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#お陰様で新しい世界に開眼しました
naganumapiano · 1 year
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新作タルトの試作零号機 これからタルトを展開して行きたいと思います。 先ずは試作零号機 これにはバスクチーズケーキが仕込んで有ります。 ザクザクのクッキー台に香ばしくコクのあるバスクチーズケーキを載せて、生クリームとイチゴでデコレーション。 イチゴの酸味、生クリームのフレッシュさ、バスクチーズケーキのまったりとコクの有る味わい、タルト台のサックサクな歯応えが堪らないハーモニーを奏でます。 甘味の調整など微調整は必要ですが、これは当たりの予感。 タルトには可能性を感じて居ます。 色々なバリエーションを考えて居ます。 しかも他に無いオンリーワンのタルトを展開します。 乞うご期待!^_^ #長沼 #カフェ #タルト #サックサクのクッキー生地がとても良い歯応え #クリーミィなホイップに爽やかな酸味のイチゴ #コクがあってドッシリとしたバスクチーズケーキ #どれも美味しい #お口の中でオーケストラ #JDはイチゴがお好き #素敵なご提案ありがとね〜 #お陰様で新しい世界に開眼しました #目指せオンリーワン #カフェピアーノピアーノ #blog (Cafe Piano piano カフェ・ピアーノ・ピアーノ) https://www.instagram.com/p/CqP1tNPJZ_e/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 2 months
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おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する.私はどこに出しても恥ずかしい陰キャでオタク。更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。.絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。.そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父の訃報が届いた。深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから、会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツにニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。すごく綺麗な姿をしていた。きれい、なのだがおばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」.おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。私は車から仕事道具を持ち込みながら言った.「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」.葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃんの葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。気がつくと、他の親戚たちからの目線どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。.その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃんの相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。..翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。孫代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表はあんたじゃないでしょ」と否定的。そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。.そんなこんなで、本番。お経が終わって、孫代表の弔辞。名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫からの言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているら��い。最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧。振り向いたとき、揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。葬儀屋さんも泣いていた。私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。.葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。あんなに素晴らしい弔辞きいたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。どんな仕事でも、活躍の場があるということ。なんだか、ありがたい経験だった。弟からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから、大人しく、お葬式は姉に任せなさいね。.そして、おじいちゃんありがとう三回忌法要、お参りにいくからね
祖父のお葬式で無双した
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
レジーナ・ハートリー:最高の人材の履歴書が必ずしも理想的でない理由?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
完璧な履歴書を持つ候補者と、困難を戦い抜いてきた候補者のどちらかを選ぶことになったとき、人事のレジーナ・ハートリーは常に「静かなる闘士」にチャンスを与えると言います。
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
自身逆境を生き抜いてきたハートリーは、最悪のところから這い上がってきた人には変化し続ける仕事環境を耐え抜ける力があると知っているからです。
彼女はアドバイスします!
「過小評価されている候補者に目を向けてください。彼らの秘密の武器はその情熱と目的意識です。静かなる闘士を採用しましょう」
しかし、産業によっても異なるので絶対ではありませんし、新産業は優遇される可能性は高いかもしれません。
履歴書は、その人物のストーリーを語ります。長年の経験からパッチワークキルトみたいな履歴を持つ人について学んだことがあり、そういう履歴書をすぐには放り出さず、立ち止まってよく検討するようになりました。
半端な仕事の連続は、一貫性の無さや集中力の欠如。気まぐれさを示すかもしれませんが、一方で何かの障害と戦ってきたことを示すのかもしれません。
「闘士」には少なくとも面接してみる価値があります。
断っておきますが、別に「銀のスプーン」に文句があるわけではありません。
「銀のスプーン」とは、たとえば、難関大学に合格し、卒業するには、多くの犠牲と努力が必要です。
大企業にあう適性な人はこれでもよいです。
しかし、すべて成功を前提とした人生を歩んできたとしたら困難にどう対処するのでしょうか?
私が採用したある人は、一流大出の自分には相応しくない仕事があると考えていました。仕事のプロセス理解のために一時的につまらない手作業をさせると彼は辞めてしまいました。
それとは、逆に、敗者の人生を運命付けられたような人が成功を勝ち取っていたとしたらどうでしょう?
ぜひ、自ら意思決定して、そういう「闘士」を面接するようお勧めします。
このように、日々、成長していき、ある日突然、開眼するような人材は、人工知能の社員を雇う際の雇用アルゴリズムでは探せませんよ。
ある履歴書を見てみましょう。この人物は、両親から養子に出されました。大学は中退し、職を転々とし、1年間。インドに滞在しています。その上、彼には読字障害がありました。
皆さんだったらそんな人を採用しますか?
彼は、名を「スティーブ・ジョブズ」と言います。
世界で最も成功した起業家(新産業限定ですが・・・)を調査した結果。読字障害を持つ割合が非常に高いことが分かりました。米国では、調査対象となった起業家の35%が読字障害を持っていたのです。
驚くのは、心的外傷後成長の経験者であるこれらの起業家の中には、自分の学習障害は長所になっていて「望ましい欠陥」なのだと考えている人がいることです(最先端の治療技術を十分に受けてからですが・・・)
なお、アメリカでは、心療内科や精神的なメンタルケアの分野は、日本の10、20年先位進んでいます!!
なぜなら、そのお陰で良い聞き手となり、細部に注意を払うようになったからだと。彼らは、自分が逆境にもかかわらず、成功したとは考えていません。今の自分があるのも逆境のお陰だと思っているのです。
彼らは、トラウマや苦難を自己形成の主要な要素として受入れるとともに、そのような経験がなければ、成功に必要な力や根性は身につかなかったかもしれないことを理解しています。
そして、最後に人間関係があります。逆境に打ち勝った人々は、単独で成し遂げているわけではありません。成功への道のりのどこかで彼らは自分の長所を引き出し、自分の成功に投資してくれるエンジェル投資家に出会っています。
どんな時でも頼りにできる人の存在が逆境に打ち勝つ為には必要なのです。
最後に大事なヒントを皆さんにお教えしようと思います。多様性とインクルーシブな実践に取り組む企業(新産業限定ですが・・・)は、「闘士」タイプを支援し、業績も優れている傾向があります。
DiversityInc誌の調査によれば、多様性において上位50社に入る企業は、S&P500を利益率で25%上回るという結果が出ています(アメリカでは)
最初の質問に戻りますが、皆さんはどちらに賭けますか?
「銀のスプーン」か「闘士」か?私は、過小評価されている候補者を選ぶべきだと言いたい。彼らには情熱と目的意識という 隠れた武器があります。
産業によって適性は異なりますが・・・
既存産業以外の人間の限界を遥かに超えるような新産業は、タイマンで面接をして「闘士」を雇いましょう。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
特に、人材派遣業界に強制適用して事前分配や再分配を行政府は促進させること。
万が一、公人、有名人、俳優、著名人以外の個人情報が無断コピーされたら、データ配当金を回数に応じて、何倍にも増やすことで、法人への罰金として本人が請求できるようにする弱者救済、削除の仕組みも必要。
派遣業界の相場はわからないが、ダニエルカーネマンから年収600万円位で簡単に計算すると時給3000円位が幸福な生活を維持できる分岐点!
今の日経平均株価なら夢ではなく現実で業界イメージ刷新見直しにも?
時給3000円位を目標にして法人単位では異なるから行政府が最低賃金以外の経路で下支えし底上げする現在の政策を維持して
派遣業界の再分配も促進させるとブーストしていいかもしれない
<おすすめサイト>
ダニエル・ピンク :やる気に関する驚きの科学
ダン・アリエリー:人はどれだけ平等な世界を求めているのか?―驚きの実態
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
ゼイナップ・トゥフェックチー:機械知能は人間の道徳性をより重要なものにする!
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
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patsatshit · 6 months
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世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているよう��。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
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もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
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このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
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臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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chiaroscuro-lily · 8 months
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皆様ごきげんよう、またまた私です。
はい、そうです祈織です。🖋🌓
今回からメンバーブログというものを始めることになりまして、やはり1番手はお前だろうということでこうして記事を書いている訳であります。
メンバーブログというのはそれぞれメンバーが自分のことや考えたことをテーマに沿って自由に更新していくものとなっております。
更新は不定期となりますが、皆様の暇な時にでも楽しんでいただけたらなと思っております。
テーマはその都度皆と話し合って決めていくのですが、今回は初回ということもありまして
⒈自己紹介・好きな物
⒉主催祈織との馴れ初め(主催はメンバーのことでも語ってろ)
こんなラインナップとなっております。
……いやその2番目のやつ何??と私も思うのですが…
何故か皆がノリノリであるが故に…ご了承くださいませ(?)
では早速自己紹介から始めていきましょう。
名は祈織(きおり)、由来は私がキリスト教系の高等学校へ好奇心で入学したことからはじまります。
まあそのうち語るかもしれないので今回は割愛しましょう。
小さい頃から本が好きで…と言っても読む量はたかが知れていますが…
小学校3~4年生の時に図書館の伝記を読み尽くし(今となっては何も内容を覚えていない)、何か暇だなと思ってファンタジー小説を読み始めてから、脳内ファンタジーや厨二病(?)を患うようになります。
陰キャだし友達居ないし…ってことで、グラウンドに出て健康的に遊べと圧をかけてくる小学校教師に聞き分けのいい子供の演技をしながら教室を出て、そして図書館に入り浸る…そんな人を欺く術を取得しつつある子供時代です。
私が思う子供時代はこんな感じですが、はるたんに聞くとどうやらそうでもないらしく。
彼女が私との馴れ初めを語る回を楽しみにしている自分がいます。
創作を始めるようになったのは中学生の時で、その時からはるたん含め当時のいつめんと言う名の身内の間で創作が大ブーム。
皆で交換小説を書いたりイラストを書いたり(私は描けない)、私は曲を作ってみたりと楽しい日々を過ごしていました。
当時ボーカロイドが流行っていた関係もあり、そうか…!一般人でも曲って作っていいんだ…!(それはそうだろう)といたく感動した私ですが、そうして始めた曲作りは大した機材もないのでピアノでリズムを作って五線譜に書き殴って無料ソフトに暗号化して打ち込んで…みたいな感じです。どこに出す訳でも無く完全に自己満足の世界でしたね。私のクソ雑魚ピアノスキルでは弾けないような曲を演奏させてニコニコするだけの遊びです。
ピアノに関しては幼稚園からやっているというのに一向に成長しません。練習も飽きてしまいますし。
自分ってもしかして才能ある…?と気づいたのは小学生高学年から管楽器と出会ってからです。私の担当はアルトサックスでしたが、学校の楽器に『華子』と名付けて可愛がるまでになります。
どんな時間も楽器触りたい!と思っていました。
今振り返ってみても吹奏楽部時代はもう一度やりたいと思えます。それくらい楽しかったです。
百合が好きになったのは高校時代の環境と見ていたアニメ等の影響だったかと思います。
男女間の仲が悪いクラスで、男子との関係で何度も病んでゆく友達を見て絶対同性同士で過ごした方が平和なのに…などと言うある意味若さともとれる穿った考え方で視聴したアニメ作品はどれもキラキラして見えたものです。
今となっては人が人を想う気持ちはどれも尊いでしょうけれど、女の子が複数人いて互いに抱くどんな感情も何にも代えがたい尊さを持つ唯一無二のものであるなぁという気持ちです。
百合万歳。
最近好きなものは各国の神話や美術、科学など所謂マニアックなものばかりで、中々今は商業百合作品を楽しむところまで時間の関係でも行けておりません。
根が考察ヲタクなので考えることができるコンテンツに沼りがちですね。
例えば某夢の国。普通に行っても楽しいのですがやれあの山の柱状節理が気になるだの、あの島の発電システムが気になるだの、歴史的背景を踏まえた備品の数々、そしてその関係性。
それらを見に行くために年パスを買って一人で行くなどしたこともありましたね。
ショーやパレードも素晴らしく、演者の演技力を堪能し、いつしか写真に残しておきたくなった私はここでカメラを始める訳です。
勢いで一眼レフを購入し、誰に教えられる訳でも無く勘とフィーリングとノリで弄り倒す私ですが最初の写真の酷いこと酷いこと。それでもあの時は綺麗に撮れた!なんて喜んでおりました。
音楽やカメラで分かったことですが、努力することを苦だと思った時点で成長は見込めないのだなぁなどと思う訳であります。楽しいと思うことは才能であると、そんな気がしますね。
楽しいから私は本の世界でファンタジー脳や厨二病を拗らせるし、一人で美術館に行くし、神話や神社の御祭神を調べてはニヤニヤするし、一人で某夢の国行って一日中遊んで帰ってくるし、一人でカラオケ行くし、曲だって作るわけです。
こんな感じで人からよくズレてるだの癖が強いだのと言われる主催ですが、次のテーマである主催からみたメンバーのことにでも触れてみようかと思います。
まずは柘榴。☕️🍎
第一印象は何この美少女。です。
最近気づきましたが私実はメガネフェチだったらしく、彼女と初めて会った時にしていた縁の太いあのメガネが忘れられません(?)。
後から聞いたら花粉症でコンタクト入れられなかったってだけだったそうです。おお神よ…。
あと柘榴は某夢の国での私の考察(奇行)に付き合ってくれた1人でもあります。
好きになるものは大体同じで、カフェ巡りしたりバレエ見に行ったり一緒にロリィタ服買ったりお揃いのアクセ買いまくったりと色んなところに行ったなあ…。運命共同体ですし。
そんな彼女が最近めざましい成長を遂げているのがアクセサリー作り。撮影で使うロザリオとブローチを短期間で全員分自作したのはこいつです。なんつー集中力だ…。
店でもやるんか?って位のクオリティまで持ってきて頂いてただただ感謝。引き続きグッズ制作の程宜しくお願いします。
柘榴が心血を注ぎ作った小物…そのうち特集してもいいかもしれませんね。
次ははるたん。🫧‪🐑
第一印象?ンなもん忘却の彼方です。
彼女とは幼稚園からの仲ですし最古の記憶を辿っても何も思い出せません。気づいたら隣にいたタイプの人です(?)。
でもはるたんは私よりも過去の記憶があるらしいです。ごめんて。
とりあえず昔から彼女の言葉選びや画力には目を見張るものがありましたし、性格も良いし、可愛いし。
人を絶対攻撃しないタイプです。 その代わりめちゃくちゃ抱え込んで我慢するけど。口堅いし。
あとめちゃくちゃ私を褒めてくれるので好き。
なんで?君の方が凄いよ才能あるよ天才だよ!!…という言い争いが日常的に巻き起こります。これが愛と平和。
心が荒んだ時ははるたんを見ましょう。きっと貴方を癒してくれるはず。全人類のラッキーアイテムははるたんの短歌。はるたんのTwitterにて掲載中。是非待ち受けにしましょう。
次はいーちゃん。🎪🍫
彼女とは柘榴経由で知り合った子です。
まだ知り合って日が浅いというのに大分濃い絡みしてる気がする。当社比。
彼女は思慮深く、頭が良いという印象。あとかわいい。
この前とある企画展に2人で遊びに行ってきたのですが、その対象の歴史を完璧に予習してきていてめちゃくちゃビックリした思い出。
どうやら歴史や民俗学に興味があるらしく、神話の情報極振りの私とは違って非常にバランスが良いです。
考察が捗ります。感謝。
私服もめちゃくちゃ可愛くて…というか私の好みすぎて、大体いーちゃんとの待ち合わせで私の第一声は「かわいいいいい( ´ཫ`)」です。
あとはセルフプロデュース能力が高いです。
今後小説のキャラクターのビジュアルを公開する予定ですが、その全てが天才的。確実に作りこんで、仕上げてくる…しかも創作未経験で。是非そのキャラデザも皆様に見ていただきたい所。お陰様で私とはるたんの推しは彼女の担当キャラクターです。何卒我らが推しを宜しくお願いいたします。
次はみけ。🍓🎀
みけとは最初某夢の国ヲタクと言う点で仲良くし始めた子でしたね。
ハキハキしていてコミュニケーション能力が高め。
知らない人とでも臆せず話せちゃうって才能だよな…とか思います。でも別にグイグイ来るような不快感は一切ない。
きっと他人を思いやる姿勢が初期装備であるんだろうなぁなんて思います。あと顔が良い。
今後いくつ作品を作ろうとも彼女を主人公に当てたくなる…!そんな感じです。
そして私との距離が一気に縮まったのはお互い百合ヲタクだということに気づいた時。
お互いになんでそんな話題になったんだっけ???となってる訳ですがこれはもう導きということで。
鬼スケジュールをこなしてる大人気コスプレイヤーさんなので遊べる機会は今となってはあまり無いですが、一緒に創作しよ!と言ったら快く乗ってくれました。感謝。
顔も可愛くて声も可愛くてイラストも可愛い彼女のTwitterは必見です。全員フォローせよ。無料で幸せになれます。
次はゆーやさん。🥀🦋
出会ったきっかけは確かTwitterのロリィタさんと繋がりたいタグとかその辺だった気がする…。
…え?そうですよね?(急に不安になるやつ)
私がゴス会に憧れを抱いていることを知りわざわざゴス会を開催してくれたという聖人。
いいんですか?そんな、わざわざ主催してくれるなんて…!!と言った私に「いいんですよー、その代わり祈織さんが何か主催してくれた折には私も参加させてもらえれば」と言ってくれたゆーやさんが私が作った百合創作サークルに参加してくださっているのはなんの因果なのか。
…っていうかこれで合ってる?
そうして数年越しに再会したきっかけがこのサークルという私にとってなんとも運命的な方です。あと顔がいい。
センスが良くて気遣いもカメラの腕も一流なので創作でめちゃくちゃ助けられています。感謝。
撮影時のメインカメラはほとんどゆーやさんがされていますのでご覧いただけたらプロの所業が分かっていただけることかと思います。Twitterの投稿写真や今後公開するHPの素材として使っているので是非見てください。一瞬だけでも!お願い!
次はゆう。🌕🦊
ゆうは百合好きという共通点から知り合った子ですね。
百合を表現する、という点であの時はよく2人で撮影したり企画話し合ったりしましたね。
これがやりたい!という要望を沢山出してくれるし、レスポンスも爆速で返してくれるのでめちゃくちゃやりやすかった印象。
そんなゆうですが、本人談では本来重度の人見知りらしく。
初対面で一日中遊んだっていうこともあり私は全然そんなこと感じなかったですね。
そして顔が良い。彼女の撮影時の表情が好きなんですよね、あの時は専ら私がカメラマンでしたから。
特に憂いを帯びた表情が破壊力強めです。今ここに公開してやりたいくらいです。
今後の撮影に乞うご期待です。暫しお待ちを。
最後にゆしあさん。
彼女は唯一会ったことがないメンバーです。
メンバーブログ等SNSの発信は今の所やる予定がありませんが、一応私目線だけは綴っておきましょう。
会ったことはないですが、きっと誰よりも私の性格や本質を把握していることだろうと思います。
なぜなら人生や価値観について彼女と電話で語っていたらいつの間にかオールしてたみたいな事を何回も繰り返しているからです。
こんな深い話人としないでしょうよって事を長時間話しているのです。いや、そりゃぁお互いに把握してしまいます。
しかも楽しくて時間が経ってる、みたいな体感なので余計に私の中で唯一無二の存在ですね。
私は早寝の民なので途中寝落ちて復活してを繰り返していますが…彼女はずっと変わらぬクオリティでお話してくれます。いつか勝ちたい。
性格は明るくて話しやすくて。あとすっごく真面目。
私の身に起きた嫌な思い出に自分の事のように怒ってくれる優しい人でもあります。
そして博識。彼女自身の環境的な側面もあるでしょうが、彼女の体験談や知識は非常に興味深いです。
彼女の知識は創作、シナリオの面でかなり活躍してくれています。感謝。
彼女のおかげで小説の世界観はかなり深みのあるものとなったのではないでしょうか。
小説に乞うご期待、ですね。私も頑張る。(白目)
さてさて、私はここまでで一体何字書いたのか…字書きとしては気になり始めるレベルまできていますね。
ここまで長くするつもりは無く、軽い気持ちで読めるブログを目指すはずだったのですが……はて。
ここまで読んだ人は居るのでしょうか…。
もし居るのならばスクロールしたその手は腱鞘炎にでもなっていることでしょう。
ありがとうございます。お疲れ様です。
今日は湿布でも貼ってゆっくりと休んでください。
最初は 自分のこともメンバー全員分のことも書くんかい!と思いましたが、皆様に主催目線のメンバーのことを知っていただくいい機会になったのではと思います。
如何だったでしょうか?
他にも皆でこんなテーマを話して欲しい等希望がありましたらコメント欄でお聞かせいただければと思います。
次のメンバーブログの担当は柘榴☕️🍎です。
きっとここまでの長文にはならないでしょう。多分ね。
貴方のその手の腱鞘炎が治ったらまた遊びに来てください。
ではまた。
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79nihs · 1 year
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日記 / 5.7 / 写真を再び
どうもここ数ヶ月、写真が撮れなかった。半年前から撮っている写真のシリーズについてのことだ。製本ワークショップに参加して製本してみて、一度立ち止まって俯瞰的に見てみようと試みたが、これがまさかの急ブレーキとなってしまった。本の形になった高揚感に浸りつつ、「足りない」こと探し、粗探しを繰り返した結果、撮影を始めたときに抱いていた前のめりな感覚を忘れてしまっていたように感じていた。
京都国際写真祭でそれに拍車がかかった。凄みのある作品を三日三晩浴び続けることで、着眼点や撮影の技量、熱量、我が事とする力強さ、数え切れないポイントと比較ばかりして苦しくなってしまっていた。正直、息ができていない状態に陥っていた。1年前は「制作」をしていなかったから、どの作品も憧れのような対象だった。尊敬する写真家の自宅に訪ねて相談させてもらったり、他の写真家の方には、勤務中に彼の働く会社まで足を運んで助言を請うたりした。ようやく、自分なりの視点を持って撮影してこれたのではと、思った今年のはず…と思っていたのだが、違った。「作品をつくるようになった若い人」(と言われるようになった)は、先人たちから厳しいレビューを受け、落ち込んでしまったのだ。この落ち込みを誰かに解消してもらうことなんてできないし、親しい友人に話しても、結局情けをかけてもらいたいという気持ちから始まってしまうわけで、健全ではなかった。
先週には、撮影をお願いしていた方と長い時間お茶をして撮影に望んだが、正直に伝えた。「今は撮れるような状況ではない」と。相手からも、見透かされたような気がして、ブローニーフィルム一本を撮り切ることだけにしか集中できなかった。つまり被写体との対話ができていたとは言い難い。きょう、現像から上がってきた写真たちは、それなりに撮れているのだが、撮ったときの感情をまだ記憶しているので素直に見ることができないことで思い知らされた。現像があがるまでの高揚感、ポジティブな気持ちを抱いていなかったことに気づいた。
ここまでネガティブなことばかり書き連ねているのだが、ようやくトンネルを抜け出せそうな感覚をきょうは覚えた。一日を振り返りながら、いろいろ考えてみようと思ったからきょうは書こうと思う。
まずは、久々に早朝に起床できたことに始まる。朝マックに足を運び、エッグソーセージマフィンのセットを食し、スイッチを入れる。朝ごはんを食べると血���値が高まり、血の巡りを感じる。ファストフードとはいえ、気持ちが前向きになったようだった。その勢いで、都内の展示へ。本当は丸木美術館に行きたかったが、せっかく晴れている日、2時間も電車に乗るのがもったいないと思い、終了日前日なのに諦めた。
昨日、WHOがコロナ緊急事態宣言の終了を発表。週明けにはコロナが第5類に移行する。パンデミック下に置かれていた日常は、ようやく活気づいてきたことを武蔵小杉から乗り換えた行楽日の総武線快速で感じた。先月行った京都も、外国人観光客が戻ってきて、マスクをしている人がほとんどみなかったので、不思議ではないのだが、東京にもコロナ前の日常が戻りつつあった。そんなことを思いながら、上野に着くとすごい人だった。動物園に並ぶ人々の姿も見えた。美術館前で記念撮影をする人。にぎやかな声が聞こえてくるから、自然と触発される。
向かったのは東京芸術大学陳列館。「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)(※)を見るためだった。初夏の日差しに浴びる青々とした葉をつけた木々が陰をつくる上野公園がこんなに気持ち良いとは思わなかった。陳列館の2階は、天窓から優しい日光が注ぎ込み、版画がすられたキャンバスや布がゆらゆらとしていた。版画は力強かった。日本、韓国、中国、香港、台湾、フィリピン、インドネシアのアーティストの作品をゆっくり何周もしながらみる。印象的だったのは、タイトルの通り、ボーダーを越えていくことの希望だ。
點印社(香港)の「私たちは輪になって食べる、刷る」は横長の大きな版画。テーブルでご飯を食べる様子を描いているのだが、そこに描かれているのは、人間だけでなく、シャチや、犬など動物もいる。コロナ禍によって幾多の国境が閉ざされた世界で、異なる国籍や民族やルーツ、バックグラウンドを持つ人々の間に境界線が引かれるようになったことを忘れてはいけない。そんな時代だからこそ、他者との時間を共有することを肯定し続ける力強さを感じた。登場する人々や、動物の表情は笑顔で豊かで、美しかった。決して丁寧に、きれいにつくられたわけではないけれど、その雑然さを版画で刻む描くことの尊さを感じた。
韓国のキム・オクさんが制作した7枚の版画からは、いつか未来で消える朝鮮半島の南北の境界線を想像させた。30年以上に渡り、朝鮮半島南部をくまなく歩き、フィールドワークしてきたというキムさん。農村地帯など韓国の原風景が描かれた7枚は、南北統一という先に続きがうまれるはずだという期待を抱かせ、そしていまだ解決しない南北問題について、極東の島国にいる自分をハッとさせた。
何よりエンパワーメントされた。この展示の作家の多くが社会運動に参画し、運動を活性化させたり、アジテーションを強化するという目的を持ったりしながら制作しているということを掲示されているテキストで知る。政治的抑圧に抵抗する。それは大きな主語を語りがちのように感じられるが、版画を刷るということによって我が事として捉える身体性が一層増していくように感じた。何より、作家自ら社会に対して、異議申し立てをするまでのプロセスを、自らの生活実践の場において果たそうとする姿勢が感じられた。だからこそ、「私たちは輪になって食べる、刷る」のカラフルな描き方に心が揺さぶられたのだろう。
何より、描いて、版を作り、刷るという繰り返しを諦めない。その先に、社会的に生じている苦しさから解放されるように思えた。新聞記者として多くの時間を、社会的課題について考えようとしながら、当事者性があるかどうかなど悩み、写真撮影においても強度があるかないかなど気にしていた自分にとって、今までの悩みがちっぽけに思えたし、何よりそうだ、自分が言いたいことを言えばいいんだと思えた展示だった。
彫り続ける作家たちの姿勢に刺激をもらい、浅草に移動してから入ったタリーズで本を開いた。坂口恭平の「継続するコツ」だ。数ヶ月前に綴方で購入したまま開いていなかったが、効果てきめんだった。「才能という言葉」の呪いにかけられたように、他者の作品を羨望の眼差しで見ていた。そして、撮影ができない状態に陥っていたけれど、それは「比較が始まり、否定が始まり、手が止まる」という項で正体が書かれていた。ある程度、自分がやりたいことを続けていくと「慣れ」が生じるというのだ。「慣れ」。なるほど。確かに、慣れてきた。こうして撮っていけばいいのだ。こう進めていけばいいのだという実感は、いつしか、「見る人に伝えるには○○が足りない」と完成度ばかり気にすることに変わっていたからだ。
製本して、足りないことが見えて、評価を受ける作家のアーティストブックやダミーブックに圧倒され、到底その領域に達していないのにと自分を卑下して、比較をし続けていたなと気付かされた。なんか自分が馬鹿らしくなった。撮っていく。それだけでまずは十分じゃないか。当初抱いていた撮りたい写真への気持ちは、いろんな人の助言や苦言や励ましで少しずつ変容したりしているけど、自分の撮りたいという気持ちに正直になれるのは自分しかいないわけなんだから。
そうだ。去年の7月、アレック・ソスに「SLEEPING BY MISSISSIPPI」にサインを入れてもらったとき、メッセージをお願いして書いてもらった言葉を思い出した。「Don't ever forget the feeling when you first piched up a camera」。そうだよね。初心忘れずって言うよね。いま撮っているカメラは別に「First」じゃないけれど、このカメラで撮っていくぞって嬉々としていたときのことを思い出した。小さな1Kで、千尋からも「買ってよかったね」なんて言われて、ファインダーを覗いて初めて装填したネガフィルムに彼女を焼き付けたんだっけ。うまく扱えず、フォーカスと露出を決めるのに時間がかかって切ったシャッターによって写し取られた千尋のふと力の抜けた表情が自分は好きだったんだなと。あの感覚があったから、静かに被写体となる他者に正対する感覚を今でも大事にしているのかもしれない。
そんなことを思いながら、ベトナムの写真作家たちのダミーブック展をあとにしたあと、ブローニーを装填した。ゴールデンタイムの日差しが当たる街にカメラを向けてシャッターを数枚着る。隅田川に沿って歩いていくと、ふと人を撮りたいなという気持ちが湧いた。
ふと、目が止まった。若い男女が微動だにせず、静かに抱き合っている姿に見とれてしまった。高校生か、大学生かな、と思い、声をかけさせてもらった。こうやって街にいる人に声をかけて撮りたいって伝えるの久々だな。心のなかで自分に語りかけていた。それに、やっぱり最初は緊張する。「ティックトックですか?」と聞かれたけど、「いえ違いますよ」という。最近、インスタやYou Tubeのショート動画で確かに「ストリートスナップ撮っているんですけど」という動画が流れてくるなと思い出した。それのおかげなのかな。恥ずかしがっていた彼らは、少し悩むそぶりを見せてくれたけれど快諾してくれた。撮らせてもらえる。高揚感が全身に走った。
マキナで露出を決め、フォーカスを固める。透明の四角いファインダーの向こうで、静かに佇む二人に引き込まれる。女性は恥ずかしいからマスクをしたままだったけれど、風になびく黒髪の隙間から見える青いカラーコンタクトをつけた瞳から向けられる視線が、まっすぐ力強く凛としていた。男性の方も、無表情ながら芯の強さを感じさせていた。
撮影後に聞くと、二人は15歳の高校1年生。男性はぼくの父とおなじ江戸川区で生まれ育ったという。在日朝鮮人の母を持ち、インスタグラムには日本と韓国の国旗アイコンを掲げる。聞きづらかったけれど在日コリアンかどうかを聞いてしまったが、「そうですよ」とさらりと答える。僕がこれまで川崎で取材をしてきたことなども伝えると、親しげな感じを見せてくれた。そして、なにより自分のルーツに誇りを持っているようだった。スケートボードが好きで、スケートボードが「バ先」だといって、店長のインスタグラムアカウントを見せてくれた。女の子はシャイだ。ファインダーの奥に見たあの視線の強さとは相反するのか、不思議だった。
街で声をかけ写真を撮る。撮影時間を入れても、賞味10分ほどしかなかったかもしれない。写真はSHOOTだ。池澤夏樹によると、「Shoot」は銃撃か撮影でしか使わない。だから、若い彼らをカメラの前に立たせる行為というのは、主従関係が生じ、抑圧・被抑圧の関係性が生まれることにほかならない。それでも、撮影を許容してもらうために、僕は彼らに誠意を伝えようとする。そして彼らも受け入れるために覚悟をする(覚悟を強いている可能性も忘れてはいけない)。そのわずかな時間でも、僕と彼ら彼女の間に一定の緊張感が生まれ、正対することによって他者を信じ切るしかないのだ。嘘偽りがないとは言い切れない。それでも、1/500秒という膨大な時間軸における一瞬、フィルムに焼き付ける行為そのものが、僕がこの社会に接点を築いていくことに必要なプロセスなのだと言い聞かせるには十分なんだ。そのことを、二人との出会いによって改めて認識させられた。
これが、明るい兆しだ。写真を諦めなくてよかったと思えた撮影だった。写真を撮ることでしか、僕は社会を知るすべがないことも知っている。それが、なにか明確なメッセージや、スローガンがなくても、そこに写し込まれた人々の姿によって、この社会の輪郭が際立ち、描かれていくことを信じたいから撮っている。僕にとって人を撮ること、正対してポートレートを撮ることとは、その決意表明みたいなものなのだ。沈みかけていた気持ちが、ようやく前を向き始めた。
※参考)近年、アジア各地で木版画による芸術・文化実践が再び注目を集めています。20世紀初頭の中国で魯迅によって始まった近���木版画運動は、民衆自身が社会や現実を表現する運動/方法としてアジア各地に伝播しましたが、20世紀後半になると社会構造やメディア環境の変化により下火となっていきました。しかし、2000年代から2010年代にかけてアジアの芸術家や社会活動家たちの一部は木版画を通じて社会や政治の問題を表現し、文化的直接行動や集団的創造の実験、さらには国境を越えた交流・ネットワークを生み出してきました。 本展は《「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)》と題し、アジア各地から12の作家・活動団体による木版画を紹介します。とりわけ2020年に始まったパンデミックでは、人やモノの移動を一元的に管理する国境の問題や、差別や排外主義などの社会的、心理的な排除や断絶の問題を現前化させました。本展はわたしたちの生きる世界や社会に張り巡らされた「境界」を改めて主題化し、これらの境界からの離脱・解体を志向するトランスナショナルなアジアの木版画実践とそのネットワークについて紹介します。同時に、コロナ期に各地で制作された木版画を比較することで「アジア」という地理的/政治的概念への批判的認識と、さらなる理解・議論の可能性を開くことを目指しています。
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kachoushi · 2 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅲ
花鳥誌2024年3月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
4 山人のかきね傳ひやさくら狩
 『年代順虚子俳句全集 第二巻』明治三十九年の項に「四月中の作句と覚ゆるもの」とある中の一句。『ホトトギス』には同年七月号に載る。「さくら狩」は和歌以来の言葉で、いささか俗な「花見」に比べて、雅趣のある言葉だ。「鷹狩」同様、花を求めて歩く意がある。筵を敷いて眺める「花見」が「静」だとすれば、「さくら狩」は能動的な含意を持つ。星野立子はこう解釈する。
 桜を見に山に分け入りました。桜の名勝地吉野とか鞍馬でしょうか。山道を辿っていると百姓家か、由ある人の住居か、ある家の垣根が長く続いているあたりに出ました。どのような人が住んでいることかと思いながら通り過ぎました。桜狩というのですから花を見る目的で山路を歩いているのでありましょう。その山人の垣根づたいも一再ならずあったかも知れません。兎に角、山に住んでいる人の家の垣根づたいを過ぎ去ってなお奥の方へ分け入りつつある時の情景であります。
 散在する山間の桜なればこその「狩」である。そして、立子がほのめかすように、「���人」という言い方に一種の軽い「謎」があって、家の主人をあれこれ想像する気分も受け取れる。
 謡曲の世界を背景に見ようとする向き(清崎敏郎「研究座談会」)があるのは、脇が桜を訪ね、桜にちなんだ精霊のシテが山人の仮の姿で現れるような能を想定したのであろうが、そのような曲はない。「狩」の言葉の持つ雅趣が、そういう踏み込んだ解釈を提示させる事情は理解できる。
 中七の「垣根づたひや」という言い回しには、軽い浮かれた感じがあり、そこに山間に「一花所望」とばかり、花を求めて逍遥する気分の楽しさを感じ取ればよい。句全体もア行音が繰り返され、リズムがいい。
 なお、1番「美しき人や蚕飼の玉襷」は他者を詠んだ「他」の句。2番「山寺の宝物見るや花の雨」は自分を詠んだ「自」の句。3番「芳草や黒き烏も濃紫」は、「他」、そしてこの句は「自」ということで、虚子は意識して配したか。自他の区別は虚子が親しんだ連句の発想である。四句「や」が入った句が続いた。
5 春風や闘志抱きて丘に佇つ
 大正二年二月十一日、三田俳句会で発表されたものである。この句会は岡本癖三酔(廉太郎)が起こしたもの。『ホトトギス』には同年三月号に載る。『贈答句集』の前書には、「大正二年・俳句に復活す」とあって、小説に転じていた虚子のいわゆる「俳壇復帰」を象徴する句として位置付けられてきたが、実態は、陰影に富んでいる。
 虚子が遠ざかっている間、河東碧梧桐の活動は旺盛で、俳句の流れは碧梧桐によって、古典的世界を離れ、詰屈な文体に新奇の題材を衒った新傾向俳句が流行していた。周囲からも、当時隆盛の自然主義の影響もあって、俳句はいずれ季題中心の世界から離れると考えられていた。虚子は、当時「負け組」と捉えられていたのである(拙稿「明治末年の俳諧史―池田常太郎『日本俳諧史』をめぐって」『連歌俳諧研究』一三三号)。
 しかし実際は、大方の予想に反して虚子が平明にして余韻ある俳句、古典文芸としての俳句を主張し実践することで、後の『ホトトギス』王国を築くに至ったということになる。その時の虚子の戦略は、日露戦争後の不況と青年の「煩悶」を前提に、村上鬼城・飯田蛇笏・原石鼎ら不遇の若者の主観的俳句を拾い上げるとともに、地方の中間層を開拓して俳句の大衆化に向かうという二つの路線を用意していたようだ。作家の発掘と俳句愛好者の「市場」開拓という双方を兼ねる複眼が、虚子の戦略であった、ということになる(拙著『近代俳句の誕生』「Ⅳ 大虚子への道程」)。
 掲句へ戻ろう。強くとも、駘蕩たる春風から湧いてくる「闘志」とは、単純な情熱ではないだろう。争いを好まなかったように見えるが、虚子に「比類のない勝負師の魂」を見て取ったのは山本健吉(「俳人虚子」『俳句』昭和三十四年五月)だった。勝ち負けは、彼の脳裏に常にあり、彼に盾ついた者は、たいてい最後に敗れ去り、虚子は黙殺による勝利を、常に収めている。だが、そのような意識は、ほとんど表面に現したことがないのは、自制力が強かったからだ、とも言っている。
 後に赤星水竹居の『虚子俳話録』(昭和二十四年)で、虚子はこうも振り返っている。
 私は自分の事は結局自分で解決せねばならぬと、いつも考えています。病気の時なんか苦痛をこらえながら、いっそう深くそんな事を感じます。
 俳壇復帰の直前、腸を病んで長期にわたり臥せっていたから、この句の成立に関連しては、考えておくべき問題である。こうした我慢強さが、何に由来するかと言えば、健吉の見るところ、それは自身を恃む気持ちの強さによる、ということなのである。
 水竹居も健吉も、この粘りと寡黙と忍耐強さを徳川家康のようだと比定している。
 なお、掲句と一対の次の句は、隆々とした力強い太い筆勢。特に「春」と「闘」は、力感に溢れ、一句の眼目となっている。
『虚子百句』より虚子揮毫
1 美しき人や蚕飼の玉襷
2 山寺の宝物見るや花の雨
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3 芳草や黒き烏も濃紫
4 山人のかきね傳ひやさくら狩
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5 春風や闘志抱きて丘に佇つ
6 葛城の神臠はせ青き踏む
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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mari8log · 3 months
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2024/01/22-2024/01/28
年末から吉本の暗雲の立ち込め方が物凄かったのですが、今週は吉本鎖国と田津原里音くんのマネージャー飛び問題まで出てきて若手芸人沼の人達がみんな阿鼻叫喚でてんやわんやでした。
私個人もフィジカルメンタル両方ペシャンコで、なにも手につかない代わりに足を使おうと一週間50㎞歩きを達成してきました。痩せろ!腹の肉!
あと絵を一枚上げてます。偉い!ダメな人生でも目標を立ててコツコツノルマをこなしたいですね。
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2024/01/22
ひさしぶりにwodaさんからDMが来たのでなんだ…?と思ったら「茶髪赤服少年!」といってこの画像送られてきた。愛い〜!ガミンくんというお名前だそうです。
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先週から電灯の中にいた虫さん、死にました。たぶん虫さんと思われる塊が動かなくなっています。
少なくとも先週金曜(1/19)まではウゴウゴ動いていたのは確認していたのですがいつ死んだんだろう…?それはそうと最低でも5日はなにも食べ物が無くても虫は生きられるし、どう考えても侵入不可能と思われるツルツル壁の風呂場の電灯にも虫は潜り込めるのか……。になりました。世の中わからんこと知らんことだらけ!
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2024/01/23
色違いタマザラシ!かわいい〜!
あとオペラフラペチーノ貰いました。温かい飲み物と勝手に勘違いしていたのでかなり冷えました。
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さくらちゃんの絵できました!今回の絵すごく気に入ってる!見てね。
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2024/01/24
応援した甲斐がある!
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こたけさん、まだ3もやってないのに逆裁5をやるのか……になってる(なんならカプコン公式で逆裁4の実況解説もやってる)けど、まあ逆裁の1話ってどこからやってもわからないしいいのかな?
「カプコンこたけを起用しろ!」とファンが散々騒いでいたけど本当に実現して良かったねぇ……。ゲームの発売もこたけさんの実況も楽しみ!!!!!
ところで企業案件での実況は5の特別編とのことですが…、よく考えたら私、5の特別編だけお金払いそびれてやってない!はやくやらないとネタバレになってしまう!
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2024/01/25
知らんうちに芸人界隈が火の海になっていた。
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いやいやほんと困る、他事務所芸人との分断の意図?なのかは公��発表が無いのでわかりませんが、
なんにせよタイタン芸人が吉本芸人と仲良くしてるのを見るのが、吉本芸人が他事務所芸人と仲良くしているのを見るのが好きなので、今回のシステム変更にはさすがに看過できません。なんとかしてくれ。
特にヤレロマ界隈やマヂラブ界隈等等かなり阿鼻叫喚で大変。いくらなんでもデマであれ撤回であれ。
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2024/01/26
200Q年の配信買って見ました!年末の各々と小野のノリが完成されてて嬉しかった〜!
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ライブメモ
・「それじゃあダメじゃん春風亭昇太です」が言えた清水さん
・クレイジーマンぴろ
・ぴろは眼鏡を外して目を開くと清水さんに似ている
・ちょうど吉本鎖国問題(昨日)のライブだったのでぴろが「最後の∞かも」 小野さんが「また一緒にやりたいですね」と言われていた。「僕ら、吉本じゃない…」で笑いが起きてたのも良かった。みんなこの3組が好きなんだわ。
・ダイヤモンドのネタは『かんぷんちんぷん』、『銀座線はオレンジ』
・ヨネダ2000は『工藤静香』、『「ぽ」の陰謀論者』
・キュウは『本音建前』、『略称』
今回6ネタ全部好みで大当たりライブだったのですが、特に工藤静香ネタでなにげなく飲んでいた茶を吹き出して大惨事になったので、これ会場で見なくて良かった〜になりました。会場で見てたら前の席の人の髪ビショビショになってたと思うわ。
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2024/01/27
ずっと楽しみにしていたベストワン
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一応3時間テレビをつけっぱなしにして全ネタを流し見したのですが、ウエ×ガンがいちばん面白かったのでは?と思わされるほど笑いました。録画機壊れて録画できなかったのがもったいないくらい永久保存したかった…!
普段井口さんだけが喚き散らかすのに今回はガンズを含めた3人でギャアギャア井戸端会議をやりだして、声のガヤ圧がすごい!しかも全員口の周りが早い笑。
最後「ウエストランドにあってマシンガンズにないものは?」で「努力!」と井口さんが言いはなち 先程までの協力体制が壊れてガンズと河本のどちらが努力不足かで擦り付け合いをしつつも「やっぱ楽しいね〜!」とガンズジャンプを披露して終了。見たいウエガンが全部詰まってた、良かった……!
私は昨年ウエストランドのぶちラジを狂ったように聴き続け、初めて真面目に見た賞レースでマシンガンズに驚き追ってたので、新年からこの2組をタッグで見られて最高でした!ウエランを組み合わせようと企画してくれた上層部の皆様、ありがとうございました!!!!!
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ナイチンゲールダンスは去年の敗者復活戦と同じホストクラブのネタでした。ホストクラブはチンゲのYouTubeでご本人達の解説動画が載っているのでそれも見てください。
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2024/01/28
買いました。
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淵゛さんはコミティアで何度か御本を購入させてもらってた方だったのですが、まさか出版社から本が出るとは思ってもいなく、見つけて即購入しました!!!!!! 持ってる個人誌と同じ絵が収録されててニッコリ。
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最近延々と見てる動画。
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canarycradle · 3 months
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鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
事前情報
水木という片目に傷のある男と、身長がでら高い着流しの男がいる(愛妻家らしい)
私が好きそうな男が出てくるらしい(オサダ?)
感じたこと、覚えてることだけ。まとまりはない。
出だしは正直あんまりよくわからなかった。猫娘が今風のキャラデザだったから、あ、1番新しい方の鬼太郎なんだな〜とは思った。
野沢さんの目玉親父初めて聞いたのでびびったけどそんなに違和感はなかった。
過去編。まず水木の声が生身の男っぽくていいなと思った。
そりゃあもういい声なんだけど、何というか、絶妙な「身近なところにそう」感。
等身も高すぎないし、絵柄は新しいんだけど昭和みを感じる。いい。
親父が出てきたら声が良すぎて、またその対比が良い。めちゃくちゃに異界。際立つ。ありがとうキャスティング。
電車の中の女の子が人形を持ってて、あれ冒頭のやつじゃんと思う。えっこの子…大丈夫ですか???
沙代お嬢様。木陰で立ってる。あっなんかここ二次創作で見たことある気がする。
出世するために来た水木に頬を染めるお嬢様かわええなあと思ったら急に真顔になる。何……?横溝正史感じる。
トンネルを潜る時、屋敷の敷居を跨ぐ時の足元のカットが印象的。境界を跨ぐ瞬間の演出なのかな〜。
立派な屋敷だけど斜めに写すのが気持ち悪くていい感じ。
まあ、こんな迷信深い山奥の名家で、入婿は跡は継げないわな。知ってた。タイプの違う三人姉妹。仲悪そう。横溝正史じゃん(二度目)
時麿が当主に決まって号泣してる時、左目がピクピクっと痙攣?したのが気になった。気のせいか?沙代お嬢様に向けてる目が嫌だわ〜。直前に「妻も取れずに…」って言ってたからあーこいつなんかやらかすなと思った。
被害者が片目を抉られまくってるのを見て、あー、隻眼やら片足やらは異界の住人の象徴だったなと思う。そういえば鬼太郎もゲゲ郎もそうだわね。あ、そう思うと、水木が片目に傷を負ってるのもそっちに片足踏み入れてるって暗喩なのかな。
時ちゃん可愛すぎる。ゲゲ郎に「ごめんなさい、わからない」って謝るのを見てめーちゃくちゃ賢い子じゃんと思った。わからないで、拗ねる怒る泣くみたいな大人いくらでもいる。めちゃくちゃ未来志向。めっちゃいい子。こんな村にいちゃいけねえ…
私は妻を溺愛している男が大好きなので、ゲゲ郎のおのろけだけを無限に聞いていたい。
水木とゲゲ郎が墓場で話してるシーン。ゲゲ郎がいいやつすぎてにこにこしたし、なんだったらこのシーンが1番好きだったかもしれない。ゲゲ郎のおのろけだけを無限に聞いていたい。
ゲゲ郎が裏鬼道集と戦ってるシーン、線がぬるっとしててめちゃくちゃ動いて気持ちよかった。1番好みなのは水木とゲゲ郎の墓場で酒盛りシーンだけど、ワクワクしたのはこのシーン。ゲゲ郎がなんかすごい力を発揮するんじゃなくて肉体戦闘派なのがすごく良かった。手摺で刀を受けるのかっこよすぎんか?狡い。これは嫁も惚れる。
そのあとはなんか記憶が曖昧である。
地下であの人形を見かけて、ウワあの電車に乗ってた人たちもここで亡者にされてるの…?どうやって…?とモヤモヤした。
沙代ちゃんのくだりはやっぱ横溝正史じゃん(三回目)ってなった。トンネルに置いてくればよかった…という気持ちと、置いてきたらみんな死んでたな…という気持ちで葛藤している。なんとかして幸せになれるルートはなかったんか?沙代ちゃんの肩身だけでも外に連れ出してくれ、とも思ったがそれも俺(水木)のエゴなのかもしれない。というか水木はやらなそう。
血で染まった桜がCGでゆらゆらするの、気持ち悪くてとてもシーンにあってた。なんか全体的に、逆光とか顔に照り返す赤とか青とかのライティングがめちゃくちゃ好みだった。1番印象に残ってるのは禁域の島のシーンかなあ…と思い出しながら見ていた。
水木が斧でめちゃくちゃ根っこ切ってるけど大丈夫?それ、めちゃくちゃ流血してるけど。囚われてるゲゲ郎の奥さんにダメージ行かない?と心配になるなどする。まあ、夫が止めてないし大丈夫か。
地下研究所のシーンといい、井戸の底のシーンといい、展開がやや早くて飲み込みにくい。土蔵での会話とか、墓場での酒盛りとか、川辺での幽霊族の歴史についての話とかその辺が丁寧に描かれているから余計になんか…温度差を感じる。(だから親父と水木のカップリングが人気になるのか〜)(他人事)
個人的には既婚者が絡むカップリングを好んで摂取しないのでその辺はわからない。ゲゲ郎と嫁の話が欲しい。
この辺りで、なるほど!水木はボロボロだけど、ここでMの血液製剤飲んで時貞に対抗するのか!奥さんや村の人を犠牲にしたアイテム…でも時貞を倒すためには…?!とか思っていた。違った。
時貞翁が狂骨に飲み込まれて、すり潰される時、「それ時ちゃんの身体……!!!!」って思った。内心、お願いだからビビり散らかして時ちゃんの体から離れてくれ、なんとか時ちゃんを救ってくれと願っている自分がいた。
ブレスレットが急にちゃんちゃんこになってびびる。それそんな由来だったんです?「ご先祖様…」のセリフはなんか唐突感あるなと思った。
ゲゲ郎は水木に「これがあれば大丈夫」ってちゃんちゃんこ着せてて(着せてたよね?)、水木は嫁さんに着せてあげてたのでこいつらの優しさ好き���男前。と思った。
水木はこの件の記憶無くすんですね…。何で…?ひどくない…?
いや、沙代さんにとってはこれは救いなのかも。
アナログ風漫画のエンディングがとても良かった。ちょっとよくわからなかったんだけど、記憶がない水木がゲゲ郎夫妻に出会う→一旦は逃げる→なぜか気にな��て戻ってくる→夫婦は死んでる→妻だけ埋葬する(何故?)→妻の亡骸から鬼太郎が生まれる の流れ…?
伏線いっぱいだし、明言しない範囲でしっかり回収してくれてて気持ちよかった。すごく好き…?と言われると難しい。別の作品追ってる人だったらもっと楽しいんだろうなと思った。昔の砂かけ婆とか一反木綿とかが出てくる時代の鬼太郎しか知らんのよ。機会があったら別の作品も読んでみたいなくらいの気持ち。
そういえば長田あれか。胡散臭い細目だったら好きと思われてるのか私?!なんかいちいち長女を庇うシーンが目について、時貞の命令で三女と番ったけど、実は長女の方に情があったのでは?という印象を受けた。知らんけど。長田が実は妻のこと愛していたみたいな話があったらそれはそれで好きです(現金)
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ou-dan · 4 months
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2023年振り返り
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今年出した作品を振り返ります。
◆漫画
逢断 24話、25話 アップした
 今年は逢断を2話進めました。もうちょっとがんばりたかった。年間4話更新ぐらいにしたい。なかなか達成できないねえ。
 あとTwitterのモーメント機能が終了してしまったので、サイト内に逢断の登場人物紹介ページを作りました。これも簡易的なままなのでちゃんとキャラクター絵を描きたいのだけど、作業が追いついてないな。
『せんせいとぼくと世界の涯』紙版、スピンオフゲーム『Reading』発行
 今年の作業量的に一番重かったのはここ。がんばった。連載終了から一年後に本を出すゆっくりペースでしたがお付き合いいただきありがとうございました。通販は通年でやっておりますので紙で持ちたい方はご検討ください。
◆イラスト
シェイクスピアデー 翻案ハムレット
 毎年恒例シェイクスピアデー、今年はイラストでした。こういう連続ドラマをやってくれないかなあという気持ちで描いたもの。
 この絵はclipstudioに魚眼パース機能が入ったので使ってみたくて線画はクリスタ、塗りはRebelleです。  シェイクスピアデー合わせでシェイクスピアものでなんか描く、もう十年以上やっている……? と思う……のですが、描くたびに自分の中でも解釈が変わっていくのが面白いなあと思います。読解をやりきるなんてこと起こらないしね。
 シェイクスピア戯曲は表現のフォーマットというか手段や言語の一種であって、シェイクスピアと関係ないところに個人的な表現したいものが別途あって戯曲と組み合わせて作品になるのですが、それが成功してるかどうかはまるでわからんし、同じ前提を共有していない人にとってどう見えるものなのかも全然わからないのでほんとにただ自分の興味でやっているなあというこう。振り返ってもしみじみする。シェイクスピアなので世界レベルでメジャージャンルだし受け取る人は絶対おるやろぐらいの気持ちで世界に作品を投げ込んでいる。私は世紀を超えた覇権ジャンルで遊んでいる。毎回言いますが、べつにシェイクスピア戯曲のなにもかもすばらしいなんてことはないです。だめなとこもめちゃめちゃある。
 『英国本屋めぐり』クラファン特典ZINE イラスト一点寄稿
 翻訳者のユウコ・ペリーさんの翻訳出版クラウドファンディングを応援していたらクラファン特典のZINEに参加する流れになり、無事出版されZINEも発行されました。ばんざい! クラファンの特典物なのでイラストは載せませんが、私がイギリスに行ったときに植物園や園芸博物館めぐりをしたという記憶から完全にただの園芸趣味の願望としての書店イメージのイラストを描きました。
 書籍は写真たっぷりのフルカラーイギリスの書店めぐり旅行案内です。書店の雰囲気やさまざまな文化体験がお好きな方はぜひチェックしてみてね。
アナログ水彩/デジタル水彩のあれこれをした
 今年も昨年から引き続きアナログ水彩で絵を描くことと、デジタル水彩で絵を描くことを中心に色々やった。アナログテイストのペイントができるRebelleも多少慣れた……はず。 というところ。
私のイラストポートフォリオはここです。
 道具の試行錯誤したおかげでクリスタで水彩風ではない絵を描く場合でも「道具を使えるようになった」感触がある。アナログでもデジタルでもイラストコンペなどにもいくつか送って入選したりもしたし。もうちょっと、キャラクター絵を水彩で描くことの自分の中のスタイルを固めたい。ので引き続き来年もやっていこうと思う。
 あと第五人格のファンアートを割と描いたのが結構自分の中で蓄積になった。第五人格の���ートワークめちゃめちゃデザインが良いよなあって思うので。  下記はファンアート置き場です。
◆その他
素材販売を再開した
 手描き・アナログ素材DL販売を再開しました。引っ越し先がSUZURIさんなので、グッズも若干ある。 新作素材はこちら。
サイトをリニューアルした
 漫画サイトのほうではなく、作家活動ポータルのほうの整備をしました。前より見やすくなっていると思う。漫画サイトのほうももうちょっと見やすくしたいんだけどなかなか。
ニュースレターの発行を始めた
 Twitterにしろその他のSNSにしろ、情報取得に確実性はない、ということで、漫画に関するお知らせをダイレクトにすることを今年始めました。いわゆるメールマガジンです。たくさんのご登録ありがとうございます。  Substackを利用しているので過去の記事はweb上でもまとめて読めます。登録したのに届いてないなーという方は、迷惑メールとかスパムフォルダに入っている可能性がまあまああるのでご確認ください。よろしくお願いいたします。
 未達成の心残りとしては、つけペン・ガラスペン・万年筆の構造比較のペーパーかZINEを出すつもりだったのが作業途中で止まっていることと、逢断の最新話が全然描けなかったこと、あと水彩絵のスタイルの確立がもうちょっとでなんとかなりそうだけどまだなってない感じであるあたり。長年やろうやろうと思ってうまいこと手を付けられていない19世紀イギリス文芸題材をイラストレーションにする(というより屈折したビクトリアンパークファンアートの勢い余って原点さかのぼった結果古典文芸を絵にしたいという欲求)の昇華もなんとかしていきたいところです。
 毎年「まんががんばる」って言ってるような気がするけど私はどこまでやったらがんばったことになるんだろうな。めちゃめちゃ描く人と比べたら描いてる量は少ないが、描いてないとは言い難い量は描いているのでよくわからない。まあまあこんな感じで来年もやっていくんだろうと思います。
 今年は寝込んだりでかい病院いかなきゃみたいな激しく体調を崩したりをしなかったのでもうそれだけでいい一年だった気がします。ここ数年間なんやかんや体調崩しまくっていたのなんだったんだ。このぐらいの調子で安定していてほしい。
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503rd-graffiti · 5 months
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【迷】5 side: ハナマキ
カミサマにいつものように放り出された場所は見覚えのある場所だった。 『またこの森か……。』 薄暗く、生き物の気配がしないその森は、リヴリーアイランドでは“怪物の森”と呼ばれているパークの一つだった。 この間は危険だからと全員で放り込まれたが、今回は僕一人らしい。 ここなら待っているだけで救うべきリヴリーはすぐに現れるだろう。 しかし僕はそれを待たずに足音を忍ばせながら森の奥へと向かった。 『……いた。』 茂みに身を隠し、木の陰からそっと窺うとそこには1匹のモンスターがいた。 大きな顎と羽を持ち、縞模様の腹を持ったそれはスズメバチだった。 スズメバチは何かに縛られているかのように、飛び上がっては空中で体を固めてそのまま落ちてしまうのを繰り返していた。 その不自然な行動は、おそらく研究所の拘束によるものだろう。 その様子を見ながら僕は一人思案した。 ずっと疑問だった。リヴリーの餌である虫が突然変異をして凶悪なモンスターへと変貌したというが、 結局そのモンスターも今やこうしてイベントの道具として利用されている実情が、僕は不審でしかなかった。 リヴリーの保全に尽力してきたはずの研究所がそんなことをするのは何故だ。 そして突然変異で生まれたとするモンスターは今どうやって誕生しているのか。 日々イベントで倒されているのならば、安定的に確保できていないと成り立つはずがない。 《気味が悪い奴だ。》 突然の声に僕はハッと視線を上げる。 そこには隠れているはずの僕の姿をしっかりと捉えているスズメバチの姿があった。 拘束のためにその場から動くことはできないようだったが、スズメバチは僕の方を見てニタニタと笑っている。 《餌の臭いがするくせに、憎らしい彼奴らと同じ眼をしてやがる。》 ギチチチ、と耳障りな音を立てながらそいつは確かに僕に向かって喋っていた。 モンスターが言葉を解すなんて聞いたことが無い。僕は唖然として返事ができなかった。 《どうした。俺に用があるんだろう?暇潰しに相手をしてやる。》 『どう、して。』 ようやく絞り出した僕の一言に、スズメバチはさらに邪悪な笑みを深めた。 《お前が覗き込んでいたのは来た時から分かっていたよ。餌の臭いがぷんぷんとしていたからな。 それにお前のその眼は俺を倒しにきたやつの眼じゃない。俺に付け入ろうとする浅はかな奴の眼だ。》 ぐっと口を噛み締める僕だった。何故だかこのスズメバチにはこちらの様子がまるわかりらしい。 こうなるともう開き直るしかなかった。 『付け入ろうなんて思ってない。ただ教えてほしいだけなんだ。 あなたがどうやって生まれて、どうしてこんなことになっているのかを。』 《そんなことを知ってどうする。それに素直に答えてやるとでも?》 震えて崩れそうな足を必死に踏ん張りながら、僕はスズメバチをまっすぐに見据えて答える。 『僕の想像と合っていたなら、その時は助けてやってもいい。』 《ほう?お前にそんなことができるのか。今にも倒れそうななりをしているくせに。》 『……僕はどっちでも構わない。あなたが教えないなら、ここ立ち去るだけだ。』 どこまでも虚勢でしかなかった。冷静に言い返そうとはしているものの、全身がモンスターへの恐怖で強張っていることは隠せていなかったと思う。 スズメバチはしばらく無言でそんな僕の様子を面白そうに眺めていたが、ついに口を開いて言った。 《良いだろう。》 『……!』 《だが勘違いするな。俺は助けなど求めてはいない。お前が何をしでかすのか、面白そうだから乗ってやる。》 そしてスズメバチは語り出した。誰もが知ることのないモンスターの誕生の真実を。
モンスターの始まりはリヴリーの餌である昆虫の突然変異であった。 そんなモンスターは逆にリヴリーを餌として食らってしまうため、初めの頃は研究所で駆除が行われていたという。 しかし一方で、モンスターの研究を行っていたチームもあったのだ。 それは、リヴリーの効率的な処分への有効活用の研究だった。 リブート後の研究所では飼い主が増えたことによるリヴリーの大量生産が行われていたが、 それと比例して不良品のリヴリーも増加することとなった。 これを廃棄するには通常、培養液に溶解することで新たなリヴリー生産へのリサイクルを行っていたが 体内に残留している宝石(doodoo)も共に溶かしてしまうことになっていた。 しかし、モンスターを使うことでこの課題を解決できると考えるようになった。 モンスターはリヴリーを取り込むと己の体内に宝石を蓄積することができるので、 不要なリヴリーを廃棄しつつ、後から��ンスターを処分することで資源である宝石は回収することができるというものだった。 以降、それが研究所で行われるようになってからは飛躍的に資源の回収が改善、最適化されることとなり、 モンスター狩りというのはそれに伴う飼い主たちへの還元イベントという位置づけで暗に行われるようになったのだった。
《どうだ?満足するネタはあったか?》 『……ああ。』 それを聞いて僕はさほど驚きはしなかった。 今や世界的にも普及しつつある人類の友、リヴリー。 幼少期頃からリヴリーと共に過ごすことで、昨今複雑化しつつある人の精神構造に好影響を与えるとされ 今や誰もがリヴリーの飼い主として過ごすことが当然になりつつあるこの世界の中心では、 またしても人間の身勝手さによって大量の命が消費されているということが明確になっただけだった。 『自分たちの勝手で生みだして、自分たちの都合で殺すやつらに、やっぱり価値なんて無い。』 一人呟く僕にスズメバチは何も言わなかった。その眼にはただひたすらに嘲笑が満ちているだけだった。 『ありがとう。』 一言礼を告げ、僕は踵を返した。 《なんだ。結局何もできないのか。》 スズメバチの言葉に、僕は足を止めて首だけで振り返った。 『今は。でもすぐにそれも変わる。その時あなたは自由になっているはずだ。』 そして僕はまた歩き出した。視線の先にはワープホールが待っていた。 《ふん。ただのいかれ野郎だったか。》 そんなスズメバチの声を背に、僕はワープホールをくぐった。
「おかえりー。」 到着すると腑抜けた声のカミサマが僕を待っていた。 『それで、僕は還してもらえるんですよね。』 「おや、分かっていたのか。」 帰ってきてすぐの第一声にカミサマは目を丸くした。 僕には何となく分かっていた。これまでのカミサマの僕たちに対する行いは全て、転生のための禊のようなものだったということを。 生前、現世にわだかまりを持ったままこちらの世界へやってきたものたちは、こうしてリハビリのようなことを行わせて転生後に問題なく現世へと復帰できるようにするのだ���う。 『それで、僕の希望はどこまで叶えてもらえるんでしょうか。』 「ははは、生き急いでいるね。」 死人に対して酷くつまらない冗談(もしくは皮肉)を口にするカミサマだったが、僕は完全に無視した。 「きみごときの願いなら、神である私に叶えられないものはないよ。」 『時も場所も……存在も?』 「勿論だ。言ってごらん。」 そして僕は願いを口にした。 リヴリーが普及する少し前の時代。同時期に発生したモンスターの、その野生になりたいと。 野生のモンスターとして自由に行動ができれば、その先生み出されて管理されるモンスターを解放することも可能だろう。 今はまだ捕えらていたスズメバチも、僕が過去を変えることができれば自由に行動できるようになっているはずだ。 そしてモンスターが解放され、リヴリーの捕食が一斉に行われれば研究所の立場が危うくなるのは当然として、 今やリヴリーに支えられようとしている人間の肥大化した世界ですら正しい姿へと戻るかもしれない。 誇大妄想。他人からはそう見えるかもしれないが、僕にとっては希望であり使命だった。 「へえ。それがきみの答えか。」 興味が無さそうな視線で僕を射抜くカミサマ。しかし僕の意思は固かった。 『はい。』 「良いでしょう。ではこれをくぐりなさい。」 カミサマは追加の質問を投げかけてくることもなく、すんなりと転生への道をひらいてくれた。 「さようなら、カイリ。もう帰り道は無いからね。」 僕は頷いて、ワープホールに足をかけた。 そしてすぐに遠くのほうに見える光の点へと歩いて行った。
これで救われる命がある。 自ら逃れることのできない苦しみからは解放されなければならない。 苦しみが続くことの不幸を、僕は知っている。 リヴリーもモンスターも、人も。 それを救うことだけが僕の使命、存在価値だった。
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thetaizuru · 6 months
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 絆を求めるというのは人の生来的な欲求であると言えるし、絆というのは、人々の共感や共通の理解の上に成り立つ信頼関係のことだとも言える。言葉も、話してる本人にしか理解できないオリジナル言語みたいなのは言葉として成立しないし、あくまで共通の理解や共感の上に成り立つものだと言える。  ギリシア神話に登場するトロイア(イーリオス)の王女カッサンドラは、ゼウスの息子で詩歌や音楽の神であるアポローンに愛され、アポローンの恋人になる代わりに予言能力を授かったが、その瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、アポローンの愛を拒絶する。憤慨したアポローンは、カッサンドラの予言を誰も信じないようにという呪いをかけた。カッサンドラは、トロイア戦争において、トロイの木馬を市民が市内に運び込もうとしたとき、それはトロイアの破滅につながると予言し抗議したが、誰も信じなかった。  カッサンドラ(カサンドラ)の名は、ある人が正当な不安や警告を発しても、それが他人に信じてもらえない現象を指す比喩として、「カサンドラ症候群」「カサンドラコンプレックス」「カサンドラのジレンマ」などの形で使われる。こうした比喩としてのカサンドラの現象は、絆の喪失あるいは奇妙で有害な絆の形成が要因だと考えられ、いわばこれがアポローンの呪いにあたる。絆を失ったり歪めたりしてしまうと、言葉が通じなくなってしまう。  情緒的な絆の形成やその過程のことを心理学の用語で「ボンディング」(ボンドでくっつけること)というが、例えばストックホルム症候群のように被害者が加害者に対して心理的なつながりを築くこともボンディングであり、また、集団心理は、個人間の心的相互作用の集合過程を通して形成されるという意味でボンディングによく似た概念である。  「カサンドラ症候群」などの言葉は、危機感や不安を煽ることやヒステリー、あるいは異なる見解を排除することを正当化するためのエクスキューズとしても多々使われる。科学的に正しいと主張して危機を予言し、異なる見解を持つ人たちを散々バンした後で、最初から特に根拠もなかったし予言も外れたけど、警告は正当なものだったし、予言がはずれたのは耳を貸さなかったやつらのせい、みたいなことを結構真面目なメディアの記事にしたり、破滅的な予言がはずれたのって良いことじゃないかとか、せめて謎にバンされてるやつそろそろ解除してやれみたいなツッコミに対してヒステリックにブチギレて喚き散らすショート動画をアップすることを正当化し、バンされた人や陰謀論者とか差別者とかナチスとか散々なレッテル貼られまくってる人たちじゃなく私こそが悲劇の予言者カサンドラだみたいな感じで、予言を続けている。  同じように、心理学の用語などが歪んだ形で用いられることが、ここ数年の間、多かった気がする。医学や政治や経済などの課題をそれぞれの分野の人が語るが、どれもほとんど心理的というか、てかおまえのメンタルどうなってんだ的な言い合いになってしまい、どれも何言ってんのかよくわからないまま次に移る時間になぜかなるため、とりあえず何か心理学っぽい用語を使ってエクスキューズしたり、いやわからないやつの方が何かの障害だろみたいなノリになっていく。  また新しい話題が出てきて、また改めてどっち派かで区分されたそれぞれやあくまで中立とか現実主義とかのグループ名の下に集まった人たちが、またせっせとボンディングするというのがまた始まった。二週間後はニューヨークになるとか、バイデンは外交のプロだみたいな、異常に頭が悪いがなぜかボンディングとして機能していたものの賞味期限が切れ、新しいのに付け替えようとしている。闇の支配者とかが意図した通りかどうかはともかく、団結や連帯という言葉を掲げた分断になっているという意味で皮肉であり、絆を強く求めるが故に共感や共通の理解の形成をすっとばす形で同調してしまうため、信頼関係のない絆というような奇妙で歪んだものに支配されてしまうという意味でも皮肉である。  皮肉っぽく並べると、「プロジェクトカサンドラ」というアメリカの麻薬取締局(DEA)によるヒズボラの資金源の調査が再開したという2017年の報道の後に、こうしたナルコテロレジームって何なんだとか、エジプトのモルシ政権って何だったんだとか、アラブの春やカラー革命って何だったんだということについて何となく疑問などを交換していたことで、はっきりしたことは全くわからないままだし意見も立場も様々でオールドスクールな陰謀論からふざけたいだけなのまで色々あるが、何となく共通の理解や共感を形成したことがあるという経験が、メディアの煽りに釣られるだけでもなく、現実を忘れるための趣味の世界に籠るだけでもなく、ボンディングジャンキーにもならない形で、これまでの会話を続けられる心理的な場を維持することに役立っている。
 絆(ボンディング)は、自分と他者との関係だけではなく、自分自身の中の複数の考えだったり、例えば「昨日までの自分」と「今の自分」を結ぶものでもある。他者との絆を守るために自分の考えの多くを放棄するというのも辛いし、自分自身の考えのいくつかが互いに矛盾しあって拮抗している状態も辛い。こうした葛藤は常に起こっているか起こり得る状態にあるが何となく調停されていて、その調停の結果や調停の仕方が絆である。ただ、自分の中にある考えとは言っても、それらを同時に見ることも、それらがどうやって調停されたのかも見ることはできない。人が認識できるのはあくまでその時の特定の視点から特定の見方で見たものである。  遠近法に従った絵画で描かれている風景は常に画家の視点に相関的であるのと同様に、世界は常に特定の視点から特定の見方によってしか見られえないものであり、いかなる視点にも限定されない絶対的な世界認識などはありえないという考えを「パースペクティビズム (遠近法主義)」という。絶対的な世界認識(知性)の獲得は不可能だとする考えであり、まるで神にでもなったかのように自分が絶対に正しいと主張したり複数の場所に同時に存在するのはとりあえず何個か予言を当てたり千里眼を発現させたとしても頭ヤバいという考えでもあり、「反知性主義」ともいう。  19世紀にニーチェがこのパースペクティビズムを説きつつ、これを大衆民主主義に与えられた病名として「眺望固定病」と呼んだ。眺望固定病とは、自分自身を尺度として、自分の支配に好都合な価値をあたかも普遍的で客観的なものとして世界を見てしまうことを言い、価値観の押し売りなどがよい例だという。この眺望固定病に陥っているからこそ我々は「力への意思」を認識できないのだと説いた。しかしそれ以外の見方はなく、余裕ぶっていられる間だけ謙虚なふりができる程度だ。言い換えると、本当の考えあるいは自己は絶えず流れている動的なもののはずだが、それのほんの一部でたまたまその時に見えるものを、しかも固定させてしまわなければ見えない。ニーチェはこれを乗り越えようとして「永劫回帰」や「超人思想」の概念を提示したものの未完に終わる。  遠近法という絵画技法の名がついていることもあって、この考えは19世紀末から20世紀前半の画家に大きな影響を与え、それぞれが自分なりの解釈で取り入れようとした。遠近法を無視した絵画が注目されるのもこの時期である。ジョルジョ デ キリコも青年期にニーチェの思想に傾倒し、そうした思想を1910年代に「形而上絵画」として提唱した作品に落とし込んだ。形而上絵画は、遠近法における焦点のずれにより、見ている人に自分がここと数歩離れた場所、同じ建物の1階と2階などに同時に存在してしまっているような違和感を感じさせ、なぜか静謐や郷愁、幻惑や不安などを感じさせるという特徴をもつ。後にシュルレアリスムにおいて「デペイズマン」と呼ばれる手法が用いられている。  「デペイズマン」は、「人を異なった環境に置くこと」転じて「居心地の悪さ」「違和感」「気分転換」を意味するフランス語で、美術用語としては、あるものを本来ある文脈から別の場所へ移すことで違和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念を指す語として1920年代に用いられるようになった。同じ1920年代にドイツの新即物主義で使われるようになった「マジックリアリズム」にも似た概念で、技法的にも互いに影響を与え合っている。また、1910年代のロシアフォルマニズムにおける「異化 (慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法)」とも似た概念である。  シュルレアリスムは「オートマティスム(自動筆記)」という概念を重視し、「フロッタージュ(表面がでこぼこした物の上に紙を置いて鉛筆などでこすって模様を写し取ること)」や「デカルコマニー(2つ折りにした���に絵具を入れて再び紙を開いて偶発的な模様を得ること)」などといった、いわば「描かない手法」を考案する。「描く手法」としてのデペイズマンは、デ キリコの1910年代の形而上絵画の影響のもとにほぼ成り立っている。  オートマティスムは、意識の介入を排除して無意識を表出させようという試みであるのに対し、絵を描くという行為やイメージ化は意識が必ず介在するというか意識そのものであるため、絵画のオートマティスムはそもそも不可能だとする考えはシュルレアリスムの運動開始当初からあり、これに対して、筆記や読むという再現行為なども思考の固定化だし意識化であって、そもそも矛盾があるのではないかという思想対立があった。  デ キリコはシュルレアリスムが始まったすぐ後に呼びかけに応じる形で参加するも、その時にはすでに古典的技法を一から学びなおして古典に回帰しようとしていた。すぐに思想的な違いが露わになり、1926年には決別を表明する。シュルレアリストたちは古典に回帰したデ キリコを非難した。  シュルレアリスムを創始したアンドレ ブルトンには、この芸術運動を共産主義革命運動に連動させようという意図があった。シュルレアリスムの実質的な活動期間は、レーニンが死去した1924年から第二次世界大戦が始まる1939年までで、ブルトンはトロツキーに感銘を受けていた。シュルレアリスム運動は共産党からの厳しい批判を受けていたがブルトンは共産党に入党したり、思想などの本質的な違いのために結局離れることになったりと紆余曲折する。この間にシュルレアリスムの運動から離れたものも多く、また、ブルトンは特に1930年代後半にエルンストやダリといったシュルレアリスムの代表的な芸術家の多くを除名した。ブルトンは1938年に、メキシコの画家でメキシコに亡命中のトロツキーと一時期愛人関係にあったフリーダ カーロをフランスに紹介し、カーロと交友関係のある芸術家たちと連携して運動を一新しようと��るも、第二次世界大戦の勃発により実質的な運動は終わる。ブルトンはニューヨークに亡命し活動を続けたが、1940年にトロツキーが暗殺され、精神面での支柱を失う。  ブルトンがダリを批判し除名する際にも使った「ファシスト的思想」というのは、トロツキストが対立する相手を攻撃する際にとりあえず「差別者」や「ファシスト」と呼ぶというのをほぼ手法として確立していたというのもあるが、「描くデペイズマン」を指してもいた。描くデペイズマンは、デ キリコからの影響を介する形でニーチェの思想の影響を受けていて、トロツキストのみならず共産主義者は、特にナチスが政権をとった1933年以降、ニーチェの思想をナチスの思想だと解していた。
 ファシズムも共産主義も全体主義も、イデオロギーという強力な絆によって人々を一つに結びつけるものである。  ロシアフォルマリズムが「異化」という手法を用いた目的であり、おそらくは形而上絵画もデペイズマンもマジックリアリズムも同様の目的で用いられただろうとされるその目的とは、知覚の「自動化」を避けるということである。イデオロギーやなんやかんやですぐに自動化してしまう知覚や自動化状態にある事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」を取り戻すことである。
2023年11月 エト クイド アマボ ニシ クオド エニグマ エスト?
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takahashicleaning · 8 months
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TEDにて
ケイト・ラワース:健全な経済は成長ではなく長期繁栄を目指しデザインされるべき
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
持続可能、普遍的に有益な経済とは、どのようなものでしょうか?
それは「ドーナツ(トーラス)のようなものだ」とオックスフォード大の経済学者ケイト・ラワースは語ります。
この傑出した開眼させるようなトークで、彼女は、人々にとって最低限必要なものが不足している国々を危機から救い出し、この地球の環境的な限界の範囲で、再生的、事前分配的な経済を作り上げる方法について説明します。
赤ちゃんがハイハイを覚える様子を見たことがありますか?
親御さんならご存知ですね。とても興味深いものです。まずは、床の上で体をよじります。たいていは、まず後ろへ。次に、前に体を引き寄せます。
そして体を引き起こし、立てるようになったら拍手喝采です。前へ次に上へと向かうシンプルな動き。これは、我々人類の知る最も基本的な成長の仕方です。
人類の進化も同じです。よたよたと歩く我々の祖先に始まり、ついに直立したホモエレクトス。
そしてホモサピエンス。つねに堂々と歩く男性として描かれています。
だから経済だって同じような成長カーブを描き永遠に成長が続くと私たちが信じるのも無理はありません。
しかし、進歩のカーブを見直す時がやってきました!
現代の経済では、繁栄につながるかどうかはさておき、とにかく成長が必要とされていますが、本当に必要なのは特に豊かな国ではそうですが、繁栄につながる経済であり成長は関係ないからです。
ええ、これは本質的な発想の転換を隠したやや軽々しい発言かもしれません。
でもこの発想の転換は、人類が共に今世紀に繁栄するために必要なことです。
では、成長すべし!
という強迫観念は、どこに始まったのでしょうか?
GDP、国内総生産とは、経済活動により一年間に生産された財貨とサービスの合計に過ぎません。
1930年代に考え出された言葉で間もなく政策立案における最優先事項となり、現在でも最も豊かな国の政府は、経済的な問題は成長によって解決できると考えています。
このような経済成長の流れは、1960年のロストウの古典的著書で見事に語られています。私のお気に入りで初版を持っています。
「経済成長の諸段階、一つの非共産主義宣言」
政治的な臭いがしませんか?
ロストウが述べていることは、いかなる経済も5つの段階を経て成長するというものです。
第1段階は「伝統的社会」です。国の生産高は、技術、制度、考え方の制約を受けます。
次の「離陸先行期」では、銀行業、それに作業の機械化が始まり、さらには成長というものが、必要性を超えて国家の威信や次世代の生活の向上のために必要だという考えが芽生えます。
「離陸」においては、経済的な機構に複利という考えが組み込まれ、成長するのが当たり前という状態になります。
第4段階「成熟期」に入ると天然資源基盤がどうあれ、どんな産業でも作り出すことができます。
最終の第5段階「高度大量消費時代」では、人々は欲しいままに自転車やミシンといった消費財を購入できます。これは1960年の話ですから。
この話には飛行機の比喩が隠されているようです。しかし、他に例をみない飛行機です、着陸することが決して許されていないからです。
ロストウは、大量消費という方角へ向けて我々を離陸させました。彼には分っていたのです。こう記述しています。
「その先は良く分からない。歴史で経験したことは、ほんの一部でしかないからだ。実質所得の増加が魅力を失った時、どうしたらいいのだろう?」
彼は、答えを示さず質問だけを投げかけました!
理由はこうです。
1960年のこと。彼は大統領候補ジョン・F・ケネディのアドバイザーでした。ケネディは選挙戦で5%の経済成長を公約として挙げ、この目標を達成することがロストウの任務でしたから。
「もし、どうやっていつ着陸できるのか」という質問は問題外でした。
大量消費へ向け飛行を始めてから半世紀以上が経った今、経済は限りなき成長を期待し、要求しこれに依存しています。
財政的にも、政治的にも社会的にもこれに依存しているからです!!
経済が成長に依存するようになったのは、現在の経済システムが、金銭的なリターンの最大化を追求するように設計され、上場企業には、売り上げや市場でのシェアの拡大や増益というプレッシャーが常に掛かっており
しかも、銀行は貸したお金が増えて返ってくる有利子負債という形でお金を生み出します。
マクロ経済学です。
政治的にも成長に依存しています。政治家たちは税率を上げることなく、税収を増加させたいためGDPの成長こそが、解決策だと考えるからです。
マクロ経済学でも明らかです。
政治家はみな、G20サミットの集合写真に写りたいと思いますからね。他の国が成長を続けている中、自分の国だけ成長を止めれば、新興勢力に取って代わられてしまいます。
さらには成長に依存する社会的な理由��あるんです。エドワード・バーネイズによって生み出され、1世紀に渡り繰り広げられた興味深い消費プロパガンダのお陰です。
ジークムント・フロイトの甥だった彼は、叔父の精神療法を、消費を喚起し大儲けをする処方として応用できると気づきました。物を買うたびに生まれ変われるのだと。私たち消費者に思わせることができれば・・・
これらの依存はどれも克服できないわけではありませんが、私たちの現状と行く末を考えるとどれも今以上に注目する価値があります。
世界全体のGDPは1950年に比べ10倍の規模になっており、何十億人という人々に繁栄をもたらしてきました。
しかし、事前分配や再分配をしないため、世界経済は、ひどい二極化が進みその収益のほとんどが、世界人口の1%にも満たぬ富豪に集まっています。
また経済の質はひどく劣化し、微妙なバランスで成り立っている我々の生命を支えるこの地球は、急速に不安定化しています。政治家たちはこれを認識していて新たな成長の在り方を提案しています。
それには「グリーン成長」「包括的な成長」「賢明で弾力性があり、均衡の取れた成長」などがあります。成長さえ伴うならどの未来を選んでもいいわけです。
しかし、より崇高でずっと大きな野心をもって選択すべき時がやって来たのです。人類が21世紀に対峙する挑戦課題は明確なのですから。
すなわち、たった一つの生命に満ちた素晴らしいこの地球の恵みが許す範囲で全ての人々の必要を満たし、人類、そして他の生物を繁栄させるという挑戦です。
このゴールに向けた進歩は、金銭で測られるものではありません!!
指標の一覧が必要です!!
そこで、どんな風になるか机に向かって描いてみたところおかしな話と思われるでしょうが、ドーナツ状(トーラス)になったのです。期待外れですよね。でもこのドーナツ(トーラス)について説明させてください。
我々にとって実に良いものかもしれません。人類の資源利用が、中心部から放射状に広がっているとします。中心の空白部分は、暮らしに必須のものが、足りないことを示しています。
食料、医療、教育、政治的発言の自由、住まいといった尊厳と機会が与えられた人生を送るのに誰もが必要とするものです。まずは全ての人をこの空白部から救い出し、社会的基盤のあるドーナツ(トーラス)の「グリーン」な部分に導きたいのです。
しかし、「し・か・し」なんですが、資源の全体の利用量が外側の円を突き抜けてはなりません。
これは環境的な限界です。
この並はずれた地球であってもプレッシャーを掛け過ぎると調子が狂い始めるからです。気候の機能不全や海洋の酸性化を引き起こし、オゾンホールを発生させ我々をこの地球システムの許容範囲外に押しやってしまいます。
これは過去11,000年もの間、人類に優しい住処を提供してきた生命維持システムです。
地球の許容範囲内で全ての人のニーズを満たすという二重の課題に対応するため新たな進歩の形が必要となります。
それは永続的な右肩上がりの成長ではなく人類にとってスイートスポットである基礎的条件と地球の限界との間で動的にバランスをとって繁栄することです。
この図を描いた後に、とても驚いたことがあります。多くの古代文化における幸福を表すシンボルが、まさに同じく動的バランスを表していることに気づいたのです!!
マオリ族のタカランギ図、道教の陰陽図から仏教の無限のひもやケルトの二重螺旋などです!!
では、我々も動的バランスを21世紀に見出せるのでしょうか?
これこそが鍵となる課題なのです。赤い部分で示したように現在は均衡状態からかけ離れており、欠乏と過負荷の問題が、同時に起きています。
中央の空白を見るといまだに全世界の何百万、何十億という人々が、最も基本的なものを必要としていることがわかります。それなのに少なくとも4つの要素が、すでに地球の限界を超えており気候の破壊やエコシステムの崩壊という不可逆な影響を及ぼすリスクを負っています。
これが人類と母なる地球の現状です。この図は21世紀初頭に生きる我々自身を写し出しているんです。
前世紀の経済学者たちは、予想だにしなかったのですから。彼らが作った理論で問題が解決するなどと誰が信じられるでしょうか?
新たな理論が必要です。
我々は、この問題に直面する最初の世代であり問題を回避するチャンスが残された最後の世代だからです。
20世紀の経済学は我々をこう信じさせました「成長が不平等を生み出しても、再配分などしなくて良い。更に経済成長すれば、自然に平等になっていくのだから。成長が公害を引き起こしても規制などするな。成長が進めば環境問題も解決するんだ」と。
でも、トリクルダウン理論は、そうはならなかったし、今後もそうならないと分かりました!!
我々は、欠乏と過負荷に同時に対処する経済を設計しなければなりません!!
再生可能で正常な再分配や事前分配が行われる経済を設計する必要があります!!
我々は、質が低下した産業を受け継ぎました地球上の資源を好きなように加工し、しばらくの間だけたいていは一度だけ使って破棄し、自らをこの地球の限界へと追いやりました。
だから、矢の向きを変えて生命が活動する世界での循環の範囲で機能する経済を作り上げ資源を使い尽くすことなく、何度も再利用するのです。太陽光をエネルギー源とし、廃棄物が再び次の生産活動に活かせるような経済です。
このような再生的な設計が、様々な場所で生まれています。世界中の100を超える都市、キト、オスロ、ハラレ、ホバートなど都市では、電力の内70%以上を太陽光、風力、潮汐発電で賄っています。
ロンドン、グラスゴー、アムステルダムなどでは循環型の都市設計を先駆けて試み、廃棄物を都市部で処理し資源へと変える方法を模索しています。
またエチオピアのティグレや、オーストラリアのクイーンズランド州では、農家や森林の住人が、ひとたび荒野と化した土地を再び生命で満ちた場所に還しました。
しかし、再生的な経済にするだけでなく、設計によって再分配や事前分配的な経済にしなければならないし、それを実現する初めてのチャンスが訪れています。
20世紀には、中央集権的な技術や制度により少数の手に富や知識、権力が集中していたのですから。
今世紀、我々は技術や制度が富、知識、力を人々に再分配や事前分配するように設計することが可能です。ベーシックインカム。
化石燃料や大規模生産の代わりに再生可能エネルギー、デジタルプラットフォーム、3Dプリンターを用います。
量子コンピューター。200年もの間。企業が保有してきた知的財産が ボトムアップ、オープンソース、ピアツーピア知識コモンズで置き換えられます。
株主のために、なおも投資利益率の最大化を追求する企業は、突然、時代遅れとみなされるようになり、比して、社会的企業は価値を様々な形態で創造し、彼らのネットワークをフルに活用してこれを共有するように設計されます。
現代の技術、人工知能、ブロックチェーン、モノのインターネット、材料工学といった現代の技術を再分配や事前分配的な仕組みの設計に活用することができるのなら医療、教育、ファイナンス、エネルギー、政治的発言が最も必要とする人のもとに届き、力を与えるようになります。
このように、再生的。そして、再分配や事前分配的な設計は、21世紀の経済に素晴らしい機会をもたらします。
ではロストウの飛行機は、どこに向かうのでしょうか?
中には永遠の成長が可能だとの希望を抱き続ける人もいるでしょう。脱物質化によって資源の消費量が低減し、指数関数的なGDPの成長が永遠に続くという考えです。
でもデータを見てください。これは空想ですね。そう経済を脱物質化する必要がありますが、この終わりなき成長への依存を資源利用から切り離し、私たちをこの地球の限界内に立ち戻らせるのは、 とうてい無理です。
こんな経済成長批判は、聞いたことがないでしょうね。経済成長は良いことだからですよね?
我々は子供たちが成長し、緑の土地が広がることを願います。そう自然界において成長は、素晴らしく健康的な生命の源です。それは一つの段階であり、現在のエチオピアやネパールは、その段階にあるでしょう。
これらの国の経済は年7%で成長しています。でも、もう一度自然を見てみましょう。子供の足のサイズだってアマゾンの森林だって自然界のいかなるものも永遠には成長しません。
何事も成長の先には成熟期が待っています。それだけが長期にわたって繁栄できる唯一の条件なのです。
皆さんが知ってのとおりです。もし私の友人が医者の診断を受け、腫瘍があると告げられたとします、腫瘍はとても異様に感じられます。なぜなら健康で活気があり働きの良い器官の中に成長を続ける何かがあるとしたら全体の健康にとっての脅威であると本能的にわかるからです。
何故、私たちの経済システムが、この法則に反して永遠に成長を続け成功するだろうなどと考えられるというのでしょうか?
財政的、政治的、社会的な改革が緊急に必要です。成長依存の構造から脱皮しなければなりません。そうすればドーナツ(トーラス)の社会的、環境的な限界の範囲で繁栄とバランスの追求に集中することが可能になります。
限界なんて考えは窮屈だと思う人は、もう一度考えてみてください。この世界で最も創意工夫に富んだ人たちは、限界を彼らの創造力の源に変えてしまうのです。
モーツァルトの5オクターブのピアノからジミ・ヘンドリックスの6弦ギター、テニスコート内のセリーナ・ウィリアムズまで才能を解き放たれるのは、制約があればこそです。
ドーナツ(トーラス)の限界こそが、無限の創造性、参画、帰属意識や意味付けによって人類が繁栄する力を開花させます。
ここにまでたどり着いた人類の才能を最大限に引き出すのです。
ありがとう。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
その他には
日本の法人99%は、自転車操業これが普通。世界でも経済的に普通。
再分配、事前分配をする政府は、一部の大企業や裕福層から増税が原則です。
民主党以前の連休が少ない日の多いのはパンデミック分散対策の一環かもしれない?女性活躍ウィズ実力!能無しがトップにつくと女性でも、権力濫用。混乱必死です。
そして
プラネタリー・バウンダリー提唱者のヨハン・ロックストロームもSDGsに採用されてる。
SDGsは、一神教での法人倫理を統合し数値化している可能性もあります。
多神教ではブッダの八正道です。
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。具体的にSDGsの数値を示さない権力濫用の口実に注意!
これらの源流は、Spaceship Earth(宇宙船地球号)のバックミンスターフラー。
バックミンスターフラーは、思想家というか製品デザイナー?
ガイア理論の方が馴染みがあって、こっちの方が腑に落ちるが、それがスティーブジョブズに継承し、今のAppleParkに繋がる影響を与えた。
AppleParkは、バックミンスターフラーの弟子が建築しています。
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
次に
2023年になりバイデン大統領は、バイデノミクスを打ち出した。
バイデノミクスは、トップダウンではなく、中間層と低所得層から経済を構築すること。さらに低所得層と中間層の底上げを経済成長につなげる政策
3つの根本的な変化を起こすと唱えた。
公共投資の投資分野は、先端半導体やクリーンエネルギー、高速インターネットの普及といった重点分野の製造業への投資。
これらの投資分野に伴う教育による労働者の能力向上。
中小企業を支援するのは、40年間過剰な減税をして大企業は破綻した。アメリカの中産階級が空洞化し、財政赤字は大幅に膨らんだ。
安い労働力のために雇用を過剰に海外に移した。
大企業から中小企業、家計に恩恵が広がっていくトリクルダウンは自然と起こらないことが明らかになり
今後は、人工的に再構築をする。裕福層への大増税も同時に行なっています。
さらに
サムアルトマンが参画や投資をする事業への補完アイデア2023
オープンAIは、チャットGPTを使用してユーザーに課金しているがゆくゆくは・・・
むしろ、ブロックチェーン技術によるワールドコインでユーザーにお金を与えて見ればどうなるだろうか?
Appleと提携しワールドコインの認証はiPhoneを使いさえすれば、パスキーで虹彩認証以外にも拡がります。
<おすすめサイト>
カラビ - ヤウ多様体で量子の狂乱を解消するアイデア2022
テッド・ハルステッド: 皆が勝利する気候問題へのソリューション
この世のシステム一覧イメージ図2012
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
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doctormaki · 11 months
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春先までは晴天予報でも曇天でお日様さえ見えなかったハンブルグは、ここ数週間は最高気温が28度まで上昇して、暑い。乾燥しているので、木陰に入ると涼しく、朝夕はジャケットが無いと寒い。しかし、逆に日照り続きで、あれだけ毎日雨が降っていたのを忘れてしまう位だった。が、今日は、一点、夕方から雷を伴う夕立。ワシのアパートは西向きで西陽が入るので、午後は完全にサウナなので、今日の激しい夕立は有り難い。
今日は朝から晴天だったので、ここから歩いて20分ほどの超高級住宅街にある土曜朝の市場に初めて行ってみた。野菜や果物、パン屋さんに生パスタ屋さん、肉屋に魚屋と、民族博物館前の小さな広場前に市場ができていた。お買い物に来ている人々も落ち着いていて、近所の市場がこんなにも良いものだと初めて知った。日曜朝市のFischmarktと違い、カードも使えるのが嬉しい。サクランボやブルーベリー、ほうれん草やアスパラガス、ジャガイモなどに加えて、なんだか見たことのない茶色のPfirze(キノコ)を購入。見るからにドラッグクイーン系のおっさんが売る生タリアテッレも購入。
汗ばむ位の陽気の中、ついでにスーパーに寄って牛乳も買う。家に帰ってから謎のキノコ、ほうれん草と生パスタで昼食を作った。生パスタはとても美味しい。感動的。キノコは香りが無いが、歯ざわりが良い。糠漬けにしたミニトマトをアクセントにして、とても美味しく頂きました。
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この木曜日から、ハーバードとケンブリッジとここハンブルグを繋いで、ハンブルグを会場に3日間に渡るマネー(貨幣)についての国際会議が開催されていた。友人のIsabelが主催者の一人なので、泣きつかれてしまい、急遽、穴が空いたセッションのパネルチェアになる。green financeについてのパネルで、四本もの論文を事前に読み、セッションチェアとして臨んだ。マクロ経済もミクロ経済も金融論も学部レベルの基礎知識しかないので、最初は焦ったが、何てことはない。基礎知識さえあれば、別に4本とも読めてしまった。そして、いざという時の為に、それぞれ4本の論文につき、15分のディスカッションの口火を切るべく、3つずつほど質問も準備。
ワシが天才なのか、はたまた、今どきは世界中の現象として学問レベルが低いのか、最新の金融理論は、複雑なようで案外ダサい。腑分けすると、大した事を言っていない論文が多く、ふーん、こんなもんかと思った。私のパネルは大盛況で、ワシの差配が優れていたのもあり、議論も盛況だったが、時間通りに終わらせた。おまけに、ワシも議論を聞きながら、チェア特権を活かして言いたい事は言わせて頂いた。オーストリア、オランダ、イギリス、フランス、ベルギー、スペイン、スエーデン、スイス、ルクセンブルク、アメリカの研究者達と、ここ数日、食事中に良く議論した。ヨーロッパの国の違いが、少しずつ分かってくる。
私は、ドイツ人と話す時、とても言葉が出てこなくなり、英語が下手くそになるのだが、それ以外の国の人々とだと大丈夫らしい。べらべら自分でも驚く位に、難なく普通に話す事ができる。相当ドイツ人に精神的に参らされているのだろうと、自分でも流石に自覚した。ドイツ人からはどうも見下されているように感じ、とても苦手だ。
こちらに来て、会議の度に様々な国の研究者と会うが、総じてイタリア人は頭が悪い癖に自己主張強めで話がやたらと長い。自己弁護大好き。ドイツ人は、細かなツッコミ大好きでかなり自己主張強め。オランダ人は可もなく不可もなく、人が良い人が多いバランス型。フランス人は、自己主張強めだが、人の話を聞く。ベルギー人も、フランス人に似ているが、自己主張はそこまで強くない。スペイン人も、別の意味でお喋りだが、フランス人よりも親しみやすい。スエーデン人はあまり喋らないが、静かに分析はしている。スイス人やオーストリア人も同じ。色々と話をして打ち解ければ、彼らは、こちらを値踏みした上で相応の対応をしてくれる。しかし、スイス人は杓子定規な人が多く、独自ルールを持っていて、それに従っていると相手が判断している限りにおいて、である。ドイツ人と似ている。つまり、私の人間性レベルでは、オーストリー、フランス、スペイン、スエーデン、オランダの研究者達と話が合う事が多い。イタリア、ドイツはカラッキシダメ。なんであんな奴らと一緒に戦争したのか、意味不明。
今回の国際会議はハンブルグの社会経済研究所との共催で、昨年末依頼、久しぶりに社会経済研究に行く。一軒家を改造してあるのだが、機能的でシンプルな研究所のお庭はバラや矢車菊が満開。綺麗なお庭を観察していると、矢車菊の上で、昼寝しているハチがいた。死んでいるのかと思ったら、モゾモゾするので、疲れて寝ていたらしい。首から背中にかけて生えたウブ毛に花粉をつけて、可愛らしい。
3日間、朝9時から夜10時まで、みっちりやった会議で、ワシはハッキリ言って疲れた。昼食を食べてからは死んだように眠る。そして雷様に起こされた。こちらはフワフワと植物の種やアブラムシが沢山空中を漂っている。窓を半開きに開けてあると、こちらは網戸が無いので、掃除してから数日もすると窓枠には小さな羽虫達の死骸と植物の種だらけになる。今朝は朝から3日分の掃除、洗濯をしたのでスッキリしたが、空気も雨で洗って貰って、少しは、ホコリや虫がいなくなれば良いのだが。。。ドイツ人達は花粉症の人が多いが、まつ毛や鼻毛長くても、大量の植物の種(タンポポの綿毛のような、ホコリ玉みたいな種です)とアブラムシにやられているらしい。私はせっせと、ひまし油で洗眼し、塩水で洗鼻しているので、くしゃみはするけど、なんとかサバイバル中。スギ花粉やホコリ、臭いの方が、私はダメみたいだ。つまり、ドイツ人達よりも、ワシはより細かな粒子に反応しているらしい。
仲良くなったオーストリア人のお兄ちゃんに、ドイツ人の事を聞く。ドイツ人はウィーンに行くと、オーストリア人から差別されるらしい。少なくともワシの周りには、オーストリアに対して、すごい被害者意識高めのドイツ人が多いのだ。兄ちゃんは、あーそーかもね。彼らは違うドイツ語話すから、オーストリア人じゃないってすぐ分かるしと、めちゃくちゃサラリと当然のように言う。おまけにドイツ語を公語としているだけで、別にドイツ人達と色々な面において文化共有していないしね、と。彼らから見ると、ドイツ人は野蛮で文化無いくせに金だけ握りしめて、文化を買い叩くヤクザ集団にしか見えないらしい。
帰宅途中まで一緒に夜のお散歩を楽しんだフランス人のおっさんも、笑っていた。いやぁこっちに来て俺が口にするワインはフランス・ワインばかりなんだよ。パリですら飲んだ事のないワインだから笑っちゃうよ。ドイツ人は、文化無いって自覚ありすぎだよなぁ、と。ワシ、日本でもワイン作っとるよと教えると、飲んでみたいなーと、ワシの顔をのぞき込んで笑う。でもさ、マキは東大東文研で貨幣史やっているクロダって知っている?うん、名前知っている。あーそう。アイツはねフランスカブレしていて、マキみたいに日本文化を知らないんだよ。僕はここ十年位、クロダと研究を通して親しくしているけど、僕が東京に行く度に食べさせられるのはフランス料理、飲まされるのはフランスワインなんだよ、僕は嬉しくないんだよ、日本で日本料理と日本酒を楽しみたいよ、と苦笑する。クロダは日本人の癖に、自分の文化にホコリが無い。僕は、クロダがパリに来たら、今度は日本料理を食べて日本酒を飲ませようかと思うよ、と。二人で大笑い。そして今朝は東大経済学部の講演を聞きながら、クロダをググって、あ、やっぱワシが知ってた奴だ!と、フランス人教授のお話しを思い出しながら、二度目の大笑いをさせていただきました。ガハハなのだ。全く。。。フランスカブレの典型的おバカである。
ちなみにフランス人教授には、ウェブレンの顕示的消費(conspicuous consumption)なんじゃね、と一言いうと、あーそーかと神妙に頷く。そして、クロダは僕にステータス教示をしてたのね、と云う。まーね、東大の教授なんだろ、クロダ、とワシ。うーむ。じゃ、クロダはつまらないねぇ。まぁ彼の研究もそんなに面白くないんだけど、そういう事なのか。僕は、日本人的オ・モ・テ・ナ・シかと我慢していたんだけど、違うのか。。。いや、まぁ、ワシなら友人が日本に来たら、否、別に相手が日本人でも食事する時には、Christianが何を食べたいか聞いてから店決めるけど。それに、タダの自己趣味の押し付けこそ、ウェブレンが批判していた産業革命以降の新たな中産階級による、ある種の顕示的消費の一形態と言えるんじゃね、パワーの誇示ちゅーか。。。と言うと大笑いしていた。
いやぁクロダさん。ありがとう。アナタのお陰でChristian教授と、楽しくお喋りしましたよ。がはは。ワシもワシの見知らぬ日本人研究者達に、役立っているんだろうなぁ、こんな感じで。。。と思った。
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groyanderson · 1 year
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン3 第四話「可哀想なワタクシ」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。
→→→☆書籍版発売までは既刊二巻を要チェック!☆←←←
(シーズン3あらすじ) 謎の悪霊に襲われて身体を乗っ取られた私は、 観世音菩薩様の試練を受けて記憶を取り戻した。 私はファッションモデルの紅一美、 そして数々の悪霊と戦ってきた憤怒の戦士ワヤン不動だ! ついに宿敵、金剛有明団の本拠地を見つけた私達。 だけどそこで見たものは、���しくて無情な物語…… 全ての笑顔を守るため、いま憤怒の炎が天を衝く!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
 日本仏教特有の考え方に、十三仏という仏様のグループがある。私が日本で神影(ワヤン)の修行をしていた時も、瞑想で描く影絵の題材などにこの十三仏を用いていた。  これに新しく覚えた影影無窮の技をかけ合わせれば、戦いのイメトレが行えないか……そう思いついた私は、大ティルベリ戦後みんなが疲れ果てて眠っている今、ソルモラ島の外れで不動明王である自分を除く十二柱の神影(ワヤン)を生成した。組み合いの相手はドマルが操作する事になった。  まずは釈迦如来、いわゆるブッダ様。仏の階級としてはいきなり最上位の如来だ。伝説に則り、無限に巨大化と縮小を巧みに操って攻撃を仕掛けてくる。天高くまで追い詰めたと思いきや手のひらの中、かと思えば蚊よりも小さな姿で背後を取ってくる。自分自身が影影無窮のバリアに身を隠し、領域に入ってきた瞬間を斬って撃破に成功した。  次に文殊菩薩。『三人寄れば文殊の知恵』ということわざは記憶にも残っている。そんな叡智の象徴を、この修行でドマルは『罠使い』と解釈した。大量の地雷やどこかから飛んでくる槍をかいくぐりながら、最後は巨大鉄球の振り子を逆に利用して撃破した。  その後も普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩……と錚々たる面々と鍔迫り合いを繰り広げた。観世音菩薩戦であの極太ビームを再現された時はいくら何でもやりすぎだと思ったけど、なんとか最後まで戦い抜けた。 ༼ お疲れちゃん ༽ ༼ ゼェ、ゼェ……ちゃんじゃないでしょちゃんじゃぁ!? ていうか、あのビーム出せるならドマルが戦った方が強いじゃない!! ༽ ༼ あれは影絵で見せただけ、殺傷力はない。拙僧ホラ、回復要因だし ༽  そう言いながらドマルは神経線維のエネルギー弾で私を修復した。確かに彼の抜苦与楽の法力は、戦闘にはあまり向いていない。神経型エネルギーで痛覚を吸収したり、物や生き物を修復する力だ。見た目は物騒だけど。 ༼ うう……もっと強くならなきゃ。せめて暗い所でも弱体化しないように、御戌神に頼らなくても戦えるように…… ༽ 「どうして」 ༼ ! ༽  振り向くと、物陰から御戌神が覗いていた。もう目が覚めたのか。 「そんなに僕は信用が? 僕が弱いから? 一度も君を守れた事がないから??」 ༼ そ、そういうわけじゃない。けど、何かの拍子に別行動になる事もあるだろうし…… ༽ 「一美ちゃんの体が奪われた時、みたいに?」  御戌神がまた左手の薬指を掻いた。 「そりゃそうだ。君は実際、一人で戻って来れた。僕なんかいなくたって平気かもだ」 ༼ 違う! そういう事じゃ ༽ 「はっきり言ってくれ! 僕なんか必要ないと、足手まといだと……」  詰め寄ってくる御戌神の前髪を、その時ドマルが無理やりたくし上げた。 「……っ!」 ༼ こういう事、だ ༽  彼の顔は、両眼を中心にひどいケロイド状の炎症を起こしていた。私も薄々気がついていたけど、これまで彼は金剛や一美の話をする時に目が光って、時折苦しそうな唸り声を上げていた。 ༼ あなたはたまに、自分自身の肉体が耐えきれないような輝きを無意識で放っている。ストレスの限界だろう ༽ 「……ハハ、やっぱりわかってたので」  御戌神は念入りに前髪を下ろして目元を隠した。 「あの日から、僕は君の入れ替わりに気付いてた。けどそれを口にしたら、君の体まで殺されてしまうんでねえか? そう思ったら言えなくて……でも君がどこかに連れてかれちまうのが怖くて、そのままの付き合いを。けど、心の中の憎しみを、光を隠せば隠すほど……僕の体はボロボロに」  重たい前髪がランプシェードのように淡く光る。その輝きは昔と違って、毒々しいほど複雑な虹色に近い。 「ごめん、当てつけみてえな事を。ともかく、僕は塔には行かないから。行っても本当に足手まといにしか……」 「いいえ。そうはいきません!」 「え?」  突然、どこからともなく第三者の声。見渡しても誰もいない……と思いきや、 「あなたもお不動様と一緒に塔に登って下さい、光さん」  御戌神の巨体に隠れて、背後にミラさんの姿があった。
 གཉིས་པ་
 大ティルベリ戦からほぼ丸一日しか経っていないのに、ミラさんの体は完全に回復している。全知全脳の力で異形化や出産の負担自体がなかった事になったようだ。 「光さんは彼女の夫なのでしょう? 愛する伴侶にそのような辛気臭いお顔を見せてしまったら、お不動様まで悲しくなってしまいます。シャンとして下さいな!」  更に、日本語も格段に上達している。片目に有働さんと同じスマートグラスを装着して、まさかあれからずっと勉強してたのか? 「け、けど、僕は実際弱くて……夫のくせに……」 「夫が妻より弱いのがいけないのですか? 私は将来悟様や有働様を凌ぐ世界の帝王になりますが、それでは私は一生結婚できないという事になるのでしょうか??」 「え、あ、どう……かも、けど……?」 「はっきりおしでございます!」 「ギャア!」  ミラさんに軽く鼻を弾かれて、御戌神は情けない声を出した。どんな帝王学カリキュラムを受けているのか知らないけど、なんか悟さんの高飛車がちょっと伝染ったような……。 「個人的見解で恐縮ですが、そもそもお不動様は、初めからあなたを戦力として期待していないと思います。伴侶とは味方として寄り添い、ただ照らしてくれればいい存在なのです。その領分を逸脱して勝手に傷つく事は、かえって迷惑になります。蕁麻疹を起こすほど金剛有明団が嫌いなら、あなたは妻だけを見つめていればいいのです!」 「!!!!」  御戌神に雷が落ちたような衝撃が走る。すごい、このUR特待生、私が考えていた事を全部言語化してくれたぞ!? 「皆様がお目覚めになられましたら、有働様と私が考案した塔の突入計画をプレゼン致します。あなたにも重要な役職を用意しているので、速やかにテント村に戻って支度をして下さい。いいですね?」 「はいッ!」  御戌神はよく調教された犬のようにキビキビと立ち去った。 ༼ つ……強いんですね、ミラさん ༽  思わず心に思っていた事がそのまま口に出てしまう。 「え?」 ༼ だって、今まであんな目に遭ってて、昨日までその……あなたも被害者、だったのに ༽ 「言葉を濁さなくても大丈夫ですよ。確かに辛い経験や後ろめたい事はたくさんしましたが、帝王になるためには意地でも前を向き続けるしかないのです。それに」  その時、凛々しい顔をしていたミラさんが、甘酸っぱいウインクを私に向けた。 「ちゃんと互いに愛し合っている夫婦って、世界ではとても貴重なんです。それが引き裂かれてしまう事を、私は絶対に許しません」  ……思わず、私もドマルもトキメいてしまった。この未来の帝王、カリスマがありすぎる。
གསུམ་པ་
 午前中に目が覚めた一同は、医師団のテントから仮設病棟へ移って病室を一部屋レンタルした。有働さんとミラさんがホワイトボードに今回の計画を書き記している間、重苦しい沈黙が室内を包みこんでいた。この中に二人、幽体になっている人がいる。恐らく、彼らは…… 「お待たせしました、皆さん」  有働さんが沈黙を破った。 「初めに訃報からお伝えします。昨夜、私の部下セグロが息を引き取りました。心よりお悔み申し上げます……が、緊急事態のため逝去は保留させております」  大ティルベリと戦ったセグロさんが亡くなった。さっきまで毅然とした態度を保っていたミラさんも、彼の訃報が読み上げられた時はいたたまれない表情を隠す事はできなかった。しかしセグロさんは、彼女に安堵の笑顔を見せる。 「T’en fais pas……気に病むな、ミラ。それよりお前が後遺症一つなく帰ってきてくれて、本当によかった」 「セグロ兄さん……ありがとう」  彼は生前、子供達の世話を担う学生寮の責任者だった。自分の命より子供の安全が大切な人なんだろう。対するミラさんも金剛に操られていた後悔を感じながらも、今は未来だけを見つめていく覚悟が感じられた。  しかし、この場にはもう一人、魂だけで出席している人がいる。 「それから大変申し訳ございませんが、弊社のCEOは脳震盪で未だ意識が戻らないためここで戦線離脱致します」 ༼ え!? ༽  悟さんは生きていた。それは良かったけど、そんな状態で幽体離脱してたの!? 「大丈夫よ、私の体は生命維持装置で勝手に動いてるもん。ていうか目が覚めるまで暇で暇で、さっきNBFドル関連の年末年始の後処理ぜんぶ終わっちゃった!」  魂だけになってもなお仕事をしているのであれば、大丈夫なんだろう。この戦いが終わった後でNBFは滅亡しているかもしれないな。 「さて、皆さん。ここからが作戦の説明です」  ミラさんがレーザーポインターを点灯し、ホワイトボードの図を指す。 「金剛有明団の塔は特殊な結界で、霊感がある者でも視認できません。金剛が発行する紋章(ルーン)……すなわち認証コードのようなものを利用して入館する必要があります。また、生きた人間は塔に入れません。そのため光さんとパクさんには幽体離脱して頂きます」 「オッケーよ! 誰か体回しててもらっていですか?」  『体を回す』という言葉には聞き覚えがない。でもドマルがそれを記憶していた。  幽体離脱中も人間の肺や心臓は動き続ける。しかし食事や排泄といった行動を自力で一切取れなくなるため、意図的に幽体離脱する霊能者は誰か信用に値する知人や親戚の霊に自分の体を預ける。これが『体を回してもらう』という行為らしい。 「イナちゃん悪いけど、年末だしアフリカに急に知り合いを呼ぶのが難しいからしばらくは私でいい? 私の意識が戻るまでには女性呼ぶから!」 「えーっ悟さんですかぁ? じゃあ交代さんが来るまでおトイレ禁止!」 「わーったわーった! セグロ、あんたは光君ね」 「Oui」  セグロさんと御戌神が会釈を交わす。するとミラさんが御戌神に霊的物質でできたタブレット端末を手渡した。 「あまり大人数で行って目立ってはいけないので、戦力外の私と有働さんは皆さんを地上からサポートします。そしてここからの道中、光さんには塔の案内と引率をして頂きます」  御戌神がタブレットに触れると、そこに見やすく構築されたホームページのような画面が現れた。 「そこに私が記憶している塔のアイソメ図と、敵の情報などを記しておきました。また右下のチャットツールで私達とやり取りできます」  イナちゃんと画面を覗きながら、三人で情報をざっと流し見る。塔の内部に敵はそこまで多くないようだ。この塔は連中が建設している楽園アガルダへの通り道にすぎず、要は二大ボスである愛輪珠如来とナタリア・サミヤクを突破してしまえば細かい敵は殆ど出現しない。 ༼ って、ナタリアはこの間倒したんじゃ? ༽ 「ええ、肉体は倒しました。ですが、あの呪医は人間の負の感情が生み出した怪物です。放っておけば再び力をつけて無限に復活してしまうので、大元である感情エネルギーの塊を完膚なきまでにへし折る必要があります」  つまり心理戦を行うと。 「その戦いの担当は、ドマル様と光さんを推奨します」 ༼「え?」༽  呼ばれてドマルが私から分裂する。御戌神と、だぶかドマルが?? 「お不動様は後の如来戦に向けて温存する必要があります。そしてパクさんも、紅さんのお体を取り戻した後に日本で浄化を行う役割があります。そこでナタリア戦はドマル様と光さんが済ませ、その間にお二人は塔内で情報収集をしてもらいましょう」 「ちょっと待って! そりゃドマルは苦痛を取り除く仏様かもけど、僕はそういうの」 「ナタリアなんて性格最悪女との戦いで妻の心が曇ったら、『そいつはコト』でしょう?」 「うっ……僕がやるので」  未来の帝王、夫という人種にやたら手厳しい。しかしここは彼女の作戦通りに進むのが得策だろう。悟さん達も増員が来たり体力の回復次第追って来てくれるという。私はドマルと一旦分裂し、御戌神、イナちゃんと共に塔へ旅立った。
བཞི་པ་
 心霊タブレットの指示に従って御戌神が光の紋章(ルーン)を描くと、大ティルベリ戦で壊したはずの古民家が再び現れた。相変わらず天まで届くような瘴気を放っている。 「入るのやだヨー、くさそう」  イナちゃんが顔をしかめる。私達全員が金剛に恨みを持っているため、塔の見た目はとてつもなく禍々しい。 「待って、見え方(バイアス)解くルーンを。ええと、こうでこうで……できた」  ルーンが形作られると、まるで悪魔の棲家のように不気味だった古民家が穏やかな雰囲気に変わった。金剛に信仰心があればあれは大豪邸か何かに見えるはず。つまり、あれが本来の結界の姿なんだろう。  古民家内はまるで中世か近世初期のように文明感のない内装だった。壁面は塗装されていない丸太を手で組んだ作りで、隙間に所々干し草が詰められている。アフリカらしからぬ大きな暖炉があり、その隣にはむき出しの階段。登ってみると、ドアや暖炉を含めて全てが入ってきた時と同じ内装の部屋に出た。 ༼ あれ? 同じ所に戻ってきた? ༽ ༼ いや、小物の配置が若干違う。それに窓の外が高くなっている ༽  タブレットによると、ミラさんが知っている限り全ての階層はほぼ同じ間取りらしい。雑な作りの結界だ。 「七階が書斎で。ワヤン不動とイナちゃんはそこで待機して、情報を」  全員幽体や影体だから、階段は苦ではない。まず全員で一気に七階まで上がった。確かにこのフロアには、下の数階と違い壁一面に本棚があった。しかし…… ༼ ね、ねえ、イナちゃん……これ読める? ༽ 「読めるわけないヨ、てゆかこれ何語??」  本はどれもこれも手書きのアルファベットで綴られているけど、英語じゃない。文字の上に点がついていたり、数字の6を裏返したような文字がある。 ༼ あーこれ、氷島(アイスランド)語だ。読めるようにするよ ༽  ドマルが私に記憶を共有してくれた。どうやら信者の中にアイスランド人がいたらしい。すると実際の文法や発音はわからないものの、本に書かれている内容はふわっと理解できるようになった。  全員の準備が整うと、私とイナちゃんは分裂したドマルと御戌神を一旦見送った。
ལྔ་པ་
 ワヤン不動と分離した拙僧は、御戌神に導かれ、塔の上階へ進む。幸運の呪医が棲む領域は、十九階にて出入口と同じ扉を開いた所にあるという。 「どうして……どうしてこんな事に……」  前を行く御戌神は、聞こえる声で独り言を繰り返している。 ༼ そんなに辛いなら断っても良かったのに ༽ 「断ったらもう、僕ができる事など一つも。そしたら一美ちゃんに顔向けが」  彼はぶっきらぼうに答えた。拙僧の事は一美と同一視せず、ただの身内のように捉えていると見受けられる。 「心理戦ってやっぱ精神攻撃なので? 悪夢を見させられたり一美ちゃんに罵られたりなど? あー嫌だあぁー、そういうの一番苦手なんだからぁー!!」  にしても、拙僧に素を曝けすぎでは? ༼ その豆腐メンタルがあなたの最大の弱点だから、ミラさんはだぶか任命したんだろ。案ずるな、一美も友人や同僚にはしょっちゅう小心者と呼ばれているよ ༽ 「嘘こくなぁ、あんな勇敢な人が! 先に伝えとくけどドマル、僕は『死ね』って言われたら本当におっ死んじまうタイプなんだから!」 ༼ 誇って言う事じゃないぞ ༽  管巻きながら歩んでいた御戌神が足を止める。目的の扉の前に着いたのだ。先に開けて外に出てみると、そこには無数の小さな散減が泳ぐ池があった。  その池の水はまるで血液とヤクの乳を炎天下で腐らせたような悪臭を放ち、陸との境目が羽毛のように立派なカビの胞子で覆われている。時折天から人骨らしき物が池に降ってきて、それが汚水とカビを纏うことで散減に生まれ変わるようだ。 ༼ バイアス無しでこの汚さ……ていうか、結局雑魚敵も出るんじゃないか ༽ 「グルルル、人から盗んだ骨でこんな怪物作りなど! すぐ消毒せにゃ!」  御戌神の目が強烈な光を発する。輝きは重いたてがみに���るランプシェード効果で池全体に行き渡り、そのまま周囲一帯を閃光で包み込んだ。光が落ち着くと、カビ菌は焼けて灰になり、池の水も沸騰してかなり減っていた。 「ありゃ?」  水位が下がった事により、池の中心に巨大な茸の生えた岩場が出現した。御戌神がそれに近づくと、笠がピクリと振動する。 ༼ 待て、危ない…… ༽  一瞬遅かった! 茸が突然大量の胞子を噴出し、それを御戌神が直に浴びてしまった。水上を浮いて移動していた御戌神は電気ショックを受けたように硬直し、そのまま池に落ちていく。  すかさず拙僧は神経線維を伸ばして御戌神をキャッチし、彼を抱きかかえて塔の側へ戻った。御戌神は呼びかけても反応がなく、ヘッヘッと苦しそうな呼吸をする。彼の魂の奥まで神経を伸ばし、意識を読むとしよう。
དྲུག་པ་
「ああ、カワイソウ、カワイソウ♪」  巨大な茸の怪物が、耳障りな金切り声で歌うように喋る。 「他人の不幸は蜜の味♪ でもワタクシより不幸なのは許さない♪ だから死ね!」  怪物の根元から無数の散減が触手状に成長し、御戌神めがけて迫ってくる。それに触れられそうになった瞬間、  ヴゥンッ。 「きゃひゃぁ!?」  仔犬とも人間ともつかない声をあげ、御戌神は意識を取り戻した。 ༼ 死ねと言われると死んじゃう男に、ひどい悪夢を見せるよな ༽ 「あ……ああ。胞子のせいで幻を。ありがとうドマル。おかげで助かっ……だ……だるま!」 ༼ 達磨? ༽  お大師様? 「ちちち、違う! あんた手足が!!」  御戌神が鬼気迫る声を出す。しかし拙僧は特に何ともない。再び彼の精神を垣間見ると……ああ、そういうこと。  ヴゥンッ。 「キャンッ!」  彼の中で拙僧は、拷問部屋のような場所で四肢を散減に食い千切られていた。再び彼の目を覚ます。 ༼ 今度こそおはよう ༽ 「ハッ、また夢を! 良かった……って、うわあああ! 一美ちゃんが死んじゃううううう!?」  何だ何だ、今度は一美か。  ヴゥンッ。 「また夢……うわ! ひぃぃ~!」 ༼ 無限ループって怖くね? ༽  その後、何度刺激しても彼の精神は幾重にも連なる悪夢から抜け出せなかった。最初に茸の怪物に襲われた時を除き、惨たらしく死ぬのは大体拙僧か一美、それとワヤン不動。彼にとって、自分より愛する者が殺される方が辛いのだろう。時には散減や愛輪珠如来に襲撃され、時には不慮の事故が起き、時には御戌神自身の気が狂い…… 「もういい」  彼の心が折れたのは、公衆便所の和式便器に裸の一美の惨殺死体が捨てられている光景の中だった。 「もういい、このままで」 ༼ 何言ってんの。現実に戻れなくなるぞ ༽  血まみれで無残に横たわる一美を呆然と見つめながら、御戌神の目元からまた不穏な光が射す。その光を浴びた箇所の亡骸は、ふつふつと泡立ち少し黒く変色した。 「現実に何の意味が……? 夢から覚めたって、僕はもう一美ちゃんに顔向けなど! 彼女の命に縋って、偽物と結婚して、キスして、初夜も……う、ウオオオーーーン!!」  御戌神が吠えた途端、繋ぎっぱなしにしている神経から彼の苦痛がびりびりと伝わってくる。そして、記憶も。 ༼ ……これは…… ༽  すると便槽の底から、茸の声が響いた。 「きゃっはははは! なぁんてカワイソウなワンちゃんかしら、無様ねぇ~♪」  茸は一美の体を突き破り、汚水と胞子を撒き散らしながら成長する。その姿はインドネシアで見た呪医ナタリアに近くなっていく。御戌神の心の苦痛を浴びて、力を取り戻しかけているようだ。 「ずっとあなたの事見ていたわぁ。あの夜、愛輪珠相手にどうしても勃たなくて、ホテルのベランダに飛び出したあなた。でも地上でハイエナのように待ち構えるワタクシのティルベリちゃん達を見ると、『僕が一美ちゃんを守るので~っ!』って、自殺を諦めて……カァーワイソー!!! きゃ~ははははは!!」  彼が自殺を試みたのは、その一時だけではない。結婚後も幾度となく死の誘惑に抗い、心と体を掻き毟りながら、一美の傍に留まり続けていた。 「さあ、一美なんて女とは縁を切っちゃいましょう♪ 金剛有明団こそがあなたを幸せにできる。だって御戌神、あなたは……」  その気力ももはや尽きかけ、御戌神の体に胞子が積もっていく。そして、彼の輝きも次第に失われるが…… 「あなたはワタクシが作り出した、とびきりカワイソウな負け犬なのだから!!」  ボッ。  彼を覆う胞子は、全て拙僧のエネルギー弾により焼滅した。 ༼ あなたの『カワイソウ』は、矛盾を孕んでいる ༽ 「……は?」  怪物ナタリアから、笑顔が消える。 ༼ 人が可哀想と言う時、その後はたいがい同情の言葉へと繋がる。『可哀想、だから助けてあげる』、『可哀想、だけど何もしてやれない』 ༽  拙僧にも覚えがある。砂漠の果てで力尽きていた、あの『可哀想』な精霊を…… ༼ だが、あなたの目的は逆だ。人から施しを集めるために、わざと不幸を生み出している。カワイソウによって縁を引き寄せ、カワイソウによって徳を得る。それが、あなたの力のからくりだ ༽ 「その通り♪ 不幸な人間ほど良い縁に恵まれるの。よりカワイソウな者こそ、より人に優しくして貰えるの!」 ༼ まだ分からないのか ༽  抜苦与楽の法力……拙僧は御戌神の身体を修復した。爛れた顔の皮膚と、掻き傷まみれの指先を。そして……少しだけ、彼を構成する細胞に、ある『抵抗性』を付与する。 ༼ 哀れみで繋いだ縁は、自分が不幸ではなくなれば消滅する。つまり幸運のナタリア(ナタリア・サミヤク)、あなたは誰も幸せにできないし、やがて誰からもカワイソウとすら言われなくなる ༽ 「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!!」  ナタリアの根本から五本脚の散減が生まれ、拙僧をがんじがらめに縛り上げた。 「ドマル・イダム、そして紅一美。ワタクシはあなたのような加害者が一番大っっっ嫌い。どれだけ不幸のどん底に突き落としても、どれだけ心を折ってやってもゴキブリのように立ち向かってくる! それどころかワタクシ達が大切に大切に育てたものを正義面で悉く壊してしまう! 死ね。死ね死ね死ね死ねえええぇーーーーーっ!!!」  結局それが本音か。カワイソウなどと言いつつ、彼女は自分より幸せそうな人間を妬んでいるだけだったのだ。 ༼ ……こんな事言ってるけど、あなたはこの女性の事をどう思う? ༽  拙僧は僅かに動かせる神経で、御戌神の前髪をたくし上げた。 「えっ」  途端、御戌神は全身を真っ白に染め上げる。その輝きが悪夢の世界を包み込むと、突然全てのカビ菌がじゅくじゅくと音を立て崩壊し始めた。 「ぎゃああああああああぁぁーーーーー!!?」  胞子を失ったナタリアが急激に力を落とし、悪夢の光景は光が落ち着くと共にあの池があった景色に戻った。但し水は全て干上がり、草木一本どころかカビ一つ生えていない。ナタリアは池の底に溜まった砂利の上を転がりのたうち回る。 「あ、あなた、御戌神ッ! ワタクシに何をしたァァーーーッ!?」 「……」  彼は何もしていない。最大限の嫌悪と軽蔑の感情を込めて、ただただ自らを祟り神に仕立て上げた創造主を見下ろしている。但し長期に渡るストレスで変容した彼の輝きは、全ての生き物を朽ちさせる滅びの光となってしまったのだ。 「やめて、見ないでぇ、ひぃぃ許してぇ! 愛輪珠に紅一美を解放するように言うから! え、エヘヘ♪ お願い御戌様ぁ……!」  ナタリアはへらへらと命乞いを始めた。しかし御戌神は何もせず、ただ彼女を、そして穢れたカビの池を見つめ続ける。 「そんな目で、見ないで……弱く、て……カワイソウ、な、ワ「しつこい」  発光。そして数秒遅れで、人間であれば鼓膜が破れるような轟音が響く。ずっと体の中に貯め込まれていた滅びの光を御戌神は全て解き放った。それは一EBq(エクサベクレル)級を優に超えていただろう。ここが娑婆の地上ではない、塔という��空間で良かった。  これで夫に粉をかけてきていた女はいなくなったわけだが、前世として一応聞いておこう。 ༼ ……で、結局、彼女をどう思う? ༽ 「別に。カワイソウでもカワイくもねえ、心底どうでもいいおばさんで」
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johncoffeepodcast · 1 year
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 旅行をする目的ってどんな所にあるのだろう。見たい場所を巡る為に旅行を計画する人もいれば、休息を取りたいが為に旅行へ行く人もいる。大陸間を飛び回り、1つの大きな山場をむかえていたfuture nostalgiaツアーは、来日した時にはもう佳境だった。dua lipa は日本に来る以前に既に100回ものステージをこなしている。この時、残す公演はオーストラリアの9公演と、アルバニアでのラストライブだけだった。
 旅には新しい事を吸収できるという側面がある。dua lipa は2020年の3月に2ndアルバムfuture nostalgiaをリリースし、続々と新しい試みに取り組んでいた。future nostalgiaのアルバムはコロナ禍にリリースされた事もあり、同年の11月28日には最新のテクノロジーを使ったオンラインライブstudio 2054が開催された。コロナ禍の後には待ちに待ったアルバムのツアーが遂に始まることになる。2022年に始まった有観客でのツアーは約1年の長丁場になったのだ。その間にもdua lipa は新しい曲をリリースしたり、初の俳優業へ挑戦するなど常に新しいステップへ進み続けた。多忙を極めるdua lipa がバケーションに選んだのは東京だった。
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 様々なホテルに宿泊したであろうdua lipa が東京で訪れたホテルは、アマン東京という大手町にあるホテルだった。俺が訪れたのは中では無く、外からビルを見上げただけだったので、正直なところ確証は持てない。しかし部屋の作りと大きな窓から見渡せる風景がかなり似ている。アマン東京の部屋からは、夜は摩天楼が見渡せて、朝は山梨と静岡にある富士山が見渡せた。
 dua lipa が東京で宿の様子を投稿したのは11月2日の事だった。〜japan Miracle〜というキャプションと共に、一枚の写真が載せられている。dua lipa の眼に東京はどのように映ったのだろうか。アマン東京は和室と洋室が溶け合うスタイルの5つ星ホテルだ。エネルギーを使いステージをこなすdua lipa はホテルで何を思ったのだろうか。一日街を歩き回り、驚きと、安らぎはあっただろうか。
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 dua lipa と比較するのはなんなのだが、実は俺もこの夏1人でホテルに泊まってみた事がある。それは九段下のビジネスホテル、京王プレッソインという所で、その日は映画セントフランシスを観た後だった。サンダルを履いて、焼ける日差しの下を歩くのは気持ちが良い。その日の夜は9時頃、東京タワーの下にいた。東京タワーが特別にライトアップされる日だったのだ。ビルや夜景は建物の型以外にはならないが、夜景はその周りにいる人々が特別なムードを作り上げる。俺は後日、古本とレコードを見て回った。素晴らしいものや、それに集まる様々な人を観た素晴らしい休日になった。
 dua lipa がツアーを回る中で、新たにセットリストに加えられる曲があった。それはpotionという曲で、カルヴィンハリスが1度夏にリリースをしたファンク・ウェーヴ・バウンシズ という企画の第二弾だった。ファンクウェーヴバウンシズ自体は、様々なアーティストをゲストにむかえて夏のトロピカルビートを纏め上げるという企画だ。このアルバムは今回で5年ぶりだった。potionは夜中の会話、痺れるほどドキドキの感情に、少しだけセクシーな要素を入れたらpotionだ。と歌っている。俺は元々ソウルミュージックが好きなのだが、ソウルにはそういった部分があるから自然と惹かれてしまうのかもしれない。
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 dua lipa が東京で食したグルメはafriのラーメンや、寿司の寿司勇以外にも何があったのか気になった。dua lipa は前回紹介したように酒場などにも寄っている。それで今回のdua lipa のバケーションで俺がホテル以外に確証をもって突き止められなかった写真がある。それはこちらのdua lipa がレコードを持っている写真だった。何処かのレコードバーで撮っている写真のようにも思えるが、茶色い木と換気扇しか手掛かりがない。写真にはもちろんレコードも写っているのだが、レコードから場所を特定するのは不可能だ。
  dua lipa が訪れてくれたお陰で、俺もdua lipa が東京を訪れた2週間後に旅行をする意味が出来た。通常ならば家にいたのだろうが、dua lipa のお陰で普段なら起こりえない様々な経験を味わう事になった。dua lipa の来日に突き動かされて始まったこの旅は、個人的にとっても忘れられない旅になった。音楽で人の心を動かすのは素晴らしい。ちなみにアルバムがリリースされたのは2020年の3月だった。その9か月後の2020年の11月28日に自身初のデジタルライブstudio 2054を企画したのだが、その2年後にあたる本日の2022年11月28日が約一年をかけて世界各地を回ってきたツアーの千秋楽になる。
  本日、11月28日はとっても意味深い日になると思った。日本でツアーを見る夢は叶わなかったけど、きっとまた来日してくれる事を心から願っている。約1年に渡って行われてきた。future nostalgia ツアーが無事に完結してくれるのが何よりも嬉しい。110回目の公演の最終地点はアルバニアのティラナ。そこはdua lipa の生まれ故郷である。dua lipa の歌手人生は15歳の時、youtubeに歌をあげる事から始まった。
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 夢を叶える為にロンドンに渡った少女が今日は故郷に凱旋する。future nostalgiaというアルバムは未来の郷愁というアルバムだ。まるで時間の軸が縒れたような、思い出を今に甦らせたタイムレスなトラックである。だから今日のツアーの模様を振り返るのはいつだって良いはずだ。今からでも遅くない。是非dua lipa のツアーの感想を観て見て欲しい。
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 Hi! dua lipa !
 Please come to Japan again,
 you will definitely enjoy it!
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