TEDにて
ルーシー・ホーン:レジリエンス(心の回復力)を高めるための3つの秘訣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
誰もが喪失を経験します。しかし、その後の辛い時期をどう切り抜けたら良いのでしょう?
レジリエンス(心の回復力)研究者。ルーシー・ホーンが紹介するのは、レジリエンスを高めるための苦労の末に獲得した3つの秘訣です。
逆境に立ち向かう不屈の精神を育み、苦難を乗り越え、何が起ころうと勇気と感謝の気持ちで受け止めるための方法です。
はじめに、いくつか質問をさせてください。
この中で最愛の人をなくしたことがある方、失恋をしたことがある方、離婚で苦しんだことがある方、または、不倫の被害を被ったことがある方
どうぞお立ちください。立つことが難しい方は手をお上げください。そのままお立ちください。
または、そのまま手を上げたままで自然災害を生き延びた、いじめにあった、または、失業したことがある方、お立ちください。
流産をしたことがある、中絶をしたことがある、または、不妊で悩んだことがある方、お立ちください。
最後に、あなたか愛する人の心の病や痴呆、何らかの身体障害、自殺に対処する必要があった方、どうぞお立ちください。
見回してみてください。逆境は分けへだてしません。
私たちは、生きている限り、将来、困難な時期を迎えることもあるでしょう。あるいはすでに迎えたことがあるでしょう。皆さん、ありがとうございます。お座りください。
私は10年前に、フィラデルフィアのペンシルバニア大学でレジリエンス(心の回復力)について研究を始めました。
そこで、素晴らしい時間を過ごしました。ちょうどそのとき指導教官が、ある契約を結びました。110万人のアメリカ兵が、彼らの身体的な健康と同様に心の健康を維持できるよう訓練をするプロジェクトです。
ご想像のとおりアフガニスタンから帰還するアメリカ人の新兵訓練担当ほど最も懐疑的で洞察力がある聴衆は他にいません。
私のようにアカデミアでの科学的発見の中から最良の内容を選び、人々の実生活に役立てることを人生の大きな目標としている者にとって非常に刺激される素晴らしい場所でした。
アメリカでの研究を終え故郷であるここクライストチャーチに戻ってきました。博士課程の研究を始めるためです。
地震がクライストチャーチを襲ったときには、その研究を始めたところでした。そこで、私は研究を一旦中断して地震後の大変な時期の地域のコミュニティを支援する活動を始めました。
いろいろな団体と共に活動しました。政府機関や建築会社、また多様な地域グループなどです。
レジリエンス(心の回復力)を高めるためにどう考え、行動するべきかその方法を指導したのです。それは私の使命だと思いました。今こそ、これまでの私の研究を活か��るときだと。
けれど、残念ながら私は間違っていました。
その本当の試練が訪れたのが2014年でした。女王の誕生日の週末、私達家族は、友達の2家族と一緒にオハウ湖でトレイルのサイクリングをすることにしました。
出発の直前になって私の12歳の愛娘、アビは、親友で同じく12歳のエラと私の大親友である母親のサリーの車に乗って行くことにしました。
途中、ラカイアを過ぎてトンプソンズトラックを走っているときに一時停止のサインを無視した車が突っ込んできて衝突し、3人は即死しました。
一瞬にして、自分がこれまでと全く反対の立場に立たされてしまったのです。全く違う自分が呼び起こされました。
レジリエンス(心の回復力)の専門家ではなく、突然、一人の悲嘆にくれる母親になったのです。自分が一体誰なのか理解できず目覚め、信じられない知らせに頭を抱えこみ私の世界は粉々に打ち砕かれました。
突然、専門家の様々なアドバイスを受け取る側になったのです。けれども、実際のところアドバイスなんて一言たりとも聞きたくありませんでした(人間(じんかん)万事塞翁が馬)
アビが亡くなってからの日々、私達は家族離別の予備軍だと言われました。離婚するかもしれない心の病になる危険性が高い。こう思いました「まあ、ご親切にどうも。でも、私の人生はすでにドン底なのよ」
悲嘆の5段階についてパンフレットにこんな説明があります。
怒り、取引、否認、抑うつ、受容、遺族サポートの人がうちに来て悲しみを忘れるには、これから5年ほどかかるかもしれないと言いました。
パンフレットや支援活動が、善意に基づくものだとはわかっています。しかし、それらのアドバイスは全てかえって私達の被害者意識を強めてしまったのです。
これからの行く先が、とてつもなく大きく立ちはだかり悲しみを乗り越える力を振り絞ることもできませんでした。どんなに酷い状態なのかなんてわざわざ聞く必要はないのです。
本当です。私自身、本当に酷い状況にいることはわかっていました。私が一番望んでいたもの。それは希望でした。苦悩や痛みや切なる望みをやり過ごすために旅が必要だったのです。
とりわけ自分の悲しみの過程の中で積極的な参加者でありたかったのです。
そこで、彼らのアドバイスを聞かないことにしました。そのかわり自分が、実験台にでもなってみようかと考えました。今まで、私は研究をしてきてその手段もありました。
途方もなく大きな山を目の前にしてそれが、自分にどのくらい役に立つのか知りたくなったのです。実は、ここで告白することがあります。
実際にこの実験がうまくいくか確信がありませんでした。子どもと死別することは、最も乗り越えることが難しい喪失であると広く認知されています。
けれど、それから5年経った今、お伝えしたいのは、それは研究からもうすでにわかっていたことなのですが、逆境から立ち上がることは可能だということ!
そして、そのために有効な方法はあるということ。つまり、然るべき考え方をし、行動をとることによって辛い時期をしのぎ切ることは絶対に可能だということです。
この分野の研究は、膨大に存在します。
今日、私は皆さんにレジリエンス(心の回復力)を高めるための3つの方法をお伝えしたいと思います。
それは、効果的で私の心の拠り所となり、私をどん底から救いだした方法です。
この3つの方法は私のすべての仕事の下支えになっています。そして、誰にでもすぐに簡単にできます。
誰でも学ぶことが可能です。今日ここで学ぶことができるのです。
さて、1つ目の方法は、レジリエンス(心の回復力)の高い人たちは、悪いことが起こることを知っています。
苦難は人生の一部であることをわかっています。しかし、喜んで受け入れるわけではありません。幻想を抱いていないのです。
ただ、厳しい現実に直面したときにどうやらこの人たちは、苦悩はあらゆる人間にとって存在の一部だとわかっているようです。
こう考えていると不幸が起こったときに不公平だと考えずにすむのです。
私はただの一度もこう思ったことはありません「なぜ私が?」反対にこう思ったのです「なぜ私ではなかったのだろう?」と。
あらゆる不幸が起こります。けれど、それは自分だけではありません。自分自身の人生です。ここが溺れるか、泳ぐかの瀬戸際です。
本当の悲劇は、多くの人がこの事実をもはや知らないということです。私達は、まるで完璧な人生を送ることが、保証されインスタグラムの眩しく幸せな写真が、普通の時代に生きているかのようです。
けれどほんとうのところ、トークの初めにみなさんに見せてもらったようにまったくそうではないのが、真の実態です(仏教でも四苦八苦があります」
2つ目に、レジリエンス(心の回復力)の高い人たちは、どこに自分の意識を向けるかしっかり考えて選びます。
現実的に状況を把握し、そして、一般的に自分が変えられることに注意を絞り、変えられないことは受け入れるようにしていきます。
これはレジリエンス(心の回復力)を高めるためにとても大切なスキルで学習可能です。
私達、人間は、脅威や欠点に気づくことがとても得意です。ネガティブなことに反応するようプログラムされているのです。悪いことに気づくことが、あまりにも得意なのです。
否定的な感情は、マジックテープのように簡単に着きますが、前向きな感情や経験はテフロンのように弾かれてしまいます。
このように私達がプログラムされているのは、人類の進化という観点からすれば、実際、とても好都合で有用でした。
例えば、私が石器時代の人間だとします。朝、洞窟から出ようと左右を眺めると片側には、サーベルタイガーがいます。そして反対側には美しい虹が見えます。
食べられてしまうのでその虎に気づくことは、生き延びるためには大事なことです。問題なのは、現在、私達は、一日中、継続的に脅威に晒される時代に生きているということです。
そして、脳は残念ながらまるで全てが虎であるかのようにその脅威の一つ一つに反応するのです。危険に対する警戒とストレス反応は、高い状態に維持されています。
レジリエンス(心の回復力)が高い人は否定的なことを減らすわけではなく、なんとか良いことの方に気持ちを切り替えていきます。
ある日、私は、猜疑心に飲み込まれそうでした。そのとき、こう思ったのをはっきりと覚えています。
「だめだ、こんなことに飲み込まれてはだめだ、生きていかなければいけない。生きる目的はたくさんあるのだ。死ではなく、生きることを選ぼう。失ってしまったもののために今持っているものを失ってはいけない」と。
心理学では、これを有益性の発見といいます。自分の素晴らしい新世界の中で感謝できることをなんとか探し出そうとすることです。
少なくとも、私の小さな娘は、長期間のつらい闘病の末に亡くなったのではありません。突然、即死したので誰も長く苦しむことは、ありませんでした。
この困難を乗り切るため私達は、家族や友達から非常に多くの社会的サポートを受けました。そして、何より私達は、愛する二人の息子のために生きなければなりません。
二人は今私達を必要としているのです。できるだけ普通の生活を与えなければいけないのです。
意識の焦点を肯定的なことに変えることは、とても効果のある方法であることが科学的に証明されています。
2005年にマーティン・セリグマンたちは、ある実験を行いました。被験者にあることを指示しました。
それは、ただ一つ。毎日、その日に起こった良いことを3つ思い浮かべるというものです。
6ヶ月をかけた研究によって何がわかったかというと参加者は感謝の気持ちが高まり、さらに、幸福感が高まり気分の落ち込みはより少なくなるというのが、6ヶ月を通じた効果でした。
悲しい出来事を経験するとき、感謝の気持ちを持つことを忘れないようにする。あるいは、自分にそうすることを許すことが必要かもしれません。
うちのキッチンには、明るいネオンピンクのポスターがあります。それは、良いことを「認める」ことを思い出させてくれるのです。
アメリカ軍では、少し違った捉え方をしました。兵士たちは、良いことを探すようにと言われます。自分に合う言葉を探し、何をするにしても意識的に慎重に継続的に自分の世界の中のいい事柄に気持ちを向けて行くのです。
さて、3つ目です。レジリエンス(心の回復力)が高い人はこう自問します(仏教の内省?)
「今していることは、自分を助けているか?傷つけているか?」と。
これは良いセラピーでよく使われる質問です。そして、非常に効果的です。これは、私が頼りにした質問でした。
娘が亡くなってからの日々、私は何度も何度も自問しました「裁判に行ってあのドライバーに会うべきだろうか?それは私の役に立つのか?苦しむことになるか?どちらだろう」と。
答えははっきりしていました。私は行かないことにしました。けれども、夫のトレバーは、後になってドライバーに会うことにしました。夜遅く時々、昔のアビの写真を何枚も引っ張り出してきてますます悲しみに陥ることもあります。
自分にこう聞きます。
「良いの?これは自分の役に立っているか?苦しんでいるか?どちら?さあ、写真を片付けてもう今晩は、休んで自分に優しくしてね」と
この質問はあらゆる状況に応用することができます。
努力に対する考え方や行動が、自分を助けているのか?苦しませているのか自問します。
昇進を目指したり試験に通るため頑張ったり心臓発作から回復を目指す努力もあります。このようにあらゆる状況が考えられます。
レジリエンス(心の回復力)についていろいろ書いた中で長い間、最も好評を得ているのが、特にこの方法です。
各地の人々から多くの手紙やメールをもらいます。それにはこう書かれています。この方法がその人達の人生に非常に大きなインパクトを与えた!と。
例えば、過去のクリスマスでの親戚の罪や諍いを許せるか?または、ただソーシャルメディアで荒らしをすることは正しいことか?本当にもう一杯のワインが必要か?自問するか。
などです。
自分のしていること。考えていること。振る舞いが自分を助けているのか?苦しめているのかを考えることで自分で進路を選べるようになります。
つまり、自分の意思決定を多少なりともコントロールできるようになるのです。
3つの方法。
とても簡単です。
私達、誰もが簡単に実践できます。いつでもどこでも込み入った理論は必要ありません。
レジリエンスというものは、常に一定の特性ではありません。捉えどころのないものでもある人とない人に分かれるものでもありません。
実際に、普通の手順に従うだけで獲得できます。必要なのは、やってみようという意欲だけです。
私達は生きていると誰でも!しかも突然、人生の岐路に立つときがあります。
うまく進んでいると思っていた人生行路が、予想もしない悪い方向へそれていってしまうことがあります。そう願わなくてもです(仏教での諸行無常です)
それが私に起こりました。
予想以上に辛い出来事でした。
もし、みなさんが「この状況から抜け出せるわけがない」そう思うときがきたらご紹介した方法をぜひ試してみて。
そして、もう一度、考え直してほしいのです。
これが簡単な方法だとはいいません。その一つだから。
そして、この方法で苦痛が、すべて消えるわけではありません。
けれど、この5年間で何か学んだことがあるとしたらこの考え方は、非常に役に立つものだということです。
そして、何より悲しみながら生きることは可能であることを明らかにしてくれました。
そして、そのことに私は、いつも感謝しています。
ありがとう。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
多神教や日本での古来からある概念で、「覚悟」という便利な言葉があり、「覚悟を決める」などの表現もよく使われます。
主に、「覚悟」は、危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること!の他に、仏教から引用されていて、迷いを脱し、真理を悟ること。などでも、よく使われます。
これ以外では、きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。の意味でもよく使われます。
ここでは多神教的に見ると、「覚悟」の量。つまり、覚悟量を普段から積み重ね、経験として増加させていくことで、万が一の事態に備えると言う意味にも解釈できます。
そして、テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想法にも似ています!
現在では、2015年にAppleWatchも発売されているので、心拍計も記録できるようになっています。腕時計型ウェアラブルコンピューターでスマートウォッチとも言われる。
Apple Watchの搭載チップは、振動にもつように完全に樹脂でコーティングされてるために、コンピュータシステム全体を一つのチップに組み込んでるそうです。
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
<おすすめサイト>
トム・ティーブス:マスメディアは死亡事件などの犯人を有名にしてはならない!
マリアーノ・シグマン:言葉から、あなたの将来のメンタルヘルスが予測できるとしたら?
ティム・フェリス : 目標でなく、あえて心の状態の恐怖認識を明確にすべき理由?
メリッサ・ウォーカー:アートはPTSDの見えない傷を癒せる
シドニー・ジェンセン:教師のこころの健康をどうすればサポートできるか
マーティン・セリグマン:ポジティブ心理学
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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読書感想文17
寒椿/宮尾登美子
※ネタバレを含みます
もうね……すごく良い本を読みました。文章の一つ一つに情念が迸っていて、読み進める毎に見たことのない筈の景色、行ったことのない土地の匂い等がその文才を以てありありと浮かんでくるんですよね。
すごくざっくり説明しますと、高知は浦戸町にある芸妓子方屋・松崎の娘にして現在は物書きの悦子と、松崎に売られてきた4人の少女・澄子、民江、貞子、妙子の、苦界の中で交錯する苛烈で鮮烈な生き様を大人になった彼女達が振り返り、そして現在の状況を交えて描いた物語です。
自分の言葉で文章を書くにあたり、最近は極力男らしさ/女らしさといった性差に関する表現は使わないように心がけております。ジェンダーレス化が進んでおりますし、かつて我々が刷り込まれていたような男性像/女性像はすでに古いものとされており、ネイルしたりピンクの衣類を身に着けたり甘い飲食物を好む男性やベリーショートだったりニンニクマシマシの激辛中華料理を口にしたりメイクをしない女性がいても何もおかしくはなく悪くもないのです。男だから、女だから、がなくなりつつある時代です。が──敢えて言います、この作品が私の胸にずぶりと刺さったのは、芸妓という因果な商売に身を堕とした女性を描いているのが女性だったからではないでしょうか(※宮尾登美子自身が女衒とその愛人の娘という業が深い生まれの人ですし……)。
「お前散々性差がどうだの長ったらしい前置きしといて!!!」と怒られが発生しそうなんですが、男性が描く「男性相手に体を売る生業をしている女性」って妙にエロくてそのくせ歳暮みたいな一面がある、みたいな、男性(というか書き手)が望む女性像が投影されていたりして「んなわけねーだろ!」と思うことが多々あるのですが、今作では女性の中に渦巻く愛憎や不安や苦しみがしっかり書き切ってある一方であくまで生きていくための手段と割り切って勤める妙子のような女性もいて、芸妓として生きる4人の、似た者同士でありながらも異なるスタンスの書き分けが上手になされていてよかったです。因みに「んなわけねーだろ!」と思った作品はこちらです(これいる???と言わざるを得ない唐突なラブシーンがありかなりげんなりしました)なんでしょうね、女性だからこそ書ける、女性の内面で���えさかる愛憎や欲望があると言いますか……ってこういう「女性/男性だから~」というのも性差別に該当するんでしょうかね。しかしやはり、男性では民江の歪な父親への憧憬や描けないようにも思います。逆に、未読ですが石田衣良の『娼年』が評価されているのは、男性作家による売春する男性を描いた作品だから、のような気もします。
……と読み終えた時に頭の中でどのように感想文をしたためるかを考えていたのですが、解説で伊集院静が似たようなことを言っておりちょっとびっくりしました。いや本当に真似とかじゃなくガチで被っただけなんですよ!私は男性として生きたことがないので男性の感情は理解できないですし同じ人間というよりは別の生物と捉えています。”人間(男と女)をいかに見つめても、少なくとも私には少女の目を持つことはできないし、養えない。それは逆も言えることであろうが~”と静も言っています。
本作は『一章 小奴の澄子』『二章 久千代の民江』『三章 花勇の貞子』『四章 染弥の妙子』で構成されております(『一章 小奴の澄子』の時点で貞子のみ故人です)。全章を通して言えるのが、芸妓という特殊な職業についてはいるものの性描写はほぼなく、”本人の意思を無視して体を売る職業に堕とされたもののだからといって無暗に哀れな存在として描写されていない”です。水揚げの描写もサラッとしており、そうすることで体を売ることが彼女達にとってはあくまで生活の為にこなしているただの業務、日常の一部であることが伝わってきます。
一章のヒロインである澄子(53)は、豪勢でバイタリティ溢れる力強く情の濃い女性です。元日の飲み会で階段から転げ落ち首から下が動かなくなってしまった彼女が幼少期の苦労や長年のパトロンである溝上、動かない体で送る今後の人生……様々なことに日々思いを馳せ、動かなくなった我が身に憤りと悲しみを感じながら時を過ごす、一章はそんな内容になっております。トップバッターだからか、この章だけで2/5ほど使っていますが、読みごたえは十分です。
まだ芸妓になりたての頃に出会い、その後二十数年の時を経て銀行頭取となった溝上にずっと好きだった、等と告白されたらまぁたまらんですよね。それも満州での夫婦生活が破綻した経験のある彼女なら尚更。が意義という職業に就きながらも一途でピュアな面のある澄子は溝上を「おっさん」と呼び、慕っています。が、悲しいかな彼女達はどんなに付き合いが長く深い仲でも、正式な夫婦ではなく……地位も財力もある溝上を狙う他の女や何も出来ない己の体の老後、溝上に捨てられること等への不安は尽きません(実際に溝上は若い女性が好きとのことで既に別の女性が……)。赤の他人に排泄物を処理される澄子の苦痛は、私はまだ経験してはいないのですがそれまで自分の力で生きてきた彼女にとっていかに辛く恥ずかしいものか、嫌というほど伝わりました。この、情熱的な澄子の抱える一抹の弱さの描写が何とも響いて……。彼女としては長い時間を一緒に過ごし実質夫婦のようなものなのだからこの男は自分を捨てまい、と信じたい気持ちはあるものの今の身では何かしてあげることも出来ない上に結局は越えようのない身分の違いがあることを、ふとした時に痛感するわけで……。
この第一章で私は一気に心を掴まれました。苦界に生きる女性達の強かさと儚さと、命の煌めきを垣間見ましたね。余談ですが私も交際相手とは恐らく入籍することはないので、澄子の何となく拠り所がないような不安な気持ちはとてもよくわかります。
ヒロイン・民江(50)に勝手に肩入れしてしまったこともあり、二章は個人的にすごくクるものがありました。決して芸妓に向いているとは言えない気質や外見ながらもとにかく必死に、どこまでも思うが儘に生きる姿がなんだか胸を打ちまして……自分も民江と同じく斜視で(自分は間歇性ですが)異常に頑固で聞き分けが良くなく、ときおりブチ切れて破壊的な行動に出る節があるため、傍から見たらかなり扱いにくく厄介な彼女が何だか憎めないんですね。とはいえ「父親に抱く感情」は民江と私では真逆なんですけども……あ、父親に人生を悪くされた点も同じですわガハハ!!
民江は”小さいときから澄子には才覚で負け、貞子には器量で負け、妙子にはものの弁えで負け、周りから莫迦扱いされて~”との描写があるように、到底恵まれているとは言い難い人物です。自分を売り飛ばした父親にいつまでも金蔓にされ続け、それなのに恐れにも似た思慕を抱き、惚れた男に惹かれるくらい猪突猛進にアタックし、とても不器用でひたむきな生き方をしています。どこか自分の世界を生きているところがあり、だからこそ不遇な環境の中でも強く生きられたのかもしれません。
また、この章では未来の芸妓として売られてきた女子4人と家の主の娘である悦子との身分や育ちの違いがよりはっきりと書かれるようになります。年の近い少女5人ではありますが、悦子はやはり他の4人に対し本人に(そのつもりはなくともどこかで)一緒にされたくない、自分は違う、という感情があったりします。まぁ……そうよな……。
三章は他の章とは色合いが異なっており、故人となった貞子の28年で終わった生涯を悦子が振り返る内容となっています。貞子は目を見張るほどの美貌と芸の達者さを持っていながらも、"口の明いた甕"と呼ばれる母親譲りともいえる無気力さと餓鬼の如き食い意地で水の様にどんどん下へ下へと流れていきます。素質が素晴らしいだけに、破滅的な人生を歩んでいく彼女に対し見た目も楽器の才能も終わっている自分は複雑な気持ちを抱かざるを得なかったのですが、生まれも育ちも職業も特殊な、それも自らで選んだのではなく勝手に「そうなっていた」彼女はもしかしたら色々と諦観の境地にあったのかもしれません。
大工の亮吉に見初められ彼の妻になった貞子ですがもともと生活能力が著しく低かったこともあり結婚後は家事育児等は一切何もせず、苦労は全て亮吉が負うことに。まぁ~本当に亮吉がいい男で……。結局のところ、貞子は亮吉も子供も実母ハルエもこれまでに彼女を買った客達も皆どうでもよく、唯一愛したのは美しく、仲間もいた松崎で暮らしていた頃の己の姿だったのです。だからこそいつまでも暮らしをよくする努力を放棄しせず美に執着し、実母が亡くなった時同様のぼろぼろの姿で逝ったのでしょう。それでもやりたい放題、好き勝手に生き、芸妓ではなく大工の妻として早死にした貞子は幸せだったように思います(亮吉からしたら間違いなくたまったものではありませんが)。
今は不動産会社の社長夫人として生きている妙子(50)がヒロインの『四章 染弥の妙子』は最終章を飾るだけありこちらも読みごたえ抜群でした!言い方はアレですが芸妓からの社長夫人というと現代で言ったらキャバ嬢が太客捕まえて玉の輿(Twitterでよく見るやつ)、みたいな印象がありますが実際はその真逆で、妙子は結果的に社長夫人となっただけで全ては彼女の努力と甲斐性を以て夫・幹雄を見捨てず陰から支え続けたお陰なのです。
五人姉妹の三女にもかかわらず長女ポジションを担わされていた妙子は良く言えば聡明で控えめ、悪く言えば地味な性格で、最初の男とのただただ不快で思い出したくもない一晩などの影響で決して芸妓に向いている娘ではありませんでした。辛いことがあっても実家には帰りたくない──嫌々ながらも芸妓を続けるうちに縁があり高知へ移り、借金も無事完済(えらいネェ~)。ところが、高知大空襲により自分を売った、憎くて、それでも恨み切れない父親が亡くなったことで生活がより苛烈なものになり、妹の八重子は流れでパチンコ狂いのクズと結婚、妙子はキャバレー勤めを始めるようになります。綺麗さっぱり足を洗ったはずの男相手の世界に再び戻っていくわけですが、後の夫となる幹夫と出会うのもそのキャバレーでのことだったのでまさに人生万事塞翁が馬ですよね。
幹雄との結婚は実は妙子にとっては博打のようなもので、苦労三昧の結婚生活を送る妹や、大男に裏切られ捨てられた、多くのかつての仕事仲間を見てきている以上腹を括ってのものだったのでしょう。今までにしてきたこともない一般的な仕事(Twitterでいうところの昼職)を必死にこなし夫の為に努力しついていこうとする姿には非常に胸を打たれましたね……(今の世の中なら「男の為に尽くすだけの女の人生なんて!」と言われそうですが、時代が時代なので……)。結局幹雄は事業を駄目にしてしまうのですが、それでも彼についていこうと決めた妙子の決意が何とも格好良いです。やっと成功が見えてきたかと思えばまた荒波に揉まれ、それでも強く生きる二人ですが、望んだにもかかわらず子を成すことはなく、それが何とも悲しくて。
"~それは同じように澄子や民江たちにも云えることであり、二人とも妙子が最初から社長夫人の座に迎えられたとばかり思っているかもしれないが、そんな僥倖などめったにあるはずはなく、もしあっても今の妙子の気持からすれば努力なしで得た座はごく脆いもの、という肚の据えかたがある。”とありますが、読者として妙子の奮闘を見守ってきた(?)ためかこちらまで「そうだそうだ!妙子は頑張ってきたんだぞ!」と声を張りたくなりますね。となるとこの章の紹介の冒頭で書いたキャバ嬢の例を否定することになるんですけどね(玉の輿に乗ったキャバ嬢はそれはそれできっと日々色々努力しているのでしょう)!ラストが非常に爽やかで、心地よい風が吹き抜けていくようでした。
読み終えた際、この物語の持つ余りのエネルギーにぐったりしてしまい、感想文を書くのにもかなりの時間を要してしまいました。極力読み終えたらその時の感情を忘れないよう早々にアップするようにはしているのですが本作に関しては約一か月弱かかってしまいました。人によるでしょうが、私はもう圧倒されてしまっていましてね……。尚映画化されているとのことでチラッと内容を確認してみたのですが全くの別物で「えっこれ原作要素なさすぎるんだけど大丈夫そ?」となりました。漫F画太郎の『罪と罰』じゃないんだよ
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Tumblrユーザーボイス: 北海道在住・cctrainさん(26歳)。
みなさん、自然と触れ合ってますか?周りを見回せば、スマホにパソコンが常にある便利な生活で、家に帰ればテレビをつける。遠く離れた友人や実家の家族ともビデオ電話で顔を見ながらいつでも話ができる。そういえば、静かに真っ暗な夜の闇を見つめて、周囲の物音に耳を澄ましたことってあったっけ…?
今回お話を聞いたcctrainさんは、大学入学をきっかけに神奈川県から北海道へ移住し、それ以来、北海道の友人たちにならってキャンプをするようになったそうです。もともと自然とよく触れ合う子ども時代を送ったものの、本格的にソロキャンプまで楽しむようになったのは、北海道の大自然と、そこに育った人たちからの影響が大きいということです。cctrainさんのブログ「The Garden of Photos」には、そんな雄大な北海道の自然の見事な写真がズラリ。ちょっと不安だけど、こんな大自然の中に一人っきりで身を置いてみたい、と思わせてくれます。ちょっと冒険に出てみませんか?
- キャンプの醍醐味とは何でしょうか?
ずばり1つ、「想像をはるかに超えた自然界の事象に心を動かされること。」さらに言うなら、不便さを楽しみ、星空と今そこにしかない風景とちょっとおいしいもので、心もお腹も満たされること。
大勢でのワイワイキャンプでは火と人の温かさを感じられ、ソロキャンプでは自分が周りに息づく動物たちと同化しているようで心地よいです。
- 北海道への移住の経緯を教えてください。
進学先は自分で選びましたが、北海道が第一の希望理由ではなく、大学の講義内容や開講しているゼミ、自分の成績などを考慮しました。志望学科が自然科学系だったため、漠然と自然環境に恵まれた大学を受験しようと第一志望は北陸の大学を選びました。しかし前期試験で不合格、ベソをかきながら後期試験で受けた大学が北海道だったんです。もし第一志望に受かっていたら北海道には来ていないので、「人間万事塞翁が馬」ってことでしょうか…(笑)
後期試験で北海道の大学を受験したのは、幼い頃の体験が意識の中にあったと思います。幼稚園の頃、兄と私は大の鉄道ファンで、寝台特急「北斗星」に乗り、北海道スキー旅行に連れて行ってもらいました。洞爺湖、留寿都で体験した雪と氷の世界は、自分が知っていた小さな景色とはけた違いに大きくて広く、心に深く残っていて、北海道に魅かれた要因であると思います。
- 自然が大好きになったのは、北海道に住んだ影響が大きいですか?それとも関東にいても同じように自然の中へキャンプに出かけるようになっていたと思いますか?
自然が好きだったのは幼少のころからですが、キャンプ、冬のアクテイビティの虜になったのは、北海道で生まれ育った友人たちと出会ったからです。自然との共存を本能的ともいえるくらい当たり前に身につけている彼らは、師であり憧れの存在です。神奈川の地元で暮らしていたら、そんな友達との出会いはなかっただろうと思うと、やはり北海道に来て暮らした影響が大きいですね。
関東にいたらどうなっていたか……神奈川近辺は人の手が入って整備された安心安全なキャンプ場が多く、仲間と飲み食いしながら自然と親しむキャンプには出かけていたかもしれません。けれども、電波や街灯りが届く便利すぎるキャンプ場へ、「独り」と「不便さ」を味わうソロキャンプに出かけることはないと思います。その点でも北海道は手つかずの自然を体感できる素晴らしい大地です。
- これから行ってみたい場所、挑戦してみたいことは何でしょうか。
大学、院在学中に、カナダや厳冬のアラスカで1か月学術調査して「星野道夫」の世界観に共鳴しました。もう一度アラスカへ行きたいです。北海道で培った寒冷地への適応力を活かし、極限の世界を体感するために南極にも行ってみたいです。近々の目標として、大雪山テント泊縦走、バイクで北海道一周など……やりたいことはつきません。
- ソロキャンプ中、夜の闇の中で、どんなことを考えますか?ちょっと怖くなったりしませんか?
闇の中の微かな音に、ゾワッ、ヒエッとする瞬間は、「怖い」という感覚もあるとは思うけれど、あえて言うなら「わからないものに対する『前向きな恐る恐る』的な好奇心」だと思います。さらに聴覚を研ぎ澄ませて次の音を拾っていくと、少しずつ��わからないもの」の範囲が狭まって、「あ、動物の足音だ…狐?…歩いている…止まった…耳をそばだててる?様子をうかがっている?…匂いを嗅いでいる?…エサみつけた?…仲間を呼ぼうとしてる?…」などと、想像を膨らませて彼らの行動に思いを馳せることができます。暗闇で「全く見えないけれど確かにそこにいる」という、なんとも言えない距離感が面白くて大好きです。
社会人になって北海道を離れた友人と楽しんだツーリングやキャンプを懐かしんだり、星座や星の名前を確認しながらどんな神話が由来だったか記憶をたどったり、今週仕事をどのように進めていくかとか、ペットのウーパールーパーの水替えをしなきゃ、などと現実的なことを考えたり、とりとめのない考えを巡らしています。反対に、何も考えていないでボーっとしているときもありますよ。
- キャンプ中、周りの自然やそこに住む動物たちとの出会いで、思い出に残るエピソードを教えてください。
屈斜路湖で夜空を眺めていたとき、北海道で120羽ほどしかいないといわれているシマフクロウの鳴き交わしを間近で聞いて、「本当にそこにいる」と、鳥肌がたちました。人間界にフクロウが生息しているのではなく、フクロウ界に人間の私がお邪魔していることを強く実感した瞬間でした。
- これからソロキャンプを始めてみたいという人に、何かアドバイスをお願いします。
やはり、安全が第一です。そのためには、準備を怠らないことが肝要だと思います。
最初から未知の自然環境が厳しい場所に行くのではなく、一度家族や友人と行ったことのある場所や、近場のキャンプ場で「独り」を体験してみるとよいと思います。「独りで何するの?」とか「寂しくない?」などと聞かれますが、ネットでいつでも世界中の人と繋がれる今だからこそ、自分とだけ向き合う時間は贅沢で貴重です。「独り」というのは、最初は勇気がいるし不安もあると思うけれど、私は自分の意志で一歩踏み出せたことが、今の自分を支える宝になっていると思います。
(画像: @cctrain0722)
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