Tumgik
#病夢やみい
lachatalovematcha · 4 months
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moment-japan · 4 months
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米国映画「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」(1940)
原作:John Ernst Steinbeck
監督:ジョン・フォード
脚本:ナナリー・ジョンソン
出演:ヘンリー・フォンダ、ジェーン・ダーウェル、ジョン・キャラダイン、他 
僕の中で、死ぬまでに一度は見なくてはいけない映画の1本であったアメリカ文学を代表する作品「The Grapes of Wrath」。
自然の猛威と不条理な資本主義に対する直接的な告発作品ともいえるこの映画を正月に、BSの放送大学で放送大学の教授による詳細な解説と共に放送されることを知って早速テレビの前に・・。
1930年代末、アメリカ中西部を襲った干ばつをきっかけに、農業の機械化を進める資本家と貧困小作農民との軋轢を描いた映画。
主人公トム・ジョードとその家族のオクラホマにある農場はダストボール(砂嵐)によって耕作不能に。
彼らは、家財すべてを売り払いそのお金で買った古い中古車に乗り込み、移住先のカリフォルニアを目しルート66を辿る旅に出るが、年老いて病気がちな祖父や祖母はアリゾナ砂漠やロッキー山脈越えに耐えることができず命を落とし、従妹もあまりの過酷さに途中逃亡。
苦難の末、辿り着いた楽園カリフォルニアは大恐慌と機械化農業のために土地を失って職を求める多くのオクラホマ農民で溢れかえり、夢も希望も大きく打ち砕かれる・・。
彼ら移住者は、地元民から蔑まれながら貧民キャンプを転々とし、地主の言い値の超低賃金で、日雇い労働をするほかなかった。
やがて彼ら小作農民の不満と怒りは頂点に達し、一つの大事件が起こる・・。
最後の最後まで息子のことを想うママ・ジョードが泣けるし、最後にママ・ジョードが呟く「先の者が後にまわり、後の者が先頭になる」という新約聖書の言葉に胸が詰まる。
豊饒な「約束の地」であるカリフォルニアを目指すところは、旧約聖書のエクソダス「出エジプト記」をモチーフに、タイトルの「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」は、ヨハネの黙示録の題材からとられたもので、神の怒りによって踏み潰される葡萄(人間)のことと解釈されています。
原作者のジョン・スタインベックはこの小説で1940年にピューリッツァー賞を受賞し、「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」の総発売数は全世界で約1500万冊に。
この映画はアカデミー賞の監督賞、助演女優賞(ジェーン・ダーウェル)を受賞。
彼は、1962年にノーベル文学賞も受賞しましたが、受賞理由も本作の作品が決め手になったそうです。
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littlestar8492 · 11 months
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2023-06-21
本日は梅雨の間の晴天で、おなじみの場所に紫陽花を撮りに行きました。
毎年、同じ場所に紫陽花を撮りに行っているのですが、やはり他の場所よりも見頃が遅いみたいです。
機会があればリベンジしたいところです。
シャッターを切るのに夢中になっていたら、いつの間にか右の足首をアブに食われていて、少し萎えました…。
初めてアブに食われましたが、でかいハエみたいな見た目をしているのですね。
すぐに手で掃ったのでそれほど痛みや腫れもなく、よかったです。
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最近、車のオーディオの更新を行って、純正のデッキからBT対応のDAに交換してドライブがめちゃ楽しくなりました。
今時の車では普通なんでしょうが、いかんせん私の車は古いものでして…
とはいえ、奮発してかなり高性能なものに交換したので、QOL爆上がりで満足です。
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前にも書いたかもしれませんが、最近、広角のレンズが欲しくてたまらないのです。
10-24mmか16-80mmあたりが欲しいのですが、予算的に単焦点の16mmなんかもいいなー、と思っております。
しかし、定期的なアマゾンのセールのせいで余計なものを爆買いしてしまう病が発症しているので、いつ買えることやら…笑
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chikuri · 5 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した��般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てること���もう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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elle-p · 1 month
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Persona 3 Club Book Strega pages scan and transcription.
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ストレガ
Strega
主人公たち特別課外活動部の行く手に現れる謎の3人組。同じペルソナ使い ながらあくまで敵対する彼らもまた、彼ら自身の信念でその限られた力を振るっている。
復讐代行屋 Strega
港区全域
自らをストレガと名乗る3人組の表向きの顔は、「復讐依頼サイト」に書き込みされた内容を受けて、自ら手を下せない依頼人の代わりに復讐を果たすことだ。人知れず所持する武器を手に、彼らは裏社会を渡り歩いている。
3人はいずれもかつて幾月が、ペルソナ能力者開発のためにグループ内部にすら秘密裏に進めてきた研究の被験者だ。非合法の人体実験で多くの子どもたちが命を落とすなか、幸運にも生き永らえて能力を開花させたものの、悲惨な実態を目の当たりにして研究所から逃亡し、身を寄せ合って生きてきた。
ペルソナ能力の発現と引き換えに心身に過剰の負担を負う彼らは、制御剤の力を以ってすら長くは生きられない。生命としてのルールを逸脱した運命に魅入られ、彼らは刹那的な衝動にのみ突き動かされて生きている。
たった3人だけで影時間に生きてきた彼ら。宵も享楽を求めて夜の街を笑う。
タカヤ Takaya
凶行の担い手
ストレガの実質的リーダー。3人の中では推定年齢が一番高く、研究所から逃亡した当初から指導的立場に立っている。刹那的・虚無的な思考が強く、自分にも他者にもあらゆる物事への執着の愚かさを説く。復讐代行屋として銃の引き金を引くときも、自分の享楽はもちろんだが、相手の生にしがみつく無様な姿を浄化してやろうという思いがあるようだ。
かつて同列の研究対象であったタルタロスは、忌まわしい邪悪なものではなく、甘美な悪夢をもたらす近しいものだと考えており、ペルソナ使いの存在はもまた、タルタロスあってのものだとしている。そのため真意を知らずタルタロス破壊を目指す主人公たちの存在は、愚かな人間がシャドウの恐怖に怯えることへの嘲笑も込めて、抹殺すべきものだと捉えている。
主人公たちの働きではからずも滅びそのものである二ュクスの復活が秒読み段階に入ると、自ら二ュクスの代弁者を名乗り、滅びと破壊の思想で扇動する。
タカヤの救世主思想
• あなたが自覚している悪意と、相手が感じている悪意とは無関係⋯ 人はみな、聞きたいように聞き、信じたい事だけ信じるものです。(6月22日影時間・裏通り)
• 聞けば、人々を守るための、“善なる戦い” だとか。ですが⋯ 今夜はそれをやめて頂きに来ました。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 時の限られたこの体⋯力を失ってまで生き永らえるなど無意味⋯ ならば、 私の生きた証⋯ この地に立てるのみ!(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• 分かっていますね⋯? 君には “居場所” など無い⋯ 私たちと来る以外にはね。君もよく知っている筈だ⋯ 怖いのは死ぬ事なんかじゃない。(11月21日深夜・辰巳記念病院)
• フ⋯亡霊などではありませんよ⋯ 生に “執着” などしなかった我々を、運命はそれでも “生かした”⋯ 私は “選ばれた” のです。(11月22日影時間・タルタロス)
自分たちの思想こそが浄化された世界を作ると信じるストレガのリーダー。痩せこけた体に長い髪、色素の薄い瞳という憂世離れした姿。
欲深き自称メシア
ほぼ同年代のはずのストレガですがタカヤは見るからに老け顔。不精ヒゲを剃って髪を切ったらかっこいいのに。
ジン Jin
知性派の爆弾魔
タカヤの右腕を務める少年。自作の爆弾を持ち歩き、武器として使用している。
社会から隔絶された自分たちだけのコミュニティの中で生きているストレガは、物資の調達の大半を影時間を利用した略奪行為によってまかなっているが、その指揮を担うのがブレーンであるジン。特別課外活動部を脱退してからの荒垣に接触し、ペルソナ能力抑制のた��の制御剤を提供することになったのも、ジンの情報収集能力あってのことである。またネットでは同名のハンドルネームで知られており、その知名度と情報操作のノウハウが、ニュクス教を一気に広げることを可能にした。
つねにともに生きてきたタカヤを崇拝しているが、それゆえに狂気の思想に囚われる彼を、命を捨てていさめようとする。
物議を醸す髪の構造がよくわかる右からの一枚。身につけているものひとつひとつにもこだわりが感じられます。
ストレガ一家を支える苦労人な屋台骨
実際的な生活能力の欠如したストレガを支える一番の常識人。資金調達から食事の世話まですべてを担う関西弁のミリタリーマニア。
ジンの毎晩大変なんだから
• お前を恨んどるヤツがおんねや。でもって、“復讐” を頼まれとる。(6月22日影時間・裏通り)
• お前らには “個人” の目的しかあらへん。どいつも本音はその為に戦っとる。お前らの正義は、それを正当化する為のただの “言い訳” や。そんなんは “善” や ない⋯ ただの “偽善” や。そんなもんに邪魔されとうない。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 破れかぶれは、あかん! ⋯すんません。でもこれは⋯ あなたが言うてくれた言葉です。(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• やめときや、タカヤ⋯ アンタには先がある! ここで無理したって⋯意味 あらへん! (11月22日影時間・タルタロス)
チドリ Chidori
手斧の魔女
白いドレスに身を包んだ、虚ろな表情の少女。ストレガのひとりとしてタカヤやジンと行動を共にし、ぺルソナ能力のひとつである索敵能力でふたりのサポートを行なうが、ふたりとともに戦いの場で力を振るうことは少ない。
感情表現に乏しく、とくに喜びや悲しみを表に現すことはほどんどない。それは幾月の下で受けた過酷な人体実験や、逃亡後の寄る辺のない生活によって後天的に身に付けた自衛の手段。また彼女は自身のペルソナを通して、あらゆる生き物に命を分け与えることができるが、これも自分の人生にはすぐ先に死が見えているという揺るぎない事実ゆえ、生きることに対してまったく執着を持たなくなった結果の悲しい力だ。しかしそれでも、ふたりが手を下す殺戮現場に決して目をやろうとしないのは、運命をゆがめて与えられる死への、本能的な嫌悪感を抱いているからかもしれない。
生を放棄した飛べない小鳥
可憐な容姿に似合わず手斧を振るって戦う少女。気の向かない相手とは一切会話せず、自分のペルソナだけを拠りどころに生きている。
冷めた目線はチドリのトレードマーク。豪奢なドレスは彼女の趣味なのか、ジンのお仕着せなのか。
あんたには関係ない私の言葉
• チドリよ。私の名前。順平が訊いたんでしょ? あの絵⋯もうすぐできるから。私の描いたものは、私にしか分からない。でもそんなに見たきゃ⋯来れば? (8月31日昼・ポートアイランド駅前)
• 命より、作戦が大事ってこと? 死ぬ事って、普通の人には一番の恐怖なんでしょ? ⋯ 違うの? (9月5日影時間・巌戸台分寮屋上)
• ⋯言っとくけど、心配してくれなんて、言ってないから。あんたの勝手な早合点でしょ。(9月8日昼・辰巳記念病院)
• なにそれ⋯ なんで、そんな顔してるの? 死ぬなんて怖くないのに⋯ 死なんて、あした目が覚めないってだけ⋯ ただそれだけじゃないの。(9月10日昼・辰巳記念病院)
• そう⋯アイツのせいよ⋯ アイツが近づいて来てから、私、毎日、苦しくて⋯ 死ぬのが⋯怖くなって⋯ (11月21日深夜・辰巳記念病院)
• 順平と一緒に居ると、怖くなかったものが、なんでも怖くなる⋯ 無くすのが怖い⋯ 死ぬのだって怖い⋯ 一緒の時間が終わっちゃうのが⋯怖い⋯ だから、私⋯ (11月22日影時間・タルタロス)
「チドリ補正」の入った超ナイスガイな順平とともに。幸せになって欲しいカップルNo.1。
順平との出会いと「生きること」
敵同士としての立場にありながらも献身的に尽くす順平と出会って、チドリは少しずつ生きることの意味を知る。けれどそれは自分自身の死の認識と同義。ずっと忘れていた死ぬことの恐怖におののきながら、それでも彼女は愛する彼に生きて欲しいと願った。
頬を染めたグラマラスなチドリの魅力に、すっかり鼻の下が伸ぎ切った順平がキュート。がんばれヒゲ男くん!
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m12gatsu · 1 month
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こえきこえ
シースルーのブラウス着た同僚の肩に刺青入ってんのが見えてしまった。別に隠してるわけでもないんだろうけど、勝手に見てはいけないものを見てしまった気がした。未明から激しい雨と風の音で何度も目が覚めた。寝室の扉がひとりでにスーッと開いてめちゃくちゃ驚いた。朝になってそれは夢だったとわかった。夢の中の俺は闖入者か幽霊か何かを威嚇するために、あるいは恐怖を紛らすために、オー! オー! と叫びながら、リビングの方へふらふら夢遊病者の足どりで歩いていった。雨の日は部屋でいつもより大きい音でギター弾いて歌っても大丈夫な気がする。外に出れば篠突く雨が傘の表面をバタバタ叩いて、自分の声が人に届かない、人の声もこちらに届かない、声を張るのも聞き返すのもいとわしくて、しぜん口数の減っていく。ことさら、雨の音が密度を増して、電車の中は鉛筆の芯みたいな臭いがする。ほとびた癖毛の先の水滴に、ほろびた水中都市。あやなすスカートひるがえり、あだなす水中徒死。
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「ボーはおそれている」を観た。 以下ネタバレあり。
前に「哀れなるものたち」を観に行った時予告編を観て気になっていた映画。でもアリ・アスターといえば「ヘレディタリー」と「ミッドサマー」なので、ホラーがあんまり得意でない自分はどうかな…と思っていた。 というような話をXに書いていたらアリ・アスターの短編"The Trouble With Mom"というものを教えていただいて、おそらくアリ・アスターはこのテーマです、とのことだった。 まあ短編だしと軽い気持ちで見てみたら、これがものすごくよかった。自分がちょっと親(特に母親)が苦手なのが大きいとは思うけど、短編映画でこんなによかったのは久しぶりだし、今年観た映画のなかでもトップくらいによかった。短くてセリフのない映画でこれだけやるとはアリ・アスターすごいな…。
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というわけで俄然「ボーはおそれている」も気になって観ようという気持ちにはなっていたものの、急に仕事が忙しくなってしまってなかなか行けず、なんとか先週末ようやく行けた。日曜最後の回だったのでガラガラだったし、ど真ん中のいい席で観れた。
で、「ボーはおそれている」の話。
基本的にはTrouble With Momなんだけど、長いだけあって親子以外にも家族の話や、子供を持つことや、あまり自分は分からないので下手なことは言えないけど、精神的な病気やADHDというようなことも描かれていたと思う。なので入れたい要素が多すぎてこの3時間なんだろうな。
3時間はたしかに長かったし、最初は90〜120分くらいにカットしてもよかったんじゃないかなと思ったけど、今はこれはこれで意外とよかったのかなという気もする。3時間なんだけど、4パートくらいに結構はっきり別れていて、なんとなく海外ドラマを4本立て続けに見たような感じかな。そもそも長いのは事前に分かっていたし、長い割には意外と観やすかった気はする。それに、意外と最初の方も覚えている。
最初のボーの自宅のパートはあんまりいらないんじゃないかなと思ったけど、「ボーにとっての現実」をしっかりインパクトを持たせて打ち出すには必要だったのかな。全身タトゥーで真っ黒のカラコン(?)の人がやばかった。というかボーの近所がポストアポカリプスすぎる。Fallout級。でもそういう風に見えているってことなのか。
2つ目の謎のファミリーの家に転がり込む所はいわゆる「表面上いい人たちだけど実は…」というホラー映画の定番のパロディみたいな感じなのかな。この家族は一人息子を戦争で亡くしていて、そこから両親も妹もおかしくなってしまった、というボーとは別の「家族、親子」の話が描かれていて、戦争の多いアメリカだとある話なのかなあと思ったりもした。ファミリーやマイホーム、軍隊に入る愛国心というのはアメリカの良き象徴みたいになってるけど、実際には問題山積みなんだろうな…。お母さんはなんでここで家族っていいよねと思わせようとしたのか…。
3つ目のヒッピー劇団(?)のパートは一番好きなパートだった。また別の映画の話になってしまうけど、このパートを担当したクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの「オオカミの家」という映画が友人に勧められて気になっていて、でも結局見れずじまいだった。本人たちの映画ではないけど、ここでその一端が見れてよかった。演劇の舞台からという導入もよかったし、書き割りのセットのような、手書きのような不思議なアニメーションはとてもよかった。この時のナレーターというか語り手はやっぱりお母さんだったのかな…? この時のホアキン・フェニックスがボーとは全くの別人という感じで、やっぱり役者さんってすごいなあと思った。目がもう全然違う。
4つ目は意外とあっさり実家に帰り着いてからのお母さん、そして父親(?)との対決、さらに初恋の終わりとなかなか盛りだくさんだった。自分的にはやはり母親との対決シーンが良かったかなあ。Trouble With Momは短篇だしセリフがなかったけど、ボーは尺もあるし台詞もあって、母親の言い分もあるのがよかったと思う。いやほんと親子とか家族ってホラー映画より怖い呪いだ…。その後の兄と父(?)のシーンといい、ここは自分の恐怖と向かい合うパートだったのかな。
5つ目、というか4つ目のパートに入れてもいいのかもしれないけど、スタジアムのシーンはまさか最後こうなるとは思わずびっくりした。恐怖と向き合ってみたけど、結局母親からは逃れられないという…。そして結末はTrouble With Momと大体同じ。
全体的に、かなり色々やりすぎにしてあって笑ってしまう感じで、ホラー要素はほとんどなくてよかった。そして単純にボーが被害者で虐げられてるだけ、とかではなく、決められないこととか、自分が悪いと思ってしまうことを悩んでいたり、母親には母親なりの自分が親からもらえなかった愛情を子供に注いでやりたいという気持ちがあったりとか、誰にでもどっちもある、あるいは色々ある悩みや考えや恐れをしっかり出しているのはよかった。 "Guilty"という言葉が劇中度々出てきたけど、これはキリスト教を信仰しているとまた意味があるのかな。自分は特に信仰はないけど、なんとなく自分が悪いと思ってしまうことがあるのでなんとも言えない気持ちになった。 色々決められなかったり、必要以上によくないことを想像してしまったり、ちょっと心配になるとすぐネットで(信頼性の低そうな情報を)検索してみたり、結構自分にも当てはまるなと思う所があった。Trouble With Momもだけど、なんだかアリ・アスターには勝手に親近感を持つなあ。
そういう人間の中の複雑な気持ちの表現が全体的にすごく過剰なので、真ん中あたりでヒッピー劇団〜アニメーションの見やすいパートを入れたのは構成として上手いなと思った。あれがなくてずっと過剰な表現続きだと疲れるし飽きてしまいそう。 ただ、アニメーションパート以外の映像や音楽、美術などはわりと普通かな…という印象だった。悪くはなかったけど…。まあそこを見る映画でもないかな。
音楽といえばヴァネッサ・カールトンやマライア・キャリーといった懐かしの名曲が突然かかって(しかもかかるシーンがまた可笑しい)、結構笑いそうになった。少し調べてみた所、歌詞にもかなり意味があったらしい。お母さんキモすぎる。
公式サイトに見た人向けの解説があったので読んでみたけど、やはりいろんな映画のオマージュというか引用があるらしい。サンセット大通りは好きな映画だけど気が付かなかったなあ。監視カメラの所はたしかにリンチの「ロスト・ハイウェイ」を思い出したけど、同じA24の「アンダー・ザ・シルバーレイク」っぽい雰囲気もあった気がする。
自分的にいちばん思い出したのは「未来世紀ブラジル」だった。
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よく「オーウェルの1984的な統制社会の恐怖を…」とか説明されるけど、結構親子、それも母と息子の話なんだよな。主人公のサムが夢と現実の区別がつかなくなっていく感じもボーにちょっと近い気がするし、父親が出てこない点も似ている気がする。 あと、ブラジルのエンドロールとボーのエンドロールが似ている気がした。どちらも暗くグレーな広い空間の真ん中に死んだ主人公がいて、その画の上にクレジットがでてくる。なんか共通するものがありそうな気がするなあ。
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あと、もうひとつ思い出したのはデヴィッド・フィンチャーの「ゲーム」。
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これはたしか最終的に主人公の"ゲーム"は弟が全て仕組んだものだった、というオチなんだけど、全てを母親に仕組まれていたボーに近いかもなと。CRSという会社がちょいちょい出てくるのもお母さんの会社が色々なところに出てくるのに少し近いかも。見たのがずいぶん昔なので詳細は覚えていないけど、また観たいなあ。でもこの手のネタは他にもたくさんあるか。
ボーはおそれている、総合的にはまあまあといった感じだったけど、なかなか面白い映画だった。親子も家族も色んなものへの恐れも、永遠のテーマなんだなあ。どうしたらいいという答えはないけど、あれこれ考えるきっかけになる映画な気がする。この内容で3時間の映画を作って世界に配給されるというのはとてもいいことだな。ヘレディタリーとミッドサマーも怖そうだけど観てみよう。
<余談>
自分の持っていたクレジットカードの一つがサービス終了とのことで、自動的にSaison Gold Premiumというカードに切り替わった。普段、カードの優待とかはあまり気にしないんだけど、このカードの優待で「映画のチケットがいつでも1000円」というのがあって今回それを初めて使ってみた。
対応している映画館が限られているけど、自分がよく行くTOHOシネマズは使えた。ちょっと面倒なのは、まず映画のチケットが無料になるクーポンを1000円で買う→そのクーポンを使って無料でチケットを取る、という二段階の手間がかかるのと、購入の12時間後にクーポンが送られてくるという所。自分は仕事の都合で今なら行けそう…と急に行くことが多いので、これは少し残念。でも、クーポンの有効期限は3ヶ月くらいあるようなので、観たい映画がある時は事前に購入しておけば突然行くこともできそう。
最近はわりと映画行くようになったので、これはありがたいな〜
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europiumoon · 3 months
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meimoku
祖父が亡くなった。今朝の話だった。いつも通りに起きると1階から母の声がして「じーちゃん心臓止まったって。今から病院に行ってくる」と言われた。弟も起こしながら、じーちゃん心臓止まっちゃったんだって、と死んだと言いたくなかったからそのまま伝えると涙があふれた。昨日終業後すぐに母からFacetimeで祖父と繋いでくれた時はまだ生きていた。苦しいながらも呼吸をしていた。
会社に忌引き休暇をもらい、祖父母家に向かった。じーちゃんが休めるようにと部屋の片付けをしながら待つと、霊柩車が来た。運ばれて家に寝かせる、ということは私の人生の中で初めて見る行為でドキリとした。白い布に包まれた祖父を見るのが嫌でそっぽを向いて寝かせられるのを待った。親戚たちが見守る中私は感情が込みあげてしまって泣くしかなかった。一通りのことを終えた祖父の顔は穏やかだった。命を全うした、と私が言うのは烏滸がましいけれど温顔だった。コロナワクチンからどんどん体調を崩して2年近く家に帰れてなかったはずだから「住み慣れた家に帰りたかったのかもしれないね」と母が言っていた。祖父に贈られた花は青く祖父らしい色で綺麗だった。葬式等の話がまとまり、改めて会社や営業先等に伝えある程度落ち着いてから祖父の顔を見に行った。どうしても生きているようにしか見えなくて、呼吸しているかのように見え、弟に「じ~ちゃん呼吸しているように見えない?」と聞くと「俺もそう見えるんだけど。俺の目が変になったのかと思った」と言われたけど、後ろから父が「ドライアイスだよ」と言われた。昨日まで生きていたじーちゃんの顔を夕方まで横目で見たり間近で見ていたけど目を覚ますことはなかった。
最近町田そのこの葬式屋を舞台にした『夜明けのはざま』や冠婚葬祭のアンソロジー『私たちの特別な一日』を読んでいたためか身近なものだった。祖父は死んでしまった。
丁度祖母は足の手術で入院していたため、祖父の死後直接会うことはなかった。葬式は来週、祖母の退院日翌日に執り行われることになった。午後になるとちょこちょこと親族らが来てくれた。母が昨日テレビ電話を祖父母の兄弟たちにしていたようで、「昨日まで頑張っていたもんね。」という声にテレビ電話がこの時代あってよかったと思った。
葬儀屋と母と伯父が祖父の遺影を探している時に私も祖父の写真を探していると私が生まれる以前、母の幼少期が映った祖父の写真があった。病気で倒れる以前の祖父は私が生まれるもっと前だったから知らなかったけど、アルバムに乗る祖父はハンサムに映っていて、スーツ姿がかっこよかった。帽子を被ることも昔から好きだったんだな、と知ることができた。じーちゃんは病気で倒れて半身まひ、言葉も上手く発声できなくなってしまってからも何度も発声の練習をしたり散歩に向かった。私は祖母や母以上ではないが、祖父の言っていることがなんなのかすぐに汲み取れたんだよ。
じーちゃんは命が途絶える間近に何を思い何を考えこの世を去ったんだろう。少し前にXで夢に亡くなった人が出てくるには物凄い大変な思いをして出てくる、という投稿をみたけど私はじーちゃんに会いたい。
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tutai-k · 5 months
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未来に絶望しかなくても、信じてもいいかという気持ちにはなれる
ろくな人生を送っていない。はっきり言って馬鹿にされるばかりの人生で、他人がずけずけと入ってくるか、必死になってつくったものは、「この場所なら少なくとも壊されなくて済むかな」と思っているような場所に置いても踏み潰される。 いつだって人生最悪の日を更新して、わたしはわたしがこの世に生まれた日こそ呪われてあれ、とくりかえしている。
ろくでもない人生を送っている。
昨日もまあそういうろくでもない人生の最悪の日を更新するような日だった。詳細ははぶくが、さっさと人生のリタイアを考える程度には日常に喜びがない。ここ半年、「よかったな」と思うことは数える程度で、あとはなんていうか「どうしてこうなったんだ」というようなことばかりである。持病はまた悪化してきた��
そんな昨日、三ヶ月に一度行っているアフタヌーンティーの予約を入れていた。秋のアフタヌーンティーは9~11月。忙しすぎてもう無理かと思っていたが、なんとか日程を調整してぎりぎりで行けた。が、この半年ろくなことがない、しかも昨日は最高潮(でもきっとここからもっと最悪になるんだろうなとは思っている)で、「こんな気分のまま大好きなアフタヌーンティーに行くのか…」と思っていた。 いつものシェアオフィスにいくとアフタヌーンティーがむずかしいので、もうすこし近くのコワーキングスペースに行った。こども編み物教室をやってて、ちいさいこたちがたくさんいた。原稿をやろうと思っていたけど、編み物でつくったきのこや目玉焼き、クッキーでおままごとをしているこどもたちが仲間に入れてくれたので、一緒になって遊んで、絶望から少し立ち直れたので、アフタヌーンティーは楽しめた。
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今日は朝から、フォロワーさんが楽しそうに見ているゲゲゲの鬼太郎の映画を見に行った。鬼太郎誕生秘話?みたいなやつ。鬼太郎はこどものときにアニメを見てて、ちゃんちゃんこが飛んだり下駄が飛んだりするのを眺めていたくらいである。似たような時間にやってたベムベラベロと違いが分かっていなかった。
だからほとんどはじめてみたいなもので、楽しめるかな…と思っていたが、これがめちゃくちゃおもしろくてとてもよかった。わたしはあんまり因習村ということばが好きじゃない。(面白おかしく語られる山村に実際に住んでいるのは限界集落の高齢者だ)、「ムラ社会」を嫌い、笑い、そこでなんとか生きている人たちの生活を勝手にデフォルメして凄惨さでエンターテイメントする、そういう姿勢を好まない。だからすこし警戒していたけれど、見られてよかったな、と思った。
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主人公の水木は第二次世界大戦で(おそらく)南洋の前線に送られていたのだろう。玉砕を命じられた経験などがなんどもフラッシュバックする。かれと一緒に冒険(?)するのは、妻を探しているという男。ゲゲロウと水木に呼ばれていて、顔が鬼太郎そっくりなので、どうやら彼は鬼太郎の親父らしい。つまり目玉のおやじと呼ばれる存在の前身である。このふたりが、いわゆる「因習村」の「因習」の謎を解き、立ち向かっていく……。
お話しのつくりとしてはこんな感じ。公開されて間もない映画だから、あんまりネタバレ的なことを書いては、と思うので、よかったなあと思うところを少しだけしゃべると、
前線に送られた水木も、妻を探すゲゲロウも、どちらも「国」(はっきり「日本」と言ってしまっていい)に搾取され、押しつぶされてきた存在だ。そして二人とも、じつは根本のところでこの「国」とか「人間」という存在を信じられていない。その二人が、なりゆきで一緒に行動して怪異に立ち向かってゆくなかで、「未来」を信じ、きっと自分たちの後ろを歩くだろう存在のために、未踏の山に道を作るような行動をするところだ。 水木もゲゲロウも、とくに「強い男」ではない。水木は、自分より強い存在に(命やその他の「安全」)をちらつかされると、強く出られず引き下がってしまう。復員した水木が、戦争経験者だからと言って、肉体的に強く/戦闘・殺人の技巧に長けているわけではない。マスケット銃や斧を振るう場面はあるが、基本的に彼は、第二次世界大戦から復員したひとびとに(現代のある層が幻想している)むけられる「強さ/能力」を持たない(強さや能力を持たないのが普通だ。わたしの母方の祖父も戦時中に兵隊に取られていったが、死ぬまで戦地の悪夢を見てうなされていたそうだ)。この物語では戦争の経験とはつねに生きる強さや気力をそいでいく「傷」であり、物語を前に進ませる原動力とはなり得ていない。 ゲゲロウも、戦闘力という意味で、あまり強くなくて、バトルシーンよりも「捕まっちゃってる」場面のほうが印象的だ。ゲゲロウはよく捕まる。しかたなくバトルはするけど、本来の性格が、好戦的ではなく、強い方でもないのだろうと思う。人間からは隠れて、静かに生きていたい存在だったのだろうというのがなんとなくわかる。 ふたりはまったく強くなくて、「今」のためにもがいている。ゲゲロウが妻を探しているのは「今」のためだし、水木がこの村にやってきたのも「今」の自分のためだ。 だが、互いに関わりあうなかで、「未来」の話ができるようになる。 ふたりが立ち向かうのは特定のだれかのかたちをしているが、物語を俯瞰すればそれは戦時中に私腹を肥やしたものたち(国の暗喩)であり、ヒエラルキーの下層にいる存在を搾取する構造だ。水木はこの国を憎んでいる。「こんな国なんか滅びちまえ」と言う水木に、未来の話をするのはゲゲロウだった。水木がそう叫ぶ場面で、ゲゲロウはもっと、「国」を「構造」を滅ぼしてしまいたいと叫ぶような目にあっている。だが、この「国」「構造」の向こうにいる未来に、「今」を託したいと思う。 ふたりは最後まで強くなかった。戦うことで未来を勝ち取るのではなく、過去を引き受けることで「今」の向こうの「未来」のために、強くないままで、先へ進もうとする。
その未来へのまなざしの強さを、愛おしいと思った。
ここから下は、よかったな~と思った点のいくつか ・水木が、作中のこどもにされている虐待に対して嫌悪感をもよおす存在であること、そのこどもの結末に対して心から泣ける男であることと、そうでありながら一方では社会的地位や保身のため、時に哀れみで不誠実な行動を取ってしまうこともある人物として描かれているところがよかった。「水木は完全に正しい存在ではなく、善悪のメートル原器ではないが、それでもその絶対的な正しさだけを持たない人物が未来のために道を作る」という部分は、人間の営みそのものだと思った。
・「愛」というのが、性愛/恋愛で結ばれる男女のものだけでなく、血縁を通り越した、そして「記憶(愛着)」のない場所でも抱かれるものだと描かれたことがとてもよかった。これから、「未来」をつくってゆくわたしたちに、大きな希望になるように思えた。
クソみたいな人生だし、きっと明日からだってろくでもない日々だ。だけどまあ、いまはすこしだけ、未来を信じてもいい。
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kennak · 7 months
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30代女性。セクシャリティがよくわからないので性欲と性癖について聞いてほしい。  【幼少期】小さい頃から性欲が強くよく父親の持っている週刊誌のグラビアページを見てニヤニヤしていた。セーラームーンのアニメが大好きで戦闘シーンのパンチラ(レオタードなので正確にはパンチラではない)をコマ送りにしてもらって喜んでいた。幼稚園で親友の女の子が用を足しているのをドアの上から覗いたり(ごめんなさい)公衆トイレで母親が用を足しているのをドアの下から覗いたり(ごめんなさい)公園で母親のスカートをめくって死ぬほど怒られたり(ごめんなさい)母親の実家に帰省したとき叔母の風呂を覗いたりした。(ごめんなさい)ただその後ふつうに叔母に風呂に入れてもらったときは恥ずかしくてずっと下を向いていたので、単に裸が好きというより相手の意に反して隠されているところを晒したいという加害欲込みだったんだと思う。  女体に興奮するのとは別に手のひらサイズの小さくてかわいい生き物を狭い所に閉じ込めてつついたりしたいという欲求もあった。ディズニーの「不思議の国のアリス」で牡蠣の赤ちゃんたちがまとめてセイウチに食べられるシーンの顔と悲鳴はたまらなかった。よく妖精のような生き物をいじめる妄想をしたけど自分はその対象が好きなのにいじめるとその対象に嫌われちゃうな…というジレンマがあった。  【小学生時代】夕方に再放送していた水戸黄門や大岡越前で町娘が悪いおっさんに手籠めにされそうになるシーンにものすごく興奮した。ただ子供なので裸に剝いたあとどうするのかはわからなかった。病院の待合室のテレビでそういうシーンが流れたとき明らかにいつもより人が見入っていてなぁんだみんな好きなんだとちょっと安心した。この頃まで性的対象は女性だった。(本当に女性が好きなのかショタや男の娘みたいに性的客体化されていれば男性でもよかったのかはわからない)  【中学生時代】オタク女性向けサブカル雑誌「ぱふ」を読む。記事や投稿コーナーで腐女子が男性キャラに「美人」とか「エロい」と言って盛り上がっている様子を読んで「男の人をそういう目で見ていいんだ…!」「男性を女性と同じようにオカズ要員として扱う界隈がこの世にあるんだ…!」という人生最大のカルチャーショックを受ける。ここらへんで主な性欲の対象が男性に移り変わる。リアルの恋愛には興味がなく周りの女の子たちがどうしてアイドルや恋バナに夢中になっているのか理解できなかった(今でもどんな人がタイプ?とか嵐だと誰が好き?と聞かれてもわからないので困る)  【高校生時代】テニプリ、BLEACH、銀魂、リボーンなど腐女子に人気のあるジャンプ漫画の全盛期で毎日起きた瞬間から寝る直前まで推しキャラや推しカプのことを考えていた。一番好きなのは受けがモブおじさんや攻めにレイプされる展開でそういう二次創作を読んだり妄想したりした。メインで好きなのはBLだったけど平行して女体に興奮するヘキも残っていたので、ドラマや漫画の女性登場人物がヌード写真集を見て嫌がるシーンを見て「これが一般的な女性の反応で見入ってしまう自分は異常なのではないか…」と不安になる。  【大学生時代】ゆっくり虐待にハマる。ウザいゆっくりに制裁を加えるよりキュートアグレッションの文脈で性的虐待する展開の方が好きだった。これは自分でもさすがにヤバい趣味だと思うので誰にも話したことはないし記憶に蓋をして努めて考えないようにしている。  この頃から刀剣乱舞など女性向けキャラカタログコンテンツが流行し、少年漫画には存在しなかった自分のアバターが作品内に登場したことで男性キャラ×自分にも萌えるようになる。(メインは男性キャラ×男性キャラで活動してたけど)思春期のころは自分の全てにコンプレックスがあって(今もあるけど)自分がかっこいい男性キャラと特別な関係になるのが厚かましいようで苦手だったんだけど、普段性的客体化している男性キャラへ向ける攻撃性を自分へ反転すれば夢妄想もイケることに気付く。かっこよくて悪い攻めキャラにレイプされたり利用されて捨てられる妄想が好きになる。  【現在】性欲が減退したのか妄想や二次創作自体以前より楽しめなくなった。BLはそこまで興味なくて男性キャラ×自分で妄想してる。(内容は催眠とかレイプとか)フィクションより現実世界のことに興味が出てくる。  ここから悩み相談になるんですが①女性なのに女体に興奮するのはなぜなのか?バイなのか?②幼少期から現在に至るまでレイプものが一番好きなのは異常か?③キュートアグレッションがあるのはヤバいか?  ①について以前朝日新聞の人生相談コーナーに「私は男性が好きで結婚もしているけれどAV鑑賞が好きで、若い頃は女友達と観てゲラゲラ笑ったりしていた。これはどういう心理なのか?女優に感情移入しているのか?」という相談があって、上野千鶴子が「女体=エロい 男体=エロくない という社会のジェンダー規範を内面化していれば女性が女性に性的興奮するのは何もおかしなことじゃない」的な回答をしていて長年の疑問が解けた…!と思ったんだけど、その理屈だと私が社会経験の乏しい幼少期から女体の秘匿された部分に強い関心を持っていたのが説明できないのでは…?やっぱり本能なのか?と気になっている。②についてDLsiteの乙女向けランキングでは無理矢理凌辱系が常連なのでそんなことはないと思いたい。ただレイプものが好きと言ってもポルノあるいは自分がポルノ認定した作品のレイプ展開が好きなのであって、普通に楽しんでいた作品でキャラクターがレイプされるとショックで何年も引きずったりする。「日出処の天子」の刀自古と「ダウントンアビー」のアンナの件はトラウマになっている。③について最近もセイレーンに味噌漬けにされるモブちいかわ族に加害欲を喚起されて困っている。(嫌いだからいじめたいんじゃなくて可愛いからいじめたいという気持ち)  なんでこんなことを聞いてほしいのかというと自分の性癖がはっきりしないまま婚活とかしていいのかな…?と気になったから。人付き合いが苦手なのと怠惰な性格と2011年氷河期卒で一度も就職したことがなくて婚活市場のスタートラインにすら立てないのと中学から大学卒業までぼっちで一時期いじめられたり学校生活にろくな思い出がなくてもし子供なんかできたら自分の黒歴史の再放送を見る羽目になりそうなのが不安で今まで一度も人とお付き合いしたことがない。そもそも人に恋をしたことがない。一人の方が気楽だけど「二次元キャラじゃない生きてる人間と恋愛する」「セックスする」という人生の実績解除をしたい気持ちもあって…めちゃくちゃ自分本位で申し訳ないですが…。そこで自分のセクシャリティとか性癖に引っかかるところがあるのにそれを隠したまま恋愛とか婚活するのは不誠実かな?というのが気になって行動に移せないでいる。あと男性は慣れてない分自分が性的客体化されるのは嫌じゃないか?とか。  まとめると・女性なのに学生時代は勉強に集中できない程エロいことで頭がいっぱい・ドハマりしたキャラの8割は男性だけど視覚的にエロいと思うのは男体より女体・男性を好きになるのにも腐視点と夢視点で二種類ある・リアルの人間に恋をしたことがない。テレビで見てかっこいいなと思うことはあっても熱が持続しない・性的な妄想は好きだけど自己肯定感が低いからか自分がリアルに当事者になるのは嫌悪感や恥ずかしさがある・性欲と加害欲が結び付きがち  アラサーあたりから下の二項目が結びついて「自分を性的客体化されることが地雷な私が犯されるのを客観的に見て可哀想だと思って興奮する自分」みたいなよくわからないことになってる。まあSとMは表裏一体とも聞くし…。「性欲と加害欲をぶつける愛しい他者」が「性欲と加害欲をぶつける愛しい自分」にチェンジしたのかな?そう思うと人生の主役が30代半ばにしてやっと二次元から本人になった気がするけどもう手遅れな気がする。  【追記】長いのでそもそも読んでもらえないんじゃないかと思っていたのですが皆さん意外と真面目に読んでくださって体験談やアドバイスなどもいただけててうれしいです。特に同じ女性と思しきユーザーからの共感、AVや男性向けアダルトコンテンツ好きな女性も多いのがわかってほっとしました。もっとボロクソに言われても仕方ないと思っていたら意外と「ごく普通、実行に移さなければ問題ない。婚活でもわざわざ言う必要はない」というブコメが多くて驚いています。「性癖」の誤用についてめちゃくちゃ指摘されてた。日常的に誤用の方で使っていたのでつい…以後気を付けます。あと「一度も就職したことがない」と書いたので「子供部屋おばさんニートなのか?」とのコメントが多かったですがバイトはしてます。(パートやアルバイトの場合就職という言葉は使わないそうなので)子供部屋おばさんなのはその通りです お恥ずかしい…。以下答えられそうな範囲で返信。  「女性が女性に対しての欲望を持つって言うのはラカンかなんかで読んだ気がするな。ほぼ忘れてるから説明できんけど笑"女は存在しない"だっけ。男のホモセクシャルというのは存在するが女のレズビアンはない、女を愛するのは(身体)男にとっても(身体)女にとっても正常。なぜなら(身体女は存在するが)精神が女は存在しないから、みたいなこと書いてあった希ガス。」  「女は不死である」って本ですかね?すごく興味を惹かれました。読んでみたいです。  「なにが元増田に対して言いたいかって言うと、自分の性癖に怖がらずに、むしろ色々取り入れたらいいんじゃないかってこと。あとレイプ陵辱暴力は確かに興奮するけど、例えるならばめっちゃ味の濃い料理なので、そればっか食ってたら舌が鈍くなるんじゃないかってこと。まあ鈍くなってもいいと思うけどね、自分の人生だし。」  味の濃い料理めちゃくちゃわかります…!どんどん強い刺激に慣れてしまってふつうの萌えに不感症になるのよくないですよね…。  「②については仕事してた身から言うと、受ける側が積極性を持たない極限がレものだ。マグロのフィクション版というか…。ただそこに首絞められとか腹パンされ嘔吐、腹ボコなどが入ってくると別の願望になるよ」「レイプって自分から何かする事ないし、なんならセックスするかどうかの決定自体も「されてしまった」にする完全なる受動的性行為なんだよ。」  めちゃくちゃ納得しました。よく「令嬢が政略結婚させられるけど実は両想いで…」みたいなTL漫画の広告が流れてきますがそういう「良好な人間関係を築く手間をすっ飛ばして素敵な相手と一緒になりたい」みたいな需要のもっと極端なやつってことか。    『婚活の理由が「恋愛」と「セックス」だけど、婚活とはそこ意外と関係ないから気を付けて。婚活は「これから人生を共に生きるパートナー」を見つけるところであって恋愛したことない人を恋愛させる機関じゃないぞ。セックスの可否ももちろん夫婦生活に影響でるけど…』「それよりも、自分に結婚が本当に必要かどうか、掘り下げた方が良いのでは。」「婚活は時期尚早ではないかな まず出会いの場に行って自分が人を好きになる感覚があるのかトライしつつ、自分の食い扶持を自分で稼ぐ経済的自立をするのがまず大前提では」  それは本当にそうですね…。言われてからよく考えたら「結婚したい」じゃなくて「結婚したいと思えるほどリアルの世界で好きな人が欲しい」だったかもしれません…。  『「女性はエロいことに興味がないもの」みたいな社会通念が女性の生きづらさに繋がっている気もする。性別に関係なく性欲の多様性はある』  実際最近女性の性欲について解説した増田の内容が非常に理性的だったのと、「俺のイメージする女性の性欲に近い」というブコメが上位に来ていたので「そうじゃない奴もいるよー」と知ってほしくて書いたところはあります。(ただ私の文章読んで女だって性欲まみれじゃないか!と思われるのも世の女性に迷惑かけないか心配になってきた…)  「言っちゃ悪いけどクソしょうもない凡庸な悩み。長文書いていいのはやかんが沸騰するの見て興奮するとかそんなレベル。」「正直どうでもいい凡庸な自分語りだけど一度も就職したことなくて今何してるんだ?婚活してる場合だろうか。たぶんその前に友達作るとこから始めた方が良さそう。性癖以前にコミュニケーションに問題ありそう。」  そう言われましてもアンケートとか取ったことないし本当にわからなかったので…。みんな普通に友人と何に勃つかとか何に萎えるとか会話するものなんですか?羨ましいです…。  「こういう長文を書くのは最も増田らしい増田の使い方のひとつだと思うしみんな���んどん書いてほしい。」  優しい。  『性癖や嗜好よりも学生時代のいじめとコミュニケーション不全の方が問題。現実逃避からやっと今に目が配れるようになったと。あなたに告げたいのは「これからよくなるから大丈夫」てこと。』  優しい。泣く。  「性欲が強いと豪語するなら、自分の自慰行為や性行為について語らなければそれは性欲として見做すことは間違っている。同性が性的に辱められている不様さを愉悦する悪趣味なだけだ。同性の友人の不幸にも興奮してそう」  それは全然違います。男性キャラがレイプされると女性キャラと同じくらいかそれ以上に興奮するので「同性が性的に辱められている不様さを愉悦する」には当てはまらないし、本文にも書いてありますが「好きor可愛い」と思っているキャラがひどい目に遭う展開に興奮するのでむしろ制裁されてスカッとするようなキャラがレイプされも全く嬉しくありません。「同性の友人の不幸にも興奮してそう」←尊敬するフォロイーの痴漢され報告ツイートを見てその人の良さを何も理解していない知らない男に雑に消費されたのが悲しくて未だにふっと思い出して嫌な気持ちになるのでそういうことを言われると腹が立ちます。侮辱された気分です。
自分の性欲と性癖について聞いてほしい。【追記】
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yasuderland · 4 months
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後半戦、はじまりはじまり。後半戦?なんぞや?という方は、ぜひひとつ前の投稿に目を通してみてくださいな。
7月
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約一年ぶりの主演舞台、少女都市からの呼び声。新宿歌舞伎町、THEATER MILANO-Zaにて幕開けでした。儚くて、恐ろしくて、でもどこか美しくて。なんとも不思議なおはなし。僕の大好きなアングラの世界に触れていただけたこと、この上なくしあわせです。よかった?今度はまるがこちらのステージに立つみたい。仲間の活躍はなによりもうれしいね。
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せっかくやからかわいい妹分のお仕事もご紹介しましょ。KOSÉさん「米肌」のキャンペーンキャラクターに就任したようで。この子たち、気が付いたらスキンケアブランドのお仕事まで勝ち取ってました。どこまでいくのでしょう。僕たちも負けていられない。そして萌え袖の安子ちゃんがやっぱりいちばんかわいい。
8月
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8月は今年いちばんに濃くて、この先ずっと忘れられへんやろなと感じる出来事の連続。まずはこちら、ベリーズでのお写真。過去の病の経験から、僕にとってなくてはならないと思うほどたいせつな海にまったく触れられなくなってしまって。昔のように深くまで潜ることができないだけで、浅瀬くらいなら大丈夫やったんやけど、どうしてかそれすらもできなかったんです。あんなに好きやったのに。たぶん、悲しいからなんやろね。浅瀬に足を浸からせてみたら、もっとその先へ行きたくなってしまうやろうし、大好きだった青色の景色をこの目で見たくなってしまう。ほしいものはこの先もう自分に与えられることはないと分かっていたから、きっとどこかで避けてたのかな。でもね、ようやっと弱さを克服することができたんです。特別なベリーズの海に、自らの足で勢いよく飛び込んだの。もちろん深くまでは無理やけど、夢に見るほど大好きな透き通る海の色にもう一度触れることができて、あの瞬間だけはきっと世界中の誰よりもしあわせでした。弱さも、涙も、感動も、むきだしの僕の心をあたたかく受け入れてくださったアナザースカイさん。僕にとって海がどれだけ大切なものだったか改めて教えていただけたこと、感謝しかございません。いつの日か恩返しができますように。
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そしてもういっちょ。49枚目のシングル、オオカミと彗星の発���。未完成とは打って変わって狂気と色気をふんだんに詰め込んだこの楽曲、最高にイカしてますぜ。音楽番組では毎回スーツで歌って踊っておりました。なかなか珍しいかもしれないね。MVもこのジャケ写通りスーツでびしっとキメていますので、気になる方はぜひ。
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まだあります。無事にロッキンリベンジを果たせたのも8月でした。本当は去年初出場の予定やったんやけど、台風にその予定ごと掻っ攫われまして。僕たちよく台風呼ぶからなあ。今年もピンポイントで近付いてきたりとすこし危うい瞬間があったものやから気が気ではなかったけど、無事にやり遂げましたよ。憧れのステージです。達成感。ここから怒涛のフェスつづき!
9月
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WANIMA主催の1CHANCE FESTIVALにお呼ばれしまして。もちろんパフォーマンス中はずっと楽しかったんやけど、裏側でもWANIMAのみんなとわちゃわちゃして大盛り上がりやったのよね。WANIMAがベースを募集しようか考えてるって僕たちにおはなししてくれたんやけど、それを聞いたまるがかるーく立候補したの。そしたら「いや、お忙しいでしょうから…。」ってやんわりお断りされてたのがほんまにおもろくて未だにくすっと笑ってしまいそうになる。まるもそのあとちょっと凹んでたから尚更おかしかったなあ。思い出がたくさん。
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最後のフェスは、僕たち関ジャニ∞だけで。バンドはもちろん色気たっぷりのダンス曲も、しっとりなバラード曲も、幅広く披露いたしましたのよ。しかも途中僕のお誕生日サプライズなんかもあったりして、会場にいるeighterのみなさまからは青色のペンライトでうつくしい祝福が。あっという間にしあわせ空間のできあがりやったね。改めて大きな愛に触れた一日。夜空に打ち上げた大きな花火、また来年みんなで見たいなぁ。
10月
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またもや妹分の登場です。なんと少女漫画雑誌のりぼんさんにて、連載がはじまりました。おそろしい。ほんまにどこまでいくつもりなんやろう。どんなもんか気になって、僕と安子ちゃんがメインの回を買ってみたんやけど、胸きゅんがいっぱい詰まってて楽しかったよ。盛ってないからね。ほんまのはなし。39歳のおじさんも少女漫画片手にレジへ並びます。疑ってるでしょ。マジやで。
11月
11月と12月は個人の仕事というよりも、仲間たちとレギュラー番組の収録等でいつも通りに過ごす時間が多かったものやから、実はここに載せられる出来事はもう残ってなくて。でももったいないよね。せっかくやから、いままで画像の枚数制限で泣く泣くカットしていた音楽番組のおはなしを載せていこうかな。まずはベストにヒットした歌謡祭。
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いくつになっても様子がおかしい。たのしかった。毎年いつもカウントダウンライブでみなさまの初笑いを狙いに行ってたんやけど、今年はそれが叶わんのでこの場をお借りして。アイドル界の様子がおかしい担当であり続けたいと思ってしまうのはどうしてでしょうか。めい、かわいい?隣にいるのはたつと言う名のトトロです。
12月
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12月はFNSさんとMステさん。白と赤、衣装も冬という感じがするね。並べてみて思ったけどみんな同じような顔してない?おもしろい。こんなところにまでまた愛おしさを見つけてしまうのです。こうして自分たちの音楽を届けられることも、なにひとつ当たり前ではなかったんだなと改めて実感した月でしたな。もちろん当たり前だなんて思ったことはないけれど、またこうして素敵な機会をいただけるようにこれからも一所懸命がんばるぞ!の気持ちです。ふう、なんとか年内に間に合った!ここまで読んでくださった子はどれくらいいるのかな。お付き合いいただいて本当に本当にありがとう。疲れたでしょう、ゆっくり目を休めてね。あなたにとって、素敵な年末年始になりますように。そして来年からも僕たちをよろしくお願いします。たくさん笑わせるぞ。
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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diagirlsrua · 11 months
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Q.E.D. (ENG) [SAKAMAKI LAITO]
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Character : Sakamaki Laito CD : MORE CHARACTER SONG Vol.5 SAKAMAKI LAITO Seiyuu: Daisuke Hirakawa May: I prefer Q.E.D. to Bloody Sabbath. For the record: "Q.E.D" stands for quod erat demonstrandum, the Latin equivalent of "what had to be demonstrated"); quantum electrodynamics. This equates to the famous 'checkmate' for scientists in chess. And it serves as an absolute conclusion. So when Laito repeats this acronym, he's sure of what he's saying. Link to the song: here.
時が過ぎれば、過ぎるほど、劣化(あせ)ていく
Love dies only when growth stops
何もかもが顕(あらわ)になったなら、
あの日の熱量(おもい)が軽くなる?
As time passes, the more it expires, the more it fades
Love dies the moment its growth stops
If everything had to be laid bare, no matter the consequences
Would the warmth of my feelings on this day, diminish?
きっと、命は尽きるだろう だとしても、
この血は 継がれてく そんな淡い希望を抱き、
その身体(なか)へ放った結晶(あい)は
「……---意味がない」
Though my life would surely come to an end
Entertaining the fine hope given by this blood, will be relayed
The crystalline love that escapes from your body.
"…--- This makes no sense."
嗚呼 時が過ぎれば、
なんだって、代謝(いれかわ)るとしても
君を愛した証明が、何もないなんて
Ah, as time goes by,
Even if it would have been replaced,
There's no proof I ever really loved you,
「………言いたくないから」
"………… Because I didn't want to confess it."
どうせ、終わるんだから?
いつか、何もかも消える?
だから「今」を騙さずに、粘着(ネ)ばつく想いで
吸血(す)い続けるのさ「永延」と伸ばし続けた、
「永遠」が欲しいというなら
今、証(あか)すよ 君との
Q.
E.
D.---…………!!!!!
After all, it's all over, isn't it?
Over time, will it all fade away, no matter what happens?
De facto, without robbing us of our 'present' and tying the memories together,
While the bloodthirsty bite yearns for 'eternity',
If you tell me you want "Immortality."
We'll prove it, together.
Q.E.D……. !!!!!!!!!!!!!
死期が近づき、迫るほど 確信(み)えてくる
there is always light behind
誰もかもが、誰かに祈っている、
あの陽の残量(のこり)は僅かだね?
As the hour of death approaches, the nearer it comes, appearing,
There will always be a light behind it,
No matter who, everyone's praying to someone,
There are so few memories of this day, are there?
そっと、願いを捨てたとして だとしても
唇、重ねてる どこか残酷(あま)い時間は過ぎて、
この心(なか)に残った結晶(あい)は
「……---価値がない」
Even as we waited to slowly give up hope,
Your lips on mine again and again, that bittersweet taste fading somewhere,
Crystalline love disappearing beyond my heart.
"………. --- This is worthless."
ねぇ---………夢を見ようよ?
病んだって、見えざる日々がある
ふたり生きた証明が、紅く染まるなら
Hey---……….. Shouldn't we be dreaming?
That we'd get sick, of having to live days we won't live.
If the proof that we're both alive, was tinted red,
「………赦してよ」
"………….. Forgive me."
未来(あす)を、描いた音色 いつも、耳元で割れて
裂けた鼓膜(まく)に残された、冉(あや)うい願いを
囁(ささや)き続けて「永延」と伸ばし続けた、
「永遠」が欲しいというなら
今、証(あか)すよ 君との
Q.
E.
D.---…………!!!!!
The tone expressed by the future tomorrow broke in your ear,
In your siphoned eardrum was left a dangerous carmine wish
As the continual whispers spread through "eternity".
If you pronounce your wish for "immortality",
Then we'll prove it, together,
Q.E.D. !!!!!!!!!!!!!!!
「永遠などないなら、この時を壊してしまいたい
そう、願ってた……」
"There's no such thing as "eternity." I want to destroy it…. At least, that's what I would have wished for."
こんな、想いばかりじゃ
生きた「ぬくもり」 喪失(わす)れ
どこか、曖昧になる
そんな事ばかりじゃない---……!
That lonely feeling,
Forgetting the warmth that would have lived,
Becoming somewhat vague,
It was not the only thing….!
どうせ、終わるんだから?
いつか、何もかも消える?
だから「今」を騙さずに、
粘着(ネ)ばつく想いで 吸血(す)い続けるのさ
「永延」と伸ばし続けた、
「永遠」が欲しいというなら
今、証(あか)すよ 君との
Q.
E.
D.---…………!!!!!
After all, it's all over, isn't it?
Over time, will it all fade away, no matter what happens?
De facto, without robbing us of our 'present' and tying the memories together,
While the bloodthirsty bite yearns for 'eternity',
If you tell me you want "Immortality."
We'll prove it to each other, together.
After all, it's all over, isn't it?
In the course of time, will everything fade away, no matter what happens?
De facto, without stealing our 'present' and tying the memories together,
While the bloodthirsty bite yearns for 'eternity',
If you tell me you want "Immortality."
We'll prove it to each other, together.
Q.E.D. ---…………!!!!!
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gupaooooon · 1 year
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「ムーンナイトの裏側」を観た感想
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※これはうまく纏まらないので、ツイートをほぼそのまま箇条書きで移します。
・マイノリティのレプリゼンテーション、メンタルヘルス、エジプトに纏わる考証/監修。それらの重要性について、じっくり時間を割いて、繰り返し様々な関係者が語る姿。すごくよかった。
・アーサーハロウという悪役の魅力と深みを語る上で、彼の思想は悪であること。そして、物語の核になる“赦し”について。
メイキングでも、はっきり言及されていること、安心する
・「レイラは男の添え物ではない」という言葉、からの彼女の感情/弱さについての言及も。
レイラというキャラクターを、都合のいい「強い女」にはしない、かつ癒し要員として安易に消費しない……という姿勢を改めて感じる。嬉しい。
・しかし、今回のムーンナイトのメイキング。
監督のモハメド・ディアブが繰り返し言及している……パートナーであり共同プロデューサーのサラ・ゴーヘルの言葉/対談とかも、がっつり見たかった聞きたかった………そこは残念だ
・あと、メイキング(アッセンブル)においても……3人目のジェイクは“ネタバレ”的な伏せ方(次回作がはっきり決まってないことも要因かな?)で終わってしまったこと。
製作陣のインタビューのように、解離性同一症(DID)のステレオタイプ描写についての言及や問題共有が……メイキング上ではされなかったことについても、残念だ
・ムーンナイトは傷(トラウマ)と向き合う話であるということ。そして「赦し」の話であるということ。改めて、メイキング観て、とても好きだなあと再確認した。
・コミックからの、3人に砕かれるコンスの描写が入ってたこと。
コンスという「支配者」「父」「神」からの卒業と反逆の物語が主題な続編を観てみたいし、そこにステレオタイプに寄らないジェイクの物語を見出したいので、めちゃくちゃ期待してしまう
・「コンスもマークの別側面かも?病棟こそ現実だった?」などの言及は……原作コミック内の一部描写への目配せと、「続編決まってない&現状MCU本流からは離れた作品」であるからこその可能性への言及なんだろうけど。
その設定も持ってこられたら、ドラマ/MCU版も批判的に観なきゃいけなくなるな、とは思っている。
別のインタビューでは「マーク達が気付いてないジェイクの家族/子どもがいるかも」という……コミックを踏まえた可能性の話なんかも、関係者が冗談混じりに言及しているみたいなので(ドラマ独自の設定から更にそれをやるのは、DIDに纏わる描写/こどもに纏わる描写を扇情的に消費する傾向が強まると思う、ので危ういなと思っている)
あれらはあくまで、ひとつの視点の共有であり、可能性の楽しみであり、コミックファンへの目配せじみた言及である……と思いたい
・先代のコンスの化身であるハロウの存在、レイラ含めた化身達の……圧倒的存在感によって「エジプト神話の神に見出されたという“妄想”に取り憑かれた“異常”な男」というコミック描写からは切り離されている。
その視点とその残酷さは、ドゥアトの病棟描写が引き受けた上で、(若干の曖昧さを残してはいるが)否定している……所が好きなんだよな。MCU版ムーンナイト。
・歴代の化身含めて、コンスは化身が持つ“怒り”に依存する/その拳に理由を与えるが故の“支配者”であり“父を名乗る者”であり“抑圧者”であり……という方向性であって欲しいな。MCU版におけるコンスとマークの“怒り”について。
・上で書いたことについてもう少し書くと、
「コンスを解離性同一症の憑依型側面としてもし扱うなら、レイラやハロウや他の化身達は?ヒーローのレプリゼンテーションの意味は?」となるし、
実在の精神疾患を題材にしながら「夢か現実かは鑑賞者次第」みたいな逃げ/放棄が、この作品でも繰り返されるのか?という。
(若干、鑑賞者の解釈に委ねているような曖昧さはあれども)↑のような放棄で終わらなかった、そのようにはならなかったことが、自分がMCU版ムーンナイトの好きなところなので。
あくまで作品内の一要素として、冥府ドゥアトの中にある可能性?/来世?/影?のひとつという提示のされ方で、あの病棟が出てきたこと。そこが安心したし、好きだなあと……ドラマ版ムーンナイト。
・病棟描写も、病院そのものを貶めない慎重なバランスで描かれていると思う。
アーサー・ハロウが医師として配置されていることで、彼の掲げる「矯正/統合/���定」の暴力性が垣間見え……かつ最後はそこから抜け出すマークとスティーヴンが「世界の中、社会の中で生きる、共に在ることを選ぶ」というのが、大好きですね。MCUムーンナイト。
・以下は、メイキング鑑賞当時には書いていないことだけど。↑と絡めて書いておきたい(後ほど、個別で記事にしたいとも思う)
精神科の人口あたりの病床数が世界1位であり、世界中の精神病床の5分の1を日本がしめている事実。恣意的な拘禁拘束/強制入院/虐待や暴力が放置され繰り返され……それが“国策”として、政権の利権も関わり、延々と行われている国であるということ。世界の関連機関や国連人権理事会などから、何十年も是正/改善を要求/勧告されながら、デタラメな回答を繰り返し逃げ続けている最悪な国であるということ。
自分の経験含めて。日本という国からこの作品を消費していることを忘れてはいけない/そういった現実から切り離してこの作品を消費したくはないと、強く思うし。 
病棟の拘束描写をエモいものとして扱ったり、“健全/統合”なるものを絶対視/当然とするような読み/エモい結末とするような消費とも、自分は距離を置きたい。
(Twitterに2022年6月に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです)
関連記事 
Twitter上の感想ツイートまとめは↓
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m12gatsu · 2 months
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無題
べらぼうに風の強い幾日かがあり、そのどこかでインフルエンザもらった。花粉症だと思ってアレグラ濫用してた。アレグラは副作用で悪夢を見ると人づてにきいて、んなわけ、と思ってたんだけど、小学生くらいの男児らとプールで戯れていて、揶揄ってきたヤンチャな1人を捉まえて、たかいたかいの要領で放り投げてやったらプールサイドに頭を打ちつけて死なせてしまった夢を見た。ハードコアすぎる。死体は浮かばず、うつぶせで石みたいにプールの底に沈んでいた。
ゴダールかタルベーラ観ようと思って出かけたけど、どっちも行かなかった。体が重かった。いま思えば既に発熱していた。調布に用事があったから、ついでにパルコの古本市ひやかした。司修の画集買った。大江健三郎が一筆寄せている。それと現代詩手帖のバックナンバーを2冊。どっちも吉増剛造の特集。昼に中華屋でワンタンつまみにして、瓶ビール1本だけ空けた。
熱はすぐ下がって、療養もそこそこに、在宅ワークの御旗のもと、好き勝手やらせてもらっている。病身にしかもたらされない平穏というものもあるのだ。酒飲みたい。パーマかけたんだけど、日がな寝癖のまま、一度もセットしてない。髭も剃っていない。廃墟みたいな顔して、風が吹き、風邪を引き、酒飲みたい。風が吹けば、酒が飲みたい。
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beso · 9 months
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去年大怪我をして以来心を病んで家に引きこもってしまった長女に、ふとポケモン Go を見せてみた。最初は見向きもしなかったが構わず僕が隣でポケモンにボールを投げ続けていると、やりたいと言う。ポケモン自体はアニメで大好きなのだ。やっぱりね。一苦労してポケモンをゲットした後に画面を見ると、あれ、こっちに別のポケモンがいるみたいと気づいた。 そうだよ、あちこち歩くとポケモンが見つかるんだよと説明すると、そのまま iPad を持ってスタスタ外に歩いてしまった。 あれ???ここ半年以上怖がって家を出ようとしなかった長女が、何も気にせず外に行ってしまった???どういう事? 僕も急いでついてゆく。小道をゆき、踏切を超え、公園まで来てしまった。去年まではよくここで水遊びをしたり、バトミントンをしたのが懐かしい。怪我の日以来人がいる場所が怖くて近づけなかったのに、全然気にならないようだ。 こうして、長女はポケモン達に連れられて公園に来る事ができた。あれから一ヶ月が経つが、今ではポケモン Go 好きのお友達と公園でゲームをしたり、水遊びができるようになった。今年の夏は家に閉じこもって一歩も出られない事を覚悟していたので夢のようだ。まだ学校に行けないが、ポケモンのおかげで一つできる事が増えてよかった。ありがとうポケモン。
ポケモン Go が長女を外に連れ出してくれた - 言語ゲーム
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