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#広瀬和生
ishiduca · 7 months
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『抜け雀』で一文無しの絵師が描くのは雄雌つがいの二羽の雀で、これがサゲに結びつく。宿の主人は女房の“おみっちゃん”を溺愛しているのも一之輔らしい愉快な設定で、主人が絵に描かれた二羽と自分とおみっちゃんに重ね合わせて“チュン太郎”“チュン子”と名付けるのも楽しい。老絵師が描き足すのは松の木で、枝には巣が描かれているという設定。雀の夫婦がこの巣に卵を産んだ頃に一文無しが宿を再訪するが、その時点では勘当されたまま。「止まり木が描いてない」と指摘されたことを知り、絵を見て父が松を描き足したことを知ると、「やはりわしは未熟だ。父上に合わせる顔がない。旅を重ねて修業のし直した」と言うが、主人は「お父さんのところに帰りなさいよ。雀だから本当は竹を描くところ、お父さんが松を描いたのは、あなたを待つ(松)ということですよ」と絵解きをする。と、絵の中で変化が。主人は絵を見て言う。「ほら、やっぱり帰りなさい。衝立の中の卵も割れて子が孵(かえ)りました」 親を“カゴかき”にするとなぜ親不孝なのかを説明しなくていいだけでなく、まだ勘当したままの父の“親心”がなんとも切なく、感動的な余韻を残す。見事なサゲだ。
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ari0921 · 3 days
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 米社会の病い、性別違和に苦しむ少女達
   櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第1094回
今日、4月9日の産経新聞に『トランスジェンダーになりたい少女たち』の広告が掲載されていた。米国人ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー氏の『IRREVERSIBLE DAMAGE』の邦訳で、出版元は産経新聞出版だ。
広告には「あの“焚書”ついに発刊」の字が躍る。「皆様の激励に御礼申し上げます」「Amazon総合1位」の文字が誇らしくも嬉しくも輝く。それはそうだろう。本書の出版に際して産経新聞出版も同書を扱うと推測される大手書店も、放火予告というとんでもない脅迫を受けていたのだから。
同書は当初、大手のKADOKAWAが出版する予定だった。しかしわが国の一部左翼勢力が「トランスジェンダーに対する差別を助長する」として抗議し、KADOKAWA本社前で集会を開くなどと警告した。国際社会に名を馳せる大手出版社でありながら、KADOKAWAはジェンダー思想に染まった左翼勢力の恐喝に屈した。斯(か)くしてその時点で、言論の自由も出版の自由も踏みにじられた。出版界の名門がそんなことを許したのは痛恨の極みだ。
本書の内容は後述するが、ジェンダー思想に染まっている人やWokeの人々にとっては、確かに気に入らないだろう。かと言って、それを出版禁止にせよというのは無茶にも程がある。そんな圧力に屈すれば自由と民主主義を基盤とするわが国の社会の根底が揺さぶられる。出版社の存在意義も吹き飛ぶ。KADOKAWAの情けない姿勢を見て、弱小の産経新聞出版、瀬尾友子氏が名乗り出た。するとそこに先述した放火の脅迫が降りかかったのだ。それでも産経新聞出版は遂に刊行に漕ぎつけた。しかもAmazon総合1位、だ。
日本社会も捨てたものではない。
奇妙なのはいつも言論、表現、思想・信条の自由などを金科玉条の如くに持ち上げる朝日などのリベラルメディアが同件にきわめてよそよそしいことだ。報道もしない。安倍晋三総理に対して行った「報道しない自由」をここでも発揮しているのだ。
ナブラチロワの抗議
シュライアー氏の著書は実に読みごたえがある。取材対象の当事者は200人、50家族に上る。意見を聞いた専門家の数、調べた専門書の幅広さにも感心する。彼女は驚いた。思春期に突然「性同一性障害」を発症し、「生物学的には女だけれど実は男だ」と主張する少女たちが急増していることに。2016年から17年にかけて米国では、女性に生まれついた人で性別適合手術を受けた人の数が4倍に増えた。英国ではジェンダー医療を望む10代の少女の数が過去10年で4400%増えた。
シュライアー氏は以下のように分析している。ここ10年でトランスジェンダーが目立つようになり、対照的に女性と少女が目立たなくなった。アメリカ全土の高校で最高水準にある女子選手たちは、女性を自認する生物学上は男子の選手に圧倒されている。その多くは男子チームでは月並みの選手だったのに、である。
文化面でも少女たちは支持を失った。女性専用だった場所は男女共用になり、スポーツの記録は先述のように不公平となり、抗議をすれば偏見だとどなられる。レズビアンを公表しているテニス選手のマルチナ・ナブラチロワは「トランスジェンダーの選手に女子スポーツで競技させるのは生物学上の女子に不公平だ」とサンデー・タイムズ紙に書いた。するとトランス嫌悪(フォビア)だとレッテルを貼られ、スポンサーから放りだされた。
世界でもっとも有名な同性愛者の女子アスリートであるナブラチロワが少女たちのために立ちあがったことで反トランスジェンダーの偏狭な人物だというレッテルを貼られたのなら、無名の女子選手たちが反対することはなおさら不可能だ。
そしてトランスジェンダー活動家は女性の生物学的な独自性を完全に否定しようとする。たとえば妊婦(プレグナント・ウィメン)は次第に“#妊娠中の人(プレグナント・ピープル)”と表現され、“膣(ちつ)”は“#前方の穴(フロント・ホール)”という忌まわしい言葉で表わされてしまう。トランスジェンダーを包括する語彙では、生物学的な女性は“養育者”あるいは“出血がある人”などと表現される。トランスジェンダー活動家はこのほうが繊細な言葉であり、より正確に表現することができると主張するのだという。しかし、とシュライアー氏は問うている。
「ほんとうの少女はどう感じるだろうか」と。
少女たちは女性であることに意味を見出し得なくなり、或いは居心地が悪くなり、自分はトランスジェンダーだと思い始める。そのような傾向をスンナリ受け入れて助長するのが昨今の大学だとして、幾つもの事例が記されている。
「抑うつ、自傷、薬物依存」
たとえばカリフォルニア大学ロサンゼルス校などである。そこでは、両親にはぜったいに知らせずに、キャンパス内だけ、あるいは法律上も名前を変更できるように簡単な説明と申込用紙を提供しているという。アイビーリーグをふくむ百を超える大学でトランスジェンダーのためのホルモン剤に健康保険が適用されているともいう。
こうして少女たちは男性になっていくが、その世界のことを21歳のヘレナ(米シンシナティのポーランド移民の娘)はこう語っている。
「トランスジェンダーのコミュニティにはあまりにも多くの抑うつ、自傷、薬物依存が存在しています」
ネットでトランスジェンダー・アイデンティティについて知った思春期まで性別違和を抱いたことはなかったヘレナは、途中で何とか引き返した。引き返した人をディトランジショナーと言うが、そのほとんどの人々が後悔に苦しんでいると、シュライアー氏は次のように指摘する。
テストステロンは数カ月摂取しただけでも、男性のように驚くほど声が低くなり、それは摂取をやめても元に戻らない。もっと長く摂取した場合は、通常とは異なる秘部を“肥大して小さなペニスに見えるクリトリスを”恥ずかしく思うだろう。夕方になると目立つひげや体毛もいやかもしれない。手術まで行ってしまった場合は胸に走る傷跡と一生つき合わなければならない。
シュライアー氏は、自分が語り合った全員が、自分の人生に関わった大人、とりわけ医療専門家が性別移行を促して助長したことを非難したとも書いている。
多くの少女たちがSNSでトランスジェンダーを知る。暴力的なポルノを見て正常なセックスもできなくなる。新しい傾向をもてはやすメディア、大学医療関係者がトランスジェンダー化への動きを無責任に後押しする。
トランスジェンダー問題はこうした思いやりに欠けた世界で運動家らによって尚も推進される。少女たちは回復不可能な傷を負い、少なからぬ家族が崩壊しているのがシュライアー氏の伝える現実である。この本は多くの貴重な教訓を与えてくれる。是非、わが国の政治家全員、最高裁裁判官たちにも読んでほしいものだ。
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hachikenyakaiwai · 2 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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kennak · 2 days
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑��町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も  |FNNプライムオンライン
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tokyomariegold · 23 days
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2023/12/2
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12月2日 窓から入る太陽が年末年始の感じになっていると思った。 昨日、主治医の前で気持ち悪いくらい饒舌に、今の自分の仕事と生活と体調と、そしてこの診察が毎回ストレスになっていることを告げて、自分の判断が鈍っている病気だから、診断書に仕事の制限を出されたと思っていたのに「なんだか無理をしている、頑張り過ぎている様で心配です…」と言われたことがとても虚しくて悲しかった。
わかってもらいたいと思ってはいない。 でもそれはタダでわかってもらいたいと思わない、という気持ちで、毎回医療費を払っている関係なのだから、業務上はよい理解者面をしながら体調を診てもらえる主治医でいて欲しかった。 お金を払っている相手だから、医師と患者という関係だから、だから私は患者として、自分勝手ばかりかなり攻撃的な捲し立てる口調で100万話そうと思った結果だった。 患者として前回よりも思う様に減っていない体重にショックを受けている気がする。
「今はまだ忙し過ぎて考えられないと思いますが、もう少しして、この先辛くない様に生きていく方法が見つかるといいですね」と「でも今日はあなたから考えていることをやっと聞く事ができて私はよかったです」と引き気味で言われた。 親身にならないでほしい。最果タヒの言葉を借りれば、心のこもった親切なんてこの世で一番気持ち悪い。
主治医とのやりとりと、彼の着ていた大学病院で医師をやる立場の人なのに毛玉だらけのガーディガンを思い出しながら今日の予定へ出かけた。
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出かけながら80デニールのタイツではとても寒いということに気がついてついた先の靴下屋でタイツを購入。
予定通り鬼子母神で上司の安産祈願をした。 とにかく母子共に!健康でいてほしい。 池袋西武の一階でなかなかTHREEを見つけられず、化粧品売り場を行ったり来たりして、やっと見つけた店舗で気になっていた香水を買えた。
浦和で友人と待ち合わせをし、埼玉近代美術館で“イン・ヴィトウィーン”を鑑賞。 先日、文フリをドタキャンしてしまったお詫びにとosajiのネイルをいただく。クリスマス仕様のキラキラしたピンクのカラー。ネイルをできるくらいの落ち着いた生活をしたい。
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展示は早瀬龍江とジョナス・メカスがよかったです。 早瀬龍江は半世紀前の作品と思えない雰囲気の作品で、こうゆうPARCOやルミネの少し攻めた感じの広告ありそうだな〜という絵。
ジョナス・メカスは、今回出会えてとても救われた、嬉しくなった作品だった。映像日記のフィルムを切り取ったシルクスクリーンの作品に、写真の良さを実感して、映像を作るみたいに写真を撮って見たかった時を思い出した。
連続に写真を撮るわけではないけれど、なんとなく前回撮ったコマの風景を記憶しながら映像的に繋がる様な写真を日々撮ってみたことがあった。
日記や詩を制作する方でもあり、文章と写真について作品をつくる作家さんを1人知ることができた。作品集を探してみたい。
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その後、駅前のコメダ珈琲でお茶。 コメダ珈琲レジ前物販にお弁当箱があり、友人のツボにハマっていた。 最近友人が参加したポートフォリオレビューの話や次の文フリに参加してみようか、という話、仕事をうまく割り切れなくて泣いてしまう話などをした。 一緒に読みたかったPSも、学生時代初めて会ったときのこととかを思い出しながら読むことができた!
好きなひとと少しお話しできて、たくさん回復した気がする。少なくとも今日のところはなんとかなる気がする。
最寄駅に着くと何かお祭りちっくな雰囲気で、出店が出たり福引きをしたりしていた。
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tutai-k · 4 months
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2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不安もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた、他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいるわけだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。
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★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni文学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む岬でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらいいなと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の同級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通販の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので、お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れない作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印象深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反旗を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶/物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は��イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く。ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上ではお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降り��ったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行くことがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
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yamada50 · 1 year
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塩飽大工の代表的建造物 国宝吉備津神社 瀬戸内海の水軍の歴史を調べていくと浮かび上がるのが備讃瀬戸に浮かぶ塩飽水軍 平安時代から戦国時代まで源平合戦でも活躍し村上水軍と並ぶ勢力を誇っていたともされ日本有数の造船技術を持ち江戸時代に入り西廻り航路の運行を一手に担い金毘羅大権現を全国の広めたのも彼らと云います 江戸中期から海運の座を大坂に奪われた後は造船技術を生かした家大工や宮大工へと転身し数々の寺社建築の造営や修繕を手掛けます その代表作はこちらの吉備津神社拝殿本殿です 遷座造営は室町時代中期ですが江戸中期の明和の再建・修理の棟札に塩飽大工名が残ります 他に備中国分寺五重塔や善通寺五重塔、他備中や讃岐の江戸中期末期に造営された備讃の社寺建築に数多く名を残しています #吉備津神社 #塩飽大工 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 吉備津神社(きびつじんじゃ) 鎮座地:岡山県岡山市北区吉備津931 主祭神:大吉備津彦命 社格:式内名神大社 官幣中社 別表神社 巡拝:諸国一宮 一代一度大神宝奉献 日蓮宗三十番神 #国宝#国指定重要文化財 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #神社建築#神社仏閣 #パワースポット #岡山市 #神社巡拝家 (吉備津神社) https://www.instagram.com/p/CkqvRNgPenR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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aya-ebina · 4 months
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2023年の振り返り
今年も残すところあと1日なので、できごと別に振り返りをします。概ねよい1年だったし、来年の年末にもそう思えるようにしていきたいです。
★詩のこと *詩集について 目標としていた詩集を出すことができた。七月堂から8月20日に『あかるい身体で』を出版した。といっても自費出版で、年始の文学フリマ京都7が終わってから、わたしの手元に100部で見積もりしてもらい、手が出せない金額ではなかったので製作を開始した。中身に関しては、収録作品も配列も自分で決めた。装丁は完全にお任せして、好きな色だとか詩集のイメージだとか、好きな用紙をお伝えしたところ、綺麗に作ってもらった。中身は自分で頑張るから見た目は他の人にお洒落にしてほしい、と思っていた��でそれが叶った。
謹呈はわたしからはしていなくて、七月堂が出版・マスコミ関連に送ってくださった。『現代詩手帖』10月号の詩書月評欄と12月号(現代詩年鑑)の新鋭展望欄、ガーネットVol.101で評していただいた。謹呈をしなかったのは、送っても読まれるかどうかわからないし、親しくない人に送りつけるのは気が引けて、それより買ってでも読みたいと思ってくださる方に文学フリマなどを通して届けたいと思ったから。手元には半分くらいあるので、Storesでオンラインショップを開き、来年も文学フリマ大阪には出る予定だ。 文学フリマは大阪と東京に出て、同じくらいの売り上げだった。わたしの気力・体力では大阪の規模が限界なんだなあと思ったので、しばらく東京には出ないつもり。東京が売れなかったというわけではないのだけど、人混みが凄まじくてそれに疲れてしまったし、雰囲気がより商業の場という感じがしてしまった。
詩集に関連して長谷川書店水無瀬駅前店で「おしゃべりと詩と何か」と題したイベントを行った。ただ軒先に机と椅子を置いて座っていた。おしゃべりしてくれる方も詩集を買ってくださる方もいらっしゃって、文学フリマなど人が多い場所とは違って、ゆったりのんびりできたのがよかった。着実に詩集が届いている感じがした。わたしの詩が初めて投稿欄に載ったあたりから、長谷川さんに詩を書いていることを話していて私家版詩集を置いてもらっていたので、イベントができて嬉しかった。いつ行っても、昨日も来ていたかのように迎えてくださるところも嬉しい。
それから、機械書房さんでどーんと私家版詩集を販売していただいた。岸波さんがTwitterで『きょりかん』をはじめ私家版詩集について言及してくださっているのを見ていて、本屋さんを始められるということだったので思い切って連絡して見た。そうしたら、今までにない数をまとめて仕入れてくださった。こんなに一気に納品してよいのかしら、と思いながら送った。結果、『声を差し出す』はあと1冊になっていたはず。『あかるい身体で』もたくさん置いてくださっているし、文学フリマでも「岸波さんに推されていますね」などと声をかけられて、こうして応援してもらえることは本当にありがたい。
私家版詩集と違って、丸善京都本店に並んでいるのも、12月20日に紀伊国屋書店新宿本店に行ったらまだ平積みになっていたのも嬉しかった。 中原中也賞に応募しているので、今は「二度あることは三度ある」と思って候補になることを願っている。候補になったら、「三度目の正直」と思うことに決めている。
*合評会のこと 詩の水辺と題して合評会をしている。誰も来なかったらどうしようと思っていたけれど、わたしを含めて3〜4人の参加者でこぢんまりと続けられている。あんまり多いと収拾をつけられる気がしないので、ちょうどよい。最大でも6人と思っている。
★生活のこと *映画を見る これを目標に挙げていたが、失速した。何回かは映画館に行ったのだけど、映画の上映時間は前週の木曜日くらいにならないと発表されないので、土日で予定を合わせにくかった。そこでAmazonプライムに入って、プライムビデオで見るようにした。見たいものが意外とあるのにウォッチリストに入れっぱなしにしており、月1本も見ていないと思われる。来年は月1本、年12本は見られるといいな。
*推し活 2021年1月からずっとロックミュージシャンを追いかけており、今年は5本のライブを見た。32歳にして初めてライブハウスに足を運んだ人間としては、多いなあと思う。ファンクラブ限定ライブ、ワンマン、ツーマン、イナズマロックフェス、ワンマン。2回東京まで行った。いつか飽きるのではないかと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。ライブに参加することや懸命に活動し活躍の幅を広げている姿などが生活の励みになるので、生活に支障をきたさない範囲でこのまま楽しんでいたい。 余談だけれど、「ライブ参戦」という言い方がなんだか違うと思うようになった。あと、即売会をはじめ買い物における「戦利品」も。実際に世界で戦争が続いている中で、娯楽に対して「戦」という単語を使うことへの違和感がある。ライブは観に行くものというより自分もその空間でライブを作っているから「参加」という言い方に、買い物は「購入品」と言おう。
*仕事 海老名絢として働いているわけではないので、あまり仕事については語らないようにしようと思い始めた。転職して丸1年が過ぎ、環境も収入も好転した。わたしは事務担当なので、どうしたってルーティンワークの側面があるけれど、部署の特性上ルーティンが月次や四半期・年次で回って種類も多いので飽きない。徐々に任せてもらうことも増えた。あと、はちゃめちゃにお金を使ったのに貯金が底をつかなかったので、というか底をつかないという目算が立ったためはちゃめちゃに使えたので、収入面でも非常にありがたかった。詩集を出し(数十万の単位)、iPhone SEの調子がおかしくて思い切ってiPhone15を買い、ライブと文学フリマで東京に3回行き、ライブ等でグッズを買い、高山と富山を旅行したのだった。
★その他雑感 詩も日記も感想もとにかく1冊のノートに書くようにして、今年は4冊使った。意外と書くことがある。書いておけば安心して忘れられるし、逆に記憶にも残る。年始に書いていることを読んだら、今も思っていることもあればすっかり忘れていることもある。読み返したら、半分他人みたいで面白い。それに記録をしておくと、そこから詩が生まれるようだ。あるいは、感覚の記録が詩となる。 今年は変に気を張らずに過ごせたような気がしている。強がらずにというか、わりと自然体だった感じ。これは年齢を重ねることの利点かもしれない。自分の得手不得手・限界などが見えてきて、それで何を自分は大事にするのか、どう生きるのかを考えると無理をしている場合ではない��無理をして続けると本当に自分がダメになるので。
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aoki-lab · 7 months
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青木淳退任記念展 雲と息つぎ ―テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編―
Retirement Exhibition of Jun Aoki Clouds and Breaths -The Exhibition as Temporary Renovation extra edition-
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東京藝術大学美術学部建築科において5年間教鞭を執ってきた青木���の退任記念展を開催します。
●会期: 2023年11月18日(土) ‐ 2023年12月3日(日) ●開館時間:10:00 - 17:00(入館は16:30まで) ただし、最終日12月3日は16:00まで(16:00からは小金沢健人によるパフォーマンス) 会期中無休/入場無料 ●会場:東京藝術大学大学美術館 陳列館 ●主催:東京藝術大学美術学部、東京藝術大学美術館 ●企画:東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻青木淳研究室(青木淳、笹田侑志、秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠) ●協力:菊地敦己、小金沢健人、中村竜治 ●会場設営:studio arche (甲斐貴大)  ●グラフィックデザイン:小原七海 ●問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) ●Dates : Nov 18 (Sat) - Dec 3 (Sun), 2023Open throughout the session period ●Hours : 10:00 - 17:00 (Entry by 16:30)*Dec 3 until 16:00 (Performance by Takehito Koganezawa starting from 16:00) ●Place : Chinretsukan Gallery 1, 2F (The University Art Museum, Tokyo University of the Arts) ●Admission : Free ●Organizer : Faculty of Fine Arts, Tokyo University of the Arts; The University Art Museum ●Planning : Jun Aoki Laboratory, Department of Architecture, Tokyo University of the Arts (Jun Aoki, Yushi Sasada, Mahiro Akiyama, Mikio Oiwa, Momoko Sano, Kazutaka Miwa) ●Collaborators : Atsuki Kikuchi, Takehito Koganezawa, Ryuji Nakamura ●Venue Setup : Studio Arche(Takahiro Kai) ●Graphic Design : Nanami Obara ●Inquiry : NTT Hello Dial: 050-5541-8600
以下、青木淳によるステートメントです。
 
 2019年度、東京藝術大学美術学部建築科教授に着任しました。2023年度をもって定年に達するため、最初から、5年間という時間の限りを強く意識しての就任でした。    その 5 年間で、日頃、「建築」について考えてきたことを、学生たちに伝えていきたいと思いました。  建築とは、私たちに先立っていまここに存在している環境に対して、想像力をもって働きかけ、私たちの存在の基盤である環境そのものを揺り動かすこと、と考えてきました。どういう方向に揺り動かすはそれぞれの自由です。肝心なのは、一見、盤石の存在に見える目の前の環境もまた、それぞれの意志によって改変できるし、またそうすることによって、私たちは「自由」になれる、ということです。    そのことを、実践を通して伝えられたらと思ったのでした。    私の研究室に所属する大学院1年生たちに、そのことを目的としたプロジェクトを行なってもらうことにしました。それが、「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」でした。    建築科の大学院入試は 9月に行われます。したがって、最初の大学院生を受け入れたのは、2020年度からでした。2023年度に大学院生をとると、彼ら彼女らが修士 2 年に進級したとき、すでに退官になってしまっていますので、2020年度、21年度、22 年度の 3年間だけ、大学院生をとるつもりでした。    「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」は、3回で完結するひとつの企画でした。    展覧会とは作品を見てもらう/見にいくためにつくりあげられる一時的な環境です。作品の内容がよく、それがうまく伝わると、よい展覧会と言われます。そして、ほんとうによい展覧会だと、作品と環境との境が溶け合い渾然一体となって、そこを訪れ、時間を過ごすその体験そのものが、私たちの内のなにかに働きかけるものです。    この事態を、環境の側から見れば、すでにここに存在し、私たちの存在の基盤である環境がなにかによって改変され、その環境が私の固まりかかった存在を揺り動かしている、ということになるでしょう。作品が不要というのではなく、作品という項を仮に括弧にくくった見方をすれば、という話です。    「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」とは、このような視点で、いまここに存在している環境に働きかけ、一時的に、それを一定の方向に変えてみせることであり、それはまさに、日頃、建築について考えてきたことと重なっていました。      「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を企画し、実践しなさい。    この課題に対して、2020年度の大学院1年生たちは、東京藝術大学上野キャンパス・正木記念館を対象として、そこに置かれた備品を配置し直すことで、その空間が持つ特質を強調しようしました。タイトルは<シン・マサキキネンカン>、企画・実践は、荻野紗、齋藤悠太、藤井雪乃、山田寛太でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・澤田航。)    2021年度の大学院1年生たちは、渋谷駅前の桜丘フロントビル 1 階の「SACS 渋谷」を舞台として、現実の渋谷の街さながらに、展示を構成する個々の要素が独立した搬入/設営/搬出という動きのなかにある状態をつくりだしました。タイトルは<鳥は泳ぎ続ける>、企画・実践は、大貫友瑞、河上朝乃、高井爽、松井一将でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。)  2022年度の大学院1年生たちは、有楽町駅前の新有楽町ビル B1F「旧理容室」を起点として、手渡されるインストラクションを手掛かりに、有楽町の表と裏を訪ね歩くことで、普段とは異なる街の顔を浮かび上がらせました。タイトルは<HAPPY TURN>、企画・実践は、月ヶ瀬かれん、仲野耕介、見崎翔栄でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。)  これで、3 回の「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」が完結するはずでしたが、とある経緯があって、2023年度も大学院生をとることになりました。  そこで、退任記念展として、その大学院1年生たち(秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠)と、番外編としての「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を開くことにしました。  今回だけは、学生たちの自主企画・実践というのではなく、青木、笹田が前面に立つので、番外編としました。  とはいえ、これもまた、建築というものがつねにひとりの個人に帰属できないように、青木個人の、あるいは青木と笹田の「作品」としての展覧会ではありません。建築は、ひとりの個に収斂していくものではなく、外に向かって広がり、ばらけ、にもかかわらず、一貫した「質」を保つものです。  そのことをはっきりさせるために、何人かの「外部」の人に開こうとしています。  グラフィック・デザイナーの菊地敦己さんには、「キャプション」という側面から関わってもらいます。  アーティストの小金沢健人さんには、「パフォーマンス」という側面から関わってもらいます。  建築家の中村竜治さんには、もうひとりの建築家として関わってもらいます。
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psalm80-lilies-iii · 1 year
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戦艦大和、あるいは皇国のアイコン
呉の「大和ミュージアム」に行った。
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3時間以上見学しながら、「日本はなぜ戦争したのかなあ」と改めて考えた。「蒋介石を必要以上に追いつめたことがアメリカの���日参戦を招いた」、この説明で納得しない人もいるだろうけれど、せめて満州だけでやめておけばその後の大惨禍はなかったろうと思う。では、どうして日本はそこまで蒋介石を追いつめることに熱心になってしまったのか。
むかし読みっぱなしにした本を改めてちゃんと読もうという気になり、呉に行く前日から、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)を読み始めた。読み切れないまま呉に行き、帰宅してから残りを読んだ。そこには、盧溝橋事件を受けて近衛首相が派兵を決定したことについてこうある。
近衛首相は強い態度に出ることによって、事態を日本に有利なかたちですばやく解決できると判断したのである。そこには、明治維新の成功でうぬぼれた日本が陥った中国蔑視を背景として、第一次世界大戦の参戦や対華二十一カ条要求問題あたりから現れはじめた、機会便乗主義とでもいうべき軽薄な日本の外交体質があった。
(第4章 苦悩の「聖断」)
日本がアメリカと戦争をしたのは蒋介石を追いつめたからで、日本が蒋介石を追いつめたのは「うぬぼれ」だったのだとこの本は書いている。列強の国内で世界大戦をものともしないナショナリズムの嵐が吹き荒れていたのは当時日本に限った話ではなかったと思うけれど、ナショナリズムというのはつきつめて言えば「うぬぼれ」なのかもしれない。古川先生はこの本の別な箇所でこの「うぬぼれ」についてこう描いている。
日本は世界のどの国よりも昔から天皇が統治する国として安定して存続してきたとされたため、日本の人々に過剰に自国の卓越性を意識させてしまった結果、周辺地域の人々への蔑視が強まって不必要な対外的緊張を招いた。
(おわりに)
ここに書いてあることはおそらくふたつである。ひとつは、外圧が少なく内政も急変せず皇室が安泰でいられた日本の人々が「そらみつやまとのくにはすめがみのいつくしきくに」と思っていたことそれ自体は、日本が「秋津洲」の国にとどまっている限り、別に虚妄ではなかったということ、もうひとつは、ふつう「植民地政策」というときたとえば「三角貿易」みたいに何か経営戦略があるものだけれど、日本の場合中国はもとより満州も朝鮮も確たる経営戦略はなかったということである。「過剰な」自国意識が「不必要な」対外緊張を招いた。いやいや、帝国主義世界はそれが瓦解するまで緊張を生み続けたはずだ、という批判もあるけれど、少なくともいま引いた本で古川先生は、昭和天皇の徳治主義と協調外交それ自体が帝国主義の世界にあってそもそもたわごとに過ぎなかったのだ、という書き方はしていない。それは、あり得た道なのだ。
だがそうはならなかった。昭和の陸海軍と国内世論は昭和天皇の協調外交に応じなかった(「ことの発端は昭和天皇の推進したロンドン軍縮条約に海軍が反発したことに始まる」とこの本は書いている)。ナショナリズム、つきつめれば「うぬぼれ」。日本は「神州」あるいは「皇国」であるという「うぬぼれ」。国民国家にナショナリズムがあるのは自然なことだろうとぼくはいまでも思うが、アメリカに対日参戦を決意させるほど蒋介石を追いつめたことはやっぱり非合理な行動で、それを支えた「うぬぼれ」はやはり常軌を逸していたとしか言いようがない。
昭和天皇自身はその「うぬぼれ」には与しなかった、と古川先生は書いている(異論もあろうけれど)。だが戦争が終わったとき、昭和天皇は「神州」の現人神、「皇国」の皇統として、その「うぬぼれ」の代償を背負うことになった。国民の中でも、昭和天皇を戦前から知っている人以外は、あえて「尊敬する」とは言わなかったという。木戸幸一は「皇室が戦争責任を取らないのは将来に禍根となる」と言ったそうだが、率直に言えば、ぼくも昭和天皇が在位し続けることに「割り切れぬ空気を感じる」という意見には共感してきた。
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「大和ミュージアム」では、日本海軍の歴史・呉海軍工廠の歴史・戦艦「大和」の歴史・太平洋戦争の歴史・呉海軍工廠と戦艦「大和」を通して培われた技術の歴史が重層的に物語られている。そこでは多くの人々が何かを作り上げていった一方、戦争という現実の中で多くの人々が命を落としても行った。
そこに生きて死んだすべての人々がひとりひとり個人的に「うぬぼれ」に浮かれていたとはとても言えない。だが、少なくとも日清戦争の始まりから太平洋戦争の終わりまで日本を支配したものが「うぬぼれ」だったとしか言いようがないのであれば、そこで起こったすべてのことは、それぞれの人々の確かな歩みであったと同時に、「神州」あるいは「皇国」の「うぬぼれ」の体現でもあったと言わざるを得ない。少なくとも海軍と海軍工廠に生きた人々は、そういうダブルミーニングを背負うことになった。
そして、そこで生まれた戦艦「大和」こそ、そのダブルミーニングの産物として、「神州」あるいは「皇国」という「うぬぼれ」のアイコン(まさに「体現」)そのものにほかならない。それは、あの日本海海戦を制した日本海軍がその威信をかけて築き上げた技術の結晶であると同時に、物量にまさるアメリカ海軍を少数精鋭で制することができるという、残念ながら「うぬぼれ」に過ぎなかった思想の産物でもあった。
戦時中に身命を賭して追い求めていたものが戦後になって虚像だと気づく、それは「嘘」のせいなのか「欲」のせいなのか「狂気」のせいなのか、ひとはいろんなことを考える。先に引いた『昭和天皇』の中でも、古川先生は「なぜ国内世論が協調外交に応じなかったのか、その理由についてはまだ定説はない」と書いておられるが、先生自身が使っておられることばは、定説のないことをできるだけ術語を避けて記述しようとしたためだろうけれど、「うぬぼれ」というものだった。
「そうか、戦艦大和が体現したものは当時の日本人の『うぬぼれ』だったのか」というのは、衝撃的だけれど事実なのである。大和と武蔵、2隻だけで(いや、戦艦そのものは長門陸奥扶桑山城伊勢日向金剛榛名比叡霧島入れて12隻あったけれど)、太平洋を制することができると考えたのは「うぬぼれ」だったと言われたら、それはそうなのかもしれないと思う。
「大和ミュージアム」の中央に展示されている1/10「大和」には、その威容とは裏腹に、「うぬぼれ」という言葉をはね返すことのできないむなしさ、「世界一の戦艦がまともな海戦で自らの世界一を証明する機会を持たないままただ艦上攻撃機の餌食となって沈んでいった」というむなしさが、ただよっている。「戦争はいけない」「平和は尊い」というのは、兵器として作られた「大和」の全否定であると思う。国家には戦争をあえてしなければいけない日があるのだ。たとえば日本海海戦はむなしくはなかったのである。それは、日本海海戦は勝って太平洋戦争は負けたからだろうか。そういう理解もあると思うが、実は勝ち戦だった日清・日露戦争こそ、その後の日本にとって「うぬぼれ」を生む罠となったのである。
「うぬぼれ」。ここに生きて死んだ人たちのすべてをそのことばで片づけることにはものすごい抵抗があるけれど、でも「大和がうぬぼれでなければ何がうぬぼれだったんだ」とも思う。現にここに世界一の戦艦があったということを、そしてそれがいま「海の墓標」として東シナ海の海底に横たわっているということを、ぼくたちは正視するしかないのである。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか
(吉田満『戦艦大和の最期』より「作戦発動」、哨戒長臼淵大尉の言葉)
日本は「何から」目覚めるべきだったのか。「うぬぼれ」という言葉の仮借ない残酷さを、「大和ミュージアム」で見たすべてを思い出しながら、いま改めてかみしめる。
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ものすごく情報量の多い博物館なので、今回は「大和ミュージアムNavi」というスマホアプリを使い、竹達彩奈さんのナレーションを聴きながらそこで紹介される資料を拾い見するという方法を取った。竹達彩奈さんの声がこの博物館のテーマにふさわしいのか、来る前には疑問もあったけれど、壮大なバッドエンドに至る全20章のナレーションを聴きながら、これがもし広瀬修子さんや森田美由紀さんみたいな声だったら、聴いていて気が滅入ってしまうだろうと思った。
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koihahikari · 2 years
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感謝御礼舞台挨拶レポート!
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【恋する女性が光って視える男】と【3人の女子大生】が【恋の定義】を巡って大論争を繰り広げる文科系哲学恋愛映画『恋は光』が、6月17日の公開から1か月以上を経て、観客の熱い声に応える形でロングラン上映が決定!それを記念し、7月23日(土)、都内劇場にて「感謝御礼舞台挨拶」が開催され、神尾楓珠さんと西野七瀬さん、小林啓一監督が登壇し、映画を観た観客からの質問に答えた。 
神尾さんは、本作で演じた西条と同じようにメガネ着用で登場し「毎回ですよね、この作品の舞台挨拶では」とニッコリ。劇中で地味な衣装が多かっただけに小林監督から「髪も伸びて、服もオシャレになって…(笑)」といじられていた。 
神尾さん、西野さんの周囲でも本作を観た人たちからの反響は大きいようで、神尾さんは「地元の普段連絡を取らない友達も『観に行った』と教えてくれて『ありがとう』と返したら、七瀬ちゃん目当てだと言われました(笑)。僕らは世代なんでね」と笑いを誘いつつ「観てくれた人たちからは、いままでと全然違う役柄だけど、違和感がなくて『振り幅がある』と言ってもらえることもあって、嬉しかったです。『神尾楓珠ってこういう役もできるんだな』という声をSNSで見かけたりもしました」と嬉しそうに語る。
西野さんも「私も『観たよ』という連絡をもらってます。映画を観た直後に電話をかけてくれた子もいました。『良すぎた!』ってバーッとしゃべってくれて、メチャクチャ嬉しかったです」と語る。映画を観た人からは、西野さんが演じた、西条の幼なじみの北代を支持する声が数多く上がっているそうだが、西野さんは「私も北代のキャラは好きです。『ずっと見ていたい』と言っていただけたりして、嬉しいです」と喜びを口にした。
西条と北代の関係性、ビミョーな距離感も好評を集めているが、小林監督によると「2人ともはじめはしっくりきていない感じがあった」とのことで、神尾さんも「掴み切れていなかったですね」とうなずく。西野さんにいたっては、監督と自身の間の北代に対するイメージのギャップの大きさに「クランクインする前の時点では絶望的でした。(撮影開始の前日に)『明日からどうしよう!?』って思っていました(苦笑)」と明かす。
そんな2人だが、小林監督は、神尾さんと西野さんが撮影現場で積極的にコミュニケーションをとることで、良い関係性が出来上がっていったと称賛する。神尾さんは「どちらかというと、自然体で現場にいました」とふり返り、西野さんも「(神尾さんとの会話が)楽しかったのでずっとしゃべってましたね」と述懐。監督は、2人が本番ギリギリまでおしゃべりをし、お芝居が終わりカットがかかると、再び同じテンションで会話の続きをしていたと指摘し、西野さんは「そうやってしゃべっているのを監督が見て『その感じで』と言われました」と明かした。
この日の観客は、半分以上が本作を2回以上鑑賞しており、中には5回以上、10回以上も観ているという方も!そんな熱烈なリピーター向けに、本作をより楽しむことができる見どころや撮影の裏話を尋ねると、小林監督は「マニアックなポイントですが、初めての女子会という感じで北代と宿木(馬場ふみか)、東雲(平祐奈)がワインバーに行くシーンで、東雲が恋の定義を否定されるところがありますが、その時の東雲の顔に注目してほしいです。『何言ってるの、この人?』という感じの良い表情をしてます。その後の、北代がひとりおいしく肉を食べているところもポイントです」とアピールする。
西野さんはこのシーンについて「楽しかったです。北代は、東雲と宿木のやりとりを俯瞰で見ていることが多くて、やりとりが噛み合ってなくて『おもろいなぁ』という感じで見ているのが面白かったです(笑)。そこに参戦していかないところに北代っぽさが出ているのかなと思います」と語る。
神尾さんは、自身の大変だった撮影として「ひたすら想いをノートにしたためるところですね。長かったです!」と述懐。自分で鉛筆を削って、せっせと書き続けていたそうだが「実はカメラの外に監督がいて、ずっと監督と話をしながら書いてました。胡坐(あぐら)で足がしびれるのがしんどかったです(笑)。交換日記が出てきますけど、祐奈ちゃんの字がめっちゃキレイでした。僕もキレイなんですけど(笑)、祐奈ちゃんの字はすごくキレイでビックリしました」と細かい見どころを明かしてくれた。
西野さんは、アユ釣りのシーンに触れ「釣った後、食べてるんですけど、養殖と天然のどっちも食べました(笑)。本当にいっぱい食べてます。メチャクチャおいしかったです!」とニッコリ。神尾さんから「天然と養殖、どっちが好き?」と尋ねられると「養殖(笑)」と答え、神尾さんからは「養殖かい(笑)!」とツッコミが飛び、会場は笑いに包まれる。小林監督からは「頬っぺたにアユをくっつけながら、良いお芝居をしてました」とお褒めの言葉も飛び出したが、西野さんは「ついてました?」とキョトン。「メッチャついてたよ(笑)!」との監督の言葉に「そこも注目してください(笑)!」と呼びかけていた。
今回は、観客からの質問にも回答。西条の部屋のビデオデッキにホコリが被っているなど、細かい部分まで作りこまれていることに感銘を受けたという観客からは、登場人物ごとの部屋のこだわりについて、また、北代の部屋は映画に登場しないが、もしも描かれるとしたら、どんな部屋だと思うか?という質問が。
神尾さんは、「西条の部屋はすごかったです。本当に隅までちゃんと作りこまれていました。生活感があってメッチャいいですよね!」と深くうなずく。小林監督は「トラック一台分くらいの荷物を運んでセッティングしました」と語り、机まわりについてゴチャゴチャしているが、汚く散らかっていないというところや、祖父と同居していた名残が見られる点など、こだわりのポイントを明かした。北代の部屋が登場するなら?という問いに西野は「キレイでもないし、散らかってもなさそう」と語り、監督が「意外とファンシーなぬいぐるみとか…?」と語ると、神尾さんも西野さんも「ありそう!」と同意した。
北代の服や髪形などのファッションについて、西野さんのお気に入りを尋ねる質問には、西野は「かわいかったですね。ちょっとボーイッシュでサンダルが多くて」と嬉しそうに語り「釣りの時の格好は結構好きです。ガッツリと釣りの装備って初めてだったので(笑)。白いオーバーオールも好きです。ひとつ結びにしていて印象的です」と明かしていた。
最後に神尾さんは「この映画をとにかくもっともっとたくさんの人に劇場で見ていただけたら嬉しいです」と呼びかけ、舞台挨拶は幕を閉じた。
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ari0921 · 8 months
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我が国の未来を見通す(80)
『強靭な国家』を造る(17)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その7)
宗像久男(元陸将)
──────────────────────
□はじめに
本メルマガは当初の予定をはるかにオーバーし、8
0回まで来てしまいました。浅学菲才の恥をしのん
で、知見も経験もない様々な分野に首を突っ込み、
それぞれ表面的ではありますが、知り得る限りの知
識で書きなぐっていました。そうしているうちに、
(前にも紹介しましたように)「その道の専門家の
限界」のような、新たな問題意識を持つに至り、
「では、どうするべきか?」が再び首をもたげ、悩
むことになりました。その結果、最近のメルマガの
ように、「国力」の観点から再整理することしまし
たところ、これはこれで面白くなってきました。
今回は「軍事力」を取り上げます。世界的な呼称は、
「軍事力」ですが、事柄の性格上、我が国の「軍事
力」を語る場合は「防衛力」と置き換えます。
私は、37年間、陸上自衛隊で勤務し、各級指揮官
はもちろん、陸上幕僚監部の幕僚として防衛力整備
を主に担当してきましたので、「防衛力」について
詳しく語り出すと、書籍1冊では足りないぐらい
“言いたいこと”がありますが、あえてテーマを世
間ではあまり語られていない、いわゆる「タブー」
とされている部分などに絞って、しかも要���のみを
紹介したいと思います。
我が国の「安全保障」とか「防衛」に関する最近の
話題についてもっと知りたい読者は、最近、元空将・
織田邦男氏が『空から提言する新しい日本の防衛』
を上梓しましたので、ぜひご一読いただきたいと思
います。織田氏は私と同期で、幕僚監部勤務にあっ
ては陸上、航空の違いありますが、いつも同じよう
な部署で勤務してきた経験があります。よって、
「ライバル」というより「戦友」であり、家族ぐる
みで親しく付き合ってきた仲でもあります。
『空から提言する新しい日本の防衛』
本書は、「将来の我が国の防衛のあり方」に対して、
元自衛官ならではの“切り口”から迫り、一般の軍
事専門家などが追随できない視点から貴重な一石を
投じているとの読後感を持ちます。なかでも、「我
が国の防衛」が抱えている課題、あるいは昨年末に
策定された「戦略3文書」の不十分なところの指摘
などについては私も全く同意です。
あえて違いがあるとすれば、陸上自衛官だった私は、
どうしても「国土」とか「国民」目線から防衛を考
える“癖”がついてしまっているせいか、「国防」
など頭の片隅にもない方々などにとってはどうして
も理解が難しくなってしまいます。その点、元航空
自衛官の織田氏の解説や提言は、難解な領域にはほ
とんど踏み込まないのですっきりしてわかりやすい
と思います。
さて、私の現在の最大の関心事は、「現実進行形の
ウクライナ戦争が国際社会の将来にどのようなイン
パクトを与えるか?」、そして、「そのインパクト
が、やがて“形を変えて”我が国の“眼前”に迫っ
てきて、我が国の平和や独立や国民の安寧な生活を
左右する可能性があるのかないのか?」にあります。
織田氏も再三、同趣旨の切り口で解説していますが、
“予想外のことが起こる可能性を表す”言葉の「ま
さか」や「もしかして」のうち、これまでは“予想
外のことが起こる可能性が低いと考えられる場合”
に使われる「まさか」の範疇として無視あるいは軽
視してきた事態が、“予想外のことが起こる可能性
があると考えられる場合”に使われる「もしかして」
の範疇に移動し、その実態の解明や未然防止の対策
までを含め、考え、検討し、具体化しなければなら
ない割合が増えているように気がするのです。
昨年の「戦略3文書」にあっても、これまでのこの
種計画の“歴史”を継承しつつ、どうしても踏み込
めない憲法上の制約や戦後の防衛政策の変更に対す
る批判への“予防線”を張っているのか、いくつか
の「もしかして」には自ら目をつぶり、「まさか」
の範疇で取り扱い、その上で無視あるいは軽視した
と考えざるを得ない論点がかなりあるとように思う
のです。
現役時代も、毎度ながらの“政治決定”に呆れ果て、
言いようもない“むなしさ”を味わったものでした
が、“我が国の特殊事情からやむを得ない”と自ら
納得させてきた側面があります。
繰り返しますが、“失うものがない”今、自らを納
得させてきた論点まで少し踏み込んで、その要点は
紹介しようと思います。実は、そう思い立って文献
を漁ると参考になる書籍もたくさんあることもわか
りました。ただ、表題からして大きなインパクトを
与えないと手に取ってもらえないからでしょうか、
このジャンルの書籍はタイトルからしておどろおど
ろしいような気もします。例えば、『自滅するアメ
リカ帝国』(伊藤貫著)、『腹黒い世界の常識』
(島田洋一著)、『国連の正体』(藤井厳喜著)な
どです。インターネットで発信しているものも数多
くありますが、共通しているのは著者の皆さんの
“強い危機意識”でしょうか。
なかには、『新しい日本人論』(加瀬英明、ケント
・ギルバード、石平共著)のように、日本人の根底
に流れている「性善説」が背景にあって、この「も
しかして」を考えることができなくっていると指摘
するものもあります。多くの日本人が宗教のように
ひたすら信じている、憲法前文にいう「平和を愛す
る諸国民の公正と信義に信頼して……」のくだりな
どを指すものと考えます。
さて、「もしかして」の領域が拡大したのは、我が
国の「安全保障」とか「防衛」に限ったことではな
いことも明白です。すでに本メルマガで再三触れて
きましたように、我が国の未来に立ちはだかるであ
ろう「暗雲」として、「もしかして」が様々な領域
に広がる可能性があると考えます。
本メルマガ発信の目的は、「我が国の未来について
様々な視点から見通し、“最悪の状態にならないよ
うに”早急に処置すべき具体的な対応策を明確にす
る」ことにありましたが、知れば知るほど“まだ道
半ば”との思いを強くしています。もう少し続けま
すので、しばらくお付き合い下さい。
▼「軍事力」の国際比較
 
さて、国際的な影響力という点でいえば、「軍事力」
こそが「国力」の“ど真ん中に位置づけられる”こ
とは明白です。しかも、その良し悪しは別として、
核戦力保有の有無は決定的です。
まず、これまで同様、「軍事力」の国際比較につい
てもチェックしておきましょう。発刊されたばかり
の今年の「防衛白書」は、冒頭、「戦後最大の試練
の時を迎える国際社会」から始まります。子細に読
むと、これまでの「“まさか”戦争なんて起こりっ
こない」を否定し、「“もしかしたら”我が国の周
辺でも起こり得る」ことを肯定しているのです。
白書は、「だから、未然防止のために反撃能力の強
化が必要」と言いたかったのでしょうが、白書の性
格上、それが限界なのかも知れません。そして、我
が国の陸海空防衛力については、「我が国の周辺に
は大規模な軍事力が集中している」ことを具体的な
数値で説明するために、世界の陸海空戦力それぞれ
のベスト10を紹介しています。しかし、白書らし
く、我が国の防衛力についてはそれぞれの兵力量の
みを掲載するにとどめています。ちなみに、実際に
ベスト10に入るのは海上自衛隊のみで、保有船舶
総トン数から第5位にランクされるはずです。
陸海空戦力を含む、軍事力を構成する様々な要素ま
で含め、通常兵器の世界軍事力ランキングは、「Gl
obal Firepower 2023」によれば、1位アメリカ、2
位ロシア、2位中国、4位インド、5位イギリス、
6位韓国、7位パキスタン、8位日本、9位フラン
ス、10位ドイツとなっています。
また「軍事予算」のランキングは、「ストックホル
ム国際平和研究所」(SIPRI)によれば、1位アメリ
カ(8010億ドル)、2位中国(推定2930億
ドル)、2位インド(766億ドル)、4位ロシア
(659億ドル)、5位イギリス(659億ドル)
と続き、日本は9位(517億ドル)になっていま
す。つまり、日本の防衛予算は、2021年時点で
米国の約6.5%、中国の約18%だったことがわ
かります。
前回上げたような各国の「購買力平価」を使用する
と、実際の軍事予算の様相は違ってくるものと考え
ます。また、年末の「戦略3文書」には「GDPの
1%から2%に引き上げる」旨が盛り込まれていま
すので、実現すれば数年後のランクは上がることも
予想されます。
現在、世界の核保有国は9カ国で、上記SIPRIの推計
による保有弾頭数は、1位米国(5244発)、2
位ロシア(5889発)、3位中国(410発)、
4位フランス(290発)と続き、9位には北朝鮮(3
0発)がランクされています。これらから軍事予算の
上位国はほとんど核保有国であることもわかります。
これらはあくまで静的な比較で、ウクライナ戦争に
より、ロシアや西側諸国の兵器の生産量や消耗量も
大幅な変動があったことでしょうから、最新のデー
タを比較すると、すでに変動している可能性もある
でしょう。
厳しくなりつつある周辺情勢や我が国の「国力」と
比較して、これらのランクや防衛力の量・質が現状
程度で適切か否かにについては各論あることでしょ
う。しかし、増強論に反対する側に立つ人たちの意
見の背景に、戦後の「平和ボケ」とか「平和の毒」
が今なお根強く定着しているとすれば、やはり「時
代は変わった」ことに気づく必要があると考えます。
目を開け、耳をふさがないで、しっか��見極めた上
で、自分たちの主張が正しいか否かを再考する時が
来ていると思うのです。
8月16日、有楽町駅前で、この暑さの中、背広を
着た日弁連の皆さんが「憲法違反の平和安全法制の
廃止を」との看板の前で街頭演説しているのを見か
けました。周りにはだれもいませんでしたが、“司
法試験に受かるくらい頭が良いのだから、法律以外
のことも少しは勉強すればよいものを”と思いつつ、
私も無視して通り過ぎました。ちなみに、「平和安
全法制」が制定されたのは9年前の2014年です。
「今頃、何を言っているのか」という点でも呆れま
した。
白書も言うように、“戦後最大の試練の時を迎えて
いる国際社会”を、我が国はけっして傍観できるわ
けがなく、予想される“戦場”が我が国近傍にある
ことを考えると、逆に“国際社会を戦略的にこの地
域に引きずり込めるか否か”に我が国の存亡がかか
っていると考える必要があります。そのために“何
をすべきか”については、ウクライナ戦争をみれば
明らかでしょう。多少苦しくても、「自助努力」す
るしかないのです。
▼我が国の「防衛力」の“急所”──核抑止
「戦略3文書」に書かれていない視点で、我が国の
「防衛力」の“急所”」と題して、いくつかの論点
の要点のみを紹介しましょう。“急所”ですから、
口に出すこともはばかれ、普段は隠れています。大
方の日本人のように、関心がない人には思いもよら
ないでしょう。されど“急所”なのです。ものすご
く大事なのです。
その筆頭は「核戦力」の取り扱いでしょう。織田氏
も「国家安全保障戦略」の中で、核抑止については
わずか1行しか触れず、米国に丸投げしていること
を「最大の欠陥」として問題視していますが、私も
全く同感です。
言うまでもなく、中国、ロシア、北朝鮮のような、
核・ミサイルを保有する権威主義国家に囲まれてい
る我が国が、「非核三原則」のような“現実離れ”
��た政策を保持して「考えもしない」段階に留まっ
ている“危険性”について、安全保障や防衛を“真
剣に考えている人たち”は皆、多少の温度差はあっ
てもよく認識していると思います。しかし、その範
囲が“真剣に考えている人たち”に留まっているの
が問題なのです。
『自滅するアメリカ帝国』の著者・伊藤貫氏は、ア
メリカ在住が長いせいか、今どきの国際政治学者に
は珍しく、ハッとすることをスバっと指摘します。
一例を挙げれば、日本にもなじみが深い、アーミテ
ージ、ジョセフ・ナイ、それにライス元国務次官ら
が「日本の核武装をさせたくない」とする一心から
アメリカの「核の傘」の有効性を繰り返して主張し
てきた事実、しかし、昨今のアメリカの相対的な力
の衰退や国際環境の大きな変化もあって、キッシン
ジャー、ウォルツ、ホフマンなどのリアリスト戦略
家たちは、「日本もアメリカに過剰依存しない自主
防衛に舵を切るべき」と提唱していることを紹介し
ています。当然、自主防衛には核戦力の保持も含ん
でいます。
私たちは、通常兵器の世界では「敵と我が拮抗した
戦力を保持しておれば戦争は発生しにくい」ことを
軍事常識として理解していますが、伊藤氏は2人の
有識者の分析を紹介して、これまでの常識をくつが
えしています。実に興味深いです。
まず、MITの軍事学者パリ─・ポーゼン氏の「他
国からの先制攻撃によって破壊されない核兵器を所
有している国は、世界覇権を握ろうとする超大国に
よる軍事的な恫喝と攻撃を拒否する能力を持ってい
る」、同じくMITの国際政治学者ハーヴェイ・サ
ポルスキー氏の「核武装国同士の戦争はリスクとコ
ストが高すぎる。したがって、核武装した諸国は、
お互いに核戦争を避けようとするだけではなく、通
常兵器による戦争まで避けようとする」との分析で
す。
つまり、核戦力保持の有効性は、たとえ彼我の格差
があっても、核戦争の抑止に留まらず、通常戦争の
抑止にもつながることを指摘しているのです。「核
抑止」と「核廃絶」の区別もつかない大方の政治家
・有識者・マスコミ人には“目から鱗”であろうと
思います。
だからこそ、湾岸戦争やイラク戦争から「イスラム
諸国が非核保有国だから、簡単にアメリカの攻撃を
受けた」との教訓を学んだ北朝鮮は、国民が明日の
食事さえ飢えているなかにあっても、莫大な経費を
費やして核実験やミサイル発射実験を繰り返し、有
効な核戦力の保持を企図しているのです(北朝鮮の
今年の餓死者は例年の3倍との報道がありましたが、
実態はかなりひどそうです)。
そして、中国は、日本を現状のような“与(くみ)
しやすい状態”に留めおくために、福島原発の処理
水について、自らがもっと濃い濃度の汚染水を垂れ
流している事実を知りつつ、“天つば”にもなりか
ねないリスクを冒しても、日本人が原発にも原爆に
も“眠ったまま”積極的な意思表示をしないように、
戦略的に反対論をぶち上げているのです。
さて、我が国の「核抑止」については大きな問題点
が2つあると考えます。まず、我が国のように「非
核3原則」を唱え、自らは核兵器を「持たず」「作
らず」「待ちこまず」としてすべてアメリカに“丸
投げ”している国が、ボーゼンやサポルスキーのよ
うな考えを適用しつつ、核抑止も、さらに通常戦力
の抑止も本当に可能なのか、という点です。
言葉を代えれば、アメリカの「核の傘」は未来永劫
に有効なのか、という点ですが、これについては、
次回、「日米同盟の有効性」に関連づけて詳しく触
れることにしますが、アメリカ政府の“一存”でそ
の有効性が突然、反故(ほご)になる可能性がある
ことは間違いないでしょう。
問題点の2番目は、中国や北朝鮮のような権威主義
国家に、アメリカのように「自国(民)の膨大な被
害回避を最優先し、核保有国とは戦争しない」との
考えが通じるかという点です。もし両国の為政者が
自国(民)の犠牲など一顧だにせず、戦争目的を遂
行しようとすれば、世界最大の核保有国・米国の
「核の傘」であっても、抑止が有効に機能しない可
能性があります。
なんせ中国には、1969年、ウスリー川の中ソ国
境問題を解決するため、当時は非核保有国だったに
もかかわらず、核保有国・ソ連に対して果敢に攻撃
を仕掛けたという“前歴”がありますし、同じく北
朝鮮も、“朝鮮半島はアメリカの防衛ラインの外”
と宣言した「アチソン声明」があったとはいえ、韓
国の後ろ盾に核保有国・アメリカがいることを知り
ながら、朝鮮戦争を仕掛けたのでした。
将来、これらの国とさらに緊張が高まるような事態
になれば、当然ながら、最大限の卑劣な文句を乱発
しつつ“露骨な核恫喝”を予想しておく必要がある
でしょう。
一方、本メルマガでも指摘したように、ウクライナ
はソ連崩壊時に領内に1240発の核弾頭を保有す
る世界第3位の核保有国でしたが、1994年の
「ブダペスト覚書」によって核兵器をすべて撤去し
ました。「歴史のif」ですが、仮にウクライナに
数発でも核兵器が残っていたなら、このたびの「ウ
クライナ戦争」は発生したでしょうか。少なくとも、
プーチン大統領の脳裏には、“ウクライナが報復と
して核兵器を使用すれば自国に膨大な被害が出る”
ことが浮かび上がり、侵攻を躊躇することにうなが
る可能性はあったと推測できるでしょう。
悩ましい問題でありますが、国際社会は、理想では
あってもいつ実現するか全く見通しが立たない「核
廃絶」ではなく、明日の「核抑止」をいかにするか、
で動いていることは間違いないのです。ゆめゆめ優
先順位を間違えないことが肝要です。
今回はこのくらいにしておきますが、我が国の「防
衛力」の盲点について、「もしかして」、つまり
「考えられないことを考える」ことまで拒否せず、
“急所”だけに“そっと覗いてみる”くらいの知恵
が必要であると私は思います。
ついでに私がアメリカをうらやましいと思うことが
もう一つあります。MITという、日本の東京大学
にランクされるような大学の教授たちが堂々と「正
論」を述べていることです。
それに対してと言うわけではありませんが、日本の
学者先生方は自らに恥じることはないのでしょうか。
前述の日弁連もそうですが、優秀なはずなのに、も
はや「つける薬がない」のでしょうか。
8月15日、終戦記念日の産経新聞社説は、論説委
員長の記名入りで「首相は核抑止の重要性を語れ」
と題して、“悲劇を繰り返さぬため”にも「核抑止
の有効性」について、普段の倍ほどの長さで堂々と
述べていました。過去にもあったのかも知れません
が、私自身は「核抑止」についてこれほどの内容を
マスコミ人が語ったのを初めて知りましたので、と
ても驚きました。
これなどはとても珍しいケースだと思いますが、我
が国の最大の問題は、様々な「もしかして」など
“夢にも思わない”人たちが政治家・有識者・マス
コミ人・教育者などに数え切れないほど存在し、な
おかつ、依然として“その人たちの声が大きい”こ
とにあると思うのです。その結果を受けて、大方の
国民もなんら危機意識を持つことなく、時間だけが
進んでいきます。本当に困ったものです。次回は、
もう一つの“急所”を紹介しましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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kazuyakato · 10 months
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2023.8.19 (土) / ミュージアム×ナイト 奈義MOCA 2023 _ 黒瀬みどり・加藤和也
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来月 19日に岡山県にある奈義町現代美術館で黒瀬みどりさんとライブをすることとなりました。 このライブは学芸員さんの大きなサポートがあり実現したライブですし、とても素敵な美術館で演奏できるのが本当に嬉しい!
黒瀬さんと演奏がどんな風に鳴るのか/聞こえてくるのかとても楽しみです。
皆様にお会いできること楽しみにしています。
・・・
ミュージアム×ナイト 奈義MOCA 2023 黒瀬みどり・加藤和也
雄大な自然を借景として建てられた奈義町現代美術館建築の魅力と奈義町の自然の美しさとを一体に楽しむイベントとして、「ミュージアム×ナイト 奈義MOCA 2023」を開催いたします。 普段は閉館している夜の美術館を開館し、月の光やライティングによって、普段とは違う幻想的な夜の美術館を、<光>・<音楽>をテーマに、それら作品を使って美術館を演出していく内容となります。 今回は作編曲家・ピアニストの黒瀬みどりとサックス奏者の加藤和也をお招きします。 奈義町の自然豊かな夜空の下で奏でられるピアノとサックスのハーモニーを、ぜひお楽しみください。
日時 2023.8.19 (土) 18時30分 ~ 21時(予定)
会場 奈義町現代美術館 (屋上スペース) 岡山県勝田郡奈義町豊沢441 ※悪天候の場合は展示室「大地」 https://www.town.nagi.okayama.jp/moca/index.html
入場料 1,000円
定員 30名(事前予約制・先着順)
ご予約・お問い合わせ
奈義町現代美術館 [email protected] TEL:0868-36-5811 FAX:0868-36-5855
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出演者プロフィール
黒瀬みどり(作編曲家・ピアニスト)
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加藤和也(サックス奏者)
幼少より作曲・ピアノを学び、高校生の時ジャズに出会う。 2009年、二階堂和美と偶然共演して以後サポートピアニスト、アレンジャーとして現在に至る。 現在は二階堂和美をはじめとしたミュージシャンのサポートに加え、オリジナル作品や即興、童謡をアレンジした作品の演奏を中心としたソロ活動をしている。 https://youtu.be/Kvzz5-PkorE
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広島県広島市出身。 デンマーク王立ユラン音楽院大学院ソリストクラス修了。 2008年 第2回ジャン=マリ ロンデックス国際サクソフォンコンペティション セミファイナリスト。 ユラン音楽院にてティーチングアシスタントを務めた後、2012年に帰国。帰国後はSingapore Saxophone Symposium2012 への参加、瀬戸内国際芸術祭2013・2016・2019に参加し 2013・2016では開会式・閉会式にてソロパフォーマーを務める。 現在は演奏活動を始め、サクソフォンの為の新しい作品の委嘱・演奏、ポップス、アルゼンチンタンゴ、ダンサー、曲芸師など他ジャンルのアーティストとの活動、美術館やギャラリーでの演奏会の企画、楽曲制作、音を扱った作品を制作するなど活動は多岐にわたる。 広島市立大学、エリザベト音楽大学付属音楽園講師。​ https://kazuya-saxo.wixsite.com/kazuya
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kennak · 9 months
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大手メディアがジャニーズ問題について振り返るのはやはり限界があるのか。そう思わざるを得ない出来事だった。今年4月のカウアン・オカモト氏による外国人記者クラブでの会見以降、新聞メディアの中では比較的手厚く問題を報じ続けている朝日新聞は6月29日付の朝刊第三社会面で、不定期でメディアの問題を扱う企画「Media Times(メディアタイムズ)」でジャニーズ問題とメディアの関係について特集した。ジャニー喜多川氏による性加害が野放しになってきたのは、メディアがそれを看過してきたからでもある。テレビ局だけではなく、新聞、出版にもおよぶジャニーズのメディアコントロールの手法と、いまだ強くのこる影響力に、朝日新聞元記者でガーシー被告に密着した『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』が話題のノンフィクション作家、伊藤喜之氏が迫る。 目次 これまでの関係には触れないアンケート「上層部は過去の関係を有耶無耶にしたい」「メディアコントロール」の手法を明らかに「ジャニーさんのことを、みんな慕っていたのよ」「親から信頼を受けて大事なお子さんを預かる」ジャニーズ副社長の信頼厚い「ベテラン記者」突然、連載が打ち切られたのはなぜか これまでの関係には触れないアンケート記事のリード文では、ジャニー喜多川氏の性加害問題について「新聞やテレビが早い段階から報じなかったことに、批判の声があがっている」と指摘し、「どこに問題があったのかを考えた」と切り口を設定していた。自社とジャニーズの関係についてある程度踏み込んでくれるのだろうと筆者は期待を膨らませた。しかし、結論から言えば、それは落胆に終わった。主な新聞社やテレビ局にアンケートを取っていたが、長年報じなかったことへの受け止めと今後の報道姿勢を問う内容であり、これまでのジャニーズ事務所との関係について回答させるものではなかった。事務所の過去の関係については問わなかった(2023年6月29日朝日新聞朝刊) (Media Times)長年報じず、新聞・テレビに批判 ジャニーズ性加害問題:朝日新聞デジタル  ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏(2019年に死去)の所属タレントへの性加害問題について、新聞やテレビが早い段 www.asahi.com 朝日新聞の見解として、野村周ゼネラルエディター兼東京本社編集局長は「性加害、とりわけ男性への性加害という問題に対する認識が不足していたことなどが根底にあったと思います。ご批判は真摯に受け止めます」とメディアの責任に言及した。自主的に振り返ることもないもしていないメディアと比較すれば、一定の評価もできると言えるかもしれない。しかし、肝心な過去の対応などについての検証は一切なかった。「上層部は過去の関係を有耶無耶にしたい」こうした姿勢は「自己批判をした」と前向きな評価の声も多かった6月17日放送のTBSの報道特集でも似たようなものだった。「メディアの姿勢を含め検証します」とし、番組アナウンサーが「私たちがこの問題を取り上げてこなかった理由の1つは、テレビ局の様々な部署がジャニーズ事務所と深い関係を持っていることがあった」と指摘したものの、そうした番組制作現場での具体的な「深い関係」がどうであったかについて言及はなかった。取材した、ある新聞社の記者は「絶対に情報源がわからないようにしてください」と私に求めながら、こう指摘した。「対応があまりに中途半端でウミを出しきれていない。上層部は過去の関係については、このまま有耶無耶で終わらせた方がいいと思っているんじゃないか」この新聞社では社内の一部から自社とジャニーズの関係について踏み込んで検証すべきだという声が上がっているが、編集幹部の反応は鈍いという。「メディアコントロール」の手法を明らかに私も、この記者と同じ問題意識を持っている。ジャニーズとの関係がどのようなものであったかをつまびらかにし、過去の教訓として共有しなければ、再び同じようなことが起きかねないのではないか。ジャニーズ側がどのようにメディアの担当者、記者や編集者らと関係を築き、どのように「都合の良い」番組や記事が量産させてきたか、ジャニーズ側がメディアコントロールをどのように効かせてきたか、を明らかにする必要がある。メディアはいまだ配慮をしているかのようだ(ジャニーズ事務所ホームページより)ここまで問題化しながら、それでも既存メディアはジャニーズ側に何か配慮を重ねているようにも見える。既存メディアの中でも新聞メディアは、テレビや出版社と比較すれば、それほど濃厚な利害関係が生じにくいと思われるのだが、何か後ろめたいものがあるのだろうか。私は現場に近い記者らに取材を重ねることにした。「ジャニーさんのことを、みんな慕っていたのよ」朝日新聞には長らくジャニーズを取材してきたベテラン女性記者が複数いる。その一人が最近、こんな発言をしていたという。「ジャニーさんのことを、(所属タレントは)みんな慕っていたのよ」「告発している子は名声目当て。信用できない」ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題について、BBCや週刊文春の報道に続いて、ジャニーズJr.だったカウアン・オカモト氏が外国人記者クラブで会見したことで、これまで黙殺してきたテレビ・新聞などの既存メディアも重い腰をあげた。そして、その報道が加熱していたときのことだった。この記者は2017年1月23日付夕刊、24日付朝刊の2日に渡って、同僚記者と連名で、ジャニー氏へのインタビュー記事を執筆している。「ショーに託す、平和の願い ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長に聞く」「我が子ように育てる ジャニー喜多川社長に聞く」とそれぞれ題した記事である。事件を知ると違和感しかない(2017年1月24日の朝日新聞朝刊)前者は、ジャニー氏が作・構成・演出を手がけた舞台を紹介する。少年時代に大空襲にあった戦争体験に触れながら、「昔を生きているからこそ、平和の尊さがわかっている」とのジャニー氏の言葉を明かす。「親から信頼を受けて大事なお子さんを預かる」気になるのは、「子どもたちへの温かい視点も当時からあった」とジャニー氏のタレントとの接し方を絶賛していることだ。ジャニー氏の性加害問題については、1980年代に元所属タレントが被害を訴える手記の出版をしていた。2000年前後には、週刊文春がキャンペーン報道を展開し、被害者の証言などを詳しく報じていた。記事の内容をめぐってジャニーズ事務所が発行元の文芸春秋を訴えた裁判では、04年に「セクハラ」があったとする記述を真実と認める判決が最高裁で確定していた。ジャニーズを担当していたならその事実を知らないわけがない。にもかかわらず、記事ではそのことにはいっさい触れていない。それどころか、翌24日の朝刊では「我が子のように育てる」という見出しのもと、ジャニー氏の「親御さんから信頼を受けて大事なお子さんを預かる以上、私も命をかけて自分の子供のように教育しようとやってきた」という発言を、無批判で掲載をしている。カウアン・オカモト氏は被害を訴える記者会見で、もし大手メディアが性加害を報じていたら事務所には入らなかったか、という質問に、「知っていたら親は行かせなかっただろう」と答えていたことを思い返してしまう。ジャニーズ副社長の信頼厚い「ベテラン記者」さらに、記事が出された時期には重大な問題が孕んでいる。国民的アイドルグループのSMAPが直前の2016年12月31日に解散したタイミングだったからだ。記事では、SMAPについては後編の質問で一言触れているだけだ。ジャニー氏の回答もあくまで一般論で、SMAPについては具体的に話していない。もちろん記事の見出しにもなっていない。事務所にとってはセンシティブな話題であったとしても、読者の関心から考えても、明らかに不自然である。徹底した忖度ぶり、と指摘されても致し方ないだろう。朝日新聞の場合、週刊朝日やAERAなどの雑誌発行ではジャニーズと深い関係を築いてきた。表紙やグラビアにジャニーズのタレントを起用できれば、手堅い売り上げが見込めるからだ。ジャニー氏へのインタビュー記事を書いたベテラン記者はAERAにも一時期所属し、SMAPを勢揃いさせた特集を仕掛けるなどして、社内では「ジャニーズを任せるならこの記者」と信用を勝ち得ていたという。現在のジャニーズ副社長で長年広報責任者を務めてきた白波瀬傑氏は、このベテラン記者を連絡の窓口にしていたと多くの記者が口を揃える。他の記者が申し込んだ取材の断りがベテラン記者から「あ��はダメだったみたい」などと知らされることも日常的だったという。朝日新聞社内をベテランの「ジャニ担」が仕切っていたジャニーズはメディア各社に従順な記者や編集者を抱え込むことでメディアコントロールを働かせてきた。各社によって呼び方は違うが、いわゆる「ジャニ担」だ。実際、ジャニーズは新聞のコンテンツ作りの現場にも口をはさんできた形跡がうかがえる。突然、連載が打ち切られたのはなぜか朝日新聞デジタルでは、「ジャニ担!」と呼ばれるオンライン連載があった。ジャニーズファンで知られる放送作家の山田美保子氏がジャニーズタレントの近況などについてコラム形式で連載するもので、2015年4月から始まった。しかし、2年ほどで突然打ち切りとなった。事情を知る朝日新聞記者が明かす。「ジャニーズ事務所から連載についてクレームが来たと聞いている。山田氏も渋々だったようだが、連載打ち切りに同意した」連載はすでに130回以上に達していた。にもかかわらず、なぜそのタイミングで、ジャニーズ側が苦情を伝えたのか。ちょうど朝日新聞紙上でジャニーズ事務所を退所した元SMAPメンバー3人による「新しい地図」の連載が始まっていたことと関係があるのでは、といぶかしむ声があったという。いずれにせよ、ジャニーズ側の事実上の「外部圧力」に応じる形で、朝日新聞が連載の打ち切りなども決定してしまった事例だと言える。ジャニーズと新聞社の繋がりは記事だけではない。広告出稿というビジネス面でも密接な関係を結んできた。現在公開中の『「嵐」大型企画で深まった朝日新聞とジャニーズの「広告ビジネス」』では、新聞社とジャニーズにおける広告ビジネスの事例、それが生み出す「忖度」の構造を取りあげた。
朝日新聞社内でジャニーズ報道を仕切る「ジャニ担」の影響力|SlowNews | スローニュース
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alaephoenicis · 1 year
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統合 〜 分離された魂のプロセス 【第一部:トラウマと隔離】
アンティエ・リンデンブラット
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オリジナル動画:https://youtu.be/fCeme7amQV0 公開日:2023年1月23日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
序説:三部に分けて説明する予定、視聴者で質問のある方はコメント欄へ。 第四部で、寄せられた質問に応える予定。
最初に理解しておくべきことは、霊的エネルギー体は常に分離したその一部がひとつの肉体に転生して宿るもので、決して丸ごとひとつの肉体に収まっていることはない、ということです。
我々の魂は、今生この肉体に転生してくるとき、前もってトラウマ、ショックといった感情的に負担の掛かる状況を、ここに様々な理由があってオプションとして選んできています。特定の学びを期待して自らの魂の成長・発展を望んでいる場合、ときにはカルマの解消が目的だったり、もしくは何らかの課題をこなすためだったりします。課題というのは例えば、その魂の統合プロセスの中で何らかの負担となる状況を体験することで何かを学び、それをもって今度は同様(または似たような)プロセスを通る他人を助けられるようになる、というものだったりします。
その他のケースは、魂によっては非常に高い周波数の場所から降りてくることがあり、そういった場合はこの低い波動の肉体に定着するための『バランス』となるものが必要となるので、そのためにわざと重い荷物を抱えてやってきて、その肉体と、その地上の場所に碇を下ろそうとすることがあります。
どのケースであっても、それらのトラウマ的体験をすることを、魂は自ら選んできています。あまりにも苦しく、痛ましい感情を体験するため、人間的な視点からは実感がわかないことですが、全ての苦しみは自ら率先して選んだことであり、これらが偶発的に起きるということはありません。これをまず先に理解しておくことが重要です。
魂のエネルギーというものは、イメージとしては流れる川のようであり、幅広い長流です。そしていくつもの支流があります。理想的なのは、主流と支流が繋がり合っており、全ての流れが調和しながら混じり合っている状態です。
「トラウマ」という概念に含まれる範囲は幅広く、最も直接的な意味ではある時突然システム全体にショックを与えるような状況を経験することであったり、もしかするとそこまで突発的・劇的・衝撃的ではないにしても、例えば幼少期からの虐待など、長期に渡って根本的に安心感を損なうような経験もトラウマとなりえます。
このようにトラウマは非常に広範囲を占めますが、大まかなプロセスは常に同じです。
トラウマを経験する時というのは、大流の支流に突如として毒が流れ込み、汚染されるような状況です。調和が乱されるわけです。
全体の流れは、調和が乱れたことに即座に気づき、場合によってはその汚染から主流を守るために、支流からの流れをブロックしてトラウマにもたらされた毒物が流れ込まないようにすることがあります。体のシステムが調和の中で流動を継続できるように、支流は「隔離」されることには意義があります。しかしこれも、自ら計画していたことなのです。
隔離が行う目的は、そのトラウマが成立した時点で、全体の流れがそれを受け止めきれない場合があるからです。つまり支流に流れ込んだ毒を浄化しきれないのです。人の例で例えれば、感情に激烈な痛みが伴う体験は、その時点で消化しきれないことがあります。あまりにもショックが強すぎた場合や、もしくは幼少時代にありがちな、長期間に渡って定着したトラウマは、その時点では体験したことに説明を付けることが出来ず、心に整理がつかなかったりするため、つよい防衛欲求から隔離が起こります。
魂自身は、何が起こっているのかまったくもって認識しています。しかし人間的な部分は承知しているとは限りません。だから20年30年と経ってから、長い間、記憶上に全く残っていなかったトラウマ体験を突然思い出したりすることがあります。これらは、我々が内面的に成熟し、受け止めるだけの余裕が出来てきたときに自分の内に展開されることになり、そうやって統合プロセスが始まります。
この切り離された魂の部分は、そのトラウマの瞬間とともに生じた多くの感情と結び付いています。その切り離された部分は実際に切り離されているわけで、自分では説明できない孤独感が起きて、一人ぼっちだと感じます。ホームシックのような感覚になるかも知れません。
これら、全てが魂が部分化しているということを示唆しており、切り離された部分からの視点では、主流とはもう繋がっていないと言う感触を得ます。
物理的肉体は、まさにバイオコンピュータであり、今生の人生で起こったことのみならず、これまでの過去生の全てを記録保存しています。つまり、巨大なデータバンクなのです。従って、そこに引き寄せの法則が機能します。細胞に記録された情報が放射されることで、特定の事象を引き寄せます。外界で起きているように見えることは実は全て、自分の内部で潜在化していることから映し出されたものなのです。なぜなら、そうやってこのままではよくないのに、意識できていなかった部分を、意識上にもってこれるように手伝ってくれるわけです。
何らかのトラウマを体験すると、似たような状況を繰り返し引き寄せることがあるのは、あなた自身が「ほら、目をそらしていて気づいていないものがありますよ、ご覧なさい」「ちゃんと処理していない、癒やされていない感情から目をそらしていますよ」と呼びかけてきます。これをよく、トラウマの再来と言いいます。人生にとって元来のテーマと結び付いた傷が、繰り返し開くような体験をします。そして、繰り返されるごとにひどくなるかのような感覚になるのです。
それは非常に挑戦を迫られる状況であるとともに、その目的とはまさに「そこに注意を向けること」であり「トラウマ体験があると自覚するため」、あなたの中にある不調和を認識し、再び調和をもたらして癒やすことなのです。
そのため、引き金となる状況を何度も体験するわけですが、そうしたときには感情的に強烈な反応が起きて、突然なパニッ��状態に陥ったりします。しかし、いったい何が原因なのか皆目手がかりが見えないのです。
肉体が、ギターであるかのように想像してみて下さい。以前、弦がかき鳴らされてトラウマとなった状況と同じ感触が、今再び弦が弾かれたことで突然に起こったとします。それがどういうことなのか、特に今生以前の転生で起きたことである場合、頭では理解できないのですが、あなたの体は明らかに反応します。
この反応によって、その感触の記憶が蘇って来ます。そしてこれが「意識」されます。
この「トラウマの再来」ですが、この引き金となるものは、現状となんの関係もなさそうに見えたりしますが、これは「トラウマを体験することになった本来の課題」を映し出しています。
その課題が、例えばですが「強姦」だった場合、「トラウマの再来」は繰り返しセクハラに遭うという形で体験するかも知れません。課題が「裏切り」だったとすると、人間関係で何度も裏切られたりします。「身体的暴力・迫害」をトラウマとして体験する課題だった場合、「トラウマの再来」の中にはこれが繰り返し映し出されることがあります。
「何度も繰り返される」というところに「傷」が見えてきて、その「課題」を見出していくことになります。
また、「夢」もトラウマ体験を映し出すことがあります。夢は私たちの潜在意識を映し出すことがありますが、それは比較的マイルドな形で無意識だったものを意識上に浮かび上がらせてくれます。その一方で、夢は問題の処理プロセスを映し出してくれたりもします。
夢は基本、私たちの記憶の中にあるものを「処理している」状態であり、その意味で「私たちの中にあるものを思い出している」状態でもあります。鮮明な夢、もしくは強烈で存在感のある感情を伴う夢を見て、何時間も、もしくは一日中そのことで頭がいっぱいになることもありますが、これは「何かがこの夢を通して自分の中で処理されている最中」だということです。
次に「恐怖と抑圧」についてです。 (訳注:ドイツ語のVerdrängung は心理学用語では「抑圧」と訳されることが常ですが、抑圧というと何かを「押さえ込む」イメージではないかと思います。しかしVerdrängungというのは意味的には押さえ込むと言うより「押しやる」ということ。つまり自分という機能範囲スペースから無理矢理に追い出してしまう、無かったことにする、という感じ)
大流のイメージを思い起こすと、支流に隔離されていた「感情・イメージ・記憶」というのは常に、主流に浸透しようとしてきます。
木の根っ子か何かによって瀬切られていようと、その封鎖は完全ではないので、時にチョロチョロと流れ込んでくるのです。そうして私たちの意識に、たまに一滴とか、「感情・記憶フラッシュ」といった形で入り込んできます。
例えば、子供の頃に鬼ごっこをしていた時、追いかけられて突然パニック状態になったことがあります。ただの遊びだと分かっているのですが、感情は「追跡と迫害」を生々しく体験していました。かつて追跡され、迫害にあい、死の恐怖を味わった私の記憶が感情に現れたのでした。
問題は、こうした感情が再び沸き起こった時、更なる恐怖で反応してし、通常「抑圧(意識から押しやること)」が起こります。なるだけ速いこと、押しやって忘れてしまおうとします。まだ子供であったりして、どう処理して良いのかわからないときは尚更です。しかし、そういう「再来」は人生において繰り返しやってくるわけで、そのとき「総括された統合プロセス」を制御し、監視しているのが「魂」なのです。
私たちの意識が経験を通して成長し、汚れた支流を受け入れたとしても全体のシステムが不調和に陥って安定を欠いてしまうこと無く、調和を保っていけるほどの成熟度に至った時にようやく、魂は支流との「統合プロセス」に入ろうとします。
この統合プロセス全体は、波状に起こります。つまり、何かのきっかけによって現れたトラウマを、時に「抑圧」に走ることがあっても、ちゃんと向き合って徐々に「処理」するようになっていくことで、「統合」されていきます。これは段階的に起こります。
イメージとしては、これまで支流をくい止めてくれていた木の根っ子が、少しずつ緩んで水を通していく感じです。このプロセスにおいて、主流と支流の間を妨げていた木々は順に撤去されていくことになり、不調和が調和へと変化していきます。
このときあらゆるレベルでの浄化も起こります。それは肉体面でも起こります。生体がバイオコンピュータとして全ての記憶を保持しているということは、ある思考と繋がりのあった感情・イメージなどは、この統合プロセスにおいて、徐々に浄化されていきます。
最も大切な鍵は、この魂の部位の統合が「感じる」という面で起こることです。つまりトラウマと向き合うことで整理され、全体システム統合されることで「感覚・感情」といったものが浄化されていきます。
そして、この統合プロセスの間に、私たちは幾度も何かを「悟る」のです。これは「ゆっくりと何かを理解していく」というプロセスなのです。「何が起こったのか、それが起こったことで自分の中には何が生じたのか、どのような不調和がもたらされて弊害となったのか、どのような信念に導かれ、そのことでまた同じことを繰り返し体験することになったのか」など、これらが「プロセス」となります。
しかし、主要となる統合処理は、まさに「感じる」という部分です。「意識化する」ときには「感情」が伴い、自分の中にある「行動パターン」や「信念(思考パターン)」を発見していきます。
自らの「反応の仕方」を客観視することもあります。「なぜ、自分はこういう時、こんなに敏感になったり恐怖や怒りで反応してしまうのか」もしくは「無力感に苛まれるのか」、全く説明できないことがあります。そして「自分はずっと、そのような感情をどうにかしようと思ってきた、解決法を探していた」ことに気づきます。そうした解決法を探す中で、何かの依存症や中毒になってみる場面も体験したりします。一時の解決として恋愛を求めたり、特定の人物を必要として依存関係に陥ることもあります。
なんにせよ、不調和になったものを時間を掛けて再び調和へと戻すために、常に解決を求めている状態です。
この補正への試しみは、肉体面においては神経系の鎮静にも繋がっています。トラウマを体験しているということは、神経が常に警戒態勢だからで、これはこの統合プロセスの一部を成しています。
しかし、「自分はこんなことに執着していたんだ、これに中毒になっていた、依存していた」ということを自らきちんと認識できていれば、それは自分のトラウマに向き合っていくための大きな助けとなります。
苦しみによる内的圧迫感を緩和するために、外に助けを求める、というのも補整の手段となったりします。本人にはある「欲求」があったのに、トラウマによって邪魔されたとか、もしくは満たされないままだったりする場合は、そこに張り詰められた感覚は緩和されたり、癒やされたりすることが大事です。孤独、愛情の欠如、不安、親密さの欠如… このような「欠如」が原因のトラウマは「外からの補整」が与えられることが必要です。そんなとき、本人には「自分の中には何かぽっかり穴が空いていて、何をやろうと満たされない」という感覚があるものです。
これらの補整には保護してくれる要素がありますが、実はある程度までしか満たしてくれません。この補整が依存や中毒と言った方向へ流れてしまうと制御不能となり、「統合」という本来の目的から離れ、逆方向へいってしまいます。また、この時起こりやすいのは焦燥感が高まっていくことです。なぜなら「苦悩」も膨らんでいくからです。
補整を求めるがゆえに、人間関係に依存していくわけですが、実は本当に自分を癒やすものは「外側」には存在していないので、渇望感が増していくのです。
私たちは「足りないもの」を常に外側に探すように学んでしまっていますが、最終的には「自分」に戻ってくることになります。「答え・解決・癒やし」は私たちの内側にあり、その取っ掛かりは「意識化する(自覚を持つ)」というプロセスにあります。
それは自問することから始まります。 「一体なぜ、こうなのか」 「なぜ、自分には何度もこんなことが起きるのか」 「なぜ、こんな気持ちになるのか」 「なぜ、私はこんな反応をしてしまうのか」等等…
意識的に疑問に掲げたことには、魂から相応の返答が来るものです。
他人との関係や自分をとりまく世界とは、あなたのトラウマが上演される舞台です。そこにはトラウマに秘められたあなたの課題が映し出され、それは同時に解決と癒やしへの道標でもあるのです。
改めて申しますと、「外側の世界は、あなたの内側を映し出す鏡」です。
繰り返し自分が直面し、何らかの感情を呼び起こす状況・人物・場所などがあるとき、そこにはどんな本質的な「課題」があるのかをよく見つめていくことです。
「因縁(カルマによる関連・関係)」というのも外側の舞台上に映し出されますが、それは過去生で生じたトラウマを気付かせるものです。その因縁が映し出すものの中に、本来の「トラウマ」が示されています。カルマによる対人関係は、過去生で体験したトラウマ、もしくはその一部と関係��てきます。
「鏡」であるのは、才能や能力ということもよくあります。または素質や傾向といったこともあり、例えば常にビクビクと恐怖心があったりします。私もそうでしたが、私のところに相談にくる顧客の方たちにも、恐怖心から何かと身動きが取れなくなっているという傾向は、全員でなくとも多く見られます。そこには過去に起こった何らかのトラウマが関係しているのです。
このようにトラウマ体験というのは、人生における全ての分野に反映される可能性があり、ここで「意識」というものを発展させることが私たちの道なのです。つまり、時間を掛けてその部分をしっかり見つめ「人生のどの部分がバランスを欠いたのか」「人生のどの部分が、どのような課題を自分に映し出しているのか」を認識することで、隔離されていた支流を主流に統合していきます。
こうした「魂の各部位」が互いに交わす言語が「感情」なのです。これは「助けを求める叫び」として感じ取るものでもあります。
孤独感や、切り離された感覚、大きな憤り、深い悲しみ、痛み、恐怖とパニック。 何かが起こった時や決断を迫られた時など、こうした感情が強烈に沸き起こり、しかもそこには色んな「思考(想い)」が絡んできて、頭から離れないということがあります。「そんなのだめ」「それをやったらこうなるかも知れない」…これらは魂の部位が自らの存在に注目を呼びかけ、以前と同じことを体験しないようにと助けを求めている叫びなのです。
私たちが外界を「自らの内面の映し鏡」であると認識し、よりはっきりと自覚を持つようになればなるのど、そのトラウマ体験の「課題」が何であったのか、どの感情・信念・記憶がそれと関連しているのかが明らかになってきます。
今回の第一部では、トラウマがどうやって引き起こされるのか、トラウマとして体験されるものの範囲、魂の部位がなぜ支流として隔離されるのか、それでも知覚されることがあるのか、そして最終的に癒やされ統合されること等々、全体の流れを展望する形でざっくりとお話しました。第二部では、統合プロセスにおいて魂の部位がどのように一体化していくのか、詳しく述べていきます。
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sgi1118 · 10 months
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おはようございます。今日のJapanese SEIKYOです。
創価学会は、日蓮大聖人(1222.2.16〜1282.10.13)の仏法を信奉する団体です
「創価」とは価値創造を意味します。その価値の中心は「生命の尊厳」の確立に基づく「万人の幸福」と「世界平和」の実現であり、それが創価学会の根本的な目標です。
また、仏法の実践を通して各人が人間革命を成就し、真の幸福境涯を確立するとともに、生命の尊厳を説く仏法哲理を基調として、豊かな文化、人間性あふれる教育の創造を推進し、人類社会の向上に貢献することを目的としています。
こうした考えは、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』の主題として端的に表現されています。
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と。
1930年の創立以来、日本には827万世帯、そして世界192カ国・地域の会員が日蓮大聖人の仏法を実践し、各国の繁栄と世界の平和を願い、活動しています。
創価学会の世界広宣流布の活動に御参加・御協力をよろしくお願い申し上げます。世界平和の全権大使となる君に贈ります。
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合掌🙏🙏🙏
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祈り🙏合掌 2024 .3.16『広宣流布記念日』おめでとう御座います㊗️
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