これからゆっくりと、「わたし」のペースで、「わたし」を癒してゆきます。
ノイズキャンセルの能力は、上手くいっていますか。
ゆっくり、ゆっくりと「わたしのこころ」と向き合います。
今はまだ、わたしのこころは満身創痍の状態です。
わたしは深く、深く傷ついています。
もう、わたしを傷つける存在を排除したでしょうか。
わたしの傷を癒すための、環境と時間は用意されているでしょうか。
わたしは大変疲れています。
わたしは、誰にも邪魔されない場所を確保して、ゆっくりと羽を休めます。
まずはこころを休めて、癒す時間をとらなければ、急に、あれもこれもはできません。
いろいろとやりたいことが出てきたかもしれません。
しかし今は、十分にこころの休息をとることが必要です。
素敵な恋人が欲しい?
結婚したい?
良い仕事につきたい?
焦らなくて大丈夫です。
繰り返すと、今はまだ、満身創痍のこころを休める時間です。
ゆっくり、じっくりと、周りを観測できるくらい、余裕ができるようになるまでは、まだしばらくお待ちください。
私は、深く息を吸って、深く息を吐いて、楽に休息がとれるようになるまで、こころと環境を整えます。
わたしを傷つける存在から回避できたら、こころは休息を求めるようになります。
まだ、眠気がくるまで時間がかかるかもしれません。
焦らずに、その時を待ちます。
まずは、安心して眠る環境を整えることが先決です。
ありのままのわたしを許し、休むことを許します。
一切、人と比べる必要はありません。
ノイズキャンセルに成功すると、わたしは独りになります。
独りは怖くありません。
わたしを傷つける存在が、ようやく周りからいなくなりました。わたしは、こころを休める時間をようやく手に入れます。
疲れがどっと出てきたら、ゆっくりと、ゆっくりと、時間をかけて休みます。
つらい記憶は、ゆっくりと時間をかけてすり替えてゆきます。
これからわたしは合法的に、最高のリベンジを果たすことを誓います。
わくわくするかもしれませんが、まずはそれに備えて、ゆっくりと休みます。
一歩一歩、着実にちからをつけてゆくことで、成功はたしかなものとなります。
焦らないことが大切です。
わたしは、わたしから自己肯定感を奪ったあいつを、わたしの人格を全否定してきたあいつを、今も深く憎んでいますか? そう、なかなか許せるものではありません。
しかし、心配しなくて大丈夫です。無理に忘れようとしなくても、大丈夫です。
わたしはこれから、最高のリベンジをわたしと約束し、その約束を果たすために全力をもって行動に移します。今はまだ、その前段階です。
わたしの最終目標は、わたし自身が、あいつ以上の高いところに立って、あいつ以上に満面の笑みを浮かべて、あいつの手の届かないところから思い切り見下ろすことです。そのころには、そんなものは眼中にないほどあなたは成功しているかもしれませんが、今は今の時間を大切にしてください。
満身創痍のこころの傷を、十分に癒してください。
あなたは心強い仲間をみつけ、ようやく守られながら、ゆっくりと休むことができるのです。
まだ、十分に休養が取れていないひともいるかもしれませんが、次のお話を少しします。
わたしのお話が、少し遠回りに感じることがあるかもしれません。しかし、わたしのやり方としては何一つ無駄なく、また手順はこれから出す順番が最適解だと思って、ゆっくりと順番に話してゆきます。
「それはもうわかっている・わたしはもっと高い水準にいる(進みが遅すぎる)」などの思いが出てくるかもしれません。それはそれでスルーして構いません。
しかしこれからゆっくりと手順を踏んで、ひとつひとつ腹落ち(体感)させながら、体得してゆかないと思い通りの成功が困難になり、途中で行き詰まるかもしれません。しかしそんなときも焦らず、1,2,3…と進んでも、やはりまだ3ではなかった、と思えばまた1や2からやり直しても良いと思います。ただ、焦った分だけかえって遠回りになってしまうかもしれません。
さて、一番最初の傷を癒す行程ですが、上手くいっているでしょうか。傷が深いほど、簡単には癒えませんから、まだしばらくかかるかもしれません。
なぜ傷の修復がこれほど大切なのかは、後からわかってくることですが、それを踏まえて進んでゆきます。
傷の修復を終えたあと、次にやってくるのは空腹です。これは言葉通りの意味合いもあるし、比喩表現にもなります。
睡眠欲・食欲がわかないことが、こころの傷の深さを教えてくれます。
緊張し張り詰めた状態では、こころは常に危険信号を察知している状態なので、安心して緊張を解いて、寝たり食べたりできる状況になければ、欲求はわいてきません。
緊張を解いてはじめに、眠気の来る人の方が多いと思い、睡眠をおすすめしました。そうすると次には、お腹が空いてくるはずです。
視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚の五大センサーがありますが、どちらかと言うと現代人は視覚を酷使しがちなので、『お腹が空いたら』視覚以外のセンサーの充足を、おすすめします。
目をつむり、じっくりと香りを楽しむことをお勧めします。
目をつむり、じっくりと音楽���楽しむことをお勧めします。
目をつむり、じっくりと味わうことをお勧めします。
目をつむり、じっくりと肌触りを楽しむことをお勧めします。
傷ついたこころは、過大な栄養不足になっています。
いらいら、ストレスを紛らわせるための五大センサーの消費、消耗と、精神的にリラックスした状態での五感の堪能は、同じことをしているようですが、その中身はまったく違います。
私たちは、強いストレスを感じたときに、一生懸命なにかで紛らわせようとしますが、そういう時はかえって、その憂いが頭の中で強く響いてまったく気が紛れません。
ですからまず最初は、頭の中の憂いを、消すことはできなくとも一旦、脇に置いて頂くための、余白をつくってもらいたかった、というところがあります。
余白がなければ、栄養を摂取しても体には蓄積されずに、水のように流れ出てしまいます。
このことを、まずは体感を通して納得して頂きたいと思いました。
もうひとつ。
焦らなくとも良い理由を、ロジカルに説明しておきます。
好みの相手との愛情のマッチングも、相性の良い企業とのマッチングも、根っこはまったく同じです。
問題は順序です。
“いまのわたし”が、勇み足で焦って婚活・恋活・就活しても、良い相手に出会うことは残念ながらできません。理由は、まだそのための『わたしという器』を準備しきれていないからです。順序としては、『わたしという器』を十分に戦略的に、万全に準備し整えてから、いざ臨む舞台が婚活・恋活・就活です。
“いまのわたし”は準備不足の状態だということです。準備不足で臨んでも、“いまのわたし”に見合ったマッチングしかできません。
もちろん、悲観しなくとも大丈夫です。きちんと手順を踏んでから、いざ本番に臨めば理想は現実になります。安心してください。
さて、かなりゆっくりと説明しています。そう、準備するためにはそれなりの時間が必要だということです。
あなたのアドバンテージ。あなたに準備の時間がどれだけあるか、ということになります。
現在、無職の方。
無職に焦っていますか。いいえ、それがアドバンテージです。
あなたが“自分のうつわ”をこれからゆっくりと育ててゆけば、誰よりも自分と向き合うことができますから、それだけ他の人よりも早く成功する可能性は高まります。
お金と時間の使い方の三大要素のお話は、覚えているでしょうか。
投資、消費、浪費。
借金が、将来価値の増幅の役に立てば、それは投資になります。
お金も、時間も、それが投資か消費か浪費か。将来有益になれば、後付けでそれは『投資』と説明することができます。
つまり、借金を将来回収し、尚且つそこに付加価値=利益がのれば、立派な投資に変わることになります。
では、投資回収の見込みは?
それは、残念ながら自分の信じた道を進むしかありません。
ハードワークを抱えながら、これからのステップをしようとすると、時間的な制約によって困難を極めるという可能性もあります。
不器用なひとも、時間的なアドバンテージをフル活用すれば、十分に飛躍することはできるということです。
早々と傷を癒し、体と心の修復を終えた方。むくむくと、何か湧いてくるものはありますか。
マズローの唱える、多段階的欲求。低次元の欲求から高次元の欲求へ。
必要最低限の水準を満たさなければ、こころに余裕が生まれない理由。
焦らず、ゆっくりと体感してみてください。
小休止。
考え方のトレーニングについて。
わたしたちは、時間軸と壮大な理想の関係から、目の前の良いできごとを過小評価し、理想と比較し、落胆する傾向があります。
このことを理屈として、知っておくだけで心強くなるはずです。
批判ではなく、ロジカルに毒親との関係を紐解いてみます。
毒親もまた、過去は毒親の被害者です。
今ココの毒親は、被害者が加害者になる変遷を教えてくれます。
毒親ではない良い親に育てられた子供は、未来への悲観などはもちろんしません。さらには、目の前でいちいち何かができるようになるたびに「○○ちゃん、良くできたねえ。すごいねえ」とほめてもらい、自己肯定感を高めてゆきます。毒親は、できた事をほめるよりも、できない事を非難する傾向がありますが、これは子供の脳内と自分の脳内の隔たりを理解できず、根気強く優しく教える筋力を持たないことが原因です。
「良くできたね」が「どうしてできないの」になってゆく理屈も根本は同じですが、ここに追加すると親に精神的余裕があるかないか、も関わってきます。
親は子育ての他に、大人社会との両立も大きなタスクとしてのしかかってきます。
これは冒頭のファーストステップから、追ってゆくことでわかると思います。
スピード社会と自分との乖離と、どのように付き合ってゆくのか。
���かし繰り返しますが、これから焦らずゆっくりと、紐解いてゆきます。
小さな子供は愛護してもらえる容姿をもっているため、無条件に優しくしてもらえますが、年を取ると途端に周りが冷たくなってゆきます。
年をとったら、自己肯定感と自分をほめる能力を、自分で高めてゆくことが必要になります。
傷を癒すための行程が終わったひとは、次のステージに進むことができます。
①ゆっくりと休養をとること。
②栄養をたっぷりととること。
この作業によって“うつわ”の土台を用意します。
これが用意できていない場合、次へ進むことは困難になってくると思います。ハードルが上がります。
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唐突ですが、美男・美女に負けない武器をご存じでしょうか。
さきに結論を言えば「清潔感」です。
清潔感というと、ばっちりメイクや流行りの美容室での最先端ヘアメイクなど、きらびやかなイメージをもつひともいるかもしれません。
わたしのいう清潔感は、そういうことではなく、もっともっと本質の部分になります。
この清潔感を維持するための最低ライン、これだけは、という事柄をふたつ用意しました。
①毎日お風呂に入って、一日の垢を丁寧に流すこと。
②歯磨きは最低でも、朝と寝る前は必ず。可能であれば、毎食後に。
歯科医院で、歯磨きの指導をされたことはあるでしょうか。されたとして、素直に指導通りに毎回、歯磨きをするひとはどれくらいいるでしょうか。
「忙しくて、とてもそんな時間はない」というひともいれば、「そんな当たり前のこと?」と拍子抜けしたり、不愉快に思うひともいるかもしれません。
しかし、さきに掲げた最終ゴールを目指すためには、最低限身につけなければならない生活習慣だと考えます。
この重要性をイメージしやすくするために、ご説明します。
「わたし」が理想とする、素敵なパートナー。もしくは理想的な職場。
それらを思い描いたとき、そこに「わたし」は存在するでしょうか。
そこで、その素敵な人たちと談笑する自分のイメージがわかなかったとき、「わたし」はどうあるべきか、が見えてきます。
思い描く理想的な家族や友達の輪に、自分のイメージが入らなかったときは、その輪に入るための方法を考えてゆきます。
そのための第一歩が、今回の2ステップです。
毎日お風呂に入れない理由の主だったものは、経済的理由もあれば精神的理由もあると思います。
精神的理由については、今回のファーストステップでお話したことが原因の可能性が高い。そういう意味で、ファーストステップの重要性を説いてきました。
こころが健康的にならないと、すべてが面倒くさい状態となり、したがって不衛生になりがちになります。これは批判ではありませんので、落ち込まないでください。
それほどに、こころが傷ついてきたということです。
次に、経済的理由についてお話します。
これについては、私が考える方法論で、どれくらい重要度が高いかの説明をさせていただきます。
もしもあなたがブラック企業に勤めていて、満足に上記①②の清潔習慣の時間が持てないくらい多忙だった場合、優先順位はブラック企業ではなく「わたしの清潔時間」の方が重要なタスクとなります。このモノサシは、「わたしの人生」という長大な時間を軸に考えたときには、とても重要な価値観となります。
ただ、これはイメージ化したご説明であり、本当に退職されて生活保障を問われても困りますから(責任をとれ)、あくまでも参考としてお聞きください。
現実には、ご自身の人生にあわせて時間を工面して頂くしかないと思いますが、この場合は時間の使い方の取捨選択で「投資・消費・浪費」のいずれか、仕分けして頂くしかないものと思います。
自分と考えが違うと思えば、もちろんこの項目はスルーして頂いても構いません。
では、私のお話にも一理ある、とすすめてみようと決心された方へ、引き続きお話をしてまいります。
少なくとも、これから1か月はこの“清潔”を意識した生活をしていただきたいと思います。たまに忘れたり、辛いことがあって面倒くさい日もあるし、あまり完璧にこだわらずにこつこつ地道に進めて頂ければと思います。
ただ、この偉大なる一歩を大切に過ごして頂きたいと思います。
もうひとつ、具体的なイメージを添えておきます。
1か月後、無事にこのタスクを終えて、納得のいく結果を得られたら今度は、ふだんは利用しないような、少しハイクラスのお洒落なカフェで、一杯千円するお茶やコーヒーを嗜む自分を、想像してみてください。もちろん、実際にそれができれば尚良いです。
はじめは緊張するかもしれません。もしくはすでに自分のイメージが高まっていて、難なくカフェの敷居をまたぐことができるかもしれません(もちろん、カフェでなくとも構いません)。少し勇気のいるような、お洒落な空間をイメージして頂きます。
そこであなたは、一杯千円の飲み物を頼みます。たとえばその千円札が、借金もしくは生活保護費からの出費だったとします。それは浪費でしょうか。
いいえ、違います。これは間違いなく、未来の自分への投資になります。
ここまでくれば、かなり自信がついてくるはずです。
それでは、ご健闘をお祈りします。
キリのいい、4月1日からにしますか? いいえ、ここで述べていることは、今すぐ、今日から、明日からでもスタートできる内容ばかりです。
スタートできない場合は、まだ傷が癒えていませんから、行動がついてくるまでゆっくりと休んで構いません。
小休止です。
自分がこれから、どういう人物になるのか、なろうとしているのかを考える、トレーニングです。
あなたがチョコレート好きだとします。
これから自分へのご褒美として、千円札でチョコレートを買おうとしています。
一枚100円のチョコレートを十枚。
一枚1000円のチョコレートを一枚。
どちらを選ぶか。
投資、消費、浪費のどれに当たるのか。
(特定の商品を貶める意図はありませんが、自己イメージを高めるための必要な過程だと考え、記載しました)
ファーストステップの段階では、前者を選ぶかもしれません。
段階を踏むにつれて、自己イメージが変わってくると、選択するものも変化してくる。
それを体感してもらえれば、と思います。
清潔感の重要度をまた、別の角度からレポートしておきます。
この���とがどのように社会に繋がっているかも、理解できると思いました。
どれほど経済発展して、面倒くさいが外注発注できるようになっても、この歯磨きと入浴の問題だけは、自分でするしかありません。しかしこのビジネスもないことはありません——そのビジネスの名は『介護』です。
そう考えれば、このことがバタフライ的にどのように社会に作用しているか、想像できると思います。
小休止です。
外に出ることが怖いという方へ、少し安心して頂くお話です。
ご理解いただいていると思いますが、私は医師ではありませんので、疾病にり患されていらっしゃる方は、私の話を鵜呑みにせずに、医師のご指示にしたがってください。
私はそれ以外のサポートをさせていただきます。
世の中の少なくとも80%以上のひとは、「わたし」に興味がありません。
上位数%が掛け値なしに心配してくれる人。下位の数%が私を好きになれない人です。
80%以上の中には、多数の日和見の人がいますが、それは「わたし」も「あなた」もみんな一緒です。
自らの身を顧みず、身を挺して守ってくれる人は普通、毒親以外の「わたし」を愛してくれる肉親しかいません。逆にいうと、それによって地獄を味わった人もいるかもしれません。それが「わたし」を拗らせる原因になったかもしれません。
ただ、私が個人的に、社会の荒波にもまれ、傷ついてきた経験からみた結論は、そういうことになります。
たとえば「わたし」が学校内や会社内でいじめにあったとします。このことに無関係の第三者は、関わりづらい空気がありますが、関わりづらい=関わらないようにしよう、と思うのは「わたし」ではなく、いじめをした人物に対して思うことです。
この心理は、人間に備わった防衛本能です。もちろん、それが正しいわけではありませんが、起こった事実だけを羅列するとそういうことになる、ということです。
ここで私がやろうとしていることは、上位数%の仲間を増やすための作業です、ということで安心していただこうと思いました。
つまり、無関係の中間80%のひとは私に興味がありませんから、外に出てもそれほど人目を気にする必要はない、ということになります。
リアルでもネットでも、冷笑系、嘲笑系のひとはいますが、以前にもお話した通り、負の側面は拡張しやすいので、存在が大きく見える「だけ」で、実は大したことはないということです。
ノイズキャンセルや法的措置によって、その都度対策するしかありませんが、大概は気にしなくて良いということになります。
嘲笑系、冷笑系の皆様も、早くこちら側にまわって、温かい仲間に迎え入れてもらってはいかがでしょうか。
近くに懐の深いひとがいれば、運よく仲間に入れてもらえるかもしれません。
次のステップを待っている方のために、ご用意します。
繰り返しますが、焦らず、順番に、ゆったりとした気持ちで少しずつで構いません。
次はまた一段と、ハードルがあがります。
鏡を見ながら、食事をとる練習をしてみてください。
理想にふさわしい自分になりたいと思えば、そこへのステージへ向けて、ゆっくりと観察して、研究して。これを「おもしろい、たのしい」と思えるようになれば、だいぶ回復してきています。どうぞ自信をもってください。
内側から自浄作用力学が発生し負のスパイラルが逆回転を始めると、すさまじい速度でそれは波及します。誰もが望む「ひとのこころ」が、同じ方向を向いて動き出します。
負のスパイラルは社会的コスト、経済的損失に繋がりますが、逆回転はそういうことになります。
つまり、人間は道具や消耗品ではなく、手入れやメンテナンスが必要な資産、もしくは資本です。
人間軽視の時代が終わりを迎えます。
作品へのこだわり。
愛されたくて生まれてくる子供が、毒親のせいで愛されずに生まれてきて、最低限の尊厳すら奪われて生きてきましたが、セーフティーネットは取りこぼす能力があるので、不幸の連鎖が止まりませんでした。
わたしはこの活動を通じて、取りこぼしを何とかしたいと考えていました。
弱者マウントの連鎖を発見しました。
私の特技に強者マウントがありますが、これをすることでさらに弱者マウントが過熱することに気が付きました。
私が弱者マウントを華麗にスルーすると、弱者マウントは消えません。
どうするか考えましたが、やはり弱者マウントを見つけたら、特大ブーメランを直球返しで俳人に追い込もうかとも思いました。
皆様のお答えを、お聞きしたいです。
私がノイズを発すれば、少なからず俳人が出る、そう思い、わなわなする手を抑えながら、かなり控えめに言っています。
弱者マウント依存症もまた、治療すべきやまいかもしれません。
わたしの思考の癖です。
「今ここ」の問題点を解決したいとき、まず過去に起こった出来事を掘り起こします。これはネガティブの掘り起こしで、ネガティブの掘り起こしは痛みを伴います。
そこから未来へ直線をひき、「どうしたら? よくなるか?」を考えます。
これは、今感じている痛みを未来へ逃がす作業です。
未来の着地点はポジティブです。
ポジティブを発見したら「今ここ」に戻ってきて、未来への筋道を、ロジカルに立ててゆきます。
お茶を濁したままがあまり好きではなく、これを解消したいと思う心が、こういう考え方の動きに繋がっています。
その論理のスピードに追い付くために、傷だらけのこころも強靭化(マヒ)させてきたのかもしれません。
この説明は、正しさ(ドヤ顔)ではなく、分析による事実の羅列をただ、してみました。
ありがとうございました。
ここで、ノイズキャンセル機能搭載のもうひとつの効果をお伝えします。
わたしはすでに、あなたのこころに深く食い込みました。もしもわたしの肉体が滅んでも、あなたのこころに、あなたの肉体が消えるまでずっと残り続けます。
あなたがあるとき、街を歩いていると、ノイズ発信機から発せられるノイズが、不快に響いてきました。
そのとき必ず、わたしはあなたに質問します。
あなたは、あのノイズ発信機と、わたしとどちらを信じますか。どのように取捨選択しますか。
ノイズか、わたしか、いずれかを選択してください。
わたしも間違えることはたくさんあります。世の中には、もっともっと素晴らしいひとも沢山います。しかし今のところ、あなたのこころにはこの二択しかないかもしれません。
そのときは、この質問を思い出してください。
もう安心してください。
あなたはそうやって四苦八苦しながら、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を繰り返しています。
その時間は、果たして無駄な時間ですか?
あなたは自分が、自分でたくさん種を植えているという事実に、気づくことができません。
「今を一生懸命に」生きているからです。
当然、すぐに芽が出ることはありません。生き物がそれほど簡単ではないことを、あなたはすでに理解しています。
それがいつになるのかは、誰にも分かりませんが、私の予言的中率がどれくらいかは、ご判断をお任せします。
いずれ「無駄ではなかった」ということを、体感、実感することになるでしょう。
不安になったら、昨日と今日の違いを、体感してみて下さい。
あなたに能力があるのは明らかです。なぜなら、こんな身勝手な人間に振り回されながら、こんなところまで食らいついて生きているのですから。
次のステージです。
鏡の前で、姿勢、歩き方などの立ち居振る舞いをチェックする作業(研究)です。
作業の説明としては一行で終わりますが、重要なことを捕捉しておきます。
すでにこの作業が身についている方は“体感”していると思います。
姿勢が変わると心持ちが変わります。
心持ちが変わることで、こころには自信と余裕が出てきます。
意識していたことが、無意識に刷り込まれるようになれば、立ち居振る舞いはどんどん自然に、スマートになってゆきます。
余裕が出てきたわたしは、「お先にどうぞ」とスマートに言える、ゆったりとした安心感を与えます。
では、おさらいします。
わたしは、清潔感を身につけました。
わたしは、食事の仕方を身につけました。
わたしは、立ち居振る舞いを身につけました。
わたしは急いでいるひとや、苛立った人にも余裕の笑みで「お先にどうぞ」と譲ることが可能になりました。
さて、この人はわたしでしょうか、それともあなたの理想の相手でしょうか。
実はこのことは、案外簡単に体感することができます。
深呼吸して、リラックスしてください。
そして自分の姿勢に、意識を向けてください。
『猫背⇔胸を張る』
この交互の動作を、繰り返します。
猫背のときと、胸を張ったときの心の変化を“体感”してみてください。
これが、姿勢と心持ちとの引力の関係です。
これを継続することで、外面と内側の両方が、整えられてゆきます。
確かに外面や収入に飛びつくひともいますが、あなたは内面の整え方を理解=体感しているので、相手の内面が整っているかどうか、見抜くことができるようになります。
再び「天の声」が降りてまいりましたので、ご託宣いたします。
さて、これよりわたくしは一切、聴く力をシャットダウンを致します。
そういたしますと、もう皆様からのお知恵を拝借することができなくなりますが、もう皆様のお力を信頼しておりますから、思い思いにのびのびとして頂けましたら幸いです。
では、ご託宣を述べさせて頂きます。
ここでは、怒りの源泉についてお話をいたします。
わかりやすくするために、以下に4分類いたします。
①不信
②傲慢
③プライド
④“我”への執着
①不信は、信頼できぬ者への執着です。
たとえば他人に虐待された場合、その虐待された者に対する絶対的な怒りは、揺らぐことはありません。
ですから信頼関係を損なった者の言うことなどは、微塵にも聞くこともできませんし、赦すことは到底できるものではありません。
②偉大な先生のお言葉に「天はひとの上にひとをつくらず。ひとの下にひとをつくらず」というものがあります。このことを実感としてどのように理解するか、というお話です。
ヒエラルキーという言葉があります。
簡単に説明すると、人間を階層ごとにラベリングして、上から下へピラミッドのように並べます。この価値観では、どの階層に所属する人間を重要視するかが軸になっており、このピラミッドのフィルターを通して、他人を判断します。
もうひとり、かつての聖人で「十の声を聴く」と言われるお方がおりました。
私はこのお話を「同時に十人の発音を、聞き分ける能力がある」と勘違いしておりました。実態は「身分の貴賤にかかわらず、十人いたら十人の言い分をきちんと聞いて、それからアイディアを出す」というものでした。
後世に名を遺す偉人ですら、このようなスタンスを重んじていたようですが、今を生きる「高貴なひと」たちは、下賤の者の言葉などは傾聴には値しないと一蹴し、選民思想が蔓延してるように見受けられます。
ひとの脳が、興味のある範囲が異なっており、興味の範囲にしたがって発達方法がいびつにな��たり平坦に伸びたりすると仮定します。
万遍なく標準的に発達し、中央値に収まるものが正常、中央値からはみ出たものは異端、と判断するものがいたとします。
まったく反対に、いびつに発達したけれども、たまたまそれが経済価値に換算できる能力であったため、経済的に豊かになり、平均的な能力もしくはそれ以下の者を「凡人」や「凡人以下」と罵ったとします。
このようにヒエラルキーは、二項対立などに単純化し、ゲームにすることで快楽物質を分泌できる娯楽へと変化します。
①や②、③や④とがグラデーションで織り交ざることによって、人間はかくも不可思議な世界をつくりました。
天界より「焼き払ってよい」とのお達しがありましたので、ご報告いたします。
なお、大切なことを申し添えておきます。
平均的な生育環境に恵まれず、五感のいずれか、もしくは五感のすべてが過敏になっており(つまり繊細で)、正常なプライドを育むことができずに傷つきやすいひとも中にはいます。
単純な解決方法で「ネットを利用するな」などと提示され、さらに傷つくこともあったようです。
天に唾を吐く、と言う言葉はネガティブな局面で使われることもありますが、バタフライブーメランであろうと、鏡の法則であろうと、効果は同じです。
ひとは淋しさを埋めたくて、人と繋がりたいと思いSNSなどを利用しますが、そんな一縷の望みすらも破壊してしまう、恐ろしい世界のようです。
彼らにとっては「共感あるある」などでお話を共有する、癒し���仲間が必要なのであって、ノイズが枠外から「こうあるべき」や「自己責任」などと言うのはもってのほかです。
私は不特定多数というかたちを利用し、彼らを長時間、それに晒して傷つけたことは間違いありませんが、さすがに直接訪問して物申したことはありません。
そっとしておいてほしい、これを破ってしまうと、これはもう人の所業とは思えません。
この地上を一度「焼き払って良い」という天の声が聞こえたのも、これが原因かもしれません。
どうか焼け野原で、健気に生き延びてくれることを、祈るばかりです。
まったくふざけてはおりません。怒りは通り越しました。引き続き、皆様のご健闘を心よりお祈りいたします。
生きやすくする方法を少し補足すると、自分が悪かったときは素直に謝ることと、相手の貴賤にかかわらず、冷静に話をきいてみること、傾聴に値するかどうかは身分ではなく言葉遣いや話の中身で判断し、自分の人格を否定してくる言葉は無視をすることです。
言葉を発する側に悪意があるかないかと、受け手側が悪意を感じるかどうかには、よくずれが生じますが、これは傷ついた経験が各々違うものによります。
信頼の積み重ねで言っている言葉が入ってくるか、はねのけるか、ということもあります。
言葉は大変、難しいものです。
天に唾を吐く、という格言は、軽々しく言葉を使うことに対する戒めかもしれないと思いました。自戒いたします。
たとえば大変、聞き苦しいお言葉がこのように発せられたとします。
「あなた、何様ですか?」
これを聞いて「ああ、自分にも悪いところがあったな、気を付けよう」と受け止める人と「何だとこの野郎」と腹を立てる人がいます。
どちらも言葉や態度ではスルーしているように見える場合、表面的には何を考えているのかわかりません。
これをメンタルの強弱で推し量るのも早計ですし、「自分がその立場になった場合、どういう態度をとるのか」は普通、深く考えません。
ほんの数秒で、態度に出すかたちで普段の心構えは決着し、それが積み重なり人生を形成します。
業を焼き払い、自我を滅しおおやけを考える時間をつくるきっかけをつくります。
普通の親元に生まれた場合も、弊害はあります。
与えられた環境が当たり前になり、一人で生きているかのような錯覚を覚え、周囲への感謝を忘れがちになります。
しかしこれは恵まれた人たちばかりが陥る現象ではありません。
完璧主義のワナ、もしくは檻をつくっている人が自分である、ということに気が付くことは、人生を切り開く意味で重要です。
「人間とは?」「~こうあらねばならない」といった思い込みを捨てることは、人によっては勇気のいることかもしれません。
あまりにも清廉潔白を求めたり、完璧を求めすぎると苦しみ=満たされないコップを延々と抱えることになります。
このワナもしくは檻は、「自分で設置している」ということに気づくことが困難で、それが苦しみの連鎖に繋がってしまいます。
何度か「お互いしょせん、人間だもの」というお話をしてきましたが、漠然としていて伝わりづらかったかもしれません。
分かりやすく例えると「アイドルは○○してはいけない」といったような、神聖視することによる思い込みです。大人になると「アイドルも人間」だということは理屈としては理解できますが、感情としては「アイドルには○○して欲しくない」という要求が生まれます。
これは過去の「聖職者」という言葉にも表れていることで、聖性は人間を超越す「べき」存在、といったべき論に繋がります。
潔癖が過ぎると、自分にも完璧を求めます。その結果なにが起こるかと言うと、完璧にできない自分への憤りになり、行き過ぎると脱力性無力感や自己否定へと症状が悪化してゆきます。
たとえば誰かを憎んだり、恨んだりしても「憎んだり恨んだりする自分」も許せないとなると、こころは行き場を失います。抑圧は、様々な身体的不具合にも繋がります。
抑圧を生み出す源泉に、「他人も自分も立派であらねばならない」だとか「人間は美しくなければならない」といった思い込みがあります。
これは誤ったゴール設定に基づく逆算思考です。
肩の荷を下ろすコツは「人間とは不完全な生き物」であることを理解すること、そして不完全な自分を受容し許すこと、そして不完全な自分をスタート地点に立たせることです。
自分を許せないひとは、自分がつくったこころの檻から、自分を助け出すことができません。
他人も自分も、神聖視することをやめて自己受容から始めることが、新たな気づきに繋がります。瞑想は、そのためのものでもあります。自分を良く見つめ、観察する手段です。念入りに丹念に、ありのままを観察することで、自分を理解することができます。
自分や他人を観察することで、自分も他人も大して変わりのない存在であることを理解することで、肩の荷を下ろします。
旧い固定観念に、枠に収まるように強制されてきた教育システムや社会の在り方は、悉く破壊しました。もっと自分らしく生きて良い、そういう社会になろうとしている、ということです。
ひとりひとりが本当のことに気づき、偽りにNOを言うことで、そのビッグウェーブが社会を変えてゆきます。
極めてロジカルな理由であり、夢物語ではありません。
行き過ぎたべき論=不寛容もすべて破壊し燃やし尽くします。
自分を囲っているその檻は、自由を阻害していました。
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さて、これよりわたくしは一切、聴く力をシャットダウン致します。
そういたしますと、もう皆様からのお知恵を拝借することができなくなりますが、もう皆様のお力を信頼しておりますから、思い思いにのびのびとして頂けましたら幸いです。
やや上級編として、マクロの大切さについて補足いたします。
性差分布、いわゆる男性性と女性性の分布に関してまずは解析してみます。
熱中しやすい、つまり深堀りしやすいタイプは、ある特定の分野に秀でやすいメリットがあります。これが経済価値に結び付けば、巨万の富を手に入れることも夢ではありませんが、そのようなことは稀であり、したがって希少価値が上がります。
デメリットはマクロが苦手になりやすいことで、物事の繋がり、つまり点と点を見えない線でつなぐバタフライ効果についての考察が苦手になります。逆はまた然りで、どちらにも一長一短あります。
これは性差分布に当てはめても想像しやすいと思います。
ここでは、この特性が社会の枠組みの中でどのように影響するかについて、言及します。
社会のボリュームゾーン、80%前後の人は独立ではなく組織への歯車としての所属、つまり会社員などとして労働に従事します。
特定の分野に秀でて、それを収入に繋げることができた一部の人(独立、中小零細)や、マクロの得意さを生かして経営や政治で指揮棒を振るう立場になった人(大組織経営、指導的立場)以外のほとんどの人は、そうなると思います。(わかりやすく単純化しています)
このボリュームゾーンに属することによって、社会的枠組みと個人的特性との齟齬が生じることが、マクロ的に影響を与えます。それは、個人の体感としての不公平感、不平不満であったり、個を確立する阻害要因、自尊心への障害・傷害へと繋がることになります。
総体としてこの不満が膨満してくることで、現代のような可視化されたネット社会での対立激化のようなことが起こります。
これまでのお話で、現状の問題への対処方法について、長々と提示して参りました。
このことを踏まえて改めて、分かりやすくお話を整理してみます。
・地球上の人口を考えれば(アリの巣を想像すると分かりやすいと思います)、完全な公平・公正な『社会の枠組み』などの実現は不可能である
・生存能力に長けた生物は、環境の変化に適応できる生物のみである
・人間が人間として生きる以上は、快適さを求める(不快な状況はできるだけ避けたい)
・独立や起業と会社員と、収入を得るための手段に関して、単純な二項対立はなく、どちらも一長一短あり、世の中から『雇われる立場』の人がいなくなることはあり得ない=リスクを負うより、安定性を求めることもまた自由選択のひとつ
これまで解説してきた自己啓発的お話は、ボリュームゾーンの在り方について参考になると思いますが、さらに一押し、現状をより良く生きるために補足したいと考えました。
ボリュームゾーンで生きるためには、融通の利く人間になることが必要になります。これはどういうことかと言えば、新人教育の現場が分かりやすいと思います。
社会人の中では「普通のひと」が培ってきた経験則が「常識」として扱われています。
「ええ、そんなところまで説明しないと分からないの」と言った嫌味を言われても良い、とされる一般的な立場は新入社員までで、加齢が進むほどに「何となくずれた人」という印象を与えてしまいます。
この「常識」とはつまり、点と点を見えない線でつなぐ、「想像力」の延長線上にあったりするものであります。
「ちょっとズレたひと~だいぶ変わったひと」といった、グラデーションはありますが、いじめの対象になってしまうのが、なりやすいのが、そういうことが苦手なタイプになります。会社組織に寛容さを求めるのは、経済価値に換算されてしまっているので、困難に近い状況にあります。(会社組織は、貨幣単位という数字で動かしています)
あまりにも自分に不適合だと思えば、日本人気質の真面目さをそこに出すのではなく、柔軟に変化を求めて良いと思います。これはその会社側にとっても、また自分にとってもWin‐Winの選択であり、会社側にその人の特性に合った職場が用意できないのであれば、それしか対処方法は無いと思います。
ここに、投資・消費・浪費の考え方を取り入れてみます。
退職して無収入になってしまう危険を目の前で測定すると、確かに危ない橋は渡れない、ということになります。しかしもう少し遠方を捉えてみます。
今の会社で不適合の状態のまま継続したときに発生する自身のリスクや、逆に転職に成功した場合の、適材適所による精神状態の優位性。他にも考えれば様々あると思いますが、損して得を取れということも言われます。
それは逃げではなく、冷静に自己分析をして���何かにしがみつくのではなく、自分の人生の快適さを優先させることで人生を豊かにさせる(経済価値とは別の捉え方で)ための考え方です。わたしが繰り返しこのことを言うのは、実体験としてそれがいかに大切かを体感しているからです。
例えばネームバリューや周りの目を気にしてまでしがみついて、自分の神経を削って生きているとき、そういうときはまず心から腐ってゆき、いずれは肉体へとその腐れた部分が侵食してきます。
身体にまで現れたときには重篤化している可能性が高く、治癒には時間がかかります。
心がサインを出しているうちに気づけた方が、傷は浅く済みます。
職場環境と自分の特性がずれている場合、その溝が埋まることは稀です。このずれが顕著になればなるほど、周囲の人たちとの不協和音が広がり、自分の心身を蝕んでゆきますから、たとえば直接的原因がパワハラであったとしても、パワハラを行う人に是正勧告を行ったとしても問題は解決しません(むしろ禍根を残すこともあり得ます)。
マクロの話に戻すと、マクロが苦手な人の原因は『興味のないことに無関心』であることが挙げられ、なんとかしがみついてそこで生き残りたい場合は、この苦手部分を克服する必要があります。(苦手部分が生きづらさの根本原因であると仮定)
このパターンの原因を提示しましたので、あとはご本人がこれを克服できるかどうかですが、それはご本人の胸の内でしかわからないことですので言及しません。
この説明で、あなたの選択肢が広がってくれれば幸いだと思っています。
どうしてもしがみつきたい人向けに、さらなる上級編を補足いたします。
上級編なので、少し厳しめになってしまいますがご容赦ください。
残念ながら、会社組織は学校や教育システムではなく、公益的なものでない限りは、利益を生み出すために存在しているので、厳しめに言ってしまうと、対価以上の労働ができない人は必要ない、となってしまいます。学校と会社の大きな違いです。このことから、逆算して考えてゆくとわかると思いますが、存在価値はあなたが組織にもたらす利益によって、証明するものである、ということになります。
プレゼンテーションが先か、行動を起こして利益を与える方が先か、それはシチュエーションに応じて臨機応変する事柄だと思います。
これまでの姿勢を改めて、先に心の在り方をプレゼンしたい場合は、あなたの熱い思いを受け止めてくれる組織長を見つけ、お時間を頂戴することに感謝し、プレゼンさせてもらいます。あなたがどれほどの利益をもたらすものか、根拠と具体的実現方法を、極めてロジカルに、ぐうの音もでないほどの自信でもってプレゼンし、それが組織長に認められれば、ひとまず首の皮が繋がります。
プレゼンせずに黙って実行に移せる猶予がある場合は、兎にも角にも実行して実現した果実を目の前にたたき出す覚悟をもってやるしかありません。
どちらにせよ簡単ではありませんが、しがみつくための具体的な方法です。
これが響かないタイプの人に、同じことをやっても逆効果になってしまう可能性がありますので、相手は良く吟味して頂きたいと思います。
しかしこのくらいのことをやると、逆説的にわかることがあります。
自分に自信がつけば、そこに執着する理由がなくなってしまうかもしれません。あなたはその力を使って、自分を買ってくれるところへ売り込めば良い、ということになってしまいます。
どちらにせよ、やって損はないということになり、さらに選択肢は広がります。
なにから手を付けて良いか分からない場合は、このページの冒頭から順番に、丁寧に基礎を身につけて頂ければと思います。
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島国の同調圧力にも一長一短ありますが、抑圧による不満といった負の側面ではなく、ここでは島国で培った「協調性」について触れたいと思います。
快適な環境は誰がつくっているかと言えば、そこに居住する、すべての人々の努力によってつくられています。
女子供が夜道を歩ける環境、落ちている財布が抜き取られないまま交番に届けられる環境、いろいろとありますが、これはただの国民性によるものではありません。
海外でも、そういうゆとりある品位を保つことができる人たちもいる——それを想像してみるとわかります。
無料の物品を「常識」外に持ち去る、といった貧しさは、金銭的貧しさだけではないことは、日本に住んでいると、よくわかると思います。
それを踏まえて考えると、既に日本は一番と言って良いほど、富める豊かな国になっています。
「取って喰われるのが世界標準」という大陸的な考え方も提示してみましたが、やはり地球と言うマクロで考えたときには、逆かもしれない、と考え直しました。
「日本」という社会実験場は、意識せずして「公共の成熟」といった発展を遂げました。
発展後の過程における劣化も指摘されてはいますが(現代人)、それでも世界からみれば、まだまだ品性は保っている方、ということが出来るのではないでしょうか。
ですから、こちらの品位の方をグローバルスタンダードにしていった方が、お互いWin‐Win(相互発展)に繋がるのではないか、と考えました。
個人のクレジットも、会社組織のクレジットも、根っこは人間の律するちからによって保たれるものです。
長年にわたって培われたこのちからが土台となって、国家を組織しています。長所を生かし、短所をいなして、相互発展を妨げずに公共を保つことで、総体の豊かさをつくってゆきます。
※これは優性思想ではなく、この長所が現代のグローバルスタンダードに適しているのではないか、というマクロ的発想による提言です。
そんな日本の大失敗は、指導者を利他(=利多)ではなく、利己で長らく選んできたことで、バタフライブーメランとして私たちを「今」苦しめているという事実です。
蘇生能力はこれまで述べてきた通りですから、国民がNOを突き付ける日が、日本再生の起点になります。起点は、時系列のどこになるでしょうか。
現物支給型ベーシックインカムの、無限大の可能性が出てきました。
憲法が定めるすべての人が等しく受ける生存権を、現物支給型のベーシックインカムにした場合、かなり良い未来が描けるのではないか、とまた突拍子もない考えを広げてみました。
インフラの使用量は個人差があり、無制限に使用しても節約しても同等にベーシックインカムされる場合は、使用量に関する不公平が発生します。最低ラインを決めて、超過した部分を「贅沢品項目」として扱います=別途の使用料の発生。
必要最低限の部分と、超過した部分を「贅沢品」とを分けて選択できるようになると、財源は人それぞれの要求「贅沢」部分への課税で賄うことができるのではないか、とまず考えました。
衣食住の最低限度が整っていれば、卑屈にならない程度の精神状態を保つことができる「はずだ」というのが、前提になります。
税収は収益とは違う、というのは基本原則ですが、実質誰かの利得に繋がっている現実を考えて、税の原点回帰で考えますと、贅沢品や嗜好品への課税がもっとも合理的であるのではないかと思いました。このことによって、収入からの徴税+消費への課税という二重課税からも解放されます(稼いでも取られ、使っても取られの生存への懲罰のような税制)。
国民も、タダで生活インフラが手に入るのであれば、贅沢税くらいは文句も言わず納税できるかもしれません。
たとえば飲酒は、なくても生活できる嗜好品や贅沢品の範囲内ですが(生物の営みで考えれば)、取り上げられて怒る人が出る原因について、これまでのように細分化して分析すれば、理由はわかります。
しかし感情を抜きにしてロジカルに考えれば、必要最低限の衣食住以外は、すべて嗜好品、贅沢品の範囲です。
さらにこのメリットは、強制的な外圧(悪くない外圧)によって、依存症の逓減を図ることができる可能性があります。
自分のちからでは止めることが不可能でも、物理的に入手が困難になってくると、やがて良い意味で「諦観を覚える」という生物の真理を、活用することができます。(=健康になる)
酒類、たばこ類、パチンコなどが課税によって今の二倍の金額になったとします。しかしこのベーシックインカムによって必要最低限の生活が無料で保障されていますから、それくらいの贅沢品の支出は許される、程度に精神的な緩和が起こっていても不思議ではありません。
これらの他にスマホなど、生きてゆく分には困らないもので、依存しやすい類の物品等は税による調整で管理コントロールすることで、健全で健康な国民を育むことができます。
投資・消費・浪費の区分は、欲望の生物(人間)という困難さが根本にあるので、外的要因によってコントロールしてあげるのは、理に適っています。
たとえば現金10万円を給付します、と言うとギャンブル依存症者はどうなるか、想像できると思います。現物支給型であれば、この問題も解決します。好きなギャンブルができなくなって発狂してしまう場合は、すぐにでも治療が必要な高度の依存症だとわかります。
たまの贅沢は依存症ではありませんが、チェーンスモーカーという言葉のように、連続して短時間に過剰摂取が常態化すると、依存症になります。
働かなく��も必要最低限の生活が実質できるようになり、さらに豊かな(贅沢)生活をしたいと思えば、働いて稼ぐしかありません。ほとんどの人は、それだけでは満足できないので、嗜好品や贅沢品のために、働きたいと思うはずです。
住宅問題に目を向けてみれば、国民の人口(必要数)以上の住宅の無節操な乱造、そして空室問題や空き家問題も、このことによってコントロールできます。
必要最低限の住環境を無償提供し、それ以上の生活を望む人たちには、働いて稼ぐこと・贅沢品として一定程度の課税をすることにより、同じように意義ある住宅事情を構築することを目指します。
移動手段は、動産の所有以外の方法でインフラを整えて、それらのインフラを無償提供すると、個人的車両の所有などは贅沢品の類になります。経年劣化は普通、使用頻度に比例します。一律現金給付の場合、物価などの地域格差のあるものは不公平を招きますが、現物給付の場合はそれがありませんので、公平感があります。
食品提供も、食品ロスの削減、健康的な食生活など様々な良いスパイラル効果が期待できそうです。必要最低限の良質な生活の無償提供によって、医療費の削減も期待できます。
服を選ぶ時間を省くために、まったく同じ服を複数買って着まわすという成功者のお話は有名ですが、同じ理屈で、これらの必要最低限の生活に対していちいち時間をかけたり悩んだりすることなく、予め用意させておくことによる経済効果も、かなりのものになりそうです。つまり、これらの悩みから解放されれば、殆どの人は次の次元の欲求、つまり人間にしかない高度な欲求へと進化する可能性は、十分にあります。欲求が高次元化すると、豊かな文化も促進してゆきます。
色々とこんな風に考えてゆくと、理想的な未来が見えてきます。
ドロップアウトによる精神的災害は、全体の(マクロ)経済的損失に繋がりますが(経済的損失≒精神的損失)、ドロップアウトによる精神的損失を低減させることにより、全体(マクロ)の経済的利益になる可能性が高まります。
これはつまり、自己管理が不得手な人が親になってしまうことにより(いわゆる毒親)、負の連鎖が止まりませんでしたが、必要最低限の文化的な営みを与えることによって、ドロップアウトの抑制を目指すものにもなります。
精神的な豊かさは、おもに経済的な他者比較によるものが現代社会での鏡となっていますが、経済的な(キャッシュイン)高さと幸福度がイコールではないことは、すでに周知のことと思います。
労働意欲は本来、内側から湧いてくるものであり、阻害要因は他者の否定や足の引っ張り合いにある、というのが社会観察から得た考えです。精神的な負の連鎖は労働意欲を阻害しますが、必要最低限の生活保障が出来ているという安心感は、やはり次の次元への欲求のステップアップになるのではないか、と考えます。
税の公平性、などという言葉遊びには騙されないでください。
依存症という社会問題が長らく「自己責任」として放置されてきたものの、こうしてメッキが剥がれました。依存症治療は本来、放置してきた依存症生産業者が補うものであって、税の公平性からは逸脱したものです。依存症生産者はその生産とともに治療の義務も負うものであり、家畜のように搾り取って放置、のような生産活動をしてきたことに関しては、その責を負うべきだと考えます。業界団体が政治家にお召し物を召し上げてWin‐Win、のような状態が、多くの依存症者を踏みつけにしてきました。
厳しくなってしまいましたが、私はこの罪は限りなく重いと思っています。
もう一度念を押しておくと、貨幣はただの道具です。
このベーシックインカム(=セーフティーネット)によって、年金、生活保護、雇用保険など役目を終える機関や保障・補償が無数にあると思いますが、それらは解体・解散・清算することによって、リセットされます。
仮に職を失っても、ベーシックインカム(=セーフティーネット)が最低限度の生活保障をしますから、心配はご無用です。
少し贅沢をしたい場合は、転職先をゆっくり探すと良いでしょう。
終身安泰のこのセーフティーネットによって、余計な蓄財をする人も減ります。このセーフティーネットだけを見れば、物価の変動は関係ありませんから、物価の変動に一喜一憂(翻弄)することもなくなります。余剰範囲の変動は、危機感を脅かすほどのものではありません。
この精神的ゆとりがもたらす恩恵は、好転スパイラルとして社会の醸成をもたらします。
では、この素晴らしいシステムは誰が構築するでしょうか。
残念ながら、政治家や官僚ではありません。
誰かがするのを待っていても、誰もしません。
幸いに私たちは、一応、国民主権の国家に生きています。これを具体的にイメージしてみます。
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『契約書』など、紙を扱う仕事をしたことがある人は、この紙の重みを知っています。
この紙自体は製造技術の発達により、価格が大きく下落し、今や一枚~何円の世界です。
しかし、紙の重みを知っている人は、この一枚何円の紙を丁重に扱います。燃やしたり捨てたりはしません。
一枚何円の紙と、そこに何かを記載するための塗料、そして朱肉のインクなど。使用する物は、いずれも僅かな原価です。しかしその中身が、とてつもない効力を発生することがあります。
お話を変えてみます。
引っ越しをしたことがある人はわかると思いますが、引っ越しする際の行政手続きは、転出届け、転入届けがあります。
この届出は、紙一枚ずつで完結する、簡素なものです。
この意味を普通、深く考えることはありません。
解説すると、この手続きによって住民の権利と義務が発生しています。
住民としての権利と義務については、身の回りの生活について考えてみるとわかります。
こうして考えると、無意識に追いやっているものの重みを、体感できる人と体感できない人がいることが、分かります。
いつも思うのですが、伝え方は難しいと思います。
この“事実”を、誰かを責めるために伝えたいわけではなくとも、責められたように感じる人が一定数発生します。
責めているのではなく、この“事実”は気づきのきっかけを与えたいという思いをもって、発しています。
これらの事実の羅列による気づきよって、自分自身のより良い未来の糧にしてもらいたいと願っています。
未来世代の人たちは、既得権益層を破壊、もしくは溶解しないと、将来の「積み」が確定します。「今」を過去に紐解けば、その理由はロジカルにわかると思います。
簡単な算数をしてみます。
国民の総人口のうち、熱心に選挙の投票行為をする人口が約半数だとします。
約半数のうち、現・与党に投票する人たち(いわゆる岩盤支持層=既得権益に群がる存在)がそのまた半数、つまり約25%だとします。
残りの25%の票が、泡沫政党を含む複数の野党へと分散します。
そのように考えると、より良い未来を切り開くことへの挑戦の、ハードルが見えてきます。
自分の子・孫の世代よりも我が身を案じるのであれば、この既得権益に群がるのが生存戦略の正解になりますが、将来世代を案じるのであれば、身を切る懐が必要になります。
将来世代を案じる=大義となり、我が身の保身=狭義=保身となりますが、保身のために現状維持を望んでいる限り、破滅への道を進んでいることとなります。
少し、改革のスピードを速めてもらいたい、そんな思いで今回、発信してみました。
野党さんにも協力してもらう必要があります。
わたしのこの経験則から、ご報告できることをまとめておきます。
ノイズキャンセル能力が不十分で、ノイズを華麗にスルーできない場合、ノイズVSノイズの応酬のエンドレスとなり、自らがノイズ発信機となって負のスパイラルが続きます。
一方で、一切のノイズを許容し(都合の悪いことを無視することとは、意味が違います)、尚且つ取り込んでゆくことができれば、ノイズは気にならなくなり、より発展的な議論、建設的な意見を交わすことが可能になります(正負で言えば正のスパイラル)。
負のスパイラルは弱者マウントや足の引っ張り合いによるものだと判明しましたが、自らが発信するときにこのワナに陥っていないかを、検証する能力が必要であるということです。
脊髄反射を素人だとすれば、ブーメランを真摯に受け止める(相手の言いたいことを理解する)能力が玄人です。
一方で、国民はその発せられた言葉が足を引っ張る行為か、それとも真剣に未来を考えての言か、を冷静に観察する必要もあります。
全体として、冷静な人が増えることによって、より発展的な議論が可能となります。
炎上の渦中に飛び込む行為は精神を消耗させますが、たとえばAさんとBさん、もしくはCさんの議論を「傍観者」として観察している分には、俯瞰して見ることができます。
炎上商法は同時にクレジットも無くす悪手である、ということをあらためて冷静に認識する必要があります。
手前味噌ではありますが、私の提案する最良の選択——現物給付型ベーシックインカムも、試験的導入に向けてご一考いただけると幸いです。もちろん、批判、否定も甘んじて受け止めますが、その際にはぜひ、ぐうの音も出ないような、それを上回る縛らしい代替案をお待ちしております。
やや挑戦的になってしまいましたが、これも大切なパフォーマンスの一環として、ご容赦ください。
民間は市場の変化に応じ、弾力的な対応をとることが可能ですが(一方で硬直的な下降路線は、正しい変化とは言えませんが理屈では可能と言う意味において)、“おおやけ”は弾力的な変化に応じた機動的な対応ができない、その能力が無いというロジックを紐解きます。
予算組みと国債発行や紙幣増刷にかかる矛盾点が、ご理解頂けるでしょうか。
そもそも無限に発行できるのであれば、予算自体を用意する必要がない、と言う話です(発生ベース)。
発生ベースということは、これは弾力性に繋がります。しかし実態を見てみましょう。
「予め」「算出」「徴収」ベースで物事が運び、「余ったら」「使い切る(返還も貯蔵もせず当期消化)」などといった、実態にそぐわない使い方だと、「いくらあっても足りない」といった現象が起こります。
※繰り返しますが、お話を単純化しています。
政治は商売ではありませんから、「国家」という資本がベースになっており、「予め」といった資本は不必要という理屈になりますが、実体の矛盾をご理解頂けたでしょうか。
「予め」の徴収+無尽蔵の拡張前提の「発行」という両方とも歯止めの存在しない、おかしな両輪を回転させることにより“どうでもいい”ことを“複雑”にすると、このような煙撒きさんのようなことが起こり、「お金がない。そうだ、増税しよう」といったことが起こります。
私たちは今現在、貨幣価値の増減や、物価の変動という現象を目の当たりにしていますが、これは水モノと言われるような弾力性を孕んでいます。
一方で、「課税」「社会保険料」といった硬直的な制度は、この俊敏な弾力性にはまったく適応していません。
毎期毎期の保険料の改定を見て「弾力性があるではないか」という反論が来る可能性も封殺します。それはまったく次元の違うお話で、すり替えになろうかと思いますので、それを以下に解説します。
社会保険料を上げて・給付費用を下げなければならない事態。これは制度設計自体が時代の変化に弾力的に対応していないことが原因です。
しかし「私たちが間違っていました。すみません」とアタマを下げることが出来ない存在は、免責のためにあくまで「現状維持」に拘ります。
ですから、「現状維持」を起点として、物事を考えるわけです。大事な票田様——既得権益へのクレジット崩壊をせき止めたい思惑もあります。
これが制度的にはとうに破綻へ向かっているのに、最後の最後まで「増税」や「給付減」、「定年制の伸長」といった国民負担、つまり国民へババを押し付ける所業に向かっているわけです。ゾンビ企業以上に、ゾンビ制度が霞〇関界隈にゴロついているわけです。
そのウラにある「自分さえ逃げ切ればよい」というハラを、完全に国民に見透かされているので、国民は怒っているわけですが、既得権さん達がめくり返そうと躍起になっているのが手に取るようにわかります。
私たちは「冷静な目」を手に入れましたから、私たちの手のひらの中で既得権益さんが躍る様を、観察しましょう、そうしましょう。これは足を引っ張っていますか? 強者マウントですか?
このことをご理解頂いたうえで、もう一度わたしの提案する現物給付型ベーシックインカムを思い出して頂ければと思います。
賢い皆様には、この提案が決して悪いものではないと理解して頂けると、確信します。
貨幣はただの道具のはずですが、そんなただの道具の奴隷に成り下がった人たちが国のかじ取りをした失敗について、紐解いてみました。何かの参考にして頂けたら、幸いです。
お金がただの道具であることや、現物の重要性といったものは、大規模災害に罹災した場合に理解できます。
物理的に、お金が食べ物に変身したり温かい布団に変身してくれるわけではないからです。
一方で、気候変動リスクからの大規模災害リスクが高まっていく世相を踏まえ、皆様はどのように未来を“予言”するでしょうか。
だんだんと原因がわかってきたところで、あらためて「わたしのこころ」を取り巻くネガティブについて解説します。
分かり切っていることですが、人間はネガティブなものに反応するように根本はできています。
ブラックノイズ=悪いノイズは、タトゥーのように心にへばりつき、離れにくい粘着性を持っています。
ホワイトノイズ=良いノイズは、さらさらと水のように、右から入っても左へ流れ去っていってしまう性質を持っています。
特徴が分かると、対処方法がわかります。
確かに、ブラックノイズによってこころを汚されたひとは、毒親やいじめの首謀者など、積み重なった悪意によるものが原因かもしれません。
たくさん浴びせられたその悪意があなたのこころに、タトゥーとしてこびりついていて、それが原因で苦しめられています。
ではそのタトゥーを引き付けて離さないのは誰か? これが分かってくると、次の段階も見えてきます。
ブラックノイズ=タトゥーを植え付けた犯人は、虐待当事者です。タトゥーは入れる時に大きな痛みを伴いますが、やがて肌につけた傷はふさがり、墨だけが体内に残ります。
表面の傷がふさがっても、体内に入った墨は消えません。それでもその人間は、生きています。
ホワイトノイズは、どれほど浴びてもすぐに体から抜けて消えてしまいます。体内に入った瞬間は心地よいかもしれませんが、抜けてしまった後の喪失感は、かえってこころの癒しにならないかもしれません。
ホワイトノイズをこころに残すためには、どうしたら良いでしょうか。
わたしは様々な方法をここに示してきましたが、それをどれだけ実践しているかによって、わたしのこの説明があなたのこころに残るか、それが分かります。
これはいったん、宿題にしておきます。
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