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hanasakig3 · 2 years
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ari0921 · 6 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、���念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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doctormaki · 1 year
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ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
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研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
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blue-aotan · 1 year
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ハロー(´ー∀ー`)2022.12.4
先日、会員になってる様々なサイトを整理整頓し退会しまくったあおです。
利用してない所がありすぎたので一度身辺整理←
化粧品のサイトとか電話じゃないとダメとか、問い合わせメールしないとできない所が多くて面倒くさかったです😥(電話が嫌いなので勝手にメールで退会の旨を伝えた所もあります←私のわがままに合わせていただき感謝)
日々思うけど、『退会』をポチッとしたらできるようにしてほしいよね。そもそも退会はこちら、みたいに分かりやすいサイトがあまりない印象。
退会させないためなのかあっちこっち行かされるサイトもありますよね←
サブスクももっとわかりやすくアプリから入・退会できるようになってほしい。Safariの方に飛ばされたりすると「あ〜😩」ってなるのは私だけでしょうか。
そんな訳でDisney+を解約しましたお世話になりました〜
12年続いたウォーキングデッドもついに終わりを迎えました😭最終回は予想通りスッパリとは終わりませんでしたが、今までの歴史を感じるものとなってましたね〜そしてリックもミショーンも出てきて「おほ〜😳」となりました。
ミショーンがね、きちんとした防具を身につけてゾンビ無双してたんですよね←
あれ?何のドラマ?って一瞬なりかけました😂
コミック版にはいないドラマオリジナルキャラのダリルの脱落がなかっただけ良しとはなりましたが、主人公が途中でいなくなるというドラマは前代未聞だったのではないでしょうか。
主人公不在のドラマってどうなの?と途中思った事もあったけど、それでもそこまでの物足りなさも感じる事もなくメインキャラクターが脇を固めていたお陰でその事もすんなりと受け入れることができました。
個人的にはそれがこのウォーキングデッドの一つの魅力なのじゃないかと勝手に思っています。
できれば離脱なく終わってほしかったですが←
最後まで制作してくれたこと、スピンオフ作品へと繋がっていくこと、��ャラクターの個性の魅力と出演者���士の仲の良さが反映された作品だと思えたし12年間、楽しみをありがとうという感謝を伝えたいです。
楽しみが一つ終わってしまった寂しさはありますが、またいつか新たなる始まり・出会いがあると信じて今はただありがとうとお疲れ様でしたという言葉を贈ります。
そしてNetflixに再入会←
カップヘッドショウのシーズン2と3を全て観ました。あとはまた色々とマイリストが増えましたが、消化はあまり進んでおりません😂
そんなこんなで、病院へ行ってきました〜。
甲状腺腫瘍の細胞診をしてきました。(2回目)
フォローしてもらっていたクリニックの先生が、やはり悪性の可能性が捨てきれないので専門病院に診てもらった方がいいだろうとのことで行って参りました。
2つある腫瘍のうち1つは完全に良性だろうという所見でしたが、もう1つの腫瘍がグレーゾーンと言われていましたが、まず細胞診の検査について。
以前病院で細胞診した時は1つの腫瘍に対して2回針を刺しますということで4回刺されました。表面麻酔をし、注射針を刺すところまではまだ大丈夫だったのですが深く刺したままグリグリされてそのグリグリがめちゃくちゃ痛かったのでもう二度としたくないと思っていました。
ですが今回の細胞診はグレーゾーンである1つの腫瘍の細胞を取るだけ。
表面麻酔なしで、針を刺すのも一度だけでした。
ただ針は結構深く刺されたような感触でグググーーーっと刺されている時はとても痛かったです😢ですがグリグリされることもなく、ほんの数分の作業で終わったため前回の病院は何だったんだ?となりました←
刺した部分も腫れることなく青あざになることもなく、綺麗なままでした。
結果はすぐに出ました。良性でした。
ほっと安心し会計を待っている時に突然看護師さんがやって来て「先生がまたお話をしたいと言っているのでもう一度診察室へ来て下さい」と言われて
「え!?何事😵怖いんですけどーー」
ってなってたんだけども、私の腫瘍の状態の詳細な説明をしてくれただけでした。
今回は良性という結果だったけれど、腫瘍のサイズが小さいから分からなかっただけかもしれないということ。
エコーの映像からすると注意しながら経過観察をした方がいい所見がいくつかあったということ(腫瘍が包まれた膜から滲み出たのか三日月型をした腫瘍の形だったこと→これはあまりよくないらしい)(腫瘍の硬さを色分けにして見れたのですが悪性のパターンとは異なっているが完全に良性パターンでもないということ)
「総合的に考えて、積極的に悪性とは言えない、という判断です。ただ一年後にまた来てもらってそこでサイズが大きくなっていたら手術適用とします」
ということでした。
グレーゾーンには変わりありませんでした←
甲状腺の腫瘍は悪性だったとしても大体は進行は遅いそうです。
ただ突然デカくなることは絶対にないとは言い切れないとも言われました。
進行具合は人それぞれな部分もあるだろうし、悪性パターンはわかってはいてもお医者さんも予測できないことは沢山あるだろうからこればかりは仕方がないと思います。
良性だーーもう安心だーーー
なんてことにはなりませんでしたが、ひとまずは安心して年を越せるので嬉しいです。
良性でも悪性でもいつかは手術になるだろうとそんな気持ちではいたので、ただこれが命に関わるような病気ではないということが救いだなーーと思っております。だって本当だったら、甲状腺に腫瘍があると知らないまま生涯を終えた可能性だってある訳です。
(皮膚科の先生がたまたま指摘して発覚した病気だったので)
世界中にも自覚症状がなければ自分に腫瘍があるとは分からないまま生活している人達もたくさんいるだろうと思います。
害のないものなら知らないままの方が幸せかもしれませんがw
私は幸運だった、とそう思います。
健康が1番なことには変わりないけどね。時間もお金もかかるし←
健康な体ってお金では買えないのでね( ー̀дー́ )ノ
フウーーと安息が訪れたと思ったのも束の間、職場でコロナ陽性者が出ました←
誰がなってもおかしくはないんだけども。
年末に向けて忙しくなってくる時期なだけに人手不足はしんどいですね。
より一層の感染対策に気をつけて、穏やかな年末年始を過ごしたいところです😭
2番目の姉より誕生日にリーナベルのぬいぐるみをもらいました💕ふわふわで可愛いです😍
ディズニーグッズを色々調べて欲しいものを買ってきてもらいました!!
このグッズたちに元気をもらったので、この元気を維持したまま残りの2022年を駆け抜けたいと思います←
私の2022年を漢字で表すなら、、、「趣」の一年でした。
好きなことに時間をかけることができたし、今までとは違う新しい興味も出てきたように思います。
8年ぶりくらいに明るい漢字が浮かんできました←😂
これは私の中ではかなり大きな快挙(と言っても特に何をした訳でもないが
ディズニー旅行できたこともとてもハッピーでした。
そして積みゲーをリセットできたことが本当に大きい。
来年もゲームを積まずに←
したいことするぞーー・*・:≡( ε:)
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iconomiccc · 1 year
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tagged by @katebvsh to list seven of my favorite films.I would like to thank my friends who always take an interest in me and care about me. I would be happy if it was an opportunity to meet good works. それぞれのタイトル下に解説文をつけました。ネタバレしているので嫌な方は読まないでください。I've added a commentary below each title. Please do not read if you do not want to spoil the content of the story. カラスの飼育~Cría Cuervos~ (1976) 高校生の頃にカヒミ(kahimi karie)のアルバムでカバーされていた「Porque te vas」という曲で知って見た映画。カヒミさんは主役のアナ・トレントが自分の幼少期のようでシンパシーを感じると言っていました。私も同じように感じたのかは初見時はよくわからなかったけど、とにかく湿度の高すぎる古めかしい屋敷の中の空気のように重く苦しいストーリーなのに、24時間ずーっと流していても気分が良い不思議な映画だと感じました。やはり自分の感性に似たものを感じて懐かしかったんでしょうね。 汚いことがたくさんある大人の世界に対する子供の鋭い視線、汚い世界で生きていて死んでしまった大好きな母親に対する愛、でも大きくなれば自分もその汚い世界に入っていくのだ、望む望まずに関わらず。それに対するどこまでもピュアな嫌悪感・拒否感が彼女を殺人に駆り立てたのではないだろうかと思っています。 アナの子供特有のスラリとしたお人形のようなスタイル、髪型、顔立ち、衣装、とても愛らしくて全て完璧。スペインの田舎の草原はどこまでも終わりがなく続いているようで、物語と同じく、救いなく連綿と続いていく人生のような寂しい風景だと感じました。 夢 (1990) 黒澤明とスティーブン・スピルバーグの合作。 高校時代の同級生に親が映画マニアで家に死ぬほどテープやDVDがある女の子がいて。その子と私がたまたま天気雨(狐の嫁入り)という気象現象に遭遇した時、私が「天気雨大好き!!」と言うと、「黒澤明の夢って見たことある?狐の嫁入り行列の映像があるんだけど、霧深い杉林の中で子供時代の黒澤明が狐に見つからないように隠れて嫁入り行列を見るの。その時の狐たちがリズムに乗って歩いていて、三歩に一度突然ぐわっと後ろを振り向くのが怖くてねー」って。 それがずっと記憶に残っていて、見てみたら最高でした。まさに私が思い描く通りの狐の嫁入り行列の映像化。見つかったら殺される、と言う緊迫感を忘れさせるほど幻想的なシーンで、何回も繰り返しみてしまう。 同時収録されているお雛さま人形たちが段々畑で実際の人間の大きさになって花吹雪の中舞い踊る話も大好き。黒澤監督が幼い頃にみた夢の映像化作品なので、ストーリーにあまり意味はないけれど、とにかく映像が美しいです。 The Addams Family (1991) 24時間ずーっと流してても苦にならない不思議な映画二作目。これもカヒミさん繋がりで知り好きになったもの。 中学、高校時代の私はカヒミカリィという人の感受性に痺れるようなシンパシーを感じていて、彼女が理想の姿でもあったけれど同時に全く自分と同じ悲しみを含んだ魂の形をしているなとひしひしと感じていました。懐かしい、いつも私が感じているもの、好きな感じ、落ち着く感じ。 カヒミさんはアダムスファミリーのようなお城で暮らしたい、世間と常識が真逆であっても家族の中では愛や信頼が成り立ち、幸せに暮らしていると言う姿が理想的とおっしゃっていました。アルバム「クロコダイルの涙」収録の「superfreak」はまさにその世界を彷彿とさせます。 私も赤い絨毯に蜘蛛の巣のはった不気味な古城に暮らしていた前世があると思う。世の人の不気味に思うものが私の美を感じるもの。 お気に入りキャラはイケてるいとこのモップさんとペットの賢いハンドくんです。可愛すぎ。 Nell(1994) ジョディ・フォスター主演。ノースカロライナ州の深い山奥、美しい、湖のほとりにある木でできた家。そこに住む言葉が不自由な現代版狼少女のネルと医師のジェリー、心理学者ポーラ三人の心の交流・家族愛が不器用に育つ過程を描いた物語。体は大人だけど心は幼児でもない、小さな子猫でもない、不思議な存在であるネルと関わることで、常識の中で生きてきた普通の大人の男女二人が、一人の生き物としてそれぞれネルを守ろうと変わり始める姿に胸を打たれる。 私はなぜか小さい時から泉や水辺で水浴するという行為やシーンがとても好きなのですが、ネルが夏の夕方、森の中の湖で泳ぐシーンがすごく好きです。なんだろう、体が溶けて揺れて大気と水と一体になるような陶酔感。 真っ当に育った人間ではない存在であるネルが社会に復帰するために街に出るシーンは人々の好奇な目線やからかいに胸が苦しくなるのだけど、それをも乗り越えて人生は変化をし続けながら続いていく。目と心を世俗の汚れから洗ってくれるような作品。 Digging to China (1998) 実家にいた時衛星放送で偶然録画してすごく気に入った作品。まず登場人物全員の衣装やメイクや背景が半端なく可愛くて感心する。(一番の推しは主人公のお姉さんが妹捜索時に着ていた透明に白のドットの雨ガッパ) 思春期前の少女と知的障害ゆえに少年のような心を持った大人の男性の不思議な友情を描いた素敵な作品。 リボンのついたキャンディーのように可愛くて、でも油断してたら包み紙で手を切ってしまって血が滲むような、なんとも言えない純粋さと可愛らしさが混ざった妙味ある童話みたいな映画。大好き。 かぐや姫の物語 (2013) あまりにも打ちのめされるので気軽に繰り返し見たいという作品ではないけれど、強大な力を持っているので選ばざるを得ない。 鬱病から社会復帰するときにリワーク施設に通っていて、そこでのプログラムで映画鑑賞というものがあり、月に二、三回スタッフさんの持ってきたDVDを見ていて出会いました。 もう、上映後は泣きに泣いて震えて頭が働かないくらい衝撃的でした。 このDVDを持ってきた支援員さんに、私が泣きながら「○○さん、これ。私、わかった」というと、彼女も目を潤ませながら笑顔でうなづいてくれたことを覚えてる。 これは竹取物語という昔話の単なるリバイバルではなく、「この地球で生きるとはどういうことなのか」「人間は死んだらどうなるのか」を描いた物凄く重い作品です。 これは、「この世に生まれてきて、自分を愛してくれた両親が望む娘の幸せと自らが望む幸せが合致せず、親のためにとひたすら自分を殺し続けた結果、苦しさに耐えきれなくなり自殺に至る娘の生涯」を描いた作品なのです。 姫が帝に抱きしめられて瞬間移動ができているのは、もう半分死の世界に行っているからです。生身の人間にあんなことはできません。最後に月の使者が迎えに来るのは文字通り死の世界からのお迎えです。兵士たちの放つ矢は全て花になってしまう。死の前にはどんな権力も力も通用しません。 羽衣を着てしまえば地球でのこと(生きていた時のこと)を全て忘れる、躊躇した姫に親の愛で動けるようになったおじいさんとおばあさんが駆け寄ったとき、「ととさま、かかさま!!」と泣きながら振り返り、二人に抱きつきながら「離れたくない!!」と叫ぶ姫のセリフは、「死にたくない!!」という生への執着、生への恋慕の叫びなのです。 死んだら無の世界に行きます。生きていた頃の記憶は全て忘れて、喜びも痛みも悲しみも何もない光に満ちた世界に行くのです。 姫が地球を飛び立ち、宇宙を月に向かって進んでいるとき、ふっ、と振り返って青い地球をかえり見たとき。一粒涙を流したのは、喜びも悲しみも苦しみも全てが咲いては枯れ、沸き起こり、繰り返されている、生の世界の営みを愛おしく思う心の表れでしょう。 今生きていることが途方もなく尊いことだってことは普段、忘れてしまいがちなのですが、見た後にそれを思い出して自分を抱きしめたくなるような凄い映画です。 中国の植物学者の娘たち(2006) フランスとカナダ合作映画。監督は中国の方ですが同性愛を描いた作品のため中国では撮影許可が降りず、ベトナムで撮影されたもの。 映像も俳優さんたちも風景も全てが物凄く美しいけれど、物凄く悲しいストーリー。二人の愛が本物であったが故に、その愛の花が咲く大地が中国であったというだけで最後、二人は死刑にされてしまいます。 私は植物が好きなので画面に溢れんばかりに写り続ける緑と水と土の香りにとても癒されます。二人が出会い、��いに恋心を抱くようになり、少女のような淡い確かめ合いの時期を経てむせかえるような花と緑の中で激しく結ばれる。しかしその愛はこの人生では許されないものだった。関係が露見した二人は不幸になり、周囲から孤立し、ラストは死に別れるというとても辛い結末。 人間の幸福とは、国家とはなんなんだろうか?考えざるを得ません。 私は異性愛者ですが、幼い頃から同性愛者の人たちに不思議なシンパシーを感じていました。なんなら、そこらじゅうに在る異性愛よりも日の目を見ない同性愛の方が純粋であるとも思っていた。 どうして、同じ性別の人を愛しただけで罰せられなければいけないのか理解不能でした。愛の感情は人間に等しく与えられているものなのに。 見た後悲しくて胸が潰れそうになるので、これも気軽に何度も見ようとは思えないけれど、しかし心に残る作品です。
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psychedelyrics · 2 years
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きらりひらり Kirari Hirari (Roen x Maxis) JPN / ROM / Traduction FR
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Titre:  Kirari Hirari / きらりひらり Interprètes: Maxis (CV: Nakata Jouji), Roen (CV: Tatsuhika Suzuki) Compositeur: Elements Garden Single: Dance with Devils Unit Single 4 Maxis with Roen / Dance with Devils ユニットシングル4 マキシス with ローエン
「マキシス様、お嬢様をワタクシにください」 「ローエン…。何という戯言を言い出すのだ」 "MAKISHISU-sama, ojou-sama wo watakushi ni kudasai" "ROOEN... Nanto iu zaregoto wo iidasu no da" R: "Maître Maxis ! Veuillez me donner la main de Mademoiselle !" M: "Roen ? Quelle absurdité me dis-tu là ?"
いいえ ワタクシは 揺るぎなく本気 お嬢様こそ ワタクシだけの きらめき この世で たったひとつの そう Only one (One, one, one) Iie watakushi wa yuruginaku honki Ojou-sama koso watakushi dake no Kirameki kono yo de tatta hitotsu no Sou Only one (one, one, one) Non, je suis on ne peut plus sérieux Mademoiselle elle-même m'est fidèle Elle est mon unique étincelle dans ce monde Oui, c'est la seule (one, one, one)
「わが娘を幸せにできるのか?」 "Waga musume wo shiawase ni dekiru no ka ?" "Es-tu capable de rendre ma fille heureuse ?"
きっと幸せにと 約束します 捧げましょう この身この命 お守りします どんな時にも ええ Yes, I can (Can, can, can) Kitto shiawase ni to yakusoku shimasu Sasagemashou kono mi kono inochi Omamorishimasu donna toki ni mo Ee Yes I can (can, can, can) Je la rendrai heureuse sans faute, je vous le garanti Je lui vouerai tout mon être, toute ma vie Je la protégerai à chaque instant Parfaitement, oui je le peux (can, can, can)
どうかお嬢様をワタクシの花嫁に Douka ojou-sama wo watakushi no hanayomi ni S'il vous plaît, laissez-moi faire d'elle mon épouse...
「娘の婿は強くあらねばならぬ」 "Musume no muko wa tsuyoku araneba naranu" "L'époux de ma fille se doit d'être fort"
かつてのワタクシは かよわい小犬 (Kyu-uuu-un) ですが 愛が愛が 限りない力をくれました Katsute no watakushi ga kayowai koinu (Kyuuun) Desu ga ai ga ai ga kagiri nai chikara wo kuremashita J'étais autrefois un frêle petit chiot (kyuuun~) Cependant, l'amour; oui, l'amour m'a donné une puissance infinie
「愛がお前に力を……?」 "Ai ga omae ni chikara wo...?" "L'amour t'aurais donné de la puissance....?"
マキシス様なら ご存知でしょう Love can make it happen! MAKISHISU-sama nara gozonji deshou Love can make it happen! Je suis sûr que Maître Maksis le sait aussi L'amour peut tout rendre possible !
「お嬢様、さあこちらへ」 「娘よ。この父の許へ」 "Ojou-sama, saa kochira e" "Musume yo. Kono chichi no moto e" R: " Mademoiselle, par ici" M: "Ma fille, viens rejoindre ton père"
My fair princess この手を取って 共に歩きましょう どこまでも 星屑 きらりきらりきらり 花びら ひらりひらりひらり 日溜まりの夢を 分けあいましょう My fair princess kono te wo totte Tomo ni aruki mashou doko made mo Hoshi kuzu kirari kirari kirari Hanabira hirari hirari hirari Hidamari no yume wo wakeaimashou Ma belle princesse, prends ma main Avançons ensemble jusque là où bon nous semble La poussière d'étoile scintille Les pétales de fleurs virevoltent Partageons ensemble ce rêve ensoleillé
「生涯変わらず愛すると誓えるか?」 "Shougai kawarazu aisuru to chikaeru ka?" "Promets-tu de l'aimer pour le reste de tes jours ?"
照る日も降る日も そして曇る日も 変わらぬ心 愛し 敬い アナタを慰め いつも助けると 誓います (Vow wow wow) Teru hi mo furu mo soshite kumoru hi mo Kawaranu kokoro aishi uyamai Anata wo nagusame itsumo tasukeru to Chikaimasu (Vow wow wow!) Que ce soit par jours de beau temps, de pluie ou de nuages Je promets de toujours t'aimer, de te vénérer Et de te soutenir à chaque instant (Vow wowow)
どうかお嬢様をワタクシの花嫁に Douka ojou-sama wo watakushi no hanayomi ni S'il vous plaît, laissez-moi faire d'elle mon épouse...
「ローエン、なんと真剣な目を……」 "ROOEN, nanto shinken na me wo...." "Roen, que ton regard est sérieux ...."
信じてください マキシス様(Wa-ooo-on) 決してあなたの期待 裏切ったりはいたしません Shinjite kudasai MAKUSHISU-sama (waooouh) Keshite anato no kitai uragittari wa itashimasen Faites-moi confience Maître Maxis, (Waouhh) Je te trahirai jamais vos attentes
「それも愛の力なのか」 "Sore mo ai no chikara na no ka" "Serait-ce encore le pouvoir de l'amour ?"
マキシス様なら ご存知でしょう Love can make it happen! MAKISHISU-sama nara gozonji deshou Love can make it happen! Je suis sûr que Maître Maxis le sait aussi L'amour peut tout rendre possible !
「だが、娘の気持ちが大切だ」 「お嬢様、ワタクシの妻になってください」 "Daga, musume no kimochi ga taisetsu da" "Ojou-sama, watakushi no tsuma ni natte kudasai" "Cependant, les sentiments de ma fille doivent être respectés" "Mademoiselle, faites-moi l'honneur de devenir ma femme."
My fair princess 大切にします アナタだけ見つめて いつまでも きれいな額 目蓋 頬にも唇にも 優しいキスの雨 降らせましょう My fair princess taisetsu ni shimase Anata dake mitsumete itsu made mo Kirei na hitai mabuta hoho ni mo kuchibiru ni mo Yasashii KISU no ame furasemashou Ma belle princesse, je prendrai soin de toi Et n'aurai à jamais d'yeux que pour toi Sur ce joli front, paupières, joues et lèvres Je ferai tomber une pluie de doux baisers
「ローエン……」 「あ……。し、失礼いたしました」 "ROOEN...." "A.... Shi, shitsure itashimashita" M: "Roen..." R: "Ah! Veuillez excuser mon insolence"
マキシス様と奥方様 お嬢様とワタクシ Pretty puppy and beautiful baby ああ なんという幸せの日々 Love can make us happy! MAKUSHISU-sama to okugata-sama ojou-sama to watakushi Pretty puppy and beautiful baby Aa nanto iu shiawase no hibi Love can make us happy Maître Maxis avec sa vénérable épouse, Mademoiselle avec moi Un joli toutou et un magnifique bébé Ah, que des jours de bonheur L'amour peut nous rendre heureux !
「……そんな暮らしも悪くないかもしれぬな」 「マキシスさま!」 "...Sonna Kurashi mo warukunai kamo shirenu na" "MAKISHISU-sama !" "Il est vrai que ce style de vie pourrait être des plus agréables..." "Maître Maxis!"
It's love! It's love! All we need is love! 世界はこんなにも輝いて 手を取り ダンスダンスダンス グラス上げ チアーズチアーズチアーズ It's love! It's love! All we need is love ! Sekai wa konna ni mo kagayaite Te wo tori DANSU DANSU DANSU GURASU age CHIAAZU CHIAAZU CHIAAZU C'est l'amour ! C'est l'amour ! L'amour est tout ce dont on a besoin ! Le monde brille de mille feux Prenons-nous par la main et dansons dansons dansons Levons nos verres et trinquons trinquons trinquons
It's love! It's love! All we need is love! すべては愛ゆえにときめいて 星屑 きらりきらりきらり 花びら ひらりひらりひらり Love, Love, Love, Love…… Love can make it happen! It's love! It's love! All we need is love ! Subete wa ai yue ni tokimeite Hoshi kuzu kirari kirari kirari Hanabira hirari hirari hirari Love, love, love, love... Love can make it happen ! C'est l'amour ! C'est l'amour ! L'amour est tout ce dont on a besoin ! L'amour est ce qui rend tout palpitant La poussière d'étoile scintille Les pétales de fleurs virevoltent L'amour, l'amour, l'amour, l'amour L'amour peut tout rendre possible !
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keredomo · 2 years
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一人
 分身である者との日々を奪われるかたちで失って、私は数日をかけて折り合いをつけ、今ようやく純粋な一人となったが、それに至るあいだ、しばらくほうけていた。輪郭を失ってほうけているあいだ、あるいは輪郭を失って悶え苦しんでいるあいだ、仕事上の責務が膨大に私に降り注いだことは幸運と呼ぶべきものであった。仕事は私が私であることについて考える余地を根こそぎ奪い、それによって私は生きながらえた。慌ただしく動いているうちに時間が過ぎてゆく。時間が過ぎれば、心は、私の感情をともなうことなく、勝手にあるべきところに落ち着くよう自律的に安寧を志向する。
 仕事がようやく落ち着いた金曜日、ずっと見ぬふりしていたわたしの心と向き合ってみたら、知らぬ間に勝手に、私の知らぬ場処に、落ち着くべきところを見つけているようだった。
 懇願して、その景色を見せてもらった。そこは広陵とした、わずかに草の生える砂丘であった。白浜と呼ばれる場処が曇天のもとに砂に一定の湿度を含むとあらわれる土の色があって、それは茶でも灰でもない、砂もまた海と同じく空の色を映すのかと思わされるような、濁った、薄暗い、すべてを拒絶するような、すべてを諦めるような色を帯びていた。そこに、わたしの心は安住していた。わたしはいま、ここにいるのが心地よいのだと、そう言っていた。
 「イザナミが女陰を焼かれて病み伏していたときに女陰でないところから生まれた神々」という一節を昼間に読んで、ぞくりとした。古事記である。
 私は、子を産まないと決めた自分をそこに投射したのだった。私は子を産まないと決めた時、自身の女陰をみずから焼いた。焼いた心地がした。そのかわり、女陰でないところから神を産もうと決めた。私の決意は、今そのように、古事記に擬えうると感��た。私の身近な人間はその覚悟についてよく知っているだろう。ここに私が反応したことに、共感するだろう。
 おおまかに説明する。イザナミの女陰が焼けたのは、火の神を産んだせいである。日本の神話的国母であるイザナミはそれによって命を落とし、夫であるイザナギは激怒して「たかが子一人と愛するイザナミとを引き換えにするのでは勘定が合わない」という頭の悪い理屈で火の神を成敗する。そののち、冥土に死んだイザナミを迎えに行くが、「時はすでに遅い、私はもう黄泉の国の者になってしまった。しかし冥王に生き返れないか交渉してみるからしばし待たれよ、待つ間は決して私の姿を見ないこと」と告げて生き返る努力をする。鶴の恩返しの原型。しかしイザナギは愛するイザナミの姿を見たくて待てない。覗き見てみると、愛する妻イザナミは蛆虫まみれの爛れた醜い姿になりおおせていた。その恐ろしさにイザナギは妻への愛を失ってしまい、踵を返す。ふざけんなと妻。夫を殺そうと刺客を放つが、イザナギは結局生きて現世に帰ってしまう。
 古事記のその後はイザナギの英雄譚が続く。私が生涯の30年をかけて培ったミサンドリーの全てがここにあると言っても過言ではないのだが、その話はまた長くなるので後日。語らなくとも、このあらすじだけでわかってもらえそうではあるけれど。最低な建国神話である。このような国に生きることの屈辱。
 みずから望まぬかたちで、しかしみずからの決心でもって女陰を焼いた私は、もう未来に希望が持てずにいるが、それでも生きていかねばならないのは、どういう理屈だろうかと思う。
 ちなみに、女陰を焼かれたイザナミがそのあと産んだのは、吐瀉物と排泄物を元とする神であった。女体を軽んじ酷使するのもいい加減にしてほしい。殺す。殺す。孕み過ぎた女体が嘔吐し失禁するのは当然の反応だろう。殺す。
 しかし私はもう、女陰を焼いた以上、イザナミのように限界まで産みもしなかった体で、吐瀉物と排泄物からしか何かを生めないのだろう。私がこれから生み出すものは、排泄や嘔吐と変わらないものなのだろうか。どうしてそんなふうに思わされなければならないのだろうか。
 ありとあらゆるままならなさと絶望を引き受け、産まないことを、諦めとともに引き受けた私がこれから生み出すものは、すべて、吐瀉物にすぎず、排泄物にすぎず、石女の、いやそれよりもっと悪い、産めるのに産まなかった女の、汚らしい汚物に過ぎないのだろうか。
 そんなことを思うくらいには、私の身体は「女の役割」に染められ果てている。時代であり、呪いであり、政治である。抗うにはおそろしい量のエネルギーが必要なのに、誰も、私以外の誰も、特に男は、誰も誰も誰も、理解しない。
 一人で安全に死ぬための算段を立てようとすると、呼吸が苦しくなる。
 私を愛する人がいる。理解し、感謝している。しかしその美しい愛はこの国の家父長制を重んじる法制度によって無惨に棄却されてしまうということを、私を愛しているという誰もがわかっていない。私はおそらく一人惨めに死ぬ。その後片付けをしてくれると現状信じていられる人たちよりも後に死ぬ。
 死が両腕を広げて待ち構えているヴィジョンがすでに明確にあるのは、きっと私だけだろう。毎日、「死」にその腕を広げてほしいと夢想しながら、かれと対話している。早くあなたに抱きしめてほしいけれど、どうもまだらしい、あなたの腕にすべてを委ねられる日が待ち遠しい。そういう話をする。「死」は答えずに両手を組んで机の上に置いている。
 産まない、産まなかった、自分と折り合いをつけるのが難しい。女陰を火で焼かれるまで、産めるべきであった。そうすることで初めて私はこの世界に有用性を示せたのではないか。一つたりとも神を産まなかった私の吐瀉物と排泄物が、世界の何になると言うのだろうか。
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ou-dan · 2 years
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『せんせいとぼくと世界の涯』完結しました。 
 長々と間をあけながら描いていた漫画の更新が終わりました。初出2015年だと思う。自分でも引くほど時間かかってしまいましたが、初期からお付き合いいただきました皆様も、最近読んでくださった皆様もありがとうございました。
 私はけっこう前に途中まで描いた絵などを最近仕上げて新作として出したりします。なのではたから見ると画風が一定ではなくなんだろなと感じられると思うのですが、『せんせいとぼくと世界の涯』はそれが著しくて、57話あたりの人物をペン入れしてたのは2020年より前です。でもその前後は最近描いたものだったりします。新旧混在。
 全く手を付けていない時期も長かったのですが、2015年から今までの間、頭のリソースを何割か食いながら考え続けていたことがまとまって形になりほっとしています。ずっと粘土をこねていたような気がする。
 以前この漫画を「思考実験みたい」とおっしゃってくださった方がいらしたのですが、本当に考え事をするために描いていたようなものです。
 私は人を助けるという行為が、親密な関係を伴うものである必要がないと思っています。
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 どういうルールでこの話を書いたかについては以下に記載しました。描いてる期間があきすぎていてけっこうブレてるな~とは思うんですが一応こんなかんじということで、ご興味がありましたら見てみてください。
せんせいとぼくと世界の涯についての覚書
・これはよく理解することができないために名指すこともできないが確実に存在するものについて関わるための話 ・キャラクターに固有の名前をつけない ・何かの代弁をしようとしない ・ルールの違う生き方の者がそれぞれ生きていてたまに関わる ・戦わない ・これは、わからない人にわかってもらうための話ではない ・不幸を具体的に描かない ・理由を見つけ納得するような手法は避ける ・主軸を師弟愛、親子・恋人ものにはしない
魔法使いについて
・魔法使いのデザインは、意思疎通はそれなりにできそうだがどうとも判別しづらい、私たちとは違う異質だと感じるものにする ・魔法使いは感情の力を見ることができ、手につかみ物質のように扱う能力を備えている ・後天的に魔法使いになるとは、失明と肉体の欠損の逆のような意味で、見る目と掴む手を獲得することで生活様式が変わり生きる環境を移動せざるを得なくなる障害状態。 ・または望んで移動する ・認識の違いにより、同じ魔法使いを見てもそれぞれ違う印象を持つ ・真の姿などはない ・彼らは物理の話をしている ・感情がないのではない ・何も感じないのではない ・顔に出る感情(表情)と呼ばれるものを読みあってコミュニケーションする必要がない ・魔法使いたちは苦行者の「苦痛を喜びに感じる」というのが呪い(負の感情)を生む道理を無視している感じがして生理的に無理め ・師から弟子へ呪いを継承することで「魔法使い」として形式が整う ・感情を扱う技能を覚えても呪いの継承を行わないことで、「魔法使い」として整っていない者もいる。 ・呪いの継承により、その呪いが解けないうちは「力=負の感情がまったくない」状態は起こり得ない保険のようなもの ・でも呪いのルールを破ると死ぬ
魔法使いの呪い
・継承される呪いの解除キーは「世界の涯にたどり着く」 ・世界の涯とは、認識の限界 ・認識の限界とは、すべての現象を理解しこれ以上新たに何かを知ることがない、未知のものがない状態 全知の神みたいな状況 ・たいていの魔法使いはまーそんな状態に個人がたどり着くわけはないよね、その前に死ぬ可能性の方が高いよね、つまり呪いを解く方法など実質ない、とは思っている ・でも全ての現象を理解することを「目指すこと」はできると思っている
苦行者について
・負の感情を他者からぶつけられ続けるか、自分から沸き続けるかで内観が呪いの重さで広がりすぎると苦行者化していく ・内観��空洞の大きさにより、近隣の呪いが流れ込む=呪いが降ってくる ブラックホールみたいなもの ・人間のうち、苦行者になってしまう者がそれなりの頻度で発生するがたいてい耐えられずに死ぬ ・望んでなる者と、条件的にそうなってしまう者とがいる ・苦行者として存在し続けられるのは苦しみを喜びと感じる者だけ
聖人について
・能力は「負の感情を消す」こと ・比較的軽い負の感情は聖人に近づいただけでどんどん消えていく ・聖人が力を魔法使いに使うと魔法使いはからっぽになる ・魔法の力で長命・肉体・精神を維持していた魔法使いは自分を支えられなくなって死ぬ ・なので聖人に接近を試みてる魔法使いは自暴自棄気味 ・見た目は変わらないが人間ではない ・不老なだけで殺せば死ぬ ・寿命はあるが人間より長い ・自分が何かを間違ったとわかった瞬間に逡巡なく行動を変えられる ・心の痛みは発生しないが、相手が傷つくことはわかっているので気づけば相手へ敬意を払うことに意識をすぐに切り替えられる ・判断力と臨機応変の能力がバリ高い ・人間のガワを持ち、人間として振る舞い、他者との関係を築けるが、負の感情を消すシステムとして存在する ・哲学的ゾンビではないがその亜種みたいな ・負の感情を持ち得ない ・怒りで行動しているのではない ・正義によって行動しているのではない ・人間の負の感情過多を解消するために存在している ・そのために思考する ・行動のトライ&エラーはある ・あらゆる選択に、成功失敗の判断はしうるが引け目や後悔は感じない ・表情はあるが、他者に読み取られ、納得・安心されるためにある ・自我はある
負の感情の力について
・負の感情であり呪いという名称だが純粋に力のことである ・「悪い」現象ではないただの力である ・魔法使いたちにとっての呪いは電池のようなもの ・自分の感情で自家発電もできるが呪いを使う方が楽 ・力が強い魔法使いとは、   1:自身の負の感情(発電量)が多い   2:自身、ないしは他者の呪いの所有量が多い
・魔法を使うとは、何かの物質・機構に力を流すことで変容・稼働するイメージ ・なので「百万円ほしい」とかは魔法の力では叶えられない ・魔法使いが死ぬ時、呪いをためている内観が収束していくため、所有している呪い全てが加圧状態になり、空間の圧縮に耐えきれなくなった点で爆発する。呪いの所有数が多ければ多いほど爆発規模も大きくなる
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mori-mori-chan · 1 month
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読書感想文39
絶対貧困 世界リアル貧困学講義/石井光太
更新頻度低下の案内の次の投稿がこれですよ皆さん。舌の根も乾かぬうちに
余談ですが、実は以前の職場が倒産し職業訓練校に通っていた時に、キャリ今野先生から「あなたの履歴書や職業経歴書が一番読みごたえがある」と言われ、本を読んだら感想文を書くようにしていると答えたところそれはいい習慣なので出来れば継続するように、と言われたことがあり、もうお会いする機会もないでしょうがそのキャリコンの先生のことが好きだったので(恋愛感情とかではなく)個人的にこのルーティンは生涯続けていきたいのです。また、文章は書かないことには上手くならないと思っておりますので……。
で。本作、THE・名ルポです。内容の衝撃度もさることながら緩急のつけ具合が絶妙でして……お涙頂戴にしたりちゃかしたりにすることくなく事実ベースで綴り、時には筆者の現地での体験談を盛り込んだ圧巻の内容となっております。結構淡々と描かれてはいるのですが、内容だけ見ると悲惨かつ凄絶で、同じアジアでもピンキリ過ぎィ!と感じました。親ガチャならぬ出生国ガチャですよ最早……2024年現在では、ですが。構成力の高さが素晴らしいです。終盤まで内容に心を痛めつつどこかよその国の話だと傍観者の立ち位置になってしまっていたのですが、最後の最後でこれは決して我々も無関係ではなく、いつこうなってもーストリートチルドレンが巷に溢れ、社会からの支援も得られないままに犯罪者達に利用され、或いは自身が犯罪者に転落する貧困者となり果てる者が増え続けてもーおかしくはないなと戦慄させられました。
"一つ忘れないでいただきたいのは、このグローバル化の波は日本にも押し寄せてきているということです""このような時代の中で、途上国で起きている出来事を他人事と捉えるのは容易です。たとえば、日本のエイズ発症者の十二・六パーセントが外国人というデータがあるのをご存知ですか?""ここからいえるのは、いまはもう途上国の貧困問題を「遠い国の出来事」として片づけられる時代ではないということです。良い意味でも悪い意味でも、途上国で起きていることは、そのまま私たちの安全や経済や政治に影響を与えるのですそれがグローバリゼーションということなのです"……はい(震え声)。
梁石日の『闇の子供たち』を読んだ時に、序盤でもうかなり気が滅入ったというか現実の残酷さと世界で起きていることに無知すぎる自分に落ち込んだのですが、ルポとサスペンス、ベクトルこそ異なるものの臓器売買・児童買春内容的にはかなり論くしております。あ、"アジア、中東からアフリカまで~"と裏表紙にあるように、本作で触れられているのは基本黄色人種・黒色人種です。ルーマニア等東欧辺りも結構アレらしいのですが……いつか世界全体版も読んでみたいものです。また、意外にも貧富の差が激しいと言われている中国は全く出てきませんでした。スラムがあったり物乞い(※文中の表現)がいたりするわけではないんでしょうかね。
↓内容(Amazonのスクショですいません)
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まぁ何か全体的に地獄でしたよね、はい。
この中では割と軽めの『第二講 人々の暮らしと性』で触れられている貧しいのに人っている人とか、これは世界共通なんだな……と思いました。ヘルシーな食事って結局お金がかかるので、手軽に買えて、かつ高カロリーのお菓子からジャンクフードやらそういうものばかり食べてしまいますよね……。『第八講 物売り』では想像の遥か上をいく、誰も損することのない綿密な商品の流通・回収ルートが存在しており謎の感動がありました。『第十講 ストリートチルドレン』から流れが変わってきて、一気に読むのが辛くなります。シンナー中毒になる子供、自発的に少年兵となる子供……いやー、きついです。でも事実なんだよなぁ……。『第十一講 路上の犯罪』もメンタルやられます。インドの物乞いビジネス(原文まま)の無慈悲さに。
"さて、こうした物乞いビジネスの中で、インドのそれはすこぶる残酷なのです。
物乞い世界には、健常者より障害者の方が稼げるという原則があります。さらに言えば、障害者は障害者でも重い障害のある人の方が稼ぎます。そこで、インドの犯罪組織は誘拐してきた子供に障害を負わせることで大金を稼がせようとするのです。
私がチェンナイという町で取材した例をご紹介しましょう。
この町の犯罪組織はインド各地から赤子を誘拐していました。そして子供が六歳になるまではレンタルチャイルドとして物乞いたちに一日当たり数十円から数百円で貸し与えるのです。前に述べたように、ここではほとんど利益は得られません。
やがて、彼らが小学生くらいの年齢に達します。すると組織は彼らに体に障害を負わせて物乞いをさせるのです。そのパターンとしては次のようなものがあります。
・目を潰す。
・唇、耳、鼻を切り落とす。
・顔に火傷を負わせる。
・手足を切断する。
一番簡単なのは目を潰すことです。"
……。
………。
上記内容が記載されているページをめくると実際に食い物にされている子供の言葉が載っているのですが、もうあまりにも救いがなくて長い溜息が出てしまいましたよね。
次は第三部・売春編なんですが蟻が精液を食べる事実に驚きました(オエー鳥のAAを貼りたかったのですがずれてしまうため挫折)。こちらも中々パンチのある内容なので、是非ご購読���ただきたいものです。非情な現実を直視することが、といっても自分の場合は筆者の文章を通じてですが、それですらこんなに辛いことなのかと愕然としました。疲弊しますし、絶望もします。「石井光太」でググれば筆者の様々なインタビュー記事が沢山ヒットしますので、気になった方はそちらをご覧いただくのもありかもしれません。
明るく楽しい内容ではありませんが、一読の価値はあります。
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mreiyouscience · 3 months
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 ネタ晴らしをすると
主人公のブロードウェイの舞台は成功する。
しかし
そのような結末で本映画を
ハッピーエンドストーリーとするのは違和感がある。
実際
主人公は舞台成功後
バードマンという過去の栄光に囚われ
精神を病んでいたように見えた。
つまり
主人公にとって舞台の成功は
人生の生きがいになりえなかったのである。
僕が思うに主人公が欲していたのは
深い愛とそれによる人間関係であったのではないか?
 さて
この映画を語るうえで二つのベクトルがある。
一つは名声とそれによって生じる嘲り等のバッシングという
「評価のベクトル」がある。
もう一つは前述した
「愛と人間関係のベクトル」だ。
おそらく
ハリウッド俳優というキャリアによって
主人公は「愛」を犠牲にして「評価」に依存していた。
それが離婚や娘を薬物中毒にまで
追い込む原因になったのだろう。
 この映画を見て人生のエッセンスは以下の通りであると感じた。
愛する人・社会に対して奉仕する手段こそが
その人にとっての生きがいであり
それを実現しようとすることこそが幸せへのパスポートである。
~追記~
「YOUTUBE」で
「Thoughts on humanity, fame and love
 | Shah Rukh Khan」
と検索してほしい。
インドのボリウッド映画スターの
「シャー・ルク・カーン」が
「愛」の大切さを訴えている。
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Thoughts on humanity, fame and love | Shah Rukh Khan | TED
また
インド人に対する見方が変わると思うので
良かったらぜひ。
~追記~
さらにこの映画の理解を深めたい人へ
バードマンを見た後
まず、この動画を見てほしい。
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そして、
バードマンの主人公と同じような病を患っている人に関する理解を深めよう。
次に「ビューティフルマインド」という映画を見てほしい。
故ジョン・ナッシュの実話だ。
故ジョン・ナッシュが統合失調症を
どのように闘い、
そしてどのように受け入れていくかに着目しよう。
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『ビューティフル・マインド』日本版劇場予告編
また、
愛(社会的な絆や友情など様々な人間関係)と
統合失調症などの精神疾患が
どのような関連性があるのかについて
考えてみよう。
三番目にこの動画を見てほしい。
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この動画を見て社会的なつながりと精神疾患、絶望感との関連性について
自分なりに考えてみよう。
四番目に映画「グッドウィルハンティング」を見てみよう。
この映画を通して
社会的なつながりとアダルトチルドレンや共依存の関連性について
自分なりに考えてみよう。
もしアダルトチルドレンや共依存という言葉を知らない場合は
自分なりに調べてみよう。
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【映画】グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 予告
五番目に
再度バードマンを見てみよう。
この映画は等身大のアメリカを描いているが
今のアメリカ社会がどのようになっているのかに着目しながら
再度見てみよう。
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映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』日本版予告編
六番目に
「YouTube」で「ブレネ―ブラウン 傷つく心の力」
と検索してみよう。
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そしてこの動画を見たら
もう一度「YouTube」で「ブレネ―ブラウン 恥について考えましょう」
と検索してみよう。
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最後に「YouTube」で
「ナディン・バーク・ハリス いかに子供時代のトラウマが生涯に渡る健康に影響を与え
 るのか」
と検索してみよう。
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そして、
これまでの流れを振り返りながら
社会的な絆の大切さについて
自分なりに考えてみよう。
(具体的にはコンビニなどの寄付の大切さなどについて
 考えながら日々生活してみよう。)
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eii-m · 4 months
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士官学校での或る体験
50年前の夏は、職業軍人養成の陸軍士官学校に在籍していました。私はその前年(昭和19年)に試験に合格し、終戦の年の2月に入学したのです。 その士官学校も、本土決戦に備えるためだったのかどうか、8月には浅間山の麓に疎開していて、そこで終戦を迎えました。士官学校生徒の私たちは、捕虜としてカリフォルニアの炭坑に連れていかれるというような噂も一部で流れていました。 疎開前でしたが、「歴史の大きな改変」を校庭に集まった全生徒の前で予言した高級将校がいました。戦局は敗戦が必至だと解っていたのでしょうか。敗戦後、割腹自殺をしたという上級教官の話も聞きましたが、そういう人達とは違った理性的な勇気の持ち主が、この集団の中にもいたというのも、いまでは大きな教訓となっています。 短い期間であっても、士官学校でのあれこれのことは、私にとって忘れ難い体験でしたが、中でも次のことは、生涯をつらぬくような一つの教訓にもなっているような気がします。 当時の陸軍士官学校では、昔からの伝統を重んじたのでしょう、毛筆で日記を書かされていました。それは強制でもありましたが、一面では、わずかに許された自由な表現の時間でもありました。それまでの中学時代に夏目漱石全集などを読み漁っていた私などには特にそう感じられていました。 しかし、ある日、思っていたことを率直に書きとめたことから、思わぬ波紋が起こりました。 “将校生徒といえども一人の軍人だし、軍人もまた日本人の一員である。” 書いたのはこれだけのことですが、感じていたのは、この士官学校で将校生徒々々と強調されおだてられることへの自制だったのでしょうか。願っていたのは、この集団以外の兵隊たち国民たちを蔑視するな、ということだったと思います。そういう愛国少年の一人だったのでしょう。 ところが、それがどうして「彼ら」に知られることになったのでしょうか、この日記を盾にとられて「貴様は自由主義者だ」と、教官からではなく同僚の同級生から決めつけられ、ある日「彼ら」の集団から呼び出され、とり囲まれて袋叩きにあったのです。 自由主義者というのは、当時の日本では反社会的思想の持ち主として最悪の決めつけ語であり、非国民と同義語に使われたものです。 「彼ら」というのは「幼年学校」出身者のことですが、この「幼年学校」というのは他国にはあまりない、日本帝国陸軍独特のもので、「彼ら」はそこで13~14才の少年時代から特別の職業軍人幹部養成教育を受けていたのです。ここから士官学校へはもちろん無試験で、はじめは将校の子弟を育てるためのものであったのかも知れませんが、この学校の出身者でないと、士官学校から陸軍大学を出ていても、中将どまりで大将にはなれないというのが、帝国陸軍の不文律であるといわれていましたから、彼らはそこで徹底したエリート意識を植え付けられていたのではないでしょうか。 「彼ら」は、私たち中学校出身者よりも数ヵ月遅れて士官学校に入ってきましたから、はじめは私たちの方からいろんな規則を教えてあげていたのですが、何の何の、しばらくすると「彼ら」は自らを帝国陸軍の「貞幹」(幹部)中の貞幹だといい、われわれ中学校出身者を『馬』と称して軽蔑しているのが分かってきました。「彼ら」は教官についても差別をしていて、よく隊をこえて幼年学校出身者の教官のところに結集しているのを知り「彼ら」の派閥意識に味気無い思いをしたものです。 今でも忘れません。中学校出身者が万葉集を読んでいたといって「軟弱者」と批判し、廊下に張り出された新聞の変なところを見ていたと難癖をつけて非難するという、そういうことを繰り返していました。 しかし「彼ら」が最大の集団的暴力を発揮したのは「兵科選び」の時でした。 当時、負け戦を続けていた日本軍の航空隊は飛べる飛行機もなかったのでしょう。殆どが爆弾を抱えて敵地敵艦に突っこみ、生きて帰ることは絶対にない、日本独特の無謀な戦術「特別攻撃隊」の要員だったのですが、「兵科選択」に際して、その「航空隊」を選ばなかった者に、「命惜しみ」として集団リンチをかけたのが彼ら幼年学校出身者の一部集団だったのです。 しかも彼らは、規則を破って深夜同級生に呼び出しをかけ、「命惜しみ」として集団暴力を加えながら、そのくせ陰では「俺は航空参謀だ」などといい、後方で指揮をとる「命惜しみ」をしようとしているのですから、偶然それを聞いた私は、彼らの本音を知り「許せない」と思いました。 本音と建て前の違い、非科学的なものの見方を平然とまかり通していたエリート軍人の卵たちの認識方法、それは当時の日本の指導者達の思考方法と共通性がなかったでしょうか。彼らにとって国家とは、天皇とそれをとりまく指導者集団、そして国民は彼らに奉仕する『馬』や『道具』と見ていたのではないでしょうか。 私の場合は、兵科選びでは彼らに強制された「航空隊」は拒否して「工兵隊」を選びましたが、それはやはり生きて帰ることが許されない「特別攻撃隊」に繋がっていましたので、その点ではリンチを受けなかったのです。けれども、さきにも言ったように日記の件で呼び出され、「自由主義者」だとして白昼軍服が血だらけになるぐらい集団で殴られたのでした。それもはじめに呼び出すときは、ただの一人で、「話がある」と呼びに来たのですから卑怯なやり方なのです。 派閥的な集団主義は、しばしばこうした卑怯なやり口をもたらすのだということを身をもって知ったわけです。 野間宏の小説『真空地帯』では、将校間の反目の犠牲になった主人公(木谷一等兵)をかばうインテリの下士官がいましたが、私の場合は、軍服が血で汚れているのを認知していても教官はそのことには一言もふれませんでした。その教官は幼年学校出身ではなく、知的な人で、私も尊敬した人でしたが、そういう人でさえそうだったのです。いや、暴力をふるった「彼ら」でも、いま会えばどうということはない「普通の人」なのですが、皇国日本のエリート集団の卵たちの意識は、人を人とも思わないようにしてしまっていたのでした。 私はその頃、早くこうした汚い雰囲気から脱出して、死んでもよい、第一線に行って自由になりたいと思ったものでした。 自由を欲する気持ちというのは、いかなる場合も消すことのできない人間の本性だと今は思うのですが、勇敢な日本軍人の献身的な戦闘性というもののなかには、愛国心や周りの人々への愛情とともに、或いはそれとは別に、こうした半ば絶望的な自由への願望があったかも��れません。 苛酷な戦いを生き抜いてきた人たちが、戦争を語りたくないというのも、凄惨な極限状況とともに、こうした説明のできない非合理主義の横行が背景にあったことが影響してはいないでしょうか。 このようなせまい集団の派閥主義、官僚主義は、近代化の遅れた社会につきもののようで、今の日本でも払拭されていないように思えますが、軍隊という戦闘組織の中での派閥主義は暴力装置をもっているだけにいっそう恐ろしいのです。無謀な15年戦争を引き起こし、広大な戦線の中で非合理非科学的な戦略戦術で莫大な犠牲をもたらした、少なからぬ要因にもなったでしょう。 夏目漱石が明治の末期に“日本は滅びるよ”と喝破したのは、こうした日本の指導者層の非合理主義的体質が続くのを見抜いていたからかも知れません。 いずれにしても私にとっては、短い間の端的な体験が終生の教訓になったことは確かです。せまい派閥主義をどんな場合も嫌うようになりました。自らの体験や頭あるいは討論などで確かめないで、外から教え込まれたものを教条的に受けつけないようになりました。 戦後50年経って「経済大国」になった日本はもう「戦後」ではないという論もありますが、本当は、以前と同じではないにしても、似たような大きな矛盾を残したまま、日本の歴史は進行してきたように思えてなりません。 戦前のように、暴力主義の横行というのは露骨には見られませんが、矛盾を合理的に解決する努力の弱さや「派閥主義」は、残念ながらまだまだ続いているように思えます。矛盾を発見して、その解決方法を討論しながら推進していく民主主義の原点がまだ社会的に定着していないからでしょうか。 私の中学校時代の友人で、普通より早く4年生から当時の高等学校に入った秀才で、学徒兵として軍隊経験をもったM君が、終戦の年によこした手紙の中で言っていた言葉を思い出します。“天皇制が変わらない限り、日本はたいして代わらないのではないか”と。 「象徴天皇制」にはなったけれども、「お上依存」は克服されたのでしょうか。国民主権は確立されているのでしょうか。 日本の社会の、こうした困難な近代化の歩みの中で、『学習』は本当に大事なものに思えます。近ごろのように幼い時期からの受験本意の勉強は真の知性を損なわせ、またどんな分野でも余り早い時期から専門的分野に入りこむことは、視野を狭くさせ、大衆の存在を忘れさせ、民主主義と人間の自由な発展を遅れさせるような気もします。 “知を力として”この言葉の重みを、近ごろつくづく噛みしめています。そして戦後50年を経た今こそ、戦争の教訓から得た人類の貴重な歴史的遺産、「平和と民主の日本国憲法」をどうしても守り発展させ、子や孫たちに伝えないとと切実に願っています。
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eternitycomenevermore · 6 months
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自己愛性パーソナリティ障害は誇大性,賞賛への欲求,および共感の欠如の広汎なパターンを特徴とする。診断は臨床基準による。治療は精神力動的精神療法による。
(パーソナリティ障害の概要も参照のこと。)
自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心の調節に困難を有するため,賞賛および特別な人物または機関との関係を必要とする;優位性を維持するために,他者を低く評価する傾向もある。
自己愛性パーソナリティ障害の推定生涯有病率には大きな幅があるが,米国の一般集団では最大6.2%にも上る可能性があり,女性より男性に多い。
併存症がよくみられる。患者は 抑うつ障害(例,うつ病,持続性抑うつ障害), 神経性やせ症, 物質使用障害(特に コカイン),または他のパーソナリティ障害(演技性, 境界性, 妄想性)を有していることも多い。
NPDの病因
自己愛性パーソナリティ障害に寄与する生物学的因子に関する研究はほとんど行われていないが,発症に関わる有意な遺伝要素が存在すると考えられている。養育者が子供を適切に扱わなかった(例えば,過度に批判的であったり,過度に子供を賞賛,称揚,または甘やかしたりすることによる)可能性を仮定する理論もある。
特別な才能や能力をもっており,自己像および自己感覚を他者の賞賛や尊敬と結びつけるのに慣れている患者もいる。
NPDの症状と徴候
自己愛性パーソナリティ障害患者は自分の能力を過大評価し,自分の業績を誇張する。自分が優れている,独特である,または特別であると考えている。患者の自分に関する価値および業績についての過大評価はしばしば他者に関する価値および業績の過小評価を含意する。
患者は大きな業績という空想―圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること,名声および影響力をもつこと,または素晴らしい恋愛を経験すること―にとらわれている。普通の人とではなく,自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えている。このような並はずれた人々との付き合いは患者の自尊心を裏付け,高めるために利用される。
自己愛性パーソナリティ障害患者は賞賛を受ける必要があるため,患者の自尊心は他者からの肯定的評価に依存し,このため通常は非常に脆弱である。この障害を有する患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており,自分がどれだけうまくやっているかを評定している。他者による批判ならびに恥辱感および敗北感を味わわせる失敗に敏感であり,これらを気にしている。怒りまたは軽蔑をもって反応したり,悪意をもって反撃したりすることがある。または,自分のうぬぼれの感覚(誇大性)を守るために,引きこもったり,その状況を表向きは受け入れたりすることがある。失敗する可能性のある状況を避けることがある。
NPDの診断
診断基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition[DSM-5])
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには,患者に以下が認められる必要がある:
誇大性,賞賛の要求,および共感の欠如の持続的なパターン
このパターンは,以下のうちの5つ以上が認められることによって示される:
自分の重要性および才能についての誇大な,根拠のない感覚(誇大性)
途方もない業績,影響力,権力,知能,美しさ,または無欠の恋という空想にとらわれている
自分が特別かつ独特であり,最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている
無条件に賞賛されたいという欲求
特権意識
目標を達成するために他者を利用する
共感の欠如
他者への嫉妬および他者が自分を嫉妬していると信じている
傲慢,横柄
また,症状は成人期早期までに始まっている必要がある。
鑑別診断
自己愛性パーソナリティ障害は以下の障害と鑑別することができる:
双極性障害:自己愛性パーソナリティ障害患者はしばしば抑うつを訴えて受診し,その誇大性のために,双極性障害と誤診されることがある。自己愛性パーソナリティ障害では 抑うつがみられることがあるが,他者より上の立場にいたいという欲求が常にあることで,双極性障害と鑑別される。また,自己愛性パーソナリティ障害では,気分の変化は自尊心に対する侮辱によって引き起こされる。
反社会性パーソナリティ障害:自分のために他者を利用することは両方のパーソナリティ障害の特徴である。しかしながら,その動機は異なる。反社会性パーソナリティ障害患者は物質的な利益のために他者を利用するが,自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心を維持するために利用する。
演技性パーソナリティ障害:他者の注意を惹こうとすることは両方のパーソナリティ障害に特徴的である。しかし,自己愛性パーソナリティ障害患者は,演技性パーソナリティ障害患者とは異なり,注意を惹くために気取ったことやばかげたことをするのを非常に嫌い,賞賛されることを望む。
NPDの治療
精神力動的精神療法
自己愛性パーソナリティ障害の 一般的治療は全てのパーソナリティ障害に対するものと同じである。
基礎にある葛藤に焦点を当てた精神力動的精神療法が有効なことがある。境界性パーソナリティ障害のために開発されたアプローチの一部は,自己愛性パーソナリティ障害の患者用に効果的に改変できる場合がある。具体的には以下のものがある:
メンタライゼーションに基づく治療
転移焦点化精神療法
これらのアプローチでは,自分および他者を感情的に経験するあり方の問題に焦点を合わせる。
自己愛性パーソナリティ障害患者は,習熟度を高める機会を魅力的と捉えることがあるため,認知行動療法が患者にとって魅力的となる場合がある;患者の賞賛への欲求により治療者が患者の行動を方向づけられる場合がある。自己愛性パーソナリティ障害患者の中には,マニュアル化された認知行動療法のアプローチを簡単すぎる,または自分の特殊な欲求を満たすには一般的すぎると考え��。
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shukiiflog · 6 months
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ある画家の手記if.85−+ 名廊雅人/直人視点 告白
直子にないと言われた育児の能力が僕にあるのか、直子より意識が少しはっきりしているように装える、その程度の差しかないこの僕に。
あの日、直人に言った言葉ーーー嘘をつくな、と。それは直人の中に深く刷り込まれるようにして全身に浸透してしまった。 相手が言葉のどの部分を重く受け止めるのかは分からない。ただ、直人はあれ以来、必要以上に嘘をつくことができなくなった。 適当に流すなり誤魔化していいものを、そのままを口にしてしまうようになった。 それが相手を傷つける結果になったり自分にとっての敵を増やすことに繋がろうと、それより遥かに嘘をつかないことのほうが直人の中では重要であるようだった。 僕にはそれを歪だと叱り飛ばすことも愚行だと一蹴することもできなかった。無理に改めさせれば直人の精神がもたないことを意味しているのかもしれなかったからだ。 ただ引き金を引いた者として、親としても、最低限の躾に留める以外なかった。 嘘をつけないのなら思ったことを軽々しく口にしてはならない、慎み深くありなさいと。僕に言えるのはいつも至極当たり前のつまらないことばかりだった。
「兄さん」 夜中、小さな明かりをつけてベッドの上で本を読んでいた僕の部屋の扉を少しだけ開けて、隙間から直人の目が僕の顔をじっと見つめていた。 「直人 おいで」 本を閉じて部屋に招くと、パジャマを着た直人はベッドの横までやってきた。 「眠れないか」 「うん」 直人は僕が布団を少し持ち上げてやるとベッドの上によじ登ってきて布団に潜り込み、僕の横に小さく丸まって寝た。直人の体に布団をしっかり掛け直すと、明かりを消して僕も一緒に目を閉じた。 4、5時間の睡眠で事足りるから僕は昔から大して眠らないが、直人はよく眠る子供だった。 それがあの日を境に、直人は僕以上に眠らなくなった。この年齢から睡眠薬を常用させるのはあまり良くないかと思い、なるべく眠れるように気休めにホットミルクを飲ませたり適度に日光に当てて環境を整えてやる程度で、医者に診せたりはしなかった。 僕の判断が正しいかは分からない。誰にも分からないだろう。
***
僕は小学校に上がる前の直人を保育園や幼稚園や、僕や名廊の人間が定石のように通ってきた西蘭の幼稚舎に行かせることをしなかった。 教育や発達の面からみても同年代の子供たちと触れ合わせてやるべきなのだろうが、直人は全く手のかからない子だった上に、少し家が離れてはいるものの比較的近所に近い年齢の子供たちがいないわけでもなかった、直人はそういう歳の近い子供たちと遊んだり共に過ごすのが苦手なようだった。 その頃の僕はどんな形であれ教育というものすべてに払拭できない疑念のような何かを抱いていた。翻って自分の育児への猜疑心と表裏一体だったのだろうが、僕にも焦りがあったのか、懐疑は安らぎだった、疑うことはいつもあまりに容易かった。 直人は言葉も早く、文字や数字も幼いうちに覚えて小学校に上がる前には漢字を学んでいた。見ている限り視覚処理に強い体質を持って生まれたようだが、数字という概念や抽象化されたものへの飲み込みも随分と早い。そういうものへの理解の年齢は9歳前後が平均だ。 僕も少しは教えたが、理人の教え方が上手かったのだろう。直人と僕の二人きりの家に、弟の理人はよく顔を出しにきた。
「兄さん、明日直人を連れて動物園に行ってきてもいい?」 理人が笑って切り出した。僕たちは直人が眠ってから遅い夕食を食べていた。 「お前…、次の学会までもう日がないとか言っていただろう」 「それは平気、やること終わって俺も時間あいちゃった。直人も好きな動物が一匹でも見つかったらいいと思わない? 同世代の子に関心なくても生き物は好きみたいだよ」 「生き物?」 「川に連れてったらカニとか捕まえてくるし、このあたりの猫をよく追いかけ回してるよ。かわいい」 屈託のない笑顔で直人のことを語る理人はいつも嬉しそうだ。 自分の教えることをよく吸収して興味深い素朴な疑問を抱く直人は幼いながらにもう優秀な学者候補であり教えがいがある、でもこの家にいるだけでは自分が教えてあげられないものの方が膨大すぎる、思考力は四角四面の勉強とは無縁そうな遊びから授けられるものだ、と。 そういう考えは僕にも理解できるものの、仕事でなかなか時間をとってやれない、僕のかわりに直人の相手をしてくれる理人には随分助けられていた。 早く銀行勤めから家でできる投資やコンサルタント業に仕事を移行させていこうと考えていた。それまでは理人の力も借りるべきだろう。 「俺より兄さんのほうが本家からの資金援助を受けるべきだよ、直人の養育費も含めてさ。ほんとうに優秀な人材って兄さんが思うほどあちこちに簡単に転がってるものじゃないんだからね」 理人は事あるごとに僕が本家から半ば見限られたことへの不平を言っていた。 「お前は昔から僕を高く評価しすぎだ」 「そうかなぁ…銀行に務めたのだって堅実な生活のためでしょ?他にいくらでも才覚を発揮できる分野があったのに…」 納得のいかない顔で料理を切り分けている。
堅実な生活。せめてあの子に金銭面での苦労は生涯させまいというだけだった。直人を放置してでも追いたい何かが何もなかったともいえる。そして僕に親としてできるのは金絡みの、その程度のことだった。 もともと僕に父親の真似事など不向きにも程があった。直人に対して僕はたった一人の家族としても父親としても兄としてもあまりに冷徹で無関心なのだろう、少なくとも周囲からはそのように見られていた。 どれだけ深い愛情を抱えていようと直人に伝わる必要はなかった。あの子を守るために小賢しく立ち回り、本家の敵を惨いやり方で潰し、必要であれば追い込み殺す、それらの理由を直人に起因させ浴びせかけることが僕には我慢ならないほど卑劣に思われた。当時の僕はそんな風にしか考えることができなかった。 直人は僕から愛されていないと感じただろう、幼い子どもにとって��ういうものがどれほど重要か分かっていながら、僕は直人に厳しく接することしかできなかった。僕の歪みが直人をこの世に産み落としたことに、どこかでは気づいていたろうに。 翌日、直人は理人に連れられて外出して、クジラのぬいぐるみを大事そうに抱いて帰ってきた。 「ホエールウォッチに変更したのか?」 理人に聞くと、直人はぬいぐるみの中から一つを選べず動物園にいなかった動物を買うことにしたらしかった。 「それにクジラが好きなんだって、大きくて兄さんと似てるからって言ってたよ」
直人は理人によく懐いていた。 僕としてもそれは嬉しかった。理人は明るく天真爛漫で僕とはまるで違ったから、直人にはああいう人間も身近に必要だと思った。 直人は生まれてこのかたほとんどの日を僕と家で過ごしていたが、直人が自然に使いはじめた一人称は「俺」だった。テレビもつかない静まり返った家で外部からの情報が入ってこない以上、書物か、理人の影響だろう。 疑うことが安らぎになるような自分を寂しい人間だと無意識に嘲笑することに疲れたタイミングで理人はいつも僕に寄り添ってくれた、幼い頃から。 僕は理人に対してだけ、完全に注意を怠っていたし、昔から意識的にそうあろうとさえしていた。信じたいと願える数少ない人間の一人だった。
***
今の直人の一人称は「僕」だ。 あの日から、急に変わってしまった。おそらく僕の真似なのだということは言動の端々の変化でも見てとれた。 僕の隣に小さくなって眠った直人の体を布団の上からさすってあやす。ようやく少し眠ったと思えば声もたてずに静かに泣き出す。大人しくて穏やかな子ではあったがこんなにしょっちゅう泣く子ではなかった。
あの日、僕は誰より愛していた人を切り捨てて直人を選んだ。 僕の静かな決断と決別を目の当たりにした直人も、僕と生きる道を選んだ。ただ幼すぎて手段がなかったのだろう、直人のそういう想いは僕と歪に同化していくような形をとった。 真実かは分からない、ただ僕は直人を選んだしこれからも愛すだろう、死ぬまで、直人のために必要ならどんなことでもするだろう。 それらをせめて直人本人に悟られずに終わらせることができれば…そこが僕の人生の僕なりの及第点かもしれない。 僕が最期に選ぶのも直人だろう。今ではないというだけで。 明日から、僕は自分の一人称を改める。この齢の男児が真似するには少し抵抗感のあるだろう「私」に。 直人が僕になってしまうのなら、僕は別のものになろう。直人の中で僕と自分の境界が曖昧に揺れて壊れることのないように。
名廊理人視点
(雅人/直人視点について)
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apoandbangpo · 7 months
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「イエロー・フィーバー」が北米のアジア系女性に与える影響(翻訳)
人種を理由にアジア系女性に性的なアプローチをするのは「人種差別的な構造によって形成されている」と教授が指摘
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著:チューディ・シュウ 2022年4月13日
ジーナ・リュウさんはトロント大学の午後の授業を終えたところだった。長く疲れた一日だった。ダウンタウンのバス停に立ち、帰宅するためのバスを待ちながら、暇つぶしに携帯電話をいじっていた。
リュウさんは中国からの留学生で、経営学を専攻する4年生だ。週末のパーティーについての友人からのメッセージに返信するのに夢中になっていると、一人の男性が近づいてきて彼女に顔を向けた。
彼女は彼が近づいてくると視線を上げた。
「君はアジア人?」男はリュウさんをじろじろと見ながら訊いた。
彼は彼女の目をじっと見つめて言った「アジアの女の子はすごく若くてきれいだと思ってたんだ」。
リュウさんがカナダで人種差別や偏見の言葉を耳にするのは初めてではなかった。しかし、自身がひとつの人種として扱われたのは初めてだった。
イエロー・フィーバーとは、人種を理由に他人から性的なアプローチを受けるアジア系女性(および男性)が経験する不快で、時には恐ろしい現象である。あまり文書化されてはいないが、一部のジャーナリストや学者がこの問題を調査しており、カナダでは増加傾向にあるようだ。
「彼の抑圧的で標的にするような言葉の響きに、私は硬直しました。その時、頭がフリーズしたんです。どうしたらいいのかさえわかりませんでした」とリュウさんはコーヒーを飲みながら中国語で語った。
「最も無力さを感じた瞬間でした」と彼女はトロント・オブザーバーとのビデオインタビューで話した。「彼は私の父と同じくらいの年齢でした。私に触ろうとしたので、身をかわしました。唯一ラッキーだったのは、夜ではなく午後だったことです」
「性的暴行や身体的暴行は受けませんでしたが、それでも気持ち悪くなりましたし、その感覚は長く続きました」
嗜好は言い訳にならない
アジア系女性(および男性)は、このような文脈において、アジア系の特徴にのみ注目する人物の標的になる。
これはデートや恋愛の問題だけではないのだ。リュウさんのケースのように、見知らぬ人がアジア系の被害者を危険にさらすこともある。
「この現象を研究する学者の中には、イエロー・フィーバーを他の(性的)嗜好と同等に考えることはできないと主張する者もいる」と、カールトン大学の社会学教授でアソシエイト・チェアのシャオベイ・チェン氏は電話インタビューで語った。
「少なくとも部分的にはアジア系女性に対する人種差別的構造によって形成された欲望として理解されなければなりません」
人種差別に立ち向かう米国の非営利団体Stop AAPI Hate Coalitionの報告書によると2020年と2021年、米国で女性がヘイト事件を報告した割合は、男性の2.3倍(68%)だった。
Chinese Canadian National Council Toronto Chapter(CCNCトロント支部)が実施した報告書によると、COVID-19のパンデミックが始まって1年で、カナダでは1,150件の人種差別的攻撃があった。報告された事件の60%近くがアジア系女性の被害者だった。
被害者の中には、リュウさんのように警察に通報しなかった者もいるため、実際の数字はもっと高い可能性がある。
パンデミックは新たな暴力の波を引き起こし、それに続いて2021年3月に社会運動「#StopAsianHate」が始まった。同月、ジョージア州アトランタで男が銃乱射事件を起こし、6人のアジア系女性を含む8人が殺害された。
「アトランタの銃乱射事件の後、何日もの間、警察やメディアは、事件をアジア系女性に対するヘイトクライムと見なすのではなく、性依存症が原因だと伝えていました」と社会学の教授であるチェン氏は言う。
「恐ろしい惨事の状況であっても、メディアがいかにそのような言説を永続させる役割を果たしているかを示す、非常に露骨な例です」
イエロー・フィーバーの治療法?
リュウさんのような学生は「好み」があると主張する人物から身体的な危険にさらされるだけでなく、長期にわたる精神的ダメージも受ける。
多くの人々がソーシャルメディア上でイエロー・フィーバーに立ち向かっている。「haileyych」と名乗るTikTokkerは、実例を示して反論しようとしている。彼女が投稿した動画のひとつでは、「『好み』として主張しているものが、薄いベールに包まれた人種差別攻撃であることを認めるべき時が来た」と視聴者に語りかけている。
フェイスブックのグループ「Libertarian Guys With Asian Wives」の投稿の約半分は、アジア系の妻を持つことを推進するもので、アジア系と結婚することの利点を強調している。
ユーチューバーのセリアック・アタックは、このフェイスブック・グループの投稿を閲覧した後、リアクション・ビデオで「デートするのに人種的嗜好があるのはちょっと変だと思う」と述べた。そして、彼はある動画のコメントを読み上げた「フェティッシュじゃないなら、なぜ自分の妻がアジア系だと言い続けるんだ?なぜ、単なる妻ではないの?」。
アジア系女性は昔からしなやかで従順と見られてきた。ハリウッド映画に関するいくつかの研究では、アジア系女性がいかに性的に誇張され、アジア系男性がいかに非性的に扱われているかを調査している。
映画学者のセリーヌ・パレーニャス・シミズ氏は、CBCニュースとの最近のインタビューで、『お菊さん』(1887年)や『蝶々夫人』(1904年)といった映画が、初期の大衆文化における「従順な服従者、苦悩する矮小な」アジア系女性の風潮の種を蒔いたと述べている。
社会学のチェン教授を含め、多くのアジア系女性が積極的に変えたいと思っていることだ。
「アジア系女性は、他人に定義されるのではなく、自分たちで定義し、自分たちの物語を語るべきだと思います。それは、生涯続く道のりです」 と彼女は語った。
生涯続くアジア人の道のり
バス停での出来事の後、リュウさんはウーバーのアプリを開き、できるだけ早くその場を立ち去れるよう車を呼んだ。乗車中、彼女は自分の身に起きたことを整理し始めた。そして、彼女は震えだした。
もし、もう一度同じ目に遭ったらどうするかと質問すると、彼女はこう答えた「反撃します。それから、他の友達に知らせるために、あの男の写真を撮っておきます」。
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kuribayashisachi · 8 months
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#勉強メモ
野口良平『幕末的思考』 第3部「公私」 第2章「滅びる者と生き残る者」-1、2
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*あくまでワタクシの危うい理解のもとにとったメモですので、ぜんぜん受け取り間違ってるかもしれません。 ぜひぜひ、野口良平『幕末的思考』みすず書房をお読みくださいませ!
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偉い人だけで準備した国会や憲法が整い、「日本」がいちおう近代国家らしくなった明治20年代。
明治20年代は《列島の精神史にとっての重大な転換期》だと、著者は言います。
これまでは、戊辰戦争や西南戦争の敗者や、「意見の違う者同士の対立があって維新を迎えたこと」に心を寄せる人たちが庶民の中にもたくさんいた。 それが、 明治27年の日清戦争後は、国民の気分が一変。したのだそうです。
「優れた者が勝ったのだ」「おれたち日本人、天皇のもと心を一つに大きな国を作るのがタダシイ」という一本調子の言説が主流になってゆく…… その様相が論客たちの精神活動史を通じて辿られます。
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-1 
まず、最高学府、東京帝国大学の大先生たちがヤバくなってくる。
-1節では、こうした先生方の精神の営みを追っていきます。 のですが、何を思って大先生方がこんなことするのかわからない。読者も理解に苦しむし、たぶん、著者にも「わかりたくもない!」のかもしれない。うわーぜんぜん楽しくない。
奇妙な”横暴正当化”の人たち。現代社会にもたくさんいる。 明治20年代からずっと続いているのかもしれない。
・井上哲次郎(帝国大学教授)
天皇の名を持ちだして、いろんなことの正当性にすえた。
そもそも天皇バンザイ教は、西洋におけるキリスト教をまねた「市民宗教」で、理屈抜きに国民をまとめようという企みだったのに、その企みを隠すかのように、天皇の肖像にお辞儀しなかった内村鑑三やキリスト教信仰を攻撃したりした。変すぎる。
・加藤弘之(帝国大学総長)
加藤は元々は幕臣で、官軍が攻めてきたときは主戦派だった。 明治になり、新政府のもとで重く用いられる。 すると急に「優勝劣敗」なんてことを平気で言い出す。 「新政府は優れていて正しいから勝ったんだよ、負けた方は自分が劣ってるのが悪いのだからだまっとけ」というあきれた理屈。
『強者の権利の競争』という(何かのギャグ?)タイトルの本を一生懸命書き、日本語、そしてわざわざドイツ語で出版したそうです。
そのほか、当時の東大(帝国大学)では、 いろんな大先生たちが 「進化論(=優れた者だけが生き残るように世の中はできているんだよねっ)」だとか 「天腑の人権なんてない」とか 「スペンサーの哲学」(弱い劣った者は淘汰されて当然)なんてものをふりまわし出していたそうで、若者たちは、これに相当影響されていった……とか。
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-2 山路愛山 VS 北村透谷
-2節では、 こういう偉い先生たちの言説を聞いて、反論した若者たちのこと。
山路愛山と北村透谷。2人の若者の発言が紹介されます。
2人は、同じように幕臣・藩士の子で、「敗者」側に生まれ、キリスト教に希望を見て受洗。知り合いでもあったそうです。
山路愛山は幕臣の子(父は函館五稜郭まで行って幕府軍に参加した人)、父は失意のあまり酒浸り。 愛山は貧しい家計を支えるため、子供の頃から働いてガッツで生きぬきます。当時翻訳されて明治ドリームを盛り上げたスマイルズ『西国立志編』を読んで、“人は生まれた境遇や身分にかかわらず、努力と忍耐で一生を築くことが出来るのだ!”という考えに大いに励まされたそうです。
わかりやすいですね、大河ドラマの主人公になりそうです。
といって愛山は、勝ち組エリートの「優勝劣敗」に大賛成かというと、少し違うようです。 のちの著書(「現代日本教会史論」)で彼は、 「敗者には敗者の自負がある!」《総ての精神的革命は時代の陰影より出づ》」と、敗者側の魂を語っているそうです。
かたや北村透谷は、 時流に乗り遅れた小田原藩士の子。無気力な父とがんばり屋だけど怖いお母さんの下で育ちます。 小学校時代に世を席巻した自由民権運動に引かれ、歴史小説を愛読しました。
透谷は繊細で、やや抑うつ傾向があったけど、東京専門学校に入ると、「政治的に万民に尽くしたい」《一個の大哲学家となりて、欧州州に流行する優勝劣敗の新哲学を破砕す可しと考えたり》(石坂ミナへの手紙)p232 と考えたと言います。
この夢がかなったら、どんなに良かったでしょう。日本の、東洋の、世界の歴史にとって財産だったでしょう。涙
透谷の短い一生は苦渋に満ちています。
まず、夢を託した民権運動が、もう目も当てられないほうへ落ちていってしまう。 運動資金を作るために「強盗をする、お前もこい」と言われた透谷は、苦しんだすえ、剃髪して仲間に断りを入れ、運動を離れたそうです。 こういう行為こそ勇気があると思いますが、透谷には大きな挫折でした。
透谷は一人になってしまいました。 「強盗はどうしてもいやだ、大義のためでも正しくないと思う」という「個人の感情」を大事にすることと、 「「優勝劣敗」は理不尽だと思う」ということ。 この二つを両方大事にすることが、仲間の中でも通じない。
《透谷は二度の敗北を味わった。一度目は共同的な個として、二度目は孤独な個として(ここ、「個としての敗北」とはどの事態を指してるのか、読解できなかったのですが)。透谷が短い生涯において希求したのは、この二重の敗北に耐えうる根拠だった。》
さて。
愛山が単純で、活力に溢れているのに対し、 透谷が繊細で、物事をもっと深くみつめ、愛山のモノサシではとうてい測れないことをつかもうとしているのは、何となくわかりますが、
著者は、2人の違いはまず、「優勝劣敗」について、 愛山が「当然しかたない、世の摂理」と受けとめているのに対し、 透谷は「西洋で流行している変な考え」だと相対化している ところだと、指摘します。
つまり、透谷の方が暗くて弱々しいように見えるかもしれませんが、ずっと弾力があって、もっと高いところまで跳ね上がってものを見極めようとしているわけですね。
(でも、この心の大冒険をするには、彼は人に恵まれてなかったように思って、悲しさではち切れそうになります。健康にも恵まれていなかったのでは。彼が他人に捧げた誠実が、彼に返ってきたかと思うと……)
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山路愛山と北村透谷は「論争」をしたそうです。
愛山の高らかな文学論(頼山陽を褒め称えた内容) 《文章即ち事業なり。文士筆を揮ふ猶英雄剣を揮ぶが如し》に、
透谷が反発を表明。 《繊巧細弱なる文学は端なく湖江の嫌厭を招きて、異しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ》
何を言い合っているのか一見、現代人にはわからないですし、 どうも愛山の方には、透谷の問題提起が全くわかっていなかったようです、いかにもわからなそうですよね。
愛山は、 人生とは、「空の空なるもの」ではなく「人間現存の有様だ」。 文学はそういうものを書くべきだ。といい、
透谷は、 いや、人生とは、「空の空なるもの」と「現存の有様」にはっきり分けたりできない、いろんな可能性や忘れ去られたことやなんかがあわさった生命そのものなんだ、と考えた。 愛山のようにはっきりきっぱり言ってしまうこと自体が、何かを排除してる、こういう奴はダメだとか、こうじゃなきゃ×だ、という排他性��なってる、それはすごく怖いし、人間てそんなもんじゃないと言いたかった。
愛山も、透谷が死んでしまうと、気にして 「透谷くんは、文学は事業なんかじゃなくて「人の内心」を描くものだ、といってたけど、おれは「心が心に及ぼす影響」のことを事業だと言ってるのだから、彼の反論は的はずれだったんだ」と書いているそうです。
愛山は、その後も元気いっぱい民間の立場で歴史を描き続け、日露戦争の時には、立派な帝国主義者として発言していたそうです。
《吾人は(…)不健全なるもの、不正直なるもの、貪欲なるもの、懶惰なるものの失敗を庇護すべき理由を見ず》こういう失敗をやらかす奴を教導し、健全な国民に育て上げる帝国主義はすばらしい、と。
かたや透谷は未刊の書《『明治文学管見』》の中で、 「憲法は「信教の自由」をいうけれど、ゆるされるのは個々人の内心の自由だけで、集会、演説、布教の自由はない」 と記し、 これって自由? ここでいう内心というのは何? 内心とは? 自由とは? と探求してゆきます。
日本人の心と自由の起源を、まるでルソーがやったかのように、透谷は江戸時代、幕末を遡って探求していったのですが……力尽きて自分で死んでしまうのです。
では、こんな透谷の思想を引き継ぐ人はいなかったのでしょうか。
-3節では、透谷の孤独な闘いを受け継いだものとして、 著者は夏目漱石「こころ」を解説しています。
ちと難しかったので、理解できてないと思いますし、 長くなりますので、次回に……
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fukurabi9 · 8 months
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 1096 別れ
昭和63年4月、父危篤の報に、急ぎ帰郷。 しかし、父と会えたのは、息を引き取ってから既に15時間が過ぎていました。 ひかるがきっとテレビを運んで来ると、ひかるの作ったテレビが見られる日を、生涯の楽しみにしていた父は、突然心筋梗塞に襲われ、79歳で帰らぬ人となりました。 ひとつ屋根の下で住みたかったのに・・ 許してくれ! 少年の夢を見守ってくれて、 有難う・・ 有難う・・ 冷たくなった父を抱きしめ、何度も何度も呟きました。 お互い死に水は取れないと、覚悟の上とは言え、何の反応もしなくなった父の姿に、「親不孝な息子だったのか」、最後に一言答えて欲しかった。 15時間も経過しており、ゆっくり対面している間もありません。 喪主としての段取りや、弔問客との応対、時は目まぐるしく過ぎ、仏事での貸切船や船頭への式たり等、長老の皆さんに教わり、石垣島から黒島の墓へ無事納骨。 島の家で、位牌となった父と二人っ切りになった時、親子でありながら、生涯に交わした会話の、余りにも少なかった事を、しみじみ感じさせられました。 振り返ってみると、中学時代は、一家を襲った試練に、両親が必死で立ち向かい、高校は石垣島での下宿生活、卒業と同時に上京。 親子が一緒に生活する期間が、余りにも少なかったのでした。 父は島を離れられず、息子は、夢を追い続けるしかなく、別々の道を歩むしかなかった。 親子の絆のあり方、人生は、これしかなかった、と自分に言い聞かせるしかありませんでした。 もっと、たくさん話し合いたかったのに・・こんな親子関係で終わりたくなかったのに・・今となっては仕方がありません。 父は周りの人達が島を引き上げる中、目の前に広がる海を味方とし、自分には、太平洋という、大きな畑がある。 海がある限り魚は獲れる、決して飢える事は無い、と言っていました。 この海は、息子や娘のいる、東京まで続いているんだ、といつまでも浜に佇み、語りかけていたとの事。 弔問客も途絶えた真夜中の三時、父の愛した海が懐かしく、浜へ出てみました。南国の夜空に、黙黒の大海原。 千古変わらぬ、さざ波の音。遥か彼方より漂う、潮の香りを体一杯吸い込み、別れの杯を交した、父の事を思い浮かべた時、満天の夜空に、白い歯でニッコリ笑う、日焼けした父の顔が、超特大パノラマ画面で映し出されました。 親父! 親父は世界で一番、素晴らしい親父だった。ひかるは、世界で一番幸せな男になったぞ! と言ってやりました。 必ず、両親の眠る墓に、テレビを届けてやる!親子の約束、必ず果たす迄頑張る、と心に誓い、位牌を胸に、島を後にした。 テレビを待つ、島の子供達や、お年寄達がいる。 ・・ロマン旅 いつまで続く また歩く・・。
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