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#白川ゆめか
assy1210 · 1 year
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3月3日ひな祭りの「花いろは」ワンマンに続き 3月14日ホワイトデーの本日は 同じく新メンバー募集をお手伝いしている 「ワンダーウィード天」のワンマンに初参戦! コロナ禍やっと明けて声出しOKでも 皆んなまだまだ発声を自粛していて 日本エンタメ回復のの道は遠いなという印象 とはいえステージではメンバーの4人が 奮闘しており、結構激しいダンスなのに、 息も乱れぬ歌唱でどんどん盛り上げていく メインコンセプトの「かっこかわいい」は なんともおっしゃる通り 以前(ほんの2-3年前)はもっと メンバー数いっぱいいたのだけど どんどん減ってって コロナ期間にまた増えてまた減ってってと 艱難辛苦がずっとずーっと続くユニット いろんなことで苦しんでる彼女たちが いろんなことで苦しんでるファンと お互い応援し合って絆を繋いでいる姿に 愛しさと刹那さと心強さを感じずにいられない アンコール前の本篇ラストナンバーは 「だから私は今日もアイドルだ」 という名曲なのだけど、こんな歌詞 ♪ 歌うよ叫ぶよ  さよならはもうごめんだよ  戻りはしない輝く時間を  何度も何度も作るから  歌うよ叫ぶよ  もしもあなたの明日が  今日とは違う色になるなら  だから私は今日もアイドルだ そう、じぶんたちのことも言ってるし ファンたちのことも言ってる そんな姿に勇気付けられるし 生きるチカラが湧いてくるし 涙があふれるし 頑張って欲しいと思う いやーっ! 楽しかった!! 帰り掛けは六本木の夜の定番 香妃園の鳥そば 歌と料理のダブルで心温まる さてさて新メンバー募集動画の入稿しよう #ワンダーウィード天 #ワンウィ天 #東雲しおり #白川ゆめか #千堂すずか #神坂くるみ #exシアター #exシアター六本木 #香妃園 #鶏そば #b級グルメ #六本木グルメ (EX THEATER ROPPONGI) https://www.instagram.com/p/CpxpCsSvJfG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yamacyan · 9 months
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今日のお昼ご飯はー
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白飯にローソンの重慶飯店監修 四川風麻婆豆腐をかけた麻婆豆腐丼でした!
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そこに茄子の味噌汁を!
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美味しかったです〜
ごちそうさまでした😋️
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koch-snowflake-blog · 3 months
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石川 澪は、日本のAV女優。プロダクションALIVE所属。 ウィキペディア
生年月日: 2002年3月20日 (年齢 21歳)
身長: 158 cm
スリーサイズ: 82 - 58 - 86 cm
デビュー: 2021年
ブラサイズ: B
モデル内容: AV女優
出身地: 日本
出身地について2023年1月17日時点のウィキペディアでは「東京都」となっていたが、石川本人は「出身地は言っていないような気がする。明かしていないと思う。なぜか東京都になってます。」と述べている。また同時点でのウィキペディアで職業として「YouTuber」が挙げられていたが、この点について「イベントなどで、YouTubeから知りましたと人から言われ嬉しいけれど、断じてYouTuberではない。」と述べている。
高校時代の部活はチアダンス部。部長を務め週6あるいは週7練習していたが、決して強い部ではなく、卒業してから同部は全国大会出場したという。一方で運動はある程度できるが、インドア派であり、(幼少時は)『TOKYO MXとBS11で育った』と語るほど新旧問わずアニメ作品を好む。「私にとってアニメは、大げさでなく生きる意味。この世界からアニメがなくなったら、死んじゃいます」とも述べている。漫画に関してもアニメ原作を中心に2022年時点で自宅に1,000冊、電子書籍1,000冊を保持している。石川は「セクシー女優の趣味がオタクなんじゃなくて、私の場合はオタクがたまたまセクシー女優をやっているだけ」と、これらの趣味について言及している。
初体験は高校1年生、15歳。学生時代は「自分から告白をしたことがない」と述べているが、「モテたとかじゃなく、ちゃんと好きな人とは付き合えたっていうか」と当時の恋愛環境を説明している。
ほとんどAVを見たことはなかったが、エッチなことは好きだった。好きだった理由は普通に気持ちいいから+ストレス発散。
デビューのきっかけはひとり暮らしがしたかったこと。プロの技を体験してみたかったこと。1対1で本気で向き合っている姿に感銘を覚えたから。FLASH取材では「学費のためもあった」と答えている。親にはデビュー半年後に職業を伝え、「やりたいことなら応援する」と回答をもらった。
プライベートでは正常位、寝バック、たまに騎乗位程度だったため、AVでの体位の豊富さに驚いた。またプライベートではセックス中にしゃべらないため、行為中も会話をするというAV撮影がすごい不思議だったという。
目と髪の色は茶色で、色白の顔立ちが関係者やファンに「なんちゃら坂の誰々」と言われるが、国内の女性アイドル事情に疎く「私がぜんぜんわからないので、言われても覚えてられないんです」と述べている。
好きな配信者はもこう。(アニメ以外は)テレビは観ず、インターネット配信(主にニコニコ動画配信)を見て育った。自身では闇属性のオタクと表現している。
人見知りするタイプだが、オタク気質なので趣味のこととか、気持ちが盛り上がる話がはじまると早口でめちゃめちゃ話すという。
好きな食べ物はアイスクリーム、自宅の冷凍冷蔵庫には大量のアイスクリームが常時ストックされている。毒展を通じ、2023年時点では虫食と毒きのこ類にも関心を持つ。
デビュー作以降、いわゆるパイパンである。「髪の毛以外の体毛は不要」と考えており、高校時代に親の許可を得て脱毛を行ってパイパンにした。回りの友達がパイパンが多く、「楽だよ」と聞いて「じゃ私もやろっかな」と思ったという。また全身の脱毛をしている。下半身の脱毛は母に相談したうえで高校生で永久脱毛している。
自室に陰毛およびすね毛を落とされて以来、歴代の交際相手にも脱毛を求めている他自分のベッドでセックスするのも嫌い。潔癖症である。友人にも自宅には足を洗ってから入ってもらっている他男性は自宅に入れないレベルの潔癖で、水回りは特に綺麗にしている。
舞台版月ともぐら 胸キュングランプリの感想として「舞台で演技をしたことがないし、そもそもみんなでイベントをするような経験自体が初めてだったので、会場に着くまでずっと緊張してた」「私たちはそんなに順位にこだわってなかったからね」と答えている。
   
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buttbii2 · 14 days
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川沿いのホームレス
1707545生交尾好きポジ変態っす。
乳首コリコリにして独り家で楽しんでいたが、そんなのでガッツリ変態に仕上がった身体が満足するわけねえ。
俺はあちこち破れたボロボロのスパッツと何年も着て肌の透ける白Tシャツを着ると、隅田川沿いの遊歩道へと向かった。
そこには4〜5つほどのブルーシートのテントがある。
ホームレスの住処だ。
ちょっと近づいただけでションベンの臭いが漂って来て、俺をたまらない気持ちにさせる。
寝苦しい気温と湿度に耐えかねブルーシートの一部はめくられ、くたびれたシャツとトランクス姿のホームレスがどこかで拾ってきたであろう雑誌を読んでいた。
俺はホームレスから見える位置に着くとTシャツとスパッツを脱ぎ捨てマッパになる。
そして、ションベン臭い匂いに反応したコリ乳首をいじりながらホームレス達に向けセンズリショーを始める。
抑えきれない快楽に自然と喘ぎ声が漏れる。
ホームレス達は俺に気がつくと雑誌を置き、俺の痴態にネットリとした視線を絡める。
俺は両方の乳首をいじりながら腰を振り、情けなく縮みあがったチンポをホームレスに晒す。
「たまんねー、変態センズリたまんねー」
俺はアホ面で一人のホームレスに近づくとその場で土下座する。
「ホームレス様の性処理をこの変態にさせて下さい」
俺の言葉に最初ホームレスは面食らっていたが、全裸で土下座する俺を見て大体の状況を察する。
「何だ変態。
俺達のザーメン処理したいのか」
この中でのリーダー格であろう髭面のガタイの良い男が俺のそばにしゃがみ込む。
「はい。
ホームレス様の洗ってないチンポから出る臭いザーメンを、全部俺の身体の中に恵んでください」
俺は土下座をしたまま、その男に懇願する。
四人のホームレスは俺を取り囲むと口々に言う。
「変態が俺達のザーメンを欲しいってよ」
「馬鹿にしてんのか?」
「気持ち悪いヤツだな」
ホームレス達はそう言いつつも股間を盛り上がらせている。
「まあ、皆んな待てよ。
おい! ニイチャン。
そんなに俺達のザーメン処理したいのか?」
髭面の男は俺の顎を掴むと頭を上げさせる。
「ホームレス様の好きなようにこの身体を使って下さい」
俺はゴクリと唾を飲み込む。
髭面の男は俺に顔を近づ��るとヤニ臭い口を開く。
「お前が使ってくれっつったんだからな。
逆らう事は許さねぇぞ、いいな」
カタギでは出せないドスの効いた重い声に、俺は一瞬躊躇してしまった。
と、同時に左頬に痛みが走る。
髭面の男は俺の態度が気に入らなかったのだろう、ペットの躾のように即座にビンタをかます。
俺は怯えた目でホームレス達を見上げると、自分の考えの甘さに後悔する。
ただ快楽を貪るだけの奉仕になるわけがない。
痩せこけてアバラが浮かぶホームレスは自分のテントに戻ると、何かを手に帰ってきた。
「俺の使い回しだが、変態には十分だろう?」
男はそう言うと赤い液体が入った道具を俺にチラつかせる。
シャレにならない。
男が手にした物を理解した俺はここから逃げようとしたが、ホームレスの二人にあっという間に地面に押し倒された。
「下手に動いたら危ねぇぞ。
そいつの血で溶いた極上品だ。
検査なんかしてねぇからな。
お前がいつも使っているヤツよりキクぜぇ」
髭面の男は嬉しそうに俺の首筋をひと舐めする。
「動くなよ」
アバラの浮き出た男は、俺の首に道具をあてがう。
「ピクピクしてイキがいいじゃねぇか。
コレなら外しようがねぇな」
慣れた手つきでプスリと突き刺す。
途端、スッと頭に冷たい感覚が走る。
「コレ��何倍も楽しめるな。
また後でやってやるよ。
次は誰の血がいい?」
手際良く作業を終えた男の手に握られた道具の中身は綺麗に無くなっている。
濃い……!
俺はいつもより何倍もガツンとくる感覚に頭がブッ飛ぶ。
同時にチンポから熱い液体を漏らした。
ションベンを漏らしたかと思ったが、チンポからは白い粘り気のある粘液が糸を引いて地に落ちる。
俺はショックでザーメンを漏らしてしまっていた。
射精にも似た感覚だが、それはなかなか終わる事なくボタボタとだらし無く噴き上げ地に落ちる。
そのひと噴き毎に快感で意識が飛びそうになる。
「たまんねぇだろ。
お前がいつも使ってるオママゴトみたいなモンとは違うからな。
まあ、性処理便所には勿体ねえがな」
ヨダレを垂らし白目を剥く俺に、髭面の男はネットリとキスをしてくる。
「こんなんで飛んでんなよ。
これからもっと凄え事があるんだからよ」
キスをしながら言われた言葉は脳に直接響いていく。
俺はホームレス達のションベン臭い体に抱き抱えられ、一つの大きめなテントに連れて行かれる。
いつから敷いてあるかわからないションベン臭い煎餅布団に寝かされると、ホームレス達はチンポを引っ張り出し、扱き出す。
テントの中はチンポの臭いで充満しクラクラする。
「ニイチャン、お前素質あるぜ」
髭面の男はニヤリと口元を歪ませると俺のチンポを踏みつける。
俺のチンポが痛いほどに勃起しているのに、その時初めて気づく。
「次は俺ので頭おかしくしてやるよ」
髭面の男は手にした道具を自分の腕に押し当て、赤い液体で満たす。
「他の仲間にも声かけておくからな。
ホームレスと俺の舎弟の相手をたっぷりさせてやる」
髭面の男は俺の首に道具を押し当て、もう逃げる事の出来ない契約を結ぶ。
再びザーメンを漏らしながら、興味本位でホームレス達に手を出した自分の迂闊さを呪うと同時に、未だ終わる事無く噴き上げるザーメンの快感に身を委ね、もう自分の確定したこの先の人生を思い浮かべる。
ホームレス達は俺の口とマンコにカスマラをあてがうと、味合わせるようにゆっくりと沈めていく。
俺のチンポは嬉しそうに跳ね上がったー。
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yoga-onion · 1 year
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (13)
F for Fearn (Alder) - March 18th - April 14th
“The tree of Bran the Blessed - Fourth month of the Celtic tree calendar (Ref)”
Colour: purple; Gemstone: amethyst; Gender: male; Patrons: Bran, Apollo, Aranrhod, Odin, Lug; Symbols: shield + foundation, discrimination + inner confidence, loyalty
In Celtic also Norse mythology, March was known as the 'month of lengthening days', which wakes the alder from its winter slumber.
Alder trees are found in the northern hemisphere. Although it is a broad-leaved tree, only alder bears cones, so it is easy to recognise them at a glance in winter. Alder wood can survive completely submerged in water, and never far from water, Alder trees can most often be found lining the banks of a stream, loch, or river, or in boggy wet ground and swamps.
Alder trees, which fix nitrogen around their roots, are also soil-enriching blessing trees. The alder tree, which does not rot even when in water, appeared to be a source of great mystery to the ancients. However, the main reason why the ancient Celts worshipped the alder tree was its sap turns a deep red when exposed to air, as if cutting it would cause it to bleed.
The alder month is a time when the days lengthen, the winter chill slackens and the sun gains momentum, and the ancient Celts would have been uplifted by the blossoming of the alder and its various blessings. The alder tree, which sacrifices itself to fertilise the soil, was also considered sacred. While it was also said to protect the road leading to fairyland, it was also believed that if an alder was cut down, the person's house would burn down in a fire. According to Irish legend, the first man was made from an alder tree and the first woman was made from a rowan tree.
The alder is the totemic tree of Bran the Blessed, the god. He is a giant and king of Britain in Welsh mythology. According to legend, after fighting the Irish, Bran knew he was dying and ordered his fellows to cut off his head and bring it back to London. The party spent 7 years in Harlech and 80 years in Benbrook on the way, but Bran's head remained alive and undecomposed. Bran's head was buried in the White Hill below the Tower of London. Bran's totemic bird was the raven, so 2 ravens are kept at the Tower of London, but their wings have been clipped. This is because legend has it that if the ravens abandon the Tower of London and fly away, the UK will be destroyed.
Apparently, the ravens are loved and looked after, really well by the Beefeater Guards.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (13)
FはFearn (ハンノキ) - 3月18日~4月14日
『祝福された人ブランの木〜 ケルトの木の暦(参照)の第4月』
色: 紫; 宝石: アメジスト; 性: 男性; 守護神: ブラン、アポロ、アランロド、オーディン、ルグ; シンボル: 楯+基礎、識別力+内なる自信、忠誠
ケルト神話や北欧神話では、ハンノキを冬の眠りから覚ます「日が長くなる月」として知られていた。
広葉樹でありながら球果をつけるのはハンノキだけなので、冬にはひと目で見分けることができる。ハンノキの木は完全に水に浸かっても生きていけるので、小川、湖、川の岸辺や、湿地帯、沼地など、水辺でよく見かけることができる。
根の周囲に窒素を固定させるハンノキは、土壌を豊かにする恵みの木でもある。水の中にあっても腐らないハンノキは、古代人にとって特別な木に見えた。昔はハンノキを切り倒して沼沢地に道を造り、クラノグ(湖上住居)も、ハンノキで立てたのだ。しかし、古代ケルト人が、ハンノキを崇拝した最大の理由は、樹液が空気に触れると深い赤色になり、まるで切ると血が出るかのようだからだ。
ハンノキの月は、日脚が延びて、冬の寒気がゆるみ、日差しが勢いを増してくる時期であり、ハンノキの花開き、さまざまな恵みに古代ケルト人たちの気持ちも昂揚していただろう。また、自分を犠牲にして土壌を肥やすハンノキは神聖なものと考えられていた。妖精の国へ導く道を守るとも言われる一方で、ハンノキを切り倒すと、その人の家が火災にあって全焼するとも信じていた。アイルランドの伝説では、最初の男性はハンノキからつくられ、女性はナナカマドからつくられたことになっている。
ハンノキは、ウェールズ神話に登場する巨人であり、ブリテンの王であるブラン神のトーテムの木である。伝説によれば、アイルランド人と戦ったのち、死期が近づいているのを悟ったブランは、自分の首を刎ね、ロンドンまで持ち帰るよう仲間たちに命じた。一行は途中ハーレックで7年、ベンブルークで80年過ごしたものの、それでもブランの首は腐敗せず生き続けた。ブランの首はロンドン塔の下に広がる白い丘に埋葬された。ブランのトーテムの鳥はワタリガラスであったので、ロンドン塔ではワタリガラスが飼われているが、翼が切られている。ワタリガラスがロンドン塔を見捨てて飛んでいってしまうと英国は滅亡するという言い伝えがあるためである。
ロンドン塔のワタリガラスたちはビーフィーター・ガードたちに愛され、本当によく世話をしてもらっているそうです。
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kyokocanary777 · 9 months
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意外と楽しかったコンビニの派遣バイト
横浜の石川町にいる時、半年間くらいでしたが、コンビニの販売員の派遣バイトしてました。2018年11月くらいから半年程度だったと思います。
コンビニの派遣バイトって、結構時給高くて店を選べば、快適で楽しいです♪
私の場合はコンビニでの勤務経験があったので研修なしですぐ働けました。
実は、時給換算するとライターの方が高いのですが、その頃、家で一人で仕事することに疲れてきてたので、非常に良い気分転換になりましたね。
同じく派遣で働いてる人は、夢や目標を持っていた人が多く、話ししててもかなり面白かったです。
勤務地は、横浜と東京。
最初はローソンに派遣されましたが、あんまり合わなかったのでセブンイレブンに変更してもらい😏
ふつうのところにあるお店だけではなく、大学の中、オフィスビルの中、テレビ局の中、ホテルの中、駅のホームとかとか
ありとあらゆるセブンイレブンで働けましたよ😏
東京の新橋や赤坂、豊洲、品川、田町などは忙しすぎて、さすがに参りましたが、、、あれくらい忙しい方が楽しいかもしれません。
神奈川は横浜を中心に川崎や元住吉、武蔵小杉が多かったですね。
横浜は、近所の中華街に、みなとみらい、横浜駅付近のお店など、怖い人が少ないお店を選んでました。
新型コロナ発生後は自動釣り銭機が導入されたこともあり、私が働いていた頃とは仕事の内容が変わっているはずです。
たぶん、以前よりも仕事が楽になったとは思いますが、個人的にお金を数えて渡すのが好きだったのもあり、ちょっとがっかりしています。。。ヽ(;▽;)
そのうち、支払い票も読み込めるようになって、ハンコを押したり、控えをちぎって渡す作業がなくなってしまうかも?と予想しています。
そうなると、なんだかちょっと寂しいものですね😢
袋が有料になったので袋詰めの機会も減りましたしね。
遠い将来は横浜で暮らすので、その時にもしコンビニの派遣バイトがやっていれば、時々は働きたいです♪
交通費も出るから、ただで東京や横浜のいろんなところに行けるので、勤務時間外に写真とか撮れて楽しかったりします😊
あの街この街、客層もかなり違って、それが楽しかったりします。
浅草付近のお店も、数回だけ行ったことがあって独特の雰囲気でしたね。
まさにお江戸って感じです。
京都の実家に戻ってから、少しだけセブンイレブンで仕事しましたが、やっぱり都会で働くのがいいなぁと思いました。
やっぱり都会は基本的に忙しいのと、ダラダラしないのがいいです。
なかなか楽しい半年でした☀️
また機会があれば、コンビニの派遣バイトで働きたいですね♪
2023/07/23
21:49
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tutai-k · 6 months
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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hachikenyakaiwai · 6 months
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【かいわいの時】天正十四年(1586)九月二十五日:山科言緒(阿茶丸)、中島天神社の流鏑馬を見物(山科言経『言経卿記』)
天満宮では、九月二十五日の秋大祭に流鏑馬式がある。伝承によると明治以前には、射手が拝殿に一七日間参籠 し、当日は飾馬に乗り、鏑矢を持ち、社殿を三度回ってから、表門の前から浜の間に立てられた三ヵ所の的を射たという(『新修大阪市史 4』)。旧暦。現在は10月25日。
大阪天満宮における流鏑馬神事の起源は定かではありませんが、豊臣秀吉の時代に天満に居住した公卿・山科言経の目撃証言(息子が見物)があります。
天神社ニ今日ヤフサメ有之、四条・阿茶丸寸見物云々、哥仙新造懸之、願主津田ト眞也云々(天正十四年九月二十五条)。東京大学史料編纂所編纂『大日本古記録 言経卿記二』より。
その後、一時途絶えたようですが、元和元年(1615)に松平忠明が大坂城主として入城後、幕命により乗馬を神事に供したことがきっかけで復活(伝)。延宝八年(1680)刊行の大坂の年中行事を案内した一無軒道冶の『難波鑑』には、馬上から矢で的を射る「天満天神の矢ふさめ」の挿画入りで解説されています。
此日天神の御神事也。則やふさめあり。是は天満天神の門の前に。茶屋あり。茶屋のあるじの式として。としこと是をつとむ。まづ七日以前より。拝殿にあらこも志きて。通夜いたし。精進潔斎して。其日にいたれバ。あたらしきなをしはかまに。袖くくりあかき鉢巻して。かさりたる馬にのり。ゆミとかふらやを。左右の手に取とり。社檀をのりめくること三度それより。逸散をかけいだし。宮の前浜手九町を三反のりかへすあいたに。六所に角のまとを立て。是を射る也。手綱もとらず。手をはなちて。弓射ゐる間。逸足かくる馬を。つゐに落さることハ。此天神の御はからひといとたふとし(「天満天神流鏑馬 同二十五日」)。『浪速叢書 第12』「難波鑑 第五」より。
しかし、江戸後期になると、様子が変わっています。享和元年(1801)、大坂の銅座に赴任した幕臣・大田南畝の『葦の若葉』には、現在と同様に馬上から半弓で的を打ち破る様子が記録されています。
九月二十五日、晴天滿天神の秋祭にて、流鏑馬の神事ありと聞て、御社にまうづる道々に矢來結ひわたせり、神主社家に知る人ある物を伴ひたれば、神社の拜殿に登る事を得たり……やゝありて肩衣袴きたる男、馬に乘て門前の西の方より出て大路を南へ濱の方迄かけおふ事、一度してかへれり、是を馬場見せといふ、やがて的板三本を大路の東の方三所へたつ、乘るへき馬を拜殿の階下に引立つ、社家の白衣きたるが垂多く持出て、厩人に渡す、口取馬の頭につく、社家拍子うちて、細に切たる紙をちらして入る、緋縮緬の小手袖きて〔金絲にて縫たる丸き紋を付〕黄なる皮の行騰に似て、短き物はきたる若き男、弦なき弓と矢を持〔初の馬場みせ乘たるものにあらず〕拝殿の幕の內より出て、神前にぬかつく、社家盃を傳ふ〔神酒なり〕ついたちて、騎射笠のこときものを着て馬に乘り、拜殿の前なる棚のもとを、東より西にめくる事、三度にして門を出づ、此時門の内人あまた立込たれば、棒持たる男先に立て、打拂〃〃行く、門を出て西の方に入て、大路を南へ濱の方まて馬を走しむ事三度なり、一度〃〃に例の的札持たるもの、大路の方三所より的差出すを、弓のはずもて打ば、的持たるもの、的を破りて引く事都合九度なり、此間神主社家ともに、拜殿の階上に座し事終りて退く、此馬にのる男は、例年山本屋といへる市人なりといふ(『葦の若葉 巻三之下』)。吉川弘文館『蜀山人全集 巻1』より。 
その出で立ちは、南畝の描写とは細部で違いはありますが、芳梅の『滑稽浪花名所』で見る事ができます。
(写真)芳梅「滑稽浪花名所 天満天神」1857-58(ボストン美術館蔵)
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ari0921 · 11 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
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 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
  ▼
(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇��系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
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chibiutsubo · 3 months
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#たべもの #ケーキ #Siegfrieda
下呂まで来たからには、大好きな萩原のケーキ屋さん、ジークフリーダさんには立ち寄らねば!
秋の期間限定、和栗のミルフィーユを選びました。毎度のことながら形が面白い。映えだけのケーキではなく、和栗の素朴なほっこり感が満喫できるケーキです。そしてこれも毎度のことながら、食べ方下手くそな私がナイフを入れると大惨事な状態になってしまうのですが……。ミルフィーユと名の付くものをきれいに食べられた覚えがない!
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机の傍らに置いてあった本(海外のデザインなどをテーマにした本だったかと)をぱらぱら眺めながら、飛騨川の景色と共にゆっくり過ごさせていただきました。
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そして大好きなケーキ屋さんだけど距離的にそんなにホイホイとは行けないので、テイクアウト分もひとつ。チーズケーキを選びました。こちらも濃厚で美味しい!
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koch-snowflake-blog · 3 months
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雪平 莉左(ゆきひら りさ、1994年〈平成6年〉6月17日- )は、日本のグラビアアイドル、タレント、ラウンドガール、モデル、元レース���イーン。愛知県豊田市出身。旧名義は葉月 えみり(はづき えみり)。スカイハイプロモーションズを経て(詳細は後述)、2023年現在はプラチナムプロダクション所属。
別名義 葉月えみり(旧芸名)
愛称 えみりん(旧芸名当時)
生年月日 1994年6月17日
出身地 愛知県豊田市
血液型 AB型
身長 / 体重 164 cm / ― kg
スリーサイズ 88 - 57 - 87 cm
カップサイズ F
靴のサイズ 24cm
趣味は旅行、ゴルフ、競馬、映画鑑賞。
ゴルフについては、2022年時点のベストスコアは96。2018年に雑誌(『GOLF TODAY』)の仕事でコンペに参加する際に練習したことから趣味となったが、負けず嫌いの性格ゆえに当時は週に3回くらい練習に通い、スコアが1年で100を切れたという
競馬については、2020年の第65回有馬記念がきっかけで大好きとなり、2021年の第38回フェブラリーステークスでは5千円の馬券で46万5千円を当てたという。なお、馬券の買い方は「当たればいい」が基本で、「買った分だけ戻ってくれば上出来」という感覚のもと、地味にコツコツ(基本的には馬連、ワイド、3連複などを中心に)買っているという。
特技はダイビング、乗馬、腹筋を割ること、イチゴの大食い。好きな色はピンク。憧れの女優・タレントは井川遥と小嶋陽菜。
左利き、クォーター。
小学時代は運動会の徒競走に毎年出場し、中学時代はバスケットボール部に入っていた。中学の途中までは陽気だったが転校後は一匹狼のように変わり、反抗期だったこともあってギャル系の派手な容姿で我が道を行っていたという。
「葉月えみり」名義当時にレースクイーンを目指したきっかけは、某チームのユニットの本社が豊田市に所在していたことに始まり、そこからレースクイーンのコスチュームを可愛く思い、着てみたいと思ったことであるという。
「雪平莉左」は姓名判断で画数のバランスを見ながら自分で考えた芸名であり、好きな白い肌や左利きであることの要素を入れたかったほか、芸能人に「雪平」があまりいなかったことから良いなと思ったが、「りさ」の「さ」に「左」を使うことからも当初はプラチナムプロダクションに見たことのない名前すぎると思われ、あまり良い顔をしてもらえなかったという。しかし、現場ではさまざまな人から「本名なの?」と興味を持ってもらえることが多いという。
井上対ドネア戦のラウンドガールで注目されるようになって以降、普段は世代の近い男性との交流や出会いがないが、SNSなどでDMはサッカー選手から来るようになったという。なお、ラウンドガールについてはそれ以前にも後楽園ホールにて行われているフジボクシングの興行に月1ペースで出ており、世界戦は井上対ドネア戦が初めてだったという。一方、ラウンドガールがきっかけで自分を知った人から「“ぽっと出”で調子に乗ってグラビアとかやるなよ」と言われた際には、「人気が上がったからグラビアを始めた」と思われていることに複雑な思いを抱いたという。
普段はマイペースであり、親しい友人から「人の話を聞かないよね」と言われることもあるという。また、1人でよく映画館へ出かけるうえ、仕事終わりにはパスタ屋や定食屋にも入るほか、近所の魚の定食屋では男性客に混じって黙々と魚を食べているという。
グラビアについては、素肌にエプロンや手ブラなど、露出度が高いものへの恥ずかしさはないうえ、自分が良いなと思えば肌の露出はまったく気にならないという。また、見るたびに知らない自分が写っているなど、自分の表現の可能性を広げてくれる面白さがあるため、笑顔が増えて色んな人から「柔らかくなったね」と言われるようになったという。なお、尻の肌については、2024年カレンダーの発売記念ベントにて「ボディクリームなどを風呂上がりに毎日塗り、保湿などを欠かさないようにしていた」との旨を明かしている。
上京から6年が経過した2024年時点でも、初めてのテレビ番組の仕事は緊張する。それゆえ、基本的に「当たって砕けろ」の精神で仕事を分析し、自分の魅力が発揮される言動を考えて現場で出し尽くすが、放送を見るまでは安心できないという。
グラビアアイドルとしての美称には「グラビア界のビーナス」などが見られる。
同じくプラチナムプロダクション所属の花巻杏奈は、同郷にして小学生当時から仲が良く、尊敬してくれる後輩でもある。
  
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buttbii2 · 1 month
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薔薇族より
長編につき最終章のみ抜粋
ペニスに麻薬の注射
 目を吊り上げた酒匂川は、ロープを握って天井を見ていた。全体が吹き抜けになっている建物には、古びた太い梁が数本走っている。それにロープを投げた。タルクルとロープは、生きた蛇のように梁に巻きついた。それに滑車を通す。
 そうしておいて、こんどは瞭二に襲いかかった。しなやかで、スベスベの肌に容赦なくロープが食いこんだ。
(さかさ吊り)
 それは彼が、刑務所で渇望し続けたものなのだ! 四年間の酒匂川との交渉にも未登場であった。
 キリキリと滑車が軋ると、つながれた足首から上に吊るされてゆく。頭が下になって、土間から一mで固定された。吃立する陰茎が白い腹を見せ、睾丸が垂れている。それを酒匂川が握って、しごきながら嗤った。
「こうすると、きさまもなかなかのものだな」
 瞭二はうめいた。全身の血が逆流して顔が真っ赤になっている。それを見ると酒匂川は舌なめずりをした。そして鞭を振り上げた。
 ビシリ! ビシリ! ビシリ!
 太腿を、腹を、尻を、ぶちまくった。一条のロープが宙空でくるくる回った。ヒユーツと風を切った鞭は、情容赦なく落下する。鞭痕が赤い縞になり、血が浮き出していた。巧妙な縛り方だったが、足首に体重がかかりだしていた。
「うーん、うう――う――ん――」
 こらえていた瞭二が、耐えきれずに呻吟しはじめた。酒匂川が怒鳴った。
「もっとわめけ!もっとほえるんだ!」
 ここは中国山脈の果て、山奥の一軒家だ。猿人説が出る、世間から隔絶されたところである。どんな公序良俗に反することをやってのけても、咎(とが)める者はなかった。
 鞭をふるうたびに、吊るされた獲物は宙で回った。獲物の口から泡がふいている。だが腹を見せた陰茎は、衰えを見せない。それを睾丸ごと黒い革手袋が握った。片方の黒手袋がライターを取り出した。
「こいつを火あぶりの刑にしてやる」
 酒匂川はライターの火を最大にした。ジジツと陰毛が焼けた。匂いが土間にこもった。火は陰毛を焼き尽くし陰茎をあぶった。
「もっとぼっ立てるんだ!」
「ううっ、ううっ-」
 陰茎を焼かれながら、瞭二は遠くなる意識の中で、ピンピンに勃起している自分の脈動を感じていた。
「なんだ、このくらいで。だらしがないゾ!」
 耳もとの怒声で瞭二は、失神から醒めた。どのくらい失神していたのか、それはわからなかった。ロープはおろされ、ぶざまに土間へころがされていた。
 彼は頭を振って、意識を呼び戻した。関節が脱臼したように痛い。それに全身、完膚なきまでに鞭の痕が走っていた。
 陰茎は萎えていた。陰毛を焼かれた股間に、放射した残りがべっとりとこびりついていた。失神したとき放出したのだろうと思っていたが、秘門のあたりが冷たいので、手をやって吃驚した。ゆるんだ秘口の奥から、注入物が流れているのだった。
 失神した瞭二を、酒匂川は思う存分もてあそんだらしい。汗と皮革の匂いが鼻をつく。
「わるく思うなよ。本性のないヤツとヤルのも、オツなもんだ。キサマの体は天下一品だゾ。意識のある時と同じように締まるんだな。それにしても、このザマは!」
 酒匂川の口元は嗤っていたが、目は粘りついたように光っていた。革手袋の右手には、なんと注射器が握られているのだ!
「あっ!」
 瞭二は後ずさったが、関節が疼いて動けない。それを見て酒匂川は、せせら笑った。
「このクスリを一本打てばラクになるぞ。そうだ、きさまのチンポへ入れてやろう」「な、何ですか、そ、それは?」
 思いもよらぬ成行きに、瞭二は仰天した。
「見ればわかるだろう。クスリだよ。これがはいれば、今夜はおろか、朝まで勃起が続くんだぞ」
 注射器をかざして迫ってくる酒匂川の目には、妖しい火がテロテロと青く燃えていた。
「あっ、それだけは!」
 瞭二は腰を振り足をいざって抵抗したが、股間をぐっと握られ、上下にしごかれるとたまらなかった。口とは反対に瞭二の陰茎は、ものすごく怒張した。まるで注射をされることに期待をしているようだ。
「よし、じっとしていろ」
 酒匂川はチュツと注射針から、薬液を噴射して見せ、瞭二の反応をうかがった。瞭二の陰茎は恐ろしく硬直し、ドキドキと脈動している。しゃがみ込んだ酒匂川はその冠状溝の静脈へ、ブスリと針を突き差した。
 禁断のクスリだ! 恐ろしい麻薬にむしばまれる!
 そんな恐怖とは裏腹に、注射を受けている陰茎はますます膨張し、亀頭はハチ切れんばかりに、怒張の限りを尽くし続ける。
 じっと酒匂川は、それを見詰めた。その日は欲情しきって、余裕をなくしたときのイライラした目であった。革のズボンの前が、テント状に膨れていた。
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patsatshit · 6 months
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上��読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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kyokocanary777 · 1 year
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横浜山手のレアな電話ボックス
前回はエリスマン邸を少しご紹介しました。今回は、その近くにあるレアな電話ボックスのご紹介がしたいです📞
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この電話ボックス、六角形の灯台のような形が特徴で😊
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春は上に桜が咲きますが、先日はほとんど葉桜でした。
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横に通ってるのが、山手本通りです。神奈中バスも通ってます🚌
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この公衆電話は、明治23��(1890)に横浜-東京間でスタートした電話業務の…
100年記念に1990年に設置されたものです。
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「自働電話」と大きく書かれているのは、昔、公衆電話は自働電話と呼ばれていたからだそうです。
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公衆電話自体が貴重な存在になってきている時代ですが、とくにこの公衆電話は貴重な存在に思えます。
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さて。
電話ボックスの横に通る山手本通りあたりには、西洋館がいっぱいあり、開港当時は外国人の住宅街でもあったそうで。
私自身は、数年前、ここから歩いて20分くらいの唐沢というところで暮らしてました。
家から歩いて中華街や元町などに行く時に、���の山手本通りを通ってました。
この電話ボックスの前もよく通ってましたし、土日になるとスケッチをする人が多く、そういう眺めにも心を癒されました。
ここの電話ボックスがあるのは、元町公園というところです。
実際に行ってみるとわかるのですが、なんだかこの辺は、ちょっと空気が違いまして…
ものすごく静寂でゆっくりとした空気が流れています。
この電話ボックスの後ろ側に前記事で書いたエリスマン邸があります。
エリスマン邸の向かい側にえの木ていがあります。
えの木ていの隣に山手234番館があります。ちょうどこの電話ボックスの向かい側です。
地図で表示するとこんな感じです。
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実際の地図はこちらです。
山手234番館は、外国人向けの集合住宅だったそうです。今でいうと、アパートのような位置づけでしょうか。
そう考えると、やはりこの辺一帯は外国人が住むところだったように思えます。
実は、住んでいた時にこの辺りの歴史を調べてました。
その中で印象的なことが一つありました。
それは、この辺りの外国人の活動エリアは、「住むところ」「ショッピングや食べるところ」「働くところ」「遊ぶところ」の4つに分かれていた話です。
・住むところ:レアな電話ボックスがあるあたり
・働くところ:山下公園あたり
・ショッピングや食べるところ:元町ショッピングストリートあたり
・遊ぶところ:ハマスタ付近や関内あたり
横浜スタジアムがある場所は、昔は遊郭だったらしいので、あの辺一体は遊ぶところだったようですね。
だから、あのあたりは今でもそういう空気があるなぁと感じます。
伊勢佐木長者町とかも、なかなかな空気で、嫌いではないです。
青江美奈さんの伊勢佐木町ブルースのところですね。
おとなりの桜木町あたりにも、似たような空気の飲み屋街の野毛とかありますけれども、ちょっとまた違うのです。
たぶん、歴史が違うのですね。
さて、話を戻しますが。
外国人の住むところ以外の活動エリアは、全て坂を降りたところにあるので、仕事や遊びやショッピングなどで毎日通っていたとなると、すごいなー😲と思いますね。
だって、ものすごい坂ですよ。
わたしなんて、楽したい派なので、エスカレーターで上がってましたから笑。アメリカ山公園と元町中華街駅が直結してるところから上がってました。
エレベーターもあるので便利です。
エスカレーターがあるところはエアコンも効いてて、途中にベンチまで置いてくれてるので、暑い時とかよく休んでましたね😊
ま、熱中症対策の一つです☀️💦
石川町は、ほんとうに面白い街でした。昔の横浜が残ってます。日本らしい昔の横浜と外国風の昔の横浜がわかる街です。
2023/04/17
19:12
カナリヤ響子
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remnorlia · 4 months
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リクエスト(3/7) ③新ヨシュアと新ミナミモト+α
「新ヨシュアと新ミナミモト」、新すばでは特にストーリー上関わるところがなかったのでなかなか難しい…!となったリクエスト。
1枚目は対立構造で考えていたけどありきたりだな、と思ったので共闘に変更。 ゼタも少しは大人になったはずなので(?)、きっと「今だけベクトルを合わせてやる」とか何とか言って共闘してくれるんじゃないですかね!そうであれ!できれば宇田川町路地裏かポークシティ(マークシティ)で戦ってくれ!
そして少ししか大人になっていないので目的を果たしたらすぐさま「ヨシュア討伐」にベクトルを切り替えるもやっぱり圧倒的力の差ァ!(指パッチン)があった2枚目。もちろん瞬殺です。彼にはご退場願いました()
そこからワイルドキャットに移動したヨシュア、「さっきやむを得ず彼と共闘してきたんだけど、その後どうしても僕と戦いたかったらしくて攻撃されかけたんだよね。でも早くこっちに来たかったから、とりあえずそこら辺にあったオブジェから拝借したら、あの時と同じようなシチュエーションになって思わず写真撮っちゃった(笑)」と言いつつハネコマさんに見せびらかす3枚目。
ちなみにネクにも同じ写真を送って「お前またやったのか…」と呆れられ、その場にいたビイトがその様子を見て画面をのぞき込み「おい…もしかしてこれ…あの禁断ヤローか…?」と言ったのを皮切りに、ライム「うわぁ…これはひどいね…」、シキ「…(絶句)」と次々回覧されることになっていたり。 もしリンドウたちも見ていたなら、リンドウは「これは…?!」とゼタがやられたことに驚愕し新たな強敵でも出たかと焦り、フレットは「え?!え?!なんで?!これミナミマタさんだよね?!?!?!どゆこと?!何が起こってんの?!?!?!?」と混乱し、ナギセンは「モトナミ様…!?この周囲にあるガラクタは一体…!」と驚きつつも分析し始め、ショウカは「え、ヤバくない?」の一言で終わる。 ちなみにハヅキは「ふーん。これ何が面白いの?」って感じかな? ココはおそらくハネコマさん経由か、ミナミン探しの間に偶然オブジェ(笑)を見つけて事情を知る感じかな。 どちらにしろハネコマさんとは情報共有していると思う。 そしてしばらくオブジェを観察して4枚目へ。
「お、なんだちゃんと生きてるじゃねーか」「も~心配したんだからぁ~」の2人、もちろん手伝う気はない。地味に身動きが取りづらいゼタ、体力消耗による息切れがありながら観察されることに苛立ちつつ「このヘクトパスカルが!」と気力を振り絞ってオブジェを少しずつ払いのけていたら「おお~!やるねえ!」「すごーい!やればできるじゃんミナミン~!」と謎の声援を受け、最後はブチ切れながら空へ羽ばたいていくのであった…
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lierrelearns · 4 months
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写真提供: 小田原市立図書館発行[一枚の古い写真]より
明治憲法と民法を起草、初代の内閣総理大臣 伊藤博文 (1841-1909) 1] 伊藤博文公胸像 (本町四丁目) 伊藤博文の別邸[滄浪閣]跡で[民法発祥の地]として知られます。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供: 国立国会図書館
幕末の志士で、宮内大臣等を歴任した政治家 田中光顕 (1843-1939) 2] 小田原文学館、3] 白秋童謡館 (南町二丁目) 田中光顕が構えた2棟の別邸を、小田原文学館と白秋童謡館として有料公開しています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供:多摩市教育委員会
三井物産等を設立した明治財界の指導者、大茶人 益田孝 (鈍翁) (1848-1938) 鈍翁in西海子(南町二丁目) 茶器など鈍翁ゆかりの品々を展示しています。 写真提供: 国立国会図書館
秋山真之と親父があり、海運業で財閥を築いた実業家 山下亀三郎 (1867-1944) 5] 対潮閣跡 (南町一丁目) 山下亀三郎の別邸[対潮閣]跡で、秋山真之の終焉の地です。後に、田中光顕の歌を彫った[釣鐘石]が置かれました。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供:山下真一郎氏
福岡黒田家13代目、貴族院副議長を30年務める 黒田長成 (1867-1939) [6]清閑亭 (南町一丁目) 黒田長成が明治末期に構えた数奇屋風の別邸。周辺の庭園めぐりの案内をしています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供: 国立国会図書館
日露戦争における仁川沖海戦等で活躍した司令官瓜生外吉 (1857-1937) 7] 瓜生海軍大将之像 (南町一丁目) 山角天神社の境内に瓜生大将の胸像があります。 8] 瓜生坂 (南町一丁目) 高台にあった瓜生外吉の別邸に通じていた坂道です。 写真提供:瓜生家
多数の詩や童謡を創作した国民的詩人 北原白秋 (1885-1942) 9] 木兎の家跡(伝肇寺境内)(城山四丁目) 北原白秋が大正7年から8年余りを過ごした[木兎の家]が伝肇寺境内にありました。 写真提供: 小田原市立図書館
皇族出身の陸軍軍人で、昭和激動期の参謀総長 閑院宮載仁親王 (1865-1945) 10] 三の丸外郭新掘土塁(南町一丁目〜城山四丁目) 閑院宮載仁親王の別邸跡。広大な敷地の一部は史跡小田原城跡の土塁に重ねっていました。 写真提供: 小田原市立図書館 H25.12 小田原市観光課
Vocab 提供 (ていきょう) providing, donating 発行(はっこう)publication 憲法(けんぽう) constitution 民法(みんぽう) civil code, civil law 起草(きそう) (drafting (a bill, etc.), drawing up 内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん)prime minister (of a cabinet government) 伊藤博文 (いとう・ひろぶみ)Itou Hirobumi 公 (おおやけ)official, governmental, formal 胸像 (きょうぞう)half-length portrait 別邸 (べってい)secondary residence, vacation home 滄浪閣 (そうろうかく)Sorokaku 発祥の地(はっしょうのち) origin, birthplace 民有地 (みんゆうち)private land ご遠慮ください(ごえんりょください)please refrain (from) 国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)National Diet Library 幕末(ばくまつ)Bakumatsu period 志士 (しし)imperial loyalist samurai of the Bakumatsu-era 宮内大臣(くないだいじん)Minister of the Imperial Household 歴任 (れきにん)successive/consecutive jobs 政治家(せいじかん)politician, statesman 田中光顕(たんか・むつあき)Tanaka Mitsuaki 文学館(ぶんがくかん)literary museum 白秋(はくしゅう)Hakushu (see below) 童謡(どうよう)nursery rhyme 構える(かまえる)to build, set up 棟(とう)counter for buildings 有料(ゆうりょう)fee-charging 公開(こうかい)open to the public 有形文化財(ゆうけいぶんかざい)tangible cultural properties 多摩市(たまし)Tama City 三井物産(みついぶっさん)Mitsuri & Co. 設立(せつりん)establishment, foundation 財界(ざいかい)financial world, business circles 茶人(ちゃじん)master of the tea ceremony 益田孝(ますだ・たかし)Masuda Takashi 鈍翁(どんのう)Donnou, an alias he took on as a tea master 西海子(さいかいし)Saikaishi 茶器(ちゃき)tea utensils ゆかりconnection (to a person, place, or thing) 品々(しなじな)various articles 展示(てんじ)exhibition, display 秋山真之(あきやま・さねゆき)Akiyama Saneyuki 海運業(かいうんぎょう)shipping industry, marine transport 財閥(ざいばつ)zaibatsu, financial conglomerate 築く(きずぐ)to build up, establish 実業家(じつぎょうか)business, entrepreneur 山下亀三郎(やました・かめさぶろう)Yamashita Kamesaburo 対潮閣(たいちょうかく)Taichokaku 終焉(しゅうえん)end (of life), death; (peacefully) spending one’s final years 彫る (ほる)to carve, engrave 釣鐘石 (つりがねいし)Tsurigane-ishi (Hanging Bell-shaped Rock) 代目(だいめ)nth generation 貴族院(きぞくいん)House of Peers (Meiji constitution) 副議長(ふくぎちょう)vice-chairman 黒田長成(くろだ・ながしげ)Kuroda Nagashige 数奇屋(すきや)tea-ceremony arbor めぐり tour 教育委員会(きょういくいいんかい)board of education 日露戦争(にちろせんそう)Russo-Japanese War における in, at, on, regarding 仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)Battle of Chemulpo Bay (Feb. 9, 1904) 仁川(インチョン)Incheon 活躍(かつやく)activity, great efforts, active participation 司令官(しれいかん)commanding officer, general 瓜生外吉(うりう・そときち)Uryu Sotokichi 海軍大将(かいぐんたいしょう)admiral 之(の)of 山角天神社(やむかくてんじんじゃ)Yamakakuten Shrine 境内(けいだい)grounds (esp. of temples and shrines) 坂(さか)milestone; slope, hill 高台(たかだい)high ground, hill 坂道(さかみち)hill road 創作(そうさく)creative work 国民的(こくみんてき)popular on a national level 北原白秋(きたはら・はくしゅう)Kitahara Hakushuu 木兎(つく)horned owl (rarely used kanji form) 伝肇寺(でんじょうじ)Denjo-ji Temple 皇族(こうぞく)imperial family 陸軍(りくぐん)army 軍人(ぐんじん)soldier 激動(げきどう)turmoil, upheaval 参謀総長(さんぽうそうちょう)chief of general staff 閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)Prince Kan’in Kotohito 外郭(がいかく)outer fence, outer enclosure 土塁(どるい)earthen walls 広大(こうだい)immense, huge, grand 敷地(しきち)site, plot, grounds 史跡(しせき)historic site
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