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#永吉駅
tomoyamashita · 2 months
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浜田橋、永吉川橋梁跡、永吉駅
南薩鉄道南薩線の永吉駅跡と近くにある永吉川橋梁跡ならびに浜田橋を訪れてみました。浜田橋は現役の石橋で歩道橋として使用されています。最後に少々周囲の見所についても触れています。
今回のテーマは2021年の9月以来、超久しぶりの南薩鉄道の駅になります。 本題に入る前にこれまで触れた3駅についてリンクを貼っておきます。 上日置駅 上日置駅 日置駅 日置駅 吉利駅 吉利駅 吉利駅を過ぎると、池を避けるように国道270号から離れて現在はサイクリングロードとなっているところに南薩線の線路がありました。 なお、製菓工場の近くあたりから国道に沿うように敷かれていたようです。 今はサイクリングロードとなっている南薩線跡。 永吉駅のお話をする前に、とある名所を。 浜田橋 下の地図のように、永吉駅に辿り着くためには永吉川を渡る必要がありました。 川を渡るために架けられた鉄橋が永吉川橋梁になるのですが、ほぼ同時期に道路橋として石橋も掛けられました。 それが浜田橋です。 1913年に3連アーチの石橋として完成しました。 鹿児島県に現存する石橋の中で最も…
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yoooko-o · 7 months
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28/11/2023 part2
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南薩鉄道 永吉駅跡 久しぶりの廃線駅跡を訪問👣 廃線跡はサイクリングロードになっていました🚴
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R270沿い サーフィンしている人たちがちらほらいましたが、風邪ひかないのか心配になります。
日置市は今回が初訪問😊 そして有名どころである吹上浜海浜公園は訪問しませんでしたomg 未定ですが、次回の機会に…苦笑
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poddyshobbies · 2 years
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2022.7.25 ~ 博多駅へ
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(写真が多いです。There are many photos.)
来週はスッキリ晴れるかな?
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団臨「指宿のたまて箱」の撮影ついでに切符を買いに博多駅に出向きました。
JR 吉塚駅
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「或る列車」が食材搬入
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博多駅
いつものコンテナ列車(ED76)を待ってたら検測車 DEC741 が上ってきました。日豊本線の検測に入ったそうです。さらに、コンテナ列車を見送っていたら「いぶたま」がやって来ました。今日は大分へ行きます。
> 関連投稿
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3番のりばに一旦停車してから一時待機線へ。出発は5番のりばから。
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今日は結曜日の平日ですが、夏休みともなると列車もにぎやかです。
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みどりの窓口へ
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博多駅の Visa タッチ決済対応自動改札機。
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↑ のりば側 ↓ コンコース側 
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使ってる方を見かけました。
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↑ お昼前ですが列車が到着する度に結構な数の人が改札を出ていきました。(写真は人流が途切れたところで。)
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切符売り場はそれほど混んでませんでした。「ネットきっぷの受け取りや指定の変更などはこちらが早くできます」と、駅員さんが自動発券機に誘導してました。
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長崎→博多の「36+3」の切符を求めようとしましたが既に満席でした(5,6号車)。「人気があるので、発券開始の10時でもとれるかどうか…」とのことでした。月曜日の夕刻発なので取れそうな気がしてたのですが甘かったです。確かに週に1便で座席数も多いとは言えないので、さて発券開始にチャレンジしてみるかどうか思案します。
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しょんぼりしながら博多駅を後にしました。
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駅前広場ではベトナムのイベントをやってました。
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バスを降りたところで弁当(400円)を買って帰りました。
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今日はこれでおしまい … ではなく、アイスを食��たくなったので。
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同じ森永のミルクモナカジャンボを探してるのですが、近所のコンビニは何処もありません。で今日、吉塚駅のファミマで発見したのですがすぐに食べる時間がなくて断念しました。「なんで近所にはないんだろう?」… てっきり商品自体の出荷がないものだと思ってました。
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kaoriof · 13 days
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前にスタッフルームに入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけどね、富士山に関係している話なの。それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれるの。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、��さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の文化祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近はめがねがこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにそのつど救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。家族のことはそれなりにはすきだけど、一緒に暮らすことだけは大きらいなのでふつーにしにてーと思った。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。この人とはしんでもキスとかセックスとかできないなと思う。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチ���光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにスタバでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花が欲しい、誕生日に花なんて一輪も貰えなかったし。北海道の僻地とか一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになるの。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
大学に入ってからみんなかわいくなっていって、わたしだけ取り残されているような気分。東京のど真ん中にすんでるから?みんなほそくて、白くて、髪から爪先までケアが行き届いていて己の恥が浮き彫りにされる。その一瞬はたのしいとかんじても、その背後にはいくつもの積み重ねられた気苦労があって帰りの電車の中でぐったりする。恋人のこと、しばらくは気にしないでおこうと思っていたのにこういう、心がげんなりしているときにその輪郭はいっそうまぶしく点滅する。とりあえず5キロ痩せる。いつかはだれかの手のひらサイズに収まる砂となってしまうのに、変なの、と思いながら、それでも毎朝まつ毛をあげる。でも、悲しくなったり辛くなったりはしなくなった。ひとりでもだいじょうぶなのだと思えるようになった。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと思う、自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。でもそれってそんなにいけないことかな?インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりで��いから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。美しいから隠すというのもとても素敵だけど、なんで美しいから見せるのはだめなんだろう。美しいと分かればわかるほど人は傷つけたくないという気持ちになるのに。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、一人だけじゃなくて、みんなに、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分らは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。これのどこが罪深いんだろう?とおもってしまった。みんなほんとうは弱いんだとしってなんでも許せるような気分だった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、なにも怖がることはないと思うの。本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主かショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。てをつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいなかなしいなとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛てあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこ��してほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい���好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこ��も、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
eighteen, mytears
最近歩くのがはやくなった。暑さで腐っていく弁当箱の中の唐揚げ、毛を剃り続けて痛んだ腕。砂時計みたいにどんどん浪費されていくばかりの時間、人生を、客観的になって眺めてみると、なんて滑稽なものだと思うけれど、与えられたものをそれなりに消費していくことでしか自分のことを殺せない。まいにち山手線に乗ってる、ぎらぎらした太陽の光の下で蛇みたいに動いている列車。窓枠に空の青だけが切り取られるとまるで宙を浮いているみたいに感じられて死にたくなってしまう。こんな文章を書いていいほど、自分のことをうつくしいとだきしめて愛でてあげることができない。ブログを更新しなくなったらファンがたくさん減った。文章を書く行為ってとても勝手でずるくて逃げてるかんじがする。だからすきなのに、それをすきと言う自分のことを認めてもっとすきになるのに勇気がいる。ぜんぶそう。わたしは勉強のことを口にしていいほど頭も良くないし、外見にしろ性格にしろ友達との関係や恋愛においても尚更そう。参考書の羅列された文字をいくら追っても脳味噌が大きくなっていく感じがしないし、わたしの未来があかるくなっていくかんじもしない。あなたよりもつらい人は沢山いるから、ね。あなたの不幸なんてちいさなものだから、という言葉がどれだけ傷な言葉かわかってほしい。どこをみても善を装った暴力ばかりが転がっていて、本当はたぶんみんな何かに託けてマスクの下で舌打ちしているんだと思う、絶対そうだと思う。小さな四角い箱の中でみんな泣いている。夏にいちばんちかい記憶の底でみんな寂しがっている。勉強の意味の裏付けにあの子は一体なにを置いているんだろ。変なの。もう文章も書けなくなった。夏になると賑わう燕の巣を確認することもなくなった。野良猫をていねいに撫でなくなった。恋人ともうまくいかない。どれもこれもおまえ(わたし)のせい、がむしゃらに鳴いている蝉だって求愛のためにあんなに人の生活を邪魔することをゆるされるのに、わたしがそれをすると暴力だのめんどうくさいだの、そんな価値のないものに成り下がってしまうのはどうして。ただの自傷になってしまうのはどうして。だれも捕まえてくれない。あなたのことを好きで、それが結果的にあなたのことをくるしめてしまっても、それを俺もすきだからという理由だけでぜんぶゆるしてほしい。泣きすぎてお腹空いた。自分自身の未来に対しても過去に対しても、これを読んでくれているあなたに対しても、友人にも、恋人にも、両親にも、苦しくさせてごめんなさいという想いばかりあって、それを受け止めてくれた優しさに対してのありがとうばかりある。受験死ね、と最後に書こうかなとおもったけどちゃんとした日本語じゃないし縁起がわるいのでやめた。すぐにじゃなくても良いから最後にはみんな幸せになれますように、おやすみなさい。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が���いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石��なくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる���「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを��装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野��ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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yamabusi · 8 months
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コロメン弁当620円
◎月岡惣菜店(元住吉)
2023/10/25 13:30
*元住吉駅からは多少離れた四丁目商店街の昔ながらの惣菜店。揚げもの中心の品ぞろえで、人気・自慢の品はメンチカツとコロッケのようである。その2品を盛り合わせたコロメン弁当は、薄いハムカツとイカフライまで添え、フタがしまらないボリュウムでこのお値頃感。コロッケはポテトたっぷりで大きめ。味付けはあっさりなのでソースなど好みの調味料でいただくにも都合がよい。メンチはザクザクとしたひき肉と玉ねぎの食感の手作り感あふれるもの。個人的には少し塩加減が強く感じたけど、食べ応えは十分。ごぼうや青菜、ひじきなどの副菜もバッチリで申し分ない。高齢店主夫妻は元気いっぱいな接客。この夏前から秋まで店主骨折で休業していたんだけど、ぜひ末永くこの味を提供し続けてほしい。
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【盛岡で本番直前合宿】初日がスタートしました。
東北新幹線の盛岡駅に降り立つと、気温2度の真冬の寒さでした。駅から徒歩3分くらいの練習会場となる盛岡市民文化ホールまでは八甲田山の行軍のような辛さでありました。
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TYOのOG菊池桃加ディレクター率いるNHKの密着ドキュメンタリー取材班的には「いい絵」なのでしょう。一昨日には菊池Dによる記事も公開されていました。 坂本龍一監督からもらったもの 「東北ユースオーケストラ」の団員たちがつなぐ思い - 大震災と子どもたち - NHK みんなでプラス
監督のご命日である、3月28日、BSにて映画「戦場のメリークリスマス」を放送するその直後の枠にて、昨年のTYO番組が再放送されることが決まったそうです。
Dearにっぽん「見ていてね、坂本龍一監督~東北ユースオーケストラの再出発~」放送日 3月28日(木)午後3:04~3:29【BS】
クラリネットを吹き、わちゃわちゃしてたうちの子が、NHK入局2年目にして実に頼もしい貢献でご��います。ありがとうございます。
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東京出発前から寒さに立ち向かう覚悟はしており、スキー用並みにパンツで集合した引率の先生役も隅に映り込んでいます。
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(この時はベルトをし忘れたことに気づいていなかった・・・)
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今年も「安全第一、健康第一」を唱え、坂本龍一監督も「本番前に無理しないでね」とおっしゃっていたこと。体調がすぐれない時は無理をせず、休みましょう。本番でも曲間でステージから降りてもいいんだからね。それもみんなと演奏する一つのカタチだ。過去にも本番でステージを降りた団員は何人もいるから気にしないでね、と伝えました。何しろ今回参加しているOGには看護師資格保持者もいますから心強いです。と保護者関係者のみなさまにおかれましてもご安心ください。
いつも演奏できることの感謝を忘れずに本番を迎えましょうと言っていますが、今年はそれに加えて、坂本龍一監督への感謝の演奏です。天国の坂本監督に聴いてもらうという気持ちを込めた演奏しましょう。
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おりしも今日20日は東北ユースオーケストラと坂本龍一『The Best of Tohoku Youth Orchestra 2013~2023』のCDが発売されました。収録曲である『ETUDE』での間奏のピアノのアドリブでは、これまで練習から本番まで一度として同じ演奏はされなかったことを引き合いに、「今回の演奏曲での即興パートもみんなあらかじめ決めた同じ演奏を繰り返すのではなく、その場その時の即興で演奏するのが坂本龍一スピリットですよ」ともお願いしました。
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一般社団法人東北ユースオーケストラの代表理事である、ヤマハ株式会社執行役の押木正人さんも初日から合宿参加にご参加です。
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本社のある浜松銘菓「夜のお菓子」を差し入れにいただきました。
岩手組の保護者ご一同からもうれしいメッセージ付の地元銘菓2種類の差し入れをいただきました。
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こちらは四期の演奏会でTYOオリジナル楽曲『くぐいの空』の作曲を委嘱した仙台市出身の音楽家・仁科彩さんからの差し入れです。細やかなお気づかいをありがとうございます。
そして、生いちごも!
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先日、有志演奏会でお世話になった気仙沼市出身のパーカッションパートの三浦瑞穂さんのお祖父様が栽培されたフレッシュな果実でございます。『Three TOHOKU Songs』の民謡指導に来ていただいたこともありましたが、今日もステージ上のお孫が「ここの掛け声のイントネーションは」と伝聞リモート解説をしてくれていました。
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今日は指揮の栁澤寿男さんが体調不良のため大事をとってお休み。急きょ福島事務局の竹田学さんに代役をお願いしました。
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普段は福島ジュニアオーケストラで指導されているとはいえ、「緊張します」と突然のことにプレッシャーが大きかったようですが、毎月の練習にも参加してもらっているので、安心のバックアップです。
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今日はコンサートミストレスの渡邉真浩さんの隣に千葉隆史くんの同じ郡山市出身の同級生コンビが並び微笑ましい姿です。
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ということで、一曲目から順に丁寧に演奏曲をさらっている合宿初日でした。
今週末の23日(土)盛岡、24日(日)仙台(ともにゲストはのんさん)、30日(土)郡山(ゲストは吉永小百合さん)の演奏会は、まだチケットがございます。はやぶさなら東京から盛岡まで2時間ちょっと。坂本龍一監督の唯一のオフィシャルな追悼公演! プライベートアーカイブからの写真や、東北ユースオーケストラの団員と過ごした日々の動画など、未発表素材をふんだんに使った映像も見どころです。
ぜひご来場ください。
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kasumime · 2 years
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もう何日連続でアラームに起こされているのか数えるのも面倒になってきた日曜日。週末はいつも9時20分にアラームをかけるようにしているけど、昨夜は睡魔が襲って設定せずに寝てしまい、今朝ヤバいと思いながら携帯の画面を点けると9:20の表示。体内時計が私本体よりも優秀でビビる。平日は1時間早い8時半に設定しないと出社時刻に間に合わないから、9:20に設定するミスは誤っても犯してはいけない。ちなみに一回だけやったことがあり、Slackの勤怠チャンネルに腹痛で20分遅れますと投稿して爆速で支度し事なきを得た、いやギリアウトか。
閑話休題。昨夜は副業先の退勤後に大塚のビアバーへ初訪問。好きなブルワリーのタップテイクオーバーを開催しているということで、嬉々として向かったけれどあいにくカウンター席は満席で2階のテーブル席に通してもらうことに。両隣のカップルに挟まれても酒は美味い。ビールとはにわかに信じ難いドロドロのスムージーが空っぽになった胃袋の底に待ってましたと言わんばかりに溜まっていく。度数は低いけど価格は高い。だから入荷自体がレアであっても打ち抜くまでは意外と日を要するらしい。好きな時に好きなビールを好きなだけ飲む、ぐらいの金銭的・精神的余裕は常に持っておきたいよねという話。店を出たあとはスタッフの生誕祝いのため、吉祥寺に住んでた頃の馴染みのバーへ移動。コロナ前によく前職の最寄駅だった永田町周辺で飲んでいた人や、ボスと呼ばれる人柄と気前が良い60過ぎの男性たちと暫し歓談。途中、トイレに立とうとしたら20そこそこの頃に好きだった人が来店して、席がなくトイレ前の階段に座り込んだので動けなくなってしまった。何か明白なトラブルがあったとかではないけど、2年ほど前に中目黒で食事をしたのを最後に2人で会うことはなくなったし、何なら偶然店で居合わせてもわざわざ会話することさえなくなった。それでもインスタグラムの親しい友達リストに彼を入れているのは今の自分があの頃よりも大きく成長していることを見せつけたいからかもしれない、そんな姑息な攻撃こそが子供っぽいというのも承知の上だけど。結局昨夜も会話どころか会釈一つすることなく自分が先に会計して店を出た。もはや毎年の恒例行事と化してるから、多分次この店に来るのは大晦日だろう。20歳の頃に初めてこの店へ来たことも、彼と初めて会話した夜のことも、それから粘着にも似た恋愛感情で何度も当たっては粉砕したことも全部鮮明に覚えている。だけど同時に、この店に訪れる常連の面々が思っている以上に自分が良い方向へ変わっていっている事実もあり、それはきっと周りに比べてスリリングで楽しい人生を辿っている途中だということを示唆しているような気がする。大昔は毎日死にたがっていたけど、今は誰かにとっての何者かにはきっとなれているでしょう。だから楽しい。
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kisamitaruha · 1 year
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〈展示のお知らせ〉
2/5より開催されるカルタスつくは賞「根っこの展覧会」で作品を一点展示します
作品はカフェラウンジの突き当たり奥の左手にあります
よろしくお願いします
「根っこの展覧会」
2/5-2/19
会場
co-en 茨城県つくば市1-10-1 つくばセンタービル1F
■出展作家
伊藤皓太朗/狩野慎太朗/大橋芽依/能勢結/しまむらゆきえ/高福ありさ/藤田昴/河原井かれん/宗近祐里/ Ryoto* /春田美咲/山嵜旭/山嵜南穂/塙千生/堀聖司/こうの貴久子/田邉由梨/永尾まゆこ/井上宙/益山直貴/吉川さゆり/中島廣/戸室健太郎/飯泉あやめ/佐藤あおい/為我井涼太/生江教代(順不同)
■アクセス
co-en 茨城県つくば市1-10-1 つくばセンタービル1F
電車でお越しの方… TXつくば駅 A3出口から徒歩3分
お車でお越しの方… 常磐自動車道桜土浦ICから10分、圏央道つくば中央ICから10分 *ご来場には、つくばセンタービル地下駐車場が便利です(最初の1時間無料)
https://co-en.space/co-wall/537/
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tokyomariegold · 10 months
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2023/6/9〜
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6月9日 1時間起きる時刻が遅くて、腕時計は1時間進んでいて、どれを信じて急げばいいのかわからない朝。 でもなんがかんだ巻き返せた。
昨日の通院のショックと共に、先生が「そんなんだったら町の医者でいいんじゃないか」と、見放しプラス大学病院マウントをとってきたことにざらざらしている。
友人が人間ドッグを受けて、何を食べれば良いかわからなくなっていて悲しかった。医療って何? 健康と結びつくの?という気持ち。 隣の席の上司はジャンクなものが大好きで、マックかケバブで昼食を迷う話をしていて、とても元気で健康そうに見えた。
職場の方と、前の上司のお家がパン屋さんをしているのでお昼休みにいってみよう、と約束をした! そして、その流れで新しい職員さんの心配事を聞かせてもらう。どうやら、何かを教えてあげても、おしゃべりしながらもうとうとされてしまうらしい。
帰りに一期下の方と会い、久しぶりに一緒に帰ってもらった。なぜ?と思う、雑とした仕事の多さに残業が続いていたらしい。 そうゆうのって減っていくべきだけれど、私は以前、そうゆう雑としたところが消えると自分が働くところがなくなって困る!と思ってた。 時短って怖い!と思ってた。
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ゴールデンウィークに職場の方々と上司の家でバーベキューをした話を聞かせてもらう。 また企画をしているそうで、私も誘ったら来るかな、と昨年度まで私の直属の上司だった方に言ってみたところ「◯◯さん(私の苗字)は来ないでしょ!」との見解をされたとのこと。 (そう言われると無理して行ってみたくなる。)
網走監獄の話も聞かせてもらった。 網走のまちは、何もなくはないけれど、人気がなく静かで、曇天小雨が相まって、とても無な気持ちだったみたい。時間を潰せるスポットがミスドしかないらしい。
明日は本当にちーちゃんに会えるのか、まためがねを割ることになるのか。 qpさんが草枕に行っていて、レジでもらえるパイン飴を京都まで運んだらしい。qpさんのSNSすき。
お部屋の湿度がひどくて、温湿度計の、comfortマークが初めて消えてしまった。
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6月10日 ちーちゃんにちゃんと会えたのに眼鏡を割り忘れた日。 朝の疲労がひどくってもうたなの?と思いながら、クッションや枕を洗った!えらい!
電車で水野しずの本を久しぶりに読みながら、我に帰るとそうだよな〜、と常識が常識として判り通っていることの不安定さを思って、もう何もあまり気にせず自分杓子でいこうね、となる。 矢沢永吉の章を読んで、写真家さんも、例えば蜷川さんや奥山さんなど、SNSで自分以上に自分っぽい写真を見つけてしまうことあるんじゃないかな?と考えたり。
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ガーディアン・ガーデンで最後の1wall写真展を鑑賞。 “空蝉種子万里ヲ見タ”。展示の仕方をよくわかっている、作品の見せたい部分を堪能できる展示。木枠にガラスがない装丁いいな。 でも審査員のコメントの頭文に“最年少グランプリの〜…”と、作家を紹介する文があり、そんなこと書かなくていいのに!と思った。
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銀座を通り抜けて、ラボへネガスキャンデータを受け取りに行く。大正生まれの母に、お葬式で飾る写真のパネル加工を注文しに来ている方がいて(お母様はまだご存命)、若い時の写真を持ち込んでいた。 銀座はとても混んでいた。 表参道で用事を済ませてプラダで“ダラバーンバウム”の展示を鑑賞。 プラダのTVは、建物の外装みたいに画面がぷっくり。 社会情勢で作品の価値が変わってしまうことをとても感じてしまい、やっぱり常識とか評価は一過性のものなのかしら、と思った。プラダは外国の方がたくさんいてフォトスポットになっていた。
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ちーちゃんと待ち合わせをして、乃木坂までお散歩。 ずっと核心みたいな話ばかりしてしまった。 お医者さんの機嫌を損ねてしまった話をしたら、そうゆう世界の人は一つの物事に集中してしまうから…と教わる。 髪を切ってからいろんな人に話しかけられるようになってしまい、ZARAでサングラスを買いたかった話(結局、黒いTシャツしか買えなかったらしい)や、ファンタジー小説を読んで先が気になりすぎて、わ〜〜〜っ!となった感じで飛び降りたい衝動にかられるけれど、今の自分の部屋が汚すぎて、これを残して死ねない!と止まる日々の話などを聞かせてもらった。 柿の葉茶をいただいた!嬉しい!
冷房にあたり過ぎたのか、肩や首が痛くてロキソニンを飲みたくなっている。
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6月11日 雨の日曜日でよかった。
昨日、今日とサブスプリクション的用事になっていることたちを整理した。これは毎月でなくてOK、とか、もっと気分で通おうとか。「次はどうしますか?」に流されなかった!
朝一で予定を済ませて、どうにかしたかったモノを片付けに隣町のリサイクルショップへ行った。早い時間に行けたので30分待ち立ったけれど、査定を受け取りに戻った時は2時間待ちになっていた。 駅を挟んで反対に大きなショッピングモールがあって、それも分棟ができて広場が整備されたり、この数年でだいぶ変わった。 駅のこちら側は、今日行ったリサイクルショップが入っているモールや、ニトリが入っているモール、病院がたくさん入っているモール、ジムやピラティススタジオが入っているモールなど、ぼこぼこたくさん建っている。
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査定を待つ間に無印良品で紙コップと使い捨て雑巾を買おうと思ったけれどどちらも無かった。欲しいものがない無印良品では最近は楽しめない。 どんどん新商品が出てくる感じ、モノとパノプリ。何を選べばいいのかわからない。結局、練り梅と使い捨て手袋を買った。 そのうち漢方とか出しそうだね、無印良品。
個人的な状態としての、何をしたらいいんだかわからなさがあるときって、無駄な出費が嵩む気がしていて、ショッピングモールの気だるい貧しさと重なるな〜と、思って、リサイクルショップでは800円もらった。
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マイナンバーカードを使ってコンビニで証明書を発行する。 今住んでいる町の役所の場所がわからないので(少なくとも駅チカではない)ちょっと便利かも、と思った。
ちーちゃんから、昨日話したことは忘れて欲しい的なメッセージが��いていた。よくわからなくってまだ全て読めていない。
部屋に戻ると室温が31℃。 扇風機を買おうか迷い中。
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.4.10mon_tokyo
朝 全く眠れなかった。眠れなさと寝たさが並行したまま朝。毎日こんな。 愛ちゃんから、今日日記お願いします、ってメールがきた。今日は平凡な1日になりそうだよ、と返す。
朝が来たら食べようと思っていたセブンイレブンのいちごサンドを冷蔵庫から出して、食前にアレルギーの薬を飲む。食前1時間、食後2時間は開けないといけない薬だから、朝が一番光のきれいなキッチンでいちごサンドはステイ。
家を出る間際、急に爪を塗ろうと思い立って、明るいGREENと深い緑どちらにするか迷う。左手の親指にGREENを塗って、人差し指に緑を塗る。どっちも良い。残りの指は塗らず。そのまま家を出る。
近所のモッコウバラが綺麗に爆発していた。いちごサンドを食べながら駅に向かう。ただ駅に向かってるだけなのにピクニック。全く眠れなかったのに、ご褒美みたいな気分になっていた。春すぎる。
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昼 よく行くひらけた場所で日向ぼっこしながらコーヒーを飲む。日差しが強いから木陰に座る。今日は親子がシャボン玉をしている。夏目くんの「大吉」をイヤホンで聴く。あぐらをかく。メールの返信を打っていて、思わず「春すぎるからもうなんでもいいですね」と送る。
そういえば去年の今日って何してたっけとデータフォルダをみたら、ちょうどodd_で依頼されたフリーペーパーの見開きの写真を撮りに北千住に行っていた。
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ということは、その日はその前に愛ちゃんに下北沢で会った日だ。ボーナストラックで日記祭がやっていて、私は日記のCDを月日さんに納品した。愛ちゃんと金川晋吾さんのトークを途中まで一緒に見て、私は人が座った時のパンツの裾からみえる靴下って好きだなと思った。愛ちゃんは久しぶりに会う私に何も言わなくて、出品してた日記のzineをくれた。 なんだっけ。多分その頃から私は仕事を再開させたりしたんじゃなかったかな。 そのあとみちこと北千住で撮影した。その日の写真、いい写真が多い。いい時間だった。商店街で矢沢永吉みたいな音楽が流れてて、犬に触った。明日もodd_の件で北千住に行く。変なの。(4/24〜30で展示会です。来てね)
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左手の親指のGREENの上から深い緑を塗って、そのまま人差し指は2度塗りして、残りの指にも深い緑を塗ることにした。全部塗ったら満足した。なんで外で爪塗ってんだろう。春すぎるからもうなんでもいいけど。はろうの「ピクニック」を聴く。
用事の合間に頭が興奮状態のまま大崎清夏さんの「目をあけてごらん、離陸するから」を読む。昨夜の続き。コーヒーを飲みすぎている。
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夜 駅から家までバスだと間に合わないのでタクシーに乗った。女性の運転手さんだった。「すみません、少し急いでいて。」と伝えると「裏道へ入るようでもよろしいですか?」と言うのでお任せした。母が昔からよく使う、幼稚園の裏あたりを通る道だった。川沿いの葉桜がライトアップされていた。 帰宅即、明日のアーの新喜劇追加公演に向けてオンラインで読み合わせ。(4/22(土)1日限りの追加公演。全員来てね)
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お風呂に入って、布団に入って、窓を開けたまま寝た。 昨日よりは眠れた。
-プロフィール- 7A 東京 なまえ みたいな名前。くだものをおなかいっぱい食べたい。その日見かけた犬の数を数えながら暮らしています。 instagram:@not_six Twitter:@_not_six
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longgoodbye1992 · 2 years
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祭りのあと
この街を去る前にエリに会いたいと思っていた。
最後に話したのは七月の終わり。
その後互いに忙しかったのに加えて、その時の会話でエリの恋愛対象に離婚歴がある男は入らないということを知って、なんだか心が折れていた。
それでも会いたいと思ったのは、エリの声と姿を耳と目に焼き付けておきたかったからだ。
声かけたのは日曜日。
相変わらずメッセージの文面は簡潔でさっぱりしていて、すんなりと九月の初日に会うことになった。
休日も仕事で忙しいんだろうが、俺が街を去ることを知って気を遣ってくれてるんだろう。
八月半ばのエリの誕生日にメッセージとちょっとしたギフトを贈った。その頃エリは実家で病の床に伏していた。流行病をもらったらしく、地元の友人達と会う予定が全て潰れたと嘆いていた。
つくづく今の流行病というのは万事を狂わす天災だ。
当日の昼にエリから時間に遅れるとメッセージがくる。予定時間よりだいぶ前だから、やはり家での仕事が捗っていないのだろう。
時間を調節しながらエリを待つことした。
ふと思う、何を話せばいいのだろう。
闘病記や最近の仕事の他に話題は何かあるのだろうか。
会いたいと思う事は何かを話したいではなくて、同じ時間を過ごしたいからな訳で、酒を飲んで軽く食べながらどんなことを話したらいいのかわからなくなる。
沈黙なんてSkype時代に嫌というほど他者と経験して、きられることに慣れていたのに、今はこんなにも怖く思える。
行きつけのバーが明るいうちから開いていることに感謝だった。
だけど相談しても答えなんて出やしない。
それが普通で、まっとうなんだと思った。
待ち合わせは、新たに設定した時間より三十分早まった。嬉しいのかどうか自問自答しながらバーを出る。
待ち合わせは中央改札。その前にある総合案内の真横でエリを待った。
着いたというメッセージとともに緊張が走る。
何に対しての緊張なのか。
エリに会うことなのか、沈黙に対するものかわからないでいた。
耳元で桑田佳祐の祭りのあとが流れる。
粋で優しい馬鹿でいろ。
そんなフレーズがやけに耳に残る。
じっと見つめていた改札の反対側からエリは現れた。
呆気にとられて「えっ、こっち?」なんて間抜けたことを口走った。
エリは誰が見ても元気がない。そんな様子だった。
案の定、仕事に追われた休日だったらしい。
ただ、髪が短くなったような気がした。
前よりも可愛らしく、魅力的になったと今は言わないでおいた。
繁華街に歩きながら店の話をした。
前の店でいいよ。なんてつまらない事を言う。
でもそれは俺にとって気楽になる一言でもあった。
前と同じ煙草が吸える店に入る。
デジャヴのようにおんなじ席に通されて軽く笑えた。
そして前とおんなじように生ビールを二つ頼んだ。
食べ物は任されてしまった。そんなに食べないエリらしかった。
嫌いなものを聞いたらトマトとキュウリだった。
俺と全く同じでつい一緒だなと口が動いた。
乾杯する。エリと会うのは二回目で、二十六歳になって始めて会ったから誕生日祝だった。
その後の会話は結論から言えばなんてことなく、心配をよそに話は進んだ。
「髪切ったよね」
「そう昼に切った」
「今日だったんか短くなったな」
「結構ね、短いの似合うんだよね」
「すごい可愛いと思うよ」
「ありがと」
エリは照れた。わかりやすいくらいに。
Instagramを教えてもらって、過去のギャルだった頃やら、若さほとばしる時期の写真を見てこれまた可愛らしいなとにやける。
アイコンが前に俺が撮った写真だった。
「俺撮ったやつやん」
「一番盛れてるから!」
前に篠山紀信が宮崎美子を撮ったときに、オーディションに送った写真を超えられないと話したエピソードがある。
恋人が撮ったその写真の表情を自分は超えられないと言ったらしい。
俺が撮った無防備なエリを、今は誰も超えられないんだなと悦に浸った。
一瞬付き合った女性の話も思わずしてしまった。
エリは俺の気持ちに共感してくれた。そうするしかなかったのかもしれないけれど嬉しかった。
「財布出すのは礼儀だとおもってた」
「えらいよエリは」
「そんな女いるんだね」
「今日は俺が払うから財布見せんなよ」
「それフリ?」
「違うよ。誕生日祝だから」
「じゃあ甘えるわ」
これがエリが歳上に愛される理由なんだろう。
エリの最近のロマンスは前の職場で知り合った人が隣のマンションで、しばしば会っているということだった。
七つ上の営業マンで気が利くいい人らしい。
エリは六割くらい気があるみたいで、その話をするときの顔は乙女の顔でちょっと妬けた。
「七つ違うのってどうなん?」
「関係ないだろう。俺の三つ上だし」
「なんかそこがきになるんよねー」
「気にすんなよ。誤差だって」
「気になるよー」
ウーロンハイを口に運びながらそんな話をした。
それを気にするなら離婚歴も気にするよなと思った。
「一度人のものになったっていうのがお下がりみたいで嫌」
そう言われたのは正直ショックだった。
だけど今はネタで話せるくらいになった、
「もしエリちゃんがバツイチでも良くなったら俺がいるよ」
「ははは。それ気にしてんだね」
「そりゃ好きだからさ」
「気にならんくなるんかな」
「五年後はわからんよ」
「そうかもね」
煙草に火を点ける横顔がなんだか恨めしく思えたけれどエリらしかった。
「でもさ、今は幸せになるなら誰でもいいと思ってるよ」
なんて口にした。
「親目線かよ」
「兄目線的な?」
「大丈夫だよ」
「俺みたいなクズはさ同族嫌悪でクズのものになってほしくないわけよ」
「大丈夫だよ。あたしだって綺麗な生き方してきたわけじゃないし」
「そうなん?」
「バレなきゃいいって思ってた時期あったよ」
エリは学生時代、数年間遠距離の彼氏がいた。
「まあ、バレなきゃな」
「それなりに遊んでたよ」
かなり酒が効いてるらしく普段言わないことも話している。
聞きたくないような、でもリアルでエリらしかって。
「だからさ、自分みたいな男はわかるつもりだよ」
「ならちょっとは安心だけどな」
「誰目線だよ」
「わかんねぇけどなんか安心した」
「心配してくれてありがと」
「まあ、ロマンスがあってよかったよ」
「ちょっとはあるよそりゃあ」
「ロマンスは有り余るくらいがいいからな」
「それなんだっけ」
「ゲスだ」
二人でハモった。
その後は音楽の話になり、一生で一つのバンドしか聞けないとなったらどのバンドがいいか(俺はスピッツで、エリは横山健のバンド)とか、ELLEGARDENの曲で何が一番好きか(エリはlonesomeで、俺はmiddle of nowhere)なんて話で盛り上がり、カラオケに行くことになった。
初回とまったく同じコースだった。
カラオケボックスに入って歌いたい曲を入れ始める。
エリはELLEGARDENのジターバグ、俺はエリの母親が好きな矢沢永吉のsomebodytonight。
矢沢の真似をしてる間に入れたエリの曲は「若者のすべて」で思わず崩れ落ちた。
「ちょっと、それはヤバいって」
「夏の終わりだからさ」
「最高だよエリは」
「夏終わったわ。なんもしてねぇ」
「夏が終われば赤黄色の金木犀の時期だ」
「それな」
エリのセンスは本当に最高だ。
キーを三つ上げて歌う若者のすべてはなんだか別な曲みたいだったけどよかった。エリの声で聞けるのが嬉しかった。
大塚愛の歌声に似てるからと言って、今回は「クラゲ、流れ星」を選曲した。
「桃ノ花ビラ歌ってくれよ」
「これと焼肉の歌しか歌えないんよ」
「練習してくれ。俺落ちるから」
「ははっ、落ちるんだ」
もうすでに落ちてたなんてわかりきってるだろう。
二時間半はあっという間に過ぎた。
今回は俺も最後まで声が続いた。
「煙草吸って帰ろか」
「うん」
エリは喫煙所で燃え尽きたようにうなだれる。
「酔ったな」
「久々に酔って歌った。いきそうだよ」
「最高の夜、ありがとな」
エリを抱き締めて頭を撫でた。
力の入っていない身体を支えながら。
「行こっか」
エリは急に我に返ったように歩き出す。
会計でエリは数千円をポッケに突っ込もうとしてきたが突き返した。
「だからさ、今日は祝なんだから」
「じゃあ出さない!」
「それでいい!」
「あたしそう言われたらほんと出さないかんね」
「いいってば」
「ありがとう」
どうして俺はこの子の目に映らないんだろう。
カラオケ出て、ふらつくエリの手を握った。
ギタリストの手にしては小さくて柔らかかった。
エリは楽しそうに手を振りながらトトロの歌を歌った。
タクシー乗り場までの間はどんな事があってもこの手を離さないと思った。
「もう電車乗りたくない」
「だからタクシーなのね」
「ラーメン食べたい」
「食べて帰るか」
「ダメ、ジムに通ってるから抑えなきゃ」
変に意志が堅い。
タクシーに崩れ込むように乗り込んで別れた。
エリを乗せたタクシーは夜の車道へ紛れていった。
帰り道。学生時代にたまに行ってたつけ麺屋に入った。大盛りを食べても満足いかなくて、別なラーメン屋でもう一杯食べた。
これはエリの分だと訳のわからない理由をつけて。
エリにメッセージを送った。
ありがとう。また会おう。なんて。
相変わらず簡潔に、ありがとう!ご馳走様!と返ってきた。
ふらふらのエリの精一杯なのかもしれないと思いながらこれを書いて眠りにつこうとする。
この日を真空パックして忘れたくなかった。
花火は燃え尽きた。
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illaalli444 · 2 years
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
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腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)まで��遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
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草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
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厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
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花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
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壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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yotchan-blog · 13 days
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2024/5/30 19:01:42現在のニュース
万博に子ども招待 「『希望しない』の選択肢がない」交野市長が批判(朝日新聞, 2024/5/30 18:58:53) 富士山隠す黒幕張り替えへ 景観考慮して青・緑・茶・銀のいずれかに(朝日新聞, 2024/5/30 18:58:53) 立憲・泉代表、政権交代への期待に「我々の政策の絞り込みが必要」(朝日新聞, 2024/5/30 18:58:53) IHI、米社に戦闘機エンジンの部品出荷 ���外の取引増 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/30 18:58:10) マンション高騰…いつ買えばいい?ローン金利は上がる? 専門家が助言する「後悔しない買い方」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/5/30 18:57:12) 米マクドナルド、5年間で4割値上がり インフレの深刻さ浮き彫りに(毎日新聞, 2024/5/30 18:56:26) 不同意性交等容疑で27歳巡査長を書類送検 停職6カ月 福岡県警(毎日新聞, 2024/5/30 18:56:26) 富士山ローソンの黒幕に穴10カ所 職員が通って修復、張り替え検討(毎日新聞, 2024/5/30 18:56:26) 使途公開の必要ない旧文通費、今国会での法改正意向 衆議運委員長(毎日新聞, 2024/5/30 18:56:26) デフレの象徴、外食産業で10%以上の賃上げ続出 丸亀製麺の理由は | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/30 18:51:43) 国に「指示権」、地方自治法改正案が衆院通過 今国会成立の見通し(朝日新聞, 2024/5/30 18:50:39) Pなし:市が高齢者叙勲の勲章など紛失 渡せぬまま元校長死去 千葉・山武(毎日新聞, 2024/5/30 18:49:05) JR九州、宮崎梅田学園が予選敗退 都市対抗九州2次予選(毎日新聞, 2024/5/30 18:49:05) JR東日本は第3代表決定戦へ Hondaは敗退 都市対抗東京2次(毎日新聞, 2024/5/30 18:49:05) 米アラスカの川がオレンジに変色 温暖化で永久凍土の鉱物流出か(毎日新聞, 2024/5/30 18:49:05) 大阪ガスが今大会初白星 都市対抗近畿2次予選(毎日新聞, 2024/5/30 18:49:05) ジェイプロジェクトと王子が2回戦へ 都市対抗東海2次・第3代表決定T(毎日新聞, 2024/5/30 18:49:05) 森友文書巡る審査請求を棄却 赤木さん妻「国の茶番劇」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/5/30 18:46:02) JR京葉線、9月に異例のダイヤ変更 各駅停車の一部を快速に(毎日新聞, 2024/5/30 18:41:46) ふるさと帰還のSL人吉 解体と輸送、組み立てを見学ツアーに(朝日新聞, 2024/5/30 18:41:44) 電気・都市ガス料金が大幅アップ 7月請求分、政府の補助金終了で(朝日新聞, 2024/5/30 18:41:44) オリックス 滋賀県米原市に国内最大級の蓄電所 27年運転予定(朝日新聞, 2024/5/30 18:41:44) 強制不妊訴訟で国に賠償命令 除斥適用は「正義に反する」福岡地裁(朝日新聞, 2024/5/30 18:33:03)
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パラマハンサ・ヨガナンダがさ、😂ガンジーに、会いに、わざわざ、ガンジー夫妻の住む、家、行ったのにさ、😂ガンジー、その日は、沈黙の日だって、紙に、書いて、😂パラマハンサ・ヨガナンダに、😂渡したらしいんだよ😂ほんっとさ、😂ガンジーって、😂ヤナ奴だよな🤣🗯️
で、結局、パラマハンサ・ヨガナンダが、😂ガンジーと、ようやく、会話できたのは、次の日、らしいんだよ😂そう、これさ、ガンジーの、妬み、なんだよなぁ😂パラマハンサ・ヨガナンダに、対しての、妬み、なんだよ😂ノーベル平和賞なんかさ、😂チャンチャラおかしな、話しなんだよ🤣🗯️つまりは🤣🗯️
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先見の明を、もつ、あのの、オーロラ、について、褒めようとしたら、🤣🗯️固まったよ🤣🗯️
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俺さ、もともと、コンビニの、弁当、温めて、食べるの、好きじゃないんだよ😂そう、なんでかってさ、😂熱で、具材の、繊維がさ、😂破壊💥されるんだよ😂電子レンジに、かけると😂そう、だから、冷えた弁当、そのまま、食べるほうが、うまいんだよ😂
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ライフル銃、乱射してさ、数十人、殺した、永山則夫っていう、死刑囚、そう、獄中で、無知の涙、執筆して、死刑執行された、永山則夫はさ、😂部落の、出身なんだけどさ、渋谷の西村フルーツ店で、上京して、働いてたんだよ😂で、俺もさ、上京して、渋谷西村フルーツ店で、働いてたわけだからさ😂永山則夫はさ、😂俺の、先輩に、あたるんだよ😂勿論、尊敬してるよ😂
でさ、😂当時、そう、西村フルーツ店で、働いてるときさ、😂寮に、入ってたんだよ😂小田急線の、向ヶ丘遊園駅、なんだけどさ、寮の、場所が😂そう、ノルウェイの森の、ワタナベくんや、😂突撃隊が、入ってた、寮、もう、まんまなんだよ😂部屋はさ、二人部屋なんだよ😂それも、先輩と、二人部屋だよ😂でさ、薄汚れた、絨毯なんだけどさ、😂部屋の、絨毯な、😂その、絨毯にさ、😂なんと、さっき、俺が、投稿した、ミルワームみたいな、😂ぎょう虫が、ところどころ、いるんだよ😂でさ、俺、当時、その寮、嫌で嫌で、しょうがなかったから😂一人暮らしするために、月に、5万、給料、天引き😂貯金してたんだよ😂それもさ、手取り、12万の、給料からだよ😂でさ、当時、小泉首相だったんだけどさ、😂週、6日勤務なんだよ😂でさ、俺、晩飯、大体、向ヶ丘遊園の、吉野家で、牛丼並盛、生卵つけて、食べてたんだけどさ😂ある時から、晩飯、節約するためにさ、😂その、働いてる、西村フルーツ店の、ナッツコーナーにさ、松の実、あったんだよ😂そう、その、松の実たしか、三千円くらいする、いいヤツなんだけどさ、😂パクって、😂晩飯に、してたんだよ😂あと、ドライフルーツの、アプリコットとかも、好物でさ、😂そう、パクって、食ってたんだよ、😂俺😂
でさ、😂その、西村フルーツ店の、客にさ、😂いろんな、組の、暴力団、来てたんだよ😂でさ、その、暴力団の、たしか、山口組の人にさ😂道玄坂にある、ストリップ劇場の、無料券、たまに、もらったんだよ😂で、仕事帰りに、もちろん、行ったよ😂でさ、たまたま、ストリップの、初出演の、女の子の、デビュー日、だったんだよ😂その子さ、😂また、開くとき、😂泣いてたんだよ😂一気に、冷めたよ、😂もちろん😂泣かれては、なんか、こっちがさ、悪者みたいじゃん😂そう、嫌な気分に、なったんだよ😂
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あとさ、ハチ公、近くの、ガード下の、吉野家、よく、行ったんだけどさ、俺、😂当時、メガネかけた、もう、ガリガリの、女の子、働いてたんだよ😂でさ、牛丼、当時、手渡し、だったからさ、😂その子の、手首が、ちらっと、見えたんだけどさ、😂リストカットの、跡が、もう、むちゃくちゃ、😂あったんだよ😂で、それでいてさ、😂やけに、愛想良くてさ😂ニコニコ、してたんだよ😂その、子😂でさ、その、ニコニコがさ、😂痩せて、手首に、切り傷の跡が、たくさんある、体と、その笑顔の、ギャップがさ、勿論、不気味に、見えたんだよ😂当時の、俺にはな😂そう、今なら、分かるんだけどさ、その子、摂食障害と、自傷行為、抱えてる、つまり、精神病の、女の子、だったんだよ😂でもさ、当時、俺、まだ、18,19歳、だからさ😂そんな、精神病があるなんて、勿論、知らんのよ😂で、恋、しちゃったんだよ😂その、ガリガリの子に😂つまり、一目惚れ、😂しちゃったんだよ😂とにかくさ、田舎から、出てきた、ど田舎モンの、俺からしたら、😂東京の街は、すべて、新鮮でさ、😂それでいて、アグレッシブに、見えてさ、😂楽しかったんだよ😂ただ、街を、歩いてる、人たちを、眺めてるだけで、楽しかったんだよ😂当時の、俺は😂
その頃だよ、俺が、漫画の軍鶏=軍の鶏に、ハマって、立ち読みしてたのは
で、ミスチルは、歌詞のなかにさ、東京の夜だ、とかある、新曲、出してたんだよ
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でさ、元嫁、佐々木が、まだ、道玄坂の、クラブエイジアで、働いてる頃さ、なんかの、闘争があったのか、暴力団、乗り込んできてさ、銃乱射する、騒動が、あったらしいんだよ😂でさ、ある、暴力団がさ、エイジアの、外で、車に、引かれたらしいんだよ😂運転してたのは、外人らしいんだけどさ、😂二人組の😂でさ、その、引かれた、暴力団、タフだからさ、😂車に引かれたあとさ、立ち上がって😂そう、血だらけで、立ち上がってさ、😂片腕は、いかれて、ブラーンって、なってるのにさ😂おんどりゃー🗯️って、その、運転してた、外人に、ブチ切れたらしいんだよ😂でさ、その、エイジアの、騒動の、数日後さ、😂その、外人ふたり、つまり、暴力団を、意図的に、引いた、二人がさ😂成田空港、近くで、殺されたって、ニュースが、伝えてた、らしいんだよ😂なかなか、パない、はなしだろ?😂
ジョブズはさ、禅仏教に、傾倒しててさ、愛読書は、あるヨギの自叙伝、なんだよ😂で、自分の、ア���パッドに、ダウンロードしてさ、つまり、あるヨギの自叙伝を、😂そしてさ、何度も何度も、つまり、パラマハンサ・ヨガナンダの、自叙伝を、暇さえあれば、読み返してた、らしいんだよ😂だから、ネット関係に、精通しててもさ、😂霊界では、大丈夫なんだよなぁ😂ジョブズは😂ビル・ゲイツとか、Amazonとか、Facebookとか、インスタは、もう、ヤバいんだけどさ😂あと、イーロン・マスクか😂ヤバいのは😂そう、やつさ、若い頃、ビートニク、ヒッピーみたいな、生き方、してた、時期、あんだよ😂髪、のばしてさ、風呂に、何日も、入らず、悪臭、放ってた、時期、あんだよ😂ジョブズな😂でも、我が子には😂スマホ、持たせなかったんだよ😂でさ、たしか、ジョブズ、ウォーキング、ミーティングとか、やってたんだよ😂そう、森林の中をさ、歩きながら、ミーティング、すんだよ😂でさ、これ、その通り、なんだけどさ😂実際、木🌲の、発する、良い霊気がさ、😂人間の、脳に、いい効果を、与えて、素晴らしい、アイデア、沸き起こるんだよ😂そう、室内に、こもってさ、😂真面目な顔して、かたーい、会議するより、森のなかを、歩きながら、湧き上がった、アイデアのほうが、より、クリエイティブな、アイデアが、😂実際、生まれるんだよ😂これさ、俺、ずっと、実は、やってたんだよ😂数年前まで😂俺は、おもに、次郎丸とか、姪の浜とか、だったんだけどさ😂歩いてるときのほうが、これから、どうやって、生きてくか?!の、アイデアが、ポンポン、出てくんだよなぁ😂不思議と😂
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mimizuku-sakyo · 3 months
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例会内容と行事のお知らせ
 みなさま、桜の開花が例年より少し遅いようですが、春の陽気が迫ってきた今日この頃です。いかがお過ごしでしょうか。  能登半島やウクライナ、パレスチナの「春」はまだまだ遠いと感じざるを得ません。手話通じて安全・安心や平和への想いを交流し共有できたらと思います。  そういう想いも込めて楽しく例会を続けていきたいと思います。  左京区役所の使用条件は、マスクは個人の判断になっています。例会は、引き続き、換気に留意し、手指の消毒液は用意して行います。依然コロナやインフルなどの感染症も流行っています。体調不調の時は無理をされませんようにお願いします。
<4月〜5月初旬の例会内容> 4/2→ニュースの時間「デフリンピック」 4/9→「お花見」の感想、報告等 4/16→手話を使ったゲーム 4/23→みんなで会議など 4/30→京都ろうあ者大会、みみずく会定期総会の報告、感想等 5/7→テーマトーク「連休のこと」
<今後の行事> ・4/7(日)お花見会 in 宝ヶ池公園  ① 「みんなでランチ」   集合:12:15 ザ・プリンス宝ヶ池玄関   場所:ザ・プリンス宝ヶ池 中華料理「桃園」   時間:12:15~14:00   参加費:会員 2800円  ② 「アウトサイドレク」   場所:宝ヶ池公園 北園    時間:14:00~15:30   *②のみ参加の場合、14:00に地下鉄国際会館駅5番出口、集合   申込み締切:3/30(土) ・4/28(日)第11回京都ろうあ者大会   場所:永守重信市民会館(向日市)   時間:10:00~16:00(受付 9:30~)   参加費:1500円(パンフ・記念品) ・4/29(月・祝)みみずく会2023年度定期総会   場所:市聴言センター   時間:13:00~16:00(受付12:30~)  *出席できない方は委任状をお願いします。(有吉まで)
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tominohouzan · 3 months
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Hello! Project 研修生発表会 2024 3月「ミモザ」 ::★★★☆(3.5)
出演:ハロプロ研修生 松原ユリヤ・小野田華凜・橋田歩果・村越彩菜・植村葉純・吉田姫杷・上村麗菜 (ハロプロ研修生ユニット’24) 河野空愛・牧野永愛・林仁愛 島川波菜・浅野優莉花・宮越千尋・西村乙輝・相馬優芽・大坪茉乃・吉田光里・杉原明紗・服部琉愛 ゲスト:BEYOOOOONDS MC:まこと
2024/3/2  Zepp DiverCity (東京)  1部15:45〜
数年ぶりにチケット忘れをやらかす。途中駅の乗り換えで気がついて、くるっと反転して急いで戻った。会場にはギリギリで飛び込み、スタッフに席までエスコートしていただく。
今日のゲストはオチャノーマではなくビヨーンズだった。先日発表された一岡伶奈ちゃんの卒業について報告後にパフォーマンス。この報告をツアー前に済ませたかったのだろうかと邪推してしまう。
新人研修生9人の初お披露目。まだ名前と顔がまったく一致しないが、みんな声がとても可愛い印象。ダンスが得意な子が多そうなのでとても楽しみ。
研ユニはほのほのと上村麗菜ちゃんがよい。兼ユニの歌唱も安定してきたように思えるが、デビューまでにどれだけブラッシュアップできるかは注目したい。
無印はなんといっても林仁愛ちゃん。歌唱メンの印象だったが、手足も長くしなやかなダンスで目を引かれた。牧野永愛ちゃんも何だか色白になってとてもかわいくなっていた。
研ユニ増員発表はなし。グループ名発表もなし。実力診断テスト開催発表もなしでフィニッシュ。
<セットリスト> 01.色とりどり伸びよ!! / ハロプロ研修生(新人以外) 02.ロマンスの途中[Juice=Juice] / ハロプロ研修生(新人以外) MC まこと 03.桜チラリ[℃-ute] / 河野・牧野・林 04.イメージカラー[矢島舞美・鈴木愛理(℃-ute)] / 橋田・上村 05.さくら満開[モーニング娘。さくら組] / 松原・小野田・村越・植村・吉田 06.胸さわぎスカーレット[Berryz工房] / ハロプロ研修生ユニット’24 MC まこと・BEYOOOOONDS 07.恋愛奉行 / BEYOOOOONDS 08.虎視タンタ・ターン / BEYOOOOONDS 09.おへその国からこんにちは[ハロプロ研修生] / BEYOOOOONDS 10.ニッポンノD・N・A! / BEYOOOOONDS MC まこと・村越・新人研修生 11.ピョコピョコ ウルトラ / ハロプロ研修生(新人のみ) 12.CHO ちょこっとロッケンロール / ハロプロ研修生ユニット’24 13.恋のクラウチングスタート[OCHA NORMA] / ハロプロ研修生ユニット’24 14.43度 / ハロプロ研修生(新人以外)+ BEYOOOOONDS 15.46億年LOVE[アンジュルム] / ハロプロ研修生(新人以外) MC まこと 16.春恋歌[つばきファクトリー] / ハロプロ研修生(新人以外)+ 途中からBEYOOOOONDS
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