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#野島断層
tsunamicraft · 1 year
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野島断層にさをり織りを飾る
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elle-p · 4 months
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Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
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月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業を受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だ���らか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB型 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女として負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三十路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好きで生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・ホームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間、先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば具合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでございますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たちの間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハズレのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オーダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···え、違う?あ、ここが11だから··· すいませんね、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうでしょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上ってとこか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生に、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価さ���ている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶対に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さないようにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応が好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧とかオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もうすぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は燃えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件が多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩みもあるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
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ari0921 · 1 year
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高山正之氏の論考をシェアさせていただきます。
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 信長は偉かった
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高山正之
 ユダヤ教の神ヤハウエは天地を創造し、ヒトを含めすべてを創った。
 ただ少し抜けていてバール神とかその他大勢の神も創ってしまい、ユダヤの民には「他の神を崇(あが)めるな」と命じる羽目になった。
 民は従うが、今度は「濫(みだ)りに我が名を口にするな」という。「神様、助けて」とか神頼みをするなと。
 LGBTも嫌いで、ソドムの街は焼き払われた。
 その点、日本の神々は違う。ひたすら民を思う。災いがあれば、それを神様が祓って川に流し、川の神が海の神に渡し、最後は水底の神が埋めてしまう。川の神は「千と千尋」にもちょっと顔を出していた。
 そういう神々を祀る伊勢神宮や諏訪大社、豊川稲荷などは日本列島を縦断する大断層、中央構造線の上に建っている。
 断層がもたらす地震や噴火を鎮めるためにおわすように見える。
 ただ日本の神々は不浄を嫌う。とくに死を嫌う。だから神社内では絶対に葬式をやらない。
 人々は困って、死にそうな召使いには暇を出し、多くが行路死した。
 芥川の『羅生門』にはそうした死体であふれる京の都が描かれている。
 その惨状にお寺の坊主が目をつけた。
 お釈迦様は涅槃に入るとき「葬式はするな」と言ったが、それは聞かなかったことにして以来お寺が死人の始末を始めた。
 坊主が葬式を仕切り、戒名に卒塔婆に墓石も売りつけた。坊主丸儲けだった。
 カネができ、真剣に彼岸を信ずる信徒がたくさん増えれば坊主は増長する。
 荒法師が京を荒し、坊主軍団が政争に割って入って政治を動かしてきた。
 意のままにならぬは「鴨の流れと山法師ども」と白河法皇が嘆いたのもこのころだった。
 一向宗の坊主たちはとうとう加賀を支配するに至って、信長は信仰心を悪用する坊主の成敗に出た。
 一向宗総本山の石山寺を討ち、比叡山の天台宗延暦寺も攻め落とした。
 信長記には女子供に至るまで皆殺しにしたとある。ルイス・フロイスが「悪魔の所業」と非難するほどの振る舞いだった。
 ただ歴史作家、塩野七生は別の評価をする。信長以降、坊主は分を弁え、政治に口だししなくなったと。
 もう一つの外来宗教、切支丹も神の愛を説きながら奴隷商売に勤しんだ。
 秀吉はイエズス会のコエリヨに真人間になれと説くと、彼は反発して切支丹大名を語らい、秀吉を討つよう画策した。
 そういう政治性を家康も家光も嫌い、島原の乱では女子供まで殺した。日本人キリスト教徒が己の分を弁えた瞬間だった。
 明治政府も、五榜の高札で切支丹を含む邪道の布教を厳しく禁じた。
 実際、海の外のキリスト教徒に進歩はなく、米国ではその3年前まで黒人奴隷を使い、禁止されると今度は苦力(クーリー)を買っていた。
 一方日本では宗教が躾られ、それによるゴタゴタは一切なかった。
 しかし戦後、馬鹿なマッカーサーがきた。
 日本軍に叩かれ敵前逃亡までしたこの愚将は日本軍の強さの源「大儀」を知らなかった。
 それを日本の神々への信仰心だと邪推し、神道を邪教とするGHQ憲法を押し付けてきた。
 ために忠魂碑を拝むことも靖国詣でも咎めだてられたが、その反動で、仏教もキリスト教もその他宗教も何をしても許された。
 オウムは弁護士一家3人を殺し、長野で8人を殺害しながら信仰の自由を盾に警察の捜査すら阻んだ。
 創価学会は信長��許さなっか政治に口を出し、文鮮明は朝日新聞が慰安婦の嘘で支援したこともあって日本人に贖罪のカネを出させ、日本人女性には自ら韓国人の性奴隷となるよう仕向けた。
 この文鮮明の不遜をきっかけに、国会は初めて神道以外の邪教にメスを入れ、瓢箪から駒というか、その邪悪に気付いてきた。
 日本人に外来宗教は似合わない。日本の神々が一番いい
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kennak · 1 day
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紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 - 1963年〈昭和38年〉9月)は、日本の警察官。静岡県警察の元刑事。担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。 人物 現在の静岡県藤枝市出身。 自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決の後、再審が決定)などの冤罪事件を生む温床ともなった。 あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「拷問王」と称されている[要出典]。 紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。 上記4事件のうち島田事件を除く3事件が一審・二審の有罪判決の後に無罪となり、島田事件も最高裁での死刑判決確定後の再審で無罪が確定した。幸浦事件・二俣事件の有罪判決破棄差し戻しの時点で御殿場警察署次席警部の地位にあった紅林は、非難を浴びた静岡県警上層部によって吉原警察署駅前派出所へ左遷された。しかも交通巡視員待遇という実質的な二階級降任だった。 紅林は世間や警察内部から非難され精神的に疲弊しきっていたが、1963年(昭和38年)7月に幸浦事件の被告人に対する無罪判決が確定したことにより、気力が尽きて警察を退職。同年9月に脳出血により急死した。 紅林の捜査法 前述の通り、紅林は拷問による尋問・自白の強要・自己の先入観に合致させた供述調書の捏造のような捜査方法の常習者だった。また、アリバイが出てきそうになった場合は犯行現場の止まった時計の針を動かしたトリックを自白させ、被疑者が推理マニアであることや被疑者の周辺で時計の針を動かすトリックがある探偵映画が上映されていることなどの傍証を積み重ねる手法でアリバイを否定しようとした。 これらについて二俣事件の裁判では同僚の捜査員である山崎兵八が「県警(島田事件のみ、これ以前は国警静岡県本部)の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があった」と証言。県警当局は山崎を偽証罪で逮捕(ただし『妄想性痴呆症(妄想型統合失調症の旧称)』として不起訴処分)したうえ懲戒免職処分にした。また幸浦事件では自分達が先に被害者の遺体が埋められている場所を探知しておきながら、被疑者に自白させた後に発見したようにして秘密の暴露を偽装した疑惑があるほか、主犯とされた男性は拷問によるためか持病(てんかん)の悪化により僅か34歳で上告中に死亡した。 紅林の捜査法に見られるような強制・拷問または脅迫によるなど任意性に疑いのある供述調書は、刑事訴訟法第322条第1項および第319条第1項により証拠とすることができない。小島事件では実際に紅林の捜査法に最高裁の判断が下された。この最高裁判決では被告人(当時は被疑者)が取調べ中に留置場に戻ってくるたびに赤チン(局所殺菌剤)を塗るなど治療を受けていたという証言などを認定し被告人が主張する程度の過酷な拷問があったかについて疑義を呈しつつも、紅林主導の下で作成された供述調書の任意性を否定し被告人に有罪を言い渡した原判決を破棄差戻しとした(後に無罪確定)[1]。 主な時系列 1938年(昭和13年)8月22日、2人の女性が殺害される(浜松連続殺人事件の犯人が最初に犯した犯罪) 1941年(昭和16年)8月18日、1人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件) 1941年(昭和16年)8月19日深夜、3人が殺害される。(浜松連続殺人事件) 1941年(昭和16年)9月27日、犯人の兄、姉、両親、兄の妻とその子供の計5人が殺害される(浜松連続殺人事件) 1942年(昭和17年)8月25日、4人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件) 1942年(昭和17年)10月22日、浜松連続殺人事件の犯人が逮捕される。 1944年(昭和19年)2月23日、静岡地裁浜松支部は浜松連続殺人事件の被告人に死刑判決。被告人は上告。 1944年(昭和19年)6月19日、大審院は浜松連続殺人事件の被告人の上告を棄却、死刑が確定。 1944年(昭和19年)7月24日、浜松連続殺人事件の死刑囚(元被告人)の死刑執行。 1948年(昭和23年)11月29日、幸浦事件発生 1950年(昭和25年)1月6日、二俣事件発生 1950年(昭和25年)3月12日、二俣事件で容疑者の少年1人を強盗殺人罪で起訴 1950年(昭和25年)4月27日、幸浦事件で被告人4人に有罪判決(3人死刑、1人は懲役1年) 1950年(昭和25年)5月10日、小島事件発生 1950年(昭和25年)7月20日、小島事件で1人が起訴される 1950年(昭和25年)12月27日、静岡地裁は二俣事件の被告人の少年に死刑判決。少年側は控訴。 1951年(昭和26年)9月29日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。少年側は上告。清瀬一郎が弁護人になる。 1951年(昭和26年)5月8日、幸浦事件で東京高裁が被告人側の控訴を退ける 1952年(昭和27年)2月18日、小島事件で静岡地裁は被告人に無期懲役判決。担当弁護士が西ヶ谷徹から海野普吉になる。(西ヶ谷は元検察官だったが、紅林のような警察官に危機感を抱いて、後に検察官に復職している) 1953年(昭和28年)11月27日、二俣事件で最高裁は原判決を破棄。 1954年(昭和29年)3月10日、島田事件発生 1956年(昭和31年)9月13日、小島事件で東京高裁は控訴棄却。 1956年(昭和31年)9月20日、二俣事件で静岡地裁は無罪判決。検察は控訴。 1957年(昭和32年)2月14日、幸浦事件で最高裁は審議を東京高裁に差し戻す。 1957年(昭和32年)10月26日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。検察は上告を断念し、元少年の無罪が確定。 1958年(昭和33年)5月23日、島田事件で静岡地裁は被告人に死刑判決。 1958年(昭和33年)6月13日、小島事件で最高裁が東京高裁へ差し戻す。 1959年(昭和34年)12月2日、小島事件で東京高裁が無罪判決。検察は上告せずに確定。紅林は『週刊文春』への特別手記で小島事件の弁護士海野普吉、二俣事件と幸浦事件の弁護士である清瀬一郎を名指しで批判。(小島事件#その後を参照) 1959年(昭和34年)2月28日、幸浦事件で東京高裁が被告人4人全員に無罪判決。 1960年(昭和35年)2月17日、島田事件で東京高裁は控訴を棄却。 1960年(昭和35年)12月5日、島田事件で最高裁は上告を棄却し、被告人の死刑判決が確定。 1963年(昭和38年)7月9日、幸浦事件で最高裁が検察の上告を棄却。4人の無罪確定。紅林が警察を辞職。 1963年(昭和38年)9月、紅林が死去。 1986年(昭和61年)5月30日、島田事件で東京高裁は死刑囚の再審開始を決定し、審理を静岡地裁に差し戻し。 1989年(平成元年)1月31日、島田事件で静岡地裁は死刑囚に無罪判決を言い渡した。元死刑囚は同日中に釈放され、その後検察が控訴を断念したため無罪が確定。 脚注 [脚注の使い方] ^ 最判昭和33年6月13日刑集12巻9号2009頁 参考文献 佐藤友之、真壁旲『冤罪の戦後史』図書出版社、1981年。ISBN 4809981916。 浜松事件での紅林の功績は偽りのもので、実際は当時の県警刑事課長の怪我の功名によるものだったとある。その後、紅林はしくじって免職しかけるが、浜松事件解決の「功労者」として後継の刑事課長によって県警に引き上げられたという。以上は二俣事件で被告人側の証人になった元刑事の南部清松の談である。南部は島田事件でも冤罪を証明する活動をしている。 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』東京法経学院出版、2002年。ISBN 4808940035。 管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』洋泉社、2016年。ISBN 9784800307453。 浜松事件と二俣事件を中心に紅林の経歴を多数の資料に基づいて記述しており、伝記的事実から人物像を浮かび上がらせている。 関連項目 熊本典道 - 袴田事件の一審静岡地裁で死刑判決に関わった裁判官。良心の呵責から裁判官を依願退職し、事件の冤罪を訴えていた。 海野普吉 冤罪
紅林麻雄 - Wikipedia
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lilgurlcollins · 26 days
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旅の記録 in South Korea🇰🇷
Busan編
釜山に旅行してか3ヶ月経ってしまいましたが、旅日記は残すべく、今更ながら思い出語り。
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何日に何したか、どこのお店行ったかの記憶が朧げなので釜山の魅力を書きます😭次の旅行はその日に書こう。反省。
釜山とソウルどちらも行った身としては、韓国に旅行してみたいけどどこ行こう?という人に、断然釜山をおすすめしたい。(美容にさほど興味のない男性は尚のこと)
釜山の魅力
①ソウルで味わえるようなご飯屋さんは網羅されてる上に、釜山ならではの新鮮な海鮮のお店が多い(し、ちゃんと美味しい)。カンジャンケジャン(写真5枚目)の艶ヤバくないですか?生臭さなんてものは一切なくて、とても美味しかった。
②都会と自然が両方ある。
釜山でいちばん思い出に残っているのは海(海雲台海水浴場:写真1,2枚目)。2枚目の電車はガイドブックに載っているので、多くの観光客が訪れるスポットだけど、予約した乗車時間までの暇つぶしで近辺を散歩していたらたまたま海辺まで辿り着けた。海青くてちゃんと綺麗だな?!!?!?!と興奮した。
Sydneyでもそうだったのだけど、高層ビルと綺麗な海が隣接している絵面が個人的にたまらなく好きで、地震大国の日本では見られない光景なのが少し残念。
③ローカルな朝ごはん屋さんが多い。
これもまた日本にはあまり馴染みのない文化だけど、海外では朝ごはんを外で食べる習慣が根付いている気がする。
美味しかった朝ごはん3選
(1)カルグクス(写真下)
カルグクス(「カル」=包丁,「グクス」=麺)は「韓国風うどん」とも呼ばれていて、味のバリエーションがとても豊富(訪れたお店はいりこの出し汁を売りにしていた)。先輩たちはソンカルグクス(温)、私はネンカルグクス(冷)を注文。優しい味のスープで目が覚めました。
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(2)ソコギクッパ(写真下)
ソコギクッパ(「ソコギ」=牛🐄)は、もやしや大根などの野菜を大釜にたっぷり入れ、牛肉と一緒に煮込んだスープ。韓国では二日酔いの日は朝に食べるのが定番らしい。個人的にはデジクッパより好みだった。
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(3)デジクッパ(写真下)
デジクッパ(「デジ」=豚🐖)は、豚骨を丸1日かけてじっくりと煮込んで出汁を取ったスープに、茹でた豚肉とねぎとご飯を加えて、たくさんの種類の薬味の中から好みの味付けをして食べる料理。西面にはデジクッパ通りというのがあるくらい人気の料理で、とても美味しかった。
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※ 「クッパ」はスープと米を混ぜた料理。お米も入ってるのでお腹も溜まる。
④観光地らしい観光地が結構豊富。↓
甘川洞文化村(山の斜面に建物が連なってて「韓国のマチュ・ピチュ」といわれている美しい村。星の王子さまのオブジェが有名)
海東龍宮寺(韓国でいちばん美しいと有名な寺。寺に向かう108段の階段を降りると願いが叶うらしい)
国際市場(なんか栄えてる市場。)
五六島スカイウォーク(崖の上から海上に突き出したガラス張りの展望台で、高所恐怖症の人は多分無理。)
釜山ダイヤモンドタワー(夜景スポット、たぶん日本でいう東京タワーみたいなやつ)
海雲台(釜山でいちばん有名なリゾートビーチ。海めっちゃ綺麗。今回の旅でいちばん良かったスポット)
海雲台ブルーラインパーク(4人乗りのノロノロ列車なので1人で乗ったら多分暇だけど、カラフルで可愛いし綺麗な海をずっと一望できるからおすすめ)
南浦洞(釜山のキラキラ繁華街。渋谷っぽかったです)
とかとか、他にも韓流の『サムマイウェイ』のロケ地もあって3泊4日では全然制覇できなかったくらいに観光地多い。ソウルは観光地らしい観光地が少ないイメージだからそこに関しては釜山の方が充実してた。
⑤百貨店やブランド通りもあるので、ほぼ有名なブランドやスポーツ用品店は揃っていて(調べたら多少はソウルにしかないものもあるんだろうけど)、ソウルと同じくらい買い物も楽しめる。
釜山にしかないOPTATUMのハンドクリーム、ぜひお土産に購入してください。
North faceのホワイトレーベル(韓国限定ブランド)のトップスを罪滅ぼしで兄にお土産で購入した😅(正月の航空事故の影響で福岡からギリギリ東京に到着した際、タクシー待ちの列が5時間で、韓国行きの成田便に間に合わない〜と詰んでいた妹を、国試1ヶ月切っていたのにレンタカー���千葉から迎えに来てくれました、、神)
ちなみに屋台もソウルと同じくらい栄えてて楽しかった。屋台のホットク、毎日食べたい。
⑥街の散策が苦じゃない。
個人的な印象だけど、ソウルよりも一駅間を歩くのが苦じゃなかったような気がする。たくさんご飯を食べた後、次の目的地まで二駅だから歩いちゃおう!みたいなことができて良かった。
韓国旅行はグルメメインになるので、胃もたれでしんどくなるイメージが強かったけど、歩きやすい街並みと胃に優しい朝ごはんのおかげで、たくさん食べてたくさん歩いて健康な旅!という感じでした。
⑥ソウルと比べてローカルな都市なだけあって、人との距離が近め(な気がした)。
電車にて3人で日本語で喋っていたら隣に座っていたおじさんたちから話しかけられたり、お店で鍋を突いていたら隣のお姉さんたから声をかけられたり。みんな親切であったかくてなんて素敵な街なんだ〜!と思った。
余談)
新世界百貨店の新世界スパランドもおすすめ(10種類以上のチムジルバンがあって、一番高い温度のチムジルバンは79度)。温泉のあとのご飯が美味しいっていう文化は世界共通なのか。
写真7枚目のフレーク入りヨーグルトは韓国の定番の朝ごはんで、美味しすぎるので日本でも売ってほしい。欲張ってたくさんスーツケースに詰めたら、飛行機の気圧で潰れてスーツケースがヨーグルトまみれになりました。ビニール袋に入れておくべきだった。
タラタラ感想を述べたらえげつない長文日記になってしまいましたが、大好きな先輩2人と楽しい3泊4日を過ごせて幸せな渡韓だった。
またどこか旅行しましょうね🙈
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alaephoenicis · 1 year
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インタビュー:ロビン・カイザー
僕たちはみんな、同じチケットを予約している:
“人間を経験すること”
インタビューア:プリスカ=マリア・ブリョーゼ
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オリジナル動画:https://youtu.be/tXpOrZiMDZA
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
プリスカ:あなたにとって新地球とは?
ロビン: 最終的には意識の状態、時空間に定着されたものではないんだ。
我々は記憶を取り戻した時 自分たちの内部に 創り上げる意識の状態。
記憶というのは自分たちがどこから来たのか、 霊的精神的に自分たちがどのような存在なのか、ということ。
心の奥底でそれが確信として自己の中で目を覚ました感覚、忘れることのない感覚が起きる。すると、この肉体としての自己認識には陥らない。
その時、自分はこの地球の源であると言う自覚が起きる。
プリスカ:あなたの本には「新しい私たち」というのがあるけど、これはどのようなもの?
ロビン: 君が引用したのは「宇宙的観点からの私たち」で、これは新地球を改めて構築していく時の、互いのあり方とはあまり関係はない。
「新時代の私たち」には、新しいコミュニケーション文化、交信のための新しい言語を学ぶことなどが挙げられる。
我々の言語は、人類の分断が根底要素となっていて、主語・目的語といった区別は、如何なる文章でも相手(対象物)は自分以外の存在だと宣言している。新言語で新しい互いのあり方を表現することで、何が開かれるのか見えてくるだろう。
「愛を以て行動せよ」これを掲げたい。何にせよこの“材料”さえ入っていれば、何をしようと「ことは丸く片付く」。人生のどの分野であろうと、この“材料”が欠けていれば、いつの日か歪みとなって自己破壊に繋がるだろう。
プリスカ:新しいコミュニケーションの形態とは、どのようなものになるのか、イメージ、直感はある?
ロビン: 学校教育では合理的・論理的思考、と主に左脳が鍛えられる。
基本のコミュニケーションはしかし、芸術的なもの、例えば踊り(舞)はイメージとして隠喩的・芸術的な音響言語となり、自分の中の全く違った層で表現・伝達し合うことになる。
多くの人は自己表現ができないという感覚に陥っており、従って自分の存在は気付いてもらえないと感じている。なぜかというと、こうした“言語”という道具を使っても、人は自分の奥底にある内面を表現することが出来ないから。
そこで「僕たちはもっとクリエイティブにならねば」と思うわけ。
言語というものだけでなく、思考にも結び付けられているアイデンティティというものに、自分たちがどれほど奴隷化されているのか、そのことを芯から自覚すること。
つまり、「自分」と「自分が想っている自分」とを同一化してしまっていて、ここから分離化された存在への道を進んでしまうんです。
プリスカ:私には先日、イメージが浮かんで、その中では我々の精神がどんどん…この何千年の間なのかわからないけど、「自分・私(エゴ)」にばかりフォーカスするようになっ��行った。
今のあなたの話で思い出しました。
私たちは再び、自らの精神を宇宙というか創造的な方向へ向けていくとどうなるのかしら?
ロビン: (笑) この「自分・私」という“島”はまるで、広い大海に浮かぶナッツの殻のようなもので… 僕らの存在がそんなものだったためしなんかないのに。これがパラドックスで、僕らは「自分は自分が思ってるような自分」だと信じている… ひとつの意識層だけに存在感が与えられてしまっているけど、その横でパラレルに存在する多くの他の層で全く違った自覚の中にある。
一方では、“body-mind-identity(肉体=精神=同一性)”が肉体に繋げられた意識としてここにあって、僕らは「これが境界線(この線で終わる)」だと思っている。つまり、時空間を経験していると思い込んでいる。
しかしこれを超越して、認識を改めて見ると、「自分の意識は永遠」だということ、「“自分”には生まれ出た瞬間がない」ことに気づく。
これは…言葉では表現できない。ここには直接的な経験が必要になる。
その経験は、自分たちが行動を起こしている現実世界で疑問を掲げるようになって、そのうち行き着いた底を引っ掻くことになる日が来るまで、出来ない。
プリスカ:そうしたら、どうなるの?
その“底”を引っ掻けば、すべてが解ける?(笑)
ロビン: 実際には、切り離された現実からは、新しい我が家へは何も持って帰れないんだよ。
僕らは多くの妥協を決意して、古い世界にある手段を使って新しい何かを創造しようするのだけれど、それは当然うまく行かない。
切り離された世界において、自分の精神や思考や想像で構築してきたものを完全に“洗い流す”ことを、本当に徹底して学ばねばならないと思う。するといつの日か、“新たなるもの”に出会える。
でも、これは単なるプロセスであって、プレッシャーを掛けても効果はない。つまり、成長を先取って歩むことは出来なくて、新時代の成長に向けた選択の手段とは力を込めたり圧力をかけるのではなくて、手放して委ねていくこと。全く違った進み方なんだ。
プリスカ:…その「手放して委ねること」というところに、自然な磁力の影響が実現されるのかしら?
ロビン: その通り。切り離されたアイデンティティからは常に、「私はAからBに移動して、目的に至る」ことが「常に自分の意思で起こる」ことになる。
新しい現実では、自分の意思というものは丸ごと手放して、宇宙の磁力に自分の運命・宿命が自分を引き寄せる現実へと導いてもらうんだ。
プリスカ:あなたがセミナーなどで寄り添っている多くの人たちには、その新しい意識に心を開くために、どんなことを勧めていますか?
ロビン: (笑)…つまり君には君の道があって、他の人にもそれぞれ、その人に道がある。これは何か「本質的」と言えるもの。非常に個人的なもの。
そして、いつの日か、僕らがその道を歩んでいった時に、どんどん互いに近づき合うように導かれる。切り離された現実では、僕らは「自分のバブル(泡)の中にいて、他人と互換性がない。僕らはある言語を話し、互いにすれ違い、それぞれの道は交わることがない。
しかし、徹底して内面の方向性従うようになっていけば、個々の人が歩む道は集まっていき、それは力強い大きな流れとなる。
そして、エネルギー的に地球上でそれが起これば、もう何もそれを止めることが出来ない(にっこり)。
プリスカ:果てしなく大きく広がっていくような感じね。
私たちが、もしくは一定の人数の人々が、そのような意識状態に至れば、この地球上で顕現される世界に、大きい変化が起きるのかしら?
ロビン: (笑) 類比論法で描写してみると、そこにはあるバッタの種族がいて、皆が後ろ足を抱え込みあえば、一定の数を超えるとひとつの生物体へと変容する。そのように、僕らも皆で手を取り合えば、個人の意識は「我々」という意識へと変化し始める。実はそういう場所、つまり部族文化がある場所から来て、氏族意識をもっていた。個人の意識というのはそれほど無かった。これは遅かれ早かれ、我々に開かれていかざるを得なくなる。なんでかって、個人にとって分離という道には先がもう無いからだ。僕達はもう最終点まで味わい尽くした。この一本道にはもう、自己破壊しか残っていない。
そして、僕達が人間としての集団社会にあって、この道を選ばないならば、路線変更をしないといけなくなる。
ある程度は、誰もが責任をもって自分なりの貢献をするんだけど、上部に位置する創造レベルには…謂わば「シナリオ」が存在していて、それは人類の運命のようなもの。この話は別の文脈で話したことがあるけれど。
人々が、そのより大きい年代記というか、人類の運命的な流れに繋がった時、おそらく僕らは人として改めて自己破壊へ向かうような運命にはないだろう。
僕らはこれを経験してきた。この惑星で、僕らがいにしえのトラウマを再演出したことで、何度もそういうことがあった。最後にそういうことがあったのがアトランティス。この記憶を持っている人たちは、今この時代に沢山いる。なぜかというと、今日の時間質(タイムクウォリティ)が当時と同じだからだ。今、全く同じ状態が示されているんだけど、どうやら今回は上手くカーブを越せるようだ。それには異なった要素が関わってきている。集団意識性のクリティカルマス(急激に何かが激昂する分岐点)というものもある。これに達する時、高い意識を持った少数派が、普通の意識状態だった大衆を一緒に引き上げる。歴史上、大衆が世界の成り行きを統御したことはない。それはいつも少数派だった。…しかし、今までは分離の方向へと進んできた。
しかし、本当に「高い振動を保ちながら地球上で貢献している」と僕が呼んでいる人々の割合が一定のパーセンテージを超えたなら − 裏ではそれを起こすために多くの力が働いているんだけど − そのとき、新しい意識というのはまるで、地球を包む格���網のように張り巡らされ、そして… 無意識でも分離のアジェンダに従ってた者は、非常にそ~っと、そしてどの程度の抵抗があるかによってはちょっと辿々しく、その新しい意識に吸入されていく。
プリスカ:数年前にも聞いたことのある、その張り巡らされた金色の格子網のお話、好きです。
私が繰り返し体験しているのは、人々は意識発展の道にあって、反省とかしているんだけど、そこでも分離というのが、ジャッジによってあまりにも多く起こっていて…「ああ、この人はまだそういう意識状態じゃないのね」みたいなジャッジ。
(二人して笑う)
あなたはそういうのにどう反応するの?
ロビン: まぁね…『この人についてなんと言おう』ってやつだけど。
もし、僕が君について何かを陳述すれば、その時僕は「君について」だけでなく「自分について」も陳述していることになる。
だって、それは「君について」思っている僕の考え、ジャッジなわけだから。それをジャッジしている僕の精神について語っていることになるので、陳述したのは君のことではなくて、僕について、ということになる。だから、「誰もが鏡の間の中にいる」ということを、人は至るところで見かけることになる。
もし、誰かが「分離(別れ)」を口にしたならば、その人は「分離の意識」の中にあることになる。
それで、それとどう付き合っていけば良いのか、僕を助けてくれた大切な鍵となったのは、あらゆる総てに存在する権利がある、という認識。つまり、ちっぽけな虫から、この惑星上の最も偉大な意識体に至るまで、総てが己の存在の層で、大切な貢献をしており、そのちっぽけな砂粒がもし、掛けていたとすれば、大きな全体というのは完全ではなくなる、ということ。
この、存在の権利というのは、最も暗い闇の存在にも与えられている。消去しなければいけないものなど、何もない。そうではなくて、そこにあるのは我々が包容すべきもの、統合させてもらえるもの、自己の中にあるものに気付かせてくれるもの。それが出来れば溶かすことができるので。
プリスカ:ひとつになる、ということね? 素敵。
ロビン: ひとつになる、というのはもちろん素敵なこと。それは意識であって、そこにハマってしまえば、誰が何を言うのかなんて、もうどうでも良くなる。
僕らは皆、自分のフィルターを使って自分なりのベストを尽くし、それをやろうと思って着任したことを成し遂げようとしているんだけど、僕らがみんな「同じこと」のために着任したことは、明らかでしょ?
上部の位置から眺めた方向性、ミッションというのは、ねえ、みんな同じことを望んでいるんでしょ?
そう、これを…もう一度思い起こすことだよね。
そうした道の上を歩いていない者、無意識の道に変えてしまった者でさえ、望んでいるのは僕達が望むものと同じなんだ。ただ、彼らはそれを知らないだけ、別の層に納められてしまっているだけ、隠されているだけなんだ。
プリスカ:これまでも何度か聞かせてもらってきたけれど、私たちがワンネスの状態に在るようになれば、そこにはもう死はないわけで…私のマイクロビオーム(微生物叢・細菌フローラ)でさえ消滅したりはしない。つまり死ぬことはなく、そこらにある植物と一体化するのよね? (笑)
ロビン: 当然。
プリスカ:そうしたイメージだけでも、すごく美しいし、人々にとっても世界は広がると思う。だって、分離という精神・思考世界では、常に死への恐怖があるから。死、この世を去ることについて、あなたの考えを改めて聞かせて。
ロビン: 文明というものがどのような意識状態に在るのかを測るためには、実際には2つの基準があって、ひとつは「誕生」をどう扱うのか。もうひとつは「死」をどう扱うのか。
僕らはこの2つを非常に歪めてしまい、そこから酷く遠ざかっている。「死」は社会から排除しようとし、できるだけ意識しないようにしている。もうひとつの方はここでは深く述べないけれど、このことについて素晴らしい考察を書いている人が居る。
「死」というのは信じがたいほどの師匠・マスターなんだ。
「無常(全てがいつかは過ぎ去ること)」というものは、三つの大きな原理のひとつで、神の「三位一体」には、構築する原理、維持する原理、破壊する原理が存在する。この「破壊する原理」とは死、つまり「無常であること」。手放すことなんだ。
そして僕らの居るこの社会では、完全に、あらゆるものが「構築する原理」の中にある。
多くの人が、「維持する原理」と「破壊する原理」を文明から除外しようとしている。それは全てを「構築中」にしておくため。拡張、成長の加速。成長、成長、成長。だから、こんなに沢山の癌疾患が出てきている。だって、「構築の原理」のみに定着しているから。文化として、意識の中で。
対極となる原理が欠けている。僕に言わせると「破壊の原理・溶解の原理」だ。
インドでは調和というものがもっと強く存在していて、破壊の原理の象徴としてのシヴァ神がいる。
そう、「死」というのは意識の原理からいうと、実際には僕らが「移行」する時にまさに必要となるものなんだ。なぜなら、僕らは今この意識というものに、随分と長い間留まっていたわけで、その間ずっと「死」を排除しようとしてきた。
そして…分離されていたものを、どうやってひとつのものに戻して統合させるのだろうか?統合は常に溶解によって起こる。
僕らは謂わば「死ぬことのない(溶解せず、統合することがない)」ものとして凍結してしまっている。
「死」を排除しようとすることで、僕らはデジタル的なものに変容してしまった。保存したい、手放したくない、そういった意識から、今自分たちがはまり込んでいる時間のループがリピートされてしまう。
神の「三位一体」の基本的な側面を排除しようとしたことで、僕らはいつまでも同じループの中を繰り返しているんだ。
プリスカ:それは今、人類に反映されていますよね。
人類が自己破壊へと進んでいるのは、最終的に自分自身の肉体の組織を破壊することに顕れている。
以前もあなたが述べていたのは、この道から飛び出して統合…というより、この道へ踏み込んで統合へ向かえといいうことで…そうやって自己破壊へ進む人に、あなたはどう助言するのかしら?もちろん、その人によって違うし、ただ、その人が選んだ道が本人にとって本当に意義深いものになるように?
ロビン: 僕は…以前、もっと心理学的な世界観から実行者や変革者を軸に考えていたときは、「よし、さあこれに働きかけよう」って感じだった。しかし、僕は慎重になった。まずは、本当に高次の層から自分の内面に問いかけるんだ。「自分に変化をもたらすべき所に、そもそも至っているのか?それとも、変化することで、僕は何らかの運命的な経緯に介入してしまうだろうか?」と。だって、君の運命を信じないなんて、僕は何者なんだろうか?そして、君の運命を信じる方が難しいときがある。その時僕が、君が自己破壊の方向へ行こうとするのを目にしたならばね。大抵の人は、誰かが苦しんでいたら走り寄って支え、ヒントや助言を与えて状況を変えようと努めるだろう。しかしこの人たちは何を問題に感じているのだろう?この人たちは当人が自己破壊へ走って苦しむのに耐えられない。なぜかというと、それを見過ごして苦しむ自分に耐えられないからだ。しかし、自己の苦しみを受け入れていれば、目の前の人々が自分の運命を生きることに任せることが出来るはず。
ここで問いかけるべきことは、「愛に満ちた行為」とは何なんだろう、ということ。
誰かがやってきて、心底助けを求めたとする。これは別の問題だ。こういうときは、高次の層と申し合わせながら様子をみて、その人に「いいかい、君がその道を進んでいけば何が待っているのか前もって見せてあげる」と言える。
「自分は現時点で、どのどのタイムラインにいるのか」ということと、「このタイムラインを5年・10年と拡張させていくと、自分の人生はどのようになっているだろうか」、この2つの自問はどんなときでも役に立つ。
なぜかというと、小さなミクロの動きを起こす「時間」を今この場所で吹き込んだことで10年後がでっかく変化する。
小さなレーザーポインターをちょっと左にずらせば、10メートル向こうは大きく動いてしまう。これを聞けば、自分の人生において決断を下すということは、この光線を拡張させることであり、それがどういうことなのか明らかになるだろうし、自分の道のどの辺りで、いわゆる微調整をすべきなのかもわかると思う。
プリスカ:その話であなたが以前、「僕らは神の手の平よりも深く堕ちることはない」と言ったのを思い出したわ。私はこのイメージが大好きで。真実味というか、率直で…自然なことだと感じるの。
ロビン: そうだよ、僕らは認識し直さないといけない。僕らは一体何処に居るんだ?このゲームは何のゲームなんだ?
僕らは「人間という経験」ってのをブッキングしたんだ。宇宙の旅行代理店へ行ってね、「僕はこの惑星で“人間”という経験がしたいんですけど」って頼んだんだ。この旅行を自分でブッキングして、旅を始めた。みんな、ブッキングしたんだよ。いいかい?この宇宙のゲームはある特定の意識層で開催されて、その他の君の意識層は、僕らがここで何を体験しようがほんの少しも変化はしない。僕らが何者であるのか、という真実は変わったりしない。
どんな体験をしようとも、最も酷く暗い経験から最高の有頂天まで、僕らがこの意識層というスペクトル全体で味わう体験は、何一つとして本来の自分を変化させたりしない。
これを繰り返し認識し直すんだ。単に頭で理解するんじゃない、内面的な確信として識る。
僕らは深みに堕ちることは無いわけで、だったら何でそんなに必死になっているんだ?となる。
プリスカ:それが、先程あなたが言っていた「手放すこと」と「委ねること」に繋がっていくのね。
献身、手放し、統合、神の三位一体にある「破壊の原理」、これらをあなたとの話のまとめとして持ち帰りたいのだけど… 私たちは新地球でどのように「愛する」のかしら、あなたはどう感じている?
ロビン: (笑って暫く沈黙)…うん…愛するために特別に何かをしたりはしない。僕達は愛そのものなので、それ以外にどうしようもなくなる...自分が何者であるのか、というのを表現する以外のことはできないんだ。あらゆる言葉、あらゆる仕草、どんなかかわり合いにおいても、異なった層で愛を交わし合う。これは頑張ったりすることではなくて、単に愛の交換とは自由に流れる自然なんだ。僕らの道から僕らを隔てていたものが一掃されれば、ごく自然に、自ずとそうなっていく。だって、僕らの存在自体は依然として変わっていない。つまり、これまで条件付けによって学習させられていた層の下に、真に愛する心の鼓動があった。神的現実、つまり神によるマトリックスは今でも完全に健在だ。我々はそれを、イメージ・思考、想像など、条件付けによって構築した現実で覆って閉まっていただけで。
でも、僕らが内省し、意識に集中し、溶解へと努力していくことで、ここを通り抜けることになり、「永遠の存在」は僕らの中、そしてありとあらゆるものの中に簡単に顕れてくる。
プリスカ:あなたが先程言ったように、私の中でも「これはただのゲームだ」って感じるの。私の子どもたちはとても良い先生なのよ。彼らは重く考えない「おや、そうなの?ではそうなのね」って感じ。遊び感覚で気楽なのよ。何時でもそんなに深刻にならなくてもいいわよね。
ロビン:僕らはこのゲームの中で、何かを失うんじゃないかって思っているんだ。なぜかというと、このゲームの中で何か特別のものを勝ち取れるんじゃないかって思っているからなんだ。でも、結局は僕らは僕らでしか無い。いつもそうだったし、これからもそうだ。このゲームで勝ち取るものなんかない。これがパラドクスなんだ。このゲームで勝ち取るものがあるっていうのは、とある層では何かを更に学ぶという点で、確かに正しい。それは相対的な面。でも絶対的な面では僕らは単に、自分に戻るだけなんだ。これまでも、これからもそうであることに変わりはない。
つまり、ここで達成出来るものなんかない。達成すべき目標がないんだから。「これが最終ゴール」ってところへ走りきったら人生トロフィーがもらえるなんてことしているわけじゃない。「ゴール」だと思う所に行き着くたびに、君は気づくんだ。「これじゃなかった」って。それがずっと続く。いつの日か、「おや、始めたところからまた始めるのか」となる。全ての存在の源でね。
(二人して高笑い)
プリスカ:あなたにとって、新地球での子供の役割は?
ロビン: その質問をありがとう。
子どもたちは、新地球にとって絶対的に本質的な鍵となる。
なぜなら、僕達が歩んできた道では、特定の条件付けが否応なしになされてきたからね。でも、次の世代がもっと自由に自分の人生を歩めるようになれば、つまり、常に煽られて条件付けられる、ということに触れることなくやってこれたなら... 僕達は自分たちの偉大さをよく識らないので、ソースをその目で見てきたばかりの今の子どもたちが、そうした認識を持って来てくれれば、僕達も少しはそれを思い出せるかもしれない、と僕は思うんだ。
実際、まさにこの移行期には宇宙の至るところから重要な役割を担っている多くの魂がサポートのためにこのに来ているんだけど、それは単純に、人類の目の前に「鏡」を突きつけるためなんだ。
僕らは過去何世紀かの長い間、強烈に「分離」の種を蒔き続けてきた。僕らがまだ理解出来ていないのは、それによってどんな収穫を得ることになるのかということ。「膨大な収穫」について語っているチャンネルもる。
この意識の意識化(そういう意識だと気づくこと)は、もしもずっと人為的・デジタル化された構築プロセスの中にあって、神の三位一体の3つ目である「破壊の原理」を意識に含めないならば、それなりの結果をもたらすだろう、それ以外はあり得ない、と僕は思ってる。それは恐れるべきものではなくて、単純に宇宙はバランスを取り戻すという、起こるべくして起こることなんだ。
これは、根底からして価値のあること、神聖なこと。
プリスカ:最後に、振動・周波数についてひと言、何か見つかります?
ロビン: うん…何が出てくるかな。
(目を閉じて、深く呼吸し、集中)
これについて出回っている情報は沢山あるよね。多くは矛盾しあっていたりして、「一体何が真実なんだ?」と不安を巻き起こしていたりもする。その意味で“理解”とは、という話になる。この「整理プロセス」を辿っても、僕らは先には進めない。必要なのは「直感の明確さ」なんだ。
変容プロセスはメンタリティから来るものではなく、父権制から女性的な能力とパワーへと引っ張られていく革命・進化という形で、バランスが取り戻されていくことにある。
これは、革命(Revolution “再展開”)か、進化(Evolution "伸展開")なのか…本当はInvolution"内展開"なんだけどね。だって内側へ展開していくことになるんだから。
これはどういうことか…避けられない、と僕は思ってる。
人類として我々は本当に、余りにもある極端さを極め切ってしまったような感じで、そこから戻る道のり(ラテン語で religio 、巻き戻すために統御する、というような意味。『宗教(religion)』の語源となる)を、僕たちは自ら進んで歩むのか、それとも否応なく歩まされるのか。否応なく、というのは溶解のプロセスが起こることでそうなる。
プリスカ:それは「神の三位一体(トリニティ)」を取り戻すためなのね?
ロビン: まさにその通り。
プリスカ:親愛なるロビン。あなたの言葉、それと共にあなたが運んできてくれる振動に、深く感銘を受けています。
私たちの活動やイニシアチブにおいて、意識というのは我々にとって土壌である地球…私達を養うものであり、これらが決定的なのだということ。私達を新世界に導いてくれるものなのよね…
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pinball-1973 · 1 year
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 昨年から僕は海外の観光地に行っています。関係者に話を聞くと、「2019年の観光には戻らない」と言う人が多いのです。「戻りたくない」とも言うのです。
 例えばイタリアのベネチア、ハワイのビーチのようにオーバーツーリズムになっていたようなところでは、人が多すぎて海水が汚染されたり、渋滞が起きたりしました。
 観光客がいなくなって初めて、自分たちは被害を受けていたことに地域住民が気づき始めてしまったんですね。
 ――では、これからどう変わるのでしょうか。
 私はアフターコロナの観光は「ステークホルダーツーリズム」だと考えています。観光産業のステークホルダーといえば、今までは旅行会社、交通機関、ホテルでした。
 しかし、そこに地域住民、観光客を入れていくべきです。幅広いステークホルダーがフェアなリターンを受ける。そういう方向に持っていくことです。
 ハワイのハナウマベイでは、入場制限をし、海が自然の力で元の姿に戻る時間を与えています。人の数を制限し、その代わり入場料金は2倍になりました。
 日本では、今も19年の数字を目標にしているところがあります。19年モデルではなく、アフターコロナの観光モデルへと転換することを決断してみんなが向かっていけば、10年後、20年後に振り返って、「あれがきっかけだった」と言える3年間になると思います。
写真・図版 多くの観光客らで混雑する清水寺へ向かう参道・清水坂=2023年4月29日午前11時53分、京都市東山区、筋野健太撮影  ――1人当たりの消費額を増やすということですか。
 少ない人数で高い金額を取ろうとすると、富裕層ターゲットということになりがちですが、そうではない方法へと世界は向かっています。
 例えばニュージーランドのクイーンズタウンでは、富裕層をターゲットにしようなんて発想はしなくて、自分たちのターゲットを明確にしています。
 1泊だけの客を断っているそうです。連泊すれば、ホテルの外のレストランで食べたり、お土産を買ってくれたりする。さらに、マオリ文化に敬意を払う人をターゲットにしています。
 ――星野リゾートでは取り組んでいますか。
 西表島ホテル(沖縄県)では、今年から1泊だけの予約を取るのをやめました。
 そういう方向にもっと踏み出せるよう、国内施設にも号令をかけているのですが、時間がかかることもあります。どうやったら連泊してもらえるのか、真剣に考え始めています。
 ――「1泊2食つき」のスタンダードを変えるということですね。
「このままではインバウンドはブームで終わる」星野リゾートの危機感:朝日新聞デジタル
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tokyomariegold · 1 year
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2023/3/6〜
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3月6日 やっぱり紙に文字を書いて日記をしたい。 今日もわけもなくスカート出勤を無事果たした!
朝は少し雨が降っていて、レンガ舗装の道を滑らないように気をつけて歩いていたら、前から走ってきた自転車が目の前で滑って転倒して、とっても痛そうだった。それを見て「えーっ!!?」としか言えず、お互いにそれぞれのびっくりを抱えたままぎりぎり関わり合わずすれ違った感じ。
ポッドキャストで最果タヒのラジを聴く。 詩人ぽくない(?)ベタベタした喋り方がかわいい。俵万智のプロフェッショナル、B&Bの文月さんのトーク配信、歌人や詩人の方のコンテンツで楽しんでいる最近。 しんぺーさんが、詩を書き写す新習慣をお薦めしてくださったのを思い出す。 “都合の良い愛を使い果たせ”
突然年度末っぽくなり、いつもより遅く帰るともう営業していないと思っていた飲食店、いつもの時間はまだ営業時間外だっただで、今日はちゃんとお客さんが入っていた。 月が丸い。満月は明日らしい。
マスクを外しても良い(?)指令がそろそろ出ると聞いてびっくりした。早く保険の証明を得るために病院へ行きたいけれど、無駄にウイルス摂取したくなくて行けていない。
水野しずの結婚についてのnoteがよかったです。 能力者のやる結婚を見届けていたい。
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3月7日 昔着ていて、なぜか捨ててしまったne-netのお洋服をネットで見つけ、謎のオンラインショッピングサイトで注文。カードは怖いので振り込みにしたところ、謎のメールが届く。“お手紙ありがとう”から始まるメール。メールの内容が日本語なのに意味がわからなくて怖い。
賞金(!)受注承認メールが決済システムから届く。支払いのシステムよくわからないけれど相手の会社で使っている決済システムにアカウントを登録して承認。こうゆうのって担当から案内メールとかこないのかな?長島先生とのレビューの日程調整もどうなっているのかな?
夏に修理したカメラの露出計がやはり動かないので、修理工房にメールを送る。
仕事以外の仕事みたいなメールって疲れが倍増。
今日は梅が香っていて良い天気の満月。 昨日より月の黄味が強い。
こんなにもお断りばかりしているのに、金曜日のスタバランチを誘ってもらって、やった〜、とお誘いに乗ってみる。
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3月8日 東京出張と、神と印鑑が証明するものを運ぶために2カ所へ出向いた日。 出張先はこの案件がなければ出向くことのない町に違いなく、いつまでたっても行き方を覚えられない。今日は何となく流れで、ラインの返事やスケジュール調整をしながら出かけたら、途中で間違った路線に乗っていることに気がつき、少し反対方向へ戻ったり乗り換えたりした。 出張先では重いタブレットを持ちながらふらふらだったけれど、特段何もなくすぐ用件が終わってしまい、ただただご足労という感じ。 でも上司が「重いでしょ?」とタブレットを私の分まで持ち帰ってくれた。女だからって甘えてはならぬ!の気持ちって、私は身体的に弱い面では全く思うことはなく、本当にしんどいので甘えさせてもらう。
このタイミングで仕事相手の方が突然「◯◯さん(私の苗字)名刺交換してませんでしたよね?」と話しかけてきて(いつも2人でいても上司にしかなぜか話しかけないんだよ!名前も呼ばないんだよ!)何なんだろう?と思った。気分かな。 ないことにしている人として貫けば良いのに!と、大人気ないことを思った。
先日大阪で会った友人が「思い立って今週末東京へ行きます!」とメッセージをくれた。
2件目の証明書を待つ間、テレビのワイドショーで花粉のことと女性デーのことを話していた。 まんまとミモザをお部屋に飾っています。
帰りの電車でうつらうつらしながら日記の文字起こしをしていたら、更新しなくては、と言っている自分がいて、あら立派!と思った。 それと、青木さんのことも書いていた。本当に残酷だけれど、青木さんのことをこんなにも思い出すようになったのはやっぱり亡くなったからなのかな?と思った。今読み返している最果タヒの詩を読んでも、忘れない、ではなく、思い出される、ひとになるには死んじゃうくらいしないといけないのかもしれない。
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3月9日 3年ぶりの通院で昨日からずっともやもやそわそわしていた。 自分の体調が自分ではよくわからない。数値的には少し良くなく、なぜ何とかなってしまっているのか、なぜ良くなっていると体感できてしまっているのか、という感じ。 病院は待ち時間が長くて、数字がたくさん呼ばれていて、血を取られて口の中がずっと気持ち悪くて、疲れてしまって、気を紛らわすようにずっとiPhoneでやろうと思っていた生活のいろんなタスクを済ませた。 ずっとここにテーブルがあれば良いのにな、と思っていたところに置く用のテーブルをインターネットで購入できた。 病院の先生は、今私が住んでいるまちや、勤めているまちを面白がって、ゲームの世界みたいに真っ平、と言い、久しぶりにお会いしたからかも知れないけれど長い時間世間話みたいなお話をした。 今日はとても疲れた。
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3月10日 花粉症になってしまった感がある。 お部屋のミモザもこの不快の根源に見えてきてしまうし、お薬のせいか、ぼやーっと心地よくい続けてしまう。
お部屋のレイアウトの正解が分からず、今日もデスクやベッドを動かしてバタバタと掃除をした。
お昼は同じ年齢くらいの方3人とお話をした。帰りは一期下の方と電車でお話をしながら帰ってきた。何を話して、その時自分がどう感じたか、を、確かめることなく、何かを噛み締めることなく、スムーズに他愛無くお話ができたので少し不安になっている。
上層の方々の人事異動が発表されて、ざわざわした。今日のところはそのことでかなりあたまがいっぱいで、ちゃんと社会人しているね。
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hokuto-yuasa-journal · 16 minutes
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20240502
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釣りを始めた。
正確には再開した。
子供の頃はバス釣りブーム世代で最後に釣りをしたのは多分大学生ぐらいだったと思う。もう二十年も前の話。
夏に帰省したはいいが暇過ぎて物置から道具を引っ張り出して夜中に釣りをした。湖面に反射する橋の街灯の明かりを狙うとブラックバスが釣れた(つか夜釣り禁止)。思えばインターネットの普及前夜、ましてiphoneもYouTubeもSNSもない世界。田舎の夜の闇には茫漠として底知れない暗さがあった。
その後実家の車に竿を入れておいたらお袋が窓に挟んでへし折り、いつしか釣りもやらなくなった。
東京時代は下宿のまん前に多摩川がありスモールマウスバスやサクラマスまで釣れるポイントだったという。ただ哀しい哉、我が身の振り方でそれどころではなかった。
その後帰郷してからこれまで10年以上、目の前に富士五湖があるにも関わらず釣りをしようという気にはならなかったがこれはどっかで釣りをタブー視していたからだと思う。私はギャンブル覚えたらやばい自覚があり一切手を出さなかったが、釣りも同じ匂いがする。サッカー観るのも然り。
私にとっては(強調)釣りもサッカーも技術よりあくまで偶然や運、カイヨワの分類でいうアレア(サイコロ遊び)の領域の属性であって退屈と興奮のフォーミュラの妙が重要なのだ。
それが去年ぐらいからYouTube上にある山奥の源流部まで遡上して野営しながらテンカラやルアーで岩魚を釣る動画を見ていたらだんだんと釣りが気になり始めた。
つり人社のチャンネルの動画
☞ https://www.youtube.com/watch?v=Ctgz92afs_I&t=2358s
登山でも雪山を解禁した流れで釣りもやってみようと思った。
いざ何を釣るかとなると年齢的なものありバス釣りってのもしっくりこない気がする。もうちょっと燻製臭さというか少し枯れた感じが欲しい。渓流釣りが理想だが実釣するまでに踏む過程が多く敷居が高い。海釣りも然り。
試しに本栖湖に行ってみてこれだと思った。
スプーン(金属製の疑似餌)の鱒釣り。
その足で湖仙荘に行って遊漁券の年券を買った。
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水が栄養化した河口湖や他の湖と違って本栖湖は藻類が乾いた生臭さが一切ない。静けさの中青く透き通った水と富士山や周辺の山々を見ながら水面に糸を垂らしていると釣れなくてもそれはそれでいいという気になってくる。
聞けばデスレイク呼ばわりされるほど釣れないがそれでもハマって通う釣り人が多いのだという。
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少し飽きたらお湯を沸かしてコーヒーをたてて、鳥の声や水の音を聴きながら星野道夫のエッセイ集や最近買った西川美和の短編小説を読んだ。雪化粧した山並みをぼーっと眺めている時ふいに、田舎に帰っても何もないぞと嘲りを含んだ知人の言葉を思い出す。
確かに何もなかった。
だがこれ以上の何があるというのだろう。
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小学生以来に買った釣り竿とリール。
リールはバス用、竿は万が一の大物も対応できるネイティブトラウト用。共にシマノ製。下手の横好きは自認しているのでそれなりの道具で満足。いわゆるハイエンドの機種ではないが釣りに興味がない人からすれば安くもない。
兎にも角にもいっちょ前の太公望である。
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本栖湖はその透明度の高さから水が青く虹鱒の背が保護色で青くなるという。誰が呼んだかブルーバック・レインボー、幸せの青い鳥ならぬ青い鱒を追うのだ。
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休みの日の夕方か明け方に数時間、何日か通ってみるも噂通り、全然釣れない。何もかも手探り状態でこの釣りの最適解がわからない。
まじで釣れねえ。
釣れない釣りはどこか宗教的行為に近い。何かの到来を期して待つという部分では、リールのハンドルを回すのもチベット仏教のマニ車を回すのも特段の違いはない。
連続ボウズ記録更新中の三月のある日の明け方、突き出た岬の中腹の辺り。日の出に合わせてティムコの赤金の10gのスプーンを投げる。ティムコってちんこみたいだなと思いながら表層を早巻きしているとゴツ…ゴツ…とアタリ。
目をこらすと黒い影がスプーンの周りをビュンビュン動いている。
ぐっと堪えて食った瞬間合わせた。
しかし久しぶりすぎて合わせが甘く何回か跳ねた後足元に手繰り寄せたとこでバラしてしまった。30cmぐらいの虹鱒。銀色の残像だけで噂の青い背中はわからなかった。
それから全く釣れなくなり、取り逃した魚の感触ばかりを思い返す日々。
Life is like fishing、初恋は祟る。
それからさらに経ち四月の上旬。
3時に起き毎度の国道139号線。
青木ヶ原樹海の脇を抜け明け方4時前に着くと裏手の山の森でトラツグミが幽霊みたいに恨めしく鳴き、時折鹿が奇声をあげて合いの手を入れる。
空を見上げれば人工衛星かはたまたUFOか。謎の発光体が明滅もせず南東の方角へゆっくり移動していく。あれは一体何なのだろう。
遠くの浜の方から波の音が微かに聞こえてくる。
湖は風もないのに音を立てて荒れていた。
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ライトで照らすと黄泉の国の入り口が浮かび上がる。
まるでタルコフスキーのソラリス。水深120mという深さと日本屈指の透明度もあり波が立つと湖全体がうねり一つの生命体に見えてきてすごく不気味だ。
東の空が白み始めるのを待って釣行を開始。まだ一投目だというのに私は一体何をしているのだろうという気持ちがすでに頭をもたげている。
今日も釣れない気がする。
あまりに釣れないことが続くとその行為の目的を問う意識が海嘯の如く内面に向かい始める。
同年代の人々は疾うに人の親になったというのに、とか。どうやら私の両親は私の子供を抱くことはない、だとか。そんな世間から押し付けられたのか、はたまた自身の負い目なのか最早わからなくなった色んなアレコレ。それをぶん投げてとりあえずしまっといた暗い部屋。その扉の隙間からドロドロの中身が泡を立てて上がってくる。
酷かった子供時代のこと。誰かを傷つけたこと。誰かを憎んでいること。これまで飲み込んだ人の悪意、ありとあらゆる負の記憶たち。それが湖の波の形になってグニャグニャと湖面を揺らしている。
何の本で読んだか、文化人類学者の中沢新一が原始的な仏教の形が色濃く残るバリ島で呪術師に悟りについて尋ねると毎晩夜釣りに連れて行かれたという。釣りそのものに意味があるのではなく、暗闇の中の気配に意識を集中することで心の深淵に下りていくのだと。
湖へ投射され眼前に顕現した潜在意識。
ヘドロの塊のようでいてどこまでも透き通っている。
思えば昔から水辺に行き水を眺めてきた。
釣りをやめてからは眺めるだけ。村上春樹のいうところのデタッチメント。一定の距離を保つ。
子供時代に海に連れて行ってもらった��とはない。
多摩川も川岸に座ってただ眺めるだけだった。川面は光を反射し時に透過させその内側の世界を私に見せる。
釣りはその細い糸一本を通して水の中の世界との交感を試みる行為である。
気づけば再び水との境界線を越えていた。
たかだかおっさんが趣味で釣りを始めただけのくだらない話だが私にとっては何か象徴的な儀式みたいに思えた。
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天子山地の向こうから山肌を舐めるようにドロドロと下りてきた雲がどんよりと東側の富士の樹海上空に溜まっていたが、その雲をかき分けて陽が昇り的礫と水面を照らす。
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水面は朝日を反射し偏頭痛かLSDの見せるサイケデリックなビジョンみたいに幾何学的に像を結び、解ける。つか酔いそう。黒曜石の破断面のようにも見える。
前に釣りかけた時のティムコのスプーンに執着していたがパターンを捨てた。
所詮過去だ。
過去の魚は釣れない。
当たり前だが。
アワビの貝殻のキラキラが貼ってある赤金の少し小さいスプーンを直感で選ぶ。予感…、シンクロニシティが起きる直前と同じ気配がする。
朝日が照り返す辺りへ向けて50m近く遠投する。重い金属製のスプーンの釣りは根掛かりこそ多いが、かっ飛ぶので爽快だ。
着水し巻き始めた直後にゴン!とアタリ。距離かナイロンラインの特性か少し伸びる感じ。今度は確実に合わせた。
魚は針を外そうと二度水面を飛び跳ねる。慌てて竿先を水中に入れた。鱒は口が弱いらしく合わせてから取り込むまでの距離が長くてヒヤヒヤした。
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手掴みで取り込む。
青い。
ランディングネットは一匹釣れるまではと用意していなかった。
弱らせないように針を外し写真を撮ってすぐ逃した。
そういえば大きさを計り忘れた。35cmぐらい。
ほんとに釣れた。
最初に釣った魚は逃がそうと何となく決めていた。
一瞬だけ交わりもう会うことはない。
私の釣ったあの鱒は今も深い湖のどこかを泳いでいる。
それを想像するとなんだか不思議な感じがする。
心の奥の森の中にある、いつしか魚のいなくなった湖。
そこに青い背をした魚を放した。
そんな感じ。
静かな気持ちだ。
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さて。
次は食う。
多分。
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tsunamicraft · 1 year
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石硤尾大火から神戸の壁へ
4月16日に『被災地をつなぐさをり織りin北淡震災記念公園』が終了しました。最終日の午後4時ごろに香港で用意したたて糸が織り終わりました。 このたて糸は、香港の社區文化發展中心(CCCD) の協力によって2022年10月につくられました。場所は、1953年12月25日に5��人が焼け出された大火災「石硤尾大火」のあった地域です。 香港でのたて糸制作風景。英語、広東語、広東語手話でコミュニケーションをとりながらの共同作業。 もう少しで織りあがります。 1953年 石硤尾大火 炎をイメージする赤とオレンジの二色交差織りのあとに、野島断層記念館に来たご家族が炎を収めるようなブルーとグレーが混じった糸で織ってくれました。これで香港のたて糸は完成です。 北淡震災記念公園には「神戸の壁」があります。第二次世界大戦の空襲を耐え、阪神淡路大震災によって発生した大火災の延焼を止めた本物の壁です。…
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月8日(月曜日)参
    通巻第7742号 
(承前)
 岸田訪韓を評価すべきだが、韓国の外交転換こそ注目だろう
   日本は安禄山の蜂起を三年知らなかった。これが歴史の教訓 
************************
 前号に引き続いて資料を掲載
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<<<<資料>>>>
日韓首脳拡大会合冒頭発言
▽岸田首相
・「広島サミットを見据え、インド太平洋の最新情勢や、グローバルでの連携を議論したい」
▽尹大統領
・「歴史問題が完全に整理されなければ未来への協力のために一歩も出られないという考え方からは抜け出すべきだ」
・「日韓関係は本格的な改善がはっきり表れている。両国関係が良かった時代より、良い時代をつくらなければならない」
【日韓首脳共同記者会見】
・日韓首脳は経済、安全保障分野の緊密な協力で合意した
・日韓首脳は対北朝鮮協力の強化で一致した
・日韓首脳は、福島原発の処理水に関し、韓国の専門家による現場視察団の派遣で合意した
・尹大統領は岸田首相の訪韓で「日韓関係の正常化が軌道に乗った」と述べた
・日韓首脳は、両国企業による半導体のサプライチェーン構築に関する連携強化を確認した
・岸田首相は、歴史認識について「歴代内閣の立場を引き継ぐと明確にした。この立場は今後も揺るがない」と述べた
・日韓首脳は北朝鮮に対し、抑止力と対処力を強化する重要性で一致した
・岸田首相は、元徴用工問題に関し、「当時、厳しい環境の下で、多数の方が大変、苦しく、悲しい思いをしたことに心が痛む」と述べた
・尹大統領は、元徴用工問題を巡る韓国政府の方針について「変わらない」と述べた
・尹大統領は、歴史問題に関し、「どちらかが一方的に要求できる性質の問題ではない」と述べた
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韓国大統領府の発表。
▼冒頭
尹大統領:岸田首相の訪韓を心より歓迎する。3月、東京で私と岸田首相は韓日首脳間のシャトル外交の再開に合意した。 あおれから2か月足らずの本日、岸田首相は日本首相の二国間訪問としては12年ぶりに韓国を訪問された。今回の訪韓を通じて、首脳間のシャトル外交が本格化したことを意義深く思う。
本日、首脳会談で、私と岸田首相は普遍的価値を共有する韓日両国が安全保障、経済、グローバルアジェンダに対応する過程において緊密に協力していくべきであるということで改めて一致した。 わたしたち両首脳は、韓日関係の改善が両国の国民にとって大きな利益となってかえってくるという点を確認し、今後もさらに高いレベルへと両国の関係を発展させていくことで合意した。
岸田首相はまず私に先月4月24日スーダンから日本人が退避する過程で韓国側が提供した協力に対して感謝の意を表しました。 退避の過程で行われた両国の協力は、変化した韓日関係を見せてくれた象徴的な場面であった。私たち両首脳は、3月の首脳会談で合意した外交・安全保障当局間の安全保障対話とNSC間の経済安全保障対話、そして財務相会談など、安全保障、経済分野の協力の枠組みが本格的に稼動していることを歓迎した。
とともに、両国の代表的な非友好措置だったいわゆるホワイトリストの原状回復のための手続きが着実に実行されていることを確認した。
3月の私の訪日を契機に全経連と経団連が創設することで合意した韓日未来パートナーシップ基金が正式発足を控えて大詰めの準備をしている状況だ。 私たち二人は韓日の未来世代の交流拡大のために多大の関心を傾け、必要なことを継続して行っていく。私と岸田首相は、韓日両国の人的交流の規模が���年に入り3か月で200万人近くに至るほど早く回復していることを歓迎した。
両国の国民がお互いへの理解を深め、友情と信頼を築きあげていくためには、未来世代の交流が重要だということに認識をともにした。 民間レベルの交流、協力とともに、両国の政府レベルでも青年を中心とする未来世代の交流を拡大するため、具体的な方策について協議していくことにした。
私と岸田首相は韓日両国間の人的交流が大きく増加している傾向であることを勘案し、首都圏のみならず地方間の航空路線もコロナ禍以前の水準へと回復するよう努力していくことにした。経済協力と関連し、私と岸田総理は韓国の半導体メーカーと日本の優秀な素材・部品・装備企業が共に強固な半導体サプライチェーンを構築していくように、この分野での協力を強化することで一致した。
一方、きょうの会談では宇宙、量子、AI、デジタルバイオ、未来素材など先端科学技術分野における共同研究およびR&D協力の推進に関する議論が行われた。私と岸田首相は、北の核とミサイル開発が韓半島や日本はもちろんのこと、全世界の平和と安定に重大な脅威であるという認識を共有した。
これに対応するために韓米日3国間の協力が緊要な状況のなかで、きたるG7広島サミットにあわせた、三カ国首脳会談など韓米日3カ国首脳間の緊密な疎通と協議がきわめて重要であることで一致した。
また昨年11月、プノンペンにおける韓米日3カ国首脳会談で合意された北のミサイル警報情報のリアルタイム共有と関連し、その実現策に関する当局間の議論が進められていることを歓迎し、今後も韓米日3国間の安全保障協力を続けていくことで一致した。
両国が共に共有する自由、人権、法治という普遍的価値を守るために引き続きともに努力していくことでも一致した。
両首脳はインド太平洋地域の戦略的重要性に共感し、韓国の自由、平和、繁栄のインド太平洋戦略と日本の自由で開かれたインド太平洋の推進過程において緊密に協力し疎通していくことにした。両首脳はきょうの首脳会談で福島原発汚染水関連、韓国専門家による現場視察団派遣に合意した。
科学に基づいた客観的な検証が必要であるという韓国国民の要求を考慮した意味ある措置がとられることを期待する。岸田首相は今年の広島G7サミットの議長として私をサミットに招待してくださった。
G7広島サミットでの会合を契機に韓日両国が保健、グローバルサプライチェーン、気候変動などグローバルな懸案に対する協力をさらに具体化していくことを期待する。 また、私の広島訪問の機会に、私たち両首脳は広島平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑を一緒に参拝することにした。
今般の岸田首相の韓国訪問を通じて首脳間シャトル外交の復元、および両国の関係正常化が軌道に乗ったと考えている。 私は岸田総理との友誼と信頼をもとに新しい未来に向けて一層深まった両国間協力を推進していく。 それに向け、今後ともわたしたち両首脳は形式にとらわれず、緊密に疎通し協力を続けていく。ありがとうございます。
岸田首相:尹錫悦大統領、そしてお集まりの皆様、本日、3月に尹大統領を東京にお迎えしてから、かくも早くにここソウルを訪問し、シャトル外交を本格化できたことを嬉しく思う。日本の首相として12年ぶりの2国間訪問に際し、尹大統領をはじめ、韓国の皆様方の温かい歓待に心から御礼を申し上げる。そしてこの場を借りて、先般のスーダンにおける邦人退避に際し、人命がかかる困難な状況の中で韓国から多大な協力をいただいたことに改めて感謝を申し上げる。
 3月に尹大統領が示された決断力と行動力に改めて敬意を表したいと思う。日韓関係の強化にかける強い思いを私も共有しており、今回、尹大統領との連帯を図り、またG7サミットに向けて忌憚なく意見を交わすべく早い時期の訪問に踏み切った。3月の会談で私と尹大統領が示した方向性に沿って日韓の対話と協力は2ヶ月足らずの間にダイナミックに動き出した。
経済面では今月2日に仁川で財務相会談が7年ぶりに行われ財務対話の再開で一致をした。さらに、金融、観光から文化・芸術に至るまで幅広い分野で対話が動いている。また輸出管理当局間の対話も精力的に行われ、その結果、日本政府として、韓国をグループAに追加することに向けて手続きを進めている。
また新たに立ち上げた経済安全保障協議の第1回会合が今月3日、双方の国家安全保障当局のトップの間で実施され、サプライチェーンの強靱化など連携強化で一致をした。外務・防衛当局による安保対話も5年ぶりに再開された。日韓中プロセスについても、議長国である韓国の取り組みを支持することをお伝えした。民間、特に経済界の交流も力強く復活できているし、議員交流も活発化している。
日韓の将来を担う青年たちの交流については、この機会に韓国との間でJENESYSプログラムによる対面交流の全面再開と交流人数の昨年度比倍増を決定し尹大統領にお伝えした。
日韓間で引き続き誠実な意思疎通をしていきたい、そう考える分野にALPS処理水を巡る話がある。日本はIAEAのレビューを受けつつ、高い透明性を持って科学的根拠に基づく誠実な説明を行っていく考えだが、韓国国内で引き続き懸念の声があることはよく認識をしている。
韓国の方々に理解を深めていただくため、今月、東電福島第1原発への韓国専門家現地視察団の派遣をお受けすることとした。日本の首相として、自国民および韓国国民の健康や海洋環境に悪影響を与えるような形での放出を認めることはないことを申し上げたいと思う。
そして3月に尹大統領が訪日された際、私は1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいると明確に申し上げた。この政府の立場は今後も揺るがない。
尹大統領のご決断により、3月6日に発表された措置に関する韓国政府による取り組みが進む中で、多くの方々が過去のつらい記憶を忘れずとも未来のために心を開いてくださったことに胸を打たれた。私自身当時、厳しい環境のもとで、多数の方々が大変苦しい、そして悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ。
日韓間には様々な歴史や経緯があるが困難な時期を乗り越えてきた先人たちの努力を引き継ぎ、未来に向けて尹大統領をはじめ韓国側と協力をしていくことが日本の首相としての私の責務であると考えている。
我々を取り巻く国際社会の情勢も日韓の協力をますます不可欠にしている。双方は北東アジアにおける米国の主要同盟国だ。この関連で尹大統領の先の国賓訪米の成功に祝意を申し上げた。
この地域において北朝鮮の挑発行為が続き、また力による一方的な現状変更の試みも見られる中、日米同盟、韓米同盟、日韓、そして日韓米の安保協力により、抑止力と対処力を強化することの重要性について改めて一致をした。昨年11月の日韓米首脳会合で合意した北朝鮮ミサイルデータのリアルタイム共有についても議論の進展を歓迎した。そしてG7広島サミットの際に日韓米首脳会合を開催し、さらに議論を深めることとした。北朝鮮との対話の窓は開かれていることに変わりはない。そして拉致問題については、尹大統領から改めて力強い支持を表明いただいた
ことに感謝を申し上げる。
我々のシャトル外交は続く。
2週間後には広島で尹大統領をお迎えする。本日はG7広島サミットでも議題となる国際社会の諸課題での緊密な協力を確認した。
さらに被爆地広島において平和記念公園を訪問し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも一緒に祈りを捧げることで尹大統領と一致をした。本日の会談では3月に大きな一歩を踏み出した日韓関係改善の動きが軌道に乗ったことを確認した。次は広島で、その後は国際会議の場も含め、尹大統領と頻繁にお会いをして信頼関係を深めながら、日韓関係強化の機運を確かなものにしていきたいと考えている。
▼質疑
Q1 : (尹大統領への質問)韓日首脳会談シャトル外交が12年ぶりに再開した。どのような意義があったと考えるか。今後日韓関係がどの方向に行かねばならないか。
韓米の首脳がワシントン宣言を採択した。核協議グループの創設に合意した。拡大抑止に日本が参加する動きはあるのか。そうであればどのような形での協力が可能なのか。
韓国の中では福島の処理水の放出への懸念が大きかったのは事実だ。今日の発表でそれが懸念が払拭されたか。
(岸田首相への質問)今後の韓日関係の改善に関する尹大統領の行動を高く評価し、早期訪問した。今後徴用工問題の解決策について日本の誠意ある呼応に対する期待が非常に大きかった。当時苦しい環境の中で働いてきた人々が大変な環境の中で働いてきて生活したことを胸痛く感じると言ったが、このような話をすることになった契機があったのか。
福島の水産物の安全性に関する韓国側の懸念が今も残っているが、今回の議題で話されなかったと聞いている。水産物の安全に関する部分について韓国側と話すことはあるか。
●両国は北の核の脅威にともに露出されている。
尹大統領A : 韓日間のシャトル外交が12年ぶりに実現し、両国の関係改善が軌道に乗り始めた。私は、韓国と日本が自由、人権、民主、法治。このような普遍的な価値を共有する国であるので両国が協力して両国の共通の利益と国際社会の平和と繁栄に共にリーダーシップを発揮することが重要だと考えている。
両国は北の核の脅威にともに露出されている。いつのときよりも安全保障の協力が重要な状況だ。ワシントン宣言は、韓国と米国の2国間をベースに合意した内容だ。しかし、日本の参画を排除することはない。とりあえず、私たちの立場としては韓米間のワシントン宣言が完結したわけではなく、引き続き議論を続け、共同の企画、共同の実行をする過程において実現してその内容を埋めていく立場なので、まずこれが軌道に乗れば、また日本も米国との関係で準備ができれば、いつでもともに協力しあえる問題だと思う。
本日の首脳会談でも岸田首相が福島原発汚染水について、隣国である韓国国民の健康と安全に対する懸念を払拭するために努力すると約束した。 このような次元で現場視察に対する専門家たちの現場視察に対する合意がなされた。
●戦略環境は日韓の協力をますます不可欠にしている
岸田首相A : まず日韓関係の強化が必要であるという考えは私も尹大統領に劣らないと考えており、その考えの下今回早期訪韓に踏み切った。
最初の質問は、この質問の趣旨は、韓国政府に比べて、日本側の日韓関係改善への動きが鈍いのではないかということだと思うが、3月に私と尹大統領が示した方向性に沿って2カ月足らずの間に日韓の対話と協力がここ数年の低迷期を脱し、経済、安保を含む多岐にわたる分野で動き、具体的な成果を挙げていることに目を向けていただきたい。そのうちいくつかは冒頭発言でも紹介したところであり、これらは日本側の意欲の表れでもある。今後とも両国政府の各レベルで、民間の協力を後押し日韓両国が共に裨益する協力を進めさらに具体的な結果を出していき
たい。
歴史認識に関しては、1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる、この政府の立場は今後も揺るがないと申し上げた。その上で、先ほど申し上げた当時厳しい環境で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛むという言葉についてのご質問だったが、この言葉はこの当時苦しい思いをされた方々に対して私自身の思いを率直に語らせていただいた次第だ。
日本を取り巻く戦略環境は日韓の協力をますます不可欠にしている。
私としては困難な時期を乗り越えてきた先人たちの努力を引き継いで、まさに未来に向けて尹大統領をはじめ韓国側と協力し、両国国民の利益になる協力関係を構築していきたいという考えだ。
最後の質問は、アルプス処理水に対する対応、これで十分であるかというご質問だったと思うが、先ほど申し上げたように韓国の国内の皆様方の不安に答えるためにも韓国の専門家現地視察団の派遣を受け入れさせていただくことが重要だと考え、尹大統領と一致した。日本のこうした方針については、IAEAと科学的見地もしっかりと取り入れながら説明努力を続けてきている。6月にはIAEAの最終報告書が取りまとめられることが予定されている。この報告書もしっかり受けとめた上で、日本は国��の手続きを進めていきたい。その際にも、ぜひ韓国側とは意思疎通を
図りながらこうした取り組みを進めていく。こうした努力を続けていくことによって、韓国の多くの皆様方の懸念や不安にも答えていく努力を続けていきたい。
Q2:(岸田首相への質問) 岸田首相に伺う。歴史認識を含めた元徴用工問題、レーダー照射問題をはじめとする2国間の懸案について、本日の会談で岸田首相からどういう立場を伝え、尹大統領からどのような反応があったのか。
また、福島第一原発の処理水放出、福島産水産物の輸入について一定の前進はあったのか。また先日、米韓の首脳が「核協議グループ」の創設で合意したが、これは日韓、日米韓などの枠組みに影響するのか。
(尹大統領への質問)尹大統領に伺う。元徴用工問題への対応について、韓国国内には依然「反対」の声が根強く、日本には「大統領の方針が変わるのではないか」という見方もある。大統領の方針は今後も堅持されるということでいいか。特に、日本側に呼応を求めているが、今回の会談でどのような話をしたのか、今後どのようなことを求めていく考えか。
抑止力と対処力を強化することの重要性
岸田首相A:質問にあった事項のうち、私が会見の冒頭で申し上げた発言の中に重なっている部分もある。その部分については繰り返すことはしない。その上で今回の会談では尹大統領との間で、先般の訪日を通じて培った信頼関係をベースに、幅広い分野について胸襟を開いて意見交換を行った。3月の会談の後に経済や安保分野、様々な対話や協力がダイナミックに進展していることを共に歓迎した。そして双方の関心事項や懸案についてお互いの立場に基づき、議論を行ったところだ。
これ以上の詳細については外交上のやりとりであり差し控えたいと思う。また、北朝鮮情勢をはじめ地域の安全保障環境が一層厳しさを増す中で、日米同盟、韓米同盟、そして日韓、日韓米の安保協力により、抑止力と対処力を強化することの重要性について尹大統領と認識が一致しているところだ。
そして質問の核協議体の創設についてだが、核協議体の創設を含め米韓の間で拡大抑止の強化に関する議論が行われていること、そして拡大抑止協議や2プラス2を含めたハイレベルの協議を通じた日米間での拡大抑止強化に向けた取り組みが相まって地域の平和と安定に資するものであると考えている。引き続き、日米、日韓、日韓米で緊密に連携をしていきたいと考えている。
過去の歴史に対する認識問題は誠実さをもってするのが重要
尹大統領A:まず、強制徴用の解決策についての政府の方針が変わるのではないかという質問だったと思うが、これは変わらないと申し上げることができる。
我々が発表した解決策は1965年請求権協定と2018年大法院の判決を同時に満たす折衷案として法的完結性を持つ唯一の解決策だ。
現在、15人の勝訴が確定された方のうち10人が判決金を受領している。韓国政府は受領していない残りの方々に対しても原則に従って手続きを進め、十分な疎通をしながら解決策を忠実に履行していく。
そしてメディアで韓国側の要求について報道した記事を読んだが、私はこうした過去の歴史に対する認識問題は誠実さをもってするのが重要であり、ある一方の相手に要求することができる問題ではないと思う。
今日の冒頭発言で申し上げたが、過去の歴史が完全に整理されていないからということで、このような懸案と未来協力のために第一歩も踏み出すことができないという認識からは脱しなければならないと思っている。今、韓日両国は北東アジアの厳しい安保状況に直面しており、また岸田首相と私が共有する考えでもあるが、今、重大な歴史的な転換期に私たちが直面している、置かれている。
価値を共有する日本と韓国が協力し、両国の共同利益を追求し、国際社会において共同のリーダーシップを構築することが重要だと私は考える。
したがって両国が今後、未来に向けた協力と交流を拡大することができるようにしていくことを申し上げたいと思う。
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kennak · 10 months
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台風で仕事が休みになりそうなので暇つぶしに。3年くらい前に日本の半導体産業の近況をまとめたのですが、ここ数年で政治家の先生たちが何かに目覚めたらしく状況が大きく変わりつつあるので各社の状況をアップデート。前回の記事 https://anond.hatelabo.jp/20200813115920先端ロジック半導体■ JASM (TSMC日本法人)熊本工場:28nm, 22nm (工場稼働時) / 16nm, 12nm (将来計画)日本政府の補助金とソニー・デンソーの出資という離れ業により、業界人が誰も信じていなかったTSMCの工場進出が実現した。現在は建屋の建設が進んでおり、順調にいけば2024年内には量産開始となる。生産が予定されているプロセスはいずれも世界最先端に比べると古いものだが日本では最先端であり、HKMG(ハイケーメタルゲート、トランジスタの性能を上げる技術)やFinFET(フィンフェット、性能の良い3次元トランジスタ)といった技術が新たに導入される。工場で生産される半導体の主なクライアントは出資者のソニー。衰退の激しい日本の電機業界だが、ソニーはまだ世界と戦う余力を残しており年間半導体購入金額世界10位で日本トップである。ただし、PS3のCell Processorを長崎で作っていたように先端プロセッサをここで作れるわけではない。PS5のCPUはTSMCの6nmプロセス製造であり、この工場では製造できないのだ。識者の予測ではイメージセンサー向けロジック半導体を生産すると想定されている。■ Rapidus (ラピダス)千歳工場:2nm日本政府の国策で、IBMから技術を導入し自前で最先端の半導体製造を狙う野心的なプロジェクト。量産開始は2027年を予定。社長を務めるのは御年70歳になる小池氏。彼は日立→トレセンティテクノロジーズ(ルネサスの那珂工場の前身)→SANDISK→Western Digitalという国内外の半導体メーカーを渡り歩いた華麗な経歴の持ち主である。以前に社長を務めていたトレセンティテクノロジーズは2000年に日立と台湾の大手ファウンドリUMCとの合弁の半導体製造会社で、世界に先駆け現在の標準となる300mmウェハに対応した先進的な工場であった。ファウンドリ全盛の今から後知恵で見れば、限りなく正解に近い経営戦略と先進性を併せ持っていたがビジネスとしては成功しなかった。工場はルネサスに吸収され、小池氏はSANDISKへと移籍することに。そんなわけで今回の国策ファウンドリRapidusの社長就任は小池氏の二十数年越しのリベンジマッチでもある。なお、氏のポエミーなプレゼンは業界でも有名。記者会見で日本半導体衰退の原因を「驕り」と一刀両断した一枚のパワポが話題をさらったが、本人が一番驕っているのではと不安がる声もある。■ ルネサスエレクトロニクス那珂工場:40nm日立・三菱電機・NECのロジック半導体部門が統合した日本を代表する半導体メーカー。5万人いた従業員を1/3にする大リストラ、先端プロセス製造からの撤退、海外メーカーの買収ラッシュを経て復活。そして大躍進。昨年の売り上げは1兆5千億円を超え、はじめて統合直後の売り上げ(ピークは2011年3月期の1兆1千億)を抜いた。もう1+1+1=1とは言わせない。旺盛な車載半導体需要にこたえるべく、政府の補助金を得てリストラで閉鎖した甲府工場の再稼働を決定。コロナ禍では働き方が柔軟になり、リモートワークは全国どこでもできるようになった。ルネサスは開発拠点も大リストラで統廃合しており、三菱系の伊丹やNEC系の玉川をはじめ全国にあった設計拠点を日立系の小平に集約している。地元の拠点が閉鎖されて単身赴任をしている人も多かったのだが、最近ではリモートワークを活用して単身赴任先のマンションを引き払った人も出てきている模様。■ ユナイテッドセミコンダクタージャパン三重工場:40nm増大する車載半導体需要にこたえるべく、デンソーが出資してパワー半導体のIGBTの生産を始めた。筆者はパワー半導体は専門外で、家電芸人が語る家電の説明程度にしか話せないため軽く紹介するにとどめたい。■ タワーパートナーズセミコンダクター魚津工場:45nm半導体部門を手放したがっていたPanasonicがイスラエル企業のTower Semiconductorと共同で運営していた工場。Panasonicが台湾Nuvoton technologyに持ち分株式を売却したため、現在ではイスラエル・台湾共同運営という珍しい業態になっている。さらに、半導体最大手のIntelがTower Semiconductorの買収を進めているため、将来的にはIntelの拠点となる可能性があり、日本でIntelのCPUが作られる世界線もあるかもしれない。が、本案件は米中対立のあおりで中国での買収審査が長引いているため、先行きには不透明感が漂う。メモリ半導体■ キオクシア四日市工場 / 北上工場:3D NAND 162層日本を代表するメモリ半導体メーカー。前回からの3年で、積層数は96層 → 112層 → 162層と2世代進化した。競合他社は232層品の量産も始めている(キオクシアは開発完了 / 本格量産前)が、最近の3D NANDは闇雲に積層数を増やせば低コストで作れるというわけでもない模様。なお世間では半導体不足のニュースの印象が強く、半導体はもうかっているとの認識があると思うがコロナ禍でのIT投資ブームが終了したメモリ業界はリーマンショック以来の大不況である。キオクシアも例外ではなく、最新の4半期決算で1000億円単位の赤字を計上してしまった。Western Digitalとの統合のうわさがあるが、もちろん筆者は何も知らないし、仮に知っていても絶対にここには書けない。■ Micron Memory Japan (旧エルピーダメモリ)広島工場:DRAM 1βnm世代ルネサスと同じく、NEC、日立、三菱電機のDRAM事業統合で生まれたエルピーダメモリを倒産後に米Micronが買収。前にも書いたが、DRAM業界はプロセスのサバ読みが横行しており、20nmを切ったあたりから具体的な数字ではなく1X, 1Y, 1Z, 1αときて、ついに1βnm世代の量産にたどり着いた。広島サミットに合わせて、社長が来日。岸田総理と会談後大々的な設備投資を発表。1γnm世代を目指して日本初の量産用EUV露光装置が導入されることが決まった。このEUVというのは波長が13.5nmの極超紫外線(Extreme Ultra Violet)を使った露光装置で1台200~300億かかる人類史上最も高価で精密な工作機械でありオランダのASML社が独占的に製造している。もっとも、メモリ業界の大不況を食らっているのはMicronも例外では��く、岸田総理と華々しく会談している裏で数百人規模のリストラを慣行。こういう外面の良さと裏でやってることのえげつなさの二面性は、いかにも外資だなと思う。■ Western Digital東芝と共同でフラッシュメモリの開発を行っていたSANDISKをHDD大手Western Digitalが買収。キオクシアの四日市工場と北上工場を共同で運営している。Western Digitalはメモリコントローラーを内製していることで知られSSDの性能の良さに定評があり、スマートフォン向けの売り上げが多いキオクシアとは、同じ工場を運営していても得意としている販売先が微妙に異なり、住み分けがなされている。(そのため、2社統合によるシナジー効果が期待されたびたび観測気球的な記事が出回る。)なお、もともと日系半導体メーカーが大リストラをしていた時の人材の受け皿として中途をたくさん採用していた経緯もあり、人材の流動性は高い。在籍時の仕事ぶりがよければ、他社へ転職していった元社員の出戻りも歓迎と聞く。前述のRapidus社長の小池氏は、つい先日までここの社長をしていた。余談だが、上記Micronの米国本社の社長も旧SANDISKの創業者でWestern Digitalによる買収後に引き抜かれている。こういう話を聞くと、いかにも外資だなと思う。イメージセンサー■ ソニーセミコンダクターソリューションズグループイメージセンサーで世界最大のシェアを誇るソニーの半導体部門。2020年、2021年は米中対立のあおりを受けて主要顧客のHuawei向けの出荷減少に苦しんだが、2022年度は大幅に売り上げを伸ばし、1兆4千億円となった。他の半導体の例にもれずイメージセンサーも国際競争が過酷であるため、対抗して人員増強を進めている。Panasonic系エンジニアを引き抜くために関西に設計拠点を開設し、各地の工場の拡張も並行して進めている。調子のいい半導体メーカーはどこも人員増強を進めているが、ここ10年ほどは理工系の学生の半導体業界人気がどん底、かつ人材ニーズも少なかっため、新卒で半導体メーカーに就職した絶対数が致命的に少なく30~40歳くらいの中堅技術者の確保にどこも苦労している模様。なお、スマートフォン向けカメラの次の飯の種として、車載用途に数年前から注力開始。最近徐々に成果が出始めている。ファブレス半導体■ ソシオネクスト富士通とPanasonicのLSI設計部門が統合してできた日本最大のファブレス半導体メーカー。昨今の半導体ブームの波に乗り、株式上場、売り上げ2000億突破と非常に好調。3年前は1000億程度の売り上げだったので、すさまじい成長である。もっとも、母体となった富士通・Panasonicはピーク時の半導体売上が1社で5000億近くあったので、少々物足りなさを感じなくもない。復活は道半ばである。■ メガチップスソシオネクストが誕生するまで日本最大のファブレス半導体メーカーだった。もともと任天堂向けの売り上げが大半だったのだが近年は多角化を進めている。昨年の売り上げは約700億とSwitch人気がピークだった時と比べるとやや劣るが営業利益は過去最高を記録している。■ ザインエレクトロニクスかつては日本を代表するファブレス半導体メーカーと言えばここだった。昨年の売上高は54億と、3年前紹介したときの30億から伸びたものの、ファブレス上位2社からはかなり離されてしまっている。大昔は韓国のサムスン電子に自社製品が採用されたのがウリで創業者の武勇伝にも頻繁に登場していたが、今では売り上げの75%を国内に依存しており海外展開の出遅れが否めない。非先端ロジック・マイコン・アナログ・ディスクリートなど■ 東芝車載用途のパワー半導体需要が伸びており、石川県の工場に300mmウェハ対応ラインを建設。この記事でよく出てくる300mmウェハとはシリコンの基板の直径であり、大きい方が製造効率が良い。125mm → 150mm → 200mm → 300mmと順調に大型化が進み次は450mm化と思われたが、大きすぎて弊害が大きく、ここ20年間はずっと300mmが最大サイズである。従来はCPUやメモリといった分野の製造にしか使用されていなかったのだが、ここ5年くらいでパワー半導体にも300mm化の波が押し寄せてきている。■ ローム何かと癖のある京都系メーカー。車載事業が好調で売り上げが順調に伸びている。次世代パワー半導体材料と呼ばれていたSiCで日本国内の他のメーカーをリード。余談だが、筆者は学生のころSiCを実験で扱っていた。単位を落としまくっていた不良学生だったので、教授がワクワクしながら話していたSiCの物性の話はすべて忘れている。今では家電芸人並みのトークしかできないのでSiCについて語ることはご容赦いただきたい。研究から本格量産まで20年超の時間がかかっていることに驚きである。基礎研究の大変さを実感する。■ 三菱電機パワー半導体大手。半導体に力が入っていないシャープから福山工場の敷地を取得し、300mmウェハ対応のラインを構築。SiCのラインも熊本に作るぞ!パワー半導体には詳しくないからこの辺で勘弁な。■ ミライズテクノロジーズ日本の半導体産業が衰退しまくっていたころに、トヨタが危機感を覚えてデンソーとの合弁で設立した車載半導体メーカー。コロナ禍中に行われたオンライン学会に知らない会社の人が出てるなと思って調べたらここだった。■ TI米系のアナログ半導体世界最大手。富士通とAMD合弁のNOR FlashメーカーSpansionから買収した会津若松工場と茨城県の美浦に工場を持つ。最近は日本法人の話をあまり聞かない。■ On semiconductor米系のアナログ半導体大手。三洋電機の半導体部門を買収したが、旧三洋の新潟工場は日本政策投資銀行出資のファンドに売却した。現在の日本拠点は富士通から買収した会津工場。富士通が半導体事業から手を引き工場を切り売りしたため、会津若松市内には米系大手半導体メーカーの工場が立ち並ぶことになった。■ Infineon Technologies (インフィニオン)ドイツの大手電機メーカー、Siemenseが20年ほど前に半導体部門を分社化して誕生した。従来欧州系半導体メーカーは日本での存在感があまりなかったのだが、富士通のマイコン半導体部門を米Spansionが買収、そのSpansionを同じく米Cypressが買収、そのCypressをInfineonが買収した結果、日本市場でも存在感を示すようになった。もともとInfineon自体が車載半導体に力を入れており、有力自動車メーカーがそろう日本市場に注目しているというのもある。■ Nuvoton Technology (ヌヴォトン)台湾の半導体メーカー。半導体から撤退したがっていたPanasonicから、Tower Semiconductorと共同運営している工場と、マイコン設計部門を買収する。Panasonic時代は、自社家電向けの独自マイコンをメインに作っていたのだが、Nuvotonに買収された後はArmベースの汎用マイコンに設計品目が変わった。日本法人は車載やモーター制御向けのマイコン開発に特化させていく方針で台湾の開発チームとは住み分けを図る模様。富士通ほどではないが、Panasonicも半導体部門を切り売りしており、所属していたエンジニアはバラバラになってしまった。研究室が一緒でPanasonicの半導体部門に入社した友人がいたが、彼は今どこに流れ着いているのだろう?
令和05年最新版 日本の半導体産業の現状について
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shintani24 · 1 month
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2024年3月21日
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新井直人選手 アルビレックス新潟より完全移籍加入のお知らせ
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【地震情報】 3月21日 9:08 震度5弱 震源:茨城県南部 M5.3 深さ約50km この地震による津波の心配はありません
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地震相次ぐ 関東で最大震度5弱 震度5弱以上はことし19回目 日頃から備えを(tenkijp)2024年3月21日
今日21日午前9時8分頃、茨城県南部を震源とするマグニチュード5.3の地震が発生し、栃木県、埼玉県で最大震度5弱を観測しました。今年は元日に能登半島地震が発生してから、震度5弱以上の地震が全国各地で相次いで発生しています。日頃からできる備えを。
今朝 関東で最大震度5弱を観測
今日21日午前9時8分頃、栃木県、埼玉県で最大震度5弱を観測する地震が発生しました。
震源地は茨城県南部(北緯36.1度、東経139.9度)で、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
栃木県下野市と埼玉県加須市で最大震度5弱を観測したほか、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県で震度4を観測した地域がありました。東京都千代田区など首都圏では広い範囲で震度3の地震を観測しました。
気象庁によりますと、栃木県で震度5弱が観測されたのは2022年3月16日以来、埼玉県では2021年10月7日以来です
相次ぐ地震 震度5弱以上は今年19回目
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今年は元日に大きな地震が発生して以来、全国各地で地震が相次いでいます。
1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、石川県志賀町では最大震度7を観測しました。気象庁はこの地震について「令和6年能登半島地震」と名付けました。
1月1日以降、全国で最大震度5弱以上の地震が観測された回数は、今朝の地震でことし19回目となりました。
能登半島の周辺だけでなく、2月下旬以降は千葉県東方沖やその周辺にあたる関東で、地震が頻繁に発生しています。今朝は、栃木県、埼玉県で最大震度5弱が観測され、関東では、今年に入って最大震度を観測したことになります。
地震はいつどこで発生するのか、予想ができないため、できる限り早めの対策や備えが必要です。大きな地震があった際にとるべき行動ポイントを事前に抑えておくと安心です。
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140年余の歴史に幕を下ろす「目視観測」 広島地方気象台にワケを聞いてみた(広島テレビ)2024年3月21日
気象台はさまざまな観測機器を使って天候を観測していますが、その内のひとつで間もなくなくなるのが「目視観測」です。
「目視観測」とは、担当者が実際に屋外に出て肉眼で観測して判断すること。明治時代から続けてきましたが、間もなく終了します。「目視観測」の廃止で何が記録されなくなるかと言うと…。
広島地方気象台 坂原幹敏 技術専門官 「先ほど11時は2割ほど雲がありましたけど、今は1割を切っています。もう文句なしに誰が見ても快晴という雲です」
これが、気象台の職員が実際に目で見て天気を判断する「目視観測」です。観測員が、毎日3時間ごとに庁舎の屋上に上がり、天気のほか、ビルや山の霞み具合などから見通しのきく距離などを観測しています。
明治時代から140年以上にわたり続いてきましたが、3月25日で終了します。その背景を聞きました。
實重博司 主任技術専門官 「気象衛星や気象レーダーの高性能化ということで、いろいろな情報が細かく分かるようになってきた。目視観測の重要性がそれほど高くなくなってきたということです」
機械化の波は日進月歩です。全国の気象台では「目視観測」を既に廃止した所も多��あり、4月以降に続けるのは東京と大阪のみとなります。
機械化に伴い、今や天気の判別は気象衛星や計測器などによるものが大半… 見通しのきく距離は、気象台付近の水滴やちりの量などを元に計算しています。
實重 主任技術専門官 「目視観測で観測しているもののなかで、例えばひょうとか防災上重要なものもあるんですが、そういったものは例えばレーダーとかでとらえることが今できるようになってきています」
一方で「目視観測」には機械では補えない熟練の技術が受け継がれています。
坂原 技術専門官 「きょうなんかは下層の雲っていうんですが、大体見ると1000メーターから1500メーターくらいの間の雲ですね」
これまで、観測員は雲の種類や高度なども判断し記録してきました。更に、空に浮かぶ雲の量から、その日の天気が「快晴」か「晴れ」かを判別してきましたが、それらは機械の手には負えません。
そのため、特に災害の危険が迫るような時には、記録しなくても職員による「目視観測」を続けるとしています。
坂原 技術専門官 「(雲の)形だけではなくてそういう高度とかでも判別できないと、要は災害に結びつくような顕著な雨とか判定するのはもう目で見ないとということなんですよね」
機械にもある限界…。だからこそ「目視観測」が残るものもあります。冬の訪れを告げる初霜・初氷・初冠雪の観測です。
實重 主任技術専門官 「季節の変わり目のシグナルとして結構ニュースにも取り上げていただいていますので、そういったニーズも考えて継続となっています」
観測機器の進化は続きますが、気象台は「目視観測の技術は継承し、守りたい」としています。
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過去30年の低金利に伴う「逸失金利収入」は600兆円=植田日銀総裁(ロイター)2024年3月21日
[東京 21日 ロイター] - 日銀の植田和男総裁は21日、参院財政金融委員会で、1993年から2022年までの間に低金利のために家計や企業が手にできなかった「逸失金利収入」は総額600兆円に上ると述べた。
ただ、利子所得の下押しで総需要にマイナスの影響が出た可能性があるものの、金融緩和で金利を低位に誘導することで経済環境の改善につながったと指摘。低金利が経済全体にどういう影響をもたらしたか総合的に考慮すべきだと述べた。
大塚耕平議員(民主)の質問に答えた。
日銀は19日の金融政策決定会合で大規模緩和の修正を決めたが、国債買い入れは続けていく。植田総裁は当面、国債の保有残高はおおむね横ばいで推移するとし、高水準の国債保有が金利の押し下げにつながる「ストック効果」は引き続き作用するが、このことをもって「量的・質的緩和政策」と呼ぶことは考えていないと述べた。
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ishiwarawoshitemoji · 4 months
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天皇氏族の特徴
天皇氏族―天孫族の来た道 (古代氏族の研究⑬) | 宝賀 寿男
ここでは、天照大神や神武天皇の日本列島内における祖系を遡って探究するとともに、この天皇氏族・天孫族の様々な特徴を探り、それに関係した諸氏についても見ていく。検討すべき問題が多種多様で、それぞれが大きい問題を含むから、本書が紙数の制約のもとにあることを念頭におき、これまで検討してきた結論的なものを整理して、予めある程度示さざるをえない(このことを先ずお断りする)。
わが国天孫族の主な動向
これまで公刊してきた拙著『「神武東征」の原像』や『息長氏』など古代氏族シリーズ)を通じて、天皇氏族の基本的な人物たる神武天皇と一族近親、臣下・関係者について、各々の原像を具体的に示してきた。それらなどを踏まえて、以下に要点を記す。
神武天皇などの初期天皇:神武は、当初に居た北九州の筑前海岸部(天孫降臨伝承にいわゆる「日向」。具体的には筑前の早良・怡土両郡あたり)から、兄・彦五瀬命とともに畿内に東征を試み、紀伊の紀ノ川滞上ルートで大和侵攻に成功して、奈良盆地南部地域あたりを押さえ、大和朝廷の初代の大王(天皇)となった。治世時期は概ね紀元一七五~一九四年の約十九年間とみられる(資料編に掲載の表「古代天皇の治世時期の推定」を参照)。この東征は、邪馬台国本体の東遷ではなく、筑前の支分国の庶子・一族関係者による小勢力の東征活動にすぎない(要は、「神武東征」という事件はあったが、それは「邪馬台国本国の東遷」ではない。当地での前途を悲観した庶子たちによる他地への分岐活動という意味)。
神武に関連して現れる随行・敵対の人々と崇神天皇関係者とを比べれば、それぞれがまったく異なっており、「神武=崇神」という同一人物のはずがない(神武は崇神の五世代ほど前の祖先る)。鏡を象徴とすろ太陽神信仰(この奉祀勢力)の中心が北部九州から畿内に移動したと認めても、それが直ちに邪馬台国東遷だとみるのは論理の飛躍である(筑後川流域と大和盆地の地名の類似も、物部氏東遷の影響のほうが強いか)。
北九州の在地には、神武東征当時はまだ邪馬合国もその怡土支分国もともに残り。その後の一世紀半ほどの期間は、北九州と畿内に各々の王権勢力が列島内に並存した(三世紀中葉頃は、畿内のほうの勢力はまだ小さいから、列島内で二強の王国が並立という構造。規模ではない)
神武の後のいわゆる「闕史八代」の諸天皇は、実在性を否定する根拠に乏しい、。邪馬台国の九州残滓勢力は四世紀中葉頃には滅ぼされたが、これは、最終的には畿内王権・景行天皇の九州巡狩に因る(従って、古田武彦氏の言う「九州王朝説」は成り立たない)。大和王権がほぼ確立した崇神天皇の時代には、日本列島のうち本州主要部を版図としたが、西側は吉備ないし安芸くらいが西限であって、その勢力は北九州にはまだ達していなかった。
神武の父はは、天孫・瓊瓊杵尊の子の彦火火出見尊(山幸彦)で、母は海神族首長の娘・玉依姫である。
『記・紀』に神武の父とされるウガヤフキアエズノ尊(彦波瀲尊)は山幸彦嫡出の長子であって、実際には神武の嫡兄である。その子孫が怡土支分国の王家を継いでいったとみられるが、後裔の系譜や存続の詳細は不明である。
天照大神:高天原を主宰する男性神であり、名を天活玉命(生国魂神)ともいう(論拠は様々に異なるが、山片蟠桃以降、男性神説もかなり多い。天照大神は、卑弥呼ではないし、推古天皇や持統天皇など実在者の反映でもない。後世に造作された架空の人物でもない。本書では詳説しないが、拙著『「神武東征」の原像』『息長氏』等を参照のこと)。天稚彦の親として神代紀に記される「天国玉」や、天照御魂神にも相当する(鈴木真年著の『古事記正義』)。
天照大神は天皇家の遠祖だが、決して抽象神ではなく、神武の四代祖先という具体的な生身の人間である。長子の天忍穂耳尊(天忍骨命)の嫡子が天火明命(この神は物部祖神ではないことに注意)で、この系統が本国・高天原(筑後川の中下流域で、久留米市の高良山麓に本拠)の邪馬台国王を継いでいった(これも後商やその存続の詳細が不明で、大和王権側の記録には残らない。景行天皇の九州巡狩や神功皇后遠征の時の討滅対象のなかにあったものか)。
天火明命の弟が、高天原から筑前の「日向」へ天降り(移遷)した者で、これが瓊瓊杵尊である。祖先の居住地から支庶の者が分かれて新天地に遷ることを、東北アジアのツングース系の上古伝承では、「天からの降臨」という形で把握する傾向があり、日本列島でもその例にもれない。東北アジアの習俗・伝承を視野に入れない議論だから、こんなことは実際にありえず、後世の造作だと安易な速断をすることになる。東アジアの太陽神は、殷の太陽神俊や高句麗の例のように、全てが���性神であった。なお、記紀のいう「高天原」及び「日向神話、出雲神話」の舞台は、全て北九州にあった。
日本列島への到来者:本書では、以下に具体的に検討を加えるが、天孫族の分派が初めて分かれるのは、天照大神の諸子から始まるという形の分支流の系譜などから見て、天照大神のあまり遠くない祖先が北九州に到来したとみるのが自然であろう。
「倭人」を江南にあった呉の太伯(周王朝ど同族で姫姓)の裔とする伝承は、『魏略』逸文などに見えるが、種族・経路や時期等から見て、その支配層については���問が大きい。すなわち、���古の「倭人」』の人々の大宗を占める海神族が越人(タイ系種族)と同種族とは認められるとしても、二世紀前半以降に北部九州における倭国連合体の長たる地位についた天皇家の先祖は、これとは系譜・種族が異なる。国の主な住民とその上に立つ支配層とは、朝鮮半島古代の例を見ても、別途考えることが必要である。
弥生時代に日本列島に渡来した主な種族・人々では、江南から(朝鮮半島南部を経て、稲作・青銅技術などの弥生文化をもって渡来した部族と、これにかなり遅れて、東北アジア地方(とくに中国東北部及び朝鮮半島)から渡来して鉄鍛冶技術をもった部族という二系統の部族があった、これら種族と、縄文時代から列島原住の人々(一種族ではないかもしれないが、とりあえず一括して「山祇族」としておく。総じて、クメール系種族)との混合体が「弥生人」とされよう。だから、単一種族として弥生人を捉えてはならない。なお、始皇帝によって東海に派遣され斉国の琅邪郡から船出した徐福が日本列島にある国の祖となったと言う「徐福伝説」は、肥前佐賀や紀州熊野などにあるが、とるにたらない。
天孫族の始祖・スサノヲ神
わが国における天孫族(皇統)の具体的な始祖から検討に入ろう。この始祖神としては、天照大神ではなく、「五十猛神(伊達神、射楯神)」(イタケル、イタテ)があげられる。この神は、『書紀』に言う、たんなる新羅からの渡来神ではない。別名を「渡し神(和多志神)、度津神」と言い、これは外地の韓郷から渡来してきたことに因る。佐渡一宮で式内社の度津神社(新潟県佐渡市羽茂飯岡)は海上交通の守護神として五十猛命を祀るなど、日本各地で同名で祀られる(『神道大辞典』など)。
この神の記事は少ないが、『書紀』第八段(宝剣出現)の一書第四および第五の記事に見える。素戔嗚尊が子の五十猛神を率いて先ず新羅国に天降り、そこから舟を作って出雲に渡ったとあり、また、五十猛神が天降りの際に多くの木種を将来したが、韓地には植えずに、筑紫より始めて列島内に木種を播いたとある。そうすると、韓地からの最初の到来地はむしろ筑紫になるし、渡来航路的にはそのほうが自然である。このように、韓地(朝鮮半島南部)からの渡来が『記・紀』に明確に記されるのは、天日矛(天日槍)より前の時代の神・人では、ほかにいない。五十猛神と妹二神(大屋姫命、抓津姫命。実態は妻神か)が「伊太祁曽三神」として紀伊国名草郡の名神大社で篤く祀られており、奉斉者が紀伊国造よりも紀臣氏(系譜は皇別とされるが、実態は天孫族系)とみられる事情にも留意される。
記紀神話では、その父「スサノヲ」は、高天原にあっては天照大神を困らせる暴れん坊神で、天照大神と争って敗れており、それによる追放後の「出雲」では開拓者的に描かれる。その終焉の地が出雲という伝承もあり、出雲市佐田町須佐の須佐神社(風土記・延喜式に記載)が祀られる。その攝末社に天照社・厳島社・須賀社などがあり、境内に千数百年という老杉や蘇民将来の祭もある。スサノヲの子の大国主神の子、加夜奈留美(女神?)の子孫と称する須佐氏が永年奉斎するが、少なくとも系図の初期段階などには疑問があり、出雲国造一族が祭祀に関与したか(瀧音能之氏が須佐神社周辺の地をスサノオ神の本貫とみるのは疑問で、ここには同神は到来しておらず、子孫と称する家が祀っただけのこと。出雲国造一族が奉斎した神社も当初は熊野神社が主で、杵筑神社(現・出雲大社)でも長い間、祭神がスサノヲであった)。
スサノヲは、その子孫という大国主神を通じて地祇の三輸氏・賀茂氏や住道首などにつながるという系譜を伝える。これが『姓氏録』大神朝臣条や『旧事本紀』地祇本紀などに見える子孫の系譜であり(前者の大神朝臣条では、素佐能雄命の六世孫が大国主と記される)、『古事記』では「いわゆる出雲系」の多数の神々に通じる系譜が紀載される。しかし、五十猛神と大国主神との関係はこれら系譜では不明なままである(五十猛と大国主とは、祖先・子係の関係にない。出雲の大国主神の父は天冬衣命と伝え、その祖系のなかにも五十猛は見えない)。
このため、「スサンヲ」という神には複数の神格(人格)がおるようにみられている。実際には、このような名・通称で呼ばれる者が一族・同系統で複数いたり(部族長の通称的な使用もあるがか)、子孫が祖先の伝承を伴って各地へ移遷、展開したともみられる。朝鮮神話に見える檀君も、スサノヲに擬せられたり、高句麗からの渡来系氏族・八坂造氏が京都祇園(感神院祇園社)で祀る「牛頭天王」も、中国神話で牛首人身神とされる炎帝神農氏(赤帝)や蚩尤(兵主神)という頭に角をもつ武神(戦神)、兵器製造神にも通じる。わが国ではこれら神々の実体がスサノヲ神(ないし大己貴命)に通じるとされることが多い。蚩尤が鉄神とも言われる。
この「スサノヲ」の名は、同一部族(天皇氏族)の根幹系統を通じて、遠い祖先から見える「通称」ではないかと把握される。すなわち、五十猛神自身がスサノヲ(の一人)に相当するとしたほうがよい。五十猛神を祀る式内社は、出雲六社、播磨二社、紀伊二社など全国合計で十五社もあり、これら地域分布からは天孫族系の出雲国造族が主に奉斎したことが窺われる。これに関連して、わが国で兵主神を祀る式内社は、近江国野洲郡及び大和国磯城郡など名神大社三社を含め、合計で十九社もあり、うち但馬七社、因幡二社、近江二社、播磨二社、丹波一社などという地域分布に留意される(この辺に着目すると、但馬出石に落ち着いた天日矛一族が、韓地の新羅あたりから当該兵主神をもたらした可能性も考えられる)。
兵主神社の祭神は、いまは大己貴命、素戔嗚神などとされて、特に前者とされることが多い。これは、本来の祭神で鍛冶神たる八千矛神が、大穴持命に通じる大己貴命と混同され、出雲に兵主神の神社分布が多い事情に因るものか。八千矛神という神は、『書紀』には見えず、『古事記』で高志の沼川比売の求婚譚などに見えて、大国主神の別名として扱われる。同神の子には、「御井神」も見える。御井神は木伺神ともいわれ、多くの樹種をもって天降り、広く大八洲に播種したと伝える五十猛神の縁者というのがふさわしい。滋賀県蒲生郡日野町の八千鉾神社は、大屋彦神(五十猛神のこと)を祭神とする。銅矛・銅戈や銅剣は分布が北九州に多くあり、銅矛の出雲出土はあまり多くないので(最多出土の荒神谷遣跡でも、銅矛十六本に対し、銅剣が三五八本の多数で出土)その意味でも出雲の大国主神が八千矛神とされるのにはしっくりこない。
八千矛神とは、実はイタテ神(伊太弓、伊達、射楯こと五十猛神)のこととみられる(その場合、御井神とは高魂命〔高木神〕のことか)。銅矛・銅戈の出土が肥前唐津辺りに多く、銅剣も含めて銅製武器が北九州に多く出て、これが「銅剣銅矛分布圏」という把握もある。日本列島では、弥生Ⅰ期に朝鮮半島から銅矛が到来し、鉄矛は同Ⅲ期に出現して古墳時代中期以降盛行した(『日本考古学事典』)、とされるから、鉄矛も併せ持って渡来したのが天孫族か。天孫族の広い範囲に入るとみられるのが、新羅からの渡来を伝える天日矛(天日槍)である。唐津市の宇木汲田遺跡からは多数の銅剣・銅矛や多鈕細文鏡などが出土しており、天孫族の足跡を示すものか。
イタテの神は新羅系の韓鍛治の奉祀した神だと窺えると、真弓常忠氏は指摘する(『古代の鉄と神々』)。中国の原型である「兵主神」が額に角を持ち鉄を食べる蚩尤(上記)とされており、わが国で同神にも比定される五十猛神が角凝魂命(「角+鉄塊の意味の凝」)という別名をもつのも肯ける。吉野裕氏は、『風土記』の研究などから、早くに『風士記世界と鉄王神話』(一九七二年刊)や『素尊鉄神論序説』(一九七三年刊)を著し、スサノヲが鉄神だとみた。この鉄神性を同神に認める見解が多い。
端的にいえば、複雑な性格ゆえにスサノヲ神(素戔嗚神)の位置づけが難解であり、たいへん重要なのである。これが、記紀にイザナギ・イザナミニ神の子で、皇祖神たる太陽神・天照大神の「弟」とされたり、大己貴命の祖先とされたりと様々に混同が生じた(実際、記紀で天照大神と争った「戦った」という意味をもつ「スサノヲ」は、大己貴など海神族系の祖という性格では、別神としたほうがよい。現実の出雲と、実体が葦原中国〔筑前海岸部の那珂川波域〕たる記紀神話の「出雲」とを、八世紀段階の記紀の編者たちは混同したことなどに因る。
人皇ノ鼻祖という鈴木真年の指摘
一般には、記紀神話の影響で、スサノヲ神の子ないし子孫(六世孫『姓氏録』ないし七世孫)が大己貴命(大国主神)で、いわゆる「出雲族」(あるいは海神族)の祖神がスサノヲ神と受けとられている。
しかし、大己貴命は海神族の系統の祖神であるが、そうであっても、スサノラヲ神とは男系血筋でのつながりがなく(スサノヲ神後裔の女性を妻の一人としたことは考えられるが)、両神が血統一系というのは原型・実態とは異なる(両神の血縁関係を否定する先学の見解はかなりある。例えば、瀧音能之・藤岡大拙氏など。スサノヲの子に「八千矛神」がおり(五十猛神のことか)、兵主神社で該られるが、これが大己貴命と混同された結果、スサノヲの子ともされたものか)。ともあれ、「出雲神族」という概念は紛らわしく、使用には留意される。
スサノヲによる八俣大蛇(八岐大蛇)の退治の伝承も、竜蛇信仰をもつ種族のトーテム獣を退治したのだから、海神族の祖神であるはずがない。もっとも「八俣大蛇=九頭竜」という見方もあるようである(ギリシャ神話に出る竜迷体の巨大怪物ヒュドラーも九つの首をもつ)。これが、『古事記』では「高志之八俣遠呂智」と表記されるが、「高志」が越すなわち北陸地方とまでは、スサノヲの活動地域から読みとれない。ともあれ、皇威に抗う荒神(荒ぶる水神)の象徴として大蛇がでてくることになる。
この伝承も、同神が居て活動したのが北九州だとしたら、竜蛇信仰をもつ種族・国々(海神族系種族の国、主に奴国か)の退治・平定を意味したのだろう.スサノヲについて、韓地から渡来の鉄器鍛冶集団が信奉する神という説はかなりある。火山の神という見方もあるが、これは火に関わる鍛治神の祖神、竃の神からの転訛の可能性もあろう。
明治期の国学者で系図研究者の鈴木真年は、その著書『日本事物原始』や『古事記正義』で、この神について概ね次のような主旨で記している。
「素戔鳥命トハ人皇ノ鼻祖二坐シテ、二神ノ真名子タリ。故二、天神此葦原中洲ヲ賜テ、国土ツ開闢セシム」(適宜、句読点を付した)と切り出し、高天原から天降って新羅の牛頭方(楽浪郡のうちの地)に至り、伊太氐命(亦名を五十猛命、大屋毘古命、伊太祁曽命、神平多命)・速須勢理比売を生み、その後、太白山(平安北道寧辺の妙香山に比定。平壌の東北方)の下に至り檀木の下に互市(陸上での交易)するなど人事や社会運営を教え、これを国人が追末して檀君という。また神櫛玉命(亦名を櫛御気野神、気津御子神。すなわち、熊野大神)ともいう。
その子の伊太氐命を率いて東海に入り、多くの樹木種ををもって出雲国に着き、須賀の地に宮居したが、伊太氐命は妹と協力して樹木の種を各地に分布した。素戔鳥命の子の天忍穂耳命を、天照大神は子として養って天子の位につけた。」(ここで天忍穂耳命を「子」とするのは、天安川の河原における天照大神との伝承から、スサノヲの実子と考えたものか。ただ、この見方には疑問あり、実際にはスサノヲの子孫となろう。後述)
こうした真年の把握には疑問な点もいくつかあるが、スサノヲ神がわが国の「人皇ノ鼻祖」だという基本は妥当な線だとみられる。天照大神が男神だという性格(夫婿が知られずに子孫を残す女性が古代大族の祖先系図にはまったく現れない事情もある)や忌部氏の上古系図等を参考にして、これら記紀の記事を総合的に考え併せる必要がある。そうすると、韓地から日本列島に渡来してきた、わが国天孫族の始祖(天照大神の更なる違い祖先)こそがスサノヲ神であって、五十猛神とも同神(ないしその父神)だとみるのが適当となる。朝鮮の始祖とされる「檀君���(後述するが、後世の造作神となろう)とほぼ同種の性格をもつ神という程度は認めて良い。
十世紀後葉の北宋に、日本の東大寺の僧・奝然らが雍熙元年(九八四)にやって来て、銅器や『王年代紀』などを献上したが、天御中主を初代とする皇統譜には、第十八代に素戔鳥尊(その前代が伊奘諾尊)、第十九代に天照大神尊、第二四代目に神武天皇の名前が記される(『宋史』日本伝)。平安中期の円融天皇治世のときに存在した『王年代紀』が何に基づくかは不明だが、天照大神の先代に素戔鳥尊があげられることに留意される。
スサノヲがスガの地に居たという上記伝承からか、全国の須賀神社はスサノヲを祭神とする例が多い。同社は、牛頭天王・須佐之男命を祭神とする祇園信仰の神社で、全国に広く存在し、島根県・高知県に特に多い。これら須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」「天王社」と称していた。牛頭天王は、播磨の広峯神社などでも祀られるが、同社は天孫族の針間国造の領域にあって、同じく凡河内国造一族が長く奉祀した。
なお、素戔嗚命の実体について、卑弥呼と対立関係にあった「狗奴国王」を考える説もあるが、これは根拠に乏しい想像論である(狗奴国の性格・習俗についての誤解が基礎にある)。また、習俗・祭祀やトーテムが異なる大国主神(海神族系氏族の祖)の父祖でもない。
八幡神の実体
豊前の宇佐八幡でも、祭神たる八幡神の実体が五十猛神だとみられる。応神天皇家や宇佐国造など天孫族の一派の実際の遠祖として、八幡神が考えられる。字佐国造は、高魂尊の裔孫の宇佐都彦(菟狭津彦)を国造初祖とするが、高魂尊の先が五十猛神とみられる。
弘仁五年(八一四)の太政官符や『宇佐託宣集』等に拠ると、字佐郡の小倉山の麓に八つの頭が一つの身体についた奇異な風体をもつ鍛冶翁がおり、金色の鷹となって示現し、その姿を見ようと近づく者の半数が死亡したが、神官(辛島勝乙目とするのが原型か)の祈持に応じて三歳児童の姿で八幡神が出現し、「我は始め辛国に八流の幡となって天降り、日本の神となって一切衆生を度する釈迦菩薩の化身なり」と託宣したという。こうした伝承などから、八幡神はもともと鍛冶神とする見方も古くからある(柳田国男氏ほか)。
後世では八幡大神にも擬せられる応神天皇は、実際の系譜は宇佐国造一族の支流の流れをひく鍛冶部族の息長氏に出ており、遠祖は神武に始まる王統と同じで、高魂命であった。金色の鷹は、金鵄や八咫烏にも通じる天孫族のトーテムである。
素盞嗚神という神は、海神族たる大己貴神(大国主神)の父祖としても伝えるが(記紀ともに見えるが、『古事記』のほうに多く伝える傾向)、その一方、熊野大神として、天孫族系統の物部連や鳥取部によって祖神として広く奉斎された。これら氏族の祖たる天津彦根命(天若日子)やその兄弟神は、素盞嗚神と天照大神との天安河原の誓約の際に息吹きのなかから誕生したと神話に伝える。
こうした両様の複雑な性格をもつ素盞嗚神は、本来は性格ごとに別々の人格神かとも考えるのがよいかもしれない。そのなかでも、最も主なものとしてはわが国天孫族の祖となる(こうした見方は、私の氏族研究の結論的な部分だけを記したので、分かり難いかもしれないが、紙数制約や論旨展開上の見地から、本書ではこのくらいに止める。以上の記述に関連して、本シリーズの『息長氏』『三輪氏」』などをご参照)。
天孫族の祖系と祭祀
現存の天孫族系統の系図では、天照大神より先へ遡る神統譜を記すものは少ないが、『姓氏録』では若干は記事が遺る。それが、角凝魂命を遠祖とする系譜をもつ諸氏(鳥取連・鳥取、委文連・宿祢〔倭文連・宿祢〕、竹原、美努連、税部〔鴨県主一族〕や額田部宿祢〔物部氏同族〕、雄儀連などで、殆どが少彦名神の流れ)である。
角凝魂命を祀る神社は全国で少ないが、鳥取連が奉斎した和泉国日根郡の式内社、波太神社(大阪府阪南市石田に鎮座。もと桑畑村、東鳥取村で、同国神名帳に従五位上波太岐社と記載。府社)の祭神として鳥取連の祖・天湯河板挙が垂仁朝に祖神を創祀したと伝える。波多の地名は肥前国松浦郡にもあり、当地に波多八幡神社(佐賀県唐津市北波多稗田で、宇木汲田遺跡の西南近隣)が鎮座する。「波多」は秦韓・辰韓に通じるものか。
忌部氏の系図(「斉部宿祢本系帳」」や「宮中八神」などを基礎にして、始祖の五十猛神以降の初期段階の歴代を整理、推定してみると、概ね次のようになる(第1図)。ただ、妻神(后神)は難解であり、推定の度合いが大きい。
各々の遠祖神が異なる複数の神名をもつことに留意されるが、天照大神は「斉部宿祢本系帳」では「天庭立命」として表記される(この名に近い「天壁立命」も天背男命の父神で左京神別の宮部造の祖とされるから同神となる)。
この神は、大阪市天王寺区の生国魂神社(東生郡の難波坐生国咲国魂神社)で奉音される神であるこれが、信濃国小県郡では名神大社の生島足島神社(長野県上田市下之郷)でも祀られて、その祭神が大八嶋を統べる「生島神・足島神」とされる。摂津国川辺都(兵庫県尼崎市栗山町)の生島神社では、生島神・足島神、天照大神、須佐男神、八幡大神、伊邪那岐・伊邪那美神をいま祀る(祭神の名に重複がある)。
この生島神・足島神は、天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀ともみられる八十島祭の主神とされる(この祭は、文献初見が文徳天皇の即位時の嘉祥三年〔八五○〕九月で、鎌倉前期まで廿二回確認されると言うが、由来は上古に溯るのだろう)。『延喜式』神名帳には、宮中八神殿で御巫祭神八座のなかで生産日神・足産日神(『古語拾遺』では生産霊・足産霊)として祀られ、神祇官に坐しては生島巫祭神二座として生島神・足島神があげられる。両名は併せて夫婦神(その場合、足島神のほうは妻神か)とみられ、男神は伊久魂命とも天活玉命ともいわれる。天照大神という名では、『延喜式』神名帳では宮中坐神三六座のなかに見えないし、『姓氏録』にも諸氏族の祖先として見えないことに留意される。なお、天活玉命を祀る神社は少ないが、越中の高瀬神社(富山県南砺市高瀬。同社は五十猛神も合祀)や讃岐の大麻神社(寒川郡の大蓑彦神社。香川県善通寺市大麻町)という式内社があげられる。
『書紀』には生申の乱の時(天武天皇元年〔六七二〕七月廿三日条)に生島神が見える。そこでは、高市社に坐す事代主神と牟狭社に坐す生霊神が神憑りして、神日本磐余彦天皇之陵(神武陵で、『書紀』にいう畝傍山東北陵か)に馬と種々の兵器を奉納すれば、両神が天武軍の前後に立って守護すると告げたが、この生霊神が生島神(生国魂神)に当たる。いま畝傍山の東北の裾、橿原市大久保町域(旧洞村)にある神武陵旧跡と伝える地の近隣には、生玉神社が鎮座する。
『古事記』には「天津国玉神」とも表記されるが、これは、天若日子(天稚彦。天照大神の子で別名が天津彦根命、天背男命、天湯河桁命であり、出雲国造や物部氏など鍛冶部族や鳥取部等の祖)が大国主神のもと(葦原中国)に派遣された事件に関連して見える。
その父神が高皇産霊尊であり、上記の宮中八神殿で祀られる高御産日神にあたる。この神のときころに筑後川流域に至って定着したとみられる。この神を天孫降臨の指揮者として皇祖神のはじめに置く見方が学究には多いようだが、上記系図に見るように更に父祖の神々を伝えることに多意される。
「宮中八神」の意義
ここまでに宮中八神にも触れてきたが、『延喜式』神名帳の冒頭に掲げる「宮中八神」には十分留意される。
すなわち、宮中神として大社三十座小社六座があり、そのうちの筆頭に「御巫等祭神八座」並大、月次新嘗とある神々で、①神産日神、②高御産日神、⑤玉積日神(玉積産日神)、④生産日神、⑤足産日神、⑥大宮売神、⑦御食津神、⑧事代主神、の八神があげられる。さらに、「座摩巫祭神五座」並大、月次新嘗として生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の五神、「御門巫祭神八座」並大、月次新嘗として、櫛石窓神と豊石窓神が四面門各一座、「生嶋巫祭神二座」並大、月次新嘗として並大の生嶋神、足嶋神の二神があり(ここまでが「神祇宮西院坐御巫等祭神」とされて、合計が二三神)、更に、「宮内省坐神三座」並名神大、月次新嘗として薗神社、韓神社二座、「造酒司生神」大四座、並大、月次新嘗として大宮売神社四座が掲載される。
「宮中八神」の次ぎにあげれる神々は、御門神(八座)を除くと、おそらく八神の異名・異称で重複するものだろう(ただ、座摩巫が祭る五神は、「大宮地を守り坐す霊神」とされるが、その実体は難解・不明。五神はみな始祖神関係の異名かもしれず、「生井、福井、綱長井」で三井・御井、「波比祇、阿須波」が五十猛神に通じるか)。そして、その皇統譜のなかで大祖先神としての位置づけにあった神々ではなかろうか。具体的には、天照大神夫妻を含めそれ以前の三代の夫妻神とみられる。上記の「第1図天孫族の初期段階の系譜」は、こうした見方のうえで推定記載をした。
注意すべきは、最も重要な天照大神にあたる神の名が二つ(玉積産日神、生産日神)あり、対偶を持たない「事代主神」があって、合計で「八神」となっている点である。天孫族系統では、「八」という神聖数をもっていた。
さて、ここの「事代主神」の実体は何だったのだろうか。抽象神としての意味は、「神憑りして神託をくだす神」であり(松前健、佐伯有清などの諸氏)、特定の固有名詞とされる必要はない。ところが、この神は、一般には地祇(国津神)・三輪氏族の祖で、神武天皇の皇后の父神が指される。これは、後代の諸天皇の母系祖神として理解が出来ないわけでもないが、それならば、天照大神の邊遥か後代の神であって、宮中祭祀のバランスを欠く。
そこで、「姓氏録』を見ると、天神としての「天事代主命」(天辞代主命、天辞代主命)が存在したとわかる。この神を祖神とするのが、左京神別の畝尾連、右京神別の伊与部、大和神別の飛鳥直の三氏であり、これら諸氏の系譜を考えると、みな中臣連一族の初期分岐となる(伊与部条には高媚牟須比命の三世孫と記載も、これは疑問)。畝尾連の一族は和泉神別にもあげられ、そこでは「大中臣朝臣同祖。天児屋命之後也」と記載がある。しかも、高市郡明日香村に鎮座の飛鳥坐神社(並名神大)では、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神を祭神とする。すなわち、天事代主命とは中臣氏の大祖神(天孫降臨痔の天児屋根命の父祖神か)の位置づけということになるが、そうすると、天照大神も含め、この神から遡って三世代の夫神の誰かの舅神で、天孫族系統の母系の祖として特掲された可能性があり、この場合には「宮中八神」に所掲の神々の活動年代とも符合するものとなろう(現在の当該飛鳥神社の祭祀では、転訛された影響で、有名な三輪の事代主神と混同されている)。
なお、{宮中八神」のなかに、元は「倭大国魂神」(実体は九州所在の大己貴神)も含まれていたとみる見解(若井敏明氏『「神話」から読み直す古代天皇史』)には反対である。天照大神以前の上古歴代の舅神の位置にはいないからであって、『書紀』崇神天皇大年条の記事には疑問がある。不祭祀のイザナギ・イザナミの諾冊二神も、実体をもつ神ではなかった。
韓国イタテ神の列島渡来
『延喜式』神名帳のはじめに、宮中で祀られる神々が「宮中坐神三十六座」としてあげられる。そのなかに宮内省に坐す神の三座(並名神大)があって、薗神(園神)の社と韓神の社の二座がある。この「韓神」こそ韓(伽耶)から渡来し��五十猛神を指す。ちなみに、御巫等祭神の八座にあげる神産日神も大始祖たる五十猛神にあたるとみられ、五十猛神の妻神の御食津神(御膳神)も同八座のなかに見える。この女神は豊受大神でもあり、食物主宰の倉稲魂神(稲荷神)で保食神なのだから、薗神にあたるとみるのが自然である。織物と酒造を司る女神、大宮売神にも当たりそうな可能性もあるが、それを留保しつつ、この関係では別神としておいた(関連して言うと、丹波国多紀郡式内社の大売神社【兵庫県篠山市寺内]は、大宮売神を祀るが、「オーヒルメ」神社と読まれている。大宮売がアメノウズメの別名だとする平田篤胤説や、これに通じる『古語拾遺』の記事は誤りとみられる)。
かつて、黒板勝美博士は、天照大神より前の神々が皇室の祖先として奉斎されていないとの理由で、それらの実在性は認めがたいと考えた。しかし、上記のように現実に別の神名で宮中で永く奉斎されてきた。出雲でも、神産日神も神魂神社の名で、意宇郡六社の一としてあり(松江市大庭町)、出雲国造が長く奉仕した。同社は神火相続の神事で知られる。
「園韓神」には一に大己貴神・少彦名神・大物主神をあてる説もあり、平安京遷都以前に京の地を支配したのが渡来系の秦氏だとして、園神・韓神は元々は秦氏が奉斎した神とみる説(水谷千秋氏)もあるが、ともに論拠薄弱である。
園韓神社は宮中では唯一の名神大社であり、応仁の乱頃までの宮殿の宮内省に鎮座した。この神格・鎮座地からみても、秦氏にふさわしいとはとても言えない。例祭は園韓神祭といわれ、『江家次第』では神部四人が榊・桙・弓・剣を持って神楽を舞ったと見え、『百錬抄』では大治二年(一一二七)の大内裏火災で園韓神の御正体を取り出そうとした折に神宝として剣・桙があったと見える。帝王鎮護の神という役割や、皇祖神の系統からみても、これは始祖神の五十猛神夫妻とするのが妥当であろう。もとからこの地にあって平安遷都に伴い遷座させようとしたら、帝王を護りたいという託宣が韓神からあったとも伝える(本来は鴨県主奉斎か)。
御食津神はオオゲツヒメ(保食神)でもあり、穀物神(稲倉魂命)でもあった。五十猛神は大屋毘古神とも呼ばれ、一緒に植樹につとめた妹・大屋毘売(大屋津姫)は、名前の対応から考えて、「妹」とは実際には「妻」の意であろう。紀州にはこの女神を祀る神社もある(和歌山市字田森に鎮座の大屋都姫神社など)。この妻神は白山信仰の菊理媛命にも通じ、水神の罔象女神であり、多様な神格と名をもつ。八幡大神の妻神たる比売大神でもあって、宇佐八幡宮で祀られる。水神が竜神に通じ、仏教での同種の弁財天にも通じる祭祀もある。
筑後国御井郡や豊前国田川郡(豊比咩命神社という名で、いま香春神社に合祀)など各地の「豊比咩神社」の祭神であって(神武天皇の祖母とされる「豊玉姫」ではないし、「神功皇后の妹」のことでもない)、伊勢神宮外宮の豊受大神にあたる。香春の豊比咩神が宇佐の比売大神に相当すると岡谷公二氏も指摘する(上掲書)。豊比咩(豊姫)については、高良神の妻神という見方もあり、この辺の可能性を留保しつつ、比売大神という見方で一応、考えたい。
比売大神については宗像三女神説(宇佐神宮・石清水八幡宮の立場か)もあるが、大分県杵築市の奈多宮では、沖合の市杵島(または厳島)と呼ぶ岩礁に比売大神が降臨したと伝えるから、主祭神八幡神(=五十猛神)の后神で、端的に市杵島姫神と考えたほうがよい(その系譜は不明だが、天照大神の娘のはずはなく、海神族的な色彩があるものの、幹地から共に渡来したか、既に北九州にあった種族の出かは判じがたい)。
この女神は、水神の性格からは淀姫(興止姫神、世田姫)にもあたる。肥前国一宮たる佐嘉郡の與止日女神社(河上社。佐賀市大和町川上)、予賀神社なども含め、肥前中心に二十数社の多くで祀られ、とくに佐賀県の嘉瀬川流域に六社もあって祭祀が集中する。夫神・五十猛神と同様、石神の性格ももつ(脊振山に鎮座の脊振神社は、弁財天社ということで本地垂迹で市杵島姫を祀るが、この神にもあたる〔瀬織津姫や蛇神の宇賀神にもあたる〕。山城国乙訓郡の式内社、与杼神社〔京都市伏見区淀〕でも写る。安芸宮島の上厳島神社〔伊都岐島神社〕や近江の竹生島神社〔浅井郡式内社の都久夫須麻神社〕、相模江ノ島でも、市杵島姫【弁財天】を祀り、竹生島では、併せ宇賀神・浅井姫・龍神も祀る。淀姫が、一に「八幡大神の叔母、神功皇后の妹」とされるのは訛伝)。
唐津市呼子の加部島(別名が姫島)の宮崎鼻に鎮座する田島神社(松浦郡の式内名神大社の田島内神社)は、肥前最古といわれ唯ーの大社とされる。本殿の裏には磐境(祭場)とみられる地があり、立った三個の巨石や二個の平石、太閤祈念石と呼ばれる巨石もある。
加部島は、韓地・大陸への交通を考えると「道主貴(ちぬしのむち)」の鎮座地にふさわしく、市杵島姫を含む宗像三女神が礼られる(神名帳には「一座」と表記)。そうすると、韓地釜山(ないし対馬)辺りから筑前大島・沖ノ島を通る海路が「海北道中」と一般に解されるが(「海北」=は朝鮮半島を指す)、当該経路は、倭韓間の海上交通における当初のメインルート「壱岐・対馬を経由の線」だとみる田中卓博士の見方のほうが正しいものか。宗像大社では、九州本土の宗像市田島の地に辺津宮(総社)として現在、市杵島姫を祀る(『古事記』では、市杵島姫は中津宮、辺津宮鎮座は田寸津比売と記す)。
道主貴は、『書紀』(巻一第六段の一書第三)に「筑紫の水沼君等が祭る神」と見えており、水沼君(水沼県主)は佐賀君(佐喜県主)と同様、火国造同族とみられるから、これら諸氏の祖神でもあろう。『旧事本紀』天皇本紀には景行天皇の皇子のなかに武国表別命をあげ、筑紫水間君の祖と記される(同人は、「円珍俗姓系図」に讃岐の和気公・因岐首の始祖とされ、九州の阿蘇君・火君らの祖とみられる。『書紀』景行段に見える水沼別の始祖・国乳別皇子かその近親にあたる。同書の記事では、「弟の豊戸別皇子。是火国別之始祖世」と続ける)。
水沼君氏一族は、筑後国三潴郡の豪族で、久留米市西南部の大善寺町にある大古墳、御塚(全長約一二〇詩という帆立貝式古墳。中期古墳か)及びその北隣の権現塚(外径が全長約一五〇計かともいう。後期古墳か)の築造者とみられている。東北方近隣の同市高良内町には、これらに先立つ石櫃山古墳(全長が百計超【最大で一一五潮というで、境輪式を出土)もあったが、消滅した。久留米市北野町赤司に鎮座の赤司八幡宮(御井郡惣廟を称)がもと豊比咩神社といわれ、與止比咩命・高良大神や道主貴(三女神)、すなわち宗像三女神が祭神で、祠官家が水沼君氏との伝え(境内碑文)もあるが、領域からやや離れる感もある。
「韓」を冠する五十猛神
延喜式の神名帳には全国各地の官祭に関わる多くの古社があげられるが、そのなかで「韓」が頭につけられる神は五十猛神のみである。多くの樹木の種を持って大八洲に植えたと伝えて、紀伊国をはじめ各地で多く祀られる。わが国では伊達神(射楯神)とか韓国伊太神、伊太祁曽神ともいわれて、延喜式内社の奉斎神としてはかなり多くあり、全国で十五社を数える。
とくに、出雲には最多で合計六社もある。それが意宇郡・出雲郡に集中するが、意宇郡では玉作湯社や揖夜社に付属して鎮座する。これらは出雲国造一族の奉斎に係るものか。そして、これら出雲国内の六社が全て、韓国伊太氐神と記されて、式内社では類例の少ない「韓国(辛国)」が冠として付けられる。当地の曽枳能夜神社境内の韓国伊太氐夫神社(島根県出雲市斐川町神水)揖夜神社境内の韓国伊太氐神社(同県松江市東出雲町揖屋)など、韓国伊太所神社が出雲国の九郡中で意宇郡と出雲郡とに三社ずつ見られる(出雲国意宇郡の条に、①玉作湯神社、②揖夜神社、③佐久多神社に「同社坐韓国伊太氐神社」があり、西側の出雲郡条にあっても、「同社(神)韓国伊太氐神社」としての阿須伎神社、⑤出雲神社、⑯曽枳能夜神社が同様)。
このほかの式内社では、薩摩国曽於郡の韓国宇豆峯神社(鹿児島県霧島市国分上井)も、五十猛神(又の名を韓神曽保里神)を祀る。ここでも、とくに「韓国」を冠した神社の名前になっていることに留意される。これらの事情も、ての神の韓国からの渡来を示唆する(千家俊信『出雲式社考』にほぼ同旨)。出雲の西隣、石見国では現大田市五十猛町に近隣して韓神新羅神社・五十猛神社の両社が鎮座する。
この朝神新羅神社、出雲国出雲郡の韓竈神社(産銅遺跡のなかに鎮座)や安芸国御調郡の賀羅加波神社のほうは、素戔鳴命を屯るというが、五十猛同神か。
五十猛神については、記紀に見えるのは上記の一箇所だけであるが、イタテ神としては、『播磨国風土記』餝磨郡の因達里(姫路市街地の北部)の条に伊太氐之神が見える。因達里の伝承が、神功皇后が韓地征討で渡海する際、先導神としてその御船の上に鎮座したのがこの神である、という内容なのだから、「韓国」を冠しないイタテ神の場合にも韓国との関係がみられると石塚俊氏は指摘する。これが、餝磨郡式内の射楯兵主神社(姫路市本町に鎮座)である。イタテ神が神功皇后の先祖・天日矛にも通じるとしたら、祖神たちの加護を受けてその祖国の韓土に進攻したことになる。関連して、九世紀後半の貞観期当時の対新羅関係の悪化という背景のなかで、日本を新羅から守る目的で韓国伊太氐諸社が建立されたという説(瀧音能之氏)は疑問が大きく、この神の祭礼の由来は更に古かった。
伝承では、イタテ神は韓地の新羅から直接渡海し、日本列島に着いて出役に入り、そこから紀伊に遷ったようにうけとられる。出雲・紀伊には関係社が多くあり、出雲の西隣の石見国安濃郡にも、現・大田市五十猛町に五十猛神社と韓神新羅神社がある。五十猛命の降臨地としては、奥出雲、出雲国仁多郡の鳥上峰(船通山、鳥髪山)という伝承もある。これも、天孫族関係者が高山に天降りするという所伝の一環である。
九州の太宰府付近にも鳥髪山に相当するような山(例えば基山〔後述」」とか砥上岳(遠賀川源流地)がある。一方、対馬、壱岐を経由して九州の有明湾岸に上陸とも伝えるから、多くの関係請社や遺跡などの分布を具体的に見ると、やはり韓地→対馬→筑紫という地理的に自然な経路をとったとみられる。そこで、次ぎに北九州の分布を見てみる。
九州の五十猛神
対馬では、対馬島の北端で河内湾に臨む地に鎮座する岩立神社(岩楯神社ともいう。対馬市上対馬町大字河内)がまずあげられる。素戔嗚尊が韓土よりお帰り(到来か?)の時に、この浦に船を寄せたと伝える。元来、本社は岩楯の地に在って神籠磐境だといい、社殿がなく森の中に磐石があって、これを神位とする。
同名社では、備前国和気郡にも、磐梨別君氏(垂仁天皇後裔と称するが、実際には息長氏の一支流の和気氏)の奉斎とみられる同名の石立神社(現・備前市麻宇那)があり、社殿の下に大磐石があって、岩石崇拝に創まるとされる(『神道大辞典』)。姫大神も祀られ、近隣の北側対岸には祇園神社・磐井神社、稲荷神社や荒神社もある。石立神社の南方の備前市域、日生には高良八幡もあって、その社叢もウバメガシが占める海岸林で知られる。対馬の那祖師神社(対馬市上対馬町豊。島大国魂神社も合祀)など数社も、五十猛神を祭祀する。
大和にも同名社が添上郡式内社であり、「天乃石立神社」と記載される。現社名を天石立神社(戸磐明神)といい、奈良市柳生谷、戸岩山の北麓(奈良市柳生町の岩戸谷)にあって、本殿をもたず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。四つの巨石の総体が天石立神社と呼ばれるが、なかでも中心の丸い巨岩(きんちゃく岩と呼ぶ)が日向神社で、これが天照大神を祀り、他の三つは門神(豊磐門戸命、櫛磐門戸命)と天岩戸別命に当てられる。地域的に考えると、同社は磐梨別君同族の山辺県主一族が祭礼に関与したものか。
北九州の五十猛神祭礼では、筑前国御笠郡の筑紫神社(福岡県筑紫野市原田)や同国早良郡の五十猛神社(同県福岡市西区金武)が著名である。前者では、筑前・筑後・肥前の交通要衝に、筑紫の国魂たる筑紫大明神として祀られる。その別名の白日別神は、太陽神にも「日向」になも通じる。早良郡の西職りの怡土・志摩両郡(現・糸島市域)にも、五十猛神を写る神社が多い。王丸の白木神社前原の酒神社、草場や西浦の白木神社などがそれであり、潤神社も含め、その旧名が「白木神社」とするものも多い。これらの白木神社の群や、密集する白木の地名は新羅に因むといい、朝鮮半島由来の遣跡や伝承に彩られる。
肥前では、基山を神体山とする荒穂神社(佐賀県三養基郡基山町宮浦)がある。筑紫神社の後背地にあたる基肄郡の基山山頂には五十猛神が祀られ、玉々石という巨石の磐座や五十猛神伝承による「日本植林発祥之地」という石碑がある。同名社は、基山の別宮として、遠賀川上流域の福岡県嘉麻市牛隈(旧・嘉穂郡)にもあるが、祭神がニニギの尊で、元宮が馬見神社という。
『筑後国風土記』逸文には、荒ぶる「麁猛神」が筑前と筑後の境界に居て、往来の人々の半数を殺すので、筑紫君等の祖・甕依姫を祝にして祀ったと見え、麓の荒穂神社で祀られる。この実体が五十猛神とみられる。この地に朝鮮式山城の基肄城が築かれ、瓊瓊杵命が基山で国見をしたとの社伝もある。アラは伽耶の安羅(慶尚南道の咸安あたり)にも通じるし、「基肄」は紀伊国造の紀直氏や武内宿祢後裔と称した紀臣氏の「キ」にも通じる。杵島郡の稲佐神社・妻山神社(ともに同県杵島郡白石町域)なども、五十猛神やその眷属神の祭祀で知られる。
日本列島に杉などの樹種をもたらしたことで、各地の���伊神社や杉山神社の祭神とされることも多い。とくに武蔵南部(旧都筑・橘樹両郡や横浜市港北区域)には、五十猛神を祭神とする杉山神社の分布が多い。これは、五十猛神を奉じた人々・部族がこの地域の開拓を進めたことに因るものであろう。
九州に戻って、五島列島、福江島の北部に位置する五島市(前・南松浦郡)岐宿町岐宿に巖立神社(岩立三所大権現)があり、社叢は椎の大木やナタオレの木などの原生林として長崎県文化財に指定される。対馬のイワタテ同名社に通じ、ここでは宗像三女神等を礼るが、本来は市杵島姫を祀るものか。長崎市香焼町の岩立神社では、境内に樹齢推定二百年という古木のエノキ(市指定天然記念物)がある。
岩立神社について言えば、このほか、出雲の東隣の伯耆西部にも同名社があり(祭神はいま大山祇命とされるが、疑問)、大山中腹の鳥取県西伯郡伯耆町岩立に鎮座する。ここでも、樹齢推定二百年、という樅・杉・銀杏の巨樹群が社を深く覆うことで有名で、裏山には「岩滝さん」と呼ばれる古くから信仰の対象とされた巨石があり、周辺に岩立古墳群もある。近隣の金持神社(同県日野郡日野町)や石見の物部神社別天神(島根県大田市川合町)などに祀られるのが、天之常立神である。この神は天地開闢の際に、別天津神五柱の最後に現れた神で、天(高天原)そのものの神格化ともされるから、具体的には五十猛神を指すのかもしれない。国常立神は、国土守護神ともされる。
これら五十猛神と眷属神を祀る神社や関連遺跡は、北九州では天山を含む背振山地の周囲に濃密に点在する。天山は、同山地の西部側、佐賀県のほぼ中央部に位置し、唐津・小城・佐賀・多久の各市に史る。その標高一〇四六㍍は、同山地東部の最高峰、脊振山(標高一〇五五㍍)に次ぐ。
この辺の事情を踏まえ、天孫族の様々な特徴を次ぎに見ていくことにしたい。
鳥トーテミズム
天皇家・天孫族には、鳥トーテミズムや、始祖の卵生伝承らしきものなど、鳥にまつわるものが多くある。古くは「天の鳥船」や「八咫烏の先導」の伝承があり、倭建命の霊魂が白鳥となって飛び去ったという白鳥伝承も代表的であって、その墓の候補のいくつかには「白鳥陵」という命名がある。
河内の古市古墳群にある津堂城山古墳は、前期末頃の巨大古墳で、倭建命の陵墓に擬される。すくなくとも、当時の大王一族関係者の陵墓とみられており、辺十七㍍の方墳状の特殊な施設には、巨大な水鳥形埴輪三体が配されている。この水鳥はおそらく白鳥ではなかろうか。烏型の埴輪は全国的に分布するが、応神天皇陵に比定される誉田山古墳や継体天皇供の可能性が大きい今城塚古墳でも見られ、これらに先行する。古墳の周濠から鳥形木製品が出土した例もあり、天上と地上を結ぶ聖なる動物という意味以上に、こうした鳥トーテミズムが大王一族にあったから祭祀に使われたものだとみられる(鳥形木製品や鳥装シャーマンは弥生時代から見られるが、穀霊信仰の現れとするのは疑問か)。中国の長江中・下流域にあった河姆渡文化期には鳥と太陽が象徴化されるとの指摘もある。
こうした鳥トーテミズムは、同族の息長氏から出た応神王統にあっても同様である。『記・紀』などに見える大雀・隼・��鳥・鷺などを名にもつ応神・仁徳近親の王族も、鳥トーテミズムの現れであろう。この系統の遠祖、少彦名神は鳥の神様ともいえ、天日鷺翔矢命の名ももつ鳥取部造の祖神でもあった。
応神天皇自体が、宇佐八幡の伝承に、金色の鷹が金色の鳩に変じし、さらに小児となって現れて「誉田天皇広幡八幡麻呂」と名乗ったと伝える(『八幡宇佐宮御託宣集』)きも。この金色の鷹は、菱形池のほとりにいた鍛治翁の化身とされる。応神の前身(若い頃)は、垂仁天皇の皇子・ホムチワケ(品遅別、誉津別)として記紀に登場する(「ワケ」の名からして、垂仁の皇子ではありえないが)。ホムチワケは成人してもものを言わなかったが、空をいく白鳥の声を聞いて初めて話をしたので、山辺の大鶙が命をうけ捕らえたとの伝承がある(記紀に多少差異があるが、捕獲者は少彦名神後裔の鳥取部造の祖)。「大鶙」は鷲鷹類の鳥を表す名(通称)であり、これに対応して『書紀』に見える名の「天湯河板挙」とは、実際には祖神の名であって、少彦名神の親・天若日子(天稚彦)の別名とみられる。
全国各地には白鳥神社が多くあり、日本武尊(倭建命)の伝説に因むとするものが多い。これらは、総じて天孫族諸氏の祭祀にかかるとみられる。福岡県にも白鳥の地名や同名社が多く鎮座する。順不同であげると、朝倉市白鳥・柳川市三橋町白鳥・京都郡みやこ町節丸字白鳥など白鳥の地名や、久留米市荒木町白口、田川市猪国、嘉穂郡嘉穂町馬見、八女市黒木町大淵、八女郡矢部村北矢部などに白鳥神社が鎮座する。大分県にも同名社が多い。久留米市白山町や神埼市神崎町城原にある「白角折神社」(前者の地ではシラトリ、後者ではオシトリと訓む)も関係社とみられ、後者には樹齢千年起という楠の巨木がある。
神武の大和侵入に際しては、八咫烏が道案内し、金色に輝く霊鵄(実体は八咫烏同神で、少彦名神後裔によるトーテム表示)が皇弓の筈(弓の弦をかける所)に止まって、抵抗する長髓彦軍の平定に助力したという伝承もあり、天孫の徵表が天羽羽矢であったとも記される(『書紀』)。天日鷲翔矢命(少彦名神の別名)の后裔には、長白羽神(天白羽鳥命)、天羽槌雄神や鴨族諸氏がいる。鍛冶神たる天目一箇命や少彦名神兄弟の父・天若日子(天津彦根命)は、自ら雉を射抜いた「反し矢」によって殺害されたが、その葬儀に際して、川鴈・雀など多くの鳥が役割を担ったと『書紀』に記される(割註では、本文より多くの鳥の名をあげる)。
これは、『春秋左氏伝』の昭公十七年条に見える山東省南部の夷系の国、郯子国の多くの鳥の名を付ける官名に通じるようであり、松本信広氏は、死者の魂を他界に連れていく鳥の観念と関連すると説く。朝鮮半島南部の弁辰(弁韓)でも、死者を天上に飛揚させるため、大鳥の羽根を用いて死者を送るという風習があった(『三国志』魏書弁辰伝)水上静夫氏も、中国の中原東方には郯子国など鳥トーテムをもつ諸氏族があり、殷族がこれらと一群の種族だとみる(『中国古代王朝消滅の謎』ー九九二年刊)。郯子国(郯国)は山東省郯城県(山東半島の基部の南方)の西南境に位置し、春秋時代に魯の属国であったが、東夷族の祖・帝少昊の後とされ、嬴姓の国とされるから、秦・趙や徐、黄、江、李などの国・君と同族である。山東にあった大国・斉は、もとは秦と同じく嬴姓の蒲姑(薄姑。殷代の侯爵国)の領域といい、少昊自体もその別名の「鷙」が手で鷹鷲をしつ執るという意味だとされる。
白川静氏も、金天少昊氏と山東の郯子とは同じ系列に属するとみる。殷は種族的には夷系に属するとし、殷の王朝的規模は、倭の五王期とあまり異なるものではなく、殷墟に残される十三基の地下王陵は、わが国の仁徳、応神の諸陵にほぼ匹敵し、殷が直接支配した地域も、西日本の全域程度のもので、絶対年代の異なることを除けば、両者の条件はきわめて似ている、と指摘する(『中国の神話』)
殷の始祖の舜には、もと太陽神であったらしい形跡があり、アマテラスの信仰と似ているといえよう、とも言う。
中国では、『春秋左氏伝』より更に古い『逸周書』の「王会編」に、鳥トーテムをもつ異族が見える。周王が成周(いまの洛陽)に壇を築いて万国を会集する状況を記述するなかに、森林が密集する山陵地帯の異族が多く奇鳥喘禽を献じており、鳥トーテミズムをもつ秦の出自がこの方面たあると白川静氏も指摘する(上掲書)。これら西方の庄爽は、黄河上流域山陵部の森林密集地帯(上古代の当時。内蒙古のオルドス地方か)のあたりに居たとみられる。
日本では、天若日子は、子の少彦名神を通じて、鳥取部造の遠祖でもあった。鳥の名をもつ人名(神名)も天孫族系統にかなり見られる。先にあげた天日鷲翔矢命の一族のほか、素戔嗚尊自体が須佐能烏命とも書かれる。出雲国造の遠祖・天夷鳥命(天鳥船命、武日照命)の実体が、鍛冶部族の祖・天目一箇命に通じると、別書(『越と出雲の夜明け』)で述べた。同国造の初祖の名は崇神朝の鵜濡渟命と伝える。国造家の遠祖・櫛八玉命(伊佐我命のことで、天夷鳥命の子)は、鵜となって水に潜り、水底で採取した埴土(赤土)で「天八十毘良迦」(多くの平たい土器)を作り、料理人となって大国主神に供膳したと伝えるが(『古事記』の国讓​りの段)、その伝承を思わせる名である(すなわち、「鵜が潜く沼」だから、一種の通称か)。
これと同祖の鍛冶部族・三上祝氏一族でも、鳥鳴海命(三上祝の祖)、速都鳥命(穴門国造の祖)、意富鷲意弥命(師長国造の祖)等の鳥の名の人々が見える。長門の穴門国造の系譜は、「国造本紀」には桜井田部連と同祖と見えるくらいだが、鍛冶神天目一箇命の後裔で天孫族たる近江の三上祝の一族であり、代々が式内の住吉坐荒御魂神社(現住吉神社。山口県下関市一の宮)に奉仕した。その由来は、託宣を行って韓地征討に功績のあった住吉三神の荒魂を、践立が神主となって当地の山田邑に祀つた、と『書紀』神功皇后摂政前紀に見える。同社(長門一の宮)及び近隣の忌宮神社(二の宮)では、特殊神事「スホウテー(数方庭)」があり、竹竿の頭に羽根を挿し鈴をつけた道具を用いる風習がある。
北九州でも、吉野ヶ里貴跡を始め弥生時代の出土品には、杆頭にとりつけられる木製の鳥製品が頻出する。このような竹竿は、朝鮮半島の「鳥杆」(鳥竿。杆頭に木製の鳥をつけて寺院の入口等に立てられ、「ソッテ」などとも呼ほれた)や「蘇塗」(大木に鈴鼓を懸けて鬼神を祭祀った)につながる。鳥杆に似たものが、佐賀県神埼郡千代田町の託田西分遺跡でも出ている。こうしたソッテの習俗は、ウラル・アルタイ族に普過的な信仰である北方的祭天儀礼と位置づけられ、シャーマニズム文化に帰属する(萩原秀三郎氏の「稲と鳥と太陽の道」)。
始祖の卵生神話
高句麗の祖・朱蒙(東明王)は、日の光に感精して生まれた卵から成長し、弓の名手であった鶏卵のような精気が天上から降りてきて女が妊娠し生まれたとも伝える。こうした所伝は早く、「好太王碑文」等にも見えており、始祖鄒牟(朱蒙のこと)は天帝(ないしその太子の)の子で卵を割って出生したとある。東夷の祖神・帝少昊の子(一に子孫)の揮は初めて弓矢を作り、張姓を賜ったと伝えるが、わが国の鳥取部・弓削部・矢作部を管掌した氏(鳥取連・弓削連・矢作連)は天孫族の出で、いずれも遠祖が少彦名神であった。
『魏書』やっ『隋書』等の高句麗伝では、高句麗の高官や使者は冠に「二本の鳥の羽」を挿すと記されており、これも鳥トーテミズムに関係しよう。「東明編」(高麗の李奎報の叙事詩。一一九四年成立)には夫余の祖・解慕漱(へ・モス)が頭に鳥羽冠をかぶり五竜車に乗り、百余人のお供はみな白鵲に乗って天降りしてきたと記される。この解慕漱が河伯の娘・柳花を娶るに際して、河伯との変身合戦で最後に鷹に変じて圧倒したので、ほんとうに天帝の子だと認めたという記事もある。高句麗には烏骨という城(遼寧省鳳城市に残る鳳凰山城で、高句麗最大の山城)、烏拙という大官(十二官位のうち第六)もあり、鬼神・社稷・霊星(農業神)を祀った。
古くは『逸周書』」王会篇に、周王朝第二代の成王が諸侯を招集したとき、高夷が見えており、これが高句麗族の源流だと、『隋書』を編纂した唐代の孔穎達が言い、鵠(白鳥類-のトーテムを祀るとする。「高夷」は遼寧省撫順市周辺に居たともいう。
新羅の国王初代で朴王家の祖・赫居世、金王家の祖・金閼智や昔王家の祖・脱解や、伽耶の金官王家の初祖・首露にあっても、卵生神話や誕生時に鳥にまつわる伝承(金閼智の場合は、その到来を白鶏が告知)がある。
わが国の天皇家には、鳥類にまつわる卵生伝承は端的な形では見られないが、これが天孫降臨の際の真床覆衾に関連するといわれる。この真床覆衾は、殷の王権・即位の儀礼に見られる「綴衣」という先王の用いた衾に通じると白川静氏がいう(『中国の神話』)。殷は東夷系で、玄鳥(燕)の卵を呑んで懐妊した女性の子・契(『荀子』に「契玄王」という表記あり)という者が始祖で、商の地に封じられたという卵生説話をもった。先祖の王亥は鳥形神の字形で表され、その神像は両手で鳥を操り、まさにその頭を食らう、と白川氏が『山海経』やト辞を踏まえて表現する。鳥トーテムの強い色彩があり、王は巫祝としてシャーマニズムが盛んであった。殷の子孫が周王朝の祭儀に客神として参加して降服の儀礼を再演し白鷺の舞を献じたことは同様に記される。
殷の伝承などから、この殷族を貊民族の一分派とかツングース族とみる見解(文崇一や、シロコゴロフの『北方ツングース族の社会構成』)がある。殷の起源は、祭祀・主食(オオムギ)などから考えて、西方からの侵入説(西方系の遊牧民族の一派とみるもの)を水上静夫氏が唱えており、これもおそらく妥当であろう。この場合、西戎は東夷に通じる模様である。
鳥のトーテムとシャーマニズムの関係でいうと、もとの筑前国怡土郡にあたる糸島市有田の上鑵子遺跡では、鳥の羽飾りをつけた鳥装の司祭の絵を刻んだ木板が出ている。これは弥生中期頃からの遺跡とされる(奈良時代の製鉄跡もある)。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大曲の瀬ノ尾遺跡(旧東脊振村域で、吉野ヶ里遺跡の東側の丘陵に位置)からも、羽飾りをつけた烏人とみられる絵を刻んだ弥生期の土器が出土した。吉野ヶ里遺跡の西方近隣、神埼市神埼町竹にある川寄吉原遺跡からも、頭に羽をつけた人物を刻んだ鐸形土製品や銅鏃が出た。韓国のシャーマン(巫師・祈祷師。「シャマン」とも表現される)は、今日でも雉の羽がついた帽子をかぶる。吉備でも、弥生中期頃の新庄尾上遺跡(岡山市北区御津新庄)から出た絵画土器には、鳥に扮した人(嘴とトサカ状の装飾がついた人)が描かれる。烏スタイの9シャーマンには山口博氏も注目するが(『大麻と古代日本の神々』、}、わが国の祭祀担当の忌部氏一族(中央及び阿波・安房に分布)は天日鷲命の後裔であった。
中国・吉林省南東部の集安市は高句麗の旧都だけあって、同市人民政府の庁舎前には高句麗の象徴である「三足鳥」(太陽に住むとされ、足が三本あるカラス。林巳奈夫氏は、実は龍山文化から伝統のある大型猛禽のイヌワシだという)の銅像が立つという。その案内板には「太陽鳥(三足鳥)は中国古代の伝説に登場する。高句麗の壁画の三足鳥は高句麗民族と中原民族が同じ太陽鳥を崇拝したことを示す」と書かれていた。現実に高句麗の古墳壁画に太陽の中に描かれた三足鳥が見られる。これは、わが国鴨族の祖・八咫烏にも通じ、三足鳥で描かれる。
イヌワシ(金雕)を現在でもトーテムとすることで知られるのが、中国・新疆ウイグル自治区に西隣する中央アジア・カザフスタンのカザフ族で、古代鳥孫の末后裔という(二〇一五年一月二九日のNHK第一テレビで、イヌワシを扱う少女鷹匠の話が「世界最古のイーグルハンターモンゴル・カザフ族」として放映された)。ウイグル族・タジク族や清朝(満州人)、エヴェンキ族・ホジェン族などのツングース種族も鷹をトーテムとした。鷹が天神テングリの使者であり、女人との間に生んだ男子が最初のシャーマンだと伝える(以上はネットの「百度百科」)。イヌワシをトーテムとする信仰が上古の華北文化に存在したとの指摘もある。四川省広漢市の三星堆遺跡(約三千年前の殷代晩期のものか)から発掘された青銅神樹(扶桑樹、太陽樹)の枝には九羽のイヌワシが止まっており、この鳥が太陽を表すとみられている。
太陽神の祭
鳥トーテミズムは、世界各地で太陽神信仰や鍛冶屋伝承に結びつくことが多い。中国の射日神話では、弓の達人・羿(ゲイ。后羿ともいう)が帝堯の命を受け、人々を苦しめる十個の太陽のうち、一つだけ残し九個の太陽を射落としたが、この射落された太陽の実体が三本足のカラス(火鳥)だつたという。鳥が霊魂を運ぶ太陽の使者だとする中国の神樹思想にも通じる。殷の王族は太陽の末裔だと当時考えられていた。十個の太陽(十日)は、帝俊(帝舜)と妻・義和との子とされる(『山海経』大荒南経)。なお、帝俊の妻・常羲(嫦娥)は天照大神に通じるともみられ、また、后の妻ともいわれ、これが月神ともされる。
わが国の天孫族もこの例に漏れず、鍛冶部族で鳥トーテミズム、太陽神祭祀をもった。皇祖神の天照大神が天岩戸に神隠れしたことで、高天原を含め世界が真っ暗になったという天岩戸神話が有名である。もっとも、こうした「日隠れ神話」は世界中にあり、上記の射日神話にも通じるから、わが国天孫族に限った話ではないが、天皇家が祭祀などで太陽神信仰セをもったことは疑いない。太陽神を祀る朝鮮半島・日本の巫覡に女性の数が多かったこともあり、これが推古・皇極・持統などの女帝出現とあいまって(推古女帝の出現が直接の契機か)、日本では太陽神が後に女性神に転化したが、原型は男性神であった。三浦茂久氏も、天照大神は本来、月神であったとみており、高天原神話に見える天照大神の機織りは月神の特徴だとされる(『古代日本の月信仰と再生思想』二〇〇八年刊)。
天照御魂神こと天照大神に代表される太陽神を、天皇家は伊勢皇太宮などで奉斎し、これに奉仕する日置部も天孫族の流れから多く出た。日置・日置部を名乗る氏には諸流あるが、応神天皇皇子の大山守王の後(『姓氏録』右京皇別)、忌部首の一族(同・未定雑姓和泉の日置部)や土師連の一族(出雲国造袋)などが知られる。
渡来系にも日置があって、高句麗に出自の日置造(左京・右京・大和・摂津の諸蕃)、日置倉人(大和諸蕃)の諸氏が「『姓氏録』に見える。こちら諸氏は高句麗の権臣・淵蓋蘇文(泉蓋蘇文、蓋金、伊梨柯須弥)の族裔であり、高句麗王家と同族の蓋(盖)氏の流れであった(遙かな遠祖は、天孫族と同じか)。この一族は、京都に居住して八坂造氏となり、祇園で牛頭天王ことスサノラヲ神を祭礼した。日本での先祖で、『書紀』斉明二年条に見える高麗の副使の伊利之とは、権臣の泉蓋蘇文の従弟の蓋須のことであった。その子孫には、日置造と八坂造との二大系統があって、後世に永くつながった。八坂造は後に紀朝臣氏と通婚し、紀姓を称した。泉蓋蘇文は高句麗五部のうちの順奴部の出で、父は東部大人、大対慮の宮職にあり、父の職務を承け高句麗軍事の大権を握り、主君栄留王と多数の支持者を殺害し、宝蔵王を擁立して大莫離支(宰相)にもなって、唐と対抗した。
天孫族の一派、鴨族の祖・鴨健角身命(天日鷲命ともいい、実体は少彦名神)は異名が「八咫烏」ともいわれる。その子孫が、神武の大和侵攻を先導した伝承のある八咫烏(先祖と同じ通称)であり、光り輝いて敵の戦意を消失させた金鵄にも化身した「(「金鵄=八咫烏」の平田篤胤等に同意。この「烏」の実態がイヌワシなら、後頭部の羽衣は光沢のある黄色で、英名〔Golden Eagle〕の由来でもある。林巳奈夫氏の著『中国古代の神がみ』では、青銅神樹に止まる「太陽の鳥」は、体つきから見ても、龍山文化から伝統のあるイヌワシだとする)。この八咫烏が、忌部首や日置部の遠祖でもあった。律令時代において、主殿寮に仕える名負五氏のなかに日置・鴨県主があり、日置氏と鴨県主が火を受け持つ類縁の間柄にあった。葛野郡の名神大社、木嶋坐天照御魂神社も鴨氏族の奉斎にかかる。
各地に多く針座する天照御魂神社は、祭神が物部氏祖神(饒速日命)とか天火明命だと受けとられることが多いが、基本的には皆、男神の天照大神のことである(穗積氏の伝えた系図には、天忍穗耳命の父として「天照御魂太神」と記される)。対馬の天道(天童)信仰も特徴的で(日ノ神、殻霊、祖霊の信仰という)、当地には扶余と同様な太陽感精神話も伝えられる。天孫族は渡来の経路として一族や祭祀・習俗を対馬に遺した。「国造本紀」には、津嶋縣直をあげ、始祖の建弥己己命は高魂尊の五世孫で、橿原朝(神武天皇)の頃に置かれたと記される。この官の設置の時期はに早すぎるが、系譜は出雲国造の同族の出であった。
太陽神信仰と鳥トーテミズム・卵生神話が合わされば、霊山信仰・霊鳥伝承や「天帝」の子孫の降臨・天降りやゃ国見の伝承にもつながる。広く伽耶まで含む東北アジア地方諸国の王家や天皇家について、祖先が高山(ないし、その山頂の高い樹)に降臨したという伝承が多い。それ故に、これら各々の国の聖山(新羅の吐含山、百済の北漢山〔高木山〕、金官伽耶の亀旨峰〔金海の亀山洞〕、大伽耶の伽耶山や、日本のクシフル岳(糸島市の高祖山のことで、原田大六などが言う。南九州の日向国ではない〕)として祭礼対象とされる例が多い。匈奴や鮮卑(遼西の朝陽付近の弾汗山)・烏丸、扶余などでも各々が聖山をもち、山上祭天の儀式をした。『三国遺事』には、天帝桓因の子、桓雄は父から三つの天符印(「鏡・剣・鈴」という)を授かり、大勢を率いて太伯山(今の妙香山〔平壌の東北方〕とされる)の頂上の神檀樹の下に天降っており、その教示に基づき人間になることに成功した「熊女」(熊トーテム族の女性と解する李丙燾氏に同意)との間に檀君を生んだ、という神話が見える。新羅の脱解王は、高麗時代にも「東岳神」と言う山神として祀られた。東嶽(東岳)とは、慶州市街地の東方の吐含山のことであり、新羅五嶽のうちに数える同市の最高峰で、日本海を展望できる護国の鎮山として神聖視され、天に祭祀を上げた聖山として知られる。脱解については、日本列島の出身で海路到来と伝えられ、天孫族や天日矛と同族の出とみられる(後述)。
ここまで、天孫族の祖系や祭祀・習俗などを見てきたが、天皇氏族の特徴的なもののうち、主に考古遺物・遺構などに絡まる関係は次の章で見ることにしたい。
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enrichmyheart · 6 months
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黒欲向けの内容が含まれるため、精神的にはかなりダメージを食らう要素が含まれております。先にお詫び申し上げます。もしも読む場合、なるべく瞑想力を身につけて、この内容が些末なことであると認識して頂けたら幸いです。
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日本人がネオ地球人である理由を、歴史から紐解いてみたいと思います。
鍵はやはり地理的なものとみてみました。今回も半分妄想話として、一笑に付して頂いて構いません。
日本は世界が広いと知る前に、天下泰平を経験したことがあります。天下泰平の世では、何が起こるのでしょうか。
同じこと=天下泰平を大陸で実行しようとしても無理がありますが、土地の狭さがかえって、大陸よりも「理性の発達」を可能としました。
島国日本では、地域住民から排斥されてしまうとほぼ、一族郎党断絶の危機にさらされてしまいます。ですから地域に馴染む、という能力を身につけなければなりませんでした。それは悪く言えば二面性、という側面もあったかもしれません。
作り笑いの効用について、殆どのひとは一度は耳にしているかもしれません。心が笑っていなかったとしても、作り笑いを習慣として体得してゆくと、やがて精神的な効果が表れます(精神的なハッピー)。
精神的なハッピーを与え合う習慣がついてくると、所属の欲求を満たすスパイラルが作動します。
一方で、裏切り者は執拗に恨まれ、狙われるリスクを負いますが、土地が狭い場合は捕まるリスクが高まります。
つまり、裏切りや騙し、窃盗などは、大陸とは比べ物にならないほどにハイリスク・ハイリターンの戦略となります。対してハッピースパイラルは、「困ったときはお互いさま」といった相互扶助精神を育みます。
憎しみの連鎖によって末代まで祟られることが社会的に認知されてくると、それは合理的選択とは言えなくなります。もちろんそれが無くなるわけではありませんが、道徳の考え方と、相性はとてもよかった=ある種の説得力があった、といえます。道徳が先か、合理的考えが先だったかは結果としてどうでもよく、道徳=合理的であった、ということになります。
これはまた、落ち武者たちの村があちこちの山奥に残ることからも、納得できるお話です。彼らは子孫を残すことを優先し、外界との交流を断絶しました。これにより、ほぼ同姓で埋め尽くされるような、特殊な村社会ができました。近代化によって村が消滅してしまうこととは、もちろん無関係のお話です。
この、周囲に合わせるために“努力”しなければならない土壌が、やがて忍耐強さを生み出しました(村八分にされてしまうと行き場を失う)。さらには道徳との親和によって「武士道」「義理人情」といった目に見えない、多数決による共通認識が生まれます。
これの良いところは、コツコツとしたクレジットを生産することが出来るようになることです。つまり資本主義社会を受け入れる前から、自然発生的にこの効用を理解していたことになります。
このように理性と感情のふたつを発達させる、特殊な環境が存在しました。
日本の歴史が面白いのは、原始人の取ったとられたの単純二元論とは違った、別の味わいがありますが、これも理性と感情の発達によるところ、と言えるかもしれません。理性の発達した社会では多様な文化を育み、交流が活発になります。
もうひとつに時間概念があります。この時間概念は瞑想に絡めていくらかお話しましたが、時間の感じ方は、意識と無意識によって大きく差があります。理性的である=意識的である=時間が長大になる、というお話でした。
脳内の100%を意識に取られてしまうと恐らく、まともに生きてゆけないと思いますが(無意識という休息が必要)、時間が無いと言っている人にとっては、瞑想は時間を増やすというメリットがあります。
このことを絡めると、理性の発達により、きめ細かさを生んだ理由が見えてきそうです。理性の発達により大陸と異なる時間概念を持っている場合、集中力が高まることや、「面倒くさい」が少なくなることから、説明ができます。
大陸は、悠長に瞑想~などと言っているとあっという間に命を取られてしまいますから、理性=長期的視野よりも感情=短期的視野を優先しました。
日本人に借金を嫌う人が多く、別の意味でハッピー(パーリーピーポー)な国の人たちが借金をしながら面白おかしく過ごす理由もわかる気がします。また、いつ喰われるか分からない殺伐とした社会から目を背けて一時的な快楽を楽しむために、精神を逃がす方法としてドラッグやアルコールが多用されます。
日本人が、阿片が危険であることをすぐに察知したのは、その土壌からくる特殊能力(違和感を感じとる嗅覚、直感)からだと思います。
日本でも、底辺層のアル中は短命でした。アル中=不健康=短命の図式を、直面する課題として認識していた、と見ることもできます。この価値観は、パーリーピーポーの国では無関係(いつ何があるか分からないのだから、今を楽しもう)となります。
日本が長寿国となった理由も同じで、これも鶏、卵どちらが先でも良いのですが、健康的な生活習慣が長寿と長期的視野を可能にします。リスクと隣り合わせの日々を送る大陸側は、短期的視野が得意(?)で、考え方が全般的に短期的な視点として発達します。
一方で、第二次世界大戦の敗戦という近代史からも見てみたいと思います。
平身低頭、潔く負けを認めるこの効果によって、武器を捨てて屈辱を味わいながらも国家を立て直しますが、古くから受け継がれたこれらの能力によって、いよいよ意識のベクトルが良い方向へと動き出しました。
理性は合理性を司ります。持っていても仕方のないプライドよりも、実利=子孫の存続を選ぶために、武器を捨てて資本主義を受け入れました。
この歴史を踏まえて大陸を見渡すと、なぜ世界で真逆のことが起きているのかが「見える」かもしれません。
私は、日本人は「取って喰われる世界標準」へ切り替えるべきだ、と仕向けてしまいましたが、もしやそれも誤りかもしれない、と今回考え直しました。
現在の西暦は2023年ですが、原始人が原始人のまま(丸裸のまま)可視化社会に晒されていることに気づいた場合、彼らの精神状態はどうなるのでしょうか。錯乱状態で暴れるでしょうか、それとも泣き崩れるでしょうか。
恨みの連鎖が自らと一族郎党の存続を脅かすことが理性によって明らかとなりましたが、この事実に気づいた時点ですでに遅いかもしれません。もしかしたら戦々恐々の心理状態で、夜もまともに眠れないような生活に陥るかもしれません。鋼の心臓も実は表面のメッキであり、蚤の心臓を守るためにつけた不釣り合いな鎧であることもあり、いったん真理と認識のズレに気づいてしまうと、かなりのダメージを食らいます。ですからズレに気づかないように必死になります(俺が善、善の俺に対抗する輩は全員悪魔)。
疑心暗鬼の状態が24時間、365日と継続されてゆけば、自我崩壊が先か。それとも誰かに首を落とされるのが先か。その前には次々と、周囲から人が消えてゆく不思議な現象が起きます。自分の首を絞める負の連鎖の、始まりです。
そういえば過去には、前頭葉の未発達が原因で、海に大量の油をぶちまけた原始人もいました。子供の目にも焼き付くような、インパクトのある最期を遂げられましたが、ああは成りたくないものです。
ともかく“大陸”は、物理的に泰平の世をつくるのが大変に難しいと言わざるを得ません。
原始人が国家元首の場合、当たり前ですが国民は原始人以上にはなれません。これはNation単位の教科書の弊害でお伝えしましたが、原始人が作った教科書を読んで育ってしまうと、原始人の世界観が刷り込まれてしまうからです。ただ、この知識のズレはプライドの殻よりは砕きやすいかもしれません。自分が騙されていたことに気づけば、悪いのは自分ではなく相手(黒欲)だった、ということに気づきます。その怒り(恨み)も、いかばかりでしょうか。奪った時間の大きさと人数に比例するものと思われます。
原始人同士の衝突の場合、双方に「自己責任です」と言って、諦めるしかないでしょうか。原始人に支配された世界に生まれたばかりに、見ていられない惨劇が繰り返されております。歴史だ宗教だと理由付けしたところで、エゴとエゴのぶつかり合いは今を生きる彼らが行っていることがすべてで、それ以上でもそれ以下でもない。彼らは読み書きすら教わっていないかもしれません。
瞑想は、理性の発達への近道です。
上から下までWin-Winの関係を築く、もっとも合理的な方法はこのことからもわかります。
オスの戦闘本能はもっとも原始的な欲望であり、戦闘に勝ってより多くのDNAをばら撒くのが最適解でした。
卵をひとつの籠に盛るな、という金言はここでも生かされていました。この場合、短期的には正しいかも知れませんが、長期的には正しい戦略ではないことになります。血縁関係という問題からみても、あまりに強い排他性は賢い戦略とは言えません。恨みを買って民族ごと滅ぼされた場合、幻の民という物語に昇華されるのかもしれません。
※なお、現代の世界中を見渡してみれば、日本人だけ特別だというわけではないことは分かります。国内のボリュームゾーンとしての考え方です。
【抑止力】
※ここからさらに厳しくなります。グロテスクな表現で体調の悪くなる人は、ご注意ください。
ここ最近、黒族の言動を観察していると、認知の歪みのひどさが浮き彫りになってきている、と感じました。
「記憶にございません」
この風刺フレーズは一周して普遍の言葉として認知されていると思いますが、まさに本質を表していると思いました。
根っこを見れば、そこには自分をエベレストの山頂に乗せて話すデフォルトのスタンスがあることが、分かります。
しかしそれにしてもなあ、と考えたときに、これはもしや立派な疾患ではないのか、という仮説に至りました。
言葉のキャッチボールが出来ない理由は、自分が相手を理解しようとする労力をかけたことがない人の特有のスタンスです。一方で、自分の言葉は他人に拾ってもらって当たり前、というスタンスです。質問をすれば「そんなこともわからないのか」という不遜な態度で臨み、かといって相手の言っていることが理解できない場合は「エベレストの山麓の人の言っていることは、よく分からんなあ」と一刀両断します。
エベレストの山頂の人は森羅万象を心得ているので、山麓の人間の話すことなぞは傾���に値しない、というスタンスです。この疾患を抱えた人とは、永遠に双方向通信ができないということになります。
普通、計画・立案・策定した場合、PDCAサイクルは基本中の基本ですが、なにせエベレスト山頂の人は“完璧”なものですから、『P⇒D(∞)』の繰り返しをする能力しかありません。これはパパやママから玩具を買ってもらって、遊んで壊したらまたパパやママから買ってもらう、という能力のヒトと同じ理屈です。年齢を重ねているぶんだけ、余計にたちが悪いかもしれません。
ある役割を担う場合、普通はそれに応じた責任を負わなくてはなりませんが、この双方向通信ができないエベレスト山頂の人は、責任を負う能力もない、ということになります。
このことを仮称して、『認知の歪み症候群』とします。
この問題から、本題へ移ります。
日本では、戦争犯罪人を略して、戦犯と呼びます。
ここでは、戦争の発起人を仮称して『戦犯A』と呼ぶことにします。
戦犯がいなくならない理由は、個人的にはその罪の重さに反して刑罰が軽すぎる、ということではないかと考えます。
『戦犯A』が『認知の歪み症候群』をり患している場合、捉えられて有罪判決を受けても、抗議をすることになると思います。
この認知の乖離が埋まらない限りは、永遠にいたちごっこの繰り返しです。
そこで個人的に、西暦2024年を迎えるにあたり、新しい刑罰をご提案したいと考えました。
これまでは潔い処刑により、歴史があっという間に消費されて記憶の隅に追いやられる、といったことを繰り返しておりました。これでは世の中は良くなりません。
『戦犯A』には、自分のしたことを臨場感をもって、理解してもらおう。
ということで、このスローガンに合わせた刑罰をご紹介します。
まず『戦犯A』本人は絶対に、処刑してはなりません。これから自分が他人にしてきた苦しみをよく理解してもらわねばなりませんから、〇して終わり、などという生ぬるいことでは『認知の歪み症候群』の者に罪を理解してもらうことができません。
『戦犯A』には、余興を楽しんでいただくステージをご用意します。
ステージの上には、順番に登場人物を一人ずつ出してゆきます。これも一瞬で終わらせてしまっては、理解させることができませんから、ゆっくりと時間をかけて行います。
まずは戦犯Aの父・母。次に配偶者や愛人。そしてその子供や孫。(当然、存命中の該当する主要人物)
途中で「頼むから俺を〇してくれ」などと泣き叫ぶかもしれまんせんが、そう言っている間はまだ正気を保っています。
最後の方までいっていよいよ精神が崩壊したら、野ざらしでも良いですし、騒音が五月蠅ければ山に捨ててもよいでしょう。
ここで重���なことは、〇さずに生かすことです。
戦犯に罪の重さを理解してもらう手っ取り早い方法として、無関係の人を辛くさせてしまうことを厭わず発信してしまいました。お詫びいたします。
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脱線しますが、『認知の歪み症候群』り患者について深堀りします。
『認知の歪み症候群』はメタ認知能力の欠如によるものですが、これを遡ると教育問題に行き当たります。
平面教育と立体教育、平面教育の弊害のところで申し上げましたが、始めにここで勘違いした学生という萌芽ができます。
次に平面教育により肥大した自尊心が、弱者マウントの萌芽を生み出します。
この過程を通して『認知の歪み症候群』は発症することになりますが、問題は私たち国民がこの疾病を隠して立候補する人物を、見抜かなければならないことです。
元をたどればこの時点で責任担当能力がないのですが、一度ステージに上がってしまえば、無責任でも許される土壌がしっかりと出来てしまっているため、そのまま改善されることのないままどんどん自尊心だけ肥大化していってしまいます。そうしてああいった人たちが蔓延る現場は、出来上がっています。
教育制度を変えることで、勘違いやさんを減らすことができます。
【当たり前のこと】
戦争は、犯罪です。
戦争という犯罪は、戦争の発起人が主犯として行います。
「戦争を開始する」と言うことは、「これから犯罪を犯します」と言うことと同じです。
戦争は犯罪という世界共通の認識があるのであれば、犯罪人は即刻、逮捕し裁判にかけて、罪状に応じた処分を下さなければなりません。
戦争の勝ち負けによって、勝者側の戦争の発起人の罪を問わないのであれば、それは世界が戦争を許容する、というメッセージに他なりません。
これは戦争を吹っかけて、勝てば正義になれるという、誤ったメッセージです。
いかなる理由があろうとも、戦争を発起することは犯罪行為になるという、当たり前の共通認識がなければ、同じことをまた繰り返すことになります。
この『世界共通の認識』をもう一度、再確認し、犯罪者の特定と逮捕権を行使することが大切です。
すべての平和を愛する国家の皆さんは「正義」が大好きでしょうから、このWin-Winの共通認識に対して「No」を言う国はないと思います。
仮に、この「当然の事実」にNoを言う国があるとすれば、それは戦争肯定派の国家であり、したがって犯罪当事者もしくは犯罪予備軍の国家となります。
『Yes or No?』
とてもシンプルかつ分かりやすい二択です。
このことに「No」という人は、恐らくいないと思います。世界は善意で出来ています。
犯罪者を見つけたら、警察に届けて逮捕してもらいましょう。
犯罪者の処遇を今後どうするか、というのは国民の民度が問われることにもなります。
犯罪者以外の私たちは、お互いに切磋琢磨して経済価値を高めてゆきましょう。
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shimadasyouzi · 8 months
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投資の賢者:島田 秀次の投資戦略と知恵
島田 秀次 SHIMADA SYOUZI (しまだ しゅうじ)。(シマダ シュウジ) 1973年生まれ、ケンブリッジ大学経済学部卒業。
卒業後、アメリカのフィデリティ・インベストメンツ株式会社で勤務し、フィデリティ定年・投資教育研究所の副所長を務めた経歴を持つ。さまざまなアンケート調査と統計データを活用し、運用だけでなく、定年後の金銭面での取り組みや、移住など様々な側面から退職後の資産運用について分析し、啓発活動を行っている。その後、CMA、証券エコノミスト協会、行動経済学協会などの会員も務めた。 海外では、アメリカやイギリスだけでなく、アジアの金融市場などでの業務展開も行っている。
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2004年みずほ銀行入行。 日本の金融業界で約20年の経験を有し、主に日本国債、債券、株式市場において、営業からトレーディングまで様々な市場関連業務に携わる。
 2006年より国内外の金融機関、格付機関にて金融調査に従事。Institutional Investor誌のGlobal Analyst Rankingsで銀行業界のトップアナリストにランクイン。政府デジタルに関する中間行政調査会委員、金融システム委員会委員、規制改革推進委員会委員長、中小企業庁金融サービス小委員会委員、ロンドン証券取引所金融庁アドバイザーグループ(LSEG)メンバーなどを歴任。
2015年、松本先生の招きでputnamにアジア太平洋ファンドグループのシニアフェローとして入社。
人生の信条:人生のより高い目的を追求する。 人間は常に人生のより高い目的を追求している。どんなに時代が変わっても、人間の本質は変わらない。人間の心は善良であり、人は常に進歩を追い求め、常に永続的で価値あるものを後世に残したいと願う。 人生経験:
米国在住・在職中、投資教育や退職金の適切な運用について幅広い経験を積む。フィデリティ・インベストメンツ在職中は、年金基金、機関投資家、超富裕層個人を対象に、ベンチャー・キャピタル・ファンドやヘッジファンドのマーケティング、商品開発、コンサルティング・サービスも提供した。
フィデリティ投信USA退社後、みずほ銀行入行。首都圏、地方支店、人事、業務推進本部を歴任。2年間3支店の支店長を務め、1,000社以上のコンサルティングを行う。
銀行を退職後、コンサルタントとして独立。銀行時代に培った財務知識を生かした指導は、全国の中小企業経営者から高く評価されている。
在職中、さまざまな金融機関と親交を深め、幅広い人脈と業界リソースを蓄積し、資本市場と経済市場の運営にも精通している。
また、あらゆる金融投資市場に精通し、投資市場に対する鋭い感覚と資産運用の豊富な経験を持っている。
投資テクニカルでは、ギャン理論、ボル指標、SMAチャートパターン分析などのテクニカル分析において高い実績と研究を持っています。市場動向調査は非常に専門的。
2006年 国内外金融機関および格付機関にて財務リサーチ。Institutional Investor誌のGlobal Analyst Rankingsで銀行業界のトップアナリストにランクイン。行政デジタル化に関する中間行政調査会委員、金融制度調査会委員、規制改革推進委員会委員長、中小企業庁金融小委員会委員、ロンドン金融サービス機構アドバイザー証券取引所グループ(LSEG)メンバーを歴任。
  2015年、松本さんの招聘により、アジア太平洋ファンドグループのシニアフェローとしてパトナムに入社。
理念:
正しい投資教育の普及
勝てる投資家を育てる
品格ある投資家の育成
当チームは、エクイティ、債券、オルタナティ ブ戦略の幅広い投資サービスを提供している。   エクイティでは、米国株式市場、国際株式市場、およびグローバル株式市場において、セクター別ファンドを含む様々なファンドを通じ、より幅広い投資対象を提供しています。投資目標を達成するには様々な方法があるとの信念のもと、グロース、バリュー、ハイブリッド、また大口、中口、小口といった様々な戦略を提供し、投資家のニーズに応えています。経験豊富なポートフォリオ・マネジャーと社内のグローバル・エクイティ・リサーチ組織との提携により、新たな機会を模索し、リスクを管理。フィクスト・インカムは、リスクを総合的に検討し、より幅広い投資の可能性を持つ債券ファンドを形成。どのリスクがいつ取るに値するかを積極的に判断します。ベンチマーク・インデックス外の分野を含む、幅広いセクターに対するファンダメンタルズ的な洞察 GAAは、あらゆる市場環境において様々な投資対象を保有するポートフォリオを運用しているため、幅広い機会から利益を得ることができます。ポートフォリオ内のオポチュニティは積極的に探索され、一貫したリスク・プロファイルを維持するために定期的にリバランスされる。アセット・アロケーションのスペシャリストで構成されるチームで、業界最長の勤続年数を誇る。新しい金融サービスの金融商品や金融市場の動向を顧客に紹介し、良好な信頼関係を維持する。
近年、日本の農業、工業、少子化の問題はますます深刻になっている。物価は上昇し、人件費は高騰し、他国からの安価な商品の輸入は日本人の勤勉さを弱めた。失業率は上昇し、肉体労働者の数は減少した。国内外の多くの社会問題を解決するためには、新しいテクノロジーと革新的な思考が不可欠である。そのため、プット���ムは投資活動を通じて、社会問題を解決できる新しい企業や新しい投資家を積極的に育成しています。
日本では、若い頃は働くこと、貯蓄することに執着していたため、貯蓄することが投資することよりも重要であるという考え方が広く浸透しており、その結果、投資することが貯蓄することよりも重要であるという考え方が徐々に放棄されてきている。定年退職後、仕事に従事できなくなった老人の頭の中には、再び投資という考えが湧き上がってくる。しかし、長い間、豊富な投資経験もないまま投資をしてきたため、やみくもに投資市場に参入し、多くの投資家が市場に騙されてしまった。一生かけて苦労して稼いだ資金が、最終的に市場に騙されてしまうのは、非常につらいことである。
貯蓄から投資に至る政策発表に伴い、松本さんと私は皆さんの投資理念を変えるためには投資を学ぶことが重要だということで意見が一致しました。
目標は正しい投資教育を広げ、優れた投資家を育てることです。   品格のある投資家を育てることです。   困難な状況にも負けない、突破力のある投資チームを構築することです。 投資を通じて、より多くの人々が快適なリタイアメントライフを守るのをサポートすることです。
putnam社の知名度を高め、日本市場の更なる拡大を図る。
今後、日本におけるputnamの投資商品のシェアを高めるために。
松本さんは、本社に投資教育研修の実施を提案した。
私はその講師を務めさせていただくことになりました。
私の能力を活かして、正しい投資の勉強を始める手助けをしたいと思います。
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