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#娼婦
txtmatango · 18 days
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『アメリカ兵 パンパンと僕ん家』 朝霞米軍基地の兵士たちとの交流を描く紙芝居
田中 私の家は「貸席」という、今日のラブホテルでした。戦後、朝霞にキャンプドレイクという基地ができて第一騎兵師団、4千名が入ってきた。同時に全国から米兵を相手にするおねえさんたちが押し寄せてきた。その人たちは住むところも何もない。うちはたまたま、戦前、戦中、貸席をしていた。当初は当時公民館も何もないので、会合のある時使わせて、そのうち地方まわりの芝居が、駅前に舞台を開き、うちへ来て、安く泊めてと。あと、東京から来る芋掘りの人たちがうちで作業着に着替えていく。いつの間にか、いくらか部屋代ももらう貸席業になる。おねえさん方も来る。するとそういうおねえさん方が兵隊を連れて来て仕事をするところになる。一般の人は来れなくなり、そればかり集まるところに。
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僕が子どものころは、よくいじめられた。遊び仲間や同級生にいじめられるのではなく、そのお母さんとかにいじめられた。「パンパン屋の子、淫売屋の子と遊ぶんじゃないよ」と。
              〜中略〜
独立記念日にキャンプが開放
田中 7月4日のアメリカの独立記念日にはキャンプが町民に開放されました。ゲートは4つあり、一番大きいのが南ゲートで、昔南栄と言ったところで、キャバレーやバーやあやしいところがいっぱいあった。そこからも入れるけれど、僕たちが入ったのは駅前通りの、今の市役所近くの郵便局のところに、北ゲートというのがあった。そこから入って、独立記念日の会場に押しかけた。
何があったかというと、まず子供たちは食い放題、飲み放題。飲んだことのないコカ・コーラ、それからアイスクリーム、コーン、サンドウィッチはある、ジュースはある。アメリカのお姉さんが、こういう格好をして、キャンデーを配ってくれる。皆々は我れ先に馳け寄ります。もちろん大人も押しかける。人、人、人で溢れます。毎年7月4日が楽しみでした。
興味深かった女の子のダンス 自由なアメリカ
ここで一番興味深かったのは、刈り込まれた芝生広場で、アメリカンスクールの生徒でしょう、僕たちと同じ年ごろの女の子が、ダンスをする。今で言うチアリーディングというやつ、おそろいのお尻が丸見えの短いスカートで、 エイヤッと脚が上がり、きれいで可愛くて、ぼく達は声も無く、魅入るだけです。
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僕はこの時初めて、アメリカはなんでこんなに自由なんだろうと思ったのです。日本なら子ども達が運動会で何かをするとき、体格のよい順にぴしっと並べる。上手な子、可愛い子を前に出すとか、きれいなものを着ている子を前に出すとか。当時は貧しかったので小汚い恰好をしている子ばかりだった。どうしてもそうなる。アメリカはそれがない。デコボコで構わない。下手な子も上手な子も一緒に並べている。上手な子はピンと足が上がる。太った子がいて、足が上がらない。でも一生懸命やっている。日本の僕が行っている小学校なら、あの子は一番後ろに下げるはずだ。ところがその足の上がらない太った子は一生懸命やっていて、アメリカはすごいなあと。ダンスが終わり、一人一人名前を呼ばれ、お辞儀をする。足の上がらなかった子が一番拍手をもらっている。
いじわるだったのは日本人の守衛
ここにMPが立っている。この姿は色もほとんど正確です。他に、日本人の駐留軍労務者という、守衛のような人たちがいました(青い服)。その人たちがえばっていました。やたら入ってくる人出ていく人に、向こうではタダで配っているのに、ものを持ち出していないかと因縁をつけたり、わざわざ子どものポケットを探ってみたり。日本人の守衛さんにはずいぶんいじめられた。
              〜中略〜
田中 その頃は、子どもが進駐軍をこわがったり、一方で「ギブミーチョコレート、チューインガム」と言いながら追いかけたという話をよく聞くんですが、僕はその経験はまったくないです。アメリカ兵の方から、寄ってきてくれた。たまたま僕はこわいという気持ちがないから、呼んでいるとわかる。行くと、ポケットから出していろいろなものをくれる。するとあいつもらったと、みんな寄ってくる。兵隊もみな若い。自分たちのあんちゃんみたいなもの。弟みたいのが寄ってくれば、可愛いでしょう。
特にうちには、当時秋田から中学校終わって東京に出てきてたまたまパンパンになってしまったおねえさんがいた。その人は、ベリーさんという名を黒人兵からもらって、うちの貸席に長期滞在していた。その人にも可愛がってもらって、そのベリーさんの特定の相手、当時オンリーさんといいましたが、黒人兵で年中スティックをお尻のポケットに入れていて軍楽隊のドラマーだったトニーさんにもずいぶん可愛がってもらった。
ベリーさんは結局は殺されるんです。同業者、パンパングループから殺される。トニーさんとベリーさんのお話を描いた「ベリー嬢奇譚」というのが独立した紙芝居になっています。その話はかなり長いことやっており、自分では一番好きな話です。
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ベリー嬢奇譚
ベリーさんは、中学終わってすぐ、秋田県北秋田郡米内沢村というところから出てきた。米内沢にいても仕事などなかった。大きなお宅の女中や子守に行くとかが関の山なんですって。家も貧しかったらしく、子どもも大勢いて、中学を終わって、東京へ行けば何とかなるだろうと出てきた。最初上野に着いた時、東京に出てはきたが何をしてよいかわからない。右も左もわからない。歩いていたら「女中入用」と貼ってあった。それは上野の地下道のしなソバ屋だった。とにかくいいや、使ってくださいと。物置みたいな中二階しか空いていないがそこでいいならと。
そこに2、3ヵ月いたらしい。わずかな給料もらって十分満足していたが、上野は売春婦の本場で、そういうおねえさんたちがご飯を食べに来る。おねえさん方はみないい格好をして、話しているうちに、「あんたここでいくらもらっているの。こんなところにいてもつまらないよ。私たちと同じ仕事したら」。うっすらどういう仕事かわかっていたので迷っていたら、「大丈夫。私たちがちゃんと教えてあげる」。ところがあまり��田舎者過ぎて上野ではうまくいかなかったらしい。そしたらそのうちの一人が「朝霞に行けば」と。その気になって、朝霞に着いた。朝霞駅に着いて困った顔をしていたら、私の家に貸布団を入れているおじさんがいたんです。大宮から来るおじさんで、今でもそのお店はあります。そのおじさんとたまたま会って、どこか泊まれるところを知らないと言ったら、それなら「俺がいつも行っているところに頼んでやるよ」と、最初にうちに来た。おふくろも話を聞いて、うちも商売をしていてお手伝いさんがほしいから、うちで少し働いてみるかい、と言った。そうしてください、ということになった。
その人がうちの使いで通りに出た時、黒人兵とぶつかった。その時、何となくこの人はいいひとだなと思ったそうです。その黒人兵は、片言の日本語ができ、話しているうちに、どこにいるのか、私はこの家で働いている、住んでいるのか、住み込みです、夜遊びに行っていいか。私の一存では返事できない、お母さんに聞いてくる、と。おふくろは、元々アメリカ兵と付き合っていい暮らしをしたい、国にもカネを送りたいと思ってきていることがわかっていたから、黒人兵もいい人だと見たんでしょう。ということで付き合いが始まって、中学を終えたばかりでトニーさんのオンリーに成ります。 トニーさんは色白のベリーさんが大好きでした。オンリーになってもアメリカ兵はずるかった。適当に遊んで、うっちゃって、また他をと。その黒人兵トニーさんはベリーさんをすごく可愛がった。ベリーさんは、当時朝霞で誰も着ている人がいなかったチャイナ服をいっぱい持っていた。成増と下赤塚の間にグランドハイツという米軍の住宅があり、その前に中国人の経営するテーラーとかドレスメーカーがいっぱい並んでいた。そこへ連れて行ってチャイナ服を作らせた。最初はもったいなくて着られなかったが、トニーさんは毎日着ろと。ベリーさんがそれを着て駅前に出ると、当時乞食パン助と言われたくらい兵隊をつかまえるのに必死になっている子たちばかりだから、ろくなものを着ていない。そういう子たちから見ると、あのやろうなんだ、たまたまいい兵隊見つけたからと言ってでかい面するな、といじめられたらしい。そこではいつもおふくろが出て行ってかばった。
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ベリーさんも、おふくろのところから離れられなくなって、結局4年ほどうちにいることになるんです。結局、トニーが所沢の基地に転属になります。それでベリーさんも狭山に住むことに。狭山に行ったんだけれど、どこに行っても縄張りがある。朝霞にも白百合会というグループがあり、よそから来る女の子をみな一回おどかしてグループに入れて上納金を取る。拒否するとリンチを加える。ベリーさんもその土地のグループに目をつけられ、殴ったり蹴ったり、内臓破裂で死ぬ。しばらくしてから、風のうわさというか、朝霞にも流れて来て。朝霞では、「あの黒人がベリーさんを殺したに違いない」と言われた。おふくろは「違う、トニーは決してそんなことをする人ではない」と言い張っていたそうです。
結局は、土地のパンパングループに殺されたということがわかった。それからしばらくしいて、トニーさんがうちに来た。「お母さん、僕のモーニングスター、ベリー死んだよ」と、おふくろにしがみついて泣いたんです。僕はその時学校から帰ってきて、ランドセルしょったままそばにいて。いつもトニーに遊んでもらう時はトニーのベルトに指2本突っ込んで振り回してくれる。その時も同じことをしてくれたのですが、トニーが泣いたんで、よくわからないが僕も泣いちゃって。ここが、紙芝居のラストなんですが、必ず僕は泣いてしまいます。
女性紙芝居師が引き継いでくれる
昨年、浅草の吉原のこうした話ばかりを集めているカストリ書房という本屋さんから朝霞のパンパンがいたころの紙芝居をやってくれないかと声がかかった。その時、たまたま本職の紙芝居屋さんも何人かいて、その中の女の紙芝居屋もっちぃさんが、「金ちゃんが泣いちゃってできないなら、私にやらせてくれないか」と。それでその人が、今やってくれています。
―田中さんはパンパンと呼ばれた女性たちをおねえさんと呼ぶ。
田中 可愛がってくれたおねえさん方です。みんなはパンパンとかパン助とかパンパンガールと言ったけれど、おふくろは僕に決してそんなことばを使ってはいけない、おねえちゃんと言えと。おねえちゃんと言われると向こうもうれしく、弟みたいに可愛がってくれた。いろいろな、珍しいものをもらった思い出がある。おねえさま方に対して、僕はいやな思い出、悪い思い出がないです。何かがあったら、味方をします。
富山の薬売りだったおねえさん
うちに、僕が赤ん坊の頃から来ていたという富山の薬売りのおねえさんがいたんですよ。ゆきちゃんといいました。その人がある時から突然来なくなった。箱に薬を詰めたままでお金も取りにこないし。おふくろが心配していたら、ある時突然アメリカ兵と来て、「私今度メアリーになったんよ」と。薬売りではきれいなドレスを着られない。だからハニーさんになった。ハニーさんも僕が勝手につけた名で、パンパンという呼び名をなぜか女の人はいやがる。どうしたらよいかと思っていたら、アメリカ兵はおねえさんを呼ぶ時に例外なく「ハニー」と呼ぶ。ああハニーさんと呼べばよいと、それからハニーさんにしたんです。薬売りのおねえさんもハニーさんになり、当時いい思いをしたおねえさんもいっぱいいる。ただ、どうしちゃったわからないおねえさんもいっぱいいますが。
―田中さんは記憶力がすごいです。
田中 僕が中学・高校(獨協中学・高校)に入った時、3年生に美濃部という珍しい名の先輩がいたんです。その子が休み時間になると重量挙げをやっていた。僕もいつも見に行っていたら、ある時、持ってみろと。後で聞いたら50キロだったらしいですが、それを僕は挙げた。美濃部先輩は「すごい。坂田金時の再来だ」と言った。同級生が聞いて、最初は「金時さん」と呼ばれていた。それが「金ちゃん」になり、中学から高校を終わるまでずっと「金ちゃん」で通した。いまだに、「金ちゃん」。美濃部先輩は後の古今亭志ん朝です。
―これからも紙芝居を。
田中 他にすることもないし、何とか続けたいです。
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findareading · 4 months
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私は確か、電車の中で乗ったリズムを逃したくなくて、馬車道の駅に着いた途端、改札階にある喫茶付きのベーカリーに入って二時間くらい読み耽っていました。何章か残して部屋に帰り、寝る前に再びページをめくったはずです。
— 鈴木涼美著『娼婦の本棚』(2022年4月Kindle版、中公新書ラクレ)
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team-ginga · 2 years
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映画『恭しき娼婦』、『シーサイドモーテル』、『女は女である』
 豊岡演劇祭3泊4日の旅や山下達郎のコンサートや新学期の始まりでバタバタしていたのでここに書くのが遅れましたが、映画を3本見ています。
 『恭しき娼婦』と『シーサイドモーテル』と『女は女である』です。
 『恭しき娼婦』(1952)はジャン=ポール・サルトルの同名の戯曲の映画化。フランスから取り寄せたDVDで見ました。
 戯曲はニューヨークからアメリカ南部の街にやってきた娼婦リジーが部屋の掃除をしているところから始まり、彼女と一夜を過ごした男が現れ、そこから前々日リジーが列車で街に来る際、車内で揉め事があり白人が黒人を撃ち殺し逮捕されたこと、殺された黒人の仲間が白人たちに追われ逃げていることが明らかになります。
 逮捕された白人は街の名士の息子で、リジーと一夜を過ごした男やその父親で上院議員の男は、黒人たちはリジーを強姦しようとしていたという嘘の証言をリジーにさせようとします。
 戯曲は事件の状況が小出しに観客に伝えられるわけですが、映画はわかりやすさを重視したのでしょうか、リジーが列車に乗っているところから始まり時系列に沿って物語が描かれます。
 戯曲の舞台は終始リジーの部屋です。登場人物はリジーと彼女と一夜を過ごした男とその父親の上院議員と逃亡中の黒人ほか数名。しかし、映画は列車内から警察署へ、さらにはリジーが働いているバーや上院議員の邸宅まで次々と場所が変わり、登場人物も大勢います。
 映画はそうせざるを得ないのですかね、そんなはずはないと思いますが、閉鎖された空間で限られた数の登場人物によって演じられる濃厚な芝居が随分薄まってしまったような気がします。
 ラストも違います。戯曲ではリジーは上院議員にうまく言い包められ嘘の証言にサインをしてしまいます。その夜、逃亡中の黒人がリジーの部屋にやってきます。リジーは黒人を匿おうとしますが、前夜ベッドを共にした男がやってきて黒人は再び逃亡。リジーは男を拳銃で撃とうとしますが撃てず、男がリジーを愛人として囲うと言い出し、自分の名前を名乗るところで幕が降ります(男はフレッドという名前ですが、それまでは名無しの権兵衛というわけです)。
 一方映画ではリジーは黒人と一緒にアパートを出て、黒人をリンチにかけようとする人々から逃げて、警察の囚人護送車に乗り込みます。護送車の中で彼女は黒人を安心させるかのように彼の手をポンポンと叩きます。彼女は黒人を正当な裁判にかけ、そこで真実を証言する気だということなのでしょう。
 つまり映画は騙されて嘘の証言にサインをしてしまったリジーが「正義」に目覚め、「戦い」に目覚めるという話です。わかりやすいし、後味もいいのですが、うーん、それでいいのかな。わかりやすく、後味がいいものにしようとして失ったものが多いような気がしてなりません。
 このあたりのことは12月24日締め切り(!?)の『りずむ』の原稿に書こうと思います。
 次に見たのは『シーサイドモーテル』(2010)。岡田ユキオなる人物の『MOTEL』という漫画を守屋健太郎なる監督が映画化したもので、出演は生田斗真、麻生久美子、山田孝之、成海璃子、玉山鉄二、柄本時生、温水洋一、古田新太、小島聖、池田鉄洋、山崎真実と非常に豪華。
 海辺でもないのに「シーサイドモーテル」と名付けられた冴えないモーテルにやってくる宿泊客たちを描いた群像劇ですが、驚いたことにワタクシこの映画すでに見ていました。
 そういうことって時折あるものですが、この映画に関してはラスト近くになってようやく「あっ! これ前に見た」と気づいたのですからいい加減な話です。
 物語はーー
1)詐欺まがいの化粧品を売り歩いているセールスマン・生田斗真と部屋番号を間違えて教えられ彼の部屋にやってくるデリヘル嬢の麻生久美子
2)借金取りから逃げてきた山田孝之、成海璃子のカップルと、借金を取り立てにきた玉山鉄二とその手下の柄本時生と、拷問の専門家の温水洋一
3)スーパーの社長・古田新太とその若い妻・小島聖
4)キャバ嬢に大枚をはたきようやく旅行に連れ出した男・池田鉄洋とキャバ嬢の山崎真美
ーーという4組が織りなす群像劇。
 決して面白くないわけではないのですが、以前に見たのを覚えていなかったことからもわかるように強い印象を残す映画ではありません。
 やろうとしていることはよくわかるし、個々のストーリーも決して悪くないのに、いまひとつ跳ねないというのかな……うーん、どこがいけないんだろう。私好みの映画のはずなんですが……
 『女は女である』は先頃亡くなった……というかスイスの施設で安楽死したジャン=リュック・ゴダーツの映画。アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン=ポール・ベルモンド出演のコメディーで1961年作。
 『勝手にしやがれ』(1960)、『小さな兵隊』(1960)に続いてゴダールが撮った3作目の映画です。
 ゴダール追悼の意味も込めて見たのですが、ちょっと驚きました。
 面白いしわかりやすい映画です。
 もちろんわかりやすいと言っても、ゴダールの映画としてはということですが、男と女は分かり合えないものだというコメディーで私好みです。
 同棲中のカップルのアンナ・カリーナとジャン=クロード・ブリアリが喧嘩をして、「もう口をきかない」と宣言し、本棚から本を取ってきてそのタイトルを相手に見せることで罵り合いをするシーンなぞは笑えますし、ジャン=ポール・ベルモンドが「テレビで『勝手にしやがれ』をやってるから見逃したくない」と言うシーンや、カメオ出演しているジャンヌ・モローにベルモンドが「ジュールとジムはどうしてる」と尋ね、モローが「まあまあね(モデラート)」と答えるシーンも好きでした。
 もちろん『勝手にしやがれ』はゴダール監督、ベルモンド主演の映画で、『ジュールとジム』はフランソワ・トリュフォー監督、ジャンヌ・モロー主演の映画『突然炎のごとく』の原題、「モデラート」はピーター・ブルック監督、マルグリット・デュラス原作、ジャンヌ・モロー、ジャン=ポール・ベルモンド主演の『雨のしのび逢い』の原題『モデラート・カンタービレ』のことです。
 楽屋オチといえばその通りですし、知らなきゃ笑えないギャグですが、個人的には好きでした。
 ラストもジャン=クロード・ブリアリが「お前は恥知らずな女だ(Tu es infâme チュ・エ・アンファム」と言ったのに対して、アンナ・カリーナが「私は恥知らずじゃないわ。私は女よ(Je ne suis pas infâme. Je suis une femme ジュ・ヌ・シュイ・パ・アンファム。ジュ・シュイ・ユヌ・ファム)」と答えるというフランス語を知らなければ笑えないような「infâme(アンファム)=恥知らずな」と「une femme(ユヌファム)=女」の語呂合わせで終わりますが、それもまたよし。
 私は好きですね。
 ゴダール入門にはいい映画かもしれないと思いました。
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pikahlua · 6 months
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MHA Chapter 407 spoilers translations
This week’s initial tentative super rough/literal translations under the cut.
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1 その娼婦は一年程前から病に罹っていた そのしょうふはいちねんほどまえからやまいにかかっていた sono shoufu wa ichinen hodo mae kara yamai ni kakatte ita That prostitute had been ill since about a year prior.
2 硬質の疣贅が左腕に生えていた こうしつのいぼがひだりうでにはえていた koushitsu no ibo ga hidari ude ni haete ita A hard wart had been growing on her left arm.
tagline 1 "個性"が起こるよりも昔… "こせい"がおこるよりもむかし… "kosei" ga okoru yori mo mukashi... Long before quirks arose...
tagline 2 No.407 超常遺児 堀越耕平 ナンバー407 ちょうじょういじ ほりこしこうへい NANBAA 407  choujou iji   Horikoshi Kouhei No. 407 Paranormal Orphan  Kouhei Horikoshi
3 彼女が自身の懐妊に八か月もの間気付かなかったのは かのじょがじしんのかいにんにはちかげつものあいだきづかなかったのは kanojo ga jishin no kainin ni hachikagetsu mono aida kidzukanakatta no wa The reason she didn't realize she was pregnant for eight months
4 浮浪生活だけが原因ではなかった ふろうせいかつだけがげんいんではなかった furou seikatsu dake ga gen'in de wa nakatta was not only because of her vagrant lifestyle.
5 全く身に覚えがなかったからだ まったくみにおぼえがなかったからだ mattaku mi ni oboe ga nakatta kara da It was because she didn't remember it at all.
6 ソレらはいつの間にか彼女の胎に住みつき ソレらはいつのまにかかのじょのはらにすみつき SOREra wa itsu no ma ni ka kanojo no hara ni sumitsuki Before she knew it, they settled in her womb
7 彼女の生きる力を吸い取っていた かのじょのいきるちからをすいとっていた kanojo no ikiru chikara wo suitotte ita and were draining away her life force.
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1 川のほとりで双子を産み落とした女性は かわのほとりでふたごをうみおとしたじょせいは kawa no hotori de futago wo umiotoshita josei wa The woman, who gave birth to twins by the river,
2 そのまま死亡した そのまましぼうした sono mama shibou shita died just like that.
3 彼女の疣贅はなぜか かのじょのいぼはなぜか kanojo no ibo wa naze ka For some reason, her wart
4 きれいさっぱりなくなっていた kirei sappari nakunatte ita disappeared without a trace.
5 赤児達は あかごたちは akago-tachi wa As for the babies,
6 二人きりだった ふたりきりだった futarikiri datta they were alone, [just the two of them].
7 ねずみがやって来て遺体と赤児をかじり始めた頃 ねずみがやってきていたいとあかごをかじりはじめたころ nezumi ga yatte kite itai to akago wo kajiri hajimeta koro Just as the rats came and started to gnaw on the corpse and the babies,
8 増水した川が ぞうすいしたかわが zousui shita kawa ga the rising river
9 双子をさらっていった ふたごをさらっていった futago wo saratte itta swept the twins away.
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1 一年後 いちねんご ichinengo One year later,
2 "発光する赤児"を皮切りに世界各国で"異能"の報告が相次ぐ "はっこうするあかご"をかわきりにせかいかっこくで"いのう"のほうこくがあいつぐ "hakkou suru akago" wo kawakiri ni sekai kakkoku de "inou" no houkoku ga aitsugu starting with "the luminous baby," reports of "meta abilities" emerged one after the other from all over the world.
3 "異能"は先天性のもうだけではなく "いのう"はせんてんせいのもうだけではなく "inou" wa sentensei no mou dake de wa naku Meta abilities were not just congenital.
4 二次性徴前後の青少年にも後天的に発現した にじせいちょうぜんごのせいしょうねんにもこうてんてきにはつげんした nijiseichou zengo no seishounen ni mo koutenteki ni hatsugen shita Around when they developed secondary sex characteristics, adolescents also expressed them as acquired [traits]. (Note: "Secondary sex characteristics" means puberty basically.)
5 未知の病として調べていた研究グループは みちのやまいとしてしらべていたけんきゅうグループは michi no yamai to shite shirabete ita kenkyuu GURUUPU wa A research group investigating them as an unknown disease
6-7 "異能"を「ヒトから枝わかれした新たなる遺伝子」と発表した "いのう"を「ヒトからえだわかれしたあらたなるいでんし」とはっぴょうした "inou" wo 「HITO kara edawakareshita aratanaru idenshi」 to happyou shita announced that meta abilities were "a new gene branched off from humans."
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1 それはあまりに無神経で早計だった それはあまりにむしんけいでそうけいだった sore wa amari ni mushinkei de soukei datta That was too callous and rash.
2 群生性命を隔つその発表は ぐんせいせいめいをへだつそのはっぴょうは gunseisei mei wo hedatsu sono happyou wa That announcement that subdivided gregarious life* (*Note: "Gregarious life" may be a bit too literal to be comprehensible. I think the best way to think of this phrase would be something like "social species.")
3 混沌を加速させた こんとんをかそくさせた konton wo kasoku saseta accelerated the chaos.
4 コンビナート方面で"異能"の連中が結集し始めたそうだ コンビナートほうめんで"いのう"のれんちゅうがけっしゅうしはじめたそうだ KONBINAATO houmen de "inou" no renchuu ga kesshuu shi hajimeta sou da "It seems that the meta abilities gangs have begun to gather around the industrial complex."
5 昨夜デモ隊が衝突した奴等だな…… さくやデモたいがしょうとつしたやつらだな…… sakuya DEMO tai ga shoutotsu shita yatsura da na...... "They're the ones the demonstrators clashed with last night......"
6 連中が決起する前に叩くぞ れんちゅうがけっきするまえにたたくぞ renchuu ga kekki suru mae ni tataku zo "Let's hit them before they rise up."
7 なんだ? nanda? "What's that?"
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1 超常遺児か ちょうじょういじか choujou iji ka "A paranormal orphan, huh?"
2 可哀想だが放っとけ!遺児は保菌者の可能性が高い かわいそうだがほっとけ!いじはキャリアのかのうせいがたかい kawaisou da ga hottoke! iji wa KYARIA (kanji hokinsha) no kanousei ga takai "I feel bad for him, but leave him be! The possibility for an orphan to be a carrier is high."
3 ん n "Right."
4 何の音だ なんのおとだ nan no oto da "What's that sound?"
5 ん? n? "Hm?"
6 え e "Huh?"
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1 それは母親から「奪った」異能 それはははおやから「うばった」いのう sore wa hahaoya kara 「ubatta」 inou That was the meta ability he "stole" from his mother.
2 その赤児は生まれながらに不遜だった そのあかごはうまれながらにふそんだった sono akago wa umare nagara ni fuson datta That baby was born conceited.
3 身の回り全てが自身の所有物であり みのまわりすべてがじしんのしょゆうぶつであり mi no mawari subete ga jishin no shoyuubutsu de ari Everything around him was his own property.
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1 泣けど喚けど自身を見ない なけどわめけどじしんをみない nakedo wamekedo jishin wo minai He cried and screamed, but he didn't see himself.
2 何も与えない者が なにもあたえないものが nani mo ataenai mono ga Those who gave him nothing
3 ただただ tada tada were simply
4 疑問だった ぎもんだった gimon datta problems*. (*Note: The word here means "problem, doubt, question." I think the description is saying that the baby would look at others and see them as the same as everything else in the world: something that existed as his property. Therefore those that gave him nothing were confusing, were question marks, and he harbored doubts and suspicions about them as a result.)
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1 ダメ DAME "Don't."
2 イタイの ITAI no "That hurts [them]."
3 母親から与えられる筈の栄養を ははおやからあたえられるはずのえいようを hahaoya kara ataerareru hazu no eiyou wo The nutrition his mother should have given to him
4 ダメ DAME "Don't."
5 ほとんど兄に奪われたので ほとんどあににうばわれたので hotondo ani ni ubawareta node was largely stolen by his older brother, so
6 弟はとても小さく脆弱だった おとうとはとてもちいさくぜいじゃくだった otouto wa totemo chiisaku zeijaku datta the younger brother was very small and frail.
7 自身に何も与えない存在だったが手に持っていた所有物なので じしんになにもあたえないそんざいだったがてにもっていたものなので jishin ni nani mo ataenai sonzai datta ga te ni motte ita mono nanode [The younger brother's] existence gave nothing to [the older brother], but [the younger brother's existence] was a possession [the older brother] held in his hands, so
8 兄は弟を決して手放そうとしなかった あにはおとうとをけっしててばなそうとしなかった ani wa otouto wo kesshite tebanasou to shinakatta the older brother tried to never let go of the younger brother.
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1 ーー溝が深まる一方で"発光する赤児"が自ら先頭に立ち ーーみぞがふかまるいっぽうで"はっこうするあかご"がみずからせんとうにたち --mizo ga fukamaru ippou de "hakkou suru akago" ga mizukara sentou ni tachi "--While the gap* intensified, the "luminous baby" has taken the lead" (*Note: The "gap" is referring to the rift between humans with meta abilities versus those without.)
2 平和と安全を訴えています賛同者は日増しに増加しておりーー へいわとあんぜんをうったえていますさんどうしゃはひましにぞうかしておりーー heiwa to anzen wo uttaete imasu sandousha wa hima shi ni zouka shite ori-- "to call for peace and security, with the number of supporters increasing day by day--"
3 僕に黙って何を読んでる? ぼくにだまってなにをよんでる? boku ni damatte nani wo yonderu? "What are you reading without telling me?"
4 まだ文字の勉強中で難しい本は読めないんだけど… まだもじのべんきょうちゅうでむずかしいほんはよめないんだけど… mada moji no benkyouchuu de muzukashii hon wa yomenainda kedo... "I'm still learning letters so I can't read difficult books, but..."
5 すごいよこのコミックって本 すごいよこのコミックってほん sugoi yo KOMIKKU tte hon "this comic book is amazing!"
6 絵で読めるんだ えでよめるんだ e de yomerunda "I can read it by the pictures."
7 描いた人の願いが絵で伝わってくる かいたひとのねがいがえでつたわってくる kaita hito no negai ga e de tsutawatte kuru "The wishes of the person who drew it are conveyed through the pictures."
8 ヒーロー… HIIROO... "Hero..."
9-10 僕もいつかこんな風になりたいな… ぼくもいつかこんなふうになりたいな… boku mo itsu ka konna fuu ni naritai na... "I want to be like this someday too..."
11 弟はまだ兄を諦めきれなかった おとうとはまだあにをあきらめきれなかった otouto wa mada ani wo akirame kirenakatta The younger brother couldn't give up on the older brother yet.
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1-2 かすかに憶えているあの手を兄の優しさだと信じたかった かすかにおぼえているあのてをあにのやさしさだとしんじたかった kasuka ni oboete iru ano te wo ani no yasashisa da to shinjitakatta He wanted to believe that hand he faintly remembers was his older brother's kindness.
3 三年後 さんねんご sannengo Three years later
4 例の"発光する赤児"さぁ…あいつのシンパがとうとう1000万人を超えたんだってさ れいの"はっこうするあかご"さぁ…あいつのシンパがとうとう1000まんにんをこえたんだってさ rei no "hakkou suru akago" saa...aitsu no SHINPA ga toutou 1000mannin wo koetanda tte sa "Well, for example, that 'luminous baby'...they say that guy's sympathizers finally surpassed 10 million people."
5 兄さん… にいさん… niisan... "Brother..."
6 おかしいよなだってあれは戸籍登録が一番早かったってだけで おかしいよなだってあれはこせきとうろくがいちばんはやかったってだけで okashii yo na datte are wa koseki touroku ga ichiban hayakatta tte dake de "That's strange, isn't it? Since it's just because his family registration was the fastest."
7-8 インドなんかじゃその二周間前には50人は異能が産まれてたって話だぜ インドなんかじゃそのにしゅうかんまえには50にんはいのうがうまれてたってはなしだぜ INDO nanka ja sono nishuukan mae ni wa 50nin wa inou ga umareteta tte hanashi da ze "They say that, in India, 50 people with meta abilities were born two weeks before that."
9 その姿は そのすがたは sono sugata wa "That appearance..." (Note: Yoichi is reacting with surprise at how AFO looks like he's been in a fight or something.)
10 おかしな話だよそんなので人を集められるなんてさ おかしなはなしだよそんなのでひとをあつめられるなんてさ okashina hanashi da yo sonna node hito wo atsumerareru nante sa "It's such a strange story, that he could gather people together like that."
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1 だから殺して「奪って」やった だからころして「うばって」やった dakara koroshite 「ubatte」 yatta "That's why I killed him and 'stole' [his meta ability.]"
2 ……なんで… ......nande... "......Why..."
3 だって datte "Because"
4 あのコミックに描かれていたろ あのコミックにかかれていたろ ano KOMIKKU ni kakarete ita ro "it was depicted in that comic."
5 ONE FOR ALL… ワン フォー オール… WAN FOO OORU... "One For All..."
6 ALL FOR ONE良い言葉だよな オール フォー ワンいいことばだよな OORU FOO WAN ii kotoba da yo na "All For One, they're excellent words."
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1 ヒーローは正体を隠して孤独に戦っていたけれど ヒーローはしょうたいをかくしてこどくにたたかっていたけれど HIIROO wa shoutai wo kakushite kodoku ni tatakatte ita keredo "The hero was hiding his true identity as he fought alone, but"
2 悪の魔王は皆が恐怖して全てを差し出すんだ あくのまおうはみんながきょうふしてすべてをさしだすんだ aku no maou wa minna ga kyoufu shite subete wo sashidasunda "everyone feared and offered up everything to the evil Demon King."
3 おまえがそうであるように…皆が僕の為だけに存在する世界 おまえがそうであるように…みんながぼくのためだけにそんざいするせかい omae ga sou de aru you ni...minna ga boku no tame dake ni sonzai suru sekai "A world where everyone exists just for my sake...just like you do."
4 僕にも夢ができた! ぼくにもゆめができた! boku ni mo yume ga dekita! "I was also able [to come up with] a dream!"
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1 待て何故行ってしまうんだ まてなぜいってしまうんだ mate naze itte shimaunda Wait, why are you leaving?
2 "力"を与えてやったじゃないか! "ちから"をあたえてやったじゃないか! "chikara" wo ataete yatta ja nai ka! Didn't I give you power?!
3 なんだおまえは!離れろ! なんだおまえは!はなれろ! nanda omae wa! hanarero! What are you? Get away [from him]!
4 僕のだ僕を見ていろ! ぼくのだぼくをみていろ! boku no da boku wo mite iro! [That's] mine, look at me!
5-6 僕のものにならないなら ぼくのものにならないなら boku no mono ni naranai nara If you won't become mine,
7 もうーー mou-- then--
tagline その手はー… そのてはー… sono te wa-... That hand is-...
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codenamesazanka · 15 days
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Volume 40 changed the text so that the AFOFA twins' mother is no longer a sex worker, just a random woman.
Chapter release: 「その娼婦」 ("The prostitute")
Volume release: 「その女」 ("The woman")
Still homeless and wandering, however.
*
This has connotations:
Was the "sex worker" part just for shock value? Just to make AFOFA's origins as sordid and disreputable as possible?
But it was too much and so it got axed because it wasn't actually important?
Or was it to mean something re: people on social margins? But then it got dropped?
Are we now also trying to establish some sort of Supernatural Virgin Birth idea?
Why change it? Was the reception too negative? Or had it nothing to do with audience feedback?
???????
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leomacgivena · 7 months
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中島らも氏が言ってた「女性経験の乏しい男性は、すべての女性を『聖女』か『娼婦』の極端な2パターンに分類して評価しようとする。生身の女性の実観測データの引き出しがないのでその中間は想像することができない」って話、我が身を振り返っても納得感めっちゃある
Xユーザーのジェット・リョーさん
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knytta · 1 year
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★✭✩ 娼婦 ⁺ ݂ ⋆ㅤ۫ 🚬 ݂ ⋆ ݁ . ㅤ۫ 💣 ݂ ⋆ ֪ㅤ۫ ⠀𝇄 𝇃⠀👛
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shinjihi · 7 months
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2023年9月5日に開催された「慰安婦問題をめぐる韓日合同シンポジウム」と6日の慰安婦像傍の街頭集会は、日韓の真実勢力がソウルに結集して声を挙げる記念すべきイベントとなりました。
シンポジウムが行われたコリア・プレスセンターでは、横断幕に日の丸が、開会時には君が代が斉唱されました。近年プレスセンターでこういったことは有り得なかったそうです。
また、6日の街頭活動は、正義連(旧・挺対協)水曜デモよりもさらに慰安婦像の近くで、正義連より参加者が多く賑やかに行われました。
2019年12月金柄憲氏、李宇衍氏らが、同じ場所で慰安婦像撤去の街頭活動を始めたときは小さな日の丸を持っていただけで、罵倒され妨害にあったそうです。
この日は青空をバックに大きな韓国旗と日章旗が翻り、参加者は韓日の小旗を振って声を挙げました。
<シンポジウム資料>
当日配布されたプログラム・資料冊子(韓国語・日本語併記)
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_siryo.pdf
シンポジウム パワーポイントPDF
・第一部
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/1.pdf
・第二部
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2.pdf
西岡力 (麗澤大学特任教授)発表原稿
・日本語版
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_nishioka_jp.pdf
・韓国語版
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_nishioka_kr.pdf
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<日韓真実勢力 共同声明>
【 PDF版 】
2023年9月6日 ソウル
日韓真実勢力一同
2023년 9월 6일
한일진실세력 일동
慰安婦問題のウソと戦う日韓真実勢力共同声明
위안부 문제의 거짓말과 싸우는 한일 진실 세력 공동 성명
慰安婦は日本軍が管理した公娼だった。貧困のために両親が受け取った前渡し金を返済するために売春に従事した女性たちだった。その時代を生きた日本人、韓国人はそのことをよく知っていた。
위안부는 일본군이 관리한 공창이었다. 빈곤 때문에 부모님이 받은 전차금을 상환하기 위해 매춘에 종사한 여성들이었다. 그 시대를 살았던 한국인, 일본인은 그것을 잘 알고 있었다.
南労党出身の在日朝鮮人共産主義者はこう語っていた。「故郷の済州島の村では早く夫を亡くした未亡人が村の若い娘を連れて中国で慰安所を経営し、大変カネを儲けた。そこで、村人たちはこぞって家の娘も慰安所で働かせて欲しいとその女性に頼み、多数が金儲けのために慰安婦になっていた」
남노당 출신인 재일조선인 공산주의자는 이렇게 말했다. “나의 고향 제주도 마을에서는 일찍이 남편을 잃은 과부가 마을의 젊은 여성들을 데리고 중국으로 건너가 위안소를 운영해 많은 돈을 벌었다. 그래서 마을 사람들은 모두 자기 집안의 딸도 위안소에서 일하게 해달라고 그 여자에게 부탁했고, 다수가 돈벌이를 위해 위안부가 되었다.”
だから、反日政策を進めた李承晩政権も日本との国交正常化交渉で慰安婦への補償は求めていない。
그래서 반일정책을 추진한 이승만 정권도 일본과의 국교정상화협상에서 위안부에 대한 보상은 요구하지 않았다.
私たちは昨年に東京で、そして昨日ソウルで「慰安婦問題をめぐる日韓合同シンポジウム」を開催して、以上のような歴史的真実を確認した。
우리는 지난해 도쿄에서 그리고 어제 서울에서 ‘위안부 문제를 둘러싼 한일합동 심포지엄’을 개최해 이상과 같은 역사적 진실을 확인했다.
ではなぜ、慰安婦は公娼ではなく、日本軍に強制連行され、性的奉仕を強要された性奴隷だという、ウソが拡散し、日韓関係を悪化させてきたのか。
그렇다면 왜 위안부는 공창이 아니라 일본군에 강제 연행되어 성적 봉사를 강요받은 성노예라는 거짓말이 확산되어 한일관계를 악화시켜 왔는가.
その元凶は、強制連行、性奴隷説を広めていった日本と韓国の嘘つき勢力だ。日本の朝日新聞が職業的嘘つきである吉田清治の強制連行ウソ証言を繰り返し大きく報道した。日本人活動家が韓国で元慰安婦らを探し、日本政府を訴える裁判を起こした。原告の元慰安婦は強制連行されたとは言っていなかったのに、その証言を捏造したのも朝日だ。
그 원흉은 강제연행, 성노예설을 퍼뜨려 나간 한국과 일본의 거짓말 세력이다. 일본의 아사히신문이 직업적 거짓말쟁이인 요시다 세이지의 강제연행 허위증언을 반복적으로 크게 보도했다. 일본인 활동가가 한국에서 전위안부들을 찾아다니며 일본 정부를 상대로 재판을 일으켰다. 원고인 전위안부들는 강제연행되었다고는 말하지 않았는데, 그들의 증언을 날조한 것도 아사히 신문이다.
そして挺対協と遺族会という韓国の二大反日団体が日本発のこのウソを韓国で大々的にひろめた。それを韓国の新聞、テレビが第二の独立運動であるかのように大きく報じた。そして見逃せないのは日韓の嘘つき勢力が北朝鮮と緊密な連携をとっていたことだ。今回、正義連の元理事長の国会議員と現理事長が東京で北朝鮮の手先である朝総連の行事に出たことがそのことを象徴している。
그리고 정대협과 유족회라는 한국의 양대 반일단체가 일본발의 이 거짓말을 한국에서 대대적으로 확산시켰다. 그것을 한국의 신문, TV가 제2의 독립운동인 것처럼 크게 보도했다. 그리고 놓칠 수 없는 것은 한일의 거짓말 세력이 북한과 긴밀한 연계를 취하고 있었다는 것이다. 최근에 정의연의 전 이사장이자 국회의원인 유미향과 현 정의연 이사장인 이나영이 도쿄에서 북한의 앞잡이인 조총련의 행사에 참석한 것이 이를 상징하고 있다.
ところが、日本と韓国の真実勢力は民族感情などのためなかなか協力することが出来なかった。日本では30年間、真実勢力が戦いを続け、朝日が吉田証言をウソだと認めて過去の記事を取り消すところまでいたった。韓国でも、2019年からここ、慰安婦像のすぐ横で「慰安婦は売春婦」「慰安婦像撤去」を叫ぶ韓国の真実勢力が反撃を開始した。そしてついに昨年と今年、東京とソウルで日韓の真実勢力が合同シンポジウムを開催することが出来た。
그런데 한국과 일본의 진실세력은 민족감정 등을 이유로 좀처럼 협력할 수 없었다. 일본에서는 지난 30년간 진실세력이 싸움을 이어가, 아사히 신문이 요시다 세이지의 증언을 거짓말이라고 인정해 과거의 기사를 철회하기까지 이르렀다. 한국에서도 2019년부터 이곳 위안부상 바로 옆에서 ‘위안부는 매춘부’, ‘위안부상 철거’를 외치는 한국의 진실세력이 반격을 시작했다. 그리고 마침내 지난해와 올해 도쿄와 서울에서 한일의 진실세력이 합동 심포지엄을 개최하기에 이르렀다.
ここで私たちは宣言する。日韓の真実勢力が力を合わせて、日本、韓国、北朝鮮の嘘つき勢力の陰謀と工作を暴露し、彼ら、彼女らの責任を追求する。韓国と全世界に立てられたウソの象徴である慰安婦像を必ず撤去させる。
여기서 우리는 선언한다. 한일의 진실세력이 힘을 합쳐 일본, 한국, 북한의 거짓말 세력의 음모와 공작을 폭로하고, 그들의 책임을 계속해서 추구할 것이다. 한국과 전 세계에 세워진 거짓말의 상징인 위안부상을 반드시 철거시킬 것이다.
以上
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shihlun · 3 months
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大江健三郎 - 後退青年研究所(1960)
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黑暗的深淵在這個世界到處張著大口保持沉默。現實世界向遍布各處的深淵漏斗狀地傾斜,所以對傾斜敏感的人會不知不覺或者有意識地順首傾斜滑下去,墜入深淵黑暗的沉默之中,從而體驗現實世界裡的地獄。
我曾經像地獄把關人站在一個黑暗的深淵邊上,我所體會的對滑入深淵的漏斗狀傾斜的敏感,是指那些在政治或思想上道受過挫折的青年、心靈受到創傷的青年。當然,他們中的許多人在肉體上也有傷痕。
現實世界的一座地獄,即稱之為黑暗的深淵的話,就在大學旁邊不動產公司大樓三樓,房間總是亮堂堂的(啊,人為什麼自古以來就如此熱心努力使自己的周圍照得光明亮堂呢?人為什麼比野獸更強烈地討厭黑暗呢?我只是一個日本青年,不是基督教徒,對這些不感興趣,但每次一想到人對黑暗的恐懼,就想起「原罪」這個詞)。地上鋪著漆布,油光閃亮,不鏽鋼的辦公桌椅顯得清爽氣派,而且具有高效率,等待著合適能幹的主人。
但是,當我目送從走廊推門而入的挫折青年在回答我為了登記卡上的必要事項提出的、僅僅是卡片未曾明確記載但又必須記入卡片的簡單問題後,走進隔壁房間的時候,還是感覺到這間明亮的辦公室是地獄的一個入口。
隔壁房間有鬼嗎?有美國東郊的大學受過非常好的高等教育的嶄露頭角的年輕心理學家戈爾遜先生和擔任翻譯的東京女子大學學生在等待著。在思想或政治上受到挫折的青年邁出憂鬱的一步踏進這個房間,他們滿腦子苦惱,準備談談心裡話。我的大學同學把這間房間稱為「後退青年研究所」。其實正式名稱叫「戈爾遜訪談室」,英文縮寫為GIO。但沒有人稱呼它的正式名稱。結果戈爾遜先生的問題只提一個:「你為什麼後退了?」因為大家都是來談「自己為什麼年紀輕輕就後退了」的。
那個時期,是韓戰結束後相對穩定的時期,是學生運動處於如氣潭中間四陷的波谷時期。學生對社會的關懷表現在合唱俄羅斯民歌,在兩三年激烈動蕩的學生運動中受到創傷的學生重新回到學校,變得憂鬱苦悶,暗自舔著自己的傷口消磨時光。
於是,一個美國國籍的年輕學者就在東京大學旁創立了這家以遭受創傷的學生運動家為主要調查對象的研究所。它每天吸引不少所謂的後退學生。開始它只在校刊上刊登一則《戈爾遜先生恭候先前的學生運動活動家光臨!》的廣告,結果學生絡繹不絕。
我是在這兒打工的學生,今年剛剛二十歲,對青年神情憂鬱、臉色充滿抹不掉的髒垢的陰影般的苦悶可以說漠不關心,因此大概不會懷有同情之心。但如果GIO是對日本人炫耀優越者傲慢的那種研究所,我也不會接受接待戰戰兢兢地前來訴說自己內心陰暗的皺襞深處殘留的思想疙瘩的同胞這種工作,也許自己也會成為一個憂鬱症「病人」低垂頭把帽子貼在胸前排在長長的學生隊伍後面。
戈爾遜是個標準的開朗的美國人,雖然留著油煙色的短唇鬍,其實還不到三十歲,所以我在他這裡工作不覺得什麼強烈的自卑感。來日本的美國知識分子似乎要不是目空一切旁若無人或和藹可親寬厚溫敦,我們稱之為戈爾遜先生的這位芝加哥出生的社會心理學家可以說溫良敦厚的典型代表。
我現在還說不清楚戈爾遜先生為什麼跑到日本來調查受創傷學生的精神傾向,廣義地說,是否不少美國人在韓戰結束後很快就對日本學生的挫折心態發生興趣? 用美國社會心理學的方法調查日本學生,結果對美國人有什麼用?
一般認為,美國人的調查是為了加強在遠東地區進行反共宣傳的基礎的一項工作。這種看法多少令人信服,但就我所在的GIO來看,至少戈爾遜先生從未給我與反共宣傳有關的印象。
戈爾遜調查室每個月都把調查結果報回本國,但接收單位是不知道他業已畢業還是尚在就學的美國東部某大學研究所,好像與美國國務院、議會並沒有直接的聯繫。當然,我在這辦公室工作期間,出於一種自我厭惡的情緒,本來就對辦公室的性質、目的十分冷淡,也不想深入了解。我坐在辦公室裡,也和來訪的學生一樣,心情極其鬱悶,但出了大學教室門,會無緣無故地朝氣蓬勃、輕鬆愉快,有一種充滿希望的解放感。
我想擔任戈爾遜先生的翻譯兼打字員的女大學生也是如此的吧。在辦公室裡,我從未見過這個高挑細瘦的女大學生一絲平靜輕鬆的表情,但偶然在東京大學和東京女子大學共同舉辦的歌舞聯歡會上時看到她時,這位憂慮愁悶的我的同事簡直判若兩人,兩頰緋艷動人,興高采烈,歡聲笑語,像鳥鳴一樣尖聲歡笑。第二天,我懷著某種期待和莫名其妙害羞上班,出現在我面前的仍然是像內分泌失調似地愁眉苦臉的女大學生。
GIO的工作性質本身就極為憂鬱。 有一次戈爾遜先生說,日本的工作告一段落後打算去台灣或南韓從事同樣的工作,熱情動員我跟他一起去。那時候我很想試一試,甚至夢見自己在南韓調查受挫折的朝鮮青年,我不僅把戈爾遜先生的所有工作包攬下來,還手執鞭子像對待奴隸一樣抽打前來傾訴衷腸的青年,想來實在可笑。這也許是GIO表面上像穩重平靜的調查室,其實潛藏著將手指插進青年的傷口使勁摳攪脂肪、肉體的冷酷的一面的緣故,感覺在我的潛意識裡、在夢中重現出來。
我的工作是調查接受前來訪談的學生的履歷和訪談結束後付給學生報酬。酬金是採訪一小時五百日元。戈爾遜先生通常在發票上都寫採訪兩個小時,本來學生上學都有月票,無需交通費,但還是根據現住所到這兒的距離支付交通費,這對學生來說,是筆不壞的打工收入。但是,除了特殊情況外,這樣的「打工」只能申請一次,而且不是前不久積極參與學生運動後來倒退的這樣在思想上發生戲劇性轉變的人不要。因此,雖然不是想像的那麼難,確實比一般的打工不容易。
在GIO工作幾個月後,來訪的學生開始明顯減少,有時我的卡片上一天也沒登記一個學生的名字,戈爾遜先生無所事事,皺著眉頭像狗熊一樣悲傷地在屋裡轉來轉去。在這成績不佳的日子裡,只有翻譯兼打字員的女大學生絕不心慌意亂急躁氣惱,板板正正地端坐在桌前,閱讀袖珍本的《矛盾論》、《實踐論》。這不會讓別人覺得她思想上有所共鳴,因為那個時期,在女大學生中,毛澤東的書和羅曼羅蘭的書一樣風行。
沒有學生來的時候,戈爾遜先生就到傳達室和我聊天。他不和女大學生交談。她非常不愛說話,幾乎從不發表意見(這種徹底的沉默寡言使人覺得不正常,好像向戈爾遜先生發表見解自己也就成了前來訴說精神挫折的學生),戈爾遜先生對 她也有幾分發怵。我們一邊從辦公室窗子望著本鄉(本鄉,地名。東京大學位於此地一譯註)的大學裡高大的樹木,一邊盡量避開商業、日漸減少的後退青年的話題,漫無目的、天南海北地神聊起來。
透過這種無拘無束的漫談,我知道這個家庭一貧如洗的白人兒子靠獎學金上的大學,說不上天資聰穎才華橫溢,卻對日本的挫折青年極感興趣。一個二十八、九歲的美國青年選擇這個問題作為研究課題來到日本成立調查所,這本身就令人覺得他的精神構造不可思議有悖常規。我開始感覺到戈爾遜先生不是深淵的擁有者,而是被吸進這個現實世界的深淵裡的第一個墜落者。於是很自然地聯想到自己,我在自己的學生同胞前來訴說陰暗的情緒崩潰的外國人事務所裡工作,覺得有點近乎賣良為娼的人口販子、老鴇這樣卑鄙下賤,想起少年時光,雖然那時還是戰爭年代,對自己二十歲這個年紀依然懷抱著玫瑰色的幻想。但如今已經二十歲,而且是在和平時期,卻幹這種不清不白不三不四的差事,心頭充滿難以言狀的苦澀和自我厭惡。
可以跟我互相交流自我厭惡情緒的應該說是那個同樣打工的女大學生,但她整天愁容滿面,一有空就全神貫注地鑽進毛澤東的書裡,從不到我的屋子來走動。我一到裡屋,就不得不面對那些登記卡,被憂傷鬱悶的學生的形象擠壓得喘不過氣來,所以絕不會從我這邊推開女大學生房間的門,於是只好愁眉苦臉地和同樣愁眉苦臉的戈爾遜先生漫無邊際地神聊。啊,GIO簡直就是一座無比憂鬱的地獄!
正是在這種閒聊中,戈爾遜先生動員我在日本的工作結束後跟他一起去台灣或者韓國,也正是在這種倦怠鬱悶的時間裡,我從他不經意的動作的細微處覺察出 同性戀的傾向。他談到美國東部的鄉村小鎮,語調那麼親切眷戀,卻不遠萬裡跑到東方來,說不定是被流放到日本來的呢。外國人到大學的課餘打工科要求介紹擔任陪同聊天的人、導遊、翻譯的學生,大多都想藉此名義發展成同性戀對象。 外國人的這種別有用心現在已經變成常識了。我的一個朋友透過打工和一個外國貿易商搞上了同性戀,後來被貿易商拋棄,因此自殺。「被拋棄」這三個字是他寫在遺書裡的。這也是韓戰結束後那一陣子的事。
我和戈爾遜先生用低得能聽見隔壁翻書響動的聲音斷斷續續地聊長天,但雙方的心並沒有互相靠攏貼近。我用半瓶醋的英文跟美國人聊白開水淡而無味的閒天,覺得著急,深深地感嘆自已為什麼會在這裡幹這種事。我現在大體能體會到與美國人一起工作的日本人、尤其三十歲左右的婦女為什麼一天到晚裝模作樣矯揉造作大聲叫嚷的秘密。那些戴著很講究很派頭的眼鏡抹著大紅嘴唇以痙攣性地強調突出臉龐的女大學生們即將埋沒自己的空虛乏味的恍惚。她們和舊式婦女一樣,自我要求對工作奴隸般地逆來順受。
就我自己而言,當我看著和我相對而坐自由交談的這個美國人玻璃般透明而遲鈍呆滯的眼睛、像在果子凍上灑一層麵粉一樣發喧的胖臉和手背的皮膚、當細小的高鼻子、突然發出怪聲的嘴唇時,甚至神經質地想如果為了深入了解對方的思想情緒、為了在對方的臉上恢復人的統一感,簡單地說,如果為了發現我和對方之間人與人的聯繫,可以發展到同性戀關係。
我剛剛二十歲,從這個世界的幾乎一切追尋人與人的關係。而對年輕人來說,無論正常或變態的性關係,都是盲目地沉溺在令人感覺怪誕無序的他在之中的行為,都是賦予意義、制定秩序、變成如自己身體的一部分那樣親密的行為。如果我每天都和戈爾遜先生進行這樣百無聊��的持續不斷的談話,我很可能要麼神經發作地和他同性戀,要麽神經發作地和他大吵一通辭去GIO的工作。
但是,在某月月初,由於上個月報回國內的調查數據實在缺少內容,本國給戈爾遜先生發來一封信指責他工作消極怠惰,信的措辭相當嚴厲。他早晨上班看了這封信後,一整個早上都在房間裡心煩意躁地急步轉圈。下午,戈爾遜先生終於下了決心,對全所人員,除清掃女工外、即我、女大學生及他本人就當前的困境發表演說。
戈爾遜先生的論點簡潔明快,本國要求他今後每個月提供上個月三倍資訊量的調查數據,如果不能保證這個基數,將解除他遠東研究員的職務。因此,我們必須提高效率。
怎麼提高效率?是在校刊上登更大的廣告,還是在校園貼廣告?《戈爾遜先生恭侯先前的學生運動活動家光臨!》
我針對戈爾遜先生的提問,發表意見說不能指望廣告的方法可以使狀況發生根本性的好轉,因為戈爾遜先生的後退青年研究所在學生中已經出名,即使出廣告,也不會有更多的精神挫折的新學生前來。
翻譯兼打字員的女大學生基本上同意我的意見,她認為即使我們在校內張貼廣告,再到處尋找可能會前來訴說自己精神受到創傷的青年,也不會像GIO調查初期那麼多。歸根究底,社會上並沒有存在很多「精神受創」的青年,並不是有無數的在學生運動中有過挫折體驗的青年在等待著GIO的召喚。大概已經見底了吧。
戈爾遜先生、我、翻譯兼打字員的女大學生心情憂鬱地討論了很久。戈爾遜先生不想現在離開日本,工作半途而廢回到美國意味著在大學裡謀不到一個好位置。 另外,我和女大學生都不想過早失去這份又安穩收入又可觀的打工。
越討論越覺得前途渺茫,大家陷於一籌莫展的時候,戈爾遜先生提出了妥協的方案。他說,下個月一個月大家���好幹,把成績提上去,全力以赴,做出好成績,就可以向國內提出報告說日本學生的調查已大體結束,這樣就會批准調到其他地方去。如果在成績惡劣、遭受批評的風頭上提出調任請求,會立即被炒魷魚,南韓與台灣就是別人的美差了。
我和女大學生覺得不是立刻丟掉飯碗,還有一個月的時間可以找別的打工。於是三個人一致決定大幹一個月全力進行調查提出高品質的工作報告。
但是,不找到幾個後退青年,我們連一張調查卡也填不了,寫報告更無從談起。 這時,我突然心血來潮,一個主意浮上心頭:我們可以製造後退青年、即心靈遭受創傷前來訴說苦惱的青年,簡單地說,就是隨心所欲地把一般青年當做後退青年,編造他們前來GIO訴說精神苦惱的假報告。說起來,這麼好的主意為什麼以前就沒想出來。我們以前聽過積極參與學生運動或黨的活動、後來遭受政治思想上的挫折的「心靈受創青年」訴說自己的真實感受。至少我和翻譯兼打字員的女大學生都聽過。「心靈受創青年」的訴說,連我們的心靈都感受到痛苦。「心靈受創青年」主動到GIO來訴說自己的內傷不僅僅要忍受痛苦,更是克服了巨大的心理障礙。其實,後退青年到GI0來本身就是極不正常的非人性的行為。
根據我的主意,只需要一般學生稍微做些表演就好。我目送這些青年走進隔壁房間接受調查時,不會覺得他們掉進黑暗的深淵而心頭難過,也不會從調查完畢出來的青年臉上看到遭受打擊一蹶不振的印象,或者由於說得太多而疲憊興奮得通紅的肌膚上出現後悔、自我厭惡這些陰暗憂鬱的污垢。因為這一切全是演戲。他們不是「心靈受創青年」。
於是我向戈爾遜先生保證我明天去大學找幾個調查應徵者來,一定是幾年前學生運動的積極分子、典型的後退青年。
第二天,我跑了一間又一間教室,還去研究室和課外小組活動室,說明我的宗旨。說是一般學生,其實對兩三年前的學生運動也很了解,而且全身都給人一種體驗過精神挫折的印象。應徵者很多,我從中挑了十個。他們都知道GIO。他們和我一樣,對後退青年研究所把他們演戲的錯誤數據信以真感到愉快。我們興高采烈七嘴八舌討論說,美國人以為能把自己的手指插進日本真正的「心靈受創青年」的傷口裡使勁摳攪,完全打錯了算盤,我們信口雌黃的遊戲奠定了他們學問的基礎。當天晚上,這十個學生去GIO的日期以及各自扮演的角色都安排妥當。
從下一周開始,GIO每天都是開業以來從未有過的充實豐富。戈爾遜先生情緒極佳,幾乎天天說終於採訪到了一直想見的典型的後退青年。我只是輕鬆地把巧妙玩弄訴說把戲的青年送進隔壁的房裡,心情十分舒暢。
但是,令我稍感不滿的是,翻譯兼打字員的女大學生出人意外地突然辭去工作,戈爾遜先生決定停止調查,立即整理報告。結果我預約的兩位表演者未能上場。
戈爾遜先生也寫了一份日本工作業結束,GIO現已關閉,待命調往他地的報告,隨同本月的統計報表送回。他也答應把女大學生的工作日期算到GIO關閉為止向國內申請特殊津貼。戈爾遜先生對這個月成功的調查充滿信心,相信他的報告將一鳴驚人,博得滿堂喝采。
戈爾遜先生最得意的是我的第七個表演者,這個學生個子矮小臉色淺黑長著猴子般的額頭。我對他說不上了解,但戈爾遜先生一採訪,立刻認定他是最典型的後退青年。後來才知道,翻譯兼打字員的女大學生也因為這第七個表演者才下定決心辭去工作的。
報告空郵出去以後,GIO立即關閉。那天晚上,我們三人小聚,戈爾遜先生問女大學生為什麼要辭去GIO的工作,她回答說實在不願意看見那種厚顏無恥的日本青年。我從容不迫地看著女大學生第一次展現的深切焦慮與悲哀,覺得很可笑。戈爾遜先生一臉困惑,但沒有平時那種難以捉摸的異常感覺,而是一個不諳世故的平凡普通的學者即將發作時的不悅表情。我甚至想知道那個猴子額頭的第七個學生是怎麼表演的。
我是在另一個完全出乎意外的地方知道第七個表演者的伎倆的。GIO關閉一星期後,我從日本發行量最大的報紙上讀到有關第七個表演者的文章,也刊登了他的照片。照片排在介紹GIO活動情況的文章中,戈爾遜先生笑嘻嘻地站在第七個表演者旁邊。這一定是採訪結束後翻譯兼打字員的女大學生照的。報紙說戈爾遜先生認為第七個學生、即A君是典型的後退青年,發現他是GIO調查的最大收穫。報紙引用調查卡的記載這樣報道A君成為後退青年的經過。
A是日本共產黨東京大學支部的成員,但被懷疑為特務,慘遭監禁拷打,小手指頭第二關節被切斷,最後被開除出黨,戀人也離他而去。於是他主動向富士警署的某警察提供情報。但是他已經離開學生運動,情報沒有太大價值,當特務也沒資格。現在他非常孤獨。他恨先前的夥伴,是他們使他遭受巨大的挫折,但他的特務嫌疑問題似乎是一個背叛的同夥告的密。戈爾遜先生把A視為日本左翼學生後退的一個典型。
我覺得絕望的黑暗深淵正吞沒照片上與戈爾遜先生並排站立的、猴子一樣微笑著的第七個學生。我的身體開始顫抖,渴望確認自己在第七個學生不幸之外。我使勁從黑暗熱昏的腦子裡把女大學生的「那種厚顏無恥的日本青年⋯⋯」驅逐出去。
冬天。第五堂課結束時,整個大學籠罩著寒氣逼人的蒼茫暮色。我彎腰縮脖地走出大門,突然看見一個躲在電線桿後面的矮小男人用手套遮著側臉朝我走來。我們默默地沿著大學的磚牆在昏黑中並肩走著。
「本來打算鬧著玩的。」第七個學生萎靡不振地說,「我隨口胡編亂造,沒想到報上登出來了。」
「我也沒想到。」我陷入束手無策的困境,說,「向戈爾遜先生提抗議去。」
「已經提抗議了,我要求他撤回報道,但他不同意。他說報紙報道的內容,既有錄音又有證人,不能撤回。我說那是我鬧著玩的,是信口開河、胡說八道。 但他說不管你鬧著玩也好,胡說八道也好,你說的內容很有意義。」
戈爾遜先生淡灰色的明亮的眼睛、細小的高鼻樑、胖乎乎的粉紅色皮膚立刻統一成一個傲慢的形象浮現在我的眼前,冷酷無情地把一籌莫展驚恐害怕的猴額頭青年猛力推開。我把自己融化在戈爾遜先生傲慢的形象後面,突然變得從容冷漠。
「其實報上的照片很模糊,能認出是你的不就是幾個親近的人嗎?既然是十分親近的人,對他們解釋這是一場玩鬧,大家哈哈一笑不就過去了嗎?」
「不行呀。就說我的戀人吧,看了報紙以後看我的眼神都不對了。」猴額頭的小個子把他的左手伸過來。
我看見他小手指第二關節被切斷了。我一陣難過,停下腳步。他像受欺負的小孩一樣眼睛直勾勾地盯著我,左手戳在我的眼前。 我看著馬路上過來的公車,準備上車。
「戈爾遜先生答應一個月以後在報上發表更正啟事,而且把錄音帶還給我。你也幫我記著。好嗎?我幹嘛說那麼多呢?莫名其妙。」
汽車停下來,我上了車。我擔心他跟上來,但似乎他只是在黑暗中看著我離去。 我終於鬆了一口氣,但我也不明白他為什麼要說那麼多。我至今也沒弄清楚。一個月後,戈爾遜先生的報告受到高度評價被調任為歐洲研究所。即使他在報紙上發表「內容與事實不符」的更正啟事,也毫不影響他前往歐洲赴任。但是他並沒有發表更正啟事,在我和女大學生的送行下,從羽田機場飛走了,因為第七個學生一個月後沒有再去找他。戈爾遜先生託我把錄音帶還給第七個學生,但至今仍保存在我這裡。我想起戈爾遜先生把錄音帶交給我的時候說的一句註釋性的話:「他是一個典型的後退青年!」
於是,我感覺到身邊的現實世界到處都是滑入默默張著大嘴的黑暗深淵的漏斗狀斜面。
(鄭民欽 譯)
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europiumoon · 7 days
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インランド・エンパイア
学部時代私は建築学生だった。学部2年の時の建築演習の時間に映画を観ることになっていた。「かの有名なデヴィッドリンチだぞ」と1人で興奮している教授を差し置いて映像に見入る。課題は登場人物のための家を考えることであった。私は天邪鬼な性分なため、主人公であるニッキーに家は作らず誰も選ばないであろう終盤に出てくる売春婦のために家を設計した。部屋の中央に螺旋階段を置き船のような家。楕円で3階建てで2階が売春婦の部屋、3階は飼っている猿のための部屋だったと思う。奇天烈なことが好きな教授であったから、最終日の発表者を選ぶ際にやはり私が選ばれて、薄暗くプロジェクターの光が差し込む中私は売春婦について語った。飼い慣らしていない猿の糞が辺りにまみれた汚い部屋。汚さもなにもかも気にしないようにと部屋は辺り一面漆黒に作り上げた。セックスとか娼婦とか薬中発言するたび異性から失笑がいくらか漏れていたのはわかっていたが、彼女を救いたい、新しい船出になるような家をつくってあげたかったことを言葉に乗せた気がする。なんやかんやでその時の授業の成績はSで、「あんなものでも評価してくれるのだな」と半信半疑であった。この課題とデザインはたまに思い出す。上映時間は180分もあって設計中はレンタルショップで借りて何度も何度も観返した。私の栄光の一部。この授業きっかけに私のことを好きになってくれた同性が居てくれたことは嬉しかった。
もし同じ課題を出された時は、誰のために家をつくりますか。
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当時の思いと設計があったので残します。
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tutai-k · 1 year
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文学フリマ東京参加します
2023年5月21日(日)、東京・流通センターにて開催される文学フリマ東京36にサークル・ヨモツヘグイニナで参加します。 お品書き↓
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新刊は『けものと船乗り』、『ヤールルカ』の二種類です。
★けものと船乗り 船をことごとく沈めてしまうという「魔の水道」を挟んで、島とむきあう街……その街の灯台には、もう一匹のけものが棲みついていた。 街のひとびとには「けもの」と思われているアーシアは、ある日磯で船乗りと出会う。けものに焦がれて水道を渡りたがる船乗りは、それでも、星の読み方も、鳥のことも、航海についての知識をすべて、忘れてしまっていたのだった……。 B6サイズ/42ページの小さな幻想小説です。 ★ヤールルカ 動物写真家とハンター、ふたりの女が出会い撮ることと撮られることについて考えるファンタジー小説。B6サイズよりちょっと大きい、12ページのコピー本です。
通販で予約していただいてるかたは本日発送いたしましたので、週の半ばころには到着するんじゃないかなと思います。
他に持ち込む本ピックアップ ★山梔の處女たち(準新刊) アルファの少女ふたりの物語『首輪とロマンス』、魔法学院に通う少女たちと教師・使い魔の物語『魔女の選択』、人生の岐路にまどう少女たちの恋をすること・しないこと、そして未来についての物語です。 ★浜辺の村でだれかと暮らせば(おすすめ) 田舎で漁師をいとなむ日和。父が死に、自分の収入だけでは生活が心許ない…そんなとき「だれかと暮らす気、ない?」と声をかけられて……。やってきたのは都会の男。人付き合いは得意じゃないし、村に役立つような特技も持ってない。それでも、「この土地」で生きていくことを、ともに選ぶ「ひとびと」の物語。
委託本 ★『征服されざる千年』(鹿紙路さん) 東アフリカ×三つの時代×百合、歴史と物語りの剣呑な関係、歴史実践という切実な営みについての長編小説 5~6世紀 魂の救済を求め沙漠を旅する修道女と元娼婦(シリア~エチオピア) 15~16世紀 漁師の娘に恋い焦がれるムスリマの少女(マダガスカル~エチオピア) 21世紀 共に逃避行する歴史人類学者と考古学者(日本、マレーシア、シンガポール、マダガスカル、ロンドン、タンザニア、エチオピア) ほかに、鹿紙さんのお手製の素敵なブックカバーも委託します! ★『日々詩編集室アンソロジーvol.1 わかち合い』 31名の寄稿者とHIBIUTA AND COMPANYのスタッフによるエッセイや旅行記を集めた本です。全部リソグラフ! ★『存在している 編集室篇』 HIBIUTA AND COMPANYに集うひとびとが、どこへ行こうと出発し、どんな道のりを歩いて「ここ」へたどり着いたかをそれぞれの言葉で語るエッセイ集。第一弾は編集室篇。編集室にいる「ひと」��ことを知らなくても、「ひとりの人間がどんな軌跡を歩いてきたか」、言語化に長けたひと・出版という選別に勝ち抜いたひとだけでなく「だれもが」語りたいときに語る試みをする本です。
他に↑の日々詩編集室から9月に『ゆけ、この広い広い大通りを』というタイトルの三人の女たちの物語が出るので、試し読みの冊子(ちょっとだけ)とかも持って行きます。よかったらどうぞ。
文フリ東京、お隣は八束さん。
新刊の「アフター・ヘブン」、その書物について書かれた八束さんのブログを読んで、このような目を持つ稀有な作家の書物に手が届く世界は幸福である、と言う思いを強くしました。 『光や風にさえ』もそうなんだけど、権威や能力主義からは取りこぼされてしまう個人(これはフィクションの登場人物であっても、というかフィクションの登場人物であるからこそ、ストーリーラインに載せられず、すくいあげられなかったりする)の物語を、丁寧に、(逃げずに)、決してあきらめずに「描く」姿勢に敬服する。
東京、行くのは実は三年ぶり。鹿紙さんに委託をお願いしていたので、初頒布の本ばかりではないけれど、それでも、わたしがこの本たちを携えて東京へ行く、と言うことは「初」で、どきどきしている。
新幹線の切符、予約を間違えて、東京→名古屋というのを買っちゃった。
今週中に、もう一個くらいお知らせしたいことがあると思うので、そしたらまた、ブログを書きます。
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team-ginga · 2 years
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サルトルの『恭しき娼婦』
 今日6月25日は、妻と一緒に西宮北口の芸文(兵庫県立芸術文化センター)中ホールでジャン=ポール・サルトル作、栗山民也演出、奈緒、風間俊介出演の芝居『恭しき娼婦』を見てきました。
 席はS席とA席がありますが、我々はA席。当然2階の後ろの方ですが、芸文は2階の後ろでも非常に見やすくできているありがたい劇場です。
 寺山修司が自分の劇団名にした「天井桟敷」とは劇場の上の方の安い席という意味で、往年の名画『天井桟敷の人々』(Les Enfants du paradis)はそういう安い席に詰めかける演劇好きの人々の意味ですが、芸文では非常に快適に「天井桟敷の人々」を決め込めるわけです。
 『恭しき娼婦』(1946)はアメリカ南部の黒人差別を描いた芝居で、非常に単純で分かりやすいストーリーです。
 ニューヨークからアメリカ南部の街にやってきた若い娼婦リジーは、街に来る列車の中で二人の黒人と同じ車両に乗ります。するとそこに4人の白人が現れ、リジーにちょっかいを出すと同時に、黒人たちを列車のドアから突き落とそうとして揉み合いになります。そしてその中で白人グループの中のトーマスという男が黒人の一人を撃ち殺し、もう一人の黒人は逃げていきます。
 当然、トーマスは捕まりますが、彼や彼の仲間たちは黒人たちがリジーを強姦しようとしていたと主張。街のお偉方はリジーにその旨の証言の書類を渡しサインさせようとするという物語です。
 私は元々、プロパガンダ演劇というか特定の政治的主張を宣伝する芝居が嫌いで、サルトルはなぜよりによってこんな芝居を書いたのだろうと不思議に思っていました(サルトルはコミュニストであり、政治参加する作家でしたが、『恭しき娼婦』以外プロパガンダ演劇は書いていないはずです。ナチスドイツの占領下で執筆、上演された『蝿』は現在ではレジスタンスの戯曲とされていますが、ギリシャ神話のオレストの復讐譚の形を借りて権威に対する人間の反抗を描いているだけで、直接的な形でレジスタンスを呼びかけてはいません)。
 それだけにどんな舞台になるのだろうと、貴重なお金と時間を費やして芝居を見に行って「差別は良くない」というような当たり前のことを声高に言われるのは嫌だなと、少し不安に思っていましたが、どうしてどうして、なかなかいい芝居じゃないですか。
 リジーと一夜を共にしたフレッドという男も、後からやってくる警察官二人も、無理矢理リジーにサインをさせようとするのですがうまくいきません。するとそこへフレッドの父親でもある上院議員がやってきて、親切そうにリジーに話しかけ、逮捕されている男の母親(上院議員の妹)の話をしてリジーの同情を誘い、さらにダメ押しとして何の役にも立たない黒人の命と、2千人の労働者が働く工場を経営し、アメリカのために尽くす能力を持っている犯人の命のどちらが重いかを問いかけて、リジーを誘惑します。
 「北風と太陽」の「太陽」、「飴と鞭」の「飴」なわけですが、この上院議員の役を演じた金子由之の演技が実に見事でした。
 また、これほどことが大きくなり、黒人の命がかかっているというのに、リジーが自分とのセックスをどう思ったか、自分とのセックスが良かったかどうかをずっと気にしているフレッドのクズっぷり……というか、そのコントラストがとても面白いと思いました。
 演出で言うならーーというか、これがこの芝居の最も見事な点でしたがーー照明の使い方が見事で、下手の窓から入る光が最初は朝の光、次に夕方の光、最後は月明かりと変化し、白い壁を背にしてその光で区切られたところに立つ奈緒や風間俊介の姿が実に印象的でした。
 さらにまた芝居の終盤では、リジーの元に逃げ込んできた黒人が上手の浴室の扉を開け、そこから斜めに差し込む光の中でリジーと黒人がなすすべなく座り込む姿も同様に印象的でした。
 『恭しき娼婦』は明日も公演があります。
 当日券もあると思います(我々の前の席はなぜか3列まるまる空いていました。S席で一番舞台から遠い席だからでしょうか)ので、是非足をお運びください。
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babyfactory0630 · 3 months
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ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月27日(土曜日)弐
    通巻第8108号 
中国人はなぜ軍や警察を敵視しているのか。
「はい、中国では賄賂を取りしまる警察が賄賂漬けです」
*************************
 はい、中国では賄賂を取りしまる警察が、じつは賄賂漬けなのです。
 大連、旅順、瀋陽(奉天)など日本に馴染みの深い遼寧省(人口4200万人)。その遼寧省警察トップが地元業者の不法行為を黙認し、巨額の賄賂を受け取っていた。
 李文喜・元庁長は在任中に凡そ111億円の賄賂を受け取っていた。23年に執行猶予付きの死刑判決。手口は鉱山企業が違法採掘の捜査を逃れるため李庁長を買収した。
 こうした体質はまるで変わらない。
 鉱山の入り口に「立ち入り禁止。操業停止中」と看板や標識があるが、実際には採掘している。これは常識、操業停止中の看板は撮影用である。
 違法操業の鉱区で『事故』が起きると隠蔽する。事故で犠牲になっても補償金は雀の涙。未亡人が告発すると翌日河に屍体が浮かぶ。事故と聞いて現場に駆けつける新聞記者は『書かない』と言って現金を受け取る。中国の『新聞記者』って、恐喝屋という裏の顔をもつ手合いが多い。
後任の薛庁長は収賄に明け暮れて、総額は28億円の賄賂を受け取った。
その後継の王大偉・前庁長は114億円を受け取った。アルミ製品メーカーのオーナーが、外為関係の不正を摘発されたため、捜査に手心を加えてもらった。賄賂には人民元と米ドル紙幣の現金が400万米ドル。この手口はマカオに4回招待し、わざとギャンブルに負けて「合法的に」香港ドル(邦貨換算で38億円)を渡すなど。遼寧省の警察では空前の巨額賄賂事件となった。
 起訴されると裁判となる。裁判官も買収次第で刑が加減される。殺人犯でも無罪となり、窃盗犯でも裁判官の機嫌がわるかったり賄賂が少なかったりすると、重罪扱いされる。
だから裁判は異なる行政区の裁判所に移されるのである。
 中国人がなぜ軍や警察を敵視しているのか。庶民は賄賂と権力の癒着構造を知っているからである。軍が威勢の良いことを言いながら、物資を横流しし、軍経営のホテルは娼婦館であり台湾侵攻を呼号しても、あの軍は張り子の虎、闘わないだろうという軍人の体質を知っているからである。
日本のように警察を信頼し、自衛隊を頼りにしている国柄とは根本が違う。
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nejiresoukakusuigun · 6 months
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『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(��)的なものを物理的に置��て帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを��けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時��はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」 
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を��くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好き���す。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている��
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」 
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
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yachch · 1 year
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文学フリマ東京36
2023/5/21(日) 開催の文学フリマ東京36に参加します。 スペース番号は【J-13】。
webカタログはこちらからご覧いただけます。
お品書き。
Tumblr media
今回はcanvaのテンプレートを利用して作成しました。前回の文フリの時にお品書きのテンプレートはなかったので、文明は着実に進んでいる……。
以下、個人誌の紹介です。
【新刊】アフターヘブン
B6サイズ/134ページ/¥600
天国は、居心地が悪すぎる。
あらすじ: 15歳のアンナは、特別な少女たちが集められるシフェンタ女子学校に入学する。 変わり者のリリャ、頑固で勝ち気なヴィオラとともに学校生活を送りながら、アンナは一歩ずつ大人に近づいていく。 それは同時に、生まれ育った土地の歴史、自身の失われた過去と向き合うための道程でもあった。
試読:こちら
今回の新刊です。500円くらいでサクッと読める一冊を出したいと思い書き始めましたが、文字数あれよあれよという間に文字数が増え……。 詳しいことはこちらに書きましたので、よろしければご覧ください。
直接的な表現は一切ありませんが、南コーカサス地域の紛争を彷彿とさせる内容を取り扱っています。私は戦争に対して強く反対する立場であることをここに明記しておきます。
【準新刊】光や風にさえ
B6サイズ/256ページ/¥1000
社会から透明化された女性をめぐる「語り」の物語。
あらすじ: 未亡人として貧しい暮らしを送りながら、日系移民の社会に息苦しさを覚えるナオミ。   あるとき船着き場に現れた2世の少女に導かれ、より生きやすい場所、新天地を目指して開拓地からの逃亡を図る。   事故の後遺症により夫に捨てられた少女、幽閉される先住民の女性、水上で生活する娼婦……。 異国での旅を通じて、ナオミは自身が生まれ持った困難と向き合っていく。
試読:こちら 
前回の文学フリマ東京で発行した長編小説です。社会性に困難を抱えた女性の物語……とまとめてしまうと色んなものをとりこぼしてしまうかな。表現が難しいですが、生きづらさという事象に関して、社会にはびこるナラティブに対してひとつ異なる視点を置いておきたくて書いた話です。
そのほか、「不幸な少女アンソロジー シンデレラストーリーズ」も少部数持ち込む予定です。 通販もありますので、ご都合に合わせてご利用ください。
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