ひとみに映る影 第七話「紅一美に休みはない」
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こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。
段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。
書籍版では戦闘シーンとかゴアシーンとかマシマシで挿絵も書いたから買ってえええぇぇ!!!
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(※全部内容は一緒です。)
pixiv版
◆◆◆
ただただ真っ白な空と海があった。
天地を分かつ地平線すら見えないほど白いその空間に、私、ワヤン不動という影だけが漂っていた。
未だ点々と炎がちらつくその身体は、浅い水面に大の字に浮き、穏やかなさざ波に流されていく。
ここはどこだっけ、私はどうしていたんだっけ。
そういった疑問は水にさらされた炎と共に鎮静していった。
遠くに誰かがいる気配がした。軋む身体を起こすと、沖縄チックな紅型模様の恐竜が佇んでいる。
濡れて重たい両足を引きずり、そこに近づくにつれて、段々と海は深くなり、かつ水が温かくなっていく。
立ったまま胸まで浸かる程深くなると、まるで露天風呂に入っているように、頭がぼーっとしてくる。
恐竜の隣には小さな足場とベンチがあり、可愛らしい白装束を着た金髪ボブカットの女性が座っていた。
丸く神々しい後光がさしていて、顔は逆光でよく見えない。天女だろうか。
ベンチから足だけを温水に投げ出し、足湯を楽しんでいるようだ。私は水中からそれを見上げている。
(ああ…誰だっけこの人。どこかで会ったことがある気がするけど…)
挨拶するかどうか迷う。気まずい。いずれにせよ、何か声はかけよう。
ここはどこですか、とか、あなたは誰ですか、とか…
「…アガルダって、何なんですか」
いや、どうしてそうなるの。私。完全に変な人じゃん。
だめだ、頭が回らない。案の定天女は苦笑した。
「いきなり凄い事聞くよね」
「知らないんですか?金剛楽園アガルダ」
「あんただって知らないんじゃん。
まあでも…金剛有明団(こんごうありあけだん)っていう、なんかこう、黒魔術師達の秘密カルトがあるらしいよ。
世界中から霊能者の魂を収集してて、何かにつけて金剛、金剛ってウザい喋り方するんだって。それじゃない?多分」
「ああ。それですね」
「てか、そんなの聞いてどうするの」
「滅ぼす」
「ウケる」
天女はコロコロと笑った。
「ここは何なんですか」
「私の夢の中…それかあんたの夢かも?
ま、どうでもいいんじゃない?」
「あなたも金剛の使者?」
「まさか。私だって昔、観音和尚様にはお世話になったんだよ?」
「え…」
逆光の影をエロプティックエネルギーでどかして、私は改めて天女の顔を見た。
ああ、そっか…金髪にしたんだ。中学の時はさすがに黒髪だったよね。
髪、そうだ、髪だよ。私はその天女…いや、その祝女に問うた。
「あのさ。どうでもいいけど…ゴムか何か持ってたりしない?
さっきから髪がメチャクチャお湯に入ってるんだ」
◆◆◆
何の脈絡もなく目覚めると朝になっていた。
私は怪人屋敷エントランスのソファで眠っていたらしい。
サイレンや話し声が騒々しい。外光が射しこむ窓越しに、救急車や数台のセダンが見える。
「一二、三!」
救急隊員さん達が、担架からストレッチャーに何かを乗せた。白い布にくるまれた、岩のような何かの塊を…
そうか。ああやって外に出せているという事は、全て終わったんだ。
私達は殺人鬼を見つけて、悪霊を成仏させて…たくさんの命を救ったんだ。
「あ…紅さん」
譲司さんがこちらに駆け寄る。
「紅さん起きましたーっ!」
<ヒトミちゃん!>「オモナ!ヒトミちゃーん!」
オリベちゃんとイナちゃんも…みんなボロボロだ。全身煤埃や擦り傷だらけの譲司さんに比べればマシだけど。
オリベちゃんに肩を借りて立ち上がると…バシン!私は超自然的な力に頬を打たれ、衝撃で尻餅をつく。
「リナ…」
「アナタ、ワヤン不動になって、何回死んだの?」
「…」
「何人分殺されたの」
殺人被害者達の死の追体験。あの時はハイになっていて恐怖を感じなかったけど、今思い出そうとすると、身の毛もよだつ感覚が鮮明に蘇る。
「うう…数えればわかるけどさ…」
「じゃあ、二度と数えないことね。
アナタは…ちゃんと生きて帰ってきたんだから」
「え?」
宇宙人体のリナは長い腕で私を影ごと抱きしめ、子供をあやすようにぐしゃぐしゃに頭を撫でた。
「良かった…。アナタの精神がアレと相打ちにでもなったら、アタシ観音和尚に顔向け出来ないもの…」
初めて見た、いつも気丈なリナの泣き顔。彼女は涙を流しながら、人間の姿に縮んだ。
それはとても綺麗だった。美人だった。
その後私達は警察やNICの職員さん達から聴取を受け、昼過ぎにようやく解放された。
水家曽良は表向き被疑者死亡で書類送検とされ、未だ脳細胞が活動し続けている遺体は研究対象としてドイツのNIC本部に収容されるらしい。
待ちに待ったお蕎麦屋さんに私達が到着した時、既にテレビではニュース速報が流れていた。
皆神妙な顔で画面に見入っていたが…
ぐぎゅるるるる…
私の腹の虫が重い沈黙を破った。慌ててトートバッグを抱きこんでも、もう遅い。
「くくく…やるなぁ、あんた…」
ジャックさんやリナの表情にじわじわと含み笑いが浮かんでくる。
普段なら恥ずかしいとか、タレントとしてはオイシイだとか思うけど、なんかもうダメだ。
ぐぎゅぅぅぅるるる…空腹と疲労と寝不足で、私はリアクションの一つも取れない。
「笑うなや。ワヤン不動様昨日飲まず食わずで、あんだけ働いてくれとったんやから。なあポメ?」
「わぅん」
譲司さんとポメちゃんの優しみ。有難い。
でも、すいません。もう限界です。糸が切れたように私はテーブルに突っ伏した。
<や、やだ、ヒトミちゃん!?
ていうか何その手、ダイイングメッセージ!?>
霞む意識の中、私はお品書きを指さしていた。
最後の力を振り絞ってオリベちゃんにテレパシーを送る。
<お願い、こ、これを…注文して下さい…!>
<いや、私日本語読めないんだけど。
イナちゃん、これ(鴨南蛮)なんて書いてあるの?>
「アヒルナンバン大盛り」
「かもなんばん!!」
なんかノリツッコミしたら自力で復活できた。
代わりにリナ、萩姫様、ジャックさん、譲司さんが抱腹絶倒した。
ようやく腹ごなしを済まし、私達は民宿に戻った。
荷物を下ろすやいなや、全員示し合わせたように脱衣所へ直行。
昨日も入った露天風呂だけど、めちゃくちゃ気持ちいい!
「あーーーー!染み入るーーーーっ!」
「本当よぉ!アナタ達バカだわ、せっかく磐梯熱海に来たのに、ちっともお風呂入らなかったんだもの!ねえ萩ちゃん」
「同感同感!イナちゃんは日本の温泉初めて?韓国の方々も温泉好きなんですってね?」
「そです、私達オンセン大好きヨ!気が清められるですねー!」
<うちの風呂もこれぐらい広かったらなぁー。そっちはどう、ジョージ?>
すると衝立一枚隔てた男湯からレスポンス。
「pH結構高いなー!」
<いやダウジングしてどうすんのよ!>
「冗談冗談。あのねー!そもそも空気がめっちゃええの!
湯気で保湿されとるし肺まで癒されるわ!なあポメ?」
「あぉーん!」
ポメちゃんも上機嫌のようだ。
私も男湯に声をかけてみる。
「ジャックさーん!うちのおんつぁどうしてますー?」
おんつぁは会津弁でバカの意。実は、プルパ型に戻った龍王剣をさっき男性陣に預けたんだ。
霊泉と名高い磐梯熱海温泉を引っ掛ければ、あれも少しはマシな性格になりそうだけど、女湯に入れるのはさすがに嫌だったから。
「おう、同じ湯船に入れたくねーからよ、言われた通り洗面器で漬けておいたぜ。
真っ黒なのは治んねえな!ハッハ…うおぉ!?」
「わぁ!」「きゃわん!」
男湯で異変!女子一同がそれぞれタオルや霊能力を身構える。
「ど…どうしたんですか?ジャックさん!」
「い、いや、その…龍王剣の中から…」
「中から…?」
「アー…剣じゃなくて、持ち手からなんだがな…あんたの和尚が馬頭観音になって出てきた」
「はぁ!?」
そんな馬鹿な。和尚様は成仏されたはず。
まあ、既に観音菩薩になられた和尚様が『成仏』というのもおかしな話だけど…。
「ま、まさか観音和尚、お風呂入ってるの?裸!?」
リナが衝立を覗こうと飛び上がった。私は咄嗟に影手を伸ばし、阻止する。
「こらっリナ!和尚様の前でそっ、そんな破廉恥をっ!!」
「うるさいわね!いいのよアタシはインターセクシャルだから、どっちに入っても!
これは美的好奇心であって猥褻な気持ちは一切ないわよ!」
「ヒゲと声以外ぜんぶ女のクセに何言ってるんだっ!やーめーなーさーいってのーっ!」
「アイタタタ、暴力反対!アナタだって本当は見たいんじゃないの?」
「んなわけあるか!!そりゃもう一度会いたいけど…っていうか小さい頃は一緒にお風呂入ってたもん!!」
「ずるい!このスキモノ!!」
すると衝立越しにヒョコッとポメちゃんが掲げられた。
もみ合っていた私達は不意をつかれて膠着する。
ポメちゃんの口には、何の異変も起きていない龍王剣プルパが咥えられていた。
「ハーイ、ドッキリ大成功!したたびでーす!」
譲司さんが裏声で腹話術する。
私とリナも、いつもテレビでやっているリアクションを返した。
「「…ぎゃーっ!また騙されたーーっ!!」」
そうこうしているうちに、また日が沈み始めた。
夕方五時。荷物やお土産をミニバンに詰めこみ、私達は民宿を後にする。
本当は猪苗代湖や会津方面の観光案内もしたかったけど、NIC職員のオリベちゃんや譲司さんが警察で事件の後処理をするため、私達はもう東京へ戻らなければならない。
そこでまず、萩姫様を大峯不動尊へ送りに行った。
「あんな事があったけど、また遊びに来てね」
萩姫様はまた正装である着物に戻っている。けど、帯飾りや例のロケットランチャー型ポシェットといった小物に、オルチャンファッションの影響が残った。
「もちろん、また来るですヨ。ハギちゃんがバリとか韓国来る時も私呼んで下さいね」
そう言うイナちゃんの耳にも、萩姫様を彷彿とさせる黒い紐飾りピアスが揺れる。
通りがかりに寄ったお土産屋さんで売っていたやつだ。
私達一同と固い握手を交わし、萩姫様はお社へ消えていった。
◆◆◆
車に戻ると、道路沿いに小さな原付屋台があった。
ポッ、ポポポポ…ガラスケース内で、ポップコーンが爆ぜている。バターの香りが漂う。
その傍らではエプロンを着たジャックさんが、フラスコ型喫煙具を吹かしていた。
彼は私達が戻ってきた事に気付くと、屋台についている顔とお揃いのマスクを被り、スイッチを入れる。
ブゥーン…屋台の顔に仕込まれたスピーカーから、電子的ノイズが漏れる。
「アー、アー。ポップコーン、ポップコーンダヨ…ヨォ、ガキンチョ共!
ポップコーンダッツッテンダロオラ!ポップ・ガイノウェルシー・ポップコーンガオデマシダゼェ!」
ボイスチェンジャー声に合わせて、屋台の顔ポップ・ガイはガコガコと顎を上下する。
何でちょっと逆ギレ気味なのかはよくわからないけど、これが彼の定型口上文なのだろう。
「今日ハ閉店セールダ、トビッキリノポップコーンヲ食ワセテヤル。
マズハオ前ダ、紅一美!」
ガコンッポン!ポップ・ガイの顎が大きく開き、口から焼きたてのポップコーンが一粒飛び出した。
それは物理法則に反して浮遊し、私の手の中に落ちる…あっつ!
「ソラ食エ、騙サレ芸人!アッコラ、フーフースルナ!」
「だ、誰が騙され芸人ですか!…あつつ!」
ポップ・ガイにそそのかされて、私は熱々のポップコーンを口に運んだ。
…結構しょっぱい。そして胸焼けするほど油っこい。けど、麻薬的な美味しさ。
アメリカ人の肥満率が高い原因の片鱗に触れた気がする。
ポップコーンを嚥下すると、私の足元で、影が独りでに蛇の目模様を描いた。
「これは…」
見覚えがある。安徳森さん…ファティマンドラの種に見られる模様だ。
ジャックさんはマスクを被ったまま、スイッチを切った。
「そいつはファティマの目、トルコではナザール・ボンジュウと呼ばれるシンボルだ。
邪悪な呪いや視線を跳ね返し、目が合った悪しき魂を抜き取る力がある。
あのクソの脳内地獄で、安徳森が俺達タルパを保護するためにばら蒔いてたやつだ。
あんたが本気で金剛ナントカと戦うつもりなら、持っていけ」
蛇の目模様は影に沈んでいった。
つまりジャックさんのポップコーンは、彼の命を構成する欠片だったようだ。
「ありがとうございます」
私はファティマの目という霊能力を授かった。
ジャックさんが再びスイッチを入れる。
「次ハオ前ダゼ、ジョージ・アルマン!」
ガコンッポン!射出された新たなポップコーンは、譲司さん目がけて飛んでいった。
アルマンは、譲司さんがイスラエルに住んでいた時の旧姓だ。
「あっつ、はふっ…ん?
…ポップコーン種総量に対してバターが七〇%、レッドチェダーパウダーが五%、更に米油が…って、嘘やろ!?こんなに油使うん!?」
「バッカ、この野郎!読み上げるんじゃねえ!企業秘密だぞ!
養護教諭になるなら美味いポップコーンの一つも作れねえと、ガキ共にナメられるだろ」
「せ…せやな…?けどこれ、食べさせすぎたらあかんやつや!
ほどほどに振る舞わせて貰うわ、ありがと」
譲司さんが授かった魂の欠片は、ポップコーンの秘伝レシピのようだ。
いずれバリ島に遊びに行って、ご馳走になりたいな。
お次はオリベちゃんだった。
<うわ、確かに凄くジャンクな味だわ。
これは…ああ、懐かしいなあ…!>
オリベちゃんは目を煌々と輝かせて、ぼーっと中空を眺める。
「ちょっとアナタ、何が見えてるの?一人で浸ってないで教えてよ、ねーェ」
リナがオリベちゃんの眼前で手を振った。
<ごめんごめん。あまり懐かしいものだから…
私が貰ったのは、これ。テルアビブ・キッズルームの、たくさんの楽しかった思い出よ>
オリベちゃんが淡い紫色に発光し、周囲がテレパシー幻影に包まれた。
オーナメントやおもちゃで彩られたカラフルな家で、様々な脳力を持つNICの子供達が遊んでいる。
人形ジャックさんは、幽霊の女の子とアドリブで物語を話し合い、それを器用そうな男の子が絵本に綴る。
幼いオリベちゃんは、人に感情を与えるエンパス脳力者の女の子と、脳波をぶつけ合いながら睨めっこをしている。
その勝敗を判定しているのは、弱冠八歳で医師免許を持つ天才少年だ。
部屋の奥では彼らの様子を、二人の優しそうな養護教諭さんが暖かい視線で見守る。
「まあ。アナタ、子供の頃から素敵なファッションセンスしてたのね」
<もちろん!なにせテレパシー使いはシックスセンスが命だもの!>
「うふふふ」
こうしてリナと会話するオリベちゃんを見ると、彼女のキラキラした笑顔は子供の頃から変わらないものだったんだとわかる。
『出てこいよ、ジョージ。みんないるぞ』
長い髪のサイコメトラーの少年が、クローゼットの扉をノックした。
すると、中から…分厚い眼鏡をかけた小柄な男の子が、前髪で顔を隠しながら、遠慮がちに現れた。
「オモナ!ヘラガモ先生、とてもちっちゃいなカワイイ男の子だったの!」
イナちゃんが両手を頬に当てた。確かに子供の譲司さんは、精悍な今の顔からは想像がつかないほど可愛い。
というより、先程のサイコメトラーの少年…例の殺された『アッシュ兄ちゃん』の方が、大人になった譲司さんによく似ている。
この二人の少年の魂が混ざりあって、今の彼があるという話を、まさに象徴しているようだ。
「ねぇジャック、アタシ達にはないの?」
「わう!わう!」
リナとポメちゃんがジャックさんの周りをくるくる回る。
「ア?ドーブツ共ニヤルポップコーンハネエヨ、帰ッタ帰ッタ」
「馬鹿野郎、ポップ・ガイ。宇宙人のお客様なんて上客じゃねえか。無下に扱うんじゃねえぞ」
「ショーガネー、コイツヲ食ライナ!」
器用にポップコーン機構を操作しながらマスクスイッチを切り替え、ジャックさんが腹話術を披露する。
ガコンッポポン!射出された二粒のポップコーンはそれぞれ異なる軌道を描き、リナとポメちゃん目がけて飛んだ。
「先に言っておくとな。リナ、あんたには、水家の中にいたタルパ共の情報だ。
あいつは記憶を失った後も、金剛の呪いの影響で、無意���にあらゆる霊魂を脳内地獄に吸収していた。
人間だけじゃなくて、土地神やら妖怪やら色んな奴を吸い取っていたから、見ていて退屈しなかったぜ。
タルパを作るのがあんたの本能なら、何かの役に立つかもな。だが物騒な怪物だけは作るんじゃねえぞ」
「わかってるわかってるゥ!ああっ凄いわ!
ツチノコからゾンビまで…あーっ妖怪亀姫もいるじゃない!」
妖怪亀姫って…猪苗代湖を守る神様の一人じゃん。
まさか、ハゼコちゃんが暴れた時に逃げ出して、そのまま水家に魂を奪われたとか!?
私、昨晩とんでもない方を成仏させちゃったかも…リナが福島の神々を再建してくれる事を祈るばかりだ。
「ポメラー子のは夢の中で発現する。フロリダの農村の記憶だ。
何も無くてだだっ広いだけのクソ田舎だと思っていたが、犬にとっちゃ最高のドッグランになるだろうよ」
「ほんま最高やん!良かったなあ、ポメ。俺仕事さっさと済ますから、今夜は早く寝ような」
譲司さんがポメちゃんの頭を優しくなでた。ポメちゃんは黙々とポップコーンを食べている。
彼女と譲司さんが夢の中の大自然で駆け回る、微笑ましい光景が目に浮かんだ。
「じゃあ、最後はお前か」
ジャックさんがイナちゃんを見る。でも、イナちゃんは目を逸らした。
「私いらない」
「あ?」
マスクスイッチをオン。
「バカヤロー、オ前。俺ノポップコーンガ食エネエッテカ?
安心シロ、幽体デデキテルカラ、カロリーゼロダゾ」
「いらないもん」
「アァ!?」
スイッチオフ。
「何なんだよ?」
「だって…食べたらジャックさん消えちゃう」
「!」
ジャックさんとポップコーン屋台は、既に薄れかけていた。
自分の魂を削って私達に分け与える度に、彼は少しずつ摩耗していったんだ。
ジャックさんがマスクを脱いだ。
「あのな、俺は二十年以上前に殺されたんだ。もうとっくにいない筈の人間なんだよ。
だから、そんな事気にするな」
「ウソ。じゃあどうして、ジャックさんずっと成仏しなかった?
本当は、オリベちゃん達が見つけてくれるの待てたでしょ」
「…どうだかな」
「せかく会えたなのに、どうして消えなきゃいけない?
これからオリベちゃんの子供育つを見ればいい、これからヘラガモ先生バリで頑張るを、傍で見守ればいい!
どうしてあなた今消えなきゃいけない!?」
イナちゃんが握りしめた両手が、ジャックさんの胸を無情にすり抜ける。
ジャックさんは掠れた幽体でその手を優しく掴んだ。
「イナ」
「!」
そして、初めて彼女を名前で呼んだ。
「霊魂が分解霧散する事を、仏教徒共がどうして成仏だなんて呼ぶか知ってるか?
役目を終えて砕け散った魂は、エクトプラズム粒子になって、自然界に還る。そして、新たな生命に吸収される。
宇宙の営みってやつだ。宗教やってる連中にとっちゃ、それは宇宙や仏と一つになる、尊い事なんだそうだ。
俺は既にジャック・ラーセンじゃねえ。クソ野郎に霊魂を切り貼りされた、人工のクソ怪物だ。
それでも…お前みたいなガキの笑顔に弱い性格は、生前と変わらなかったんだよなあ…」
ジャックさんの目から涙が零れ始める。彼の霊魂が更に希薄になっていく。
「…オリベ。ジョージ。俺の事…諦めずに見つけてくれて、��りがとう。
おかげで、お前らと遊んだ記憶をまた思い出せた。
歪な��係だったけど…短い時間だったけど…クソ楽しかったよな。
…なあ、イナ。そんな顔するなよ。魂を清めるのが、お前の力なんだろ?
だったら祈ってくれよ。俺が世界中に飛び散って、宇宙と一つになって、もっともっと沢山のガキ共を笑顔にできるように。
綺麗な花を咲かせる生命力になって。人間を動かすハッピーな感情になって。…最高に美味ぇポップコーンになって。
スリスリマスリ…って、祈ってくれよ。頼む…!」
ガコンッ!コロロロ…ぼろぼろに涙を零し、声をきらしながら、ジャックさんは最後のポップコーンを作った。
それはポップ・ガイの口から力無くこぼれ落ち、イナちゃんの足元を転がる。
「…頼むよ…」
イナちゃんはしゃがみこみ、そのポップコーンをそっと拾い上げた。
それはもはや喫煙具から立ち昇る煙のように、今にも消えてしまいそうな朧な塊だった。
「スリスリマスリ。スリスリマスリ」
ポップコーンはイナちゃんの両手に優しく包み込まれ、そのまま彼女の魂に溶けた。
「…それでいい。カナヅチは今日で卒業だ。もう溺れるんじゃねえぞ」
「ウン」
「イナ」
抱き合って、ぼろぼろに泣く二人。イナちゃんは顔を上げた。
薄れ行くジャックさんが、半魚人から人間の顔になる。
水家に似せられた髪型や背格好。ただ、彼はよりがっしりとした体格で、首が太く、彫りの深い黒い目を持つインド・ネパール系人種の男性だった。
「ジャックさん」
「…おっと、違う。これじゃねえ。これも作られた顔だったな」
魂がほぐれていくにつれ、より深層に眠っていた、彼の自意識があらわになる。
ジャックさんは、ジャック・ラーセンさんは、私達の前で初めて素顔を見せた。
「アイゴー…!」
「な、諦めがついたか?俺みたいなチンピラにこだわってねえで、もっと良い男を見つけろよ、イナ」
最後にそう言って、ジャック・ラーセンさんは分解霧散した。
本来の彼は…殺人鬼の言う通り、確かにちょっと魚っぽかったかも。
全身を鱗のような細かいタトゥーで覆い、オレンジ色に染めたモヒカンを側頭部に撫でつけ、ネジや釘が煩雑に飛び出した屋台やマスクと同じようにピアスまみれな…
言うなれば、ポップ・ガイのお父さんみたいな人だった。
こうして、私達は熱海町を後にした。
リナは千貫森に帰り、タルパ仲間と共に福島のパワースポットを復興する。
オリベちゃんは水家の遺体と共にドイツへ飛び、譲司さんはバリ行きを延期して警視庁公安部に向かう。
その間、イナちゃんは私の家に泊まって待機する事に。私の次のスケジュールは…連ドラ『非常勤刑事(デカ)』のロケで福井へ行くのが、明明後日。それまでは自由だ。
そして明日は私の誕生日!やっとイナちゃんと渋谷や原宿で遊べるぞ。
私はそう思っていた…渋谷スクランブル交差点にあのロリータ服の悪魔が現れるまでは。
◆◆◆
十一月六日、正午〇時。
ヴー、ヴー…トートバッグ内でスマホが震えた。画面には、『イナちゃん』。
「紅さん鳴ってるよ、ほら出てあげなさいよ」
ディレクター兼カメラマンのタナカDが、ファインダーを覗いたまま言う。
私は不貞腐れて電源を切った。
「二十歳になったのに、まだまだ大人げないなー。ま、ヘリコプターは機内モードってのも正解だけどね」
座席にふんぞり返ったアイドル、志多田佳奈さんが言う。
「私はヘリに乗せられるだなんて聞いてないです。
どうして誕生日にこんな所にいなきゃいけないんですか」
ここは東京上空千メートル、小型ヘリコプターの中。
だいたい私は非常勤刑事のロケで福井に行くんじゃ…多分、それすら事務所が用意した偽スケジュールなんだろうけど。
今度、ドラマ主演の伶(れい)先輩に言いつけてやるんだから!
そもそも、どうしてこんな事になったのか。それは遡ること二時間前。
私はイナちゃんを連れて、竹下通り(たけしたどおり)でウインドウショッピングをしていた。
あそこはロリータファッションの聖地で、個人的にロリータにはあまり良い思い出がないから、普段足を踏み入れる事は無い。あくまで観光地だから連れて行くんだ。
そう思っていたけど、実際に行くと、普通に楽しかった。
猫の額ほど狭い路地に、各種ファストファッションの直営店から、煩雑なノーブランド品を売るセレクトショップまで所狭しと詰め込まれている。
更に中空には、死後ポップな姿を取るようになった霊魂や、人々の感情の結晶らしき可愛いモンスター、誰かが作ったマスコットタルパなどがひしめき合い、イナちゃんがそれを見て飛び跳ねながら歓喜する。
さながら多感で繁忙な思春期の女子高生の心を、そのまま結界にしたようなカオス空間だった。
服やアクセサリーなど、両手に戦利品入り紙袋を大量に持って、私達は電車で渋谷駅へ。
(この時、やたらめったら嵩張るロングブーツを二足も買って後悔したのは、言うまでもない。)
そのまま観光を続行するのは難しいため、荷物は駅中にある宅配サービスカウンターに預ける事に。
ついでにイナちゃんが、コインロッカーからスーツケースを取り出し、それもバリへ配達して貰えるように手続きしたいと言う。
「テンピョウ書けました、お願いします」
「はい、少々お待ち下さい」
私はカウンター脇でイナちゃんが送り状を預けるのを眺めていた。
スーツケースの分と、原宿で買った荷物分。
「あと、これもお願いします」
「はい、かしこまりました」
ん、もう一枚?覗きこんでみると、そこにはこう書かれていた。
『お届け先 ゆめみ台 志多田佳奈様
品名 紅一美 ナマモノ/コワレモノ/天地無用
お届け希望日 今日
したたび通運』
『ヌーンヌーン、デデデデデン♪ヌーンヌーン、デデデデデン!』
天井スピーカーから阿呆丸出しなイントロが聞こえてくると同時に、私は条件反射でイナちゃんを置いて宅配カウンターから逃走していた。
『ヌーンヌーン、デデデデデン♪ヌーンヌーン、デデッデーン!』
階段を下り外に出る。こんなところで捕まってたまるものか。
『背後からっ絞ーめー殺す、鋼鉄入りのーリーボン♪』
出口付近にある待ち合わせスポット、モヤイ像が見えた。
…奇妙な歌を垂れ流すスピーカーと、苺の髪飾り付きツインテールが生えている。あのロリータ悪魔のシンボルが。私は血相を変えて更に走った。
『返り血をっさーえーぎーる、黒髪ロングのカーテン♪』
私を嘲笑うアイドルポップと、ただただスマホカメラを向ける無情な喧騒。
それらはまるで、昨日までの旅を締めくくるエンディングテーマのようだ。
但し、テレビ番組ではエンディング後に次回予告が入る。
『仕込みカミッソーリー入りの、フリフリフリルブラーウス♪』
そして次回が来たら、また過酷な旅に出なければならない。
嫌だあああぁぁ!行きたくないいぃぃ!!
私はイナちゃんと渋谷で遊んで、お誕生日ケーキを食べて、空港に見送りに行って、お家に帰ってゆっくり寝て、福井で女優をするんだああぁぁぁ!!
ていうか考えてみたらイナちゃんもグルだったあああぁぁぁ!!!裏切り者おおおぉぉぉぉ!!!
『防刃防弾仕ー様の、コルセットーもー巻ーいてる♪』
スクランブル交差点に、爆音を撒き散らすアドトラックが現れた。…天井に、なんか生えてる。
『…ご通ぅぅぅ行ぉぉぉ中の皆様あああぁぁ!!』
渋谷駅に響き渡るロリータ声。諸行無常の響きあり。
ドゴッ!…体が乱暴にすくい上げられたような浮遊感。背後を振り向くと、宅配業者制服の男達が私を神輿みたいに担ぎあげている。
「オーエス!オーエス!」
『こんにちはァー、したたび通運でーーーす!!』
私はあれよあれよとスクランブル交差点へ運ばれ…トラックに集荷された!
『あーあー♪なんて恐るべきー、チェリー!キラー!アサシンだ!』
「何!?何!?何なんですか!!?」
男達が私に何かを背負わせ、トートバッグごとベルトで固定していく。
目の前では、いつの間にか宅配業者制服に着替えたイナちゃんが敬礼している。
「ヒトミちゃん、したたび通運空輸便だヨ!」
「え?は?は!?」
『破壊されしーオタサーからー…』
トラック天井に運ばれる。棒とロープが生えたバルーンクッション。
ああ。空輸便って。察した。『…遺族ーのー声はー確かに届ーいたー♪』
…わたし 童貞を殺す服を着た女を殺す服を作るよ
もっともっと可愛くて 殺傷力も女子力も高い服を…
サビに差し掛かったアイドルポップが遠ざかっていく。
私は…飛んだ。逆バンジージャンプで射出されて、渋谷のど真ん中で空を舞った。
あーあ、結局また騙された。ばーかばーか。テレビ湘南に水家曽良の腐乱死体送りつけてやる。ばーかばーか。
そして無限にも思える長い一瞬の後、私は再び渋谷の地へ…落ちず。
なんとそのまま、上空を旋回していた小型ヘリに空中で捕縛され、拉致されてしまったのだ…。
「はーい、ドッキリ大成功!毎度おなじみ、志多田佳奈のドッキリ旅バラエティ、したたびでーす!」
放心状態の私をよそに、悪魔的極悪ロリータアイドル、志多田佳奈さんが『ドッキリ』と書かれたプラカードを掲げた。
異常が、事の顛末だ。(これは誤字じゃない。異常なんだ。)
「ちなみに今回のドッキリは視聴者公募で、ペンネーム『ビニールプール部』さんのアイデアをやらせて頂きました!ありがとうございました~!」
「何が視聴者公募ですか。あんた達全員ビニールプールに沈��てやろうか!?
だいたい、どうしてイナちゃんまでグルなんですか!」
「あの子はねぇ」
タナカDが画角外から、私と佳奈さんの会話に割って入る。
「昨夜SNSに紅さんと福島観光してる写真をアップしてたから、アポを取ってみたら、あっさり快諾してくれてですね。
今日あなたが渋谷に行く事も洗いざらい教えてくれたよぉ。『カナさん一番好き日本のアイドル!』とか言ってね」
げ、そうだった!忘れてたあああぁ!!
宅配サービスカウンターに行くのも予定調和だったのかあぁぁ!!
「目的地に着いたら電話かけ直してあげなさいよ」
「目的地じゃなくて渋谷に帰して下さい」
「そう言うなよ、一美ちゃん。
今日から記念すべき新企画が始まるんだから」
「新企画?」
佳奈さんが座席の下からフリップを取り出す。
おどろおどろしいフォントで『調査せよ!綺麗な地名の闇』と書かれたフリップを。
「じゃじゃーん!新企画、『綺麗な地名の闇』!」
「何ですか、物騒な…」
「一美ちゃんはさ、ゆめみ台って行ったことある?」
「ゆめみ台?電車の乗り換えで通った事ぐらいはありますけど」
「ゆめみ台の旧地名は知ってる?」
「知らないです」
「ジャジャン!これです」
佳奈さんがフリップ上の『ゆめみ台』と書かれたポップなシールをめくる。
するとネガポジ暗転カラーで『蛇流台』と書かれた文言が現れた。
「じ…じゃりゅうだい…」
「蛇流台a.k.a.(アスノウンアス)ゆめみ台は、元々土砂崩れが起きやすい場所だったんだって。
だから今は人が住めるように整備されて、ゆめみ台って綺麗な地名になった。
それって涙ぐましい努力の歴史だと思わない?」
「はぁ」
「そこでね!この企画では、そーいう一癖あるスポットのいい所も暗部も、体を張って紹介していけたらなーって思うの!
というわけで一美ちゃん、今日はゆめみ台国立公園でロッククライミングね」
「ああはいはい…はい!?」
「大丈夫!もう蛇流台じゃなくてゆめみ台だから崩落しない!」
「それ以前の問題です!ロッククライミングなんてやった事ないですよ!?
どーして突然拉致されて、挙句崖まで登らなきゃいけないんですか!?
私まだ一昨日までの疲れが抜けてないんです!!」
「え?一昨日まで何してたの?」
除霊…とはさすがに言えない。
「…徹夜で…別番組の、廃墟探索ロケ」
「あ、その企画いいね」
しまった!鬼に金棒を与えちゃった!
「い、いえ、私はクライミングがいいな!その方が健康的だし!」
「ひょっとして一美ちゃん、お化けが怖かったのかい?」
「うるさい!」
カメラ外からタナカDにチャチャを入れられた。
怖いも何も、実際は私が分解霧散させちゃったけど。
そんな事より…
私はフリップ下部に書かれた幾つかのご当地ゆるキャラ達を見ていた。
ゆめみ台の物と思しき台形のパジャマ姿の子や、他にも鳩みたいなもの、犬みたいなものもいる。
その中に一つだけ異質な…毛虫らしきキャラクターを見て、私は戦慄を禁じ得なかった。
灰色の毛、歯茎じみた肌、潰れた目、黄ばんだ舌…
似ている。金剛倶利伽羅龍王に、あまりにも似ている。
「佳奈さん。この下に描かれたゆるキャラ達…まさか、今後これ全部まわるんですか?」
「ん?知ってるキャラがいた?」
どうやら…私に休息の時はないみたいだ。
これもイナちゃんが導いた、『気』の巡り合わせなのかもしれない。
金剛有明団、きっとすぐ近い将来相見える事だろう。
私はトートバッグの中で、静かにプルパ龍王剣を燃やした。
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