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#移植可能なテーブル
xf-2 · 6 months
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自民党の谷垣禎一元総裁(78)の自宅を訪ね、岸田文雄内閣の支持率がなぜ上がらないのか、一杯やりながら率直に質問をぶつけてみた。岸田首相の外交面の成果は、知らぬ間に立ち消えになってはいませんか。
「確かにね。今回のウクライナ戦争で存在感が高まっているグローバルサウス(新興国・途上国)の取り込みなどは、日本の強みを生かしてよくやっている。彼らの一部には、西側の先進国に『あいつらは今も上から目線だ』と腹を立てている国が多い。事実上の『一強』となった米国や植民地支配の過去を抱える英仏に対し、『西側リベラリズムのおごり』と批判する国さえある。その中で、日本は独自のODA(政府開発援助)を駆使して努力を重ね、『欧州はうんざりするが、日本は違う』と評価も集めた。首相はここをうまくすくい、西側とつなぐ役割を果たしている」
ただ、今後はこの外交でも、首相にとって厳しい難局面が待つと説く。
「この戦争が終わったとき、どう新しい国際秩序を作っていくのかが焦点となる。そこでは、日本がすごく損な立場になるわけにはいかない。日本は必ず、それなりの地位を占めなければならない。国内では国民生活に目配りしながら、対外的にはこの難題に挑まなければならない。岸田さんに限らず、自分が首相になりたいと狙っている人にとっても、答えを出すのは簡単ではないはずだ」
テーブルには『野菜の揚げびたし』が登場した。パプリカとカボチャ、なすを素揚げして、甘辛いマリネ液にしっかりしみこませている。香ばしい夏野菜の香りと甘さが、冷えた久保田によく会う。
谷垣さんが「水内さんは産経新聞だからこっちが好きかな」といいながら、テーブルには白い陶器に「中華民国立法院」と書かれた蒸留酒「白酒(バイジュウ)がやってきた。テーブルには、「中華人民共和国」と書かれた「貴州芽台酒」も登場。「酒に国境はありませんよ」と酒巻俊介カメラマンが笑ったが、私はなんとなく中華民国を注ぐ。
食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 谷垣さんに「一気に飲み干すんですよ」と言われたが、アルコール度数は50度! しかし、独特の香ばしい匂いがさわやかだ。昨年、谷垣さんのインタビュー連載を担当し、今回同席した豊田真由美記者は「食道の位置が分かる」とむせながら飲んでいる。
「この前、フランスのマクロン大統領がNATO(北大西洋条約機構)の東京事務所開設に反対したでしょ。私は心理がよくわかるんですよ」
谷垣さんが語りだした。 「海洋国家の道を選ぶか、大陸のつながりを大切にするか。各国が個別の事情を抱えていますよね。英国は海洋国家の道を選び、EU(欧州連合)から抜けた。残った独仏を中心とするEUはどうするか。陸続きの中国に経済などの利益を全部取られては大変だ。中国とうまく付き合いつつ、必然的に、カザフスタンなど中国の周辺国とも協力する。フランスがNATO日本事務所に反応した背景は、ここまで見なければならないと思うんです」
谷垣さんも白酒をなめる。
「日本もずっと、2つの選択を迫られていたでしょう。海洋国家としてアングロサクソンと組むか、大陸につながるところと組むか。日本では明治以降、右翼を中心に、中国や韓国と組んで欧州に踏みにじられない大義の旗を立てろという議論があった。しかし、当時は日英同盟を選び、今は日米同盟。アングロサクソンと組む流れを継いでいる」
「韓国も、似たような選択を迫られてきましたよね。北朝鮮との関係強化を図った文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は、日本でいえば、沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設にブレーキをかけた鳩山由紀夫元首相の言動に近いと思っているんですよ。韓国では『北と南の連携を強くしていこう』という訴えが国民の喝采を浴びる面もあるでしょう。ただ、今の時代に文政権みたいな道をとるとあまりに支離滅裂になる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が誕生したのは、日本にとっても本当によかった‥、ああ、すっかりいい気になってペラペラしゃべっているなあ」
谷垣さんが車いすを少し動かしながら話題を変えた。
「最近は新聞を読みながら、私と同世代の方の回顧録をよく読むんですよ。私たちの世代は一体何を残したか-と考えながらね」
谷垣さんは昭和20年生まれだ。
「例えば歌手の加藤登紀子さん。読売新聞で連載していたが、彼女は私の1歳年上で、東大の五月蔡でシャンソンの『赤い風船』を歌っているのを聞いたことがあります。彼女と政治的立場は大きく異なりますが、同じ時代の空気を吸ってきた。もう1人挙げれば、ピアニストの山下洋輔さん。彼は麻布高校の先輩で、文化祭でピアノを弾いていたのを覚えている。ジャズという日本でまだ珍しかったやり方に挑んでいた」
「もう1人、倉本聰さん。彼は喫茶店でアベックのすぐ横に座り、会話をじっくりと聞きながらシナリオを練ってきた。テレビをどう活用するのか、一生懸命考えてきたんですね。戦後日本の可能性を開くためさまざま頑張ってきた」
「逆にいえば、そうそうたる大会社に行き、少し前まで『半導体は日本だ』と頑張った友人がいた。しかし、今は見る影もない-。俺たちの世代は何をやってきたんだろ��。私とすべてジャンルは異なるが、この年になって、じっくり考えるんですよ」
日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 少し遠い目をする谷垣さん。自らも、政治の中枢で時代を動かしてきたじゃないですか。
「自分のやってきたことはこんな副作用を生んでいたのかと考えるものばかりですよ。自分の思った通りになったことは絶対ない。ほとんど、予期しないことが起きている。例えば難民の問題。私は議員になりたての頃、自民党法務部会の副部会長としてこの問題に取り組みました。当時は無制限に外国人を入れるととんでもないという議論があり、入国には『職業訓練』という形を取り入れたが、今から思えば、物の見方が足りなかったと自省することが多い。『こんなこと考えもしなかった』という問題が次々と起きてね」
もう一例として挙げたのが、女性の社会進出の遅れだ。
「私は昭和20年生まれだから、現行憲法の『男女同権』は素晴らしいと教わった。しかしその私が何をやってきたかといえば、政治家の傍らで、家事は全部女房に押しつけた。家事はやってみると結構大変ですよ。こんなこと言ったら、あの世の女房に怒られるかもしれないが、専業主婦じゃない人が家事に取り組むのは大変だ。今は働く女性が圧倒的に増えたでしょ。亭主と女房がどっちも働いているのに、家事は女房だというんじゃね。子育てしながら政治に携わる上川陽子外相や加藤鮎子こども担当相は相当優秀ですよ」
子供2人を育てる豊田記者が「家事をしない人と結婚できませんよ」と合いの手を入れる。
「でも、少子化対策って、政府の政策でこなせるものなんですかね」
シャッターを切っていた酒巻俊介カメラマンが尋ねた。(聞き手 水内茂幸)
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月9日(火曜日)
   通巻第8085号 
 CIA筋「中国のロケット燃料を水で代用」
   ロケット軍の汚職は、これからが粛清の本番
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 過去にも拙著で指摘してきた。「中国のミサイルは半分が囮、のこり半分は機能不全で飛ばない。使えるのは25%だが、大半は目標を外すだろう」
 CIA筋が「中国のロケットの燃料に水が代用」とする報告をしているようだ。
 ウクライナから鉄の塊を買って十年かけて空母に改良したのが中国海軍の第一号艦「遼寧」である。発着艦訓練で多くの犠牲がでた。遼寧は6万噸、全長305メートルで、艦載機は40機とされるが、写真を見る限り多いときでも6~7機。スキージャンプ型で2012年に大連で就航した。
 二号空母「山東」は継続航行が五日間ほどしかもたない不良品。甲板に穴が空いた。垂直離着陸機VSTOLは離陸時に二千度の高熱を発する。甲板の鉄板は二千度に耐えるものではなかった。
 山東は6・7万噸で全長315メートルのスキージャンプ型。艦載機は40機程度で2019年に就航し、遠距離航行は海南島まで。
 
8万噸以上といわれる第三号艦『福建』は60機程度の艦載機。全長が316メートル。2022年6月に進水しており、訓練航海をし、艤装工事に這入るが2025年に予定される本格就航は遅れそう。
それにしても中国の空母は『空母もどき』である。
 中国軍の陸軍優先という考え方が変わったのはトウ小平の「軍の近代化」を叫んだ以降である。着実に充実してきたのは『予算』と兵器の「数」と兵隊の「食」。そしてちょっぴりの賃上げだった。
 宇宙衛星を打ち上げ、ICBMを保有するようになると、軍エリートは陸海空の三軍からロケット軍へ移った。軍事訓練をうけなくても理工系エンジには優遇され、しかも巨額の予算配分があった。
となると、何をするか?
 中国人の体質は賄賂賄賂賄賂賄賂であり汚職汚職汚職汚職という文化がある。軍人の階級は『相場』があって、金の取引で成立する。少佐から中佐へ、少将から大将へ「階級」があがるごとに「上納金」相場も上昇する。たとえば大将(中国語は「上将」)の相場は1億円、前任者に支払う)。
 このために軍人たちは賄賂に熱中し、軍システムそのものが賄賂によって成立している。だから予算が付けば、そのうちの二割が慣習にしたがって『蒸発』し、マンション工事と同様な手抜きが起きる。
 ロケット軍の最高幹部9名が失脚した。どれほどの汚職が横行していたかが想像出来る。ロケット軍の汚職は、これからが粛清の本番である。
 ▼公式統計を信用するな
 GDP統計は「三割水増し」が常識というのは筆者の持論だが、国家統計局や中国政府の発表は大風呂敷か、虚偽申告である。また地方幹部は次の昇格、出世を狙って出鱈目な申告をなし、統計局幹部に賄賂をおくって数字の誤魔化しをおこなう。本当は失業率が30%あっても、3%とか。
 全人代や党大会でロボットが読み上げるような報告がなされても、誰も質問も異論も唱えず、ほぼ全会一致で可決される(だって中国は民主主義だから)。
或るとき「中国は8億人の貧困を救い出した」と豪語した。そのあまりの「公然たる嘘」に驚かされた。
世銀の貧困基準は「一日あたり1・9ドル」。この基準以下を「貧困」と定義している。たしかに1・9ドルならば、世銀のいう「貧困」は中国ではごく少数だろう。事実、1981年に中国の88%が貧困あったが。2023年には世銀インデックスの『1・9ドル』を当てはめれば中国の極貧困世帯はゼロになる計算になる。数字のマジック、まるで実情を反映していないのである。
 
PPP(購買力平価)で計るといくらか、ジニ係数は本当のところ、幾らなのか。
中国の公表数字は作為的で信用に値しない。そこで、OECD基準ならどうか。貧困の定義は「一日2100カロリー以下」がOECDの基準である。
実質の貧困の度合いは食費、住居費が基本で、都市生活者の可処分所得はいくらか上昇したが、都市に溢れるホームレスや大量の失業の群れという矛盾に適格な回答はない。
 都市化は中国でも進み、都市人口が刮目に値するほど増えた。2003年から2022年までの統計で、人口200万以上の都市は、32から72都市となった。上位20の都市の人口が全体の17%となった。このため中国は人口分散化を企図し(新幹線はそのため?)、他方では農業生産強化を訴えるという二律背反を繰り返す。
「成長神話」は終わった。失業の多くは農村へ戻るだろう。『中国の夢』が無残にくじけたことを中国人のおおかたは自覚している。
 ▼台湾侵攻? とてもそんな余力も能力も無い
 台湾のシンクタンク「国防安全保障研究院」が「中国軍事侵攻の可能性は低い」とする報告書を出した。蔡英文総統の発言(12月25日、ニューヨークタイムズのオンライン会議)は、この報告を元にしたものと推定される。
 「国防安全保障研究院」の報告に依れば、「中国共産党は戦争を企図してはおらず、政治的、軍事的、経済的、心理的、社会的に台湾に圧力をかけようとしている」のであって、「中国が短期的に台湾への軍事侵攻を試みる可能性は低い」
 つまり台湾海峡におけるド派手な軍事演習は、威圧ショーであり、しかも米国向けの政治宣伝でもある。
たしかに習近平国家主席は「台湾を統一する」を常套句として、ひょっとして本気かと思わせることもあるが、基調は「曖昧であり、平和的統一と軍事力の行使の両方が可能な選択肢として残る。平和的統一がその目的を達成するための最善の選択肢であると考えているフシが濃厚だが、最悪のシナリオにも備えている」と同報告書はいう。
「武力行使の選択肢を保持し、脅迫と強制を用いて台湾社会に亀裂を植え付け、台湾を交渉のテーブルに着かせることが含まれ、今後もさまざまな交流を装って台湾社会に浸透しようとするだろう」。
四日後に迫った台湾総統選挙に、中国は代理人を通してニセ情報の流布、スパイたちの選挙買収という暗躍、そしてハッカー攻撃に加えて、ネット上に出鱈目な情報を大量に送りつけている。
民進党は不正選挙をやっているとか、誰それは買収資金を外国から援助して貰っているとか、候補者の下半身スキャンダルとかを生成AIが作成したフェイク画像をさかんに送っている。
問題は最終意思決定権が習近平に集中しているという恐るべき権力状況である。
「周囲が助言機能を失ったとき、台湾海峡で軽率な行動をとるリスクが急激に高まる」と同報告者は結語している。
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smallgardening · 3 months
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都市生活を彩る!ミニガーデニングの楽しみと魅力⑨
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デザイン要素を活かしたユニークなミニガーデンのアイデア
ミニガーデニングは、植物だけでなくデザイン要素を取り入れ、個性的で魅力的な空間を生み出す素敵な趣味です。記事では、デザイン要素を巧みに活かしたユニークなミニガーデンのアイデアに焦点を当てます。
独創的なプランターの配置や異素材の組み合わせ、そして季節ごとに変わる植物のコンビネーションによって、庭やバルコニーを美しく彩ります。デザイン性が高まれば、日常の癒しとなるだけでなく、訪れる人々にも心地よい驚きを提供します。
デザインと緑が融合する魅力的なミニガーデンの世界に触れ、どのように楽しむかのアイデアを紹介します。ユニークな空間へのインスピレーションや、手軽に取り入れられるプチリフォームのヒントを通じて、読者の方々が自分のスタイルでミニガーデニングを楽しむ手助けとなるでしょう。美しい写真とともに、デザインと緑が調和する魅力的なワールドへご案内します。
自分らしいスタイル:ユニークなミニガーデンのデザインアプローチ
ミニガーデニングは、庭やバルコニーを美しく飾り立てる素晴らしい方法です。デザインの鍵は、自分らしいスタイルを取り入れること。記事では、そのポイントを紹介します。
デザインのベースを決める まずは、ベースとなるデザインを決めましょう。和風、洋風、モダン、ナチュラルなど、自分が好きなスタイルを選ぶことで、ミニガーデンが一貫性を持ちます。
異素材の組み合わせ 木と石、金属とガラスなど、異なる素材を組み合わせることで、ミニガーデンに深みが生まれます。ただし、バランスを考えて無理なく調和させましょう。
季節の変化を取り入れる 春は華やかな花々、夏は涼しげな緑、秋は紅葉や実物、冬は寒色系の植物。季節ごとに変化する植物を取り入れ、四季折々の楽しみを味わいましょう。
個性的なプランターの配置 普通のプランターではなく、古びたバケツや木箱、リメイクした家具など、ユニークなプランターを選ぶことで、ミニガーデンに個性が光ります。
ライトや小道を工夫 夜も楽しむために、間接照明や小道を設けましょう。アンティーク調のランプや石畳風の小道が、ミニガーデンを幻想的に演出します。
自分だけのユニークなデザインを取り入れ、癒しと美しさに満ちたミニガーデンを楽しんでみてください。
サプライズ要素:視覚的な驚きを提供するアイデア
ミニガーデニングにサプライズ要素を加えると、日常が少しばかり特別なものに変わります。視覚的な驚きを提供する素敵なアイデアをご紹介します。
1. 隠れたアート
小道や石畳の合間に、小さなアート作品を隠しましょう。陶芸や手作りの小物など、見つけると嬉しい驚きがガーデンを彩ります。
2. 色とりどりの鳥かご
植物に取り囲まれた鳥かごに、カラフルな飛び石を配置してみましょう。これにより、まるで小さな鳥たちが庭を飛び跳ねているような楽しい印象が生まれます。
3. 昼と夜の異なる顔
特殊な塗料を使って、昼は淡い色味で映え、夜になると蓄光するエリアを作成しましょう。夜間に庭を訪れると、幻想的な雰囲気が漂います。
4. フラワーサプライズ
地面に花を植えた場所に、季節ごとに異なる花が咲くよう計画しましょう。これにより、訪れるたびに新しい花々が迎えてくれる感覚を楽しめます。
5. 隠し部屋の発見
ガーデンの奥深くに、小さなベンチやテーブルを隠しましょう。知らない間に発見すると、まるで隠れた秘密の部屋が広がっているかのようなワクワク感が生まれます。
これらのサプライズ要素を取り入れることで、ミニガーデンが常に新鮮で楽しい場所となります。どれも手軽に実現できるので、ぜひ挑戦してみてください。
季節ごとの変化:デザイン要素で楽しむユニークなミニガーデン
ミニガーデンは季節ごとの変化を取り入れ、デザイン要素で新たな楽しみを提供します。これにより、庭が常に新鮮で魅力的な空間となります。
1. 春の花満開
春には鮮やかな花々を中心に配置し、色とりどりの花が咲き誇る様子を楽しめます。桜やツツジなど、春の象徴的な植物を取り入れてみましょう。
2. 夏の涼やかな緑
夏には涼しげな緑色を主役に据え、涼風に誘われるような心地よさを演出します。観葉植物や爽やかなハーブが相性抜群です。
3. 秋の紅葉と実りの季節
秋には紅葉する植物や実をつける木々を配置し、豊かな秋の風景を表現します。紅葉した葉や実りの果物が庭を彩ります。
4. 冬の静寂な雰囲気
冬には静かな雰囲気を演出するため、寒冷地の植物や雪をイメージさせる白い小道を取り入れます。ミニガーデン全体が雪景色に包まれたような趣が楽しめます。
5. 季節の変わり目の演出
季節の変わり目には、移動可能なポットや花器を利用して、植物の配置を変えてみましょう。これにより、庭が一年を通して新たな表情を見せてくれます。
季節ごとに変わるデザイン要素で、ユニークなミニガーデンを演出しましょう。これにより、庭が一年中新たな魅力に満ちていることを実感できるでしょう。
まとめ
デザインと自然が調和した素晴らしいミニガーデンの世界に足を踏み入れてみませんか?デザイン要素を巧みに活かし、植物たちが織りなす美しいアートを楽しむことで、日常がより豊かなものとなります。記事では、異素材やプランターの配置、季節ごとの変化に注目し、ユニークなアイデアを紹介しました。
デザイン性豊かなミニガーデンは、見ているだけで心が和むばかり。記事を読むことで、デザインと緑が融合する魅力的な空間への憧れが膨らむことでしょう。写真と共に提案したアイデアは、手軽に実践できるものばかり。これからミニガーデニングを始める方や、既に楽しんでいる方にとって、新しい視点や工夫のヒントとなることでしょう。ユニークなミニガーデンで、自分だけの特別な空間を創り出してみてください。
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apoandbangpo · 7 months
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私がデートしたすべての白人男子へ(British Vogue 翻訳)
ヴォーグ誌のスタッフが、東アジア系女性としての恋愛経験を振り返る。
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BY SYLVIA HONG 2021年4月5日
私とのデートはいつも面接のような形で始まる。
私:「タピオカティー好き?」
彼:「何?」
私:「アニメは好き?」
彼:「アニメ?日本の漫画とか?いや、なんで?」
私:「別に。東アジアの女性とデートしたことある?」
今後の私たちの関係は、すべて彼の答えにかかっている。いわゆる 「イエロー・フィーバー」は実在していて、目立ちにくく、私たちの集合意識に染み付いている。ファイナルファンタジーに2、3年手を出し、デリバリーで週に一度はタイ料理を注文し、道教に傾倒している男性に害を感じない人もいるだろう。東アジア系女性である私にとって、これらは赤信号だ。
私の両親は90年代初頭に中国からパリに移住した。私はフランスで生まれ、ほとんどその地で育てられた。18歳になったとき、オックスフォード大学で学ぶために渡英し、ニューヨークで1年間留学した後、卒業後はロンドンに移り住んだ。以前はアジア系の男性と付き合っていたものの、世間で「エリート」と呼ばれる機関(そのすべてが圧倒的に白人の多い場所)に徐々に受け入れられるようになるにつれて、白人男性に惹かれるようになった。内面化された人種差別と白人の救世主症候群は、そのような「エクスクルーシブ」な空間に溶け込みたいという欲求に比例して大きくなる。私たち、特に移民一世は、白人の隣の席に招かれることで、自分を認めてもらえると社会から教えられてきた。実際のところ、私たちがその席に着くことはないにもかかわらず。この論理に従えば、白人と付き合うよりいい方法があるだろうか?
その結果、「どんな人がタイプ?」という質問は、いつも私に重くのしかかる。有色人種の女性としてデートするのは、いかなる状況でもストレスがかかる。その方程式に白人男性が加わると、不安が一気に高まるのを感じる。私の友人たちは、私が新しい誰かとデートしていると聞くといつも大喜びするが、その相手が白人だとわかったとたん、その興奮は悲しみを帯びていく。友人たちの目には同情の念が浮かぶ。異人種間の恋愛に絡んでくる問題は、社会全体の力の不均衡を考えると決して簡単なことではない。東アジア系女性として、それは地雷原だ。
パートナーがいないと、近づいてくる男性すべてを疑わずにはいられない。アジア系女性に対するイメージが、私たちの恋愛観に泥を塗っているからだ。誰かに褒められたとき、その人が自分を魅力的だと感じるのは、民族や文化に関連した特徴によるものなのか、それとも自分にしかない特徴によるものなのか。一方、付き合っているときは、おなじみの「芸者」という図式がある。白人のパートナーと一緒に歩いているのを見られるたびに、人種差別的な偏った物語が人々の頭の中で作られていることを視線から感じずにはいられない。若くて魅力的な白人男性を見つけられてラッキーだとか、お金目当てなのか、ビザ目当てなのか、などと。
中国国内でも、女性は白人によってフェティシズムの対象として扱われ続けている。以前、上海の妹に会いに行っていたときは、片言の中国語で私を口説こうとする白人男性といつも口論になっていた。多く��白人外国人は西洋帝国���義の直接的な後継者であり、東アジア・フェティシズムにどっぷり浸かっている。彼らは屋上のバーのテーブルを確保し、植民地の兵士のように振る舞う。彼らのほとんどは母国に妻子がいるにもかかわらず、中国人女性に囲まれ、しばしば金銭的な援助をしている。
結局のところ、世界のどこにいようと、どれだけパートナーを愛し信頼していようと、頭の中にはいつも、同じ身体的特徴を持つ別の女性に取って代わられるかもしれないという小さな声があるのだ。言うまでもないことだが、東アジア女性に対する非人格化は非常に有害だ。個人として認識されるのではなく、非常に特殊なタイプの美を象徴する人物として認識され、常に受け身で過剰に性的なものとして描かれるのだ。私自身は、「従順」というアジア系女性のステレオタイプに反するように、自分の性格を作り上げてきた。発言力があり、意見がはっきりしていて、自信にあふれ、支配的。その結果、人と深いつながりを築き、心から弱さをさらけ出すのが、時折不可能になる。
とはいえ、こうした問題を最初からではないにせよ、交際が終わるころには間違いなく認識している、本当に素敵で愛情深い白人男性と付き合ったこともある。特にアート団体、Skin Deepを通して積極的に社会正義の活動に参加している私は、白人男性と付き合うのはマイクロ・アクティヴィズムを実践するためだといつも冗談を言っている。私と一緒にいる間、毎日彼らに彼らの持つ特権について気づかせるのだ。異人種間の関係は常にポリティカルなものかもしれないが、そこにある権力構造について対話を始めることで、変化をもたらすことができる。そしていつの日か、私は気の毒な白人男子にしつこい面接のような質問をするのをやめ、デートを楽しむことができるかもしれない。
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log2 · 1 year
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【有限会社ウィルリミテッド】のソファやテーブルなど259点が登録されました!
ウィルリミテッドは2002年の創業以来、ミラーや収納家具などを中心に一貫して輸入家具を取り扱ってきました。 近年、新しい試みとして人気の高いイームズを核としたミッドセンチュリー期のデザイナーズ家具の展開を始め、反響をいただいております。 今後もこうしたプレミアム性の高いアイテムを増強していく計画です。
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今回は、ソファ、テーブル、ミラー、収納家具など、259点をご登録いただきました。
Will-limited.  Arch-LOG 検索ページ
▼GE290 1P・GE290 2P
シンプルなデザインですが、細部までこだわったデザインで360度どこから見ても美しく、後方に滑らかに伸びた後脚はソファ全体の美しさを引き立てています。フレームには心地のいい滑らかな手触りのラバーウッドを使用しています。座面は体を預けた時にリラックスできるだけでなく、立ち座りもしやすいように傾斜がついています。座面にはポケットコイルスプリングを採用しています。ポケットコイルスプリングは上質なベッドにも使われ、面ではなく点で支える構造で身体の重さを分散させてくれるスプリングです。
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▼CTW
天板の窪みと脚の有機的デザインが成型合板曲線の美しさと機能性がイームズの大きな特徴です。素材の美しさを引き立てるシンプルで機能的なデザインは、幅広いテイストのインテリアに合わせられます。分解してコンパクトに収納することもできます。脚の裏には床へのキズ防止フェルト付きです。
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▼Folding Shelf 
すっきり暮らすために必要な収納棚、おしゃれに暮らすためにこだわりたいディスプレイ棚、両方を兼ね備えた天然木パイン材シェルフです。観葉植物、本、コミックブック他何でも収納できます。手間いらずの完成品なので届いたら棚を開くだけで即使用可能です。折りたたみ式なので使用しない時はコンパクトに収納可能で移動も自由にできて便利です。専用の固定フック(金具)でフック穴に入りますので棚が抜け落ちないように固定されます。
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そのほか、ダイニングテーブル、スツール、チェア、デスクなどをラインアップされています。ぜひご確認ください。
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※文章中の表現/画像は一部の有限会社ウィルリミテッドのホームページより引用しています。
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skratchsociety · 6 years
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🌬✂⚡⚡☠@Regranned from @gusgustvs - So much respect for this dude. This guys the one who introduced me to some of my favorite skratchers. Good times. Hope for a yoyogi park session soon bro. #Repost @djkenone (@get_repost) ・・・ Live Scratch Looping #LoopPedal #NoisyStylus #Turntablism #RC50 #dj #hiphop #turntable #numark #numark7 #turntablist #skratch #scratch #cuts #fader #numark #skratching #skratchsociety #skratchnerd #scratchdj #scratch #scratchoffs #scratchin #東京 #ターンテーブル #ポータブルターンテーブル #音楽 #アート#ヒップホップ #スクラッチ #移植可能なテーブル
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txtmatango · 2 years
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私の家族の奴隷 My Family’s Slave/Alex Tizon
 遺灰は、トースターくらいの大きさの箱に収まった。プラスチック製の黒い箱で、重さは1kg半。それをトートバッグに入れてスーツケースにしまい、マニラ行きの飛行機に乗って太平洋を横断したのは2016年7月のことだ。
マニラに降り立つと、車で田舎の村へと向かう。到着したら、私の家で奴隷として56年間を過ごした女性の遺灰を受け渡すことになっている。
彼女の名前は、エウドシア・トマス・プリド。私たちは、彼女を「ロラ」と呼んでいた。背は150cmで、肌はチョコレート色だった。アーモンドの形をしたロラの目が、私の目をのぞきこんでいるのが人生最初の記憶だ。
祖父が私の母にロラを“贈り物”として与えたとき、ロラは18歳だった。そして、家族が米国に移住したとき、彼女も一緒に連れていった。
ロラが送った人生を言い表すのに、「奴隷」という言葉以外には見つからない。彼女の1日は、ほかのみんなが起きる前に始まり、誰もが寝静まったあとに終わった。1日3食を用意し、家を掃除し、私の両親に仕え、私を含め5人の兄妹の世話をした。
両親が彼女に給料を与えることは1度もなく、常に叱りつけていた。鉄の鎖につながれていたわけではないけれど、そうされていたのも同然だった。夜中、トイレに行きたくなって目が覚めて、彼女が家の片隅で眠り込んでいるのを見つけたのは1度や2度の話ではない。洗濯物の山にもたれかかり、畳んでいる途中の服をしっかり握りながら──。
米国では、私たちは模範的な移民家族だった。みんなにそう言われた。父は法律の学位を持っていたし、母は医者になろうとしていた。それに私たち兄妹は成績が良く、礼儀正しい子供たちだった。
だが、家の外でロラの話をすることはなかった。それは、私たちが「どういう存在であるか」という根幹の部分に関わる秘密だったからだ。さらに、少なくとも子供たちにとっては、「どういう存在になりたいか」という問題に深く関係していた。
娘に「奴隷」をプレゼント
 マニラに到着して預けた荷物を引き取ると、スーツケースを開き、ちゃんとロラの遺灰があることを確認した。外へ出ると、懐かしい匂いがした。排気ガスやゴミ、海や甘い果物、そして人間の汗が入り混じった濃い匂いだ。
翌朝早く、私は愛想の良い中年の運転手を見つけて出発した。「ドゥーズ」というニックネームだった。彼のトラックは、車のあいだをすいすいと通り抜けていく。
何度見ても衝撃を受ける光景が広がっていた。おびただしい数の車やバイク、そして乗り合いタクシー。まるで雄大な茶色い川のように、そのあいだをすり抜け、歩道を進む人々。車の横を小走りする裸足の物売りたちが、タバコや咳止めドロップの袋を売り歩く。物乞いの子供たちが、窓に顔を押しつける。
ドゥーズと私が向かっていたのは、ロラの物語が始まったタルラック州だ。また、そこは私の祖父トマス・アスンシオンという陸軍中尉の故郷でもある。家族によれば、土地をたくさん所有していたのにお金はなく、所有地の別々の家に愛人たちをそれぞれ住まわせていた。妻は、初めてのお産で命を落とした。そのときに生まれたのが私の母だ。母は「ウトゥサン」たちに育てられた。要するに、「命令される人々」だ。
フィリピン諸島における奴隷の歴史は長い。スペインに征服される前、島民たちはほかの島から連れてきた人々を奴隷にした。主に戦争の捕虜や犯罪人、債務者などだ。奴隷にはさまざまな形態があった。手柄を挙げれば自由を勝ち取ることができる戦士もいれば、財産として売り買いされたり交換されたりする召使いもいたという。
地位の高い奴隷は地位の低い奴隷を所有することができたし、地位の低い奴隷は最底辺の奴隷を所有することができた。生き延びるために自ら奴隷となる人もいた。労働の対価に食料や寝床が与えられるし、保護してもらえるからだ。
16世紀にスペイン人が到来すると、彼らは島民を奴隷にし、のちにアフリカやインドの奴隷を連れてきた。その後、スペイン王室は自国や植民地で奴隷を段階的に廃止していったが、フィリピンはあまりに遠く離れていたので、監視の目が行き届かなかったという。
1898年に米国がフィリピンを獲得してからも、隠れた形で伝統は残った。現在でも、貧困層でさえ「ウトゥサン」や「カトゥロング(ヘルパー)」、「カサンバハイ(メイド)」を持つことができる。自分より貧しい人がいる限りはそれが可能であり、下には下がいるものなのだ。
祖父は、多いときで3家族のウトゥサンを自分の土地に住まわせていた。フィリピンが日本の占領下にあった1943年春、彼は近くの村に住む少女を連れて帰ってきた。
彼のいとこで、米農家の娘だった。祖父は狡猾だった。この少女は一文無しで、教育を受けていなかったし、従順に見えた。さらに彼女の両親は、2倍も年の離れた養豚家と結婚させようとしていた。彼女はどうしようもなく不幸だったが、ほかに行くあてがなかった。そこで、祖父は彼女にある提案をした。 12歳になったばかりの娘の世話をしてくれるなら、食料と住まいを与えよう──。
彼女、つまりロラは承諾した。ただ、死ぬまでずっとだとは思っていなかった。
「彼女はおまえへのプレゼントだ」と、祖父は私の母に告げた。
「いらない」と母は答えた。だが、受け入れるしかないのはわかっていた。やがて陸軍中尉だった祖父は日本との戦いへ赴き、田舎の老朽化した家で、母はロラと2人きりになった。ロラは母に食べさせ、身づくろいをしてやった。市場へ出かけるときは、傘をさして母を太陽から守った。犬にエサをやり、床掃除をして、川で手洗いした洗濯物を畳んだ。そして、夜になると母のベッドの端に座り、眠りにつくまでうちわで扇いだ。
戦争中のある日、帰宅した祖父が、母のついた嘘を問い詰めた。絶対に言葉を交わしてはいけない男の子について、何らかの嘘をついたらしい。激高した祖父は、「テーブルのところに立て」と母に命じた。
母はロラと一緒に、部屋の隅で縮こまった。そして震える声で、「ロラが代わりに罰を受ける」と父に告げたのだ。ロラはすがるような目で母を見ると、何も言わずにダイニングテーブルへ向かい、その端を握った。祖父はベルトを振り上げ、12発ロラを打った。打ち下ろすたびに、「俺に」「決して」「嘘を」「つくな」「俺に」「決して」「嘘を」「つくな」と吠えた。ロラはひとことも発さなかった。
のちに母がこの話をしたとき、あまりの理不尽さを面白がっているようだった。「ねえ、私がそんなことしたなんて信じられる?」とでも言っているようだった。これについてロラに訊くと、彼女は母がどのように語ったのか知りたがった。彼女は目を伏せながらじっと聞き入り、話が終わると悲しそうに私を見てこう言った。
「はい。そういうこともありました」
彼女が「奴隷」だと気づいた日
ロラと出会ってから7年後の1950年、母は父と結婚し、マニラへ引っ越した。その際、ロラも連れていった。祖父は長年のあいだ「悪魔に取り憑かれて」いて、1951年、それを黙らせるために自分のこめかみへ弾丸を打ち込んだ。母がその話をすることはほとんどなかった。
彼女は父親と同じく気分屋で、尊大で、内側には弱さを抱えていた。父の教えはどれも肝に銘じていて、その1つが、田舎の女主人にふさわしい振る舞い方だった。つまり、自分より地位の低い者に対しては、常に上に立つ者として行動する、ということだ。
それは、彼ら自身のためでもあり、家庭のためでもある。彼らは泣いて文句を言うかもしれないが、心の底では感謝しているはずだ。神の御心のままに生きられるよう助けてくれた、と。
1951年に、私の兄アーサーが生まれた。その次が私で、さらに3人が立て続けに生まれた。ロラは、両親に尽くしてきたのと同じように、私たち兄妹にも尽くすことを求められた。ロラが私たちの世話をしているあいだ、両親は学校に通い、「立派な学位はあるけれど仕事がない大勢の人々」の仲間入りをした。
だが、そこへ大きなチャンスが訪れた。父が、外務省でアナリストとして雇ってもらえることになったのだ。給料はわずかだったが、職場は米国だった。米国は、両親が子供の頃から憧れていた国だ。彼らにとって、願っていたことすべてが叶うかもしれない、夢の場所だった。
父は、家族とメイドを1人連れていくことを許された。おそらく共働きになると考えていたので、子供の世話や家事をしてくれるロラが必要だった。母がロラにそのことを告げると、母にとって腹立たしいことに、ロラはすぐには承諾しなかった。
それから何年も経ったあとにロラが当時のことを話してくれたのだが、実は恐ろしかったのだという。
「あまりに遠くて。あなたのお母さんとお父さんが私を帰らせてくれないんじゃないかと思ったんです」
結局、ロラが納得したのは、米国に行けばいろんなことが変わると、父が約束したからだった。米国でやっていけるようになったら、「おこづかい」をやると父は言った。そうすれば、ロラは両親や村に住む親戚に仕送りができる。
彼女の両親は、地面がむき出しの掘っ立て小屋に暮らしていた。ロラは彼らのためにコンクリートの家を建ててやれるし、そうすれば人生が変わる。ほら、考えてもごらんよ。
1964年5月12日、私たちはロサンゼルスに降り立った。ロラが母のところへ来てからすでに21年が経っていた。いろいろな意味で、自分にとっては父や母よりも、ロラのほうが親という感じがしていた。毎朝最初に見るのは彼女の顔だったし、寝る前に最後に見るのも彼女だった。
赤ちゃんの頃、「ママ」や「パパ」と言えるようになるよりずっと前に、ロラの名前を呼んでいた。幼児の頃は、ロラに抱っこしてもらうか、少なくともロラが近くにいないと絶対に眠れなかった。
家族が渡米したとき、私は4歳だった。まだ幼かったので、ロラが我が家でどういう立場なのかを問うことはできなかった。だが、太平洋のこちら側で育った兄妹や私は、世界を違った目で見るようになっていた。海を越えたことで、意識が変わったのだ。一方で、母と父は意識を変えることができなかった。いや、変えることを拒んでいた。
結局、ロラがおこづかいをもらうことはなかった。米国へ来て数年が経った頃、それとなく両親に訊いてみたことがあるという。当時、ロラの母親は病気で、必要な薬を買うお金がなかった。
「可能でしょうか?」
母はため息をついた。「よくそんなことを言えたもんだ」と父はタガログ語で答えた。
「カネに困っているのはわかってるだろ。恥ずかしいと思わないのか」
両親は、米国へ移住するために借金をしていて、米国に残るためにさらに借金していた。父は、ロサンゼルスの総領事館からシアトルのフィリピン領事館に異動した。年収5600ドルの仕事だった。収入を補うためにトレーラーの清掃の仕事を始め、それに加えて、借金の取り立てを請け負うようになった。
母は、いくつかの医療研究所で助手の仕事を見つけた。私たちが両親に会えることはほとんどなく、会えたとしても彼らはたいてい疲れ切っていて不機嫌だった。
母は帰宅すると、家がきちんと掃除されていないとか、郵便受けを確認していないなどと言っては、ロラを叱責した。「帰るまでに、ここに郵便を置いておけって言ったでしょ?」と、敵意をむき出しにタガログ語で母は言う。
「難しいことじゃないし、バカでも覚えられるでしょ」
そして父が帰宅すると、今度は彼の番だった。父が声を荒らげると、家中の誰もが縮こまった。ときには、ロラが泣き出すまで2人がかりで怒鳴りつけた。まるで、ロラを泣かせることが目的だったかのように。
私にはよくわからなかった。両親は子供たちによくしてくれたし、私たちは両親が大好きだった。だが、子供たちに優しくしていたかと思うと、次の瞬間にはロラに悪態をつくのだ。
ようやくロラの立場をはっきりと理解するようになったのは、11歳か12歳の頃だった。8歳年上の兄アーサーは、ロラの扱いに怒りを覚えるようになってから何年も経っていた。ロラの存在を理解するために「奴隷」という言葉を教えてくれたのはアーサーだった。その言葉を知る前は、ただ不運な家庭の一員だとしか思っていなかった。
両親が彼女を怒鳴りつけるのは嫌だったが、それがモラルに反することであり、彼女の立場そのものがモラルに反することだとは考えてみたこともなかった。
「彼女みたいに扱われてる人を、1人でも知ってるか?」とアーサーは私に聞いた。そして、ロラの境遇を次のようにまとめた。
無給。毎日働きっぱなし。長く座ったままだったり早く就寝したりすると、こっぴどく叱られる。口答えをすると殴られる。着ているのはおさがりばかり。キッチンで残り物を独りで食べる。ほとんど外出しない。家族のほかに友人はいないし、趣味もない。自分の部屋もない(彼女はどこか空いた場所に寝るのが普通だった。��ファかクローゼットか、妹たちの寝室の片隅か。よく洗濯物に囲まれて寝ていた)。
ロラと似たような立場の人を探しても、見つかるとしたらテレビや映画に出てくる奴隷だった。
奴隷の存在を隠し続けるしかなかった
ある晩、当時9歳だった妹のリングが夕食をとっていないと知った父が、ロラの怠慢を叱った。父は、ロラを見下ろしてにらみつけた。「食べさせようとしたんです」とロラは訴えた。だが彼女の返答は説得力がなく、さらに父をいら立たせるだけだった。そして、彼はロラの腕を殴った。ロラは部屋を飛び出した。動物のように泣き叫ぶ彼女の声が聞こえてきた。
「リングはお腹がすいてないって言ったんだ」と私は言った。
両親が振り返って私を見た。驚いた様子だった。いつも涙がこぼれる前にそうなるように、自分の顔がピクピクしているのを感じた。でも、絶対に泣くまいと思った。母の目には、これまで見たことのないものが浮かんでいた。もしかして、妬みだろうか?
「ロラを守ろうとしているのか」と父は訊いた。「そうなのか?」
「リングはお腹がすいてないって言ったんだ」
私はすすり泣くように、そう繰り返した。
私は13歳だった。私の世話に日々を費やしていたロラを弁護しようとしたのは、初めてのことだった。いつもタガログ語の子守唄を歌ってくれたし、私が学校に行くようになると、朝には服を着せて朝食を食べさせ、送り迎えをしてくれた。あるときは、長いあいだ病気で弱りきって何も喉を通らなかった私のために食べ物を噛み砕き、小さなかけらにして食べさせてくれたこともあった。
私が両脚にギプスをしていたときは、彼女は手ぬぐいで体を洗ってくれたし、夜中に薬を持ってきてくれたりして、数ヵ月におよぶリハビリを支えてくれた。そのあいだずっと私は不機嫌だった。それでもロラが文句を言ったり、怒ったりすることは1度たりともなかった。
そんな彼女が泣き叫ぶ声を聞いて、頭がおかしくなりそうだったのだ。
祖国フィリピンでは、両親はロラの扱いを隠す必要性を感じなかった。米国では、さらにひどい扱い方をしたが、それを隠すために苦心した。家に客が来れば、彼女を無視するか、何か訊かれたら嘘をついてすぐに話題を変えた。
シアトル北部で暮らしていた5年間、私たちはミスラー家の向かいに住んでいた。ミスラー家は賑やかな8人家族で、サケ釣りやアメリカン・フットボールのテレビ観戦の楽しみを教えてくれた。
テレビ中継を観て応援する私たちのところへ、ロラが食べ物や飲み物を持ってくる。すると両親はほほ笑んで「ありがとう��と言い、ロラはすぐに姿を消す。あるとき、ミスラー家の父が、「キッチンにいるあの小柄な女性は誰?」と尋ねた。「フィリピンの親戚だよ」と父は答えた。「とてもシャイでね」と。
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だが、私の親友だったビリー・ミスラーは、そんな話を信じなかった。よくうちに遊びに来ていたし、週末に泊まることもあったので、我が家の秘密を垣間見ていた。
彼は一度、私の母親がキッチンで叫んでいるのを聞き、何事かとその場を覗き、顔を真っ赤にした私の母とキッチンの隅で震えていたローラを見た。私はその数秒後にその場を目撃した。ビリーはきまり悪さと混乱が混ざったような表情をしていた。"あれはなんだ?" 私はそれを無視して忘れるように彼に言った。
ビリーはおそらくローラをかわいそうだと思ったことだろう。彼はローラの料理を誉め、彼女をよく笑わせた、私が見たことがないような笑顔をローラは見せていた。お泊り会の時にはローラはビリーの好きなフィリピン料理、白米の上に牛肉のタパを乗せた料理を作った。(beef tapa:薄切りの牛肉を魚醤・ニンニク・砂糖・塩・コショウなどで炒めたフィリピンの家庭料理)
料理はローラ唯一の自己主張の方法であり、それは雄弁だった。少なくとも私たちは彼女の作る料理に愛情というものがこもっていたことをはっきりと認識していた。
そしてある日、私がローラを遠い親戚だと言及したとき、ビリーは私と最初に会った時に私が彼女を祖母だと言っていたことを思い出した。
「なんていうかまあ、彼女はそのどちらでもあるというか...」と私は言葉を濁した。
「なぜ彼女はいつも働いているのんだ?」
「彼女は仕事が好きなんだよ」私は答えた。
「君のお父さんとお母さん、彼らはなぜ彼女を怒鳴りつけるんだ?」
「彼女は耳があまり良くないんだ...」
真実を認めてしまうことは、私たち家族の秘密を暴露することを意味していた。 アメリカに来て最初の10年、私たちはこの新しい土地になじむ努力をした。だが奴隷を持つという事実だけはこの国ではなじみようがなかった。奴隷を持つことは、私たち家族に対する、私たちのこれまですべてに対する強い疑問を私にもたらした。
私たちはこの国に受け入れられるに足るべき存在なのか?
私はそれらをすべて恥じていた、私自身もまた共犯者であることを含めて。彼女が調理した料理を食べ、彼女が洗濯しアイロンをかけクローゼットに掛けた服を着たのは誰だ? しかしそれでも、仮に彼女を失うことになっていたとしたらそれは耐えがたいことだっただろう。
そして奴隷を持つということ以外にもう一つ、私たち家族には秘密があった。私たちが米国に到着してから5年後、ローラの滞在許可は1969年に失効していたのだ。彼女は私の父の仕事に関連付けられた特殊なパスポートで渡米した。
父は上司との度重なる仲たがいの後に勤めていた領事館を辞め、その後も米国に滞在するため家族の永住権を手配したが、ローラにはその資格がなかった。父はローラを国に返すべきだったのにそうしなかった。
51歳当時のローラ。彼女の母親はこの写真が撮影される数年前に亡くなった。彼女の父親はその数年後に亡くなった。いずれの時も、ローラは家に帰ることを必死に望んでいた。
All photos courtesy of Alex Tizon and his family ローラの母、フェルミナは1973年に亡くなった。彼女の父、ヒラリオは1979年に亡くなった。いずれの時も、ローラは家に帰ることを必死に望んでいた。 そのいずれの時も、私の両親は "すまない" "金銭的な余裕がないんだ" "時間を作れない" "子供たちは君を必要としている" と答えた。
私の両親は後に私に告白したが、そこには彼女を返すことのできない別な理由もあったという。当局がローラの存在を知れば、そして彼女が望む通りアメリカを離れようとすれば当然知られることになる、そんな事態になれば私の両親は大きな問題を抱えることになり、国外追放される可能性も十分にあったのだ。
彼らはそのような危険を犯すことはできなかった。ローラの法的地位は「逃亡者」となっていた。彼女はほぼ20年間 "逃亡者" としてこの国に滞在したのだ。
彼女の両親がそれぞれ亡くなった後、ローラは何ヶ月も陰鬱に、寡黙になった。私の両親がしつこく言っても彼女はほとんど答えなかった。だがしつこく言うことが終わるわけでもなく、ローラは顔を下げたまま仕事をした。
そして父が仕事を辞めたことで私たち家族にとって波乱となる時期が始まった。金銭的に苦しくなり、両親は次第に仲たがいするようになった。シアトルからホノルルへ、そしてまたシアトルへと戻り今度はブロンクスへ、転々と住む場所を変え、最終的にはオレゴン州の人口750人の小さな町、ウマティラに移った。
その間、母は医療インターンとして、その後に研修医として24時間シフトで働き、父は何日も姿を消すようになっていた。父はよくわからない仕事をしており、それとは別に私たちは後に浮気やらなにやらしていたことを知った。突然家に帰り、ブラックジャックで新しく買ったステーションワゴンを失ったと言い出したこともあった。
家では、ローラが唯一の大人になる日が何日も続くようになった。彼女は家族の中で最も私たち子供の生活を知る人となっていた、私の両親にはそのような精神的な余裕がなかったがゆえに。
私たち兄弟はよく友人を家に連れてきた。彼女は私たちが学校の事や女の子の事、男の子の事、私たちが話す様々な事を聞いていた。彼女は私たちの会話をただ立ち聞きしていただけで、私が6年生から高校までフラれたすべての女の子の名前を挙げることができたのにはまいった。
そして私が15歳の時、父は家族から去っていった。私は当時それを信じたくなかったが、父が私たち子供を捨てて、25年の結婚生活の後に母を捨てたという事実だけがそこにあった。
母はその時点で正式な医師になるまであと1年を要しており、また彼女の専門分野である内科医は特に儲かる仕事ではなく、さらに父は養育費を払わなかったので、お金のやりくりはいつも大変だった。
母は仕事に行ける程度には気持ちをしっかり保っていたが、夜は自己憐憫と絶望で崩壊した。この時期の母の慰めとなったのはローラだった。
母が小さなことで彼女にきつく言う度に、ローラはより かいがいしく母の世話をした。母の好きな料理を作り、母のベッドルームをより丁寧に掃除した。夜遅くにキッチンカウンターで母がローラに愚痴をこぼしたり、父のことについて話したり、時には意地悪く笑ったり、父の非道にを怒ったりしていたのを何度も目撃した。
ある夜、母は泣きながらローラを探しリビングルームに駆け入り、彼女の腕の中で崩れ落ちた。ローラは、私たちが子供の頃にそうしてくれたように母に穏やかに話しかけていた。私はそんな彼女に畏敬の念を抱いた。
"母と私は一晩中言い争った。お互い泣きじゃくっていたが、私たちはそれぞれ全く違った理由で泣いた。"
私の両親が離婚してから数年後、私の母親は友人を通して知り会ったクロアチアの移民イワンという男性と再婚し母はローラに対し新しい夫にも忠誠を誓うことを要求した。イワンは高校を中退し過去4回結婚しているような男で、私の母の金を使いギャンブルに興じる常習的なギャンブラーだった。
だがそんなイワンは、私が見たことのないローラの一面を引き出した。 彼との結婚生活は当初から不安定であり、特に彼が母の稼いだお金を使い込むことが問題となっていた。
ある日、言い争いの末に母が泣きイワンが怒鳴り散らしていると、ローラは歩いて両者の間に立ちふさがった。彼は250ポンド(約113kg)の大柄な男でその怒鳴り声は家の壁を揺らすような大きさだった。だがローラはそんなイワンの正面を向き、毅然とした態度で彼の名前を呼んだ。彼は面食らったような顔でローラの顔を見た後、何か言いたそうにしながらも側の椅子に座った。
そんな光景を何度も目撃したが、ローラはそんほとんどにおいて母が望んだとおりイワンに粛々と仕えていた。私は彼女のそのような様を、特にイワンのような男に隷属する様を見るのがとても辛かった。だがそれ以上に私の感情を高ぶらせ、最終的に母と間で大喧嘩に発展させたのはもっと"日常的"なことだった。
母はローラが病気になるといつも怒っていた。ローラが動けないことで生じる混乱とその治療にかかる費用に対処することを望んでいなかった母は、ローラに対し嘘を言っているのだろうと、自分自身のケアを怠った結果だと非難した。
そして1970年代後半にローラの歯が病気によって抜け落ちた時も母は適切な対処を拒んだ。ローラは何ヶ月も前から歯が痛いと言っていた。
「きちんと歯を磨かないからそうなるんでしょ」母は彼女にそう言った。私は彼女を歯医者に連れていかなければならないと何度も言った。もう50代になる彼女はこれまで一度として歯医者に行ったことがなかった。当時私は1時間ほど離れた大学に通っており家に帰るたびにそのことを母に言った。
ローラは毎日痛み止めのためのアスピリンを服用し、彼女の歯はまるで崩れかけたストーンヘンジのようになっていた。そしてある晩、ローラがかろうじてまともな状態で残っていた奥歯でパンを必死に噛んでいる様を見て、私は怒りのあまり我を失った。
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母と私は、夜通し口げんかした。2人とも泣きじゃくった。
母は、みんなを支えるために身を粉にして働くのに疲れ切っているし、いつも子供たちがロラに味方するのにうんざりしているし、ロラなんてどこかへやってしまえばいいじゃないか、そもそも欲しくなんかなかったし、私の���うな傲慢で聖人ぶった偽善者なんか産まなければよかった──とまくし立てた。
彼女の言葉を反芻して、私は反撃に出た。
偽善者ならそっちだ。ずっと見せかけの人生を生きているじゃないか。自己憐憫に浸ってばかりだから、ロラの歯が腐ってほとんど食べられないことに気づかないんだろ。1度でいいから、自分に仕えるために生きている奴隷ではなく、1人の人間として見てあげたらどうなんだ?
「奴隷って言ったわね」
母はその言葉をかみしめた。
「奴隷ですって?」
母は、ロラとの関係は私には絶対に理解できないと言い放ち、その晩はそれで終わった。
何年も経ったいまでも、痛みをこらえるような、あのうめき声を思い返すだけで腹を殴られたような気分になる。自分の母親を憎むのは最悪だが、その晩は母を憎んだ。彼女の目を見る限り、母も私を憎んでいるのは明らかだった。
けんかの結果、ロラが自分から子供たちを奪ったという母の恐怖は強まり、ロラ本人にそのつけが回った。母はよりいっそうつらく当たった。
「私があなたの子供たちに嫌われてさぞかしうれしいでしょうね」などと言って苦しめた。私たちがロラの家事を手伝うと、母は憤った。「ロラ、もう寝たほうがいいんじゃないの」と皮肉たっぷりに言うのだ。
「働きすぎよ。あなたの子供たちが心配してるわよ」
そのあとで、寝室へロラを呼び出し、ロラは目をパンパンに腫らせて戻ってくるのだった。
ついにロラは、自分を助けようとするのはやめてくれと訴えた。
「なぜ逃げないの?」と私たちは訊いた。
「誰が料理をするんですか?」と彼女は答えた。誰が仕事を全部やるのか、と言いたかったのだろう。誰が子供たちの世話をするのか? 誰が母の世話をするのか?
別のときには、「逃げるところなんてどこにあるんですか?」と言った。この返事のほうが真実味があった。米国へ来るときは大慌てだったし、息をつく間もなく10年が経った。振り返ると、さらに10年が経とうとしていた。ロラは白髪が増えていた。
噂によれば、故郷の親戚たちは、約束された仕送りが届かないので、何が起きたのかといぶかしんでいたという。彼女はもはや恥ずかしくて帰れなかったのだ。
ロラには米国に知り合いもいなかったし、移動手段もなかった。電話に戸惑ったし、ATMやインターホン、自動販売機、キーボードのついているもの全般など、機械を見るとパニックに陥った。早口な人の前では言葉を失い、逆に彼女のたどたどしい英語を聞くと相手が言葉を失った。予約をしたり、旅行を企画したり、用紙に記入したり、自分で食事を注文したりすることができなかった。
あるとき、私の銀行口座からお金を下ろせるキャッシュカードをロラに与え、使い方を教えてやったことがある。1度は成功したが、2度目は動揺してしまい、それっきり試そうともしなかった。でも、私からの贈り物だと思ってカードは大切にしてくれていた。
また、車の運転を教えようとしたこともある。彼女は手を振って拒否したが、私はロラを抱き上げて車のところへ連れていき、運転席に座らせた。お互い笑い転げていた。
20分かけて、ギアやメーターなどをひと通り説明してあげた。初めは楽しそうにしていた彼女の目が、恐怖におびえはじめた。エンジンをかけてダッシュボードが点灯すると、あっという間に彼女は車を飛び出して家のなかへ駆け込んでしまった。あと数回やってみたが、結果は同じだった。
私は、運転ができるようになれば、彼女の人生が変わると思ったのだ。自分でいろんなところへ行ける。母との生活が耐えられなくなったら、どこかへ逃げて、2度と戻らなければいい。
高まる緊張
4車線が2車線になり、舗装道路が砂利道になった。竹を大量に載せた水牛や車が行き交うなか、三輪車が通り抜ける。ときおり私たちのトラックの前を犬やヤギが走り抜け、バンパーをかすめそうになる。でもマニラで雇った中年の運転手、ドゥーズはスピードを落とさない。
私は地図を取り出し、目的地のマヤントクという村までの道のりをたどった。窓の外には、遠くのほうで大量の折れた釘のように腰を曲げている人々がかすかに見えた。数千年前からずっと変わらないやり方で、米を収穫しているのだ。到着まであと少しだ。
自分の膝の上に置いた安っぽいプラスチックの箱をトントンと叩き、磁器や紫檀で作られた本物の骨壷を買わなかったことを後悔した。ロラの親族はどう思うだろう?
もちろん、そんなに大勢いるわけではなかった。唯一残った兄妹が妹のグレゴリアで、年齢は98歳を数え、物忘れが激しくなっているとのことだった。親戚によると、ロラの名前を聞くとわっと泣き出し、次の瞬間にはなぜ泣いているのかわからなくなるという。
私は、ロラの姪と連絡をとっていた。彼女は次のように1日を計画していた。私が到着したら、ささやかな追悼式をおこない、祈りを捧げ、マヤントクの共同墓地の一画に遺灰を埋葬する──。
ロラが亡くなってから5年が経っていたが、まだ最後のさようならを言っていなかった。間もなくそのときが訪れようとしていた。
朝からずっと、激しい悲しみを抑え込もうと必死だった。ドゥーズの前で泣いたりしたくなかった。自分の家族のロラに対する扱いを恥じるよりも、マヤントクの親族が私にどんな態度をとるだろうかという不安よりも、彼女を失ったことの重さのほうが強かった。まるで前の日に亡くなったばかりのようだった。
ドゥーズは、ロムロ・ハイウェイを北西へと進み、カミリングで急カーブを左に曲がった。母と祖父の出身地だ。2車線が1車線になり、砂利道が泥道になった。道は、カミリング川沿いを走っていた。竹でできた家々が並び、前方には緑の丘が見えた。いよいよ大詰めだ。
物語の脇役であり続けたロラ
母の葬儀で述べた私の弔辞は、すべて本当のことだった。母は、勇敢で、活発だったこと、貧乏くじを引くこともあったけれど、彼女にできる限りのことをしたこと。幸せなときはキラキラしていたし、子供たちを溺愛していて、オレゴン州セイラムに正真正銘の「我が家」を作ってくれたこと。
1980年代と90年代を通して、その家は私たちがそれまで持ち得なかった「定住地」となった。もう1度ありがとうと言えたらいいのに。
私たちみんなが母を愛していた。
だが、ロラの話はしなかった。母が晩年になると、私は彼女といるときにはロラのことを考えないようにしていた。自分の脳にそういう細工をしないと、母を愛することができなかった。それが、親子関係を続ける唯一の方法だったのだ。
とくに、90年代半ばから母が病気がちになってからは、良い関係を保ちたかった。糖尿病、乳がん、そして、血液と骨髄の癌である急性骨髄性白血病。まるで1晩のうちに健常から虚弱へと転落したようだった。
あの大げんかのあと、私は家を避けるようになり、23歳でシアトルに移り住んだ。ただ、実家を訪れると、変化が見られるようになった。母はいつもの母だったが、前のように容赦ない人間ではなかった。
ロラに立派な入れ歯と寝室を与えた。ロナルド・レーガンによる画期的な1986年の移民法で、何百万人という不法移民に合法的な滞在が認められたとき、ロラのTNT(フィリピン人が言う「タゴ・ナング・タゴ」の略。「逃亡中という意味)としての立場を変えようと尽力した兄妹と私に母も協力した。
手続きは長引いたが、1998年10月にロラは米国籍を取得した。母が白血病と診断されてから4ヵ月後のことであり、母はそれから1年間しか生きられなかった。
そのあいだ、母と後夫のアイヴァンはよくオレゴン州の海岸にあるリンカーンシティへ出かけた。ロラを連れていくこともあった。ロラは海が大好きだった。海の向こう側には、いつの日か戻れることを夢見る島々があった。
それに、母がくつろいでいるとロラは幸せだった。海辺で過ごす午後や、田舎で暮らした日々の思い出話をするキッチンでの15分間だけで、ロラは長年の苦悩を忘れてしまうようだった。
だが、私はそんな簡単に忘れることはできなかった。でも、母の違う面が見えるようにもなってきた。亡くなる前に、母はトランク2つにぎっしり詰められた日記を見せてくれた。彼女が寝ているすぐそばで日記に目を通していると、長年私が目を向けようともしなかった母の人生が垣間見えた。
彼女は、女性が医者になることが珍しかった時代に医学部へ通った。米国へ来て、女性として、また移民の医者として、尊敬を勝ち取るために闘った。セイラムにある「フェアビュー・トレーニングセンター」で20年働いた。そこは、発達障害者のための公共機関だった。
皮肉なことに、母はキャリアを通じて弱者を助け続けていたのだ。彼らは母を崇拝した。女性の同僚たちと仲良くなり、一緒にたわいのない女子っぽいことをして遊んだ。靴を買いに行ったり、��互いの家でおめかしパーティーをしたり、冗談で男性器の形をした石けんや半裸の男性たちのカレンダーを贈り合ったりした。そのあいだずっと、彼女たちは笑い転げていた。
当時のパーティーの写真を見ていると、母は家族とロラに見せるのとは別の自分を持っていたことがわかった。それは当然のことだろう。
母は子供たち一人ひとりについて詳しく書いていた。誇りに思ったり、愛しく感じたり、憤慨したり、その日に感じたことを綴っていた。さらに、夫たちについての記述は膨大な量におよんだ。彼らは、母の物語に登場する複雑な性格の人物として描かれていた。
ただし、私たちはみんな重要な登場人物だったのに、ロラは付随的な存在だった。登場するとすれば、別の誰かの物語における端役としてだった。
「最愛のアレックスをロラが新しい学校へ連れていった。新しい友だちが早くできるといいな。引っ越ししたことの寂しさがまぎれるように……」
それから私について2ページ書かれ、ロラはもう登場しない。そんな調子だった。
母が亡くなる前日、カトリックの神父が臨終の秘跡をおこなうために訪れた。ロラはベッドの脇に座り、ストローを差したカップをいつでも母の口元へ持っていけるように備えていた。これまで以上に母を気づかい、これまで以上に優しくしていた。弱りきった母につけ込むこともできたし、復讐をすることもできたのに、ロラの態度は真逆だった。
神父は母に、赦したいこと、または赦しを請いたいことはないかと尋ねた。
彼女はまぶたが半ば閉じたまま部屋を見回したが、何も言わなかった。そして、ロラを直接見ることなく、伸ばした手を彼女の頭に乗せた。一言も発さずに。
「奴隷」から抜けきれない日々
ロラを私のところへ呼び寄せたのは、彼女が75歳のときだった。私はすでに結婚して2人の娘がいて、周りに木が生い茂る居心地の良い家に住んでいた。2階からはピュージェット湾を見渡せた。
ロラには寝室を与え、何をしてもいいよと伝えた。朝寝するなり、テレビドラマを観るなり、1日中ゆっくりするなりすればいい。人生で初めて、思いっきりリラックスして、自由になればいい、と。でも、そう簡単にはいかないと覚悟しておくべきだった。
私は、ロラの厄介なところをすっかり忘れてしまっていた。風邪をひくからセーターを着ろとしつこいこと(すでに私は40歳を超えているというのに)。常に父とアイヴァンの不平を言うこと(父は「怠け者」で、アイヴァンは「ヒル」だった)。
私は次第に彼女を無視する方法を身につけた。でも、異常なまでの倹約ぶりは無視しにくかった。ロラは何も捨てたがらなかったのだ。しかも、私たちがまだ使えるものを捨てていないか、ゴミを漁って確認していた頃もあった。紙タオルがもったいないと、何度も洗って使い回し、しまいには手のひらでボロボロになるほどだった(誰もそれを触ろうとしなかった)。
キッチンはレジ袋やヨーグルト容器、空の瓶でいっぱいになり、家の一部はゴミ置き場になった。そう、ゴミだ。それ以外に言いようがない。
朝はみんな時間がなくて、バナナかグラノーラ・バーをかじりながら家を飛び出すというのに、ロラは朝食を作った。ベッ���メイクをして、洗濯物をした。家の掃除をした。最初は辛抱強く、私はこう言い続けた。
「ロラ、そんなことはしなくていいんだよ」「ロラ、自分たちでやるからね」「ロラ、それは娘たちの仕事だよ」
だが、「オーケー」と彼女は言ってそのまま続けるのだった。
ロラがキッチンで立ったまま食事をとっていたり、私が部屋に入ってくると体をこわばらせて掃除を始めたりするのを目にすると、イライラさせられた。数ヵ月経ったある日、話がある、と彼女を呼んだ。
「私は父じゃない。あなたは奴隷じゃないんだ」
そう言って、ロラの奴隷のような行動を一つひとつ挙げていった。彼女が驚いた様子なのに気づいたので、ゆっくり深呼吸してロラの顔を手のひらで包んだ。エルフのような顔のロラが、探るような目で私を見つめ返す。私はその額にキスをした。
「ここはあなたの家だ。私たちに仕えるために来たわけじゃない。リラックスしていいんだ。オーケー?」
「オーケー」と彼女は言った。そして、掃除に戻った。
彼女は、それ以外どうしていいかがわからなかったのだ。次第に、リラックスするべきなのは自分だ、と気づいた。夕食を作りたがるなら、やらせてあげよう。ありがとうと言って、自分たちは皿洗いをすればいい。何度も自分に言い聞かせなければならなかった。やりたいようにやらせてあげろ、と。
ある晩、帰宅するとロラがソファでパズルをしているところを見つけた。脚を伸ばして、テレビをつけ、隣にはお茶を用意して。彼女は私をチラッと見て、きまり悪そうに真っ白な入れ歯を見せて笑い、パズルを続けた。良い調子だ、と私は思った。
さらに彼女は、裏庭でガーデニングを始めた。バラやチューリップや、あらゆる種類の蘭を植えて、それにかかりっきりになる日もあった。また、近所を散歩するようにもなった。
80歳くらいになると関節炎がひどくなり、杖をつくようになった。キッチンでは、かつては下働きの料理人のようだったのが、その気になったときだけ創作する職人肌のシェフのようになった。ときに豪華な食事を作っては、ガツガツ食べる私たちを見てにっこり笑うのだった。
ロラの寝室の前を通ると、よくフィリピンのフォークソングのカセットが聞こえてきた。彼女は同じテープを何度も繰り返し聴いていた。私と妻は週に200ドルを彼女に渡していたが、ほぼ全額を故郷の親戚に送金していることを知っていた。そしてある日、裏のベランダに座り込んだ彼女が、誰かから送られてきた村の写真をじっと眺めているのを発見した。
「ロラ、帰りたいの?」
彼女は写真を裏返しにして、そこに書かれた文字を指でなぞった。それから再び表に返し、1点を食い入るように見つめた。
「はい」と彼女は答えた。
83歳の誕生日のすぐあとに、彼女が帰国するための飛行機代を出してあげた。1ヵ月後に私もそこへ行き、米国に戻る意志があるなら連れて帰ることになっていた。はっきり口にしていたわけではないが、旅の目的は、長年のあいだ戻りたいと切望していた場所が、今なお故郷のように感じられるかどうかを見極めることだった。
彼女は答えを見つけた。
「何もかも違っていた」と、故郷のマヤントクを私と散歩しながら彼女は言った。昔の畑はなくなっていた。家もなかった。両親も、兄妹のほとんども亡くなっていた。まだ生きていた子供時代の友人は、他人のようだった。再会できてうれしかったけれど、昔と同じではなかった。ここで死にたいけれど、まだその心構えができていない。
「じゃあ庭の世話に戻る?」と私は訊いた。すると、ロラはこう答えた。
「はい。帰りましょう」
奴隷としての一生
ロラは、幼い頃の私や兄妹たちと同じように、私の娘たちの世話をしてくれた。学校が終わると、話を聞いてあげて、おやつを与えた。妻や私と違って(主に私だが)、学校の行事や発表会を最初から最後まで楽しんだ。もっと見たくて仕方がないようだった。いつも前のほうに座り、プログラムは記念にとっておいた。
ロラを喜ばせるのは簡単だった。家族旅行にはいつも連れていったが、家から丘を降りたところのファーマーズ・マーケットに行くだけで興奮した。遠足に来た子供のように目を丸くして、「見て、あのズッキーニ!」と言うのだ。
毎朝、起きると必ずやることと言えば、家中のブラインドを開けることだった。そして、どの窓でも一瞬立ち止まって外の景色を眺めるのだ。
さらに、自力で字を読めるようになった。驚くべき進歩だった。長年かけて、彼女は文字をどう発音するかを解明したようだった。たくさん並べられた文字のなかから、単語を見つけてマルで囲むパズルをよくやっていた。
部屋にはワードパズルの冊子が積み上げられていて、鉛筆で何千という単語がマルで囲まれていた。毎日ニュースを見て、聞き覚えのある単語を拾った。それから、新聞で同じ単語を見つけ、意味を推測した。そのうち、新聞を最初から最後まで毎日読むようになった。
父は、彼女のことを「無知だ」と言っていた。でも、8歳から田んぼで働くのではなく、読み書きを学習していたら、どんな人になっていただろうかと考えずにいられなかった。
一緒に暮らしていた12年のあいだずっと、私は彼女の人生についていろいろ質問をした。私が彼女の身の上話の全容を明らかにしようとするのを、彼女は不思議がった。私が質問すると、たいていまずは「なぜ?」と返すのだった。
なぜ彼女の幼少期のことを知りたがるのか? どうやってあなたの祖父と出会ったのかなんて、なぜ知りたがるのか?
妹のリングに、ロラの過去の恋愛について訊いてもらおうとしたことがある。妹のほうが話しやすいと思ったからだ。リングにそう頼むと、彼女はケラケラ笑った。その笑い方は、要するに協力する気がないということだ。
@@@@@
ある日ローラと私がスーパーで買った食料品をしまっている時に、私はついこんな質問をしてしまった。
「ローラ、君は誰かとロマンチックな経験をしたことはあるかい?」
彼女は微笑んで、彼女が唯一持つ異性との話を私に語った。
彼女が15歳くらいの頃、近くの農場にペドロというハンサムな男の子がおり数ヶ月間彼らは一緒に米を収穫したという。そして一度、彼女はその作業に使っていたボロという農具を手から落としてしまったことがあり、彼はすぐにそれを拾い上げ手渡してくれた。
「私は彼が好きでした。」ローラはそう言った。
しばらく、お互い黙ったままで
「それから?」
「彼はその後すぐに立ち去ってしまいました。」
「それから?」
「それだけです。」
「ローラ、君はセックスをしたことがある?」私は、まるで誰か他人が言ったのを聞いたように、そう質問する自分の声を聞いた。
「いいえ。」彼女はそう答えた。
彼女は個人的な質問に慣れていなかった。彼女は私の質問に1つまたは2つの単語で答えることが多く、単純な物語でさえも引き出すには何十もの質問が必要だった。私はそれらの質問を通してそれまで知り得なかった彼女の一面を知った。
ローラは母の残酷な仕打ちにはらわたが煮えたぎる思いをしたが、それにもかかわらず母が亡くなったことを悲しく思っていたことを知った。彼女がまだ若かった頃、時々どうしようもなく寂しさを感じ泣くことしかできなかった日が何度もあったことを知った。
何年も異性と付き合うことを夢見ていたことを知った、私は彼女が夜に大きな枕で抱かれるように包まれた状態で寝ている光景を目撃したことがある。だが老後の今、私に語ってくれた話によると、母の夫たちと一緒に暮らすうちに独り身でいることはそれほど悪くないと思ったという。彼女はその二人、父とイワンについては全く懐旧の情に駆られないそうだ。
もしかしたら、彼女が私の家族に迎えられることなく故郷マヤントクで暮らしていたら、結婚し、彼女の兄妹のように家族を持っていたら、彼女の人生はより良いものになっていたかもしれない。だがもしかしたら、それはもっと悪いものになっていたかもしれない。ローラの2人の妹、フランシスカとゼプリャナは病気で亡くなり、兄弟であるクラウディオは殺されたと後に聞かされた。
そんな話をしているとローラは、今そんな "もし" の話をして何になるのかと言った。"Bahala na" が彼女の基本理念だった。
bahalaの本来の意味は「責任」。フィリピン人の性格を表現する時によく使われる「Bahala na(バハーラ ナ)」:何とかなるさは、「Bahala na ang Diyos(バハーラ ナ アン(グ) ジョス)」:神の責任である→神の思し召しのままに→運を天にまかせよう、というところから来ている。「Bahala」自体はそんないい加減な意味の表現ではないので注意が必要。 フィリピン語(タガログ語) Lesson 1より http://www.admars.co.jp/tgs/lesson01.htm
ローラは彼女が送ってきた人生は、家族の別の形のようなものだったと語った。その家族には8人の子供がいた、私の母と、私とその4人の兄弟、そして今共に過ごす2人の私の娘だ。その8人の子供たちが、自分の人生に生きた価値を作ってくれたと、彼女はそう言った。
私たちの誰もが彼女の突然の死に準備ができていなかった。
"彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。"
ローラは夕食を作っている最中に台所で心臓発作を起こし、その時私は頼まれた使いに出ていた。家に戻り倒れている彼女を見つけた私はすぐさま病院に運んだ。数時間後の午後10時56分、病院で、何が起きているのか把握する前に彼女は去ってしまった。すぐに全ての子供たちと孫たちがその知らせを受け取ったが、どう受け止めていいかわからない様子だった。ローラは11月7日、12年前に母が亡くなった日と同じ日に永眠した。86歳だった。
私は今でも車輪付き担架で運ばれる彼女の姿を、その光景を鮮明に思い出せる。ローラの横に立った医師は この褐色の子供くらいの身長の女性がどんな人生を歩んできたか想像もつかないだろうと思ったのを覚えている。
彼女は私たち誰もが持つ利己的な野心を持たず、持てなかった。彼女の周りの人々のためにすべてをあきらめる様は、私たちに彼女に対する愛と絆と尊敬をもたらした。彼女は私の大家族の中で崇敬すべき神聖な人となっていた。
屋根裏部屋にしまわれた彼女の荷物を解く作業には数ヶ月かかった。そこで私は、彼女がいつか字を読むことができるようになった時のために保管しておいた1970年代の雑誌のレシピの切り抜きを見つけた。私の母の写真が詰まったアルバムを見つけた。 私の兄弟姉妹が小学校以降獲得した賞の記念品も見つけた、そのほとんどは私たち自身が捨たもので彼女はそれらを "救いあげて" くれていた。
そしてある日、そこに黄色く変色した新聞の切り抜きが、私がジャーナリストとして書いた記事が大切に保管されているのを見つけ、泣き崩れそうになった。彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。
竹と板でできた家々が並ぶ村の中央にある小さなコンクリートの家に私を乗せたトラックが止まる。村の周囲には田んぼと緑が無限に広がっているようだった。 私がトラックから出る前に人々が家の外に出てきた。運転手は座席をリクライニングにして昼寝を取りはじめた。私はトートバッグを肩に掛け、息を呑み、ドアを開けた。
「こちらです」
柔らかい声で、私はそのコンクリート製の家へ続く短い道に案内された。私の後を20人ほどの人が続く。若者もいたがその多くが老人だった。
家に入ると、私以外の人たちは壁に沿って並べられた椅子とベンチに座った。部屋の中央には何もなく私だけが立っていた。私はそのまま立ちながら私のホストを待った。それは小さな部屋で暗かった。人々は待ち望んだ様子で私を見ていた。
「ローラはどこですか?」
隣の部屋から声が聞こえ、次の瞬間には中年の女性が笑顔を浮かべこちらに向かってきた。ローラの姪、エビアだった。ここは彼女の家だった。彼女は私を抱きしめて、「ローラはどこですか?」と言った。
私はトートバッグを肩から降ろし彼女に渡した。彼女は笑顔を浮かべたままそのバッグを丁寧に受け取り、木製のベンチに向かって歩みそこに座った。彼女はバッグから箱を取り出しじっくりと眺めた。
「ローラはどこですか?」
と彼女は柔らかく言った。この地域の人々は愛する人を火葬する習慣がなかった。彼女は、ローラがそのような形で帰ってくることを予想していなかった。
彼女は膝の上に箱を置き、その額を箱の上に置くように折れ曲がった。彼女はローラの帰還を喜ぶのではなく、泣き始めた。
彼女の肩が震え始め、泣き叫び始める。それは私がかつて聴いたローラの嘆き悲しむ声と同様の悲痛な叫び声だった。
私はローラの遺灰をすぐに彼女の故郷に返さなかった、これほど彼女を気にしていた人がいたことを、このような悲しみの嵐が待ち受けていることを想像していなかったのだ。私がエビアを慰めようとする前に、台所から女性が歩み寄り彼女を抱きしめ共に泣き始めた。
そして部屋が嘆き声の轟音で包まれた。目の見えなくなった人、歯が抜け落ちた人、皆がその感情をむき出しにすることをはばからず泣いた。それは約10分続いた。気づけば私も涙を流していた。むせび泣く声が止み始め、再び静寂が部屋を包んだ。
エビアは鼻をすすりながら、食事の時間だと言った。誰もが列を成してキッチンに入る。誰もが目を腫らしていた。そして急に顔を明るくして、故人について語り合い、故人を偲ぶ準備を始めた。
私はベンチの上に置かれた空のトートバッグをチラリと見て、ローラが生まれた場所に彼女を戻すことが正しいことだったと実感した。
原典
『My Family’s Slave』By Alex Tizon(The Atlantic)
She lived with us for 56 years. She raised me and my siblings without pay. I was 11, a typical American kid, before I realized who she was.
翻訳
https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2017/06/lolas-story/524490/
https://kaikore.blogspot.com/2018/01/lolas-story.html
https://courrier.jp/news/archives/89516/?utm_source=article_link&utm_medium=longread-lower-button&utm_campaign=articleid_89495
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hangorin · 2 years
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2018年平昌オリンピックに対する反対運動を行ってきた韓国のグループ「平昌オリンピック反対連帯」が、閉幕から3年後の平昌、江陵の現状について報告書をまとめました。以下、反五輪の会メンバーが日本語訳したものの後編です。前編はこちらからお読みください。
閉幕してもなお都市を蝕むオリパラの様子がよくわかります。必読!
(写真はリンク元の方が見やすいのでぜひ参照してください!)
平昌五輪開催地 2021年夏季踏査報告書 2021年12月20日
(後編)
五輪の本質―五輪の特区事業
オリンピック災害と地域情勢の悪化に対して、主催側が目を背けたまま新規事業に没頭する欺瞞は、オリンピック特区事業でさらに露骨に現われている。オリンピック招致決定後、特区事業は開催を理由に特別法に基づいて各種の特恵を受けながら推進されてきた。しかし、それらは実際のところ、オリンピックとは全く無関係の開発事業だ。大手建設会社や投資企業、国際金融資本が既存の規制を免除され、ホテルやリゾートを建設している。オリンピックが閉幕した2019年から、特区事業の第2段階の拡大施行が行われはじめ、各地区の対象面積も増加し、合計28.83㎢に達した。
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江陵市の金津(クムジン)港一帯の特区事業は、ホテルが完成した後も続いている。リゾート、ゴルフ場、ショッピングモールなどを含む大規模観光団地を建設するこの事業は、2021年から本格的な推進段階に入った。江陵市は既存事業者ではない、新規の事業者と投資協約を締結したが、既存事業者は自分たちの権利の有効性を主張した。市議会では二重協約疑惑を指摘し、事業の進行状況をガラス張りにして開示することを要求したが、現在に至るまで明らかになったものは一つもない。
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正東津(チョンドンジン)地区50万㎡の敷地に「観光休養タウン」を建設するという特区事業は、2013年に土地を買い取り、事業の推進を開始して以来、8年間で進入路の一部の工事を進めたに過ぎず、放置されている。地方自治体は事業者側に、事業計画の細部や具体的な日程等を要求し続けているが、何一つ明確に出されたものはない。しかし一方で、地方自治体は投資誘致の不振による事業推進の困難を理由に、不動産投資移民制を2024年まで延長し、土地取引契約許可を2023年まで延長するなど、妥当性のない事業に対しても行政的根拠を設けるべく全力を傾けている。
一部の特区事業は、オリンピック閉幕後3年以上も経ってなお、着工はおろか具体的な計画も立案されていないにも関わらず、特権を受けながら事業を続けている。特区事業地の中で最も大規模な「グリーンビジネス海洋休養地区」では、2015年に道立公園指定区域を一部解除し、鏡浦(キョンポ)湖と鏡浦台(訳者注:江原有形文化財第6号、高麗時代の楼閣)の間に2つの大型ホテルが入り、2件のリゾート事業が進められる予定である。
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(※写真:黒文字「鏡浦(キョンポ)オリンピック・カウンティ 造成事業」*카운티=county 郡・州)
ある事業予定地は、当初の事業期間である2016年7月―2017年7月の間、施行どころか具体的な事業計画も立案されないまま、4回もの異例の期間延長が行われた。オリンピックのため迅速に事業を進めなければならないという理由で、事業者が対象地の80%を買収すれば、残りの20%も強制的に収用可能となる。買収された土地の住民は、オリンピックまでに事業が進まなかったので、通常の場合と同様、事業が中止になれば土地が戻ってくると期待して待ち続けたが、特区事業は違っていた。オリンピックの宿泊難解消のため観光宿泊施設を建てる名目で許可を受けた事業だったものの、その後、個別分譲が可能な一般宿泊施設建設事業に変更する際に、特別な理由は必要なかった。
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(※写真:看板「59ホテル 造成事業」)
また、それほど遠くない場所に位置する別の事業地も、施行が保留されたまま敷地が放置されていたが、2021年5月に事業者の変更があった。もとの業者は、特別法により事業許可を受けて敷地を保有していたが、事業をまるごと新しい事業者に売却し、地価上昇による不動産差益だけをそっくりかすめとり去っていった。新しい事業者はアルペンシアを建設したテヨン建設などが投資した特殊法人で、2024年までにホテルなどの宿泊施設を建設する予定だといわれている。
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(※写真上:1枚目「案内文 本地域は環境影響評価法による原型保存地のため、無断立入により松に損傷が生じた場合、関係法により処罰を受ける場合があります。特に松に損傷の生じるおそれがあるため、保存地内の造形物への接近を禁止します。ご協力お願いします セントジョンズホテル」*同ホテルの所在地は江陵(カンヌン) *翻訳文の赤文字は、写真の赤文字部分に対応)
特区の指定に入った大型ホテルのひとつは、松亭(ソンジョン)海岸の松林に隣接している。松林の一部は、環境影響評価協議で原型保全地として保存することに決定した。しかし、ホテルは2020年11月頃、何の協議もなしに、ホテルとビーチの間にあった30本以上の樹木を無断伐採した。ホテル側は、松が枯死したため伐採した、伐採した場所が原型保全地かどうかは知らなかった、と言い、また客から景観が悪いと苦情があったという理由も挙げられた。このような事は、これまでずっと地域住民の共用空間であったビーチと松林を開発企業が私的に占有した時から、すでに予見されていたのかもしれない。今回の踏査で、松林とビーチのつながる場所で、伐採された樹木の切り株を確認することができた。ここは皆のための空間という���り、事実上ホテルのための空間と化していた。この場所は、ホテル1階のレストラン利用客の座席とテーブルや付帯施設が広い場所を占めており、ホテルの前庭も同然に見えた。
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江陵の海岸通り沿いの松林は、東海岸では珍しい大規模な海岸林で、韓国で最も歴史のあるマウルスプ(村の森)に数えられ、その樹齢は90年から130年に及んでいる。住民たちは、景観を独占し、松林を破壊する開発事業に粘り強く抗議してきた。事業者側は開発事業によって公共緑地や遊歩道などを確保するという名目を掲げている。しかし松林を守る人々は、昔から多くの住民や訪問者たちが松林と海辺を自由に利用してきており、むしろ開発事業によって森が損なわれ、住民が利用できる空間が減少していく、といって対立している。しかし、オリンピック特別法によって開発事業の根拠が設けられ、すでに様々な開発事業が積み重ねられている現状で、松林を守るのは容易なことではない。宿泊施設建設を推進する中で、住民との対立に直面している別の事業者は、海岸隣接地での大規模な松林の破壊を伴う事業にも、特区事業として許可を与えたのだから、自分の事業も公平に建築許可を受けられるはずと主張、江原道行政審判委員会に建築不許可処分の取消を請求している。行審委はこの事業者に味方した。
「オリンピックのために」という理由だけで、地域住民の権利、事業の経済性と妥当性、環境および公共に及ぼす影響などを考慮するあらゆる手続きは、省略・縮小された。地域経済の活性化を掲げるものの、これを裏付ける具体的な根拠やプロセスは一切開示されていない。公共資源を動員して今なお続いているオリンピック特区事業は、それ自体でオリンピックの本質が何なのかを如実に示している。
カリワン山
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「レガシー」と「特区」の名のもとに続いてきたオリンピック災害の実態を一番はっきりと確認できる所は、旌善(チョンソン)郡のカリワン山だ。ゲリラ的な違法伐採を皮切りに、10万本以上の樹木が伐採されたカリワン山。オリンピック主催側の当初の約束は、全ての施設を撤去し、保護区域の山林の復元作業を始めるというものだった。しかし、地方自治体は「オリンピック・レガシー活用」を理由に環境影響評価の協議条件を何一つ実行しなかった。約束が守られないまま時間だけが流れ、スキー場に隣接する森林の老木が急速に枯死していくなど、周辺の森の健康状態も悪化している。スキー場はカリワン山全体の主な水源の一つだったスガム渓谷があった場所に建設された。2012年から植生調査を進め、定期的なモニタリングを続けている環境団体「山と自然の友ウイリョンの人々」は、水を一定温度に維持して豊かに供給してきた渓谷があった場所にスロープが建設されたこと、また、そのため荒れ地となった斜面に沿って乾燥した熱風が発生するようになったことと、周辺の山林の健康状態悪化は、互いに無関係ではないと指摘している。同時に大規模な山林破壊で地下水位が下がったこと、スキー場建設に伴い数百年かけて形成された山林土壌を完全に除去してしまったこと、露出した表土層からは栄養分や水分が失われ続けていることも影響していると推測されている。また、スキー場で使われた人工雪の影響も無視できない。
平昌オリンピックが開催された2018年夏、梅雨の集中豪雨によってカリワン山で土砂崩れが発生、江原道は2019年に国費の支援を受けて水害防止事業を実施した。現場モニタリングに参加した専門家は、この事業で設置された砂防施設が正常なものではなく、恒久的に維持することは難しいこと、また、土砂の流れた傾斜面を既存のスロープのまま復土して埋めてしまうのでは、災害予防の目的達成は望めないと語った。 その後現在に至るまで、傾斜面の表土はさらに荒廃し、次第に砂利の比率が高まっていた。ここ数年、カリワン山地域は一日あたり降水量300mm以上の集中豪雨がないため、土砂崩れの危険が見落とされている。スキー場の土木工事が行われている時から、傾斜面の保護施設と排水構造物が十分に機能せず、土砂崩れの危険度が高いと指摘されてきた。スキー場ができる前は、渓谷に沿って形づくられた鬱蒼とした森が水の流れを安定させ、集中豪雨時も土砂崩れを防ぐ役割を果たしたと考えられる。
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スガム渓谷があった斜面のふもとには、カリワン山と共に生きてきた村―スガム里があった。住民たちが強制移住させられた後、村のあった場所に特区事業で建設されたホテルは夏休みを迎え、多くの客が訪れていた。「ウェルネス」を掲げるこのホテルのプールからは、客たちの笑い声や話し声が聞こえてきた。ホテルのプールは、スガム里住民の一部が移った移住団地に面している。
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カリワン山のアルペンスキー場建設には1926億ウォンが費やされた。オリンピック開催のため、山林庁は2013年にカリワン山の国家保護山林区域の指定を一部解除し、推定復元費用は約1000億ウォンだった。最近確定した2022年度の国費予算のうち、カリワン山の山林復元費用として策定されたのは、14億ウォンに過ぎない。2021年6月、「合理的復元のための協議会」はゴンドラを3年間運行できるように許可を出した。政府は、具体的な復元計画を立てて準備するまでの、一時的に適用する措置だとした。しかし、11月に環境部は山頂部に342㎡の上部停留所と2657㎡の上部デッキを含む大規模観光施設を設置する案を承認した。復元計画作成のために立ち上げられた生態復元推進団とは、一切の議論もないままに下された決定だった。
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uso8oo · 5 years
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なぜスティーブ・ジョブスは癌に対して効果的な治療を選択しなかったのでしょうか?
Taiki Kosugi
Why did Steve Jobs choose not to effectively treat his cancer?
このトピックに触れるまで長いあいだ躊躇していましたが、指名されたので答えてみます。誤解される可能性を避けるために前もって述べておきますが、ジョブズ氏個人の症例に関する全ての詳細のソースは信頼できるメディアですが、二次情報にもとづいています。私はこの文章を一個人として記しています。この症例についての知識を個人的には持っておらず、ジョブズ氏の治療になんら関わったこともありません。この回答で検討する癌に関する全てのデータは、私が知りうる限りの生体医学の研究にもとづくものです。
私はジョブズ氏の逝去を悼む人々を傷つける意図は毛頭ありませんし、彼らのプライバシーを尊重します。私はジョブズ氏と彼のレガシーに最大の敬意を払う者ですが、世界に対するあの先進的な見方を可能にした彼の精神を尊重し当事例から学ぶことは、彼の人生とレガシーを振り返る適切な方法だと思います。
私はアムステルダムで医学生として、ジョブズ氏が患ったのと同じ種類の腫瘍を一年半に渡って研究しました。そして彼の成し遂げた数々の業績の崇拝者としてだけではなく、病状の進行がありえた最良のシナリオを大幅に下回った印象を持つ癌の研究者として、この症例に関して確固たる意見を持っています。
要点から述べます。伝え聞くところによるとジョブズ氏は標準医療を選択する前に、あらゆる種類の代替治療を受けたとのことです。
もちろん患者には選択の自由がありますが、状況を鑑みるにこの代替医療の選択が不必要に早い死を招いたと仮定するのは妥当であると思います。
繰り返しますが、私はこの個別の症例についての知識を持っていないことをご理解ください。ここで私が試みるのは、彼の治癒の先験的な確率についての洞察を提供することです。これは彼の事例とは関係なく、何らかの理由で彼の事例が統計的には起こりそうもない悪い方向に行ってしまったということを単に示すものです。何が原因かは推測の域を出ません。私たちがここで検討するのは、治療に関するジョブズ氏の選択がこれを引き起こす原因になった可能性の有無です。
最初に、彼の病気についていくつかの事実を確認します。
神経内分泌腫瘍の致死率は「通常の」膵臓癌とくらべてはるかに低い
メディアにおける大きな混乱は、ジョブズ氏が膵臓癌を患っていたというものです。彼の腫瘍の原発部位は膵臓だったかもしれませんが、膵臓癌の95%を占める、予後が難しいことで知られる恐ろしい膵臓腺癌ではありません。
彼は生前、自分のがんは膵島細胞腫瘍であると述べていたと伝えられています。これは一般的に使われれる言葉で、膵臓がんの残りの5%である神経内分泌腫瘍を指すやや正確さに欠ける表現です。
神経内分泌腫瘍は比較的穏やかな種類の癌
膵消化管神経内分泌腫瘍(GEP-NET)は内分泌腺ホルモンの生成という本来の機能をほぼ果たすことができる範囲の腫瘍です。
この腫瘍が人体におよぼす健康被害は、腫瘍が生成するホルモンによって起こる様々なホルモンの不均衡です。その一方で、分化のレベルは腫瘍がどれほどアグレッシブなのかを示す関連性の高い指標です。腫瘍がより高分化している、つまり本来の臓器の機能を維持していれば、侵襲度および転移の可能性は低いということです。
この腫瘍がどれほど穏やかなのかを説明すると:
一般集団の解剖結果のうちおよそ10%の人が同様の症状を呈しているが、生存中は全く症状は見られなかった。
発見されたGEP-NETのうち30%は高分化しており、厳密には癌になっていなかった。GEP-NETの最も一般的なタイプであるインスリノーマの90%が良性である、という報告も見たことがある。
適切な方法・タイミングで治療を受けていれば、ほとんどの人は癌が直接の原因で死亡することはない。私が受け持った様々な亜型を持つ患者群の10年生存率は100%に達していた。
神経内分泌腫瘍は早期に発見できれば、外科的に腫瘍を除去することで治療できる
これは特に化学療法や放射線治療に比べるとリスクが低い治療方法で、不利益は取るに足らないものです。多くのケースでは単純な核摘出(セーフマージンを含めて腫瘍を切除)で十分で、副作用が残る心配はありません。
そしてこの個別の症例ですが:
早期の外科的処理が治癒につながっていたことを示す好材料が多くあった
早期に腫瘍が発見されたとジョブズ氏本人が述べていた。早期の神経内分泌腫瘍は多くの例で、他の臓器を保存して原発腫瘍を外科的に除去すれば再発の危険も低く治癒する。
腫瘍は比較的寛容な部位である膵臓に位置していた。
腫瘍の亜型はGEP-NETsの中でも最も治療がしやすい、インスリノーマだとされている。
腫瘍はおそらく高分化していた。ジョブズ氏はホルモンの不均衡を述べていたが、これは腫瘍が分泌機能を保っており、一般的に高分化を示すものである。高分化した腫瘍は転移しにくく、進行も遅い。
私が参照している数値を包括的に説明しているテーブルは以下になります。The Annals of Oncologyの記事を参照しています。無料でアクセス可能な数少ないペーパーです。記事を全て読みたい方は:http://annonc.oxfordjournals.org...
……しかしながらもっとも穏やかな癌でも治療を怠ると、深刻な結果をもたらします。
私は現在、数百にも及ぶ大腸がんの症例を再調査しており、そのうちおよそ25%はポリープの既往歴を持つ患者です。ポリープとは腸の粘膜にできる小さい良性の腫瘍です。最初は完全に無害ですが、年月を経ると腫瘍は先に述べた「分化」をゆっくり確実に失っていき、その中には最終的に悪性の大腸癌に置き換わるものもあります。
事実、全ての大腸癌はポリープから始まると思われています。
これらの25%の患者はポリープの切除を受けましたが、不運なことに二回の大腸内視鏡検査のあいだに別のポリープが本物の癌になりました。これが検査と、それを予定通りに受けることの重要性でもあります。
これはまた、もっとも無害な良性の腫瘍を放っておいて成長するに任せることの愚かしさを物語っています。確実に時を刻む時限爆弾と同様のものです。
若いころヒッピーだったジョブズ氏は、その後は標準医療の懐疑者になりました。疾病に対する彼の対応が、疾病が成長する時間を与えたのです。
CNNを含む多くの主要メディアが、ジョブズ氏が二年間ものあいだ適切な(標準)医療を受けずに過ごしていたと伝えています。
ジョブズ氏ががあらゆる種類のあやしげな施術を試すあいだ、あえて触れたくはありませんが、それらの役立たなさは悲しくも全く反論の余地がないほど証明され、彼の腫瘍はどんどん育っていき、やがては……
……やがてコントロール不可能な域まで達してしまいました。
2004年には膵臓と十二指腸を摘出するウィップル法を行わざるをえなくなるまで、ジョブズ氏は長い間にわたって標準医療を受けずにいました。原発巣が十分に小さい段階を超えて、膵臓と十二指腸を保存できないほど大きな腫瘍になっていたという最初の警報でした。
疾病が肝臓まで達するほど、ジョブズ氏は長いあいだ治療を受けずにいたようです。GEP-NETの後に彼が移植を受けた理由は、腫瘍が肝臓の全ての主要部分まで侵襲していたからにほかならず、ここまで来るにはかなりの時間がかかったはずです。ほとんどの神経内分泌腫瘍では数年かかります。もしかしたら診察を受ける前にすでにこの状態だったのかもしれませんが、リスクは時間と共に指数関数的に増大します。
その後私たちは、腫瘍がゆっくり彼から生命を奪う様子を目の当たりにしてきました。ジョブズが痩せていき、徐々に骨と皮だけになっていくのを誰もが痛切な思いで見るしかありませんでした。
しかしこの再発フェーズにおいて病状が進行する中���ジョブズ氏は化学療法や他の標準医療を受けることなく残された時間をアップル社に注ぎ込むことを選びました。
「なぜ」に答える
すべての患者は自身の病状について独自の見解を持ちます。治療方法についても、治癒の見込みと引き換えにどれだけの苦痛やリスクに耐えられるかについても、優先順位は人それぞれです。
ほとんどの人は、治療の方針に関して主治医の考えにほぼ全幅の信頼を置いています。私たち医師は、患者に該当する項目について勉強して、個人の選択を促すことを推進しています。しかし専門知識や医療的エビデンスをどの程度まで理解できるかは、専門的な知識の理解度だけではなく、むしろ時間とのたたかいでもあります。
ジョブズ氏は独自の考えを持っていました。スピリチュアルに重きを置くベジタリアンで、標準医療に懐疑的なことも知られていました。彼は一定期間のあいだ標準医療をすべて拒否していました。そのような人は彼だけではなく、私も同じような人に数多く出会いました。ホメオパシーに傾倒したり、「化学」と名のつくあらゆるものに対して嫌悪感を示す人はどこにでもいることを私たち知っているはずです(すべてのものは化学的であると彼らに対しては常に言っています。「二水素」という響きに恐怖をおぼえるなら水を飲むのは止めるべきです)。思考と選択の自由は私たちが生きる現代社会の重要な要素であり、医療の世界も例外ではありません。
私たちが事実として効果がないと知っている代替治療を患者が選ぶと、倫理的に当惑します。しかし当人の精神状態が正常である限り、たとえそれが死を意味するとしても強制的に有効な治療を選ばせることはできません。悲しいことに、この100年で最も偉大な人物の一人であるジョブズ氏にとっても、これは例外ではありませんでした。適切な治療を施されない癌は、誰にとってもそうであるように、彼にとっても容赦はなかったのです……
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feminism-lesbianart · 5 years
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Spaces between Us 読書会
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■ 日程:
2019年2月13日、27日、 3月6日、13日、27日、 4月3日、10日、1日 (月)、6日 (土)、9日 (火)、
4月15日 (月)、 23日 (火)、5月7日 (火)、20日 (月)、28日 (火)、
6月3日 (月)、 10日 (月)、25日 (火)、
7月2日 (火)
午後7時-8時50分
■ 場所: 東京ウィメンズプラザ1階交流コーナー 渋谷駅 宮益坂口から徒歩12分 表参道駅 B2出口から徒歩7分 都バス (渋88系統) 渋谷駅から2つ目 (4分) 青山学院前バス停から徒歩2分 東京都渋谷区神宮前5-53-67 〒150-0001 http://www1.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/outline/tabid/136/Default.aspx
■ 費用: 資料コピー代実費各回50円まで。
■ 定員: 各回10人まで。先着順。
■ テキスト(文献が手に入りづらい場合はお気軽に連絡をください): Morgensen, Scott Lauria, 2011, Spaces between Us: Queer Settler Colonialism and Indigenous Decolonization (Minneapolis, MN: University of Minnesota Press) https://www.upress.umn.edu/book-division/books/spaces-between-us
■ 進め方: この学習会では2011年に発行されたScott Lauria Morgensen の "Spaces between Us: Queer Settler Colonialism and Indigenous Decolonization" という英語の本を1回1章のペースで読んでいきます。
毎回最初の30分程度は内容を確認し、できるだけ何が書かれているのかを理解した上で、残りの時間で気がついたところや思いついたことをシェアします。
日本語の簡単な概略を用意します。参加者の英語力は問いません。参加前に全部読み終わってなくてもかまいませんが、できる範囲で少しでも予習してくるとより楽しいですよ。
ディスカッションは日本語です。 テキストが手に入りづらい場合はお気軽にお問い合わせください。 janis_cherry(at)selfishprotein.net
■ 参加方法など: - 参加を希望する日の前日夜7時までにjanisまで連絡をください。 - 欠席される場合は、当日直前でもかまいませんのでご連絡ください。 - 1回だけでも続けての参加もできます。 - 多くて8人くらいの集まりになる予定です (テーブルの大きさ的に)。 - 「見学」 (沈黙) というのはなしです。 (実際は会場の都合で、覗き見&立ち聞きできます。お気軽にどうぞ。) - 性別・性自認・性指向・国籍・学歴など不問。 - 申し訳ありませんが、読書会に参加されない方に当日配布資料はお渡ししていません (今回の読書会に参加して欠席回の資料も必要な場合はその都度ご相談ください)。 - 分からないこと、不安な点があればメールをください。
■ 参加希望される方は次の項目についてお一人ずつメールで教えてください。 メールアドレスは janis_cherry(at)selfishprotein.net —– (参加希望メール内容ここから)—— ・ なまえ (法律上でも通称でもかまいません。メールのやりとりのためのなまえ) ・ パソコンのメールアドレス ・ あれば携帯電話のメールアドレスまたは番号 (当日連絡用) ・ 参加希望日 (今のところの参加予定;どの回に来られそうですか?) 2/13, 27, 3/6, 13, 27, 4/1, 4/6, 4/9, 4/15, 4/23, 5/7, 5/20, 6/3, 10, 25, 7/2 ・ この読書会のことをどうやって知りましたか? ・ 本は持っていますか? 購入する/図書館で借りる予定等はありますか? (参加前にテキストが手に入らない場合は相談してください。) ・ 何か要望などあればどうぞ。 —– (参加希望メール内容ここまで)——
■ 企画意図とテキストについて (2019年2月25日追記): 企画の理由の一つは、2010年代の日本語圏でLGBTブームといわれるなかで、そのLGBTを語ることを可能にしている文脈が、その前の歴史や、目指すべき先進性を前提とする考え方と、どのようにつながっているのか、あるいはつながっていないことになっているのかを、考えてみたいと思ったからです。
本書が扱うのは、直接には日本の話ではありません。北米のクィアとアメリカ州の先住の人びとについて、入植型植民地主義の研究を踏まえ、再考するものです。ここで「入植型植民地主義」と訳す、settler colonialism は、ある土地から人びとが別の土地への定住を目的として移動し、その人たちが入植していく際に、もともと住んでいた人たちの土地を奪い、その過程で先住民をしばしば虐殺し消滅させるだけでなく、そのことを自然化して、新たに植民者の社会を作りあげていく、そのような構造のことです。こうした入植型植民地主義の特徴は、先住民が自然に消滅していくように*みえる*ことにあります。settler colonialism の訳語は「入植型植民地主義」以外にも「殖民植民地主義」や「セトラー・コロニアリズム」などいくつかあるようです。
本書で著者のMorgensenが目指すのは、〈クィア〉をそう成らしめている条件を問いただすことです。
「著者は、先住民フェミニストと先住民クィア批評家たちを継承し、その条件が説明されるまで確かめられないであろう白人至上主義の入植型植民地主義によって制定された一つの位置として、〈クィア〉 を理解する。ここでの議論は『インターセクショナル』というより系譜学的なものとなる。問題は、白人の、特権階級の、入植型植民地主義のナショナルな継承者たちが、クィアが語られる際の中心におかれつづけてきたこと、ではない。問題は、そのような説明の範疇から引き出されるすべての結論には、誰がそこから排除されているのかを説明できないだけでなく、*含まれている*すべての人びとを説明することもできないということなのだ。なぜなら、白人至上主義の入植型植民地主義のもとでのクィアネスについての唯一可能な説明は、その条件を問いただすものでしかないからである。」(25-6)
このような問題の立て方を学びたいと思ったのは、2013年から東京レインボープライドへのイスラエル大使館ブース出展をきっかけにピンクウォッシングの問題に取り組んできたなかで、そのピンクウォッシングという批判の文脈で使われている(ピンクに象徴されるLGBTフレンドリーな文化政策などが覆い隠しているという)「入植型植民地主義」の意味がほとんど通じていないようにみえることに、もどかしさを感じているというのがあります。
政治化されうることと、政治化されることすらなく、政治化されること自体が問題とされることの境がどのように引かれているのか、それによって何が起こっているのか、この読書会ではそうしたことを考えられたら、と思っています。
■ スケジュール(2019年6月25日更新): 2/13 Introduction
2/27
Part I. Genealogies
1. The Biopolitics of Settler Sexuality and Queer Modernities
3/6 3/13
(1. cont.) from page 45
2. Conversations on Berdache: Anthropology, Counterculturism, Two-Spirit Organizing
3/27
(2. cont.) from page 77
Part II. Movements
3. Authentic Culture and Sexual Rights: Contesting Citizenship in the Settler State
4/1
(3. cont.) from page 99
Race and Coalition in the National gay and Lesbian Task Force (99)
4/6
(3. cont.) from page 110-
4/9
(3. cont.) from page 119
4. Ancient Roots through Settled Land: Imagining Indigeneity and Place among Radical Faeries 
4/15, 4/23, 5/7, 5/20, 5/28, 6/3, 6/10. 6/25 
5. Global Desires and Transnational Solidarity: Negotiating Indigeneity among the Worlds of Queer Politics
7/2
6. “Together We Are Stronger”: Decolonizing Gender and Sexuality in Transnational Native AIDS Organizing
Epilogue
(最終更新日:2019年6月25日 スケジュール更新)
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mutsumihirose · 2 years
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4/24(日) 三鷹おんがくのじかん (東京)
2022/4/24(日)三鷹おんがくのじかん
料金は自由となります。
https://ongakunojikan.com/2022/04/24.html
open/start 12:30/13:00
humming pipoo/ヨガポテト/手塚桃子/鈴木健太
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ライブ後記
二日間の初東京ライブが終わりました。1日目の試聴室の公��詳細ページにライブ前期を載せたので、後記は2日目のこちらに載せることにします。
それと、食べたご飯がどんなふうに美味しかったかは、また別の機会にしっかり書きたいなと思ってます!だからあえて美味しかったとしか表現していないグルメたちが沢山登場しますが悪しからず。
...............
 初めての遠征ライブ、せっかくなので1日前乗りして思いっきり東京を満喫した。行きたいところはたくさんあったし、ほとんど知らない街は歩いているだけでも興味が尽きなかった。例えば、東京の電車は運賃を1円単位で刻んでくる、とか。前来た時もへえと思った覚えがあるけど、そもそも久しぶりに来た東京だったので、改札を通って初めて思い出した。
 気付いたことの中でも特に大きな発見だったのは、「東京は大阪よりも緑が多い」ということ。東京は日本の首都で大都会なのに、街中にやたら緑がある。歩いても歩いてもどこかしらに緑が揺れている。一緒に泊まってくれた大阪出身東京在住の友達も激しく同意してくれたので、たぶん本当にそうなのだと思う。限られたスペースにも緑を植える心の余裕こそが東京マインドなんだなと思った。
 22日の朝にバスタ新宿に到着してから、新宿~代々木~渋谷区~北沢とそこそこの距離を一人で歩いて移動し、前乗り日の総歩行距離は約19キロ。我ながら元気だなあと思う。そう、私はかなり元気なんです。
 めいいっぱい歩いた分おいしいものもたらふく食べた。大学最初の夏に初めて東京に旅行した時に訪れて、お料理の美味しさとお店の洗練具合に衝撃を受けた場所、PATHのクロワッサン(5年振り)、フィナンシェ、そしてコーヒー。YeYeちゃんに東京のおすすめスポットをきいたら教えてくれた(というかそういえば一度ショートブレッドを分けてもらったことがあり、美味しいお菓子屋さんであることは知っていた)、sunday bake shopのチョコレートブラウニーとクッキー、衝撃の安さに惹かれて入った喫茶せざんぬの焼うどんとメンチボール定食(750円!)、前からずっと気になっていたMY PICNICのドーナツ、など。
 沢山歩いたとはいえ、目くるめく小麦三昧にさすがにお腹が苦しくなってしまう。午後9時を過ぎても、どう考えても美味しいご飯を美味しく食べれるコンディションではなかったので、晩御飯は仕事終わりに合流した友達と宿泊先のホステルで適当に済ませた。さけるチーズとあたりめ、そして昼間買ったクッキー。この、sunday bake shopのクランベリーカルダモンクッキーが抜群においしかった。なので少ない晩餐ながらも満足度上々。 
 銭湯でゆっくり湯船につかり、早めに就寝。
 23日朝、神保町試聴室でのライブ当日。ライブまで時間があったので浅草寺に行ったり周辺を散策した。
 浅草寺でお神籤を弾いたら大吉が出て嬉しかった。この上なく良いことしか書かれていなかったので晴れ晴れとした気分。お寺の前の観光街で売られていたおもちゃの犬がずっとけなげに鳴いているのを見て切ない気持ちになった。電池付き1890円とそこそこ安かったので連れて帰りたい気持ちが一瞬ぶわっと湧きあがったけど、冷静に考えてスーツケースにスペースがないしたぶん一時の気の迷いなのでやめた。
 写楽というたい焼き屋さんで手焼きのたい焼きを食べた。行ってみたかったお店に実際に行ってみて、おいしい!と思えるのはすごく嬉しいことだなと思う。お店の前で友達とたい焼きをかじっていると、法被姿のきれいなお姉さんが現れた。地元の人かなーと思っていたら、お店の人が「きょうこちゃんだよ」と教えてくれた。でもキョウコちゃんと言われても誰かわからないので首をかしげていたら「きょうこちゃんだよ。あの、はまぐちきょうこ」ともう一度お店の人が言った。
はまぐち、きょうこ?浜口、京子?浜口京子?あの?
 まさかの遭遇に友達とあたふたしていると、「写真撮ってもらいいなよ。いい子だから撮ってくれるよ」とお店のおじさんが笑った。実際、恐る恐るお願いしてみると二つ返事で浜口さんは写真を撮ってくださった。いい人だなあと思った。去っていく後姿を見ながら、友達と「めっちゃきれいやったな」と言い合った。
 それから、なんとなくタイ料理の気分だったので、近くのタイ料理屋を探し当て、歩いて行った。しかし着いてみるとまさかの定休日。仕方がないので行きしなにあった洋食屋さんでポークソテーの定食を食べた。美味しかった。タイ料理を食べたかった気持ちなんてすぐに忘れてしまったほどだった。隣のテーブルに座っていた男子大学生二人組がばりばりの関西弁で話していた。話を聞いている限り慶應生らしかった。東京っぽいなと思いつつ、どこの出身か気になった。大阪か、奈良か、京都か、兵庫か、和歌山か。なんとなく大阪か京都っぽいなと思ったけど、違うかもしれない。
 他に行きたいところもなかったし、ライブ前に活動しすぎると疲れそうだったので、そのあとは大人しく宿に戻った。残っていたクッキーをちょっと食べたりした。衣装を着て行こうか持って行こうかちょっと迷った結果、荷物が増えるのは面倒だという結論に至り、部屋から着て行った。
 地下鉄浅草駅から乗って九段下駅で降り、歩く。途中のセブンイレブンで揚げ鳥を買ったら、なぜかななチキもくれた。もうちょっとで時間になっちゃうので、サービスです、と言われた。コンビニでサービスとかあるんや、ありなんや、と思った。大阪では聞いたことがないけど、東京はあるんだろうか。いや、大吉効果かもしれない。
 ライブ終わり、見に来てくれていた例の友達とロイヤルホストに入った。遠征先でチェーン店というのはちょっと無粋な気もしたけど、時間も時間でまだ営業しているお店を探す方が億劫だったし、大前提としてロイホはどこでも美味しいので、入った。年末に神戸のロイホに行った時に初めて食べたカシミールカレーがかなり美味しかったことを思い出し、また食べようかなとも思ったけど、結局「国産豚と彩り野菜の黒酢ソース&雑穀ご飯」と「オニオングラタンスープ」にした。前者はお初にお目にかかるご飯で、後者はいつも食べる一品。パフェにも心惹かれたけど、翌日のライブ終わりにもし時間が許せば、絶対に資生堂パーラーに行こうと心に決めていたので我慢した。相変わらずロイホの料理は美味しくて、無難に大満足だった。チェーン店にはチェーン店特有の安心感がある。
 宿に戻ってすぐ、疲れた体を奮い立たせて銭湯に向かった。前日とは別の、ちょっと大きめの銭湯。結構混んでいて、みんな夜遅くまで頑張ってはるんやなあと思った。湯上りにガリガリ君温州みかん味を食べた。食べるたびに思うけど、ガリガリ君は求めているよりも甘く、量が多い。
 24日、おんがくのじかんでのライブ当日。なぜかグロテスクで猟奇的なSF風の夢で目覚める。最悪の起床。まだしばらく時間があったので二段ベッドの上でごろごろしていると、突然大学の履修登録をミスしたことに気が付いてしまった。前期の単位がゼロになる可能性が浮上。絶望感に駆られる。留年するかもしれないという憂鬱な気分で出発。朝ごはんは残っていたクッキーの最後の1枚。ご飯どころの心地ではなかった。
 新宿へ向かう電車の中で、実は履修ミスなんてしていなかったことに気付く。つまり、勘違い。心からの安堵と共に謎のパワーが湧いてくる。いい風吹いてるんちゃう、これ。やっぱり大吉は伊達じゃないわ。俄然やる気が漲ってくる。朝騒いでごめん、いけてたわ、と友達に連絡を入れる。しばらくしてから、ほんまやで!よかったな!と返信が来た。
 三鷹市は地図で見る限り、宿泊していた浅草からはかなり距離がある。遠いな、と思っていたけど実際に電車の時間を確認してみると意外にすぐ着きそうで拍子抜けした。東京は電車が速いし、イメージより小さくて近い。交通が発達しているだけかもしれないけど。
 三鷹駅に到着。いつもドラムをたたいてくださっているsenoo rickyさんにおすすめされていた三鷹ラーメンに行ってみようかと思うも、満腹では歌えない質なので泣く泣く断念。駅に入っていたパン屋さんでカヌレとパリ・クロワッサンなるものを買う。
 おんがくのじかんに到着してすぐ、そのはす向かい10メートル先くらいにフレッシュネスバーガーを見つけた。さっき買ったパンのことをすっかり忘れて、フレッシュネスに吸い込まれてしまう。クラシックアボガドバーガーとポテトSを注文。すぐに運ばれてくる。やっぱりフレッシュネスは美味しい。普段はアボガドバーガ―なんて頼まないけど、なぜかこの日は即決だった。東京に来てチャレンジ精神が旺盛になっていたのかもしれない。アボガドが思ったよりたっぷり入っていておいしかった。モスとかフレッシュネスはやっぱりおいしい。でもマクドも好き。あれはもう好きとか嫌いとかではない。
 お腹がいっぱいになって満足したので、気合をいれておんがくのじかんに向かった。
 ライブ終わり、アドレナリンと達成感でふわふわしながら電車に乗る。新宿に到着、友達と合流して資生堂パーラーへ急ぐ。さすが銀座、と言いたくなるような高級感あふれる雰囲気の建物。5年前に初めて来たとき、かなり緊張したのを思い出した。案内されるがままにエスカレーターで3階へ上がり、360度どこから見ても上品で格好いい紳士に導かれ、真ん中のテーブルにつく。メニューの冊子の重厚さにそれだけでどきどきしてしまった。色々と迷った結果プリン・アラモード・パフェにする。
 しばらくして運ばれてきたパフェは気品と愛らしさを兼ね備え、何とも堂々とした佇まい。バニラとキャラメルの層が発するオーラは完全に金色で、その中で色とりどりのフルーツがごく自然に輝いている。こんなのなんてことない、ごく普通の日常ですわ、とでも言いたげな苺やメロンやオレンジの定位置感。根っからの江戸っ子ってこんな感じかもな。どうだろう。イメージが先行しすぎているかもしれない。強いていうなら私はなにわっ子(by rickyさん)で、そんな私からすると江戸っ子と呼ばれる人たちは、さっぱりと気前がよくて度胸もある、いかした都会人、という印象。
 大事に、丁寧に、きらきらのパフェをいただき、その後は銭湯へ。帰りのバスまで時間があったので月島まで行くことにした。この最後の銭湯は今回浸かった3つの湯船の中で一番お湯が熱かった。地元のおばあちゃんたちに話しかけてもらい、しばしおしゃべり。きっちり髪を乾かしてから外へ出た。
 バスタ新宿に向かうにはまだ絶妙に早く、暇つぶしに近くのマクドナルドに入った。すっきり白ブドウとポテトsを購入後、壁に貼ってあったポスターに誘惑され、ベーコンポテトパイも買った。友達と二人、やっぱりマクドのパイはアップルパイが一番おいしいという結論にたどり着く。どうでもいい話と3日間の感謝を伝えて解散。
 一人新宿へ向かう。
 日曜の夜のバスターミナルには人が溢れていて、改めて東京って首都なんだなあと思った。バスの行き先を見ながら、仙台までバスで行ける距離なんだとしみじみ関東と関西が全然違う場所であることも再確認。しばらくするとバスが来たので、首枕と耳栓、アイマスクを手荷物に移して搭乗した。席は6列目のAで窓側。行きのバスで掴んだ、夜行バスでよく眠るコツみたいなものをゆっくりと頭の中でシュミレーションし直していたら、東京に来てから初めて、大阪が恋しくなってきた。バスが出発してしばらくは起きていたけど、気が付いたら眠っていた。草津と京都で一瞬目が覚めた他は殆ど熟���。しっかり目が覚めた頃にはもう梅田だった。新幹線は確かに速いけど、バスだって別に速くないわけではないかもな、と今回の遠征を経て考えた。
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acirwornai · 2 years
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Microsoft office outlook 2016 free download 32 bit 無料ダウンロード.Office 2016 32 bit版 をインストールしたが 64 bit版を再ダウンロードしてインストールできるか
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    Feb 04,  · office をダウンロードしたのですが、間違って32bit版をダウンロードしてインストールをしてしまったのですが 64bit版を再ダウンロードしてインストールすることはできますか? **モデレーター注** タイトルを編集しました。 編集前タイトル: office ダウン Oct 11,  · サポートが終了したということで、OUtlookメールへ 移行したいのですが、OutLookというのはOffice についてくるので 有料だと聞きました。(知恵袋で)。しかし、Out look で検索すると 無料でダウンロードできるようなのですが、 どうなのでしょうか? Microsoft は Microsoft Outlook 64 ビット版 用の更新プログラムをリリースしました。この更新プログラムにより、Microsoft Outlook 64 ビット版 に最新の修正が適用されます。さらに、この更新プログラムは、安定性およびパフォーマンスが向上しています。    
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 キーワード: 検索. IDでもっと便利に 新規取得. この地震による津波の心配はありません 詳細. Outlookは無料ダウンロード可能でしょうか。 OfiiceプレインストールPCを購入しましたが、Outlookが入っていません。. ID非公開 さん. メル友はもう終わりなんでしょうか? メル友のように、メル友を探すメル友募集サイトおすすめ教えて下さい。. 大至急、大至急、大至急高3女子です。助けて下さいいまさっき怒った出来事なんですが普通に寝ていたらなんか手に違和感があって起きたんです。そしたら母親が私の手を引いて何か物を持たせようとしてくるんです。 母は私が起きてることに気づいてないです 最初は何か分からなかったんですけど、何か丸いものが手に触れた 至急です。今寝ていたら親が聞いたことの無い不気味な声で叫んでいました。結構長かったです。 4〜6秒くらい あわてて体を揺さぶっても起きなく、無理やり起き上がらせたら気が付きました。親は悪夢を見ていた気はするけど叫んでいたのは覚えてないって言ってました。突然の出来事すぎて家族みんな今焦って色々検索して この御写真、なぜか不評なんです。 なぜですか?.
心の中に何かたくらみがある様子という意味の慣用句で「( )に一物」 ( )の中に入る言葉は何ですか. JAPAN ヘルプ. IDでもっと便利に 新規取得 ログイン. 地震情報 12月5日11時0分ごろ発生. 震源地 トカラ列島近海 最大震度 3 この地震による津波の心配はありません 詳細. Outlookは無料ダウンロード可能でしょうか。 OfiiceプレインストールPCを購入しましたが、Outlookが入っていません。 Outlookは無料ダウンロード可能でしょうか。 OfiiceプレインストールPCを購入しましたが、Outlookが入っていません。. その他の回答(1件) ナイスの多い順 新しい順 古い順. 現在メールは「Live Mail」を使っています。 サポートが終了したということで、OUtlookメールへ 移行したいのですが、OutLookというのはOffice についてくるので 有料だと聞きました。(知恵袋で)。しかし、Out look で検索すると 無料でダウンロードできるようなのですが、 どうなのでしょうか? 目的は Live Mail からOutLookメール outlookを使いたい Windows10を中古で買いました。以前のpcはWindows7でOutlookを使っていました。プロバイダーを継続して利用しているのでoutlookと同じようにをWindows10で 設定して使いたいです。が、Windows7は引き取りに出してしまって手元にありません。プロバイダーのHPを見たりして設定しましたがどうしてもpopの Outlookの下書きフォルダについて質問です。 作成中のメールを一度上書き保存すると、下書きフォルダに保存されます。 その保存されたメールを編集して、とりあえず上書き保存しようと したところ、上書き保存のボタンがクリックできません。 エクセルの様に繰り返し上書き保存をする事はできないのでしょうか? 下書きフォルダに保存されたメールの上書保存のやり方があれば教えて下さい。 Outlook コピーをおかない設定 Outlook には、ヤフー、マイクロソフト、グーグル、プロバイダー のメールを4件登録しております。 この4件のメールの内、コピーを置を置かない設定が、出来ないのは どれですか。 メールのコピーを置かないとは、もう一台メールで受信した場合は、 他のパソコンでは、再度受信しない設定のことです。.
outlook メールソフトは有料なんですか?. Outlookは無料ダウンロード可能でしょうか?? ご教示願います。. outlookの受信メールの行間設定。 outlookでメールを開くと、行間がやたら開いて表示されます。同じメールをoutlookで開くと無駄な行間はありません。送信メールの行間設定は分 かりますが、受信メールはどこを設定したら良いのでしょうか? オプションのひな型設定を見てもフォントと文字間や倍率しか見当たりません。 ご存知の方、よろしくお願いいたします。.
Microsoft Outlook を無料でダウンロードできる。とありますが、本当にできるのでしょうか?。詐欺サイトのようで心配です。. ヤフオクで怪獣フィギュアを拝見していると バンダイの他にマルサンやマーミット というワードが出てきます。 それで相対的に高価です。 メーカー名だとは思うのですが 検索してみてもどうもピンとくるページに いきつかないのですが お詳しい方がいらっしゃれば教えて頂ければと思います。. 同じoutlookメールが2通ずつ来ます。 とoutlookメール二つを使っていたのですが。いつの間にかoutlookだけになり、同じメールが2通ずつ来るようになったのです。 すべての受信メールが2通ずつなので困って居ます。 これからはwindowsメールを使いません。 outlookを一つだけの設定にする方法を教えてください。 よろしくお願いします。. Microsoft Outlook が公式サイトで1万円で売っていますが、とかは無料でインストールできるみたいですが昔はこのも公式サイトで有料だったんですよね?.
accessでPDFファイルを添付登録したい accessで、特定のフォルダー内のpdfファイルのファイル名とテーブル内のDB管理番号を照合し、一致した管理番号のレコードにpdfファイルを添付する方法(コード)を教えてください。. 今パソコンに Office が入っています をダウンロードするには 無料で更新できますか? それとも 購入になりますか? Excelを使いたいのです. com はダウンロードして、パソコンにインストールするものですか。 スタート-すべてのプログラムに入りますか。. 馬糞の肥料成分は何でしょうか? 馬糞を畑に使いたいのですが、 馬の主食は植物ですが・・・肥料としての成分は何でしょうか? 堆肥の変わりになりますか?. Thunderbird で、設定したメールアカウントの削除方法を教えて下さい。 メールアドレスを廃棄したので、そのアドレスを設定したThunderbirdのメールアカウントを削除したいのですが、方法が見つかりません。 なお、複数アドレスを使っていて、他のアドレスは継続したいので、Thunderbird自体のリセット・再初期設定は避けたいです。 試してダメだったのは下記です。 ・メー OUTLOOK EXPRESSをダウンロードしたいのですが、無料ダウンロードできる安全なサイトはありますか? また、outlook expressとoutlook comの違いとは?.
WIndows10のメールについて教えて下さい。 メッセージと画像(?. OUTLOOK で受信した1通のメールの一部を選択して 選択したところのみを印刷したい。 OUTLOOK EXPRESS や ベッキー2では 印刷の プリンターの指定などと一緒にページ指定の下あたりに 選択した部分との指定ができて 当たり前に至極簡単に やってたのですが での方法が分かりません。 の初心者です。 宜しくお願いします。. WINDOWS10のOutlookはどこでダウンロードすればいいんでしょうか? ググってそれらしきページに入ったのですが、ダウンロードページがどうも見つかりません。 お願いします。. パソコンのWindows11について質問します。私は今NECの Lavie NOTE NEXT を使っているのですが、NECのサイトを見ると 動作確認のリストに載っていません。つまり11にアップグレード しても補償対象外だと言われました。 となれば、Windows10を使い続けるしかないのですが、心配事 があります。それは、Windows11は無償でアップグレードできる そうなのですが テレビを外付けHDDで録画するのとブルーレイレコーダーで録画するのとは何��違いはあるのでしょうか? 自分は機械とかには無知で全然分からないのですが、メリットデメリットがあるのかとか、それすらもわからないので、こういう人は、こっちが良いとかあれば教えてください、お願いします。.
ノートパソコンをバッテリーなしで、ACアダプタのみで使い続けたら悪影響はありますか? というのも、つい先日バッテリをつけた状態でACアダプタを抜いたら電源が切れてしまったので おそらくバッテリの寿命が来たのだと思います。 充電が不可能な場所で使うことはないため、このまま使おうと思うのですが 一切バッテリーを付けずに使い続けても大丈夫なのでしょうか? もしノートパソコン本体にも悪影響が YahooIDは変更出来ないのでYahooアドレスを変更しました。 お友達とか変更したアドレスを知らせた方が良いですか? IDはそのままだけど今迄のアドレスに送信したら届かないですか?. 至急Googleアカウントについてなのですが Gmailのアカウントを複数作ってアカウントを削除したのですがGmailのところからアカウント表示のところに行くと、グレーの薄い文字でログインと言う風に出ていて完全に消えてないような風に見えるのですがどうしたらいいのでしょうか? アカウントは確実に消えているはずです 最近仕様が変わったのでしょうか.
jpg ご回答よろしくお願いします。. メールについてですが、今までは古いメールは25個ずつ削除できていたのですが、新しく操作方法が変って、それができなくなりました。 古いメールから、25個ずつ消していくには、どうしたらいいのでしょう?. Deskというところからサブスクを購入しましたというメールが届いたのですが、LINE MUSICに入った記憶がありません。 これは詐欺でしょうか?. SMSに【KDDI】【KDDI】利用料金の未払い金があります。お支払期限を過ぎた利用料金があります。ご確認ください。 といったメールが届き、添付されていたURLに飛んだところauへのログインを求められメールアドレスとパスワードを入力してしまいました。 ログイン後内容を見たところ電子マネー iTunes で4日までに5万を支払わなければいけないとのことで、さすがにおかしいと思いサイトを離れました。 auIDとパスワードを入力してしまいましたが大丈夫でしょうか?. pixivを利用させて頂いている者なんですが、先月 11月最初ら辺 からメッセージを送信しようとするとこのような表示が出てきます。。 特定の相手にブロックされている訳でもないです。 どなたか同じ経験にあった方で対処法わかる方いませんか?.
送受信したメールそのものを、 プリントアウトした場合、 文章の改ざんというのは可能ですか?. なんか怖いメールが届きました、、、 KDDIかららしいんですけどよくわかりません 送られてきたサイト開いたら開けなかったです. netをご利用いただきありがとうございます。 ご不明な点やご意見がございましたら、ご連絡ください。 私たちの助けは24時間日利用可能です。. ですがPONOSさんからのメールには「本件についてご連絡いただく際は、件名を変えずにこのメールに直接ご返信ください。」 と注意事項に書いてあったので、何が間違っているのかわかりません。 この件について詳しい方ぜひ教えてください、よろしくおねがいします。. 新しいPCに買い替えて、これまで使っていたアカウントをそのままログインに使いました。 ほかの機能は引き継げたのですが、アウトルックが、なぜかメールアドレス同じなはずなのに、メールが来ないです何故でしょうか?教えて下さい。.
エクスプローラーのメールが正常に作れなくなりました。文字入力に時間が掛かったり、文字が消せなくなったり。 修復または再インストールしたいのですが、その場合、アドレスや過去のメールのデータは消えてなくなってしまうのでしょうか? 教えて下さい。. ocnのお問合せ先わかる人いますか? 今回ソフトバンクエアーに変えましたメールをocnにするつもりですがどうすればよいですか?.
下記のようなメッセージが届いたのですが、私が送ったメールが相手に届いてないという事ですか? それとも相手が私に送ったメールが届いてないのでしょうか? 私がメールを送ってから24時間たってから下記のメールが届きました。 ーーーーーーーーーー Failure Notice Sorry, we were unable to deliver your message to the following address. jp" unreachable for too long. XHAMSTERというサイトに誤操作で入ってしまい勝手に会員登録されてしまったため慌てて退会のメールを入れたのですが、不安でしょうがないです メールは入れてあるので大丈夫でしょうか?. JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。 お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。. 閉じる ログイン.
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nahomi-r · 2 years
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モロッコ旅で感じた、どこにいてもアーシングできる場所🌳 モロッコにはリヤドという宿が有名で、 真ん中が突き抜けた吹き抜けの建物に部屋がたくさんあって、宿になっています。 お庭の様に木を植えている人もいれば、皆んなが集まれる空間にしていたり、噴水があったり様々。 毎朝太陽の光が窓からさしてくると同時に小鳥たちがリヤドの宿に入ってきます。 吹き抜けなので、聞こえて来る小鳥たちの囀りがなんとも不思議で、 まるで違う世界に入り込んだ様な気持ちになり、 娘はリヤドに住みたいと言い出しました。 他にもモロッコに住む友人宅を訪れたり、 ビジネスホテルにも泊まって違いを感じましたが、ホテルの様な作られた場所よりも、 土でできた壁、リサイクルされて作られたタイルのテーブルやお風呂場、 湧き水を使ったタイルの水栓など、 息を呑むほど美しく、まるでどこかの庭園に住んでいる気持ちになりました。 そういった場所に佇むのは全てリサイクルされた昔のもの。 土、木、タイル、どこかの機材として使われていたメタルの物を机の足にDIYしていたり、 アイデアの塊だらけ。 宿主さんが全て作り上げた空間で、 リヤドを回って好きな場所を見つけたら滞在するというヨーロッパのバックパッカーやご家族で賑わっていました。 お茶を淹れてくれたり、子供と遊んでくれたりとってもアットホーム。 子供達にかけてくれる言葉は優しくて、 これこそアーシングだなぁと心から自然の一部になれた感覚をモロッコで実感しました。 外に出れば大きな山がドーンと見えるモロッコだけど、街にいても自然を感じられるのは、 本当に気持ちが良くて、ますますこの国が大好きになりました。 定年後ヨーロッパから移住する人が多いのも腑に落ちます。 あなたはお家に置いているもの、 普段から聞いている音、 言葉、 視界にはどんな景色が入ってきて、 心はどんな気持ちですか? わくわくする、ドキドキする、楽しい、心地よい、悲しい、辛い、不安など、言葉では現しきれない感情が人には存在しますね。 あなたの毎日はどんな気持ちをどういった物で埋めていますか? ラジオでもお話したお家の中でアーシングは可能だと感じたモロッコ旅。 毎日の生活で自分の心に響く感情は、いったいどういった物で変化するのか? 少し意識して毎日の同じ道を歩いてみて下さい。 きっと違った景色が見えて、たくさんの発見があるはず! @hayanatural #モロッコ旅の記録 #おうちの中でアーシング #もの #自然が好き #自然素材 #言葉 #美 #健康 #アーシング #モノに頼らない #心 https://www.instagram.com/p/CWoRChxsiEg/?utm_medium=tumblr
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groyanderson · 3 years
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン2 第七話「復活、ワヤン不動」
☆プロトタイプ版☆ こちらは電子書籍「ひとみに映る影 シーズン2」の 無料プロトタイプ版となります。 誤字脱字等修正前のデータになりますので、あしからずご了承下さい。
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(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
 ニライカナイから帰還した私達はその後、魔耶さんに呼ばれて食堂へ向かう。食堂内では五寸釘愚連隊と生き残った河童信者が集合していた。更に最奥のテーブルには、全身ボッコボコにされたスーツ姿の男。バリカンか何かで雑に剃り上げられた頭頂部を両手で抑えながら、傍らでふんぞり返る禍耶さんに怯えて震えている。 「えーと……お名前、誰さんでしたっけ」  この人は確か、河童の家をリムジンに案内していたアトム社員だ。特徴的な名前だった気はするんだけど、思い出せない。 「あっ……あっ……」 「名乗れ!」 「はひいぃぃ! アトムツアー営業部の五間擦平雄(ごますり ひらお)と申します!」  禍耶さんに凄まれ、五間擦氏は半泣きで名乗った。少なくともモノホンかチョットの方なんだろう。すると河童信者の中で一番上等そうなバッジを付けた男が席を立ち、机に手をついて私達に深々と頭を下げた。 「紅さん、志多田さん。先程は家のアホ大師が大っっっ変ご迷惑をおかけ致しました! この落とし前は我々河童の家が後日必ず付けさせて頂きます!」 「い、いえそんな……って、その声まさか、昨年のお笑いオリンピックで金メダルを総ナメしたマスク・ド・あんこう鍋さんじゃないですか! お久しぶりですね!?」  さすがお笑い界のトップ組織、河童の家だ。ていうか仕事で何度か会ったことあるのに素顔初めて見た。 「あお久しぶりっす! ただこちらの謝罪の前に、お二人に話さなきゃいけない事があるんです。ほら説明しろボケナスがッ!!」  あんこう鍋さんが五間擦氏の椅子を蹴飛ばす。 「ぎゃひぃ! ごご、ご説明さひぇて頂きますぅぅぅ!!」  五間擦氏は観念して、千里が島とこの除霊コンペに関する驚愕の事実を私達に洗いざらい暴露した。その全貌はこうだ。  千里が島では散減に縁を奪われた人間が死ぬと、『金剛の楽園』と呼ばれる何処かに飛び去ってしまうと言い伝えられている。そうなれば千里が島には人間が生きていくために必要な魂の素が枯渇し、乳幼児の生存率が激減してしまうんだ。そのため島民達は縁切り神社を建て、島外の人々を呼びこみ縁を奪って生き延びてきたのだという。  アトムグループが最初に派遣した建設会社社員も伝説に違わず祟られ、全滅。その後も幾つかの建設会社が犠牲になり、ようやく事態を重く受け止めたアトムが再開発中断を検討し始めた頃。アトムツアー社屋に幽霊が現れるという噂が囁かれ始めた。その霊は『日本で名のある霊能者達の縁を散減に献上すれば千里が島を安全に開発させてやろう』と宣うらしい。そんな奇妙な話に最初は半信半疑だった重役達も、『その霊がグループ重役会議に突如現れアトムツアーの筆頭株主を目の前で肉襦袢に変えた』事で霊の要求を承認。除霊コンペティションを行うと嘘の依頼をして、日本中から霊能者を集めたのだった。  ところが行きの飛行機で、牛久大師は袋の鼠だったにも関わらず中級サイズの散減をあっさり撃墜してしまう。その上業界ではインチキ疑惑すら噂されていた加賀繍へし子の取り巻きに散減をけしかけても、突然謎のレディース暴走族幽霊が現れて返り討ちにされてしまった。度重なる大失態に激怒した幽霊はアトムツアーイケメンライダーズを全員肉襦袢に変えて楽園へ持ち帰ってしまい、メタボ体型のため唯一見逃された五間擦氏はついに牛久大師に命乞いをする。かくして大師は大散減を退治すべく、祠の封印を剥がしたのだった。以上の話が終わると、私は五間擦氏に馬乗りになって彼の残り少ない髪の毛を引っこ抜き始めた。 「それじゃあ、大師は初めから封印を解くつもりじゃなかったんですか?」 「ぎゃあああ! 毛が毛が毛がああぁぁ!!」  あんこう鍋さんは首を横に振る。 「とんでもない。あの人は力がどうとか言うタイプじゃありません。地上波で音波芸やろうとしてNICを追放されたアホですよ? 我々はただの笑いと金が大好きなぼったくりカルトです」 「ほぎゃああぁぁ! 俺の貴重な縁があぁぁ、抜けるウゥゥーーーッ!!」 「そうだったんですね。だから『ただの関係者』って言ってたんだ……」  そういう事だったのか。全ては千里が島、アトムグループ、ひいては金剛有明団までもがグルになって仕掛けた壮大なドッキリ……いや、大量殺人計画だったんだ! 大師も斉二さんもこいつらの手の上で踊らされた挙句逝去したとわかった以上、大散減は尚更許してはおけない。  魔耶さんと禍耶さんは食堂のカウンターに登り、ハンマーを掲げる。 「あなた達。ここまでコケにされて、大散減を許せるの? 許せないわよねぇ?」 「ここにいる全員で謀反を起こしてやるわ。そこの祝女と影法師使いも協力しなさい」  禍耶さんが私達を見る。玲蘭ちゃんは数珠を持ち上げ、神人に変身した。 「全員で魔物(マジムン)退治とか……マジウケる。てか、絶対行くし」 「その肉襦袢野郎とは個人的な因縁もあるんです。是非一緒に滅ぼさせて下さい!」 「私も! さ、さすがに戦うのは無理だけど……でもでも、出来ることはいっぱい手伝うよ!」  佳奈さんもやる気満々のようだ。 「決まりね! そうしたら……」 「その作戦、私達も参加させて頂けませんか?」  食堂入口から突然割り込む声。そこに立っていたのは…… 「斉一さん!」「狸おじさん!」  死の淵から復活した後女津親子だ! 斉一さんは傷だらけで万狸ちゃんに肩を借りながらも、極彩色の細かい糸を纏い力強く微笑んでいる。入口近くの席に座り、経緯を語りだした。 「遅くなって申し訳ない。魂の三分の一が奪われたので、万狸に体を任せて、斉三と共にこの地に住まう魂を幾つか分けて貰っていました」  すると斉一さんの肩に斉三さんも現れる。 「診療所も結界を張り終え、とりあえず負傷者の安全は確保した。それと、島の魂達から一つ興味深い情報を得ました」 「聞かせて、狸ちゃん」  魔耶さんが促す。 「御戌神に関する、正しい歴史についてです」  時は遡り江戸時代。そもそも江戸幕府征服を目論んだ物の怪とは、他ならぬ金剛有明団の事だった。生まれた直後に悪霊を埋め込まれた徳松は、ゆくゆくは金剛の意のままに動く将軍に成長するよう運命付けられていたんだ。しかし将軍の息子であった彼は神職者に早急に保護され、七五三の儀式が行われる。そこから先の歴史は青木さんが説明してくれた通り。けど、この話には続きがあるらしい。 「大散減の祠などに、星型に似たシンボルを見ませんでしたか? あれは大散減の膨大な力の一部を取り込み霊能力を得るための、給電装置みたいな物です。もちろんその力を得た者は縁が失せて怪物になるのですが、当時の愚か者共はそうとは知らず、大散減を『徳川の埋蔵金』と称し挙って島に移住しました」  私達したたびが探していた徳川埋蔵金とはなんと、金剛の膨大な霊力と衆生の縁の塊、大散減の事だったんだ。ただ勿論、霊能者を志し島に近付いた者達はまんまと金剛に魂を奪われた。そこで彼らの遺族は風前の灯火だった御戌神に星型の霊符を貼り、自分達の代わりに島外の人間から縁を狩る猟犬に仕立て上げたんだ。こうして御戌神社ができ、御戌神は地中で飢え続ける大散減の手足となってせっせと人の縁を奪い続けているのだという。 「千里が島の民は元々霊能者やそれを志した者の子孫です。多少なりとも力を持つ者は多く、彼らは代々『御戌神の器』を選出し、『人工転生』を行ってきました」  斉一さんが若干小声で言う。人工転生。まだ魂が未発達の赤子に、ある特定の幽霊やそれに纏わる因子を宛てがって純度の高い『生まれ変わり』を作る事。つまり金剛が徳松に行おうとしたのと同じ所業だ。 「じゃあ、今もこの島のどこかに御戌様の生まれ変わりがいるんですか?」  佳奈さんは飲み込みが早い。 「ええ。そして御戌神は、私達が大散減に歯向かえば再び襲ってきます。だからこの戦いでは、誰かが対御戌神を引き受け……最悪、殺生しなければなりません」 「殺生……」  生きている人間を、殺す。死者を成仏させるのとは訳が違う話だ。魔耶さんは胸の釘を握りしめた。 「そのワンちゃん、なんて可哀想なの……可哀想すぎる。攻撃なんて、とてもできない」 「魔耶、今更甘えた事言ってんじゃないわよ。いくら生きてるからって、中身は三百年前に死んだバケモノよ! いい加減ラクにしてやるべきだわ」 「でもぉ禍耶、あんまりじゃない! 生まれた時から不幸な運命を課せられて、それでも人々のために戦ったのに。結局愚かな連中の道具にされて、利用され続けているのよ!」 (……!)  道具。その言葉を聞いた途端、私は心臓を握り潰されるような恐怖を覚えた。本来は衆生を救うために手に入れた力を、正反対の悪事に利用されてしまう。そして余所者から邪尊(バケモノ)と呼ばれ、恐れられるようになる……。 ―テロリストですよ。ドマル・イダムという邪尊の力を操ってチベットを支配していた、最悪の独裁宗派です―  自分の言った言葉が心に反響する。御戌神が戦いの中で見せた悲しそうな目と、ニライカナイで見たドマルの絶望的な目が日蝕のように重なる。瞳に映ったあの目は……私自身が前世で経験した地獄の、合わせ鏡だったんだ。 「……魔耶さん、禍耶さん。御戌神は、私が相手をします」 「え!?」 「正気なの!? 殺生なんて私達死者に任せておけばいいのよ! でないとあんた、殺人罪に問われるかもしれないのに……」  圧。 「ッ!?」  私は無意識に、前世から受け継がれた眼圧で総長姉妹を萎縮させた。 「……悪魔の心臓は御仏を産み、悪人の遺骨は鎮魂歌を奏でる。悪縁に操られた御戌神も、必ず菩提に転じる事が出来るはずです」  私は御戌神が誰なのか、確証を持っている。本当の『彼』は優しくて、これ以上金剛なんかの為に罪を重ねてはいけない人。たとえ孤独な境遇でも人との縁を大切にする、子犬のようにまっすぐな人なんだ。 「……そう。殺さずに解決するつもりなのね、影法師使いさん。いいわ。あなたに任せます」  魔耶さんがスレッジハンマーの先を私に突きつける。 「失敗したら承知しない。私、絶対に承知しないわよ」  私はそこに拳を当て、無言で頷いた。  こうして話し合いの結果、対大散減戦における役割分担が決定した。五寸釘愚連隊と河童の家、玲蘭ちゃんは神社で大散減本体を引きずり出し叩く。私は御戌神を探し、神社に行かれる前に説得か足止めを試みる。そして後女津家は私達が解読した暗号に沿って星型の大結界を巡り、大散減の力を放出して弱体化を図る事になった。 「志多田さん。宜しければ、お手伝いして頂けませんか?」  斉一さんが立ち上がり、佳奈さんを見る。一方佳奈さんは申し訳なさそうに目を伏せた。 「で……でも、私は……」  すると万狸ちゃんが佳奈さんの前に行く。 「……あのね。私のママね、災害で植物状態になったの。大雨で津波の警報が出て、パパが車で一生懸命高台に移動したんだけど、そこで土砂崩れに遭っちゃって」 「え、そんな……!」 「ね、普通は不幸な事故だと思うよね。でもママの両親、私のおじいちゃんとおばあちゃん……パパの事��っごく責めたんだって。『お前のせいで娘は』『お前が代わりに死ねば良かったのに』みたいに。パパの魂がバラバラに引き裂かれるぐらい、いっぱいいっぱい責めたの」  昨晩斉三さんから聞いた事故の話だ。奥さんを守れなかった上にそんな言葉をかけられた斉一さんの気持ちを想うと、自分まで胸が張り裂けそうだ。けど、奥さんのご両親が取り乱す気持ちもまたわかる。だって奥さんのお腹には、万狸ちゃんもいたのだから……。 「三つに裂けたパパ……斉一さんは、生きる屍みたいにママの為に無我夢中で働いた。斉三さんは病院のママに取り憑いたまま、何年も命を留めてた。それから、斉二さんは……一人だけ狸の里(あの世)に行って、水子になっちゃったママの娘を育て続けた」 「!」 「斉二さんはいつも言ってたの。俺は分裂した魂の、『後悔』の側面だ。天災なんて誰も悪くないのに、目を覚まさない妻を恨んでしまった。妻の両親を憎んでしまった。だからこんなダメな狸親父に万狸が似ないよう、お前をこっちで育てる事にしたんだ。って」  万狸ちゃんが背筋をシャンと伸ばし、顔を上げた。それは勇気に満ちた笑顔だった。 「だから私知ってる。佳奈ちゃんは一美ちゃんを助けようとしただけだし、ぜんぜん悪いだなんて思えない。斉二さんの役割は、完璧に成功してたんだよ」 「万狸ちゃん……」 「あっでもでも、今回は天災じゃなくて人災なんだよね? それなら金剛有明団をコッテンパンパンにしないと! 佳奈ちゃんもいっぱい悲しい思いした被害者でしょ?」  万狸ちゃんは右手を佳奈さんに差し出す。佳奈さんも顔を上げ、その手を強く握った。 「うん。金剛ぜったい許せない! 大散減の埋蔵金、一緒にばら撒いちゃお!」  その時、ホテルロビーのからくり時計から音楽が鳴り始めた。曲は民謡『ザトウムシ』。日没と大散減との対決を告げるファンファーレだ。魔耶さんは裁判官が木槌を振り下ろすように、机にハンマーを叩きつけた! 「行ぃぃくぞおおおぉぉお前らああぁぁぁ!!!」 「「「うおおぉぉーーーっ!!」」」  総員出撃! ザトウムシが鳴り響く逢魔が時の千里が島で今、日本最大の除霊戦争が勃発する!
གཉིས་པ་
 大散減討伐軍は御戌神社へ、後女津親子と佳奈さんはホテルから最寄りの結界である石見沼へと向かった。さて、私も御戌神の居場所には当てがある。御戌神は日蝕の目を持つ獣。それに因んだ地名は『食虫洞』。つまり、行先は新千里が島トンネル方面だ。  薄暗いトンネル内を歩いていると、電灯に照らされた私の影が勝手に絵を描き始めた。空で輝く太陽に向かって無数の虫が冒涜的に母乳を吐く。太陽は穢れに覆われ、光を失った日蝕状態になる。闇の緞帳(どんちょう)に包まれた空は奇妙な星を孕み、大きな獣となって大地に災いをもたらす。すると地平線から血のように赤い月が昇り、星や虫を焼き殺しながら太陽に到達。太陽と重なり合うやいなや、天上天下を焼き尽くすほどの輝きを放つのだった……。  幻のような影絵劇が終わると、私はトンネルを抜けていた。目の前のコンビニは既に電気が消えている。その店舗全体に、腐ったミルクのような色のペンキで星型に線を一本足した記号が描かれている。更に接近すると、デッキブラシを持った白髪の偉丈夫が記号を消そうと悪戦苦闘しているのが見えた。 「あ、紅さん」  私に気がつき振り返った青木さんは、足下のバケツを倒して水をこぼしてしまった。彼は慌ててバケツを立て直す。 「見て下さい。誰がこんな酷い事を? こいつはコトだ」  青木さんはデッキブラシで星型の記号を擦る。でもそれは掠れすらしない。 「ブラシで擦っても? ケッタイな落書きを……っ!?」  指で直接記号に触れようとした青木さんは、直後謎の力に弾き飛ばされた。 「……」  青木さんは何かを思い出したようだ。 「紅さん。そういえば僕も、ケッタイな体験をした事が」  夕日が沈んでいき、島中の店や防災無線からはザトウムシが鳴り続ける。 「犬に吠えられ、夜中に目を覚まして。永遠に飢え続ける犬は、僕のおつむの中で、ひどく悲しい声で鳴く。それならこれは幻聴か? 犬でないなら幽霊かもだ……」  青木さんは私に背を向け、沈む夕日に引き寄せられるように歩きだした。 「早くなんとかせにゃ。犬を助けてあげなきゃ、僕までどうにかなっちまうかもだ。するとどこからか、目ん玉が潰れた双頭の毛虫がやって来て、口からミルクを吐き出した。僕はたまらず、それにむしゃぶりつく」  デッキブラシから滴った水が地面に線を引き、一緒に夕日を浴びた青木さんの影も伸びていく。 「嫌だ。もう犬にはなりたくない。きっとおっとろしい事が起きるに違いない。満月が男を狼にするみたいに、毛虫の親玉を解き放つなど……」 「青木さん」  私はその影を呼び止めた。 「この落書きは、デッキブラシじゃ落とせません」 「え?」 「これは散減に穢された縁の母乳、普通の人には見えない液体なんです」  カターン。青木さんの手からデッキブラシが落ちた途端、全てのザトウムシが鳴り止んだ。青木さんはゆっくりとこちらへ振り向く。重たい目隠れ前髪が狛犬のたてがみのように逆立ち、子犬のように輝く目は濁った穢れに覆われていく。 「グルルルル……救、済、ヲ……!」  私も胸のペンダントに取り付けたカンリンを吹いた。パゥーーー……空虚な悲鳴のような音が響く。私の体は神経線維で編まれた深紅の僧衣に包まれ、激痛と共に影が天高く燃え上がった。 「青木さん。いや、御戌神よ。私は紅の守護尊、ワヤン不動。しかし出来れば、お前とは戦いたくない」  夕日を浴びて陰る日蝕の戌神と、そこから伸びた赤い神影(ワヤン)が対峙する。 「救済セニャアアァ!」 「そうか。……ならば神影繰り(ワヤン・クリ)の時間だ!」  空の月と太陽が見下ろす今この時、地上で激突する光の神と影の明王! 穢れた色に輝く御戌神が突撃! 「グルアアァァ!」  私はティグクでそれをいなし、黒々と地面に伸びた自らの影を滑りながら後退。駐車場の車止めをバネに跳躍、傍らに描かれた邪悪な星目掛けてキョンジャクを振るった。二〇%浄化! 分解霧散した星の一片から大量の散減が噴出! 「マバアアアァァ!!」「ウバアァァァ!」  すると御戌神の首に巻かれた幾つもの頭蓋骨が共鳴。ケタケタと震えるように笑い、それに伴い御戌神も悶絶する。 「グルアァァ……ガルァァーーーッ!!」  咆哮と共に全骨射出! 頭蓋骨は穢れた光の尾を引き宙を旋回、地を這う散減共とドッキングし牙を剥く! 「がッは!」  毛虫の体を得た頭蓋骨が飛び回り、私の血肉を穿つ。しかし反撃に転じる寸前、彼らの正体を閃いた。 「さては歴代の『器』か」  この頭蓋骨らは御戌神転生の為に生贄となった、どこの誰が産んだかもわからない島民達の残滓だ。なら速やかに解放せねばなるまい! 人頭毛虫の猛攻をティグクの柄やキョンジャクで防ぎながら、ティグクに付随する旗に影炎を着火! 「お前達の悔恨を我が炎の糧とする! どおぉりゃああぁーーーーっ!!」   ティグク猛回転、憤怒の地獄大車輪だ! 飛んで火に入る人頭毛虫らはたちどころに分解霧散、私の影体に無数の苦痛と絶望と飢えを施す! 「クハァ……ッ! そうだ……それでいい。私達は仲間だ、この痛みを以て金剛に汚された因果を必ずや断ち切ってやろう! かはあぁーーーっはーーっはっはっはっはァァーーッ!!!」  苦痛が無上の瑜伽へと昇華しワヤン不動は呵呵大笑! ティグクから神経線維の熱線が伸び大車輪の火力を増強、星型記号を更に焼却する! 記号は大文字焼きの如く燃え上がり穢れ母乳と散減を大放出! 「ガウルル、グルルルル!」  押し寄せる母乳と毛虫の洪水に突っ込み喰らおうと飢えた御戌神が足掻く。だがそうはさせるものか、私の使命は彼を穢れの悪循環から救い出す事だ。 「徳川徳松ゥ!」 「!」  人の縁を奪われ、畜生���に堕ちた哀しき少年の名を呼ぶ。そして丁度目の前に飛んできた散減を灼熱の手で掴むと、轟々と燃え上がるそれを遠くへ放り投げた! 「取ってこい!」 「ガルアァァ!!」  犬の本能が刺激された御戌神は我を忘れ散減を追う! 街路樹よりも高く跳躍し口で見事キャッチ、私目掛けて猪突猛進。だがその時! 彼の本体である衆生が、青木光が意識を取り戻した! (戦いはダメだ……穢れなど!)  日蝕の目が僅かに輝きを増す。御戌神は空中で停止、咥えている散減を噛み砕いて破壊した! 「かぁははは、いい子だ徳松よ! ならば次はこれだあぁぁ!!」  私はフリスビーに見立ててキョンジャクを投擲。御戌神が尻尾を振ってハッハとそれを追いかける。キョンジャクは散減共の間をジグザグと縫い進み、その軌跡を乱暴になぞる御戌神が散減大量蹂躙! 薄汚い死屍累々で染まった軌跡はまさに彼が歩んできた畜生道の具現化だ!! 「衆生ぉぉ……済度ぉおおおぉぉぉーーーーっ!!!」  ゴシャアァン!!! ティグクを振りかぶって地面に叩きつける! 視神経色の亀裂が畜生道へと広がり御戌神の背後に到達。その瞬間ガバッと大地が割れ、那由多度に煮え滾る業火を地獄から吹き上げた! ズゴゴゴゴガガ……マグマが滾ったまま連立する巨大灯篭の如く隆起し散減大量焼却! 振り返った御戌神の目に陰る穢れも、紅の影で焼き溶かされていく。 「……クゥン……」  小さく子犬のような声を発する御戌神。私は憤怒相を収め、その隣に立つ。彼の両眼からは止めどなく饐えた涙が零れ、その度に日蝕が晴れていく。気がつけば空は殆ど薄暗い黄昏時になっていた。闇夜を迎える空、赤く燃える月と青く輝く太陽が並ぶ大地。天と地の光彩が逆転したこの瞬間、私達は互いが互いの前世の声を聞いた。 『不思議だ。あの火柱見てると、ぼくの飢えが消えてく。お不動様はどんな法力を?』 ༼ なに、特別な力ではない。あれは慈悲というものだ ༽ 『じひ』  徳松がドマルの手を握った。ドマルの目の奥に、憎しみや悲しみとは異なる熱が込み上がる。 『救済の事で?』 ༼ ……ま、その類いといえばそうか。童よ、あなたは自分を生贄にした衆生が憎いか? ༽  徳松は首を横に振る。 『ううん、これっぽっちも。だってぼく、みんなを救済した神様なんだから』  すると今度はドマルが両手で徳松の手を包み、そのまま深々と合掌した。 ༼ なら、あなたはもう大丈夫だ。衆生との縁に飢える事は、今後二度とあるまい ༽
གསུམ་པ་
 時刻は……わからないけど、日は完全に沈んだ。私も青木さんも地面に大の字で倒れ、炎上するコンビニや隆起した柱状節理まみれの駐車場を呆然と眺めている。 「……アーーー……」  ふと青木さんが、ずっと咥えっ放しだったキョンジャクを口から取り出した。それを泥まみれの白ニットで拭い、私に返そうとして……止めた。 「……洗ってからせにゃ」 「いいですよ。この後まだいっぱい戦うもん」 「大散減とも? おったまげ」  青木さんにキョンジャクを返してもらった。 「実は、まだ学生の時……友達が僕に、『彼女にしたい芸能人は?』って質問を。けど特に思いつかなくて、その時期『非常勤刑事』やってたので紅一美ちゃんと。そしたら今回、本当にしたたびさんが……これが縁ってやつなら、ちぃと申し訳ないかもだ」 「青木さんもですか」 「え?」 「私も実は、この間雑誌で『好きな男性のタイプは何ですか』って聞かれて、なんか適当に答えたんですけど……『高身長でわんこ顔な方言男子』とかそんなの」 「そりゃ……ふふっ。いやけど、僕とは全然違うイメージだったかもでしょ?」 「そうなんですよ。だから青木さんの素顔初めて見た時、キュンときたっていうより『あ、実在するとこんな感じなの!?』って思っちゃったです。……なんかすいません」  その時、遠くでズーンと地鳴りのような音がした。蜃気楼の向こうに耳をそばだてると、怒号や悲鳴のような声。どうやら敵の大将が地上に現れたようだ。 「行くので?」 「大丈夫。必ず戻ってきます」  私は重い体を立ち上げ、ティグクとキョンジャクに再び炎を纏った。そして山頂の御戌神社へ出発…… 「きゃっ!」  しようとした瞬間、何かに服の裾を掴まれたかのような感覚。転びそうになって咄嗟にティグクの柄をつく。足下を見ると、小さなエネルギー眼がピンのように私の影を地面と縫いつ���ている。 ༼ そうはならんだろ、小心者娘 ༽ 「ちょ、ドマル!?」  一方青木さんの方も、徳松に体を勝手に動かされ始めた。輝く両目から声がする。 『バカ! あそこまで話しといて告白しねえなど!? このボボ知らず!』 「ぼっ、ぼっ、ボボ知らずでねえ! 嘘こくなぁぁ!」  民謡の『お空で見下ろす出しゃばりな月と太陽』って、ひょっとしたら私達じゃなくてこの前世二人の方を予言してたのかも。それにしてもボボってなんだろ、南地語かな。 ༼ これだよ ༽  ドマルのエネルギー眼が炸裂し、私は何故かまた玲蘭ちゃんの童貞を殺す服に身を包んでいた。すると何故か青木さんが悶絶し始めた。 「あややっ……ちょっと、ダメ! 紅さん! そんなオチチがピチピチな……こいつはコトだ!!」  ああ、成程。ボボ知らずってそういう…… 「ってだから、私の体で検証すなーっ! ていうか、こんな事している間にも上で死闘が繰り広げられているんだ!」 ༼ だからぁ……ああもう! 何故わからないのか! ヤブユムして行けと言っているんだ、その方が生存率上がるしスマートだろ! ༽ 「あ、そういう事?」  ヤブユム。確か、固い絆で結ばれた男女の仏が合体して雌雄一体となる事で色々と超越できる、みたいな意味の仏教用語……だったはず。どうすればできるのかまではサッパリわかんないけど。 「え、えと、えと、紅さん……一美ちゃん!」 「はい……う、うん、光君!」  両前世からプレッシャーを受け、私と光君は赤面しながら唇を近付ける。 『あーもー違う! ヤブユムっていうのは……』 ༼ まーまー待て。ここは現世を生きる衆生の好きにさせてみようじゃないか ༽  そんな事言われても困る……それでも、今私と光君の想いは一つ、大散減討伐だ。うん、多分……なんとかなる! はずだ!
བཞི་པ་
 所変わって御戌神社。姿を現した大散減は地中で回復してきたらしく、幾つか継ぎ目が見えるも八本足の完全体だ。十五メートルの巨体で暴れ回り、周囲一帯を蹂躙している。鳥居は倒壊、御戌塚も跡形もなく粉々に。島民達が保身の為に作り上げた生贄の祭壇は、もはや何の意味も為さない平地と化したんだ。  そんな絶望的状況にも関わらず、大散減討伐軍は果敢に戦い続ける。五寸釘愚連隊がバイクで特攻し、河童信者はカルトで培った統率力で彼女達をサポート。玲蘭ちゃんも一枚隔てた異次元から大散減を構成する無数の霊魂を解析し、虱潰しに破壊していく。ところが、 「あグッ!」  バゴォッ!! 大散減から三メガパスカル級の水圧で射出された穢れ母乳が、河童信者の一人に直撃。信者の左半身を粉砕! 禍耶さんがキュウリの改造バイクで駆けつける。 「河童信者!」 「あ、か……禍耶の姐御……。俺の、魂を……吸収……し……」 「何言ってるの、そんな事できるわけないでしょ!?」 「……大散、ぃに、縁……取られ、嫌、……。か、っぱは……キュウリ……好き……っか……ら…………」  河童信者の瞳孔が開いた。禍耶さんの唇がわなわなと痙攣する。 「河童って馬鹿ね……最後まで馬鹿だった……。貴方の命、必ず無駄にはしないわ!」  ガバッ、キュイイィィ! 息絶えて間もない河童信者の霊魂が分解霧散する前に、キュウリバイクの給油口に吸収される。ところが魔耶さんの悲鳴! 「禍耶、上ぇっ!!」 「!」  見上げると空気を読まず飛びかかってきた大散減! 咄嗟にバイクを発進できず為す術もない禍耶さんが絶望に目を瞑った、その時。 「……え?」  ……何も起こらない。禍耶さんはそっと目を開けようとする。が、直後すぐに顔を覆った。 「眩しっ! この光は……あああっ!」  頭上には朝日のように輝く青白い戌神。そしてその光の中、轟々と燃える紅の不動明王。光と影、男と女が一つになったその究極仏は、大散減を遥か彼方に吹き飛ばし悠然と口を開いた。 「月と太陽が同時に出ている、今この時……」 「瞳に映る醜き影を、憤怒の炎で滅却する」 「「救済の時間だ!!!」」  カッ! 眩い光と底知れぬ深い影が炸裂、落下中の大散減を再びスマッシュ! 「遅くなって本当にすみません。合体に手間取っちゃって……」  御戌神が放つ輝きの中で、燃える影体の私は揺らめく。するとキュウリバイクが言葉を発した。 <問題なし! だぶか登場早すぎっすよ、くたばったのはまだ俺だけです。やっちまいましょう、姐さん!> 「そうね。行くわよ河童!」  ドルルン! 輩悪苦満誕(ハイオクまんたん)のキュウリバイクが発進! 私達も共に駆け出す。 「一美ちゃん、火の準備を!」 「もう出来ているぞぉ、カハァーーーッハハハハハハァーーー!!」  ティグクが炎を噴く! 火の輪をくぐり青白い肉弾が繰り出す! 巨大サンドバッグと化した大散減にバイクの大軍が突撃するゥゥゥ!!! 「「「ボァガギャバアアアアァァアアア!!!」」」  八本足にそれぞれ付いた顔が一斉絶叫! 中空で巻き散らかされた大散減の肉片を無数の散減に変えた! 「灰燼に帰すがいい!」  シャゴン、シャゴン、バゴホオォン!! 御戌神から波状に繰り出される光と光の合間に那由多度の影炎を込め雑魚を一掃! やはりヤブユムは強い。光源がないと力を発揮出来ない私と、偽りの闇に遮られてしまっていた光君。二人が一つになる事で、永久機関にも似た法力を得る事が出来る!  大散減は地に叩きつけられるかと思いきや、まるで地盤沈下のように地中へ潜って行ってしまった。後を追えず停車した五寸釘愚連隊が舌打ちする。 「逃げやがったわ、あの毛グモ野郎」  しかし玲蘭ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。 「大丈夫です。大散減は結界に分散した力を補充しに行ったはず。なら、今頃……」  ズドガアアァァァアン!!! 遠くで吹き上がる火柱、そして大散減のシルエット! 「イェーイ!」  呆然と見とれていた私達の後方、数分前まで鳥居があった瓦礫の上に後女津親子と佳奈さんが立っている。 「「ドッキリ大成功ー! ぽーんぽっこぽーん!」」  ぽこぽん、シャララン! 佳奈さんと万狸ちゃんが腹鼓を打ち、斉一さんが弦を爪弾く。瞬間、ドゴーーン!! 今度は彼女らの背後でも火柱が上がった! 「あのねあのね! 地図に書いてあった星の地点をよーく探したら、やっぱり御札の貼ってある祠があったの。それで佳奈ちゃんが凄いこと閃いたんだよ!」 「その名も『ショート回路作戦』! 紙に御札とぴったり同じ絵を写して、それを鏡合わせに貼り付ける。その上に私の霊力京友禅で薄く蓋をして、その上から斉一さんが大散減から力を吸収しようとする。だけど吸い上げられた大散減のエネルギーは二枚の御札の間で行ったり来たりしながら段々滞る。そうとは知らない大散減が内側から急に突進すれば……」  ドォーーン! 万狸ちゃんと佳奈さんの超常理論を実証する火柱! 「さすがです佳奈さん! ちなみに最終学歴は?」 「だからいちご保育園だってば~、この小心者ぉ!」  こんなやり取りも随分と久しぶりな気がする。さて、この後大散減は立て続けに二度爆発した。計五回爆ぜた事になる。地図上で星のシンボルを描く地点は合計六つ、そのうち一つである食虫洞のシンボルは私がコンビニで焼却したアレだろう。 「シンボルが全滅すると、奴は何処へ行くだろうか」  斉三さんが地図を睨む。すると突如地図上に青白く輝く道順が描かれた。御戌神だ。 「でっかい大散減はなるべく広い場所へ逃走を。となると、海岸沿いかもだ。東の『いねとしサンライズビーチ』はサイクリングロードで狭いから、石見沼の下にある『石見海岸』ので」 「成程……って、君はまさか!?」 「青木君!?」  そうか、みんな知らなかったんだっけ。御戌神は遠慮がちに会釈し、かき上がったたてがみの一部を下ろして目隠れ前髪を作ってみせた。光君の面影を認識して皆は納得の表情を浮かべた。 「と……ともかく! ずっと地中でオネンネしてた大散減と違って、地の利はこちらにある。案内するので先回りを!」  御戌神が駆け出す! 私は彼が放つ輝きの中で水上スキーみたいに引っ張られ、五寸釘愚連隊や他の霊能者達も続く。いざ、石見海岸へ!
ལྔ་པ་
 御戌神の太陽の両眼は、前髪によるランプシェード効果が付与されて更に広範囲を照らせるようになった。石見沼に到着した時点で海岸の様子がはっきり見える。まずいことに、こんな時に限って海岸に島民が集まっている!? 「おいガキ共、ボートを降りろ! 早く避難所へ!」 「黙れ! こんな島のどこに安全が!? 俺達は内地へおさらばだ!」  会話から察するに、中学生位の子達が島を脱出しようと試みるのを大人達が引き止めているようだ。ところが間髪入れず陸側から迫る地響き! 危ない! 「救済せにゃ!」  石見の崖を御戌神が飛んだ! 私は光の中で身構える。着地すると同時に目の前の砂が隆起、ザボオオォォン!! 大散減出現! 「かははは、一足遅いわ!」  ズカアァァン!!! 出会い頭に強烈なティグクの一撃! 吹き飛んだ大散減は沿岸道路を破壊し民家二棟に叩きつけられた。建造物損壊と追い越し禁止線通過でダブル罪業加点! 間一髪巻き込まれずに済んだ島民達がどよめく。 「御戌様?」 「御戌様が子供達を救済したので!?」 「それより御戌様の影に映ってる火ダルマは一体!?」  その問いに、陸側から聞き覚えのある声が答える。 「ご先祖様さ!」  ブオォォン! 高級バイクに似つかわしくない凶悪なエンジン音を吹かして現れたのは加賀繍さんだ! 何故かアサッテの方向に数珠を投げ、私の正体を堂々と宣言する。 「御戌神がいくら縁切りの神だって、家族の縁は簡単に切れやしないんだ。徳川徳松を一番気にかけてたご先祖様が仏様になって、祟りを鎮めるんだよ!」 「徳松様を気にかけてた、ご先祖様……」 「まさか、将軍様など!?」 「「「徳川綱吉将軍!!」」」  私は暴れん坊な将軍様の幽霊という事になってしまった。だぶか吉宗さんじゃないけど。すると加賀繍さんの紙一重隣で大散減が復帰! 「マバゥウゥゥゥゥウウウ!!!」  神社にいた時よりも甲高い大散減の鳴き声。消耗している証拠だろう。脚も既に残り五本、ラストスパートだ! 「畳み掛けるぞ夜露死苦ッ!」  スクラムを組むように愚連隊が全方位から大散減へ突進、総長姉妹のハンマーで右前脚破壊! 「ぽんぽこぉーーー……ドロップ!!」  身動きの取れなくなった大散減に大かむろが垂直落下、左中央二脚粉砕! 「「「大師の敵ーーーっ!」」」  微弱ながら霊力を持つ河童信者達が集団投石、既に千切れかけていた左後脚切断! 「くすけー、マジムン!」  大散減の内側から玲蘭ちゃんの声。するうち黄色い閃光を放って大散減はメルトダウン! 全ての脚が落ち、最後の本体が不格好な蓮根と化した直後……地面に散らばる脚の一本の顔に、ギョロギョロと蠢く目が現れた。光君の話を思い出す。 ―八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で!― 「そうか、あっちが真の本体!」  私と光君が同時に動く! また地中に逃げようと飛び上がった大散減本体に光と影は先回りし、メロン格子状の包囲網を組んだ! 絶縁怪虫大散減、今こそお前をこの世からエンガチョしてくれるわあああああああ!! 「そこだーーーッ!! ワヤン不動ーーー!!」 「やっちゃえーーーッ!」「御戌様ーーーッ!」 「「「ワヤン不動オォーーーーーッ!!!」」」 「どおおぉぉるあぁああぁぁぁーーーーーー!!!!」  シャガンッ! 突如大量のハロゲンランプを一斉に焚いたかのように、世界が白一色の静寂に染まる。存在するものは影である私と、光に拒絶された大散減のみ。ティグクを掲げた私の両腕が夕陽を浴びた影の如く伸び、背中で燃える炎に怒れる恩師の馬頭観音相が浮かんだ時……大散減は断罪される! 「世尊妙相具我今重問彼仏子何因縁名為観世音具足妙相尊偈答無盡意汝聴観音行善応諸方所弘誓深如海歴劫不思議侍多千億仏発大清浄願我為汝略説聞名及見身心念不空過能滅諸有苦!」  仏道とは無縁の怪獣よ、己の業に叩き斬られながら私の観音行を聞け! 燃える馬頭観音と彼の骨であるティグクを仰げ! その苦痛から解放されたくば、海よりも深き意志で清浄を願う聖人の名を私がお前に文字通り刻みつけてやる! 「仮使興害意推落大火坑念彼観音力火坑変成池或漂流巨海龍魚諸鬼難念彼観音力波浪不能没或在須弥峰為人所推堕念彼観音力如日虚空住或被悪人逐堕落金剛山念彼観音力不能損一毛!!」  たとえ金剛の悪意により火口へ落とされようと、心に観音力を念ずれば火もまた涼し。苦難の海でどんな怪物と対峙しても決して沈むものか! 須弥山から突き落とされようが、金剛を��道に蹴落とされようが、観音力は不屈だ! 「或値怨賊繞各執刀加害念彼観音力咸即起慈心或遭王難苦臨刑欲寿終念彼観音力刀尋段段壊或囚禁枷鎖手足被杻械念彼観音力釈然得解脱呪詛諸毒薬所欲害身者念彼観音力還著於本人或遇悪羅刹毒龍諸鬼等念彼観音力時悉不敢害!!」  お前達に歪められた衆生の理は全て正してくれる! 金剛有明団がどんなに強大でも、和尚様や私の魂は決して滅びぬ。磔にされていた抜苦与楽の化身は解放され、悪鬼羅刹四苦八苦を燃やす憤怒の化身として生まれ変わったんだ! 「若悪獣囲繞利牙爪可怖念彼観音力疾走無辺方蚖蛇及蝮蝎気毒煙火燃念彼観音力尋声自回去雲雷鼓掣電降雹澍大雨念彼観音力応時得消散衆生被困厄無量苦逼身観音妙智力能救世間苦!!!」  獣よ、この力を畏れろ。毒煙を吐く外道よ霧散しろ! 雷や雹が如く降り注ぐお前達の呪いから全ての衆生を救済してみせよう! 「具足神通力廣修智方便十方諸国土無刹不現身種種諸悪趣地獄鬼畜生生老病死苦以漸悉令滅真観清浄観広大智慧観悲観及慈観常願常瞻仰無垢清浄光慧日破諸闇能伏災風火普明照世間ッ!!!」  どこへ逃げても無駄だ、何度生まれ変わってでも憤怒の化身は蘇るだろう! お前達のいかなる鬼畜的所業も潰えるんだ。瞳に映る慈悲深き菩薩、そして汚れなき聖なる光と共に偽りの闇を葬り去る! 「悲体戒雷震慈意妙大雲澍甘露法雨滅除煩悩燄諍訟経官処怖畏軍陣中念彼観音力衆怨悉退散妙音観世音梵音海潮音勝彼世間音是故須常念念念勿生疑観世音浄聖於苦悩死厄能為作依怙具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故応頂……」  雷雲の如き慈悲が君臨し、雑音をかき消す潮騒の如き観音力で全てを救うんだ。目の前で粉微塵と化した大散減よ、盲目の哀れな座頭虫よ、私はお前をも苦しみなく逝去させてみせる。 「……礼ィィィーーーーーッ!!!」  ダカアアアアァァアアン!!!! 光が飛散した夜空の下。呪われた気枯地、千里が島を大いなる光と影の化身が無量の炎で叩き割った。その背後で滅んだ醜き怪獣は、業一つない純粋な粒子となって分解霧散。それはこの地に新たな魂が生まれるための糧となり、やがて衆生に縁を育むだろう。  時は亥の刻、石見海岸。ここ千里が島で縁が結ばれた全ての仲間達が勝利に湧き、歓喜と安堵に包まれた。その騒ぎに乗じて私と光君は、今度こそ人目も憚らず唇を重ね合った。
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hiruzenmegata · 3 years
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近さの / なかに / はいる
※この記事はnoteに書いたものをそのまままとめて移植したものです
→もとの記事(初回)https://note.com/megata/n/n47f8d146b717
[1]
花になるなら、飾らず、まっすぐに伸びるヒマワリがいい。モードが言う。対してハロルドは、一面に咲くヒナギクを見下ろしながら、自分はこの花がいいと言う。あの花この花の区別なく、たくさん横並びで生えている、どれでも変わりないようななかのひと花でありたい、と。そんなふうにヒナギクを評するハロルドに対し、同じ花なんてないとモードは意見する。それから、こんなこともいう。世の中の不幸のほとんどは、他人と同じように扱われることに不満を持たない人々が生み出している、と。
ところが、「どこにでもいるやつなんて どこにもいない」式のことを述べたてるモードは、とてもとても極端な人物なのだ。名もなき雑草のひと花ひと花に愛情深い態度を示すような、落ち着いた穏やかな人格ではない。独善的で身勝手な狂老女、とみなされても不思議ではない。
ラブコメというジャンルはどのような構造で組み立てられているか、という話のなかで話題にのぼり、紹介された映画『ハロルドとモード』を実際にみてみた。とはいえこの映画は、いわゆるラブコメというジャンル映画ではないように思われる。家人の目につくところで自殺を演じ続ける少年ハロルドだが、ハロルドの母は、息子が首を吊ろうと手首を切ろうと銃で頭を撃ちぬこうと、まったく相手にしない。「いつものいたずらね」ということで軽く流し、かわりに精神科に通わせたり、軍人の叔父に預けようとしたりする。ただし同伴・同席はしない。ハロルドは一人で精神科や、叔父のオフィスに通わされる。 ハロルドはいつものように、知らない人の葬儀に勝手に参列する。そこで知り合った79歳の老女・モードもまた、赤の他人の葬式に参加するシュミがあった。二人は巡りあう。 モードは常に人の車を運転する。公道の街路樹を引き抜き、人の車にのせ、料金を払わず高速道路をぶっ飛ばし、白バイ警官をまいて、山に勝手に植えにいく。シャベルだって当然盗品である。しかしあっけらかんとしていて、罪の意識はない。法を犯していることぐらい理解しているだろうけど、罪を犯している自責はかけらもない。めちゃくちゃである。 惹かれ合った二人が、きちんと一夜を共にする描写(朝になって、裸の少年と老女がおなじベッドで目覚めるシーン)があるのがとてもよかったです。 「ラブコメ」のジャンル映画ではなさそうだったし、それに「恋愛」を描いているようにも思われなかった。おもしろい映画だったけどね。さあ「恋愛」ってなにか。
このごろ読んでいた嘉村磯多の「途上」という自伝小説のなかに、露骨な切れ味の描写があってハッとさせられた。中学校のなか、からかわれたり後輩をいびったり、勉学に励みつつ田舎出身を恥じらい、色が黒いことをバカにされたり先生に気に入られたり、下宿先の家族に気を使いすぎたりして、なんやかんやで学校を中退して、実家に戻ってきた。ぶらぶらしていると、近所にいる年少の少女に目が留まる。いつか一度、話したことがあるきりだが、やたらと彼女が気にかかる。そこにこの一文があらわれる:「これが恋だと自分に判った。」 そんなふうにはっきり書かれてしまうと弱い。「はいそうですか」と飲み込むほかない。 けれど、恋愛を描いている(とされるもの)に、「これが恋」って「判った」だなんて明確に言及・説明を入れ込むことは、どうなんだろう。少なくとも当たり前な、お約束なやり口ではないと思うけど。 世の中には、「恋」「愛」「恋愛」という単語の意味するところがなんであるのか今一度問い直す手続きを踏まえずに、じつにカジュアルに言葉を使っているケースばかりがある。そうすると、その場その場で「恋」の意味が変わっていくことになる。その「恋」が意味しているものは単に一夜のセックスで、「恋多き」という形容詞がその実、「ぱっと見の印象がイケてた人と手当たり次第やりまくってきた」って内容でしかないときも少なくない。 まあけど、それがなんなのかを追究するのはやめましょう。というか、いったんわきに置いておきます。
さて『ハロルドとモード』の紹介された雑談のトピック:「ジャンルとしてのラブコメ」ですが、これは単に、「イニシアチブを奪い合うゲーム」であるらしい。そういう視点で構築されている。要するにラブコメは、恋愛感情の描写とか、恋とは何かを問い直すとかじゃなくて、主導権や発言権を握るのは誰か?というゲームの展開に主眼がある。気持ちの物語ではないのだ。描かれるのは、ボールを奪い合う様子。欲しがらせ、勧誘し、迷い、交渉する。デパートのなかで商品を迷うように。路上の客引きの口車にそれなりになびいたうえで、「ほか見てからだめだったらまた来ます」って断りを入れて、次の客引きに、「さっき別の店の人こういってたんですよね」とこちら側から提示するように。 イニシアチブの奪い合い、というゲームさえ展開できればいいので、気持ちとかいらない。ゲームが展開できるのであれば、主体性もいらない。ラブコメの「ラブ」は心理的な機微や葛藤の「ラブ」ではない。奪い合っているボールの呼び名でしかない。(つまり奪い合い=おっかけっこ、が、「コメ(ディ)」ってワケ)
浮気はドラマを盛り上げる。人が死ぬのも、まさに「劇的」なハプニングだ。雨に濡れて泣きながら走り、ようやく辿りついたアパートの部屋はもぬけの殻、ただテーブルにひとことの書き置き「フランスに行きます」みたいな、そんな派手な出来事で試合はいよいよ白熱する。ところが、心理的な機微や葛藤というのはいつだってモノローグ的だので、気持ちの面での「ラブ」を描きたいなら、このような出来事たちはむしろいらない。うるさすぎる。もっとささやかで、短歌的な味わいのものがふさわしい。ひとりでいるときに、マフラーの巻き方を真似しようと試みて途中でやめたり、チェーンの喫茶店の安コーヒーの味が思い出でおいしくなったり、そういうのでいい。出しっぱなしのゴミ勝手に片づけたの、ちょっとおせっかいすぎたかなってくよくよ悩む、とかでいい。
恋愛の感情・心理がよく描写されているように感じられる物語の登場人物は、内面的な葛藤に閉じこもらざるを得ないシチュエーションに押し込められている場合が多い気がする。「ひとには秘密にしてないといけない」「誰にも言えない」という制約のある環境。仕組みとして、宗教の違いや人種や年齢の断絶、同性愛など、自分の思いを簡単にひとに打ち明けられないセッティングの話のほうが、「イニシアチブ奪いあいゲーム」からは遠ざかる。(それに、そんなようなセッティングだと、「世間の常識」が要求してくるジェンダーロールを無視して鑑賞しやすい場合も多い。)
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[2]
成功した実業家の息子であるハロルドは、経済的にも肉体的にも不自由なく暮らしている。が、なんだか欠落を抱えている。自殺遊びや他人の葬式への参加など、死に接しているときが最も楽しい。老女モードは、そんなハロルドの世界観を一変させることになる。彼女はかなりアナーキーな存在で、逮捕されるようなことばかり繰り返している。けれど悪びれない。自らの行為を、自分らしい人生を過ごしている実感を与えてくれる刺激として肯定している。
J.G.バラードに『コカイン・ナイト』という小説があって、この頃これを読みました。あ、そもそもこの記事は、最近読んだものや見たものについて、できるだけ網羅的に言及できないかと願いつつ当てずっぽうで書き出した文章です。できることなら人とのやりとりや、自分の過ごした日常についても記したいが、それがうまくできるかどうか。
『コカイン・ナイト』の主人公はチャールズで、世界中を飛び回っている旅行記者です。退屈について、カリスマについて、刺激について。さまざまな切り口から鋭い洞察が重ねられたこの名作の入り口は、ミステリーのかたちをしている。 スペインの南、ハイパーセレブたちのリゾート地で働いているはずの弟が窮地にたたされているから助けにいかなきゃ! という目的で、チャールズは物語の舞台にやってきます。弟の状況はよく知らないけど、あいつのことだし、そこまで深刻じゃないだろう。そう高を括ってやってきました。ところがどっこい、弟、かなりやばい状況でした。 大邸宅が放火により全焼し、五人が焼け死んだ。弟にその容疑がかけられている。捕まって、留置されている。裁判を待っている。けれども、誰も、弟が犯人であるとは信じていない。警察だって例外じゃない。明らかに、弟の犯行ではないのだ。それでも弟は、自分がやったと自白しており、嘘の自白を繰り返すばかりで取り下げない。いったいなにが起こっているのか。どういうことなのか。 地域の人らはすべて疑わしい、なにかを隠しているような気がする。チャールズは素人ながら探偵のまねごとをしはじめ、地域の人々から疎んじられはじめる。チャールズにとって、地域の人々の態度���距離感はますます疑わしいものに思えてくる。そして実際、普通には考えにくい、歪んだ事態を数々目撃することになる。余暇時間を持て余したハイパーセレブたちは、事故を起こして炎上するボートを楽しそうに見つめていた。拍手さえあがる。
『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン~』という映画があって、平和な村=表向きには犯罪のない村を舞台にした話でした。「表向きには」犯罪はない、というのはつまり、法に反した行為があったとしても、届け出や検挙がなければ統計にはあらわれない、ということを示しています。
世の中にはあたまのかたい人というのがたくさんいて、俺もその一人なんだが、すべてのルールは事後的に構築されたものなのに、これを絶対の物差しだと勘違いしている場合がある。法律を破ったのだから悪い人だ、みたいな感覚を、まっとうなものだと信じて疑わない人がたくさんいる。身近に悪いやつ、いやなやつ、いませんか。自分のなかにも「悪」はありませんか。それと「被告人」「容疑者」はぜんぜん別のことではないですか。 陰謀論がささやかれている。「悪いやつがいる、たくさんいる、てのひらで人を転がしているやつと、愚かにも転がされているやつがいる、自分はその被害者でもある」そう発想する立場に対し、逆の立場に立たされている不安を訴える声もありえる。「知らず知らずのうちに、自分は、陰謀に加担しているのではないか。なんならむしろ積極的に参加しているのではないか」あんなふうになってしまうなんてこと思いもよらなかった、ってあとで口走っても遅い。
『コカイン・ナイト』の主人公チャールズは旅行記者で、世界中を飛び回っているから定住地はない。 どこかに行くと、「自分にとって、ここが本当の場所だ」と感じられる旅先に巡り合うことがある。けれどその段階を越えたむこうに、「自分にとって、世界はすべて異郷である。どこにいても、自分は単なる旅人以上のものではありえない」その境地がある、というようなことを池澤夏樹が言っていたかもしれない。言ってないかもしれない。ともかくチャールズは定住地がない。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』には、 遊動の暮らしをやめて定住するようになったとき、人類は、財産や文明を手にするようになった。貧富の差が生じ、法が生じ、退屈が生じた。時代が下って便利になればなるほど、退屈は大問題になってくる。 というようなことが書かれていた。遊動の暮らし云々については資料がない話だから、この本がどれほど学問的に厳密なのかはわからないけど、発想としてはおもしろいと思ったので覚えています。記憶だから、読み返すとそんな話してないかもしれないけどね。 けどまあ、ともかく、遊動し続けていたチャールズは、退屈がまさに大問題になっている地域に巻き込まれるかたちで取り込まれていく。はじめは弟の部屋を使っていたチャールズも、その地域を牛耳っているやつが用意してくれた部屋にうつるときがやってくる。その部屋にはじめて足を踏み入れたチャールズに、こういった言葉がかけられる。「チャールズ、君は家に帰ってきたんだ……」 「今の気分を大いに楽しみたまえ。見知らぬ場所という感覚は、自分にとって、常日頃考えているよりも、もっと近しいものなんだよ」
この記事は当てずっぽうで書き出した日記ではあるけれど、記事のタイトルははじめから決めている。「近さの/なかに/はいる」 ようやく、「近さ」というキーワードを登場させられました。よかった。距離についての話を引き続き。
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[3]
いつか「ア・ホロイ」というグループ展で映像作品の発表をしたときに(おれのみヘッポコな)対談イベントの相手として巻き込んだ太田充胤(医師・ダンサー・批評家)が、ちょうどその当時スタートさせていたのが『LOCUST』という雑誌だった。Magazine for travel and criticism|旅と批評のクロスポイント。 執筆者たちはみんなで旅行をしにいく。そしてその場所についての文章を書く。これを集めて雑誌にしている。参加者は批評家だけではないが、肩書は別になんでもよい。いわゆる観光ガイドでもなく、かといって思想ムックでもない。地域と時事に結びついた、批評癖のある人らの旅行界隈記集で、最近、この第三号を買いました。三号の特集地は岐阜県美濃地方。
この本、千葉市美術館で買った。千葉市美術館ではいま、「大・タイガー立石展」が開催されている。立石紘一=立石大河亞=タイガー立石という作家については、これは子供のころ、好きで好きでしかたなかった絵本のひとつの作者として知りました。親近感、懐かしさがある。 60年代、日本のなか美術作家として活動、のちイタリアに渡り、そこで油絵もヒットしますが、同時にデザイナー・イラストレーターとしても、漫画家としても活躍。日本に戻り、絵本の仕事も手掛けるようになります。陶も捏ねます。 ナンセンス、毒々しくも軽妙で、湿度は高いんだけどしつこくない。筆運び色選びモチーフ選び影の黒さははっきりシュールレアリズム由来で、反逆児のフリをしつつジャンルの枠組みは壊さず、荒唐無稽なフリをしつつ不穏当で思わせぶり、祝祭的=黙示録的、派手好みのくせに辛気臭くすら感じられるガロ感がいつまでも抜けない。という印象。個人的には。
懇意にしている友人の家、友人なのかな、友人なんでしょうか。一緒にいる居心地はいいんだけど、話題が狭く、政治的な話も教養的な話もしない。あるのは惰眠と食卓で、生理的で予測可能なよろこびしかない。安心安全で退屈な時間を過ごす人。おれは人のことをバカにして生きてる。まあいいかそれはいま。ともかく、友人、そう友人の家を出て、千葉中央駅に到着すると、急に大雨が降りはじめた。美術館まで徒歩にしてほんの10分の距離ですけど雨はものすごい。駅ビル内のダイソーで傘を買って足を濡らして10分歩くなら値段的にもそう変わらないと判断し、駅前でタクシーに乗り込みました。「市立美術館まで」と注文します。「市立?」聞き返した運転手はメーターをつけずに発車、すぐに着いて、料金として500円を払う。車運転させておきながら500円玉1枚だけ払って降車するのは後ろめたい。ちょっと照れくさくもある。 タイガー立石の絵はいわゆるコピペっぽさというか、表面的なトレースが多い。ピカソの泣く女やゲルニカ、ダリの溶けた時計、ルソーの自画像、タンギーのうねうね、そんなものがはっきり登場する。作品によっては、モチーフらは一枚の画面にただ雑然と並んでいる。ライブハウスのトイレの壁みたく、全体のなかに中心のない、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 ずっと好きではあったけれど、とはいえどっぷりハマりこんだ覚えのある作家でもない。距離感としては「シュークリーム」とか「揚げ出し豆腐」みたいな。それでも、さすが小さなころからの付き合いだけあって、自分のなかに、あるいはタイガー立石をみる自分のなかに、自分自身の制作態度の原型をみるようで居心地が悪く、やはりちょっと照れくさくもあった。
もちろんカタログを買う。そのために美術館併設の書店に立ち寄った。そこで『LOCUST vol.3』を見つけたので一緒に買ったのだった。太田充胤が、「おいしい、と、おいしそう、のあいだにどんなものが横たわっているのかを考えた原稿を vol.3に載せた」と言っていた覚えがあったためだ。なんだそれ、気になる。そう思っていたところだった。 ぜんぶで7つのパートにわかれたその原稿の、はじめの3つを、ざっくばらんに要約する。 1・はじめの話題は日本の食肉史から。肉を食べることは力をつけることと結び付けられもしてきた。禁じられた時代、忌避された時代もあった。食肉への距離感っていろいろある。 2・野生動物の肉を食うことが一種のブームになっている。都市部でもジビエは扱われている。ただ、大義たる「駆除される害獣をせっかくだから食べる」というシステムは、都市部では説得力がうすい。都市部のジビエは「珍しいもの」としてよろこばれている? 舶来品の価値、「遠いものだから」という価値? 3・身近に暮らす野生動物と生活が接しているかどうかで、(動物の)肉というものへの距離感は変わる。都市部の居酒屋で供される鹿の肉と、裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉は、そりゃ肉としては同じ鹿肉であっても、心理的な距離の質は同じではない。
イモムシが蝶になる手前、さなぎに変態してしばらくじっとしている。さなぎの中身はどろどろで、イモムシがいったんとろけた汁であり、神話の日本の誕生よろしく、ここから形状があらわれ、蝶になるのだと、子供のころ誰に教えられたわけでもないのに「知って」いた。それは間違いだった。イモムシの背中を裂くと、皮膚のすぐ裏側に羽が用意されている。蝶の体つきは、さなぎになるよりずっと前から、体のなかに収納されている。さなぎはただ、大一番な脱皮状態を身構えてるだけの形態で、さなぎの中がどろどろなのは、イモムシや成体の蝶の体内がどろどろなのとまったく同じことだった。日高敏隆の本で知った。大学院生のころ、ひとの自作解説を聞いていたら、「イモムシがいったんその体の形状をナシにして、さなぎの中でイチから再編成しなおして蝶になるように」という言い方をしている人があった。同じ勘違いだ。 この勘違いはどうして起こり、どうして疑いなく信じ続けられるんだろう。だって、イチから再編成されるなんて、めちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃ不思議なことがあっても、それが「生命の神秘」や「昆虫の不思議さ」に結びついて納得されてしまえば、「ね、不思議だよね、すごいよね」で済む話になるのか。<現代人・大人たちが昆虫を嫌うのは、家の中で虫を見なくなってきたからだ>という論文を先日みつけました。隣近所の人とあいさつをするかどうかで生活の心やすさは大きく変わる。知らない人の物音は騒音でも、知っている人の物音はそんなに不愉快じゃなかったりする。「面識」のあるなしは非常に重要だから、背が伸びてもなお、公園や野原で昆虫と親しみ続ける人生を送っていれば、虫嫌いにはなっていかないだろう。けれど、そういう人生を送っていたとしても、いったん誤解した「さなぎ状態への理解」が誤りだったと、自然に気づけるものだろうか。
岐阜で供されたジビエ肉についての原稿をLOCUSTに執筆した太田充胤は高校の同級生で、とはいえ仲良しだったわけではない。今も別に、特別仲良しとかではない。なんかやってんなあ、おもろそうなこと書いてるなあ、と、ぼんやり眺めて、でも別にわざわざ連絡はしない。卒業後10年、やりとりはなかった。数年前、これを引き合わせた人がいて、あわせて三人で再会したのは新宿三丁目にある居酒屋だった。ダチョウやカンガルー、ワニやイノシシの肉を食べた。それこそ高校の頃に手にとって、ブンガクの世界に惹かれる強烈な一打になったモブ・ノリオの作品に『食肉の歴史』というタイトルのものがあったな、と急に思いついたけれどこれはさすがにこじつけがすぎるだろう。あ、 ああ、自分の話を書くことはみっともなく、辛気臭いからしたくないんだった。「強烈な一打」たるモブ・ノリオの『介護入門』なんてまさに「自分の話」なわけだが、他人の私小説のおもしろさはOK けど、自分がまさに自分のことを語るのは自分にゆるせない。それはひとつに、タイガー立石はじめ、幼少時に楽しんだ絵本の世界のナンセンスさ、ドライさへの憧れがこじれているからだ。 まとまりがなく、学のなさ集中力のなさ、蓄積のなさまであからさまな作文を「小説」と称して書き散らかし、それでもしつこくやり続けることでなんとか形をなしてきて、振り返ると10年も経ってしまった。作文活動をしてきた自負だけ育っても、結果も経歴もないに等しい。はじまりの頃に持っていたこだわりのほとんどは忘れてしまった。それでも、いまだに、自分のことについて書くのは、なんだか、情けをひこうとしているようで恥ずかしい気がする。と、このように書くことで、矛盾が生じているわけだけど、それをわかって書けちゃってるのはなぜか。 それは、書き手の目論見は誤読されるものだし、「私小説/私小説的」というものには、ものすごい幅があるということを、この10年、自分にわかってきたからでもある。むしろ自��のことをしっかり素材にして書いてみてもおもろいかもしれない、などと思いはじめてさえいる。(素材はよいほうがそりゃもちろんいいけど)結局のところ、なんであっても、おもしろく書ければおもしろくなるのだ。
こないだ週末、なぜだか急に、笙野頼子作品が読みたくなった。『二百回忌』じゃなきゃだめだった。久しぶりに引っ張り出して、あわてて読んだ。おもしろかった。モブ・ノリオ『介護入門』に接し衝撃を受けた高校生のころ、とりあえず、その時代の日本のブンガクを手あたり次第漁っていた。そのなかで出会い、一番ひっかかっておきながら、一番味わえていない実感のある作家が笙野頼子だった。当時読んだのは『二百回忌』のほか『タイムスリップ・コンビナート』『居場所もなかった』『なにもしてない』『夢の死体』『極楽・大祭』『時ノアゲアシ取リ』。冊数は少なくないが、「ようわからんなあ、歯ごたえだけめっちゃあるけど、噛むのに手一杯になってしまってよう味わわん」とばかり思っていた。 新潮文庫版『二百回忌』に収録されているのは4作品。いずれも、作家自身が作家自身の故郷や家族(など)に対して抱いているものを、フィクションという膜を張ることで可能になる語り方で語っているものだ。
『大地の黴』: 生まれ故郷に帰ってきた主人公が、故郷での暮らしを回想する。かつて墓場で拾い、そして失くしてしまった龍の骨が、いまや巨大に成長し、墓場を取り囲み、そして鳴る。小さなころ、その土地に居ついている、黴のような茶色いふわふわが見えていた。地元の人の足元にまとわりついていた。いま墓の底から見上げる、よく育った龍の骨たちのまわりにもいる。
『二百回忌』: 二百回忌のために帰省する。親とは険悪で、その意味では帰省したくない。しかし、二百回忌は珍しい行事だし、すでに死んだ者もたくさん参加する祝祭時空間らしいから、ぜひとも行ってみたい。肉親はじめ自分の人生と直接のかかわりをもったことのある地元の顔ぶれは嫌だけど二百回忌には出向く。死者もあらわれる行事だから華々しいし、時間はいろんなところでよじれ、ねじれる。
『アケボノの帯』: うんこを漏らした同級生が、うんこを漏らしたことに開き直って恥ずかしがらない。そればかりか、自分の行いを正当化ないし神聖化し、排泄の精霊として育つ。(漏らしたことで精霊になったから、その同級生には苗字がなくなった!)自分のうんこの話をするのははばかられるけれど、精霊が語る排泄は肥料(豊かさ)や循環の象徴であるからリッパである。
『ふるえるふるさと』: 帰省したらふるさとの土地が微動している、どうやら時間もねじれている。いろいろな過去の出来事が出来していく。
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[4]
『LOCUST』の第三号の特集は岐阜で、おれの祖父母の実家は岐阜にある。大垣にあったはずで、いまどうなっているかは知らない。 父方の祖母が一年ほど前に亡くなった。おれの祖父=おれの父からすれば実父は施設で暮らしはじめた。住む者のなくなった、父の実家は取り壊された。父は仏壇や墓のことを考えはじめ、折からの歴史好きも手伝って、寺を巡っては話をきいてまわるようになった。寺の住職はすごい。自分とこにある墓の来歴ならしっかり把握しており、急に訪れた父が「うちの母のはいった墓は、いつ、誰がもってきたもので、誰がはいっているのか」と尋ねればすらすらと教えてくれる。 つい数代前、滋賀の彦根から、京都の寺に運んできたとのことだ。ところが運んだ者がアバウトで、京都の寺は彦根の寺と宗派が違う。それもあって、一族代々の墓ではなくて、数代のうち、そのアバウトさに異を唱えなかった人らが結果的におさまっているらしい。よう知らんけど。 続いて調査に乗り出した、母方、つまり岐阜の大垣にあった家の墓の来歴についても、どうやらごまかしが多い。ひとりの「かわりもの」のために、墓の行き先がなくなる事態があったらしい。 昭和のなかごろ、青年らは単身で都会へと引っ越しはじめ、田舎に残してきた墓をそのままにしてると数十年のちに誰か死ぬ。次は誰の番だろうかと悩むころには、あれこれ調べて動かす余裕がない。嫁ぎ先の墓にはいるとか、別の墓をたてるとか、戦死してうやむやになってるとか、ややこしいからウチは墓を継ぎたくないとか、もはやふるさとはないから墓ごと引っ越したいけど親戚全員への連絡の手立てがないのでできる範囲だけを整理して仕切り直すだとか、そういうごたごたを探査するのがおもしろいらしい。 父から送られてきた、一緒に夕食を食べることを誘うメールには、「うちの墓についての話をしたい」と書いてあって、おれはてっきり、「墓を継げ!」というような説教をくらうのかと身構えていたのだけど、全然そうじゃなかった。墓の来歴からみえてきた、数代前のずさんさ、てきとうさから、果ては戦国時代の仏教戦争まで、わがこととしての眺望が可能になった歴史物語を一席ぶちたかっただけだったみたいだ。よかった。
京都で父は祖父、父からすれば実父と、たまにあそんで暮らしている。祖母なきいま、90近い祖父と話をできるのはあとどれくらいかと思いを馳せるとき、父はふと、戦争の頃のことを聞いておこうと思い立った。いままでぶつけていなかった質問をした。 「お父ちゃん、戦争のときなにしとったん?」 祖父は15歳だった。日本軍はくたびれていた。戦局はひどい。余裕がない。15歳だった祖父は、予科練にはいった。 「軍にはいれば、ご飯が食べられるから」と祖父は笑って話したそうだ。けれど理由の真ん中は本当はそこじゃない。どうせだめになるのだ、負けるのだ。自分の兄、つまり一家の長子を死なすわけにはいかない。兄=長男に家は任そう。長男が無理やり徴収される前に、次男である自分が身を投げうとう。 きっと必要になるから、と考えて、英和辞書を隠し持って予科練にはいった。敵の言葉の辞書を軍に持ち込んでこっそり勉強するなんて、見つかったらえらいことになる。 その頃、12歳だった祖母は、呉の軍需工場で働いていた。 生前の祖母、というか、祖父と出会ったばかりだった祖母は、祖父が、長男に代わって死ぬつもりで、自ら志願して予科練にはいっていたことを聞いて泣いたという。 おれの父親は、おれの祖父からそんなような話を引き出していたそうだ。父としても、はじめて聞く話だった。 90近くなった自分の父親が、目の前で話をする。自分の身に起きたこと、戦争時代の思い出話をする。子供の前で語ってこなかった話を語る。なんだか瀬戸内寂聴みたいな見た目になってきている。極端な福耳で、頭の長さの半分が耳である。 本人は平気な顔をして、ただ、思い出を話しているだけなのである。それでも、「大井川で、戦地へ赴く特攻隊を見送った。最後に飛び立つ隊長機は空でくるりと旋回したあと、見送る人々に敬礼をした。」と、この目で見た、体験した出来事についての記憶を、まさに目の前にいる、親しみ深い人物が回想し話しているのに接して、おれの父は号泣したという。これは「裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉」なのだ。
戦争への思いのあらわれた涙ではない。あわれみや悲しみでもない。伝え聞いていたという意味では「知って」いたはずの戦争だが、身近な存在たる父親が直接の当事者であったことがふいに示されて、戦争が急激に近くなる。父親が急激に遠くなる。目の前で話されていることと、話している人との距離感が急激に揺さぶられた。このショックが、号泣として反応されたのではないか。食事中、口にする豚肉を「ロースだよ」と教えてくるような調子でふいに、「この豚は雌だよ」とささやかれて受けるショックと同質の、「近さ」についての涙なのではないか。感情の涙ではなくて、刺激への反応としての落涙。 これでひとまず、自分の描く分を切り上げる。思えばいろいろなトピックに立ち寄ったものです。ラブコメにはじまり、犯罪的行為と共同体の紐帯の話、内的な事件「恋」の取り扱い方、ジビエを食べること、故郷についてのマジックリアリズム。 散らかすだけ散らかしておいて、まとめるとか、なにかの主張に収束するということもない。中心がない。さながらライブハウスのトイレの壁みたく、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 この羅列面に対して連想されるもの、付け足したくなったものがあれば、各々が好き勝手に続きを書いてください。うまく繁茂すれば、この世のすべてを素材・引用元とした雑文になるはずです。や、ほんとのことをいえば、すでにテキストというものはそういうものなんですけど。
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skratchsociety · 6 years
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