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#古着とレコード
sorcjapan · 1 year
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#古着とレコード 先日ちょっと店頭で話題になったのですよ、『ディランコスプレ』! なりきりディランって楽しいかも。そんな雰囲気の古着ございます!! みんなでディランになっちゃいませんか?キャハ! 古着は... https://fueihoboogie.wordpress.com/blog/ BOB DYLAN/Real Live https://sorc.theshop.jp/items/63361249 BOB DYLAN/The Freewheelin' Bob Dylan https://sorc.theshop.jp/items/71130293 #sorc #vinyl #records #LP #中古レコード #レコード #レコードショップ #レコード好き #アナログレコード #discogs #vinyllover #recordcollector #recordstore #recordshop #名古屋 #覚王山 #kakuozan #黑胶唱片 #音乐 #古着 #二手衣服 #FUEIHOBOOGIE #フーエーホーブーギー #BOBDYLAN #RealLive #ボブディラン #ディランコスプレ #TheFreewheelinBobDylan (SORC 60's-70's Used Records) https://www.instagram.com/p/Cn6R8DJPKt7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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patsatshit · 6 months
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世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
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もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
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このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
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臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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hibikore-archives · 11 months
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よしもとかよ「日々是好日」。vol.110 (2023/6/21 + 6/28)
2023   21st + 28th june  
M1 空はふきげん (金延幸子)
  M2 your rainy days (Joshua Radin)     M3 あめふりヒヤデス (UA)
  M4 花・太陽・雨 (おおたか静流)     M5 あめふりくまのこ (Pernika Trio)     M6 beautiful rain (Little Tempo feat. Eddi Reader)     M7 la pluie et le beau temp (Austine)       M8 laughter in the rain (Ashley Maher)    
  < 好日の素 …古書を手にすること >  
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  先月下旬に 富山駅で開催されたBOOK DAYの 影響もあり、 あいかわらずスローな読み手ながらも 読書が進んでいるこのごろのわたしなのです。   BOOK DAYは 10周年ということもあって 古書はもちろん新刊、リトルプレス、ZINEなどの さまざまな印刷物に レコードやCD、関連するグッズなど 盛りだくさん。 じっくり見て回るには 2日あっても足りないのでは、と 思うほど。 県外からの出店者も多く、とても充実していました。   古書ですから、内容としては 最新の情報が記されているわけではないのですが、 出版された当初は それが最新だった、という ある意味記録でもありますし、 店頭や図書館などの棚から いつの間にかいなくなってしまった作品に 思いがけず再会できたりもして、 やっぱりたのしいものだなぁ、と思いました。   ページをめくると 気になったフレーズに 線が引かれていたり、 書き込みがされていたり。 (たまに落書きも…笑) そういった、以前の持ち主の空気を まとっていることもときおりあって、 それもおもしろい。 学生時代に持っていた雑誌に 再びときめいて買ってしまう!なんてこともあります。   富山駅でのBOOK DAY は今後もありますし 7月にはRECORD DAYも開催されるということで そちらも今からとてもたのしみです。       * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *    < 日々是食べたい! … のど飴 > 
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  こうして話したり ごくまれにうたったりする身としては 欠かせないもののひとつ、のど飴。 さまざまなタイプのものが 店頭に並んでいるので、 きっとそれぞれに 好みがあるだろうと思います。 わたしも、これまで いろんなのど飴のお世話になってきました。   子どもの頃は 花梨やミントなど ハーブ系のものが主流で たいていは メントールのスーッとするタイプのものでしたが、 この頃は メントールの感じがないものや はちみつが中心のもの、また ハーバルチュウなるソフトタイプの のど飴まで、ほんとうに多彩。 大根や生姜といった、 昔ながらの素材のものや 薬剤師さんのオススメ!というものもありますね。   わたしの最近のお気に入りは フルーツの味ののど飴。 スーッとする成分は入っていないようですが、 口に一粒入れていると いつの間にか のどがうるおって、落ち着いている感じがします。 色もカラフルで フレーバーも選べるたのしみがあって、 出かける際の必須アイテムになっています。   ちいさな一粒でも、 ほっとさせてくれたり 元気をくれたりする、 たいせつな存在です。  
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shredderwastesnow · 3 months
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長々と「ゴーストワールド」考
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私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移���したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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harawata44 · 8 months
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林家木久扇、来年3月に「笑点」卒業へ「座布団の芸も新しい人にバトンタッチします」24時間テレビで生発表 - ライブドアニュース
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以下引用
 85歳の落語家・林家木久扇が27日、「24時間テレビ46 愛は地球を救う」内の「チャリティー笑点」生放送中に来年3月をもって日本テレビ系演芸番組「笑点」(日曜・後5時半)の大喜利レギュラーを卒業すると発表した。
 木久扇は「わたくし、林家木久扇は来年の3月をもって『笑点』を卒業したいと思います」と発表。「芸というものは次の世代にバトンタッチしなくちゃいけません。私の座布団の芸も新しい人にバトンタッチいたします。今年の『24時間テレビ』のテーマは『明日のために、今日つながろう。』なので、私も背中を押された」と語った。  近年は桂宮治、春風亭一之輔と40代の大喜利メンバーが新加入。「大変面白くなってまいりました。私の(後任の)1枚が加わって、また新しい風が吹いて、笑点がうんと面白くなります」と世代交代の必要性を主張。「と言ったって、わたくしはやめたわけではない。『笑点』になにかあれば駆けつけますし、高座でも落語を続けてまいります」とこれからも噺家(はなしか)として活動していくことを宣言。最後に「そういうわけで、昇太(司会の春風亭昇太)さん、2000万円ください」としっかりジョークで落としていた。  木久扇は現役最古参で歴代最長の「笑点」メンバー。番組スタート2年目だった1967年10月の「若手大喜利」に初出演し、2年後の69年11月にレギュラー昇格。半世紀以上にわたり、大喜利メンバーとして笑いを届けてきた。  初代司会・立川談志さんから6代目司会・春風亭昇太まですべての司会者を見届けてきた大喜利の生き字引だ。黄色の着物にオバカキャラがトレードマーク。「木久蔵ラーメン」などの鉄板ネタも多数だ。77年10月、大喜利で「いやんばか~ん んふ~ん、そこはお乳なの」という歌詞の脱力ソングを披露したところ、子どもに大ウケ。レコード「いやんばか~ん…」は15万枚を超すヒットを記録した。  プライベートでは胃がん、喉頭がんと過去2度のがんを克服した。21年5月には自宅で転倒し左大腿(だいたい)骨を骨折したが、全治3か月のところを1か月で復帰する鉄人ぶりを発揮し驚かせていたが、復帰後は大事はとって座布団には正座せず、椅子に座って大喜利や高座などに参加していた。
 ◆林家 木久扇 (はやしや・きくおう)1937年10月19日、東京都生まれ。85歳。60年に桂三木助に弟子入りし「桂木久男」で落語界入り。三木助没後の61年、林家正蔵門下へ移り「林家木久蔵」を名乗る。65年に二ツ目、74年に真打ち昇進。2007年9月、長男の林家きくおの「木久蔵」襲名に伴い木久扇に改名。14年7月には初期の喉頭がんの手術を受けた。十八番に「彦六伝」など。出ばやしは「宮さん宮さん」。
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kennak · 5 months
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旧ジャニーズ事務所(現SMILE―UP.=スマイルアップ)の創設者、故ジャニー喜多川氏による性加害問題を巡り、俳優の服部吉次さん(79)が毎日新聞の取材に応じ、被害を訴えた。服部さんは、「東京ブギウギ」や「青い山脈」などのヒット曲を生み、国民栄誉賞を受賞した作曲家、故良一氏の次男。約70年前の幼少期に繰り返し被害に遭ったといい、旧ジャニーズの創業前から「子どもを餌食にしていたと伝えたかった」と語った。 ――服部家とジャニー氏の関係を教えてください。  ◆もともとは私の父が米国に公演に行った時に彼の父、諦道(たいどう)さんらの世話になったと聞いています。最初の公演場所はホノルルで、それから西海岸のロサンゼルスやサンフランシスコなどでした。諦道さんという人は非常にやり手で、お坊さんにもかかわらず興行をしていたようです。  彼が東京都内の自宅に来るようになったのは1950年ごろ、私が小学校1年ぐらいの時です。両親ときょうだい4人、お手伝いさんや書生さんらと大きな家に暮らしていました。父はどのレコード会社にも顔が利くという、いわば大御所の作曲家でした。お客さんが非常に多く、あらゆる打ち合わせが我が家で行われ、芸能界の中心のようでした。喜劇俳優の古川ロッパや榎本健一、芸人のトニー谷ら多くの芸能人が来ていました。  ――ジャニー氏はどんな人でしたか?  ◆子どもだった私たちと一緒に遊んでくれる優しくて面白いお兄さんでした。米兵の帽子をかぶり、カーキ色の軍服みたいな服を着ていた時もありました。朝鮮戦争へ派遣され、日本に帰国した後も来ていたと思います。将来を見越して芸能界にコネを作っておくという狙いがあり、出入りしていたのでしょう。  本当はいけないんだろうけれど、軍属のような立場で自由が利くから、チョコレートとかキャンディーとか、いろんな物を買ってきてくれました。時には冷蔵庫や、洗濯機も彼を経由して買っていたようです。お金は払っていたんだろうけど、日本にはないし、あっても値段は全然違いましたからね。13歳年上でしたがトランプなどで一緒に遊び、父は彼を「ヒー坊」と呼んでいました。  ――どのような被害に遭ったのですか?  ◆彼は週末、しょっちゅう泊まりに来ていました。泊まるのは私の部屋と決まっている感じでした。そうした時、布団に入って、下半身をまさぐってきました。  初めて被害に遭った翌日、彼が帰ってから、五つ上の姉にこういうことがあったと半ば相談するような形で話したら、途中で「やめてそういう話は。気持ち悪い」と言われ、誰にも話さなくなりました。彼は口止めするようなことはなく、次の日は全く触れずいつも通りにふるまっていました。姉だけが知っていたけれどもほかのきょうだいにも話さなかったでしょう。  子どもでしたから世の中のことは何もわからないし、されていることの社会的な意味は、全くわからなかった。被害はエスカレートし、口腔(こうくう)性交や肛門性交も強要されました。2年半ぐらいの間でおそらく100回ぐらいになると思います。家に来なくなったのは、彼が事務所をつくるとかで忙しくなったからでしょう。  ――7月に記者会見し、被害を訴えた経緯は?  ◆いろんな要素がありますが、一番大きな影響を受けたのが、当事者が性的被害を訴える世界的な「#MeToo運動」です。米国のエンターテインメント界の女性たちが声を上げました。何度か妻と一緒にフラワーデモ(日本各地で開かれる性暴力への抗議活動)に参加しました。  妻から「あなたも話す?」と聞かれたことがあります。その時は勇気が持てず、やるとは言えませんでした。それがトラウマになって、だんだんと、沈黙するのは性加害に加担していることと同じで罪だと思うようになりました。  そしてジュニア(ジャニーズJr.)が動いて、やっと自分も話す時が来たと考えました。芸能界の中だけでなく、それ以前から子どもを餌食にしていたことを伝えたかったのです。被害から約70年たって自分はようやく性被害の話ができました。少年時代の負の部分を清算でき少しほっとしました。
旧ジャニーズ創業前から「子どもを餌食に」 服部吉次さんが被害証言 | 毎日新聞
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yazukaruma · 11 months
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RELAXIN' with Small Circle Of Friends
2023.4.7 FRI
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この日の模様を8mmカメラで撮影編集してくれたのはVodhiko!観てみてくださ〜い?
ブログを書くのに1ヶ月以上もかかってしまった…。沢山の思いがあり、言葉にしきれなくて…。
SCOFを知ってから、自分の活動に対する姿勢が変わった。
自分にとってかけがえのないアートに触れた時、その先は今までの自分じゃなくなる。
まさにそれがSCOFだった。
ライブに遊びに行くようになって、自分の存在を知ってもらい、いつか呼ばせて下さいと言ってから本当に叶ってしまうなんて。
この日に遊びに来てくれた方々、地元の面々、愛知に来てから知り合った友達、京都や三重から来て下さった方々、僕の絵を好きになって大阪から来て下さった方、自分がやってるHIPHOP POSSEの仲間とが混ざって最高の一日になった。本当にみんなありがとうございました。
小さい頃から絵や漫画、ストリートカルチャーにハマってからグラフィティー、地元の友達のパーティーでライブペイントしたりフライヤーを描いたり、家で描いたり、誰に見せるわけでもなく描き続けていた。SNSは良くも悪くも出不精な自分にとってアウトプット出来る一つのツールになった。
ラップは中学の頃に謎の掲示板サイトでリリックを投稿するだけだったのがみんながバンドでライブをするようになり、そのセッティングの間15分間ラップしてみる?ってのから始まって、その日の充実感が忘れられずにまだ続けている。
その頃からの友人にフライヤーデザインやデコをお願いし、一緒にこの日を作る事が出来て嬉しかった。
話すと長くなるのでこの辺で…。
フライヤーについては別の日の投稿を読んでみて下さい。
長くなりますが、関わってくれた方々へ感謝も込めて紹介とこの日の事を綴っていきます。
パーティーに出演した方々もそうですが、この様な日になったのもこの場を続けているHunny Bunnyの宮地さん、そして僕らの身内じゃなくても遊びに来て下さった方々がいたからこそ盛り上がり、やって良かった、来て良かったと思えるパーティーになりました。
本当に本当にありがとうございます。
写真枚数がオーバーしてしまい、自分の絵や載せれてないのもありますが別に投稿します。
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brew coffeeのホラちゃん
彼は中津川市のスケートショップ"Kaya Store"内にてコーヒーを淹れています。
https://instagram.com/kayastore_gifu?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==
彼の口当たりが良いコーヒーを飲んで、絶対にやってもらいたい!と思い実現しました。
SCOFのお2人にも飲んでもらえて良かったねー!これからもよろしくお願いします。
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中津川で主催やDJをしてるOronamin Sue
彼はWillfully PosseをLikkle Mai&The Kさんとの対バンも企画してくれて、その日はとても刺激的だった。
DJもルーツミュージックが大好きでこの日は絶対誘おうと思った。Openからのダブやスカで雨を吹っ飛ばす最高のスタートを切ってくれた。
懲りずにまた遊びましょうね!
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Katayamaさんは栄にあるレコードショップ"ミュージックファースト"のスタッフで、minoからの繋がりで出会った。
ミュージックファーストは僕がジャズに出会った場所。
そして始めてサンプリングをした盤を買った場所。
通い出した当初はまだ狭くて、あまり沢山あるお店だと見切れない選びきれないで自分には丁度よく、この盤がこの値段!リーズナブル、落ち着くって感じで座り込んでずっと視聴してたりした。
Willfully Posseの曲"REFRESH REFRESH"のリリックで"MF"と言うのはここの事で僕達のスラングです。
katayamaさんとも一緒に出来て本当に嬉しかった。この日はBlack Jazzレーベルの盤も流してくれたりドープでディープな根っこ的な選曲で僕らに欠かせない音を出してくれた。
彼のインスタグラムを見て頂ければそのミュージックラバーぶりを体感出来ます。
https://instagram.com/katayamasasi?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==
これからもよろしくお願いします。
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Markingはラップを始めた頃、地元で同世代の活躍してるグループが一つあった。
そこにいたのがMC Marking。
その頃もっと仲良くしてれば良かったのに(笑)自分も尖ってたりライバル心があり負けたくないってのがあって、なかなか一緒に何かやるってのがなかった。不思議ね。
でもお互いに色々あり、残った。
それから違うパーティーで会うようになり、それで2月に1回彼とハンナちゃんとヤッシーが主催する"ENISHI"に誘ってくれていつの間にか自分もレギュラーになり今もドープなパーティーを続けている。
そんなMarkingをこの日のメンツとずっと混ぜたいってのがあってそれが叶った。
この日も沢山仲間をを連れてきてくれたし、彼の人柄がみんなを繋げてくれた。
この先もよろしく。
彼とは近々一緒に曲をやります、楽しみにしていて下さい。
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そしてライブ前のDJはJun8。
彼とは中学からの付き合いで、色んな時間を一緒に過ごした。腐れ縁ってやつ。
SCOFを教えてくれたのも彼。
その他様々なカルチャーを教えてくれて、共有し未だに好きで聴いてる音楽は彼譲りのとこがある。
いつもパーティーでこうゆうの聴きたいよねとかこうゆう事したいよねって言ってた事、そしてSCOFを呼んで最前列で2人で見れた事、夢の様だった。
"Boys Wonder"がかかった時、思わずハイタッチをしてしまった。その模様はこの映像にも捕らえられてます。
またやろう。
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そして僕らWillfully Posseのライブ。
MC Maruyamind、MC Mashila、MC JAH MOON、Guiter Snipe。
MC Mashilaとはこのグループを組む前からSkunkapeとゆうグループをやっていて、週3くらいでライブしてた日々もあった。
2人、恵那、中津川なのに、次の日仕事なのに名古屋までへ行き、とりあえずライブをしまくった。
帰り道、車の中でいつもアルバム3枚分くらいフリースタイルして帰ったり、変な箱、パーティーでライブしたり、色々一緒に経験した。(これからもだけど)
あの日々がなかったら今の自分にかなり大きい穴があく。
僕が一番上手いと思っているMCです。
MC JAH MOON
彼は地元で別のグループでラップをしてた後輩。
一緒に遊ぶようになり、仕事もろくにせずフラフラしてた時、毎日家に集まるのが日課になって好きな曲を聴いてリリックを書いて、朝方帰って、また夜中に同じ事をして、その繰り返し。
お互い生活や住む場所が変わって離れていた時期もあったけど、まだやりたいってゆう意思と音楽が再会させてくれて毎週末集まって今も曲を作り続けている。
彼の探求心、ラップ好きが今も一緒にやりたいと思わせてくれる。
後輩だけど、面倒を見てもらっています。
Guiter Snipe
Willfullyは彼と始めた。
Skunkapeをやりながら、"Block Party"を観て僕も生バンドでライブがしたいとなり楽器を入れたグループを作った。(その頃はベース、ギター、ドラム、キーボードもいた。)
それで彼が残った。
これも音源を出すことなく、サンプリングしたビートにギターを絡めて、今もですが試行錯誤しながら僕らなりのHIPHOPを色々試している。公私ともに助けてくれる存在。
ただ僕と音楽をやってたいだけと言ってくれる存在。
そこにこの2人や色んな友人が集まり、Willfully からWillfully Posseにしようとなった。
ライブは楽しかったけど、SCOFのライブを体感してまだまだ。これからこの日受け取った事を糧に続けていきます。
年内にはやっとアルバムが出せそうなので楽しみにしていてください。
https://instagram.com/willfully_posse?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==
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SCOFの前はmino
これはもう決めてた。
愛知に住むようになって一番最初に家に行ったり一緒にパーティーをやり出した1人。
彼にはそれまで自分が持っていた音楽、アートに対する価値観や向き合い方を変えられた。
彼も、彼と会ってからそれまでの自分じゃいられなくさせてくれた。
浮き沈み激しい自分をそっと見守ってくれます。
SCOFの前に持っていったのは、お2人にも聴いて欲しかったし絶対気に入ってくれると思った。やっぱり、2人も楽しんでくれた。
DJ、セレクターをやるようになったのは多分自分が違うパーティーで呼んでからが最初だと思う。
「繋げなくて良いので、好きにやって下さい」
それくらいminoとゆう人間を、彼が流す音楽を色んな人に体感してほしかった。
今では僕も知らないとこで彼のセレクトした音楽が色んな場所で流れています。
これからもよろしく!
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オノダアツシ
彼はminoの古くからの友人で彼もDJとしては活動していなくて。
でもその音楽への愛情が溢れていたから、周りからやってみない?と誘われクラブではなくカフェや野外のイベントで回すようになりました。
minoと"生活倉庫"とゆうパーティーをやっていて、存在は知っていたのですが会えずにいました。
その後、仕事柄僕の地元に現れるようになり彼はプレイリストを日々制作していてそれを気に入ったtocoro burger(中津川市)の店主がイベントに誘い、そこに僕もいてminoをすっ飛ばして一緒になる事が増えました。
とゆう事は僕がminoと出会っていなくてもオノダアツシと出会っていたと思うと、僕らは出会うべくして出会ったのかもw
ブラジル音楽と打っていますが、関係なく幅広く音楽が好きで(もちろんブラジル音楽に関しては言うまでもなく)、彼にも"繋げる"は不用、好きにやってもらいました。
しかし時にはしっかりフロアを踊らせ(本人にそのつもりはなくても)時には突き放しw その佇まいでは想像しきれない曲達を放り込んでくれます。
この日は最後をお願いしたのですが、間違ってなかった。
これからもお互いのペースで音楽を鳴らしていきましょう!
彼のプレイリスト、是非聴いてみてください。
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そしてSmall Circle Of Friendsのライブ。
もう、幻のような時間でまだ思い出すと(興奮していて朧げなのですが)鳥肌が立ち、泣きそうになってしまいます。
僕達のライブも絵も見てくれて、お2人のライブを見ていて何も言わなくても伝えてくれた事が沢山あった。
ここに書くのを迷ったのですが、彼抜きでは語れないので書きます。
Willfully Posseと一緒にベースを弾いたり、一緒に音楽をやっていた仲間がいます。
SCOFが岐阜へライブに来た時に2人で行きました。彼もSCOFが大好きでよく一緒に聴いていて、いつか呼びたいね〜なんて話していたのですが彼は居なくなってしまいました。
その彼のためにもこの様な一日を迎える事が出来、この日は決して忘れる事はありません。(でもまた来て下さいねw)
"コノサキノサキ"を歌うお2人の姿が目に焼き付いています。
僕の作品がこの様な場所、レコードに囲まれて、音楽が鳴る場所にあって光栄でありとても幸せです。
今後も絵の展示やこの様なパーティーを続けてゆきます。
是非、どなたでも遊びにいらして下さい。
好きなように遊んで頂けるのが本望であります。
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ichinichi-okure · 8 months
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2023.9.14thu_tokyo
ーーーーーーーーーーー この日記を読むあなたへ スマートフォンを横向き にして閲覧してください ーーーーーーーーーーー
昨晩は疲労困憊なのに百万遍を歩き回ったのち村屋※で飲んだ 帰りに天下一品に寄ったせいか 今朝は二度寝していた
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二度寝して現場に到着
午前中はトイレ前にあったデカい鏡を移設する準備をしていた ラジオは「今夜アレになる」「18年ぶりのAREだ」と繰り返す
鏡を取り外すと朽ちた内壁がバリバリと剥がれたので修復 車があるうちに2枚多めに合板(畳サイズ)を買っておいてよかった
京都「西ノ京」に開店する珈琲ヤマグチ※の工事を請け負っている 最高気温が35度を超えたことを意味する猛暑日は37日を数えた
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クライアントと友達
午後は昨日に引き続きクライアントが友達2人と助っ人に来てくれた ニュージーランド在住?サービス業従事者&僕の母校の教員
クライアントは真名美という 5年位まえ僕の飲み屋の客だった 真名美が現場に来るとアイデアを伝えてどう形にするか相談する
京都入りしてから2か月と1週間が経つ 7月7日に銭湯で買った石鹸はすっかりちびてしまった
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7月8日天井落とし
今日はこういうかたちで「回想」することをみとめられたので 日頃反芻していた言葉の断片を1行31文字以内で書き留める
高井戸ICからイッチー※のハイエースに工具を満載し片道460km 物件は元米屋でその前はパン屋 餅屋いずれも貸主の商売だった
東京から京都へたった1人で移住した借主の行動力に感服する 工事の相方で師のイッチーと真名美で3人であちこち飲み歩いた
METROでのGiftやKyoto TSUBAKI fm 3rd anniversaryは楽園だった 京都にいる内にできるだけ多くのリスニングバーやクラブを回りたい
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DJで一級建築士のタムラさん(DoitJAZZ)
築90年の町家建築を相手に序盤のほとんどは解体で難儀した 天井を落とし壁をめくり床をこじあけた裏側に幾千の生き物の痕跡
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イッチーと彼が連れてきたアルバイト
仕事終わりには若松湯で埃りと汗を流している 町場に用事があればその周辺の銭湯巡る 10数軒は回ったか
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文化財で銭湯にプチ遠征
ひと月かけて執り行われる祇園祭にも少し詳しくなった 通りの名前も徐々にしみついてきている
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祇園祭はカッコよかった
コーヒーを淹れる台は材木屋で50年眠り続けたラワンの一枚板 材木屋は現場の近くにあり親切※美大関係者へのサーヴィスが手厚い
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材栄さん
京都入りと同時に2級建築士製図試験対策の日曜講座に通い始めた しかしオンもオフもやることが満載で宿題の半分もままならなかった
めくった壁から90年前の大工さんがつくった壁がでてきた 新しく造る壁と並列させて見えるように設えている
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A剥がして現れた壁
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B古い壁と新しい壁
8月22日 イッチーはトリツカレ男の店番と都立家政での新しい 案件に着手すべく一足さきにハイエースに工具の半分を載せて帰った
いったん東京に戻り9月10日に製図試験挑んだが十中七八アウトだ 12月7日に結果が出る そのころには珈琲ヤマグチも板についている
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二級建築士製図試験問題
言葉を尽くし手を動かし工夫を重ねた内装工事も終盤 準備した200枚の名刺は徐々に京都人たちの名刺に換わっている
いろんな店で顔なじみになり「工事終わったら帰りはるんですか」 惜しんでくれるのは嬉しいが工事はあと1週間半くらいで終わらせたい
サウナで声をかけてくれた51才の紳士は音楽通だった いまやかけがえのない京都のともだちになっている
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レコード棚も造っています
場所柄外国人とも酒を酌み交わした フィンランド人、チリ人 トルコ、中国人、モンゴル、アイルランド…7か国位?
芸大(先端芸術表現科)の同級生や先輩とも久しぶりに会えた なぜか同級生の2人が医師免許をとっているが明日その彼らに会う
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先端の先輩が自転車に載せられる美術館をつくっていた
16時半 真名美は同級生と自然派ワインの店coimo wine & cafeへ 僕は若松湯のラジオで阪神タイガースの優勝の瞬間を見届けた
最寄りの定食屋兼飲み屋「たいたん はちべゑ」へ行くと 「あとアウト1つやで」と狂喜乱舞するファンに迎えられた※
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あれに乾杯
京都でピザ屋を開きたいという同い年の夫妻に出会った※ 早く眠るつもりがCOMOGOMO JURAKUで2人の夢を語りあった
もしかしたら彼らの店を造ることになるかもしれない 25時 今日も倒れるまで眠らなかった
灼ける盆地の風にも秋の成分がだいぶん添加されてきた もう猛暑日の38日目をカウントすることはないだろう
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イッチー、フィンランド人のイラリくん、やぎ
ーーーーーーーーーーー 注釈
※村屋 出町柳のカオスな飲み屋。自然派日本酒が豊富。
※珈琲ヤマグチ 現在自家焙煎コーヒーのオンライン販売とイベント出店。 2023年9月現在。中京区西ノ京左馬寮町にて喫茶店を開業予定。 御前丸太町下ル 若松湯東入ル。 https://www.instagram.com/_3_yamaguchi/
※イッチー 高円寺のタパスバー「トリツカレ男」店主。 2017年末この店をイッチーが造っているのを手伝わせてもらったことが 僕が内装を始めたきっかけのひとつになっている。 https://www.instagram.com/toritukareotoko/
※親切な材木屋 材栄 https://zaiei.shopinfo.jp/
※阪神タイガースのリーグ優勝 日記の中にアレの瞬間が2回あるのは ラジオ放送に遅れてテレビ放送がついてくる。 タイムラグは2分近くあったと思う。 その間検閲できちゃうのでは?という時間差。 ラジオは昔も今も最速のメディア。現場でもラジオが相棒。
※ピザ屋 ヨロシクピッツァ。 ポップアップ出店と窯ごと出前ピザしている。 https://www.instagram.com/yoroshiku_pizza/
※COMOGOMO JURAKU 現場から近いし深夜遅くまで開いているので 製図試験対策で力尽きたらここで晩酌していた https://www.instagram.com/comogomo_juraku/
-プロフィール- やぎ 38歳 東京 とんち造作計画・内装業
ペーパードライバーの個人事業主の内装業。 店舗設計、解体、壁の造作、什器製作、左官、給排水配管 などおおよそ全て自前で施工している。 佐橋※介。※の部分を景に替えてお読みください。 http://instagram.com/tonch_keikaku/ http://tonch.tokyo/
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littlesallywalker · 10 months
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日記
撮りたいものはいつもない。
AM2時に一度起床して大根の漬物を作った。
夏の夜の吐く息のタッチ。二の腕を吸った痕跡。
このまま起きているのかなって写真事をはじめて、
ぼんやりと大股開きでベッドへ。ねむたー。
8時前起床、健康的な朝だな。
「愛を伝えたいだとか」廊下をぴとぴと歩く。
知らない町のイオンへ行きたくなって激調べ。
たまの遠足したくなったんだよね。
その目的地をまずイオンにする。
海に近いイオンとかね。
おもしろいじゃないか...。
ちいさいころ、宇都宮の郊外スーパーへ祖父と。
今は引っ越したみたいだけれどいとこのお家へ。
それでおじいちゃんと二人でスーパーまで散歩して、
外の焼き鳥売りの車があって「食べる?」って訊かれて、
うんうん!って二人で食べたんだけどおじいちゃんが、
「うんめーー。な?」って。ぼくもかなり衝撃の味。
もちろん焼き鳥くらい食べたことあるお口。
おじいちゃんはなおのことだけど感動して。
いとこたちに伝えてもなんも反応なかった。
それから時はたちました。
おじいちゃんを看取る直前お見舞いで、
「あの焼き鳥うまかったなー」って言ってた。
忘れられない食事のひとつ、スーパーの出店焼き鳥。
たまに買うんだけどね。閃いたようなそれはなかった。
「大丈夫、おまえはだいじょうぶ、こわいものなんかない」
亡くなる直前おじいちゃんと抱き合い最後まで励ましてくれた。
誰にもいえないやまいの中、ウェイトしながらナイフをとった。
黄疸がひろがってそれでもあたたかかったおじいちゃん。
「好きな食べ物は?」必ず「とり」って言っています。
今もあるかなあのスーパー、あの出店。あの曇天。
いつまでもいつまでも歩いた。「うまかったなぁ」。
昨夜ぽっくり寝ていたのだけど、
ちょうどlineをみると7時過ぎに送って、
返信してくれたのは40分後とかなのに知らず知らず。
ぽっくり寝ちょっとやめたい。おっかないもんね。
けどいいやって日もある、死んじまいたいようなね。
”夜がくるたびにもう朝はこないとおもったよ”
シャツは似合う気がした。
お見かけしらないのに絵を見て。
ぼくは左前のシャツも着ていました。そんな人。お察しを。
でもそれをもうやめようと思ったんです。せめてボタンくらい。
ただとくにあのシャツ、お気に入りでマネキンに着せてみていた。
変態みたいだけど、ぼくはあれが似合う女性になりたかったんだ。
買う時も店員さんにはっきりそう言って。うろんな客。
ぽっけが切り返しでかわいい。着せ替えしようね。
行きつけの古着屋さんはなんというかおしゃれ屋さんでなく、
年中革製品の匂いの雑貨も売ってるんだけどがらくたばかりで、
チェーン店なのだけど独特な個性を放ったところ。
ジャージがけっこう豊富だけどあのちゃん効果かさいきん品薄。
世界一シュプリームに縁のなさそうなぼくがそのヴィンテージ見て、
かわいい!と即買いしたお店。真っ赤でSがどでかくあって、
ますます縁のないパーカーなんだけど腿が隠れるいいサイズ。
ただどれもこれも仕舞う時期だね。服だけの部屋も家にはある。
いやになっちゃう自分が。着て出かけたことないシャツよければね。
今日するはずだった配達、ちと暑そうで安堵している。
それなりの仕事して電話して、なあなあに生きてみます。
「ごろごろ過ごす」が苦手で出来なくて、だらだらしていです。
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これ大好きでうひょうひょとレコード買いました。さいこ。
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yui-on · 1 year
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閑話休題 伍
「YoshimiO & U-zhaan
LIVE IN POLARIS Release Commemorative」
at 結音茶舗
【日時】5/3 2023 (水曜日・祝) open 18:00
【会場】結音茶舗
    大阪府大阪市中央区谷町六丁目14-2 路地奥
【料金】限定20名先着(※要予約) 4,000円+ワンオーダー
【予約】E-mail : mailto:[email protected]
    Tel : (06)4305-4926 (12:00-24:00・月曜休)
出演
LIVE
YoshimiO x U-zhaan
Hideo Nakasako
にしもとひろこ
DJ
あらゆるゔぇーだ
Sound: Kabamix
YoshimiO & U-zhaan
LIVE IN POLARIS
シタール奏者のヨシダダイキチが結成した実験的インド音楽ユニット「SAICOBABA」のメンバーとして1999年から数多く共演をしてきたYoshimiOとU-zhaanが、出会って23年目にして突発的に初開催したデュオ即興ライブのフル音源をBandcamp限定でリリースする。マスタリングはkabamix。
YoshimiO and U-zhaan, who have performed together numerous times since 1999
as members of SAICOBABA, an experimental Indian music unit formed by sitar player Yoshida Daikichi, will release the full soundtrack of their first duo improvisation live performance, which was held suddenly and unexpectedly 23 years after they met, exclusively on Bandcamp The mastering was done by kabamix.
YoshimiO/
Vocal, Piano, Bamboo Flute, Triangle, Synthesizer
 
U-zhaan/
Tabla, Kanjira, Alto Horn
Mastered by kabamix.
Artwork by UTA
YoshimO・ヨシミオ(a.k.a.Yoshimi P-We)
1986年BOREDOMSのEYE等とUFO OR DIEを結成。
初めてドラムを叩き、初動でシャウトするステージから、
1988年より30年以上世界で最も先鋭的なエクスペリメンタル・ハードコアバンド・
BOREDOMSのコアメンバーとして活動。
1993年Kim Gordon,Jullia CafritzとのFREE KITTENのドラマーとして加入後、
1995年より自身のプロデュースバンドOOIOOを結成し、ギターヴォーカル&トランペットでの表現は現在進行形である。
1999年からシタール奏者のヨシダダイキチが結成した実験的インド音楽ユニット「SAICOBABA」を経て、
2015年には古代ヌメロロジカルな手法をもとに演奏されるラーガコアバンド
[SAICOBAB]をヨシダダイキチ、HAMA(滞空時間)等と結成し
Vocalist・YoshimiOとしての活動を始める。
2020年よりYoshimiOのすべてのインプットは和泉希洋志からアウトプットされる
YoshimiOizumikiYoshiduOでピアノを奏で発声。
複数のパーマネントな音楽活動はもちろん、世界中を舞台にした数え切れないセッション・ワークやレコーディング、プロジェクトへの参加、  映画のサウンドトラックをはじめとするソロ=YoshimiO名義での音源制作、他ミュージシャンへの楽曲提供、 CM音楽制作、さらには、自身のブランドemeraldthirteenでの服飾デザインまでをもこなす、正にポリフォニックな多層型アーティスト。
音楽制作、延いてはその根幹となる器楽演奏や発声の方法までもが完全にオリジナルなメソッドで
貫かれており、楽器や音そのものから放たれるバイブレーションと素直に対峙することから始まる
身体的反応を第一義としたプリミティブな表現を核に、同時代性を伴う鮮烈な色彩感覚をちりばめた、独自のエートスを獲得している。 
U-zhaan・ユザーン
オニンド・チャタルジー、ザキール・フセインの両氏からインドの打楽器「タブラ」を師事。2000年よりASA-CHANG&巡礼に加入し、『花』『影の無いヒト』など4枚のアルバムを発表。2010年に同ユニットを脱退後、U-zhaan × rei harakamiとして「川越ランデヴー」「ミスターモーニングナイト」等を自らのサイトから配信リリース。2014年にはゲストに坂本龍一、Cornelius、ハナレグミ等を迎えたソロ名義のアルバム『Tabla Rock Mountain』を発表した。2021年にU-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESSによるアルバム『たのしみ』、2022年に蓮沼執太との共作アルバム『Good News』をリリースしている。
Hideo Nakasako
関西を拠点にAmbient〜Dub〜Technoに影響を受けた電子音楽を制作するプロデューサー。現在は自身で録音したフィールドレコーディングやシンセサイザーで作ったテクスチャーをレイヤーしたAmbient Musicに傾倒している。
Blue Arts Music,shrine.jp,Muzan Editionsなど国内レーベル中心にリリースを重ね、自身のBandcampにて精力的に作品をリリースし続けている。2023年2月Muzan Editionsより「Collected Sound Fragments」をリリースする。
2017年よりクラブの音響、環境でアンビエントミュージックを楽しむパーティーDon't Danceを主宰する。
https://hideonakasako.bandcamp.com
にしもとひろこ
散らばる光と戯れるように、独特な声色でうたを紡ぐ。
アコースティックデュオ「たゆたう」、女性5人バンド「Colloid」などで活動するほか、主に声のみで物語を奏でるソロパフォーマンスやボーカル・コーラスサポートも行う。
2014年 劇団sunday『友達』、2016年 423アートプロジェクト『とちのこゑ』、 2017年 瀬戸内サーカスファクトリー主催『サカイデマングローブ』、2018年 『大阪府障がい者舞台芸術オープンカレッジ2018「うみのうたごえ」』、BRDG vol.5『Whole』、2020年BRDG vol.6『ふれる~ハプロス』などで楽曲提供、劇中での生演奏に参加。
日々の暮らしの中、歌ったり、描いたり、作ったり、多岐にわたるアーティスト活動をめぐりながら独自の世界観を表現する。
あらゆるゔぇーだ ARAYURUVEDA
コロナ禍において自宅をインドに近づけるために、インドのレコードを聴きながらカレーをつくる活動をはじめる。インドの音楽をより楽しむために、近隣諸国のレコードも買うようになり、戸惑う。BGMにより空間が唐突にアジア、アラブ化するのを楽しんでいる。
結音茶舗
542-0012
大阪府大阪市中央区谷町6丁目14-2 路地奥 結音茶舗
電話 06 4305 4926
map
https://goo.gl/maps/ePqVuHhzoU72
googleMapで「日本茶バー」検索
営業時間
お昼 12:00 - 深夜24:00
ランチタイム 12:00 - 15:00
喫茶 15:00 - 17:00
日本茶バー 19:00 - last
定休日毎月曜 第三火曜
イベント・催しによって変動あり
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sorcjapan · 1 year
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🌟FOR SALE🌟 #古着とレコード お、『古着とレコード!』とお客様が見つけてくれた組み合わせ!? このタグも認知度が高まってきたかしら。ちなみに裏ジャケです。 キレ味のあるギターの音色がとてもいいレコードです♪ 古着は... FUEIHO BOOGIE https://fueihoboogie.official.ec/items/68921582 レコードは... MARTIN SIMPSON/Sad Or High Kicking https://sorc.theshop.jp/items/70568770 #sorc #vinyl #records #LP #中古レコード #レコード #レコードショップ #レコード好き #アナログレコード #discogs #vinyllover #recordcollector #recordstore #recordshop #名古屋 #覚王山 #kakuozan #黑胶唱片 #音乐 #古着 #二手衣服 #FUEIHOBOOGIE #フーエーホーブーギー #vintageclothes #vintageclosing #MARTINSIMPSON #SadOrHighKicking #RidersLeatherJacket (SORC 60's-70's Used Records) https://www.instagram.com/p/CnI7dDavZ4K/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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patsatshit · 7 months
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9月の最終営業日、朝から関東在住の保育士ミサさんが「12時頃にタラウマラに行きます」と嬉しい連絡をくれたので、足の踏み場もない店内を少しでも片づけておこうと、開店するなり自転車整備に精を出す。中古自転車は入荷しただけでは商品にならず、一台一台きちんと点検し、メンテナンスをしないことには店頭に並べることもできない。当然、状態の良いものは手間も時間もかからず、それなりの価格をつけることができる。逆に程度の悪いものは手間も時間もめちゃくちゃにかかる。不具合箇所はすべて新品のパーツと交換しなければならないので、その時点で自ずと商品としての原価も上がる。だからと言って高額で売れる訳ではない。経年劣化、そもそもの状態が悪いのだから当然と言えば当然だ。このあたりがレコードや古書との決定的な違いだと思う。古いものに価値がある訳ではない。だから手間と時間とお金を存分に注いだものほどお客様には安価で提供しなければならないという地獄のような矛盾を自分のなかでどのように折り合いをつけていくかというところに、古物自転車商の醍醐味、面白さが潜んでいる。タラウマラの場合は自転車修理に加えて書籍や音源を含む物販の収入を売上のグロスに投入することで、利益を調整している。ただしそれぞれの柱がうまく機能し、循環していなければ焼け石に水となってしまうのだけれど。どれだけ尊敬するアーティストやレーベルからのリリース作品であっても、僕はその時々の状況や予算、実際の懐事情を鑑みて作品を入荷したり、しなかったりする。先様もそのあたりは理解してくれているのでとてもありがたい。出勤前にコーナンで大量に購入した整備用具一式を手に、自転車と向き合う。メラミンスポンジやウエスで清拭してやるとどんどん汚れが落ちて、注油の度に各部の動きもスムーズになってくる。はっきり言って気持ちが良い、が、しかし、ここで満足していたら、単なる金持ちの道楽と同じになってしまう。商売は趣味ではない。きちんとお金に変えていかないと意味がない。僕は人助けのために自営業をやっている訳じゃない。自分や家族がこのクソったれな世の中で何とか生きていくために全力で自衛している。整備を終えて店頭に並べた自転車が瞬く間に売れていく。淡路に引っ越してきたばかりだという男性と、タラウマラオープン当初に購入してくれていた常連さんが新たに買い替えの一台を選んでくれた。商品とお金が交差し、僕もお客さんも笑顔だ。ここは極めて重要、買い物の最終工程を機械に委ねたらあかん、感情だけは奴らに渡すな、マニュアルや利便性を自らの手で破棄してでも残る言葉と顔貌で交渉を成立させよう。このときの快感はなにものにもかえがたい。開店早々からお金も動き、僕も動き続け、修理のお客さんも後をたたない。秋とは思えない気温と首筋に照りつける強烈な日差しに汗びっしょり。あっという間にお昼、ミサさんの来店時間が迫っていた。と、そのとき、年齢も服装もばらばらの数名の男女が慌ただしくやってきて、こちらに対して一方的、矢継ぎ早に要求を伝えてくる。各者の言葉を要約すると、少し離れた場所で女性が自転車の後輪にスカートを巻き込んで身動きが取れない状態、だから助けてあげてほしいとのこと。そうこうしている間にも店頭ではパンク修理の依頼が2件、タイヤからチューブを引っ張り出しながら、いま店を離れることはできない旨を彼らに伝えると、助け隊のひとりが「こういうときに何とかするのがプロでしょ」と宣ったので、キレた。おうよ、そこまで言うなら行ってやる。幸いにもパンク修理のお客さんからも理解を得ることができたので、僕はタイヤを脱着させる際に使用する作業台と工具一式を担いで彼らの案内に従うことにした。店には「すぐに戻ります」の貼り紙。絶対すぐに戻る、どうかミサさん帰らないでね、という想いを込めて。目的の場所にはラグジュアリーな服装の女性が確かにロングドレスの裾を自転車の後輪に巻き込んでうずくまっていた。巻き込んだ際に転倒したようで足や腕、顎のあたりに擦過傷ができていた。可哀想に、せっかくのおめかしが台無しやんか。それ以上に女性を包囲する助け隊一派の存在が鼻についた。僕は女性にこれから行う作業内容を簡潔に伝え、最悪の場合はドレスの裾を切らなければならないかもしれないことを強く念押しする。女性は首を縦に振った。高そうな服やのに、もったいない、気の毒やなぁ、などという助け隊の言葉は徹底的に無視。早速サドルを作業台に引っ掛け、チェーンカバーを外し、後輪のネジを外していく。それにしても見事なまでの巻き込み具合で、薄いレースのような生地がバンドブレーキと車軸との僅かな隙間に幾重にも層になって絡まっている。まるで伊藤潤二の「うずまき」のようだ。ゆっくりと同時に要所で力を込めてタイヤを回転させ、生地を引っ張る。少しずつ隙間から生地がぬらぬらと出てくる。助け隊のおっさんどもはお姉ちゃん頑張れ、水飲んどきや、ケガして可哀想に、美しいお顔がえらいこっちゃ、バンドエイド買うてきたろか、と引き続きうるさい喧しい鬱陶しい。何よりも困惑したのが、僕の作業する位置が女性のドレスの裾を覗き込むような格好になるので、見てはいけないものを見てしまうかもしれないという妄執に取り憑かれて酷く落ち着かない。はっきりと集中力が削がれる。何度かプラスドライバーの先端がネジの駆動部を舐めた。それを察してか女性もくねくねと腰をよじらせたり足の位置を変えようとするので余計に艶かしくなってしまい、むしろ逆効果。僕はええいままよと心を鬼にして、生地を引きちぎらんばかりの勢いで力いっぱいに掴んだ。手応えあり。いける!タイヤが滑らかに回り始めた。すると興奮した助け隊のおっさんどもが我先にとタイヤを回そうとしやがったので、僕の指がスポークに挟まる。痛い痛い痛い。ギョリンと睨みつけると、おっさんは慌てて手を引っ込めた。そこから消耗戦を続けること約15分、ドレスの裾を破くことなく無事にタイヤから引き離すことができた。額からは滝のように汗が流れてくるが、助け隊は女性の身を案じるばかりでこちらには見向きもしない。当の女性は平身低頭、とても申し訳なさそうに謝罪の言葉を何度も述べて、費用をお支払いします、と言った。僕は彼女の申し出をきっぱりと断り、来た時と同じように作業台を肩から下げて颯爽と現場を後にした……なんていう安っぽい美談に落ち着く訳もなく、僕はケガをした女性ではなく助け隊の連中に作業費用を請求した。集まった金はたったの1,000円。非常にしみったれているが、それでも彼らには伝わったと思う、善意には覚悟もリスクも必要だということを。リスクなき善意はただの偽善、それはもう傍観者と何も変わらない。急いでタラウマラに戻って、お預かりした2台の自転車のパンク修理を終らせ、店内でひと息ついたタイミングでミサさんご来店。貼り紙を見て、近くで時間を潰してくれていたみたい。彼女の快活な笑顔を見ると、ようやく僕もまた笑顔になれた。保育士であり、ドラム奏者でもある彼女が学生時代から好きだというMR. BIGの話で大笑いした。
MR. BIGと言えばこちら。イントロから鳴り響く、力強いドラムが印象的。
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実はこの公開日記「Pat Sat Shit」のパーソナリティであるvideo loverもミサさんも、代田橋にあるバックパックブックスの宮里さんの紹介でタラウマラに来てくれた人たちだ。僕とバックパックブックスの出会いについてはまた改めてきちんと書きたいと思っているのだけれど、この��ふたりの存在からしてすでに最高で、バックパックブックスはきっと素敵なお店に違いないと確信している。ミサさんは大阪に向かう飛行機のなかで拙書『ほんまのきもち』を読んで涙を流したと言う。だからということでもないんだけど、数ヶ月前に同じことを言ってくれたドラム奏者Hikari Sakashitaのソロ作品『Sounds In Casual Days 2』をプレゼントした。高い交通費を払って遠方から来てくれる方には、条件反射のように何か贈り物をしたいと思ってしまうのは、僕のなかにアメ玉を配り歩く大阪のおばちゃんイズムが備わっているからでしょう。はい、アメちゃん、どうぞ〜。
Hikari君のドラムが冴え渡るこの曲が今日の「気分」。
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mpwebmag-interview · 2 years
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日本で最も長い商店街として知られる、大阪の天神橋商店街。個人的にはフリーランスとして独立し、だんだんと仕事が軌道に乗り始めて、事務所を最初に構えたのがこの場所で、いい時代を過ごした思い出深い土地である。約2.6キロの長い商店街には約800店舗の商店があり、昔から続く個人商店も多く、古き良き大阪の商人の匂いを楽しむことができる。
そんな天神橋商店街に気になるレコード店・tototo RECORDSがある。コロナ禍真っ只中の2019年10月にオープンし、店主の個性を強烈に感じることができる品揃えで注目されている。GWを利用し、懐かしの天神商店街に足を向けて、店主の岡本ガンモ氏にtototo RECORDSのユニークなお店づくりについてなど話を伺ってきた。
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昭和の中古レコード屋を令和のおじさんがやったらどうなるか
ーまずはtototo RECORDSのオープンまでのお話を。
今年でちょうど50歳なんですけど、世代的に『宝島』とかバンドブーム直撃で。生まれが大阪の平野区で、エイリアンスポットっていうライブハウスがあって、そこに自転車で行ってたら、たまたまそこにパンクスの人がいたなとか。僕、元々、キングコング(大阪の老舗中古レコード店、一時は梅田、難波で数店舗を構えていた)で働いていたので、ジャッキーさん(大阪が世界に誇るマンゲル・スラッシュ・クラストコアバンド・FRAMTIDのギターであり、大阪難波にあるレコード店・REVENGE RECORDSのオーナー)などが先輩でいて、そこで繋がったり。でも、当時はグチャグチャな世代やったんですね。バンドブームだけでなくて、ブレイクダンスやサーフィンやったり、暴走族の真似事をする友達がいたりと、夜な夜な仲間と集まってはカセットテープに好きな音楽を録ったのを聴いたり、情報交換するって感じでした。
ーそうしてキングコングに勤め出すと?
元々、音源はCDで買っていて、22、23歳の時にキングコングに入って、そこでアナログに出会ってからその良さに気づいたんです。それで、CDを全部処分して、アナログを買い直しました。キングコングに入ったのは接客が好きだから。キングコングの前にレンタルビデオ屋さんでバイトしていて、お客さんや先輩がすげぇ面白くって。例えば先輩で、(アインシュテュルツェンデ・)ノイバウンテン(ドイツの実験的インダストリアルバンド)やスロッビング・グリッスル(イギリスのインダストリアルバンド)が好きなんだけど、ボウイも好きなんですよ。ボウイからノイバウンテンに辿り着くっていうのが面白くって。お客さんも、レンタルビデオ屋って音楽も聴けるしエロも借りれるから幅広くって。で、そんな中、音楽の仕事がしたいなって思った時に、ノリでキングコングのバイトの面接を受けたら受かって。でも、入った頃は音楽のことなんか全然知らなかったから、先輩にめちゃくちゃ怒られたりもして。当時のキングコングはジャンルごとに受け持ちはないんですよ。オールジャンルに対応しなきゃいけなくて、入ったら即店番でした。でも、買取の値付けも分からなくて、いきなりワールドミュージックの査定とか。当時はパソコンもない時代やったから、ナンボで値付けをしたらエエか分からへんし大変でした。すげぇ鍛えられましたね。この店を始める直前までキングコングに居続けてました。で、縮小で退職という流れになりました。古くから、長く置いてくれてとても感謝しています。一度自分が白紙になったとき、やっぱりレコードが好きという思いを再確認して、お店を始めました。
ーtototo RECORDSは品揃えや店構えがユニークだし、かなり貴重な店だと思いますよ!
一応、「こうしたいな」「ああしたいな」とかざっくりとしたヴィジョンがあって。まだそこには近づけてないですけど。やっぱり、商品集めが一番苦労します。ヴィジョ��の一つが、中古レコード屋さんの良いところを残したくて、「昭和の中古レコード屋を、今の令和のおじさんがやったらどうなるか」っていうもので。場所を天満、天神橋商店街にしたのは雰囲気が良かったから。
ー天満を含め、天神橋周辺は昔から住まわれている人だけでなく、会社やお店も多いからお客さんも幅広いんじゃないですか?
そうなんです。自分が思っている以上に幅広く来てくれるんで、それはよかったなと思ってます。地元の人が売って、地元の人が買っていくっていう地産地消型。お店を始めるまでは、天満はたまに飲みにくるぐらいで土地勘がなかったんです。けど、お店を開けてみたら居心地の良い場所でした。あんまりガツガツしているところは嫌やったんで、微妙にゆるい感じが良くって。世代型というか、売りに来られる方も買いに来られる方も世代が固まっているんです。一番のメインが30歳後半から50歳前半ぐらい。だから、欲しいものと売りたいものが合致しているというか、扱っているのはオールジャンルなんですけど、パンクもニューウェイヴもその世代が欲しいものが入ってくる。だから、掘り出し物はいっぱいあります。でも、入ってきたものは自分では買わないって決めてるんです(笑)。若い人も来ますよ。最近のアナログブームもあって。あと、関西特有かもしれないですけど、和物DJをやるパンクの人とか。大阪は特殊なのか、そういうシーンができているのはすごく嬉しいです(笑)。通販はガッツリとはやっていなくて、(Instagramで)DMが届いた時に対応してますけど、まだホームページではレコードではなく別のものを売ってるので。レコードの販売は、できれば店をベースにしてやれたらいいかなと思っています。バンドの新譜もゆくゆくは考えているんですけど、今はまだそこまで考えられる余裕がなくて(笑)。今は中古で土台を作っていこうかなと。
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相場はあまり気にしていない
ーソフビやマンガとかレコード以外も良いものが並んでますね。
できる限り、持ってきてくれた物はなんでも査定はするつもりです。結構面白いものが入ってくるし、そういったものが売れていきますね。八百屋とか魚屋の感覚でやっているので、仕入れが安ければ安く出して、高い仕入れの時は申し訳ないけど相応の値段を付けています。相場がこの値段だからっていうのはあんまり気にしてなくて、この方が面白いかなって。藤子不二雄Aの複製原画が貼ってあるのは、全体的に丸っこい絵の漫画というか、トキワ荘関連が大好きで。(レジ側に置いてある)『まんが道』はできるだけ多くの人に読んで欲しくて、無料貸し出しをしています。
ー店名の「tototo」というのは?
友達から「自分の名前を入れたらええやん」って言われたんですけど、自分の名前だと、やりたいお店のイメージとちょっと違うなと思って。で、覚えやすくて、名前を聞いた人に「なんやろ?」って思われるようなのはないかなと。あと、ザ・ブルーハーツの「キスしてほしい」のフレーズ(「トゥートゥートゥー」というコーラス)から。商品も店名も含めて、好きなものに囲まれとったら最高! 今までキングコングで働いてきたのが約20年で、それをもう一回するって考えたら、自分の好きなものを置いて、お客様とそれを共有したいなって思っています。音楽のブームの周回が回ってきて、置いてあるものとのタイミングが合えばより良いですね。
ーお店で人気のあるジャンルはありますか? コミックソングやシティポップとかは一部店舗でプレミアが付いていたりしますが。
コミックソングはニーズが弱くなったけど、買う人に強烈な人が多いので死ぬまで買い続けていくんだろうなって。シティポップは値段の上がり方がかなわんので、なるべくそういう店じゃないよって雰囲気を出してます。シティポップ感を出さないように(笑)。とりあえず、ボウイとかレベッカが随時ある店を目指しています。ファンは一定数いるし、値段を上げずにずっと売り続けられたらいいかなと。最近、バンドブーム関係は入りにくいですね。最近は中古レコード屋のワゴンセールでも売ってないですもんね。ちょっとマイナーなバンドだったら見つけにくくなってますし。こないだもトレイシーが入ってきたんですけど、即完しましたから。レジ横に積んでいたらお客さんが「アッ!」って手に取って。他にもコンプレックスのファーストのアナログ盤を頑張って手に入れて、結構な値段を付けたんですけどすぐ売れましたね。でも、店に欲しいのでずっとアンテナは張ってます。これからはCDにも力を入れていこうと思っていて、今は溜めているんですけど、バンドブームの棚が完成したら結構イカツイものになると思いますよ! あと、まだ、外国からの観光客の方が来て盛り上がるというのを体験したことがないので、コロナが明けた後にそれを体験できないかと期待していて(笑)。
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tototo RECORDS https://tototorecords.business.site/
〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋1丁目18-14国際実業ビル3階 電話番号 0643973121 営業時間 12:00~20:00(定休日:毎週水曜日・第3木曜日) 谷町線・堺筋線「南森町駅」4-B出口から徒歩3分/JR東西線「大阪天満宮駅」7号出口から徒歩3分/JR環状線「天満駅」から徒歩15分
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eda4shi · 2 years
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筥崎のカレー屋さん。こちら自分的過去1!内装もめっちゃ可愛かった。社会人になっても通いたい!
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六本松開拓の旅〜
popeyeでみて気になってた古着屋、ちょっと遠いけどたまに通いたいな。たこ焼きはソース濃すぎてた🫥自分のレコード初ゲット。マルーン5ライブに向けて💪🏼💪🏼
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565062604540 · 2 years
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 俺がタイムスリップしてから1週間が経過した。  一節には、時間の主観的長さは『1/年齢』なんて法則があるらしいが、あれはどうやらガセだ。実際に13歳になってみてわかった。時間はふつうに過ぎていく。俺の精神が52歳のままだということもあるかもしれないが、それ以上に、あの現象は、余暇の長さと、なにより記憶の錯誤じゃないかと思う。  この一週間のあいだに始めたことはいくつかある。  まず、詳細な日記を書いてみることにした。  前世の俺は、読むことは大好きだったが、書くことはあまりしていなかった。中途半端に開設したブログと、某短文SNSでなにやらつぶやくくらいが関の山だった。  しかしいま、俺はいま、歴史といっていいくらいの過去にいる。これを見逃す手はない。本当はカメラが望ましいのだが、うちのつましい家計では、当時『バカチョン』と呼ばれていたカメラですらも高嶺の花である。なんで、メモである。  しかしだ。 「ノートねえ……」  休みで家にいる母さんが渋い顔をする。 「どんなのでもいい。なんならチラシの裏でもいい。いや、やっぱ保存性が悪いからノートがいい」 「書くものは?」 「安ければなんでもいい」 「じゃあ、はい」  と、母親が財布から取り出したのは五百円札である。  うわあ……まだ現役なんだこいつ……。  そういや、俺がバイト��始めたのは高校に入ってからで、場所はコンビニだった。その当時でもよく五百円札は見かけた気がする。 「予算はこれで全部。この範囲内で買って、使いきったら次。いい?」 「ありがたや……」  思わず土下座した。まあ居間なんだけど。 「やめてよ気持ち悪い。それにしてもあんた、ほんとに変わったわね……」 「すべては事故のせいだ」  もうそれで押し切ることに決めた。  さっそく買いに行くことにする。玄関で靴をはいていると、衣紬がすっ飛んできた。 「お兄ちゃんどこ行くの?」 「買いものだ」 「おやつ!?」 「母さんが一人で買いに行くことを許すわけないだろ」 「じゃあなに?」 「ノートだ」 「衣紬もいくー!」 「んじゃ着替えてこい」 「うん!」  ぱたぱたと衣紬が奥へと消えた。 「雨降りそう……」 「予報では降らないって言ってたけどな」  家の17型のテレビで確認してきた。テレビといえば、映像の色あせ具合もそうだが、テロップその他の手書き感あふれる感じがいかにも1983年って感じである。全体的に予算かかってる感じがある。そしてアイドル全盛の時代だ。  最高気温は7月頭なのに22度。2022年の首都圏ではちょっと考えられないくらい過ごしやすい。まあまだ梅雨明けしてないしな。  うちのアパートは、上山らしい急傾斜地の上のほうにある。それとボロいという合せ技で、駅から徒歩10分なのに35000円という、この当時としても破格に安い家賃になっている。階段を下って、急坂を下って、駅前通りに出る。 「ノート、どこで買うの? ミナミ? それとも田代?」  ミナミというのは駅前のスーパーである。駅前広場に面していて異常に立地がいい。これは2022年現在でも現存する。田代というのはやはり駅前広場に面している田代書店だ。こっちはかなり前にコンビニになった。  ちなみにこの時間軸に来てから、俺は一度も本屋に行っていない。行ったが最後だ。いずれ時間をとって、上山の地下街にある協栄堂に行ってみようと思っている。上山駅では最大の本屋だ。 「ちょっと遠いけど、山辺町のイ、サ……えーと、ニチイまで行こうと思ってる」  あの店、名前変わりすぎである。イオンになったのはつい最近だが、その前はサティだった。おお、そうか……この世界、バブルの前か……。 「えー、とおいー」 「500円しかないし、できるだけ安く手に入れたいからな。ま、ちょっとした遠足だと思ってくれ」 「おやつもないのにー?」 「あとで粉ジュース買ってやる」 「わーい」  衣紬、ちょろい。  そしておっかなびっくり出した『粉ジュース』という単語だが、ちゃんと通じたらしい。 「お兄ちゃん、手つなご、手!」 「はいはい」  衣紬が、体格に見合ったちっちゃい手で俺の手を握ってきた。  この一週間で、衣紬はますます俺にくっつくようになった。リアル中1の俺ならわずらわしく感じたかもしれないが、いまの俺にとってはかわいくてしかたない。狭い家のなかにいても、ちょっと俺の姿が見えないと「お兄ちゃん、どこー?」とか声かけてきて、俺の姿を見つけると「いたー、お兄ちゃん」などと抱きついてくる。こんないきものがかわいくないはずがあろうか。いまもつないで手をごきげんにぶんぶんと振っている。だいじょうぶかなこの子。小6にしてはやってること幼すぎない? かわいいなあ。 「ね、ね、お兄ちゃん」 「なんだ、衣紬」 「へへー、呼んでみてだけー」  腰に抱きついてきた。歩きづらい。そしてかわいい。 「こら、離せ」 「やだー」  きゃーきゃー笑いながらさらにぎゅっとしがみついてくる。 「離さないと、頭つかむぞー」 「いいもん。衣紬、あたまかたいもん」 「言ったな」  ちらっと見える衣紬の顔は、目をぎゅっと閉じている。きたるべき衝撃に備えているらしい。  ならば不意打ちだ。 「なでなでー」 「ひゃあ」 「頭いっぱいなでてやるー」 「なでられたぁ……」  よくわからんが、頭をごしごしとこすりつけてくる衣紬。  そして俺はあることに気づいた。衣紬の髪がさらさらではない。  こんなちっちゃい姿でも成長期だ。とうぜん新陳代謝は激しい。いくら体を拭いても���三日目となるとちょっと髪がべたついてきたりする。 「あー、帰ったら銭湯だな」 「衣紬、くさい?」 「どうかな」  せっかくなので、衣紬のショートカットの頭に顔をうずめてみた。 「やだーお兄ちゃん、かいじゃやだー」  うん。ちょっと汗くさい。 「衣紬、へんなにおいしない?」 「ぜんぜん」 「ほんとに?」 「ああ」  健康的ですばらしいにおいだ。これなら一週間くらい経ってたほうが嗅ぎがいがあるというものだ。 「お兄ちゃん、へんな顔してる……」 「変な顔ってのは、こういうのかーっ」 「むぎゅー鼻押しちゃやだー」  ああ、衣紬はかわいいなあ。ほぼバカップルだ。  景色なんかぜんぜん見てなかったが、駅への道は、図書館に行くときにけっこう通った。駅は広場を介して片側一車線の生活道路に面している。その道路の両側が商店街だ。もちろんシャッターが下りている店などほとんどない。なにより人通りが多く、平均年齢が若い。あたりまえだよなあ。この時代、団塊世代がまだ30代なんだから。ちょっと信じられないよな。  そして徒歩1時間ほどかけて、目的のニチイへとやってきた。  スーパーである。あらゆる商品が揃っている。  ここに入るには、ちょっと心構えがいる。  昔の日本を撮影した動画で、再生数が伸びるのは、やはりCMや商品、その当時の流行についてのものが多い。つまり『モノ』というのはいちばんダイレクトにその当時のことを思い出させる。  その『モノ』が、ここにはぎっしりと詰まっている。 「なあ衣紬」 「なにー」 「お兄ちゃんな、ここに入ったら、ちょっとおかしくなるかもしれない」 「え、意識戻ってからずっとへんだよ、お兄ちゃん」 「そうか……」  変なのか……。そのわりにおまえ、躊躇なくなついてるよな。  まあいい。いざ参らん。  俺は、ニチイのなかに足を踏み入れた。 「へえ……こんな感じなのか……」 「さっそくお兄ちゃんがへんです」 「ひさしぶりに来たからな」 「お母さんとたまに来るじゃん……」  建物は2階建てで、まだ新しい。この、自分の意識から来る『古そう』というイメージと、現物の新しさのギャップにいまだに慣れない。いろんなロゴや商品のデザインなど古さを感じる要素はいくらでもあるのだが、ここは、この当時なりの最新なのだ。  目指す文房具コーナーは2階である。  目移りしないうちに、さっさとエスカレーターに乗る。  上った先にあったのはレコード屋だ。  レコード屋!  あーCDが普及したのっていつごろからだっけ……。俺が高校に入ったころにはあまりレコードは見かけなくなっていた気がする。  店頭のポスターはアイドルのものが中心だが、それに混じって洋楽がちらほら見受けられる。エイジア、フォリナー、ジャーニー、そうか。アリーナロックの勃興期だ。俺が洋楽を聞くようになったのは、中学の国語教師の影響で、もうちょっと先の話だ。  入りたい。しかし入ったら衣紬の存在すら忘れる可能性がある。  つんつんと、衣紬が袖を引っ張ってきた。 「お兄ちゃん、レコードほしいの?」 「金が……金があったらな……」 「しかたないよ。うち貧乏だもん」 「それなー」 「どれ?」  あ、この言い回し通じませんね。  しかしあれだな。俺、世代的には完全にCD以降で、しかも上述したようなバンドはほとんど興味がない。なのにこう、欲しくなる。これが新譜の時代に居合わせてるだけで欲しくなる。だいたいこの世界線、ジョン・レノンが暗殺されてから3年しか経ってねえんだぞ。そして2022年現在でも愛聴していたザ・スミスはまだアルバムすら出てない。ファーストが来年だぞ。フレディ・マーキュリーが存命だしさあ。  買えないと入るだけつらい。 「よし、行こう、衣紬」 「お兄ちゃん、なんで泣いてるの?」 「金がないのは首がないのと一緒や……」  俺、しばらく物欲で苦しみそう。 「あー、おもちゃやさん!」  衣紬がててーっと店内に入っていってしまう。  うわあ、店頭でサルのおもちゃがシンバル叩いてるぞ。  まあ、おもちゃにはさほどの興味はない。俺がプラモデル好きだったりしたら話は別だろうが、家が貧乏すぎてガンプラのブームにも乗れなかったからね、俺。  ま、スライムとかヨーヨーとか置いてあったらちょっとは興奮するかな。そんなことを考えつつ衣紬のあとをついて行った俺を待ち構えていたのは『任天堂ファミリーコンピューター近日発売』の文字だった。  ……やばい。  なんかよくわかんないけど、やばい。歴史が始まる瞬間に立ち会ってる。7月15日発売。まあうちにはなかったけどね。貧乏だったから! ちなみにここで家庭用ゲーム機に乗りそこねてしまった俺は、その後、どうしても『虹色町の奇跡』を自宅でやりたいという理由でセガサターンを買うまで、家庭用ゲーム機とは無縁の生活をしていた。 「ほしいなー、ゲームウォッチ……」  衣紬の姿を探すと、ガラスのショーケースにへばりついていた。その中に各種のゲームウォッチが並んでいる。あー欲しかったよなあ、これ。たぶんこれより前、小学生のころに、すでにLSIゲームというのがあって、それは友だちの家でやったことがある。画面は、あれはLEDだったのかFL管だったのかは定かじゃないけど、黒い背景に電卓の文字のようなしょぼいグラフィックだった。ゲーム内容はインベーダーもどき。色だけはわりとカラフルに出てた記憶があるな。 「友だちにやらせてもらったりしないのか?」 「学校に持ってくるの禁止だもん」  歴史は繰り返す。いまのスマホとなんも変わりゃしねえ。 「見てるとつらくなるだけだから。な、行こう衣紬」 「うー、わかったぁ……」  さんざん寄り道をしつつ、ついに目的の文房具屋にたどりついた。けっこうでかい。そして売場の半分ほどはファンシー文具である。衣紬がさっさとそっちに行ってしまったので、俺は目的のものを探す。  文房具にはこだわりがある。俺が最後まで愛用していたのは、コクヨの野帳と三菱の証券用細字ボールペンだ。オタクの性で、パソコンに触れたのはかなり早かったし、デジタル化の波にも対応してきたつもりだが、メモだけは最後まで手書きだった。ちなみに証券用ボールペンは、2020年あたりで廃盤になって、そのあとボールペン難民になった。  そして、そのボールペンは、当然のように売場にあった。てゆうか、売場にラバーグリップがついたものが見当たらない。ゼブラのラバー80くらいだろうか。  証券用ボールペンを2本と、ノートは5冊300円のものを。もちろんB罫である。いまの俺に老眼はない。この当時の安物ノートなんて書き味なんてレベルじゃないくらいだろうが、書ければいいのだ。  レジに行って、なけなしの500円札を差し出す。こんな大規模な店でも、まだPOSレジではない。手打ちのレジスターだ。消費税もない。  商品は紙袋に入れて渡された。  受けとると、不思議な高揚感が湧いてきた。  40年の時を経て、いま、俺の手には前世と同じ筆記具がある。それで、書いていく。  なにを書くのか。それはわからない。でも、きっと、すべてだ。俺が見て、聞いたもの。感じたこと。晩ごはんのおかず。そのときに見ていたテレビのこと。公園のブランコ。梅雨のどんよりとした空。衣紬のこと。  俺は、すでに知っている。いま、この時間は、もう二度と戻らない。戻ってきた俺だからこそわかる。ここは本来ありえなかった世界線だ。衣紬がいて、笑っていて、そのそばに俺がいる。  後悔はしたくない。でも、きっとするだろう。それでもいい。瞬間ごとに、俺は生きたい。奇跡なんて口にするのもいやになるような安っぽい言葉。衣紬が死んでから何度も願ったそれ。それがここにある。記録しよう。覚えていよう。  願わくば、過去を振り返ったそのときに、衣紬も俺も、周囲にいるすべての人々が笑顔でありますように。 「あれ、三森の妹?」  自分の名字が聞こえたので、振り返った。  そこには衣紬がいる。そしてその隣にいる女子を見て、俺は固まった。  その女子の名を、芹ヶ谷茜という。  同じ教室にいても一週間、避けつづけることができたというのに、なぜよりによってこんな場所で会うのか。  芹ヶ谷は、露骨にいやそうな顔をして言った。 「三森……」  それは小学校のときに俺が告白して、玉砕した女子だった。  俺は、早速、ここに来たことを後悔していた。
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helloharuo tour 2014
Wednesday 16 April 2014
真観は、箱根の旅館に向かった。箱根までは約1時間で到着。この旅館でチェコから来ている観光者Dと初対面。昨年知り合ったチェコの女性Mからの紹介だった。Mは、大学で心理学の教授をしているがその彼女のクラスの生徒の母親が日本に来て箱根に泊まる。その彼女の箱根エリアの観光案内をして欲しいというリクエストだった。真観は快く承知した。9時にDが滞在してい旅館の前で彼女と合流。DとはFacebookで既に繋がっていて何度かメッセージのやり取りをして交流を始めていた。真観は彼女を車に乗せて「helloharuo tour 2014」をスタートさせた。旅館の前には橋が架かっていてその橋の両側に鯉のぼりが何体も風に吹かれて泳いでいた。鯉のぼりの意味をDに話すとチェコではポピュラーで食用するとのこと。真観には新しい情報だった。Dがお茶に興味を示していたので真観は強羅公園に先ず向かった。この公園には茶室があるからだ。強羅公園の入場料は500円。茶室に着いて抹茶とまんじゅうセットで500円。簡易的にサービスされ後は3カ所の茶室を回った。湯を湧かす為の正方形の小さい炉を塞いでいた畳をひっくり返してDに炉について説明すると『畳がこんなに厚いとは知らなかった』と言った。彼女には意外だったんだろう。真観たちがこの茶室を去る時に外国人の団体がやって来た。Dは、彼らの言葉を聞き『ロシア人だわ。チェコ人はロシア人は好ましく思っていない』と言った。真観はその意味を理解していた。それはかつて1968年に起きたロシア侵攻、いわゆる「プラハの春」があったからだ。Dは、チェコでアメリカのパソコン関係の会社の弁護士をしている。歳は真観の1歳上。初めて会った真観だったがDのオープンな性格と真観のオープンな性格がマッチしたのか一緒にいて会話は弾んだ。次に向かったのは富士屋ホテル。ジョンレノンも泊まったと言うホテルならば印象も深まるだろうという真観の案だった。このホテルは、つい先月Kちゃんと訪れたばかりだった。和洋折衷のホテルはDにとっても興味深く感じた様で連れて来て良かったと真観は思った。次に予定していたのは富士山須走口。箱根からR138、そして東富士五湖道路のインターに入った。そして真観は道を間違えたことに気付いた。仕方なく一つ目のIC、山中湖で降りて真観はiPhoneで富士山須走口を検索し一般道路で引き返すことにした。山中湖に差し掛かった時ランチの時間でもあったのでイタリアンレストランを見付けて入ろうとしたら休日だった。これまた仕方なく富士山須走口を見付けることを第一優先と考え車を進めた。まもなく「須走道の駅」を見付けてここでランチを食べることにした。そして真観はやっと富士山須走口に行く為には東富士五湖道路に入っては行けないんだと悟った。「須走道の駅」のレストランは富士山がバッチリ見えるレストランで二人とも「富士山カレーライス」を食べた。このカレーライスのライスは富士山に見立ててライスの盛りつけをしていて日本人の芸の細かさをDは知った。さて食事も終わり富士山須走口に行こうと車を走らせた時更なるどんでん返しがあった。雪でまだ通行止めだというのだ。確かに富士山に雪が積もっているのは茶畑庵からも確認出来ていたがこれは大きな誤算だった。富士山須走口を目指したのはそこから行ける「小富士」に行きたかったからだ。う〜ん、残念。
Dは真観の観光案内にフレキシブルに対応してくれて『富士山が見れればそれで十分』と言ってくれた。真観は気を取り直して古巣十里木高原へと向かった。R469を上り忠ちゃん牧場の先にある富士山絶景スポットに案内。Dは大変感動してくれて何度も真観に感謝を伝えた。今日の富士山は空にガスがあり少し霞んでいたが標高1000mの十里木高原に来たらすこしばかりクリアーに見ることが出来た。そしてさらちょっとした感動をと真観は思い十里木展望台へと向かった。途中真観はDに東京から静岡に引っ越しをするきっかけになった友人のペンションも紹介する。そうやってDとの道中お互いのことを話して打ち解けて行く。Dはご多分にもれず?離婚を経験していたり、その訳あって子育てで子供に辛い思いをさせたことや社会主義時代のチェコの話をしてくれた。真観も出身地から上京しカメラマンになるまでの経緯や日本についての考え等を話した。十里木展望台の駐車場には車が沢山停まっていたが人気はなかった。そして約10分2人は展望台へと登って行く。Dは少々運動不足の日々を送っている様で途中途中立ち止まっては休憩しながら登った。展望台に着くと気持ちよい絶景が待っていた。二人ともこの時ばかりにカメラの機能であるパノラマで撮影をする。そうやって撮りたくなるほど景色はパノラマに広がっていた。当初「小富士」に行く予定で観光案内のスケジュールを組んでいたが諸々で変更となりその分時間に余裕が出来ていた。真観はDに箱根に帰る前に茶畑庵を紹介したいと言った。Dは、茶畑にも興味を持っていたので丁度いいと真観は思った。そして外国からの観光客にとって日本の家屋の造りを見るのも良かろうとの判断だった。茶畑庵の到着すると庵内に入る前にバックヤードにある茶畑に案内した。天気が良ければ富士山が茶畑の向こうにそびえるのだが富士山は雲のベールでかすかにシルエットだけだった。この茶畑庵のバックヤードにある茶畑は茶畑らしい?形状を持ちとてもフォトジェニックである。茶畑庵の中に入ると真観はDに各部屋を紹介した。それはいつも茶畑庵に初めてやって来訪者たちへの恒例の案内。Dは、キッチンや壁の素材に興味を示した。それとバスルームで使う桶は何の為にあるのか?と質問して来た。恐らく日本の旅館に泊まった際に温泉の浴場に置いてあったのだろう。立ちながらシャワーをする欧米人には不思議なモノに写るのだと思う。真観は、バスルームに入って水のないバスタブから水を汲む振り��してどう使うかをジェスチャーで紹介した。次は寝室そしてリビングと移りオーディオルームやレコードの説明そして坐禅部屋で坐禅の組み方も披露しDにも体験してもらった。英語で禅について説明するのは難解なのでインターネットで調べてほしいと頼んだ。2回に上がり仕事部屋から見える富士山を見たDは真観をうらやましがった。外国人にも富士山は憧れの山ということだろう。ライブラリー室に移ると真観は自身の作品、今回はウェディングアルバムの数々をDに見せた。Dは、一枚一枚ページを丁寧にめくり見ていた。ウェイディングは各国共通項の行事。ウェディングにどれだけの費用が掛かるのかとかどうしてお色直しをするのか興味津々だった。
夕暮れになり時間も6時近くになって来た。そろそろDを箱根の旅館に戻す時間になった。真観は茶畑庵を出発してDに真観が毎朝通う禅寺に案内した。禅寺には枯山水の庭があるのでツアーの最後に紹介したかったのだ。Dは真観の坐禅についての話を彼女なりに汲み取って自分の生活に何かが足りないのかもと気付いた様だった。真観自身がそうだった様に。
もう空は暗くなりヘッドライトを点灯してのドライブになった。朝Dと話した時に旅館でのディナータイムは7時半からだと聞いていたので今回のツアーはそれまでには終えようと真観はスケジュール調整して観光案内をした。
真観の車アーティ21スペシャルが旅館に着いたのは7時13分。 「helloharuo tour」はこうして無事に終える事が出来た。 Dとはこれからもkeep in touchで行こうとハグをして別れた。 いい出会いに感謝。
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