2022/12/26〜
12月26日
飛行機に乗って長崎へ来ている。
とにかく全てが未知で、それを楽しむ余裕はない…!と、寒さとかウイルスに怯えて出かけた。
飛行機の搭乗が思ったよりライトで、よく考えたら2時間弱で九州まで行けるなんてとっても身軽(?)!機内で年賀状を書いていたらあっという間だった。空港で万全に準備をした旅行帰りの娘夫婦とお母さん3人にすれ違う。すれ違う時に「あーごみ出ししなきゃ…」と言っていて、現実の生活に戻っていくんだな、と思った。年賀状はしらないまちのポストに入れて送った。
長崎空港からハウステンボスまでは、高速バスで海沿いをずっと走った。風景が、なんというか南の方の地形や町並みだな〜、という感じ。暖色系の風景。長崎ちゃんぽんリンガーハットを2軒見た(長崎にもあるんだ!)。
あと、老人ホームがたくさんあった。みんな最後に海を眺める日々を送りたいのかしら。
ハウステンボスは突然現れる。
川(ほぼ海。河口?)を挟んで外側はすぐ民家。
瓦屋根と広い庭の家がある。河口へ降りる階段でずっとうずくまっている人がいて不安になる。電車を待っている間に聴いていたハンドメイドホームが似合う風景。
ハウステンボスの内側は、行ったことないけどオランダみたいだった。オランダみたい、が詰め込まれていて、あまりオランダ的新発見はなく、程々に虚構で安全でのんびりしていた。オランダ要素が雑に置かれていて、大きい靴のオブジェや踊るチューリップのキャラクター、いろんなところにカステラのお土産屋さんがあった。
お目当てのナインチェショップとカフェもすぐ見つけられて、すぐ見終えた。
イルミネーションや夜景がメインなのか、昼間は園芸屋さんがお花を、電気屋さんが電飾をメンテナンスしていた。
電車を30分待ち、長崎駅や新地方面へシーサイドライナーという電車で移動。2両編成だけれど車内はガラガラ���長崎って車社会なのかな?(自転車に乗れない人が多いのって長崎だった気がする…)
長崎を地図で見たときの、入り組んだ地形を縁取って走っているんだな〜と実感する海と土地の風景だった。
駅からホテルまでバスに乗ったけれど、思っていたバス停には止まらず、でも近くまで行くよ、と言われてそのままそのバスに乗った。でも、ちょっと運転手さんとぎくしょくしてしまい途中のバス停で下りてしまった。
出島を歩いたり路面電車や坂の風景を見て元気を出す。やっぱり知らない町の都会(中心地)が好き。ホテルに荷物を置いてからもう一度町を歩いた。
中華街は神戸よりも小さくて、近くの商店街よりも小さい。こじんまりというより少しわびしい雰囲気。そして歩くと至る所に角煮まんのお店がある。
飲食店や商店(八百屋さんやお花屋さん)が充実していて、チェーン店もあるけれど、おしゃれな個人店がちゃんとたくさんあって楽しい。
そういえば空港からの高速バスの途中で見かけた“四次元喫茶”と謳っていた喫茶店が気になる感じだった。
12月27日
朝起きて、もう7時で、でもまだ外が暗くて西日本だ〜、と思った。
山口の祖母の家で、いつも、いつまでも朝が明るくならないの、特に冬はずーっと暗くて不安になったのを思い出した。
8時から10時まで港や駅をお散歩した。
港の風景とても良かった。浜のある海と違って「ポー」っと船の音が聞こえたり、対岸の山に並ぶ家や工場のクレー���が動くのを見るのが楽しい。税関のある町は港町なので、神戸も横浜も長崎もお散歩が捗る。次は名古屋税関と名古屋の港に行きたい。
港を歩いて海鮮丼のお店を見つける。
あまり長崎って海鮮のイメージがない。カステラとびわと牛以外のお土産ってなんだろう?市場みたいな商店街でもかまぼこは見かけたけれど、お魚は見なかった。
長崎美術館を外から眺めて税関へ行った。
美術館は川(河口?)を跨いで建てられていて、海近くなので流れもなく運河のようで、昨日のハウステンボスよりずっと生きた都市としてのオランダみたい!と思った。
メットライフに出勤する方々に逆行して長崎税関へ行くと、入口にもうカスタムくん!
だいぶ愛らしいビジュアル!
税関は、昔は神戸と同じような船を模した近代建築だったらしいけれど、昭和40年ごろに今の、いわゆる庁舎っぽい四角い建物になってしまったそう。
カステラカスタムくんとちゃんぽんカスタムくんも可愛い。
出島の周りには隠れてミッフィーがいて“長崎はまちにもミッフィーがいてかわいいよ”と、友人にメッセージを送った。
眼鏡橋へ行くと、あ、ここは来たことがあるかも!と思います。連れてきてもらって、そのあとおすすめのカステラ屋さんにも連れて行ってもらって、でも人任せすぎて全然覚えていなかった。せっかくならそのカステラ屋さんでお土産を買いたかったけれど、文明堂でカットカステラを購入。あと、事前に調べたお店で桃カステラを買った。ホールケーキくらい大きい桃のカステラだったので、こもも(ミニサイズ)を実家へ配送してもらった。
ホテルへ戻り、チェックアウトまで年賀状を書いた。
かなり早く空港へ着いたので、お土産物を見てみる。何という買っても買わなくても同じ的なお菓子のお土産ってどこにでもある。
帰りは窓側だったのでうとうとしながら、雲とか地形とかを眺めた。この2日間眺めることばかりをしていて、集中して見ることができなくなっていそう。でもちゃんと1人で飛行機に乗って帰ってこられたのでえらい!という充実感もありつつ、羽田からの帰路に着いた。
東京に着いて年末だった事を思い出す。
知らない町のの年末はやっぱり知らないでいられるけれど、東京のやけに空いた電車で大きな荷物の人を見ると、年を越さないとな〜という気分になった。
帰宅して儀式的にたくさん消毒して、年末に売るものや洗うもののこととかをもう考えていて、さっきまで港にいたのに、今はいつものスーパーで(やっぱりやけに空いていた)いつもの食材を買っていて、長い長い1日だった。
明日を出勤日にした事を少し悔やみつつ、ちゃんと起きれたら行こう、くらいのマインドで、職場へのお土産をセットした。
今回は鏡の多いホテルだったのに、フィルムカメラで自撮りをしなかったかもしれない。
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横浜山手のレアな電話ボックス
前回はエリスマン邸を少しご紹介しました。今回は、その近くにあるレアな電話ボックスのご紹介がしたいです📞
この電話ボックス、六角形の灯台のような形が特徴で😊
春は上に桜が咲きますが、先日はほとんど葉桜でした。
横に通ってるのが、山手本通りです。神奈中バスも通ってます🚌
この公衆電話は、明治23年(1890)に横浜-東京間でスタートした電話業務の…
100年記念に1990年に設置されたものです。
「自働電話」と大きく書かれているのは、昔、公衆電話は自働電話と呼ばれていたからだそうです。
公衆電話自体が貴重な存在になってきている時代ですが、とくにこの公衆電話は貴重な存在に思えます。
さて。
電話ボックスの横に通る山手本通りあたりには、西洋館がいっぱいあり、開港当時は外国人の住宅街でもあったそうで。
私自身は、数年前、ここから歩いて20分くらいの唐沢というところで暮らしてました。
家から歩いて中華街や元町などに行く時に、この山手本通りを通ってました。
この電話ボックスの前もよく通ってましたし、土日になるとスケッチをする人が多く、そういう眺めにも心を癒されました。
ここの電話ボックスがあるのは、元町公園というところです。
実際に行ってみるとわかるのですが、なんだかこの辺は、ちょっと空気が違いまして…
ものすごく静寂でゆっくりとした空気が流れています。
この電話ボックスの後ろ側に前記事で書いたエリスマン邸があります。
エリスマン邸の向かい側にえの木ていがあります。
えの木ていの隣に山手234番館があります。ちょうどこの電話ボックスの向かい側です。
地図で表示するとこんな感じです。
実際の地図はこちらです。
山手234番館は、外国人向けの集合住宅だったそうです。今でいうと、アパートのような位置づけでしょうか。
そう考えると、やはりこの辺一帯は外国人が住むところだったように思えます。
実は、住んでいた時にこの辺りの歴史を調べてました。
その中で印象的なことが一つありました。
それは、この辺りの外国人の活動エリアは、「住むところ」「ショッピングや食べるところ」「働くところ」「遊ぶところ」の4つに分かれていた話です。
・住むところ:レアな電話ボックスがあるあたり
・働くところ:山下公園あたり
・ショッピングや食べるところ:元町ショッピングストリートあたり
・遊ぶところ:ハマスタ付近や関内あたり
横浜スタジアムがある場所は、昔は遊郭だったらしいので、あの辺一体は遊ぶところだったようですね。
だから、あのあたりは今でもそういう空気があるなぁと感じます。
伊勢佐木長者町とかも、なかなかな空気で、嫌いではないです。
青江美奈さんの伊勢佐木町ブルースのところですね。
おとなりの桜木町あたりにも、似たような空気の飲み屋街の野毛とかありますけれども、ちょっとまた違うのです。
たぶん、歴史が違うのですね。
さて、話を戻しますが。
外国人の住むところ以外の活動エリアは、全て坂を降りたところにあるので、仕事や遊びやショッピングなどで毎日通っていたとなると、すごいなー😲と思いますね。
だって、ものすごい坂ですよ。
わたしなんて、楽したい派なので、エスカレーターで上がってましたから笑。アメリカ山公園と元町中華街駅が直結してるところから上がってました。
エレベーターもあるので便利です。
エスカレーターがあるところはエアコンも効いてて、途中にベンチまで置いてくれてるので、暑い時とかよく休んでましたね😊
ま、熱中症対策の一つです☀️💦
石川町は、ほんとうに面白い街でした。昔の横浜が残ってます。日本らしい昔の横浜と外国風の昔の横浜がわかる街です。
2023/04/17
19:12
カナリヤ響子
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2009.8.29-9.12009年度ゼミ旅行高橋ゼミ 韓国ゼミ旅行2009
8月29日-9月1日の4日間、韓国へゼミ旅行に行ってきました。
8月29日(土),9月1日(火)飛行機での移動
30日(日) 清渓川
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宗廟
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清渓川文化館
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東大門デザインプラザ
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Leeum
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ソウル大学美術館
31日(日) 北村伝統韓屋保存地域
↓
空間社
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景福宮
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梨花大学キャンパス
↓
仙遊島公園
2009.8.29-9.1旅行後、各建築についての対談1(30日)
訪問建物批評
清渓川について 新国×湯沢×濱野
清渓川について簡単に説明しますと、ソウル中心部を流れる川で高度経済成長に伴う都市化の進展や水質汚濁、また増大する道路交通に対応するために川の上に蓋をし道路として使われていました。しかし、かつての清流に川を復元するという事業が行われ、2005年9月に清流として復活した河川です。�
湯沢 最初の印象として高速道路をなくして突拍子もないプロジェクトだと思いました。
新国 清渓川文化会館にも行って思ったけど、もし高速道路でなくもとの川の状態であったらこの計画は実現しなかっかもしれないね。昔の川の様子を見る限り、状態はあまり象が良くなかったけどそこに莫大なお金をかけてまで川を整備することが実現したかは分からないね。
濱野 今の状態になってから街の様子もすごく変わったのだろうというのを感じます。川へ下りて行けて、あんなきれいな空間が続いていると楽しいだろうね。
湯沢 街の中で自由に川で遊べる場所はなかなか無いと思う。日本だと柵があったりして川へ入れないことが多いじゃない。
新国 そこは機械を通して水を調整している事が効いているんだろうね!
湯沢 皆で夜実際に清渓川沿いでお酒を飲みながら過ごしたけどライトの演出もすごくきれいで心地のよい空間でした。(終了)
2009.8.29-9.1宗廟 鎌田×西澤正子×濱野
鎌田 宗廟はどうだった?
西澤 王様の通る道があるのが面白い。
鎌田 韓国って身分とか性別とか立場に敏感でそいうところが宗廟でも感じられた。
濱野 王殿の門をくぐった時に床が高くなってて開けた空間が圧倒的だった。そこで何かが行われていたことを感じた。
鎌田 石畳のスケール感はすごい。
西澤 ディティールじゃなくてスケールが大事なのか?配置が大事で風水が使われているのが面白い。
鎌田 自然の地形を元に配置を決めている。
西澤 王宮と比べたら質素。あと王殿のドアがずれているのが、日本と違うなーと思った。
鎌田 人が使う空間ではなく儀式の為の空間が多いのが不思議だった。
濱野 他にこういう建物を見たことがない。
鎌田 ピラミッドも儀式のための空間だね。日本だと何だろう?実際に儀式が行われているの見てみたい。(終了)
2009.8.29-9.1Leeum 卯月×大澤×山家
卯月 サムスン美術館Leeumはマリオ・ボッタ、ジャン・ヌーベル、レム・コールハウスの三人の有名な建築家の美術館が集合した贅沢な美術館です。今回レム・コールハウスの建築はまだ完成していなかったので他の2人の建築について主に話合いましょう。
山家 みなさん個人的にはどっちが好きですか?
卯月 自分はヌーベルかな。
大澤 自分もジャンかな。
山家 ボクは裏切るようですが、期待を込めてレムかな(笑)
卯月 レムの黒いコンクリートが浮いてる感じがね。(笑)
山家 では気を取り直して ヌーベルのいいと思った点を上げますか?ボク自身は、美術館の原点というか、箱ものの機能を突き詰めてる感じがいいと思いましたね。色づかいなどはやはりヌーベル独特でしたけど。
大澤 んーっと、美術館の「閉じた箱」っていうイメージを具体的に形態として表現しているようで、そこらへんがおもちゃの箱の中に入ったみたいで面白かった。抽象的であるプログラムを凄く鮮明に具象化した建物って感じ。
卯月 しっかりした箱スペースとそれ以外のスペースでいい具合に空間をつくってると思う。展示スペースのすぐ隣には自然光が入ってくる様な自由に移動できる空間があって良かった。あの黒のテクスチャーは独特だね。トイレまであんな感じだった。
山家 美術館に多く見られる白の空間ではなくて、あんな感じの雰囲気にできたのは、現代アートだからですかね?
大澤 あぁ。でも絵画が展示してある場所の壁面はさすがに白��ったよね?
卯月 全部展示スペースは白じゃなかったっけ?
大澤 白か。でも確かに全体の雰囲気としてまず最初に黒が出てくるのは、何でだろう?
山家 そうだっけ???なんか薄暗いかんじが未だに残ってるんですけど。
大澤 あ、ナラさんとか、ジャコメッティーとか黒いとこあった。
山家 やっぱり箱のイメージが強すぎて、その箱が黒っぽい色をしていたから、全体にそう感じてるのかも。
卯月 基本的に展示スペースはニュートラルな白い箱でそれ以外の残余空間は黒かった気が。何点か例外はあったかもだけど。
山家 なんか色の話ばっかになっちゃいましたね。ここで、少しだけボッタにふれておきましょうか?
大澤 ぐるぐるしてたね。
卯月 そうだね。ボッタはとても明快な構成でストレスなくすんなり見れた。螺旋状の動線と展示スペースな感じ。展示→ぐるぐる(抽象的な空間)の繰り返し。規模がこれ以上大きいと飽きてしまいそうだけど。
大澤 ボッタのほうは韓国の古美術が主に展示されてたけど、その仕方と動線の関係から、ちょっとかたいそういうジャンルも見やすかった気がする。ヌーベルみたいな空間にあれ展示されてても見る気なくすよね。
山家 そうですね。なんか美術館みたいな静かにしなきゃいけない場所よりもっとあの階段ではしゃげる施設にあってもよかったかな?なんてボクとしては思いましたけどね。
大澤 まぁ、若干みんなはしゃいでたけど。(終了)
2009.8.29-9.1ソウル大学美術館 西澤×新国×山家
西澤 まずは感想から。新国君はどう感じましたか。
新国 やっぱりあのエントランスのキャンティレバーが印象的でした。ああいうのあまり見かけないからワクワクしました。
山家 遠くの山の稜線となんとなく角度があっていて、それもねらいなのかなって思った。
西澤 それは気づかなかった。
山家 エントランスにしても、裏にしても、ヤジロベーの構造がほんとにうまく機能していたなって感じがしたよね。
西澤 エントランスもそうだけど、裏がすごかった。裏はキャンティというより浮いてるって感じで。
山家 あんまり味わったことがない感覚でしたね。
新国 そうですね。あれを支えているものが、中の階段だってゆうのを知った時は驚きました。逆に、外から構造が透けて見えるのがすごい気になりました。あれはあまり好感がもてませんでした。
山家 あれはなんでだろう。中から透けてるわけでもないようだし。ボクもないほうがいいかなって思いましたね。もっとドッシリとしたものが浮いているほうが緊張感が増すような気がしました。
西澤 確かに。でも上物がかなりマッシブだから、あれくらいの見た目の軽さが無いと結構重苦しいかも。�� そいう意味では構造だけでも透けてるのはいいのかもしれない。�
山家 ちなみに、階段室の半透明の素材は、富井先生曰くSANNAに影響されたらしいですけど(笑
西澤 そうなんだ(笑
新国 階段室の周りに展示室が囲ってる構成でしたっけ?
西澤 半分は動線になってたから、囲ってはなかったと思う。
山家 ただ、質がどこもいっしょなかんじになってた気はする。中の作品がなに一つとして思い出せないほど、建築が強かったですね。美術館としては空間に落ち着きがないように感じました。�
西澤 僕も思いました。
山家 やっぱり室が動線の一部として機能してたからじゃないでしょうか。美術館にはむかないかもね。
山家 僕が一番好感をもったのは、中の講義室ですね。すごく身体スケールに近い感じがして、やっぱりかなり細かなところまで気を使ってるんだなって感じました。
西澤 確かに、外ではあれだけ大胆なことをしつつ、中はかなりヒューマンスケールで考えらてた。
新国 そうですね。しかしなんであんな形にしたんでしょう。あの講義室みたいな空間が下の空間に影響を与えてる点では面白いけど、それが外である意味がイマイチ分からない。とくに大学内だから。公共の中にあったらもっと良い場になりそうだなとか思いました。
西澤 内部が外部に影響してるんじゃなくて外形が内部に影響してるんだと僕は思ったな。ファサードに関して言うと、正面が平らだともっと重たい感じになっちゃうから動きをつけたかったのではないでしょうか。
山家 どちらが先にあったとしても、動線を基本に一貫しているというか、すべてが形にでていたと思います。
新国 そうですね。人の動きを考えて形を導いていった結果があの形なのかもしれないです。
西澤 そう思います。すごく無駄の無い、うまい設計だと思いました。(終了)
2009.8.29-9.1旅行後、各建築についての対談2(31日)
訪問建物批評
北村伝統韓屋保存地域 アルマ×卯月×植松
卯月 北村は最初は高級住宅地だったみたいだね。
植松 ぜんぜんそんな気がしなかった。歩いてみて塀しかみえなくて外観では隣の建物との境界は分かるけど中が全然分からなかった。カフェで入れる場所があったけど。
アルマ ギャラリーもたくさんあったね。
植松 伝統的な町にギャラリーが存在してる感じが京都みたいだった。でも看板とか日常的なものがポップだった。
アルマ ほとんど通りに対して閉じていて中庭がある暮らしなのが感じられた。窓もあったけど小さく、閉じられていた。
卯月 そうだね。やはり生活の様子が全然外に出ていなかった。Leeum美術館のエリアもそうだけどなんで高い所にお金持ちの人が住んでいるのかな?やっぱり人より上にいたいから。
植松 横浜とか神戸も傾斜地が高級住宅地なイメージ。
卯月 アルマの国は?傾斜地に住んでる?
アルマ そんなこともない。伝統的な住宅はあるけど、身分の高い人が住んでた大きな住宅は博物館になっていて、普通の住宅はそのまま使われている。
植松 瓦とか塀が少しずれていたり、建物の処理が乱雑だなと思っていて富井先生に聞いてみたら、富井先生が「そういうところが僕の韓国の好きな所なんだ」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的だった。
卯月 宗廟とかでも瓦とか荒くて気になった。
植松 沖縄もざっくりそれに近いかも。
卯月 あとバスから降りた通りを歩いていて、新しく建てられた白い石づくりみたいな建物が建っていてさらに坂があり、細い路地があってヨーロッパのように感じた。
アルマ 歩いてどんな気持ちだった?
植松 天気がよくて気持ちよかった。
卯月 坂があって道が細かく折れ曲がっていて先が見渡せないのと、いろんな模様やパターンが塀にあって歩いていて楽しかった。
アルマ 素材は同じだけどいろいろな模様や石の積み方、木の組み方があってよかったね。
卯月 通りに対しては装飾とかあって気にしている感じはしたけど...
植松 なかはぼろっとしてたりして。坂の上から住宅を俯瞰してみた時につぎはぎな屋根が目についた。
アルマ 緑があまりなかった気がする。
植松 一番高い場所にあった家はすごく大きくてそこには木がいっぱい生えていた。かなり密集してるからあまり庭も広くないのかな。
卯月 広場とかないし共同の場所も見られなかった。
アルマ 時間もなかったし見つけられなかっただけかもよ。
植松 今度はもっとゆっくり見学して中もしっかり見たいね。(終了)
2009.8.29-9.1空間社 星野×井口×大澤×西澤俊太郎
星野 じゃあ、まず感想を。
西澤 スキップフロアの構成がうまかったと思う。
星野 間違いないですね。
井口 レンガのテクスチャーと採光の関係で空間に重みを感じました。好きな空間でした。
星野 重み。水の中みたいに、自分のまわりに空間が存在していると感じました。
大澤 私は、すごく私的な空間だと思いました。会社でもあるんだけど、設計者の趣味がものすごく反映されていると感じました。 たぶんそれは、井口君が言ったような重みのようなものから感じたんだと思います。
星野 感覚的にいいと思う要素はたくさんあったと思うのですが、そういう要素全体をまとめるような図式とか考え方とかあったと思いますか?
大澤 やっぱり、スキップフロアとかレンガのディティールが全体のバランスをとっているんだと思う。
井口 空間すべてに同じ質感があったからずっと異世界にいるようだった。
西澤 空間構成としては図式とかはなくて、設計者の趣向の空間イメージを繋ぎ合わせて出来ていたように思う。
星野 なるほど。繋ぎ合わせてる、複雑。
大澤 確かに複雑な空間構成だった。
井口 なんだか楽しそうにつくってる感じはしたね。
星野 ずっと、近くに設計者の金さんを感じるような。それくらい個人が出ていた感じはありますね。
星野 大澤さんが感想で言ってたみたいに、私的だったり主観的な空間だったと思ったのですが、それがこんなにたくさんの人にいいと思われる(韓国の学生にも人気があった)のはどうしてだと思いますか?
西澤 モノを作るような感覚で作られていたからじゃないかな。実際、気に入らない部分は壊して作り替えながら建築されていたらしいし。話を聞かなくても、そういった一連の手数が伝わってくるような迫力があったと思う。
���口 建築自体に存在感があったね。
大澤 モノ自体が訴えかけてくるから安心感があるのかも。なんで?どうして?って疑問がわくよりも先に、安心感のような空間に対する素直な感動のようなプラスの感覚を覚えるから。
星野 金さんは建築だけじゃなくて芸術一般に深かった人らしいので、とても納得できます。私自身も、絵がすごくうまくて芸術的な才能のある人が作ったという印象を受けました。(終了)
2009.8.29-9.1景福宮 植松×鎌田×西澤正子
植松 景福宮はどうでした?
鎌田 日本の住宅とは違い、敷地が広いのに一つ一つの建物が塀で囲まれていて不思議だなと思いました。
植松 塀は多いけれど王宮なのに開放的ですごく気持ちよかった。
西澤 特に康寧殿の真ん中に部屋が風通しが良くて気持ち良かったな。
鎌田 いわゆる応急の物々しさがないように感じて、富井先生のお話によると韓国の伝統的な住宅のつくりと王宮のつくりが基本的には同じだということで、私達がイメージする王宮とは違った感じがした。
西澤 あと、障子のはり方が日本と逆というのも面白かった。
植松 水上に作られた宴会場である慶会楼はどう思った?
鎌田 こんなに太い柱が大平面にたくさん立っているのはあまり見たことがなくて・・・・
西澤 なんかスケール感が違うって思った。
植松 柱の下部の方が太くなっているのが印象的だった。
鎌田 よく見ると断面が四角い柱と丸い柱があって、形式的な意味があるのかな、と。また間仕切りのない大空間が機能のあるのかないのか不思議なスケール感でした。
植松 こんな所で宴会したいね。
鎌田 ここで酔ったら水に落ちて大変なことになってたなぁ・・・(終了)
2009.8.29-9.1梨花女子大学 川鍋×星野×アルマ
川鍋 ここは女子大で、中で使っている人と、今回のように外から見に来た人では感じ方が違うかもしれないけれど、少し大味かなと思いました。広場(キャンパスバレー)と内側の施設はあまりかみ合っていなくて、外に対して女子大が開いていくというイメージとは少し違っているかもしれない。
星野 谷があって、その両側の建物内には吹き抜け、内側に廊下、教室となっているので、教室と広場は結構離れています。奥のほうにあるシースルーEVの吹き抜け部分みたいに、ガラス壁面のもっと近くまで床がきて、人が話したり動いたりしている様子が外の広場から見えるようになっていてもよかったかもしれないと思います。
川鍋 逆に、この谷のガラス壁面は中を見せないようにしているのかもしれない。鏡面仕上げのフィンで。
アルマ フィンには、空を映し込むという意図があるみたいです。この壁面は長いしとても大きいので、ただの壁では圧迫感がありすぎます。それに、この形は建築ではなくランドスケープだと思う。だから、中が見えるかどうかという問題ではない気がします。
川鍋 でも、この谷はかなり空間的(建築的)だと思う。かなり空間的につくられた、とても強い場所だと感じました。雑誌掲載のCGパースでは、イス的なものがたくさん置かれたりしていたけれど、実際はそういう使われ方はしていないですね。中の活動が溢れ出したり、ここでイベントが行われているような、そんな所を見たかったという気持ちもあります。
アルマ 「階段を円形劇場に見立てた野外劇場」という言い方もペローはしていますね。
川鍋 ああ。それで、使われていない劇場みたいになっていた。きっと、いろいろなことに使えるはずなんですが、使い手の問題なんでしょうか。むさびの中でも、12号館の前なんかは何かがなければ使われない場所になっていますね。
星野 芸祭で野フェスが出れば、使われる場所になるような。12の前が普段使われないのは、建築の方にも問題があると思いますが、ここはどうでしょうか。たとえば、もう少し小さな要素が付け加わってちょっと複雑になっているとか階段がでてきているとか。ここを使って何かをする色々な企画が大学にあるとか。
アルマ 今の、自由なままにしておくのがいいんじゃないかと私は思います。階段なんかが出てくると、空の見え方には邪魔になってくるし、ここの谷は女子大だから、今のように静かでモニュメンタルな場がいいです。くつろいだり、おしゃべりしたりして集まるのは、屋上の緑の方でやるのがいいと思う。大学のまわりには賑やかな繁華街もあったし。
川鍋 たしかに、くつろいだりするのは屋根の上っていうのはよくわかります。
星野 この谷は、大学を象徴する場であるということですね。
川鍋 もしかしたら、そっちの方が合っているかもしれないです。「カフェから溢れた人が留まって寛ぐ」とか「授業を終えた学生たちが集まって」ともペローは書いているけれど、それよりも、今のような状態の方がつくりたかったのかもしれない。
星野 イスのようなものを出したりすることを考えなかったわけじゃなく、意図があってそうしなかったということですね。
川鍋 建築の批評というのはどうやってするのかということも考えますが、作者がやりたかったことに対し、建築がどれだけできているかという意味で話せばいいのかもしれません。そうするとキャンパスバレーは、今のような静かな状況でいいということですね。そう考えた方がよくわかります。
星野 確かにそうですね。賑やかな状態よりも象徴的な場であるということが大切だったと考えると、今のあり方を理解しやすいです。アルマがいてよかった。川鍋くんの、メンバー割り振りに感謝します。(終了)
2009.8.29-9.1仙遊島公園 湯沢×川鍋×井口
湯沢 川鍋君、仙遊島はどうでしたか?
川鍋 全体的にまとまりがあってバランスの良い感じがしました。メリハリもあるし。
湯沢 高橋晶子先生から聞いたんですが、設計時にどこまで残してっていう話があって、やはり残し方のバランスがうまいという話でした。俺もうまくいってると思います。
井口 僕もです。昔、浄水場だったということをいい意味で感じさせてないと思います。室伏次郎のいう遺構のようでした。
湯沢 私は少し感じたのですが。
井口 感じさせないというのは言われれば分かるが。
川鍋 公園として成り立っているということ?
井口 柱がうまく生きていると思う。貯水タンクとか公園のオブジェクトととしてうまく生きていると思います。
湯沢 感じさせるために作っているのでは?
川鍋 実際に浄水場というものを分かっているわけではないけど、水をつかっているという意味が見えてくるとは思います。長年使われてきたという感じはする。
井口 浄水場だったことを感じさせないように残し、うまく転用している。朽ち具合もよい。
湯沢 場所によって様々に風景が変わるし、施設もアミューズメントというか、歩いていて次に何が来るんだろうという、期待がある。どこか印象に残ったところはありますか? 川鍋 貯水タンクや列柱を残している部分。場所の力を感じたし、それがうまく別の場に置き換わっているところが印象的でした。(終了)
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