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#二村台小学校
eijirusi · 2 years
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昨日は『スターライツ豊明 vs アローズ』の練習試合でした! 子供達みんないきいきしてバスケを楽しんでいるのが伝わってきました! とてもいい経験になりました\(^-^)/ #スターライツ豊明 #練習試合 #交流戦 #小学生 #ミニバス #バスケ #バスケットボール #愛知県 #名古屋市 #南区 #豊明市 #緑区 #沓掛小学校 #三崎小学校 #大宮小学校 #栄小学校 #中央小学校 #二村台小学校 https://www.instagram.com/p/CevfKX7JF21/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 10 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明���、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、スト��クホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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houteiyugi-movie · 7 months
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舞台挨拶で模擬法廷 “無辜(むこ)ゲーム”が開廷!完成披露試写会のイベントレポートが到着!
この度、10月3日(火)に『法廷遊戯』完成披露試写会を実施!永瀬廉さん、杉咲花さん、北村匠海さん、大森南朋さん、戸塚純貴さん、 深川栄洋 監督の6名が登壇しました。 まずは黒衣をまとった6人の謎の男女が観客席を通ってステージに登場。QUEENの名曲『We Will Rock You』と同じリズムを刻みながら観客を煽り、クラシック曲のBGMが爆音になった途端、ステージ上の赤い階段にキャスト & 監督が一斉にラインナップしました。
まるでライブのような爆音BGMに加えて法廷を模した豪華なデザインのステージ。法律家を目指しロースクールに通う主人公・久我清義役の永瀬さんは「今日はもはやフェス? CO²の煙が出て歓声を頂いて…。まるで男女のダンスボーカルユニットみたいで踊りかけました」と満面の笑みを浮かべると、ロースクールの同級生・結城馨役の北村さんは「踊る?」と永瀬さんを焚きつけたりして、豪華演出にビックリしていました。
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法律家を目指す学生たちのロースクール、そしてその後実際の法廷までが舞台のミステリー小説が原作。永瀬さんは「完成した作品を皆さんにお届けできるのはありがたく、嬉しい気持ちでいっぱいです」とすがすがしい表情で「清義は優しくて真面目で大胆な部分もある。自分の中で大きな信念がありつつ、物語が進む中で色々と経験して清義自身が最後に下す選択が一貫している。信念と正義感の持ち主です」と役柄を分析しました。
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ロースクールの同級生・織本美鈴役の杉咲さんは「美鈴が起こす行動自体は共感しづらいかもしれないけれど、清義をただ一途に思い続けているという点では理解ができる人」と乙女心に共感。永瀬さん、杉咲さん、そして深川監督とは旧知の仲という北村さんは「この作品をやるという要素が3つも揃っていたので、2つ返事でした。このメンバーならばやろうと思った」と絆を強調し、ロースクールの同級生・藤方賢二役の戸塚さんは「短距離走100メートルを、息を止めて走っているような感じの撮影だった。この疲労感を観客にも感じてほしい」と期待を語りました。
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謎の男・沼田大吾役の大森さんは「謎の男ということで狂気的な世界でやってみようと思ったら、僕以上にこの4人(永瀬さん、杉咲さん、北村さん、戸塚さん)の方が狂気じみていた」と若手勢の奮闘に感激。そして深川監督は「この映画の答えは皆さんの中にあります。映画を観終わった後の皆さんの心にどのような変化があるのか。それを味わってほしい。原作小説と映画の違いを楽しんでもらえるはず」とPRしました。
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撮影が行われたのは2022年の秋。学校のシーンはもとより、法廷、そして無辜(むこ)ゲームと言われる模擬裁判のシーンは、印象的な洞窟が登場。これに戸塚さんが「僕は撮影の翌日、体調を崩しました」と洞窟ロケのハードさを思い出すと、北村さんは「電波もないし、コウモリもいるし」と過酷な撮影状況を解説しました。永瀬さんは「洞窟は寒くてヒートテックを5、6枚着ていました。しかも洞窟には1日いたので時間感覚もなくなってサバイバルをしているみたいだった」と振り返りながら「でも僕はそこで戸塚君と仲良くなりました。戸塚君は僕がイジっても優しく返してくれるから僕も楽しくなった。そこから仲良くしています」と戸塚さんの人柄に感謝していました。
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法廷を舞台にした本作にちなんで、個人的に疑問を持っていることを「有罪」なのか「無罪」なのか多数決でジャッジする企画を実施。歯磨き好きという永瀬さんは「歯磨きを始めたら長い。気づいたら移動時間ギリギリで、マネージャーから『時間に余裕を持って!』と言われる。でも余裕を持てば、またそれだけ歯磨きが長くなる。でも遅れるわけではなく、時間には間に合っています」と訴えました。これに北村さんは「時間に余裕を持ちなさい!」と友人として叱りながら、永瀬さんから「歯磨きの1日マックスは6回か7回」と聞くと、「歯が可哀想」と永瀬さんの歯に同情。しかし結局は無罪となりました。
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杉咲さんは「一つの役が終わると、サヨナラしようと思って髪の毛を切りたくなる。でも切り続けてしまってどんどん短くなる。今はウッカリアゲです」と短髪理由を明かして、これも無罪。一方、度を越えたゲーム好きという北村さんは「気が付けば1日椅子から動かず、15時間くらいゲームをやっている。12時間を超えると視界がぼやけます」と告白。これに友人の永瀬さんは「断トツ勝手にしてほしい疑問!」と突き放し、結果は有罪となりました。
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最後に永瀬さんは「それぞれが抱えているものがありつつ、各々の持っている信念や正義を貫き通すことの難しさや大切さ、その苦しさを色濃く描いている映画です。どの視点から見ても違った考えが生まれるだろうし、自分の正義感とは何かを見つめ直す映画になっています。たくさんの方に観ていただきたいです。楽しんでご覧ください」と力強くアピールしていました。
公式サイト
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hachikenyakaiwai · 1 month
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます���この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「��譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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lgbtqromance · 8 months
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迷奸男校生
某夜晚上十一时半,我放工回家时给我见到,身穿某男校校服的男学生。
男孩啊,我心想我胯下的阳具已经胀爆了我的西裤!我现在只等着他走到转角,就是我出手的时候。看一看他会这么小胖子般男孩,成为我心中狼的祭品,我一直保持着不被他发现的跟踪距离,直至他走到转角上一幢唐楼时,我于是从腰包裹迷晕喷雾,并口含两粒解药,快速从他身边经过,手中喷雾向着他一喷,他还未知道发生什么事时,已经仆倒在我怀内!
我先将背囊向前背,再把他背起来,一步一步走向他的目的地~他的家,看来这屋鸷快要拆除,十室九空,静得有点可怕,但这正合我意。
我本想把他带至楼的另一边暗处,但行经其中一单位时,看见匣门半掩,于是便把他推入去,然后关上门。
因为这种屋村,随了大堂有护卫,及升降机有CCTV外,是没有大闸,后楼梯更是不设防!而那些所谓护卫更是时常走出大厦抽菸,加上管理不善,升降机内的CCTV更是时常坏掉而多天也没有人修理!
我要开始品尝这件嫩口的猎物!
戴着医生手套的我,先将他身上所有杂物放倒一边,然后才除掉手套,我将手轻轻的压在他的校服裤上,感受一下他的体温,是一个热血方刚的男孩。我的老二已经忍不住了,要了解一下他的身体,我由他的皮鞋一直品尝,上至脚跟,到校服裤上,裤裆,(他的小弟弟很短,未习惯伸起来的样子!!!!)至到上身,领带。
我看不了多久,就将他校服的褛扣解开,然后想摸一摸他的乳头,将垫在他身上背心掀起。
他的两点可爱得似黑芝麻的乳头,我双手立即攀到那两颗可爱的乳房,使劲的挤压、搓揉,还轮流把两颗小巧的樱桃含入口中轮流吸啜!我双手沿着他的腰两则向下滑,感受一下男孩身体的嫩滑,到达他的皮带上,一直摸他的小肚,我不急除去他的校服裤,因为我喜爱的是他的校服!!!!我慢慢的从裤的边缘进入,他的小弟弟像他一样沉睡了,他的裤头着紧,我先拉下他的裤链,用口感受一下隔着内裤的小弟弟,将他校服裤的褛解出把裤拉下,最后他的白色的小内裤。
我将他双脚抱到胸口,将他脚上的一对皮鞋脱掉,就连他的袜子也不放过!
现在他的身上就只剩下那个纯白色小内裤和未除了的校服!近采完美的身躯,在月星的映照下,份外悦目!我从他额头开始吻起,沿着他嫩白的小脸,通过尖挺的鼻尖,轻吻一下他娇红的口唇,再沿着他两腮吻向他两边耳珠,轮流含到口中吸啜,最后当然是吻上他的唇!
我像极一头饿狼,疯狂的把他口中的唾液,吸入口中吞食!
如此吸食了一会后,我再次出发,沿着他的粉颈吻到他的乳沟上,我的舌头跟嘴巴,完全不放过陶醉在他那两颗娇小的乳房上!两个可爱、娇嫩、美妙、小巧、香郁的小乳房展现在我的眼前!哗!两颗小乳头还是粉红色的呢!
我再次压到他的身上,双手立即攀到那两颗可爱的乳房,使劲的挤压、搓揉,还轮流把两颗小巧的樱桃含入口中轮流吸啜!
虽然他是在昏迷的状态下,但身体的自然反应还是会显露出来。只见他本来平缓的呼吸,在我手口并用的挑逗下,也开始急速起来。而被我吸食着的乳头,更是坚挺的在夜风中窥立了起来!
我见乳头的挑逗已经开始敏感起来,当然是向下的继续品尝我的猎物!舌头沿着他乳头的下沿,慢慢的舔着他嫩滑的肚腹皮肤,最后抵达他的小肚脐上,在上面绕了两个圈后,嘴巴终于到达那梦寐以求的男孩私处!
我先提起身子,让两手托着他两边腿弯,把他的屁股托高,使他两条腿大字形的分开于我面前。月色下,原来他的小巧白色的小内裤的胯下,早已经印出了水痕!原来他的身体正静静的,但却积极的回应着我的挑逗!
我把鼻子揍到他禁地前,在印湿了的内裤上,我用力的一索!爽呀!香味从鼻腔渗入了血管,使四肢百骸为之一震!
我急不及待的伸手把他的小内裤从屁股上退下来,滑过他的滑嫩双腿。我先把他拉近我,让他的屁股刚好放到我跪着的两腿上。
而刚好,他的小弟弟正抵着我挺起了的阳具上,温热的体验,温热着我的阳具,使我差些忍不住,要立即把他的小弟弟放上手,我用面到感受一下他的温暖!
我将自己的西裤裤链拉下,巨棒已经去到不能忍受的情况,我对着他的后庭一次将肉棒进入,他的肉洞十分紧,很不容易将全根向内前进!
在微弱的月色星光下,可以看到他贲起了的肛门口上,正疏疏落落的长出了一小撮的阴毛,再下面的是我最爱就是窥看男性的私处,于是我拿起小型MACLight,咬在口中,两只手指继续把他的包皮向下拉!呵!呵!相信他这么大还是第一次这么的大动作翻开包皮,他小弟弟的头有点像蘑菇啊!!!!
我将老二拔出来再次品尝他的身体!!!!
虽然他现在正陷于昏迷状态,但身体的反应却不能被埋没!只见他在我用舌头吹他小弟弟时,下体不停的扭动,像要逃避,又像要迎合我的攻势!口头更发出混浊含糊的叫床声!看来他已经动情了!
身体的敏感反应,超越了迷魂喷雾的药性而开始左右扭动着身体,更令他由含糊不清的叫喊,变成享受性乐的呻吟!
我见他下面已经湿透了,是时候用我的阳具再次较正了位置,确定了路径后,粗壮的大阳具,无视着他还 窄小肉洞,腰身向前一挺,巨大的龟头已经整个突入了他的肛门口。
只见虽然仍是半昏迷着的他,痛得双眉紧凑,双手无力的想推开我,腰身扭动着,想避开我的插入阳具!就算他醒着也不是我的对手,何况现在正半昏迷着?!
我不理他下身有多痛(破处他当然一定痛啦!),我的阳具仍然奋力的向着他那紧窄的肉洞深处不断进发,只见我每进一分,他就痛得叫喊一声出来,就连眼泪水也涌了出来!但我也好不了多少,处男的肉洞果然够窄,把我的阳具紧紧勒着,我每进一分,也感到他两边的肉洞壁不断的向着我入侵的阳具挤压,还有种想将我的阳具推回去的感觉!在他的紧勒着的情况之下,就连我的茎身也感到异常的肿痛!
我再向内推进了约两公分,发现他下面真的紧得难以再进一步,于是我把阳具轻轻的抽出来,直至只留下龟头在他的肛门内!然后,深吸一口气,运起腰力,强而有力的臀部肌肉一弹,不管他的肉洞有多紧,在强大的推进力,加上先前的湿溺淫水,我的阳具不单至突破了他肉洞壁的紧迫,我长粗也达十八公分的阳具,终于也全根没入了他处男的阴道内!就在向全根阳具全部插入的同时,他也痛得睁开双眼,醒过来了!
啊!!!!!!!!这时地无力地说:……求求你停…下来吧…我…的…给你撕破了…我…痛死了…接下来,又再嚎哭了,我见到他一双美乳疯狂地上下跳动,原来我已兴奋得不自主地,狂轰他的心洞,一个无人到过的心肉洞,肛门紧贴着我的内棒,跟随着我的抽送一开一台,便透的乳头上下的跳 。
很热啊!!啊”射了…射……我把所有精液射入他的体内「啊…啊…真的大美妙了。」
我拿去他的内裤,他无力反抗,之后我要替他穿回校服时,一颗颗褛扣扣上,将校服裤拉上,我不想拉上他的裤链,我坐在他的身边,他竟然依着我,我又惊又喜的将手伸进裤裆里,把他的小弟弟引至扯起,我一直玩弄着,他就叫着呀……
呀…………他的初精我一口一口吸进口中…
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canty-essay · 3 months
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考えてみる、サバイバル
              
                                  
 今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
 「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
 そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
 三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
 「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、��子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
 脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
 さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
 次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
 43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
 67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
 ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
 毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
 そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
 それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
 とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
 もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
 さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
 2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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benediktine · 6 months
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【チャリを交通の主役に 魅力発信、片山右京の挑戦 疾走チャリノミクス(1)】 - 日本経済新聞 : https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFK132ME0T10C21A2000000/ : https://archive.is/XQzTa 2021年3月21日 2:00 (2021年3月22日 2:00更新)
環境に優しく、健康によく、密も避けられる夢の乗り物――。脱炭素や新型コロナウイルス禍で改めて脚光を浴びる自転車。チャリンコと侮るなかれ。IT(情報技術)などの最新テクノロジーを取り込み、自転車経済圏は国内外で広がる。競技から開発、安全対策までそれぞれのフィールドを全速力で走るチャリダー(自転車乗り)を追う。
■《自転車競技の中心にカミカゼ右京》 東京五輪の競技運営責任者に、新設するプロリーグのチェアマン――。いま日本の自転車競技界の中心には、元F1レーサーの片山右京(57)がいる。かつて怖い物知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた男だ。
 {{ 図版 1 : 東京五輪の自転車競技スポーツマネジャーも務める片山 }}
「あなたの街へ興奮と感動を届けます」。こんなうたい文句で3月27日にシーズン1年目の幕を開ける自転車ロードレースのプロリーグ、ジャパンサイクルリーグ。新設に汗をかいた一人が片山だ。チェアマンとして組織体制作りやスポンサーの獲得に奔走。メインスポンサーには不動産大手の三菱地所が就いた。「多くの人たちが自転車に関心を持ち、スポーツとして応援しようとしてくれている」
人生最初の挑戦は小学校5年生の時、三重県から神奈川県の自宅まで走破した自転車旅行だったという。いったん遠ざかったが、F1レーサー時代、体力トレーニングで再び自転��に乗るようになった。引退後はその魅力に取りつかれ、数々の市民ロードレースに参加。2012年には自らロードレースチームを立ち上げた。「40代半ばから本格的に始めても、毎年記録が上がったり、200キロメートル以上走れたりする。頑張った分だけ確実に力がつき、生きてるという感覚をもらえる」
■《登山で環境破壊に危機感》
自転車に託すのは競技への思い入れだけではない。F1引退後、自転車とともに登山にのめり込み、キリマンジャロなど世界6大陸の最高峰登頂に成功した。だが、そこで見たのは消えゆく氷河やプラスチックゴミなどの環境破壊だった。
人力でペダルをこいで進む自転車は二酸化炭素(CO2)を一切出さない。脱炭素への意識が世界的に高まるなか、究極のクリーンモビリティとして注目され始めた。片山は「今後30年で公共交通の構造が変わり、自転車はその中心の一つになる。皆が自転車に乗って動き回るようになれば、自動車が入りにくい裏通りの価値も変わる」と訴える。
■《日本の自転車利用、拡大の余地》
特定の移動手段の利用頻度から算出した「交通分担率」をみると、日本の自転車は13%。最も高いのは自動車の48%だが、国土交通省の調査によると、自動車の移動距離は5キロメートル未満がうち43%を占める。同省は「短距離の移動で今後、自動車から自転車へ交通手段がシフトする可能性がある」(道路局)とみている。
 {{ 図版 2 : 日本の交通分担率の内訳 主要国の交通における自転車分担率 }}
■《車椅子に乗る15歳の社長》
「自転車産業はITとの融合でもっともっと成長する」。シェアサイクル事業、チャリチャリを展開するneuet(ニュート、東京・港)の社長、家本賢太郎(39)は、真っ赤な自転車が並ぶ本社内のガレージで力を込める。家本は15歳でネット関連のコンサルティング企業、クララオンライン(同)を立ち上げた異色の経歴を持つ。
 {{ 図版 3 : クララオンラインとニュート社長を兼務する家本(東京・港) }}
脳腫瘍の手術の後遺症で14歳から18歳まで車椅子生活を送った。電車など公共交通機関での移動に大変な不便を感じ、「移動に選択肢があることは幸せと感じるようになった」。特に羨望のまなざしで見たのは、自らの力だけで自由に移動できる自転車だ。
車椅子生活を終えた後、自転車は家本の趣味になる。そしてITを武器にアジアへ事業を拡大した際、中国で目の当たりにしたのはシェアサイクル事業の勃興だ。鍵となっていたのが、あらゆるモノがネットにつながるIoTだ。ITに精通した家本は「これなら自分にもできる」と思い立つ。
■《ITからシェア自転車に》
17年秋には福岡市でシェアサイクル事業を展開しようとしていたメルカリから「一緒にやりませんか」と声がかかり、IoT関連のサポートなど裏方仕事に携わった。そして19年夏、「ここから先は僕にリスクを取らせてほしい」と事業譲渡を持ちかけ、チャリチャリとして再スタート。今は名古屋、東京と事業を広げ、専用駐輪場(ポート)は430カ所、保有台数は2000台に達した。
 {{ 図版 4 : シェアサイクル「チャリチャリ」の専用駐輪場は430カ所に達した }}
チャリチャリはITの塊だ。利用者はまずスマートフォンにアプリをダウンロードし、付近のポートにある自転車を探す。見つけたらサドルの下にあるQRコードをアプリで読み取り、解錠。利用後は近くのポートに駐輪し、施錠する。料金は1分4円で、アプリに登録したクレジットカードに課金される。24時間365日利用できる。
全地球測位システム(GPS)が搭載されているため、万が一ポート以外に放置されても、すぐに見つけ出せる。買い物や通勤などの短距離移動はシェアサイクル、サイクリングなどの遠出は自分の自転車と住み分けが進めば、「日本が長年抱える放置自転車の解決につながる」。
日本のシェアサイクル事業は地方自治体が関わっていることが多いが、チャリチャリは行政から補助金を一切貰っていない。自立には利用率の向上が必須で、昼間人口の多さや人口密度の高さに加え、公共交通機関の乗り換えが不便な場所などを狙ってポートの候補地を探す。「シェアサイクルが日本でちゃんと事業として成り立つことをみんなに見せたい」
■《環境派市長「パリをつくり替える」》
チャリノミクスは国境を越える。「環境保護を進めるため、今すぐパリをつくり変えなければいけない」。市長のアンヌ・イダルゴ(61)は自転車でパリ中心部を疾走する。優先レーンを作るなどして、全ての道で24年までに危険なく自転車を利用できるようにする目標を掲げる。
 {{ 図版 5 : イダルゴ市長は環境保護のため、市民に自転車の利用を呼びかけている(パリ)=ロイター }}
14年に就任したイダルゴは環境派として、セーヌ川沿岸の一部を自動車進入禁止にするなどの政策を取ってきた。コロナ禍で人との接触を避ける動きが強まったのをきっかけに自転車の利用を一層促す。20年には自転車用レーンを60キロメートル分延ばすと表明した。
かつて自動車で混雑していたルーヴル美術館前の有名なリボリ通りはいまや、自転車で混み合うほどの様変わりだ。「大気汚染や騒音が著しく減っている」。イダルゴは胸を張る。
フランス政府も自転車の利用を後押しする。コロナ発生後、自転車の修理費を50ユーロ(約6500円)まで補助すると発表した。一時は数カ月待たないと予約が入らないほど修理業者がにぎわった。市場は爆発的に拡大している。仏テレビLCIによると、20年の仏自転車販売台数は330万台と19年比3割近く増えた。
■《自転車経済、年7%で成長》
今後も世界的に自転車市場の拡大は続きそうだ。英調査会社テクナビオによると、20年の世界の自転車市場は約540億ドル(約5兆9000億円)で、25年まで年平均7%で成長するという。
 {{ 図版 6 : スポーツ自転車が大きく伸びている(1店舗あたりの国内販売台数の前年比) }}
日本国内の20年の自転車市場規模(国内生産と輸入の合計)は約1300億円。最近では特にスポーツ自転車の伸びが大きい。野村証券チーフエコノミストの美和卓(53)は「スポーツ車は単価が高いだけでなく、ヘルメットやライトなどを追加購入しないと走れない。アパレルや付属品など周辺市場の広がりに期待できる」と話す。自身も約15万円でロードバイクを購入し、本体以上のお金をかけてギアやホイールを好みの部品に取り替えた。
 {{ 図版 7 : ロードバイクで通勤をする野村証券チーフエコノミストの美和(東京・千代田) }}
前日のニューヨーク市況のチェックから始まる美和の朝は早い。西東京市の自宅から東京・大手町の職場まではロードバイクで1時間半。夜の喧噪の名残ある新宿の繁華街を抜け、大手町が近づくころには皇居のお堀に反射する荘厳な朝日が見えてくる。6時過ぎに会社近くの駐輪場に愛車を止め、サイクルジャージからジャケットに着替えると、今日も美和の一日が始まる。
=敬称略、つづく
(生田弦己、松本萌、福井環、パリ=白石透冴)
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kuribayashisachi · 11 months
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
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■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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eijirusi · 2 years
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今日は『スターライツ豊明 vs スターライツ名古屋』の練習試合でした! 初級者の方は名古屋が勝って、上級者の方は豊明が勝ちました! どちらも接戦でとてもいい試合でした\(^o^)/ #スターライツ豊明 #スターライツ名古屋 #練習試合 #小学生 #ミニバス #バスケ #バスケットボール #愛知県 #名古屋市 #南区 #豊明市 #緑区 #沓掛小学校 #三崎小学校 #大宮小学校 #栄小学校 #中央小学校 #二村台小学校 https://www.instagram.com/p/CeI8RiZpKlu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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medickalmalpractice · 10 months
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばし��命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえ���、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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ronpe0524 · 1 year
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やっぱり今年も花粉症、な3月(2023年3月の日記)
■2023/3/1 寝坊しちゃいましたよ、な水曜日ではじまる3月。娘は昨夜からお腹が痛いということで今日は学校を休むことに。何もなければ良いですが。たぶん花粉が大変なことになっている。昨日のうちに薬を手に入れておいて良かった良かった。お昼は丸亀製麺にて釜揚げ大とジャンボカニカマ天。毎月一日は釜揚げの日!ってことで釜揚げ半額。早めに行ったつもりだったけどけっこう並んでた。そしてそのけっこう並んだあとに釜揚げ食べない人はなんなんだろう。お金持ちなのかな。早めに会社を出て立川へ。シネマシティ(シネマツー)で『AKIRA 4Kリマスター』鑑賞。Disney+『マンダロリアン』S3E1を見る。ダンク・ファリック!やっぱぶっちぎりで面白い。もうアバンタイトルの戦いだけでわくわく。マンダロリアンのゲームがあって(もうあるかな?)レイドバトルをやったらこんな感じだろうか。そして話の展開も熱い。エンドロールもあのイラストと音楽���見てしまう。監督はリック・ファムイーワ。E1の監督としては意外な人選。と思ったけど今回のシーズンはジョン・ファヴローもデイブ・フィローニも演出するエピソードなし。監督として最多登板となるのがこのリック・ファムイーワ なんですね。S1とS2で彼が監督したエピソードではメイフェルドが出てきたので、このS3でも後半に登場するかもしれない。あと今回のシーズンではリー・アイザック・チョンや、『スパイダーバース』の監督のひとりであるピーター・ラムジーが監督するエピソードもあるとのこと。約2か月間、毎週楽しみです。シネマシティ(シネマワン)でもう1本、『少女は卒業しない』鑑賞。帰宅してclubhouseにてラフランスさんとLukeさんが雑談していたのでラジオのつもりで作業していたら、うどんの話になったのでつい上がってしまった。あぁ、本日のベタコが見終わらず。。
■2023/3/2 木曜日。娘は昨日1日休んでいたら元気になったっぽい。大事なくて良かった。お昼はCoCo壱にて、焙煎スパイスのチキンカレー。昨日のうちに観れなかったNetflix『ベター・コール・ソウル』S4E6を見終わる。仕事終わりで立川へ。やよい軒でとり天とだんご汁の定食を食べる。大分ではからしとポン酢で食べるらしいとり天、なかなかうまい。Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E7を見る。監督がデボラ・チョウ!画面分割&ダイジェストの見せ方すごい。シネマシティにて『BLUE GIANT』鑑賞。aスタ極音上映にて。後半ボロ泣き。映画終わり映画館を出たとこからMCTGM『アントマン&ワスプ:クアントマニア』回に遅刻参加。涙を拭きながら。参加しながら歩いたりモノレールに乗って帰るという器用なことをやる。帰宅してシャワーから出たら、杉田監督と安楽監督のスペースがやってたので聴く。面白かったので最後(26時)まで聴いてしまった。杉田監督のスペースはいつも口外禁止なので内容については何も書けない。
■2023/3/3 金曜日。通勤途中でApple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E6を見る。昼はマクドナルド。夕方、ぴあの先行抽選の発表。小林賢太郎は当選、シン・仮面ライダーは落選。仕事終わりで立川へ。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E3を見る。なんかピカード責められるかわいそうだな。あと「息子が現れて舞い上がるのもわかりますが」ってきびしいこと云うなライカー。松屋にて、カルビ焼肉定食。U20のAFCアジアカップの試合を前半だけ見る、DAZNで。シネマシティで『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』bスタ極音上映で観る。車を借りに実家に向かおうとしたのだが、なんと実家の最寄り駅にたどり着く終電にはもう間に合わないことが判明。マジかよ。調べたらバスが間に合うのでバスで向かう。バスに乗りながらイシヤマさんがはじめた『エブエブ』スペースを聴く。喋れなくてすいません。バスを降り実家で車を借りる。ここらへんからスペースにスピーカーで参加。車を自宅近くのパーキングにとめたところで車のウィンドウをトントンとたたかれた。なんかこわいなぁと思いながらウィンドウをおろす。酔っぱらっている男性で、最初何を云っているのかわからなかったが、どうやら「代行の人ですか?」と云っている。なるほど。僕が実家から借りてきた車が白いMOVEだったので、待ち合わせている代行の車と間違えたのだ。いや、僕ひとりだし。と酔っている人に云ってもムダだろう。すげー謝られた。という一連の流れをスペースで流してしまい申し訳ありませんでした。人は咄嗟にミュートできないもんですね。
■2023/3/4 土曜日。わー、完全に寝坊した。9時に家を出るのに8時に起きた。急いで娘に準備をさせ、僕も最低限の準備をする。なんとか間に合った。というわけで娘と車でMOVIX昭島へ。『映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)』観賞。公開して最初の土曜なので子供の観客多い。娘はクライマックスで泣いておりました。車で実家へ。午後はのんびり過ごす。DAZNで京都×FC東京戦を見る。うーん負けたか。京都、とても良いチームな感じがしました。くそー。夕飯までご馳走になり帰宅。両親はドイツ村に行ったらしくお土産をもらった。ラーメンズのコントを思い出す、ドイツ村。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E8同時視聴に参加。今回から同時視聴パートと感想パートの部屋を分けて、感想パートだけ後から聴ける設定にするという。なるほど意外と考えてますねラフランスさん。見てて面白い回でした。この作品って、感想パートで登場人物の心情や考えをあーでもないこーでもないとみんなで話すことが多いのですが、これって演出的にはっきりと描いていないから、というのがある気がします。演出がうまくないわけではなく、視聴者それぞれが考える余白がある。こういう作品を見るときに、それぞれが自分の経験や考え方と照らし合わせる。だからそれぞれの感想の違いが出てくる、ような気がします。
■2023/3/5 日曜日。今日は久々に映画を3本観れるぞ。というわけで気合いを入れて早起き。仕事に行くより早く家を出る。radikoを聴きながら立川へ。オールナイトニッポン55時間SPの余波がまだ続いていて、聴いてるラジオ番組がかなり遅れ進行。まだ先週のサンソンを聴いてるぐらいなので試聴期限ギリギリすぎる。シネマツーで『マジック・マイク ラストダンス』観賞。朝8:45の回だからさすがにお客さん少なかったけど、僕以外は女性のひとり客でしたね。スパゲティ PiaPia ウィンズ立川店にて、ミートソース(粉チーズ)+厚切りベーコン。Apple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E7を見る。kino cinéma 立川高島屋S.C.館『対峙』と『アラビアンナイト 三千年の願い』を観る。帰宅して夕飯はセブンイレブンのろかプレート。カレーフェアいろいろ食べたいけどなかなかチャンスがない。U-NEXT『イエローストーン』S1E1を見る。『ベター・コール・ソウル』の視聴スケジュールに余裕があるので見はじめてしまった。1話目長いぞ。配信にて「画餅」第二回公演『ホリディ』を見る。本当に配信に特化したコントライブって感じでカット割りが面白い。Netflix『雨を告げる漂流団地』を見る。
■2023/3/6 月曜日。朝食ウインナーを焼いててうっかり指を火傷したぞ。小雨ニモマケズ、朝からウォーキング。午後半休を取るので午前中に全力で働く。うまそうな韓国料理の写真がLINEで送られてきた。なんなんだ。昼で仕事を切り上げ。拝島駅近くのVINTAGE MEMORYにて、チーズナンセット。マトンとレンズ豆。食後は毎朝ウォーキングしているルートで帰宅。昼の鴨ウォッチングも良い。U-NEXT『THE LAST OF US』E8を見る。なんとアリ・アッバシ監督回。小学校へ行き、ひとつ書類をチェックしてサイン。これのための午後半休。U-NEXT『イエローストーン』S1E2を見る。「枕に刺繍しておかないと」って台詞、この前見た『ベター・コール・ソウル』にも出てきたな。アメリカの定番なんでしょうね。夕方から娘は塾へ。お疲れ様です。とゆうわけで僕はMOVIX昭島へ。『フェイブルマンズ』鑑賞。途中でお腹が痛くなってしまったが、これは一場面も見逃せない、という気持ちで我慢して観る。観終わってトイレにかけこんだ。たぶんお昼に食べたチーズナンなんだよなぁ。僕はある種のチーズを一定量を以上食べると腹をくだすことがあるんですよ。とくに映画観る前は気をつけないとな。帰宅してからWOWOWオンデマンド『バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』を見る。『タイタニック』について語るスペースには作品を見直してないので参加できなかったけど、二次会的なclubhouseにだけちょっと参加。古畑クイズが面白かったですね。酢豚弁当食べたい。
■2023/3/7 火曜日。なんだかひじょーに忙しい。お昼は丸亀製麺にて、かけ並と子持ちししゃも天。本日から値上げの丸亀、しかたないですね。午後のMeetingで使う資料の作成がぎりぎり。忙しいといろいろがぎりぎりになりしんどい。僕モテメルマガの原稿送付も帰宅してからになってしまった。そして夜はラロッカさんとDiggin' Netflix収録。音源の編集をやる。雑談clubhouseでちょっと話す。最後は古畑クイズでした。
■2023/3/8 水曜日。ちょっと寝坊。昨夜編集したDiggin' U-NEXTを配信。配信できていない音源がたまってきてしまった。Disney+の『デアデビル』新作にパニッシャー(ジョン・バーンサル)出演の報道。それは嬉しいがどうやらカレンとフォギーは出ないらしい。マジかよ。とくにフォギー。。お昼はマクドナルドの瀬戸内レモンタルタルベーコンてりたま。僕はあまりてりたま好きじゃないのですが、これはレモンがいい感じ。東映シアターオンライン(YouTube)『ビューティ・ペア 真赤な青春』を見る。すごい映画があるもんですね。U-NEXT『イエローストーン』S1E3を見る。仕事終わりで立川へ。はなまるうどんにて、ごま坦々うどん(小)+細筍天、とり天。Disney+『マンダロリアン』S3E2を見る。kino cinéma 立川高島屋S.C.館にて『逆転のトライアングル』観賞。帰りにclubhouseでLukeさんたちが『マンダロリアン』感想回をやっていたので聴きながら帰る。勉強になります。
■2023/3/9 木曜日。めちゃくちゃくしゃみが出る。今日は夜まで寒くないみたいなので上着なしで出かける。本当に暖かい。お昼は丸亀製麺にて、うま辛坦々うどんとかしわ天。U-NEXT『イエローストーン』S1E4を見る。仕事帰りに重い腰をあげてついに予約をしようと自宅最寄り駅の歯医者に行ったら臨時休の張り紙が。なんだよなんだよ。帰宅してからAmazon Prime Video『ダイ・ハート』を見る。clubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E9を見る。キム、優しいな。そして油断をしてたら僕までソウルのCMのネタをやらされることに。すいません、難しいですね。さらにラフランスさんに呼び出されてclubhouseにて最近見た映画、ドラマの話を短時間で集中して話す。こうゆうのもいいですね。
■2023/3/10 金曜日。今日は午後半休をとるので午前中がんばって働く。昼で仕事を切り上げ下北沢へ向かう。みん亭でお昼を食べたかったけど2組ぐらい店の外に並んでいたのであきらめ。最近ホントにいつでも並んでる感じになっちゃったなぁ。代打で般゚若へ。ベジまめササミカツカレー(中辛)を食べる。ナイロン100℃ 48th SESSION『Don't freak out』観劇@スズナリ。観劇好きになって20年近くになるけど、スズナリでナイロンを観るのは初。座席も極限レベルまで入れていてすごい密度。そして熱気でした。あとからTwitterをチェックしたら西田尚美さんも同回を観てたみたい。気づかなかった。吉祥寺へ移動。シナボンにて、ミニいちごチョコボン。おやつ。U-NEXTで『シャザム!』を見る。吹替で見たのですが、主人公の少年の吹替が緒方恵美で、彼がウジウジしてるときの声が抜群に合っている。吉祥寺をぶらぶら。Lucky Rocky Chickenにて、オリジナルチキンとクラフトコーラ。僕のチキン食べたい欲は満たされた。クリスピー感強い。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E4を見る。ジャック、最初にする質問が頭髪のこと。まぁ気になるよね。そして面白いエピソードでした。東中野へ移動。『劇場版 センキョナンデス』観賞@ポレポレ東中野。お芝居観たり映画館観たり美味しいもの食べたりで良い午後半休だったな。Apple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E8を見る。Fun Dips食べたい。U-NEXT「イエローストーン』S1E5を見る。
■2023/3/11 土曜日。娘は明日の塾の試験のためにがっつり勉強する日とのこと。お父さんはがっつり家で映画を見ますかね。Amazon Prime Video『彼女を面影』を見る。お昼はパスタ。娘が残した分まで食べたら腹ぱんぱん。運動がてら自転車で図書館へ。娘の本を借りたり返したり。DVDで『紅の豚』と『ハウルの動く城』を見る。DVDで見てもとても面白いジブリ。WOWOWオンデマンド『ブラックボックス:音声分析捜査』を見る。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E10を見る。これでシーズン4完走。『ブレイキングバッド』に近づいてきてる。Netflix『劇場版 ほんとうにあった怖い話 ~事故物件芸人~』を見る。
■2023/3/12 日曜日。ちょっと花粉がおさまってきたかな。気のせいかな。飲んでるアレルギーの薬がきいてきたのかな。Netflix『ちひろさん』を見る。劇場鑑賞に続いて2度目。昼を食べてから娘は塾の試験へ。がんばれー。僕は飛田給へ向かう。移動しながらNetflix『ベター・コール・ソウル』S5E1を見る。いやーE1から面白い。ガスVSラロ・サラマンカの攻防。ソウルは話がのってくると「バーン!」ってやつ入れるの好きなんだな。何回も云ってる。ロバート・フォスター出た、と思ったらラストで追悼メッセージ。FC東京×横浜FC @味スタ。調べたら2019年の浦和戦以来となる味スタ。しかも勝利。ディエゴの2得点、仲川のFC東京初得点。嬉しい。スウォビィクのスーパーセーブが3本ぐらいありましたけどね。帰り、八王子でホワイトデー的なやつを買っておく。最寄り駅まできて駅近の歯医者で治療の予約。なんと翌日の予約が取れた。帰宅してからNetflix『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』を見る。WOWOWオンデマンド『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見る。DAZNでU-20のアジアカップの準々決勝日本×ヨルダンを見る。ハーフタイ��で『シン・仮面ライダー』のチケ取りも忘れない。
■2023/3/13 月曜日。風が強い小雨。ウォーキングはあきらめて最寄り駅から電車に乗る。アカデミー賞受賞式の月曜だけど、いつもより忙しい午前中。なぜなら先週の金曜に午後半休を取ったからだな。アカデミー賞がTwitter上でしか追えない。Meetingも二つあるし。そうだ、去年までの3年間は在宅だったから普通にWOWOWの放送(配信)を横目に見ながら仕事してたもんな。個人的にはオフィスでの仕事の方が集中できてよいのですが在宅も楽しかったですね。今日から日本ではマスクをするかどうかは個人の判断にまかせます、的なモードに移行するってことですが、僕が務めている会社ではマスク継続、と正式にアナウンスされた。まぁそれでいいと思います。決めてくれた方がやりやすい。お昼は雨の中マクドナルドへ。シャカシャカポテトの梅のり塩。U-NEXT『THE LAST OF US』E9を見る。これでシーズン1完走。まだ何も云えないですけど良い最終回でしたね。アリ・アッバシ、前のエピソードよりこっちの方が良かったです。あと僕もキリンに餌あげたことあります。アカデミー賞の結果、A24とNetflixが力を見せつけた結果でしたね。受賞予想にはまったく興味ない(だってみんな受賞予想の情報を見て予想するだけなんだもの)ですが、スピーチとか見るのは好きなので字幕版で後ほど見ます。仕事を早めに切り上げ歯医者へ。もう数年ぶりの歯医者。詰め物が取れてしまっていて、痛くないからまぁいいやと思っていたら口腔外科の先生に怒られたのでしぶしぶ。心配していたのは手術の影響で僕の口が大きくあけられないこと。歯医者に行くと必ず「口を大きくあけてください」って云われるじゃないですか。まずあれができない。なので担当の歯科医に僕の病気と手術後の状態のことを丁寧に説明。が、さすが歯科医であっさり理解してくれた。口のあきぐあいについても、なんとか治療していきます、とのこと。あー良かった。今日はレントゲン撮ったり、仮の詰め物をして終了。これで口腔外科の先生に怒られないですむぞ。昭島へ。Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E2を見る。ナチョ、今度はガスに脅される。つらいなー。クレイジーエイトの由来がわかったり。エレベーターのくだりは実にソウルらしい。「ウソだろー」とか云ってたけど、見てるこっちが云いたいですよ。MOVIX昭島にて『Winny』鑑賞。帰りながらラロッカさんのジブリスペースに参加。もうラロッカさんが好きな作品かどうかでだいぶ扱いが変わってくるジブリ会。帰宅してそのまま参加し続け、終わったらもう25時。シャワー浴びて、なんとか音源編集を1本だけやって寝る。眠い。
■2023/3/14 ホワイトデーな火曜日。今年、娘からはチョコもらってないけどお返しはほしいというので僕チョイスのお菓子の詰め合わせをあげる。若干納得がいかない。お昼は丸亀製麺でカレーうどん並とジャンポカニカマ天と細竹天。ダウ90000の公演、先行で当選。楽しみだ。帰宅してからNetflix『ベター・コール・ソウル』S5E3を見る。さらなる『ブレイキング・バッド』キャストが登場。こういう回はクレジットがOPには出なくて、EDロールにだけ出るのを『ベター・コール・ソウル』は徹底していて素晴らしい。DVDにて『リバティ・バランスを射った男』を見る。なるほどね。財布の中のレシートを捨てていたら、何を買ったのかわからないレシートを発券。店名(?)は「エームサービス」、商品名はよくわからない英数字の羅列、価格は400円、日時は昨日の昼12時45分。なんだろう、何を買ったのか。昨日の昼はマクドナルドに行ったはずだ。他に何かを買った記憶がない。ぼんやりと考えながら過ごしていてやったとわかった。さて、これは何か買ったレシートだったのでしょう?ヒントは前日の僕の行動を思い出してみてください。答えは明日の日記で。ロン畑任三郎でした。
■2023/3/15 水曜日。なんだかとっても眠いんだ。ついつい二度寝してしまいますね。朝ウォーキング途中のファミマでダウ90000のチケット振り込み。7000円ぐらい。本多ですけどけっこうな金額になったな。まぁしょうがない。お昼はマクドナルドにて、シャカシャカポテトにんにく黒胡椒マヨ味シーズニングを試す。こちらもなかなか良い。Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E4を見る。これも見どころありまくりの回。冒頭でソウルが何を探していたのか。エピソードタイトルの意味。ガスのパート、二つの場面が並行して描かれるうまさ。あと暗渠は英語でculvert、覚えました。仕事終わりで昭島へ。Disney+『マンダロリアン』S3E3を見る。リー・アイザック・チョン監督回。すき家にて、麻辣やきとり丼を食べる。スタバにて、スターバックス コーラ フラペチーノを飲む。MOVIX昭島にて『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』観賞。2回目。初見も面白く観たのですが、世間の評価があまりに真っ二つ。絶賛している人たちもぼんやりしたことしか云ってないのでよくわからなかったのですが、自分が何か見逃しているんじゃないかと思って再観賞。2回目なので作品が描こうとしている部分はよりわかったけど、映画の印象は初見とあまり変わらず。大きく見逃している要素はなかったようだ。さて、前日の日記に書いた「謎のレシート事件」の回答編です。答えは会社の売店で購入した「歯ブラシセット」でした。歯医者に行く前に歯を磨いておく必要があって購入したのをすっかり忘れておりました。なんでこんなのを忘れてしまうのかしらん。
■2023/3/16 木曜日。朝から八王子の病院へ。朝食食べずに向かったので腹ペコ。早めの時間からレントゲンだけ撮影してもらって診察。意外に待ち時間なし。病院の待ち時間だけで読んでいる本がぜんぜん進まなかった。10時半には出社できたのでフレックスで吸収。お昼にNetflix『ベター・コール・ソウル』S5E5を見る。立ち退きを拒むアッカーさん。フォルムがポテトヘッドに似てますよね。仕事終わりで松屋にて、富士山豆腐の本格麻婆めしを食べる。これホントに美味しい。MCTOS『ちひろさん』回に参加。どうしても漫画原作ものはそれとの比較の話が出てきちゃいますね。来月のお題は『キル・ボクスン』みたいですよ。
■2023/3/17 金曜日。朝ウォーキング途中でコンビニに寄りキン肉マンジャンプを買おうとしたら売ってない。拝島駅構内の書店で見つけGET。新しいアニメ化が発表されましたが楽しみですね。午前中だけ働き午後半休で吉祥寺へ。おにやんまで温かいかけ並とゲソ天。UPLINK吉祥寺で『メグレと若い女の死』鑑賞。これで今年の劇場鑑賞回数が50回に到達。のはず。去年よりちょっと早いペース。これなら上半期で100本いくはず。という皮算用。さとうでメンチを買って、食パンにはさんで食べる@井の頭公演。これたまにやる贅沢なやつ。雨降らないで良かった。立川へ移動。夜に収録する映画感想を考えてなかったのでPCを開いて考える。ぎりぎりすぎるな。シネマツーで『シン・仮面ライダー』全国最速公開 舞台挨拶の生中継付き回で鑑賞。ライダーカードは仮面ライダーとルリ子でした。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E5を見る。イシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。もう1本映画を見てたけど眠さの限界がきて最後まで見るのをあきらめて寝る。
■2023/3/18 土曜日。うわー8時半まで寝てしまった。朝ごはんを食べていたら中尾ちひろさんのツイキャスがはじまり見る。バンドで参加予定だったLIVEが雨天中止となり、でもバンドで集まったからリハーサル的なやつを1時間ほど聴けて贅沢。とゆうわけで雨である。娘は今日も塾の試験に行くとのこと。僕は一日集中して家で映画を見よう。U-NEXT『地球に落ちて来た男』を見る。Netflix『僕の人生に追いつくとき』を見る。DAZNで名古屋×FC東京戦を見る。ドロー。Netflix『ウィー・ラブ・ア・ゴースト』を見る。U-NEXT『テリファー』を見る。clubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E6を見る。やっぱ撮影チーム出てくると面白い。イシヤマさんが『別れる決心』を観たってことでラフランスさんと3人でclubhouseにて話す。まぁ『別れる決心』の話からは脱線しまくり27時ぐらいまで駄話。まぁこういう時間が実は大切なんだ、ということを『イニシェリン島の精霊』の話に絡めてしようかと思ったら二人とも見事に観ていなかった。
■2023/3/19 日曜日。今日も基本的に家でのんびり過ごす。午前中のうちに昭島の図書館に行って娘の本を借りたり返したり。昭島の丸亀製麺でテイクアウト。梅おろしぶっかけうどん弁当。U-NEXT『BODIES BODIES BODIES ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』を見る。新世代の嵐の山荘ものとも云えるA24作品。ひとりPodcastをやっている登場人物が、番組の文句を云われてぶち切れるとこが面白い。Amazon Prime Video『007 ロシアより愛をこめて』を見る。午後から妻が不在だったので娘がのびのびしている。娘が好きな部屋にお菓子を隠して探すやつをやって遊ぶ。ヒントのメモとか作ってやるのだけど、そういうの作るレベルが上がってきていてお父さんも楽しいぞ。U-NEXT『MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』を見る。U-NEXT『GLIDE』を見る。apple tv+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E9を見る。日付変わって『キン肉マン』のエピソードが更新されたけど、バッファローマン勝てる気しないな。でも頑張ってほしい。
■2023/3/20 月曜日。妻が不在なので娘をたたき起こすため絶対寝坊はできない。なんとか起きられてホッとしました。がしかし腰が痛し。もともと(骨に異常があり)腰は痛いのですが、たまにレベルの違う痛さがくるのですがそれです。痛み止めを飲んでも痛い。慎重に行動しないと。お昼はマクドナルドでU-NEXT『イエローストーン』S1E6を見る。午後も腰がけっこうやばい感じ。鎮痛剤を追加で飲む。仕事終わりで昭島へ。コリアンキッチン シジャン 昭島モリタウン店にて、チーズラッポギ。Apple TV+『エクストラポレーションズ:すぐそこにある未来』E1を見る。MOVIX昭島にて『シャザム!~神々の怒り~』観賞。いやー腰の痛みがヤバいかもしれない。映画館の座席から立つ時めちゃくちゃ痛かった。帰り、clubhouseでラフランスさんとLukeさんが話していたのでちょっと参加。コヨイチ企画会議みたいに。
■2023/3/21 祝日の火曜日。休みの日ですがきっちり起きて朝からU-NEXT『イエローストーン』E7を見る。僕以外の家族は起きてこない。自転車で昭島図書館へ。娘の本を借りたり返したり。腰が痛いので気をつけながらの自転車である。こわい。U-NEXT『ベイビーわるきゅーれ』を見る。WBC準決勝も見る。にわかで申し訳ないですけど祝日にこんなの見せてくれるなんて最高ですね。メキシコの選手たちがすっごい楽しそうなのも良い。お昼を食べてから下高井戸へ。映画のチケットを買ってからぶらぶら。桜がとても良い感じで咲いている。その下でApple TV+『エクストラポレーションズ:すぐそこにある未来』E2を見る。下高井戸シネマにて『あのこと』鑑賞。再鑑賞です。藤元組FSCのイベント、シアター遠足ってことでこの映画をいっしょに観たあと、藤元明緒監督も参加で感想会@中華料理屋。藤元監督の映画監督目線の感想になるほど、と。あと藤元組の撮影でおなじみの岸建太朗さんも来られていたので『Winny』の話もたくさん聴けたし感想も話すことができました。こういう機会は嬉しい。帰宅してからU-NEXT『グリーンバレット 最強殺し屋伝説国岡[合宿編]』を見る。これも劇場鑑賞以来の2度目ですが、やっぱ鹿目ちゃんがかわいい。
■2023/3/22 水曜日。まだまだ腰が痛いです。朝ウォーキングもゆっくり目。ちょっと早めの昼休憩に出てWBC決勝をAmazonPrimeVideoで見る。いやー凄い。これ僕でも興奮しちゃうんだから野球好きな人たちとか大興奮でしょうね。マクドナルドにて、いちご大福パイを食べる。おいしい。仕事帰りにDisney+『マンダロリアン』S3E4を見る。今回も面白い。マンダロリアンの食事、めんどくさいな。アクションの場面でズームになるやつが熱い。Netflix『男はつらいよ 葛飾立志篇』を見る。中断していた寅さんをまた見ていきたい。前半の隠し子騒動の顛末に声出して笑ってしまう。clubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E7同時視聴に参加。がってん承知。U-NEXT『イエローストーン』S1E8を見る。東映シアターオンライン(YouTube)にて『東京アンタッチャブル』を見る。
■2023/3/23 雨の木曜日。朝ウォーキングは断念だ。腰の痛み、深刻な状態は脱した感じ。油断しちゃダメだけどとりあえずホッとしています。U-NEXT『イエローストーン』S1E9を見る。これでシーズン1を完走。普通だと悪役になりそうな側が主人公なんですよね。牧場の土地をめぐる争いはまだまだ続きそうだ。お昼はサイゼリヤのランチ。ハンバーグの上にのっているはずの目玉焼きがほうれん草に変更されている。深刻なたまご不足。まぁサイゼリヤのランチ500円なんでなんも文句云えないですが。中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。昨日『男はつらいよ』を一作見て、次のタイトルは何かなぁと検索しようとしたらNetflixに出てこない。えええ。Netflixの配信は終了したのだろうか。そうなると僕が昨日見たのはすごいタイミングだったのかもしれない。てゆー���次作から見れないのかよ、と一瞬あせったけどU-NEXTにありました。さすがU-NEXT。仕事終わりで吉祥寺へ。譚仔三哥(タムジャイサムゴー)にて、お得な夜のセット。しびれる。Apple TV+『エクストラポレーションズ:すぐそこにある未来』E3を見る。UPLINK吉祥寺で『別れる決心』観賞。昨年の先行上映で観た以来となる2回目。見直せて良かった。clubhouseでラフランスさん、Lukeさん、Yuさんが話していたので聴いてみたら映画の余韻がぶっとびました。いやーくだらないこと考えるスピード、マネできない。
■2023/3/24 金曜日。朝から暖かい。桜もがっつり咲いていますね。お昼は丸亀製麺でかけ並とジャンボカニカマ天。今月はうどん札10枚に届きそうにない。U-NEXT『イエローストーン』S2E1を見る。長年関係部署で働いていたパートさんのお別れセレモニー的なのに出る。僕より長く働いている方ですが、おそらく65歳で契約終了ってことなのでしょう。ぜんぜんそんな年齢に見えない。お疲れさまでした。仕事終わりで立川へ。松屋にて、牛バラ焼定食。Abemaでサッカー日本代表×ウルグアイの試合を見る。映画の時間ギリギリまで試合を見ていたがラスト30分ぐらいは断念。シネマシティで『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』鑑賞。帰りながらAbemaでサッカーの残りを見る。便利な時代になったもんだ。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E6を見る。やや強引ですがメンバーが大集結してきたー。
■2023/3/25 雨の土曜日。あー雨はこまるよ。午前中から娘と実家へ遊びに行く。お昼はスシロー、お腹いっぱい。午後は実家の車を借りて散髪へ。さっぱり。車を借りたのでついでに図書館へ行き、娘の本を借りたり返したり。U-NEXT『イエローストーン』S2E2を見る。夕飯までご馳走になり帰宅。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E8同時視聴に参加。マイクがかっこいい回でした。さらにclubhouseにてイシヤマさん、ラフランスさんとPodcast企画会議みたいな部屋で話す。まぁ半分以上駄話。深夜2.5時まで。
■2023/3/26 日曜日。朝一から歯医者へ。口を大きく開けられないので治療してもらうのもなかなか大変。娘は今日から春期講習。お疲れ様です。お昼は、マルちゃんZUBAAAN!濃厚味噌。東京ポッド許可局でうまいうまいと云っていたので食べてみたらうまかった。午後は新宿へ。藤元組FSCのお花見、はあいにくの天気でできなかったのでみんなでベトナム料理食べながらいろいろお話を聞く。まるゆさんも来てた。藤元監督の準備中の新作や、海外上映の話などを聞く。あと『サッドティー』でおなじみの永井ちひろさんが来てたのでお話しできた。僕とかまるゆさんにとっては今泉監督や入江監督の作品でおなじみの女優さんではある。僕らの日本映画チェックしてるレベルに驚かれる。たぶん僕らが普通ではない。しかしベトナム料理いろいろ食べれて美味しかったー。U-NEXT『サイコハウス 血を誘う家』を見る。U-NEXT『イエローストーン』S2E3を見る。U-NEXT『エスター』を見る。けんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。収録終わってから無駄に漫画の話とかしちゃう。めずらしく頭痛があったので倒れるように寝る。
■2023/3/27 月曜日。昨夜きつかった頭痛は朝にはおさまっていてホッとする。お昼はマクドナルドでハッピーセット食べながら中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。帰宅しながらU-NEXT『イエローストーン』S2E4を見る。夕飯はZUBAAAN!濃厚味噌。連日。これはいい袋麺ですよねー。U-NEXT『メタモルフォーゼ/変身』を見る。僕モテの原稿書きながらclubhouse、『フェイブルマンズ』を見たラフランスさんと感想回。
■2023/3/28 雨の火曜日。朝ウォーキングは断念だ。お昼になっ��もまだ雨。しかも寒い。丸亀製麺にて、かけ並とジャンボカニカマ天。U-NEXT『イエローストーン』S2E5を見る。帰宅してからサッカー日本代表×コロンビアの試合をTVで見る。カシーフの代表デビュー戦。これをきっかけにさらに成長してほしい。DVD『バルタザールどこへ行く』を見る。娘の寝相を見がてらごろんとしていたら自分も寝てしまった。不覚。
■2023/3/29 水曜日。昨夜寝るつもりなかった時間に寝てしまったので7時間ぐらい寝たかも。お昼はOKで買った油淋鶏を会社の近所の公園で食べる。税込322円はとても安い。週に何回かOKで弁当を買うことでランチ代をセーブしていかなけば。それぐらい物価が上がってますよね。U-NEXT『イエローストーン』S2E6を見る。Apple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E10を見る。これで完走。ハリソン・フォードがドラマに出るってことで見てみましたけどまぁまぁでしたかね。仕事終わりで池袋へ。肉汁うどん奥村にて、黒カレー肉汁うどん(あつもり)と野菜天。カレーもなかなかうまい。野菜天はピーマンが出てきたのでハズレだったなぁ。『三茶のポルターガイスト』鑑賞@池袋シネマ・ロサ。帰宅しながらラロッカさんがやってた『ブラッシュアップライフ』のスペースを聴く。僕がこのドラマですごいと思ったポイントと、設定上の謎についても話す。帰宅したあと録画したテレビ番組を横になりながら見ていたがいつのまにか寝てしまったようだ。
■2023/3/30 木曜日。ラジオ(radiko)を聴くのがぜんぜん追いつかない。日々の時間って圧倒的に足りないですよね。出社したら会社からメールがきていて、所属している部署の勤続25周年ありがとう、というレターであった。僕は入社してからずっと同じ部署にいるので会社の勤続年数がイコールである。しかしレターのみか。たしか昔はこうゆうアニバーサリーイヤーの際は長い休みがもらえたりお金がもらえたりしていたと聞いている。その頃を経験したかったなぁ。お昼はOKの肉旨!メンチカツ明太弁当。安い。U-NEXT『イエローストーン』S2E7を見る。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E9を見る。二つ前のエピソードで疑問だった部分なんかが回収される要素があって、僕はこういうの好きです。さらにスピルバーグについて話したくてたまらないラフランスさんにclubhouseに召喚されて話す。いつのまにか平成仮面ライダーの話になっていたり、またスピルバーグの話に戻ったりで深夜2.5時まで。ちなみに僕が見た平成ライダーは電王、ディケイド、W、オーズ、フォーゼぐらいです。
■2023/3/31 金曜日。朝ウォーキング中に撮影できるカモがぜんぜんいなくてさみしい。午前中、ひじょーに集中して仕事。マシンと化した感じ。お昼はOKの塩唐のり明太弁当。安い。U-NEXT『イエローストーン』S2E8を見る。仕事終わりで昭島へ。MOVIX昭島にて『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』鑑賞。初日舞台挨拶の全国同時生中継ライブヒューイング回で。松屋にてプーパッポンカレーを食べる。家に向かいながら『ネメシス』のパンフ買うの忘れたことに気づく。日曜に映画館に行ったら買おう。帰宅してからU-NEXTで『ジョーズ』を見る。なんだかすっごい眠くてそのまま寝てしまった。そんな感じで3月も終わり。
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ophelia333k · 1 year
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2023年5月27日 相米慎二、ニヒリズム、繰り返し
 朝、頭がぐるぐると回転する変な虫が部屋の中を歩いていて、その虫を追いかけていたら、いつのまにかその虫が黄色っぽい縞模様の猫に変わっていて、その猫を部屋から締め出そうとするものの、液体のようになって入り込んでくる、という夢を見た。
 ***
 相米慎二の「夏の庭 The Friends」を見た。相米慎二の映画を見るのは「台風クラブ」、「お引越し」に続いて三作目。「夏の庭 The Friends」は湯本香樹実の同名の小説が原作であることもあり、ストーリーは分かりやすく、相米作品としては比較的マイルド(?)な印象を受けた。
「お葬式どうやった? 面白かった?」
 と聞く子供に対して、別の子供が「面白いわけないやろ、人が死んでんねんで」、「お葬式は、ただのお葬式やった。ほんで、人は死ぬと焼かれるねん」と答える。
 死に興味を持った子どもたちは、ボロボロの家屋に一人で住む老人をのぞき見して、死ぬところを見ようとするものの、結果として、その孤独な老人との交流が始まり……。あと、言うべきこととしては、商業施設の柵みたいなところを歩いていくときのカットが好きだった。あとは、夏休みの生命力に溢れる雑草たちの香り。
 
 「台風クラブ」「お引越し」でもそうだったけれど、相米作品の子供の描き方は、徹底して子供視点な感じがしていい。まったく同じ場所(たとえば学校、住宅街)でも、大人が見る世界と子供が見る世界は根本的に異なっている。
 
 ただし、今回の「夏の庭」の場合は、「台風クラブ」等の作品ほど子供の側の視点が徹底されているわけではなく、いくらか大人の視点も描かれる(その意味で、「台風クラブ」はほんとうに、徹底して子供の側から見た世界なのがよくて、あの「遊び」性の火花みたいなもので、心がヒリヒリと焼かれるような感覚がある)。
 
 「遊び」性という意味では北野武の『ソナチネ』も間違いなくそうで、沖縄で次々と殺されていくヤクザたちが海岸で花火をするときの、あの一瞬の遊びにだけすべてが賭けられている感じ。あえて「台風クラブ」と比べるのなら、子供の場合は、見ている世界すべてを「遊び」へと転化することができる(たとえば「台風」)ものの、大人の場合はそう簡単にはいかず、しかし、生と死が入り混じったような特殊なあの沖縄の海岸ではそれが偶発的に起きる、と言ってみることもできる。
 
 ***
 
 思考を分節する能力が低いので、自分の悩みをほとんど切り分けられていないし、それぞれの悩みの優先順位や重要性などの整理が一切できていないので、「悩みは何ですか?」と聞かれても、どれが自分にとって話すべき悩みなのか分からない、みたいなことがよくある(というツイートをした)。
 
 表層的かつ重要なことを挙げれば「お金」の悩みというのはあって、考えている時間はかなり長い。自販機でジュースを買うとか本を買うとか映画を見るとか薬をもらうとか、自由に移動するとかそういうことができない、という不便さはあるものの、日本で生きている限り、衣食住をすべて失う、みたいなことにはならないので、「どうにもならない」という線を超えないという保証はある。
 
 もう少し内面的なところで言うのなら、すべてがむなしい、すべてに等しく価値がない、というある種のニヒリズムが完全に身体化されていること。別に、単なる思想や思弁として考えているだけならよいのだけど、身体感覚としてすべてに等しく価値がなく、むなしい、ということが刻まれている以上、どうすればよいのだろう。
 
 生きることにも働くことにもキャリアアップすること��も等しく価値はない、ということはずっと前からこの身体に刻まれていたことだったけれど、それでも、文学や芸術だけは特権的に価値を持っていた。人生には価値も意味もないものの、文学や芸術にはある種、特権的な価値があった。
 
 でも、今はその文学や芸術という特権的な価値すらも揺らいでいて、なぜなら、文学にしろ芸術にしろ、社会とは根本的に異なった原理で動いているわけではなく、たとえば会社や学会やスポーツがそうであるように、何らかのゲームのルールに従って価値が生じているだけだから、という感覚に抗えなくなってきたからかもしれない。
 
 サッカーはサッカーというゲームのルールに従って勝ち負けが決まるし、会社は会社というゲームのルールに従って運動し、勝ち負けが決まったり、価値が定められる。同様にして学会(あらゆる学問)であれば学会というゲームのルールに従って価値が定められ、結局のところ、芸術や文学においてもそれは変わらない。文壇、というほど固定的なシステムは解体されつつあるとはいっても、文学というゲームの内部の権力関係やルールに従って価値が定められる。
 
 だから、すべては単に既存のゲームのルールに従って上手くやる、ということでしかない。もちろん、芸術や文学の場合、ゲームのルールそのものを変更できるわけで、それは一つの光なのかもしれないけれど、それでもやっぱり虚しいな、と思う。
 
 ただ、この話はある意味当たり前のことでもあるし、すべてのことに等しく意味も価値がなくたって別にただそれだけの話なのだけど、問題なのはそうなると、この世界が根本的に無根拠で底のない、得体のしれないものとして見えてくる、感じられているということで、そのとき、意味を持たない、無根拠な世界が自分の中へと浸透してくるような怖さ、こわさ、を感じる。
 
 たぶん、自分の場合には離人症(depersonalization/derealization)の問題もその背後にある気がしていて、どうすればよいのだろう、という感じ。更に言えば、物事の「内側」に入ることができず、常に外側から眺めてしまうということに対して、唯一そうではない状態として眠剤の時間がある。
 
 離人症については、その起源がいつなんだろうと思って調べた(というより、英語版のWikipediaを見た)ことがあって、英語版wikipediaによるのなら、Henri-Frédéric Amielというスイスの哲学者・詩人が1880年に
 
「私は自分自身の存在を、あたかも墓の向こう側、別の世界から来たかのように感じています。私にとってはすべてが奇妙だ。いわば、私は自分の身体や個性の外側にいます。私は人間性を失い、孤立し、漂流しています。これは狂気ですか?」(I find myself regarding existence as though from beyond the tomb, from another world; all is strange to me; I am, as it were, outside my own body and individuality; I am depersonalized, detached, cut adrift. Is this madness?)
 
 と書いていることが一つの起源みたいで、離人症(Depersonalization)という言葉が初めて使われたのは、1898年にudovic Dugasが臨床用語として使った時らしい。
 (離人症の歴史については、Depersonalization: A conceptual historyという論文が詳しいです)。
 
 英語版のwikipediaを読むのはけっこう楽しくて、他にも「Existential crisis(存在の危機)」や、「Ethereal wave(エーテルの波)」のページを見たりしていた。
 ***
 ここまでで3000文字くらいだから、少し書きすぎてしまった。今は午前4時20分で、外は暗いのに、鳥のさえずりが聞こえてくる。
 いまは筒井康隆の『脱走と追跡のサンバ』を読んでいるけれど、これを読み終えたら村田紗耶香の『地球星人』を読みたい。あとは何だろう、とりあえずの目標は何とかしてお金を集めて、薬をもらうことかもしれない。
 最後に、いま聴いている音楽は、ある種のポエトリーリーディングである「ポストずんだロックなのだ」という曲。そこにはすでに自分の中では壊れているはずなのに、何事もなく繰り返し、リフレインされ続ける日常の平坦さ、世界の恒常性みたいなものが歌われていて、ポエトリーリーディングであることの強さみたいなものを感じる。
 
 
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近���コロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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tanakadntt · 1 year
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三輪隊の小説(二次創作)
四畳半にいらっしゃい
狭い。
狭いですよね、四畳半。
すみません。
ここにお客様を通したおれ、間違ってたと古寺章平は思う。特に、背の高い彼の場合は。
「奥寺を頼むな」
B級部隊隊長、東春秋はにこりと微笑んだ。
ここは、三輪隊作戦室の奥にある四畳半ほどのスペースである。部隊に与えられた部屋は自由にやりくりしてよいのだが、三輪隊の場合、その狭いスペースに畳を敷いて使っている。用途は主にお茶をすること、靴を脱いでリラックスすることである。
おそらく間取りの帳尻を合わせるように作った狭小空間は本来使いづらく、いわば『浮いた』スペースなのだが、三輪隊においては、これが意外と役に立っていた。睡眠時間の不規則な三輪秀次がタオルケットをかぶって寝ている時もあれば、米屋陽介がタブレットを片手にゴロゴロしている時もある。奈良坂透がぼんやりと考え事をしている時もあるし、月見蓮が楽しそうに部屋に飾る絵画や花瓶を見立てている時もあった。古寺は古寺で、ふとした瞬間に彼らのそんな姿を垣間見るのが好きだった。
この空間になぜ東隊長を通したのか。
月見蓮がメインになって整えた部屋は小綺麗で品があり、賓客をもてなすのにふさわしいと思えたからだが、古寺にとって心地のよい空間であることも大きな理由である。
今日は、三月十四日で、先日、長期遠征選抜試験の内容が発表されたばかりだ。古寺は試験のために臨時に編成された部隊の隊長を務める。その際、部隊メンバーのひとりに東隊所属の奥寺常幸を選んだのだ。
東の来訪はアポイントのみで、用件には触れられていなかったが、内容は間違いなく奥寺のことであろう。立ち入った話になるかもしれないと大部屋を遠慮したのも理由のひとつだ。
作戦室には三輪と奈良坂が在室していた。米屋は個人ランク戦に出かけている。
「みんな、元気そうだな」
ところが、当然のように三輪、奈良坂も古寺と共に小さな座卓を囲んでいる。正面には東がいる。結果、部屋が狭い。
(先輩方、東さんのこと、好きすぎでしょ)
キリッとしているが、嬉しさの滲み出ている三輪を横目に見ながら思う。奈良坂も妙にウキウキしている。
二人にとって、東は、かたや元隊長、かたや師匠にあたる。
微妙に張り合っている気がしないでもない。もちろん、自分を心配してもくれてるとは思う。思いたい。
「古寺のことは心配していません」
(えー?!)
奈良坂はきっぱりと言う。
「俺もです」
三輪も負けずに宣言する。
(えーえー)
意図はわかる。いや、意図はわかるんですが。もうちょっと。
「そうだな」
東もうなずく。
「俺も奥寺のことは心配していないが、挨拶だけはと思ってな」
「こちらこそよろしくお願いします」
古寺は頭を下げた。用件は本当にそれだけだったらしい。
「しかし、この部屋はのんびりしていいな」
東は窮屈そうなのに、三人を順に見渡してそう言った。
「木虎が世話になるが、よろしく頼むな」
A級部隊隊長、嵐山准が爽やかに微笑んだ。三輪が台所で淹れてきたお茶を座卓に並べている。彼の表情筋が全く動いていない。怖い。スンが過ぎると古寺はハラハラしている。そのまま、一礼して席を外そうとした三輪を奈良坂が目で座れと言っている。
「せっかくだから、三輪も座ってくれ」
気をきかせたのか、嵐山はそう言った。メンタル強者です、嵐山さん。三輪は黙りこくったまま、座った。
今更ながらに、四畳半に通したのはまずかったかと古寺は後悔する。しかし、東さんを通した流れでそうなっちゃったんです、三輪先輩。
三輪が嵐山のことが苦手、苦手と言うより相性が良くない、相性が良くないと言うよりは三輪が一方的に避けているのは知っている。なぜかは知らない。
「こちらこそよろしくお願いします。嵐山隊からは木虎だけが遠征に参加希望なんですね」
遠征に際してのアンケートの内容を思い出しながら聞く。
「ああ、広報部隊の仕事があるにはあるんだが、本人の希望もあるし、経験を積ませてやりたいと思ってな」
ざっくばらんに嵐山が答える。
「そうなんですね···」
そこで話は途切れる。先輩二人の沈黙が重い。しかし、嵐山は平気そうだ。気まずいの、おれだけ?
そう思った時、
「お、嵐山さん、来てたんだ?」
陽介の名に恥じない明るい声が響いた。
「米屋先輩」
「米屋か」
彼は三輪と嵐山の間にどかっと座る。四畳半に十代後半男子が五人。月見が今日は席を外すわねと言った理由がわかった気がした。ぎゅうぎゅうと言っていい。
急に嵐山がクスリと笑った。は?何か文句があるのか?と言った表情で三輪が鋭く目線をあげる。やはり、嵐山はこたえなかった。
「この部屋、忍者屋敷の隠し部屋みたいでいいな」
「三浦のこと、よろしくな」
本日は三月十六日、隊長面接が終わった直後である。
若村麓郎はB級香取隊の攻撃手だ。同じく香取隊の三浦雄太が古寺のチームの一員となる。彼の機動力を買っての選出だった。
香取隊は戦闘員が十七歳と十六歳で構成されている点で三輪隊と似ているチームだ。違うのは、年長者がいないという点とエースである香取葉子がいるという点だ。三輪隊は連携を重視するチーム構成なので、エースはいない。
香取隊の隊長は香取であるはずだが、年上だからか若村麓郎は香取に替わるように古寺に頭を下げた。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
若村も今回の試験で臨時隊長を務める。突然の抜擢に戸惑っているようだったが、上層部の見解として香取隊のようなエースが隊長を兼任している隊は、その役割を分けた方が望ましいとされる。嵐山隊が良い例だ。そのため若村に隊長職を担ってもらいたいのであろうと古寺は推察している。
それじゃあと別れようとした、そのときである。
ピコンと若村のタブレットに通知が入り、画面を見つめた若村の表情がみるみる険しくなった。
「···あいつ」
「どうしました?」
「あ、う、いや」
話を聞けば、香取隊の作戦室に内側からロックがかかったらしい。かけたのは、香取だと言う。若村は入れない。なるほどと古寺は思う。女子が多いチームはこういう苦労があるのか。
「あ、じゃあウチに来ます?」
東さんも嵐山さんも来てくれたことだし、若村先輩もいいだろう。
「あれ? 若村? 章平、休みじゃねえの?」
米屋が的確にツッコミを入れた。三輪隊作戦室である。
「隊長面接の帰りです。若村先輩は挨拶ですかね?」
締め出されたというのは言わなくてもいい気がする。
若村は、米屋、三輪と同じ学年で同じ高校だ。
「三浦のことは俺がわかる範囲で教えたから、大丈夫だろう」
三輪が珍しく気安い。三浦雄太は三輪と同じクラスだった。
「まあ、そうなんだけど」
若村も気安い。
「お茶はペットボトルでいいよな?」
「あ? ああ」
若村はなんでもないように返事をするが、古寺はそれはどうかと慌てた。お客様なのだ。
「いや、おれが淹れますよ」
若村は初めて入る三輪隊作戦室に興味津々だった。台所にもついてくる。
「悪いな」
「せっかくですから」
台所の横には四畳半の部屋がある。
「こんなとこに畳の部屋があるんだ。お、奈良坂いた」
くつろいでいた奈良坂が黙ってうなずく。
「女の子のいないチームっていいな」
「月見さんいるけど」
「あ、そうか。いや、違うよ。こういうとき、挨拶とかしなくていいし」
「しろよ。挨拶しにきたんだろ?」
奈良坂が呆れたような声を出した。
月見ももうすぐ出勤してくる。三輪隊の防衛任務はこれからなのだ。古寺がお茶を出してきたので、畳の部屋に上がり込む。男子三人が入って、もう狭かった。
「三輪先輩、米屋先輩、お茶が入りました」
男子二人がさらに詰め込まれる。
若村はため息をついた。
「のびのびできていいな」
「いや、狭いだろ」
奈良坂の発言に、古寺はそういう意味ではないのでは?と心のなかでツッコミをいれた。
終わり
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myonbl · 1 year
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2023年2月5日(日)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、畑無農薬野菜・平飼い有精卵・特別栽培玄米・地鶏・手打十割蕎麦、加えて今回は手作りパンが届いた。年末に<シュトーレン>をいただいたときにツレアイが美味しいと洩らしたことから、今回また作っていただいたようだ。いずれは自分で小麦を栽培して安全で美味しいパンを焼きたいとのこと、そんなに無理をしないで欲しいのだけれど、美味しいものが届くことは嬉しい限り。奥川さん、いつもありがとうございます。
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今日は全員休み、朝寝を楽しんで6時30分に起床する。
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朝食は昨晩の炊き込みご飯+アオサ汁。
洗濯1回。
奥川ファームから定期便が届く。今夜は鍋、明日は無水チキンカレーに決定。
今日は終日テレビ観戦、まずは女子ジャンプ、高梨沙羅が今季初めての表彰台、おめでとー!。
男子カーリング決勝、軽井沢SCの21歳のスキップが凄い!
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ランチ、息子たちには月見そば。辛い物好きのツレアイは、<チャルメラ宮崎辛麺>という初めての商品を購入、試作してみたが、辛さはイマイチとのことだ。
録画番組視聴。
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テレビ70年記念ドラマ「大河ドラマが生まれた日」
初回放送日: 2023年2月4日
1962年、NHK芸能局の若手アシスタントディレクター山岡(生田斗真)は、局長(中井貴一)に「映画に負けない日本一の大型娯楽時代劇を作れ!」と突然命じられた。山岡と上司の楠田(阿部サダヲ)は大スター佐田啓二(中村七之助)の自宅に日参しテレビドラマ出演を頼みこむもののなかなか返事をもらえなかった。大河ドラマ第一作の「花の生涯」の現場では、画期的な収録方法がどんどん生み出され放送に向け突き進む。
いやぁ、面白い!
女子カーリング決勝、ロコソラーレがさすがの優勝。
軽く町内ウォーキング。
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夕飯、届いたばかりの地鶏と白菜をフィーチャーした鍋、ワインも美味しい。
録画番組視聴。
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カラーでよみがえる!大河ドラマ第1作「花の生涯」
初回放送日: 2023年2月5日
1963年に放送され、のちに大河ドラマとよばれるようになった大型時代劇の記念すべき第1作「花の生涯」。最新のAI技術によってカラーになってよみがえる! 
 激動の幕末を舞台に、攘夷(じょうい)論に反対しあくまでも開国を主張して、桜田門外で果てた大老・井伊直弼。その生涯を謎めいた女性をからませて描いた「花の生涯」。その第1話とクライマックスの「桜田門外の変」の一部を最新のAI技術によってカラー化。懐かしのスターが鮮やかな色彩でよみがえる!さらに時代劇ならではのカラー化の技術と制作舞台裏を阿部サダヲの語りで解説する。
私は小学校中学年、ツレアイは高学年、うろ覚えの私に対して彼女はほとんど明確に覚えていた。
片付け、入浴、体重は昨晩から300g減、まだまだ頑張らねば。
女子ジャンプ、日本人3選手がメダル独占、おめでとー!
明日の夕飯用に、無水地鶏カレー仕込む。
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歩数は少し届かなかったが、余裕で3つのリング完成。水分は1,800ml。
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