である。
 ・まずベーシックインカムの導入をマイナー公約に出しているけど、これが実現されたら、世の中が大変な事になる。前の投稿でも述べたが、月一人当たり6万円~8万円を与える事だが、我が国の人口は一億人以上いるので、国全体として試算したら一月84兆円~144兆円の額を国から出す事になる。医心のエグイのは、予算100兆円のベーシックインカム費と公約しているが、年額とも月額とも記していないのである。筆者は電卓で計算したので解っている。月額100兆円前後である。そこの曖昧さは持眠と何ら変わりはない。筆者もデフレ時代に月8万円強で生活した事があるが朝・昼兼用の食事と夕食の一日二食で合計¥1000円以上の食事がとれなかったのが事実である。McDのハンバーガーが一個68円時代に、ハンバーガー1個と水だけという生活もあったし、おにぎりが一個98円と水だけの生活も送った。電気・ガス・上下水道・電話(BBフォンのみ)代等、又国民健康保険料を格下げしてもらった上でも、食堂に行っても一食500円を超えられなかった。それでも一月の生活は、赤字だった。そういう経験を積んだ上で有権者の皆様に訴え申し上げているのである。現在では物価高でハイパーインフレーションになりつつある今の世の中で、ベーシックインカムで国民住民が生活できるのか???。病院に入院している患者さん達は、生活出来るのか???。政策した後何の責任を取らないのが医心の貝である。だから問題であり許せないのである。全ては国民住民の自己責任だから・・・。
 ・次の問題点は減税を公約しているみたいだ。消費税減税・相続税廃止等を公約しているみたいだが、仮にそれを実行しても別の税金(大増税)が発生し徴収されるだけである。ベーシックインカムを実行して、減税等『おいしい話はあり得ない』のである。もしも後考えられる事は、殆どの省庁(公務員)の廃止と参議院の廃止である。残るとすればデジタル庁、防衛省、創設される歳入庁と歳出庁だけになり、後の省庁は廃止されるだろう。何しろ医心の創設者は、公務員が大嫌いだからである。何しろ医心は衆議院一院制を目指し、参議院の代わりに、各都道府県市町村の首長で、賄えば良いと目指し実行しようとしているからである。減税は、裏切られるのが目に見えている。
 ・次の問題点は、身を切る改革を公約している事である。最初の国政選挙の時、議員が一人もいなかったので政党助成金は、確かに無かった。それは昔に事であり、今は医心の議員は何人かいるので、政党助成金はもらえている。今も昔も混合させ、国民住民を騙し続けている。確か創設者が言った事は、弁護士と議員は、噓つきでないと出来ない職種とはっきりと言っていたのである。身を切る改革とは、初めだけであって、今では弱者を切る改革なのである。皆様騙されない様に!!!!!!。
 ・次、四つ目の問題点は、一院制を含めて更に『小さな政府』を目指し実行しようとしている事である。何回も申し上げますが、『経済』というものは『経世済民』の事で、税金を納めて社会保障等のサービスで還元する、これが原則である。つまり、家計・企業・政府の相互のやり取りで成り立っているのである。もう忘れたか???。21世紀改革で我が国が酷い目に遭った教訓をもう忘れたのか!!!!!!。21世紀以降小さな政府を目指したために、1年に3万人ぐらい自殺や餓死した事を!!!!!!。これが原因でこの国の人口が減っていき、優秀な人材が我が国をを離脱していった事をもう忘れたか??????。今の持眠も駄目だけど、医心は受け皿どころか、更にこの国を新自由主義経済を推し進める!!!!!!。小さな政府だと災害や戦争等の時にショックドクトリンが待っている。その時は誰もどうすることも出来ない。大きな権力が、国民住民に、襲い掛かってくるだけである。『新自由主義におさらばを』と、いう国も出てきている。皆酷い目に遭っての教訓である。我が国もおさらばすべきである。我が国が絶対に戦争に加担してはいけないし、小さな政府を主張する医心は、国民住民から税金だけは取るだけ取ってそのお金を国民住民に還さない政策である。これから先医心には、支持をしない事が重要である。
 ・最後に述べたい問題点は、IR(カジノギャンブルリゾート)である。カジノはギャンブルであり、経営者が儲かる様に運営されている。富裕層がギャンブル依存するだけでなく、カジノそのものが出来たら、その経済波及効果としてカジノ地域には、風俗営業者が進出してくる。この問題化は我が国だけではない。諸外国でもカジノ地域には、風俗営業が付きものになっている。我が国では、セクシャルハラスメントを中心にハラスメントを禁止しようという空気の世の中、又AVも売買も禁止化の世の中、カジノという富裕層ギャンブラーのために、風俗営業者を進出させて良いのか??????。医心の貝は、そこまで物事を深く考えた事があるのか??????。国政である二本医心の貝でも、地域政党である多逆医心の貝にしても、最後の結論として自分達さえ富を得て大きな権力を振るいたいだけの政党である。
 確かに今の持眠は駄目だけど、医心はもっとダメである。有権者の皆様には、どの党を支持して良いか、どの党を支持しては良くないかは、今筆者が有権者に強制する事は出来ないのである。ただ立場として『おいしい話には気を付けろ』と、いう筆者が、前の文章の時から述べた通りある。『医心ハ策、噓八百、三四がなくて、権力欲』と、いう事を肝に命じないと、有権者の責任で、無権者にまで被害が被るのである。筆者はそういう事が、我慢出来ないから、こういう文章を書くのである。筆者がもし、持眠か医心かの二者択一に迫られたら、嫌だけど、持眠を支持しているだろう。何故なら持眠は酷さが減速するが、医心は酷さが加速する。そう思えばベーシックインカム・偽減税・身を切る改革・小さな政府・カジノ要に、騙されてはならないのである。医心も慈善事業では、ないからである。 
      久郷克己,拝,
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mariobabyface · 2 years
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ランチパワー、その253。
時節柄、麺類多いです!
高林養魚場
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北京
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オールドデリー
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支那麺 はしご 銀座八丁目店
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萬福
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中華料理 餃子の店 三幸園 白山通り店
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石はら
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酒の穴
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そして、弁当たち×2
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alaephoenicis · 2 years
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コロナ委員会分裂?
コロナ委員会の活動に希望を繋いできたため、「噂」を聞いて不安になった方も少なくないと思います。
今現在は、両側の言い分が一応公開され、提示されていた事実上の金銭関係の問題はまだクリアにはなっていないようですが、コロナ委員会はヴィヴィアーネ・フィッシャー弁護士の意向で継続され、ライナー・フュルミヒ弁護士は独自のプロジェクトに既に邁進しています。
私としては、あまり心配しなくても、真実は自ずとあきらかになっていく感触がしていますが、それは私がナマのドイツ語で二人の言い分を聞けているからかもです。
ここでは、どちらにつくこともなく、それぞれの言い分を和訳しますので、その後の判断は皆さん各々におまかせします。
動画に字幕を付けると作業に時間がかかるため、とりあえずこのまま投稿しますが、本人たちの表情も見たほうがいいかも知れませんので動画も添えました。
翻訳:ALAE PHOENICIS
テレグラムチャンネル:https://t.me/alaephoenicis
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、ヴィヴィアーネ・フィッシャー弁護士が、最初に突然公開した動画。
和訳:
ライナー(以下R)とは上手くやってきたし、多くのことを暴いて、戦略的にも正しい決断をしながら、成果を出してきました。
Rはカリスマ性、機敏さ、雄弁さ、それに加えて英語に長けているので、素早く要点を抑えてくれて、たいへん役に立ってくれました。
ここまで一緒に達成出来て、嬉しく思っている。
しかし、残念ながら、私がこれまで、法と正義の為に共に闘ってきたRから得ていた印象と一致しない残念な事態が発覚しました。
コロナ委員会での、当初四人の弁護士で取り決めた規定に言及しますと、これは私が書いたものですが、条件として、「私たちの誰もが謝礼を受け取ってはいけないし、サービスに対して過大な報酬を受け取ってはいけない」ということを決めました。また、「財産拘束」というものもあり、つまりもしコロナ委員会が解散するようなことになった時、個人に配分される財産は生じない、というものでした。
ここで、発覚したのはRが毎月、自分の法律事務所からコロナ委員会に請求書を提出していたことです。金額は額面(つまり税込みで)2万9,750€で、これは支払われていました。
彼と、元々彼の友人で、コロナ委員会の会計を頼んでいた会計士が共に、この請求を承諾していましたが、この請求内容は「メールの処理業務」となっていることが発覚しました。
しかし、Rはコロナ委員会の公のメルアドにアクセス権はないし、メールの処理をしていませんでした。
そうではなく、請求内容は彼の弁護士事務所に来ていたメール処理の費用でした。
私には、その様な規模で業務が実際になされていたという想像が出来ないので、そのお金は彼個人に入っていたという疑いがあります。もしくは、関係者たちに過大な報酬が渡されていたこともありえます。
コロナ委員会のメールアドレスに来たメールは、2年間私の友人が月々800ユーロの謝礼で対応していましたが、私自身、ヴォーダルグ医師、ウルリケ・ケマラー教授、マーティン・シュワブ教授等等にも、受信メールを配分して処理してもらっていました。
つまり、この機関にRの事務所に支払われた積み重なった多量の金額は、65万ユーロに上っています。このお金は、メール処理業務のためではなく、人々の啓蒙のために使われるべきものでした。
その他の問題点は、我々が流動性準備金を設置したことです。
70万ユーロがRの名義で保管されましたが、これは要求が生じた場合に応じて、常時返金されることになっています。
委員会は、アルネ・ブルグハルト教授の「病理学会議」他、プロジェクトに資金を必要として、Rに返金を要請したところ、彼は支払えませんでした。
そのお金は彼の不動産につぎ込まれ、返済ローンが残っているとかで出せないというのです。
私は仰天して、取締役として安全を図るため、すぐにでも土地代金の取得とか、公証人による認証の実施を行うよう要請しました。Rは丁度、この家を売却するところで、米国に移住する予定でしたので。
そこでRは急に防衛的になり、8月に売却されると言っていたのに、いまでは10月だと言っています。
しかし、この家は土地代金の借金があったりで、委員会に返すお金が出てくるのかどうか…
もしかすると、彼は他のソースからこのお金を返せるのかも知れませんが、どちらにせよ、何度も問い合わせましたが、いまの時点ではなんの進展もなく、彼は自己防衛的で、信頼関係の回復に向けようという姿勢がないので、現在の状況には非常に負担がかかっています。
と云う具合に、「返すべき金額を変換し、委員会が予定しているプロジェクトを実行出来るようにして下さい。お金を触れない所に置かないで下さい。」と語っています。
「数週間、ゲストを呼んで、Rなしでも上手く続けています。そうやって真実の調査のために努めるのがコロナ委員会の本来の機能で、今後もそうあり続けます…。恐らく、次の数週間は非常に重要な時期となりますので、今後もこれ迄と同様の強度をもって取り組んでいかないと。その他の重要な方々も協力してくれています」
「私自身は決意を固めた戦友と共に頑張っていると思っていたので、このようなことが発覚すると露ほどにも思っていませんでした。ここでエラー修正を展開することになります。ライナー、委員会が前進できるよう、返すものを返して下さい」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次に、ライナー・フュルミヒ弁護士の説明。Bittel TVのロジェさんがインタビューにあたりました。非常に長いです。
まず先に現状描写:現在、コロナ委員会側からはフュルミヒ弁護士は四面楚歌の状態。ヴィヴィアーネの他、コロナ委員会に従事していたその他の弁護士たちも「フュルミヒ氏から距離を置く」と声明を出しており、ライナーとヴィヴィアーネをつなげたヴォーダルグ医師も「金のことをはっきりさせるべき」としか言っていません。コロナ委員会に協力していたビーレフェルド大学のマーティン・シュワブ教授は(多分ライナーのコネだったのではないかと思いますが、)「委員会内の対立には言及しない」と第三者の立場を守っている。
ライナーの主張では、集団訴訟の件とコロナ委員会の件は「別々」。
これを混同させて、委員会の内部分裂と関連付けるような公式メディアでの情報拡散があり、これは意図的にライナーを攻撃する「悪意」だとのこと。
Bittel TVでのライナーの説明の前日にはライナーとヴィヴィアーネがダブルで代表者になっていた政党Die Basisの上層部会議があったとのこと。この会議はヴィヴィアーネがビデオ声明でライナーを晒者にした後にあった様子。
ライナー(以下R)
ヴィヴィアーネ(以下V)
ヴォーダルグ医師(以下W)
和訳(一部解説を追加):
ライナー(以下R)の説明:
誹謗対象にされた3つのテーマ
法律事務所での業務
委員会の資金から70万ユーロがRに預けられたこと(しかしVにも10万ユーロが預けられたが、そのことを彼女は公開動画では話さなかった)
金塊
法律事務所での業務
彼女の説明ではまるで自分(R)に何らかの捜査が行われているかのように印象づけられた。
RはVとはそもそも最初からVとはやりにくさを感じていた。Vの仕事の仕方は混沌としていて、系統だった話し方、行動が出来ない。また、いまの立ち位置から目の前の壁までしか考えない。
コロナ委員会では毎週金曜日に撮影に招待された専門家たちとのミーティング。
常に、R、V、会計士「コーヴィン氏?」とで毎週月曜に「戦略」をねって、準備。
しかし、Vはそれには2〜3回参加したぐらいで、大抵「風船を飛ばすイベント(民衆啓蒙のため?)」だとか、「病院を設立したい」、「放送局を作りたい」とか…自分の創造力を狭い視点の人たちに見せて希望を持たせるような、何か別の用事があると言って欠席。
C委員会は、当初4人の弁護士
ライナー・フュルミヒ
ヴィヴィアーネ・フィッシャー
ユストゥス・ホフマン
アントニア・フィッシャー
が公式に記者会見をした。Rはゲッティンゲン(西ドイツ)がドイツの拠点で、他はベルリンに居た。
R曰く、事実上ベルリンには誰一人としてコロナ委員会に従事している人は居なかった。
委員会が開設した直後、2−3週間でメール&電話の問い合わせが殺到、それに十分対応出来る人員が足りない。たまに返答できるか、もしくは返答が遅れた。
当初、全ての電話がVの携帯に転送されたが、Vは四苦八苦。
「どうせ出られないのだから、留守電にして割り切らないといけない」とR。
次にメールボックス。V彼女はそれも「たまに」しかチェックしないので、そのせい彼女自身のプライベートの支払いが遅れて口座が一時差し押さえになりかけた。
こうした状況下において、C委員会と連絡を取ろうとした人たち − 寄付したい人、情報提供者、支持者たち… − は、ベルリンでは行き詰まった。
Vの法律事務所とされているアドレスはあったが、それは弁護士用のサービスに委託式の実態のない住所で、秘書も居ないため、セキュリティがしっかりしている電子ポストが設けられているだけで、押しかけても誰とも会えない。
それで、人々は「おや、もう一人フュルミヒとかいう弁護士がいるじゃないか」となった。しかも、彼女はコロナ前は無名だったが、僕は知る人ぞ知る弁護士でIT設備を整え、会計士もいるきちんと組織化した法律事務所で、雇用弁護士たちも居た。ここに押し寄せる人たちが居たので、僕の事務所の人に「R、なんとか誰かを雇ってこれに対応して欲しい」と言われた。それをVに訴えたが、彼女は「実務」に関心を示さず、何も起こらなかった。それはコロナ委員会のミーティング動画でも伺えるはず。スマホを見て上の空だったり、途中で部屋を出て誰かと電話したり。僕が内心怒り心頭だったのは、時にバレていたと思う。
時間と共になんとかなるどころか、悪化するばかりだった。この2年間処理したメールの数は34万。
Vが言うように彼女の学友が多少のメール処理をしてくれたかもだが、ベルリンで誰かがプロフェッショナルに処理していたなら、34万件もうちには来ないはず。
勿論Wもメール処理はしてくれたが、3千件も来ているので��いきれないと言っていた。
マーティン・シュワブ教授も処理してくれたが、彼は賢いのでプロのヘルプを雇って仕事として支払いがなされた。
朝の4時半からキッチンに座って、誰にどのメールを処理してもらうか仕分けしてくれた人も居る。
僕自身も毎日100件ぐらいのメールに応答。
電話を掛けてくる人は恐ろしくストレスが溜まっていて、心理カウンセラー並みに対応せねばならないので、5分では済ませない。
Vのバーチャル事務所に来る郵便は差出人に送り返され…とにかく全くのカオス状態だった。
その間、僕自身が出来なくなった別件の仕事を、別の弁護士を雇って裁判所へ代行してもらったりした。
Vには状況を幾度も伝えたが、彼女は自分のアイデアを実行してもらうことにしか興味がなかった。
彼女の提示したRの法律事務所への支払い額も間違っており、あれは3万2500ユーロ、それに「旅費」も加わった金額。最初のロケーションから別の場所に移転し、そこへ行くのに僕には旅費が余計にかかった。週一で時に宿泊も必要。
次の疑問は「Vはこれらの支出について知っていたのか」で、当然彼女は知っていた。
何度も、このことについては文句たらしくではなく、落ち着いて「いい加減にプロとして処理する人を雇わないと」と彼女と話をした。
それでも既に従事している者たちには報酬を支払っていたので、持ち堪えていた。それをVはずっと知っていた。
まるで、無邪気な子供のように「今迄気づかなかった」ふうに話しているが、そうではない。
相応の法律事務所は無くても確かに彼女は弁護士ではある。他、国民経済学士の称号もあるし、帽子デザイナーでもあり、そういう自分への承認欲求もある。
会計士は全ての数字が記載された2021年の年度決算を、僕と彼女に見せて説明し、国民経済学士としてそれにサインをした。後になって無邪気に「知らなかった」と子供に戻ることは通用しない。今はまるで、思い通りにならないのなら全部壊してやる、といった子供じみた癇癪を起こしているかのようだ。
会計士が「弁護士費用」としたものには、実際にはコミュニケーション費用で、これは「顧客リレーション費用」ともいう。我々は企業ではないが寄付者を顧客とすればそうなる。顧客、つまり寄付してくれる人がどうでもいいなら、寄付窓口を設ける意味がない。
僕らはそれを真剣に受け取めてきた…未だに真剣に受け取めていて皆変わらず問い合わせに対応して働いているのに、Vが今すべての資金繰りを停止させている。一体「金のめぐり」を妨げているのは誰なのか。
70万ユーロの件
委員会の口座は幾度も差し止めにあった。まずRの同僚の名義で作った口座が差し止めに。その他の予備口座も全て解約されてしまった。次に(Rには不本意だったが)Rの名義でも口座を開いた。Vには何度も「コロナ委員会をちゃんと登記して、独自の口座を設けるように」と言ったが…メールボックスも空に出来ない、電話にも出れない、メール返信もしないVなので、やらなかった。
2021年末には、Rの口座も解約されてしまった。遅くともそれまでには、彼女はその口座に何が起こっているのか見ているはずだ。それに気づかないなら、よほど…もう精神異常としか云えない。会計士が詳細説明した年末決算にサインをしたし、口座も覗けたはず。昨日の政党会議でも「V、この半年間気づけたはずだろう?今年も9月になって、なんで今頃になって騒ぎ出したんだ?」と不思議がられていた。「年末決算も見たんだろう?」と言われ「そうね、もっと注意して見ておくべきだったわ」、と都合よく「無邪気な子供」に戻るわけだ。
しかも、RのもとにVからのテキストメッセージで、「R、あなたの法律事務所宛の『弁護士費用』はもう支払えません。寄付金の収入が少ないからです」と届いていた。それはどういうことか?つまり、彼女は口座からそれが支払われていたことを、見て知っていたということだ。
寄付金が少ないからと、対応処理業務を止め、寄付してくれる人たちとの交信をやめたら、なおさら寄付は入らない。彼女の言い分は「寄付金はもっと重要な企画に使いたい」とのこと。どんな重要な企画だ?風船イベントか?告知しただけで実現していない労働組合や病院設立か?それとも世話をしないまま放置しているラジオ局か?ジーザス・クライスト!
(Rがちょっと毒づき始めたので、インタビューアのロジェさんが相当当惑した様子で、言葉を挟んだ:「Vの公開した動画に自分は正直驚いた。こういうことは内部で解決すべきこと。夫婦喧嘩のようなものでこれを一方的に公開された君(ライナー)としては、自分の言い分ものべたいのはよく分かる。しかし、できるだけ事実関係だけに留めてほしい。後日気持ちが落ち着いてから改めて話すことにしても良いし。ただ、せっかく皆の希望を繋いできたC委員会なのに、このムーヴメントに害が及んだことは事実で、それが残念。だからこれをどうするのかを考えていくべき。ムーヴメント自体だけが大事で、Vや君の個々のエゴを満たすことではないはず。Vが何を考えているのかは覗き込めないし、とにかく彼女の一方的な公開は僕には理解できないが…大事なのはこれからどうするかだ」)
R: 今の状況では、僕からの釈明をまず公開する他、残されていないだろう。
では、70万ユーロと「金」の件。
2020年末、「民主主義のための医師と科学者」というバクディ教授も重要な役割を担っている団体があり、そこの口座が差し押さえられ、従事者に報酬が払えなくなった。委員会でもこのようなケースについて情報を扱ってきて、分かっているのは司法もそうだが行政があらゆる所に介入して恣意的に支配を行使するということ。C委員会もいつか口座が差し止められることを懸念し、もしもの時に支払いが滞らないよう、委員会の資金を一部別にプールすることに。
Vは10万ユーロ(このことを彼女は自分の公開動画では黙っていた)、Rは70万ユーロをプール。しかし単に引き出したのではなく、きちんと貸付契約をして、委員会が必要な時に取り戻せるようにした。「委員会」というのは公式にVと僕のものだし。
この70万をRは自分の不動産に退避させた。
彼女は僕の知るところなく、まるで自分にその権限があるかのように僕の司法書士を言いくるめて、このRの不動産契約を覗き込んだ。
それはまるで、僕が彼女の婚姻契約を覗き込んで、公に語るようなものだ。
この不動産の価値は70万を遥かに超える。つまり、この不動産は価値保管場所としては安泰。
それに対して彼女が動画で語らなかった10万は、同様に貸付契約で取り出したのだが、その金は彼女は生活費として必要としていた。本人はまるで霞を食って行きているかのように「いいえ、お金は全て委員会に費やしています」と言っているがちがう。それで彼女を非難しようとは僕は思っていない。
僕の70万はこの不動産価値が遥かに上回るので、流動性問題が起きたのなら何時でも委員会に戻すことが出来る。
この不動産を売却予定しているのは、彼女が推測しているように僕がドイツから亡命しようと思っているからではない。誰でもこの時期にはどこかに移住すべきか頭をよぎらせただろう。彼女だってロバート(Robert Civis映画プロデューサー)というパートナーとインドへ移住を考えていた。(このロバートに言及したとき、Rは一瞬口ごもり、何か話しかけて顔をそらし、やめた。リンク動画の22:27辺り)
僕のような、世間の標的になる立ち位置の者ならなおさら真剣に移住について考えるもの。クラスアクションを推進したいので米国に数カ月は行くことになる、また独自の調査委員会も設立したい。しかしドイツにある法律事務所は存続させるし、ドイツを去る気はなく、エネルギーは米国でのクラスアクションに注ぐ予定。
例の不動産を売却することにした理由は3つある。
ひとつには、スチャリット(バクディ教授)が正しければ − そして僕は彼が正しいことを疑っていない。なぜならマイク(イェードン博士)もその他多くの科学者も同様にmRNAに関する意見が一致しているからだ − 今後も多くの死者が出て人口は減り、不動産の価値は急降下する。
ふたつ目は、これから利子が上がるため、資金提供が必要な人は不動産など買えなくなり、不動産価値が揺るぐ。
みっつ目。予防接種の被害は、負担調整法を通じて補償されなければならず、不動産には強制保険の抵当権が設定され、実質的に不動産の価値を下げることを計算に入れておかなければならない。
この3つの理由以外の何もなく、妻と話し合って「この不動産は売ろう」と決めたが、僕の法律事務所から収入もあり、次の不動産も買う余裕が自分にはある。
C委員会にこれまで流動性問題が起きたことはないので、当分プールした金を戻す必要も今はない。
しかしVは、あの10万ユーロが「生活のために急遽必要だ」と言っていたが、僕の不動産のように、それを委員会へ戻す保障をもっていないはず。
これは言及したくなかった���、以下のことが起こった。
僕を70万のことで攻撃するために、Vは自分の10万を「お金」として全く返すことなく、7万だけの帳尻合わせをした。
彼女が自ら話したのは、何らかの「価値資産を流動化して返金した」というが、僕が確認したところそうでななく、彼女は書籍を前売りした。
この書籍はC委員会、つまり僕と彼女のこれまでの歩みを本にしたもので、これを前売りすることで彼女は7万ユーロを受け取ったが、その見返りとして8月には書籍を出版する義務がある。そのためには本を印刷せねばならない。ちょうどその金額が印刷に必要だが、そこへは回せないので、それこそが未だに本が出版出来ない真の理由だ。
(このRの暴露内容に関して、Vは動画で「本が出荷出来ないのは、今の状況変化で序章を書き直さなければいけないからです。皆さんもう少し待って下さい」と笑顔で語っていたが、Rは)まるで僕のせいで著作権に問題が生じて出版が遅れているみたいに話していたが、彼女はこれに関する契約も自分でやったので契約上何でも出来る権限はあり、僕には妨害する理由は何もない。僕はこの本には関心がない。
(ロジェ:本に関しては、彼女に全て権限があるの?」)
R:全て彼女にある。動画で「序章に何か追加しないと」とか言っていたが…そうだな、僕は付け加えたいことはあるかもね。あの本の中でさも立派で興味深いかのように描かれている男(ライナーのこと)は、実際は詐欺師だったとなれば、あの本は恥辱でしか無い。しかし一寸先しか見据えずに『これは素晴らしい本です』と言っておいて、次の瞬間に「おや詐欺師の話だった」となると本を売れなくなるのは当然だ。なのに出版できない理由が僕のせいみたいに言うのは誠実とは云えない。馬鹿馬鹿しい。
7万はそうやって委員会に戻せても、まだ彼女が返せていない3万が残っていて、今の時点では彼女を信頼するのは難しい。
どのみち、これは非常に図々しい嘘物語だ。彼女は精神的に問題はあったとしても、頭はキレるので事実を上手いこと歪めて穏やかで善意の人たちを操ることが出来る。
金塊の話
委員会の資金は、当時既に委員会を離れていたユストゥス(ホフマン氏)も知っていることだが、彼女が金の購入に当てた。そうすることで所在が明らかにならないので、公署官庁の触手から逃れることも出来て安全なので。また、金の価値も上がったので、賢い選択だった。
この金塊はまず、Vも知っているある女友達に預けられた。他人が誰も想像できない場所だった。
僕が米国に滞在中、この女性から興奮気味に電話があり「ねえライナー、Vが(一年以上前から付き合っている)ロバートとやってきて、金を持ち帰りたいと言っているんだけど」という。僕は「Vがそうしたいなら…ただ、普通の自家用車で金を運ぶのは安全とは云えないが」と答えた。
Vと協力し始めた当初から、彼女は思い通りにしたいことがあると、「だって私はこうしたいのだもの!こうしないとダメ、すぐにやらないと!」とストレスを掛けてくるので、この際些細なことで揉めたくなくて、女友達には金を渡すように言った。
するとVとロバートは、この女性のところに本当に金が保管してあったことに酷く驚いたらしい。どうやら僕が金を盗んで米国に渡った、という妄想に囚われていたらしい。そしてこの金塊はV自身がC委員会の会計士に渡し、彼の自宅金庫に収められた。それで彼女は納得したと思っていたが、ひと月後にまた騒ぎが。
Vとロバートの二人は、夜中に会計士の自宅を訪れ、ストレスを掛けた。会計士には癌から回復したばかりの妻と小さい子どもが二人居る。翌朝子どもたちは怯えきっており、奥さんはがん患者用の心理カウンセリングが必要だった。このVとロバートの二人は人の気持ちに寄り添える人格者のように振る舞っているが、この行為でそんなものは見せかけだと分かる。
何があったのか。夜中に押しかけた二人は救済者っぽく善人ぶった当たり障りのない会話をしていたが、突然「金を持ち帰りたい」と言い出した。会計士は僕に電話をくれて「これは君と申し合わせてあることか?」と尋ねたので僕は否定した。しかも、このロバートの事業にはC委員会の運営支援に必要な金額が流れていたのだが、その頃僕はロバートの事業の資金繰りが上手く行っておらず、従業員に支払えなくなる、倒産しかねないので節約しなくてはならない、と聞いていた。
ロバートに流れたC委員会支援のための資金は(金額は言わないが)少なくはなかったが、使い切ってしまわれていた。目的は不明だ。そして、つい今日になって知ったのは、現在、彼の収入源はC委員会しかないとうこと。「ナラティブ」という撮影プロジェクトはあっても収入はない。
つまり、僕の個人的確信として、このロバートは大きな経済問題を抱えている。
しかも、不手際なことにC委員会あてに二重に集められた寄付金があり、彼はC委員会に出した請求額12万ユーロに加えて、それより遥かに高額だったこの二重に集められた寄付金を「C委員会の仕事を支えるために使う」という名目で手中に収めていたんだ。自分のために高価な機材を揃えるためじゃない。
このロバートとVの二人が会計士に迫り、「金を持ち帰りたい」と騒いだ。電話はスピーカーになっていたので、僕には全部聞こえていた。ロバートは「俺達に金塊を渡さないなら、警察を呼ぶぞ!」と会計士の自宅で怒鳴っていた(笑)阿呆らしい。僕は会計士に「二人を追い出せ」といった。それでいったんはおさまった。しかし会計士が「Vが私を信頼できないなら、セキュリティ・サービスに預けたい」と言い出し、実行した。Vは金がどこにあるのかずっと知っていた。
しかし数週間後、二人はまた騒ぎ出し「金はベルリンのデグッサで保管すべき」と言い出した。
僕は、なんてこった、もっと慎ましい機関でいいじゃないかって思ったが、彼女がそうしたいと言うなら、と承諾し、セキュリティ車両で金をベルリンまで運んだ。デグッサの非常に丁寧な人たちに身分証明を求められたが、Vの身分証明は期限切れで…お馴染みの混乱だ。まあ、パスポートも持っていたので切り抜けた。すると、デグッサの人が「外で、あれは何をやってるんですか?」という。見るとロバートがカメラチームを連れて撮影していた。なんてこった、C委員会が金を移動させたことを世界に公開するのか?って。
どちらにせよ、金は彼女の思い通りにしてある。金は僕のところには無いのに、『ライナーはあれもこれも委員会に戻さないといけない」とか彼女がいうのは、嘘なんだ。皆を騙している。
僕がC委員会の名義で信託物資として買った金なので、流動化するなら僕を通さないと行けないのだが、彼女がそう望むなら出来たことだし、なんの問題もない。
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これ以外にも、フュルミヒ弁護士は英語も含め、いくつかのインタビューで更なる説明や推測もしていますが、本投稿はここまで。
国際犯罪調査委員会
追記:フュルミヒ弁護士が独自に開設した新たな委員会の名称は
International Crimes Investigative Committee〈ICIC〉
で、これはコロナ問題だけを取り上げるのではなく、今世界で観察される様々な問題を包括的に扱うものです。
最新情報は、ALAE PHOENICISのテレグラムチャンネルに投稿しています:https://t.me/alaephoenicis
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mitsu-maru · 1 year
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Bleu
 記憶というのはポインタとデータで出来ている。いつからか、そのように僕は信じている。忘却とはデータの在り処を指し示すポインタを失った状態であり、データそのものは確かに残っているのだと。何らかの切っ掛けでポインタが復元された時、記憶は鮮やかに蘇る。たった今まで自分が忘れていたことにすら驚くほどに。紅茶に浸したマドレーヌは暮らしに満ちている。長く生きれば生きるほど、過去が未来よりも重くなるから。
 記憶のポインタは厳密な一対一対応ではなく、大なり小なり誤差が生じる。本来想起されるべき思い出の一部が欠落したり、少しずれた思い出が蘇ったりする。あるいは、なかった記憶が新たに生成されたりもする。これは僕が2022年11月20日の午後、「Solarfault, 空は晴れて」という本を読んだ時に生じた反応を元に生まれたテキストである。記憶というのは揮発性であるだけでなく発泡性でもあるから、1週間という時間は記憶を発酵させるに十分な時間だ。読んだ小説の感想文が新たな小説であっていけない理由はない。
 青い、作用の定かでない、おそらくはあまりよろしくない液体。小瓶。『ロスマリン』だと思った。図書館で借りたハードカバーの本だった。少年たちが夏休みに高層ビルディングを抜け出して旅立つ先は暖かい海だった。映像の中で少年と犬が白い浜辺を走っていた。オゾンホールが話題になっていた世紀末。姉はフロンが使われているという理由で旧型のエアブラシをゴミの日に捨てた。その頃、一度塗った色をCtrl+Zすることはできなかった。読み終えた本の感想をTwitterで検索することはできなかった。Amazonは夜中に切らしたPPC用紙を翌日の夕方に届けてはくれなかった。
 大学進学を機に上京し、僕は私鉄の駅から坂道を登って、サンドイッチ屋のT字路を左に曲がってどこかの企業の借り上げ社宅の側を抜けた先にある青いアパートで暮らした。とても青い家だった。九州から上京した人間には東京の日暮れは地球が丸いことを実感させるほどに早く、うどん屋のつゆはありえないほど黒かった。レンタカーで意味もなく夜の新宿を走り回って、ラーメンを食べた。殺人事件が起きそうな間取りの海辺の一軒家でペペロンチーノを作った。サークルに入って本を書いた。酔い潰れた関西人の介抱をしながら、寝言も関西弁なんだと妙に納得した。
 敷地の外れの外れに、今はないその建物はあった。自治の名の下にビラがばら撒かれ、インクの匂いが漂い、アニメソングが館内放送で流れるような建物だ。そういえばビラを配っていたあの団体も青という字を冠していた。季節を問わず週に一度僕たちは集まって、ただひたすらに話をした。それが僕たちの活動だった。生協の缶ジュースは少しだけ安かった。年齢も専門もバラバラな学生たちが、教養を無駄遣いしていた。時々真面目に小説を書いて本を作り、批評会で真剣に意見を交わしたりした。僕たちの掟はただ一つ、描き始めた物語を必ず完結させること。開いた物語は閉ざされなければならない。それさえ守れば何をやろうと自由だった。その頃茨城県でバケツで流し込まれた液体が青い光を放った。
 学園祭で小遣い稼ぎをするために部員総出で占い師の真似事をした。タロットカードから客が望む物語を紡ぎ出すのは即興小説の訓練だ、というのが建前だった。原価がただ同然の占い屋はなぜだかいつも大繁盛で、僕たちのサークルは本の印刷代には困ることがなかった。
「久しぶり」
 堤が話しかけてきたのは、夫の不倫を見て見ぬふりをしつつ、別れる決心ができないと悩んでいる女性の背中を押してしまった直後だった。
「俺のことも占ってよ」
「顔見知りのことは占わないようにしてるんだ」
 本当に占いがお望みなら、と後輩のテーブルを指差す。堤は肩を竦めて、三百円を支払った。後片付けを終えた後、二人でステーキを食べに行った。安くて硬い牛肉にニンニクと醤油でえげつなく味をつけた代物だが、その頃の僕らにはそれでよかった。紙エプロンに跳ねたステーキソースが抽象画のようだった。
「なんだ、その。元気そうだな」
「どういう意味だよ」
「別に」
「ああ、聞いたのか」
「聞いたとも。なんで教えてくれなかった」
「教えたからといって、何が変わるわけでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「じゃあ、いいだろ」
 堤は煙草をくるくると回して言葉を探した。最後まで、出てこなかった。
 小さなゲーム会社でアルバイトをした。携帯電話で話をしながら深夜の住宅街を歩いた。千駄ヶ谷のモスバーガーが秘密基地だった。自分たちが作っていたゲームのことは欠片も好きになれなかったけれども、スタッフ同士で話しているのが好きだった。六本木のライブハウスには月一で通っていた。お目当てのバンドの対バン相手のファンが自分の周りで激しく踊り出して、つられて踊っていた。強い人が集まる、という噂のファミリーレストランに自転車で乗り込んでカードゲームの対戦を挑んだりした。初めて中央特快に乗って八王子まで行った。
「で、いつ?」
 帰りの電車は適度に混んでいた。冷蔵庫にマグネットで貼り付けたメモのことを思い出した。換気扇の調子が悪いから業者に連絡すること。そうメモしてから何ヶ月が経っただろう。その頃僕はもう自炊することを止めていて、冷蔵庫には赤ワインとチーズしかなかった。黒い服ばかり選んで着るようになっていた。たまたま見つけた美容院の美容師と気があって、好きなように自分の頭を作品にしてもらうことしていた。この時は確か、虎をイメージした金のメッシュの入った黒髪だったと思う。ギターなんて一度も弾いたことがないのに、スタジオを借りてエアバンドのアー写を撮った。悪ノリしてロゴも作った。
「まだ決まってない。決まっていたとしても、お前には教えない」
「そう」
 エアバンドのベースは、本当のベーシストだった。本当はギターが弾きたかったらしいが、手が小さくてコードがうまく押さえられなかったんだと笑っていた。雷と餃子で有名な街から、時々都内に遊びに来ていた。常軌を逸した方向音痴の彼にとって、乗り換えはいつだって至難の技だった。コンピュータグラフィックスを専攻していた彼を、八王子の某大学の教授のところまで無事に送り届けるのが今日の僕のアルバイトだった。この頃のインターネット回線はZoomで面談するほど力強くもなく、クラウド環境はGitHubで自分のポートフォリオを公開できるほどではなかったから、修士論文の指導をしてもらうために直接会いに行く必要があったのだ。
「お前がいなくなるのは嫌だなあ」
 そんなことを面と向かって言われたのは当たり前だが初めてだった。正直少しだけ心が揺らいだ。努めて僕は平静を装い、東へとひた走る列車の窓から外へと視線を移した。刻一刻と時は迫っていた。冬が始まっていた。セーターの袖を鼻に押し当てた。
「バンドはエアなんだ。ギタリストがいなくたって、やっていけるさ」
「エアじゃなかったら、よかったのにな」
「そうしたら、ツアーには必ず宇都宮を入れてやるよ」
「絶対MCでいじられるやつじゃないか」
 東武線の駅の側、一階が物販になっているライブハウスを幻視する。もちろんバンドはエアなので、歌詞も曲もない。それでもステージの上で僕たちは青いライトに照らされていた。ライブの後半で必ずやる定番のバラード曲を歌えば、正確にハモってくれるという信頼があった。電車が新宿駅について、ベーシストと一緒に湘南新宿ラインのホームまで歩いた。
「それじゃあ、またな」
「ああ。今日はありがとう」
 手を振って僕らは別れる。僕には、これが最後だと分かっていた。携帯電話が鳴る。新宿駅は人が多すぎて、誰も僕のことを気にも止めない。運命が僕を迎えに来る。もうすぐだ。こうして世界は分かたれる。
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