『エンジェル』38年ぶりに劇場公開決定
昼間は高校の優等生、夜はハリウッドに繰り出す娼婦。
少女はいつも、危険なハートに満ちている。
1984年サンフランシスコ国際レズビアン&ゲイ映画祭・最優秀作品観客賞を受賞した『エンジェル』が、『カリコレ🄬2022』での上映に続いて9月9日(金)より新宿シネマカリテにて38年ぶりに劇場公開決定! そして、日本版キービジュアルも解禁された。
1984年に日本でも劇場公開され話題となったロバート・ヴィンセント・オニール監督『エンジェル』が38年ぶりに劇場公開決定した。『カリコレ🄬2022』の「サタデー★夜コーマン」枠のひとつとして特別上映の後、9月9日(金)より新宿シネマカリテにて公開される。
一般社会からはみだしてしまった人々の生き様を熱い視線で描く衝撃的作品
昼間は全科目Aの成績優秀な女子高生、夜は街角に立つ娼婦という二つの顔を持つ少女エンジェル。ある日、娼婦を狙った変質者による連続殺人事件が発生、エンジェルの親しい仲間もその餌食となった。一瞬犯人の姿を目撃したエンジェルは警察に協力するが、連続殺人鬼の魔の手がエンジェルに迫る…。
単に興味本位での設定ではなく、必死に、素直に生きようとする少女を通して、友達への愛、大人たちの世界、夜の友人たちとの暖かな交流など、一般社会からはみだしてしまった人々の生き様を熱い視線で描く衝撃的作品である。
本作と同様に、夜の街を舞台に連続殺人鬼と刑事の攻防戦を描いた『ザ・モンスター』の脚本を担当したロバート・ヴィンセント・オニール監督作。リチャード・ラッシュ監督の『嵐の青春』(67)や『七人の無法者』(68)、さらには『イージー★ライダー』(69)の小道具担当として映画キャリアをスタートさせたオニール監督は、『THE PSYCHO LOVER』(70)や『WONDER WOMAN』(73)などのB級ドライヴ・イン・シアター向け映画を経て、80年代にロサンゼルスの街を舞台としたサスペンス・スリラーでその才能を開花させた。
『ザ・モンスター』の脚本執筆中にアイデアを思い付いたという『エンジェル』では、長期間ハリウッド・ブルバードに出向き脚本を練り、脚本に沿ってロケハンを行うのではなく、ロケーションの場所ありきで脚本を書きあげている。
監督曰く、ハリウッド・ブルバード自体が作品の主役であるという。主演のドナ・ウィルクスは23才で15才の役を熱演、実際の娼婦に取材をするなど入念な役作りでスタッフを驚かせるとともに安心させた。
撮影は『野獣捜査線』(85)『刑事ニコ/法の死角』(88)『ハリソン・フォード 逃亡者』(93)『コラテラル・ダメージ』(01)などの監督作を誇るアンドリュー・デイヴィス。光を自由自在に操るその技術で監督の求める鮮烈な夜のロサンゼルスをフィルムに刻んだ。
約300万ドルの製作費に対し、初公開時全米で1,700万ドルを超える興行収入を記録、ロジャー・コーマンが設立した会社NEW WORLD PICTURESが配給を手掛け、その年の同社最大のヒット作となった。
コーマンが同社を売却後の第一弾作品であり、同社のポスト・コーマン時代を支えることとなった重要作であり、そのあまりのヒットぶりにすぐさま続編『ストリート・エンジェル/復讐の街角』(85)が企画された。しかし、ドナ・ウィルクスの事務所が高額のギャラを要求、プロデューサーのサンディ・ハワードが激怒しキャストを変更せざるを得なくなった。その後の第三弾『エンジェル3』(88)含めて2本の続編が作られたがいずれも内容、興行ともに失敗に終わった。
今回解禁された日本オリジナルキービジュアルは本国版をベースに、昼間のロサンゼルスと夜のロサンゼルスのストリートに昼間と夜、二つの顔を持つ少女エンジェルが背中合わせに配置され、その対比と共に作品を表現したデザインとなっている。
『エンジェル』は7月15日(金)より新宿シネマカリテで開催される『カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション®2022』(『カリコレ®2022』)にて7月16日(土)にて特別上映されたのち、9月9日(金)より新宿シネマカリテにて公開。さらに、9月30日(金)よりシネ・リーブル梅田、10月7日(金)よりアップリンク京都にて、以降全国順次公開となる。
『エンジェル』
[1984年サンフランシスコ国際レズビアン&ゲイ映画祭・最優秀作品観客賞受賞]
監督:ロバート・ヴィンセント・オニール
製作総指揮:メル・パール、ドン・レヴィン、サンディ・ハワード
脚本:ロバート・ヴィンセント・オニール、ジョセフ・M・カーラ
撮影:アンドリュー・デイヴィス
音楽:クレイグ・セイファン
出演:ドナ・ウィルクス、クリフ・ゴーマン、ディック・ショーン、ロリー・カルフーン、スーザン・ティレル
(1983年|アメリカ|93分|G|1984年劇場公開作品(松竹富士配給)|原題:ANGEL)
© 1983 The Angel Venture. All rights reserved.
キングレコード提供|ビーズインターナショナル配給
【『エンジェル』公式サイト】
新宿シネマカリテにて9月9日(金)より公開、シネ・リーブル梅田 9月30日(金)、アップリンク京都 10月7日(金)より公開、以降全国順次公開
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武漢発のコロナウイルスがトップニュースを譲ることは当分考えにくいが、東アフリカのバッタ(飛蝗)の大群も不穏である。FAO(国連食糧農業機関)によると、25年ぶりの今回の災禍は、ケニア、エチオピア、ソマリア、そして2月にはウガンダに及んでいる。
「蝗害」──。
パール・バックの『大地』にも登場する飛蝗の大群は、大飢饉をもたらす天災として恐れられている。最初、地平線に眇たる黒雲として現れるが、それはやがて空に扇形に広がり、みるみる空を暗くし、しばらくすると無数の飛蝗の羽音で大地は震える。
『大地』は清時代の中国を描いたものが、飛蝗の到来は、その後に始まる悲惨な農民たちの暮らしを予告していた。
蝗害-どこまで拡張するのか?
蝗害をもたらすサバクトビバッタは変異(相変異)して生まれる。
異常繁殖する個体は、頭が大きく翅(はね)の長い、足の短い、褐色の個体となる。それらは何億という大集団をつくって大空を飛翔し、大地にある緑という緑をなめ尽くす。しかし、食糧不足によって絶滅の日が近づくと、メスの産卵回数と産卵数は減り、その一代を最後に消滅してしまう。「絶滅前に新しい形態をもった種が一時的に登場してくる」という仕掛けになっている。これこそ、4億年を超える昆虫の歴史が生み出した種としての生存技術なのだろう。進化の形態は単純ではない。
今日、一帯一路でヒト・モノ・カネを世界中に拡散させ、各地に拠点づくりを急ぐ中国だが、その核心的戦略に限度が見当らない。
2005年、筆者が環境省に勤務していたとき、「特定外来生物法」が施行された。これは生物多様性を確保するため、ヒト以外の外来種を規制するという法律で、環境に悪影響を与える特定外来生物148種が規制されている。ブラックバス、ヒアリ、アライグマなどは、既存の生態系に大きな攪乱を引き起こすものとして、在来種を守るための取り組み(駆除等)が続いている。
一方、長年かかって日本に定着した生物も少なくない。クローバー(オランダ)、マツヨイグサ(南米)、クサガメ(中国)のほか、起源をたどればイチョウもモンシロチョウも外来種であり帰化生物だ。この「帰化」という名称は、私たちヒトの国籍の分野でも使われる言葉だが、今後は在留、永住、帰化が当然増えていき、混住化も進み、社会環境は大きく変化していくことだろう。
問題は程度であり、バランスであり、規律だ。それが失われるようであってはならない。
筆者の専門である森林群落について見てみると、台風や洪水、火災でダメージを受けた場合、もしそのダメージが小さな穴あきにとどまる程度なら、時間はかかるが、自力で修復する方向に構成メンバーたちが反応し、遷移(succession)を進める。しかし、大きすぎる攪乱(かくらん)は別の遷移を選ばせてしまう。旧群落としてはギブアップで、もとへは戻れず、新しい種が占有する群落へ様変わりしていく。日本は今、後者のパターンに入っている。
日本人群落の消長
時間軸を長く、視点を俯瞰的にとり、ヒト社会を生物群落の遷移と見立てると、以前とは明らかに違う風景が見えてくる。
群落としての日本人をここ150年でみると、二度にわたって大きな節目があった。明治維新(1868年)と敗戦(1945年)だ。
当時の人口は3300万人と7200万人で、いずれの時もその後の成功と繁栄の予感があった。二時点とも個体数を猛烈に増やしている最中だったからだ。明治維新から80年経って約2倍、150年経って約4倍になっていた。群落(種)としては繁栄を謳歌していたわけだ。
しかし今、日本の人口減を止めることはできなくなった。約1億2600万人(2019年)の人口は、この先の80年間を均すと、毎年160万人が亡くなり、60万人が生まれるという時代になっていく。毎年100万人ずつ減少していく構図となり、2100年には日本人は5000万人くらいになると予想されている(内閣府/2004年)。
そこに海外からおそ��く1000万人以上が入ってくると考えられる。80年後、令和元年生まれの赤ん坊が80歳になる頃には、人口の2割以上が違う言語を話し、違う文化をもって、その多くが都会で暮らすという国になっていく。
2100年の日本は、現在と比べると個体数(日本人)が今の4割くらいの小さな国になるため、東京は辛うじて横ばいとしても、その他に残れる都市は大阪、名古屋、京都、金沢、福岡くらいだ。国全体で5000万人という規模は、明治期後半と同じだが、当時と異なり都市への集中は進行している。
とりわけ北海道は、20分の1の規模で日本全体のモデルになると見られる。250万人の道民と、50万人くらいの外国人が混住するという、日本全体では2100年頃に迎えるであろう混住状態が、もっと前倒しのおそらく30年後には起こり得るだろう。
今後、人口減によって国力が低下し続ける日本では、さらに過疎化と無人化が進み、夕張市のように自治体運営が難しくなり、自前の資産を一括売却して、外国人に明けわたしていくケースが後を絶たなくなる。そのうち目立たないながらも、次のような世論形成が少しずつ進んでいったとしても不思議ではない。
「所有権が移り、住民もほぼ外国人で占められている地区は、言葉も文化も違うわけだし、そろそろ特別区として別の統治形態が必要ではないか」
私たちの無関心と不用意によって、実質的な租界や租借地が自然な流れの中で成立し、その実態に見合った統治を求める声が大きくなってくるだろう。
中枢はすでに侵略されている
「この懸念は、そんなに遠い先の話ではないと思うのだが……」
筆者がそう口にしたとき、シンクタンクの安全保障担当者から言われたことがある。
「所有権は領有権とは異なるので、いくら国土買収が進んでも問題はありません」
国際法の制度的な解釈はそうかもしれない。しかし実態上はどうか。日本の場合、一旦所有権が移ってしまえば、その後は何でもありになってしまうのは明らかだ。
近い将来、もし外国政府や外国の国営企業が土地所有者として「無断立ち入り禁止」の看板を設置し、通信施設など軍事的要素を持つ施設を建てたりすることも可能になり得る。それでもなお、「領有権は日本側にあるから大丈夫」と言い続けるのか。
魚は頭から腐る、というように、中枢(頭)の病理はしばしば手足の機能障害など末端に表れるが、生体的にみると、この先の地方(手足)が生き残っていくために残された道は、もはや外国化しかなくなっている。
心すべきは、歴史的に大陸の中華系の人たちは、租界や租借地形成に至る政治的ノウハウをよく知っていて、かつての上海や香港のように逆の立場も経験していることだ。事例豊富に、さまざまなケースで侵蝕と統治ノウハウを蓄積してきており、いずれ機が熟してくれば、日本についてもベストのタイミングで租借カードを切り出してくるはずだ。香港と台湾の延長線上に北海道や沖縄が組み込まれていく可能性を否定できない。
にもかかわらず、私たちは1945年以降、平和ムード満開で、国家成立の3要件の一つである国土(領域)への意識もまるで薄れている。
日中経済の交流と構造的依存が深まっているが、その先に控えている段階的なシナリオが、①大量移民と地方自治の崩壊、②主権の喪失(租界・租借地化)、③言語や文化の置換、そして④日本色の希薄化、消滅──。
そうならないことを祈りたいが、情勢は悪化している。
平野 秀樹(ひらの ひでき)
1954年、兵庫県生まれ。九州大学農学部卒業後、農水省入省。国土庁防災企画官、大阪大学医学部講師、環境省環境影響評価課長、林野庁経営企画課長、農水省中部森林管理局長、東京財団上席研究員を経て、現在、姫路大学特任教授、国土資源総研所長。博士(農学)。専門は辺境社会学(国土、離島・地域再生)。主な著書に『
日本はすでに侵略されている
』(新潮新書)、『日本、買います』(新潮社)。共著に『
領土消失
』(角川新書)、『奪われる日本の森』(新潮文庫)、『宮本常一』(河出書房新社)など。
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NEWSLETTER vol.48
ニュースレターの第48号をお届けします。
今回は2018年6月8日に Art Jewelry Forum に掲載された、リン・チャン氏へのインタビューをお届けします。
翻訳をはじめたのはもう何か月も前ですが、思いのほか時間がかかって前回配信から10か月も経ってしまいました…今後も不定期の配信となりそうですが気長にお付き合いいただけますと嬉しいです。あいかわらず、メールに埋め込むと画像が小さくなってしまうので、ぜひ元の記事もご覧になってくださいね。
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https://artjewelryforum.org/lin-cheung-0
2018年6月8日
リン・チャン
日常性と非日常性 その共存を実現させるもの
アドリアーナ・G・ラドレスク
リン・チャン《遅ればせながらの応答:混乱、言葉もない、意気消沈》、2017年、ブローチ、ラピスラズリ、金、各51 x 9 mm、撮影:リン・チャン
リン・チャンの作品は絶えず議論を呼ぶ。《敵か味方か》のネックレスや《室温》のオブジェ、書籍にインスタレーションから、最近作の《遅ればせながらの応答》のブローチや《保管》シリーズに至るまで、彼女の作品は、人のありように対する一解釈であり、作り手の思想や感情の運び手であり、ジュエリーの意味を模索する飽くなき探求である。
リン・チャンはこれまで、数多の賞を受賞してきた。最近では、2018年にフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞とヘルベルト・ホフマン賞を受賞。2017年には英国のBBC Radio 4が主催するウーマンズ・アワー・クラフト・プライズにおいて、1500名の応募者から最終選考12名のうち1名に選出された。
アドリアーナ G. ラドレスク:あなたは今年、その作品と、コンテンポラリージュエリーの振興における国内外での示唆に富む役割が認められ、栄誉あるフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞を受賞されましたね。そのすべてがどのように始まったのか、お聞かせいただけますか? いつごろからジュエリーを作りたいと思うようになりましたか? また、どこで勉強されましたか?
リン・チャン:ありがとうございます! 今年はこれまでのところとてもいい年で、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ財団には心から感謝しています。彼らは独立機関として、熱意をもって主体的に、人々の想像を超える優れた仕事をしています。これは今の時代にあって珍しいことで、それだけに特に光栄に感じています。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:動揺》、2017年、ブローチ、ベルジャンブラックマーブル、ハウライト、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
私は、なんでも手作りしたり修理して使うことを良しとするごく堅実な家庭で育ちました。裁縫や編み物、刺繍にくわえ、ものが動く仕組みや素材に興味が湧いて、何かを分解したりもしました。でも、ジュエリーを作った記憶はありません。私は子ども時代とティーンエイジャーを経て成人してからも、もらったものも自分で買ったものも含め、たくさんのジュエリーを身に着けてきましたが、自分で作るようになったのはずいぶん後のことです。
私は、ブライトン大学の学士課程(通称WMCP、(訳注:木工、金工、陶芸、樹脂の英単語の頭文字をつなげたもの))で陶芸と金工を専攻しました。そこで偶然ラルフ・ターナーの著作である「ニュー・ジュエリー」を手に取りました。それからというもの、この道一筋です。それ以降、私が置かれたすべての環境や訪れた場所、出会った人々は何かしらこの本と結びついているので、遠い親戚のような縁を感じますし、それだけにこの本は私の考え方に深い影響を与えた存在です。作品の素材や技法は何なのか、思いを巡らせながら夢中になってページをめくっては「これはおもしろい!」と思っていました。
あなたは今年、石を彫ったブローチのシリーズ、《遅ればせながらの応答》でヘルベルト・ホフマン賞を受賞され、忘れがたい1年のスタートを切られました。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:バラ色》、2017年、ブローチ、ローズクォーツ、金、43 x 8 mm、撮影:リン・チャン
審査員から「時事問題とその意味との関係性を表現した、政治的見解の表明」と評されたこの作品は、英国のEU離脱を決する国民投票と世界の政治情勢への個人的な応答として作られたとのことですね。この作品は缶バッジの形をしており、表面に絵文字やシンボルを思わせる顔が描かれていますが、一般の缶バッジのようにプレスした金属やプラスチックでできてはおらず、半貴石を研磨し、表面に金を点在させて作られています。政治キャンペーンで多用される、安価で息の長い定番アイテムであり、質素ともいえる装着型の伝達装置である缶バッジと、高価な素材とを結びつけようと思ったのはなぜですか? また、タイトルの「遅ればせながら」にはどのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私が石という、硬くて容赦なく、永続する素材でこのブローチを作ることにしたのは、使い捨てで瞬時に作れるお手軽な金属製のバッジとの対比を表現しようと思ったからです。皮肉なことに、私は、メッセージの内容が浅いか深いかにかかわらず、一度使えば用済みとなるはずの缶バッジをいつも大事に取っておきます。手元に残しておくと、その時の気持ちや信条、出来事、気分を鮮明に覚えていられるので。これが、私が半貴石を使った理由のひとつです。つまり、一部の発言や行為はやり直しがきかないから、ほんの一瞬の出来事でも人の心に長く残りうるということを言いたかったのです。
タイトルの「遅ればせながら」は、すぐさま反応するのとは逆のリアクションの仕方を表しています。私は、国民投票の前後の情勢を目にして悲しくなったのをはっきりと覚えていますが、それをどう表現すればよいのかわかりませんでした。ただ、いつかこの思いを作品にすることだけはわかりました。後から行動に出るということは、蓄積された何かが、時間を経てから展開していくということです。私は、実際の出来事からかなり時間がたってからようやく、抑圧された思いやぐるぐると混乱した感情を、石の研磨を通じて解放できるようになりました。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:しかめ顔》、2018年、ブローチ、ラピスラズリ、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
また、「遅ればせながら」は、石の加工にともなう労力と、石や石の研磨から連想される隠喩的な意味も表しています。さらに、研磨や切削は、熟考や仕上げ、そぎ落としていく過程も意味します。つまり、考えを整理し、遅まきながら納得し決心が固まるまで時間を稼ぎ、じっと待つという、時間のかかる肉体的行為を表します。石の研磨はほぼ独学で習得しました(最初だけ、シャルロッテ・デ・シラスによる5日間の特別クラスで専門的な講義を受けました)。そのため、新しい素材に初挑戦する時の常として、時間こそ余計にかかりましたが、素人であったことがむしろ好都合に働きました。知識のなさに妨げられず、失うものがないまっさらな気持ちで制作に打ち込むことができました。
コンセプチャルなジュエリーは、政治的な意識の向上という点で、大衆を説得する力を持ちうると思いますか?
リン・チャン:ええ、その力があると信じています。また、すでに知られていたり、こうだと信じ込まれている方法以外のやり方で、そういった力を量る方法にも興味があります。ただ、《遅ればせながらの応答》シリーズが必ずしも「大衆の政治的な意識を向上させる」とは思いません。このシリーズはそれ自体が議論の一部をなす当事者性の強い作品で、すでに広く認識されている問題を扱っているため、意識の向上というよりはタイムリーなコメントとしての趣が強いでしょう。私は今も、この決定がもたらした損害を忘れてはならないと思いますし、今後は今以上に不確かな時代になるでしょう。だからこそ、ジュエリーには、自分たちの周囲で起きている出来事について考えさせる存在であり続けてほしいのです。大衆の政治に対する意識の向上という点では、エスナ・スーこそシリアの難民危機を表現した作品でそれを実行しているといえます。彼女は私たちに、時間とエネルギーを費やして作品について考えることで、難民危機の問題を忘れないよう促しています。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:逃げ腰》、2018年、両面装着式のブローチ、ハウライト、ベルジャンブラックマーブル、金、49 x 12 mm、撮影:リン・チャン
作品の持ち主がご自身の考えに共感してくれるかどうかは重視していますか?
リン・チャン:自分の考えや見解に共感してもらえるといつでもうれしいです。私の場合、それを知るのは直接人と会った時なので、会話ができたり、同じ考えを持っていることに気づいたりできるのは、私にとってはありがたいおまけです。私は時間の許す限り、工房にこもるようにしているので。外に出て別の視点から作品を見られるのはいいリフレッシュになりますが、共感してもらえなくても構いません。私は自分の考えが伝わるよう素材や大きさ、造形を制御しはしますが、作品は独立した存在です。私の手元を離れたら、自由の身です。勝手に別の意味や価値観を帯びたり、身につけてもらえたりもらえなかったり、好かれたり嫌われたりすればいいのです。それは自力では制御できない領域ですし、制御したいとも思いません。私は、最善の方法で考えや意見を表現することにやりがいや興奮を感じますし、そこが重要なポイントなのであって、自分が答えを知っていると思えるかどうかという点は重視していません。
リン・チャン、《真珠のネックレス:グラ��ーション》、2017年、ネックレス、淡水パール、金、ビンテージのケース(修繕済み)、ネックレスの長さ:406.5mm
あなたのウェブサイトには、「《真珠のネックレス》シリーズは、母親から譲り受けたものの使わずにいた真珠のネックレスをインスピレーションの源とした。このネックレスは自分に似合わないと思ったし、たった一種類の女性性を信じているわけでもない」と書かれています。男性モデルに着用させたこの作品は、淡水真珠を1粒1粒削り出し、ホイットビージェットのチェーンと同じ構造でつなげてネックレスにしたものです。このシリーズは、装飾品としてのジュエリーや、個性の形成におけるジュエリーの役割の探求の一環として作られたものですか? また、ジュエリーは新たな形のジェンダー表現を推し進める上で効果的な手立てだと思いますか? この作品には、どのようなメッセージや意図が込められていますか?
リン・チャン:後から思えば、この作品はずいぶん複雑な意味を帯びていますね。一方では、ごくシンプルな作品で、元のネックレスを手に取って加工するに至ったのも、チェーンにできるかどうか試したかったという単純明快な動機からです。実験が済んでチェーン全体が完成してはじめて、どんな意味を持ちうるか、なぜこんなことをしたのか、それがどうなったのかを考える時間を持てました。このネックレスは、身に着けるとお高く留まって見えるような気がして、長い間しまったまま使うことはありませんでした。
真珠にはさまざまな意味合いが込められています。そして、形状や機能の面で可能性の幅が広いダイヤモンドや金などと違って、ジュエリー素材としての革命がもっとも起こりづらい素材ではないでしょうか。その意味では、この真珠作品では、おそらくその形が一番の理由で、少しだけその遅れを取り戻せた気がします。真珠の「ジュエリーらしさ」は丸い形に生まれついた時点で既定路線であり、人はなぜかそこに女性らしさだと受け止めるのです。私が真珠を研磨してチェーンを作って、最初に、そして一番強く感じたのは、これはもはや真珠のネックレスではない、ということです。そのことで、真珠にまつわる意味合いを薄められましたし、おめかしや着飾ることを目的にジュエリーを着けていたのは過ぎ去った昔の話であって、ジュエリーとは単に着けたいから着けるものだという私自身のジュエリー観に沿った作品になったと思います。
私は女性性とは何であるかに興味を引かれます。それは必ずしもジェンダーと関連づいているわけではありません。私は女性性をもっと広義にとらえていて、体力とは別の、知的な精神力や思考、思いやりと関わるものだと考えています。作品を男性モデルに着用させて撮影したのは、実験的な見せ方をしたかったからです。そして、それが真珠のネックレスは女性的なものだという狭量な考えを打ち破ったと伝える上で有効な手段であるかどうか、そして、それでも依然として残る繊細な強さと多義的かつ対照的な複数の側面が、また別の女性性を表現しうるのかどうかを確認したかったのです。つまり、自分が身近に感じられ、さらに女性という自分のジェンダーも手放さずにいられるという形の女性性です。そうですね……この作品については、完成してからもそのインパクトについて考えていますが、今もまだ、的確に言い表すのが難しいです。が、そうやって考えるのも、とても面白いことですね。
リン・チャン、《真珠のネックレス:マチネー》、2016年、ネックレス、淡水パール、金、長さ:560 mm、撮影:リン・チャン
《真珠のネックレス》シリーズの一部の作品は、修理を施したビンテージの真珠のネックレスの専用ケースがついていますね。このようにケースに手直しをして再利用するという行為には、どのような意味があるのでしょうか?
リン・チャン:アンティークのケースを再利用することで、過去の所有など、物語に歴史という側面が若干加味されます。最初に作ったネックレスと箱は母の所有物で、それ以降のネックレスと箱は、最初につくったものの形式を借用したものです。
作品が装着されることについては、どれくらい重要視していますか?
リン・チャン:どちらでも構いません。着用性の高いデザインであっても、実際につけるかどうかは別問題で各自が判断することです。私はどちらの考えも理解できます。私自身、身に着けないジュエリーをたくさん持っていますが、そのことが物への愛着に影響するわけではありません。手に取って眺めて、またしまうということも好んでやります。時に実用的でないジュエリーをじゃらじゃらつけることもあります。このようなアイテムは注意が必要ですし、つけている間ずっと気になってしまうものです。おまけに針先がとがっておらず、ブラウスやTシャツに大穴が開いてしまうこともあります。それでも、ジュエリーとしての出来がよければ、その価値はあるのです。同じものを数週間つけっぱなしにすることもあります。装着するしないにかかわらず、ジュエリーが喜びをもたらしてくれることに変わりありません。
リン・チャン、《保管:紙と輪ゴム》、2016年、ブローチ、合成石、金、輪ゴム、70 x 22 x 15 mm、撮影:リン・チャン
《保管》シリーズは、あなた自身のジュエリーの保管方法を扱った作品です。このシリーズは、こう言っては何ですがとても生活感があって、《紙》や《輪ゴム》と題されたブローチでありふれた物体を描写しています。この作品では、合成石や金という耐久性のある素材と、輪ゴムという長持ちしない素材が混在しています。この袋に何が入っていたのか、また、この作品のコンセプトは何なのか、興味を惹かれます。この素材の組み合わせには、どのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私はよく、ティッシュやキッチンペーパーやトイレットペーパー、チャック式のビニール袋やただの紙など、その時手元にあるものにジュエリーをしまうことがよくあります。私はよく旅行をするので、ジュエリーに箱やケースがある場合はそこから出して、もっと実用に即した方法で収納するようにしています。《紙》と《輪ゴム》のブローチは、私が紙と輪ゴムで包装してきたすべてのブローチを表現していると言えるかもしれません。自分がつけるジュエリーはいつもこの方法で収納します(そのほとんどは自分で作ったものではありません。自分の作品はめったにつけません)。なので、この保管方法自体はごく普通で生活感がありますが、興味深いことに、それによってそのアイテムが私にとって特別な存在になるのです。この作品を白い合成石で彫り出して作ったのは、紙の質感を表現するためで、本物の輪ゴムを用いたのは日常性を加味するためです。ここにおいて私は、ジュエリーの秘密の生活を覗いてみませんか、作品を通じて価値や意味が表明されているさまを見てみませんか、と誘いかけているのだと思います。高価な素材や予期せぬ素材やプロセスを用いて日常のディテールを描写することで、単なる人工物を超えたジュエリーのおもしろみについて考えることを促しているのかもしれません。
この《保管》シリーズでは、特に私自身の持ち物であるジュエリーの私的な生活と公的な生活、そして、同じ作品でも配慮の度合いが変わりうるのかという点を考えました。紙やプチプチ、ビニール袋による収納方法は、退屈に見えるかもしれませんが、私にとってはとても便利で安全ですし、それによって自分だけのものになるのです。私は、ジュエリーを買った時ではなく、生活をともにしてはじめて、そのアイテムが自分にとってどんな意味を持つのかについて気にかけ、注意を払えるようになります。作り手やブランドによる包装は、提示方法や、その魅力、モノのコンセプトの延長、作り手の創造性や配慮を通じて、ジュエリーを商品とみなしています。購入後の私だけの管理方法は、所有、つまり自分の持ち物であり日々の生活の一部であることを表します。
リン・チャン、《保管:古い真珠のネックレス》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、62 x 42 x 20 mm、撮影:リン・チャン
同じシリーズの《古い真珠のネックレス》や《ベニータのブローチ》では、ジュエリーの形は見えません。そのかわり、それをしまうための(ロッククリスタルを研磨した)透明な袋が主役になっています。これは、姿は見えずとも存在する、あるいは過去に存在したジュエリーを示唆し、その記憶を保持する手立てということでしょうか? この作品の背景とはどのようなものでしょうか?
リン・チャン:おっしゃる通り、どちらも実在するジュエリーです。古い真珠のネックレスも、ベニータが作ったブローチも私の持ち物です。それらが小さなビニール袋の中で占める空間を観察し、石を研磨して造形しました。どちらも、空っぽであるようにも中身が入っているようにも見えます。また、モノが持つ日常的な側面と非日常的な側面との対比を考察した作品でもあります。ジュエリーはその両方の性質を兼ね備えられるところが、すごく好きです。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:困難な時代》、2018年、ブローチ、ロッククリスタル、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
あなたの作品の中には、パブリックな仕事も見られます。2012年ロンドンパラリンピック大会のメダルをデザインされましたし、2014年には唐奨のメダルデザインのコンペでファイナリスト10名の1人に選ばれました。2年前には、唐奨教育基金会から、2016年の賞状のデザインと制作を依頼されたそうですね。このようなパブリックな仕事と、個人の作品とでは、工程の面でどのような違いがありますか? また、どのようなことが課題になりましたか?
リン・チャン:特にパブリックな依頼は、往々にして極度のプレッシャーにさらされます。莫大な予算と、短い納期での納期厳守に対する大きな責任が常にのしかかります。株主や資金提供者、プロジェクトマネージャーやマーケティング部門、CEOやインターンなど、あらゆる立場の人たちとチームを組んで仕事をするのは一見怖そうですが、実際のところは共同作業について学ぶにはすばらしい方法です。アーティストという立場で一大プロジェクトに携わるということは、全体を見渡し、常時すべての場に存在するかのような独自の立場に置かれるということです。私はあらゆる視点からプロジェクトを眺め、はじまりから実現に至る過程を見るのを楽しめるタイプなのでしょうね。また、プロジェクトの一員になれることは、大きな見返りがあります。
こうした学びは有益ですが、多くの依頼は問題解決からプロトタイプの制作、完成品の仕上げが息をつく暇もなく、同時に進行する感じです。先を読んであらゆる結果を予想し、プロジェクト管理をやりこなし、チームのメンバーに仕事を任せて、仲間からも自分からも最高の力を引き出せるよう、短期間で学ぶわけです。こんなことまでできてしまうんだ! と自分でもよく驚きます。スタジオでの作業はそこまで込み入っていません。当然ですが、それは私ひとりだからです。プレッシャーもさほど強くかかりませんが、多くの場合プロセスは酷似しています。同じような悩みを抱え、大勢でやる時と同じような会話を自分とします。葛藤もありますが、最初から確固たる決ま��事もないですし、委員会からの��認がないと次に進めないというわけでもありませんから、後戻りをしたり、手抜きをしたり、自分の意志で課題を設定したり、リスクのある道を選んだりできます。これは周囲からの許可が必要な場合はそう簡単にはできないことです。
どのような流れでデザインを進めますか? スケッチやモデル、モックアップの制作から始めるのでしょうか? コンセプトを伝える上で素材の選択はどの程度重要なものですか?
リン・チャン:つい最近までは、最初にコンセプトやイメージを考えたら、そのまま制作に突入していました。私はすごく大雑把なスケッチ以外は紙にイメージを描きません。線画や、ひとつかふたつの単語、文章で十分な時もあります。その意味では、私は多くの作り手と違うのかもしれませんね。明快なプロセスでデザインを進めるわけではないですから。
素材の選択はとても重要です。アイデアを思いついたら、自分の考えや感覚と合致する素材を探します。可能性のある選択肢を考え抜いて「こうすれば思い通りの雰囲気になるかしら」とか「やっぱりこっちかもしれない」と迷いながら自分の仮説を検証します。石の加工をした時は、コンセプトよりも素材が先でした。それまで、具体的な素材や技術からアイデアを発展させていくことはあまりなかったので、新たな感覚で制作に燃え、手の中の素材の変化や自分が目にしているものを基にアイデアやコンセプトを練る間じゅう、強迫的なまでに熱心に打ち込みました。
外部からの特にパブリックな仕事の依頼の場合は、コンセプトや工程、プロトタイプの制作、実制作、情報の記録、納品に至るプロセスを厳守せねばならず、その順番が狂うことはめったにありません。
リン・チャン、《保管:ベッティーナのブローチ》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、52 x 34 x 23 mm、撮影:リン・チャン
あなたはアーティストとしてご活躍されているだけでなく、2009年以降、ロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズのジュエリーデザイン科の学士課程の上級講師として教鞭を執っていらっしゃいます。その傍ら、レクチャーやワークショップの講師や、書籍や記事の執筆活動もされていますが、限られた時間のなかでそれをどう両立されていらっしゃるのでしょうか? またそれらすべてをやりこなす強い意志はどこからきているのでしょうか?
リン・チャン:確かに、全部並べて見るとずいぶん抱え込んでいるように見えますね! あまりの多忙さに、混乱に陥ってしまう時があることは否めませんが、ジュエリーへの好奇心が、さまざまな魅力的な形をとって、私を突き動かすのです。
忘れないでいただきたいのは、プロジェクトによっては構想に何年もかかるという点です。ずっと前にまいた種を折に触れては世話してやり、立派に育て上げるのです。コラボレーションもありますし、自分がやりたくてやるものもあります。人に教える仕事は、どれもとても楽しいです。セントラル・セント・マーチンズで、いきがよくて一生懸命な学生たちを大勢相手にしていると、ジュエリー界の今後の行方が見えるような気がする時があります。これは役得ですね。また、コンテンポラリージュエリーをまるで知らない別分野の作り手の人たちと一緒に何かをするのも楽しいです。ザルツブルクで行われた国際芸術サマーアカデミーの際に行ったワークショップがその例です。ほかにも、近々コロンビアで開催されるEn Construcción IIIでワークショップを行う予定があり、とても楽しみにしています。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能(※)》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン(※訳注:英語タイトルはTwitで、Twitterとかけていると思われる)
私は、プレッシャーや日々の雑用に邪魔されることなく、スタジオや作業場でひとりになってジュエリーについて自分だけの考えに没頭したり、表面の具合を観察したり、何に注意を払ってやればよいのか、自分が何をしたいのかを考える、ユニークで貴重で特別な時間を確保するためならなんだってします。常にそれを達成できるとは限りませんが、いつも虎視眈々とそのタイミングを狙っています。
最近感銘を受けたり、作品に影響を与えたり、興味を引かれた映画や音楽、本、展覧会、ニュース、旅行などはありますか?
リン・チャン:《遅ればせながらの応答》シリーズの《しかめ顔》というブローチが今年度のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの夏期展覧会に出品されたので何度か足を運びましたが、その時の作品の多様性には驚かされました。この展覧会は、優れた偉大なアーティストと一緒に、アーティストの卵や無名の作り手、「凡人」(グレイソン・ペリーが私たちのような人を親しみを込めて呼ぶ時の愛称です)の作品が一堂に並ぶことで有名です。目玉となる作品ばかりを見ないよう努めるうちに、若手作家のリー・カッターの作品に目が留まったのですが、この作品には心から感動しました。
リー・カッター、《監獄文化》、彫刻、刑務所で支給されるバターミルク石鹸、画像はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの厚意により掲載
それは《監獄文化》と題された、彫刻を施した大量の石鹸を何段もきれいに並べて額に収めた作品でした。私は、日常の素材を再評価させ、当たり前だと思われているものや状況を見直させてくれる作品や、想像する以外に知りようのない世界を見せてくれる作品が好きなのです。器用かつ無心に彫られているだけでなく、骨や象牙の細工や、木彫品、彫像、ストリートファニチャーを見た時と同じような感情を抱かせ、人生のおかしみと哀愁とが一体となって表れていました。
リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン
現在はどのようなプロジェクトに取り組んでいらっしゃいますか?
コロンビアで行われるコンテンポラリージュエリーのシンポジウム、En Construcción IIIの一環として、マーク・モンゾとセス・パパック、テレーザ・エスタぺと一緒に1週間のワークショップを行う予定です。また、2019年のミュンヘン・ジュエリー・ウィークでMicheko Galerieで行う個展の準備も進めています。ほかには、通常の依頼品やリサーチ、構想に加え、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞の賞金で、2019年の年末か2020年の初頭からオランダで開催される個展に向けて作品を制作するという、刺激的なひとときを過ごしています。近いうちにまた皆さんに詳細をお知らせできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。
アドリアーナ・G・ラドゥレスク:建築家、ジュエリー作家。ワシントンD.C.在住。ルーマニア、ブカレストのイオン・ミンク建築都市大学にて建築と都市計画の修士号を取得。ワシントンD.C.のコーコラン・スクール・オブ・ジ・アート・アンド・デザインにて金工を学ぶ。2013年よりAJFに参加。
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