📸北原家 大宮庵 / Kitahara-Omiyaan Garden, Nishijin, Kyoto 京都・西陣の『北原家 大宮庵』の庭園が素敵…! 京都西陣の江戸時代から栄えた繊維問屋街“千両ヶ辻”で1日のみ特別公開された通常非公開の京町家(京町屋)。明治時代に建築された町家には苔の美しい庭園も… 京都・北原家 大宮庵庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/nishijin-omiyaan/ ...... 「北原家 大宮庵」は西陣織の街として栄えた京都・西陣に明治時代に建築された通常非公開の京町家(*2000年代前半は予約制公開をしておられましたが、現在はやっていません。) . 京都・西陣エリアの南東部、江戸時代以降“千両ヶ辻”と呼ばれた大宮通り沿い。その千両ヶ辻で例年秋分の日(9月23日)に行われているのが『西陣・伝統文化祭「千両ヶ辻」』。 …と言いつつ今年まで知らなかったのですが、この日に限り公開される京町家もあるということで…2022年の「千両ヶ辻」に訪れました! . その「千両ヶ辻」の日だけ特別公開された非公開の京町家が「大宮庵」。先に紹介した京都市景観重要建造物『西陣くらしの美術館 冨田屋』の並びにある、虫小窓と糸屋格子の町家。 2000年代には予約制公開もありましたが、現在は年にこの日のみの特別公開(更に千両ヶ辻も3年ぶりだったから、3年ぶりの一般公開…!)。 . 明治時代の創業から4代目のご当代まで続く生糸問屋/友禅商・北原家。明治時代〜平成年代にかけて徐々に店構えも変化していたこの京町家ですが、2000年代前半に公開施設としても活用する際に元の“京町家”の佇まいに修復。 . 余談ですが、“町家”“町屋”の表記にはいちおう定義があるそうで… ●『町家』は30坪程度の民家 ●『町屋』は商人や職人の住居/店舗/仕事場など職住一致の建物で、敷地面積は100~200坪程度 で、この大宮庵は“町屋”であるとのこと。 。oO(だとすると実はこれまで紹介している京都の商家は“京町屋”とするのが正しいのかもしれない…。) 続く。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 【存続のためのお願い】 庭園情報メディア「おにわさん」存続のため、新オーナー(組織)を募集しています。詳しくは「おにわさん」で検索し、ウェブサイトよりご覧ください。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #庭院 #庭园 #建築デザイン #ランドスケープ #日本建築 #坪庭 #西陣 #千両ヶ辻 #京都特別拝観 #京都特別公開 #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #tsuboniwa #おにわさん (北原商店) https://www.instagram.com/p/CjwxFKxPvX1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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長編小説の読み返し
長編小説ってほとんど読み返さないんだけど、漫画の花の慶次から、隆慶一郎の一夢庵風流記と影武者徳川家康は何度も読み返してる。
綾辻行人の十角館の殺人と時計館の殺人も何度も読んでるが。
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[Announcement] 舞台「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(butai ano hi mita hana no namae wo bokutachi wa mada shiranai.)
now available @ dmm archive (~ July 31st, 2022)
price: ¥4.000
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第百二十回に紹介するのは、2021年製作の日本映画【シン・エヴァンゲリオン劇場版】
ある程度のネタバレはご勘弁ください
総監督:庵野秀明
監督:鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏
企画:庵野秀明
原作:庵野秀明
脚本:庵野秀明
エグゼクティブプロデューサー:緒方智幸
コンセプトアートディレクター:前田真宏
総作画監督:錦織敦史
作画監督:井関修一、金世俊、浅野直之、田中将賀、新井浩一
副監督:谷田部透湖、小松田大全
デザインワークス:山下いくと、渭原敏明、コヤマシゲト、安野モヨコ、高倉武史、渡部隆
CGIアートディレクター:小林浩康
CGI監督:鬼塚大輔
3Dアニメーションディレクター:松井祐亮
3Dモデリングディレクター:小林学
3Dテクニカルディレクター:鈴木貴志
3Dルックデヴディレクター:岩里昌則
2DCGディレクター:座間香代子
動画検査:村田康人
色彩設計:菊地和子
美術監督:串田達也
撮影監督:福士享
特技監督:山田豊徳
編集:辻田恵美
音楽:鷺巣詩郎
テーマソング:宇多田ヒカル
音響効果:野口透
録音:住谷真
台詞演出:山田陽
総監督助手:轟木一騎
制作統括プロデューサー:岡島隆敏
アニメーションプロデューサー:杉谷勇樹
設定制作:田中隼人
プリヴィズ統括制作:川島正規
制作:スタジオカラー
製作:カラー
キャスト:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢、長沢美樹、子安武人、優希比呂、大塚明夫、沢城みゆき、大原さやか、伊瀬茉莉也、勝杏里
製作年:2021年
製作国:日本
配給:東宝、東映、カラー
上映時間:155分
映倫区分:G
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引越しの夢
むかしは、いまでいう職業紹介所を、桂庵《けいあん》、口入屋などと申しました。
そんなうちには、奉公さきを待っている女中たちがたくさんあつまっておりましたもので、そんなところでは、番頭も楽ではありませんでした。
「これ、おまえさんたち、もうちっとおとなしくできないか。やかましくてどうしようもありゃあしない。なに? 成駒屋が死んで惜《お》しい? なにもおまえが惜しがらなくっても、ごひいきすじで惜しがってるわ。だれだ? こんなところに豆の皮をまくのは? ちゃんとすてとかなくてはこまるな、どうも……ところで、そこの娘、あんた、どういううちへいきたいんだね?」
「あたし、月に二、三べん芝居へやってくれて、給金はなるべく高くて、からだの楽なうちへやってくれれば文句はいいません」
「あたりまえだよ。それで文句のいいようがあるもんか。そこの娘、おまえさんは、どういううちがのぞみだい?」
「あのう、番頭さん、旦那とおかみさんとふたりっきりで、おかみさんの病身なうちはありませんか?」
「ははあ、手のたりないうちで、親切に病人の世話をしたい……おまえさん、なにか願掛《がんか》けしたな」
「いいえ、そうじゃなくて……おかみさんが病身だと、どうしても旦那が肌さびしいので、あたしにちょいちょいちょっかいをだす。それをあたしがだまっていて、そのうちに、おかみさんがだんだん悪くなってころっと亡《な》くなる。あたしは、すぐにあとへ直って、亡くなったおかみさんの着物やあたまのものをみんなもらって、女中のふたりもつかって、左うちわで暮らすつもり……」
「まあ、なんて女だい、おまえさんは……お家横領をたくらむとは……これ、そこの娘、おまえさんは、どんな奉公さきをさがしてるんだい?」
「番頭さん、あたしはどんなうちでもかまいません。どうぞ小商《こあきな》いをしているうちへやってくださいな」
「うん、感心だな。こら、お家横領、ここへきて、この娘のいってることをいっぺん聞いておけ。小《こ》商人《あきんど》のうちへ奉公して、小商いのこつをおぼえたら、世帯を持つときに亭主の手助けができるという。あとあとのことまで手をまわしたかんがえだな」
「いいえ、ちがうわ。小商いするうちへいったら、小づかいに不自由しないからなの」
「あっ、こいつは泥棒か。ひとりもろくなやつはいやあしない」
番頭がぶつぶついってるところへ、十二、三の丁稚《でつち》がはいってまいりました。
「番頭さん、横町の十一屋からきましたが、��れいな女中さんをひとりおねがいします」
「なに? きれいな女中? いつもなるべくきりょうの悪い娘といってくるのに……」
「それが、きょうは、うちの番頭さんに十銭もらって、きれいな女中さんをよんでこいとたのまれたのとちがいます」
「これ、小僧さん、おまえ、番頭さんに十銭もらって、きれいな女中さんをよんでこいとたのまれたな」
「あっ、番頭さん、それ、わかりますか?」
「わかるとも、おまえの顔にちゃんと書いてある」
「えっ、書いてありますか? だれが書いたんだろ? へえ……それでは、きょう、うちの留どんがわかめの味噌汁がきらいだといって、納豆《なつとう》買ってきて、ごはんを食べたことやなんか知ってますか?」
「そんなことくらいすぐにわかるとも、留どんがわかめの味噌汁がきらいで、納豆でごはん食べたんだろ?」
「ああ、番頭さん、なんでも知ってるなあ。手相みてくれますか?」
「もういいかげんにして、そこにいる中でいい娘をつれてお帰り」
「わあー、たくさんいるなあ。けど、みなおもしろい顔ばっかりだ。ああ、この娘は、このあいだうちへきて、つまみ食いして追いだされた娘だ」
「これ、小僧さん、そんなこというもんじゃあないよ」
「へえ……そこにうつむいてる人、ちょっと、そう、あなた、わあー、こりゃあきれいな人だ。あなた、うちへきてください。番頭さん、この人にきてもらいます」
「ああそうかい。あんた、この小僧さんといっしょにいっておくれ。横町の十一屋というお店だから……いずれあとからあたしが判をもらいにいくよ」
「それではいってまいります」
「さあ、どなたもどいておくれ。うちの女中さんのお通りだよ。さあ、どいたどいた。あなた、どうもごくろうさんです。あなた、きれいですね。どうもおどろいた。あなたにおねがいがあるんですけど、聞いてもらえますか?」
「どんなことでしょう?」
「どんなことって……いってしまってからいやだなんていわれたら恥ずかしいな」
「どんなことなんです? いってごらんなさいよ」
「そんならいいますけど、恥ずかしいから、ちょっとこの路地へはいってくださいな。あの……うちではね、おついたちと十五日に焼き魚のおかずがつきます。それが、尾のところは、魚屋が大きく切ってきますから、あなた、わたしにきっと尾のところをつけてくださいよ……ああ恥ずかしい」
「ああびっくりした。なんのことかとおもったら、そんなことなの、おやすいご用ですとも……」
「そりゃあどうもありがとう。女の人といっしょにあるいたら、丁稚なかまをはじかれます。わたしはさきにいきますから、あなた、あとからきてください。この角をまがって三軒目に、十一屋といううちがあります。ではおさきに……へえ、番頭さん、ただいま帰りました」
「ええい、バタバタとそうぞうしい。途中で油売ってて、門口までくるとバタバタ走ったりして……どこへいってた?」
「あれっ、わすれちゃったんですか? 女中さんをよびにいったんじゃありませんか。番頭さん、あなたが、『きれいな女中をつれてこい。そうしたら十銭やる』っておっしゃったでしょ? だから、いちばんきれいな人をつれてきました。さあ、十銭ください」
「そんなにきれいか?」
「そりゃあ、きれいったってすごい。はい、十銭」
「きっときれいか?」
「きれいですとも、まちがいありません。十銭を……」
「それじゃあ、あとでやろう」
「あとでもらえなかったからって、お上《かみ》へねがうわけにはいかず、もうどなたからも、このごろは、いっさい現金でいただいております。さあ十銭」
「うるさいやつだな。さあ、十銭やる。それで女中はいつくるんだ?」
「いま、そこまでいっしょに帰ってきましたけど、一足さきにご注進にきました。もうすぐきますよ」
「なに、もうすぐくるのか? それを早くいわないか。だれだ? いま二階へあがってるのは? 藤どんか? ちょっと羽織を持って降りてきておくれ。いや、それじゃない。このあいだ仕立ててきたやつだ。行李《こうり》のいちばん上にいれてある。ああ、それそれ。ちょっと持ってきておくれ。それから、だれだったかな、このあいだ夜店で鏡を買ってきたのは? ああ、久七どんか? ちょっと貸してくれないか? なんだ? ちょっとぐらいいいじゃないか。けちけちしなさんな。減《へ》るもんじゃなし……しまった。えらく髭《ひげ》がのびてるな。こんなことなら、ゆうべ床屋へいっときゃあよかった……これ、みんなどうしたんだ? そんなところへずらっとならんで……それじゃあ男の張《は》り店《みせ》だよ……おい、小僧、女中さんはまだこないのか?」
「あすこに立ってます。のれんのところに……」
「ああ、あすこに立ってるのがそうか。うーん、いい女だな。いや、どうもごくろうさま。おまえはたいへんにつかいが早くていいぞ」
「ふん、女中さんの顔みたら、急にお世辞《せじ》がよくなった。へへへへへ……」
「なにをいやあがる」
「どうです? 番頭さん、いい女でしょ? 十銭じゃ安い。もう五銭増してください」
「なんだ、すぐにつけこんで……奥へいって、『女中さんをつれてまいりました』と、そういっといで」
「あとで五銭くださいよ」
「やるから、はやくいっておいで……なるほど、これはいい女だ……おまえさん、こちらへおはいんなさい。ちょっと金どん、ごらんよ。すてきなしろものだ」
「なるほど、おいおい、みんなおいで。すてきなしろものがきたから……」
「そう、みんな、そこへならんじまっちゃあ、はじめてきた女の子が、きまりわるがるじゃあないか。なんだ、おまえさんたちは……てんでにトンボみたようにあたまばかり光らして……さあさあ、あなた、こっちへおあがんなさい。はい、はじめまして、わたしが当家の番頭で……こんなに多勢ならんじゃあいますがね、みんな、わら人形同様のもので、あなたとおはなしがあうやつなんかひとりもいやあしません。わたしは、当家の支配人だから、どうかまちがわないようにしてくださいよ。旦那におかみさんは、いつも奥にばかりいて、めったにお店へおいでにならない。奥のことから台所のことは、すべてわたしがとりしきってやっているんだから、どうか辛抱してください。わたしのほうで置きたいといっても、おまえさんのほうでいやといえばしかたないし、おまえさんのほうでいようとおもっても、わたしがいけないといえばそれまでなんだから……つまり、わたしがいいといえば、それでいいんだからね。まあ、こんなうちだけれども、これでなかなか得《とく》のあるうちで……といったところが、料理屋やなんかとちがって、祝儀をもらうなんてことはないが、そこは商売|柄《がら》、質の流れのなかに、ちょいとおつなものがでることがある。この前の女中さんのときも、繻珍《しゆちん》の丸帯がでて、『おいくらでございますか?』と聞くから、『まあ、商売人にだしたら十五円てえところだが、おまえがしめるんなら、十円にしてやろう。払いのほうも一度でなくっていいんだよ。お給金をもらうたんびに、五十銭なり、一円なり、いくらかずつでもいいからお払い。いいかげんのところで、わたしが帳面をゴチャゴチャと筆さきでごまかしてしまうから……』といってね。それは番頭のはたらき。それから、そのあとになって、その女中さんのおとっつあんが病気になって三十円入用になった。そこで、『そんなに心配しなくてもいい。どうせ店にあるお金だから、三十円ぐらい貸してやろう。それも一時にかえさなくてもいい。ちょくちょくかえすようにしていれば、そのうちには、まあ、筆の先でゴチャゴチャと帳面をごまかしてしまう』……そこはなにしろ番頭のはたらきでな。こんなに多勢いたって、おはなしにあうようなものはひとりもいない。なに、すこしくらいのことなら、給金のほかだってどうにでもなる。ただひとつおことわりしておくのは、わたしはもともと寝ぼけるたちでな、便所へいった帰りなどに、おまえのふとんなんかにつまずくことがないともかぎらない。そのときに、『キャー』とか、『スー』とかいわれるとまことにめいわくするから……そこはそれ、三十円のゴチャゴチャだ。魚心あれば……」
「水心ありで……」
「これっ、なんてえ声をだすんだ、前にいる女の子がおどろくじゃあないか」
「女の子は、もうとうに奥へいきました」
「えっ、いっちまった!?」
「あなたが夢中になってしゃべってるので、留どんがかわりにおじぎをしてるんで……」
「なんだい、留どんかい」
「あの、三十円ちょうだいできますれば……」
「なにいってるんだ。ばかっ」
こちらは奥でおかみさんが、
「定吉や、おまえ、桂庵にいくときに、なんといいつけてやりました? 『店に多勢若い人がいるから、なるたけわるい女を……』といってやったじゃあないか。なんだってこんなにいい女をつれてきたんだえ? ……おまえさん、気にかけちゃあいけませんよ。いいえね、あたしゃ店に若い人がいるから、取り越し苦労をするんです……ほんとにしょうがないじゃあないか」
「それでも桂庵へいって、『いい女はいけないから、もっとわるい女をおくれ』とそういったんです。そうしたら、『ことしは女中のできがいいんだ』って、梅雨《つゆ》に降って土用に照り込みましたから……」
「お米じゃあないよ。ばかばかしい……では、おまえさんは、台所ではたらいてもらうのはおかしいから、奥の用をしてもらいましょう。べつにご飯たきはもうひとりやといますから、どうかね、辛抱《しんぼう》してくださいよ……定吉や、定や、おまえ、この人はなれないのだから、よく寝るところやなにか教えておくれ」
お目見えは三日というのが、むかしはたいがいきまりでした。
「おい、定吉や、大戸をいれてしまいな。きょうは早じまいだ」
「なぜ早じまいなんです?」
「女中|目見《めみ》えにつき早じまいだ。早く寝ちまえ、寝ちまえ」
「寝ろったって、まだ四時半で、こんなにあかるいじゃありませんか」
「あかるかったら月夜だとおもえ」
「あんなことをいって……まだ晩のごはんも食べてません」
「めしなんかどうでもいいよ。おまえ、生まれてからずっと食べてきたんだろ? 一食ぐらいぬいたって死にゃあしない」
「お腹がすいて寝られるもんですか」
「ぐずぐずいってるんじゃない。みんな早く寝なさい。だれだい? そこで手紙なんか書いてるのは……源どんかい?」
「へえ、さようで……」
「あした書きなさい、あした……さあさあ、みんな寝ないか。眠くなくっても、あたまからふとんをかぶって目をつぶっていびきをかきなさい。いびきをかいていればひとりでに眠っちまうから……さあ、みんな、寝たか? 寝たらいびきをかきなさい」
「ああ、いびきの催促か……グー、グー」
「なんだ、急にいびきをかきだしたな。これ、ほんとうに寝てるのか? たぬきじゃないか? こら……」
「グー」
「こら」
「グー」
「こらこら」
「グーグー」
「あれっ、いびきで返事している。わるいやつらだ。ほんとうに寝ているのかしら? ……久どん」
「グー」
「久どん」
「グー」
「どうやら寝たらしいな。このあいだにちょっと便所へ……あれ、にこにこ笑っていびきかいてやがる。しょうのないやつだな。どいつもこいつも……なあ、そこへいくと子どもは無邪気だ。『番頭さん、いい女をつれてきたから十銭ください』なんていって十銭とったが、枕もとにほうりだして寝ている。いまのうちにとりもどしておいてやろう。あれっ、定吉、おまえ、目をあいて起きあがって、十銭持ったままいびきをかくやつがあるか」
「へい、いびきをかいても十銭はわすれません」
「なにをいってやがる。早く寝なさい。さあ、みんな寝なさい、寝なさい」
「番頭さん、あなたがやかましくて寝られませんよ」
「わたしが寝ないと、みんな寝ないとか? さあ、わたしも寝るから、みんな寝なさい。そうそう、早くしずかに……おい、源どん、多助どん……しめたな、こんどはほんとうに寝たらしい……よしよし、このあいだにあの女中の部屋へ……さあ、女中部屋は……だれだ、あとからついてくるのは?」
「へえ、わたくしでございますが……なにしにいらっしゃいます?」
「ちょっと小便にいくんだ」
「いびきをかきながらはっていくのはおかしゅうござんすね。それに女中部屋がどうしたとか……」
「あれは寝言だ。いったいおまえはなにしにきたんだ?」
「わたしもはばかりまでおつきあいします」
「そんなことはつきあわなくてもいい。早く寝ちまいなさい」
ひとりがでかけようとすると、あとからついてきますからでかけられません。そのうちに、一時、二時と夜がふけるにつれて昼のつかれがでてきますから、みんなぐっすり寝こんでしまいます。いちばんさきに目がさめたのが番頭で……
「ありがたいな。もうここまでくれば大丈夫だ。台所からこの中二階へあがっていくんだな。さあさあ早く女中部屋へ……なにしろ、どうもまっ暗だなあ……あっ、いてて……なんだい、ねずみいらずが釣ってあるんだな。昼間から釣ってあるんだけれど、さきをいそいでるんで気がつかなかった。しかし、大あたりというんだから辻占《つじうら》がいいぞ。はて? ここにねずみいらずがあるとすると、はしごがなくっちゃあならないのだが……おや、はしごがない。さては、お���みさんがはしごをひいてしまったんだな。ここまできて帰るというのもざんねんだな。宝の山に入りながら、手をむなしくひきとるのもばかばかしい。ああ、わざわいかえってさいわいだ。このぶつかったねずみいらずの引き手へ手をかけて……この棚の釣り手へつかまって……へっついの角へ乗っかって……あれっ、ミリミリミリといったぞ……あれっ、いけねえ、いけねえ。片っぽうの釣り手がとれちまった。こりゃあどうも弱ったな。おや、なにか倒れたぞ。ああ、流れだした、流れだした。うん、こりゃあ醤油だ。ショーユーこととはつゆ知らず、どうもこりゃあこまったな。あれっ、まただれかきたようだな」
「さあ、ここまでくりゃあ大丈夫だ。どうもまっ暗だな。ここではしごをあがれば女中部屋で……ああ、たまらないなあ……うふふふふ……おや、はしごがないぞ。なければないで、こっちは、ちゃんと見当はつけてあるんだ。ここにねずみいらずが釣ってあるから、これへとっつかまって……あっ、こりゃあいけねえ。上からおっこってきやあがった」
「おいおい、押しちゃあいけない、押しちゃあいけないったら……」
「おや、どなたかおいでですか?」
「おれだよ、佐兵衛だ」
「ああ、番頭さんですか。おはようございます。どうもごくろうさまで……」
「ごくろうさまだなんて、のんきなことをいってる場合じゃないよ。どうしよう?」
「どうしようたって……そうだ。あしたの朝、権助が飯たきに起きてきたら、これをまた釣ってもらいましょう」
「それまでかついでるのかい? この底冷えのするなかでおもくてかなやしない」
「なんです、これしきのこと。むかし、石川五右衛門は、油の釜でゆでられながら、わが子を両手にさしあげてこらえたんですよ。なんです、これしきのこと、男はがまんがかんじんです」
「なにくだらないことをいってるんだ。この最中《さなか》に石川五右衛門だなんて……しずかにしないと奥で目をさますといけないよ」
「ほんとうにしかたがないね。さっきから、台所のほうでねずみがガタガタやってるんで眠れやあしない。女中がなれないんだから、店の者が気をつけてやればいいのに……起きて見廻ってこなけりゃあならない……だれだい、この障子をあけっぱなしにしておくのは? はばかりにいって、あとをしめないじゃあしょうがないったらありゃあしない」
「おやおや、おかみさんがあかりを持ってでてきた。弱ったなあ、どうしよう? ……そうだ、いびきをかいて寝たふりをしていよう。グーグーグー」
「おや、まあおどろいた。だれだい、そこにいるのは? まあ、番頭さんに源どんじゃあないか。なんだい、そのかっこうは? 襦袢《じゆばん》一枚でだらしがないねえ。前をかくしたらどうだい? ほんとうにあきれるよ。突っ立ったままいびきなんかかいて……おやおや、どうしたんだい? ふたりでねずみいらずなんかかついでいびきをかいて……ほんとうにばかばかしいったらありゃあしない……いったいどうしたんだよ?」
「へえ、夢をみております」
「夢? なんの夢をみたんだい?」
「へえ、引越しの夢をみました」
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覆される常識、日本美術の「独自性」は縮小していた
「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史の研究が進むにつれて、日本美術に関するさまざまな常識が塗り替えられつつある。西洋や中国に目を向けて日本美術を世界の中で位置づけて鑑賞すると、一体なにが見えてくるのか? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。(全2回・前編/JBpress)
(※)本稿は『そのとき、西洋では──時代で比べる日本美術と西洋美術』(宮下規久朗著、小学館)の一部を抜粋・編集したものです。
■ 多くの美術品が現存する幸運な国、日本
日本は各時代にすばらしい美術作品を生み出し、今でもそれらは世界じゅうの人々に親しまれている。しかも、それらの多くが遺(のこ)っている幸運な国である。
隣国の中国や朝鮮半島、あるいはベトナムの場合、相次ぐ戦乱や侵略のため、古い時代のものは遺っていないことが多く、時代によってはきわめて大きな欠落がある。そうした時代の美術は、文献資料やのちの模本から想像するしかない。これに対し外国の侵略をほとんど受けたことのないわが国は、戦災や天災で多少のものが失われたとはいえ、縄文時代以降、各時代の重要な作品のほとんどは現存しており、きちんと美術の流れをたどることができる。世界を見渡すと、そのような幸運な国のほうがめずらしいのである。
明治期に近代国家が成立すると、国家の伝統や歴史を見直す作業の一環として日本美術史というものが構想され、明治33年(1900)にはパリ万国博覧会に際して日本最初の美術史と目される『稿本日本帝国美術略史』が編集された。以後、日本美術史は何度も書き換えられつつ徐々に精度を増し、部分的に更新され修正されることはあっても、そのストーリーの大枠はおおむね定着しているようにみえる。
■ 「日本美術の特質」への問いかけ
このような日本美術史を通覧し、現存する作品群を見ると、中国や西洋などさまざまな外来の美術に影響され、目まぐるしく変化してきたことがわかるが、同時にその底に流れる一貫した日本美術の特質というものが浮かび上がってくる。
たとえば和と漢、あるいは雅と俗という二面性が併存したかのよう見えるが、両者は複雑に融合していた。そして、中国や西洋の美術という外来文化の影響やそれに対する古来の様式という二項対立だけでは説明できない日本美術の独自性があると思われるのだ。
1925年、大著『サンドロ・ボッティチェルリ』をロンドンで出版して評価され、東西の美術について高い見識をもっていた美術史家の矢代幸雄(やしろ・ゆきお)氏は、著書『日本美術の特質』(1943年)において、日本美術の特質は、「印象性」「装飾性」「象徴性」「感傷性」の4つにあるとした。また、日本美術史の碩学、源豊宗(みなもと・とよむね)氏は、『日本美術の流れ』(1976年)で、西洋美術、中国美術、日本美術を象徴するモティーフをそれぞれ「ヴィーナス」「龍」「秋草」であるとした。日本美術を貫くのは、繊細な秋草の美学だというのである。
日本における中国美術の影響について先駆的な研究を遺した戸田禎佑(とだ・ていすけ)氏は、『日本美術の見方 中国美術との比戦による』(1997年)において、日本美術のもっとも重要な特質は「平面性」にあるとしている。
近年、『日本美術の歴史』(2005年)を書き下ろした辻惟雄(つじ・のぶお)氏は、日本美術の特質を、「かざり」「遊び」「アニミズム」という3つのキーワードで説明しようとした。日本美術にはつねに装飾性が見られ、遊戯性があり、自然崇拝の系譜があるというのである。また、東京大学で辻惟雄氏の後任であり、旺盛な活動を続けている美術史家、河野元昭(こうの・もとあき)氏は論文「日本美術の素性」(2010年)でこうした先学の見解を検証しつつ、日本美術の最大の特質は「シンプリシティー」にあると論じている。いずれの見解も傾聴に値するものであり、的を射ているように思われる。
■ 縮小する「日本美術の独自性」
18世紀末から20世紀初頭にかけて流行したジャポニスムは、浮世絵を中心とした日本美術の絵画や工芸がフランスなど欧米の美術に作用し、日本美術が欧米の先進的な美術に影響を与えた稀有な現象であった。浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性は、西洋で伝統美術の様式を打破して新たな造形を生み出そうとしていた芸術家にとってタイムリーであったため、大きな刺激を与えることになった。しかし、皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を継承することはほとんどなかったのである。
また、これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら影響を与えたことはまったくなかった。
12世紀初めの『宣和画譜(せんながふ)』に、徽宗(きそう)皇帝(在位1100~25年)の所蔵する日本の屏風3点について、「金碧(きんぺき)を多用」しているが、「真」に欠けると批判されている。中国や朝鮮の人々にとって、日本美術は中央様式の地方化したものとしか映らなかったのである。
明治以前の日本で、海外で活躍した美術家は知られておらず、中国・元で客死した禅僧画家黙庵(もくあん)やマカオに追放されたキリシタン画家ヤコブ丹羽(にわ)の活動がわずかに推測されるくらいである。
さらに、日本美術の独自性というのは、たまたま日本には中国や朝鮮半島よりも多くの美術作品が遺っているために、そう思われてしまう場合も多いのである。
たとえば、平安時代のやまと絵は、かつては遣唐使廃止による国風文化の産物だとされてきたが、中国美術史の研究が進んだ現在では、やまと絵とされるものの大半は失われた唐宋美術を反映したものであって、その特徴のほとんどは和様化とはいえないということが明らかになっている。截金(きりかね)を多用した繊細で工芸的な平安時代後期の美麗な仏画も、かつては日本化の極みだとされて賞賛されてきたが、じつは、ほとんどが失われた宋代の仏画の技法を模したものであるということもわかってきた。
近年ブームとなった若冲(じゃくちゅう)や蕭白(しょうはく)ら江戸中期の奇想派については、京都の成熟した町衆文化が生み出したものであっても、明(みん)代の奇想派や長崎の来舶清人(らいはくしんじん)の影響によるものも大きいということが指摘されている。
つまり、日本美術の独自性と呼べる要素は、美術史研究の進展とともにどんどん縮小していっているのである。日本美術を正しくとらえようとすれば、その独自性や美質などにこだわらず、東アジア文化圏を中心とする世界の中で位置づけて眺める必要があろう。
宮下 規久朗
JBPRESS 7/8(月)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=2
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=3
>「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──?
美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、
日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。
笑www
この文章読んでいて、宮下 規久朗とかいう美術史の大センセーの、
自虐的なシナ事大主義的な独自性のないアホぶりがわかった。
この程度で大学教授なら、私にでもできそうな簡単なお仕事だなw
この時代になっても相も変わらず、日本文化はシナ朝鮮より劣る的な、
或いは独創性はない的な、みたいなシナチョンスタンスの屁理屈を
大学のエラいセンセーがまことしやかに語っているのに笑った。
そもそも、世界のどの時代のどの文化においても、
完全無欠の民族の文化的オリジナルなどというものはない。
シナ文明も大陸の雑多な民族の文化的要素の集合体ではないか。
それを総称してシナ文明だの、エジプト文明だのと称しているだけである。
そしてその文化もまた他の様々な文化的要素と融合して発展し、
同時にまた、他の民族や地域の文化にも影響を与えるのである。
いわば文化文明は相互に影響しあって発展するものである。
それにこの宮下 規久朗とかいう神戸大学のセンセーって、
美術史が専門だそうだが、シナチョンに何か思い入れがあるのか?
ちなみにこの宮下 規久朗センセーの��イッターはこんなの・・・
https://twitter.com/kikuroma
現在の大学にはこの手の人士が多いみたいですな・・・
この論評の■ 「日本美術の特質」への問いかけまでは、
いろいろな学者の日本美術の特質の紹介で、それぞれの説にも整合性があり、
またこれらの説のすべてがまた日本美術の特色ともいえるだろう。
問題はその次である・・・
■ 縮小する「日本美術の独自性」って何なんだ?
宮下センセーの論文に通底しているのは・・・
日本美術など所詮シナの物真似、
日本美術のオリジナリティなんて、
元々からないも同然なのだから、
特筆評価などする価値すらない、
・・・ということらしい。
果たしてそうだろうか?
>皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を
継承することはほとんどなかったのである。
そうだろうか?
私は浮世絵に代表される日本美術はその後の日本人も立派に受け継ぎ、
欧米の美術界に対しても少なからぬ重要な影響を与えつつ、
その後の日本美術にもまた、それを逆輸入してきた経緯があると思う。
「浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性」は現代日本画の世界においても、
日本のサブカルチュアを代表する漫画やアニメーションの表現においても、
グラフィックデザインの表現にも立派に受け継がれているではないか。
一応宮下センセーは明治以降の日本美術がジャポニズムと呼ばれ、
西欧の美術工芸界に大きな影響を与えた事は認めていらっしゃるが、
このことだけでも美術史における日本美術の価値は特筆に値する。
浮世絵に代表される日本美術がフランス・パリ万博からジャポニズムとして
全欧州に発信され、印象派(新印象派、後期印象派)やアールヌーヴォーが生まれ、
それがさらに発展してアメリカ現代美術に発展した経緯が美術史の流れである。
ジャポニズムがイズム=主義として表されている思想は無視できない。
それはシノワズリーという東洋趣味の流行とは大きく一線が引かれるべき、
いわば西欧美術思潮の一つのコンセプトでもあったからだ。
セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」
様々な角度から描いたヴィクトワール山の連作は、
北斎の富岳三十六景からインスパイアされたらしい。
ゴーギャン「マハナ・ノ・アトゥア」
この平面的な色面構成的な表現は浮世絵からの影響だ。
クリムト「接吻」
金箔を多用した大きな空間をとり単純化されたフォルム、
これも明らかに障壁画などの影響がうかがえる作品だ。
中でも西欧美術に影響を与えたのは江戸の町人文化だろう。
しかし宮下センセーはこれとてもシナ文化の影響にあるというが、
一部にそれらしきものがあっても、それがすべてではないと思う。
仮にシナの影響があったからといって、それが何だというのだ?
シナの各王朝文化だって周辺の民族の様々な影響があったのだ。
先に述べたように、元来何の影響もなく発展した文化文明など皆無である。
北斎、広重、歌麿などの浮世絵師はもちろんのこと、尾形光琳の琳派系絵師、
伊藤若冲や丸山応挙などは現代美術を先取りしたコンセプトが確立していた。
立体造形でいえば安土桃山時代の織部好み陶器などはまさに現代美術だ。
以下に掲載した当時の巨匠たちの作品には、
現代美術の概念を先取りしたような先進性を感じるが、
宮下センセーのいうようなシナの影響下にあったがゆえに、
日本美術の独自性は縮小(ない)しているのだろうか?
尾形光琳「紅白梅図屏風」
川や梅の木を特徴を残して単純化させる意匠概念は、
のちに日本のデザインにも多大な影響を与えている。
伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」
この絵は升目描きという、升目ごとに色をいれてモザイク画のように表現した。
現代風にいえばドット画像みたいなもので、このような手法は同時代にはない。
あえていえば新印象派のスーラの点描が近いが、概念が全く違う。
伊藤若冲「鶴図屏風」
墨をつかった白線描の作品。鶴の様々な姿態が単純化されたフォルムと
勢いある線の筆勢がいかされた、ある意味現代の漫画にも通じる作風だ。
丸山応挙「大瀑布図」
この絵は円満院というお寺の住職に贈られたものだが、この寺の庭に滝がなかったので、応挙はこの絵を庭木の枝に掛けて垂らし、下三分の一は地面に寝かせて滝つぼを表した。このような平面絵画を立体的に鑑賞するインスタレーション的手法はこの時代になかった。
丸山応挙「氷図」
湖面に張った氷のヒビを線一本のみで見事にあらわした傑作である。
無駄な要素を一切排除した究極の単純化で凍てつく寒さを表現している。
織部好み茶器
武将古田織部のプロデュースとでもいう「織部好み」の陶器は、「へうげもの」と称され、わざと歪めたフォルムや幾何学模様をあしらった伝統や形式にとらわれない実に現代的な表現だ。
↑
これら一連の様式もすべて、
シナの模倣だというのか!?
以下はほとんど日本美術を腐すだけの屁理屈。
>これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら
影響を与えたことはまったくなかった。
当たり前じゃないか(笑)
そもそも・・・
日本は江戸時代に265年も鎖国をしていた国なのだから、
明治以前に日本の文物そのものが諸外国に輸出されることもないし、
あってもごくわずか、だから影響も与えるものではなかった。
こんな事日本の歴史をみれば高校生でもわかる話だ。
しかしだからそれ何だというのだ?
いったい宮下センセーは何が言いたいのだ?
この人は文化は影響を与えれば、
「エライ」と思っているようである。
だから明治以前の日本美術はシナ朝鮮に影響を与えていないから、
シナ美術の物真似レベルの評価に値しないものといいたいのだ。
宮下センセーの「影響を与える、与えない」にこだわる意図は何なんだ?
じゃあ、明治以降の日本美術は先進国の西欧に大いに影響を与えたから、
すご~く特筆大書すべき価値があって、西欧より優れているということか?
そうではあるまい。上述したように「文化は相互の影響で発展するものだ。
どちらの文化は優秀とか劣っているという問題ではないのだ。
宮下センセーの御説はまるで朝鮮人が
「これはウリジナルニダ~♪」というのを思い出す。
ルネサンス期の西洋美術も西域のイスラム教文化や遠くは、
インドやシナの様式にも影響を受けてきたことは近年の研究、
特に田中英道東北大学名誉教授の研究で明らかになっている。
しかしルネサンス絵画がその後のシナ絵画に影響を与えなかった事は、
西欧絵画が明朝や清朝の絵画より劣っているという事なのだろうか?
宮下流のコンセプトで見れば、こういう事ではないのか?
さらに首をかしげたくなるのはシナと朝鮮を同列に置いて語っている事だ。
朝鮮など千年以上も歴代シナ帝国の属国属領に過ぎなかった植民地だ。
こんな国にオリジナルがあろうはずがなく、自ら小中華と誇った事大主義国だ。
なぜ宮下センセーはシナと朝鮮を同等に置きたがるのだろうか?
所詮は事大主義のシナの劣化コピー版が朝鮮に過ぎないのである。
まさか小中華思想が日本より優れている?というのではあるまいな?
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中世の文学と尺八☆ 狂言『楽阿弥』
尺八吹きの亡霊のお話!
狂言(きょうげん)とは、猿楽から発展した日本の伝統芸能で、2人以上の人物による、対話と所作を用いた演劇であります。
『楽阿弥』とは、狂言の曲名。舞狂言。
猿楽と尺八に関してはこちらも参考にして下さい↓
狂言と同様に猿楽から発展した能が、舞踊的要素が強く、抽象的・象徴的表現が目立ち、悲劇的な内容の音楽劇であるのに対し、狂言は、物まね・道化的な要素を持ち、失敗談を中心としたシナリオおよび、様式をふまえた写実的ときには戯画的な人物表現を通じて、普遍的な人間性の本質や弱さをえぐり出すことで笑いをもたらす。(参照wikipedia)
まさに、演劇の元祖がこの、狂言なんですね。私は舞台裏で仕事をしていた時に、狂言を観る機会がありました。セリフは独特な言い回しで昔言葉なので難解なイメージですが、今回の講座のようにじっくり読み解いていくと、面白いです。なんと言っても尺八吹きの亡霊が出てくるんですからね!面白くないわけがない!
と、いうことでまずは本文ご紹介。
『狂言記』 野村八良 校(国立国会図書館より)
一人の旅僧と尺八吹きの亡霊のお話です。
日本語の古い形態で表現される縦書きの繰り返し記号の「へ」の字によく似た文字が、パソコンでは出せないので「/\」←このように書きました。
登場人物
シテ(楽阿弥)
ワキ(旅僧)
<ワキ次第> 囉斎(ろさい)に出づる門(かど)わきに、/\、犬の伏せるぞ悲しき、
<詞> これは東国方(がた)の者でござる。某(それがし)未だ大神宮へ参らず候間、此度思ひ立ち、伊勢太神宮へと志し候。旅衣尚萎れゆく往来の、/\、臥すまなきぞ悲しき。足に任せて行く程に、/\、これぞ名に負う伊勢の國、別保に早く著(つ)きにけり。
<詞> 急ぎ候ほどに、これは早(はや)別保于の松原に著いてござる。これなる松を見れば、札を打ち、短尺をつけ、尺八の様なるものを、数多(あまた)にかけられて候。如何様いはれの無いことは、ござあるまい。所の人に尋ねばやと存ずる。所の人の渡り候か。<問> 所の者と御尋ねは、如何様なる御用にて候ぞ。
<ワキ> 是なる松を見申せば、札を打ち短尺をつけ、尺八の様なるものを、数多(あまた)かけられて候。いはれの無いことは候まじ 教へて給わり候へ。
<問> されば、其事にて候。あれは古(いにしへ)此所に、楽阿弥と申す尺八吹の、久しく尺八を吹死(ふきじに)に致され候により、所の者共痛(いたわ)しう存じ、土中につき込め、印に植えたる松にて候。御僧も逆縁ながら、弔うて御通(おんとお)りあれかしと存じ候。やあ、見申せば御僧も、尺八を遊ばすやらん。腰にさされて候よ。
<ワキ> いや/\、犬嚇(おどし)までにて候へども、逆縁ながら弔うて通らうずるにて候。
<問> 又御用あらば、重ねて御申し候へ。
<ワキ> 頼みましよ。
<問> 心得ました。
<ワキ 謡> 「扨(さて)は、是なるは、楽阿弥陀仏の舊跡かや。いざや御跡弔はんと」我も持つたる尺八を、懐より取出(とりいだ)し、この尺八を吹きしむる、/\。
<シテ 一声> 尺八のあら面白の音いろやな。お主を見れば双調切なり。
<ワキ> 不思議やな まどろむ枕の上を見れば、大尺八(二尺五寸)、小尺八(一尺二寸)、四笛(してき・一尺八寸)、半笛(上羽調子と云う)、両笛を差し、われ等の笛を面白がるは、如何なる人にてましますぞ。
<シテ詞> これは古(いにしへ)、尺八を吹死にせし、楽阿弥といへる者なるが、御尺八の面白さに、これまで顕(あらわ)れ出でて候。
<ワキ> これは不思議の御事かな。昔語の楽阿弥陀仏に、言葉を交すは不審なり。
<シテ詞> 何をか不審し給うふらん。あの朗安寺の尺八の書にも、「両頭を切断してより此のかた、尺八寸の内、古今に通ず、吹き起す無常心の一曲、三千里外に知音を絶す」と作られたり。
<ワキ> 実(げに)/\。是は理(ことわり)なり。昔語の楽阿弥陀仏に、言葉を交すも尺八故(ゆえ)。
<ワキ> おう。
<シテ> 面白や。面白けれど尺八の。/\、わが吹くは喧(かしま)しゝとて、三千里の外知音は隔つまじ。まづわれは差惜(さしお)くなり。御尺八を吹き給へ。
<ワキ>同じくは連れ尺八。
<シテ> いや/\、それは楽阿弥が、御尺八をよごすなりと、云ふ声の下よりも、大尺八を取出し、とらあろら、りい、りい、とらあろ、とあらろ(らあらろ)、ふう
<シテ> あら昔恋しや。暇申して帰るなり。
<ワキ> あら痛しの御事や。最後の語りをおはしませ。
<シテ> いで/\さらば語らん、/\。もとより楽阿弥は、しゆつつうなる面ざしにて、彼所(かしこ)の旅人、此所の茶屋、あそこの茶屋、あそこの門(かど)にさしよせ/\、機嫌も知らず、尺八を吹き鳴らして、楽阿弥に代り一銭、尺八吹には何も呉れねば、腹だちや/\と、あそここゝにて悪口(あくこう)すれば、尺八吹は図なしなり、不詳なり あてよやとて、朸(おうご)撓め(ため)の三つ伏せに、押し伏せられて。
<シテ> 縄だめ柱だめに、焙(あぶ)つつ、踏んづ、捻ぢつ、引かれつ。その古の尺八竹の、冥土の苦患となるを、助け給へや御僧よ。尚も輪廻の妄執は、この年までも、数奇の下がらぬ。姥竹(うばたけ)の恋しさは、われながらうつつらにくやと、かき消す様にぞ失せにける。
語句解説
【次第】能の囃子事(一曲の中で、囃子が主となる部分)のひとつ。
【囉斎(ろさい)】托鉢行脚
【伏すまのなき】「衾・ふすま(夜具)」と「伏す間」を掛ける
【犬おどし】犬をおどして追い払うためのもの。この場所、尺八を持っているのを謙遜して言ったもの。
【吹きしむる】しめやかに尺八を吹く
【双調切】「ぎり」は竹を適当に切って音を調節するところからいう。双調の調子に合わせて作られた尺八。
【無常心(むじょうごころ)】世の中をはかなく思う心。
【しゆつつうなる(しゆつなる)】出なる。すなわちデモノ。さしでがましいこと。でしゃばること。
【図なし】とてつもない者、途方もない者。
【不詳】不浄、不肖、無生、いろいろ当てられる。
【あてよや】打ちつけろ、叩け
【朸】天秤棒
【苦患】くげん 苦しみ
【数奇】すき 不運、波乱にみちているさま。「数奇」と「過ぎ」を掛けている。
【姥竹】老齢を表すとともに、尺八製造に際しての手本を「姥竹」ということに掛ける。
【うつつら】まことに
訳
旅の僧が、伊勢の国、別保(べつぽう)の松原に着くと、1本の松にお札や短尺、尺八のようなものが数多くかけられているのを見る。土地の者にいわれを尋ねると、昔ここに住んでいた楽阿弥陀仏という薦僧が尺八の吹き死にをしたので、亡骸を土の中に埋めて、心ある人は尺八を手向けるのだと語り、僧��も供養を勧める。そこで、僧は〈我も持たる尺八を、懐より取出し、この尺八を吹きしむる〉と言い奏しはじめると、〈尺八のあら面白の音色やな、おぬしを見れば双調切(そうぢょうぎり)なり〉と謡いながら楽阿弥の幽霊が現れる。大尺八(二尺五寸)、小尺八(一尺二寸)、四笛(一尺八寸)、半笛(上羽調子)、両笛を差している。〈これは不思議だ。昔話の楽阿弥陀仏がしゃべった!信じられない!〉と僧が言うと、楽阿弥が〈何も不思議ではないぞ。あの宇治の朗安寺の尺八の書にも「両頭を切断してより此のかた、尺八寸の内、古今に通ず、吹き起す無常心の一曲、三千里外に知音を絶す」とある〉と尺八の功徳を説く。そして一緒に尺八を吹く。〈ああ、昔恋しや〉と楽阿弥が帰ろうとするので僧が一体何があったのか聞いてみたところ、楽阿弥は〈そこかしこで尺八を吹いていたけれども、人々は乞食には一銭くれるが、尺八吹きとしては何もくれない。私は腹が立ったので、あちこちで悪態をついたら、人々にコイツはとんでもない奴だということで、天秤棒で押し伏せられ、縄で柱に縛り付けられ、焙られ、踏みつけられ、捻られ、引かれたのだ。今尚、死に切れず、尺八への妄執は断ち切れない。姥竹への恋しさは我ながらまことに憎らしい〉と言ったまま、跡かたもなく消えてしまった。
〈おわり〉
僧のセリフ、
「我も持たる尺八を、懐より取出し、この尺八を吹きしむる」
こちらはミニ講座27の『閑吟集』の下記の歌とよく似ています。
「我らも持ちたる尺八を 袖の下より取り出だし 暫しは吹いて松の風 花をや夢と誘ふらん いつまでかこの尺八 吹いて心を慰めん」
『閑吟集』より
一節切は1尺1寸1分という短さなので、袖にいれて持ち歩いていたんですね。吹きたいときにすぐ吹けるし!合理的👍
そしてこちらの文章は、宇治吸江庵に住んでいたとされる朗庵が作者とされています。元は漢詩です↓
両頭を切断してより此のかた、尺八寸の内、古今に通ず、吹き起す無常心の一曲、三千里外に知音を絶す
訳
竹の両端を切った尺八寸の一節切の中には、古今に通じる儚い音色が込められて、三千里より遠くでもその音は届く
朗庵と親交のあった一休宗純(1394-1481)も同じような詩を書いているそうです。雅楽家の豊原統秋( 1450-1524)の記した日本三大楽書のひとつである「体源鈔」内にも見られます。
両頭というのは、普化禅師の唱えた四打の偈「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打・・・」の事であるとも。
さて、何故、楽阿弥はこのように無残に殺されなければならなかったのか?
ただ尺八を吹いていただけなのに!
それについては保坂裕興氏が著された「十七世紀における虚無僧の生成」の中で説明されています。
戦国大名は当時の芸能者を一定の保護と規制の下に置いた。尺八を吹く職能を持った人々は、連歌師・田楽師・猿楽師・舞人・座頭など数多く存在したが、薦僧は領国支配政策において、保護と規制の下に置かれるような芸能者とは区別され、放下(大道芸の一種)・猿引と同様、不利益をもたらすものとして位置づけられていた。
この狂言は、楽をすることや人々に迷惑をかけることを戒める、教訓ものではない。ここに描かれた���うに、薦僧楽阿弥と定住社会の人々の間には、大きな軋轢(あつれき)が存在していた。ひたすらに尺八を吹き、乞食に生活をゆだねる薦僧楽阿弥は、尺八吹奏の内に悟りをひらくという独自の世界観を持っていたが「楽阿弥」という呼称が示すように、定住社会の側から見れば、煩悩にしたがって生きる乞食浮浪者であり、その構成員たりえなかった。猿楽芸能者たちは、人々が楽阿弥の怨霊を封じ込めるべく塚に松を植え、また多くの尺八を下げ、札を打ち、短冊を下げて弔わなければならなかったことを設定したように、独自な世界観を持った薦僧と定住社会の人々との相克を舞台にのせ、定住社会の論理に圧倒されていく彼らの怨念を芸術に高めていった。
【相克(そうこく)】対立するものが互いに相手に勝とうと争うこと。
門付け行為に対して「替わり一銭」つまり相対時毎に「仕切銭」をわたす行為が当たり前に行われていた。定住社会の人々と薦僧との軋轢は、通常、この習俗的経済行為によって回避されていたのである。そしてそれが機能しない場合には、領主権的警察権にゆだねるのではなく、自力による共同制裁に移行したのであった。
以上のように、十五、六世紀の薦僧は<領主ー領民>が構成する枠外に存在した。そして習俗的な場では<仕切銭>によって外部に構造的に位置づけられ、戦国大名の政策では法的排除が指向された。これが『三十二番職人歌合』に名を連ねた薦僧の「卑しき身品」の内容であり<中世非人>の一種と見ることが可能である。
「楽阿弥」という名前の由来がわかりました。辻立ちをしている私には何とも痛いほどわかると言いますか…。
乞食坊主の行為にはお金をくれるが、尺八の演奏に対して人々の反応は鈍い。これが中世の頃からだったとは驚きです。昨今は仏教離れで虚無僧にも関心はなく、ましてや尺八の音色にもほとんどの人は反応しません。
要は生活に必要なものではないとの、烙印を押されてしまった職業なんですね。
もう、名前も「楽阿弥子」に改名しようかしらと思うくらいに、この亡霊さんに親近感です(笑)
楽 阿弥子
楽阿 弥子
どっちにするか、迷うところです。
...
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【共感シアターナビ】たくさんの投稿頂きました!「おすすめしたい日本のアニメ映画」投稿全部ご紹介!
先日13日火曜日の21時より放送された共感シアターナビの中で、視聴者の皆さんの声を紹介するコーナー「俺たち共感族!」のお題は「おすすめしたい日本のアニメ映画」でした。
募集をかけたところ、多くの視聴者から熱いコメントをたくさん頂きました!ただ、番組内では放送時間の都合上、全部を紹介することは出来ませんでした。
そこでこの度、放送内ではご紹介できなかった投稿を含めて、視聴者の皆様から頂いた全投稿をこちらに掲載させて頂きます!
視聴者の皆様から寄せられた熱い投稿、ぜひご覧ください!!
番組アーカイブはこちら!
きょたさん
■作品:劇場版シティーハンター<新宿プライベートアイズ>
■おすすめ理由
2019年に公開されたシティーハンター最新作。前作から20年ぶりに作られた新作(パラレルワールドのエンジェル・ハートは除く)シティーハンターは好きだが昔のコンテンツというイメージだったので、正直期待しないで観に行ったが面白すぎて度肝を抜かれた。感想としてはとにかく完璧にシティーハンターをしてるシティーハンターだった。無駄な要素を一切入れていない。
作品のノリや雰囲気、キャラの性格が当時と変わってないから安心して観れる。何より監督や声優が当時のままなのが一番嬉しい!平成最後に神谷明主役のアニメをぶちこんでくれたのは最高でした。山寺宏一、山崎たくみ、茶風林など当時エキストラで出演してた声優が今回メインキャラになったのは感慨深いものがある。
ギャグシーンも多めで、獠は5分に一回くらいはもっこり言ってたイメージ。もちろん戦闘もバッチリ決める!ゲスト芸能人声優が邪魔してないのもGOOD。話題性ばかりで演技がド下手な「大物ゲスト俳優(笑)」を使う作品が多いが、今回のゲストヒロイン役の飯豊まりえが上手くて物語に集中できた。
そしてシティーハンターはあくまで獠と香が主役だからシナリオ的にもでしゃばってない他にも往年のファンのテンションが上がる要素が多くて飽きさせない。特に音楽。シティーハンターシリーズの歴代主題歌が随所で流れるが、タイミングも曲のチョイスもバッチリ過ぎて聴いた瞬間目頭が熱くなった。
原作を知ってるならあっとなる小ネタも多くて探すのが楽しい。劇場公開時よく言われてた感想で「昔馴染みのラーメン屋に入ってラーメンを頼んだらラーメンが出てきた」というのが秀逸。確かに最近はラーメンを頼んだら冷し中華が出てくる作品が多い。そんななかこの作品が完成したのはまさに奇跡としか言いようがない。
一見するとファン向けな作品のイメージだが内容は「いつものシティーハンター」なので入門書としてもオススメ。映像面もシナリオも完璧で、まさにシティーハンターの最高傑作と呼ぶにふさわしい作品だった。
■作品:デジモンアドベンチャー ぼくらのウォー・ゲーム!
■おすすめ理由
デジモンアニメの中で一番好きな作品。40分という短い尺の中に恋愛、戦争、生活、友情、勝利など様々な要素が詰まってる映画。最初はいたずらメールを送るくらいのコンピューターウィルスがどんどん進化していき、レジの代金をバグらせてとんでもない代金にしたり、交通機関を乗っ取って電車を暴走させたり少しずつ世界を混乱させていく……
それを阻止するため主人公達が立ち向かうというストーリー最終的には核ミサイルまで発射されてしまい、日本を壊滅させようとするスケールのデカさにビックリしたこの映画に「島根にパソコンあるわけないじゃん」という台詞があるが島根県出身の身として言わせてもらうと、一応パソコンは当時から島根にもあったぞ~~!!
鶴岡亮さん
■作品:クラッシャー・ジョウ
■おすすめ理由
僕がオススメしたいアニメ映画は「クラッシャー・ジョー」です。本作の舞台は2160年の宇宙で、主人公ジョウ率いる宇宙の何でも屋の「クラッシャー」がある依頼を受け、壮大な戦いと陰謀の渦に巻き込まれていくというスペースオペラものです。
このアニメの見所は何と言っても監督のみならず、作画監督も務めた安彦良和さんを始めとするアニメーター陣による圧倒的な作画力です。河森正治(かわもりしょうじ)さんデザインのスターファイターが宇宙空間で繰り広げる激しいドッグファイトシーンや、カーチェイスやクリーチャーを相手にした豊富なアクションシーン、人間の身体の動きを滑らかに描いたガンファイトシーン等が、80年代アニメブーム時代の高クオリティな作画で楽しめます。ストーリーも若干フィルムノワールを思わせる敗者の哀愁を漂わせる面があり、一見スタンダードなスペースオペラという体制をとりつつも、そういう所を取り入れてくるのが学生運動経験者の安彦良和監督らしく面白い所です。
後、一部の人にしか判らないでしょうが、安彦良和さん作画の「ダーティペア」が一瞬見れる所も今作の見所です!
高クオリティな作画を楽しみたい方には楽しめる作品だと思いますので、未見の方が居たら是非ともご覧下さい!
■作品: 機動警察パトレイバー2 the Movie
■おすすめ理由
この作品は言わずと知れた押井守監督作品のアニメ映画。
本作は90年代に作られた作品で、当時日本で問題になっていた自衛隊の海外派兵問題や、それを是とする日本国の情勢に対して、押井監督の鋭い指摘が冴えまくった作品です。
横浜ベイブリッジにミサイル発射テロが行われるシーケンスに代表される印象深いカットワークてんこ盛りの本作ですが、中でもテロに対して東京に非常事態宣言が発行され、新宿、渋谷、池袋に自衛隊が駐留し、「日常から非日常」へと転換していくシーケンスは非常にインパクトがあり一見の価値があります。
奇しくも、この映画が公開された1993年の2年後の1995年にオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生し、「このアニメに影響されたテロでは無いか?」と物議を醸し出しだす事になりました。
社会、こと日本について描いた作品というと、庵野秀明監督の2016年の「シンゴジラ」が挙げられますが、本作「機動警察パトレイバー2 the Movie」は押井守監督が90年代の日本の状況を克明に描き出し、予言とも言える快作を作り上げました。
ポリティカルサスペンスとして非常に完成度が高く、90年代という日本の時代性を語る上で外せない作品だと思うので、未見の方は是非ともご覧下さい。
バッファロー・ビルさん
■作品:今敏監督作品「パーフェクトブルー」
■おすすめ理由
アイドルを卒業し、女優への転身を決意した主人公。彼女は事務所の要望となりたい自分との狭間で思い悩むようになります。現実と虚構が曖昧になっていく中、彼女にストーカの影が・・・最近では実写でもあまり見かけなくなったサイコホラーという題材。
90年代はセブンとか羊たちの沈黙とかやたら多かったですが、人間というものの気持ち悪さをここまで、それもアニメで本格的に描いた作品はあまりないでしょう。
98年の作品ですが、インターネット、芸能界の思惑、ストーカー等、現代でも十分通じる物語です。この作品がダーレン・アロノフスキー監督の「レクイエム・フォー・ドリーム」「ブラックスワン」に影響を与えたことは有名です。2010年にお亡くなりになった今敏監督。訃報を聞いた時はとてもショックでした。本当に残念でなりません。
肴はサラダチキンでいいさん
■作品: OVA版ブラックジャック カルテX しずむ女
■おすすめ理由
皆さんに見てもらいたいアニメで考えた結果これしか思いつきませんでした。また変化球気味で映画ではなくVシネマアニメですが、ギリOKという事で。
今作は手塚治虫先生の原作話で週刊チャンピオンで連載される訳でしたが、当時の公害描写などの理由でお蔵入りとなった話がOVAでアニメ化された物です。
ブラックジャックは医療アニメである前にヒューマンドラマだという事が分かる素晴らしい作品です。共感族の皆さんにも機会があれば是非見てもらいたいですね!^_^
nksさん
■作品:デジモンアドベンチャー ぼくらのウォー・ゲーム!
■おすすめ理由
本作は知る人ぞ知る細田守監督の出世作で、東映アニメ祭りで上映された、40分の短編映画です。
アニメーションの革新性、主要登場人物8人の手際良い配置、適度なギャグ、魅力的なアクション、どれを取っても20年前とは思えない出来の良さです。
スピルバーグが〈映画うま男〉なら、細田守は〈アニメうま男〉といったところだと思います。
細田監督がメジャー化してからの作品である「サマーウォーズ」は、実質本作のリメイクですが、個人的にはラスト10分でミサイルが着弾するスリルが現実の上映時間10分とぴったりリンクする所など、完成度において「ぼくらのウォーゲーム」の方が優れていたと思います。
■作品: 海獣の子ども
■おすすめ理由
本作は、主人公の少女(cv.芦田愛菜)が魚と会話できる不思議な力を持った少年と出会い、ひと夏の冒険を通じて海/地球/宇宙の神秘と生命の起源を知るという、ジュブナイルものかと思ったら「2001年宇宙の旅」だった、という映画です(なに言ってるか分からなかったらスミマセン。)。
ストーリーが難解でつまらないといった評価が多いですが、2001年やプロメテウス、エヴァが好きな私にとっては、大好物の作品でした。
しかしなんといっても本作最大の特徴は、一枚一枚が水彩画であるかのような、圧倒的な画力です。日本で同時期に公開された「スパイダーバース」と比較しても、勝るとも劣らない画の密度で、ハリウッドからの挑戦状に日本から回答を示すなら本作「海獣の子ども」だと思います。
2019年10月、制作会社のスタジオ4℃でアニメーターの残業代未払い問題が報道されました。そもそも本作は企画から完成まで6年を要した労作であり、そりゃ作り手が何人か倒れててもおかしくないよなと思いました。が、一観客として、「その成果はちゃんと届いてるよ!!」と、改めてアニメーターさん達に拍手を送りたいと思います。
甘えん坊将軍ユウスケさん
■作品:クレヨンしんちゃん~嵐を呼ぶジャングル~
■おすすめ理由
しんちゃん映画だときっとオトナ帝国と戦国が挙げられるでしょうが、あの二作はアニメ映画としては最高ですが、しんちゃん映画としては言いたいことがあるので敢えてあの二作の直前の本作をピックしました。
擬似的な親離れ家族離れ体験としていつもの五人でジャングル探検してギャグシーンを満載にした前半(原恵一監督は結構このシチュエーションやってる気がするのですが、このテーマ好きなんですかね?)。一人の兄としてひまわりちゃんを守って頑張る中盤。徹底的にまたギャグに振ったみさえ&ひろしの救出シーン。で、本作最大の見処であるしんちゃんの憧れのヒーローであるアクション仮面のくだりです。
単純な強さで言えば、悪役のパラダイスキングに劣ってしまうアクション仮面ですが、皆の応援、特にどんな時でも憧れのヒーローとして慕ってくれるしんちゃんの声援と、悪役にはない優しさがあるからこそ勝つと言うちゃんと「正義は勝つ!!」のロジックを下手なアメコミ映画よりちゃんとやっている点。
また、ハリボテの城に住み、「力」は手に入れたが、また本当の意味で声援を送ってくれる者の居ない文字通り「猿山の大将」である、ある意味でヒーロー俳優としてあり得たかもしれない別視点の自分が最大の悪役として立ちはだかる点。
これら昨今のアメコミ映画に有りそうな題材をアメコミブームの10年近く前に既に、ちゃんとやっていると言う点ではヒーロー映画としての完成度は抜群に高いとと言いたいです。また、最後はバッチリお下劣ギャグやナンセンスギャグで締めてくれるのも最高ですね。
オトナ帝国や戦国、ロボ��ーちゃんばかりが、もてはやされがちですが、ギャグとアツい展開のバランスが取れてるクレしん映画としておすすめしたい一本です(特に特撮ヒーロー好きなら大西さんにもおすすめです。既にご覧になられてるかもしれませんが…笑)。
nikiさん
■作品: 時空の旅人
■おすすめ理由
『火の鳥・鳳凰編』と同時上映の80年代角川アニメです。子供のころ、戦国時代が好きだったこともあり、劇場で見ました。こういったガキの時に見て面白かった作品が今見ても面白いのか?という疑問は昔の作品にはつきまとうと思うのですが、『時空の旅人』は大人になってから見ても面白かったです。
萩尾望都のキャラクターデザインの作画、竹内まりやの曲もいい感じです。ただ、ストーリーが原作ほど緻密ではない点、唐突に挟まれる角川春樹の俳句には目をつぶってください。
きゃわぐちさん
■作品:第5位 「帰ってきたドラえもん」と「サマーウォーズ」をセットで挙げます!
■おすすめ理由
13年前、まだ映画で涙した経験のない、鉄仮面だった高校生の私を大号泣させたのが、アメトークのドラえもん芸人で見た「帰ってきたドラえもん」でした。以来、涙腺がブッ壊れ、ついに映画館でも初めて泣いてしまったのが「サマーウォーズ」の花札のシーンです。
当時はセカチューや「1リットルの涙」から続いていた闘病モノブームもあって、そういう“お涙頂戴”がことさら多かった気がするのですが、“悲しさ”ではない感動で泣く、という経験ができるのもこの2本のいいところですね。
■作品: 第4位 「この世界の片隅に」
■おすすめ理由
第4位は一転して底無しの“悲しさ”に泣けてしまう「この世界の片隅に」です。戦争モノのアニメ映画といえば、「はだしのゲン」や「火垂るの墓」や、いわゆるグロくて強烈な作品は数あれど、こんなにも穏やかな、それでいて辛い作品があったでしょうか!?
全編にわたりほぼほぼ戦闘シーンがなく、主人公・すずさんのおっとりした性格も相まって、日常系のアニメを観ているかのような気分になりそうな本作。しかし確実に戦時中である、というギャップが、どうしようもなく悲しい。去年の終戦記念日に初めて観たのですが、すずさんの穏やかな暮らし、健気な性格を見ていると「戦争さえなければ、平和に幸せに暮らせていたはずなのに」という思いが込み上げてきて、クライマックスでも何でもないシーンで涙が止まらなくなりました。
そして、当時の日本には何万人、何十万人という“すずさん”がいたのだという事実が現実味を帯びて感じられます。紛れもなく、映画史に残る名作です。
■作品:第3位 「 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」
■おすすめ理由
これは「クレヨンしんちゃん」という子供向けコンテンツを、大人の視聴にも耐えられる、むしろ大人こそ感動できる作品へと昇華させた金字塔的作品です。クレヨンしんちゃんの映画として必須な“お下品な笑い”はふんだんに盛り込んでおきながら、成長して見返すと泣かずにはいられない感動もある。
見る年齢によって、泣き所が変わってくるのもポイント。いつ観ても笑って泣ける、最高に楽しい映画です!こっちは何回も観るからブルーレイ化してくれ!
■作品:第2位 「 ルパン三世 カリオストロの城」
■おすすめ理由
挙げるまでもない名作ですが「ルパン三世 カリオストロの城」!
・言わずもがな抜群の完成度。
・テレビで流れていればつい観てしまう
・何度も観ているから安心感があるのに、何度観ても飽きのこない面白さまさにアニメ映画界の「ターミネーター2」!
今さら観てない人はいないと思いますが、「クラリスって誰?」という人がいないとも限らないので、念のため第2位にランクインです。
■作品:第1位 「 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」
■おすすめ理由
そして第1位は、完全に私の趣味「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」で決まりです!もちろん世代ではなく、小学生のころケーブルテレビで父に見せられたのがきっかけ。テレビ版も見たことがなく、最初に触れたヤマトが劇場版2作目の“さらば”。
まだアニメといえばドラえもんやクレヨンしんちゃんやコナン、あるいは少年漫画の単純な勧善懲悪しか知らなかった私に、いきなりの“さらば”はまさに世界がひっくり返るような衝撃でした。見終わったあとテレビの前で呆然としていたことは、20年以上経った今でも覚えています。ボロボロになっても戦い続ける、ヤマトの不屈のカッコよさ、白色彗星帝国の圧倒的な強さと絶望感、クライマックスの激闘、そしてきゃわぐち少年を衝撃の渦に呑み込んだラスト。最高と言うほかありません!
ただ、ヤマトに限りませんが、大人になってから初めて触れると、どうしても奥にいる製作者や、話の辻褄ばかりに目がいってしまって、純粋に作品の世界に没頭することが難しくなるもの。でも子供の頃に観たものなら、大人になってもずっと“あの頃”のまま楽しむことができます。
共感シアターをご覧の皆さんで小さなお子さんを持つ方がいたら、早いうちに「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見せることをオススメします。あと「あしたのジョー」。 余談ですが、共感シアターではだ〜れも観てない「鬼滅の刃」、僕は初日に行ったしブルーレイも予約したし、結構感動しました(笑)
アレスさん
■作品:「 マジンガーZ対暗黒大将軍」
■おすすめ理由
無敵のスーパーロボットと思ってたマジンガーZが新たに現れたミケーネ帝国の戦闘獣軍団にボロボロにされるのは幼心にそれはもうショッキングでしたが、そのピンチを救うべく飛んできたグレートマジンガーの無双ぶりはそれを上回るインパクトでした。
「マジンガーZの兄弟さ」とだけ言い残し飛び去って行くラストシーンの格好良さはアニメ映画の括りだけじゃなく、映画のマイオールタイム・ベストシーンです。
ぜんぞう
■作品:「 餓狼伝説/劇場版」
■おすすめ理由
さて、おすすめしたい日本のアニメ映画ですが、僕のおすすめ日本アニメ映画は、「餓狼伝説/劇場版」です。「AKIRA」や「オネアミスの翼」等、大好きなアニメ映画は沢山ありますが、他の皆様のおすすめにあがりそうなので、あまり語られることのないであろう、「餓狼伝説/劇場版」をおすすめしたいと思います。
制作当時、隆盛を極めたSNK製のビデオゲーム「餓狼伝説」シリーズを基にした、劇場版ならではのスケールの大きいオリジナルストーリーがとにかく魅力的。ゲームでお馴染みのキャラクター達が、伝説の闘神の鎧を巡ってインディ・ジョーンズよろしく遺跡を巡り、謎を解き、鎧を狙う敵対勢力と超人バトルを繰り広げる展開は圧巻の一言。
ダイナミックなアクションとミステリアスなストーリーは、これぞ日本アニメ!「ヘルボーイ/ゴールデンアーミー」にも影響を与えた(と勝手に推測している)クライマックスも含め、見所満載のスペクタクルアニメ映画です。ぜひぜひ、ご鑑賞ください。
ヱキストラさん
■作品:クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ夕陽のカスカベボーイズ(2004年)
■おすすめ理由
クレヨンしんちゃん界隈の映画秘宝こと「クレヨンしんちゃん研究所」で絶賛された本作品。往年のマカロニ・ウェスタン/アウトロー作品への愛を異常なほど感じさせる本作は、これまでの明るい雰囲気を出さないためか、オカマキャラを一切登場させない徹底ぶり。
「荒野の七人」「夕陽のガンマン」「マッドマックス」「ローン・レンジャー」など自分がわかるだけでも数作品のオマージュ/パロディが随所に散りばめられていて、その上、元ネタを知らなくても楽しめるクオリティの高さでした。加えて最後のオチは、"映画"というギミックを笑っちゃうぐらい見事に活用!
上映時間は95分で、Netflixにも公開されているので、映画好きな共感族の皆さんにも、是非一度ご覧いただきたい作品です( ´-`)
リノス屋さん
■作品: バンパイアハンターD (英題:Vampire Hunter D: Bloodlust)
■おすすめ理由
古典的なモンスターホラー要素に、SFファンタジーや西部劇の要素も併せ持つ作品です。 舞台設定は、遥か未来。“貴族”と呼ばれる吸血鬼に支配された世界で、人類は家畜同然な存在に。貴族達に怯えながらも、なんとか生活を保っている人類に味方をするのが、人間と吸血鬼の混血で、吸血鬼ハンターを生業にしている、主人公“D”。全身黒ずくめで、大きな旅行帽を被り、背中に長い刀を背負い、左手には人面瘡(じんめんそう)を宿し、顔立ちは美形という、一見地味に見えてカリスマ性のあるこのキャラクターがまず魅力的です。
映画の内容は、名門と云われるエルバーン家の少女が、貴族に誘拐される所から物語が始まり、それを知ったエルバーン家の者が、主人公Dや人間の吸血鬼ハンターいち味を雇い、少女救出へと向かわせます。後に、『マトリックス』のオムニバスアニメ『アニマトリックス』の一作品を手掛ける事になる、監督の川尻善昭(かわじりよしあき)さんが描く、道中でのアクション等見所が随所にあり、混血な故に貴族からも人間からも毛嫌いされ、しかしながらも奮闘する主人公Dの孤独な戦いもドラマに絡んできて、終盤には思わず涙を誘われます。
又、この作品の公開時は、英語版での上映のみでしたが、ソフト化の際には、日本語版も発売され、声優ファンには堪らない錚々たるメンバーがキャスティングされております。特に、主人公の左手に宿る人面瘡(じんめんそう)の声を、永井一郎(ながいいちろう)さんがアテられていて、無口な主人公とは対照的に、ユーモアや皮肉に溢れるキャラクターを演じられていたのが印象的でした。『バンパイアハンターD』は、映画以前にもOVAやオーディオドラマ、プレステ用ゲーム等のメディア展開も多くあります。
何より、菊地秀行(きくちひでゆき)さん原作の小説には、キャラクターデザイン兼挿絵をファイナルファンタジーシリーズのイラストでも有名な、天野喜孝(あまのよしたか)さんが手掛けられていて、天野さん自身の個展でも度々、同作品のイラストも出展している為、おそらく共感シアターの皆様も、どこかで一度は“D”を目にしたことがあるかもしれません。
孔明(MOVIE TOUCH)さん
■作品: トランスフォーマー ザ・ムービー 1986年公開作品
■おすすめ理由
1984年にアメリカでトランスフォーマーの玩具が発売され、テレビアニメ放送もあって大ヒット。それを受けて製作されました。テレビアニメ同様に日米合作で、作画は主に日本の東映動画(現:東映アニメーション)が担当。最初のテレビアニメ「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー(通称:初代)」の続編ですが、本作は当時の子供達に深い傷痕を残しました。
開始30分以内に玩具の在庫処分のために初代に登場したトランスフォーマーの殆どが無惨にも殺されていき、同時に新商品の宣伝のために新しいトランスフォーマー達が主役の物語が容赦なく始まるという衝撃的な内容。総製作費40億円(尚、半分しか使い切れなかった)をかけた本作はCGと見間違える程の神作画が終始続き、日本のアニメーター達の底力を見られます。特に星帝ユニクロンの変形シーンはロボットアニメ史に残る神シーンです。ジャド・ネルソン、レナード・ニモイ、エリック・アイドル、オーソン・ウェルズらが声優として出演。
また本作はオーソン・ウェルズの遺作でもあります。勢いある80年代を象徴するような本作のアルバムは映画アルバムでもベストに入れたいほどの名盤で、特に主題歌「The Transformers Theme」と挿入歌「The Touch」は海外アニソン屈指の名曲。因みに劇伴は「ロッキー4/炎の友情」のヴィンス・ディコーラ。日本は玩具発売元であるタカラ(現:タカラトミー)の大人の事情で劇場公開に至らなかったものの、後にチャリティ上映やソフト販売が一応行われました。
現在国内で合法的に見る方法は北米版ブルーレイ(勿論日本語音声も字幕も無し)を海外から取り寄せる以外ほぼ皆無で、他はネットに違法アップされた物を見るしか方法がありません。しかしタカラトミーもブルーレイ発売や配信をする気が無いのにも関わらず本作の玩具を出しまくっているので事実上黙認状態(因みに今月も発売予定あり)。実写映画版シリーズで本作から引用されているシーンや台詞、��定がかなり多いので是非見てください。
■作品: ガールズアンドパンツァー 劇場版
■おすすめ理由
ある意味戦車アニメ版ワイルドスピード。その熱さは実際に鑑賞した多くの映画ファンから同年公開の「マッドマックス 怒りのデスロード」に匹敵すると言われた程。
砲撃戦のみならず戦車で戦車を投げ飛ばして攻撃、戦車同士で格闘戦、ジェットコースターのレール上で戦車チェイス、窮地を救う観覧車先輩などなど、「戦車でそんな使い方アリ?!」のオンパレード!仲間はファミリー同然に面倒を見る!一度戦った相手はマブダチ!応援大使は蝶野正洋!一見あり得ない戦車戦の裏には膨大なリサーチに裏付けられた世界トップクラスの再現度を誇る戦車描写があり、リアリティとファンタジーが見事に融合した戦車映画になっているのです。
特攻野郎Aチーム的な「どんな奇策でその場を乗り切るか」という展開も見どころです。オーケストラで収録された劇伴も作品を盛り上げる良い仕事ぶりを発揮し、オリジナル楽曲以外にもリパブリック賛歌やフニクリ・フニクラなど様々な国の曲が使われるので大変勉強になります。共感族なら一度は聞いた事があるであろう、あの映画にも出てきたあの楽曲も使われます。また劇中歌「おいらボコだぜ!」は人生何度ボコボコにされても立ち上がる力をくれる素晴らしい歌です。
現在劇場用OVA最新作「ガールズアンドパンツァー最終章 第3話」が公開中。それに合わせてNetflix、dアニメストア、Huluなどの各配信サービスにて本作ほかシリーズ作品が見放題配信中、更にシネマサンシャイン系列劇場などでリバイバル上映中です。以前アニメ業界にいたのですが、業界人として見ても手描きアニメと3DCGを組み合わせる現代のアニメの中でもトップクラスの作品と言える程クオリティは高いと思います。また、私が業界にいた頃にお世話になった方々が関わっていますので、是非ご覧いただければと思います。
因みにガルパンのムック本「不肖・秋山優花里の戦車映画講座」は監修/執筆が青井邦夫さん、執筆協力の1人が高橋ターヤンさん!ガルパンは実質共感シアター案件では?!
以上になります!
今回は「日本のアニメ映画」というように限定しましたが、アニメ映画はまだまだたくさんありますので、また皆様からのお声を募集したいと思います!
お楽しみに!!
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現代日本人の清潔志向は色々と話題になり外国人の話からも窺えますが、私達戦中派の体験からは糞尿と切っても切れない日本人の生活実態があるのです。今回は江戸東京の糞尿譚から下水道、更にはウオッシャブルトイレに至る経緯を眺めてみました。
それでは昔のその又昔の話から、初代江戸城築城の主と云われる太田道灌は長禄元年(1457)、今の江戸城本丸跡付近にささやかな城を築いたと云われ、当時の様子は道灌の有名な一首が残っております。
”わが庵は松原つづき海近く
富士の高嶺を軒端にぞ見る”
という事で日比谷あたりは海辺であった事が分ります。
天正元年(1590)には小田原北条氏との戦の恩賞に秀吉から広大な関東を与えられた徳川家康が江戸入府しますが江戸城築城に当り内濠として日比谷の海辺に流れ込む平川を利用し江戸城の内堀として、今でも平川門、平川橋、平川濠と名を留めており、これが現在の神田川(平川)の昔の流路でした。
では、究極の糞尿お江戸リサイクルの核心である舟運と河川の話に移ります。
徳川時代の日本橋川は下流から江戸橋、日本橋を逆上り一石橋に至り、ここから真直ぐに江戸城の内濠まで道三濠を掘削し、舟の往来を可能にします。この水路を利用した有名人に江戸城御用下掃除人で大奥不浄物を一手に引き受けた葛西権四郎さんです。 彼は道三堀を利用して屎尿を舟に積み込み葛西の農村部に運び込んで財を築きました。
なぜか? 江戸時代は農地の肥料として下肥即ち糞尿は貴重なもので江戸の街には各地の農民が汲み取り権を持ち、舟に積み込み農村に回漕して利用しましたが、この通称”汚穢(おわい)舟”が、お江戸の水路の奥まで入り込みましたので、いつの間にか汚穢舟を葛西舟と呼ぶ様になり、戦後まで定着しておりました。 お蔭で最近まで葛西地区のイメージに汚穢を結び付けていた年寄りも居たようです。
この究極リサイクルのお蔭で日本のお江戸は当時のヨーロッパ各都市に比べて飛び切りに清潔な街であったと云われます。
それではいよいよ、お江戸の屎尿との密着した生活の一端を覗いて見ますが、話が話だけにお上品には進まないと思います、悪しからず、くれぐれも御願い致します。
農家の購入肥料には金肥と云われる銚子港から高瀬船で運び込まれる干鰯(ほしか)油粕などと、下肥といわれるお江戸の屎尿がありますが安価で効き目のよい下肥が実質的には唯一の肥料で『軽蔑すれば罰が当る』と言われ、今日の様に臭い汚いの観念を越えた貴重な商品でありました。
屎尿処理経過の大要。…江戸時代初期の頃は無料で汲み取らせていたようですが人口増加につれ農民の生活を支える現金収入の道を開いた野菜作り農家が増え元禄(1680年代)頃から屎尿は商品として取引され江戸後期にかけては百万人のお江戸と農村との間に究極の大リサイクルが展開しております。
この構図は規模が縮小されても昭和二十二三年頃までは続きますが、化学肥料の普及から農業利用が途絶え、以後は廃棄物として伊豆大島沖周辺海域で海洋投棄が行われつつ下水道処理の普及と共に現状に到達いたしました。
ところで商品屎尿につきましては当然肥料としての効き目において、値段のランクがあり上等から下等の順は、
一番、勤番、主に大名屋敷の屎尿。
二番、町肥、江戸の町方の家、長屋のもの。
三番、辻肥、四辻などに農民が設置した便所の屎尿、
四番、お屋敷、これは牢屋敷などで最下等。
最上等の勤番の標準価格は町肥の4、5倍の値が付いたそうですから、ちなみに葛西権四郎さんが集めた江戸城大奥の屎尿は更なる高級品として大きな利益を上げていた事と想像できます。
特に気が付いたことは食生活の質で肥効に格差とは面白い発見でした。
当時のお江戸の街は武家、社寺仏閣でその七割が占められ、町方は残りの三割に犇き住んでいましたので商家等を除けば江戸庶民は落語でお馴染みの長屋住まいですから、やはり、このお話でも”大家さん”の登場となります。
江戸時代の”家主”こと”大家”は長屋のオーナーではなく管理運営を一切任された使用人なのですが、お上から町役として店子(たなご)の身分保障、責任を負わされた反面、店子には権力者でもあった訳です。 注)家主⇒江戸時代の家持と大家との両義語。
家と店子の関係を江戸時代は”大家と言えば親も同然,、店子と言えば子も同然”と例えております。
便所が家の中にあれば糞代はその家の収入になりますが、長屋の共同便所(後架、コウカ)の場合は江戸では大家さんの収入になりました。
大家の実入りは年のお手当てが二十両で余得が十両、糞代が十両と、おおむね三、四十両になったようで、一両を現在の十万円を目安にすると当時の隠居の身では恵まれているのでしょう。
よく落語などでは大家に、こっ酷く小言を言われた店子が腹立ち紛れに”明日から長屋では糞などしてやらねえ”と毒づいたりしてこの辺りが推測できます。
「肥取りへ尻がふえたと大家言い」 「店中の尻で大家は餅をつき」
ここまで来ますと江戸トイレ事情も一寸調べましょう。
大体徳川時代に入ると便所が出来たそうですが、初めは外トイレが家屋にくっついた形での間取りであり、長屋では共同の後架と称する外便所でしゃがんで頭が見える程度の扉が付いた物で江東区の深川江戸資料館には復元された物がありました。
[経済][歴史] 糞尿譚(6)−6 江戸東京リサイクル - 旧聞アトランダム
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📸尚古荘庭園 [ 愛知県西尾市 ] の写真・記事を更新しました。 ーー西尾城の櫓跡を活かして昭和初期に名古屋の庭師・足立代三郎により作庭された回遊式庭園と近代和風建築。 ...... 「尚古荘」は米穀商・岩崎明三郎によって「西尾城」の東の丸の跡に昭和初期に造営された別荘。 現在は西尾城跡を整備した「西尾市歴史公園」の一部として回遊式庭園が無料で公開されています。 . 12月初旬、約6年半ぶりに“三河の小京都”西尾を訪れました。 鎌倉時代に足利義氏によって築城された「西条城」が前身とされる西尾城🏯江戸時代には酒井正親・その子の酒井重忠・本多康俊・太田資宗・井伊直好といった武将、大名が城主/藩主をつとめ、街も西尾城の城下町として発展。 . …でも前回訪れた頃はまだ古い町並みや建物に今程熱心ではなくて、アートな島で知られる“佐久島”🏝を訪れたついでに少し町を歩いたって感じで。この尚古荘も「あ、庭園ある」と少し立ち寄っただけで、駅から見ると更に奥にある『旧近衛邸』とかは完全にスルーしてた。 今回は!ちゃんとその2箇所(+α)を見ようと思って久々の西尾へ。 . 西尾城への思いから名付けられたという“尚古荘”(古を尚ぶ荘)。瀬口哲夫さん(名古屋市立大学芸術工学部教授)の文献『奥行きある歴史的古都づくりに向かって/旧近衛邸や尚古荘の再生活用』によると、1931年~1937年(昭和6~12年)と6年もの歳月をかけて造営されました。作庭は名古屋の庭師 #足立代三郎 によるもの。 . …6年前の自分の“庭園の見方”を思い起こすと、“建物から見るもの”という感覚が薄かったように思う。園路を歩いて終わり、みたいな。建物を見た記憶がほとんどなかった。 . 今回改めて訪れてみて。30畳の大広間のあるお座敷は沓脱石が立派なこと・その視線の先にお茶室“不言庵”へ目が行くこと、座敷の一番奥が枯池にせり出すような形になっていてかっこいいなあと思ったり、昭和初期の和風建築のかっこよさを実感する。ここの紅葉がまた立派できれいで!🍁 . 歌人・佐々木弘綱も訪れたという茶室“不言庵”は金物商“鍋屋”八代目・辻利八の別邸に建てられたもので、後にこの尚古荘に移築。 また園内の高台は西尾城の丑寅櫓の跡とされていて、高台の東屋も辻利八邸から移築されたもの。 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/shokosou-garden-%e5%b0%9a%e5%8f%a4%e8%8d%98%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #japanarchitecture #japanesearchitecture #庭園 #庭院 #庭园 #日本庭園 #西尾 #西尾市 #nishio #aichigarden #愛知紅葉 #おにわさん #oniwasan (尚古荘) https://www.instagram.com/p/CJQUcwbAap6/?igshid=1hi40l77gtdfh
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西暦2021年1月23日より全国劇場にてロードショー EVANGELION: 3.0+1.0 THRICE UPON A TIME Trailer 新世紀福音戦士新劇場版 Trailer https://www.evangelion.co.jp/ 企画・原作・脚本・総監督/庵野秀明 監督/鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏 コンセプトアートディレクター/前田真宏 総作画監督/錦織敦史 作画監督/井関修一、金世俊、浅野直之、田中将賀、新井浩一 副監督/谷田部透湖、小松田大全 デザインワークス/山下いくと、渭原敏明、コヤマシゲト、安野モヨコ、高倉武史、渡部隆 CGIアートディレクター/小林浩康 2DCGIディレクター/座間香代子 CGI監督/鬼塚大輔 CGIアニメーションディレクター/松井祐亮 CGIモデリングディレクター/小林学 CGIテクニカルディレクター/鈴木貴志 CGIルックデヴディレクター/岩里昌則 動画検査/村田康人 色彩設計/菊地和子(Wish) 美術監督/串田達也(でほぎゃらりー) 撮影監督/福士享(T2 studio) 特技監督/山田豊徳 編集/辻田恵美 テーマソング/「One Last Kiss」宇多田ヒカル(ソニー・ミュージックレーベルズ) 音楽/鷺巣詩郎 音響効果/野口透 録音/住谷真 台詞演出/山田陽(サウンドチーム・ドンファン) 制作/スタジオカラー 配給/東宝、東映、カラー 宣伝/カラー、東映 製作/カラー テーマソング/「One Last Kiss」宇多田ヒカル(ソニー・ミュージックレーベルズ) 2021年1月24日(日)0:00 配信スタート(ダウンロード・サブスクリプション) One Last Kiss (映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』テーマソング) iTunesプレオーダー:https://erj.lnk.to/OLxdla 「One Last Kiss」EP 2021年1月27日(水)発売 通常盤CD予約:https://utadahikaru.lnk.to/dfeKvz 完全生産限定盤 LP予約:https://utadahikaru.lnk.to/ScYjaY 【収録内容】 One Last Kiss ー映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』テーマソング Beautiful World [2021 Remastered] ー映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』テーマソング Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix- [2021 Remastered] ー映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』テーマソング 桜流し [2021 Remastered] ー映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』テーマソング Fly Me To The Moon (In Other Words) -2007 MIX- [2021 Remastered] ー映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』予告編挿入歌 ほか http://utadahikaru.jp/ #シンエヴァンゲリオン劇場版 #evangelion #宇多田ヒカル #エヴァンゲリオン #庵野秀明 #HideakiAnno #evangelion #HikaruUtada
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180318 STRETCH
ここ最近Huluで平成ゴジラ(2000年以降のやつ)を流し見で観ていた。
思ったこと。
自衛隊の女性隊員が上官や同僚をゴジラに殺された復讐心でゴジラに立ち向かう話が多すぎる。
案外まじめに過去の映画の設定を引き継いでいる事に驚いた(至って普通の事なんだけど、こういうカタストロフ系って街の復興の辻褄とか合わないから設定リセットされたり、パラレルに逃げるのが常套手段)。
以下、ネタバレあり注意。
2000年以降のゴジラ世界では「東海村JCO臨界事故」がゴジラ被害によるものに置き換えられており、そのタイミングで国内から核燃料を廃絶した事になっている(根本的にゴジラを倒す術がなく、核エネルギーを求めてゴジラは何度でも上陸してくる為)。そうして、原子力発電の代わりに発明された「プラズマ発電」によって日本は建てなおされた…が、そのニューエネルギーもまたゴジラを惹きつけてしまうのであった…というのが「ゴジラ×メガギラス」のイントロ部分。
とにかく、ゴジラを完全に駆逐しないと日本に平和は訪れない!って事で日本政府はブラックホール兵器を開発(普通、国連で反対されるだろうがそこは描かれない。恐らく秘密裏にやっている設定?)。ゴジラを別次元に吹き飛ばそうと実験を開始。しかし、その際生じた時空間の歪みから古代の巨大トンボを現代に呼び寄せてしまう。巨大トンボはなんだかんだでゴジラの血液を入手。巨大怪獣「メガギラス」となってゴジラ以上の脅威となり日本に襲いかかるのであった、という話。途中で観るのやめたのでオチは知らない。
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その次。「ゴジラVSメカゴジラ」。ゴジラはなんだかんだ偶然が重なりいつも勝手に海に帰ってくれるけど、やっぱり根本から撃退したい。今回日本政府が目を付けたのは、映画第一作で芹沢博士が発明した化学物質「オキシジェン・デストロイヤー」によって倒されたゴジラの「遺骨」だった(オキシジェン・デストロイヤー自体は芹沢博士によって生成方法が破棄された為に再現不能)。海底に眠るゴジラの骨を回収した政府はゴジラの脊髄から抽出した細胞によってバイオコンピューターを作り、それを核に据えた対ゴジラ兵器「機龍(メカゴジラ)」を開発。その骨格にはどういう理屈か分からないがゴジラの遺骨がそのまま組み込まれていた(ゴジラ級の巨体を支えられるのはゴジラの骨だけっていう理屈だったかなぁ?たぶん)。今回は一応、国連的な人々を集めて「説明」するシーンが描かれるものの、機龍の驚異的な強さの説明に終始し、何故それを日本が所有して良いのかの正当性に関しては何ら決着ついてなかった気がする。
今作は明らかに「エヴァ」の影響が見て取れる。地下からの発射シークエンス然り、電源供給システム然り(ただし一歩進んで無線供給)、放射能に侵される危険を冒して主人公の自衛隊員女性が機龍に単身乗り込み有人操縦しようと試みるシークエンス然り、ゴジラ細胞を取り込んだバイオコンピュータが「暴走」する設定然り…。ある意味、東宝本家が二次創作である庵野監督作品に歩み寄った(時代の流れ的に、そうせざるを得なかったともいえる)最初の作品であり、この時点でシン・ゴジラ誕生の布石は打たれていたとも言えなくもない。当初はゴジラを機龍が持つ冷凍兵器で凍らせて粉砕する予定だったものの、苦戦を強いられ水中で発射する羽目になった為決定打にならず、とはいえゴジラが疲れて海に帰ってくれたのでめでたしめでたし、というお話。「ゴジラを倒す事こそ出来なかったが、これで日本はゴジラに対抗できる明確な戦力を得た…」的なセリフで物語は幕を閉じる。
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その次。「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」。物語序盤、かつてモスラの日本襲撃の際に尽力した中條信一のもとに再びモスラの「小美人」の2人が現れ、「死んだ生物を冒涜するような事をしてはならない、メカゴジラに組み込まれたゴジラの骨を自然に返すように」と促す。ゴジラの事はモスラがなんとかするから機龍は解体しろ、的な話。途中で観るのやめたからオチは知らない。
―てな感じで。細部の突っ込みどころは山程あるものの、大枠の流れとしてはゴジラを撃退したい欲求に基づいて日本がいろいろ頑張り、ちょっとずつ前進する道のりが描かれていて感心した。もっとリブートを繰り返しまくっているいい加減な設定なのだろうと思い込んでいたから。でもやっぱ80年代ゴジラで活躍した超兵器「スーパーX」だけは無かった事にされており「ゴジラvsデストロイア」で新開発されるまで出てこない(これも観てはいない)。
あらゆる演出、コンテが大味かつベタベタで苦笑してしまうのだが、自衛隊が全面協力している事もあり軍用車両の描き方やヘリからのラペリング等が地味に本格的で驚く。メッセージ性があるんだか無いんだか、クオリティが低いんだか高いんだか分からない(総合的にはショボい)バランスで、対象年齢がどの辺りを狙っているのかもさっぱり分からない。段取りと頑張り…すなわち根性と意地だけで作っているような、微妙に痴呆症めいたものを感じる。まあ、なんか、でも、想像してたよりずっと面白かったというのだけは確かだ。
オウエンスル
P.S.今ニコ動でスーパーX登場シーンまとめ観たらデストロイアで「スーパーXIII」として登場している点からして、スーパーXは無かった事にはなってない様子。しかし、造形センスは過去の二機よりも悪化しているのであった(過去二機は絶対に飛ばないだろう!という丸っこくてシンプルなデザインがむしろ、超技術を使っている感があってまだ受け入れ易かった)
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