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Fun Fact
BuzzFeed published a report claiming that Tumblr was utilized as a distribution channel for Russian agents to influence American voting habits during the 2016 presidential election in Feb 2018.
今回のファンダイブは「長く潜ってみる事」に挑戦💪 一日目95分、二日目135分。安全管理の元での長時間潜水🤿 tried "long time diving" by #mareshorizon 1st day for 95min and 2nd day for 135min. I recognised good advantage that using #scrdiving on this time #diving #scubadiving #rebreatherdiving #scr #marinesports #marineactivity #outdoors #ダイビング好きな人と繋がりたい #ダイビング #マリンスポーツ #horizon #アウトドア #趣味 #スポーツ #レジャー https://www.instagram.com/p/Ceh06HBPUMY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
Never regret being a good person, to the wrong people. Your behavior says everything about you, and their behavior says enough about them. - Marc & Angel
--- 自分は相手に対して、打算(エゴ)もなく、ただ純粋に優しさや思いやり、そして敬意・尊重・リスペクトを以って接する:それが自分の普通であるからそうする。それが自分にとっては人として当たり前の事であるからそうする。しかし時に、自分のそういう「接し方・扱い」の価値も分からずそれに���謝もできない人もいて、それに胡坐をかいたり、後ろ足で砂を変えるような行為をこちらに返してきたり、酷くすれば、それを「弱さ」だと勘違いして、こちらを思い通りに操り・コントロールし、利用しようとする者さえいたりする。きちんとした人、優しい人、心の綺麗な人、真面目な人、繊細な人ほど、そういう経験は多いかも知れない。いつもBlogやTwitterなどで話しているように、心の綺麗な人や、真面目な人(見るからに真面目、という人ばかりではなく、どんな風に他人の目に見えている人でも、いつも心の奥底、心のどこかで「ちゃんとしていたい」という信念を抱えている人)や、優しい人は、普通の人よりもこのような経験を多くして、普通の人よりも傷つくことも多く、普通の人よりも「割に合わない」「損してる」と感じる事も多いだろうけれど、【Everything happens for a GOOD reason. 起こる全ての事には、「良い」意味がある=全ての事は「良い」意味があって起こっている】というのは、もちろん「自分がそういう人間に生まれたこと」もそうであるわけで、心が綺麗な人、優しい人、真面目な人、繊細な人は、人一倍多く傷ついて、人一倍悲しみや苦しみを味わう時期を早いうちに経験して、それ故に、それがあるからこそ、普通の人よりも早く、Ego エゴの範疇を出てKingdom of God 神様の王国に入る事になるわけだから、私は、心の綺麗な人、優しい人、真面目な人、繊細な人たちは、普通よりも神様の王国の入り口の近くの地点に生まれさせてもらった人だと思っている - つまり、エゴの範疇を出る事がそう遠くない未来に約束された人ね(もちろん、そうでない人達が悪いとか劣っているというのではなく、ただ神様の王国に入る時期が意図的にずらされていて、後の時代に気付き、目覚め、神様の王国に入る事で、後の時代を照らすという役目になっているというだけだから、
Those who don't want to change, let them sleep. - Rumi
変わりたくないものは、眠らせておきなさい。 - ルーミー
https://twitter.com/Lico_Tweeting/status/957438363388207105
What hurts you blesses you. Darkness is your candle. - Rumi
あなたを傷つけるものが、あなたに恵みを授ける。(それらは全く相反するもののように見えても)暗闇はあなたのキャンドル・ロウソクなのである。 - ルーミー
https://twitter.com/Lico_Tweeting/status/1119459783671554048
だから当然、心の綺麗な人や、優しい人や、真面目な人や、繊細な人が、人一倍そういう経験(悲しい事、辛い経験、傷つく事、失敗、挫折、停滞期のように感じられる時期、草木も生えない不毛状態のように感じる時期、出口のないトンネルに居るように先の見えない状態だと感じること)をするという事は - 今は、自分にも周囲の人間にもそうは見えなくても - それら全ての経験もまた例外に漏れず【Everything happens for a GOOD reason. 起こる全ての事には、「良い」意味がある=全ての事は「良い」意味があって起こっている】であり、【嫌な事は、良い事が起こる前触れ・予兆】であり、【全ては必然であり、無駄な事など何一つとして起こっていない】のだから、全ては、自分がより幸せでより進化した状態に達するための準備であり、エゴの範疇を出てKingdom of God 神様の王国に入る為の準備であり、自分が思い描いた夢の実現のための準備であり、神様の自分に対する愛であり、それは決して「自分から何か大切なものや必要なものを奪おうとするもの」ではない;それがどんなに自分の思い通りではなくても、それがどんなに自分の予想や期待とは違っていても、それがどんなに一般的には苦しい事・悲しい事・辛い事などであるべきだと信じられている事であっても、何一つとして例外なく、「それが起こってこそ、より幸せでより進化した状態へ辿り着ける(更地にしないと、次のより良い建築物は立てられない - だからこその整地作業)」という自分と世界の両方の幸せの為に必要があって起こっている必然であって、通り過ぎれば「あれがあったからこそ、今の自分の幸せがあるんだ」「あれが無かったら、今の自分の幸せはないんだ」と気付くような、それ程までに、より幸せでより進化した未来にとって必要不可欠なもの。だから、嫌な人に会って、嫌な事が起こって、自分の思ったような結果にならなくて、悲しんだり、傷ついたり、苦しんだり、イライラしたり、怒ったり、絶望したり、そういう感情が湧き上がってきたなら、「へぇ、私は今、悲しいんだ」「へぇ、私は今傷ついているんだ」「へぇ、私は今怒ってるんだ」と、そういった負の感情を感じることに抵抗せずに、「起こるがままに起こらせておけばいい」。ただし、『This too shall pass. これもまたやがて必ず過ぎ去る』ということと、「This too is happening for a GOOD reason. これもまた良い理由の為に・良い意味を持って起こっていること - どうせ後になれば、これが起こったことにさえ感謝できるだろう」ということだけは忘れないでほしい;その二つが解っていれば、どんなに打ちひしがれることがあっても、心の底から絶望することも、挫折や絶望を引き摺っていつまでも立ち直れない事も、心底「生きていたくない・死んでしまいたい」と考え、それを引き摺り、実行に移すまでにEgo エゴに操られてしまうこともないだろうから。人は、事故であれ、自分の意志であれ、「あぁ、もうダメか」「もういいや」と思ったとしても、自分に与えられた神様のシナリオ上でそこで死ぬことが決まってないのなら、必ず、不思議なほどに、「死なない」から、何やかんやで助かる。でも、その「死の淵に立った」事すらも、自分にとって「良い」意味があって起こっている事だから、いつか必ずその意味を知って、「あの経験すらも、今のこの幸せを造っていたんだ」と気付く時が来る。何も無駄じゃないんだよ。私は、マリンスポーツしながらとか車を高速で運転しながらとかで命の危機を何回か感じたけど、「もうダメか」「もういいか」と思った時に、不思議にしかも急激に事が展開して、事なきを得たことは何度もあるから、精神性の事を学んで人生を振り返っている間に自然とそれらが思い出されて、「手放している時、道は開ける」「手放している時には、神様が私の体を使える」という事は経験を通して実感することができたから - まぁ、そんな経験をしたことも忘れてて、見事にエゴの目隠しに遭って「手放し方が分からない」ともがいていた時期もあったけど、自然と「思い出す」という事を与えられて思い出して、それによって実際に経験した時から10年以上も経ってからその意味に気付いたわけだけど - やっぱりそういう「死に直面する」ような心地よいとは言えない、いわば「不快な」経験でも、どんな経験でも無駄になんかならない、という事は解る。だから、辛い経験や悲しい経験をしている苦しい時期に死んでしまったら勿体ないわけ - 折角、次の、より幸せでより進化したステージに上がる為の準備が始まっているわけだからね。
You have to keep breaking your heart until it opens. - Rumi
あなたは自分の心が開くまで、自分の心を傷つけ壊し続けなければならない。 - ルーミー
https://twitter.com/Lico_Tweeting/status/1119460822504198144
心の綺麗な人や、優しい人や、真面目な人や、繊細な人は、人一倍傷ついたり、悲しんだり、辛い経験をすることが多いけれど、そういう経験は自分がより幸せでより進化した状態へと引き上げられる為の、Kingdom of God 神様の王国に入る為の「前段階・準備段階」だから、そういう経験が人一倍多いという事を、例え他人が「あなたは、いつもそういう目に遭うわよね」とか「あなたが悪いんじゃない?」とか言ったとしても、「自分が悪いのか」とか、「自分はどうしてこんな人間に生まれたのだろう」とか、「自分が自分である事に嫌気がさす」とか、思う必要は一切ない。思い出して、あなたがそういう人間に生まれた事にも、あなたと世界の両方の幸せや進化の為に「良い」意味があって、自分と世界がより幸せでより進化した状態になるために必要があるからこそ神様のシナリオ上でそうなる事が既に決まっていたからこそ起こる必然であって、何も間違えでもなければ、失敗でもなければ、悪い事なんかであるわけがない。大体、優しさや思いやり、そして、リスペクト・尊重・敬意を以って人に接すること、即ちLove 愛主導で生きる事がマイナスなんてことは、『God is Love 神様は愛である』以上有り得ないんだよ - 例え、そのせいで自分が踏みにじられたり、騙されたり、利用されたり、裏切られたり、後ろ足で砂を掛けるような無礼な扱いを受けたとしても、相手がどんな人間であれ自分が「思いやりを持った」「優しさを持った」「リスペクト・尊重・敬意を持った」という【Love 愛】を放ったという事実は、決して無駄にはならない。【What you radiate within yourself will come back to you in some way eventually: That's Karma. 良いものであれ悪いものであれ、自分が内面で発しているものは、相手が変われど、場所が変われど、状況が変われど、必ず、何らかの形で同質のものが自分に返ってきて自分の経験となる:それがカルマ】だから、例え、自分が優しさや思いやりや相手を尊重する意志や敬意を以って接した相手が、自分の行為・振る舞い・思いの価値や意味を見極める能力に欠けていて、「大切に丁寧に扱われたこと」の有難味を理解できず、気付きもせず、踏みにじり、裏切り、打算を以ってエゴい姿勢をこちらに返して来ようと、構わないのよ;だって、自分は「Love 愛=God 神様」を放ったんだから、自分に返ってくるものは「Love 愛」なんだし、相手が放ったものが「Fear 恐れ=Ego エゴ」であるならエゴや恐れが返ってきて再び経験しなくてはならないのは相手であって、自分ではないんだから痛くもかゆくもないんだもの。自分が「Love 愛」を注いだ相手から、直接「Love 愛」が返ってこない時もあるけれど、相手が変われど、場所が変われど、状況が変われど「必ず」同質のものが自分に返ってくるのだから、「Love 愛」を放ったのに自分に返ってこないわけではないし、「Love 愛」を放って損したなんてことにはなっていないんだよ。「自分が優しくした相手にも自分に優しくしてほしい」というのはEgo エゴ(個・分離)の持つ狭い視野なだけであって、そういう狭い視野で期待をしていると「思い通りにならない」「人生、ままならない」という気分になる時もあるだろうけれど、それは必ず何らかの形でちゃんと自分に返ってきている;それは似たような形で他の誰かから返ってくるという比較的分かりやすいものかもしれない。それは今日も普通の一日を送れていることかもしれない(エゴで返してきた相手は、今日も「この世界は生き馬の目を抜く様な場所・地獄だ」と信じて、戦々恐々としながら、戦略や策略や根回しや他者 - 人でも動物でも自然でも - を騙したりManipulateすることに夢中になっていて心休まる暇もなく過ごしていて、そんな風にStressfulな毎日を送っているから体も壊しているかもしれないし、イライラして車で事故ってるかもしれない)。それはエゴい人達には持てない(いつもエゴい思考をしている人は、本当に心から人と結びつくことができず、例え多くの人と繋がっていても、ほとんどが何らかの利害関係で繋がっているだけで、何かあった時にも決して互いを見捨てたり離れたりしないという信頼し安心しあえるような人間はほとんど居ない - エゴを発している以上エゴい人間が自分の周りに集まるから、彼らはお互いさまなのよね)小さくても絶対的な信頼に値する人間関係かも知れない(当たり前に思いすぎてそういう存在に気付いていないかも知れないけど)。それはある日ふとであって「癒される」感覚をくれた街の野良猫との出会いかも知れない(もしくは、自分が傷ついた動物を助けるという行為かも知れない - そうする事で自分が癒しているつもりで自分が癒されて、更に愛を放って、返ってくる愛を倍加させているという形で)。それは10数年後に「既にある・既に受け取っていた」事に気付く神様からのプレゼントかも知れない(上で書いた、私の気付きみたいにね)。そして、それは、あなたを傷つけたエゴい人たちよりも早くエゴの範疇を出てKingdom of Godに入って、全ての重荷を肩から下して、全ての問題から解放されて、全ての束縛や縛りや制限から解放されて、エゴの範疇に居た時には想像もできなかったような「安心」や「幸せ」や「自由」や「豊かさ」や「完璧」や「無限」や「一体」を感じられる状態や経験を経験するための準備をさせられているのことであるのは間違いないから、そうやって階段を一段一段積み上げるように「Love 愛」を積み上げている分、「Fear 恐れ」や恐れから生じる「Ego エゴ」ばかり放って「Love 愛」なんか殆ど積み上げてない人に比べたら - 自分にも、周囲の人間にも、エゴを放った人間にも、人間の目には今は未だ見えないかも知れないけれど - それは確実に、大きな差を生んでいるだよ。だから、心の綺麗な自分を、優しい自分を、真面目な自分を、繊細な自分を、決して、悔いたり、疑ったり、嫌ったりして、見捨ててはいけない。自分がそういう人間に生まれた事を、誇りに思って、どこまでも自分がこういう自分に生まれた事を信じて、どんな時にも自分を信じて自分の決断を信じて自分の選択を信じて、いつでもどんな時にも堂々と自分のままで居続けて。【Everything starts from within. 全ては内面から始まる】だから、目に見えない所で積み上げたものが、やがて、現実で形となって目に見える日が来る - その時、「あぁ、これが自分が積み上げた愛と、愛を積み上げてこなかった人の間に生じた差なんだな」というのを実感して、自分は自分に生まれて良かったと、神様に感謝する時が来るよ。だから、どんなに時間がかかったとしても、決して自分を疑わずに、その日を楽しみにして、胸を張って自分のままでいて。
自分を傷つけた人の事も、自分を裏切った人の事も、自分を見捨てた人の事も、自分の本当の価値を見ようともしなかった人の事も、自分の優しさや思いやりや愛を理解しようともしなかった人の事も、自分を見下した人の事も、自分を嗤った人の事も、自分に嘘を吐いた人の事も、自分を騙した人の事も、自分を都合の良いように操り・コントロールし・利用した人の事も、放っておいて(Let it go 手放して、Let it be あるがままにさせ、Give it freedom to be as it is 好きなようにさせ・起こるがままにさせること、Rumi ルーミーの言う通り『眠っている者は眠らせておけ。起こす必要はない』 = 起こそうとしても、その人が与えられた神様のシナリオ上で起きるタイミングにないものは、何をしようと起きたりしないから:起きるタイミングが来れば、何をしなくても自然と起きるものだから、スルーし、放っておく、干渉しないこともまた、沢山あるLove 愛の形のうちの一つだから、そうする事で自分に返ってくるものはまた「Love 愛」なのよ=Non-attachment / Detachment ノンアタッチメント / デタッチメント https://twitter.com/Lico_Tweeting/status/1096996573253234689 そういう事が解らない、つまりLove 愛が何たるかを分からない人間が、そういう中庸で、心の平穏・軸を保った姿勢を「冷たい」とか「無関心」とか「無責���」だと文句を言おうとね。言いたい奴には言わせておけばいい - 放ったエゴが返ってきて苦しむのは、そ���を放った本人であって、自分ではないのだから)、ただ自分が自分のままであればいいからね。本当の自分を解ってもらおうとか、自分の真意を解ってもらおうとか、解らせてやろうとか、謝らせてやろうとか、戦ってやろうとか、勝ってやろうとか、仕返ししてやろうとか、いつか見返してやろうとか、エゴい人間の考えそうな事を考えて、自分までが自分のエゴに操られて囚われてしまったら、折角Kingdom of God 神様の王国の入り口に近い所に生まれさせてもらったのに勿体ないでしょ;まぁ、元々心が綺麗だったり、純粋だったり、優しかったり、真面目だったり、繊細だかったりする人は、そういうエゴっぽい考えが一時的に浮かんだとしても、結局はエゴい人間にはなり切れないようになってるから(どうせ、守られてるから=どうせ誰もが、自分は自分として生きるように決められてあるから)、やりたかったらやってみたらいいよ - ちょっと回り道にはなるだろうけどね。
Three things cannot be long hidden: The sun, the moon, and the truth.- Buddha
長く隠されたままではいられない3つの事:太陽、月、そして真理・真実である。 - 仏陀
https://twitter.com/Lico_Tweeting/status/977494128802938880
だから、他者を傷つけてでも自分の都合の良いように事を運ぼうとするようなEgo エゴい人間が、どんなに綺麗事を並べても、一部の、エゴのレベル・精神レベルが同じくらいかそれ以下の人は騙せても、全ての人を騙すことはできないし、いつまでも最後まで騙し続けること・偽り続けるもできない。そもそも、自分のマインドの中の想念・思考は、自分が都合の良い時に発して、自分の都合の悪い時には隠しておけるような性質のものではなく、24/7いつでも常にダダ漏れだから、(Oneness ワンネス - 全てのものは繋がっていて一体だから、人間よりも感覚が優れている)動物は、動物に対して愛を持たない人が表面では「良い人ぶって・優しい人ぶって」動物に近づいても、心を開いてくれなかったり、見透かされたように言う事を聞いてくれなかったりするんだし、それと同じように(神様は自分の中に居るのに・神様とも一体であるのに)、Ego エゴい事を考えておいて、エゴい思想を持っておいて、エゴい信念を抱えておいて、それを自分が認識できる意識の浅い部分でどんなに正当化しようと、自分の本当の所を隠せるわけではなくて、筒抜けになってる。だから、Karma カルマは誰の事も見逃さないし、必ず、自分に返ってくる。だから、真実は決して長く隠されたままではいられない。そんなわけだから、誰に知られてもいいような、正直に、真っすぐに、堂々と、公明正大な生き方をした方が、余計な気苦労をしなくて済むんだけど、Fear 恐れを感じやすいEgo エゴ(個・分離)として生きている人たちは、「本当の所を知られる」それによって「自分を認めてもらえないこと・受け入れてもらえないこと=稼げない・食べていけない=命の危機」を恐れて、いつも人と比較して、競争して、戦って、色々と余計な嘘を吐いたり、余計な戦略や作戦を講じたり、根回ししたり、他者を自分の都合の良いように操ろうとしたり、それが一時的に上手くいったりすると「自分は賢いから、懸命に手を打って、それ故に他者を踏み台にして上に行けたのだ。」とか勘違いしちゃって、どんどんエゴの沼の深みに填まっていく(いやいやいや、見えてないのは、解ってないのは、エゴに目隠しされてるあなたの方だけど、この先も人生大変そうねって感じだけど)。そのエゴの沼からは、比較することも、競争することも、戦うことも、戦略や策を講じることも、根回ししたり、他者を自分の都合の良いように操りコントロールし利用し踏み台にすることも、そういった「Fear 恐れ=Ego エゴ」から生じる全てを、Let go 手放して、そういうものから一切合切足を洗わないと、出れない。だから、嘘を吐く人と嘘を吐かれる人、騙す人と騙される人、他者を操る人と操られる人、他者を利用して踏み台にする人と利用される人、他者を自分都合の良いようにコントロールしようとする人とコントロールされる人の、どちらがヤバイ状態・危機的状態にあるかといったら、「自分は賢く振る舞ってる」つもりでエゴを発し続けてる前者の方なのよ(今現在、どんなに多くのものを持っていても、どんなに華やかに見えても、優位に見えても、そんな目に見えているものには一切関係ないのよ - だって一段一段積み上げていくLove 愛の階段なんか人間・エゴ・分離である以上誰にも見えやしないんだから。だからこそ、本人たちは気付いていないと思うけど)。企業家&大金持ちやってたけど何故か政治的リーダーになった人も何度も何度も破産(自分の世界が壊されて、自分のエゴによって手に入れたものは失って、整地される)を繰り返しているのに未だにエゴのままだからきっといつかまた整地されるんだろうし、10億単位で稼いでいた人もエゴを発し続けることを止めずにいたらちゃんと整地されて今は噂にも上らない(それはそれで、そういう人たちが本当に幸せになるために通らなくてはならない道であって必然だから、それでいい) - 『Karma is a bitch カルマはビッチ・嫌な奴だよ (Grin)』って映画のセリフにもなってるけど、それはKarma カルマは、誰の事も、どんな人の事も、決して見逃したりしない、必ず返ってくる、という事から言われてることで、エゴを発さない人や故意に人を傷つけたり悪い事をしない人にとっては、「(何もしなくても・自分が手を下さなくても・自分の手を汚さなくても)確実に制裁は下る」という安心の品質保証みたいなものよね。人が抱えている思念、思考、信念・観念・概念、そしてそこから生じる、発言、選択、行動にその人そのものが現れるから、Ego エゴい事を考えている人って、その人の肩書やステイタスやフォロワー・友達の数や持ち物などの目に「見えるもの」に囚われずに、「中庸」な立ち位置で単純に純粋に、ただその発言や行動を見てると、その人のエゴをちゃんと感じることができるのよね。それが不思議な事に、どんな善行を行っている様子が映像に映し出されていても、その人がエゴを発している状態だと、何だか解らないけど「違和感」とか「不快」な感じがするし、絵画とか映像とか「言葉」を使わない作品でも、説明や解説とは関係なく、何だかわからないけど「違和感」や「不快感」を感じる時があって、そういう時は、作者やそれに携わった人のエゴを感じ取っているんだと思う(近寄らない・関わらないのが吉)。逆に、「本質的に」心が綺麗な人だったり、優しい人だったり、真面目できちんとしている人だったり、繊細な人だったりすると、その人がそれを隠すように悪ぶってみても、世の中の基準でいう「普通」や「当たり前」とは違う地点に立っていても、その人やその人の作品には自然と惹かれるし、そこに「Love 愛」があるのを感じるし、時に、泣くような場面じゃない所で涙が溢れてきたりさえする。人間は、自分が思う以上に、自然の一部で、動物のように、純粋に且つ鋭く、自分に必要なものを感じる力がある(何だかわからないけど、特に理由もなく「違和感」「不快」を感じる時は「それを選ぶな・その方向に進むな」という事を教えているサインで、何だかわからないけど、特に理由もなく「惹かれる」「心地よい」「共に在りたい・経験したい」と感じる時は、「それを選べ・そっちの方向に進め」というサインで、どちらも自分が進むべき道に進んで、進むべき道には進まないようにするための、自分にとって「必要」なもの。それは誰もが自然と自分の中に湧き上がるという形で感じることができるもので、その必要なものを感じ取る力は、自分が自覚していようとしていまいと、誰もに備わっている力)。だから、心の綺麗な人、優しい人、真面目な人、繊細な人、純粋な人、騙されやすい人は、安心して、自分が自分であることに専念していればいいの。それは自分がわざわざ自分の価値を証明しようとしなくても、自分の真意を説明しようとしなくても、必ず、確実に、伝わるべき人に伝わっているから - 何もわざわざ自分の下僕のように細々と自分という存在を解らせるために働く必要なんかないのだから、King 王様やQueen 女王様のように、大船に乗った気分で、でーんと構えていればいいの(自分を丸ごと愛して、自分を丸ごと受け入れて、自分で自分の価値を認めれば、世界はそれに付き従って動くようになってる:それがこの世界の法則だから。そもそも自分が起点なのだから、自分が世界によって動かされたり、自分が世界の動きを窺ってそれに反応したりしていては、いつまでたっても自分の人生の主導権なんか自分で握れない。世界に動かされるのではなく、世界・他人の動きと一切関係なく、自分が自分を愛して自分を「それでいい」「それで完璧」だと認めなければ、世界が「それでいい」「それで完璧」だと言って自分を愛してくれるわけがないのだから)。折角、生まれながらにKingdom of God 神様の王国の入り口の近くに生まれさせてもらったのに、人に嘘を吐かれたり、人に騙されたり、人に裏切られたり、そういうエゴい人のやるエゴい事を食らう度に、「何でこうなる?」「自分が悪いのか?」「またこんな目に遭わないように気を付けないと」なんて考えて自分を疑って、自分の価値を見失って、グラついてしまうから、そういう経験を繰り返しているだけ。【言いたい奴には言わせておけ。エゴい事をやりたい奴にはやらせておけ。誰がどんなにエゴを放って来ようとも、誰がどんなに自分の真実とは違う事を噂しようとも、私は私であることを誇りに思う事を止めたりはしないし、私であることを止めない。好きなように振る舞えばいい:誰かがエゴを発してくるなら、私はその人間をその時点で「選ばない」という選択をする(そこで切る)だけ。その人間のエゴい発言や振る舞いは、その人間を表しているのであって、私を表しているのではない。そして、その人間が発したエゴはその人間に返るのであって、私に返ってくるのではない。つまり、私はどんな人間のエゴい発言や振る舞いによってであれ、一切損害も損失も被らないのだ】という事に気付いて、そういう立ち位置に立てるのなら、まるで見えないシールドが張られたように、エゴい人間もエゴい人間の放つ言葉も行動も振る舞いも、自分の心を傷つける事はできなくなるよ(実際の経験から言ってね) - そして、やがて、エゴい人も誰かがエゴから起こす「不快」な出来事も自分の人生から消滅して、自分の世界は静かで穏やかなものになるよ(これも経験から言ってね)。ここで感じる自由はエゴの範疇に居た時には想像もできない規模ものもだよ。めでたくKingdom of God 神様の王国の中に入ったというわけ。そしてやがて、それが人間関係のみならず、あらゆる面で、その立ち位置に立ち続けていられるようになって、更に、もっと大きな自由を経験する - と言うように、今ここで「幸せ」や「安心」や「自由」や「豊かさ」や「完璧」や「一体」といった「Love 愛」を感じて、それに意識が向くようになれば、それはどんどんと増幅していく。だから【世界や他人の反応とは一切関係なく、自分を愛して、堂々と胸を張って、自分の心に正直に選択し、自分らしく自分として生きること】は、自分が自分の人生の主導権を取り戻す始まりであって、自分の夢が叶った未来の始まりであって、自分が経験しうる全ての幸せの始まりなの。
Love yourself first and everything else falls in line. You really have to love yourself to get anything done in this world. - Lucille Ball
先ず自分を愛しなさい、そうすればそれ以外の事はそれに合わせるように(付き従って)ちゃんとあるべきように(自分が愛せるような形に)なる。この世界で何かを成したいなら・やりたい事と思っている事をちゃんと完遂させたいなら、本当にあなたは自分を愛さなければならない。 - ルシル・ボール
https://twitter.com/Lico_Tweeting/status/982980906519379968
A lot of parents will do anything for their kids except let them be themselves. - Banksy
多くの親は子供のために何でもしてあげるでしょう、自分のままで居させてあげる事以外は。- バンクシー http://butterflyeffect-blog.seesaa.net/artic…/405313806.html )。
https://twitter.com/Lico_Tweeting/status/1119467781739569152
親がどんな風に自分を育てようと、学校で教師が何と教えようと、社会では何を「普通」で「当たり前」と信じていようと、そんな事には関係なく、まず、『他人の発言や行動や選択は、その人を表しているのであって、自分を表しているのではない』他人がどんな風に受け止めようと、他人が真実ではない事を信じようと、他人が自分の都合の良いように状況をコントロールし自分を利用しようとしてこようと、無礼な態度をしようと、失礼な扱いをしようと、意地悪であろうと、小汚い手を使って来ようと、例外なく、それはその人間がそういう人間であることを表しているだけで、自分を表しているのではない、という事をしっかりと理解すること。それが解っていれば、他人がどんなエゴや恐れや悪意を以って、どんな行動にでようとも、それは自分に何の影響も及ぼさないのだという事が解るから(Remember, no one can make you feel inferior without your consent. - Eleanor Roosevelt あなたの同意なしには誰もあなたにあなたが劣っていると感じさせることはできないのだ、と言う事を忘れないで。 - エレノア���ルーズベルト。日本の名言集とかでは、あなたが自分は劣っていると感じるのは、あなたがその意見に同意するからです、と訳されている事が多いのかな)。『人の発言や行動や選択は、その人を表している』だからこそ、自分は心の綺麗な人間でいる事を自分で選び、優しく思いやりのある人間であることを自分で選び、真面目できちんとした人で居る事を自分で選び、繊細で純粋な人間であることを自分で選び、「Choose Love over fear 恐れを超えてその先の愛を選ぶ」人間であることを自分で選び、打算のない人間であることを自分で選び、裏表のない人間であることを自分で選び、他人がどんなであろうと、自分は自分の為に「自分が愛せる自分」でいることを自分で選んできたんだよ:それを理解されない時も、それを正当に評価されない時も、それを踏みにじられる時も、それなのに裏切られる時もあったかもしれないけれど、そもそも、誰かに認めてほしいからじゃなく、誰かに褒めて欲しいからじゃなく、誰かに見返りを期待しているからじゃなく、そう生まれちゃったからじゃなく、自分はこんな人間だからじゃなく、自分が「自分が愛せる自分でいるために」「自分が信じる最善の自分で居るために」「後ろめたさや、疚しさや、後ろ暗さを抱えないで堂々と自由に生きられる自分であるために」「自分が幸せに感じられるような自分であるために」「自分が自分であるために」「自分の為に」自分の意志を以ってそれを選んできたのに、それを自覚していないだけだよ。だからもしも、「私はこんなにも、他者を思いやっているのに、優しくしているのに、痛い目ばかりに遭う」というような人は、この先は、自分は、そういう人間に生まれたからとか、親にそう育てられたからとか、良い子にしてないと世間の目が怖いからとか、良い人でいないと人に好いてもらえないからとか、それを理解されないという出来事が起こったから・それを正当に評価されないという出来事が起こったから・それを踏みにじられるという出来事が起こったから・それを裏切られるという出来事が起こったから自分があの時「そうしたくて、優しくし、思いやりを持ち、愛を注いだ」という「自分がその時最善だと思って下した選択」に疑問を抱いたり後悔したり、そういう「世界に動かされて・世界に反応して・世界に流されて(受動的)」世界に自分の人生の主導権を握らせておく形ではなく、ちゃんと自分の本当の価値を知って、自分の意志を以って自分で選んで「This is who I am and what's wrong with it? これが私という人間ですが、何が悪い?(悪いなんてことあるわけがない)」という能動的・積極的・自発的な姿勢で、自分の価値も、自分の選択も、「他人や世界の動きや反応とは一切関係のない所で、自分で決めて」、自分の下した選択を途中で疑ったり見失ったりせずにどこまでも貫いて、そうやって自分で自分の世界や自分の人生を牽引し始めることで、自分の人生の、自分の世界の主導権をしっかりと自分の手に取り戻すことができるから。この世界に存在するものは全て、人であれ、動物であれ、自然であれ、物であれ、出来事であれ【あるがまま、自然体であれば、それで完璧】だから、決して、「意地悪で、エゴくて、打算だらけで、小汚い手をつかって、嘘で塗り固めて、他者を足蹴にして踏み台にして、そういう人たちの方が幸せそうだから、お利口さん・良い人でいるなんてバカバカしい」なんて思って、そういう人たちみたいに変わらなきゃいけないと考えて、そういう人たちのしている事を真似したり、自分を不十分だと思ったりして、自分ではない何かになろうとしたりしないで、自分に「それでいい」と言ってあげて、自分が自分に正直に自分らしく自然体でいる自由を自分に与えてあげて、ありのまま・そのままの自分でいることを自分に許してあげて - それだけで自分の人生の主導権を取り返すには、自分の世界を変えるには(延いては世界全体を変えるにも)充分過ぎるほどの完璧だから🦋🙏❤️🕊️