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#義父自慢の道具たち
ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月23日(火曜日)
    通巻第8102号 
 中国の都市化比率は60%を超えて農村の荒廃に拍車
  農業人口の激減と農作物の輸入激増、そして食糧輸入国へ
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 GM(genetically modified)とは、バイオ技術により遺伝子組み替え種子を意味する。
 中国農業部(MARA=農林水産省)は3年間の試験を経てGMトウモロコシ37品種とGM大豆14品種を承認した。
中国政府は都市化による農地激減、農家の労働力不足、農民の高齢化に加えて台風、洪水など天然災害による田畑の荒廃と砂漠化、慢性的水不足、過剰な化学肥料、土壌の劣化などで、農作物の自給自足体制が崩壊し、輸入が増えていることを憂慮してきた。
もとより中国の「三農問題」とは農民、農村、農業。経済成長による農民の都会への流失は深刻である。
農村もマンションやら高速道路などで嘗てのムラ意識は稀釈となりまた農耕具の機械化や近代化などは農業会社(旧「人民公社」)の官僚主義、日本のような農協システムはないため、マネジメントが機能せず、貧困が続いてきた。
 習近平政権は、公園を潰して農耕地への転換を強制するなど、ちぐはぐの農政の一方で、食糧安全保障の改善を重視している。
とくに国内生産と自給自足を確立するべく、2024年6月1日には「食糧安全保障法」が発効する。
GMに関して、食の安全、品質が所謂「科学者」、たとえば「ハイブリッドライスの父」袁龍平のように支持はされているが、民衆は生物学的な安全を懸念しており、また日頃からの政府への不信感が基底にあるためGM作物に対して拒否反応が強い。したがって商品化が遅れてきた。2018年の全国調査では47%がGMに対して否定的な見方をしており、14%がGMを中国を狙ったバイオテロの一種とみなしている。
 大豆は中国の食糧安全保障にとって極めて重要であり、動物用、人間用、工業製品用に区分けされている。
日本でも大豆は納豆、豆腐、醤油などに必需品。たしかに中国は大豆生産国であり、現在の生産量はおよそ 2100 万トンだが、同時に最大の大豆輸入国だ。
2023 年の中国大豆購入量は8500万噸、主に米国、ブラジル、アルゼンチンから輸入した。
2008 年から 2013 年の間に、中国国内の大豆生産専用面積は 24% 減少した。 
中国では大豆は牧畜の飼料にも多用される。大豆とトウモロコシが重要なのは中国の耕地面積の5億2254万ヘクタールのうちの1億2254万ヘクタールが放牧地である。
▼中国は食糧安全保障が優先課題なのだ
 
 食糧安全保障の改善は習近平政権の優先事項である。
国家の能力構築の強化を含む国家食料安全保障を確保するための8つの課題が提案され中央農村労働会議で確認された。
 遺伝子組み換え作物開発への投資は国有企業 (SOE) ならびに国有研究センター (MARA=直属の国立研究機関である中国農業科学院など) が担い、他方、民間でも種子会社は7600社以上ある。
ところが種子特許出願では世界第 1 位であるにもかかわらず、中国がもつ1225 件の特許の殆どが、中国農薬総公司(ケムチャイナ)が保有する。ケムチャイナは2017年スイスのアグリビジネスでGM開発企業の「シンジェンタ社」を430億ドルで買収し、世界最大の農薬・種子会社の一つとなった。ちなみに中国語の会社名表記は「先正達集団」(発音はまさしくシンジェンダ)。
同社は種苗業界でモンサント、デュポンに次ぐ世界第3位。2019年度の売上は約230億ドルであり、世界100ヵ国に49000人を越える従業員を抱えている。日本支社は殺虫剤などを取り扱っている。
逆にこのM&Aによって西側に警戒感を抱かせ、米国アーカンソー州などは中国企業の農地買収を禁止した。
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victorinox-japan · 1 year
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タツノコプロとのコラボ第2弾|クラシック ヤッターマンコレクション
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創立60周年を迎えた、日本を代表するアニメーション制作プロダクション、株式会社タツノコプロとの共同企画第2弾「クラシック ヤッターマン コレクション」が登場します!
全国のビクトリノックス直営店舗、及びビクトリノックス公式オンラインストア楽天市場店、Yahoo!ショッピング店、Amazon店で、2023年5月26日より販売します。
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クラシック ヤッターマン コレクション 価格:3,300円(税込)
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カラフルな10種のデザイン
ビクトリノックスのベストセラーマルチツール「クラシックカラーズ」をベースに、タツノコプロ不朽の名作、「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」のキャラクターを採用した、カラフルな10種類のコレクションです。
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クラシック ヤッターマン1号
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本名は高田ガン。 機械いじりが得意な、 正義感に溢れた少年。父親が造りかけていた犬型メカ ・ ヤッターワンを完成させ、世のために役立てようと正義の味方ヤッターマンになる。ドロンボー一味の悪事を阻止するために、 ヤッターマン2号と共に戦いを繰り広げる。 ケン玉型の武器ケンダマジックを使う。
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クラシック ヤッターマン2号
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本名は上成愛。 ガンちゃんのガールフレンドで、 心優しく気丈な少女。ガンちゃんと一緒に正義のために活動しようと、��ッターマン2号になることを決意し、1号と共にドロンボー一味と戦う。電撃で敵をしびれさせる伸縮自在のシビレステッキが武器。
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クラシック ヤッターマン オモッチャマ&ヤッターワン
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表面はヤッターマンのサポートをするサイコロ型ロボットのオモッチャマ。 動力は乾電池。ヤッターメカをパワーアップさせるメカの素を胴体に収納している。裏面にはヤッターマンと共に闘う犬型メカ、ヤッターワン。1号、 2号を両脇に乗せて、 世界中のどこにでも出動する。
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クラシック ヤッターマン ドロンジョ
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悪党三人組ドロンボー一味の女ボス。 スタイル抜群の美女で金銀財宝をこよなく愛し、 部下のボヤッキー、トンズラーと共に大金塊のありかを示すというドクロストーン獲得を狙う。
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クラシック ヤッターマン ドロンボー
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謎の存在ドクロベエの命令で、ドクロストーンを集める悪党三人組。表面は女ボスのドロンジョ。裏面はヤッターマンとの戦いで負け���ドロンボー一味が逃げる際に使う三人乗り自転車、通称おしおき三輪車に乗る三人。逃げている途中に必ずドクロベエからのおしおきを受けることになる。
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クラシック ヤッターマン ボヤッキー
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悪党三人組ドロンボー一味の頭脳担当。インチキ商売の道具や、各種メカを開発している。メカ造りの天才ではあるが、いつも余計な機能を付けたりどこかに欠陥がある。
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クラシック ヤッターマン トンズラー
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悪党三人組ドロンボー一味の怪力担当。強面と自慢の腕力を振るって悪事や戦闘で活躍するが、機転が利かずにやられてばかりいる。妙な関西弁で話すのが特徴。
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クラシック ヤッターマン ドクロ雲
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ヤッターマンとドロンボーのメカ戦の末に、負けたドロンボーのメカは毎回大爆発。その爆発の際にのぼる、まるでドクロのような形をした雲。
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クラシック ヤッターマン おだてブタ
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ドロンボーメカの操縦席に仕込まれている様々な小型メカ、通称コックピットメカの中の一体。 誰かがおだてられるとその言葉に反応して現れ、「ブタもおだてりゃ木に登る」と言って引っ込む。ただそれだけのメカ。
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クラシック ヤッターマン ドローイング
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1977年のアニメ制作時に描かれたキャラクター設定画。シンプルな線画でもヤッターマン、ドロンボー一味共にそれぞれの個性的なデザイン性が際立つ。
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機能詳細
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1.スモールブレード(小刃) 2.つめやすり 3.マイナスドライバー 2.5mm 4.はさみ 5.キーリング 6.ツースピック 7.ピンセット
サイズ:縦58 x 横18 x 厚み9mm 本体重量:21g
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コンプリートボックス(全10アイテム)
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クラシック ヤッターマンコレクション 全10アイテムと、ドロンジョの描き下ろしイラスト入り機能説明書をパッケージ化しました。
ビクトリノックス製品や、タツノコプロ作品のファンのみならず、全世界のアニメファンも注目する、ビクトリノックス・マルチツールとヤッターマンの魅力を詰め込んだ、初回生産300個限定のプレミアムBOXです。
BOXサイズ:縦243 x 横256 x 厚み30mm 価格:33,000円(税込)
※画像はイメージです。実際の商品と異なる場合があります。
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©タツノコプロ
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クラシックカラーズ
2020年の発売以来、ビクトリノックス・マルチツールのベストセラーを獲得し続けている、30色のカラフルなカラー展開の「クラシック カラーズ」。
長さわずか58mmのスモール・マルチツールで、ブレード、つめやすり、はさみなどが搭載された機能的で、スタイリッシュなツールです。
その豊富なカラーの中から「ヤッターマン」のキャラクターカラーに合わせたマルチツールのハンドルに、それぞれのキャラクターを描きました。
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ヤッターマン
タイムボカンシリーズ第2作「ヤッターマン」は、大金塊のありかを示すといわれるドクロストーンをめぐって、正義の味方ヤッターマンと悪党三人組ドロンボー一味が世界中を駆け巡り争奪戦を繰り広げる、シリーズの人気を決定づけたヒーローギャグコメディ。
正義のヤッターマンだけでなく、敵役であるドロンボーのキャラクターもとても人気が高く、全てのキャラクターを揃えたくなる、かつてないコレクションの誕生です。
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patsatshit · 6 months
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日頃の自分たちの頑張りを労って家族旅行を企画した。因みに豊田道倫がパラダイス・ガラージ(PARADISE GARAGE)名義で1995年にTIME BOMBから発表した不朽の名作『ROCK'N'ROLL 1500』には「家族旅行」という美しい曲が収録されている。
(名曲「家族旅行」は29:48あたりから聴ける)
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タラウマラの定休日にあたる第3木曜日に出発するので、自ずと息子たちは小学校をズル休み。担任の先生も「楽しんでおいでや」と快く我が子の背中を押してくれた。向かった先は播州赤穂、6月に鳥羽に旅行した際、ホテルの大浴場で言葉を交わした同じ年頃の子を持つお父さんが「赤穂も良かったですよ」と教えてくれて、それを聞いた息子たちは以降ずっと「行きたい行きたい」と言っていた。ほなみんなで旅行貯金するぞってことで、この数ヶ月それぞれに頑張ってきた。親は親、子は子で楽しみや目的はあるものの、こうして親子で共有できる目標があることは幸せだと思う。和太鼓やスケボーや日々のお絵描きもそう、将来それが何かに結実することを望んでいる訳ではなくて、ただひたすらに「いま」が大事なんです。大切な「いま」を共有するために、子どもに学校を休ませる親もいる。もっと大きく言えば「世の中にはいろんな人間がいる」ということを息子たちにも伝えていきたいだけ。休むからにはやらないといけないことも多々ある訳で、安易な正攻法なんてものはどこにも転がっていない。だだっ広い敷地面積を有する赤穂海浜公園にはノスタルジーを刺激する遊具やアトラクションがいくつもあって、息子たちは大喜び。恐らくは未就学児を対象としているであろうそれらの遊具にしおんもともねも夢中だ。ふたりともめちゃくちゃに良い笑顔。パンクだなんだと偉そうなこと言うてたくせに結局はお前も綺麗事かよ、と一笑に付されるかもしれないが、この笑顔のためなら何だってできるような気がする。ふたり乗りの珍奇自転車を楽しそうに漕いでいる我が子の姿を見て、親バカながら少し泣く。どこにでもいる年の近い兄弟、そんな息子たちだって毎日、何かしらストラグルしていることを少なからず知っているから。
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物心ついたときから、長男しおんは次男ともねのことをとても大切にしていて、保育園の友人たちにも自分はさておき、弟のことを褒めたり自慢したりする感じだった。「ともね、凄いやろ!」が口癖で、自分の友人にも弟のことをいつも得意気に紹介していた。やがてふたりとも小学生になり、ともねは次男特有の器量の良さで周囲を魅了し、しおんにとっては明確な比較対象となった。何をやっても「弟に劣る兄」とまわりからイジられ、やがてしおんの同級生がともねだけを遊びに誘い出すようになる。それでもしばらくは「ともね、行っておいでーや」と送り出すしおんだったが、3年生になった頃、遂に感情を爆発させた。「俺はともねが嫌いや。俺の真似ばっかりすんな」そう叫んで学校で暴れてしまうことになる。その日を境にしおんは教室で授業を受けずに、会議室でリモート授業を受けていた。それでも学校に行きたくないとは決して言わない。自宅でも兄弟喧嘩を繰り返しつつ、なんだかんだで仲良く遊んでいた。そんなふたりが、近所のゲームセンターでクレーンゲームをしていた日のこと。次々に目当てのものをゲットしていくともねに反して、しおんは失敗を重ねてとうとうゲームセンターの閉店時間まで何ひとつとして商品を掬い上げることができなかった。しお���は家族のそばから離れて柱の影で、ひとり悔し涙を流していた。それを見兼ねたスタッフのお姉さんが「お兄ちゃん、諦めたらあかんよ。最後にもう一回チャレンジしてみて」と言って、閉店作業の手を止めて、なんとクレーンゲームのぬいぐるみをほんの少しだけ取りやすい位置に移動させてくれたのだ。その場にいる全員が固唾を飲むなか、しおんは無事にぬいぐるみをゲット。みんな声を上げて喜んだ。お姉さんも目に涙を浮かべて喜んでくれた。しおんは消え入りそうな小さな声で、ありがとうございますと言い、お姉さんに頭を下げていた。帰りの道中、ともねは「やっぱりともの方が何でも上手いよな!奇跡やんな」とハッスルしていた。兄弟には親にもわからない兄弟なりの想いがあるのだと強く感じた僕は、2023年の春に『ほんまのきもち』という小説を書いた。あれは息子たちの気持ちを代弁したものではなく「見るもの」と「語るもの」の狭間に横たわる絶え間ない葛藤を、自分なりに掬い上げたものに過ぎない。だから物語の核心となる「俺」が学童の担任教師に抱えられてはじめて感情を吐露する場面では、その気持ちを言語化することを意識的に避けた。そのような作品に『ほんまのきもち』というタイトルを付けるなんて些か捻くれすぎかとも思ったが、それ自体がそもそも僕の「ほんまのきもち」なのだからどうしようもない。
(https://wdsounds.jp/ca40/4300/p0-r-s/で購入可)
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kennak · 1 year
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むかしむかし、あるところに情報商材売りの男性がいました。「副業で月収100万円を稼ぐ有料noteはいりませんか?あなたもFIREしたくないですか?」男性はTwitterで声を枯らし、インスタで拾ったホテルや高級腕時計の写真を貼り付けた投稿を繰り返します。でも、4950円の有料noteはちっとも売れません。 男性が悲しそうにスマホをポケットにしまった、その時です。ベントレーが突っ込んできました。「ああっ!」男性は転びました。「馬鹿野郎、ひかれたいのか!」運転席から黒光りした男が怒鳴ります。金銭的な成功こそが人の価値だと信じて疑わぬ人間だけが出せる、己の非を認めぬ傲慢な声。資本の暴力。 資本主義の極北、東京砂漠。定職もなくアフィリエイトで日銭を稼ぎながら情報商材が売れることを夢見ている38才の男性を、道交法は守ってくれません。クラクションを鳴らし去っていくベントレーを、男性は冷たい道路に座って呆然と眺めていました。トボトボと町屋駅徒歩9分の築古アパートに帰ります。 「ただいま」。家に着きましたが、そこに人の気配はありません。家族も、恋人も、家で男性の帰りを待ってくれる人間は誰もいません。虚しくなった男性は、スマホでYouTubeのヒカルの動画を観ながら、業務スーパーで買った298円のチキン南蛮弁当をモソモソと食べます。ご飯が少し固くなっていました。 電気代も灯油も高いので、暖房器具は使えません。ストロングゼロを飲んで毛布に包まりますが、築古アパートのアルミサッシから冷たい風が入り込みます。あまりの寒さでこごえてしまった男性は、売り物の有料noteをそっと開きます。「シュッ」という音と共に、温もりに満ちた光景が目の前に広がります。 そこは渋谷ストリームのオフィスでした。24階の社員食堂で、美味しい料理に舌鼓を打ちながら外国人の同僚と雑談する男。高校の同級生の鈴木君です。一浪して東京理科大に進学し、修士号取得後にNTTに就職した鈴木君。現役で早稲田の社学に進んだ男性は「コスパ悪すぎw」と鈴木君を見下していました。 しかし鈴木君は頑張りました。NTTの研究所で働きながら、社会人大学院で博士号を取得。見事Googleへの転職を決めたのです。高2で数学を捨てて私立文系に逃げ、努力から逃げ、似顔絵アイコンで自称GAFA社員として中身のない情報商材を売る男性。一体、どこで二人の道は別れてしまったというのでしょう。 気がつくと、また寒々しい部屋です。静寂の中、隣の部屋からは何かを叩く音と女の人の泣き声が聞こえます。男性は慌てて次の有料noteを開きました。目の前に現れたのはタイムズスクエア。雑踏の中、スタバのコーヒーカップを片手にスーツの男が颯爽と歩いています。みずほ銀行で同期だった田中君です。 大学時代に遊び呆けていた男性でしたが、当時は運良く就活売り手市場。大量採用しているメガバンに潜り込めました。しかし、待っていたのはノルマとパワハラ、資格試験。FP2級に落ちて支店長に詰められた男性は「今どきJTCとかオワコンww」と言って、すぐにプルデンシャルに転職してしまいました。 同期が次々と脱落していく中、田中君は逃げませんでした。リーマンショックで資金繰りに苦しむ融資先を回り支援計画を練り、震災でATMが止まれば店頭で罵声を浴びながら頭を下げました。カラオケでは率先してマラカスを振り、支店のゴルフコンペは皆勤賞。帰宅後のTOEICの勉強も欠かしませんでした。 上司達は、そんな田中君を可愛がりました。地方支店から本社の法人営業、海外営業と順調にステップアップして、ついにNY駐在を勝ち取ったのです。プルに転職したものの鳴かず飛ばずで、強引な営業で友人からも避けらるようになり、逃げるように転職を繰り返し転落していく男性との差は広がるばかり。 男性が手を伸ばした瞬間、マンハッタン高層ビルの風景はフッと消えてしまいました。もしかしたら、自分が掴めていたかもしれない未来。暗くて寒くて乾いた部屋で一人、全身の震えが止まりません。男性はすがるように、次の有料noteを開きました。すると、今度はエプロン姿の女性が料理をしています。 後ろ髪を束ねた女性のお腹は膨らんでいます。「あ、蹴った」とお腹をさする優しい表情。「理恵!」男性は思わず叫びました。忘れましません、大学時代の元カノ、大妻女子大の理恵です。2男の頃、インカレテニサーに入ってきたばかりの右も左も分からぬ1女の理恵を口説いて付き合った記憶が蘇ります。 人生初の彼女に浮かれていた男性でしたが、釣った魚に餌を与えないどころか雑に扱うという、童貞を捨てたばかりの非モテにありがちなミスを犯します。アフター5でディズニーに行く約束をしてたのに、パチスロ北斗の拳で設定6を引いたからとドタキャンした過去。クリスマスのディナーはサイゼリヤ。 結局、理恵とは一年も持たず破局してしまいました。「別に女なんていくらでもいるし」と強がっていた男性でしたが、その後、ちゃんとした関係を結ぶ女性を見つけることはできませんでした。目の前の相手を尊重することで信頼を積み重ねるという、人として最低限のことすらできない人間の、惨めな結末。 一方、理恵はその後保育士となり、千葉大教育学部卒の中学教師と結婚します。お腹の子供は3人目。流山おおたかの森駅徒歩7分3LDKのマンションは少し手狭なので、戸建への引っ越しを考えています。タワマンもSAPIXも無縁ですが、だからこそ、日々の営みの何気ない幸せを噛みしめながら暮らしています。 暖かさと優しさで満ちた光景が消えると、また孤独が押し寄せてきます。男性は声を上げて泣き始めると、隣の部屋から「うるせーよ!」と壁ドンされました。慌てて次の有料noteを開こうとしましたが、もう、Vプリカの残高がなくて買えません。暗闇の中、スマホの画面だけがぼうっと青白く光っています。 自分の能力を過信し、努力を嫌い、下積みを蔑み、真摯なコミュニケーションを避けてきた人生。38年間を無為に過ごして、一体何が残ったというのでしょうか。京成線の電車がガタガタ部屋を揺らす中、ストゼロのアルコールが全身に回ってきました。男性はもう、全てがどうでも良くなってしまいました。 一年後。男性の姿は茨城にありました。この残酷な世界から逃げるべく死を選んだ男性でしたが、命を絶つという覚悟もなく、結局、財布に残っていた最後の5000円を使ってスーパーひたち号に乗って実家に逃げ帰ったのです。リタイヤ済みの故郷の両親は呆れつつも、それでも暖かく迎え入れてくれました。 男性の顔は日焼けし、頭には白い手拭いが巻き���けられています。親戚の叔父さんの紹介で、地場の建設会社に雇ってもらったのです。ベトナム人技能実習生に混じって太陽の下で身体を動かすことで、汗とともに自分の中にこびりついた澱のようなものが静かに、でも着実に流れ出ていくのを感じます。 東京での20年間は何だったんでしょう。人ではなく画面とばかり向き合い、その向こう側の人たちと優劣を競い、何を得たというのでしょうか。昼休憩が終わって作業に戻ろうとすると、スマホが震えました。「○○さんがあなたの有料noteを購入しました!」男性は苦笑いしながら、アプリを削除しました(完
窓際三等兵@息が詰まるようなこの場所でさんはTwitterを使っています
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mreiyouscience · 2 months
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 本書は心理療法の名著である。主に扱う心理療法の技法はマインドフルネスとメンタライジング(後述する)である。しかし、本書の技法以前の問題によりクライアントとの面談が機能不全に陥っているケースも珍しくない。そこで私は心理療法におけるプロセスのレベル化を提示したいと考えている。添付した資料の「ミクロ精神医学における心理療法プロセスのレベル」を参照されたい。
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レベル1ではクライアントによるドミナントストーリーと治療者によるパターナリズムとなっていることが分かるだろう。クライアントは面談の際、固定的かつドミナントなストーリーライン(それがしばしば問題を引き起こしている)に従事している。また、治療者は父権主義的な態度で治療に臨むため、クライアントは高圧的であると感じ、治療者と打ち解けて面談をすることができず治療者はエナクトメント(後述する)を感じ取ることが困難となるかもしれない。レベル2は信頼関係が構築できている状態を指す。このレベル2へと上昇するためにはエドガー・シャインによるプロセスコンサルテーションとクリスティン・ネフによるセルフ・コンパッションを組み合わせて治療に臨むことが求められるだろう。エドガー・シャインによると人間関係における信頼と率直さのレベルは4つのレベルに区分されるのだという。
レベル-1;ネガティブな敵対的関係、不当な扱い
レベル1;礼儀、取引、専門職としての役割に基づく関係
れべる2;固有の存在として認知する関係(個人的な知り合い)
レベル3;深い友情、愛情、親密さ
これらのレベルのうち、治療者とクライアントとの間に築くことが望ましいレベルの関係はレベル2のほどほどの距離間で必要な他人ではなくもっと個人的な話の出来る関係である。そしてレベル⁻1またはレベル1からレベル2への上昇過程をパーソナライゼーションと呼んでいる。次にクリスティン・ネフによるセルフ・コンパッションであるが、この技法は自他の���根なく自他共に思いやりを持つようにクライアントに働きかける技法である。セルフ・コンパッションは「一切は空」であり、関係性(縁起)によってのみ存在するため、自他の区別がなくなり、自他に思いやりを持って接するようになる仏教的態度と共鳴するかもしれない。このセルフ・コンパッションの重要なテーゼを添付した資料の「セルフ・コンパッション」に記載したので参照されたい。自己批判ではなく自分への優しさへ、過剰同一化ではなく、マインドフルネスへ、孤独感ではなく共通の人間性の認識へと働きかけることで、クライアントは自分の気持ちが治療者によって受容されていると感じ、エドガー・シャインのパーソナライゼーションへと至ることができるだろう。続くレベル3ではクライアントのエナクトメントの解消を行うことができるだろう。エナクトメントとはクライアントの抑圧された感情が治療者の中に体現されることを指すが、私はエナクトメントをクライアントの身体化されたリビドー(性的欲求)であると定式化したい。しかしそもそもリビドーとは何であろうか?添付した資料の「ライフ・オブ・ラインズとライフ・オブ・ラインズの欠乏としてのリビドー」を参照されたい。
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ライフ・オブ・ラインズ(線としての生)は人をより人間的かつ調和の取れた生へと導きマインドフルネスへと至り喜びを感じることができることが分かるだろう。それとは対照的にリビドーは感情の抑圧を促進しそれは行為に対する認識されざる条件の作用となりダブルバインド(ジレンマ)が生じ、苦しみを感じさせるのである。このようにライフ・オブ・ラインズとリビドーは対照的な結果を生じさせるわけだが、リビドーはライフ・オブ・ラインズの欠乏状態を生じさせるエレメントとして定式化できるだろう。このライフ・オブ・ラインズの欠乏��してのリビドーは抑圧と視野狭窄(認知行動療法においてなじみ深いと感じる方もいるかもしれない)を生じさせ、将来に対する不安や過去に対する悲しみ、現在に対する怒りに悩まされやすくなると同時に慢性的に不安、悲しみ、怒りを抱えた状態へと導くのである。このような欠乏による現象をセンディル・ムッライナタンらはトンネリング税と呼んだ。(トンネリング税の具体例;貧困はお金の欠乏であり、お金の欠乏は貧困に関する視野狭窄を引き起こし、頻繁に貧困について悩ませられるようになる)さて、この身体化されたリビドーとしてのエナクトメントの解消のためには信頼関係の維持と治療者によるマインドフルネスとメンタライジングが必要となるだろう。前述したエドガー・シャインのプロセスコンサルテーションには謙虚に問いかけるという技法があり、この技法を駆使してクライアントの気持ちに寄り添いかつクライアントの気持ちを正確に把握することが可能となるあろう。この謙虚に問いかけるには以下の4つの問いかけが存在する。診断的な問いかけ、対決的な問いかけ、プロセス指向的な問いかけ、謙虚な問いかけである。これら4つの問いかけを駆使してエナクトメントを感じ取ることができるのである。だが、エナクトメントを感じ取り、解消させるための技法であるマインドフルネス(エナクトメントへの気づき)とメンタライジング(エナクトメントに対する反省と内省)をいかにして治療者は会得することができるのだろうか?私なりに試行錯誤した結果、「デヴィッド・ローム」著書「マインドフル・フォーカシング:身体は答えを知っている」を熟読しながら、マインドフル・フォーカシングを実践することでマインドフルネスとメンタライジングを修得することができるのではないかという結論に至った。修得には一年以上要するかもしれないが得るものは多いと感じている。最後のレベル4では道徳的人生の変容によるリビドーのメタノイア(リビドーからライフ・オブ・ラインズへの転換)が達成される。アーサー・クラインマンによると道徳的人生の道徳とは倫理を意味する狭義の道徳ではなく、われわれ個々にとって真にかけがえのないものを追求するという意味での広義の道徳であると理解してほしい。クライアントはリビドーが主たる原因の精神疾患である「病い」が生むドミナントストーリーに苦しんでいるのである。このドミナントストーリーによってクライアントの道徳的人生は大きく歪められ、それが苦しみを生むという悪循環に陥っているのである。このレベル4では個々のエナクトメントの背後にある道徳的人生を変容させることでリビドーをメタノイアさせることができるのである。そのためにはエナクトメントの解消と並行してマイケル・ホワイトによるナラティブセラピーを行うことが肝要となるだろう。つまり、個々のエナクトメントの解消を行いつつ、エナクトメントの背後にある道徳的人生を変容させ、これまでクライアントの心の中で支配的だったドミナントストーリーをオルタナティブストーリーへと変容させることが求められているのである。このナラティブセラピーは以下の6つの技法から構成されている。外在化する会話、再著述する会話、リ・メンバリングする会話。、定義的祝祭、ユニークな結果を際立たせる会話、足場作りの会話である。外在化する会話ではエナクトメントの背後にある問題をクライアントのアイデンティティーから切り離して客観化する技法である。再著述する会話では問題の語り直しを行うことでクライアントは問題に対する新たな洞察が可能となるのである。リ・メンバリングする会話ではクライアントの人生において重要かつ影響力を持つ人々を明らかにし、クライアントのアイデンティティーが独立したものではなく、多くの人の影響下にあることをクライアントに気づかせ、クライアントにとって害をもたらす人の影響を減じさせ、良い影響をもたらす人の影響を増やすように働きかけることを目的としている。定義的祝祭とは言わば当事者研究である。ユニークな結果を際立たせる会話ではドミナントストーリーに従属しておらず偶発的かつオルタナティブストーリーへと導く端緒となる出来事についてクライアントに語るように促すことが目的である。足場作りの会話ではクライアントは治療者の助けを借りながらドミナントストーリーをオルタ
ナティブストーリーへと変容させることで、クライアントが成長するように働きかけることを主眼としている。
 以上が私の提唱するミクロ精神医学のプロセスである。本書を通じて治療者がクライアントによって意義深い面談を行えるよう願ってやまない。
参考文献
「エドガー・シャイン」 「謙虚なコンサルティングークライアントにとって「本当の支援」とは何か」
「クリスティン・ネフ」 「セルフ・コンパッションーあるがままの自分を受け入れる」
「ティム・インゴルド」 「ライフ・オブ・ラインズー線の生態人類学」
「センディル・ムッライナタン」 「いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学」
「デヴィッド・ローム」 「マインドフル・フォーカシング:身体は答えを知っている」
「アーサー・クラインマン」 「ケアすることの意味:病む人とともに在ることの心理学と医療人類学」
「マイケル・ホワイト」 「ナラティブ実践地図」
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nullak · 6 months
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下書き
未送信ポスト
予約済み
身体的特徴や病気を揶揄しそうになったら子鬼化しかけることでなんらかを…
テセウスの胸、ヤバすぎる 逆おっぱいアーマーじゃん 狂うよ気が
男さんはツイッターが出会い系にされるのは嫌だ〜みたいな謎アピールーしていてる横で望み薄と思いながらもオタ恋みたいのに一縷の望みを託すグループだってあるわけじゃないですか
バイ寄りの宗教的ホモフォビアかつ自殺志願者だったので、純文は三島由紀夫と太宰を少々くらいしか逆に読んでない(別にそんなに読み込まなくても一人でヘラれるくらい素でメンヘラなので、逆にメンヘラ文化への造形は深くないし、ごく近年のナヨい偽ヘラを醜悪な紛い物と見做している)
『侮蔑語であるから差別ではない』『変えられる属性だから差別ではない』『何が差別なのかわかる/考えられるなら[侮蔑存在]にはならない』というのは全く偽だとは思う(ネトウヨではないしそうだったことはないが、今TERFはそういう存在として捉えられがち)
元々人間がやんわり嫌いだったけど、初音ミクで精通してしまったことによって非実在人間まで嫌いになってしまい、無意味にやたら自分を追い込み続けていたというのがどうやら真相だったことが判明しつつあるが、アホすぎないか?
道徳価値と宗教価値みたいなことを考えたいなら素人があれするより研究家があれしているやつを読むわよ!
「真に中立的で正しい立場」みたいなのにあんまり興味なくて、というか、あまりにもバカバカしい馬鹿にコケにされても別に構わないくらい信仰のほうが大切だな、というのをやられてみて初めて理解できたからそういう形になってしまったという向きも足るといえばあり
医者は実際楽でも安定してもないとは思うが、コメディカルの下働きならまあまあ安定はしているかもしれない 奇妙に安定していることを申し訳なく常々思っているが…
愛について語るべく色々なことを無我夢中に並べたところ、色々なことをよく考えていてえらいと言われた(たぶんかわいい)
暗黒街の非道幹部だった頃に花売りの少女の身体を奪った罪を背負い続けるセージさん
職場交流、「阿波踊りは無理です…就業後集って練習とか…」で辞退して以降特に発生してない(そろそろアフターコロナの向きがこっちにも来ると飲み会位はあるのかしら)
のあ先輩まだ初回しか読んでないけど、ケータイのメアド押し付けられたことあったけど情緒が存在してなかったのでガン無視していたし、相手も狂っていたのでその件は特に触れないでガンガン話しかけてきた同級生のこと思い出した
のあ先輩みたいな動きをしてくる5,6歳下のフォロワー、サブカルでもあったのでホームレスの寝床で初性交するサブカルSM漫画などを勧めて来るので(本当にどうしてほしいの…?)とめちゃくちゃ心労していたし、「男女の友達だった頃が一番楽しかった」とかいう捨て台詞を吐いてブロックして去っていく
クレアノーズ姉とルスクォミーズ姉の確執から怒濤〜と思っていたけど、現在進行でもガンガン怒涛の展開が巻き起こりすぎ
科学的にやれば左翼になる、という説明には生物系・医療系で生きている人間としては全く賛同できないんだけど…(生物学においては二性しか存在しないものを人間だけ例外にして第三以降諸々の性が存在していることにしていることとか…)
オッペンハイマー主題歌、『我は死神、世界の破壊者なり』をうまい感じに入れてほしい(いつまでも公開されない感じなの、不穏〜とは思っている)
好きなフォロワーが何処で異性と乳繰り合ってようが俺と会ってくれないなら関係ないな、という感じでガン無視していたがそれは嫉妬を煽ろうとしての行為で、それに気が付かないでいるうちに愛想を尽かされて振られたという構図に3ヶ月後くらいに気がつくこととなる のあ先輩はそういう喜劇なんだって
エルフ、万年発情期の人間のオスを軽蔑しているかオークにお縄にされているかのどちらか、みたいなイメージはある(指輪物語だとちゃんと誇り高い森の賢者をやっているだろ…!)(いずれにせよ恋愛と生殖に興味がなくて絶滅寸前でもあまり驚くことではないような気がする)
皆さんにはのあ先輩みたいな女が5,6歳下で、しききりにガチャキャラの露出とかサドマゾとかLOについての話題を振ってくる状況を上手く捌けるかについて考えておいてほしい
嫌いな人にこそ同族嫌悪が出るんだよなみたいな話をすると、キリエライトさんとかはかなり嫌いな方で、あのキャラが文句なしの大人気キャラとみなされるのがオタクの皆さんと反りが合��ないなあって…
あのプトレマイオスの門(バーティミアス)でお馴染みのプトレマイオスさん(知らないけど…多分ソロモン並の古代の知恵者なんでしょう)
子供が持てなかった自分達に突然息子ができる物語、アブラム(アブラハム)
タワマンママ友バトルロワイヤル
性的嗜好はバイである可能性が高いことを昨今検討するようになっているのだが、シスジェンダーとしての内面を強く持っているし「自分の性的指向を開陳しないことは抑圧への譲歩として非難されるべき」とか抜かすアライ気取りの三流左翼を筆舌に尽くしがたいほど憎む気持ちはある
食の好みを異様に押し付け合う風潮のことが凄く嫌いなのは、父親が母親に無理やり納豆を食べさせたら吐いたという話をなんかずっと自慢気にしているから(行為として異常なのを置くとしても、絆を象徴するエピソードとして自慢気に語るのはだいぶおかしいやん)
「魔族は人間のことを食料としか思っていない」的話題でいうと、水族館で生きて泳いでいる魚を見ながら美味しそうとか宣う人間全員サイコパスだと思っていた(調理済みの料理が美味しそうなのであって、生きて泳いでいる魚から食欲はそそられないし、水族館より料理店の生け簀に親しみがある)
圧倒的覇権韓国ソシャゲであるブルアカコラボが話題を攫っている中、リンバスは自社コラボで寡黙なデカい男であるところのムルソーがすごい性的視線を向けられてすごいことになっていますからね(気が狂うよ)
けど「いつか故郷の花とか…見せたい…」とかほにゃほにゃいう距離感のヒンメルより「五十年後にはもっといい流星群観察スポットを教えてあげるよ」とやたら具体的な計画を口に出して律儀に実行したフリーレンさんのほうが律儀だろ くっつきたいなら手の打ちようあったやろがい
美少女オタクゲーが普通に苦手なことについて露悪的に表現すれば、美貌や年齢といった性的魅力を活かして異性に対して優位に経とうとする下���な女が嫌いだからだな
スポーツを政治の話題だと捉えていたから、のあ先輩みたいな年下の女が【球場で女と女が飯を食う漫画】をやたら推しているのを怪訝な目で見ていたら全てが終わっていたんだよね
のあ先輩みたいな女、最終的に男がセクハラ手コキされる漫画を貼りながら男性器が勃起するのが悪いみたいな体で被害者みたいな言外メッセージを放ってくるようになったあと、ブロックしてくる
奇人のコミュニケーション、多分本人に自覚がないのではなく、かなりおかしいとは思うが自分はギリギリ正気を保っているという自負が何かをおかしくさせるうちに致命的な破滅が引き起こされるのだと思う
あのあと「自分も親の買ってきた天声人語の書き写しやってて〜」とかで答えてたのでやっぱり病人と病人のどつきあいだった気がしてきた
別のフォロワーだと(今でも月1くらいで浮上してツイステを褒めるか非難する)、「友情と恋情の違いってなんなの?」と聞いたら「知らないけど別々の名前が付いてるので別の概念だと思ってた」と言われたことある(友達見込みの男から性欲が出てきたので切ったりはするらしい)
のあ先輩みたいな歳下の女と「今日はマスクの箱の説明文を複写していました」「…なんでですか?」「なんででしょうね…」という通話をしたことがある(病人と病人のどつきあいだろ)
ブルアカ・視点人物・性別、女生徒が男教師に剥き出しの性欲で突っ込んできてるとしたら、直截に恐怖がすごく逃げ出したくなるので、同性故の安心感で寄りかかっていることにしてほしい(fgoも割とそうだった、【異性だから怖い/同性だと安心】の価値観を反転させるとなぜか収まりが良くなる現象)
趣味や仕事の選考、可処分時間の裁量、資金力や生活水準、家族仲、自己を構成するあらゆるものの中で自分の意志で選べぶもんなんかだいぶねーやんね
摂食嗜好も性的嗜好も外観選考も全部、宗教・政治・文化等の影響を受けた何らかの判断であることを絶対に避けようないやんけ
完全にすべてを思い出してきたけど、元々政治的発言とか考えとか、本当に一切したくないから貴族主義で選良に支配権を譲渡したい、というのが自分の本音だし、だからこその倫理や規範に対して攻撃的なまでに遵守して振る舞おうとするんだよな
イスラーム、自分からの距離が異質すぎて政治思想で左右分けした時にどちらになるのかあまり納得の行く説明が思いつかず、仏議会からの左右の定義の延長でやれば耶蘇教保守とは逆行するから左翼、と言われれば一応の納得はできる、しかし習慣や慣習を重視する思想は右だとも思うけども…
うおお寝所と職場を行き来するだけで精一杯でそのことを疑問に思う暇もない生活!になってきた(全然定時で上がれるし給金は十分だし自宅待機とはいえ土日も休めてるので言うほどの不満も特になし)
インディーズののあ先輩が仕事ができなかったり心愛さんが台本を書けなかったりするのを思うと、コハルちゃんが補習部なのは恩情なのかもしれない
スイカゲーム、職場のブラウザでまでやってる人がいるのでそれはそれは面白いのかもしれない(そこまでではなくない…?)
おおインターネット インターネット 広大なる虚無の海よ
インターネットの無限の創造性の前には小手先の設定など無力…
同性婚について考えてるとき、【素人で反対側】という自分の立ち位置は自覚しながら裁判所の判例やらWEBの国会図書館資料でみれるものを参照してこういう理屈があんのねとチェックしてるし、固く意見を持ちたいなら賛成派もイデオロギーや党派性に依らずそういうことをすべきだとは思う
和ファンタジーも中華ファンタジーも全然わからんな…と思いながら(結界師とかはまあちょっとはアニメやってんの見てたわね)
要素としてのオタクは誰でも持っているからこそ、オタクという存在の本質をどこに見るかで人が争うのであり、ある人は単にフィクションを受容することを指し、ある人は特にきしょいフィクションへの対応をさしてそういう、というような状況がある
愛、生きてるうちにはなんかどうにかしたいですみたいな感じになってきたな 万事それにしてたら全部詰んでしまうんじゃない…?
愛のことが普通に恥ずかしくなってきたけどそのうちなんとかなるといいなくらいになってきた なんとかなるわけないけど普通に恥ずかしい 恥ずかしくないわけがないだろ愛が
(でも一人も出ないってこともないだろ、社会的構築物としてのジェンダーと思い込み以外の、男女の差異を見込むことは妥当だろ)
女流棋士や女子奨励会生の存在から「男しか将棋を好きになったり強くなりたいと思ったりしない」というのは明確に誤りの主張だろ…と思って検索したら23年1月現在の女子奨励会生の人数は2人らしい
ゾルトラークはなんか…そういう方法で魔法を編めば(?)そこそこの魔術の性能があれば誰でもできるから対策されやすい(それでも80年かかる?)らしいけど、80年かかるんだから即時でコピーと対策されるわけじゃないだろみたいなところで話のややこしさを捏ねくり回してバトルに…(やめろやめろ!)
生活や食事や野球に関する話題を念入りに避けつつ、政治や宗教、信仰、希望、愛について一方的にまくし立て続ける奇人変人
けど短歌のオタクは性欲塗れでキショいはなんか共通見解になってそうな感じあるよ(短歌は短いので流行寿命のサイクルが早いよ)
友情と恋情の違いに惑い続ける
『怒りによる殺しに寄りかかろうとした木偶』、「敵意に、縋り付きましたね?」なのかな(『あの色無し』をあなたの大切な恩人呼ばわりできるようになったの、左腕になれた故の余裕)
栗の香の匂いならエロ小説読んでるとよくでてくるよね(金木犀の匂いとまるで関連のないツイート)
プレイヤーに媚びてくる女が嫌いなのでキリエライトさんはかなり嫌いだしブルアカのキャラは大体嫌い なんで美少女ゲームやろうとするんだよ(皆さんがやってらっしゃるから…話題についていきたいのか…?)
キキとララが月と同等のサイズだということは知っている(サンリオ最強キャラ激論ツイートでトピックになる系の話題なので)
「ディオに唇を奪われたエレナに泥水で口をすすいでほしいと思うのは、ジャンプ主要読者層である青少年男児の残酷な欲望の投影なんだょ…?」と言われると否定も肯定も難しくない?(どういう問いたて?)
アオイナンカイブ
史的イエスもパウロも原始教会もどうでも良くない?啓示と教会と聖典、全部理念上でも別に…
自分に媚びてくる女がマジで嫌い、もっというとコミュニケーションのうちに何らかの要求をしてくる人が嫌い
鵺のなんとか三女…
アニメで知ったようことを喋ってると本当にろくなことになりませんよ
世界が不安であるという気持ちと、もし世界が本当にこんな感じであるなら悪い近代国家が最強ってことにならない?→もしかして本当にそうなのか…? みたいな感じ
人間の三次元写真が根源的恐怖を呼び起こすので(着衣している方がよく考えたらさらに怖い)、あまり興味がない対象であれば問答無用でブロックしているが、R18漫画家が自分の作品に対してこのような対応な対応をされることがあるのであれば、悲しいという話をしており、どこかしこでぶつかり合うのだ
自分に理解できない価値のために躍起になっている集団の中で居させられるの、困惑する
人間の顔の形、本当によくわからない、それほど重要な差異があるものか理解できないし、本当のところ美的基準についてもかなり曖昧であるような気がしてきた(それでも自分のものが良くない方のものであろうことは理解できる)
あなたには適切に与えられていて、全てはつつがなく運営されている。市民は幸福です。今日も一日ご安全に。ありがとうございます。
西側秩序、大人気
愛と奉仕の時代、と書こうとしたら(インターネットだとメイドとかの系列のほうが強くなるよな…)と思い直すなどの一悶着があった
好きな人に嫌われたくないという気持ちが強くなってきたな
フリーレン、アニメを見てから答え合わせで漫画を見るとアニメのほうがだいぶ面白い!になる度合いがびっくりするくらいすごいのがすごい(漫画作画を貶したいわけではなくとも、それでも…)
聞き込みシーン・世紀末半裸パンクもすき
ダーウィンもなかなかいい加減な若者で、別に進化の法則をダーウィンが発見しなければならなかったという意味での必然性は特になかったと思う(でもダーウィンが発見しちゃったんだよなぁっていうのが積み重なりながら万物は流転する)
生物学も西側国際秩序もアリストテレスやキリスト教の文化の影響下にあるのだから、(一旦は、建前としても)キリスト教理解を根本において世界を理解しようというのは全く正道だと思っていたが、ある意味だと全然その通りだったし、その上で世界はテキストじゃないから理不尽や不合理があるんすよね
なんでヘタリアはありということになっているのだろうと思っていたが、意外となんでとかそういう事情だったわけではなく川が流れていただけだったらしい
出会って四光年、自分の感覚ではこういう一発芸って文芸というよりカラクリ細工のジャンルであって況してやSFでは別になくない…?よくできてるけど… だったので識者にSF認定されてるらしいの驚いたぜ
我がコミュ障になった理由の3割くらいが特撮などに影響されて変な一人称だったのが恥ずかしかったからだとされている(なぜ恥ずかしいような一人称を採択してそれを使うことを己に課す…?→子供はバカだから…?)
出不精だけど誰かに引きずり出されるのは嫌じゃないけどガチの出不精は人付き合いを無くしてしまいこっちからも誘いを行えない(自分はつまらなくてもいいけど相手につまらなくさせるのは気の毒だから)のでなんかどうしていいのかわからなくなる、のを仕組みで解決してほしい(ワガママ)
別に酔わないわけじゃないけど悪酔いはしたくないし悪酔いで痴態を晒すのだってヤだから自分は節度を気にしているが、ポワポワグラグラすること自体は好きだし学生飲みのときもそうだったしまーそういうのもあんまし参加しなかったから色々行ったわけではないのだが、行ったら楽しんでたんだよな
現職にはコロナのこともあって飲み会という文化はさっぱりないのだが、工場の時には少し歓迎会のようなものには出て、それはまあ楽しかった(自分からは会話に参加?とかはしなくても無礼講で騒いでらっしゃる皆さまを眺めること自体は好きなので)
「最近デパスの在庫の減りがやたら早いよね」という会話が会議でなされており、インターネットミームのせいでは…という連想が脳内を駆け巡ったが、インターネットミームに関する知識にやたら長じていることを開示するのは得策ではないので耐えた、という一幕があった
この仲でセックスしてないわけがない そういうつまらない断定がいくらのものを奪ってきたのかってのを言いたいわけ
(全てにおいて浅瀬でしかない立場から喋るとして)ヨアソビ先生へのファンとしては【メンヘラ系ボカロの系譜でやった人がポップなフィールドでやっとる様子が、嬉しい】みたいな感触で、売れとる様子に対しては【大衆に合わせられるのも技巧のうちなんじゃよ…】な後方彼氏面、ということになる
我が父、聖餐式で咀嚼音を立てているので毎度強いなと思っていた(けど聖餐式で使うパン、まあまあ音が鳴りそうな怪しさは出ている)(我は未洗礼なので食ったことない)(入れ歯がズレてきて怪しいとか、色々な不幸が重なっているときもある)
フィギュアはんだごての人が【フィギュアを壊すのって勿体なくないですか?】という質問に対して「『こんな高級なお肉食べられないな〜』って言いながらも食べちゃう感じですね」みたいな返答をしていたのが、心に残っている
『殺し合いをスポーツ観戦のように眺めるのは良くない』のであれば『スポーツ観戦を眺めるのは良くない』も別に導いといて不都合も不合理もないと思うのだが、オリンピックや野球を自分がするわけでもないのに訳知り顔で語ろうとするものは後を絶たなかった
テーブルゲームってむしろ物(金)を賭けないと盤外空気読みのスキルが物を言うのでただの現実の交渉能力みたいになっていくイメージ
ダンジョン飯くらい気軽に蘇る感覚遮断落とし穴を世界に刻み込んだ原作のエロ同人(感覚遮断落とし穴、触手は一般性癖のうちなのか…?が一番気にかかるけどXでそんなこと気にかけていてもしゃーないね)
カルロ・ゼン先生はテロール先生までは別にどうでもいいけど、売国機関で悪意王国工作員を刹那的修道女、共和国の重鎮を二児の母みたいなアレで描き始めた時とか、下ネタや恋と戦争は正当化とかがキャラ商売の現エンタメ情勢では変なことになる気がした
「○○という選択肢をライフプランに組み込んでなかった」式のつぶやきに対する違和感は、実はライフプランという考え方の枠組みを徹底的に嫌悪していたからかもしれない、定命者が今見えている浅い考えや欲望のもとで計画なんざ仮組しても砂上の楼閣にしかならないだろという傲慢に対する嫌悪
鬱で限界になった時にそういうのに本当に嫌気が差しているのに絶えられなくなった、というカバーストーリーを用意するのもいいだろう
蟹が(夢占いで言うところの)母性の象徴で三島由紀夫が嫌っていたという話題が、なぜかやたらと流れてくる(そんなに流れてくるような話題じゃなくない…?)
この音楽を学校で教えるの反社会的だろみたいな話、言い出したら全部そんなもんかもしれんという気持ちはある(好きだったナオンとの距離感がなんかへんになったくらいで恋愛ソングばっか聞いてニチャニチャしてたら完全に愛想つかされて縁切られたみたいのどの年齢になってもありうるだろ、とか?)
初音ミク胸を盛るな論には参加したくねえなと思っていたのに肌が焦げめで太腿を爆盛したレースミクにだいぶネガティブな感情を引き起こされた回…(イアテムの投影呪術で気持ちよくなってる場合ではないだろ)
酒・無知・口説き・無邪気・運 などをいい感じに配合してなんか気楽に暮らしている人間、ズルくないか…? みたいな怒りがないといえば嘘になるね そういう嘘で誤魔化し誤魔化し繰り返すのを成熟と呼ぶのかもしれないが
マッチングアプリ、とりあえず四国関西圏で…でやったら高知の左端の人間とマッチングし、四国の対角線と対角線でなんとかなるようなことがあるかよという気持ちになったのでやめた(永遠にアイカツの話を振るなど、断らせるための理由を作らせるコツとかがわかったが、カス)
俺がXに流れてくる実写女性画像を憎んでいる理由→好きだった異性のフォロワーがあまりにも美人すぎてキョドっているうちに最悪の人間だと判断されてアカウントを抹消されたから
人間が自分のために身なりを整えてくれるという概念に耐えられなかったから初音ミクの髪色を見せられた時にどうしょうもない拒否反応が出て全てが破綻したんだよね
小児性愛者に対する人権侵害、前科者に対する就職制限どうのこうのの話題のほうがよほど重要だと思うけど、ネットの善人どもは犯罪前科者に対しては恐ろしいほど冷淡だから不思議なことだとは思わない(予備軍に対しても過剰防衛すぎるとは思うが、それとすら比べようがないほど前科者に非情)
30歳まで半年切ったとかそこら辺くらいで悟った気にでもならないとやってられないほど追い詰められているにゃるら先生、という見方もしようと思えばできる まあインターネットアンダーグラウンドヤク中の時点で文脈だいぶキツイよ
エクソシストが堕とせないという漫画のエクソシストが墜ちそうになっていると、面白い(わろてる場合か?)
近代ってあんまり宗教でてこなくてつまらなかったから…
自我が薄かった子供の頃にウケ狙いでよく考えずに行動したら迷惑をかけてしまい反省した、という思い出はあった(本当に自我が薄い!)
美人だって美人すぎると美人すぎて見分けがつかない(テレビにデルような芸能人に対してだいたいそのような印象を抱く)ので似た顔の人間が似た顔なので見分けが付けづらいというのは近縁種の花の見分けがつかないようなものだろ
ロベスピエールといえばイメージの殆どがあの童貞野郎でお馴染みの獅子の時代になってしまうが、獅子の時代を読んだことがないのは、どちらかというとまずいのではないか、とは思ってはいる(イノサンにも画面の��には写っていた)
【トリビアの泉】昼という漢字を丸で囲み触覚をつけると仮面ライダーっぽくなる。
ブルアカのキャラの性欲が怖い!!!
ワンクッション置く工夫
やっぱりほのおみずくさは近年作品の御三家から出るんやね…みたいなところにも性格の悪いオタクならネチネチ言えそうだとかも思った!(陰険って言ってるやつが一番陰険なんやぞ論法)
言わぬは花 君はその種子
顔がいいせいでまともに取り合ってもらえず何でも適当な話ばかりさせられてきた人というのも、その人なりの苦労を背負っているものなのだろう
どいつもこいつも胸がデカいな…でやや嫌になってトラロックさん以外顔しか見えないようにしているね
文学みたいな顔 fgoの都会デビューした文系の大学生みたいな顔の美女は好きなんだよなということを思ったけど、好きなのとなんかそれに傾向と奇妙さがあることを愛着を込めてバカにする言説は両立するんじゃない?しないの?
英文学だとミルトンの失楽園が永久に擦られ続けているとかいう話、本当なのか…?感
フリーレン世界の植生がどうこう言っているオタクにも輝くチャンスが…
【低賃金労働者としての移民受入れに賛成する人は《労働者の賃上げには反対》というのが筋】ですよね、【受け入れた移民を低賃金労働者として酷使  して、労働価値をデフレに引き止めよう】ということなのだから、という話に、確かにそうですねと思った
チェンソーマン二部もここから愛の悪魔と責任の悪魔がでてきて大盛り上がりするかもしれないし(磔刑クァンシの絵面とか、最近の展開ふつうにすき)
一ヶ月前に流行り病ってたヘルプでお越しになられることのあるセンパイ、まだ咳き込んだりしていたけど後遺症ってやつなのか?(いつになったら治るの…?)
本当の弱者バトルとかマジでどうでもいいけど、工場労働と一次産業と日本の飲食産業が大量のゴミを前提とした構造であることが許せないという気持ちはまあずっと持っているよ(資本主義でゴミの量にこだわることなんか【合理的じゃないよ(笑)】とかおっしゃりたいのかもしれませんがね)
運動家であればただそれだけである程度以上に敬意が払われるべきだし、そういう意味では、本当に唾棄されるべき主張と方法でしかない空白の人でも、ただ運動家であるという意味での尊敬だけは与えなければならない、これは、単に原則論としてそうすべきであるという論理上の拘りでしかないとしても
「なんかどっかで恋愛の末性経験してるので交際突入及び性交はええ感じにリードしてくれるが、真実の恋愛は経験してないのでなんか自分とやたらドギマギしてくれる」
こういう存在を恋愛相手に要求する無意識があるが、理想高すぎというか無茶なので冷静に考えてどうしたいんだよになりがち
處女にすごく価値がありそうなのがオタク誇張表現で、童貞を憎み恥じるのと同じくらい嫌っていたりどうでも良かったりするし、性交の有無を問題にふるならむしろ上手くてリードとかやってもらえりゃ万々歳とすら思う人もいるが、ここを意味不明に誤魔化しているため関係者全損が発生している
中道右派から極左になるかも、という変動はGPTでありえなくもなく揺れ動いたのだが、偶像の破壊ということに正義を見出してしまうところ、芸術とか形の遺るものが結局は幻影であるという信念に関しては譲ることができない考えなのだなあってね そして自然や地球環境が優越する価値だという確信
フィギュアをはんだごてで引き裂いていた頃からずっと疑問だったけれど、イコノクラスムに共感するし、タリバーンがバーミヤンの遺跡にやったことは蛮行ではなく正義の実行にしかやはり自分には思えないね、というのは絶対に変わらない信念なんだろうなと思う
フィギュア収集癖みたいなタイプのオタク性についてなにか共感したり逆に異常に反発したりするかもとか思わなくもなかったんですが、まあ普通 自分がそういう目覚め方にも別に向いてないんだろうなとも思う
何もわかってないくせに知ったような顔で語るだけで地上はこんなにも醜い場所に…
本物の女は「あたしってずっと一人なのかなぁ…」のようなわかりやすいことは聞いてこず、「貧乳が好きっつってくる男って世辞かロリコンしかおらんだろ」みたいな、本当にどう答えても爆発やんけみたいな地雷球ばかり投げてくる
本物の女というものは、自分は髪の毛を初音ミクみたいな色にしながらこっちにはお前は黒髪乙女と結婚しろみたいなことを言ってくるからね(誰だよ)(てめえも送ってきた写真のときは髪黒かったやんけ)
ナチスがいいことをしたのかに決着がついていても、二十一世紀日本の漁場管理、工場畜産、外国人技能実習生がいいことだったのかは200年300年経たないとわからないというのが歴史学なのでは
『火と煙がある』『象が暴れている』『悲劇の上演』などの存在や記述自体が何らかの価値判断を含み規制されるべきとは考えないのに『集団扇動技術』であれば存在・思考・反論自体が道徳問題・規制されるべき、と考えることは、奇妙ではないのか?
「陰謀論者にならないただ一つの方法は全ての現実をありのまま且つ正しく把握し続けること、それだけです…」みたいなことになってもそれはそれで無理なんだよな(いまだかつてそんな人間は賢者の中にも居なかっただろうに、いきなり全インターネット人をネオ賢者へ覚醒させろと…?)
しかるねこ ケモナー 性的視線 オタクチェンバーによる性欲称賛 手塚治虫ケモナー説の検証
人一人が環境チートデイみたいな真似をして一日自家用車で爆走しようがかわいらしいモータルの抵抗という風情しかないが、ウナギ絶滅を食べて応援みたいな冷笑露悪には真面目に怒ってしまうところがある(ダイレクトに種への危害を企図主張するもののほうが嫌)
膝枕シチュエーション、何…耳掻き、何…ということを思っていたが、ユディを膝枕して耳かきするカーイン予定だった幼馴染がいたとすればそれは素敵かもしれない…みたいなことを思っていた(現カーインは仕方のないやつだね)
離婚歴があり精神薄弱のために通院しているらしい、やたら懐いてくるぬいぐるみを大切にしている独身男性にフィギュアはんだごてブログを読ませてあげたら、やたら気味悪がられた上に職場の誰かと勘違いされて「コレで許してください」といいながらnoteに十万円振り込まれたことはある
野生生物から倫理や常識を演繹しようとすることの如何に愚かしいことか
【野生生物はレイプを行うからレイプは仕方がない】、という文章はどう考えても狂っているのにレイプを同性間性交に置き換えると仕方がないですら侮辱的で、【野生動物も同性間性交を行うことから分かる通り、同性間性交は《自然》な行為なのである】みたいなまるでおかしいことを人は思ってしまう
ペレケテンヌル諸々への信仰心が厚い確率ギャンブラー、ややカヴァエル要素でぽわんとした気持ちになる
タイプ相性を受け攻めの固定として評価しているカップリングのオタクがいて笑ってしまった、別にリバありでもいいだろ…(ない方がいい島に住みたい人なんだろ!)
社会運動家とNPOの運営と工場労働者、一次産業労働者に敬意を払わない人間は滅んでほしいみたいな話を始めると最終的に(ていうか知り合いが畑とか持ってないから都会の人は傲慢になるんでしょ)みたいなことにムカつきだして地方VS都市の構図を俺の脳が召喚してしまい、終わる(やめろやめろ!)
"あらゆる詩人は「遅れてきた詩人」であり、先行者の影響の不安に晒されているのである。その影響の不安を乗り越えるためには、強く誤読することによって、その影響を批評的に打ち崩してゆく必要がある。そうでなければオリジナリティを獲得することができないだろう"
祈りが陰謀論を作るとか言われるとそんなん信じようともしてない自我を信心の根本に置こうとする近代社会の病理だろ みたいな気持ちになるわね
漁業資源で右往左往する大衆、本当に感じるから止めてほしい やはり人間は愚か…
交尾時に メスの性器を 破壊する(上の句)
『一夫多妻制さえ成立すれば、第二夫人でいいからあの人と結ばれることができるのに…』の情念に突き動かされてSNSで一夫多妻制賛成言説をもり立てようとしている人がいるなら、それは尊いことだとは思う(ポリアモリーやハーレムは実際色々キツそうだし、そういう人あまりいなさそうだと思う)
単純に友達がおらず、孤独なだけなのだが、インターネットで「友達がおらず、孤独だ」と発言したところでどれだけ信じてもらえるかとか、よくわからない距離感の人に距離を作ってしまわないかみたいなところで戸惑うことになるのだ
我が母がバレンタインをキリスト教に由来する行事だとも認識していなかった回、本当に好きすぎる(聖ウァレンティヌスがどうこう言っていた探偵漫画のキャラクターよりもアホでかわいいと思うよ)
実際反ウォークと現実主義は欧米でも俺の生きているうちに始まると思うけどアニメで湯だった日本人大衆の知性が現実に追いついて回せるのかは心配になってきたよ
この国では理性的存在者であるキリスト教徒や懐疑論者、科学主義者はマイノリティでノンポリや偶像崇拝者が大衆として主導権を握っていることは認識した方がいいしヤバいんだとは思う(自分の生きているうちの日本大衆の知的成熟の最盛期はテン年代だったという結果、割りと出そうな気がしてきた)
『左派ヒューマニスト(宗教、特に一神教原理主義に熱心に反対)』みたいな人物が何を基盤においてヒューマニズム(人道主義)を主張しているのかは気になる(人道主義は置くくせに人命・最優先の種差別の指摘に対しては『出たよキリスト教左派の潔癖症が』みたいな嘲笑の視線を向けがちだし)
別に疑似恋愛とかなんとかでもなく日常的に好きな声を好んで聞いていたら親近感が沸いてめちゃくちゃになってんねん(それはよく日常生活送れるなってくらい耐性なくない?)(現実人間は嫌いだから聞けば聞くほど嫌いになるって)(???)
異性の友達は欲しいけど恋愛イカレ女は嫌だ…俺はそれなりに恋愛イカレ男だけどイカレ男とイカレ女がくっつくの絶対ろくなことにならないから…(なんか知ってんの?)(何も知らないけど…流石に分かるじゃない…?)
「『優等男性様、私の妻を抱いてくださってありがとうございます』って言いながらきもちよーく敗北ちっちしましょうね♪」みたいなセリフ付き画像の界隈はある
毒音ミク、スプラトゥーンよりテイストなのでややアンテナが違うやつや…というテンションになったぜ(ストリートファッションは…半グレがすきじゃないのでもにょる)(半グレとヤクザの区別がつかないやつ、なんというか…ヤンキーとか見たことないのか…?)
天皇制の打倒、それより先にまず日本中に存在する野蛮で伝統的なアニミズム宗教施設を穏便に廃棄できるならあるいはという先の話で、普通の民衆が野蛮で呪術的なことを諦めるしかないのなら王制廃位も普通のやり方では無茶と考えるしかない(現実的に考えて)
キリスト教を基盤にした理性への執着等々こそがこの物質主義的世界を育んだのにアメリカや日本の愚民的大衆が我が世の春のように浮かれ騒ぐ様にムカつく気持ちは当然あるね、僻みっぽいキリギリスだのと罵られようが善人面などしてやるものか
印希の根源や不動の動者、アブラハム神聖四字、中華・原始諸民族の天概念及び太陽信仰までが理性的存在者に許しうる最低ラインで、土地神や多神教、精霊やアニミズム信仰を基幹にしたものは下位文化、のような信念はある(直感に基づく文化相対主義やらで偽善者ヅラの呑気者、許し難く怒りを感じる)
なんか微妙くらいの距離感の人と肩くんで俺たち友達だよなーッつって外しても元気に別の人にリトライ、みたいなことを平気でやれる感性、といってもその見てくれがどうだったとしても内心なんてわからねぇじゃないっすか
『君は愛されるため生まれた』が『愛されなくてもキミがいる』を倒す日がいつか来ることを信じて…
超恋愛と書いてここあと読む敗北射精音声のキャラ、その手があったか〜ってかなり感心するし、名字は雑魚神(Dlsite、永久淘汰機関)
実在人間が初音ミクの髪色にする(髪色のかつらを被る?)を目撃したら、奇妙で愉快だけどはしたないと思ってしまったの、一周回って常識改変感があまりにも強くて何度で反芻してもしみじみとした気持ちになるけど、どういう意図からそんな馬鹿馬鹿しい写真を投稿したのかは一切考えたくない
モテるやつじゃないとツラのいいやつと性交することができないの、別に自然の有り様であって差別とかであるはずもないし、性サービスに対する社会風潮のために金銭取引を手段としてそれを受けるためのハードルは男が圧倒的に低いのも男性有利である風潮だね
本当に現実的だけど割と高い値段で家庭用初音ミクやガイノイドがでてきたらどうする…?みたいなのはあるが、レンタルガイノイドみたいな風俗ができたらまあそれはいくと思う(今の風俗は…客の関係だろうと人間と金を介して関係を持つことがキモい…)
普通に考えて(哲学用語でいうところの『直感』に頼って)、友だちというかまあそれなりに親密な関係性を発展させた先として恋人とか結婚とかがあるのでは…?お見合い婚とかマッチングアプリとかなんか…そこまでして結婚?する必要があるのか…?みたいにならない…?
信仰はそれぞれとか言って軽いシンクレティズムみたいなのが一番いいホワワンを素朴に信じているうちに緩やかに道徳が死んだりこだわり強めの人間が反動とか言って極北まで走るようになってしまうんだろ、全然強くもない思想なのに相対的に変なこだわりがある人みたいに見られてしまんだろ的怒りが
俗流インターネットに流れる多神教寛容の嘘に逆張りしなかったらそもそもイコノクラスム野郎にならなくて済んだかもしれないことに沈痛な気持ちになりつつあるぜ それでもイコノクラスムへの執着を無駄だとは思いたくないけど
天体へ信仰を仮託するのは普遍性があるとしてもやはり最終的には普遍にして絶対の真理があってほしいよね な方向性から見ると太陽〜天系への信仰には普遍性があるし、道義的な発想の元として儒と耶蘇にゆるい共通性を見て、韓国は両方真面目そうに見えて羨ましい みたいな心持ち
はー下心上心
マスク先生の生殖の話題、意味不明で怖い
ゴッドマジカルパワーみたいなのが本当にあれば、まずインドこそがもっといい感じになってるだろ 人口だけ見ても分かるけど平均年齢とか寿命見てもインドやばいよ 現代にそんな数値なわけ無いだろって感じじゃん 偶像崇拝じゃあ救われるものも救われないの
正直AI対人間よりマスク対Xのほうが熱い(マスク、能力とやる気はやっぱりある人だと思うし、むしろマスクに見放されたときがここの終わりだと思うほうがまだ現実的だと思う)(最初に目をつけたカネモチがマスクだったことがマシなのかダメだったのかは、もう永遠にわからないだろうけど…)
自殺芸術、孤独に悩んでよりも心中(浄瑠璃)がかつてのメインストリームだったっぽい雰囲気があった気がする(モーリス・パンゲ)(江戸時代まで遡るの…?)
自分が美人であることにプライドのある人、美人であるという自分のカードを切って優位に立ちたいなら「俺は美人だぞ褒めろ!」ぐらいまで全部言語化しながら顔を晒したほうがいいですよ(インターネット男は不適切な相手のあからさまな外的魅力への言及はセクハラに当たると考えるため)
多少のリスクくらい男側がしょえっていうか、別にリスクじゃないし性交とか言ってる場合じゃないよ本当に、性欲なんてうっすい話だって生きてりゃわかるときが来るといいね、あの人にも
聖ウァレンティヌスが一人の実在の人物をモデルにしているかどうかが極めて曖昧でなんかアレなので(コナンの映画、京都で一葉さんと平次がニアミスしてて〜みたいな内容のやつは好きだけど幼馴染神話っぽくて…嫌っすね)(幼馴染神話をいい歳して信じてるのはダサい)
日本人、江戸時代がたまたま平和だっただけで別に戦国時代は超野蛮だし平民の出の秀吉は朝鮮出兵するしで魂は侍・神風・ヤクザの国なのになんか自分たちでは平和を愛してますみたいなツラをしているのが厚い
というか安易な多神教ageが分からんというのもあるし、島国日本はどちらかというと権力の根本にあるは暴力だろ サムライとかニンジャ、ハラキリや心中の国じゃん という発想はある
自慰しかしたくないから性交も生殖もそれを目的とした人間関係の構築も本当に気味が悪くて気持ちが悪い、性なんか抜きにし��同性との純粋な関係構築をもっと進めるべきだった、正しい勘定とはおおよそこのようなものとして構築すべきなのだろうか
「悔しオナニーこそ本物の感情。悔しオナニーだけが本物の人生」かなりコレになってきた どうでもいいけど女性って性交相手や結婚相手の性経験は本当にどういう形で経歴を積んでいてほしいんだ
まとまりがなさすぎる!
鵺の狂骨、人外の命や時の価値観のスケールが違うぜ…のいい人外感が出ているので好き それでぬら孫の狂骨のこと思い出して捲っているけどぬら孫の鵺も強キャラなのでネタ元がダブると不便というかまあヒット作なんで意識してそうなってもいるんだろうが…みたいなことを考えて
面白くないやつには発言権がない大阪、狂人の国なのか…?(発言権がないまでいうとお前の被害妄想だろという気もするが…)
目の前の女性に性欲を抱いている男性が2時間何らかの知識やユーモアを喋ることはない、そんなことはないだろ(男性蔑視甚だしく怒りを感じる)
他者への単純な思いやり、みたいな感性こそが人間らしさ…!な程度の互助感情なんて動物でも当然持てるし動物の同性愛(同性求愛)が遺伝子配列の異常だろうがなんか表れ出た結果だろうがどうでもいいけど 正義の人は…決してホモフォビア墜ちしない!の世界観、浅くて幸せな馬鹿やね
人間の思惟が生物や種としてのエゴを用意に突破できるなどと思う人、むしろ無邪気で純粋で物知らずなんだろうな、という見下しは少し持ってしまうかもしれないわね 安楽椅子探偵 いいとこのお坊ちゃん お上りさん 四苦八苦
説得的な道徳作文を書いてせんせーに褒められるくらいのことで自分の道徳性に無邪気な肯定感を抱いてケラケラ笑ってられるような間抜けであったほうが確かに生きやすかったかもしれないけどね、やっぱり間抜けだと思いながら間抜けをやってんのは正しい人生じゃないだろ
にゃるら先生がいくらセックスしようがオタク友達を作ろうが大成功で若いメンヘラネット女の人気者になろうが世界への憎しみをやめられないの、ネット越しでは想像がつかないけど大変なことだと思う(ヤンキーに母親を奪われるのと嗅覚(付随する形での味覚等)の不調がすごく孤独を煽りそうではある)
市民の権利=投票権というよくわからない話が横行していた時代(囚人が物理的な事情で投票に参加できないこともあらゆる意味で無視していたよね)(まず俺は国民投票なんか形骸化した無意味な慣習としてしか見做してないという前提で書いてる)
一切の政治的言説をすべての場で放棄しつつ市民としての一票を投じることに政治参加能力のすべてをかける、みたいなのは普通に理も通らないしアホらしいとは思う(帰化してないからという理由で理性的存在者に政治参加権利がないとみなすのがまずおかしいし)
理性ある議論とかいう未だかつてどこかで存在したのかも怪しい概念を持ち出してまで我らがSNS・Xのことを馬鹿にしないでほしい(かつて存在したそれらしいものは不文律や忖度、その他諸々の忌まわしい慣習に支配されていたことを信じて疑わない目つき)
アブラハムの対立する世界宗教として仏教〜インド哲学〜道教を置くのもわからなくもないが、要するに修行の世界を目指すわけでしょ、修行の世界を目指すのならまずはツイッターとか止めていただきたいけど
別に仕事辞めてもいいと思いながらも国家資格を頼りに就職キメたら人手不足のせいでなんか呑気でも働けるか〜みたいな働き方をさせられて、本当によくわからないよ(親を満足させるために資格前提の仕事をしてるけど、別にスーパーやコンビニバイトでも別に良かったとは思う)
アカデミックな人文研究に英語が全くできないから挑戦することもなかったせいでよくわからなくなっている俺の国語へのプライド、一体どうなってしまうんだ…
概念を尊重しろみたいな言説、つまり何がいいたいのかよくわからないことが多い(俺の気に食わないことはするなってか?)
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7wave3 · 6 months
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20231101
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「MONSTER好きに50の質問」31〜50問目まで。
答えるのがゆっくりすぎでしたが答え終わりました。
Q32:ロベルトって結局、生きていると思いますか?
 完全に亡くなったと認識していました。生きていることを匂わす部分ってあったかな?
 MONSTERでは作中意図的に人を殺したキャラクターは漏れなく死んでると思うので、ヨハンの腹心だったロベルトも漏れなく亡くなったと思ってます。
Q33:最終回について一言どうぞ。
 MONSTERを完結させてくれて有難うございます、とかそういう意図の質問じゃないと思いますが完結させてくれたことにまず感謝したいですね。あの終わり方も、読者に肩透かししてやろうとかではなく、並々ならぬ思いがあって辿り着いた展開なんだろうと思ってます。
 最終回の内容については私は考える余白があるあの終わり方を好ましいと感じてます。模範解答がないものを、漫画にしたかったという気概を感じるので・・・でも実兄は「俺はああいう終わり方は嫌いだ」とはっきり言ってましたね。それで良いんだと思います。
 両親もMONSTERを読んでますが母は「面白いけど難しかった」父は「最後のはテンマの白昼夢だったのか?」と若干釈然としていない様子だったので、答えをはっきり貰えなかったと感じる読者が多いのかもしれないなと思います。
Q34:結局、MONSTERは何だったと思いますか?
 誰か一人がモンスターなのではなく、人の悪意が人を怪物にしてしまうってことだと思っています。
 名前やアイデンティティを奪われる、善悪の判別がつかなくなる、そうなったときに人は怪物になってしまうということだと受け取りました。
Q35:MONSTERはホラーだと思いますか?サスペンスだと思いますか?
 ホラーではないと思います。ヨハンが病室で起き上がる見開きはジャンプスケアそのものだけど、人間に迫ったヒューマンサスペンスだと思います。
Q36:作中で最も印象に残った言葉を教えてください。
 キャラクターごとに好きな台詞がありますね。なので最もって難しい・・・私は一挙放送していたアニメを中途半端な回から見てハマったんですが、その回が「ペトラとシューマン」でした。
 テンマが「神様のように完璧に治せたらいいと思いながら、でもいつも患者さんを内心ガタガタ震えながら診てます」と言った台詞に掴まれ、Dr.シューマンの「大事な人はいつかいなくなるんだ」という台詞で「このアニメ全部観なきゃいけない気がする!」となったのを覚えています。
Q37:印象に残ったエピソードを教えて下さい。
 テンマの人柄がにじむ回は大体好きです。
 「老兵と少女」も好きですし、料理したり食事したりするエピソードは全部良いですね。
 図書館の寄贈セレモニーで人を撃った後震えが止まったテンマが、「自分はもう医者じゃない」と意気消沈していたところで出会い励まされるグリマーさん初登場回も好きです。
 エヴァとマルティンの回、その後のコーヒーショップでのシーンも。
 後はヨハンが言葉だけで人を追い込む具体的なやり方を見せたリヒャルトとの会話シーンとかも怖くて面白かったですね。潜在意識に入り込むの巧みすぎると思いました。
Q38:どうでも良いような些細なことだけれど、どうしても気になってしまう事はありますか?
 漫画の方になるんですが、テンマが車に轢かれてミランやベトナム人、トルコ人の方々にお世話になる「屋根の向こうまで」という回で、顔に絆創膏があったりなかったりするのが読んでいて気になりました。笑
 連載終盤は相当疲れてたと聞いたのでお疲れだったのかな?と思っています。
Q39:『もうひとつのMONSTER』は読みましたか?読んだ方は感想もどうぞ。
 かなり前になりますが読みました。時々読み返してます。テンマがヨハンを追うことに対して「どうしてそこまで��るのか?」「生き返らせたとはいえ医者の行動範疇を越えてる」という意見を見かけたことがあるんですが、彼がどういう性格と気質を持っているかが詳しく書かれていて、疑問に感じた人へのアンサーが補足されてました。
 なのでテンマファンとしては嬉しいです。陸上部だったとか、好きな曲とかが知れましたし。ただヨハンがその後どうなったかが分かるわけではないし、作者が答え合わせをしてくれると思って読むと混迷が深まるのかなと思います。
 ルンゲ警部が語る「どうして無差別殺人を起こす人間がいるのか」という解説は一読の価値ありだと思います。後この本でもラストがジャンプスケア気味なのが面白かったです。面白いですが、怖くて執拗だなと笑ってしまいました。
 でもフィクションを現実だと思わせるバランス感覚がすごいなと思います。ヴェーバーさんその後どうなってしまったのか・・・
Q40:『MONSTER解体新書』を読んだことはありますか?
 竹内規和さんという方の本なら二冊持っているんですがそれのことかな。私が持ってるものとタイトルが違うようなのでまた別の本なのかもしれませんね。
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Q41:『ダ・ヴィンチ』2002年4月号のMONSTER特集は読みましたか?
 偶然手に入れて今年読みました!
 浦沢先生のインタビューや、漫画家さん、アーティストの方の感想、後は心理学者や社会学者の方の感想も載っていました。
 ミステリー評論家がMONSTERと要素が似ている作品を紹介してくれてる特集も面白かったです。
Q42:最近、ビッグコミックオリジナルで連載の始まった『PLUTO』は読んでいますか?
 この質問が作られたのはPLUTOの連載が始まった2003年なんですね・・・20年後に質問に応えてるのヤバいですね。2023年、Netflixでアニメの配信始まっちゃってるよ。
 連載当時の2003年頃は浦沢先生を知らなかったと思います。受験勉強してた頃かもしれません。
Q43:ちなみに、MONSTER関連サイトを探してみたことはありますか?
 探して見つけても大体更新が止まっていたりしましたね・・・
 今は消えてしまったんですがMONSTERのアニメ公式サイトの作りがHTML感すごくて、初めて見た時に古き良き作りのサイト〜!と思った記憶があります。
Q44:おすすめのMONSTERサイトがありましたら、教えてください。
 今だとpixivになるのかな。pixivやTwitterでキーワード検索したら素敵なファンアートや色んな感想が読めます。
Q45:MONSTERにまつわるちょっとした自慢をお教え下さい。
 2016年の浦沢直樹展で浦沢先生がギターを弾きにいらして、その後壁にテンマを描いてくれるのを生で見たことですかね。上がりました。
 後はMONSTERのサイン色紙を譲ってもらえたことですね。大切にしています。
Q46:MONSTERを身近な人に勧めたことはありますか?出来ればその結果も教えてください。
 家族と友人に勧めました。友人二人に勧めて一人は漫画を最後まで読んでくれたんですが、感想は聞けてないままです。
 もう一人の友人は二日かけてアニメを全話観てくれて、その後感想を沢山話してくれました。本当に良い友達です。
 Twitterのスペースで最終巻だけ未読の方に勧めさせれもらったのも数に入れていいのかな。その後有意義な感想会ができたので、とてもいい思い出になっています。
Q47:「これがMONSTERのテーマソングだ!」と言える曲はありますか?
 個人的解釈で「これ!」と言えるものはないかも・・・やはりあの蓜島邦明さんのOPがテーマソングじゃないでしょうか。インスト曲ですがMONSTERが秘めるものを引き立ててくれてますよね。
 最初の方わざとリズムが乱れるのも怪物が足踏みしてるみたいで怖くて大好きです。
 後海外のAMVってネット文化が好きなんですが(アニメの映像を勝手に使用してるけど愛を感じるので・・・)その中で一番好きなのがこの動画ですね。
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Q48:MONSTERは将来映像化されるそうです。あなたが希望する映像化の方法を教えてください。
 2016年くらいにギレルモ・デル・トロ監督が「MONSTERは水面下で動いてるよ」と言ってた気がするんですが、7年経ちましたね。
 映像化の権利はハリウッドから離れて、映画ではなくドラマシリーズで制作しようという話になってるようです。MONSTERとPlutoのアニメがNetflixで配信してるので、制作されるなら資本も配信もNetflixになりそうですね。
 個人的には映画よりドラマシリーズになる方が嬉しいです。ドイツとかチェコの風景を実写で観てみたいな~
 キャストは正直想像するのが怖いです。なので映像化が決まりキャストが発表されることがあって私がネットから消えたり、何も語らなければ受け入れられなかったんだなこの人と思ってください。
Q49:あったら絶対欲しいMONSTERグッズは?
 「テンマの救急手当セット」みたいな防災グッズが欲しいですね。ありそうで作られてないヨハンの手紙の文章を転写したマグとか。
 絶対ないけど小さいぬいぐるみとかも欲しいです。
Q50:最後に、MONSTERへの思いをご自由にどうぞ。
 こんなに一作品をディグる人間にしてくれて有難うございます。自分でも引くぐらい余計なこと考えてるなと思います。
 ずっと考えない期間があってもMONSTERを忘れてる訳ではなく、MONSTERを軸に色んなことを見てるなとよく思うので、自分の中に一本道を敷いてくれたようなデカい存在です。
 後テンマという存在を生み出してくれたことに感謝してます!
見てくれてる方がいるか分かりませんが、最後まで読んでくださり有難うございました!
◦1〜10
◦11〜20
◦21〜31
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shukiiflog · 6 months
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ある画家の手記if.102 雪村絢視点 告白
帰り道。 家までは近いからタクシーも使わないし真澄さんに車出してもらわなくても歩いて帰れる。 それでも休憩しながらじゃないと帰ってから光さんが熱出すから、二人で途中でカフェに入ってソファでぐったりして、マックに入って静かな席でぐったりして、家具屋に入って見本のソファでぐったりして。 そうやってちまちま歩きながら一日かけて行き帰りする。
光さんは初詣から数日間、熱出して寝込んでた。 怪我からの熱と、食べれないから栄養失調もありそうで、突然熱が下がったと思ったら脱水と貧血起こして低体温症に近くなって急いで病院に行って点滴して。 口の中の怪我だからただの水を飲むだけでも痛むみたいだった。 初日はなるべく食べやすそうなものを俺が作ってみたけど、光さんがそれを嬉しそうに、つまり無意識に無理して食べてるのに気づいてからすぐに作るの自体をやめた。 俺が作っておいたら、光さんは喜んで食べてしまう。作った俺への気遣いとかじゃなくて、心底喜んで自分の怪我よりそっちを優先してしまう。 「……。」 光さんのことそんなに深く知ってるわけじゃない。クリスマスにきて、今が正月なんだし、色々あったけどまだほんの数日だ。 俺が他人と距離縮めるの時短にしがちだし光さんも少しそういうとこあるから、俺たちはすぐ兄妹みたいな母子にうまくおさまった。 それから数日を経て光さんはようやく喋れるようにはなったけど、まだ固形物は食べれなくて、ストローで経口補水液飲みながら、歯磨きとかに苦戦してる。
俺が聞こうか迷ってたら、光さんから話してくれた。 海外で亡くなった岬さんと、病気で亡くなった昴さんと、再婚してやってきた春輝さん。 あのとき殴ってきたのはその春輝さんで、あれに悪気は一切ないんだって。 光さんと春輝さんは戸籍上は義父子だけど、ずっと兄妹とも恋人ともいえないような関係で、光さん曰く「春輝くんはわたしをこわがってる」ーーー光さんが、春輝さんの内面を見透かすような目をするのが、春輝さんは気に入らない それと同時に、光さんだけを自分の唯一の深い理解者だとも思ってる。 実際に佐伯の家ではあの人はいまだに少し異物扱いされてるらしい。それも亡くなった岬さんが人間的に大きな影響力を持つような期待された人だったから。 察するに余りある、春輝さんの内心には岬さんへの劣等感と、対象がすでに死亡してることからその娘を蹂躙して屈服させたい願望がある、光さんはそんな春輝さんを許して受け入れてしまった。 …当時の光さんの年齢、まだ七歳かそこらからして、それが本人の意思だったかの確認はできない、だから、そんな意思はなかったととるべきだ。 光さんに見透かされることを前提に、自分の行動はすべて光さんを想ってのことだからそこまで考えて光さんは自分のことをすべて受け入れてくれる、と。 さらに、春輝さんは狭い施設に光さんを隔離幽閉して学校生活からも遠ざけたことで光さんから生活するすべを学ぶ機会を奪ってる。光さんは真偽不明の自分の病気を確かめる方法もなく、自力で出ていくすべも知らず、迂闊に身動きがとれなかった。 そうやって読書に耽るばかり��年齢を重ねた光さんを、春輝さんは事あるごとに無能だと罵倒した。…初詣のときに聞いた、あの言葉をもっと無遠慮にしたような内容だ。あれでも外出先だから言葉を選んでた方らしい。 光さんを罵倒することで、岬さんへの優越感を得てるし、光さんから生活能力を奪って自分のもとへ縛ろうとしてる。春輝さんがもう少し賢ければ自己嫌悪と虚無感に苛まれそうだけど、そうじゃなく春輝さんは…はっきりいって愚かな人だ。 これが今の推察できる範囲でのことだ。 光さんと同じでまだ二十代くらいに…すごく若く見えたけど、光さんより十は年上だ、それも光さんは自分と同じように春輝さんも時間が止まってしまったって。 未成年への性行為はそれだけで犯罪だけど、…俺にそんなことについて言及する資格あるのか そのとき多分複雑な顔してた俺に、光さんは熱出してる体をベッドの上で小さく折りたたんで呟いた。「ごめんね 絢。春輝くんがああなのは わたしのせいなんだよ」 春輝さんが、孤立してて、唯一の理解者だったはずの光さんを簡単に手放したのはどうしてなのか聞いたら、真澄さんと破局して自分のもとに光さんが出戻ってくるのを確信してるからだって。 …このままじゃいつか 光さんはあの人に殺されると思った そう言ったら、絢は頭がいいねって褒められた。 ああいう人は、光さんがいるなら他にも多数の理解者を作ろうとはしない。光さん一人に深く何もかも求めて、拒絶されないことを傲慢に確信してる今はまだ平穏な方で、光さんが真澄さんや俺を選んだって知れば 追い詰められた春輝さんは光さんとの無理心中を選ぶ。 光さんの側にどんな意思があっても、暴力で光さんに抵抗できる力はない。 ここまで思い至って、ますます光さんを一人で出歩かせられなくなった。 …失いたくない人が、増えていく
二人で病院からの帰り道、もうすぐそこが家だけど、小さな公園に入った。 光さんが乗って漕いだら丁度いいくらいの大きさのブランコ。俺も両足かけて一緒に乗ったら、俺はてっぺんの柱に楽々両腕が乗った。 「かすみくんげんきだったね」 笑ってブランコを大きく漕ぎながら光さんが言う。 「うん。直にぃも若干成長してんのかな」 「なおとくんのことはわかんないけど、見えるものにすがりがちなのはわかる」 そう言って声をたてて笑うから、ドンピシャではあるんだけど、何でなのか聞いてみた。 「え。光さん、直にぃが画家だって聞いてた?」 「ううんしらない。絵のせんせいだってきいた。でもあの病室にあったぬいぐるみとかいろいろ、センスとか配色が統一感あったからおなじひとりの人がぜんぶえらんで置いたかなって。ならなおとくんが有力なすじで、あの数からしてじぶんのきもちをかすみくんにつたえるのに、見えるものをえらびがちなのかなっておもっただけ」 「……」 病室で、好き勝手動いてるように見えて見るべきとこは見てるんだよな、光さんも。 ちっちゃくて細くてどこから見てもまだ小学生かそれくらいだけど、真澄さんも光さんを子供扱いしてるのとは違うし。 大きく揺れるブランコから光さんが飛び降りて着地を決めた。振り返って一人で揺れる俺に光さんが目を細めて笑った。 「かすみくんはちゃんとおきたよ 絢よかったね」 少しずつ揺れがおさまっていくブランコに座って 静かに揺れがとまったところで座ってる俺の頭を光さんが抱きしめた。 「うしないたくない人がいるのはこわいね。それでもだれかをだいじにおもう絢は勇敢だね」 「…そうかな 怖がってるだけで、俺は何もできてないよ」 香澄をあの部屋に置いてきたし、ときには何も起きないかもしれないって楽観も人と人との関係を深めるためには必要なのかもしれないとか、そうやって少し思考を緩めた一瞬の隙に惨事は起きた いくら怖がっててもそれが何にも実を結ばないし繋がらないんじゃ俺なんて「なにもできないよ 絢には さいごまで」 顔が交差して見えない光さんの口から、優しい声色で静かに紡がれる 「そういうふうにもいえるよ。だれにもさいごまでだれかになにもできないよ。それでもいっしょにいたらうれしい。しあわせだっておもうじぶんの気持ちをたよりにいっしょにいるひとを毎日えらんでいかなきゃ」 光さんの小さい手が俺の頭を撫でる 「あしたの朝、目がさめたらだいじなひとは二度とめざめないかもしれない。だれだってそうだよ。その日まで、こわいことよりもしあわせなことをたくさんみつけられたら、それがそのひととすごせたことへの報いになるよ」 睫毛が支えきれなくなった涙がぼたっと光さんの肩を濡らした。 「良いことばかり見れないよ 俺は 他のものを見過ごせないよ」 怖いものを見てないと守れないものがある 幸せなばかりじゃいられない 「それでも、たくさん見えるわるいことやこわいことに目をふさがれちゃだめなんだよ」 背中をさする小さな手が止まって、丸い頭が俺の肩に耳をくっつけるみたいにして寄りかかってきた 「かすみくんはおきてくれたでしょ それよりもだいじにしなきゃいけないことはないよ」 「…うん」 頷いたらさらに涙が落ちてきた ブランコの鎖から手を離して光さんの体に腕を回す 光さんは俺が泣き止むまで体をさすっててくれた
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jitterbugs-mhyk · 2 years
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パーティならチキンを焼いて my favorite things.
 
 満たされたばら色の人生にも、遣る瀬無い夜は訪れる。そういうときは誰にだって、ささやかな楽しみや、希望にあふれた展望が、必要になるのだった。必ずしもすべて、未来の約束じゃあ、ない、胸の奥にそっと灯ったわずかのともしびのように、幾度となく取りだしては大事に眺めた過去の日々のことであったり、はっきりとは思い出せない、夢のなかの景色であったりしたもの。
 なにもかもを忽ちに。打ち上げた花火のように、あるいは激しく打ち鳴らす銅鑼のように、景気よく、気前よく、解決する手段はない。自分たちにはふしぎの力があったけれども、短く唱える呪文、たったひとつ、長い長い魔法使いの人生にあって、幾度となく、あるいは自身の名前より、多く繰り返すことになるであろう言葉は、かならずしも万能ではなかった。こうあってほしい。願ったかたちと、色と、匂いと。思い描いたものをそのままに生み出すのは、魔法であっても容易くはない。そりゃあ、世界でいちばんの魔法使い、かつて魔王と恐れられ、また、その人自身もそう呼ばれることに何の疑問もなければ、快感にすら考えていたらしいオズであるなら、違っていたかもしれないが。少なくとも、排他的で、魔法使いに限らずとも、ひととひととの独特な距離と、稀薄な関係、微妙な均衡のうえに成り立つ東の国で、息を潜めるようにして暮らす歳月の、長くなったネロには難しいことだった。
 かれらは人をたまらなく愛するくせ、ジレンマのハリネズミ、いつだって近寄りすぎれば互いに傷つけあうことを恐れている。本質的に優しく、どうしようもなく寂しいが、おなじだけ気位が高く、自らを偏屈と嘯いてはばからない。もとよりそういったきらいのあったゆえに、東の国の水によく馴染んだとも言えたし、あちこちを転々としつつも店を営み続けた日々が、ネロを東の国の魔法使いにしたとも言える。彼は大いに変わったし、何ひとつ変わらない。繊細なくせに豪胆で、穏やかなようでいて燃えたぎる焔をその身のうちに飼っている。敵と見るや容赦はないが、いちど懐に入れた者にはあまりに情が深すぎた。
 磨きぬかれたカトラリー、整理整頓されたスパイスラック、年代順に並べられたワインのボトル、ひとつひとつを丁寧に、確実に。積み重ねる仕事は地道で堅実、つまらないといえばつまらないが、魔法使いらしくない勤勉さは、思えば初めからネロのものだった。掃き清められた床、皺だらけでも染みはない寝具たち、行き場のないガラクタが散乱してはいても埃ひとつなく、空気は入れ替えられていつでも新鮮だったし、窓にガラスは嵌まっておらずとも、雨漏りのする屋根はない。無責任で、自堕落、怠け者のふるまいをしてはいても、彼はきちんとしたひとだった。もっとも、照れくさいのか隠したがったが。
 いつだって誰よりも早く起きて、オーブンに火を入れる。薪ひとつ、打ち合わせる火打ちのひとつにさえ、ネロは魔法を使わない。それはポリシーというよりも、ルールというよりも、信仰にも似た、祈りのようなルーティーンのなかにある。菜園の朝採りの野菜は瑞々しく、そのまま齧ってもゆたかな水と太陽の味がする。弱くないくせに深酒をきらい、ひそやかな談笑と、駆け引きのカードの卓にはつかないネロが、とっておきのバーに顔を出すことは滅多にない。いつだったか、一度か、二度か、酔いつぶれた男たち、いつだって酩酊しているようなくだけた魂のムルにカードでこてんぱんにされ、酔うほどに冴えるシャイロックのダーツ、上機嫌に賭け金を吊り上げてゆくレイズを、ブラッドリーは何度口にしただろう、浴びるほどに呑んでなおも眠ることかなわないミスラの憂鬱、それら綯い交ぜの男たちが、夜中の菜園でトマトやグリーンフラワーをちょいと拝借したときの、ネロの怒りの形相はいまだに語り種になっている。怒りに我を忘れたネロは、あろうことか序列第二位のミスラまでまとめて首根っこを引っ掴んで中庭の噴水にぶん投げてのけた。怒りの過ぎ去ったあとから勿論真っ青になっていたが、彼の大切なものを蔑ろにした人間たちを、東の魔法使いたちがそれこそ射殺すような視線で侮蔑したのでますます小さくなっていた。彼らは陰険で、執念深く、そうして何より、自らのように他人を遇することのできる人格を持ち合わせている。引っ込み思案ではあるが普段は礼儀正しく朗らかなヒースクリフや、横暴なようでいて真摯、育ちのよい振る舞いをするではなくとも主人を立てる忠義のシノ、呪い屋などと名乗りながら、不幸そのものを被せるのでなく、ひとの幸運を少しばかりくじいてみせるファウストさえも、まごうかたなき東の男、彼らのあいだの、触れ合わないながらもけして離れることのない紐帯は、かたく結ばれたノットのようだ。知っていれば容易くほどけるのに、力任せには外せない。
 あいかわらず甘い男だな、と揶揄されて、かつてであれば傷つくか、さもなければ猛烈に腹を立てていただろう。思うに自分は若すぎたし、感傷的にすぎた。そんなに良いものでもなかったのに、いつだって、初恋の甘酸っぱさをひきずっている処女のような、散った花の香りを惜しんではらはらと涙をこぼす生娘の心ばえを持ち合わせていた。そんなに良いものであるはずもなかったのに! あの頃慕った男は破天荒、傍若無人は十八番、焦がれるままに背を追って、まともな教育ひとつない、宝石の目利き、あらゆる鍵のこじ開けかた、それから、うつくしく高潔な暴力、彼から学んだことのすべて。師と慕うにはあまりにも、絶対のカリスマでありすぎたし、かといって、率いる盗賊団の下っ端とだって気安く肩を組み、売り捌けば相当の値がつくであろう年代もののワインを惜しまずに振る舞った。ブラッドリーはそういう男だと、痛いほどによく、分かっていた。彼が均等に分け与えないのはマナ石くらいのもので、魔法使いたちにとっては、宝石よりも、贅の限りを尽くしたご馳走や、黄金に輝くシャンパンの泡、誰にも邪魔をされずに午すぎまで惰眠を餮ることのできるベッド、それらのすべてより、いくらも価値のあったもの。けれど、さほどの不満はなかった。マナ石をボスが喰うのなら、彼の庇護下にあるものたちは、結果として強さを手に入れたのと同義であったし、ブラッドリーは北の魔法使いらしからぬ、義に篤い男であり、同じだけ誰より北の魔法使いらしい、傲慢で、不遜で、気まぐれを持ち合わせていたものだ。
 すれ違う紳士淑女の懐からちょいと財布をくすねるやりかたは、残念ながらろくでもない子どもの時分に覚えた。北の国では良くあることで、家のなかには、兄だか、姉だか、父だか、母だか分からない年長者たちが溢れていたが、少なくともネロは、自分がろくでもない家の、よくない子どもであることに十分に自覚的だった。意識して、悪を悪と知りながら為すことは、なんの免罪符にもならないが、成し遂げるための知恵と、技術と、度胸があること、他人から盗みとる他にはなにひとつ持たない子どもにもゆるされる財産だった。ひとりきり、自分だけを守り、慈しみ、愛してやる、それすらも厳しいのが北の国のならいであって、山ほど部下をかかえたり、誰からみても足手まといになりかねない男を相棒と呼んで憚らなかったブラッドリーが奇特なのだ。ちびで、やせぎすで、いつだって腹を空かせている子どもたち、北の国では路地裏に、彼らの明日は転がっていない。夜はあまりに深く、暗く、長いもの、朝を迎える前に仲良く骸になれるなら、孤独もいくらか浮かばれる。死は必ずしも幸福の対極にない。
 北の大盗賊ブラッドリー・ベイン。彼は間違いなく悪党であり、与えるものでも、施すものでもありえなかった。彼は多くを持ち合わせたが、しかし、価値あるものは適切に、渡るべき手へ流れていった。きっとネロ・ターナーも、そのうちのひとつであっただろう。うつくしい宝石のような、この世にふたつとない宝剣のような価値が己にあると自惚れたことはなかったが、ほんとうに素晴らしいものは、いつだってブラッドリーのもとにとどまりはしない。彼が望んでそうしたものかもしれないし、ブラッドリー・ベインという男の、避けえざる、けして覆ることのない運命のうえに、定められたものかもしれなかった。彼自身から語られないまま、断絶された数百年、いまだに牢に繋がれて、似合いもしない献身と奉仕の日々、忌々しいと吐き捨てながら、楽しんでいるようにさえ思えるのは、願望ばかりでないだろう。彼に美徳があるとは認めがたいが、日々の困難をさえ笑いとばせる豪胆さは、同じく北の国��生まれ育っても、ネロにはついぞ、��わらなかった。
 とくべつでない特別な日に、任務や、修行や、仕事やらで、へとへとになった子どもたちに、なにを食わせてやろうと考えるのが好きだった。市場で仕入れてきたばかりの新鮮な食材、昨夜のうちに絞めておいた鳥、近ごろ使っていない気がするスパイス。まともに飯を食いもせず酒の肴を摘まむばかりの大人たちには、炒ったナッツでも出して黙らせておきたい。夜を裂いてゆく一条の光は銃弾、なんで分からないかな、ネロは一度だって魔法でチキンを揚げたことはなかったし、ましてや子どもたちは、焼いたチキンをご所望なので。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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遠雷
 不穏はとおくの霹靂にして、くらく、おもく、立ち込めた分厚い雲は西の空、いつか偏西風によって流されて嵐をもたらすことだろう。雨の音は嫌いではないけれど、大気のぴりぴりと張りつめるさまは、あまり良いものであるとは言い難かった。ひとのなかにもそういった、冷たく尖ってひりつくような、剣呑を放つものがあり、どこか近寄りがたく、身構えなければ相対するにも緊張を伴った。今では幾らか心を許し、のみならず術式や多くを学ぶ師父として無限を慕っている小黒ではあるが、はじめに抱いたかれへの印象といえば、つめたく張り詰め、よく研ぎ澄まされ、怜悧な薄氷のするどさ、かれが得意として自在に操ってみせる金属は、引き伸ばされて鋼鉄の糸にもなれば、撓む白刃の剣にもなる、そのものの危うさであった。もっとも、武芸に秀で、生半なことにはゆるがず、泰然と佇んでいるかにみえる無限は、あれで不得手の多いこと多いこと、かれの一側面しか知らないものたちからみれば、最強��執行人と綽名され、たしかに、多くの、長く、旧くからある妖精たちを差し置いて立っている無限の得体の知れなさや、人間のくせに、と揶揄されるのは理解できる。ただ、人間と妖精の狭間にあって、もはやどちらであるとも正確には言い難く、そのくせ立場や待遇にとくに頓着するようすのない無限のふるまいは、かれがもともと生来にもっている性格に因る部分が大きい。諦観や達観が、かれを押し上げたのではなかった。今となってはひとを離れた身ではあれども、いまだにかれは、ひとの営みを愛しているし、慈しんでいる。年若い妖精たちにとってははじめて親密に触れる人間になりがちな無限が、どれだけひとを離れても、完全にひとでなくなることが出来ないのもまた皮肉であった。
 「あんたは人間だろ! 人間は嫌いだ!」小黒だってはじめの島で、揺られる波間で、かれを思ったのだ、妖精でないもの、として、かれへ心無い言葉を投げつけもした。はじめこそ問答無用の力をふるい、すくなからず俊敏でやわらかい体躯でもって襲い掛かった小黒を事も無げに制してみせた無限が、ただ考えなしに、小黒のようやくみつけた安寧の地を脅かしたのでないことは、薄々感づかれつつあった。水面を滑っていた筏を軽々と飛翔させて嵐の海を抜け、本人にもまだ定かならぬ領界の術式を見定め、霊域に招いて手をかざし小黒のちからと属性を確かめたとき、はじめて無限がこちらを見たのが分かった。かつてであればいざ知らず、開墾と開拓、産業革命を経て劇的に進歩しいっそ疾走してゆく人間社会に棲み処を追われつつある妖精は、どんどん生まれにくくなっており、数もそれほど多くない。けして少なくもないが。それらの多くは妖精たちの一大組織である会館によって認識され、管理され、人間の為政者たちがそうしたように、戸籍を与えられるわけではないが、少なくとも書きつけられてはいるだろう。どのような名と姿で、術式と力をもち、おおまかにどのような暮らしを望んでいるのか。可能であるならばそれらの望みの暮らしを整える手はずを行うのが会館という組織の存在意義のひとつである。気に入らなければ出て行ってもよいと無限や、鳩老は言ったが、一度なりと会館に足を踏み入れたのなら、その名前と力とを、かれらに記録されるは必至である。けだし会館とは離別、あるいは対立の立場をとっていた風息やその仲間たちさえ、名前と力の多くを知られていたし、特別に危険分子として監視下にあった風息は、術の使用の残滓によって在所を探られるほどには、かれらに知られすぎていた。無限が小黒を会館へと同行させようとしていたのには、かれの保護、と同時に、あたらしい妖精である小黒の、力や姿を、会館の与り知るところにせんという意図があったとわかる。ひとに忘れ去られ、数世紀、あるいはその数倍の時間を、静謐と不文律のうちに、揺籃していた海洋のかなたの島を、楽園と呼んで果たして良いものか、いまとなっては分からない。たしかにあの島には、いまを生きている人間の手は、ひとつとしてなかった。かつて居たであろう人間の手になる祭壇の見事な細工や、なんらかの神性を偶像となした石柱の、あえなく崩落し、苔むした表面におどる木漏れ日の陰たち、長いときのまえに屈服し、語られる言葉もなければ継がれる意思もない。時は流れず、去らず、ただ佇むのみ。誰もがそうしていられたらよかったが、門は拓かれてしまったのだ、不躾で無遠慮な、いくさびとの沓音によって。それは不遜極まる執行人無限、ひとにしてひとならざる男の、研ぎ澄まされた横顔をもっていた。
 「小黒。小黒。腹が減ったろう。食事にしよう。ちょうど川がある。そうしないか。」
 「僕はまだ歩ける。お腹減ったのは師父でしょう」
 「そうだな。でも、そうしよう。動けなくなってからじゃあ用意もままならないから」
 「しかたがないなあ~」
 無限はことさらに小黒の機嫌をとるようなことはしない。もっとも小黒も、修行中の、才覚ある、未来への嘱望いちじるしい妖精の身分といえど、幼いことに違いはないので、自ら望んで選んだ師父とともに往く旅から旅への放浪暮らしとはいえ、さほど長く歩き続けられるわけもなし、疲れれば機嫌を損ね、腹が減ればぶすくれておおいに師の手を煩わせたものだったが。どうやら無限はそれすらも楽しんでいるようなきらいがある。ちなみに小黒の、無限に対するいっそ不敬にもみえる態度の気安さは、子弟関係になるまえ、風息を追って島を訪れ、ひとり取り残された小黒をかどわかして連れ歩いていたころからのならいであまり革められていない。無限を恐れる妖精たちは小黒の態度ひとつみるにつけ、なんと不遜なと目をしろくろさせたものだが、当の師範である無限がとりたてて気にもせず革めさせようともしないので口に出せずにいるのだった。あるいは、これは、小黒が、たったひとつ、あのかなしい黒いけものから、引き継いだものであるのかも分からなかった。むろん、風息のなかに、無限に対する敬意や思慕など、けしてなかったろう。旅をして隣でねむり、食事を楽しんだものの支払いに窮し、どうやったらそうなるのかと理解にくるしむが、とっておきの野鳥や川魚を、ただ焙るだけにしてもうまく調理しそこねるような、かれを、風息に限らず多くの妖精は知らない。執行人同士で、いわば同僚ともいえる若水や、鳩老、どうやら長い付き合いであるらしい哪吒などは、さすがに知っていたろうが。不肖の弟子たる小黒は、あれほどよく食べ、よく喫み、食にしたしむ無限の味覚に疑ぐるところこそないが、炊事のいっさいをまかせる気にはならない。これは自分自身のためでもあるのだ。
 「ふふ、ありがとう。さて、小黒、ご覧。薄くて、軽くて、さびない包丁だそうだ。このあいだ寄ったまちで買っておいた。やはり道具があるのとないのとでは違うだろう。おまえに任せてばかりというのもな」
 「無限。師父。気遣いはうれしいけど、あの……、うーん」
 自慢げに取り出されたナイフは白く、たしかにおどろくほどに軽くて、小黒のけして大きくないたなごころに十分な道具である。しかし口ぶりを鑑みれば、どうやら無限は本心から、弟子の手を煩わせずに、食事の用意が出来ると喜んでいるらしい。金属の歴史とは、すなわち戦乱の歴史でもある。火を熾し、洞穴を掘って窯をなし、蹈鞴を踏んで温度を上げて、汗みずくになりながら人は作った。手始めに鏡を、鐸を、それらははじめ、神を奉ずる儀式のためのしろものだった。青銅は鏃に、剣に、重たい盾に、鎧に。分厚く重く、纏うには難儀した金属は、たゆみない技術の研鑽と、認識と研究の結果、よりよく作り替えられていった。ひと晩風雨にさらされればたちまちに緑青の浮いていた鉄や銅が、いまでは混ざり合って合金の鋼、たやすく毀れる刃などもはや前時代だ。無限は、金属性をやどし、かつて皇帝直属の懐刀として、戦場にあって武人たちと剣を交え、ときには妖精たちすら退けてきた。金属の多くはひとの手によってなるものであり、妖精の多くが不得手としていたのも随分むかしのこと、文明そのものというには、鋼も鉄も、妖精たちになじみすぎた。新しいものへ帰順してゆくことを、厭うた妖精は少なくない。その筆頭がくだんの風息とかれを首魁とする者たちであろう。けれども、多くの妖精は、おおらかといえば聞こえはよいが、どこか厚顔のふてぶてしさをも持っている。人間は面白いものだ、とは、比較的若い妖精である若水の言葉であるが、数百年もの昔に、いまは遠く隠遁して暮らしている、妖精たちの事実上の頂点である老君すら、同じことを述べたのだ。生命の保存、種の保存、それらを置き去りにして、娯楽としての愉しみを見出すことが、なべて、知性の閃きであるとは、だれにも言えないだろう。しかし、妖精たちには、忘れ去られ消え去ることへの惧れ、さぞや美しからんみなもの月を、惜しむ執心がいかにも薄い。気楽だ、楽観的にすぎると声をあげたひとがいた。目論見は阻まれ、打ち砕かれ、しかし皮肉にも、遺された旧跡は、かれの名を与えられて龍游のまちにある。我々は愚かだろうか、滅びゆく一族であろうか、はたして? 小黒には分からない。ひととくらす妖精のあるように、妖精とくらすひともある。たしかなのはただそれだけで、いま小黒が片付けなければいけないのは、目の前の食事のしたくなのだ。
 「これはね、セラミックというやつで、師父、金属じゃないんだよ……」
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camp-outdoor-jp · 3 years
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正面から見たらこんなん。CB缶で動くポータブル冷蔵庫もあります。冷えすぎてサラダ凍ってました。 #義父自慢の道具たち #車中泊 #車中泊仕様 #車中泊キャンプ #軽バン #軽バンライフ #軽バン車中泊 #ハイゼット #ハイゼットカーゴ #キャン .. #キャンプアウトドアJP
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hananien · 3 years
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【SPN】見えない手錠
警告:R18 ※スカ描写(排尿シーン)、性描写
ペアリング:サム/ディーン
登場人物:ディーン・ウィンチェスター、サム・ウィンチェスター、アーサー・ケッチ
文字数:約7800字
設定: バンカーにて、賢人アイテムに呪われて拘束されたディーンと、兄をないがしろにして後悔するサム。
言い訳: 拘束シチュを最大限活かさなかった。 いつも通りの謎時系列で兄弟の他にケッチが出てきます。
 今日も今日とて賢人基地の謎は深い。  ここのところ曜日を決めて基地の倉庫の整理をしている。その日は他のハンターたちからのヘルプコールがなければ事件には関わらず、食料も前日のうちに買い込むか、残り物だけで済ませて外出はしない。朝から晩まで資料とアイテムに埋もれ続ける平和で知的冒険心が満たされる(サムにとっては)休日だ。サムは地道に整理分類を続けていたが兄のディーンにそこまでの情熱はなかった。  サムは兄の態度が不満だった。サム以上にこのバンカーを”我が家”として認識している兄が、その我が家にどんな秘密が隠されているのか――もしかしたら時限付きの危険物だってあるかもしれない――無関心なことが理解できない。  今日もまた予定していた休日。ベッドから出てこないディーンを無理やり引きずり出してコーヒーを淹れさせ(この鬼!と怒鳴られた)、ハムとチーズのサンドイッチを手に倉庫へ直行する(飯くらいキッチンで食べろよ、とディーンはいう)。  サンドイッチを齧りながらデスクに向かい、前回整理した目録を確認していると、コーヒーをすすってぼーっと突っ立っているディーンが目の端に入る。「ヒマならその棚の埃でも払っといてよ」と若干いらつきながら指示する。声音は穏やかだったはずだが弟のいらつきに敏感な兄は「ハイハイわかったよ」と逆らわずに棚へ向かった。  パタパタとディーンが働く音だけを耳にしながら目録をデータベースに入力する作業に没頭していた。しばらく後に「あ」と声がしたが他に大きな物音もしなかったので無視した。コーヒーに手を伸ばすとすっかり冷めていたので集中しすぎてあっという間に一時間程度は経ったんだなと思う。  「なあサム」 棚の間からディーンが声をあげる。  「何だよ、もう飽きたの?」  「そうじゃなくて、なあ」  「何だよ、もう」  ため息を吐いて立ち上がり、兄のもとへ向かう。ディーンは壁に設えられた棚の前に立ち尽くしていた。こっちを向いて後ろ手に腕を組んでいる。  「何? ナチのお宝でも見つけた?」 軍隊の”休め”のポーズに似ていたのでまた質の悪いジョークを思いついたのかと眉を寄せる。そうじゃなくて、と返す兄の顔が少し強ばっているのにようやく気づく。  そういえばこの棚はまだ手を付けてない。サムが把握していないアイテムが並ぶ棚は、ディーンの偶に発揮される凝り性によってきれいに埃が払われていた。  「ディーン……?」  「おれ、呪われたみたいだ」  ゆっくりと後ろを向いたディーンの腕は、まるで手錠にかけられたように手首が交差して重なっていた。  棚にはいかにも呪われたアイテムっぽい骸骨の手があって、土台にはご丁寧にギリシャ語で「見えない手錠」と書かれていた。
 『見えない手錠?』  ディーンが呪いのアイテムに拘束されてから半日、サムは倉庫をひっくり返す勢いで解呪の資料を探したが全く手がかりがない。ディーンは今のところ”後ろ手で卵を割る”遊びにハマっていて楽観的だが、サムはそうはいかない。自分のおざなりの指示でディーンが呪われてしまったのは痛かった。  「そう書いてあった。同じ棚には他にもアイテムはあったけど、全部封印されたままだったしディーンの状態からして原因はそれで間違いないと思う」  電話の相手はアーサー・ケッチだ。かつての敵で今も腹で何を考えているのかわからない相手に自分たちの窮状を話すのは抵抗があるというかはっきりと嫌だったが、賢人のアイテムについて尋ねるのに彼を除外するわけにはいかなかった。  『君たちといると退屈しないね』とケッチがいうのでサムは「いないだろ」という言葉を飲み込んだ。  『まあ端的にいうと仲良くなるまで外れない手錠だ』  「は?」  『乱交大好きなギリシャの富豪が十七世紀に作らせたものだったと聞いてる。アイテムが置かれた土地の所有者とアイテム自身が認識する所有者が連動する。主人以外の人物が触れると拘束し、その拘束は主人と激しいファックをすることでしか解けない』  「おい……」  『つまりアイテムは君がその基地の主人だと判断した、ディーンではなく。確かヘンリーは君たちの父方の血筋だったな? ふーん、興味深い……』  「やめろ、僕らの血筋について興味を持つな」 サムは髪をかきあげた。「ふざけないで解呪方法を教えてくれ。どうしたらいい」  『だいたい君は賢人の道具の扱い方を心得てない。しまい込まれた道具にはそれなりの理由があるんだ、封印された位置にすら。まあ、確かに放置するには危険だし、五十年代のアメリカ賢人の収集品を整理するのは意義があることだが……サム、君には疎い分野だし、アドバイザーが必要だ。今回のようなことがないように、次からは私も付き合おう。もちろん、君たち兄弟がよければ』  「いや、よくない。ありがとう。さっさと解呪方法を教えてくれ」  急に無音になった電話に、通話口をふさいで舌打ちするケッチの姿を想像する。コホンと咳が聞こえて通話が再開した。  『解呪方法はさっき言ったとおりだ。本来は複数人での性行為中にランダムで誰かが拘束されるのが正しい遊び……使い方だったと記憶してる。他に誰もいなければ勝手に土台に戻るはずだが、側に置いておいたほうがいいな。ほら、骸骨の手首があっただろ? あれが土台だよ』  「それはわかってる」  『他に何か聞きたいことは?』  「ない」  『そうか、お役に立てて何より。次の木曜日に伺う……』  サムは黙って通話を切った。
 ギリシャのふざけた富豪が作った乱交目的の拘束具が、なぜアメリカの賢人たちの手によって基地に保管されていたのかその理由を聞けばよかったとサムは思った。だけど、聞くまでもないと思い直す。これまできっと、数えきれないほど悪用されてきたに違いない。  「というわけなんだ」 解呪方法の説明を黙って聞いているディーンに、サムの罪悪感の嵩は増す一方だ。「ケッチが言ったことの裏は取れてないけど嘘をつかれてる感じでもなかった。もっと調べることもできるし、最悪、ロウィーナに聞くこともできるけど……」  「そいつは最悪だ」 ディーンは唇をすぼめる。  「だろ? 見返りに何を要求されるかわかったもんじゃない」  二人は無言になった。サムはいたたまれなくなって自分の足を見つめる。呪いを解くためにファックするなんてどうかしてる。兄の呪いを早く解いてやりたいけど、そのために早く自分と寝ようなんて軽々しく口には出せない。  「サム、おまえとやるのはいいんだが、その前に何か食いたい」  「へっ?」  「腹減った。何か食わせてくれ」
 ディーンが割りまくった卵でフレンチトーストを作ろうとしたが、色々と怪しい手つきを見てディーンが「スクランブルエッグでいい」というのでそっちにした。  調理台のスツールに座ってディーンはサムが食器やら飲み物やら用意するのを眺めていた。腕が使えていたら頬杖でもついていたに違いないのんびりとした表情だった。サムはディーンのやわらかい視線を感じながらフレンチトーストを諦めたパンをオーブンで温め、山盛りのスクランブルエッグと共に調理テーブルに並べた。  冷蔵庫からビールを取り出そうとすると、ディーンに止められた。  「すぐにやるんだからワインがいい。やってる最中にげっぷ出まくったらやだろ?」  サムはガタガタ音を立ててビールを冷蔵庫に押し戻し、グラスにワインを注いだ。  「喉が渇いた」  というので先にワインを飲ませてやる。今更ながら解呪方法を探すのに忙しくしていて、肝心の兄本人の世話を全くしていなかったことに気が付いた。後ろ手でドアは開けるし卵も割れるかもしれないが、コップから水を飲むことはできない。自分は兄を呪いにかけてしまっただけでなく飢えさせていたのだと思うと自己嫌悪で鉛を飲んだように胸が重くなった。  「卵」「パン」と指示されるま��に兄に給仕していく。そのうちディーンは何もいわなくなった。サムも無言になった。自分が運ぶスプーンが兄の唇に包まれるさま、兄が咀嚼して飲み込むまでの一連の動きから目が離せなくなる。  ディーンに注いだワインを飲み干してしまうと、彼はにやっと笑っていった。  「サミー、もっと、楽しもうぜ」  サムは自分にと注いだグラスにまだなみなみとワインが残っているのに気が付いた。手を伸ばしてグラスをつかみ、ゆっくりと仰いで咥内に留める。ディーンはまたあののんびりとした表情をしてサムが顔を近づけてくるのを待っていた。  グラスが二つとも空になると、ディーンは酔いでうるんだ瞳でサムを見つめた。  「トイレに行きたい、サム」
 二人してバスルームに駆け込んだ。後ろ手で拘束されているディーンは上に着ているTシャツとネルシャツは脱げない。サムが下半身だけ脱がせ、シャワーブースに入った。裸になったディーンのを後ろから抱き込み、下腹部にシャワーの湯をかけた。  「あれ、当たってるぞ。おまえ、脱いだ?」  「うん」  「なんで?」  「だってお湯がかかるから」  「あー、おまえだけ、ずるい」  「お尻は僕が洗ってあげる」  そういって湯のすべりを借りて指を潜らせると、「バカ!」と怒られ肩で胸を突かれる。「朝からトイレ我慢してんだ! 先にオシッコさせろ!」  「ええ? トイレ、一度も行ってないの?」  地底を這いつくばるような声でディーンはいった。「行ったよ、ああ、見えない手錠で両手が繋がれててもトイレには行ける。でもな、足の指でベルトは外せない!」  「ごめん」 サムは指を抜いて尻を撫でた。「全然気づかなくてごめん。おしっこしていいよ」  ディーンはうーんと唸って首を落とした。ネルシャツの襟もとからすんなり伸びたうなじにサムの食欲が湧く。ディーンは排尿に集中しようとしているようだが、ワイン一杯分の酔ったふりでは羞恥心を打ち消すには至らず、苦労しているようだった。  サムはディーンのペニスに手を伸ばした。  「サミー!」  「両手で持つ? 片手で持つ? いつもどうしてるの?」  ディーンは首を振ってまたうなった。「両手……」  サムはシャワーを壁に固定して、両手でペニスを持って構えた。  「これでいい? ディーン、目をつぶって。僕も目をつぶるよ。シャワーで全部流れるまで目をつぶってるから」  肩口に顔を乗せて、ディーンにも見えるように目をつぶる。ハア、と熱い溜息が頬にかかった。シャワーの熱気に一瞬なじみのある臭気が混じる。どういうわけかそれにますます食欲をそそられて、サムはすぐ側にあるうなじに嚙り付いた。ひっとディーンは仰け反って、排尿の勢いが増したのがサムにはわかった。まるでイッたみたいだ、と思った。  「あ、あ、サム……まだ出る……」  顎、それから開かれた口にもかぶりついて、サムはいいよ、と励ました。それから僕も、といった。「僕も出していい?」  朝からトイレのことなんて頭になかったから、今さらもよおしてきた。サムは片手をディーンのペニスから放して彼の顎をつかみ、きつく唇を押し付けて下半身も密着させる。熱気に喘ぎながら唇を吸って、サムは溜まっていたものを排出した。  ディーンのペニスを握りながらディーンの尻におしっこをかけている。これってファックするよりもどうかしてるよな。  「あ……つ………」  ディーンが漏らす言葉を飲み込みながら、ああ、向かい合ってすればよかった、とサムは思った。そうすれば自分もディーンの熱いおしっこをかけてもらえたのに。  自分が出し終わってディーンのペニスを何度か根本からしごくと、ディーンが肩を回してやめるよう訴えてきた。  「もう終わった、終わったから」  「じゃあ洗うけど、いい?」  「ああ……」  「中もだよ?」  「いいって言ってんだろ」  ディーンは疲れているみたいだ、と思った。当然だ、一日中腕を拘束されて過ごしているのだ。言わないだけで腕は強ばっているだろうし痛みもあるに決まってる。呪われてパニックになるサムをよそにディーン本人は「どうにかなる」といって泰然としていた。もしかしたら長期戦になると思って体力を温存していたのかもしれない。ディーンはそういう野生動物みたいなところがある。
 貪るように体を重ねていたのはサムが地獄に落ちる前のことで、お互いまだ精神的にも肉体的にも若かった。不安や疑惑を欲望のエンジンにお互いを引きずり落としあうようなセックスができたのは若く未熟だったからだ。  サムにとっても我が家となった基地にメアリーが戻ってきてから、何となく関係を控えるようになった。全くやらないわけではないが、今日我慢すれば明日は出先のモーテルでやれるという場合は諦めるのもそれほど苦ではなかった。昔は衝動が起こったら今すぐにファックしなければ死んでしまうと思うくらい切羽詰まっていたからずいぶんと平和に落ち着いた。  平和? 平和などまやかしだ。一時の小康状態にすぎなかったのだ。きっかけさえあればサムはいつでも欲望に火をつけることができるし、言い訳があればなおのこと大胆になれる。  呪いを解くために。腕を後ろ手で拘束された兄の負担が減るように。  上に乗ってくれる? そのほうが、ディーンが一番楽だと思うんだ。  ただ騎乗位の兄が見たいだけのサムの提案を、吟味する間もなくディーンは頷いた。楽というならもっと別の体位がありそうなのは、サムよりよほどマニアックな性技にくわしいディーンならわかるだろうに、バスルームでの洗浄と執拗な拡張ですっかりのぼせていて、考えが巡らないようだった。本当なら休ませるべきだとわかっていたが、ここで言い訳、一刻も早く呪いを解いてあげないと。  激しいファックってどれくらい激しくしなきゃならないのかな。  ディーンは膝立ちでベッドの上を移動して、サムの腰をまたいだ。さすがに体幹がいいから腕がきかなくても倒れ込んだりしない。今はのぼせているから、ちょっとフラフラしているけど。  勃起したサムの上を、ディーンが前後に揺れながら下りてくる。  「ゆっくりでいいから……」  体の自由を奪われた相手を、自分のいいように動かす。久しぶりに感じる、たまらない愉悦。  よだれを垂らしそうになりながら兄が太腿を震わせて挿入に苦労しているのに見入っていたので、彼が涙の溜まった瞳で睨みつけているのに気づくのが遅れた。  「えっ?」  「えじゃねえよ、まぬけ。鬼。ビッチ。入るわけねえだろ、少しは手伝えよこっちは手が使えねえんだぞ」  「え、大丈夫、入るよ。先端がちゃんとハマればあとは自然と入ってくるって。中をあれだけ柔らかくしといたんだから」  唖然とした兄の頬にぽろりと涙がこぼれた。本人の胸に弾かれてサムの腹に落ちる前に消えてしまったが、美しいものを見てサムは興奮した。  「ディーン、僕も手伝うから、一個お願いを聞いてくれる?」  返事もきかずにサムはディーンのネルシャツの裾をまくって内側にまるめ、上に引き上げていく。何かを悟ったが信じられないという表情の兄に首をかしげてみせ、開かれた口の中にまるめた裾を押し込んだ。  日に焼けても赤くなるだけですぐに色が引いてしまうディーンの今の肌は真っ白だ。体毛のない腹から胸にかけてのなだらかな曲線、ピンと立った赤い乳頭がいじらしくおいしそうで、見ると唾液が湧いてくる……  鼻息が荒くなったサムにディーンが身を引いた。サムは両手を伸ばして脇腹を掴む。そのまま手を上にすべらせて親指で乳首をこすった。  「んーっ!」 シャツの裾を強く噛んだあと、ペっと吐き出してディーンは叫んだ。「お、おまえは、おれを、何だと」  「ごめん、本当にごめん」 兄をいじめたいが、この状況では不謹慎にもほどがある。「呪いを解こう。ちゃんとやるよ。僕が当てるからちょうどいいと思ったら下りてきて」  ハアハアと荒い息を抑えながらディーンは弟をにらみつける。  「偉そうに、呪いが解けたら、ぶん殴ってやるからな」  サムはディーンの尻を左右に開いて先端を割れ目に押し当て、ぬかるんだ鍵穴を探した。腹をむき出しにしてディーンが仰け反る。ぷっくりと縁がふくらんだ穴にペニスの先が当たったのを感じると、サムは尻を支えていた手を放した。疲れ切ったディーンが自然に落ちてくるまで時間はかからなかった。  「これ……いつ……解けるんだ?」  挿入を続けながらディーンは目を閉じた。  「さあ。ケッチに騙されたのかも」  「あ――あ――やばい、サム、やばい……今……」 根本まで入りきったと思ったすぐだった。急にディーンの顔色が変わり、一瞬にして上り詰め、風船が割れるように弾けた。何が起こったのかサムにも本人にもわからなかった。  くたくたとディーンが倒れ込み、サムは慌てて肩を支える。紅潮した全身から発汗した彼は起き上がるとき、サムの胸に手をついていた。  「……嘘だろ?」 サムは茫然とつぶやいた。「今のが、激しいファック?」  あまりに唐突なので拍子抜けしてしまった。サムは動いてもいないし、ディーンだってそうだ。理解できなくてサイドテーブルに置いた土台の骸骨の手を見つめてしまう。”見えない手錠”が土台に戻ったからといって”見えない”ままなのは変わらないが――。  明言はされなかったが、ケッチのあの言いようでは、”主人”である自分がフィジカルな絶頂を迎えた時が解呪のタイミングだと思っていた。  「なんだ……何が不満だ……悲しそうな顔すんなよ……サミー」 すぐ側で、汗と涙できらめいた睫毛がまたたいた。ディーンが熱い手でサムの頬をつつむ。パタパタと軽く叩いて笑い、ちゅっと口に吸いついた。  「――入れただけで相手をイかせて呪いを解くなんて、ハ、たいしたご主人様じゃねえか」  サムは息を呑んだ。  「……ディーン……ワオ……ディーン……そのせりふ、かなりやばいよ」  「殴るのはもうちょっと後にしてやる」 ディーンは自由になった腕を上げてシャツを脱いだ。
 きっかけはサムの失態から呪われてしまったディーンを解呪するための”激しいファック”だったが、おかげで以前の狂った情動がなくても情熱的に愛し合えると再確認できた。何となく周りに気まずいからという理由で遠慮するのをやめた。  ディーンは幸せそうだしサムもそうだ。仮初の平和は消えたが、今まで築いてきた兄弟の関係が変わったわけでもない。ただ一つ、今までと変わったことといえば、彼が時々拘束されたがるようになったことくらいだ――本当に手錠を使ったりしない。呪いを受けたときのように、”見えない手錠”を使う。ディーンは拘束されたふりがうまい。  同じ疑念が三回目に心に浮かんだとき、サムはディーンの携帯端末からこっそりケッチの電話番号を消してしまおうとした。だが思いとどまって、目録の備考欄に一文を付け足した。    ――”見えない手錠”――愚かな臆病者を目覚めさせるあなたの策略それから愛
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harinezutaka · 3 years
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一年前日記25(2020年6月17日~6月23日)
6月17日 だらだらしがちだったので、午前中に買い物に行こうと思い、ついでにモーニングにも行った。平日の喫茶店のモーニングに行くと、自分の感覚が15年ぐらいギュイーンと戻される感じがする。世の中は自分が思うほどそんなに進んでいないんだな。このギュイーンは、時々意識的に経験しにしかないといけないなと思う。お昼はサーモントロ丼の温玉のっけ。朝のコーヒーは違うかったみたい。胃がイヤイヤと言っている。俳句の選句。食べたものや飲んだものの句ばかりで楽しい。夜ご飯は、蒸し鶏、中華風コーンスープ。お風呂に入ってから、アマヤドリさんの動画を見ながらゆっくりストレッチをした。
6月18日 午前中、掃除。自分で作っていたコロナの感染者数の表を久しぶりに更新した。近くではほとんど増えていないみたいだけど、時々チェックするようにしよう。4月ごろに作ったこれから起こり得るだろうことの一覧には3つぐらいのチェックが入って止まっている。次あるとすれば、「死者が1000人を超える」だろう。夜は友達とご飯。4月ぶりかな。美味しいとうわさの貝のラーメン屋さんへ。美味しかった。近くに遊びにきた友達はここに連れていけばいいんじゃないだろうか。車じゃないとなかなか行きにくいところだし。
6月19日 いつもの2人組の1人、最近はアイスコーヒーになっている。って16日にも書いてるじゃん。すっかり忘れていた。大丈夫か私。今日の仕事は自分のペースでできた。帰り、実家に寄る。母は米を買いにスーパーへ。父に父の日のプレゼントを渡す。Tシャツ。喜んでくれた。お菓子を食べながら雑談。家族っぽい。やっぱり父がすごく変わったと思う。母も穏やかになった。「これ持って帰り」とイカをくれた。夜ご飯は、とんかつ、キャベツと油揚げの味噌汁。健康診断の結果が返ってきていた。心電図とコレステロールがB判定だった。心電図はいつもひっかかる。コレステロールは善玉が高いので、あまり気にしてなかったんだけど、今回は総コレステロールも高めだからちょっと良くないのかも。前の日にクレープとか食べてたしな。反省。ちょっとひっかかっただけで、めちゃくちゃビビってしまって気をつけようと思うのに、親とか見てるといっぱいひっかかって薬飲みながらも、わりと好き勝手に生きてるのってすごいよなと思う。喉元過ぎればってやつなのかしら。そして人間って結構しぶといのなって思う。
6月20日 カウンセリングに行く。来院で予約を取ったつもりだったが、基本的に今はオンラインらしい。先生は病院にいたので、急遽対応してくださる。ボード越しに前回からの気づきなどをひと通り話した。自分の傷つきに鈍感だったことで誰かを傷つけていたんじゃないかと思うと話すと、「別に傷ついてないんじゃないですかね。その人」と言われた。そうなのかな。もっとシンプルに「自分が傷ついた」と言いたいのかもしれないな。何かそれを邪魔しているものがあるんだろうな。確認すると今回で7回目らしい。もう話したいことは特になくなった感じ。それでも来てもいいのかと聞くと、全然オッケーらしい。何でもない雑談のなかに気づきがあることも多いとか。少し間隔を空けながら続けてみようかな。お昼はティムマッマの新店舗へ。ひとり火鍋が食べられるお店。ティムマッマは学生時代に岡本の市場にあった時代から大好きなお店。あそこから手広くやられていてすごいなあ。今回は商業施設の中でお酒も飲める。しっかり落ち着ける雰囲気もあり、さすがだなあと思う。一人鍋というコンセプトも今にバッチリハマっているし。いろんな時間帯に行ってみよう。その後KIITOの『イスイズサイズ』展を見に行く。いろんな人に合わせた椅子がたくさん。家具をデザインするって楽しそう。これだけ世の中の変化が激しいと家を建てるのもなかなか難しいが、椅子ぐらいならこだわってお願いしてみてもいいかもなあ。健康のためにも座り心地は大切だし。図書館で予約していた本を受け取って帰宅。本はめちゃくちゃ重かった。夜ごはんは、イカとズッキーニを、サッと茹でてごま油とレモン塩で味付けしたやつ、ハムと玉ねぎ入りのリゾット。どちらも美味しくできた。今日の太田さんは佐賀へ。太田さんもイカを食べていた。来週からは野球なので中止のとき以外はお休みになる。今日も暑いは暑いが爽やかな日だった。コロナで時間の感覚もおかしいうえにこんなに爽やかだとまだ5月みたいな気がする。ネットで「ひょうたん」の閉店を知る。神戸の街の景色みたいなお店がなくなってしまうのは悲しいな。
6月21日  日曜日  読書とちょこっと掃除。お昼ごはんを食べながら、『野ブタをプロデュース』を見る。最終回の前の回。ぐぐぐっと引き込まれる。夕方、父から連絡。晩ご飯を食べに来ないかと。急だなあとか、何でかなとかいろいろ思い少し葛藤。父がそんなこと言うのも珍しいし、結局行くと返事をした。夫も義実家に父の日を渡しに行くことになった。5時ごろ向かう。特に何があったわけでもなく、父の日のごちそうだった。姉が送ってくれたローストビーフを温めて切る。他にもうなぎやお寿司、サラダなど。今日はお酒も解禁していた。昔の話をたくさん。母にとっての昔の話は母の小さい頃の話。大変だったけど楽しかったんだろうな。そういえば、自分が小さい頃の話とかはあまりしてもらったことがないな。だからずっと記憶がぼんやりしたままなのかも。今思えば、両親ともに、ACだったんだろうな。そういう時代の人なんだろう。明るく振る舞いながらも、ずっと我慢してきたしんどさの歪みが今出てきてるんだと思う。8時ごろに帰る。自分の気持ちを優先すれば「行けないと断わる」だったのかもしれないとそうできなかったことに悶々としていたが、行ってよかったなと帰り道には思った。純粋に会話が楽しかったし、自分が子どもの役割を演じている感じがしなかった。すぐに巻き込まれずに、一度考えて、その上で行こうと決めたんだからそれで良かったんだろう。「断わるほうが正解」で正しいほうを選ばなくちゃというのは、自分の考え方の癖だと思う。ややこしいけれど、本当は行きたかったから行っただけなのかもな。って、これも自分の納得するストーリーを作り上げてしまってるのだろうか。むむむ。湿気もなくて涼しい爽やかな週末だった。
6月22日 まあまあ天気も良かったので布団を干した。気になっていた網戸の掃除もする。あとはクレジットカードの変更手続きとかメルカリの出品とかもろもろ。お昼からは音楽をかけながらの野菜仕事。玉ねぎをひもで吊すのを初めて自分でやってみた。YouTubeを見ながら。夕方、ドラッグストアとコンビニへ行く。夜はカレー。最近カレーの作り方が固まってきた。香味野菜と肉を炒めたところにスパイスいろいろ投入、炒めた玉ねぎとフレークのルーを入れてペースト状にする、なんらかの水分と甘いものと酸っぱいものを入れて少し煮て火を止めて放置。各ステップでお鍋についた焦げかけのところを綺麗にするのも大切。夫は会社の面接で評価が良かったらしく、嬉しそうだったというかびっくりしていた。このご時世にありがたいことだな。あまりこれまで報われることがなくて何度も転職してきているが、今回の職場は今までで最長記録を更新し続けている。それでも私から見るとなかなかブラックだけど、今まで苦労してきただけのことはあって根性あるなと思う。いつもどんよりしていたので、こんな日が来るとはという感じだ。この間ジブリのプロフェッショナルを見て見たくなったと『風立ちぬ』のDVDを買っていた。私もとても好きで二回映画館に観に行った。そのうちの一回は夫と観に行った。その帰りに結婚することにしたのだった。二人で半分ぐらいまで見る。何度も観れるの嬉しいな。
6月23日 仕事の日。お昼ご飯は、スープジャーのお粥。具材は緑豆と切り干し大根。味付けは鶏がらスープ。優しい味でばっちり美味しかった。胃腸の元気は、気持ちに繋がる。だんだん元気になってきた。本屋で雑誌を買って、カフェに寄り道。今の雑誌、リモートで作られているからかあまり洗練されてないところがとても面白いと思う。すごくわくわくする。GINZAを買いました。クローゼット特集。夜ご飯は、塩麹につけていた豚肉と玉ねぎを焼いたの。塩もみしたきゅうりをばさっとのっけた。ズッキーニと油揚げの味噌汁、煮豆、ぬか漬け。夫は仕事帰りに鍼に寄っていたので、ご飯まで少し時間があるなと思い、私は6時からアマヤドリさんのストレッチをして、頭を洗った。頭を洗うハードルが高いので、先に洗っておくと気持ちが楽。眠る前に湯船にじゃぽんと浸かり漫画を読んだ。夫も鍼の先生に「マスクが裏です」と言われたらしい。マスクの裏表に無頓着な夫婦だな。10時前には就寝する。
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mokkung · 3 years
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映画『モヒカン故郷に帰る』 〜死にゆく人と向き合うとき〜
2016年 日本 監督:沖田修一 脚本:沖田修一 撮影:芦澤明子 美術:安宅紀史 編集:佐藤崇 出演:松田龍平、柄本明、前田敦子、もたいまさこ、千葉雄大
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 好きな映画は無数にありますが、その中でも僕にとってこれまでの人生で出会えて本当に良かったと思う大切な映画がいくつかあります。その一つが『横道世之介』(2013)。特に強くメッセージ性を押し出してくる感じは無い、ただ上京したての大学1年生の1年間を描いている映画なんですが、人との出会いとか、人生のちょっとしたことがかけがえのない瞬間だったりするんだなと思わせてくれる映画で、何だか昔の友だちと会いたくなる映画です。
映画『横道世之介』予告編
 この映画を観て以来、監督である沖田修一さんの作品に興味を持っていて、今回沖田監督が広島で撮影した映画である『モヒカン故郷に帰る』を観たのですが、これも大変良い作品だったのでレビューを書きたいと思います。
あらすじ
 デスメタルバンド「断末魔」のボーカル、田村永吉(松田龍平)は、妊娠した恋人の会沢由佳(前田敦子)を連れて、結婚報告のために故郷広島の戸鼻島にある実家へ帰省する。矢沢永吉ファンの父・治(柄本明)、カープファンの母・春子(もたいまさこ)、弟・浩二(千葉雄大)は、長男が7年ぶりに帰ってきたことに驚き、さらには家族喧嘩が勃発するも、最終的には結婚を祝福する。結婚祝いの宴会後、突然倒れた治は救急搬送され、末期肺癌であることを知らされる。死にゆく父親の世話をするため、永吉と由佳はしばらく島で暮らすことを決める・・・。
リアルな広島の島暮らしを観ているかのようだ!
 この映画はオール広島ロケで撮影されていて、主に広島県呉市の下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島がロケ地となっている上、エキストラも現地の住民を多用しています。そのおかげで非常にリアルな瀬戸内の田舎の雰囲気を作り上げることに成功していると思います。僕はこのような島の患者さんを多数診療することがありますし、このような島々を訪れたことは何度もあり、いつも見かける光景、いつも見かけるような人々の営みが垣間見える映画で、映画と現実がリンクしたような妙な気分になりました。役者の広島弁も概ねナチュラルで、時々若干のぎこちなさは感じましたが、ほぼ違和感なかったです。「はよ出んさいや!」、「安川のほうじゃった」、「なんかあるじゃろ!」、こういう台詞は完全に我々の日常で飛び交っている言い方そのまんまでしたし、若い人と高齢の人で広島弁の訛り具合を変えているところもリアル。
ロケ地ガイド
 余談ですが、ロケ地になった病院は下蒲刈病院というところで、僕はここに行ったことがあります。目の前が船着き場で隣が中学校という独特な立地が面白い場所です。柄本明演じるお父さんが、入院中に病院の屋上から吹奏楽部の指導をするというシーンがありましたが、この立地ならではの演出ですね。また冒頭で主人公が属するデスメタルバンド(というよりハードコアバンド?)がライブをするシーンのロケ地はBad Landsというライブハウスだと思いますが、僕は大学生時代にバンドをやっていて、ここで何度かライブをしたことがあり、懐かしかったです。
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引用元
柄本明の演技がすごい!
 役者陣については、それぞれ個性的な役を、良い感じに演じていてとても良かったと思います。松田龍平のイケメンだけどさりげないダメ男感とか、前田敦子のバカっぽいけど素直で良い女の子キャラとか、とても魅力出来でした。しかし何と言っても柄本明がすごい!進行癌の患者を演じているのですが、リアル過ぎてびっくりしました。現実にこういう癌の患者さんいます!歩き方とか、ベッドに横たわっている時の様子は、本当に患者さんかと思うレベルでしたし、時間が立つにつれて病気が進行して衰弱していく様子も、全然わざとらしくないのに、ひと目で前より悪くなったと分からせる佇まいが見事。
 びっくりしたのは呼吸の演技です。診断時のCTを見るかぎり、肺癌だけでなく基礎疾患として比較的進行したCOPDを患っていることが分かるのですが、墓参りに行くときに階段を登るシーンの呼吸の仕方が完全にCOPD患者の演技をしている!ちゃんと息を吐く時間が長くて、少しヒューヒューゼーゼーした音がして、COPD患者の息切れ演技としてバッチリなんですよ。これにはびっくりしました。おそらくこのような細かい人物描写もちゃんとこだわって演技しているのだと思われます。こんなにちゃんとCOPD演技をしている映画は珍しいです。柄本明、恐るべしですね。
 ちなみに僕は長く広島県に住んでいますが、矢沢永吉が広島出身だということは有名であっても、柄本明演じる父・治のような矢沢永吉原理主義者は今まで見たことはありません。一方で、もたいまさこ演じる母・春子のようなハードコアなカープファンはちょくちょく見かけます。やたらとグッズや記念品を飾ってたり、サインをたくさん持ってる、あんなノリのおじさんおばさんは珍しくありません。
※COPDとは:chronic obstructive pulmonary diseaseの略で、日本語では慢性閉塞性肺疾患といいます。たばこの煙などの有害物質が原因で気管支が炎症を起こして内腔が狭くなったり、肺が破壊されたりして、呼吸がしんどくなる病気です。
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引用元
沖田修一印の会話劇と演出
 以前、映画『キツツキと雨』について書いたときにも少し触れましたが、沖田監督の持ち味は、オフビートな笑いや少し間の抜けたコミカルな掛け合いによる会話劇で、その中で少しずつ移りゆく人間関係や心情変化を、説明的な台詞は多様せず、表情やちょっとした行動、または小道具や音楽など台詞以外の周辺情報でじんわりと伝えることのように思います。本作もそのような監督の持ち味が生きた映画でした。音楽室での吹奏楽部の演奏シーン、ラッパ少年を車で送るシーン、浜辺でおにぎりを食べるシーンなどは、ちょっとコミカルだけど別に感情を吐露する台詞もないのに、グッと胸に来るものがありました。ただ最終的に亡くなる治の、死に際の一連の件は若干コミカルにし過ぎな気がしないでもないですが・・・。
 一番印象的だったのは広島カープ・菊池選手の使われ方です。カープファンの母・春子はどうやら菊池選手推しの様ですが、劇中前半、ラジオから聞こえるカープ中継では菊池選手が得点のチャンスを逃してしまうシーンばかり流れています。それは夫の治が進行癌だと分かって入院した時に聴いていたラジオでもそうでした。しかし中盤のある展開で流れているカープ中継では、菊池のホームランでサヨナラ勝ちするのです。そして母・春子は大喜びで大げさにも涙を流す。このシーンは、一家の一つのポジティブな転換点を、野球中継を通してさり気なく演出していて上手いと思いましたし、春子の涙と永吉の笑顔を見て僕もホロリしてしまいました。
死にゆく人と向き合うことの大切さ
 本作は、死が避けられない父親を目の当たりにした主人公が、父親が幸せに過ごしてもらえるよう奮闘し、死が近い父親との生活の中で父親の本当の姿や気持ちを知り、そして自分も父親になるのだという新たな人生の転機を受け入れていく物語です。僕は仕事柄、たくさんの進行癌患者さんたちを診療してきましたし、それによって亡くなる人たちを看取ってきました。この一家のように、終末期の患者さんができるだけ自宅で過ごせるよう奮闘した家族もたくさん知っています。死を迎えることはとても悲しいことではあるのですが、この映画のように死を迎えつつある家族の一員と真剣に、そして前向きに向き合ってきたご家族は、いよいよ死を迎えるとき、悲しい気持ちは当然あるけれど、穏やかで温かい最後を迎えられることが多い気はしています。すべてがそうとは言いませんし、いろんな死の迎え方がありますから、これが正しいと言うつもりは無いのですが、どういう状況であれ、辛いけれど死にゆく人と真剣に向き合うことは重要で、それをアシストするのも医療のしごとなのかなと、この映画を見て改めて思ったりしました。
 また例えどんなに元気でも、みんな衰え、いずれは死を迎えます。突然死が訪れることだってあります。この映画で描かれたように、親はいつまでも元気というわけではありません。最近、自分の親も衰えたなと実感することが増えました。多分、いずれ自分もこの映画の主人公のような立場に立たされることがあると思います。その時自分はどうするだろうか。親は自分に何をしてほしいと思うのだろうか。そんな事を考える切っ掛けになる映画でした。そして、たまには実家に帰ろう。
最後に
 この映画では主人公永吉が死にゆく父親の看病をしながら、親はどういう思いで自分にこの名前をつけたのか、親は成長した自分に対してどういう思いをしていたのかなどを思い知らされ、自身もまた親になったことで思いを新たにすることになります。
 最近、僕も妻の間にも子供を授かり、現在絶賛育児中です。親になったことで、少しずつ自分の親がどういう思いで自分を育てたのかということを理解したり想像できるようになってきました。この映画のラストはそんな自分にも重なるような、開かれた終わり方になっていて、このタイミングでこの映画を観たことは本当に良かったです。
 細野晴臣が手掛けた主題歌「MOHICAN」も素敵なのでぜひ聴いてみてください。沖田監督の新作『おらおらでひとりいぐも』も楽しみです!
MOHICAN - 細野晴臣
映画『おらおらでひとりいぐも』予告編
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oooorip · 4 years
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刀ステ信者の刀ミュ初見感想③(真剣乱舞祭2018〜葵咲本紀)
こんばんは。刀ステ信者です。
またの名を、刀ミュ大好きなっちゃったオタクです。
刀ミュ配信、終わっちゃったね。
さびしい。本当に寂しい。毎日8時が近づくたびに、両手でペンライト握りしめながらDMMのページをじっと見つめていたあの日々。
マジでつらい。初日に戻りたい。全肯定オタクとしてもう一度観たい。
ほんとに大丈夫かな、最後まで観れるかな?と不安になっていた自分をタコ殴りにした後抱きしめたい。
大丈夫、お前は刀ミュが大好きになる。急勾配を転がり落ちていったあと、最後に地面に設置されていた底なし穴への扉がパカッと開き、まんまと中に落ちる。
ほんとにねえ、今………マジで大好きなんですよ、刀ミュ………へへ………ほんと、どうして生で観てこなかったかなあ……(号泣)
期間中、マジで悔しくて何度泣いたことか。配信終わったあとお布団の中でわんわん泣いた。
①、②と立て続けでクッソ長い前置き書いてきましたけど、もうあんなもの必要ないです。
なにも書くことがない。だって今、わたしは刀ミュが大好きだから。神に誓ってそう言える。
今回で感想もラスト。
刀ミュ最高、出会えてよかった、でも配信もっとみんなで観たかった、なにより生で観たかった。
そんな気持ちがごちゃまぜになっているので、褒め称えた次の瞬間メソメソしはじめたりと、おそらく度々情緒が不安定になると思います。
めちゃめちゃ気持ち悪いと思いますが、最後までお付き合いくださる方がひとりでもいらっしゃれば嬉しいです。
①真剣乱舞祭2018
先人の課金がねぶたとお神輿になって帰ってきた。
すごかった。すごかった…………
これ、ぜっっっっっったい現場楽しかっただろうな〜〜〜〜……(真剣乱舞祭のたびに言ってる)
真剣乱舞祭っていわゆる全国コンサートツアー的なものだと思うんですけど、その為だけにあのセットや手の込んだ衣装用意できるってめちゃめちゃすごくない?
刀ミュには力(金)があるぞ!オタク〜!ってことだし、その力(金)でオタクを幸せにしたい!って気持ちがヒシヒシ伝わってくる。
今更ながら刀ミュ、最高に福利厚生が手厚いコンテンツだよね。もっと早く気付けてれば寿命伸びただろうなあ……
こんなに見目麗しいソーラン節、確実に刀ミュでしか見れない。画面のどこ見ても美人しかいない。
お祭り衣装のみんなめちゃめちゃよかったな〜〜〜!あの格好で腕組んでる三日月がやたら可愛くてずっと覚えてる。
ていうかみんなお肌綺麗だし、脇がすべすべのサラサラなんだよね…マジで当たり前のように全員脇が綺麗だけど、確実にスキンケアにお金と手間がかかっている。本当にありがとうございますとしか言えない。
東西祭対決で、自分の太ももが賄賂になると思ってる村正がめちゃめちゃ可愛かった。ていうかもう早くみほとせ観たくて暴れそう。でもみんなと観たいから我慢するね……大人だから……
歴史上の人物たちがみんな出てくるのも、なんか迷い込んじゃったぞみたいな雑な理由じゃなく、ちゃんと「お祭」ってテーマに沿ってて上手いな〜〜〜!と思った。
あそこの近藤さん、土方さんが一言目からやべえ奴連れてきたのに全然動じてなかったよね。さすが局長。
自分は久々に会った友達が榎本くんみたいなの連れてきたら面白すぎて死んじゃいますね。
でも榎本くん、言動がぶっ飛んでるけどマジで顔が品の良いハンサムなんだよなあ……好きだ……
2018の時点でこんなに最高な真剣乱舞祭、2019年には歌合に名前が変わってますが、いったいどんなに良くなってしまってるんですかね。
その真相を確かめるため、我々はDMMの配信販売ページに向かった──。
誰だろうね。真剣乱舞祭はストーリーに関係ないんだろうから見なくていいや〜って言ってたオタク。
わたしなんだよね〜。
万死だね。
②三百年の子守唄
もうタイトルの字面だけで涙が出てくる。
めちゃめちゃ好き。大好き。泣きながら感想書いてる。
ストーリーが良いなんてもんじゃない。神曲かざぐるま。刀剣男士が大好きになれる。
刀剣男士がここまで人間と密接になるお話、今まで観たことなかったのですごく新鮮でした。
実際の人に成り代わり、人として子育てをして、その人生に寄り添う。本来人の命を奪う道具であるはずの刀剣男士が、人を生かす。死ぬ運命にある人に、死んでほしくないと思う。
めちゃめちゃエモかった。あまりに刀らしくない話なのに、顔グッチャグチャになるまで泣いちゃった。
かざぐるまが神曲すぎるんですよね。歌自体はすごくいい歌だな〜って真剣乱舞祭2017の時に思ってて、事前にサントラ買ってたので何度も聞いてきたけど、まさかこんなエモいシーンの歌だったとは。
ミュージカルとかで、ひとつの曲の中で時が流れて子どもが大人になっていくの大好きなんですよね。ライオンキングのハクナマタタとか。
優しくて壮大なメロディも好きだけど、歌詞が大好き。人の一生に寄り添いつつ、でもそれは刀剣男士にとっては一瞬なんだなっていう、超然とした人ならざるものの目線が良い。ストーリー知った今聴くとめちゃめちゃ泣いちゃうよ……
ストーリーもね、刀ミュで1番好きなのはむすはじだと思ってたんですけど、もうだめ。選べなくなった。個人の所感ですけど、たくさんある中の1番が選べなくなると沼に足取られたなって感じしませんか?
人に幸福を届ける物吉、人の願いを聞き届けてきた石切丸、誠実で人に仕えることにまっすぐな蜻蛉切。
この三振りに対し、
人に破滅をもたらす妖刀とされてきた村正、霊にまつわる妖しい伝説を持つ青江、他者と関わるのを嫌う大倶利伽羅。
このキャラ構成、天才だと思うんですよね。
そこそこ上手く人間とかかわれる刀と、そうじゃない刀の対比がすごく好き。最初はうまく人と関われなかった刀たちが少しずつ歩み寄っていく過程が良いのはもちろん、逆に上手く関われてきたからこそ壁にぶつかったり、つらい思いをする刀たちの姿がすごく切ない。
村正が自分に向いてない!って言いながらでも気になって終始コソコソしてるところ、めちゃめちゃ可愛かった。ほかのみんなと衝突して出て行っちゃう度に、行かないでよ〜〜〜、画面にいてよ〜〜〜〜お願いだよ〜〜〜って暴れた。吹き矢やられたい……
今回の語り部でもある石切丸に対しては、こんなに人に偏った優しさ持ってて刀やりづらすぎるだろうなあ…と思いました。
ひとりで全部抱え込もうとする姿は三日月を彷彿させられたけど、彼には青江がいて本当によかった。
あそこの二振り、話す内容はふわふわしてるのにちゃんとお互いの大事な部分わかりあってるの良いよね。
あと五平が死んじゃうところの伽羅ちゃんの「だから馴れ合いたくなかったんだ……!」てセリフ、大好きなんですよね。
そのたった一言に彼の生来の優しさ、失うことを恐れる臆病さ、その思考に至るまでの歴史、寂しさが詰まってる。
伽羅ちゃん、本当にいいキャラだよね。刀ステの義伝がやっていた頃、どっかの媒体で脚本の末満さんが「大倶利伽羅のセリフは引き算」って言ってて。(猪野くんが末満さんからそう言われたって話だったかもしれない)
自分はそれで末満さん天才だなと思ったんですけど、本当にその通りじゃない…?
彼の言葉は時に必要なものさえ引いてしまうほど少なくて、けれど短い言葉でたくさんの感情を表してくれる。
みほとせはその彼のよさをこれでもかってくらい引き出して、魅力的に描いてくれた作品だなと思ってます、だから刀ミュの脚本も天才です。
そう、脚本が天才だなって今回めちゃめちゃ噛み締めた。
みほとせだけじゃなくミュのストーリーに出てくる歴史人物、誰もいやな人がいないのがいいよね。いわゆる悪意を持ってるキャラ。
これは自分の考えですが、ストーリーを描く上で悪意を持った存在ってすごく便利だと思うんですよ。
人間は悪意に対して安易に心が動くので、物語を進行させやすい。見ている側もそっちにヘイトが向くので、ストーリーに多少のアラがあっても目立たない。
悪意のあるキャラっていうのは、それだけで物語を動かせるんです。
逆に悪意なしで物語を作るとなると、一気にダレやすくなってしまう。物語を、見ている側の心を大きく動かすのが難しくなるからですね(※ド素人の所感)
歴史もののお話なんて、特に歴史上の人物の誰かに悪役を背負わせた方が話が作りやすいと思うんです。
でも刀ミュのストーリーに出てくるキャラクターたち。刀剣男士はもちろん、歴史上の人物たちもみんな優しい。
闇堕ちする理由すら、お兄ちゃんに裏切られてめっちゃ悲しい!大好きな人を守りたい!パパにお兄ちゃんを殺されてめちゃくちゃ悲しい!じゃないですか。こうして見ると兄弟間特大感情すごいな……
天下取りたくて仕方ねえ、そのためならなんでもするでござるみたいな人間が誰もいない。誰も腹黒いこと考えてない。もちろん実際はそんなことなかったと思うけどね。
こんなに悪意を持たないキャラばかりで作られた作品が、一度たりともダレてないっていうのが凄いなと自分は思ってて。
逆にそれだけ刀剣乱舞の名のつく物語を慎重に、丁寧に作ろうとしてくれてるんだっていうのが伝わってきてすごく嬉しい気持ちになった。
本当、刀ミュってどんどんストーリーが緻密になっていきますよね。大好き。
徳川家康がなぜ太平の世を築くことに執着したのか。なぜ彼の物語につけられたタイトルが「三百年の子守唄」なのか。
そのすべてがわかった瞬間、もうありえないくらい涙が溢れてきちゃった。
いまわの際で、まるで自分に両親を与えてくれなかった運命に向かって勝ち誇るように笑っていた家康。彼の最期が物吉くんに看取られて本当によかった。ちょっと、いやだいぶ羨ましいけれど。
あのシーン見ちゃうと家康がバブちゃんだった時から物吉くんの愛情が100%だったの、すごい胸にくるものあるよね・・・
真剣乱舞祭で村正派に萌えまくり、1日でもはやく観たいと思っていたみほとせ。
それにここまで涙腺をブチ壊されるなんて思ってもみませんでした。
最初は村正の太ももと蜻蛉切の脇ばっかり目がいっちゃってたのに。そんな邪な気持ちを抱いていた自分が許せなくて100回指詰めました。
おかげで指全部なくなりましたが、明日はいよいよ運命の葵咲本紀。
今回の配信の大トリにして、自分の大本命です。
正気でいたら褒めてね。
③葵咲本紀
Life is wonderful. No toumyu is no life.
みなさん。人生は幸せですか?
わたしは幸せです。世界で1番幸せです。
お母さんとお父さんに感謝。この世に生まれてきてよかったと、心の底から感じています。
どうしてこんなに幸せになれたかと言うと、ミュージカル刀剣乱舞「葵咲本紀」と出会えたからです。
何度も書いた通り、葵咲は大本命でした。why。当時、葵咲で軒並み自分の周りが屍になっていったからですね。
同志が何人も死んでいる。ならば、自分だってきっと無事では済まない。
なのでこの配信が始まる前から、葵咲のことは内心めちゃくちゃ気になっていました。刀ミュのストーリー全然わかんないけど、いっそ円盤買っちゃおうかなと思ってたくらいに。
大本命との邂逅。さて、その結果はどうだったか。
正気を失った。
配信買った。永遠に観てる。
絶対に円盤も買う。CDも買う。保存用と、脳に埋め込んでおく用の二つ。
一時たりとも離れていたくない。葵咲本紀で生命維持がしたい。
こんな感じです(血走った目)
なんでこれほど好きかというと、理由は100億個あるんですけど。
まずストーリーが好き。みほとせで、子守唄が歌われ続ける世の中にしたいと願った徳川家康の子どもたちのお話。
自分が子ども時代苦労して家族のありがたみをわかっている人間でも、決して自分の子どもみんなを幸せにできるわけじゃあないんですよね。みほとせでも思ったけど、その辺すごく人間臭くて好き。
実は葵咲、なんでこのメンツなんだろう?って1番謎に思ってた公演で。
観てめちゃめちゃ納得できた。「家族」がテーマだからなんですね。
徳川家の壮大な家族喧嘩に関わることで、こてぎりくんは同じ江の「先輩」を救い出し、村正派はお互いの絆を確かめあえた。
御手杵くんは歴史から消された貞親と話すことで、「でも存在しなかったわけじゃない」っていうのを教えてもらって。
明石と鶴丸は刀ミュ自体の物語を動かすキャラクターとして起用されていたんですね。
明石をこういうキャラクターにしたの、すっごいチャレンジだったんじゃないかな?自分はめちゃめちゃ好きでした。
(歴史改ざんと判断するには)まだ早いとか、きっちり見届けさせてもらいますわとか言ってたし、明石、政府と繋がってたりするのかな?それとも三日月がこっそりやっていることをついにミュ審神者が勘付いて、明石に探らせてるのか。
てか役者さんが本当に絵のままで初見三度見した。ひょろ長くて、腕足が細くて、鎖骨が骨ばってて。
こんなご本人、どこから連れてくるんでしょうね?!流石に3Dプリンターを疑うレベル。
初登場のこてぎりくん、もう100回見てるけどあまりにも目がクリックリでかわいくて女の子にしか見えない。かわいい……かわいいね……好き。
最初に出てきて0.2986秒で2部はじめた時は振り落とされそうになりましたが、顔がかわいいので必死にしがみつきました。
村正派もめちゃめちゃよかったなあ。みほとせの物語を乗り越えたこからこそ、「誰かを思うこと」に目覚めた村正がすごく良かった。
信康のことで家康に怒りを持ったままの彼、最初は蜻蛉切もいってたけどちょっと意外だった。その後、実はこっそり信康に関わっていたことを知って泣いちゃいました。通りすがりの裸のおじさん、健気すぎるよ……
あと貞親さんと御手杵の歌のシーンがめちゃめちゃ好きです。歌がいい。でも最後のほうチューしそうになるよね??
「響きは音に応じる」って歌詞、むすはじ意識してるよね。そういうとこえっちだよ刀ミュ。大好きだよ。
また中の人の話をしちゃいますけど、御手杵の役者さんえげつなくないですか……???
初めて出てきた瞬間、「長!!!!!」って声出た。いくらなんでも長すぎる。
後でツイッターに流れてきた情報みたんですけど、「絵と頭身が一緒」っていう奇跡よ。これぞ遺伝子の勝利ですね……。
徳川兄弟がみんな信康さんのこと大好きで、誰も天下なんて欲してないのもすごく良いなと思った。
みほとせの時も書きましたけど、この腹黒い悪意のなさで物語が面白く成り立つの本当すごい。
それと葵咲、作中の曲もダントツで全部好きです。カッコいい曲ばっかりだし、最後の先輩と秀康を正気に戻すところの曲なんか歌詞もメロディもめちゃめちゃ大好き。作曲の天才がいるとしか思えない。
って感じで葵咲が好きなところはまだまだ出てくるんですけど、特に1番好きなのは鶴丸国永です。
もうめちゃめちゃカッコいい。めちゃめちゃかわいい。めちゃめちゃ強い。
ひときわ通る伸びやかで低い声。その声で歌われる歌があまりにも上手い!
そんな高スペック隊長にもかかわらず、やった仕事は主に
検非違使と追いかけっこしたこと、三日月宗近の存在をプンプン匂わせたこと。
…以上!
さすがに盛った。
めちゃめちゃ仲間庇って戦って、村正派の二人のシーンで空気よんでぺちゃんこになって、こてぎりくんと秀康の刀が関係していることを瞬時に見抜いたりしてましたね。あとまじで上手い歌を歌ってくれた。鶴の一声、二曲とも大好き。
でも彼自身は家康、徳川兄弟どちらと関わるでもなく、表立つわけでもない。作中で鶴丸国永については「めちゃめちゃカッコいいこと」「めちゃめちゃ強いこと」以外のなにもわからない。
唯一わかるのは、三日月宗近がめちゃめちゃ好きということだけ。
自分は刀ステの鶴丸が三日月にクソデカ感情を持っている事実に一生萌え散らかしているオタクなので、もう暴れまわりました。
ここでもかーい!!
って窓開けて叫んだ。
ほんとどこいっても……どこいってもさあ……勘弁してよ鶴丸さん……
っていうか、やっぱり三日月は歴史のあちこちで人生のネタバレをして回ってるんですね。
三日月の目的って「どんな形であれ歴史をあるべき姿にする」なんでしょうか。
でもそのためには、どうしても理不尽に死なないといけな���人が出てくる。いわゆる、悲しい役割を背負わされた歴史上の人間ですね。
彼らを救い、歴史の表舞台からいなくなってもらう代わりに、刀剣男士の協力者「物部」の役割を積極的に与えて回っている。
明石はそのやり口は目的がどうあれ完璧な歴史改竄だと思っていて、鶴丸は退屈しなくて面白い!と三日月を肯定している。
ははあ〜〜〜〜、なるほど〜〜〜〜〜・・・・・・????(大好き)
それだけならまだ良かったんですよ。作中で三日月の存在を匂わせ、彼を肯定しているだけならまだ日本語が話せた。
でもそれだけじゃなかった。
2部の鶴丸ソロ曲。
あれ、なんなんですか…………………?????
もう1億5000万回くらい聴いてますけど、何度聴いたってこんなの
「To 三日月 From 俺」
じゃん。
いや、なにをもって主に夢を見させてくれるはずの2部パートで、そんな歌を聞かせてくるんですか……????
みんな恋愛曲歌ってるじゃん。抱きしめたいって言ってくれるじゃん。きみとこのままナウェフォエバーじゃん。
鶴丸だけだよ、友達(三日月)との思い出をひとり寂しく歌ってるの…………
なんらかの意思のもとで動いている明石や敵の動きさえ見抜く強キャラで、なに考えてるか全然わからなくて、めちゃめちゃ強くて自信に溢れた刀ミュの鶴丸国永。
その鶴丸国永のソロ曲がこれ。
……これ?!(混乱)
なんなんでしょうか、鶴丸国永にとっての三日月宗近って…………????
これで完全に頭おかしくなっちゃった。人生が幸せになっちゃった。生まれてきた意味を知った。
で、ここでちょっと思い出して頂きたいんですけど。
私が4年間刀ミュを観てこなかった理由。それは「2部が楽しめないと思っていた」から。
①の記事に散々書き連ねられるほど、その障壁は高く厚いものだとずっと思ってきました。
その2部に、最後の最後で生まれてきた意味を教えてもらっちゃったんですよね。
……
(崩れ落ちる音)
見事にオチがついてしまった。
狙ったわけじゃないんですよ、ほんとに。そんなに器用だったらもっと人生成功してただろうし。
今までの人生、散々後悔してきたけどもう1番後悔した。高校受験失敗した時より後悔した。
刀ミュ、どうして生で観に行かなかったんだろう。こんなに最高の鶴丸国永を、どうして自分の目で観なかったんだろう。
葵咲と出会えて世界で1番幸せだけど、違う出会い方がしたかった。歴史変えたい。
鶴丸のソロだけじゃなくて葵咲の2部、ほんとに世界で1番大好きなんですよね。入り方も今までにない感じでめちゃめちゃかっこいいし、サディスティックえっちだし村正のソロかっこいいし、闘魂歌とかもう好きすぎて謎の涙でてきちゃう。
本当に本当に後悔してる。幸せだけど苦しい。
そんなこんなで配信当日は後悔のあまり泣きながら観終わりました。
それから二日間、仕事以外は一生葵咲の配信観てる。一時も離れたくなくて。
無事に正気とはバイバイしてしまいましたね。
でも幸せです。絶対再演やってほしい。今度こそ、命をかけて通うので。
ありがとう世界。
ありがとう刀ミュ。ありがとう、葵咲。
あとがき
めちゃくちゃ長くなってしまった。
まずはここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
①、②からこの③まで書いてきた刀ミュの感想ですが、ありがたいことに自分が思った以上にたくさんの方に読んでもらえて嬉しかったです。
もともと刀ミュを観よう、その感想をしっかり書こう!と思ったのはひとりのフォロワーさんとのやりとりがきっかけでした。
以前、そのフォロワーさんに自分にぜひ刀ミュ新作のパライソを観てほしい!って言ってもらったんですよね。
星の数ほどいるオタクの中で、そんなふうにわざわざ言ってもらえるのすごく光栄だなと思って。
だから観ることに決めました。きっと2部は楽しめないだろうけど、とりあえず観るだけ観てみよう!と。
感想はそのフォロワーさんに、自分が刀ミュの過去作観たよ〜って届けばいいなあ。ついでに自分みたいなオタクにも届けば嬉しいかな?ぐらいの気持ちでした。
今ではあの時、そう判断した自分によくやったと言ってやりたいです。
遅すぎたけど、でも知らないよりずっと良かった。
この世界のどこかにいる、この刀ミュ無料視聴を企画してくれた方々。本当にありがとうございました。
おかげさまでこの数日間、本当に楽しかったです。刀ミュが大好きになれた。大好きになれて、本当によかった。
こんなに良いものをタダで観せていただけて、もうこれ以上望むものなどなしって気持ちもあるんですが、ダメですね。オタクの仕事はここからです。
生きる意味を教えてくれた御礼に、これからできるだけお金を落としていこうと思います。
重ねてになりますが、①からこのあとがきまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
今度はぜひ、チケット戦争の地でお会いしましょう。
刀ステ信者の刀ミュ初見感想 おわり
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cookingarden · 4 years
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ジェニファー・グラウスマン監督、サム・カルマン監督『美術館を手玉にとった男』 原題:Art and Craft 制作:アメリカ, 2014年. これは新しいタイプの映画だ。主人公マーク・ランディスのセラピーがリアルタイムで記録されている。その意味でドキュメンタリー映画だが、映像表現や音楽が実にカッコいい。 それだけではない。この映画自体が主人公の「手玉にとられて」いるように見える。そして終いには、精神疾患を抱えるのは主人公ではなくわたしたち自身ではないかと思えてくる。『美術館を手玉にとった男』は、観る者を逆説の境地に誘う新しいタイプのドキュメンタリー・・・ではないかと思う^^; なお、本作の登場人物はいずれも実在する。本来であれば名前に敬称が必要だが、映画の登場人物として省略した。          CONTENTS ・寄贈された名画は贋作だった ・ランディスが行った贋作の技法 ・ランディス、お前は何がしたいのだ? ・精神疾患を持つランディス ・ランディスに転機をもたらした贋作の展示会 ・ランディスは統合失調症なのか? ・母との統合を果たしたランディス ・ランディスの統合とわたしたちの不統合
寄贈された名画は贋作だった 「全米各地の美術館に贋作が寄贈されている」ーーこの事実を最初に知ったのは、シンシナティ美術館で主任レジストラーを務めていたマシュー・レイニンガーだった。彼はオクラホマシティ美術館に努めていた2008年、有名絵画を寄贈したいというマーク・ランディスと出会う。しかし、彼が持ち込んだポール・シャニックの絵は、ある大学が所蔵していることに気づく。調べると、ランディスが持ち込む作品はどれも、全米各地の美術館などに現存するものだった。 レイニンガーは���ランディスの贋作を受け入れた施設は、30年間で全米20州の46美術館にもおよぶという。映画には、「これは犯罪行為だ。入院するか刑務所に入る必要がある。」とランディスを責める博物館関係者も登場する。しかし、彼は金目当てに贋作を行ってはいない。それでは、贋作を寄贈することの何が問題なのだろうか。 美術品を購入する際、美術館は作品を精査する。だが、寄贈となると名品でもあまり調べようとしない。多くの美術館はそこを突かれたようだ。贋作を買わされてはいないので、ランディスの行為は詐欺罪には当たらない。これは映画に登場するFBIの捜査官がそう述べている。 しかし、贋作を展示すれば、美術館全体が贋作を展示していると思われかねない。これは美術館にとって迷惑な話だろう。 ランディスが行った贋作の技法 それにしても、彼は一体どのようにして、30年間にわたって100作もの贋作を作り上げたのだろうか。映像が伝えるその方法は、それほど特殊なものとは思えない。彼は町のホームセンターで手に入る、ごく普通の色鉛筆や絵具を使っている。画材の古さを表現するために、作品をコーヒーで汚したりもする。 しかし当然ながら、ごくありふれた道具でプロを欺くには優れた技量が必要だ。ランディスは用紙の下に元絵を敷き「めくる」「描く」を繰り返す。かつて銀行で目にした、印鑑の残影照合と同じ手法だ。ランディスはこれを「記憶術」と呼んでいる。 デジタルプリントも使われる。プリントを下絵に絵具を重ね、見る見るうちに本物のように仕上がっていく様子は圧巻だ。見た目にはリアルだが、それでも鑑定されれば簡単に見破られるだろう。ランディスが寄贈した作品の真贋を疑わなかった美術館も無防備だったと思わせる。 ランディスは、両親との生活が贋作の原点になったと述べている。海軍将校だった父と美人の母に連れられ、訪問先のホテルの部屋で留守番することが多かった8歳のころ、退屈しのぎに美術館から持ち帰ったカタログを模写するようになった。これが贋作のはじまりだったという。後に美術館を欺くほどになる彼の技量は、幼少から数十年におよぶ修行から生み出されたものだ。 ランディス、お前は何がしたいのだ? ランディスの贋作を見た多くの関係者が、作品の出来を高く評価している。贋作を見破ったレイニンガーも、本物に見える出来栄えだと述べている。だが、金目当ての贋作ではない。「いったい、この男は何がしたいのだ?」レイニンガーは捜査にのめり込む。しかし、調査に没頭するあまり彼は、仕事中は控えてくれという美術館の忠告を聞き入れず、とうとうレジストラーの仕事をクビになる。 レイニンガーは、「自分は執着しすぎる傾向がある」と告白している。かつて、強迫性障害や注意欠陥・多動性障害と診断されたことがあるという。そして、自宅で主夫を過ごすなか子どもに「ランディスが憎いの?」と聞かれ、「いや、そうではない」と答えている。最初は彼に腹が立ったが、調べが進むうちに憎む感情はなくなったようだ。 彼の懸命の捜査は4年間におよんでいる。ランディスは何度も名前を変え、各地の美術館を渡り歩いていたことが明らかになる。移動の手段は、かつて母が乗っていた赤のキャデラックだ。レイニンガーが集めた情報はやがてFBIの耳に入り、フィナンシャル・タイムズの記事で取り上げられたことでランディスの行為は全米に知れ渡ることになる。 精神疾患を持つランディス 追う側のこうした姿と並行して、映画はランディスが地元ミシシッピ州ローレルにあるメンタル・ヘルスケア(Pine Belt Mental Healthcare Resources)に通う姿を映し出す。ケースワーカーが尋ねる。 「気分はどう?」 「自殺願望は?」 「他害衝動は?」 「幻聴や幻覚は?」 小さな声で「ない」と答えるランディス。彼は精神疾患を抱えている。17歳のとき「妄想型統合失調症と精神障害」「パーソナリティ障害」と診断され、現在は統合失調症治療薬ジプラシドンの処方を受けている。 ランディスの行動の原点に母の存在がある。ランディスは「父にとって自分は残念な存在だった」という一方で、母には強い情愛を示している。母を回顧して彼は次のように語っている。
亡くなった父を忍ぶことをして、母を喜ばせたかった。母は自分が贋作を寄贈しに各地を歩いていることを知っていた。それでも母は、自分のことを少しは誇りに思っていた。というか気にしなかった。
ランディスの心にはいつも母の存在があった。彼は母の美しい肖像画を描いている。彼の精神疾患が診断された17歳の時、同じ17歳当時���母の写真を模写したものだ。母が亡くなったのは2年前と述べていることから、贋作を寄贈して歩いたほとんどの期間を、母とともに過ごしていたことになる。 ランディスに転機をもたらした贋作の展示会 ランディスの贋作が発覚したあと、彼に興味を持つ者が現れる。シンシナティ大学でレイニンガーの同僚だったアーロン・コーワンである。彼は「ランディスの行為自体がアートのようだ。動機が気になった」という。そして彼は、ランディスの贋作を一堂に集めた展覧会を企画する。過去の贋作作家との違いを示すのが彼のねらいだ。計画を聞いたレイニンガーは「面白いじゃないか」と述べている。ランディス自身も電話で展示会への感謝を示している。 だが、コーワンはランディスの行為を良しとしているわけではない。発覚したあとも贋作の寄贈を続けるランディスに「悪意がないのはわかっているが、ともかくやめてほしい」と諭している。関係者にとって、贋作の寄贈は歓迎できるものではない。 緊張のうちに展示会場を訪れたランディスは、人々から口々に「贋作じゃなくて、自分の作品を作ってほしい」と声を掛けられる。それに対しランディスは母の肖像画を指し「作っているよ」と答えてる。 展示会場ではじめて、ランディスはレイニンガーと面会する。5年振りの再会だ。互いが手を差し伸べ握手をする。ランディスは、
私は長い間、君と話せなかった。ほんの数分も。とにかく、会えて嬉しい。ほんとうに申し訳ない。できることがあったら、言って欲しい。
と話しかける。帰り際にもランディスはレイニンガーに感謝の言葉を述べ、二人は、硬い握手をして別れている。 このあと映画はランディスの独白を捉えながら、エンディングを迎える。最後の場面で彼はおよそ次のように語っている。
(贋作の寄贈は)やめた方がいいんだと思う。思い付いたことがある。紛失や盗難にあった芸術作品を持ち主に返すというアイデアだ。私にできることは、小さな絵を描くことだ。なくなった1ページを、もとの本に戻せたら素敵だろ。
このときカメラは、ホテルの部屋で神父の服装に着替えるランディスの姿を捉えている。鞄を下げ、赤のキャデラックに乗り込むランディス。「アイデア」を実行に移す姿を示唆して映画は終わる。 ランディスは統合失調症なのか? エンドロールをながめながら統合失調症とは何かが気になった。映画のランディスは確かに風変わりで病弱な印象の人物だが、とりわけ重い精神疾患があるとは思えなかったからだ。統合失調症について厚生労働省の関連ページには次のように書かれている。
統合失調症は、幻覚や妄想という症状が特徴的な精神疾患です。それに伴って、人々と交流しながら家庭や社会で生活を営む機能が障害を受け(生活の障害)、「感覚・思考・行動が病気のために歪んでいる」ことを自分で振り返って考えることが難しくなりやすい(病識の障害)、という特徴を併せもっています。(…)慢性の経過をたどりやすく、その間に幻覚や妄想が強くなる急性期が出現します。 厚生労働省「みんなのメンタルヘルスケア総合サイト」より引用
はたしてランディスは、この記述に当てはまるだろうか。わたしには、どうもそうとは思えない。映画の中で彼は二人のケースワーカーの問診を受けているが、いずれのときも「幻覚や妄想はない」と答えている。また、多少ぎこちなさはあるものの生活に大きな支障があるようにも見えない。普通にクルマを運転し買い物にも行く。電話による会話もできている。そもそも、人との交流ができなければ、全米20州46ヵ所もの美術館を訪れ贋作を寄贈して回ることなどできなかっただったろう。 母との統合を果たしたランディス 彼は17歳のとき精神障害があると診断されている。その頃の様子を知る手がかりが、映画のなかにひとつだけある。ランディスはこのとき、写真をもとに母の肖像画を描いている。その肖像画は、映画のなかで彼が「オリジナル」だと表明する唯一の作品でもある。
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ランディスの心にはいつも母がいた。その原点は、夜遊びを繰り返す両親と過ごした旅先で形成されたものだろう。両親が外交的だったことは映画でも描かれている。留守番の退屈しのぎに行ったカタログの模写は、ホテルに帰った母から対話を引き出す切っ掛けになったはずだ。学童期の子供を部屋に残して遊びに出た親が、留守中に描いた子供の絵に言及しないとは考えにくい。ランディスは母からできるだけ多くの称賛を集めようと模写を繰り返し、腕を上げていったのだろう。 象徴的な言い方をするなら、ランディスにとって模写は、自我を形成する上で不可欠の媒体だった。ランディスにとってその仕組みは強すぎたのだろう。なぜ強すぎたのか、その理由を知る手がかりは描かれていないが、ランディスは8歳から10年近くも装置の虜になった。そして17歳のとき、その集大成のように母の肖像画を描き上げ、母への思いを自身のなかに定着させた。しかしそれは同時に、彼の精神疾患が定義されたときでもあった。ランディスは精神疾患と引き換えに、自分のなかに母を埋め込んだのである。 こうして模写は、心の母からの称賛を自身へと注ぎ込む装置として機能するようになった。17歳以降のランディスは統合失調症を抱えた患者だったが、彼自身にしてみれば模写を媒介に母との統合を果たしながら生きたことになる。母が亡くなった後も贋作の寄贈が続いたのは、心の母が生き続けていたからだろう。その意味でランディスは、統合失調症とは裏腹に心の統合を果たしていた。しかし、その統合は一枚の肖像画に象徴される、極めて閉塞的な世���だった。 言い換えれば、幻想の母による承認のもとで作品を描き精神障害を乗り越えてきたランディスは、母が認めたことがないオリジナルの作品を描くことができないのである。これは、「写真を学んだが撮るものがなかった」という彼自身の言葉によって裏付けられている。ランディスは、母の承認なしに外の世界を美の基準で捉えることができないのだろう。 このように考えていくと、「贋作じゃなくて、自分の作品を作ってほしい」という人々の要望は、簡単にはかなわないことになる。一方で、映画の結末で彼がアイデアとして示した「なくなった1ページを、もとの本に戻す」仕事は、心の装置の仕向け先を贋作から修復へと移行させるすぐれた着想に思えてくる。この点から見ても、ランディスの精神はまともというしかない。 ランディスの統合とわたしたちの不統合 結局のところ、ランディスは絵画を模写することによって自我を形成した。しかし、母を起点としたその自我は極めて社会性の乏しい、彼の心に閉ざされたものとなった。この閉塞を超えて彼を社会につなぎ止めたのが、贋作を美術館に寄贈するという行為だった。彼はこれを「慈善行為」と呼んでいる。 ランディスは美術館であれば贋作となる模写の能力を、今後は修復の世界へと広げることを示唆しているが、この映画もそのひとつと見ることができる。彼は本作を通じて主役を務め、多くの登場人物や観客と繋がる切っ掛けを得た。『美術館を手玉にとった男』を通じてランディスは社会との新たな統合を果たしている。手玉にとられたのは美術館だけではない。「手玉にとる」はタイトルに掛けたものだが、もちろんランディスの意図ではない。ランディスの行為に周囲が参加しているという意味だ。 ランディスが歩んできた人生は、わたしたちにある種の反省をもたらす。いったいわたしたちは、誰からのどのような承認のもとで自己を確立し社会と繋がっているのだろうと。これは大多数の人々にとって難しい問いではない。多くの人は学校に通い、職を得て伴侶をもうける。そこには試験、資格、容姿、家柄、人種、金銭といった様々な種類の承認がある。こうした承認の組み合わせによって作られる生活や人生の多くは、社会的に構成されたものだ。この仕組みと交われない個人の状態が、統合失調症と呼ばれるのだろう。 わたしたちはそうした疾患と無縁であることを良しとしている。そこで経験する承認は、ランディスの世界に比べ複雑で多様なものだ。しかしその分、承認のレベルは低く一貫性に欠けがちだ。わたしたちは褒められる対象を、もっと厳選するべきではないのだろうか。 ランディスの人生を羨むわけではない。しかし、『美術館を手玉にとった男』を観てわたしには、ランディスが行ったような承認への集中なしに、外界や対象を深く知ることは難しいのではないかと思うようになった。ランディスの修行は極端なものだが、そのことが逆にわたしたちが抱える症状を思わせる。わたしたちはランディスと反対に、真に模写すべき対象を見失っているのではないか、と。 ジェニファー・グラウスマン監督とサム・カルマン監督は、マーク・ランディスというひとりの精神病者の特異な才能を通じて、観る者に、修復が必要なのは観ているあなたかもしれないと問い掛けている。やはり『美術館を手玉にとった男』は、新しいタイプのドキュメンタリーなのだろう。
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