冷たい市街
意図的に自分を見失うため、何も考えずに神戸に行った。住む街と違う場所であれば、目的地はどこでも良かっ���。ただ最近読んだ本のなかに出てきたその街が、私が今までに持った印象とは真逆のかなり魅力的なものだったためそこに決めた次第だ。だが結局、旅を終えてみてもその印象が覆ることはなく、街は外来者に冷たいままだった。後で友人からの慰めとして受け取った言葉を借りれば、誠に運が悪かった、それとしか言いようがない。以下はそのネガティヴな記録である。なお、神戸が好きな人や暗い気持ちになりたくない人には読まないことをお勧めする。
電車で1時間あまりの旅。十三を経由し、昼過ぎに三宮に到着した。かつてその中にある服屋の店員になぜか試着を拒否された、個人的に嫌な思い出しかない高架下の商店街を歩き、元町方面へ。朝とは打って変わって爽やかな天気だ。こざっぱりとした表通りの先、極彩色の門を構えた南京町は観光客でごった返していた。朝から何も食べておらず腹が減っていたが、何か口に入れる前に少し散策をすることにした。
裏道で見かけた中��カメラ屋に入る。店番のおばさんが眠りこけていた。ひどく雑然とした店内。扉を閉める音に気づき、むくりと起き上がった彼女が口を開く。私は留守番なんです、何かお探しですか? ――いえ、特に。主人を呼びましょうか? ――大丈夫です。古いカメラの数々がおよそ1万円以上の値で売られている。しばらく棚を見ていると、口ひげを蓄えてでっぷりと太った店主が現れた。呼びましたので、私はここで交代...。フィルムカメラを探していると言うと、私がそれを一台も持っていない前提で話が進み、デジタルを否定しアナログを賛美する旧弊な饒舌に予期せず30分以上も耐えることとなった。俺がイロハを教えてやると言わんばかりの口調。終わる気配がないのでほとほと参った。もう行きます、と言うか言わないかのところで次の話が始まる。店主が黙ったかと思えば、彼の目の先30cmのところでこちらに背を向けて鎮座するテレビから、吉本新喜劇の大げさなリアクションが大音量で放たれる。仕方なく質問をすると、ライカを買えと言う。ライカは私の求める写りを実現してくれないことを知っているので、興味があるふりをしてお茶を濁した。10万超えのガラクタを買うつもりはない。そうして散らかった店内の真ん中でちょこんと座る店主を見ていると、汚い部屋で原稿を前にしてカメラを睨みつける坂口安吾の写真を思い出した。やられっぱなしで悔しかったので、店内の写真を撮っていいかと聞くと、断固として拒否された。面白いのに、何もわかっていやしない。そして聞いてもいない理由をべらべらと喋り出したので、途中で出ようと思ったが、なんとか堪えて最後まで相手をした。私は良い子だ。話の通じない店主含め、店全体がアナログのジャンク品のようだった。しかし、どうして「若者は苦労してナンボ」論者は、関わりの薄い他人にさえも不要な苦労を強いることができるのだろう。何よりも貴重な若さを費やすだけ費やして結果が実る保証などはどこにもないというのに。自称苦労人の彼に至って言えば、初見の若者に対してそのように重大な責任を持つことができるというのか。確かに人は、自分の経験を以てのみ説得力を持って話すことができる。だが、売れないカメラ屋を道楽経営しているという事実が説得力とは真逆の方向に働き、「フィルムは金払って失敗して上手くなるんや、それがデジタルならタダやろ? 一枚一枚を大事にせえへんねん」という主張の内容をさらに空虚なものにしていた。デジタルの恩恵を拒絶して懐古主義に浸るのも人によってはアリだが、それを他人にまで強要すべきではない。若者は、を枕詞に据えて話し始める、ストレート・アウタ・ショーワ(昭和)の親父たちは、その話さえも若者にとっては無駄な時間であるという観念など大抵持ち合わせていないため、遭遇した時には素早く距離を取ろう。
さて、出鼻を挫かれて向かったのは「ぎょうざ大学」、その名の通り餃子の専門店だ。5人ほどの待ちができていた。行列の伸びる方向とは別の方向に誤って並んでいた男が、こっちが最後ですか? と言いながら舌打ちをして私の後ろに付いた。ここでもいきなりやられてしまい、笑うしかなかった。店員に注文を聞かれ、餃子は2人前以上が注文必須だったので2人前、飲み物は水で、と言うも返事がない。誰に対してもそのような感じだったが、忙しいようなので仕方がない。南京町の餃子は、なぜか酢醤油に甘味噌を混ぜたタレで食べる。ほどなくして提供された焼きたての餃子は、皮はパリパリ、中はジューシーでかなり美味かった。店を後にし、続けざまに台湾タンパオにて小籠包をテイクアウト。皮からアツアツのスープがほとばしり、口内を優しく暴れ回る。これは美味い。分かち合える相手がいないのが残念だ。最後に近くの精肉店で巨大な唐揚げ串を買って食べた。ジューシーで、定食一人前ほどの食べ応えがある。おかげで腹がパンパンになった。ようやく食欲が落ち着いたのでコーヒーを飲みつつ文章を書く。このあたりは観光客が多すぎて店員は皆疲弊しているようだ。金持ちが相手だとしても愛想は悪い。しかし私は何よりも、ここが関西とは思えないほど関西弁が冷たく聞こえることに驚いた。むしろ優しいのは日本人より中国系だとも思えてくる。ゆく人の会話からも物質的な内容ばかり聞こえてくる。例えばこうして喫茶店で座っている横でも、おそらくだが上司と部下が仕事の話をしていて、しきりに集金集金と繰り返している。すっきりとした街並み同様、あまりにも血が通っていない人々。彼らは容姿の美醜に拘らず着ているものは一流であり、入念に施された外見、つまりは見栄の下、三宮からこのコールド・ヴェインを通り抜け、再び神戸という街の心臓に絶え間なく注ぎ込んでいるのだ。それでは、この心臓を動かす酸素の供給源はどこにあるのか? その答えを、私は旅の終わりに知ることとなる。
歩いて異人館方面へ向かう途中、「縁結びの生田さん」こと生田神社に立ち寄った。元陣内夫妻が結婚式を挙げた場所である。朱塗りの大きな鳥居と神殿に、多数の参拝客。境内の端で史蹟「生田の森」という看板を見かけたので、裏手にある鎮守の森を覗いた。数本の神木の下を人工的に固められた遊歩道と申し訳程度の小川が這っており、辺りには石碑が散在している。ここに限らず、全国どこでも史蹟というものは似たような様相を呈している。かつてあったという事実がそこに残ってさえいれば、形はどうでもいいのである。ここは雰囲気こそ薄暗く神聖な感じで、昔は広大な広葉樹林が社を囲んでいたものと思われるが、京都下鴨の糺の森がもはや森とは呼べないほど縮小しているのと同じで、空の光があちこち透けて見える程度の木立と化している。本当の意味での自然などどこにもないこの現代、かつてあったものの威光は一体この先をどこまで照らすのか。もの寂しさだけを覚えて私はそこを去った。
山手へ向かう長い坂を登り、神戸北部の一角にある北野異人館街に到着した。ここは旧外国人居留地で、瀟洒な洋館が立ち並んでいる。その中のいくつかは一般公開されており、入館料を払えば中に入ることができる。「公開異人館」や「一般公開異人の家」などという看板が目につくが、決してタダという訳ではなく、入口では安くない入館料が請求されるため注意しなければならない。通りにある有名なスタバを含め、なんとなく全てがハリボテであるかのような印象を受けた。北野という地名については、京都の北野天満宮を勧請したことに由来するそうだ。上り坂を終えた後に現れる長い石段の先には北野天満神社があり、その境内からは神戸市内が一望できる。私はそれらに用がなかったので、広場の猿回しの芸者と数名の観客を横目に足早に通り過ぎた。うろこの家裏手の細い横道から山へと入ると展望台があった。街を眺めやると、近くに聳えるひときわ高いビルが目についた。ジークレフ新神戸タワーというマンションだ。葉陰からにょきっと飛び出た大建造物という構図が面白く、数枚のモノクロ写真を撮った。道中、先日の台風の影響か崖崩れが起こっていたが、崩れた土砂の上に道が作ってあった。そのまま山道を突き進んでいると、ヨーロッパから来たと思しきカップルとすれ違った。このような観光地から外れた自然の中を歩いていると、地元の人の他になぜか欧米人と出くわすことが多い。その一方で、アジア系の旅行者を見ることは少ない。これら二者は旅に求めるものの傾向が異なるようだ。私はどこにいても緑を欲するタイプなので、山や森へと続く道を見かけるとするする入ってしまう。そのせいでフランスに行った時などは、ブーローニュの森であわや迷子になるところであったが、それもまた良い思い出だ。布引ハーブ園へと延びるロープウェイの下を通り、北野から1.5kmほど歩いて辿り着いたのは落差43mを誇る布引の滝である。この雄滝と少し下流にある雌滝を合わせて夫婦滝と称する。神瀑の名に相応しい威容で、水の流れ落ちる様子はまさに白布が垂れているかようだった。モノクロ写真を数枚撮った。良い画が撮れたと思う。カメラ屋のおっさんに見せてやりたいと思った。日が暮れかかっていたため、そこにいたのはハイカーが10〜20名ほどと少なかった。が、階段を下りてくる年配の彼らは皆酒臭く、それは山中に茶屋があるためであった。古びた茶屋を少し冷やかした後、再び滝を見上げた。滝壺はたっぷりとした水量があり、翡翠色の水が綺麗だった。傍に立っていた説明看板を見ると、観光客への配慮で、滝の水が一定になるよう上流のダムからの放流量を調節しているという。一時の来訪者としてはありがたいが、やはりここも人の手が加わった「自然」であるのかと思うとまた少し虚しくなった。
麓まで引き返してきたあたりで、ふと三宮駅からポートライナーに乗ろうと思った。それはこの旅の中で最良の選択だった。吉田篤弘が『神様がいる街』で、神戸港につくられた人工島を一周して戻ってくるこの無人運転の電車のことを、「横に回る観覧車」だと言っていたのである。私はそれがどのようなものなのか興味をそそられていた。以来、神戸に行ったら乗ってみようと思っていたのである。三宮で切符を買ってホームへ。空港行きと埠頭行きがある。電車は時間通りに客を吐き出し、かつ吸い込み、淡々と運行している。埠頭行きの一番前の席を陣取って足を投げ出すと、自分が歩き疲れていることに気づいた。車両は音もなく発車した。そうして至極のろまなジェットコースターにのったような気分で、目の前で次々に繰り広げられる光景をぼーっと眺めた。もう夜になっていた。埠頭、海、ポートターミナル、公園、団地、学校。レールの下に浮かんでは消えた。いくつかの駅を経て、電車はもと来た方向へと戻る。船舶、イケア、流通基地、駐車場、ビル。最後に、海にかかる橋から言いようもなく綺麗な市街の夜景が見えた。それは今日、唯一の感動であった。神戸よ、煌びやかな街を黙々と動かし続けているのは、これらの埠頭や空港から送り出される人や物なのではないか。街路が血液の体循環を象徴しているとすれば、きっとポートライナーが結ぶラインは肺循環であり、海をぐるりと一周し、街と一時的な自然状態とを往還することで神戸のダイナモを支えているのだ。車両に乗り込んだ人々は、ぼんやりと景色を眺めたり、おしゃべりしたり、仕事や学校に向かったり、または家路に着いたりと、目的はバラバラであろうが、普通の夜の電車にありがちな雰囲気とは違った、何か独特な、人をわくわくさせる期待に満ちた空間が夜を滑って行くかのように思えた。海で仕入れた清新な大気とともに貿易センター駅で降り、三宮駅まで歩いて戻る時にこの仕組みが分かって納得した次第だ。あまりに疲れていたのでそれ以降は何も考えられなくなり、駅前でうどんを啜って帰った。京都に着いた時、友人から連絡があり、元田中の中華料理屋「上海バンド」で落ち合った。そういえば、海から見えた神戸市街も、以前にネットで見た上海外灘(バンド)の夜景に似ていたな、などとぼんやり思いながら麻婆白子やら羊のクミン炒めやらをつつくうち、ついつい飲み過ぎ、結果として予想とは違った方向で自分を見失う夜となった。
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2015.11 屋久島3/4
※書式統一のため一部過去記事を構成し直して再投稿
2/4より
本来の予定では、3日目は九州最高峰の宮之浦岳に挑戦する予定でしたが、前日夜の天気予報では50%の確立で雨が降るとのことで、しかも縄文杉で非常に疲れたこともあり、無理をせずに屋久島一周ドライブに変更となりました。ガイドブックには縄文杉よりもキツイと書かれていました・・・。ただ今回自分がダウンしかけていたのは寝不足のせいだと思ってます。機会があれば体調を万全にして宮之浦岳に挑戦したいですね。
縄文杉から奇跡的に無事故で生還したその夜はぐっすり眠れて疲れは全部飛びました。起きたらなんと快晴^^; 雨だというから山を諦めたんだけど・・・。まぁ仕方ない。前日に借りたレンタカーでドライブへ。
安房港に近い宿をとっていたのですが、そこから時計回りで一周します。
まず最初の見どころは千尋の滝。車で山道を登って行き、駐車場に車を止めてから徒歩で少し歩くと、奥の方に大きな滝が見えます。駐車場付近では野生のヤクザルが群れてました。千尋の滝の下流はトローキの滝という、海に直接注ぐ珍しい滝につながっています。トローキの滝の展望台から眺めると海がすごく青くて綺麗!
次は屋久島フルーツガーデン。広い敷地の中に南国の植物がたくさん植えられていて、要は植物園ですね。もちろん屋久島自体が南国の気候なので屋外でそのまま植えられています。入園料500円で、各種フルーツの試食ができます。このとき初めて知ったのですが、ドラゴンフルーツってサボテンの実だったんですね!
次に向かったのは反時計回りに少し戻って平内海中温泉。普段は海に水没しているのですが、干潮時の約2時間だけ姿を現し入浴することができるという天然温泉!目の前に海を眺めて入る温泉は気持ち意だろうなーとすごく期待をして向かったのですが・・・なんとその日は月に一度の清掃の日だそうで入れませんでした!!!!その日は休日だったんですが、こんなことってある!?まぁ清掃が始まる直前だったので、3分くらい足だけ浸からせてもらいました。
平内海中温泉は仕方なく諦めるとして、すぐちかくの湯泊温泉に入ってきました。海抜3mくらいのところにある温泉です。平内海中温泉のように海抜0mではありませんが、目の前に海があるというのは変わりません。混浴で直径5mくらいの浴槽ひとつしかない非常に小さな温泉です。木の板の仕切りはありますが、ただの気休めで普通に覗けます。お湯の温度はかなりぬるく、おそらく36度程度。浸かっていると温かいですが、上がると寒い^^; 岩場まで降り、生き物を探していたらウツボを発見!結局最初から最後まで女の子が来ることはありませんでした・・・。残念
昼食を食べて次に向かったのは大川の滝。滝壺まで歩いていけるため、滝の迫力を間近で感じることができました。この時点で15時くらい。かなりのんびりとドライブしています。
さて、屋久島ドライブのハイライトです。屋久島ドライブの難所と言えば、西部林道。西部林道はその名の通り島の西側に位置しており、山から海岸線までの急斜面を横切るように 作られた長さ約12Kmの林道です。基本的に一車線しかなく、非常に狭い。山道でもあるため勾配と急カーブが多い。非常に運転しづらく事故が起こりやすい道です。島の人でもめったに通らないからと、宿の人からも散々気をつけるように念を押されていたのでかなり不安でしたが・・・。実際に走ってみると結構面白かったですね。もちろん道は厳しかったですがなかなか味わえない道路でした。面白いことにこの西部林道は”世界遺産の一部”なんです。屋久島の世界遺産の登録範囲は島中央に集中していますが、西側に関しては西部林道を含めて海岸線まではみだしているんですね。そして世界遺産を裏付けるかのように、西部林道では野生動物がたくさんいました。道路の上を鹿やサルが群れになって普通に歩いています。道路が塞がれてなかなか前に進めないということも・・・。
西部林道を抜けた次の目的地は一湊海水浴場。シーズンオフなので自分しかいませんでしたが。誰もいない浜辺もいいですね~~
最後に宮之浦港に寄ってお土産を買い、屋久島空港を通過して安房の宿へと帰ってきました。宿についた時間は18時くらいだったでしょうか?多分8時間くらいはドライブしてました。
展望台から遠くに眺める千尋の滝
千尋の滝駐車場で猿の群れと遭遇
トローキの滝展望台から。滝もきれいだが、それ以上に海が綺麗だった。
屋久島フルーツガーデンでフルーツを試食。モンキーバナナ、パイナップル、ドラゴンフルーツ、温州みかん、オレンジ
大川の滝直下。
平内海中温泉。
まさかの清掃日だったので足だけ浸かって引き上げた。
湯泊温泉の岩場で遭遇したうつぼ、かわいい。天敵だと思われたらしく、すぐに沖の方へ逃げていった。
噴火が起きた口永良部島、正面に見えている。
一湊海水浴場
4/4に続く
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Skyrim不動産案内番外編:Riftfalls Manor
今回の不動産案内は、去年……メタ的に言うと2017年の11月に紹介してる家の再掲だ。
あの当時は諸事情あって満足に案内できず、それはそれで動画で一通り見せたわけで、そっちのほうが分かりやすかったかもしれない。ただ、動画だと大して興味ない部分でも自由に飛ばしたりするってのはやりづらいから、改めて今回、案内しなおそうということになった。
だから客がいるわけでもないし、手っ取り早く俺―――ねこすけだの、ハイイロネコだのと呼ばれてる―――が案内することになった。
場所は、イヴァルステッドの北、けっこういろんな家とかロケーションが作られてることの多い、見晴らしのいい滝壺のところだ。
道を行こうと思うと、アモル砦あたりから入り口が分かりづらい山道を登ることになるんだが、俺ならニルヘイムを中継地点にする。イヴァルステッドから行ける砦の一つで、この家は、ニルヘイムから強引に、盾みたいな形のマーカーを目指して崖を降りたほうが迷わずに済む。
家に行く前の桟橋が分かれたところには、ヤギが一匹いるのと、薪割り台がある。弓の的もあるから、想定されてるのは、狩人の一家とか、そんな感じなんじゃないか?
入ったところは広いダイニングだ。広すぎることはなく、内装も素朴でシンプルだから、派手で凝ったタイプが苦手な人に丁度いいだろう。
家の1F部分はこの一間だけで、二階、地階への階段と、裏手に出るドアがある。
まずは、特にあれこれ行き先のない二階から案内しちまおうか。
二階はメインのダブルベッドと、サブのシングルベッドがあるから、夫婦と子供、とかなのかな。ディスプレイや収納はそれなりだ。壁に武器飾り額、武器保管棚も2本分くらいで、それ以外には、タロスの祠、展示箱に、投げ込み式の本棚がある。
あれこれ飾りたい人には物足りないだろうが、金庫だってあるし、サイドテーブルも置かれてるし、家として使うのに不自由はないはずだ。
で、1Fに戻って、裏手から出ると塔が目の前にあるんだが、ここは今行っても鍵がないからな。まずは地下へ行く必要がある。
これが地下のアーマリー。鍵がかかってるが、その鍵は、そこにある棚にルビーとともに乗っているから、慌てて探しまわるなよ?
1Fの住居部分と合わせれば、それなりの数は展示も収納もできる。ただ、この家全体で言えることとして、マネキンは乏しいから、防具をあれこれ飾りたい人には不向きかもしれないな。
で、アーマリーの向かい辺りにある……これ、なんなんだろうな? 水汲み場?? それともトイレか?
通路を行くと、鉄柵の降りたところがある。その脇のドアから降りた場所は、トロー.ルのいる洞窟だ。塔に行く前には、まずここに来なきゃいけない。
前はこのトロールが鍵を持っていた。けど、その当時、動画を撮ろうとして、スムーズに動くため何度かやり直してたりしたんだが、時と場合によってはトロールがいないなんてこともあってな。そのせいで一度modを抜いてセーブして、また導入して、なんて面倒なこともあった。一種のバグだったんだろう。
そのせいか、今日改めて見に来てみたら、塔の鍵は脇にある棺のミイラが持ってた。このほうが間違いがなくていいよな。
さて、トロールのいる洞窟の手前に、外に出るドアがある。ちなみに、この右側の藁束に鋼鉄の両手剣が刺さっているんだが、ちょっと触れただけで弾き飛ぶのが難点だ。なにかいわくでもあるっぽい刺さり方なんだが、別の特殊な名前がついているわけでもないし、説明のたぐいは一切ないから、こっちが勝手に想像、あるいは空想するしかない。
出たところは、展望場所になってる。
残念なのは距離だ。見晴らしのいいポイントよりは少し奥まっててな。実際にここから見えるのは目の前の吊橋なのが勿体ない。眺めとしては、家の1Fから塔に向かう吊橋のほうがずっといいぞ。
それからここ、見えないなにかが置かれてて、歩こうとすると引っかかるところが2か所ほどある。これは昔のまま、直ってないらしい。
塔には、1階から直接だけじゃなく、この場所を抜けて進んでいっても入ることができる。
地下側の出口から向かった場合、塔に入ってすぐ脇のドアを開け、その先のレバーを操作すると家とのショートカットが開通するから、忘れずに開けておこう。
ってのは……俺、ここまでに鍛冶設備とか錬金台とか、言ってないだろ? そうなんだ。家のほうにはそういう製作設備がなくて、この塔にある。だから、スカイリムを普通に冒険してるような奴だったら、塔のほうにこそ頻繁に来ることになるはずだ。そのときいちいち家の外に出て、また入って、なんてやってられない。けっこう歩く必要はあるとしても、待たずにとっとと来れたほうがいいよな。
塔の1F部分は、リビングっていうか、酒場みたいな感じだ。
ちなみにここのドアと、家の裏手のドア、その先の吊橋がつながっている。
塔の2Fが私室っぽくなってる。鉄製の地味なものとはいえシャンデリアもあるし、暖炉もあるし、シンプルだけど貧乏くさくはないっていうか、少しはリッチな感じするよな。
私室のドアの外はベランダだ。
困ったことに、この家の製作設備は、やっとここで出てくる。ここに錬金・付呪台がある。
で、鍛冶設備は塔の屋上。
たぶん、これがこの家の最大の欠点っていうか、難点だ。
構造はちょっと入り組んでるけど、しばらく行き来すけば分かる程度で複雑ってほどでもないし、なかなか面白い家なのに、製作設備へのアクセスがかなり悪い。そういうものを期待する人、よく使うつもりの人だったら、よっぽどなにか気に入ったところがなかったら、まず買わないだろう。
ただ、「家」本体の部分は本当にただの家で、冒険者とかそういう香りがまったくしないってのは、それはそれで面白いコンセプトにもなってる。なんだっけ、ほら、Silverなんとかっていう、イリナルタ湖の小島の家。あそこも見えるところに製作設備がなくて、一見ただの農家みたいな感じだったはずだ。
それに比べるとこっちはもう少し見た目が派手だが、「表向きは民家」みたいなところはちょっと似てる。
そんなに頻繁になにか作ることはなくて、収納は地下のアーマリーくらいで十分だって人なら、まあ悪く無い選択肢のはずだ。
なんにせよ面白い家だから、気になったら一度見に来てみるといい。
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2018.4-5ドイツ(2/5)
1/5より
【ミュンヘン滞在3日間】
(↑ノイシュヴァンシュタイン城...陽が眩しい...)
北京を発った飛行機はミュンヘン空港に到着、現地時間0620。さすがに飛行機内では熟睡できなかったが、体内時計的にはお昼すぎくらいだったため眠たくはなかった。空港から出ると高いアーチ状の屋根がある空間に出る。ここがミュンヘン空港への玄関口であると共に、初ドイツ・初ヨーロッパで一番最初に目にした光景である。GWと言えど周りに日本人は一切おらず、かといって未だに海外旅行の雰囲気という実感は湧かず、ドイツに来た感じがしないでいる。ドイツに到着して最初の試練は鉄道の切符を買うこと。空港から徒歩3分くらいに鉄道の駅がある。券売機の表記をEnglishにして購入を試みるが、初見だと料金形態がよくわからず、いくらのきっぷを買えばよいのか画面と格闘する。こういうときドイツの人はとても親切で「大丈夫?」と声をかけてきてくれた。しかも1人の青年が。日本でこういうことって正直見たことがないし、自分でも声を掛ける勇気は無いと思う。今回の旅ではコレ以外にも1,2回ほど助けてくれようとする人と遭遇し、ドイツ人は明らかに親切である。
観光準備
なんとか切符を購入してまずは宿泊先のホテルへ向かう。運賃は日本と比べて高い印象。ドイツの鉄道は路線名が非常にわかりやすく記号で表されている、日本みたいに〇〇線という名前は無いらしい。ホテルの最寄り駅であるMessestadt Westで降車。駅を出たら目の前に宿泊するホテルがあった。ちなみに地下鉄駅だったのだが、地下鉄と言っても日本のように地下深くにあるわけではなく、せいぜい地下5m程度のところにレールもホームも存在する。
ホテルへ到着し、朝のためさすがにまだ部屋には入れないが、宿泊予定であることを伝えて荷物を預かってもらう。このとき対応してくれたホテルのスタッフが、控えめに言って大天使である。もう、今まで実際に目にした人の中で最も美しい女性であったのは間違いない。金髪で小顔で身長が高くて...語彙力が追いつかないが、本当に美しかった。旅のノリで写真一緒に撮ってもらえばよかったなぁ。
身軽になったので早速市内観光へ!と、その前に...。もう一度切符を購入して鉄道に乗り、Hauptbahnhofという駅で降車。この駅名は各都市に同じ名前のものが存在し、「中央駅」という意味である。即ちミュンヘンの中央駅ということ。駅構内で朝食を済ませ(初の本場ウィンナー)、ドイツ滞在中鉄道乗り放題チケットの発券を行った。チケットは1人当たり400€くらいでかなり高額に聞こえるかもしれないが、今回の自分たちの行程からすると超お得で確実にもとは取れた。ミュンヘン~フランクフルト、またフランクフルト~ケルンで使った高速鉄道(日本の新幹線にあたる)もこれで乗れるし、かなり自由度が高いチケットである。航空券の次に大事なチケット。
ドイツ博物館 Deutsches Museum
準備万端で、ようやく観光スタート!中央駅から電車に乗り3駅となりのIsartorで下車。最初に向かったのがドイツ博物館。
「 ドイツのミュンヘンにある技術・科学の国立博物館である。ドイツ国内のみならず、世界でもこの方面の博物館として頂点に立つものとされる。(wikiより)」
どうやらいきなり凄いところに来てしまったようだ。入場料は確か12€。
確かにwikiの通り凄まじい博物館である。世界に君臨した 技術大国ドイツの発明が物理・化学・生物・天文・工業・エネルギー・船/戦艦・航空など非常に多岐にわたる分野で紹介されていた。展示物は全て実物のようで(船も実物!)、おそらく実際に使われていたものだろう。上野の国立博物館と同じくらいの床面積だったろうか、体内時計的には夕方から夜に突入し始めたくらいのときに館内を巡り始めたのだから、相当疲労が溜まった(あとで確認したらこの博物館に5時間半居たらしい)。当然、表記はドイツ語と英語だけなので、興味がある展示の説明を読むのもちょっと大変である。各分野の展示は全てすごかったのだが(さっきからそれしか言ってない)工業分野の展示はこれまた群を抜いていた。実際の炭鉱と似せるために地下1~3階くらいに展示があるのだが、これまた謎の地下迷宮クオリティ。ディズニーランドのセンター・オブ・ジ・アース以上の作り込みだった。一体いつ出口にたどり着けるの...。
博物館の屋上からはミュンヘン市内を一望できた(2つ前の写真の右下)。この辺りは地平線まで平野らしく、 高い建物が全く無いため、暖色系で統一された屋根が遥か彼方まで続いて見える。あと、教会は三角屋根で他の建物より高いのですぐに見つけることができるが、こうして見渡すと結構数が多い。
マリエン広場 Marienplatz
なんとか地下迷宮を脱し、次なる目的地はマリエン広場。最寄りはIsartorの隣駅だったので、せっかくなので徒歩で向かうことにした。
「マリエン広場は、スウェーデンの占領が終わったのを祝い、1638年に広場の中心に建造されたマリア像(Mariensäule)に因んで名付けられている。」
マリエン広場の手前に教会が2つ建っているのだが、この周辺は屋台が連なっていてビールも飲めるしテーブルもたくさんある、しかも広場に近いのでとても賑わっていた(年中お祭り市場のような感覚)。いろんなお店がたくさんあるので見ていてとても楽しい!肉屋のケースの中にウィンナーやらハムやらチーズやらが大量に並べられているのを見て、��ごくドイツに来た感じがした。てか、種類いっぱいあるんだけど現地人は違いが分かるんだろうか?途中で10人くらいの人たちが小さな噴水のようなオブジェを取り囲んでいるので、何かと見ていたら、そのオブジェから流れ出す水を容器に入れている。どうやら飲むためらしいのだが、ヨーロッパは硬水だし、果たして日本人でも飲めるのだろうか?自分も空のペットボトルに水を汲んで挑戦してみた。結果、特に体に異常は無く、問題なく飲めるみたい!ドイツで水買うと高いからね~節約になる。
マリエン広場は人気観光地なので、やはり大勢の人たち...と思いきや、それに混じって防護服を装備した警察があちらこちらにたくさんいる、なんだか物々しい雰囲気(写真右上)。テロを警戒してるのかーと思ったんだけど、どうやらそうではなくて、マリエン広場のど真ん中で「メルケルなんとか(読めない)」ってプラカード掲げて市民100人くらいでデモやってた。そのデモ隊の中でもひときわ存在感を放ったのが、トランペットでデモ歌みたいなのを演奏していた壮年男性と、その後ろでチャリの荷台の上の小さな太鼓をポンポン叩いていた女性(もしかして夫婦?)、デモの人たちもその曲に合わせて歌ってた。そして自分含め観光客はみんな、その光景を撮影していたのだった...笑。
ミュンヘン・レジデンツ Münchner Residenz
これは上記と同じ日ではなくミュンヘン3日目のお話だが、同じミュンヘン市内なのでその流れで紹介。マリエン広場から北に少しだけ歩けばマックス=ヨーゼフ広場に出る(1つ前の写真の右下)。そこにあるのがミュンヘン・レジデンツで、3日目の午前中に訪れた。
「ミュンヘン・レジデンツはミュンヘンの旧市街北部にある、旧バイエルン王国ヴィッテルスバッハ王家の王宮。現在は博物館や劇場として公開されている。1385年シュテファン3世によって建設が開始され、その後ヴィッテルスバッハ家の宮殿として増改築を繰り返して現在の配置となった。」
ここにあるレジデンツ博物館と宝物庫の コンビネーションチケットで11€。後で計算したら、途中で昼食を挟んだけど、どうやら5時間半いたらしい。 王宮とだけあって 中は金銀財宝ザックザク状態。「The 財宝」をこうやって生で見たのは生まれて初めてだと思う。部屋、壁、扉、家具の装飾はもちろんのこと、日常で使う些細な道具(スプーンとか小物入れとかチェスとか)など、冗談抜きに全てのものが金銀製だったり宝石が散りばめられていて、しかも彫刻とかの彫り込みが激しい。こんなものに毎日囲まれていたら頭がおかしくなりそうだね。
どうやらヴィッテルスバッハは中国と日本のお宝を収集することが趣味だったみたいで、名前はよくわからないけど、なんでも鑑定団とかでよく見るような昔のお皿や壺や彫刻がズラーッとコレクションされていた(百点以上あったと思う)。いつもテレビの画面を通して見ているものが、目の前にある!意外とそっちの方も見応えがあった。アジアの宝は質素な感じを醸し出すけど、それと比べるとヨーロッパのお宝は作り込めば作り込むほどお宝、って感じだね、見せつけてくる感じのものばかりである。眩すぎて目が痛くなる。
ノイシュヴァンシュタイン城 Schloss Neuschwanstein
今回の旅の第1のハイライトは2日目に訪れたノイシュヴァンシュタイン城とヴィースの巡礼教会である。まず始めにノイシュヴァンシュタイン城から。
2日目は日本人ガイドによるツアーを申し込んでいて、1日かけてノイシュヴァンシュタイン城・ヴィースの巡礼教会・リンダーホーフ城をバスで巡るというものである。早朝に中央駅集合で、ツアー客は全部で20人くらい、このときドイツへ来て初めて日本人に会った(GWだからもっと遭遇すると思ってた)。全員集合したら駅前に停めてあった大型観光バスに案内され、ツアースタート。ガイドさんは50過ぎのおばちゃんだったけど、さすがベテランというか、到着までの90分ずっとお話聞いてても全然飽きない。これから向かうノイシュヴァンシュタイン城を建てた王様の話とか、ドイツの文化とか、結構勉強になる。途中で話すのを辞めたかと思ったら、全く違う話が始まることが何度かあったけど(何があった)笑。 このときガイドさんから学んだこと、ノイシュヴァンシュタイン城は「Neu(新しい)schwan(白鳥)stein(岩)の城」て意味だって。
「バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築された。一見すると伝統的な建築方式で造られているように見えるが、石造りではなく鉄骨組みのコンクリート及びモルタル製で、装飾過多であり、耐候性や耐久性も低かった。この城はルートヴィヒ2世のロマンティック趣味のためだけに建設されたもので、実際の住居としての居住性はほとんど考慮されておらず、施設としての実用性は無視された設計になっており、居住にも政務にも(もちろん軍事施設としても)不向きな城である。「おとぎ話に出てくるような美しさ」と讃えられることもあるこの城は、カリフォルニアにあるオリジナルのディズニーランド眠れる森の美女の城のモデルの一つとしても知られている」
駐車場に到着しそこから城へ向かうわけだが、山の上に建っているので徒歩で登ると30分以上かかるらしい。自分たちは運良く団体客専用の巡回ミニバスに乗れたので5分くらいで上まで登れた。バスからチケット売り場に並ぶ人が500人くらい見えたけど、この日はかなり混んでいたとのこと(自分たちはツアーだったので並ばなくて済んだ)。
バスを降りて、まず先に向かったのはマリエン橋。この橋から城を臨むのがベストビューポイントだとされている。この橋、滝壺の100m直上に架かっていて、下を見ながら渡るとマジで怖い。橋面は建設当時のままであるらし���が、そしたら150年前の木の板に命を預けていることになるのだが((((;゚Д゚))))。登山する自分でさえ、橋から下を覗くと高度感がありすぎて本当に足がすくむ。ちなみに一番冒頭の写真は、マリエン橋を渡りきった先の山みたいになっている場所から。
さていよいよ城内の見学なのだが、かなりシビアな(面白い)ルールがある。チケットには入場時刻が指定されており、この時刻から5分以内に入場しなければ弾かれてしまうのだ。もし遅れて入れなかった場合は、下山してチケットを買い直す必要がある。今まではこういったのはゲートの人が対応して、時には許していたこともあったらしいが、あまりに多いのでとうとうブチギれ、 ゲートを完全自動化にして絶対に許さないマンになったんだと。おかげさまでゲート前は入場時間が近づいた人でごった返し、みんな緊張してモニターの時計を凝視するという、かなり殺伐とした空気が流れているのがなんだかツボであった(写真右上)。
城内は写真撮影禁止だったので載せられないけど、意外と金銀財宝は飾っておらず、どちらかといえば部屋やホールや家具などの紹介が大半であったが、それらも博物館のときほどきらびやかでもない。ただ、最も王様感があったのはテラスからの風景。山の上に建っているだけあって景色が美しすぎる。城内よりもテラスからの眺めのほうに心奪われた。ちなみにテラスから見える山脈は、正真正銘のアルプス山脈。登山家たちの永遠の憧れを、まさかここで拝めるとは思っていなかったので感動。日本語の音声ガイドはちゃんと用意されており、20~30分くらいかけて城を巡った。
ヴィースの巡礼教会 Wieskirche
バスに戻り、お次に向かったのは30分ほど離れた場所にある世界文化遺産ヴィースの巡礼教会である。
「ヴィースの巡礼教会(Wieskirche)はドイツバイエルン州南部、ヴィースにあるキリスト教教会。1745年から1754年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマンによって建てられた。内装のロココ装飾によって著名である。」
ドイツに来てすでに教会はいくつか巡ってはいたのだが、外見だけでもなんか他とは違う荘厳な雰囲気があった。遠くから見るとなんともないのに、近づくと巨大なことに気がつく。教会内はあいにく行事中であったため、見学はできるものの写真撮影は禁止であった(なにも無いときはOKらしい)。中の装飾はとても綺麗というか厳かというか、言葉にできないが世界遺産になるのも納得してしまうような...気になった人は画像検索してくれ、とにかくそれしか言えん。ドイツで訪れた教会では、間違いなくケルン大聖堂と並んで最もすごかった。すごかったのだが、写真も撮れなかったし、あまり紹介できないのがもどかしい。
教会の周りは牧草地で、牛だったかヤギだったか放牧されていた。あと鶏も飼っているらしく、普通に道を歩いていた。この教会を建てたドミニクス・ツィンマーマンの生家が教会の目の前にあり、今はカフェとなっている。ここの揚げパンが有名なんだって。
バスに戻り、最後の目的地リンダーホーフ城へ向かうのだが、途中でオーバーアマガウという村に寄った。赤ずきんちゃんやブレーメンの音楽隊などの民謡を家の壁面に描いた有名な村で、 下車せずに通り過ぎただけだけど、 車窓から写真を撮ることはできた。
リンダーホーフ城 Schloss Linderhof
最後に訪れたのはバスで1時間ほど離れたリンダーホーフ城。
「リンダーホーフ城は、バイエルン王ルートヴィヒ2世が建設した3つの城のうち、唯一完成した城である。1874年に建築が開始され、1878年に完成した。完成後、彼は長い期間そこで過ごした。建物内部はロココ様式の豪華な装飾があり、庭園内には金色の女神像の噴水がある。リンダーホーフ城は、ヴェルサイユ宮殿内の大トリアノン宮殿を手本にして建てられたルネサンス様式の建造物である。」
南中時刻も過ぎており、バスから降りると気温は30℃近かったが、かなり乾燥しているのでむしろ心地よい。林の中を5~10分歩くと城にたどり着くのだが、庭園が広い。噴水を挟んで城の反対側にも小高い丘があり、そのてっぺんには石像が建っている。その丘に登って気がついたのだが、城の後ろも丘になっていて、クレーン車が立っていてなんか工事してるけどあっちも庭園みたい。
この城も城内は撮影禁止だった。見ての通りかなり小さい城であるが、その分コンパクトに詰め込まれていて、ちゃんと王様が住むような装飾品なども多いので密度が高い印象。ノイシュヴァンシュタイン城よりもリンダーホーフ城の方がカワイイと女子ウケするらしい。確かにあっちはガランとして寂しい感じがあったけど、こっちの城はちゃんと人の温もりが感じられる。
あとこの城の名物は30mも吹き上がる噴水、30分おきに放水される。近くで見るのもいいし、自分のように丘の上から見下ろすのもいいし。ただ丘からは遠くて迫力に欠けてしまったか(写真右上)。
以上で1日かけたツアーも終わり、中央駅で解散となった。途中かなり混んでいて行程通り進むか心配なところもあったけど、ガイドさんの機転で問題なく乗り越えることができた。さすがプロだな~と感心、今回のツアーは文句など一つもなく、非常に満足でした、ありがとう。
ニンフェンブルク宮殿 Schloss Nymphenburg
ミュンヘン3日目はミュンヘン・レジデンツ(すでに上述)とニンフェンブルク宮殿。午前からレジデンツをまわっていて、ニンフェンブルク宮殿についたのは午後3時過ぎくらいだったろうか?財宝が多すぎて全部見るのに時間がかかりすぎてしまった。
「この宮殿はバイエルン選帝侯フェルディナント・マリアとその妻ヘンリエッテ・アーデルハイト・フォン・ザヴォイエンの命により、イタリア人建築家アゴスティーノ・バレッリが1664年に設計したものである。中央の建物は1675年に完成した。バイエルン選帝侯を継いだマクシミリアン2世エマヌエルは、1701年から宮殿の体系的な拡張を開始した。最終的に、マクシミリアン2世エマヌエルの息子である神聖ローマ皇帝カール7世が、Schlossrondell(雄大な円)と呼ばれる庭園とそれを取り囲むバロック建築物 Kavaliershäuschen(騎士の家)を完成させ、現在の姿になった。現在ニンフェンブルク宮殿は一般公開されているが、今なおヴィッテルスバッハ家当主が個人所有している。」
レジデンツからは路面電車で20分くらい、降車駅からも宮殿を見渡せるが、とにかく横にデカイ!ノイシュヴァンシュタイン城は縦軸方向にデカイんだけど、この宮殿は平面方向に果てしなくデカイ!まず、駅から降りるともう宮殿は見えているのだが、宮殿までたどり着くのに10分以上歩かされる。宮殿の全幅は700mあるらしく(笑)、かなり離れないと全貌をカメラに収めることができない(実際、上の写真でもまだ収めきれてない)。そして宮殿の向こう側が果てしなく広い...そう、言葉通り果てしなく。テラスみたいなところから眺めても、どこが庭園の端なのかわからない。あとで調べたが、この宮殿の庭園は20ha、皇居が23haなので、ちょうど皇居を縦に伸ばした感じだろうか(ヤバくね?)。
さて、到着が4時くらいということで、宮殿内の見学が終わるまで1時間しか無く、ちょっと急ぎ目で回る。中はレジデンツと同じ感じで、王様の住む部屋や家具などが飾られていた。 あとは宮殿裏の果てしない庭園を散策し、そこではさっきの慌ただしさとは逆にゆっくりとした時間が流れる。この庭園は、宮殿の見学終了時刻を過ぎても閉鎖されなかった。もしかしたら1日中出入り自由?地元の人もランニングしており、観光名所だけでなく市民の憩いの場所らしい。あと庭園には水鳥がたくさんいたのだが、花を避けて雑草をうまい具合に食んでいた。かなり人馴れしており、近づいても全く意に介さず食事してる。そして糞もよく転がっている。
以上がミュンヘン滞在3日間。博物館2件、城3件、教会(多分)3件巡りました。
3/5へ続く
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