14/09/2023
『しょせん他人事ですから~とある弁護士の本音の仕事~』
先日、この漫画をスマホで読みましたが、漫画を読むこと自体、本当に久しぶり。
ここまで極端な弁護士も珍しいと思いますが、このような側面を持ちあわせないと弁護士も務まらないと納得する自分もいます。
10/18追記
令和の時代にあり得ない事務所側からの新人いじめ、人格否定のハラスメント等々、枚挙にいとまがない状態が続きました。複数人、それも一緒に仕事をする事務職員全員で一気に来られたら私に勝ち目はありません。
この会社の唯一良い所は現場の作業員の方たちは年代問わず仲が良く、私にも良くしていただきました。ただ、一緒に仕事をする事務所がこの調子では…。
事務所が合わず、事務職から作業員に職種を変更した方も多数います。3年前にも高校を卒業したばかりの事務員の女性が私のような新人いじめで退職したそうです。最後は自家用車の中で泣きながら昼ごはんを食べていたそうです。
因みに、会社の会長は県議員(与党)です。議員は会社の会長ですが、会社に関してはノータッチ。社長である奥様に任せきりだそうです。政治家の会社ってこんなものですか?
入社時に身元保証人、誓約書など書かされたこともあり、この類に詳しい弟に相談(注:弁護士ではありません)。
私の心が病んでしまうのは回避したい、尚且つ、会社から訴えられるリスクを限りなくゼロにして、退職したかったので地元の弁護士を代理人に立てて退職しました。
今日、退職に必要な書類をやっと受領しました。
終わったけれど…心がしんどい。心が晴れません。
漫画の最初に登場する誹謗中傷に悩むセレブブロガー(相談者)の気持ちが痛い位分かる。
ただ唯一安堵したのは、事務職員と8月に記載した職場の方。もう、その方達の顔を見ないで済むんだって思いました。
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を���下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島��長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破���、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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伊織 いおは、日本のグラビアアイドル、コスプレイヤー。ゼロイチファミリア所属。神奈川県出身。 2020年4月から12月まで芸能活動と並行して建築系の会社で働いていた。 ウィキペディア
生年月日: 1998年8月13日 (年齢 25歳)
身長: 151 cm
カップサイズ: J
スリーサイズ: 90 - 55 - 90 cm
デビュー: 2018年 -
モデル内容: 一般、水着
趣味はコスプレ、読書、ゲーム、テラリウム作り。
特技は建設模型作り、アーク溶接、一人で話し続けれる。
好物は犬、美少女、胡麻団子、馬刺し、お酒、梅水晶、もつ鍋、ラーメン。
元々巨乳がコンプレックスであり、高校時代は男装して通学していた。
高校卒業後、大学で建築造形を学んだが建築と無関係の授業に嫌気が差し1年で中退。建築関係の専門学校に入学し直し、卒業後の2020年4月から建築系の会社に就職。グラビアアイドルとして活動しながら会社員になったことについては「グラビアは一生続けられないし、だったら今まで学んできたことを生かした仕事に一度は就いてみたいって思った」と述べている。
尊敬する人物は川崎あや、気になるグラビアアイドルとして未梨一花を挙げている。
母と姉がいる。
座右の銘は、『死ぬこと以外かすり傷』。
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「3年後に、君はいくらの給料が欲しい?」
会社員時代、私は採用面接のたびにこんな質問を候補者に投げかけていた。するとその大半は「う〜ん」と首をひねって、答えに困ってしまう。この質問に正解はない。年収500万円でも、1000万円でも、1億円でもいい。中には「サーフィンが大好きで、千葉の九十九里の海沿いに住みたい。生活費は手取りで月15万円あれば十分です。その代わり、波がいい日は休ませてください」。そんな交渉を持ちかけるのだってありだ。私が知りたいのは、目の前の候補者がこれからどんな人生を歩みたいと考えていて、そのためにいくら稼ぎたいのかを根拠をもって具体的に考えているかどうか、だ。そして自分がその金額に値するのだと、私を説得してほしいのだ。
ところがほとんどの人は何も答えられない。中には「3000万円欲しいです!」と意気揚々と答えてくれる人もいるが、「何で3000万円なの?」と突っ込んできいてみると、「なんとなく」「それくらい稼いでいれば凄い」など漠然とした答えしか返ってこない。仕事の時間は人生の3分の1を占めるとも言われる。そんな大切な仕事を選択するための場でさえ、みんなどこか投げやりで他人任せだ。
仕事は、幸せに生きるための手段だ。つまりどんな仕事をするかを考える時には、そもそも「自分がどんな人生を生きたいのか」「自分はどこに向かっているのか」を考えなければ始まらない。
私は、会社とは電車のような乗り物みたいなものだと思っている。これまでに6回転職した私にとっては、会社を変わることは電車の乗り換えに近い。目的地を定めたら、そこまでどうやって行くかを考えて乗り物を選ぶだろう? 同じように自分の人生の目的に合わせて、どんな会社で働くかを決め、乗り込んでいく。途中で自分の目的地と会社の行き先がズレてきたなと思ったなら、そこで一度降りてまた別の乗り物に乗ればいいだけだ。
よく「良い会社」とか「人気企業ランキング」という記事を見たりするが、万人にとって良い会社などあり得ない。一人ひとり人生の目的はバラバラだし、どういう進み方をしたいのかも人によって違う。結局のところ「君にとっていい会社」があるかないかの問題だ。
東京に行きたい人もいれば、北海道に行きたい人もいる。とにかく早く目的地に着きたい人もいれば、寝台列車でのんびり進みたい人もいる。中には「今は目的地を決めず、気ままに流されたい」という人もいるだろう。大切なのは、自分が今どこに向かっていて、何を求めているのかを自覚しておくことだ。大阪から東京に行きたい人が、「目の前に来たグリーン車が座り心地良さそうだから」と、博多行きの新幹線に乗り込んでいたら意味が分からない。
ところがこんな意味の分からない選択が、人生という旅においてはよく見受けられるのだから困ったものだ。「人気だから」「プラチナチケットだから」「乗り心地がいい(福利厚生がいい)から」なんて、行き先も確かめずに人気の列車の椅子取りゲームをしている様子には疑問を抱いてしまう。
若いうちから自分の目的地が明確に決まっている人は稀だと思うが、それにしても「海か山か」「東か西か」「暑い場所か寒い場所か」「都会か田舎か」くらいの大まかな目的地の方向性くらいは定めておいてほしいものだ。
どこへ向かうかも考えず、とりあえず世間体や居心地の良さで乗り込む先を決めてしまい後悔している人を私はたくさん知っているからだ。彼らの中には、もはや引き返すこともできずにいつのまにか「会社に乗っかること」が目的となり、会社という乗り物にしがみ続けるしかない日々を送っている人もいる。
「また月曜日がきたよ……」と憂鬱そうに満員電車に乗り込む。
理不尽な転勤も、クビになるから断れず、泣く泣く家族と離れて暮らす。
誰にでもできる単純で退屈な仕事を、ひたすらこなす。
すべてを捧げてきたのに、定年と同時に強制的に降ろされる。
そんな会社の奴隷のような働き方だけは、君にはして欲しくないというのが父としての私の本音である。
「働く」とは本来、とてもエキサイティングで楽しいことだ。ビジネスこそ最強のオンラインゲームでチームスポーツだと言ってもいい。会社に振り回され仕事のために生きてはならない。
幸せに生きるために仕事を味方につけるんだ。
https://twitter.com/tabbata/status/1645577690207096833?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
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元NHKアナ・鈴木健二さん死去 95歳 老衰 「クイズ面白ゼミナール」などで人気
「クイズ面白ゼミナール」の司会やベストセラー本「気くばりのすすめ」の著者で知られる元NHKアナウンサーの鈴木健二(すずき・けんじ)さんが3月29日、老衰のため福岡市内の病院で死去した。「NHK首都圏 NEWS WEB」などが発表した。95歳だった。関係者によると30日に通夜、31日に告別式が近親者で営まれた。
文字通りテレビ放送とともに歩みを重ねた昭和を代表するアナウンサーだった。東京の下町に生まれた生粋の江戸っ子で、東北大卒業後、テレビ放送開始の前年の1952年にNHKに入局。報道ジャンルで活躍していたが、66年に生活情報番組「こんにちは奥さん」の司会で主婦層の人気も得ると、81年から「ク��ズ面白ゼミナール」の司会として活躍。最高42・2%(82年9月12日)を記録するなど高視聴率を誇った。抜群の記憶力で台本やセリフを頭にたたき込む一方、当意即妙の受け答えをちりばめ、人気アナウンサーとしての地位を不動のものにした。
82年に執筆した「気くばりのすすめ」は文庫本を含めると400万部を超える大ベストセラーになるなど、アナウンサーとしての枠を超えて活動。83年から85年までNHK紅白歌合戦の白組司会で出演者よりも派手な衣装で登場するなど、注目を集めた。84年、引退する都はるみにアンコールをお願いする際の「私に1分間時間をください」という言葉は流行語にもなった。
その後、理事待遇となったため当時の定年より2年延長して59歳で定年退職。NHK退局後は、講演活動を行う一方、熊本県立劇場館長や盛岡県立図書館長などを歴任した。
兄の映画監督・鈴木清順さん(2017年逝去、享年93)も卒寿となるなど長生きの家系でもあった。鈴木さんは平成が終わる2019年2月に90歳で「昭和からの遺言」を執筆、反戦への誓いを訴えていた。
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(...)「今時の若者は辛抱が足りない」とか「メンタルが弱い」と言う大人は日本でもアメリカでもたくさんいるが、実際にその「辛抱」や「メンタルの強さ」は必要なのだろうか? 健康や幸福を害してまで、資本主義に迎合するために仕事に全てを捧げる必要性は、いったいどこにあるのだろうか?
(...) Z世代は、自分で簡単にコントロールできる「身の回りのこと」だけに集中しよう、という「丁寧な暮らし」や「自分のことだけをする」といった試みによって「個人の力で気分良く過ごす」だけではない。
そこから目を転じて大きなシステムの枠組みにまで疑いを持ち、なぜ自分の生活が豊かにならないのか、前の世代のように恩恵を受けるのが難しいのか、なぜ自分が好きなように生きられないのか、苦労をしなければならないのかを繰り返し問うてきた。だからこそ、その理由をZ世代は若い頃からどこかで悟っている。誰かが大いに得をし、誰かが搾取される格差社会が悪化しており、根幹に後期資本主義の問題があるということを。
「大人に任せておけばいい」という時代は、もうすでに終わっている。自分たちの手で、「昔からそうだったから変わらない」という前提ごと覆してしまう。どんどん「変化の前例」を作っていくことで、自分たちの手で腐った社会を少しずつ変えられることを証明している。我慢していても誰の得にもならない、という「絶望」と「希望」を抱えながら、「生きているという手応え」を感じるために、彼らは行動しているのだ。
アメリカの若者がいま「働かないこと」「大規模な退職」「静かなる退却」の道を選んでいる“本質的な理由”
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