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#パニック障害と共に
okumaseitai · 1 year
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・ パニック障害で息苦しくてお辛い方から、ご感想をいただきました。 自宅でできる ワークなどもお伝えして しっかりと実戦してくださっております。 必ず足を組んでおられたのが 今では足も組まなくなられました。 呼吸も以前よりは かなり深くできるようになられました。 【ご感想】 ●どんなことでお悩みでしたか? 6年前にパニック障害になり、24時間ずっと、息苦しく感じ、夜になると不安感により、過呼吸になる事も多く、遠出も怖くてできない状態でした。 ●何がきっかけで当院の施術を知りましたか? インスタで、たまたま、おおくま先生の投稿を見て、住所を調べたら通える所でした。 ●当院を知ってすぐに予約をしてくださいましたか? SNSの投稿を見た次の日に、すぐ電話しました! 苦しくて苦しくてたまらなかったのですが、初診なのに、当日来てくださいと言ってくださり、うれしかったです。 ●何が決め手となって施術を受けていただけましたか? 先生と合い、今までの状態を説明したら、先生が優しく声かけをしてくださり信頼と実績を口コミで見てたので、お願いしました。 ●実際に施術を受けていただいて、いかがでしたか? 最初は週に2回通い、家での対処方法や自律神経にいい曲、何で私の体がこうなっているのか、すごく分かりやすく、細かく説明してくださりました。 通うにつれて状態も徐々に良くなってきて、24時間息苦しいのは、なくなりました。 今、4カ月通いましたが、全回復まで通います! 不安な時、いつでも連絡くださいと言ってくれて安心できます。 A.Tさん ■院長より A.Tさん 素敵なご感想有難うございました。 最初の頃は姿勢も猫背で呼吸が本当に浅かったですね。 自宅での対処法も真面目に取り組んでいただき、姿勢も頑張ってくださいました。 少しづつですが、血行の良くなって来られて、呼吸も、かなり深くできるようになられて、本当に嬉しいです。 波はあるものですが、全回復まで全力でサポートさせていただきますので、一緒に頑張ってまいりましょう。 不安な時には アロマもオススメです。 詳しくは最新のブログをご覧ください。 https://wakae-ookuma-seitai.com/panick-syougai-6/ #不安 #パニック障害 #息苦しい #パニック障害ママ #パニック障害克服中 #パニック障害の人と繋がりたい #パニック障害あるある #パニック障害なんかに負けない #パニック障害持ち #パニック障害克服したい #パニック障害で育児 #パニック障害なんかに負けない #パニック障害にヨガ #パニック障害と共に #パニック障害闘病中 #パニック障害の母 https://www.instagram.com/p/CmgU9PDpEVO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 11 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)に��、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田��久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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to2geki · 3 months
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わたしのはなし
前は自分には何も無くて此処でしか全てを発散出来なかった。自分を出せるのは此処だけ、文字だけやと思ってたし、自分しか信じられんと思ってたけど今はそんなこと思わなくなった。毎日ご飯を食べられて、友達と遊べて、いっぱい笑えるようになって、働けるようにもなって、自分の好きなものを見つけられるようになって、陽の光も浴びれるようになって、息がしやすくなって、自分の居場所が少しずつ広がっていって、小さな夢も少しずつ持てるようになって、目の前が明るくなって。 きっとこれは周りの力も必ずあるけれども、自分の力も間違いなくあると思う。
思い出したくない、5年前。まだ制服を着ていたわたしはあることをきっかけに、制服を脱いで部屋の扉と心を完全に閉ざしてしまった。
そこから長い長い日々が始まった。喋れなくなり、全ての感覚が研ぎ澄まされているせいで少しの太陽の光も、少しの音も、からだが受け付けなくなってしまった。ご飯ももちろん受け付けなくなり、口にするものは水や氷など固形物は食べなかった。みるみるうちに痩せ、思考も乏しく、立てなくなった。目の前にあるのは大きな 死 だけだった。死ぬのが正解だと心の底から思っていた。一度家を裸足で飛び出して、車の前に飛び出たりそんなこともした。
もちろんこの状態を見ていた家族など周りは、必死にどうにかしようとしてくれていた。今なら分かるけどあの頃は、ただただ邪魔だった。食べれないのに毎日ラップして置いてあるご飯も、行かないのにいつも手紙を送ってくる学校も、なにもかもが邪魔で、こんなことも出来ない。と逆に自分で自分を殺し続け失望する日々だった。
そんな日は続き、病院に行くことになった。何も喋らない私、心配そうに見つめる母親、次から次へと質問を投げかけてくる主治医、待合室で待つ父親。目の前がぐるぐる回って、もうなにがなにか分からんくなった。恐怖 それしか頭になかった。そこから薬での治療が始まった。色んな薬を試した、副作用も決して楽ではなかった。ソワソワして夜中外を歩き回ったりもした、テンションが上がって何度も何度もピアスを開けたりした。それでもなんとか薬を変えたり、陽の光をできるだけ見るようにしたり、ご飯を少しずつ食べるようにした。歩けるようになった、話せるようになった。学校にも誰にも合わない時間に行けるようになった。少し状態がマシになった。
そこから良くなっていくと思っていたけれど、現実は神様はそんな甘くなかった。身内の不幸事が重なり、家族が少しバラバラになった。下で怒鳴り声が聴こえた日も少なくなかった。その度に私は震える身体を抱きしめては枕に顔を埋めて泣いた。呼吸困難も何度もなった。パニック障害になった。家にいることもしんどくなった自分は同じ境遇の人を探した、最初は話があってひとりじゃないと思ったけど、相手の悩みも自分の悩みとしてカウントされて、相手を救えないもどかしさと悔しさに腹が立ち、自分を傷つけるようになった。相手が思う自分を変えてはならないと思い、完璧に演じるようになった。乖離性障害になった。
もう死にたくてたまらなくて逃げたくて弱い私は、ついにドラッグに頼るようになった。幻覚と幻聴に耐えれなくて、ドラッグ。何度か吐血することもあった。意識が朧で車に轢かれかけたこともあった。薬物が自分を保てるものになっていた。正気でいられるモノになってしまっていた。自傷数え切れないくらい自分を殺した。死ぬ場所を見つけに、真夏の夜中から朝までそこらじゅうを練り歩いたこともあった。そしてついに閉鎖病棟に入院することになった。
真っ白な病室には、ベッドひとつ。テレビもなければ携帯もない。煙草も吸えない。自傷する恐れがあるとのことでペンすらも許可が出ないと使えなかった。お風呂も時間制。外に出るのもなにをするにも知らせなくちゃいけない。部屋にある防犯カメラをずっと見ていた。病棟には様々な患者さんがいた。アルコール依存、認知症、ドラッグ依存。ここで生活していたら余計自分は腐っていく。そう感じた。そこから少しずつ 当たり前 といわれる生活をできるように努力した。
退院。ここから出られるという気持ちもあったが、不安の方が圧倒大きかった。次、希死念慮に襲われた���本当に死んでしまうんじゃないかと思っていた。隔離がなくなった今、自由になってしまった私は不安だった。
退院した後も、前のリズムを崩さないように努力した。毎朝散歩はしたし、食事も取るようにした。でも夜には勝てなかった。孤独な夜は考えることが多すぎた。わたしには耐えられなかった。自分を傷付ける行為が自分の中での発散方法に変わった。それでも毎日生きようと必死になっていた。時には死にたくてたまらなかったけれど、何度も救急車で運ばれたけれど、心の中のどこかでくたばりたくないと思った自分が居たんだろう。
そこから色々また薬を変えた。そして好きなことを見つけたりするようになった、本を前より沢山読むようになった、絵を描くようになった。そしてずっと彫りたかったタトゥーを彫った。そこから確実に腕に傷をつけることは減っていった。だんだん見えてくる世界も変わってきて、自分の好きな場所に足を踏み入れることで、関わってくれるひとたちも変わっていった。自分の好きな物を素直に好きと言えて、共有できる。そんな場所が増えて自分らしくいられるようになった。
大まかだけど、わたしには闇に葬りたいくらいの過去がある。でも今はそれを愛おしいとも思えるくらいになった。全く恥ずかしいと思わない。この経験がないと気づけない事が沢山あったと思う。死んでたかもしれないしドラッグ漬けだったかもしれない。わたしは今、幸せだ。たまに泣いたりそんなときもあるけど、人間してるな〜と感じれるようになった。どんな感情もどんな自分も認められるようになった。無理に繕わなくなった。腕の傷もお酒や、天気が悪いと浮かんだり疼くが目立つことなく消えていっている。
わたしは、当たり前 の難しさを知っているから他人にそれを強要しないし、当たり前 という言葉が大嫌い。普通や当たり前というのはある意味異常だ。それと同時に 普通 という言葉も大嫌い。普通という言葉の意味は死ぬまで分からないと思う。あまり分かろうとも思わないが。
過去の方が、identityがあったなあと悲しくなっていたが、tumblrを見返したら思ってることが今と変わらなくて嬉しくなった。わたしの芯は変わってないと確認できた。あの頃の苦しみが文章に現れていて、人間臭くて、美しいとも感じられるようになった。
わたしはわたし。簡単に私のことをわかって欲しくない。
我儘で自己中な文章。それでもその裏にあるモノをみたら見方が変わってくる。きっとそれは何事もそう。本質を見極めたらきっと見えるものも変わってくる、わたしは表面上だけで見るんじゃなくて、本質を見るということを心掛けてる。
あの頃から5年経った今、わたしはまだ通院、服薬をしているが全く違う自分になれている。病気も治るわけではないけれど、受け入れることで病状が悪くならないでいるんだと思う。受け入れるのに5年強もかかった。だからみんな焦らなくていい、大丈夫 。何年かかってもいいから、
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ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月28日(木曜日)弐
   通巻第8194号
 中国の「超限戦」はすでに始まっている
  有力シンクタンクが衝撃の現状分析と防御策を提議
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 中国の謂う「超限戦」を「UNRISTRICTED WARFARE」と英米では表現している。
米国の国防、安全保障関係のシンクタンクからつぎつぎとなされる警告は「サイバ-真珠湾」「デジタル911」を中国が仕掛けるというレポートだ。
「中国のハッカー軍団が米国(ならびに西側先進国の)インフラ、とくに送電網、貯水池や処理場、パイプライン(水道管、ガス管を含む)、交通・通信システムなどの主要コンポーネントを標的に攻撃しようとしている」。
目標は中国が標的とする国々の生活に不可欠なすべてのシステムを破壊することにある。
電気がなければ、家電どころかパソコンも携帯電話も使えない。蛇口から水が出なくなり、珈琲も紅茶も飲めず、炊事も出来ない。ガスがつけなくなれば台所も、冷暖房も機能せず、交通インフラが襲撃されると、通勤電車も新幹線も動かず、飛行機が止まる。出張も観光も移動も機能不全に陥いる。下水処理場が麻痺したら疫病の蔓延も考えられ、社会は大混乱とパニックに襲われる。
そのうえ通信が途絶えると政府も軍も警察も国を守ることができなくなる。それが「超限戦」である。機関銃も大砲も爆撃機も不要、弾丸は一発も発射されない。まさに「孫子の兵法」の現代版である。
「西側は、中国共産党が悪意のある脅威と正しく認識する必要がある。防御の第一はこの認識である」。
 こう主張するのは「ゲートストーン研究所」のピータ・ホークストラで、『TIKTOKは戦争の手段だ』といったゴードン・チャンらがつどうシンクタンクだ。
 2022年7月6日、従来にないイベントが行われた。クリストファー・レイFBI長官と英国MI5のケン・マッカラム将官が史上初めて共同で公開の場に登壇し、「増大する中国、安全保障上の課題」について話し合った。
中国の超限戦への取り組みが緊急であると訴えたのだ。
中国共産党が西側諸国から技術や企業機密を盗取している現実があり、その対象分野に は先端材料、データ、人工知能(AI)などが含まれる。
サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁(CISA)のジェン・イースタリー長官は、米国と中国共産党の間の戦略的競争に関する下院特別委員会で、中国がもたらす脅威は「想像上のものではなく、現実である」と証言した。
通信業界、航空、エネルギー、水道インフラへの中国共産党の侵入はすでに発見されている。中国の脅威が増大し続ける中、世界的な安全保障環境では、米国と同盟国が脅威を軽減するためにインフラとシステムを強化するための緊急対応が求められている。
くわえて中国は毎年およそ10万人のアメリカ人をフェンタニルや他の麻薬で死に至らしめている。この犠牲者の数は毎日、大型飛行機墜落事故がおきている計算になる。
 
これらをふまえて前述米シンクタンクは以下を提言している。
 第一に対応するべきはテロ支援国家に中国を指定するべきである。SWIFT(212カ国の1万以上の金融機関が相互に金融取引に関する情報を送受信するネットワーク)から排除すべきである。
 第二に、企業や大学も、知的財産の盗難をより困難にし、検出しやすくするために、セキュリティシステム構築に真剣に取り組むべきである。ハイテクの盗取は技術革新研究開発で、困難を伴い巨費のかかるプロセスを中国が短絡しているのである。
 第三に、米国は国家安全保障の優先事項として、同盟国と協力して知的財産と技術進歩を保護する必要がある。中国共産党への技術移転を防ぐためにもっと緊密に協力しなければならない。
 
 第四に企業は、自社のシステムが外部の組織によ���て攻撃または侵害された場合、政府にただちに通知する必要がある。現行法では、上場企業が当局に報告する期限を4日以内としているが、自社のシステムが侵害されたことを認めたがらないからで、風評被害を懼れるからだ。そんな悠長な対策は被害をさらに大きくする恐れがある。
 第五に中国共産党系列の中国企業による米国での企業買収や合弁、とくにEV用バッテリーの生産などを含め、中国共産党の脅威に関して国、州、地方政府の間で連絡と政策を調整する必要である。中国共産党がアメリカの農地、就中軍事基地近くの農地を買い占めている現実は軍事的な脅威である。
新型コロナウイルスの人責任を中国共産党に追及する政府の失敗を猛省し、いまの米国ならびに同盟酷が中国共産党との戦争状態にあることを深く認識しなければならない。
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apoandbangpo · 11 months
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
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Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっていることだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁ずると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、歌手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の粗い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギという3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだと確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの起源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別れのように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感を私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれが対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサートが明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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natsumiabe · 2 years
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実は、の話。 私は、HSPであり、季節性うつ、不眠症、対人恐怖症、不安障害、性被害や暴力被害のトラウマやフラッシュバック、などなどをもっています。 人は見た目では分かりませんよね😊 ⁡ ⁡ 私は実際のスタジオでのヨガはほとんどしたことがありません。人や物や常識、状況、全てにおいて、何か少しでもプレッシャーを感じてしまうものが苦手です。 ⁡ でもだからこそ、海外へと意識を広げることができた。だからこそ、今の最高の自分がある。 ⁡ The reason you won’t love yourself is the reason to love yourself. ⁡ 誰にも理解されない悲しい過去、自己嫌悪ややりたいことができないもどかしさ。 そんな「自分を愛せない」理由こそが、私が本気で自分を愛する理由になりました。 ⁡ ⁡ ⁡ 今回も、SUPに行った時も、めちゃくちゃ楽しかった! でもどちらの時も、突然、恐怖や不安の感覚が、まるで火山が突然爆発したように表れて、パニックになって、感情的になって、隠れてたくさん泣いています(笑)。 ⁡ でもヨガや瞑想のおかげで、Arisaさんや、愛と思いやりある皆さんとの出会いと支えのおかげで、そしてもちろん仕事をやめて数年じっくり自分と向き合ってきた自分自身のおかげで(笑)、そういう状況のときも、自分に寄り添えるようになってきました。 オートパイロットではなく、その思考や感情自身になって振り回されるのではなく、立ち止まり、それらをただ観察し、認めて、傍に寄り添い、愛情とコンパッションと共にただbeing、いれるようになりました。 ⁡ 私は自己成長、self-growth が大好きです。 ⁡ 苦手なことや嫌なことなんて、無理やりやる必要は全くない。 ⁡ 私は精神的な問題をたくさん抱えている。 これを読んでる人で私と同じ人もたくさんいるでしょう。 そしてそれは、わかりやすい肉体的な病気と違って目に見えない分、人に理解されにくいし、そのもどかしさや孤独感を感じやすい。 ⁡ ⁡ でも私は、自分を幸せにしたい。 せっかく生きるのなら、人生を楽しみたい。 ⁡ ⁡ 自分には乗り越える力と想像以上の可能性がある。 そう信じて、「楽しみたい」「行きたい」「会いたい」「やってみたい」「心が震えるような純粋な美しさを見たり感じたい」「幸せや心地よさを感じたい」 そういう、シンプルでポジティブな自分の気持ちを大切にして、優先していくことを選んでいます。 ⁡ ⁡ 70%、いや、元完璧主義な私の場合はもっと抜いて、50-60%くらいのエネルギーで。(笑) ⁡ 一番最初に大切なのは自己受容、self-acceptance ですからね😊 ⁡ “Travel light, live light, spread the light, be the light.” ⁡ ⁡ 誰かの心が少しでも軽くなって、心地よくなって、輝きますように❤️ (at 代々木競技場第二体育館) https://www.instagram.com/p/Cf-viHlP8ue/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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crydayz · 3 months
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230311 月
【0:10】 日曜終わったわ。夜の買い出し散歩行く。
発信と記録をやめない事だけがWEB上における人間性の保持
----------------------- 【11:45】
そうか、自分は [PJ240311-01] なんだ
(PJ番号部には言ってはいけない本音が入る)
ローカルテキスト上でしか書けない本音がある
自分がレンダリングする言葉と思考を「他人が読んで共感 / 応援できる形」に整形する癖をつけすぎた所為で、生理的に無理な行為を手続き的に全肯定してしまっていた
「これを嫌いと言ったら他人から好かれるはずがない」という本音が自分の中にある事を忘れかけていた
-----------------------
端的に言うと自分は仕事が嫌いだ
例え好きな事であってもそれが「義務化」した途端超嫌いになる
ここまでは多くの人に当てはまるやつだから書ける
だがここからさらにギアが上がって「さすがにそれはねーよ」的なゾーンに入るのだ
「被扶養者ポジション」の人間が扶養者や庇護者の事をやたらと嫌いまくるのにも似たアレ
やっぱ強者や権威に「護られながら操られる」のって「ムカつく」んだろうな・・・ いや、そりゃそうだ
それを嬉しい / 有り難い って思い込もうとしていた。そう思い込むのが社会性だし何よりも自分の幸せの為だと―
コテコテ、ベタベタな自己欺瞞だ
「自己の不一致」とも言える
このヒトのブログ [LINK]、一時期むっちゃ落ちてる時に読んで救われたのだけど今回もちょっと救われた
自己一致させたら「仕事人としてカス」になっちゃうじゃんとは思うが、一度自分の中の身勝手で反社会的なヘイトや怠惰を認めて「許す」フェイズ設けないと理性と本能が敵対しまくってパニック障害 / 新型うつめいた症状が発生してしまう
自分の本能と共犯関係結んで「建設性をサボる」
それも、セルフケアにおいては大事・・か
つまりここが頑張りの限界ということ。自分のポテンシャル、今のレベルではクリアできない「無理難題」ということ
やればできる。しかしやった後に溜まる毒の「解毒マネジメント」がキャパオーバーしてしまうから無理
炭水化物爆食いは全然できる。しかし食べたあと3日くらい連続で12時間寝てしまうから自分の首が締まってしまう的なアレ
やればやるほど出力精度が低下していく「自分と相性悪い行動」ってある
消費MPがでかすぎてうまく運用できない
言ってはいけない本音があり、それをローカルで書く事で心が落ち着くことを観測
元気な時に自分で読み返したらほんと滅茶苦茶な事書いてんなと思うだろうが、今は「消耗時空」にいるのだからローカルくらいでは「自分を護ってくれるが自分を惨めな気分にさせるもの」の悪口書きまくる行為を許容する
自分を惨めで最悪な気分にさせるものを僕は肯定しすぎたし、それを肯定する事を他人に勧めすぎた
無理なもんは無理、苦手なもんは苦手、できない事はできない
そういう等身大の「できなさ」を無視し続けた結果、あり得ないような失礼と怠惰を無意識のうちに発揮するようになってしまったのだ
そこを反省したら全てが破綻するから意識する事すらできなかった
僕は [PJ240311-01] だ。今後こういうローカルリンク型伏せ字が増えていく事だろう。これは他人の為に書いているわけではない。自分を慰める為に書いている
さて。とはいえ約束を果たさねば
こうなる事わかった上で約束や契約結んでしまった自分サイドにも落ち度がある。ここで「俺のパーソナリティ察してそんなオーダーするなよ」と言ったら意味わかんなすぎる
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22centuryworks · 4 months
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人生は、神は〝味〟があるのか
三宅唱監督の「夜明けのすべて」は生きている者と死んでいる者の間を描いた傑作だ。私はこの作品にも〝味〟への言及があるコトに注目した。パニック障害を患った男性はまずラーメンを食べていて味覚を無くす。そこから状況が悪化していく。そして、月経前症候群(PMS)の女性との出会いによって、それを回復していく。病は去らないが、味は戻った。人生の味方を取り戻した。一度死んでしまった魂も味方、〝生きているとされている者たち〟の影で健やかに回復していく。そのコトこそが、三宅氏にとっての映画であり、神の存在なのだ。
この映画はたしかに神々しい。青山真治監督の「サッド ヴァケイション」への敬意も感じる。神とは人生とは、〝味〟があるのか? 三宅氏がもっとも気にしているテーマかも知れない。あるヒトと出会う。友人になる。心から共鳴し、すべてを話した。だがそのヒトはじぶんから去った。そのヒトがじぶんの口の中に残り、いつまでも消えない。神とはそのような形をしている。人生を〝味〟に喩え、形を変えて、べつの人生を刻み生きている。「そのように存在しているモノ」の正体に三宅氏は気づいたのだ。だから映画を撮っているのだろう。
all the long nights
追記 13を暗示した三島有紀子監督「一月の声に歓びを刻め」というタイトルの映画を昨晩フォーラム仙台さんで鑑賞。三島作品は同じ場所でみた2017年の「幼な子われらに生まれ」以来だ。実体験に基づく性被害の話しで、語り口が〝風の時代〟を感じさせる。帰り道、電光掲示板には2℃とあった。夜なので部分的に寝てしまったが、カルーセル麻紀パパ、片岡礼子さん(おかん)、サマになる若ハゲの日本代表選手・宇野祥平氏、とよた真帆さん、前田敦子さんのうたが心に残った。第二章は風が強すぎてよく判らなかった。第一章では味が、第三章では影が描き込まれている。
じつは今年劇場鑑賞した映画でもっとも忘れがたい作品が相米慎二監督の「台風クラブ 4Kレストア版」なのだが、この映画には露骨で恐怖的な性暴力の描写が、不必要とも思える長い尺で起っている。しかもその事態へのフォローは一切劇中でなされておらず、無自覚な中学生たちはケロッと体育館でのダンスシーンへとなだれ込む。ラストはミヒャエル・ハネケ監督「ファニーゲーム」のようなショックが残った。私が20数年前、高校生時分にみた1985年の「台風クラブ」はもっと安心してみられる傑作だったのだから、時代(というか、相米慎二監督)が映画に託したモノの質に、時代が追い付いたのだと言うしかないだろう。「一月の声に歓びを刻め」という魅力的なタイトルにそれが顕れている。
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shqhfi · 5 months
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わたしはパニック障害と診断された。
どこに行くにも息が続かない、人が居るところに行くと身体が思うように動かない、手が震える。視界が真っ暗になって、頭の中が熱くて溶け出しそうになる。
目の前が見えないので息をしているのか���分でも分からなくなる。
自分の姿を遠くから見れる感覚になって、
ああ、これが発作なんだ。
と気づく。よくアニメとか顔文字とかで見る、目がぐるぐるになる感じ、気持ち悪くて吐くにも吐けないし息もできない。
ずっと溺れてるみたい。
発作を職場で出した時もとても迷惑をかけた。 辛い。申し訳ない気持ちでいっぱい。またそれで息が苦しくなる。
家ひとりで発作が出た時はこれで私の人生終わりかなとか思ったりした。
やっぱり、この仕事は向いていなかったのだろうか、楽しいと思えていた事が思えなくなっちゃうんだろうか、ずっと考えていた。
「休みましょう」
「地元に帰りましょう」
と言われてしまった。はあ。
_________________________________________
何も力が入らない、何も手につかない。
ひとり暮らしで出てきて自立した生活をすると決めたはずなのに、結局自立していない自堕落生活。
冷蔵庫の中にはアルファベットチョコ(個包装されたチョコが20個くらい入っているもの)と水のみ。
掃除もせずだんだん荒んでいく部屋を横目に1日中寝る生活をしていた。
というか寝るしかできなかった。
外に出ては発作を繰り返していた時期で、薬を飲んだら一定の落ち着きはあるが、 地下鉄やその他公共交通機関に乗ることが出来なくなってしまった。それでも無理して行くことはあったが、その後は吐いてしまったり発作が出てしまったりする。
テレビも思う様に見れなくなって、バラエティのガヤの音で吐き気を催した。落ち着いた音楽しか聞けなくなった。
もうダメ人間。ダメダメだった。
休職してから病院に行くが、お金もなく、外に出ることがとても怖い時期と重なってしまい2ヶ月ほど行って勝手に行くことを辞めた。自分勝手。
結局仕事を辞めることになった。
その時に、学生時代のことを思い出した。
必死に頑張ってきた(と思っている)2年間、 ああ、辛いこともあるけど結局好きじゃん!って思ってたのに、
ここで諦めてしまった。
2度とこの仕事をしたくないとまで考えてしまった。大好きな事だと思っていたのに、自分の幼稚さに落ち込むけど、
嫌いになってしまった。嫌いにさせてしまった、自分自身で。
「治ったと言っていたけれど、治ってないじゃん」
そう言われて、ショックだった。
そうだよな〜治ってないよな、って。 再発みたいなことしちゃってるしな〜って
私の持病的なもの(思い込みかもしれない)は中学1年くらいからあったものだから、これは一生付き合って行くものだと思ってるんだけど、上司は違ったみたい。
素の自分に戻れるなら戻りたかった、素直にその仕事が好きという自分に。
周りには自分の都合のいいようにしか辞める理由を言えなかった。辞めると言っていない人もいる。
私の心が弱いから。
変なプライドを持ち続けて、
私はずっと泣いていた。
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やっと週5で働くまで身体が安定する。
その前は学校の友達のストーリーをミュートして、散歩したり友達と遊んだり、少しずつ家事をしたり、ダメダメ人間してました。
ダメなやつです。学校の恥です。それで回復したのも結果オーライですけれど。
自分の心が落ち込んでいた時から入っていたバイトだけど、やっぱり週何回かで人と顔を合わせると仲良くなってくるし、
コミュニケーション取れるから人と話すのって楽しいって感じるようになる。
休職期間のときは人と話したくないって思ってたのに。
あとそこで上達したことは、配膳とバニラアイスの掬い方。それ以外は全く上手くならずに終わったけど。
飲食店なので前の職場まではお洒落できないのが辛かったが、私服だけはお洒落でいたいと思うようになった。
給料日は必ず服を買うのが楽しみで、それと同時にその日の服や趣味を載せるアカウントを開設した。
_______________________________
少し発作が出始める。
またぶり返したか、
と落ち込む。ネガティブになる。 ずっと頭の中で前の嫌なことがぐるぐる回りだして辛い。
ずっと泣いている。
シフト減らして貰いつつバイトには通う。暗い顔していたら客に怒鳴られる。負の連鎖は続くのね、と思ってしまう。
お腹空いて食べても吐いてしまい、何故かアルファベットチョコは食べれたので1日中食べていたりした。
テレビは少しずつ見られるようになる。アメトークとか漫才番組、ただただバカになって何も考えずに笑える番組ばかり見ていた。
アルファベットチョコとテレビだけは心の支えだった。
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何とか持ち直す。ギリギリだけど何とか働く。何とかご飯を食べる。何とか笑えるようになる。テレビも毎週観れるようになる。
この頃から、ラジオをよく聞くようになる。
芸人さんのラジオを聴いてよく笑えるようになった。あんなに観れなくて辛かったバラエティも沢山観た。芸人さんが大好きになる。
本を読む、音楽を聞く、映画を見る余裕が出来るようになる。
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地元の友達と久しぶりに会う。
友達は仕事をしっかり頑張っている。比べてしまう自分がいる。落ち込む。
でも結局何とかしないといけないのは自分でしかない。
今私は何をしたい?
何をしている自分が好き?
私には今何が出来る?
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2023年は秒で過ぎていってもう2024年、早すぎて焦る。
バイトを始めて数ヶ月、私は何になりたい?と考えるようになったこの月。
この数ヶ月間関わってきた人に色んな刺激を受けて、よく考えることが多くなる。
したいことってなんだろうと考えれば考える程分からなくなってしまってsnsに閉じこもる毎日。
…………
すごくすごく変なタイミングで思い付く。急すぎない?って自分でも正直思う。
そういえば、わたしは服が好きだった。コーデを考えるのが好きだった。靴や帽子を買うのが好きだった。
思いつきなんだろうけども、そこで迷ってまた始めないのは中途半端なんじゃないか。直感も大事なんじゃないかーー!
そんな簡単な理由でアパレルの仕事を探し始めた。ただ未経験なので経験を積むことから始めようと思った。バイト5〜6個受けて落ちたことがあるので万全な準備をして行こう。
やっと何個か受けての採用。
アパレル。夢のアパレルー!!
もうとりあえずやってみる、ちょっと息抜きしつつ続けてみようかなという感じ。
____________________________________________
今まで身体もついていけないまま中途半端な生活を送ってきたけど、それを理由にして長い間閉じこもっているのも良くないから、自分自身と向き合いながら、良いところも、悪いところも、全部自分として受け入れることを今の大きな目標にしようと思います。
私のこれまでの1年間、胸張って話せることではないし、自分の思い出し書きなので美化されてい���かもしれませんが、記録としてここに残しておきます。
またこれから色んなことを記していくと思います。楽しく書き続けて行けたらいいなー。
240126
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okumaseitai · 1 year
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・ パニック障害で息苦しくてお辛い方から、ご感想をいただきました。 自宅でできる ワークなどもお伝えして しっかりと実戦してくださっております。 必ず足を組んでおられたのが 今では足も組まなくなられました。 呼吸も以前よりは かなり深くできるようになられました。 【ご感想】 ●どんなことでお悩みでしたか? 6年前にパニック障害になり、24時間ずっと、息苦しく感じ、夜になると不安感により、過呼吸になる事も多く、遠出も怖くてできない状態でした。 ●何がきっかけで当院の施術を知りましたか? インスタで、たまたま、おおくま先生の投稿を見て、住所を調べたら通える所でした。 ●当院を知ってすぐに予約をしてくださいましたか? SNSの投稿を見た次の日に、すぐ電話しました! 苦しくて苦しくてたまらなかったのですが、初診なのに、当日来てくださいと言ってくださり、うれしかったです。 ●何が決め手となって施術を受けていただけましたか? 先生と合い、今までの状態を説明したら、先生が優しく声かけをしてくださり信頼と実績を口コミで見てたので、お願いしました。 ●実際に施術を受けていただいて、いかがでしたか? 最初は週に2回通い、家での対処方法や自律神経にいい曲、何で私の体がこうなっているのか、すごく分かりやすく、細かく説明してくださりました。 通うにつれて状態も徐々に良くなってきて、24時間息苦しいのは、なくなりました。 今、4カ月通いましたが、全回復まで通います! 不安な時、いつでも連絡くださいと言ってくれて安心できます。 A.Tさん ■院長より A.Tさん 素敵なご感想有難うございました。 最初の頃は姿勢も猫背で呼吸が本当に浅かったですね。 自宅での対処法も真面目に取り組んでいただき、姿勢も頑張ってくださいました。 少しづつですが、血行の良くなって来られて、呼吸も、かなり深くできるようになられて、本当に嬉しいです。 波はあるものですが、全回復まで全力でサポートさせていただきますので、一緒に頑張ってまいりましょう。 不安な時には アロマもオススメです。 詳しくは最新のブログをご覧にください。 https://wakae-ookuma-seitai.com/panick-syougai-6/ #不安 #パニック障害 #息苦しい #パニック障害ママ #パニック障害克服中 #パニック障害の人と繋がりたい #パニック障害あるある #パニック障害なんかに負けない #パニック障害持ち #パニック障害克服したい #パニック障害で育児 #パニック障害なんかに負けない #パニック障害にヨガ #パニック障害と共に #パニック障害闘病中 #パニック障害の母 https://www.instagram.com/p/CmgTDj8O36l/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 1 month
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2010年9月10日に大阪地方裁判所が無罪判決を言い渡したえん罪事件。無罪判決の後、担当検察官が証拠を改ざんしていた事実が明らかになり、主任検察官であった大阪地方検察庁特別捜査部検事が証拠隠滅罪で、その上司である特別捜査部部長および副部長が犯人隠避罪で有罪判決を受け、処罰された。 事件の概要 2008年10月ころ、企業が心身障害者用低料第三種郵便制度を悪用し、郵便料金を不正に免れる事件が明るみに出た。大阪地方検察庁特別捜査部は、2009年4月16日、同制度を利用して営利目的のダイレクトメールを発送していた自称障害者団体「凛の会」の代表者らを郵便法違反の被疑事実で逮捕した。「凛の会」は、同制度を利用するにあたり、同会が障害者団体であることを証明する厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長名義の公的証明書(本件公的証明書)を郵政公社に提出していたが、それは正式な決裁を経たものではなかった。 検察官が主張した公訴事実の要旨は、村木厚子氏が、社会・援護局障害保健福祉部企画課長であった2004年、郵便料金の割引を受けることができる心身障害者団体であることなどを認定する公的証明書の発行に関し、同課社会参加推進室社会参加係長、自称福祉事業支援組織「凛の会」の会長および発起人と共謀の上、真実は「凛の会」は心身障害者団体としての実体がなく、郵便料金を不正に免れることを目的としたものであり、村木氏が公的証明書を発行した事実もないのに、企画課長作成名義の内容虚偽の有印公文書(本件公的証明書)を作成し、発起人らが、その内容が真実であるかのように装って提出して行使した、というものであり、検察官は、村木氏に虚偽有印公文書作成、同行使罪が成立すると主張した。 捜査情報の流出と有罪視報道 大阪地方検察庁特別捜査部による捜査が行われた2009年当時、村木氏は、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長であったが、国家公務員法により守秘義務が課されている捜査情報(関係者の供述調書の内容)が報道機関に流出し、あたかも村木氏が有罪であるかのような報道が繰り返された。 「局長『偽証明書忘れて』厚労省係長供述 違法性認識か」(産経新聞2009年6月16日夕刊) 「元厚労局長 書類求めず証明書 逮捕の係長供述『準備止められた』」(日本経済新聞2009年6月16日夕刊) 「『前局長が日付変更指示』地検捜査に係長供述 証明書『決裁 気にしないで』 手渡し後『この件は忘れて』」(朝日新聞2009年6月17日朝刊) 「厚労省局長が直接電話 …『目の前で郵政幹部に』」(産経新聞2009年5月29日朝刊) 「証明書発行『元課長が電話』 障害者郵便 郵政側にと代表供述」(朝日新聞2009年5月29日朝刊) 身体拘束 2009年6月14日、村木氏は、大阪地方検察庁特別捜査部の検察官に逮捕された。検察官の請求を受け、大阪地裁は、6月15日、村木氏を勾留する決定をし、その後、さらに勾留期間を延長する決定をした。 7月4日、検察官は、村木氏、係長、団体会長および発起人を、虚偽公文書作成・同行使の罪で起訴した。7月6日、村木氏の弁護人は保釈を請求したが、検察官は、村木氏が「罪証を隠滅する」「逃亡する」と主張して保釈に反対し、裁判官も保釈請求を却下した。弁護人は、7月24日にも保釈請求したが、検察官は同様に反対し、裁判官も保釈請求を却下した。公判前整理手続が進んだ10月7日、弁護人がした保釈請求に対し、検察官は同様に反対したが、裁判官は保釈を許可する決定をした。ところが、検察官はこれを不服として準抗告を申し立て、これを受けた裁判所は、保釈許可を取り消した。11月18日に弁護人がした保釈請求に対し、裁判官は保釈を許可する決定をし、逮捕から164日後の11月24日、村木氏はようやく釈放された。保釈保証金額は1500万円であった。 他方で、取調べにおいて村木氏が関与していたとする内容の検察官調書に署名した係長、「凛の会」の会長および発起人は、いずれも起訴直後に保釈されていた。このうち発起人については、検察官が、「職権保釈については、しかるべく」「保釈保証金は100万円を相当とする」と記載した意見書を裁判官に提出していたことが判明している。 取調べ 逮捕から起訴までの間、大阪地方検察庁特別捜査部の検察官は、連日・長時間にわたり、村木氏の取調べをした。検察官は、勾留1日目から、「私の仕事は、あなたの供述を変えさせることです」と言い、村木氏が述べていないことを記載した調書を作成してサインを求めたり、「否認していると、厳しい刑、実刑を受けることになるが、それでもいいのか」「裁判のことを心配している」「弁護士の中には無罪を安請け合いしたり、だます人もいる」などと言ってきたと村木氏は明らかにしている。 村木氏は、取調べにおいて、自らに向けられた嫌疑を否定し続けたが、係長、団体の会長および幹部は、村木氏が関与していたとする内容の検察官調書に署名した。係長は、取調べにおいて、自分が独断で本件公的証明書を作成し、「凛の会」の発起人に渡したと言っても、検察官は話を聞いてくれず、「関係者はこういうふうに言ってるよ」「あんまり覚えてないことが多いから、そういうことは周りの人の意見を聞いて総合的に判断するのが妥当じゃないか」「多数決みたくやってかないと真実は見えてこない、真実の糾明に力を貸さないあなたは無責任だ」などと言われ、検察官が作文したものが、自分が語った形で調書になって、直してもらえなかった、と公判で明らかにしている。 係長は、取調べを受けた当時、「被疑者ノート」に次のように記入している。  ・ 「どうしても村木と私をつなげたいらしい。だんだん外堀からうめられている感じ。逮捕された私から村木の関与の供述が得られれば検察のパズルは完成か。今後私の供述を待たず、厚労省職員の証言をもって村木に自白をせまるのか。仮にそうなったら孤立している私はどうなるのか。全体の流れにのった方が有利なのか迷っている、いつまでも違った方向を見ていると拘留期間が長期化しそうで恐い。しかし、現時点で村木の関与は思い出せない。どうしたものか。」「(健康状態)普通」(5月28日)  ・ 「私が自分の責任を上に押しつけた形になってしまうのか。真実はどこにあるのかよくわからない。が、一日も早くここを出たい。」「(健康状態)普通」(5月29日)  ・ 「記憶はないけど私が村木に証明書を渡したことを認めた。(そうせざるを得ない)→りんの会側のメモや手帳という記録には、記憶だけでは勝てない。本当にそうなのか自信ない。早く両親のもとへ帰りたい。」「夜1人でシーンと静まりかえった独房にいると頭がおかしくなる。今後、社会や親族に受け入れてもらえるか。再出発できるのか考えていると息苦しくなってパニックになった。夜が怖い。」「(健康状態)普通」(5月30日)  ・ 「弁護士会館で証明書をりんの会の関係者に渡したことを「ウソ」ということにされてしまった。→調書にされた。」「違うと言ったが聞き入れたもらえなかった。最初から聞く気はない(単なるセレモニー)」「えん罪はこうした始まるのかな」「取調べはやはり録画するか弁護人の立会がなければ対等に戦えない。」「自分でリークしているのにマスコミは面白おかしく書くと言っている」「検事のいいとこどり作文→そういう作文こそ偽造ではないか。」「(健康状態)悪い・夜一人になると動悸がして絶望感におそわれる」「(弁護人について聞かれたか)今日のことは弁護人には言うな。」(5月31日)  ・ 「①村木が私に指示した ②私が村木に渡した、という点について、覚えていないのにこれではいかにも私が指示を受け、村木に渡したというウソの証言をしたことになるが、後から偽証罪にならないか?罪のない人をおとし入れるとになりはしないか、そのことを私が一生背負って生きていかなくてはならないと訴えたが全々まともにとりあってくれない。 →もうあきらめた。何も言わない。」「(健康状態)悪い・だるい、眠れないのでつらい。つかれた。」(6月5日)  ・ 「調書の修正は完全にあきらめた。 後々他人がどうなるかなんて今はどうでもよい。 罪をおかしたのは自分だから死ぬまで苦し���のは仕方ない 密室での取調べでは検察に勝てない もうだれも信じられない気持ち」「(健康状態)悪い・だるい、眠い、背中が痛い」(6月6日)  ・ 「後づけでもよいから後々のために決裁をとろうとしたことについて村木に『形だけでも決裁の形をととのえておいた方が良いでしょうか』という趣旨を私が相談して、村木からはその必要はないという調書になっている。作文に近いが……。 →検事の作文にのるという決断をした以上しかたない。」「(健康状態)悪い・だるい」(6月9日)  ・ 「・村木逮捕(理由は不明。はっきりわからない。検事総長まで了解しているとのこと)・再逮捕(公文書偽造・行使)明日裁判所、最大7/4まで拘置」「村木の逮捕について①私が証明書を渡したこと②村木から証明書作成について、指示があったことについて、「やはり記憶にない。自信がない」と言ったら、「●さん(係長)だけが悪いわけではなく村木さんも利用された。彼女もいずれ本当のことを話してくれるから、気にするな」と言われた。」「(健康状態)悪い・だるい」(6月14日)  ・ 「村木と共謀していない、村木が(私に)押させてはいない、今日裁判官に話したことは訂正しないと言ったら、検事は少し涙目になって「私は●さん(係長)がウソをついているとは全く思っていない。村木さんも逮捕されて今、職場のこと、家族のこと、●さん(部長)から言われたことなどいろいろなことを整理しているのだと思う、●さんがそうだったように村木さんも本当のことをいずれ話してくれると信じている」「村木と共謀していないし、村木が私に公印をおさせてはいない。裁判官に言ったことは訂正しない、と言ったが結局、署名押印した。」「(健康状態)悪い・夜になるとドキドキして眠れない。」(6月15日)  ・ 「「決裁文書がないが心あたりは無いか」と聞かれ、「もっとよく探してみなよ」と私が答えるストーリーになる予定。これもいずれ調書になると思うが、勝手にしてくれという感じ。検事はいつも「ここからは想像でしかないんだけどね」と言って私に聞いてきて、これをパソコンで打ち込み、これが調書になる。いつもこのパターンで架空のストーリーを作り上げる。」「調書の中で私が「あとづけでも書類を整えて審査したという形にしておいた方がよいでしょうか?」と村木に聞いたところ、村木は「後で面倒なことになるからいいわ。●さん(係長)はこのことは忘れてください。」と言った部分があるが、これも検事の作文である。しかし、このやりとりはたしか読売新聞に出ていた(やっぱりリークしたかという感じ)。」「もう無駄な抵抗はしないでおこうと思う。早くここから出たい。まともに物を考える状況ではない。きちんとした供述を書いてもらえない。また逮捕されて20日拘置になったら困るから。」「(健康状態)悪い・とにかく疲れた。まともに物を考える状況ではない。」(6月21日)  ・ 「「村木から指示されたこと」「証明書を村木に渡したこと」やっぱり今でも単独でやったと思っているか?と検事に聞かれて「私の記憶では私が決断して●(発起人)に渡した」と答えると、「否認するわけね。じゃあ、室長補佐だった●さんとか関係者全員証人尋問だね」「→否認するわけね。関係者全員証人尋問だね」という発言にはプレッシャーを感じた。」「(健康状態)悪い・心臓がドキドキして苦しい。訳もなく涙が出てくることがある。」(6月22日)  ・ 「これまでのダイジェスト版の調書6枚(村木から指示、村木に渡した。) →村木からの指示があって、村木へ証明書を渡したのではなく、弁護士会館B1のメトロで●(発起人)に渡したのが私の記憶であるという供述をしたが、調書はすでに出来上がっていて、署名押印は拒める状況ではなかった。」「保釈という甘いえさの誘惑に負けてしまった。保釈の話をしているか聞かれて、一応拘置期限は7/4だけど、土日にかかる場合は普通前日の7/3に処理すると言われ、その後、すでに出来あがっている調書に署名押印という段取りになっていて、ここで話がこじれるのが怖くなった。」「(健康状態)悪い・睡眠不足、動悸、かゆみ」(6月25日)  ・ 「調書の中には、「村木から指示されて証明書を作り、村木へそれを渡した」という主旨のことも書いてあったが、あきらめた。(とてもこの中にいたのでは、まともに物事を考えられない。冷静にあと先のことを考える余裕はとてもない。一分一秒でも早くここを出て東京に帰りたい。)」「(健康状態)悪い・だるい、食欲不振、頭痛→かぜかも。」「(弁護人について聞かれたか)保釈は検察庁としても反対はしないので、金曜日か月曜日になると思う。300万位は保釈金が必要になると思うので、弁護士さんと相談しておいた方がよい。」  ・ 「拘留中の供述について『決して精神的に不安定になってもう想を語ったわけではない』という、私が語ったことになっている供述調書の言葉→悔しい、不本意」「(健康状態)悪い・だるい」(6月30日)  ・ 「いきなり裁判における反省の言葉を紙に書けと言われた。1日かけて考えようと言われた。」「・裁判で想定外のことを言われたら困るから、一筆かかせて洗脳しておけと言われているのかも知れない。これ以上のことは出てから考える、今は冷静になれない。と言ったら、明らかに目の色が変わった。・今回のような件で保釈はめずらしいとも言われた。・裁判で供述調書と違うことを言うと余罪を持ち出して再逮捕ということもあるのだろうか心配だ。・裁判における反省の言葉を拒否したら、保釈に影響がでるのだろうか?」「(健康状態)悪い・疲れた、頭痛、夜中に何度も目が覚める。」(7月2日) 逮捕された村木氏、係長のほかにも、多数の厚労省関係者が在宅被疑者として取調べを受けた。その10人のうち5人が、検察官の取調べにおいて、村木氏が本件公的証明書の作成に関与していたと記載された供述調書への署名押印に応じた。 公判で明らかになった検察官主張の矛盾 村木氏に対する事件は、2009年7月24日に公判前整理手続に付する旨が決定され、2010年1月27日から公判が開始された。 公判において、検察官は、村木氏は、「凛の会」は心身障害者団体としての実体がなく、定期刊行物「凛」は心身障害者の福祉の増進を図ることを目的としないことを認識しながら、正規の手続をとらず、係長に指示して日付を遡らせた虚偽の公的証明書を作成させ、係長からこれを受け取り、「凛の会」会長に交付したと主張した。検察官は、村木氏がそのようなことをしたのは、本件が有力国会議員から村木氏の上司である部長に要請された「議員案件」で、「凛の会」の実態がいかなるものであれ、公的証明書を発行することが企画課内で決まっていたところ、「凛の会」から日付を遡らせた公的証明書の交付を要請されたからであると主張した。 「凛の会」会長は、公判において、検察官の主張に沿って、自身の手帳に記載のある2月25日午後1時に、「有力国会議員」と面談して、「凛の会」に対する公的証明書発行への口添えを依頼したと証言した。しかし、「有力国会議員」は、その日時、千葉県のゴルフ場におり、「凛の会」会長と面談することは不可能であったことが、「有力国会議員」の手帳およびゴルフ場からの照会結果により、明らかになった。 「凛の会」発起人が署名押印した検察官調書には、6月4日に第三種郵便物の承認書を受領した数日後、日本橋郵便局から公的証明書の原本の提出を求められ、係長に5月中の日付で公的証明書を発行するよう要請し、その翌日か翌々日に厚労省か連絡があり、「凛の会」会長に厚労省を訪ねて企画課長から公的証明書を受領するよう伝えたと記載されていた。「凛の会」発起人は、公判でも、自分が係長から本件公的証明書を受け取ってきたということはないと証言した。「凛の会」会長も、6月上旬に「凛の会」関係者から電話を受け、その日の午前中に厚労省に出向いて、村木氏から本件公的証明書を受け取ったと証言した。これに対し、係長は、「凛の会」の案件処理を雑事として先延ばししていたところ、5月中旬ころに「凛の会」から督促があり、6月1日午前零時から1時ころに、公的証明書のデータを作成し、同日朝8時くらいに出勤し、企画課長の公印を押して本件公的証明書を作成し、その日に「凛の会」発起人に連絡して、厚労省の隣にある弁護士会館の地下1階のメトロという喫茶店で「凛の会」発起人に渡したと証言した。係長方から発見されたフロッピーディスクの中に、本件公的証明書と全く同じ内容の文書データが保存されており、その更新日時は6月1日午前1時20分6秒であったことが、捜査報告書に記録されていた。これにより、係長の証言は裏付けられるのに対し、「凛の会」発起人の検察官調書の記載内容は、あり得ないものであることが明らかとなった。さらに、「凛の会」会長の証言は、日本橋郵便局担当者が「凛の会」に公的証明書の提出が必要であると伝えた日(6月8日ころ)、本件公的証明書が日本橋郵便局に提出された日(6月10日)、「凛の会」会長の手帳の記載、村木氏の手帳という客観的証拠と符合しないことも明らかになった。 無罪判決と検察官による証拠隠滅・犯人隠避の発覚 2010年9月10日、大阪地方裁判所は、村木氏に対し、無罪判決を言い渡した。 同年9月21日、大阪地方検察庁特別捜査部の主任検事が証拠隠滅の罪で逮捕、同年10月11日に起訴され、2011年4月12日に懲役1年6月の有罪判決を受けた。判決で認定された犯罪事実の要旨は、2009年7月13日、大阪地方検察庁において、村木氏らに対する虚偽有印公文書作成等被告事件の証拠であるフロッピーディスクについて、パーソナルコンピューターと高機能ファイル管理ソフトウェア等を使用して、同フロッピーディスク内に記録されていた「コピー~通知案」と題する文書ファイルの更新日時「2004年6月1日、1:20:06」を「2004年6月8日、21:10:56」に改変するなどし、もって他人の刑事被告事件に関する証拠を変造した、というものであった。 さらに、2010年10月1日、大阪地方検察庁特別捜査部の部長および副部長が、犯人隠避の罪で逮捕、同年10月21日に起訴され、2012年3月30日に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決が言い渡され、2013年9月25日には、同判決に対する控訴も棄却された。判決で認定された犯罪事実の要旨は、副部長は、2010年1月30日、主任検事から、本件改ざんの告白を受け、同年2月1日、部長に報告したが、部長および副部長は、同年2月2日、本件改ざんを故意によるものではなかったと事実をすり替えるなどし、もって主任検事を隠避させようと決意し、犯人隠避の共謀を遂げて、主任検事に対し、電話で、本件改ざんは過誤によるものとして説明することになったから、どのような説明が付けられるのか、もう一度説明するよう指示してその内容を聞き取るとともに、同月8日、何か聞かれたときに本件データの改変が過誤だと説明できるような書面を作成しておくよう指示するなどして、本件データが過誤によって改変された可能性はあるが、改変の有無を確定できず、改変されていたとしても過誤にすぎない旨事実をすり替えて、自らまたは同部所属の検察官らを指揮して捜査を行わず、同月2日、次席検事に対し、虚偽の報告をし、同月3日、検事正に対し、おおむね同様に虚偽の報告をし、よって、捜査は不要と誤信させて自らまたは同庁所属の検察官らを指揮して捜査を行わないようにさせ、証拠隠滅罪の犯人である主任検事を隠避させた、というものであった。
日本弁護士連合会:郵便不正・厚生労働省元局長事件(村木事件)
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etanchan · 5 months
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DON't COMMIT SUICIDE どんどんダメになっちゃっても 夢見ていいさ君が君であれば素晴らしき日々さ
明けましておめでとうございます。本年も気が向いたときに読んで頂けると、私が生きている事がより事実になるので助かります。よろしくお願い致します。
愛着障害的な何かと向き合う必要があるかもしれない。対人関係において不安や恐怖を抱きやすいという特徴があるらしいんですが、流石にもう30年近く生きてるので、不安や恐怖に対しては軽減することに全振りしており、あまり生きにくさを感じてはいない。数年前うつだった時は毎日地獄みたいだったけど、ここ何年かは結構余裕かもね。考え方のコツを掴んだ感じ。では何に困っているかというと、別れ際です。解散時。バイバイする時。例えば商業施設とか駅とか電車内とかの外でバイバイする時は、結構大丈夫寄り。それでも端に寄ってハグをするなどのおまじない的な行動をしないと心が壊れそうになって死にたくなるのだけどね。1番ヤバいのが家。自分の家でも相手の家でもかなりの苦痛を伴う。不安でいっぱいになって気が狂うかと思う。なぜ不安になるのかが不明。安心する方法も不明。自分にも相手にも対処できなくてタチが悪い。勝手に涙が出てくる姿は、保育園に行きたくない子供と変わらない。泣くほど嫌なのか。アラサーなのに。気持ち悪いなぁ。帰るだけなのに泣かれる方も気の毒だなぁと思う。帰りたいから帰るのに、帰る���間だから帰るのに、それだけなのに泣かれたら帰るのが悪いことみたいじゃん。自分のいるべき場所に戻るだけなのに。泣く理由も分からないからなだめる言葉もかけられないし。本当にごめんって思ってるけど、なんでか上手くバイバイできない。悲しみや不安や恐怖を共有させたいわけじゃない。分かってもらいたいわけじゃない。寄り添ってもらえなくていい。泣かずにスッと解散できるようになりたいだけ。何をどう頑張ればいいか分からないけど、考えることだけはやめずになんとか克服できるようになりたいですね。実は家に行く時もすごくしんどい。遠ければ遠いほどしんどくて、大体電車内で泣いてる。行くという事が惨めな感じがする。泣きながら家に行くの謎だよな。行きたくて行ってるはずなのに、ルンルンで行けないの謎。人の家に行くとか帰るとかで泣くのは半分癖みたいになってるんだとは思う。トラウマが強くて関係なくても不安になってきちゃう。パニックが起きる前に涙を流しておこうみたいなバグ。これらに対してまともに対応策を練るのは深みにハマるんじゃないかと思ってあまり積極的ではない。不安で泣いてしまうという事象に対する策として不安因子を取り除くというアプローチをしてしまうと、他人のことをなんでも自分の思い通りにできると勘違いしてしまう。私を不安にさせるお前が悪いみたいな危険思想に陥りそうで。これ多分メンヘラ全員持ってる思想ね。マジでやめた方がいいぞ、幸せになれないから。なので、そうではなくてトラウマの解決や、バイバイできた事に対しての評価という方向のアプローチをしていきたい。まぁトラウマが簡単に解決できるわけがないので、考え続けるという認知療法に努めていく。とにかくバイバイができてえらいという誰にでも跳べるハードルをベタ褒めしよう。自分でね。
最早こんな気持ちになるんだったら会いたくないまである。人に迷惑かかるしね。でも会いたい。会いたいのもエゴだし、離れたくないのもエゴだし、全部エゴ。こんな自分勝手な自分をどうやって肯定すればいいのか分からない。でも自分で機嫌取っててえらいね。大丈夫、多分。だって今日も笑ってくれたもの。大丈夫。いっぱい優しくしてくれたもの。
優しいという事について考えたい。最近「優しくされている」と感じる事が増えた。それは単に優しくされている事に気づいているという事だ。なぜ優しくするか。優しくしたいと思ったからだろう。もしくは、他人に優しくする事で自己肯定を得たいのかもしれない。そっちサイドの魂胆は知らないが。優しくされて嬉しくて泣いてしまう。その時は大丈夫なのに、あとから優しくされた事を思い出して泣いてしまう。感動しているのだ。優しくされた事に。そんな事で泣くほど嬉しいのかと思われるかもしれないが、泣くほど嬉しいのである。少なくとも想われていると思ってしまい、その現象の尊さに涙してしまう。そんなに今までの人生優しくされてこなかったのか?と思うだろう。自分でも思う。決してそんなことはない。私は今までだって他人に優しくされて生きてきたはずだ。ただそれを当たり前だと思ってしまっていた。幸福のハードルが高くなってしまっていたんだな。人に優しくされることは特別じゃないけど当たり前でもない。誠実な心で受け止めなければならないことだということに気づいた。気づけた事も尊い。そして優しさはこちらから求めるものではない。普段の私への評価みたいなもので、勝手に贈られる勲章みたいなものだ。優しくされたくて打算的にならない。無理やり錬成したものは優しさじゃない。こっちの脅迫に向こうが負けただけ。支配だよ。それは愛がないね。優しくされた事、優しくしてもらえる人間である事、そういうのが全部嬉しくて、泣いてしまう。ただの感激屋さんだ。
今年も考えることをやめずに、煮凝りの完成度を高めていきます。
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yukocounseling1 · 8 months
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発達障害について
最近、発達障害とは…等インターネットでもよくあげられています。では、発達障害とはどのような状態でしょうか。簡単に大きく分類いたしますとこのようになるかと思います。 知的障害:知能発達の障害が中心。 自閉症スペクトラム:対人関係障害が中心。 注意欠陥多動症:行動の問題が中心。 学習障害:発達のある側面だけの障害。 いろいろ分類分けがされていますが、大体共通して感覚過敏(視覚、聴覚、体感覚)があり、自分自身の感覚でいっぱいいっぱいになりやすい傾向にあります。また情報を細かく記憶できるため、そのことにこだわる傾向もあり、いろいろな情報も多く受け取るのでパニックやフリーズをおこしやすいともいわれています。 文明が発達し、インターネット等便利にはなりましたが、いろいろ情報が多すぎる世の中、刺激や情報も多すぎて、毎日とても生きづらさを感じている方も多いと思います。 一つの対処法として、感覚過敏は、サ…
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takahashicleaning · 11 months
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TEDにて
マリア・ネイラ:大気汚染で脳はこうなる
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
私たちがどうしても必要とし、止めることができないものがあります。
それは、呼吸です。やってみましょうか?皆さんで一緒に呼吸を10秒間だけ止めてみましょう。
いいですか?やってみましょう。準備はいいですか?始め!ふぅ、結構大変でしたね。
これから言う数字は、信じられないもので息がまたできなくなるほど驚かれるかもしれません。
「7」、「7何」でしょうか?年間「7百万」人が、吸い込む空気の質の悪化によって若すぎる死を迎えています。私の大好きなマドリッドの全人口より多い人々が、1年間に亡くなっていると想像してみて下さい。
皆さんは「この情報は公開されているのか?公表して広められているのか?」と思われるかもしれません。答えは、イエスです。
現在7万件以上の科学論文において大気汚染と健康の関係が検証されており、世界のメディアが、たびたび、この問題を報道しています。
実際、比較的短期間のうちに分かってきたのですが、大気汚染は主要臓器のほとんどに悪影響を与えるのです。
大気汚染対策も公衆衛生のひとつ。
肺の場合から見てみましょう。大気汚染について考えるときは、いつも肺について考えます。私たちは呼吸をするたびに有害汚染物質を吸い込んでいます。ピンクの素晴らしい肺は可哀想なことに、そんな有害汚染物質���影響を被っているのです。
この10年来、大気汚染と健康に関する多くの知識が集まりました。
大気汚染とは何かについて。まず、お話しします。
大気汚染は、とても複雑な混合物で固体微粒子や液滴、気体の形をとった化学物質でできています。
考えてほしいのは、この混合物は燃焼により生じることです。家庭用の燃料、また工業用、交通機関用、屋内や屋外に。他にも、多くの発生源があります。
もちろん、汚染源が違えばできる混合汚染物質も違います。要するに、これら全ての毒素が様々に混合してしまうわけです。
粒子状物質。つまりPMを例に取ってみましょう。PMは、様々な物質の混合物である場合があり、カクテルのようなものなのですが土壌ダスト、道路のほこり、海塩、有毒金属、ディーゼル排気によるスモッグ、硝酸塩、硫酸塩、これら全ての毒物で作られたカクテルが肺に送られていくのです。
それも毎日です。私たちが常に、大気汚染にさらされているのは呼吸を止めることができないからです。できたとしても10秒ぐらいでしょう。呼吸を止められないこと。それに加え毎日約1万リットルの空気が私たちには必要です。
さて、先ほど毎年7百万人が、大気汚染が原因で亡くなるとお話ししました。パニックになっていますか?それとも平静に受け止めている?国は非常事態宣言を出そうとしていますか?それとも世界規模の危機として?
そういう動きはありませんが、私は日々、ひとりで考えています「何が起きているのか?」と。ここでもっと早急な対応を私たちに迫る臓器があります。大気汚染は肺だけでなく脳にも悪影響を与えているのです。
これが脳です。美しいですね。誰もが持っていて誰もが必要としていて誰もが使っているはずですよね。
人によって使う頻度は違うかもしれませんが、この10年間の歴史において大気汚染と脳の健康の関連に関する研究が、飛躍的に増加しました。
脳はもう煙にやられてダメになりつつあるかもしれませんね。ともあれ証拠に基づきながら大気汚染に影響された脳についてこれまでに分かったことをお話しします。
第1に、膨大な証拠がそろいつつある領域として中枢神経系に及ぼす大気汚染物質の潜在的な悪影響についてがあります。有害な粒子の話に戻りますが、覚えていらっしゃいますよね。
肺に有毒な粒子を蓄積しながら生活を楽しむうちにあらゆる臓器が汚染されています。極小粒子は、血流に入り込み心臓がその血液を全身に送り出すので全ての臓器が危険にさらされ脳も例外ではありません。
大気汚染に国境はないとは、よく言ったもので体内でも同じことが言えます。大気汚染物質は胎盤関門を通って胎児に達し、大脳皮質を変化させるのです。産声を上げるよりも前にですよ。
第2に、このような研究結果もあります。
胎児期と幼児期に長期的に大気汚染にさらされた場合、神経発達に悪影響が及び、認知能力テストの成績が悪くなり行動障害にも悪影響を及ぼします。
例えば、自閉症や注意欠陥多動性障害などです。さらにいくつか見つかった証拠によると青少年の脳が、長期間PMにさらされるとそれが脳炎などの反応の原因となり
神経反応を変化させより多くのタンパク質のもつれからなるプラークを蓄積することの影響も現れ、アルツハイマー病やパーキンソン病などの病気になるリスクを高めます。
皮肉ですよね。子どもの将来のために私たちはお金を使い視野を広げるために毎日、学校にも行かせています。
社会システムとしても、教育にお金を使っているのに、スクールバスを待つ間に、吸う空気が、子どもの脳の発育に、悪影響を与えているのです。
第3に、大人はどうでしょう?
最新の科学的証拠によるとPMに長期的にさらされると加齢とともに研究参加者の認知能力の低下が引き起こされます。それだけではなく長期的に極小のPMにさらされると脳の老化は加速し、より高確率で小さな潜在性脳卒中を起こすようになるのです。
最後にお話しする証拠として
本当はまだまだあるのですが動物を対象とした疫学研究によると大気汚染物質に持続的にさらされると認知症になるリスクが高まるそうです。
さて、ほとんどの人は大気汚染にさらされています。田舎にいても都会にいても高所得国にいても低所得国にいても皆さんも含めて全ての人の脳が危険にさらされているのです。
私は医者として専門家としての人生のうちここ20年以上に渡り
世界保健機関(WHO)で公衆衛生の問題とリスクに関する人々の認識を高めることに専念してきましたが、知識や解決策は存在するのです。
大気汚染対策も公衆衛生のひとつ。
他よりも汚染が酷い地域も、もちろんあります。しかし、これは地球規模の問題です。どんな個人や都市もどんな集団や国家、地域であっても単独では解決できません。
皆のとても強い関心や行動が必要なのです。市民社会として民間企業として、そして、個人としてでさえも私たちには皆、役割があります。私たちは消費の仕方や通勤通学方法やエネルギーの使い方を変える必要があります。
幸いにも実行可能な解決策はあるのです。問題は、行動に移すのを1日先延ばしにすると何千もの命が失われる可能性があることです。もし1年先延ばしにしたら、また7百万の命が消えていくのです。
ですから、先延ばしにしたツケが健康面に回ってくることに気付く必要があります。
実際、目に見えない殺人鬼のリスクに直面するのは、これが歴史上、初めてではありません。
これは1952年のロンドンです。現代からの視点から見ると凄まじく汚い。
50~60年代のロンドンで行ったように政府や都市は、大気汚染による酷い影響を阻止するため緊急対策を講じる必要があります。
政治家はデータを根拠にした措置を先送りにしてはいけません。例えば、都市の交通量の削減、公共交通機関への投資、都市での自転車活用を、推進するための取り組み、再生可能エネルギーへの投資、料理、冷暖房、交通機関でのクリーンエネルギーの推進などは、とても有効な解決策です。
それによって排出を削減し、私たち自身を守るためのWHOの基準に従って大気質を向上させることができます。
大気汚染対策も公衆衛生のひとつ。
私たちは政治家に非常に強力な政治的関与と政治的意思の形成を求めてもいますが、今は両方必要です。行動を怠り先延ばしにした政治家は、法廷での弁明を求められています。これからは、政治家は「知らなかった」とは言えないでしょう。
ここで問題となっているのは、どのくらいの命や生活の質や知力の喪失を私たちが受け入れる覚悟があるのかです。
どの覚悟もないならお願いしたいのです。脳がまだ機能しているうちに、まだ知性があるうちに、どうか自分の権利を行使して政治家に圧力をかけ大気汚染源をなくす対策を確実に取らせるようにして下さい。
これが最初にとるべき行動です。ご自分や美しい脳を守るためにです。
どうもありがとうございました。
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
ヒートアイランド現象と地球温暖化は違います。
現在都知事小池百合子の東京都は2018年から更新が止まって5年も進展がありません(2023年時点)
災害に日照りという異常気象。100年前なら歴史的に見ると大飢饉のレベルかもしれません。違いは政治以外のテクノロジーによる大量生産が可能になった、インターネット、金融工学の発展などが貢献してる!
そういえば、2018の猛暑日は自動販売機クーラー控えめにした?猛暑日になったらやれ!これが夜の都心部を熱くする要因かもしれないのに。
都心部の電柱に霧のスプリンクラーつければ?地中から配管伸ばすだけ!地中に電柱埋めなければ現在の資産を有効活用しつつ、雨の降らない日のみ電柱点灯同様、夜中に自動放水すれば、東京都など都市部のヒートアイランド現象回避できる可能性は高いかも?
都市部でのアスファルト50度以上は火事と同様災害!適正温度に消火するべきです!
都心部の電柱に霧のスプリンクラー搭載で夜中放水と同時に全消防署が神社に夜放水。それと同時に東京都のお祭り日には全員で打ち水する。すべては、猛暑日の夜に同時実行がヒートアイランド対策のポイント?
そして、雨降れば中止!こうして、効率を上げ幸福を増やしつつ、でも、税金だから節約もしていく。
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
<おすすめサイト>
クリスティン・ベル:「ネット・ゼロ(相対的なCO2排出量ゼロ)」とは何か?
ヨハン・ロックストローム:繁栄する持続可能な世界SDGsを築く5つの革新的な政策?
テッド・ハルステッド: 皆が勝利する気候問題へのソリューション
<提供>
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ysformen · 1 year
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ジャニー喜多川の性的児童虐待について
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(データハウス、1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(データハウス、1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(鹿砦社、1996年4月)、 山崎正人は『SMAPへ』(鹿砦社、2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズ、著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群やグルーミングの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
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nakaima-ishiko · 1 year
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無年金障害者を無くすために、障害年金制度の改定を求める署名にご協力お願いします!🙏
🔗 https://forms.gle/cGhqcAw1aWdGdBSAA 🔗
【署名募集期間】
2023年6月1日~8月31日
集めた署名は、自治体などの担当窓口を通じて提出する予定です。
#障害年金 #署名活動 #無年金障害者
現在の年金制度では、初診した日がその日というだけで無年金になってしまう事例が起こってしまいます。
僕自身もうつ病とパニック障害を抱えていて、2010年7月9日(当時20歳)に心療内科を初診し、当時学生でしたので国民年金の猶予申請は途絶える事なく申請をし、現在に至るまでずっと受理されています。
しかし、いざ上記の病で障害年金を申請しようとするも、その日に初診したというだけで障害年金給付の要件を満たしていないとされ、無年金障害者となってしまっています。
障害を抱えている以上、健常者と同等に働く事が難しく、経済的な自立が困難です。
これは僕だけの話ではありません。
こういう制度となっている以上、全国に同様の状況に陥っている無年金障害者が多数いる事は想像し難くないはずです。
現在心身共に健康体だとしても、事故、災害、事件など、将来いつどのような要因で障害者となるかは誰も分かりませんし、誰しもそうなる可能性は充分にあります。
その時、今の制度のままでは社会から取り残されてしまいます。
たくさんの声が必要です。是非ご協力お願い致します!!(´・ω・`)
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