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#数少ない大切友達や恩人
kennak · 6 months
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27 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:18:47.77 ドイツでソロ活動はダメよ~怪しい人とか友達いない人って思われちゃう ドイツだけでなくフランスもスイスもどこもダメ だからみんな一人でいる時は電車の中でもバスの中でも ずっと電話で話してるw 30 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:19:28.96 >>27 窮屈そう… 33 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:21:14.44 >>30 日本では若い人は結構一人で夜ご飯を食べたりする人 多いんだよって言ったらドイツ人から羨ましがられたわw 同調圧力が強いからしたくても出来ないらしいわ 36 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:23:10.60 >>33 ドイツでもそんなのあるんだ 44 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:26:49.73 >>36 ていうか自由ですよと言いながら暗黙のタブーが沢山ある 日本って全体主義と言われるけどルールさえ守れば ソロ活動が許される自由な国だわ 54 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:30:41.45 >>44 日本はめちゃくちゃ自由で差別の少ない下剋上が狙える夢のような国だよ 普通はある階層以下は絶対に官僚とかになれない 日本は東大に行けばスタートラインに立てる簡単な国 59 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:32:18.72 >>54 日本は良い国だわ 67 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:35:52.00 >>54 特にドイツは駅員さんとか飲食店の店員さんとか英語の ワンツースリーすら理解できないのよね 教育の格差が激しすぎるし生まれで人生が決まり過ぎる 英語が喋れるドイツ人は嬉々としてここぞとばかりに 英語喋れます!って私に話しかけてきてたw ただアメリカ人が我が物顔で英語だけで観光してる時は ムカつくから知らんぷりするらしいw 76 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:39:54.03 >>67 教育格差すごいよね 何で日本はみんな平たく高校無償化とか大学もとか言っているんだろうね 馬鹿と底辺に無償教育なんていらないわよ 82 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:43:18.19 >>76 ドイツは大学も全部無料なんだけどその恩恵を受けるためには 優秀じゃないとダメなのよね 小学校卒業の時点で人生が決まるのは酷だけど無料なら 仕方がないのかなと思ったり 91 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:46:03.20 >>82 なに?小学校で人生決まるって テストがあるの? 96 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:47:42.40 >>91 大学に進学出来る中学に行けるか行けないかのシビアなふるいに かけられるのよ そこで落ちたら一生這い上がれないお金があれば回避可能よ 104 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:49:23.98 >>96 大学に進学できる中学って名前があるの? 120 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:54:09.73 >>104 中卒で働くかその後専門学校で職人になる中学か大学に 進学することを目標としてる中学の二択を小学生の時点で 決めるのよ 大多数が後者だけど税金で教育する価値なしと 判断されると12歳で足切りされるの 133 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:57:02.28 >>120 いいわねぇ足切り お金持ちは足切りされても私立に行くのね? 137 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:58:20.44 >>133 お金持ちはそもそもそんな学校に行かせないわ スイスのボーダースクールとかイギリスに行かせたりその他もろもろよ 31 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:20:28.67 >>27 えぇ~   ぼっち許されないの?! 最近何するのもソロだわ私 日本人で良かったw 38 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:24:42.88 >>31 一人でお茶したいって思っても席に着いて注文を取りに来た人に ドイツ語で一人って言うと一人?って聞き返され一人と答えると 英語でアローン?って聞かれてアローンって答えてさらにワン?って 聞かれてたわw だんだん答えてて悲しくなってくる国よw 43 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:26:15.43 >>38 お茶もなんだ 大変だ 48 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:28:13.38 >>43 大声で電話してると何にも言われないんだけど 一人で静かにお茶を…っていうと何やってるんだ一人でって 気味が悪いみたい 46 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:27:47.04 >>38 奥様よく耐えたわ~ ヨーロッパの方が個人主義とかが尊重されているのかと思ってたわ 聞かないと知らないこときっとたくさんあるわね 60 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:33:24.95 >>46 そんな事全然なかったね! 私は安心な人間です!とかそういうアピールなんだろうけど みんな人の目を気にするから日本人で良かったと心から思ったわw 語学学校で日本ではお一人様って言葉がありますって 小話を書いたら先生からそれマジで?天国!って言われたわよw 69 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:35:53.97 >>60 奥様めっちゃ面白いわ 本か漫画でエッセイ書いて欲しいわ 73 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:38:12.73 >>69 書いてみようかしらw ドイツ人はドケチだからエコと親和性が高いよねって 小話もめっちゃ受けてたわ 80 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:42:20.27 >>73 今流行りのブログで4コマ漫画ってやつどうよ イスラムの女の子とルームメイト?の話とか本になってたわよね 132 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:56:49.99 >>80 画力が画伯なのよね… でも四コマにしたい面白い話が沢山あったわw 141 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 03:59:10.87 >>132 ドイツで一番面白かったエピソード知りたいw 150 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 04:01:30.16 >>141 一番は中々決められないけどやっぱり東ドイツネタかしらねw 居酒屋で相席にさせられたグループに一人東ドイツ出身の人が いてなんでも自虐ネタに持っていく面白いやつだったわ 156 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 04:02:45.15 >>150 東ドイツってネタなの? 162 名前:可愛い奥様:2019/11/14(木) 04:04:19.89 >>156 ネタとして扱う西ドイツ人の優しさとイラつきかしらねw
ヨーロッパの方が個人主義とかが尊重されているのかと思ってた : 育児板拾い読み
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manganjiiji · 1 year
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金網のかなの部分
その場のメンバーでなくなるということ。その場から消えるということ。今日、勤務が最後にかぶる同僚の子(というか部署で2番目にえらい先輩、19歳)が、なんと、なんと別れの品をくれた。私なんかたべっ子どうぶつしか用意できなかったのにジェラートピケの袋を渡してきて、「たいしたものじゃないんですほんとに!でも見た瞬間まんがんさんだ!て思って…見てもらったらわかると思います!」と言ってくれて…休憩中こっそり開けたら、恐竜柄のタオルハンカチだった。私が冬に恐竜柄のセーターを着まくっていたから、それを覚えていてくれたのだった。なんて…なんていい子なんだろう…。こんな17も年上の新人に優しく根気強く接してくれ、様々な事を導いてくれた先輩、最後にこんな心のこもった贈り物をくださるなんて……。彼女の人生が幸せであふれることを祈って祈って果てがない。本当に優秀な人物なので、こういう人が次代を作っていくのだろうと感じる。それはそれとして私も彼女達の世代に対して少しでもなにか益になれるようなことをし続けていきたいと思った。そして本当に私はこの職場となんの縁もない人間になるんだということがまざまざと実感せられ、急に足元に大きな暗い穴があいたように思った。おぼつかなくなる。新しい職場は決まっているし、きっとそこでもよくしてもらえるだろうという確信があるものの、今まで良くしてくれた人たちのその思いをかけてくださった分の恩を返しきれずに逃亡のごとく退職(と言うか完全に生家からの逃亡ではあるのだが)するというのは、罪悪感もあるし、なにより淋しい。ずっとずっとみんなと働いていたかった。もっと成長したかった。しかし…仕方ない!ここで学んだことをきちんと自分の礎のなかに組み込んで、これからの実務に活かすしかない。次の職場では完全に「経験者であること」が求められているので、まっさらな新人だった今回とは勝手が違う。というか前職の記憶を失いつつあるが大丈夫だろうかと不安になってきた。まあ、今回の職でもやっていることは余り変わらなかったが…(扱う品が違っただけでほぼ同じ)。肉体的な負担は今回かなり少なかったので(何せ商品が本より軽かった)、書店員に戻ったらまたどこまで疲れるのかはちょっと未知数である。この場を去る。生家を去る。そのことも意識されてきた。自分の茶碗(惰性で残されている)、湯のみ(惰性で残されている)、そういうものは、もう半恒久的に、使われることはなく、そこにずっと、置かれたままになるだろう。私は結局、私以外の3人とは、「家族」になることができなかったのかもしれない。さようなら。と思っている。ばあちゃんも認知症で随分前からもう私のことは分からないし、施設に入って会えなくなってしまった。長期休みの度に赤ん坊の頃から面倒を見ていたいとことは、彼女が19の頃に絶縁されてもう関わりもない(今頃新卒二年目だろう)。いとこの母親とは親交が深かったが、その繋がりもさすがになくなると思う。母方の人々とも、この町に帰らなければもう会うこともない。ずいぶん大人になったな、というか、そういう意味でただ歳をとったなと思う。自分を育ててくれた環境と縁が切れてくる。その頃には自分の家庭を持っていたかったものだが、残念ながらそうなっていない。ただ、偏頭痛の対策(注射)や、不眠の回復により、少し安定して働けるようになったことは本当に喜ばしい。良い医師やカウンセラーにも巡り会え、ついてる人生なんだなあと思う。この家で、私以外の3人は死ぬまで静かに楽しく暮らしていくのだろう。それはおおむね私の希望通りなので良かったと思う。本当は、社会的に考えたり、自分個人の考えとしては全然良くないと思うのだが、ただかれらにとって幸福な状態を維持できるというのは、「悪くない」という意味で良かったと思う。もうこれで本当に帰る場所はない。あとは一人でどうにかして、折れずに、やっていくしかない。不安も大きいが、まぁとりあえず、今まで通り何事も、やってみてから決める。やってみてだめだったら考える。とりあえずやる。失うものはほとんどない(私に失うものがある���したら、それは友人関係だと思う)。恥もプライドもとりあえず無い。のんきに生きて、できることをやる。やるべきことをやるために生きる。生きる目的があってよかったと本当に思う。生きる目的がとくにないのに、生きるための努力をしなくてはならないことを想像したら、それはとんでもない苦痛だ。
2023.6.9
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etanchan · 11 days
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あたしはあなたにはなれない
昼間に書くのは珍しいですね。いつも寝る前に書いています。不眠が加速していたのでブルーライト避けで最近辞めてました。純粋に書きたいと思わなかったしね。まとめておきたいことが終わったので暇だし書き残そう。ずっと書きたかったことでもある。
旅行に行きました。
旅行が嫌いです。子供の頃からあまり好きじゃない。修学旅行も小中高ずっと行きたくないなぁと思いながら義務で行ってた。ここ数年は年に1度だけ毎年同じメンバーで近所にのみ行ってた。静岡とか栃木とか。それも去年はなくて、正直ホッとしてた。旅行、本当に嫌過ぎる。嫌だけど年1は頑張ろうという気持ちだった。「卒業アルバムってマジで要らないし場所取ってるから捨てたいけど、捨てたら人間として何か大事なものを失う気がするから実家に置き去り。」と同じ気持ちで、旅行したくないけど全く旅行をしない人間になるのは逆に怖くて頑張ってた。でも基本行きたくない。長距離移動が苦手。家が好き。旅行で得られる経験と、旅行で得るストレスが釣り合ってない。どんなに仲が良くても誘われたら断っていた。結婚式と葬式と旅行とBBQは基本行かない。繰り返しになるけど、嫌いだから。
そんな私が旅行に行きました。いつものメンバーじゃない人と。その人へのお礼のつもりで、自分の殻を破ることでしか誠意を見せられないな、そういうつもりで覚悟決めて行ったのですが、思いの外うまくいったので、逆に旅行させてくれてありがとうみたいな感じになってしまい、恩を返すつもりがまた恩に着ることになってしまった。なので感じたことを書き残しておこうと思う。その人と破綻して全てが嫌になっても、起きた事実を忘れないように。
2泊3日。目的は仙台で行われるイベントへの参加。でも彼が福島県が故郷なのでついでに実家に顔を出したいとのことで、まず1日目に福島県へ行きました。初めて会う人とドライブするなどして過ごした。人と会うのが多分好きなので、そういう目的の旅はいいのかもしれない。ずっと会いたかった人だったしね。観光となると楽しまなきゃ感が出るけど、君に会いに来たよだと急にフッ軽な感じがして、気負わなくてよかった。夜は飲みに行って、いかにんじんを食べたりした。郷土料理に触れるのも案外悪くはないのかもしれない。義務感あるけどそれもまた思い出みたいな。因みにいかにんじんは別に好きじゃなかった。夜はひとりでドミトリーに泊まった。ずっとカプセルホテルに泊まってみたかったんだけど機会に恵まれず、また男性のみみたいなところも多いので、泊まれずにいた。カプセルホテル探してたら古い建物をリノベしたおしゃれなドミトリーが見つかったのでそこに泊まった。4人部屋で赤の他人と寝るの面白いなぁって。多分旅慣れてる人たちだったんだろう。嫌な気持ちにはならずに無事朝を迎えた。ドミトリーの斜向かいにお寺があって、そこにねこが何匹か住みついてた。朝散歩した時に撫でるなどした。そうやって行く場所全てでねこの友達を作っている私は。千葉のねこ、練馬のねこ、福島のねこ、仙台のねこ。ねこと酒はどこにでもあるし、ねこと酒きっかけで友達が増えることが多々あるので、ねこと酒が好きで良かったと思った。
2日目は仙台へ移動。在来線で1時間ぐらい?かけて向かいました。電車は寒冷地仕様でボタン押さないとドア開かないタイプ。田舎だからか日曜日だからか、乗った電車は全部座れたな。嬉しかった。途中川沿いの満開の桜並木に出会った。急に窓の外がありえないぐらい美しくなってびっくりした。見惚れた。嬉しくなった。あとから調べたら白石川堤一目千本桜というらしい。1200本のソメイヨシノが植ってて、8キロもあるらしい。本当の千本桜だった。眼福。朝早かったからまだ花見客もいなくて、純粋に川と桜だけがずっと流れていって、ほんとにまばらにしか乗ってない乗客も、みんな黙って流れる景色を見ていて、なんかすごかった。夢とか創作みたいな景色と空気だった。電車から桜が見えるなんて知らなかったのもよかった。そのあとは月並みだけど牛タン定食を食べた。麦飯ととろろ。ネギが入ったテールスープ。あと定規揚げ。食べながら彼のお兄さんと話した。大人になった兄弟を並べるのは面白い。イベントに参加した後、ホテルにチェックインしてお風呂に入ってから晩ご飯を食べに出かけた。2泊目はアパホテル。旅行嫌いはアパにも東横インにも入ったことがない。お風呂が思ったよりよかった。小さいけど露天があって、日曜の昼だから誰もいなくて、大変快適。なんでこんな遠くまで来て人混みにうんざりする必要があるんだよ。という気持ちにならなかったのがよかった。人混みも別に好きではあるけど。露天風呂の壁に書かれていた「虫さんや葉っぱさんもお風呂がだいすきです。見つけたらそっとすくってあげましょう」みたいな注意書きがかわいくて嬉しかった。風呂って変だよなぁって思った。夜は牛タンカレーと牛タンのたたきを食べた。そもそもルゥが美味いのに、でかい塊の牛タンが煮込まれてて天才だった。あとなんか日本で初めて牛タンのたたきを出した店らしい。知らんけど。美味しかったです。帰りにいちご飴を食べた。今年は彼とたくさんいちごを食べれて嬉しい。彼とじゃなくても嬉しいけど。夜は手を繋いで一緒に寝た。いっぱい頑張っててえらいねぇって言われて、そうだぞ私は今めちゃめちゃ旅行を頑張っているんだぞという自意識。寝る時になって泣いた。疲れてるのと、自虐性質でいっぱいになって泣いた。心の中であり得ないぐらい自分のことを虐め抜いてることに気づいた。言われなかったことを悪く想像して勝手に傷つくっていうよくない癖。直したいなと思いながら眠った。
3日目は松島に行くと決めていた。朝7時からやっている老舗っぽいお蕎麦屋さんで朝ごはん食べた。少し待ったけど美味しかったし、女将さんが優しくて、帰る時にいってらっしゃいって言ってくれて、それだけでまた来たいなんて思ってしまった。あと七味がめっちゃ美味かった。買ってくれば良かった。そのあと30分ぐらい電車に乗って松島へ。旅行の嫌いなところ第二位、観光。何観光って。意味ある?興味ないんだが。となっている自分の機嫌を取るために、私がだいすきな漫画、ハチミツとクローバーの聖地巡礼を絡めてなんとか気持ちを乗せた。竹本くんが自転車でたどり着いた場所が松島で、瑞巌寺。ある程度の区切りをつけるきっかけとなったのが、五大堂へ続く透かし橋。同じ場所に行くんだと思えば多少楽しみだった。晴れていたら遊覧船に乗ろうと思っていたが、あり得ないぐらい晴れていたので乗った。島々を見るための遊覧船だが、海苔と牡蠣の養殖を見れたのがよかったという独特な感想。カレーパン、笹かまぼこ、おせんべいなどの食べ歩き。あとは竹本くんと同じように缶コーラを用意しといて、飲んだ。少し写真も撮ってもらって、あぁ今思い出を作っているなぁという自覚がすごかった。晩ご飯に3回目の牛タンを食べてから帰りたかったので、時間を潰すために仙台駅近くの猫カフェに行った。地方都市の平日昼間の猫カフェは最強です。完全にオススメ。東京だと外国人がいつでもいるからね。3回目の牛タンは焼肉。厚切りと普通のと味噌と。3回目なのに3種類食べた。厚切りは誇張なしで拳ぐらいあった。牛タン以外の肉も全部質がいい良い焼肉屋さんでした。ハラミ、美味かったなぁ。あとハイボールも丁寧に作ってくれてて美味しかった。〆にアイスを食べてから少し過去を回想して、新幹線に乗ったよ。帰りの新幹線はずっと泣いてた。嬉しくて。感動してた。旅行が楽しいということに。達成感もあった。でも家に帰りたい気持ちもあって、なんか色々丁度良かった。
頑張ってくれてありがとうと言われた。頑張った。私が彼のことをすきな気持ちをわかってもらえたような感覚があった。頑張れたのは彼に誠意を見せたかったから。彼のことがすきだから。彼と出会ってから私は久しぶりに、ずっと彼とあと自分自身に真面目に真っ直ぐ向き合っている。健全な人間関係。とは言い切れないけど、自分の気持ちを誤魔化したり、相手に無理を強いたりしないでいる。この気持ちを諦めたくない。負けないと信じたい。すきなものをすきだと言い続けたい。表面じゃなくて根幹を愛したい。
旅行というと、ストレス発散とか気分転換に良いとされている行動のひとつだ。リフレッシュ。正直意味がわからない。こんなにストレスの強いものはない。お前ら狂ってるよと思っていた。いやまだ思ってる。そういう大衆の意見から外れていることは自己肯定感の低下に繋がる。しかも持続的なものだから社会不適合感も煽られる。旅行が嫌いなだけで非人間感まで得ていた。なので今回旅行を遂行できたことで、少し人間になれた気がする。ちゃんと楽しかったと思えるんだ。そんな自信をつけた。リフレッシュできたかと言われるとそれは残念ながらできてない。慣れればそうなるもんなのだろうか。分からない。
死にたいと思った分だけ、生きててよかったが来るのかもしれない。ここ1年ぐらいずっと生きててよかったと思っている。心の底から思う。感動して泣くこともある。あの時死なないでよかった。生きててよかった。そういう時は大体きれいなものを見ている。世界が美しいと知ったとき。でもそれはひとりじゃ見られなかった、知れなかった。誰かと一緒だから出会えた景色であることが圧倒的に多い。そうなると、君に出会えてよかったとなる。彼に出会えてよかったと、途中からはそればかり考えていた。こんなに旅行が嫌いだと言ってる人間をこんな遠くまで連れ出してくれてすごい。勇気があるなぁと。強いと思った。僕も強くなりたいと思った��
とはいえやっぱりストレスが強かった。特に行く前。準備が終わって、あとは当日を待つだけの数日間が1番しんどかった。行きたくないとか死にたいとかずっと思って泣いてた。自分には遠すぎるとか長すぎるとか。主に不安と心配。うまくできるかどうか分からない不安と、うまくいかなかったときに自分を守るために逃げる場所がない心配。他人に迷惑をかけるんじゃないかという心配。こんなだったら家にいたほうがいい。失敗してやっぱり旅行は嫌いだなんて改めて結論が出てしまうくらいなら行かないほうがいい。旅行嫌いのコンプレックスが頂点まで達して毎晩泣いたし全く眠れなかった。ただ、仕事中に牛タンがモチベになったのも嘘ではない。楽しみではあった。食いしん坊め。あと旅行中もあまり眠れてない。元々不眠だし場所が変わると眠れないタイプだから仕方ないことだけど。休めないクセにスイッチがずっとオンだったから、旅行から帰ってきた翌日はずっと知恵熱が出てた。こうやって書いてると本当に負担が大きくて笑う。それでも俺はやり遂げたんだ!という自負。
人の故郷に触れるのは2回目だ。1度目の時も感慨深いなぁとは思っていたけど、今回はよりそう感じた。彼の後輩とお母様とお兄様に会った。こういう場所でこういう人たちに囲まれて育ってきたんだという、ひとつの答えが目の前にある感覚。彼のことはすきだけど、顔とか声とか性格とか、そういうのは好きじゃない。好きじゃないというのは語弊がある。好きではある。けどファーストインプレッションであぁこの人のことすきだなと思ったのは、多分こいつは恵まれた環境で過ごしてきたんだということで、今まで積み重ねてきた経験や出会いを好ましいと思った。それを見てきたのだから、そりゃあ感慨深い。みんな優しかったなぁ。もっとお話しして仲良くなりたかった。
頑張ってくれてありがとう、俺も楽しかった、俺の好きな場所と好きな人に会って楽しんでもらえてて嬉しかった、そう言われて、これ以上ない尊重だなと感じた。自分が楽しむことで相手を喜ばせちゃった。これはヤバい良いサイクルの中に入ってしまったかもしれない。このまま高め合って幸せになってしまうかもしれない。今後から目が離せないな。とか言って特に何もないのが人生だったりもする。
大変忙しい時期に2日間お休みを頂いたので、職場にお土産を買っていった。笹団子?ずんだ餅?みたいなやつ。すると同僚から「お土産いただきました」「ごちそうさまです」「どこ行ったんですか?」「牛タン食べましたか?」と声をかけてもらえた!多分これ当たり前のことなんだけど、旅行嫌い人間からするとヤバいことなのだ。こっちは自分の旅行も嫌なので他人の旅行に興味なんか1mmもないのだ。だって話を聞いても行きたいとか思わないから意味ないんだもの。他の同僚が休憩室にお土産を置いてても、あーなんかお菓子があるなぁ程度にしか思ったことがない。そんな非人間に対して、どこに行っただの何を食べたのだの声をかけるなんて。ヤバい。ヤバすぎる。超嬉しい。松島に行きました。牛タンは3回も食べました。楽しかったです。お休みありがとうございました。え?!?!?!私!!!!!人間じゃん!!!!!!!!今超人間なんですけどーー?!?!?!大興奮である。構ってもらえて嬉しいという大変原始的な感情。旅行すごい。お土産すごい。人々の文化的な営みの仲間に入れてすごい。旅行終わってるのにまだあるんですかーーー?!ってなった。次からはお土産をいただいたら興味を持って軽い雑談をしようと思いました。すみません今まで無味乾燥にお菓子だけ食べてて。
さて、じゃあ旅行が好きになったかと聞かれると、別にそんなことはない。ずっと嫌いだったものをそんなに急に好きにはなれない。ただこの3日間のことは好きだった。楽しかった。行くまでの気分の落ち込みもなかったことにはならない。確実に嫌だった。楽しかったからいいや!とはならない。誰とどこに行くかが大事なので、旅行ならなんでも!みたいなことはない。とっても限定的な旅ではあったが、私にも楽しむことができるんだという光明を得たのは大きい。今年はもういいけど、来年なり再来年なり、もっと未来でもいい、またどこかに行けるかもなぁという希望を抱かされた。実際に行くかどうかは分からない。ただ希望を持ってるのと持てないでいるのとでは生きやすさがだいぶ違う。他の苦手なことも挑戦してみようかななんて気持ちにもなる。
貴重な経験だった。連れて行ってくれてありがとう。また僕をどこか遠くに連れてってくれますか?
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russellian-j · 2 months
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バートランド・ラッセルの言葉366_画像版 n.2686j (March 9, 2024)
 我々は自殺の問題を,その是非ではなく,いわゆる人命の神聖さ(人命尊重)に関連づけて考えがちである。けれども,この人命尊重という言葉を真面目にとるのはルール違反だと考える。なぜなら、その言葉を真面目に受け止める者は,戦争を糾弾しなければならなくなるからである。今の世の中で戦争が我々の社会制度の一部分になり続けている限り,悲惨な状態のために自殺を試みなければならない不幸な人達に対して人命の神聖さ(人命尊重)に訴えるのはを呼びかけることは,単なる偽善にすぎない。
The subject of suicide is apt to be considered not on its merits but in relation to what is called the sacredness of human life. I find, however, that it is illegal to take this phrase seriously, since those who do so are compelled to condemn war. So long as war remains part of our institutions it is mere hypocrisy to invoke the sacredness of human life against those unfortunates whose misery leads them to attempts suicide. Source: Bertrand Russell: llegal?, Mar. 9, 1932. In: Morals and Others, v.1 (1975) More info.:https://russell-j.com/ILLEGAL.HTM
<寸言>  これは、英米人向けのエッセイ集(Mortals and Others, Volume I: American Essays 1931-1935)に収録された「llegal?(自殺は違法か?)」と題されたエッセイに出てくる発言です。日本人だったら、「自分の命を粗末に扱ってはいけませんよ!」ということで、「どうして人命の尊さ(人命尊重)に関連づけて考えていけないのか?」と怪訝に思われる方も多いと思われます。また、「戦争が我々の制度の一部分になっている」という表現もすぐには理解できないかも知れません。
 しかし、米国やソ連や中国などの大国が自国が関与した戦争及びそれらの大国の友好国がそれらの戦争に対して示した態度(大国の「自衛のため」「防衛のため」「自由や民主主義を守るため」の戦争や軍事支援に対する友好国の「中立」の名を借りた”消極的"支持も含む)を見れば、「戦争が我々の制度の一部分になっている」というラッセルの発言も理解できると思われますが、どうでしょうか?
 戦争反対、平和主義堅持を唱えながら、朝鮮戦争やベトナム戦争などで日本経済は大きな恩恵を受けました。他国における戦争や軍需産業によって利益を得る人達が多く存在しています。米国の産業の約40%は何らかの点で防衛に関係していると言われています。従って、軍縮に抵抗する人達が米国には多数存在しています。
 ユダヤ人はホロコーストによって筆舌に尽くしがたい苦難を経験しました。ハマスも許しがたい残虐な行為をしました。だからと言って、イスラエル軍がハマスを攻撃した時にガザの一般市民が多数死亡しても「仕方がないこと」と、イスラエルの多数の国民が考えている現状も許容できません。ガザの多数の市民の犠牲に対して日本国民も日本政府も同情的ですが、日本政府はイスラエル政府を表立った非難することはありません。日本政府はアメリカ政府が支持することに対して、不支持を表明することはできないのが現状です。「中立」か「黙視」しかできません。これこそが、「戦争が我々の制度の一部分になっている」証拠ではないでしょうか?
 ところで、「illegal」という単語は「違法な」という意味がありますが、「'人命尊重'という言葉を真面目にとるのは違法(法律違反)」というのは変です。DeepL も Google 翻訳も「違法な」と訳してしまうので、Google gemini にそれを質したところ、以下のような回答がありました。
 確かに、「illegal」を「違法」と訳すと、一見不自然な印象を受けますね。
 ラッセルの意図をより正確に伝えるためには、「illegal」のニュアンスをもう少し深く掘り下げてみる必要があります。
反語表現としての「illegal」  ラッセルは、「人命尊重」という言葉を真剣に受け止めると、戦争を非難せざるを得ないという論理展開をしています。しかし、当時の社会においては戦争は合法であり、むしろ国家の義務とさえ考えられていました。  つまり、ラッセルは「illegal」という言葉を皮肉や反語として用いることで、「人命尊重」と戦争という二つの概念の間にある矛盾を強調しようとしているのです。
社会規範への異議申し立て  「illegal」には、「法律で禁じられている」という意味だけでなく、「社会規範に反している」という意味もあります。  ラッセルは、戦争という行為が人間の生命の尊厳という社会規範に反しているにもかかわらず、合法とされている現状を批判しています。
より適切な訳語  上記の点を踏まえると、「illegal」を「違法」と訳すよりも、「不適切」、「矛盾している」、「倫理的に問題がある」といった訳語の方が、ラッセルの真意をより正確に伝えられると言えるでしょう。
訳文例  以下、上記の点を踏まえた訳文例です。  人命尊重という問題は、その本質ではなく、「人間の生命の尊厳」と呼ばれるものとの関係においてのみ考慮されることが多い。しかし、私はこの言葉を真剣に受け止めることは不適切であると考える。なぜなら、それを真剣に受け止める人は、戦争を非難せざるを得ないからだ。戦争が我々の社会制度の一部である限り、苦しみによって自殺を企てる不幸な人々に対して、人間の生命の尊厳を持ち出すのは偽善に過ぎない。
補足  ラッセルの文章は、当時の社会状況を反映した表現を用いています。現代社会にそのまま当てはめることはできません。ラッセル自身は、自殺を肯定しているわけではありません。
参考情報  ・バートランド・ラッセル - Wikipedia:  ・自殺 - Wikipedia: https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E8%87%AA%E6%AE%BA
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kachoushi · 2 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死��恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文  暦売る神となりし日遠くして 慶月  極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子  楽団の喧騒を待つポインセチア 順子  幔幕のうちは見せざり年用意 千種  聖夜待つランプの中の空青し 和子  悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  旧華族らしき猫背を外套に 順子  二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月  寒鯉の鐚一文も動かざる 千種  凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子  数へ日の水あをいろに神の池 要  外套のポケットに怒りを握る 和子  冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子  上野は勝つてゐるか像の極月 慶月  歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子  聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか  冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼  初対面黄色のマフラーして彼女 政江  花柊零るる坂の神父館 要  未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子  聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天  裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹  なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子  十字架に鳩の休息クリスマス 要  鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹  窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江  年逝くや素木の鳥居乾くまま 要  擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子  大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか  きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか  数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子  サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹  風冷た悲しくなけれども涙 政江  二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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badv1be5 · 3 months
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こんにちは
これはアッラーの特別な恵みです
このことを神に感謝します
そしてもう一つこれは
2番目のことは、
アッラーの預言者、宗教の預言者に栄光あれ
それを説明すると
マーシャ・アッラー、私たちの学者シャラズ・バイ
私たちのムフティ・サーヒブが出席しています
そのことを神に感謝します
それを少しだけ
私たちが一つであること
自分自身をターゲットとして考える
少し調整してみると
だから私たちはここにいます
来世の私たちにとっても
それは大きな報酬につながります
この時の世界を見てください
最大の国
誰の崇拝が最も多いのか
イスラム教徒にとってのインドネシアです
デートするなら
勉強すれば分かるよ
それ
インドネシアではこれまで
ここのイスラム教徒
戦争をしたことがない
ここはそんな国ではない
イスラム教徒の軍隊が来た場所
そして彼らはあちこちで戦った
そしてその後彼らはイスラム教徒になった
そんなサイクルはないよ
彼らはイスラム教徒の商人でした
彼らの商売をしていた
取引してください
世界的なもののようです
でも、私たちが適切かどうか見てください
ちゃんとやればあの世界は
それは私たちにとって宗教になる
彼らはあちこちで取引していました
お子様のために
彼らは生計を立てるためにここに来た
金融
英語で「闘争」と呼ばれる、それが行われていたのです。
そして今日のこの国全体を見てください
イスラム教徒です
彼らはどのようにビジネスを行ったか
正直終わった
よくやった
アッラーの預言者(彼にアッラーの平安と祝福がありますように)が告げたこと
物が売れるとしたら
そこに成長があれば、それを伝えて販売してください
これらは些細なことです
かなり
そしてこれが彼らがここでやったときです
それで、ここに住んでいた人たちは
彼はすべてのイスラム教徒がとても善良であることに気づいた
彼は彼らにそのようなものを与えました
長く説教しなかった
彼は自分の仕事だけをした
ここを見て、彼らを見てください
彼らの行動に
彼らに対する彼らの態度
これを見てください、全国の皆さん
イスラム教徒になった
今日私たちは日本にいます
今日も同じ状況です
数百年前のインドネシア
私は訪問アラブ貿易業者に所属していました
今の時代は、むしろ私たちの時代に
ジャマート兄弟はよく言います。
このイスラム教徒の子供たちは
生まれることは生まれないこと
従来通り実施されております
預言者は服を着ていた
これがイスラム教徒の家庭の子供たちです
彼らは生まれつつある、アッラーは彼らにキスをしている
なぜなら、預言者だから
だから来ないよ
これはあなたに対する私たちの責任です
彼らに届けるために
それで、ここに私たちの何人かが来ました
読んでいくと
あなた方のうちの 100 人がここでビジネスをしています
やっている
それについては何の問題もありません
何も問題ありません
お子様にとってはとても良いことです
優れたハラール対応
これが大きな問題であると仮定すると、
良かった、悪いことは何もないよ
それでアルハムドゥリラ、君たち
素晴らしい仕事をしています
同様に、私たち自身も
財政闘争があった
自分自身を教育する
自分自身を改善することで
財務状況は改善するだろう
お子様にとっても良いものです
彼らは生計を立てることができるだろう
これで何も問題ありません
ここに勉強しに来た子供たちよ
何も問題はありません、とても良いことです
仕事をとてもうまくやってください
勉強は非常に慎重に行いましょう
イスラム教徒
あるべきです
卓越した模範となるべきだ
彼は光です
彼が自分の仕事をしているなら称賛あれ
だから華麗にやってみろよ
とても上手にやれよ
のみ
それを見てください
アッラーの預言者(彼にアッラーの平安と祝福あれ)が彼のためにそれをしてくれました
やり方のガイドライン
誰も騙さないでください
約束を守る
3つも4つも嘘をつかないで���ださい
神が望んでいるなら、彼らの世話をしてください
このビジネスの恩恵を受けて
アッラーが来世であなたを祝福してくださいますように
たくさんの報酬も与えますし、
あなたはこの国でもガイドします
の源となるだろう
だから私の目標は自分自身を保つことです
一方で、宗教の一つとして、
私は大使です
人々はあなたの前にいません
彼はコーランに何が書かれているかを尋ねます
誰もあなたに尋ねません
彼らはあなたの行動だけを見ています
あなたの行動
いいですね
自分で読みます
自分で調べてみます
サイード・サトゥはあなたが知っている男です
ハラールフードはこちら
営業する
彼がイスラム教徒になるまでの物語
とても興味深いですね
どうやってイスラム教徒になったのか聞いてみた
彼は私の1回の寄付を言う
私は友達だったので、彼と一緒に食事に行きました
私は彼と一緒に食事をします
食べに行くなら食べてね
食事中は彼を友達と呼びます
これは誰が食べてもとても美味しいです
彼は食べられないと言う
彼は別のものを見せてくれた、と彼は言う
食べられない
私は彼になぜ食べないのか尋ねました
理由は何ですか?
彼は私がハラール食品しか食べないと言った
今彼は彼に言った
おい、誰にも言ってないよ
彼はバチャラがジャバーニ人であることを知らなかった
これは私たちの兄弟でした
イスラム教徒のインドネシアだと彼は言った
いいえ、これが理由ではありません、神は今どこにいても私を見ています、サイード
サトゥーはそこから戻り、その日からそれが頭の中に浮かんだ
あなたは自分でインターネットで検索しましたか、彼が今日イスラム教徒になったことを自分で見ましたか
マーシャ・アッラー、彼はハラール食品のビジネスをやっているのだから、自分の仕事をしなさい
ビジネスをする、兄弟たちと、ジープで、良い方法でビジネスをする
彼らは私たちの兄弟です、人類の関係について少し教えてください
こちらはサダカです。コーランの翻訳を彼に渡してください。
彼の意志は彼の意志です、彼の運命においてそれが成就されるなら全能のアッラーがそれをしてくださいますように
全能のアッラーは結果の責任を私たちに負わせることはありません
結果はアッラーによって導き出されます、私たちの唯一の仕事は試してみることです、単なる出来事です
九州のことを知っている皆さん、もっと教えてください。
現在進行中の墓地建設問題についてお話します。
おそらく4年前、大分県民が墓地を建てたときのことをお話しましょう。
私が反対すると、弁護士はあなたがそう言っていると言った
大分県外の人はここに埋葬しないでほしいと言っている。
ただ言ってください、その後、墓地で何が起こるか誰にもわかりません
誰でも好きな人を埋葬できるよ、教えたよ、友よ、そんなことはないよ
一つのことは嘘をつくことでは解決しない、墓場はアッラーによって造られる
嘘をつくのはアッラーの責任ではないし、私の責任でもない
それから彼は今私のところに来て、「おい、私たちは嘘をついていないよ」と言った。
実を言うと、当時は反対されていたんです
日本でどれだけ注目されているかはわかりません
大学からこの研究に来た人はそれについて徹底的に研究します
早稲田大学は日本で2番目に大きい大学です
そこにはグループがありました、これが私が今思い出していることです
多くの大学がゴルヒウでこれに関する研究グループを持っています
これに取り組んでいる研究グループがあります
これに対する解決策は何でしょうか? インシャッラー、アッラー・ターラが解決してくれることを願っています。
私たちの期待をはるかに上回る良い結果が得られるでしょう
結果に対する責任は私たちにはありません、私たちの仕事だけがアッラーのものです
これは私たちがやるべきことをきちんとやってほしいという皆さんからのお願いです
人々と接する際には、自分自身をイスラム教の大使であると考えてください。
誰かに会うときはいつでもイスラム教に対して友好的になりましょう
それについて教えていただければ、公開できるデータを持っています
10年以内の日本国内のイスラム教徒に関する調査データ
番号は
9年も経たないうちに2,100万、100,000になった。
私は 1000 年と 2009 年に公表されたこれらの数字を持っています
研究は23万件、その数は2倍以上の9件に
わずか10年で2倍になれば、これが今後のトレンドになる
このままではアッラー、日本は2100年までイスラム教の国になるでしょう
全能のアッラーがこの問題で私たちにもう少し努力を与えてくださいますように
アッラー・タアラ
私たち全員にこの仕事をする機会があります、神のご加護がありますように
しかし
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lienguistics · 4 months
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多芸は無芸
2023.12.25
私は心の奥底で本当に何者なのか。
と自問したとはいえ、諸々な経験をしたのに聞きかじった程度しか知らないやつだとしか自答ができなかった。
前世ではピアノを弾いたり詩文を書いたりするのを楽しんだとふざけるようにしょっちゅう言っているが、実はただ小学から高校までの期間だった。いかにも素朴で無邪気な子だったんだ。今や、練習の機会が一か二回しかない私はもう前と違ってショパンを滑らかに弾くことができないが、楽譜を見る限りにぎこちなくなんとかできる。母が十年間レッスンにお金を注ぎ込んでくれたのに、なんて恥ずかしいだろう。依然として弾けると告げる権利があるのか。「弾ける」と言うたびに「けど、しばらく練習していなくてごめんね」とも付け加えることになった。
家で両親とベトナム語を話して育ちながら、英語しか話さない国で学校に通って、大学に入る数年前に日本語の勉強も始めたが、「お前のベトナム語が訛りとか文法的には英語っぽい」「英語の話し方は遠回しすぎて、お前が何か言い出す前にいつも一瞬の間を置くのは、何も思いつけないアホではなく、ただ考えを纏めているだけだと時間がたつにつれてわかってきた」と直接に言われた上に「シャイすぎて日本語をあまり話さないけど、たまに何か書こうとすると…まあ、それはごく稀だけどさ」と、会話がギクシャクに進むと相手の戸惑う眼差しで察することができる。
今尚辞典を手許に置かないとこんな文章を書くことができないのは、言葉のうろ覚えの癖がある所為なんだ。「石鹸を風呂から流し台に移動しておいただけなのに、母に甲高い声で悲鳴をあげられた」というのは、元々頭の中でただ「石鹸を風呂から流し○に移動しておいただけなのに、母に甲○○声で悲鳴を○○られた」というだけだったが、辞典で登場してきた言葉を目の当たりにしたとっさに見出し語の中から言いたい単語を抜き出すことができる。日本語を勉強すると、意味・読み方・書き方という三つのことを覚えなければならないのだが、本を読んでばかりいる私は今まで意味と漢字を認められることでどうにかやっていける。その所為で会話でさえ、相手が構わない限りに、私は携帯を取り出して、読み方を忘れたのに何度も見たことのあるからなんとか書けるようになった漢字を指で描いて相手に画面を見せてあげてから、まるで言葉の読み方をそもそもずっと覚えたかように、話をさりげなく続けることが何度もあった。日本語を実際に話すことができるのか、この私は。こんな間抜けなことのために手間取るのはどれほど恥ずかしいのではないか、と毎回心の中で嘆くのに、異様な手段でさえ相互理解となっていくため、結局別にどうでもいいんだろう。
この間、手作りのクッキーをゆっくりと味わっていた彼氏がとろけそうな笑顔することで、私も最初は喜んだが、恥ずかしくて目をそらしてしまった。
料理が上達するように励んだ期間は元彼と付き合っていたときだった。仕事の後に一緒に晩ご飯を楽しむために、和食やフランス菓子の作り方を身につけて、自分の職場をたまに早く出て、予め夕食の支度をしてあげる習慣があったものの、別れるよりずっと前に、アイツの分が冷めてしまうまで放置させたことが何度もあった。私が悪くなかったのは、予定を守ることができなかったのが私の方ではなかったからだ。
今の可愛らしい彼氏を見つめながら、いつか私のことに飽きてしまうのは単に時間の問題だろう、とうっかりと口を滑らせた。彼がどんな優しい答えを与えてくれたか、私はさっぱりと忘れてしまったが、もう一回言ってくれるように頼んでも、彼は苛立つどころかおそらくあっさりともっと褒めたり慰めたりしてくれる。かまってちゃんでいたくないから、放置しておいた方がいいかもしれないが。
精巧なフランス菓子を作る経験で養われた手際が網膜下の注射のような顕微鏡下の手術にも当てはまることができると思っていた上司は、私がそんな技術もあっさりと身につけることができると最初思い込んだが、「投薬してもらうのは患者ならぬ単なるかわいそうなネズミなので成功率の七十%で十分ではないか」と結局ニヤリと突っ込んだ。どういうわけか網膜下の注射の講習を求める人にしょっちゅう頼まれているのは、きちんと教えてあげるかどうか疑問を抱かせてしまい、個人的に微妙な雰囲気をもたらすことになった。三十%の未熟という���味が仄めかされているなんて面白いんだろう。三回に一回ぐらいやらかしてしまう先生の指導を本当に仰ぐことができるの?とりあえず今のところは、たまに俄然ぞっとした手の震えを抑えかねる所為だと言い訳しておく。しょうがないと言わんばかりに。
大学院に必要な志望動機書は、ただ具体的に私が書いていたものであると同時に親友と恩師との間の競合を象徴した。私がこれまでどんな人生を送ってきたのか、これからどのように成長したいか、もっとも効果的で風流に伝える文章に取り組んでいた三人の藻掻き。親友は、私がどれほど大したことないと思った諸々な経験でも含めることにより、総合的な主観を与えることができると訴えかけたが、然るに恩師は、自分の専門知識を示すために実験の目的と身につけてきた技術と詳しく説明しようと言い聞かせた。読書会みたいな部活や趣味も付け加えさせてもらえる場合は定期的に開催されている限りだ、と。まるで私がそんなにあてのない子だから自分の能力に疑念を抱かれるのも無理はないかように仄めかした、と親友は非難した。私が手の二本でしかない上に、気になるゆえに少し試したことのある様々な経験がほとんど取るに足りないと言わんばかりだ、と私は思った。こんなバラバラで断片的な存在でどうしたらいいのか。自己同一性の修羅場にはすでに嵌っていなかったとしたら、もうすぐ陥りかねない。
だが、誰にも言えない気がした。ましてや親密な関係があるはずの両親に。
分別をわきまえた親は、父が何回も誇らしく言った通りに、父の方だったはずなのに、私が今や思わずにいられないのは、父は現実的に考える力量があると自慢に信じながら真実から執拗に目を背けているなんて情けないのではないか、と。
自由に行ったり来たりしていた父の姿をしょっちゅう見ていたのに、私もたまに出かけたい気分だと許可をもらわなければならないという矛盾をいつか認めていただけると嬉しいのだが。私が単純に十年以上食べていなかったお菓子を買いたかっただけだとわかった上に、一緒に買いに行けると約束したにもかかわらず、「あっ、実は、明日、明日行こう」と何日も繰り返していた父は、永久に先送りすることができないのもわかったはずなんだろう。
こんなに愚かなことで喧嘩を売り出すことにより、向こうの方がいかにも愚かであることを証明するのではないか。私は単純に父の機嫌の変わりやすさに対して自分の不安を言い表しようとしたが、言ったことを曲解され、ただをこねられる必要なんて微塵もなかった。ここ数日間の招待に対して実際に行きたくないとそもそも素直に拒んだ方が、そんな風に癇癪を起こして「余計に外食するのが結構好きだなぁ」と嫌味ったらしく私に言いがかりをつけるよりも、礼儀正しいと思うのだが、さあ、どうだろうね。私には何とも言えない。
「別に好きなわけではないけど、家から出るのがそんなにイヤだとしたら、早く言い出した方がいいじゃないかと思っただけだった。自分も自炊するための用事をちゃんとしておくよ」と言いながら、昼ご飯を作り始めたところで「材料を片付けろ。お前はそんなにたまらなく出かけたいのか?全部元に戻して、行け」と噛み付けられた。
「食ってかかっても役に立たないのよ。私が小さい頃から母にもずっとあんな風に八つ当たりしてるんだろう?」と何気なく聞いたら、「だから今や一人で暮らしていても、それがどうしたっていうんだ」と投げつけられた。
「もしかしたら、私も年に一回実家に帰る理由と一緒なのかなぁ」
「もう大人だろう。自分の車を買って、いつでもお前が好きなように行ったり来たりして。俺とは関係ないから、どうでもいい。お前を迎えに行くのが大嫌いだ」と最後に言ってから、謝罪しようとしたときに「確かに噛み付けるのは役に立たないけど、それが俺って人間だよ」と言い分したのはいかにもダサかった。
最近、口をきかない間柄になるほど幼馴染とも口論してしまったのは、思いがけないことだというよりも、起こるべくして起こってしまったんだ。父に対しての感情にそっくりだったのは、私の考えをきちんと整えて視点を何回も言い返そうとしたものの、認めてもらわずに相手の主観をぐいぐい詰め込まれた。芯まで劣等感に冒された奴が相手をそんな風に自分より劣っていると見做し、辛辣に罵ったりすることにより、自分の立場を守ろうとしていたが、実際は惨めに藻掻いている弱虫だけだということが私にはわかったので、そんなに意地悪く扱いされるのをなんとか耐えることができた、何年間も。
とは言っても、私も臆病者だろう。充分に励んでいなかったくせに家族と親友の関係を守ることができないと思われるのが恐ろしいから。
ー少なくとももう一回話してくれないか?
数年間繰り返し話し合おうとしていても、理解してくれることが一切ない上に、私が逆に理解してあげないとぎゃあぎゃあ愚痴をこぼしてばかりいるからそもそも完膚なきまで無駄じゃないか。
限界のない人なんていない上に、私があいつらの親ではないためちゃんと育てて礼儀を教えてあげる責任もないのが、なぜわかっていないんだろう。
自分の怒りについてこんな風にずけずけとするのは、確かに初めてなので、びっくりさせる可能性も期待していた。向こうのように鬱憤を晴らすほどではないのが一目瞭然だろうが、性格がそんなに歪んだ相手にそう思われてしまってもしょうがない。もう取り返しのつかないところまで来させてしまったから。
生物医学の博士課程に進む大学院生として結局受け入れてもらった私は、親友と恩師以外誰も知らずに申し込みを内緒で用意して志望動機書を書こうとしていたとき、今までどのように成長してきたか回想することにより、大変だったときからの記憶も蘇らずにはいられなかった。避けようとしても無駄だということがわかったため、代わりに別のエッセイに入れて書くことにすると、こういう執筆になってしまった。
と、書き上げたとたん、携帯の通知音が急に鳴って、画面を見ると、また大学一年生の物理学の宿題を手伝ってあげるように私に頼んでいるメッセージがやってきた。往復って、ね。
〈前〉
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summerclub · 4 months
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2023振り返ろう会。
まずできなかったこと。
①仕事を楽しくやること
仕事がうまくいかなかった。特に作業量が増えた下期、作業を正確に見積もること、自分のキャパシティを正確に把握すること、他のリソースを使うこと、あたりがまったくできず、てんやわんやで全上司に迷惑をかけた。
よくないメタ認知が働き、迷惑をかけている自分という自覚がある上に上司からこう思われていて今後こうなってしまうんだろうな、みたいな無駄な予測をしてしまって本当きつかった。とはいえ、きつい状況にしているのは当の自分だし、とも思い、ひたすら情けなく無力に感じた数ヶ月間だった。
自分の怠惰か性質かわからない癖にも悩まされた。朝起きれないし、集中できない。他の人が普通にできることができず、なんでこんなんなんだろうって何回も思った。何回も思ったからこそ、自分はこの体と生きていくしかないんだよなとも思えた。会社員やる上ではやっぱり普通に過ごせる人がうらやましいって思うけど、私だからできることもあるはずって思いながら、いまの環境でやっていくための対策をとっていかないとね。
あとは明らかに作業の効率が悪いので、単純に労働時間の濃度を高めないといけない。精神的なモチベーションが削られていたのも確かだと思う。
②自分の興味のあることを勉強すること
お金になる/ならない、本業への繋がり有無に関わらず、もう少し長期的な興味と向き合おうと思っていたのだけど、上期はいつも通りテンションが上がるままに遊んでしまい、下期はてんやわんやでそれどころでなくなってしまった。
仕事に関するインプットもまったく足りなかった。
③遊び心(余裕)をもつこと
体力的な余裕がないと精神的にも余裕がなくなることを強く実感した年だった。
主に仕事による切迫感ゆえに、人と居てもなかなかその瞬間を楽しむことだけに気持ちが向けられない場面が多かった。振り返ると、もはや楽しまなきゃいけないことが若干のストレスにさえなっていたことに気づく。
もっと私なら楽しめるのに、コミニュケーション1つとってももっとお互いに面白く気持ちがほぐれるような時間が過ごせるのに、という反省が多かった。
④人生関連の事務手続きを進めること
マイナンバーカード作成、NISAスタート、ふるさと納税利用、諸々支払いを口座引き落としにする、あたり、、
できないことばかり書いてもあれなので次、できたこと⭐︎
①プライベートのキャパシティを理解できた
自分が今仕事を頑張りたい時期と改めて認識した時に、プライベートの時間が減ったことで本当に大事にしたい時間が何なのか少しは理解できた。
だからこそ、バタバタな日々の中でも好きな人間との時間を大切にできたと思う。仲良い人には甘えてしまってなかなか会えない人もいたけれど、連絡をとらせてもらったりたまに会ってもらったり、ちゃんと繋がりは感じられて私的には嬉しかったしよかった。
②2023の目標、ヘルシーに生きるを半分達成した
運動習慣について、実際に習慣化できたわけではないけれど、習慣化するためのきっかけ(=ジム契約)はできたので頑張ったといってもいい。何回か行ったし!
食事も、ストレスたまって過食気味になることもある中、抑えられる時は抑えられるようになったと思う。多分。
生活習慣でいうとマイナスなのもあり半分!
③"T"を鍛えられた
私が近年ハマっているでお馴染み(?)MBTIですが、各タイプを表すアルファベット4文字中3文字目、判断機能を表すT/F。の、Thinking(思考)。
Fが強すぎて人に過剰に期待してしまったり、若干共依存的な親密性を求めていたところがあったりしたのでは、と振り返って思う。そんな期間に一緒にいて支えてくれた友人各位には本当に愛しかないし恩は忘れないと思っているのだけど、やっぱり生きにくいなと感じる時が多くて自分的には改善事項だった。私が当てはまるMBTIを自認する人の中には、他人との境界線がうまく引けないことに課題意識を持つ人も多いよ、と教えてもらったことがある。私もそうだったかも。
今年はそれを結構改善できた気がする。良くも悪くもドライになったというか。人にはその人が責任を引き受けるべき人生があり、各人生がボロボロな中で支え合ってもその関係は持続的ではない。持続的な関係性であるために���、各人ができること/引き受けられる範囲には限りがあると理解する必要があるし、相手がいま万全の体制でないかもしれないと想像しよう、と考えるようになった。自分のキャパシティを痛感したことが大きいと思う。
「分かってるけどこうしたい!」から、「こう分かった、じゃあ現実的にここは諦めてこうしよう」になった。こうしたい!の方が人のために動けていた気もするけど、それが人に向いてしまうと、関係性への過剰な関与を求めることになって結果自分の感情が揺さぶられてしまうことが多かったから、個人的にはよかった。
④生活
ギリギリ生活できた。望ましい形ではないけど、人間ではあるくらいの部屋は維持できた。と私が思ってるのでセーフ。
⑤小さい夢を叶えた
野望というほどではないけど、自分の力だけでは叶えられない夢を叶えることができたんだった!
そういうつもりはなく関わらせてもらっていた人から、お礼に、とでもいうようにしてもらった行為からちょっとずつ輪が広がって夢が叶って楽しかった。達成したことはすぐ忘れてしまうたちだけど、これは覚えていたくらいには嬉しかった。
意外とできていることもあったね!
つらつらと、2023年の学びを書いて終わりにしよう。今年は失敗や辛い時期が多かったから、その分学びが多い年でもあった。すぐ忘れちゃうから書いておく。
①どっちが辛いとかない、みんな頑張ってるしみんなしんどいことがある
心の底から納得できたのはでかい。しんどさや幸せは比べるものではない。
②万全なコンディションあってのパフォーマンスであり、同時に万全なコンディションなんてそうそう実現できるものではない
コンディションにより集中力や生産性は大きく変動するので、休息と、特に私の場合、睡眠は舐めちゃいけない。一方で、私が万全でなくても回るような設計をしないといけない。
③好奇心が向くまま思考を発散できる時間/勉強する時間を定期的に設けることが私にとっては大事
前者は脳のメモリの解放をすることで、後者は普段したいと思いつつできない勉強をすることで集中力を高めつつ、自分の幸せと感じる瞬間を設けつつ、得意を伸ばすという一石三鳥タイムになるはず。
④病まないためにも、病んだときにも、程よく体に刺激を与えつつ考えごとができることをする
好きな場所での散歩。銭湯。海。
⑤人やSNSから受ける情報処理や、自分の感情処理にはかなり体力と気力を使っている
例えば、人に会う時間は情報刺激がたくさんあるので退屈しないし楽しいけど、その分情報処理に労力を割いている。体の状態を把握するのが苦手な分、そういうものだと思っておく。
⑥睡眠は大事。自分なりの睡眠の癖もある。
短時間睡眠を数日間連続で続けること(少なくとも4時間は寝たい)は無理。短時間睡眠をした週は週末でちゃんと寝れるようにしたい。
ボロボロの状態で寝るより、お風呂入って短時間寝た方がいい。お風呂のルーティンの時間を短くしたい。
昼寝だろうとなんだろうと、1時間単位で寝るのは無理。机に向かってのor元気なタイミングでの15分か、布団での3時間がミニマム。
エナドリで1日の無理は効くが、それ以上は気絶するように寝るから注意。
2023、大変な年だった。お疲れさま。よく耐えた。それだけでとてもえらい!
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け (2)
彼は男の相談をされると思っていなかったので少々面食らったが、それだけ自分のことを信頼してくれているということだろうと思い、少し誇らしくなった。思えば在学時代から大学という場所は人間関係の治外法権のような部分があって、個人的に所属したうえで活動する部活やサークルはその坩堝のようなものだった。それゆえの問題も多くあるのだろうが、個人的には好きな環境であった。
「分かりました。その交際相手のことを教えてください」
 数分後、早くも連絡が来た。マメなのだ。
「ありがとうございます。しかし、現在の状態を説明するのは難しく、大変厄介なので、明日にでもまとまった内容のメールをお送りすることになると思います。それでよろしいでしょうか。ひょっとしたら、明後日になるかもしれません」
「はい、それでいいですよ」
真司は返信を行った。思ったよりハードな展開になったなと思いつつもまぁ、いいかと少しのんきだった。
彼は弁当を買ってきてからテレビのバラエティーを眺めながら食べ、翻訳の仕事に取りかかった。真司は明治学院大学の文学部英文学科イギリス文学コースを履修卒業しており、英語の発話スキルはネイティブの高校生に及ぶほどであり、西洋文学への理解は専門家レベルに達しているだろう。
 彼が翻訳を担当するのは都内ある映像制作会社が配給を請け負う最新の映画やドラマであり、主にアメリカ合衆国が製作しているものである。最新のコンテンツに触れたうえで金が得られるというのはおいしい職業だと感じていたし、彼はもともと国内外の映像作品を好んでよく見ていたのだ。さらに自己表現の機会をも得られることはありがたかった。彼は文学は作家性に他ならないという理念を持って大学で文学を学ぶことにしたのである。ただし、雇用形態は派遣社員であり(所属先が映像制作会社ではなく人材派遣会社)、ウーバーの配達員という現在の仕事含め、いささかだらしのない風じんに思われてもしかたないであろう。
 ウーバーの配達業務が終わり、千代田区神田のマンション、ガーラ・グランド神田に帰ってきたのは午後五時半ほどだった。家賃は十三万円でトイレと風呂が別で、それからキッチンが玄関に鎌の柄のように手前に配置されており、とスタジオと呼ばれる縦に長い十畳のリビングダイニングがあり、そこにベッド、ソファー、テレビ、書棚といった諸々の家具、家電を置き生活している。立地と周辺住民の生活レベルから考えると非常にに安いマンションであるといえるだろう。それに彼は読書量が尋常ならざるほど多い。特に海外文学や洋書が多く蔵書として保管されていることが、やや、悩みの種だ。貸し倉庫が必要かもしれない。
 先ほど来ていることを確認したメールを開く。
「2023年2月14日16時32分 件名:昨日の件です。
彼氏からのハラスメントに悩んでいます。彼とは一年前から交際していますが、たびたびの性差別と手のひらであたまをはたくといった勢い任せの行動が常態化しています。更に嫉妬深く男性と会ったと分かれば、その人との関係を事細かにに詮索してきます。友達に相談しましたが、自分で何とかするしかない。それか別れればいいのでは、と問うてきます。そういうのがうんざりで、あまり親交の深くない真司さんに相談した次第です。どんな簡単なアドバイスでも頂ければ幸いです」
 真司はやや思案した。これはたしかに厄介な問題を打ち明けているようではあるものの、あまりにも陳腐な内容でありそれほど差し迫った案件でもないと感じた。これはオードリー・ヘップバーンであり、フィフティーズ調のわざとらしさなのだ。やはり知り合いがスパムメッセ―ジを送ってきているのだろうか、と思った。しかし重要なのはそのようなスパムメッセージを送ってくる人物の頭の中身だろう、ということになる。なので大丈夫だ。彼はそこまで考えた。
以前から知っていた問い合わせ先を紹介することにする。
「例えば僕が住む千代田区ならば、人権擁護委員が設置されているので、そのような行政サービスに頼むのも手だと思います。あるいは親御さんに相談するなりしてみてはどうでしょうか。お住まいはどちらですか
(URL)」
 数分後返信が来た。
「現在、実家のある葛飾区で両親と祖母の四人暮らしです。なるほど、ご返信の件、考慮に入れさせていただきます。わざわざありがとうございます。なお、このことはくれぐれも内密にして頂きたいです。よろしいでしょうか」
 真司は返信した。
「はい、他言しません」
 彼は昨日と同じく、翻訳作業に取り掛かる。アメリカ合衆国のテレビドラマの翻訳である。締め切りが一か月後で、すでに半分ほど終わっているので、余裕で間に合うだろう。
 渋谷駅の改札をくぐると、人がごった返している。これは多くの国民が知ることだが、実際にその場に居合わせると、ここには不思議な秩序があると思わさせられることになる。それはたしかに不思議さなのだ。すなわちここにある喧騒の性質が、である。駅前の大型ビジョンや大量の照明で照らされた広告群を見ていると「ブレードランナー」のような近未来的表現が思い浮かぶが、それはまんざら連想止まりではなく、実際にそのような都市開発がなされているのだ。いわばそれがこの自治体のスタミナであり、よもすればこの国のスタミナでもある。政権与党の一部の者が采配すれば、街の風景を変容させることなどたやすい。あるいは特定個人の人格でさえも。法的規制と予算配分業務の力は未来を切り開く。実際のところ、少なくとも真司が務める某映像制作会社はそのような荒唐無稽とも思えるイノベーション指向と、軽薄さで運営されているのだ。実際にこの街は前世紀九十年代に、エポックな発展と影響力を成し遂げ、かつ実現した。今でも国民はその恩恵を受けている。これがこの渋谷という街の理論的な実情である。「チルドレンオブメン」ならぬ「チルドレンオブエルディーピー」かな。
 すでに日も暮れており、夕食も済ませた。目当てのクラブイベントは十時に開場開演なので、109横のハンバーガーチェーンロッテアリに入る。ここで一時間ぐらい潰そうか。
 彼は渋谷のクラブ後方に敷き詰められるように設置された茶色のソファーに腰掛けながら、先ほどからDJブースとそれから、テーブルのそばに立ちながら、酒もしくはドリンクを少しずつ、しかし軽快に飲む女を交互に眺めていた。DJは曲を流し続けており、表情は見えないが、まんざらでもないといったところだ。さながら公民館の出し物である。
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niwanoki · 5 months
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2023/11/27
職場で、他部署の人が意外と自分のことを気にかけてくれていたことを知る。休日は最低人数の三人ほどが出勤するが、その、人がわざわざ少ないタイミングを狙って声をかけてくれたのだ。最近はどうですか。やっぱり忙しい? この間、私が涙目になっていたのをちゃんと見ていたらしかった。だんだん方向性が決まりそうですと手を止めて笑っておいた。実際そうだから。最近、帰り道にやたら酒を買って飲み歩いていた時みたいな気持ちがあまりない。この野郎、殺してやる、みたいな気持ちがあまり来ない。その代わり、帰り道、よその家の夕ご飯やお風呂の匂い、冬の近づく空の色や風の冷たさにちゃんと感動できる、前向きな歌詞、前向きな音のする音楽を聴けて感動が持続する(相変わらずすぐ消えてしまいはするが)。出勤した昨日に関しては、なんと、「面白いことがしたいなあ」という気持ちで体が熱くなった。この職業だからこそできること、そういうわけでなくとも自分の良いと思えるものに対して、そのことを伝えて、何か面白いことを催したいような気持ちが起こった。今すぐ思いつく限りの、その手の知り合いたちに連絡したくなった。しなかったけど、近いうちに何かするかも知れない。前向きな曲、the pillowsの曲とか、高校の頃によく聴いてた曲。朝、それが聴けて、しみじみと高校の頃を思い返すことができた。そういえば私を気にかけてくれている担任だった人に返信してない。非常に失礼だから早くしないと。金曜日、仕事の終わりがけに大学の頃からの友達に夕ご飯を誘ったらふたつ返事で職場の近くまできてくれ、彼はビール、自分はチューハイとそれぞれ一杯だけお酒を飲んでご飯を普通に食べ、喋って、公園に行ってまた喋って、彼は前に辞めたと宣言していたたばこ���三本くらい吸った。明日は仕事だというので早めに帰る。この人も、実はとても優しい人で、ちゃんと話が終わるまでちゃんとうなずいて聞いていてくれるタイプの人間だ。目をみて話すしえらいよね。なんだかんだずっと、途切れつつも細々と連絡をとったり、この日のように一緒にご飯食べたりしてくれている。ありがたい。やっぱり友達というか他者の声を私は求めているのだと思った。普段よりよく喋って、笑うこともできていい具合に疲れてよく眠れた気がした。そこから私の「前向きムーブ」は始まったような感触がある。土曜日は、もたもたしていて出遅れたものの東近美でコレクション展を見た。「大正のタッチ」というコーナーや河原温と野村仁が近くに展示されていた8室、女性の抽象という小テーマ展が良かった。作品はよく見られて満足したが何だか体がおかしいと思ったら急に生理がきた。これからどうしよう、帰ろうかと迷ったが、毎日新聞ビルのコンビニで生理用品を買い(無駄な出費である)ことなきを得ると、やっぱりと思い直し、皇居沿いを歩いた。日比谷線に乗りたいってことで日比谷まで歩いた。14時すぎ、もう傾いた日差しにさらされた有楽町のあたりの銀杏の木が美しい。人出が多い。みんな暖かそうな服装で、笑っている。自分が小さい頃に描いていた東京のイメージに近いとふと感じ、そういう時に頭の中で流れる曲をiPhoneで聴きながらずんずんと歩くと、やっぱりそうだ、これなんだと確信できた。昔のミスチルや、小沢健二などのあの感じ、この時、本当にそのほんの何年か後に東京の街中を、わりと慣れた足取りで歩いていることを知ったらきっと当時の自分は驚くはずだとか、本気で考えていた。着たい服をしっかり身につけて、きらきらお洒落な人たちの群れの中をちょっと遠慮がちに歩いている、今。この季節のこの時間、土曜日、冷たい日差し。学校からの帰り道にぎりぎりまで近づいては離れて、憧れたような時間。昔のドラマの再放送があった時間、母が電気カーペットの上に座布団を敷いて座りアイロン掛けしながらそれを観ている。まだあくまで明るいあの時間。それらの異なる時間は本当に繋がれていた。銀杏の木の眩しい黄色に浸された道の地下鉄への入り口を降りて、無事に地下鉄に乗り、恵比寿。今年惜しまれつつも一旦たたんでしまうという服飾ブランドの展示会に向かう。その界隈の人たちしかいなくて浮くかも知れないと思い緊張したが、意を決して行ってみた。急な坂を登ったとこにある、半地下みたいなコンクリート打ちっぱなしの、でも薄茶色の柔らかい灯りのついたスタジオに、最後の新作と、これまでの作品のサンプルなどが並んでいる。私は新作の緑色のコートと、まさにこないだの金曜日に職場の最寄り駅のデッキでまさにそれを着ている人を目撃した、そして残念ながら買いそびれたダウンコートを試着させてもらった。緑色のコートは「すとん」と一瞬で自分の体になじんで、驚いた。色も形も、重みも。ここにいていいんだなとすら思った(様々な意味で)。このまま着て帰ってしまいたかったがそれなりの値段もするし、名残惜しくも見送った。で、例のダウンコートは、前から自分が着ていたのではないかというくらい、いい意味で既視感のようなものがある着心地で、軽くてジーンと暖かく、もちろん形も感覚とぴったりで、クルクル回りながら鏡の中の自分を見た。やっぱりそうだよね、という気持ちが(錯覚か?)あって、これまた以前から知り合いだったかのようなスタッフの方とお喋りをし、自分と同じようにこのコートの色で悩んでいるお姉さん(お客さん)とも話し、結局私たちはそれぞれ別の色のそれを選び、それぞれ別れた。街中で、これを着たお互いを見つけられたら嬉しいし面白いですね、という話をした。そんなことはきっとないけど、もしあったらきっととても誇らしくなるだろう。お互いのことが。その後アトレの無印に入ったら、平出さんの本を見つけた。友人たちに送った絵葉書の写真集のようなもので、一度手にとったのに、私はなぜかそれを買うことなく、エスカレーターを降り、山手線に乗り、渋谷で乗り換えて吉祥寺に向かってしまった。それでいつもの古着屋さんを覗いて、無印で買い物して、帰った。そして昨日。日曜日、またその「すとん」がやってきた。こうなると、私が見つけたのか、君が私を見つけてくれたのかいよいよわからない。何か、服もそうだしファッションのことに限らず、物に対する思考などについて分かち合えそうな予感がしたその服屋さんは、何と今年いっぱいで都心の方に移転してしまうとのことで、ガーンである。見つけた時にはもう遅いのか、本当に自分に合っているものは(最後の最後で)必ずこちらに一瞥をくれるということなのか、仕事中、車中から、思いがけず恩師の姿を見かけたのと同じように、今の気持ちに呼応する音楽が、時間をさほど置くことなく、自分の体のすぐそばで実際に鳴らされたのと同じように。私の「前向きムーブ」はいつまで続くのかわからないが、今のうちにあれこれ進めておいたほうがいいよね。で、これはやっぱり例の薬のせいなのか?
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team-ginga · 1 year
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映画『恋に落ちたら……』
 NHK. BSの「お昼の洋画劇場」(と勝手に命名)でジョン・マクノートン監督の映画『恋に落ちたら……』(1993)を見ました。
 題名は聞いたことがあるような気がしますが、全く知らない映画です。でも、ロバート・デ・ニーロ、ビル・マーレイ、ユマ・サーマン出演の映画と聞いたら見ないわけにはいかないでしょう。
 実際この3人は全く接点のなさそうな役者です。デ・ニーロはまあ言わずと知れたデ・ニーロだし、ビル・マーレイは『ゴーストバスターズ』が一番有名なのでしょうが、個人的にはウェス・アンダーソン監督の『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』や、ソフィア・コッポラ監督が東京で撮った『ロスト・イン・トランスレーション』や、���ム・ジャームッシュ監督の『ブロークン・フラワーズ』で主演していた一癖も二癖もある役者(あ、そういえば、それほど有名な映画ではありませんが『恋はデジャブ』もいい作品でした)、ユマ・サーマンはクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』とメル・ブルックスのミュージカルの映画化『プロデューサーズ』のイメージでしょうか。
 そんな3人が一体どういう物語を作り上げるのかというと……タイトルから予想されるようなラブストーリーではなく、マフィアと刑事の物語として始まります。それもビル・マーレイがマフィアで、デ・ニーロが刑事。
 「え?」と思いますよね。
 デ・ニーロはマッド・ドッグというあだ名とは裏腹に、よく言えば「知的で繊細」(実際劇中にそういうセリフがあります)、悪く言えば臆病な刑事です。あるとき彼はコンビニで強盗事件に遭遇します。人質の命を助けるためでしょうか、それとも臆病風に吹かれたからでしょうか、彼は犯人に「金をとってさっさと逃げろ」と言い、犯人を逃します。
 そのあと彼は応援を呼んで犯人を追いますが見つかりません。そうこうしている間に人質に取られていた男もいなくなっています。
 数日後、デ・ニーロのもとにマフィアの用心棒っぽい男が現れ、ナイトクラブに来るよう招待状を渡します。行ってみるとコンビニで人質に取られていた男(ビル・マーレイ)が漫談をしています。ビル・マーレイはマフィアのボスで、命の恩人のデ・ニーロに恩返しをしたいと言います。
 マフィアのボスがなぜ漫談をしているのかと思いますが、彼は承認欲求が強く、舞台で拍手を受けるのがたまらなく好きなのだと言います。でも、マーレイのジョークは少しも面白くありません。デ・ニーロはマーレイにジョークを教え、メモを取らせます。
 こうして二人の間に奇妙な友情が生まれます。
 翌日、デ・ニーロのアパートにユマ・サーマンがやって来ます。サーマンはナイトクラブでバーテンダーをしており、前日デ・ニーロの手に熱いコーヒーをかけてしまいました。それを気にしたビル・マーレイがサーマンをデ・ニーロのもとに送ったというわけです。
 デ・ニーロはサーマンに帰れと言いますが、サーマンは何もせずに帰ったらマーレイにどんな目に遭わされるかわからないと言います。デ・ニーロは仕方なくサーマンをアパートに入れます。
 ここからやっとラブストーリーめいた展開になります。サーマンはデ・ニーロのところに1週間いるよう言われています。最初デ・ニーロは拒んでいますが、やがて二人は恋の落ちます。
 1週間経つとビル・マーレイがサーマンを迎えに来ます。しかし、デ・ニーロはサーマンを返したくありません。マーレイは警察の情報をリークしてくれるならサーマンをやると言いますが、デ・ニーロは断ります。そこでマーレイは「では三日後までに4万ドル用意しろ」と言って去っていきます。
 デ・ニーロは金策に走りますが、4万ドルは大金です。彼には用意できません。それを知ったサーマンはデ・ニーロに迷惑をかけないようアパートを出ていきます。
 ここからの展開がめちゃくちゃです。私は到底受け入れられません。
 三日後、マーレイが現れると、デ・ニーロは「金はない」と言います。マーレイがデ・ニーロを車に乗せて拉致(?)しようとすると、ちょうどいいタイミングでデ・ニーロの仲間の警官たちがやってきます(え? なぜ?)。
 デ・ニーロはマーレイに銃を向けて「俺と戦え」と言います。二人は警察官やマフィアの用心棒たちが見守る中、路上で殴り合いをします(え? なぜ警官たちは止めないんですか?)。
 そこへユマ・サーマンが戻ってきて(え? なぜ?)、二人の間に割って入ります。マーレイは「わかった。女はお前にやる。好きにしろ」、「お前とは友達になれると思ったのに」と言って去っていきます(え? なぜ?)。
 「家に帰ろう」と言ってデ・ニーロとサーマンが建物の中に入るところでオシマイ。
 うーん、なんだこれは。
 最初はとても面白い映画だと思いました。でもこれでは台無しもいいところです。
 デ・ニーロとビル・マーレイの奇妙な友情がもっとうまく描けていたら、男二人とユマ・サーマンとの間に奇妙な三角関係が生まれていたら、とても面白い映画になったはずなのに……
 設定はいいし、配役の逆転とでもいうのかな、デ・ニーロに気弱な刑事を、ビル・マーレイにマフィアのボスをやらせるところもいいし、若き日のユマ・サーマンもチャーミングだったし、いい映画になる条件は揃っていただけに残念です。
 ちなみにこの映画の原題は Mad Dog and GloryーーMad Dogはデ・ニーロのあだ名で、Gloryはユマ・サーマン演じる女の名前です。それが『恋に落ちたら……』になったのは、1984年に『恋に落ちて』というデ・ニーロ主演の映画があったからでしょうか。
 でも『恋に落ちて』(原題はFalling in love。こちらは原題通りですね)は同じデ・ニーロが主演しているというだけで、『恋に落ちたら……』とは一切関係がありません。
 配給会社も面倒なことをするものです。
追記:  デ・ニーロというとマフィアの大物のイメージがあるからでしょうか、小男というイメージはありませんが、ビル・マーレイより頭半分くらい低く、テーブルを挟んで二人が並んでいるシーンでは大人と子どもくらい違います。  ユマ・サーマンも背が高いので、3人の中で一番小さいのがデ・ニーロということになります。  それもある意味面白かったんですが……
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yuzumusubi · 1 year
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あかさたわ
出来ればもっと早く知りたかった。
観劇後、浮かんできた言葉はそれだった。
2年前の初演も見てみたかった。
今とどんな演じ方の違いがあったんだろうと。
気になって仕方がない。
できることなら、タイムマシーンに乗って
2年前にタイムスリップしたい。
【世界が消えないように】
それは下北沢・小劇場B1で幕が上がった。と言いたいところだが、幕はなかった。
会場に入ると立ち入り禁止のテープが貼ってあったり、工事告知の看板が立ってたりする古びた公園のセットが舞台上に設置されていた。開演時間になると会場の出入り口のところから唐突に俳優さんが登場。
ぬるっと劇が始まった。
コロナ禍を経験して、当たり前の日常が消えていくような感覚を感じていたのは私だけじゃないのだと感じて、安心した。
消えゆくものをどうにかして残したいと思っている人達が集まって、この舞台ができあがっているのだと分かるほど、がむしゃらに演じていた役者の皆様。細部までこだわりながら作品を作り上げた演出やスタッフの方々の熱が伝わってきた、素晴らしい舞台でした。
小さな劇場だから���じられる感情。
画面挟んでしまったら感じることのできない
空気感。
約90分間、あの空間にいることができて幸せだった。
「『あ』そう、『か』わらい、『さ』おとめ、『た』ばら、と始まって、『わ』だ、で終わる。全員の名字、あ段って運命やん。『あかさたわ!』…え、おもろ」(「世界が消えないように」戯曲より引用)
運命的な出会いを果たした、とある5人話。
眩しいくらいにキラキラ輝いていた5人の青春、個々が抱える暗い過去・現実。
お金がなくても集まりたい。
あの小さな公園で5人で話しているだけで、くだらない遊びをしているだけで、幸せだった「あの」頃。
それは“和田世界”の死をきっかけに消えてしまった。
彼が死んだ後、残された4人の関係は以前とは違うものになっていった。彼の死に対する罪の意識の違い、彼への思いの強さの違い、そういったものが時間が経つにつれ大きくなり、4人はいつしか上辺だけの友達のようになっているよう見えて、なんだか悲しかった。
(中略)
2011年3月11日。地震が起きた。
3月12日。高台から見えた景色は真っさらになってしまった街の様子。昨日までの街の姿はどこにもなかった。
その瞬間、空は“全てが消えてしまった”と思った。記憶、時間、感情…全てが空っぽになってしまったと思った。
だから空は書き始めた。
消したくない記憶を大切にとっておくために書き続けた。世界が居なくなってしまう、あの日まで。
(中略)
消えてしまわないように、消してしまわぬように空は廃りつつある、あの公園でノートを広げ筆を進める空の姿はラストシーンに相応しい。
暗転。
記憶のページをめくる音楽。
果てしない暗闇。
明転。
そこには河原井空役・永嶋柊悟さんが居て、座っていた舞台セットの椅子から立ち上がり、深々とお辞儀をした。
拍手に包まれた会場。
舞台袖から次々と出演者が舞台上に。
麻生航太郎役・松本大さん
早乙女碧役・高橋里恩さん
田原大智役・大野瑞生さん
和田世界役・三好大貴さん
5人1列になり鳴り止まない拍手の中、
客席向かってお辞儀をした。
会場から出たくなかった。
もう少し作品の世界に浸っていたかった。
余韻。
その余韻のせいで?おかげで?パンフレットを1部(1800円)、即買い。
買って後悔はしてない。むしろ買ってよかったと思えるぐらい価値のあるものだと感じている。
余韻のおかげといった方が間違いないな。
うん。
いい作品を見た後の世界は、いつもよりキラキラと輝いている。
私が当たり前に生きているこの世界には、当たり前にしておくには勿体無いほど、特別な瞬間の連続で、巻き戻せない大切な一コマが人生をより価値のあるものにさせてくれるということを改めて感じさせてくれる素敵な作品でした。
もう再演はないと演出家さんは言っていたけど、また数年後再演される奇跡が起こることを願ってブログを終えようと思います。
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yuupsychedelic · 1 year
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作品集『Poetry Showcase 03:恩師へ / 大人になるってなんだろう? / 私の十代』
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作品集『Poetry Showcase 03:恩師へ / 大人になるってなんだろう? / 私の十代』
1.恩師へ 2.大人になるってなんだろう? 3.私の十代
1.「恩師へ」
小学時代はあなたのことが嫌いだった あれこれと煩く言ってくるから 中学時代はあなたに媚びを売る人もいた 勉強もしないくせして将来は気にしていた 高校時代のあなたはいつも誠実で 何かある度に言葉で抱きしめてくれた
時が移ろうたびに 大人を見る目線も変わる
まるで転がる石のように 毎日変わる僕たちだけど
いつの時代も帰れる場所があるなら つらい時は縋ってもいいはず でも大人は時に一人でやらなきゃいけない あの頃の思い出を胸に秘めながら
栄光の日々を掴むため 共に走り出した僕らの物語 たとえ錆び付いても この約束だけは守ります
小学時代のことを忘れたフリして いつの間にか黒歴史にしたい僕もいたけど 中学時代に築いた思い出達は かつての積み重ねの先にあると気付いた 高校時代は友と距離を置いて 孤高の人でありたいと気取ってみたが 大学時代にやっと気付けたんだよ 僕の方が間違っていたんだと
黄昏時まで友と言葉を交わした あの日を覚えていますか?
放課後の教室は無性に切なくて そう遠くない旅立ちを憂いた
いくつになっても心に刻まれてる 子供時代のさまざまな記憶 ただ大人になるだけじゃ見えて来ない だから新しいことを日々始めるんだ
栄光の日々を掴むため 共に走り出した僕らの物語 たとえ錆び付いても この約束だけは守ります
夕暮れ時の教室で あなたと交わした約束を
卒業式に一度も涙は流さなかった 人前で泣くのは柄じゃない すべてが終わって家に帰ってから ふとした時に流れた涙が 本音だと気付いたのは遥か未来
あの日友にさえ言えなかったサヨナラ 僕はこうして独りになった 果てなきエゴとつまらないプライドのせいで 本当に大切なものも掴めないまま
いくつになっても心に刻まれてる 子供時代のさまざまな記憶 ただ大人になるだけじゃ見えて来ない だから新しいことを日々始めるんだ
栄光の日々を掴むため 共に走り出した僕らの物語 たとえ錆び付いても この約束だけは守ります
夕暮れ時の教室で あなたと交わした約束を
そして、いつか愛した場所を 忘れぬよう心に栞を挟む
2.「大人になるってなんだろう?」
まるで熱に浮かされたかのように 親の反対を振り切り上京した 四年前の三月はあまりに寒すぎて 安物のダウンでは凍えそうになってた
東京に来たら何かが変わるかもしれないと 根拠のない期待に浮かれた季節 今の私にあるのはセフレと悪い噂くらいで 愛なき夜に身を委ねてばかり
Think Difference…… それぞれに描く未来があるのに 一方しか見られなかった 私には私の考えがあるからと 意固地になってた十八の頃を恨む 
六大学を出てもガクチカは書けない 怪しげな求人票は届いても 本当に行きたい会社を希望する勇気もなく 私には私の友がいるからと 親にすら本音を話せない自分を憎む
新宿で高校時代の友とばったり逢ったけど 私にはひとつも気付いてくれない マッチングアプリで出逢った男友達には 私だと気付かずに汚された
不細工だと何度中傷されたって もう一人の私には何とも響かない この空っぽな人生は何処へ向かったっていい たとえトイレでも役割があるだけマシだ
何度ナイフで手首を切ろうとしただろう 未だに私には傷ひとつない 危険な綱渡りをひたすら繰り返してきたのに 男も女もやさしかった
Think Difference…… もっと良い未来があったのに 自分から手放してしまった 私には私の努力が出来たはずなのに 頑張ることすら放棄してしまった
「努力は報われる」とある人は言ったけれど 頑張れなかった人は無数にいる まさか私がその一人になるとは思えなくて かつての私に未来を教えられるなら でも同じことの繰り返しになりそうで
大人になるってなんだろう? 今の私にはわからない
キャリーケースを抱えて 夜明け前の街を歩く ある少女と今日もすれ違う 彼女の眼にはまだ光が漲っていた
何よりも私より遥かに美しくて 泣きたくなったよ この人生も私もクソみたいだ 今すぐに死ねるなら死んでしまいたい
これから何処へ向かうかはわからない マッチングアプリの通知を待つだけ 愛する意味も夢見る価値も忘れたままで 夜が明けた後も生きていくんだろう 一生このまま……
Think Difference…… それぞれに描く未来があるのに 一方しか見られなかった 私には私の考えがあるからと 意固地になってた十八の頃を恨む
大人になるってなんだろう? 今もこの先もわかりたくもない
ただ私らしく生きてみたかったんだ 私らしさを知りたかったんだ 私なりに可愛くなりたかったんだ 私も美しくなりたかったんだ
何より…… 私は普通の恋がしたかったんだ
ブロンドの長髪と ストロベリー・スウィッチブレイド風は 疲れた人生を隠すためのメイク
その時…… 誰かが私をぎゅっと抱きしめた
3.「私の十代」
高校卒業してから会えなかった幼馴染と 親戚の集まりで久々に会った 何かが特別変わったわけじゃないが ほんの少しだけ自信を持っているようだった
あなたともう一度逢う前に かつての記憶を何度か振り返ってみた 姉御肌のあなたはいつも傍にいて 決して強くないのに僕を守ってくれた
どうして��んなにしてくれるのか いつか尋ねたこともある あなたはとっても悲しそうな瞳で 僕の無関心を静かに詰った
こうして日常的に会わなくなったから やっと素直になれた気がする お酒が入っていたからかもしれないが 僕はあの日の話をあなたとした
放課後に二人で会った日のことを かつては忘れたと誤魔化していたけど 本当はちゃんと覚えてた 目の前のあなたと向き合えなかっただけ
あなたに最近の話を聞いていると 付き合っている人がいるという きっと僕はあなたのことが好きだったんだ
素直になったのがあまりに遅すぎて すべてを失った十代の後悔
この日も僕はあなたから逃げ出してしまった あなたの選んだ人の話を聞きたくなくて でも僕はちゃんと向き合うべきだったんだ 深夜に送られたLINEを見て嗚咽する
あなたと離れて何度か恋もしたものの あなたのことは忘れられなかった 誰よりも長い時間を過ごしてきた友よ なぜ僕は友にさえ素直になれないんだろう
二人で旅に出た夏の日のことを 僕は楽しくなかったと誤魔化したけど 本当は人生で一番楽しかったんだ 目の前のあなたと向き合いたくなかっただけ
あなたに恋人がいると聞いて 僕は何をする気力もなくなった でもこれで良かったんだ
最後の瞬間すら素直になれない すべてを失った十代の後悔
布団に包まり 涙が枯れるほど泣いても もう変わらない現実 好きな人を好きになってはいけない 自分自身の優柔不断のせい
好きになればなるほど距離は遠くなり 僕はいつも遠回りしてばかりで まるでバッドエンドを自分で呼び寄せるように あなたさえも見失いそうだ
僕たちの関係はどこへ向かうのか 答えは僕が決めるんだ たとえ不釣り合いでもやり直せなくても 後悔だけはもうしたくない
僕は不器用なりにこの恋を叶える あなたをもう一度振り向かせてみせる 冬の夜空に夢を描いた あなたと恋仲になると誓った
やっと気付いてくれたんだね 私キミがあまりに鈍感過ぎるから 駆け引きのつもりで恋人を持ち出して もう一度振り向かせようとしたんだ
だけどもう遅すぎるよ 明日には彼と同棲することになった キミと違って余程素直な彼は こんな私さえ抱きしめてくれる
幼馴染のキミへ 私がいなくても幸せになってよ もう私がいなくたってキミは跳べるんだ
Bonus.「恋愛ポートフォリオ」
最初に告白した彼は クラスの人気者でした スポーツも出来て頭も良く 誰もが羨む存在
でも賢いがゆえに影もある 彼には二人目の恋人がいました
二番目に付き合った彼は 図書室が好きでした 静かに見えて冗談がわかる 付き合うほど好きが増していく
四季を重ねたって 少しも飽きずに いつまでも傍にいたいなんて 公園で言葉を交わしたこともある
でも転校してしまった 小学五年の秋 木枯らしが切なすぎて
もう恋なんてこりごりだと 闇雲にスポーツに打ち込んで 気付けば中学に進学し 髪をばっさりと切った夏
同じ部活の先輩に思わず恋をした あっという間に距離は縮まって ふたりは友達以上になり 三番目の恋をした
あなたは私を好きだと言うけど 実は他の女の子が好きだった 気づいてたのです 机の中のプレゼントに
ただ、やりたいことをやればいい! ただ、やるべきことをやればいい! ただ、やれないことをやればいい!
先輩方の背中を追い ここまでやって来たんだ 最後にスリーポイントを決めたら 全国大会への切符を掴む
私たちは跳べると信じていたのに 私のせいで跳べなかった そんな時に慰めてくれたあなたが 四番目の恋人になる
あれほど優しかった人が 付き合った途端に豹変する 言葉も交わしてくれなくなり 身体にアザは増えていく
そんな時に救ってくれたのは 幼馴染でした 男の子は信用ならないと この時心から思ったのです
一本のビデオが運命を変えてしまった 私のことを誰も知らない街へ向かう その音声は偽物であなたの陰謀が蠢く それでも人は人気者のあなたを信じるだろう
桜の咲く季節にひとりでクラスに佇んでた 私に気付いた少年とふと目と目が合う もう恋愛なんて二度としないと決めてたのに あなただけは信用できると恋に堕ちたんだ
最初のキスはあなたから ある放課後のこと 胸がこんなに熱いのは 初夏の陽射しのせいじゃない
あなただけは信用できると思っていたのに また裏切られたのは SNSの通知に気付いてしまったから
リコメンドは人の首を絞めることもある あなたの温もりはすべて嘘でした
六番目の恋は自然発生的なもの 塾で隣の席に座ることが多かった彼と いつの間にか付き合ってた
大した仲じゃなかったけれど 一緒にいて心地よかった でも何かが物足りなくて 大学進学と共に別れた
Evergreen…… すべてが真っ白な季節 同じ学部のあなたに恋に落ちたのは
アイビー・ファッションが似合う シティボーイなアイツよ 颯爽と現れる仕草と同じように 光の速さで浮気された
最初は気づかぬフリしたけど そのままじゃいられない 誤魔化し合うだけの関係は すぐに破綻していった
最後のキスは夏祭りで 私から切り出した 七番目の恋はこれでおしまいと もう開き直っていました
誰もいない街 ヒステリックなニュース 何もすることがなくなった私は マッチングアプリを始めた
最初に出逢った彼とは音信不通になり 次の彼は口を開けば ケ・セラ・セラ
でも八番目の彼は他の彼とは違った カメラが好きなあなたに思わず恋をした だけど良い恋人に限って目の前から消えてく さよならも言えないまま この世界から去っていった
私に一言くらい言ってくれてもいいじゃんか ひとりで死ぬなんて狡すぎるよ
九番目の彼は狡猾だった 元カレの死に落ち込んだ私を まるで飲み込むように恋に堕としたの そんな関係は長続きしない 安らぎも温もりもなく 私たちはどこへも向かえなくなっていた
あなたと出逢うまでは 恋なんか信じられなくて いつかは裏切られると 心に過っていた
何度恋に期待しただろう そして何度裏切られただろう ある時は浮気され ある時は無関心だった
さよならを告げるまでは 恋は終わらないけど 自然に終わった恋を見るたび 胸が痛くなる
それでも誰かを好きになることを あきらめたくはない 誰かを愛していくことを あきらめたくはない
星空にあなたと誓う 幸せな未来を信じて たしかな明日を信じて……
十番目の恋人よ あなただけは信じてもいいですか? 私愛してもいいですか?
作品集『Poetry Showcase 03:恩師へ / 大人になるってなんだろう?/ 私の十代』製作クレジット
Produced by Yuu Sakaoka with the Young Brigade
Written by Yuu Sakaoka, TORIMOMO, Yurine, Bohemian “Kazuma” Scott, Sakura Ogawa Designed by WOMBO Edited by Minoru Ichijo, Yuu Sakaoka
Original Piece / Arrangement by Hori “Fighting Peacock” One, Yuu Sakaoka with the Young Brigade Basic Track - Hori “Fighting Peacock” One, Bohemian “Kazuma” Scott, Yuu Sakaoka Recorded at Hori “Fighting Peacock” One Private Studio(Los Angels), Yuu Sakaoka Studio(Kakogawa)
1.恩師へ Produced / Drafted by Yuu Sakaoka Written by Yuu Sakaoka, Yurine
2.大人になるってなんだろう? Produced by Yuu Sakaoka with the Young Brigade Co-Produced by TORIMOMO, Yurine Written by Yuu Sakaoka, TORIMOMO, Yurine
Original Piece / Arrangement by Hori “Fighting Peacock” One Electric Guitar by Bohemian “Kazuma” Scott Recorded at Hori “Fighting Peacock” One Private Studio
3.私の十代 Produced by Yuu Sakaoka with the Young Brigade Drafted by Bohemian “Kazuma” Scott Written by Yuu Sakaoka, Bohemian “Kazuma” Scott, Sakura Ogawa
Original Piece / Arrangement by Bohemian “Kazuma” Scott Synthesizer by Yuu Sakaoka Recorded at Hori “Fighting Peacock” One Private Studio, Yuu Sakaoka Studio
Bonus. 恋愛ポートフォリオ Produced / Written by Yuu Sakaoka with Sakura Ogawa Drafted by Sakura Ogawa
Original Piece / Arrangement by Yuu Sakaoka Piano by TORIMOMO Synthesizer Guitar, Bass, Drums by Yuu Sakaoka Recorded at Yuu Sakaoka Studio
Respect to KAZUHIKO KATO, KAZUMI YASUI, THE ALFEE, Taylor Swift Dedicated to my Friend, my family, and all my fan!!
2022.12.31 坂岡 優
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sugarsui · 1 year
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2022/12/10
 何かあるかな、と思って午前中に髪を切るのとインナーカラーを予約しておいたが、とりたててその後何もなく家で本を読んでいた。
 ほぼ見切り発車で美容院に行き、相談して決める。途中経過として一度ブリーチをして明るくなった髪を見て、そのガラの悪さとともに、昔浪人生をやっていたときにブリーチをして売れない冴えない全く駄目なバンドマンのようになっていたことを思い出した。そうやって色を抜いたり、入れたりしているのを待っているあいだに、何を言うでもなくサービスとして珈琲が出され、胃の調子悪くするから飲めないんだよなあ、と思いつつ飲んだが、今日は大丈夫だった。とりあえず、色を入れたが、徐々に変化していくらしくちょうど良くなるのは一週間後らしい。人と会う約束をしていたから何かめぐりあわせが良い。それにしても、ジャックデュランの眼鏡をし、シルバー系のインナーカラーをしているものの、この季節は服装としてシャツにセーター、祖父の遺品の高いコートという綺麗目な格好をしており、非常にちぐはぐな見た目になること請け合いであり、今よりも一層よくわからない人感が高まりそう。
 ペアーズに三か月分の料金として一万円を入れたものの、すでに飽きつつある。ここ一か月ありがたいことに人と話す機会に恵まれたことから、恋人が欲しいとかではなく、やはり継続的に話せる人がいればいいということだったんだ、と改めて気づく。あと年齢もあってか、数年以内に結婚をとか、子供は欲しいですとかを見かけると、少し息が詰まる思いをする。そもそも戸籍制度に結びついた婚姻制度が嫌で仕方ないしなどと考えていたら、ほとほとマッチングアプリに向いていないことがわかる。
 tinderのほうのアイコンは「家父長制はクソ」というものにしていて、ペアーズのほうもまあいいか、とそれにする。くわえて、このあいだ大学で見つけた立て看板も追加しておく。取り繕おうと思えばどこまででも出来るけれど、結局会って話したら私はたぶんこうした話を初めからしてしまうだろうし、仕方ないでしょう。そうやっていたら、どこかの国立大学でフランス文学を学んでいました、というピンクの髪の人からいいねがきていて、何か得心する。
 さて冬の曲。今日はDo As Infinityから。Do Asはavex所属ということもあってか、多かれ少なかれ「商業的」な側面があり、その一つの恩恵として季節の曲だったり、何かの日常的ないしは世俗的なトピックを扱った曲が多分にある。後者について言えば、恋愛、仕事、他愛ないおしゃべりとかそんなところ。
 Do Asとの出会いを思い出してみようとすると、どうにも不確かな記憶だが、私が中学生の時にはMDに好きな曲を詰め込んで人と交換をするという遊びが行われており、それで友達からもらったMDに「あいのうた」が入っていて、それがきっかけだった。初めて買ったCDは?なんていうよく問われることがあるが、私の場合はDo AsのDo the A-sideのはず。ということで、今日は「We Are.」。今このMVを見ながら、ダブルネックのギターを使っているのを長尾大くらいしか見たことがないかもしれないと気づく。ダブルネックの利点がわからないけれど、違ったチューニングを備えておけるとかなんだろうか。あともう一つの気づきとして、私の今の顔の好みの一つの方向付けとして伴都美子がある。それ���しても、クリスマスだね。
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y1drshio · 2 years
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食べかけ失礼!昨日の夜ご飯!市場の恩恵!
さんま7匹450円だってよ!🫢
ちゃんけびがいろいろ作ってくれていました。
ちゃんけびは、とても生活を守る力に長けていて、自分からぺらぺらは話さないけど、自分の価値観に沿って生きているひと。
私はべらべらと、またふらふらと、外に出かけてられるのは、まさに帰る場所が安定しているからだと思う。なんでか知らないけど、けびんは私との感覚の擦り合わせを必要ないと思うくらいに、私の価値観を信頼してくれていて(荒くれ期除く)
わたしがびびる。笑 そんなことある?って思っちゃう。
だけどだからこそこの人を裏切ることはできないと思うし、裏切った時は容赦なく撤退するんなろうなという清々しさ?を感じている。
むかしはなんも言わないから、なにかんがえているかわかんなかったけど、けびんにとっては自分の価値観で自分が生きられることが一番なので、他人がどう生きようと、自分が快適に生活ができれば問題がない。だからひとに何かを求めるってことが基本的にないんだなということに私の中では落ち着いている。
なんなんだろね、私達は元の素質は同じなんだろうけど、生き抜き方が別のベクトルに向いている同志という感じなんだと思う。
けびんは自分を守るために外への刺激を控えてるけれど、わたしが外からの刺激を運んでくることをどこか喜んでいるような感じで、私をそばに置いてもいいかなと思ったんだと思う。
かけびんは自分の中身を人に発表する必要性を全く感じていない人なので、あってるかわかんないけど、私がこれまで一緒にいてなんとなく掴んできたケビン像はこんな感じ。
わたしは他人を把握することが趣味みたいなもんなので、多分語らずしてある程度けびんの意向を汲めているところも楽なんだと思う。
けびんは人を諦めるけど、私のことは諦めずにそばに置くことを決めてくれて、よりによってなんでこんな手がかかるやつを手元に置くんだと思うけれど笑 なんというか、わたしが運んでくるの外の空気は感じながら生きていくのも悪くないなと思ったんだとおもう。
わたしはケビンみたいな統制はできない。反対にケビンにとっては、傷ついても諦めないという私の選択は馬鹿だなと思ってるだろうけど、ケビンが選ばなかったルートなんだと思う。だから私を援護射撃して、送り出してくれるんじゃないかなと思う。
まぁなんというか、私達の本質は似ているから人と暮らすつもりのなかったと思われるけびんが私を内側に入れてくれたんだろなと思う。
私がけびんを諦めなかったのはたぶん、煩わしかっただろうけど、少し嬉しかったんじゃないかと踏んでいる。笑
なんというか、こんないいやつ?なのに第二段階の壁があまりに分厚いから、第二段階を目指すひとは多分私くらいのアホだけで。
振り落としてもせっせと登ってくるから、それが滑稽でうっかり受け入れちゃったんだと思う。ほんとに気の迷いだったんだと思う。笑
わたしはこじ開けちゃえば、なんというか自分の主戦場なので。笑 追い出すタイミング逃したんだと思うよ。うっかり面倒なんか見ちゃって、なんなら応援しちゃったりして。笑
なんというかほんと私達はこんな感じで、お互いが自分ではできやしないぶぶんの補完関係なんだと思う。
いやこれはたぶんただの惚気だな、今書いていてだんだんこれは人の目に触れさせていいものか心配になってきた笑
だから私達は、なんというか戦友という感じ。人それはそれで間違ってないんだと思うけど、俗にいう求めある恋愛関係とはなんか違う形なんだろうなぁって思う。だからわたしは、結婚という名前?がいまだに居心地の悪いんだろうね。いままで理由まではおもいあたってはいなかったけど。
なんというか、共に生きる選択はいろいろあるので、名前はどうでも良くて。こだわるのもこだわらないも自由だなと思う。そうなんだよな、だから誰がどうしようが、他人の選択にいちゃもんつける人の感覚が理解できないというか。
異物を遠ざけたいタイプはたくさんいるし、なんならそれがメインの考え方なのではないかと思う。普通に暮らしてて、違和感のない人達にはその方が自分達の生活は脅かされないもんね。私はだからまあなんというか、そりゃそうかもなと思ってるんだけど、ひとつだけ思うのは、なんでこの人たちは自分がこっち側にならないと信じてるんだろうな?ってとこ。
私はそのてんにおいてだけは、彼らをなんというか浅はかだと思っているんだけど、別に私には関係ないからそんなことわさわざいいにいくことはもう辞めた。だけど、自分のそばにいる人達のそーゆーエゴを見ると本当にどうしようもできなくて悲しくなる。私は彼らをささくれだたせる可能性を秘めているので。悲しい。好きな人を遠ざける選択をしなきゃいけない。そこに私が選ぶ権利はないから。
だからせめて、私は私を諦めたくないなと思ってくれる人達を大切にしようと思っている。
これがやっと私がだした答えだし、人を手放すことができるようになった所以。べつにこれを悲観はしてないけど、わたしは誰もほんとは諦めたくないんだよなぁ。とんでもなく、欲張りだから。笑 だからとりあえず、すこしでも諦めないでいいような、諦めたくないなと思われる人間になるしかないなと思っている。
これが答えだなって思う。
ほんとにここまでが長かったけど、わたしは多分こうならないと、ここに辿り着けなかった馬鹿野郎なので、まぁ甘んじて受け入れようって思っているよ笑
最高なみんなが、駆けつけて助けてくれるってわたしはもう、思えるから。私がそれにどれだけ救われているか、みんなに伝わっていればいいなと思っている。
わたしはもう、自分から手を伸ばすことはしないけど、なにかのときにそういえばって顔が浮かぶ人間になりたいなって思う。ほんとにそうおもっている。
だから悲しくなんかはなくて、みんなどこかはそうやって折り合いをつけて生きているんだなぁってやっと気づいた感じです。
なんというか、わたしは人が10年くらいかけてたどり着くところをここ数年でやっと追いついた感じなので笑
今後ともどうぞよろしくねって感じです笑
以上!
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benediktine · 2 years
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【荊棘のトレイル | クリーネストライン】 - パタゴニア : https://www.patagonia.jp/stories/thorny-path/story-123268.html/ : https://archive.ph/R4iiD 西脇 仁哉 { 2022-07-13 }
マウンテンバイクが地域と深くつながり、次世代に引き継げるように。遊ぶフィールドは自分たちで作り、守っていく。
 {{ 図版 1 : 下草の枯れる冬には尾根の向こうに絶景が広がる。ライダー:瀬戸 英人 / 写真:西脇 仁哉 }}
悪路を人力で走るための乗り物、マウンテンバイク。路面の起伏、木の根の段差、岩壁など次々と現れる難所を、経験とスキルを駆使し、ダンスを踊るかのように体を素早くしなやかに動かしながら乗り越えていく。人馬一体、いや、マウンテンバイクを介した自然との一体化。そんな身一つだけで地形を攻略するゲーム感覚と、その報酬として味わえる大きな達成感に、小学生の頃から魅了され続けてきた。
大学2年の夏休み、マウンテンバイクの聖地・カナダ西海岸のウィスラーで日本人向けの走行ツアーに参加し、2週間を過ごす。現地でテーマパークばりに充実したマウンテンバイクのトレイルを走り回り、ここは楽園かとカルチャーショックを受けた。そこからは、カナダを再訪することを考えてばかり。大学院に合格していたものの、大学卒業と同時に休学し、ワーキングホリデーで再びカナダに渡った。現地のマウンテンバイクメーカーで仕事をもらい、夏はカナダ、冬は日本というマウンテンバイク中心の武者修行のような生活を3年続けた。
 {{ 図版 2 : まるでスキーのシュプールを描くように、砂の崖を急降下。カナダBC州カムループス。写真:辻 義人 }}  {{ 図版 3 : カナダのバックカントリーライドでは、絵葉書のような雄大な景色を楽しめる。写真:西脇 仁哉 }}
帰国後は長野県伊那市のマウテンバイクツアー会社でガイドとして1シーズン働き、トレイル整備のイロハも学んだ。現在は海外自転車ブランドの広告の翻訳家と、パートタイムのフォトグラファーとして働き、時間を見つけては近隣のトレイルへ繰り出している。
生まれは東京で、育ちは関東平野と秩父山地が交わる埼玉県南西部で、今もここに住み続けている。山岳地帯と居住地を里山が結ぶこのあたりは奥武蔵と呼ばれ、週末ともなればハイカーやトレイルランナーはもちろん、クライマーやサイクリストで賑わう。自然の中でのんびり過ごすこともハードな運動を楽しむこともでき、さらには都心部からアクセスしやすく、アウトドアスポーツを嗜むのには最高の地域だ。
マウンテンバイクは主に山道を走るのだが、山で実際に乗っている人に遭遇する機会は少ないかもしれない。それもそのはず、マウンテンバイク乗りはただでさえ広い山林の、さらに人通りのない山道を好んで走行するからである。法律上は走行が許されている山道であっても、肩身の狭い思いをしていることが多いマウンテンバイク乗り。そのスピードから、他の利用者との接触事故が懸念され、また見た目にインパクトのある太いタイヤから、路面の侵食の原因と見なされ、走行禁止になった山道は残念ながらいくつもある。
 {{ 図版 4 : 岩畳も見つめることでラインが浮かんでくる。写真:鈴木 雄一 }}
山道は無数にある。だから短絡的かつ無責任に考えれば、ある山道が走れなくなれば、違う山道を走ればいい。しかし、これを繰り返せば、全国的にフィールドは減少していくばかり。ただでさえ高額な機材スポーツである。また、玄関を出た瞬間からフィールドが始まるロードバイクと異なり、マウンテンバイクは山道という特定のフィールドありきのスポーツだ。フィールドが減って行けば、次世代のライダーが育ちにくくなり、数十年後には悲惨な状況が待ち構えているかもしれない。そして、走る場所がなくなれば、その存在意義すらもなくなってしまう。だからこそ、すべての山道とまでいかなくても、できるところから整備活動を始めていく必要があると思う。
 {{ 図版 5 : 木々の隙間から漏れた光がスポットライトのよう。薄曇りの奥武蔵にて。写真:西脇 仁哉 }}
慣れ親しんだトレイルが将来的に走行禁止になるかもしれないという危機感を持ち、自分たちの手でフィールドを守ろうと2014年に設立されたのが、奥武蔵マウンテンバイク友の会(以下OMC)だ。その目的はいたってシンプル。普段遊ばせてもらっている里山への整備を通した恩返しと、マウンテンバイクの普及および啓蒙である。 友の会に現在所属する会員は、子供から大人までの80名弱。年齢も職業もバラバラだが、共通するのは皆、マウンテンバイク乗りであるということ。私たちは高齢化が進む地域の里山保全団体にマンパワーを提供し、倒木の撤去や雨水の浸食を防ぐための造成などを行っている。また、行政の道路美化団体に登録し、里山周辺で不法に投棄されたゴミの清掃や草刈りもしている。年20回ほどの作業に毎回20名程度が参加し、各地域の作業担当に割り振られた主要メンバーは、月に一度のミーティングで今後の作業内容の決定や、会に寄せられた問題の議論を行なっている。
海外ではトレイルビルダー、要はマウンテンバイクで走るトレイルを山中に作る職業があり、その作業が映像やSNSで紹介されるようになって以来、彼らに憧れるマウンテンバイク乗りも日本で増えてきた。シャベルやツルハシで道幅を拡幅したり、土を掘っては盛って水切りを作ったりするのだ。しかし、所有者に無許可でこれを行なうと、器物損壊の罪に問われてしまう。その点、OMCで整備する山道は、すべて市道となっている。問題箇所の特定、行政への作業の申請と報告を通じて、マウンテンバイクのためではなく、あくまで歩きやすいようにするためではあるが、そのような整備を堂々と行っている。また、OMCではただの肉体労働に終わらず、達成感や意義を感じられるよう工夫している。その最たるものが、汗を流して整備した区間の走行だ。自分たちの手で直したという自負から、その区間の走行は毎回感慨深いものとなる。
 {{ 図版 6 : 山側を削り、その土を谷側に盛���て山道を拡幅するOMCの会員たち。写真:西脇 仁哉 }}
2017年には、埼玉県飯能市の市民活動支援事業に『子供と楽しむじてんしゃ広場』と題して、同市名栗地域の公園内に自転車コースの開設を提言。無事採択され、翌年には造成が完了。現在は偶数月に一度の整備活動に加え、年二回、地域の子供たちに向けた自転車教室を開催している。純粋な自転車遊びの延長として、土の上での安全な走り方を身につけることで、マウンテンバイクを本格的に始める子供が出てくることを願っている。
 {{ 図版 7 : 子ども向けの教室では、学びではなく遊びの延長として、マウンテンバイクの入口を体験できるよう配慮している }}
例えばカナダでは、自転車と言えばマウンテンバイクであることが多い。サイクリングを楽しむ家族から、本格的なスポーツとして取り組む愛好家や世界のトッププロライダーまで幅広い層が定着し、マウンテンバイクという乗り物が市民権を得ているのだ。さらには、充実したその走行環境はマウンテンバイク先進国と言わしめるのに十分であり、世界中から愛好家を惹きつけ、さらには多くの移住者まで生んでいる。また、カナダの国土は日本の約27倍であり、そのうち9割の山林を各州が所有する。これらの州有林は、健康や幸福の追求、つまりはレクリエーションを目的として人々に開かれている。それゆえ、トレイルの造成などには細かなルールが定められているものの、地権者が公私散り散りとなった日本の土地と比べ、はるかに利用しやすい。また、どの街へ行っても、そこにはほぼ必ずマウンテンバイクの走行環境を整える団体が存在している。
一方、日本は国土の約7割が山林であるものの、その目的は保全が多く、多様なアクティビティーの利用に対して開かれているとは言い難い。また、利用までの道を切り拓く上で、マウンテンバイクが貢献できることは地域によって異なる。OMCのように、高齢化する保全団体にマンパワーを提供できる地域もあるし、害獣駆除の一環として、マウンテンバイクの走行が野生動物を田畑から遠ざける役に立つ地域もある。また、良質なトレイルがまとまって存在していることから、マウンテンバイクの目的地として愛好家を呼び込み、町おこしの一端を担っている地域もある。それぞれの地域に適した運営方法や作業内容で、コミュニティーと協力して持続可能な山林の利用法を編み出す団体が全国的に増えているのだ。
 {{ 図版 8 : 幻想的な景色と出会えたときの喜びはひとしお。写真:鈴木 裕一 }}
マウンテンバイク先進国から10年は走行環境が遅れていると言われている日本だが、国が違えば制度も違って当然。したがって、日本は日本に適したやり方で、地道にフィールドを増やしていくほかない。これまではただ走っておしまい、と一方的に利用するだけの遊び方だった。しかし近年は、このスポーツを社会にもっと普及や還元させ、次世代に繋いでいくことがより重要視されているように感じる。遊ぶフィールドは自らの手で守る。その言葉を胸に、マウンテンバイクがブームとしてではなく、地域と深くつながって広まっていくことを願ってやまない。
●著者プロフィール  西脇 仁哉 ―――1986年東京生まれ、埼玉育ち。小学生の頃にマウンテンバイクと出会う。大学卒業後にはカナダのブリティッシュ・コロンビア州ウィスラーで本場のマウンテンバイクを体験。国内外の映像作品や専門誌に取り上げられ、現在はフリーランスの翻訳家をしながら、レースとは違うマウンテンバイクの楽しさを発信中。
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