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#東海汽船はいいぞ
yukalyn · 2 years
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3年ぶりに開催された東京湾納涼船。 → @nouryousen 夜景は最高だったし、船内ではライブパフォーマンスもあったりと。 華やかな賑わいを魅せてくれていて、すっごく楽しかった~♪ ドリンクやフードも充実していて、お祭り気分になれる屋台もあるし自販機もあるし。 予約必須になるようですが、食堂も利用OK。 ドリンクやフードは別途料金になるけど、、、 お祭りとかにありがちな割高価格ではなく、一般的なお値段ってところがありがたいですね♡ あと、前からそうだったっけ? 私はアルコール派なので知らなかったけど、ソフトドリンクは300円くらい?で飲み放題なんだって~😲 この満足度で1500円はお得すぎる! さらに今ならオープニング割引で、今月28日までWEB予約限定で500円OFFになるので1000円で乗船可能。 さらにさらに、浴衣割引ってのもあるので…浴衣姿の方は1000円からさらに500円割引に! 500円で乗船することができちゃいますよ~😆 こちらは電話のみ予約になるけど↓ 指定席プランも28日までは500円OFFになるそうです☆彡 #東京湾納涼船2022 夏の思い出作りに超~オススメ! 詳しくは、東海汽船運航の公式アカウントから→ @nouryousen or東京湾納涼船HPのリンクを貼ったストーリーズもあげているので、ハイライトの“東京湾納涼船2022”からリンクをタップでチェックしてみてね! #nouryousen #夏の風物詩 #夏イベント #東京湾納涼船 #東京湾納涼船2022 #納涼船 #夜景好きな人と繋がりたい #さるびあ丸 #東海汽船はいいぞ #浴衣 #ゆかた #浴衣レンタル #レンタル浴衣 #浴衣着付け #納涼船2022ゆかたSHOP #東海汽船 #クルージング #夜景 #夏の思い出 #PR #instagood #instalife #instajapan (東京湾納涼船) https://www.instagram.com/p/Cf3P_u8pTQh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 21 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月10日(水曜日)
   通巻第8209号 <前日発行>
 イエーレン訪中が意味することは何か?
  過剰生産の警告は、すなわち『習近平の経済路線は間違いですよ』の暗喩
*************************
 ジャネット・イエーレン米財務長官は4月3日にワシントンを立ち、4日に広東省に到着した。何立鋒副首相等と会談し、はやくも中国の過剰生産問題に言及した。世界貿易秩序の波乱要因として懸念を表明した。
 ところが中国のメディアは、イエーレンが前回訪中時にビールを飲んで、奇妙なキノコを食べていた写真を配信し、今度は何を食べたか等とへんな記事を配信していた。
 訪中前の講演でもイエーレンは「世界の価格と生産パターンを歪め、米国ばかりか世界中の企業と労働者に打撃を与える」と発言している(3月27日、ジョージア州での講演)。
 王文濤・商務部長は、三日後にはパリでBYD展示会にのぞみ、イエーレンの主張に対しては、「補助金の所為ではなく、中国のイノベーションの賜物であり、過剰生産と言われるのは市場メカニズムの結果である」と米側の主張に反駁した。
 すでに米国は中国製EVに25%の報復関税をかけており、トランプ前大統領は、これを60%とすると唱え、またメキシコ製の中国車には100%関税をかけると訴えている。
ジョシュ・ホーリー上院議員は125%、おなじくマルコ・ルビオ上院議員は「中国車一台あたり2万ドルの追加関税をもとめる法案」をすでに議会に提出した。
 この動きに応じたのか、中国のEVメーカーはタイに進出し、値下げと補助金で攻勢をかけ、日本が圧勝してきた市場を蚕食し始めた。
中国EVのタイ進出はBYDに加えて長城汽車、長安汽車、浙江吉利など、低価格帯EVや大幅値引きでタイのシェアを増やしている。
 過剰生産への懸念か。なるほどマンションの過剰生産(建てすぎ)は人の住まないマンションが30億人分もある。どう処理するのだろうか?
辺境で乗客のいない新幹線も、高僧道路も造りすぎ、テーマパークもあちこちに建てて、いまはペンペン草が生えている。海外にも過剰生産の付け足しのようにBRIプロジェクトで各地にゴーストタウンを造った。
 中国経済の構造的欠陥はGDPに占める個人消費がすくないため(37%、米国は65%、日本は60%)、外需に依存し、さらに海外マーケットを獲得するためにダンピングと補助金をつける歪んだ体質である。これは不公正な慣行だと米国側はみるが、米国に限らずWTO違反は明らか。日本も中国製太陽光パネルなどに100%の関税をかけてしかるべきだろう。
 ▼それでも「ウィンウィンでいける」と李強首相
 「過剰生産」をイエーレンは重大な懸念だと繰り返し述べたが、中国側は聞く耳がなかった。北京では李強首相、劉鶴 ・前副首相らがイエーレンと会談した。中国側は米中対決というタイミングゆえに、むしろ異例の厚遇ぶりを示した。
李強首相は決められた台詞。「敵対関係ではなくパートナーであるべきだ」と歯の浮くような発言を繰り出した。
 直前に中国政府は鉄鋼の減産方針を全国に通知し、過剰生産対応のジェスチャーを示したが、鉄鋼、造船、風力発電、太陽光パネル、そしてEVと、その廉価というよりダンピング輸出は世界市場を潰乱させた。
風力発電の世界シェアは中国メーカーがトップ5を独占し、「金風科技(Goldwind)」「遠景能源(Envision Energy)」「明陽智能(MingYang Smart Energy)」「運達股分(Windey)」「三一重能(Sany Heavy Energy)」の順となっている。メーカー乱立で収益は殆どないというのが業界の評判だ。
 中国製太陽光パネルはトリナ・ソーラー、カナディアン・ソーラー、ジンコソーラーホールディング、JAソーラーが譲位を独占しており、世界の太陽光パネル出荷量の上位四位を寡占した。じつに世界出荷量のうち71%が中国系企業が独占した。日本列島各地を埋め尽くしたが、不評ばかり。おまけに土砂災害を引き起こした。
ついで中国製EVがEU市場を攪乱し始めたため、EU委員会は重い腰を上げて規制に乗り出す。かくしてイエーレンの警告は世界市場すべての問題なのである。
 ようするに不動産関連で墜落した中国経済の補完を、EVを筆頭にクリーンエネルギー関連、バイオなどに転化しGDP成長率を堅持しようとしているのだ。
 ▼毛沢東の亡霊、ノルマという強迫観念が国有企業に取り憑いている
 習近平の経済の理解は社会主義時代のノルマであり、強迫観念のように国有企業の宿痾、中国人の体質なのである。だから馬雲やテンセントなど欧米並みの起業家が育っても、民間企業はかならず規制され、あるいは潰される。起業家精神は大きく削がれる。だから若者は国を棄てることになる。
 4月8日、訪中最終日に記者会見に応じたイエーレン財務長官は「中国政府による特定産業への補助金などの支援が原因だ」し、「米国や世界の労働者や企業に大きなリスクをもたらす」と改めて強調した。
 入れ違いにセルゲイ・ラブロフ・露西亜外相が北京に到着した。ロシアは中国との戦略的パートナーシップをさらに強化するため、とラブロフは語った。
 ラブロフ訪中はプーチン訪中の地ならしと言われる。
 またイエーレンは習近平とは会わなかったが、おりしも訪中している馬英九・台湾元総統が4月10日に北京で習近平と会談する段取り、日米首脳会談に日程を意図的にぶつけてきた。
 イエーレンは北京で潘功勝・中央銀王総裁とも会っているが、嘗てFRB議長の経験があるからだ。結局、中国は米国側に歩み寄る姿勢を示しつつ、一方でバイデン政権の半導体輸出規制にはつよく反発し、「米国の対中経済・貿易制限措置に深刻な懸念がある」とした。「米国は自由競争という資本主義原理に基づいて行動すべきである」と耳を疑うような発言もあった。
 半導体は技術窃取や台湾、韓国からのエンジニアのスカウト、米国における「千人計画」などで、すでに7ナノ半導体生産の技術を獲得したと、米国のシンクタンクが報告している。
 米国はこのため3ナノ、2ナノ生産工場をアリゾナ州に誘致し、台湾のTSMCに1兆円もの政府支援を行って、工場をいちどに三つ建設中である。
しかしTSMCは14ナノならびに1ナノの研究と開発ラボを台湾に集中させているため、米国は次世代半導体技術の中国への漏洩を警戒している。TSMCの熊本工場は28ナノで家電、スマホ向け需要に対応するためであり、予定されている熊本第二工場とて、7ナノにとどめる。
日本がIBM支援のもと、官民挙げていどむラピダスは、北海道千歳で2027年に2ナノ半導体生産を予定している。
 ▼中国の大手不動産会社、デフォルト続く
 さて不動産デベロッパーが倒産しているのに倒産しないという「ゾンビ軍団」はその後、どうなっているのか。
地方銀行、中小銀行の不良債権を肥大化させ、こんどは銀行の経営危機を招来させている。哈爾浜銀行は不良債権率が44%増えた。遼寧省の地銀、錦州銀行は上場廃止、江西省九江銀行は不良債権が三倍ちかくに膨らんだ。甘粛銀行は2・7倍、貴州銀行は五割近く不良債権を増やしていた。
準大手以下の27行の不良債権合計は2兆2300億円と今のところ軽いレベルだと言い張っているが、不動産大手のデフォルト処理が進んでおらず、とくに外貨建て債券が軒並みパンク、不動産不況の実態は、24兆円が不良債権だろうと推計される(それでも少なすぎるが、いずれ別稿で触れたい)。
 
中国最大のデベロッパー「碧桂園」も、ついに23年10月にドル建て債権99億ドルをデフォルト、第二位だった恒大集団の破産はいうに及ばず、世茂集団は二年前の米ドル債10億ドルのデフォルト、ドイツ銀行などが香港高等裁判所に法手続きを申請した。
このほか、大手の万科、華潤、融創、遠洋などが業績不振に陥っている。それぞまさしく供給過剰(生産過剰)の悪例ではないのか。
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liliyaolenyeva666 · 4 years
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🎼 00162 「Private Eyes」。
古書店で見つけた わたしの好きな 牧逸馬さんの本は 10年とちょっと前に発売されたもので、現代風に書き直されてはいましたけれど、まだ読んだことのないお話が たくさん収録されていて 有り難かったです。また探しに行こうって思います。今回読んだ本は 「牧逸馬 探偵小説選 (論創社 2007年)」 です。この本は 全部で 45篇もの 中篇・短編作品が収録されています。過去に読んだお話もありましたけれど、やっぱり ワクワクドキドキしてしまいました。ほんのり触れておきます。
・赤んぼと半鐘
小児科専門医に駆け込んだ 印刷工の晋吉と 小児科専門の都築医師と 晋吉の子 角太郎の そのゆくえ。
・ある作家の死(死三題)
川上君が書いた小説 「ある作家の死」 と川上君と三千円と、とある作家の死について。
・アンケート
「探偵趣味」 にて 質問に丁寧に答える牧さん。
・一五三八七四号
紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント'' の何よりの楽しみは、紐育52番町と第4街の角にある 「猶太人の料理店」 で毎晩あっさりとした夕食をとること。ある日のこと、コウフイを飲み干した彼のすぐ横の卓子にいた老紳士が 大きな声を出して勘定を呼びました。
・言ひ草
牧さんのエッセイです。
・うめぐさ
紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント"と (新聞 三面下段の) 余白。
・女青鬚事件 (ウーマン・ブルウビヤアド)
1925年7月、ユウゴスラビアは ベルケレクル町の ベラ・レンツイ夫人は 35人もの男子を殺害。地下室に並んだ棺桶には それぞれ名が貼り付けてありました。
・鉋屑(死三題)
東京駅発駒込橋行きの車内で 「私」 が見つけた 鉋屑 (かんなくず) ひときれは、ひとからひとへ渡り回ります。電車は 須田町で止まりました。
・神々の笑ひ 前篇:
初春の神田神保町から飯田橋までの電車の中の野々宮さんは 切符代をけちりたくて仕方がありません。
・神々の笑らは 後篇:
5千円に別れを告げる 野々宮さんのおはなし。
・基盤地事件顛末
昭和4年10月21日午前7時20分ごろ、東京府下牛引町藤野間にある 藤野間小学校に通う ふたりの男の子が池で生白い 「何か」 を見つけました。それは 首も四肢も無い女性の惨死体でした。
・靴と財布
紐育の朝、紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が地下鉄道で遭遇した事件を さらりと綴っています。
・首から下げる時計
クリスマス前の紐育、紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" に出来た恋人は 伊太利人でした。
・競馬の怪談 (真夜中の煙草)
倫敦。マルテン・タムスンという いんちきな男が、とある老人に声を掛けられました。牧さんの 「七時○三分」 と 物語が非常に似ています。
・コン・マンとい��職業
紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が、紐育壁町で 遭遇したのは詐欺師 (コン・マン) でした。
・百日紅
警視庁掏摸係の進藤刑事 (と掏摸のちび八) は 新橋から 下り急行に飛び乗りました。向かうは大阪。
・山門雨稿
牧さんのエッセイです。
・七時〇三分
丸の内仲通りにある、景気測候所 信栄社の社員 宮本得之助は とある老人と出会う。「競馬の怪談」 と おはなしが似ています。
・実話の書
牧さんのエッセイです。
・島の人々
ブロウド・ウエイの舞台 「島の人々」 に立ち向かう、紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント"。
・襯衣 (シャツ)
誰かに尾けられている気がする 紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が 紐育の街を歩きに歩いた先に現れた男の正体とは?
・上海された男
観音崎署の刑事から逃げ出した男が 命からがら乗り込んだ船は 想像を絶する地獄船でした。
・十二時半
民夫と美喜子が 夜の浜辺を歩く。季節は秋色。刹那を感じます。
・ジンから出た話
とあるホテルに宿泊する男が とある亜米利加生まれの男から 様々な 「妻殺し」 の話を聞かされます。
・助五郎余罪
慶応生まれの江戸っ児 助五郎は 明治湯の流し場で とある老人と若造の話に 聞き耳を立てていました。
・砂
とあるN町海岸通りS別邸裏D浜の砂丘で見つかった他殺死体は 寺尾幸江 (25)。
・西洋怪異談 - 境界線 (真夜中の煙草)
雇い主の婆さんに怯える 弱々しい小男は 斧を手にしました。結構こわいおはなしです。
・西洋怪異談 - 白い家 (真夜中の煙草)
とある夫人が語った夢についてのおはなしです。
・西洋怪異談 - 夏祭草照月 (真夜中の煙草)
ヨウクシャア州のずっと北の外れのとある村に 見世物小屋がやって来ました。
・一九二七年度の挿話
横浜に 支那料理を食しに行った小宮夫妻は 古道具屋で ある物と出会ってしまいました。
・民さんの恋
群馬の田舎から上京してきた 民さんは 17歳のむっつりやで真面目。こわい話です。
・椿荘閑話
牧さんのエッセイです。
・爪
佐太郎と仙二郎、ふたりは 強盗。仙二郎は 爪掃除に夢中でした。
・東京G街怪事件
G街四丁目の交叉点の真ん中で いきなり卒倒してそのまま急死した 51歳の男。彼は自殺でせうか それとも他殺なのでせうか。
・トムとサム
紐育自由新報の社会記者ヘンリイ・フリントと「土人の夏 (インデアン・サンマ)」 とアジア人と贋札についての物語です。
・ネクタイ・ピン
歯医者帰りの 紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" と 奥様風の女性(背の高い、南欧系の美人)の おはなしです。
・舶来百物語 - 或る殺人事件 (真夜中の煙草)
ジェイムス・クレアランス・ウイッセンクロフトは 40あまりの 売れない画家です。偶然なのか、自らが描いた 絵の中の人物に 現実に出会ってしまいました。
・舶来百物語 - 恐怖の窓 (真夜中の煙草)
とある若い銀行員が、静養のため訪れたモンロウ村の叔母の家で 「沼」と「窓」の話を聞きます。
・一つの死 (死三題)
崖の上で死を望む彼と 真っ暗な晩。こわい話です。
・舞馬 (ぶま)
植木屋の峰吉の妻 お八重は 亭主の気を引こうと 遊びを ひとつ思いつきました。
・振り返る小径
牧さんのエッセイです。
・米国の作家三四
牧さんのエッセイです。
・米国作家の作に現るる探偵
牧さんのエッセイです。
・マイクロフォン
牧さんの随筆。探偵小説評論です。
・昼興行 (マチネー)
仕事で コネイ島を訪れた 紐育自由新報の社会記者 "ヘンリイ・フリント" が入った小さな劇場で起こった出来事は如何に。
・ヤトラカン・サミ博士の椅子
せいろん島コロンボ市マカラム街の珈琲店 「キャフェ・バンダラウエラ」 のあたりを彷徨う 印度人の売占乞食 ヤトラカン・サミ博士。彼の椅子は どんな椅子なのでせう。
・山口君の場合
朝の温泉町を歩く山口文二郎 (江東銀行青山支店の出納係) と 猫いらずのお話。
・夜汽車
紐育自由新報記者 "ヘンリイ・フリント" が 紐育行きの汽車の中で遭遇した物語。
・乱橋戯談
随筆・評論です。東洋の都の下で大地震とありました (関東大震災のことでせうか?)。なまずが跳ねる。
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occi-yuki · 5 years
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早朝の新潟妙高は寒い。 
そんな当たり前なことを思い出した、平成最後の日も押し迫った4月29日の朝。  いよいよ佐渡に向けて出発の日、天気予報は相変わらず翌30日の夕方から崩れる予報を出している。
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妙高高原は標高333mそこから上越市の直江津港まで30kmほど。 もちろん海抜0mである為、下り基調で1時間ほどで到着する。
フェリーターミナルに向かうときはいつも心昂るものである。
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事前にWeb予約と決済を済ませていたため、ターミナルの端末にQRコードをかざせば直ぐに乗船券が発券される便利さだ。
デンソーウェーブさんありがとう。
さてこの佐渡汽船、直江津から小木まで結ぶ唯一無二の航路なのだが、高速船とはいえ車両収納甲板が可変式2階建てになっており、さながらサンダーバードの秘密基地のようだ。 このような天井版が可変するようなギミックに、いちいちギュッと来るのは性分であろうか。
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激しいエンジン音の咆哮を耳にしながら日本海をひた走る高速船からの眺める雪をかぶった妙高戸隠連山も圧巻である。
2時間ほどで小木港に到着すれば、いきなり目の前に現れる"たらい船"の体験乗船コーナーである。
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ものすごい昭和感全開だが、観光地らしい演出に一役買っているには違いない。一瞬乗ってみようかとも思ったが、いやいや辞めておこう。
早速進路をを北に向けるといきなり2kmほどの登りが現れ、一気に小佐渡の洗礼を受ける。 風は冷たいが日差しもあるため、Tシャツ一枚に早くも着替えてしまった。 その後、多少のアップダウンを繰り返し海岸線に出るころには、平地基調の素晴らしい国仲平野と大佐渡の山々が目の前に広がってくる。 これぞ知らぬ土地を走る快感であり癖になる瞬間だ。
前出の順徳天皇の真野御陵の案内看板があり気持ちを引き寄せられるが、すでに昼過ぎということもありゆっくりしていられないので先を急ぐことにした。 加茂湖の湖岸をかすめれば両津港へ到着。 この両津の町である程度買い出しを行わないと、これより北側に商店がある確証がないため地元のスーパーを探し食料を買い求める。
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食料をパニアバックに突っ込んで、重くなったバイクに跨り再び北を目指す。 ここからは大佐渡の東海岸をひたすら北上していくのだが、高低差もなく非常に快走路である。 しかし案の定これでもかってぐらいの向かい風であり、特に自転車に乗っている人とすれ違うのが皆さん南向き追い風なので、この佐渡では右回りがスタンダードなのであろうか? そんな向かい風の中を30kmほど走れば佐渡北部の地域に突入し、内陸側の山が海岸まで押し出てくる。 当然ながら絶壁に張り付くような海岸線の道はアップダウンを繰り返す。 総重量30kgに迫ろうかという食料と装備満載のバイクは、当然のごとく重力によって非常に重たく前に進まない。
上り下りを繰り返す道路に悪態をつきながらもペダルを回し続ければ、16時過ぎにキャンプ場のある二ツ亀に到着。
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本土と佐渡を合わせて初日は110km程度、予定通りのスケジュールで特段トラブルもなく走れてホッとした。 ホテルのフロントで受付をすましキャンプ場使用料の800円を支払えば決済済みの番号札を渡されるので、これを見える位置に掲げてくれとの事。 キャンプ場は上段・下段の2か所あり決して広くはないが下段の方が海へ向かって視界が広く景観が良いが、先客が多く騒がしそうなのと荷物の搬入が自転車では大変そうなので、自分は上段の一番海側に設営することにした。
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上段は家族連れが多いが、決して密集度は高くなくパーソナルスペースも感じられる良い距離感であった。 水場にトイレも近くにあり、18時以降はフロントで500円支払えば浴場も使わせてもらえるので、疲れをとるには最高である。
ソロキャンプなんて何十年ぶりなので何をしたもんかと悩んだが、普段バタバタしているので意外と何もせずボーっとウィスキー飲んで過ごす時間が心地よかった。
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この瞬間が最高であった。
21時にはテントに入りシュラフに包まれればあっという間に就寝。 と思いきや、深夜1時を回ったころにテントに叩きつける大粒の雨音に目が覚め「おぃおぃ、雨は夕方からだろ?」と寝袋にくるまったまま「朝には雨も止むだろう」と願いながら再び眠りの中へ。 しかし!5時に再び雨音で目を覚まし、恐る恐る雨雲レーダーを確認すると佐渡周辺が真っ青ではないか。 数時間後の予測を見ても昼までは止む気配がなさそうだし、ツーリングにおける天候悪化の洗礼を受けてるなぁと…。 日程に余裕があるならこのまま連泊して天気をやり過ごしたかったが、フェリーの事もありどうしても移動開始は免れない。 テントの中で「嫌だなぁ…ツラいなぁ…」とグダグダしてたが時間は無情にも過ぎていくので、朝飯を食べレインウェアを着込み満を持して外に出る。
うん、本降りだね。
周りのテントはさすがにまだ活動前で静まり返っている。 音をたてないように屋根のある近くの炊事場にバイクを持っていき、テントを速攻で撤収しパッキングも手早く済ます。 ホテルのフロントにチェックアウトしに行くとスタッフの人がとても心配してくれてたが、自転車だからしょうがないよねという感じである。
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6時過ぎに二ツ亀キャンプ場を出発。
止まない雨と北側からの強風に煽られながらも、さほど低くない気温に助けられ少し走ると"大野亀"という佐渡一番の絶景ポイントに差し掛かる。
これは天候に関係なくその雄大さと大きさ、ロケーションの素晴らしさは言うまでもなく非常に綺麗でダイナミックであった。
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一路南に海岸線を走れば日本海の荒々しい海に削り取られた、断崖絶壁が続く風光明媚な道が続く 天気は悪いが走っているうちに気持ちも高揚してくるのが自分自身わかる。 この佐渡北側は高低差が大きい道が続きペースは上がらないものの、景色の素晴らしさに登坂の辛さも軽減される。定期的に現れる小さな集落を繰り返し通過すれば、50kmほどで佐渡金山の町"相川"に到着だ。
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ここまでほとんど信号機も無く2時間少しで到着してしまったため、観光したかった佐渡金山はまだオープン前。オープンまで待とうかとも考えたが、何時間も暇を潰すところもなく雨の中打たれ続けるのも得策ではないので先に行くことに。まことに無念。
再び国仲平野に戻ってくれば佐和田地区に入るのだが、この佐渡で一番栄えている地域といった印象。 全国で見かけるチェーン店が軒を連ね、さながら地方都市のロードサイド店と何ら変わらない風景にここが佐渡だということを忘れる瞬間だった。
そのまま再び田園風景を抜け両津港へ向けて進んでいけば、今度は小佐渡の東海岸を南下する。
最後の区間としたこの小佐渡東側はこのルート一番の快走路で、信号も無ければアップダウンも少なめで非常に走りやすい。 集落も一つ一つがさほど大きくなく交通量も控えめ、サイクリストやオートバイツーリングの方も多く見かけた。
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この頃になると昼も近くなり、雨脚も弱まってきて気温も上がりだし快適になってくる。 そして何よりも嬉しいことに追い風なのだ。 ただこの道沿いは補給が出来るような施設は自動販売機以外皆無で、景色も海辺だけに変化に乏しい為、無意識にひたすら走り続けることになる。
止まるきっかけを探しながらも50kmほどの距離を、途中の灯台で1回休憩しただけで一気に走破してしまい、予定より早い14時過ぎにに小木港へ到着し佐渡イチ��成。
ここまで2日目は130kmを走破、ほとんどが雨中ライドであったのはツラかったけど、装備次第で何とでもなることを実感、雨でのノウハウは大事。 到着時に見学したたらい船を眺めながら、遅めの昼食を取り出航までの時間を過ごす。
そして入港してきた行きと同じ佐渡汽船に乗り込み小木港を16:30に出港。
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さらば佐渡島。
18時過ぎの薄暗くなり始めた直江津に到着すれば、久々の本州の地である。 さて、ここからが裏の本番でもある妙高高原までのヒルクライムが始まるのだが、当初直江津駅から”はねうまライン”という電車で関山駅まで戻ろうと画策していたのだが、輪行バックを忘れるという失態をメイクし泣く泣く自走で帰ることに。
上越市を抜け新幹線駅である上越妙高駅を超えるころには辺りは真っ暗。 名古屋では問題ない光量を誇るCATEYE Volt300でも、心もとないほどに暗くなる道に重量級のバイクが重くのしかかる。 この状況でバイパスを走ろうものなら、追い抜きの車の恐怖とストレスで禿げてしまいそうだったので旧道をチョイスしたのだが、旧道は旧道で新井まで平地だった道は斜度を上げ、町を出たあたりから街頭もなく田舎特有の目が痛くなるぐらいの暗闇の一本道を登ることに。
10kmにも及ぶヒルクライムはたった300mちょっとの獲得標高にも関わらず、この旅で一番ツラく苦しい道だったことは疑いようの無い事実であった。 わかってた事だが輪行袋を忘れた代償だった。
真っ暗すぎて写真すら撮らず、ひたすらにペダルを踏んでました。
無事、嫁の実家につく頃には雨も上がり綺麗な星空が満点に光っていた。 そして喉に流し込んだビールの美味さは筆舌に尽くしがたいのは容易に想像頂けるであろう。
今回のツーリングは普段キャンプツーリングを行わない自分にとって、かなり乱暴な準備期間と日程や工程であったがそれなりに楽しめました。道具のチョイスやパッキング方法、また今回のような雨が降るような気候ではノウハウの蓄積によりもっと快適で効率的なツーリングも可能だろうと感じました。
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翌日は納屋で濡れた道具を乾燥。
自分はどちらかというと競技側の立ち位置ですが、ツーリングのような自転車の楽しみ方を何十年ぶりかに思い出し、下手なりに楽しめたことは非常に有益で素晴らしい経験でした。 是非皆さんも少しでも興味があれば、まずは挑戦してみてはいかがでしょうか?きっといい経験になると思いますよ。
次は1週間ぐらいかけて行きたいなぁ~とぼんやり思っています。
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momijiyama1649 · 5 years
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ざこば・鶴瓶らくごのご お題一覧 1992年    1 過労死・つくし・小錦の脂肪    2 一年生・時短・ニューハーフ    3 レントゲン・混浴・アニマル    4 ゴールデンウイーク・JFK・セクハラ    5 暴走族・かさぶた・バーコード    6 タイガース・母の日・入れ墨    7 目借り時・風呂桶・よだれ    8 しびれ・歯抜け・未婚の娘    9 ヘルニア・目ばちこ・フォークボール    10 造幣局・社員割引・オリンピック    11 父の日・猥褻・丁髷    12 ピエロ・ナメクジ・深爪    13 ミスユニバース・特許・虫さされ    14 魔法使いサリー・祇園祭・円形脱毛症    15 サザエさん・ジャンケン・バーゲンセール    16 ト音記号・北方領土・干瓢    17 妊婦体操・蚊帳・ビヤガーデン    18 身代わり・車だん吉・プラネタリウム    19 床づれ・追っかけ・男の涙    20 海月・肩パット・鶏冠    21 放送禁止用語・お年寄り・ピンポンパン    22 おかま・芋掘り・大人げない    23 復活・憧れ・食い逃げ    24 蒲鉾・風は旅人・半尻    25 泉ピン子・ヘルメット・クリーニング    26 美人姉妹・河童・合格    27 スカート捲り・ケツカッチン・秋の虫    28 チンパンジー・フォークダンス・いなりずし    29 稲刈り・小麦粉・フランス人    30 日本シリーズ・鶴瓶・落葉    31 クロスカウンター・学園祭・タクシー    32 付け睫毛・褌ペアー誕生・ツアーコンダクター    33 泣きみそ・ボーナス一括払い・ぎゅうぎゅう詰め    34 静電気・孝行娘・ホノルルマラソン    35 暴れん坊将軍・モスラ・久留米餅 1993年    36 栗きんとん・鶴・朝丸    37 成人式・ヤクルトミルミル・まんまんちゃんあん    38 夫婦善哉・歯磨き粉・夜更かし    39 金の鯱・オーディション・チャリティーオークション    40 ひ孫・いかりや長介・掃除機    41 北京原人・お味噌汁・雪祭り    42 視力検査・フレアースカート・美術館めぐり    43 矢鴨・植毛・うまいもんはうまい    44 卒業式・美人・転た寝    45 らくごのご・浅蜊の酒蒸し・ハットリ君    46 コレラ・さぶいぼ・お花見    47 パンツ泥棒・オキシドール・上岡龍太郎    48 番台・ボランティア・健忘症    49 長嶋監督・割引債・厄年    50 指パッチン・葉桜・ポールマッカートニー    51 同級生・竹輪・ホモ    52 破れた靴下・海上コンテナ・日本庭園    53 シルバーシート・十二単衣・筍    54 ぶんぷく茶釜・結納・横山ノック    55 睡眠不足・紫陽花・厄介者    56 平成教育委員会・有給休暇・馬耳東風    57 生欠伸・枕・短気は損気    58 雨蛙・脱税・右肩脱臼    59 鮪・教育実習・嘘つき    60 天の川・女子短期大学・冷やし中華    61 東京特許許可局・落雷・蚊とり線香    62 真夜中の屁・プロポーズ・水戸黄門諸国漫遊    63 五条坂陶器祭・空中庭園・雷    64 目玉親父・恐竜・熱帯夜    65 深夜徘徊・パンツ・宮参り    66 美少女戦士セーラームーン・盆踊り・素麺つゆ    67 水浴び・丸坊主・早口言葉    68 桃栗三年柿八年・中耳炎・網タイツ    69 釣瓶落とし・サゲ・一卵性双生児    70 台風の目・幸・ラグビー    71 年下の男の子・宝くじ・松茸狩り    72 関西弁・肉まんあんまん・盗塁王    73 新婚初夜・サボテン・高みの見物    74 パナコランで肩こらん・秋鯖・知恵    75 禁煙・お茶どすがな・銀幕    76 ラクロス・姥捨山・就職浪人    77 掛軸・瀬戸大橋・二回目    78 海外留学・逆児・マスターズトーナメント    79 バットマン・戴帽式・フライングスポーツシューター    80 法螺貝・コロッケ・ウルグアイラウンド    81 明治大正昭和平成・武士道・チゲ鍋 1994年    82 アイルトンセナ・正月特番・蟹鋤    83 豚キムチ・過疎対策・安物買いの銭失い    84 合格祈願・パーソナルコンピューター・年女    85 一途・血便・太鼓橋    86 告白・ラーメン定食・鬼は外、福は内    87 カラー軍手・放火・卸売市場    88 パピヨン・所得税減税・幕間    89 二十四・Jリーグ・大雪    90 動物苛め・下市温泉秋津荘・ボンタンアメ    91 雪見酒・アメダス・六十歳    92 座蒲団・蛸焼・引越し    93 米寿の祝・外人さん・コチョコチョ    94 談合・太極拳・花便り    95 猫の盛り・二日酔・タイ米    96 赤切符・キューピー・入社式    97 リストラ・龍神伝説・空巣    98 人間喞筒・版画・単身赴任    99 コッペン・定年退職・ハンドボール    100 百回記念・扇子・唐辛子    101 ビクターの手拭い・カーネーション・鉄腕アトム    102 自転車泥棒・見猿言わ猿聞か猿・トマト    103 紫陽花寺・豚骨スープ・阪神優勝    104 三角定規・黒帯・泥棒根性    105 横浜銀蝿・他人のふり・安産祈願    106 月下美人・フィラデルフィア・大山椒魚    107 鯨・親知らず・ピンクの蝿叩き    108 蛍狩・玉子丼・ウィンブルドン    109 西部劇・トップレス・レバー    110 流し素麺・目高の交尾・向日葵    111 河童の皿・コロンビア・内定通知    112 防災頭巾・電気按摩・双子    113 河内音頭・跡取り息子・蛸焼パーティ    114 骨髄バンク・銀杏並木・芋名月    115 秋桜・ぁ結婚式・電動の車椅子    116 運動会・松茸御飯・石焼芋    117 サンデーズサンのカキフライ・休日出勤・ウーパールーパー    118 浮石・カクテル・彼氏募集中    119 涙の解剖実習・就職難・釣瓶落し    120 ノーベル賞・めちゃ旨・台風1号    121 大草原・食い込みパンツ・歯科技工士    122 助けてドラえもん・米沢牛・寿貧乏    123 祭・借金・パンチ佐藤引退    124 山乃芋・泥鰌掬い・吊し柿    125 不合格通知・九州場所・ピラミッドパワー    126 紅葉渋滞・再チャレンジ・日本の伝統    127 臨時収入・邪魔者・大掃除    128 アラファト議長・正月映画封切り・ピンクのモーツァルト 1995年    129 御節・達磨ストーブ・再就職    130 晴着・新春シャンソンショー・瞼の母    131 家政婦・卒業論文・酔っ払い    132 姦し娘・如月・使い捨て懐炉    133 立春・インドネシア・大正琴全国大会    134 卒業旅行・招待状・引っ手繰り    135 モンブラン・和製英語・和風吸血鬼    136 確定申告・侘助・青春時代    137 点字ブロック・新入社員・玉筋魚の新子    138 祭と女で三十年・櫻咲く・御神酒徳利    139 茶髪・緊張と緩和・来なかったお父さん    140 痔・恋女房・月の法善寺横丁    141 ひばり館・阿亀鸚哥・染み    142 初めてのチュー・豆御飯・鶴瓶の女たらし    143 アデランス・いてまえだへん(いてまえ打線)・クラス替え    144 長男の嫁・足痺れ・銅鑼焼    145 新知事・つるや食堂・南���阿弥陀仏    146 もぐりん・五月病・石楠花の花    147 音痴・赤いちゃんちゃんこ・野崎詣り    148 酒は百薬の長・お地蔵さん・可愛いベイビー    149 山菜取り・絶好調・ポラロイドカメラ    150 お父さんありがとう・舟歌・一日一善    151 出発進行・夢をかたちに・ピンセット    152 ホタテマン・深夜放送・FMラジオ    153 アトピッ子・結婚披露宴の二次会・おさげ    154 初産・紫陽花の花・川藤出さんかい    155 ビーチバレー・轆轤首・上方芸能    156 ワイキキデート・鹿煎餅・一家団欒    157 但空・高所恐怖症・合唱コンクール    158 中村監督・水着の跡・進め落語少年    159 通信教育・遠距離恋愛・ダイエット    160 華麗なる変身・遠赤ブレスレット・夏の火遊び    161 親子二代・垢擦り・筏下り    162 鮪漁船・新築祝・入れ歯    163 泣き虫、笑い虫・甚兵衛鮫・新妻参上    164 オペラ座の怪人・トルネード・ハイオクガソリン    165 小手面胴・裏のお婆ちゃん・ガングリオン    166 栗拾い・天国と地獄・芋雑炊    167 夜汽車・鳩饅頭・スシ食いねぇ!    168 長便所・大ファン・腓返り    169 美人勢揃い・雨戸・大江健三郎    170 親守・巻き舌・結婚おめでとう    171 乳首・ポン酢・ファッションショー    172 仮装パーティー・ぎっくり腰・夜更し    173 ギブス・当選発表・ちゃった祭    174 超氷河期・平等院・猪鹿蝶    175 コーラス・靴泥棒・胃拡張    176 誕生日・闘病生活・心機一転    177 毒蜘蛛・国際結婚・世間体 1996年    178 シナ婆ちゃん・有給休暇・免停    179 三姉妹・バリ・総辞職    180 家庭菜園・ピンクレディーメドレー・国家試験    181 ほっけ・欠陥商品・黒タイツ    182 内股・シャッターチャンス・金剛登山    183 嘘つき娘・再出発・神学部    184 金柑・恋の奴隷・ミッキーマウス    185 露天風呂・部員募集・ぞろ目    186 でんでん太鼓・ちゃんこ鍋・脳腫瘍    187 夢心地・旅の母・ペアウオッチ    188 (不明につき空欄)    189 福寿草・和気藹々・社交ダンス    190 奢り・貧乏・男便所    191 八十四歳・奥さんパワー・初心忘るべからず    192 お花見・無駄毛・プラチナ    193 粒揃い・高野山・十分の一    194 おぃ鬼太郎・シュークリーム・小室哲哉    195 くさい足・オリーブ・いやいや    196 ダイエットテープ・北京故宮展・細雪    197 若い季節・自動両替機・糞ころがし    198 おやじのパソコン・なみはや国体・紙婚式    199 降灰袋・ハンブルグ・乳首マッサージ    200 雪見酒・臭い足・貧乏・タイ米・コチョコチョ・雷・明治大正昭和平成・上岡龍太郎・お茶どすがな・トップレス(総集編、10題リレー落語)    201 夫婦喧嘩・川下り・取越し苦労    202 横綱・占い研究部・日本のへそ    203 マオカラー・海の日・息継ぎ    204 カモメール・モアイ・子供の事情    205 ありがとさん・文武両道・梅雨明け    206 団扇・ボーナス定期・芸の道    207 宅配・入道雲・草叢    208 回転木馬・大文字・献血    209 寝茣蓙・メロンパン・初孫    210 方向音痴・家鴨・非売品    211 年金生活・女子高生・ロングブーツ    212 エキストラ・デカンショ祭・トイレトレーニング    213 行けず後家・オーロラ・瓜二つ    214 金婚式・月光仮面・ロックンローラー    215 孫・有頂天・狸    216 雪女・携帯電話・交代制勤務    217 赤いバスローブ・スイミング・おでこ    218 参勤交代・ケーブルカー・七人兄弟    219 秋雨前線・腹八分・シルバーシート    220 関東煮・年賀葉書・学童保育    221 バンコク・七五三・鼻血    222 ホルモン焼き・男襦袢・学園祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%81%93%E3%81%B0%E3%83%BB%E9%B6%B4%E7%93%B6%E3%82%89%E3%81%8F%E3%81%94%E3%81%AE%E3%81%94
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kamizake · 3 years
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2021
滋賀県大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺です。 標高およそ800メートル。冷たく澄んだ空気が辺りを包んでいます。 毎年、大みそかに行われる鬼追い式です。怒り、ねたみ、むさぼり。 人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。 新型コロナウイルス感染防止のため 参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。 4月、緊急事態宣言を受け 比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。 最澄が山を開いた 1200年前も疫病や災害が多い時代でした。 人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。 織田信長による焼き打ちなど 幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。 ことしも除夜の鐘が打たれます。 (鐘の音) (鐘の音)
香川県高松市。 街を見守る弘法大師、空海です。 四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。 ことしは新型コロナウイルスの影響で お遍路に来る人が8割減りました。 久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないよう スタッフを増員するなど感染対策を講じています。 (お経) お遍路をもてなしてきた地元の人々。 ことしは、そのにぎわいが失われました。 人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。 かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。 外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。 離れていても同じ思いが込められています。 (お経) 街に、にぎわいが戻りますように。 (鐘の音) (鐘の音) 2人≫こんばんは。 高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。 石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。 帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。 高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら一緒に新しい年を迎えたいと思います。 石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。 奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして 信仰を集めてきました。 高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。 石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。 (お経) 高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。 石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。 今回、特別に撮影が許可されました。 高さは、およそ2m。 鎌倉時代に作られた鎌倉時代に作られた日本最大の僧侶の像とされています。
来年、感染拡大の終息を願って205年ぶりに寺の外で開帳が行われる予定です。
高瀬≫誰も想像しえなかった一年の終わりに穏やかな日々への思いをはせます。
石橋≫それでは年越しを迎える各地の様子を見ていきます。
華やかな夜景が広がる横浜です。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスでの集団感染から大きく揺れた一年になりました。 600ほどの店が軒を連ねる中華街。
ことし初め中国で感染が広がると街から感染者が出ていないにもかかわらず差別や風評被害にさらされました。
対策を徹底してきた中華街では密を避けるために年越しの神事も見物客を8分の1に制限しました。
「苦しいときこそ皆で華やかに年を越したい」。
思いを込めて舞います。
舞がささげられるのは媽祖廟(まそびょう)です。媽祖は災害や疫病などから人々を守るとされる女神。世界各地に建てられ華僑の心のよりどころになってきました。
感染拡大の終息。そして、商売繁盛への願い。苦難を経て���越しを迎えることができたことに感謝する中華街です。
原田≫雪の降りしきる大みそかとなりました鳥取市の白兎(はくと)神社です。因幡の白うさぎのけがを大国主命(おおくにぬしのみこと)がこの地で治したという神話から病気平癒の御利益があるといわれています。初詣を待つ人々の中にはこんな方もいます。こんばんは。
≫こんばんは。
原田≫なんとロボットです。
手を振っていますね。これ、実は離れた場所にいる人が操作をしているんです。
鳥取市の中山美智子さんです。中山さんは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で入院しています。
目の動きでパソコンを操作することでロボットを自分の分身のように動かします。
この1年、新型コロナの影響で家族との面会が難しくなりましたがこのロボットによってようやく、それがかないました。
実はもう一台ロボットがあります。これは夫・和夫さんが操作しているんです。和夫さんも難病を患っていて外出が難しい状態です。
ロボットを通して、2人は久々に再会することができました。 ロボットのレンタルを行う代理店の協力で念願だった、お二人での外出が実現したんです。
では美智子さんにお話を聞きます。 声を出すのが難しいので合成音声でお答えいただきます。
美智子さん久しぶりの2人での外出ですけれどもどんなお気持ちですか?
ロボット(美智子)≫夫と離れていて体調が気がかりでしたから久しぶりに話ができてうれしいです。来年は夫の体調がよくなりコロナも落ち着いて家で一緒に生活できるよう願っています。
原田≫和夫さん何を祈られますか?
ロボット(和夫)≫一日も早くよくなって皆さんに助けられてまた2人で暮らせますようにとお祈りしたいと思います。
原田≫お二人ありがとうございました。
離れていても同じ景色を見ていたい。2人の思いが詰まった初詣です。
7月記録的な豪雨が襲った熊本県。65人が犠牲となり今も2人が行方不明です。特に大きな被害を受けた人吉(ひとよし)市にある青井阿蘇神社は「青井さん」と呼ばれ親しまれてきました。国宝のかやぶき屋根の楼門(ろうもん)など5つの建造物が被害を受けました。
球磨(くま)川が氾濫し境内には1mを超える高さまで水が押し寄せました。復旧作業を行ったのは地域の人々でした。地域のよりどころがよみがえりたみ、むさぼり。人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。
新型コロナウイルス感染防止のため参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。
4月、緊急事態宣言を受け比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。最澄が山を開いた1200年前も疫病や災害が多い時代でした。人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。織田信長による焼き打ちなど幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。
ことしも除夜の鐘が打たれます。
(鐘の音)
(鐘の音)
香川県高松市。街を見守る弘法大師、空海です。四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。ことしは新型コロナウイルスの影響でお遍路に来る人が8割減りました。
久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないようスタッフを増員するなど感染対策を講じています。
(お経)
お遍路をもてなしてきた地元の人々。ことしは、そのにぎわいが失われました。人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。
かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。離れていても同じ思いが込められています。
(お経)
街に、にぎわいが戻りますように。
(鐘の音)
2人≫こんばんは。
高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。
石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。
高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら
一緒に新しい年を迎えたいと思います。
石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして信仰を集めてきました。
高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。
石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。
(お経)
高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。
石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。今回、特別に撮影が許可されました。高さは、およそ2m。
ことしも「青井さん」で年を越すことができます。拝殿には全国から大量の支援物資が届きました。新型コロナの影響でボランティア活動が制限される中寄せられた復興へのエールです。
「がんばれ熊本」。
熊本では今も4000人以上が避難所や仮設住宅などで暮らしています。
「青井さん」とともに復興の道を歩みます。
石橋≫再び、東京・深大寺です。
高瀬≫各地の様子を見ていますと離れていても心はつながっていたい一つでありたいという気持ちが伝わってきます。
皆さんにとって、2020年はどんな年だったでしょうか。
石橋≫さあ、新しい年を知らせる除夜の鐘です。
(鐘の音)
(花火の音)
(汽笛)
(爆竹の音)
横浜港の汽笛と魔よけの意味が込められた爆竹。新年を迎えた中華街です。ステージには色鮮やかな獅子が現れました。
(獅子舞の音)
頭を噛(か)んでもらうと厄(やく)を祓(はら)い福が来るといわれる獅子。中華街の祝い事に欠かせない人気者です。
2人≫明けましておめでとうございます。
高瀬≫2021年令和3年の幕開けです。
石橋≫新年を迎えここ深大寺でも人々が初詣に訪れていますが例年より、その数は少ないようです。
高瀬≫ことしは混雑を避けるため旧正月に当たる2月中旬までを参拝期間として分散初詣を呼びかけていくということです。
石橋≫皆さんはそれぞれの場所でどんな思いを抱きながら新年を迎えているのでしょうか。全国各地の様子を見ていきましょう。
ことしは、うし年。4時間ほど前に生まれたばかりの子牛も新年を迎えました。こちらの子牛が着ているのはちゃんちゃんこ。体温調節が難しい子牛を元気に育てるための習慣です。北海道・足寄(あしょろ)町の牧場です。
現在の気温はマイナス17度。北海道でも、とりわけ寒さが厳しい、この町では寒さに強い乳牛が人々の暮らしを支えてきました。今夜も数頭の牛が出産を予定しています。牛たちを見守るのは牧場主の山下和洋さんです。
牛を育てて40年。僅か2頭から始め今では830頭になりました。
山下≫おいで、おいで。
新型コロナウイルスの影響で牛乳や乳製品の消費は大きく落ち込みました。「どんな困難に直面しても牛の歩みのように一歩ずつ進んでいく」。 新年を迎え決意を���たにしています。
再び、比叡山延暦寺です。最澄が亡くなって1200年という節目の年を迎えました。国宝根本中堂(こんぽんちゅうどう)
では今、10年がかりの大規模な改修が行われています。屋根を覆っていた銅の板はすべて剥がされました。横40m、高さ25mの屋根は新たに葺(ふ)き直されます。貴重な木造建築の今しか見られない姿です。
建物の彩色はいったん、落として創建当時の姿に塗り直されます。山が開かれて以来守り伝えられているものがあります。最澄がともしたと伝わる不滅の法灯(ほうとう)です。
「一隅を照らす心」、つまり「一人一人が今いる場所で最善を尽くす心」を持てばよりよい世界につながると説きました。
ともし火とともに最澄の思いは受け継がれてきました。ことし、不滅の法灯から分けられた、ともし火が全国を巡ります。
不安な時代を照らす光が各地に広がります。
静岡県熱海市です。毎年およそ300万人の宿泊客が訪れる観光の町です。古くから旅人を守る神社として知られる來宮(きのみや)神社です。新年を迎え静かに参拝が始まりました。
(祝詞)
本殿では祝詞が読み上げられています。参拝者たちの願いを届ける神事です。氏子の多くが携わる観光業は大きな打撃を受けました。温泉旅館を経営する藤間崇史さんです。従業員とともに熱海の魅力を紹介する動画を配信するなど模索を続けてきました。
町に活気を取り戻すためできることはすべてやる覚悟です。境内の奥にあるのは国の天然記念物のクスノキ。樹齢は推定2000年です。高さは20m以上。長年、風雪に耐え今も成長を続けています。その生命力にあやかろうと人々は周りを一周します。
新たな年もこのクスノキが見守っています。
原口≫群馬県前橋市のアパートです。こちらの部屋にはことしこそはという思いで新しい年を迎えられた方々がいらっしゃいます。
皆さん明けましておめでとうございます。 選手たち≫おめでとうございます。
原口≫東京オリンピック・パラリンピックに出場するアフリカ・南スーダン共和国の陸上選手団の皆さんです。事前合宿のために1年あまり前に来日されたんですが去年、大会は延期。さらに新型コロナウイルスの影響で帰国が困難になったこともあってここで共同生活を送っています。こちらはふだんの練習の様子です。ホストタウンの前橋市では近くの運動場を無償で貸し出すなどして練習に集中できる環境を整えてきました。
多くの選手が日本に来てから自己ベストを更新しているそうです。選手たちは地元の人たちとも交流を重ねてきました。市内の幼稚園や小・中学校へは10回以上、訪問しました。そして、こちらは地域のお祭りに参加したときの写真です。
皆さん、今では前橋を第2のふるさとのように感じているそうです。 この一年間、皆さんは日本語の勉強もされました。書き初めをしていただきました。 「金」「メダル」そして「平和」。 母国、南スーダンでは長く紛争が続いてきました。
スポーツを通して平和をもたらしたい。そんな気持ちを込めたそうです。
男子1500mに出場するアブラハム選手です。ことしこそ晴れの舞台に立って家族に活躍する姿を見せたいそうですね。
アブラハム≫メダルを取って南スーダンと前橋の皆さんを喜ばせたいです。 原口≫ありがとうございます。
遠く離されたふるさとそして前橋のために選手たちは新たな一年のスタートを切ります。
高瀬≫ことし、大きな節目を迎える場所があります。復興への道を歩み続ける東日本大震災の被災地です。
真っ暗な海に沿って再建した町の明かりがともります。東日本大震災の発生から10年を迎える宮城県石巻市洞源院(どうげんいん)です。
(太鼓の音)
被災地を望む本堂では新年の祈祷が始まっています。あの日から5か月の間ここにはおよそ400人が避難し共同生活を送っていました。壁には今も当時の約束事が貼られています。
「元気よく挨拶をしましょう」。
(太鼓の音)
人々は支え合いながら復興への険しい道を歩んできました。亡くなった人々の魂を鎮めるお焚(た)き上げです。全国から送られてきた千羽鶴も節目のことし 火にくべることにしました。避難所、仮設住宅そして、暮らしの再建。
いつもそばにあった千羽鶴を感謝を込めて焚き上げます。被災地の将来を担う子どもたち。人々に見守られ元気に育っています。
東日本大震災からまもなく10年。未来への希望の鐘です。
(鐘の音)
石橋≫ごく普通の日常のありがたさそして人々のつながりの大切さ改めて感じますね。
高瀬≫私たちも皆さんとつながっています。変わってしまった日常。だからこそ
新しい年を、このことばとともにスタートさせようと思います。2021年が皆さんにとって…。
2人≫すばらしい年になりますように。
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nandemo-mani · 4 years
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中島健人とキム・テヒョンの話をさせてくれ
こんばんは。これを開いてくれた方、もしかしてケンティー担ですか?(鼻息荒め)ありがとうございます。生ぬるい夜風に当たりながらビール片手に書いた文章なので若干偏った内容かもしれないけど許してね!
今日お話しするのは皆さまご存知、我らがSexy Zoneのケンティーこと中島健人とBTS(防弾少年団)”V”こと、キム・テヒョン(以下・テテ)。この2人の名前が並んでピンと来る人も居るのでは...?
もうこの2人のことを書きたくて書きたくて遂ウズウズしていたんだけどなんかこんなド陰キャアカウントが、ともすれば「混ぜるな危険!」ともいわれてしまいそうなテーマを書いていいものなのか..........迷ったけどここには愛しかないので開き直ることに。
ということで、この文章では2人を独自の目線で比較しながらお互いの素晴らしさを再確認し、2人の魅惑の関係性を紐解く。決してどちらかに優劣を付けるということはしない。(てか出来ない)
この文章を書くに至ったあの出来事
2人と言えば、「各々のソロ曲でジャケットに片方だけ腕を通す」パフォーマンス (気になる人は「BTS V Singularity」で探してね) で一悶着あったのは記憶に新しいだろう。それについて論争も巻き起こっていたとかいないとか。
ある時、誰かの何気ないツイートを見かけた。 「中島健人のコレ(Bo愛)、テテの振り付けに似すぎだよね~?」 
私は思った。
「待って、テテってあのBTSのテテ?」
(※そうです。)
他にも、「私服が似てる」「ヘアバンはK-POPの影響」「裏ピース」等々良くも悪くもテテとケンティーを結び付けるようなツイートが多数。本人がどう考えてるかはわからないが、もし本当にマネしているんであればきっとその彼に少なからず憧れやリスペクトがあるんだろう。私はそう思っていた。
そこでふと思った。
「待てよ...仮にもあのケンティーが憧れるようなテテ、一体ナニモンなんだよ...!!!!!」
まるで未知の敵キャラがこのワールドのどこかに居ると知らされたような気持ちだった。
 というのも、皆さんご存知の通り、ケンティーはジャニーズでも独自路線で不動の地位を勝ち取ってきた。誰かのスタイルを追うというより、我が道を行くタイプ。同期が「山下智久くんみたいになりたいです」とか言って可愛がられてる中、中島健人という男はジャケットの襟を立て黙々とセクシーサンキューを醸造していたのである。後輩はそんな一匹オオカミみたいな所にも憧れちゃうんだろうな... 話は逸れたが、そんなケンティーが陶酔するようなアイドルってマジ誰なんだよ...
と、こんなことを考えているうちに指は勝手に検索画面へ
BTS テテ【検索】
.........
(パンドラの匣が開く音)
 韓国のアイドルをナメていた。というか、ジャニーズに慣れすぎてそれが普通だと思っていた。韓国、とにかく半端じゃない(情報量が)。ありがたく拝見しながら曲、インタビュー、パフォーマンス、とにかく「テテ」なる人物が一体アイドルなのかを知るべく情報を漁りに漁った。
 「テテ」、その名前は知っていたけどそこまで真面目に彼のパフォーマンスを見たことが無かった。その渦中の2つのソロ曲の振り付けや演出もじっくり見た。ウーン、確かにジャケットに腕通してる。というか、そもそも歌いながらジャケットに半分だけ腕通すなんて特徴的過ぎる。なんだろう、もはやジャンルとして成立しろ。    それ以外も色々漁った。例えば度々話題になる服装について。あるコンサートではテテがステージに登場するとその姿はヘアバンド×派手髪×カラコン×メイクの煌めく圧倒的スタイル。リぺ魂の時のあの圧倒的ケンティーを彷彿させる。それを見た世のセクラバから「韓国のアイドルから影響されたの...?」と思われていたのも無理はない。実際そんなリぺ魂のケンティーには賛否両論あったが、本人が一番自分がやりたいスタイルでステージに出てきて貰うのが一番だと思ってるし、何よりケンティー、ヘアバンもメイクもめちゃめちゃ似合ってるから...お願いだからまたやって...
 突然のお知らせになって申し訳ないが、こうしているうちに私は圧倒的情報量に溺れ、BTSの沼に落ちてしまった。いや人生は短い、良い沼には堕ちれるだけ堕ちた方が幸せになれる。ぺこぱの松陰寺さんならきっとこう言ってくれるに違いない。
あとこの文章、ノリで開いちゃったけどやっぱりどうしても許せんって人は片方の情報だけ拾って読んで下さい。(面白いか知らんが)
改めて2人のプロフィールを簡単に確認。
基本情報を確認。好きな男のの基本情報、何度見ても味わい深いよね。
↓ 中島健人 【なかじま けんと】 1994年3月13日生まれ。顔が良い。東京都出身。SexyZoneのメンバー。一世を風靡したセクシーサンキューゲーム生みの親。とにかくプロ意識が高く、みんなに優しい。憧れる後輩も少なくない。脚が長い。菊池風磨の逆。
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↓ キム・テヒョン (V)【 김태형 】  1995年12月30日生まれ。 顔が良い。大韓民国大邱広域市出身。防弾少年団のメンバー。同グループでは「V」名義で活動。天真爛漫で芸術肌。星野源とヴァンゴッホが好き。ファンからは「放っておいたら居なくなっちゃいそう」との声も。脚が長い。パク・ジミン*の逆。
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*パク・ジミン:BTSのボーカル・ダンス担当。顔が良い。テテと同じく95年生まれでほぼシンメ。
重なるイメージに酔う
まずは視覚にガツンと訴える、2人の重なりあるイメージを見てみよう。こうやって色々2人の写真を漁っているとたまに雷に打たれたようなデジャヴに襲われるが、これがめちゃめちゃ嬉しい。偶然の一致で片付けたくない2人を。
【 センター分け・髪色・細フレーム 】
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↑ 登場した瞬間にバラの花びらが舞い散った伝説の回。 
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↑ こちらもきれいなシルバー
【 コンサートでのヘアバンド・アイメイク 】
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↑ イヤこれ良...(語彙力)イヤモニも若干かぶせるのがナカジマスタイル。
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↑ ッ...(絶句)K-POP界ではヘアバンは割と基本装備なのであまり驚くことではないかも知れないがこのスタイルをケンティーがやってくれたっていうのがめちゃめちゃ感慨深い。
【ブイヤベース系】
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↑ 着たい服を着たい時に着てくれよな、俺は似合ってると思うぜ。
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↑ こういうパンピには使いこなせないフレームをサクっと着こなす辺りが超誇らしい
【with犬】
2人ともわんちゃんと暮らしている。
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↑ 言わずと知れたボニ嬢。勝てん。
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↑ イヤ良い写真.........
【薔薇】
アーーーー誇らしい(滝涙)!!!
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と、
こんな具合に、ケンティーとテテの間には文化、国籍、事務所......色々隔たりがあるにも関わらず、何か通じ合うものを感じてしまう。 
【東と西、月と太陽、夜と昼】
 注目すべきは、両者のパフォーマンスや普段の様子を見てみると、2人は割と対になる要素を持ち合わせているということだ。
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※大人の事情でケンティーの動画は非公式のものを拝借
【歌】 ケンティー:中音域が強い、伸びの良い テテ:低くアンニュイな声、どことなくジャジー 
【ダンス】 ケンティー:力強くテンポを外さない テテ:曲のグルーヴに身を任せがち
※これに関しては事務所の指導方針、曲調も大きく関係してくるので個人レベルの問題では無いかもしれない。でもそこに個人のセンスが少なからず出ているのは確かだよね!
【バラエティ】 ケンティー:自分から進んで前に出るタイプ、MC向き テテ:カメラの前でもマイペース
【脚の長さ】 ケンティー: 長い テテ: 長い
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逆のポイントとか言いながら、脚が長い話に収束してしまい、すみません。やっぱり長いよね、脚。
2人の言葉から読み解く
最後に2人の口から零れて無事博物館行きとなった美しい宝石たちをご紹介。
“ 僕たちは結婚だけ���出来ないね ”
 これは中島健人が男性ファンに対し言った一言。こんなの性別関係無く胸熱案件だ。ちなみにこの言葉を掛けられた人間がこの地球上にまだ生きているのが信じられない。こんなことを考えているうちにおたくの意識は大気圏を超えて遠い宇宙で静かに瞑想を始めてしまうに違いない。  事実だけを伝えるシンプルな言葉でありながら、決して誰も傷つけず愛で包み込む。颯爽と激甘の風を吹かす。すべての人に愛を。それが中島健人である。 《じゃあ、結婚以外は・・・!》という無限に開く可能性を残り香に、私たちの心の奥にある柔らかい夢を優しく抱き寄せ、しんどい現実でカラカラに乾ききった私たちの心に惜しげもなく水をくれる。
“君の夢の中に紫の風船を置いてきたよ。探してみて。”
 これは夜な夜なファンから届いた“眠れません”というメッセージに対するテテの返事。クゥ・・・(奥歯噛みしめタイム)  ディズニープリンスの名台詞かと思いきやbyキム・テヒョンだ。風船を持ってくるのがペニーワイズ、置きに行くのがキム・テヒョンと覚えてくれれば良い。(混乱)いつもこうして現実と夢の間の境界線を消してしまう。歩くドリームワークスか!
こんな感じで、2人とも博愛主義者で優しくて、思いっきりロマンチストなのがお分かり頂けただろうか。
パワー感は似ているけどそれぞれのやり方を持っている。 ケンティーが均整と秩序のアポロンならテテは陶酔と創造的衝動のデュオ二ソス。ケンティーが大陸を突き進む汽車ならばテテは大海原を悠々と航海する船、といったところだろうか。
限りなく近く、でも限りなく遠い。 そんな2人をリアルタイムで見守れるなんて幸せ!この時代に生まれて良かった!!!
 アイドル同士お互いに影響がし合うというか、お互い意識し合うのを見ていると心が躍る。ふまけんしかり、きょもほくしかり、良くも悪くも魔法のような関係性を生み出すことがあるから。しかも同じアイドルという職業、というか同じ運命を背負った違う畑、違う世界で育った同士に思いを馳せるなんてことがあったら、健気で儚くて尊さMAX。君を守るよ!という気持ち。涙が止まりませーーーーん!!! (ちなみに美 少年の佐藤龍我くんは自分から断言こそしていないもの私は彼を完全なBTSのファンだと思っている。メンバーの私服マネしたりダンス練習してみたりして本当に可愛い。)
長い人類の歴史を考えるとこの2人が同時期に活動しているのは奇跡に近いしそれを目撃できる私たちも多分奇跡だ。ありがとう。 いつかどこかでこの2人が出会ってくれたら良いな~
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yukalyn · 2 years
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7/1からスタートした東京湾納涼船。 #東京湾納涼船 へ→ @nouryousen 3年ぶりの開催とのことで、気合い入れて浴衣で参戦! 納涼船の公式ゆかたSHOPのレンタルプランを利用して→ @yukata.shop.nouryousen 前髪を切りすぎてしまったというヘアスタイルに合わせて、レトロっぽい柄の浴衣&帯をを選び🤣 新造船3代目さるびあ丸で、心地良い潮風を浴びながら。 浴衣姿で東京の夜景を楽しんできました♪ ここのショップは浴衣をレンタルしてくれるだけでなく、プロがパーフェクトにお着付けまでしてくれます。 下船後はまたショップへ戻り、ササっと直ぐに着替えて帰宅可能。 手荷物は無料で預かってもらえるので、安心して気楽に気軽に楽しめる♪ 2022新作から本格浴衣まで色柄豊富で、下駄やバッグかんざしもあり。 肌着も着せてくれるし、帯の締め方のリクエストとかもできちゃったりするとこも嬉しい。 そして、プロの着付けってやっぱり違う! 船内ではけっこう動き回っていたんだけど浴衣がよれたり帯が緩んだりすることもなく、下船までしっかりパリっとキマったままでいてくれていました✨ ヘアメイクはついてないけどコテやアイロンが置いてあるので、セルフでお直しすることもできるし。 手ぶらで気楽に利用できるから、お仕事帰りとかでも気軽に利用できそうなところも良いですね。 メンズ浴衣もあるので、カップルや家族での利用もオススメ! 浴衣は持参で、着付けのみのプランもありましたよ~😊 ゆかたSHOPの詳細は、公式アカウントから→ @yukata.shop.nouryousen or浴衣ショップへも飛べる東京湾納涼船HPのリンクを貼ったストーリーズもあげているので、ハイライトの“東京湾納涼船2022”からリンクをタップでチェックしてみてね! #yukata #yukatashopnouryousen #夏の風物詩 #夏イベント #東京湾納涼船 #東京湾納涼船2022 #納涼船 #浴衣 #ゆかた #浴衣レンタル #レンタル浴衣 #浴衣着付け #納涼船2022ゆかたSHOP #東海汽船はいいぞ #東海汽船 #竹芝桟橋 #大型客船 #fashion #ファッション #PR #instagood #instalife #instajapan (竹芝客船ターミナル) https://www.instagram.com/p/Cf2h2HDPNAq/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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honryu-report · 4 years
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『我ら敬愛してやまない張さんへ』
「一つの民族には、一握りの星を仰ぎ見る人の存在は必要だ。私たちはその一握りの人になりましょう」。「一つやり遂げること」・・・張さんの言葉を永遠と忘れない。モヤモヤする日本社会の中、奔流の旅は夜空に微かに見える天川のようです。
 ~~~~~~~~~ 
 今回の旅行で、私は毎日の自分の生活の中で足りなかった何か、忘れていた何かが得られるような気がして、以前から参加したかったです。
 それが叶って、今、中国に来てみんなと過ごした日々は忘れられない宝物です。汽車の中でのおしゃべりや、草原の中でパオを造った事、みんなで歌を歌っている中で、当初抱いていた不安はすぐになくなりました。草原の中にいて、空を見上げて、私は大地の自然の一部で、地球に生きているのだと実感しました。私の存在は本当に小さく、できることも小さいけれども、確かに生きていて自然の中にいるのだと思いました。
 私の夢はガン等の病気の原因を探って、薬や手術法を発見したり、研究したりすることです。その夢に向かって精一杯がんばりたいです。
 自分の夢に正直な張さんの姿勢がとても好きです。この旅行に参加できてとても嬉しいし良かったと思いました。
 ~~~~~~~~~~
  張さん、貴重な旅をどうもありがとうございました。
 50人もの学生を率いていくのは、体力的にも精神的にも大変だったでしょう。お疲れさまです。
 バスの中での話も、砂漠の後での話も、いろいろ考えさせられて来て良かったと思います。張さんは「自分自身の幸福の追求」と「他人や社会への貢献」が一致しているところがすごいと思います。自分のしたいことが明確でもあるのだと思います。
 正直言って、僕にはまだ具体的に将来やりたいことはありませんが、せっかく生まれてきて一度しかない人生なのだから、本当にやりたいことを見つけてやろうと思っています。とりあえず今何ができるかと言うことから考えていきます。それではお元気で。
 ~~~~~~~~~~
  今回の旅行では、張さんに感謝をいくらしても足りません。この旅行の企画から始まり、旅行の手配など細かいことまで、本当にお世話になりました。感謝の言葉はいくら書いても書ききれないので、ここで僕の将来のビジョンを書きたいと思います。
 僕は昔からジャンルを問わず音楽が好きで、今も楽器をやっています。今回の旅行でも国境のない音楽の重要さ、楽しさを確認しました。だから、これから就職などでも音楽に触れていくのが夢です。
 追伸;電車の中で語った安田君の話や、張さんの彼女の話、楽しかったです。
    是非今度、自由が丘を案内してください。
 ~~~~~~~~~~
  3週間弱本当にお疲れさまでした。そして本当に謝謝です。
 バスの中での張さんのお話は今でも胸に残っています。私は高校生の頃からどうしてもモンゴルに行きたいと思い続けて、この旅行過程にモンゴルが含まれているという理由だけでこのツアーに参加しました。
 しかし今振り返ってみると、どこへ旅するかということも重要ですが、誰とどうやって旅するかということの方が、さらに重要だということに気づきました。このツァーで出会えた人は本当にみんなすてきな人たちばかりです。この人たちと出会わせてくれた張さんに感謝します。この長い旅の中で私自身の目も心も洗えた要に思います。あの雄大な草原に負けないくらいの器の大きな人間になろうと思います。
 最後に張さん本当にありがとうございました。
 またいつか会えることを楽しみにしています。
~~~~~~~~~~
今回の旅行で、私は毎日の自分の生活の中で足りなかった何か、忘れていた何かが得られるような気がして、以前から参加したかったです。
 それが叶って、今、中国に来てみんなと過ごした日々は忘れられない宝物です。汽車の中でのおしゃべりや、草原の中でパオを造った事、みんなで歌を歌っている中で、当初抱いていた不安はすぐになくなりました。草原の中にいて、空を見上げて、私は大地の自然の一部で、地球に生きているのだと実感しました。私の存在は本当に小さく、できることも小さいけれども、確かに生きていて自然の中にいるのだと思いました。
 私の夢はガン等の病気の原因を探って、薬や手術法を発見したり、研究したりすることです。その夢に向かって精一杯がんばりたいです。
 自分の夢に正直な張さんの姿勢がとても好きです。この旅行に参加できてとても嬉しいし良かったと思いました。
~~~~~~~~~~
  今の自分が成長していくためには、いろいろな人に出会うということが何よりも大切なことだということが分かりました。旅をして知り合った人から影響を受けることが私の旅行のテーマです。今回参加して、涙が出るくらいにみんなに会えて嬉しいです。この旅で自分がどんどんいい方向へ成長しているのが分かりました。
 すべての人が個性的で味があってすてきだと思います。この旅で人の写真をたくさん撮りました。これからも撮り続けていきたいです。そしてもう一つ、私の作った洋服などをたくさんの人に着てほしいと思です。
 張さんも見守っていて下さい。
 ~~~~~~~~~~
『奔流中国ワルツ』
       作詞・作曲 :
 あなたのリードで 島田もゆれる
芸者ワルツは 思い出ワルツ
 船がゆれて 胃袋狂う
酔い止め飲んでも 楽じゃない
来るんじゃなかった 中国大陸
これが苦労のはじめでしょうか
 怪しい店が 立ち並ぶ
洒落じゃ済まない ボッタクリ
来るんじゃなかった 奔流中国
これが苦労の続きでしょうか
 空に太陽 下したお腹
草原トイレは もう勘弁
来るんじゃなかった 奔流中国
これが私の生き様なのか
 朝の日射しに 目も覚める
今じゃ落馬も 怖くない
参加して良かった 奔流中国
これが私の生き甲斐なのさ
  贈歌  -草原にて詠める-
         行く道は 違えど空は 異ならず 永遠に留むる 我が志
 いろいろ大変お世話になりました。お疲れさまです。
僕も張さんの様にビッグになります。
~~~~~~~~~~ 
  張さんに会えて本当に良かったです。
 考えさせられることが、いろいろありました。
 張さんのバスの中での話は、すごく感動しました。
 張さんのすごく熱い想いが伝わって、ドキドキしました。
 この話を聞いただけでも、この旅行に参加して良かったと、本当に思いました。
 何か一つをやりとげること。
 言葉では上手く言えないけれども、胸が熱くなりました。
 張さんのことは絶対に忘れない。 
 がんばります。
 ~~~~~~~~~~
  音楽は僕のライフワークです。曲を作ることや歌うことは、自分の中のものを自然に出すこと。
 だからいい曲を作るためには、常に自分をグレードアップさせなければならない。
 それはかなり厳しい世界です。
 今回この旅行に参加したのも、曲を作る自分をグレードアップさせるためでした。
そして、その目的は達成されそうです。いや、されたと思う。
 これから、どんどんいい曲を作って、プロという厳しい世界で僕の音楽を表現していきますので、期待していてください。
 どうもいろいろありがとうございました。
 ~~~~~~~~~~
  この11日間���時間を守らない無法者たちの引率は、さぞかし気苦労が絶えなかったことでしょう。本当にお疲れさまでした。
 この旅を通して僕らが得たものは3つあります。1つめは広大な大地に暮らす人々の今も昔も変わらない生命力を肌で感じることができたことです。内モンゴルで代々受け継がれている伝統の技や文化を目の当たりにしたとき、上海で街の路地裏に生きる人々のたくましさを見たとき、自分が日本の文化を何も知らないこと、ハングリーさに欠けていることを強く感じました。
 2つめは、遙か遠くまで続く大地の雄大さをこの目で確かめることができたことです。地平線に囲まれながら、大草原の真ん中に寝転がって透き通るような一面の青空を眺めていると、自分がこの大地の一部になってしまったように錯覚しました。そして人間は多くの生き物たちに支えられて生きていることを常に心に留めておかなければと思いました。
 3つめは、たくさんの新たな友人たちと、張宇という1人の中国人と出会えたことです。僕らはほんの数日前に知り合ったばかりだというのに、いつの間にかこの貴重な旅の思い出を共有するかけがえのない友達になることができました。もう少しすればみんな離ればなれになり、それぞれの生活に戻っていきます。中にはもう2度と会うことのない人がいるかも知れません。たとえ再びみんなが集まる機会があったとしても、この旅で得た感動をもう一度味わうことはできないでしょう。今の僕ら出会ったからこそ、感じ取ることができたものだと思います。もしかしたら、年を取っていく度に記憶もおぼろげになり,いつかは消えてしまうかもしれません。
 それでもこの旅を通じて張さんから受け継いだ奔流中国の精神は、必ずや僕らの人生に影響していくはずです。今年の春に偶然奔流中国のポスターが目にとまったことは幸運でした。最後間で僕らをサポートしてくれた旅行会社の方々に感謝します。そして何よりもこの旅を僕に勧めてくれた張さんに感謝します。張さんの夢がいつか実現してくれることを心から祈っています。
 張宇よ!荒野を目指せ!
 ~~~~~~~~~~
  私はこの旅に参加して本当に心から良かったと本当に思っています。
 期待以上というか、参加した理由は、毎日の学生生活に単調を感じ何かしたい、どこかへ行きたいと思ってポスターをみて、これだと思いました。とにかく自然の雄大さを身をもって感じたかったからです。モンゴルは中学生暗いからすごく気になっていたのでだいたいの予想はつきました。
 海外ははじめてなので不安で一杯でしたが、周りの人も話すととても気持ちの良い人で希望の旅となりました。よくありがちかもしれませんが、満天の星、安まる風、どれも感動しました。船で向かうときは、まるで冒険���行くようでした。ずーっと波を見て全てを忘れました。海はこんなに広かったのかと改めて思いました。
 上海に着いたら目を見張るものばかりでしたが、本当に心に深く刻まれたのは、やはりモンゴルの草原でした。美しい花や草が風に揺れ、自動車の音もしない、馬の足音と、虫の声だけが聞こえる草原にいると心から日本に帰りたくないと感じました。
 馬に乗るのもはじめてだったけど、心地良く、楽しくてまだまだ乗っていたいと思いました。
 馬頭琴や歌、踊り全てが忘れていた何かを思い出させてくれた様な気がします。日本では人の目ばかりが気になって、自分の判断で行動していなかったのだということに気づきました。モンゴルではみんなが素直に生きていると感じました。
 でもすごいステキな空と大地と馬と生きる人々は、贅沢だと思いました。
 張さんのバスの中での話で、張さんはすごいと思います。私は、好きなこと、楽しいこと、やりたいことをやって生きていきたいと思っているだけで単純だし、自分の襲来のこともボワーンとしか浮かんできません。何かやりたいと思っているだけで動かないし動けない、このままでは終わりたくないけど張さんの言葉に勇気づけら玲、私のペ-スでやれること、ちっぽけかもしれないけどがんばっていこうと思います。何かちっぽけでも私なりに生きてみようと思います。私は椎名誠さんが大好きで、ああいう生き方もしてみたいと思います。多摩川で遊びましょう。
 ~~~~~~~~~~
  普通の旅行よりもずっと自由な感じで、とても楽しかったです。
 張さんにもいろいろ大きな夢があるようですが、私も大学三年で考えることもありました。
 この旅行で始めてであった沢山の人と話をしたり、初めての地で様々なものや人を見たりして、私も少し大胆になったと思います。自分のやりたいことはまだたくさんあって、選びきるのはまだ大変そうですが、大胆に未来を行きたいとおもいます。
 ~~~~~~~~~~
  このツアーに参加して本当に良かったです。張さんは来年海外に行くようなので、しばらく奔流中国はお休みするようですね。
 また再開するときは、声を掛けて下さい。説明会のお手伝いだったら、私がしても迷惑かけない自信があります。
 私は今、京都大学農学部の2回生で、将来は大学院に進学して、その後公的機関で研究員になりたいと漠然と考えています。
 張さんも志を高く持ち続けてください。ではまた会う日まで。
 ~~~~~~~~~~
  旅行が始まるまでは不安と期待で一杯でしたが、今は満足感で一杯です。
 この旅行に参加し、多くの人々に出会い、沢山の新しい経験をしたことによって、考えさせられることが多々ありました。
 日本に帰ってからも、この旅行で受けた刺激を忘れずに、自分の人生に役立てていきたいです。
 またいつか機会があったら、大草原で乗馬をしてみたいです。大きな空、果てしない海、そして広い大地は、私の中に大きな感動と希望とを与えてくれたように思います。
 張さんのお話も印象的でした。この旅行を企画するにあたって、大変な事もあったと思いますが、おかげさまで一生の思い出に残るような良い旅をすることが出来ました。
 本当にありがとうございました。そして、これからも様々な場面で活躍して下さい。
              Live the life you love.    
                    Love the life you live.
 ~~~~~~~~~~
  馬が好きな人はみんないい人だと思っています。
 今回の旅行の参加者たちも、いい人たちばかりでした。
 私もさらに馬が好きになり、ついでにロバも好きになりました。
 これからもっと乗馬を練習して張さんぐらい上手くなりたいです。
 とりあえずこれが私の今の目標です。
 ~~~~~~~~~~
  この旅で感じたことを少し書きたいと思う。
 モンゴル人の人、中国人の人、張さん、ゴウさん、みんなからいろいろなことを学んだ。
 自分(自民族)ができること、他人(他民族)ができるけれども自分(自民族)に出来ないことがあることを感じた。各民族、各地域の文化が存在することは大切さ、すばらしさを感じた。素晴らしい仲間ができた。これは私の宝である。これからも大切にしていきたい。
 モンゴルを見ることができた。例えばモンゴル相撲をしたとき、こっちは遊び半分で気軽にやっていたが、彼らはそうではなく、プライドとか、メンツとかがかかった真剣勝負としてやっていたようで、何かただならぬものを感じた。そして相撲の後の喧嘩のやり方(周りの人が止めなければ、どっちかが大けがをするまでやりそうであった)とその理由。このあたりに“蒼き狼”を垣間見たような気がした。
 この旅は本当に素晴らしい。参加できたことを幸せに思う。一生大切にしたい。自分の勝手なわがままであるが、こんな思いを一人でも多くの人に感じてもらいたいので、是非再開してもらいたいと思う。そのときはぜひ誘ってください。
 最後になりましたが、本当にご苦労さまでした。私たちには見えない苦労もたくさんあったと思います。ありがとうございました。
 ~~~~~~~~~~
   東京で、大学で勉強したり、遊んだりしている毎日は確かにとても楽しいです。でも私は、あの人の多さ、ものの多さ、情報の多さのために時々ものすごく疲れてしまいます。そんなときに部屋に一人でいると、涙がでてきます。それで余計なものなど何もない、ただ純粋に生きる草原の地モンゴルへ行きたいと思いました。
 だだっ広い草原で、満天の星空の下でトイレをした自分を大切にしたいです。
 夢や将来やりたいことはたくさんあるけれども、焦らず一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。
 何もない草原に、ただ響くのは、友の歌声、そして笑い声。
 奔流中国があってよかった。
 ~~~~~~~~~~
 ― 伊藤哉子から張宇大兄への志の高い手紙 (東京農工大学)
  張さん、お疲れさまでございました。この旅行は張さんの個性がよく表れ、大変おもしろく本当に様々に思うことがございます。
 私は将来モンゴル国に旅行して、命の洗濯をするか、寝る間を惜しんで働いているかのどちらかです。夢は私のかわいい伴侶と、面白おかしく暮らすこと、いつまでも日本人ら
しく慎ましく生きることでございます。
 ~~~~~~~~~~
 ― 双子の兄の訓平より (多摩美術大学)
 ・壮大なモンゴルへ
・すばらしい友に
  -そして-
・今、モンゴルで一番輝いている張さんへ  乾杯
 砂漠での乗馬、張さんと走れて本当に楽しかった。
 いつかまた一緒に広野を走りましょう!!
 ~~~~~~~~~~
  この旅行中ずっとお世話になりっぱなしでした。ありがとうございました。
 個人旅行では味わえない旅の醍醐味も知りました。
 日本を離れてみて、大草原の中で改めて客観的に自分を見直しました。
 まず第一に思ったのはまだまだ勉強不足で修行が足りないということでした。将来のビジョンは明確でないけれど、今できること、やらねばならないことを考えました。
 私はホテルで英語が通じなかったことがショックでした。だからまず語学に力を入れたいと思います。こんな風に旅行したりできるのも大学生活でだけだけれども、勉強できるのも今だけだから。
 上手くまとまらないけれども、これが今回私の感じたことです。
 本当にありがとうございました。再見!
 ~~~~~~~~~~
  昨日はいろいろ、この旅に関する感想や将来の夢、この旅に関する思いなどを聴かせていただき、とても考えさせられ、共感しました。
 文化というものは、私も違う方がいいと思います。それは違うものだからこそ魅力的で、こういった旅行に行きたいと思うのです。だから私も日本について自信を持って紹介したり好きだと言えるように、少しずつ勉強しています。万葉集や神道についての本を読んだり、寺や神社を回っています。由来とかも面白いです。自分を好きになるには、自分の住む地域の、そして国の文化を好きになることだと思うのです。
 また多趣味になろうと思います。しょっちゅう博物館や美術館に行ってみたりしています。
 また心理学にも興味があるので授業でやってみたりしています。
 将来に対する明確なビジョンはまだ立てられないけれど、選択の幅が広がっていると信じています。
 ~~~~~~~~~~
  日本を出発してからずっと、まるで初めて見る映画を2倍速で見ているようです。
 そんな旅の大黒柱である張さん!
 バスの中で聞かせてくれた話は、やる気と自信に満ちていました。
 旅の柱が太くてしっかりしているからこそ、みんな安心して楽しめるのだなぁと感じました。
 星!大草原!馬!羊!大地に生きる!
 大きな感動をもってこのことを実感しました。
 この感動をもっと多くの人に味わってほしい!そんな気持ちで一杯です。是非またすぐに…。
 最後になりましたが、楽しい旅をありがとう。たくさんの思い出をありがとう。
 ~~~~~~~~~~
  今回の旅の企画、引率お疲れさまでした。
 私も米国留学後、起業したいと考えています。
 日中を舞台にしたプロジェクトでいつの日か一緒に仕事ができたらと、思います
 ~~~~~~~~~~
  「士、別れて三日、 目して相待つべし」
 
               またお会いする日まで
~~~~~~~~~~
  僕は大学一年の春からずっと、弁護士になるための勉強をしてきました。そのためサークル活動などが制限されるのもしょっちゅうでした。しかし同じことをずうっとしていると飽きてしまいます。
 だから、時折暇をみて小説を書いたりもしましたが、それでもストレスがたまってしまいました。そこで今まででは考えつかないぐらい大きな休みを取って遊んでみたいと思って、この企画に参加しました。
 ここはもう別天地でした。青い天と乾いた大地がどこまでも広がり、そして何よりも大勢の仲間ができ、今までの疲れの全てを癒せました。
 張さんは本当に無私にこの企画を遂行してくれました。本当にどうもありがとうございました。
~~~~~~~~~~
  私は今回のツァーに参加して、たくさんの素晴らしい友達に会うことができました。一期一会を大切に、いつも好機はあふれている、と前向きにゆきたいです。張さんに会って、自分の夢を大切に、それに向かってあきらめることなく努力を続ける大切さを改めて知りました。
 私の夢は、海の資源を有効に半永遠的に使い続けるための監視機関を作ることです。張さんもいつまでの張さんでいてください。私も私なりにこれからも努力していきたいと思います。
      追伸:Bigになってください。
 ~~~~~~~~~~
  私はこの旅に参加することができて本当に良かったと思います。旅に出ていろいろ考えてみようと思っていました。そして実際、多くの経験をする中で、考えさせられることが多かった。それだけで十分です。
 心に残る旅になりました。
 張さんの心の中にも、私という存在が残りますように。そろそろ覚えてください。
 ~~~~~~~~~~
  ありがとう張さん
 今回の旅で大地の素晴らしさを強く感じました。大地では様々な生命の交わる場所であり、時は緩やかに流れ、生きている実感と生命の強さを感じました。
 人間���動物なんだ。謝謝。大地に生きる!
 もう一つ感じたのが、人間の交流です。言葉が伝わらないためとても大変でした。でも何とか言っていることが分かるようになってくるととても嬉しい。生活している場所も環境も言葉も違うのに、心はみんな同じなんだと感じました。
正直言って今回の旅は感激の嵐だった。この旅をきっかけにもっと広い視野を持っていきたいです。本当にありがとう。
 ~~~~~~~~~~
  草原にいる時間は短かったです。毎日楽しくて、今この出来事が将来どういう思い出になるか分からないけど、自分の中ですごく大きいと思う。
 モンゴルの空が広いだとか星がきれいだとかは、テレビなどで知っていたので想像はついていたけれど、やはり本物の空間にいる自分って特別だと思いました。
 この旅を通して出会ったみんなは、張さんも含めてなぜか初めて会った気がしないんです。草原でそういう話をしていたんですよ。人と人との出会いって、偶然じゃなくて似たようなもの同士が引きつけあったり、例えば生まれ変わってもまた会ってしまったりするとか。本当かどうか分からないけどこうやって会えたみんなと、通り過ぎる出会いにしたくないってすごく思います。
 張さんはこの前、列車の中で自由が丘を案内してくれるって約束したこと覚えていますか?みんな(あのときのメンバー)はとても楽しみにしています。あまりみんなにばらすと大変なので、秘密にしているくらいなのです。私もすごく楽しみにしているので絶対約束ですよ。
 あと、ムサビのテニスコートにも行ってみます。通いつめてくださいね。
 ~~~~~~~~~~
  モンゴルに行ってすごく思ったことは、一人で立てるヒトになりたいということ。この旅行に来ている人は皆気持ちのいい人ばかりで、一緒に生活しているとハッとさせられることが多い。それらを吸収して私ももっと大きい人間になりたい。この旅行に来て本当に良かった。
 この旅行を計画してくれた張さんに本当に感謝します。
 ありがとうございます。
 ~~~~~~~~~~
  私は中国語を専攻していますが、将来中国とどう関わっていくか、はっきりと考えていません。私の中国好きは、古代史や文化、芸能、民俗に興味があるという趣味的なものなので、現代の中国の有り様をしっかりつかめたととは思っていません。張さんはビジョンを持って進めと言われました。中国の街では本当に「まだまだこれから」という恐いくらいの熱気を感じました。
 中国とモンゴルの何に、またどのように働きかけていこうか、考えてみようと思っています。 
 モンゴルの地平線を初めて見ました。空が広くて風景が横長でした。中国の熱気とはとは違う、まどろんだような時間の流れを感じました。
 ~~~~~~~~~~
  奔流中国という張宇の作品。
 無形の作品ながらすでに7000人余の学生たちが、大きな影響を受けました。
 もうすぐみんな社会へと散っていきます。
 その影響を受けた一員として、大きな流れを起こす7000人となると想います。
 ~~~~~~~~~~
  将来のために今、やらなければならないことがあり、
 今のために今しかできないこともある。
  若すぎてできないことがあり、
 何も知らないからこそ、できることもある。
  あとから振り返ってみたとき
 自分で自分を誇れるように、
 そう胸を張って言えるように、
 お互いの人生を歩んでいけるといいですね。
  本当にありがとうございました。また会う日まで。
 ~~~~~~~~~~
  長い旅でしたが、色々と有り難うございました。
 草原は期待どおり、それ以上に美しくて、空をできて幸せでした。
 私はこれからも心理の分野で、少し心的に弱ってしまったり困難を抱える人の傍に居続けていきたいと思っています。そうしていく時に、今回の旅で感じた、砂や、水や、太陽、月、星、そして人のこと、風景が生きていくのだと思います。張さんも張さんなりの思いを実現させていって下さい。
 また、中央アジアに来たいものです。
追伸;腹をこわした日にいただいたメロンとモモは助かりました。謝謝。
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  ちょうど出発前に「私は何のために絵を描いているのだろうか」と思い悩んでいました。けれど数々の体験、大陸の持つ様々な顔、個性あふれるみんなに触れたとき、自然にスケッチが出来て、そして喜びを感じている自分を改めて感じることができたのです。
 本当に素晴らしく楽しい旅になりました。「参加する事が出来て本当によかった。」それ以上の言葉はないです。この旅行に申し込むとき、乗馬や大草原の匂いだけでなく、“何か”を感じましたが、それは、張さんをはじめ、この旅行に関わってきた人たちの「思い」でした。このような素晴らしい機会を与えてくれたことに感謝しています。
 ありがとうございました。
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  幼い頃から憧れていたモンゴルの草原で、馬に乗り、酒を飲んで、星空の下で歌を歌いました。それは最高に楽しく、幸せな時間でした。それだけでも意義のあるこの旅で、たくさんの仲間に出会ったことで、私自身を見つめ直す良い機会を得ることが出来ました。もちろん張さんからもたくさんのことを学びました。いつか私も輝いた人間になりたいと思います。張さん、ありがとうございました。
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  私の好きな作家の村上春樹のある文章に、「良い世界の空気は振動しない」という言葉があって、私は時々この言葉を思い出します。
 今回の旅を通して、また、この言葉を思い出しました。良い世界には、言葉も音楽もないのだと思います。けれど。それらを目の前にしたとき、本当の言葉と本当の音楽とが自分の中にあふれているのに気づきました。たくさんのすてきな人たちに出会えた自分に自信を持とうと思います。
 張さん、これからも健康でいて下さい。
 私はずっと何かを創り続ける自分であるようにがんばります。
 それでは。
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  私は大学で陸上部に入っています。
 中学高校と長距離の選手でしたが、高校2年の時から短距離に変え、今では400mを専門にしています。
 陸上競技というのは走り方1つとっても大変奥が深く、どのような走り方が自分に合うかとか、一流選手の走り方をビデオで何度も見たり研究を重ねています。筋力トレーニングに関しても、毎日やるのではなく質と量を考えながら走るのに適した筋肉をつけています。
 馬の筋肉をさわると、��ても柔らかいものでした。
 陸上競技で��功することが、私の人生計画の一つです。
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  張宇殿
  僕はビデオは撮るのも撮られるのも好きです。今回のモンゴル旅行でも9時間撮りました。大学でも4年間映画を撮り続けるつもりです。いつかどこかで上映される事があれば見てやって下さい。
 僕は人と上手く話をすることが苦手です。初対面の人とか、何を話せばいいのか分からない人としゃべるのが苦手です。でも、今回は現地の人も含め、いろんな人と話せました。中国語は筆談できるから、日本人に対しては小心者の僕がこんなに大胆に自分をさらけ出せるなんて…。それはきっと旅の力なのでしょう。
 草原を出てから、僕はもぬけの殻です。。何に対しても無感動気味です。東京に戻ってからが心配です。機会あらば、また旅に出たいですが、しばらくは東南アジアを攻めたいです。外モンゴルにも行きたいです。新しい刺激を求めます。次回からは一人で行きます。正直言って、団体行動は苦手です。
 皆で歌った「切手のない贈り物」が頭にこびりついて離れません。思わず、口ずさんでしまいます。
 いやー、金はちょっと高かったけど、今回の旅は楽しかった。よかった、よかった。
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  張さん、僕は今回の旅行で張さん的リーダーシップを観察できて、すごく勉強になりました。僕は、何か特別な適性や、才能などは無いけれど、決めたことについては努力することが出来ます。すごく気長です。その意味で張さんが夢を叶える頃には、僕も結構すごい人間になっているはずです。では、私の好きな詩を送ります。
 小さな街 かぞえきれない さみしさがほら見つめてる
 小さくかがめて 守らなければ 自分の存在すら見失うよ
 誰もかれも 存在ならば いつも認めざるを得ないもの
 それでも僕の愛の言葉は何の意味さえもたなくなる
 生きてゆくことさえ 人のこころなぐさめられるような
 夢もとめていても まのあたりにされるだろう 生存競争の中 夢は
 すりかえられてしまう  
 受け止めよう 自分らしく 生きることの意味を
 あるがままに 受けとめながら 月にうつるものすべてを
 受けとめよう 本当のこと 口にするきみの月を
 誰も傷つけぬ きまぐれのような 優しい嘘すらも愛したい
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  何気なく参加した旅ではあったけれども、これから行くであろう旅の中でも指折りの有意義な旅になるはずだ。中国は素晴らしい国だ。大きな国なのに狭狭と店を並べていたり、何のじゃまもない大草原があったり、人に対する態度もミステリアスな感じを受けた。上海の街は未来的な高層ビルのすぐ傍に、今にも崩れそうな家があったりして、バランスがないと思った。もっと大きなスパンでの景観を考えるべきだと思う反面、そこが人間らしくて面白いと思った。
 人と脳と心の矛盾や、社会全体の勘違いや生きること、死ぬことに興味がある。張さんがバスの中で自分のしたいことを語ってくれたあと自分自身も考えた。私は自分の思いを作品にして、不特定多数の人がそれを見て笑ったり批判したりしてほしい。そして世の中が私の作品をきっかけとして、変わっていってくれることが、芸術の世界に生きる人間としての願いである。だから、わたしはそれをやる。
 この旅を企画してくれて、一緒に楽しんでくれてありがとう。心から感謝します。たのしかった。楽しくてしょうがない!
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  張さん、まずお疲れさまでした。そしてありがとうございました。
 私にとってこの旅は、初めてのアジアを体験する日々だったのですが、もちろん自分の少ない知識の中から作り上げたイメージは持っていたものの、予想以上にアジアというものはすごいパワーがみなぎっているところだと感じました。
 エネルギーに満ちあふれた人々と文化に触れることで、自分が今までになく興奮し、感動していることに気づきました。広大な大地に広がる自然と動物がたくましいものに感じました。寝台車でフフホトにくるときに見た窓からの景色にはゾクッとしました。
 列車の中で知り合えた人はもちろん、この地での出会い全てがいい経験になったと思います。それに一緒に十数日間をともに過ごした仲間との交流は、そのつながりの大切さ、面白さ、難しさを感じたし、私の場合友達三人と参加したのですが、いつもと違う環境での友達の新たな一面みることや、この生活を通して自分のことを改めて見つめ直す良い機会となりました。
 トイレなどはやはりまだ抵抗があるけれど、モンゴルのすばらしさを味わえたと思います。これからもアジアにたくさん足を踏み入れていきたいです。
 この体験は私の素晴らしい財産です。この機会を与えて下さった張さんに本当に感謝しています。ありがとうございました。
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  日記を書こうとしてもなかなか言葉が出てこなくて、それでも無理矢理書こうとすると、あまりに書くことが多すぎて結局収拾がつかなくなってしまいます。
 この旅��は何かを得たというよりも、無駄なもの、余計なものがそぎ落とされたというような感じがします。将来のビジョンなんてないけど、自分がなんだかシンプルになった気がします。
 奔流中国のメンバーは初めてあったときから、なんだか前から知っているような気がする人ばかりで、本当に出会えて良かったと思います。みんなのことが大好きだし、歌うことが気持ちいいし、星はきれいだし、ご飯はおいしいし、お酒もおいしいし、全てが、書ききれないほど良すぎて、そんな今に少し戸惑ってしまいます。
 このごろ旅の終わりを感じてしまって、少しくらい気分になってしまう瞬間があります。日本に帰っていつもの生活に戻るのが怖いような気がしているのかもしれません。
 でもきっと帰ってからも、歌を歌って、オカリナを吹いていると思います。そして、今までとは違う作品を創っていきたいと思います。何か違うものができる予感がします。
 最後に、張さん、ありがとうございました。他に何て言ったらいいか分からないけれど、張さんに出会えて良かったです。
 また、ムサビのコートで会いましょう。
 バスでこの手紙を書いていたら、隣の席に張さんが来たので焦ってしまいました。
 ばれないように隠したり、かなりドキドキでした。
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  私は今回モンゴルに来て本当に楽しかったし、草原にいて、とても考えるところがありました。同じ人間で、生きて行く事は同じなのだけれど、私が住むところとはまるで違う。
 モンゴルの草原で風を受け太陽の光を浴びて歌を歌い、踊り、満天の星空の下で眠ることは彼らにとっては日常だけれども、私にとってこんなにも貴重な空間はなかった。彼らの歌や馬頭琴には、風や大地や天の歌、自然の歌が多く、私たちの歌には人のことを歌った歌が多いと思った。
 また、彼らは自分たちの文化に誇りを持っている。中国の学生と話をしたとき、彼女は中国文化、中国語、英語、日本の文化についてたくさん話してくれた。私が彼女に教えてあげられる日本の文化がとても少ない事にとても恥ずかしい思いがした。他国の文化を知るのにはまず日本の文化をもっとよく知って、日本に誇れる文化がある事を知らなくてはいけない。
 何かを守ったり維持するためにそこに固執するよりも、何に対しても興味を示して体験してみたいと思う。この旅ではそれができたし、想像以上に得るものが大きかった。
 自分が将来何をするかはわからないけれど私は何かを創り出す人でいたい。在るものを維持するのは、それも大変で大切だけれど何かから自分の手で創り出す事が私はしたいし、できたらいいと思う。何かをしなくては、というよりも何かをしたいという気持ちでいつもいたいと思う。
 私が好きなアーティストの名前でもあり、好きな言葉でもあります。“Dreams come true”. きっとそうだと思います。願いは届きます。本当にありがとうございました。がんばりましょう。そしてまたみんなで会いましょう。
 私の夢はひとつ叶いました。それは満天の星の下で星を見てねむること。
 
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  これだけ大人数の引率で、張さんもだいぶお疲れのことと思います。乗馬やパオ作りをはじめ、色々な場面でみられる張さんの気配りや毅然とした態度にはいつも感心させられていました。上に立つ人の重責感は相当なものです寝。それだけの苦労をしょってもなおこの企画を実現して下さったことに感謝しています。
 私にとって今年の夏は学生最後の夏休みでもあり、今しかできない事を経験して有意義な時間にしたいという思いを強く持っていました。はじめは個人旅行を希望していたのですが、それは許可されず、この奔流中国の企画に参加したわけですが、当初の思い通り或いはそれ以上に密度の濃い時間を過ごせました。それは団体でありながら一人一人の個性や自由を尊重するという張さんのコンセプトがこの旅の基底にあったからこそだと思います。
 張さんとゆっくりお話する機会はほとんど持てませんが、短いお話からうかがえる人生のヴィジョンや情熱は、就職活動を終えて、ひとまず落ちついてしまった私にとって大きな刺激となりました。来春から法律事務所で働く事になっていますが、プライベートでの熱い思いは持ちつづけていきたいと思っています。
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  ここへ来る前に電話で3人同じ班にしてほしいとわがままを言ったのを覚えていますか?そのとき張さんは皆仲良くなるから班は関係ないといってましたね。結局その言葉通りになり、今では別々の班で良かったとさえ思えるようになっていました。
 船、バス、列車と、幾日も乗り続ける中で、皆と語り合い、外国人と友達になり、名刺をもらったり、タバコを共に吸ったりと様々な交流ができました。
 私達が来た内モンゴル自治区という場所はとても素晴らしいところでしたが、もしかしたら一生訪れる事がないかもしれません。広い世界の中で私が日本以外でこの地がはじめて訪れたのですが、この地は天と地と人が平等であるように思われます。草原は土をレンガやコンクリートではなく草で覆い隠し、本当に自然と共存する人間の姿がそこにあると思いました。
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  このモンゴルの旅で私は新しい自分を発見しました。なんでもできてしまう自分をです。きっとテンションが上がっているせいもあると思いますが、何事に対しても積極的になれてしまいます。笑顔と、気持ちと、歌があれば、誰とでも仲良くなれるものだと思いました。
 私は陶芸をしています。今はとにかくろくろが上手になりたくて毎日ひいてます。自分は何者なんだと思う時があります。自分の中の何かを表現したいと思う時があります。陶芸を始めるまでは、そんな考えを何にぶつけてよいのかわかりませんでした。でも今は、毎日たくさんの自分を土にぶつけています。とても楽しい。生きている自分を再確認できています。出来上がった作品はまだまだ下手ですが、みんなかわいい私の子達です。
 モンゴル、中国で自分を表現することの手段として歌は最大の武器だと思いました。人前で歌うことがこんなに気持ちのいいことだったなんて。
 日本にいるだけではわからない事を旅は教えてくれるものですね。初めての海外旅行がこんなに素晴らしいものになるとは。これからもたくさんの国にいってみたい。いろんなものが見たい。もちろん歌と、そして笑顔を武器にするつもりです。
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   この旅に参加して、いろいろなことを考えたのは、巨大な国、中国の様々な側面を見せつけられたからだと思う。現在、建設ラッシュの上海では、高層ビルの建ち並ぶ横に、劣悪な状況の民家が広がっている。貧農の差をまざまざと見せつけられた。
 内モンゴルでは、毎晩の様に歓迎してくれるという民族性、見事なほどの羊のさばき方、見渡す限り一面の草原、満天の星空…数え上げればきりがないほど強烈なインパクトを受けた。
 TIAN JIAO HOTEL の前に「百聞不如一見」とあったが、正にそのとおりで、この旅を通して学べたものは多い。
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kkkeag · 4 years
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2020-02-18 2泊3日で佐渡に行った
Twitter眺めてたら佐渡冬紀行というJRのパックが超お得〜って話だったので予約して行ってきた。 佐渡島観光・旅行プラン 美味をたっぷり味わう佐渡冬紀行:びゅう|えきねっと(JR東日本)
東京からの移動費宿飯2泊4食で3万。完全にバグってる。佐渡市からの助成金のおかげでここまで安くなるらしい。
いちにちめ
佐渡へゆく
上越新幹線で新潟へ。平日だったけど指定席には外国人客がとても多くて気になってた。全員越後湯沢で降りてスキー客であることに気がついた。車両の一番うしろの席取ったんだけど、みんな人二人入りそうなサイズのスーツケースを詰めたり乗せたりしてきたのでぎょっとした。リクライニングできるスペースは確保できたので良かった。
新潟駅からフェリー乗り場へ。新潟〜佐渡の移動手段として普通のフェリーとジェットフォイルの2種類があって、フェリーは2時間半(もしくは2時間)、ジェットフォイルは1時間かかる。今回はジェットフォイルを予約していて、いざ佐渡へ〜とか言ってたら荒天で乗ろうとしてた便が欠航してていきなり試されている。フェリーはどうにか乗れそうだったので、変更してもらって乗船した。荒天ということもあって、船は出港30分もしないうちに大揺れ。佐渡カレー食べて寝る以外何もできなかった。
昔青函を結んでいた双胴型のフェリーと同型のフェリーにも乗れるチャンスが有ったみたいだけど、今回は叶わず。
1時間半暇になったの顔 pic.twitter.com/IKKe94oQYb
— いかるが (@UVB_76) January 31, 2020
荒れ狂う日本海の上からお送りしております。たすけて。
— いかるが (@UVB_76) January 31, 2020
佐渡につく頃には波は落ち着いていた。異様に低い雲が島全体を覆っていて、冬の日本海側の歓迎を受けた気分になった。
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港から降りると、微妙に降っていた雪が雨になってしまったので、外へでるのは諦めて宿でゆっくりしてた。
飯はツアー特製の御膳。のどぐろ選んだらテーブルはみ出すぐらいの料理がどかっと来て笑っていた。
ファーフルーフトレジェンダリアみたいな物量譜面降ってきて死ぬかと思った。 pic.twitter.com/hrJJ6O3AI1
— い (@UVB_76) January 31, 2020
正直宿はちょっと寒かったんだけれども湯たんぽを貸していただけて助かった。初めてゆたんぽ使ったけどまじで足元暖かくてよかった。家でも使いたくなった。
ふつかめ
佐渡金山
2日目は佐渡汽船レンタカー軽を借りて佐渡金山へ。佐渡の道路はほとんどが1車線で走りやすい。1車線なのに2車線の幹線道路にありそうなお店がぞろぞろ立ち並ぶ様子が面白かった。思ったよりも都会ではある。ヤマダ電機とかある。蔦屋書店もある。
金山は港からゆっくり走って1時間弱。広大な駐車場に車が3台。めっちゃ空いてた。
江戸時代に手掘りで採掘された宗太夫坑と明治以降に掘られた道遊坑の2つのコースがあり、トロッコを見たかったので道遊坑へ。中は涼しくて龍泉洞を思い出した。温度湿度が保たれているのを利用して日本酒を保存しているのが印象的だった。トロッコの線路が敷かれた坑道を抜けて、山を掘りすぎて削れた姿の道遊の割戸を眺め、機械室の設備にときめいていた。次は山師ツアーで坑道を探検してみたい。
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金山では鉱石を採るだけでなくて、粉砕、分別、輸送までを町全体で行っているのがわかる建造物がまだ残っている、それのどれもが廃墟感を漂わせていて最高だった。
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酒造
レンタカーを運転していたので自分は飲めなかったのだけれども、妻が日本酒を求めていたので酒造巡りをした。
加藤酒店
金鶴買ったんだっけ? 酒蔵、というよりかは酒扱ってるお店。薪ストーブの雰囲気が良かった。
尾畑酒造
酒蔵をなんとなく眺めたかったらここが一番良さそう。お店とバックヤードの境があいまいな感じで、裏から入ったらいきなり瓶詰めされた日本酒の山が立ち並んでてびっくりしちゃった。真野鶴という日本酒を作っていて、結構辛口。ここで妻が一升瓶を買い、帰りに苦労することになる。
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寿司
お昼、Twitterでバズってた某食堂がやってなかったので寿司屋を探すことに。適当に入ったんだけど、結構あたりだった。お寿司も美味しいのに漬物と煮物までサービスしてくれて感謝しかない。店主ご夫婦と佐渡の話もできて最高の時間だった。
長谷寺
うさぎが野に放たれているという話を聞いたので行った。ついたら小雨だったんだけど、普通に野に存在していたので写真撮りまくってた。役割としては以前立川にいたヤギと同じらしい。雑草食べてくれるんだって。
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みっかめ
たらい船
たらいと言ったらソダ間欠泉だよね!!というか元ネタがここ。結構日本の地名もじった場所多いよねあのゲーム。イセリアとかオゼットとかフラノールとかそのまんまだし。アルタミラとかサイバックとかちょっとひねったやつも好き。
10時に行ったらだれもいねえ!!一応受付で乗船料(?)を払ったらおばちゃんがやってきて乗せてくれた。こんなのに人間のれるのかよ!って思ったけど普通に乗れた。途中で舵取りを交代してくれたのでチャレンジしてみたけど全く前に進まず、その場でくるくる回って終わった。マジでむずい。
GW過ぎたあたりだとたらい船に行列ができるという話を聞いて、金山の駐車場も埋まるのか…と考えていた。ということはシーズン中道路も激混みじゃない?怖すぎる。
これはさっき乗ったたらい pic.twitter.com/NgP7SpnZyY
— いかるが (@UVB_76) February 2, 2020
宿根木
家。家。古い家。道。集落。塩。雰囲気が最高。普通に人が住んでるので、ちょっと気を使う。タイムスリップした気分になれた。
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北雪酒造
宿根木から海沿い走ってきた。酒蔵見学は予約が必要なんだけど、店員さんの対応がすっごく丁寧で試飲のお酒をめちゃくちゃ並べてくれた。シーズンだったらもっと人がいてここまでサービスしてくれないだろうなとも感じたので、やはり冬に行くべき。帰りのルートを考慮しないと結構辛いことになるのだけは気をつけたほうが良さそう。港に帰る際、何も考えずナビの通りに長谷寺のある最短っぽい道を通るとまあまあな山道になっていて、結構気を使うことになった。
めちゃくちゃ試飲してる(俺は飲めない) pic.twitter.com/erpsaad17r
— いかるが (@UVB_76) February 2, 2020
昼飯
フェリー乗り場の中のレストランで食べたけど普通に美味しかった。ひたすらブリ食ってた。ここでも自分たち含めて2組だけ。空いてるって最高。
ジェットフォイル
当初フェリーで帰る予定だったんだけど、予定変更してジェットフォイル搭乗。乗船じゃなくて搭乗。飛行機かよ。フェリー乗ったあとだとドン引きするほど速い。フラフラ歩けないので寝るしか無いのが辛み。
ぽんしゅ館
ジェットフォイルで帰ってきた理由がこちらです。500円でコイン5枚。1コインでおちょこ一杯分の日本酒がでてくる破滅の都。とりあえず知らないやつ飲んでた。「のぱ」って名前面白そうって飲んだらめちゃくちゃ甘くてびっくりしちゃった。あと日本酒以外にもやたらとおいしいきゅうりが1コインで食べることができて良い。
一緒に食べれる塩の種類が異様に多い。マグマ塩は舐めた瞬間温泉が広がった(硫黄の味 pic.twitter.com/PzpNoL7DZ7
— いかるが (@UVB_76) February 2, 2020
塩もたくさん並んでる。
帰路
適当に駅前眺めて新幹線で東京まで無事に帰ってきておしまい。
学び
これは知見ですが、一升瓶をキャリーケースに入れて運ぶと、重い。
— いかるが (@UVB_76) February 2, 2020
これも知見ですが、要冷蔵の一升瓶を買うと冷蔵庫に入らない。
— いかるが (@UVB_76) February 2, 2020
おまけ
ICカードコレクションに新しい仲間が増えました。 pic.twitter.com/ZKeCSjGltN
— いかるが (@UVB_76) February 2, 2020
tanoshikatta
🙆‍♂️
雪もちょうど降って無くて運転イージーモードだったし雪降ってなければ本当に冬また行きたい。ありがとう佐渡ありがとう佐渡。
撮った写真はここ 20/01/31 佐渡 | Flickr
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groyanderson · 5 years
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ひとみに映る影 第一話「めんそーれ猪苗代湖」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。 書籍版では戦闘シーンとかゴアシーンとかマシマシで挿絵も書いたから買ってえええぇぇ!!! →→→☆ここから買おう☆←←← (あらすじ) 私は紅一美。影を操る不思議な力を持った、ちょっと霊感の強いファッションモデルだ。 ある事件で殺された人の霊を探していたら……犯人と私の過去が繋がっていた!? 暗躍する謎の怪異、明らかになっていく真実、失われた記憶。 このままでは地獄の怨霊達が世界に放たれてしまう! 命を弄ぶ邪道を倒すため、いま憤怒の炎が覚醒する! pixiv版 (※内容は一緒です。)  (前作までの「NICシリーズ」につきましてはこちらをご覧下さい。)
 ◆◆◆
 それは私がまだ会津(あいづ)の猪苗代町(いなわしろまち)に住んでいた、中学1年生の時の事だった。
 玲蘭(れいら)ちゃんは、ある日沖縄から私の学校に転校してきた。 東北地方の田舎に県外から転校生が来るのは珍しく、彼女はクラスのちょっとしたアイドルだった。 しかも意外だったのは、彼女は祝女(ノロ)という沖縄の伝統的な巫女さんで、中学生なのに悪霊払いや地鎮祭の仕事をしていた事だ。 電車で石筵(いしむしろ)にある霊山に行って、かわいい巫女服で修行をしたりしていて、まるで本物の魔女っ子みたいと当時の私は憧れていた。 どうして私が、彼女のそんな特別な事情を知っていたかというと…私も昔石筵の観音寺に住んでい事があって、少しだけ他の人にはない力を持っていたからだ。
 私の家は代々、影法師(かげぼうし)という霊能力を継承していた。 念力で光の屈折を歪めて色んな形の影絵を作ったり、自分やものの影に幽霊を取り憑かせて操らせたりする術だ。 霊能力の才能を認められた小さい頃の私は、家族の意向で、小学校に上がるまで石筵の観音寺で修行して過ごしたのだった。 加えてそこの和尚様は、昔チベットで修行をされていて、「タルパ」という人工の魂を作る術も持っていた。私はそれも少しだけ教えて頂いた事がある。
 人間の子供の魂は、周りの幽霊や、幽霊未満の人の想いの名残りを吸収しながら成長していき、やがて自我が芽生える。 タルパはそういった身の回りに漂う魂のかけらを人為的にかき集めて、自分の想像力や念力で魂に成形する技術だ。 だからそれは、人を1人生み出すのと同じくらい重みのある行為だと、和尚様はよく説かれていた。
 とはいえ、幼い頃の私が作る事を許されていた魂は、虫や小鳥とか、古道具に染み付いた気持ちを具現化した小さな神様の影絵だけだった。 それゆえタルパ作りは影法師の修行の一環ぐらいにしか思っていなかったし、山を降りてからはやり方も殆ど忘れていた。 でも中学で出会った玲蘭ちゃんは、かわいい猫の魂を作ってペットにしたり、 漫画のキャラクターにそっくりなイケメンの魂を作ったりしていて、当時の私にとってすごく衝撃的だった。 むやみに魂を作ることは良くないと和尚様から教わっていたにも関わらず、当時の私は遊び感覚で玲蘭ちゃんにリクエストをしてしまった事も度々あった。
 だけど私達は、そういう「人工の命」達の重みを突然思い知らされることになった。 ある日、玲蘭ちゃんが私に相談を持ちかけてきた。 作った魂が暴走して、手のつけられない悪霊になってしまったらしい。
 実は玲蘭ちゃんのお父さんは、福島に赴任してから職場の女性と浮気していた。 お母さんはそれを知っていたけど、玲蘭ちゃんの学費のために離婚できないという。 そこで玲蘭ちゃんは、お父さんがまた別の県に異動になれば浮気をやめてくれると考えた。
 玲蘭ちゃんのお父さんは主に猪苗代をまわる観光バスの運転手だった。 だから玲蘭ちゃんは、猪苗代が観光地として人気がなくなれば、お父さんの福島での仕事が減って異動になると考えた。 そして猪苗代湖(いなわしろこ)に巨大な恐竜の未確認生物が出るという都市伝説を利用して、恐竜の姿の魂を作り出し、暴れさせた。
 その作戦の効果は絶大だった。霊感のある観光客が湖に近寄るのを恐がり、猪苗代を守っていた仏様方は恐竜に怯えて逃げ出した。 すると湖に悪い物が集まってしまい、県内外から入水自殺者までもが引き寄せられるようになった。 当然猪苗代の評判はガタ落ち。ただ、本当の問題はその後に起きた。 集まった悪霊を吸収して力をつけたその恐竜が、湖を出て市街地で暴れだしたんだ。
 DNAを持つ動物から生まれた命と違って、人工の魂の本能は、完全に作り手が創造した通りになる。 肉食の獣という設定の魂を作れば、その魂はたとえ触れられなくても草食動物に付きまとい続けるし、 薬物中毒者という設定にすれば、その魂は消滅するまで永遠に苦しいまま生きる事になる。 玲蘭ちゃんは猪苗代湖の恐竜を作る時、湖に誰かが来たらともかく暴れ回るように作ってしまったらしい。
 ◆◆◆
 恐竜騒動が始まってから数週間後、猪苗代の中学に通っていた私は、石筵の和尚様に呼び出されてこの件について何か知っているか尋ねられた。 友達の引き起こした不始末を告げ口するようで気が引けたが、私は仕方なく恐竜の正体について打ち明けた。
 すると和尚様は私を、山の麓の熱海町(あたみまち)にある、大峯不動尊(おおみねふどうそん)という小さなお寺へ連れて行かれた。 そこで二人で影法師を呼び寄せる真言を唱えると、萩姫(はぎひめ)様が現れた。 不動明王様のお告げで福島に来られた平安時代のお姫様で、死後は影法師にとっての神様のような存在になられたお方だ。 和尚様が萩姫様に事の顛末を説明すると、萩姫様は私にタルパを作って恐竜を止めるように命じられた。
 私は不動尊の近くにある滝のほとりに座って、揺れ続ける水面にタールのような黒々とした影を広げながら、どんなタルパを作ればいいのか考えた。 自分が作れる薄べったい影絵の体で悪霊と戦えるほど強い魂を作るのは相当難しい。 けどそれ以上に、ずっと遊び半分だった1人の命を産むという行為の責任の重さを、私はこの時ようやく理解した。 もしも私がタルパに無責任な本能を与えてしまったら、その子は玲蘭ちゃんの恐竜のように、苦しみながら他の災いを生み出してしまうかもしれない。 恐竜をやっつけるその場しのぎの設定だけじゃ、ぜんぜん済まないんだ…。
 結局その日は何もできないまま帰宅した。 夜、風呂場でぼーっと今まで作ってきた影法師達について考える。 虫みたいな小さな生き物の魂は、近くに卵や赤ちゃんがいれば自然と吸い寄せられて吸収される。 それを転生と呼ぶか消滅と呼ぶかは人それぞれだけど、少なくとも彼らは新しい命の一部になる。 九十九神(つくもがみ)、物に宿る小さな神様は、物が壊れるかゴミとして処理されるまではその物に宿り続ける。 たまに職人さんの子供に宿って、その子の才能の一部になる事もあるらしいけど、基本的に彼らは自分では動かない。 でも、これから私が作ろうとしているのはもっとずっと大きな魂だ。 きっとこの騒動が終わった後も、私と同じくらいか、私以上に長く存在し続けるかもしれない…。
 長風呂でのぼせ始めた頃、浴室に1羽の小鳥の幽霊が飛んできた。 よく見るとそれは、オカメのお面を被っている。というより、人面鳥だ。
 「…オカメインコ?」 私はその子を見た瞬間、真っ先にそんなオヤジギャグを口走っていた。 するとオカメインコが私をじろりと見上げて言った。
 「ちょっとやめて頂戴、アナタまでサ。 アタシの事忘れたの?アタシよ、アタシ…。」
 そう言うとオカメインコは、黒い影の姿になり、浴室のタイルにビタッと貼り付いてみせた。 壁面にまるで影絵のように浮かび上がる小鳥のシルエットを見て、私は思い出した。 この子は私が修行中に作った小鳥の影法師タルパだ。
 「すごい!どうやって3Dの体になったの?」
 彼女いわく、ある日熱海町の辺りを飛んでいると、源泉神社(げんせんじんじゃ)で深沢(ふかざわ)の名水を守る龍神様に捕まったらしい。 そしてイタズラに知能を与えられ、自分が人間によって作られた偽物の小鳥だと知る。 すると彼女は自分も人間に近付いて人工の魂を作ってみたくなり、龍神様に頼んで人間の顔を付けて貰ったのだという。
 「せっかくだから美人にして頂戴って頼んだの。だから最初はアタシ、自分がゼッセーの美女だと思ってた。 でもいざ人前に出てみたら、酷いのよ!みーんなアタシをオカメインコだって笑うの! あのふざけたドラゴン野郎、わざとやったんだわ!!」
 石筵は和尚様や玲蘭ちゃんのように、式神や生霊、タルパといった人工の魂を作る修行者が多い。 そしてそういう人の中には、文化の継承や土地を守るために、妖怪や神様の魂を作って管理する生業の方々がいる。 不思議な神通力を使う龍神様だなんて一見ファンタジーめいているけど、 石筵の麓にある熱海町の神社でなら、神様の役割を担う魂が祀られていてもおかしくない。私はオカメの話に納得した。
 プリプリと怒っているオカメをあやしながら、私は自分の部屋に戻った。 (廊下ですれ違ったお父さんが「オカチメンコ」と呟いて、メチャクチャにつつかれてた。) その後はお互いに近況を語り合い、恐竜の件の話になった。
 「勝てるかな?影のタルパでも。 だけど…もし戦いが終わったら、その後その魂はどうなるんだろ?」
 するとオカメは、私を小馬鹿にするようにため息を吐いて言った。
 「アナタ、バカね。どうして痛めつけるのを前提に考えてるのよ。 人工だろうが天然だろうが、誰だって生まれつきの本能ぐらい持っているわよ。 でも生き物って、自分の本能を満たすために知恵を絞るから繁栄できるんでしょう? 鳥が巣を作るのも、蟻が食べ物を運ぶのも、生存本能や食欲を満たすため。 人間があれこれややこしい事をするのも、安全で幸せに暮らしたいからじゃないの?? だったらその恐竜ちゃんにも、やっつける前に正しい本能の満たし方を教えてあげるべきよ。」
 彼女の言葉は目から鱗だった。まだ幼くて何も知らなかった私が作ったただの小鳥の影絵がいつの間にか成長して、 まるで私よりも大人のように立派な事をスラスラ言ってのけた事実が何よりも説得力を帯びていた。 私は思った。一人で無い知恵を絞ろうとするより、この子と協力して玲蘭ちゃんの恐竜を止める事は出来ないかと。 今まで自分にとって「動く影絵」でしかなかったタルパが本物の命だと教えてくれた彼女なら、きっと…。
 「お願い。猪苗代湖の恐竜を止めて欲しいの。 そのために必要な事は何でもするから。」
 オカメは私に二言だけ願いを告げた。
 「この不格好な姿だけでも作り直して頂戴。あと、ちゃんとした名前をつけてよね。」
 ◆◆◆
 翌日の放課後、私は自分の影に1人のタルパを宿して猪苗代湖に向かった。 その魂の名前は「リナ」。空を飛べて、恐竜とお話できるぐらい大きな宇宙人。 彼女の本能は、人工の魂を作る研究をすること。 本人の意向を汲んで、人間に変身できるようにした。 顔は家にあった芸能雑誌の、「今年の美男美女芸能人ベスト10」で1位になった男女両方を贅沢に足して2で割った顔。 (結果ヒゲの生えたオネエさんみたいになったけど、リナは「両方のトップの顔を兼ね備えたアタシこそ最強の美人」だと言い張っていた。) それ以外はぜんぶ自由。私は他に一切手を加えていない。
 猪苗代湖の玄関口、長浜(ながはま)に到着すると、辺りは静まりかえっていた。 この時期はいつもなら白鳥が飛来して、観光客や大きな遊覧船で賑わっているけど、その日は閑古鳥すら鳴かないもぬけの殻だった。 穏やかな湖面にそっと手を入れてみると、海の水とは違う生ぬるい淡水の感触が伝わってくる。
 その時、地鳴りとも汽笛ともいえない「ズーン」と重い唸り声が上がり、湖の中腹から高い波が湖畔に迫ってきた。 私達はコンクリート打ちの道路に駆け上がった。それでも沖に到達した高波は、せり上がって私の膝から下を強く打ちつけた。 湖の水がスニーカーの中に入りこんでいた砂浜の砂と混ざりあって、私はまるで金縛りに遭ったように足が重たくなるのを感じた。
 体勢を立て直して湖面を見ると、遊覧船よりも大きな恐竜の霊が、私達を鋭い眼差しでねめつけていた。 有名なUMAのネッシーにそっくりな、首長竜だ。 親の世代が若かった頃は、ネッシーブームにあやかって世界中の湖でこういう恐竜の目撃情報が多発したらしいけど、 まさか現代の猪苗代湖で恐竜の怨霊が暴れ回る事になるなんて、誰も予想できなかったと思う。
 「へえ。これが沖縄の巫女が作った魂なの。」 リナは私の影から湖面にするすると伸びていき、巨大化しながらカラフルで立体的な姿に変身した。 宇宙人としての彼女の姿は、「でかくて強そうだから」という単純な理由で、アメリカで目撃されたフラットウッズモンスターという宇宙人の姿をモチーフにした。 栗型の頭部にハロゲン電球のように光る2つの目、枯れ枝みたいに硬くとがった腕や鉤爪に、昭和のスケバンのロングスカートめいた円錐状の下半身。 モンスターと名がつくだけあって、恐竜と並んでもなかなかの大迫力だ。 リナが恐竜の近くへ飛んでいくと、恐竜は玲蘭ちゃんが作った本能に従いリナを攻撃しようとする。 でも、リナは小鳥だった時と同じようにひらひらと宙を飛んで攻撃をかわしていた。
 2つの魂の演武に見とれているうち、気がついたら私の周りにも悪霊が集まっていた。 成仏できない動物から、俗世に恨みを持つ人間、それに、これまた誰かが人為的に作ったらしい、呪いの擬人化みたいな怪物まで。 私はむかし和尚様から教わっていた護身術で、それらの悪霊達を1つずつ処理していった。
 淀んだ気配が薄くなってきた頃に再び湖面を見ると、恐竜はすでに目を回しているようだった。 ずっとくるくる飛び回るリナに翻弄されていたみたいだ。 リナは龍神様から学んだらしい方法で、私達と会話ができるように、恐竜の魂を昇華させた。
 「恐竜さーん!どうして暴れるんですかぁー!?」 私は大声で恐竜に問いかけてみた。 恐竜はまだ自分が喋れるようになったと気付いていないで、混乱しているようだった。 しばらくまごついて、やがてしどろもどろに口を開く。
 「わからない…さー…。私は…波…。 湖に風が吹けば…私も暴れるさー…。」 リナの術で辛うじて理性を得ているけど、恐竜はまだ目の焦点も定まっていなかった。 波…。きっと、今までは感情も意識もなくて、自然現象のように暴れていたんだろう。
 「特に理由がないならもうやめてー!あなたが暴れたら、みんな困るんですー!」 私は恐竜に声をかけ続けた。恐竜は困った顔をして応える。
 「それは…難しいさー。誰かが来ると、私…なんだか体がうずいちゃうのさー。」 恐竜は今度ははっきりと、暴れたい欲求があると自認しているようだった。 私に言葉を伝えようとするごとに、恐竜の自意識がだんだんと出来上がっていくのを感じた。
 今度はリナが恐竜に問いかける。「ねえあんた、暴れるのは楽しい?」 恐竜は更にはっきりと答えた。「そうさー…楽しいのさー!」
 するとリナは、急に恐竜の頭の真横で大きく宙返りをした。 スカート状に広がった下半身が恐竜の頭をパーン!と音を立てて打ちつける。 恐竜は豆鉄砲を食った鳩のような顔をして、少しうなだれた。
 「い、痛いさー!何するのさー!?」 リナは意地悪げに目をまたたかせ、恐竜の鼻先を指さして言った。  「あら、ごめんあそばせ。目の前であんたが動いたから、思わず暴れちゃったわ。」
 「恐竜さん、わかった?人前で暴れるのは危ないんだよ。 今みたいにぶつかって怪我をしたり、虫とか小さい子は死んじゃうかもしれないんだよ!」 恐竜は悲しそうな顔をして、大きく2回頷いた。 私達の言いたかった事が伝わったみたいだ。
 「でも、どうしたらいいさー?私、湖に人間さんがいっぱい来たり、お船さんが泳いでるの見ると、どうしても我慢できなくなっちゃうさー…。」恐竜が自信なさげに言った。 確かに、暴れるという本能から生まれて来た子にとって、それを我慢し続けるのは、人間が絶食や徹夜をするのと同じくらい過酷なんだと思う。 私はどう答えればいいかわからなくて、ただ「そうだよね…」と呟いた。
 するとリナが、私の方を向いて尋ねてきた。  「…ねえ。恐竜の出る湖って、そこまでマイナスイメージかしら?」  「え?」
 「UMAブームってやつ?結局この子の元ネタって、人間がいたらいいな!って思って探していた生き物なんでしょ? それなら…人間やここいらの神様方にとって危なくなければ、この子は別に暴れていてもいいんじゃない?」 なるほど、一理あると思った。危なくない暴れ方…。 映画とか遊園地のアトラクションみたいな…。
 「そうだ。ねえ!暴れるとき、人間とか船から少し離れることってできる? 誰にもぶつからない湖のド真ん中なら、暴れても大丈夫だから!」  「え、本当さー?ぶつからなければ、みんなを困らせないで済むのさー?」  「うん!むしろ、どんどん暴れちゃって!その方がみんなも喜ぶと思う!」
 恐竜は子供のように無垢な笑顔になった。  「私が暴れて…みんなが喜ぶ…!」 その表情にはもう、心を知らない悪霊の時の面影は完全に消えていた。
 ◆◆◆
 それから数日後、私はある晩、玲蘭ちゃんの家を尋ねた。 玲蘭ちゃんのお母さんに手土産を渡してから、私達娘2人はリビングのテレビをつける。 その日は、心霊特番で猪苗代湖が取り上げられる日だった。
 恐竜の悪霊を見たという人のインタビューや、入水自殺者の事が放送されて、玲蘭ちゃんは気まずそうにリモコンを手にした。 でも私は、いいから見てみて、とその手を抑えた。 番組の取材班と有名な霊能者が猪苗代湖に行って霊視をする。 霊能者はしばらく湖面を見つめてから、カメラに向かって説明を始めた。
 「確かに恐竜の霊…いえ、精霊のようなものがいます。 ですがそれは、誰かの想いが作り出した生霊のようなものだと思います。」 玲蘭ちゃんは驚いて、「当たってる、あの人インチキじゃないんだ」と意外そうにつぶやいていた。
 「この恐竜は、人に危害を加えようとしているのではありません。 湖にお客さんが来ると、嬉しそうに踊っているんです。 きっと、猪苗代湖を観光地として盛り上げていきたいという、地元の方々の想いから生まれたのでしょう。 ですが、その想いが強すぎて、この辺り一帯の気が乱れて悪い物まで吸い寄せてしまったようですね。」
 その後は霊能者がお祓いをして神様を呼び戻し、そこで猪苗代湖の特集は終了した。 玲蘭ちゃんはしばらく呆然として、ふっと我に返ったように家を飛び出した。
 後を追って玄関を出ると、玲蘭ちゃんは自転車にまたがっていた。 私も急いで自分の自転車のキーを外し、彼女を追いかける。 田んぼや畑ばかりの一本道を突き進み、彼女が自転車を止めたのは、猪苗代湖畔のサイクリングロードだった。
 「ハゼコー!!」 玲蘭ちゃんが湖に向かって叫ぶ。するうち湖面がせり上がって、恐竜があらわれた。 この子の名前はハゼコちゃんというようだ。
 「アンマー」沖縄の言葉で、ハゼコちゃんが玲蘭ちゃんをママと呼んだ。 玲蘭ちゃんはハゼコちゃんに手を伸ばして、長い首を抱き寄せた。
 「ごめんね、ハゼコ…。 私…ただ、お父さんに元に戻って欲しかっただけだったの。 私のお父さん、バスの運転手で…でも、猪苗代に来てから、コソコソよくない事をしてたの。 だから、もうここから出ていかなきゃならなくなればいいんだって思って。 それだけの理由でハゼコを作って、猪苗代湖をめちゃくちゃにして… 大変な事しちゃった。ハゼコにも、すごく苦しい思いをさせちゃったの…。」
 ハゼコちゃんは涙のつたう玲蘭ちゃんの頬を、舌で不器用に拭った。  「そうだったんさー…。アンマーは、オトウサン…アンマーのスー(父親)に悪いことをやめてほしかっただけなのさー。 だったら、もっともっと猪苗代湖を盛り上げていけばいいのさー!」  「え?」
 「猪苗代湖が元気になれば、アンマーのスーも忙しくなって悪い事ができなくなるのさ~。猪っ苗っ代っ湖さ~!」 ハゼコちゃんが朗らかに歌いながらくるくる回ってみせる。 玲蘭ちゃんも、目尻の赤くなった顔を上げて笑顔を見せた。  「猪っ苗っ代っ湖さ~、あいでみ!めんそーれ!」 二人は会津弁と沖縄弁のめちゃくちゃに混ざった言葉で歌った。 猪苗代湖を騒がせた事件はもう大丈夫だと思って、私は楽しそうにはしゃぐ二人を背にそっと自転車にまたがる。 そのまま湖から立ち去ろうとすると、ハゼコちゃんが私を呼び止めた。
 「待ってさー!お姉さんの名前を教えてさー!」 残念、漫画みたいにクールに退場しようという青臭い試みは潰えてしまった。 私の影の中に潜んでいたリナが、それをくすくすと笑う。 私は照れ隠しにはにかみながら振り向いて、ハゼコちゃんに改めて自己紹介をした。
 「私はひとみ。紅一美(くれないひとみ)です。」
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7-ships · 7 years
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(再掲・次の冬を思い出す)
そもそも、つっかえたらまた最初からなんて約束するもんじゃなかった。
右耳の後ろでザブッとした音の直後に、無言で「心配」を体現したような颯爽さで近づく音。タン、タン、タン、と足元で音がする。落涙。
それを見たくても見られないのは、染み込みやすい壁に放水でなんかを描いてるやつらが左舷の先にいるからだ。 濡れると黒っぽくなる壁を塗りたくる彼らは、夜を拡げるという密かな任務を遂行している。昨日の夜も一昨日の夜も彼らが作ったのだろう。
本船が橋をくぐるときには決まって、おーい、と声をかけて去っていくトレンチコートに白マスクの男がいる。
巨大なアーチ型の水門の隣の小さい方の水門をくぐるときは年寄りのアオサギが飛び立ち、水面の水鳥は魚雷と相似形を持つ。先頭の背中にはしがみつく魚人の悟ったような顔。
クレーンの空き地に転がる無数の野球ボール。隣りの高校球児は帽子が水に濡れるのを嫌がる。
ゴルフ的場の二階の人たちに冷凍したボラでスイングしてもらうように交渉する女性の姿がある。彼女の弟は尾ヒレまで入れた全長84センチのスズキをフルスイングして、正面に据えてある的の中心を二度も射抜いた。びっくらぽん。
サギ、ボラ、スズキ。糸網には井戸から這い上がったカメが二匹。
煙幕の匂いに興奮した鵜が一斉に首を伸ばし、滅多に打ち出されない虹色のゴルフボールのみを正確に空中で咥えては、巣に持ち帰る。巣の中身はとても煌びやかだが、キラキラすればするほど巣自体が地味に見えるということに、この鵜は納得がいかない。
阪 神マリーナの屋上から大量の湯気が出ているのは、フットサルチーム全員分のカップ焼きそばの湯切りをしたせいだ。湯切りが済むと煙突のハシゴを登って水路 の奥、享保元年より代々受け継がれる水防団のアジトに、本船通過のサインを送信する。切られた湯はヒスロムのアルミボートを満たすたびにベコンと音を鳴ら し、最終的に辰巳兄弟のウェットスーツの中をあたためるメカニズムに組み込まれる。
直径4メートル超の銀の玉は、監視の人々の手を離れて、自らに風穴をあけた。内側の金から吹き出すシンナーの臭いに混ざって、人生を振り返る懐メロが聞こえる。
黄 色のビブスを身につけたチームは、全員が同じ「山田」のゼッケンをつけたまま走っていて、三軒家水門を本船が通ると同時にコートを飛び出すと、ブザーの音 量に呼応するように、小屋の中で折り重なる。つい一瞬前まで走っていたものだから、全員の呼吸で窓は曇りがちだ。小屋の壁はペンキを塗り立てだったので、 玉から飛び出すシンナーの臭いと相まって、11人の山田たちはときどき戦力外通告を受けてしまうほどだった。戦力外通告を受けた山田は、掘と辻の交差する ベンチで携帯の待ち受け画面に登録されていく。
タン、やや荒めにタカ、タン、と足元で音がする。落涙。
サギ、ボラ、スズキ、カモ、コイ、ナマズ、ドジョウ、ブルーギル、フナ、ウナギ
船と川のイベントで乗り込む人が、船川さん。あぁ、このイベントにもってこいの名前ですね、こんにちは。早川さん、どうもこんにちは、船川さんに続いてピッタリの名前ですね。 ディ テールに脚をとられると進めないので、早川船長にフットサル場へと急いでもらう。西の村からでてきた彼の訛りはいつも聞き取りづらいが、今回ばかりははっ きりと、こちら裏船。小豆が船酔いしないために大きな坪のかたちをしたトランペットが必要です。どうぞ、と聞き取ることができた。
わ たし一風堂の人とよく間違われるんですよ、というアナウンスが土から本船に届く頃には、もう玉の鏡面に写り込んだ反対側にたどり着いていないと間に合わな いので、願ってない事ばかりを口にするように気をつけていた。いつしかそのせいで自分がオオカミ少年と呼ばれることになったとしても、仕方のないことだ。 プロペラにロープが絡みついてエンジンがかからなくなり漂流しても、シャチに追われたアザラシが後部座席に飛び乗ってきても、もはや誰も信じてはくれな い。
ぽつりぽつんつん、おっことすまで、すっとことん
小雨で沸騰した石と温水カイロのせいで東横堀川の温度が0.02℃上昇し、塩の間に挟まった大男が直径2.6メートルの黒玉を担いで水門を通り過ぎる。そいつを凹んだ水面に浮かべたら、釣り元をたどって親綱を手にし、反対側を小屋の中に窓から引き入れてもらおう。
U 字の鉄に5メートルの長い���の棒を刺したり抜いたりしながら、その細い先端に透し彫りで彫り込んである文字列。コイ、ナマズ、ドジョウ、ブルーギル、フ ナ、ウナギ、スズキ、アジ、サバ、ボラ、ヌートリア。ぽんつく、おっこと、すっとんとん、という3人組の名前をゆっくりイニシャルで読み上げたら、裏船は すっかりヌートリアの家族に包囲されていた。
ふたたび巨大なアーチ型の水門を出たところで、大きな貨物船が横切る。明日の裏船には九代め、海賊の末裔の娘が乗船することになっている。
ch30。大家さん違います、乗り込むのは僕らの船じゃありませんよ。
汽 笛を鳴らし近づいてくる、大きな星のマークの巡視船。おまえら次見かけたら十中八九拿捕する、とわざわざ忠告しにやってきた白い制服の2人組。防波堤につ けた星の船体は、水面の弱い反射を拾って鈍く灰色に光る。昔のパソコンみたいな色だなぁ、なんて思って眺めているとキラキラ反射を映す対岸には普段は見慣 れないマンション群の背中。ルームライトにぼんやり、あなたの横顔が写る。もう送られる事にもなれてしまったみたい。
もうすぐ最後の船着き場が見えるはず。それほど遠くに来たわけではない。ぼんやりと思い出せる。そうだ、最初は良き啓示だと受け取ったんだった。
セーラー服が雨に濡れてしまっても気にしない。港では川底の小石を浚って温めたスープが、下戸屋で乗組員の帰りを待っているのだから。夜の水路は水深を考えられないようにできている。辰巳弟から、カヌーの先っぽが川底に刺さって抜けなくなったという知らせがch7に届いたので、今日のところはこのまま離脱する。
アルミボートは星のマークに追われて海に出たまま戻らないだろう。
ch30。船長、ガス欠です。もう現在地がわかりません。
ノイズに埋もれて次第に声が遠のく無線とは引き換えに、季節外れのロケット花火は「懐疑」と「歓喜」のちょうど中間にある甲高い音を水面に写し、そのまま黒い夜に溶け出していった。
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yuseis16 · 5 years
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展望台と無料温泉が観光名物!写真好きが式根島を旅行してきた。
こんにちは、ゆーせーです。
11月の三連休に伊豆七島の神津島と式根島を旅行してきました!
天気にも恵まれて素晴らしい無料キャンプと無料温泉も楽しめたのでぜひ紹介したいとおもいます。
今回は式根島編です!
神津島編は下記をどうぞ
[kanren id=”20304″]
離島ひとり旅 posted with ヨメレバ 大畠順子 辰巳出版 2018年07月31日 楽天ブックス Amazon Kindle 7net 式根島でランチ
神津島から東海汽船のフェリーで式根島にやってきました。
神津島から式根島の到着は11時20分。ちょうどお昼時ですね。
というわけで式根島の釜の下キャンプ場にテントを設営して、ランチへ!
式根島では神津島のようにキャンプサイトが無料です。
また、夏期やゴールデンウィークなどのシーズン中は式根島では大浦キャンプ場が開放されますが、シーズン…
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cookingarden · 6 years
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マルク・レビンソン『コンテナ物語』
本の帯に「世界を変えたのは『箱』の発明だった」とある。「箱」は起業家でもあり発明家でもあったマルコム・マクリーンによって生み出され、その後の半世紀で世界の物流を激変させる立役者となった。 しかし、本書の最終章「コンテナの未来」で著者は、「箱」が巨大な廃棄物となりテロや核汚染物質の隠れ蓑として使われる不吉な現状を書き記している。発明から半世紀を経て「箱」は、富の運び手としての生涯を終えるのだろうか。その予見からすでに13年が過ぎた。 著者ははじめ、「箱」を発明したマクリーンの物語を書くつもりだったようだ。しかし、幸いなことに本書には、マクリーン個人の物語に止まらず、「箱」が海運業界を大きく変貌させていく様子が描かれている。学術的な資料がほとんど残されていないという海運業界は、貴重な歴史資料を手に入れたことになる。 本書の価値はそれだけではない。コンテナという改革がもたらした労働への影響は、まさにいま進行中の、これからわたしたちの現実となるAI時代の失業を考えるうえで、重要な示唆を与えるものとなっている。
経済発展のなかで顧みられなかったコンテナ
マクリーンが発明した「箱」が、最初にコンテナとして船に積み込まれ航海に出たのは、1956年4月だったという。そのころ港には、コーヒー袋を肩に担いで運ぶ日焼けした沖仲仕(おつなかし)が群れをなしていた。サンフランシスコ湾で沖仲仕をしていたエリック・ホッファーが『波止場日記』を書いたのもこのころだ。当時の海上輸送運賃は、「商品によっては運賃が製品価格の25%にもなる」ケースがあったというから驚く。
しかし、高額だった当時の海上輸送費はやがて一変する。「10年後の1966には、世界の工業製品貿易の伸びは、工業生産高の伸びの2倍、世界経済成長率の2.5倍を記録した」という。これについて著者は、通常はGDPの伸びが貿易を促進するが、貿易がGDPを上回った背景には何らかの理由があるとして、つぎの三つの要因を挙げている。1)
1)輸送技術の変化があった。 2)イノベーションが重要な役割をはたした。 3)輸送コストが経済地理学に影響をおよぼした。
このすべての要因にコンテナが影響したというのが著者の見方だ。しかし、これまでその影響がまともに取り上げられたことはなかったという。なぜ、コンテナは注目されないのか。この疑問が、著者に本書を書き進める動機をもたらした。 影響があったといえば確かにそうだろう。バラ積みとコンテナの間には、アナログとデジタルほどの質的な違いがある。コンテナの登場により、形態の定まらない不定形な量が、同じ形の個数で扱えるようになったからである。マクリーンが行なった「箱」の発明は、たしかにイノベーションの発火点になっている。 さらに、「箱」が流通するようになると形状の規格化が求められる。それによって、サイズや耐久性、関連する業界規格、そしてクレーンや船の形までもがつぎつぎと新しくなり、統一されるようになった。それによって生産や流通の無駄が減り輸送量が増えてくる。こうして輸送技術全般の技術革新の進展とともに、リカードが経済のメカニズムとして考慮しなかった国際輸送のコストが引き下げられ、結果として貿易量の伸びがGDPの伸びを上回るようになったというわけである。 マクリーンに翻弄されながらも進んだ改革 本書には、こうした変化の荒波のなかで、現場がどれほど激しい混乱に陥ったかが実に詳細に書き記されている。マクリーンは企業の買収と売却を繰り返し事業を拡大してく起業家だったが、それと同時に、大胆に素早く改革を進める行動力を持ち合わせていた。すべての混乱は彼が火種を蒔いたといっても過言ではない。 マクリーンが「箱」を発明した後、まず持ち上がったのは労働問題だった。荷役の機械化は港湾労働者の仕事を奪うことになる。最初のコンテナが積み込まれてから2年後、すなわち1958年の段階で、はやくもマルコム・インダストリーズの経営陣はつぎのように述べている。2)
「コンテナ船の荷役には在来船の6分の1の時間しかかからず、労働者の数は3分の1で済む」
沖仲仕が肉体労働で荷物を積み込んでいた時代に、経営陣が突然こうした話を持ち出せば、当然のように混乱が起こる。「そもそも貨物をコンテナなんぞに入れるのがけしからん」という話まで出たとある。そして、その数ヶ月後には、2万1,000人の港湾労働者がマディソンスクエアガーデンに集結し、機械化反対を唱えて気勢を上げたという。 雇用を守ろうとする労働者側と、機械化を進めようとする経営側の激しい応酬はもつれにもつれ、東海岸から西海岸の海事関係者を巻き込んだ闘争に発展する。西海岸ではエリック・ホッファーが、後に成立することになる「機械化・近代化協定」の賃金保障にたいし、労働そのものを手放してはならないと主張し反対を表明したとある。3) 一方、東海岸では組合自体がまとまらず紛争が長期化した。そして1962年、ついにケネディ大統領が介入する事態に発展する。ケネディが指名した調停団の勧告は、いつまでもコンテナ化を拒否するつもりなら、政府は断固とした措置を取るというものだったそうだ。それでも事態は収集せず、問題はジョンソン政権にもつれこむ。最終的に労働者側と「年間所得保障」で決着を見たのは1965年のことだったという。4) 混乱に陥ったのは労働問題だけではない。規格をめぐる混乱も起きている。無秩序なコンテナ開発に歯止めをかけようとする行政機関、コンテナの大きさや固定方法をめぐる規格関連団体間の交渉はやがて大手海運会社、航空会社、鉄道を巻き込み、国境を超えたせめぎ合いへと発展する。本書に登場する規格関連の機関や専門委員会の数は、おそらく10を下らないだろう。この争いは10年以上つづき、やっと1966年ごろから国際コンテナ輸送が現実味を帯びはじめたようだ。 結局、マクリーンが蒔いた火種は運輸に関係するあらゆる組織に燃え移り、10年間も燃え盛った挙句やっと沈静化したのである。その一方、時間と体力を消耗する労働は波止場から姿を消し、安定した収入が保障されるようになった沖仲仕は、「ちっとも楽しくなくなった」とこぼすようになったとある。 そして著者は、問題がすべて解決したわけではないとしながらも、���この間に航空士組合は計器飛行導入に伴う解雇を認め、鉱業労働連、植字工組合、国際婦人服仕立て職人連合、アメリカ音楽家連盟なども機械化に直面し、雇用確保に苦労している」とし、「港湾労働者の協約は、その意味ではお手本だった」と述べている。5) コンテナが押し上げた世界経済とマクリーンの足跡 労働問題や規格統一に揺れた10年が過ぎると、徐々にコンテナが経済に影響をおよぼすようになる。本書のなかからマクリーンの動きとともに、その概要を整理した。MI社とあるのは、彼が設立した海運会社マクリーン・インダストリーズの略である。
1962年:コンテナの貨物に占める割合は微々たるものだった。 1966年:はじめて大西洋でのコンテナ輸送サービスがはじまる。 1968年:ベトナム向け戦争物資のコンテナ輸送がフル稼働に。 1968年:日本最初のコンテナ船がアメリカに向けて出航。 1970年:欧州向け軍用貨物の半分がコンテナで運ばれる。 1972年:シンガポールでコンテナ船専用埠頭が開業。 1972年:高速コンテナ船の規模が全長270mに達する。 1977年:MI社がユナイテッドステーツ海運を買収。 1980年:コンテナ船の積載能力が1,000万トンに達する。 1982年:MI社がコンテナ船14隻を韓国の大宇に発注。 1985年:MI社、6,700万ドルの赤字に転落。 1985年:油価急落により、低速のMI社は競争力を失う。 1986年:MI社、2億3,700万ドルの損失を計上。 1986年:MI社、12億ドルの負債を抱えて倒産。
コンテナの活用がはじまって最初の10年で、大型コンテナ船が活躍する場は世界規模になり、その後の10年でコンテナ船の大量建造が急激に進みはじめた様子がよくわかる。本書に掲載されているフルコンテナ船の隻数と積載能力の推移を示す図によれば、1965年から1974年の9年間で、コンテナ船の積載能力はおよそ35倍にも増加している。6) その一方で、海運業界の競争は激しさを増し、マクリーンが創業した海運会社は倒産の憂き目に会っている。著者は倒産の理由について、マクリーンが所有していたユナイテッドステーツ海運の船は燃費はよいが船速が遅く、原油価格の値下がりを武器に高速でコンテナを運ぶ他社の船に勝てなかったからだと書いている。そして、2001年5月末にマクリーンは帰らぬ人となった。マクリーンの葬儀が行われた5月30日の朝には、世界中のコンテナ船が汽笛を鳴らして弔意を表したそうである。7) この間の世界の輸出額がどのように変化したかといえば、コンテナ誕生から10年後の1966年には、世界の貿易の伸びは世界のGDP成長率の2.5倍を記録している。さらに調べてみると、その後の変化はもっと激しい。1966年からマクリーンが亡くなった2001年までの35年間に、世界の輸出総額は6.5倍に拡大している。8) その上で、GDPにたいする貿易の伸び率は2.5倍を維持しているのである。9) つまり、マクリーンによって生み出されたコンテナは半世紀以上にわたり、貿易を通じて世界を牽引し続けたことになる。そしてマクリーンは、自分が育て上げたコンテナに押しつぶされるように、この世を去った。 昔話ではすまないAI時代の厳しい現実 コンテナがもたらした大変革のなかで、海上輸送の機械化に職を奪われた労働者は、ほんの10年ほどで波止場から姿を消すことになった。しかし、彼らは新たな職に就けたわけではない。生産性の向上による分け前を所得保障によって受け取ったのである。変わったのは職ではなく生活だった。なぜ、彼らは職を変えることができなかったのだろうか。当時の事情について、著者はつぎのように述べている。10)
「60年代の労働者は基本的な読み書きや計算もできないものが多かったから、再訓練をするのもむずかしかったのである。工場労働者の半分は中学卒程度の教育しか受けていなかった。」
ここに書かれていることは、いまわたしたちが直面している問題を思わせる。コンテナを「AIとロボット」に、港湾労働者を「10年後に消える職業」に置き換えれば、そのままわたしたちの現実になるからだ。いまでは沖仲仕のような肉体労働を目にすることはないが、それに変わるオフィスワーカーが労働者の大半を占めている。そして、マクリーンの時代と同様に、労働者はあらたな機械化の波、すなわちAIやロボットに仕事を奪われようとしている。 それでは、現代の労働者の転職事情はどうだろうか。AIやロボットが活躍する時代になっても、人間にはあらたな仕事があるとする意見も多い。そうしたなか、新井紀子氏は『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』のなかで、全国2万5,000人の基礎学力を調査した結果について、衝撃的な実態を記している。11)
「日本の中高生の読解力は危機的と言ってよい状況にあります。その多くは中学校の教科書の記述を正確に読み取ることができていません。」
「中高生の読解力が危機的な状況にあるということは、多くの日本人の読解力もまた危機的な状況にあるということだと言っても過言ではないと思われます。」
新井氏は2011年に「東ロボくん」プロジェクトを立ち上げたことで知られている。東ロボとは、AIにどこまでのことができるかを解明するために新井氏らが育てた、いわば機械仕掛けの生徒である。新井氏によればその東ロボの実力は、東大に合格するのは無理だが、MARCH(マーチ)の合格圏内にはあるという。12) MARCHとは、明治、青山学院、立教、中央、法政の5大学を指す。つまり、現在のAIは、名の知れた私立総合大学なら入れる実力を持っている。一方で、日本人の相当数が、中学校の教科書が正確には読み取れない状況にある。そうであれば、AIに職をうばわれた人々は、いったい何の仕事に転職できるというのだろうか。 機械化は労働の裾野からやってくる。マクリーンが発明したコンテナは肉体を駆使する労働をうばったが、現代のテクノロジーが生み出した人工知能は、機械的な知識や判断が中心の労働をうばうことになる。データ入力作業、保険や不動産、あるいは納税申告など、決められたルールに従うことで完結する仕事がこれにあたる。すでに日経新聞の決算サマリーは、AIのみで自動執筆されている。13) 住信SBIネット銀行は、AIによる個人向け融資の審査を開始した。14) こうした事例は製造現場からサービス分野まで、急速に広がりつつある。 この状況は、マクリーンがコンテナとともに辿った足跡と、あまりにもよく似ている。マクリーンの時代に、コンテナの規格化が普及に拍車をかけたように、AIがデータを吸収し学習すればするほど、その社会進出は加速するだろう。そして、マクリーンが自分が育てたコンテナに押しつぶされたように、教師であったはずの人間が労働をうばわれ、AIに取って代わられる現代人の姿が脳裏に浮かぶ。 消滅するなかで港湾労働者たちが掴んだ知恵 AIに職を奪われても転職がむずかしい現実のなかで、何よりも問題になるのは、職を失った人々の暮らしである。この難題についても『コンテナ物語』には、貴重な教訓と知恵が残されている。 著者によれば、1951年のニューヨーク港には5万1,000人以上、ロンドンでも5万人の登録労働者がいた。15) さらに、港湾関係の仕事に従事する労働者は50万人以上いたという。16) 。当時のニューヨーク市の就労者数は300万人とあるから、これは市民の17%に当たる。 「箱」が発明されてから最初の10年ほどは、コンテナ化が労働に与える影響は目立たなかった。しかし、コンテナが普及しはじめた1960年代になると、労働問題の深刻化と労働者数の減少が同時進行するようになる。当時、港湾関係の労働がいかに激しく減少したかについて、著者は次のように書いている。17)
「63~64年のマンハッタン埠頭における港湾労働者の延べ労働日数は140万人日だった。しかし、67~68年には100万人日を下回り、70~71年には35万人日に、75~76年には13万人日に減っている。12年間でじつに91%の減少である。」
労働条件をめぐる争いが沈静化したのが1965年ごろだったことを思い出すと、「機械化・近代化協定」や「年間所得保障」による決着は、労働減少が本格化するまでになんとか間に合ったように見える。あるいは、協定や保障のおかげで離職や退職がしやすくなったのかもしれない。いずれにせよ、コンテナがもたらした機械化の弊害を、話し合いでなんとか乗り切ったということだろう。例えそれが喧嘩腰の闘争であり、仕事のやりがいをなくする決着であったとしても。 混乱と苦悩の10年を振り返り著者は、港湾労働者の執拗な抵抗は、一つの原則を確立したとして次のように述べている。18)
「仕事を奪うようなイノベーションを産業界が導入する場合には、労働者を人間的に扱うという原則である。この原則は結局ごくわずかな産業でしか受け入れられなかったし、法律に定められることもなかった。
東西両岸でILA(国際港湾労働者連盟)とILWU(国際港湾倉庫労働者組合)が勝ち取ったもの、すなわち機械化で利益を得る経営陣と職を奪われる労働者とがそのメリットを分け合う仕組みは、ごく稀な例外だったと言える。」
著者が指摘するこの原則もまた、AI時代がはじまろうとする現在に当てはまる。原則は二つある。ひとつは「イノベーションがどうであろうと、労働者を人間として扱わねばならない」、もうひとつは「機械化で得られる利益は、経営者と労働者で分け合わなくてはならない」である。半世紀前に起きた世界規模の機械化のなかで、この二つの原則が生まれたことは驚くべきことではないだろうか。「箱」の発明は結果的に生みの親のマクリーンを押しつぶす怪物に成長したが、関係者の知恵により労働にたいする新たな原則も生み出していたのである。 大失業時代を乗り切るための原則 2018年の現在、以上の経緯からAIとベーシックインカムの関係を思い出す人も多いだろう。ベーシックインカム自体は、産業革命がはじまった18世紀後半からヨーロッパで議論されてきたといわれる。しかし、明確にAIとの関連でベーシックインカムが取り上げられるようになったのは、ごく最近のことではないだろうか。国内でその口火を切ったのは、2016年に刊行された井上智洋氏の『人工知能と経済の未来』ではなかったかと思う。 同書のなかで井上氏は、「2045年には、内実のある仕事をし、それで食べていけるだけの収入を得られる人が1割しかいない可能性がある。」と予測している。19) これは失業者5,400万人、労働者1,000万人に相当する。わたしたちはこれほどの大失業時代を、どう乗り切ればいいのだろうか。いくつかの社会保障を比較した上で井上氏は、AIとロボットがいくらでも生産を高められる社会では、ベーシックインカムは失業対策の切り札となるとして次のように述べている。20)
「所得の一定率、例えば25%をベーシックインカムにあてるというルールを採用した場合、経済成長率と同じような率でベーシックインカムの額は増大していくことになる。」
「もし、ベーシックインカムのような社会保障制度がなければ大半の人々にとって、未来の経済は暗澹たるものになりかねません。ベーシックインカムなきAIはディストピアをもたらします。しかし、ベーシックインカムのあるAIはユートピアをもたらすでしょう。」
考え方そのものはシンプルだ。全員に25%の所得税を掛け、全員に一定額の給付をするだけの仕組みである。この方式が機能すれば、確かに大失業はあっても生活自体に困窮することはなくなるだろう。しかも、ここには半世紀前の失業問題から学んだ、「機械化で得た利益は、分かち合わなければならない」原則が生きている。 もちろん、ベーシックインカムには反対意見もある。その多くは、インフレの懸念、高額所得者の反発、働く意欲がなくなるといったものだ。『コンテナ物語』にも、賃金保障によって「ちっとも楽しくなくなった」とこぼす沖仲仕の話がでてくる。争点はあるだろう。だが、5,400万人の購買力が失われれば生産そのものが行き詰まる。 いまわたしたちは、AIとロボットに職を奪われようとしている。AI時代の転職は、半世紀前よりはるかに狭い道になる。2045年には5,400万人もの労働者が職につけない可能性も指摘されている。300万人の17%が職を失った半世紀前とはまるで規模が異なる。起こりつつあることは、半世紀前の港湾労働者の失業問題よりもさらに過酷だ。 しかし、幸いわたちたちには貴重な教訓が残されている。機械化で得た���益が分かち合われるとき、たとえ職を失っても人間は人間であることができる、という考え方である。これは、天才や偉大な指導者の教えではない。10年におよぶ混乱と苦難のなかから先人たちが現場で学び取ったものだ。その教訓が、ベーシックインカムの議論とダブって見えるのは、わたしたちの未来に対する一筋の光明ではないだろうか。
1)マルク・レビンソン『コンテナ物語』日経BP社, 2007年. 2)前掲書, p.146. 3)前掲書, p.160. 4)前掲書, pp.164-170. 5)前掲書, pp.171-172 6)前掲書, p.287(図2). 7)前掲書, pp.315-316. 8)Our World in Data "International Trade"  https://ourworldindata.org/international-trade 9)日本銀行国際局「スロー・トレード:世界貿易量の伸び率鈍化」2016. 10)前掲書, p.171. 11)新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済, pp.172-173. 12)前掲書, p.23. 13)日本経済新聞「完全自動決算サマリー by NIKKEI http://pr.nikkei.com/qreports-ai/ 14)プレスリリース「住信SBIネット銀行と日立、AIを活用した金融機関向け審査サービスの創出に向け検討を開始」2017. 15)マルク・レビンソン, 前掲書, p.40. 16)マルク・レビンソン, 前掲書, p.116. 17)マルク・レビンソン, 前掲書, p.137. 18)マルク・レビンソン, 前掲書, p.173. 19)井上智洋『人工知能と経済の未来』文藝春秋, 2016, p.166. 20)井上智洋, 前掲書, p.235.
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