Tumgik
#茅野ふたば
owlb0x · 4 months
Text
Tumblr media Tumblr media
IDOL Berserker
71 notes · View notes
foucault · 6 months
Text
Tumblr media
今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を��す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
7 notes · View notes
rosysnow · 2 months
Text
ずっとそばに
Tumblr media
 ゆっくり、夜の街に明かりが戻ってきたと感じる。居酒屋やスナックが夜遅くまで光を灯している。
 そんな通りに並ぶ、とあるバーに大学時代からよく行っている。ゲイバーじゃないけど、ママがニューハーフで、トークがなかなか愉快なのだ。そんなママを気に入って、店によく来る奴のメンツもだいたい決まっている。
 その人々の中に、いつからそのカップルがいたのかは憶えていない。自然と、名前と顔は一致するようになっていた。長身でワインレッドのメッシュを入れた男が真寿、黒髪ショートのきりっとした女が寧々だ。真寿は二十六の俺とタメくらいで、寧々はそれより年上で三十手前だろうか。
 見ている感じ、真寿は寧々の尻に敷かれている。寧々が何かしら一方的に言うと、真寿はしゅんとして謝っている。
 あんな女、俺なら嫌だな。そう思うけど、だからこそ、好きこのんで寧々とつきあう真寿は、よほど彼女が好きなのだろうと俺は思っている。
「あの子も、あんなモラハラみたいな女、やめとけばいいのに」
 その日も仕事を終えて、帰宅前にカウンターで一杯飲んでいた。すると、大学時代に同じサークルだった茅乃も顔を出し、俺の隣でカクテルを飲みはじめた。お局に対する愚痴をひと通り述べたあと、ボックス席にいる真寿と寧々を一瞥して、茅乃はそう言った。
「モラハラって」
「いつも怒られてるじゃん、あの子」
「あいつが彼女のこと好きなら、勝手なんじゃね」
「克宏も、好きな女だったらああいうのOKなの?」
「……俺は嫌だけどな」
「ほら。あーあ、真寿くんならもっといい女がいるのにさ」
 俺は静かにハイボールを飲んだあと、「それは、お前が『いい女』だと自称してるのか?」と眉を寄せた。
「悪い?」
「お前は『いい女』ではないな」
「克宏にはそれでいいけど」
「真寿くんに興味あんの?」
「私は可哀想な男が好きなの」
「可哀想って……」
「放っておけない。私が幸せにしたい」
「本人は幸せだと思うぞ」
「あれを見て、本気でそう思う?」
 真寿と寧々がいるボックス席をちらりとした。寧々は腕を組んでソファにもたれ、何か言っている。真寿はやっぱりうなだれている。会話はジャズと客の話し声に紛れている。
「絶対モラハラだわ、あれは」
 茅乃はひとりうなずき、オレンジ色のカクテルを飲んだ。「そうですか」と俺は聞き流して、スマホを手に取っていじる。
 今まで、真寿と寧々のそういう関係は、当たり前のように見ていた。でも、実は真寿は寧々に負担を感じているのだろうか。だとしたら、別れない理由が俺には分からないけど、真寿は別��たいと切り出せるタイプじゃなさそうだなとは思う。
 やがてアルコールが軆にまわり、ほどよいほてりを覚えてきた。茅乃には「あんま野暮なこと考えんなよ」と釘を刺し、俺はママに支払いをしてバーをあとにした。
 びゅうっと寒風が吹きつけてくる。十二月になって、一気に冷えこむようになった。マスクが隠れるくらい、マフラーをぐるぐるに巻いて、駅へと革靴の足を向ける。
 この通りは、パンデミック前は酔っ払いもかなりふらふらしていて、やや治安が良くない感じだった。でも、時短営業を機に閉じた店も多く、現在はそこまでうるさくない。灯っている明かりは増えたけど、活気が戻るのはまだもう少し先なのかなと思う。
 恋人もいない俺は、毎日会社で仕事をやるしかない。リモートワークも選べるけど、実家住まいの俺は、フルリモートが解除されたら、さっさと出社するようになった。リモート授業の大学生の妹に、「満員電車に乗ってきて、そのまま近づかないでよね」とか言われるが、そもそもお前がそんなふうに生意気だから家でゆっくりできねえんだよと思う。そして、これを口にしたら、両親は確実に妹の味方をするのも鬱陶しい。
 年末感が濃くなる金曜日、俺はまたバーにおもむいた。今年は土日がクリスマスなので、何となくうんざりしていた。彼女持ちの後輩は、「彼女とゆっくり過ごせるから最高ですよね」とか言って、俺は引き攣った苦笑いをするしかなかった。
「今年は久しぶりにオールのクリスマスイベントやるから、うちに来たら? 出逢いもあるかもしれないわよ」
 ママになぐさめられて、それもありかもしれないと深刻な面持ちで検討していると、からん、とドアベルが響いた。ついで、「こんばんは」と誰か店に入ってくる。
「あら、真寿くん。寧々ちゃんは?」
 俺はグラスから顔を上げ、入ってきたのが紺色のコートを羽織った真寿であることを認めた。彼は相変わらずな印象の弱気な笑みを見せると、ホールのボックス席でなく、俺のいるカウンターにやってくる。
 手にしたメニューを見つめた真寿は、吐息をついて、「とりあえず水を……」と言った。
「いいの? お水でもお金はいただくわよ」
「分かってます」
 ママは肩をすくめ、ミネラルウォーターをペットボトルごと真寿に渡した。しかし、受け取った真寿は、それに手をつけようとしない。
「何かあったの?」
 スツールがあいだにふたつあるけど、その横顔を見兼ねて、俺は声をかけてみた。はっと真寿はこちらを見る。女顔だなあと失礼ながら思っていると、「……克宏くん」と真寿はつぶやく。話すのは初めてだが、名前ぐらい把握されていても驚かない。
 真寿は視線を下げると、「あの子……」とぽつりと口を開いた。
「君の恋人ではなかったんだね」
「はい?」
「茅乃さん。ずっと、そう思ってたよ」
「………、え、茅乃と何かあったのか?」
 真寿はやっとペットボトルを開封すると、ごくんと喉仏を動かして、ミネラルウォーターを飲みこんだ。
「夕べ、茅乃さんと一緒だったんだ」
「はっ?」
「それが寧々に見つかって、怒られちゃって」
 え……と。
 何言ってんだ、こいつ。茅乃と夕べ一緒だった?
 もしや、この男、おとなしそうな顔して下半身は緩いのか。一緒だったということは、まあ、そういうことだろう。そりゃあ寧々も怒る。
 いやいや、待て。茅乃は先日、モラハラとかめんどくさいことを勝手に言っていた。
「もしかして、茅乃に無理に迫られた?」
「……まあ」
「マジか。それは……何か、あいつの友達として謝らないとな」
「いやっ、僕が流されただけで」
 そこは確かにお前も悪い。と言うのはこらえて、「真寿くんって、寧々さんとうまくいってなかったりする?」と問う。
「え? そんなことはないけど」
「じゃあ、あんまり……良くはなかったな」
 あんまりというレベルじゃないが、そう言っておく。真寿は黙りこんでしまい、ただ不安そうな顔で水を飲む。
「茅乃は、その──あいつなりに、真寿くんを心配にしてたみたいだから」
 沈黙が窮屈になった俺の言葉に、「心配?」と真寿は首をかたむける。ワインレッドのメッシュがさらりと流れる。
「真寿くんが、寧々さんにモラハラ受けてんじゃないかって」
 真寿は心底驚いた丸い目になって、「それはないよっ」と身まで乗り出してきた。
「確かに、寧々は僕のダメなところに目敏いし、よく指摘するよ。でも、それはほんとに僕が直さなきゃいけないところで」
「お、おう」
「ふたりきりになれば、寧々は僕のいいところもたくさん褒めてくれるんだ。すごく厳しいけど、すごく優しいんだよ」
「そう、なのか……」
「寧々はかっこいい。ずっと僕の憧れだった」
「ずっと?」
「うん。友達のおねえさんだったんだ、もともと。何年も、すれちがうときに挨拶するだけで。寧々からお茶に誘ってくれたときは、夢みたいに嬉しかったなあ」
 真寿は幸せそうに寧々との馴れ初めを語り、俺は臆しながらそれを聞く。
 何か、こんなに寧々にベタ惚れしていて、こいつ、本当に茅乃と寝たのか?
 そこのところを、具体的に訊けずにいたときだった。
「やっぱりここにいた」
 からん、とベルを鳴らして、店に入るなりそう言ったのは、カーキのオーバーと細いデニムを合わせた、いつも通りボーイッシュな寧々だった。
 真寿ははたと寧々を振り向き、口ごもる。
「ねえ、あんたの部屋にあたしとあの子とふたりきりにして、あんたは逃げ出すって何なの?」
 おいおい、そんな修羅場を投げてきたのかよ。ついそう思ったが、同じ男として、そんな現場は逃げたくなる気持ちも分からなくはない。
 真寿は気まずそうにうつむいているので、思わず「友達が失礼したみたいで」と俺は口をはさんだ。寧々はこちらに、長い睫毛がナイフみたいにも感じる鋭利な目を向ける。
「あの女の子の友達?」
「そうです」
「友達は選んだほうがいいわよ。で、真寿、あんたはあたしに言い訳ぐらいしたらどうなの?」
「言い訳なんて……悪いのは、僕だし」
「それで、何も説明しないのはもっとずるい。あたしがどうでもいいってことなら別だけど」
「それはないよ! 僕が好きなのは寧々だよ、絶対に。寧々のこと、大好きだよ」
「あの子にも同じことを言ったの?」
「言うわけないっ」
「じゃあ、それは、あたしにきちんと説明してほしかったな」
「……ごめん」
「あと、一緒に過ごしたくらいで、だいぶ大ごとに捕えてるみたいだけど、何もなかったならあたしは怒らないわよ」
 え? 俺は思わずぽかんとして、真寿もまばたきをする。
「あの子が言ってた、『相手にされなかったから』って」
「信じて……くれるの?」
「むしろ、信じないと思われるほうが不愉快ね」
「ご、ごめんっ。僕だったら、寧々がほかの男とふたりで過ごしたら許せないし、たぶん、何もなかったなんて信じられないから。そんなの、頭が変になると思う」
「……あたしも、頭は変になりかけたけどね」
 むすっとした感じで寧々が言うと、真寿はぱあっと笑顔になり、スツールを立ち上がって「ごめんね」と彼女を抱きしめた。「あらあら」なんてママはにっこりしているけど、俺にしたら痴話喧嘩なので、しょうもないと思いながらスマホを取り出す。
 いつのまにか、通話着信がついている。茅乃からだ。俺はいったん席を立ち、壁際で茅乃に通話をかけた。奴はワンコールで出た。
「真寿くんとひと晩過ごして、何もなかったことは聞いた」
 俺が開口で言うと、茅乃は『ありえないでしょ……』と絶望的な涙声でつぶやいた。
「だから、真寿くんはそれだけ寧々さんに惚れてんだよ」
『うー、つらいよお。私、真寿くんのこと、けっこうマジで好きだったんだよ?』
 俺は壁に背中をもたせかけ、けっこうマジで好きなのはこっちもだけどな、と思う。
 本当に、見る目がない女だ。そんなお前に恋をした俺が悪いんだろうけど。マジで、鈍感すぎる。
 俺がいつも隣にいるって気づいてくれよ。何だかんだ、ずっとそばにいるじゃないか。でも、こいつはおもしろいくらいに気づいてくれない。
 真寿と寧々は、いつも通りのホールのボックス席に移動している。寧々が何か言っても、真寿はいつになく嬉しそうだ。
 あのふたりは、ずっとお互いのそばにいるんだろうな。茅乃の泣き言を聞きながら、そんなことを思う。
 俺が茅乃とあんなふうになれるかは分からないけど、憂鬱だった週��のクリスマスは、ひとまず彼女のやけ酒につきあって過ごすことになりそうだ。
 FIN
【THANKS/診断メーカー『お題ひねり出してみた(ID:392860)』】
4 notes · View notes
myonbl · 1 year
Text
2023年5月18日(木)
Tumblr media
サポート会員(熊野会会員)となっている<新熊野神社>から、<夏越の祓>の案内が届いた。もちろん例年おこなわれる行事だが、コロナ禍では一般のお詣りはできないでいた。今年はそれが解禁、無事に本来の形に戻ったというわけだ。私個人は授業があるために<茅の輪くぐり>はかなわないが、人形・車形は郵送して、今年前半の厄を祓っていただくとしよう。
Tumblr media
5時起床。
Tumblr media
朝食、洗濯、弁当2つ。
プラごみ、45L*1。
ツレアイは7時30分に自転車で出勤、私はO姉と一緒に7時50分に出発する。
Tumblr media
順調に到着する。
ラジオ体操第一を済ませてからお茶を頂く。
<スタディスキルズ>第7週分のレジュメ作成、配付資料は要検討。
木曜日は3限<スタディスキルズ(教育学科)>、今回は<賛否決定形文章>によるレポート作成のトレーニング。火曜日の看護学科のクラスでもそうだったが、教科書とは別の指示をしているにもかかわらず、ちゃんと聞いていない(=できていない)ものが多い。明日の授業は、説明の仕方を修正せねば。
早めに退出。
Tumblr media
久しぶりにライフ西七条店で買物、はも皮20%引きが嬉しい。
8/12の横浜行の宿、すでに手配済みだったが、楽天からポイントが残っているとのメールが届いたので、いったんキャンセルしてから楽天トラベル経由で再予約する。
Tumblr media
家族揃っての夕飯、豚バラ肉とキャベツのクタクタ煮/新ジャガのフライドポテト/見切り品の茹でソーセージ/キュウリと鱧皮の和え物、息子たちには冷やした白ワイン、私たちは純米酒の小瓶をいただく。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン13 (5)カツカレー大好き教授▽駐ペルー日本大使登場!
初回放送日: 2023年5月11日
身の回りの色々を数値化してしまう大学教授。カツカレーが大好きすぎて、食べ歩いた全てのカツカレーをデータ化し記録。そんな教授には自ら作るお弁当にも自分好みのフォーマットがありまして…。その一途さを、せひご覧ください!▽お待ちかね「大使めし」第2弾!サラメシを披露してくださったのは駐ペルー日本大使。美食大国ペルーで大使の胃袋を満たす「日系料理」とは?公邸料理人が腕をふるうお弁当も必見です
片付け、入浴、体重は200g増、いかんなぁ。
Tumblr media
辛うじて3つのリング完成、水分は1,980ml。
4 notes · View notes
minatokucarpet · 1 year
Text
ウェブサイト ペルシャ絨毯買取専門店港区
ペルシャ絨毯買取専門店 どこよりもペルシャ絨毯を高く買います。| ウェブサイト ペルシャ絨毯買取専門店港区
( 国内でどこでも、絨毯販売 や ペルシャ絨毯買取 , 絨毯買取をします。) 絨毯専門店として、ペルシャ絨毯買取 絨毯買取 絨毯専門 ヘレケ絨毯買取 絨毯下取り ペルシャ絨毯 アンティーク絨毯買取 シルク絨毯買取 絨毯 買取 じゅうたん買取 中古絨毯買取 汚れた絨毯 じゅたん買取 絨毯 買取 ペルシャ絨毯買取 ペルシア絨毯 買取 クム絨毯 買取 絨毯買取 絨毯販売 ペルシア絨毯買取 絨毯クリーニング ペルシャ絨毯クリーニング ペルシア絨毯買取があれば体調しますので、よろしくお願いします。 ウェブサイト ペルシャ絨毯買取専門店港区
Tumblr media
  無料出張 対応エリア 全国の出張購入をサポートします。 ショッピングブーストゾーン全国からカーペットを集めています! ショッピングをサポートするエリアは、 東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、軍馬、愛知、静香、新潟、長野、 山梨、京都、大阪、福岡、山口、大分、佐賀、福井県、熊本です。 ペルシャ絨毯買取専門店港区 ペルシャ絨毯を高く買取します。 全国でもご利用いただけますので、上記以外の方も大歓迎です! 無料評価をご利用ください。 ペルシャ絨毯買取なら買取実績豊富な港区絨毯買取へ ペルシャ絨毯を買取に出したい ペルシャ絨毯の価値を知りたい ペルシャ絨毯を売るなら港区絨毯買取をお選びください。 売りたいけれど重くて持ち運べないという方は、ぜひ港区絨毯買取の出張買取をご利用ください。 重いペルシャ絨毯を持ち運ばず楽に売却できます。査定料、出張料などの手数料は無料です! 絨毯に熟知している査定員が多数在籍していますので、安心して港区絨毯買取にお任せください。 ( このサイトを閲覧されているということは、「ペルシャ絨毯を処分したい ) 土日・祝日も休まず営業!どしどしお問合せください!
Tumblr media
お客様に信頼・ご満足いただける買取値段をご提示致します。 ※買取強化エリアおよびスピード引き取り対応可能エリア 【東京23区】 千代田区 中央区 港区 新宿区 文京区 台東区 墨田区 江東区 品川区 目黒区 大田区 世田谷区 渋谷区 中野区 杉並区 豊島区 北区 荒川区 板橋区 練馬区 足立区 葛飾区 江戸川区 【東京都下】 八王子市 立川市 武蔵野市 三鷹市 青梅市 府中市 昭島市 調布市 町田市 小金井市 小平市 日野市 東村山市 国分寺市 国立市 西東京市 福生市 狛江市 東大和市 多摩市 稲城市 羽村市 あきる野市 出張費、鑑定料一切無料 日本全国買取出張いたします!下記地域は即日出張可能です! ※他のご依頼の状況、時間帯によって不可の場合がございます。 北海道 札幌市東区・札幌市北区・札幌市・札幌市中央区・札幌市豊平区・札幌市西区・札幌市白石区・札幌市南区・札幌市手稲区・札幌市厚別区・札幌市清田区・旭川市・函館市・苫小牧市・釧路市・帯広市・小樽市・北見市・室蘭市・江別市・千歳市・岩見沢市・恵庭市・北広島市・石狩市・登別市・北斗市・音更町・滝川市・網走市・稚内市・伊達市・名寄市・根室市・七飯町・幕別町・美唄市・新ひだか町・紋別市・留萌市・富良野市・中標津町・深川市・遠軽町・美幌町・士別市・余市町・釧路町・白老町・砂川市・芽室町・八雲町・当別町・森町・芦別市・別海町・倶知安町・岩内町・浦河町・日高町・栗山町・斜里町・長沼町・赤平市・上富良野町・美瑛町・夕張市・厚岸町・三笠市・洞爺湖町・湧別町 青森県 青森市・六戸町・大鰐町・弘前市・八戸市・十和田市・むつ市・五所川原市・三沢市・つがる市・黒石市・平川市・おいらせ町・南部町・東北町・五戸町・七戸町・板柳町・階上町・野辺地町・鶴田町・平内町・中泊町・鰺ヶ沢町・三戸町・六ヶ所村・藤崎町 岩手県 八幡平市・矢巾町・陸前高田市・山田町・雫石町・洋野町・金ケ崎町・大槌町・岩手町・一戸町・岩泉町・軽米町・盛岡市・一関市・奥州市・花巻市・北上市・宮古市・滝沢市・大船渡市・釜石市・久慈市・二戸市・紫波町・遠野市 秋田県 大仙市・由利本荘市・大館市・能代市・湯沢市・北秋田市・鹿角市・男鹿市・潟上市・仙北市・にかほ市・美郷町・三種町・五城目町・羽後町・秋田市・横手市 山形県 新庄市・上山市・南陽市・長井市・村山市・高畠町・庄内町・河北町・遊佐町・白鷹町・山辺町・中山町・尾花沢市・川西町・山形市・鶴岡市・酒田市・米沢市・天童市・東根市・寒河江市 栃木県 芳賀町・茂木町・塩谷町・市貝町・宇都宮市・小山市・栃木市・足利市・佐野市・那須塩原市・鹿沼市・日光市・真岡市・大田原市・下野市・さくら市・壬生町・矢板市・上三川町・高根沢町・那須烏山市・那須町・野木町・益子町・那珂川町 宮城県 仙台市太白区・仙台市泉区・仙台市若林区・仙台市宮城野区・石巻市・大崎市・登米市・栗原市・名取市・気仙沼市・多賀城市・塩竈市・富谷町・東松島市・岩沼市・柴田町・白石市・亘理町・利府町・角田市・加美町・大和町・美里町・大河原町・七ヶ浜町・仙台市青葉区・仙台市 福島県 いわき市・郡山市・伊達市・白河市・二本松市・喜多方市・田村市・相馬市・本宮市・福島市・須賀川市・会津若松市・南相馬市 茨城県 結城市・小美玉市・鉾田市・阿見町・北茨城市・稲敷市・桜川市・常陸大宮市・下妻市・つくばみらい市・かすみがうら市・行方市・東海村・茨城町・高萩市・潮来市・境町・八千代町・城里町・大子町・大洗町・利根町・美浦村・河内町・五霞町・水戸市・つくば市・日立市・ひたちなか市・土浦市・古河市・取手市・筑西市・神栖市・牛久市・龍ケ崎市・石岡市・笠間市・鹿嶋市・常総市・守谷市・常陸太田市・坂東市・那珂市 新潟県 新潟市・新潟市中央区・新潟市西区・新潟市東区・新潟市北区・新潟市秋葉区・新潟市江南区・新潟市西蒲区・新潟市南区・長岡市・上越市・三条市・新発田市・柏崎市・燕市・村上市・南魚沼市・佐渡市・十日町市・五泉市・糸魚川市・阿賀野市・見附市・魚沼市・小千谷市・妙高市・胎内市・加茂市・阿賀町・聖籠町・田上町・津南町 群馬県 高崎市・太田市・前橋市・伊勢崎市・桐生市・渋川市・館林市・藤岡市・安中市・富岡市・みどり市・大泉町・沼田市・玉村町・邑楽町・みなかみ町・吉岡町・中之条町・板倉町・東吾妻町・榛東村・甘楽町・千代田町・明和町・嬬恋村・下仁田町・昭和村・草津町・長野原町 埼玉県 三芳町・寄居町・宮代町・皆野町・さいたま市・さいたま市浦和区・さいたま市南区・さいたま市岩槻区・松伏町・さいたま市緑区・さいたま市大宮区・さいたま市桜区・上里町・川島町・富士見市・春日部市・上尾市・熊谷市・吉見町・嵐山町・滑川町・桶川市・蕨市・鶴ヶ島市・志木市・鴻巣市・加須市・北本市・杉戸町・鳩山町・神川町・越生町・小鹿野町・新座市・ときがわ町・美里町・蓮田市・伊奈町・東松山市・行田市・飯能市・八潮市・本庄市・和光市・秩父市・入間市・深谷市・三郷市・戸田市・吉川市・ふじみ野市・坂戸市・日高市・羽生市・幸手市・白岡市・小川町・狭山市・朝霞市・久喜市・さいたま市中央区・さいたま市西区・川口市・川越市・所沢市・越谷市・草加市・さいたま市見沼区・さいたま市北区・毛呂山町 千葉県 千葉市中央区・佐倉市・浦安市・習志野市・流山市・野田市・我孫子市・木更津市・成田市・茂原市・鎌ケ谷市・君津市・千葉市緑区・船橋市・富里市・大網白里市・館山市・富津市・南房総市・いすみ市・栄町・勝浦市・九十九里町・松戸市・印西市・四街道市・香取市・銚子市・千葉市稲毛区・千葉市若葉区・千葉市美浜区・市川市・柏市・市原市・八千代市・匝瑳市・鴨川市・横芝光町・酒々井町・八街市・旭市・東金市・袖ケ浦市・白井市・山武市・千葉市・千葉市花見川区 東京都 品川区・東久留米市・昭島市・稲城市・東大和市・あきる野市・狛江市・国立市・墨田区・目黒区・文京区・渋谷区・港区・中野区・豊島区・三鷹市・立川市・東村山市・多摩市・青梅市・武蔵野市・江戸川区・杉並区・板橋区・江東区・葛飾区・日野市・世田谷区・練馬区・清瀬市・武蔵村山市・大田区・福生市・瑞穂町・羽村市・日の出町・足立区・北区・新宿区・荒川区・台東区・中央区・千代田区・国分寺市・小金井市・八王子市・町田市・府中市・調布市・西東京市・小平市 神奈川県 寒川町・厚木市・小田原市・鎌倉市・秦野市・座間市・海老名市・伊勢原市・綾瀬市・逗子市・三浦市・横浜市金沢区・横浜市保土ケ谷区・横浜市都筑区・横浜市南区・横浜市緑区・南足柄市・愛川町・大磯町・葉山町・二宮町・川崎市・川崎市中原区・川崎市宮前区・川崎市高津区・川崎市多摩区・川崎市川崎区・川崎市麻生区・川崎市幸区・相模原市・相模原市南区・相模原市中央区・相模原市緑区・横須賀市・藤沢市・横浜市・平塚市・横浜市瀬谷区・横浜市栄区・横浜市西区・茅ヶ崎市・大和市・大井町・湯河原町・開成町・箱根町・山北町・松田町・中井町・横浜市磯子区・横浜市港北区・横浜市青葉区・横浜市戸塚区・横浜市鶴見区・横浜市旭区・横浜市神奈川区・横浜市泉区・横浜市港南区・横浜市中区 静岡県 静岡市・島田市・裾野市・沼津市・浜松市・袋井市・藤枝市・富士市・富士宮市・三島市・西伊豆町・松崎町・南伊豆町・河津町・東伊豆町・小山町・長泉町 ・清水町・函南町・伊豆の国市・牧之原市・焼津市・熱海市・伊豆市・伊東市・磐田市・御前崎市・掛川市・菊川市・御殿場市 山梨県 甲府市・甲斐市・南アルプス市・笛吹市・富士吉田市・北杜市・山梨市・甲州市・韮崎市・都留市・中央市・大月市・上野原市・富士河口湖町・昭和町・市川三郷町・富士川町・身延町・南部町 長野県 軽井沢町・下諏訪町・辰野町・長野市・上田市・飯田市・佐久市・松本市・茅野市・千曲市・塩尻市・伊那市・安曇野市・飯山市・大町市・東御市・駒ケ根市・小諸市・中野市・諏訪市・須坂市・岡谷市・箕輪町 石川県 能登町・珠洲市・中能登町・宝達志水町・穴水町・川北町・七尾市・加賀市・野々市市・能美市・津幡町・輪島市・金沢市・白山市・小松市・かほく市・内灘町・羽咋市・志賀町 富山県 上市町・朝日町・舟橋村・富山市・高岡市・射水市・南砺市・氷見市・立山町・砺波市・魚津市・黒部市・滑川市・小矢部市・入善町 愛知県 名古屋市・名古屋市中区・名古屋市中村区・名古屋市東区・名古屋市西区・名古屋市北区・名古屋市千種区・名古屋市昭和区・名古屋市瑞穂区・名古屋市天白区・名古屋市熱田区・名古屋市緑区・名古屋市名東区・名古屋市守山区・名古屋市中川区・名古屋市南区・名古屋市港区・一宮市・あま市・稲沢市・幡豆郡・
Tumblr media
  ペルシャ絨毯買取専門店 当店は東京都港区、埼玉県川越市、神奈川県横浜市を拠点に 関東全域にてペルシャ絨毯の出張買取を致します。 お引越しや模様替え、リフォームや家の解体などで使わなくなります ペルシャ絨毯、高級絨毯、ブランド絨毯、ブランドラグの買取を行っています。 また、織が良い物は絨毯ほかキリム・ギャッベも買取致します。 お住まいが遠方の方は便利な宅配買取をご利用ください。(下部参照) 当店はリビング用の絨毯から玄関用の小さな絨毯まで幅広く取り扱っております。 併せまして高級家具や高級時計、ブランド品、エルメスやクリストフル マイセン、リヤドロやラリックなどの西洋アンティーク、銀製品なども買取致します。 私どもはペルシャ絨毯買取やアンティーク買取に自信を持っております。 満足いただけますよう精いっぱいで査定させていただきます。 ぜひペルシャ絨毯買取はペルシャ絨毯買取 専門にお任せください。 Read the full article
6 notes · View notes
oniwastagram · 2 years
Photo
Tumblr media
📸秋野不矩美術館 茶室“望矩楼” / Akino Fuku Art Museum Tearoom, Hamamatsu, Shizuoka ——天竜二俣出身、京都画壇で学び京都の文化功労者でもある日本画家 #秋野不矩 の作品の世界観を表現した、#藤森照信 の初期の建築作品。2018年にはツリー型の新作茶室“望矩楼”も。 次回特別展は『中村正義展-日本画を超えて-』展(2023年1月28日〜) 静岡・秋野不矩美術館 茶室“望矩楼”の紹介は☟ https://oniwa.garden/hamamatsu-akinofuku-art-museum/ ...... 「浜松市秋野不矩美術館」は現・浜松市天竜区二俣町出身の日本画家・秋野不矩の作品を中心とした展示が見られる美術館。 その建築は藤森照信/内田祥士による設計で、藤森照信さんの建築家としての初期の作品の一つ。2018年には茶室“望矩楼”が新たに登場しました🍵 . これまでも長野県・茅野の『フジモリ茶室』(空飛ぶ泥舟・高過庵・低過庵)や滋賀県・近江八幡の『ラ コリーナ近江八幡』などを紹介している通り、藤森照信建築ファンです。 自分が「建築を見る」ことのきっかけになったのはこの方の建築であり、この秋野不矩美術館! . 前述の2つ程「園地・ランドスケープ」って感じではない(と思い込んでた)ので紹介してなかったけど、数年間行っていなかった間に茶室“望矩楼”が加わってたのでこれを機に紹介します。 ほんとは特別展『日本画で綴る 源氏物語五十四帖展』がすごく良かったので会期中に紹介するつもりだったのだけど…終わった直後になってしまった…🖼 . 旧・静岡県磐田郡二俣町(後の天竜市二俣町)に生まれ、20代前半の頃は京都画壇・西山翠嶂に師事、その後は京都を拠点に昭和〜平成年代に活躍した秋野不矩。(余談なのだけど、先日京都の方に西山翠嶂のお話を聞いたばかりだったから「あの西山翠嶂!」という気分に) . この美術館が当初建った天竜市(→浜松市に吸収合併)の名誉市民であるだけでなく、京都市立芸術大学の名誉教授もつとめた京都でも文化功労者として表彰。晩年には文化勲章も受章されました🎖 . その晩年の1998年(平成10年)に地元・天竜市に開館したのがこの秋野不矩美術館。特徴的なのはその外観。 一応中は鉄筋コンクリート造らしいのだけれど、土塀って感じの漆喰や地元の天竜杉をふんだんに使った自然風な建築で自然の山の中腹に溶け込んでいます(コンセプトは「秋野不矩作品との調和」)。 続く。 - - - - - - - - #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanesegarden #japanesegardens #beautifuljapan #landscapedesign #gardendesign #japanmuseum #artmuseum #japanart #ランドスケープ #建築デザイン #茶室 #teaceremonyroom #美術館 #現代美術館 #庭園美術館 #fujimoriterunobu #akinofuku #天竜市 #天竜区 #天竜二俣 #二俣 #浜松市 #hamamatsu #おにわさん (秋野不矩美術館) https://www.instagram.com/p/CligeG_P7cV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
moko1590m · 25 days
Quote
6回答 日本の歴史の中で貧しいからといって親が子を売るってあったんですか? nea********さん 2010/9/28 23:52 売るというと語弊がありますが、 形式的には子供を年期奉公(就職)に出し、その賃金を何年分も前受けの形で親が受けとったのです。 遊郭へ売られる場合も同じ形式でした。 で、その借金返済が済むと年期明けで自由の身になったのですが、遊郭では衣装代などに出費がかさむので年期明けがどんどん長くなるのがふつうでした。 親がその後一山当てれば、前受金を返済して引き取る道も残されていたわけで、これが純粋な人身売買とは違うところです。 遊女の場合は、ひいき客が見受け金を積んで買い取ってもらうことも(自由の身とは言っても自分の囲い者にするとか、運がよければ正妻に迎えられるとか)あったわけです。 ま、これが子売りの実態です。 これは日本では大正時代でもありましたよ。 きりたんぽりたんさん 2010/9/28 23:28 「大鏡」の冒頭で、語り手の一人である夏山繁樹が自分の生い立ちを次のように語っています。 「(私の親が)ご主人の使いで市へ参りましたとき、自分のお金を十貫持っていましたところ、赤ん坊を抱えた女が『この子は他人様にあげようと思います。子を十人まで産んだ末っ子でして、その上(親に祟るという)五月の生まれでして』と申しますので、(この私を)持っていたお金に換えてきたのです。」 特に作者のコメントがないところを見ると、こういう会話は当時の人には珍しくもなかったのでしょう。繁樹がこのことを卑下している様子もありません。淡々としています。 繁樹の育ての親はある貴族の家の使用人だったようですが、平安時代の貧民の子供というのは、このような身分の人が市場で買って帰れるようなものでした。こうなると、「人身売買」という認識すらありません。ペットショップで犬猫でも買うように、子供が売られていた時代が確かにあったのです。 sep********さん 2010/9/28 22:11 江戸時代には、吉原遊郭に売られる子供が とても多かったそうです。 親はふつうに子供売って新しい家庭を作ることも あったそうです。 今もありますよ、 親が子供を性の道具にして、お金をもうける。 これも親が子を売る行為にあてはまります。 ムーミンさん 2010/9/28 21:40 戦前までありました。 子を減らさないと親が飢え死にするためです。 殺す場合もあり、東北地方は飢饉が多かったので殺してしまったようです。 こけしは、子消しで、殺した子供を祭ったものが始まりです。 ID非表示さん 2010/9/28 21:39 昭和東北大凶作 http://www.mumyosha.co.jp/docs/01new/kyosaku.html 目次から プロローグ 「欠食児童世代」 歴史的な飢饉多発地帯 江戸・天明の大飢饉/天保の大飢饉 昭和五年(1930)世界恐慌の直撃 泣く子も地頭もかなわない/失業の大群とホイト(乞食) 昭和六年(1931)凶作の追い打ち 大不況と凶作と「満州事変」/粒々辛苦の甲斐もなく/北海道――辛うじて飢えをしのぐ飢餓地獄/青森県――ワラビの根を掘って食料に/岩手県――茅の野原のような田んぼ/秋田県――収穫皆無地1300町歩 昭和七年(1932)悲惨、娘身売りと欠食児童 売られ行く娘たち/欠食児童全国20万 昭和八年(1933)戦争への道行と三陸大津波 救農事業と「自力更生運動」/地主様と小作農民の悲哀/軍国美談の陰で/厳寒・暁の大津波 昭和九年(1934)ああ、昭和東北大凶作 恨みのやませ(風)/死の東北を救え! 飢餓線上の凶作激甚地を行く 岩手県――深刻な飯米の欠乏/青森県――娘たちを求めて人買い人が横行/秋田県――料金未納で電灯が消されていく/山形県――皮を食用にと裸にされた松の木/宮城県――凶作のうえに養蚕収入激滅の打撃/福島県――野獣対人間の木の実の争奪戦 重荷を背負った娘たち、空腹に泣く子どもたち 「悲しみの身売り列車」/走る食堂車からの恵みのパン/軍事予算に潰された農村救済 エピローグ 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ」 資料「南部盛岡藩~岩手県の凶作・飢饉年表」/参考資料と文献・写真の出典一覧 lib********さん 2010/9/28 21:39 島原、吉原等の遊女はそんな境遇の方が多かったみたいです(^-^)
日本の歴史の中で貧しいからといって親が子を売るってあったんですか? - 売ると... - Yahoo!知恵袋
0 notes
unigohan · 1 month
Text
デートの後につける日記が好きだから、今日はそのまま載せてみようと思う。思い出しながらほんのり体温の上がる感覚はほかの何にも変えがたく、ゆきさきや表情を脳裏に並べて愛に耽る。だからいま瑞々しいうちにここに置いておく。
-----
まだ眠っているような気がしておはようの電話をかけると、恋人は寝ぼけていた。ほんのりと不機嫌な声は子供のようで、そんなところが良いなと思う。
目的地へ向かうときわたしはいつも緊張している。それは何年経っても変わらずで、いつも通り期待と不安に心を滑らせていると、茅場町のあたりで誰かがわたしの肩に触れた。それは偶然同じ車両に居合わせた恋人で、驚き、曖��な返事をしながらイヤホンを解く。
電車を降りてからの道中はおだやかな公園で、築地に住めたら最高だ、3万で住まわせてくれないかな、なんて会話を交えながら光の中をまっすぐ歩いた。
GWの築地はごった返していた。有名な卵焼き屋さんはディズニーみたいな行列、定食やラーメンにも振られて結局大きな海鮮丼屋さんに辿り着く。一番上のページに載った、程よい値段と具の海鮮丼を頼み夢中で食べ、築地全部ここにあったね、と食後の温かいお茶を啜った。
満腹で、コンビニのコーヒーを携え つぎの目的地へ。迂回と旋回を繰り返しながら彷徨う路地裏が好きだから、そうしてみる。すしざんまいの本店や、喫茶営業もしている中華料理店を見つけて、路地に座ったり。ゴールを前にしてナチュラルローソンに寄って店内を物色、とかもした。知らない土地へ出向いたときのわたしたちは、野良の二匹の生き物になる。
目的のぬいぐるみ展はすごくキュートで、雑貨をちょこちょこ買ってしまった。恋人もポテトチップスという名前のキャラシールを買っていた。
そのまま銀座へ、広い道路、歩行者天国は現世で唯一行ける天国だなあと思う。天使の気持ちのままふわふわ、GINZA SIXへ吸い込まれてみる。悪魔みたいな値段の服が所狭しと並ぶから、とりあえずお金持ちごっこをする。
楽器屋やおもちゃ屋や喫茶店をハシゴして、その道中でした会話は、新橋はキャッチが上手だね、精力剤のお店がいたるところにあって変ね、あ、神社だね、ここにも味仙あるね、喫煙可能店多くてうれしいね、ね、みたいないつも通りので、でもお散歩ってどの街も楽しくて凄いね、だけ何となく恥ずかしくて言えず、心の中に留めた。
さいご、新橋らしい居酒屋へ行きたくて、雰囲気でお店を選ぶ。引き当てたお店はもう名前を忘れてしまったけれど、お魚が美味しく、ふっくら脂の乗ったほっけは最高で、蟹味噌を舐めながら恋人のお酒まで貰ったりした。お酒を飲んでいる時も、コーヒーを飲んでいる時もわたしたちはあまり変わらない。美味しいものを分け合い、一口ずつもらったりして、お腹と心が暖かくなるまでそれを続ける。いちばんしあわせな時間だと思う。
普段ならこのままふたりで家へ帰るけれど、お互い用事があったので、ここでお別れすることになっていた。勿論またすぐに会えるのに、デートを繰り返していても何だか寂しくて、今度はわたしが子供のようになってしまう。
ぐずぐず駄々をこねながら改札を超え、またね、頑張ってね、って言ってバイバイをした。別れぎわ最後の不意打ちの抱擁や口づけの尊さ恥ずかしさ愛おしさを、ずうっと信じていたい。
何もなかったようにわたしたちは別れ、触れ合っていた指先がはなれてなら冷たくなるまでの過程や、視界から相手が消えた瞬間のシャットダウンする感じを誰にも悟られないように、またイヤホンを挿した。
茅場町を過ぎる頃指先は冷え切っていたけれど、胸の真ん中はしばらく熱いままだった。
1 note · View note
thanatochu · 2 months
Text
黒い森を抜けたあと
Schwarzwaldの続きの話。 綾子主+叔父さん出会い編。
あの子と初めて会ったのは、それほど昔でもないような気がする。 10歳余りも歳の離れた姉が遠くに嫁いで行ってからはあまり帰省する機会もなく、その子供である彼と会ったこともない。生まれたばかりの時送られてきたメールの画像と、親から伝え聞くことぐらいで。 なので自分自身もまだ中学生の子供だった俺と、その小さな甥っ子との関係はまるで遠い親戚のようにしか感じられず、冷たいのかもしれないが愛着もなくさほど可愛いとも思えなかった。 けれど写真を見れば顔立ちは整っている。濃い藍色掛かった黒髪に、大きな瞳。無邪気に笑う様は確かに愛らしいと言えるだろう。母親が俺の小さい頃にそっくりだとしきりに話すので、少々聞き飽きた。 それから数年して、多忙らしい姉夫婦の都合がつき泊まりがけで実家に来ることになった。もちろん甥っ子も一緒に。うちの両親はそれは大喜びだった。 初めて見るその子が玄関で俺を見上げると、隣にいた姉のスカートをぎゅっと握り、隠れるような仕種をした。けれど小さな声で「こんにちわ」と挨拶をする。視線はずっと俺に向けられたままなので、自分も「いらっしゃい」と返事をした。 皆で飯を食いながら雑談してる間、甥っ子は落ち着きなく歩きまわるかと思えば大人しいもので、やや内気ではあるが賢そうに見える。 早生まれで春には3歳だというその子が、俺のことを少し遠くからずっと興味ありげに見ているので、手招きをすると近寄ってきて横にぺたりと座った。 「…おじさん?」 「そうだけど…叔父さんっていう歳じゃない」 「いくつ?」 「17歳」 お互いぽつりぽつり、と呟くような会話を続けて、その子は「ふうん…」と納得したのかどうか分からない相槌を打った。 「…言ったら、おこる?」 「別に怒らないけど…名前で呼んでくれた方がいいかな」 藤堂樹、と名前を告げたその時に「たつ、きー」と復唱した笑顔が、なんとも可愛く見えた。 それから暫くして俺は例の事件に見舞われるんだけど、それはまた別の話。
甥っ子とそんな会話をしてからまた4、5年経った頃。 姉夫婦がムーンライトブリッジで大きな事故に巻き込まれて亡くなった、と知らせが��た。 家族一緒に乗車していた甥っ子は運良く生き残り、それでもまだ意識が戻らないらしい。 遠方に住む両親からも頼まれて、実家を出て独り暮らしの俺がその子の入院している病院へと赴いた。 小さい体には大きすぎる白いベッド。細い腕に繋がれた点滴のチューブが痛々しい。擦り傷程度で大きな怪我はしていないようだが、脳傷害などなければいいと様子を見ながら近くの椅子に座る。 姉夫婦の葬儀は何やら父方の家と勤め先が旧家だか大企業らしく、全て任せてくれと言われた。 少々強引なやり方で準備が進められ、一方的な言い草にこちらの両親も俺も唖然としたものだ。 いきなり家族が亡くなって気持ちも何も全く整理できていないが、ポツンと取り残されたような甥っ子の傍に居てやりたかった。 数日眠ったままでやっと目覚めた甥っ子に現実を伝えるのは憚られたが、聡明なこの子に大人の都合で黙っている方が可哀想だ。親はもういないんだと、独りになってしまったんだと告げた。 流石にすぐに理解できないらしく、惚けたように俺を見返したけれど。 「…だいじょうぶ、ひとりじゃない。おぼえてればデスが…来てくれる」 まだ夢の中にいるような顔で呟いた。
慌ただしく葬儀や事後処理が終わって、甥っ子のことも父方の家が面倒見ると頑なに言うので1年程会う事はなかった。 連絡先は伝えておいたので、たまに近況を聞くようにはしていたのだが、どうも違和感を感じて詳しく聞き出すと親戚中をたらい回しのような扱いを受けているらしい。 義兄はまともな人だったが、その親族は世間体ばかり気にして金は持っているくせに子供の面倒は見たくないというクズどもだな、と冷静にキレた俺はすぐさま甥っ子を引き取ることにする。 元々愛想がないだの馴れないだの文句ばかりで手に余る状態だった親戚連中は、猫の子を譲るよりも呆気なく、二つ返事で甥っ子を手放した。 ちゃんとした手続きを踏めば俺にだって血の繋がった甥っ子を養育する権利くらいある。問題なのは俺が南条系列の外資系商社に入ったばかりで、これから出張も転勤も増えて海外にも行くかもしれないということだ。 その時はこっちに連れてくればいいよと両親は言うが、毎回それでは結局たらい回しの環境と変わらないんじゃないか…今までが劣悪な環境だったので住む所くらいは落ち着けてやりたい。 信頼のおける人を雇って見てもらうしかないか、とそんなことを考えていた時。 おとなしく公園の砂場で遊ぶ多紀を見守りながら少し離れたベンチに座っていた俺に、いきなり声が掛けられた。 「茅野多紀くんの保護者の方ですか?」 その青年…まだ少年の名残が見られるかもしれない。けれど整った容貌と額を出した黒い髪と、不気味とも言える輝きをした青い眼を持つ独特の雰囲気の人物が俺に近づいてきた。 そして到底信じられないようなことを言う。俺は高校時代の経験から奇想天外なことにも多少慣れている気でいたが、それ以上に規格外のことに巻き込まれたのだと悟った。 「多紀を僕に育てさせてください。彼の傍にいたいんです」 未来から来た、甥っ子の縁者だと言うその人物は礼儀正しく頭を下げた。 望月綾時と名乗るその未来人、と呼ぶのが適切なのかまだよく分からないが、今現在の時間軸とは別のところからやってきたのだという。 多紀に会うためだけに。多紀の子供時代を救うために。 普通だったらこんな胡散臭いことを言う輩には警察に叩き出す一択だろう。 だが砂場から戻ってきた多紀が、彼を見つけた途端走り出してその長い脚に飛びついたのだ。 「……デス!デスだよね、ぼく覚えてるよ、思い出した。ちゃんと思い出したよ」 「…ふふ。覚えていてくれたの?ありがとう。でも今はデスじゃなくて綾時だよ」 「りょじ?」 「綾時」 「りょーじ」 「そうそう。やっと会えた。もっと早く会いたかったんだけど、思ったより手間取っちゃって。ごめんね。もう独りにしないからね」 「うん」 話しながらしゃがんで目線を合わせたその様子を見て、俺は細かいことは理解出来ないが分かってしまった。 甥っ子を見る望月の蕩けるような顔。慈しみを込めた視線と、大事そうに頭を撫でる手。 そして多紀の、初対面どころか全幅の信頼を勝ち取っている様子は叔父の俺以上なのではないか。 「…まだ胡散臭いのは抜けないが、多紀を一緒に育ててくれるなら有り難い。こいつも懐いているようだし」 「りょじとたつきといっしょに住めるの?みんなで?ほんと?」 多紀が興奮したように頬を上気させて喜んだ。甥っ子のこんな顔を見たのはいつぐらいぶりだろう。 「ああ。…でも不審な真似したらどうなるか覚えとけよ」 「…あ、誓って裏切ったりしないけどペルソナは出さないで。お手柔らかにお願いします」 立ち上がった望月は、にこやかに笑いながら顔の近くまで挙げた両手のひらを向けて見せた。ペルソナ能力のことまで分かっているようだ。やっぱり胡散臭い。 こうして俺と甥っ子と、保育士兼ハウスキーパー望月の共同生活が始まった。
俺と望月の手を左右で繋ぎながら、真ん中に挟まれた多紀が楽しげに歩く。公園から自宅まではそれほど離れていない。 「デスの時となんか違うね、りょーじ」 「うん?まあね、日常的にはこうだよ」 「またまほう使ったりするの?」 「使えるけど…叔父さん以外には内緒ね、じゃないと一緒にいられなくなっちゃう」 「えっそれはやだ!」 帰る道すがら内緒話のように仲良く話す2人を見て思い出した。 病院で目が覚めた甥っ子が言っていた言葉。覚えていればデスが来てくれる。 この子はそれをよすがに、これまで耐えてきたのだろう。 家に着いて2杯分のコーヒーを淹れ、多紀にはリンゴジュースを出してソファに座るとようやく落ち着いて話ができる。 自己紹介と連絡先を兼ねて名刺を渡すと、望月は両手で受け取ってまじまじと眺めた。 「藤堂…たつきさん、って読むんだ。多紀と似てるね?」 「うん。まぎ、らわしい?からたまにジュジュって呼んでる」 「こら。それはやめろって」 嗜めると多紀はきゃはは、と小さく笑った。 「じゅじゅ?」 「樹ってじゅ、って読むんでしょ?だからジュジュ」 「はは、それは良いね」 今まで必要以上に大人しく表情もあまり変わらないでいた甥っ子が、本来の明るさを覗かせてよく喋る。正直カウンセリングにも通わないといけないのではと思っていた俺はそっと胸を撫で下ろした。 「一度実家にも顔見せに行かないとなあ」 「じいじとばあばのとこ?行きたい!」 多紀を引き取るまでの経緯は電話で話してあったが、やはり孫の顔が見たいだろうし。 「多紀の御祖父母と…うわー緊張するなあ。手土産どうしよう」 「そんな身構えることないだろ。でも親に育児同居するって言うからには、お前の能力は説明しておかないとな」 能力、と呟いて瞬きをした望月は、考え込むように泣き黒子の近くを指でなぞる。 「特に資格は持ってないけど一通り学んできたよ。多紀を育てるために必要なこと。家事育児、運転免許…はまたこっちでも取るとして、家庭教師も経験済み」 「ぼくもね、目玉やきできるよ。おせんたくものもたためるし、1人でお風呂にも入れる!」 甥っ子も張り合うように手を挙げた。実際この子は自分のことは出来てしまうので手が掛からない。 「おっ、すごいな〜。でもこれからお風呂は僕と入ろうね。洗ってあげる」 「ぼくもりょうじ洗ってあげる」 「ありがとう。お休みの日はどこか遊びに行こうね。楽しみだなあ」 夕飯時も入浴もそんな調子で終始はしゃぎっぱなしだった多紀は、流石に疲れて歯を磨く頃には半分夢の中だ。 「もう寝ちゃったね。ベッド連れて行くよ」 慣れた手つきで望月が力の抜けた幼子を腕に抱き抱え、子供部屋に向かう。 「ああ。それが済んだらお前の素性を詳しく聞かせてもらおうか」 「…あー、やっぱりそうだよね…」 彼は観念したように苦笑すると、ちょっと待ってて、と言い置いて廊下へ消えた。
明日の天気予報を見ながら茶を啜っていると望月が戻ってくる。 ソファではなく床に正座すると真顔で見上げてくるので、俺も居住いを正した。 「…薄々勘づいているかもしれないけど、僕は人間じゃない」 「……まあ、最初に話しかけられた時にそうだろうとは思ったよ」 「どこまで話せば良いのか、話して良いのかも不確かだけど…貴方は多紀の保護者でペルソナ使いだ。尤もそのペルソナも、僕たちの定義とは少し違う」 碧眼を伏せて僅かに躊躇したような彼は、眉を顰めて語り出す。 「僕は多紀の…今もあの子の中に封印されているものが育って人間の性質を得た、その成れの果てだ」 「…封印?」 「そう。あのムーンライトブリッジで」 望月は自分のことをシャドウというものが凝縮し、ある目的のために作られた死神だと言った。 それはやや自虐的で、生まれた経緯や誰が封印したのかなど詳しいことは語られなかったが、甥っ子に対して強い負い目が滲み出ている。 「…大体は分かったが、今ここにお前が居るということはデスが2体いることになるんじゃないか?」 「…まだこちらの僕は完全体ではないけどね…いずれそうなる。事象に歪みが出るのは避けられないから、僕はその前に多紀の記憶を少々弄ってから元の世界に戻るよ。育った彼があの地へ帰るまでに」 「帰る?って巌戸台にか。それは確定してるのか?」 「そうだね。2009年の春、何度繰り返しても同じだ。違うのは彼の…選び取った結末だけ」 まるでループする世界を幾度も見てきたような言い草だった。 「でも、僕がここで干渉する意味が少しでもあれば良い。宿主である彼の心身に与える悪影響を最小限に出来るかもしれない��、ペルソナは心の力だ。僕らが確かに愛情を持って育てることで、彼の選択や能力…この世界での未来まで変えられるかも」 「…多紀もペルソナを使うようになるってことか」 「ああ。それも稀有なワイルドの力だ。君たちは相性の良いペルソナを付け替えたり出来るけど、僕たちの理では基本1人に一体のペルソナしか扱えない。数百の仮面を使い分ける彼は…特別なんだよ」 特別、と口にする望月は痛みを感じたかのように顔を歪めた。誇らしげでもなんでもない、多紀が選ばれてしまったのは自分のせいだとでも言うように。 「…訊いてもいいか?お前はどうしてそこまで必死になって多紀を救おうとする?そもそも何でこっちの世界に来たり戻ったりできるんだ」 「えっ、ええと…それは大切な人だし迷惑も掛けたし。あっシャドウはね、時間を操れるからだよ」 それまでと打って変わって、しどろもどろに答えた望月はまだ何か隠しているらしい。まあ言いたくないなら構わないが。 選び取った結末とやらの果てに、甥っ子は一体どうなるのだろう。 その運命をどうにかして変えたくて、望月は此処にやってきた。それは間違いなさそうだ。 「2009年か…その頃にはあのチビもでかくなってるんだろうな」 「ふふ。もっと身長は欲しかったみたいだけど、すごく綺麗で格好いいよ。やっぱり血が繋がってるからかな、貴方に雰囲気が似てる」 「…俺?まあ小さい頃にもそっくりだとか母親に言われてたけどな」 「飄々としてるところとか話し方とか、リーダーらしく落ち着いた思慮深さも似てるよ」 他にも優しかったり土壇場の度胸があったり美味しそうにご飯を食べるところなど、枚挙に遑が無い。放っておくと朝になってしまう。 「…お前さあ、多紀に惚れてるだろ」 「っえ!?いや、惚れ…あの、もちろん好きだけどその、僕は小さい多紀にはただ可愛いなーってだけだよ」 「当たり前だろ。こっちの甥っ子に手出したら切り刻んでやるからな」 「何もしません!っていうかだからそんな趣味も性癖もないから!!」 「どうだかな。中学ぐらいになったら色気付いてくるだろうし誘惑がないとは言えないだろ」 気分は箱入り娘の父親のつもりで半眼になり睥睨すると、望月は面白いぐらいに狼狽えた。 「なっ…なんでそんな意地悪…!怖いこと言わないでよ僕は!育児に来たの!」 「ははっ、お前もそうやってると人間みたいだな。まあいい、お前はそっちの世界の多紀に惚れてるんだろ」 「…うん。僕がこうして存在するのは全て多紀のおかげだ。その彼に報いたい」 真面目な顔に戻って、望月が正座した膝の上で拳を握った。 「了解した。多紀のために協力してやる。お前も全力で守れよ…と言いたいが、これから何年もあるのに張り詰めてたら誰も楽しくないだろ。取り敢えず甥っ子の日常を幸せで満たしてやってくれ」 「それはもちろん。僕も家族ってものに憧れてたんだ、だから仲間に入れてもらえて嬉しいよ」 よろしくお願いします、と笑って差し出された手に笑い返し、握手をした。 こうして男ばかりの甥っ子家族計画が始動したわけだが、望月が人心掌握術かの如く同級生の父兄に評判が良いのも、キャラ弁まで作れる家事スキルが完璧なのも、人外が垣間見え薄らとした畏れを感じることも、俺が知るのはまだ先の話。
今まで萌えのままに綾子主を描いたり書いたりしてきたんですが どうして2人が一緒に生活しているのかをよく考えてみると中々にヘビーな理由と細かい設定がいるな…とは昔から思ってました。 うちは異聞録主が叔父さん設定なので今になってそこを深掘りしてみた感じです 異聞録主は藤堂姓にしたいお年頃。南条と桐条の関係もちょっと匂わせられるよねっていう魂胆ですが当時から異聞録であんまり創作したこともないので手探りです。 自力でタイムトラベル出来ちゃうチート綾時は便利だな(笑) これからは本当にほのぼの日常パートが書けそうなので、張り切ってそのうち。
0 notes
shintani24 · 2 months
Text
2024年3月25日
Tumblr media
原爆ドーム近くで殺人未遂事件 観光客が包丁で襲われる 42歳男を逮捕(中国新聞)
Tumblr media
うつ病治療、「デジタル治療薬」を新たな選択肢に VR技術使い症状緩和、開発目指す(信濃毎日新聞)2024年3月25日
VRゴーグルの中に映る岩を息で動かす学生(手前)と山口准教授。右はゴーグルの映像を映すモニター画面
公立諏訪東京理科大(茅野市)工学部情報応用工学科の山口武彦准教授が、仮想現実(VR)技術を活用して、うつ病の症状を和らげる「デジタル治療薬」の開発、実用化を目指している。デジタル治療薬は病気の予防や診断・治療にデジタル技術を役立てる新たな治療法で、副作用も起こりにくい。山口准教授は「薬を飲むより体への負担が少なく、治療の新たな選択肢になる」と期待している。
山口准教授によると、うつ病の患者は健康な人よりも頭の中でネガティブ(否定的)な出来事を繰り返し考えてしまう「反すう」という症状がある。日常生活の中で反すうが続くと、うつ症状が悪化してしまう。研究では、VRを使って反すうを抑える手法を検討。没入感のある映像で、患者の意識を反すうから切り離すことを試みている。
現在試している映像は、VRゴーグルの中で患者の目の前に巨大な岩を出現させ、患者が専用のマイクに息を吹きかけると、岩が浮いて前方に飛んでいく。逆に、息を吸うと岩が自分に迫ってくる。岩を動かすことに意識を集中することで、思考を反すうからそらす効果を期待できる。
山口准教授によると、呼吸で岩を動かす動作を繰り返すと、患者は次第に日常生活で自分がネガティブな思考を繰り返していることを自覚できるようになるという。ただ、実際の患者にどの程度の効果があるかの検証はこれから。VRを用いたうつ病治療ソフトを開発している東京のベンチャー企業「BiPSEE(ビプシー)」と協力し、研究を進める。
山口准教授は「VRはエンタメ(娯楽)に使う技術と思われがちだが、デジタル治療薬としてなら、薬を飲みたくない人にとって従来の薬よりも使いやすい」と説明。糖尿病など他の病気の予防や改善につながるデジタル治療薬も開発していくといい「VRで病気の予防や改善につなげてたい」としている。
[デジタル治療薬]
デジタル技術で病気の予防や診断・治療を支援する治療法。化学物質を使う飲み薬、注射といった従来の薬に比べ、副作用が少なく、開発コストを抑えられる。医薬品の使用量を減らし、医療費の抑制につながるメリットへの期待もある。製造販売するには臨床試験(治験)を経て国の承認を得ることが必要。これまでに禁煙や不眠障害の治療に使うスマートフォンアプリが承認されている。
Tumblr media
小林製薬「紅麹」供給先52社、内訳非公表で広がる混乱 日清・どん兵衛は「ベニコウジ色素」表示で「もらい事故」(J-CASTニュース)2024年3月25日
「紅麹」が含まれた小林製薬のサプリメント商品の利用者に健康被害が出ている問題で、カップ麺などにも「ベニコウジ色素」などと表示されていたと、X上で不安を訴える声が相次いでいる。
そばやうどんなどがある「どん兵衛」の表示も、X上で写真が投稿されて大きな話題になった。製造元の日清食品では、「小林製薬の紅麹原料は一切使用していません」と取材に明らかにした。問題の紅麹は52社に提供されたことが明らかになっているが、小林製薬は具体的な供給先を公表していない。原材料名に「ベニコウジ色素」が表示されている食品は多く、メーカーは対応を迫られそうだ。
■小林製薬の紅麹は52社に供給 宝酒造や紀文食品が自主回収
「悪玉コレステロールを下げる」。報道によると、問題になった小林製薬の「紅麴コレステヘルプ」は、機能性表示食品としてこううたって2021年4月に発売され、24年2月末までに約110万袋が販売された。
紅麴とは、米などで紅麹菌を繁殖・発酵させたもので、赤っぽい色をしている。これを使ったサプリメント3商品について、小林製薬(大阪市)は24年3月22日、腎臓の疾患などが発症したとの報告を受けたと発表した。紅麹の成分分析を行ったところ、一部に意図しない成分が含まれている可能性が分かったとした。成分の特定や腎疾患との関係判明には至っていないものの、健康被害を防ぐため、商品の使用中止を呼びかけ、約30万袋の自主回収に踏み切った。
会見を受けた報道によると、意図しない成分とは、カビから生成されたともみられるという。これらの商品の利用者13人にむくみ、倦怠感、尿の色が濃くなるなどの症状が出て、うち6人が一時入院するなどした。2人は、人工透析が一時必要になったという。25日の発表では、入院がさらに20人増えた。
小林製薬は、24日になって、16年から商社や食品メーカーなど52社に紅麴を供給���たと報道各社に説明している。自社製品への使用は約2割で、約8割は他社に原料販売していたという。宝酒造は、小林製薬の紅麹を着色料に使っていたスパークリング日本酒の自主回収を発表し、紀文食品も、イカの塩辛に使っていたとして自主回収に踏み切った。
そんな中で、カップ麺の「どん兵衛」にも、「ベニコウジ色素」との表示があったとX上で写真が投稿され、拡散して不安が広がっている。
日清食品「小林製薬の紅麹原料は一切使用していません」
「家に大量にあるどん兵衛どうしよう」「腎機能確認せねば」「不安しかないですね...」といった声が漏れたほか、「サプリみたいに高濃度でなければ大丈夫じゃない?」との指摘もあった。
日清食品ホールディングスの広報部は3月25日、J-CASTニュースの取材に対し、次のように回答した。
「どん兵衛を含む弊社の商品に、健康被害が生じている小林製薬の紅麹原料は一切使用していません」
また、同じカップ麺では、どん兵衛とともに人気がある「赤いきつね」などにも「ベニコウジ色素」との表示があったと、X上で指摘が出た。
「赤いきつね」製造元の東洋水産は25日、取材に対し、「小林製薬様とは、直接の取引はございません」とCSR広報部が答えた。商品の詳細については、調査中だとしている。
ところで、ネット上では他にも、パスタソースなどに紅麹が使われていた、といった報告が次々に出ている。一体、どれだけの商品に使われているのだろうか。
記者が25日、コンビニ店舗に行き、紅麹が着色料などとして使われている商品を調べた。
すると、カニ風味かまぼこの原材料名に「紅麹」とあったほか、お菓子のグミやチョコに着色料として「紅麹」、クッキーに「ベニコウジ色素」との表示があった。これらが小林製薬の提供かは、分からなかったが、紅麹は、広く様々な食品に使われていた。今後は、消費者から各メーカーに説明が求められる事態になることもありえそうだ。
なお、小林製薬の広報・IR部は25日、取材に対し、「紅麹をどこに提供したかについては、取り引き先様に関わることになりますので、非開示とさせていただきます。取り引き先様に弊社から連絡して、ご対応していただくことになります」と説明した。(J-CASTニュース編集部 野口博之)
Tumblr media
小林製薬の紅麹、公表まで2か月…供給受ける食品・調味料メーカー「消費者にどう伝えれば」(読売新聞)2024年3月25日
小林製薬が販売したサプリメントを摂取した人に健康被害が確認された問題で25日、同社から供給を受けた「紅麹(べにこうじ)」を使用する全国の食品や調味料メーカーで製品を自主回収する動きが広がった。公表までに時間を要したことについて、取引先からは、情報提供が不十分だと批判の声があがり、消費者は不安を口にした。
【図表】自主回収に踏み切った主な企業と商品
紅麹原料は2016年から販売され、52社に原料として供給されていた。小林製薬は、サプリ以外で健康被害が出る可能性は低いとしている。
同社は、提供先の個別の企業名について公表していない。これまでに宝酒造(京都市)や紀文食品(東京都)が商品の自主回収を発表していたが、25日になって新たに回収を発表する会社が相次いだ。
大塚食品(大阪市)は紅麹を使って徳島工場(徳島市)で製造した「あわ 紅豆腐」の自主回収を発表した。22年8月1日~今月22日に出荷された約700個が対象で、東京や大阪など7都府県で販売したほか、徳島県のふるさと納税の返礼品にもなっていた。同社広報部は「小林製薬から詳しい説明がないので、問い合わせがあってもどう健康に影響するかなどを伝えられない」としている。
竹屋(長野県)は「タケヤみそ 塩ひかえめ紅麹仕立て」の販売を一時中止し、自主回収すると発表した。藤森伝太社長は「商品の安全性について尋ねる問い合わせが相次いでいる。消費者にしっかりと説明する必要があり、早く原因を突き止めてほしい」と話した。
紅麹を使用したみそを販売している高松市の食品加工会社は、ホームページで「販売中止の措置を取らせていただきます」と公表。岡山県でも、みそ製造会社など3社が県に自主回収について相談している。
小林製薬が、問題を把握してから公表するまでに2か月以上を要した。
今月22日、紅麹の成分が入ったサプリ「紅麹コレステヘルプ」を摂取した人が腎臓の病気になったと公表。血中のコレステロールを抑える効果をうたった機能性表示食品で、21年の発売後、累計で約110万個が販売されているヒット商品だ。
問題は患者本人や医師からの指摘で今年1月に判明していた。サプリの利用者が一時的に人工透析が必要になるなどしていたが、同社の小林章浩社長は今月22日に開いた記者会見で「事実確認や原因究明に時間がかかってしまった。判断が遅かったと言われればその通りだ」と釈明した。
東京都北区の男性会社員(43)は「誰もが知る製薬会社の商品なので、入院するほどの健康被害が起きたと聞いて驚いている。食べ物に知らないうちに紅麹が使われていたらと思うと、不安だ」と話した。
Tumblr media
「ピザポテト」に「紅麹」表記でカルビーが声明 小林製薬の原料は「使用していない」湖池屋も(日刊スポーツ 3月29日)2024年3月25日に追記
あくまでも小林製薬の原料が問題なだけなのに、そうとわかっていても今は「紅麹」が含…もっと見る
ポテトチップスなどを販売するカルビーは、29日までに公式サイトで、自社製品に、健康被害が報告されている小林製薬製の紅麹(べにこうじ)原料は使用していないことを明らかにした。
カルビーは「弊社商品における紅麹原料(ベニコウジ色素)の使用について」と題した文面をアップ。「去る3月22日に小林製薬株式会社から紅麹原料による健康危害の開示がなされました。その後の弊社による調査の結果、同社製造の紅麹原料を使用していないことを確認しましたので、御報告いたします」と公表された。
SNS上では、カルビーの「ピザポテト」の着色料に「紅麹」が記されていると指摘する声や、小林製薬との関連を気にする声があがっていた。
この件では、同じくポテトチップス製造大手の湖池屋も「弊社が製造・販売する製品には、健康被害が報道されている小林製薬の紅麹原料は一切使用しておりません」とのコメントを公式サイトに載せている。
小林製薬の紅麹原料をめぐっては、摂取による死亡が疑われる事例が29日までに5人、判明しており、同社は同日に大阪市で記者会見を開く。
Tumblr media
「共通点は紅麹サプリ」 患者診た病院の問い合わせに小林製薬は(毎日新聞 3月30日)2024年3月25日に追記
小林製薬の「紅麹」のサプリメントを摂取した人の健康被害をめぐり、腎臓の機能低下で3人が入院した日本大学板橋病院(東京都)の腎臓・高血圧・内分泌内科部長の阿部雅紀医師が毎日新聞などの取材に応じた。3人はいずれも腎臓の病気などの持病がない中で腎機能が低下し、2023年春ごろからサプリメントを飲み始めていた点が共通していたという。
3人の症状は
阿部医師によると、患者は女性で70代1人と50代2人。3人は昨年11月から今年1月にかけて、尿が泡立つ異常を感じたり、風邪のような症状で体調を崩したりしていた。病院で検査した結果、腎臓の状態を示す指標の一つのクレアチニンの数値が基準値より高く、尿たんぱくや尿潜血も陽性で「尿細管間質性腎炎」を起こしていた。
3人はステロイド治療を行い、1週間から10日ほど入院。現在は快方に向かっているが、半年から1年ほどは通院して薬物治療が必要になる。
共通点はサプリ 連絡すると小林製薬は…
受診時の聞き取りでは、いずれも既往歴や持病はなかった。薬の副作用が原因の一つに考えられたが、薬は常用していなかった。聞き取りの中で浮上した共通点が、紅麹サプリメントの常用だった。「サプリが疑わしい」と思い、3人目の受診直後の2月1日に小林製薬に問い合わせた。
当初は「同様の腎障害の事例は他にはない」との返答だった。しかし、2週間後の15日に詳しい説明を聞きたいとの連絡があり、22日に来院した担当者に病状や経過を説明した。病院がサプリメントの自主回収の方針を知ったのは1カ月後の3月22日の記者会見でだった。
紅こうじを巡る健康被害の経緯
心臓に持病があれば死に至る恐れも
患者はいずれも健康診断でコレステロール値が高いと指摘を受け、改善しようとサプリメントの服用を始めたという。健康志向も高く、異常を感じてから病院受診までは早かった。
ただ、3人目の患者はクレアチニンの数値が他の2人よりも高く、阿部医師は「発見が遅ければ慢性腎不全となり、透析が必要な状況になることもあり得た。決して軽症とは言えない」と説明する。もし心臓に持病があれば心不全の悪化などで死に至るケースもあるという。
腎臓の病気は自覚症状に乏しく、悪化してから病院を受診する人が多いという。阿部医師は「このサプリメントを飲んで、尿の泡立ちや濁りが心配な人は医療機関を受診してほしい」と話す。その上で、問題のサプリメントが機能性表示食品として届け出されていたことを踏まえ、制度について「安全性を十分に確認してから発売してもらいたい。抜き打ち検査などで有害なものが入っていないかもチェックする必要があるのではないか」と語った。【山口智】
0 notes
kachoushi · 4 months
Text
虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅱ
花鳥誌2024年2月号より転載
Tumblr media
日本文学研究者
井上 泰至
  山寺の宝物見るや花の雨
 季語は「花の雨」で『新歳時記』では「花」の傍題。山寺で宝物に見入る「寂び」の境地を云々されたこともあったが、『虚子百句』の立子の評は、それを覆している。
 父はあまりお寺やお宮などの宝物に興味を持っていないと思います。それが特に宝物を見るというのは何か余儀なくそうして時間をつぶしたという心持ちがあるのでしょう。
 つまり、「宝物見るや」と「や」で謎をかけておいて、「花の雨」で降り籠められただけだったんだよと明かし、軽い「笑い」を受け取れば、それでいいのだということである。虚子は『俳句はかく解しかく味ふ』の冒頭で、歴史を詠んだ古俳諧を取り上げ、こう言っている。
 俳句の詠史は漢詩や和歌などと違うてその事柄を優美にしたり、荘重にしたりすることはしないで、むしろその事柄と反対に卑近な物を持って来たり、滑稽な物を持って来たりして頓挫を与えるものが多い。(中略)
 同じく滑稽味と言ったところで、これらはげたげた笑うような滑稽ではなくて底には淋し味も含んだ品のいい滑稽である。ユーモアというような部類に属するものである。  
 巻頭で語っているから、これは俳句の本質論でもあって、下品なくすぐりは感心しないが、「頓挫」があって「ユーモア」がある、というのが、虚子の言う、漢詩・和歌に対する俳句の特質であったわけだ。
  力無きあくび連発日の盛り 虚子
 虚子はよく欠伸をしたという。選句中は虚空を見上げたとも(『俳句と自分』)。俳句は深呼吸のようなものだ、という言葉も残している。欠伸や深呼吸をすれば、必ずいい句が生まれるというものではないが、息を詰め、肩を怒らす、そのような心持ちで俳句は詠むものではないという思いも伝わってくる。
 いい意味の虚子の「余裕」を、この句にも見るべきだというのが、立子の言いたいところなのである。山寺の幽玄な雰囲気に浸っていた、などという解釈こそが、芭蕉を神に祭り上げた「月並」と同様の陥穽ではないのか、とも解せる。
 『虚子百句』のレイアウト上の構成を考えれば、前に掲げた〈美しき人や蚕飼の玉襷〉は、完全な人事句。それに比して「山寺」句は叙景に近い。句集の編集の妙は「変化」にある。さらに、「や」の使いように注目すれば、「や」の位置と、上に来る言葉の性質の違いはあるものの、両者「頓挫」がある。片や品のある美人のうなじをさりげなく暗示し、片や所在ない山寺の退屈を笑ってみせた。二物衝撃などという肩ひじ張った合理的機能を言い立てる前に、俳諧以来の技法の「底」を浚う方が、地に足がついている、とも言いうる。
 なお、この句は題詠であって、単純な嘱目ではない。『年代順虚子俳句全集』第二巻では「桜十句」の題で八句は記録され、その中に掲句が確認できる。
  花見船菜の花見ゆるあたり迄
  山駕や酒手乞はれて桜人
  藪原や櫛売る家の遅桜
  花の雨蒲団ぬらして誰が庵
  大江山花に戻るや小盗人
  山寺の宝物見るや花の雨
  夜桜や栂川楼を出る芸者
  夜桜や用ありげなる小提灯
 「藪原」は明治二七年の木曽の旅、「栂川楼」は柳巷花街の柳橋のことと本井英は考証している(「虚子『五百句』評釈(第七回)」『夏潮』二〇一六年六月)。ともかく、山寺句は、子規在世当時、蕪村に倣った修練法「一題十句」において成立した句だった。並んだ句はみな小説の一場面といった趣きである。
 虚子はこの頃、『俳句入門』(明治三一年)で、写生とともに題詠の重要性を説いて、特に「一題十句」は、遊戯的な仕掛けを通して、言葉の取捨選択や、季題への深い理解につながるものがある、と言う。今の伝統派にも残る修練法だが、見るだけでなく、記憶し、想起することも写生の中に含まれることも明記しておきたい。書は前の句に比べて薄いムラがある。
  芳草や黒き烏も濃紫
 『五百句』注記に、「明治三十九年三月十九日 俳諧散心。第一回。(九段上)小庵。会者、(高田)蝶衣、(松根)東洋城、(岡本)癖三酔、(岡本)松浜、(柴)浅茅。尚この俳諧散心の会は翌明治四十年一月二十八日に至り四十一回に及ぶ。」(括弧内、井上注記)とある。
 「俳諧散心」は、子規没後ライバルであった河東碧梧桐を意識した鍛錬句会のことである。橋本直「「俳諧散心」と近代個人句集の起こりについて」(『夏潮別冊虚子研究号』10)に詳しい。「ホトトギス」の事務と編集を担当していた松浜が謄写版で句会稿を翻字した「芳草集」が虚子記念文学館に所蔵される。
 「散心」は元来仏語で、仏事に専心しない散漫な状態を言うが、転じて、そのような凡夫の心にも一心に念仏すれば成仏する意味を含み、ここは俳句の鍛錬に集中する「行」の会を意味する。
 『虚子俳句全集年代順』第二巻(昭和十五年)には、「俳諧散心」の虚子句を集中して掲載しており、掲句は、「第一回、草芳し十句」と記されている通り、一題十句の中の一句であることが確認できる。掲句の他三句に絞って記しているので、挙げて置こう。
  垣間見る好色者に草芳しき
  人屋出てふむ時草の芳しき
  芳しき小草もゆるや塔の下
 このうち「好色者(すきもの)」の句は、『喜寿艶』に載るが、掲句は春の光を受けて烏の漆黒も濃い紫に見える、というわけである。子規の最晩年に
  黒キマデニ紫深キ葡萄カナ
 という句があり、意識したかも知れない。拙著『子規の内なる江戸』で指摘したことだが、二つの色を比較して際立たせる手法は、典型的な子規の写生の方法で、洋画からの発想である。有名な碧梧桐の、
  赤い椿白い椿と落ちにけり  
 という句もその成功例であり、印象明瞭な子規派の俳句の新味であった。虚子もこの路線で詠んだわけである。
 問題は、「芳草」という季題の表記であろう。字数の加減で、上五にこの言葉を持ってくるとき、「芳草」と漢語にして文字を惜しんだことは、容易に想像がつく。しかし、それだけのことなら、ごまんとある自句から掲句をわざわざ選んだりはしないだろう。「春の草」「草芳し」でもよかったことになる。
 漢語の「芳草」を持ってきて「や」で切る形は、調べから言って、漢詩のような格調をもたらす。また、掲句は取り合わせの句である。その取り合わせた中七・下五でポイントになるのは「も」である。この言葉は、「AもBも」という現代でも使う意味の他、『万葉集』以来「〜さえも」という含意を持つ(上野洋三『芭蕉論』「も考」)。
 烏の背景は、「芳草」の若々しい「緑」である。その背景の「春光」によって、烏の羽の漆黒さえも「濃紫」の艶を得たということなのである。ここに「緑」「碧」「青」の字を置いては、くどくなってしまう。匂いたつほどの緑を暗示する格調高き「芳草」としておくことで、下五の「濃紫」から反転して「緑」が感得できるようにしたのが、この句の眼目なのである。
 色の比較の句は、つい知的な操作に終始してしまい、季題を生かすことから逸れてしまいがちになる。しかし、掲句は子規や碧梧桐の色の配合句に負けない、季題という中心点を把握して見せた出来栄えのいいものだ。虚子と言えば、一物仕立てという公式は当てはまらない。これくらいのことは、虚子もやってのけた、というわけである。
 なお、一題十句は、蕪村の『新花摘』に学んで子規らが始めた修練法で、その始まりは明治二十九年にさかのぼる。虚子は『俳句入門』(明治三十一年)で以下のようにその効用を述べている。題をころころ変えて、一句しか詠まないより、この方法の方が、題をあれこれ考え、十句のうちから幾つかは佳句を得やすい、と。つまり、袋回しで題をいくつも詠むより、費用対効果がいいわけである(井上『近代俳句の誕生』)。虚子の、特に青年期の修養がこうして題詠を中心になされていたことは記憶にとどめておくべきである。
『虚子百句』より虚子揮毫
  美しき人や蚕飼の玉襷
  山寺の宝物見るや花の雨
Tumblr media
(国立国会図書館デジタルコレクションより)
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes
morimori-keihoku · 5 months
Text
【活動要項】【参加申込】第1回冬のキャンプ
猛暑の夏のキャンプを体験した子どもたちから「冬もやりたい!」と声が上がり、いろいろなパターンを検討しました。地球温暖化の影響でしょうか、冬期自然体験活動中に雪が降ったり、積もったりすることがなく、思いっきり雪遊びができないもりもりの活動になっています。そこで2年ほど前から雪遊びのできる活動期間をつくりたいと考えてきました。子どもたちの熱い要望にも押されて、第1回の冬のキャンプを開催することとなりました。今回は雪合戦や雪そり遊び、鎌倉づくりなどの雪遊びにプラスして冬の山里の暮らし体験を企画しました。しめ縄づくりで毎年ご協力いただいております河原林成史氏の資料館のような自宅である茅葺屋根の古民家にお邪魔し、唐臼(からうす※1)で寒餅をつき、おくどさん(※2)でご飯を炊き囲炉裏でぼたん鍋(または京北鍋)をいただくというワクワクする体験を計画しております。山里の京北でもおくどさんがある家はほとんどなく、まして唐臼まで家にあるのは河原林邸だけです。夏とは違う山里京北の冬をいっぱい楽しみたいと思います。
●活動日:1月27・28日(土日) 1泊2日
●宿泊場所:あうる京北(〒601-0533 京都府京都市右京区京北下中町鳥谷2) ●主たる活動場所:森守協力隊事務所(右京区京北下弓削町杉森26-1)
●参加費用:33,500円(税込) (バス協力金・保険代・野外炊飯体験材料費・アルバム製作費込み) ※キャンセルされた場合は、その時点での必要経費を差し引いた金額をプログラム終了後に返金します。また、振込料はご負担ください
●対象:在園生・卒園生(令和5年度ファミリー会員未登録の方は参加費とは別途会員費3,000円をお願いします)
●定員:最少催行人員5名〜最大18名
●持ち物:着替え一式2回分・寝間着・雪遊び服一式(スノーブーツ)替え用運動靴・洗面一式・水筒・マイカップ 大き目のリュックまたはカバンに持ち物を小分けにしてなるべき1つにまとめてください
●食事:27日昼) もりもり一番人気「豆乳ラーメン」 27日夜)河原林邸囲炉裏で「ぼたん鍋または京北鍋」「餅」「おくどさんで炊いたご飯」 ・ 28日朝) ピザパン、ソイミロ、バナナ、リンゴ、ヨーグルト ・28日昼)ほうれん草カレーライス
●服装:主に野外で遊びます。活動に相応しい服の着用と準備をお願いします。お子さん本人が着脱可能なものが好ましい。長靴またはスノーブーツの着用 ※活動に適切ではない場合、参加をご遠慮いただくこともありますので、十分にご考慮ください
●活動休止の場合:当日朝7時までに電話連絡します。その場合は日程終了後、相当分の参加費をお返しします。ただし、病気や参加者都合での返金は、出来かねます
●活動中の保険について:賠償責任保険に加入しております。安全には充分配慮し活動をしておりますが、けがや事故は不意におこりうる場合があります。不慮の事態で入院、通院などの補償は、この加入保険の補償の範囲内でのみ対処させていただきます
●写真撮影について:当活動を記録するため、毎日写真撮影を行います。その画像データは、HP・SNS・ポスター・チラシなど、運営法人の広報活動においても使用させていただきます
●送迎バスについて:こちらから(予定)
●参加申込:こちらから(googleforms)
●参加締切:1月20日(土)17時00分まで
●お問い合わせ・ご相談:メール([email protected])にて
この活動は、特定非営利活動法人森守協力隊理事長 宮西恵津子が主催しております
(※1)うすを地面に埋め、足で杵(きね)を踏んで穀物をつく仕掛けのもの。ふみうす。
(※2)*2おくどさん 「おくどさん」は「お曲突さん」と書き「くど」とは「火処(ほど)」を意味しています。前後に「お」と「さん」を付けた最高尊敬語と言へ大切にしてきた歴史を感じます。今日では、火を焚く「かまど」や「かまど」のある場所を意味することばとして使われていますが、本来はかまど神信仰に基づく神様を表したことばです。かまど信仰とは、火伏せ神であり、家の守り神としても大切にされています。京都愛宕山は火の神様が祭られています。京北はこの愛宕山の裏参道の村になります。
0 notes
wp-blaze · 4 hours
Text
Understanding the Subtle Signs of Emotional Abuse
Tumblr media
Emotional abuse can be insidious and difficult to recognize. This post explores the quiet, pervasive signs that someone may be experiencing emotional mistreatment – and offers strategies to heal and reclaim your power.
0 notes
chishiru61 · 5 months
Text
2023年下半期に見た展覧会
0701 ガウディとサグラダ・ファミリア展@MoMAT 0702 イギリス風景画と国木田独歩@茅ヶ崎市美術館 0702 生誕110年 傑作誕生・佐藤忠良@神奈川県立近代美術館 葉山 0706 ブルターニュの光と風@福島県立美術館 0708 谷川俊太郎 絵本☆百貨展@PLAY!MUSEUM 0711 テート美術館展 光 — ターナー、印象派から現代へ@国立新美術館 ☆0721 甲斐荘楠音の全貌 ― 絵画、演劇、映画を越境する個性(前期)@東京ステーションギャラリー *1 ☆0729 ソール・ライターの原点 ニューヨークの色@ヒカリエホール *2 0729 平間至展 写真のうた@ヒカリエホール 0804 「あ、共感とかじゃなくて。」@MoT ★0804 デイヴィッド・ホックニー展@MoT *3 0805 ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム@アーティゾン美術館 0806 蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる@国立新美術館 0812 特別展「古代メキシコ」@東京国立博物館 0812 スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた@国立西洋美術館 0813 私たちは何者?ボーダレス・ドールズ@渋谷区立松涛美術館 *4 0820 フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館 0825 甲斐荘楠音の全貌 ― 絵画、演劇、映画を越境する個性(後期)@東京ステーションギャラリー 0826 生誕100年 山下清展―百年目の大回想@SOMPO美術館 0902 挑発関係=中平卓馬×森山大道@神奈川県立近代美術館 葉山 ★0902 吉村弘 風景の音 音の風景@神奈川県立近代美術館 鎌倉別館 *5 0907 三沢厚彦 ANIMALS@千葉市美術館 0917 虫めづる日本の人々@サントリー美術館 0920 版画家たちの世界旅行 -古代エジプトから近未来都市まで@町田市立国際版画美術館 1022 杉本博司 本歌取り 東下り@渋谷区立松濤美術館 1029 デイヴィッド・ホックニー展(2回目)@MoT ☆1029 ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン@アーティゾン美術館 1119 開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに?@名古屋市美術館 1121 テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館 1122 展覧会のちょっといい話 絵本と近代美術のあれこれ@板橋区立美術館 1125 装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術@東京都庭園美術館 1202 「パルコを広告する」 1969 - 2023@PARCO MUSEUM 1203 「横尾忠則 寒山百得」展@東京国立博物館 表慶館 1203 開館記念展「皇室のみやび」(第1期:三の丸尚蔵館の国宝)@皇居三の丸尚蔵館 1203 生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ@MoMAT 1207 イン・ビトウィーン@埼玉県立近代美術館 1209 永遠の都ローマ展@東京都美術館 1209 大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館 1209 イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル@国立新美術館 1214 モネ 連作の情景@上野の森美術館 *6 1216 「前衛」写真の精神: なんでもないものの変容@渋谷区立松涛美術館 ☆1216 「鹿児島睦 まいにち」展@PLAY! MUSEUM *7 1223 吉田ユニ「PLAYING CARDS」@ラフォーレミュージアム
*1 御多分に漏れず「あやしい絵」展でファンになってから待望だった個展、こんなに早く見ることができるなんてありがたい。ただ、やっぱり結構残っている作品は少ないんだなあ、というのが一番の感想で、そして作品のアクが強くて初めのインパクトや中毒性は強い分、慣れてくるとそこまでじっくり見るような感じにはならないなあ、とも思ったり(音楽とかでもそういう曲ってあるよね)。一方で、メインビジュアルにもなっていたメト所蔵の「春」なんかは特有のケレンを上手く折衷させた見ごたえの絵のある絵に仕上がっているんだけれども、結局それより先が無かったという。。展覧会中でも識者の言葉として紹介されていたけれど、ちょっと惜しかったというか、あともう少し絵師として活躍してほしかったなあと。でも、図版でしか知らなかった作品をいっぱい見られて嬉しかった。 *2 ソールライターの「良さ」がようやくわかってきたような気がします。残されていたフィルムをデジタル現像して順番に映し出していく大画面スライドショーのインスタレーションがとても面白くて、美術館ではない空間になった分、こういう演出ができるようになったのは良いなあと思いました。 *3 この夏のナイスワン。自分の中の「とても楽しかった展覧会」の1つの基準が、「一通り見終わった後に展示室で延々ゆらゆらしていられること」なんですが、久しぶりにそのトリップがきました。ホックニー特有のポップで人懐っこい色彩がやはり素晴らしく、いつまでも網膜にうつしていたくなるんですね。特に大型作品の展示空間に入ったときは、その色彩感に包まれるのが嬉しくて、思わずくるくると踊りだしそうになりました(?)。 展覧会は、初期から始まってロンドン、カリフォルニア、イギリスの田舎町、そして最近移り住んだノルマンディーと、活動場所で区切られた作家のキャリアを一通り追う構成。昔メトで大規模回顧展を見たはずなのですが、あまり記憶になく、、今回改めて見て、初期はかなりベーコンの影響を感じるなーとか、やっぱり色彩はマティス、後期のボナールっぽいなーとか、いろんな発見がありました。 この10年来ハマっているというiPad絵画は、長生き作家にありがちの、晩年にどんどんと・・・よく言えばダイナミック、悪く言えば大味というか雑になっていくアレなんだけども(ピカソとか)、ただ色彩だけで言うと、やはりホックニーそのものなんですよね。近づいてみると、マジで点とか線は小さい頃にwindows95のペイントソフトで遊んだ、落書きライクな感じなんだけども、遠くから見るとちゃんと「らしい」作品になっているのはさすがだなと思いました。 以下は蛇足なのですが、作品構成は、大型の油絵作品10点余りがテートから、それから複数のパネルを組み合わせた作品が同じくテートとポンピドゥーから1点ずつ、あとは作家蔵の超大型作品がメインで、その間を都現美所蔵の版画コレクション(これ一度まとめて見たかった!)で埋めていく、という感じ。つまり単に金にあかせてガサっと作品を連れてきたのではなく(それでも相当お金かかってると思うけど)、館にあるものが起点になっているのが良かったな。欲を言えば、作家のキャリアハイである西海岸時代の作品(プールとか彼氏とか出てくるやつ)が手薄な感は否めなかったですが、まあ贅沢を言うとキリがない。 *4 古今東西における「人形」の役割を紹介する展覧会で、人形と言えばやっぱりセクシャルな意味合いもあるけどさすがにそれは展示できないよねー、と思いながら見てたら、最後にばっちりあって、ここ(渋谷区)は本当にすごいなと思った。もっとやってください。 *5 環境音楽家・吉村弘の回顧展。展示室に直接音楽が流れているのかと思いきやそうではなく、しかし音楽を喚起させるような愛らしい絵楽譜や、それぞれの映像から聞こえる微かな音楽によって、展示室全体がとても豊かな音楽に包まれていた。そしてそこに、微かな外音や、来場者の衣擦れや足音、小さな話し声が「環境音楽」として響いている、というわけ。写真2枚目のサウンド・チューブという展示があって、観客がめいめいにこの筒を揺らしたり、ひっくり返して、筒の中に入った水音に耳を澄ましている(そして、とても良い音だなと思う)。しかしよく考えれば、聞いている音はありふれた水音であり、つまり世界には、このように耳を澄ますべき音に溢れているんだ、ということがメッセージされている。そうして美術館の外に出るとあら不思議、外を通る車の音や風で葉がさわさわと擦れる音、いつもこの美術館の帰りに寄る鶴岡八幡宮の階段を登る自分の足音、美術館のコインロッカーで使った百円玉をそのまま賽銭箱に投げた時のコツンという音などが、全てビビットに聞こえてくる。つまりこの展示は、美術館の中でだけで完結せずに、観客の日常に対する知覚を変えることで、展示室外にもその世界がずっと続いていく、ようである。言うまでもないけれど、そういう展覧会はとても良いものだと思う。 *6 展示自体はなかなか豪華なモネ展だと思うんだけども、チケット代とか人の捌き方とか借用元とか企画元とかそういう本筋と関係ない部分がやたら気になってしまったい。でも、3,000円払って美術展を見たい、という層がこれだけ(しかも若年層も多かった!)いるというのは、ある種の救いなのかもしれぬ。 *7 PLAY!特有の見せ方のうまさと、展示されている作品群の愛らしさが上手に噛み合った、とても視覚的に幸福感のある展覧会でした。見られて良かった。
<海外編> 1104 Rijksmuseum/Museum Boijmans Van Beuningen At Rijksmuseum 1104 Van Gogh Museum/Van Gogh along the Seine 1105 Stedelijk Museum/Nan Goldin – This Will Not End Well 1107 Musées royaux des beaux-arts de Belgique 1107 Musée Magritte 1108 Musée de l'Orangerie/Amedeo Modigliani. A painter and his dealer 1108 Musée du Louvre ★1109 MARK ROTHKO Retrospective@Fondation Louis Vuitton 1109 Musée Marmottan Monet/Berthe Morisot and the Art of the 18th Century ★1109 Musée d'Art Moderne de Paris/Nicolas de Staël 1109 Musée d'Orsay/Van Gogh in Auvers-sur-Oise,Peter Doig 1110 Musée de Cluny 1110 Bourse de Commerce/MIKE KELLEY Ghost and Spirit, LEE LOZANO "Strike" etc. 1110 Centre Pompidou/Over the Rainbow 1111 Musée d'Orsay
1 note · View note
chabatayuka · 6 months
Text
Tumblr media
たき火会と展示の狭間の先週の土曜日、ビジネスプランコンテストの最終審査がコール田無であり、多摩信用金庫賞をいただきました。
Tumblr media
「「ゆたかさ」を問い、地域に根ざす文化をつくる 茅スタジオのイベント事業」
と題し、茅スタジオとして出た今回。文化とはなんぞやというお話から、具体的にどのようなイベントを催していて何を目指しているのかということ、そのビジネスの回し方についてのお話をしました。
受賞の時にもお話しましたが、7組のファイナリスト達の中で茅スタジオのプランは「文化」という最もふんわりしている分野で勝負をしていて、なんというか全く「ビジネス」向きではない…。元々ビジネスの世界にどっぷりいたこともあるのですごくその無理さ加減が分かりつつ、それでも多摩信用金庫の指田さんは2次審査から注目してくださっていたとのこと。見ていてくださる方がいらっしゃるのはとても有り難かったです。
文化というものをどう考えているかということ、文化をつくるには何をしていくべきかということ。自分の頭の中を棚卸しして考え直し、まとめ直した今回。とても良い機会になりました。
サポートし、資料のリマインドをし続けてくださった浅川さんをはじめ、事務局のみなさまには大変お世話になりました!
茅スタジオは文化をやり続けたいと思います。
がんばるぞ!
もんちゃんに報告中のひとコマ。椅子に乗ってるのは奈良山園のあさみさんが持ってきてくれた稲藁!27日のお正月飾りを自分でつくる会に使わせてもらいます。
0 notes
amiya3 · 6 months
Text
新刊「令和ブルガリアヨーグルト」本日発売
※長いです 三年以上ぶりの新刊です。待っててくれた人もとくに待ってなかった人もお待たせ! 題名からお察しのとおり、全面的に株式会社明治様にご協力いただいた、明治ブルガリアヨーグルトを題材にした話です。 ・主人公は20代前半の内気な人間と乳酸菌 ・恋愛要素なし・エロもなし ・乳酸菌がよく喋る、乳酸菌以外もわりとよく喋る ・料理が得意ではない人に向けたちょっとしたヨーグルト料理レシピを交え ・ブルガリアのちょっとした歴史なんかも知れる(ここはA面全開ですが) ・ハートウォーミングなお仕事&推し事コメディ(だいたいB面) です。先日インタビューしてくれたライターさんが、会うなり「マジこれ何考えて書いたんですか!? 天才ですね!」って言ってくれました。なのでたぶん私天才だと思う。このインタビューは12月初旬発売のダヴィンチに載ります。ありがとうございました。 主人公の「推し」はブルガリア菌です。ややこしくて申し訳ないんですが登場するブルガリア菌が「主人公の推しのブルガリア菌(騎士)」と「在野のブルガリア菌(桿菌)」の二種類います。よく喋る(ドラマで橋本さとしさんが演じてくださる)のは在野のほうです。作中では在野のブルガリア菌が、歴代の加奈ちゃんレベルでものすごく良い働きをしてくれて、楽しくなっていろいろ書いてたら私史上最高枚数になってしまいました。お話も長いけど書いてた期間も長く、ブルガリア菌に愛着沸いちゃってたので、最後の段落書いてる最中、お別れするのが悲しくて泣いてしまった。編集者曰く「これをどんな気持ちで読めばいいのかまったく判らないけどとりあえずなんか謎に感動した」、そんな物語。『CAボーイ』を読んでくださった方、茅野ちゃんのその後が判ります。あと誰も興味ないでしょうが岡林のその後も判ります。この岡林、ドラマにも出てきます。配役聞いてびっくりしました。発表されたら私と一緒にびっくりしてください。
表紙絵はまめふくさんにお願いしました。めちゃかわな菌たちに心がむぎゅっとなりました。まことにありがとうございま���た。 デザインは、ずっと「いつかお願いしたい」と憧れていた名久井直子さんにお願いできました。感無量です。まことにありがとうございました。
歴史監修は元二松学舎大学学長、現在は北里大学に籍を置かれる菅原淳子先生にお願いしました。まことにありがとうございました。指摘出しをしていただいた後日、対面でも三時間くらいお話しさせていただいたんだけど、「淑女」ってこういう人のためにある言葉だなあって思った。気品溢れるすごく素敵な先生でした。私も学生時代に授業を受けてみたかったです。 自分が好き勝手に書く小説とは責任の規模が違ったため、ほんっとうに多岐にわたって調べました。今の私はたぶん、歴史研究が生業でも趣味でもないのに何故かブルガリアの歴史にやたら詳しい東アジア人ランキングの八百万位くらいには入ってる。乳酸菌にやたら詳しいIT業界出身の40代小説家ランキング五万位くらいにも入ってる。取材をさせていただいた株式会社明治の皆さま、文化や言語などいろいろ教えてくださったブルガリア大使館のS氏、登場人物ごとの地元密着濃度まで考慮して方言指導してくださった岩手の友人、関連業界で働く友人たち、ご協力まことにありがとうございました。
★雑談 作中で飯野さんが推している「山手線の各駅を擬人化したアイドルっていうか駅員」は実在します。太田くん(婚外恋愛~でハッチを演じてくれた俳優さん)が目白なのでなんとなくチェックしつつもとくにハマることもなくスルーしてきたんですが、今年に入って宝塚の推しの卒業のため週3くらいで有楽町に通っていた時期、毎回神田で乗り換えてたらほんのりと神田に愛着が沸いてきてしまいました(エスカレーターの壁にめっちゃ印刷物貼ってある)。これが戦略か。カレー食べたい。
★おまけ ヨーグルトを使ったお手軽料理をいろいろ作っていた中で、文字数の関係で主人公に作らせることができなかったが、これは美味しいから他の人にも食べてほしいと思った辛いパスタのレシピ 二人分
材料 ・低脂肪や無脂肪ではない普通脂肪な無糖プレーンヨーグルト200~300mlくらいを限界まで水切りしておく ちょっとミント入れてもいい ・スパゲティ じゃなくてもパスタ類ならなんでも 200g ・みじん切りにした玉ねぎ 1/2個ぶんくらい ・にんにく一片 薄切りにする ・バージン以上のランクのオリーブオイル 適量 ・生ハラペーニョ(緑色) 二~三個 ビニール手袋着用のうえ種を取り荒く刻む。手袋しないと指痛くなります。 ☆トマトジュース200ml ☆砕いた「鍋キューブ」鶏塩味(なければブイヨンでもコンソメでもなんでもいい)一個 ☆魚料理向けハーブミックス 適量 なければバジルとパセリだけでも  うちでは朝岡スパイスの「ハーブシーズニング」を使用しています ☆さばの水煮缶 一個 中の汁もぜんぶ使う ☆マッシュルームをスライスしとく 生でも水煮でも 適量 ☆ハリッサ 大匙1くらい ☆トマトケチャップ フライパンに二回しくらい ・塩 トマトジュースが無塩の場合、味見して塩気が足りなかったら足す
1 玉ねぎを半透明になるくらいまで炒め、別皿にうつしとく 2 大き目のフライパンにオリーブオイルとにんにくを入れ、弱火で良い感じにする 3 2のフライパンにハラペーニョと炒めた玉ねぎ入れて火力を上げ軽く炒める 4 3のフライパンに☆ぜんぶ入れてよく混ぜ、サバは適当に崩す 5 10~15分くらい中火~弱火で時々かき混ぜながら煮る そのあいだにパスタ茹でる 6 茹でたパスタを湯切りしてオリーブオイルを軽くまぶしたあと、4のフライパンに入れて混ぜ、ソースが絡んだら皿に盛る 7 上に水切ったヨーグルトを丸く可愛く盛る 8 粗びき黒胡椒(材料外)をかける かけなくてもよいです 私は辛い食べものが苦手なので(しかし夫が辛いもの大好きで)、粉チーズでは間に合わず、辛いパスタにはブラータチーズかマスカルポーネを載せていました。が、頻繁に食べるには両チーズとも高価すぎて「これもしかして水切りヨーグルトで代用できるんでは……?」と思ってやってみたレシピです。低脂肪や無脂肪では試していないので味の保証ができません。残ったホエーはコットンパックやガスール溶かす水代わりにするのがおすすめですが、アレルギーが出る人もいるのでご注意ください。ヨーグルト入りのボディスクラブで痒くならない人ならたぶん大丈夫です。私の二冊前の本「手のひらの楽園」はエステティックに関する話なので、このあたりの美容系の話題にご興味がある方はぜひ。
★おまけ2 主演の鞘師さんが以前めんつゆのドラマの主演をされてて、おしめしドラマ化が決まったあと、配信探して全話拝見しました。レシピいろいろ参考になったので、私からも、とっておきのめんつゆずぼらレシピ「たぬきごはん」を。 ・ごはん一膳 ・市販の天かす(いか天入ってるやつ) カレー食べるスプーンに山盛り二~三杯 ・めんつゆ(にんべんの金色のラベルのやつ) 味が濃いので最初は小匙以下くらいで試してください ・罪悪感を軽減するための緑色の食材 好きなだけ。お勧めはえだまめ。 ・あれば白炒りごま 好きなだけ よく混ぜる→おいしいけどすっごい不健康だこれ!! 食後に明治ブルガリアヨーグルト食べとけばプラマイゼロになるかも!!※ならないかも。
1 note · View note
happytime-en · 7 months
Text
Tumblr media
   『 海無し県民、湘南で「 しらす丼 」ランチ 』
  皆さん こんにちは。
  近くの結婚相談所 ハッピータイム群馬桐生相生
  婚活アドバイザーの金子です。
 「鎌倉よ何故♪」という、サザンオールスターズの原由子さんが
 歌う「鎌倉物語」が流れるユニクロさんのCMを見て海が見たく
 なり急遽、鎌倉方面へ出かけてきました。
 「海無し県」の群馬県人が憧れの海に行く場合、新潟か茨城が
 定番でしたが、平成27年に圏央道の鶴ヶ島JCT~茅ヶ崎JCT
 区間が開通してからは神奈川県の湘南付近にも群馬ナンバーの
 車が多く出没するようになったと、
 以前、「秘密のケンミンSHOW」で放送されていましたが、
 この日は平日だった為なのか、周りは湘南ナンバーや横浜
 ナンバーのクルマばかりで、群馬ナンバーのクルマはアウェイ
 感が漂っているように感じたのは、きっと気のせいです。
 午前11時位に桐生市を出発し江の島付近に到着したのは
 午後2時頃。
 ランチには名物と思われる「しらす丼」を食べよう!
 という事で立ち寄ったのは、湘南の海沿いをドライブできる
 国道134号線沿いに店舗を構える「しらすや」さん。
 しらす専門の網本が営むので美味しい鮮度抜群のしらすを
 いただけるという、行列ができる人気店のようです。
 この日も賑わっていたものの、ランチには少し遅い時間帯
 だったので10分ほど待っただけで入店できました。
 メニューから選んだのは、生しらす、釜揚げしらす、更に
 1種類の選べる刺身が味わえる「3色丼」。
 3人で出かけたのですが、皆こちらのメニューに決定。
 日替わりと思われる選べる刺身は、この日 ブリ・マグロ・
 カツオの3種。マグロ×2、カツオ×1を注文。
 3色の具材の上には、しそと海苔も添えてあり華やかです。
 メインの丼ぶりの他に小鉢、自家製と思われる漬物、卵と
 しらすが入った味噌汁がセットとなっており、生卵は
 オプションでお願いしました。
 先ずは、タレだけで少しいただき、次に味変で生卵をかけて
 いただきます。全く生臭さのない新鮮な生しらす、優しい
 味わいのふっくらとした釜揚げしらす、マグロやカツオも
 美味しかったです。
 美味しい「しらす丼」をいただいた後は、海沿いの国道134
 号線をドライブ。天候にも恵まれ様々な表情の海を満喫でき
 ました。車内にはサザンオールスターズの曲が流れていた
 のは、言うまでもありません。ベタすぎます。
 江ノ電が走る姿も見る事ができました。
 七里ヶ浜沿いのコンビニで購入した「湘南海族焼き チップス」
 も美味しかったです。
*************************************************
  近くの結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
  婚活アドバイザー 金子 薫
  群馬県桐生市相生町5-536-1 ネプチューン2-A
  電 話:0277-32-5314
  連絡時間:午前10時から午後9時
  定休日:年中無休
**************************************************
婚活   結婚相談はお近くの結婚相談所ハッピータイム (http://www.happytime-en.com/)、 群馬前橋・群馬沼田・群馬渋川・群馬高崎・群馬安中・群馬藤岡・群馬伊勢崎・群馬桐生・群馬みどり・群馬太田・群馬邑楽・群馬館林・栃木足利・栃木佐野・栃木小山・栃木栃木・栃木真岡・埼玉熊谷・埼玉深谷・埼玉本庄・埼玉行田・埼玉羽生・埼玉加須・埼玉児玉・茨城牛久・茨城下館・茨城筑西・茨城結城・茨城古河・新潟長岡・新潟小千谷・新潟見附・新潟柏崎・新潟魚沼・新潟十日町・新潟南魚沼・新潟西蒲原・神奈川川崎までお問い合わせください。  
0 notes
wp-blaze · 4 hours
Text
“The Fragmented Elegance of Life”
Tumblr media
Introduction In the kaleidoscopic realm of Cubist artistry, we encounter an extraordinary array of fragmented beauty and emotional depth. Through the prism of Cubism, these three artistic masterpieces offer us a glimpse into the complexities of human experience and perception. Each painting, resplendent in 4K HDR, reveals a unique narrative, inviting us to explore the […]
1 note · View note