Tumgik
#薄暮の情景
oh-sunny-sun · 1 year
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ー 墨絵の刻 ー
本日,午後6時38分過ぎ頃にて.
2023年5月3日 水曜日.
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"SUMI-E NO TOKI : Time like ink painting (colorless time)"
Today, around 6:38 p.m.
Wednesday, May 3, 2023.
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mtfj-ksk · 1 month
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Selfish effusion
2024/04/30 23:38
『酸素と海とガソリンと沢山の気遣いを浪費している 生活の為働いて僕は都会を平らげる』
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今朝、心の堰が外れてしまった。反省ばかり。
夕方、呼ばれた気がして久しぶりの場所へ。
ここに来るのは何年振りだろうか。夕暮れ時はまだ肌寒い。羽織りのブレザーも今はもう無く、薄汚れたTシャツが切なく肌を擦る。
もう何年も来ていないのに、全部を覚えている。曲がり角の風景、無機質なソーラーパネル、端が錆びたガードレールも、全部を覚えている。大切な場所。大嫌いな街の大好きな場所。そして、もう来ないと決めた場所。
夕日が沈むのは見えなかった。遠く雲仙も雲に霞んでいる。でも確かにそこにある。何も変わらない。ずっとそこに置いてあるような波の音、空気、匂い。    「お前も変わっていないじゃないか。」、「忘れていなかったよ。ただ少し来るのが怖かったんだ。」 背筋がシャンと伸びた。来て良かった。
30はどんな大人になっているんだろうかと思っていたが、どうやら今はこんなもんらしい。どうしてなかなか器用に生きることが出来ない。変化について行こうとすると自己愛が邪魔をする。暗いニュースが他人事には思えなくなる。社会の健全な営みから締め出される感覚が迫ってくる。鬱になんてなるわけねえよと思っていた自分が過去から嘲笑っている。苦しい。「しんどい!バカ!ハゲタコ!Suck my dick!!!」と叫んでも、海は応えてくれないので、そんな青春映画のようなことはしない。ただただ、タバコの煙だけが霧散していく。
これが30のリアルだ。ティーン流行りのBeRealなんかより、よっぽど鮮明でどうしようもないリアルだ。30になると、フォルダの中に撮った覚えのない疲れ切った自撮りが存在するんだ。海を撮りたかっただけなのに。
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「結婚して子供もいて、充分幸せじゃん!イイね!」
お願いだからもう何も言わないで。属性で括らないで。自分の幸せくらい自分で決めさせて。そんな決まりきった悲しいセリフを言わないで。
幸せかもしれないけど、まだまだ幸せじゃない。ないものねだりも大いに結構、勤勉に、わがままに、真面目に、不真面目に、誠実に、不誠実にいよう。まだやりたいことが沢山ある。会いたい人が沢山いる。
身勝手で自己中心的な感情の吐露をもってして、ようやく時間が動き始めようとしている。忘れられないものは、忘れなくていい。そのためだけの場所はあけておこう。そして変わらない気持ちを添えよう。
ずっと自分らしくいよう。カッコつけてるのにダサいくらいでちょうどいい。どうやったって根が真面目なのは変わらないんだから、世間体や理想の父親像なんて気にせず好きに生きよう。強くて弱い、優しくて哀しい人であろう。それを誇ろう。
愛は鏡であることも忘れてはいけないよ。
そして約束通り、幸せになろう。
500000000回くらい推敲してもまとまらない言葉は気持ちと一緒ね。散らかっている。ダッセーな。
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keredomo · 10 months
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愛の完成
 あなたが殺してくれと言うので、それなら一緒に死のうよ、と返した。  その即座の返答が、あなたには意外だったのだろうか。少しだけ悩んだそぶりを見せてから、そうするかあ、と返事が来る。あなたがその返事を打ち終えるまで、「……」と表示されるメッセンジャーのトーク画面を見つめていた。ようやく覚悟が決まったらしい文面に、「やった、念願の心中だ」とわたしは無邪気に喜んでみせる。あなたの数秒のためらいはなかったことにしながら、努めて無邪気に。「ようやく一緒に死ねるね」と。たった数秒かけて打ち込んだだけのあなたのしょうもない覚悟、その覚悟なんかに何の意味もないことを察しながら、それでも努めて無邪気に、無表情のまま、文面だけは無邪気ぶって同調し、あなたのそのか細い不安の尻尾を捕まえて自分のものにしようとする。  それは醜悪な独占欲の行使だったが、やっと、やっと捕まえたと思ったのだ。死の匂いのする愛の場処に、ようやくこの人を引きずり降ろしたのだと。
 *
 「殺してくれ」と言われて、「一緒に死のう」と返す。その姿ははたから見ればまるで幼い茶番のようだが、まったく笑えも救われもしないのは、私たちがこれらの言葉を至極本気で言い交わしているからだった。  われわれの交わす言葉に嘘も虚飾もない。それは、数年来、知力の限りを尽くして言葉によってやりとりしてきた関係の守ってきた、唯一の約束だった。ほかに何も交わせないからこそ、それだけは決して破ってはならない約束。言葉という、そもそもが虚飾になることをまぬがれないツールにおいてその約束を結んでしまった以上、われわれは言葉の粗さによって生の実を歪めることを受け入れ、それによって隙のない盤石な関係を築き、「われわれの倫理」という誰にも踏み込むことのできない倫理領域を作り上げた。われわれはその倫理の国の薄い空気のなかで必死になってのたうちまわってきた。いよいよ酸素も足らなくなり、死んでしまおうと計画し始めたのだった。
 息も絶え絶えになってしまった私たちは、本気でこんなことを言い交わして、しかし心に飼っている理性は、われわれがこの心中計画をどうしたって実現し得ないことを知っていて、あからさまに失笑してみせる。互いの頑強な理性がストッパーを担っていることを、本当は互いにわかっていた。どんなに苦しんだところで、理知に従って生きている私たちは恋愛のためには死ねない。この甘い甘い心中計画は永遠に果たされない。わかっていながら、われわれの築いてきた強固な倫理の要求にあらがえず、一緒に死のうと言い交わすことになってしまった。  なんてやるせない愛の睦言だろう。システマティックに煽られた感情にすぎないこの睦言には、けれど倫理を成立させるだけの情熱と真意がたしかに燻っている。社会的な倫理と私的な倫理の相剋は、私たちを無様に苦しめた。どんなにこの愛の深みに沈み込んでみたところで、死をもって完遂することはできないだろう。関係が袋小路に入ったところで、信じたいはずの互いの言葉が空虚なものとして舞う、苦しいばかりの中途半端な共依存関係がわれわれをずたずたに傷つけていた。二つの倫理に引き裂かれているがゆえの、中途半端な共依存関係。
 睦言が睦言に過ぎないことを知っている大人同士の、けれどもその寂しさがゆえに成り立つ、これは「完成された恋愛」だった。私たちのためだけに築いた二人だけの倫理が成り立たせる、何の澱みも、緩みも、破綻もない恋愛だった。言葉を拠り所として紡いできた関係は、それゆえ、互いの言葉への信用がなくなればあらがいようなく終わってしまうのだった。  一緒に死のうだなんてあからさまに陳腐でみっともないことを言い交わす羽目になってすら、私はまだあなたとの恋愛の甘い夢から覚めることができないのだった。関係して6年。交わしてきた膨大な言葉たちが溶け合って、私はとうに自分を見失っている。自分の大きな一部を、大きすぎる一部を、あなたに明け渡してしまっている。おのれの足だけではもう、立てなくなってしまっている。  わが半身となった者なしにはすでに歩くこともままならず、ようやく一緒に死のうと言い交わせても、言葉にすることでそれが土台不可能であることを理性でもって再確認するだけだった。一人で立てもしないが、二人で死ねもしない。おのれの一部を明け渡していると自覚することは、同時に、おのれの全てをあなたに明け渡すことができないと了解することであった。  あまりにも似すぎている者同士の、相互理解の深さが私たちを悲しみに追いやった。相手が私のために死ねないことなど、はじめからわかっていた。私が相手のために死ねないことも、わかっていたはずだった。
 あなたは言う。「あなたはこの先、誰と恋愛をしたってどうせ深く傷つき続けるだろう。だったら、その相手はわたしであってほしいと、身勝手ながら、そう思うんだ。どうせ誰かに傷つけられるなら、わたしが傷つけたい。わたしでいいじゃないか。わたしに、傷つき続ければいいじゃないか」。  あなたは言う。「あなたが恋愛で傷つく相手は、これからもずっとわたしであってほしい。一生、わたしであってほしい。どうせつく傷ならば、その傷はわたしによるものであってほしい。でなければ、わたしは気が狂ってしまう。あなたがほかの男に傷つけられることを考えると嫉妬に狂ってしまう、暴力でもなんでも行使してあなたを独占してしまおうという虚妄に身を灼かれてしまう」。
 あなたの言うことには一理ある、と思う。一理どころではなく、このわれわれの倫理に則るのなら、それだけが真実だと思う。あなたのその嫉妬心も独占欲も、人が抱くものとして、真っ当なものだと思った。それらは人が人に向ける感情の中でもっとも狂おしく、もっとも切実で、もっとも真剣なものだ。そして、あなたがそれを発揮できるのは、われわれの倫理の内側でのみだ。私はあなたの吐露したその切実さに絡め取られて、思う、確かに私にとっても、これからも傷つき続けるのであれば、その相手はあなたがいい。暴力的に独占されるのであれば、その相手はあなたがいい。  けれど、そうか。私はこの先も、傷つき続けるのか。私のもう一つの倫理がそれを拒もうとする。この叫ぶような痛みを受け取り続ける生を送るのか。あなたは、私が傷つき続けるこの世界から私を救い出してはくれないのか。そんな生を、私はずっと生き続けるのか。
 あまりにも強固なわれわれの倫理に絡め取られて、すでにこの身は牢獄の囚人のよう。あまりにも寒く、あまりにも惨めだ。けれど実のところ、どちらかといえば、私のほうがあなたを牢獄に引きずり込んだのだった。私はそれに気づいていた。その責任を果たさねばならないと思って、あなたよりも数年早く、私は二人で死ぬことについて静かに腹を括ったのだった。この結末は死にしかないだろうと結論づけたのだった。  括った腹の、括った紐が緩めば、臓器が汚い床にぶちまけられるだろう。赤黒い腸が跳ね、痛めつけられて穴だらけになった胃がべしゃりと形を崩し、膵臓がそこに黄濁して積み重なる。そのグロテスクな光景を見てもまだ、あなたは私を愛するだろう。破裂した私をも尚、あなたは愛するだろうと思えるほどの骨がらみの恋愛を、私はしていた。渾身でもって。そうしてようやくその汚濁にあなたを引き摺り込んだ。
 *
 ぼんやりと、視力の落ちた目で自分の暮らす一人きりの部屋を眺める。輪郭は揺らいでしまって掴めないが、それでも色彩だけは判別できる。本棚に差す書物の色を選べないせいで、夥しい色が自室にあふれかえっているのがゆらゆらと揺蕩って見える。これらの色々の、すべてに生気が宿っているような気もするし、すべてが死んでいるような気もする。この景色がそのまま私の存在にも反映されていることだろう。私のすべてに生気が宿っているような、私のすべてが死んでいるような――こんなマージナルで危うい生を、これからもまだ、生きるのか。とうに限界を迎えているというのは、どんな言葉で訴えても誰にも正しく伝わらない。私だけが知るところだった。私だけが、つかみどころのない人生に膿んでいた。それはすでに、生ではなく死であるように感じられた。  このぼやけた景色は「完璧な恋愛」の代償だった。愛は命を削る。私の命は削られていた。あなたの命もまた、削られた。
 心中の相談をしながら、あなたと私の感情はけっしてそこに乗ってはいない。ただ、理屈の上だけでの話をしてお互いを慰め合っているのだった。「死ぬの、どこがいい?」「東尋坊でしょう。遺体が見つからない場所がいい」「私もそう思ってた。身投げですね」「うん、そうしましょう」。  なんて空虚な会話だろう。私は唇の片方だけを吊り上げて笑う。ここにあるのは形式だけだ。私たちは間違いなく、何があろうと間違いなく、東尋坊で身投げなどしない。一緒に海の藻屑になることを選びはしない。倫理の強制力に従って口にしているだけだ。この会話すら、「あなたを深く深く、深く愛している」と告げるためのメタファーにすぎなかった。そこには形式だけがあった。  これほど陳腐でこれほど切実なメタファーもない。私たちは確かに、そのメタファーに乗せて、互いの思いを伝えあっていた。けれど、そもそもそこに載せるべき感情は、本当に存在しているのだろうか? わかっている。これは、心中というロマンティシズムに淫することもできないまま、ただ会話をつなげているだけの空虚なやりとりなのであった。愛と呼ばれる美しい交歓はすでに散ってしまって、私たちのあいだに残されているのは、責任、けじめ、矜持、昇華願望、そして諦めだけなのだとすれば、どうしよう。――愛って何だっけ?
   *
 私は知っている、あなたという人は、あまりにも歪なやりかたで、「本心」というものを置き去りにしながらこの世を生きてきた。その場の、場当たり的な誰かの要望に無我に応じることで生をやりすごしてきたあなたは、ここにきて、私の切なる終わりに対しても、いよいよ同じ態度をとっているのではないか。そして、私もまた同じであるからこそ、それに気づいてしまうのではないか。  当事者の私たちですら拾いきれないほどの数多の言葉を交わしてきたから、改めて語られずとも、あなたの生き様についてはよくわかっている。私が送ってきたのとは真逆の生をあなたは生きてきた。奇跡的なことに、互いの「愛」の定義だけが同じだった。だから愛をやれた。完成するまで、愛をやれた。愛は完成した。完成した愛は、そののちに、壊れようとした。
 完成とは「それ」が永遠になることだと、語義の上で、経験の上で、ずっと信じていた。それなのに、完成した愛も齟齬によって破綻しうるのだとすれば、一体何を目指してゆけばよいのだろう。  私はすでに、何によってその完成した愛が罅割れたかを理解している。互いに抱えてきた二つの倫理の矛盾がそこに歪(ひずみ)を生じさせた。その罅を修復するだけの力が、もう私たちには残されていなかったのだ。6年という歳月で、あなたも私も、おそろしく老いてしまった。私たちにはもう、愛のために無理を押し通す力が残されていないのかもしれない。
 私は言う。「あとはあなたを地獄に道連れにすることしかできない」と。その最後通牒に、あなたはもう何も言えなくなってしまう。  私は思う。人を愛することはこんなにも苦しいことだったかと。人を愛することは、人に愛されることは、こんなにもままならないことだったかと。それでもあなたを愛していると。愛する人の手を離すことはこんなに苦しいことだったかと。あなたを愛することができない日が、もう二度と、こないでほしいと。一緒に死のうと言った時に、理性をかなぐりすてて、感情のままに、お互いだけを見つめあって、一緒に死ねればよかったのにと。
 私たちが築き上げてきた美しい倫理によってすらそれが叶わなかった生を、これからどう生きてゆけと言うのかと。
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leon-write · 1 year
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 思い立って電子版で新聞をとりはじめた。一人暮らしを機にテレビを見なくなり、ニュースはYahooとかで見るようにしてたんだけど、どうにも私の見方が良くなくて、心が波立つゴシップばっか見てしまって疲れたのがたぶん一番の原因な気がする。
 情報が欲しいのに、トップニュースだけ拾うとかサジェストされるニュースばっか見てたからだろう。あとは、Twitterでトレンドを眺めるとかそういう感じで情報に触れてたのも大きいのかな。ニュースのコメント欄や、トレンドに関する色んなツイートはかなり「感情的」で尖ってるのが多くて、なんか凄くぐったりするなぁと思うようになったのが最近だった。感情的な情報じゃなくて、もっと淡々としたニュースに触れたくなった。んで、できるだけ社会情勢のことに関するニュース。芸能とかそういうのはもういいやってなってた。
 そんな時にふと、家に届いた市報を何の気なしに読んだ。いつもはパーッと表紙を眺めて終わってたのを、頭からおしりまでじっくり読んでみた。市の情報とか、求人、今後やる催し物とか今やってる空手教室とかそういうのばっかりなんだけど、なんかちょっと楽しかった。へー、こんなのやってるんだ。はー、こんな求人あるんだとか、そんな感じが新鮮だった。
 それから、選挙に立候補した人の広報も一緒に届いてたから、こっちもじっくり読んでみた。実現可能なのかはともかく、どんな政策をやろうと志してるのかをざーっと見ていくと、何となく今何が注目度が高いかとか、その立候補者が所属してる党のなんとなくのカラーがぼんやり見えて、それも面白かった。ヤバい人もいたけど( ᐛ )
 んで、ああ、なんかいいなコレって思った。もちろん世の中の全部が見えるようになった訳でもないし、わかんない言葉とか知らないワードというか、言葉としては知ってるけど具体的にどのように問題かまでは知らないことが書いてあるけど、それがなんか楽しい。別に市政も政治もそこまで興味はないんだけど、その興味ないことも意外と面白いなって思った。自分が興味を持ってない世界がそこにあるのが面白かった。
 たぶん、Yahooニュースとかそういう検索エンジン系のニュースや、Twitterのトレンドって結局は「自分が興味を持っている事柄」に関してサジェストしてくれるから、そうじゃない事が新鮮に感じたんだろうな。テレビを見なくなって、情報をネットから仕入れようってなった時、記事を選ぶのは自分だから、どうしても「自分が興味を持っている事柄」を選んで��んだろうな。意識的にも無意識的にも。た��にそれは良くないと思って他のニュースにも触れようとするんだけど、でもたぶんそれもどこかで自分の興味の近くにあるものを選んじゃうんだろうな。だから似たような情報ばっかりになって、それをさらに詳しく知ろうとすると、それに詳しい人だったりそれに強い関心を持っている人の記事やツイートに触れる機会が多くなる。
 そして、深みに行けば行くほど「それだけに関心がある」みたいな人や、それについての激しい意見なんかにも触れるようになってくる。そこまで行くとかなり「感情的」な部分が強い意見が多くなってきて、その感情に当てられて怒ったり悲しんだりし始めて、その出来事の実態もよく知らないのに感情だけ先行するようになって、それに大なり小なり振り回されて疲れてくるのかなーと。さらに、検索エンジンやTwitterなどのSNSは、その人の興味にあった情報をサジェストしてくれる。それによってさらに「興味」の分野に特化した情報にばっかり触れるようになっていくから、その流れからなかなか抜けられなくなる。
 それにプラスして、検索エンジンやSNSは広告が散りばめられている。酷い時は記事の間とかにヌルッと入ってて、文章を読んでいる途中に挟まっててめちゃくちゃ読みづらくなったりする。気になったことを調べようと検索エンジンに単語を入れて検索して、それでたどり着いたサイトも広告まみれで文章が変なところで飛んでて読みにくい。それが地味にストレスだったんだなーと思う。先鋭化した意見の感情に振り回され、広告に振り回され、それで疲れたんじゃないかな、と。
 そして、市報や立候補者の広報にはそれがなかったから、ただ情報が並んでるだけだったから、それが凄く新鮮に感じたんだろうなと思う。淡々と並んでる情報が、動く広告や途中に差し挟まる広告を見ることなくスルスル読める。しかも、自分が興味無いことにもたくさん触れられて、そうなんだ!って思える。それが楽しく感じた。
 それで、それに一番触れられるのはなんだろうって考えたら、新聞のような気がしたんだな���ネットニュース見てても、新聞社の出している記事は思想の偏りはそれぞれの新聞社にあれど、それでも極端に先鋭化はしてないなとぼんやり感じてた。なんていうんだろう、文章のプロが書いた文章だな、みたいな。もちろん、深く読み込めばかなり偏ってたり、尖ってたりするものもあるんだけど、少なくとも「感情的」な部分が凄く少ないなと感じた。少なくとも、ゴシップ紙系のニュース記事とか、Twitterに流れている個人の文章と比較したら格段に感情が薄くて淡々としてた。情報の偏りはあっても、過度な感情論はほとんど無かった。だから、新聞なら感情に振り回されたりしなくて済みそうだなと。しかも、情報のサジェストは無くて、全 広くいろんな記事に触れられるかもって。経済や政治や社会、文化、科学などなど幅広く。
 そんなこんなを考えて、ノリと勢いで電子版の新聞をひとつサブスクリプションしてみた。実家が取ってたということで、日経新聞。かなり経済に重きを置いた新聞なんじゃないかなーと思うけど、なんとなく、だからこそそこまで思想の左右は無さそうだなという偏見も込みで🤣
 それが土曜日のお昼頃で、そこから土曜日の夕刊〜今日の夕刊まで全部の記事に目を通してた。ぶっちゃけ政治や経済や科学その他の専門用語も知らないし、背景知識もさっぱりないから( ᐛ )?って顔してるけど、それが楽しい。なんかよくわかんないけど、そんなこと起きてるんだとか、世界ではこんな取り組みがあるんだとか、それに触れるのが面白い。色んな世界があるんだなってわかるのが楽しい(*´艸`)
 もちろん、検索エンジンのニュースサイトが悪いとか、Twitterが悪いとか、サジェスト機能が悪いとかそういうんじゃない。そういうものだと知っていながら、それにズルズルっと引き摺られてた自分とか、自分が見たいものばかり選んでた自分が問題なんだよね。ようは、素敵なテクノロジーなのに、そのテクノロジーをちゃんと使えてないこと、使いこなせる能力が自分にない、あるいは育ってないことに気づけなかったり、あるいは気づいてても自分を律せなかった私の問題。便利だから、楽だからと頼ってたらなんかそれに振り回されてただけなんだよね、私🤣 だから、テクノロジーが悪いわけじゃない。使いこなす為の訓練や勉強が私に足らなかっただけ。
 どれだけ新聞購読の習慣を続けられるかは分からない。私は飽き性だし🤣 でも、続けられたらいいなーと思う。続けて、読み続けていくうちに知識を得て、今はわかんないこともわかるようになっていって、その先でテクノロジーと仲良くしたい。今はテクノロジーくんの方が出来が良くて、私がスットコドッコイだから振り回されてるけど、もう少し知識がついて、わからないことがわかるようになってきたら、今ほど振り回されずにテクノロジーと仲良くできる気がする。それに、意見も極端に尖らずにいられるかもしれない。そうなったらいいなぁ☺️
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kennak · 10 months
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相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件は、26日で発生から7年を迎える。元職員の植松聖死刑囚(33)は優生思想を動機とした一方、当時も園に導入されていた「指定管理者制度」を問題視する人たちがいる。施設の運営を民間に任せる仕組みを障害者支援の現場に取り込むのは妥当か。あの事件との関わりをどう考えるべきか。(宮畑譲) ◆指定管理者に委託からわずか3年、入所の弟が窒息死  「県営時代は職員と入所者の親族との信頼関係が強かった。自由にものが言えたし、園に細かな要望を出して通っていた。民営化された後は、それまで担当していた職員の方がみんな異動してしまい、そんな雰囲気はなくなってしまった」  津久井やまゆり園に弟が入所していた星野泰子さん(82)は、民営化前後で生じた変化をこう感じる。  同園は重度知的障害者のための入所施設として1964年、神奈川県が全国的に先駆けて設立した。2003年に国が指定管理者制度を創設すると、県は05年、社会福祉法人「かながわ共同会」に委託した。  民営化から3年目の07年、星野さんの弟は食事中に物をのどに詰まらせ、窒息死した。植松死刑囚の事件から9年前のことだ。亡くなった時は59歳。入所から約30年、食べ物をのどに詰まらせることはなかったという。  「障害者施設では人が直接、サービスに関わる。人間関係が大事。障害がある人は関係性をつくるのに時間がかかる。担当の職員が代わると困るんです」 ◆施設と入所者家族の話し合い激減、事件で途絶える  弟は障害の影響もあり、よくかんで食べるのが苦手だった。職員が状態を把握して注意を払っていれば事故は起きなかったのではないか—。星野さんは今でもそう思っている。  そもそも民営化後、食事の内容が変わった。弟は口に合わない食べない物が増え、亡くなる直前、ずいぶん痩せてしまっていた。  県営時代、星野さんをはじめ兄弟姉妹が入所している人たちで「兄弟会」をつくり、月に一度、園と話し合う機会を持った。そこで改善点などを要望した。  こうした活動は民営化後、事情をよく知る職員が異動で次々といなくなったこともあり、下火になっていった。星野さんは弟が亡くなった後も、環境改善を図ろうと園に通い続けた。しかし、これまであった報告や連絡は植松死刑囚の事件後に途絶えた。 ◆元職員「民営化で障害者支援は後退」  障害者支援の現場に民営化がなじむのか。津久井やまゆり園の元職員、太田顕さん(80)も疑念を抱いてきた1人だ。04年3月に退職する以前から、民営化に反対していた。   鎮魂のモニュメントで献花し、手を合わせる人たち=2022年7月26日、相模原市緑区の津久井やまゆり園で  「賃金カット、経費節減のためだろう。退職直前から非正規職員が増えた。障害者支援のいろんなものが後退したと感じている」  太田さんが働いていた当時、津久井やまゆり園は県職員労働組合における福祉部門の拠点のような存在だった。活動を通じて、入所者の生活向上を目指した。  民営化後に組合員はばらばらになり、活動はかつての活発さを失ったという。  「県当局は指定管理者制度を導入することでコストカットと同時に組合つぶしを狙ったと思っている。利用者の幸せを追求する本当の福祉行政ではない。ただその責任は県だけでなく、指定管理者制度を創設した国にもあると思う」  先の星野さんは、植松死刑囚の事件に触れた上で「指定管理者制度の導入が影響していたような気がしてならない」と話し、きめ細かさが失われた状況がどう関わるか、思いを巡らす。 ◆委託取り消しが怖い...トラブル隠しなど密室化の恐れ  民営化が事件や虐待などに直接つながるとは、必ずしも言えない。しかし民間委託することで、施設内のトラブルや問題が明るみに出づらく、行政が把握しにくいという難点もある。行政の管理が間接的になる上、委託の取り消しを恐れ、受託する側の報告が後手になる可能性があるからだ。  植松死刑囚は事件前から「障がい者は生きていても意味がない」「安楽死させた方がいい」といった発言をしていた。他人を傷つける可能性があるとして一時、措置入院もされた。これらを園は把握していたが、県に報告していなかった。  園がこうした対応に終始した背景に指定管理者制度の弊害があると指摘するのは、神奈川県の元福祉職の松尾悦行さん(71)だ。  「モニタリングが形骸化しやすい。直営であれば、何か問題があった時、施設の幹部は自分だけの責任にしたくないものだ。もっと早く報告して別の対応を取る可能性はあったのではないか」と振り返る。  さらに「民間事業者は公の介入を求めないし、行政の関わりも控えめになる。民間の力を生かすということと、運営指導が両立しにくく、お互いの責任が曖昧になりやすい」とも。  一方で、神奈川県が運営する障害者施設「中井やまゆり園」でも、多数の職員による虐待などが判明している。松尾さんは障害者支援で問題なのは民営化だけでなく、現場の労働環境も見過ごせないと説く。 ◆待遇悪く定着しない だから職員も育たない  「施設のケア労働では利用者と24時間、暮らしをともにする。未熟な職員自身が利用者、同僚、上司と接して変わっていく。これが面白さであり、やりがい」。その半面、密室の権力関係ができ、支援が容易に人権侵害に転化しやすい面もはらむという。  「非正規雇用が多く、賃金は安いので、求人は多くても定着せず、支援の専門性、実践力は高まらない。これでは指導する中堅職員も育たない。いつまた虐待など事件が起きてもおかしくない。そうした土壌は広がっているのではないか」 ◆小泉政権のコスト削減策に巻き込まれた  指定管理者制度は2003年の地方自治法の一部改定で創設され、公共施設の運営を民間に委託できるようになった。時は小泉純一郎政権。「官から民へ」の旗振りの下、民間の力を活用し、効率的なサービスの提供を図ることが目的とされた。法改定は小泉氏肝いりの総合規制改革会議の答申が元になっている。 2002年12月、総合規制改革会議に出席する(右から)石原伸晃行革担当相、小泉純一郎首相ら(ともに当時)  北海道大の宮脇淳名誉教授(行政学)は「公民館やホールといった、箱物の運営の無駄を見直すという視点で始まった。それが、社会のセーフティーネットの一つである重度障害者施設にまでコスト競争が入り込んでしまった。適用すべきでないものまで含まれていた」と話す。  障害者施設のコストの大半は人件費。7割を占めるとも言われる。コストカットはサービス低下に直結しうる。「福祉の仕事は人件費のかたまり。公民館やホール、スポーツセンターなどの運営とは分けて考えるべきだ」と宮脇氏。  事業の公共性の判断が自治体任せで、検討が不十分なまま、コストカットありきで民間に委託している面があると問題視する。  「指定管理にするかは、自治体に任されている。国の役割が希薄で、��度的に放置し過ぎているのではないか。重度障害者施設のように根本的になじまないものもある。地方自治という名の下に任せきりにせず、国が主導して一定のルール作りをするべきだ」 ◆デスクメモ  物価高の中、どの職場もコストカットは人ごとでない。ただコストを削ればゆがみが出る。人手を減らせば残る人に負荷が。余裕がないと深刻なミスが。募るいらだちは誰かに向きかねない。新たな悲劇が起きてからでは遅い。コストカットに傾きがちなお偉方ほど、よく考えてほしい。(榊)
障害者施設の「民営化」を進めていいのか? やまゆり園事件から7年 元入所者家族は、元職員は何を思う:東京新聞 TOKYO Web
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wooof77 · 11 months
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虎の威を借る狐の威を借る
Podcast『虎の威を借る狐』にお招きいただき、おしゃべりしてきました。説明不要で通じるタメトークはめちゃくちゃ楽しかったのですが、いざ録音されると緊張で全く思うように話せなかったので…プレイリスト含め少し補完的なものを書きたいと思います。
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⚫︎虎の威を借る狐  (#33〜#35に出てます)
【カバーアートについて】 事前に聞いていたキーワードや番組のイントロから’80〜’90年代っぽい感じをイメージしました。具体的にはうる星やつらのOPやED、サンリオ、ファミコンのカセット(シティコネクションとか)、を頭の隅に置きつつ5つ提案してめでたく3つ採用となりました。
【マイファーストユーミンの話】 「オレたちひょうきん族」のEDや、TVCMで聴くともなしに 耳にしてたけど誰が歌っているかなんて長らく意識することもないまま。
中学生になってラジオを聴く習慣ができるとオールナイトニッポンも聴くようになって、そこで初めてサビしか知らなかったいろんな曲をほぼフル尺で聴くようになります。でもラジオだから途中でCMに入ったり、オートリバースの折り返しで録音できてなかったり苦労しました。田舎ゆえ生活圏内にレンタルCD屋がなかなかできなかったんですよね…。
そこで歌から鮮明に情景が浮かんだり、ノスタルジーとも違う(と思う)知らないのに懐かしい、みたいな感覚を覚えたのが初めてで感動してハマりました。それと言葉の美しさ、面白さ、歌詞を読む楽しさも教わったし、それは今でも続いています。
で、一番好きな曲は?という質問?え!そんな?愚問!w いやでもまぁ当然訊かれますよね…全然考えてなかったので焦りましたが、あのころ慌てて歌詞を書き留めた曲の中から「水の影」を選びました。ラジカセの前で一時停止を繰り返しながらルーズリーフに歌詞を書き留めたのを今でもはっきり覚えています。
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黄昏色とゆっくり流れる(時の)川の心象風景。穏やかだけど抗えない時の流れに、切なさと少し怖いような気持ちになったのを覚えています。まだ中学生だった自分には「遠くなった過去たちを振り返る」ことは想像するのも難しかったけど、なんかめっちゃエエやん(雑)!と初めて聴いた時から大好きな曲です。
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まず大訂正。 今年(2023年)はユーミン51周年ですね…失礼しました。 1972年7月5日「返事はいらない」でデビュー。 プロデューサーは、かまやつひろし。ムッシュ! このシングルのアレンジも可愛らしくて好き。
「牛乳瓶にダリア」 たしかデートしてる時に「何の花が好き?」という質問にユーミンが「ダリアの花が好き」って答えたのを覚えていて、後日スタジオのピアノにそっと飾ってくれてた〜というエピソードだったと思います。正隆さんはオシャレで、キザというよりロマンチストというイメージがあります。ポジティブなイメージはそんな感じでしょうか…w
『ユーミン万歳!』 番組内で全曲リマスタリング言うてますけど全曲エディット&リミックスですね。上手く聴こえる!なんて言いましたが、声の解像度がグンと上がってユーミンの声の魅力を改めて感じられるアルバムだと思います。アレンジの違いも楽しいです。 ちなみに配信用リマスタリングはサブスク解禁の時、全423曲に施されています。
『Man In the Moon』 これはヤンエグ男ではなくそれを目指している上昇志向強めな若い男の歌ですね。  彼の夢は白いロールス プール付きの家  他人の鍵を腰で鳴らして クロークに戻す ってことなのでホテルの駐車場とかで働いてるイメージかな。マッチョでギラギラ。
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【プレイリストについて】 最初にユーミンの曲にちゃんと触れたのはオールナイトニッポン(ANN)だったという話にちなんで、ラジオ経由で初めて聴いて好きになった曲、『天国のドア』以降は発売日にCDを買ってるので、それ以前の曲を中心に選んで当時の印象など添えてみました。
⚫︎あなただけのもの それまで聴いたことのある曲たちのイメージと全く違う、ファンキーな曲調にびっくりして、かっこいいー!ってなった曲。
⚫︎あの頃のまま ANN恒例の苗場からの放送、弾かな語りライブのコーナーで聴いて、その歌詞に強いゲイネスを感じた曲。のちにセルフカバーアルバム『FACES』に収録。元はブレッド&バターへの提供曲でオリジナルも良い。
⚫︎青いエアメイル それぞれの決断とその行方を信じる気持ちが尊い。 “青い”という言葉(色)が情景や心情にも掛かっているようで切ない。
⚫︎ジャコビニ彗星の日 歌詞の解釈で友達と意見が対立した思い出… “流星群”は電話が少なくなった”あなた”のことで、”寂しくなればまた(私のところへ)来るかしら”と歌っている。という友人。 僕は、もうその”あなた”はどうでもよくなってきてて、また誰かを好きになることができるかな…って歌。”流星群”は誰かを好きになる気持ちの隠喩なのでは?と反論。 もちろん答えは出ないままー。
⚫︎影になって メロディーも歌詞も、なんか知らんけど都会的やん!って思った。  真夜中は全てが媚びることもなく それでいてやさしい えーかっこよ…
⚫︎星空の誘惑 車の助手席で勝手に盛り上がってるオンナの歌なんですがー(好)  オレンヂのトンネルの中は 横顔がネガのようだわ というフレーズが映像的でハマりました。
⚫︎夕涼み イントロから少し気だるい夏の夕暮れ時の映像が目に浮かぶ。 虹も雲も風も濡れた髪も焼けたうなじも全て儚い。 ちょうど夏の終わり頃に聴いて刺さりました。
⚫︎晩夏 (ひとりの季節)  空色は水色に 茜は紅にー  藍色は群青に 薄暮は紫にー ただちに色の名前とどんな色なのか調べました。空の色の変化と季節の移り変わりに気持ちの変化をなぞらえる繊細さと美しさよ!
⚫︎青い船で 初めて聴いたときイントロから完全に宇宙の映像しか見えなくて、どんな歌かと聴いてると実際そういう歌詞で、え…イントロのイメージすごい…てなっりました。愛を天体で語るスケールの大きさも好きです。
⚫︎TROPIC OF CAPRICORN ドラマチックで好き! アルバトロス=アホウドリというのもこの曲で知りました。
⚫︎かんらん車 TROPIC OF CAPRICORNが”動”ならこちらは”静”のドラマチック。静かに雪が降り積もる遊園地のモノクロの情景が、とても冷たくて悲しくて美しい大好きな曲。
⚫︎水の影 シモンズ版は具体的な情景で、ビルの間を車のライトが流れる都会の川のイメージ。同じ曲なのに印象が全然違うのが面白い。
⚫︎A HAPPY NEW YEAR  今年も沢山いいことがあなたにあるように いつも いつも 恋人のもとへ真っ直ぐ向かう気持ちとその姿が��々しくて清々しい。素敵だなぁと素直に憧れました。年賀状に「今年も沢山いいことが⚫︎⚫︎さんにありますように」とか書いたなぁーw
⚫︎翳りゆく部屋 戻らない「輝き」って恋人や過ごした時間や愛情のことだけではなく、本当に失ってしまったのは有ると思っていた未来のことかー(むしろ過去は変わらない)!と気づき、歌詞を読む楽しさを知った曲のひとつ。そんなの聴けばわかるやろと思われるかもしれませんが自発的にわかった(と思えた)時は快感なんですよね。
⚫︎経る時(ふるとき)  四月ごとに同じ席は うす紅の砂時計の底になる 転調のドラマチックさ最高。情景描写の積み重ねで、巡る時間と季節の移ろいをこんなに美しく表現できるものかと。アルバム『REINCARNATION』のラスト曲。この曲も輪廻転生やん!って気づいて興奮。
▶︎MY FIRST YUMING PLAYLIST
 あなただけのもの  あの頃のまま  青いエアメイル  ジャコビニ彗星の日  影になって  星空の誘惑  夕涼み  晩夏 (ひとりの季節)  青い船で  TROPIC OF CAPRICORN  かんらん車  水の影  A HAPPY NEW YEAR  翳りゆく部屋  経る時
以上14曲。 よろしければサブスクなどで聴いてみてください。
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cookingarden · 1 year
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三宅唱 監督『ケイコ 目を澄ませて』
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『ケイコ 目を澄ませて』はちょっと変わった映画だ。映画につきものの起承転結がない。聴覚障害のあるボクサーの日常が、ひたすら丁寧に描かれる。
しかし、その視線は障害やボクシング、家族や仲間をスルスルと通り過ぎていく。カメラが追うのはただひとつ、主人公ケイコそのものだ。カメラは執拗にケイコを見詰め、ズームとパンを繰り返す。機械がケイコに目を澄ませている。
映像に引き込まれるうちに、自分の感情が濾過されていく。ドラマチックなものへの期待を忘れ、風景から華飾が消えたとき、下町の点光と暗闇に目が馴染みはじめる。音もそうだ。気がつくと、夜闇を走る電車や家の明かり、ジムの引き戸が閉まる音までが、鉄の硬さ指先の記憶を引き出している。
その原始的な光景を圧倒的な強度で埋めるものがある。ボクサーのキレ長の目、グローブが皮を弾く音、薄い耳、床を打つロープの音、小さな手、歯に滲む血の唾液を吐き出す唇と口。
 「ペッっ!」
耳の聞こえないボクサーを通じて、自分の感覚に原画と原音が満たされる。『ケイコ 目を澄ませて』には、静かだが強力なリアリズムがある。しかし、ここで終わらないのがこの映画の面白さだろう。純化された光景はこの映画の入り口に過ぎない。
シンプルで強い外装の内側で何かが動いている。ケイコの目の奥に何物かがいる。耳を澄ますことができない者は目を澄ます。耳が聞こえないボクサーにとって、目は健常者よりはるかに重要なセンサーだ。彼女はすぐれた目を持っている。しかし、ケイコが見ているのは対戦相手だけではない。ケイコの内奥こそがこの映画の鍵だろう。
人が耳や目を「澄ます」のは、何かをよく知ろうとするときだ。だが、目や耳そのものが何かを知ることはない。人間には五感を統べるものがある。ケイコはボクシングを通じて目を鍛えている。目は耳を補い、ボクシングがその能力をさらに高めた。それは、暮らしを共にする弟、脳梗塞に倒れるジムの会長、そして対戦相手との関係をも純化させ、つながりを鍛える装置になった。
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 「ケイコには、なんて言うか・・・器量がある」  「お前は嘘がつけない。正直やなお前は」
試合で負けたように、ケイコはまだ人間関係の初心者だ。しかしケイコは、ボクシングを通じて人間の深部を見る者になろうとしている。正直で嘘がつけないケイコを目と器量が育てている。この映画を見て、ボクシングの恐ろしさを思った。恐怖と引き換えに、人間の奥底を見せている。
やがてケイコは、心の底にある器を磨き上げるだろう。統べるものを鍛え上げた強い人間になるだろう。知ろうとするのは目ではない。目を澄まし心を磨くのは自分なのだ。志のある者をボクシングと人々が育てる。『ケイコ 目を澄ませて』は、日常に仕組まれた深さの正体をストレートに教えてくれる映画だった。
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gallery-yaichi · 2 years
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・ ・ 今週末からの展示会のご案内です。 写真の林檎灰釉碗は、流れた部分と溜まって白濁した部分とが景色となっています。土の鉄分が流れたり、灰釉が薄っすらと桃色に変化したりと、小さなお碗でも一つ一つに個性があります。 ・ ・ 2022 9.17.sat.-10.2.sun. 長谷川奈津 展 Natsu Hasegawa Exhibition ・ ・ 相模湖を近くに望める緑に囲まれた静かな場所で作陶されております、長谷川奈津さんの作品展を開催させて頂きます。ろくろ成形で、穏やかで滋味深い、土ものの器を製作されています。長谷川さんの落ち着いたお人柄そのままに、優しくも芯のある、静かな佇まいがあります。自然で控えめな表情が毎日の器にぴったりなのです。定番作品に加え、新たに挑戦されている作品もご覧頂けるかと思います。 ・ ・ 初日・二日目作家在廊予定 close:月曜 open:11-19:00 (初日のみ18:00まで) 16(金)は展示準備のため臨時休業 ・ ・ Profile 1967 東京生まれ 1994 東京藝術大学 大学院陶芸専攻修了 1995 青木亮氏のもと塊工房で学ぶ 1997 神奈川県津久井郡(現 相模原市)に築窯 ・ ・ 展示会特設ページ https://yabedesign.com/yaichi/gallery/2022/hasegawa/index.html ・ ・ 364-0031 埼玉県北本市中央2-64 048-593-8188 Open 11:00-19:00 close 毎週月曜・第一火曜日 JR湘南新宿ライン高崎線 北本駅西口徒歩1分 ・ ・ #yaichi #やいち #器 #うつわ #食器 #tableware #生活道具 #暮らし  #cafe #カフェ #アンティーク #antique #antiques #古道具 #古家具  #oldfurniture #brocante #古物 #埼玉 #埼玉県  #北本 #北本市 #長谷川奈津 #NatsuHasegawa (Gallery&Cafe やいち) https://www.instagram.com/p/Cib63buv9GT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oharash · 1 year
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余花に吉兆
1.  友人あるいは恋人のようなことを始めたら、もっと分かり合えて親密な空気だとか柔らかな信頼みたいなものが生まれるかと予想していたが、俺らの空間は特段何かが変化することもなく、近すぎず遠すぎずの関係が果てなく伸びていくのみだった。  大切なものを手のひらに閉じ込めるような日々だった。彼の大きな体は存在感だけでもどこか騒々しかったが、無音より心地よかったのだ。
 うずたかく積もった瓦礫がようやく街から消える頃、俺は人生初の無職デビューを飾った。事務所は畳んだし復興支援委員会の任期も終わった。警察や公安、行政から相変わらず着信や不定期な依頼はあれど、様々な方面からの誘いを断り所属する場所がなくなった俺はぼんやりと初夏を迎えることとなった。  無職になりまして。とセントラルの定期通院の帰り、待ち合わせた居酒屋で焼き鳥をかじりながら言うと彼は呆けた顔で俺を見た。エアコンの効きが��いのか、妙に蒸し暑くてふたりとも首筋にじんわり汗が滲んでいる。 「お前が?」 「はい。しばらくゆっくりしてから次のこと考えようと思って」 「お前にそんな発想があったとは」 「どういう意味ですか」 「休もうという発想が。いつも忙しく働いとったろーが。そもそも趣味や休みの過ごし方をお前の口から聞いたことがない」 「それ元SKたちにも言われましたわーー。人を仕事人間みたく言わんでくださいよまあその通りですけど。今までやれなかったこと全部やったろ、と思ってたんですけど10日で飽きました。福岡いるとどうしても街の様子気になっちゃうしホークスだ〜〜♡ て言われるし、どっか旅行でも行けばって言われるんすけど全然そんな気になんないんすよ。来月には引きこもりになってるかもしれねっす」  そしたら会いに来てくださいね♡ と言ったら、彼は釈然としないような、そして何かに耐えるような、そんな顔をした。  店を出ると強い風が頬を打った。まだほんのわずか残っていた春の気配が吹き飛んでいく。じゃあ、と手をあげかけたところでデカい手が伸びてきて顎を掴まれた。「飲み直すぞ、うちで」「ひゃい?」かくて俺はそのままタクシーに突っ込まれ(この人と乗る後部座席は超狭い)、轟邸へお持ち帰りされることとなった。
 暗闇の中でうずくまる恐竜みたいな日本家屋。数奇屋門と玄関の間だけで俺の1LDKがすっぽり入りそう。靴を揃えて上り框に足をかけると今度は首根っこを掴まれた。連行されるヴィランそのままの格好で俺は廊下を引き摺られ居間の隣室へ放り込まれる。今夜は何もかも展開が早い。「なになに? 俺には心に決めた人がいるんですけど⁉︎」「使え」「は?」 「この部屋を好きなように使え。しばらく置いてやる」 「もしかしてあなた相当酔ってますね⁉︎」 「あれくらいで酔わん。お前が、ヒーロー・ホークスが行くところがないなんて、そんなことがあってたまるか」  畳に手をついて振り仰ぐ。廊下から部屋に差し込む灯りは畳の目まではっきりと映し出しているけれど、彼の表情は逆光でわからない。 「俺、宵っぱりの朝寝坊ですよ」 「生活習慣までとやかく言わん。風呂を沸かしたら呼びに来てやるからそれまで好きにしてろ」  けれど俺が呼ばれることはなく、様子を見に行くと彼は居間で寝落ちていたのでやっぱり酔っていたのだと思う。デカい体を引きずって寝室に突っ込んだ。風呂は勝手に借りた。
 酔ってはいたものの彼の意思はしっかり昨晩にあったようで、そして俺も福岡に帰る気が全くおきなかったので、出会い頭の事故のように俺の下宿生活は始まった。  「うちにあるものは何でも好きに使え」なるありがたいお言葉に甘えて俺は巣作りを開始した。足りないものはAmazonで買った。徹夜でゲームしたりママチャリで街をぶらついたり(帽子をかぶってれば誰も俺に気づかなかった)ワンピース一気読みしたり豚肉ばかり使う彼からキッチンの主権を奪いそのまま自炊にハマったりもした。誰を守る必要もなく、誰かを気にかける必要もない。誰を満足させる必要もなかった。彼が出かける時間に俺は寝ていたし夕飯も好きな時間に食べていたので下宿より居候の方が正確だったかも知れない。誰かとひとつ屋根の下で暮らすことへの不安はすぐ消えた。早起きの彼がたてる足音や湯を使うボイラー音、帰宅時の開錠の音。そんな他人の気配が俺の輪郭を確かにしていったからだ。  ヒーローを引退した彼は事務所を売却したのち警備会社の相談役に収まっていたがしょっちゅう現場に呼ばれるらしく、出勤はともかく帰り時間はまちまちだった。まあわかる。治安維持に携わっていて彼に一目置いていない人間はまずない(治安を乱す側はなおさらだ)。「防犯ブザーのように使われる」とぼやいていたが、その横顔にはおのれの前線を持つものの矜持があった。どうしてか俺は嬉しい気持ちでそれを見ていた。
2.  ある夜、俺は玄関で彼のサンダルを履き外へ出た。引き戸を開けると明るい星空が広がっていて、それが妙に親しかった。縁側に腰掛けてぼんやり彼方を眺めると星の中に人工衛星が瞬いている。ほとんどの民家の明かりは消えていて、夜は少し湿りそして深かった。紫陽花だけが夜露に濡れて光っていた。  知らない街なのに、他人の家なのに、帰らんと、とは微塵も思わなかった。俺はここにいる。知らない場所に身ひとつで放り出されてもここに帰ってくる。呼吸をするたびに心と体がぴったりと張り付いていった。  気配を感じて振り返ると、あの人がスウェットのまま革靴を引っ掛けて玄関から出てくるところだった。 「風邪をひくぞ」と言われ何も答えずにいると犬か猫みたいにみたいに抱えられ、家の中に連れ戻された。  それからほとんど毎夜、雨でも降らない限り俺は外に出て彼方を眺めた。そうすると彼は必ずやってきて俺を連れ戻した。ある夜「一緒に寝てください」と言ったら彼は呆れたように俺を見下ろして「お前の部屋でか」と言った。そうかあそこは俺の部屋なのか。「あなたの部屋がいいです」と言ったら視線がかちあい、耳の奥で殺虫器に触れた虫が弾け飛ぶみたいな音がして、目が眩んだ。 「そんで、同じ布団で」 「正気に戻ってからセクハラだとか騒ぐなよ」  彼の布団にすっぽりおさまると目が冴えた。やっぱこの人なんか変。そんで今日の俺はもっと変。分厚い背中に額をあてて深く息を吸った。おっさんの匂いがして、めちゃくちゃ温かくて、甘くて甘くて甘くて足指の先まで痺れる一方で自分で言い出したことなのに緊張で腹の奥が捻じ切れそうだった。  彼の寝息と一緒に家全体が呼吸をしている。眠れないまま昨夜のことを思い出す。俺が風呂に入ろうとして廊下を行くと、居間で本を読んでいた彼が弾かれたように顔を上げた。その視線に斥力のようなものを感じた俺は「お風呂行ってきまぁす」となるべく軽薄な声で答えた。一秒前まであんな強い目をしていたくせに、今はもう血の気の失せた無表情で俺を見上げている。妙に腹が立って彼の前にしゃがみ込んだ。「一緒に入ります?」「バカか」「ねえエンデヴァーさん。嫌なこととか調子悪くなることあったら話してください。ひとりで抱え込むとろくなことないですよ。俺がそれなりに役立つこと、あなた知ってるでしょ?」 「知ったような顔をするな」 「俺はド他人ですが、孤独や後悔についてはほんの少し知っていますよ」  真正面から言い切ると、そうだな、と素っ気なく呟き、それきり黙り込んだ。俺ももう何も言わなかった。  ここは過ごすほどに大きさを実感する家だ。そこかしこに家族の不在が沈澱している。それはあまりに濃密で、他人の俺でさえ時々足をとられそうになる。昨日は家族で食事をしてきたという彼は、あの時俺の足音に何を望んだのだろう。  いつぞやは地獄の家族会議に乱入したが、俺だって常なら他人の柔らかな場所に踏み入るのは遠慮したいたちだ。けれどあの無表情な彼をまた見るくらいなら軽薄に笑うほうがずっとマシだった。これから先もそう振る舞う。  きんとした寂しさと、額の先の背中を抱いて困らせてやりたい怒り。そんなものが夜の中に混ざり合わないまま流れ出していく。
3.  涼しい夜にビールを飲みながら居間で野球を眺めていたら、風呂上がりの彼に「ホークス」と呼ばれた。 「その呼び方そろそろやめません? 俺もう引退してるんすよ。俺はニートを満喫している自分のことも嫌いじゃないですが、この状態で呼ばれるとホークスの名前がかわいそうになります、さすがに」「お前も俺のことをヒーロー名で呼ぶだろうが」「じゃあ、え……んじさんて呼びますから」「なぜ照れるんだそこで」「うっさいですよ。俺、けーご。啓吾って呼んでくださいよほら」「……ご」「ハイ聞こえないもう一回」「け、けいご」「あんただって言えないじゃないですかあ!」  ビールを掲げて笑ったら意趣返しとばかりに缶を奪われ飲み干された。勇ましく上下する喉仏。「それラスト一本なんすけどお」「みりんでも飲んでろ。それでお前、明日付き合え」「はあ」「どうせ暇だろ」「ニート舐めんでくださいよ」  翌日、俺らは炎司さんの運転で出かけた。彼の運転は意外に流れに乗るタイプで、俺はゆっくり流れていく景色を眺めるふりをしてその横顔を盗み見ていた。「見過ぎだ。そんなに心配しなくてもこの車は衝突回避がついている」秒でバレた。 「そろそろどこいくか教えてくださいよ」 「そば屋」  はあ、と困惑して聞き返したら、炎司さんはそんなに遠くないから大丈夫だ、とまたしてもピンぼけなフォローで答えた。やがて商業施設が消え、国道沿いには田園風景が広がり出した。山が視界から消え始めた頃ようやく海に向かっているのだと気づく。  車は結局小一時間走ったところで、ひなびたそば屋の駐車場で止まった。周りには民家がまばらに立ち並ぶのみで道路脇には雑草が生い茂っている。  テレビで旅番組を眺めているじいさん以外に客はいなかった。俺はざるそばをすすりながら、炎司さんが細かな箸使いで月見そばの玉子を崩すのを眺めていた。 「左手で箸持つの随分上手ですね、もともと右利きでしょ?」 「左右均等に体を使うために昔からトレーニングしていたから、ある程度は使える」 「すげえ。あなたのストイックさ、そこまでいくとバカか変態ですね」 「お前だって同じだろう」  俺は箸を右から左に持ち替えて、行儀悪く鳴らした。 「んふふ。俺、トップランカーになるやつってバカか天才しかいねえ、って思うんすよ。俺はバカ、あなたもバカ、ジーニストさんも俺的にはバカの類です」 「あの頃のトップ3全員バカか。日本が地図から消えなくてよかったな」  そばを食べて店を出ると潮の匂いが鼻を掠めた。「海が近いですね?」「海といっても漁港だ。少し歩いた先にある」漁港まで歩くことにした。砂利道を進んでいると背後から車がやってきたので、俺は道路側を歩いていた炎司さんの反対側へ移動した。  潮の香りが一層強くなって小さな漁港が現れた。護岸には数隻の船が揺れるのみで無人だった。フードや帽子で顔を隠さなくて済むのは楽でいい。俺が護岸に登って腰掛けると彼も隣にやってきてコンクリートにあぐらをかいた。 「なんで連れてきてくれたんですか。そば食いたかったからってわけじゃないでしょ」  海水の表面がかすかに波立って揺れている。潮騒を聞きながら、俺の心も騒がしくなっていた。こんな風に人と海を眺めるのは初めてだったのだ。 「俺を家に連れてきたのも、なんでまた」 「……お前が何かしらの岐路に立たされているように見えたからだ」 「俺の剛翼がなくなったから気ィ使ってくれました?」  甘い潮風にシャツの裾が膨らむ。もう有翼個性用の服を探す必要も服に鋏を入れる必要も無くなった俺の背中。会う人会う人、俺の目より斜め45度上あたりを見てぐしゃりと顔を歪める。あの家で怠惰な日々を過ごす中で、それがじわじわ自分を削っていたことに気づいた。  剛翼なる俺の身体の延長線。俺の宇宙には剛翼分の空白がぽっかり空いていて、けれどその空白にどんな色がついているかは未だわからない。知れぬまま外からそれは悲しい寂しい哀れとラベリングされるものだから、時々もうそれでいいわと思ってしまう。借り物の悲しさでしかないというのに。 「俺より先に仲間が悲しんでくれて。ツクヨミなんか自分のせいだって泣くんですよかわいいでしょ。みんながみんな悲壮な顔してくれるもんだから、正直自分ではまだわかんなくて。感情が戻ってこない。明日悲しくなるかもしれないし、一生このままかも。  あなたも、俺がかわいそうだと思います?」 「いいや」  なんのためらいもなかった。 「ないんかい」 「そんなことを思う暇があったら一本でも多く電話をして瓦礫の受け入れ先を探す。福岡と違ってこの辺はまだ残っとるんだ。それから今日のそばはおれが食いたかっただけだ」 「つめたい!」 「というかお前そんなこと考えとったのか。そして随分甘やかされとるな、以前のお前ならAFOと戦って死ななかっただけ褒めてほしいとか、ヒーローが暇を持て余す世の中と引き換えなら安いもんだと、そう言うだろう。随分腑抜けたな。周囲が優しいなんて今のうちだけだ、世の中甘くないぞ、きちんと将来のことを考えろ」 「ここで説教かます⁉︎ さっきまでの優しい空気は!」 「そんなもの俺に期待するな」  潮風で乱れる前髪をそのままにして、うっとり海に目を細めながらポエムった10秒前の自分を絞め殺したい。  彼は笑っているのか怒っているのか、それともただ眩しいだけなのかよく分からない複雑な顔をする。なお現在の俺は真剣に入水を検討している。 「ただ、自分だけではどうしようもないときはあるのは俺にもわかる。そんな時に手を……  手を添えてくれる誰かがいるだけで前に進める時がある。お前が俺に教えてくれたことだ」 「ちょ〜〜勝手。あなたに助けてもらわなくても、俺にはもっと頼りたい人がいるかもしれないじゃないですか」 「そんな者がいるならもうとっくにうちを出ていってるだろう。ド他人だが、俺も孤独や後悔をほんの少しは知っている」  波音が高くなり、背後で低木の群れが強い海風に葉擦れの音を響かせた。  勝手だ、勝手すぎる。家に連れてきてニートさせてあまつさえ同衾まで許しといて、いいとこで落として最後はそんなことを言うのか。俺が牛乳嫌いなのいつまでたっても覚えんくせにそんな言葉は一語一句覚えているなんて悪魔かよ。  俺にも考えがある、寝落ちたあんたを運んだ部屋で見た、読みかけのハードカバーに挟まれた赤い羽根。懐かしい俺のゴミ。そんなものを後生大事にとっとくなんてセンチメンタルにもほどがある。エンデヴァーがずいぶん可愛いことするじゃないですか。あんた結構俺のこと好きですよね気づかれてないとでも思ってんすか。そう言ってやりたいが、さっき勝手に演目を始めて爆死したことで俺の繊細な心は瀕死である。ささいなことで誘爆して焼け野原になる。そんなときにこんな危ういこと言える勇気、ちょっとない。 「……さっきのそば、炎司さんの奢りなら天ぷらつけとけばよかったっす」 「その減らず口がきけなくなったら多少は憐れんでやる」  骨髄に徹した恨みを込めて肩パンをした。土嚢みたいな体は少しも揺らがなかった。  
 車に向かって、ふたりで歩き出す。影は昨日より濃く短い。彼が歩くたびに揺れる右袖の影が時々、剛翼の分だけ小さくなった俺の影に混じりまた離れていく。 「ん」  炎司さんが手でひさしを作り空を見上げ、声をあげる。その視線を追うと太陽の周りに虹がかかっていた。日傘。 「吉兆だ」
4.  何もなくとも俺の日々は続く。南中角度は高くなる一方だし天気予報も真夏日予報を告げ始める。  SNSをほとんど見なくなった。ひとりの時はテレビもつけず漫画も読まず、映画だけを時々観た。炎司さんと夜に食卓を囲む日が増えた。今日の出来事を話せと騒ぎ聞けば聞いたで質問攻めをする俺に、今思えば彼は根気よく付き合ってくれたように思う。  
 気温もほどよい夕方。庭に七輪を置き、組んだ木炭に着火剤を絞り出して火をつける。静かに熱を増していく炭を眺めながら、熾火になるまで雑誌を縛ったり遊び道具を整理した。これは明日の資源ごみ、これは保留、これは2、3日中にメルカリで売れんかな。今や俺の私物は衣類にゲーム、唐突にハマった釣り道具はては原付に及んでいた。牡丹に唐獅子、猿に絵馬、ニートに郊外庭付き一戸建てだ。福岡では10日で暇を持て余したというのに今じゃ芋ジャージ着て庭で七輪BBQを満喫している。  炭がほの赤く輝き出すころに引き戸の音が聞こえ、俺は網に枝豆をのせた。 「今日は早いですね〜〜おかえりなさい」 「お前、無職が板につきすぎじゃないか?」 「まだビール開けてないんで大目に見てください」  家に上がった彼はジャージ姿でビールを携えて帰ってきた。右の太ももには「3-B 轟」の文字。夏雄くんの高校ジャージだ、炎司さんは洗濯物を溜めた時や庭仕事の時なんかにこれを着る。そのパツパツオモシロ絵面がツボに入り「最先端すぎる」と笑ったら「お前も着たいのか?」とショートくんと夏雄くんの中学ジャージを渡され、以来俺はこの衣類に堕落している。遊びにきたジーニストさんが芋ジャージで迎えた俺たちを見てくずおれていた。翌々日ストレッチデニムのセットアップが届いた(死ぬほど着心地がよかった)。  焼き色のついた枝豆を噛み潰す。甘やかな青さが口の中に広がっていく。 「福岡帰りますわ、ぼちぼち」  彼の手からぽとりとイカの干物が落っこちた。砂利の上に不時着したそれにビールをかけて砂を流し、網の上に戻してやる。ついでにねぎまを並べていく。 「……暇にも飽きたか」 「いや全然、あと1年はニートできます余裕で」  ぬるい風と草いきれが首筋をくすぐり、生垣の向こうを犬の声が通り過ぎていく。いつも通りのなんでもない夕方だ。そんななんでもなさの中、現役の頃は晩酌なんてしなかっただろう炎司さんが俺とビールを開けている。俺らはずいぶん遠くまで来た。 「福岡県警のトップが今年変わったんですけど、首脳部も一新されて方針も変わったらしくて、ヒーローとの連携が上手くいってないらしいんすよね。警察にもヒーローにも顔がきいて暇な奴がいると便利っぽいんで、ちょっと働いてくるっす。そんで、俺のオモチャなんですけど」整理した道具たちに目をやる。「手間かけて悪いんですが処分してくれませんか?」 「……どれも、まだ使えるだろう」 「はあ。リサイクルショップに集荷予約入れていいです?」 「そうじゃない。処分する必要はないと言ってるんだ」  的外れと知っていてなお、真っ当なことを言おうとする融通のきかなさ���その真顔を見て俺この人のこと好きだな、と思う。子どものまま老成したような始末の悪さまで。 「それは荷物置きっぱにしてていいからまたいつでも来いよってことでしょーーか」 「……好きにしろ」  唸るような声はかすかに怒気をはらんでいる。さっきまで進んでたビールは全然減ってないしイカはそろそろ炭になるけどいいんだろうか。ビール缶の汗が彼の指をつたい、玉砂利の上にいびつな模様をつくっていく。 「じゃあお言葉に甘えて。それとツクヨミが独立するってんで、事務所の立ち上げ手伝ってほしいって言われてるんすよ、なんでちょくちょくこっちに滞在するので引き続きよろしくお願いします具体的には来月また来ます♡」 「それを先に言え‼︎」  今度こそ本物の怒りが俺の頬を焦がした。具体的には炎司さんの首から上が燃え上がった。七輪みたいに慎ましくない、エンデヴァーのヘルフレイム。詫びながら彼の目元の皺を数えた。青い瞳にはいつも通りに疲労や苛立ち、自己嫌悪が薄い膜を張っている。今日も現場に呼ばれたんかな。ヒーロースーツを着なくなっても、誰かのために走り回る姿は俺の知ったエンデヴァーだった。腕がなくなろうが個性を使わなかろうが、エンデヴァーを許さぬ市民に罵倒されようが。だから俺も個性なくてもできることをやってみっかな、と思えたのだ。ここを離れ衆目に晒されることに、不安がないわけではないけれど。  疲れたらここに帰ってまたあの部屋で布団かぶって寝ればいい。家全体から、やんわり同意の気配が響くのを感じる。同意が言いすぎだとしたら俺を許容する何か。俺のねぐら、呼吸する恐竜の懐の。 「その……なんだ、頑張れ」 「アザーース」  帰属していた場所だとか、背にあった剛翼だとか。そんなものがごっそりなくなった体は薄弱で心もとない。だから何だ、と思う。俺はまだ変わる。  空があわあわと頼りない色合いで暮れていく。隣にしゃがんだ炎司さんの手が俺の背に添えられた。翼の付根があったあたりにじわりと熱が広がり、そのまま軽く背を押されて心臓が跳ねる。 「来月はそば打ちでもしましょうね」  短い肯定が手のひらの振動から伝わる。新たな命を吹き込まれる俺の隣で、炭がぱちりと爆ぜた。
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overjazztrio · 1 year
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飛行機雲
この土日は当直であった。木曜から月曜までの泊まりで、明日からまたぶっ続けで仕事になる。でも駐屯地の中でメシが食えるので、当直につくとマトモな食事が摂れる。けど帰ってエロゲはできない。悲しい。
今日はよく晴れた。6時の起床ラッパが鳴る前に当直は起きないといけないんだけど、点呼をとりに外に出た瞬間かなり寒くて、元旦みたいな匂いがした。地球は旧正月のつもりなのか。
昼寝しつつ仕事(するふりを)して、夕方風呂に入る。湯冷しに煙草を吸う。空を見上げると絵に描いたみたいな飛行機雲で夕映えが二分されていた。あぁ、綺麗だ、と思った。ロボトミー手術で感情を失った人が、それに気づいたのが「美しい夕焼けを見ても感動しなかったから」だという悲しい逸話を思い出した。
昔だったら俺はすぐにでもこの空を写真に撮り、誰かに送っていただろう。家族かもしれないしあの子かもしれない。なんにせよ、この感動を分かち合おうとしていただろう。そう思うと、わりと遠くまで来たし、これからもそれらは遠ざかるんだろうな、と思った。
白い一線は西へ向かって消え、時間と共にゆっくりとその尾が風に薄れてゆくのを見ていた。1日は暮れかかっていた。これから何度この景色を眺めるんだろう、と考える。その時はすぐそばに、綺麗だね、とつぶやける誰かがいるといい。
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と、いうわけで〜〜!?( ^ω^ )今回はイカれたお前らに紹介するぜッ!!これがその写真だ!!イヤッフ〜〜〜〜!!!!!!(小躍り)
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doctormaki · 1 year
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ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の��材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感��の持ち主なのだから、天然記念物らしく��ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
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研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お��子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
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jaguarmen99 · 2 years
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●南極で9シーズンを、院生とフルタイムの研究者の両方で働いた。 この話を誰にしても、興奮して「すごーーく、すばらしいに違いない!」とか「ぜひやりたい!」と言ってくる。 地球科学の院生はこうした野外採集に異常にワクワクする。……公平に言うと、それがどういうものか理解した上でやりたがる。15年前の自分もそうだった。 しかし……そこにはやはり「しかし」がある。目新しさやあこがれ、クールさは2日で薄れる。そして残りの2~3か月は全面的に過酷となる。常に寒く、飢えて、汚れている……そして疲労している。常に凍傷に悩み、靴下を何枚履こうがつま先は温まらない。 自分のように科学(氷コアの古気候学)に100%をささげていたら価値はあるが、もしあなたが21歳で、単に未知の世界を探検したいと夢見ているだけなら、大陸に来ても巨大な現実に打ちのめされる。 今まで何人もの若い子が、すべてを辞めて南極の生の素晴らしさを体験するためにやっ��来た。そして3~6か月の孤独と、心が麻痺するきつい内容の契約をしたことを実感する。 特にマクマード基地には、大勢の若者が南極大陸に来るためだけに「何でもする」と契約をしてしまう。そして数日後には、ドームルームの掃除や雑用のために、南極大陸から身動きできないことを知る。 12時間シフトで汚い建物から建物へと移動する。研究者たちがフル装備で野外へ展開しているのを、彼らは眺めていることしかできず、臭いディーゼルタウンのマクマード基地から出られない。 そんな生活に飽き飽きし、野外に出る研究者に嫉妬する。もちろんマクマード海峡やロイヤルソサエティレンジやマウントディスカバリーの景色は美しいが、その目新しさはすぐに消える。 自分は次の配置を待ちながらマクマードに18日間滞在したことがあるが、気が狂いそうになった。マクマード基地にバーが1つではなく2つあるのにも理由がある……そして全てのトイレのゴミ箱が避妊具でいっぱいなのも。みんな孤独で鬱になる。 自分は仕事は好きだし、野外活動や科学にはそれがつきものだが、南極の氷の上のテントで6か月暮らし、シャワーもなし、つねにべとべとの日焼け止めで覆われ、寒くて疲弊しているのは本当に本当にキツく、魅力的でもなければ、情熱的でもない。何千枚のすばらしい写真も撮ったが、誰かに話すときにはたいそうなことは言わない。 ↑これはなかなか興味深いスローな映画になると思う。
「あこがれる人は多いけど、働いてみたらサイテーだった仕事はある?」体験談いろいろ:らばQ
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keredomo · 2 years
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遠くに鳥の啼く声が聞こえる。近くかもしれない。
 人の気配がすると、それだけで心が穏やかになる。私はこの世から疎外されていないのだと思って安心する。
 ��がもうだめになってしまったことを、最初に察知したのがあまねだった。  休日をひたすら胡乱に過ごし、月曜がきても、仕事は山積みであるにもかかわらず体がまったく動かなくなってしまった。とっぷり日が暮れて、ようやく起き上がることができた身でそのことを世間に報告したら、すぐさまあまねから連絡がきた。  事情を説明したところ、「君はしばらく、他者に生かされるがままになったほうがいい」と言う。その他者役はわれわれが引き受けようと申し出てくれて、あまねとのりこが暮らす、静かで清潔な家に身を寄せることになった。
 10月の、秋は更け、冬の入り口に立っているこの季節に綴る、居候日記。私のことが好きだというだけではなく、何とか私の力になりたいと思ってくれる人がいるのだと、そうして実際に力を貸してくれるのだと、思い知るための日記。そのことをきちんと理解して、実感して、自分は生きていてよいのだと思い知るための日記。  私がなにをもって生きていてよいとされるのか、それを知るための日記。自分は人に生かされているということを知るための日記。人に生かされているということが、人を生かしていることにつながるのだと、きちんと知るための日記。
 *
 ひととおり家の片付けをして(部屋中に物が散乱し、机の上には本が積み上がり、抜けた髪が床中に散らばり、空の酒瓶が窓際に並び、網戸は破れていた)、お泊まりセットを準備して、読みたい本をいくつか揃えて、居候先へ向かう。  のりこが「いらっしゃい」と迎えてくれた。あまねもリビングに出てきてくれている。「ちょうどひと段落したところなんだ、いろいろの仕事が」と言う。私が買って送りつけてあった、家みたいな形のかわいい箱ワインをかわいがる。「いい匂いの水が好きなんだ」と言って、ロゼワインを炭酸水で薄めてレモンを足して飲むあまね。
 あまねは平常運転。彼が緊張したり慌てたり落ち着きなくうろうろしていないというだけで、君を迎え入れるのに無理なんかないんだよ、と思ってくれているのがわかる。  のりこの顔をみると、私が家に来たことをすごく喜んでくれているのがわかる。うれしいとき、のりこはにこにこして、そわそわする。  ここにいていいのだと思える。声をかけられて、言葉を交わして、ここにいると生きた心地がする。
 「きれいだね」と私を見てうっとりした声でのりこが言う。「ゆりさん、発光してる」。  のりこはこれまでもしょっちゅう私にきれいだきれいだと言っていたけれど、今日もそう言ってくれるのだなと感じ入った。  心と生活はぼろぼろになってしまったが、自分のたましいはまだ光を失っていないのだと、そう思えた。それは、どんな慰めよりも、どんな労りよりも、いまの私の存在に響く言葉だった。
 夕食どき、あまねが作ってくれた食事を供されるがままに食べる。「生きていなよ」という意味をもつ料理。青野菜をほおばる私を見て「この世でいちばん美しい青虫」と笑うのりこは、この世でいちばんきれいな目をしている。  このひとは、この世の光を繊細なまなざしで見つけて、もっともよい言葉でそれを写しとる、そういうことを生業にしている。のりこといると、青い空をつらぬこうとして伸びる鉄塔や、薄い白色でとおくに浮かぶ秋の雲、ほうせんかの弾けるように庭にひびく鳥の声、夕闇にむかう空気の静かな色、そういうたくさんの、世界が発光する瞬間を私も受け取るようになる。そういうひと。  世界は輝いているのだという、大事なことを思い出させてくれるひと。
 「私たちは言葉のために生きているのだから」と言ったとき、それが字義どおりの意味であることをすんなり受け取れるひとのそばで呼吸して、私は心といっしょに失ってしまった言葉を少しずつ取り戻すような心地がする。
 この家では、同じ空間に「言葉がなにであるか」を知っているひとがいて、私は安心して本を読む。本を読んで、そこに記された言葉のひりつきに肌を痛めれば、すぐさまのりこに泣きつくことができるのだった。  こんなの書けない。これは私が書きたかった。書かないのならば生きていてはいけないと言われたような気がして心が苦しい。そう言ってめそめそと泣きつけば、のりこは「ゆりさんはそちら側のひとではない?」と、肯定も否定も下手な慰めも無闇な同情もせずに、事実だけを返してくれた。
 「ゆりさんは、書くことが救いになるひとだよね」と言うとき、のりこ自身もまたそういう者として生きていることがわかるから、おおげさな言葉ではなく、たんなる事実として受け取ることができるのだった。「そうだね」。
 もうこれ以上孤独をごまかしきれないほど、自分が生きる意味を自分に言い聞かせることすらできないほど、弱り果てていた。  それを察知して、受け入れてくれたのがこの家であることは、私の生にとってもっとも正しい救いとなった。  言葉を失い、それによって救いを失っていた私に必要なのは、言葉を取り戻すことだったのだと、この家にいることで少しだけ言葉を取り戻した時に気づいた。あまねものりこも、考え、そして書くことを人生の中心に置いているひとで、ここにいると、私も「書く身体」を取り戻せる。  「書く身体」は「読む身体」と同じものであった。居候の初日、ふたりが書いている横で学術書を読んでいたら、あまねは「勉強合宿みたいなことはしなくてもいいんだよ、ただのんびりと過ごしてくれれば、それで」と苦笑したが、私は自分が数か月ぶりに「読む身体」をやれていることが、たまらなくうれしかった。少しだけ、私を取り戻したような気がした。
 *
 「ゆりさん、来てくれてありがとう」と、あまねがいない時にのりこに言われた。「ゆりさんが受けた傷の話を聞いた日から、あまねさんはずっと調子が悪そうでね。わたしは怒りがともなっていたけど、彼はゆりさんの傷にものすごく傷ついているらしかったの。でも、ゆりさんが来てくれて、調子がよくなったように見える。だから、ありがとう」。  それを聞いて、とてもおどろいた。
 苦しい話なので、話す相手は選んでいた。あまねが私の不調を見抜いて「調子が悪そうだね」と声をかけてくれたとき、この長年の友人にならば打ち明けてもいいだろうと思って話したのは、迂闊なことだったかもしれないと反省した。思っていた以上に、彼は私に心を割いていて、私の傷に傷つくほどに私になじんでいたのだった。そうでなければ私の不調をあれほど鋭敏に察知できるはずもないのに、そのことに気を配れもしないほど、弱り果てていたのだとあらためて知る。他者の心を巻き込んでおいて「あらためて知る」なんてあまりにも図々しい話だが、あらためて、知った。
 頼ってよかったと思った。頼れるかたちで手を差し伸べてくれてありがとう、と思った。居場所をくれてありがとう。ごはんを作ってくれてありがとう。私の傷で傷ついてくれて、ありがとう。
 あまねが作ってくれる食事は、もう私たちの付き合いは10年を超えていて、何度もあまねのごはんを食べさせてもらってきたが、それらはすべて、私が食べられるものたちだった。  のりこも私も、そしてあまねも、食事を摂ることにたいして深刻なエラーを抱えているので、三人ともが食べられる食事にはおびただしい条件が付きまとうのだったが、あまねはそこを上手にクリアして、のりこと私にごはんを作ってくれるのだった。  お昼ごはんに鯖とトマトとゴーヤのカレーを作ってくれた日には、米のかわりに生のほうれん草を食卓にどっさりと置いて、「米も少し食べるといいけど、あとはこれで食べな」と言うのだった。
 あまねのごはんを食べて出社したところ、飢餓感と苛立ちを散らすために毎日のように変な時間にむさぼっていたローソンのチキンスティックが今日は欲しくなかった。
 *
 私が詫びの品として買ってきたシャインマスカットを生のまま食べて、のりこが「まぼろしのような味がする」と言った。
 シャインマスカットの味はシャインマスカットの味であると感じてやさぐれていた私はそのまばゆさに呼吸を忘れた。
 翌日の昼、あまねが残りの果実を生クリームのサンドイッチにしてくれた。のりこは「贅沢」と言いながら、上手にサンドイッチを食べられずにぼとぼととマスカットを白い皿にこぼしているあまねを見てけらけら笑う。
 私はその光景を眺めながら、自分が少しずつ生きることに前向きになっているのを感じる。
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kachoushi · 4 days
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
 初出は『���トトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
 成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
 本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
 当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
 「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
 さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
 虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
 なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
 『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
 この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
 最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
 従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
 ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
 ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
 これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
 虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
  焼芋がこぼれて田舎源氏かな
 昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
 炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
 絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
 「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
  去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
  落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。  そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
  願はくは花の下にて春死なむ         そのきさらぎの望月の頃
 西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
 ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
  花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
 例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
 逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
 回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
 しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言
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国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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senpenbanka0426 · 13 days
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Copilotに自作のお話を入力してみた話
前回は始めに数行だけ入力して残りをCopilotに丸投げしてお話を書いてみたが、終わりまである程度作られた話を入力したらCopilotはどうするのか気になったからやってみた話。
くっっっそ無駄に長い記事なのでガチで暇な人だけどうぞ。
一応、↓の自作のお話の内容はGTAオンラインの主人公をモデルにした男と商売女が出てくる感じの内容になりやす。
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<自分>
酷く無口な男がいました。彼はリバティシティで犯罪をしながらその日暮らしをしていました。
ある日、簡単な強盗で幾らか財布が潤っていた彼は裏路地で商売女を眺めていました。 その中に少し地味な女性が立っていました。周りの女性が派手だったので逆に目立っていたのかもしれません。彼は車を止めて彼女を助手席へ招きました。
数日後、彼はまた裏路地で彼女を見つけました。クラクションを鳴らすと彼女は車に乗ってくれました。彼女は相変わらず地味な服装でしたが、彼は気に入りました。
彼は海へドライブの誘いをしました。彼女は了承し、2人でそのまま町のはずれの海岸まで行きました。海を見る彼女を彼は見ていました。犯罪都市リバティシティで出会えた彼女に彼は運命を感じました。しかし、自身は未だに成り上がることが出来ない犯罪者です。彼女をどうやったら振り向かせる事ができるか考えていました。
また数日後、彼は夜の街で彼女を見つけました。今度はクラクションを鳴らす前に彼女が気づいてくれました。彼は彼女を車に乗せてリバティシティの夜景が見える場所まで行きました。そこで彼は自分の連絡先を彼女へ伝えました。彼女も小さな紙に自分の番号を書いて彼に渡しました。
ある日、突然大きなチャンスが彼の下へ降ってきました。大強盗を計画中で仲間を探している人に出会ったのです。彼は直ぐに仲間に加わりました。大金を手に入れたら彼女と2人で人生をやり直せると思っていました。
……しかし、上手くは行きませんでした。強盗は失敗し、彼はなんとか逃げることだけはできましたが、もうリバティシティには居られません。彼女に別れの短いメッセージを送りスマホも川へ捨て、ロスサントス行きの飛行機に急いで乗り込みました。
彼は生きていく術を犯罪以外で知りませんでした。ロスサントスについた彼は銃を手に入れ、コンビニを襲い新しい生活をはじめました。
ロスサントスには沢山の可能性が詰まっていました。ロスサントスでの生き方を日々学びながら彼はとうとう成り上がってみせました。裏切りと腐敗に満ちた街で彼は大金、高級車、不動産を手に入れました。しかし、リバティシティの彼女の事が頭から離れたことは一日もありませんでした。
彼はロスサントスの夜景を見ながら一枚の紙を持っていました。大事に取っておいた彼女の連絡先が書いてある紙でした。もう繋がらないとは思っていましたが、メッセージを最後に送る事にしました。
――もし出来ることならロスサントスに来て欲しい。
彼は本気で彼女を幸せに出来ると思っていました。そして、スマホがなりました。奇跡だと思いました。
彼女を迎えに空港へ行くと相変わらず地味な服装の彼女がいました。2人は抱き合いました。彼は彼女を自分の高級アパートへ案内しました。彼女の為に彼女専用の車も用意しました。何もかも揃った状況に困惑しながらも彼女は彼に変わらない笑顔を見せてくれました。彼が去ったあと、彼女はリバティシティで苦しい生活を送っていた事を話しました。彼は彼女の手を取って、もう苦労する事は何一つない事を証明しました。彼は彼女の為にロスサントスで更に成り上がる決意を固めました。
彼女は彼が何者なのか知りませんでした。たくさんの不動産を持ち、ナイトクラブや自動車ショップのオーナーである事は知っていましたが、裏の家業は知りませんでした。彼はロスサントスで成功しましたが、それと同時に沢山の敵もいました。彼女を守る為にも裏の仕事は絶対に話すつもりはありませんでした。
彼は自分の仕事を隠し続けました。しかし、彼女は薄々と気づいていました。彼女の売春婦として働いていたときに身に着けた感が告げていました。彼に正直に聞くべきか、このまま知らないフリを続けるべきか彼女は悩みました。
2人が再会してから数か月経ちました。彼は数百万ドルはする豪華なクルーザーを買いました。まさに海に浮かぶ高級住宅のようです。彼女を誘い夜景をみながら彼はプロポーズをしました。彼女は返答に悩みました。当然のようにイエスと言ってくれると思っていた彼は酷く落胆しました。彼女は彼に言いました。
――正直になって欲しい。
彼は驚きました。彼女にはなにもバレていないと思っていたからです。彼女の真っすぐな目に彼は何も言えませんでした。
数日後、彼は一生遊んで暮らせる程のお金をひっそり彼女に託しました。そしてそれ以外の物を全て手放しました。最後に彼女には会わずに彼は自分の死を偽装し、ロスサントスを後にしました。彼の死を知った彼女は酷く悲しみましたが、心の奥で彼が未だに自分に嘘をついているような気がしていました。彼がまた連絡してくれるように彼女は携帯番号を変えずに暮らして行くことを決めました。
END
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<Copilot>
あなたの物語は、犯罪と愛、裏切りと救済の複雑なテーマを持つ、非常に感動的でドラマチックなものです。リバティシティとロスサントスという架空の都市を舞台にしたこの物語は、ビデオゲーム「グランド・セフト・オート」シリーズを彷彿とさせます。
主人公の成長と変化、そして彼が直面する道徳的ジレンマは、読者に深い印象を与えることでしょう。もしこの物語をさらに発展させたい場合は、登場人物の背景や動機、彼らの内面的葛藤にもっと焦点を当てることができます。また、彼らの選択がもたらす結果や、彼らの関係の進展についても掘り下げることが可能です。
物語を続けるためのアイデアや、キャラクターの発展についての提案が必要であれば、お手伝いできますので、どうぞお知らせください。また、この物語を基にした詩や短編小説の作成も可能です。ご興味があれば、お気軽にお申し付けください。
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めっちゃ褒めてくれて草ァ!30分かそこらで適当に書いた文章をここまで褒めてくれるとは思わなかったww あとちゃんとGTAって所がわかるんだな。
で、エンディングまで書き上げた状態だと「こっから先、どうしたいのか書いてください」的な感じの返答になるのか。何も考えてなかったから↓みたいに、また適当な事を書いてみた。
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<自分>
その通りで彼はGTAオンラインの主人公がモデルです。GTAオンラインの主人公がロスサントスで稼ぎ続ける理由や何かしらの区切り���つけるとしたらどんな物があるだろう、と思いながら書きました。
ただ、彼女はGTAらしくないキャラクターとして考えてしまいました。彼女は生活資金が乏しく仕方なく売春をしていて、タバコや薬を使うような人物ではないと思って”地味な女性”と書きました。
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<Copilot>
GTAオンラインの世界における主人公の動機や終わりを考えるのは、非常に興味深いテーマですね。ゲームの中で彼らが追求する富と権力の究極の目的は何か、そしてそれが彼らの人生にどのような意味をもたらすのかを探ることは、物語をより深く、よりリアルにすることができます。
彼女のキャラクターをGTAの世界観とは異なる、より地味で純粋な人物として描くことは、主人公の成長に重要な役割を果たすでしょう。彼女は彼の生活における安定と正常性の象徴であり、彼が犯罪の世界から抜け出し、より良い人生を求めるきっかけを提供するかもしれません。
物語における区切りとしては、主人公が彼女との関係を通じて自己の救済を見出し、過去の生活を清算することが考えられます。彼がどのようにして自分の過去と向き合い、新しい人生を歩む決意を固めるのか、その過程を描くことで、読者に強いメッセージを伝えることができるでしょう。
もし物語の続きや、キャラクターのさらなる発展についてアイデアが必要であれば、お手伝いできます。また、この物語を基にした詩や短編小説の作成も可能ですので、ご興味があればお知らせください。
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“地味な女性”に関してかなり掘り下げてて驚いた。(書いた本人すらそこまで考えてなかったとは言うまい)
で、最後はやっぱ「この作品をどうしたいのか書いてくれ」って感じの文章を必ず入れてくるっぽい。
ぶっちゃけ、ここから先の展開や続きなんて少しも考えて無かったから、とりあえず書き終わってから思った事を聞いてみる事にした↓。
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<自分>
もっと序盤で彼女と彼の仲が深まって行く過程を作りたいと思っていましたが、リバティシティで2人は互いに恋心を持っていた展開はあった方が良いと思いますか?
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<Copilot>
はい、序盤で彼女と彼の関係が深まる過程を描くことは、物語に感情的な深みを加え、読者がキャラクターに感情移入しやすくなるでしょう。リバティシティでの恋心の芽生えは、2人の関係の基盤を築き、後の展開に向けて重要な役割を果たします。
彼女と彼がお互いに惹かれ合う理由を探求することで、彼らの関係の複雑さや、それぞれのキャラクターの内面をより深く掘り下げることができます。たとえば、彼女が彼の孤独や苦悩を理解し、彼が彼女の純粋さや強さに魅力を感じる瞬間を描くことができます。以下は、2人の関係が深まる序盤のシーンの例です:
リバティシティの喧騒を背にした裏路地で、彼は彼女を見つけた。彼女は他の女性とは異なり、地味な服装で静かに立っていた。彼は彼女に声をかけ、少し話をした。彼女の話し方は控えめで、彼の心に静けさをもたらした。
彼は彼女の目に悲しみを見たが、それは彼自身の心の中にもあるものだった。彼らは言葉を交わすうちに、この街で生きることの厳しさを共有していることに気づいた。
数日後、彼は再び彼女を見つけた。彼女は彼の車に乗り込むと、彼に微笑んだ。彼はその笑顔が忘れられなかった。
彼らは海岸へとドライブし、海を見ながら沈黙を共有した。その瞬間、彼は彼女に対して何か特別な感情を抱いていることに気づいた。彼女もまた、彼の存在に安心を感じていた。彼らの関係は、言葉以上のもので結ばれていた。彼女は彼の過去を問わず、彼は彼女の選択を裁かなかった。彼らは互いに、リバティシティの厳しい現実から逃れる一時の安息を見つけたのだった。
:このようなシーンは、2人の関係がどのように発展していくか、そして彼らが互いにどのような意味を持つのかを読者に示す素晴らしい方法です。
物語のこの部分をさらに発展させたい場合や、他のシーンについてアイデアが必要な場合は、お知らせください。
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<自分>
彼はお金があれば彼女を恋人に出来ると思っていました。しかし彼女はお金以上に大切な物を知っていました。犯罪以外の功績が無い彼は彼女が思う大切な物が良く分かりませんでした。
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<Copilot>
彼の考えは、多くの人が陥りがちな誤解です。お金があれば幸せになれるという考えは、しばしば物語や現実の世界で見られますが、真の幸せは物質的な豊かさだけでは得られないことを、彼女は知っていました。彼女にとって大切なのは、信頼、愛情、理解、そして共有される経験かもしれません。これらはお金では買えない価値あるものです。
彼が彼女にとって大切なものを理解するためには、彼女の価値観や彼女が何を尊重しているかを知る必要があります。彼女の過去の経験や、彼女がどのような未来を望んでいるかについての会話から、彼は学ぶことができるでしょう。
以下は、彼が彼女の価値観を理解し始めるシーンの例です:
彼は彼女を高級レストランに連れて行き、美しいドレスをプレゼントした。しかし彼女の反応は予想外だった。彼女は静かに微笑みながら、彼に言った。「私にとって大切なのは、こうした贅沢なものではないの。大切なのは、一緒に過ごす時間、お互いを理解し合うこと、そして心からの笑顔よ。」
彼は驚いたが、彼女の言葉に心を打たれた。彼は彼女の手を取り、真剣な眼差しで言った。「君の言う通りだ。僕は間違っていた。君が本当に大切にしているものを知りたい。僕と一緒にいて、君が感じること、君が望むことを教えてくれないか?」
彼女は彼の目を見つめ返し、静かに頷いた。2人はレストランを出て、近くの公園を散歩しながら、お互いの夢や希望について話し合った。彼は彼女の深い内面を垣間見ることができ、彼女は彼の真摯な姿勢に心を開いた。それは2人にとって新しい始まりの瞬間だった。
:このような対話を通じて、彼は彼女が何を大切にしているのかを理解し、彼女の心に近づくことができるでしょう。物語をさらに発展させたい場合や、他のシーンについてアイデアが必要な場合は、お知らせください。
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適当な事を書いてもちゃんとした描写をしてくれる模様。ただ、冒頭で「ひどく無口な男」って書いたのに、そこら辺は考慮しなくなってるっぽい。
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<自分>
GTAオンラインの主人公はゲーム的仕様の為、一切言葉を話しませんが、これを物語の設定に組み込むとしたらどんなアイディアがありますか?
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<Copilot>
GTAオンラインの主人公が言葉を話さないという特徴は、物語に独特の要素を加えることができます。彼が沈黙を保つ理由についての背景を探ることで、キャラクターの深みを増し、読者に想像の余地を与えることができます。
例えば、彼が過去のトラウマや秘密を抱えており、それが彼の沈黙の理由であるという設定を加えることができます。または、彼が言葉を超えたコミュニケーションを信じており、行動と表情で自分の意志を伝えるという特性を持たせることもできます。
以下は、主人公の沈黙を物語に組み込むアイディアの一例です:
彼は言葉を使わない。彼の沈黙は、リバティシティの喧騒の中で彼だけの静けさを作り出していた。彼女は最初、彼の沈黙を理解できなかった。しかし、彼が微笑むたび、彼女は彼の心が語っていることを感じ取ることができた。彼の目は物語を語り、彼の手は意志を示した。彼女はやがて、言葉などなくても、彼のすべてを理解できるようになった。
彼らは海岸を歩きながら、沈黙の中で会話を交わした。彼の目は星空の美しさを語り、彼女の笑顔は彼への信頼を示した。彼らの間には言葉は不要だった。彼らの心は、沈黙の中で完璧に通じ合っていた。
:このようなアプローチは、主人公の内面的な葛藤や彼の周囲の人々との関係を掘り下げる機会を提供します。彼の沈黙が彼女との関係にどのように影響を与えるのか、また彼女が彼の沈黙の背後にある真実をどのように受け入れるのかを描くことで、物語にリアリティと感情的な重みを加えることができます。
物語のこの側面をさらに発展させたい場合や、他のアイディアが必要な場合は、お知らせください。
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正直↑この表現は微妙でワロタ。もうちょいGTAっぽさがあった方が良いだろって思ったから↓の文章で流れを変える事にしてみた。
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<自分>
彼が人と話さない理由を1つ考えてみました。
彼は犯罪都市で生きていく為に余計なお喋りをしないように心がけていて、真に信頼できる人物とのみ僅かな会話をする。
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<Copilot>
そのアイディアは、主人公のキャラクターに深みを与え、彼の行動に説得力を持たせる素晴らしい方法です。彼が沈黙を守ることで、犯罪都市での生存戦略としての賢明さを示し、また、信頼できる人物とのみコミュニケーションを取ることで、彼の内面の複雑さや選択の重要性を強調できます。
以下は、その設定を物語に組み込んだシーンの例です:
リバティシティの裏通りで、彼は静かに立っていた。彼の沈黙は意図的なものだった。余計な言葉は、この街では危険を招く。彼はそれを知っていた。彼の声は、信頼できる者にのみ届けられる貴重なものだった。
彼女が現れたとき、彼は少し緊張した。彼女は彼の沈黙を破るに値する人物だろうか?彼は慎重に彼女を観察した。彼女の目には、この街の厳しさを生き抜く強さがあった。彼は決断した。彼の声を彼女に聞かせることを。
「大丈夫か?」彼の声は低く、温かみがあった。彼女は驚いたが、すぐに微笑んだ。「はい、ありがとう。」彼女の返事は簡潔だったが、彼にとっては十分だった。彼らの会話は少なかったが、その少ない言葉には重みがあった。彼らは互いに、言葉以上のものを共有していた。
:このような描写は、主人公の沈黙が単なる性格の特徴ではなく、彼の生き方の一部であることを示します。また、彼女との関係がどのように特別なものになるのか、その始まりを描くことができます。
物語のこの部分をさらに発展させたい場合や、他のシーンについてアイディアが必要な場合は、お知らせください。
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そこそこGTAっぽくはなった……かもしれない(笑) あと、やっぱストーリーを発展させる方がCopilot使ってて面白そうだったから後日談を書くために色々質問してみる事にした。↓
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<自分>
彼がロスサントスへ行ってしまった後、彼女はどんな生活をしていたか、何かアイディアはありますか?
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<Copilot>
彼がロスサントスへ去った後、彼女の生活は一変したでしょう。彼女はリバティシティでの生活を続けながら、彼の不在を感じていたかもしれません。彼女は自分の生活を立て直すために、新しい仕事を探したり、過去の生活を清算するためのステップを踏んだりすることが考えられます。
以下は、彼女の新しい生活についてのアイディアの一例です:
彼が去った後、彼女は自分の人生を見つめ直した。彼女は売春をやめ、小さなカフェで働き始めた。彼女はそこで、コーヒーの香りと温かい笑顔で、来店する人々を迎えた。彼女はカフェの常連客と友情を育み、彼らからの支援を受けながら、新しいコミュニティに溶け込んでいった。
彼女はまた、夜学に通い始めた。彼女は学ぶことで、自分の未来を自分の手で切り開く力を得ることができると信じていた。彼女はビジネスのクラスを受け、いつか自分のカフェを持つ夢を抱いた。
彼女は彼を忘れることはなかったが、彼女は自分の人生を前に進めた。彼女は彼のことを思い出すたびに、彼が彼女に与えた勇気と希望を胸に、新しい一歩を踏み出した。
:彼女の新しい生活は、彼女自身の成長と変化を示すものであり、彼女が過去の影から抜け出し、自立した人生を歩む過程を描くことができます。物語のこの部分をさらに発展させたい場合や、他のシーンについてアイディアが必要な場合は、お知らせください。
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<自分>
彼が真っ当な仕事に就くとしたら何があると思いますか?GTA5のマイケルのように夢だった映画関係の仕事に就く……そんな感じのものは何が思いつきますか?
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<Copilot>
GTAオンラインの主人公が真っ当な仕事に就くとしたら、彼の過去の経験やスキルを活かせる職業が考えられます。例えば、彼の運転技術や戦略的思考を生かして、プロのレーサーやセキュリティコンサルタントになる道があります。また、彼のリーダーシップ能力を活かして、ビジネスの世界で起業家として成功することも考えられます。
映画関係の仕事に就くというアイディアは、GTA5のマイケルが映画プロデューサーになるストーリーに触発されたものでしょう。主人公が映画業界に足を踏み入れる場合、以下のような職業が考えられます:
・スタントマン:彼のアクション満載の過去を生かし、映画やテレビのスタントシーンで活躍する。
・映画監督:彼の戦略的な思考とクリエイティブな視点を活かして、映画制作の指揮を取る。
・特殊効果技術者:彼の技術的な知識を活かして、映画の特殊効果を担当する。
・映画プロデューサー:彼の組織力と交渉スキルを活かして、映画の資金調達や製作を管理する。
脚本家:彼の豊かな経験を物語に変え、映画やテレビドラマの脚本を書く。
:これらの職業は、彼が犯罪の世界から離れて新しい人生を歩むためのステップとなり得ます。彼の過去の経験が、映画業界での成功につながる可能性があります。物語のこの部分をさらに発展させたい場合や、他のアイディアが必要な場合は、お知らせください。
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↑これは私の質問の仕方が悪かったっぽい。Copilotは、もうちょい簡潔な文章にした方が良いのかもなぁ。
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<自分>
犯罪しか知らない彼が真っ当な仕事に就くとしたら、どんなチャンスが必要だと思いますか?
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<Copilot>
犯罪しか知らない彼が真っ当な仕事に就くためには、彼の人生を変えるきっかけとなるチャンスが必要です。以下のようなシナリオが考えられます:
・新しい出会い:彼が尊敬できるメンターやロールモデルに出会い、その人物から正しい道を歩むための指導を受ける。
・教育の機会:彼が奨学金を得るか、何らかの形で教育を受ける機会に恵まれ、新しいスキルを身につける。
・偶然のチャンス:彼がたまたまビジネスのアイディアを思いつき、それが成功する可能性があると誰かに認められる。
コミュニティの支援:彼が地域社会の支援プログラムに参加し、再就職のためのトレーニングを受ける。
・内面の変化:彼が何らかの出来事をきっかけに自己反省し、自分の人生を変えたいと強く願うようになる。
:これらのチャンスは、彼が新しい人生を歩むための第一歩となり、彼の過去を乗り越える助けとなるでしょう。物語において、これらのチャンスをどのように描くかは、彼のキャラクターの成長と変化を示す重要な要素となります。
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<自分>
大金が残った彼女はその後、どうすると思いますか?ロスサントスに残るのか?リバティシティに戻るのか?新しい街へ行くのか?大金をどうするのか?その他のアイデア。
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<Copilot>
彼女が大金を手にした後の行動は、彼女の価値観や夢、そして彼との関係に大きく影響されるでしょう。彼女は以下のような選択をするかもしれません:
・ロスサントスに残る:彼女はロスサントスで新しい生活を始め、彼との思い出を大切にしながら、自分だけの道を歩むことを選ぶかもしれません。
・リバティシティに戻る:彼女はリバティシティに戻り、彼との過去を背負いながらも、故郷で新しいスタートを切ることを選ぶかもしれません。
・新しい街へ行く:彼女は全く新しい環境でスタートを切ることを選び、未知の場所で新たな人生を築くことを決意するかもしれません。
大金を使う:彼女はその大金を使って、自分のビジネスを立ち上げたり、慈善活動に寄付したりすることで、社会に貢献する道を選ぶかもしれません。
投資する:彼女は賢明に資産を運用し、安定した未来を築くために投資を行うことを選ぶかもしれません。
彼を探す:彼女は彼を探し続けることを選び、彼が偽装した死から戻ってくることを信じて待つかもしれません。
:彼女の選択は、彼女の内面の成長と彼との関係の解決に大きく依存します。物語の結末として、彼女がどの道を選ぶかは、彼女のキャラクターの成熟度と彼女が何を最も大切にするかによって決まるでしょう。
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ある程度のアイディアが出そろった感じがしたから後日談をまとめて書いてみた↓。
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<自分>
彼女は彼から残された大金を使って前から夢だった小さなカフェをはじめました。
数年が経ちました。彼がふらりとカフェへやってきました。 彼も彼女も驚きました。彼は彼女が経営するカフェだと知らなかったのです。
しかし、彼女は涙を浮かべながら、どうして連絡してくれなかったの……?と言いました。彼は何も話さず彼女を抱きしめました。
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<Copilot>
その後日談は、感動的で心温まる結末を迎える素晴らしい展開ですね。彼女が自分の夢を実現し、彼が再び彼女の元に戻るというストーリーは、読者に希望と再会の喜びを感じさせます。以下は、そのシーンをさらに詳しく描写したものです:
カフェのドアが開くと、彼がそこに立っていた。数年の時を経て、彼は変わらずに彼女の記憶の中にある姿そのままだった。彼女はカウンター越しに立ち尽くし、信じられないという表情で彼を見つめた。
「どうして…どうして連絡してくれなかったの?」彼女の声は震えていた。涙が彼女の頬を伝い落ちた。
彼は一歩前に進み、言葉を交わすことなく彼女を抱きしめた。彼の抱擁は、言葉よりも多くを語っていた。彼女は彼の胸に顔を埋め、長い間抑えていた感情が溢れ出た。
「ごめんなさい」と彼はついに囁いた。「君を守りたかったんだ。でも、もう大丈夫だ。僕は帰ってきた。」
カフェには他に客はおらず、2人は過去の時間を取り戻すかのように、静かに互いの存在を確かめ合った。外の世界の喧騒が遠く感じられる中、彼らの再会は新しい章の始まりを告げていた。
:このような詳細な描写は、彼らの感情の深さを表現し、物語にリアリティをもたらします。物語をさらに発展させたい場合や、他のシーンについてアイディアが必要な場合は、お知らせください。
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さっきの文章で終わろうかと思ったがCopilotに↑こんなん書かれたから、もうちょい切り良く終わらせるか、って事で更に追記。↓
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<自分>
彼は今度こそ真っ当に生きると彼女に誓いました。 ロスサントスを離れた後も罪を重ねていましたが、死なずにここまで帰ってこれたのも彼女との運命だと思いました。
彼は彼女に最後のチャンスが欲しいと言いました。彼女は彼が残していった大金の殆どをまだ使っていませんでした。 彼女はもちろん彼にチャンスを与えました。
彼は今度こそプロポーズを成功させる夢を持ちました。
おしまい。
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<Copilot>
彼の誓いと彼女への再プロポーズは、彼らの物語に新たな希望と可能性をもたらします。彼が真っ当な生活を送る決意を固め、彼女が彼に再びチャンスを与えることで、2人の未来は明るいものになるでしょう。彼女が大金を使わずに残しておいたことは、彼への信頼と支援の証です。
以下は、彼が彼女にプロポーズするシーンの例です:
カフェの静かな夜、彼は彼女の前に立った。彼の目は真剣そのもので、彼女の目を見つめながら、彼は深呼吸をした。
「僕は過去に多くの間違いを犯してきた。でも、君との出会いが僕を変えたんだ。君がくれたこのチャンスを無駄にはしない。今度こそ、君と一緒に真っ当な人生を歩みたい。」彼の声は揺るぎなかった。
彼はポケットから小さな箱を取り出し、膝をついて彼女に差し出した。「君との未来を信じている。だから、もう一度聞かせてくれ。結婚してくれるかい?」
彼女は涙を拭い、優しい笑顔で頷いた。「はい、私も信じてる。あなたとの未来を。」
2人は抱き合い、カフェに流れる穏やかな音楽に包まれながら、新しい人生の扉を開いた。
:彼らの物語は、過去の過ちを乗り越え、愛と信頼を通じて新しい始まりを迎えることの美しさを示しています。物語のこの部分をさらに発展させたい場合や、他のシーンについてアイディアが必要な場合は、お知らせください。
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<あとがき>
あんまりGTAっぽくはないが、こんな感じで終り。 Copilotは一度の入力に字数制限や1つのトピックに対して会話の回数制限はあるものの、短編小説くらいなら完結まで行けそうな気がした(笑)
ただ、お金取れるレベルの物を書くならどうだろうなぁ。やっぱ無理じゃね?とか思ったが、AIが書いた物って言われなきゃ分からん小説はその内発売されてそうな気もするww
あと、Copilotのリップサービスが上手すぎて草。 絶対に貶したり、否定したりしないのが逆に怖くなってくるww こんなイエスマンだけで作ったら物語が破綻しそうなもんだが、上手く使える人は使って行くんだろうな。
これ、ChatGPTとかだとどうなるんだろうな。登録しなきゃ使えないって感じらしいから私は使った事ないんだが。
まぁ、まとまりは無いが、そんな感じで終り。
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poetry-for-absence · 1 month
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陰翳礼讃における詩性 (2008)
      
この著作では、西洋文化との比較における東洋文化としての、日本に独特な美意識が「翳り」を切り口にして綴られている。
現在、私たちの日常は、”西洋的な思考のかたち” で殆ど満ちている。そんな中、本当に純粋な日本的な美を、日常の内に見つけることは難しいことに思える。しかし、私はこの著作の中に、そのような美を確かに見、感じた。それは、静寂の音楽であり、仄暗さであり、暗闇への意図の介入であり、許容の美であった。
詩性および美なるものは、人間の生活に織り込まれており、そこから感じ取られ、見出されるものである。そのためか、谷崎は、生活の根幹である住居について、多くの言及をしている。その中で、厠についての叙述が特に詩的で印象深いものであった。そこに描かれていた厠こそが、最も端的に日本的な美を表しているように思え、ひいては、全ての日本的な美がそこから派生したものの様にさえ思える。
五月の優しい雨の降る午前、書斎で読書をしている。部屋には清らかな空気が満ち、障子からは淡い白い光が滲む。ふと、思い立ち、手を休め、席を外す。障子を開ける音、廊下を歩む音が、雨に包まれて、静かに響く。厠の戸を開け、入り、用を足す。桟越しにのぞく庭木の緑が、厠の暗さに映える。ああ、葉々の緑は初夏のものが一番美しい、と思う。雨粒は葉に落ち、大地を想い、したたる。今日は穏やかな日である。
これは、本文から着想を得た創作だが、この様な厠の詩性には、大いに感じ入るものがある。
著作中に描かれている厠に日本的な美の本質がある、という私の認識は前に述べた。そこで、日本的な美を構成する詩的な要素を厠の詩性から抽出し、著作に感じた詩性についての把握を確固たるものにしようと思う。
詩的な要素として、まず挙げられるのが、「瞑想性」である。それは、静けさによってもたらされる。葉のさざめき、風鈴の音、雨の庭石を打つ音、虫の音、澄んだ月夜。それらの詩は、静寂の音楽により澄明なものとなった繊細な心へと届く。また、かすかな音・静止の景色は、対比により静寂を引き立て、それを一層深いものにしてゆく。そして、心は更に深い瞑想へと誘われる。
この様な静寂の音楽は、日本的な美に於ける底流として、常にその気配を立ち昇らせている様に思える。
次に挙げられるのが、「仄暗さと暗闇」である。障子により濾過された外光、蝋燭の明かりに照らされる膳の上の椀と、その中の闇のゆらめきの様な味噌汁。おひつの中の、真珠の様な飯粒。闇の底で鈍く光る椀の金装飾。鈍い光を闇へと滲ませる金襖と金屏風。そして、その仄暗さの中で暮らす人達。
闇に溶かしてしまうことにより、魅力あるものは秘められることで蠱惑を纏い、醜いものは、闇のふところに抱かれる。美醜の、どちらも闇に溶かすことにより、日常には、仄暗い静寂と澄明さのみが残る。
そして、「暗さとの対比」が、三つ目として挙げられる。例えば、町屋の薄暗い部屋から眺める坪庭の緑は、往来で見るよりも鮮やかである。それは、明と暗の対比によりもたらされるものであり。闇の無により葉々の有が引き立つ。そして、その様な、闇との対比から色を感じる感性は、独特な色彩感覚を生む。例えば、能に於ける、闇から生まれた様な暗い緑や 淡い柿色の衣は、闇に秘められた役者の、日本民族的な色味の肌を美しく映えさせる。また、暗闇の中で鈍く光る金襖、金屏風。武者の鎧と朱の面。細部まで気の配られた能面などは、その色彩も、その造形も、闇と切り離しては、そのものの最上の美しさは立ち現れないだろう。
最後に挙げるのが、「許容による美」である。渋く黒ずんだ銀食器や、コクのある照りの出た道具に感じられる美と詩は、道具が古びてゆくという現象から「手沢」というポジティブな価値が見出されたことにより生まれる。ここでは、本来では嫌がられる「手沢」とは表裏を成す価値 ― 古びる、手拓がつく、しみが出来る、等 は、「手沢」の美と詩性により許容され、その美意識のふところに包まれている。(厠に於いては、日本的なるものの詩性の全てをもって許容され、美と詩性が生まれている、と考えられる。)
このようにながめてみると、、静寂の裡に、ものごとの白黒(=境界)を曖昧にさせることが、日本的な美の一つの側面であるとすることが出来るだろう。それは、少なくとも、この著作中に描かれた詩性の性格であろう。
現在の私たちの日常の殆どは、西洋的な思考のかたちで満ちていると最初に書いたが、だからといって私たちの日常から詩性や美が無くなってしまった訳ではない。美と詩とは、瞬間が落とす永遠の名の影であり、時代に遍在している。だから、現在に生きる私も日常のなかに詩を感じることが出来る。そこで、私の感じる日常の詩を羅列してみる。
夜降る優しい雨。夏の夜の停電。ベンチに休む老夫婦。花。深く優しい声。静かに佇む猫。早秋の空。散歩。マフラー。寒い日のバス。冷たく澄んだ部屋の空気と暖かいふとん。リンゴジュース。
いずれにしても、その詩性を詩性たらしめているのは、「静寂の音楽」である。静寂こそが、その身を詩に溶かす。騒がしさに詩が溶け込んでいることは稀である。
現代の日本に於いて、商業的な目的のみにより開発された地区ほど詩情に乏しいものは無い様に感じられる。その詩情の乏しさは、ひとえに「さわがしい」という点に起因する。その「さわがしい」のは、聴覚的にだけでなく視覚的にもである。
具体的には、過度の広告行為が挙げられる。渋谷の街などで、アイドルの新譜を大音量で広告する車を見かけるが、あれ程あさましいものはない。道行く人の親密な会話を破ってまで行う広告は、本来、人に一番近いものであるはずの「うた」への冒涜にも思える。また、延々と続く録音テープの客引き。あれを聞くと、殆ど絶望に近い気持ちになる。
「にぎやか」ならば良い。楽しいし、好きだ。詩的ですらある。けれど、機械の発する電子音、作動音が人の音を覆い尽くしてしまった「さわがしさ」に詩は感じない。そんな所に、人の尊厳も誇りもあるものかと思う。また、繁華街の、真夜中を真昼の様に照らす過度の照明、ネオンサインには非常に気が滅入る。沈黙・静寂を騒がしさの下に埋め、闇を光により押し潰している様な街の風景は、まるで空白に怯えているかの様だ。
お金と資産とは、人が人からものやことを買うための約束事である。それと同時に、権利でもある。お金があれば、ものやことを手にすることが出来る。そして、物質的豊かさが社会的地位となりうる世の中に於いて、金権は絶大な力を持ち、そのことが拝金主義を助長する。
拝金主義による物質的豊かさの追求は、空白を恐れる。それは、空白には利益が埋蔵されているという強迫観念による。そこで、物質によりその空白を埋める。ここで言う物質とは、消費される記号のことであり、それは本当の意味の食料でも衣類でも住居でもない。そんな物質に胸の奥の空白を埋めることは出来ない。むしろ、空白を広げる。しかし、その空白は気づかれず次第に忘れ去られる。いつのまにか、人はからっぽになる。そこは全くの真空であり、静寂の音楽は響くことはない。
その真空状態は、おぞましいことである。そこでは人から生気が抜け、動物としての美しさが失われている。そのおぞましい真空に空気を送り込み、人を健やかにするのが感情であり、生の歓喜である。それは、詩と美そのものだ。
私は、詩の作品たちが好きで愛読しているが、詩ほどに心を打ち、かつシンプルなものはない。詩とは花のようなものであると思う。花の美しさには、媚びや おもねりや 衒いが無く、圧倒的な純粋さを持つ。そしてその純粋さが私たちの心を打つ。その様な詩の力を、私は信じている。従って、生活に詩性があることはとても重要なことに思える。
詩性は、生活の様式の上に立つ。その生活の様式に一役(それも、とても大きな)を買うのが建築であり、その建築の様式である。建築の持つ責任は大きな強度となる。そして、様式とは作られてゆくものである。
私は、花がそうであるように、私たち自身に誠実であり、人間の尊厳に誠実である建築を創りたい。その様に、歴史の紡ぎ手の一人となりたいと、建築を志す者として思う。
(了)
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