【ヨガ 本】読書とヨガの練習には多くの共通点があります。だから読書のメリットを活かすことがヨガが上手くなる秘訣なのです。
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今日は読書の日、との事、最近はあまりガッツリとは出来てないなぁ、、と、少し反省です。久々の神田古本まつりも覗きたいなとか、思いながら。 #japan #donut #book #読書の日 (ミスタードーナツ) https://www.instagram.com/p/CkMjwPGhlMi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月27日(木) #赤口(癸丑) 旧暦 10/3 月齢 1.7 年始から300日目(閏年では301日目)にあたり、年末まであと65日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昼休みに「昼寝」(-_-)zzz… これ、何かの文献で「体に良くない」 と見たので止めてたのですが😅💦 しっかり寝てやろうと思いAmazonで 「寝袋」を調達して火曜に届いた ので実施してるが「良いんじゃない」 「体冷やすと良くない」って思い 寝袋ですよ✋ヌクヌクでポカポカで暖か✌ ってか疲れが堪ってるのか今朝も 猛烈に(=_=)ネムイ😪💤そんな今日は もう、週下りの木曜ですからもう チョイです✋あっ海苔の佃煮の瓶詰で 瓶の口元がくびれて居て残り少な くなると、とれやしない💢件デスガ 「ブンセンのアラ!」って優れてます✋ 瓶の内部が凸凹してなく瓶の口元 がくびれて無くむしろ口元に向か って広がってる形状でホッパーの様に なってますから素晴らしいと思うw . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #エチケットブラシの日. 大阪府大阪市に本社を置き、繊維製品の製造などを行う日本シール株式会社が制定。 2022年に設立100周年の節目となる同社が1959年に開発製造販売した「エチケットブラシ」は、衣類についたホコリやゴミを優しく取り除く人気のロングセラー商品。 「エチケットブラシ」を生み出した会社として、より多くの人に日本シール株式会社を知ってもらうのが目的。 日付は「エチケットブラシ」で用いる「エチケット®」が商標登録された1960年10月27日より。 この日から「エチケットブラシ」の歴史が始まったとの思いから。 . #赤口(シャッコウ・シャック). 六曜の一つ。 陰陽道の八嶽卒神が支配する日であり、公事・訴訟・契約などの凶日とされる。 「六曜」の中で「仏滅」の次に縁起が悪い日です。 この日は、陰陽道の「赤舌神(しゃくぜつしん)」という恐ろしい鬼神が支配する日とされます。 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝い事 では「仏滅」より避けられることが多くです。 この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #秋月の乱. 1876年(明治9年)に福岡県秋月(現・福岡県朝倉市秋月)で秋月の乱勃発。 10月27日から11月14日にかけて明治政府に対する士族(武士・サムライ)反乱の一つである。 明治政府は、日本国を守るための「官軍」だけでは勢力武力に欠けると考え強化しようとした。 士族(武士)を取り込もうとし武士の特権である刀を取り上げようと「廃刀令」を出した。 そして、全国の平民にも「徴兵令」を出した事にもサムライのプライドが許せなかったのでしょう。 そんな怒りを鎮められず、今村百八郎と宮崎車之助が指導者となる「秋月党」立ち上げた。 乃木希典率いる大日本帝国軍と秋月党の士族反乱である内戦が繰り広げられた。 政府軍は勝利し、12月3日には士族の首謀者は即日斬首され、約150名に懲役、除族などの懲罰が下された。 . #読書の日. . #機関誌の日. . #文字・活字文化の日. . #テディベアズ・デー(#TeddyBearsDay). . #世界新記録の日. . #松陰忌. . #セントビンセント・グレナディーン独立記念日. . #トルクメニスタン独立記念日. . . ■本日の語句■. #灯火親しむべし(トウカシタシムベシ). 【解説】 気候もよく夜の長い秋には、灯火の下でじっくりと読書するのが良い。 「灯火親しむ」は秋の季語として用いる。 . . 1966(昭和41)年10月27日(木)仏滅. #高嶋政伸 (#たかしままさのぶ) 【俳優】 〔東京都〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CkMQZt8BTLA7ITVYc2DIJwFXK6NhLo2XSOp0Vo0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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いま、目の前に本を読んでいる人がいる。本を読んでいる姿というのは、見ていて気持ちが良い。ちなみに、読んでいる人が特に美しいというわけではない。ただの中年のおっさんだ。私が生きてきた50年のあいだ、読む人の姿は変わらず身近にあった。
百年後、街の本屋さんの姿は変わるのかもしれないし、消滅するのかもしれない。でも、人が本を読んでいる姿の美しさというのは、どんな形であれ、存在するのではないだろうか。
— 田尻久子著「本は絶滅しない」(『これはわたしの物語──橙書店の本棚から』2023年8月、西日本新聞社)
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ひらがなにしましょうじゃないんだよ
ひらがなにしましょう。
みたいなやつが流行ってる気がする。
出来る→できる
無い→ない
とか。
漢字をひらきましょう、という言い方の場合もある。
「あーどっちでも良いなぁ」
よいなぁと読んでもいいなぁと読んでもイイし、難しくも不親切でもない漢字なのになぁ…とか思う今日この頃。
もちろん、ひらがなの方が読みやすいとか、親切だなと思うものもある。
でもなんやかんや、細かく
【こうした方が良い】
がまかり通り
【こうすべきである】
になっていく過程を見ているようで
ちょっとだるい。
キマリが増えていくのって
だるいんだよね。
素直に「今後はそうします!」っていう人がたくさんいて、そうしてない人はバカにしてもイイよって感じ、そうなっていく過程は
あんまり見ていて気持ちの良いものでは無い。
その素直さが憎いまである。
京極夏彦とか芥川賞の本とか皆大好きじゃないのかなぁ。大好きになれ〜!
それで解決するはず?
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日本児童図書出版協会がすすめる
小学生・中学生のための読書ブックガイド
2023年版の装画と挿絵を担当しました。
詳しくは日本児童図書出版協会さんの
webサイトでご確認ください。
https://www.kodomo.gr.jp
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そこへたどり着いてもわたしには見えない
フォトエッセイ集『つばさの方へ旅をする』を読んでくださった方はご存じだろうと思うが、滋賀県の湖北にオオワシが飛来する。カムチャツカで繁殖し、北海道などで越冬する巨鳥だ。
滋賀県の湖北地方に25年間連続で飛来しており、ねぐらとしているのが「山本山」という山だから、「山本山のおばあちゃん」という愛称で呼ばれている。
去年初めて会いに行き、彼女が帰北するころ、世界情勢が大きく動いてしまった。大丈夫だろうかと不安に思いながら、11月を待った。飛来の知らせを聞いたとき、戻ってきて「くれた」と、なにかそれが人類への自然からのプレゼントのように思えたし、同時に警鐘のようにも思えた。
だから今年もまた、どうしても山本山のおばあちゃんに会いたかった。『消えゆくものたちの生』で、筆者が「絶滅しつつある生物をこの目で見て言祝がねばならない」と綴っていたが、まさにそうで、人間という種族に生まれた責任と、(オオワシは絶滅危惧種である)まだこの目で見て存在を確かめることができる機会があるという幸運から、たしかにこの目で見て、言祝ぐ必要があるとわたしも思う。
オオワシがどんな環境で越冬するのかをこの身で体感すること、オオワシの生態を知ること。鳥の幻想小説を書いている(主人公はコウノトリだがオオワシやいろいろな鳥が登場する)ので、その取材も兼ねていた。
湖北野鳥センターで、オオワシの生態について教えて欲しいとスタッフの人に話しかけ、情報をもらっていたら「調べているんですか」と逆に質問を返された。
「オオワシが出てくる小説を書いているんです」
とするっと小説を書いていることが出てきたことに自分でも驚く。
見ず知らずの人に、(そうでなくても親しい人とかでもだけど)「小説を書いている」と宣言することは、わたしにはハードルの高い行為で、ほとんど人に話すことができなかったのだが……。
どんな心境の変化があったんだろうと不思議に思う。
まあ、もうすぐ転職する開放感とかがあるのかもしれない。
やっぱり退職というのは体にいい行為で、なにかしら人をおおらかに、強気にさせるものだ。
体調不良もあって、いまの仕事は休みがち。(今日は次の仕事の準備?で工場見学とか行って休んだ)
肩があがらなくなって日常生活に支障も出たので先々週一日休んだ。
肩が痛いのは、カメラが原因らしい。2キロ越えてる超望遠を振り回していたらそうなるなと言うことで、山本山ではさすがに一脚を持っていった。
肩を痛めた日は『神々の山嶺』という映画を見た。
山に憑かれた人間の物語で、最後はエベレストに登頂する。
「なぜ登るのか」その行為への答えが「わからない」のがよかった。登山する男を追うのは記者で、もともとは風景写真を撮っていたようだ。だけど次第に山に憑かれていって、自分もエベレストへ途中までだが登る。「風景写真」という、わかりやすく「その場にいない人間」にも共感を得られるツールを操る人間が、「その場で体験することでしかわからない」世界を経験するところがすごい。
わたしは鳥がいるから仕方なく登山もする人間で、景色や、登る(歩く)楽しさというのを感じる感受性に乏しい。
どうして山に登るのかとか、山に登ってなにが得られるのかとかわたしにはちっともわからない。夜通し走って木曽駒ヶ岳へゆき、三時間以上並んでたどり着いた千畳敷カールも、そんなに感動しなかった。
ただ、五歩歩いたら十分休むような酸素濃度のひくい世界で、ヒイヒイいいながら登っているときに、宝剣岳の山頂で万歳をする人を見て「のぼったんやなあ、幸せそうやなあ」とつぶやいている人がいたのが印象的だった。
この人の中には(たぶんこのぞろぞろと蟻の熊野詣のように登っている人たちのほとんどが)「登り切る」ことの『幸せ』を知っているのだ。そう思うと、わたしもその尻尾の毛先くらいはつかんでみたいと思う。また木曽駒ヶ岳へ行きたいと思う。
ほかに、昨日は『イサド住み』(オカワダアキナ)を読む。
トランス男性が主人公のボーイズラブだ。
マジョリティに対して『語らされる』ことで飼い慣らされていく過程への抵抗の物語としてわたしは読んだ。マイノリティが、マジョリティ側から「説明」を要求されるとき、聞き手には「期待している物語」がある。物語を期待できる(ジャッジできる)乱暴な権力のまえに、矯められなければ立つ場所が得られない。座ってくつろげるような場所なんてなくて、「まあいてもいいよ」と言われるのは排除ベンチみたいなかたちの椅子しかない。
「当事者の言葉で語られるべきだ」とわたしは常々思うのだが、その「当事者の言葉」は、この乱暴なジャッジにしてみれば「期待外れ」の言葉なんだう。期待通りの言葉を語らされることで、どんどんどんどん心の中にはゆがみがたまっていくし、マジョリティに都合のいい「物語」ができあがってしまう。
「物語すること」というのは主体的な行いのように見えて、聞き手の立ち位置によっては「させられること」受け身の行いになって(変えられてゆくこと)になる。作品の紹介に書かれた「吠える」とは、語りの主体を獲得することだとわたしは読んだ。
『誰かの理想を生きられはしない』という書物のタイトルが、ずしりと重く思い出される本だった。
あと二日出勤したら、療養のための長い旅に出る��
小説をたくさん読みたいという気持ちがあるのに、荷造りで詰めたのは小説の資料本ばかりだった。
旅先の本屋で、小説と縁を結びたい。
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桜庭一樹 私の男 文春文庫
かなり前から薄らと意識にありながら、「私の男」からおもい浮かぶ印象と、読まれるなかみとは食いちがうだろうと避けていたけれど、とうとう読みました。
読めてよかった。
「私の男」という小説が「私の男」のひと文からはじまるのが衝撃的で、はじめのひと文からしばらく、読むのも寝かせました。
わたしは「私の男」からはじめないし、「私の男」からはじまる小説を知ったあとならなおさら、できない。わたしにとって二番煎じになるから。
はじめ、わたしには「私の男」が、側溝の澱みをみつめるような印象がある。
読みすすめると、腐野花と腐野淳悟のそとがわと、腐野花の感情が透ける。澱みは、腐野花のなかにある現実的な女と、無垢な幼い子どもと、ぐちゃぐちゃにまじりあうからかもしれない。
「私の男」では時間が遡るから、腐野花と腐野淳悟とまわりの人生が、読みすすめることであざやかになる。最近とくに老いるばかりの時間と実感するけれど、時間が積重ねられることで、人生があまりにあざやかにおもえる。
時折、自然がいきものみたいに表現されるから、まるで愛しくなる。凍りかけの海は、海が眠たくなるというらしい。
腐野花と腐野淳悟では、海とにんげんの情がグロテスクにまじりあう。蔓植物のように絡まりあい、養分を吸いあうように奪いあう。
「私の男」のひらがなには、わたしがわたしを覗いているような感覚がある。思惑どおりかわからないけれど、嫌。
田舎のひとたちは気持ち悪い。田舎のひとたちの親しげな干渉に、きっといつか助けられるかもしれないけれど、わたしには気持ち悪い。べったりと垢がつくみたいで。
でも、わたしも田舎のひとかもしれない。都会より田舎がいいし、田舎より都会がいい。
腐野花が「私の男」というときだけ「わたし」でなく「私」というのは、なぜだろう。
わたしの家族の匂いは、だれもいない夜中のしずけさです。むかしはよく喧嘩したので。
わたしの父も、わたしにはとくに甘くて、どうでもいいようなひとだったよ。
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2B
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ミステリーな夢 さむくない…かな 雨が降りだしました 自分の人生の さいごに どうなっているのか そんなことを つらつらと考えて きっと一人だろうとか でも一人じゃないと 思えるように生きようとか 考えたけれど おもってもみないようなことが きっとこの先もおきるのだろうな そんな風に感じる朝 今日もよろしくお願いします #日記#エッセイ#日常#津軽 #古民家暮らし#田舎暮らし#実家暮らし #たまには無骨にアウトドアとか #猫がいる暮らし #昭和レトロでエモいかもしれない #雑で大雑把でかつ適度に生きている #キレイおしゃれシンプルからは程遠い日常をあえて発信する #チェアリング#たまにはお料理も #読書話#コーヒータイムに#映画話 #今日のことばもしくは詩のようなもの #のんびりまったり空を見上げる #ハッシュタグは自己紹介のつもりですよろしくお願いします https://www.instagram.com/p/Ck_tfx9BY3i/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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アルバイトをする隙間がうまく捻り出せないわりに、通学時間だけは無駄に長かったので、本を持ち歩くことは必須だった。行き帰り×週五日×約九〇分の長い時間は、本を次々に食い散らかしてしまい、購入するだけではもちろん足りなかったので、よく図書館に行った。学校の図書館からも、地域の図書館からも本を借りていた。わたしの読みたい本は、あまり貸し出し中にはなっていなかったので、図書館は自宅の書架のようなものだった。そこで見つけて手元に置きたいと思った本は、だいたい購入していた。
— 津村記久子著『枕元の本棚』(2016年8月Kindle版、実業之日本社)
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日本人のブログは殆ど青春のブログだから、フォローしてるけど、投稿は子供っぽいすぎて、読んで怒ってしまう。
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わたしたちはひとりである
週末(日・月休みの仕事になったので土曜日が週末になった)に日記を書くのが習慣?になりつつある。
毎日書くほどの何かが起こるわけでもない人生なので、書こうとおもっても書くことに迷ってしまう。
日記を書こうと思っても、日々を漫然と過ごしているので、書き記しておきたいことがあまりないのだ。
先週の日曜は、三ヶ月に一度のアフタヌーンティーへ。
三ヶ月に一度、5000円しか使わないのに、お店の人みんな「いつもありがとうございます」「またお待ちしております」と言ってくれる。申し訳ないなと思いながら、静かにくつろげて、大事にしてもらってるなと思える場所なので通う。お金を払うから大事にしてもらえることはわかっているが、それでも、すてきなケーキとおいしい紅茶と一緒に好きな本を読む二時間は大切だ。わたしが本を読む人間だから、空いているときはいつもソファ席を用意してくれるし、あまり声もかけられない。いい時間をもらっていると思う。
月曜は桜にやってくるというニュウナイスズメというスズメを探しに行った。見つけられず、だけどもうレンズの修理期間にシーズンが終わってしまったと思っていたヒレンジャクを見つけられた。夢中になって撮影した。人が集まってきてしまって、結局待っても待ってもレンジャクは樹の高いところにいたんだけど。
森に擬態して石段にへばりついていたら、一緒に働いているひとにであった。いつもと全然ちがう姿をしているうえに石段にへばりついて鳥を撮っていたのでちょっと恥ずかしかったけど、会えたのはうれしかった。
休日に職場の人に会ってうれしい、という感情は今までいちども抱いたことがなく、「職場で雑談をする人」「職場の友人と遊びに行くひと」というのはこんな感覚でいるんだなということを思った。
今の職場では、「人間関係を円滑にするため」「職場での自分の立ち位置を獲得するため」というような生存戦略めいた「雑談」ではなく、なんとなく雰囲気でしゃべっている。「話すこと」「笑うこと」が特権でなく、権力でもなく、また、緊張でもない。そういう世界も、世の中にはあるんだなあと発見する。
業務内容は相変わらず印刷機との戦いと、製本作業をしている。今日はプレオープンでたくさんの人が来てくれて、いままで食べさせてもらってきた、世界観が変わるようなおいしいお料理やスイーツが、ついにお客さんに提供されて対価を得る日なんだと思うと、なんだかわたしが作っているわけでもないのに「こんな素敵なものがここにはあるんですよ、見つけてくれてありがとう」という気持ちになった。
わたしたちが作っている本も、たくさんの人の手に渡ったようだ。
これも、二人で「��てきだねえ」「きれいだねえ」とにこにこしながら印刷していたもので、それがついに「読まれる」という、書物というものの本懐を遂げる日がきたわけで、喜ばしい日だった。
思えばこんな風に、「(生活費を得る)仕事に金銭が支払われていること」に、感動したことなんてなかった。いままでいろんなサービスと金を交換する労働をしてきたが、どれも、「なんでこんなものに金を払うんだ」とか「こんなものに金を払えるなんてよっぽど暇か、金が有り余ってるに違いない」としか思えなかった。
わたしは一緒に働いている人たちより一時間はやく帰らせてもらっているのだが、退勤するときにはまだお店にはお客さんがたくさんいた。「お客さんがたくさん来てくれてうれしい」と純粋に心の中から声が湧き上がってきて、やっぱりおどろいた。
自分が接客をしていないということもあるのかもしれないけれど、こんな風に「来客を歓迎できる世界線」にわたしが到達したのだと言うことが、なんだか感動できるできごとだった。
とはいえ悲しいことに体力はやっぱりあんまり戻ってなくて、かなり疲れているんだと思う。三日くらいまえから、帰りの電車はずっと寝ている。
それでも本を一冊読み終えた。
蔦森樹『男でもなく女でもなく 新時代のアンドロジナスたちへ』。
男性性に抑圧されていた著者が、女性としての装いを始め、男女二元論への違和感を語る本多。三十年前に刊行された本なのに、未だにわたしたちはこの違和感・理不尽を叫びつづけていてなくなっていないことが苦しい。セックスの暴力性に気づかせてくれる部分が、とてもよかった。
国際トランスジェンダー可視化の日に読み終えることができて、よかったとおもう。明日は「片袖の魚」という映画を見ようと思っている。
しばらくゆっくり休める日が全然なかったし、四月の休日もバタバタしそうだ。休めるのは明日くらいかな…。
だけどまあ、鳥は見に行きます。
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風立ちぬ
以前から読みたかった作品。転職を機に寝る前に何か読みたいな…と思い、無事読破!(ちゃんと本を読み切ったの何年振りだろう…)
某ジブリ作品と同名だけど内容は全然違います。(ここ重要)
88年も前に書かれた作品とは知らず、こんな綺麗な日本語表現ある⁉︎とWでびっくりした。自然の情景描写、季節の移り変わりの描写が繊細で美しい。
一番印象的だったのは、誰がどう見ても大変な状況に置かれているのに、今が一番幸福な時間であるという風に主人公が言っていたところ。愛のパワーすごい。その幸福な時間が過ぎ去っても、主人公の人生は変わりなく続くが悲壮感はなく、前向きな終わり方だと思った。
ルビや注釈、著者の年譜もあり読みやすかった。ページ数も含め読書初心者には大変ありがたい…
受験期の現代文以来ちゃんと小説を読んだ気がする…自分のペースで時間を気にせず読めてよかったです。
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