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#国際トランスジェンダー可視化の日
tutai-k · 1 year
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わたしたちはひとりである
週末(日・月休みの仕事になったので土曜日が週末になった)に日記を書くのが習慣?になりつつある。 毎日書くほどの何かが起こるわけでもない人生なので、書こうとおもっても書くことに迷ってしまう。 日記を書こうと思っても、日々を漫然と過ごしているので、書き記しておきたいことがあまりないのだ。
先週の日曜は、三ヶ月に一度のアフタヌーンティーへ。 三ヶ月に一度、5000円しか使わないのに、お店の人みんな「いつもありがとうございます」「またお待ちしております」と言ってくれる。申し訳ないなと思いながら、静かにくつろげて、大事にしてもらってるなと思える場所なので通う。お金を払うから大事にしてもらえることはわかっているが、それでも、すてきなケーキとおいしい紅茶と一緒に好きな本を読む二時間は大切だ。わたしが本を読む人間だから、空いているときはいつもソファ席を用意してくれるし、あまり声もかけられない。いい時間をもらっていると思う。
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月曜は桜にやってくるというニュウナイスズメというスズメを探しに行った。見つけられず、だけどもうレンズの修理期間にシーズンが終わってしまったと思っていたヒレンジャクを見つけられた。夢中になって撮影した。人が集まってきてしまって、結局待っても待ってもレンジャクは樹の高いところにいたんだけど。 森に擬態して石段にへばりついていたら、一緒に働いているひとにであった。いつもと全然ちがう姿をしているうえに石段にへばりついて鳥を撮っていたのでちょっと恥ずかしかったけど、会えたのはうれしかった。 休日に職場の人に会ってうれしい、という感情は今までいちども抱いたことがなく、「職場で雑談をする人」「職場の友人と遊びに行くひと」というのはこんな感覚でいるんだなということを思った。 今の職場では、「人間関係を円滑にするため」「職場での自分の立ち位置を獲得するため」というような生存戦略めいた「雑談」ではなく、なんとなく雰囲気でしゃべっている。「話すこと」「笑うこと」が特権でなく、権力でもなく、また、緊張でもない。そういう世界も、世の中にはあるんだなあと発見する。
業務内容は相変わらず印刷機との戦いと、製本作業をしている。今日はプレオープンでたくさんの人が来てくれて、いままで食べさせてもらってきた、世界観が変わるようなおいしいお料理やスイーツが、ついにお客さんに提供されて対価を得る日なんだと思うと、なんだかわたしが作っているわけでもないのに「こんな素敵なものがここにはあるんですよ、見つけてくれてありがとう」という気持ちになった。 わたしたちが作っている本も、たくさんの人の手に渡ったようだ。 これも、二人で「すてきだねえ」「きれいだねえ」とにこにこしながら印刷していたもので、それがついに「読まれる」という、書物というものの本懐を遂げる日がきたわけで、喜ばしい日だった。 思えばこんな風に、「(生活費を得る)仕事に金銭が支払われていること」に、感動したことなんてなかった。いままでいろんなサービスと金を交換する労働をしてきたが、どれも、「なんでこんなものに金を払うんだ」とか「こんなものに金を払えるなんてよっぽど暇か、金が有り余ってるに違いない」としか思えなかった。 わたしは一緒に働いている人たちより一時間はやく帰らせてもらっているのだが、退勤するときにはまだお店にはお客さんがたくさんいた。「お客さんがたくさん来てくれてうれしい」と純粋に心の中から声が湧き上がってきて、やっぱりおどろいた。 自分が接客をしていないということもあるのかもしれないけれど、こんな風に「来客を歓迎できる世界線」にわたしが到達したのだと言うことが、なんだか感動できるできごとだった。
とはいえ悲しいことに体力はやっぱりあんまり戻ってなくて、かなり疲れているんだと思う。三日くらいまえから、帰りの電車はずっと寝ている。 それでも本を一冊読み終えた。 蔦森樹『男でもなく女でもなく 新時代のアンドロジナスたちへ』。 男性性に抑圧されていた著者が、女性としての装いを始め、男女二元論への違和感を語る本多。三十年前に刊行された本なのに、未だにわたしたちはこの違和感・理不尽を叫びつづけていてなくなっていないことが苦しい。セックスの暴力性に気づかせてくれる部分が、とてもよかった。 国際トランスジェンダー可視化の日に読み終えることができて、よかったとおもう。明日は「片袖の魚」という映画を見ようと思っている。 しばらくゆっくり休める日が全然なかったし、四月の休日もバタバタしそうだ。休めるのは明日くらいかな…。 だけどまあ、鳥は見に行きます。
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oimotoai · 1 year
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排除と矛盾のオリンピック
東京2020におけるピンクウォッシングに着目して
はじめに
 2021年に開催された東京オリンピック(以下東京2020)では、大会のコンセプトとして「全員が自己ベスト」「未来への継承」に並び、「多様性と調和」が掲げられた。新型肺炎の流行に伴い社会の分断が深まる中、多様な人々が個性を発揮し、違いを認め合う機会を提供することを目指して据えられたこのスローガンは、大会のあり方に一定の影響を与え、ポジティブな成果を残している。例えば運営においては、日本オリンピック委員会史上初めてトランスジェンダー当事者の委員が就任したほか、女性理事の割合が全体の4割を超えるなど、ジェンダーバランスの取れた組織づくりに一歩近づいた。また、LGBTQ+の支援団体(プライドハウス東京、グラード、アスリート・アライ)がメディア向けに「ジェンダー平等、公平性の確保のためのポートレイヤル(表象)ガイドライン」を配布するなどし、ステレオタイプ的な報道や選手を客体化するような表現への対策を行った。出場選手については、オリンピックで少なくとも185名、パラリンピックおいては少なくとも36名のLGBTQ+を公表する選手が出場し、どちらの人数も過去最多だったという。また、開催地である東京都では、2018年10月から性自認及び性的指向を理由とする不当な差別の禁止を盛り込んだ「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」が施行され、セクシュアルマイノリティに対する差別に反対する立場が示された(プライドハウス東京 2021)。これらの成果をふまえると、東京2020はスローガン通り、多様性を祝福するイベントとして成功を収めたかのようである。
 しかし東京2020は、スポーツの大祭典という特大イベントに人々の注目を惹きつけ、またセクシュアルマイノリティへの寛容性をアピールしながらも、開催地である日本での実際のセクシュアルマイノリティの扱いから人々の関心を遠ざけていた。本稿では、日本におけるセクシュアルマイノリティ周縁化に焦点を当て、それらが東京2020によってどのように覆い隠されていたのかについて論じる。まず、ピンクウォッシングという概念について説明したのち、その概念を用いて東京2020での寛容性アピールと日本社会の現状との落差を指摘し、最後にこのピンクウォッシングが、スポーツウォッシュを可能にするオリンピックというスポーツのメガイベントに組み込まれることでその効果を最大限に発揮していた可能性について論じる。
ピンクウォッシングとは何か
 ピンクウォッシング(pink-washing)とは、同性愛を表すピンク色(pink)と「もみ消す」という意味の動詞であるwhitewashとを掛け合わせた概念であり、国家や行政がセクシュアルマイノリティに対する寛容性をアピールすることで、その他の人権問題を隠蔽することを指す(保井 2018)。例えば、イスラエルによる同性愛者への寛容性の表明は、パレスチナ人に対する人権侵害から言い逃れるためのピンクウォッシングであることが指摘されている。パレスチナを含むイスラエルの周辺国においては同性愛が宗教的にタブーとされているため、イスラエルは同性愛者を受け入れる姿勢を積極的に宣���することで、自国の人権感覚がどれほど「進んでいる」かを示し、パレスチナの占領などのネガティブな印象を払拭しようと試みているのだという(保井 2018; 須崎 2022)。
 セクシュアルマイノリティへの寛容性を表明することで他のマイノリティの排除を不可視化することを指すピンクウォッシングだが、日本の場合、その効果はやや変わった形で現れる。セクシュアルマイノリティの難民の受け入れに着目した保井(2018)の研究からは、日本では、多様な性への寛容を国際社会にアピールすることで、実社会におけるセクシュアルマイノリティへの不寛容を隠蔽するという独自のピンクウォッシングが起こっているという。このように、特定の属性への不寛容を、その属性に対する寛容を表明することで誤魔化すという矛盾したピンクウォッシングの構造は、東京2020においても見出すことができる。
東京2020におけるピンクウォッシング
 ボイコフ(2021)は、オリンピックのネガティブな傾向が(1)過剰支出、(2)白象(無用の長物)の会場、(3)公共圏の軍事化、(4)立ち退きとジェントリフィケーション、(5)グリーンウォッシングという5つの主だった傾向に分類されると指摘しているが、東京2020ではこれらに加え、ピンクウォッシングが行われていたことを指摘したい。
 東京2020大会内で、視覚的にわかりやすくセクシュアルマイノリティへのサポートが表明された例としては、開会式での、歌手MISIAによる君が代の歌唱が挙げられる。「レインボーのドレスを身に纏って君が代を歌う」というパフォーマンスは、セクシュアルマイノリティに対する寛容的なイメージと日本という国家とを強く結びつけるという点で意図的かつ効果的な演出だったといえよう。また閉会式では、日系イギリス人でパンセクシュアルを公表しているリナ・サワヤマとエルトン・ジョンによる楽曲「Chosen Family」が使用され話題を呼んだ。自分達は「選び取った家族(Chosen Family)[*1]」であり、遺伝子も名字も関係ないのだと力強く言い切る「Chosen Family」は、世界中のセクシュアルマイノリティ当事者と痛みを分かち合い、お互いを祝福する賛歌として大ヒットした楽曲である。このように東京2020では「多様性と調和」というテーマに忠実なパフォーマンスや演出が行われたことで、日本があたかも多様な性と生のあり方に開かれ、他国を啓発するレインボーな国家であるかのような印象を与えた。
 しかし、イメージと現実は大きく異なる。日本では、君が代が賛美する天皇制を支えた家制度の名残によって、異性婚をした夫婦が別姓を名乗ることすら認められない。家制度を契機に日本社会に広く浸透した家父長的価値観は、家制度の廃止後もなお、男性による女性の支配を当たり前と見做すような考え方や、異性愛を前提とした「家族とはこうあるべきだ」という固定観念として日本を生きる人々の生活に影響を与え続けている。
 また、同性婚が法制化されていない日本では、パートナーシップ制度の導入は着実に広がっているものの[*2]、Chosen Familyとの関係について、法的な保障を受けることが不可能である。G7において唯一同性婚を認めておらず、また性的指向に基づく差別を禁止する法整備をしていない国でもある日本は、OECDが発表したLGBTQ+の包摂に関する法整備のランキングにおいて、35カ国中34位、つまりワースト2位であることが発表されている[*3]。
 オリンピックの開催を念頭に「LGBT理解増進法」の制定が見込まれたが、2023年現在に至ってもその導入は実現しておらず、そもそも明確に差別を禁止しない法整備のあり方に批判が集まっている。加えて最近では、元総理秘書官による「(同性愛者を)見るのも嫌だ」「(同性愛者が)隣に住んでいたら嫌だ」などの発言[*4]、岸田総理大臣による「(同性婚を認めれば)家族観や価値観、社会が変わってしまう」との答弁[*5]によって与党のセクシュアルマイノリティに対する偏見や差別感情が露呈し、「理解増進」を促す側がそもそもLGBTQ+に対して不寛容であることに疑問の声も上がっている。
 このように、「多様性と調和」を掲げ、セクシュアルマイノリティの包摂を説くような大会運営の裏では、保守的な政権の下で同性婚もできず、差別を取り締まる法もなく、異性愛者でさえ生きづらさを抱えざるを得ないような社会が広がっていたのである。東京2020で行われていたイメージ戦略はまさに、セクシュアルマイノリティに対する寛容性をアピールすることで、国内の人権問題を隠蔽するピンクウォッシングに他ならない。
スポーツウォッシング×ピンクウォッシング
 そもそも開催国の社会問題を覆い隠す効果を持つオリンピックというスポーツの大祭典は、ピンクウォッシングにうってつけの舞台であった。
 ボイコフ(2022)は、政治指導者がスポーツを利用し、自国を国際的に先進的な存在であるかのように演出しつつナショナリズムを煽り、国内に蔓延る社会問題や人権問題から目をそらさせる現象を「スポーツウォッシング」と定義しており、ソルトレイクシティ冬季オリンピックをその一例として挙げている。9.11の同時多発テロ後、米国では「女性及び非異性愛者に不寛容なイスラーム社会」と「その社会の被害者を救済する自由で寛容な米国」という位置付けのもと、反イスラーム感情を伴う愛国主義―Puar(2007)によるところの「ホモナショナリズム」―が登場した。当時の米国では、イスラーム社会と対比した米国社会の安全性と先進性をアピールするために、例外的に女性や同性愛者の権利保障が強調されるという、一種のピンクウォッシングが起きていたのである。9.11後に初めて開催された2002年のソルトレイクシティ冬季オリンピックは、まさにこのホモナショナリズムによって強調される「(イスラーム圏からやってくる)テロとの戦い」というメッセージがメディアを通じて国際的に発信される、絶好の機会を提供したという。このように、オリンピックの開催を通じて、開催に尽力する政治家はスポーツを隠れ蓑にし、自国についての望ましいイメージを国際社会及び国内に向けてもに打ち出すことができるのである。
 開催国の権力者に都合の良い政治的効果をもたらすスポーツウォッシングには、広告、メディアとの結びつきが欠かせない。オリンピックは大会に対する政治的な異議申し立てを「スポーツに政治を持ち込むな」という態度でシャットアウトしながら、広告会社やメディア業界と結びつくことで、開催国の政治的思惑の実現を可能にさせる。東京2020では朝日新聞、北海道新聞、毎日新聞、日経新聞、産経新聞、読売新聞の6紙がオリンピックのスポンサーとなった。これに対し、主要なメディアがほとんどスポンサーシップを結んでいることで、これらのメディアに広告を出している企業も含め、メディアによる政治の監視という役割が十分に果たされていたかどうかが疑問視されている(ボイコフ 2020; McNeill 2020)。実際、当時の新聞の社説を比較した研究から、オリンピックのスポンサーでない新聞では国内の社会問題が大会開催と結び付けられて語られていたのに対し、スポンサーの新聞においてそれらの問題は大会と切り離され、あくまでオリンピックの外側での出来事として位置づけられていた傾向が明らかにされている(森津 2022)。
 このように、東京2020におけるピンクウォッシングは、スポーツの純粋さを盾にとるスポーツウォッシングと手を組み、メディアを懐柔するオリンピックというメガイベントの名の下に行われたことで、その問題性に対する追及から逃れている可能性がある。
さいごに
 本稿では、東京2020で掲げられた「多様性と調和」から出発し、日本におけるセクシュアルマイノリティの排除と周縁化が、オリンピックによってどのように隠蔽されたのかについて、ピンクウォッシングとスポーツウォッシングの概念を参照しつつ論じた。
 セクシュアルマイノリティであること自体が犯罪とされたり、迫害の根拠とされる国がいまだ88カ国にのぼる中[*6]、政権がセクシュアルマイノリティに対する寛容性をアピールすることにメリットを見出す程までに、国際社会及び日本社会が変化していること自体は、より包摂的な社会の実現にとって良い傾向である言える。しかし、先進国のお墨付きを得るために行われる寛容性の強調は、法整備による人権の保障といった内実が伴っていなければ、単に有害なだけである。日本、特に東京に対して、世界中に「多様性と調和」を呼びかけたからには責任意識を持ち、一刻も早くセクシュアルマイノリティの排除をなくすための法整備を整え、見せかけと実情が矛盾した状況を脱することを強く望む。
[*1] LGBTQ+コミュニティで長年使われてきた用語.血縁や法的な関係にはないが「家族」のような絆で結ばれ,互いに支え合うコミュニティを指す.
[*2] 2023年2月22日時点で,導入自治体の数は少なくとも260以上に上り,人口に対するカバー率は6割を超えている.(2023年2月25日取得,https://www.marriageforall.jp/marriage-equality/japan/).
[*3] OECD iLibrary, 2023, “3. Are laws in OECD countries LGBTI-inclusive?” より(2023年2月27日取得,https://www.oecd-ilibrary.org/sites/e22596d2-en/index.html?itemId=/content/component/e22596d2-en).
[*4] NHK,2023,「岸田首相 同性婚「見るのも嫌だ」などと発言の荒井秘書官 更迭」NHKホームページ,(2023年2月27日取得,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230204/k10013970711000.html).
[*5] NHK,2023,「岸田首相 夫婦別姓や同性婚「改正で家族観 価値観 社会が変わってしまう」」NHKホームページ,(2023年2月27日取得,https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/95231.html).
[*6] 認定NPO法人虹色ダイバーシティ,2022,「性的指向に関する世界地図」より(2023年2月25日取得,https://nijibridge.jp/wp-content/uploads/2022/07/220713_marriagemap_F_ol.pdf).
参考文献
ボイコフ,ジュールズ,2021,「祝賀資本主義,スポーツメガイベント,東京2020オリンピック」井谷恵子訳,『2020 横浜スポーツ学術会議報告(セッション:R-26)』19: 67-79.
――, 2022, “Toward a Theory of Sportswashing: Mega-Events, Soft Power, and Political Conflict,” Sociology of Sport Journal, 39(4): 342-351.
McNeill, David., 2020 “Spinning the Rings: The Media and the 2020 Tokyo Olympics,” The Asia-Pacific Journal, 18(5).
森津千尋,2022,「2020年オリンピック東京大会におけるスポンサーシップと新聞報道」スポーツ社会学研究,30(2): 85-99.
Puar, Jasbir., 2007, Terrorist Assemblages: Homonationalism in Queer Times, Durham and London: Duke, University Press.
プライドハウス東京,2021,東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会における LGBTQ+及び,SOGIESCに関する成果と課題,今後に向けての声明文,プライドハウス東京ホームページ,(2023年2月20日取得,https://pridehouse.jp/news/1431/).
須崎成二,2022,「セクシュアルマイノリティの受入をめぐる日本の二重規範――地理的スケール概念」からみた難民認定・在留許可」駿台史學,176: 55-74.
保井啓志,「中東で最もゲイ・フレンドリーな街――イスラエルの性的少数者に関する広報宣伝の言説分析」日本中東学会年報,34(2): 35-70.
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kennak · 2 years
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奥さんとか娘さんの分をパパが取りに来るとか普通にあると思うんだけど、わざわざ職員が女かどうか確認してるの?生理重くて沢山必要なのも説明しないとだめ?LGBT以前に終わってる。
[B! 災害] 「あなた、男でしょ」と胸を触られた。3.11の避難所で生理に、ナプキンを求めた私が受けた屈辱【国際トランスジェンダー可視化の日】
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xf-2 · 4 years
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中国語で得られる情報量の違い
新型コロナウイルス 感染の抑え込みで、台湾の強さが世界的に注目されている。台湾はなぜコロナに強いのか。日本との比較を中心に考察してみたい。
まず第一に、中国語による情報獲得の強さが挙げられる。中国政府は当初、新型ウイルスの発生に関する情報を出し渋ったが、武漢市、湖北省から、SNSなどを通じて個人による外部への情報発信は行われていた。そうした中国語による情報をリアルタイムで受け取っていたのが、台湾、香港などの中国語圏だ。結果的に、台湾、マカオ、シンガポールといった中国語圏で、ウイルスに対する封じ込めが最も早く起動した。
対する日本では政府、マスメディアとも、中国語による情報を日常的に受信し、分析する人材が圧倒的に不足している。公衆衛生を含めた安全保障の観点からしても、せめてCNNやBBCを日々チェックするのと同じレベルで、中国語メディアに触れられる人材を増やす必要が大いにある。
次に台湾は2003年のSARS禍を経験し、新型ウイルスの怖さを、政府も市民も身に染みて理解していた。香港の場合、特別行政区政府は圧倒的に中国寄りで、ウイルスから市民を守る政策を即時にとることができなかったが、それでも感染拡大が相当程度抑えられたのは、SARSの怖さを人々が記憶していて、自発的に予防的行動をとれたからである。
これに対し、当初、日本のメディアでは、「インフルエンザ程度」「正しく恐れることが大事」といった言説が多く流れ、結果的に国民に警戒感を持たせることができなかったことは、衆目の一致するところだろう。
第三に、日々中国からの統一圧力を受けている台湾では、官民とも「中国に気を許してはいけない」という意識が明確にある。特に蔡英文総統率いる民進党政権になって以降、中国からの観光客制限、友好国の切り崩し、国際機関への参加妨害などに加え、メディアの買収、フェイクニュースの流布など、あの手この手の攻撃を受けている。そのため、新型ウイルスの「生物兵器説」も、台湾では噂話のレベルにとどまらず、事実かもしれないという感覚で受け止められた。
同時に、台湾では、中国に故郷を持つ人、仕事で行き来している人も多く、心情的親中派も少なくない。このように中国の存在が生々しく感じられる中、蔡英文政権は、最初期に中国からの入境禁止、マスク輸出の禁止といった厳しい政策をとり、「台湾ファースト」の姿勢を明確に打ち出した。
同じ頃、日本では、武漢など中国各地に向けて大量のマスクや医療物資を贈る動きが見られた。漢詩で近隣友好の気持ちを表現したことで、中国社会から高く評価されもした。しかし、ウイルス感染がすぐに日本にまで広がってくることは明らかだったのだ。中国語圏の人たちから見れば、日本人のふるまいは、残念ながら、大変ナイーブに映ったと言わざるを得ない。
マスクの重要性を知っていた
第四に、マスク問題をめぐっても台湾と日本の間には大きな差があった。SARS禍を経験している台湾や香港では、官民ともにマスク着用が感染予防に役立つという確信を持っている。これは例えばSARS禍の際、ベトナムの医療団が「ウイルスを密閉して外に出すな」という国際常識とは反対に「病室の窓を開けて換気をよくする」ことで感染を抑え込んだ経験につながる。
つまり、欧米とアジアの間には、風土の差、文化の違いが事実として存在する。よって、欧米の常識をそのままアジアに持ってきたところで、必ずしも通用しない。しかし日本社会はむしろWHOの意見や欧米人の振る舞いを信じて、マスクの重要性をなかなか理解できなかった。
現在のWHOが、事務局長以下、中国寄りのスタンスをとり、結果的に新型ウイルスの封じ込めに失敗したことは明らかだ。しかし、国連機関であるWHOに対して、日本政府を初め多くの日本人は幻想に近い信頼感を持ち続け、アジアの隣人たちの機敏な動きを参考にできていない。
台湾は1970年代に国連代表権を中国に奪われてこのかた、WHOへの正式な参加を認められてこなかった。主に中国の反対によるものだが、WHOに対する不信感、裏切られたとの思いも台湾にはある。それがWHOに対する日本の幻想とは正反対に、現実的な判断を可能にしたとすれば皮肉だ。
台湾政府は当初からマスクの重要性を認識し、各家庭に行き渡らせるため、具対的な施策をおこなった。昨年まで、台湾でもマスクの多くを中国からの輸入に頼っていたが、今年に入って中台間の往来を制限すると、即座に国内の在庫や生産分を政府の管理下に置いた。そして、国内の製造業者に対し、他分野からの参入によって、マスク生産ラインを増やすよう協力を求めたのである。
同時に、限られた数のマスクを公平に配分し、高値での転売などを防ぐため、マスクは政府指定の薬局でのみ販売するものとし、さらに購入に際しては、保険証を提示するという「実名購買制度」が導入された。
この制度が機能したのは、台湾で国民皆保険制度が確立し、保険証がICカード化されたためだ。そして、台湾全島の指定薬局にそれぞれ何枚のマスクが在庫としてあるかを瞬時にスマホで見ることができるシステムを急遽導入できたのは、天才プログラマーとして名高いIT担当の唐鳳(オードリー・タン)大臣が自ら提案し、実行に移したからだ。
蔡英文総統の胆力
タン大臣のような天才は世界でも稀ではあろうが、日本にだって恐らくは存在していることだろう。しかし、中学中退の元有名ハッカーで30代、しかもトランスジェンダーであることを公言している人物をIT担当大臣に任命する、そうした政治的決断を行えるトップは、残念ながら日本には存在しない。
その意味では蔡英文総統のリーダーシップと胆力は際立ったものがあり、ウイルス対策がうまくいった大きな要因だと言える。
蔡英文総統〔PHOTO〕Gettyimages
新型ウイルスの前に、台湾が国際的に注目を浴びたのは、2019年にアジアで初めて同性婚を合法化した際だった。これでリベラルな台湾というイメージが一気に広がったが、必ずしも台湾社会全体が日本などと比べて格段にリベラルだというわけではない。儒教に基づく保守的な考え方、キリスト教に基づく厳格な態度等もあり、投票結果を見ても、同性婚に対する賛成と反対はほぼ拮抗していた。
しかし蔡英文総統は、自身の価値観というよりも、同性婚を合法化することが台湾の国際的イメージの向上に役立つという政治的判断で動いた。その結果、世界中の新聞やネットニュースに台湾という名前がポジティブなイメージとともに登場し、それによって、台湾の人々の自尊感情と政権への支持率をともに高めたのである。
2000年に台湾史上初の政権交代で、国民党から政権を奪った民進党は、2008年の総統選では国民党に敗北して下野。2016年に再度勝利したものの、2018年の統一地方選では大敗するなど、決して平坦な道を歩んできたわけではなかった。2018年秋に高雄市の市長に選ばれた国民党所属の韓国瑜氏は、中国寄りの政治的スタンスと庶民的なキャラクターで驚くほどの人気を集め、今年1月の総統選挙では、高雄市長のまま、国民党代表候補として出馬した。
再選を期して出馬した蔡英文氏は、当初、民進党の候補者資格を得るのさえ難儀したほどの劣勢に立たされていたが、2019年初頭、中国の習近平国家主席が台湾に対して「一国二制度」を提案した際、即座に明確な反対を表明したことで、風向きが大きく変わった。しかもその数か月後、すでに「一国二制度」下にある香港で、大規模なデモや反政府運動が展開されるに至り、さらなる追い風となった。
専門家を閣僚に迎えている
一見地味なキャラクターの蔡英文総統だが、中国の習近平国家主席を向こうに回して物怖じしないだけの胆力を持つ政治家は、WHOはおろか、世界中を見渡したところでいくらもいない。日本のコロナウイルス対策が、オリンピック開催と習近平氏の訪日予定のために出遅れたことを考えると、ここでも彼我の差が際立ったといえるだろう。
1956年生まれの蔡英文氏は学者出身で、国民党政権時代に李登輝元総統のもとで対中国政策に携わったことから政治に関わりをもった。民進党陳水扁政権下で国会議員にあたる立法院委員となり、続く野党時代の2008年に民進党主席当選。台湾本省人(閩南客家系)家庭の出身で、外祖母は台湾原住民族の一つパイワン族の出身。
実業家の父親には四人の妻がいたが、英文は合わせて11人の子どものうち末っ子として育った。旧帝大の一つだった台湾大学(旧台北帝大)法学部卒業後、アメリカに留学しコーネル大学で法律学修士、さらにイギリスに渡ってロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法律学博士号を取得している。
超高学歴で女性、独身で愛猫と暮らす。戒厳令時代の反政府運動の中から生まれた民進党の中では新世代といえる存在で、前述のタン大臣以外にも、閣僚や主要ポストに民間出身の専門家を多く招いている。主に国会議員の中から、自民党派閥間の均衡を取るように閣僚を選出する日本とは、制度的にも政治文化的にも大きく異なるのだ。
例えば、陳建仁副総統は台湾大学医学部出身の公衆衛生専門家で、台湾の最高学術機関である中央研究院の副院長まで務めた。2003年のSARS禍の際に衛生署(日本の厚生労働省にあたる)のトップに招かれて感染対策に当たったことから政治との関係を深め、2016年に蔡英文が総統選挙に出た際、無党籍のまま副総統候補となって現在に至る。新型ウイルス対策の遂行で、大きな力を発揮していることは疑いない。
また日本の内閣にあたる行政院の副院長を務めている陳其邁氏も医師で、台湾大学医学部大学院時代には、陳建仁現副総統の指導を受けて公共衛生学修士号を取得している。他に、毎日生中継される記者会見で、政府を代表し、ウイルス禍の実情を丁寧に説明している陳時中衛生署長は歯科医で、医師会の理事として健康保険制度の確立に深く関わった経歴を持つ。
「後藤新平先生が健在だったら…」
このように高度な専門家を行政機関のトップに据えて、実務と政治的判断の両方を委ねる形は、総統制度を根拠とする一方で、蔡英文自身が超高学歴であることも要因の一つだろう。
特にIT化の推進に前向きで、IC化された保険証の活用だけでなく、海外帰国者の自主隔離状態をスマホの位置確認で行うなど、感染封じ込めのためには、日本でなら個人情報保護などの観点から問題視されかねない措置もためらわない。
また草の根の民主化運動出身ではなく、学術界から抜擢された女性政治家という意味では、日本で1980年代に「おたかさんブーム」を巻き起こした土井たか子元社会党委員長に通じる部分も持つ。
いずれにせよ、新型ウイルス禍で台湾が世界を刮目させる成績をあげているのは、国際社会における孤立の中で、難民政権でありながら長く独裁制を敷いた国民党統治を民主化で覆し、現在はまた強大化した中国の圧力を日々感じながらも、着実に国民国家建設を進めている台湾の政治、社会、文化的背景があることは間違いない。
今回、ダイヤモンド・プリンセス号に始まった日本政府及び社会の対応について、台湾の人々は豊富なニュースチャンネルを通じ、場合によっては日本人以上に深い関心を持って見つめている。それは19世紀末に遡る日本の台湾統治という歴史があってのことだ。
特に医師であり政治家でもあった後藤新平が割譲直後の台湾に民政局長として赴き、公衆衛生の改善に功績をあげたことは広く知られている。よって、今般のコロナウイルス に対する日本政府の対応を見た台湾の人から、SNS上で「後藤新平先生がご健在だったら、何とおっしゃることか」というコメントが上がるわけである。
ウイルスとの戦いは今後もしばらくは続くことだろう。アジアの隣人である台湾から日本が学べることは決して少なくないはずだ。
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chikuri · 6 years
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ゆがんだリベラル思想を正す道
  “「和の国」日本には、リベラルのゆがんだ思想を正す力がある。 ■1.「あまりに常識を逸脱��た偏見と認識不足に満ちた表現」  杉田水脈(みお)衆議院議員の雑誌『新潮45』8月号への投稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」が、マスコミやネットでの集中抗議を受け、自民党本部前で杉田氏の議員辞職を求めるデモまで行われた。LGBTとは、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダーという性的少数者のこと。問題とされた一節は、次のようなものだった。 __________  例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。[1]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  たとえば、朝日新聞社説は、こう批判した。 __________  性的少数者をあからさまに差別し、多様な性のあり方を認めていこうという社会の流れに逆行する。見過ごせない見解だ。・・・歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか。[2]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  杉田議員の主張を正確に読めば「LGBTのために税金を使う」ことの是非を問うているのであって、「性的少数者をあからさまに差別」しているわけではない。「生産性がない」とは表現が適切ではないかも知れないが、文脈から読めば「子供を作らないので、少子化対策にはなりえない」という意味である事は明らかだ。  こういう批判に対して、『新潮45』10月号は、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画を組んだが、これがまたバッシングを浴びて、新潮社は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」として、『新潮45』を休刊とした。こうして創刊40年近い伝統ある言論誌の一つが潰された。自由な言論を圧殺する息苦しさを感じた事件であった。 ■2.「フランクフルト学派」  杉田氏はこの投稿の冒頭で、こう言っている。 __________  朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。[1]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  この「リベラルなメディア」がLGBTのみならず、フェミニズム、少数民族、犯罪加害者などの「権利を認め、彼らを支援する動き」をする思想的背景を明らかにしたのが、田中英道・東北大学名誉教授の近著『日本人を肯定する 近代保守の死』[3]である。  氏は、その思想は「マルクス主義の退嬰的運動に過ぎないフランクフルト学派という思想グループが世界に送り出し続けているもの」と指摘する。[3, p20]  このフランクフルト学派は、1920年代にドイツのフランクフルト大学に設立されたマルクス研究所から始まった。彼らは、マルクス主義の「搾取された労働者階級」を主役とする暴力革命理論は不可能であると見抜き、文化革命に舵を切った。 ■3.「黒人や貧困、世の中の敗者」脱落者こそが英雄なのだ  後にイタリア共産党書記長となるアントニオ・グラムシは、1922年のムッソリーニのローマ進軍で革命直後のソ連に亡命し、そこでの恐怖政治をつぶさに見て、彼らのアプローチは失敗に終わると判断した。帰国後、グラムシが獄中で書いた膨大な「獄中ノート」をフランクフルト学派が盛んに引用し、参考にしている。  現代アメリカの保守派論客パトリック・ブキャナンは、グラムシの思想について、次のように分析している。 __________  グラムシは労働者階級が幻想だと知ると、革命の新兵として、「歴史に反主流とされる層、経済的に虐げられた人々だけでなく、男性に対する女性、多数民族に対する少数民族、犯罪者まで」すべてが含まれると考えた。 犯罪者が悪いのではなく、犯罪を起こさせた社会が悪いのだ、と。加害者は逆に保護されるべきだ、被害者は安穏と暮らしてきた保守的な階級なのだ、と言わんばかりだ。「新世代の若者はみな疎外感にもがき苦しんでいるからこそ」犯罪に走るのだ。「黒人や貧困、世の中の敗者」脱落者こそが英雄なのだ。[3, p24]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  マルクスの暴力革命理論は「搾取された労働者階級」が武装闘争をして権力を奪取する、というものだったが、そのかわりに「疎外されている人々」を扇動して、抑圧をもたらしている文化そのものを破壊して、権力を握ろうというのが、フランクフルト学派の戦略であった。  グラムシはそのために、芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、そして当時の新メディアであったラジオ、テレビなどを一つひとつ攻め落としていかねばならない、とした。  LGBTに関する杉田氏の一言から、朝日新聞が「歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか」と大仰な怒りの声をぶつけるのは、まさにこの戦略の一例なのである。 ■4.「自分たちは耐えがたき地獄に生きている」  フランクフルト学派はほとんどユダヤ人で、ヒトラーの台頭とともにアメリカに亡命し、コロンビア大学の援助でニューヨークに新フランクフルト学派を設立した。ブキャナン曰く、彼らが「再び、総力を結集して、今度は避難場所を与えてくれた国の文化破壊にとりかかった」[4, 384]。  文化を破壊すれば、弱者を抑圧している疎外もなくなる、という戦略である。そして、そのための武器が「批判理論」であった。ブキャナンは、ある研究者による批判理論の定義を紹介している。 __________ 西洋文化の主な要素を完全否定する批評。キリスト教、資本主義、権威、家族、家父長制、階級制、道徳、伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、相続、自民族中心主義、因習、保守主義、何から何まですべて。[3, p23]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  特にユダヤ人は、キリスト教国家の中で異邦人として住んできたので、国家共同体そのものがユダヤ人にとっての抑圧だった。そういう特殊な経験から、彼らを抑圧する共同体の文化を敵視する発想が生じたのだろう。  新フランクフルト学派の影響を受けたのが、1960年代から70年代にかけてのヒッピー世代だった。「批判理論の衝撃を受け、史上最高に恵まれていたはずの60年代世代の多くが、自分たちは耐えがたき地獄に生きていると確信した」とブキャナンは述べている。  たとえば、1960年代に大ヒットしたサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞はこう結ばれる。(拙訳)  そして 人々は頭を垂れて祈る  彼らが作った「ネオンの神」に  すると ネオン・サインが光って警告を告げる  ネオンが作りだしたお告げはこう言っていた  「予言者の言葉は地下鉄の壁や安アパートの玄関に書かれている」  そう呟いた、「沈黙の音」の中で  「ネオン・サイン」「(落書きだらけの)地下鉄の壁」「安アパート」と大都市の荒廃した光景の中で、いかがわしい宗教が群衆を操っている。アメリカのキリスト教社会をそう歌ったのである。  こういう音楽の影響を受けて、青年たちはアメリカの恵まれた生活の中でも「耐えがたき地獄」にいると思い込み、親や大学や社会や歴史や政治家を批判し、ベトナム戦争反対を叫んだ。学生運動とは、まさしく「批判理論」の産物だったようだ。 ■5.女性、少数民族、異教徒、老人、、、  批判理論は、人種差別、女性差別、異教徒差別、老人差別とターゲットを広げていった。  フェミニズムやジェンダーフリーは女性差別を批判する武器である。現代英語もその影響で変えられていった。チェアマン、キーマンなどは「マン」がついて女性を排除しているとして、チェアパーソン、キーパーソンなどと言い換えられた。 「メリー・クリスマス」とも言わなくなった。代わりに「ハッピー・ホリディズ(楽しい休日を)」と言う。夏休みもホリディなので、まるで季節感がなくなった。クリスマスがキリスト教徒の祭日なので、ユダヤ教徒やイスラム教徒に配慮すべき、という事だろう。  人種差別に関しては、映画でも黒人の主役が目立つようになった。たとえば、大ヒット作『インデペンデンス・デイ』では、地球を襲う異星人を打ち負かしたヒーローは黒人のパイロットとユダヤ人の科学者だった。唯一、活躍する白人男性は助演の大統領役のみである。  老人差別はいけない、として、企業側が社員の年齢を聞くことも禁じられた。定年制度そのものもなく、会社側はベテラン社員が、いつまでやってくれるのか、あるいは突然、辞めてしまうかも分からない、というリスクを抱え込んだ。 ■6.伝統的秩序が破壊されると、社会はどうなるのかという実験  社会の伝統的秩序を破壊していこうという批判理論は、日本にもすぐに輸入された。ゆとり教育[a]、男女共同参画[b]、夫婦別姓[c]、過激な性教育[d]、犯罪者のみの人権擁護[e]、ヘイトスピーチ規制[f]などの運動である。弊誌では、これらの問題を一通り論じてきたので、巻末のリンクを見ていただきたい。  その中で、伝統的秩序が破壊されると社会はどうなるのか、という実験結果が革命後のソ連で得られているので紹介しておこう。社会民主党の福島みずほ参議院議員は、かつて「ロシア革命の後、様々な政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたとは素晴らしいことだと思う」と書いた。[c]  事実婚とは「同棲」のことである。結婚のために法的な手続きをさせるのは国家や教会の余計な干渉だから、自由にさせるべし、という主張である。実際に革命後のソ連では、家庭は個人を抑圧する封建的制度として、それを破壊すべく、同棲、離婚、重婚、近親婚、姦通、堕胎を自由とした。  その結果、1934年の離婚率は37%にも高まり、堕胎の増加とも相まって、出生率が急減し、国家としてやっていけない事態となった。さらに、片親の増加、少年非行の横行などで、社会が大混乱となった。その結果、この政策は放棄されたのである。  福島議員がこういう事実を知らずに、この政策を「素晴らしい」と言っているなら、そのうかつさでは議員の資格などないし、知っていて主張したのなら、社会破壊を目論むテロリストである。 ■7.キリスト教社会と日本社会の違い  フランクフルト学派のもとでの「リベラル」思想とは、必ず「○○からの自由」を意味する。「女性差別からの自由」「人種差別からの自由」等々。上述のソ連の事実婚主義などは、さしずめ「家庭からの自由」であろう。  家庭を保つためには、自分勝手な振る舞いは当然の制約を受ける。それを「抑圧」として、すべて排除しようとすれば、家庭は破綻し、子供や女性を保護する役割も失われて、単なる弱肉強食の社会になってしまう。人間らしい文化・文明の破壊である。  確かに伝統的なキリスト教社会では、家父長制や女性蔑視が強く、妻も子供も一家の主人の言うことを聞かなければならなかった。結婚式で、父親が花嫁の手を引いて新郎に渡すという儀式は、父親の「所有物」だった娘を新郎に贈るという意味のようである。そういう家庭制度を抑圧と見ることには、共感する人々もいよう。  しかし日本の家庭は子供や母親中心である。家庭内では、子供を視点の中心として、夫婦が「お父さん」「お母さん」と呼びあう[g]。そもそも「お母さん」の語源「カカ」は太陽という意味であったらしい[h]。言葉だけでなく、現実社会においても、幕末や明治時代にやってきた外国人たちは、日本が子供天国であることに驚いている[i]。  こういう違いを無視して、西洋のキリスト教的家庭制度へのユダヤ的批判理論をそのまま事情の全く異なる我が国に直輸入することは、後進国的西洋崇拝に過ぎない。 ■8.「日本人にリベラリズムは必要ない」  同じ事が社会全体についても言える。明治維新に際し、五箇条の御誓文と同時に発表された『億兆安撫國威宣布の御宸翰』では、「天下億兆一人も其の處を得ざる時は皆朕が罪なれば(天下の万民が一人でもその処を得られないのは、みな朕の罪であるから)」とある。(拙訳)  老若男女、健常者も障害者も、日本に生まれた者も帰化人も含め、一人ひとりがその適性と才能を伸ばし、それぞれに合った役割を得て、生きがいをもって暮らせる社会を作ることが、我が国の理想であった。これが、そもそも建国の目的であり、歴代天皇の祈りでもあったことは、拙著『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』[j]で述べた。  もちろん現実の社会には様々な課題がある。たとえば赤十字活動やハンセン病対策、パラリンピックなど、皇室が弱者に寄り添われる事で国民が目覚め、進めらてきた対策である。社会的弱者が批判理論で既存の文化や政治を打ち壊そうとすれば、残るのは破壊と対立だけだ。  皇室のアプローチは、国民の利他心に訴え、力を合わせて弱者にもその処を与えようとする。この「和」の力が我が国の伝統文化にはある。田中教授が「日本人にリベラリズムは必要ない」と断言され、「日本人を肯定する」と言われるのは、この文化的な「和」の力を発揮すれば、フランクフルト学派のゆがんだ思想を正せる、という意味であろう。 (文責 伊勢雅臣)” 国際派日本人養成講座 : ゆがんだリベラル思想を正す道
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mihohh · 6 years
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ヨーテボリ・ブックフェア2018
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9月26日(��)から29日(土)まで、ヨーテボリで行われたスウェーデン最大のブックフェアに行ってまいりました! 今年は、外国の出版社や翻訳者を対象としたスウェーデン文化評議会のフェローシップ・プログラムに呼んでいただき、ひじょうに実りある3日間(正味)となりました。
上の写真はブックフェア開始前夜の会場のようす(搬入作業中)。会場がここまでがらんとしているのは初めて見ました。いつも人でごった返して大変なので……
せっかくなので雑感を書き留めておきたいと思います。
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スウェーデン文化評議会(Kulturrådet、Swedish Arts Council、http://www.kulturradet.se/en/In-English/)は、スウェーデン文学の外国語への翻訳出版を、助成金などさまざまな形で支援しており、今回のフェローシップ・プログラムもその一環です。外国の出版社や翻訳者がヨーテボリ・ブックフェアに参加できるよう、旅費と宿泊費が支給されます。専門家のレクチャーやスウェーデンの出版社・エージェントとのミーティングに参加できるほか、もちろんブックフェア中に行われる作家のトークやセミナーも聴き放題です(英語で行われるものもたくさんあります)。
日本の出版社・スウェーデン語翻訳者の皆様もぜひ!!!
スウェーデン文学普及活動の部署、Swedish Literature Exchangeのウェブサイトはこちら↓です。ニュースレターに登録しておくと、上記フェローシップ・プログラム申し込みの案内も届くはずです。
http://www.kulturradet.se/en/swedishliterature/
参加者は各国の出版社の人と翻訳者とで半々ぐらいだったと思います。出版社は児童書専門のところと一般向けのところが、これも半々ぐらいですかね。興味深かったのが、アゼルバイジャンの出版社の方がいらしていたのですが、アゼルバイジャンはここ100年ぐらいで使う文字が3度も変わったので(アラビア文字→ラテン文字→キリル文字→またラテン)どの文字で読みたいかが世代によって違うのだとか。大変ですね……
アジアの参加者は、ベトナムの出版社の方と私だけでした。寂しい。
さて、今回、翻訳者向けとしては以下のトピックについてのセミナーが行われました。
■スウェーデンの書籍市場
 最近の大きなトピックのひとつはやはり、ストリーミングサービスの普及のようですね。月額定額オーディオブック聴き放題サービスから出発した企業Storytelが、いまはスウェーデンの老舗出版社のひとつNorstedts(『ミレニアム』シリーズの版元もここ)を買収したりして、スウェーデンの三大出版社の一角に名を連ねています。
■児童・ヤングアダルト文学の潮流
 これは刊行点数も売り上げも増えている成長分野。何年か前と比べると、ディストピアものやファンタジーが増えている印象です。
■一般向けフィクションの潮流
 今年の大きなテーマとして挙げられたのは、ディストピアもの(ここでも)、難民・移民、自然・動物、機能不全に陥った家族、クィア・トランスジェンダー、など。もともと注目している作品もありましたが、まだ読んでいない面白そうな本をたくさん紹介されて、ワクワクしました。1日48時間欲しい。レクチャーで挙げられた本のいくつかは、児童文学も含め、Swedish Literature Exchangeが英語で出しているこちらの↓冊子にも紹介されているので、ぜひチェックしてみてください。オンライン閲覧可能。
http://www.kulturradet.se/sv/publikationer_/New-Swedish-Books8/
■一般向けノンフィクションの潮流
 このセミナーでは、ここ数年スウェーデンでベストセラーとなったノンフィクションがひととおり紹介されたのですが、毎年安定して売れているのは健康・フィットネスもの、それに関連したレシピ本、でしょうか。私が長らく愛読しているブログ Food pharmacy の本とか(ブログ英語版もあります)。彼女たちのレシピ美味しいんですよね。スウェーデン語を解する方々にはポッドキャストもお勧めです。笑えます!
 あれ? なんの話だっけ。 
 そうだ、ノンフィクション。そんな中でいまのベストセラーは、故ハンス・ロスリング(Hans Rosling)氏の自伝と『Factfulness』。Factfulnessはビル・ゲイツ氏に紹介されたらしいし、日本でもきっと出ますよね? すごく良い本です。広く読まれてほしい。
■現代のスウェーデン語に起きているさまざまな変化について
 これはもう本当にいろいろあって興味深かったのですが、ひとつ挙げるとするなら、彼(han)でも彼女(hon)でもないジェンダーニュートラルな新しい代名詞 hen が普及して、公的機関の文書や新聞記事などでも普通に使われるようになっている、という点でしょうか。henって出てきたなーと思ってからまだ数年のような気がしますが、大きな変化ですね。その一方で、代名詞 man (英語のoneに近い、人間全般を指すときに使う代名詞、「男」の意味もある)の代わりに en (これこそ英語のone)が使われるようになってきているが、これはまだhenほど広まっておらず、これを使うということはジェンダー問題を強く意識しているサインになる、とのこと。まあこれもすぐに普及するかもしれませんね。
……こんな感じで、フェローシップ・プログラムのあった木曜日と金曜日は、レクチャーやらミーティングやら会食やらにほぼかかりきりでした。なので土曜日は夕方まで残り、好きな作家のトークをひたすらハシゴ。その中からいくつかを(写真を撮ることを思い出したものを、とも言う)ご紹介します。
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土曜日・日曜日はブックフェアの一角がミステリーフェスティバルと化していました。上の写真は、小説の映画化について原作の作家さんたちが語るトークです。いちばん左側でいまお話しされているのがアンデシュ・ルースルンド氏です。その横がシッラ&ロルフ・ボリリンド夫妻、ホーカン・ネッセル氏。
いろいろ面白いネタありましたが、ひとつだけ紹介すると…… ルースルンド氏と故ベリエ・ヘルストレム氏の共著、『三秒間の死角』が、紆余曲折あった末にようやくハリウッドで映画化に至ったようなのですが、この主演がジョエル・キナマン。ルースルンド氏はもう何年も前に、この映画化とはまったく関係のない文脈で、主人公の潜入捜査官ピート・ホフマンの外見はどんなイメージかと訊かれて、「うーん……ジョエル・キナマンみたいな感じ?」と答えたことがあったそうです。時期的には、ハリウッドで活躍しだす前の、『イージーマネー』とかに出てたころのキナマンですね。実際に彼がキャスティングされたのは偶然らしいですが、イメージはぴったりということになりそうです。
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サラ・ストリッツベリ(左)の新作についてのトーク。個人的にとても好きな作家で、実は彼女の短編をひとつ訳したりもしています(スウェーデンミステリーのアンソロジー『呼び出された男』に収録の短篇「カレンダー・ブラウン」)。ちょっとマルグリット・デュラスぽい(ちなみに私の修論はデュラスの作品についてでした。もはや記憶の彼方……)と思っていたら、やはりストリッツベリはデュラスの本の序文を書いたりしています。
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『MORSE―モールス』のヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト氏(中央)と、『わたしは倒れて血を流す』のイェニー・ヤーゲルフェルト氏(左)。ヤーゲルフェルト氏の著作は、上記を訳したこともあってずっと関心をもって追いかけていますが、トランスジェンダー、アスペルガー症候群やADHD、自殺など、なかなか難しいテーマをユーモア交えて描けるのが彼女の強みだと思います。心理学のバックグラウンドがあるからでしょうか。これまでは児童書やYAが中心だったけれど、今回初めて一般向けに出した本が、スランプに苦しむ作家を主人公とした小説なので、このトークは「作家としての失敗や苦しみをどう乗り越えるか」がテーマでした。重いテーマなのに、ふたりとも話が面白すぎて会場ずっと笑いっぱなし。ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト氏はスタンドアップ・コメディアンだったこともあるんですよね。さすがでした。作品はあんな怖いのに……
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またミステリーフェスティバル会場に戻って、国際スパイ・謀略小説を書くお三方のトークへ。中央のヨアキム・サンデル氏は、デビュー作『スパイは泳ぎつづける』を以前翻訳したこともあって、若手作家の中でも注目している人のひとりです。
世界の暗部をえぐり出すような、社会批判的なミステリー小説を書いていると、自分にそのつもりがまったくなくても、不安を煽り極右ポピュリズム政党の支持を増やすことにつながっているのではないか、ということを最近よく考える……とサンデル氏がちらりと口にしていました。だからといって社会批判をやめるのはもちろん本末転倒ですが、ミステリー作家がそういう視点で自身を省みているというのは信頼に値すると思いました。作家としては良質な物語を提供することが第一の目的であっても、スウェーデンや世界でこれだけミステリーが読まれている以上、表現者としての影響は大きいわけで、自分はスリリングな物語を提供しているだけ、では済まされない部分もありますよね。翻訳者としてもそういう視点は持っておくべきかもしれない。私自身はサンデル氏のこの発言を聞いて、彼はいたずらに不安を煽る書き方はしていないし、移民や外国人の登場人物のステレオタイプに陥らない造形がうまい作家でもあるから、ポピュリズム政党に票を投じる人はむしろ読んでみるといいんじゃないかと思いましたが。
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最後に、ブックフェアとは全然関係ない話です。これホテルの壁に掲げられていた装飾(!?)なんですが、なんの数式ですかね……? 私はさっぱりわからなかったから気持ちよく安眠できたけど、わかる人は細かくチェックしちゃって眠れないのではなかろうか。
(雑談も含め)長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。繰り返しになりますが、日本の出版社・翻訳者のみなさま、ヨーテボリ・ブックフェアの参加、ぜひぜひご検討くださいませ……!  私はフェローシップ・プログラムに参加してもしなくても毎年出没しているので、首を長くしてお待ちしております。 
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tkatsumi06j · 6 years
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Prime Minister Justin Trudeau’s Formal Apology to Canada’s LGBTQ Community【全文】カナダのLQBTQコミュニティに対するジャスティン・トルドー首相による公式な謝罪
youtube
公式テキストと動画
Trudeau:
トルドー首相:
Merci, Monsieur Le President.
議長閣下
ありがとうございます。
One of the greatest choices a person can make in their life is the choice to serve their fellow citizens. Maybe it’s in government, in the military, or in a police force. In whatever capacity one serves, dedicating your life to making Canada - and indeed, the world - a better place is a calling of the highest order.
生涯を通じて個人が行う選択のなかで最も偉大な選択のひとつ。それは政府や軍、あるいは警察などに務め、同胞に奉仕することです。どのような立場での奉仕であっても、カナダのために、ひいては世界をよりよくするために奉仕することは、崇高な営みといえるでしょう。
Now imagine, if you will, being told that the very country you would willingly lay down your life to defend doesn’t want you. Doesn’t accept you. Sees you as defective. Sees you as a threat to our national security.
ここで、想像してみてください。命を懸けて守りたいと思う祖国に必要とされないことを。拒絶されることを。欠落のある者だと思われることを。国家安全保障上の脅威だと思われることを。
Not because you can’t do the job, or because you lack patriotism or courage?no, because of who you are as a person, and because of who your sexual partners are.
仕事が「できない」からではありません。愛国心や勇猛さが「欠けている」からではありません。「そういう」個人であり、また性的なパートナーが「そういう」個人であるという理由からです。
Now imagine, Mr. Speaker, being subjected to laws, policies, and hiring practices that label you as different - as “less than.”
議長
ここで想像してみてください。
法律や政策や雇用の実務において、「異端」、あるいは「欠落者」とレッテルを貼られることを。
Imagine having to fight for the basic rights that your peers enjoy, over and over again.
自分の隣人が当然のごとく享受する基本的権利を求めて、来る日も来る日も闘い続けなければならない状況を。
And imagine being criminalized for being who you are.
This is the truth for many of the Canadians present in the gallery today, and those listening across the country.
自分が「そういう者」だからという理由で犯罪者扱いされることを想像してみてください。これは聴衆の中にいる多くのカナダ人にとって、そしてカナダ全土でこの演説を聴いている方がたにとっては、ただの現実です。
This is the devastating story of people who were branded criminals by the government. People who lost their livelihoods, and in some cases, their lives.
これは、政府によって「犯罪者」の烙印を捺された人びとの悲壮な物語です。生活の術を失い、場合によっては、命をも失った人びとの物語です。
These aren’t distant practices of governments long forgotten. This happened systematically, in Canada, with a timeline more recent than any of us would like to admit.
これは遥か遠い昔に忘れ去られた政府の愚行ではありません。これは組織的に、ここカナダにおいて、われわれの誰もが認めくないほど近年にわたって、行われてきたことです。
Mr. Speaker, today we acknowledge an often-overlooked part of Canada’s history. Today, we finally talk about Canada’s role in the systemic oppression, criminalization, and violence against the lesbian, gay, bisexual, transgender, queer, and two-spirit communities.
議長
きょうわれわれは、これまで主に見過ごされてきたカナダの歴史の暗部に光を当てます。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、そしてトゥースピリット(二つの魂を持つ者)のコミュニティに対して行われてきた組織的な抑圧、犯罪化、そして暴力において、カナダ政府が果たしてきた役割を認める時が遂に来たのです
And it is my hope that in talking about these injustices, vowing to never repeat them, and acting to right these wrongs, we can begin to heal…
そして私の願いは、こうした不正義の数々を公に語ることで、二度と繰り返さないことを誓うことで、そしてこれらの悪行を正すことで、癒しのプロセスの始まりとすることです…
Discrimination against LGBTQ2 communities was quickly codified in criminal offences like “buggery,” “gross indecency” and bawdy house provisions.
カナダでは、LGBTQ2コミュニティに対する偏見や差別をいちはやく犯罪化しました。「獣姦」「重大なわいせつ行為」そして家庭内における卑猥な行為を抑圧する条例によって。
Bathhouses were raided, people were entrapped by police.
われわれは、更衣室を強制的に取り締まり、警察は人びとを拘束しました。
Our laws bolstered and emboldened those who wanted to attack non-conforming sexual desire.
われわれは、社会の意に沿わない性的要求を糾弾することが正当化され、強化されるような法律を制定してきました。
Our laws made private and consensual sex between same-sex partners a criminal offence, leading to the unjust arrest, conviction, and imprisonment of Canadians. This criminalization would have lasting impacts for things like employment, volunteering, and travel.
われわれは、同性同士の間で行われる個人的で同意のある性交を刑法上の犯罪行為としました。これにより、カナダ人が不当に逮捕、起訴され、投獄されました。この犯罪化により、就職や社会奉仕活動、渡航を行う上で、長く消えない傷跡を残してしまいました
Those arrested and charged were purposefully and vindictively shamed. Their names appeared in newspapers in order to humiliate them, and their families.
われわれは、逮捕・起訴された人びとを意図的に、かつ、執拗に辱めました。彼らとその一族を侮辱するために彼らの名前は新聞に掲載しました。
Lives were destroyed. And tragically, lives were lost…
生活が破壊され、そして悲しむべきことに、命が失われました。
Over our history, laws and policies enacted by the government led to the legitimization of much more than inequality?they legitimized hatred and violence, and brought shame to those targeted.
カナダ史において、政府が施行した法や政策によって、単なる不平等を越えるものが正当化されました。憎悪や暴力、そして標的とされた者を侮辱することが、正当化されたのです。
While we may view modern Canada as a forward-thinking, progressive nation, we can’t forget our past: The state orchestrated a culture of stigma and fear around LGBTQ2 communities. And in doing so, destroyed people’s lives.
多くの人は、現代のカナダを前向きで進歩的な国だと思っているかもしれません。しかし、国家がLGBTQ2コミュニティに対するスティグマ化と恐怖の文化を統制し、それにより人びとの一生を破壊してきたという、われわれの過去を忘れてはなりません。
Mr. Speaker, a purge that lasted decades will forever remain a tragic act of discrimination suffered by Canadian citizens at the hands of their own government.
議長
何十年ものあいだ継続して行われた粛清は永遠に、カナダ人に対して行われたカナダ政府による悲劇的な差別行為として歴史に記憶され続けます。
From the 1950s to the early 1990s, the government of Canada exercised its authority in a cruel and unjust manner, undertaking a campaign of oppression against members, and suspected members, of the LGBTQ2 communities.
1950年代から1990年のはじめまで、カナダ政府はその権能を容赦なく、かつ、不当に行使し、LGBTQ2コミュニティの一員である人びと、または一員であると思われる人びとに対して組織的な抑圧を行いました。
The goal was to identify these workers throughout the public service, including the foreign service, the military, and the RCMP, and persecute them.
その目的は、外務、軍務、警務等のあらゆる公務で働く人びとの中からこれらの人びとを選別し、迫害することにありました。
You see, the thinking of the day was that all non-heterosexual Canadians would automatically be at an increased risk of blackmail by our adversaries due to what was called “character weakness.”
当時われわれは、非異性愛主義者のカナダ人は自動的に、「人格的脆弱性」と呼ばれる要因により、敵側による恐喝のリスクに晒されると考えていました。
This thinking was prejudiced and flawed. And sadly, what resulted was nothing short of a witch-hunt.
これは偏見に満ちた、誤った考え方でした。そして、その結果、魔女狩りとしかいいようのない状況が現出したのです。
The public service, the military, and the RCMP spied on their own people, inside and outside of the workplaces. Canadians were monitored for anything that could be construed as homosexual behaviour, with community groups, bars, parks, and even people’s homes constantly under watch.
公務、軍務、警務に携わる者は、職場の中と外で同胞を監視しました。同性愛行為を行うカナダ人は常に監視に置かれました。コミュニティのグループや、バー、公園、そして自宅までもが、常に監視の対象とされたのです。
During this time, the federal government even dedicated funding to an absurd device known as the Fruit Machine - a failed technology that was supposed to measure homosexual attraction.
そのあいだ、政府は当時「同性愛者発見機(フルーツ・マシン)」といわれた滑稽な機器を運用する資金まで提供していました。同性愛者を惹きつける力を計測できるという、まったくデタラメな技術でした。
When the government felt that enough evidence had accumulated, some suspects were taken to secret locations in the dark of night to be interrogated.
こうして十分な証拠が集まったと判断すると、政府は闇夜に紛れて容疑者らを秘密の場所に連行し、尋問しました。
They were asked invasive questions about their relationships and sexual preferences. Hooked up to polygraph machines, these law-abiding public servants had the most intimate details of their lives cut open.
容疑者らは、恋人関係や性的指向など、プライバシーを侵害するような質問を浴びせられました。 法令に忠実な公務員らは、 嘘発見器に繋がれ、最も個人的な秘密までを吐露しなければなりませんでした。
Women and men were abused by their superiors, and asked demeaning, probing questions about their sex lives. Some were sexually assaulted.
男女違わず、上司に虐待的仕打ちを受け、性生活に関する侮辱的で詮索的な質問を浴びせられました。なかには、性的暴行を受けた者もいました。
Those who admitted they were gay were fired, discharged, or intimidated into resignation. They lost dignity, lost careers, and had their dreams?and indeed, their lives?shattered…
ゲイだと認めた者は解雇、追放、または圧力により強制的に辞職させられました。尊厳も、職も、そして夢も奪われ、文字通り、人生を粉々に砕かれました。
Under the harsh glare of the spotlight, people were forced to make an impossible choice between career and identity.
強い光を顔面に照射されるなか、彼らは職とアイデンティティのいずれを選ぶかという、不可能な選択を突きつけられました。
The very thing Canadian officials feared?blackmail of LGBTQ2 employees?was happening. But it wasn’t at the hands of our adversaries; it was at the hands of our own government.
LGBTQ2の従業員らを恐喝するという、カナダ当局が恐れた行為は、実際に行われていました。ただし「敵」によってではなく、自国の「政府」によって。
Mr. Speaker, the number one job of any government is to keep its citizens safe. And on this, we have failed LGBTQ2 people, time and time again.
議長
どの政府においても、その第一の責務は、国民を守ることにあります。わが国はこの責務を、LGBTQ2の人びとを保護する責務を、幾度となく怠りました。
It is with shame and sorrow and deep regret for the things we have done that I stand here today and say: We were wrong. We apologize. I am sorry. We are sorry.
われわれがかつて行ってきたことを恥じ、悲しみと深い後悔の念を抱きながら、私はきょう、こう表明させていただきたい。われわれは間違っていました。謝罪いたします。お詫びいたします。国としてお詫び申し上げます、と。
For state-sponsored, systemic oppression and rejection, we are sorry.
国を挙げて組織的な抑圧と迫害を行ったことをお詫びいたします。
For suppressing two-spirit Indigenous values and beliefs, we are sorry.
土着のトゥースピリット の価値観や信仰を抑圧したことをお詫びいたします。
For abusing the power of the law, and making criminals of citizens, we are sorry…
法を悪用し、国民を犯罪者に仕立てあげたことをお詫びいたします。
To all the LGBTQ2 people across this country who we have harmed in countless ways, we are sorry.
国全体を通じて数多の方法で危害を加えられたすべてのLGBTQ2の方がたへ、お詫びいたします。
To those who were left broken by a prejudiced system;
And to those who took their own lives?we failed you.
偏見に満ちた制度により心身ともに壊れてしまった方がた。
自ら命を絶ってしまった方がた。 われわれは、責務を怠りました。
For stripping you of your dignity;
For robbing you of your potential;
For treating you like you were dangerous, indecent, and flawed;
We are sorry.
あなた方の尊厳をはく奪してしまったこと。あなた方の可能性を奪ってしまったことを、あなた方を危険視し、「わいせつ」であるとか「欠落している」としてしまったことを、お詫びいたします。
To the victims of the purge, who were surveilled, interrogated, and abused;
粛清の犠牲となった方がた。監視された方がた。
尋問された方がた。そして虐待された方がた。
Who were forced to turn on their friends and colleagues;
友人や同僚を密告せざるを得なかった方がた。
Who lost wages, lost health, and lost loved ones;
職を失い、健康を損ない、愛する者を喪った方がた。
We betrayed you. And we are so sorry.
わわれわれはあなた方の信頼に背きました。
謹んでお詫びいたします。
To those who were fired, to those who resigned, and to those who stayed at a great personal and professional cost;
解雇された方がた。辞職させられた方がた。そして個人的にも職業的にも多大なリスクを負いながらも、職に留まることを選択した方がた。
To those who wanted to serve, but never got the chance to because of who you are?you should have been permitted to serve your country, and you were stripped of that option.
兵役に服したかったが、素性によって、服役する機会を得られなかった方がた。あなた方には国に奉仕する機会が認められるべきでした。なのに、あなた方にはその選択肢すら与えられませんでした。
We are sorry. We were wrong.
申し訳ありませんでした。われわれが間違っておりました。
Indeed, all Canadians missed out on the important contributions you could have made to our society.
じっさい、多くのカナダ人が、あなた方が我々の社会にもたらしたであろう多大なな貢献の数々を享受する機会を奪われました。
You were not bad soldiers, sailors, airmen and women. You were not predators. And you were not criminals.
あなた方はけっして、男女ともに、素養のない兵士や、水兵や、空兵であったわけではありません。あなた方はけっして、「略奪者」ではなかった。そしてあなた方はけっして、「犯罪者」ではなかった。
You served your country with integrity, and veterans you are.
あなた方は誠実に国に奉仕し、退役されました。
You are professionals. You are patriots. And above all, you are innocent. And for all your suffering, you deserve justice, and you deserve peace.
あなた方はプロフェッショナルです。あなた方は愛国者です。
そしてなによりも、あなた方に罪はありません。
あなた方の味わった苦しみには、相応の正義がなされるべきです。
そしてあなた方には、心の平穏がもたらされるべきです。
It is our collective shame that you were so mistreated. And it is our collective shame that this apology took so long?many who suffered are no longer alive to hear these words. And for that, we are truly sorry.
あなた方が社会によって不当な扱いを受けたことには、われわれ全体が恥ずべきことです。そして、この謝罪を行うのに、これほどまでの時間を要したことを、われわれは全体として恥じなければなりません。苦痛を味わった多くの方がたは、この言葉を聴くまで命を長らえることができませんでした。
そのことについて、われわれは大変申し訳なく思っております。
To the loved ones of those who suffered;
苦しみを味わった方がたの愛する方がた。
To the partners, families, and friends of the people we harmed;
危害を加えられた方がたのパートナー、ご家族、そしてご友人の方がた。
For upending your lives, and for causing you such irreparable pain and grief?we are sorry…
人生をひっくり返し、生涯癒えない痛みや悲しみを生じさせてしまったことを、心よりお詫びいたします。
We also thank members of the We Demand an Apology Network, our LGBTQ2 Apology Advisory Council, and the Just Society Committee for Egale, as well as the individuals who have long advocated for this overdue apology…
「謝罪を求めるネットワーク」の方がた 「LGBTQ2謝罪諮問評議会」 「エガールの公正な社会を求める委員会」 そしてこのあまりにも遅い謝罪を長く求め続けてこられた、 すべての個人の方がたへ。
感謝申し上げます。
We must remember, and we will remember. We will honour and memorialize the legacy of those who fought before us in the face of unbearable hatred and danger.
われわれは記憶に刻み込まなければなりません。 そして忘れません。
堪えがたい憎悪と危険に接しながらも、闘い続けてきた先人達の 名誉を尊び、その伝承を称え、記憶しつづけます。
Mr. Speaker, it is my hope that we will look back on today as a turning point. But there is still much work to do.
議長
私はきょうこの日を一つのターニングポイントとして、いつか振り返る日が来ることを願ってやみません。しかし、われわれにはまだまだ為すべきことがあります。
Discrimination against LGBTQ2 communities is not a moment in time, but an ongoing, centuries-old campaign.
LGBTQ2コミュニティに対する差別は、一過性のものではありません。数百年にわたって、いまも息づく「運動」なのです。
We want to be a partner and ally to LGBTQ2 Canadians in the years going forward. There are still real struggles facing these communities, including for those who are intersex, queer people of colour, and others who suffer from intersectional discrimination.
今後われわれは、LGBTQ2のカナダ人のパートナーであり同胞でありたいと思います。これらのコミュニティのなかには、いまでも苦悩に接している方がたがいます。インターセックスの方がた。有色人種のクィアの方がた、そして同族嫌悪の差別に苦悩する方がたです。
Transgender Canadians are subjected to discrimination, violence, and aggression at alarming rates. In fact, trans people didn’t even have explicit protection under federal human rights legislation until this year…
トラスジェンダーのカナダ人は、警戒すべきほどに差別され、暴力や攻撃の対象とされています。実際、今年になるまで、トランスの人びとを固有に保護する連邦の人権法は存在しませんでした。
And, Mr. Speaker, I am proud to say that earlier today in this House we tabled the Expungement of Historically Unjust Convictions Act. This will mean that Canadians previously convicted of consensual sexual activity with same-sex partners will have their criminal records permanently destroyed.
そして議長、
私は、きょうこの日に、この議場において、「歴史的に不当な起訴の抹消法案」を提出したことを誇りを持って申し上げたい。これはつまり、これまで同性愛のパートナーと同意のある性的行為に及んだことで起訴されたカナダ人は、その犯罪履歴を永久に抹消されるということです
Further, I am pleased to announce that over the course of the weekend, we reached an agreement in principle with those involved in the class action lawsuit for actions related to “the purge.”
さらに、われわれ政府はこの週末を通じて、『粛清』に関わる集団訴訟に関わる人びとたちと和解に達したことをご報告したいと思います。
Never again will our government be the source of so much pain for members of the LGBTQ2 communities.
わが国政府は二度と再び、LGBTQ2コミュニティの人びとに対する苦悩の根源とはなりません。
We promise to consult and work with individuals and communities to right these wrongs and begin to rebuild trust. We will ensure that there are systems in place so that these kinds of hateful practices are a thing of the past. Discrimination and oppression of LGBTQ2 Canadians will not be tolerated anymore…
これらの過ちを正すため、われわれは個人やコミュニティと相談し、信頼関係を構築することをお約束します。こうした憎悪に依った慣習が過去のものとなるよう制度を確実に構築します。LTBTQ2のカナダ人に対する差別や抑圧はもはや容認されません。
Mr. Speaker, Canada’s history is far from perfect.
議長 カナダの歴史は完璧とは程遠いものです。
But we believe in acknowledging and righting past wrongs so that we can learn from them.
しかし過去の過ちを正し、そこから学ぶことができると、われわれは信じています。
For all our differences, for all our diversity, we can find love and support in our common humanity.
あらゆる相違、多様であることについて、われわれは愛し合い、支え合うことを、人類の共通項として見出すことができます。
We’re Canadians, and we want the very best for each other, regardless of our sexual orientation, or our gender identity and expression. We will support one another in our fight for equality.
われわれはカナダ人です。そしてわれわれは、性的指向やジェンダーの自己認識や表現にかかわらず互いに最良を望みます。
平等を目指し、互いに支え合います。
And Canada will stand tall on the international stage as we proudly advocate for equal rights for LGBTQ2 communities around the world.
また国際的なステージにおいても、カナダは毅然と、世界中のLTBTQ2コミュニティに対する平等な扱いを求めてゆきます。
To the kids who are listening at home and who fear rejection because of their sexual orientation or their gender identity and expression;
自宅でこの演説を聴いていて、自分の性的志向やジェンダーに対する意識や表現が拒絶されることをおそれる少年少女の皆さん。
And to those who are nervous and scared, but also excited at what their future might hold;
そして将来について、怖くて不安だけれども、希望を抱きつづけている皆さん。
We are all worthy of love, and deserving of respect.
私たちはみな、互いに愛し愛され、尊敬に値する存在です。
And whether you discover your truth at six or 16 or 60, who you are is valid.
あなたが自分の真実を6歳の時、あるいは16の時、あるいは60の時に知ったとしても、あなたが何者であるかは変わりません。
To members of the LGBTQ2 communities, young and old, here in Canada and around the world:
You are loved. And we support you…
老いも若いも含めたLGBTQ2コミュニティのすべての皆��ん。
ここカナダにおいて、そして世界中において、あなた方は愛し愛されるべき存在であり、われわれはあなた方を支えてゆきます。
To the trailblazers who have lived and struggled, and to those who have fought so hard to get us to this place: thank you for your courage, and thank you for lending your voices. I hope you look back on all you have done with pride.
草分けとなって苦難の時代を生き延び、闘い抜いてきた皆さん。そしてきょうこの状況にわれわれを追い込むために闘い続けてきてくれた皆さん。
あなた方の示したくださった勇気に感謝します。そしてわれわれにあなた方の声を託してくださったことに感謝します。あなた方が何を成し得たのか、振り返って誇りに思ってくださればと思います。
It is because of your courage that we’re here today, together, and reminding ourselves that we can, and must, do better.
あなた方が勇気を示してくださったおかげで、われわれは今日ここにともに集い、よりよい世界を目指すことができると信じられるのであり、また、そうでなければならないのだということを心に刻むことができたのです。
For the oppression of the lesbian, gay, bisexual, transgender, queer, and two-spirit communities, we apologize. On behalf of the government, Parliament, and the people of Canada: We were wrong. We are sorry. And we will never let this happen again.
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、トゥースピリットのコミュニティの方がたを抑圧したことについて、お詫びいたします。政府、議会、そしてカナダ国民を代表して述べさせていただきます。
われわれは間違っておりました。
申し訳ありませんでした。
このようなことは二度と繰り返しません。
Thank you, Mr. Speaker.
議長閣下、ありがとうございます。
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alpaca1 · 4 years
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アップルがiOS 14.2をリリース、100以上の絵文字とLiDARで近くの人を検知する新機能を搭載 Apple(アップル)は米国時間11月15日、iOS 14.2をリリースした。アップデートには複数の新機能だけでなく、いくつかの重要なバグ修正とセキュリティの更新が含まれているが、特に今回のリリースでは100以上の新しい絵文字の追加がアピールされている。 絵文字にはトランスジェンダーの旗、涙を浮かべた笑顔、つままれた指、2人が抱き合う姿、いくつかの昆虫や動物、変装した顔などが含まれている。新バリエーションとしては、サンタクロースやミセスクロースの代わりに、性別を問わないMxクロースが追加された。タキシードは男性に限定されなくなり、ベールは女性に限定されなくなっている。タキシードを着た女性とベールをかぶった男性の絵文字を一緒に送ることができる 今回のリリースでは、iPhone 12 ProとPro Maxを使う目が不自由なユーザーのためのアクセシビリティ機能も追加されている。内蔵するLiDARセンサーにより、iPhoneのカメラの視界にいる人の存在と距離を検出することができるようになっている。 目の前に6フィート以上離れた人がいる場合や人が近づいてきた場合にそれぞれ別のアラートを出す機能は新型コロナウイルスのパンデミックが収束しても有用だろう。ステレオオーディオのアラートだけでなく、人が近づくにつれて速くなる触覚パルスを設定することも可能だ。 またiOS 14.2では、新しい壁紙や、音量が大きすぎる場合のヘッドフォンのオーディオレベル通知、AirPlayのコントロールのデザイン変更といったマイナーな機能も追加されている。 アップルはHomePod Miniを発表した際、同社は家にいる別のアップルユーザーと会話ができる新しいインターカム機能について触れたが、今回のソフトウェアアップデートではiPhone、iPad、Apple Watch、AirPods、CarPlayのインターカムサポートが追加されている。 AirPodsは最適化されたバッテリー充電ができるようになった。これは、iPhoneの最適化されたバッテリー充電と同じように動作するものだ。寝る前にAirPodsの電源を入れても、フルスピードで充電されることはない。その代わりに、iPhoneに目覚める直前にAirPodsを100%に充電するように指示できるため、バッテリー寿命が改善するはずだ。 またアップルは、iPadOS 14.2とwatchOS 7.1もリリースしている。韓国とロシアのApple Watchユーザーは、最新のApple Watchで心電図機能を試せるようになっている。 アップデートの際は、必ずデバイスのバックアップをとっておこう。iPhoneまたはiPadで設定アプリを開き、上部のアカウント情報をタップし、iCloudのバックアップが最新のものであることを確認しよう。または、iOSデバイスをコンピュータに接続して、iTunesまたはFinderで手動バックアップを行うこともできる。設定アプリを開き、「一般」から「ソフトウェアアップデート」を選択することでアップデートを始めることができる。 関連記事 ・アップルがiOS 14.2で男女兼用のMxクロースやタキシードを着た女性などの新絵文字を追加、忍者もあり ・iPhoneが目が見えない人に他人の接近とその距離を知らせる機能を搭載する ・アップルが約1万円のHomePod miniを発表 カテゴリー:ソフトウェア タグ:Apple、iOS、iOS 14 画像クレジット:Apple [原文へ] (翻訳:TechCrunch Japan) Source: テッククランチ・ジャパン
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gunosy-news · 4 years
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映画祭で「男優賞/女優賞」の区別が廃止!賛否両論の声が集まる
集計期間:2020年8月日~8月日 回答数:16289
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世界3大映画祭のひとつであるベルリン国際映画祭が、今後「男優賞」「女優賞」といったジェンダーの区別をなくすと発表しました。今後は「最優秀主演賞」と「最優秀助演賞」が新たに設置されるということです。
そこで今回は、「映画祭で男優賞/女優賞といったジェンダーの区別をなくすのは妥当か」について意識調査を行いました。
映画祭の男優賞と女優賞を廃止するのは妥当だと思いますか?
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回答者16289名のうち、映画祭の「男優賞/女優賞」廃止は妥当だと思う方は全体の約47.8%、妥当ではないと思う方が約52.2%とほぼ拮抗する結果になりました。
ここからはそれぞれの意見を見ていきましょう。
妥当だと思う
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<時代の流れ、ジェンダー>
・今の時代、男女の区別で賞を与えるべきではないと思う。
・こういう時代になった訳で、男性、女性の垣根がいらないのであろうなと、それならいっそジェンダー賞を作ってしまうのも良いのではないでしょうか。
・出演俳優に対しての賞自体は良いと思う。ただ、そこに性別を分けるのは時代に合わない慣習と感じるので変えていくのは必要と考える。
・海外は差別に敏感だから、導入して良いと思う。
・最近、日本でも女優という言葉が使われず、俳優でまとめられるようになった。それでいいと思う。
・俳優さんにも、トランスジェンダーの方がいたら、男女の区別が問題になると思うので、妥当だと思います。
・LGBTQな人も演者を目指す目標になり多様性受容の観点から妥当な流れだと思う。
<賞の種類を増やすべき?>
・妥当だと思うが受賞の枠を増やすべき
・寂しい気がするが、妥当だと思う その代わりに、受賞できる種類を増やして欲しい。最優秀、助演賞は、必要ない。分野別に、受賞できるなどに、して欲しい
・男女の部分を別の言葉にしてユニーク賞や貢献賞やグルメ賞や達人賞のような賞の種類を増やすと関心を持つ人も増えると思います。
<演技に性別は関係ない?>
・演技に性別は、関係ないと思います
・性別関係なく本当に上手い人が賞を取るのは良いことじゃないですか。素晴らしい改革だと思います。
・そもそも最優秀を2種類用意する事がおかしい。男であろうが女であろうが、最優秀は1人であるべき。世界的に問題になっているジェンダー差別に対するアピールではなく、単純に最優秀は最も優れているという事なので1人であるべきと思う。
・スポーツとは違い、性差による身体能力の差で演技の良し悪しが決まるものではないから、そもそも男女で賞が分かれてること自体にあまり理由がないように思える。例えば監督賞や音楽部門の賞は男女に分かれているか?と考えれば廃止しても構わないのでは。
・差別とか主張している方が、逆に差別している気もするが、気にする人がいるのも事実なのでそうした動きはいいのではないかと思う。
妥当ではないと思う
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<男優と女優は別物、性差別を持ち込むべきではない>
・男女で役柄や役割の違いがあるので賞は分けたほうが良いと思う
・男優、女優としての役割はあると思う。差別というより区別。性差が全て悪というのも違和感がある。
・男優には男優の、女優には女優の、メソッドや見せ場や華がある。何でもかんでも、男女の区別を撤廃すれば良いという訳でもない。一連の動きには、不気味さと、ある種のファシズムすら感じる。
・男性、女性それぞれに役の表現、口調等に[らしさ]が溢れる演技の情にかなりの違いが有ると思うので男優賞、女優賞と評価されるべきと思う。性別の区別との差別とはまったく別の話と捉える事柄と思う。 
・そこに男女差別を持ち込むのは、もはや個性の無視でしかない。男優と女優は別物。そもそもどちらが上とかない。
・俳優賞、子役賞、男優賞、女優賞の4つに分けるなど細分化するのはアリだと思うが、物語と役どころによって演者に求められるものは違うし、違う、ということをジェンダー差別と同一視するのは安直。
・性別に関係なく男性の役なら男優賞、女性の役なら女優賞、どちらでもないならフリージェンダー賞にすれば良いと思う。
・男女平等とは言われているけど、演技に関しては男性ならではの、そして女性ならではの自分の性別での表現力があると思う。LGBTの人たちの人権はもちろん大事だけど、演技の表現力にそういった権利を持ち込まれてもって思ってしまう。それぞれノーマルの男性が女性を、女性が男性を表現して演技してもやはりLGBTの人にしか見えない。それに今の映画を観てもまだまだ半数以上の作品は男優が主演を務めているので、女優の受賞がなかなか出ない可能性もある。そうなると男優ばかり受賞して差別じゃないかって声も上がると思う!
<敏感すぎるという意見も>
・何でもかんでも男女の区別に目くじらをたてる風潮の方が怖い
・性差別っていうんでしょ。お祭りなんだから別々の賞があったっていいでしょ。
・なんか、何でもかんでも男女の壁を無くすために躍起になりすぎ。その前に、やる事はあるのでは?と思う。
・そこまでジェンダーと言うことに拘らなくても良いのかなと思います。逆にジェンダーと言う言葉に縛られすぎている気がします。男でも女でもどちらもピンとこない人も大人も子供も老齢の方もみんな「その人」として生きられる事が大事なのではないでしょうか。
・いい加減配慮し過ぎ。差別するのはいけないと思うが、なんでもかんでも男女の差を無くすのはどうかと思う。そのうち人類中性じゃないと差別されるような気さえする。
<言い出したらキリがない?>
・こんなところまで男女の差をなくそうとするなんてバカみたい。それだったらトイレも浴場も一緒にすれば?
・意識しすぎ。ジェンダーレス対応なんだろうなと思うけど、そんなのやってたらジュノンボーイも美少女コンテストもなくなる。それ目指して頑張るような目標物はあり続けてほしい。
・男性だけ、女性だけなら問題あるけど男性しか出来ない演技、女性しか出来ない演技は有ると思う。究極論になるがだったらスポーツもトイレも男女の区別は無くて良いとのことになるが女性の方が混合を嫌���と思う。お風呂にしても、電車にしてもである。
・男優と女優で演じ方は変わってくるので、ジェンダーとは関係ないと思う。そんなこと言ってたら、スポーツも男女に分けるなってことになりかねず、競技によっては、女性が全く成績を残せない弊害も出てくる。今回の件に関しては、男女差別と男女区別を履き違えている問題だと感じる。 
・同一の賞に統合しても、結局は男女比で差別されてる等言い始めるだろうなと思っている
・男性の方が人数が多いと思うので男女で分けていた方がそれぞれで表彰されて良いと思う
・仮に男優賞、女優賞を廃止し、1つの賞だけとした場合。主演や助役まで男性が受賞した時は男尊女卑だと声高に叫ぶに違いない。そういった声を受けて、なるべく性差の無いような審査にしたならば、それは公平さの欠片も無い無駄な賞となる。ジェンダーフリーを目指す訴えをするなら、銭湯やトイレや電車の車両まで全て統一しろと叫べば良い。そうしないのは、自分たちだけの価値観の中で都合の良い事しか訴えない為。そんな訴えを聞く必要は無い。特に男優賞・女優賞は、賞を贈る側が役者に向けて贈る賞。第三者の見解など不要。
<その他>
・タイのように、生まれた性でも無く、今演じた性でいいと思う。 
・芸術の評価を賞レースで競ったりすること自体が時代錯誤も甚だしい事だと思う。男性女性の問題ではなく演技賞自体を廃止するべきだと思う。
・なんでもかんでも平等…。男性の方が向いてる事・出来ない事、女性の方が向いてる事・出来ない事、有ると思うのですが…。それにしても、何かあれば男のクセにとか、女の私にそんな事…とか、平等を口にするならそんな逃げ道は卑怯とも思うのです。
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yomirenshuu · 7 years
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about municipal politics in Sapporo
so, the other day, I got this political pamphlet published by some member of the city council called 成田ゆうき, a politician of the 民進党
We have several topics ranging from childcare, Maruyama Zoo, disabled people, construction of a new cultural center and the Naebo Station, the new possibility of registering a same sex partnership and some economic information on the ongoing fiscal year.
can someone tell my the meaning of だより?
Have fun practicing:
札幌市議会議員
成田ゆうき 市政だより Vol. 5
発行元 札幌市議会 民進党市民連合
  第一回定例市議会
2月21日からスタートした2017年第一回定例市議会にて、会派代表質問を行いました。
質問の一部を掲載いたします。
    ①苗穂駅北口のまちづくりについて
   Q 成田祐樹
2019年にアリオの裏側(北5条東10丁目・JR社員研修センター跡地)において移転橋上化される新たな苗穂駅に期待が持たれるが、苗穂駅北側のまちづくりについての方向性は?
 A 市側
駅までのアクセス向上や既在道路を活かした歩行者ネットワークの形成とともに、将来的な波及効果の高い土地利用等を推進することを目指している。今後も民間の土地利用動向などを踏まえ、地域に関わる住民・企業・行政等のパートナーシップにより、まちづくりの目標実現に向けて取り組んで行く。
  ②除排雪について
   Q 成田祐樹
12月の大雪の対応などについて、期待的に除排雪に関する準備を全て行うのは難しいと思われるが、色々と改善すべき点があるのでは?
 A 市側
土木工場の残る12月のダンプトラックの確保について、排雪作業最盛期と同様の台数を確保するのは難しい状況であるが、今後はたい積場の早期開設などを実施、効率的な排雪作業を行うことで市民生活への影響を最小限にとするよう努める。除雪作業者への支援については、市保有車の増強や更新を進めると共に、作業者への除雪機械購入費補助については新潟市の補助制度内容や導入の背景をについて調査したい。
③周産期医療について
   Q 成田祐樹
札幌周辺市町村の周産期医療が近年は縮小傾向にあり、その結果、道央圏の患者が札幌に集中してきたことで、医療機関の更なる疲弊化が危惧されるがどのように考えているか。
 A 市側
周産期医療を取り巻く状況については札幌市においても激しいものと認識しており、以前から危機感を持って取り組んでいる。これまで、産婦人科救急相談電話を開設し、市民の電話相談に応じるとともに、救急患者の搬送先調整を行っている。今後も産婦人科医療機関や関係団体からの意見をふまえ、北海道とも連携を図りながら周産期医療を安定的に維持できるよう努めていく。
                
子育てについて 
 札幌市の待機児童対策において、2016年度に保育所整備による保育定員を拡大するとともに、保育人材の確保に向けた「保育士・保育所支援センター」を開設したほか、第一回定例会に提出された2017年度予算案においてもアクションプランを大きく上回る1000人以上の保育定員の拡大を盛り込みました。
また3歳未満の第2子保育料の無料化の実施や、幼稚園での一時預かりの拡大、児童相談所の体制強化や不育症治療に対する女性の実施を決定いたしました。これからも子育て支援へのより一層の拡大を目指しています。
(平成) 29年度 保育所整備補助における定員増
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 the graphic above shows the increase in personnel in childcare facilities
the information is divided into type of facility (施設区分), number of personnel (定員), number of cases/events (件数) (whatever that means) and the increase in personnel (定員増).
the facilities are further divided into 私立保育所, 認定こども園 and small-scale facilities (小規模)
円山動物園について
 ホッキョクグマ・アザラシ館の本格的な工事がスタートしました。外国からの個体導入も可能な国際基準を満たした大型プールが特徴的と言われている大規模施設です。希少動物が安全で健康に過ごせる生息環境にはもちろん最優先での配慮をしつつも、循環型社会の形成や飼育業務の効率化等の視点からプールの維持管理にあたっては水循環処理装置を導入し、常時きれいな水質を管理することや水道代の削減に取り組んで行きます。ホッキョクグマ・アザラシ館は2017年秋頃の竣工予定です。
  障がい者支援ついて
 建設を進めていた市立札幌みなみの社高等支援学校は、2017年4月に開校いたします。自立通学が可能な知的障がいのある生徒を対象とした特別支援学校の高等部のみを設置した学校であり、近年、高等支援学校に進学を希望する生徒が増える中において、市内における同様の学校は北区と手稲区の市北西部に偏在し、市南部の生徒に遠距離通学の負担を強いていたことから、市南部に設置しました。
 札幌市における障がい者スポーツへの支援を一層拡充していきます。障がいのある方がスポーツを通じて、お互いの理解と親睦を深めるとともに体力の向上や自立の意欲を高め、競技等を通じてスポーツの楽しみさを体験するとともに、社会の障がい者に対する理解を深め、また、ノーマライゼーションの理念の浸透を図っていく為にも、障がい者スポーツ大会の開催や全国障害者スポーツ大会への派遣、またスポーツに関わる機材・備品の購入などへの予算措置を今後も進めていきます。
  市民交流プラザについて
 現在建設されている札幌市民交流プラザ(北1西1)は2018年3月に竣工する予定です。国内外の優れた舞台芸術やさまざまな公演を鑑賞できる「札幌文化芸術劇場」、市民の文化芸術活動をサポートし、札幌の文か芸術を支え、育てていく「札幌文化芸術交流センター」、都心に集う人々に仕事やくらしに役立つ情報を提供する課題解決型図書館「札幌市図書・情報館」の3つからなる複合施設となります。
  親苗穂駅について
現在、アリオ裏側(JR北海道研修センター跡地)で苗穂駅移転橋上化工事が始まっています。苗穂駅を都心側に約300m移転させ橋上駅舎化し、関連する公共施設や民間都市開発との連携により、地域におけるまちづくり上の課題解決を図り、都心居住の受皿や回遊性を向上させる東側の拠点を形成しています。現在は分断されている南北に連絡通路ができ、新たな苗穂駅には北口と南口が設けられます。周辺の道路整備も含めて、今後積極的に取り組んで行くよう議会で提言して参ります。新たな苗穂駅は2019年に完成予定です。
LGBTについて
 本年6月から札幌市においてパートナーシップ制度が開始されます。性的マイノリティー(LGTB)を持つカップルを公的に認める制度を導入することで、今回の制度は法的な義務生ずるものではありませんが、性の多様性を認めることでひとり一人の人権が尊重されることを目的とされています。同様の制度は東京都渋谷区や世田谷区など5自治体で始まっており、政令指定市  では初めての導入となります。対象は札幌市在住の20歳以上のカップルで、市役所の男女共同参画室を訪れ、職員の前で宣誓書を記入して、提出すれば、証明を受け取れます。同性だけでなく、異性のカップルも利用できるようにしたのが特徴でもあり、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の場合、戸籍上は異性のカップルであっても、それが自ら考える性での結婚とはならない場合がある事も配慮しています。
 国際的にも性的マイノリティに対する支援の声は広がっており、ます。国連は2010年12月、ニューヨークで性的マイノリティの平等に関する演説を行い、世界各国での同性愛の犯罪指定解除のほか、性的マイノリティの人々に対する暴力や差別に取り組む措置を求めました。「私たちは良識ある男女として、差別全般、特に性的指向や性同一性に基づく差別を拒絶します。文化的な意識と普遍的人権の間に緊張がある場合には、人権を優先させなければならない」と発言をいたしました。
 また、IOC・国際オリンピック委員会は2014年12月に総会にて「オリンピック憲章に性的指向による差別禁止を盛り込む」との決議がされました。性的マイノリティの権利保護に力を入れてきた事によって、アメリカの報道機関の発表ではリオデジャネイロ五輪は性的マイノリティの参加者数において少なくとも41人が出場し過去最高となったと伝えられました。冬期オリンピック・パラリンピックの招致を目指す札幌市においても、このIOCの決議を踏まえると性的マイノリティへの対応が招致には不可欠となっています。
 また、性的マイノリティに対する理解は日本国内でも少しずつ広がりをみせており、民間企業においても様々な制度が増えてきました。電機メーカなど大手企業が同性パートナー同士を配偶者とみなす社内制度を設けたり、各通信会社においては家族割を導入、航空会社ではマイレージサービスプログラムの共有が可能になるなど、普段の生活の中においても性的マイノリティに対する制度が次々と増えてきています。札幌市においては、今後も引き続き誰もが自分らしく輝ける社会を目指していきます。
一般会計予算の概要 (平成29年度) 総額9,965憶円
                  対前年度+600憶円 (+6,4%)
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so here we have an outline of the estimated income and expenditures of the city in the fiscal year 2017 (starting from this april btw). the fancy term for this, that I found in my dictionary, is general account budget (一般会計予算).
I’m not familiar with economic terms, so I just described, what I’m seeing here.
the unit of the numbers here is 億円
so let’s break this down:
on the income side we have 
市税 
地方譲与税・地方特例交付金等,
地方交付税
分担金・負担金・使用料・手数料
国庫支出金
道支出金
市債
諸収入等
on the expenditure side we have
総務費
保険福祉費
環境費
経済費
土木費
教育費
公債費
諸支出金
職員費
その他
  next  we have a list of facilities, which are expected to be finished this fiscal year.
■2017年度・東区内の完成予定施設
広域型特別養護老人ホーム「モエレの里」(東雁来11条3丁目)  2017年6月
札苗緑小学校区多世代型交流施設 (東雁来14条2丁目) 2017年11月
丘珠縄文遺跡公園 ガイダンス施設 (丘珠町・サッポロさとらんど) 2018年2月
市宮住宅 東雁来団地【新設】(東雁来12条4丁目) 1棟40戸  2017年10月
市宮住宅 光星団地【全面改修】(北10条東9丁目) 1棟174戸 2018年2月
■2017年度・市内の主な完成予定施設
札幌市民交流プラザ (中央区北1条西1丁目)  2018年3月
(※札幌文化芸術劇場、札幌文化芸術交流センター部分は2018年10月オープン予定)
平岸配水池テニスコート (仮称)(豊平区平岸5条19丁目)テニスコート20面
2018年3月
and here we have information on which parks will have some maintenance work in this fiscal year
■2017年度・東区内の公園の再整備作業
北39条東21丁目公園 (仮称)(北39条東21丁目・造成)
北26条ホームラン公園 (北26条東22丁目・工事)
すみれ公園 (北23条東5丁目・工事)
北園公園 (北22条東14丁目・工事)
北39条アカシア公園 (北39条東5丁目・工事)
あざみ公園 (北16条東15丁目・設計)
栄町青い鳥公園 (北35条東21丁目・設計)
モエレ沼公園 (モエレ沼公園ほか・設計)
that’s it for today, have fun
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itokenichiro · 7 years
Text
トロールに関する書籍のLondon Review of Booksによる書評の和訳:"Schadenfreude with bite"
(お願い)改善中です。あきらかな誤訳、不正確な点、アドバイス等がありましたら遠慮なくご指摘ください。よろしくお願いします。英語できる人は原文にあたるのがてっとり早いです
London Review of Books, 15 Dec.2016
Whitney Philips, Why We Can’t Have Nice Things:Mapping the Relationship between Online Trolling and Mainstream Culture Karla Mantilla, Gendertrolling:How Misogyny Went Viral Benjamin Radford, Bad Clowns John Lindow, Trolls:An Unnatural History
原文リンク http://www.lrb.co.uk/v38/n24/richard-seymour/schadenfreude-with-bite
(訳文) トロールはネットにおける「いたずらっ子」を自称し、スキのある獲物を挑発することに関しては機会を逃さない。そして奴らは引き起こされた憤激をみて歓喜するのである。ミネソタ州出身の12歳の少年ミッチャル・ヘンダーソン君が2006年に自殺した際、トロール達は、少年の友人や親類らの悼辞が並ぶMy Spaceのページに襲撃をかけた。トロールらは特に、自死の数日前に少年がiPodを紛失していた事実に着目し、彼の死を軽薄で消費者的な欲求不満と示唆するような投稿をおこなった。彼の死は「裕福な資本主義的な問題群(first-world probles)」というわけだ。ある書き込みは少年の墓石の横にiPodが配置されたコラージュを含むものだった。
トロール行為(trolling)の何がそんなに面白いのか。「すべてのジョークはそれ自体の公衆を作り出す。同じジョークに笑うということは、精神的な一体性の広がりの証左である」とフロイトは語った。あるジョークを理解することは文化を共有することである。より正確には、それは任意の敵対関係において同じサイドに属することを意味する。トロールの行動の目的は、launghing out loudを意味すLOLが転化した「lulz」に置かれている。lulz=嘲笑とは、他人の不幸から派生するような楽しみのひとつの形である。複数年に及ぶ、トロールの参与観察を経たWhitney Phillipsの研究によると、嘲笑(lulz)とは 他人の不幸を楽しむ感覚に攻撃性が加味されたもの(shadenfreud with more bite)である。ミッチェル少年の家族が憤怒すればするほど、トロールはそれを面白いと感じるのである。
2011年、そのような「RIPトロール」〔訳者注:RIPとは、「安らかに眠れ」を意味するRest in Peaceの略語〕の一人であるレディング出身のSean Duffy(25歳)は、亡くなった10代の少女らに関する複数の投稿によって刑務所送りとなった。彼は、15歳で自殺したNatash MacBrydeを「売春婦」と呼んだ。また、14歳で癲癇症で亡くなったLauren Drewの追悼サイトに「ママ助けて!地獄はとても暑いわ!」と母の日に書き込んだ。しばしば、トロール達はターゲットに群がる。著者のPhillipは、レイプ殺人の被害者であるカリフォルニアの10代女性Chelsea Kingの事例を取り上げ、彼女の親戚らがトロールの格好の獲物になったこと、また義憤を感じて介入してきた協力的な人々らもそれぞれ身元を「特定」され、「狩られた」様子を詳細に記述した。
RIPトロールは悲哀を搾取可能な状態と見なす。トロールは死んだ人を何らかの形で気にかけているわけではない。むしろ、彼らは何らかの対象を気にかけすぎること自体を、罰されるべき失敗(a fault deserving punishment)と考えているのである。この点に関する証拠は、トロール行為のサブカルチャー(trolling subculture)の全域を通して、――より他愛もないケースにおいても――見出すことができる。ある事例では、トロール行為の参加者らは複数のゲーム販売店に電話をかけ、とある時代遅れのゲームのありもしない続編の在庫の有無を問い合わせた。彼らがあまりにもしつこく電話をかけるので、店員らはそのゲームの名前を聞いただけて怒り出すようになる。トロールらはその様子を楽しむのである。トロール行為の至高の通貨は搾取可能性であり、最大の悪徳はものごとをシリアスに考え過ぎることである。悲哀にくれる親、というのはもっとも容易に搾取できる対象である。彼らの悲しみや怒りは極めて明白である。とはいえ、弱みのない人間などいない。
計算ずくの冷酷な嫌がらせ、というものは別にトロールが発明したものではない。とはいえ、インターネット以前の時代においてはそれらは少しは無邪気に見えたかもしれない。Jeremy Beadleは『Candid Camera』で不運な人々をだました。不注意な被害者の抑えきれない怒りは、ある種の人にとっては常に滑稽であり、そういった楽しみの中には、サディスティックで冷笑的な態度(sadistic detachment)がどうしても存在する。トロールが新しいのは、計算された非論理性、意図的なスペルミス、文化的な憧憬の再利用、幾重にも積み重なった隠微な参照や内輪ネタといったナンセンスでどうしようもない事柄に、歓喜の感覚delightを付け加えたことである。Phillipsによれば、トロール行為とは、ポピュラーカルチャーの「ラトリナリア」(latrinalia)すなわち便所の落書きなのである。
トロールはまた、限度を知らないように見受けられる点において、彼らの先人とは異なる。嘲笑にはある種の反社会的な力がある。馬鹿にされると人はたいてい黙り込む。なので、会話やコミュニティを継続させるためには、ジョークにもある一定の限度というものが存在する。ジョークはどこかで終了せねばならなず、そこで被害者は笑いの種を明かされる。一方で、トロールは、オフラインの人格の境界を超えた逸脱的なサディズム(transgressive sadism)のまさにその延長上にコミュニティを形成する。このことは、そうしたコミュニティがほぼ完全に匿名の個人(anons)によって構成されている事実からも部分的に了解される。あたかもトロールにとって、個々のトロールの笑いは副次的であり、もっとも重要な目的はその匿名の集団(anounumous collective)の享楽を維持することにあるかのようだ。
大半のよく組織化されたトロールにとって、はっきりとした政治な関与や道徳的な理想を持つことは、嘲笑(the lulz)以外の対象に向けての傾倒を胡散臭いものとする彼らの基幹的な原則と矛盾する。しかしである。Karla Mantilaの造語である「ジェンダートロール」は反フェミストであることを明確に標榜している。彼らの目的は、群衆的な嫌がらせや女性差別的な侮辱(たとえば「まんこ」や「あばずれ」などの罵倒語)、晒し行為、殺人やレイプの脅迫などによって、公然と主張を行う女性を黙らせることである。Mantilaが考察するように、そうした行為に一切の独創性はない。これは「インターネット」とは無関係であり、「男が、潜在的な競合相手である女を周辺化するべく、嫌がらせや侮辱を行うという長い歴史」の延長に位置付けられるべき事象である。それは、「それまで男性優位的であった領域に女性が進出してきたことに対する、「ひとまとまりの文化的な反応」なのである。
明らかにインターネットに由来する新しい変化とは、オフラインの「リアル」な自己とネット上の匿名性との間に厳密な境界線をひくことによって、トロールらが道徳的な責任を否認することが可能となるような環境を創出したことである。ネット上であれば、私のしていることは私とは関係ない、というわけである。しかし、トロールらは、彼らが自称するように「誰でも平等に攻撃対象としている」わけではない。Phillipsが指摘するように、ほとんどの嘲笑は「とくにアフリカ系アメリカ人などの有色人種、女性、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クイア」に向けられており、トロール共同体は歪なほどに高い比率で英語圏や北欧の若い白人の男性によって構成されている。Phillipsは、オバマ大統領に対するレイシスト的なトロール行為や、彼らがしょっちゅう使う「おかま」といった言葉などを挙げ、トロールらが自身の白人性やある特有の男性性を行使する様子を詳しく記述している。男性優位主義はトロール文化に埋め込まれている。トロールの非-道徳性を、男性の揺るがない優位性に関する男権主義者らのお馴染みの幻想と結びつけたとしても、拡大解釈ではない。何はさておき、すべてのトロール達はジェンダートロールであるかも知れないわけである。
仮にそうであるなら、Phillipsが真剣に論じるところの「トリックスター」としてのトロールの自己像は批判的な検証に耐えることができないだろう。トリックスターとは、善と悪との境界を帳消しにしたり、価値を破壊することが唯一の価値であるような存在である。Phillipsがそのアナロジーに説得されたのは、おそらく彼女がトロールらのジョークを理解したからであろう。「私は彼らのあるタイプのトロール行為を面白いと感じる。そして場合によっては正当化可能であるとも思う」と彼女は書いている。たしかに、サイエントロジーなど、トロールの攻撃対象の中には明らかに同情できないものあり、その際のトロール行為はある種の熱意とともに実行される。しかし、Phillipsがトロールの意図を既存の道徳的秩序を「転覆させる」あるいは少なくともあれこれいじくり回すものとして描写する際、彼女は道徳的秩序を崩壊させる事と、その秩序を転覆させる事と、いじくり回す事の違いはそれほど大きくないかのように語っている。
もしトロール行為が不当な扱いに憤慨した者たちが上げる抗議の声から発生するのだとしたら、それはまったく価値の保全に依存していることになる。トロールたちは、十分に多くの人々が十分に多くの事柄について真剣に考えているという状況に依存している。そこでは、興味なさ気に肩をすぼめる仕草が失敗を意味するからだ。被害者の選択は、ほとんどの場合、多かれ少なかれ 何に対して思いやりを示すのが適切であるかについての道徳的な立ち位置を教えてくれる。(→本文:The choice of victim almost always conveys a moral position on what it is more or less appropriate to care about. )RIPトロールらは明らかに、裕福な白人層の自殺に対してもっとも強い怒りを表す。彼らはそうした死を自己陶酔的なものとし、人々による悲哀の表現をうわべだけのものとみなす。あるトロールはそうした営みを「退屈さと注目を浴びることへの病的な渇望」のため、と語った。一方で、たとえば国家安全局による大規模な盗聴が暴露された後に起きた組織的なトロール行為などは、彼らにとっての極めて重要な罪とは、情報を抑圧したり誤用することであることを示唆している。
トロールは相反する二つのことを同時に行う。トロールは、彼らが嘲笑のために侵犯するところの社会的な規範に対して見事なまでに無関心であると同時に、執念深い懲罰人でもある。その意味で、トロールはジョーカーであり、バッドマンでもある。Benjamin Redfordによるとトロールはピエロや道化師に連なる「自称文化評論家」として行動しつつ、一方では「もっともらしく、すべては楽しいジョークなので(あんまり)本気にしないように」とも主張する。John Lindowのトロールの「不自然な歴史」によると、北欧神話に出てくる本来のトロールは、不適切な行いに罰を与え、社会的規範を擁護する存在である。仮にあなたが冷笑(lulz)の行動原理を真に受けて、社会規範への一切のコミットメントを消し去ったとして、残るのはより純化した形での糾弾のロジックである。悲嘆にくれる者さえも罰しうるのだとしたら、一体誰を罰することができないというのだろう。「誰も我々ほどまでに冷酷にはなれない」、これが彼らの決めゼリフである。この原則こそがトロール共同体のアイデンティティの核となる。「われわれはアノニマスである。そして我々は決して許さない。」そして彼らが許さないのものとは、とりもなおさず「弱さ」なのである。
ネット上の逸脱性に関する社会学的分析は、そうした特徴をマキャベリズムやナルシシズム(自己愛)、病理学的な症状、サディズムなどの特性などに注目しがちである。Phillipsはこうしたすべての見解の誤りを指摘する。それらは、「逸脱」や「性格型」といったカテゴリーの意味深さを当然のことと見なすように読者に要請しつつ、特定の道徳的なアクセントでもって現象を記述しなおしたに過ぎない、とPhillipsは主張する。むしろ彼女は主流文化の影響を強調する。トロールとは「文化的な消化吸収作用の代理人」( ‘agent of cultural digestion’  )なのである。
トロール行為というサブカルチャーの分裂症的で超然としたユーモアは、おそらく9.11に関する膨大な種類のジョークやミーム(文化的遺伝子)に最もよく現れているであろう。Phillipsは、こうした事態をアメリカの極めてメディア化された文化に浸透したシニシズムの必然的な結果だと考えている。9.11とその余波に関するTV報道は、引き伸ばされた一連の「ゴミ」に挟まれた15秒間の恐怖と悲惨の断片的映像によって構成されていた。この状況はアイロニーに満ちた無関心を引き起こさずにはおれない。ブッシュ政権はこの分裂状態へと人々を誘い入れる役割を果たした。たとえば、ラムズフェルドは、占領下のイラクで起きたカオス的な混乱状態について、病的なまでの機嫌の良さで「いろんなことが起こるもんだ」と語った。ブッシュは、ゴルフ場でのインタビューでテロとの戦いの必要性に関する真面目な調子の演説を行ったのちに、スイングに戻り「では、このショットをご覧あれ」と言った。「道徳的な真剣さ」の隙間的な時間が終了するや、ブッシュ政権は肌の色によってコード化されたテロの危機を煽りつつ、人々に娯楽とショッピングへと戻ることを促した。この時期に形成された情感的な分裂はトロールらによってさらに拡張されたかも知れない。しかし、分裂を創出したのはトロールらではないのである。
2015年4月、Tiziana Cantoneと呼ばれる31歳のナポリの女性が、自身のセックス映像を少数の友人らに送信した。そのうちの誰かが動画をネットに上げ、動画は急速に拡散した。動画からは顔が見えないセックス相手に向かって彼女が発した「あなた、撮影してるの?いいね。」というフレーズは、SNS上で大人気のパンチラインとなった。そのフレーズは、Tシャツになり、携帯カバーになり、広告のスローガンにも用いられた。誰もが自分のことを知り、政治家によっても非難されるようになったCantoneは仕事を辞め、名前も変え、トスカーナに引っ越し、ネットからの件の動画の削除を求める法廷闘争を開始した。彼女はFACEBOOKから自身の明示的な写真を消す事には成功したものの、すでに何千回もコピーされ配信されていたポルノサイトの映像を消す事はできなかった。複数のサイトに合計20000ユーロを支払うことを命じられた彼女は、9月に自ら命を絶った。
冷笑的なあざけり、すぐさまビジネス化されるミーム、道徳的な装いの悪意など、Tiziana Cantoneへの対応は、まさに集団トロール行為そのものである。Jon RonsonがSo You’ve Been Publicly Shamedにおいて教えてくれているように、こうした行動パターンというのはインターネットに特有なものではない。電話盗聴スキャンダルによって倒産するまで、News of the World紙は定期的に匿名の個人の性生活を暴露する記事を掲載しており、何人かを自殺に追い込んでいる。イギリス人シェフのBen Strangeは、仮に自身の破廉恥行為が公開されてしまったら二度と子供らに顔向けできないと考え、同紙に懇願した。しかし結局、記事にされていまい、氏は自殺した。同じような目にあったウェールズ人の教師Arnold Lewisは、NoW紙のレポーターにもし暴露されるとしたら自殺すると告げた。しばらくして彼の記事が掲載されると、氏は一酸化炭素中��で自殺した。
SNSはこうした種類の捕���行動の可能性を大きく拡大している。Justine Saccoに対する粘着的な行為は、Ronsonが伝えるもっとも有名な事例だ。南アフリカへのフライトの直前に、Saccoはツイッターで「アフリカに行きます。エイズにならないといいな。冗談よ、私は白人だからね」と投稿した。わずか170人のフォロワーいない彼女は、まさかこのツイートが注目を集めるとは思いもしなかった。しかし、彼女が現地に到着する頃には、白人の愚かさを笑うジョークとしてではなく、文字どおりにレイシストの発言として受け取り、彼女を糾弾する意見でツイッターは炎上していた。到着と同時に、心配した友人から知らせが届き、彼女は事態を把握した。新聞やテレビが報道した。Rupert Murdochが経営するNew York Postは彼女を尾行するためにジャーナリストを派遣した。彼女の過去のツイートから意図的に悪趣味なジョークの数々もBuzzFeedによって掘り起こされた。ある下手に言葉選びをした、あるいはあまりにも言葉を選んだがゆえに逆に的確に対象を攻撃してしまったツイートによって、彼女は仕事を失うことになり、数ヶ月にわたってジャーナリストにつけ回された。
Ronsonは、彼女が破滅に向かっている様子を楽しみにしながらツイッターを眺めていた人々の中のシャーデンフロイデschandenfreudeを認めている。彼自身の当初の感想は、「他愛もないちょっとした「あぁ、誰かがやらかしたな」」というほどのものであった。彼はまた、懲罰的なほくそ笑みの背景にある超然とした感覚(detachment)についても指摘している。「集団狂気だろうが何だろうが、その時の激しい喜びは圧倒的なもので、そうした楽しみには代償が付き物であるという事実と向き合う事で、その楽しみをダメにしようとする奴なんていないんだ」ということである。ネット上のシェイマー(道徳的な叱責を繰り返す人々)を偽善者とみなすことには、抗い難い魅力がある。そうすることで、人は憤りか喜びのいずれかを感じることができる。しかし、別の視点から見るなら、個々のツイッターユーザーの憤りというものは、副次的で代理的なものであり、彼らの主要な役割とは、とりもなおさず匿名集団に燃料を投下することなのである。この場合、トロールとシェイマーとの違いは、前者が自分たちは道徳的な責任を持っていないと間違って理解しており、後者は自分たちが道徳的な責任を持っていると間違って理解している点に求められることになる。
Saccoは比較的穏健な小規模のトロールとして活動を開始した。しかし、彼女がその対象となった糾弾の合唱は、いくつくかの点で、大規模なトロール作戦のように見えた。おそらく、このトロール行為と魔女狩りの間の相互作用がダイナミックであり、その光景にわれわれが大きな喜びを感じるのは、それはすでに私たちが私たち自身に向けて行使する事柄の変形であるからだろう。フロイト的なうっかり発言や失言というのものは、私たちのうちなる魔女狩り将軍の怒りを刺激し、その怒りを楽しむという意味で、まさに自分自身をトロールするひとつの方法なのではないだろうか。あるいは、別の言い方をするなら、トロールは、われわれが日頃あまりにもシリアスに捉えている諸アイデンティティや諸価値への無意識の反感によって駆動されているのではないか、ということである。一方で、ネット上のウイッチハンターは、私たちがすでにそうした反感でもって自身を罰している方法を、過剰な形で肥大化させているのである。この視点からすると、トロールは単なるサディストではなく、人を惑わすマゾヒストである。「トロールに餌をやるな」とは広く流通したネットの知恵である。その論理的な帰結はおろらく「道徳家に餌をやるな」であろう。トロールと道徳家は同一の螺旋構造の部分なのだ。
新聞等による、個人に対する破滅的な嫌がらせの事例は数え切れないほどあるにも関わらず、インターネットは今や、これまでは抑制されてきた攻撃性を解放したことの責任をしきりに問われている。ネット上の底レベルの書き込みは悪意の代名詞となっており、メディアが提供してきたコンテンツの副産物ではなく、ネットの民主化のダークサイドと見なされている。新しいメディアはまた、ヨーロッパや米国での支配的なコンセンサスの崩壊の責を負わされてもいる。ドナルド・トランプの成功や彼のポストトゥルース政治(post-truth politics)は、他の何にも増して、旧来のイデオロギー的な独占が崩壊し、人々がそれぞれが抱く偏見に迎合した情報や意見を探すようになるにつれ、既存メディアの編集部が担保してきた基準が崩壊するといった事態の影響と見なされている。そうした状況下で、政治的な言説は事実ではなくて感情に訴えかけることによって形成される、という風に議論は進められることになる。とするなら、トロール行為は理性的な議論を邪魔するための方法がひとつ増えただけ、ということになる。仮にトロールやネットの性差別主義者か陰謀論者に共通点を探すとするとしたら、それは、彼らが「笑いのため」か「女を黙らせるため」あるいは「自身の妄想を押し付けるため」に会話を脱線させる点であろう。これは、トロールが必然的に「右翼」であるということを意味しないし、実際、多くの場合トロールは右翼ではない。しかし右翼がますますトロール的になっていることは確かである。租税回避が彼の賢さのアピールになるのか否かにせよ、抵当流れから利益を得ようとする計画が「なんっていうか、アメリカのためになる」のか否かにせよ、あるいは戦死者の母親を侮辱することにせよ、トランプ自身が嘲笑(the lulz)のために放った言葉から、いかにして切り抜けるのが良いかを探っているような印象を受けるのである。オルターライトのある著名な支持者らがガーディアン紙に語ったところによると、「われわれはトロールの軍団だ。われわれは勝利する!われわれは獰猛だ」ということである。
極右が、真実の劣化から最も利益を得ることができる政治傾向であると考えらているのには理由がある。PhillipsはFOXニュースとトロールらとの共生関係について詳述している。FOXは道徳的混乱(moral panic)を煽ると同時に、トロールが繁栄する文化的な培養基を提供する。ラディカルは右派は常に、人々を行動に向かわせるようなコミュニケーションの積極的な部分に敏感であった。増殖を目的としたコミュニケーションの一形態であり、トロールをされる人々に対するトロールの権力としてのトロール行為は、そうした戦略にまさしくぴったりなのである。
そうした意味で、6月にTwitter社によって下された、人種差別的罵倒で有名なもっとも悪質なユーザーのひとりのアカウントを凍結するという決断は、そうした流れを食い止めるにあたって効果があるか否かは別として、最初の一歩であり、象徴的な意味を持つものであろう。そのユーザーとは若いオルターライトのコラムニストのMilo Yiannopoulosである。彼は彼の注意深い炎上マーケティングのためのニュース番組のレギュラー出演者であった。彼は映画『ゴースト・バスターズ』の女性チームの中の唯一の黒人メンバーを演じたLeslie Jonesに対して、人種差別的嫌がらせを率先したことを理由としてアカウントを凍結された。Twitter社の前CEOであるDick Costoloは、彼はツイッターのユーザーが減少していることや株価の下落の理由のひとつに、こうした弱者への攻撃をしっかりと撃退できなかったことを挙げ、「われわれは虐待やトロールの扱いに失敗した。長年に渡って失敗し続けたのだ。」と語った。
Yiannopoulosは自覚的にトロールであり、なおかつイデオローグであり、オルターライトの典型的な産物であり、その模範である。アカウント凍結に対する彼の反応は下手に隠された喜びを表明しつつ、「自分たちと違う意見を受け入れることのできない、感情的な左翼のガキども」に対する怒りをぶつけることであった。彼はBusiness Insiderに「私のしたことは、ちょっとジョークを言っただけだ」と語った。彼は、「女は新しいルールに同意する時に限り、男のインターネットへの入場を許される」という彼の提案に対する評判を聞くためにChannel 4ニュースのCathy Newmanを番組に招くなど、大統領選でのトランプの勝利以降、同じ決まり文句を繰り返した。表向きは「嘲笑」lulzのためにやっているという表明によってシリアスな政治的な議題をはぐらかす、という計算された両義性において、オルターライトの心理的秩序(psychic economy)にトロール行為はぴったりと適合する。ヤノプロスが定期的に見解を発表する媒体であるBreibartは、トランプ政権の効果的な前哨地となっている。Breibartニュースの代表Stephan Bannon氏は、FOXニュースの前経営者Roger Ailesがトランプのアドバイザーに就任した翌日、選挙戦をたたかうトランプ陣営と契約を結び、近々、新大統領の「主席戦略官」に就任する予定である。
Breitbartの最もよく知られている二つのスクープは、2009年のAcornというリベラルなNGOに対してのものと、2010年の農務省のアフリカ系アメリカ人従業員であるShirley Sherrodへのバッシングである。いずれの場合においても、Breibartは取材記録を不正に加工している。最初のケースに関しては、Acornの従業員らへのおとり捜査を通して、第二のケースについては、SherrodがNational Association for the Advancement of Colored Peopleでおこなった演説を操作し、あたかも黒人が白人社会の敵であるかのような印象を作り出そうとした。Acornは資金を失い、1年後に債務整理に追い込まれた。Sherrodは失職し、政府役人やNAACPから厳しく叱責されたが、実のところ彼らはダマされていた。ホワイトハウスは謝罪し、農務省は彼女に新たな職を用意した。一連のAcornの事例に責任を負う保守派の活動家は、Acornが「あらゆる手段が正当化されうるような、革命主義的で、社会主義的で、無神論的な世界にいる」とし、であるがゆえに、それに対抗するために彼ら保守派にはあらゆる手段を用いることが許されると主張した。Andrew Breitbartは、NAACPにティーパーティをレイシスト呼ばわりする権利はないと主張するためにSherrodのスピーチを「レイシスト」認定し、また、そうであるからこそ、ティーパーティに存在意義があると力説した。
この、トロールとウィチハンターの双方の役割をこなす能力――あるいは欲望――こそがトランプ主義の情感的な基盤のひとつである。そしてトランプ自身がそもそも最大のトロールである。巨大で、皮が分厚い攪拌者であり、ベルルスコーニ級に屈託がなくそして反道徳的である。多くのトロールと同様に、彼はターゲットを熟知しており、リベラルの粗悪な良心に狙いを定める。ヒラリーとの大統領候補者討論の際、トランプは――ほかの共和党候補はそうはしないであろう――オバマはこれまでのどの大統領よりも多い250万人の人を国外追放にした、と主張して自身の国外追放政策を擁護した��普段はあまり大っぴろげに言われていない事を言う、というはトランプ主義の逸脱的なスリルを形づくっている。これこそ、「ポストトゥルース政治」の批判者が見落としている点である。トランプが飛んでもない嘘をつく時でさえも、トランプはメディアの欺瞞を暴露しながら重要な真実を表明しているに違いない、とトランプの支持層は考える。その一方で、オルターライトはトランプ主義に、興隆しつつある新しい白人ナショナリズムの基盤を発見している。ここで言う白人ナショナリズム(white nationalism)とは、搾取可能な人々――つまるところ「保守的で裕福な白人男性」以外のすべての人――をニヤニヤしながら攻撃する態度を指す。彼らは権力を握ろうとしている。とはいえ、彼らこう言うだろう。「ホワイ・ソー・シリアス?」〔訳者注:"Why so serious?” は映画『ダークナイト』の悪役ジョーカーのセリフである。〕
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kennak · 3 years
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過去5年間の報告と変わらず、日本では国内や海外の男女が人身取引犯によって強制労働と性的搾取目的での人身売買にさらされている。性的搾取目的での人身売買に関しては、国内未成年の被害も多い。また、人身取引犯が東アジアや北米に被害者を送り込んで搾取する際の経由地としても日本が使われている。 人身取引犯は主にアジア出身の男女を強制労働に従事させており、この従事先には日本政府が管轄するTITP(訳注:Technical Intern Training Program, 技能実習制度)の採用企業が含まれる。日本人男性が犠牲者のケースであれば、日本政府が2020年に特定したものは5件。1件を挙げると、被害者は日常的に暴力を受けた上で低賃金・長時間の労働を強制されていた。日本で急増している外国人留学生もまた、未熟練労働の分野で人身売買のリスクに晒されている。Work-Study規約(訳注:留学生の週あたり労働可能時間を典型とする各種の規制)は酷いもので、欺瞞的とすら言える。 北東アジア(訳注:この用法では日本や朝鮮半島・中国などを含むエリア)、東南アジア、南アジア、南米、アフリカなどの成年男女や未成年が、仕事や偽装結婚の目的で来日し、性的搾取目的での人身売買の対象になっている。人身取引犯は外国人女性を日本のバー・クラブ・性風俗店に送り込むために、彼女たちと日本人男性との結婚を偽装している。 人身取引犯はさまざまな手口を使って被害者を強制労働や売買春から逃げられなくする。借金を抱えさせる、暴力や強制送還をほのめかし脅迫する、パスポートその他を没収する、など。雇用主は大半の移民労働者から生活費や医療費を徴収しているため、被害者が借金から足抜けすることは難しい。さらに借金が膨らむのは、売春施設の経営者が、被害者が素行が悪いなどの理由で合法な契約に基づかない「罰金」を徴収しているケースだ。 === 性的搾取目的での人身売買のターゲットとしては、日本その他の少年少女で、家出をしている十代も挙げられる。「援助交際」なる金銭受け渡しを含むデートビジネス(訳注:原文は Enjo Kosai or "compensated dating" services)、それから「JK」ビジネスの亜種は、組織犯罪とつながっていることも多い。依然として日本の少年少女が性的搾取目的での人身売買に晒され続けているのだが、調査によれば中国、韓国、ラオス、フィリピン、シンガポール、ベトナム出身の未成年もこれらのビジネスで搾取されている。 コロナ禍によって失業とDVが急増したことで、日本の女性・少女、とりわけ家出した子どもが、「援助交際」に足を踏み入れるリスクが増している。NGOの指摘によれば、人身取引犯が彼女たちとコンタクトを取る手段としてSNSが利用されるケースが増えている。 「JK」バーのオーナーの一部は、未成年の少年少女を水商売に強制的に従事させている可能性が高い。この被害者にはLGBTQI+(訳注:ここでは「性的マイノリティ」のこと)の若者も含まれる。 セックス産業は高度に組織化されており、弱い立場の日本女性・少女をターゲットにしている。貧困や認知障害を抱えて生きている女性・少女が狙われることが多い。地下鉄、若者のたまり場、学校といったパブリックスペース、そしてオンラインに(セックス産業の)網が張られている。彼女たちはたいてい借金で縛られたあと、性風俗店や小型のライブハウス、商業施設、リフレ店などで売春させられる。 一部の人身取引犯は、モデル・女優事務所のスカウトという体裁を取る。詐欺的な手口を使って、日本の男女および少年少女に曖昧な契約にサインさせる。そして法的措置をちらつかせ、あるいは不名誉な写真などを使って脅し、アダルトビデオへの出演を強制する。 トランスジェンダーの若者の中には、性別適合のケア(訳注:原語はgender-affirming care, 説明は難しいので割愛します)を受ける資金を稼ぐため、法の監視が届きにくい都会の歓楽街で仕事を探す者もいる。彼らも売春や強制労働にさらされている。 日本の民間の仲介業者は、日系フィリピン人の子どもやその母親の日本での市民権獲得を斡旋し、多額の手数料を取っている。母親は多額の借金を抱えるケースが多い。入国すると母親や子どもは借金返済のために性的搾取目的の人身売買を行う。反社会的組織もまた、仲介業者を装って活動している。詐欺的な触れ込みで家族を日本に誘い、夜の産業で強制労働と性的な人身売買に従事させている。 日本人男性は、依然としてアジアの他の国々で児童売春ツアーの買い手であり続けている。
アメリカ国務省の「人身売買報告書」和訳してみた|Bulldog|note
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xf-2 · 4 years
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安倍晋三内閣の新型コロナウイルスの感染拡大対策に、国民から厳しい批判の目が向けられている。共同通信が15、16日に実施した世論調査では、前回から8.3ポイント下落の41.0%、不支持率は前回から9.4ポイント増の46.1%となった。他社の調査も同様の傾向で、産経新聞とフジテレビが22、23日に実施した調査では支持率36.2%(前回比8.4ポイント減)で、不支持率の方が10ポイント以上高くなった。 【写真】世界が注目する38歳の天才 オードリー・タン氏
 一方、世界的な感染拡大が続くなか、支持率が“爆上げ”した政治家もいる。台湾の蔡英文総統だ。24日に公表された台湾民意基金会の調査によると、支持率は68.5%。先月調査から11.8ポイントも上昇した。特に高い評価を得ているのが防疫対策で、75.3%が「80点以上」と回答している。  たしかに、台湾の対応の早さは他国と比較しても際立っている。日本では1月16日にはじめて国内の感染者発生が公表されたが、新型コロナウイルスを「指定感染症」として閣議決定したのは1月28日。台湾は感染者が一人も出ていない1月15日の時点で「法定感染症」に定めていた。  安倍首相は2月27日、全国の小中高校や特別支援学校に休校要請することを発表した。だが、台湾ではすでに学校の休校は原則終了している。旧正月(春節)の冬休みを2週間延長して24日まで休みにしていたのを、現在は、教職員や生徒で感染者が1人出れば学級閉鎖、2人以上なら学校閉鎖するという基準を設け、授業を再開している。  共働き家庭への配慮も評価されている。休校中に小学生の世話が必要になる保護者は、看護休暇を申請できるようにした。また、中学生以上でも障害を持つ子供の保護者であれば、同じ制度が適用されるようにした。もし、企業が有給休暇の取得を拒否した場合、法律にのっとって処罰することも表明。「休校」という方針だけが発表された日本とは、大きな違いだ。
日本では今、経済対策として新規の補正予算を組む声が高まっている。26日には自民・公明の両党が安倍政権に経済対策の策定を求める方針を決定。では、台湾はどうか。台湾立法院(国会)は25日、600億台湾ドル(約2200億円)を上限とする経済対策の特別予算案を可決した。大きな打撃を受けている観光産業への支援などが柱になる予定だ。  そのほかにも中国へのマスク輸出禁止や厳しい渡航制限など、蔡政権が次々と打ち出す方針に当初は批判もあった。それでも、28日現在で感染者数が34人に抑えられていることから、批判は少なくなっている。台湾では、2003年に起きたSARS(重症急性呼吸器症候群)で84人の死者を出した。その時との違いも、高い評価を得ている理由だ。検査体制が異なるため単純な比較はできないが、日本の感染者数210人(クルーズ船の陽性反応者705人を除く)、韓国の2000人以上(いずれも28日現在)と比較しても、現時点での封じ込め対策は一定の成果を出しているといえるだろう。  台湾在住のノンフィクションライターの近藤弥生子さんは、こう話す。 「一般の人々が不安に感じていることについて常に先回りした対応をしていること、そして蔡総統や蘇貞昌行政院長(首相に相当)が寝る間を惜しんで必死に感染症拡大に奮闘している姿が伝わってきます。武漢からチャーター機で帰国した台湾人から一人の感染が確認された時は、陳時中衛生福利部長(保健相)が記者会見で涙を流しながら『患者の数は増えてほしくない。だが、逆に考えると命を救うことができる』と訴え、その真剣な姿に台湾人から称賛の声が相次ぎました」  “神対応”を連発する蔡政権のなかで、世界から注目されているのがデジタル担当政務委員(大臣に相当)のオードリー・タン(唐鳳)氏だ。タン氏は世界的に有名なプログラマーで、現在38歳。8歳からプログラミングを学び、14歳で中学を中退。15歳でIT企業を起業した。その後にトランスジェンダーであることを明かし、36歳で入閣した時は性別欄に「無」と記入した。タン氏はIQ180ともいわれる天才で、台湾の人々は「彼女の存在は私たちの希望」と慕う。
台湾が誇る天才が、感染症対策でも活躍している。  日本と同じく台湾でも、1月後半からマスクの在庫不足が問題になっていた。まずは輸出や持ち出し、転売が禁止され、2月6日にはマスクの購入が実名制になり、7日間で2枚しか買えないようにした。厳しい供給規制に反発がおきる可能性もあったが、タン氏は衛生福利部(保健省)中央健康保険署と協力して、台湾国内の薬局にあるマスクの在庫データをインターネット上に公開。すると、民間のITエンジニアがそのデータを地図上に落とし込み、在庫状況がひと目でわかるアプリを開発して無償配布した。  それだけではない。緊急時に発生するデマ情報の拡散を防ぐため、ラインなどの通信アプリを通じて間違った情報を信じないよう注意するメールを配信。また、新型コロナウイルスに感染しやすいタクシー運転手やバス運転手にマスクが優先的に届くように求める情報を発信すると、フェイスブック上では、本当に必要な人にマスクを譲ろうという声があふれた。  台湾の新型コロナウイルス発生状況のホームページはグラフや地図を効果的に使用していて、どの地域にどれくらいの感染者が出たかわかりやすい。台湾にも寄港した国際クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客については、下船してから訪れた場所をすべて公開した。こういったテクノロジーを使用した危機管理に、米国をはじめ世界から注目が集まっている。  タン氏にインタビューした経験がある前出の近藤さんは、こう話す。 「両親の職業がジャーナリストということもあり、彼女は『情報』が人々にどのような影響を与えるかをとても理解しています。一方で、現役の閣僚でありながらも特定の政治的立場に立つのではなく、むしろ意見の対立をIT技術で可視化して、解決につなげることを考えている。入閣した時に『公僕の中の公僕になる』と宣言したとおり、特定団体の利益のために動くのではなく、テクノロジーを駆使して台湾の人々と行政院をつなぐ“パイプ”になっています」
 台湾に防疫や衛生管理を根付かせて伝染病の撲滅に貢献したのは、日本統治時代の1898年に台湾総督府で民生長官を務めた医師出身の後藤新平だ。それから120年以上がたった今、立場は逆転した。日本は、感染症の流行対策について台湾に学ばなければならない。 (AERA dot.編集部・西岡千史)
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ukooon · 6 years
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腹の中のことを気にし続けながらいろいろ怒っていた9ヶ月間について
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出産を翌日に予定し陣痛促進剤であるオキシトシンを投与されながらまとめていた妊娠期間に感じたことの記録。
少なくとも24時間くらいかけて産気づかせる予定が20分くらいで陣痛が来てしまい、そのまま分娩となったのでまとめきれないまま放置されていた。あれからおよそ二ヶ月経った今ようやく投稿します…
***
現時点ではto be continued... とはいえそんな感じが続いた妊娠期間だったので。
「灼熱のつわり期・極寒の安定期・地獄の切迫早産期」と言い回しだけ勝手に借用したい(元は「灼熱のアラビア・極寒のロシア・地獄のヒンディー」、外大における単位取得が困難な語科ベスト3を言い表した言葉。旧大阪の人から聞いた言葉だったかも)。​
そりゃ確かにあれこれと変化はあるだろうけど、当初は「妊婦なので(◯◯できません)」というようなセリフはあまり言わずにできるだけいつも通り自然に9ヶ月間を過ごしたいと考えていた。妊娠しているからって特別な振る舞いはしたくないと思っていた。のだが……
実際は妊婦であることを忘れて過ごせた日なんて1日もなく、今考えればひたすら無知だった。つくづく「妊娠は病気じゃない」という言葉の真意は「病気じゃないから耐えることしかできない」だと知った。
まず意思に反してかなり初期から勝手に始まった灼熱のつわり期。これが本当につらかった。ゆったりノンカフェインのコーヒーでも飲んで……としたかったはずの朝の時間はコーヒーどころか気持ちが悪くて水さえ飲めず。いつも通りに過ごせるわけなんてなく、これなら食べられるかもと思ったものも2〜3回食すともう泣くほど見たくもないものに早変わりする。
外は吐き気を���激する物事にあふれていたが、かと言って家の中にいても特定の場所のにおいが気持ち悪くてえずきまくりだった(耐えきれず空気清浄機を購入)。バラが咲いて切って飾っても立ち込めたにおいで吐きそうになる。なんとか外出しても「赤信号を待つ」というようなことでさえつらく、電信柱に寄りかかることでなんとか立てていた。電信柱に感謝。
当時、マタニティマークも一応つけてはいたが席を譲ってくれる人は多くなく、というか大多数は絶対に譲ってくれず、耐えられなさそうな時は必然的に「どうすればそもそも空いてる座席に座れるか」を考えて移動していた。
しかしそこまで考えて乗車しやっと座っていても、次で乗ってきたおばあちゃん(鼻にチューブが入っててその先がコロコロに格納されてるのをえっちらおっちら引きずってる)に譲る人が誰もいない!だから自分が譲って立つしかなかったりした。
みんな無自覚なのか何なのか知らないが、弱者に厳しい社会にしたいならそれは日本が目指す像として受け入れるから、代わりにもう早くつわりの特効薬を作ってくれと心から思っていた。
しかし5ヶ月を迎える頃から食べつわりだけはなんとか7〜8割がた回復しはじめ、めでたく極寒の安定期に入った(においつわりだけは産まれるまで継続)。相変わらず温かい紅茶やコーヒーは気持ちが悪くて飲めないが、牛乳が入っている冷たい飲み物であれば飲めるようにもなってきた。
この頃考えていたのは、子供ができるのは奇跡的なことでもあるけど別の面ではごく一般的なことでもあるということだった。しかし例えば仕事や趣味でとても頑張って成果を出しても、子供が誕生するという事実の前で比較してそれほど喜ばれないのはなぜなのかと。
結婚するかどうかに加えて子供を産むかどうかも完全にその個人の自由であり、皆それぞれがそれぞれの考え方で幸福に生きられればそれでよいはず。感激とともに「産む気がないんじゃないかと思っていた」と泣かれるのは、それは子供を歓迎してくれているという点でとてもありがたいけど、でもそれなら産まない人生を選んだ場合の私の価値はどんなものだったのだろう???
こんなことを今こそ考えてはいるけど、親になってみたらいつのまにか価値観に縛られた人間になってしまうかもしれない。だからこそ、次世代を作ろうが作るまいがトランスジェンダーで男が女になろうが女が男になろうが、同性婚をしようがしまいが完全に好きなように楽しく生きてもらいたいと強く思った次第。ということはここに書いておきたい。
そんなことを考えながらも、妊娠期間の青春期とも言えるような日々を送っていた25週の妊婦健診で告げられたのが切迫早産で、そのまま強制入院したその日から地獄の切迫早産期が始まった。これからも安定した生活が送れると思っていたので急転直下の話になんか涙が出そうになるが、それもまた情けなく止める。
切迫早産については、サカキさんの漫画を事前に読んでたおかげですごく助けられた。後半に入院の話が登場↓​
https://twitter.com/i/moments/913407556130824193
私の場合は25週の時点で子宮頸管長1.8cm(産院の入院基準が2.5cm)だった。
とりあえずその時は2泊3日のウテメリン投薬&安静で頸管長が1cmほど戻り(ただし一度開いたものはふせんのようになっていてもうピタっとはくっつかないとか)、帰宅できたのだが、日中誰もいない家で「極力立ち上がってはいけない」という指導を守って生活し続けていくのはまさに苦行そのものだった。
9階の部屋からは桜が咲いていく様子も見られず、週に一回の病院往復はいくらお金がかかっても絶対にタクシー。どんなに小さなことでも立ち上がらないとできないことは人に頼むことしかできず、動くのはトイレに行くときだけ。自由にお湯を沸かすこともできない生活には発狂しそうで、このまま正期産に入る37週までの3ヶ月間薬で眠らせておいてくれないかと真剣に思った。
そしていくら主に寝るか座るかしかしていなくても宅配がきたら応対するし、それでドアを押さえるときや立ち上がるとき、うがいをして水を吐くときなどちょっとした瞬間に腹筋に力が入ってしまうことがある。そんな小さな動作の一つ一つに対して「今ので頸管短くなったんじゃないか」、「もしかして今のは破水じゃないか」と悪い想像がいつも頭を駆け巡ってもいた。
そういう動作に細心の注意を払ったとしても診察では前の週よりさらに短くなっていたということがよくあり、すると努力がまったく報われていないと感じられ、とてもきつかった。最後まで無事お腹にとどめておけるのかまったく先が見えておらず、今週こそ頸管長が0に近づいてるかもと思い描いては常に家に入院支度を整えていた。とにかく息を吸って吐くだけの日々の中、1日1日が積み重なっていくことが生きる力だった…​…。
そんなこんなで週に一回ネガティブなことしか考えられなくなって涙が涸れるまで泣く、というのがこの頃はパターン化してきていたが、ただ泣いても特にすっきりしないし逆に精神的にヘトヘトになるだけ。3〜4月頃はとにかくメンタルを保つことが難しかった。
その後4月に入ってからまた頸管長が2cm未満となり、お腹に頻回の張りも見られたことから7泊8日の再入院もした。
この時当初は点滴につながれていたが、担当医は「できるだけ家で過ごさせてあげたい」と何回も言っていたし、実際に早い段階で内服に戻され、帰してもらえた。漫画に描かれていたサカキさんの例と比べてみても、ツイッターとかで他の切迫妊婦さんが受けられている一般的な日本の対処法と比較してもかなり緩い基準だったと思う。
しかし海外で切迫になってる人のツイッターとかあったら読みたいなと「threatened premature labor」なんかで検索したものの何も見つからず、おかしい…と思い始めたのがアメリカの例を調べてしまったきっかけだった。やはり日本とは考え方そのものが全く違うらしい。
https://gamp.ameblo.jp/kurukuru-suzume/entry-12155370855.html
「安静」に意味がないという点については疑わざるを得ないけど、妊婦の人権の方を重視するというアメリカの姿勢にはひどく納得。
「健康で文化的な最低限度の生活ができないのはアメリカ人にとって耐えがたいことなのだろう」というような考察から自分の現状を改めて客観的に見たことは大きかった。実際ゴロゴロダラダラしているだけで許されるこれは贅沢な時間なんだとも思おうとしてたけど、自由がなく、気分転換したくても室内の10歩ほどが世界のすべてで話す相手は夫だけ、でもアルコールも飲めず暴食もできず(妊娠糖尿病や妊娠高血圧症候群を恐れていた)では何かにもやもやしてもそれを発散する術がまったくない。
そういう状況を自覚したのに、やはりまだ周りには寝られていいねって思われているんじゃないかと思うにつけ悔しいのとつらいのとでどうにもこうにもやりきれなかった。特に誰かに何か言われたわけではないので仮想敵を作って戦っていたようなものだが……。
(が、やはりアメリカの妊婦も手を尽くして赤ちゃんを健康に産みたいとは思わないのだろうか…? とはいえウテメリンは許可されてないし、マグセントの長期投与も法律的に無理だとしても、できるだけ歩かないようにするだけで頸管長が多少戻ったりしないんだろうか。頸管が開いてしまえば胎胞脱出とか破水のリスクも高くなるのではと素人でも思うのだが…。
やはりこういう考え方の違いが「お産が世界一安全な国」という結果を生んでいるのかなと思ったという結論。)
アメリカで長期入院した人のブログも発見したけど、この人の場合は胎盤早期剥離の恐れがあったということみたいだから(剥がれてしまえば大出血して胎児も妊婦も危なくなる)やはりこれは必要なことだったんだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/elliesuzuran/5001/​
***
ここで終了。
読み返すと今の寝不足よりも切迫安静はつらかったし、でもあの頃は切迫もつわり期よりはマシだと考えて過ごしてたなあと思い出す。
実際はどちらがマシかとかは決められようもなく、寝不足と疲労が幾重にも重なっていた新生児期は夫とともに泥沼のような状態だったし、更に自分はホルモンにも思いっきり振り回されていて肉体的にも精神的にもとてもつらかったが…というか後から思い返せば今もそんな最中なのだろうが…。
これだけ書いてきたように苦しいことが多くて永遠に終わらないんじゃないかとまで感じるほどだったけど、こんな9ヶ月間の果てに3時間半であっという間に生まれた子供が想像の1京倍かわいくてなんだか妊娠の思い出も今思い返すといいことばかりが上書きされはじめているのが不思議なところです。
結局怒りやいろいろなものはかわいさで帳消しになりかけてしまっていることを記し、まとめとします。
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exningen · 7 years
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魚拓
LGBTブームの課題とは? 三橋順子さんが指摘する光と影「人権より先に経済的側面が注目された」The Huffington Post  |  執筆者: 宇田川しい
投稿日: 2017年05月04日 09時20分 JST 更新: 2017年05月04日 10時42分 JST
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セクシュアル・マイノリティに関する論議がここ数年、メディアで大きく取り上げられている。
LGBTという言葉も一般化し、多くの人が日常的に使うようになった。セクシュアル・マイノリティへの社会的認知は進んだと言えるだろう。
しかし、一方で「LGBTブーム」とも言える状況には弊害もある。ジェンダー・セクシュアリティ史の研究者であり自身がトランスジェンダーである三橋順子さんに、ブームの問題点とそれを乗り越えるための方策を聞いた。
早稲田大学・明治大学・関東学院大学・都留文科大学などの非常勤講師でもある三橋順子さん(写真撮影:波多野公美)
■LGBTという呼称がはらむ問題
――三橋さんはLGBTという呼び方に違和感をお持ちなのですか?
私たちMtF(※1)は、LGBTという言葉が一般化する以前から様々な形で社会に認識されています。MtFのタレントは1960年代からテレビに出ていますし、トランスジェンダー・カルチャーはかなり早くからメジャーなメディアにも登場しています。
レインボープライドのオープニングパーティに中村中さんが出演しましたが、中村さんが紅白に出場したのはLGBTブーム以前の2007年です。さらにその前の2000年にはやはりMtFの藤野千夜さんが芥川賞を受賞しています。
ゲイの人は、いるはずですけどカミングアウトしていません。この人は絶対にゲイだろうという芸能人や文化人は何人もいますが、カミングアウトはしない。レズビアンも同様です。そこがトランスジェンダーと違うところです。
――トランスジェンダーの場合、外見でわかりますね。
なかなかごまかしきれないし、初めからごまかそうと思ってない人も多いと思います。最初からトランスジェンダーとわかる形で出ている人が様々な分野でそれなりにいます。
ですから、今さらLGBTという枠組でくくられることは、実はトランスジェンダーにとってあまり意味がないのです。そういうこともあって、私はLGBTというくくりに距離を置いています。
■LGBT自身がLGBTという呼称の由来を知らない
――しかし、LGBTという言葉はセクシュアル・マイノリティが権利を求めて共闘する中で出てきた言葉であって、そういう歴史を尊重するべきという考え方もあります。
それはもっともですが、そもそもLGBTと言っている当事者自身がその言葉の起源を知らないことが多いですね。ある時、メディアの人にいつからLGBTという言葉が使われ始めたか質問されたのですが、LGBTと言っている人は誰もこれについて書いていなかった。
仕方なく自分で調べたところ、1980年代にセクシュアル・マイノリティの権利を求める活動家がゲイとレズビアンをGLと呼んだのが起源のようです。そこにBとTが加わって4つになるのは90年代に入ってから。しかしその頃はまだ並びが固定していなく、GLBTと書くこともありました。それがLGBTとなったのは、活動が男性優位だという批判に対して、名前だけでもLを頭に持ってきたのだという説があります。
その後、2000年代に入ると、LGBTは次第にパブリックな用語になっていきます。公的な文書で使われた最初は、2006年の「レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人権についてのモントリオール宣言」だと言われています。
日本に入ってきたのは2000年代後半でしょう。書籍名に「LGBT」を使った最も早い例は2007年出版の 『医療・看護スタッフのためのLGBTIサポートブック』(メディカ出版)です。ただこれは例外的に早いです。そして2012年夏に『週刊ダイヤモンド』と『東洋経済』がLGBTを特集します。そこが起点になり、爆発的に使われるようになったのは2015年からです。
じつは、LGBTが2000年代に欧米で公的な用語になった時点、ですでに様々な問題が指摘されていました。性的指向(Sexual Orientation)の問題であるLGBとジェンダー表現(Gender Expression)の問題であるTが一緒にされていることや、LGBT以外のセクシュアリティが含まれていないという点などです。LGBTという言葉が日本に入ってきたとき、そうした疑問点への認識が薄かった感じがあります。で、今になってやっと気づいたという感じ。
ゲイやレズビアンへの問題提起をする三橋さん
■「ブーム」以前の10年間、日本のアクティビストは何をしていたのか?
――日本では10年遅れてその議論をしているわけですね。
きつい表現かもしれませんが、この間、日本のゲイやレズビアンの人たちはなにをしていたのかと言いたくもなります。メディアへ積極的にコンタクトして自分たちが社会に伝えたい情報を出すという努力を怠っていたのでは。
「LGBTブーム」以前のことですが、ストックホルムのゲイパレードの記事が朝日新聞の全国版に大きく載っているのに、東京のパレードの記事が東京版にも載らないということがありました。そういう状況になぜ疑問を持って働きかけなかったのか。
トランスジェンダーはそれぞれの立場で、自分たちが取り上げてほしい情報をニュースにしてもらうための働きかけを1990年代からメディアに対してやってきました。その努力があったから、これだけの社会的認知がある。
日本のゲイ、レズビアンの運動が停滞していた時代に、欧米ではシビル・ユニオン(法的に権利を認められたパートナーシップ関係)や同性婚の法制化が進んでいきました。なのに、どうして日本では議論が高まらなかったのか。
――それは時代の流れということもあるのではないでしょうか。日本では1990年代にゲイブームがあって、府中青年の家裁判(※2)など権利を求める動きが出てきた。
しかし、その後、ブームは終息してしまい、日本全体も自己責任論が蔓延するような人権が軽視される風潮になったと思います。
府中青年の家裁判というのはまさに人権の主張で、日本における性的少数者のアクティビズムの出発点としてとても大きな意味のあるものだったはずなのに、その流れがなぜか続かなかった。
そして2012年に始まる現在のLGBTの動きというのは、きっかけが経済誌であったことに象徴されるように経済主導なのです。そのあとから法整備のような運動が出てきて、徐々に追いつきつつありますが。人権より先に経済的側面が注目されたことの悪影響はやはり残っていると思います。
取材後、戦前は遊廓、戦後は「赤線」(黙認買売春地区)だった新宿二丁目の一角を歩く(写真撮影:波多野公美)
■LGBTのマーケットは期待できるのか?
――広告代理店などがLGBTマーケットの可能性についてずいぶん喧伝しています。
広告代理店の仕事は学術調査ではありません。そういうところがマーケティング戦略として出してきたLGBTの割合が何%というような数字を、なぜ簡単に信じてしまうのか。あれは学術的には意味のない数字です。
――どこが問題なのですか?
何をもってLGBTとするかがとてもあいまいなのです。たとえばトランスジェンダーについて「なんとなく自分の体と心の性がズレてるように思いませんか?」というような緩い設問にすればイエスと答える人は多くなります。
でも、それはあくまで弱い性別違和感がある人です。そういう人はけっこう多くて、自然に解消することもあり、違和感を持ったまま生き続ける人もいます。本来はトランスジェンダーとしてカウントしないのです。
――広告代理店はマーケットを大きく見せようとしますし、政治的な活動をする人もLGBTが大勢いるといったほうが影響力を示せますね。
14人に1人なのか30人に1人なのか分かりませんが、そこに本質的な意味はないと思います。結局、マイノリティであり、それに対して社会がどういう形で人権を認めていくかという問題なのです。
数字的な問題だけでなく質的にも事実と言い難い部分があります。たとえば最近、LGBT向けのお墓というのが話題になりました。もし、今までLGBTがお墓に入ってなくて、これからはそうなるのなら新規需要でしょうが、そうではありません。ホテルの宿泊プランにしたって、今まで世間をはばかって「シングル」2部屋を予約していたゲイ・カップルが「ダブル」1部屋になったら減収でしょう。
女装コミュニティの昔を知る人に話を聞いたり、二丁目の歴史地理を調べている三橋さん(写真撮影:波多野公美)
■人権という基本に立ち返ることの大切さ
――LGBTの雇用はダイバーシティ化であり企業にメリットがあるという主張も目立ちます。
雇用は大事だと思います。とくにトランスジェンダーは、これまで就労の際にほとんど門前払いでしたから。企業が求める才能のある人が、それを活かせる場所に入れるようになるのはとても良いことです。
しかし、そのことで企業の論理で求められる人材と、そうではない人材とにLGBTが階層化させられてしまうかもしれません。資本主義社会ではある程度、仕方ないことなのかもしれませんが、いかにそこを乗り越えてLGBTというまとまりを保つのか。そのためにはやはり基本に立ち返って人権ということを大切にすべきでしょう。
■FtMをめぐるグレーなビジネスと就労問題の深刻さの関係
――とはいえ、「LGBTブーム」によって可視化は進み、今週末に東京代々木で開催される東京レインボープライド2017のようなセクシュアル・マイノリティのイベントが全国で開催されるようになりました。
もちろんそれは良いことなのですが、少し気がかりなことも出てきました。あるイベントのブースで、性別移行について無料相談をうたっているのに、肝心な情報は有料でしかも法外と言えるような金額を取っているという話です。しかもターゲットは中学生など若い人たちです。
――中学生が高額な料金を払えるのですか?
お金を出すのは親なのです。「性同一性障害」が先天的な障害であるという説があるので、自分のせいだと思い悩んでしまう親も少なくなく、そういう親が罪滅ぼし的な感覚でお金を払うわけです。
海外での性別適合手術のアテンド(紹介・斡旋)を行う業者にも、無資格だったり質が伴わない会社が横行しています。こういった問題がある事業に関わっているのは、なぜかほとんどFtMなのです。ただ、本人たちはあまり悪気がなく起業のつもりでやっている。
背景にあるのはFtMの就労環境の悪さだと思います。トランスジェンダーは、比率で言うと1対3くらいでMtFよりFtMが多いのです。そしてそれは20代、30代の比較的若い世代に集中しています。うまく就労できないかなり大きな集団があるのに、それが社会的に認識されていないのです。
MtFの場合、水商売やセックスワークという選択もありえますが、FtMにはそれもない。だから行き場がなくてFtMには起業する人が多いのです。「LGBTブーム」をビジネスチャンスと捉えるのは悪いことではありませんが、やはり仲間を食い物にするようなことはしてほしくありません。
さまざまなセクシュアリティの人々が行き交う新宿ニ丁目の風景(写真撮影:波多野公美)
■基金を作って恒久的に活動できる環境を
――起業して成功している人も多いのですか?
ビジネスとして成功させるには、もう少しコンプライアンスをしっかり考えないとダメでしょう。ビジネスで成功してコミュニティのためにポンと1億円くらい寄付してくれる社長がいたらと思いますが(笑)。企業からお金をもらってイベントをするのもいいですが、寄付をもとに基金にして恒久的に活動できる環境を早く作るべきだと思います。
レインボーウィークには「性をめぐるアーカイブの世界」というトークショーに登壇します。セクシャル・マイノリティに関する書籍など、資料の保存について考えるイベントです。本当はこういった資料は国が国会図書館などで保管してくれるのがベストだと思いますが、今の状況だとそれは難しい。新宿2丁目にあるLGBTコミュニティスペース「akta」のような既存の施設を拡充して、資料を蓄積していくしかないと思います。
※1 MtF Male to Femaleの略。トランスジェンダーのうち出生時に割り当てられた性別が男性であり性別表現が女性のケース。この逆はFtM(Female to Male)。
※2 府中青年の家事件 1990年、動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)が東京都の府中青年の家を利用した際、同宿していた団体から差別的な扱いを受けたため、青年の家側に善処を求めるものの却下される。その後、OCCURが再び利用しようとしたところ青年の家は「青少年の育成に悪影響を与える」として拒否。1991年、OCCURが人権侵害にあたるとして提訴。1997年にOCCURの勝訴が確定した。
三橋順子(みつはし・じゅんこ) ジェンダー・セクシュアリティ史の研究者。自身がトランスジェンダーであり、性別越境の歴史について文献調査などの歴史学的手法とフィールドワークなどの社会学的な手法を用いて意欲的な研究を行っている。著書に『女装と日本人』 (講談社現代新書)などがある。
(取材・文 宇田川しい)
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ayabotan-blog · 7 years
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映画を振り返る。 2017.01→2017.03
もうすぐ1年の4分の1が終わる。 丁度いい節目なので、この3か月の間に見た映画を振り返ってみた。
個人的評価基準 ☆★★★★ 最低。後悔なんてしない。 ☆☆★★★ イマイチ。物足りない。 ☆☆☆★★ 普通。良くも悪くもない。 ☆☆☆☆★ 良作。見れてよかった。 ☆☆☆☆☆ 傑作!最高!
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2017/01/05 『ジョーカー・ゲーム』 ☆☆★★★ 亀梨主演のスパイ映画。和製007を目指したのかもしれないが、イマイチ。深田恭子が演じる女スパイは別にいらない役だったと思う。
*2017/01/08 『プリンス/パープル・レイン』 ☆☆☆★★ 昨年亡くなったプリンスの初主演作。劇中で流れる名曲は神憑っていた。ただ、ストーリー重視な方が見ると退屈極まりないと思う。
『あなたを見送る7日間』 ☆☆☆★★ ユダヤ系のある家族が父親の葬儀を経て、家族(又は兄弟)の絆を取り戻すヒューマンコメディ。少しだけ前向きになれる映画。
2017/01/20 『母と暮せば』 ☆☆☆★★ 嵐・二宮&吉永小百合主演の映画。原爆投下後の長崎を舞台に、淡々と話は進むが、とても切ない映画。最後の演出で賛否が分かれる。
2017/01/25 『パディントン』 ☆☆★★★ 英国の児童文学作品の実写化映画。ある英国人を探して、故郷から英国へ密入国したしゃべるクマの物語。主人公のクマは面白いが、それ以外はイマイチ。
*2017/01/27 『蜜のあわれ』 ☆☆★★★ 二階堂ふみ&大杉漣出演の映画。金魚の赤子と老作家の恋?物語なのだが、理解に苦しむファンタジーもどきな映画だった。二階堂ふみのあふれ出る色気は健在である。
*2017/01/29 『イット・フォローズ』 ☆☆☆★★ 主人公がある青年とセックスしたことによって、謎の「それ」が主人公に付き纏う青春ホラー映画。低予算映画ながら、なかなか健闘している作品。じわじわと追いつめられるホラーがお好きな人にはオススメ。
2017/01/30 『ぼくとアールと彼女のさよなら』 ☆☆☆☆★ 映画オタクの主人公が白血病になった同級生と友情を育み、成長していく青春映画。よくある恋愛パターンに陥らず、あくまで主人公の内面の成長をクローズアップしているところが良い。悲しくも粋な演出がジワジワと心に効いてくる良作。
**************** 2017/02/01 大阪ステーションシネマ 『ドクター・ストレンジ』 ☆☆☆☆★ 魔術を操って、敵を倒していく「アベンジャーズ」シリーズでは異色のヒーロー映画。主人公はB・カンバーバッチしか考えられないくらい役に合っていた。 ****************
*2017/02/01 『MYTHICA ミシカ クエスト・フォー・ヒーローズ』 ☆★★★★ 3部作構成のファンタジー映画だが、安っぽいCGや意外性のない物語の展開にうんざりさせられた。私がこの映画の続編を見ることはない。
2017/02/09 『火の山のマリア』 ☆☆☆★★ グアテマラの過酷な環境下を生きていくマヤ族の女性を描いたヒューマンドラマ。社会問題も交えた映画なので、全体的に暗い作品。
2017/02/14 『ロパートキナ 孤高の白鳥』 ☆☆☆★★ 世界三大バレエ団・マリインスキーバレエ団のプリンシパルを務めるU・ロパートキナのドキュメンタリー映画。バレエ好きにオススメしたい一作。
**************** 2017/02/15 大阪ステーションシネマ 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』 ☆☆☆☆★ 「もし、ティム・バートンが『X-MEN』を手がけていたら」を形にしたようなミステリアスなファンタジー映画。個性豊かな脇役に対し、主人公の陰が薄いのが欠点。濃厚なバートンワールドが展開されているので、好き嫌いが分かれる。 ****************
*2017/02/16 『オートマタ』 ☆☆★★★ A・バンデラス主演の近未来SF映画。予想外な展開はあるが、そこに行き着くまでに退屈してしまう可能性が高い。これを見るくらいなら、『アイロボット』を見た方がいいかもしれない。
2017/02/19 『サウルの息子』 ☆☆☆☆★ カンヌ映画祭グランプリ、米アカデミー賞外国語映画賞を獲得したホロコースト映画。ホロコーストを題材にした作品の中で、1番圧迫感、残酷さが際立つ衝撃作。万人受けはしないが一度は見て欲しい良作。
*2017/02/20 『サヨナラの代わりに』 ☆☆☆☆★ 難病ALSに冒された女性の苦悩とそれを支える女学生の友情にスポットを当てたヒューマンドラマ。難病の女性を演じたH・スワンクの演技はとても素晴らしく、メッセージ性の強い良作。
*2017/02/21 『マクベス(2015年版)』 ☆☆☆★★ シェイクスピアの四大悲劇の一つを『マクベス』を映画化。俳優陣は熱演しているものの、ストーリー自体は淡々とした展開で、文学に興味がない人は寝落ちしそうな作品。
『アリスのままで』 ☆☆☆☆★ 若年性アルツハイマー病を発症した主人公が家族の介護もむなしく、記憶をなくしていく日々を綴った物語。最後のワンシーンで、主人公が呟く一言に涙した。
*2017/02/22 『ダラス・バイヤーズクラブ』 ☆☆☆☆☆ エイズに感染し、余命30日を告げられた主人公の実録ドラマ。かなり自己中だけど嫌いになれない主人公をM・マコノヒーが体を張って熱演している。トランスジェンダーの役を演じたJ・レトの演技も素晴らしい。何故、もっと早くに見ておかなかったのだろうと後悔するくらい良作!
2017/02/24 『ヒメアノール』 ☆☆☆☆★ 人気コミックの実写化。V6・森田剛が演じるサイコパス役がとても良い。最後は意外な終わり方をして、想定外だった。全体的に暗く後味悪い映画なので、明るい映画を希望している方は見てはいけない。でも、見る価値はある一作。
**************** 2017/02/25 TOHOシネマズ梅田 『LA LA LAND』 ☆☆☆☆☆ 本年度の米アカデミー賞で6部門受賞したハリウッド・ミュージカル映画。まさに映画館で見てほしい作品。過去のミュージカル作品へのオマージュが至る所に散りばめられ、とても美しい。そして、この映画で流れる楽曲は秀逸!思わずステップを踏みたくなる気分にさせてもらえる。私の2017年のBEST MOVIEの1つである。 ****************
*2017/02/27 『花宵道中』 ☆☆★★★ ベストセラー小説の映画化。花魁と青年の許されぬ恋模様を描いているのだが、R15指定映画でいいのか?と思えるくらい、濡れ場のシーンが長い。安達祐美の体当たりな演技はいいが、幼い風貌故に色気があまり感じられないのが残念。
*2017/03/05 『アーロと少年』 ☆☆★★★ ピクサーアニメーション作品。恐竜と少年との成長物語なのだが、ピクサーの技術力の高さに反して、物語自体が実に無難。今まで見たピクサー作品の中で一番退屈になってしまったのが残念。
*2017/03/14 『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』 ☆☆☆★★ M・フリーマンとD・キートンの初共演作。ある老夫婦が新婚時代から暮らしているアパートを売ろうとする話なのだが、夫婦の若かりし頃の回想シーンがあるので、とても温かみのある作品に仕上がっている。
**************** 2017/03/15 大阪ステーションシネマ 『モアナと伝説の海(吹替え版)』 ☆☆☆☆★ 南の島と大海原を舞台にしたディズニー映画。恋愛要素がないプリンセスものに好感が持てた。海やキャラクターの髪の毛、動くタトゥーの描き方は技術力の賜物だと思う。劇中、某映画へのオマージュがあって、個人的に楽しめるシーンが多かった。 ****************
**************** 2017/03/22 大阪ステーションシネマ 『SING(字幕版)』 ☆☆☆☆★ 『ミニオンズ』などを手掛けたイルミネーション・スタジオの長編アニメ映画。歌唱力抜群の俳優陣をキャスティングしているので、歌唱シーンは文句なし。ストーリーは王道だけど、退屈させられることはなかった。劇中で流れる曲を知っている数が多いほど、楽しめるエンタメ映画。 ****************
2017/03/26 『スレイヤーズ・クロニクル』 ☆☆★★★ 特殊能力を与えられた青少年たちの戦いを描いたアクション映画。全体的に何もかも中途半端で、まとまりが感じられない。若手俳優さんの演技が悪くなかった分、脚本で大損しているように思える。
*2017/03/27 『アウトレイジ ビヨンド』 ☆☆☆★★ 北野武監督の任侠映画第2弾。前��「アウトレンジ」の続編なので、前作を鑑賞した上で観るべき映画。ヤクザ同士の抗争シーンなどバイオレンスなシーンは健在で、ヤクザ映画が好きな人にはたまらないと思う。最後の締め方はスッキリした。
『at Home アットホーム』 ☆☆☆★★ 暗い過去を持つ5人が、一つの「家族」となり、その日常を守るために奮闘する物語。両親、長男が犯罪で生計を立てている設定が面白い。ただ、この作品は映画で2時間にまとめるより、ドラマ化して45分×10話で描いた方がもっといい作品になれたと思う。
全29作品 ============
振り返ってみると、なかなか充実した映画の時間を過ごせたと思う。中には「なぜ私はこの映画を録画しようと思ったのか。」と思ってしまう駄作や嗜好に合わない作品もあった。しかし、それも含めて映画の楽しみかな、と私は思う。ちなみに上記にあげた作品で見てほしい3本をあげるなら、『ダラス・バイヤーズクラブ』、『ぼくとアールと彼女のさよなら』、『LA LA LAND』をお薦めしたい。
来月から映画館では、今年の米アカデミー賞にノミネートされた作品や、大ヒット漫画の実写化作品が次々公開されていく。時間があれば、劇場に行き、のんびりと映画を楽しみたい。
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