死後に何が起こるのか?🕯️
前世の記憶があるロビン・カイザーさんの話
オリジナル動画:https://youtu.be/dQARYL3BdCc
【和訳:ALAE PHOENICIS】
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死が訪れた後、何が起こるのでしょうか。
誕生と死は、あなたの魂の旅において最も本質的な2つの転機であり、この境界を越えるときに起こる変容のプロセスは、通常、あなたが生涯で経験したどんなことよりも深淵で変容的なものです。
地上での身体的実体から離れたとき、転生した意識が何を経験することになるのか、その全体像を知るための旅に皆さんをお連れしたいと思います。
以下のシナリオはすべて違った形で表現され、体験されることもあるでしょう。なぜなら、死後に体験しうることの範囲は、根本的に地上世界での体験の範囲をはるかに超えているからです。
かつて地上には、死ねばどうなるのか問うことなど全くしない時代がありました。それは、自分の人生がそれらの世界からの延長線上で続いていることを当然のように洞察していたからです。
この問いが、多くの思想や思索、宗教的概念の出発点となったのは、人間が徐々に自己を忘れ去っていったからに他なりません。
多くの宗教は、人が魂の旅を続ける世界について洞察を欠き、それに応じて地上での生涯を枠にはめてしまうことに基づいています。
現代人が落ち着きや人生の方向性を完全に失ったのは、自らの転生の仕組みがわからなくなってしまったからです。
こうして、方向性が失われた状況の中で、少数の者たちには利益がありました。
地球上の人生なんて80年経てば終わるし、今まで生きてきたこと、経験してきたことはすべて無に帰する、と思っている人は、当然、自分の存在に不安を抱くでしょう。
また、自分がしてきた本質的な経験の層から、その意識というものを切り離すことが出来ていないと、輪廻転生についての疑問を投げかけたりは出来ません。
転生に関する知識には科学的な証拠がありますが、これらの議論は、自ら創り出した経験世界の眠りから意識を目覚めさせるには、ほとんど役に立ちません。
というのも、地球上であなたを導く転生ゲームの魅力の一つは、まさにゲームのボード上の限界を見極めることができないことにあるからです。
あなたは、ボード上で転生へと導いてくれる道を心得ているし、また、あなたが亡くなった後に開かれる道も、すでに何千何万回と歩んできた道なので、熟知しています。
同じスーパーにもう1000回も行っていれば、次に買い物に行くとき、いったいどうやって行くんだろう、買い物から帰ってきたらどうなっているんだろう、と思うことはないでしょう。
たとえ道中の経験が変わりやすく、他の存在に出会うなどして、毎回異なる自分を経験したとしても、道は常に同じです。
大袈裟な言い方をすれば、すべての魂は、人間として生まれるために、同じ宇宙の針の穴をくぐらなければならないのです。
そして、その入り口と地上の経験によって、出口となる門がどこなのか、その門からどのような道が展開されるのか、が決まります。
一生の間に経験したことはすべて、その人の退場の仕方に反映されます。このようにして、閾値の移行期に多くの人が表現する「人生の映画」現象が発生するのです。
意識は早送りで人生の主要な出来事に導かれ、個々の場面を健全��距離で再び観察するチャンスを与えられます。
人生映画は線状に構成されているわけではなく、人生の場面をその感情のエネルギーの連鎖の中で見せてくれるので、観察している意識にとっては、なぜある事柄がその人生の中で別の事柄につながったのかが明確になるのです。
ほとんどの場合、この段階にはすでにソウルグループからのガイドがいて、一緒に人生の連鎖を振り返ることができます。
この世の世界とあの世の間には、いわゆるバルド*と呼ばれる中間世界があり、意識は、それに応じて転生の用意をしたり、振り返って反省するために、そこを通過しなければなりません。
*Bardo :和訳は『中陰(ちゅういん)あるいは中有(ちゅうう)』:チベット仏教の教えで、現世と来世の間で起こりうる意識の状態を指す言葉。
生前に精神的、感情的な硬直状態に陥った人は、この中間領域に長い間留まり、魂が旅を続けられなくなることがあります。
例えば、肉体生活におけるある側面への強い執着が死後も意識の中にある場合、意識はそのレベルの経験に縛られたままになります。奇妙な話ですが、このように意識を肉体世界に閉じ込めている、非常に地上色の強い人の中には、肉体の死を全く意識せず、自分の死を否定することで生前のように暮らし続けている人もいます。
幽界からは物理的なものを動かせなくなったこと、そして他人に見られたり聞かれたりすることがなくなったことは、自らの死を受け入れることがあまりにも耐え難いため、単に無視されることになります。
もし、肉体がなくなるとすべてが終わると強く信じている上で、自分の死を否定してはいないなら、その考え方が原因となって、何も存在せず何も起こらないバルドに移動し、その魂は旅の途中でこのバルドから非常に長い間、抜け出せないままでいることがあります。
人為的に無にされているバルドに魂が逃げ込んでいる時、それは一種の遊休駅のようなもので、高次元の存在と混同してはならないものです。そこでは特別なものは存在しないし、特別な何かが起こることもありません。
経験を積もうと転生した魂の向上願望は、遊休駅に長く滞在することによって低迷し、自己否定の度合いを高めてしまうこともあります。
基本として、地上でその存在が具現化されている最中なのか、それとも他の状態にあるときなのかにかかわらず、存在自身に起こることは常に本人の信念によるものなのです。
そして、地獄行きを硬く信じてい生きている人ならば、そこで煉獄観を修正するのに大抵はそれほど長くはかからないとしても、自分が抱いた観念がすぐに結果として現れることを経験するので、死後に何が起こるかは明白なはずです。
つまり、永遠の煉獄というものは存在しないのです。
また、人間が生前に意識的・無意識的に魂を売ったり、ある契約を結んだとしても、その契約が有効であると信じなければ、その契約は超次元的な効力を持つことはありません。
物理的な次元を離れた存在が再び入ることのできる経験世界は無数にありますが、それでも大抵の場合、自分の内なる意識の状態に最も近い世界へと自動的に導かれます。
むしろ、前の地上界と同じような構造をしている近くの幽界に入る可能性の方が高いのです。
それは、地上での記憶がこの経験世界を作り出しているからであり、宇宙的カルチャーショックを引き起こすような経験世界に直面しないように、世界はとても慈悲深いものになっているからです。
ほとんどの世界では、突然その中に身を置いてしまうと、人間は深く揺さぶられ、怯えることになり、高次の天界にさえ恐怖心を抱いて反応し、自らのエネルギーシステムを閉じてしまうのです。
地上での活動を終えたばかりの存在のエネルギーシステムがある程度オープンであるためには、慣れ親しんだ環境が必要であり、ソウルガイドは、超自然的な美しさと慣れ親しんだ環境を兼ね備えた世界に新しく亡くなった人を招き入れ、そこでさらなる旅路の可能性を伝えることに熟練しています。
死後、海辺のビーチで美しい夕日を眺めるという体験的な空間に移動する人もいます。
また、山の高いところなど、生きている間に同じような体験をした自然の中にいる人もいます。
また、多くの愛する人々が登場する場合も多く、最初はただ地上の状況について語るだけだったのが、徐々に全く異なるレベルの経験が広がっていることが分かってくるようになります。
幽体を通して得られる官能体験は、少なくとも肉体を通して得られる体験と同じ鮮明さ、鋭さのあるリアリティを持っています。
初期の順応段階を経ると、終わったばかりの人生のフラッシュバックが何度も起こるもう一つの現実があり、すべての経験を魂レベルで統合するために、精神と情緒のレベルで人生を徹底的に解明することが目的となります。
死後、地上での経験は、意識作業によって、魂が吸収できる情報形式に変換されます。
経験豊かな魂であればあるほど、この統合と転換のプロセスはスムーズに行われ、人は高い意識からもう一度、地上での経験を歩むことができるのです。
人生の場面はどこでも何度でも再生できますし、そのとき、自分の目からではなく、その場面にいる他人の目から眺めるという体験ができる特別な機能もあるのです。
地上での経験を統合することの一端は、自分が自分の振る舞いについて帰結を導き出すために、相手の経験的な観点から自分が経験したすべてを追体験することです。
ある程度の自覚と洞察力があるならば、どの強姦魔も自分の行いを被強姦者の皮膚から体験することを自由意志で選択するでしょう。
そして、この視点の転換によって、それに伴う学習プロセスが始まり、カルマの均衡がもたらされるのです。
生きている間に、自分の言動をすべて相手の目から認識する者は、二元的な経験における片寄りから脱却することができるでしょう。
これ以上カルマを積み重ねることことなく、統合意識へより深く到達することができます。
自分本位で多面的に捉えることができない者は、転生後、人生のすべての場面をまさにその同時多面的に経験する意識に導かれます。
その意味で、死後、審判や評価の権威が存在することはなく、あなた自身が、拡張された知覚、すべてを包括する視点に基づいて自分の行動を評価し、あなたの価値観に従って、新たな人生設計を記すことになります。
もしかすると、転生後に自分が社会的、感情的な面で悲惨な失敗をしたことに気づき、特にその経験を克服することを含む来世の人生設計をすることになるかもしれないのです。
人生と人生が直列に擦り合わされるのではなく、自分自身でいくつもの人生をデザインし、いくつもの体験レベルに同時に浸り、それに応じて死んだ後で自分自身に出会うということもあり得るのです。
死後、他の世界で体験した自分自身と、何とも言えない深いつながりを感じる分身に出会う可能性が非常に高いのです。
魂の旅には、転生後に定期的に集まり、それぞれの世界での体験を伝え合う俯瞰的な場があるのです。
だから、あなたには死後、地上での経験を変換する任務があるだけでなく、それを共有し、あなたの多次元的存在の別の側面に地上での経験を伝える、という名誉も与えられているのです。
そして、これだけはすでに言えることです。地球学校を卒業した存在は、その完成度の高さから、宇宙の他の���所でも尊敬され、評価されます。
なぜなら、地上での体験は他のレベルの創造物にとって超然たる高い価値を持っているからです。
ある意味で、そしてある種の世界では、あなたが戻ってきたとき、祝福されることでしょう。
死の後、あなたの魂はずっと前からあなたの帰還の祝宴の用意をしているかもしれません。
この饗宴で、あなたは転生の旅の苦しみから完全に立ち直ることができますが、野心的で成長を望む魂の存在の中には、非常に早く別の具現化を決心する者もいます。
あの世の暦はまるっきり違うので、この世の暦で死んだ人が何日か後にまた転生してくるということもあり得ます。
しかし、魂が転生するのは平均して一世紀に一度程度です。
地球での生活が過酷なものであればあるほど、あの世での回復と再生の期間も長くなり、2世紀、3世紀を平気で飛び越えてしまう人もいるかも知れません。
ここで、もう一度強調しておきたいのは、異世界の多くは時間をも超越しており、昇天した者はどの時代に新しい人生を送るかを自由に選択できることです。
つまり、「いつ」「どこで」というのは、常にその人生設計に対応したものになるわけです。
人生設計とは、人がその可能性を現実するために、そして自らの潜在能力を実現するために、自己を滑り込ませることができる経験としての可能な枠組みのようなものです。
しかし、人生設計で重要なポイントが満たされなければ、次の人生設計に持ち越されます。 転生に高度なカルマを持ち込んだ人の多くは、長い人生設計に過去の転生でおろそかにしたポイントを抱えています。
人生設計のあるポイントを達成するために、魂からある種の圧力がかかることがありますが、その尺度は常に対処可能な範囲にとどまり、該当者が壊れてしまうほど高度なものになることはありません。
もし、人生における重圧が過度に耐えがたいものに思えるなら、その重圧はあなたの魂から来るものではなく、あなた自身が作り出したものであると断定してよいでしょう。
魂は、地上での経験をまったく別の目で見ています。なぜなら魂にとって、すべての経験は経験に過ぎず、あなたがどう評価しようとも、すべての経験はそれ自体で価値があるものだからです。
そして、肉体がなくなった後に再び利用できるようになるのは、まさにこの魂の景色なのです。
もしあなたが生きている間に、魂のレベルで観察することになるなら、とりわけあの世であなたに寄り添ってくれるような体験シーンが見えてくるはずです。
魂レベルとの結合は、この世とあの世の間の分離のベールを剥がし、特に肉体の逝去によって、私があなたに明かすすべてのことが、身体的存在としてのあなたに開示されるようにしてくれます。
もし生前のあなたが、魂的なレベルで物事を眺めていれば、あなたには、特にあの世に行ってから身近にもたらされるような経験の側面が見せられることでしょう。
魂レベルでの結合は、この世とあの世を隔てるベールを取り払い、特に身体的存在の逝去に伴って明らかになるすべてのことを、あなたに開示するようにしてくれます。
このため、魂との神秘的な結合は、常に死のプロセスのように描写されます。
死後はどうなるのかという問いに対する答えは、魂との結合という「錬金術の結婚*」にあるのです。
*『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』:参考🔗
また、肉体の中で魂の生活を営む者は、肉体から離れても死ぬことはありません。
身体的な死のプロセスが始まると、人間という存在は自分をクラウン・チャクラを通して身体からリズミカルに押し出そうとします。
肉体に入ろうとするときも、肉体から最終的に離れようとするときも、人は針の穴のようなところを通らねばなりません。
そして、そこを通り抜けるには、それなりに労力が要るものなのです。
あなたをこの世の具現的姿へと生み出したエネルギー的ポータルである産道を、あなたは逆方向へ通って去っていきます。
そして、死は終わりに小さな光がある長い暗いトンネルである、と表現する人はすべて、このエネルギー的な誕生経路のことを指しているのです。
さて、皆さんの中には、死ぬ間際にこの光に焦点を合わせ、その中に入っていくべきだという説があります。
また、そこには輪廻転生の罠のようなものが隠されているから、光の中には一切入ってはいけないという説もあります。
幽界には、死者を地球の近くに留めておくために作られた、一種の捕獲網、あるいはエネルギーグリッドが確かに存在しています。
そして、特に地上のしがらみや 執着が残っていると、亡くなった人はそのグリッドにはまり込んでしまい、高次の領域が閉ざされたままになってしまうのです。
肉体が亡くなれば、魂レベルとのつながりが即座に完璧な形で実現されるわけではなく、人間は死後、やはり自分が生前に築き上げていた魂レベルに、ほぼ相当するつながりの深さを許容するしかないのです。
つまり、エネルギー的なアストラルグリッドや低い波動の存在圏から抜け出せるのかという基盤は、生きている間にすでに築かれています。なぜなら、具現化された状態からしか変えられないものが、確実にあるからなのです。
サッカーの得点も、休憩時間ではなく、試合中にしか変えられません。
あの世での休止期間中に、自分の人生のインサイダープレーを根本的に反省し、新しい戦略や計画を考案することはできても、人生をマスターするためには、具現化された土俵の上でしかそれらを実践できないのです。
ワンハーフが終わって光の方へ行くか行かないか、あるいは休憩中に何をするのか、それは次のハーフに間接的な影響を与えるだけです。
トンネルの先にある光は、幽界のグリッドが仕掛ける誘惑の罠ではありません。
そして、自分自身が純粋で、心がもつれていない人は、これらの層を問題なく突き進むことができるのです。
しかし、それは暗いトンネルでもありません。なぜなら、この世とあの世のあらゆる内的な感覚的現象は、意識から生み出されるからです。
あなたの生と死に寄り添う最も確かな道しるべは、あなたの心の声なのです。
そして、その心の声と深く結びついている者は、来世においても、あらゆる心のもつれや罠を乗り越えて、それに導かれていきます。
しかし、もしあなたが生きている間に、何度も何度も盲目的な自己忘却の罠に陥り、自分自身から自分を切り離していたのなら、自分自身と再結合することを学ぶ道に、あなたは死後、捕えられるのかもしれません。
あの世ではある程度の内なる分離が許されますが、その量が多すぎると、あなたは引っ捕まって地上の土俵に直に投げ出されてしまうことになるかもしれません。
人によっては、回想と再統合のための時間を比較的短く済ませることができる者もいます。
一方、輪廻転生を繰り返しながら、自己統合の道をミリメートル単位で進んでいる人もいます。
魂の旅は、8000メートル級の山々を上った道と同じ程度の距離であり、一度転生するたびに、その一歩を踏み進めたことになります。
したがって、海辺の砂粒の数は、あなたが具現化した魂の数よりも少ないのです。
それでもなお、自分の内なる魂と神秘的に結ばれることで、この旅を完成させる義務が。あなたにはあるのです。
そして、あなたが自らを忘れて生きる、ということは、もともと想定されていたことではありません。
元々、すべての経験は、一つの身体から次の身体へと引き継がれていくものでした。
そして、あなた方は自分の具現化したものが相互に関連し、どのように成り立っているのかを意識できていたのです。
それなのに、輪廻転生を介した学習と記憶の糸が極めて規則的に遮断されることで、あなたの具現化体験は全く異なったものとなってしまうのです。
具現化状態に入るとき、あなたの意識を覆ってしまう忘却のベールは、前述したエネルギーグリッドと関係があり、これはあなたの地球の周りに人工的な磁場を張り巡らせています。
この磁場を中を魂がさまようことは、ある種の削除ボタンのようなもので、そのボタンがあるレベルで過去のすべての経験を記憶から抹消し、より高い波動のレベルへと移行させるのです。
冒頭でお話したバルドは、地球を取り巻く磁界層に存在する意識を抹消する空間です。
こうした消去空間において、存在は真に自分に属さないものはすべて失うことになります。
そして、自分自身の内なる意識の深いところに生き、自分自身と一体になった存在だけが、消去空間で自分を見失うことなく通過することができるのです。
異空間では、生前に自分と繋がれていたのかどうかが試され、繋がっていない場合は、再び具現化へと戻されることになります。
あなた方の大半は、自分の輪廻転生の記憶の糸についてほとんど認識していないにもかかわらず、あなた方の今生は、この糸とドッキングしている、あるいはそれを引き継いでいるのです。
そして、記憶の糸全体があなたの意識の中に再び現れる時は来るでしょう。
人生は常に途切れている形態では限られた意味しかなしません。あなたの記憶の糸が放つ光を、すべての人生の原点まで遡れば、あなたの存在の意味は疑いなく開かれていくことでしょう。
あなたの地球上での遊び場の境界が、磁気消去領域とともにどん��ん溶けてくることで、あの世の記憶があなたの元へやってくるようになります。
閾値を越える際の遷移が、よりスムーズになりつつあり、かつては大きな一歩だったものが、現時点ではほとんど負荷がなくなっています。
この世とあの世、地上のものと霊的なものが今、あなたの中で統合されようとしています。
そして皆さんは、具現化した後に自分を待ち受けているものが何なのかも、��言のうちに深く洞察することができるようになるでしょう。
皆さんの中に生じる「死後はどうなるのだろう」という疑問が静かな内なる確信へと変わり、その疑問がまったく生じなくなるような感覚になれるよう、私たちの言葉をもって寄り添うことができたことを、心から願っています。
あなたという存在が、この確信に深く満たされますように
完
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