格言を意訳
ピューちゃんは喜び上手
「幸福とは満足した人のところに吹く風。不満が多い人には幸福が訪れない。喜ぶ回数が多いほど幸福な時間は多い。幸福の大きさはおカネやモノでは測れない。江戸時代の日本人は小さな寒い部屋に住んで笑っていた」アリストテレス をかなり意訳
キジトラのウズラはいつも不満そうで、ウロウロして、餌を選り好みして痩せていて、毎日焼き餅起因のマーキングをします。お外に出たいとせがんで、時々方に乗せて数分だけ散歩に出ます。何も不都合は無いのですが、あまり幸せそうではありません。
丸ドラのピューちゃんは、ウズラの攻撃を警戒する以外はいつものんびり横たわっていて、お腹を上にして寝ています。目が合うと必ず両目ウインクをして嬉しそうな顔を見せてくれます。なんでも喜んで食べてよく太っていて、なでると喜んで指をぺろぺろと舐めてくれます。抱っこはキライなので、10秒経つと怒ります。ゴロゴロ喉を鳴らしながらシャーと威嚇音を出すこともあり、とても面白いです。ツンデレを形にしたらピューちゃんになる感じです。幸福度は白猫アンカと同じぐらい高いほうです。
「人は一切災いのない幸福な一生を送りたいと願うが、そうはいかない。災いから学び不幸を少しずつ改善することはできる」
「幸福な状態で最期を終えた者は幸福だったことになる」アイスキュロス(少し意訳)
「地獄よりも地獄的な人生もある」、「恋愛は性欲を詩的表現に置き換えたものである。詩的表現のオブラートなしの性欲は恋愛とは呼べない」、「大きなもめ事の原因を取り除くことができ、些細なことを気にしなければそれ以降平穏な人生を送ることができる」、「往々にして正義は武器やカネに似る。理窟をつけさへすれば、武器もカネも片方の正義となり敵にも味方にも使われるものとなる。武器とカネを断てば、争いは終わる」、「阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる」芥川龍之介 (少し意訳。彼の過激発言には結構笑えるほどの面白さがあります)
「あらゆる生物は愛の炎に駆り立てられる。愛はド���パミンを跳ね上げ、やる気100倍に。カネや名誉にしか興味が無い人は枯れたような顔でヘラヘラ笑い、影が薄くなる。」ヴェルギリウスの名言に項目を追加
「時は万物を運び去る川だ、もめ事の原因だけでなく良い流し去る」ヴェルギリウスを少し意訳
「死は還ることなき波なり。引き潮のまま海に還る」ヴェルギリウスを少し意訳
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自己啓発貧乏
このブログを始めたとき、最初に自己啓発貧乏になった人の話をした。彼は社会的成功という幻影を追い求めて大金を払い続けていたが、結局はそれらの多額の債務によって生活が困窮し悲惨な中年になってしまった、そういう話だった。
こういう事例はかたちを変えてもいまだ、世の中にはたくさんある。霊感商法と自己責任の話もした。
霊感商法のいいところは、選択が個人に委ねられているところにある。だから、いつも争点は個人の選択によるものか・強制されたものなのか、ということになり言った・言わないにまで話がもつれ込むが、証拠が残りにくい。販売側が法的に勝てば、結果として個人の自己責任で片が付く。
なぜこの話をしたのか。当初の目的である、民度を上げるための啓発だ。これまで小出しにしてきた小話をもとに、まとめの意味でお話しておく。
あらゆる情報がほぼタダ同然で垂れ流される現代の話を、中身の精査という観点からもずっと、話をしてきた。例えば読書で言えば私は、ある知りたいテーマを見つけたら必ず、ひとりの著者ではなく複数冊、対比させながら読むように心がけている。すべての著者がまったく同じことを言っているのであれば、その意味はないがそうではないことは説明するまでもないと思う。私がここまで強気に自信をもって、恨まれるリスクも覚悟で話をしてきたのは、観察と経験による人間心理の分析によるものだが、私を100%信じてくれとは思わない。しかしある程度の説得感が誰かの心に響くのであれば、それはリスクを負っても行動する価値がある、そう踏んで観察しながら常に発信してきた。
ここでちょっと意地悪だが、揺さぶり——トラップを仕掛けてみたいと思う。先にそのことを開示してしまうのも、私自身の経験からの自信だと思ってもらえればいい。順に説明していこう。
今回の話と無関係の人々であれば、涼しい顔をして通り過ぎるだけの話だ。私は観察を通して、この揺さぶりによる心の揺れを見極める。無関係の人は口笛でも吹きながら、別の興味の方向へ視線をずらすだけだろう。ではいこう。
—本題—
以前、私自身の情報提供に関して『この程度の情報、はした金などもらわなくとも生きていけるだけの絶対的な自信をもっているので、無料で垂れ流している』という趣旨の発言を(口汚く)した。
これが私のブログの本筋で、徹底している部分だ。これに付随して説明をすると、私が提供してきたこれらの小出しのヒントなどを掛け合わせて“素直に”実践できる人は、お金をかけずに人生を変えることができる。重要ポイントだ。
もっとも、たくさん煽って心の門を硬く閉ざしてしまった人も多くいるだろうから、それはやり方が間違っていた部分もある。これは先の自戒と反省の部分で説明したとおりだ。
もう一度言うと、私の言っていることがするすると得心できる素直な人は「なるほど」と相槌を打ちながら良い部分だけ吸収して、自分をどんどん高めていける。そういう人は、実践によってこれまでとの違いを理解している(はずだ)。
このことをもって単刀直入に言おう。
私のブログによって素直に吸収し実践した人が増えていくと、いわゆる“虚業”は軒並みダメージを受ける。
私のブログはそういう意味を持っている、そう自信をもって発信している。
言っている意味が理解できた人は、これからの行動が変わってくる。
つまり“そういうこと”だ。
—本題おわり—
さあ、このトラップにどう対処するか。ゆっくり観察させて頂こうと思う。
どうやらこういった商売にも、目をつけている権力者がいるらしいので、そういう意味でもひとつ仕掛けておこうと思った。どうやらまだカネが欲しいらしい。
私の決意は前回記した通りで、未来の子供たちのために戦い続ける。
民度が上がることによって、しのぎを削る戦いは過酷にあるであろうが、詐欺師が手っ取り早く稼ぐために今回、振り込め詐欺から直接的な暴力へとシフトしていったように、非合法でインスタントな方向へ流れていくのであれば、もうその人の人生は終わったも同然だ。
知恵をつけるにも成功するにも残念ながら、コツコツを続ける以外にない。コツコツできる対象が見つからないという場合もある。それはつまり、目の前のタスクすらもコツコツする能力を持たない、という意味では厳しくなるが、この場合も対処法はあるにはある。つまり現状に満足する、という精神的安定感だ。これは己を知るということでもある。これはこれで何も悪いことはないし、究極的なストレスからの解放となる。身の丈にあった生活を続けていけばいい話で、ギラギラしていた昔を思い出して「ああ、自分にもそんな時代があったなあ」と懐かしむ、そんな未来だ。心の穏やかさもまた、人生には不可欠だから、自分を知ることはとても大切なことだ。
また恋は盲目というけれど、共依存の関係をつくるのは依頼心が強い人、他力本願が強い人で、厳しい言い方だけれどそういう意味では確かに自己責任なのだろうと思う。しかしそうなってしまっているとしても、それは自己責任ではなく親や環境のせいなのかもしれないし、相談できる人が周りにいないのかもしれない。しかし安心してほしい。
私自身、とても恵まれた育ちはしていないし心から信頼できる友がいるわけでもない。私はそういう意味で、精神的に自立せざるを得なかった事情があるが、かえってそのことによって、こうしていられるのだから、今では感謝している。なんだかんだ言っても生存権を与えられているのは、周囲の人が支えてくれているからだ。ひとりで生きているような気になっていると、この���とには気づけないが、誰しも若かりし頃は少なからず勘違いをする。
生き方に正解はなく、『教えて、教えて』と誰かに聞いても漠然とした答えしか返ってこない。これがすべてであって、それ以上でもそれ以下でもない。このことは良く理解し、もっと自分と向き合ってほしいと思う。
本当の民度の向上というのは、極限までロジカルに賢く生きることではない。自分の精神的な幸福感を最大化することにある。
私はそう結論付けた。
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デンズヌイプラスに加入してるのにほとんど観たことがなかったから昔のクラシック作品をいろいろ初見して
デンズヌイ厨になった
政治的に正しい「リトル・マーメイド」
「リトル・マーメイド」初めてみた。
感想:性差別的かつ人魚差別的でもある時代遅れハッピーエンドで
アリエルがかわいそう
人を変身させる「魔法」があるなら
王子のほうを魚に変えて海の住人にして
プリンセスであるアリエルのもとへ「嫁がせて」ハッピーエンドでも良いじゃん
アリエルが人魚だったからこそ命を救ってもらえたのに
『僕と結婚したいなら肉体改造しろ』だの『海での暮らしを捨てろ』だの要求するって
恩人である人魚に敬意がなさすぎ🤔
アリエルにばかり献身を求めるこいつはなんなんだよ
令和時代にしかも大人になってから
「リトルマーメイド」(1989年)を初見してしまったことによる当然の弊害
「変身」を強いるのは 時代遅れ
デンズヌイの実写CG版「ピノキオ」(2022)、
Netflix「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」(2022)
結末部分が昔のデンズヌイアニメ版「ピノキオ」(1940)から改変されて
そこのアップデートの見解が2作とも一致してた。
つまり「問題は姿かたちではない」。
デル・トロ版はデンズヌイ版を下敷きにしたものではないけども。
ゼペット:そのままのお前が良いんだ。何ひとつ、変わってほしくない。
We felt the message that Quasimodo doesn't have to transform to be accepted was so powerful in the disabled community--with all of us--that it would be extremely successful.
「ノートルダムの鐘」製作者:「カジモドが(健常者の社会に)受け入れられるために、自身をトランスフォームさせる必要はない。」というメッセージは障害者コミュニティにおいて非常に強力で、成功しそうに感じた。
Chicago Tribune
現代でも許される「変身」
実写版「アラジン」(2019)でアラジンが「ジーニーを自由の身にしてくれ」と願ったら
結果的にジーニーが魔神パワーを完全に失って人間になる(変身)という終わり方になってわざわざオリジナル版(1992)から改変されてたけど
これは意味合いとしては
ヘラクレスが絶大なパワーを手放してふつうの女性であるメグと生きる人生を選んだことと同じだと思う
ヘラクレス:永遠の命があってもメグなしでは むなしいだけ
「愛のためなら神の力なんか手放したところで惜しくも何ともない」という無欲と純粋さの証明
実写版のジーニー(2019)はメグのような恋人(真実の愛)も見つけたので。
「アラジン」は「幸せになりたいなら野心(=力への渇望)よりも良心を選べ」という成長物語だし
「ヘラクレス」もだけど。もっと言えば「ピノキオ」もだけど。
貧しい身分のアラジンも強大な魔神ジーニーも「力への執着を捨てて愛を選ぶ」という大人な選択をしたことで
(力を求め続ける嫌われ者ジャファーとは違って)幸せになりました~というメッセージを
オリジナル版「アラジン」よりも強調したリメイク作なんだと思う。
王女ジャスミンが即位したのも民と国を愛していたからであって
ジャファーの利己的、自己中心的な「力への執着」とは違う
だから
何でもできる『強大な力』『チートパワー』を捨てて『モラルと愛情』のつつましい人生のほうを選び取るなんて本当に欲が無くて純粋だな😢✨
という「善良さ」「精神の成長」「真実の愛」を証明する意味合いでの、
ヘラクレスが神を辞めてただの人間になる的な変身はOK
ハンネマンが「帝国貴族」の身分(出世欲・野心)をわざわざ手放して
「ただの人」に変身して愛とモラルの人生 (贖罪・社会への奉仕) を選び直したのと同じ。 「ファウスト」。
「ただの人」を選ぶことで逆説的に本物の「貴族」になった。
いっぽう、社会的弱者が
もともとの個性を消して「『健常者』『家父長制』等のマジョリティ社会に馴染んで迎合するように矯正する」という意味合いが強い変身は
素敵なハッピーエンドとして描いたら倫理的な不快さがある。
エルサが抑圧から脱して自分の「本来の姿(雪の女王)」を解き放つ変身は良いけど
彼女を「『健常者』『ふつうの人』に矯正してめでたしめでたし」ニュアンスが強いとダメ
あ~そういうことか💡
リトル人魚の結末がどのみちアウトなのは変わらない
王子の資格
ウォレス:君らは民衆の上にあぐらをかくことが貴族だと思ってる…
民衆に自由を与える者こそ真の貴族だ
「ブレイブハート」 (1995)
めるぎぶ監督・主演。めるぎぶって「ポカホンタス」のジョン・スミス(英語版)の声優だったのか
ユージーン:君は俺の新しい夢だ
アラジン:ジーニーに自由を!
ジーニー:誰が何と言おうとーー君は俺の王子だ
「盗賊」「ただの男」だったユージーンやアラジンが「王子」に変身(成長)した瞬間
自分を実際よりも大きく見せようとして「プリンス・アリ」「大泥棒フリン・ライダー」なる別人格、偽りの自分を演じてたけどついに演じるのをやめる。
野心・利己心を手放し「王子」の地位を他者のために投げ捨てることで
本物の「王子」になる
こいつ何も「与えて」ないから。姫から奪い取ってるから。
尽くしてくれる女性の献身的な愛にあぐらをかいてるから。
まあ父トリトンも悪しき家父長制の存続に加担してる感あるけど。
「決めるのはお前だけど、人魚のお前を愛さない男と結婚するなんてクソだとワシは思う」って言えよ(政治的に正しすぎるおとぎ話)
昔は「王子の妻になるという幸せをオレが『与えてあげている』」という理屈が美談としてまかり通ってたんだけど~
今の時代に見たら完全に相手の立場の弱さにつけこんだ搾取、収奪の場面なんだよ~🤦♀️
逆アラジン。(表面的には「王子」だけど精神が「盗っ人」)
「リトル人魚」自体は変わってないけど時代が変わって王子の見え方が変わってしまった。私は初見だから昔の思い入れとかないけど。
「どんな私でも受け入れて」
「オレ言ったっけ?その髪の色のほうが良いって」
ラプンツェル:どんな私でも受け入��て
ユージーン:もちろんだよ
実際には本当に「暗い髪色のほうが好み」なわけではなく
「成長して本来の姿になった君はますます美しい、最高に輝いてるよ」くらいの意味だとおもうの
ラプのヘアスタイルにも魔法パワーの有無にもこだわりは無い。マザーゴーテルと違いユージーンは「魔法の髪」を愛してるわけではないので
おい。「下半身が魚」なことくらいなんだよ。
「上半身とかわいい顔と歌声『だけ』は好きなんだけど…下半身がなあ~。魚じゃちょっとな~」って
それはラプンツェルに「『魔法の髪』だけは好きだけどそれ以外の部分は無価値なゴミだ」て言ってるのと同義だろ
おまえ人魚に命を救われたことを忘れてるよな?
カネのパワーでなんか人魚に優しい湾を作ってやる(?)とか…なんか…環境保全活動をするとか…しろよ!
プリンセスは皆、何かしら「閉じ込められる」暮らしをしてきたわけ。
その閉鎖空間から自力で這いずって外界へなんとか出てきて、ユージーンやアラジンと出会い愛と勇気を知って成長するところまでは行けたわけ。
今まで誰もプリンセスに与えなかった「自由」というものをお前までもが彼女から奪ってどうするの?
姫を羽ばたかせることが、ありのままの彼女を尊重することが、踏み台になってやることこそが、王子の仕事じゃないのかね?え?エリック王子よ
誠意って何かね?(©北の国から)
リトル人魚 実写版
「リトル人魚」実写版が制作中らしいんだけど結末はどうなるんだろ。
オリジナルどおりの「女が男のために肉体改造してハッピーエンド」は論外、あり得ないから、暴動が起きるから
となると「ポカホンタス」パターンにでもなるのかな🤔
お互いを尊重しましょうEND
「物理的に離れていても絆は切れない」「別居でもパートナー関係は結べる」
という進歩的な家族観、パートナーシップを提示するよ的なところへ落ち着くのかな
「もっと広い海へ漕ぎ出していきなよ、君にはそれができるよ」くらいのこと言ったらどうなんだ
2023年にお前が本物の「アリエルの王子」なのだと証明したいなら。
「環境保護活動こそが現代の貴族の使命だ!」は非常に現代的ではあるけど
倫理的に誰も文句ないだろうけど
なんか「政治的に正しい選択をすること」だけが目的化してるっていうか
「とにかく全方位どこからも文句言われたくなかったんで。」という意図だけが際立つ改変っていうか
いや。でもそれもいいな。自己中男が改心してエコ(地球への愛)に目覚める。それは「ヘラクレスが力への執着を捨ててただの人間になる(逆説的に本物の王子になる)」と同じ成長物語だし
それほどにアリエルとの出会いが王子の人生を変えるものだったんだよ
物理的に一緒にいられなかったとしても絆は切れないんだよ。アリエルを愛してるし彼女のいる海を愛し続けるんだよ。海にいればいつも恋人を近くに感じられるんだよ。世界中にある「海」というものが二人をずっとつなげてるんだよ🥰あ~私それがいいな
1989年のオリジナル版の終わり方を無かったことにして本当はそういう結末だったんだと自分の頭の中で勝手に思い込むことで、私は満足できる。そこまで記憶の改ざん、事実の歪曲をすれば「リトルマーメイド」を好きになれる。
足を生やして地上で人間になって暮らすより
「ムーラン」「ヘラクレス」「ポカホンタス」みたいに「主人公は成長して、元いた日常の世界へと戻る」(世界は変わっていないけど少なくとも私は変わったからもう大丈夫)
のほうが大人っぽくてしっくり来る
まあ私はやっぱり昔の性差別的な間違いについてデンズヌイから謝罪を表明するため、という名目で
「アリエルが『そこまでしなくて良いよ』と遠慮するのも聞かず、王子が魚になって海の国へ嫁ぐ」にしてほしいかな(過激派)
■
ディズニーピクサー「あの夏のルカ」(2021)が男の子リトルマーメイドなんやが
濡れると自動的にウロコに覆われて魚になる、
陸に上がって身体が乾くと自動的に人間の姿になる、
っていうもともと水陸両用の体質で
陸と海を頻繁に行き来したい人魚にとっては最高に便利な仕様だった。NOストレス。
任意でコントロールできないのでそれが「らんま1/2」的な水濡れによる変身トラブルを呼ぶわけやが
アリエルもあの仕様ならいいのに
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