Tumgik
#産業教育記念日
herbiemikeadamski · 1 year
Photo
Tumblr media
. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 11月20日(日) #赤口(丁丑) 旧暦 10/27 月齢 25.7 年始から324日目(閏年では325日目)にあたり、年末まであと41日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昨日は案の定に騙されたった感じ 朝からの雨でしたけど午後過ぎに は雨もなくなり嘘の様に晴れ上が りました🤣😆🤣レイングッズに身に纏 い日サロまで行って帰って来たら☔ なくなってた。(o゚д゚)マジスカ? \(__ )マジデスw😅💦今更、支度し てってのも面倒だし、自宅待機で 部屋の片付け😅💦今朝は文句なし の「ほぼ快晴」なので行くでしょw でも、これから☔が降るって云う のですが、(o゚д゚)マジスカ?🤣😆🤣 今朝飯は、最後のヒライモーニング堪能。 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #イイツーキンの日. さまざまなプロモーション事業などを展開する株式会社ドリルが制定。 通勤にまつわるマナーの問題が取りざたされていることから、より良い通勤を考えるための日。 日付は11と20で「いい(11)2(ツー)0(距離が近いことを表す)」を意味する。 また、3日後の「勤労感謝の日」と合わせて、11月の第4週が通勤も含めて、働くことについて  スポットの当たる週になることを展望している。 また、同社は通勤にまつわる様々な調査・研究結果を発信するリサーチ型メディアとして  『通勤総合研究所(通勤総研)』を発足。 各種団体・研究機関と共同で、通勤と決済にまつわる調査を発表する。 . #赤口(シャッコウ・シャック).  六曜の一つ。  陰陽道の八嶽卒神が支配する日であり、公事・訴訟・契約などの凶日とされる。  「六曜」の中で「仏滅」の次に縁起が悪い日です。  この日は、陰陽道の「赤舌神(しゃくぜつしん)」という恐ろしい鬼神が支配する日とされます。 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝い事  では「仏滅」より避けられることが多くです。  この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . . #メンズ脱毛を応援する日. #日本初の競輪. #ピザの日(PIZZAday). #発芽大豆の日. #いいかんぶつの日. #毛皮の日. #組織風土の日. #山梨県民の日. #行政相談委員の日. #ホテルの日. #産業教育記念日. #えびす講. #モチモチの木に灯がともる晩(斎藤隆介『モチモチの木』). #多肉植物の日. #イイツーキンの日 . #タブレット通信教育の日. . ●ダブルソフトでワンダブル月間. ●生命保険見直し月間(1日から30日). ●信州ワインブレッドの日(毎月20日). ●ワインの日(毎月20日). ●発芽野菜の日(毎月20日). ●シチューライスの日(毎月20日). ●キャッシュレスの日(ゼロの付く日). . . ●世界のこどもの日(国際連合). ●アフリカ工業化の日(国際連合). ●メキシコ革命記念日. ●トランスジェンダー追悼の日 (アメリカ). ●ベトナム国の先生の日. . . ■本日の成句■. #自慢は知恵の行き止まり(ジマンハチエノイキドマリ). 【解説】 人間は自慢をするようになると、高慢になるばかりで進歩向上はしなくなると云う例え。 . . 1946(昭和)21年11月20日(水)赤口. #大石吾朗 (#おおいしごろう) 【俳優、タレント、司会者・MC,CS日本番組審議会】 〔神奈川県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/ClKT6lRSuiv8OKkxOXH0FAt3REdAXgEpJ90oT80/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
myxxx19 · 4 months
Text
年末なので下書きいろいろ供養。
・まいにち平和に生きているけれど、ふと考えれば人生になんの刺激もなくて絶望する。夫をひとりにしたくないのと、可愛い甥の成長を見届けるまでは死ねないのでかろうじて生きてるって感じ。私も子どもでも産めば変わるのかなって、今まで嫌悪していた少々グロテスクなことを考えるほどには、日々なんもねぇ。趣味が恋愛とセックスで承認欲求満たすことだと結婚してから詰みます皆さん。今からでもなんか始めてください。
・セックスしてばかみたいに大きな喘ぎ声出したら、悩んでいることの8割は一瞬吹き飛んだ。やっぱり私に1番効く薬はこれだったかと腑に落ちる。
・社会人12年目、1日8時間週5勤務(残業あり)という雇用形態に疲れはじめた。こんなご時世にもったいないけれど、ほんとうに30歳かってくらい身体が追いつかないから、週4とかの仕事をサイトでこそこそ探してみたりする。フル在宅もあり。給料もまったく上がらないし、正社員イコール安泰とも限らないこの時代。すり減らして生きてんなぁ。
・30歳になって数ヶ月。女の30代なんてずっと厄年みたいなもんだから!とスナックのママに明るく言われて、あぁじゃあこの原因不明の焦りや疲れや眠気や悲しみは、30歳を迎えたせいなのか〜と腑に落ちた、ふりをした。本当はそんな話、全然納得していない。したくない。出産へのタイムリミットとか、産んだとしても教育にかかる費用とか、そのあとは老後とか、そんな不鮮明なものに今の私が消費されてたまるか。
・数年に一度レベルの生理痛に襲われベットから起き上がることもできず仕事を3日間休んだのち出勤したらビルの階段から転げ落ちた。昨日からは左目頭にものもらいができた。今年の厄は今年のうちに!なんてポジティブ変換してどうにか生きているけど、あまりにもツイていない年の瀬。あー、今年も相変わらず何も成し遂げず何も成長していない。自分は何者にもなれない。この事実が時々私をたまらなくしんどくさせる。
・有馬記念でそこそこ負けたのに友達は8万プラスだったらしい。そういう奇跡、私にも起きないかな〜。個人的にはハマらなかった令和ロマンが優勝して��ぁ〜お笑い分かってないね松本人志が高得点付けたんだからここしか考えられないでしょと鼻で笑われ、そんなもん好みだろバーカ私は誰に何言われようとさや香の2つ目が面白かったんだよと吐き捨てたい気持ちをグッと堪える。なぜ自分の好き嫌いをはっきり言ってみたら空気読めてないみたいな顔されないといけないのか?生きづれ〜。(これ今日の日記ね)
41 notes · View notes
takigawa · 2 months
Quote
とある #国際ビジネスマンの視点 ❷次世代半導体は日本🇯🇵、アメリカ🇺🇸、ドイツ🇩🇪 2024年2月17日 12:59 前回 https://note.com/takigawa/n/nd2388572add1 に引き続き地政学と国際政治情勢から見るとある #国際ビジネスマンの視点  を紹介したい。 彼とは20年以上の付き合いで現在、特許取得技術によるIPOを目指しているとあるベンチャー企業の会長だ。 彼はアメリカでのIPOを目指すに際して超一流大学のトップ教授たちやアメリカの有名かつ本当に優秀な官僚政治家を自分の会社の取締役に招聘している。 その中で得られた知見が我々が暮らす日本での常識や視点を超えて来るので是非、みなさんにご紹介したいと思う。 今回は3ナノ以下の次世代半導体産業は日本🇯🇵、アメリカ🇺🇸、ドイツ🇩🇪になるという話だ。 ソシオネクスト、2ナノ品設計受託 TSMCなどと協業:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC188SY0Y3A011C2000000/ 前提条件として東京エレクトロンなどの半導体製造装置技術やフッ化水素の製造装置において日本🇯🇵は強いという事もあるのだが、彼の視点は地政学的、国際政治的なものだ。 一言で言えば、アメリカ🇺🇸は現在の半導体産業が韓国🇰🇷サムソンと台湾🇹🇼TSMCとアメリカ🇺🇸インテルという体制に不安を持ち、これを日本🇯🇵とアメリカ🇺🇸とドイツ🇩🇪に変更するという意志を持ったという事だ。 韓国🇰🇷はアメリカ🇺🇸の同盟国だが地政学的にも過去の行動からも中華人民共和国🇨🇳、ロシア🇷🇺、北朝鮮🇰🇵との繋がりは否定できないとアメリカ🇺🇸は見切った。重要な安全保障関連情報やインテリジェンスを韓国と共有すればリアルタイムで🇨🇳、🇷🇺、🇰🇵に流れる事をおそらく文大統領時代に既に確認した。 台湾🇹🇼もアメリカ🇺🇸の同盟国と言って良いと思うが、習近平が「統一」を公言している以上、台湾🇹🇼と🇨🇳の有事があれば半導体サプライチェーンは混乱するし、また両国が融和して行けば、先ほどと同じく国家安全保障関連情報インテリジェンスが🇨🇳に流れる懸念が高まる。 そこでアメリカ🇺🇸は🇰🇷と🇹🇼に代わる存在として日本🇯🇵とドイツ🇩🇪を選んだという。 (個人的にはオランダ🇳🇱もありそうに感じるが。 TSMC、インテルも注目!半導体業界待望「次世代EUV」に不可欠な日本の最強技術企業【3社】 | 半導体 投資列島 | ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/337857 TSMC、インテルも注目!半導体業界待望「次世代EUV」に不可欠な日本の最強技術企業【3社】 半導体の性能を高めてきた回路の“微細化”は一時、限界もささやかれていたが、近年、現行の技術の壁を打ち破る道が開けてきた。) アメリカ🇺🇸の国家の重要方針は大統領だけでは決まらないという、特に安全保障上の方針はCIA、国防総省などワシントンを取り巻く官僚組織やシンクタンク(その中での暗闘や内紛はあるにしても)の議論、検討の中で編み出され、20年単位ぐらいで変わることがある。 戦後、1945年8月15日以降のアメリカは日本🇯🇵を叩き潰す為に憲法や財政法や財閥解体、日本軍解体、文化解体、学者、教育機関、マスコミなど「改革」したし、今のその影響は続いている。 次にソ連、🇨🇳の脅威が現実化した1950年6月25日の朝鮮戦争以降は日本🇯🇵と韓国🇰🇷を強くする方針に変わった。 アメリカ🇺🇸は日本軍を解体したが同年8月には自衛隊の前身である警察予備隊を発足させている。 そこから日本の高度経済成長時代が幕開けして1985年9月22日のプラザ合意までは日本は好景気を謳歌した。 そこからアメリカ🇺🇸とヨーロッパの意志により、日本叩きが再開して、欧米は🇨🇳との取引強化を選び、🇨🇳の躍進が始まり、かたや日本の失われた30年間が始まった。 ところが🇨🇳習近平が2018年に「2035年にアメリカを超える」と宣言して、また本当に勢いがあったが、逆鱗に触れ、恒大グループの破綻など不動産バブルが崩壊して、今や🇨🇳のバブル債務がGDPの200%と噂されている。 そして今アメリカ🇺🇸は日本🇯🇵と(ロシア🇷🇺と接近し過ぎて今回のウクライナ🇺🇦戦争でアメリカ🇺🇸がお灸を据えた)ドイツ🇩🇪などを重視する政策転換をした。(瀧川注記:オランダ🇳🇱は?) そしてそれゆえ、自分の会社にアメリカ🇺🇸が今後20年は重要視する日本🇯🇵企業をパートナーとして迎入れたいというのが彼の切実な願いなのだ。 おりしも2024年2月16日 現在、日本の株価が大復活している。 彼の言いたいことは理解した。日本人としては納得しにくい面も大いにあるが、その視点を理解しつつ、出来る事をやるしか無いというのが、僕の意見だ。
https://note.com/takigawa/n/n1efa158bc728
16 notes · View notes
ari0921 · 27 days
Text
織田邦男先生の論考です。
真の「平和国家」を目指すときだ
麗澤大学特別教授 元空将・織田邦男
政府は3月26日、日本、英国、イタリアが共同開発する次期戦闘機の第三国輸出を解禁する方針を閣議決定した。もし日本だけが輸出できない場合、開発交渉で著しい劣勢に立たされる懸念があったが、ギリギリ間に合った。
次期戦闘機の第三国輸出
防衛装備品は年々、高性能化、高価格化し、特に先端技術の塊ともいえる戦闘機開発は一国では手に負えず、価値観を同じくする国が共同で開発する趨勢(すうせい)にある。
装備品の調達方法としては大別して3種ある。①外国から完成品を輸入②外国からライセンスを購入して自国で生産③開発(独自開発、共同開発)。その内、開発のメリットは①自国の防衛戦略に合致した装備品が入手できる②取得後、自由に改修ができる③防衛産業を育成、強化できる④先端技術が得られる⑤得られた技術を民需に活用できる―などがある。
第三国輸出には次のようなメリットがある。①生産機数が増え価格低減が図れる②維持、整備を通じ、輸入国との関係強化が図れる③輸入国の防衛力を高めることができ、日本の抑止力向上につながる④友好国を増やし、良好な安保環境醸成に資する。
他方、批判的なメディアからは「平和国家として歩んできた日本の信用を揺るがしかねない」「憲法の平和主義に反しかねない」といった主張があった。
「日本製の武器で人が殺されることがあってはならない」「死の商人になるのか」といった上滑りの情緒論的批判は論外として、「平和国家としての日本の信用」「憲法の平和主義」といった批判については違和感を覚える。
そもそも日本は「平和国家」としての責務を果たしてきたといえるのだろうか。戦後、日本は安全保障をワシントンに丸投げし、金儲(もう)けに専念してきた。他国での戦争や紛争には目を背け、自国さえ平和であればという「一国平和主義」にどっぷり漬かってきた。
日本は責務果たしてきたか
この偽善を暴いたのが湾岸戦争だった。サダム・フセインのクウェート侵略に対し、国際社会は冷戦後の平和な国際秩序維持を目指し、結束して立ち上がった。だが日本は汗を流さず、金で済まそうとした。結果、「小切手外交」「身勝手」などの汚名を着せられ、顰蹙(ひんしゅく)を買った。
平和は努力して創造するものであり、戦争に目を背けるだけでは得られない。日本の「平和主義」は「戦争」を忌み嫌うだけで、平和の創造に貢献してきたとは言い難い。「平和国家としての日本の信用」などは独り善がりの思い込み、幻想に過ぎない。我々が思うほど国際社会から評価されていないのだ。
先の大戦後、日本が全て悪く、日本さえ何もしなければ平和が達成できるといった風潮があったのも事実である。1945年8月のニューヨーク・タイムズの記事が当時を物語る。「この化け物(日本)は、一応倒れはしたがまだまだ安心ならない。我々は永遠にかかっても徹底してこの怪物(日本)の牙と骨を抜き去らなくてはならない」
国際社会の厳しい視線や、贖罪(しょくざい)意識も手伝って、安全保障については「何もしない」ことが「平和国家」と思い込み、更には「平和国家」は決して侵略されないとの「空想的平和主義」が蔓延(はびこ)った。
その後、日本の国力も増し、国際情勢の激変もあって、2013年12月、「国家安全保障戦略」を策定して「国際協調主義に基づく積極的平和主義」へ転換を図った。観念ではない地に足の着いた「平和国家」を目指すものであり、この構想は現「国家安全保障戦略」にも受け継がれている。
観念論的「平和主義」脱せ
だが、今回の「次期戦闘機輸出騒動」や「ウクライナへの支援態様」によって、いまだに観念論的「平和主義」から脱し切れない現状が白日の下に晒(さら)された。
ロシアの侵略に立ち向かっているウクライナに対し、武器、弾薬支援は認められないとして防弾チョッキや発電機でお茶を濁す。ウクライナの敗北は「力による国境変更は許さない」という戦後国際規範の崩壊に繫(つな)がり、やがては東アジアの平和を脅かすことになる可能性があるにもかかわらずだ。
G7の中でもわが国だけが異質である。これで「平和国家の価値と理念」などと胸を張れるのだろうか。侵略を許さない国際規範を守り、将来の平和を確保する。このためにあらゆる支援を惜しまない。それでこそ真の「平和国家」であり、国際社会で「名誉ある地位を占める」ことができる。
作家の司馬遼太郎氏は生前、次のように語っていた。「おかしなもんやなあ、大方の日本人にとってはある種の観念の方が現実よりも現実的なんやから」と。
「平和主義」といった実体の伴わない観念を振り回している場合ではない。今回、次期戦闘機の第三国輸出解禁で一歩前進した。今後は全面輸出解禁に踏み切り、「真の平和国家」という物差しで案件ごとに熟慮、判断し、国際平和に積極的に貢献していくべきである。(おりた くにお)
Tumblr media
7 notes · View notes
patsatshit · 6 months
Text
日頃から公私ともにお世話になっているmole musicの店主、中村光貴にインタビューを試みた。メディアに露出する機会のほとんどない孤高の音楽生活者の「生活」についての一問一答、お楽しみください。
【2023年10月17日12時43分インタビュー開始】
〔土井〕 かつてタラウマラで発行していた季刊ZINE『FACE TIME』の記念すべき創刊号に素晴らしいテキストを寄稿してくれた光貴くん。そのなかで「それぞれが人生を続けるように、風景は変化し続ける。そして忘れ去られる。ユートピアは存在しない。悲しくもディープハウスは状況に対して意味を持つ」という極めて辛辣な言葉で論考に幕を下ろしていたけど、mole musicは大阪〜古市、古市〜新大宮と移転を繰り返してきた訳で、その都度、心境や生活に変化はあるの?
〔光貴〕 土井さん、こんにちは。相変わらず突然ですね。今日はよろしくお願いします。変化はあります。どちらかというと心境や生活の変化に合わせて、移動している感じですね。『FACE TIME』創刊号に提出した「無題」は2019年に自身のパーティーや物質の制作に向けて、普段は公開することのないステートメントや論考のテキスト断片と影響を受けたテキストのサンプリングをミックスして展開してます。昔から変わらないんですが、僕は動く前に書いてます。動いてから書くことは稀で。「無題」はカットアップというより自身のDJの方法に近いです。テマティック批評で編集したと思います。うまくできたかはわかりませんが。「無題」をタイトルとしたのはテマティックの逆説です。逆説の逆説かよってなるかもですが。僕の性質をよくご存じの方はまたやっとるわぁぐらいで思ってもらえれば。結果、活字の世界では違法な戯言みたいなものになりました。結果、土井さんが楽しんでくれていたので良かったと思っていますよ。
(中村光貴の「無題」は『FACE TIME vol.1』に収録)
Tumblr media
-skit-リズムを取る二人。土井返答無し。恐らく仕事。中村は定休日、湯に入る。
〔土井〕 ごめん、ごめん、パンク修理してた!なるほど。まさに「状況に対して意味を持つ」というか「はじめに言葉ありき」という感じやね。僕は古市時代からのお付き合いで、初めて家族でmole musicに合宿させてもらったとき、何か具体的なきっかけがあった訳でもなく、早朝から光貴くんとうちの息子が突然の音楽セッションをはじめたときのことがいまも鮮烈に脳裏に焼き付いてる。そもそも建物の佇まい自体が店というか、家。いや、家というか、掘っ建て小屋。街中によくある「古民家を改造して良い感じに仕上げました」という数多の量産型とは一線を画す、マジの荒屋やん。あそこを住居兼店舗として利用するのはそれなりの覚悟が必要やと思うし、「不便」と添い寝する気概がないと成立しないよね。ガスは通ってないし、水道管に地下茎が蔓延ってどえらいことになっていた���、夏は死ぬほど暑いし、冬は寒すぎて凍え死にそうになるし、秋は猛烈な花粉の飛散でこれまた死にそうになる。僕はmole musicに宿泊するたびに死にかけてる(笑)。それでもまた行きたいと思わせてくれる魅力があそこにはあった。一転、新天地は閑静な住宅街の一角という極端な振れ幅!それこそ光貴くんに教えてもらった西井一夫の『写真編集者』という本のなかに「写真をやろうと思う人は、人から何であなたは写真を撮っているの?というか何であなたは写真家になったの?と聞かれたときに、自分が写真というものを選んだ理由を言えるようにしていなければならない」というようなことが書かれていて、ほな光貴くんがレコード屋をはじめた理由を聞き出したら何日も夜を跨ぐことになりそうやけど、簡潔に言うとどういう理由でmole musicを立ち上げたの?
〔光貴〕 今日もパンクしてますね (笑)。古市は僕にとっては「不便」じゃなかったですよ。家が無い路上のハウスDJだった時代もありますし (笑)。奈良古市は住み込みながら、友人と4カ月かけてレコード家と呼べるような場所にしました。移転前、がらんどうになった家を見ながら、良いハウスになったなぁと勝手に納得していましたね (笑)。
レコード屋をはじめた理由を簡潔にいうと、制約のある時間、あるいは一生をかけて、語るには最高の方法だからじゃないでしょうか。それを続けられるかは別として (笑) 、今もそう思っています。肩書をレコード屋とDJのハイブリッド。これは僕の造語なのですが「音楽生活者」と名乗っています。因みに最高の方法っていうのは僕にとっての最高ですね。方法なので、目的はその先にあります。目的の先があってほしいとも思っています。続けられていることはラッキーです。
〔土井〕 「音楽生活者」という肩書きはめちゃくちゃ納得。mole musicの特異点は店舗そのものが完全自立型の語り部として機能していることやな。同じレコードを買うにしても、意味合いが変わってくるというか、そのレコードを手にした人間に、歴史的な背景や文脈を突き付けてくるというか、ほんま恐ろしい店やで(笑)。
〔光貴〕 その反応は純粋に嬉しいです。答えはなくて色んな方法で楽しんでもらえていると糧になります。僕自身が駄菓子屋からレコード屋に育てられてきた世代の人間なので。現代では何か目新しいことをしているように見えちゃうかもしれませんが、実は時代遅れの混成型。過去にあった、忘れられた当たり前の風景だと思いながら続けています。
〔土井〕 みんなええかっこして「お客さんのために」とか「文化を絶やさないために」とか言うけど、何よりも自分にとっての最善を模索し、追求し続けるのが自営業やと思う。
〔光貴〕 「お金のために?」「利権を絶やさないために?」(笑) 嗚呼、幻?気のせいです。
〔土井〕 自分にとっての最高の方策でないんやったら、店なんかやらん方がええもんね、しんどいだけやし……。
〔光貴〕 あっ、土井さん、しんどいのはお互いさまですよ。だって未だに好きなこと続けさせてもろてるから、しょうがないですよね (笑)。
〔土井〕 光貴くんがある種の目的を見据えて走り続けるmole musicを端的に表明するキーワードを挙げるとすれば何やろう?
〔光貴〕 キーワードかぁ。鍵の言葉ですよね。いつもなら反対とか逆説って言うような気がするんですが……。走っているつもりは無いのですが、うまく歩めていないかもしれません。歩むこともテーマなのですが、活動で脱落者が出てくるのは事実ですよね。ここは土井さんも思い当たる節はありそう (笑)。今日は定休日なのですが、実はさっきもお客さんが来てました。今は次の制作のミックスダウン作業をしながら返信しています。土井さんはパンク修理しながら質問を投げてるでしょう?休み方だけは忘れてしまったかもしれませんね (笑)。
〔土井〕 それはほんまにそうかも。僕も昨年に片足がもげたわ (笑)。好きなことを続けるのは絶対にしんどい!そう言えば、1年の半分以上を全国津々浦々の現場でライブをして生活しているブルースシンガーの方に「しんどくないですか?」ってアホみたいな質問を投げかけたことがあって、その方は「土井くん、子どもは好きなことやってるときは何時間でも何日でも同じことを苦もなくやってるやろ?わてはあれと同じや。好きなことしかしてへんねやからしんどいことなんてあれへんで」って言うてはって、やっぱりレベルが違うなって思うたんやけど、その数日後に体調を崩されてライブの途中にまったく声が出なくなったらしく、後日タラウマラに来てくれたときには「土井くん、やっぱり好きなことでもしんどいときあるわ」って苦笑してはって、逆に「好き!」ってなってん。
〔光貴〕 土井さんの生活はシーケンスがあるから。しっかりと家族と向き合ってるのが凄いなと。この間、ブログで売り上げのサンプルを提供してたじゃないですか。売り上げをデータベースにアーカイヴする時点でえらいパフォーマンスやなぁって思ってみてたんですけど。目的が明確だなと。もう素直過ぎるやんって感心してました。土井さんは家族と過ごしている時間は絶対譲りませんもんね (笑)。比べて僕は即興の要素が多いかもしれません。今やっていることが正にそうですし。あとで辻褄あわすかもやけど (笑)。
〔土井〕 いつも僕のわがままに付き合ってくれてありがとう (笑)。僕は光貴くんの即興性に底知れぬものを感じているから、ついつい無茶振りしたくなるねん。そのくせ自分は家族との時間を断固として死守するという超わがまま (笑)。あと光貴くんが挙げてくれた「歩むこと」「駄菓子屋」は確実に鍵となる概念やね。それこそうちの店名になってるメキシコのタラウマラ族の人たちも速く走ることを得意としている訳ではなくて、ゆっくりと永くいつまでも走り続けることに長けてるみたい。それってつまり「歩むこと」やと思うねん。周りの情勢や速度を気にせずに歩みを止めないというのは意外と大変なことで、誰しもついつい周囲と歩調を合わせてしまうもんやからね。それと2000年代前半くらいまでの過剰なマニュアル至上主義の横行によって、個人経営の店でさえも当たり前にシステマチックな対応を求められるようになったやん。店は客に対してこうでなければならない、というのを無意識に植え付けられている人が多い。でも僕らが子どもの頃に通ってた駄菓子屋のおっさんらは客である僕らに平気で怒鳴ってきたし、ひどいときには殴られたやろ(笑)。せやけど結局それが自然というか、店員と客である前に人間と人間やから、双方で怒りたいときに怒れば良いし、笑いたいときに笑えばいいと思うねん。そういや光貴くんとの電話をしている最中に「工具貸してくれや」って言うてきた客のおっさんにキレたこともあったな(笑)。
〔光貴〕 幼少期、駄菓子屋がはじめて触れた「社会」や小さな「世界」だったと思いますね。決して学校では無かったです。「社会」の教科書を見ても、殺した人間の数が多い人が太文字で書かれているだけだったので。あの書物は時間軸が遠くなればなるほど、太文字が神格化され、現代に近づくほど不明瞭な二元論で語られる不思議な読み物ですね。実際、今は「社会」と呼ばれる教科書を趣味で読んでます。特に意味はありませんよ (笑) 。子どもながらに駄菓子屋で思考するか否かで大きく人生が変わったと思います。田舎育ちだったことも影響しているかもですが、僕の好きな駄菓子屋の風景は無くなりましたね。まだフィールドワークは終えてないのですが、地元の駄菓子屋が潰された時期、各地で駄菓子屋が消えていってるんですよね。その後、街のたまり場はコンビニエンスストアになって、駄菓子屋の無い町の夜は大荒れ。
〔土井〕 いや、ほんまに。教科書ってやっぱり権力側の呪具みたいなもんやから、駄菓子屋のおっさんみたいに「俺が教科書」という人間との折衝はそのまま「社会」に出会う行為と等しいやんな。一時期、うちの長男が家の近所の「ひさご」っていう駄菓子屋で万引きを繰り返すということがあって大変やってんけど、あれも息子がはじめて「社会」というものに触れた瞬間やったと思う。さっき言うたみたいにうちの子らが打楽器で光貴くんとセッションしたり、共通の知人の息子が遊びに来ていたり、mole musicは駄菓子屋の原風景をいまも確実に描き続けてるよね。原風景という言葉で思い出したんやけど、光貴くんと友人との共同制作 Zip Up Parker 「帰り道」について聞きたくて、あの印象的なバックプリントの風景は何をモチーフにしてるの?
-skit-土井:因みに自分も「帰り道」パーカーを愛用している。マジで毎日着��る。
【インタビュー開始から6時間が経過】
-skit-中村:気絶 自称巨匠からのメールで起きる。理由もなく日々えらくなっていく巨匠に恐怖。
〔光貴〕 気絶してました。そうそう駄菓子屋はそういうイメージですね。子供にとっては実は軽く超えられる境界なんです。モールは敷居が高いイメージかもしれませんが、それは現代の風景から切り取ればそう見えるように作っています。住宅地の一角の何故か開かれた場所なので。一駅隣に住んでいる、鉄道マニアの中学生がたまに友達と自転車漕いでレコード買いにきたり。「書くのはやめた」って言ってたのですが、その子は仮想国家のSFも書いていて。まぁ、おもしろいですね。彼らのクルーには昭和アニメのマニアもいるので、この場所がきちんと店に見えてるんですよ。「帰り道」については去年奈良古市に店を置いていた時代に友人と製作したかったもので、タイトルそのままですね。完成して現物が届いてからタイトルを付けたので、特に深く考えずに出てきた言葉ですね。「深く考えず」にということは、日頃からある共通認識だと言うことで「帰り道」としました。モチーフはタッチ、タイトル、カタログ番号等から察して頂ければ幸いです。
〔土井〕 鉄道マニアの中学生クルーに是非とも会いたい!自画自賛になって気持ち悪いけど、ほんまに僕らの店に来る人たちって、良くも悪くも個性的で最高に笑えるよね。光貴くんの言うようにmole musicやタラウマラが「店に見えない」人たちにとっては、一向に可視化されないのに。それでも彼らは自然と集まってくる。そこに何があって、何が見えて、何が果たされたのかというのは各自が自分の胸に手を置いて考えたら良いし、それが通過点なのか終着点なのかは誰にもわからへんもん。光貴くんの製作物には常に何かしらの意図があって、それをこちらの解釈で勝手に紐解くのが面白い。さっきは無粋な質問を投げかけたなって、いまちょっと反省してる(笑)。レコード屋としての光貴くんの考えはほんの少し掴めたような気がするので、次はDJとしての活動について聞かせてください。キャリアはどれくらい?
〔光貴〕 いえいえ、大丈夫です (笑) 。楽しんでもらえればありがたいんです。(ここはインターネットメディアの露出が無ければ話しているかも知れません。でっち上げの可能性もありますが)。DJをはじめたと感じたのはギターからターンテーブルに持ち替えた18歳、地元でDIYパーティーをはじめた頃ですね。レコードプレイヤーを買ったのは16歳、この頃からレコードコレクターだったと思います。DJのキャリアは22年ですね。
《2022.11.26 Hopkins Creek at Northcote Theatre》
〔土井〕 キャリア22年!龍ちゃん a.k.a VNZ(東淀川区出身のラッパー)がオギャーと生まれてから現在までの人生をまるごと飲み込む期間やん!その22年間のDJ活動に於いての変化や矜持みたいなものがあれば教えてほしいな。
〔光貴〕 じぶんアーカイヴが下手くそなので、仮に22年としておきます (笑) 。実際はもう少し前かもしれないです。DIYパーティーと並行してDAWN(現NOON)でレギュラーパーティーをはじめたのは恐らく19歳でした。僕は行為においては物質より現場のみに重きを置いてきたので、制作物があまりにも少ないんです。変化について簡潔に書くと、僕にとって良いとされていた時代は去っていった、ということに尽きると思います。これは時代の話なので、個と音楽との関係性はもっと複雑かつ多元的です。僕の場合、レコードのような多元的な物質でなければ、ここまでDJを続けることができなかったと思います。戦後日本の時代の変革と世界の変革はおよそ10年と20年、ふたつのタームで考えることができるのではと過程していました。音楽においてもこのタームというのは有効で音楽史を振り返れば自然と見えてくるように思います。未成年(当時)の頃から20年ターム、この姿勢は続けてみようと思���ていました。少し欲張って40歳までこの景色を見ようと。既に40歳を迎えたので、矜持としての行為者として続けるという役目はひとつ果たしました。その過程の中で行為として他人と同じことはしないという制約も徹底できたのかな?と。しかし求道的に今尚続けているのは、レコードという物質の魅力に尽きると思います。僕の場合レコード屋とDJのハイブリッドなので、ここを肯定できないと終わりなんです。かと言ってデジタルを否定している訳ではありません。じゃないと、このインタビューも厳密には成立しないので。いま現在もCD-Rで実験しています。この歴史はなかなかおもしろいんですよね。そろそろCD-R史のフィールドワークをはじめようかなと思っていたところです。
〔土井〕 めちゃくちゃ具体的な回答かつ、これが今日のハイライトかもしれない。「現場のみに重きを置いてきた」というのはここ数年の付き合いの自分からしても納得できる話で、mole musicという思想の実体化としての店舗、DJの現場ひとつひとつが光貴くんにとっての作品なんやと思う。レコードを多元的共有物と見据えて向き合う姿勢、CD-R史の探求など深掘りしたい話題がてんこ盛りで、興味が尽きない。ほんまに稀有なまなざしでレコード屋とDJを両立させてる人やと驚くわ。これも答えにくい質問かもしれないけど、光貴くんにとって特に思い入れのある作品(レコードorパーティー)は何ですか?
〔光貴〕 アナログとしてのCD-R史ですね。僕の青年後期は友人と何か作品を交換したり、プレゼントするメディアがカセットテープからCD-Rへと転換する時期でした。僕自身もこの転換は驚くほど簡単に移行できたんですよ。今は歴史と物質自体の持つ情報(ここでの情報はデータ情報で音楽の内容では無いです)その理由に近づいていってる感覚ですね。90年代にはポスト・テクノロジーミュージックの時代は既にはじまっていて、様々な試みが成されていました。実際そういった作品に触れることはありましたし、所有していますが、物質そのものを解釈するという段階まで、青年後期 (90年代後期~ゼロ前代初頭) では思考が追いつかなかったような気がします。まだまだ趣味として楽しめることはたくさんありそうです。そういえば、特別という事を意識したことが無いかもしれません。幸いなことに僕は身近に特別に感じられる人が多いので。ラッキーなのか、どうなのか (笑) 。作品は……ヒミツですね (笑)。
-skit-中村:音楽家の先輩来店、ひたすらレゾナンスについて語る、癒やしの時間。
-skit-土井:龍ちゃん超久々の来店、新曲を持参。
【インタビュー開始からすでに40時間が経過】
もしもし 土井さん、おはようございます。今日タラウマラに何時に入りますか?光貴くん、おはよう。今日からタラウマラは臨時休業で家族でおでかけするねん。えっ、マジで?せやねん、ごめんな。いやいや、頭の中どういう切り替えしてるんですか?こっちにはインタビュー投げっぱなしで (笑)。ごめんな、旅行中は電話でえへんけど、いまはまだ大丈夫やで。いつも思うけど、仕事の向き合い方が全然ちゃいますわ。光貴くんはひとつの案件があったら48時間とか平気で手綱を離さへんもんな。そうですよ、ずっと長時間向き合ってますよ、短時間での仕事の強度が土井さんとは全然ちゃうんかな。自分は究極のメリハリやからね(笑)。僕はこのインタビューに応じながら、店の営業して、次の制作のミックスダウン作業をして、今週末にはパーティーを控えてますからね。ほんまようやるわ、悪いけど僕は家族で温泉につかって来るよ。マジでむちゃくちゃやな、この人(笑)。そうそう、それはそうと昨日タラウマラに龍ちゃん来たわ。だいぶ久々ですか?うんうん、彼はサイクルショップすずめの頃から足繁く通ってくれてたけど、この2年での来店回数は1回か2回やからね、だいぶ久々やな、しかもインタビューで名前が出てきたタイミングで本人登場っていうね(笑)。それは素晴らしいことですよ、何やかんや言うて結局は僕ら、寂しいんですよ(笑)、ずっと続けていることは精神的にも負荷がかかるんで。ほんまそうやわ、ほなそろそろ赤穂に向かう準備するわ、一旦LINEでのメッセージのやりとりに切り替えてええかな?あと週末のパーティーは光貴くん何時の出番なん?ほんまこの人……(笑)
そういや今後の展望を聞かれていた気がするな。このインタビューを土井さんにデジタルアーカイブさせないことですね。
【2023年10月19日8時46分インタビュー終了】
……ということで、いつも通りに互いに仕事をしながらLINEとメールと電話とGoogleドライブを行ったり来たりしながら2週間かけてようやく終わりを迎えたインタビュー……いや、どう考えても僕が喋りすぎてるな、ほんま、すんません(笑)。最後に光貴くんが選んでくれたPARLIAMENT - GLORYHALLASTOOPIDをどうぞ。最高にイカれた週末をお過ごし下さい。
youtube
7 notes · View notes
kennak · 1 month
Quote
国民的ゲームソフト「桃太郎電鉄」、通称「桃鉄」。目的地の駅を目指して日本各地を巡りながら地域の特産や名物の「物件」を購入して収益を上げ、総資産が勝敗を決するボードゲームだ。88年の第1作発売からおよそ35年が経ち、2023年11月には最新作「桃太郎電鉄ワールド」が発売された。  コナミは23年、この桃鉄を学校教育機関向けに無償で提供する取り組み(「桃太郎電鉄 教育版Lite ~日本っておもしろい!~」)を開始した。この教育版桃鉄をいち早く導入した大阪・枚方市立小倉小学校の6年生が2月7日、桃鉄制作者らを迎えてプレゼン発表会を行った。  プレゼンテーマは、「桃鉄に枚方を追加してもらおう」。枚方が桃鉄の駅として存在しないことに注目し、同校の6年生たちが枚方の魅力を全力でアピールした。  「ひらかたパークは明治45年に開園した日本最古の遊園地。アトラクション数は、USJや東京ディズニーランドを上回る40種以上もあります」と地元遊園地が持つ特色や強みを力説。地元ショッピングモールのくずはモールについても、「ショッピングセンターの満足度ランキング全国13位にランクイン。改装工事でフードコート付近がとても綺麗になりました」と写真を交えて紹介した。伝統文化や地元の工場、さらには食べログやGoogleマップで人気の飲食店を取り上げ、ランキングやグラフを用いた資料で説得力を高めた。  「枚方には子どもから大人まで楽しめる魅力がたくさんあります。教育版桃鉄に追加するしかありません」と力強く訴えた。 調べ方が足りない  「桃鉄に枚方を入れてくださいといろんな班の人が言いましたが、無理です」  プレゼンが終わり、桃鉄制作者からの講評は厳しいものだった。最初に「子ども扱いしない」と明言した、「桃太郎電鉄ワールド」監督/ゲームデザインの桝田省治(ますだ・しょうじ)さんだ。  「まず枚方に対して調べ方が足りない。どういう条件がクリアしないと入らないかということも調べられていない。なぜ選ばれて、選ばれていないかを言及している人がいません。なぜ近いまちが入っていて、枚方が入っていないか。実際の現実というのはライバルがいます。比べられます。それを押しのけた人が、自分の提案が採用されたり、されなかったりします」  「調べること、考えること、提案すること」には、時間はかかっても、お金はかからない。「採用されてから商品にするには、たくさんの人が関わってお金がかかるけれど、それまでの段階は、時間と根気、あるいは違う情報ソースを持っている友達さえいればタダです」  各班が提案した物件の多くが重複していたことを指摘し、「8割の人が同じことを言いました。これは採用されない。なぜなら、みんなと視点が同じだから」と語った。  また、ショッピングモールなどの短命な施設を挙げたことについて、「桃鉄の物件は、30年経っても8割は変わっていない。ということは、10年、20年持つ物件しか選んでいない。10年経っても今と同じようにありますか、というのを検討してください。点だけじゃなくて時間軸や面で考えた方がいい」と述べた。  桝田さん自身の若い頃も振り返った。「20代の頃、桃鉄のメインのゲームデザイナーのさくまあきらさんに言われたのは、お前ごときは100個考えて1個採用されればいい。99はボツだ。でもお前は才能があるから100のうち1個はいける。どんどん出せと。ゲーム制作だけじゃなくて、商品、サービスを作るのも全部同じ。ライバルがいて、コストがかかるし、採用できる人数にも限りがある。条件はいろいろあるけれど、たくさん調べて考える。いっぱい失敗すること。それしかない」と伝えた。  さらに、小学生の頃、地元新聞に短歌や俳句が採用された経験も語った。「岡山に住んでいて、山陽新聞に短歌や俳句を送り、採用されると5千円もらえた。図書館に行って、山陽新聞の過去10年、20年の採用された短歌や俳句を全部調べて、どんな傾向があるか、この審査員のときは何が採用されているかを調査した。それで、月に3、4本は採用された。人に採用されるには、自分だけがいいなと思っていることだけじゃなくて、周りの人たちにも認めてもらわなきゃいけない」 他の人と同じことをしていたらダメ  「ゲームが面白くないのは監督の責任。売れないのはプロデューサーの責任」  仕事の役割の違いを説明したのは、株式会社コナミデジタルエンタテインメントのシニアプロデューサーの岡村憲明(おかむら・のりあ��)さんだ。「監督は作品を面白くするために全力投球する人で、プロデューサーはそうやって作られたものを世にどうやって届けるかを考える人です」  プレゼンについて、「より掘り下げた部分を伝えてくれた人がいて、それが印象的でした。他の人より前に出ていこうとするなら、他の人と同じことをしていたらダメ。他の人が何をしているのかを見て、自分なりの色を出していくことを考えてほしい」と述べた。  ゲーム制作者になるためのヒントにも言及した。「ゲームしかやっていない人は、正直に言うと、実際にはあまり使えないことが多いです。いろんなことに興味を持ってください。全然関係ないなと思っていることが、ゲーム制作に役に立つことがあります。ゲーム業界外の人と話していて、こんなのがあるんだと面白いと思うことが結構ある。なので、いろんなことに興味を持つことがゲーム制作につながっていく」  将来のアドバイスもした。「夢をずっと持っていてください。必ずかないます、思い描いて強く願っていれば。形は変わっても、この辺だったなというところにたどり着きます。夢をあきらめないで、いろんなことにチャレンジしていってほしい」とエールを送ったのは岡村さんだ。   逆に、「正直、夢は持たなくていいかなと思っています」と述べたのは桝田さん。「その代わりに持ってほしいのは目標です。夢は、どうやっていいか分からないけれど、なれたらいいなというもの。目標は、いつまでにこれになっているぞ、というもの。10年後になっていたい自分を想定し、そのためのスケジュール表をちゃんと作って、それに向かって何をやるべきかを考える。『いつまでにこうなっているぞ』は、目標であって夢じゃない」。目標は、成長に伴って変化もする。「知識が増えたら、何をやるべきかは変えてもいい。親は所詮応援しかできない。目標は自分で設定する。やり方を周りの大人やすでに目標を達成した人に相談するのもいいと思うけれど、最終的には自分で考えて、自分で動かないといけない」  最後に岡村さんは、「桃鉄の学校での使用に関して、いろいろ気付きがありました。皆さんが調査してくれたことを、教育版桃鉄にどう反映していくか。取り組みを進めていきたいです」と締めくくった。 知識ばかり教えていたらChatGPTに負ける  教育版桃鉄リリースの知らせをキャッチし、枚方市での導入をいち早く進めた立役者がいる。授業を参観していた枚方市教育委員会の浦谷亮佑(うらたに・りょうすけ)さんだ。   「4年生の社会科の都道府県の単元がどうしても暗記中心になりがちで、子どもたちが社会科を嫌いになるきっかけになっていた。教育版桃鉄を導入すれば、この問題を解消できるかもしれない」と考えたことが、導入の動機だという。現在では、枚方市の小中学校全63校に、教育版桃鉄のアカウントが配布されている。  導入に際して、不安を感じる教員たちを考慮した。月一で集まり、桃鉄を利用した授業案を共有する有志の研究会を立ち上げた。  「単に桃鉄で遊ぶだけじゃなくて、教科学習として先生がどう活用し、子どもたちがどう学びに変えていくかについて、きちんと研究しました。授業案は社会科が中心でしたが、国語科にも取り入れていました。ここ小倉小学校でも、6年生の『情報を適切に伝えよう』という授業で、自ら書籍とかインターネットで情報を集め、インタビューを行い、グラフ資料の作成などと関連付けました」  支援学級では予想外の効果が上がった。桃鉄で、所持金1千万円で500万円の物件を買ったとき、「残り500万か」と言えた。おはじきを使って教えても、数の概念や四則計算の理解が難しい子だった。  今回、桃鉄に枚方市を入れてもらうために説得するべき相手に実際に学校に来てもらった。「大人になると、相手の心を動かし、やってみたいと思わせ、アクションを起こさせなければならない時がある。クラスの友達に発表することも悪くないけれど、発表して『良かったね』と拍手をもらうだけでは不十分だと思っています。誰に何の目的で発表するのか、相手意識と目的意識が大事」。目指しているのは、「子どもたちがどれだけ本物に触れる体験ができるか」だという。  そのほかにも、枚方市ではICTを用いた積極的な取り組みが行われている。海外の日本人学校の子どもたちとオンラインで1対1の交流を行い、メタバース内に美術館を構築するためのクラウドファンディングにも挑戦している。枚方市の中学校が、文部科学省が進めるリーディングDXスクール事業「生成AIパイロット校」にも選ばれた。  「ICTはあくまでも子どもたちの学びを深めるためのツールです。本物に触れて、志とか夢とかをきちんと持ってもらいたいと考えています。今日の体験も、何人かに響けば、それだけで価値のあるものだと思います。先生方には、積極的に授業改善を進めていっていただきたい。これまでのように知識ばかり教えていたら、一瞬でChatGPTに負けますよ。あなただからできることは何か、子どもたちが学校に来るからこそできることは何かを考えてほしい」と訴えた。 悔しすぎたのでもう1回チャレンジしたい  ゲーム制作者からのリアルな講評を受け、6年1組担任の山本健斗(やまもと・けんと)先生は「先生も勉強になった」と授業を振り返った。  「授業の中での『物事を多角的に捉える』を先生もやった気になっていた。実際に学校の中で『それでいいよ』とされることと、社会で求められるレベルが違うと感じた。その分野で社会で活躍したいと思うなら、独自性を持ち、他と違うことをやってみることが大事。そんな話が、第一線で活躍している方から聞けた」  6年生たちにとっても、「一生に一度しかない貴重な体験」になったようだ。  資料の作り込みやプレゼンの練習を必死に行った分、「率直に『無理』は少し悲しかった」とショックを隠せない様子だった。だが、「プレゼンを作って、いいのできたなぁーとか思ってたから、だだの自己満足で終わっていたんだなと思った」「企画は、1回だけじゃ通らないという社会を知った」「自分たちが作ったプレゼンじゃあ説得できなかったし、もっと多角的に調べた方がよかった」「自分では調べたと思っていたけど、まだまだ調べる内容が薄かった」「辛口な講評が返ってきたけど、(他の班と物件の内容が)かぶりすぎているところとか、内容が薄いところとかが、その通りだと思った」と現実をしっかり受け止めていた。  「悔しすぎたのでもう一回チャレンジしたい」  「考えるのはタダだから、もっと頑張って大人の人でも納得ができるようなプレゼンをしてみたい」  「次はもっと詳しく、なぜそうなのかとかを調べてより説得力を上げたい」  「もっと調べて何回も提案して成功できればいい」  この悔しさこそが、次への成長のバネになる。
「桃鉄に枚方市を追加してください」 桃鉄ゲーム監督の前でガチプレゼン 大阪・枚方市小倉小学校の6年生(オーヴォ) - Yahoo!ニュース
4 notes · View notes
moja-co · 10 months
Text
 故中川昭一 元自由民主党政調会長の御霊に額ずき、ここに哀悼の誠を捧げます。
 昭一さん、きょうは昭一さんと呼ばせて下さい。
 私と昭一さんとは、お互い父親が親しい政治家同士という関係もあり、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。私が父の秘書となり、政治の世界に足を踏み入れてから今日まで長く親交を深めることができたことは、私の喜びとするところであります。
 先般の総選挙直後、お目にかかった時には、さすがにお疲れの様子でしたが、2週間ほど前、電話で話した際は大変元気で「安倍ちゃん、保守再生のために頑張ろうよ」と語りかけてくれました。激励しようと思った私が逆に励まされました。
 その矢先の突然の訃報に私は愕然とし、言葉を失いました。再起を目指していた昭一さんの意欲に、多くの人達が期待していただけに無念であります。かえすがえすも残念であり、本人もさぞかし悔しい思いであったことでしょう。
 私が初めて選挙戦に挑んだ際、昭一さんは当選3回でした。まだ、ご自分の選挙に集中しなければいけない中で、あなたは私の選挙区に足を運び、心にしみる応援演説をして下さいました。
 当選後は国家の基本問題で大きな議論が起こった時、私は昭一さんと行動を共にしてきました。常に昭一さんはリーダーでした。〝颯爽〟とした若武者ぶりは、当時の私達若手議員を奮い立たせる魅力と力にあふれていました。
 いまでも忘れません。自由民主党の党綱領から憲法改正の柱が削除されそうになった時、昭一さんは当時の党の重鎮を向こうに回し、堂々と論陣を張りましたね。
 時は村山政権時代。このままでは日本は危ないという危機感の中で、教科書問題にも取り組みました。中学校の歴史教科書すべてに従軍慰安婦強制連行の記述が載ることになりました。このような自虐的な歴史観を何とか正し、子供達が日本に生まれたことに誇りを持てる教育に変えたい。その一心でした。
 当時の政治状況、マスコミの報道ぶりから考えれば、圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。
 その中で私達は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にもつながらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない役職を、昭一さんは「俺がやらねば」という思いで引き受けてくれました。
 拉致問題でも全力投球でしたね。憲法改正問題も同様でした。
 今から思えば全て困難な問題ばかりで、私がまだ当選1、2回の頃、若手の仲間と「昭一さんに、こんなに何でも押し付けていいのかなあ」と話し合ったことがあります。
 しかし、責任感の強い昭一さんは自ら困難な問題に立ち向かい、その後、教科書の記述は改善されました。
 難局に立ち向かうことで世の中を変えていく。そのためには全力で闘う。私も昭一さんの“驥尾”(きび)に付し、「闘う政治家」の姿をあなたから学びました。
 小泉内閣時代、昭一さんは経済産業大臣、農水大臣を歴任されました。その間、海外出張は何と43回にのぼりました。
 東シナ海のガス田問題で、あなたの毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性、国益を守るとは何なのか、ということを私達に身をもって示してくれました。
 安倍内閣が誕生した時、私は迷わず、あなたに政調会長就任をお願いしました。平成19年1月、通常国会で昭一さんは代表質問の壇上に立ちました。奥様のお話では、まじめな昭一さんは深夜まで何回も“推敲”を重ねたそうです。
 その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。
「国の骨格をなすものは、憲法、安全保障、教育であります」。そして結びで
「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚、質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない心の部分も、ともに真に美しい国、日本が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします」と述べられました。
 私は代表質問に聞き入り、昭一さんと共に歩んできた道、闘ってきた道に思いを馳せました。
 あなたの歩んできた道は国家のため、まさにその一筋で貫かれていました。
 お別れの時がきました。
 私は残されたご家族、ご参列の皆様に改めて申し上げたいと思います。
「中川昭一は立派な政治家でした」
 まだまだ国家のために一緒に闘ってほしかった。私達はあなたを必要としていました。
 こんなことを申し上げていると、あの魅力的で、誰をも虜にする、はにかんだ笑顔で「そんなにほめるなよ。安倍ちゃん」という昭一さんの声が聞こえてくるようです。
 国家の行く末、残されたご家族、昭一さんにとって心残りだと思います。
 しかし、ご長女の眞理子さんはジャーナリストとして活躍され、将来が“渇望”(かつぼう)されています。高校2年生のご長男、峻一君はスポーツで鍛えられた精神と肉体を持った優秀な青年に成長されました。
 お2人とも中川昭一の娘、息子であることを誇りにし、人生を切り拓いていくことでしょう。
 昭一さんの最愛の奥様、郁子さんと昭一さんはかねてからの夢だったエジプト旅行に来週、出発することを決めておられたと、伺いました。本当に楽しみにしていたことでしょう。
 郁子さんは、昭一さんとの幸せな日々を胸に、お2人のお子様と中川家を守っていかれると思います。
 そして残された私達は、あなたが目指した誇りある日本をつくるため、保守再生に向けて全力で取り組むことをお約束し、弔辞といたします。
 昭一さん、さようなら。安らかにお眠り下さい。
 平成21年10月9日
 友人代表
 衆議院議員 安倍 晋三
「国家のために一緒に闘うあなたを必要としていた」 安倍晋三が友人・中川昭一の葬儀で読んだ弔辞全文公開 | 財界さっぽろ https://www.zaikaisapporo.co.jp/news/news-article.php?id=16905
3 notes · View notes
amanokoichigold · 1 year
Photo
Tumblr media
貴社損保代理店スピリット・マニュアル化2023推進コンサル】のご提案 【営業力は言葉力。あなたのスピリットを会社の資産に。】 これまで30年以上、自らリアルな面談での営業に携わりました。また、特に全国各地の保険の営業の会社(=保険代理店)のかたがたと30年以上一緒に仕事してきました。 5年前からは、リアル営業の必要ないろんな業界でセミナーやコンサル。幅広いジャンルの個人のかたとの各種コンサルもさせて頂いてます。 リアル営業についてお話しします。 特に保険会社生活の終盤は、コンサルタントとして、全国の優秀な保険代理店さんへのアドバイスをするために、日本全国を飛び回っていました。一週間のうち旭川→東京→宮崎と移動したこともあります。 保険業界では日本全国至る所に営業の天才の社長がいらっしゃいます。 ただ、ほとんどの営業の天才が、自分の持っているスキル、ノウハウ、人脈を完璧には、後継者やスタッフに伝えられていない。ということに悩んでらっしゃいます。 主な原因はこうです。 天才社長はお客様の前では、脳のハードディスクが動き始めると、すらすらとココロを捉えて離さないような、話し言葉が次々と出てきます。でも、後継者やスタッフに伝えようとすると話のトーンが少し違ってしまうのです。 「スタッフに説明するよりも後継者に説明するよりも、お客様と話したほうが楽だ。」 そんな状況が生まれまてしまうのです。 天才社長は、ゼロから自分の腕で現在のポジションを築かれたと言うことが多いのですが、その後に入ってきた後継者あるいは従業員は、もともと営業の天才であるかどうかはわかりません。 むしろ真面目で「営業はちょっと苦手だなぁ。」みたいな感じの場合もあります。 そうすると教育やノウハウの共有・打ち合わせみたいなことが重要になっていくのですが、なかなかうまく伝わりません。 「あ~(ため息)お客様と実際の折衝したほうがずっと楽だなぁ~」みたいな状況が続きます。 企業の理念とかそういうことをまとめて紙に書いてみんなで確認し合うとか言うことも、多くの会社で、よくやられております。 でも、それだけではノウハウみたいなものは伝えられません。 どうやったら社長のココロと脳のハードディスクの中にあるノウハウを伝えられるか? それが私の人生をかけた集大成の研究テーマです。 そこで、みんなで会社の良いところを探しましょう。そういったことをずっとやっておりましたが良い所だけでは会社の魅力が伝えられません。インパクトが弱いのです。 私が標榜している感情営業と言う事自体が、そうなのですが、営業の秘訣は、お客様の喜怒哀楽の感情を全て動かす。 それが自分の思いを伝え、お客様から選ばれてご契約をいただくには必要なことなのです。 良いところを伝えるだけではなく喜怒哀楽の感情を全て揺り動かす。 そのためにどうすればいいか? 私が天才営業社長と話をして、わかるわかるそうだよね! みたいなことを相互確認しているだけでは、その会社は、どんどん多くの時間を使ってしまいます。 そこで、 【貴社秘伝営業スピリット・マニュアル作成&活用コンサルをスタートします。】 (主なメニュー) 1、社長との月2回のミーティング。ZOOMあるいはLINEのビデオ通話等で実施します。各60分以内 貴社スピリットマニュアル作成に寄与するために面談を実施します。 面談した記録は30日以内に文章にしてエッセンスをフィードバックします。 2、貴社選抜社員2名との月1回のミーティング。ZOOMで実施します。 60分以内。 貴社の営業マニュアルを貴社社内で纏める幹部社員(=日常での社長の話すノウハウ行動等をメモして積み重ねて行く担当です)には、マニュアル作成・進展に特化したミーティングを実施します。他の社員の方には営業力アップのためのミーティングを実施します。 3、6ヶ月間に期間中2回(1年間プランでは4回)の貴社訪問でのセミナーを実施します。全員参加可。 基本は日帰り日程での対応となります。セミナー2時間。個別打ち合わせ合計2時間以内。事前に課題を選定して独自資料作成の上で訪問します。 また、社長面談等で作成した記録をこのセミナーで一部使用し、早速活用するキッカケにしていきます。 *尚、貴社訪問に際しては、訪問前日に弊社で抗原抗体検査を実施し、結果を写真等で貴社に事前に送ります。 【全国一律コンサルティング料金】  1年間しっかりプラン  90万円 税込990,000円 半年間きっかけプラン  50万円 税込550,000円 【オプショナル・プラン】 個別社員ZOOM面談追加料金 1名につき半年ごとに5万円(税込55,000円) *セミナーコンサル代金には、資料作成、貴社への日帰り交通費含みます。 ▼ご連絡はコチラ▼ https://form.os7.biz/f/820e1 https://www.instagram.com/p/CoqVwlRy3Bj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
7 notes · View notes
memory-of-hiroshima · 2 years
Text
77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
Tumblr media
胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形���子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
16 notes · View notes
ignitiongallery · 1 year
Text
『ワンピースのおんな』刊行記念写真展
Tumblr media
3月29日(水)より、『ワンピースのおんな』写真 宇壽山貴久子、文 すまあみ(草思社)の刊行を記念して、twililightで写真展を開催します。
---
『ワンピースのおんな』刊行記念写真展 会期:2023年3月29日(水)~4月10日(月) 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 営業時間:12:00~21:00   定休日:4月4日(火)、4月5日(水)
--
4月8日(土)には細馬宏通さんをお招きし、写真家の宇壽山貴久子さん、文章を担当したすまあみさんと共にトークイベントを開催します。細馬さんと宇壽山さんは2017年に『ワンピースのおんな』について話したことがありますが、作品が完結したいま、あらためて同作品について再び縦横無尽に語り合う夜となるでしょう。ぜひご来店ください。
細馬宏通 + 宇壽山貴久子 + すまあみ トークイベント
2023年4月8日(土) 開場:19:00 開演:19:30 会場: twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 料金:¥2000(+1 Drinkオーダー)
*定員に達���たため、キャンセル待ちの受付になります!
件名「『ワンピースのおんな』トーク」とし、お名前(ふりがな)・ご予約人数・当日のご連絡先を明記の上、メールをお送りください。
プロフィール
細馬宏通(ほそまひろみち)
早稲田大学 文学学術院教授。著書に「うたのしくみ 増補完全版」「いだてん噺」「ELAN入門」「二つの『この世界の片隅で』」「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」「介護するからだ」「今日の『あまちゃん』から」「浅草十二階」「絵はがきの時代」「絵はがきのなかの彦根」など。かえる目で作詞・作曲・ボーカル担当。
宇壽山貴久子(うすやまきくこ)
写真家。早稲田大学卒業後に渡米し、ニューヨークのFashion Institute of Technologyで写真を学ぶ。2002年『犬道場』で写真新世紀奨励賞。2014年に帰国、東京在住。主な作品に『SAME TIME NEXT YEAR』(2019)など。https://usuyama.com
すまあみ
壁画ペインター。東京都出身。17年間をニューヨークで過ごす。学生時代に出会った宇壽山氏に誘われ『ワンピースのおんな』のテキストを担当。ライターを経て、こども部屋のカスタムペインターに転身。現在は拠点を東京に移し、保育施設の壁画制作や、こどもと作るパブリックアートの制作に力を入れている。
----
展示について
 『ワンピースのおんな』は、ワンピースを着た女性の写真に短い文章が付された見開きで、2009年から2020年まで『暮しの手帖』に連載された作品です。2021年12月に草思社から写真集が刊行され、京都と盛岡で写真展を行った後、この度twililightで展示開催の運びとなりました。
 本展ではプリントを数点と、未発表も含むコンタクトシート・コラージュを公開します。コンタクトシートとは、フィルムを印画紙に密着させて感光し実物大に焼いたもので、ベタ焼きとも呼ばれます。ネガはそのままの状態だと反転で見づらく、また撮影したカットをすべて大きく引き伸ばすのは費用がかさむことから、プリント制作の前に参考として作られるのがコンタクトシートです。これを鑑賞することで、撮影の雰囲気や写真選びの過程を感じていただけるのではないかと考えています。参考まで、写真集の表紙に選んだエレン・バーケンブリットさんのコンタクトシートについて簡単に説明しましょう。彼女は紺と紫のリバーシブル・ワンピース(=裏も表も着用できるワンピース)を選びました。撮影では実際に両面を着用してもらっています。コンタクトシートで紺色の面を着た彼女を見ることができるでしょう。
 作品構想の発端になったのは、本のあとがきに記したとおり、ある政治家が「出産不可能な年齢の女は生きる価値がない」という趣旨の発言をしたことに遡ります。わたしはアメリカと日本で50歳以上の女性たちにお気に入りのワンピースを着てもらい同一のカメラで撮影しました。またインタビューでは、すまあみさんが考えた服や人生についての質問を毎回ほぼ同じようにモデルに尋ねています。
 当初、撮ることで女性たちの力になれればという思いから始めた作品ですが、最終的に自分こそがモデルの方々によって力を与えられたことに気づきました。1冊の本になったことで『ワンピースのおんな』という作品は自分が予想し得なかった大きな熱を備えたと実感しています。この力を必要とする方々へ広く届けたいです。
宇壽山貴久子
3 notes · View notes
nagamasayutaka · 2 years
Photo
Tumblr media
文化=世の中が開けて生活水準が 高まっている状態。らしい^_^; 「記念日にお花やお菓子なんて要らない。」 と思っていた私は水準が低かったのだろう。 誰かにお花を贈れる社会。 そんな水準が皆様にあることに感謝し、 それは当たり前ではないことも同時に 思い出す日にすれば良いんだ。 田舎育ちの40代会社員 気づいたら、過労・介護・看護が重なり 倒れたことをキッカケに会社員として勤めながら 2つの事業を始めて7年になります。 その経験と学びをまとめた無料パンプレット 【カンタン家計美人への道 お金増やしの全体像】 期間限定プレゼント中です。 ダウンロードはプロフィールの URL から↓ @nagamasayutaka   #年金問題 #給与明細 #保険料 #教育費 #お金の悩み #リストラ #資産形成 #働き方 #銀行 #電気代節約 #食費節約 #資金調達 https://www.instagram.com/p/CkHxww1pHbK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
keredomo · 2 years
Text
 現実の上で、31歳を振り返っておこうと思い、こうして書き始めた。  観念的なことだけを著しておく気高さもあると理解しつつも、具体の苦しみもまた私の苦しみであるときちんと認めておかなければ、正しさに辿り着けないと考えたため。
 よって、これはいつにも増して自分のためだけの文章である。読んでいただく必要はない。
*** 
 去年は誕生日の記事を書く余裕がなかった。よく覚えている。前職��離職を告げて、後片付けに奔走していた。  転職が決まって人生が変わることになった6月は、毎日を事務的な疲弊と共に過ごした。人生を懸けて取り組むつもりだった仕事を手放す痛み、平穏な離職のために無意味な嘘をつかされる痛み、そういうものと闘っていた。
 誕生日は恵比寿のウェスティンの一室で小さいシャンパンを開けて過ごした。薄暗い日で、冷たい雨が降っていた。誕生日の祝いにとその日ホテリアーが提供してくれたチョコレートを、まだ食べ切らずにひっそりと一粒だけ残してある。赤いハートのガナッシュ。心臓のように思った。大切に、残している。
 退職し、思いがけずひと月半の夏休みを得て、毎日を言葉と共に過ごした。7月。新しい言語を習得するつもりが、持ち前の怠惰が邪魔をしてうまくいかなかった。熟達している日本語とずっと親密に遊んでいた。言葉は時間を埋めてくれる。言語ばかりでものを考える性向から、日々の日記はとんでもなく長いものになった。新たな外国語の習得は叶わなかったが、母語とのたわむれは、私に大いなる慰めを与えた。それでよかったのではないかと今は思う。
 8月に新しい仕事を始めてからは怒涛の日々だった。毎日、環境のよさに舌を巻きつつ、優しい上司と同僚に囲まれて慣れない業務をこなした。人格者ばかりに囲まれて、優しくされることに時折涙した。
 9月の終わりに父親が死んだ。12月に、人生を懸けて愛した人に決死の別れを告げた。死ぬかと思った。それら二つの衝撃にうちのめされて疲弊し、上手に人に優しくできなくなってしまった私を、家族の妻は拒絶し冷たく振る舞い、余裕のない私が彼女に優しくできないことについて大いになじった。くる日もくる日も、大泣きしながら夜通し罵倒しあった。私がわかりやすく優しくて有益でなければ私を愛さないこの自己本意でしかない者とはもう今後を共にしたくないと思い、家族から離脱した。もう愛したくなかった。私の人生に存在してほしくなかった。彼女に、傷つききった私をさらに追い詰めた自覚はあるのだろうか。お互い様だろうが、もう二度と愛せないだろう。心を傾けることはできないだろう。深く憎んでいる。それほどに、信頼していた人間に追い討ちをかけられた傷は深い。父を失い、恋人を失い、家族まで失った。友人も一人失った。失う時は、一気に失うものだ。
 失うばかりではない。得たものもあった。1、2、3月は、ふいに訪れたその衝撃を生に落とし込むことで精一杯だった。人に優しくされ、ありのまま過ごす姿を許される生活を、もしかすると送れるのかもしれない。私のような欠陥のある人間でも、誰かと生涯を共にできるのかもしれない。そう夢見た。がらにもなく期待してしまった。結局その夢は、次の誕生日に盛大に破られることになった。大いなる裏切りに遭い、再び失った。確かなものは、この世にはあまりにも少ない。安心は私の生に与えられるものではないのだと知った。思い知った。
 4月と5月は再び仕事に明け暮れた。仕事は私を求めてくれるから助かる。それと同時に、妊娠恐怖とふたたび闘い続けた。体の不調と異変を刻々と受け止めながら、子供をもつかもたざるか、真剣に考えた。一人で育てることができるのか。誰の子供にならば人生を捧げられるか。子供を持たない人生は女性として生まれたこの身の義務を果たさない罪なのではないか。子をなせば少なくとも虚無からは救われるのではないか。そんなことのために子を持っていいのか。考えた。怖かった。何を得て、何を捨てることになるのか。体の異変を覚えるたびに、想像し尽くした。うなされた。胃液がせりあがった。自分の生をやりきれていないのに、子をきちんと育てあげることができるのだろうか。私は子を殺してしまうかもしれない。きっと殺すだろう。むごいやりかたで幼児を殺してしまうだろう。睡眠不足の朦朧とした頭で、私の人生を奪うなと叫んで、殺してしまうだろう。
 春宵に、夜更けの京都の河岸で民族楽器を鳴らした。めちゃくちゃに叩いた不思議な楽器の音色が美しかった。空気は透き通っておらず、もったりと私たちを包んで、ただひたすらに綺麗な音とうっすらと聴こえる街の喧騒がそこに響いて、そこは黄泉のようだった。
 5月、随分遅れて、生理がきた。子を孕んでいなかった。心底落胆した。疲れ果てた。小説を書くことを決意した。それは今後の人生において妊娠を諦めることで生じる決意であった。
 私と親しい誰もが、その決意を喜んだ。爽やかな初夏だった。私だけが、晴れやかな顔で、人生を憎んでいた。私だけが、もはやこの生に期待できないと感じていた。何も持っていない。すべてを持っているのに、何も持っていない。
 美しい人と横浜で薔薇を見た。いちご飴を食べた。唯一の慰みであった。
 「あなたを母親にすることがためらわれる」と、その人との子を狂おしく望んだ相手に、かつて言われたことがあった。その言葉は私を縛り続けた。母親になることを諦めた今、その意味がよくわかる。育児は私の仕事ではないだろう。私の仕事は、人類という動物種を繁栄させることではない。生きることを余儀なくされている全ての人を救うための何かを残すことだ。
 子を諦めたのち、「あなたはあんなことはしなくていい」と、またその人に言われた。「子を産み育てるようなことは、しなくていい」と。私は、選択を間違えなかったのだと心底安堵しながら、同時に再び絶望した。
 こんなに苦しい思いに苛まれることが、この人生には必要なのだろうか。
 死んでいいだけの理由が、いくらでもある。私は、「死んでしまっても仕方なかったね」と人に思われるだけの理由を十分に抱えていると思う。それでも、死ねない理由のほうがもっとたくさんあるのだ。私を失った生を生きさせたくない人がいる。そう確信できるところにまで、自らの生を押し上げてしまった。そのことを誇りに思う。重荷であるとは思わない。
 ただ、ここまで傷ついてしまえば、いつ死んでもいいなとは思う。自死を免罪されるほどに、私は傷つき果てていると思う。その権利を、みずから行使することはないだろうけれど。もはや希死念慮も薄らいだ。
 白百合の派手派手しさは私を救う。眠りの横暴さも私を救う。紫煙のくゆりも私を救う。言葉も私を救う。私のためだけに連ねられた言葉たちが私を救う。私が私のために書き殴る言葉たちが私を救う。
 それさえあれば十分なのではないかと思う。本当は、これで十分なのではないか。私が求めすぎているだけで、本当は、これだけ持っていれば十分なのに、安寧を、浄土を、深呼吸を、深い眠りを、音楽を、眩さを、確かさを、求めていること自体が間違っているのではないか。
 浄土の英訳は「pure land」と言う。初めて知った時には笑ってしまったが、今はとてもよい英訳だと感じる。pure land。私の望むところはそこであるとはっきりと断言できる。pure landという訳が与えられたことで、「浄土」という言葉は(私の語彙において)仏教から離脱した。
 どこか、涅槃を超えたどこかに、私が私であるだけでよいとされる、pureな、もう二度と心を折らずに済む、もう二度と諦めずに済む、もう二度と心が張り裂けるような思いをせずに済むような土地が、もう二度と、私が私であることを妨げない土地が、あるのだろうか。あるといい。あってほしい。
 私を守る庭があってくれればいい。私の心を守る庭があってくれればいい。美しい百合に囲まれて、緑と白だけが支配する、ようやく呼吸のできる土地が、ようやく深い呼吸のできる庭が、安心して手脚をのばして横臥して、深く息を吸える土地が、誰も、私がのびのびと一人で眠って一人で目覚めて、世界の光の美しさに目を細めることを邪魔しない土地が、庭が、美しい庭が、あるといい。
 壊れてしまえばいいのにと願わずにすむような庭が、壊れてしまうかもしれないと怯えずにすむ庭が、あるといいのに。
 どうしてないのだろう。
5 notes · View notes
takahashicleaning · 4 days
Text
TEDにて
セルゲイ・ブリン: なぜグーグル・グラスなのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
なぜ?グーグルGoogleの創業者のひとりであるセルゲイ・ブリンと彼のチームは、グラスGlassというコードネームがついたヘッドマウント式のカメラ兼コンピュータを作りたかったのでしょうか?
このトークでは、デモンストレーションではなく、その哲学について語られます。
TED2013のステージで、ブリンは、スクリーンを覗き込むのではなく顔を上げて世界と向き合うという、モバイル・コンピュータを使った新たな関係性のあり方を提唱したのです。
2015年の現時点では、次世代グーグルグラスGoogleGlassを開発中。
2017年には、次世代グーグルグラスGoogleGlassの候補が様々なスキーゴーグルタイプとして出てきています。
2019年には、HoloLens2ヘッドセットにバージョンアップしています。今後は、HoloLensやMagic Leap Oneがこの分野では、有力になりそうです。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的に実現して欲しいアイデア)
Combine sign language gestures with gesture technology and hybrids. If so, the dissemination may be promoted.
手話のジェスチャーをジェスチャーテクノロジーとハイブリッドに組み合わせる。そうすれば、普及は促進される可能性はあるかもしれない。
As an example, keyboard etc.
一例として、キーボードなど
Next, during school, we offer Google Glass for free to both teasing and bullied children. Continue to wear conditions. All problems may be solved. Will it be education?
次に、学校在学中、いじめる側、いじめられる側、両方の子供にGoogle Glassを無料で提供する。条件は装着し続けること。問題はすべて解決するかもしれない。教育にもなる?
Besides, politicians who enter and leave the National Assembly and others, it may be good to wear everyone and analyze large-scale with cloud computing.
他には、日本で国会に出入りする政治家他、全員に装着を義務づけてクラウドコンピューティングで大規模解析すればいいかもしれません。
Of course, it is obligatory for all stakeholders, including stakeholders of the commercial television stations and NHK which have already received power, to be worn.
当然、すでに権力を持つに至った民放テレビ局関係者とNHKも含めて、関係者全員に装着も義務化します。
All contents should be made public on the Internet, and the archive will be obligatory. I will say it again! Television stations are now authorities! Again, we may repeat the mistake!
中身はすべてインターネットで全部公開すること、アーカイブ公開も義務化します。もう一度言います!テレビ局も今では権力者!再び、過ちを繰り返すかもしれません!
Also, if we also take into account “Personal idea flashed from the concept of data dividend 2019”, we expect that by giving a data dividend also the published data will be better.
また、「データ配当金の概念から閃いた個人的なアイデア2019」も考慮に入れれば、公開したデータにもデータ配当金を与えることでさらに良くなることを期待します。
次に
バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!その惑星にある資源を使い。
月や火星、土星や衛星などに無人ロボット部品を送り、ゲームのように自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
火星や土星や衛星に関しては、有人宇宙船内を無重力工場にして惑星移動期間に3Dプリンター製造、組立を効率的に行うことが実現すれば良いが無人ならベスト。
光速で惑星間通信できるようになったとしても、火星や土星や衛星への通信は、地球からでもリアルタイムで遅延が起きるため、月面のみ、この可能性が開けます!
無重力でもあるため、洞窟に工場を建築して人間の暮らせる環境を作り出すこともできそうです。可能性は無限!この領域に限界はありません!国家や行政府の範囲外なので極端な自由もあります。命の保障はないけど!
このアイデアは、今後数十年、人間の限界を遥かに超える新産業なのでプラスサムになり、地球環境は汚染されず資源エネルギー問題も起こりません。
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
直前に!
Appleも何かを感じてたのか?Appleシリコン搭載Macの方は、「Mシリーズ」チップに移行してるし、符号してる。
Googleは、量子超越性を達成してきてるし、Facebookも脳波を読み取る機械の開発を発表してますし、符号してる。
イーロンマスクもブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine Interface : BMI)を具体的に発表。これも、符号してる。
続いて
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
Apple Vision Pro 2023
「Mシリーズ」チップM2から始まるAppleシリコン版チックタック戦略?
ニティシュ・パドマナバン:老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネ
データ配当金の概念から閃いた個人的なアイデア2019
Game On | Oculus Quest Content Preview
Introducing Oculus Dash
Introducing Oculus Go
Oculus Rift: Step Into the Game 2012
メロン・グリベッツ:拡張現実ヘッドセットを通して未来を覗く
アレックス・キップマン:HoloLensホログラム時代の未来にあるもの
Gloveone: Feel Virtual Reality
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
0 notes
ari0921 · 5 months
Text
我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
��が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
���」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
9 notes · View notes
yotchan-blog · 6 days
Text
2024/4/26 6:00:35現在のニュース
「日本精神を学んだこと誇り」 台湾の日本語世代が築いた日台の絆、次世代への継承課題  【世代 台湾】アイデンティティーの行方㊦([B!]産経新聞, 2024/4/26 5:54:46) 大陸出身の子孫、進む「脱中国」  台湾に自由と民主が根付き「異質なもの」に 【世代 台湾】アイデンティティーの行方㊥([B!]産経新聞, 2024/4/26 5:54:46) グリーン鉄鋼に資金流入、スウェーデン企業1兆円超調達 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/26 5:54:45) 京都市動物園、ライオンに続きトラの飼育にも幕 「オク」は富山市へ(毎日新聞, 2024/4/26 5:50:04) NTTドコモ社長に初の転職組 リクルート出身の前田義晃氏 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/26 5:49:48) <正論>主権回復記念日運動の再出発 東京大学名誉教授・小堀桂一郎([B!]産経新聞, 2024/4/26 5:42:48) 中華航空機事故 当時出動の救急隊「3歳児のぬくもり、今も」(毎日新聞, 2024/4/26 5:34:57) 中華航空機事故30年 「お父さん、見てる?」4世代で慰霊式へ(毎日新聞, 2024/4/26 5:34:57) タケノコ好き? マウスオープンも上達 上野動物園のパンダ双子(毎日新聞, 2024/4/26 5:34:57) 台湾地震の被災地選出議員、訪中を計画 「復興に力を」与党が批判(毎日新聞, 2024/4/26 5:34:57) 「文子の警鐘に耳傾けて」 弱者に寄り添った女性研究者、しのぶ会 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/26 5:31:42) <主張>中国人教授不明 学問の自由を脅かすのか 社説([B!]産経新聞, 2024/4/26 5:31:41)
0 notes
kennak · 2 months
Quote
対策とセットで公開しろよボケがまずサンプルはhttps://www.neo-blood.co.jp/を見れば大体わかるこういう詐欺サイトにはひっかからないようにしようなで、対策見分け方としてはhttps://www.ccj.kokusen.go.jp/jri_sysi?page=sgSiteあたりが参考になる最初から騙されずに買わないのが一番いい。このサイトで予習すればだまされる率も減るだろうで残念ながら騙されてしまった場合。汎用的な対処法についてはhttps://www.ccj.kokusen.go.jp/chatbot_answer?page=mhuhn&ksi=creditの3.クレジットカード会社への相談についてを見ろ追記を見たが銀行振り込みの場合はhttps://www.ccj.kokusen.go.jp/chatbot_answer?page=mhuhn&ksi=paidが参考になるだろう。クレカ会社より早いかもしれないぞ警察行って被害届出して、銀行に行くだけだな。頑張れで、ここから↓は「クレジットカードで買い、決済も通ってしまった」かつ「商品が届かない」場合に限っての戦い方を書く理由は実際に俺(正確には家内)が受けた被害がそのタイプだからだまずは不正利用の可能性があるので、即刻カードを止めるそのときに、「チャージバックの手続きをしたいんだがどうすればいいか」も一緒に聞いておくあとからチャージバックの手続きを取ることになる※ちなみに最初に消費者センターに相談したが、最終的にはVISAにチャージバックを申し込むしかないので、消費者センターの出番はない。親身に相談には乗ってくれたが実効力は無かった。次にメールが返ってこないことを承知で以下のサイトのサンプルをベースにした「契約取り消し通知書」を、おそらくは贋サイトに設置されているお問い合わせ窓口のフォームやメアドに送るhttps://syouhisya.net/nettsuhan_torikeshitsuchi/A) 通常のバージョンを使うといい ※AとB間違えてたので訂正 すまんこれは相手に届けるのが目的ではなくその後の手続きをスムーズに進めるための材料づくりなので催告とかまでは要らないと思う どのみち内容証明郵便では送らない(そもそも送るための住所がダミーだし送っても意味ない)俺が送った実際のメールは下記 見ればわかるがAをベースにしているなお業者には名前と住所を知られてしまうことになるが、どうせ通販と思って買っているので向こうにはバレている通知書令和4年2月7日株式会社アクセサリー本舗 御中住所 ××県 ××××××××××××101氏名 ●●●●貴社の運営するサイトで購入した商品の売買契約の解除(取消)について私は、令和4年1月22日、貴社の運営するウェブサイト( https://trailover.top/ )において下記に挙げる商品を購入する旨の申込みを行い、同年1月22日、貴社サイトに記載されている要領に従って当該商品の購入代金として金8490円を支払いましたが、未だ貴社から購入した商品の送付を確認することができない状況です。つきましては、私は貴社と取り交わした当該売買契約を解除(又は取り消し)いたしますので、至急、お支払いした商品の購入代金および送料の合計金8490円を返金くださいますようお願い申し上げます。記1 x |||1列3段タイプのフラップチェスト (約)幅40cm■色:ホワイト・ナチュラル・ブラウン[ディスプレイラック マガジンラック ラック 壁面収納 見せる 本棚 木目 収納 キャビネット フラップ扉 お洒落 シンプル モダン 選べるカラー] (500028211) = 7,040円1 x お買い得品!携帯電話 スマートフォン用ネックストラップ idカード ネック ストラップ 首に掛ける十分な長さの丈夫なストラップはワンタッチで取り外し可能。安い 子供用、ガラケー|||モバイル ネックストラップ。スマホストラップ 首かけ型落下防止ロングストラップ。ワンタッチで外してスマホリングにも。旧携帯や社員証、IDカード入れ、パスケースにも。キッズ キッズ携帯 子供 iPhone エクスペリア (lqd_neckstrap01) = 200円カラー シルバー1 x お湯の上でもふってチャポチャポ、カラカラ!赤ちゃんの感覚を刺激するバストイ|||あす楽【munchkin マンチキン】ベビーバスボール (ピンク・ブルー)知育玩具 赤ちゃん 水遊び 水あそび お風呂遊び おもちゃ シャワー 出産祝い 誕生日 お祝い プレゼント ギフト (tymu11381) = 440円カラー カラーバリエーション ブルー1 x 冷凍ケーキ/パスキエ/マカロン/冷凍/|||ケーキ屋さんやカフェと同じ味わいをご家庭で! BRIOCHE PASQUIER[ブリオッシュ パスキエ]パスキエ マカロンコレクション(6種各2個)[冷凍のみ] 【3~4営業日以内に出荷】 (26461-1) = 810円以上で、これを1日1回、5日間ほど連続で送り、都度PCの時刻が入るようにしてスクショを取るか、お問い合わせフォームの場合は「入力して送信前に」PDF印刷しておく(お問い合わせフォームは所詮ダミーであり、送信するとテキストデータは闇に呑まれるだけなので)俺の場合はメールとフォームへの問い合わせを両方やって全部記録を残したさらに2週間程度待ち、いつまでも返信が無いしモノも送られてこないことを確認する駄目押しで最後通告をもう一通送ってもいいしつこく送っても返信が来ることは無いので限りなくしつこく行く こうすることで民事上の要件は十分満たすはずだどうせ向こうは日本の法律に従う気はないが念のためだほんで、そのスクショを手元にカード会社に連絡し、チャージバックの手続きを行うhttps://www.gladiator.jp/false-pretenses/2019/11/07/%E3%82%AF%E3%83%AC/既に停止のときに問い合わせしていて、チャージバックの手続きが分かっていたり、必要な書類が手元にある場合はその通りに進めるそうでなければ改めてクレジットカード会社の窓口に連絡して口頭で話せばチャージバックに必要な書類とか連絡先を教えてくれるだいたいは家に書類が届いてそれに返送する形になるかと思うあとは教えてもらったとおり/紙に書いてある通りに、クレジットカード会社にチャージバックの訴えをしこしこ書いていく要点としては①そもそも特定商取引法に基づく表記のない詐欺サイトであること②運営者の住所氏名がダミーであること③商品が届かないこと④商品が届かないことを理由に催告を再三行ったが返信が無いこと このとき、撮っておいたスクショやPDFを参考資料として添える 郵送の場合は印刷して同封する俺の場合は上記を述べたうえで、さらに余白に英訳した文も載せた理由は向こうの上司的な存在はVISAになるだろうからだ 意味があるかは知らんあとはVISAが頑張ってくれるので待つ、返金を確認して終わり俺の場合は3か月くらいかかったが詐欺師から無事金を取り返し、その金で焼肉を食ったたかだか8000円のためにどんだけ時間と手間をかけるんだという思いもあるが、泣き寝入りして詐欺師を儲けさせることは嫌だったので戦ったお前も泣き寝入りしてないでちゃんと戦え。詐欺師に儲けさせるな 「ボケが」について解説するたいした理由ではないが複数ある詐欺手法の拡散が目的という割には情報が無い これが一番でかい サイトを示すとお前が幇助とかになるのが怖いのかもしれないが、俺が貼ったまとめサイトみたいなのもあるし、スクショ撮ってもいいし https抜きで晒すとかやりようあるだろ 文脈付きで晒した実物に騙されたとか言ってお前を責めてくる奴がいるわけねえだろ、常識で考えろ んで対策もぶっちゃけ自分が取ってないから、見た人がどう行動するべきかも書いてないじゃん なんも情報ないから得られるもんがねー 注意喚起になってねーからそれ 結局泣き寝入りして詐欺師を儲からせてるくせに「Googleの責任」 チャージバックは調べたところ支払いを踏み倒す制度なので、チャージバックされればそのまま詐欺師への有効打になる 銀行口座の場合はもっと迅速にもっとヤバい口座凍結という手段が取れる 口座凍結されたらまっとうな回復手段は無いらしい クリティカルヒットだ かように戦う方法はある やってないのはお前 (やってるならそのまま頑張れ、勝ったら報告しろよ) 戦って詐欺師から金をもぎ取り返してから他人の責任を問え微妙に間違った情報を書いている ベトナム人がどうとか商品がニッチだとかはぶっちゃけ本質ではない 差別はやめろ スクレイピングで吸い取ってるんだからお前だろうと誰だろうと何かニーズを満たす商品を乗せてるに決まってる 名前なんか適当に決めてるんだからどの国籍だってあり得る 判断基準はそういうのじゃなくて、トップレベルドメイン(.top, .shopとか)、特商法に基づく表記、住所氏名がダミー、値付けがおかしい、他の商品の説明が明らかにフリマサイトとか あとはまあ消費者センターのHPに全部載ってる 愚痴る前にちゃんと精査してから共有しろ 騙されて反省してます感が足りない 騙されたことはお前の落ち度 真摯に受け止め反省しろ 俺は騙されたの自分じゃなかったけど、もし自分が騙されたとしてもそこは反省して、それはそれとして戦ってたと思うよ 闘志が足りない https://i.imgur.com/1r7WKKL.jpeg
対策とセットで公開しろよボケが まずサンプルは https://www.neo-blood.co.jp/ を見..
2 notes · View notes