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#国際消防士の日
ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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kennak · 1 month
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[FDA]シナモンに含まれる安全でないレベルの鉛に対処するためにFDAが講じている措置についての対話 A Conversation with FDA on Steps the Agency is Taking to Address Unsafe Levels of Lead Found in Cinnamon https://www.fda.gov/food/conversations-experts-food-topics/conversation-fda-steps-agency-taking-address-unsafe-levels-lead-found-cinnamon 2024年3月6日、FDAは、ある種のシナモン粉末製品から高濃度の鉛が検出されたため、これらの製品を買ったり食べたりしないよう消費者に勧告する安全警告を発表した。この注意喚起は、FDAがディスカウント小売店のシナモン粉末製品を対象とした鉛のターゲット分析調査及びラボラトリーフレキシブルファンディングモデル協力協定(LFFM)に基づく各州による追加検査を実施したことを受けたものである。FDAは、2023年10月にシナモンアップルピューレとアップルソース製品の自主回収を行ったが、その際、シナモン中の鉛の存在を評価するためにこの検査を開始した。これは、これらの製品に含まれるシナモンに関連した高濃度の鉛が子供たちの鉛中毒の原因となったためである。 FDAは小売店から75の検体を収集して検査し、メリーランド州保健局とミズーリ州保健局はLFFMの下で追加分析を行った。これらの検査結果に基づき、FDAは安全警告を発出し、高濃度の鉛を含む6ブランドのシナモンを代表とする製品の自主回収を勧告した。これらの製品に関連する疾病や有害事象は報告されておらず、検出された鉛のレベルは、2023年10月のリコールに関連するアップルソースパウチに使用されたシナモンから検出されたレベルよりもかなり低いことに留意することが重要である。しかし、私たちは、消費者が耳にしているニュースに懸念を抱いているだろうことは理解している。 FDAの食品安全・応用栄養センター(CFSAN)の規制担当副センター長代理であるConrad Choiniere博士が、消費者の質問に答え、米国市場におけるシナモンやその他のスパイスの安全性を高めるためにFDAが行っていることを説明している。   消費者はパントリーにあるシナモンを気にする必要があるか? 私たちも同じことを知りたいと思い、このテストを開始した。その結果、安全警告に記載されている特定の製品について、購入や使用を控えるよう勧告する結果となった。家にあるその他のシナモンについては、現時点では安全性に懸念があるという証拠はない。私たちの考えを変えるような新しい情報が見つかった場合は、助言を更新し公表する。 これらのシナモン製品を使用していた消費者は、鉛中毒症状を経験するか? 鉛への暴露は、体格、体重、年齢、鉛の吸収を防ぐことができる食事中の栄養素、摂取した鉛の量など、様々な要因によって、個人に異なる影響を与える可能性がある。私たちは、例えば妊娠中の発育を含む、幼児やすでに血中鉛濃度が上昇している人々など、最も脆弱である可能性のある人々を考慮して、公衆衛生保護アプローチを用いている。FDAの評価によると、鉛の濃度が上昇していることが判明したこれらの特定のシナモン製品に長期的、継続的に暴露されると、健康への有害影響につながる可能性がある。あなた又はあなたの家族の誰かが、安全警告に記載されているシナモンを摂取した、又は高濃度の鉛への暴露の可能性について懸念する何らかの理由がある場合は、医療機関に連絡することを勧める。 鉛の体内吸収を減らすために、消費者ができることはあるか? 米国人のための食生活ガイドラインで推奨されているような、多様で栄養価の高い食事は、鉛への暴露による健康への有害影響を防ぐのに役立つ。鉄、亜鉛、カルシウムのような必須栄養素を食事から摂取することは重要である。他の多くの重要な利点の中でも、鉛が体内に吸収される量を減少させ、体内に十分な栄養素が蓄積されていることは、鉛が有害な影響を及ぼすのを防ぐのに役立つ。FDAは、十分な食品のバラエティを得るために、野菜、果物、穀物、乳製品、タンパク質食品という5つの食品グループから多くの異なる食品を食べること、そして同じ食品を食べる頻度を交互に変えることを消費者に推奨している。 これらの製品はどのようにして汚染されたのか? FDAは、これらの製品がどのようにして鉛に汚染されたのかを把握していない。鉛は、食品が栽培、飼育、加工される環境から食品供給源に入る可能性がある。環境中の鉛のレベルは、地理的な違いや現在又は過去に鉛で製造された製品が使用された場所への近さによって異なる可能性がある。しかし、鉛は、鉛を含む非食品グレードの機器の使用など、加工や製造を通じて食品に混入する可能性もある。FDAは、これらの製品がどのように汚染されたかをさらに調査するため、企業と協力する予定である。 この警告とリコールは、昨年の秋のシナモンアップルピューレとアップルソース製品のリコールとどのような関係があるか? FDAは、昨年の秋のシナモンアップルピューレとアップルソース製品のリコールとその関連調査を受けて、小売レベルでのシナモンのサンプリングを開始した。その結果わかったことは、安全警告に記載され、今回のリコールに関連するシナモン粉末に含まれる鉛のレベルは、リコールされたアップルピューレ及びアップルソース製品に含まれるシナモンに関連する鉛のレベルよりも約2,000 ppm~5,000 ppm低いことである。私たちが小売店で収集したシナモン粉末中の鉛レベルは2~3.4 ppmであったのに対し、リコールされたアップルピューレとアップルソース製品に含まれるシナモンは2,270 ppm~5,110 ppmであった。そのため、安全警告ではこれらの製品に懸念を示しているが、アップルピューレやアップルソース製品に含まれるシナモンと同レベルのヒトへのリスクはない。 このリコールは、FDAのCloser to Zero(ゼロに近づける)イニシアチブとどのような関係があるのか? 私たちのCloser to Zeroイニシアチブは、特に乳幼児がよく口にする食品から、鉛のような汚染物質への食事からの暴露を可能な限り減らすことを目的としている。安全警告に記載されているシナモン粉末は、幼児を直接対象とした食品ではないかもしれないが、多くの親が幼児向けにシナモンを使った食品を調理している可能性があることは理解している。一般的に子どもは鉛暴露の影響を受けやすいため、FDAは業界と協力し、汚染による鉛暴露を防止するための対策を講じようとしている。 FDAの次のステップは? 私たちは、安全でない製品を市場から排除し、汚染源をさらに調査するために、製造業者、流通業者、小売業者と引き続き協力している。また、米国内のすべてのシナモン製造業者、加工業者、流通業者、施設運営者に対し、シナモン粉末製品を含め、食品中の潜在的な化学物質によるハザードからの汚染を防止するための管理を実施することが義務付けられていることを喚起する書簡を送付した。 FDAは有害元素監視プログラムを継続しており、これには米国で販売されるスパイスを含む様々な食品の検査が含まれる。過去に実施し、現在も継続している輸入時のサンプリングにより、鉛の濃度が高いシナモンが米国の商取引に入るのを防いでいるが、私たちのすべての監視活動と同様に、これらの監視プログラムは輸入される商品のごく一部を評価するにすぎない。最終的には、米国市場に入る製品の安全性を確保するのは、製造業者と輸入業者の責任である。 FDAはまた、スパイス業界と協力して、スパイス業界が製品の安全性を確保するために十分な情報を得た上で意思決定ができるよう、今回の調査結果についての認識を提供したいと考えている。FDAは、これらの知見をフォローアップするとともに、安全でないシナモンが米国の消費者に届くのを防ぐため、輸入スパイスに関する監視活動を継続し、必要な場合には輸入警告に企業や製品を追加する。 FDAは、最終製品にシナモンを使用している施設に対し、FDAのヒト用食品に関する予防的管理規則の遵守を確認するための追加検査を検討している。FDAはまた、FDAの食品輸入業者の外国供給者検証プログラム(Foreign Supplier Verification Program for Food Importers:FSVP)規制の対象となる輸入業者の検査を実施する際に、鉛を含む化学汚染物質にさらに焦点を当てることを検討している。FSVP規制は、輸入業者に対し、食品が適用されるFDA食品安全規制を遵守して生産されていることを適切に保証するFSVPを作成し、維持し、それに従うことを求めている。 鉛のアクションレベルがあれば、このような事態は避けられたのか? アクションレベルは、FDAがその食品を異物混入(adulterated)とみなす可能性のある食品中の汚染物質のレベルを、業界に向けて明確にするものである。しかしFDAは、鉛のように汚染物質の濃度が安全でない場合、行動を起こすのにアクションレベルやガイダンスは必要ない。製造する食品の安全性を確保するために必要な措置を講じることは業界の責任である。 だから、これらの製品から検出された高濃度の鉛が、アクションレベルによって完全に防げたとは思わない。しかし、これらの製品が市場に出回るのを防ぐのに役立った可能性があるのは、最終製品の検査である。現在、連邦法は業界に対し、原材料や最終製品の汚染物質検査を明確に義務づけていない。大統領の2024年度予算案の一部として、我々は議会に対し、連邦食品・医薬品・化粧品法を改正し、業界が最終製品(乳幼児が摂取するために販売されるものを含む)の汚染物質検査を実施し、FDAによる査察用に検査結果を保持し、FDAに検査結果へのリモートアクセスを提供する要件を追加するよう要請した。これらの新しい権限は、FDAが食品中の汚染物質のレベルを理解するのに役立ち、FDAが時間の経過とともにレベルの低減における業界の進捗状況を監視し、FDAがより多くの時間とリソースを割くべき場所を特定することを可能にする。 このような状況において、業界にはどのような責任があるか? 鉛が食品に混入するのを完全に防ぐことは不可能であるが、鉛を含む食品については、農法や製造方法の変更により、その濃度を下げることは可能であろう。法律により、食品製造業者には、必要に応じて化学物質のハザードを大幅に低減又は防止する責任がある。  さらに、輸入業者には、米国に輸入する製品の安全性を確保する重要な責任がある。FDAの食品安全強化法(FSMA)の下、FSVPプログラムは、製品を輸入する製造業者が適用される食品安全要件に従っていることを確認するという輸入業者に対する新たな責任を導入した。
2024-03-18 - 食品安全情報blog2
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takahashicleaning · 7 months
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TEDにて
ティム・バーナーズ=リー :オープンデータとマッシュアップで変わる世界
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TED2009で、ティム・バーナーズ=リーは、「生のデータを今すぐに」と呼びかけ、政府や科学者や各種機関に対してデータをWebで自由にアクセスできるようにすることを求めました。
当然、通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理は絶対必要です!また、これは日本では、憲法で保障されている通信の秘匿も重要です。
2010年のTED Universityで、彼はデータがつなぎ合わされたことによる興味深い結果の幾つかを紹介しています。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジーサイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
政府におけるオープンデータもあります。200以上の地方、地域、国のオープンデータのカタログが、収集したデータの一部を配布��るウェブサイトを作成している。これらのデータを源にして、マクロ経済学の統計分析にも活用できる。
また、国会の活動や立法プロセスをリアルタイムで全ての人が閲覧できるようにもなり、いま何が起ころうとしているのか?それから、それにかかわっている議員が誰なのかといった情報も得られるようにもなります。
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました。
参考として・・・
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源として豊富に存在していることが確認されています。原子力発電や核融合に最適です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
しかし、人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてし��うことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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yotchan-blog · 8 days
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2024/4/23 8:00:09現在のニュース
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zo-sunz · 23 days
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エスカレートする「倫理的狂気」
 倫理的狂気に陥るのは、時間がたってからだ。戦争開始直後から起こわけではない。時間がたち、いくつもの出来事を経るうちに、どんどんエスカレートしていく。誰も都市に空から爆弾を落とす第一号になどなりたくなかった。しかし、敵が攻撃してきたので仕返しをした。最初は軍事目標だけを狙うつもりだったが、昼間では敵の戦闘機に攻撃されてしまう。そのため夜間に爆撃を行うことにした。問題は、昼間でも標的に命中させることができなかったことだ。にもかかわらず夜に爆撃機を飛ばすことは、都市に無差別に爆弾を落とすのを、闇に認めていたということだ。
「倫理的には、彼らは昼間でも正確に狙えなかった標的を爆撃しようとしていた」と、レン・デイトンはドイツの戦略の変化について書いている。「実際には彼らは英国空軍爆撃機軍団がしていたのと同じようにしていた。大きな市の中心部を見つけてそこに火を放ったのだ」
 1941年6月、イギリスは敵国の労働者の士気とコミュニティの破壊を目的として、爆撃は夜間に行なうと公言した(ドイツが行なったのは“脅威を与えるための爆撃”で、イギリスが行なったのは、“士気を挫く爆撃”だった)。イギリスにとっては、それは当時ドイツとの戦争において、彼らが持っていた数少ない貴重な戦法の一つだった。
 ドイツの作家ヨルグ・フリードリッヒは複合爆撃機攻撃の航空隊を「人間に向けられた最も不気味な兵器」と呼んだ(この取り組みを監督していた空軍元帥のハリスは戦後も、これがイギリス人兵士一世代分を丸ごと救ったと固く信じていた)。
 ドイツ空軍のヘルマン・ルメイまで、第一次世界大戦のころにパイロットや兵士として戦った軍の指揮官たちにとっては、何があろうと20年前に前線で経験したことよりはるかにましだった。第一次世界大戦では英国海軍が約80万人のドイツ人(大半が非戦闘員)を餓死させたと思われているが──すべてイギリスが海上封鎖している間の戦争の原則のもと──それは西部戦線で戦っていた兵士の命を救うためだったので、倫理的に受け入れられていたと、ハリスは主張した。(もちろん誰もが受け入れていたわけではない。ドイツの姿勢はイギリスとは著しく違っていたが、それは当然だろう)。
 タミ・デイヴィス・ビドルは自らのエッセー『空軍力』で「自国の兵士の命と敵国の民間人の命を、どう比較するのだろうか?」と問うた。また、イギリスがドイツへの空爆を始めたときには、平和主義の聖職者たちが、戦争に勝つためにモラル上の一線を超えるよりも、負けるほうがいいのはどういう場合かと問いかけた。
 米軍空軍司令官のヘンリー・“ハップ”・アーノルドは、何十万人もの市民が死んだあとで、「適切な理解とともに使用すれば、爆撃は、事実上、すべての兵器の中で最も人道的なものになる」と述べた。最悪な大量殺戮はまさに最適な条件で起きた。(爆撃される国からすると、誤った条件下かもしれない。)ある一定の条件の下では、爆撃で火炎旋風と呼ばれる現象が起きる。ある範囲(この場合は町)にいくつもの火炎があがり、それが一つに合わさって大きな火炎となる。これが起きると熱い上昇気流が大量に発生し、地上の冷たい空気が渦を巻いて、ハリケーン級の超高温の風を生じさせる。
 このような状況では、人がいろいろな原因で死んでいく。ある人は爆風で死ぬ──肺が破裂し、血管等神経が衝撃を受けて死が訪れる。炎が燃え移って焼死する人もいれば、コンクリートの塊や建物に押しつぶされて死ぬ人もいる(個人が致命傷を負う弾丸と違って、爆弾は犠牲者の周囲の世界も破界する)。防空壕に流れ込んできた一酸化炭素による中毒、あるいは火炎旋風で部屋の空気がなくなって、窒息した犠牲者も多かった。
 ドイツ軍の爆撃が最も激しかった晩は火炎旋風が生じ、1666年のロンドン大火以来、サイアクの大火災となった。しかしそれも、ドイツの齢への報復の爆撃に比べれば見劣りがする。(ドイツ空軍は、当初はあまり考えずに戦略爆撃を重視する原則を採用していたが、戦争が始まるころには戦術空爆を中心としたやり方に切り替えていった。戦術攻撃とは、都市全体ではなくその戦場だけに攻撃を絞る手法である。急降下爆撃機(Ju87ストゥーカ)で戦車を爆撃するのが、戦術攻撃の例である)。最初の激しい攻撃は1943年のハンブルクだった。おそらく4万から5万人が焼死した。
 1943年に19歳だったケイト・ホフマイスターは、爆撃を生き延びた一人だった。グウィン・ダイアーが著書『戦争(War)』に彼女の経験を書いている。そこには人間の経験として想像を超える極限状態が描かれている。防空壕を出たホフマイスターの目の前には、燃え上がる地獄が広がっていた。ガスマスクが溶けて顔にはりついている人が転がっていた。ダイアーはホフマイスターの話を引用している。「アイフェ通りの向こうには行けませんでした。道路には人がいて、すでに死んでいる人も、生きているけどアスファルトにくっついて動けなくなっている人もいました。きっとあわてて何も考えずに道に出てきたのでしょう。足がくっついて、抜け出そうとして手をついたんです。手と膝をついて四つん這いの状態で叫んでいました」
 火炎旋風が起これば、次に何が起こるかは決まっていた。ロンドン大空襲では、8ヶ月を超える期間で4万人が死んだ(これは近代以前のほとんどの軍隊が、一度の戦争全体で失う数よりも多い)。ハンブルクではひと晩でそれだけの数のドイツ人が命を落とした。それは地獄の底をのぞき見て、目を背ける経験だったのかもしれない。
 地獄をのぞき見た人はごくわずかだったが、英国首相はその一人だったと思われる。ウィンストン・チャーチルは、飛行機の先につけたカメラで撮影した、爆撃されたドイツ都市の被害現場の映像を見て、恐ろしさのあまり震え上がってもおかしくはなかった。当時彼と一緒にいたオーストラリア駐在武官によると、チャーチルは腰掛けた背を伸ばして、大声でこう言ったのだ。「われわれは野獣か? ここまでやってしまったのか?」。その同じチャーチルが、1940年にはこう言っていた。「自分の裏庭に火が付けば、ヒトラーは交代せざるをえなくなる。そして我々はドイツを砂漠にしてやる。そう砂漠だ」
 チャーチルはまた、爆撃で失われるヨーロッパの遺産を心配していた。戦争で直接の被害を受けた人々が死んでいなくなったあとも、ローマ時代までさかのぼれる遺産の喪失は、子々孫々にわたり影響を受けることになる。文化遺産が、倫理的狂気によって破壊されるのだ。そしてそれはヨーロッパに限らない。日本、中国をはじめ多くの國で起こっていた。(たとえばイラクへの爆撃で、古代バビロニアやアッシリアの遺跡が損傷した。)
 フランクリン・ローズベルト大統領は、敵の都市の爆撃について、二つの違う立場をとった。公的には反対、非公式には賛成だ。1941年8月4日の彼の発言を、米国財務長官ヘンリー・モーゲンソーが録音していたが、その内容は次のようなものだった(コンラッド・クレーンによる引用)。「ヒトラーに勝つ方法をイギリス人に伝え続けているが、彼らは聞く耳を持たない。軍事施設を狙って百機の飛行機をドイツに飛ばすなら、そのうち十機は前に爆撃されたことのない小さな町を爆撃するべきだと、繰り返して提言した。どの町にも何らかの工場があるはずだドイツ人の士気を挫くにはそれしかない」
 1943年になると、死者の数が恐ろしい勢いで増え始め、それがずっと続いた。米国は、戦争最後の1年で、それまでの累計より多くの死者を出すことになる。
 ダグラス・カッカーサー将軍は焼夷弾攻撃を非常に嫌っていた。補佐官の一人(基本的に彼を代弁する立場)は、それを「これまでの歴史の中でも最も容赦のない野蛮な非戦闘員の殺戮だ」と述べた。マッカーサーは実際に、市民を守るために民間施設を爆撃しなかったせいで自分の部隊を危険な目にあわせて死なせたことがある。現在でもそれは間違っていたという声がある。
 世界で最も大きな力を持つ人々でも、こうした非道が行われる勢いを止めることができなかったようだ。戦争を率いた陸軍のジョージ・マーシャル元帥と陸軍長官ヘンリー・スティムソンも、その時起きていることを気に入らなかったが、止めることはできなかった。スティムソンの言によるとマンハッタン計画に参加した物理学者J・ロバート・オッペンハイマーは、焼夷弾攻撃と民間人への攻撃に対して米国の一���大衆があまり怒っていないことを不安視していた。オッペンハイマーは必ずしも攻撃を止めることを望んではいなかった。ただそれについて起こる人が少ないのが気に入らなかったのだ。
 これはその時期の狂気を示すものだった。戦前の世論が女や子どもを標的にすることを許さなかったために精密に標的を狙う空軍力をつくった、まさにその当事者らが、1944年には一般大衆が怒らないという懸念を表明していたのだから。しかし都市には多くの軍事施設があるので、町全体を消滅させてしまえば、多くの軍事施設を破壊できる。
 日本は産業を民間人の移住地域に移す決定をして、計り知れないほどの代償を払うことになった。一か所に集中させて爆撃を受けないよう、地域ごとに小さな工場をつくった。これが、当然と言えば当然だが、すべてを消滅させることを都合よく正当化させる要因となった。
 技術の発達で、離れたところから標的を攻撃できるようにもなっていた。陸軍中佐で軍事心理学の専門家であるデイヴ・グロスマンは、距離があると殺人ができるようになる理由、そして標的との距離が遠いほど簡単に殺せることについて書いている。日本とドイツに対して行なわれたこと、あるいはドイツがイギリスに行なったこと、そのどれも、兵士が敵の顔を見て手を下さなければならなかったら、起こっていなかった可能性は高い。
 グロスマンは7万人の犠牲者を出したある夜の空爆について「七万人の女子供にひとりずつ火炎放射器を向けるとしたら、いや、なお悪いことにひとりひとりの喉を掻き切らなねばならなかったのなら、その行為のむごたらしさとトラウマはけたはずれに大きく、誰にもそんなことはできなかっただろう。しかし、何千フィートもの上空からなら、悲鳴は聞こえず、焼け焦げる身体は見えない。だからだれにでも簡単にできてしまう���である」と書いている。日本で空襲を行なって戻ってきたアメリカの爆撃機の搭乗員には、焦げた人間のようなにおいがした。彼らの飛行機の底は焦げていた。そして彼らは戦果報告書を、握手して手渡していたと言われる。
 コンラッド・クレーンは民間人を標的とした空爆について、米国のある当局者の話を引用している。「それは地上部隊に、戦っているときすべての民間人を殺し、すべての建物を破壊せよと命令するのと同じではないのか」
 たしかにそうかもしれないが、前述したとおり、陸軍には海軍と同じように、戦時中に取るべき行動と、何が許容できて何ができないのかについての理解を、何千年もかけて体系的にまとめた指針がある。
3億人を救うためなら1億人を殺戮していいのか?
 1945年2月にら、ドイツにはもう爆撃するものは残っていないので、連合軍はがれきを揺らしているだけだという不満が出ていたが、それでも爆撃は継続された。戦後、ニュルンベルク裁判で、被告は──ほとんどが人道に対する罪で絞首刑になる──連合軍のドイツの都市の爆撃を非難していた。連合軍の法律顧問の一人は、空爆は「すべての国が実行するようになり、近代戦争の一部として認められるようになった」と述べた。倫理的な問題を問うには遅すぎる、というわけだ。
 連合軍からすると、事実上の敗北が決まったドイツへの爆撃を止めないのであれば、それよりは兵力が残っている日本がいる、太平洋戦域での攻撃を止めることは誰も考えなかっただろう。(ドイツ・ファースト政策によって、連合軍は第三帝国への攻撃を優先した。1945年初頭、ドイツはまだ侵攻されていない日本よりはるかに不安定な状況にあった。複数の敵国軍がドイツ国内で戦い、ドイツの大都市はどこも廃墟と化していた)さらに1945年8月、“空からのとどめ”という、ドイツに対する攻撃として想定されていたものが再び浮上した。その時点で、毎日の死傷者の数は恐ろしいほどで、終戦が1日早まるごとに、何千人もの命を救うことができた。
 日本に2発の原子爆弾が落とされてから完全に降伏するまでの間に、千機の飛行機が東京に焼夷弾を落とした。まだやるのか、という話である。
 しかし連合軍の爆撃だけに注目するのは、敵の危険性と性質を無視することだ。空軍の歴史を研究していたブルース・ホッパーは、1945年4月にブーヘンヴァルトの強制収容所を訪ねたあと、次のように書いている。「そこらじゅうで悪臭がした。人骨の残骸が炉の近くに山積みになっている。戦略爆撃を行なったことについての良心の呵責は、これを見れば和らげられる」。1899年のハーグ平和会議で、爆撃機はいずれ標的を狙う精度が高まって、市民を殺さずにすむ人道的な兵器になると言ったのは、米国の代表団だった。米国はまた、多くの非戦闘員を無差別に殺す軍部の策に耐えられないと感じていた。その米国が原子爆弾という、おそらくは世界史上最悪の無差別大量殺人兵器を使用した、唯一の国になるというのは、なんとも皮肉な話である。
 総力戦の論理は矛盾だらけだ。
 話は飛んで15年後、爆弾と高高度爆発物を民間人居住地域に使用することは合法である──なにしろどの国も使っていた──と成分化されたことで、米国自身が冷戦の間、核兵器の標的となる可能性を受け入れた。世界の指導者が3億人の命を救うために一億人を殺戮することは、倫理的に受け入れられるかという話を始めると、倫理的狂気はいっそう激しくなる。
 死者の総数を最小限にとどめようとするのは、それで3億人を救えるのであれば、たしかに論理的である。しかし自分たちが使用した兵器が引き起こした1億の人間の無残な死に、健全で有益だった部分もあるというのは、どんな理由をこじつけようと無理がある。
 人類が世界的な熱核戦争に突入し、再び暗黒時代を引き起こすようなことがあれば、私たちはきっと映画『猿の惑星』のチャールトン・ヘストンのように「バカども! このザマは何だ!」と叫びたくなるだろう。しかしそれは我々が招いた結末ではあっても、誰かが好き好んで起こしたことではないはずだ。
『危機の世界史』ダン・カールソン著 渡会圭子訳 2021年2月25日文藝春秋発行
THE END IS ALWAYS NEAR:
Humanity vs the Apocalypse. from the Bronze Age to Today
by Dan Carlin
Copyright © Dan Carlin 2019
Japanese translation rights reserved by Bungei Skunju Ltd.
By arrangement with Harper, an inprint of HarperCollins Publishers.
through Japan UNI Agency Inc., Tokyo.
ダン・カーリン
Dan Carlin
1965年生まれ。ポッドキャストのパイオニア的ジャーナリスト。かつてはテレビレポーター、ラジオパーソナリティ、コラムニストとして活動していたが、やがて活躍の場をインターネットに移し、彼がひとりで世界史のさまざまなテーマを、1エピソード数時間にわたって語る「だけ」のポッドキャスト番組『ハードコア・ヒストリー』を開設。そのドラマチックなテーマ選びと語り口で人気が爆発し、“Alexander versus Hitler(アレクサンドロス対ヒトラー)”、“Death Throes of the Republic(共和国の断末魔)”シリーズ、“Blueprint for Armageddon(最終戦争の青写真)”シリーズ、日本を扱った“Supernova in the East(東の超新星)”シリーズなど、60本以上のエピソードで累計1億ダウンロードを誇る。2015年の「ベスト教育ポッドキャスト賞」、2018年の「ベスト歴史ポッドキャスト賞」などを受賞。本書が初の著書となる。
渡会圭子
Keiko Watarai
1963年生まれ。翻訳家。上智大学文学部卒。おもな訳書に『the four GAFA-四騎士が創り変えた世界』(スコット・ギャロウェイ)、『習慣の力』(チャールズ・デュヒッグ)、『悪について』(エーリッヒ・フロム)、『かくて行動経済学は生まれり』(マイケル・ルイス)、『フラッシュ・ボーイズ』(マイケル・ルイス、東江一紀共訳)、『人口で語る世界史』(ポール・モーランド)など。
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shintani24 · 2 months
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2024年3月15日
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映画『怪物』クィアめぐる批判と是枝裕和監督の応答 3時間半の対話(朝日新聞 連載:カルチャー・対話 Re:Ron リロン)
昨年6月に公開された映画『怪物』。是枝裕和さんが監督を務め、カンヌ国際映画祭では坂元裕二さんが脚本賞を受賞するなど高く評価された。一方、「クィア」をめぐる表現や発信のあり方について当事者たちから批判の声が上がった。クィアの表象については近年、その取り上げ方や、当事者たちにもたらす影響について国際的にも議論が高まっている。何が問題とされたのか。どうすればいいのか。当初から指摘していた映画文筆家の児玉美月さんとライターの坪井里緒さんが、是枝監督と3時間半にわたって語り合った。
「クィア」をめぐる発信とスタンスについて、ラストシーンを含む物語と批評について、さらに日本映画界の変化と課題について。「お二人が作品と僕の言葉と向き合って批判してくれたことで、今回とてもいい気づきになりました」と是枝監督。約2万字という異例の長さではありますが、あえて分割はせず、1本の記事として3部構成でお伝えします。
第1部 クィアを隠さないで マイノリティーをまなざす
【坪井】はじめに、「クィア」という言葉は既存の社会規範・カテゴリーに則さない性的マイノリティー及び態度を主に指しますが、彼らへの連帯を示す表現としても使用されます。ただ、この説明はあくまでクィアを指す多くの意味のひとつに過ぎません。クィアという言葉の持つ意味は広く多様であり、「定義」してしまうことによってその包括性を狭めるべきではないと考えています。
【児玉】まずこの鼎談に至った経緯ですが、私は『怪物』を試写の早い段階で観て、マスコミ向けに非規範的なセクシュアリティーやジェンダーに関わる展開を「ネタバレ」扱いするような箝口令が敷かれていることを知りました。これまで映画宣伝において異性愛、シスジェンダー規範のもとでそれらをギミック(仕掛け)として扱い、批判されてきた歴史があります。当初SNSで作品名は伏せてそのことを批判していましたが、その後カンヌ国際映画祭で『怪物』がクィア・パルムを受賞した報道がされ、そこで初めて広く『怪物』が「クィア映画」として認知されることになり、その作品が『怪物』だったと明かしました。
それが起きたのが日本を代表する映画監督と脚本家の作品だったこともあり、批判したままで終わってしまってはいけないと思っていました。
一方で、こうした経緯がありながら、そもそも是枝さんがよくこの場に来てくださった、とも思います。
【是枝】カンヌでの記者会見後に友人から、「(LGBTQに)特化した映画ではない」という僕の発言について「炎上している」と教えてもらいました。「LGBTQの映画ではない」と言ったと報じられている、と言われて「えっ」と思ったのが最初でした。『ベイビー・ブローカー』(2022年公開)でもそうでしたが、SNSで意図と違う捉えられ方をしたことや炎上に対し、反論すると「反論自体に権力勾配が……」と言われたこともあり、SNSはちょっと難しいと思ってやめていた。ただ、(誤解とは異なる意味で)批判に関しては耳に入ってきて、それに対する応答はしたほうがいいと思いながらも、でもSNSでやるのは嫌だと思っていた。
すると、事務所の若手から「その態度はどうか」「失望する」と言われて。それでSNSを見るなかで坪井さんの批評記事に出会って、反省したし気づきにもなった。ただ、すべてに納得できているわけじゃなかったから、「僕はこう考えるんだけど」というのをやりとりしたいと思った。
児玉さんの『文藝』に寄稿された文章(2023年春季号「クィア映画批評と〈わたし〉を巡るごく個人的な断想」)も読み、勉強になったのですが、2人の文章を経て考えたときに、いかに自分の言葉が無防備だったかが分かって反省しました。
ただし、自分としては、「LGBTQの映画ではない」とは一言も言っていない認識でした。
記者からの質問が「日本では性的少数者を扱った作品は少ないと思うが」という、当然この映画はLGBTQの映画である前提を踏まえた上で、テーマは他にもあると伝えるために、「特化していない」という言葉を使った。児玉さんの文章にあったように、いかに映像表象においてクィアが隠されてきたか、僕なりには学んでいたつもりでしたが、当事者の苦しみをもっと深く理解できていたら、記者会見に臨むにあたってもう少し適切な表現を選択できたと思います。
「特化していない」という否定的なニュアンスによって、当事者の方々に「また自分たちの存在を隠された」と感じさせてしまうかもしれない可能性があると、思い至るべきだった。「当然これはクィアの少年たちを描いた映画ですが」という前提をきちんと繰り返すとか、プロデューサーや配給側と詰めておくべきだったというのが一番の反省点です。
【坪井】『怪物』の問題点の指摘を児玉さんと映画研究者の久保豊さんが早い段階でしていましたが、同時に2人に対する誹謗中傷とすさまじい攻撃が起こりました。私には2人がなぜここまで強く警報を鳴らさざるを得ないかというのが見えていたのもあって、自分の言葉で発信しようと思い立ち、文章を書きました(映画『怪物』を巡って――「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ https://lighthouse226.substack.com/p/94f?sd=pf別ウインドウで開きます)。
『怪物』は、事前に公開されていた予告に関しても情報が無かったと思います。結果、受け手側にクィアを描いた映画だということが全く届いていないままにクィア・パルムを受賞し、さらに是枝さんの「特化した作品ではない」という発言があり……とすべてが重なってしまった形でした。
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映画『怪物』について、ライターの坪井里緒さんがつづった記事
【是枝】クィアを「ネタバレ」扱いしていると捉えられてしまう文言はやめてほしいと映画会社には伝えていたんですが、チェックが遅れてしまった。確認したところ、児玉さんが観た段階ではそういう文言があり、宣伝担当者にもそうした発言があったかもしれないと聞きました。僕自身は第3章で隠されているのはクィア性ではなく「私たちの加害性」であり、それが再帰的に捉えられていくと認識している。「怪物とは私たちのことだったのだ」と分かっていくプロセスなので、そこは伏せたいと映画会社とも話していました。
【児玉】 映画を論じる上で物語のどこを伏せるのかも批評行為の一種だと思っているので、そもそも「ネタバレ」を送り手が指定すること自体にも疑問があります。
私は、第3章を伏せることがどうしてもクィア性を隠すことにつながってしまうと捉えました。発信側の意図がどうであれ、そうした広報のあり方が「クィアは伏せておくべきもの」だと社会に対してメッセージを伝えてしまえば、それは差別になる。これは差別の構造と類型の話なので、意図は関係なく結果的に対象が不利益を被ってしまうなら、やはり問題があるのではないかと。
【坪井】登場人物や観客を含めた「マジョリティー側」が自分たちの加害性に気づけるのは子どもたちのクィア性が明らかになるからですし、クィア性が伏せられているというのは否定できない。
クィアはこれまで何度も普遍的な物語に埋没させられ「改修」されてきました。同性同士のラブストーリーなのに、「好きになった相手がたまたま同性だっただけ」と塗り替えられたり「“特別な人”の物語だと思われたくない」というマジョリティーに都合の良い理由でアイデンティティーや慕情が消されたり、透明化されてきた歴史があります。それを思えば、伏せておくという行為そのものが危険だったと、私も思います。
【是枝】今回の題材は僕が考えていた以上にセンシティブで、当事者の置かれた状況もより切迫していたがゆえに、いつも通りの発言のつもりが違う広がり方をしてしまった。「特化していない」発言のほかにも、なるべく前情報を入れずに観た方がいいといろんなところで言われて、僕もその方がいいと言ってしまった。それを坪井さんに、「マジョリティーの気づきを優先している」と指摘してもらった。
坂元裕二さんも僕もそうなんですが、いつも特定の誰か一人に向かって作っているんです。公の場では口にしないけれども、語り口としては確実にそこへ向かう。『怪物』に関していうと、僕自身がその立場でもあるし、マジョリティーの側が観た時にどういう気づきがあるかということは、どうしてもベースになる。
あの少年たちと同じような状況の子たちへの勇気づけとか、寄り添って肩を抱くみたいなスタンスはおこがましいと思ってしまう。それはテレビのドキュメンタリーをやっている時からそうで、むしろ弱者に寄り添って分かったつもりになることを回避したいと思ってきた。
ただ2人の文章を踏まえて考えると、スタンスの見直しが必要なのかもしれない。今、それが自分の中では課題です。
マジョリティーの側にいる人間がマイノリティーの題材を扱う時のスタンスとして、僕は彼らの側に立ちますという宣言がイコール唯一の誠実な態度だとは思えない。でも、マイノリティーの方たちは一番観てほしいと思っている人たちでもあるのに、その彼らに「自分たちの映画ではない」と思われてしまうのであれば、僕のスタンスが違うんだと思う。
【坪井】特定の誰かへ向けて作ること自体は悪いとは思わないし、私も誰かに向けて作るタイプです。
けれど、「マイノリティー当事者を描いた作品をつくる」のであれば、本編に描かれた者と同様に弱い立場に置かれている者たちが作られた映画をどう受��取るかというのと向き合い彼らを“まなざす”ことと、自分はあなたたちに決して差別の矛先を向けない、敵にならない、と明らかにするのは最低限必要だと思います。「これはクィア映画でもある」と表明することは、「あなたたちを透明化しない」というスタンスの明示になり得る。
私たちは誰もが別々の存在だから、完全に分かり合うことは無理だし、個のつらさや経験はその者だけのもので、他者が勝手に代弁してはならない。だからこそ、分かったつもりになるのではなくて、分からないからこそ尊重する、のが重要だと思います。
【児玉】クィア映画には固有の歴史や文脈があるので、それをやろうとした時に、既存のスタンスが汎用できないことはあると思います。是枝さんが自分はマジョリティーだからクィアの立場で何かを代弁するのは傲慢だと考えているのは分かりますが、その誠実さとしての一線を維持したまま、これは性的マイノリティーのあなたたちの物語なんだ、と言うことはできる。これまでマジョリティーを自認する作家たちはあまりにも、「あなたたちの物語」ではなく「みんなの物語」だと言い過ぎてきたように思います。
「クィア映画」を「普遍的な映画」と称することがなぜ危ういかというと、物語を彼らのもとから奪って、「普遍」とされる自分たちマジョリティーの枠組みに押しやってしまっているからです。その人たちの物語を取り上げないことが大事だし、より広く受け入れられることばかりが優先されてきてしまって、そこに描かれた人の方をまず真っ先に向く振る舞いをする作家がこれまで少なかったかもしれません。
【坪井】『怪物』は加害側の気づきに重きを置いているのもあって、クィアが受けている/過去受けていた、であろう加害描写がいくつもあります。そうした映画を前情報なく観られること自体が、マジョリティー側であるし、特権ではないでしょうか。
まさに「今」、同様のアグレッション(無意識に行われた攻撃のこと)を受けている子ども――あるいは過去強烈な加害を受けてトラウマを抱えながらも生き残ってきたクィアが、何の情報も無く映画館で『怪物』を観たらフラッシュバックを起こすかもしれませんし、強い言い方をすると命の危険もあります。
これは日本映画全体の問題として、観た者の痛みがあまりに軽んじられているように思います。自死や性暴力のシーンがあるのであれば、事前にアナウンスするべきです。
送り手は受け手が必要な情報によって観るかどうかを選べて、受け取る準備ができるようにしてほしい。『怪物』と同時期に公開された『CLOSE/クロース』という映画がありましたが、自死の展開があるので公開2日後に公式サイトにトリガーアラート(本編で扱うテーマや描写に攻撃的な内容やショッキングなもの、注意が必要な事象が含まれる場合に事前に開示される警告)が設けられていました。
【是枝】『怪物』が当事者をどこまで命の危険にさらすのか、僕は彼らの身になってそこまで深刻には考えられていなかったんだと思います。
基本的にどの映画でも僕は直接描写をなるべく避けて間接的にとどめる方なので、実はそんなに心配していなかった。『CLOSE』も自死はストレートに描かれず、心理的な描写になっている。主人公である少年が彼の死で自分を責めていく気持ちの揺らぎが丁寧で素晴らしい作品でしたが、『CLOSE』のような描かれ方だったとしても、やはりトリガーアラートは必要でしょうか?
【坪井】「傷つき」というのは個々によるものです。個にとって受けるアグレッションがどれほど大きいのかは、他者には判断できませんよね。であれば、傷になり得る・傷痕をえぐるかもしれない表現が「ある」こと自体を明らかにするのがなぜマイナスになるのか、と個人的には思います。
例えば震災の描写や実際の事件にひも付いた描写は最も開示されやすいですが、性暴力、自死、虐待やいじめ、差別描写となってくると伏せられている作品が多い。どうして開示されやすいトリガーと、されにくいものがあるのか。「傷つき」は決して、「大きさ」や「数」で比べられてはいけないし、比べられない。そもそも詳細には踏み込まずに、単にトリガーになりうる描写がある、と最初に提示することは作品の良しあしに直結しないですよね。それらを伏せることで作品の面白さが損なわれるのであれば、ただ単に作品の力不足にすぎないと思います。
【是枝】坪井さんの記事で、実はその指摘が一番効きました。そんなことを隠さなければ観られないものはその程度のものだ、と。何を伏せてどこで明かすのかは脚本を書くときに皆がやるものだけれど、ジェンダーやセクシュアリティーに関することをギミックの一つとして消費するべきではないという批判は、よく分かりました。
ただ、この3部構成について海外メディアに逆に質問したのですが、例えば「不誠実だ」というような批判的な指摘はスペインで一つ。あとはイギリスでもフランスでもアメリカでもなかったんです。ですから、もしかすると作品自体の構造以上に、宣伝の段階での僕自身の言葉の選び方に起因する部分が大きいのかなと思いました。
【児玉】もうひとつ批判が起きたのが、クィアの子どもを支援している団体から「あの年齢(11歳)の子たちが、例えば自分がゲイであるという自認、もしくは他認をするということはまだ早い段階」と助言をもらったと報道された時でしたね。
【坪井】「一時の気の迷い」であるかのような「まだ早い段階」という言葉はその年齢、あるいはそれ以前から自認していた者にとってはアグレッションになってしまったと思います。自認するのに“適切な年齢”を他者が決めるべきではないですよね。
【是枝】お会いした性的マイノリティーの当事者の方たちも自分はその年齢ではこうだったという経験をそれぞれ語ってくれて、僕ももちろんその認識は今回の映画の中での子どもたちに限っての話だと思っていました。作品を前提としたあくまで湊や依里の場合のつもりでした。そこが報道では、一般論かのように伝わってしまったようです。
【坪井】アイデンティティーに関する定義や一般論は、それ自体が問題です。アイデンティティーは定義できないものなので。私も何かを発信する時には一般論に聞こえないように、これはあくまで自分の話だ、と限定的に前振りするようにしています。
【児玉】今回は一般論として伝わってしまったことに問題があったと思いますが、そもそも色々な考え方があるので、複数の団体に聞くことも重要だと思います。
【是枝】プロデューサーと相談しながら、いくつかの候補を挙げていただき、実際に来ていただいたのは1団体になりました。最初に『怪物』のプロットを受け取った時、これはちゃんと勉強しないと描いてはいけないと思ったので、まず専門家の話を聞こうと。LGBTQの子どもたちを中心に支援している団体の方に来てもらって、演じる子どもたちやスタッフに性的マイノリティーについての講習をしてもらいました。
【児玉】団体に限らず、クィア表象の専門家や有識者の監修を入れることは考えていなかったのでしょうか。
【是枝】それは考えませんでした。インティマシー・コーディネーターの浅田智穂さんに入ってもらったり、今回は子どもをケアしたりする方向性に傾きました。なのでもし今後またクィアの作品を撮るとしたら、もっと監修などは考えたいですね。
【坪井】『怪物』が公開された6月は「プライド月間」と呼ばれていて、クィアにとって大事な月でした。権利を奪還するための運動が活発になる月というのもあって、その分、腹立たしいことですが差別を強くぶつけられる月にもなってしまっています。そういう側面でも何か発信があってほしかった、という気持ちがあります。
【児玉】日本のクィア映画は、これまであまりに社会や政治と切り離されてきたのではないかと思います。表象だけにとどまるのではなく、現実に生きる性的マイノリティーの権利や地位の向上にくみするような社会的アクションにもつなげていってくれれば、と。
【是枝】特別な月なのだから、一つの作品として何かを発信するという提案があってしかるべきだったと思います。そこは反省点です。
映画を撮ることが社会参加である、という意識が、自分も含めて日本ではまだ希薄だと思います。そこも今後、変えていかないといけないところかもしれないですね。
第2部 描かれなかった場面 ラストの解釈と批評
【児玉】主に映画の外の話をしてきましたが、『怪物』の作品そのものに深く入っていきたいと思います。決定稿を掲載したシナリオブックも出ていますし、完成された映画との違いについて。
【坪井】湊の隣の席のクラスメート・美青のエピソードが本編ではカットされていましたね。
脚本では美青はBL作品を好んでみている子として描かれ、湊と依里の親密さを自らのなかで勝手に恋愛関係だと決めつけて「応援してるの」という言葉をかける。「カミングアウト」(自分のアイデンティティーや慕情などの属性を開示すること)という言葉を使用して、湊たちに対し自分の決めつけた慕情の開示を迫るシーンまで書かれていました。
あれはまさに特定のクィアに対して、その者の属性を勝手に推測して当てはめるという暴力、実際に存在するクィアを自分の快楽のために相手に分かる形で同意なく消費する暴力、カミングアウトという個にとって生存に関わる重要な事柄を勝手に暴露する「アウティング」(当事者が同意していないのにもかかわらず、アイデンティティーや慕情などを第三者が暴露すること)、という三つの暴力。クィアを消費するマジョリティーへの批判のように読めました。美青の話を入れ込むべきだったのではという声は、クィアコミュニティーからも多かった。
【是枝】そのシーンはタイミング的に映画の終盤に差し掛かっていたので、カミングアウトを促す第三者の目が入るより、2人の関係そのものに絞り込んでいくべきだと判断しました。
【坪井】カミングアウトを強いることがどれだけ当事者にとってリスクが高いのか、アウティングが命に関わる加害であるかが今の社会では認知されていないので、美青のエピソードが映画に存在したらどうだったかな、と想像しました。湊と依里を第3章まで見つめてきた観客には、湊と依里が望まないカミングアウトを迫る美青がどれだけ危険な行いをしているか、アウティングがいかに当事者を追い詰めるかが伝わったのではないかと。
ただ、BLや百合が必ずしもクィアを消費しているかというとそれは違います。BL作品を消費するのが悪いのではなく、湊と依里の関係性を勝手に恋愛関係だと決めつけたうえで、当人に分かる形で消費しているのが問題であるのだとメッセージを限定しなくては危ういので、その点が難しかったかもしれません。
【是枝】正直なところ、その描写自体が言い訳に見えてしまったんです。こういう目配せも作り手はしているんだという匂いが撮りながらしてしまって、ない方がいいと判断しました。
【坪井】もう一つ、虐待を受けた依里を風呂から助け出した湊が力尽きて倒れた後、校長が倒れている2人を見つけて介抱し、ぬれた服を着がえさせてあげるシーンもカットされていましたね。
【是枝】脚本の段階で校長先生のエピソードに関しては、そのシーンか、音楽室で湊と校長が楽器を吹くシーンか、どちらかだと思っていました。そうでないと、第3章が少年2人の話ではなく、校長先生の話になってしまう。で、音楽室を選びました。
【坪井】大人たちによる差別と暴力により死にかけていた2人にあたたかい服を着せてあげて、彼らが自由に走っていけるように送り出すというシナリオにどうしても意義を感じ���しまいます。
それまで本編に出てきた大人たちは皆彼らを「傷つける側」だったけれども、明確に2人のために動いて実際にケアをしてくれる大人が出てきたのが重要だったなと。音楽室のシーンはあくまで湊と校長2人だけのシーンだったというのもあって。
【児玉】久保豊さんが『CINRA』に寄稿していた批評でその音楽室のシーンに触れていましたが、「秘密を抱えた二人が言葉ではなく、楽器を通じた咆哮を学校中へ響かせる」が「その選択肢は、湊と依里が生き残る先を描いてのみ有効なのではないか」と疑問を投げかけていましたね。自分自身のマイノリティー性を具体的な言葉にすることもできない抑圧が働いてしまう現状の社会で、そうした音響の技巧的な表現が果たしてどれだけ有効なのか、という問いだと私は受け取りました。言葉にせよ映像にせよ、まだまだはっきりと可視化させていく段階なのではないかと。
【是枝】「一番大事なことは言葉になっていない」と僕もメディアで発言していたから、結局それもクィアの隠蔽(いんぺい)だと思われてしまったのかもしれない。そういう広がり方をしてしまったことは確かなので。
【坪井】制作段階でトランスジェンダーやゲイなどアイデンティティーや慕情に関する具体的な言葉は出なかったのでしょうか。
【是枝】話し合いの場ではもちろん出ていますが、せりふとしては一度も出ていないです。初稿の段階では、湊が自分の性的指向をカムフラージュしようとするような行為をとる場面があって。わざと携帯に水着姿の女の子の写真を残して寝て、寝室に入ってきた母親がそれを見てぷっと笑って安心する描写だったのですが、当事者の方たちへの取材の際に「気づきの段階にバラつきがある」という言葉を聞き、湊の行動を考え直し、3カ所ぐらいそういう描写をカットし、統一感をもたせました。それもこの映画が性的マイノリティーを描いた作品であることを隠しているような方向で捉えられた一因になってしまったのかもしれないですけど、その辺が判断としては難しいところでした。
ただ、その段階からゲイという具体的な言葉でまだ名付けられていない子どもたちとして描くことは坂元さんとも話していた。まだ自分でも名付けられないからこそ、「怪物」という言葉が外から入ってきてしまうことにしようと。
【坪井】『怪物』というタイトルになった経緯については、最終的にプロデューサーと是枝さんが推して決まったんでしたよね。
【是枝】しばらく『怪物(仮)』の状態のまま、途中で一度『なぜ?』に変わったんです。僕は『なぜ?』よりは『怪物』がいいと思っていたんですが、坂元さんが難色を示していてずっと(仮)を取らなかった。
【坪井】クィアな子どもたちのことを「怪物」だと思われたら、という懸念からでしょうか。
【是枝】明言しなかったけど、そうかもしれません。また件の「特化していない」発言につながってしまいかねないですが、「怪物」が指し示すのは少年たちのことだけではないので、最終的には良いタイトルなんじゃないかとみんな納得しました。
【坪井】「人間」を「非人間化」するのはまさに差別構造そのものですよね。
相手を自分と同じ人間ではないと見なせば加害をする免罪符になる、という誤った手法はこれまで起こった・今起こっている虐殺、及びあらゆる差別において繰り返し使われてきました。そもそも人間でなければ殺してよいわけではないのにもかかわらず、です。その差別の歴史を考えれば「怪物」というタイトルはクィアな「人間」を「非人間化」しているように捉えられる危うさからは逃れられていないように思います。
【是枝】実は、「怪物たち」というタイトル案も出していたんです。でも逆にそういう意図が明解になりすぎてしまったので、引っ込めたんです。
【坪井】「怪物たち」だと印象が違いますね。マジョリティーに対する比喩だと伝わります。とはいえ、本当の怪物はマジョリティー側なのだという制作陣の意図が観客に適切に伝わったとしても、「怪物」という存在に有害性を押し込めてしまい、差別という構造の問題を個人に集結してしまっているように読めるという問題点は残りますね。
【児玉】タイトルに関してもそうかもしれませんが、是枝さんの作家性は余白をあえて持たせるというか、両義性にあると思います。『怪物』の結末はかなり意見が分かれましたよね。
【是枝】この10年で、「オープンエンディング」に対して結末まで描かないでずるい、逃げていると批判されるようになりました。
『そして父になる』(2013年公開)で僕と樹木希林さんがQ&Aをした時に、客席からあれは最後どうなるのかと質問が出た。そしたら希林さんが、あなたはどうなると思うのかと問い返した。「私はあの家族がどうなるかは分からないわよ、だけどきっと二組の家族はああでもない、こうでもないってこの映画で描かれた時間を、考え悩んだことを無駄にはしないこれからの人生を一緒に生きるんじゃないの。それでいいじゃない」と言ってくれて。なんてかっこいいんだろうと思った。だから、そういう終わりをいつも目指しているんです。
【坪井】映画の結末の後も登場人物たちの人生が続いていくように感じさせるのと、映画としての結末の解釈に幅を持たせるのは意味が違うのではないでしょうか。
前者は私も好きですが、後者は観客に結末を投げているように感じられるし、視点が高いなと思ってしまいます。「最後どうなったのかは皆さんが判断してくださいね」って言っているそっちは、じゃあどこに立っているんですか、本当に結末を決めましたか、って思ってしまいます。
【是枝】それも最近よく言われるようになりましたね。しょせん、他人事なのか、と。
物語が終わった後に観た人が、あの人たちは明日どうやって生きていくんだろうと想像してもらえるような終わり方を、これまでずっと変わらず考えてきた。でも、昔は言われなかったことを随分言われるようになって、オープンエンディングはこの時代にはそう受け取られるんだなと思っています。
僕が難しいと感じているのは、何が当事者をエンパワーメントするのかという問題。『怪物』がマジョリティーの気づきにはなっているが、当事者のエンパワーメントにはなっていないという批判に、どう応答できるのか。この作品ではない場所で坂元さんとも話したのですが、死んだら不幸で生き残ったら幸せなのか、と。そんなに単純な物語を描いているつもりはないと言っていて、それは僕もその通りだと思っている。
要するに、最後は2人が死んだという前提で、クィアを不幸にしてマジョリティーが涙を流すための道具にしたと書かれている批評が結構あったんだけど、僕らとしてはあの2人を待っているのが「死」のつもりはなかった。撮影の現場でも少年2人にはそう説明していました。そもそも「死」だとエンパワーメントにつながらなくて、「生」にすればエンパワーメントなのか。そこは作り手の側から問いたい点ですけど。
【坪井】私も作品を書いていて「死んだら負けなのか」というのはすごく考えます。社会において特に自死は逃げだ、負けたんだと言われてしまいがちですが、私はそうではないと思います。加えてあえて言うならば逃げることの何が悪いんだよ、とも。
ただ、自分で選択した死と“選ばされる”死は違いますよね。本人が数ある選択肢のなかから自分の思想や気分で選び取った死と、とても生きてはいられない環境に社会・他者によって追い込まれた末に選ばざるを得なくなって起こった死はまったく違う。
クィア映画におけるクィアの死は後者がほとんどです。環境のせいで選ばなければならなくなった「悲劇の死」。クィアにとって、クィア映画における「死」はその存在そのものが猛烈なアグレッションなんです。
【是枝】僕は『怪物』を、むしろ“生”を選んだ話のつもりで作っていたんです。だからそこを根拠にした批判にどう答えたらいいのか、正直分からないまま、ここに至っています。
【児玉】映画技法としても、画面が白飛びになったりするあたりを含め、よくある死の表現のクリシェになってしまっていたかもしれませんよね。
【坪井】これは脚本にしかないシーンですが、トンネルの先へ走り去った馬を見て湊が「生まれ変わったお父さんかもしれない」と思う展開がありますよね。トンネルの先は生まれ変われる場所、つまりこの世界ではない天国のような場所なのではないかと読めます。2人はトンネルを通って『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)を思わせる列車に乗り込む。
また、映画にもあるシーンでは、「(猫を)土に埋めて燃やせばなりたいものに生まれ変われる」という会話が第3章にあります。「土に埋める」という儀式的な行為とラストの土砂崩れが被るんですよね。けれども2人は燃やされずに、土から這い出る。ただそれだけだと死んだんじゃないか、生まれ変わったのではという解釈の余地があるために、這い出た先で「生まれ変わったのかな」「そういうのはないと思うよ」「ないか」「ないよ。もとのままだよ」「そっか。良かった」という会話があったんだろうなと私は読んだんですけど、それでも「死」という解釈に引っ張られた方はかなりいたと思います。
【是枝】「死」と捉える人はいるだろうとは思っていたのですが、割合的には2割ぐらいだと予想していました。あの白飛びは確かに危険だなと思いましたが、文脈の流れの中で「生まれ変わったのかな」というせりふを聞いてもらえば、あえて言いますが、それほど「誤読」は起きないだろうと思っていました。
【児玉】是枝さんが本当に“生”として描きたかったのであれば、クィアと死がたやすく結びつけられる背景を考慮して、もっと明瞭に“生”の方へと舵を切らなければいけなかった気もするんです。
【坪井】クィアは物語においていつも悲劇的な死の役割を担わされる、という歴史的な背景に加えて、第1章から第3章にかけてずっとクィアへのアグレッションが繰り返されているので、結末に至る時、クィアな観客は精神的に弱っていると思うんですよね。こんな環境では到底生きてはいけないと認識した後の白飛びなので、やっぱりクィアは死ななきゃいけないんだと思わされてしまうのかもしれません。
ラスト、2人が廃線を走っていきますが、その先は木々が鬱蒼としていてどうなっているのか分からない。そういった整備されていない獣道にクィアが進んで行くというのも不穏で厳しい未来の暗示に捉えられるだろう、とも思います。
【是枝】2人には、最後はありのままの自分で生きていく喜びの表現をとにかくしてほしいと話しました。あそこは3回走ってもらったんです。
もっと楽しそうに、もっと叫んでいい、まだ足りない、そう言いながら撮っているし、台風で飛ばされたことにして、それまで2人の行方を閉ざしていた線路の柵を外して先まで行けるようにした。それは、未来が開けたという意味でした。
カメラを振った時に思った以上に光が強くて、一瞬白飛びするので、死後の世界として捉える人が出てくるかもしれないとは思いました。けど、それはむしろ「祝福の光」として捉えようと僕は思っていた。台風も過ぎ、彼らの“生”が祝福される演出ではある。
ただ、カンヌでも随分と最後がどっちなのか聞かれたし、「死」の結末に捉えた人が想像以上に多かったのは間違いない。僕は初めて『怪物』の脚本を読んだ時、これはカムパネルラとジョバンニが生き残る話だと思った。だから両方死なずに戻ってくる話だと思っていたんだけど、そこもちょっと甘かったのかもしれない。
【坪井】最後に2人が笑顔なのも、逆に現実が苦しいから、しがらみの��るところからやっと魂が解き放たれたようにも見えますね。脚本では、最後に2人がこちらを見返しますが、映画では変わっています。あそこでこちらを見る2人がいれば、私たちとまだ同じ世界にいるということが分かるので、かなり違いましたよね。
【是枝】そこも僕が坂元さんに決定稿に足してもらって、撮影した上で自分で削った部分です。何カ所かそういうところはあります。
確かにこちら側を批評するまなざしとしても、少年たちが見返して終わった方がメッセージは明らかでした。最初の試写段階でも残っていたのですが、走り切って黒に落とした方が圧倒的に終わりとしては力強くて鮮やかだったので、結果的には削りました。要は、私たちはもうあの2人には追いつけない。先生も母親も大人たちも、誰も手が届かない。作品の意味的には、もちろん見返す方が明確だったと思います。ただ、もう彼らには手の届かないところまで走って行ってほしいという感情が勝ちました。
でも、仮に死と捉えられたとしても、批評は批評として独立したものだから、それでいい。作品に従属する必要はないし、監督が考えている以上のことを書いてくれた方が面白いし、そういうものを読みたいです。
【児玉】坪井さんの文章は『怪物』のことを、本気でとことん考えたことが分かりますもんね。批判的な批評をすると、すぐに「表現の自由」を奪うつもりかと言われるなど、単純に作品への「攻撃」と見なすような風潮がますます強まっているようにも感じますが、正当性のある批判には映画文化を底上げしていく価値があるじゃないですか。
【坪井】『怪物』についての記事を出した時「お前は是枝さんのこと嫌いなんだろ!」みたいな反応がありましたね。気にしすぎ、とか映画の本質を理解していない、ただの難癖だ、というコメントもありました。
今回、怪物に関してSNSで批判をしたクィアに対しても似たようなコメントがぶつけられていたように思います。他の作品でも、そうした批判を封じようとする動きや冷笑をよく目にします。
是枝さんがおっしゃったように、批評は批評として独立したもので、私は一つの作品だと思っている。監督の意図に反していたり、想定を超えたりしている読解があっていいんだと強く言いたい。
好意的な批評だけが素晴らしくて、批判的な批評は全部「難癖」みたいなのは納得いかない。私は批評を一種のリスペクトとして書いているので、作り手が嫌いなんだという指摘は明確にズレています。
【是枝】それが僕にはよく分かったので、響いたんです。児玉さんと坪井さんに関して言うと、これは受け止めなければいけない本気の言葉だと思った。こういう時間は大切ですよね。
批判した側と批判された側でこうして関係が成立していることが外に出ていくのは、いいことだと思います。
【児玉】日本を代表する作家たちが手がけ、かつ高く評価されている大作を批判することは怖いことでもあるかもしれませんが、真剣に考えて本気で言葉を紡いだ観客もたくさんいたと思います。
【是枝】傷つけてしまった人たちに対しては取り返しがつかないかもしれないけれど、お二人が作品と僕の言葉と向き合って批判してくれたことで、今回とてもいい気づきになりました。
第3部 映画界の変化と課題 批判と応答これからも
【児玉】『怪物』から少し離れて、昨今の日本映画界のさまざまなイシューについてもお話ししていきたいです。是枝さんは映画の中で子どもを多く描いてきましたが、撮影する上で今どんなことに気をつけなければいけないのか。例えば『怪物』には性的な描写がありますが、どんな配慮があったのでしょうか。
【是枝】脚本には車両の中で湊と依里が抱き合って湊が勃起する描写があったんですが、子どもたち自身もその意味をどの程度理解しているか分からなかったので、まず保護者の方に問題ないかを確認した上で、「命育」という団体に相談をして紹介いただいた助産師さんにきていただき、インティマシー・コーディネーターの浅田さんにも同席してもらいつつ身体的な変化など性教育の講義を実施してもらいました。その上でこの映画の中で事前にどう抱きしめるのか、その時にどう感情が動き、身体的な変化が起きるのか、といったことを頭で理解してもらった上で、感情的なところに落とし込むプロセスを踏んでもらいました。
【児玉】少年同士の親密なシーンを撮影する時の現場は、どういう状況でしたか。
【是枝】そのシーンはロケ地が森だったので、電車の中は必要最低限のスタッフにして、カメラマンと僕、それから浅田さんだけでしたね。
【坪井】子役にシーンの意味を伝えないままに撮ってしまう現場もあると思うので、助産師による授業が設けられたのは大きいですね。
日本は性教育が遅れています。生理の仕組みや射精の原理、妊娠や中絶、避妊に関する知識など、性にまつわる情報は皆が小さい頃から知っておくべきなのに、私が小学生だった頃は男子と女子に分けられて、まるで秘密にしなければいけないことのように教えられた記憶がある。
まずその「男女」という二元的な分け方自体が問題です。性を知る権利の侵害は己の身体に対する自己決定権を奪われることなので、知識を身につけた上で演じられるのは重要だと思います。
【是枝】浅田さんに『怪物』の初期の脚本を読んでもらった時に、アメリカだとこれは児童ポルノとして搾取される可能性があると指摘されました。例えば大人のペニスを見るシーンがあれば完全に別撮りで、違う何かを見せてリアクションだけさせて、トラウマになるような撮影は一切しない。日本でも、この間放送されたNHKのドラマ『拾われた男』で、怒鳴ったり殴ったりするシーンは子どものリアクションを別撮りにしたらしいです。
『万引き家族』(2018年公開)で、もちろん保護者には事前の了解は取っているんだけど、子どもが夕立にあって家に帰ってきたらお父さんとお母さんが抱き合っていて裸を見てしまうシーンを同じ空間で撮ったんです。浅田さんにそれを話したら、アメリカだともうそういう撮影は許されない、と。別撮りでセットも分けるとなると予算的に難しいんですが、世界的な基準を踏まえた上で、何ができて何ができないかを模索し始めたところです。
【児玉】セバスチャン・リフシッツが監督したフランス映画で『リトル・ガール』というトランスジェンダーの子どもを描いたドキュメンタリーがあります。例えば風呂のシーンなどで肌の露出があったために批判が起きました。是枝さんは子どものヌードに関してどう考えていますか。
【是枝】『そして父になる』で風呂のシーンは男の子だけだったので、上半身とお尻までは見せているのですが、リリー・フランキーさんが演じる父親の家にいた3きょうだいの真ん中が女の子だった。風呂から出てきてぬれたまま走って、父親がバスタオルを持って追いかけるところを撮ろうと思ったんですが、その子が幼稚園か小学校に入りたてくらいで、確か既に上半身は見せてはいけないルールでした。ただ『万引き家族』の時に、安藤サクラさんが演じる女性が拾ってきた女の子のお風呂に入るシーンはどうしても撮りたかったので、裸ではなく盗んだ水着を着て喜びながら風呂に入っているシーンにしました。それは制約があったおかげで、むしろ良いシーンになりました。
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映画『怪物』について語り合う、是枝裕和監督(左)、ライターの坪井里緒さん(中央)、映画文筆家の児玉美月さん=2024年2月9日、朝日新聞東京本社、上田幸一撮影
【坪井】以前、子どもがいる役者さんも撮影現場に参加しやすいように、役者さんが芝居をしている間、面倒を見られるような環境作りを考えたと聞きましたが、それは『怪物』撮影時のエピソードですか。保育士を雇って現場に呼んだんでしょうか。
【是枝】厳密には、スタッフの中に保育士の資格を持っている方がいたので、現場にお子さんを連れてきたらそのスタッフが面倒を見られるようにしましたが、本来であれば専属のスタッフを追加で加えなければいけないと思います。ロケ場所の学校に空き教室がたくさんあったので、畳を敷いたりして環境作りをしました。ついこの間まで撮影していた現場は蒼井優さんがよくお子さんを連れて来ていたんですが、シッターを雇っていて、撮影の合間には蒼井さんもお子さんと一緒に散歩に行ったりしていましたね。だからシッターの給料を制作が賄うか、現場に施設が整備されているか、選択肢を提示できるのがベストだと思う。まだ実験的な段階ですが、直近の2作ではそのような対応をとりました。
【坪井】現場で働いているスタッフにとっても、子どもが居る状態でどう撮影現場に参加するかは大きな課題ですよね。
出産するタイミングで現場を抜けた後、もう一度復帰しようにも仕事が無い、あったとしても不規則な撮影時間であるためにライフスタイルと合わない事態が起きています。その点、脚本はどこでも書けるから辞めずにすむよ、と大学時代に言われた覚えがあります。
【児玉】テレビではつい最近、脚本家や原作者をめぐるトラブルが報道されていたばかりでしたよね。映画業界の脚本家の立場や地位は、どのような感じなんでしょう。
【坪井】著名な書き手であれば状況は違うと思いますが、脚本家の立場は監督と比べると弱いと思います。
脚本は是枝さんも話していたように、基本的にプロデューサーと監督とで直していく場合が多いと思うんですが、個人的にはもっと全体とコミュニケーションが取れる状況があってもいい気がします。原作モノの脚色なのに、脚本家と原作者が会えない、なんていうのもありますよね。
【是枝】過去の経験から、僕は原作ものを監督する時は、とにかく最初に原作者に会わせてほしいと伝えるようにしています。
『海街diary』(2015年公開)では、原作者の吉田秋生さんに会った時、こうしてほしくないということがあったら言ってくださいと伝えたら、作中しばしば話題には上るけど絶対に出てこない人物がいて、その「アライさん」だけは出さないでほしいと言われたんです。それを聞いて、『海街diary』は出てこない人が大事な物語だと分かった。原作者と会って話せば、きっと映画を作る上で大事なヒントにもなると思うんですよね。
【坪井】原作モノの映像化は原作者と監督・脚本家やプロデューサーなどが直接話し合う場が必要ですよね。ここは譲れないというすり合わせは密に、かつ第三者の言葉を介さずに行われる必要があると思います。伝聞の形を取ってしまうと本来落としてはならない部分が抜け落ちてしまう危険がありますし、誤解が生まれやすくなるのを避けられない。
映画化する際、原作と違う媒体に変えるわけですから、原作をそのまま映画に置き換えたら成立しない箇所は多々あります。原作の雰囲気や重要な軸を壊さずに作る必要がある際は、原作がいったい何を大切にしているのかが分からなければ作りようがない。故に対話というすり合わせは必要不可欠だと思います。監督や脚本家という作品の骨組みから肉付けを率先して担う立場が、原作者に直接会いづらいという慣習は映画界にもテレビ業界にもずっとあるみたいですが、一刻も早く廃れてほしいです。
【是枝】女性の働き方の話に戻ると、フランスで『真実』(2019年公開)を撮った時、撮影部のチーフが女性だったんですが、2人のお子さんを育てているシングルマザーでした。でも撮影が晩飯前には確実に終わり、保育園へ迎えに行ってご飯を子どもと食べることが撮影中もできる状況なので、日本でもそれができれば現場を離れずに済む。それを実現するために、映画業界の労働改革の働きかけをいろんなところにしています。例えば保育施設を撮影所の中に作ろうとすると、映画の現場だけにとどまらない話なので、厚生労働省まで巻き込まないといけなくなってしまうので大変です。
潤沢な予算があって長期にわたって同じ場所で撮影ができて、施設が用意できる状況が作れれば、いったん現場を離れているスタッフを戻せるのではないか。一度やってみようと思っているんです。
【坪井】まずは長時間かつ不規則な撮影時間の問題をどうクリアにしていくかですよね。夜中に帰っても、日が昇る前には出ないと間に合わないというような過酷な現場もまだまだあります。厳しい環境にもかかわらず、薄給というのも珍しい話ではない。
【是枝】日本の映画人には文化祭の延長で映画を作る楽しさとか、お祭り気分の��体感のようなものが好きで、それを手放したくない人たちがいるのも間違いない。でもそれは映画愛を利用しているし、スタッフ、キャストのやりがい搾取だから。もうそこに若い人たちだってついてこない。
【坪井】是枝さんが共同代表を務めているaction4cinema(日本版CNC設立を求める会)は昨年10月、制作現場のハラスメント防止ハンドブックを発表しましたね。現場で働く同期の話を聞いていて、激務の次に業界を去る理由になっているのはこのハラスメントだと認識しています。権力を持たされやすい・権威を帯びやすい役職から「下」とされてしまっている部署へのハラスメント・いじめ・性暴力がいまだに常習化しているのにもかかわらず、声を上げにくい状況が続いている。当事者が訴えるのではなく、周りが動いて暴力を止めたり防いだりできる環境作りが求められているように思います。
【是枝】それこそ、フランスのCNC(国立映画映像センター)のような統括機関が必要なんですよね。ハラスメント窓口すらない状況なので、どこに訴えたらいいのかがまず分からない。日本には映画の撮影チームを、監督の名前で何々組と呼ぶ文化がある。そうすると、組の中の倫理の方が勝ってしまったりするので、その組で起きていることに対して、他の組の監督が口を出すような文化ではないというか。それももうここで変わらないといけない。
action4cinemaに関しては、監督だけでなくプロデューサーの目線が入った方がいいという意見も出ていて、今年メンバーが少し変わる予定です。
若手から「ご自身では反体制だと思っているかもしれないけど、もう業界においてはあなたも権威なんだから、正しい権威になってくれ」と言われて……。『怪物』で批判が起きた時に、そういう立場の人間がスルーしてはいけない、と突き上げを食らいました。そこは真摯に反省して、映画界を良くするためにできることをやっていきたいと思います。
【坪井】作って発表して、それが観客という第三者に見られることで作品は「作品」になり、届いた「その先」も背負うのが制作側の責務だと私は作り手のひとりとして考えていて。今日は「その先」のひとつの場として鼎談が設けられたと認識しています。
作り手と受け手が互いに意見を交わし合う機会が更に増えていくと良いですよね。映画全体の手綱を握るのは監督だけれども、プロデューサー、脚本、演出、撮影、録音、編集、美術、制作、配給会社に宣伝会社と、多くの力によって映画は生み出され、観客に送り出されている。議題によって、各部署を担う方々がそれぞれ参加できるともっと良いのではないか、と思います。
今回はクィアへのまなざしに関係する批判を中心に対話を重ねましたが、被差別属性側を描いた作品の場合、まず批判を含めた当事者の声を聞いていかない限り、その作品自体が制作側の望まない方向に進んでいくのは免れず、それは作り手にとってもマイナスなはずです。
作り手の意図と受け取った側の解釈の間に暴力的な隔たりが生まれてしまった時、作り手が「実はこう考えていた」「ここは今から改善する」と明かし、「ここはよくなかった」と謝罪することに対して、ただの言い訳だ、という意見ももしかしたらあるかもしれない。ですが、至らなかったと謝るのと、応答せず無視し続けるのとでは、私は後者の方が無責任だと強く言いたいです。
【児玉】これまで、日本のクィア映画に対する当事者、批評家や観客からの批判に対して、作り手たちが十分に応答できていたかというと、なかなかできていなかった。
批判だけが空中分解して消えていってしまうので、作品と批判が建設的な形で架橋されない。例えば宣伝に対する批判が起きてその後に何かしら変更になったとしても、具体的にどこに問題があると認識して改善に至ったかという対外的に出すべき説明が抜け落ちてしまっているケースも多い。日本でクィアのテーマを扱う作品がつくられることに、反射的に不安や懸念を覚えてしまう人たちが一定数いる状況が続いてしまっているように見えます。
是枝さんが日本映画を代表する監督であることは間違いなく、そういう立場の人がこうして公に批判に応じたことは日本映画界にとって画期的なことで、大きな意義を持っていると思います。次世代を担う監督たちもきっと見ているはず。ここから続いていってほしいという期待もあります。
【是枝】そう言っていただけると、ここに来たかいがありました。こういう対話を一つ一つ積み重ねていくしかないですね。何か批判が起きた時に、自分はこう考えたとか、ここは反省しているとか、ここは改善できるとか、そういうことをできるだけ指摘してくれた人に対しても公にしていきたいと思っているんです。
ですが、矢面に立つのが監督なのは当然としても、映画は監督だけのものではない。作品を代表して発言するのが難しい時もある。
『怪物』に関してもそうで、一度カンヌにいる間に僕自身は何かしら声明を出すべきだと思って自分の考えを文章にまとめていたんですが、結局自分の判断で引っ込めました。公開から長い時間が経ってしまいましたが、自分が何を考えたのかということはまとめて表に出したいと思っていたので、こういう機会をいただけて、改めてありがとうございました。(構成=映画文筆家・児玉美月)
これえだ ひろかず 1962年、東京都生まれ。テレビドキュメンタリーの演出を手がけ、2014年に独立し制作者集団「分福」を立ち上げる。95年に『幻の光』で映画監督デビュー。主な作品に『誰も知らない』(04年)、『歩いても 歩いても』(08年)、『そして父になる』(13年)、『海街diary』(15年)など。18年に『万引き家族』がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。日仏合作の『真実』(19年)、韓国映画『ベイビー・ブローカー』(22年)など海外での制作にも取り組む。
こだま みづき 映画文筆家。映画に関する文章をさまざまな媒体に寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』(フィルムアート社、2023年)、『反=恋愛映画論――「花束みたいな恋をした」からホン・サンスまで』(ele-king books、2022年)など。
つぼい りお ライター。1995年生まれ。在学中、映画脚本を専攻。言葉に関する活動を幅広く行う反差別のクィア。主な寄稿記事に、〈映画『怪物』を巡って――「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ〉(本屋lighthouse)、〈映画『炎上する君』 燃え盛るのではなく、世界の果てまで延焼する〉(『映画芸術』484号)。
コメントプラス
仲岡しゅん(弁護士)【視点】 お三方の鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィアの当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。
私はいわゆるクィアの当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちからの批判の声」とは全く違った感想を抱いている。
私は、この「怪物」という作品から、他の映画や作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。
あまり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。
それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議な勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。
この作品は、確かにクィアの登場人物たちを描いている。
だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ「普遍的な物語」として描きつつ、しかし当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。
だからこそ、クィアの当事者である私に刺さったのだ。
今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側からは安易なカテゴライズの道具として使われがちでもある。
だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。
そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。
「怪物」という作品は、そこに安易な名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。
私はむしろ、この作品が、クィアやLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな、陳腐なものになってしまったのではないかとすら思っている。
そしてラストシーンについても付け加えておきたい。
鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分を肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。
そして、その後は描かれなくて正解だったろう。
その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己を肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。
私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。
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南極大陸本土で鳥インフル感染初確認、ペンギンに感染リスク(ロイター 2月27日)
[ブエノスアイレス 26日 ロイター] - スペイン科学研究高等会議(CSIC)は25日、H5型高病原性鳥インフルエンザが南極大陸本土で初めて確認されたと明らかにした。同大陸に生息するペンギンへの感染リスクも出ている。
アルゼンチンの科学者が24日、南極のプリマベラ基地近くで発見した海鳥少なくとも1羽の死骸からウイルスを確認したという。
南極地域ではこれまで、近隣の島でジェンツーペンギンなどの鳥インフル感染が確認されていた。この数カ月、H5N1型鳥インフルが世界各地でまん延している。
南極大陸とその近くの島々ではペンギンが密集してコロニーを形成しており、鳥インフルが容易にまん延する恐れもある。
南極研究科学委員会も同基地で感染が確認されたとしている。
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ペンギンも鳥インフル感染 南極で急拡大の様相(時事通信 3月15日)
南極で列をつくって歩くアデリーペンギン=2012年1月(EPA時事)
【サンパウロ時事】南米チリの政府機関チリ南極研究所(INACH)は14日までに、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)に感染したペンギンが南極大陸で初めて見つかったと発表した。南極大陸では先月に鳥インフル感染例が初めて確認されたばかりで、集団で行動するペンギンにも急速に広がる様相を呈してきた。
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南極でペンギン532羽死ぬ 鳥インフルが原因か―豪大(時事通信 4月5日)2024年3月15日に追記
南極で氷山から飛び降りるアデリーペンギン=撮影日不明(ニューヨーク州立大ストーニーブルック校など提供)(AFP時事)
南極で氷山から飛び降りるアデリーペンギン=撮影日不明(ニューヨーク州立大ストーニーブルック校など提供)(AFP時事)
南極大陸で先月、少なくとも532羽のアデリーペンギンが死んでいるのが見つかった。オーストラリアのフェデレーション大学が明らかにした。調査団は被害が数千羽に及ぶと推定。高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)が原因の疑いがあり、現地からサンプルを研究所に送り、詳細を調べている。
鳥インフルは2022年に南米で確認され、野生動物の間で急速に感染が拡大。南極大陸では今年2月に、最初の感染例が確認された。調査に参加した同大の生物学者メーガン・デュワー氏は「気候変動などによって既に影響を受けている野生動物に甚大な被害を及ぼしかねない」と語った。
英南極研究所によると、南極大陸では約2000万組のペンギンが毎年繁殖を行い、絶滅が危惧されるコウテイペンギンも含まれる。専門家は鳥インフルによって、コウテイペンギンなど南極に生息する野生動物が大量死する可能性があると懸念している。(ロイター時事)。
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azakavrc · 4 months
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「……お前はバカなのか?」
彼……ISDF代表サリハの第一声はそれだった。
別の地区の見回りをしていた彼は仲間からの連絡を受け大慌てでここ、ウェストタウンの拠点に戻ってきた。
まるで戦場のような緊張感が拠点をぐるりと取り囲んでおり、サリハは軽く頭を抱えながら拠点内の応接室に入った。そこにいる来客……アルマ正教会教皇エルの姿を認め溜息混じりに吐き出した言葉がそれだ。
「お邪魔しております。……素敵なご挨拶ですね」
「生憎とお前のような御立派な暮らしなんて経験はないのでな。気に障るのならお引き取り願おう」
「いえ、ここだけの話……わたくしとて、畏まった対応ばかり受けるのは少々辟易しているのです。これは、内緒にしておいていただきたいのですが」
「……そうかい、じゃあ好きにさせてもらう」
「恐れ入ります」
「で、要件はなんだ?お前のようなヤツが茶を飲みにきただけということはあるまい?」
「此方のお茶は独特の風味でなかなか趣深い物で御座いますけれど」
コンコンっ
不意にノックの音がエルの言葉を遮り、
『お茶のおかわりをお持ちしました』
すぐ後を男声が追いかけてくる。
「アインスか。入れ」
「失礼します。……サリハさん、帰ってたンですね……って、ちょ、失礼ですって⁈」
茶器を乗せたおぼんを器用に片手で持ちながら扉を開けて男……アインスが入室する。
ソファに脚を組んで座るサリハの姿を見て目を白黒させている。
「寛大なお心でお許しいただけるそうだぞ」
「はい、構いません。アインス様もお座りくださいませ」
「俺もですか⁈……いや、俺はちょっと、まだ仕事がー……」
「なんだアインス。教皇様の頼みを無碍に断るのか?」
「アンタ絶対楽しんでるでしょ……」
「まぁまぁ。初対面というわけでもないのですから」
「その節は……まさか教皇様があんなところにいるとはつゆ知らず……とんだ無礼を……」
「おいおい教皇サマ。うちの部下をいじめないでやってくれないか」
「誰のせいですか誰の!」
「……うふふ……♪」
「……っとぁ、すみません……」
小さくなってサリハの横に座るアインス。相対する席で口元を隠し笑っていたエルが手を下ろす。その一動作だけで、室内の空気が変わった。
「……先日お送りさせて頂きました書状は、ご確認頂けておりましょうか」
「あぁ、スラムに教会を、とかいう例の件か。確かに拝読させてもらった」
https://discord.com/channels/1020297124434419722/1068114953753608262/1157536351915343923
「手の込んだ悪戯かとも思ったが、話をしたのがコイツで、確かに支援物資も資金も届いた。ご丁寧に教会の印章つきでな。信用しないわけにはいくまい」
「恐れ入ります」
「此方としては願ったり叶ったりではあるが……どういうつもりだ」
「……どう、とは?」
静かに圧を強めるサリハの言葉にもエルの態度は変わらない。ただ横で推移を見ているアインスだけが小さくなるばかりだ。
「あの書状を帝国ではなくこちらに寄越すということは、教会直々に我々の自治を認めたと捉えられかねん。まさかわからずにやったなどということはないだろう?」
「そうした方がよろしかったでしょうか?」
「当然、そうしていたらヤツらはこれ幸いとスラムの土地を接収しようとしただろう」
「然り。そのくらいの調査洞察は、この地を知らぬ……そうですね、“御立派な暮らし”のわたくし達とて可能です。なればこそ、地を知り人を知り、仁徳に満ちた英雄様にこそ打診を行うべきであると判断した次第に御座います」
「買い被り過ぎだが、信用には応えよう。お前ら教会が我々を裏切らないのであれば、我々が教会を裏切る事はない。誓おう……お前らの言う父なる神とやらは知らないが、俺の誇りに賭けて。こいつが証人だ」
急に指されてアインスは驚いて居住いを正す。
それを見てエルは微笑んで頷く。
「我々正教会は、人間が人間として正しく生きていく事をこそ肯定するものです。人は国に属するのではなく、国が人に属するのです。なればこそ、この地はあなた方の治める地。道理を通すべき相手はあなた方で間違いはないでしょう」
「そちらの意向はわかった。ならばここからは交渉の場だ。がっかりさせてくれるなよ」
「勿論。ご期待くださいませ」
若干緩んだ空気にアインスも内心でホッと胸を撫で下ろす。
「そうですね……まず、アインス様。この周辺の地図などありましょうか?」
「え?あ……はい、ちょっと待っててくださいっ」
急に声をかけられたアインスがバタバタと退席するのを見送り。
「此方から求める事は、
ひとつ、教会建設の為の土地の借用、
ひとつ、教会員の駐屯の許可、
ひとつ、教会管理下の隊商の通行、停泊の許可
それからもうひとつ……」
「もうひとつ?」
「建築した教会の管理者、指揮者として此方……ISDFから一名、任命して頂きたく思います」
「……ほう?」
「勿論、教会から補佐役として一名派遣を行いますが、基本的に建築した教会に付随する事物に関する采配の全権は、任命して頂いたその方に委任させていただきます」
「……お前は、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「はい。要するに……
教会建てる土地貸して
教会員が暮らすのを許して
ウチの隊商が通ったり休むのを許して
ついでに一人管理人役を出してくれ
です。そして、建屋の管理から搬入物資、人員、資金、土地活用に至る全権はその管理人役がやってくれ、とそういう要求です」
「……お前は、バカなのか?」
「はて?……あぁ、土地の借用費は搬入物資や資金から供出して頂くとして、教会員の生活費や隊商の消費した資源に関しては別途請求下さればご用意させて頂きます」
「そういう話ではない。……一体何を考えている?」
「何か問題がありましょうか?」
「これのどこが取引だというんだ。全く対等ではない……これでお前らは何を得る?我々を懐柔しようという腹か?」
「そうなれば僥倖では御座いますけれど、踏み台にされるだけでも此方としては十全。それ以上は“おまけ”のようなものです」
「……馬鹿げている」
「そうでしょうか。先程申し上げました通り我々正教会は、人間が人間として正しく生きていく事をこそ肯定するものです。そのために持てるものを捧げる。それこそが教会のあるべき姿です」
「…………」
沈黙が室内を満たす。
「……仕方ありませんね。此処だけの話としてお聞きくださいませ」
先に沈黙を破ったのは、エルだった。
そしてほぼ同時に。
 コンコンっ
「失礼します。すみません、お待たせしま……し、た……」
「ご苦労。座れ」
「はぃ」
入室したアインスが机に地図を置き再びサリハの隣に座る。
(サリハさん、なんか空気重くないですか……何があったンすか)
アインスが小声でサリハに問うもサリハは顎の動きだけでエルに話を促し答えない。
「……大戦により世界が被った被害……物質的にもそうですが、何より人心が負った傷は深く、目に見えぬ存在を信じる心を保てている方はそう多くはありません。されど、傷ついた心が救済を求めるのもまた必定。教会はそのような方に手を伸ばすのがその勤め……」
言葉を紡ぐエルも、それを受けるサリハも、仮面に隠れた顔から表情を窺う事はできない。
「現在の教会が持つ本質はその教えではなく、無国籍の人的ネットワークそのものです。実際に父なる神に信仰を持っている者は、騎士団を除けばごく僅かなのでしょう。わたくしもそれを理解した上で教会を指導する立場に就いております」
「……教皇様がそれ言っちゃうんですか……」
アインスが思わず溢した言葉にエルはゆっくりと頷き。
「事実を事実として受け止めぬほど愚かではないつもりです。されど、世の中は本音と建前を使い分ける事で安定して回るもの。それで救われるものがあるのならば、わたくしは、教会は喜んで嘯きましょう」
アインスは先日補給物資を運んできた隊商を思い出す。教会の印章を刻んだ一団ではあったが、確かにその言動は教会のものと言うよりは商人や輸送屋のそれであったように思う。
「教会の教えに一切の真もないなどと申し上げるつもりは勿論御座いません。どちらも実であり虚であり、結局のところ目指すのは人間の平和と繁栄……そこに尽きるのですから」
「ふん……なるほどな」
「ご理解頂けたようで幸いです」
「此方としてはスラムの奴らが平和に暮らせるならお前らがどんな意図であろうと変わりはないからな」
「十全です。では、話を進めましょう」
「ああ」
「まず、立地に関してですが……」
アインスが持ってきた地図を広げて眺め、
「規則としてそれなりに広めの土地が必要になりますので、相応の場を借り入れたく存じます」
「使っていない土地自体は沢山あるが……」
「有事の際に避難所や防波堤としての役割を担う務めが御座います故……」
「防波堤?」
「はい。街や避難所に賊や根源生物が侵入しないよう、この教会の土地で万全の体勢で迎撃を行えるよう配備できるようにと」
「却下だ」
「……戦力は此方から駐屯させるつもりですが」
「尚更だ。資源のみならず防衛までお前らに委ねるほど俺たちは落ちぶれちゃいない。客は客らしく安全な場所にいろ」
サリハが地図を叩いて示す場所はウェストタウンの��ずれではあるものの根源生物が多く観測される砂漠側からは遠い位置だ。
「畏まりました。では此方の場所をお借り致します。近日中に現地視察に人を派遣致します」
「そうしてくれ」
その後も話は速やかに進み、とんとん拍子に取り決めがなされた。
実建築にかかる際の人手借り入れの報酬、教会の規定に伴うワークショップや隊商の巡回周期、砂漠の遭難者や非常事態に備えたビーコン設備の取り付け、有事の際の避難所や臨時病床としての開放規則などなど、話す事は多数あったがつつがなく話は進められ、
「……事前に決めておくのはこれくらいで御座いましょうか」
「先に話していた管理者の件だが」
「はい。建築が終わる頃までに決めて頂ければと思います。……既に候補を絞られていますか?」
「アインス」
「はい?」
「お前がやれ」
「……はああぁ⁈な、なんですか急に⁈」
「アインス様がちょうど席を外していた時に出た話ですね。此方からの要求として、建築した教会の管理者をISDFから一名選出して欲しいとお願いさせていただきました」
「お前なら信用できるし悪いようにはしないだろうと判断した。やってくれるな」
「いや、まぁ……やれと言われればやりますが……いいんすか?俺、信仰心とか欠片もないですよ」
「いくつか守っていただきたい事柄は御座いますが、教会施設を自由に使う為の必要経費とお考え頂きましたら幸いです。勿論、無理にやれと申し上げるつもりは御座いません」
「え、自由に……って、どういう事ですか……」
「後で説明してやる」
「なんかめちゃくちゃ重要な事をさらっと押し付けられてる気がする……」
「正式な決定に関しては、先に申し上げました通り、建築完了までにお知らせ頂ければ重畳です。説明を受けてからご決断ください」
「あー、いや。サリハさんが俺なら信用できるって任せてくれるンですよね。なら、期待には応えますよ」
「話が早いのは助かりますが……押し付けたようで、少々申し訳なくも感じますね……」
「最終的に俺が自分で決めたんで。気にしないでください」
「……畏まりました。では、補助役の選定を急ぎます。建築完了前に此方に向かわせるよう手配を致します」
「お願いします」
ちょうどその時、扉をノックする音が室内に転がり込む。
『教皇様、そろそろ……』
室外で待機をしていた侍女の恐る恐るといった声がその後を追う。
「すぐ向かいます。あなたは出立の支度を」
『畏まりました』
「……申し訳ありません。この後も予定が御座いますゆえ、これにて」
「ああ。無事に生きていたらまた会おう」
「その日を心待ちにしております。では、皆様に、父なる神の祝福のあらんことを」
エルが退室したのを見送り、アインスは大きく息を吐きソファに体を沈み込ませた。
「はあー……なんかとんでもないことになった気がする……」
「ふ。期待している。俺もまだ予定が残っているから、あとの片付けは頼むぞ」
「あ、はい。了解です」
部屋を出たサリハの指示で、拠点を囲んでいた隊員は速やかに任務に戻っていく。
慌ただしい昼下がりを抜けて、スラムの日は続く。
    幕。
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ari0921 · 1 year
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織田邦男先生の論稿です
現代が見習うべき大正人の精神 麗澤大学特別教授元空将・織田邦男
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ドラマのような優勝劇に日本国中が沸いた。顔に日の丸を描く人、球場内外で日の丸が振られ、国と選手と国民が一体化したような光景に、思い出したことがある。
国家と個人が一体となり
102歳で天寿を全うした父が90歳の時である。筆者に「もうそろそろ、ええじゃろう」と語り出し「実は、わしは戦艦大和を造ってたんじゃ」と。どうやら父は広島の呉工廠(こうしょう)で戦艦大和の建造に携わっていたらしい。「大和については、家族にも一切話してはならぬと命ぜられていたんじゃよ」と述べ、最後に「わしももう長くないからな」と終わった。大変驚いた。国家(海軍)の命令を、帝国海軍が消滅した戦後60年間も律義に守る。しかも戦後生まれの筆者に対して箝口(かんこう)令を守り通すとは。
父が亡くなる2年前、同じ大正生まれの小野田寛郎氏が亡くなっている。小野田氏は旧陸軍の軍人で、情報将校としてフィリピンのルバング島に赴任した。師団長の横山静雄中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」と訓示を受けたという。戦後も29年間、孤立無援でゲリラ戦を戦った。
手に入れたラジオで戦争が終結したことは気づいていたらしい。冒険家の鈴木紀夫氏によって発見され、帰還を促された。だが任務解除命令がない以上、任務は放棄できない。結局、元上官である谷口義美氏(元陸軍少佐)による任務解除命令を受けて帰国した。
両者に共通しているのは、国家と個人が一体となった「大正人」ということだ。父は大正3年生まれ、小野田氏は大正11年生まれである。先の大戦では大正人の7人に1人が戦没している。戦後復興の原動力も大正人が主力だった。
父には9歳年下の弟がいた。海軍パイロットとして昭和18年、太平洋のギルバート諸島上空で散華した。父は弟を思い、靖国神社にしばしば参拝した。最後の参拝は90代後半だったと思う。杖(つえ)を突きながら気丈に昇殿参拝を果たした。その時、父はポツリと呟(つぶや)いた。「何で靖国参拝に反対するんじゃろうのお」。現役時代、ある懇親会で小野田氏と同席させていただいたことがあるが、その時、小野田氏から同じ言葉を聞いたのを思い出した。
国家意識溶解の懸念
大正人にとって国家と個人は一体で、国家に尽くすことは、自分に尽くすことである。国家に命を捧(ささ)げた場合、国は永遠に死後の面倒をみる。なのになんだと、憤懣(ふんまん)やるかたない思いが感じ取れた。
国に殉じた先人に対し、国民が尊崇と感謝の念を表すのは世界の常識である。米国ではアーリントン国立墓地に、韓国では国立顕忠院に、フランスでは凱旋(がいせん)門の無名戦士の墓に国家のリーダーは参拝する。外国の要人来訪時も、必ず参拝する。これが国際共通の儀礼である。岸田文雄首相は1月の訪米の際、アーリントン墓地に参拝した。だが岸田首相は就任後、靖国神社には参拝したことがない。
いかなる事情があるにせよ、一国のリーダーが自国の為に命を捧げた先人に追悼の誠を捧げないのは異常である。異常を異常と感じなくなる時、国家と個人の一体感は失われ、国家意識は溶解していく。国家は国民一人一人の「義務と責任」から成り立っている。国家意識が希薄化すれば当然「犠牲」「勇気」「名誉」という普遍的価値は喪失し、我欲は限りなく肥大化する。国家あっての人権、人道、社会福祉であり、祖国あっての個人であるという当たり前のことが理解できなくなる。
公に尽くす生き様を忘れず
令和5年度予算が成立したが、国会での議論は見る影もなかった。昨年12月、安全保障関連3文書と共に、防衛費のGDP比2%、反撃能力の保有が閣議決定された。この時、「満足な議論もせず、民主主義の破壊だ」と野党は批判した。だが国会では十分な時間がありながら、「満足な議論」もせず、表層的で枝葉末節な質疑に終始した。参院ではウクライナ戦争や台湾有事もそっちのけで、行政文書をめぐっての「コップの嵐」に終始する体たらくである。
これを見る時、選良たちも国家意識が溶解し、安全保障や天下国家を「議論しない」のではなく、もはや「議論できなくなった」のではと思ってしまう。2021年の国際世論調査では「国のために戦うか」に対し、「はい」と答えた日本人は13・2%で最下位だった。この現実と通底するように思えてならない。
国家という「人」はどこにもいない。国家とは同胞、友人、知人、そして自分自身のことである。自分自身が国家そのものだという事実に戦後日本社会は目を伏せてきた。その結果「国家」の希薄化は深刻なまでに進んでいるようだ。
WBCで日の丸が乱舞する光景と国会の惨状が同じ日本だとはどうも思えない。数年もすれば大正人はいなくなる。国家と自分自身を同一視し、我欲を捨て、公に尽くす大正人の生き様を今こそ見直すことが求められているのではないか。(おりた くにお)
#産経新聞 #正論 
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kennak · 21 hours
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捜査当局が犯罪の証拠を偽造するなど絶対に許されない。しかし、そんなあってはならないことが起きているという疑惑が発覚した。 疑惑の舞台は宮崎県。2020年に起きた殺人事件の公判前整理手続(公判が始まる前に裁判所と検察官、弁護人が争点を明確にし、判断するための証拠を選び、どのように審理を進めるかを決めるもの)において、証拠写真の入ったSDカードのデータが警察によって一部削除され、隠滅された疑いが浮上したのだ。被告・弁護側は「事件は正当防衛であり、被告は無罪」と主張している。削除・隠滅された疑いのある写真は弁護側のその無罪主張を裏付け、被告に有利な内容だった可能性がある。 複数の関係者によると、被告の弁護団は「公判前整理手続中に警察によって意図的に証拠の隠滅が行われた可能性が強い」として、近く、当時の宮崎県警宮崎北警察署長らを証拠隠滅罪で東京地検に告訴する方針だ。 調査報道グループ「フロントラインプレス」によるスクープを発信する。 目次 問題の証拠写真とは 殺人事件の経緯 連続撮影された写真に“一部が削除された痕跡” 問題の証拠写真とは 問題の証拠写真は、SDカードを使用する捜査用のデジタルカメラで撮影されたもの。警察の捜査では、撮影後に書き換えができない記録媒体の使用が義務付けられているが、今回の事件で使用された半導体メーカー「キオクシア」製のSDカードは、実際には、データを別のキオクシア製SDカードにコピーするなどの方法によって改ざん可能だったこともフロントラインプレスなどの調査で判明した。同型のSDカードは全国の警察で広く使用されている。 画像 「キオクシア」製のSDカード(撮影:フロントラインプレス) 警察庁は2019年3月に全国の各警察に「デジタルカメラで撮影した写真の活用について」という通達を発し、その中でデジタル写真の記録媒体について「構造上、記録した原画像ファイルの編集、加工及び消去が不可能なものを使用すること」と明示している。 ところが、実際に宮崎県の事件捜査で撮影データが改ざんされていたとすれば、通達に反して警察は改ざん可能な記録媒体を使用していることになり、日本の事件捜査や証拠の信頼性を大きく揺るがせ、刑事司法の在り方が根底から問われる事態となる。 殺人事件の経緯 殺人事件が起きたのは2020年11月22日深夜。 宮崎市のJR佐土原駅前で、自営業の男性(47)=当時=が腹部を刺されているのが見つかり、病院で死亡が確認された。宮崎県警・宮崎北署は、被害男性の知人で近くに住む久常芳治被告(49)を逮捕。その後、宮崎地検は、刃渡り25センチの包丁で知人男性の腹部を1回刺し失血死させたとして、殺人罪と銃刀法違反で久常被告を宮崎地裁に起訴した。 事件は現在、宮崎地裁で公判前整理手続が行われている。この中で被告・弁護側は「現場では最初、被害者男性がナタで久常被告を襲ってきた。被告はとっさにズボンのポケットに入れていた包丁を取り出し、被害者男性に差し向け、それが腹部に突き刺さった。本件は正当防衛であり、被告は無罪」と主張している。 連続撮影された写真に“一部が削除された痕跡” 問題の証拠写真とは、現場に落ちていたナタの写真をめぐるもの。 被告の主張通りであれば、被害者男性は素手でナタを握って振り下ろしてきたため、ナタには被害者男性の指紋が付着しているはずと考えられた。ところが、最初に証拠提出されたナタのプリント写真は不鮮明で枚数も少なく、遺留指紋が十分に確認もできない。 そのため、弁護側は写真の画像データを提出するよう要求したが、これを受けた宮崎地検からの照会に対して、宮崎北警察署は提出を何度も拒否した。最終的には裁判所の促しによって、起訴から約1年11カ月後にようやく画像データの原本を保存したとされるSDカード本体が公判前整理手続において開示��れた。 その後、デジタル・フォレンジック(電子機器や記録媒体などに残された電子データを回収・分析・証明すること)の専門家らによるチームが開示されたSDカード本体のデータを解析したところ、ナタの指紋を連続的に撮影したはずの写真の一部が削除されたことをうかがわせる痕跡などが見つかり、本来の写真データを記録したSDカードとともに一部の証拠が隠蔽されている疑いが濃いことが判明したという。 久常被告の弁護人を務める黒原智宏、西田理英両弁護士は「現在は何もお話できない。時期が来れば、正式に記者会見を開くなどして詳細を明らかにする」と話している。
【スクープ】宮崎の警察が殺人事件の証拠を偽造か…証拠物を撮影したSDカードを被告に不利なように改ざんした疑い 弁護側は証拠隠滅罪で警察署長らを告訴へ|SlowNews | スローニュース
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kinemekoudon · 1 year
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【8話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・前編 【大麻取り締まられレポ】
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前回のあらすじ 僕とプッシャーと友人の3人で、共謀の上に大麻を所持した容疑で捕まった僕は、接見で当番弁護士に「50パーの確率で不起訴を狙える」と言われていた。
僕は「どういう理屈で50パーなんでしょうか?」と弁護士に尋ねると、弁護士は「共謀の罪での逮捕は、他の方が自白してしまうケースが多いんです」と答える。
僕は「一緒に捕まった2人は自白しないと思うので、大丈夫だと思います」などと言うと、弁護士は「ところが、いざ捕まってみると喋っちゃうんですよ、これが。そういうケースを何件も見てきましたから」と恐ろしいことを言うので、僕は少し勘ぐって黙りこくる。
弁護士は続けて「むしろ、ほとんどの人が喋っちゃいます。黙秘を続けられる人はサイコパスみたいなひとしかいませんね」と笑いながら言う。僕が「まぁ…2人はサイコパスっぽい感じはあります」と応えると、弁護士は「そうですか。いずれにせよ、不起訴を狙うのであれば���現段階では2人を信用するしかないですからね」と身も蓋もないことを言う。
しかし弁護士は、僕が気落ちしているのを見てか「まあ、売人の車で大麻が見つかっていて、持ち主が判明していないという状況ですから、このままいけば、犯行の主体を立証できず、証拠不十分のために不起訴となる可能性は高いでしょう」などと僕に期待を持たせてくれた。
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それから1時間ほど、弁護士に今後の対策について色々と教えて貰った。ただ、僕がやるべきことは、黙秘と署名押印拒否ということであった。不起訴を狙うにあたって、黙秘は自分の利益にはならないが、不利益にもならない。また、調書の署名押印を拒否すれば、調書を証拠資料として使用することを防ぐことができるのである。
また弁護士は、国選弁護人として就いてくれることになり、僕が黙秘を続けるメンタルを保てるよう、頻繁に接見に来てくれると言うので、とても心強い味方がついてくれたと思った。
※このときに弁護士に貰った「取調べをウケる心がまえ」というプリントがよく出来ていたので、pdfのURLを貼っておきます。
接見を終えると、消灯・就寝時間の21時が過ぎ、22時をまわっていた。場内は暗くなっていたが、監視のため蛍光灯がついており、居室内も天井の蛍光灯3本中1本だけ明かりがついていた。
居室に戻ると、留置官が「今日は5番の布団敷いといたから。あと寝る前の薬あるから、このコップに水入れてきて」などと言うので、僕は洗面で水を入れ、鉄格子の前に行く。留置官は配膳口を開き、僕に手を出すように言って、薬の包装シートのプラスチック部分を押して、中の薬でアルミ部分を破り、僕の手の上に直接薬を落とす。
僕はマイスリーとデパスを飲むのは久しぶりだったので、少しわくわくしていた。僕は薬を水で流し込み、コップを留置官に返すと、布団の中に入り込む。布団は非常に粗末なもので、敷き布団はこれぞ煎餅布団といった具合に入れ綿の少ない薄く固い布団で、掛け布団は薄い割に重く、ちりちりしていて触り心地の悪い毛布であった。
寝具は粗末、天井の蛍光灯は眩しい、加えて隣室からはいびきが聞こえるので、この環境で寝るのは、睡眠に神経質な僕には難しいことであったが、こんなこともあろうかと、あらかじめ睡眠薬をゲットしておいたのである。
薬を飲んでから、1分ほどでデパスが効いてきて、強ばった筋肉が弛緩し、あらゆる不安が和らいでくるので、(今日は本当に長い一日だったけど、未体験のことばかりで結構おもしろかったな…)などと天井を見つめながら前向きな回想をしていた。
さらに10分ほど経つとマイスリーが効いてきて、眠たくなってくると同時に、思考が少し加速し、個人的におもしろい発想が連続して生成されているように感じるので、結構楽しい。そうして自分の思考にニヤけたり感心したりしていると、次第に意識が遠のき、いつの間にか眠っていた。
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――逮捕から2日目。朝、起床時間とされる6時30分の10分前に目が覚めた。6時30分になると、消えていた蛍光灯が点灯するとともに、留置官が「起床―!」と大声を出して、まだ眠っている収容者を起こす。
布団を畳み、右隣の居室のベトナム人と入れ違いで布団置き場に布団を置いてから居室に戻ると、配膳口にブラシと雑巾の入った桶が置かれており、トイレと洗面を掃除するように指示をされた。
トイレと洗面はステンレス製で、水垢や尿石もなく清潔であったが、パフォーマンスとして掃除をし、ブラシと雑巾を桶に入れて配膳口に戻した。留置官がその桶を回収すると、今度は扉を開けて掃除機を渡し、床を掃除するように指示をしてきた。床は誰かの抜け毛が多く落ちていたので、割と丁寧に掃除機をかけておいた。
掃除機をかけている間、留置官が配膳口にタオルと石鹸、コップに歯ブラシと歯磨き粉を置いていたので、僕は掃除機を留置官に返してから、洗面で歯を磨き、顔を洗った。
タオルなどを抱え、鉄格子の前で待機していると、昨日左隣の居室でいびきをかきながら寝ていた、ガタイがよく目がギョロリとした50代くらいのヒゲの男が、ロッカーに向かう際にこちらを見てきた。
ギョロ目の男は僕と目が合うと、30度くらい頭を下げて「こんにちは!」と大声で挨拶してきたので、僕は少し萎縮して「あ、ちわ…」とぼそぼそした声で挨拶を返しておいた。ギョロ目の男は続いて、僕の右隣の居室にいるベトナム人にもかしこまって大声で挨拶をしていた。
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↑ギョロ目の男は清原を老けさせてもう少し色白にさせた感じ
ロッカーにタオル等をしまい、自分の居室に戻ると、すぐに朝食の支度が始まった。今回の朝食は、コンビニ弁当のようなプラスチック製の容器の中に、白米、きゅうりの漬物少々、マカロニサラダ少々、千切りされたたくあん少々に、メインのおかずとして野菜の入った薄く丸い形をした小さい天ぷら1つが入っている質素なものであった。
朝食を終えると、時刻は7時15分だった。本を読めるのは8時かららしく、仕方がないので文字通りゴロゴロしていると、「点呼開始―ッ!」という爆音が留置場内に響き渡った。
点呼の合図からすぐに、遠くの方で「第6号室!27番!」という大きなかけ声の後、「ハイ!」という収容者の声が聞こえ、「以上1名!」という大声の後、4人の留置官が「「「「おはようございます!」」」」と大声で挨拶をし、隣の居室へ移っていく。
それから、留置官らは僕の居室の前に立ち、「第2号室!5番!」と大声を出すので、僕は寝っ転がりながら「あい」と応えると、居室の後ろの小窓の前に立っていた暗い色のレンズの眼鏡をかけたヤクザ風の留置官が「座れぇ!!」と大声で怒鳴ってくる。
僕はまぬけ面で「はい?」と言ってみると、ヤクザ風の留置官は「座れ!座って返事しろ!」と大声で指図してくるので、僕は仕方なしに上体を起こし、「はーい」と間の抜けた返事をする。
しかし留置官からのリアクションはなく、3秒ほど無音の空間になる。僕は少し戸惑った感じで「はい…」と言い直すと、留置官は「以上1名!」「「「「おはようございます!」」」」と大声を出し、次の居室へ移っていく。僕は彼らを人間らしくふるまっているNPCだと思う。
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7時30分になり、“運動”の時間になる。この運動の時間とは、留置場の敷地内にある屋根のない狭い場所に出られるというだけの時間である。また運動場では、貸し出しの爪切りや電動ひげ剃りを借りることもできる。
僕はなんとなく日差しを浴びたかったので、運動場で伸びをしていると、隣の居室にいる若いベトナム人が「何で捕まりましたか?」と急に話しかけてきた。僕は「ああ。大麻持ってたのが見つかったんだよね」と応えると、ベトナム人は「ハハ。日本人はだいたいドラッグです。若い人は大麻ですね」と言う。
僕は「そうなんだ。よく知ってるね。ここに来て結構経つの?」と聞くと、ベトナム人は「6ヶ月います」と言うので、僕は驚いて「何をしたらそんなに拘留されるの?」と聞くと、ベトナム人は「ビザが切れて不法滞在で捕まりましたが、コロナのせいで入管は人がいっぱいですから、入管が空くまでここで待機させられています」と言う。
僕は「へえ。それは不憫だなあ。辛くない?」と聞くと、ベトナム人は「もう辛くないです。ここに来て日本語が少し上手くなりました」と言う。話を聞くと、ベトナム人はこれを機に、留置場内で積極的に日本人と喋り、日本語を上達させようとしていたらしい。立派だ。
また、運動の時間が終わる寸前に、左隣の居室にいるギョロ目のじじいとも少しだけ会話をした。ギョロ目のじじいは、僕とベトナム人の会話を聞いていたようで、「おう、5番は大麻か。おれは覚醒剤だよ。よろしく」と言いながら、僕と握手をして去って行った。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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takahashicleaning · 6 months
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TEDにて
マイケル・ノートン: 幸せを手に入れる方法について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TEDxケンブリッジにおいて、宝くじを代表例にして、膨大なお金は、人生を壊滅的な状態にし、人間関係を歪めてしまう一方で、実は、幸せは、お金で買うことができるという興味深い研究についてマイケルノートンが話します。
その方法とは・・・
自分以外のために、お金を「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外に積極的に使うことなのです。(古来から伝わっている呼び方で奉仕とも言います)
日本では、仏教にて「無財の七施」という呼び方もあります。この傾向は、どうやら、日本だけでなく、世界的に普遍的なことのようです。
全額ではなく、一部で十分可能だそうです。
様々な社会的なお金の使い方が、あなたや、あなたの仕事、そして(もちろん)他の人に恩恵をもたらすという驚きのデータをお聞き下さい。
実際に、当選者はお金を手にすることで、非社交的になっていきました。膨大なお金は人生を滅ぼし、友人関係を壊すだけではなく、人を非常に利己的な性格に変えてしまい
私たちは、自分のためにしか、行動しなくなります。膨大なお金で私たちが幸せを得られないのは、いつも自分のために!というお金の使い方が間違っているからかもしれません。
そこで、人々が、もう少し、他の人のためにお金を使うようになったら、どうなるのか?と考えてみました。
つまり、人付き合いを避けるのではなく、人付き合いを積極的に行なったらどうなるか?
実際にそれを確認する実験を行いました。
何人かの人にいつも通り、自分のためにお金を使ってもらい、他の何人かの人には、自分以外のためにお金を使ってもらいました。そして、実際に、幸せになるかどうか?を測定してみました。
お金で、私たちが、幸せを得られないのは、いつも、自分のためにというお金の使い方が間違っているからかもしれません。
そこで、人々が、もう少し、「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外、他の人のだれかのためにお金を使うようになったら
どうなるのかと考えてみました(「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外の小さいお店のサービスを購入することとも表現できます)つまり、人付き合いを避けるのではなく、人付き合いを積極的に行なったらどうなるか?
実際に、それを確認する実験を行いました。何人かの人にいつも通り自分のためにお金を使ってもらい、他の何人かの人には、自分以外のために、お金を使ってもらいました。
そして、実際に、幸せになるかどうかを測定してみました。その結果、実際、いくら使ったかは、関係ありませんでした。
本当に肝心なのは、自分のためにではなく、だれかのために使ったという事実です。
さらに、多国間のケースでお金と幸福の関係を見ることができます。
もう少し、他の人のためにお金を使うことで幸福度が高くなることもわかりました。改めて考えてみてください。
「自分のためにどう使おうか」ではなく!!がポイントです。
日本では、1月1日を過ぎると気持ちがリセットされる傾向が強いため、最低でも年1回。実行してみてください。
変化がなければ、凝り固まっている心をほぐすため、回数を増やしてみると良いかもしれません。
「5ドルとか15ドルのお金で「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外でだれかのために何ができるか」と!
最終的には、使った以上に得られるものがあるはずです。
税金の概念は本来、国民側からの強い要望で弱者からではなく巨大な資本家から強制分配させるために創設された!
税金の概念は本来、国民側からの強い要望で弱者からではなく巨大な資本家から強制分配させるために創設された!
税金の概念は本来、国民側からの強い要望で弱者からではなく巨大な資本家から強制分配させるために創設された!
それを政治家は私腹を肥やし中抜きして分配の流れを議員自身に��きくしてしまったから・・・
弱者に負担がさらに増幅する。庶民は選挙で投票して、みんなで団結し分配の流れを変えること。
なお、日本の全テレビ局は超裕福層に入ります。すでに、出演料も高額な出演者、放送関係者も含めて全員、権力者です。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
複雑性の研究からも、個人の才覚に関係なく貧富の差は生じる。
超裕福層に集中するとマネーに渋滞が生じるため、税金をかけることと現象が似ている。
こうすると平等性が増すと結果も出ている。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
課税は、ネットワークに何本かのリンクを人工的に加えることと同義ということも、複雑性の研究からデータで明らかになっています。
日本は、消費税の運用など。課税は、強制的な交換の一形態。この知見は、MMT(現代貨幣理論)にも導入されてる。
複雑性の研究から産まれた従来とは異なる新しいマクロ経済学です。テーラワーダ仏教概念にもある欲を中和するツールとも言えます。
幸田露伴?分福?
人工的な課税をしないと、この歪みがエネルギーとして形態が相転移するので、超裕福層一族たちの幸福感が変質して心の歪みに転換していく。
人間が、一日に扱える時空間は、限定的に対して、お金はマルチバースでエネルギーが交換されるので、人間の一日で扱える許容量を超えてしまう。
ナポレオンヒル?エンスージアズム?そこには引き返せない一線というか?境界線があって、耐えられれば良いが、知らない方が幸せな場合も多々あります。
日本には古来から同様の概念があり、成金や悪徳商人とも言われる場合もある。
600万円以下に貨幣の再分配、事前分配することで社会システムの安定が強化される。
ダニエルカーネマン。詳しくは、論文を見ていただいて、日本の実情を深く考えた年収として記載しています。
直訳を指摘しても、未来を描けない人々なので、みんなは心の中で、あぁ残念な人なんだと軽蔑して下さい。
メリトクラシー至上主義、競争主義社会システム新自由主義を古代中国から、たとえて簡単に言うと乱世。
意図して均衡させて、奸雄は排除していくことが鉄則。カントの永遠平和を実現が重要に。
つまり、IT産業長者は、乱世の奸雄。テロ抑止にもなる現代では、競争時代の奸雄を排除することと同様の概念になります。
<おすすめサイト>
エリザベス・ダン:人を助けることで幸せになれる!でもそのやり方が重要
ヘレン・ピアソン:人間の成長・発達に関する最も長期に渡る研究から得た教訓
ニコラ・スタージョン:行政府が低収入者へのウェルビーイング(幸福度)を最優先するべき理由
デアンドレア・サルバドール: 低所得世帯の光熱費負担を低減するために
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
この世のシステム一覧イメージ図2012
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ダン・アリエリー:人はどれだけ平等な世界を求めているのか?―驚きの実態
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎(所得政策も)
日本経済と世界経済(KindleBook)現代貨幣理論(MMT)の欠点も克服しています!- 東京都北区神谷高橋クリーニング
トマ・ピケティ:21世紀の資本論についての新たな考察
クリスティア・フリーランド: 新しいグローバル超富裕層
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
<提供>
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itokawa-noe · 5 months
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パレスチナ料理を食べてきました(中編):高橋美香さんのスライドトーク
 ★追記:申し訳ありません。tumblerのアカウントを持っていないと記事が途中までしか読めないようなので、noteに記事を移植しました。こちらからお読みいただけますと助かります…
この記事は「パレスチナ料理を食べてきました(前編):申し込みから入店まで」のつづきです。
「パレスチナ料理を食べてきました(後編):いただきます!」へとつづきます。
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●スライドトーク
 美香さんはご自身で撮られた写真をスライドに映しながら、ヨルダン川西岸地区の、ヘブロン、ビリン、ジェニン難民キャンプという三つの地域についてお話をしてくださいました。以下の文章は、伺った内容の一部を私の視点でまとめたものです。
・記憶や理解の不足を補うために、ネット上の記事や美香さんの著書『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)を参照しました。当日のお話とは若干の差異があることをご了承ください。
・写真を共有しなければ伝わりにくい話や美香さんご自身の言葉で聞いていただきたいエピソードは除きました。後日アーカイブが公開されるそうなので、そちらをぜひ観てください!!!
 よろしくお願いいたします。
 
【はじめに】
 「今起きていることは10月7日に唐突にはじまったことではない」というお話から、トークは始まりました。私の記憶を文字に起こすかわりに、同じ内容について美香さんご自身が書かれた文章を引用します。
"パレスチナの状況がきちんと日本に伝えられることは少なく、空爆や「テロ」のときだけ一時的に注目されてその部分だけを切り取られて、まるで「突然起きたものごと」のように報じられるということが少なくありません。根本的な問題である占領・封鎖・入植・人権侵害といった「問題」を押しつけられたまま、公正な解決もなされず、そのなかでひとびとのいとなみが続いていること、ましてや、そのいとなみがどんなものであるのかということが報じられることは少ないように思います。" (高橋美香『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)p43より)
「『パレスチナ』と言われて、みなさんがイメージする地図はどれですか?」
 問いかけとともに映しだされたのは、4つの地図でした。
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(当日使用された画像と同じ内容を示す図をhttps://altertrade.jp/archives/11771 から転載しました)
 緑色の部分がパレスチナの領土です。イスラエルによる侵攻が進むにつれて面積が減り、現在はすっかり狭くなった土地が、さらに虫食い状態になっています。
“虫食いの主な原因が入植地と分離壁の建設です。入植地は国際法では違法とされているにもかかわらず、今や西岸地区では200の入植地に70万人のイスラエル人が住むまでに拡大しています。” (https://altertrade.jp/archives/11771 より)
 この分離壁によって分断された街のひとつが、ヘブロンでした。
・分離壁:「パレスチナ人テロリストの侵入を防ぐ」という名目でイスラエルが建設した高い壁。多くの場所で、境界線を越えてパレスチナに入りこみ、その土地を奪っている。
・入植地:イスラエルが占領地に建設する国際法違反のユダヤ人のための住宅など。
(高橋美香『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)p6より)
【へブロン】
 ヘブロンという地名には聞き覚えがありました。今回のランチトリップの前日に参加した「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」主催のデモで、ヘブロン出身の方のスピーチを聞いていたのです。
「子どもの頃の自分は、人が大人になる前に死ぬのを当たり前のことだと思っていた。パレスチナから出て初めて、外の世界ではそうでないことを知った。ガザの子どもたちは今も、人が大人になる前に死ぬのが当たり前なんかじゃないことを、知らずにいる」
 この言葉が頭から消えず、帰りの電車でヘブロンについての記事を読みました。その土地で暮らす人たちが入植者によって自由と尊厳と命が奪われつづけてきたことを知りました。
 ですが、美香さんの写真と言葉を通じて知る占領と入植の実態は、私の漠然とした想像を遥かに超えるものでした。
 上述の記事にも出てきたシュハダ通りの写真を、美香さんは見せてくださいました。栄えていたというかつての面影はどこにもなく、今はゴーストタウンと化しているとのこと。通りに面した店は軒並み閉店に追いやられ、もともと一階建てだった建物の上に建て増しする形で作られた二階に、入植者が住みつきました。一階と二階のあいだには、二階から投げ捨てられるゴミへの対策として金網が張り巡らされています。
↓は参考画像です。美香さんが見せてくださったのと似た状況を撮った写真を(https://x.com/O_toshihiro/status/1719027240498085921?s=20)からお借りしました。
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 屋上に設置された生活用水を溜めるための貯水タンクを銃撃して穴を開ける、台所に火炎瓶を投げ込むなどといった入植者による暴力の例が、写真とともに次から次へと挙げられました。こうした命に関わる“嫌がらせ”がひっきりなしに行われている。それがヘブロンの日常なのだそうです。
【ビリン村】
 ビリン村と、後述するジェニン難民キャンプは、美香さんが長期にわたって取材されている土地です。ビリンではアブーラハマ家、ジェニンではアワード家の一員として生活をともにしながら、日々の暮らしを撮りつづけてきました。
 ビリン村のアブーラハマ一家は、農業やヤギの放牧、養蜂などを生業としています。土地に根づいた暮らしはしかし、入植者によって破壊されました。一家の畑がトラックで踏み荒らされるのを、イスラエルの兵士は止めなかったどころか守るようにエスコートしていたそうです。
 村の土地を断ち切る形で鉄条網の分離壁がはりめぐらされ、その向こう、壁を通して見える目と鼻の先に、入植地が作られました。
 週に一度、毎週金曜日に、この分離壁に反対するデモが行われるようになりました。壁の前に立って声を上げる住民に向かって、銃弾、催涙弾、家畜の排泄部と化学薬品を混ぜた汚水が飛んでくる。デモの参加者は昼のあいだに記録され、夜中に兵士が家に押し入ってきて連行されたり、逮捕には及ばずとも嫌がらせを受けたりするそうです。催涙弾のガスを吸いすぎて亡くなった方の話や、本人はなんの暴力もふるっていないにも関わらず「言動が周囲の暴力を誘発する」として17ヶ月のあいだ収監された方の話など、耳を疑うような話がつづきました。
 かつて鉄条網だった分離壁は、今ではコンクリートの巨大な壁になっています。命を賭けてデモをしたところで堅固な壁は壊せないという諦念から、デモの参加者はめっきり少なくなったそうです。
 そんななか、今も毎週デモに参加している人の一人がイランさんです。イランさんはイスラエル人。マイクとスピーカーを持ってやってきて、デモを妨害する兵士たちに向かってヘブライ語で「これが国を守るということか?」と呼びかけるのだそうです。
 「少数ではあるけれど、そういう人もいます」美香さんは仰いました。「イスラエル対パレスチナという構図では、とらえきれないものがあります」とも。
 ビリン村の話のなかで特に心に残ったのは、アブーラハマ家の息子ハムディさんの言葉です。
「よそからここを訪ねてくる人たちはみんな、金曜日のデモだけ見て帰ってゆく。ミカは日常の暮らしを撮れ。そうでないと、なぜみんなが命がけでデモをやるのかわからないだろう」
 そうした日常の話もここに書けたらよかったのですが、美香さんが親しい家族や友人のこととして話してくださったものを私が文字にすると、大切なものが薄まってただの情報になってしまいます。ですのでそちらはぜひ、アーカイブや美香さんのご著書でふれてみてください。ビリン村での日々については『パレスチナ そこにある日常』(未来社)に書かれているそうです。
(できることなら、この文章を読んでくださっているあなたの脳内のスクリーンに美香さんの写真を投影したいです。人物を撮ったものは特に、撮られる側のみなさんが自然なやわらかいお顔をされているものが多くて、すごくよいんですよ。たとえば、ハムディさんがお母さんを抱きしめてキスするところを撮った一枚。ハムディさんとお母さんのあいだの、それから撮られるおふたりと撮る美香さんのあいだの、おたがいを大切に思う気持ちが伝わってきて、大好きです。本の表紙になっているので、よかったらこれだけでも見てください)
 入植者のトラックによって土地を踏み荒らされたアブーラハマ一家ですが、その後長い時間をかけて畑を作り直し、家畜小屋を建て、客人にコーヒーをふるまうためのしつらえを整えたとのこと。生い茂る緑にかこまれて飲むコーヒーは、とてもおいしそうでした。
 あの畑は今、どうなっているのだろうか。そろそろ見にゆかなければ。ビリン村の話を、美香さんはそんな言葉で結ばれました。
【ジェニン難民キャンプ】
 ジェニン難民キャンプは、イスラエル建国によって追放された76万人のパレスチナ人の住居のひとつとして、1953年に作られました。当初は布製のテントだった「仮住まい」は、時とともにコンクリートの建物へと姿を変え、現在はひとつの街のようになっています。
 この地域はシオニストのあいだで「テロリストの温床」と目され攻撃に晒されつづけてきました。わけても2002年の第2次インティファーダの際には、イスラエル軍の侵攻によって多くの人が殺されました。こちらの写真は、そのとき破壊された建物の瓦礫や自動車の残骸を集めて作られた、馬のモニュメントです。
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(画像は https://note.com/yuki_phototabi/n/n1e4d6e2f0f91 からお借りしました)
 馬はキャンプの入り口に立って当時の記憶を伝えていましたが、去る10月末、イスラエル軍によって運び去られました。
 ここジェニンで、美香さんはアワード家の人たちと生活をともにしました。狭い家にみんなで雑魚寝、朝は毎日「だれか、朝食のパンを買うための1シェケルコインを持ってない? ポケットのなかとか布団の下とかに?」とごそごそ探しまわるところからはじまる、そんな一家ですが、美香さんが出そうとする自分のぶんの生活費は決して受け取ろうとしなかったそうです。
 こちらのアワード家とその周辺の人たちにまつわるエピソードを、美香さんはごくごく近しい大切な人たちのこととして、生き生きと語ってくださいました。なかでも忘れ難いのが、アワード家の次男のムハンマドさんと、その親友マジドさんの話です。
 幼馴染のふたりは、大人になってからもトロピカーナというレストランでともに働いていました。仕事が終わったあとはいったん各々の家に帰るのですが、シャワーを浴びて着替えてからまた落ちあい、つれだって遊びに出かけるのが日課だったそうです。「ほんとうにね、朝から晩までずっと一緒で。ムハンマドとマジドは兄弟よりも仲がいいんですよ」ちょっぴり飽きれるような、とびきり眩しいものをみるような、そんな表情で美香さんは話してくださいました。
 現在、ムハンマドさんはトロピカーナとは別の店で働いています。マジドさんとの思い出があちこちに残った職場に勤め続けるのが辛くて、仕事を変えなければならなかったためです。
 マジドさんは、キャンプに侵入してきたイスラエル兵に射殺されました。ただその場に居あわせたがために、銃撃に巻きこまれて亡くなったのです。
 マジドさんだけではありません。別の幼馴染のハムザさんも、「キャンプを占領者から守るために」と戦闘員になり、殺されました。マジドさんやハムザさんのような直接的な形ではないものの、一家のお父さんのイマードさんもまた、第二次インティファーダの際にイスラエル軍から受けた尋問と暴行に心と身体を蝕まれ、数年の後に亡くなっています。大切なものを守るために戦闘員になった若者たちは「テロリスト」の烙印を押され、その捜索過程で身内が殺されることも珍しくないそうです。(戦闘員の親戚の家にミサイルが撃ち込まれて破壊された様子を、スライドで見ました)
「ジェニン難民キャンプにも日常はあります。でもその日常のなかで、一人、二人、三人、ぽつんぽつんと死んでゆく。殺されてゆくんです」
 静かに語る美香さんを前に思い出したのは、前日のデモで聞いたスピーチでした。
「子どもの頃の自分は、人が大人になる前に死ぬのを当たり前のことだと思っていた。パレスチナから出て初めて、外の世界ではそうでないことを知った。ガザの子どもたちは今も、人が大人になる前に死ぬのが当たり前なんかじゃないことを、知らずにいる」
 自分がこの言葉の意味を抽象的にしかとらえられていなかったことを、突きつけられました。
 長男のカマールさんが「武装組織の戦闘員となった友達を支援した」という罪で逮捕された際の、アワード家の話です。本人の身の安否は言うまでもなく、カマールさんのまだ幼い子どもたちが家に残されたという意味でも、一家の大事な稼ぎ手を失ったという意味でも、事態は二重三重に深刻です。ところが、お母さんのマハさんが美香さんに向かって嘆いたのは、ニワトリの餌代のこと。「もう、どうすればいいのよ! カマールが『自分が餌代を稼ぐから』って言うから飼いはじめたのに」
 生活だ、と思いました。家族が逮捕されようと続いてゆく生活がここにある。マハさんたちのように、暴力に晒されながらも日常を続けている人たちがいる。糧を得るために働き、死んでゆく命があれば生まれてくる命もあり、瓦礫をどかした裏庭に植えたオリーブやレモンの苗木は子どもたちの背丈とともに伸びてゆく。そうした一日一日のつみかさねが、銃撃で、空爆で、断ち切られる。ジェニンではそれが当たり前のことになっている。
 今一度、はじめに引いた美香さんの言葉を、その続きを加えて引用します。
"パレスチナの状況がきちんと日本に伝えられることは少なく、空爆や「テロ」のときだけ一時的に注目されてその部分だけを切り取られて、まるで「突然起きたものごと」のように報じられるということが少なくありません。根本的な問題である占領・封鎖・入植・人権侵害といった「問題」を押しつけられたまま、公正な解決もなされず、そのなかでひとびとのいとなみが続いていること、ましてや、そのいとなみがどんなものであるのかということが報じられることは少ないように思います。空爆の犠牲者も、「テロリスト」と一方的に断罪されるひとびとも、ただの数ではなく、名前も顔もない「テロリスト」でもなく、わたしたちと同じ時代に生きた個性あるひとびとなのだということを忘れたくありません。" (高橋美香『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)p43より)
「10月7日以降、西岸でも260人ほどの人が殺されています。しかしそれは、ほとんどニュースになりません」
 ヘブロン、ビリン、ジェニン。三つの地域を、そこに暮らす人たちの営みを、美香さんのガイドを通じて知った今、この事実が今まで以上に重く胸にのしかかります。
 ここには書きませんでしたが、美香さんが子どもたちと自由劇場で人形劇を観たときのお話も、そこに至るまでの経緯もふくめ、聞けてよかったです。アーカイブで、たくさんの方に聞いてほしいです。
▶︎「パレスチナ料理を食べてきました(後編):いただきます!」へつづく
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xf-2 · 6 months
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宿泊施設の従業員に対する過度なクレームや要求をする「迷惑客」について、施設側が拒否する際の要件を明確化した改正旅館業法が年内に施行される。カスタマーハラスメント(カスハラ)が深刻化する中、国も本格的な対策に乗り出した。「主客対等」に向けた一歩として業者側は歓迎するが、どこまで実効性があるかは未知数だ。
6月に成立した改正旅館業法は、カスハラなどを繰り返す迷惑客を拒否できるケースが明示される見通しだ。施行を控え、10月10日に開かれた厚生労働省の検討会で、迷惑客の事例を示した指針案が取りまとめられた。
指針案では、従業員らに過度な負担を強いて、他の宿泊者へのサービス提供を阻害する恐れがある要求を繰り返す場合を「特定要求行為」と規定。具体的には、部屋の不当なアップグレード要求▽契約にない送迎や従業員に土下座で謝罪を要求-などとしている。
「事例の明示で法的な根拠ができ、トラブルになった際、宿泊を拒否できるのはありがたい」。山形県米沢市の旅館・西屋(にしや)のおかみ、遠藤央子(ひさこ)さん(44)は要件の明確化を歓迎する。
築100年超のかやぶき屋根の建物が魅力の同館。全国から宿泊客が訪れるが、これまで無理な要求に悩まされたケースは少なくない。
昨年、全館禁煙にもかかわらず、喫煙した客がいたため、消臭作業で数日使用できなかった苦悩を交流サイト(SNS)上で吐露。これに対し、喫煙した客がサイトの口コミで低評価を付けるなど〝逆切れ〟されたという。
また、別の客に非常識な時間の送迎を拒否すると「弁護士などの知り合いがいる。(断られたと)SNSで晒(さら)す」と言われたケースもあった。
それだけに、事例の明示は一定の抑止力になるとの期待感はある。ただ「実際のカスハラはもっと陰湿。従業員の尊厳や宿の名誉をえぐる精神的なものが多く、どこまで効力を発揮するのか」とも打ち明ける。
同館はカスハラに伴うトラブルを踏まえ、「自衛策」として改正法成立前の今年4月、宿泊約款を大幅改定。弁護士の助言も受けて、宿泊拒否や契約解除ができるケースを示し、チェックイン時に丁寧に説明している。
遠藤さんは「カスハラは人と人とのやりとりの中で生じる行き違いや軋轢(あつれき)が原因。それを防ぐためにも、施設側が利用者にしないでほしいことを明示する必要がある」と強調する。
ただ、「施設VS客」という構図を作り出したいわけではないといい、あくまで宿泊拒否は最終手段ととらえている。「施設側としてきちんとルールを明確化して態度を示すことで、結果的に利用客も施設も守ることにつながる」と話した。
カスハラ、宿泊業以外も深刻
客から一方的に向けられる悪意で心身に不調をきたすなど、宿泊業に限らずカスタマーハラスメント被害は深刻化している。改正旅館業法施行を契機として、あらゆる業種でのカスハラ抑止が期待されている。
日本労働組合総連合会(連合)が昨年11月、建設や製造、サービス業など計13業種に従事する、全国の18~65歳の労働者で、直近3年間に自身や同僚にカスハラ経験のある千人を対象にアンケートを実施。このうち675人が「自身がカスハラを受けた」と回答した。
内容別では全業種で「暴言」(55・3%)が最多で「説教など」(46・7%)と続く。業種別では、宿泊・飯食業で「勤務先への不当な苦情、投稿」が3割を占めた。カスハラによって心身に不調をきたしたり、出勤が憂鬱になったりする人は6割超にも上った。
カスハラのきっかけは、「勘違いなど」(47・4%)や「商品、サービス提供への不満」(40・4%)。客側として要望が通らなかったり、親切にしてもらえなかったりした経験が不満となり、カスハラに発展するとみられる。
ホテル・旅館業界の法律問題に詳しい佐山洸二郎弁護士(神奈川県弁護士会)によると、旅館業法は「原則、宿泊拒否は禁止」だが、例外は認められていた。ただ、その「例外」が不明確だったという。
これに対し、今回の改正は「そのような現状を改善する目的で、拒否できるケースを可能な限り明確にしようとしている」と評価。その上で「宿泊業者にとっては判断に迷う場面が減り、安心感につながるのではないか」としている。
(小川恵理子)
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ono-masahiro · 6 months
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小野 正裕|新しい経済秩序
世界の経済成長は低迷していますが、グローバル化について私たちは間違った認識をしているのでしょうか?
2018年、世界のビジネスと政治のリーダーが年次経済フォーラムのためにダボスに集まったとき、雰囲気は歓喜に満ちていました。 すべての主要国で経済成長が高まっています。 当時国際通貨基金の専務理事だったクリスティーヌ・ラガルド氏は、世界経済は「素晴らしい状態にある」と宣言した。 しかし、5 年後、見通しは明らかに悪化しました。 世界銀行は、最近の分析で、「過去30年間に進歩と繁栄を推進した経済力のほぼすべてが後退している」と警告し、「その結果は、一部の国だけでなく、『失われた10年』となる可能性がある」としている。過去には成行が有ったが現在は、世界中が巻き込まれている。」 当時から現在までの間に、世界的なパンデミック、ヨーロッパでの戦争、米国と中国の間の緊張の高まりなど、多くのことが起こりました。 そして、レコードコレクションのように保管されていたと思われていたインフレが、復讐を遂げて戻ってきました。 しかし、事態が収束すると、突然、世界経済について私たちが知っていることはすべて間違っていたように思えてきました。 30年以上前のベルリンの壁崩壊以来、政策立案者らが頼りにしてきた経済協定、つまり開かれた市場、自由貿易、効率の最大化という時代を超越した美徳は、軌道から外れつつあるようだ。 コロナウイルスのパンデミックが続く中、世界経済の統合とコスト削減の継続的な取り組みにより、医療従事者にはマスクや医療用手袋がなくなり、自動車メーカーには半導体がなくなり、製材工場には木材がなくなり、スニーカーの購入者にはナイキがなくなった。 昨年ウクライナに侵攻したロシア軍兵士も、貿易と経済的利益の共有が軍事紛争を防ぐことができるという考えを打ち砕いた。 異常気象により農作物が壊滅し、人々が移住を余儀なくされ、発電所が停止するケースが増えており、市場の見えざる手が地球を守っていないことが示されています。 ウクライナ戦争が2年目に入った現在、各国の経済成長は低迷し、インフレが続くなど、新興国の競争分野に関わる問題がクローズアップされている。 ここ数十年、グローバリゼーションは重力のように止められない力であると見なされてきましたが、明らかに予測不可能な形で発展しています。 統合された世界経済からの脱却が加速している。 どのような対応が最善かは、白熱した議論の対象となっています。 もちろん、支配的な経済的コンセンサスに対する挑戦は長い間醸成されてきました。 オバマ政権の経済諮問委員会のメンバーであるベッツィ・スティーブンソン氏は、「パンデミックが始まる前に、最も裕福な国々が国際貿易に不満を抱いており、それが正しいか間違っているかにかかわらず、貿易が何らかの形で自国の雇用に悪影響を及ぼしていると信じていたのを我々は見ていた」と語った。2008 年の金融危機は世界の金融システムをほぼ破壊しました。 英国は2016年にEUを離脱した。 トランプ大統領は2017年に中国に関税を課し、ミニ貿易戦争を引き起こした。 しかし、コロナウイルスに始まり、一連の報復危機により、注意が必要な脆弱性が露呈しました。 コンサルティング会社アーンスト・アンド・ヤングが「Geostrategic Outlook 2023」で結論付けているように、かつて増大していたグローバリゼーションからの脱却の背後にある傾向は「新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって加速し、その後、ウクライナ戦争によってさらに悪化した」。 これが「歴史の終わり」だ。 今日の不安は、1991 年 12 月のソ連崩壊後の頭のくらむような勝利感とはまったく対照的です。 この時期、ある理論家は、共産主義の崩壊は「歴史の終わり」を示した、つまり自由民主主義の思想は敵対者を打ち負かしただけでなく、「人類のイデオロギー進化の終わり」を表していると主張することができた。 世界的な自由市場資本主義の必然的な台頭に関する関連する経済理論は、あたかも無敵で避けられないものであるかのように、同様の輝きを帯びています。 開かれた市場、政府の介入、そして効率性の絶え間ない追求が、繁栄への最善の道を提供します。 世界中を行き来する物品、お金、情報の新しい世界は、冷戦紛争と非民主主義体制の古い秩序をほぼ一掃すると考えられていました。 楽観的な理由はあります。 1990 年代には、雇用、賃金、生産性がすべて上昇している一方で、インフレ率は低かった。 世界貿易はほぼ2倍になりました。 発展途上国への投資が急増した。 株式市場は上昇します。 世界貿易機関は、これらの規則を施行するために 1995 年に設立されました。 6 年後、中国の参入は変革的なものとみなされています。 142カ国とつながる巨大市場は、必然的にアジアを民主主義へと導くだろう。 中国は韓国やマレーシアなどの国に加わり、苦境に立たされている農民を生産性の高い都市部の工場労働者に変えている。 同社が世界中で販売する家具、おもちゃ、電子機器は驚異的な成長を遂げています。 この愛されている経済ロードマップは、驚異的な富みを生み出し、何億人もの人々を貧困から救い出し、驚くべきテクノロジーの進歩を促進してきました。 しかし、衝撃的な失敗もありました。 グローバリゼーションは気候変動を加速させ不平等を深めています。 米国や他の先進国では、多くの工業雇用が賃金の低い国に輸出され、人々は中流階級への踏み台を失っている。 政策立案者は常に勝者と敗者が存在することを知っています。 それでも彼らは、労働力、技術、資本の配分方法を市場に任せ、効率性と成長は自動的についてくると信じており、そのとき初めて政治家が介入して利益を再分配したり、職を失った人々や希望に満ちた人々を助けたりすべきだと主張している。 企業は、労働者の保護、環境への影響、民主的権利を無視して、世界中で低賃金労働者を探し始めました。 彼らは、メキシコ、ベトナム、中国などの場所で多くを発見しました。 テレビ、T シャツ、タコスはかつてないほど安くなりましたが、医療、住宅、高等教育などの多くの必需品にはますます手が届かなくなりつつあります。 雇用流出は国内賃金を低下させ、労働者の交渉力を弱め、反移民感情を煽り、米国のドナルド・トランプ氏、ハンガリーのビクトール・オルバン氏、フランス指導部のマリーヌ・ルペン氏などの極右ポピュリズムを強化しました。 米国、英国、いくつかの欧州諸国などの先進工業国では、政治指導者が報酬と負担をより広範に再配分できないか、あるいは再配分する気がなのか。 また、環境への悪影響を防ぐ能力もありません。 世界中で物品を輸送すると、温室効果ガスの排出量が増加します。 世界中の消費者向けに生産することで天然資源に負担がかかり、東南アジアでの乱獲やブラジルでの不法森林伐採が加速しています。 安価な生産施設は適切な環境基準のない国を汚染します。 市場それ自体では、利益を自動的に公平に分配することも、開発を刺激したり、発展途上国の民主的制度を確立したりすることもできないことが証明されています。 国家安全保障担当補佐官ジェイク・サリバン氏は最近の講演で、米国の経済政策の核心的な誤謬は「競合他社が何をしようと、我々が共有する課題の大きさに関係なく、どれだけガードレールを取り壊したとしても、我々は安全保障を守ることができる」という思い込みであると述べました。市場はいつでも資本を効率的に割り当てることができます。」 国家間の経済交流の急増も、約束された民主主義の復活をもたらすことはできなかった。 共産党指導下の中国が世界経済システムの最大の受益者であり、おそらくこのシ���テムの達人でもあることが判明したが、中国は民主主義的価値観を受け入れていない。 「資本主義の道具は社会主義者の手にある」と中国の指導者鄧小平は1992年に述べました。 当時、中国は世界の工場として発展しつつありました。 中国の驚異的な成長により、中国は世界第 2 位の経済大国となり、世界成長の主要な原動力となっています。 しかし、北京は常に、原材料、土地、資本、エネルギー、信用、労働、そして国民の行動や言論に対して厳しい管理を維持してきた。
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グローバリゼーションは、ブラジルのアマゾン州ロライマ州での森林破壊を含め、環境に大きな影響を与えています。 VICTOR MORIYAMA FOR THE NEW YORK TIMES
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パンデミックにより援助ニーズが大幅に増加した2020年、ヨハネスブルグで食料を配布。 JOAO SILVA/THE NEW YORK TIMES お金がやって来て、貧しい国がその代償を払うのです。 発展途上国では悲惨な結果になる可能性があります。 パンデミックによる経済の壊滅は、ウクライナ戦争による食料や燃料価格の高騰と相まって、一連の債務危機を引き起こした。 金利の上昇はこれらの危機をさらに悪化させます。 エネルギーや食品と同様、債務は通常、世界市場ではドル建てで取引されるため、米国の金利が上昇すると債務返済のコストが上昇します。 しかし、融資と救済のサイクルにはより深い根がある。 貧しい国々は資本の出入りに対する制限を完全に解除することを余儀なくされた。 その理論的根拠は、お金は商品と同様に国家間で自由に流通すべきであるということです。 政府、企業、個人が外国の金融業者から借りられるようにすることで、産業発展や重要なインフラに資金を提供することになる。 マサチューセッツ大学アマースト校の経済学者ジャヤティ・ゴーシュ氏は、「金融のグローバル化は発展途上国を力強い成長と財政の安定の時代に導くはずだった」と述べた。 しかし「結果は全く逆だった」。 一部の融資は、民間金融機関からのものであれ、世界銀行などの機関からのものであれ、債務を返済するのに十分な収益を生み出せません。 投機的なプロジェクト、中途半端な提案、表面的なプロジェクト、あるいは汚職官僚の銀行口座に流されたものもあった。 債務国は依然として金利によって動かされており、金利の上昇により借金の返済額が即座に増加する可能性があります。 長年にわたる無謀な融資、資産バブル、為替変動、当局の失政により、アジア、ロシア、ラテンアメリカなどで好不況のサイクルが引き起こされてきた。 スリランカでは、港からクリケット競技場まで政府が打ち出した贅沢なプロジェクトにより昨年国が破産に陥り、国民は食料を争う一方、中央銀行はイラン産石油の代金としてお茶を物々交換した。 それは「ねずみ講」だったとゴーシュ氏は語った。 債務国が返済できなくなることを懸念した民間金融業者は突然資金の流れを遮断し、債務国を窮地に陥れた。 国際通貨基金(IMF)による救済には強制的な緊縮政策が伴い、過度に財政拡大した政府はしばしば公的扶助、年金、教育、医療の削減を通じて歳出削減を余儀なくされ、多くの人々が苦しむことになった。 IMFのエコノミストですら2016年、こうした政策は成長をもたらすどころか「不平等を悪化させ、それによって持続的な発展を危険にさらしている」と認めた。 西側の融資手法に対する不満から、中国はアルゼンチン、モンゴル、エジプト、スリナムなどの国に多額の融資を行う機会が与えられた。
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ブエノスアイレスの市場。 中国はアルゼンチンなどの国に積極的に融資を行っている。SARAH PABST FOR THE NEW YORK TIMES 自給自足が安価な輸入品に取って代わる。 ソ連の崩壊は正統な自由市場主導の経済への道を切り開いたが、ロシア連邦のウクライナ侵略は今やこの道を決定的に開始した。 ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題大学院のヘンリー・ファレル教授は、今日の国際経済は「地政学がどのようにハイパーグローバル化を飲み込んだか」に要約できると述べた。 旧世界型の大国の政治は、世界の経済秩序についての思い込みをひっくり返しますが、壊滅的な気候変動、暴力的な社会不安、不平等の拡大によってもたらされる脅威はそれを実現できませんでした。 欧州連合(EU)のジョゼップ・ボレル外交安全保障政策責任者は、ウクライナ侵攻から10カ月後の演説で、「われわれは繁栄の源泉と安全保障の源泉を切り離した」と率直に述べ、欧州はロシアから安価なエネルギーを入手し、中国からは安価な工業製品を入手していると語った。 。 「あの世界はもう存在しない」と彼は言った。 パンデミックとその後の回復によって引き起こされたサプライチェーンのボトルネックは、世界の調達経済の脆弱性を浮き彫りにしました。 戦争によって引き起こされた政治的緊張が高まるにつれ、政策立案者は急速に成長と効率の目標に自給自足と強さを加えました。 ジャネット・L・イエレン財務長官は昨春、「我が国のサプライチェーンは安全でも回復力でもない」と述べた。 同氏は、たとえそれが「コスト水準が若干高く、システムの効率が若干劣る」ことを意味するとしても、貿易関係は「信頼できるパートナー」を中心に構築されるべきだと述べた。 「市場は権力ではなく効率がすべてだと考えるのは世間知らずだ」と、ファレル氏と共著で『地下帝国:アメリカは世界経済をいかに武器化したか』経済学の本を執筆したエイブラハム・ニューマン氏は言う。 各国は異なる能力、資源、脆弱性を持っているため、経済ネットワークの性質により力の不均衡や圧力が生じます。 EUの天然ガスの40%を供給するロシアは、EUへの依存を利用してウクライナへの支援を撤回するよう圧力をかけようとしている。 米国とその同盟国は世界金融システムの支配力を利用して、ロシアの大手銀行を国際決済システムから排除した。
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昨年のオデッサ近くのチョノノモルスク港。 2021年、ウクライナは世界最大の小麦輸出国となった。LAETITIA VANCON FOR THE NEW YORK TIMES
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ブドウは南オーストラリア州のブドウ園で収穫されます。 中国は台湾への支持を表明したことを受け、オーストラリアからのワインなどの輸入禁止令を出した。ADAM FERGUSON FOR THE NEW YORK TIMES 中国は貿易相手国の巨大市場へのアクセスを制限することで報復した。 主要なサプライヤーと情報技術ネットワークが極度に集中しているため、さらなるボトルネックが生じています。 中国は世界の太陽光パネルの80%を製造している。 台湾は超小型先端半導体の 92% を生産しています。 世界の貿易と取引のほとんどは米ドルで行われます。 新たな現実は米国の政策に反映されている。 自由化された経済秩序と世界貿易機関の主な構築者である米国は、より包括的な自由貿易協定に背を向け、WTOの決定に従うことを繰り返し拒否してきた。 安全保障上の懸念から、バイデン政権は中国による米国企業への投資を阻止し、米国民の個人データや新技術への中国のアクセスを制限している。 また、サプライチェーンを確保し、再生可能エネルギーへの移行を加速するために、電気自動車、電池、風力発電所、太陽光発電所などに巨額の補助金を提供するなど、中国流の産業政策も採用している。 サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、「数十年にわたる自由化によって構築された経済的依存を無視することは非常に危険になっている」と述べた。 同氏はまた、「過度に単純化された市場の効率性」を主張することが誤りであることが証明されたとも述べた。 以前の経済的正統性は部分的に放棄されましたが、それに代わるものは不明です。 今日の一般的なアプローチは即興演奏です。 おそらく現時点で唯一安全な想定は、繁栄への道筋と政策のトレードオフがますます明確ではなくなるということだろう。
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azakavrc · 4 months
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◆まだ書きかけ
彼……ISDF代表サリハの第一声はそれだった。
別の地区の見回りをしていた彼は仲間からの連絡を受け大慌てでここ、ウェストタウンの拠点に戻ってきた。
まるで戦場のような緊張感が拠点をぐるりと取り囲んでおり、サリハは軽く頭を抱えながら拠点内の応接室に入った。そこにいる来客……アル��正教会教皇エルの姿を認め溜息混じりに吐き出した言葉がそれだ。
「お邪魔しております。……素敵なご挨拶ですね」
「生憎とお前のような御立派な暮らしなんて経験はないのでな。気に障るのならお引き取り願おう」
「いえ、ここだけの話……わたくしとて、畏まった対応ばかり受けるのは少々辟易しているのです。これは、内緒にしておいていただきたいのですが」
「……そうかい、じゃあ好きにさせてもらう」
「恐れ入ります」
「で、要件はなんだ?お前のようなヤツが茶を飲みにきただけということはあるまい?」
「此方のお茶は独特の風味でなかなか趣深い物で御座いますけれど」
コンコンっ
不意にノックの音がエルの言葉を遮り、
『お茶のおかわりをお持ちしました』
すぐ後を男声が追いかけてくる。
「アインスか。入れ」
「失礼します。……サリハさん、帰ってたンですね……って、ちょ、失礼ですって⁈」
茶器を乗せたおぼんを器用に片手で持ちながら扉を開けて男……アインスが入室する。
ソファに脚を組んで座るサリハの姿を見て目を白黒させている。
「寛大なお心でお許しいただけるそうだぞ」
「はい、構いません。アインス様もお座りくださいませ」
「俺もですか⁈……いや、俺はちょっと、まだ仕事がー……」
「なんだアインス。教皇様の頼みを無碍に断るのか?」
「アンタ絶対楽しんでるでしょ……」
「まぁまぁ。初対面というわけでもないのですから」
「その節は……まさか教皇様があんなところにいるとはつゆ知らず……とんだ無礼を……」
「おいおい教皇サマ。うちの部下をいじめないでやってくれないか」
「誰のせいですか誰の!」
「……うふふ……♪」
「……っとぁ、すみません……」
小さくなってサリハの横に座るアインス。相対する席で口元を隠し笑っていたエルが手を下ろす。その一動作だけで、室内の空気が変わった。
「……先日お送りさせて頂きました書状は、ご確認頂けておりましょうか」
「あぁ、スラムに教会を、とかいう例の件か。確かに拝読させてもらった」
https://discord.com/channels/1020297124434419722/1068114953753608262/1157536351915343923
「手の込んだ悪戯かとも思ったが、話をしたのがコイツで、確かに支援物資も資金も届いた。ご丁寧に教会の印章つきでな。信用しないわけにはいくまい」
「恐れ入ります」
「此方としては願ったり叶ったりではあるが……どういうつもりだ」
「……どう、とは?」
静かに圧を強めるサリハの言葉にもエルの態度は変わらない。ただ横で推移を見ているアインスだけが小さくなるばかりだ。
「あの書状を帝国ではなくこちらに寄越すということは、教会直々に我々の自治を認めたと捉えられかねん。まさかわからずにやったなどということはないだろう?」
「そうした方がよろしかったでしょうか?」
「当然、そうしていたらヤツらはこれ幸いとスラムの土地を接収しようとしただろう」
「然り。そのくらいの調査洞察は、この地を知らぬ……そうですね、“御立派な暮らし”のわたくし達とて可能です。なればこそ、地を知り人を知り、仁徳に満ちた英雄様にこそ打診を行うべきであると判断した次第に御座います」
「買い被り過ぎだが、信用には応えよう。お前ら教会が我々を裏切らないのであれば、我々が教会を裏切る事はない。誓おう……お前らの言う父なる神とやらは知らないが、俺の誇りに賭けて。こいつが証人だ」
急に指されてアインスは驚いて居住いを正す。
それを見てエルは微笑んで頷く。
「我々正教会は、人間が人間として正しく生きていく事をこそ肯定するものです。人は国に属するのではなく、国が人に属するのです。なればこそ、この地はあなた方の治める地。道理を通すべき相手はあなた方で間違いはないでしょう」
「そちらの意向はわかった。ならばここからは交渉の場だ。がっかりさせてくれるなよ」
「勿論。ご期待くださいませ」
若干緩んだ空気にアインスも内心でホッと胸を撫で下ろす。
「そうですね……まず、アインス様。この周辺の地図などありましょうか?」
「え?あ……はい、ちょっと待っててくださいっ」
急に声をかけられたアインスがバタバタと退席するのを見送り。
「此方から求める事は、
ひとつ、教会建設の為の土地の借用、
ひとつ、教会員の駐屯の許可、
ひとつ、教会管理下の隊商の通行、停泊の許可
それからもうひとつ……」
「もうひとつ?」
「建築した教会の管理者、指揮者として此方……ISDFから一名、任命して頂きたく思います」
「……ほう?」
「勿論、教会から補佐役として一名派遣を行いますが、基本的に建築した教会に付随する事物に関する采配の全権は、任命して頂いたその方に委任させていただきます」
「……お前は、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「はい。要するに……
教会建てる土地貸して
教会員が暮らすのを許して
ウチの隊商が通ったり休むのを許して
ついでに一人管理人役を出してくれ
です。そして、建屋の管理から搬入物資、人員、資金、土地活用に至る全権はその管理人役がやってくれ、とそういう要求です」
「……お前は、バカなのか?」
「はて?……あぁ、土地の借用費は搬入物資や資金から供出して頂くとして、教会員の生活費や隊商の消費した資源に関しては別途請求下さればご用意させて頂きます」
「そういう話ではない。……一体何を考えている?」
「何か問題がありましょうか?」
「これのどこが取引だというんだ。全く対等ではない……これでお前らは何を得る?我々を懐柔しようという腹か?」
「そうなれば僥倖では御座いますけれど、踏み台にされるだけでも此方としては十全。それ以上は“おまけ”のようなものです」
「……馬鹿げている」
「そうでしょうか。先程申し上げました通り我々正教会は、人間が人間として正しく生きていく事をこそ肯定するものです。そのために持てるものを捧げる。それこそが教会のあるべき姿です」
「…………」
沈黙が室内を満たす。
「……仕方ありませんね。此処だけの話としてお聞きくださいませ」
先に沈黙を破ったのは、エルだった。
そしてほぼ同時に。
 コンコンっ
「失礼します。すみません、お待たせしま……し、た……」
「ご苦労。座れ」
「はぃ」
入室したアインスが机に地図を置き再びサリハの隣に座る。
(サリハさん、なんか空気重くないですか……何があったンすか)
アインスが小声でサリハに問うもサリハは顎の動きだけでエルに話を促し答えない。
「……大戦により世界が被った被害……物質的にもそうですが、何より人心が負った傷は深く、目に見えぬ存在を信じる心を保てている方はそう多くはありません。されど、傷ついた心が救済を求めるのもまた必定。教会はそのような方に手を伸ばすのがその勤め……」
言葉を紡ぐエルも、それを受けるサリハも、仮面に隠れた顔から表情を窺う事はできない。
「現在の教会が持つ本質はその教えではなく、無国籍の人的ネットワークそのものです。実際に父なる神に信仰を持っている者は、騎士団を除けばごく僅かなのでしょう。わたくしもそれを理解した上で教会を指導する立場に就いております」
「……教皇様がそれ言っちゃうんですか……」
アインスが思わず溢した言葉にエルはゆっくりと頷き。
「事実を事実として受け止めぬほど愚かではないつもりです。されど、世の中は本音と建前を使い分ける事で安定して回るもの。それで救われるものがあるのならば、わたくしは、教会は喜んで嘯きましょう」
アインスは先日補給物資を運んできた隊商を思い出す。教会の印章を刻んだ一団ではあったが、確かにその言動は教会のものと言うよりは商人や輸送屋のそれであったように思う。
「教会の教えに一切の真もないなどと申し上げるつもりは勿論御座いません。どちらも実であり虚であり、結局のところ目指すのは人間の平和と繁栄……そこに尽きるのですから」
「ふん……なるほどな」
「ご理解頂けたようで幸いです」
「此方としてはスラムの奴らが平和に暮らせるならお前らがどんな意図であろうと変わりはないからな」
「十全です。では、話を進めましょう」
「ああ」
「まず、立地に関してですが……」
アインスが持ってきた地図を広げて眺め、
「規則としてそれなりに広めの土地が必要になりますので、相応の場を借り入れたく存じます」
「使っていない土地自体は沢山あるが……」
「有事の際に避難所や防波堤としての役割を担う務めが御座います故……」
「防波堤?」
「はい。街や避難所に賊や根源生物が侵入しないよう、この教会の土地で万全の体勢で迎撃を行えるよう配備できるようにと」
「却下だ」
「……戦力は此方から駐屯させるつもりですが」
「尚更だ。資源のみならず防衛までお前らに委ねるほど俺たちは落ちぶれちゃいない。客は客らしく安全な場所にいろ」
サリハが地図を叩いて示す場所はウェストタウンのはずれではあるものの根源生物が多く観測される砂漠側からは遠い位置だ。
「畏まりました。では此方の場所をお借り致します。近日中に現地視察に人を派遣致します」
「そうしてくれ」
その後も話は速やかに進み、とんとん拍子に取り決めがなされた。
実建築にかかる際の人手借り入れの報酬、教会の規定に伴うワークショップや隊商の巡回周期、砂漠の遭難者や非常事態に備えたビーコン設備の取り付け、有事の際の避難所や臨時病床としての開放規則などなど、話す事は多数あったがつつがなく話は進められ、
「……事前に決めておくのはこれくらいで御座いましょうか」
「先に話していた管理者の件だが」
「はい。建築が終わる頃までに決めて頂ければと思います。……既に候補を絞られていますか?」
「アインス」
「はい?」
「お前がやれ」
「」
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ari0921 · 4 months
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月30日(土曜日)弐
    通巻第8075号
中国、ロケット軍司令官を海軍から。国防相も海軍から
  軍内部に何か重大な事件が起きているのではないか?
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 年の瀬も押し迫った12月29日、中国の全人代常務委員会は長らく『空席』だった国防相に董軍・前海軍司令官を充てるとした。国防相は軍のナンバー3にあたる。
董軍はただちに習近平国家主席の任命を受けて就任した。董軍・新国防相は海軍出身。海軍副参謀長、東海艦隊副司令官、南部戦区副司令官を歴任、2021~23年に海軍司令官を務めていた。
2023年3月に「習近平に近い」との観測から国防相ポストにあった李尚福・前国防相は在任五ヶ月足らずで動静不明となり、国際会議をすっぽかしていた。
10月に正式に解任された。この時期には、ロケット軍最高幹部や、秦剛前外相らが消息を絶ち、電撃的に解任された。
国防相決定と同時に、全人代常務委員会は、中国人民解放軍で核兵器やミサイルの運用を担当するロケット軍の前司令官、李玉超と元司令官、周亜寧のふたりを全人代の代表職を解いた。
ふんだんな予算を持つロケット軍には汚職がつきまとう伏魔殿と言われてきた。だが観測筋は、秦剛外相とともに彼らの失脚は機密漏洩が原因ではないかと囁かれている。
 中国の戦略ミサイル部隊=「ロケット軍」の人事は既に23年8月1日、新司令官に王厚斌上将(大将)が、政治工作を担当する「政治委員」に徐西盛上将が就任していた。
ふたりはその前日に上将に昇格したばかりの俄か任命だった。前任の李玉超も2022年1月に上将に昇進したばかりだった。新しくロケット軍トップとなった王は海軍出身、徐は空軍出身。つまりロケット軍生え抜きの人脈ではない。
 ロケット軍司令官が畑違いの海軍から。国防相も海軍からト不思議な人事の続発は中国軍の内部に何か重大な事件が起きているのではないのか?
 起きていた。
 汚職と士気の弛緩、モラル低下と人材不足(人は沢山いるが優秀な軍人が不足している)。この欠点を補うに何をすれば良いか。
 ▼軍事ロボットの本格化へ着手か?「ヒューマノイドロボット」って何?
 中国共産党は11月の指導文書に基づき、「人型ロボットの大量生産」、そのためのAI開発計画を実行し始めた。移民労働者排斥が第一の理由だという。また少子化対策の一環でもあると軍事アナリストたちが言う。
 中国はAI(人工頭脳)と人工義肢を開発する「ヒューマノイド・ロボット・イノベーション・システム」を構築し、ロボット工学で世界のリーダーになるという計画がある。
産業ロボット技術で日本をぬこうというわけだ。
 しかしヒューマノイドなるロボットは兵士に転用可能だから国家安全保障に関わる重大なプロジェクトである。この観点から中国の戦略を見なければならない。
 
米国の有力シンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)報告では、中国が労働集約型の製造業で競争力を維持するために、人間をロボットに置き換えている現実を論じ、「共産主義ロボット」の懸念を述べている。
 なぜならAIによるコンテンツに、中国共産党が信奉する「社会主義の核心的価値観を反映する」よう義務付けるとある。
ロボット構想のイデオロギー的基盤は、「軍民融合」と強制的な技術移転という中国政府の戦略がある。軍民融合は、すべての民生技術を軍事的有用性に提供する政策であり、「(ロボット)企業が大学や機関と連携することを支援する」という指導文書の呼びかけがそれを裏付けている。
軍民汎用目的では水力発電所、風力発電所など電力システムのほか、消耗が少ない人型ロボットよりも、「信頼性の高い」ロボットが用いられるAI搭載のロボットは原発警備や浄水場管理を含めた「戦略的場所」で重宝される。
軍パワーをヒューマノイドロボットが代替するのだ。
 なんだって中国のために利用する。すでにバイトダンス傘下のTikTokは中国礼賛で溢れ、政治宣伝の道具と化している。
米国はTIKTOKの禁止に動いているが、もはや全廃は不可能である。
ハドソン研究所のアーサー・ハーマン上級研究員は警告する。
「ロボット工学に関する国際標準やルール制定作業で中国共産党の影響力が増大し、ひょっとして中国のロボット産業が世界標準となれば、道徳基準の設定は後方へ押しやられるだろう」。
 なにしろ中国軍には道徳的規律が希薄ですからね。
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