Tumgik
#クァンシ
kithul-pani · 2 years
Text
Tumblr media
なんかもう毎回お久しぶりですって感じです…
1K notes · View notes
azzurro-due · 2 years
Text
Tumblr media
クァンシとお嬢さん方
457 notes · View notes
ryohakosako · 8 months
Text
Tumblr media
がおー
チェンソーマン - クァンシ Chainsaw Man Quanxi
お仕事の依頼はこちらから ▷ https://ryohakosako.myportfolio.com/contact
skebでコミッションを受け付けています ▷ https://skeb.jp/@ryohakosako
メイキング・ライブ配信などしてます ▷ https://www.youtube.com/@ryohakosako ▷ https://www.twitch.tv/ryohakosako
いろいろなSNSで活動しています ▷ https://lit.link/ryohakosako
27 notes · View notes
gitokuja · 7 months
Text
Tumblr media
27 notes · View notes
ichi-asakura · 1 year
Text
Tumblr media
🗡+🐙
57 notes · View notes
muten-blog · 2 years
Photo
Tumblr media
184 notes · View notes
ruririn-drawing · 1 year
Text
Tumblr media
Quanxi - the Crossbow
41 notes · View notes
Text
Tumblr media Tumblr media
クァンシvs吉田ヒロフミ
fanart of Yoshida Hirofumi and Kuang Si!
15 notes · View notes
by13x · 1 year
Text
Tumblr media
Quanxi-
31 notes · View notes
pc-yaruhito · 2 years
Photo
Tumblr media
11 notes · View notes
tadaokinnu · 8 months
Text
檸檬棚
クァンシ様最高~~~~~~
0 notes
arctic-blade · 1 month
Text
Tumblr media
ツヨイヨウデヨワイ on X: "クァンシ #chainsawman #チェンソーマン https://t.co/KAkOp1riZp" / X
210 notes · View notes
domiiomii · 1 year
Text
Tumblr media
クァンシ
439 notes · View notes
quivering-qunt · 5 months
Text
giggling and kicking my feet at eno sumis art of quanxi!!!!
0 notes
yougivemeallineed · 8 months
Photo
Tumblr media
(XユーザーのDeltaporkさん: 「クァンシ様 #チェンソーマン https://t.co/StIJOsVEQG」 / Xから)
1 note · View note
zdlmlq · 9 months
Text
08.23.2023の日記
休日でした。でしたが、それにしては午前中のわりと早くから出かけました。映画館に行くためです。
私は比較的映画をよく観て育ちました。実の両親や姉と共に経験する娯楽として唯一の選択肢が映画だった気がします。それはテレビで放映されるものから、7泊8日でレンタルするビデオ、映画館が含まれます。私の両親の出会いは映画に由来するものだったし、そこに関係してくる大叔母は貧しい国で俳優をやっていて、最後に会ったのは東京国際映画祭で彼女が出演していた映画が上映され来日した時でした。一部の、"そういう映画"がすきな人たちにとってはまぁまぁ知られた(それ以外の人にとっては全くもって無名な)彼女のサインを求める日本人の行列を見た時に初めて彼女が本当に俳優だったことを実感しましたが、彼女の出ている映画を私はいまだに観たことがないのであまりそこに感想はありません。
小さい頃によく観ていたのは大体が香港のアクション映画や、チャップリンの喜劇です。同じ映画を何度も借りました。これらの共通点は言語があまり重要でなく、その動きだけでストーリーが追えるところにある気がします。私の両親は私が幼い頃まだ日本語がままならなかったので、全員が鑑賞するために選ばれるものは自然と限定されました。テレビで放映される映画には始まりと終わりにいつもその映画を解説してくれる人が現れましたが、口髭のある人がこわいくらいの笑顔で言う「いやぁ、映画って本当にいいものですね」という言葉がとてもすきでした。いやぁ、映画って本当にいいものですよ。
映画が流れている間、同じ空間にいる人々はお互いと向き合うことがありません。横並びとは限りませんが、同じ画面をまなざして言葉を交わすこともほとんどなく、ごく自然に同じ時間を共有します。そこには日常の関係性や立場がまるで影響せず、ただその画面の中に映し出されるものだけが空間を支配します。緊張感も、笑いも、その画面によって生み出されます。どれだけ親しい人が隣にいても鑑賞中は赤の他人のように遠いし、赤の他人であっても同じ場面で笑うようなことができます。
音楽の演奏や、舞台であっても似たような効果は生まれ得ますがそこでは観る対象が生身だからでしょうか、もっと親密な一体感が立ち上がる気がします。観客として場を守るための空気のようなものです。そして何より、演奏や公演が始まる前や終わる前は大体の人たちが賑やかです。話し声は映画館でも前後に聞こえることがありますが、音量は比べ物にならないな、と思います。コンサートホールなど、着席して鑑賞し始まれば咳払いすら気兼ねしてしまうような会場だと映画館に似た空気になることもありますが、上映中の映画館はそこよりもずっと自由です。すくなくとも、自分が座っているその席の中では。
今日、比較的長い時間映画館で過ごして改めてそれを感じて、うれしくなりました。親しい人が隣にいても指一本触れることもなく(たまにそうでもない人もいますが)時々ふと目に入るその人は知らない人のような気がします。喋らなくていいし、触れなくていいし、でも同じことをしている。
そのことは私をとても安心させます。
チェンソーマンの一部にはマキマさんとデンジが朝から晩まで映画館にいる話があります。
私がチェンソーマンを読み始めたのは連載でクァンシが登場した後からだったので、マキマがどういう存在なのかが予感できてからあの場面を読んだせいか、最後に観た映画の中でなんともないシーンでデンジが泣いた時、マキマさんも同じように泣いていたことがひどく印象的で、そこで連想したのは映画『ジョーカー』でチャップリンがかかる劇場で誰もが笑う場面でした。
既にアーサーは取り返しのつかない所まで追い詰められていた中で、自分を踏みつけるような存在の人々とそれでも笑います。その笑いは決して自然なものではないように私は感じてしまいましたが、それでも、やっぱり映画を前には誰もが平等です。
そしてそんな風に平等にあれる人と、同じ場面で笑うことが、泣くことができる人と、私たちはそれでも劇場の外では踏みつけ合います。
私の両親は、というか、主に母は、ですが、私が幼い頃病んでいたのであらゆる種類の暴力を私に振るいましたが、それでもチャップリンで笑っていたし、グリーンマイルでは泣いていました。というか比較的涙脆い人で、テレビ番組などの生き別れた家族が再会、などの番組を観てもしょっちゅう泣いていたように思います。
そうやって人の出会いや別れに涙を流すことのできる人が、私と同じ映画を観て一緒に笑う人が、私の頭を踏みつけて「生まれたことを謝って」と大きな声で発することができるんだ、ということが私にはとても、ちぐはぐしていて、だけど、すくいのような気がしていました。
この話は少し前の日記に書いた、足を踏まれた痛みを訴えながら誰かの足を踏む人のそれとは少し種類が違います。どんな傷を、知性や善良なこころを持っていても関心の届かない、想像力が及ばない範囲はある、という話ではなく、その逆です。
どれだけ許せないような暴力(私がいま母を許せないか、と言われたら全くそんなことはないですが、もしいま、子どもに同じことをする大人を目撃した場合、司法によってかなり重たい裁きを受けてほしいなと思うし、二度と子どもには近づかないでほしいです)を人に向けられる人間であっても、誰かの傷と自分のそれを重ねて泣くことはできるし、痛みや病を抱えながらでも、笑える瞬間は存在します。ほんの少しかもしれなくても。
それはとてもひかりのある話です。
私の数日前の話とこの話は表と裏のような話で、それを怒りに感じることとすくいに感じることの境界は私の主観でひかれたもので他者から見た時差異はないかもしれない。暴力的な人間が流す涙を大幅に加点する癖に善良な人間が少しだけした間違えにもならないような、些細な言動を許せないのはおかしな話かもしれない。
ただ他人に目を配る余裕のない所にまで追い詰められた人々が投げた石や握る拳を責める前にその涙や、笑いからさす光でどうにか違う場所に案内することはできないものかな、と思います。
歩く道が明るければ、その人たちは物音に怯えて石を投げることも、近づく人が敵が味方かがわからないまま握った拳を振り上げることもしなくて済んでいたんじゃないかなと思うことがあります。
まぁどれだけ暗闇を歩いても怯えながら自力で光のある所まで歩く人たちもたくさんいるし、自分で光を作り出すことができる人たちもいますし、チェンソーマンの話に戻すならマキマさんが暗闇を怯えて歩いていたとは全く思いませんが、思わないし、多分どこを歩いても"そうなる人"たちは確実に存在するんですけど、
だとしても、そういう人たちとでも、同じものをまなざして、同じように涙を流すことができる。
いやぁ、映画って本当にいいものですね。
映画を観終えて夕方過ぎ、サウナに行きました。
サウナ、水風呂を繰り返す交互浴、を私はかなりよくやるんですけど、今日はなぜかそれがいつもより異常に気持ちよくて、こんな、公共のひらかれた場でこんなに気持ちよくなっていいのか、何かの取り締まりの対象になるんじゃないかと思うほど頭がふわふわしました。
露天風呂もあったので浸かりましたがそれもなぜか異常に気持ちよくて、こんな、公共のひらかれた場で、と思いましたがそちらにはほとんど人がいなかったので堂々と気持ちよくなっていました。
そしておいしいものを食べました。なんというか、今日はとても、休みをやった、という気がします。いい日でした。こういう、いい日は滅多にない気がします。うれしかったです。
1 note · View note