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swamppublication · 1 year
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おはようございます☀ 全国刑務官大会・剣道の部の編集版動画を続々公開中! レッツ剣道YouTubeチャンネル&HPをチェックしてみてください🫡 https://youtube.com/playlist?list=PLD0ibaRKPPBsLRS5gOb-kdJZr6xZ9mHgD 全国矯正職員武道大会・剣道の部 結果 優勝 本間建成(広島刑務所) 二位 高田達(青森刑務所) 三位 赤星飛翔(東京拘置所) 三位 山中勇人(京都刑務所) 結果詳細はLET'S KENDOに掲載しています。また、ライブ配信のアーカイブはYouTubeに残しておきます。 ・LET'S KENDO http://www.letskendo.com ・LET'S KENDO YouTube http://www.youtube.com/user/letsKENDO ※ LET'S KENDO SNS ●【Twitter】https://twitter.com/letskendo ●【YouTube】 https://www.youtube.com/user/letsKENDO  ●【インスタ】https://www.instagram.com/letskendo/ ●【Facebook】https://www.facebook.com/LETSKENDO/ ●【LET'S KENDOショップ!】https://letskendo.thebase.in/ ●【LET'S KENDOブログ】http://letskendo.diary.to/ #全国矯正職員武道大会 #全国刑務官柔道剣道大会 #LETSKENDOでは柔道も剣道もライブ配信 #刑務官日本一 #大阪刑務所体育館 #武道 #letskendo #kendo #剣道 #レッツケンドー #YouTube #剣道大会 https://www.instagram.com/p/CmZyZfZhv96/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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4.3. 武臣政権の誕生
問い3:高麗の建国と滅亡について>4. 武臣政権の成立>4.3. 武臣政権の誕生
目次は こちら
4.3. 武臣政権の誕生
 『朝鮮の歴史・新版』の「第四章 高麗の国家と社会」の118ページには、「武臣政権の成立」として朝鮮における武臣政権の成立の様子が次のように記されています。
[1170年8月、毅宗が開城郊外の普賢院に行幸した時、警護に当たっていた武臣が突如文臣を襲って殺戮し、そのあと直ちに都に戻り、軍人と一緒になって王宮内外の多くの文臣を殺すという事件が起こった。いわゆる庚寅の乱である。反乱を計画したのは鄭仲夫・李義方・李高らの武臣であり、彼らは文臣殺害の二日後には毅宗を廃してその弟の明宗を立て、自分たちで政権を掌握した。これがこのあと100年間続く武臣政権のはじまりである。1146年に即位した毅宗は享楽を事とする国王であり、各地に池を掘っては山を築き、多くの別荘を建てた。文臣が毅宗に随行して別荘や寺院をめぐり歩き、王と一緒に游宴を楽しんだのに対して、武臣は警護に動員されるだけでなく、游宴の場において武技を演じさせられ、その際に文臣から屈辱を受けることが少なくなかった。普賢院での文臣殺戮は、武臣の積もりに積もった怒りの爆発であり、また、日頃から別荘築造などの土木工事に動員されるばかりであった軍人が武臣に加担したのも当然のことであった。]
 このようにして、武臣によって文臣は殺戮され尽くされて再起不能となり、その結果として、武臣政権が誕生しました。
 武臣政権では、執権が李高→李義方→李義玟→李鄭仲夫→慶大弁→病没→李義玟→崔忠獻と、かつての同志であった者が殺し合う凄まじい権力闘争を26年間展開しています。
 『韓国の歴史教科書』53ページには「武臣が政権を握る」として『朝鮮の歴史・新版』と異なる次の記述があります。
【武臣たちは長らく続いた差別待遇や、文臣第一の政治に不満を抱いていた。低待遇やさまざまな雑役に苦しめられた下級軍人の不満も大きかった。
 このような支配体制の矛盾により、武臣政変が起こった。鄭仲夫ら武臣は多数の文臣を殺して国王を流罪に処した後、政権を掌握した。武臣は主要な官職を独占しただけではなく、競うように土地や奴婢を増やしていき、それぞれ私兵を育てて権力争奪戦を繰り広げた。崔忠獻が執権すると反対勢力だけでなく社会矛盾に抵抗する農民も弾圧しながら権力を強化し、4代に渡って60年あまりの間権力を世襲した。】
 このように武臣が反乱を起こした理由が、『韓国の歴史教科書』では、「支配体制の矛盾」と記していますが、これは体制の欠陥だと思います。「絶対的な権力は絶対に腐敗する」と言われていますが、中国の王朝の興亡の歴史がこれを示しています。朝鮮の王朝も無意識のうちに、中国の絶対的王権の思想を移入しており、王権は絶対的であり、不可侵であると誰が���めたわけでもなく決まっているようです。この体制は宿命として腐敗して衰亡する運命を持っていることを、歴史が示しています。したがって、この体制は欠陥体制だと思います。しかし、この欠陥は矯正されることなく、李氏朝鮮末期まで引き継がれ、朝鮮に悲劇をもたらした基本的な原因だと思われます。
 さらに、武臣政権初期の凄まじい殺戮の連続の経緯を、『韓国の歴史教科書』は「権力争奪戦を繰り広げた」と単純に述べ、「崔忠獻が執権すると」とこともなげに記されていますので、より詳細にこの間の実情が記された『朝鮮の歴史・新版』の「第四章 高麗の国家と社会」の「第二節 支配体制の動揺」の124ページの「崔氏政権」より引用します。
[1196年、崔忠獻は、李義玟を暗殺すると直ちにその一族を皆殺しにし、続いて李義玟に近い多くの高官を殺害することによって政権を掌握した。政権を握った崔忠獻は、翌97年に明宗を廃して弟の神宗を擁立し、その際に明宗の側近である多くの官僚を朝廷から追放した。
 (中略)
 崔忠獻は、いうことを聞かない者に対しては、肉親や親族でさえも容赦なく殺害し、あるいは流刑に処したが、単に独裁者であることに満足したわけではなかった。(後略)]
 崔忠獻が権力を掌握する過程で、彼の地位を脅かす危険性のある人物を全て殺害するか流刑に処しています。崔忠獻はこのようして60年間も続く崔氏政権の基礎を作りました。しかし、見方を変えると、罪の無い人々を皆殺しにした崔忠獻は、恐ろしい殺人鬼でした。
 武武臣政権の誕生は高麗の身分制度を揺るがしました。これに関して、『朝鮮史1』は「崔氏政権の誕生」の項の235ページで次のように記しています。
[少なくとも、軍事クーデターをともなった武臣の政治進出は、文臣優位の伝統を揺るがし、実力本位の風潮を生んで、良賎の身分秩序をも揺り動かすに至った。李義玟は父が商人、母が寺婢であり、崔竩の母も私婢であった。金俊は父が私奴で、自らも当初は奴隷身分だった。本来、こうした出自の者は、政治的な栄達の道を閉ざされた存在だったが、それが最高権力者の地位にまで昇りつめたのである。]
 崔竩は崔氏政権が4代続いた最後の執権者です。執権者である彼の父が私婢に生ませた子が崔竩です。崔氏政権では奴婢の子が最高権力者に成っています。それは権力者が奴婢である女性に子を生ませ、その子を権力の地位に就けたことが挙げられます。金俊は崔氏政権をクーデターにより倒した人物です。武臣政権の執権者たちは、男女の間には奴婢も貴族も無かったようです。
 このようにして武臣政権で奴婢から最高権力者が誕生した事は高麗の下層民を刺激して、民衆の反乱の引き金になりました。
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lostsidech · 6 years
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3: レディ・バードは飛んでいく(1/2)
 けたたましいベルが鳴るのが聞こえていました。
 恐怖とは、取り除けない死の実感ことだと知ったのはあのときです。そしてその実感が、必ずしも適切な前触れをもってやってくるものだとは限らないことを。
 それは初めて、八歳の私にはほとんど、衝撃のような形で与えられた命題でした。なにせ私は、自分自身が標的にされたのだとほとんど直観的に悟ったのですから。
 こわい、こわい、たすけて。
 おとうさま。
 泣きながら開けた扉から、いっぱいの黒煙が入ってきて悲鳴を上げながら閉じた瞬間のことを私は覚えています。黒い扉に、あれほど願いをかけたことはありません。それはでも、暫時的な砦でした。おそらく廊下に敷かれた簡素なラグをつたって、火の手は着実に床の隙間を舐めていたからです。
 たすけて、おとうさま、たすけて、神さま。たすけて、ニコ。
 私の知る限り、私の味方をしてくれる人を順番に思い浮かべました。だけど私の嫌な予感はとどまることを知りませんでした。お父様も児子も、現場から遠くにいるのを私は事前に見ていたから。
 もうあとは神さまに願うしかありませんでした。そうじゃなければ、男の子たちが好きなフィルムに出てくる、ヒーローか誰か。
 あるいは私自身が、あの頃好きだった少女アニメの王子様。
 どれだってかまわなかったのです。私はそのとき自分を悲しいほど打ち捨てられたように感じていました。ここには誰もいない。私の傍には誰もいない。
 誰でも良かったのです。誰でもいい。
 私を、
 ×××
   Hush a bye baby, on the tree top,
  When the wind blows the cradle will rock;
  When the bow breaks, the cradle will fall,
  And down will come baby, cradle and all.
 ×××
  口ずさむ少女が歩むたびに、奇異の目で見ていた通行人たちがふうっと眠りについていく。
 ある人は受付に座ったままで、ある人は建物の壁で、ある人はその場で崩折れて。少女の周りにはドーム状の不可視の空間ができていた。それは不気味なようでいて、揺り籠のように安らいで、花園のあたたかさに満ちていた。少女の優しい羽が降り注ぎ、触れた人びとが俗世を忘れて寝息を立てているように。
 ばたばたばた、と、ヘリコプターが一台上空を過ぎって離陸する。風が少女の髪を煽る。
 誰も止めない。少女は口元で笑う。すべてが一本の激情に収束する。
  「耳に入れるな、意味を取ろうとするな、っていうのはそう。それと姿も視界に収めないほうがいい」
 息を切らして背中をビルの壁に付けながら、高瀬望夢は早口に言った。
「お前、詩は覚えちゃってるんだっけ?」
「え……いや、」
 翔成もぜえぜえと肩で息をしながら夏のなまぬるい外気に汗を振り払う。
「気になって調べたからモチーフを覚えてるくらいです。全文はさすがに……」
「だけど莉梨の声を聞いたら意味がわかるよな?」
「はい。あれ、そういう洗脳なんですか」
 莉梨と接触したビルの裏手の道を回り込んで移動している。翔成には莉梨の姿は目視できなかったが、感知系に優れた望夢が気配を測りながら距離を取っているらしい。歌も今のところ聞こえてこない。
 翔成が英語を始めたのは小学校の科目からだが、せいぜい中学一年生のリスニング能力で歌の歌詞まで聞き取れるはずがない。本来はそのはずだ。けれど莉梨のライムはすべて、明確な像を結んで頭の中に入り込んでくるのだった。
 望夢は苦い顔をした。
「莉梨は……あれは、カリスマっていうの、総体なんだと思う……」
 何を言っているのか。話している望夢自身も、まだ見つけたばかりの公式を矯めつ眇めつするような表情だ。
 仕切り直すように、小さな咳払い。
「莉梨の言ってた、〈女王のカリスマ〉。あれはキーワードこそマザーグースを使ってるけど、歌だけで構成されてる妖術じゃない。仕草とか、表情も仕掛けの内だ」
 まだ分からない。翔成は眉をひそめる。
「俺も莉梨のやり方はよく知らなかったから、ずっと観察して法則を知ろうとしてた。いくつかは莉梨が自分で言ってたぶんもある。……たぶん、全部だ。莉梨自身なんだ。〈女王のカリスマ〉っていうのは。莉梨がそこにいて、俺たちがそれを知覚する限り、莉梨の求めることに逆らうことはできない」
 そこでようやく理解が追いついた。つまり莉梨を五感のどこかにでも捕えたら、その時点で言いなりになってしまうってことだ。
 息のとまるようなぶっ飛んだ考察だった。
「嘘だろ……」
「嘘ついてどうすんだよ」
 当たり前だ。嘘を吐かれているわけではないことは翔成も分かっている。そうじゃなくて、受け入れがたい。
 そもそも状況は分からない。だけど、こちらを洗脳してこようとした莉梨の表情には明らかな悪意があって、あれへの対抗手段がないというのはそこそこの絶望なのだった。
「聴いてる俺たちにも歌詞の意味が分かるのは、莉梨が的確に補助誘導してるからだ。歌い方の、抑揚とか、身体の動きとか。相手との相対位置とかを使って……ほんとうに指先一本、いや髪の毛一本に至るまでの組み立てで洗脳してるんだ。だから歌だけじゃない」
「……おまえは、さっきから感知して逃げてるけど、それは大丈夫なのかよ」
 感知系は結局自然条件の変化を見ているわけだから五感による知覚だ。
「俺は知覚しても解除できる」
 望夢はきっぱりと言った。
「だけど解除できるだけだ。恒久的に全員に対して無効化とか、そういうのは無理だ。俺もともと腕っぷしは護身だけだし」
 どうしろと、と翔成は頭を抱えた。抱えている暇もなく、望夢から「来る。こっち」と腕を引っ張られる。ヘリポート出入口の方向に戻りつつある。
「七花(なのか)のほうに行こうとしてると思います?」
「どうなんだろう……」
 望夢は少し言い淀んだ。
「目的が分からない」
「春姫さんに連絡は……」
 せっつくような思いで、恐らく頼れる味方なのだろう人物の名前を出した。ところが少年は隣で目を閉じて首を振った。
「莉梨がよく分からないのは確かだ。だけど、春姫も結論を急ぎすぎてると思う」
「結論……」
 さっき伝えられた神名春姫の言い分を思い出す。莉梨がヒイラギ会と内通している、というやつ。
「春姫あいつ、すぐ感情的になるから。自分の持っていきたい結論のためにぜんぶ牽強付会する奴だから。あいつも何もできなくて焦るのは分かるけど。せめて証拠を掴んでからだ」
「でも……」
「信じたい? 瑠真をからかってるのが莉梨だって。お前の家族を焚きつけたのが莉梨って」
 少年は通路のほうに意識を集中しているようだった。両目を閉じたまま。
「俺はまだ莉梨を信用したい」
 不思議な静けさをもつ声だった。
 少しのあいだ言葉を咀嚼して、翔成は憮然とした。さっきまで、莉梨の尻尾が掴めないとか警戒するべきだとか言ってたくせに。望夢自身が疑っているのかと思えば、おそらくまだ迷っているのだ。これで両方に気を配っている。人間性が迂遠すぎる。いちいち言葉が足りない。
「あなたは莉梨さんの何を知ってるんです」
 つい詰問に近い口調になる。
「もともと知り合いなんでしょう。おれたちに分からなくてあなたが知ってることがあるはずです」
 望夢が両目をゆっくりとしばたいてこっちを見た。迷いの色が硝子みたいな瞳にひらめく。
「なんていうか」
 言葉をぶつ切る。そこまであれだけ真っすぐな調子で喋っていたのにためらったらしい。
「一回会ったことがあって、そのとき、俺は……」
 ぴたりとその説明が途切れた。
 ×××
  ぱたぱたぱたと通りを横切るような足音が響いた。観測範囲で莉梨の周囲の人間はみんな眠っていたはずだ。望夢は身を乗り出そうとする後輩の額を雑に押し返して通りを覗いた。
「倉持寿々だ」
「寿々さん……? そういえば」
 莉梨が最初に出てきたビルから姿を見せていないと認識していた。足並みを揃えているのなら今耳目を惹く理由はないし、対立しているのなら眠らされない理由がないはずだ。
 継続的に思念負荷を与えてくる莉梨の容姿を極力視界の真ん中にしないようにしながら、様子を窺う。表通路に走り出てきた浴衣に黒髪の倉持寿々は姦しい声できゃんきゃんと莉梨に言い募っていた。
 聞き取るためにやや意識を集中する。ぐわんと耳が鳴って思念負荷が高くなるのを逆算操作でねじ伏せる。
 何をしてるの、何だって言うの。それは当惑の声だ。勝手に動かないで、私たちは……勝手? 力関係が読み取れるような気がする。望夢は目を凝らした。これ自体パフォーマンスだったらどうしようもないけど……
 莉梨は無表情だった。その唇が素早く動く。
 うるさい。
「うわ」
 がつん、と脳天を打たれたような痛みが知覚域に加わって体勢を崩した。後輩が慌てて袖を引く気配を感じる。壁際に引っ込んで息を整えながら妖術効果を解除した。こっちを標的にしていたわけじゃないのに引きずられていた。
 後輩が囁きかけてくる。
「莉梨さん、どういうことですか、ヒイラギ会と……」
「いや」
 きちんと見ることはできなかったが、直接攻撃された寿々は望夢に加えられたものの数倍もの衝撃で倒れ込んでいた。仲間割れ? それとも最初から敵? いくつかの選択肢を思い浮かべ順次棄却していく。考え、意識を外に集中しながらの返事になったので、翔成に対する説明はきっと上の空だった。
「あいつ、たぶん、どこでもない……」
 言い終える前、ふいに一陣の風が南の空を吹き払った。
 空気にわっと爛漫の花が咲いた。「あっ」その真ん中を小天狗のように華麗に鮮やかな着物姿が跳ね飛ぶ。
「春姫さんっ……」
「来た」
 また状況を見ようとする無謀な後輩を引き留めて短く言った。春姫も介入することに決めたらしい。
 暮れ空を舞うように花弁を蹴立て、神名春姫の猛攻が迫った。莉梨が暗闇にも明るい翠緑の瞳をきっと上げた。口元が歌の形を作って素早い詠唱をする。〈神よ月を守り(God bless the moon)私を守り給え(and God bless me)〉。
 春姫の放った風に乗って、敵意を示す青い桔梗が莉梨の前の空中で幾粒もの光に弾けた。加護の呪文に阻まれたのだ���春姫は気を払うことなくくるりと身を返すと菖蒲(あやめ)の白花を手元に産み出す。同じように消し飛ばされかけるが、忍耐を司る花はゆっくりと根を伸ばして莉梨の足元から吹きこぼれた。
 もう一つの象徴は反抗。ぱんっと壊れた花の粒が刺すように渦巻いて莉梨を下がらせる。追い討つように竜胆(りんどう)の花が咲く。春姫の一閃に勝利を加える花。
 莉梨の瞳がぎんっと意志を帯びた��
 〈魔女を祓えよ(Rowan trees and red thread)〉
「にゃっ」
 春姫がわかりやすく音を上げた。
 展開していた彼女流の花園が吹き散らされたように掻き消えた。続いて莉梨が容赦なく春姫を視界に据え、カリスマ術式の呪文(The queen of hearts)を唱える。
 両目をバッテンにするような勢いで春姫が戦闘区域を転がり出てきた。迷いなく望夢と翔成がいる陰に逃げ込んでくる。思わず反射的に「来るなよ」と言う。隠れてるんだよこっち。
「見つかるなら逃げれば良いじゃろて。ひいっ、あれは無理じゃ無理」
 おそらく十字架越しに位置を把握していたのだろう。春姫は完全に同舟(どうしゅう)面(づら)だった。後輩と片手ずつで手を掴まれ引っ張られて駆け出す。
「はっ、春姫さんでもダメなんですかっ」
「相性が悪いものは如何ともならぬ! 初手で押し切れれば成算があったのじゃがな!」
 疾風のごとき遁走は物陰を求めて近くの施設内に及んだ。従業員たちとすれ違うたび春姫が片手間に眠らせる。便利屋としては限りなく心強い助っ人だが、彼女だって協会式の超常想像図で戦っていることには変わりない。いや正確には、彼女の方式が汎用化されたのが協会式。ホムラグループには何にせよ太刀打ちできない。
 望夢はガレージの下を走りながら春姫に問いかけた。
「倉持寿々をけしかけたのはお前か」
「肯(そう)じゃ」
 金色の瞳がちらりと振り向いた。
「フライトリリーフ社の一階に倒れておった。妾は寿々を起こして莉梨を見つけさせ、自分は隠れて見守っておった。あやつ素直じゃな、莉梨にしてやられたと気づいて大目くじらの直行じゃ。誰ぞを思い出す」
 素直で直情的。誰のことを思い出しているのか分からなくもなかったが本題を逸れるので望夢は言及しない。
「じゃあやっぱり、莉梨は最初に寿々を無力化してたんだ」
「捨て駒扱いじゃな? 寿々を迎えるために一時的には無差別支配を解いたように見えたが」
「春姫、その後のあいつらのやり取り見たか。聞いて、俺――」
 推測を口に出そうとした。けれど先を行く春姫がばたりと足をとめたので一瞬追い抜かした後引っ張り戻されて立ち止まった。
 施設内の監視カメラ統制室の扉が開いていた。紺色の制帽を被った中年男が、驚いてはいるのだろうが厳格な職務の顔でこちらに歩いてくる。
「逃げ込み先が際どかったか」
 これは妾も叱られるな。適当に嘯きながら春姫はやはりあっさりと眠りの術をかける。白雛罌粟(ひなげし)の一輪を投げかけられた職員はふわっとその場に座り込む。
 ようやっと望夢も周囲を確認して、それが消防局施設であることに気が付いた。ヘリポートには航空隊の訓練所が付属していたはずだ。
「だ、大丈夫なんですか」
「妾らが通り過ぎれば忘れて目覚めるわ。職務に励んで頂こう」
 人気のない角に三人で身を寄せた。言葉通りこちらを見咎めていたはずの職員が何事もなかったかのように動き出す。
 それを確かめて望夢は咳払いをした。
「春姫、聞いて。翔成も。俺は莉梨のこと、敵側じゃないと思う」
「敵じゃないも何もすでに無差別兵器じゃが。ふむ、あれをどうにかできると言うなら言い分は聞く」
 春姫が試すような視線を向けて腕組みをする。言下に交渉途絶されなかったことにまずほっとした。彼女も彼女なりに状況を見ていて、これが組織的行動の一部とするとおかしいことに徐々に気づいていたのだろう。
 望夢は息を整えて情報を組み上げる。
「莉梨は利用されてる。何をどう、っていうのは全部推測にしかならなくて言っても無駄だけど。あいつ、元から味方がいないと思う――」
 ×××
  味方なんか最初からいなかった。それが私の世界認識です。
   お父様とお母様は私をとても大切にしてくれました。欲しいものはなんでも買い与えて、抱き上げては頬ずりしてくれました。
 でもそれは私が正しい成果を残すからです。
 物心ついたときすでに、私はおぼろに気づいていました。私がウェールズの森の中で先進的な教育を受けていること。そして私に比べると無関心に置かれていたきょうだいたちの中では、私がいちばん出来が良かったのだということに。
 お母さまが課したテストで良い点を取ると、お母さまは抱きしめて喜んでくれました。
 お父さまが教えた武芸ができると、お父さまは頭を撫でて凄い子だと言ってくれました。
 弟がふたり、兄がひとりいましたが、あの頃の彼らのことはもうあまり覚えていないようです。数年後に帰郷して再会したとき、はて私にはきょうだいなどいたのだろうか、と私は驚いてしまいました。それほど、印象がなかった。
 私に人間としての情はあまり期待されていなかったのですから。
 まだ見ぬ解釈を容れるための女王の器としてつくられた私は、器として愛されていました。
 器が割れたり、傷ついたり、壊れたりしたら……そのときには愛の終わりなのだと、うすうす気づいていたのでしょう。
 私は、強くなりました。
 ×××
  四つで私は異国に越しました。新しい「お父さま」もまた、生まれの父とは違う意味で優しい父だったと思います。
 お父さまは、私に難しいことをなにも期待しませんでした。小さな子はありのままで良いのだと言ってくれました。
 児子操也という仲良しができました。児子は私にとって、遠い海の向こうの父親の代わりであり、兄であり、ときに母や弟であり、友です。
 この日々で最も度し難かったのは、私が何かを為すことを人が求めていないことでした。私が難しい問題を解いたり、うまく舞踏をこなすと周りは眉をひそめていたようです。
 子供らしくない。可愛くない。普通に育ててあげないとかわいそうだ。
 子供らしいとか普通とかって何でしょう?
 とにかく私は褒められたかったのです。
 がむしゃらに勉強しました。みんなが使っている妖術というもの。それが共通の評価指標になるはずです。七歳か八歳か。私はもともと頭が良くなるよう育てられていたのですから、人より早く一通りの術を扱えるようになりました。
 この国では、成果の達成が悪とされるのでしょうか。
 私にはさらに味方が減りました。
   そして、八歳の夏、私は正式なお世継ぎに認められます。
 ×××
 「作戦コードとか付けようか」
 高瀬望夢は首を傾げてとぼけた物言いをした。
「莉梨のほうはマザーグースだし、こっちも英語唱歌で通じないかな。〈Lady bird, lady bird, fly away home〉……」
 知らないです、と翔成は苦情を申し立てる。ああそう、と望夢は笑う。
「魔には帰ってもらう。『てんとう虫(レディ・バード)』だ」
×××
 施設外に出て緊張気味に電話をかけ、状況を説明すると、先輩の少女は開口一番に『私に来るなって言いたいんでしょ?』と言った。
「えー、あの、あなたが頼れないと言うのではなく」
『うん』
「引っ掻きまわして邪魔だと言いたいわけでもなく」
『うん』
 翔成は電話口で硬くなりながら、ごにょごにょと言い訳を重ねる。すっかり暗くなった道路沿いに海風が吹き込んでくる。街灯がぽつぽつと滲む。
 少女は淡々と相槌で先を促していた。
『それで?』
「だから、こちらとしては相性の問題です。あなたが直接莉梨さんにかかっていっても絶対に勝てない」
『…………』
 なぜそんな分かり切ったことを何べんも繰り返すのか、と平たく言えばそういう不満が少女の無言から目に見えるほど伝わってきた。翔成だって言いたくてこの言い方をしているわけではない。ドヤ顔で台本を伝えてきたのは後ろで様子見している高瀬望夢だ。責めるならあっちを責めてほしい。
 気を取り直して台詞に集中する。ここからが本題だ。
「それで、逆転方法を思いついたんです」
『……ほう』
 少女の相槌に少しだけ色が乗った。
 だけどそれはまだ量るような声だ。翔成の意図を探り、己の感情の持っていき場所を検討している声。迂遠な電話への苛立ちも多少はあると思う。
 それでこそお願いだ、と翔成は思う。
「事情があって、頼れる人員は多くありません。莉梨さんを敵視しうる勢力は信用できないから全部ダメ。ホムラグループは莉梨さんの帰国時点で分裂が疑われている。迂闊に連絡もできない」
『だから、何?』
「おれたちだけでやります」
 翔成の声が震えた。だけど言い切れたと思う。
 後ろで秘匿派警察の少年と協会の長の少女がじっと見ていた。翔成は己を鼓舞するために拳を握る。
「それで、作戦にはあなたの力も必要です」
 暮れの日の名残りを軽やかに跳ね飛んで、少女の姿が宙を舞った。
 ぽかんと見上げる翔成の眼前にざっと足を鳴らして、膝を曲げて音を殺す。二つ結びが肩の上でふわりと動いた。背筋を伸ばしたその姿の向こうで残光が見え隠れした。
 莉梨のせいで警備員がいないのをいいことに、表からフェンスをショートカットしてきたのだった。近くで待機していたのは薄々察していたが、呼ぶにしても五秒で来いとはこちらは要求していない。
 頼れるの頼れないのってさっきまで言ってたくせに、やっぱり地平線の最後の光にその姿は強く見えて。
「呼んだ?」
 挑戦するような問いかけに、まだぼうっとしている翔成に代わって、後ろの少年がにやりと笑う。
「呼んだ」
 格好つけても仕方がないが、これで役者は全員集合だ。ほうっと安心に近い感情で翔成の頬が緩んだ。
 少女はふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。何やら常の豪気よりは突き放した無表情でそっぽを向いている。
「まあ、お邪魔虫なら任せてよ。今回は悪者上等だから」
「……はぁ」
 きょとんとして望夢に目をやると、分かっているのか分かっていないのか、少年はこちらを見返して肩をすくめた。たぶんわかってないと思う。春姫が袖口を口元にやって何か言いたげな目をした。女子なりのなんらかの共通認識があるらしかった。 
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theatrum-wl · 7 years
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【レポート】竹中香子講演会@アンスティチュ・フランセ東京 2017年8月28日
フランスで舞台に立つために必要なこと: フランス語、演劇学校、そしてプロフェッショナリズム(その1:ひとり語り編) 
竹中 香子 (構成:片山 幹生)
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日仏演劇協会主催で8/28(月)に、飯田橋のアンスティチュ・フランセ東京で行われた竹中香子さんの講演会の記録です。司会はWLスタッフの片山幹生が務めました。講演会の録音をもとに文字起こしをし、それを竹中さん自身の修正を踏まえて、構成した上で再現したのが、本レポートになります。竹中さんが話された第一部を《ひとり語り編》、観客との質疑応答が行われた第二部を《質疑応答編》として分けて掲載します。 当日は65人の聴衆が集まり、アンスティチュ・フランセ東京のエスパス・イマージュの座席は8割方埋まりました。日仏演劇協会の片山が簡単に竹中香子さんを紹介した後、講演会ははじまりましたが、それは講演会というより演劇的なパフォーマンスといった感じのものでした。
1.フランス語ゼロでフランスに─パリ15区のコンセルヴァトワール(演劇学校)に入学するまで
桜美林大学の総合文化学群演劇専修というところに在籍していたのですが、もともとは演劇のプロデュースのようなことをやりたくて、俳優志望ではなかったんです。在学中にいろいろありまして、俳優をやることにしたのですが、そこで俳優のプロとして生きていくにはどうしたらいいのかという問題にぶちあたります。「いったい俳優のプロって何だろう?」って。これがわからなければ、桜美林を出てこのまま俳優をやっても30歳でやめるのではないかと思いました。とにかく演劇が好きだったので、どんなかたちでも演劇の周辺で働きたいとは思っていました。それで俳優のプロを探しに行こうという野望をもってフランスに行くことにしました。フランスに行く行かない以前に、とにかくオーディションなんかに落ちまくってました。新国立劇場養成所も受験したけれど落ちた。そういうときに、フランスの国立演劇学校は無料で国籍も関係もないと聞いたんです。全くフランス語は話せなかったのだけど、「じゃあ、行こう」とパリへ。よく行ったものだと思います。
向こうで滞在するためのビザを取得するために、最初は語学学校に登録し、半年分の授業料を前払いしました。でも語学学校に実際に通ったのは二ヶ月ぐらいです。パリは20区に分かれているのですが、その各区に演劇を教えるコンセルヴァトワールというものがあることを現地で知りました。この区のコンセルヴァトワールは高校卒業したくらいの人が行くところです。だいたいどの区のコンセルヴァトワールも200人くらい受験して、15人ぐらい合格します。3校まで受験可能なのですが、受験した3校ともなぜか三次の最終試験まで行くことができました。ただ三次試験は一人では受験できないシステムで、二人組で戯曲の一場面を上演しなくてはならないのです。フランス語個人教授の先生がたまたま演劇をやっていた人だったので、その人に受験のパートナーを頼みました。そしたらポール・クローデルをやろうと言われたんですね。フランスの演劇でポール・クローデルと言ったらすごい大作家なのですが、私はその頃、ポール・クローデルの偉大さを全然知らなかったんです。そんな偉大な作家の作品を、ウィとノンしかわからない私が丸暗記でやってしまった(笑)。
200回ぐらい毎日聞いてせりふを丸暗記しました。それで自分が何を言っているのかわからないポール・クローデルのテクストで15区のコンセルヴァトワールに合格しました。他の2つの学校は不合格でした。「こんなにフランス語がわからないのではほかの生徒も迷惑だから」と言われて。この15区のコンセルヴァトワールだけは「いや、ウィとノンが言えれば大丈夫よ」って私を受け入れてくれたのです。 
コンセルヴァトワールの入試には志望動機書が必要なのですが、当時の私にはフランス語で志望動機書を書く力はありません。フランス人の友人は一人もいませんでした。そこで第一のキーパーソンが現れたのです。「パリのオペラ地区のスタバに行けば、日本人と話したがっているフランス人がたくさんいるよ」と聞いたのです。それで行ってみると本当に日本語を勉強しているフランス人が一杯いました。よさそうな人の隣に座って、勉強している様子を覗き込んで「ふんふん、ああ、サヴァ、トレビアン」みたいなこと言って話しかけたんです(笑)。そしたら向こうも食いついてきたんですよ。それで「実は私、フランス語で動機書を書かなくてはならなくて困っているんだよね」と言ったら、そしたらその人、「書いてあげるよ」ってことになって。オペラ座近くで働いている銀行員の人が、私のコンセルヴァトワール受験の志望動機書を書いてくれたんです。その人がいなかったら、その後はなかったわけで。というわけでありがとう、LCL銀行のおじさん。これが私のフランスの演劇生活の第1のキーパーソンでございます。
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2.ひとりでがんばっても意味がない─パリのコンセルヴァトワールで学んだこと
15区のコンセルヴァトワールで第2のキーパーソンと出会います。私はウィとノンしかわらかないのに、ペネロップ、ゲイト、アンナという3人の親友とここで出会うことができたのです。もう一目惚れの状態で、全然言葉がわからないのにこの人たちがやっていることが、なんであれ全部好きになったんです。彼らにいろんなことを助けて貰いました。 
コンセルヴァトワールで、自分ひとりでがんばりすぎないこと、困ったことがあればすぐに人に助けを求めることが大事だと思うようになりました。言葉の問題があって、例えばフランス人なら30分あれば読めるテクストを、私は5時間かけて読まなくてはならない。せりふを覚えるとなれば、本当に「無理だ、無理だ」って泣きながら必死で、フランス人の何倍も時間をかけて覚えなくてはならないわけです。その一人でやっている苦労をアピールしてみても、 フランス人はまったく反応してくれない。それで「死ぬ気でがんばってやっているです」というがんばりを褒めてくれるというのは、もしかして日本だけなのかなと思って。だったら「できない」というのを最初に言って、「ひとりでできないから、誰か手伝って」と訴えるのがフランスでは自然な流れ��と思ったんです。そこからは人にものを頼むことに躊躇しなくなった。自分ではできないことがあれば、すぐに人に助けを求めるようになりました。
15区のコンセルヴァトワール時代には、パリの1区から20区のコンセルヴァトワールから選抜された人が受講できる演出クラスがありました。演出家志望者のためのクラスというよりは、俳優で演出にも興味ある人を対象にしたクラスです。私はこの演出クラスがどんなものか知らずに応募して、選抜の20人に選ばれました。これが地獄のクラスでした。週一回金曜に午後1時から6時まであるのですが、とにかく毎週一つ作品を作らなければならない。私が受講したときはドストエフスキーがテーマでした。好きな作品を選んだら、次の週までに、自分が選んだ箇所を上演する。これは自分が演じても人に演じさせてもよかったのですが。終わった後のフィードバックがみんな超辛口で、「つまんない」とか「長いから最低」とか。先生だけでなく、受講者みんながこんな調子でした。恐いけれど鍛えられました。
このクラスの集大成がドストエフスキーの作品をグループか個人で作って、20分の作品を上演するというもの��した。この演出クラスでは友達ができなくて、私は一人で作品を作って上演することにしました。私が選んだのは「おかしな人間の夢」という短編小説です。言葉が話せなくてつらい自分の姿を小説の登場人物に投影し、自分でフランス語の脚本を書いて、演出して、発表しました。ここではじめて自分で自分を演出するという感覚を得ることができました。この後、モンペリエの演劇学校に行っても、俳優である自分の優れた部分をどうやって自分で演出できるかについては考え続けました。
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3.発音の矯正で古典が武器に─国立高等演劇学校の受験対策
パリ15区コンセルヴァトワールで一年間そうした濃密な時間を過ごし、翌年にパリ地方コンセルヴァトワールに入学したのですが、これはフランスの国立高等演劇学校にはいるための受験勉強の時間でもありました。国立高等演劇学校はフランスに全部で11校あって、最難関のパリの国立舞台芸術高等コンセルヴァトワール(Conservatoire national supérieur d'Art dramatique CNSAD)の場合は、2000人の受験者が受けて30名しか合格できません。地方の国立高等演劇学校は、毎年ではなく2年ないし3年毎に試験があって、800人が受験して合格者は12名といった感じです。この国立高等演劇学校は、学費がただで、3年間の課程を修了すると学士号と同等の資格を得ることがでいます。またこうした学校を出ていると、公共劇場のプログラムに参加している演出家の作品に入りやすいのです。公共劇場プログラムは、助成金のおかげで芸術性のやたら高い作品が数多く取り上げられます。フランスで俳優を目指す若者たちは、そういうわけで国立高等演劇学校への進学を目指すわけです。
受験科目は、古典作品から一つ(モリエールやラシーヌ)、現代作品から一つ、そしてさらに自由課題で自分の得意分野(歌やダンス、一人のパフォーマンスなど)、この三つがどこの学校でも要求されます。一つ目と二つ目は二人組でシーンを作っておかなければならないので、受験に際しては必ずパートナーが必要となります。これが第一次審査になります。第二次審査は5日間のワークショップです。
受験一年目は全部落ちました。古典作品で私が何を言っているかわからないと言われて。そこで第3のキーパーソンのベルトラン先生が登場です。先生は発音矯正の専門家でした。先生のレッスンは、音を耳で聞いて覚えて真似するとかいう生ぬるいものではなくて、フランス語を発音するための筋肉に変化させるためのトレーニングでした。日本語の母音はアイウエオの5音ですが、フランス語にはこの約3倍の数の母音があります。この15の母音の違いを訓練によって習得するのです。ベルトラン先生のレッスンを受ける前は、例えば« la mort(死)»と« l'amour(愛)»の発音の違いが私にはわからなかった。だから「愛」について語っているつもりが、「死」について語っていたなんてことがあったわけです(笑)。こうした母音の違いを筋肉の訓練で区別できるようにするのがベルトラン先生のレッスンでした。
私はラシーヌの『アンドロマック』の一節を古典の課題としてやりたかったのですが、先生は「それはやめておけ。日本人のお前には無理、スキャンダルだ」と反対しました。それでもこの響きが超かっこいい。日本人が聞いてもフランス語の音楽性というのを感じとることができるテクストでどうしてもやりたかった。それでは仕方ないということでベルトラン先生との練習が始まったのですが、最初はアレクサンドラン(12音節詩行)のリズムを体に叩き込めと言われて、12音節の区切りの6音節ごとに「タタタタタターン」をひたすら繰り返すという訓練を行いました。感情や意味の区切れを意識せず、とにかくテクストをこのメロディとリズムにあてはめていく。この訓練のおかげで、2年目の受験ではこの古典の朗読が武器になって、どこを受験しても「おお、すごいね、『アンドロマック』、ちゃんと朗唱できるじゃん」みたいなかんじで評価されました。この『アンドロマック』のおかげでモンペリエの国立高等演劇学校に入学することができたわけです(笑)。
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4.「いい俳優」、「いい演劇」なんか存在しない─モンペリエ国立高等演劇学校で学んだこと
受験2年目にパリの高等演劇学校(École Supérieure d'Art Dramatique de Paris ESAD)とモンペリエの国立高等演劇学校(École Nationale Supérieure d'Art Dramatique de Montpellier ENSAD)の2校に合格することができました。パリかモンペリエがどちらに行くのか迷いました。パリを離れることで日本との繋がりも切れてしまうような気がして不安だったのですが、結局モンペリエの学校を選びました。学校の環境と二次試験の5日のワークショップの体験時の雰囲気、そして何より決定的だったのはギヨーム・ヴァンサンという演出家です。私は彼の作品をパリで見ていて、その時、とにかく彼の舞台に出たいと強く思いました。演出が全く見えないところがすごいと思いました。俳優が舞台上で、どうやるか今決めてその場でやっているじゃないかと思うぐらい演出が感じられない舞台だったのです。私は三回、彼の公演を見に行ったのですが、そしたら毎回同じことを俳優がやっている。そのギヨーム・ヴァンサンのワークショップが、このモンペリエの学校であるという極秘情報を得たんです。パリかモンペリエで悩んでいるときに、モンペリエの校長が私の携帯に電話してきて「ここだけの話だけど、ギヨーム・ヴァンサンと一緒にできるんだよ」とこっそり教えてくれたんです。何で彼が私がギヨーム・ヴァンサンを好きなのか知っているのか謎だったんだけど、私がいろんな人に言ってしまっていたんですね、多分(笑)。
それが決定的要因で、パリからモンペリエに移り住みました。軍隊にいるみたいな3年間でしたね。友達は同期入学の11人だけ(最初は12人いましたが途中で一人脱落)。私以外は18から20歳の若い子ばかりです。私は学校から歩いて40秒のところに住んでいました。学校以外で行く場所と言えば、スーパーのモノプリ。3年間、ほとんど家、学校、モノプリの三つの場所しか行っていません。 学校の授業は、午前中はテクニックが中心で、武道とダンスと歌とアレクサンドランの朗唱、それから英語の授業がありました。午後は2時から、演出家を講師として迎えての演劇的な授業があります。この午後の授業はエンドレスで行われます。モンペリエの学校は生徒が鍵の管理をしていたので、何時まででも稽古ができたのです。だから演出家によっては深夜1時、2時まで授業をやる人もいました。
1年目はテクニックの授業が多く、午後の授業もオーソドックスな感じでした。演出家の人がやってきて、この場面をどういう風にやるか演出しろと言われる。みんな俳優志望なのだけど、学校の授業では演出されるのではなく、演出することを求められるのです。他の人の演出の俳優になったり、逆に自分が他の人を演出したり。自分で作品を書くという授業や演劇理論の授業もありました。
2年目は、俳優としてどのように自分を演出するか、作品をどう演出するかという授業が増えてきました。学校の1階には劇場があり、2-3階に広いスタジオがあって、これを12人の学生で専有できるという恵まれた環境でした。学校の劇場で上演したり、提携しているパリの劇場で公演したりしました。11人で毎日一人が日替わりで演出家になると言う授業もありました。結婚、葬儀、食事といったテーマで、毎日リーダーを変更して即興的に芝居を作っていく。最後に演出家の講師がそれらを総合して、一つの作品にするというものです。マリオネットや映画の撮影の授業もありました。映像の授業は一年に一回はありました。 
2年目のイベントで「白紙委任状Carte blanche」というものもありました。これは演出家という特権的な立場を設定しないで、生徒ひとりひとりが対等な立場で作品を作っていくというものです。ヒエラルキーを除去した状況で創作するという二ヶ月間のプロジェクトでした。私はソロとエドワード・ボンドの作品に出演しました。演出家がいなくなれば俳優は自律的になれるのではと思っていましたが、ヒエラルキー不在のなかで自分がだれてしまっているのを感じたことがありました。そんなときは「ちょっと今日はだるいわ」と言ったその場かぎりのたるみはOKとして、次の日にはさっと気分を切り替えて引きずらないことが重要だと思いました。
2年目に私のフランスでの演劇生活における第4のキーパーソン、ギヨーム・ヴァンサンとの出会いがありました。校長が言ったとおり、彼が5日間のワークショップをモンペリエで行ったのです。このときは「会社」というテーマでグループ毎に作品を作りました。このワークショップでギヨームは、午前1時に次の日の課題を言って、帰ってしまうのです。生徒たちはそのあと、朝5時頃まで発表のプランを練りました。4時間寝て、翌朝9時から授業を受け、午後2時からできた作品をプレゼンするというのが5日間続きました。ここの地獄研修で11人のメンバーの結束は強くなり、このグループのなかにいてよかったと思えるようになりました。私は憧れのギヨームのワークショップで、とても嬉しかったけれど、あからさまには「あなたのことは大好きです」なんて言いません。だけど毎日、彼の脱いだセーターを畳んでました(笑)。そして汚れないように置いておくというアピールはしておいた。でもそのときは何も起こりませんでした。 
2年目の途中に新しい校長がやってきました。校長から3年目のプロジェクトが発表されたのですが、これが4人の演出家と4つの作品を11人で作るという驚くべきものでした。毎日違う作品を同じ俳優で上演するというのです。モンペリエ���行われるフェスティバルの枠で三週間にわたって、火曜日は作品A、水曜日はB、木曜日はC、金曜日がD、土曜日はA, B, C, Dを9時間公演すると言うのです。このプロジェクトのために4人の全くタイプの異なる演出家が招聘されました。世代が30代から60代まで、演出の傾向も古典的なものからダンス、パフォーマンス、ポスト・ドラマといった前衛的なスタイルまで。新しい校長はクリエーションにおけるコミュニケーションの重要性を強調していました。4人の異なる講師(演出家)と異なる作品を作ることになる。するとその中には絶対自分と合わない人がいるはずだ。そういうときにどうするか? 彼はこんなことを言ってました。「演出家とうまくいかないときはある。頭に置いて欲しいのは、演出家は君たちの先生じゃないということ。学校に講師として来ていても、演出家は先生ではないし、君たちは俳優として彼と接している。重要なのは、ディスカッションすること。自分がうまくいっていないときはそれを演出家に伝える。「どうしたらいいですか?」と相手の指示を仰いだりしない。もし話合いがうまくできない場合には、舞台の上で自分でやりやすいように変更してしまう。この二つが重要だ」。コミュニケーションのために、一ヶ月に一回は演出家(講師)、生徒、校長が話す機会を設けられました。 
4つの作品を3年目の1年かけて作りました。この経験でわかったことは、それまで私がずっと求めていた「いい演劇」や「いい俳優」の定義はないということです。なぜかというと演出家によって求められているものが全然違うから。「柔軟でありながらぶれない演劇」、「柔軟でありながらぶれない俳優」、これがいい演劇と俳優についての私の結論です。違う演出家と作品を同時に作っていくと、演出家によって毎日ダメ出しが違う。一つの価値観に安住できない状態の日々が一年間続いたことで、私は「いい俳優とは何か」という呪縛からようやく解放されました。
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5.現在の私が更新されることで過去の私も変わっていく─プロの舞台俳優への道
2年目の途中ぐらいで「来年卒業したらビザが切れるし、日本に帰るしかないかな?」と絶望的な気分になっていたら、ギヨーム・ヴァンサンから「今、モンペリエにいるからお茶しようよ」と誘われたんです。こっちは「演出助手とかで使ってもらえませんか?」と頼んでみようと思ったのですが、「出演しない?」とまったく思いがけないオファーがギヨームからあって、卒業の一年半くらい前に彼の作品に出ることが決まりました。モンペリエの学校を卒業して一か月後からその作品、『夢と変身』の稽古が始まりました。フランスの都市、30箇所以上を1年かけて回るツアー公演です。この作品は前半がオウィディスの『変身物語』のいくつかのエピソードの劇化、後半がシェイクスピアの『夏の夜の夢』で構成される上演時間は4時間半の長い作品です。私は『変身物語』のパートではフィロメルという舌を切られて話せなくなる役、『夏の夜の夢』のパートではアマゾンの女王、ヒポリタを演じました。出演俳優のなかでは一番セリフが少なかったのですが、着替えと衣装は私が一番多かったです(笑)。
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一年にわたるツアー公演の契約がとれたことで、私はアンテルミタン( intermittent du spectacle)の制度に加入することができました。アンテルミタンは、恒常的に仕事があるわけではない舞台・映像関係の職種の人たちのための失業保険でフランス独自のものです。一年間に507時間以上の契約があれば申請できます。この申請は職安で行います。アンテルミタンに加入すると、仕事がないときにも月々決まったお金が支払われます。美術館は全部無料になりますし、映画は学生割引料金に、交通費も3割ぐらい割引があるそうです。しかしフランスのすべての俳優、舞台関係者がアンテルミタンの契約時間を満たしているわけではありません。
アンテルミタンの資格を得て、舞台公演の仕事がないときも、失業保険がもらえるようになりました。こんななかで創作活動のモチベーションをどうやって維持していくか考えるようになりました。公演がないときは、別のプロダクションのオーディションを受けたりするのですが、とにかくよく落ちる。オーディションに落ちるのはしかたない。オーディションに受かっても、言葉や見かけのハンディがあってせりふの少ない役をあてがわれたりすることが多い。そこで始めたのは、《Takenaka Kyoko do it yourself》です。自分でセリフを書いて、書いたものを演出家に見せて、自分で演出家をキャスティングし、自分がプロジェクトリーダーとして作品に関わってみようと考えたのです。
プロの俳優とは何かと問われれば、その定義は、最終的には創作プロセスにしかないのではと私は思うようになりました。舞台上で見て「いい俳優だったな」というのはお客さんの気持ちなので、100人いたら100人一緒ということはない。演出家に求められるものは演出家によって異なる。うまくいかなかったときには、すぐに気持ちを切り替えていく。私は「過去のつらい経験の積み重ねがプラスになって、今の自分はどんどん強くなっていくんだ」と思っていました。ところがどっこい、つらい思い、きつさというのは、いくら痛い目にあって、経験を積んでもなくならないんですよね。2017年になってからも4回ぐらい生きるか死ぬかといったピンチがあったのですが、それを乗り越えたと思っているのに、つらさに耐性ができたとは思えない。
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これはいったいどういうことかと思って。「精神的に日本にいるときよりも、苦労やつらいことを経た今のほうが強くなっているはずなのに、なぜ?」と。西洋史研究者の阿部謹也の著作『自分のなかに歴史を読む』にロシアの文学研究者、ミハイル・バフチンの言葉が引用されていて、「現在は過去の積み重ねでなく、常に現在によって過去が変わっていく。現在が変わることで過去の位置づけが更新されていく」というものがあります。この文章に答えがあるのかなという気がしています。現在が変わることで過去の位置づけが更新されていく。そういうふうに考えると、これからもきつくてギリギリのところでやっていくのかなと。すいません、長くなってしまいました。(質疑応答編に続く)
●竹中 香子 1987年10月8日生。埼玉県さいたま市出身。2011年3月に桜美林大学総合文化学群演劇専修を卒業後、渡仏。同年9月にパリ15区コンセルヴァトワール(芸術専門学校)入学。2012年にはパリ地方コンセルヴァトワールに入学。2013年、日本人として初めてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格。2016年5月末にモンペリエ国立高等演劇学校(École Nationale Supérieure d’Art Dramatique de Montpellier)の全課程を修了。2016年10月から、2017年6月までフランス国立劇場製作ギヨーム・ヴァンサン演出『夢と変身』に出演し、フランス国内16箇所でツアーを行った。これと並行して、自らが脚本を手がけたソロ作品をフランス人の演出家とともに、「俳優と言語」をテーマに長期的にクリエーションを行っている。 https://mill-co-run.com/about/
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weeklyliberty-blog · 7 years
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自著二編:「差別語の擁護」と「日本における右と左の語彙についての覚書」
わたしは差別を、特に左翼差別を提唱しています。本二編はその動機付けに役立つでしょう。
前編「差別語の擁護」では、いまやタブーと化した差別語を保守する意向が励まされます。後編「本における右と左の語彙についての覚書」では左翼それ自体が被差別イデオロギーである(べき)ことを論じます。
差別語の擁護
差別(discrimination)は絶対悪であるようだ。一部の人は「差別」と「区別」は違うと言い返したが、予想どおり、無駄であった。何が差別であり何が差別ではないか決定するのは政治であり、政治はつねに恣意的である。
「差別語」は絶対悪である。人種的や民族的、性別的、職業的、宗教的など、ありとあらゆる差別の言葉が、「問題発言」、「不適切な表現」であり、政治的に正しくない(politically incorrect)とされる。
いや、許される差別が少しだけ残っていた。白人を差別することは(特に学界では)強く奨励されている。白人異性愛成人男性を逆差別することは正当な報復(アファーマティブ・アクション)であり、西洋諸国では単なる奨励のみならず法的に強制さえされている。そして、資本家・経営者を差別する法律は全世界で強硬に、非常に徹底的に施行されている。これらは正当な差別であるか、あるいはまったく差別ではないらしい……。
さて、差別とは法律上の権利の不平等を意味する。それはしばしばアメリカ合衆国黒人奴隷制を連想させるが、必ずしも奴隷差別を指さない。子供は判断力を欠いているから不完全な参政権しか与えられない。これは差別である。女性は共産主義を促進する傾向があると考えられて十九世紀まで参政権を否定されていた(ekklesiazousai)。差別である。外国人(七十億人)が日本(一億人)で民主的に参政していいはずはない。差別である。これらの差別は明らかに正しい。特に最後の例はチベット型のジェノサイドと言われており、これを防ぐために国が作られ、国の政治が行われ、政治的な不平等が定められる。差別と不平等は政治体の本質である。
これらの差別と不平等は社会的には偏見(prejudice)として継承される。人は生まれながらにして偏見を備えており、その種の偏見はバイアスと言われる。さらに、人は育つにつれて、この世の人々がさまざまに分類されうることを理解し、自分自身の政治体に貢献する人々と、そうではなく単に政治体に寄生する人々、むしろ内部から政治体を掘り崩し、食い破り、破壊する傾向がある人々の階級の別を把握する。これらは概して、良し悪しにかかわらず、正しいかと間違いかなどこれっぽっちも関係なく、偏見であると(左翼により)言われている。
左翼に耳を貸す者は自分自身と自分の家族の人生を台無しにしてきた。これ自体は周知の事実である。しかしなぜか? なぜならば、左翼とは判断力の剥奪だからである。
あなたの先祖と先人は物事の良し悪しを判断した。彼らは悪いものごとを軽蔑した。詩的な天才が見事な侮辱語を発明した。これが人々の経験に合致して広まった。(ゆえに:差別語の階級間非対称性。)彼らの判断力のおかげで、わたしたちはそこそこうまく生きることができる。彼らの差別語のおかげで、わたしたちは不完全ながら不可欠な知恵を継承できる。わたしたちはそこから始めるか――先例に一定の信用を貸すか――それとも彼らを否認して歴史の始まりからやり直すか、選ばなければならない。
彼ら先人の知恵、予めの判断(pre-judice)はわたしの目の前のものごとに直接適用できるわけではないが、それは良い基準である。わたしたちは先人から不完全な基準を受け継ぎ、自分自身の状況に適用して、ちょっとだけ実例豊かになった不完全な基準を子孫に譲り渡す。
左翼はそれを否定する。
差別主義者め! すべての文化は等しい!(西洋の文化に命を支えられながら)
差別主義者め! すべての言語は等しい!(言語相対主義を説明できる既存言語で)
差別主義者め! すべての人種は等しい!(白人同士の結婚だけは否定しつつ)
差別主義者め! すべての民族は等しい!(IQ95以下では産業が持続できないが)
差別主義者め! すべての職業は等しい!(では身内を売春やガレー船へ)
差別主義者め! すべての性別は等しい!(最も深い違いがそこに)
差別主義者め! すべての性愛は等しい!(ホモの乱交とHIV率、破滅願望は?)
温故知新は差別に関しては否定される。しかし平等を信じる者は人生を台無しにする。それは結局は、無階級社会(「共産主義」)を信じることだからである。共産主義は明のそれも暗のそれも悉く失敗する。
よくある反論は、我々は行き過ぎた差別や暴力的な差別に反対しているのだ、というものだ。へえ? それではあなたの努力での左翼内の自浄作用に期待しつつ、わたしの話に戻ろう。
差別を受け継ぐ最も強力な手段は、それを単なる信念(左翼語で「偏見」、「迷信」)から知識(左翼語で「疑似科学」)へと高めることである。しかしこれは差別意識(階級間不平等の関心)の後から来る。
差別意識そのものを育むための手段は侮辱であり、それが様式化された差別語である。もしもあなたに守るべきものがあるならば、もしもあなたが実際的な知恵の世代間継承者でありたいならば、あなたは差別語を継承しなければならない。
公然と濫用せよと言っているわけではない。礼儀と作法を守れ――守らぬ者を厳しく差別せよ。卑語は使うな、差別語を使え。個々の事例に即し、厳格な人選の下、適切な機会に使用せよ。
日本における右と左の語彙についての覚書
 エリック・フォン・クーネルト=レディンの『左翼再考』とノルベルト・ボッビオの『右と左』を読むに、右翼が貴族主義と自由主義[1]、保守主義を示し、[2]左翼が民主主義と社会主義、共産主義を含むのは偶然ではないようだ。西洋文化においては、聖書言語から議会政治まで、右は正しさを、左は不吉さを共示していた。
しかしながら、平安時代の日本では、同じ高さの職掌を左右に分けるとき、左の司が上、右はその下に配られた。左大臣は右大臣より尊かった。これは文化相対主義者が決定的な意味を見出している何かである――これで話は終わりだ、とでも言わんばかりに。遠い昔の潰れた王朝の役職名がすべてなのだろう。『太平記』で右が尊い扱いを受けたことは、彼らのほぼ全員が端的に軽視する。
それでは、日本語――日本文化全体[3]の結晶――における右と左の共示を調べてみよう。日本人の感覚としては、物事は右から来て左へ抜けるようだ。貯まらぬ金の流れは「右から左」へ、聞き流される声は「右の耳から左の耳」へ。とかく「右へ倣え」。
信頼できる部下は右腕(みぎうで)、右の腕(みぎのうで)である。大切な本は座右(ざゆう)の書という。左す(ひだりす)、左にす(ひだりにす)は蔑ろにするを意味する。結局、人類の多くは右利きであり、右勝手(みぎがって)なのである。左利き――ギッチョ、ヒダリギッチョは頻りに矯正を求められた。左勝手(ひだりがって)、左構え(ひだりがまえ)とは、逆勝手(ぎゃくがって、さかがって)、非勝手(ひがって)の同義語である。「不亦左乎」は「不都合ではないか」と訳される。良いものごとは多数派の利き手の側に有るのが秩序正しい。
右手が巧みに動くから、着物は右から身に着けるようになった。(この話題では帯の締め方と乳の遣り方も忘れてはならない。『衣服令』は余計なお世話であった)。左前(ひだりまえ)は死んだ人の着方であり、きわめて不吉とされる。準じて、凶事に用いる書状は左封じ(ひだりふうじ)にされる。中国では左前――左衽――は夷狄の着方と考えられた。かくて日本では不躾な夷膳(えびすぜん)がまた左膳(ひだりぜん)とも言われる。経済的な落ち目――究極的には食い扶持の喪失、飢え死を意味する――も戯れで左前と言われる。[4]あえて不器用な手で扇を煽る左団扇(ひだりうちわ)、左扇(ひだりおうぎ)――イメージの上では、あぐらをかいてふんぞり返りながら、右手は頬杖をついている――は経済的な余裕を仄めかす。
文明と道具が発達した北半球では、太陽は東に沈み、影は右に回る。ゆえに時計は右巻きである。紐を巻きつけるとき右腕は自ずと右回りに動く。正常な進行に逆らう左巻き(ひだりまき)は、「知能が足りないこと。頭がおかしいこと。また、その人」(大辞林)と定義される。左様(ひだりざま)は正しい道に反するさまを意味する。左縄(ひだりなわ)は役に立たないことを例える。こちらが右と言えば左と言うのは天邪鬼だ。かつてのモロコシの言葉、漢語では、地位や官位を下げることは左遷(させん)という。右を正しく尊いとしたからだ。漢語の左道(さとう、さどう)とサンクスリット語のヴァーママールガ(左の道)は邪道を意味した。今のモロコシ語では、right(ライト)は右、権利、正しさを意味し、かたやleft(レフト)は弱い、弱々しいの意のlyftに由来する。古代ローマ帝国以来、ラテン語圏ではsinister(シニスター)は不吉を仄めかす。よしや否定的な共示をもたずとも、左文字(ひだりもじ)、左弓(ひだりゆみ)、左打ち(ひだりうち)――左が普通とは逆であること、異常性を仄めかすことに変わりはない。
横書きでの左書き(ひだりがき)が常態化したのは西洋化に伴ってのことだ。漢語圏では右上からものを記すことに因み、初めから、もとよりの意では「右より」(みぎより)という。大和言葉では普通、右と左(みぎとひだり)や右左(みぎひだり)の順に読む。あえて左右(ひだりみぎ)と読むとき、それは「左と右の位置が逆になること」(大辞林、強調付加)を仄めかす。左右(さゆう)は「左右に託す」などと、「みぎともひだりとも態度をはっきりさせないこと」(同上)を仄めかす。はっきりさせるとき、最も優れた人より「右に出る者はいない」。
左右は、一見すると単なる相対的な観念にすぎないかのように誤解されがちである。しかし、これ以上に根深く不平等と優劣尊卑を孕む概念はそうそうない。狩りのとき命を左右するのは武器を持つ手であった。手とは、あるいはアリストテレスが述べたとおり、道具の道具である。あるいはカントが触れたとおり、方位と直観の象徴である。道具としての手が現象のすべてを秩序付けるのであり、秩序付けられた物事にはすべて、象徴としての手が――右と左が刻印される。
経験的に、人は利き手をもつ。左右の設計はしばしば所与の技術水準での効用と発展性を制限する。たとえば、日本では自動車は右ハンドルであり、運転しながら左手でギアを操作しなければならない。一九八〇年代にマニュアル車に乗って上下左右に曲がりくねった狭い高速道路で時速100kmを出しつつ左手でギアを操作しながら追い越しを試みていたのは実に狂気の沙汰であった。左右の無関心(平等)はしばしば死に直結する。
人類全体の約九割が恒常的に右利きである。この経験はどんなテロルとポリコレでも曲げることができない。それだけではない。動物も利き手をもつ。ゴリラやチンパンジーは右利きが多く、オランウータンは左利きが多い。犬と猫はおろか、魚や虫にも、右利きと左利きがある。この経験を消すことはできない。動物の左右非対称性に最も強く関連する遺伝子はPCSK6だと考えられており、これが利き手にも関連しているようだ。人が右利きがちなのは右手を制御する左脳が発達しているからだと考えられている。左脳はブローカ野とウェルニッケ野など言語中枢が収まっている。人類の右利き傾向の原因は言語機能の発達に求められるかもしれない。そしたら、左右の不平等、いわば右尊左卑の否認は、究極的には全人類の失語化でしか成し遂げることができないだろう。文明化――言語的・物質的な秩序付け――が進むほど、言語の帰結として、左右の不平等は明徴にされる。右と左の価値はいわば文明普遍的なのである。
上の理論的考察が先の語彙的叙述にも適用される。日本の文明化過程における意味論的な発達は、はっきりと右尊左卑の認識を示していたようだ。左翼相対主義者は否認するが――テロルとポリコレによって。
わたしとしては、「右翼」もよし。しかし他の日本語も大切にしたい。わたしの心は決して左右開きではなく、右勝手に開かれる。わたしより尊い人、優れた人は、わたしより右にいる。最も優れた人より右に出る者はいない。かたわら、彼ら左翼(源流ジャコバン、極左ボリシェヴィキから左の中では極右のナチ・ファッショまで、今の左翼の代表格たるサヨリベとその派生、ネオコン)のイデオロギーはいずれも、歴史と名前が示すとおり、左前――致命的に不吉――である(ジャコバン、ボリシェヴィキ、ナチ・ファッショ、サヨリベ・ネオコンはすべてジェノサイドに従事した)。彼らは左巻き(「知能が足りない」、「頭がおかしい」)か左様(「邪悪」)であり、一般的には左縄(「役に立たない」)、ついでに言えば典型的に左膳(「無礼」)である。
わたしとしては、左する(自動詞、「左傾化している」)者ほど左にする(他動詞、「蔑ろにする」)つもりである。この持論は明らかに右翼的であり、差別主義的・反平等主義的である。わたしは他が等しくば左利きより右利きの方が優れているとまで言い含めている。ああそうだ、右と左は平等ではない。右と左の間には差別がある。この差別は事実的であり、事実に基づく価値がある。正しい事実認識に則って正しい価値評価を下す者は右に寄る――上に立つ。
右翼と左翼の概念は、フランス諸革命での左翼の楯突き――下からの反抗――によって生まれた。フランス革命、あるいはフランス政治革命(一七八九~九九年)では、王政派と立憲王政派が議会の右翼に座した。共和派と民主派が左翼に座した。しかし、王政派を打倒し、立憲王政派フイヤンの自由主義を否定して、革命を乗っ取ったジャコバンにより、平等元年が始まった。極左ではバブーフら平等派がすべての横並びと横倒しを要求していた。それから約五十年後の二月革命、あるいは「この革命は政治的のみならず社会〔主義〕的でもなければならない」のフランス社会革命(一八四八年)、いわゆる「社会共和国」(マルクス)までには、右翼とは概ね保守主義者と自由主義者、正統主義者を指すようになった。フランス右翼は「秩序、財産、宗教」の秩序党に集まり、スペイン右翼は「秩序の人」と呼ばれた。かたや左翼には凡そ社会主義者と共産主義者、共和主義者が含まれた。[5]これが古典的な右翼と左翼である。この第二の革命以来、右翼――自由主義者と保守主義者、貴族政の支持者――は敗北に敗北を重ねることになった。この二つの革命以降、左翼は政府を通して社会のすべてを横取りし、社会のすべてに横槍を入れ始めた。言い換えれば、秩序(差別と格付け)を犠牲に、平等(無差別と無関心)が勝利したのだった。ヨーロッパでは、教皇、司祭、君主、貴族、平民の縦社会は失われた。日本では第二次大戦敗戦により、皇族、華族、士族、平民の階級が失われた。
かくて右は消えた。現行の政体はすべて社会民主制であり、現代の「右翼」は概して左翼の分家である。「右翼」という言葉が汚されるのは避けられなかった。杉田元議員の素晴らしい作品『なぜ私は左翼と戦うのか』は、好意的ながら「タイトルは過激だが」と題されたレビューをアマゾンで受けた。「右翼」一般がオドロオドロしく暴力的な反社会的勢力か何かと想定される。それは皇族や華族、士族でなければ、彼ら上級市民の支配を受け入れるつもりの平民でもない。低い階層を這いずる匿名多数の大衆。それは知性的でも道徳的でもなく、馬鹿で感傷的、憎しみに満ちた、自分のことしか考えない人物。左翼に管理され、治療されなければならない存在。低学歴で低所得な右翼が、高学歴で高所得な左翼に楯突くのだ、と。
そのような横紙破りは、右と左の語彙をリフレッシュした自由主義者・保守主義者・貴族主義者にとっては、左様な左翼の左膳で左縄な左巻きにすぎまい。
自らを政治的に表現する人はみな、スペクトルのどこかに飛び込まなければならない。左右スペクトルの否認[6]は象牙の塔や泡沫クラブでしか機能しない。既存のスペクトル上のイデオロギーがどれほど不完全で、どれほど納得いかなかろうとも、そこから始めなければならないのである。そのとき、わたしが社会主義者、共産主義者、民主主義者の間に――左に定着することはできないだろう。フランス革命にせよリバタリアン運動にせよ、当初こそ左とともに始まった自由主義は、すべて右(秩序)へと流れていったのだった。
自由は右である。
[1] ここで考えられているのはイデオロギーだが、イデオローグとしては古典時代の代表的自由主義者――バンジャマン・コンスタン、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、ド・トクヴィル、フランソワ・ギゾ、フランシス・マルティネス・デ・ラ・ロサス、フアン・ドノソ・コルテス、アクトン卿、ギュスターヴ・ド・モリナリ、ウィームス伯爵フランシス・チャータリス、ヴィルフレド・パレート、アルバート・ジェイ・ノックなど。自ずと例外もある――ジャン=バティスト・セー、バスティア、リチャード・コブデン、後期グラッドストン卿など。しかしセーの産業主義と民主主義などの左翼的な要素は悉く社会主義に歓迎されており、自由主義を自由主義たらしめる本質とは言えない。ジョン・ロックは彼ら十九世紀人から遡及される自由主義者にすぎず、革命以前の人物であるから、左右スペクトルは直接には適用されない。ベンサムとJ・S・ミルはあくまで急進主義者(社会主義者)であり、自由主義者ではない。
[2] 右翼がつねに一致団結していたと言っているわけではない。かたやアンソニー・ルドヴィチまでの優れた保守主義者は自由主義を――しばしば適切に――非難してきた。かたやマリー・ロスバードまでの優れた自由主義者は保守主義を――またも、しばしば適切に――攻撃してきた。それでもなお彼らは右翼であった。
[3] 日本の「伝統文化といわれるものの大半は、中世寺社に起源を持つ」(伊藤正敏『寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民』10ページ)。また関連する指針のために、折口信夫『神道に現れた民族論理』を見よ――わたし自身はそれに従うには管見にすぎたが――いわく、
日本人の物の考へ方が、永久性を持つ様になつたのは、勿論、文章が出来てからであるが、今日の処で、最古い文章だ、と思はれるのは、祝詞の型をつくつた、呪詞であつて、其が、日本人の思考の法則を、種々に展開させて来てゐるのである。私は此意味で、凡日本民族の古代生活を知らうと思ふ者は、文芸家でも、宗教家でも、又倫理学者・歴史家でも皆、呪詞の研究から出発せねばならぬ、と思ふ。
[4] 実際、クーネルト=レディンは右の優越の文明普遍性を示すために日本語のhidarimaeに言及する。
[5] ゆえに共和派自由主義者は行き過ぎていると、「超自由主義者」(« ultralibéraux »)と呼ばれて非難された。
[6] ノーラン・チャートのような二次元的拡張もしかり。
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swamppublication · 1 year
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全国刑務官大会・剣道の部の編集版動画を続々公開中! レッツ剣道YouTubeチャンネル&HPをチェックしてみてください🫡 https://youtube.com/playlist?list=PLD0ibaRKPPBsLRS5gOb-kdJZr6xZ9mHgD 全国矯正職員武道大会・剣道の部 結果 優勝 本間建成(広島刑務所) 二位 高田達(青森刑務所) 三位 赤星飛翔(東京拘置所) 三位 山中勇人(京都刑務所) 結果詳細はLET'S KENDOに掲載しています。また、ライブ配信のアーカイブはYouTubeに残しておきます。 ・LET'S KENDO http://www.letskendo.com ・LET'S KENDO YouTube http://www.youtube.com/user/letsKENDO ※ LET'S KENDO SNS ●【Twitter】https://twitter.com/letskendo ●【YouTube】 https://www.youtube.com/user/letsKENDO  ●【インスタ】https://www.instagram.com/letskendo/ ●【Facebook】https://www.facebook.com/LETSKENDO/ ●【LET'S KENDOショップ!】https://letskendo.thebase.in/ ●【LET'S KENDOブログ】http://letskendo.diary.to/ #全国矯正職員武道大会 #全国刑務官柔道剣道大会 #LETSKENDOでは柔道も剣道もライブ配信 #刑務官日本一 #大阪刑務所体育館 #武道 #letskendo #kendo #剣道 #レッツケンドー #YouTube #剣道大会 https://www.instagram.com/p/CmXn0pBPkIr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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swamppublication · 2 years
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全国矯正職員武道大会 各部門編集版決勝動画はレッツケンドーYouTubeチャンネルにて公開中でございます🙇🏻 結果 【剣道】 優勝 広島拘置所 二位 福岡刑務所 三位 名古屋刑務所、東京拘置所 【柔道】 優勝 広島刑務所 二位 東京拘置所 三位 千葉刑務所、山形刑務所 結果詳細&画像はLET'S KENDOに掲載しています。 http://www.letskendo.com 本日はかなり暑くなるようですので、熱中症にはお気をつけて!! 来週末は九州高校剣道大会をライブ配信予定です!! ※LET'S KENDO SNS ●【Twitter】https://twitter.com/letskendo ●【YouTube】 https://www.youtube.com/user/letsKENDO  ●【インスタ】https://www.instagram.com/letskendo/ ●【Facebook】https://www.facebook.com/LETSKENDO/ ●【LET'S KENDOショップ!】https://letskendo.thebase.in/ ●【LET'S KENDOブログ】http://letskendo.diary.to/ #kendo #budo #judo #剣道 #柔道 #全国矯正職員武道大会 #japan #letskendo #レッツケンドー #レッツ剣道 https://www.instagram.com/p/CfNI9IPvjRo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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swamppublication · 2 years
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全国矯正職員武道大会 結果 【剣道】 優勝 広島拘置所 二位 福岡刑務所 三位 名古屋刑務所、東京拘置所 【柔道】 優勝 広島刑務所 二位 東京拘置所 三位 千葉刑務所、山形刑務所 結果詳細&画像はLET'S KENDOに掲載しています。 http://www.letskendo.com 編集版動画はしばしお待ち下さい🙇🏻 来週末は九州高校剣道大会をライブ配信予定です!! ※LET'S KENDO SNS ●【Twitter】https://twitter.com/letskendo ●【YouTube】 https://www.youtube.com/user/letsKENDO  ●【インスタ】https://www.instagram.com/letskendo/ ●【Facebook】https://www.facebook.com/LETSKENDO/ ●【LET'S KENDOショップ!】https://letskendo.thebase.in/ ●【LET'S KENDOブログ】http://letskendo.diary.to/ #kendo #budo #judo #剣道 #柔道 #全国矯正職員武道大会 #japan #letskendo #レッツケンドー #レッツ剣道 https://www.instagram.com/p/CfKrp86vx4t/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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swamppublication · 2 years
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只今、剣道の部Live配信中! 込め試合開始は14時30分頃になります🙇🏻 是非、レッツケンドーYouTubeチャンネルでご視聴下さい🙇🏻 本日は令和4年度全国矯正職員武道大会をLive配信させていただきます! 午前中は柔道の部、午後から剣道の部が開始されます! 今回は配信が事情によりポケットWi-Fiでの配信ですので、途中フリーズする事もあるかと思いますが🙇🏻 とにかく! 本日は柔道&剣道ダブル配信を是非ご視聴いただけましら幸いです。 よろしくお願いします🙇🏻 大会詳細はletskendoホームページにて!↓ https://www.letskendo.com/posts/18591/ #kendo #budo #judo #剣道 #柔道 #全国矯正職員武道大会 #japan #letskendo #レッツケンドー #レッツ剣道 https://www.instagram.com/p/CfIsWssvbQi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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