Tumgik
#市原仁奈
myscrap · 4 months
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Xユーザーのまりあ丼さん: 「練習 になちゃん https://t.co/EzeZchqvZY」 / X
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lupusnakajima · 4 months
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rolerole8 · 2 months
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ta-mu-ra · 11 months
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仁奈ちゃん
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adequately · 5 months
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[デレステMV/1080p60fps] みんなのきもち - [たのしいえぶりでー] 市原仁奈
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jennietw · 2 years
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becchi-slstage · 1 year
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マジカル☆ストレンジャー
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tatsutastorage · 1 year
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曲:ドレミファクトリー!
【ともだちたくさん】の仁奈ちゃんの衣装に合わせてドレスコーデ
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delodelobar · 1 year
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usickyou · 2 years
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ニーナ
(ニーナちゃん①)
 はじめて出会った日と同じようにニーナちゃんは「朝ですよ! おきて、おきてくだせー!」と私のおなかに飛び乗った。「うう」と私はだらしなくうめいて、それからスマートフォンを見る。時間を確かめる。彼女はいつもアラームの五分前、計ったように私を起こしてくれる。こういう荒っぽい方法を取ることも多くて、それはちょっとだけ、最近の悩みの種だった。  アラームを止めたり予定を思い出しながら目を覚ましているうちに、「美優おねーさん」と彼女は私を呼んだ。「美優おねーさん、朝ごはんはどうしやがりますか?」と、うすく濡れた土の色をした瞳はかがやいた。  それは命をはぐくむ色だ。私はその目で見つめられると、いつも背中がまっすぐになっていくのを感じた。 「どうしようかしら」とつぶやいて、私はベッドを離れる。カーディガンをはおると、リビングの扉を開く。そこには淡くくすんだ五月の朝日が降っていて、少しだけ先の未来を、ソファやダイニングテーブルを優しく温めた。  この家が好きだった。好きになった。彼女と出会ってやっと、私はこの家に規則正しく降る朝日のことを知った。もっとも、それは彼女と出会う前には存在していなかったようにさえ思える。 「ニーナちゃんは、なにが食べたい?」と私は言う。 「たまごやきです!」と彼女は答える。はきはきと大きな声で、嬉しそうに。 「待っていてね」と私は言う。  キッチンのフックにはエッグパンがひっかけてあって、それを手に取るとき私はいつも途方もない喜びにおそわれる。目の前はくらくらとして、息がうまくできなくなる。その感覚はやがておさまるけれど、なくならず、私の中に溶け残った。定着した。少しずつ、心にあった白が色づいていくのを感じた。  隣では、彼女がお野菜をちぎっている。大人のために作られたキッチンで、背を伸ばして、ガラスのボウルの冷たい水にあおい葉っぱを浸している。  私は、夜の残りのスープを温めはじめると、バターロールをオーブンにかけた。それから、玉子を三つ割ってとかすと、お砂糖をいれてまた混ぜた。エッグパンにバターを溶かして、充分に温まったのを確かめると玉子を半分流し入れた。すると、気泡を潰したり玉子を折ったりするので手元が忙しくなる。「ニーナちゃん、サラダの盛りつけもお願いできる?」と言うと、彼女は嬉しそうに「はい!」と言う。もう半分を流し入れると、半熟のところができないように、焦がしてしまわないように、丁寧に焼いた。お皿の上にペーパータオルでくるんで、粗熱を冷ます間にスープやバターロールを盛りつける。彼女が次々テーブルまで運んでくれるから、私はホットミルクをレンジで温めた。「熱いから、気をつけて」と手渡すと、「平気でごぜーますよ」と彼女はスヌーピーのマグを誇らしげに受け取った。  ダイニングテーブルで、私たちは隣どうし並んで座る。食卓はもうはじまりを待っていて、私は、もったいぶるみたいにウッドプレートのたまごやきに包丁を入れる。黄金と真珠を溶かし合わせたみたいな断面に彼女が感嘆の声と拍手をくれてから、やっと「いただきます」と声を揃えた。待ちきれなかったみたいに彼女はたまごやきにお箸を伸ばして、ひと切れをほおばる。小さなお口はいっぱいになって、彼女はおなかの底からの喜びの声をあげる。足をばたばたさせたり私の手を取ったり、世界中の宝石ぜんぶをぎゅっと凝縮しような瞳で、私を見つめたりする。 「飲み込んでから、ね」と言いながら、私はもうお行儀とかそんなことはどうでもよくなっていて、彼女の真似をしてたまごやきを口に放り込む。  すごく、甘かった。これまで生きてきた中でいちばん甘くて、おいしくて、幸せで、私は飲み込むと「ありがとう」と思わずこぼした。おかしなことに。 「こちらこそ、ありがとうごぜーます!」と彼女は言った。ふた切れめをお皿に置いて、「美優おねーさんのたまごやきが、ニーナはいちばん大好きです」と笑った。  彼女のくちびるの端にはちっちゃなかけらがついていて、私はそれを指でぬぐうと「でもね、どれもバランスよく食べなきゃだめよ」と言った。彼女は「えへへ」とはにかむと半分のたまごやきを食べて、サラダやスープに手をつけはじめる。  たっぷり時間をかけて、ごはんや瞬間のひとかけらひとかけらを味わい尽くして、「ごちそうさまでした」とふたりで声を重ねた。それから私は、盛りつけたときと同じ、全て残ったままの彼女のためのものだった料理にラップをかけたりお弁当箱に移したりした。  本当に、ゆっくりと時間をかけたのであとは急いで、洗い物や身支度を済ませる。遅れはしないだろうけど、タクシーを使った方がいいかもしれない。そんなふうに思いながらパンプスを履くと、彼女が私を呼ぶ。玄関には段差があって、私たちの目線は同じくらいの高さになる。  私は「行ってきます」と言って、彼女の頬にキスをする。彼女はぎゅっと目を細めて、私にキスのお返しをすると「気をつけて行ってきてくだせー」と大きく手を振る。私は手を振り返しながら扉を閉じる。その瞬間あたりはふっと静かになる。廊下の真っ白な明かりが、私の影だけを色濃く落としている。  このときを待っていたように、スマートフォンが震えた。 『おはようございます。今日は夏日になるみたいなので、おひさまーにやられないようにがんばりましょう』  楓さんからのトークは続いた。 『お弁当、はりきって作っちゃいました。楽しみです』  私はしばらく画面を眺めた。そのうちにエレベーターを呼んで、返事��悩んだ。マンションを出てからもしばらくそうして、タクシーに乗るとやっと、とりとめのない返事をすることができた。  私はきっと、恋をしていた。はっきりとしない、惹かれ方さえもわからない不確かな恋を、彼女に。
(楓さん①)
 年始頃の共演をきっかけに、一緒の仕事が増えた。多くは撮影、ラジオのマンスリーゲストや一度だけの旅番組。並んだときの画や穏やかな会話のリズムがいいと言われて、実際、仕事の評判も良いと聞いた。楓さんはまっすぐ喜んでくれて、二人で食事をしたり外でお酒を飲んだりする機会も増えていった。私も嬉しくて、笑っている時間が増えた。日々が明るい色に染まっていくのを感じた。 「今日は控えめですね」と言って、彼女は小さく笑う。その表情は五月の木陰にある清い日射しを伴って、夏日だなんてすぐに忘れさせた。「でも、足りますか?」 「実は時間がなくて、ほとんど残りものなんです」私は苦笑いをしてみせると、鞄から百円のミニクロワッサンを取り出してもっともらしくつけ加えた。「それにこれ、マイブームで」  彼女は頷いて「それは、ほっとしました」と言った。  二人でする、とりとめのないやり取りが好きだった。お弁当箱の中を見比べたり、公園をはしゃぎ回る子どもを目で追ったり、そういうこと。私はいつも、そんなとき空間が明確な形を失っていくように感じた。私たちを取り囲むものごとの一つひとつがゆっくりと混じり合い、この世界が、近い場所から次々塗り変わっていく。元あったものは同じようにありながら、まるで違う意味を持つ。それは目覚めの予感に満ちていて、雪融けの地平をのぞむ瞬間によく似ていた。 「提案があるんです」と彼女は私の目を覗く。その目が見れないとか胸が苦しくなるとかそんなことはなくて、私はその視線に触れると、優しくなりたいといつも思った。「たまごやきを、いただけませんか。もちろんただとは言いません、私からはこちらのマスカットを」 「釣り合いませんよ」と私は少し笑って、お弁当箱を差し出す。彼女が欲しがってくれたなら、たぶん、私にはなんだって惜しくないような気がした。「どうぞ、お好きなだけ」 「では遠慮なく。それと、どうぞ」楓さんはたまごやきの最後の一つを箸で取って、空いたところにマスカットを何個か転がした。ちょうど木もれびを反射すると、それは宝物みたいにかがやいて見えた。「私、美優さんのたまごやきが好きなんです。これ、言いましたっけ?」 「甘いのがお好きなんですよね」 「そう、そうなんです。私の母が作るといつもひき肉とか青菜が入っていて、なんて言うんでしょう、なんだか大げさで」 「おいしそうですけど」 「おいしいんです。でも……残念、うまく言葉にできないみたい」 「思いついたら教えてくださいね」  私がそう言うと、楓さんはどこかぼんやりとした表情を見せた。なにかおかしなことを、と私が慌てるとすぐに笑って、とても楽しげに「覚えておきます」と言った。  それからたまごやきを口にして、もう一度「覚えておきますね」と笑った。
(ニーナちゃん②)
 六月に入るとすぐに雨の日が続くようになった。元より休みの日に好んで外出する性格ではないので、食べ物の管理が手間だとか洋服を選ぶときに悩まされるとかの些細なことが気になるくらいで、あとはおおむねこの季節が好きだった。静かに漂う倦怠の空気や彩度をうしなう景色に時おり咲く黄色い傘、何より、雨音。その優しい音を聞いていると、私はいつも許されるような心地がした。  許されるか、許されないか。それが私の人生を形作ったように思う。  今は、少し違うけれど。 「美優おねーさん見てくだせー、こっちです!」とニーナちゃんが呼んだ。テレビを眺めながら、きらきらとその目がかがやいている。私は早採れのスイカを切り分けていたので「ちょっとだけ、待っててね」とキッチンから声をかける。ちゃんと言われた通り彼女はちょっとだけ待って「早くはやく!」と言った。  半分のスイカを切り終えるまで、もう一度そんなやり取りをくり返した。  テレビには遊園地の光景が映っていて、今はちょうどレポーターの女性がジェットコースターに乗り込むところだった。映像はヘッドカメラに切り替わり、いくつかのギネス記録を更新したという回転数とか最高速度を画面越しにまざまざ見せつける。私は何度か視線をそらしたし、そのたび彼女が膨らませる期待を目にした。  放心状態になったレポーターが何かのクイズに答えているところを眺めながら、「乗りたいの?」と私は訊く。にこにこと笑いながら、彼女は大きく頷いて「乗りてーです!」と答えた。 「じゃあ、一緒に行きましょうか」 「いっしょに! ですか?」 「ええ。関西だから、��うね……連休のときに泊まりがけで行くとか、ジェットコースターだけなら近くでも乗れるから……」 「美優おねーさん!」と、彼女がとつぜん飛びついてくる。手にしたスイカがちょっとこぼれて、頬を濡らした。私は少し慌ててティッシュで拭うのに、彼女はくすぐったそうにして、「約束ですよ」と目をぎゅっと細めた。 「約束、ね」と私はくり返して、小指を差し出す。結ばれてもしばらく、彼女は膝の上を離れなかった。  けれど世の中は、時として残酷な表情を見せる。テレビに表示された『12才、140cm以上から』というテロップは、いとも簡単に私たちの間に芽生えたささやかな夢を摘み取ってしまう。  彼女は、理解したみたいだった。それでジェットコースターには乗れないとわかると、ひどく寂しそうに笑った。私は、そんな表情は見せてほしくないと思う。ニーナちゃんには、物わかりがいいみたいに笑ってほしくないと、そう。  メリーゴーラウンドが回っている。やわらかに、真新しい白い馬やハートの馬車はくるくると音楽に合わせて。  膝の上に、彼女の呼吸を感じる。温かくて、ちょっと重たい。さらさらの髪はなんの抵抗もなく私の指のあいだをすり抜けていく。  私は「もう少し、大きくなったらね」と言って、頬をくすぐる。親指のおなかで、そっと。
(楓さん②)
 日付をまたいでしばらくした頃に意識を取り戻すと、目の前に楓さんの寝顔があった。はじかれるように飛び起きて、足のしびれに悲鳴をあげそうになる。起こした方がいいのかまだわからなかったので、声をあげずにしばらく耐えた。  彼女はソファで眠っていた。うつらうつらとかではなく、深く。私がさっきまで伏していたテーブルにはお酒の瓶や空いたグラス、乾きかけたクリームチーズなんかがあって、だいたいはそれでわかる。  素敵な一日だった。楽しいこと、嬉しいできごとばかりが続いて、私たちは時間も忘れてはしゃいだ。いつものお店から二軒目、高架橋の上から乗り過ごした電車を眺めるとタクシーに乗って、ごく自然に宅飲みをすることが決まった。  楓さんと、ふたりでする、初めての。  私は、彼女の眠る姿をじっと眺める。私より高くて、華奢で、繊細なかたちをした体を窮屈そうにまるめている。胸には水色のクッションを抱いていて、生きているなんて信じられなくなるくらい静かだった。  きれいだった。  紅色の頬はもう、メイクなのかお酒のせいなのかわからない。けれど目のきわ、一日の仕事をすっかり終えたマスカラがうっすらほころんで、いつもより彼女をつややかに映す。あんなふうに、子どもみたいに声をあげて笑っていたのに、と私は思う。あまり不思議で、見せてくれたたくさんの表情を彼女の寝顔にしばらく重ねた。  それから膝で、少しだけ彼女に近づいた。  私は、酔っていると思う。  メイクを落としたりシャワーを浴びたり、ちゃんと明日のための準備をしないといけない。もう大人なのだから、それこそ子どもみたいにこのまま眠るなんてそんなの、と。 「楓おねーさんが好きでいやがりますか?」ニーナちゃんが突然言った。私が答えられずにいると、「ニーナは、美優おねーさんが大好きですよ」と言って、背中から抱きしめてくれた。  優しく、羽根みたいに。  私はしばらくそうして、立ち上がる。しっかりメイクを落とすとシャワーを浴びて、テーブルやキッチンを片づけた。  そういう支度を全部済ませて、楓さんを起こす。それからふたり、別々に眠るまで二時間くらいかかった。
(ニーナちゃん③)
 ニーナちゃんの髪は、とても柔らかい。細くてつやがあって、トリートメントを指でなじませるとき私はいつも、こんなふうになめらかな日々が続けばいいと思う。思わず手を止めていることもしばしばあって、「どうしやがりましたか?」と彼女は振り返って愛らしく首をかしげる。私は小さく笑って、「じっとしてなきゃだめよ」とたしなめるみたいに言う。  彼女は「はあい」と答えて、足をぱたぱたさせた。  髪や体をしっかり洗うと、私たちはバスタブに体を沈める。ぬるめのお湯に、ちゃんと肩まで。そこでも私の腿の上が彼女の定位置で、私たちはだいたいの時間をくっついて過ごした。さすがにあひるさんを浮かべるような歳ではないけれど、手遊びや歌、それから他愛のないおしゃべりが絶えず満ちていて、バスルームは私たちの天国だった。  いつも、ここはそういう場所だった。  天井も壁も床も、照明も、乳白色のお湯や彼女の歌声も、天国には白い光を放つものばかりがあって、だから、違う色が混じるとすぐにわかる。今はそれが私で、少しだけ温度を熱くしすぎたかもしれない、そんなことを思いながら彼女を抱きしめた。彼女はびっくりして笑って、それから迷うみたいに私を呼んだ。  彼女の体は、小さい。こうして抱きしめるとすっぽり胸のうちにおさまって、出会ってからずっと眠るときはそうした。私はまるで、たましいの奥まで包まれるように深く眠ることができたし、朝になるとその日いちにちの舞台を踊りきる元気をおなかの奥底に感じた。出かけるときは「いってらっしゃい」と、帰ったら「おかえりなさい」と必ず言ってくれた。どこか透明だった部屋に、少しずつ日の光や月明かりが射し込んだ。  今、私を呼ぶ声が聞こえている。ふしぎそうに、どうしやがりましたか、と私に訊ねている。  ゆっくりと、抱きしめた腕をほどくと彼女が振り返った。「美優おねーさん」ともう一度、お日さまみたいにまぶしい声で、私を呼んでくれた。  私は、彼女の頬をくすぐる。そうして、「今日、好きな人とキスをしたの」と告白をする。
(ニーナちゃん④)
「おさんぽしてーですよ」とニーナちゃんが提案をした。私も、長湯で温まりすぎた体を冷ましたかった。  外は涼しくて、心地良かった。互いの足音がはっきり聞こえるくらい静かで、それでも、どことなく湿った空気は夏を感じさせた。  迷いなく先を行く背中に「どこまで行くの?」と訊ねてみた。彼女は振り向くと笑って「わかんねーです!」と答える。それで私は、そうだ、これはお散歩だったんだと思い出す。  でも、だったら、ひとりでなんて行かないで。  少しかけ足になって彼女の手をとると、それからはふたり並んで歩いた。  私たちは明るい道を選んだ。街灯が多くて、立ち並ぶ家々から生活の明かりがこぼれる、そういう道。だけどこの街は私が知っているよりずっと狭く、すぐに大通りへたどり着いてしまう。誰もがこぞって家路をたどるような時間ではないけれど、そこには絶えず人の気配があって、広い道に途切れることない車列が続いた。ヘッドライトが、細くながく伸びるふたつの影を照らした。  地下鉄の入り口や小さな神社を横切ると、階段が見える。歩道橋へ、彼女はのぼりたいと言う。  そこはひどく古びていて、一歩踏むたびに骨組みは大げさな音をたてた。ほど近くに信号があって、今はあまり使う人もいないのだと思う。柵は錆びついていたし、うっすらと積もった土からは青々した草が寂しげに顔を覗かせている。  中心まで進むと、私たちは橋の下を眺めた。  次々と、光が過ぎていく。まっすぐな道を信じられないような速さで、どこまでも遠くへ行って、やがて消える。この橋を揺らすくらい巨大でも、街路樹に覆われるほど微小でも、等しく。  あとに残る光の像も、目を閉じればそこにもうない。 「楓さんが、好きでいやがりますか?」とニーナちゃんは言った。楓さんとは、ちょうどこんな場所でキスした。表参道の、地下鉄入り口のすぐ近く。そこはもっと新しくて、きれいで、夢みたいに誰もいなかった。私たちは橋の中心までくると、どちらからともなく近づいて、触れ合った。ごく自然に、長い年月を連れ添った二人がするみたいに、優しいしかたで。  楓さんは階段を上がるとき、「星は、見えるのでしょうか」と言っていた。だけど私たちは駅のホームで手を振って、別れた。  私は、やっと答える。 「私ね、ううん、私たち、惹かれ合ってるみたい。もう、どうしようもないくらいに」  それを聞いてニーナちゃんは「じゃあ、大丈夫でごぜーますよ!」と笑って言った。私は「ありがとう」と言うと、繋いだ手が離れていたことに気付く。 「追いかけっこですよ」と彼女は言った。「ニーナが先で、美優おねーさんがあと! 六十かぞえたら、おうちまで競争で��!」と、いつもと同じ元気な声で。  私が頷くと、「よーいどん!」と言って彼女は走り出す。橋を渡ると階段を下りて、もと来た道をどんどん進んでいく。驚くような速さで、まるで飛ぶように通りを駆け抜けると角を曲がってその姿は見えなくなる。  私はぴったり六十数えて、スマートフォンを手にする。楓さんにコールをして、遅くにすみませんとかの挨拶を終えると「今から、会えませんか」と告げる。  通話を終えるころには、すっかり声が震えていた。心臓はどきどきして、体が熱くて仕方がなかった。  私は「よーい、どん」と言う。そうして、彼女のことを追いかけはじめる。  あの、まっすぐな心を。ぴんと伸びた背中を。  もういない、小さなお友達のことを。
(楓さん③)
 その日のことを、はっきりと覚えている。  二十二時までの生放送を終えてラジオ局を後にすると、私たちはなじみのお店へ向かった。そこは小じんまりしていて、静かで、休日でも遅くまでやっているから二人でいるときの定番だった。  珍しく翌日は二人ともオフで、最初から(私たちにしては)盛り上がっていた。モンラッシェの白、14年から始まるとお酒や言葉の小さな花は絶えず咲いた。お店が閉まるころには心に花束があって、抱えながら二人でふらふら歩いた。もう春はそこまで来ているのにひどく寒くて、繋いだ手はタクシーの中でさえ離れなかった。  先に降りたのは楓さんだった。マンションに着くと「はあい」と楽しそうに言って、タクシーを降りた。私も上機嫌のまま「気を付けてくださいね」と車内から声をかけて、扉が閉まった。  それからのことは、ほんの数秒でしかなかったと思う。  彼女が何かを言った。窓越しに、スモークガラス越しに何かを言ったということだけがわかった。聞こえません、と私は言おうとした。聞こえません。いつの間にか彼女は今にも泣きそうな顔をしていて、別世界の窓の外から、何も聞こえないとわかっているのに、また言った。その姿がエントランスの壁にまじって消えていった。私は心の中で言った。聞かせてください。何度も、何度も。  彼女は手を振った。笑顔に見送られて、タクシーが走り出した。あまりずっと外を見ているので、運転手さんが「戻りますか?」と訊ねた。私は「いいえ」と言って、住所を伝えた。  部屋に戻ると習慣に体を預けて眠るまでの支度をした。寝てしまうまでそうできたら良かったのに、ベッドの中で彼女のことばかりを考えた。一緒の部屋に帰ったらかわりばんこにお風呂を済ませて、大きくはない洗面台で並んで歯みがきをして、二人で眠れたならとか、おやすみなさいとまどろみの中で笑って言えたならとか、そんなことを。  次の日、「朝ですよ! おきて、おきてくだせー!」という声と思いもしない衝撃で目を覚ました。「うう」と私はだらしなくうめいて、おなかの上の少女を眺めた。彼女は「おはようごぜーます!」と言って、それから、「ニーナでごぜーますよ!」と元気な声で名乗った。  私は「ニーナ、ちゃん」と呼んだ。ニーナちゃんは、「美優おねーさん」と笑った。そうやって私たちは出会うと、ゆっくりと互いを知っていった。  ニーナちゃん。  誰も知らない、私だけのお友達。
(三船美優と市原仁奈①)
 二人とも次の予定が事務所だったのと、しばらく時間があったのと、そういう理由で近場のカフェに落ち着くことにした。年の瀬を控えた街はどこか閑散として、あたりはひどく寒かったから、体が温まるまでゆっくりと過ごした。そうなってしまうと私たちは長いので、そろそろ動かないと昼食の時間が怪しいという頃になってようやく席を立つ。楓さんがトレーを片づけてくれたので、私はまだ途中の、頼んだばかりの二杯目のカップを持って店を出た。 「ありがとうございます」と言って、彼女はカフェモカを受け取る。そのときに、私の手の甲をそっと撫でていたずらに笑った。 「こちらこそ」と私は答えて、逃げていった指先に一瞬だけ触れた。  彼女にはそういう、子どもみたいなところがあるのは知っていた。私にもまた、同じような子どもが眠っていたのだとはじめて知った。  恋人になって、やっと知ることがたくさんある。相手のことも自分のことも、数え切れないくらい。  そのうちの一つ、お弁当のこと。  私はOL時代の習慣があって、朝食をそのまま詰めたりする。彼女は朝が弱いから、夜のうちに準備を済ませることが多い。それと、本当に不思議なことに、一緒に作って中身なんてぜんぶ知っているのに、せーのでお弁当箱を開く瞬間はいつもわくわくした。少しだけ違うものを詰めてそれを交換するとき、嬉しくて泣きそうになった。  そんな時間を味わっていると、ふと彼女が何かに気付く。私の後ろに向けた目をぱっちり開いて、柔らかく細めると小さく手を振る。誰か来たのかしら、と私は思う。このラウンジはいつも日が射していて心地良いから、今日みたいに誰もいないことはむしろ珍しい。最近は私たちがここによくいるからと、友人がお昼を食べに来ることもよくある。 「こんにちは」と楓さんが言った。つられて振り返ると私は、私だけの小さな奇跡を目にした。  かわいらしい女の子がそこにいて、彼女は怖じ気づいたり戸惑ったりすることなくすたすたと近付いてくる。そうして、「こんにちは!」と元気よく答えた。 「あらいいお返事。お名前を教えてくれる?」 「市原仁奈、九歳ですよ!」 「仁奈ちゃん、お母さんかお父さんは?」 「おかーさんは今、大人のおにーさんとおはなししてやがるです。仁奈はおとなしく待ってるですよ」 「偉いのね、すごくいい子」 「あたりまえですよ、だって仁奈はアイドルになるんですから!」 「まあ、そうなの……仁奈ちゃん、私たちもアイドルなのよ」 「すげー! おねーさんたち二人ともそうでいやがりますか?」 「ええ、私は高垣楓っていいます。こっちのお姉さんは……」  そう言って、楓さんは口をつぐんだ。少しして、やっと促されていると気付くと、私は「三船、美優です」と答えた。 「楓おねーさん、美優おねーさん」と言って、彼女はにっこり笑った。そうして私たちの手もとを見ると、きらきらと、目を輝かせる。  まるで、世界中の宝石をぜんぶ集めたみたいに。 「お弁当、すげーです! おねーさんが作ったですか?」 「ええ。お姉さんたち二人で作ったの。仁奈ちゃんもご一緒しませんか?」 「しやがります!」と答えて、彼女は同じテーブルにちょこんと座る。何度も二つのお弁当箱を見比べて、はじめにたまごやきを口にすると頬を手でおさえて、幸せそうな声をあげた。  私は「おいしかった?」と言う。彼女が頷くと、「ありがとう。いつでも作ってあげるからね」と続ける。「いいんですか?」と彼女が言うので、「もちろん」と答えた。  私は、そうしたかった。望むことは、なんでもしてあげたかった。甘いたまごやきを作るのだってこんなふうに飽きるまでおしゃべりをするのだってそう。膝枕も、おふろで髪を洗ったり遊園地に行ったり、何より手を繋いで歩きたいと、そう思った。  けれど私には、いちばんにしたいことがあった。  私は、仁奈ちゃんを見る。しっかり背中を伸ばすとまっすぐにその瞳を見つめて、「言い忘れてたことがあったの」と言う。彼女は「なんでごぜーますか?」と首をかしげる。楓さんも、どこか不思議そうに私を見ているのがわかる。  あの子と過ごした日々が、駆けめぐった。たくさんの、光の反射みたいに。  私は、仁奈ちゃんの髪に触れる。さらさらの髪を指で梳かすと、頬をなでる。彼女はくすぐったそうにして、私の手をとった。あの子と同じ感触に思わず笑うと、私は「はじめまして、仁奈ちゃん」と言う。「はじめまして美優おねーさん!」と仁奈ちゃんは答える。そうやって、私たちが始まる。
 *
 
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『毎日会いたい。』  https://twitter.com/Street195B/status/1016335180938633216
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myscrap · 6 months
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Xユーザーの霧木りすさん: 「仁奈もお手伝いするですよ♡ https://t.co/wIuWaq6WSp」 / X
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日本渔民和水产业者哭诉:政府太愚蠢了,未来...
当地时间8月24日上午10时,日本(专题)福岛县新地町地区的渔民陆续回港,3小时后,福岛第一核电站启动核污染水排海。据日本东京新闻25日报道,这些起早贪黑、皮肤黝黑的渔民满载而归,但他们看起来并不开心,忧心忡忡地表示,“今天的鱼没有受到核污染水影响,但明天以后会怎么样”?
“所有的渔民都哭了,政府太愚蠢了。”谈到核污染水排海,福岛县的渔民如此说道。
日本启动排海后,中方宣布全面暂停进口日本水产品。日本NHK电视台称,日本渔民和水产从业者闻此几近绝望,直言“震惊”、“今后将无法生存”;另一边,日本东京新闻注意到,在中国市场,日本水产品正逐步被澳大利亚、挪威等地和中国本土的水产品取代。The above picture comes from "观察者网"
日本福岛,一名渔民茫然地坐在渔港边。The above picture comes from "观察者网"
24日上午,福岛县渔民赶在核污染水排海前回港。图自日媒(下同)
日本东京新闻称,对于日方处理核污染水的方式,福岛县渔民称:“没有人能接受,这是在践踏渔民的心。”但他们无奈地表示,不管他们如何反对,都阻止不了日本政府的行为,“别无选择,只能接受”。
对现状感到忧虑的不只是福岛渔民。日本NHK电视台25日报道称,在中方宣布全面暂停进口日本水产品后,世代以捕鱼为生的日本其他县市的渔民,以及依赖中国出口的水产从业者,同样受到冲击,表示“已无法作为渔民生存下去”、“感到一切都是徒劳”……
与此同时,已经有一些日本渔民取消了本季节的捕鱼劳作,水产行业纷纷呼吁政府提供支持。
来自日本鹿岛市的中岛翼一边从事海蜇捕捞,一边种植海藻。24日下午,他收到了出口经销商的电话,被通知取消水产品交易。于是,他决定从25日起取消海蜇捕捞工作。
“我本来打算像往常一样去捕捞,现在突然停止了,这让我很震惊。每年这个时候,海蜇是我唯一的收入来源,所以我很担心明年以后会怎么样。”中岛翼称。
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“震惊,很担心明年以后会怎么样”
一段时间以来,位于日本三重县的一家海鲜加工厂一直致力于扩大对华出口。该公司销售部负责人中泽祥告诉NHK:“我对中国全面暂停进口日本水产品的决定感到惊讶。中国市场巨大,我们正开发产品满足中国的需求,这意味着我们之前都在浪费时间。我希望政府行动起来,尽快恢复出口。”
“如果进口暂停时间延长,我作为扇贝渔民将无法生存。”日本北海道渔民小川政浩表示,他已经花了两年的时间养殖扇贝,而中国是北海道扇贝的主要出口地,因此希望日本政府采取有效措施。The above picture comes from "观察者网"
“我将无法生存”
就在日本渔民、水产业者“哀鸿遍野”之际,日本东京新闻发现,在中国市场,日本水产品正逐步被澳大利亚、挪威等地和中国本土的水产品取代。
8月23日至25日,第17届上海国际渔业博览会正在举行。日媒称,来自20多个国家和地区的4000家企业参展,但其中只有少数日本公司。
在日本启动核污染水排海的消息传来时,正在参会的一家中国海参加工公司总经理感叹道,“日本还有5吨库存要运往中国,现在我们只好将货退回去”。另一家海鲜加工公司的高管也说:“现在我们会先看看情况。如果无法通关,我们会增加中国本土的水产品生产。”
在博览会的另一边,一家中国进口商的金枪鱼切割表演吸引了很多人。日媒注意到,使用的金枪鱼来自澳大利亚,并非日本,而日本金枪鱼此前一直是博览会的热门产品。对于中国全面暂停进口日本水产品的消息,这家进口商的负责人表示,“我们已经找到了替代品,完全不受影响”。
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澳大利亚金枪鱼和挪威三文鱼在上海国际渔业博览会受到欢迎
当地时间8月24日13时,日本政府无视国际社会的强烈质疑和反对,单方面强行启动福岛核事故污染水排海。东京电力公司就此事在临时记者会上宣布,今天的核污染水排放量预计为200到210吨,每天的排放情况将在次日公布。首次排海每天将排放约460吨,持续17天,合计排放约7800立方米核污染水。
8月22日,香港(专题)和澳门特区政府相继宣布,自8月24日起禁止日本10个都县区食品进口。
海关总署进出口食品安全局负责人24日表示,为防范受到放射性污染的日本食品输华,保护人民群众生命健康,海关总署持续开展对日本食品放射性污染风险的评估,在严格确保安全的基础上,对从日本进口食品采取了强化监管措施。
与此同时,韩国、马来西亚、泰国等国陆渡宣布将对日本进口食品采取严格检测措施。
日媒援引日本水产厅数据显示,2022年日本水产品出口总额约为3870亿日元(26亿美元),并且在过去几年一直呈上升趋势。日本水产品对华出口约占总量的22.5%,中国是其最大的出口国,其中扇贝、鲣鱼、金枪鱼是对华主要出口品种。日本帝国数据银行最新数据显示,至少将有700多家直接或间接对中国出口的日本企业会受新措施影响,预计二级和三级贸易商也将被波及。
日媒指出,中国在日本水产品出口中占据“断层”领先地位,诸多日本水产和加工企业在中方管制措施发布后“陷入恐慌”:福冈一水产公司社长坦言听到消息后“大脑一片空白”、北海道一水产加工公司看着冰库里十几吨还没装运的冷冻扇贝发愁、当地渔业协会工作人员更无奈道“该来的还是来了”……
一时之间,日本国内水产行业相关人员“哀鸿遍野”,日本全国渔业协会联合会(全渔联)会长亦火速打电话向日本内阁经济产业大臣西村康稔控诉:“全国渔民都对此非常惊讶。”
日本财务大臣铃木俊一25日对此表示,(这一措施)对于日本国内水产品相关从业者造成了巨大的影响,应该认真的思考可以采取怎样的救济措施,并要求农林水产部及经济产业部尽快研究可行的对策。而日本农林水产大臣野村哲郎就中方措施宣称,“非常吃惊,完全没有预料到”。
不仅出口受挫,近来更有不少日本渔业和水产加工行业者透露,国内消费者也出现了停止购买水产品的情况。在宫城县经营水产品加工公司的远藤仁志称,一直与其有合作的静冈县多家超市暂停采购有关地区的水产品,这让刚刚才被香港客户退货50箱扇贝的他心态彻底崩了,“怎么连日本国民都这样呢?”
对于日方一系列要求中方立即撤销进口管制措施的言论,8月24日,中国驻日本大使吴江浩强调,中国政府宣布全面暂停进口原产地为日本的水产品,是理所当然的,也是完全必要的。造成这一局面的责任完全在日方,日方应该反躬自省。
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rolerole8 · 3 months
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chaoticpeachprince · 8 months
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日本渔民和水产业者哭诉:政府太愚蠢了,未来...
当地时间8月24日上午10时,日本(专题)福岛县新地町地区的渔民陆续回港,3小时后,福岛第一核电站启动核污染水排海。据日本东京新闻25日报道,这些起早贪黑、皮肤黝黑的渔民满载而归,但他们看起来并不开心,忧心忡忡地表示,“今天的鱼没有受到核污染水影响,但明天以后会怎么样”?
“所有的渔民都哭了,政府太愚蠢了。”谈到核污染水排海,福岛县的渔民如此说道。
日本启动排海后,中方宣布全面暂停进口日本水产品。日本NHK电视台称,日本渔民和水产从业者闻此几近绝望,直言“震惊”、“今后将无法生存”;另一边,日本东京新闻注意到,在中国市场,日本水产品正逐步被澳大利亚、挪威等地和中国本土的水产品取代。
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日本福岛,一名渔民茫然地坐在渔港边。
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24日上午,福岛县渔民赶在核污染水排海前回港。图自日媒(下同)
日本东京新闻称,对于日方处理核污染水的方式,福岛县渔民称:“没有人能接受,这是在践踏渔民的心。”但他们无奈地表示,不管他们如何反对,都阻止不了日本政府的行为,“别无选择,只能接受”。
对现状感到忧虑的不只是福岛渔民。日本NHK电视台25日报道称,在中方宣布全面暂停进口日本水产品后,世代以捕鱼为生的日本其他县市的渔民,以及依赖中国出口的水产从业者,同样受到冲击,表示“已无法作为渔民生存下去”、“感到一切都是徒劳”……
与此同时,已经有一些日本渔民取消了本季节的捕鱼劳作,水产行业纷纷呼吁政府提供支持。
来自日本鹿岛市的中岛翼一边从事海蜇捕捞,一边种植海藻。24日下午,他收到了出口经销商的电话,被通知取消水产品交易。于是,他决定从25日起取消海蜇捕捞工作。
“我本来打算像往常一样去捕捞,现在突然停止了,这让我很震惊。每年这个时候,海蜇是我唯一的收入来源,所以我很担心明年以后会怎么样。”中岛翼称。
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“震惊,很担心明年以后会怎么样”
一段时间以来,位于日本三重县的一家海鲜加工厂一直致力于扩大对华出口。该公司销售部负责人中泽祥告诉NHK:“我对中国全面暂停进口日本水产品的决定感到惊讶。中国市场巨大,我们正开发产品满足中国的需求,这意味着我们之前都在浪费时间。我希望政府行动起来,尽快恢复出口。”
“如果进口暂停时间延长,我作为扇贝渔民将无法生存。”日本北海道渔民小川政浩表示,他已经花了两年的时间养殖扇贝,而中国是北海道扇贝的主要出口地,因此希望日本政府采取有效措施。
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“我将无法生存”
就在日本渔民、水产业者“哀鸿遍野”之际,日本东京新闻发现,在中国市场,日本水产品正逐步被澳大利亚、挪威等地和中国本土的水产品取代。
8月23日至25日,第17届上海国际渔业博览会正在举行。日媒称,来自20多个国家和地区的4000家企业参展,但其中只有少数日本公司。
在日本启动核污染水排海的消息传来时,正在参会的一家中国海参加工公司总经理感叹道,“日本还有5吨库存要运往中国,现在我们只好将货退回去”。另一家海鲜加工公司的高管也说:“现在我们会先看看情况。如果无法通关,我们会增加中国本土的水产品生产。”
在博览会的另一边,一家中国进口商的金枪鱼切割表演吸引了很多人。日媒注意到,使用的金枪鱼来自澳大利亚,并非日本,而日本金枪鱼此前一直是博览会的热门产品。对于���国全面暂停进口日本水产品的消息,这家进口商的负责人表示,“我们已经找到了替代品,完全不受影响”。
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澳大利亚金枪鱼和挪威三文鱼在上海国际渔业博览会受到欢迎
当地时间8月24日13时,日本政府无视国际社会的强烈质疑和反对,单方面强行启动福岛核事故污染水排海。东京电力公司就此事在临时记者会上宣布,今天的核污染水排放量预计为200到210吨,每天的排放情况将在次日公布。首次排海每天将排放约460吨,持续17天,合计排放约7800立方米核污染水。
8月22日,香港(专题)和澳门特区政府相继宣布,自8月24日起禁止日本10个都县区食品进口。
海关总署进出口食品安全局负责人24日表示,为防范受到放射性污染的日本食品输华,保护人民群众生命健康,海关总署持续开展对日本食品放射性污染风险的评估,在严格确保安全的基础上,对从日本进口食品采取了强化监管措施。
与此同时,韩国、马来西亚、泰国等国陆渡宣布将对日本进口食品采取严格检测措施。
日媒援引日本水产厅数据显示,2022年日本水产品出口总额约为3870亿日元(26亿美元),并且在过去几年一直呈上升趋势。日本水产品对华出口约占总量的22.5%,中国是其最大的出口国,其中扇贝、鲣鱼、金枪鱼是对华主要出口品种。日本帝国数据银行最新数据显示,至少将有700多家直接或间接对中国出口的日本企业会受新措施影响,预计二级和三级贸易商也将被波及。
日媒指出,中国在日本水产品出口中占据“断层”领先地位,诸多日本水产和加工企业在中方管制措施发布后“陷入恐慌”:福冈一水产公司社长坦言听到消息后“大脑一片空白”、北海道一水产加工公司看着冰库里十几吨还没装运的冷冻扇贝发愁、当地渔业协会工作人员更无奈道“该来的还是来了”……
一时之间,日本国内水产行业相关人员“哀鸿遍野”,日本全国渔业协会联合会(全渔联)会长亦火速打电话向日本内阁经济产业大臣西村康稔控诉:“全国渔民都对此非常惊讶。”
日本财务大臣铃木俊一25日对此表示,(这一措施)对于日本国内水产品相关从业者造成了巨大的影响,应该认真的思考可以采取怎样的救济措施,并要求农林水产部及经济产业部尽快研究可行的对策。而日本农林水产大臣野村哲郎就中方措施宣称,“非常吃惊,完全没有预料到”。
不仅出口受挫,近来更有不少日本渔业和水产加工行业者透露,国内消费者也出现了停止购买水产品的情况。在宫城县经营水产品加工公司的远藤仁志称,一直与其有合作的静冈县多家超市暂停采购有关地区的水产品,这让刚刚才被香港客户退货50箱扇贝的他心态彻底崩了,“怎么连日本国民都这样呢?”
对于日方一系列要求中方立即撤销进口管制措施的言论,8月24日,中国驻日本大使吴江浩强调,中国政府宣布全面暂停进口原产地为日本的水产品,是理所当然的,也是完全必要的。造成这一局面的责任完全在日方,日方应该反躬自省。
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ydotome · 1 year
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Nina Ichihara (市原 仁奈) - The IDOLM@STER Cinderella Girls: U149 - Episode 2
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hachikenyakaiwai · 8 months
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【かいわいの時】嘉祥三年(850)九月八日:八十島祭を行う(八十島祭の初見)
難波宮と摂津職が廃止された後にも、難波津において繰り返される宮廷祭祀があった。それは八十島祭と、伊勢斎王の解斎の禊である。いずれも前代からの伝統を引く古い行事であって、 平安時代に入って始められたものではない。 八十島祭は、即位儀礼の一環として挙行される神事で、大嘗祭の翌年に後宮の内侍司の女官が祭使として難波津に下向して生島足島神(大八洲之霊)を祭るものであった。
この神事は五世紀以来の古い即位儀礼の名残で、本来は全国土の国魂を新しい天皇の身体に付着させる呪儀であったらしく、奈良時代には、天皇自身が難波津に赴いて行っていたと推測される(第一巻第四章第四節1参照)。
しかし、史料に残る明らかなものはほとんど平安時代のものである。その初見は『日本文徳天皇実録』にみえる文徳天皇の即位に伴う嘉祥三年(八五〇) 九月のものである。鎌倉時代初めの後堀河天皇の元仁元年 (一二二四)まで行われ、以後廃絶した。この間約四〇〇年近くの間に、史料にみえるものは、二二回を数える。この祭儀は六国史には記載しないのが原則だったようで、その後も『日本三代実録』には記載がない。光孝天皇の場合も、『帝王編年記』に記載されるものである。恐らく記録に残らぬものが多かったに違いない(『新修大阪市史 2』)。
(写真)METで展示されている俵屋宗達「源氏物語関屋澪標図屏風」(ニューヨークビス03/09/2019)=ニューヨーク(撮影・吉田)
御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ 難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる 堀江のわたりを御覧じて 今はた同じ難波なると 御心にもあらで うち誦じたまへるを
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、「今はた同じ難波なる」と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを(渋谷栄一訳)
住吉詣で偶然に元カノ(明石の上)とニアミスし動揺する源氏(当時29歳)。「今はた同じ難波なる」とは、百人一首にもみえる元良親王(890-943)の歌で、上の句の「わびぬれば今はた同じ難波なる」からとられています。源氏の心中にはもちろん「身をつくしても逢はんとぞ思ふ」という下の句が隠されていることでしょう。さて、かいわいに関係のある箇所といえば、もちろん、「堀江のわたり」。屏風では明石の上の乘る舟が描かれています。
源氏物語の注釈書の一つ『花鳥余情』(一条兼良1472)に「代始に八十嶋祭難波にてあり、典侍の人御衣をもちて参向して解除する事あり これみな難波のはらへの例也」とあり、「七瀬」と「八十島祭」は同じようなものとして扱われています。紫式部の時代の八十島祭は、三条天皇の長和二年(1013)十月、後一条天皇の寛仁元年(1017)十二月が記録に残っています。
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