ステラサウルスは悲しい夢も楽しい夢もどんな夢も食べてしまいます。 起きたとき思い出せない夢やいつの間にか忘れた夢はステラサウルスが食べたのかもしれません――。
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人外描画療法あるいは人外療法の由来
以前、完璧な人外の姿形を作りたいという思いが強すぎて、自分を追い込んでいた時期がありました。
これ以上はないと思えるキャラクターデザインが完成した時の達成感と喜びは凄まじく、それを求めてまた作ろうとするけれど、その過程でものすごく落ち込んでいく。
その乱高下が激しすぎて、このままでは精神的に持たないと思い人外作りをやめました。
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上記のような人外作りに躍起になった原因は、思春期に幼少期からの長年の思い込みが解けたからでした。
十代半ばまで"絵が好き"と思い込んでいましたが、絵を描くことで生まれるありふれた悩みと向き合うようになると"絵に執着しているだけ"ということに気がつき、三大欲求のようになくてはならないものではないと感じはじめました。
描いた後、描いている間、描こうとするその瞬間、自分の絵を否定しながらも描いてしまう。そのことについての良い答えが出ませんでした。
劣等感に苛まれながら絵を描くことは、すごく堪えました。
当時、楽しく絵を描くかけないことで、絵を描くことそのものに猜疑心が生まれていたんです。
一方で創作人外を描くことは少し違いました。
絵を描く上で必ず訪れる完成と未完成。やがて不完全になるとしても一枚の絵を完結させるためにどこかで一区切りしないといけない。それが人外を描く時にはないように思えたんです。
人外作りを経て尚も描く度に色々な表情を見せてくれる。それには終わりがない。完全と不完全が両立しているようなものです。
自分が引く不安定な線を肯定し連続性を持たせてくれたのは、完成した後も変化し続ける創作人外でした。
ただそれに気づいたのは、絵を描く葛藤の中で疲れ果てた後でした。
数が少ないながらも生涯愛することができる人外を作れたこと、その人外の絵を描きたいという欲求、それらの過程で夢中で絵を描いていたこと、そして人外を描くのをやめたこと。
それぞれの経験があり、絵を描くことに苦痛を感じていた時期にあっても湧き上がる純粋な好奇心を齎していたのは創作人外だったと、ようやく分かりました。
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こうしたことがあり、一時期はタイトルのような造語を用いて、"絵を描くこと"と"人外を描くこと"を区別していました。
この区別が曖昧になると、また絵を描くことを否定してしまうのではないかという不安からです。
でも今では必要ない造語のように思います。
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一度は距離を置きましたが、人外を作ることも描くこともやめられそうにないです。
人外は、人生における小さな営みを取り戻してくれた存在です。
絵を描くことは楽しいと先ずそこを教えてくれました。
絵を描くことも人外を作ることも、どちらも私に必要なことだったんです。
(2013-2022)
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鳥人大系 - 第十八章「ラップとウィルダのバラード」 (2016)ほか
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