.❁福岡❁中洲〜天神 ❁元祖博多めんたい重 天神のアクロス近くにある博多めんたい重。中洲からも歩いていけます♪ 観光に来たらオススメするけど行列がすごい。穴場は夜!夜行くと空いてます♫ 明太子だけじゃなくて海苔も大葉も全て合わさって最高の味わいに✨ いつか明太子2つ乗っけて食べたいけど高い。。。金ない。。笑 めんたいこ食べたい人はぜひー✨ #明太子 #めんたいこ #元祖博多めんたい重 #cafestagram #foodstagram #gourmet #カフェ好きな人と繋がりたい #博多グルメ #天神カフェ #天神グルメ #天神ランチ #福岡カフェ #福岡グルメ #福岡ランチ #카페스타그램 #グルメ巡り #私を痩せさせてくれ (元祖博多めんたい重) https://www.instagram.com/p/Ciq8aKDJBfB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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福岡での研修会2日目の朝、 前夜珍しく12時台に寝たので、 6時前に目が覚め、 風呂に約1時間ほど浸かり、 前夜のアルコールを飛ばします😁 朝ごはんは常にしっかり食べるので、 早速スマホで「中洲 朝ごはん」で 検索すると、いろいろ出てきます😆 ホテルの近場で目星をつけて、 いつもの7:30から連ドラを見て、 さぁ朝ごはんにレッツゴー(古😅) そしたら、そしたら、ビックリ😲 あまく見てました😱朝から大行列😨 約1時間、朝の寒空で待って、 やっと食べたのが、#元祖博多めんたい重 の、めんたい重とめんたい吸いがセットの #飯吸セット +温泉たまご🥚 いや~このめんたい重、超旨いです😍 昆布で巻いた明太子と温泉たまごに 専用タレをお好みでかけて、いただく🥢 めんたい吸いもゆず胡椒を入れて、旨い😋 待った甲斐がありました👍 着丼してから、10分もしないで完食🥢🈵😍 飛んでホテルに戻り、 着替えて、研修会2日目が始まりました✂️💈 #朝ごはん #朝飯 #朝食 #博多 #中洲 #福岡 #明太子 #めんたい重 #めんたい吸い #barber #バーバー #ヘアサロン #理容 #美容 #床屋 #石岡 #ダブルライセンス #ナカジマ #スキンフェード #フェード #濡れパン #お顔そりエステ #スペインカール #スパイラル (元祖博多めんたい重) https://www.instagram.com/p/CpSgMhYv_fC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ツイステ、学園長関連の予想や妄想
※20240302追記有
a.学園長のユニーク魔法予想最新版
今まで未来視や石にする魔法を予想してましたが、これじゃね?と思ったのがあったので更新しております。
未来視ではなく、「現在・過去・未来」視。腰の鏡がそれぞれに対応している説ですね。棺アイコンに鏡ではなく鍵なのは時計をまく鍵では? というのと、知識が歪に思える点からの予想です。
世間にはループ説というのもありますが、学園長がループ(すべての未来)を認識しているならおかしい場面が多々ありますね。
5章の独白「今度こそ"あちら側"に~」などは知ってるならもっと対処可能でしょうし。
6章ラストのグリムへの台詞はグリムがどういう扱いを受けたか知ってたら出ないでしょう。他にも下に画像のある「そろそろ"彼ら"が~」の部分や、知ってるなら4章でスマホ渡さない等。
それにノベライズの話ですが、監督生が持ち込んだスマホに対する学園長の驚きの台詞がすげー素っぽくて印象に残ってるんですよね。だから監督生についてもすべては知らなそう。
そしてなぜ知識が歪んで見える(未来について知ってそうな部分とそうでない部分がある)かというと、鏡で見るということは見るためにリアル時間を消費するし、見る前からいつどこで何があるかわかっているわけではないためすべては知れないのではないかとの予想。
4章はスマホの通じない茨の谷に行っている予想でしたが、ユニーク魔法関係かもしれません。
* * *
b.プロローグについて プロローグ前半「愛しい我が君~」 プロローグ後半「残された時間は少ない」
前半がレヴァーンで後半が学園長のふりした闇の鏡説を考えたりしましたが、BGM名がディア・クロウリーなら最低限どっちかは当人。 しかし画的に監督生に手を取らせる場面はどうにしろ闇の鏡が噛んでないか……? 便宜上の演出でしょうか。 差し出された手の袖は青紫で縁ありっぽい。ノベライズでは「ローブの人物」。
* * *
c.学園長黒幕説
散々否定してますがちゃんとまとめておきます。
1章→エースの言葉を受け、リドルが寮長になった方法を勧めただけ
2章→オバブロ要因になる対マレウスを無くす方向の殿堂入り提案(この提案が煽りだみたいなのも見ましたが、大会そのものが近づいているのに無意味では)。学園長は推定妖精族なので他の種族との軋轢は避けたい、仮面も多少その意味もあるのではと勝手に妄想しています(仮面がなければ瞳孔の形で人間でないことはわかる)。
オバブロ後黒い石を探していたのは6章「ブロットは結晶化することがある」「実物は見たことない」(から見てみたい)でオチてる予想。グリムに食わせるのが目的なら、周りに止められるかもしれないのにずっと放置なのが謎。
学園長自身が石を集めている説も見ましたが、ピンポイントでここだけ探すのが謎だし、ノベライズで重要じゃなさそう×2と言われていたりリドルの石をグリムが食べる時の流れからかなり薄いと思います。
3章→すでに契約で寮を取られた監督生に依頼しただけでほぼ接触なし
4章→不在。1年ほど前に、カリム寮長推薦を却下するように言いにきたジャミルとの会話が回想にありますが、富豪や企業が学園に寄付するのは普通です。7章で「NRCの提携先企業」と出てくるように、私立と思われるNRCの運営は地球の専門学校や大学と変わりないと思われる。ジャミルに知らせたのが良くないとも見ましたが寄付は公開情報だし、カリムより先に寮にいてそれが改築されたジャミルの立場で知らないのは無理がないすか?
5章→練習風景を公開したのがオバブロ誘導だとか見ましたが、普通公開されるだろうし毎年のことじゃ? ノベライズに「"あれ"(多分マジフトのRSA)に勝てるかも」とあるので"あちら側"は普通にRSA予想 。
6章→別行動。「"彼ら"が動き出す頃かも」はマレウスとリリアも予想していたので妖精族だから知っているか、そもそも別の何かについてかも。"彼ら"として実は元老院が気になってたもののシルバー関連で消化しそう。
通報者は「黎明の国を通じて匿名で」なので学園長の可能性は薄い。イタズラでないことを担保するため黎明の国は通報者を知っているでしょうし。
7章→リリアの魔力を無くさせた?まったく根拠なし。
そもそも日常のあれこれではオバブロしない、過去からの因果がないとと6章イデアに言われてますが。 学園長黒幕でプロローグの後半やミッキーさんの件を説明できないでしょうし。 ただし……(次項に続く)。
* * *
d.a+bをしてみる
aのユニーク魔法があるとbにおける反証をいくらかは相殺できます。ブロットの結晶を実物は見たことがなくても魔法で見たかもしれないし、放っておいてもオバブロすると知っていたかもしれないし、S.T.Y.X.襲撃も魔法で見ていたかも。ただこれだと2章でわざわざ黒い石を直接探さなくていいはずだし、既出の、すべて知っているなら取る必要のない行動の謎は残りますが。 オバブロさせるには過去からの因縁が必要で過去に干渉できないなら、因縁ある生徒を集めたことになりますが、それだけだと一部は生徒にならなくてもオバブロしてね?
* * *
e.過去に干渉する方法
1.学園長のユニーク魔法別論…現在過去未来を見るのでな���、鏡を通じ過去に干渉する能力。実は学園長の本体は「終わってしまった」未来におり、鏡を通じ監督生に未来を見せるなどした。たまに存在感が消えているのもそのため。→反証。チート過ぎ。存在感が消えるのはオンボロ寮もなので別理由の可能性が高い。また、この時間軸(過去)の学園長はどこへ? 分裂? この想定ならすべての出来事を経験済みで知っているはずのため、やはり既出の謎も残ります
2.グリムの力…ユニーク魔法や特殊能力説。スティッチイベでも掘ってましたが、4章でも穴掘り名人と言われていた、というあれが気になります。過去を掘り返すに通じそう、というのはこじつけ臭いか。ブロットが蓄積、という6章も気になる。過去の因果ごと食べていたり、本来自然に還るべき何かを奪っていそうで。学園長の気配が消える件も、実はすでに石を食べられているから、の可能性あり
* * *
f.闇の鏡と監督生
闇の鏡を怪しんだりそうでなかったり。原作、鏡の中に閉じ込められた男、ということは中に世界があり、エンハロのように死の国に通じる可能性。監督生はそこから来たのかと思いましたが、ノベライズで監督生は自分のいない現世の夢を見ていたので違いそう。グリムもいたのは鏡の中か、と思いましたが魔獣と小動物を掛け合わせた存在でした。監督生ともともと魂がつながってそうですが、どういう関係か? なんなら6章ラストの学園長の「あなたたちが無事で~」の"たち"がグリムと監督生のことという可能性もありそう。
OPの2番の歌詞も拝読。「かたち」というと監督生が闇の鏡に言われた「色形完全な無」を思い出す。「学園長が記憶を持ったままのループ」「何周もしてるループ」説は否定してますが、時間も関係してそう。
闇の鏡が2枚ある説も見ましたが、リドル式典服PSだと便宜上背景とキャラとで分かれてるぽいですね。
* * *
g.レヴァーンと学園長の関係
レヴァーンの子孫>兄弟>マレウスの兄弟か親戚>本人
あまり世代離れ過ぎてもインパクトがありませんが、フェアリーガラをよく知らない、カメラに魂を抜かれるとされた時代には生きてなさそう(リリアと同年くらいなら知ってそう)、学園長歴ン十年(ノベライズは百年)、ということで離れていてもおかしくない気はしてきました。バウルがいた夕焼けの草原の妖精族の集落出身で、レヴァーン(の血族)と美しき女王のカラスの獣人系のハイブリッドなど。離れていても似ていそうではある。モチーフ元としてディズニーアニメ内のまったく別のカラスで適任そうなのは見つからず。童話「鏡の国のアリス」のカラスが気になったりしますが。
追記・レヴァーンの声がマレウス似という情報が出たのでそもそも顔が似ているかも微妙になってきましたが。上記の「子孫」と「マレウスの親戚」は同じ事を言っていますが、子孫はもっと離れているイメージ。マレウスの兄弟説はお亡くなりになりました。従兄弟や甥伯父等の可能性の方が高そう。
学園長の年齢の話。学園長よりマレウスの方が妖精関連に詳しく、学園長はマレウスを博識だと認識している情報的にも、教員の年齢の法則(2020-モチーフ作品公開年)的にも学園長はマレウスより年上にならない可能性大。ゴーストカメラ周りの発言を素直に見れば「ゴーストカメラが発明された頃(110~150年前)の記憶はないがすっげー昔とは思わない」年齢なので、「(2020-白雪姫公開年)+(2020-眠れる森の美女公開年)=144歳」が割としっくりきます
* * *
h.ルークとの関係
ルークは鳥の獣人かその血筋で学園関係者の身内っぽいのはFAしかかってますが、肝心の学園長との関係はよくわからず。6章「旅行好きな先祖」がそのままなのかどの程度比喩か。きょうだい、の方だと先祖とは言わないかな。展開によっては鏡の中から助け出したのが学園長で~みたいな特殊事情もなくはないかも。
* * *
i.今後
・7章の話…白馬に盾の紋章はRSAなので、銀の梟は黎明ぽい。学園長の言う"彼ら"こと別の何かはRSA関係の集団で、特別授業の梟も監視だったり、というのは穿ちすぎ?
ミッキーさんがいる光側の世界の何かだと唐突なような。ミッキーさんがつながるのは本人の意思ではない。
つながるのは何かの余波>別の誰かの意思ですが、闇の側がつなげてメリットはなさそう
どうも「グリムが寝てるか正気を失ってる」が条件な気が。オバブロや石を食べるのとはタイミングが違います。あと、もしかしたらミッキーさんが近づくほど学園長の気配は薄くなる?(下の件)。
・学園長のオバブロ?…ディアブロモチーフなら7章かもと思ってましたが、次章で学園長がオバブロするなら今までの章と同じような流れでしそう。RSAとのマジフトがあるので7章の後も日常は戻る。しかし「グリムはすでに学園長の石を食べている」可能性もある。オンボロ寮生だった頃にオンボロ寮について記憶が曖昧になるような大事故(オバブロ等)が起きて……みたいな。この場合は学園長戦はないかも?
・エース黒幕説…これがあるから注意して読んだりしますが、学園長へも突っ込み多い。「そろそろ"彼ら"が~」も聞いていたりするし。あるならエースが黒幕になるんじゃなくて、学園長を怪しむ展開の伏線では。
最近、チュートリアルの魔獣が未来ではなくてあれをどうにかしたからこうなった説を考えたりしてますが、時系列上手くつながるかどうかわかりません。
どうにしろグリム+監督生、鏡、ミッキーさん、学園長の気配が消える件が8章以降の伏線になりそうな。公式から「この先もっと壮大な話になる」とか聞こえてきているようだから、ツイステ界の存亡やあり方に関わる事態になる予想をしとります。
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2022年振り返り
カメラロールを見ながら今年も雑に振り返る。
■1月
・横浜エアキャビンに乗った
まあまあ高くて怖かった
・雪積もる
今の家に住み始めてから初めての積雪と思う
車が出せないくらいの積もり具合だった
・tofubeatsが人力車に乗っておじいちゃんみたいな笑みを浮かべてる写真が面白すぎてずっと見てた
・眉毛サロンに初めて行った
ブラジリアンワックスみたいなやつで形を整えた後切り揃えるやつ
めちゃ痛くて涙出た
■2月
・特に何かをしていた記録がない
・友達の家に行って子どもを構ったりしていた様子
▲2月に何かしらの焼き肉を食べていました
■3月
・NYCで働いている友達が一時帰国していたので遊んだ
フォー食ってビール飲んだ
・初めてデイキャンプをした
薪割るの楽しい
焚き火の匂いたまらない
・サンダルを直した
修理に出したのは去年だったかも?
ピカピカになって帰ってきた
・旅行バッグを買った
elvis & kresseというところのもの
今年買ってよかったものその1
・パオパオチャンネルの展示を見に行った
渋谷 動画で出てきたアイテムが色々展示されててテンションあがる
・ちゃみん会
羊のキンタマ食いました
■4月
・石川・福井に旅行に行った
東尋坊、越前松島水族館に行き、界 加賀へ宿泊
初めての石川福井よかった
翌日は金沢21世紀美術館に行った
▲東尋坊
・潮干狩りに行こうと思ったが、台風で天気が荒れるとのことで中止
普通に売ってる貝を食べるpartyした
・パオパオチャンネルのイベント(パオ博)を見に行った
目の前で動くパオパオチャンネルと東海オンエア見られてよかった
■5月
・東京ダバインディアにてどん底会開催
・弁理士をやっている先輩とご飯を食べた
知財実務のあーだこーだ話を仕事以外でできる人貴重だなと思った
▲ご馳走になってしまった
■6月
・謎会ホテルニューオータニ
・新しいレンズを購入
・オープンキャンパスで卒業生として座談会に参加した
その後先生と研究室の同窓生で東京駅飲み@丸の内ハウス
あそこよかったのでまた誰かと行きたい
■7月
・食洗機を導入
キッチンの引き出しをぶち抜いて洗剤自動投入モデルを投入した
あんま洗剤入れてくれてる雰囲気なくて手動で投入してる
・北海道に旅行
倶知安にある坐忘林という宿に泊まった
最高すぎて1ヶ月くらい住みたくなった
・札幌に暮らす大学時代の同期と久しぶりに会ってご飯食べた
穀物祭というところ
雰囲気の良い店だった
・大学時代の後輩の結婚式に参加
お幸せに〜〜
・家の人が感染完了してた
お大事に〜〜
(自分は無事だった)
■8月
・車から異音がして修理
ショックアブソーバー交換
出費です
・新しいレンズを購入
・炊飯器が壊れた
出費です
▲同じの買いました
■9月
・祖父に会いに行く
もう90超えてる
流石に元気なさそうだった
家も荒れてる雰囲気
・久しぶりに海釣り
アジ爆釣
・ふと思い立って秋田に行った
お気に入りのご飯屋さん、宇宙一のレバニラを食わしてくれる店、など
■10月
・車検
出費です
・デイキャンプ2回目
流石にハマったと言って良いでしょう
・どん底会@新宿らへん
・山下達郎@横浜
相変わらず最高のパフォーマンスだった
長生きしてほしい
・写真おじさんたちと浅草界隈散歩
久しぶりにカメラぶら下げて街歩きした
▲結構人出戻ってる
■11月
・鬼怒川旅行
界鬼怒川、花の宿松やに宿泊
2泊くらい旅行するのいい
東照宮の紅葉が見頃で大変よかった
・キャンプ道具を揃え出す
流石に(ry
・ヴェイランスのジャケットを購入
めちゃ着やすくて気に入っている
今年買ってよかったものその2
■12月
・前職の同期と忘年会
みんな元気そうでよかった
恵比寿の米福にて
・わかさぎ釣り
わかさぎじゃない魚ばっかり釣れた
わかさぎはうまい
▲釣れたやつ
▲流石に釣れなすぎて追加購入したやつ
・名古屋旅行
名古屋港水族館、愛知住みの後輩とひつまぶし
水族館寒かった!
・かに道楽
カニだけで腹パンパンになるほど食べた
・大学の先輩が開いたビール屋に行く
1杯だけといいつつ何杯飲んだか・・・
勝どきに行かれた際はぜひ
何かと大型出費の多い一年でした。(そういえば冷蔵庫も買い替えたのだった)
旅行にも結構行けたのでなかなか満足。年明けは伊豆の方に行く予定を立てています。
仕事面のことはわからん。何もわからんということだけがわかっているので来年は少しはわかるようになりたい。
みなさんの一年はいかがでしたか?
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地面を踏み固めること
今年を振り返ると、のんきに一段ずつ登ってきた階段の途中で、振り返って景色を見て���わ~すごい、きれい、きもちいい、とか言いながらのほほんと眺めたいのに、あちこちで起こっているいろんなことが目について見過ごせなかったり、袖を引かれて止まったり、すれ違っていくひとびとに何かを手渡すその間、地面を踏み固めるみたいな、そういう一年だった。
たとえば今まで自分のなかで淡々と重ねてきた、自分が生き延びるための知識たちを、言葉にして誰かに教え、伝えることがぐっと増えた。アウトプットしてはじめて自分自身に引きつけ咀嚼する必要が生じるので、ものごとの本質に少しずつ近づけるけど、同時に見えてくるものが変わるので、とてもじゃないけど勉強が足りないとも思う。時間がかかるし沢山はこなせないのだけど、地元で起きた戦争や朝鮮人・中国人の強制労働のこと、LGBTQ+、ジェンダーのことは、決して自分の知的好奇心を満たすためだけに学んでいるのではないと、誰かに伝える作業をして強く感じたし、自分が仕事にしている専門分野以外で力になれたり、他者の学びの一助になれることを、難しくも嬉しく思うことが度々あった。
ここ数年ずっと、わたしの大事な部分を固めてくれている韓国文学を手に取ると、高頻度で日本の植民地支配時代の話が出てくる。
先日読んだチェ・ウニョン著「明るい夜」は時代や家父長制に翻弄されながら生きた四世代にわたる女性たちのシスターフッドを書く傑作長編小説だが、戦争中に日本に出稼ぎに行き、広島で被爆したおじさんが原爆症で亡くなる下りがある。作中もっとも信頼できる穏やかで愛に満ちた男性として書かれた彼が「あんな死に方をしなくちゃいけない人はひとりもいなかった」と広島の街を語るのが手紙のかたちで伝えられるシーンは、本の中でも印象に残る。フィクション小説という形を成しているが、祖母の口や手紙で語られる、あくまで一人称としての戦争体験であることが、幾度も胸を刺す。
今年読んで最も強烈な印象を残しているのが、ハンセン病の療養所である長島愛生園に暮らす在日朝鮮人・韓国人を訪ねて聞き取りをした喜田清著「名ぐはし島の詩(うた)」で、読みながらそれぞれの壮絶な人生に涙を流しながらも、植民地支配をしていた側の国で生まれ育ったわたし自身を丸裸にして、病の前にそも支配と略奪が、戦争がどうかれらを根底から変えたかを突きつけられた。ふるさとでハンセン病にかかったあと、当時戦況が悪化して毎日空襲があった日本に行けば誰にも知られず死ねると思い、縄でくくられたまま連行され泣き叫ぶ同胞を横目に、絶望し、死ぬために日本に渡ってくる方の話がある。また、植民地時代に言葉を奪われ、朝鮮語も日本語も読み書きできないまま療養所に入り、進む病と施設での仕事の隙間で辞書を片手に必死に読み書きを学ぶことで、己の知性を守り、踏み躙られた民族の尊厳を守り、宗教や友人を得る過程は、どの方の話を読んでも毎回涙が出た。そして、数多くの方が、祖国が解放されても、続いた朝鮮戦争で家族と生き別れになっている。
余談だが、この本を読んで、買ってから十年ほど経過しているのに、何度挑戦しても読了できないでいる神谷美恵子さんの「生きがいについて」を再度挑戦したいと思った。今のわたしなら読み終えることができるかも、と思える本があるのは、犬だったら噛み応えのある骨をプレゼントされるみたいで嬉しいものだ。
わたしが韓国文学にはまったころ、友人に誘われてかかわりはじめた地元の戦争遺跡の保存活動と、それに伴う朝鮮人・中国人の強制労働の実態調査のボランティアの仕事がある。
今わたしたちは過去に聞き取った肉声をあらゆるデータにして保存する作業をしていて、そのなかで、想像を絶する虐殺を、拷問を、過酷な環境下での作業を、強制労働に従事した方々が話すのに触れる。作業は、一筋縄ではいかない。冷静に、流れ作業として、戦時中のひとつの資料として読み飛ばすことはできない。
戦争というものが、人の一生を根底から壊すものだということを、それが、大国主義というものの前に個々の人生やヒューマニティが一切無視された先にあったものであることを、けれど戦争は大衆の記憶などではなく、個々人のなかにだけあるものだということを、数々の肉声に囲まれながら作業をしていると、つくづく思う。そうして、結局わたしは、大衆の記憶としての近代史しか学んでこなかったことに打ちのめされる。時々手が止まり、証言に聞き入り、読み耽り、あまりにも凄惨な体験と深い苦悩に触れて言葉を失い、立ち尽くす。そうしてまたしばらくして、作業をはじめる。その繰り返しだ。
証言は、ときにあいまいなもので、非常に頭の良い方でも、言葉も地理もわからない場所での過酷な体験であるので、信ぴょう性に欠けるものもいくつかある。通訳されていない原語での理解も必要だし、踏み込んだ調査や研究ができるほどのスキルもお金もないので、ひとまずデータ移行だけをしているのだが、ひとつひとつの、膨大な数の証言を扱っていると、聞き取りのさいごに、「まさかこんな日が来るなんて」「日本から来てくれるなんて」と感無量で語る方がいる。そうして、保障をしてほしいこと、戦争を二度と起こしてはならないというお願いで締められる。(証言に協力してくださった方の何人かは、賃金に関して裁判も起こしている)
戦争でまっさきに失われる個人やヒューマニティにきちんと向き合っていったのが、戦後の被害者への聞き取り作業なのではないか、とわたしは作業をしながら思った。戦中、強制労働というかたちで無視し、否定してきた人間性を、一人ずつ、限られた時間ではあるけど丁寧に聞き取りをして書き起こしたことは、数ではなくひとりの人間の体験として戦争や強制労働や虐殺や暴行や苦しみがあったことを真正面から思い出させてくれる。信ぴょう性の調査や審議の前に、その苦しみをいったん引き受けることが、どれほど切実で、大変なことだったろうと思う。
ノンフィクション作家の保坂正康が「最後の講義」という番組の中で、証言とはどういうものか語っている場面があった。証言とは一生をかけてするもので、証言を聞くということは、本人が背負っているものを半分引き受けることである、という言葉に、仕事でもプライベートでも、物語として消化してしまいがちなわたしという個人を指さされたようだと感じた。
調査に乗り出したうちのひとりがボランティアの大先輩にいて、度重なる訪中、訪韓の膨大なデータを管理してくださっている。そのひとの記憶はすさまじい。名前を尋ねるだけで、どこの出身で、どのように戦中を過ごしたのか、どのような半生だったのか、すらすらと答えてくださる。ときに涙を浮かべながら、ときに苛烈に。かれらの体験に多く出てくる、聞いているだけで指の先がこわばり、胃が縮み、血の気が引くような残酷で非人道的な折檻や拷問の数々を聞くうちに、戦争の映画や物語を見られなくなったという。真実を知るからこそ、痛みが容易く想像できて、目を瞑らないといられないのだという。聞き取りをした方々はもう亡くなっている。そのひとの生き方こそ、語り手の人生の半分を引き受けるということだと思っている。
2017年に、わたしはそれなりの意識を持ってポーランドのアウシュビッツや、ドイツのホロコースト関連の資料館に行った。外国に行くときは、その土地の地理や歴史を勉強してから行くのが好きなので、ホロコーストやポーランドの歴史について学び、何本か映画を見て本を読んでから向かった。そこで、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館で案内人をしてくださった中谷剛さんが語った言葉に、そもそも根本をわたしは知ろうとしていなかったのだ、と��のすごく恥ずかしい気持ちになったことを今でも鮮明に思い出す。
「――ポーランド語のあいさつができますか?イギリスやフランス、スペインのように。知りませんよね。なぜならそれは、ヨーロッパの歴史は西ばかりが優遇され広められてきたからです。日本人の中にもすでに、民族のヒエラルキーが無意識に植え込まれています。差別をしているんです。私たち日本人は、中国や韓国など、アジア圏の歴史をどれほど理解し歩み寄ろうとしているでしょうか?日本の加害の歴史をどれほど学んでいるでしょうか。ヨーロッパはドイツを戦後よくやってきたとは、決して評価していません。でも、一般のドイツ人のアウシュビッツの訪問者の数がとにかく多いのです。政府の対応ではなく、そういった市民の行動を、みなは評価し、黙っているのです。」
はるばるポーランドまで来て、わたしはその瞬間、浅はかだった自分を恥じた。もちろん、答えられなかったからだ。日本が行なった様々な加害の歴史を、言葉としては知っていても、知識として知らなかった。学んでこなかった。学ぼうとすらしていなかった。
こうして何年か経って、やっと加害の歴史を一生懸命学び、伝える側に回れたので、2017年5月の、どこまでも菜の花の絨毯が広がり、ポプラの綿毛が舞う美しい初夏のポーランドの、ひろびろとしたアウシュビッツ=ビルケナウ博物館のなかで深く恥じたわたしに、今のわたしはちゃんと顔向けができる。あなたは数年後、きちんと向き合う。思う存分恥じるといい。
そんななかで、10月7日を皮切りに、毎日虐殺のニュースを見聞きするようになった。コロナ禍真っ最中の2020年に岡真理さんの「ガザに地下鉄が走る日」を読んだとき、パレスチナで芸術活動をする若者のドキュメンタリーを見たとき、焼身自殺する若者をみたとき、殺されて臓器を売られる子供を見たとき、わたしは都度立ち止まったのに、いつのまにか忘れていて、毎日のニュースに打ちのめされた。
ガザについて勉強会を行い、本を読み、可能な支援をし、同時に自分の国の加害の歴史を学んでいくと、そこに70年余り時が経っていることが、信じられなくなる。イスラエルとパレスチナについて、レイシズムや植民地支配について学べば学ぶほど、かつて日本が行った言語や文化のはく奪が、いかに民族の歴史と尊厳を踏みにじり、取り返せないことであるのかを突きつけてきて、わたしはいままさに、当時を見ているのだと思っている。すごくしんどい作業だ。
でも、今年わたしが、こうした世の中になんとか絶望し切らず、自分の足で立って地面を踏み固めることができたのは、今までの学んできたことが生かしてくれていたからだし、出来事は大衆のものではなく個人に帰結するものだとあらゆる作業を通じてわかっていたからだと思う。じゃないと、物事の大きさの前に、ただただ立ち尽くしていて、わたしを含め、目の前にいるひとたちは世の中から見たら些細なものなんだとよぎることがあったかもしれない。それはまったく、わたしの中の、生活をやっていくというポリシーに反する。わかっていてよかった、言語化できてよかった、とこれを書きながら思う。
今年読んだ本のなかで、大事にしたい本がある。
パク・ソルメ著「未来散歩練習」は、光州事件、釜山アメリカ文化院放火事件と五人の女性の生き方を通して、今を生きる・過去を理解する・未来を思うことを描く長篇小説(出版社解説)で、パク・ソルメらしい独特の語り口調で淡々と物語が進む。岡真理さんのガザを考える緊急セミナーのなかでも、この釜山アメリカ文化院放火事件の犯人の一人である文富軾の言葉である「忘却が次の虐殺を準備する」という言葉が引用されていて、本を読んでいたおかげでどんな事件かを詳細に思い出すことができた。
とにかくずっと思考しながらものを食べて歩く小説なのだが、読んでいてずいぶん励まされたし、大事にしたい文章がいくつかあった。
「現在と未来について考える人たち 来るべきものについて絶えず考え、現在にあってそれを飽きずに探し求める人々は、すでに未来を生きていると思った。絶えず時間を注視し、来るべきものに没頭し、人々の顔から何かを読み取ろうとする人々は、来るべきと信じるそのことを、練習をとおしてもう生きているのだと。」
わたしの来るべきと信じるそのことは、差別のない社会を実現することで、それは綺麗事とかとても無理なことだとは言いたくない。なぜならわたしの半分は医療者で、発達障害の子どもたちに関わる仕事をしていて、大人がしている差別と加害は、子どもにダイレクトに伝わるから。医療と福祉の彼岸にいるような人びとも、社会の中でいっしょに生きていてほしいから。トランス差別を許せないから。
そんな社会に、わたしはいたくないし、大事な人たちを置いておけないと、いつも思っている。そう思いながら、二次創作という形で物語を書けたのも嬉しい。職場で動き出したSOGIチームのコアメンバーになれたのも、今年良かったなと思えることの一つだ。加害の歴史を学んで伝えることも、遅々として進まないように思えるし、歴史家でも研究者でもないわたしが伝えられることは限られている。でも、そういうときはチョン・セランの言葉をお守りにしている。「視線を先に置くことで絶望を乗り越える」「絶望しそうになったら、いや私はいい大人になりたいと思う」「個人の無力を私は信じません」
ふと手に取った本も、学んでいることも、絶望しそうになる世の中で、わたしを生かしてくれていると思う。わたしは、今年、過去と現在と未来を考えながら、今いる場所を踏み固めていた。もちろん、どうにもならないこともあるし、間違えるし、まだまだ知らないことだらけだし、考えるのをサボることもあるし、忘れるし、機動力には欠けるしやっぱり無力だと感じることも多いけど、2017年にアウシュビッツで恥じ入っていたわたしよりは、多少かっこよくなっているはずだと2023年の自分を励ましたい。
来年も生き延びて、のさばってやろう。
たくさんの本たち、今年も生きるのを励ましてくれてありがとう。
追記
この文章を書いたのが12月24日の夜で、そのあと、ボランティア仲間と忘年会をした。
友人のひとりが、アウシュビッツに行き、中谷さんの案内を受けたという。わたしは仲間内でガザの勉強会をひらいていて、そのときに、もっと身近であったはずのアジア圏のひとびとにした加害と差別について無知でありながらアウシュビッツにいた自分を恥じた経験を話していた。
友人が、中谷さんのお話を聞いているうちに、どうしてもわたしのことを伝えたいと思い、数年前にあなたの話を聞いた友人がいまこうした活動をして加害について学んでいますと話の中で伝えてくれたようで、ものすごくびっくりしたし、嬉しかった。しみじみと、こんなふうにいつか誰かに勝手にもらったバトンを、別の誰かがそっと戻してくれるようなことがあるのだなあ、と、年の瀬に胸がいっぱいになり、勇気をもらったのだった。
そのときの中谷さんのお返事を、友人を通して受け取って、やっぱり、2015年のわたしよりずっとましになっているよ、と思えた。
嬉しいし、頑張りたいと思う。
忘年会当日、車のルーフが割れていることに気づき、わたしは基本的に価格や愛着に関わらず、自分の道具が傷つくことに関しては寛容なのだけど(眼鏡は除く)、ルーフを開けるたびにほとんどまっぷたつと言っていいほど割れているガラスが目に入ると、ちょっと心にくるものがあったので、悪いニュースと良いニュースが同時に来る、年末らしい日だったと思う。新年早々、修理代を捻出しなければならないが……
みなさま、良いお年を。
わたしはこの挨拶が、挨拶のなかで最も好きです。
良いお年を!
≪出てきた本≫
「明るい夜」 チェ・ウニョン 著 古川綾子 訳/亜紀書房
「名ぐはし島の詩 長島愛生園に在日朝鮮人・韓国人を訪ねて」 喜田清 著/海声社
(絶版)
「ガザに地下鉄が走る日」 岡真理 著/みすず書房
「未来散歩練習」 パク・ソルメ 著 斎藤真理子 訳/白水社
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蒙古襲来絵詞には、竹崎季長が家子郎党とともに行動している記述もあり、日本側も集団戦が基本であったことが伺えます。中国側の資料にも、幕府軍は四方から押し寄せて来たなどという戦況が描かれています。時代錯誤な一騎打ちで戦っていたという記述はみられません。
根拠とされた史料は“トンデモ本”
では、なぜ幕府軍が一騎打ちをしていたと後世に伝わってしまったのか。服部英雄氏は、文永の役の重要史料とされてきた「八幡愚童訓」(はちまんぐどうくん)が原因であると指摘しています。
八幡愚童訓とは、元寇が終わってから数十年後に書かれたとされる史料です。文永の役、特に対馬や壱岐島における戦闘を描いた唯一と言っていい史料で、これまで両島における戦いに関する研究はほぼこの資料のみに依存してきました。先ほどの一騎打ち戦法の無力さに関する記述も、この八幡愚童訓を出典としています。
しかし服部氏は、八幡愚童訓はきわめて信用性の低い史料であると断じています。事実関係をはじめ実態にそぐわない記述が多いからです。
一例を挙げると、文永の役の戦闘期間について八幡愚童訓では「元軍の博多湾突入後、嵐に遭って即退散し、1日で終わった」というふうに記述されています。しかし服部氏の研究によると、他の史料では戦闘が少なくとも数日間は継続していたことになっています。また元軍の出発から帰還までの行程から計算してみても、即日退散したのでは日程がまるで合わないそうです。
そもそも八幡愚童訓の記述は全体からして非常に怪しく、“トンデモ本”と言っても過言ではないような内容です。具体的には、幕府軍が元軍に散々に打ち負かされて退却した後、八幡神の化身である白装束の神兵30人が現れて元軍を追い返したので日本は守られたと書かれてあります。言うまでもなく、中国側の史料に神兵が出てきたなどという記述はありません。むしろあったら怖い。
こうした信頼性に欠けるトンデモな内容にもかかわらず、八幡愚童訓は元寇における第一級史料として長年にわたり君臨してきました。その史料価値について、大正時代に疑義を唱えた学者もいたそうですが、その後の皇国史観もあってそうした声はかき消されてしまったそうです。
八幡愚童訓では、元軍の兵士が殺した日本兵の腸を食べていたなどと、元軍の残虐性を際立たせるような記述もみられます。しかし出典が出典なだけに、そんな記述を事実として取り扱うのは注意が必要でしょう。
元軍の残虐性を示すエピソードとして、「対馬や壱岐島で捕らえた女性の手のひらに穴を開け、ひもを通して数珠繋ぎにして船に括り付けた」という話も伝えられています。この話は日蓮宗の開祖である日蓮が書いた書状に書かれたものですが、逆を言うと、その日蓮の書状以外には一切見られない描写です。
しかし、「手に穴を開けて数珠つなぎ」という描写は、やはりオーバーではないでしょうか。
というのも、日蓮は元寇以前に、仏法が栄えなければ日本は滅びると予言していました(立正安国論)。その後、元軍が現れると「ほら、言ったとおりじゃん」とばかりに自分の正しさを主張します。当時の日蓮は、言ってみれば元寇の脅威や恐怖を煽る側の立場であり、その残虐性を際立たせようとしたのは決して不思議ではありません。また、そもそも日蓮は元寇の戦況を直接見ていません。伝聞でしか知らなかったということを踏まえると、上記の描写が事実であるかは疑わしいところです。
元軍が日本の侵攻拠点として占領した対馬や壱岐島で島民の虐殺を行い、島民を奴隷として本国に連れ帰ったことは、中国側史料にも記録されています。残虐行為があったことはほぼ間違いないでしょう。しかし「手に穴開け数珠つなぎ」に関しては、事実として扱うべきではないと思われます。
元寇「幕府軍が一騎打ちでボコボコにされた」は本当か 覆される元寇の常識(第1回)(3/5) | JBpress (ジェイビープレス)
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この研究所で出される食べ物を食べ続けていると、不思議と段々と調子が悪くなる。なるべく避けようとしているが、どうしても出席せざるを得ないと、嫌でも食べ続けなくてはならないといけない日々が続く。そして必然、調子が悪くなる。どうもドイツとの相性が良く無いのか、単に、今まで住んでいた場所は、自分が好きなものを好きなように調理して毎日を暮らしていたからなのか、意味不明である。母が作ってくれるものを有り難く食べていても、調子が悪くなる訳では無いので、多分、こちらの水や土との相性が良くないのだろう。上五島の安藤先生が仰っていたように、ドイツは土地が良く無いのかもしれない。
Corkでの学会で明大で博士を取ってから、二個目の博士を取りに渡仏し、おパリ在住6年目と仰る御人に会った。ロックダウン中もおパリで過ごしていたらしい。その彼が曰く、久しぶりに日本に帰って驚いたのは、色と景色が三次元だという。エッ、とワシ。チミは二次元の世界にいるなら、どうやって移動しているの?と聞いてみる。苦笑いしながら彼曰く。いやぁ、ヨーロッパって風景はきれいかもしれないですが、死んでいますよね。全てが。。。抑圧されているというか、色がのっぺりしていて生気が無いというか。。。ワシは良い意味でピクチャレスクそのものって事?と聞くと、破顔で、そうそう。そうなんですよ。油絵ベタベタ塗ったくった平面的な絵画なんですよ。そして日本は美しくすぎる。見る風景、見る風景に、気が宿るというか、キラキラしているんです。生命が溢れているというか、生命のキラメキを全ての物から感じるんです、と。日本は美しい。八百万の神の概念が生まれざる得ない場所だと思うんです。神道は、全てが死んで、のっぺりしているヨーロッパ人には絶対に分かりません。と、ヨーロッパ人は感性低いのに、それが良いと思う日本人は、死んでいるものが好きで、死者の上に君臨したいんでしょう、と。日本みたいに、全ての物が生命に満ちあふれていて、全ての物が一斉に自分に話しかけて来ない。ヨーロッパは死んでいます。と断言した。日本の喧騒は、人間ではなく、モノなんです。でも、今は、五月蝿、人間が増えすぎていて、モノの声が聞こえない。だから僕、日本の田舎が好きです。ヨーロッパは物が死んでいるから、人間が五月蝿。うるさく、あーでもないこーでもないと、銀蝿のようにたかってブーブー言っている。僕、6年目にしてやっと、ヨーロッパと日本の違いが分かって、ヨーロッパへの違和感が言語化できたんです。だと。
アホで単純なワシ、彼の感性に感動。伊達に6年もおパリに幽閉されていた訳では無いようだ。ドイツも全く同じ。生気が無い。なので、美しく無いのだ。生気好きには、つまらない。色が踊らないからだし、陰影が無いからだ。また、何かにつけ権威主義的な癖に中味無いし。それにしても、彼の御実家は、どんだけ資産家やねん。。。と思った。ワシがドイツ渡航前の昨年、会津の馬皮職人の伯父さんからバッグを購入した時、バブル時代にエルメスだの、グッチだの、シャネルだののハイブランドのバッグの、一番高い奴は、実は伯父さんが作っていたんだよと、笑いながら教えてくれた事を思い出す。そして、ワシはその伯父さんから花豆の煮物を頂戴し、彼のバッグで通勤して、伯父さん元気かなって、毎日思う。
日本も、アメリカも、ドイツもそうだが、知識人と称する輩は驚くほど無知で、芸術の消費者でしか無く、ファッションセンスも皆無に近い。だから、手っ取り早く、有名ブランド、ミシュラン有名レストラン、有名な芸術家と名声がある所に、アホな奴ほど群がる。そして、あいつのチケットは300ユーロもしたのに、対した事無かったとか、訳わからん批評をしまくる。要は、自分が楽器を弾くわけでも、洋服を縫ったり、料理を作ったり、掃除したりという日々の繰り返しをバカにして、日常を軽々しく生き、それら日常の美を軽蔑しているために、審美眼が全く養われていないし、センスが無いのだ。実に下らない。ミシュランのレストラン行って幻滅したことを思い出す。
本当に良いものは、高い物の中にもあるかもしれないが、縫い物なら始末の仕方、裏地の始末、模様合わせなど、色々と観察ポイントがある。家庭科の授業は、それらを見極めるための教養だったし、絹のジャケットにライニングで金の鎖を仕込んで風でフラップしないようにするのよ、その重さが丁度良いのが金の鎖なんですってとか、そういう、日常的な生活の中の、ゆとりと贅沢な楽しみを知らない人々が、ブランドに飛びつくのだろう。まぁ、私もそれが分かるようになるまでには、色々と買い物をしたけどね。。。
という訳で、ワシはチクチクとクロッシェレースを楽しむ。別に意味が無いクロッシェレースを編むのは、正に贅沢の極み。ワシは幸せだ。そしてワシは手先が器用である。そして、夜は久しぶりにタンゴを聞きに行く。ワシの愛するブエノスアイレスの風。ErnestoやRomina、Doloresを思い出して涙する。ワシはドイツで、半生を振り返らせてもらっているような気がしてならない。人生も折り返し地点。もう、自分に鞭打たなくても良いのじゃないだろうか。父が十分、頑張ってくれたわけだし。ワシはどっかのアホ嫁と違って、疲れたフリして倒れてみたりとかできないし。農家の祖父母を持ちながら、祖母の作るサクランボを嫌い、子供に農家をバカにする発言させて、体力ある癖に大袈裟に体弱いフリする演技でサボる事なんてできないし。上手に気付かないフリして無視して旦那にお任せとかできないし。適当に甘えられて嬉しがっている旦那も終わっとると思うが、それも人生だし。ワシはそんなアホな旦那なら飽きるからいらないし、そもそも旦那いないし。いなくて良いし。20歳で腫瘍取ってから、もう結婚とかめんどいし、身体触られたり、体液交換するの気持ち悪くてゾッとするし。ベムのヨダレを拭くだけで十分。ワシの周りにも、案外ワシと同じように、子供を持つリスクよりも、ペットで良いという方は多いし、おまけに、種としての人間増えすぎやし。環境が心配だとほざく癖に、自分は子供産む権利があるとか思っているバカ見ると、マジで特権階級左翼オワッテルと思うし。
ってなわけで、白居易を思う。「君子居易以俟命、小人行険而僥倖」。『礼記』の『中庸』である。小人は冒険をして幸せを求めるが、君子は居やすくして命を待つ。また、「楽天知命、故不憂」である。『易』の一文。白居易は、別名、白楽天としても知られる。ワシも中学三年生から麻貴楽天を意識して生きてきたが、人生の後半戦は麻貴居易、麻貴楽天として生きよう。ワシは小人を自負していたので苦労を厭わなかったが、もう良いかな。そして他人がどうであれ、「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸佛教」と『法句経』の一部を胸に、善を意識して生きよう。諸悪莫作まで行くと、ワシは完璧主義者なので、自分の存在を消したくなる。ワシが存在するだけで、気付かない内の悪行の数々は底しれない。だから、責めても、衆善奉行止まりでね。ほどほどに。
アホなドイツ人に、鴨長明の『方丈記』について、そいつが間違った解釈をされているので訂正して上げたら(そして、ワシ、なぜ丁寧語?)、自分が如何に正しいかを懇々と説明され、おまけに、俺は方丈記は全部読んでないけど、の枕詞までつけて、延々と説明される屈辱を味わいつつ、コイツバカ死ねと心底、心の中で思っても顔は引きつりながらニコヤカに。そして、彼が行ったことも無い京都の方丈庵からインスピレーションを受けたとかいう下らない建築物を褒めて、そいつのエゴを満たしてあげて逃げる。もうこうなると、国籍関係なく、エゴ高めの無知な人間が、ようここまで偉そうに闊歩しとる時代やわいと感心しかない。
しかし、多分、ワシの親族の誰かが同じようなことを他人様にやった、しっぺ返しとして、ワシにこうした気付きの機会が回って来るのだとしたら、ワシはアホな親族に代わって、このアホなドイツ人のエゴを満たしてやる事でしか、ワシのアホな親族に代わって代理謝罪できない。全ては繋がっていて、全ては円環と循環の中で、跳ね返ってくるだけだから。また、気付かないバカは素通りできるが、気付いた限り、対処するのが世の常。踏ん反り返って悦に入るドイツ人建築家を前にワシは、そいつにではなく、そいつが気付かせてくれた因果に頭を下げるのだ。でも、後で愚痴るのだ。そして笑い種にしてやった。それも、良し。いい加減にしろよな。。。と誰もが思う事まで我慢する必要は無し。いくらワシを慕おうと何しようと、親族の関係も同じ。いい加減が丁度良い。ワシは人生後半戦は、共にいて心穏やかに楽しく居られる人達と共にいたい。もうエゴ高めの面倒な奴は年齢関係なく御勘弁申し上げしたい。
まだワシは天命を知らぬが、麻貴楽天でいれば、命も自ずと開けよう。なにせワシは生まれた時に祖母の占い師から、若い頃には苦労するが大器晩成と言われとるらしいし、そいつの選んだ命名では別の占い師によると強すぎるらしいし。そりゃ麻に貴いだぜ。最強すぎて名前負けせんように生きていると、そんじょそこらの男に甘えるなんて事、できなくなるし。甘えているフリだけする女子力高めのエセ女見ていて反吐出るし。それに振り回されて、子供が良い歳になってから嫁選び間違ったわー告白されても、今更なにゆーとんねんボケ。肉欲負けしただけやろアホ。男なら最後まで責任取りやーと、見知らぬ女の離婚の危機を救ってあげるしかないし。ワシ、ホンマ何やっとるんやろうねぇ。。。溜息。まぁええわ。ワシは男友達多めなんで、それはそれなりに楽しませてもらっておりますねん。そして、ワシが心から好きな人々はみんな、とてつもなく良い女で良い男。何故なら、ワシが良い女だからじゃ。がはは。
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"イチ"をめぐって:『犬王』作中における当道座の拠点どこやねん問題
劇場アニメーション『犬王』のいわゆる「聖地」のひとつに挙げられる当道職屋敷址。仏光寺通に面する洛央小学校の敷地内にその碑はある。のだが、この「職屋敷跡」は近世のものらしい。では中世、殊に『犬王』の舞台と思われる1370年代の当道座の拠点はどこか。インターネットで拾える情報がやや錯綜していると感じたので整理しておきたい。
関連スポットの地図を作りました。ていうかこれが伝わればだいぶ満足です。Google Mapもあるよ(https://maps.app.goo.gl/Qqe48CYHHGXKvGSi9?g_st=i)。
はじまりのイチ:『犬王』の時代の当道座はどこにあったか
まずこの問題、手がかりになる情報の多くは兵藤裕己『平家物語の歴史と芸能』(吉川弘文館、2000年)から得ることができます。岩波新書『琵琶法師』で『犬王』ファンにはおなじみの兵藤先生の単著! 現在は入手困難ぽいのででっかい図書館とか駆使して読もう。特に関連するのは以下の箇所。
第一部 第一章「覚一本の伝来―源氏将軍家の芸能―」pp.8-30(初出:「覚一本平家物語の伝来をめぐって」『平家琵琶―語りと音楽』ひつじ書房、1993年)
第二部 第三章「当道の形成と再編―琵琶法師・市・時衆―」pp.157-173(初出:「琵琶法師・市・時衆」『一遍聖絵を読み解く』吉川弘文館、1999年)
こちらを参考にすると、結論からいえば『犬王』の時代の当道座(一方派)の拠点は平安京の東市周辺だったとみてよさそう。『琵琶法師』でも言及されているように、『梁塵秘抄異本口伝集』巻十四にみえる「さめうしの盲目ども」のエピソードから、仁安年間(1166-69)の段階で東市北辺にあたる佐女牛小路付近を拠点とする琵琶法師の集団が形成されていたとみられる。その後、明石覚一を派祖とする一方派の拠点がどこに置かれたかははっきりしないけど、定一の次の代の総検校・慶一の在名が"塩小路慶一"(塩小路は東市の南辺)であることから、この頃まではまだ東市周辺に彼らの拠点があったと考えられるようです。
さらに絞り込むなら、以下は私の推測ですが、『犬王』の時代には、東市周辺でも佐女牛側(北側)ではなく塩小路側(南側)が拠点だったのではなかろうか。すなわち、先に触れた慶一の在名が塩小路であることに加え、(1)律令制の衰退とともに東市は廃れ、その東南側、七条大路と町尻小路の交差点付近を中心とする"七条町"に商工業地帯が展開すること、(2)空也と一遍が布教をおこない市屋道場・金光寺となったのは東市の南半であること(参考:リーフレット京都No.65「東西の市」)などをふまえると、慶一よりも前の世代から、一方の拠点は市の南側に移動していたと考えてよさそう。
ということで、『犬王』の時代の当道座の拠点は京都駅の北西から西本願寺の南側にかけて…くらいの場所と考えておくのがよいのではないでしょうか。(東市の位置はおおむね現在の西本願寺にあたるわけですが、2022年10月に西本願寺で『平家物語 犬王の巻』の朗読イベントやったのエモすぎません?!)
イチの痕跡:佐女牛八幡と市姫神社
現在の西本願寺周辺には当道座そのものの痕跡は残らないけれど、東市と周辺の人々に思いを馳せることができる場所はいくつかある。ここでは兵藤の『琵琶法師』でも言及がある佐女牛八幡と市姫神社に焦点をあてたい。
「さめうしの盲目ども」の拠点とみられる佐女牛八幡=若宮八幡は、東市から北東に位置する。源頼義(八幡太郎義家の父)がその邸内に営んだことに始まり、以降、源氏の氏神として深い信仰を集めた。豊臣秀吉の京都改造によって五条坂に移ったが、旧地にも小さな"若宮八幡宮"が再建されている(写真)。移転先の五条の若宮八幡には足利義満寄進の手水鉢が残る。
ほかに「佐女牛」の名を残すスポットとしては、やはり源頼義の邸内にあったとされる佐女牛井(さめがい)がある。京の名水に数えられた井戸らしいけど、第二次世界大戦後に埋められ、西本願寺の北側、堀川通沿いに跡地の碑が立つ。また、西本願寺の北西にある緑のタイルが印象的な"井筒佐女牛ビル"5階には風俗博物館が入る。平安貴族の復元衣装や人形展示が見られるけど、日祝休館でタイミングによっては長期休館もあるので注意。
市姫神社は東市に祀られた市の守護神。やはり秀吉の京都改造で河原町五条に移っている(市比賣神社)。旧地は西本願寺の寺域になっており何も残らないけど、JR山陰線を越えて西側、京都中央卸売市場の付近にも"市姫神社"がある。これは何なんやと思ったら、中央卸売市場の開設にあたって市比賣神社から分祀されているらしい。現代の市もお守りされているの、なんかいいですね。
移転先、五条の市姫社は女人厄除で有名で、マンションと一体化した入口も面白い。その西側には、やはり東市で空也と一遍が活動した市屋道場に端を発する市中山金光寺がある。非公開寺院。市姫神社とセットでこの地に移転しているわけで、東市と時衆の関係の深さがわかる。
京都観光Navi「若宮八幡」
フィールドミュージアム京都「佐女牛井跡」
京都観光Navi「市比賣神社」
その後のイチ:浄教寺と当道職屋敷跡
この文章の早い段階で、いや中世の当道座って浄教寺にあったんちゃうんかい、と思った方もいらっしゃると思うので、当道座の拠点が近世の職屋敷跡、仏光寺の北に移るまでの歩みも整理しておきたい。
兵藤の『平家物語の歴史と芸能』では、永享4年(1432)に「惣検校城存」が錦小路富小路の東頬に屋敷地を賜ったこと(『室町家御内所案』巻下)、永享9年(1437)に慶一の後を継いだ井口相一が「山法師戒浄」の屋敷を賜ったことを挙げ、15世紀初めには四条・五条の町地区へと移ったとしている。(ただ、城存は「城」の字からみて八坂方だろうし、山法師戒浄がどんな人で屋敷がどこにあったかまでは私は調べられていないです...。)
また、『職代記』には応仁の乱の際に当道の文書類が浄教寺で失われたという記載があるそうで、この頃には浄教寺に座務期間がおかれていたとされている。現在の浄教寺は四条寺町にあるけれど、これもやっぱり秀吉の京都改造で移ってきたもので、その前の所在地は五条東洞院。浄教寺は元は平重盛が小松殿に営んだ燈籠堂に端を発すると伝えられ、五条東洞院には"燈籠町"の地名が残る。なお、本来の重盛の燈籠堂は『平家物語』巻三にもあるとおり東山の小松谷にあった。現在、七条のフォーシーズンズホテル敷地内となっている"積翠園"は小松殿の庭園遺構であるとか。
近世の当道職屋敷は、微妙な位置の変化はありつつも基本的には仏光寺の北にあったらしい(職屋敷址の碑は写真の植え込みのなかにあり)。絵図から位置が抑えられるのが寛永14年(1637)から。このあたりは以下の梅田論文に詳しいです。
梅田千尋2008「近世京都惣検校職屋敷の構造」『世界人権問題研究センター研究紀要』
なお、この論文では、永禄11年(1567)の当道座宛ての禁制文書の宛先が「四条かんこく惣けんぎやう町」となっていることから、戦国期には四条の函谷鉾町が拠点だったのではという指摘もされてる。
さて、ここまでつらつら書いてきましたが、『犬王』作中での描かれ方をみると、ラストの友有疾走シーンが四条室町っぽい(通りの描写の参考にしたと思われる国立歴史民俗博物館の復元ジオラマがここ。洛中洛外図屏風が描かれた頃の繁華街)ので、イメージとしては四条の街なかに位置していると捉えてもいいんじゃないかなと思います。平安・中世の東市周辺にしても、中世後半〜近世の四条・五条にしても色んな人がごちゃごちゃいて新しい音楽が生まれるのにふさわしい場所だったことは確かそう。私は劇場アニメーション『犬王』の、都市の物語でもあるところが大好きです。
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2023建築レビュー#2
・建築レビュー#2(設計者: ARCity Office ) 発表者 :池田 (M1) 講評者 ; 安西 -
建築レビュー第2回目 はARCity officeを取り上げた。
この建築家は2016年に張玉興とHANジンによって設立された建築事務所である。彼らは中国に拠点を置き、活動を行っている。
彼らのコンセプトは「アダプティブリユース」として本来の役割を終えた建築物に対してその歴史性を保護しつつも今までは破棄されたいたような材料などに対して新たな価値を与えることで再生する事に対して重きを置いて活動している。
今回は彼らの建築作品を3つ取り上げて紹介する。
事例1『 Shajing Village Hall 』中国 深セン(2020)
中国の深セン市の廃墟となっていた発電所を活用し、先祖を称える祭りや結婚式、葬儀にも使われる中国特有の「アンセストラル・ホール」として生まれ変わらせるプロジェクトです。
主に物質的側面と精神的側面の両方からの遺跡再生を試み、基本的には、古い痕跡を最大限に保存しています。
一方、赤く印した、新しい鉄骨構造やガラスは、古い遺跡を支えつつ、挿入または織り込まれることで、古いものと新しいものの絶対的な境界を曖昧にします。
構造躯体だけでなく、正方形の窓の開口部や、発電所の換気ダクト設置用の丸い穴などの痕跡も、「廃墟構造」の一部となり、これらは歴史を物語り、空間に予期せぬランダムさと謎の感覚を加えます。
建物の解体時に出た多くの石やレンガなどの廃材は、太い鉄筋で編んだ網に入れて壁をつくり、庭全体の仕切りとして再利用されています。
事例2『Qiaotou Ruin Garden』 中国 深セン (2019)
Qiaotou Ruin Gardenは深センの遺跡庭園となっている建築です。この建築は工業用建物をスラブ、屋根、壁、床が一部撤去し「廃墟構造空間」へ変化させました。
もともとこの建築は1980年代に建てられましたが、長期間の空き家状態でした。そして工場跡地の周囲には広い空き地があり、多くの村人が車を一時的に駐車したり、建設用具や廃材を積み上げたりするのにも使われていました。
このプロジェクトは、躯体を残しつつ床、屋根、壁を部分的に撤去する方式を採用し、見えない建物の実体を明らかにし、閲覧・活用できる新たな空間を創出します。都市空間におけるサステナブルな建築を目指します。
ソフト面においても、ビエンナーレなどイベントの開催の影響もあり、村の多くのコミュニティ活動がこの工場跡地で行われるようになりました。
このように、既存の活用可能な構造躯体を村のインフラとして捉えることで、将来的には、取り壊され、標準化された超高層ビルに置き換えられるかもしれない未来に、この廃墟のシンボルが根付き、発芽し始めることで、廃墟が増える都市化した村も成長が可能であることを証明しました。
事例3『Rejuvenation of Shajing Ancient Fair』 中国 深セン (2019)
現存する最大の混合型歴史街区であり、歴史的および文化的価値の保護を最大化し、新しい設計コンセプトに基づいて、都市再生のモデルを探求するプロジェクトです。
主に、約70メートルの模範的な河川修復と景観変換を実施します。同時に、場所の特性を維持することに基づいて、川沿いの代表的な場所を選択し、社会構造と空間の質感の崩壊を避けるために「鍼治療」のようにわずかに介入していきます。
創造的なデザインと展示の助けを借りて、村人やコミュニティは歴史的遺物のユニークな美的価値を発見し、新しい文化的統合シーンを創造します。衰退する傾向にあった地元の生活コミュニティを活性化することを望んで、さまざまな種類の公共活動を実行するために組織されています。
かつてここに流れる川は、貿易と輸送に不可欠でした。その後、川は封鎖され、道路や家が川を占領し、幅2メートルの臭いの溝に変わりました。そこで、水路を2つの層に下層は下水、上層は雨水に分割し、川の原始的な魅力の体験を可能にします。
さらに、川岸の両側の手すりを取り除くことによって、花の池、座席、橋、遊歩道を設計しました。川岸のスペースは日常生活に回帰し、人々が楽しみ、体験できるシーンになりました。
川全体を「歴史的シーンの博物館」と見なし、川の景色を一望でき、村人が気軽に休憩して交流できる小さな居場所を与えます。
こちらは、公衆トイレの屋根を使用して、大きな階段などを含むスカイブリッジシステムを構築し、村人が座ってリラックスしたり、2階レベルで歴史的建造物を見学したりできる屋外広場に変わりました。
以上のように固有の展示やデザインは、一種の保存と活性化、風景と景色、更新と郷愁まど...さまざまな要素を組み合わせて、過去と未来の時間を編んでいきます。時間は全世界の共通のシルエットであり、すべての人の体が感知できる最小の体験ユニットでもあるからこそ、この実験的な行動により、時空間進化が始まることを期待しています。
私はARCity officeの設計について、主にはサスティナブルというコンセプトでありながらもこれは熱や風などの環境面ではなく中国の急速な発展に伴う建築的な資源を見直すことがこれからの中国の都市を引き立てる存在になりえるように感じた。
さらに建築的な操作としても、廃墟を受け入れつつもパッチワーク的な建築操作によって基礎、梁、柱を含む既存のコンクリート構造を補強しつつも再利用することで古い廃墟の周りに新たな建築が巻き付くことでノスタルジアな感覚が生まれるのではないかと感じた。
古いもの・新しいもので区別をするのではなく、維持しどう現代に繋いでいくのかを考えていくことが持続となるのではないかと考える。
山中は、現在急速に発展している中国だからこそ、歴史的価値のある建物というのは、ヨーロッパにあるような千年単位のようなものではなく、数十年レベルでの更新が起こっている所に中国の建築の魅力があると述べた。
また、廃墟をより廃墟らしく仕立て上げているという建築の見方をすることがこの建築の魅力を感じさせると述べた。
引用: Archi Daily
https://www.archdaily.com/974458/rejuvenation-of-power-plant-arcity-office?ad_source=search&ad_medium=projects_tab
https://www.archdaily.com/946133/qiaotou-ruin-garden-arcity-office?ad_medium=widget&ad_name=more-from-office-article-show
https://www.archdaily.com/951504/rejuvenation-of-shajing-ancient-fair-arcity-office?ad_medium=widget&ad_name=more-from-office-article-show
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『天国で君に逢えたら』飯島夏樹
病院で患者の代わりに終のメッセージを代筆し、手紙として届けることを行っている元サーファーの医者のお話。元サーファーとわざわざ書いたのは、個人的にこの小説において結構重要なファクターと思われたから。
はっきり言おう。俺には読む価値のある作品とは思えなかった。感動ポルノだなんだと批判の的にもなった、凡百の難病ものの外に出ていない作品である、と思う。
作品についてのケチならいくらでも付けられる。まず医者になるまでの経緯が酷い。デキちゃったで結婚することになった妻の父から言われ、美容師から医者に転身することになるわけだが、そもそもこの一連のシーンからして言いたいことだらけである。まあもう医者になる苦労については、もう何も言うまい。そんな動機で目指して成れるものではないと思うが、作品なんてそんな道理を無理を通して引っ込ませてなんぼという面もある。後に知る作品制作の背景も含め、多めに見ようじゃないか。しかし、ラノベのように「登場人物」として人を捉えて書けているようにもなっていないが、じゃあラノベという括りから外れた作品のように人間を捉えられているとも思えない。「小説の人間」として掴めているとも感じられなかった。要は登場人物の書き方が下手。
色々向きはあると思うのだが、私は必ずしも登場人物の動きが��アルの人間らしくあるべき��は思っていない。寧ろコミカル全ぶりというか、「作品のキャラクター」としてしか書かれていなかったとしても、それはそれでありだと思うのだ。「読者」というオーディエンスを前に依存しているというか、ドラマツルギーの創作論というか、ああもう語彙が足りん! 知識が半端だ! 正しく伝えられていない! とにかくリアリティの追求をこそ絶対正義ではないのだと言いたい。漫画調で何が悪い! あまりにストーリーに沿い過ぎてて何が悪い! ハードボイルドで無駄にシガーキスするのの何が悪い! という考えで小説を読んでいるのだ。まあでも好き好みするんですけどね。
その上でこの作品の登場人物の書き方は受け付け難かった。何というかむらがあると思った。解像度の差異が、いずれも低レベルながらも激しいと感じられたのだ。的外れな考えかもしれないが、 小説というものは何かしらそれが別のメディアになった時に一番最適なものがあり、そしてそれを小説自体が指向しているものであると俺は考えている。が、この作品はどこに向かいたいのか、俺には分からなかったのだ。 漫画になりたいのか、映画になりたいのか、ドラマになりたいのか、「文字」になりたいのか、絵画になりたいのか、ラジオになりたいのか、日記になりたいのか、それらが俺の中で判然としない。だから読んでいて引っかかる。
手紙を書いて欲しい患者を受け入れる場所の、設置までの流れも酷い。モラルが現代的でないのは眼を瞑るとしても酷い。作者の海への思いも、キャラ設定や描写の端々に出ていてそれもウザったい。入れ方に無理を感じる。まあこういうねじ込み方は色んな作者がやってはいるし、むしろ作品に纏まりを作っている要素でもあると思うので、そこまで殊更に批判する気は起きないが。
医者になるまでの経緯を考えると、主人公の妻の存在は大変大きいはずだ。何なら妻の祖父に手紙業をサポートしてもらってるわけで。その割に妻の描写がおざなりだ。これは作品内でも家庭がおざなりになりがちであるという苦悩を以って、作品内で自虐してはいる。とはいえ個人的には看過し難い。後半、主人公からストーリーが離れすぎているのだ。ならもう最初から「手紙屋」なる不思議な仕事を行っている医者がいる、という形で連作短篇にすればよいのだ。
とまあボロクソ書いたわけだが、この作品の背景を鑑みるなら少しは甘く見るべきだろう。なんせ三週間で書き上げ、出版後まもなく作者は死んでいるのである。
まさに本人が難病に冒されているわけで、スピーディに、本能のままに書き上げた作品が粗削りであると批判するのは、我ながら野暮であろう。まあそこで作品への感想を曲げてしまうのも、野暮だとは思うが。…どうすりゃいいんだ?
むしろここまで書けたのを考えると、もう少し創作へのいろはを育てている状態であれば、もっとシャンとした物を書けたのではないか?惜しい話である。
まあでも何というか、時博士の愛した数式とか嶽本野ばらのミシンとかは、こういう作品の延長線上にあるものだなと思った。後者は嫌いじゃないんだけどね。ああでも、案外100回泣くこととか、僕は奇跡しか起こせないとか、あの手のからは距離の取った位置にあると思う。
分析は楽しいが好きになれないことに変わりはない。
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弾丸福岡。 まずはここから。 #fukuoka (元祖博多めんたい重) https://www.instagram.com/p/CpE2xwFrIH6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)3月19日(日曜日)
通巻第7674号
中国全人代は達成不可能な数値目標が並んだのだ
GDP成長が5%。赤字はGDPの3%以内。地方債は72兆円が上限
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3月5日から13日まで開催された全人代では、初日に李克強首相〔当時〕が演説した。
GDP成長目標を5%とし、22年は「コロナ禍と不動産不況にも拘わらず3%伸びた」と白々しく言い添えた。
都市の新規雇用は1200万人、失業率を5・5%とする。インフレ抑制を3%前後とし、赤字国債の上限はGDPの3%とする。また食糧5000万トンを増産する等とおおよそ達成不可能な数値目標を並べたてた。
政府活動報告で目立った表現には「習近平同士を核心とする党中央の力強い指導」、「習同士の核心としての地位と習を中心とする党中央の権威を守る」など時代錯誤の修辞が続き、「貧困脱却堅塁攻略戦に勝利する」と抽象的で意味不明な表現がある。ようするに貧困層を減らし皆の暮らし向きが良くなるように努力すると言いたいのだ。
内需拡大の項目では「地方政府特別債は3兆8000億元〔76兆円〕とする」とあって、表現に隠れているが、地方政府債務を新規債券発行で肩代わりし、当面誤魔化せと言っているようなものである。
地方政府が乱発した債券は既に1000兆円を超えたと推測されている(公式には900兆円前後)。
名指しはしていないが欧米のサプライチェーンの分断に関して「製造業の重要産業チェーンに関して国を挙げて重要な核心技術をめぐる難関を乗り越え、ハイテク研究開発と応用促進を加速する。デジタル経済をおおいに促進する」とする一方で、『外資の市場参入規制を緩和し、TPP加入交渉を推進する』とも主張している。
同時に『金融』と『香港、マカオ、台湾』の項目で政府活動報告は何を言ったのか。
「習近平の強軍思想」を貫徹し、環境にも取り組むとしたうえで、金融では「監督監査を強め、地域性、系統性金融リスクを回避する。大手不動産企業の経営危機に対処し、負債比率を改善し、無計画な拡大経営を防ぎ、不動産の安定成長をうながす」。
このため「地方政府の債務リスクを防止・解消し債務期限構造を改善し、利息負担を低減し、新規発行額を抑え、債務残高を削減する」とした。
この箇所を裏読みすると不動産は無謀な計画で大借金の山を築いたが、利下げと期限を延ばして救済措置をとるという意味だろう。そして、なんとか市況の暴落を防げないものかと言っているのである。
「昨年の不動産投資は前年比10%減。それだけでGDPは3%の下落圧力になる。それでも実質3%の成長をとげたとは信じがたい」(田村秀男氏、産経新聞3月18日)。
▲行政機関は無力化、重要部門は党直轄に
「チャイナウォッチャーのなかには、これを「地方分権的全体主義」と呼ぶが、習思想などと意味不明の個人崇拝体制で行政と経済政策が、最高指導部管轄となれば、国務院以下の中央官庁の存在意義はどうなるのか?
行政機構は無力化し、無骨格状態となり、党中央独裁、いや個人独裁の毛沢東時代と変わらなくなる。
香港とマカオの「一国二制度」の方針を揺るがずに貫徹すると唱えながら(すでに反古となっているが)「法に基づく統治を堅持する」とした。香港とマカオの自治を踏みにじったが、「法に基づく統治」と言うのは、その後、勝手に創った共産党支配合法のための「新法」を指す。
台湾についても「新時代の党の台湾問題解決の基本方策を貫徹し、独立反対、祖国統一促進を貫き、「祖国の平和的統一への満ちを歩む」などと「平和的統一」の美辞麗句を並べただけだった。
金融、治安、ハイテクが共産党の直接管理となった。ここが一番重要なポイントである。
西側の制裁に対抗し、統制を強化する目的がある。つまり国務院がこれまで専管事項だった分野も共産党直轄になったわけだ。
治安では公安、国家安全部と戸籍の管理を共産党内務工作委員会へ移管する。
金融では人民銀行と金融監督部者が共産党のふたつの委員会に権限移管され、科学技術と教育部門が党の専門委員会の直轄となる。
3月16日に発表された機構改革では党に「中央金融委員会」を設置し、金融安定を党が指導するうえ、「中央金融工作委員会」を別途設置し、金融システムの組織、規律を統一的に進める。国務院には名目的に「国家金融監督管理総局」が設置される。
人事面では新首相に経済素人の李強が任命された。前任の李克強は北京大學経済学博士号。続投する易鋼(人民銀行総裁)はイリノイ大学博士号を持つ専門家だ。
国家副主席には韓正が選出された。王岐山前副主席は完全な引退に追い込まれた。
人民銀行総裁に居座ることになる易鋼は中央委員候補からもすべりおち、もはや飾りでしかない。胡錦濤時代に中国銀行総裁だった周小川にはやや独自政策の裁量権があったが、金融も共産党直轄となれば、政策に柔軟性を希求するのは無謀だろう。
▲中国が「特許大国」ですって。(剽窃世界一の国が?)
こうみてくると以下の報道がいかに白々しいか。
中国は米国と並ぶ「特許大国」となった、そうな。実態は研究論文と申請件数のおびただしさで、他人の論文の剽窃や横取りも多い上、これからもつれるであろう難題は、日本や米国と中国との共同出願による特許がかなり存在することである。
とくにEV、スマホ、太陽光パネル、電池、レアメタルなどの先端分野に集中している。中国はこれら共同特許も解釈変更で中国の特許としている。トヨタは中国との共同特許が30件、まるで人質ではないか。
国際学会での論文数では米国を抜いて中国が一位、以下、韓国、台湾、日本とつづき、技術大国だった日本の地位低下が顕著になった。十年後に日本人のノーベル賞受賞者はいなくなるかもしれない。
米国企業での問題は、研究者の中に圧倒的に中国人が多く、わけてもテスラの技術陣は中国人が過半という。つまり中国人エンジニアが不在となると、世界各地で生産効率が下降する。その一方では、使命を帯びて外国企業にはたらく中国人のスパイ活動がある。
中国の23年の成長率目標が5%となったことは見た。
西側企業の中国撤退が続いている上、日米欧は中国へのハイテク輸出を規制し、米国はブラックリストを公表し、日欧にも協力を要請した。とりわけ半導体装置では日本とオランダが米国と協議し輸出停止を申し合わせた。
欧米ファンドも中国から引き上げをはじめ、中国をのぞく新興工業国家群への投資に分散、米ファンドの日本向け投資は中国へのそれの二倍ちかくになった。
ベトナム、インド、マレーシア、豪州などへ禿鷹ファンドのKKRやブラックストーンなどの巨大ファンドが投資対象を切り替えた。
中国株への投資も海外マネーの逃避が続出している。アリババ、JD、美団など中国のハイ的企業株から足を洗っているのだ。
かような情勢変化に直面する中国が5%成長を遂げるという習近平の方針は、張り子の虎としか言い様がない。
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 11月2日(水) #赤口(己未) 旧暦 10/9 月齢 7.7 年始から306日目(閏年では307日目)にあたり、年末まであと59日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 「捨てる神あれば拾う神ある」 そんな語句で良いのか😅💦って 思いますが、捨てたもんじゃない です🤚今日から出勤が遅くなり お迎えが七時五分になりました💦 よってヒライモーニングが蘇ります🦅 いやぁ〜やっぱり最強ですね😅💦 ここの朝飯🤣😆🤣360円です。 現場食堂の朝飯と比べたら申し訳 ないですけどって🙏これもいつ まで続くかなんですが💦波瀾万丈 な熊本のルーティンですしょうかね😅💦 あっ年末年始は帰京できそうです。 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #北海道たまねぎの日. 北海道札幌市に事務局を置く、全道青果物取扱対策会議玉ねぎ取扱対策会議とホクレン農業協同組合連合会が共同で制定。 北海道は全国一の生産量を誇る玉ねぎの名産地。 記念日を通して、収穫への感謝と玉ねぎを消費者に届けられる喜びを伝え、北海道産の玉ねぎをより多くの人に知ってもらい食べてもらうことが目的。 日付はこの時期に北海道産の玉ねぎの出荷がピークになることと、1102で「いい(11)オニオン(02)」と読む語呂合わせから11月2日とした。 . #赤口(シャッコウ・シャック). 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝いごとでは次で紹介する「仏滅」より避けられることが多いです。 この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・���卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #いいふたりの日 オリジナルジュエリーの企画・製造・販売や、フルオーダージュエリーブランド「SORA」の運営などを手がける有限会社ソラが制定。 . #リジョブの日(いい縁につながる日). 美容・ヘルスケア・介護などの「おもてなし業界」の求人メディア事業やCSV推進プロジェクトなどを展開する株式会社リジョブが制定。 . #阪神タイガース記念日(#阪神タイガースデー). 1985(昭和60)年の11月2日(土)。 プロ野球の阪神タイガースが日本シリーズで西武ライオンズを4勝2敗で破り初の日本一になった。 これを記念してタイガースファンが制定。 . #いい血圧の日. 調味食品、保存食品、飲料製品などを製造、販売し、高めの血圧を下げる機能性表示食品のトマトジュースなども手がけるカゴメ株式会社が制定。 . #ガイコツ祭りの日. 株式会社東ハトが制定。 . #ペア活の日. 京都府京都市に本社を置く株式会社ワコールが制定。 . #都市農業の日. 東京都農業協同組合中央会が制定。 . #習字の日(#書道の日).#タイツの日.#キッチン・バスの日.#北原白秋忌. #DIYの日.#博物館デー(制定者および制定理由不明?). . . ●Life2.0の日(毎月2日). ●ダブルソフトでワンダブル月間.●生命保険見直し月間(1日から30日). ●低GI週間(11月1日から11月7日まで). ●万霊節「死者の日」(カトリック). ●メキシコ死者の日.●インド人到達の日(モーリシャス). . . ■本日の語句■. #言葉は心の使い(コトバハココロノツカイ). 【解説】 心に思っていることを伝えるのが、言葉の役目であり、自然に口をついて出てくるものである。 だが、考えていることがなければ、口に出してはならないし、また口にしてはならぬことをいう。 . . 1982(昭和57)年11月2日(火)先勝. #深田恭子 (#ふかだきょうこ) 【女優、元歌手】 〔東京都北区〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Ckb0CkgBtu0naOTZx43yyGgGIyZe4w7Z18MGc80/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Kienと別れてから、ドレスデン城を観光できなったから、また今度、マイセンとセットにして帰ってこよう!と思いつつ、Anjaの待つLeipzigへ。Leipzigは、言わずと知れた音楽の町。Bachが教会音楽奏者として活躍し、メンデルスゾーンが王侯貴族ではなく、市民のために開放された音楽堂ゲヴァントハウスの指揮者として、近代指揮法を確立した晩年を過ごした場所だ。憧れの場所。
Anjaさんには申し訳ないが、午後到着後はBach博物館へ一人で行く。夕方から閉館近くまで3時間も入り浸る。幸せ。Bach家の紋章が入った布バッグも閉館直前にゲット。館内には中国人や日本人など、アジア人比率の方が高い。Anjaさんには夕食を御一緒したいと御願いしておく。19時からの夕食に、18:45にホテルまでお迎えにきてくれた。ゲーテが通い、森鴎外も留学中に来ていたレストランに連れて行ってくれた。
上の写真はLeipzig大学。この大学は東ドイツ時代にはKarlMarx大学という名前に変更されていたが、1989年の壁崩壊、1990年の東西ドイツ統一を経て、名前が戦前に戻ったらしい。Anjaの御主人ChristofはLeipzig大学でチェコ語を教えている。Leipzigは、19世紀から文化の中心地であったのだが、王政により統治されていたドレスデンと異なり、ハンブルグと同じで商人市民による自治地区に当たる。印刷業、綿花取引の中心地として栄えていたので、ユダヤ人も多く暮らす地区であったらしい。ユダヤ人は金融業や工業等で成功している者が多く、金持ちは盛んに文化、教養や音楽にお金をふんだんに使っていく。そのため、Leipzig大学は戦前から有名大学だったし、元々はカトリックのベネディクト派によって運営されていたらしい。
夕食は、チェコで辟易したKnodelのKartoffel(じゃがいも)版の舌鼓を打つ。Knodelとは、小麦粉を練って茹でたり、蒸したりした丸い団子状の食べ物。Hamburgのような金持ち地区では、Knodelには肉が入り、小麦粉と挽肉を練って茹でて、上から濃厚クリームソースをかける料理になる。チェコでは、パン代わりに食されるようで、メイン料理の付け合せに、濃厚なソースと共に良く出てきていた。Knodelの不味さに辟易していたワシは、最初、ゲーテと森鴎外が好きだったレストランのメニューに、Knodelの無いメニューが無いことに焦っていたが、覚悟を決めて牛肉のシチューとKartoffelnknodelを食べることにする。心配無用で、LeipzigのKnodelは、ふわふわで、北海道の芋団子より美味しく、ソースと絡めながら、ペロリと食べてしまった。夜は10時過ぎまでお喋りし、Anjaとの再会を楽しむ。Anjaは、南部ドイツ出身の詩人。私の最初のお友達。
翌日は朝から東ドイツ時代の市民監視技術を集めた博物館へ行く。市民監視の徹底ぶりは、小説1984並み。手紙はほぼ全て、蒸気を当てて開封されて、中味チェックされてから、再度封をして、送られる。街には監視カメラだらけ、隠しカメラの技術、スパイ活動のための変装技術など、徹底しているところがドイツっぽい。面白いのは、エリート主義により、子供の頃から優秀人材を選別し、優秀な者から国家の統治側に迎え入れていくという幼少期からの教育が徹底されていた事。また、スポーツや音楽などが、ある種のナショナリズム高揚のために使われていた事。右下の写真は、常に改善していくためのプロセス思考がプロパガンダとなっていた事の証拠。この図を見た時に、アメリカのコ���サル会社にいた私は、背筋が凍った。この図表は、良く好まれて使われる。
また、Demokratikであることを謳い、東ドイツこそが、資本主義の悪に対し、平和と民主主義を守る砦なのだ!や、良く生きる、生きる喜び(lebensfreund)というプロパガンダが、今の左翼社会と同じで笑えた。新左翼主義の方々は、ほぼ極右と反転的に同じだという私の仮説は、全く正しいという事だ。ワシは、みんな仲良く(するために仮想敵を作ろう)とか、気候変動云々という新左翼はナチズムの再燃だと睨んでいるが、なんだか、その読みが正しいとしか思えないような展示の数々だった。
次にバッハが勤めていた聖トーマス教会へ。前日はバッハの墓の前でゴスペルが歌われていて、ズッコケたが、Anjaと再訪した時には、ザルツブルグから招かれた楽団がイースターのためのコンサートのリハーサルをしていた。バッハの墓にはチューリップが置いてあり、ステンドグラスにはバッハがいる。リハーサルではバッハの楽曲が弾かれていたが、音がマイルドな事に驚いた。オルガンは、教会の出口側にあるが、そのオルガンの周りのスペースでオケが練習していて、教会の座席に座ると上方から音が流れてくる形になる。弦楽器が、マイルドな音になる教会の音響は、オルガンのための教会だったんだという事を、実感させてくれた。
昼食はAnjaが気に入っている、住宅地にあるフレンチカフェでキッシュを食べる。その後、近所のパン屋さんでケーキを買って、彼女のお家へ。リビングルームは大きな窓で、工業地帯を流れていた運河を見下ろせる。運河には時折、競技カヌー練習をしている人々が競艇をしている。穏やかな日差しを浴びながら、ずーっとお喋り。Anjaさんとのお喋りは、メチャクチャ楽しい。Anjaはロシアの女性詩人の比較研究で博士号取得。自身もウィーン大学などで単発講座を持ちながら詩人活動をしている。フランス語、ロシア語、チェコ語、英語に堪能な語学の才女だ。詩人である時点でも凄いのだが、彼女は現代ドイツの詩人として賞もいくつか授与されている。とても繊細で優しい。
夕食は、Anjaさんのお家の近くでモロッコ料理を食べる。翌日は、憧れのメンデルスゾーン博物館へ。メンデルスゾーンはハンブルグ生まれ。ハンブルグで成功したユダヤ人銀行家の家に生まれ、1870年の独仏戦争をきっかけにハンブルグを離れてLeipzigへ引っ越す。唸るほどの金持ちだったので、子供の頃からGoetheに会いに行ったり、イギリスやスイスへ旅行したり、水彩画を学んだりと多才。祖父が哲学者だったので、自身も哲学で博士号を取得している。が、運命は音楽へと彼を導く。
上は彼の自筆の楽譜。繊細で几帳面なのが良く伝わってくる。字は人柄を語る。羽根ペンで、良くこんなに美しい繊細な文字を書くと感心する。愛する妻Cecileとの間に子供も4名もいたものの、姉が急死したことで神経衰弱になり、姉の死後、療養のためスイス旅行に出た時の水彩画が残されていた。美しい色合いに、メンデルスゾーンの心象風景は美しく静かだったんだなぁと思う。療養も虚しく、38歳で亡くなる。
メンデルスゾーンの功績としては、やはり近代指揮法を確立したこと。それまでは、作曲者が自ら楽器を弾きながら指揮する事が通常だったが、楽器編成が大きくなり、楽団員の人数も増えていく事に伴い、指揮者の存在が必要になっていく。Handelの編曲などを通して、近代オーケストラの在り方のために奔走する。楽団員として給料を貰えるように奔走したり、Bachの楽譜収集家と研究したり、彼の交友関係は広い。その中で、ゲヴァントハウスの指揮者として、ドイツ国内やイギリスまで公演旅行をしている。
メンデルスゾーンはユダヤ人であったが、先見の明があった父により、プロテスタントに改宗させられている。それでも、ユダヤ人はユダヤ人だとして、ナチス下でのメンデルスゾーンの評価はボロボロだった。近年になってようやく、ドイツ国内でも再評価が進んでいるらしい。。。が、まだ���イツ人には受け入れられてい���いというか、あまり知られていないらしい。演奏する事すら禁止されていたんだから。また、ナチスだったワーグナーが酷評しており、ドイツ音楽としては認め難くロマン的過ぎるとの評価らしい。しかし、メンデルスゾーン自身は、亡くなるまで、Bachを起点にした古典派を自称していた。無盲目的につまらぬ権力に従う羊どもの無知さに、憤りしか感じないが、大衆の多くはそんなもんである事も重々承知している。
最終日は、民主主義の集会をしていた聖ニコラス教会へ。内装がパステルピンクとパステルグリーンの可愛らしい教会。教会全体が植物をモチーフにしており、Anjaによると、綿事業によるコロニアリズムの影響だとの事。ハンブルグに戻る16:16発の電車まで、起点駅だったLeipzig駅の戦前にあったカフェでお喋りしまくり。ちなみに、LeipzigもDresdenも、第二次世界大戦中、メチャクチャに空爆されている。Leipzig中央駅も再建されているもの。ここのKarottenkuchenが、人参とクルミのケーキにホワイトチョコがかけられていて、とてもおいしかった。
またの再会を約束して、お別れ!これからは、週末は旅行に出るぞ!
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