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#最悪を想定し最善を尽くす
teruyukifujii · 1 year
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長年愛用していた #airmax720 の #黒シューズ が劣化していたので、 はじめての #airmac95 をお酒と塩で清め迎える。 #感謝 #より良き未来を #その先に明るい未来が想像出来るか #その先に明るい未来が創造出来るか #いつも本気 #JustDoIt #完璧を目指すよりまず終わらせろ #でも丁寧に #DoneIsBetterThanPerfect #iphoneで撮影 #TakenwithiPhone #stayhome #君子危うきに近寄らず #最悪を想定し最善を尽くす #この世界で生きていく #WeatheringWithYou #airmax #airmax95essential https://www.instagram.com/p/Cm0LaQpykKI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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maristelina · 10 months
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Milgram Novel #2 Preview Translation
So the MILGRAM Novel Preview released. Here's a very rough TL. It seems that Dark Triad / Justice Alliance is mentioned in it. I haven't finished translating it yet because I'm not used to reading this kind of orientation.
プロローグ Prologue
青空がどこまでも、どこまでも広がっていた。 The endless blue sky stretched as far as the eye could see.
背の高いビル群が立ち並ぶ街並みの中から見上げても、その空だけは全く窮屈さを感じさせず、深い青色で穏やかに世界を包み込む。 Even when gazing up from amidst the cityscape lined with tall buildings, the sky imparted no sense of confinement and peacefully enveloped the world with its deep blue hue.
天気予報では、明日も同じ空が見られるという。 The weather forecast predicted the same sky to be seen tomorrow as well.
けんそう ボクはゆっくりと視線を落とす。繁華街は日々の喧騒であふれていた。 Amidst the hustle and bustle of the city, I slowly lower my gaze.
往来する人々はそれぞれの目的のためにどこかへと向かっていく。 People were heading somewhere, each with their own purpose.
複数人で笑い合っている学生たち。疲れた表情をしたスーツ姿の中年男性。髪色の明るい若い女性がスマホで通話をしながら、ボクの目の前を通りすぎていく。 Students laughed together in groups, a middle-aged man in a tired suit and a young woman with bright hair walked past me while talking on her smartphone.
この街には多くの人がいる。多すぎるほどの人がいる。きっと、ボクたちが置かれている境遇なんて生ぬるいと感じるような、想像もできない過酷な現実を生きている人もいるだろう。 There were so many people in this city. Too many people. Surely, there were those who were living in unimaginably harsh realities, making our own circumstances seem lukewarm in comparison.
それでも。 Nevertheless.
他の人に比べたらまだマシだなんて、ボクは思うことができない。 I can't bring myself to think that I have it better than others.
つら この世界のどこかで、知らない誰かがもっと辛い思いをしていたとしても、彼女が今感じている痛みは確かに本物だから。 Even if somewhere in this world, someone unknown is going through even more difficult experiences, the pain she is feeling right now is undeniably real.
学校では見せない笑顔を浮かべて、ボクの少し前を歩いていく彼女の背中を視界に入れると胸がかすかに痛む。他人の痛みに共感するなんて、少し前までなら考えられなかったのに。 As she walks ahead of me, donning a smile she wouldn't show at school, I catch a glimpse of her back, and my chest twinges faintly. Empathizing with someone else's pain is something I couldn't have imagined just a little while ago.
また明日。平日が始まれば、彼女は吐き気がするような、悪意の連鎖の中に戻っていボクにはそれを止められない。学校の屋上を彼女の心の支えにすることしかできない。 Tomorrow will come again. Once the weekdays begin, she will return to the chain of malice that makes her nauseous. I can't stop that. All I can do is be her pillar of support on the rooftop of our school. ふっと自嘲気味な笑みが自然と漏れた。 A wry smile involuntarily escapes my lips.
ボクは人間の命の尊さを理解できない人間だ。その辺に転がった無機物も、繁華街を埋め尽くす人間たちも、その価値は本質的に同じだと思っている。 I am a person who can't comprehend the value of human life. Be it the inanimate objects scattered around or the humans flooding the bustling streets, I believe their worth is inherently the same.
冷たい人間だ。……そのはず、だった。 I am a cold person. …Or so I thought.
自覚している。彼女と出会い、多くの時間を共にしたことで、ボクの価値観は少しずつ変わっていった。戸惑いがないわけじゃない。でも、それでいい。 I'm aware that meeting her and spending time together has gradually changed my perspective. It's not without confusion, but that's okay.
おも 今のボクは彼女のことを大事に思っている。その想いに気づかないフリをしても仕方がない。ボクはすでに深入りしすぎた。 Right now, I care deeply about her. There's no point in pretending not to notice those feelings. I've already gone too deep.
なら最後まで突き通すしかない。 If that's the case, I have no choice but to see it through until the end.
―彼女がどんな結末を迎えようとも、ボクは最後まで彼女のことを守ろう。 No matter what fate awaits her, I will protect her until the very end.
大きな商業ビルが目に入った。そのビルの壁面には巨大なディスプレイが埋め込まれており、ニュースの映像が流れていた。 I caught sight of a large commercial building. Its walls embedded with massive displays were broadcasting news footage.
画面に映ったキャスターが原稿を読み上げる。 The caster on the screen reads the script.
「現在、インターネット上にアップロードされた動画群が物議を醸しています。その発信元アカウントは『正義同盟』と呼称されており――」 "Currently, a group of uploaded videos on the internet is causing controversy. The originating account is referred to as the 'Justice Alliance'—"
ひもり 「氷森くん」 Himori 「Himori-kun」
不意に名字を呼ばれて視線を戻すと、彼女が立ち止まってこちらを振り返っていた。ボクがニュースに気を取られていたことが不満だったようで、彼女は頬を膨らませている。 Suddenly called by my last name, I turn my gaze back and she stops, looking back at me. She seems displeased that I was preoccupied with the news, and she puffs up her cheeks.
「何見てたの?」 "What were you looking at?"
「あそこの、街頭ニュース」 "The street-side news over there."
いちべつ She glances at it briefly, and her expression darkens ever so slightly.
7月が始める。 July begins.
そうだ。この世界のどこでどんな事件が起きたとしても、悲惨な出来事が誰かを苦しめても、ボクは目の前の彼女のことだけ考えていればいい。日までは。 That's right. No matter where or what kind of incidents occur in this world, no matter how tragic they may be, as long as I keep thinking about her in front of me, it will be enough. Until the day…
少なくとも、一緒に高校を卒業して、彼女が悪意の呪縛から解放されるその… At least until we graduate from high school together, and she is freed from the curse of malice…
「『正義同盟』、か」 "'Justice Alliance,' huh?"
正義のヒーローみたいな名前。 A name like that of a hero of justice.
だけど、この世界に救いの手を差し伸べてくれるヒーローなんていない。純粋な正義な ゆが んてものも存在せず、どんな行動の裏にも歪んだ欲望と打算が隠されている。 But in this world, there are no heroes extending a helping hand. There is no pure notion of justice. Behind every action, there are hidden desires and calculations.
もし本当に正義の味方がいるのなら、彼女はとっくに助けられている。その後、ボクがそのニュースを思い出すことはなかった。 If there were truly allies of justice, she would have been saved long ago. After that, I never recalled that news.
翌日に起こった悪夢が全てを吹き飛ばしたからだ。血塗れの彼女の姿が脳を満たしたからだ。「正義同盟」が本格的に世間の話題の中心になっていっても、放心状態のボクは全く興味を持たなかった。 The nightmare that occurred the next day wiped away everything. It filled my mind with the image of her covered in blood. Even as "Justice Alliance" became the talk of the town, I, in a dazed state, had no interest at all.
だけど、それで良かったのだ。 But that was for the best.
もしあの時、「正義同盟」の思想に触れていたら、のめり込んでいた可能性がある。女を死に追いやったクラスメイトたちにその歪んだ思想を突きつけていた可能性がある。結局、ボクは「正義同盟」の思想に取り込まれることはなかった。 If I had been exposed to the ideology of "Justice Alliance" at that time, there's a possibility I would have been drawn into it. There's a possibility that I would have confronted the classmates who drove the girl to her death with their twisted beliefs. In the end, I never became consumed by the ideology of the "Justice Alliance."
そして今、ここにいる。 And now, I'm here.
囚人を裁き、粛清を与える監獄。 A prison to judge prisoners and administer purges.
その中にあるメインルーム「パノプティコン」。 Within it lies the main room, the "Panopticon."
何度も見てきた。 I've seen it many times.
粛清が執行され、囚人たちが鮮血に浸る姿を。 The purges being carried out, the sight of prisoners drenched in fresh blood.
命と存在が消える瞬間を。 The moment life and existence disappear.
だが、目の前で繰り広げられている光景はその性質が根本から違った。塔のように縦に長いパノプティコン、その上層から高速で落下してくる人影が一つ。 But the scene unfolding before me is fundamentally different in nature. The Panopticon, tall and elongated like a tower, with a figure descending rapidly from its upper level.
周囲は無音だった。その信じられない光景を目にしている囚人たちも、落下する人影も、そしてボクも声を出さなかった。 The surroundings were silent. The prisoners witnessing this unbelievable scene, the descending figure, and even I, none of us uttered a word.
いや、出せなかった。 No, we couldn't.
だって。こんなことが起こるなんて、いったい誰が予想できる? Because who could have predicted that something like this would happen?
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chikuri · 3 months
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クビの専門家です。「寝坊して出勤後、上司に報告するより先に朝食を食べた大手ゼネコンの現場監督女性」が話題ですね。また一部経営者からなされた「そんなことしたらウチならクビだ!」といった意見にも賛否両論集まっているようです。 「賛」側の意見としては 「そうだ! こういうポンコツをクビにできないから、日本人の給料が上がらないんだ!!」 「否」側の意見としては 「遅刻くらいでクビになんてできないだろ…」「解雇権濫用になるのでは?」 みたいな感じですかね。では実際「遅刻した社員をクビにできるのか?」「ポンコツをクビにできたら日本人の給料は上がるのか?」について考察していきましょう。 <遅刻を理由にした解雇は有効か> 結論からいえば「解雇はできるが、それが有効と認められるかどうかは状況次第」です。 たとえば、1回~数回の遅刻でいきなりクビにしてしまうと「不当解雇」となる可能性が高いですが、何度も遅刻を繰り返し、注意しても改善せず、周囲にも悪影響を与えるような場合であれば解雇が認められる可能性があります。ちなみに、過去遅刻を巡る解雇の裁判で会社側が勝訴したケースは、「5年5カ月の在籍期間うち2年4ヵ月を欠勤、最後の長期欠勤前の出社日数2年間のうち約4割が遅刻」というレベルでした。 <勤怠不良の社員にはどう対応すればいいのか> 遅刻にはやむを得ない理由もありますし、単に時間にルーズといった個人の問題である場合もあります。したがって勤怠不良社員に対してはいきなり解雇で臨むのではなく、何度も繰り返し注意や指導をおこなってください。それでも改善しない場合は懲戒処分(訓戒、減給、出勤停止、降格など)を下すなど、会社として安易に解雇せず、改善機会を提供し続けることが重要です。 注意・指導・懲戒処分の記録が証拠として残っていれば、後々争いになったとしても、解雇の相当性が認められやすくなります。そこまでやっても改善がみられないのであれば退職勧奨をおこない、自主退職を促すのがよいでしょう。 <「日本は解雇規制が厳しい」は本当か?> 映画やマンガでは、ヘマをした部下に対して上司や経営者が「お前はクビだ!」などと宣告する場面をよく見かけますが、これができるのはあくまでフィクションの世界や、日本とは法律が異なる海外の話。我が国ではそう簡単に、従業員のクビを切ることはできません。まず労働契約法ではこのように定められています。 労働契約法第16条  解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。 さらに、法律とは別にもう一つのルールとして「判例」が存在します。これまで解雇にまつわる裁判が数多おこなわれ、個々のケースについて有効か無効かが判断されてきたという「歴史の積み重ね」ですね。これらが法理として機能し、合理的理由がなければクビは無効となります。結果として、解雇が合法的に成立するための要件は極めて厳しく、実質的に解雇が有効になるケースはごく稀であるのが現状なのですね。 よく「日本は解雇規制が厳しい」と言われますが、それは決して「解雇を規制する法律がガチガチに固められていて、解雇したら即ペナルティが課せられる」といった意味ではありません。「解雇自体はできるが、もしそれが裁判になった場合、解雇無効と判断されるケースが多いため、実質的には解雇が困難」という表現がより実態を正確に表していると言えるでしょう。 <でも、外資系企業や中小企業では解雇がまかりとおっているのでは?> 外資系企業の場合、「クビ」に見えても実際は「退職勧奨」が中心であること、従業員側も解雇リスクは想定したうえで入社しており、裁判で余計なお金と時間とエネルギーを費やすよりも、好条件を提示されているうちにサッサと自主退職して次の会社に移ることが一般的なため、そもそも裁判の争いにまで至らない、というケースが多いです。 中小企業の場合はまた事���が異なり、そもそも株主も法務も人事も実質的に経営者が兼ねていることが多く、チェック機能が働かないまま「社長がクビといったらクビ」になってしまいます。また中小企業の労務トラブルには大企業ほどのニュース価値はないため、解雇したところでメディア報道されることもなく、レピュテーション低下リスクもさほどありません。また仮に裁判で勝っても大企業ほどの解決金獲得は期待できないため、同程度の労力がかかるなら、弁護士やユニオンも中小企業より大企業の解雇被害者支援に力を入れがちだったりします。 実際令和3年度の統計によると、全国の総合労働相談コーナーに持ち込まれた総相談件数「124万2,579件」のうち、民事上の個別労働紛争にまつわるものが「28万4,139件」、そのうち「解雇・雇止め」にまつわるものは合わせて「47,535件」ありました。 そこからどれだけ法的手続に移行したかというと、「労働局のあっせん」が「1,116件」、「労働審判」が1,751件、そして「労働関係訴訟」が「1,082件」です。法的手続を全部合わせても4,000件に届かず、いわゆる「裁判」まで至る割合は全体のわずか2%程度なんですね。 このように多くの外資系企業や中小企業の場合、解雇したところで訴訟にまで至ることが少ないため、「解雇してそのまま終わり」のように見えてしまうのです。 <クビにしやすいほうが賃上げに繋がる?> もし、事業の発展に貢献してくれるような優秀で希少な人材が見つかり、高額報酬で迎え入れることになったとしても、仮に採用後にミスマッチが発覚したり、急激な市況・業績変化があったりすることを想定すると、「解雇のしにくさ」は採用の大きなボトルネックになることは間違いありません。 「解雇したらトラブルになる」ことがほぼ確定している場合、雇用側にとってはリスク要因となり、高い報酬を設定すること自体を躊躇してしまうことにもなりかねません。必然的に「絶対に間違いない人しか採用しない」こととなり、採用ハードルは上がり、流動性は低くなるリスクもあります。 とはいえ、「雇用の流動性を高めるためにもクビにしやすくしよう!」などと提言すれば大きな反発を受けてしまうのは確実。現実的な解決策としては、「解雇の金銭解決」を今より簡潔かつ円滑にできるようにするのがよいでしょう。 意外に思われるかもしれませんが、現在我が国では、解雇を金銭解決できる制度がありません。なので、会社から不当解雇された人が裁判で争う際には、いくら会社に愛想を尽かしていて復職したくなくても、「解雇は無効だから復職したい」と主張するしかないのです。会社側としても一旦解雇した人物を復職させる気はなく、解雇の撤回もしたくない。ではどうするかといえば、お互いにとってあまり意味のない「復職」をテーマに裁判し、その妥協点として「退職する代わりに解決金を獲得する」という方向に持っていくしかないんですね。 「解雇の金銭解決」を制度として正式に導入できれば、そんな不毛なやりとりをしなくても済みます。それも、わざわざイチから制度構築する必要もなく、現行の労働契約法16条に追加で「解雇に際し、使用者が対象労働者の賃金6ヵ月分以上に相当する金銭を支払った際は、その解雇は客観的な合理性を有し、社会通念上相当であるとみなす」といった一文を入れるだけでいいはずです。各社とも人手不足で賃上げが求められている中、実情に合わせた制度変革が望まれるところです。
新田 龍 / X
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sakase · 2 months
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Nijisanji ENのセレン龍月さん契約解除のお知らせから今日までに感じたこと
初めに
これは私の言葉であり感情です。私以外の誰かが別の誰かに対して武器として扱わないでください。また、これは一連の話題について誰かの証拠として述べ、情報を提示・精査しているものではありません。
ここで明確に怒りをむけている相手は主に誹謗中傷を行なっている人達と行き過ぎたサポーター達に対してです。にじさんじEN、所属しているライバー、セレンさん(以降Dokiさん)に対してはそれぞれを心配していますし一刻も早く安寧が訪れることを願っています。しかし衝撃が大きかったのがDokiさんのポストなので当たりが強いと捉えられたら申し訳ありません。
私は普段物静かなリスナーです。リスナーの声を望むライバーには申し訳ないですが静かに楽しむのが好きなのであまり公の場でコメント等をしていません。ですが見聞きしています。偽のリスナーにしないでください。
長いです。誤解を招きたくないので主言語である日本語で書きます。
沈黙は金という言葉がありますが、死人と同じとされる場合もありますね。 であれば私は今墓場から声を上げている亡者です。それほどまでに現在の状況が悲しいです。あまりにも長い呻き声です。ごめんなさい。 今苦しい気持ちでいる方々にまずハグを。
今回の件で運営は手段やタイミングを尽く間違えたかもしれません。少なくとも良くはないと感じます。事情があるにせよ、これまでの立ち回りを思えば全てを是とすることは出来ませんし、不満は当然出るでしょう。とはいえ、何をぶつけてもいいわけではありません。
あの時ショックを受けたのは運営側のお知らせだけが原因ではありませんでした。熱心なサポーターがDokiさんのアカウントを早々に広めて回っていましたからその時から見ています。
【Notice: Termination of Selen Tatsuki’s Contract with ANYCOLOR】
運営お知らせポスト後のDokiさんポスト
ハラスメントを受け続けた末に未遂に至ったというエピソードは権利関係の違反云々とは別に重要なポイントです。しかし感情的になる以前にどうにも両者の間には不明瞭な部分が多くありました。
私はこの段階で、「彼女に弁護士がついていて法的に責任を追及するつもりであれば、いずれ裁判で明らかになるのだろう」と考え、一先ず静観しました。が、別のところでは瞬く間に炎は大きくなっていき衝撃と困惑を携えた人々はぶつけ合い始めていました。
所属ライバー達のメッセージ(動画)
日本語訳つきはこちら
メッセージ配信を受けたDokiさんのポスト
↑のポストから2時間後のスレッド
文書共有の懸念について説明
田角社長の声明
ライバー達はDokiさんの知らないうちに情報に触れる機会を得て自らの感情や状況を話しました。おそらくハラスメントとされたものに対して認識に誤りがあると伝えたかったのだろうと汲んでいます。そこでは追撃の示唆も、早急に公の場での回答を求む声はなく、聞いた人達には弁護士が関わる話だからこれ以上は言えない、攻撃はやめてほしいと願うのみでした。
ここに関してはDokiさんも同じように主張されていますね。
どちらが正しい振る舞いかどうか?正直今の段階ではどちらも言い分は分かるが手段は最善でないと考えます。沈黙を愛せる状況にさせなかったのは私達リスナーや乗じて騒ぐ人達の声でしょう。しかしリスナーが応援したい人の傷ついた姿を見れば忽ち感傷的になるのも想像に容易いです。更に文書の存在・閲覧を仄めかす程度に出したことでより事態を複雑にしました。
彼らは同僚として活動し、友人としても関係を築いていたのですから、何かしら誤解やすれ違いがあったのかもしれません。運営、彼女のマネージャーも各々尽力したが彼女の期待には及ばなかったのかもしれない…想像しか出来ません。もし誰かが嘘をついているなら、それは法の下で暴かれ、裁かれるものです。文書公開・共有範囲についてもどちらの国にそってどう考えるべきかも複雑で、最早部外者が判断出来るラインを越えているでしょう。少なくとも運営が出したポストでは違法性はないと言い、どんなに立ち回りが悪かろうとそれなりに大きい企業ですからこの点は一旦信じています。こういったケースを経験した当事者と専門家がそれほど多く存在するとも思えません。
2/15 Dokiさんのポスト
これは私にとって本当に衝撃的でした。
先に言っておくと話題になった文書や録音についてはここでは触れていません。今は情報の精査は部外者に判断出来るものではないからです。
私が衝撃を受け、人々の反応に戸惑ったのはその後の部分です。
打ち明けられた情報に対してリアクションをしたのは理解できます。結果的に一部の混乱を抑えてくれたことにも感謝しています。改めて彼女は今後サポートされるべきだと思います。しかし、たとえ人々に聞いてほしい一心からだったとしても、優しさ故だったとしても、これが良い手段・内容だとは思えません。
どうしてまた秘めていたエピソードを追加で公開したのでしょう。 1度目の告白で既に多くの人がその痛みに寄り添い毛布をかけていたと記憶しています。ライバー側のメッセージ内容を考えても、胸に秘めておきたかったのならそれを今深く掘り下げずともよかったはずです。一部の情熱的なサポーター達の他にも、興味津々で“次の材料”を常に待ち伏せしている人達もいる。弁護士や専門医と相談の上での発言だと信じたいですが、その場合、その人達へ攻撃しないよう願う為に更に傷を抉って伝える必要があると判断されたのですか?今のDokiさんの状態を慮った上で? 人々は彼女に寄り添うでしょうが、反応を見て分かるはずです。この開示の影響力がどれほどか。これからのこと���考えるなら言う側も聞く側ももっと慎重に扱っていい話題のはずです。
自らの命を絶つ。その選択に至るまでの環境や心身の状態はたとえ同じように試みた人間であっても容易に計り知れません。「生きてさえいれば」とは簡単に言えない。死が包み込んでいった現実は余程救いであったと思えない限り、後の他者にとってもただただやるせないです。 Dokiさんには十分なケアを受けてほしいし、今後その意見を尊重してもらえる環境下で生きてほしい。既に前に進もうとしている決意の背中には拍手を送りたいです。 しかし、未遂を打ち開けることは、状況次第で他者にとっては“自分自身の命を盾にした強力な脅迫”に成り得ます。中には苦しみや痛み、自分の欲求を訴える手段として自ら命にナイフを突きつけてみせることを選択してしまう人がいるのも事実です。慎重になる人が出るのは仕方がないと考えます。(Dokiさんをそういう人だと断定する為に言うのではありません。決して。)
私は日本で主に仏教に基づく生活を送り、自死に対しては身に近い話題ですが肯定的ではありません。宗教によってはより痛ましく捉えられるのでしょう。何にせよそこに至った、それだけで重みは十分にあります。
当人がつらい境遇にあった事は責めることでないですし今後報われるべきです。しかし、たとえ本人に悪意や支配の欲求はなくても、『その手段に一度でも行き着いた人間である』と意識されることで、忽ち他者に強く働きかける力を否応なく持ってしまう。どうとも思っていない外野ならともかく、誠実に向き合おうとする相手や好意を抱いてくれる相手にはとても強力に働きます。実際、近くに居る人の中にはその気配をひどく怖れるようになってしまう人、必要以上に自らを責め苛んだり深く傷つく人、当人に代わり周囲への警戒心が強まり攻撃的になる人もいます。これは私の経験にも基づく話ですし、Dokiさんもポスト内でご両親のことを記載されているので想像出来得るかと。
自他ともに心身への負荷や影響・リスクが伴う可能性が高い。今後、追い詰められる前に人に頼ったり助けを求めるハードルを低くしていくのに厄介ではありますが、自覚しておかなければ望まない傷を負い、負わせかねません。
運営の対応や公開されている内容に憤る方も多いですが、私はDokiさんを担当されている弁護士や専門医の方にも、彼女から相談されているならば、より気をつけてほしいと切に願います。
強く意見している人達もどうか注意してください。自己犠牲や起こった悲劇を悲しみ、生き延びたことを喜び励まし合うことはあっても、聖なる灯のように、英雄のように掲げるのは違います。ましてやその名の下に義憤し、周囲へ矛を突き立てるのは行き過ぎています。
過去には自らの願いや訴えを社会に痛烈に伝える手段として自決を選んだ人もいますが彼女の場合はそうではなかったはずです。
起こってしまった以上は先を臨むしかない。完璧ではない企業や運営に改革を求めるのはご尤もです。ですが何人をも裁く権利を司法以外は未だ誰も持っていません。今はそれぞれ信じたいライバーに目を向け、愛情と優しさを持って根気強くサポートしてほしいと願うばかりです。心を深く痛めている人はどうか休んでください。全てがあなたの痛み、責任ではありません。自分に余裕が持てたなら一緒に前を向いてください。
少々話は逸れますが、今回の件では日本人リスナーの反応について過去のにじさんじライバーの件がよく話題に挙げられています。が、私はその件については深く知りませんでした。私は最近起こった、ある悲しい一件に似ていると捉えていました。
2024年1月末、日本では自らの作品の映像化脚本について声明を出した漫画家が急遽亡くなってしまい、現在も話題になっています。彼女は当初脚本について説明する為に声を上げました。彼女の声明内容は瞬く間に波及し、彼女の作品の映像化にあたった関係者や企業、脚本家においてはその知り合いまで巻き込み、SNSで発言を暴き晒し始めたり誹謗中傷が飛び交い、他の創作者達も意見を出し、各所で混乱が起こりました。死に至った明確な理由はわかりません。ただ非常に戸惑っていただろうととれる当人のポストは今も残っています。 他にも浮かぶエピソードはあります。そういったものを通して“必要以上に騒ぎ立てる内に渦中の人物が突然命を絶ってしまい、公の場で必要な裁きや真相究明が困難なままに葬りさられたり、取り返しのつかない展開を迎える怖さ”を知っている人は少なくないでしょう。
最後に、今回の件でヘイトを発信し、国間ヘイトまで煽られている方々。国内外問わず多くいらっしゃいますね。
おかげで私は墓場から声を上げる亡者になりました。きっとお読みにならないでしょうけれど書いておきます。
どうか愚かな壁を先んじて建てないでください。 言語を始め、様々なフィルターは確かにあり、言い出したらキリがないです。しかしそんな中でも各々翻訳したり、ライバーを支えたい一心で必死に配信やポストを聞き応えようとしたり、リスナーたちと交流を試みている人々も国を問わずいらっしゃいます。その末に疲弊し、心を痛めている人も。 時に他言語話者が翻訳機を通しその思いを伝えてくれるように、伝えたい思いや分かち合いたいものがあります。各言語を堪能に扱えなくても心を砕こうとしている人がいることも知っていてほしいです。
国、人種、性差別と取れる表現を軽々と交える人に何かを嘲る資格はありません。
“くろさんじ”が俗に言うブラック企業という言葉の意味を被せているのは知っています。だからといって、そこには黒しかないだろうと笑ったり、誰かを必要以上に蔑むその口が、本当の意味で“anycolor”(どんな色、どんな個性も)を尊重するべきと、守りたいものの美しさをどうして訴えられますか?
どんな色でも、少なからず歴史を知る上で、未だ色色に忌み物のラベルをして、平気で石を投げ楽しんでいる姿を見ると落胆します。結局は自分の飾りたい、認めたい色を都合よく掲げていると気づいていますか?
不満や怒りを抱き、反する意思を見せるのは構いません。ですが理性のラインまで見失わないでください。もしあなたが今信念を持って、誰かや何かを想って立ち上がっているなら、一度落ち着いてまずは我が身と筆先を整えることをおすすめします。
人は日々様々なものを経験しつつ進んでいる道の上で物事を目の当たりにしています。こうした難所に対峙した時の対処法や姿勢は人によります。 ここから先のお願いはあなたにとって心地よければ是非やってみてください。 あなたがサポートしたい誰かが励んでいるなら傍で支えましょう。やがて物事が明るみに出るであろうことを願いながら過ごしましょう。 その間、愉快なドラマをみたがって囃し立てる人達もいるでしょうが拳を振るうよりブロックや通報をして、出来得る範囲で自分と大切に思うその人を温かく包んで。 もし息苦しいなら一旦離れてみましょう。美味しいものを食べたり飲んだり、違う場所へ行ったり、休息をとってください。 綺麗事ではありますが各々大切な人と穏やかに日々を過ごせるよう心から願っています。
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patsatshit · 5 months
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いまの世の中の風潮的にこういう言い方をすると色々と問題になってしまうのかもしれないけれど、僕は昔から女性が苦手で、いや、苦手というか怖い存在と言った方が良いかな。フェミニズム云々とかではなく、対峙したときに生き物として畏怖の念を抱いているというか、純粋にかなわないと思ってしまう。これは男女という性別には関係のない話やけど、人って打算的やし残酷でしょう。たまたま僕はこれまでの人生でそういう女性と多く出会ってきたから、ある種のトラウマになっているのかもしれない。文筆家OBATA LEOはそんな僕が素直に話ができる数少ない女性のひとりで、彼女が自主制作しているZINEを読んだとき、年齢や性別に関係なく、この人とはもっと話がしたいと思った。だから今回のインタビューで彼女の素顔に少しでも迫っていけたら嬉しいし、それによって僕自身がトラウマを克服できたら最高!
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〔土井〕 そんな訳でLEOちゃん、今日はよろしくお願いします。あなたの素顔に迫りたいということで、いきなりで申し訳ないんやけど、LEOちゃんはメイクは念入りにする?それともスッピンでも平気な人?
{LEO〕畏怖の念というの、当たり前かもしれませんが自分はあまりピンとこず、それはさておき、話したいというのはとても嬉しいお言葉です。土井さんに対する自分の思いは話し出すと長くなるのでここでは割愛しますね(笑)。インタビューの最初の質問って、文章の書き出しと同じでその後の流れを決める置き石のようなものですが、無駄のない場所に置きはったなという感想です(笑)。メイク、友達や知り合いや初対面の人と会う日、休みを満喫するぞって日は絶対めっちゃします。でも誰とも会う予定ない日は日焼け止めすらせず出かけてますね……。本にも書いたんですけど、メイクって自分にとっては、したくてやってると言い切れるわけでもなければ、したくないのに嫌々やってるとも言い切れるわけでもない、微妙な行為で。川上未映子の『乳と卵』という作品で、豊胸手術について、「それは社会に思い込まされてるんや」という意見と「自分がしたいからするんや」という意見が対立して決着がつかない、という場面があります。自分もフェミニズムというものを知ったとき、そういうジレンマに陥って、なんなら「社会に思い込まされてることを全て取り除いて真の欲望を見つけたいと思う」みたいな文章まで書いたんですけど、今となってはそんなことは不可能やしあまり意味もないのかもと思ってます。
〔土井〕うーむ、良いね、出だしからヒリヒリとした緊張感があるわ、前回の小野ちん(moanyusky)のときとはえらい違いや(笑)。そう、でもやっぱりメイクって自分のなかでは割と重要で、メイクは女性だけに限った話ではないとはいえ、やっぱり男性でメイクをする人はまだまだ少数やし、僕らおっさん連中のほとんどがむき出しの顔面を晒して生活してしているのに対して、女性の多くはメイクで日々、自分の顔を変化させることができる。メスで皮膚を傷つけることなく、その日の気分で変身できるというのは、なかなかにショッキングなことで。『乳と卵』は僕も大好きやし、未だに川上未映子の最高傑作やと思ってる。あそこで描かれる能動的か受動的かという問題、実はタラウマラのご近所さんで実際に豊胸手術をした主婦の方がいて、その人は旦那が胸が大きい方が好きなんだろうと思って実際にやってみたら実は旦那の好みはそうではなかったと知って、めちゃくちゃ後悔してはった。旦那を喜ばせたいという自発的な想いが発端とはいうものの、その背後には無意識に旦那の好みに寄せていくという受け身な態度が窺い知れる。しかもそれが思い込みやったとなれば更に話がややこしくなる。ほんま人間はどこまで能動的に振る舞えるんやろうね、甚だ疑問やわ。そう言えば『乳と卵』のなかに巻子と緑子という親子が互いに自分の頭で玉子を割ってドロドロになる描写があったやん。あれって卵子を破棄したいという願望の現れやと思うねんけど、LEOちゃんの最新作『目下茫洋』のなかにも子宮を爆弾に例えて「それを運び続けることが、すなわち生きることになっている」という強烈な表現があってゲロ吐きそうになってん(賛辞)けど、それ以外の箇所も含めてあきらかに前作『ROLLER SKATE PARK』とは異質の内容になってると思う。前作から今作に至るまでの期間に何か心境の変化のようなものがあったの?
〔LEO〕なるほど!!いわれてみればストレートな比喩やのに、卵の場面でその解釈を思いつきませんでした……!殻が割れるというのが、二人の心の殻が割れるってことを暗示してるんかなぁと思ってました。あとはその卵を体にぶつけて割るという非日常的である意味馬鹿らしい行為を共有することで、関係も変わったんかなぁとか。そもそも、あの話でもなんで巻子が豊胸手術をしたいかっていうのは謎なんですよね。他の人とその話をする機会があったときに聞いた意見で妙に納得したのは、豊胸手術をすれば全てが上手くいくという願いみたいなものがあったんじゃないかというので、それは実際の土井さんのご近所さんの話を聞いて、改めて重ね合わせてしまいした。旦那さんを喜ばせるためには、豊胸手術をする以外の形もあったはずやのに、それが選ばれたという事実について、考え込んでしまいます。ZINEの内容としては、『目下茫洋』の原稿を書き始めたのは、『ROLLER SKATE PARK』と同じタイミングで2022年の9月です。でも最後の最後まで完成しきらず、また最初に出す作品で「女性の書き手」というイメージをつけたくなかったので、別の機会に回すことにしました。一年経って、やっと踏ん切りがついたので、今回出したというような感じです。なので、心境の変化は特にないですね。それどころか、2022年の9月に書きはじめるときにも、2020年とかもっと前に書いた別の原稿を原型にしたので、むしろ『ROLLER SKATE PARK』の方が異質な内容といえるのかもしれません(笑)。
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〔土井〕そうなんや!あの2冊は同時期に書かれたものなんや!それはびっくり!あれをがっちゃんこして1冊にしないところがニクいね(笑)。でも「女性の書き手というイメージをつけたくない」という気持ちはわかる気がする。社会そのものが「女性」というイメージを操作する機械やとしたら「女性」の書き手にとってはこのことほど煩わしくて鬱陶しいものはないよね。機械についてはドゥルーズの言葉を引くしかないけど「一方の機械は流れを発する機械であるが、他方の機械は、この発せられた流れを切断する機械である。乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である」っていう、何回読んでもきちんと理解できないドゥルーズなりの概念があって、さっきの能動的か受動的かという話に戻るけど、要するに手を取り合ったかと思えば手を離すということをひたすらに繰り返すってことやんな(違ってたらすみません!)。『ROLLER SKATE PARK』が流れを発する機械やとしたら『目下茫洋』は、この発せられた流れを切断する機械やという感じかな。でもあれは確かにぶった斬りにきてるよね(笑)。そもそもLEOちゃんが「能動的」に文章を書きはじめた、あるいはそれをzineにしようと思ったきっかけは何なの?
〔LEO〕機械の例えはほんまにそうですね……。操作できないレッテルを貼られた箱のなかに勝手に分類されるときの無力さは筆舌に尽くし難いものがありますね。ドゥルーズのその文、帰り道で何回も考えてみたけど難しい(笑)。能動と受動に関しては、自分も全然答え出てないです。「能動的に」文章を書きはじめたきっかけやZINEにしようと思ったきっかけもいまいちはっきりとはしてなくて。文章は小学2年生くらいに挿絵つきの物語を書きはじめて、3年生くらいのときに大学ノート一冊分くらいの勧善懲悪的な物語を書いてたのは憶えてます。子供向けの賞にも応募したことあったような。中学生のときは音楽の感想を書くブログに熱中してて、高校生のときは今もたまに更新してるはてなブログで書いたり、掌編を書きかけては筆を投げたりしてました(笑)。大学に入ってからも、気づいたらtumblerやGoogleドキュメントやノートに文章を書いてて、なんか書こうと思って書くよりは気づいたら書いてる(書かないとやってられない)って感じで、それこそわりと受動的な部分や習慣の部分が多いと思います。ZINEは大学に入る前から出してみたいと思ってたんですが、なかなかまとまった文章を書けずにいて、最後のひと押しをしてくださったのは他ならぬ土井さんです!
〔土井〕え、ほんまに!なんにせよLEOちゃんの文章が世に出るきっかけになれたんやったら、素直に嬉しいわ。それにしても小学校低学年から物語を書いてたというのはすごいな。僕は二十歳のときが最初で、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をまんまギャングの抗争に置き換えた内容で(笑)。いま思い返してみてもほんまに恥ずかしい!でもその恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はなかったなぁとは思う。そういう意味でも勧善懲悪の物語を経た、いまのLEOちゃんが書いた小説を読んでみたいな。エッセイや日記はもちろん素晴らしいけど、僕はやっぱり根本的に「嘘」が好きやから、あなたの「嘘」つまり小説が読んでみたい。そう言えばLEOちゃんとはじめて会ったときに別役実の『ベケットといじめ』という本をオススメしてくれたやん。後に僕がイジメ体験者であることを知って、めっちゃ気にしてくれてて、ええ子やなって思ってん(笑)。あの本のなかで中野富士見中学で起きた「葬式ごっこ事件」を題材に、自殺した被害者も含めてあそこに関わった全員が何らかの役割を演じていたという指摘があったけど、いまでいう同調圧力、それかやっぱりドゥルーズの機械云々がふたたび頭をよぎる。まさにLEOちゃんの言う「箱のなかに勝手に分類される」感じで、そういうのは決して珍しいことじゃない。むしろいまを生きる者みんなが何かしらの役柄を演じてると言えなくもないし、ちょっとゾッとするよね。そう言えばLEOちゃんは『ベケットといじめ』の解説を書いていた宮沢章夫さんの演劇に役者として関わったことがあるんやろ?そのときのこと詳しく教えてほしいな。
〔LEO〕いや〜話したことに対してこんな熱量で返してもらえるのに「インタビュー」って、改めてすごいです(笑)。初めに書いたのがギャングの抗争やったんや、面白い!「その恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はない」ってほんまに間違いないですね。まぁ自分はまだ青二才なので、今も恥を塗り重ねてる最中ですけれども(笑)。小説、実はまさに一昨日書きはじめたところです。今回2作目のZINEを出してみて、いわゆるエッセイの形では今自分が書きたいことを表現するには限界があるなと感じて。それで、題材は現実からとるにしても、嘘の物語を書いてみようと思いました。「ベケットといじめ」のその指摘は本当にぞっとするところですよね。個々の人間の強い意志や悪意じゃなくて、場の雰囲気が人々に演じさせ、死にまで追いやるという。演劇については、当時はあまりピンとこなかったというのが正直なところでした。でも今の話でいうと、ちょうど先生の演劇に出る前に、友人が主宰してる劇団のワークショップで「目の前の相手を馬鹿にする」という演技をしたときに、普段とは違う強い言葉や嘲りの語調が自分の上に現れてきたのはびっくりしました。「役を演じる」というのは、それほど力のある怖い行為なんやと思います。「ゴドーを待ちながら」では、少年の役だったんですが、「わざと演じようとしなくていい」と言われていたので、演じるという感覚はあまりなかったし、思わず感情移入するような話でもないので、台詞をどんな風に言うべきか迷ってました。ご期待に沿えず申し訳ないのですが、実は当時の稽古のことよりも、帰ったらなんか焦りながら新書を読んでたことの方をよく憶えてます(笑)。当時はわかりやすく言葉の形で手に入るもの(知識)だけが価値あるものやと思ってて。小説という表現���、役者の人が身体に蓄えてきたものの豊かさとかに、全然思い及んでなかったです。教授としての宮沢章夫に5年も習ってやっと、価値あるものは世界のどこにでも遍在してるんやということに気づけました(笑)。先生は、街をフィールドワークさせたり、好きなものについてプレゼンさせたり、昔の映像を見せたり音楽を聴かせたりと、いわゆる「学問」的なアプローチではない授業をやっていました。それを勘違いして「楽単(単位をとりやすい楽な授業)」として舐めた態度で授業を受けてる学生も多かったですが、実際のところ受け身でも何かが身につくように親切に教えてくれるわけではなくて、街をフィールドワークする授業では、自分で実際に歩くことでしか見つけられない視点を得てきたかというところを厳しく見ていました。印象的だったのは、ただ通行人が新宿の駅前を歩いてるだけの映像を3分間くらい見せたあとに、先生ひとりが「面白いよねぇ」と笑っていたことで、このニュアンス伝わるかわかりませんが、この人は皆に全然見えてないものが見えるんやなと(笑)。
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〔土井〕めちゃくちゃ興味深い話がいっぱいなだれ込んできた(笑)!LEOちゃんの小説、それはヤバい、楽しみすぎる。日記専門店「日記屋 月日」でディレクターをしている蟹の親子さんともよくこの話をするねんけど、やっぱり僕らは「ほんまもんの嘘」を肯定できなくなったら終わりやと思うねん。いまはどちらかと言えば「嘘」は「フェイク」と貶されて、「ほんま」は「リアル」だと厚遇される。僕はどうしてもそういう価値観とは相性が悪い。本来フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の「語り」はあると思うねん。せやから「あの登場人物のモデルは誰ですか?」とか聞かれても返答に困ってしまう(笑)。「目の前の相手を馬鹿にする」ワークショップの話もめっちゃおもろいな。そこでLEOちゃんの脳みそに降りてきた罵詈雑言の数々……どんな感じやったんやろ、想像でけへん(笑)。『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーもまさに同じような境地に立ったんとちゃうかな?ふとしたきっかけで自分のなかの底なしの悪意に気がついてしまうことはある。たまたまレジャーはそこから戻ってこれなくなったのかもしれへん。僕は『ダークナイト』が大好きなんやけど、何が凄いってジョーカーが自身の口が裂けた原因を語る場面で、あるときは「親父のせいでこうなった」と言い、また別のあるときは「妻のせいでこうなった」とか言うねん。めちゃくちゃ怖いやん。しかも最後まで明確な根拠が提示されないままに映画は終わる。「何らかの要因があって、こうなった」というのは、あらゆる物語にとって逃れ難きテンプレートやと思うけど、ジョーカーにはそれがない。すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る。笑い飯の漫才にも優しいおばあちゃんが自分の畑の土から出てきたモグラをスコップで叩き殺す、みたいなネタ(哲夫が披露した「すべらない話」かもしれない)があったような気がするねんけど、ああいうのが一番怖い(笑)。ある種の物語に依存している人たちは何でもかんでも原因があって結果が生ずることを求めるけど、実際は人間ってそんなにわかりやすいものでもないやん。恨みとかなくても笑いながら人を刺す奴も絶対おるで。例えば自分の作品でいうと『JAGUAR』の終盤で前後の脈絡なく唐突に「常温でも冬場なら五日、夏場なら二日は日持ちしますよ」みたいな語りが出てくるねんけど、あれはほんまに自分でもわけがわからない(笑)。なんのこっちゃさっぱりやで。でも日常生活においては別に珍しいことでもなく、普通に歩いていても突然色んな言葉や考えが降って湧いては消えていくやろ。だからあのまま残してん。なんかLEOちゃんの話を聞いていると、宮沢章夫さんは講義や演劇を通じて学生たちにそういうことを伝えたかったんちゃうかなぁって思うわ。そうそう、あとあなたを見ていていつもハッとするのが印象的なファッション。すごく似合っているし、魅力的やと思うねんけど、あの独特のファッションは自分なりに考えがあってのことなん?
〔LEO〕「フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の『語り』はある」っていうの、ほんまにそうですね。小説のなかは独自のルールで動いてる一個の世界で、どんなに現実っぽい見た目してても現実ではないから、それを現実の物差しで測ってリアルか否かを問うのはなんか違うなと思います。その映画は知らなかったんですが、毎回別の説明するのめっちゃ怖いですね(笑)。宮沢先生は演劇も笑いもいわゆる「不条理」な感じなので、近いと思います。因果関係については、小説書きはじめてみてもう早速ぶつかってる壁です。いや、読んでる側のときはなんでもかんでも因果関係で解明しようとする読みはつまらんのちゃうかと思ってました。例えば、夏目漱石の「こころ」でなんで先生やKが死んだのか?みたいな問いって、物事の因果関係の層で片付く問題じゃないと思ってて、仮にあれが個別の具体的な人間に抽象的な概念を象徴させてる話なんやとしたら、そこで出来事だけ追って説明しようとするのってナンセンスやんと思ったり。でもいざ書こうとしてみると、なかなか因果関係から逃れるのって難しいですね。「すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る」っていう土井さんの捉え方は、もしかしたら他者の捉え方を反映してるのかなって思いました。tumblerの記事とか読ませてもらってても、勝手に合理的な説明を作って納得しようとしたりするよりかは、他人は他人でわからんもんやって大前提がある気がして、清々しいなと思います。ひとが皆、自分が理解できるような形で自分の行動の意図を説明してくれるわけじゃないですもんね。ファッションは自分なりに気を遣ってるところではあります。顔が地味やから、せめて服だけでも派手にしよう、みたいな(笑)。でもZINEでも書いたみたいに、本来の自分を「粉飾」してる感覚で、つい服を買ってしまうけど、常に微妙な引っかかりがある。真剣に服が好きな人とは対立する価値観やと思うんですけど、服(やメイク)って所詮は見た目のところでしかなくて、本当に大事なものは精神のところにあるんやとも思ってて。だから、いつか坊主にして毎日同じ黒のシンプルな上下を着るみたいな日々を送れたらなとも思うんですけど、なかなか踏ん切りがつかないでいます。
〔土井〕嫌や!LEOちゃんが坊主の黒服は何でか知らんけど嫌や(笑)、ってこれも勝手な理想の押しつけやねんなぁ。ほんますんません。うちの奥さんもたまに「坊主にしたい」とか言うときがあって「嫌や」って言うたら「自分は私が嫌やって言うてもタトゥー彫ってるやん」って怒られる(笑)。人間って自分勝手やな。ファッションに関連した話で、今年の8月に大阪の音楽イベントに出演した韓国のDJ SODAさんが性被害を受けた事件があったやん。DJ SODAさんの身体に故意的に触れた奴が「あかんことをした」というのは大前提にして、僕はあのDJ SODAさんのファッションやセックスアピールと誤解されても仕方がないようなジェスチャーがとても怖い。彼女は「私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」と言うていたけど、やっぱりそれを目の当たりにすることによって気まずさを抱える人間や、性的に興奮してしまう人間がいることも頭の片隅に置いとかないとあかんと思う。もっと言えば、彼女が派手なメイクや衣装で自身のスタイルの良さを際立たせれば際立たせるほどに、別のタイプの女性に劣等感を抱かせはしないか?僕はやっぱり筋骨隆々な男を見るのが苦手で、なんとなく目を背けてしまう。でも街中には肉体美をこれみよがしに見せつける看板を掲げたジムがどんどんできて、筋肉バカが量産される、あっ、さすがに言い過ぎた(笑)。これは僕の偏見に満ちた感想なんやけど、男女問わずキラキラした連中って、すぐに群れるし、意識的であるにせよそうでないにせよ他を排除しようとするやん。あいつイケてない、キモいとか言って。DJ SODAさんたちのようなポップアイコンの無自覚な言動が世の中に優劣の基準を植え付けて、新たな弱者を生んでるような気がしてならへん。まぁ、だからって胸を触る行為が許される訳ないし、そんな奴はどつかれたらええねん、とは思うけど(笑)。とにかく一般的に言われる強者、弱者という区分には違和感しかなくて、それは常に変動するものやし、それぞれの局面によっても変わってくる問題やからね。スーパー銭湯やホテルが刺青やタトゥーを禁止にしてるところが多いけど、僕は仕方のないことやと思う。入浴のわずかな時間に刺青だらけの奴の人間性なんか知ったこっちゃないし、ほんまは優しくて良い奴やねんとか言われても、見た目には威圧感しかないから。LEOちゃんは同性の立場からDJ SODAさんのことはどう捉えてる?
(LEO〕そうですね……。それほど詳しくないですが、現代らしい出来事やなとは思ってて、自分のなかでもいろんな考えが交差してます。DJ SODAさん個人に対して思うことは特にないですが、その人に限らず、自分を綺麗に見せたいという欲望や見た目を通して自信を得るというあり方を正々堂々と公言する風潮には違和感を感じますね。それは必ずしも社会の大多数が肯定すべき「潔白」で「正しい」価値観ではないはずです。そもそも「美しさ」は必ず「醜さ」を前提としていて、美しくあろうとすることは、他者よりも優位の場所にいたいという薄汚い欲望が剥き出しになってるあり方だと思うので。土井さんの言うように、実際にそういうものを見て、性的な興奮や気まずさを感じる人も居るわけですし、決して手放しにいいね!ってなるようなものではないと思います。と言ってみて、自分が服を買うときに感じる後ろめたさの理由がさらに明確になりました笑 つまり、自分もアプローチは違えどDJ SODAさんなんですよね。ただ自分としては、自己満足でやってるというのを、「自分が好きで能動的に選んでる」という意味で捉えてるので、他者にどう思われるか・どう扱われるかというところまで受け入れなあかんとは思っています。いや正味なところ腹がチラッと見えるような服を着てるからって腹触られたらキレてしまいます、でも腹を見せる服を着ることで自分は何を表現しようとしてるのか?って考えたら、ほんまに後ろめたい汚れた答えしか出てきません。「腹を見せるのは自分のスタイルが良いのを誇示したいから」→「スタイルの良し悪しは自分の努力で決まったわけではない」→「ほとんどただの遺伝要因にすぎない要素を自分のものかのように誇示してるのはさすがにダサすぎる」→「でもこの服を着ると自分の気分も上がるし」→「その『気分の上がり』は詰まるところ優越感だよな」→「いやでも実際これを着ていくと評判もいい」→「その『評判』に何の価値がある?」…みたいな問答を繰り返しながら、結局のところ快楽に溺れてる情けない人間です。そういう「屈託」(グレーゾーン)の部分をどんどん取り払って、ポジティブを装っていくような風潮があまり良いとは思えないですね。お風呂のタトゥーは少し違う部分もある���ど、威圧感を感じてしまう他者がいるという点では似てますね。
〔土井〕そうやなぁ、タトゥーも含めてファッションってほんまに難しいよね。そこにはやっぱり今回の僕らの話の裏テーマ的にもなってる能動的か受動的かという話と切り離せない問題やと思うし、そこには確実に実在しない何者かによる「まなざし」がべったりと貼り付いてる。ちなみにほんまの余談なんやけど、いまや作業着も私服もまったく同じで毎日同じ服装しかせえへん僕も、実は服飾専門学校に通ってた時期があって、結局なんぼやってもまつり縫いができへんくて早々に中退してん。ほんまこれどうでもええ話やったわ(笑)。とにかく今回のインタビューで気がついたことがあって、LEOちゃんのなかにも男性性があるし、僕のなかにも女性性があるということ。それが順繰り自分でも気がつかないうちに小刻みに切り替えが行われてるんちゃうかな。だから自分の行動や考えにも常に違和感がつきまとう。さっきようやくその結論にたどり着いた自分はもはやいまの自分ではないから、どうやってその結論に至ったのか、いまとなっては到底わかわからない、みたいな(笑)。その果てなき違和感に決着をつける術が僕の場合は小説なのかもしれへん。決着というか、違和感を違和感のまま提示できる裏ワザのようなもんかな。生きてたら矛盾だらけやけど、その矛盾をそのまま置いてみたり、別の角度から眺めてみたり、転がしてみたり、味見してみたりできるのが小説やな。さっきのファッションに関するLEOちゃんの問答なんて、すでにめちゃくちゃ小説的やと思うねん。小説って何も起承転結があって、ある地点で発生した問題を最終地点に送り届けて解決することが目的ではなくて、語りそのものの躍動こそが本来の醍醐味やと思うから。俗にいう解決しない物語は、独りよがりな問答から始まる。だからやっぱり僕はこれからあなたが書き上げるであろう「嘘」が楽しみで仕方ない。今回は色々と突っ込んだ話ができてほんまに楽しかった。そもそも関東から関西に戻って来たばかりで仕事も執筆活動も大変なときに時間を割いてくれてありがとう。そんなわけで最後の質問、いまのLEOちゃんの最大の楽しみは何ですか?それが聞きたい。過日Gerald MitchellのDJで踊るあなたはめちゃくちゃ楽しそうやった!
〔LEO〕なるほど……面白いです。自分のことだからって自分で全て把握してるわけでもないんでしょうね。自分(私)は把握できてると思い込んでたけど、それこそ小説を書きはじめてから深層心理を掘り返すような作業に早速飲まれてて、全然把握できてないことを思い知らされました(笑)。小説って面白いですね。いまは書き急がず、もっといろんなものを読んでみようと思ってます。最大の楽しみ!確かに音楽を聴くのはとても好きですが、最大と言われるととても難しい(笑)。若干ズレてて恐縮ですが、布団でまどろんでるときと良い夢をみてるときが一番幸せですかね。最後こんなんですみません、こちらこそ貴重な機会をほんまにありがとうございました。今後は自分が土井さんを個人的に質問攻めにさせてください。この長いインタビューを読んでくださった方もありがとうございました!
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hitujijp · 5 months
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放下に売り渡した意志
オレに関しては状況に好転の兆しは無い。立場的は、いつもの定位置、つまり無位無冠無役の座を確固たるものとしている。
とはいえ、勿論それらについて改善しようとか、どうにかしようとする努力は行っていない。なぜって、どうせ無駄だからだ。いつも通り後悔しながらただそのまま受け入れる、たったそれだけの単純にして最速、最も簡単な解決方法を遂行するのが人生だと思っている。
余談だが入院している父は、少し体調が落ち着いた時を見計らって延期されていた手術を何とか行えたらしい。手術は当初想定より難航した様だが一応は完了し、その甲斐あってか最悪の時期より体調に改善傾向が伺える。あと1回手術が必要なのと、その後もリハビリが必須だがひとまず父は直近の危機を脱したと見ている。
とはいえ、幾らリハビリが首尾良く運んでも要介護になる可能性は高い。オレは無能かつ、最底辺、そして極めつけの悪党だが、幸い身体能力だけは高めなので力仕事は特に問題無い。あとコミュニケーションが苦手なオレとしては喪主とかやりたくないので、その点でも胸を撫で下ろしている。
父に関して言えるのは「なるようにしかならないし、なるようになる。死んでいない内は生きなさい」に尽きる。
実際今回オレは何もしなかったに等しい。ただ風向きが変わるのを待っていただけ。だから風向きが変わらない可能性も十分有った。しかし人間には限界が有り、全ての物事を手中には出来ない。その上生活を継続し、成立せしめる為にはどこかで「解決」を投げ出し、どうとでも解釈出来る都合の良い論理を使って辻褄合わせをする放下が必要になる。動物なんて大抵そういうもの。誰にしても自分にしても。
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kennak · 5 months
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連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえってくる。劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。業務をもう少し細かく説明すると、・入出立ち会いよく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。・イベント企画・運営お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。・チケット取次・配席ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績���結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。・グッズ作成お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。会運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。そんなことがあるわけないだろ。平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。自分も、声を上げられなかったひとりだから。彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。妹さんにはお世話になりました、心からのご冥福を祈ります。助けてあげられなくて、ごめんなさい。
ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話
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takahashicleaning · 5 months
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TEDにて
ヴィージェイ・クーマー :自律的に協力し合う飛行ロボット
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
アメリカのペンシルベニア大学のヴィージェイ・クーマーの研究室で開発しているクワッドローター型の小さく敏捷(びんしょう)な飛行ロボットは、自律的に集合を作り
お互いの存在をカメラで認識し臨機応変にチームを組んで、建設や災害時の初動調査やその他様々なことをこなします。
コンピューター制御の方法は、12次元に及ぶ複雑な計算を驚くべきことに、4次元の最小スナップ軌道に変換する計算に置き換えて、しかも!、内部の高速なCPUを処理させていくことで軌道をリアルタイムで、微修正していきます。
他に、リアルタイムな高速なセンサーフィードバック技術リアルタイムな高速なモーションキャプチャー技術も導入しています。
最後には、映画007のテーマソングを自律的なロボットが自動演奏してくれます!
私が、今、手にしているロボットは、私の学生アレックスとダニエルが作ったものです。重さは、50グラムほど消費電力は15ワットで見ての通り、直径20センチほどの大きさです。
このようなロボットの��組みを簡単にご説明しましょ。4つのローターが、すべて同じ速さで回っているとき、ロボットは空中で静止します。
4つのローターの回転速度を上げると上に加速し上昇します。ロボットが傾いていれば、当然、その傾いた方向に進むことになります。ロボットを傾けるには2つの方法があります。
この写真で4番ローターは速く。2番ローターは遅く回っています。そうするとロボットを「ローリング」させる力が働きます。一方、3番ローターの回転を速く。
1番ローターの回転を遅くするとロボットは手前側に「ピッチング」します。最後に、向かい合った2つのローターを他の2つより、速く回転させると垂直軸を中心に「ヨーイング」します。
オンボードプロセッサは、行うべき動作に対して必要となるこれらの方法の組み合わせを求め、モーターに対して毎秒600回送る命令を決めています。それがこの基本的な仕組みです。
この設計が有利な点は、サイズを小さくするほど、ロボットの動きが敏捷になることです。ここで、Rはロボットの大きさを表す数字で実際には半径です。Rを小さくすると様々な物理的パラメータが変わります。
中でも一番重要なのは、慣性。すなわち動きに対する抵抗力です。回転運動を支配する慣性の大きさは、Rの5乗に比例します。
ですから、Rを小さくすると慣性は劇的に減るのです。結果として、ここでギリシャ文字のαで表している角加速度は1/Rになります。Rに反比例するのです。
小さくするほど速く回ることができるようになります。このようなロボットを作る理由は何かというと多くの平和的な応用があるからです。
自律的なロボットが、解決すべき基本的な問題は、1つの地点から別の地点へ移動する方法を見出すということです。これが簡単でないのは、このロボットの力学的特性が極めて複雑なためです。
実際、12次元空間で考える必要があり、そのためちょっとしたトリックを使って曲がった12次元空間を平らな4次元空間に変換しています。その4次元空間は、X、Y、Z座標とヨー角からなっています。
そうするとロボットがするのは、最小スナップ軌道を求めるということになります。物理学のおさらいですが、位置の変化を微分していくと速度、加速度、ジャーク、スナップとなります。
このロボットは、スナップを最小化するようになっています。それは、結果としてなめらかできれいな動作を生み出すことになります。
また、障害物の回避も行います。この平らな空間における最小スナップ軌道を 複雑な12次元空間へと逆変換して、それによって制御や動作の実行をするわけです。
MITの物理学者であり、AIの研究者であるマックス・テグマークの言うように・・・
ロケットの話と似ていて技術が単に強力になれば良いというものではなく、もし、本当に野心的になろうとするなら、コントロールの仕方と、どこへ向かうべきかも理解しないといけません。
エリエゼル・ユドカウスキーが、「友好的なAI」と呼ぶものです。そして、これができれば素晴らしいことでしょう。病気、貧困、犯罪など苦痛というマイナスの経験を無くすことができるだけではなく、様々な新しいプラスの経験から、選択する自由を与えてくれるかもしれません。
そうなれば、私たちは自分の手で運命を決められるのです。そして、準備がないままにつまづきながらアジャイル(=機敏さ)で進んで行くとおそらく人類史上最大の間違いとなるでしょう。
それは認めるべきです。冷酷な全世界的独裁政権が可能になり、前代未聞の差別、監視社会と苦しみが産まれ、さらに、人類の絶滅さえ起こるかもしれません。
しかし、注意深くコントロールすれば、誰もが裕福になれる素晴らしい未来にたどり着くかもしれません。貧乏人は、金持ちにより近づき、金持ちはさらに金持ちになり、みんなが健康で夢を追い求めながら自由に人生を送れることでしょう。
その他に、行政府自身が社会システム全体の資源配分の効率化を目的とする保証はないため政治家や官僚は自らの私的利益のために行動を歪め、市場の失敗を矯正するどころか資源配分をより非効率にする可能性すらあります。
続いて
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
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luncott · 6 months
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マリオワンダークリアしました!!
…1週間ほど前に!!
最終コース打開したら即感想殴り書きするつもりがあっという間に時間が経ってしまった、時の進行が早すぎる。
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Wonderful!!
いやーー大傑作、最高に楽しい2Dマリオ体験でした。もうすぐ40年に届くかというシリーズの最新作とは思えない新鮮さの塊、操作感が魂に染み付くほど共にしてきたヒゲ男なのにどこを向いても知らない体験が満載、満足も満足ですよ…!
「しかしいくら任天堂でも数多のユーザーの手によって生み出された上質で衝撃的なコースを好きなだけ遊べる、あまつさえ他プレイヤーとレースまでできちゃうマリオメーカー2を経た上でマンネリの壁を壊すのは厳しいのでは~~?」
とプレイ前に僅かに思ってたら、マの字すら抱かさねえよとなみなみ注がれた珠玉の新アイデアを次から次へ顔面に浴びせてくれたのは嬉しい事この上なかったですね、初っ端からパックン歌っちゃうもん。
それだけで数コース作れそうな思わず唸る新ギミックでもほぼ使い切りで次々と投入していったのがとにかく印象的だった、これが期限を定めず11年熟成したマリオか…!(インタビュー談)
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知らんマリオでいっぱい。でもプレイ感覚は既存の枠から外れてないのがまた凄い。
結構な速度で横移動する上にトゲコロに押し潰されるとミス扱いになる指折りの謎ワンダー、これすき(もっと出番欲しかった)
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体験に文字通り花を添えてくれるおしゃべりフラワーも良い。
大体がその場に合わせた当たり障りのない事しか言わない、たまにクスッとさせてくる賑やかし要員なんだけど、それがちょうど良いんですよね…こちらのアクションに反応をくれる個体がいるのも嬉しい。
過去作品ではまずあり得ない、ペラペラと日本語をフルボイスで喋る異質極まりない存在のはずなのに、一切ノイズに感じず愛着しか湧いてないのが今思うと不思議。その点は拘って台詞考えてそうだなぁ、もう以前の作品やったら寂しくて仕方ないと思う。
ちゃんと距離が離れると声も遠くなる拘りっぷりも好き(動画貼ろうとしたら1記事1つまでと言われておこった)
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そして欠かせないゆるーく繋がるオンラインプレイ。
これ!!マリワンでとびきり刺さった新要素がこれです!!!
基本的にはリアルタイムで同じコースに挑戦している他プレイヤーが映るだけ、互いの画面へのギミック干渉はできず可能なのはエモートやアイテムの送り合い、ミス時に他人にタッチすると復活できる機能くらい。
これだけ、たったこれだけなのに「みしらぬだれか」との楽しい一期一会コミュニケーションが無尽蔵に生まれていく素晴らしいアイデアよ…!
偶然同時にゴールしたプレイヤーと😊を送り合うだけでも楽しいし、道中のペースが近い相手と歩調を合わせて協力してゴールまで進んで互いに称え合うなんて楽しみもある。相手の動きがラグなくスムーズに反映されるので隠しブロックの在りかや隠しルートへのヒントを貰うこともできるし、逆に迷ってる相手を誘導することもできる。楽しい…すべてが楽しい…!
干渉できる要素が全てプラスに向かう要素しかないのでこの手のマルチで発生しがちな悪意が介入する場面に一切出会わなかったのも凄かった、これだけ他プレイヤーとの関わり合いが気持ちいいゲームなかなか無いよ!?
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そのオンラインプレイの中での極めつけがこれ。みんなの広場。
ステージ内に隠された5つのフラワーコインを他プレイヤーと協力して見つける宝探しゲームで、恐らく先述した「他人の動きからヒントを得られる」点から着想を得て生まれた遊びだと思うんだけど、やった人なら分かると思うがこれが感動するほど楽しい。
難易度はこの手の宝探し系ゲームにしては隠し場所がしっかりと難しく設定されていて詰む人はとことん詰む造り。そこを先に見つけた人が他者に分かるようなんとか伝えることでクリアまで誘導する、結構プレイヤーの善意に委ねた難易度調整がされてるんですよね。
そんな善意の連鎖が赤の他人に対して果たして続くのか!?というと…
続きます!!!
何故なら身振り手振りでのジェスチャーが相手に伝わると人間むっちゃ楽しいから!!!!!
いくらでも連鎖するんです、楽しければ。
いやほんと楽しいんですよこれ……凝った隠し方がしてあると要求されるジェスチャーも難題になるものの、それがまた適度な難しさで……ああ、もう一度あの土管押してこようかな。Switch今京都じゃん。
惜しいのはそんなに数が多くないとこなんですよね、あと10広場はいける。
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最後に高難易度コース、今回もべらぼうに満足できました。
序盤からこの難易度を!?とギョッとさせるモックモックSPをはじめ、任天堂がぶつけてくる難関コースって難しくありながら意外と乗り越えられるものを絶望として描くのが上手いというか、そう思わせる調整が怪奇的に絶妙でとにかく楽しいんですよね。一番いい激辛さ。
その極めつけがスペシャル最終コースのクソムズいやつで。
あのコース、最後に相応しく各パートがどれも初見時は絶望的に映るんだけども、ランダム要素由来の難しさが殆ど無いので数をこなして全体像とパターンを掴む段階まで至れればその時点で気持ちよく突破できるものが多いんです。
そしてそれ以降は小さい労力でサクサク乗り越えられる、要は覚えゲーなんだけど見た目は絶望的難関なので何回突破しても爽快で楽しい。あれだけ苦戦したのに気づけばスイスイ突破できる楽しさ、弾幕STGのそれにも似てます。
それでいて最後の最後、真の難所は覚えゲーにせずゲーマー目線で見ても明らかな「クソムズい」を叩きつけてくるのが最高で…オデッセイの時といいあの部分は公式マリオのトロと自分は呼んでいて…。一番ふざけんなばかと声が出る部分でもある
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纏めるなら「Switchから遊びに行けるマリオのテーマパーク」のような作品でした。
ありがとう任天堂。楽しかったよ任天堂。
…と、いいだけ楽しんだマリオワンダーだけども一つだけ心残りがあって。
フレンドと4人マルチできてないんですよ!!!!!!!!!!!!
3人までは叶ったんですけどね…!
プレイ中のフレンドとの繋がり辛さはこのゲームの数少ない欠点だなぁと、12人まで入れる仕様なんだけどフレを眺めてても4人以上集まってるケースを見たことがない。
部屋を建ててもゲーム内で通知が行かないので外部で告知や声掛けが必要。
告知を流しても相手は当然マリオ中なので気づかないケースがかなり多い。
部屋建てしながら野良と遊ぶという事ができないので建てっぱプレイが難しい、告知に気づくころには大体痺れを切らして閉まってる。
恐らくこの3点が原因、箇条書き機能が使いたかった。
この点はゆるく遊ぶのと同時にゆるく繋げてくれる仕様が欲しかったですね、フレンドとのマルチは野良とはまた別の楽しさが満載なだけに…!
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いつか4人でこのポールを掴むぞォ!!!!
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teruyukifujii · 1 year
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高熱で発熱外来に行き検査すると、コロナもインフルエンザも陰性で、腹痛があったので念の為CT検査をしてくださったことが功を奏した。家族を呼ぶようにいわれ、ことの重大さに気付く。緊急手術の可能があったが、病院のキャパの問題で大阪医療センターに救急移送された。この時期に入院出来たことがラッキーだと救急対応の看護師がおっしゃってた。国立の病院に搬送されたので、家内には覚悟して病院に来るように伝えた。緊急手術の場合は、腸を切ったり、人工肛門の可能性もあったが、抗生剤の投与で炎症が抑制され痛みも数日で消えた。1週間の絶食は、不思議と苦にならなかったが流動食がはじまると、食事の時間が恋しくなる。食べても腸内が大丈夫なのかのチェックの日々。おかげ様で、なんとか年内退院となった。憩室炎は再発の可能性がありますので、腸内環境を整えてすごします。 同じフロアの患者さんとの世間話も印象的、それぞれのドラマがありみんな時間(寿命)を生きている。 お仕事関係者、医師、看護師、友人、知人、家族、全ての方々に感謝申し上げます。ありがとうございます。 #感謝 #より良き未来を #その先に明るい未来が想像出来るか #その先に明るい未来が創造出来るか #いつも本気 #JustDoIt #完璧を目指すよりまず終わらせろ #でも丁寧に #DoneIsBetterThanPerfect #iphoneで撮影 #TakenwithiPhone #stayhome #君子危うきに近寄らず #最悪を想定し最善を尽くす #この世界で生きていく #WeatheringWithYou #国立病院機構大阪医療センター #大阪医療センター #憩室 #点滴 (国立病院機構 大阪医療センター) https://www.instagram.com/p/CmvSSk0Sc_X/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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alaephoenicis · 1 year
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統合 〜 分離された魂のプロセス
【第三部:最大の落とし穴】
アンティエ・リンデンブラット
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オリジナル動画:https://youtu.be/Y1Q8xg8YEDk
公開日:2023年4月9日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
【第一部:トラウマと隔離】🔗
【第二部:統合のプロセス】🔗
親愛なる皆さん、
まずは第一部、第二部をご覧になっていない方は、そちらを先に観覧することをおすすめします。
この第三部を終えてから、皆さんからの質問の内容と量によっては第四部も配信するかも知れません。
第三部ではまず、魂の統合の際に「落とし穴」があることについて、次に私達が統合しようとする光と闇の側面について、もうすこし詳細にお話します。
統合プロセスにおける落とし穴とは、まず始めに「被害者意識」とそこに釘付けになっている状態のことです。次に挙げられる落とし穴とは、「自分はいい人でいたい」という観念。そして3つめの落とし穴は、自分自身の「感情が乖離された状態」が続いてしまうことです。
これらの三つのテーマは、確然としてお互いに関わり合っていますが、一つ一つ説明していきます。
まずは「被害者意識・被害者の姿勢」、そしてそこに釘付けになる場合、そこには「加害者vs被害者」という動態が繰り返しやってきますが、それは人間的な経験の一部を成しています。「被害者の気分」を味わってみること自体は「間違い」ではなく、それが悪いわけでもありません。問題となるのは、自分が被害者であるという感覚に「釘付け」された状態がずっと継続されてしまうことです。
ここで取り上げているのはそのような永続化された状態に、いつの間にか自身を非常に強く同一視してしまうことで、それはずっと以前に被害者であると感じたことがある、もしくはあらゆる場面でそんな経験をしてきたという経験によるものです。そうやって自分と「被害者」とを同一視してしまうことで、その役割に固執してしまうのです。
人生を歩む中、何かが潜在意識下へ「滑り落ちてしまう」のはよくあることで、例えばトラウマの元になる状況が前世などにある場合はアクセス不可となりますが、それが幼少期に起きた場合、それは意識に顕在化されることなく、つまりはっきりとした記憶がなく、人生で年齢を重ねる内に、自分がはまり込んでいる被害者意識、即ち被害者の姿勢が潜在意識の奥の方に定着してしまうのです。
自覚が出来ていない間は、これを変えることは出来ません。
そのような被害者意識にある場合、繰り返し自己のパワーが削がれるようなことが起こります。問題は、被害者の姿勢で固まっている間は、癒やしはやってきません。これは決定的な点で、こうなると魂を統合することが出来ないのです。
自分が被害者意識に継続的に陥ってしまってはいるのかどうかを識るための兆しは、繰り返し「誰かのせい」にしようとする態度です。
更なる兆しは「投影」、自分の思考や感情が信念を他人に投影してしまいます。そして自分の中にどのような感情が起こったのか、その責任を他人に転嫁し、それと繋げて「相手が何かを改善しなければいけない、相手が変われば自分の気分が良くなり、自分も変ることが出来る」という信念があります。
この投影と共に時に起こりうるのは、相手には「何らかの形で他人を傷つけようという悪意があるのだ」という無自覚の想定です。
ここで強調したいのは、よくあるのは…すくなくとも「癒やしのプロセス」が始まる前は、こんなことをしている自分に自覚がないのです。そしてポイントはまさに、一体何が起こっているのかを「自覚すること」なのです。
��から私は、ひとつずつ取り出して「自分にこういうところがあるなあ、いやこういうのは無いなあ、ああこういうのが出てくるんだ」というように(クライエントが)それを眺められるようにしていきます。これは人間としての経験の一環、すごく普通のことなので、根本的に誰もがこのことに関連があります。
癒やされることで分離されていたすべての魂の欠片を統合させたいという願いがあるのなら、物事を自覚していくことで「全体」へと戻っていく、これは重要なことです。
被害者意識になっている更なる兆しは、物事に「善悪」の評価をしてしまうこと。強力な「白黒」思想と結び付いています。当然、加害者は悪で、被害者は善だと想定されます。これと繋がってっくるのは、私たちには「攻撃されている」と言う感情が非常に素早く誘発されること、個人攻撃だと受け取ってしまうことです。
こうした考えには、「そこには誘発されるもの」が存在している、つまり「誰かによって自分の中に引き起こされたこの感情は、既にとっくの昔からそこにあった」、という自覚の欠落です。そしてこの感情は、まず自分自身の問題であることを知り、それが他人との接し方にどう関わってくるのか見つめることが出来ます。
しかし、そうした「引き金」というのは、被害者的視点から「攻撃」として受け取られます。攻撃されたと感じたとき、人は大抵反撃をします。そしてこれをまでも、自覚なくやってしまうのです。
あまりにも素早く、あらゆることを個人に向けられたものだと受取ってしまい、それが本当に個人攻撃なのか、そうではないのか、という区別がつけられず、「自分は攻撃された(被害者である)」という感覚のみに走ってしまいます。
また、「ネガティブな感情」を否定&ジャッジしようという姿勢が、被害者意識と繋がってきます。ネガティブな感情、とくに怒りや憎しみ、羨望、嫉妬などの感情に至ることは、みんな嫌がるものですよね。
その他、被害者意識としてあげられるのは、相手に対して自分の方から愛のない、傷つけるような態度を取っていることを正当化していることです。だって「自分は被害者」だと思っているわけですから、根本的に「自分には相手を傷つける権利がある」と見なしています。
こうして、多くのことが無意識のうちになされているので、これら癒やすためには自覚していくことが大事です。
つまり、この被害者意識に入っている部分も、意識下から外れているために、統合されるべき分離した魂の一部でしかありません。統合することで、制御して自分の支配下へと持っていくことが出来るようになります。
もしも被害者的姿勢にハマっている場合、根底にあるのは、自分の人生や感情を自己責任と見なすことが出来ず、他人、つまり外界にその責任を押し付けることになります。
それも、私が何をどのように感じるのか、というコントロールを私以外の誰かが握っているという信念が私の中にある、ということになっているのです。ここに、「自分の感情や状況を変わるためには、まず外界が変わらなければならない」と信じてしまう危険があるのです。つまり、「つみがあるのは外界」であり、その被害者である自分は「無罪」となります。
要となるのは、自分がいつ、どのように被害者的な態度に陥っているのか、ということを一つ一つを自覚していくこと。そして、最終的には自分自身、自分の感情、自分の人生に対して責任を担うことなのです。
それは自分が体験したトラウマについても言えることで、第一部・第二部でも言いましたが、責任を担うということは、罪を背負うことではないし、繰り返し同じ状況(もしくは元来のトラウマとなるもの)を引き寄せてしまうのは「自分が悪い」ということでもありません。
「責任」とは「罪」と全く関係がありません。単に「答え」そして「癒やしへの解消」が自分に掛かっている、ということです。つまり、自分自身を覗き込むのです。外に目を向けて、被害者の気分になっている自分が何をしているのかみるのではなく。そういうとき「外界がどう変わるべきなのか」を考えてしまっています。
責任を担う、ということは「自分は内観するべきなのだ」と気づくこと。「私のトラウマを解消し、私を癒やすことのできる全ては、私の中にある」のです。
これらを区別することは非常に大事です。
なぜなら、私たちには2つの可能性があり、それを特定の状況で何度も自覚することが出来ます。もしも理不尽な状況を体験したり、理不尽な扱いを受けた時、または傷つくようなことが起こったり、もしくは古い傷が開くような出来事が起こったりした時、つまりはをある状況の中において自分のことを犠牲者だと知覚することは原則的には間違いではありません。…とここで改めて言っておきます。しかし、ここで犠牲者の役割にハマり込むのなら、繰り返し他人に罪を押し付けることになるわけで、それと同時に自分は無力となり、相手に責任を譲り渡しているのです。すると、先はどういうことになるのかとか、自分は癒やされるのかどうか、というのは相手が決めることになり、自分が癒やされるためには外界に変化が起きないとならない、と信じています。
もしくは、私が自分に起こった感情に対して自分で責任を担うのならば、自らそれを認知し、自分で自分のことを癒せる、ということに気づきます。私は単にそこに座り、評価することなく理解に努めながら自分を観察し、自分の中で引き起こされた感情を『感じる」ことを自分に許可します。これはもう「統合プロセス」なわけです。
私は変化が外からやって来るのを待ちわびること無く、自分が自分に望む変化を自分でもたらすことが出来ることを理解します。
そして、私は何が自分を動かし、どんな感情が自分の中で起こるのか、もしかして自分にはどんな欲求があるのか、何処が自分の限界なのか、などに関する「自己表現」をも学ぶことになるのです。
これらが、「被害者的姿勢」から「自己責任」、そして「自己権力」への脱出路です。
ここで、理解しておくべき非常に大事なことは、加害者vs被害者の全体の動態の中で、誰かがあなたに対してやらかすことというのは、結局は「あなたがやらせている」ということです。あなたが被害者的姿勢でいる限り、繰り返しそういう扱いを「させている」のですが、「自分がそうさせている」ということや、自分にはそれを変える力がある、ということが理解できないわけです。
しかし、自分が被害者的姿勢でいることを自覚すればするほど、次にまた似たような状況下で被害者的な感覚になった時には「ノー」と言えることが分かってきます。嫌だと思うことには境界線を引いて、意思表明をすることが出来るのです。
「いいえ、私はそんな扱いを受けることを容認しません」と意思表示できるし、従って「私はもう犠牲者にはならない」と自分で決めることが出来ます。少なくとも、それまでの元々の状況がどうであろうと関係なく、その後の人生で自分を被害者にするのか、しないのか、決められるのです。
元々の状況では、選択肢はなかったのです。なぜなら、ことは突然起こったとか、もしくは子供だったので何が起こっているのか状況把握して自覚できるほど、意識が育っていなかったからです。そこでは自分を被害者として感知するのかしないのか、を自覚を持って決断するという選択肢はありませんでした。
しかし、この癒やしのプロセス、統合プロセスにおいては、自分が被害者意識へ至るのかどうか、その選択肢があるのです。
こうした意識化のプロセスは、一歩ずつ進めていきます。
私はこれを、自分自身の人生で確かに経験しました。私は長い間「被害者意識」の中にいたのです。そこから脱皮していくのは長い道のりでした。そして未だに…今では途中でそれに気づくんですが、やはり自分が被害者だと感じてしまうことがあります。そういうとき自覚をもって「OK、どうやってここから出るべきか」と考えてみます。「私には選択がある」わけで、無自覚に、勝手に反応してしまうのに身を任せず、どう向き合うのかを私は意識的に決めることが出来るのです。
つまり、気づくことが最初の一歩です。次の一歩は自覚をもって自分の態度を選ぶこと。そして自分の感情をどう完治するのかも決定し、そこにあるメッセージを認識するのです。
例えば、誰かが私の内なる引き金を引いたことで、私に怒りの感情が起きたとします。そのとき「私は何にこんなに怒っているんだろう」と問いかけます。「そうか、相手は私の一線を越えてきたからだ」とか、「無礼な物言いをしてきて、私は傷ついたのだ」等々。
怒りとは、「そこで何かが整っていない」ことを示しています。そこで、自分の感情に責任を持とうとするならば、先程述べたように、境界線を引き、意思表示をし、「私は被害者にはなりません」という決断をすることが出来ます。
このプロセスにおいて、自己表現というのはとても大事です。
また、大事なことは、被害者意識に陥るのは、私たちの魂のほんの一部だということです。魂全体がそうなるわけではありません。何を体験したかによって、心の奥底に残ることはありますが、それでもこの被害者意識に定着しているのは、魂の一部でしかないのです。ということは、自己責任を担っていて、自身の勢力を掲げている魂の部位もあるわけで、こうした部位が、被害者意識に陥っている部分を救済したりサポートすることが出来ます。これを理解しておくことも大事です。
そして、全体において大事なのは、自分自身に対して正直であることです。なぜなら、その状況に至るまでに、我々は自分を自分から隠しておくことに長けていたのです。自分の「被害者意識」というものに向き合わされそうになると、自分から遠くへ押しやっていました。誰かに「君は被害者意識に陥っているよ」とか言われて引き金が引かれそうになると、すぐに反発を感じて「そんなことはない、私は自分が被害者だとか全然思っていない」と言い返しても、態度は別のことを物語っているのです。
それ自体が、困ったことではないのです。認めたがらないことが困ったこと、つまり認めない限りは癒せないので、それが自分にとって困ったことになります。
自分自身に対して正直であること。ここが、自身の癒やしのためには最も大切な部分です。自分が何を感じているのかについてや、自分が他人を傷つけるような態度をとっていることについて、正直に向き合うことです。これまでも私はよく言ってきましたが、「傷ついている人は、他人を傷つける」のです。無自覚でいる限り。
ですから、被害者的な姿勢でいる人は、常に自分が攻撃され、傷つけられていると感じている、つまり誰かに銃で撃たれそうになっているかの如く、自分自身も引き金が引かれた状態で、「撃たれる」と感じた途端に撃ち返すわけです。そうして、他人を傷つけています。
だから、自分自身に対して誠実で正直であることが、最も大事な鍵となってきます。「そうね、ちょうど今、私は被害者だって感じてしまったわ」と認めるのです。次の瞬間には時々、「自分に正直」でいることに勇気が必要なところに至ります。なぜなら、認めるのが嫌な感情、というのもあるからです。特に霊的な場面においては、とでもいいましょうか。
例えば「憎しみ」といった感情は、酷く拒否反応を起こします。“評判が悪い”といいましょうか。「憎しみ」はまっさきに否定されがちで、「いえ、私は誰も憎んでなんかいません」となります。
でも、正直なところ、感情のパレットにはあらゆる人間的な感情が備わっていて、誰もがこれを感じ得るのです。それは非難を浴びるべきことでもなく、憎しみを感じること自体は悪いことではないです。むしろ深く傷ついたのならば、愛が突然憎しみに換わることや、暖かさが冷たさに換わること、率直さが寡黙さに換わることは「ふつうなこと」です。憎しみとは、それを物語るものです。
しかし、このことを認識することは、憎しみの感情を最初から否定して、何も感じていないことにしていては出来ません。そんなことをしていると内側から蝕んでくる、内側で病気になります。
ですからとってもとっても大事なのは、自分の感情を、自分で正直に認めることです。
罪の意識、羞恥心、憎しみ、怒り、羨望、嫉妬、もしくは他人を蔑んだりする感情など、色々あります。
これらは大切な鍵ですが、常に容易いことではなくて、これもプロセスであり、癒やしの道なのです。
自分の中に起こる感情をジャッジすることなく、もっともっと認識し、観察し、理解するようになっていけば、そのプロセスの中でそれらの感情は私たちにとって別のクウォリティを担うようになっていきます。
そこでポイントはやはり、自分の行動と態度、もしくは被害者的感覚を体験する中で生み出されていった自己の態度パターン・被害者的姿勢に陥っていったことに向き合うことです。
また、こうした被害者的な行動や態度のパターンは、傷心が原因だったということを理解しておくことも大事です。それで、悪気や自覚がなくても、あなたは相手を傷つけてしまうのです。
もう一度言いますが、「傷ついている人は、他人を傷つける」わけですが、これは自覚が出来ていない限り、続くのです。
ですから(相手を攻める前に)、自分の方はアンフェアではなかったか?自分の方も相手を傷つけてはいなかったか?と自問することが大事です。自分の方が反撃してしまってから、後になって「相手には悪意はなかった、こちらに向けられた攻撃ではなかった」と気づくこともあります。そして相手には悪気があったに違いない、わざと傷つけようとした、という想定をしがちな自分だと気づくのです。
これは、プロセスなのです。心の内にあるフタを開けるようなものです。
「私は本当は何を感じているのか?」
「自分の態度は自分で云うように、愛情がこもっているだろうか?」
それとも「時に、意図せずして・望まずして、自分は傷ついた経験から行動してはいないか?」
自分と向き合い、被害者意識を自分の中で徐々に溶かしていく、ということは勇気がいることです。
素晴らしいのは、これが「被害者・犠牲者 Opfer」から「創造者 Schöpfer」へ向かう道だということです。
訳注:ドイツ語で被害者・犠牲者のことを Opfer (��ップファー)といいますが、���造者のことは Schöpfer (シェォップファー) といい、アンティエさんは「この“創造主”という言葉の中に“犠牲者”という言葉の音が含まれているのは素敵なこと」と話しています。
ただ、Schöpfer にはOの上に点々がついています。つまり、これらはコインの裏表であり、この道のりはそんなに遠くはないということです。
こうした被害者意識というものを溶かせば溶かすほど、私たちは自分が創造者であることに気づいていきます。つまり、自分の内側に入り、内側を覗き込み、自己責任を担っていけば、何かを変化させるパワーを私たちは持っているのだ、ということに気づきます。
被害者でいる限り、私たちは依存関係の中にあります。相手が変わってくれないと、自分の人生や感情は変わらないと思うわけです。
しかし、創造者の依存度は低くなり、どんどん自由になっていきます。「自分を癒やすため、気分を良くするために、外界は必要ない」と理解します。自分で物事を変化させる力を持っているからです。
つまり、こうした「自己責任」は最終的には「自己権限付与(セルフエンパワーメント)」となり、被害者意識からの解放、自由を獲得します。
それは、人生において、本質的な心の安定へと繋がっていきます。
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次の「落とし穴」に行きましょう。
それは「自分はいい人でいたい」という気持ちですが、これらの落とし穴はすべて、互いに関連し合っていると述べました。多くの人がこれを抱えており、私もその一人です(笑)。
自分はいい人でいたい、これには理由があるのです。
愛されたいとか、受け入れられたいとか、私たちの誰もが持っている欲求です。
ここで都合が良いのは「被害者」とは善側であることです。
「いい人でいたい」欲求、もしくは願望を内に抱えていて、しかも被害者的な姿勢であるならば、それに固執しがちになります。
被害者は善、加害者は悪、この役割は定着しているからです。
究極的に、本当は私たちは両方なのです。ある特定の状況下で、私たちは被害者だったけれど、誰もが別の状況では形を変えて加害者だったことがあるのです。そんなに酷いことをしたわけではないかも知れませんが、誰かを傷つけるような行動をしたり、言葉を言ったり、フェアではない態度をとったり、自分自身の問題を相手に投影したり、といったことです。
どうしても「いい人でいたい」想いでいることで、何が問題なのかというと、統合させようとしている魂の影の側面を悪だと見なして否定してしまうことです。「悪」と見なしたものにはなりたくないわけで、自分に統合させるどころか遠くへ押しやってしまいます。すると、その影の部分にある、羨望、憎しみ、怒り、悲しみ、などといった感情の存在を「悪いもの」だとして否定しているので、癒やすことが出来ません。
そうすると、被害者的姿勢に居残ってしまうのです。だって、それでは、自分に正直ともいえませんよね。「そう、私だって時に加害者なんだわ」とか「私にも闇の部分があるわ」、「誰かを傷つけることがあるんだわ」という認識が欠けているわけで。
この時役に立つのは、「なぜ、私は常にいい人でありたいのかしら?」と、その部分を照らし出してみること。そこで自問していみるべきなのは「常にいい人でいることで、どんなメリットがあるのか」ということです。質問から浮かんでくる答えはひとつずつ書き出し、眺めてみると常にメリットがあって、良いことで、思ったほど悪いことは出てきません。しかし、「いつもいい人でいる」という方法でなくても他の方法でそのメリットは得られたりします。
では、「いい人でいる」ことで何がもたらされるのでしょうか?
また、どんな欲求が満たされるのでしょうか?
更なる問いかけは、「どうすれば、自分の魂の影の部分へ向ける視点を変えられるのか」です。そもそも、どうして私にはこの感情が起こったのでしょうか。「憎しみ」の例で話しましたが、その感情があることをジャッジするよりも、なぜその感情が起きたのか、を理解することです。
そこには全く別の動態が起こり、深い理解が生まれることで、「否定」というのが取り除かれ、ネガティブな感情を感じることができる自分だからといって悪なわけではない、他人を傷つけてしまうことがあるからといって悪なわけではない、過ちを犯して正しくない態度をとることがあるからといって悪なわけではない、ということが分かってきます。これを理解することはとても大事です。
そして、三つ目の落とし穴ですが、これも他の二つと関連しあっていているのですが、単独で短く述べます。
それは感情の乖離で、それが定着してしまうことです。
私たちは誰でも、感情が乖離してしまうことが何度もありますが、それは一過性で、また自分の感情に接触できる状態に戻ります。
私が問題にしているのは、その状態が続いていること、継続的にその感情が乖離した状態です。それは、自分の感情を「よくないこと」と評価することで拒否しているか、もしくは抑圧しているということです。もしかして、その感情に呑まれてしまうのが怖いからなのか、またはそれを受け入れられるほど自分は成長していないと感じるからかも知れません。感情というのは信じられないぐらいに激しい力を持っていることもありますから、それで自分はダメになってしまうというか、引きずり降ろされるような怖さを感じるのでしょう。
しかし、これはやはり、自分が感じていることに対して正直ではないことになり、フタを被せたり、切り離したりするわけです。
魂の部位の統合プロセスにおいて、感情という層は癒やしを齎すべきもっとも重要な部分です。なぜなら、トラウマやトラウマ的経験によってもっとも傷ついているのは感情の部分だからです。だからこそ、その部分に乖離が起こっててしまったわけですが。
そうした感情を感じること、そしてその感情を統合することが、癒やしへの鍵であり、魂の部分らの「完全性・統合性」を取り戻すことです。
これらが主要となる「落とし穴」です。これらは、私の個人的な経験上、そして私の顧客たち、つまり他人とのワーキングの経験を繰り返してきた上で、言えることです。
そして、この動画の最初に述べていたように、「影と光」という面についてお話します。
魂の部位の統合について話すときは、「影」の面を扱うことになり、この影をどう統合するのかという話になります。それで良いのですが、光という側面を忘れています。
この影の部分を統合する時、光をも統合しています。これらはコインの裏表なのです。
影を統合するときには、同時に光も統合されます。両者はつながり合っているからです。
この光の部分には沢山の側面があるのですが、いくつか書き出してみました。
賢さ、賢明さ、叡智というのがひとつ。即ち、トラウマを経験したことで影の統合プロセスを経ることになり、それによって生じた叡智です。それは多くの気付きと結び付いていて、私たちは賢くなります。
また、よくあることは、トラウマが癒やされ、光の部分が魂に統合されることで、人間らしさ、共感能力が出てきます。また、物事を深く理解することが出来るようになりますが、それは自分自身に関してだけではなく、人間という性のことであり、時に自分が体験したトラウマに関連したことで、他人を助けたいという情熱が起きたりします。
その人は深いところで学びを得たのと、トンネルから脱出出来たわけで、光という側面も知りました。それを他の人にも渡したくなるのです。
更なる光の側面は、トラウマが癒やされたことで、真の自分というのを発見したことです。
トラウマによって生じた魂の分裂によって、私たちは多くの痛みを伴う感情、そしてそれを「犠牲(いけにえ)」と同一視してきたわけで、でもそれは自分ではない、自分はトラウマではない、自分は傷ではない、自分は犠牲ではない。そのことに気づけば気づくほど、私たちは創造者になっていくのです。
ということは、私は自分の中に可能性を発見したのです。自分が何を考え、何を感じるのか、世界をどのように体験し、その世界にどう反応するのか、または他人にどう反応するのか、すべて自分で決められるパワーがある、という可能性。
そして、私たちは純粋無垢な自分を再発見することが出来ました。
影の部分を拒否して「いい人でいたい」という自分は、実はこの純真無垢な自分を探していたともいえます。でも、「自分は純真無垢なのだ」ということを自分の中に認めることが出来れば、それは影の部分を統合できたことになります。
「私は影ではない」
「私は傷ではない」
「私はトラウマではない」...のです。
そして、更にありえることは、影の部分を統合することで、本当に才能や能力といったものを、自分の中に再発見していきます。それまで阻止されていたのか、はっきり見えていなかったのか、そういったものが開花されていきますが、それはまさに特定の魂の部位と結び付いた部分なのです。
こうした「犠牲者から創造者」へ移行する私たちの内なる道のりのすべてにおいて、コントラスト(照らし合わせ)となる状況を体験することで、私たちは自分が誰なのかに本当の意味で気付いていきます。
つまり、「自分が誰ではないのか(過った自己同一視)」ということが、「自分が本当は誰なのか」という認識を明瞭に照らし出す可能性が与えられるのです。
「自分が本当は誰なのか」というのは「被害者vs加害者の動態」の外部にあります。
私たちは常に、両方なのです。自分の中には両方の側面があります。被害者だったり、加害者だったりして、両方ともが「人間としての経験」なのです。
もうひとつの光の側面は、切り離されていた影の部分と統合されることで、その統一感を得て、すべてを完全性へと変換することが出来た、という感覚です。
これは、自分という存在にとっては全く新しい感覚であると同時に、この世界の中に在る自己認識も新しいものとなります。
それは真の自分の一部です。
なぜなら、私たちは完全なるものから生まれたのですから。
それが本当の私たちであり、真実です。
以上が、皆さんにこの第三部で明らかにしようと思ったことです。
何か質問やコメントがあれば、お待ちしております。
いつもの如く、沢山の愛と光を、私の心から皆さんに送りますね。
さようなら。
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manganjiiji · 8 months
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すうすうのピンク色
昨夜のよくない思考に体が負けてか、今日の勤務はあまり気分的に芳しくなかった。が、その後頭痛に苛まれながらもDAISOで掃除道具等買い、スタバで休憩してからなんとか帰宅した。やはり勤務後にどこかで1時間くらい休憩してから帰ると、帰宅後にいきなり倒れなくてすむ。頭痛は緊張型かと思いその対策をしたが、結局3時間経っても改善せず、観念して偏頭痛の薬を飲んだら一瞬で消えた。偏頭痛だった(頭痛という賭けに負けた)。偏頭痛薬は残りがもう3回分しかないので、いい加減に脳神経外科の予約を取るべきである。勢いに乗ってカウンセリングの予約も取ってしまいたい。しかし、病院があいている時間帯に電話をすることが何週間もできずにいる。こういう、行為自体は簡単なはずなのに、意図的に忘れ後回しにしていること、人生でなくならないのはなぜだろう。これでもかなり改善されたほうで、郵便ポストは毎日ちゃんと確認し、ものはその日のうちに封を切って中を確認するし、光熱費の支払いも数日以内にするようになった。これは以前の自分では考えられないほどの進歩である。安全で穏やかな住処を得、さまざまな病害に対する施策を着実に実行できるようになってから、かなり気持ちに余裕が生まれ、こういう事ができるようになった。洗い物も洗濯物もごみ捨ても、とくに苦もなく毎日の生活をこなせる。ありがたすぎて涙が出る案件であります。本当に生家(あるいはそこの人々)と離れられて良かった。ここまでとても長い道のりで、まだこれからも煩雑な何かはあるとは思いますが、今まで、今も、応援してくださっているみなさんのおかげです。本当にありがとうございます。とくにこの日記のような何かを読んでくださっている人、直接言葉を交わしたことはない方もいるとは思いますが、あなたの見守りが私の力になっています。とても有難いです。
さて話が逸れたが、夜になって友人数人からたまたま連続して連絡があり、その連絡を返したり、もくりで友人たちと会話するうちにどんどん元気を取り戻していって、今日の勤務の落ち込みに対する落ち込みも払拭された。私はつくづく人と関わりが持てればそれだけで元気になれるのだなと感じる。1人になればなるほど萎れていくし、やばい思考になるし、それで結局希死念慮まで行くので、私はとにかく1人にならないほうがいい。友人と連絡がつかなくても、人の目があるカフェやファミレスに行って、人間の営みを感じることがとにかく必要なのだと思う。それでもどうにもならない時はあるが、1人で家で寝ながらTwitter(現X)に延々と自分の思考を書き付けているよりはいいと思う。部屋にいるとついベッドに寝転んでしまうから、それを防ぐためにも外出して椅子に座ることは重要だ。できれば本を読んだり何か書いたりしたいものだが、まあ、具合の悪い時にはそんなことはなかなかできない。漫画や軽い読み物を読んで気をそらすことができれば満点だと思う。(漫画も読むのはかなり体力がいる)
深夜、昔からの友人とたまたま通話する機会があり、この5年…いやもっと長い期間かも、言い続けていることをまた言ってしまった。というか、それを私が言うのは友人も承知していて、私も別に友人にそこまで直ちに何かを求めて言っているわけではないのだが…とにかく友人がこれ以上つらい思いをしないか心配でついつい言ってしまう。逆に、友人から何度も「こうしたほうがいい」と言われ、すぐに従うことはできなくても、それを言ってもらったことがきっかけで、さまざまな行動の土台になっていることが幾つもある。今日はその感謝を伝えられたのでよかった。
9月頭、後輩というか友人が遊びに来てくれるので本当に楽しみ。次の休みで絶対に棚を組みたてて床掃除をして、ダンボールを資源ごみに出さないと…!という気を強く持っている。また、別の友人も今年中に東京にまた遊びに来てくれるかもしれず、その時はうちにお泊まりになる可能性があるので、まだ予定は立っていないが、想像して心躍らせている。とにかく友人たちが快適に過ごせるよう部屋を綺麗にしたい。引っ越して3ヶ月、さすがにものが増えてきた。捨てるものは捨てなければなあと思っている。
5年前つかのま居を共にしていた友人が、最近人生初の同人誌を発行したので、なんとわざわざ私にも送ってくれた。曰く、私は「オタクとしての親」らしく、同人誌ぜひもらって欲しいとの事で、ありがたく頂戴して拝読した。彼女らしい繊細な描���の光る、穏やかで温かな話だった。その感想をDMで伝えたら感想第一号だったらしく、とても喜んでいた。人生初の同人誌の初の感想を言った人になってしまった(友人ということで軽い口調での感想のお伝えになってしまったので、もう少し固めに言葉を尽くして伝えればよかったなと思った)。彼女の意図するところをおそらく私が捉えられていて、それで本当にびっくりしていた(例えば、私が100万回生きた猫のように…というようなことを感想として言ったら、まさにその絵本を昔の本棚から引っ張り出してきてそれを隣に置きながら書いたのだ、と言って感激していた。すごく良いことだと思った)。
今までたくさんの人と人生を共にしてきたな、と思った。家まで行って世話を焼いた人、具体的に言うと私が家事をしたり食事をさせたりした人、何人かいたなあ…という気持ちになった(その友人も一時期具合が悪く、それもあって私が居候していた。その時は関係は破綻したが)。みんな、私のことは恨んでも憎んでもいいから、とにかく前に進んで、人生をどうにか渡っていってくれ、と思っていた。そうして関わった大体の友人たちと今は結局音信不通(連絡を取ろうと思えばLINEで連絡は取れる)だが、どうにかなっていることを今日も祈っている。私が友人たちの世話をしたとかそういう上から目線なことではなくて、基本的に友人として一緒に楽しく過ごしてくれてありがとうございました、の気持ちから。また仲良くなれたら楽しいのかもしれないが、私たちの道はもう別れている。そんななかでも、同人誌を送ってくれた友人は、私にまた関わろうと連絡をしてきてくれて、とても嬉しかった。私も色々な人に助けられて生きていて、できるだけそういう人たちとの縁は切らずに生きていきたいものだが、どうしてもタイミングや相性というものがある。ただ、恩を受けたな、と思う人に対してはもう恩義を返すすべはないので、自分が別の人になにか力になることで世界へ返していくしかない。また、全然関係のない話のようにも思えるが、小説を書いて、今まで助けてくれた人にもなんらかをお返しできるような内容のものが書けたらいいと思う。そうしたらその本を送って、お礼状として読んでほしいと言えるから。だから私はハッピーエンドや救いのある終わりの話しか書かないのだろうなと思う。
2023.8.29
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lllusioninthehead · 2 years
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2022/10/22
妙に闇が寄ってくる人だと思った。
彼女の幼馴染の最近できた年下の彼氏の話だ。父と元妻を病気で、弟を自殺で亡くしている。
同僚が会ったその帰り道に首をくくったこともあるらしい。歪だった。偏っている。
こう聞くと儚げな美男子を想像するかもしれない。でも、そうではなく普通の中肉中背のどこにでもいるような男なのだ。ただ、違和感。一緒にいると人を不安定にさせるようところがある。そして、本人は無自覚である。暗所を覗かれてるわけではなく、暗所を作らされてるような感覚。人を惹きつけることもあり、遠ざけることもあるだろう。後者のほうが賢明だと思う。近くに置きたいと思わない。友人になろうとは思えない。彼女の幼馴染が紹介したいと言い一席設けた。烏山で飲み、様子の良い立ち飲み屋で飲み。
二次会まで終わり、彼女の友人だけうちに泊まる。これは当初の予定通りなので彼氏も不満なく帰っていった。そもそも朝から次の日は予定があるという。
寝るための仕度を済ませて3人でだらだらと白ワインを飲みながら話している時もその違和感について考えていた。迂闊に話せば悪口になりそうで。
話してて闇を感じる。歪んだ何かがある。そして、それはきっと他人に伝播する。なんてどうやって伝えればいいのだろう。
親友の幼馴染は明るい良い子だ。離婚歴があるくらいが年相応でないところ。とはいえ、モラハラ夫だったのでそれは事情を聞けば誰もが別れてよかったねと言う。また、違う闇を引き寄せているとはなかなか言えない。まだ、付き合って2週間程度なのだ。
さて、どうしたものか。これが他人の課題というやつなのか。何もないことを願わずにいられない。
Tumblr media
もし、君が恋をしようとするならば黒子のような人がいい。画面に映らず、視野にも入らないかもしれない。しかし、いざ運営側に回れば有り難みがわかる。その場が上手くいくために陰になり考え動き、最善を尽くしてくれる。たまには愚痴をいうかもしれないが、できればそういう人を見つけてほしい。
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crydayz · 11 months
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230615 EXTRA
ポエムを書いた日と書かない日で何が変わるかといえば実際には大した変化はない。
ただ「約束の宣言」をした時だけは異なる。宣言をしたからには自分に対し縛りが生まれる。そもそもこのブログを「日刊」と名付けている時点で2日以上休むのはおかしいという意識が自分の中にも生まれてる。
「定例ミーティング」ってものがあれば毎週そこでの報告に向けて提出物をでっち上げなければならない。
数名でもいいからその報告を受け止め改善点を指摘してくれる人間がいるなら「やんなきゃな」って気持ちになってくる。
うん。だからそういう人間関係を作ったのだ。
思考をムダに重ねれば重ねるほど論点というか今やるべきタスクから意識が離れてしまう。今遅れている提出物を出す、その一点のみに意識を集中してロジックを、段取りを組み立てるのだ。
その為に「他者の目」が必要なのだ。見られている、測られている、信じられているという実感が必要だ。
他者の目を意識しながら好ましい自分をデザインしようと思えるだけの「社会への興味と信頼」が必要なのだ。
社会を信じ、社会を面白いと思う意識を燃やせ。
「社会不信」の時点でコンスタントな発信も仕事もできるわけがない。
社会不信な人間は「無茶苦茶自分が可愛くて(可哀想で)他人が憎い」という自己愛と他責に満ちた稚拙メンタル宿してなきゃあすぐにエネルギーは尽きる。
そういう意味で利己的な悪人ってのはむっちゃ生きるモチベーションが高いと言えるだろう。
「生き残る為の要素」として「悪」は間違いなく有利だ。
「他人から与えられた命令を愚直にこなす」のも一つの才能というか社会性だ。オーダーに対し逐一自分のポリシーと照らし合わせてやりたい / やりたくないのジャッジをしていたらいずれはバカでかい責任と負債を背負い込む事になる。
社会は「些末な仕事」を請け負い続ける事で「責任重大で失敗が許されない仕事」から逃れる事ができるのだ。
些末な仕事から逃げ続ければ最終的には「責任重大で失敗が許されない仕事」しか残らない。それは失敗が即・死に直結するような危険な仕事だ。スリルはあるだろうが関与すれば寿命縮むし周囲の人間もロクな人間がいなくなる。
さて、問題は今日どうするかだ。現時刻11:20。午後までにシャワー浴びネカフェに行って13:20までに作画作業に入りたい。
水をペットボトルに入れて持っていこう。ブースから出て水を飲む時間すら惜しい。
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jitterbugs-mhyk · 2 years
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猟犬のゆりかご stray dogs.
 
 その黒い犬は、朝靄のなかにねむっているやさしい思い出をじっと、眺めている。おおきな身体はしなやかで、しるしの星を戴いて、凡庸に立つクリスマ���の樅の木のように、朴訥としてどこか盲目な従順、ひとみ燃えるピジョン・ブラッド、星を融かし沈めたくだもの、喉を焼くサングリアの酒精、あらゆる焔に熱はなく、ただ煌々と、しらじらと、夜明けとともに世界の表層が、嘗められてゆくのを感じていた。さあ、朝だ。日が昇り、山肌を温め、空気をかき混ぜ、靄を払って、変わり映えのない日を今日も積み重ねる。羊たちは草を食み、石についたわずかの朝露と、塩分とをちびりちびりと舐めている。彼は眠るためではなく羊をかぞえ、起きだして仕事をはじめた。
 日々の多くは単調だ。どきどきしたり、わくわくしたり、ちょっとした異変や、予想できない天候の変化のたぐいはあっても、まったく思いもよらないことや、出逢ったことのないひと、見たことも聞いたこともない大事件が起きるなどというのは、魔法使いの長い人生においてだって稀なこと。未だ未開の土地も多く、ひとの手の入らない、魔法があったって生きていくのにけして楽とは言い難い南の国は、うつくしく積み上がった石の、白亜の尖塔を天へ向けて聳えさせている雄大なるグランヴェル城を有する中央の国や、華やかなりし芸術の都、花の、音楽の、絵画のそうして演劇の、文化の発展いちじるしい西の国、一年の多くを雪と嵐に鎖されて、自ら持ち得る魔法のみを恃みにし、傲慢で高潔、純粋すぎるがゆえにいっそ邪悪ですらある魔法使いたちに縋らなければ生きてゆくさえむつかしい、しかし凍てつく嵐のはざま、垣間見える土地の峻厳にして繊細なうつくしさは、他の追従をゆるすことはない北の国、それぞれの孤独で互いをぬるく慰め合う、晴れた日の雨のような、いつだって濡れて光っている石畳の東の国、それらのどこより未熟で、純朴、大陸にあってもっとも魔法使いと人間との紐帯たしかな土地である。力を重宝されるのみでなく、単純に、きびしい暮らし向きのなかにあって、それらを区別することに、意味など見出しかねるというのが実際のところだろう。区別して暮らすよりも、助け合うほうがよほど生きやすいのだ。少なくともここ、南の国では。
 開拓と、生活、日々のちいさな積み重ね、森を拓き、山を切り崩し、水を引いてようやく畑に実りをもたらす。まずは明日を、そうしてその次の日を。南の国で未来と云えば、遠いかなたの日々ではなしに、まずは来月、来年の話になる。星を詠み風を視て、やれ今年の収穫はどれだけで、食い扶持はこれだけ、来季に種にするぶんを省いた残りを備蓄と、売って僅かに贅沢にする。暮らし向きはけして裕福であるとは言えなかった。かくいうレノックスも、天候に恵まれず収穫のきびしい年には、そう易くはくたばらない魔法使いであることに胡坐をかいて、いったい何日絶食したものか定かではない。自分はかつて軍人でもあったから、満足に食うこともかなわない強行軍も経験があると請け負って、育ち盛りの子どものいる家に食糧を回してもらった。まったく苦でないというと語弊があるかもしれないが、満足にものを食えずひもじい思いをすることよりも苦しいこと悔しいこと、しんどいことがほかにもあると知っていて、較べてなんということも無い、自分には耐えられると判断したまで。のちに長じた子どもたちはあの厳しい冬、レノックスが食い扶持を分けてくれていなかったらきっと死んでいたと、彼に深く感謝をするのを、けして忘れはしなかった。感謝や、親愛、それらを求めてしたことではなかったけれども。
 羊飼いの職に就いてもう何年になるだろう。そもそもレノックスが南の国へやってきたのは、かつての知己、たったひとり誰より敬愛して、このひとのほかにあるじはないと定めた男、偉大なる中央の国の建国の英雄でありながら歴史の闇の中に消えてしまったファウスト・ラウィーニアの消息を訊ねてのことだった。革命の終局にあって、彼が率い、レノックスも所属していた魔法使いの隊は、手酷い裏切りにあってファウストが火に架けられると、文字通りに旗印をうしない、司令官をうしなって、てんでバラバラに離散してゆくほかになかった。レノックスを含めた数人が、無辜のままに焔のなかで、さいごまで親友を信じていた男の処刑を遠くから見つめていたが、彼らはどれほどファウストを慕っていようとも、彼を助けるために駆け寄ることかなわなかった。
 別段、レノックスは、まさに火に架けられようとするファウストを救うために躍り出て、そのころは影も形もなかったグランヴェル城の裏手、物見高く、興味と、熱狂の渦にのまれて、どれだけ自分が残酷になろうがお構いなしの、詰めかけた民衆を蹴散らしたって良かったし、処刑台のきざはしに足をかけた瞬間に無数の矢で射られたって良かったのだ。
 けれどもできなかった。ほかならぬファウストが望まなかったし、幼馴染の親友と、あたらしい国を夢見て故郷を出てここまで旅をしてきた男が、ずっと人のために尽くしてきた男が、たとえ自分の命を救うためとは雖も部下が人を傷つけるなど許すはずがなかったのだ。それに、今後、彼の部下であった魔法使いたちに類が及ぶのをファウストは懸念していた。すべての罪をひき被り、目立って処刑されることで、部下たちが人に紛れて逃れゆく時間を稼ごうと考えていたのは間違いないし、最後まで彼は、親友がほんとうに彼を火に架けることなどないと、信じていたかったのかもしれない。真に指揮官としてすばらしいひとだった、というのは、彼に心酔し、敬愛を寄せるレノックスのエゴからなる評価ではないだろう。
 しかし無情にも火は点けられ、英雄は自らその片腕を永遠に捥いだ。レノックスは無力だった。焔は、けして燃えやすいとはいえない男の肉のうえを嘗め尽くし、花のように、星のように、うつくしく燃え上がった。ぱちぱちと爆ぜる音の響きは懐かしくさえある。行軍中の、けして快適とは言い難かった野営の火を囲んで談笑し合う仲間たちに、人間と魔法使いの区別などなかったあの夜、あかるいすみれ色のひとみに、若い希望が輝いていたあの夜、ぱちぱちと爆ぜる篝の火に、誰もが横顔に陰を濃く落としていた、あの夜、たしかにこの人に追蹤ていこう、どこまでも、いつまでも、決意した、あの夜! 同じ音を立てて、愛した男が死に瀕していた。
 レノックス・ラムはただ佇むだけの唐変木、しるしの銀の星を戴くこともできない、樅になれない何か、楡か、花楸樹か、ああ、あそこに架けられたのがおれだったなら! そう易々とは燃えなかったろうに。
 
「レノックス、おまえさん、しばらくこの国にとどまってみちゃどうかな? バカンスだとでも思ってさ。どう? なんにもないけど、仕事くらいは斡旋してあげられるよ」
 そういったフィガロの意図はいまだに読めない。穏やかに微笑んでいるようでいて、実際のところは誰のことも愛していない、のみならず、自分自身の行く末にさえ無関心なのではと思われてならないフィガロ・ガルシア、かつて北の国で、今もってなお魔王と恐れられる大魔法使いオズと同門であり、兄弟子として肩を並べたこともあったという男が、なぜ何者でもないもののように振る舞うのか、答えは遠からず死に瀕した、彼の寿命だったかも分からないし、理由などないのかもしれなかった。死を間近にして命を惜しんでいるだとか、ただこれまでには馬鹿々々しくてやる気にもならなかった普通の暮らし、地に足の着いた暮らしというやつの真似事をやってみたくなったのかも分からない。
 なんにせよあの人のことはあれこれと考えるだけ無駄だからよせと、呆れたように、しかしどこか信頼にも似た声音でファウストが語っていたことをありありと思いおこされる。あの革命のさなか、フィガロもファウストの師として、また革命軍のきまぐれな懐刀として従軍していたが、当時のフィガロはまさにきまぐれ、ファウストがあれほどまでに人間と親密で、らしくないのと対照的に、まさに言葉の通りの魔法使いらしい魔法使いだったうえに、彼は革命を見届けることも無くふらり途中で姿を消したのだ。つまりあの短期間でファウストは、師と親友、ふたりから裏切られたことになる。
 はたしてフィガロを頼るのが正しいことであったのか。レノックスにも疑念はあった。しかし数十年、数百年と生きるうち、ファウストの足蹠を追い続けるのも難しくなった。自分が彼になぜこれほどまでに執着しているのか、おそらく明確な言葉では語られるまい。悔恨や、懺悔、つぎの機会が与えられるのであれば今度こそ、死地の果ての果てまでもファウストに追蹤ていくのだと思ったけれど、それらが自分の、身勝手な願いに過ぎないこともまた、分かり切っていた。彼はやさしいひとだから、いつか再会して、過去を詫びて、次の機会を冀ったなら、この愚鈍な、星ひとつ掲げない従者を許してしまうだろう。だからこそ見つからないように身を潜めているのかもしれないが、処刑のあと焔が消えて、そこに輝く石が残されていなかったと聞いたとき、レノックスはどうしても、彼を見つけ出さなければならなくなった。
 しかしながら、彼は決して、みずからを迷子の仔羊(stray sheep)とは呼ばない。右も左も定かでなくて、善悪が一元的なものではないとすでに学んだからには、彼もまた戸惑い揺れる寄る辺ない生きものであったに違いないのに! レノックス・ラムは縋らない。これは彼に信仰がないためではなくて、彼の信ずる神が、彼に縋られ、寄りかかられ、頼みにされるのを良しとしない、ただそれだけの理由であった。まったく、驚くほどの敬虔だ、さもなくば盲信だ、自らを擲ち穿つ、おそろしい自己犠牲の。
 腕をふるい、足を払い、身体をして成す暴力は、実際のところ、彼にとってはさしたる労苦でもなかった。激しやすく、ゆえに寡黙で、ことばのさきに振る舞われる暴力は、先祖伝来、あるいは、顔も見たことのない始祖、名前もしらない女たち、かれらから脈々と、粛々と、継がれてきた血や、歌や、儀礼や、そのほかすべての非科学的で超自然的な、迷信じみたアミニズムのなかに、流れていたかもしれなかった。フィガロ・ガルシアはバカンスなどとうそぶいたが、未だ発展の途上にある南の国で、魔法がなくとも家畜たちを抱え上げて斜面を行くことができ、肉体、精神共に健全で屈強、レノックス・ラムでなければ満たせないいくつもの条件が、彼の人生を、南の国で羊飼いとして暮らすことに引き留めた。ファウストを見つけ出し、そのうえで彼が復讐を望むならその手足になって働いて、あらゆる敵をなぎ倒し、あらゆる悪意と脅威の盾になって死のうと考えたことを、一日たりとも忘れたつもりはなかったが、短い一日も繰り返すうちに1年になり、5年になり、羊は仔を産み殖えたが、拓かれた牧草地は子どもや女、ほかの若い羊飼いたちに譲ってしまって、レノックスはますます険しい山肌に羊を追った。
「レノ、おまえは案外羊飼いの王様の素質があったのかもね」
「冗談でしょう。俺は星ひとつ、満足にかざせない」
 ばかだな、しるしの星なんておまえには必要がないだろう、輝きなんぞなくったって、それだけでかい図体が、どれだけ目立つと思ってる? いたずらそうに笑うフィガロの眸は薄曇りの冬の海に落ちた星だ。きっと怒られるけれど、肩をすくめて鼻でわらうようなその言い草に、ファウストの面影をみつけてレノックスも頬をゆるめた。
 導きの星はもうないけれど、いつかふさわしいときが来るまで、俺はずっと立っている。険しい道を歩んできたひとが、ふとひと息ついて脚を休めるそのときに、広げた枝が安らぎになりますように。
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blue-aotan · 2 years
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あんにょーーん(´ー∀ー`)2022.6.12
前回に続き映画の感想ブログ後半です!!
「マリグナント 狂暴な悪夢」
あお評価★★★★★星5
さすがジェームズワン!!と唸ってしまいました。
ジャケットから想像するにレトロチックなホラーなのかなと思っておりました。こういうジャケットって昭和の香りがするしw昔のホラー雑誌みたいな雰囲気がバンバン出てましたので(サスペリアとかを連想してしまったw)そんな感じなのかと思っていたら、もうねーこれは全く想像していなかった展開がきましたね。
これは絶対にネタバレされない内容なので深掘りはできませんがww
私の予想だにしない展開、随所に散りばめられた違和感を最後で「そういうことかーー!!」って払拭できる観客の想像を裏切るホラーだと思いました。
ジェームズワンに拍手を送りたい。そしてファンでいさせてくれてありがとう←
まんまとしてやられたわ。
いやこれは勘のいい人にはわかるのだろうか?いやわかんないでしょう!
題名からも全く想像できないし、話の運び方が本当に秀逸だと思ってしまった。
真相がどうなのかと観客に提起しつつ、いや本当はこうだよ、こうだよ、こうなんだよーーーんみたいな監督の遊び心みたいなものを感じました😂
私はこういう映画が本当に好きだなーー。ゲームと同じで結末がわかってしまうと2周目は楽しみ半減するんだけども、それでも何回も観たくなるホラーだと思う。観ながらどういうことなんだろう、もしかしたらこうなのかな…という仮定を覆してくる映画はそんなに多くあるものではないと思います。
それをホラーでやってのけるのは、シャマランとジェームズワンくらいなのかもしれません←
(スティーヴンキングもかな…完全に偏った贔屓だけどw
いやーー面白かった。しかもこれR18+だったのよ。どんだけグロいんだろうと覚悟していたけど、そうでもなかった気がする←
SAWで鍛えられているのでしょうね…いや、うん。苦手な人はかなりの衝撃があるかもしれませんw
やっぱり発想が面白いし、そこに挑戦していくってことがすごいと思いました。
今後も追いかけるよーージェームズワン作品を〜笑
「スクリーム(2022)」
あお評価★★★☆☆星3
日本では劇場公開されなかったみたいですね。スクリームもホラー界での代表作品ですよね。1〜4は視聴済みで、ドラマはまだ観ていませんが……。
今回のスクリームは原点回帰がテーマで、ストーリー中でもよく原点回帰という言葉を使われていました。
その為すぐ犯人がわかってしまったのよね←
というかね、途中で変なシーンがあってそこで私はわかってしまったんですよ。
とある高校生の女の子が自宅で1の時みたいに変な電話がかかってきて、例のお面を被った殺人鬼から襲われて刺されるんですよ。だけど奇跡的に一命を取り止め、離れて暮らす姉にその一報が入ります。
姉は彼氏と一緒に妹の元へ行くんだけど、そこはかつての主人公シドニーが暮らしていた故郷であり、ゴーストフェイスの殺人鬼がまた出現してしまったということで今までの事件の生き残りである人達に協力を仰ぐという流れになるんですね。
生き残りの人達って言っても3人だけなんだけど、続編の悪い部分はずっと頑張って生き残った人を最後で殺すという部分ですよね←
そこはなんでなの!!!いいじゃん、そこは生き残らせてよ!!!やっとの思いで生き残って、シリーズでもずっと健在だったのに。しかもそれ以来ずっと平和に暮らしながらも心の傷は癒えないまま生活してたのに。どうしてそんな人を殺してしまうのよ!!!
という怒りが湧いたり湧かなかったりラジバンダリ←
そして入院している妹を見舞いに行くんだけど、そこには妹の親友がいて姉が親友と自分の彼氏に「2人きりにしてくれる?」って言うんだけど、そこで親友が彼氏に向かって「いきましょ」みたいな馴れ馴れしい口調で言うんですよ。そこで
はぁ???何やこのブス私の彼氏に向かってしかもほぼ初対面のくせして馴れ馴れしいな、ほんで何も言わんと一緒にでていく彼氏よ貴様どういうつもりなんじゃクソか?
(口悪すぎて草
って姉目線になって←コイツらできとんのかいワレェ
という出来事からすぐに犯人が導き出せたので、そこのセリフはどうにかならんかったのか?と脚本に疑問を抱きました←
そしてあれだけ原点回帰ということを言われたら、今回も犯人が2人いるということは序盤でわかるので、多分スクリーム観てきた人なら誰もが犯人に気づいたことでしょうww
それくらいチープなお話だったということです←
それでも楽しめたし、スクリーム好きとしては合格点ですよお(何様
「バイオハザード ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」
あお評価★★★☆☆星3
主役級の俳優さんが不在の映画って感じ←
華もないしそもそもクレア役の人が嫌いなのでその時点でだめだよね
(なぜ観たんだ←
でもそれでもまぁまぁだったよ。なんかねー、ゲームキャラとあまりにもかけ離れすぎててこれはブーイングものではないのかって心配になった程だったよ。特にレオン。ゲームではすっごいサラサラヘアーでイケメンキャラなのに、この映画のレオンは顔が濃い中東系みたいな髪の毛くるくるのイケメンだった🤣
イケメンだからいいんだけどさ(いいんかい
なんかもう序盤からこのレオンがよちよちなのよね。バブレオンと呼ぼう←
新米警察官で上司に指示をもらわないと動けない何ともバブバブ度の高い警察官で、とってもダサいです。
そのバブレオンを愛でる映画だったのかな…今思えば←
ラストではそのバブレオンも少しは成長していたと思う…多分🤣
でも建物とかハンバーガー食べながらタンクローリーみたいなの運転しているおじさんとか、とてもゲームらしい設定がたくさんありました。ただ、点滅シーンが長くてそこはマイナスポイント。
暗くて何があってるかわからなかったり、ゾンビが喋ったりゾンビになりかけなのかなんなのか←
そして科学者のおじさんの最終形態がダサかったな…
ウェスカーもダサいしね…ジルもジルじゃないしw
初めは良かったんだけど、終盤がなんとも残念な感じがしました。ゲームキャラがあまりにも有名すぎるというか、やっぱりそれなりに名の通った俳優さんを起用しないとどうしてもゲームに負けてしまうというか←
結局2流3流と言われてしまうのかなと。
なんで?
(知らんわい
「カオス・ウォーキング」
あお評価★★☆☆☆星2
こちらもトムホランド主演の映画。終始面白くなかったでぇえす←
うーーーん、SFものとしては設定があまりにも薄いです。ノイズといって思っていることが頭のあたりから映像のような煙のような目に見えて聞こえる形で周りの人にも知られてしまう世界なんですよ。
この惑星に来てからそうなったらしいけど、女性はそのノイズはなぜか出ないという設定や、トムホが暮らしていた集落では女性が1人もいなかったんだけどそもそも村長みたいな人が女性を皆殺しにしたみたいな展開になってくるんだけどなぜ殺したのかもわからないし、そこへ宇宙船でやってきた女性が何をしたかったのかもよくわかりませんでした。
結末も「で?」みたいな感じで終わったしw馬や犬が死んだ部分が悲しいだけで、何も残らない作品でした←
マッツミケルセンは何がしたかったの!?
女性を殺してしまったらもう子孫繁栄できないじゃないか!滅ぶ道を歩みたかったのか?
意味不明である。
そして人生で初めて女性に出会ったトムホが心の中で(可愛い、声が高い、金髪可愛い)みたいなこと言ってたけど、女の人の声全然高くないしむしろ低かったし←
なんかティーン向けにしたいのかわからないけど、あまりにもお粗末な設定だったと思います。トムホの可愛さを観たい人だけ観たらいいと思いますw
「キャッシュトラック」
あお評価★★★☆☆星3.5
ステイサムは正義!ではなかった!!!←
現金輸送の会社に転職したステイサム。厳しい試験をくぐり抜けギリギリ合格って感じだったんだけど、絶対手を抜いて合格しているだろって雰囲気がバンバンでていたのよね。
そして現金輸送中に襲撃に遭い、仕事仲間を殺されたくなければ言う通りにしろと襲撃犯から言われるんだけど銃で反撃に出たステイサムはやはり本物だったw
1人で襲撃犯を壊滅させ、見事仲間を救ったんだけどそれにはとある理由があった!!みたいなストーリー。
これがまだ息子を殺された善人のステイサムが復讐でこのセキュリティ会社に入り殺した襲撃犯を探して裁きを下すみたいな内容だったらまだ楽しめたと思う。
結局ステイサムも同業者で、犯罪組織のボスなのよね。そこがうーーーん。
私はこういうクライムアクションこそ、正義が勝って欲しいのですよ。こんな不公平で理不尽だらけな世の中だから、映画くらいは正義が勝って欲しいんです、そして希望を持たせてほしい。
だけどこの映画はそうじゃないのよね。
悪には悪で対抗する、とか。この場合の正義はどこにあるのでしょうか。FBIも結局ステイサムと裏で繋がっているというか利用していただけかもしれないけど、そこもなんか考えようによっては汚い現実だなと思ったよね。
悪に手を染めてその仕事場に息子を連れてきてしまったが為に他の同業者に息子を殺されてしまったという出来事は、言ってしまえば自業自得の出来事であり自分の不注意であると言えるのでそこを復讐のためと言われても、私は納得できませんよぉココココ
ただねー、久しぶりにジョシュハートネットが出てて「ウッヒョーーー」ってなったしステイサムさんかっこよかったからそこは良かったんだけどね。
ステイサムさんって身長高いイメージあったんだけど、ジョシュがデカすぎて小さく見えちゃったよねー。
そしてジョシュの役が初めは嫌な奴だと思ったんだけど、襲撃されてからの手の震えや気が動転するシーンはめっちゃ笑いましたwwダサキャラだった🤣🤣それがとても可愛かったです。
そしてジョシュの結末があまりにも不憫だったwあれはもうコメディです←
敵役にはバーンノーティスの人とかクリントイーストウッドの息子とか出てたよぉ。
あとこのカット無駄に長くない?みたいな部分もいくつかあって、途中何度も寝落ちしそうになりました←
とにかくテンポが悪い←笑
 
とこんなところで10本の映画の感想を終わりたいと思います。今回も好き放題言いたい放題でしたが、そろそろこのブログは社会的に抹殺されないでしょうか←心配です🤣
新作映画をたくさん観れて満足ホクホクです。
他にも観たい作品はたくさんあったのですが、とりあえず一旦これにておしまいです。
近いうちにワイスピ祭りとホビットからロードオブザリング祭りをしようと思っております🤣全部長いやーーつw
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