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#白山妙理権
ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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monthly-ambigram · 7 months
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2023-10月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「ヒーロー」です◆
今月は参加者の皆様に「ヒーロー」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  古今東西のヒーローにまつわる逆さ文字の数々をご覧ください。
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「勇者」 回転型:peanuts氏
勇者といえばヒーローの筆頭ですね。ゲームだけではなく神話においても英雄としての勇者は数多く語られています。 全体を斜めにすることで「勇」のパーツのずれの違和感を和らげています。正統派で王道を行く作品だと思います。ペンで書いたような作字もステキです。
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「正義」 回転重畳型:いんふぃにてぃ氏
正義こそヒーローの行動原理ですね。正義の反対はまた別の正義、という言葉もあり、真実と同じような意味合いを持つ言葉かもしれません。 「正」「義」それぞれを回転重畳型にしています。「回転重畳型×2」として並べることもできましたが、縮尺を変えることで一つのアンビグラムにまとめ上げているのが作者の工夫ですね。
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「英雄」 回転型:海氏
ヒーローは日本語で「英雄」ですね。 英雄という言葉にまつわる作品はいくつか寄せられましたが、まず正統派の回転型です。字画密度の差は「厷」を中心に据えて解決、字画の角度を一定のルールに揃えることで読みやすくまとまっています。
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「必殺技」 図地反転回転型:いとうさとし氏
ヒーローならば必殺技の一つや二つ使いたいものです。 見事な「殺」を中心に読みやすい図地反転アンビグラムに仕上がっています。ドット表現がゲームにマッチしそうで、必殺技を決めるヒーローの背景で光らせたくなるデザインです。
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「自己犠牲」 図地反転型:梅氏
自己犠牲の精神はよくヒーローと共に語られますね。 こちらのデザインは「犠牲」のほうに字画の区切り線があるため完全な図地反転の関係にはなっておりません。その意味で純粋なアンビグラムではないのですが、アンビグラム的表現の一つとして面白いデザインになっており作者の工夫が光っています。
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「大活躍」 回転型:lszk氏
ヒーローならば大活躍が確約されているものなのか、大活躍したからヒーローなのか。 氏には久しぶりに作品を寄せていただきましたが、相変わらずデフォルメした形状による作品が絶妙に読めるバランスで素晴らしいです。本作では翼のような形状が万能ですね。
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「ひろいんとひいろう」 旋回型:kawahar氏
ヒーローとともによく語られるヒロインですが男女の違いだけではなく非対称性がある点は興味深いところ。 氏は多面相旋回型を得意としていますが本作でも六面相に仕上げていて感心します。鏡像と回転により文字が変化する、バランスの調整具合をご覧ください。
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「スーパーヒーロー」 回転型:lszk氏
スーパーヒーローは主にフィクションで超自然的な力を持つヒーロー。人により思い浮かべるスーパーヒーローも違うでしょう。 デザインとしては中央に力が集中していくかのよう。後半「ーロ」の部分の重ね処理を自然に見せるため「パーヒ」の部分も重ね処理をしており、文字列の配置が絶妙です。
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「英雄/色を好む」 振動型:ヨウヘイ氏
「英雄色を好む」とは「英雄は活力にあふれ何事にも精力的に活動するため女性関係も積極的で派手」という意味。英雄ならそれでも許される、というニュアンスもあります。 「英/色」の下部分の処理、「隹/好む」の対応がうまく調整されています。太い文字なので切り欠きをうまく使うことができるのですね。言葉の選択が面白いです。
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「ダークヒーロー」  回転型:mishima氏
ダークヒーローは正義の味方として描かれない主人公でアンチヒーローとも。 ダークヒーローのシルエットをロゴに取り入れていてかっこいいですね。オーラのように燃え上がる形状が文字のゲシュタルトにうまく取り入れられておりステキです。
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「剛烈/疾風」 回転共存型:兼吉共心堂氏
仮面ライダージオウに登場する「仮面ライダーゲイツ」の強化フォーム「仮面ライダーゲイツリバイブ」の二つの変身フォームが「剛烈&疾風」だそうです。 この二つの言葉の相性が良すぎますが、氏の書道風の筆致によりより自然な仕上がりになっていると思います。気持ちよい作品です。
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「響鬼」 振動型:.38氏
「仮面ライダー響鬼」より。 決して近くはない「響/鬼」の二文字の中間点をうまく探し出して仕上げられています。実際のタイトルロゴに似せたデザインなのもよいですね。
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「科学忍者隊ガッチャマン」 図地反転回転型:いとうさとし氏
1974年から放映された変身ヒーローアニメ。タツノコプロの代表作の一つです。 「科学忍者隊」「ガッチャマン」がそれぞれ図地反転回転型の作品になっています。「ガッチャマン」はカタカナで字形を崩すと読めなくなりやすいのですが、しっかり読めるようになっている配置が魔術的です。
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「僕のヒーローアカデミア」 鏡像型:ぺんぺん草氏
ヒーローと名の付く漫画といえばこれでしょう。種々メディア展開された人気作です。 本家ロゴに似せたステキな作品ですね。「僕/デミア」のハマり具合が楽しいです。本家ロゴのテイストでアンビグラム化できるかは運命的なところもあり、奇跡的な作品ともいえます。
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「秘密戦隊ゴレンジャー」 図地反転型:いとうさとし氏
所謂「スーパー戦隊もの」の第一作。集団戦隊ヒーローのフォーマットが第一作にして確立されました。 「秘/密」「戦/隊」「ゴレン/ジャー」がそれぞれ図地反転の関係です。対応付けの仕方に統一性がありながらどの文字の可読性も確保されており、さすが達人の仕事です。
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「シン・仮面ライダー/第1バッタオーグ」 回転共存型:兼吉共心堂氏
シン・仮面ライダーと、それに登場するショッカー上級構成員の対応。「第2~」でもできそうです。字画密度の差がある言葉同士を対応付けようという発想がいつもすごいと思いますし、それを作品に仕上げる力量が素晴らしいです。
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「五右ヱ門」 鏡像型:うら紙氏
安土桃山時代の盗賊の首長であった石川五右衛門、彼を創作材料とした作品は多くその中にはこの表記としたものもあります。 環状配置の作品ですが、上下左右に文字が配置される点が珍しいです。略字の「门」にしているのがぴったりですね。左に45度回転させると隈取のようにも見えてきます。
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「天下人」 鏡像型:.38氏
天下人は全国の政権を掌握した人のことで、ヒーローともダークヒーローとも見ることができそうです。 「天/下人」でシンプルな対応ながらパースをかけたようなデザインにより「天」第2画の短さと「下」の点の突き出しが自然に見えるようにしています。周りにある隠し文字もよいですね。
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「桃太郎」 回転型:オルドビス紀氏
おとぎ話のヒーローといえば桃太郎を連想する人が多そうです。 余る字画がほとんどなく仕上がっているのにも驚きですが、余った分も横画が細い様式と左上優先の法則の活用で全く気にならないですね。美しく素晴らしい作品です。
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「野茂英雄」 回転型:douse氏
「英雄」といえばこちらに発想を飛ばすのも自然。名前もさることながら野球選手としての実績もヒーローといってよいでしょう。 「野茂/英雄」がハマりすぎで気持ちよいです。作字としても最高ですね。ストレートとフォークボールを連想させるモチーフがステキです。
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「さらば一昨日殺人ライナー」 回転型:Σ氏
HACHI(米津玄師)の楽曲「パンダヒーロー」の一節。 巧みな文字組と掠れ処理の組み合わせで文字の切れ目をコントロールしています。中央の「日」を「昨」のひへんの字形と揃えているのは作字面でのこだわりですね。カッコいいです。
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「Q.17 ヒーローを右のコンテナに入れろ」 回転型:いんふぃにてぃ氏
パズルゲーム『Q』より、17問目からの引用とのこと。 180度回転型というのは解き方を示唆している、のでしょうか……? 発想の飛ばし方がさすがです。長い文字列への挑戦もよいですね。
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「痛みを知るただ1人であれ」 回転型:螺旋氏
シン・ウルトラマンの主題歌『M八七』の中の一節。映画の内容にマッチした印象的な歌詞です。 とにかく細かいところの対応をじっくり見てしまいます。特に曲線がきれいに調整されていてので見ていて気持ちよく、カッコいい作品です。
 最後に私の作品を。
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「英雄/悪役」 回転共存型:igatoxin
ヒーローと対立するものとしてヴィランが描かれますが、対極にあるものではないのかもしれません。
ヒーローがお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょう。皆さんの発想に触れヒーローとは何たるものかに思いを馳せ、幾重にも楽しめるものになったのではないでしょうか。お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は『ゲーム』です。ゲームから連想する語句、ゲームタイトル、ゲームキャラクター、なんでもOKです。締切は10/31、発行は11/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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kennak · 1 year
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「妖怪の孫」を観てきた。地元山口の雰囲気を知らないので、そこらへんを知る事ができたらと思って行ってきたのだが、予想以上に示唆的な内容だった。特に、切り取って投げ出される安倍発言の生の声から漏れてくるニュアンスが。それだけでも観る価値があると思う。 既に色々言われているが、根本には少年時代に構ってくれなかった母への怨念と、幼少時からの身体の不調があるという指摘になんとも言えない気分になる。母を見返そうという意識が祖父岸信介への傾倒と転化する。嫁恋しさのあまり世界を破滅させちゃったゲンドウを連想させるというか。 「自主憲法制定は、明治憲法を作った薩長が自分の憲法を取り戻したいということ」との指摘。これは“最後の殿様”徳川義親の「天皇主権の明治憲法は、薩長がすべての責任を天皇に押しつけて自分達が無責任な形で好き勝手するために作ったものだ」との認識ときれいに符合する。 https://shokabo.co.jp/column/matsu-59.html… 岸信介が明治憲法のバグ(閣内不一致は内閣総辞職するしかない)を使い東條英機の内閣を総辞職に追い込んだことを考えると、その岸が長州出身者として自主憲法制定の先頭に立ったことは皮肉としかいいようがない。そして孫以上に岸信介が、実は現在の日本の苦境に至る源流に位置していることに気が付く。 その意味では1957年1月の石橋湛山の脳梗塞発症と退陣、岸信介への政権交代というのが決定的なターニングポイントだったのだろう。石橋の脳梗塞は軽く、総理の座に粘れれば粘れたのだろうが、潔癖な石橋は決然と退陣して岸に政権を譲った。実に小さなことで、歴史の流れは大きく変わる。 統一教会関連は突っ込み不足。製作時期もあるのだろう。今ならもっと突っ込めると思う。また、時折挟まる妙なアニメは不要だろう。とはいえ、あのようなアニメが訴求する層もいるとは思う。 父・安倍晋太郎は「自分は岸信介の娘婿ではなく安倍寛(晋太郎の父、戦前に清廉潔白居士として知られた政治家)の息子だ」と言っていたという話。また、晋太郎と下関在住の在日朝鮮人との交流関係、このあたりは知らなかったなあ。晋太郎もちゃんと調べてみないといけない。
松浦晋也さんはTwitterを使っています
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alaephoenicis · 1 year
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死後に何が起こるのか?🕯️
前世の記憶があるロビン・カイザーさんの話
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オリジナル動画:https://youtu.be/dQARYL3BdCc
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
死が訪れた後、何が起こるのでしょうか。
誕生と死は、あなたの魂の旅において最も本質的な2つの転機であり、この境界を越えるときに起こる変容のプロセスは、通常、あなたが生涯で経験したどんなことよりも深淵で変容的なものです。
地上での身体的実体から離れたとき、転生した意識が何を経験することになるのか、その全体像を知るための旅に皆さんをお連れしたいと思います。
以下のシナリオはすべて違った形で表現され、体験されることもあるでしょう。なぜなら、死後に体験しうることの範囲は、根本的に地上世界での体験の範囲をはるかに超えているからです。
かつて地上には、死ねばどうなるのか問うことなど全くしない時代がありました。それは、自分の人生がそれらの世界からの延長線上で続いていることを当然のように洞察していたからです。
この問いが、多くの思想や思索、宗教的概念の出発点となったのは、人間が徐々に自己を忘れ去っていったからに他なりません。
多くの宗教は、人が魂の旅を続ける世界について洞察を欠き、それに応じて地上での生涯を枠にはめてしまうことに基づいています。
現代人が落ち着きや人生の方向性を完全に失ったのは、自らの転生の仕組みがわからなくなってしまったからです。
こうして、方向性が失われた状況の中で、少数の者たちには利益がありました。
地球上の人生なんて80年経てば終わるし、今まで生きてきたこと、経験してきたことはすべて無に帰する、と思っている人は、当然、自分の存在に不安を抱くでしょう。
また、自分がしてきた本質的な経験の層から、その意識というものを切り離すことが出来て���ないと、輪廻転生についての疑問を投げかけたりは出来ません。
転生に関する知識には科学的な証拠がありますが、これらの議論は、自ら創り出した経験世界の眠りから意識を目覚めさせるには、ほとんど役に立ちません。
というのも、地球上であなたを導く転生ゲームの魅力の一つは、まさにゲームのボード上の限界を見極めることができないことにあるからです。
あなたは、ボード上で転生へと導いてくれる道を心得ているし、また、あなたが亡くなった後に開かれる道も、すでに何千何万回と歩んできた道なので、熟知���ています。
同じスーパーにもう1000回も行っていれば、次に買い物に行くとき、いったいどうやって行くんだろう、買い物から帰ってきたらどうなっているんだろう、と思うことはないでしょう。
たとえ道中の経験が変わりやすく、他の存在に出会うなどして、毎回異なる自分を経験したとしても、道は常に同じです。
大袈裟な言い方をすれば、すべての魂は、人間として生まれるために、同じ宇宙の針の穴をくぐらなければならないのです。
そして、その入り口と地上の経験によって、出口となる門がどこなのか、その門からどのような道が展開されるのか、が決まります。
一生の間に経験したことはすべて、その人の退場の仕方に反映されます。このようにして、閾値の移行期に多くの人が表現する「人生の映画」現象が発生するのです。
意識は早送りで人生の主要な出来事に導かれ、個々の場面を健全な距離で再び観察するチャンスを与えられます。
人生映画は線状に構成されているわけではなく、人生の場面をその感情のエネルギーの連鎖の中で見せてくれるので、観察している意識にとっては、なぜある事柄がその人生の中で別の事柄につながったのかが明確になるのです。
ほとんどの場合、この段階にはすでにソウルグループからのガイドがいて、一緒に人生の連鎖を振り返ることができます。
この世の世界とあの世の間には、いわゆるバルド*と呼ばれる中間世界があり、意識は、それに応じて転生の用意をしたり、振り返って反省するために、そこを通過しなければなりません。
*Bardo :和訳は『中陰(ちゅういん)あるいは中有(ちゅうう)』:チベット仏教の教えで、現世と来世の間で起こりうる意識の状態を指す言葉。
生前に精神的、感情的な硬直状態に陥った人は、この中間領域に長い間留まり、魂が旅を続けられなくなることがあります。
例えば、肉体生活におけるある側面への強い執着が死後も意識の中にある場合、意識はそのレベルの経験に縛られたままになります。奇妙な話ですが、このように意識を肉体世界に閉じ込めている、非常に地上色の強い人の中には、肉体の死を全く意識せず、自分の死を否定することで生前のように暮らし続けている人もいます。
幽界からは物理的なものを動かせなくなったこと、そして他人に見られたり聞かれたりすることがなくなったことは、自らの死を受け入れることがあまりにも耐え難いため、単に無視されることになります。
もし、肉体がなくなるとすべてが終わると強く信じている上で、自分の死を否定してはいないなら、その考え方が原因となって、何も存在せず何も起こらないバルドに移動し、その魂は旅の途中でこのバルドから非常に長い間、抜け出せないままでいることがあります。
人為的に無にされているバルドに魂が逃げ込んでいる時、それは一種の遊休駅のようなもので、高次元の存在と混同してはならないものです。そこでは特別なものは存在しないし、特別な何かが起こることもありません。
経験を積もうと転生した魂の向上願望は、遊休駅に長く滞在することによって低迷し、自己否定の度合いを高めてしまうこともあります。
基本として、地上でその存在が具現化されている最中なのか、それとも他の状態にあるときなのかにかかわらず、存在自身に起こることは常に本人の信念によるものなのです。
そして、地獄行きを硬く信じてい生きている人ならば、そこで煉獄観を修正するのに大抵はそれほど長くはかからないとしても、自分が抱いた観念がすぐに結果として現れることを経験するので、死後に何が起こるかは明白なはずです。
つまり、永遠の煉獄というものは存在しないのです。
また、人間が生前に意識的・無意識的に魂を売ったり、ある契約を結んだとしても、その契約が有効であると信じなければ、その契約は超次元的な効力を持つことはありません。
物理的な次元を離れた存在が再び入ることのできる経験世界は無数にありますが、それでも大抵の場合、自分の内なる意識の状態に最も近い世界へと自動的に導かれます。
むしろ、前の地上界と同じような構造をしている近くの幽界に入る可能性の方が高いのです。
それは、地上での記憶がこの経験世界を作り出しているからであり、宇宙的カルチャーショックを引き起こすような経験世界に直面しないように、世界はとても慈悲深いものになっているからです。
ほとんどの世界では、突然その中に身を置いてしまうと、人間は深く揺さぶられ、怯えることになり、高次の天界にさえ恐怖心を抱いて反応し、自らのエネルギーシステムを閉じてしまうのです。
地上での活動を終えたばかりの存在のエネルギーシステムがある程度オープンであるためには、慣れ親しんだ環境が必要であり、ソウルガイドは、超自然的な美しさと慣れ親しんだ環境を兼ね備えた世界に新しく亡くなった人を招き入れ、そこでさらなる旅路の可能性を伝えることに熟練しています。
死後、海辺のビーチで美しい夕日を眺めるという体験的な空間に移動する人もいます。
また、山の高いところなど、生きている間に同じような体験をした自然の中にいる人もいます。
また、多くの愛する人々が登場する場合も多く、最初はただ地上の状況について語るだけだったのが、徐々に全く異なるレベルの経験が広がっていることが分かってくるようになります。
幽体を通して得られる官能体験は、少なくとも肉体を通して得られる体験と同じ鮮明さ、鋭さのあるリアリティを持っています。
初期の順応段階を経ると、終わったばかりの人生のフラッシュバックが何度も起こるもう一つの現実があり、すべての経験を魂レベルで統合するために、精神と情緒のレベルで人生を徹底的に解明することが目的となります。
死後、地上での経験は、意識作業によって、魂が吸収できる情報形式に変換されます。
経験豊かな魂であればあるほど、この統合と転換のプロセスはスムーズに行われ、人は高い意識からもう一度、地上での経験を歩むことができるのです。
人生の場面はどこでも何度でも再生できますし、そのとき、自分の目からではなく、その場面にいる他人の目から眺めるという体験ができる特別な機能もあるのです。
地上での経験を統合することの一端は、自分が自分の振る舞いについて帰結を導き出すために、相手の経験的な観点から自分が経験したすべてを追体験することです。
ある程度の自覚と洞察力があるならば、どの強姦魔も自分の行いを被強姦者の皮膚から体験することを自由意志で選択するでしょう。
そして、この視点の転換によって、それに伴う学習プロセスが始まり、カルマの均衡がもたらされるのです。
生きている間に、自分の言動をすべて相手の目から認識する者は、二元的な経験における片寄りから脱却することができるでしょう。
これ以上カルマを積み重ねることことなく、統合意識へより深く到達することができます。
自分本位で多面的に捉えることができない者は、転生後、人生のすべての場面をまさにその同時多面的に経験する意識に導かれます。
その意味で、死後、審判や評価の権威が存在することはなく、あなた自身が、拡張された知覚、すべてを包括する視点に基づいて自分の行動を評価し、あなたの価値観に従って、新たな人生設計を記すことになります。
もしかすると、転生後に自分が社会的、感情的な面で悲惨な失敗をしたことに気づき、特にその経験を克服することを含む来世の人生設計をすることになるかもしれないのです。
人生と人生が直列に擦り合わされるのではなく、自分自身でいくつもの人生をデザインし、いくつもの体験レベルに同時に浸り、それに応じて死んだ後で自分自身に出会うということもあり得るのです。
死後、他の世界で体験した自分自身と、何とも言えない深いつながりを感じる分身に出会う可能性が非常に高いのです。
魂の旅には、転生後に定期的に集まり、それぞれの世界での体験を伝え合う俯瞰的な場があるのです。
だから、あなたには死後、地上での経験を変換する任務があるだけでなく、それを共有し、あなたの多次元的存在の別の側面に地上での経験を伝える、という名誉も与えられているのです。
そして、これだけはすでに言えることです。地球学校を卒業した存在は、その完成度の高さから、宇宙の他の場所でも尊敬され、評価されます。
なぜなら、地上での体験は他のレベルの創造物にとって超然たる高い価値を持っているからです。
ある意味で、そしてある種の世界では、あなたが戻ってきたとき、祝福されることでしょう。
死の後、あなたの魂はずっと前からあなたの帰還の祝宴の用意をしているかもしれません。
この饗宴で、あなたは転生の旅の苦しみから完全に立ち直ることができますが、野心的で成長を望む魂の存在の中には、非常に早く別の具現化を決心する者もいます。
あの世の暦はまるっきり違うので、この世の暦で死んだ人が何日か後にまた転生してくるということもあり得ます。
しかし、魂が転生するのは平均して一世紀に一度程度です。
地球での生活が過酷なものであればあるほど、あの世での回復と再生の期間も長くなり、2世紀、3世紀を平気で飛び越えてしまう人もいるかも知れません。
ここで、もう一度強調しておきたいのは、異世界の多くは時間をも超越しており、昇天した者はどの時代に新しい人生を送るかを自由に選択できることです。
つまり、「いつ」「どこで」というのは、常にその人生設計に対応したものになるわけです。
人生設計とは、人がその可能性を現実するために、そして自らの潜在能力を実現するために、自己を滑り込ませることができる経験としての可能な枠組みのようなものです。
しかし、人生設計で重要なポイントが満たされなければ、次の人生設計に持ち越されます。 転生に高度なカルマを持ち込んだ人の多くは、長い人生設計に過去の転生でおろそかにしたポイントを抱えています。
人生設計のあるポイントを達成するために、魂からある種の圧力がかかることがありますが、その尺度は常に対処可能な範囲にとどまり、該当者が壊れてしまうほど高度なものになることはありません。
もし、人生における重圧が過度に耐えがたいものに思えるなら、その重圧はあなたの魂から来るものではなく、あなた自身が作り出したものであると断定してよいでしょう。
魂は、地上での経験をまったく別の目で見ています。なぜなら魂にとって、すべての経験は経験に過ぎず、あなたがどう評価しようとも、すべての経験はそれ自体で価値があるものだからです。
そして、肉体がなくなった後に再び利用できるようになるのは、まさにこの魂の景色なのです。
もしあなたが生きている間に、魂のレベルで観察することになるなら、とりわけあの世であなたに寄り添ってくれるような体験シーンが見えてくるはずです。
魂レベルとの結合は、この世とあの世の間の分離のベールを剥がし、特に肉体の逝去によって、私があなたに明かすすべてのことが、身体的存在としてのあなたに開示されるようにしてくれます。
もし生前のあなたが、魂的なレベルで物事を眺めていれば、あなたには、特にあの世に行ってから身近にもたらされるような経験の側面が見せられることでしょう。
魂レベルでの結合は、この世とあの世を隔てるベールを取り払い、特に身体的存在の逝去に伴って明らか��なるすべてのことを、あなたに開示するようにしてくれます。
このため、魂との神秘的な結合は、常に死のプロセスのように描写されます。
死後はどうなるのかという問いに対する答えは、魂との結合という「錬金術の結婚*」にあるのです。
*『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』:参考🔗
また、肉体の中で魂の生活を営む者は、肉体から離れても死ぬことはありません。
身体的な死のプロセスが始まると、人間という存在は自分をクラウン・チャクラを通して身体からリズミカルに押し出そうとします。
肉体に入ろうとするときも、肉体から最終的に離れようとするときも、人は針の穴のようなところを通らねばなりません。
そして、そこを通り抜けるには、それなりに労力が要るものなのです。
あなたをこの世の具現的姿へと生み出したエネルギー的ポータルである産道を、あなたは逆方向へ通って去っていきます。
そして、死は終わりに小さな光がある長い暗いトンネルである、と表現する人はすべて、このエネルギー的な誕生経路のことを指しているのです。
さて、皆さんの中には、死ぬ間際にこの光に焦点を合わせ、その中に入っていくべきだという説があります。
また、そこには輪廻転生の罠のようなものが隠されているから、光の中には一切入ってはいけないという説もあります。
幽界には、死者を地球の近くに留めておくために作られた、一種の捕獲網、あるいはエネルギーグリッドが確かに存在しています。
そして、特に地上のしがらみや 執着が残っていると、亡くなった人はそのグリッドにはまり込んでしまい、高次の領域が閉ざされたままになってしまうのです。
肉体が亡くなれば、魂レベルとのつながりが即座に完璧な形で実現されるわけではなく、人間は死後、やはり自分が生前に築き上げていた魂レベルに、ほぼ相当するつながりの深さを許容するしかないのです。
つまり、エネルギー的なアストラルグリッドや低い波動の存在圏から抜け出せるのかという基盤は、生きている間にすでに築かれています。なぜなら、具現化された状態からしか変えられないものが、確実にあるからなのです。
サッカーの得点も、休憩時間ではなく、試合中にしか変えられません。
あの世での休止期間中に、自分の人生のインサイダープレーを根本的に反省し、新しい戦略や計画を考案することはできても、人生をマスターするためには、具現化された土俵の上でしかそれらを実践できないのです。
ワンハーフが終わって光の方へ行くか行かないか、あるいは休憩中に何をするのか、それは次のハーフに間接的な影響を与えるだけです。
トンネルの先にある光は、幽界のグリッドが仕掛ける誘惑の罠ではありません。
そして、自分自身が純粋で、心がもつれていない人は、これらの層を問題なく突き進むことができるのです。
しかし、それは暗いトンネルでもありません。なぜなら、この世とあの世のあらゆる内的な感覚的現象は、意識から生み出されるからです。
あなたの生と死に寄り添う最も確かな道しるべは、あなたの心の声なのです。
そして、その心の声と深く結びついている者は、来世においても、あらゆる心のもつれや罠を乗り越えて、それに導かれていきます。
しかし、もしあなたが生きている間に、何度も何度も盲目的な自己忘却の罠に陥り、自分自身から自分を切り離していたのなら、自分自身と再結合することを学ぶ道に、あなたは死後、捕えられるのかもしれません。
あの世ではある程度の内なる分離が許されますが、その量が多すぎると、あなたは引っ捕まって地上の土俵に直に投げ出されてしまうことになるかもしれません。
人によっては、回想と再統合のための時間を比較的短く済ませることができる者もいます。
一方、輪廻転生を繰り返しながら、自己統合の道をミリメートル単位で進んでいる人もいます。
魂の旅は、8000メートル級の山々を上った道と同じ程度の距離であり、一度転生するたびに、その一歩を踏み進めたことになります。
したがって、海辺の砂粒の数は、あなたが具現化した魂の数よりも少ないのです。
それでもなお、自分の内なる魂と神秘的に結ばれることで、この旅を完成させる義務が。あなたにはあるのです。
そして、あなたが自らを忘れて生きる、ということは、もともと想定されていたことではありません。
元々、すべての経験は、一つの身体から次の身体へと引き継がれていくものでした。
そして、あなた方は自分の具現化したものが相互に関連し、どのように成り立っているのかを意識できていたのです。
それなのに、輪廻転生を介した学習と記憶の糸が極めて規則的に遮断されることで、あなたの具現化体験は全く異なったものとなってしまうのです。
具現化状態に入るとき、あなたの意識を覆ってしまう忘却のベールは、前述したエネルギーグリッドと関係があり、これはあなたの地球の周りに人工的な磁場を張り巡らせています。
Tumblr media
この磁場を中を魂がさまようことは、ある種の削除ボタンのようなもので、そのボタンがあるレベルで過去のすべての経験を記憶から抹消し、より高い波動のレベルへと移行させるのです。
冒頭でお話したバルドは、地球を取り巻く磁界層に存在する意識を抹消する空間です。
こうした消去空間において、存在は真に自分に属さないものはすべて失うことになります。
そして、自分自身の内なる意識の深いところに生き、自分自身と一体になった存在だけが、消去空間で自分を見失うことなく通過することができるのです。
異空間では、生前に自分と繋がれていたのかどうかが試され、繋がっていない場合は、再び具現化へと戻されることになります。
あなた方の大半は、自分の輪廻転生の記憶の糸についてほとんど認識していないにもかかわらず、あなた方の今生は、この糸とドッキングしている、あるいはそれを引き継いでいるのです。
そして、記憶の糸全体があなたの意識の中に再び現れる時は来るでしょう。
人生は常に途切れている形態では限られた意味��かなしません。あなたの記憶の糸が放つ光を、すべての人生の原点まで遡れば、あなたの存在の意味は疑いなく開かれていくことでしょう。
あなたの地球上での遊び場の境界が、磁気消去領域とともにどんどん溶けてくることで、あの世の記憶があなたの元へやってくるようになります。
閾値を越える際の遷移が、よりスムーズになりつつあり、かつては大きな一歩だったものが、現時点ではほとんど負荷がなくなっています。
この世とあの世、地上のものと霊的なものが今、あなたの中で統合されようとしています。
そして皆さんは、具現化した後に自分を待ち受けているものが何なのかも、無言のうちに深く洞察することができるようになるでしょう。
皆さんの中に生じる「死後はどうなるのだろう」という疑問が静かな内なる確信へと変わり、その疑問がまったく生じなくなるような感覚になれるよう、私たちの言葉をもって寄り添うことができたことを、心から願っています。
あなたという存在が、この確信に深く満たされますように
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iconomiccc · 1 year
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tagged by @katebvsh to list seven of my favorite films.I would like to thank my friends who always take an interest in me and care about me. I would be happy if it was an opportunity to meet good works. それぞれのタイトル下に解説文をつけました。ネタバレしているので嫌な方は読まないでください。I've added a commentary below each title. Please do not read if you do not want to spoil the content of the story. カラスの飼育~Cría Cuervos~ (1976) 高校生の頃にカヒミ(kahimi karie)のアルバムでカバーされていた「Porque te vas」という曲で知って見た映画。カヒミさんは主役のアナ・トレントが自分の幼少期のようでシンパシーを感じると言っていました。私も同じように感じたのかは初見時はよくわからなかったけど、とにかく湿度の高すぎる古めかしい屋敷の中の空気のように重く苦しいストーリーなのに、24時間ずーっと流していても気分が良い不思議な映画だと感じました。やはり自分の感性に似たものを感じて懐かしかったんでしょうね。 汚いことがたくさんある大人の世界に対する子供の鋭い視線、汚い世界で生きていて死んでしまった大好きな母親に対する愛、でも大きくなれば自分もその汚い世界に入っていくのだ、望む望まずに関わらず。それに対するどこまでもピュアな嫌悪感・拒否感が彼女を殺人に駆り立てたのではないだろうかと思っています。 アナの子供特有のスラリとしたお人形のようなスタイル、髪型、顔立ち、衣装、とても愛らしくて全て完璧。スペインの田舎の草原はどこまでも終わりがなく続いているようで、物語と同じく、救いなく連綿と続いていく人生のような寂しい風景だと感じました。 夢 (1990) 黒澤明とスティーブン・スピルバーグの合作。 高校時代の同級生に親が映画マニアで家に死ぬほどテープやDVDがある女の子がいて。その子と私がたまたま天気雨(狐の嫁入り)という気象現象に遭遇した時、私が「天気雨大好き!!」と言うと、「黒澤明の夢って見たことある?狐の嫁入り行列の映像があるんだけど、霧深い杉林の中で子供時代の黒澤明が狐に見つからないように隠れて嫁入り行列を見るの。その時の狐たちがリズムに乗って歩いていて、三歩に一度突然ぐわっと後ろを振り向くのが怖くてねー」って。 それがずっと記憶に残っていて、見てみたら最高でした。まさに私が思い描く通りの狐の嫁入り行列の映像化。見つかったら殺される、と言う緊迫感を忘れさせるほど幻想的なシーンで、何回も繰り返しみてしまう。 同時収録されているお雛さま人形たちが段々畑で実際の人間の大きさになって花吹雪の中舞い踊る話も大好き。黒澤監督が幼い頃にみた夢の映像化作品なので、ストーリーにあまり意味はないけれど、とにかく映像が美しいです。 The Addams Family (1991) 24時間ずーっと流してても苦にならない不思議な映画二作目。これもカヒミさん繋がりで知り好きになったもの。 中学、高校時代の私はカヒミカリィという人の感受性に痺れるようなシンパシーを感じていて、彼女が理想の姿でもあったけれど同時に全く自分と同じ悲しみを含んだ魂の形をしているなとひしひしと感じていました。懐かしい、いつも私が感じているもの、好きな感じ、落ち着く感じ。 カヒミさんはアダムスファミリーのようなお城で暮らしたい、世間と常識が真逆であっても家族の中では愛や信頼が成り立ち、幸せに暮らしていると言う姿が理想的とおっしゃっていました。アルバム「クロコダイルの涙」収録の「superfreak」はまさにその世界を彷彿とさせます。 私も赤い絨毯に蜘蛛の巣のはった不気味な古城に暮らしていた前世があると思う。世の人の不気味に思うものが私の美を感じるもの。 お気に入りキャラはイケてるいとこのモップさんとペットの賢いハンドくんです。可愛すぎ。 Nell(1994) ジョディ・フォスター主演。ノースカロライナ州の深い山奥、美しい、湖のほとりにある木でできた家。そこに住む言葉が不自由な現代版狼少女のネルと医師のジェリー、心理学者ポーラ三人の心の交流・家族愛が不器用に育つ過程を描いた物語。体は大人だけど心は幼児でもない、小さな子猫でもない、不思議な存在であるネルと関わることで、常識の中で生きてきた普通の大人の男女二人が、一人の生き物としてそれぞれネルを守ろうと変わり始める姿に胸を打たれる。 私はなぜか小さい時から泉や水辺で水浴するという行為やシーンがとても好きなのですが、ネルが夏の夕方、森の中の湖で泳ぐシーンがすごく好きです。なんだろう、体が溶けて揺れて大気と水と一体になるような陶酔感。 真っ当に育った人間ではない存在であるネルが社会に復帰するために街に出るシーンは人々の好奇な目線やからかいに胸が苦しくなるのだけど、それをも乗り越えて人生は変化をし続けながら続いていく。目と心を世俗の汚れから洗ってくれるような作品。 Digging to China (1998) 実家にいた時衛星放送で偶然録画してすごく気に入った作品。まず登場人物全員の衣装やメイクや背景が半端なく可愛くて感心する。(一番の推しは主人公のお姉さんが妹捜索時に着ていた透明に白のドットの雨ガッパ) 思春期前の少女と知的障害ゆえに少年のような心を持った大人の男性の不思議な友情を描いた素敵な作品。 リボンのついたキャンディーのように可愛くて、でも油断してたら包み紙で手を切ってしまって血が滲むような、なんとも言えない純粋さと可愛らしさが混ざった妙味ある童話みたいな映画。大好き。 かぐや姫の物語 (2013) あまりにも打ちのめされるので気軽に繰り返し見たいという作品ではないけれど、強大な力を持っているので選ばざるを得ない。 鬱病から社会復帰するときにリワーク施設に通っていて、そこでのプログラムで映画鑑賞というものがあり、月に二、三回スタッフさんの持ってきたDVDを見ていて出会いました。 もう、上映後は泣きに泣いて震えて頭が働かないくらい衝撃的でした。 このDVDを持ってきた支援員さんに、私が泣きながら「○○さん、これ。私、わかった」というと、彼女も目を潤ませながら笑顔でうなづいてくれたことを覚えてる。 これは竹取物語という昔話の単なるリバイバルではなく、「この地球で生きるとはどういうことなのか」「人間は死んだらどうなるのか」を描いた物凄く重い作品です。 これは、「この世に生まれてきて、自分を愛してくれた両親が望む娘の幸せと自らが望む幸せが合致せず、親のためにとひたすら自分を殺し続けた結果、苦しさに耐えきれなくなり自殺に至る娘の生涯」を描いた作品なのです。 姫が帝に抱きしめられて瞬間移動ができているのは、もう半分死の世界に行っているからです。生身の人間にあんなことはできません。最後に月の使者が迎えに来るのは文字通り死の世界からのお迎えです。兵士たちの放つ矢は全て花になってしまう。死の前にはどんな権力も力も通用しません。 羽衣を着てしまえば地球でのこと(生きていた時のこと)を全て忘れる、躊躇した姫に親の愛で動けるようになったおじいさんとおばあさんが駆け寄ったとき、「ととさま、かかさま!!」と泣きながら振り返り、二人に抱きつきながら「離れたくない!!」と叫ぶ姫のセリフは、「死にたくない!!」という生への執着、生への恋慕の叫びなのです。 死んだら無の世界に行きます。生きていた頃の記憶は全て忘れて、喜びも痛みも悲しみも何もない光に満ちた世界に行くのです。 姫が地球を飛び立ち、宇宙を月に向かって進んでいるとき、ふっ、と振り返って青い地球をかえり見たとき。一粒涙を流したのは、喜びも悲しみも苦しみも全てが咲いては枯れ、沸き起こり、繰り返されている、生の世界の営みを愛おしく思う心の表れでしょう。 今生きていることが途方もなく尊いことだってことは普段、忘れてしまいがちなのですが、見た後にそれを思い出して自分を抱きしめたくなるような凄い映画です。 中国の植物学者の娘たち(2006) フランスとカナダ合作映画。監督は中国の方ですが同性愛を描いた作品のため中国では撮影許可が降りず、ベトナムで撮影されたもの。 映像も俳優さんたちも風景も全てが物凄く美しいけれど、物凄く悲しいストーリー。二人の愛が本物であったが故に、その愛の花が咲く大地が中国であったというだけで最後、二人は死刑にされてしまいます。 私は植物が好きなので画面に溢れんばかりに写り続ける緑と水と土の香りにとても癒されます。二人が出会い、互いに恋心を抱くようになり、少女のような淡い確かめ合いの時期を経てむせかえるような花と緑の中で激しく結ばれる。しかしその愛はこの人生では許されないものだった。関係が露見した二人は不幸になり、周囲から孤立し、ラストは死に別れるというとても辛い結末。 人間の幸福とは、国家とはなんなんだろうか?考えざるを得ません。 私は異性愛者ですが、幼い頃から同性愛者の人たちに不思議なシンパシーを感じていました。なんなら、そこらじゅうに在る異性愛よりも日の目を見ない同性愛の方が純粋であるとも思っていた。 どうして、同じ性別の人を愛しただけで罰せられなければいけないのか理解不能でした。愛の感情は人間に等しく与えられているものなのに。 見た後悲しくて胸が潰れそうになるので、これも気軽に何度も見ようとは思えないけれど、しかし心に残る作品です。
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hummingintherain · 1 year
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12月11日(日)|200.96 letter
 まだまったく陽の気配がない、夜のような朝に起き上がった。夜明け前が一番暗いとは、そういえば手垢にまみれた言葉があった。自分から発される言葉は、ほぼ手癖100%なので手垢にまみれているどころか手垢で構成されているように思う。要は上手ではない。書きたいことを書きたいように書いているだけで、寝起きに書いた文は深夜の文の次に信用ならない。書いていくうちに徐々に覚醒していく。つよく冷え込んでいて、暖房をかけるとどこかから流れこんでくる冷気のほうを敏感に察知する。
 昨日を思い出す。早いうちに畑に行って大根を収穫しおえた。土は水分を保ったままでやわらかかったが、この寒さでは先週蒔いた種が土から顔を出しているはずもなかった。ただ昨日は陽射しがずいぶん暖かかった。畑仕事を終えた後で倚子に腰掛けてしばらくぼんやりとしていると陽のあたる部分が明確に熱をおびた。暖かい日は体調が向上しやすい。そういえば思い出したけれども昨日は朝から頭が痛くて、気圧のせいかと思ったら夜から朝にかけての気圧グラフを確認したところまったく関係なさそうで残念がりながら鎮痛剤を飲んだのだった。だから朝から体調は不安だったのだけれど、薬で充分に治まったし、早々に畑に行けたのだから悪くはなかった。そんなわけで体調が普通くらいで安定してくれることを期待して帰宅したら少し休んで絵を描いた。午後に小説を書くかふたたびスラムダンクを観に行くか迷ってどちらも選べるように家から出ようかとぼやぼや検討しながらTwitterを何気なくひらいたら、フォロワーさんがリツイートしていた中日新聞の記事を発見した。防衛省がAIを活用し、ビッグデータとインフルエンサーを利用して、SNSなどを通じて防衛省にとって有利となる世論を人々の間に拡散させ、情報操作し、特定国への敵対心を高め、反戦・厭戦機運の払拭をはかろうしているとの報道だった。こんな重要な情報は本来機密事項として水面下でこっそり行われてナンボではないかとも思ったけれども、これが事実であれば、戦争がいつ起きてもいいように大衆を管理していこうという魂胆があまりに透いてみえる。マイナンバーをはじめ、つくづく行政は、デジタル技術を市民の生活向上ではなく都合よく市民を管理するほうへと使いたいらしい。もうこんなにも見えやすいところまで腐ってしまったのか。あまりに今更な実感だった。そして私が最近強く嫌っている国家権力や極端なナショナリズムが、入り込んできてほしくはない内側の領域にまでどんどん浸蝕を試みていると恐怖した。いや、無意識のうちに侵襲されているのかもしれない。私の心は、生活は、本能は、生理的な流動は、ほんとうに私のものだろうか。誰かが意図的に操作したものではないだろうか。なぜなら私は容易に影響を受ける。疑り深いようで、その実ころりと信用する。権威に噛み付けるほど元気でもない。私は私の見ているTwitterのフォロワーを信頼しているけれども、惰性でトレンドをスクロールするのも嫌いじゃないので、過激な思想に交通事故のようにぶつかってしまって勝手に弱ることはまあまあある。
 無意識下に流されていってしまう可能性や、意図的に権力側が心までも支配しようとしている状態に震えた。それは小説を書いたついでに映画を観るかどうかで迷っていた脳天気さを簡単に破壊するような攻撃だった。それはそれとして目の前を楽しむと割り切るだけの強さが私にはなかった。だからしばらく記事を前にして動けなくなり、SNS全体も、国家も恐ろしくなっていく。難民についての本や映画を思い出す。私はその気になったら、日本を飛び出せるだろうか。たとえば今、飛び出せるだろうか。飛び出せるとしたら、どこにいくのだろうか。安直に検索にかけてみる。ワーキングホリデーや留学、なんだかとても心地の良いものとしてデザインされたサイトが並ぶ。アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、フランス、……どれも全くぴんとこなかった。家族について、考える。仕事について、考える。目の前の本棚に並んでいる大量の本について、考える。実際、今、すぐには飛ぶのはリスクと天秤にかけて難しい。
 戦争には反対だ。戦争に繋がりうるところから、正反対のほうへと歩いていきたい。それは別段特殊な考えでもなんでもないのだけれど、どうやら本流はそうとは限らないらしい。
 こんな腐りつくしてカビまみれの出がらしのような環境をすぐにどうこうできるわけもなく、個人が影響を与えられるはずもない。他者を変えるのは難しい。私ができるのは逃げるだけ。
 恐怖に支配されること自体が、もはや防衛省そして政治家の意図ではないか。恐怖でたやすく人を管理できるのは、既にあまたの犯罪が証明してきた。事実、恐怖し、思考は止まった。調子がよく続きを書くのが楽しみな小説も、強く心をゆさぶられた映画も、恐怖の前には停止した。このままではいけないと、ひとまず身体を動かせと、胃を満たせと、理性が声をかけてきて、ポメラを持って家を出た。歩きながら、大事なものは本の中にたくさんあるし、なにもSNSの反射的な情報が欠けていてもぜんぜん生きていける、と思った。それでニュースレターを作ろうと思った。植本一子さんが、Twitterを凍結されてもニュースレターがあったことで現在地をしらせていて、あれはとてもいいなと思っていた。そういったものをやりたいとは考えていたが、正直なところ有料化での発信を検討していて、ただ、お金について考えて足踏みしていた。またお金だ。お金は好きだが、お金のことを多く考えているということはお金に支配されている状態であり、そしてそのお金の悩みで堰き止められている状況が自分事ながらかなりばかばかしくなった。
 外で生姜焼き定食を食べ、スターバックスに入ってコーヒーを飲み、Twitterからどんどんずれていくための算段をポメラで打鍵した。ビジネス、価値、お金儲け、サブスクリプション、税金、文明社会コッテコテの、お金をまきあげて作り上げていこうとする経済の流れに疲れた(サブスクが苦手なのはいつのまにか払っている税金みたいだからかもしれない、と今ふと思った)。誰かを疎外して成り立っている豊かさモドキにも疲れた。そして管理しようとしてくる存在にも疲れた。そんなことより私は安心して制作したい。書きたい。とはいえ完全に社会から離れることはできない。だからちょっとずつずれたい。自分を守るために切実にサバイブしたい。自分の感受性くらい、と茨木のり子の声がする。自分で守れ、ばかものよ。そうだ、私はばかものだ。しかし国家もどうしようもないばかたれだ。世界中のばかたれのせいで、経済はめちゃくちゃだし命は危機に晒されるし、深刻に病んでいる。全体的に病気にかかっている。だから元気がないのも当然だ。元気がないままでも、安心したい。どんどんおかしくなりたい。おかしくなって、国家を指差して爆笑したい。しかしぶっちゃけそんなことはどうでもいいので、そっぽを向いて私は書き続けたい。作り続けたい。リアルなてざわりを求めたい。
 Twitterからちょっとずつずれていく算段を、文章化することですこしばかり安心して、なんとか多少は小説をすすめようと思ってファイルを開いて執筆した。その後月と六ペンスに向かって、こんな時は坂口恭平だなと思って先日買った『継続するコツ』を読み、なんだかこの方向性は間違っていないと思って少しばかり強くなった気持ちになった。錯覚でもよかった。香山哲の『プロジェクト発酵記』を読んでいる途中で閉店五分前になってお会計した。
 帰宅したらニュースレターに着手した。最近みかける日本発ブランド「The Letter」はビジネスパーソンの雰囲気がしこたまに感じ取れて微妙だったので、日本語対応していないけれども見た目にかわいげのある「Substack」でひとまず立ち上げた。作っているうちから、「また新しいことやるの?」「また道を逸れるの?」「何度も飽きてきたのにこりないよね」「自意識過剰もたいがいにしなよ」と内側の声が乱れてとんできて、恐怖心ともまざってすっかり胃が痛くなっていた。ひとまず一晩をこえて考えようと思った。そうして一晩をこえた。書くうちに窓の外が白みだした。今日早起きしたのは、布団の中でまた記事のことを思い出して恐怖に苛まれたからでもあったけれども、自分を制御する面白みを思い出したいのと、これ以上感受性の無駄遣いするのはよそうと思ったから。
 風になればいい。自分を風だと思えば、場所をうつろうのも、ここではないどこかを常に求めるのも、同じところに居座るのが苦手なのも、なにもかも変じゃない。今日も外の風はつめたい。雲がぶあついけれども、視線を上げれば部分的にベージュの光がこぼれていて、低空は雲がいっそう薄く、オレンジの長い筋が見える。太陽が近い。
 自分をあたためたい。大丈夫だよ、失敗したって途中でやめたっていいじゃない、本当に大丈夫だ。すでに自傷も含めて味わった。あなたは自由だ。なにも問題ない。
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cellophanemaryjane · 2 years
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私にもサブカルのこと書かせて-番外編(タモリと山田邦子)
スタジオボイスでナンシー関が連載していた「信仰の現場」の、笑っていいともを見に行く回が面白かったです。今でこそタモリは権威主義なオタクに愛されるキャラクターになったけど、その頃は俗にいう「男の更年期」時代でタモリもピリピリしたところがあったし、ちょっと笑っていいともとかダサいよねという空気が一部にありました。あんなにつまらなくなって終わったのに、最終回のインパクトのせいなのか喉元過ぎればということなのか「すごい番組だった」「終わらなくてもよかったのに」とか言ってる人たちを見ると、大衆というものはなんて現金なんだろうと思います。
タモリのことで私がすごく驚いたのは、その頃お笑い芸人としては最もエッジーな存在だったダウンタウンが司会をしている生放送の特番で、秘密のゲストとしてタモリが電話をかけてきてクイズを出すという場面でのことです。生放送でちょっとバタバタしてるところへもって、タモリが突然ダウンタウンに向かって「お前ら俺のこと馬鹿にしてんだろ」と言ったのです。ダウンタウンの2人はタモリがそんなこと言うなんてまったく思ってなかったようで、「そんなことないですよ、してませんよ」とふざけずに返していました。あれにはびっくりしましたが、あの頃のタモリにはそういうところがあった。
タモリがお昼に出るなんて信じられない、と言われていた頃は私もリアルではわからないのですが、その頃のタモリを森茉莉が「ドッキリチャンネル」でけちょんけちょんに貶していたのは読みました。森茉莉はタモリの見た目がどうしても受け付けないと書いたのに、却ってタモリから対談を申し込まれてしまいます。森茉莉は「あんなに見た目が無理って書いたのにババアだと思って舐めやがって」と憤り、再びどこがどういうふうに受け付けないかを書いて断りました。
私はこの件に関して、お茉莉はちょっと誤解している、と思っています。一視聴者である私の意見としては、タモリという人は飲んだりする時、バカでもなんでもいいから若くてきれいな女がいればいい、というタイプには見えないのです。きれいな人はもちろん好きだけど、例えブスでもババアでもおっさんでも、話のわかる面白い人といる方が基本的にはいい、という男の人に見える。(こういうタイプの男性はたまにいる)そして森茉莉はまさに話は面白そうだし、無理やり相手を持ち上げたりしない人だし、タモリが会ってみたいと思ってもおかしくありません。
それからずっと経って私も笑っていいともをほとんど見なくなったのですが、たまたま見ていた時にクイズのコーナーで「森鴎外は何のお茶漬けが好きだったでしょう」という問題をやっていたことがありました。正解はもちろん「葬式饅頭のお茶漬け」なのですが、鴎外はそのことを文章に残していなかったみたいで、森茉莉の文章が紹介されました。その時タモリはたまに見せることがある、まわりの反応はどうでもいいからこれだけは言うぞという表情で、「俺答え知ってたんだ。娘の茉莉さんも作家なんだよ。」というようなことをやけにキッパリと言ったのです。もちろん周りは「…へぇ〜」という感じ��した。私はそれを見た時に、やっぱりタモリは森茉莉に自分の見た目を気持ち悪がられたことなんて気にしてなかったんだなと思いました。
私は最近の明石家さんまやビートたけしを老害扱いして、タモリを「いい年の取り方をしている」と持ち上げる風潮が苦手です。いい年の取り方なんて他人に決められたくない。私は男の更年期の頃のタモリの方が好きだったよ。笑っていいともで、急に黙ってカエル逆立ちするタモリ。ジャングルクッキングで、お題の料理を作るのに手を貸さず、その辺の材料をなぜか置いてある七輪で炙って「この方がうまいよ」って言ってたタモリ。
そしてもう1人、山田邦子。山田邦子がサブカルだったことは一度もないのですが、私はなぜか好きでした。(だからここからはサブカルではなくただの90年代のテレビの思い出です)
とはいえ、さすがの私も「やまだかつてないTV」の時は見放しかけました。それにその頃は笑っていいとも同様、山田邦子とかゴールデンの番組はダサいよねみたいな感じがありました。そして「やまかつ」が終わり好感度が下がっていき、サブカル的には「イジってもいい」ような感じになってしまいました。しかし、その頃山田邦子はテレビで料理や手芸を披露するようになり、リング型のバウムクーヘンを半分に切って背中合わせにしてからデコレーションする「シャネル風ケーキ」や、ダブダブのTシャツ2枚を縦につないで作った「上下どちらからも着られる服」など、個人的には忘れられない作品を生み出していた頃でもあったのです。
また、山田邦子はその頃もっとも終わった存在扱いだった田原俊彦のことを何だかんだ言って理想のタイプ、大ファンと言っており、情に厚い人なんだなぁと思いました。そして当時大人気だったドラマ「愛していると言ってくれ」を見て、女子という女子がトヨエツトヨエツと言っている中ひとり「私は見守ってくれるケンちゃんがタイプ」「ケンちゃん好きなんだけどな…」と言っていたのも印象に残っています。山田邦子は、あのドラマで豊川悦司が演じた「麻のシャツをサラッと着こなしサンダルで歩いているような男性」というタイプに何か思うところがあったようでした。
その頃山田邦子と森公美子がほとんどコンビのような感じで出ていて、この2人の姿は当時十代後半だった私に、決して正統派の美人ではないけど都会の自立したモテる女というイメージを植え付けてくれました。わかりやすい美人だけがいい女なわけじゃない、という価値観は今でも私の中にバッチリと残っています。その後どうも不仲になったようで寂しいです。
そして再びですが森茉莉も「ドッキリチャンネル」で素敵な文章を書いていました。まだ絵描き歌のネタなどをやっていた頃の山田邦子について、なにかいい食事を奢ってやりたくなる、彼女と出かける時は素敵な男性に変身してやりたいが、彼女は私とでも喜んで来るだろう。あの子はそういう子だ。美人ではないがしっかりした男性ファンがいるだろう、とかいうような文章で、とても良かったのです。
それから土曜の昼下がり、ラジオで「涙の電話リクエスト」を聞くのも好きでした。私が山田邦子を嫌いになれない一番の理由はこの番組を聞いていたからだと思います。昭和の歌謡曲のリクエストと、相方であったアナウンサー「さくちゃん」との掛け合いはとても楽しかった。ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」がかかった時にさくちゃんが「こういう曲を聴くと麻のシャツとか着て旅行に行きたくなる」と言ったら、山田邦子はまず、さくちゃんの顔が濃いのでサラッとしたシャツは似合わないと言った後に、煮え切らない言い方でしたがそういうスタイルはあまり好まない旨を発言していて、トヨエツのドラマでの役の件といいなんかあったんだろうなぁと思いました。私もああいう男性は特に好きではないので、それだけかもしれないけど。
この番組は妙にフォークのリクエストが多くて、村下孝蔵や「雪」「春うらら」「さなえちゃん」などがかかっていました。こういう曲は「涙の電話リクエスト」を聞いていなければ知ることがなかったと思います。
そしてさだまさしの「案山子」がかかった時、山田邦子がポツリと「なんかヤな歌だな」と言ったのには驚いたと同時に激しく頷きました。私もさだまさしとそのファンが大嫌いです。この2つの存在があるせいでこの世が良くならないんだと思っているぐらい嫌いです。「パタリロ!」のあるエピソードの中で、谷村新司のことはいくらハゲと書いても何も言われないのに、さだまさしのことをハゲと書くと苦情が来ると書いてあって、さだまさしのファンはなんていやらしいんだろうと思いました。私もピート・タウンゼントやジェイムズ・テイラーのファンですが、彼らがハゲてないなんて考えたこともありません。ハゲてても素敵だってなぜ言えないんだ、そういうの良くないぞ。
それはさておきこの頃の山田邦子の面白さを分かち合える人が全然いなくて悲しい。
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shintani24 · 1 month
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2024年4月2日
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【地震情報】 4月2日 4:24 震度5弱 震源:岩手県沿岸北部 M6.1 深さ約80km この地震による津波の心配はありません。
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シリアのイラン大使館に攻撃、イスラエル空爆か 革命防衛隊幹部ら死亡(ロイター)2024年4月2日
シリアの首都ダマスカスのイラン大使館周辺に1日、イスラエル軍によるものとみられる攻撃があり、イラン革命防衛隊の上級司令官が死亡した。レバノン治安筋がロイターに対し明らかにした。写真は4月1日、イスラエル軍によるものとみられる攻撃を受けたダマスカスのイラン大使館周辺で撮影(2024年 ロイター/Firas Makdesi)
[ダマスカス 1日 ロイター] - シリアの首都ダマスカスのイラン大使館周辺に1日、イスラエル軍戦闘機によるものとみられる攻撃があった。イラン政府はこの攻撃で上級司令官3人を含む7人が死亡したと発表。イランは厳しい対応を取るとしており、イスラエルとの緊張が高まっている。
イラン革命防衛隊は声明で、精鋭部隊「コッズ部隊」の上級司令官モハンマド・レザ・ザヘディ氏を含む軍事顧問7人が死亡したと発表。イラン国営メディアによると、同国政府はザヘディ氏が標的だったとの見方を示している。
シリアのミクダード外相は「ダマスカスのイラン外交施設を標的とし、多くの無実の人を殺害したこの残虐なテロ攻撃を強く非難する」と述べた。
イランのアクバリ駐シリア大使はこの攻撃で負傷していない。国営テレビに対し、外交官を含む最大7人が死亡したとし、イラン政府は「厳しい」対応を取ると述べた。
米紙ニューヨーク・タイムズはイスラエル当局者4人の話として、イスラエルが攻撃を実行したと認めたと報じている。
ロイターの記者は、大使館に隣接し、倒壊した領事関連の建物のがれき上で救急隊員が捜索に当たる様子を目撃した。現場ではシリア外相や内相の姿も見られたという。
シリア国営メディアは軍関係者の話として、イスラエルがゴラン高原からイラン大使館周辺を攻撃し、シリアは防空システムでミサイルのうち数発を撃墜したと報じている。
イスラエル軍の報道官は外国メディアの報道にはコメントしないとした。イスラエルは長年、シリア内のイランの軍事施設などを標的に攻撃を繰り返しているが、大使館周辺が攻撃を受けたのは今回が初めて。
イラン国連代表部は攻撃が「国連憲章、国際法、外交・領事施設の不可侵という基本原則に対する明白な違反だ」と断じた。また「地域の平和と安全に対する重大な脅威」だとして国連安保理に攻撃を非難するよう求め、イランは「断固とした対応を取る」権利を留保していると述べた。
レバノンの親イラン武装組織ヒズボラは「敵が罰と復讐を受けることなくこの犯罪が済まされることはない」と報復を表明した。
イラクやヨルダン、カタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)などイスラム諸国のほか、ロシアも攻撃を非難した。
米ホワイトハウスは今のところ直接コメントしていない。
米国務省のマシュー・ミラー報道官は定例記者会見で、米国は「地域的な紛争のエスカレーションを引き続き懸念している」と述べた。また、イランの支援を受けているハマスが拘束している人質の解放を巡る交渉に影響は及ばないとの見方を示した。
髙岡豊(中東の専門家 こぶた総合研究所代表)解説 他国の領域への攻撃や占領、外交団への攻撃、全て「国際社会」の安寧のために許されないことです。特定の主体には何してもかまわない、特定の主体だけは何してもとがめだてされないという状態では、そもそも「国際社会」なるものが存在する意義すら危うくなります。現実には「国際法」なるものの履行や尊重を強制できる機関は存在しないので、(政治的・軍事的に)強いものが好き放題やる、というのが「国際社会」というものです。その中で各国がどう生きるか必死に模索する姿が「国際政治」だと言えるでしょう。レバノンのヒズブッラーも今般の犯罪は懲罰なしにはすまされないとの声明を発表しましたが、イランやロシアを計算に入れたとしても彼我の力の差は明白であり、反撃としてできることは極めて限られているでしょう。
高橋和夫(国際政治学者/先端技術安全保障研究所会長)解説 イスラエルは一線を越えたのだろうか。同国にしてみれば、この前日の同国南端の都市エイラートに対するドローン攻撃でイランの方が先に一線を越えたとの見方だろうか。エイラートは、イスラエルでは唯一の紅海に面する港湾都市である。これまでイエメンのフーシー派のミサイル攻撃などを受けてきたが物理的な損害はなかった。今回は、死傷者こそ出なかったが、海軍の施設が損傷した。防空システムが突破されたわけだ。
この攻撃は、イランではなく、イランの支援するイラクのシーア派によるものだったのだが。イスラエルにしてみれば、そうした微妙な差異は重要ではないだろう。
イスラエルはイランが全面戦争を望んでいないという認識で、ある意味では計算されたリスクをとったのだろうか。あるいは、イランを挑発して報復を誘い、それを言い訳にレバノンのヒズボラに対する大規模な攻撃を開始したいのだろうか。イランの次の一手が注目される。
小山堅(日本エネルギー経済研究所 専務理事・首席研究員)解説 万が一、イランとイスラエルの関係が緊張し、衝突の方向に向かうような事態となれば、中東情勢の混迷と流動化は一気に深刻化する。原油価格もそのリスクに反応して上昇していく可能性がある。4月1日、指標原油WTIの先物価格は83.71ドルと、昨年10月27日以来の高値となった。最近の原油価格上昇は、地政学リスクの中でもウクライナによるロシアの製油所へのドローン攻撃などが牽引役となっていた。今回の事態で、再び中東情勢が市場関係者の注目を集めることになる可能性が十分にある。今後のイランの動きを始め、中東情勢から目を離すことはできないだろう。
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シリアのイラン大使館攻撃、大統領がイスラエルへの報復表明(ロイター)2024年4月2日
4月2日、 イランのライシ大統領(写真)は、シリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館周辺が空爆され軍司令官など7人が死亡したことを受け、イスラエルに対して報復すると表明した。テヘランで2月撮影。WANA (West Asia News Agency)提供(2024年 ロイター)
[ドバイ 2日 ロイター] - イランのライシ大統領は2日、シリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館周辺が空爆され軍司令官など7人が死亡したことを受け、イスラエルに対して報復すると表明した。
国営メディアによると同氏は「抵抗戦線の意志を打ち砕くことに失敗したシオニスト政権(イスラエル)は、自国を救うために再び無差別的な暗殺を実行した」と非難した。
その上で「イスラエルは目標を達成できず、この卑劣な犯罪が報復を受けることを知らなければならない」と強調した。
イランの国営メディアは、シリア人6人を含む13人が死亡したと報じている。
イスラエルのガラント国防相は、イスラエルを脅かす者に代償を払わせるため、中東全域で「多面的な戦争」を展開していると表明。ただ今回の攻撃については言及しなかった。
イランのアブドラヒアン外相は2日、米国の利益代表部を務めるスイス大使館の担当官を呼び出し、シリアのイラン大使館に対する攻撃に関して米政府の責任を追及。米国のブリンケン国務長官は訪問先のパリで、米政府はこの攻撃について事実を確認しようとしていると述べた。
グテレス国連事務総長はこの攻撃を非難。報道官によると、全ての関係者に対し「最大限の自制を行い、広範な紛争につながる可能性のある一段のエスカレーションを避けるよう」呼びかけた。
高橋和夫(国際政治学者/先端技術安全保障研究所会長)補足 イランの革命防衛隊の幹部が殺害されるのは初めてではない。2020年に同様の事件がイラクであった。革命防衛隊で最も著名な人物であったカーセム・スレイマーニー将軍がアメリカのドローン攻撃で殺害された。イランは報復せざるを得なかった。しかし、イランもアメリカも戦争は望んでいなかった。そこで両国の間で「アウンの呼吸」の調整が行われた上で、イランはイラクのアメリカ軍基地にミサイルを発射した。イランのミサイルは基地内の将兵のいない施設に正確に命中した。イランは報復したというポーズをとり、アメリカは犠牲が出なかったというので、反撃は控えた。戦争は回避された。
こうした微妙なやり取りはイスラエルとイランの間では、望むべくもない。イスラエルが北部で戦争の準備をしているとの報道も気にかかる。イスラエルは、イランを挑発して報復を誘い、レバノンのヒズボラと戦争を始める口実としたいのではないか。心配だ。
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「新幹線に物を投げた人がいる」カップ麺入った買い物袋など投げつけた疑い「乗りたかった」男(34)を逮捕 山陽新幹線「さくら」運転取りやめ 約5600人に影響(RCCニュース 4月3日)2024年4月2日に追記
広島県警は3日、兵庫県姫路市の自称自営業の男(34)を新幹線特例法違反の容疑で逮捕しました。
警察によりますと、男は2日午後6時52分ごろ、広島市南区の広島駅ホーム内で走行中の新幹線にカップ麺の入った買い物袋などを投げつけた疑いが持たれています。
男は警察の調べに対して「間違いありません」と容疑を認めたうえで、「この新幹線に乗ろうとしたが発車したので投げつけた」「この新幹線に乗りたかった」などといった供述をしているということです。
JR西日本によりますと、2日午後7時前、広島駅の係員から「広島駅に停まっている新幹線に物を投げた人がいる」という内容の通報がありました。
JR西日本は警察に通報するとともに、広島駅に停車中の鹿児島中央行き「さくら565号」の車両確認を行ったところ、車両の上部からはカップ麺のようなものが見つかったということです。
「さくら565号」は運転を取りやめたほか、九州方面に向かう列車に最大で40分の遅れが出て、約5600人に影響が出たということです。「さくら565号」に乗っていた乗客392人にけがはありませんでした。
男は姫路市から九州に向けて移動中で、投げつけた袋の中にはペットボトル、和菓子、カップ麺などが入っていたということです。
警察が動機など詳しいいきさつを調べています。
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bailonglee · 2 months
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武装する教団 信長とイエズス会|茂木誠
youtube
面白い話だった。
我が日本の政治の流れなのですが、政治と宗教、これは常に、完全にリンクしている…
まず、日蓮の話。
[法華経だけ信じていればいい。]
南無“全てを捨て”妙法蓮華経“法華経に委ねる”
そして、浄土真宗が出てくる。
日が沈む辺り、極楽浄土がある。
南無“全てを捨て”阿弥陀仏“阿弥陀様に委ねる”
この2つが出てくる。
これは何か?
[他力本願]
である。
そして、浄土真宗親鸞は、人とは弱いもんで、欲望だって認めよう、そんな考えから、肉食をし、妻を娶った。
時は16世紀〜17世紀。
この動画で出てきた話に、驚いた…
この流れは、ルターの宗教改革に似ていると。
そもそもルターの改革の動機は、免罪符。
ローマカトリック教会は、当時のドイツで、大量に免罪符を販売し、お金を集めていた。
その事に疑問を持ったルターが、ローマ教皇に反発、破門。
ルターはしかし、キリスト信仰を止めず、これが“プロテスタント”誕生の流れである。
「何を言ってる!宗教と政治は関係ない!」
いやいやw🤣、
政治=宗教みたいなもんですw🤣✨
今の岸田政権。
創価学会池田大作が亡くなった際、総理大臣としてのコメントを出し、話題となった。
そもそも、安倍元首相、麻生太郎、石原慎太郎まで、「日本会議」のメンバー(石原慎太郎は、途中から抜けた)。
「日本会議」とは、生長の家谷口雅春が創始者。
整理。
支配層と、沢山の庶民がいた。
卑弥呼、
聖徳太子、
鎌倉時代(戦国時代)。
鎌倉時代は、“禅宗”であった。
日蓮の教え、法華経こそが真理、法華経以外は邪教、間違い。
南無妙法蓮華経だけとなえろ。
まさに創価学会そのものw
創価学会では、
「今日100回南無妙法蓮華経を唱えました!✨」
を自慢しあってるのを、幹部から聞いた。
親鸞。
南無阿弥陀仏、人間どうせ欲望の塊、死んだら極楽浄土に連れて行けと、祈るw🤣
鎌倉時代、禅宗。
己を高め、磨け。
室町、一休和尚。
織田信長、延暦寺惨殺。
豊臣秀吉、極端なグローバリズム、刀狩。
江戸時代、参勤交代、士農工商、権力分散と、どこかカーストをオマージュした。
明治維新、フリーメイソン。
あらゆる宗教をまとめる流れの、道院からの、世界紅卍。
そして、国連、グローバリズム。
それは、キッシンジャーはまるで教祖として存在した、新しいグローバリズム…
それは、パンデミックをして、更にグローバリズムを強化した。
現在。
このグローバリズム教がw🤣、まだまだ猛威をふるい、人々を追い込んでいるw🥸
答えは1つしかない。
天上天下唯我独尊、己を知れ!
私は、何だろう、私を愛し、私を知れ。
戦いとは、同化である。
同化せず、調和しろ。
己を知る。
調和する。
その上には、
太陽
という、ただ与える存在がある。
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takahashicleaning · 2 months
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TEDにて
リーナス・トーバルズ:Linuxの背後にある精神
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
リーナス・トーバルズは、テクノロジーを2度変革しました。
インターネットを支えるLinuxカーネルで1度、そして、世界中の開発者が使うソースコード管理システムのGitによってもう1度。
TEDのキュレーターであるクリス・アンダーソンとのこの珍しいインタビューで、トーバルズは仕事や技術や人生に対する彼独特の考えの元になっている性格的特徴について驚くほどオープンに話しています。トーバルズは言います。
「私はビジョナリーではなく、エンジニアです。歩き回って雲ばかり眺めている人々と一緒にいるのは、まったく問題ありません。でも、私の方は地面を見ていて、目の前にある穴をどうにかしたいと思っています— 落っこちる前に」
奇妙な話です。あなたのソフトウェアであるLinuxは、何百万というコンピュータの中にあり、インターネットのかなりの部分を動かしています。さらに、実際に使われているAndroid端末が、15億台くらいあって、その1台1台にもあなたのソフトウェアが入っています。
これはすごいことでその開発本部ともなれば、さぞ大層な施設なんだろうなと思っていたので、この写真を見たときは、びっくりしましたよ。これが、その、Linux世界本部なんですよね?
質素で大したものには、見えませんよね。この写真の中で最も興味深く多くの人が反応する部分は、あのトレッドミル・デスクです。私の仕事場で一番興味深いものですが、私はもう使っていません。この2つは関連していると思います。
ここにコンピュータ本体は写ってなくてディスプレイしかありませんが、私が自分のコンピュータについて主に気にかけるのは、そんなにパワフルでなくとも良く、それはそれでいいんですが、まったく静音である必要があります。
Googleで働いている知人がいて彼らは自宅に小さなデータセンターを持っていたりしますが、私はやりません。私の仕事場は、およそ退屈なものです。私はそこに独り静かに座っています。
驚きですね。そのような働き方をしながら、この巨大な技術の帝国とも呼ぶべきものを運営できるというのは、オープンソースの持つパワーの見事な証明と言えるでしょう。
Linuxを始めたのもそうです。Linuxは共同プロジェクトとして始めたわけではありません。自分のためにやっていた沢山のプロジェクトの1つとして始めたものです。
欲しいものを作ろうとしてのことですが、それ以上にプログラミング自体を楽しんでいました。道のりの最後の目的地には、25年経ってもまだたどり着いていませんが、私は自分自身のためのプロジェクトを探していたのであって、オープンソースというのは私の視野には入っていませんでした。
そのうちにプロジェクトが大きくなって、人に見せたくなりました。それは 「ねぇ 僕の作ったもの見てよ!」 というのに近く、当時は本当に大したものではありませんでした。公開はしましたが、その時点ではオープンソースではありませんでした。
ソースは公開していても、現在のような改良していくためにオープンソース手法を取るという意図はありませんでした。それは、むしろ 「半年これに取り組んできたんだけど意見を聞かせてほしい」 というものでした。
すると他の人たちが寄ってきました。ヘルシンキ大学で当時は主に「フリーソフトウェア」 と呼ばれていた。オープンソースをやっている友人がいて彼が教えてくれました。
オープンソースライセンスを使うといいよと。そういうのが既にありましたから、私はしばらく考えていました。商業的な利害が出てくることを懸念していたんです。
始めようとする人の多くが抱く、不安の1つは、自分の成果を誰かに食い物にされるんじゃないかということです。
私が話した技術畑の人は、みんな仕事の仕方を大きく変えたとあなたのことを高く評価しています。それにはLinuxばかりでなく、「Git」というのもあります。ソフトウェア開発管理のためのシステムです。
それに関して、あなたの果たした役割を教えてください。
「Git」は、私にとって2番目の大プロジェクトですが、それはただ自分の最初の大プロジェクトを維持管理するために作ったんです。それが私の仕事の仕方なんです。
ただ楽しみのためにプログラムを書くこともありますが、私は役に立つプログラムを作りたいんです。だから、私のプロジェクトはどれも私自身が必要としていたものでした。
私はシリコンバレーに7年住んでいて、その間ずっとシリコンバレーの同じ会社で働いています。そんなの聞いたことがない。シリコンバレーはそういう所ではありません。シリコンバレーの要点は、人が職から職へと跳び回ってまぜこぜになることでしょう。でも、私はそういうタイプの人間ではないんです。
さっき、自分の成果を食い物にする営利的な人々への怖れという話をしましたが、すぐに分かったのは、そういう商業的な人たちが、実に感じの良い人たちだということです。私がまったくやろうとも思わない様々なことをやり、私とはまったく違う目的を持っています。
彼らが、オープンソースを使おうとするやり方は気に入りませんでしたが、オープンソースなので、彼らはやることができて実はその組み合わせが見事に機能するんです。同じ仕組みなんだと思います。そういう人たちも時と場合によっては、必要なんです。
テスラ対エジソンというのは、テクノロジー分野では言い古された感がありますが、テスラはビジョンを持った科学者。すごいアイデア・マンとして見られていて、みんなテスラが大好きです。その名を会社名にしている人たちもいます。
もう一方のエジソンは、もっと凡俗で悪く言われることが多いです。そして、彼の最も有名な言葉というのが、あの 「天才とは1%のひらめきと99%の努力」です。私はエジソンの側なんです。
みんなはあまり好きでないかもしれませんが、2人を比べたとき、テスラは近頃の人の心を掴んでいますが、実際に世界を変えたのはどちらでしょう?
エジソンは、いい奴ではなかったかもしれません。いろいろやっています。そんなに知的でなく、ビジョナリーではないかもしれません。でも、私はテスラよりはエジソンに近いと思います。
(個人的なアイデア)
日本で先進的にGoogle Glass、EMOTIV EPOCを使用して国会、都道府県議会、市議会、役所の全員が装着、五感と脳波を透明化。fMRIでイメージも共有すれば透明な心を持つ真の素晴らしいリーダーがお金がなくても誕生するかもしれません。
GitHub型でリアルタイムに管理。市民に全部公開したら、もしかして世界初になる革命的なことになるかもしれませんね。これで政治面から
調整なしの自動的な共同が最速で可能になります。ディープラーニングの人工知能で自動的な統合も将来的には光速まで可能になります。
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に���これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
グレッグ・ブロックマン:ChatGPTの驚くべき可能性の裏話
マット・カッツ:シリコンバレーの技術屋が行政府で働くとどうなるか?
ヘイリー・ヴァン・ダイク:政府支出を年に何百万ドルも節約している技術者集団
クレイ・シャーキー:インターネットが (いつの日か) 政治を変える
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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honyakusho · 4 months
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2024年1月29日に発売予定の翻訳書
1月29日(月)には26冊の翻訳書が発売予定です。
レザー・デュークの秘密
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フランク・グルーバー/著 中川美帆子/翻訳
論創社
奇妙な捕虜
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マイケル・ホーム/著 マイケル・ホーム/著 福森典子/翻訳 福森典子/翻訳
論創社
スリーパー・エージェント 潜伏工作員
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アン・ハーゲドーン/著 布施由紀子/翻訳
作品社
マジカル・ノルディックタロット
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ジェーン・ウォレス/著 ハンナ・デイヴィス/イラスト 福山良広/翻訳
ガイアブックス
フロイト著作集第7巻
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ジークムント・フロイト/著 懸田克躬/翻訳 小此木啓吾/翻訳
人文書院
ひとつの大きなプレゼント
大西裕美/著・翻訳 加納由美子/イラスト 葉山祥鼎/監修
林田印刷
かわいいアジアの洋館
タチアナ・キルディシェワ/著 西山志緒/翻訳
エクスナレッジ
わたしたちの権利の物語 第2期 人間の権利
ルイーズ・スピルズベリー/著 トビー・ニューサム/イラスト くまがいじゅんこ/翻訳 杉木志帆/監修
文研出版
屍衣にポケットはない
ホレス・マッコイ/著 田口俊樹/翻訳
新潮社
「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室
キャスリーン・フリン/著 村井理子/翻訳
新潮社
ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集
エルンスト・ラウパッハ/著 カール・シュピンドラー/著 ゴットフリート・ペーター・ラウシュニク/著 ルドルフ・ヒルシュ/著 ヨーゼフ・リッター・ヴィーザー・フォン・メーレンハイム/著 フランツ・ゼーラフ・クリスマー/著 森口大地/編集・翻訳
幻戯書房
影響力の科学 ビジネスで成功し人生を豊かにする最上のスキル
ジョン・レヴィ/著 小山竜央/監修 島藤真澄/翻訳
KADOKAWA
ネイティブが教える 日本人研究者のための論文英語表現術 文法・語法・言い回し
エイドリアン・ウォールワーク/著 前平謙二/翻訳 笠川梢/翻訳
講談社
ビザンツ帝国の歴史 : 政治・社会・経済
ジャン=クロード・シェネ/著 根津由喜夫/翻訳
白水社
三十九階段
ジョン・バカン/著 エドワード・ゴーリー/イラスト 小西宏/翻訳
東京創元社
飛蝗の農場【新装版】
ジェレミー・ドロンフィールド/著 越前敏弥/翻訳
東京創元社
香水のすべて イラストで読み解く香りの文化と歴史
新間美也/翻訳 ジェレミー・ペロドー/イラスト ジャンヌ・ドレ/編集 ジャンヌ・ドレ/編集 ほか
翔泳社
ネコになりたかったクモのルイージ
ミシェル・ヌードセン/著 ケビン・ホークス/イラスト 福本友美子/翻訳
岩崎書店
国境と人類: 文明誕生以来の難問
ジェイムズ・クロフォード/著 東郷えりか/翻訳
河出書房新社
レッド・アロー
ウィリアム・ブルワー/著 上野元美/翻訳
早川書房
細胞‐生命と医療の年代記‐ 上
シッダールタ・ムカジー/著 田中文/翻訳
早川書房
細胞‐生命と医療の年代記‐ 下
シッダールタ・ムカジー/著 田中文/翻訳
早川書房
しょっぱい塩にご用心!(たべものの中にいるよ!) 3
パク・ウノ/著 チョ・スンヨン/イラスト 尹怡景/翻訳 家庭科教育研究者連盟/著
大月書店
シャーロット・ブロンテ : 過去から現在へ
パッツィ・ストンマン/著 樋口陽子/翻訳
彩流社
民主資本主義の危機
マーティン・ウルフ/著 小川敏子/翻訳
日経BP 日本経済新聞出版
反事実と因果推論
S. L. Morgan/原著 C. Winship/原著 落海浩/翻訳
朝倉書店
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kennak · 1 year
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今年3月、地元の神奈川県川崎市で開かれたある会合で、山際大志郎・前経済再生担当大臣はこう言って笑ったという。 【独自】逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カットを公開する  岸田文雄総理は、総選挙の腹を固めた。上昇に転じた政権支持率は、広島サミットでもう一段上がる。勢いに乗じ、6月の国会会期末に解散を打つ―自民党はそんなシナリオを描いている。  だがそこには、大きな誤算がある。旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合、以下統一教会と呼ぶ)の問題が決着していないことだ。岸田総理は「もう皆、忘れただろう」と思っているかもしれないが、大間違いである。  川崎市内を歩くと、至るところで奇妙な光景が見られた。岸田総理の顔が載ったポスターの横に、別のポスターが剥がされた跡がある。地元の自民党支部関係者が言う。  「4月の統一地方選の直前、支部に『山際さんのポスターを剥がしたい』『ウチも統一教会のシンパだと思われたら困る』『こんなことになると分かっていたら、(自宅の周りに)ポスターなんて貼らせなかったのに』という支持者からの連絡がどっと増えました」「裏切られた」の一言photo by gettyimages これまで山際氏は自身と統一教会の関係について、後援会の役員や大口の献金をしている一部の支持者にしか詳しい事情を説明していない。多くの一般支持者は、詫びの一言すらない山際氏に失望を抱いているのだ。  山際氏が支部長を務めてきた自民党神奈川県第18選挙区支部に、毎年数万円の寄付をしてきた70代の男性が語る。  「初めて会った時の彼は好青年だった。ずっと応援してきて大臣になって、これからと思っていたのにガッカリだ。統一教会と関係があったと知っていたら、寄付も応援もしなかった。裏切られた、の一言です。  せめて秘書だけでもお詫びに来れば別だけど、本当に一切ない。自分が出た(教団の)会合を『報道を見ると、出席していたようだ』なんて、説明の仕方も白々しいよ」  同市内に住む60代男性も「もう自民党を支持するのをやめようかと思っている」と憤る。  「地元の支持者向けに、一言『今まで隠していて申し訳なかった』と謝罪する場を設ければいいのに、なぜやらないのか分からない。統一教会の会合で海外にまで行くくらいだから、簡単には関係を切れないのかねえ。  このままでは、仮に自民党が次の選挙で別の候補を立てるとしても、じゃあその人に入れようとはなりませんよ」
木原誠二、萩生田光一、山際大志郎…「統一教会との深い関係」を指摘された政治家たちの地元選挙区民のヤバすぎるホンネ(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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bigyokushoten · 5 months
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イーユン・リー『理由のない場所』から広がっていく(美玉ラジオ#32)
今回起点にしたいイーユン・リー『理由のない場所』翻訳は篠森ゆりこさん、河出書房新社から刊行されています。
篠森ゆりこさんが英語の翻訳者だということからもわかるように、リーは北京出身の作家ですが、英語で執筆しています。
母語ではない別の言語で執筆する作家は結構いて、その動機は人それぞれですが、リーに関しては母語を捨てたという認識で、それはある種の自殺とも言っています。
リーは1972年生まれで、大学進学時にアメリカに留学して生物学を学びます。博士課程に進み免疫学を学びますが、このままでは一生後悔すると感じ同大学の創作科に転科します。博士号まであと1年というときでした。
それからリーはたくさんの文学賞を受賞する作家になります。イギリスのブッカー賞という世界的に権威ある賞の選考委員を務めたりもしました。
しかし彼女は2017年の秋に息子を自殺で失ってしまいます。
この作品は息子が亡くなってから数週間後に執筆を始めており、内容も自殺した16歳の息子とその母親の会話です。
自殺した息子との会話ですから、なんか霊的なものとか母親の理想で埋め尽くされているとか、もしくは絶望に心を砕かれそうな悲しい内容を想起してしまうますが、これはそのどれとも違います。
本文中でも
”時間と縁を切ることで息子と対峙する。
神や霊の世界ではない、私が考え出した世界でもない。
それは言葉だけでできた世界。映像も音もない。
これは物語を書くことだ”と言っている。
息子も母親もとても言葉に注意というか敬意を払っていて、それゆえに読み応えがあって抜群に面白い会話になっているんです。
息子はとてもクールなんですよね。16歳の男の子はこうでなくちゃという感じもするけど、
本文で
”こういうことが起こるかもしれないとわかっていたのに、なんで子どもを作ったんだ”という問いかけがある。これは息子が自殺する可能性だってあるとわかってたのになぜ子どもを作ったんだということなんですけど。
それに対して母親は
”どれだけ感傷的な人でも多少の希望は持ちたがるものなのよ”
”都合の良い考えって言うんじゃないの。ママが言ってるその希望はさ”
とにかく辛辣。読んでみるとわかりますが、これは母親を嫌っているのではなくて、母親を対等なものと感じていて信頼しての発言。
この本の帯には”息子を亡くした実体験に基づく衝撃作”という文言が載ってたりして、これに惹かれる人はそのままどうぞお読みくださいって感じなんだけど、この帯文にちょっと「うっ……」ってなってしまう人も「ちょっと待って!それで読まないのは余りに勿体ない」と思うわけです。
私なんかは実感の伴わないものを理解する力があまりないので、どうしても自分の興味のある方へ作品を引き寄せちゃうタイプなんですけど、そういう変な読み方を今回もしました。
私は本作に登場する16歳で自殺した息子ニコライをサリンジャー的な人物だと感じていて、サリンジャー的人物というのは「やけに自己が出来上がっているマセた子供」と捉えています。
さっきニコライの母親は時間と縁を切ることで息子と対峙するって言いましたけど、16歳で自死した息子は時間を失っているんですね。
小説の中には時間を失った個性的な子どもが沢山いて、ラノベとかメフィスト系の作品にやっぱり顕著かなと。サリンジャー作品にもそれを感じるから、私にとってサリンジャーはお気に入りのラノベみたいなところがあります。
『ナインストーリーズ』や『フラニーとズーイー』でお馴染みのグラース家、その中でも長男シーモアは時間を失っている。(彼は大人といえる年齢ではありますが)長男のシーモアは「バナナフィッシュにうってつけの日」の主人公で有名です。この短編の最後にシーモアは唐突に拳銃自殺を図るわけです。
小説家の佐藤友哉がサリンジャーのパロディとして発表したのが同名の『ナインストーリーズ』という作品で、こちらに登場するのもグラース家を文字った鏡家の子供たち。こちらでシーモアにあたるのが長女の癒奈姉さんで、彼女もやはり自殺してしまう。
シーモアも癒奈も長子らしい大らかさはあるものの、理解し難い行動や発言を繰り返す人たちで、あれほど圧倒的な存在感を持つ人たちが誰も理解できないままこの世を去ってしまうと本当に頭が?で埋め尽くされてしまって、それ以上考えることができないんですね。考えてもわかんねーやってことで、私は二人のことが大好きなのに、何故か理解しようと思ったことがなかったのです。
だけど理由のない場所のニコライの言葉が私の意識を変えます。
”変えようがない長所や短所があったらそれを貫き通すべきじゃないかな”
なんかはっとしました。ニコライとシーモアと癒奈はそれぞれ全然似ていない(そもそも年齢全然違うし)、でも彼らの自死は何かを貫いた結果なのだろうと急に思ったんですよね。
とにかくシーモアや癒奈姉さんの人となりにもっと近づいてみたいなと思っています。癒奈の兄弟たちの会話にも、次女の稜子が弟の創士に「理解できない人間はいないのよ」って言っていて、再読したら妙にそこで胸が熱くなりましたね。
ところで『理由のない場所』は母親の視点で語られる作品です。
冒頭で
私はルールを作る白の女王ではないし、ルールに従って生きるのを拒むアリスでもなかった。私は説明のつかない悲劇に普通の子供が消えたことを悲しむ普通の母親だった
と言う文章がある。
ちょっと脱線しますが、夏に野田秀樹の舞台『兎波を走る』を観に行ったんですけど、これも不思議の国のアリスが下敷きになっていて。
あらすじは元女優が自分の所有する寂れた遊園地で、幼い頃に母親に読んでもらった不思議のアリスを上演したい!と熱望して劇作家を雇って上演するというもの。劇作家はどれも頓珍漢で劇もデタラメなんですが、現実パートと劇中劇のパートがどんどん混同してい来ます。
現実パートの遊園地の迷子センターに一人の母親が子どもを探しにくる。でも母親は子供の特徴をうまく伝えられないから相手にされない。それでも母親は劇中劇の中を割って入って娘のアリスを奪還しようとする。愛しい娘と何かを伝えたそうな兎を追いかけ続ける母親。
段々と劇は不穏な場面が増えてきて、足を高く上げて歩く軍人や女王のための悪夢のような式典のシーンが続く。
やがて観客は、この作品は拉致被害者とその母親、そして彼らへの償いを果たそうとする亡命した元工作員が繰り広げる、暴力的な理不尽と深い喪失の物語だと気づくんですね。これもまた時間を失った子供と刻一刻と過ぎる時間の中を生きるしかない母親の物語でした。
これは新潮という雑誌で戯曲が読めるので是非。戯曲だけでも破壊力抜群で素晴らしいのでバックナンバーを取り寄せるなり図書館行くなりして読んでください。
話を元に戻しますが、グラース家でも鏡家でも両親の存在は結構薄くて、まぁ鏡家の方には意外に出てくるんですけど、とにかく普通の親という印象しかなかったんですよ。これまでは。
だけど私も歳を取ったので、さっきの舞台もそうですけど、完全に母親側の視点で物語に入り込んじゃうんですね。そうすると、若い頃の私が下した普通の親だろっていう決めつけは随分雑だなって感じてきました。
しかも私が佐藤版ナインストーリーズで最も好き、かつ全小説史の中でもトップレベルに美しいと感じたシーンが、母親が娘の頭上にドーナツをかざして天使の輪を作るシーンなんですよ。あのシーンが本当にめちゃくちゃ好きなのに、どうして当の母親に対してあんな雑な解釈ができたんだと自分が怖くなりますね。こんなにも手に負えない子供たちを母親はどう思っていたんだろうって、そういうのを思ってリーの文章を読むと心がぶんぶん揺さぶられます。
これは別にナインストーリーズの登場人物の人となりを理由のない場所から補完しようって話ではないです。だって全然違う人たちだし。
でも、こうして全然関係ない作品から大好きな作品を楽しむためのヒントをもらえるって言うのは結構感動的でした。
私はイーユン・リーという人が生み出すフィクションの力に、それはそれは大きな信頼を寄せています。どんな読み方をしても良いし、どんな読み方をしても、必ず読んだ者の中に強く残る物語を生み出す人なのです。
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chaukachawan · 6 months
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激重役者紹介
まりおです。まとめるのが苦手なので支離滅裂です。なので文量はバラバラです。もっと短く素敵な言い回しがあればいいけど、ない。言う機会ここしかないなって思ったんです。マジで激重です。まじですみません。
〇佐々木モモ
ころねさん。ラブ!!我らが座長って書こうとしたけど、ころねさん=衣装の長のイメージ。新歓の時、布持ってこれ安かったの!!の笑顔が忘れられない。
役者のころねさんは、ずっと向き合って答えを出してるイメージ。かっこいいなって思って自分も真似してみたけど上手くいかない。難しい。答えのない問いに逃げ出したくなる。それを毎公演やってるんだから凄い。できない。読み方から歩き方まで使えるもの全部で役を作っているのをずっと覚えてる。
役でガッツリ絡む事って実はすごく少ない。だから何がきっかけでこんなに仲良くしてもらうようになったっけって思うけど、思い出せないぐらいいっぱい話した。でも足りない。いつだって会いたいしお話ししたい。実は先輩像の目標はころねさんです。全然出来てないけど。ころねさんみたいな先輩になりたかった。近づきにくいことはなく、後輩から頼りにされて、でも適度な距離感で見守ってくれているころねさんが目標でした。こんな先輩になれたら素敵だろうなって思ってた。
きっと娘枠はなすかに取られるので、孫枠を狙っていきます。どんな時も「う〜んそうか〜頑張ったね〜」って言いながら頭を撫でてくれるころねさんを求めてる。私のメンタルの支えだった。本人はそうは思ってなさそうだけど、不安があっても大丈夫!!って言ってくれるころねさんに間違いなく支えられた。あの包容力がなくなったらどうなってしまうんでしょう。もうやっていけないよ!!!
〇黍
きびさん。多分バレてると思いますが最後だから言わせてください。大ファンです。大好きです!!!いっぱいお話ししたいのに、お話しする内容がなくていつも困る。お話したいのに!!!きびさんといると、自然とテンポがゆっくりになるというか、目まぐるしく回ってるときに緩やかにブレーキがかかって急行から鈍行になる感覚になります。私が今まで出会った人の中にはいなくて、いつだって新鮮。
実はオムニの時から一緒。実は最初はちょっとだけ怖かったです。おそらく稽古場よりも仕込み週の方が話してる。でも楽st後の「おつかれ~」って笑顔で言ってるきびさんに完全に落ちました。今では何この人、おもろ!!です。きびさんのコメディ見たかったな~。まだ見れないか期待してます。脚本も演出も演技もきびさんの作る世界観がすごく好き。ずっと見ていたくなる。願わくばもう一度だけきびさんの脚本に出たかった。去年の外公の時はただただ楽しいだけで何も見えてなくて、終わったあとに気づいたあの奥深さを表現したい。きっと力不足なんだろうけども。
きびさんにしか出せない雰囲気、場の持たせ方、動き方、読み方、真似出来ない。絶対に追いつけない。それでもこれからも密かに勝手に追いかけます。支えになってたって言ってたけどそんなことは絶対にない。でも1ミリでもなれてたら嬉しいです。
最後に照明。仕込みめっちゃ楽しかった。あんなに仕込みが楽しみだった理由の8割は照明のおかげです。シュートでテンション上がってるきびさんを見れたのは照明班の特権だと思ってます。木彫りと怖い話の照明が1番好きです。キャスパは三原色。ストロボほんとに天才。色んな面で尊敬しています。またスイーツ食べに行きましょう。
〇君安飛那太
コルクさん。コルクさんって「君安飛那太」感凄いですよね。フルネームで呼びたくなる感じ。ついにおじさんとおばさんになっちゃった。
この人は役の作りこみが凄い。そしてそれを表現しきる演技力もずば抜けてる。動きがすごく上手い人だからそっちに目が行きがちになるけど、どのシーンも役の感情が深くまで考えられていて、こう思ってるからこの動きの順序がわかりやすい。もしや感情が分かるから動きも上手いのか?なんだか命題みたいになってきましたね。33期唯一の役者皆勤賞?間違いなく毎公演、どの役でも輝いていた。今年に入って、この人は脚本っていう外せない枠組みの中で最善策をとにかく追い求めてるなって思いました。どんなに手詰まりでも何とかしようと模索し続けてるのがコルクさんなのではと最近思う。特に呼吸の第3幕、第2回通しからゲネでここまで変わるかってぐらい変わってた。悩んでる場面に遭遇したけど、こうしたらああしたらって色んな案が出ていて尊敬しかありません。もっと同じシーンに出たかった。掛け合いが超楽しい。もっと共演したかったなあ。あとはキャスパ。もっと踊りたかった!!
ちなみにこれ書いてる時にSpotifyがたまたまだれかの心臓になれたならをかけてきました。奇跡ですね。
〇坪井涼
ごこさん。未だにカラスのイメージが強い。発声中よくカラスの動きしたら真似してくれる。でもこの前ごこさんから「まりおちゃんよく発声中にやってくるよな」って言われた。気づかれていたのは悔しいですね。
ごこさんは発声えぐいイメージ。普段のよく通る声がそのまま舞台上で聞こえる。ごこさんのシーン始まったな〜って幕裏で毎回思います。可愛い役が多いし、実際とても似合うけども、えげつない発声でただ可愛いだけの印象じゃ終わらない役に進化させてる。
加えて言語化が上手い。これはどの人に聞いてもそう返ってくると思う。稽古場が滞った時に今の問題点を的確にまとめてくれる。マジで助けられた。初めは扱い方というか(先輩にすみません)冗談のラインが分からなかったけど、ほぼ100%冗談って分かってからはすごく楽しい。ごこさんの返しは誰にも真似出来なくて秀逸です。いつか上手く返したい。何回かごこさんに動きや読み方を褒めてもらって、それが凄く嬉しかったのを覚えてます。どストレートに褒めてくれるから本当に嬉しいんです。ありがとうございます。
〇握飯子
クオリア��ん。ご飯行きましょう。とりあえずこの前のリスケしましょう。クオリアさんは頼り上手で頼られ上手です。本当に相談しやすい。でもいつの間にか相談されてたりするから面白い。
クオリアさんは天才です。がむしゃらの天才。秋公でそれを改めて実感しました。セリフ読みに悩んで1度読んでもらった時や、大集前でシーンを見てもらった時、悩みがすっ飛びましたね。なんで解決策がわかるんだ。演出やったことある人はやっぱり違うのか。私的にシーンに難航してる時の解決策が思いつくのが演出のスゴイところだと思ってます。それが遺憾無く発揮されましたね。そして役にずっと悩んでいらっしゃった。いつ見てもみそかとシーン練してた。これは今回だけじゃないけど。凄いや。久しぶりに稽古場でクオリアさんを見て、あ、クオリアさんだな〜ってなった。クオリアさんの不憫な役大好きです。今回のさやちゃん、外公のゆうちゃんみたいないじめられっ子とはまた違う微妙な塩梅がクオリアさんにしか出せないと思う。尊敬です。いつか習得したい。いっぱい教えてもらったけど、まだまだ、もっと教えてもらいたいことが沢山ある。時間が足りないよ!!!
〇えどいん
えどさん。役者と衣装班のイメージがごちゃまぜです。いつもマントとコルクさんの衣装作ってますね。もはや専属。
関わりがなかったようで関わりがあるようでなかった?いやあるなって感じです。共演こそあまりですが結構話したのでは?稽古場ではひたすら自分のセリフを深めてた。ハマった時が超強い。個人的に33期の方は特化型が多いように思いますが、一番特化型だと思ってます。他の人が出来ない役を出来る人。1番好きなのは外公の山田です。外公の「帰れ」の写真が一番好き。一番本人の味を役に出せる人だと思います。縁の下の力持ちの人。しれっと作業にいるし、しれっと衣装作ってるし、しれっと存在感を残してます。全てその前後の記憶がないからしれっとです。
〇梅本潤
しあらさん。不憫ですね〜不憫ですええ。こんぐらいいじってもまあ許されるでしょう。めっちゃ関わった気がするのに実は共演ほぼしてないんですよね。まじで意外。それぐらい大変お世話になりました。
さすが舞監と言うべきか、安心感がすごい。締め方と抜き加減がバランスよくて、周りも気張りすぎずに頑張れる。しあらさんが舞監ってだけで仕込みや本番前などの雰囲気も良くなってました。仕事しやすいし、気になったことを相談しやすい。上に立つ人の雰囲気ってすごく重要だと個人的にはおもってますが、もう完璧にこなしてた。きっと人柄なんでしょう。コント、共演出来て良かった。確か去年の外公でツッコミのしあらさんと絡みたいと書いた気がします。まさかコントになるとは。まじで嬉しかった。やって思ったのはしあらさんって普段からツッコミしてるなって思いました。違和感なかった。コント練習終わりに話してる時と違いがない。ずっとちゃうかに振り回されてた印象ですが、打ち上げで楽しそうに茶番やってるのを見てなんか安心しました(めっちゃ上から目線ですね。すみません)
楽ステめっちゃ良かったです。オペ席ど真ん中で見れてよかった。確実にみんなのギアをとても上げてた。怒りやくやしさなんかを出す時のしあらさんの演技がとても好きです。がむしゃら感や人間の泥臭さがある。ゲネ日ボロボロに言ってすみません。フォローがフォローになってなかった。まじでご飯行きましょう。話し足りない。新歓マジで頑張ります。リマインドだけお願いします。
〇かの
すふれさん。きゃわです。個人的にメイクに関して努力の人だと思ってます。今年めちゃくちゃお話しした。まじで新歓が大きかった。
天然なんだかそうじゃないんだか未だにつかめておりません。少なくとも恋愛相談の時のすふれさんは世界一頼りになります。カラオケで確信しました。個人的に怒鳴るすふれさんが大好きなんですが、今回舞台上で見れたのが本当に嬉しかった。あのシーンは本当に怒ってるお母さんみたいに段々と雲行きが怪しくなって、どこかで爆発したように怒り出すのが好きだった。33期で怒鳴りが好きなのがすふれさんとしあらさんなので、華幻の喧嘩シーンは本当に私得。あのすふれさんの一体どこからそんな声が出ているのか。ちゃうか7不思議の一つですね。もっといろんな役者のすふれさんが見たかった。絶対人間臭い役似合うんじゃないかな。もっとお話ししたい。ご飯に行きましょう。くおりあさん混ぜたらもっと面白くなりそう。
〇Aru=R
ほばさん。最近関わりが少ない!!オムニではお世話になったのに!!
発声と音楽に詳しい人のイメージ。オムニの時、5限後に来た私に発声を教えてくれました。感謝。今考えると、あの時点で発声教えれるってすごいんですよ。私には出来なかった。今公演では悪役。新歓の時から思ってましたが、やっぱり似合いますね。張った時の声のトーンと雰囲気が悪役にはまる。でも今回は完全な悪役じゃなくて、それぞれの正義を持ってる感じですごく新鮮でした。面白かった!とりあえず33期新人をもう一回見ようと思います。
〇ベジはむの残留思念体
ベジさん。同じ三田の民。先に脱出してしまいました。まりおのいなくなった三田は俺が守るって言ってたからきっと大丈夫でしょう。
The ちゃうかって人。普通にアドリブをぶっ込める度胸がすごい。アドリブして毎回噛んでる私からしたら信じられない。オムニで共演して以来恐怖しかありません。ある意味共演したくない。絶対に素笑いしてしまう。お客さん側でずっと見ていたいですね。途絶えかけたちゃうかイズムは確実に後輩達に伝わってます。げんつきの楽ステ、オペ席は全員声を押し殺して笑ってました。カラオケ凄く楽しかった。もう一回行きましょう。
〇トロン
トロンさん。後輩でトロンさんと共演経験があるのは、実はレアなのでは?
ベジさんと同じく共演に恐怖を覚えてる人です。本当にピザキライは面白かった。楽ステで素笑いしそうになるのを必死で堪えてました。妄想では幕裏のため声を押し殺して大爆笑しました。最高に楽しかっ���。
ロキから話をよく聞いているのですが、もっと話したかったなと思います。ロキの恋愛相談を聞いてるトロンさんの話を聞いていたい。絶対面白い。もっと話してみたかったです!!!
〇田中かほ
ゆるあさん。ゆるっとゆるあさん。私はゆるあさんのゆるはゆるっとのゆるだと永遠に主張します。
最初の印象は優しい!頼もしい!パワフル!かわいい!こんな人いるんだ!でした。でも時が経つにつれてこんなにも人間らしくてでもまっすぐに進んでいる人は他には居ないんじゃないかと思うようになりました。パワフルなのは変わらないけど、私にはない世界を見ていて、私が必死に向き合いたくないって背を向けてることにちゃんと向き合ってる。だからこそ最後の最後でゆるあさんと演出と役者で関われたのが嬉しかった!!ゆるあさんにしか気づけないような日常の一部分を切りとったような脚本に出れて幸せです。自分じゃ気づけない世界を見れたような気がしました。最終的にパフォが当初の想定と全然違うものになっちゃったのが謝罪。おばさん難しかったけど楽しかったです!!!
演劇してるゆるあさんも殴りを持って走り回ってるゆるあさんも大好きです。いつだって楽しそうに目の前に向き合っているから着いていきたくなるし、助けたくなる。そんなところをずっと尊敬しています。私の腕はいつでも空いてるのでいつでも抱きしめます。飛び込んできてください。
〇Ω
べーたさん。今頃スペインでBARに行ってるんでしょうか。私がストーリーにトリスの写真をあげる度にいいねが飛んでくるのが密かに面白い。
なんやかんや共演させてもらいました。普通に上手い。存在感ある。そして何よりやりやすい。ペアの役だとよりそう思いました。つられてにギアが上がっていく感じが本当に楽しい。今ごろスペインでも楽しく元気にやっていることでしょう。何故か分かりませんが毎日のように声は聞いてますからね!!
言われなくてもな気がしますがお元気で!!
〇荻野琥珀
ハクさん。しばらく会えてないよ!!
ハクさんの脚本大好きなんですよね。少年心が湧き出てくる。ライカン本当に楽しかった。朗らかでありながらテキパキと指示を出すはくさんにそろそろ会いたかった。そして妄想の侍と人魚のゴリラ、マジでツボでした。何回でもゴリラのハケシーンは見返してます。笑いをしっかりかっさらっていくのはずるい!!マジで会いたかったな!!
楽ステ、キャスパまではギリ耐えてたのに、カテコでシーリングの逆光で眩しいきびさんコルクさんえどさんの背中で涙が止まらなかった。
先輩がいなくなるよりももっとより友達に近い存在がいなくなる感覚です。それぐらいお世話になったし沢山話したし、関わった。
本当にお世話になりました!!!!
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illaalli444 · 8 months
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"イチ"をめぐって:『犬王』作中における当道座の拠点どこやねん問題
劇場アニメーション『犬王』のいわゆる「聖地」のひとつに挙げられる当道職屋敷址。仏光寺通に面する洛央小学校の敷地内にその碑はある。のだが、この「職屋敷跡」は近世のものらしい。では中世、殊に『犬王』の舞台と思われる1370年代の当道座の拠点はどこか。インターネットで拾える情報がやや錯綜していると感じたので整理しておきたい。
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関連スポットの地図を作りました。ていうかこれが伝わればだいぶ満足です。Google Mapもあるよ(https://maps.app.goo.gl/Qqe48CYHHGXKvGSi9?g_st=i)。
はじまりのイチ:『犬王』の時代の当道座はどこにあったか
まずこの問題、手がかりになる情報の多くは兵藤裕己『平家物語の歴史と芸能』(吉川弘文館、2000年)から得ることができます。岩波新書『琵琶法師』で『犬王』ファンにはおなじみの兵藤先生の単著! 現在は入手困難ぽいのででっかい図書館とか駆使して読もう。特に関連するのは以下の箇所。
第一部 第一章「覚一本の伝来―源氏将軍家の芸能―」pp.8-30(初出:「覚一本平家物語の伝来をめぐって」『平家琵琶―語りと音楽』ひつじ書房、1993年)
第二部 第三章「当道の形成と再編―琵琶法師・市・時衆―」pp.157-173(初出:「琵琶法師・市・時衆」『一遍聖絵を読み解く』吉川弘文館、1999年)
こちらを参考にすると、結論からいえば『犬王』の時代の当道座(一方派)の拠点は平安京の東市周辺だったとみてよさそう。『琵琶法師』でも言及されているように、『梁塵秘抄異本口伝集』巻十四にみえる「さめうしの盲目ども」のエピソードから、仁安年間(1166-69)の段階で東市北辺にあたる佐女牛小路付近を拠点とする琵琶法師の集団が形成されていたとみられる。その後、明石覚一を派祖とする一方派の拠点がどこに置かれたかははっきりしないけど、定一の次の代の総検校・慶一の在名が"塩小路慶一"(塩小路は東市の南辺)であることから、この頃まではまだ東市周辺に彼らの拠点があったと考えられるようです。
さらに絞り込むなら、以下は私の推測ですが、『犬王』の時代には、東市周辺でも佐女牛側(北側)ではなく塩小路側(南側)が拠点だったのではなかろうか。すなわち、先に触れた慶一の在名が塩小路であることに加え、(1)律令制の衰退とともに東市は廃れ、その東南側、七条大路と町尻小路の交差点付近を中心とする"七条町"に商工業地帯が展開すること、(2)空也と一遍が布教をおこない市屋道場・金光寺となったのは東市の南半であること(参考:リーフレット京都No.65「東西の市」)などをふまえると、慶一よりも前の世代から、一方の拠点は市の南側に移動していたと考えてよさそう。
ということで、『犬王』の時代の当道座の拠点は京都駅の北西から西本願寺の南側にかけて…くらいの場所と考えておくのがよいのではないでしょうか。(東市の位置はおおむね現在の西本願寺にあたるわけですが、2022年10月に西本願寺で『平家物語 犬王の巻』の朗読イベントやったのエモすぎません?!)
イチの痕跡:佐女牛八幡と市姫神社
現在の西本願寺周辺には当道座そのものの痕跡は残らないけれど、東市と周辺の人々に思いを馳せることができる場所はいくつかある。ここでは兵藤の『琵琶法師』でも言及がある佐女牛八幡と市姫神社に焦点をあてたい。
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「さめうしの盲目ども」の拠点とみられる佐女牛八幡=若宮八幡は、東市から北東に位置する。源頼義(八幡太郎義家の父)がその邸内に営んだことに始まり、以降、源氏の氏神として深い信仰を集めた。豊臣秀吉の京都改造によって五条坂に移ったが、旧地にも小さな"若宮八幡宮"が再建されている(写真)。移転先の五条の若宮八幡には足利義満寄進の手水鉢が残る。
ほかに「佐女牛」の名を残すスポットとしては、やはり源頼義の邸内にあったとされる佐女牛井(さめがい)がある。京の名水に数えられた井戸らしいけど、第二次世界大戦後に埋められ、西本願寺の北側、堀川通沿いに跡地の碑が立つ。また、西本願寺の北西にある緑のタイルが印象的な"井筒佐女牛ビル"5階には風俗博物館が入る。平安貴族の復元衣装や人形展示が見られるけど、日祝休館でタイミングによっては長期休館もあるので注意。
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市姫神社は東市に祀られた市の守護神。やはり秀吉の京都改造で河原町五条に移っている(市比賣神社)。旧地は西本願寺の寺域になっており何も残らないけど、JR山陰線を越えて西側、京都中央卸売市場の付近にも"市姫神社"がある。これは何なんやと思ったら、中央卸売市場の開設にあたって市比賣神社から分祀されているらしい。現代の市もお守りされているの、なんかいいですね。
移転先、五条の市姫社は女人厄除で有名で、マンションと一体化した入口も面白い。その西側には、やはり東市で空也と一遍が活動した市屋道場に端を発する市中山金光寺がある。非公開寺院。市姫神社とセットでこの地に移転しているわけで、東市と時衆の関係の深さがわかる。
京都観光Navi「若宮八幡」
フィールドミュージアム京都「佐女牛井跡」
京都観光Navi「市比賣神社」
その後のイチ:浄教寺と当道職屋敷跡
この文章の早い段階で、いや中世の当道座って浄教寺にあったんちゃうんかい、と思った方もいらっしゃると思うので、当道座の拠点が近世の職屋敷跡、仏光寺の北に移るまでの歩みも整理しておきたい。
兵藤の『平家物語の歴史と芸能』では、永享4年(1432)に「惣検校城存」が錦小路富小路の東頬に屋敷地を賜ったこと(『室町家御内所案』巻下)、永享9年(1437)に慶一の後を継いだ井口相一が「山法師戒浄」の屋敷を賜ったことを挙げ、15世紀初めには四条・五条の町地区へと移ったとしている。(ただ、城存は「城」の字からみて八坂方だろうし、山法師戒浄がどんな人で屋敷がどこにあったかまでは私は調べられていないです...。)
また、『職代記』には応仁の乱の際に当道の文書類が浄教寺で失われたという記載があるそうで、この頃には浄教寺に座務期間がおかれていたとされている。現在の浄教寺は四条寺町にあるけれど、これもやっぱり秀吉の京都改造で移ってきたもので、その前の所在地は五条東洞院。浄教寺は元は平重盛が小松殿に営んだ燈籠堂に端を発すると伝えられ、五条東洞院には"燈籠町"の地名が残る。なお、本来の重盛の燈籠堂は『平家物語』巻三にもあるとおり東山の小松谷にあった。現在、七条のフォーシーズンズホテル敷地内となっている"積翠園"は小松殿の庭園遺構であるとか。
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近世の当道職屋敷は、微妙な位置の変化はありつつも基本的には仏光寺の北にあったらしい(職屋敷址の碑は写真の植え込みのなかにあり)。絵図から位置が抑えられるのが寛永14年(1637)から。このあたりは以下の梅田論文に詳しいです。
梅田千尋2008「近世京都惣検校職屋敷の構造」『世界人権問題研究センター研究紀要』
なお、この論文では、永禄11年(1567)の当道座宛ての禁制文書の宛先が「四条かんこく惣けんぎやう町」となっていることから、戦国期には四条の函谷鉾町が拠点だったのではという指摘もされてる。
さて、ここまでつらつら書いてきましたが、『犬王』作中での描かれ方をみると、ラストの友有疾走シーンが四条室町っぽい(通りの描写の参考にしたと思われる国立歴史民俗博物館の復元ジオラマがここ。洛中洛外図屏風が描かれた頃の繁華街)ので、イメージとしては四条の街なかに位置していると捉えてもいいんじゃないかなと思います。平安・中世の東市周辺にしても、中世後半〜近世の四条・五条にしても色んな人がごちゃごちゃいて新しい音楽が生まれるのにふさわしい場所だったことは確かそう。私は劇場アニメーション『犬王』の、都市の物語でもあるところが大好きです。
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lenamiura · 8 months
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失敗シフォンケーキから失礼します
テニミュ4th六角公演を観に立川に行ってきた。立川の3階、初めて入ったけど頭被りもなく観やすくて快適だった。
初日の配信を観ずにほぼ事前情報なしで行ったためか、えっそう来るの、そこはそうなの、とわりと困惑しながら観てしまい、それはそれでおもしろかったけれど全体の印象が「なんか変だった」に収束してしまいもったいなかったかもしれない。今回あまり現地予定がないので、次までに配信を観て全体の流れを掴んでから行くつもりでいる。
●1回目印象に残ったところ
・大石の後輩を焚きつけるシーン、かなりミュージカル調にしてくれてうれしかった。今代の大石のことを相当かわいい大石だと思っており、彼の歌がかなり好きなので、長尺のかわいい曲を観られてうれしい。
・菊丸印のステップで英二が実際に増えていてお得。プロジェクションマッピングもいいけどやっぱり物理的に人が多いとダンスが華やかで目が楽しい。
・不満げな顔をしながらも氷帝メンバーのすべてを受け入れる姿勢の跡部、良い。
・忍足(しのびあし)看護師のビジュアルの強さがすごい…。あのブロマイドほしい。
・ダビデがかわいい。バネさんとの微妙な距離感がこのまま安定するのか変化していくのか気になる。
・ダビデもそうだけど、六角の中にいるということの意味、というか良さみたいなものを4thで見て強く感じられたのが佐伯。この子がこのチームで育ってこのチームに帰属しているんだ……という感慨があった。
・この感覚はオジイの存在がやっぱり大きいだろうなと思う。チームに大人がいることで感じられる役割、ここにかなり脳が揺さぶられる……(例:オサムちゃんを伴う白石)。
・佐伯のセリフ回しがアンニュイな感じでかなり危うい(良いということ)。
・オジイ、老人すぎる。初見だとコメディシーンでもおもしろさより怖さが勝って複雑な感情になった。次からは楽しく見られそう。
・応援合戦、回を重ねればもっと声が出てくるかと思うけど、少なくともわたしの周りではまだあまり声が出ていなかった。というか、曲自体の声出しどころがそもそも難しいよなと毎度思う。
・河村パペットと榊パペットの再登場、かわいくてうれしい。英二、パペットづかいが上手でよかった。
・緑山に関する知識の予習も必要だと思った。
●2回目
・1回目で変かも…?になっていた部分、おおむね楽しいに変わった!
・自分の話であるけど、初見のものをポジティブに受け入れるのが苦手かもしれない。ネタバレが嫌なタイプではないので、鑑賞予定回数が少ない物は予習していったほうが楽しめるとわかってきた。
・4th六角の雰囲気、好き。大らかで他者を受け入れる姿勢があって健全で明るく楽しい。
・やっぱり幸村がいるのが気になる!誰の心象風景なんだろう。
・立海、どういう仕上がりになってくるのか今からドキドキすぎる。楽しめるといいなあ。
●アニナナ2期を観終わった
七瀬陸さん、心身があまりに脆いし年齢のわりに精神が幼くておそろしい。才能のある人間にしか許されない立ち回りをずっとしているなあと思う。周囲との、和泉一織さんあたりとの対比になっているのかな。
十さん、でっかくてやさしくてセクシーな売り出しをされていてかわいい。ウチナーグチ、最近創作キャラクターなどで耳にする機会が増えた気がするけど方言の中でもかわいくて大好き。
いつも機嫌がよくて財力と権力と能力のある男、六弥ナギさん、安心して見ていられるのでIDOLiSH7内でかなり好きかも。六弥ナギさんが片言のキャラクターとして扱われているが、和泉三月さんのほうが発音が気になって話している内容が入って来ない。声優さんの話し方の癖なのかわからないけどわざとなのか、バックグラウンドがあったりするのか…果たして…。
ユキさんもモモさんも想像していたより感情や愛嬌があって激しめの人たちだったし、けっこう迂闊なところのある人たちでイメージが変わった。かわいい人たちだ…ボケとツッコミを自称するのは役割分配考え直した方がいいと思った。
ずっと上げ忘れていて変な時期になったけど(六角公演お疲れさまでした)立海公演が決まり運動会が決まり景気がいい。楽しみ!
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