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#新幹線の通過、見たかったな~
yoooko-o · 2 years
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02/08/2022
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shunya-wisteria · 5 months
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秋旅2023 横川~アプトの道へ
信越線 群馬側の終点 横川からアプトの道を散歩してみた。
関東近辺も紅葉が色づき始め、一度 行ってみたいなと思っていたアプトの道をこの度 散策。何気に群馬県に降り立つのは初めてかもしれない(いつも通過ばかりなので)。
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北陸新幹線(当時は長野新幹線)長野先行開業に合わせて、廃止となった旧信越本線 横川-軽井沢。その線路跡の一部を遊歩道として整備したのが、このアプトの道。 下り線の一部は今も碓氷峠鉄道文化むらの施設として、トロッコやかつての電気機関車が走る一方で、上り側は線路もはがされた歩行者専用。とはいえ錆びた信号機等、鉄道遺構も残っていることもあり、前面展望の列車に乗っている気分がしなくもない。かつて列車を苦しめた難所 碓氷峠の勾配を登っていきます、歩いて登る分にはダラダラ坂なのでそんなに苦ではないね(なお、下りは後述…)
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途中の温泉施設から先は、さらに古い信越線の旧線跡(長野新幹線開業までに使われていたのは新線)に道はつながります。レトロなトンネルを何個もくぐり、一度道をそれて碓井湖の眺望を楽しんだのち、さらに足を進め。。。
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歩き始めて2時間弱、目的地 めがね橋で知られる碓氷第三橋梁。レンガ積みの壮大な橋梁で、ここもかつては信越旧線が通っていたところ。なかなかの高さがあり、眼下に紅葉した山々のグラデーションを楽しめました。いやぁ、美しい!わき道から険しい階段を降り橋を見上げれば、某峠を攻める漫画をもとにしたゲームで見覚えのある光景に。聖地みたいなものなので、スポーツカーでお越しの方もちらほら。なるほど、車で来るのも楽しそうね。
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アプトの道はもう少し続きますが、足腰の疲れがいい感じ(嫌な感じ)にきはじめていたので、ここでUターンします。一転して今度は下り勾配。登るときは特に何も感じなかったダラダラ坂ですが、下ってみると結構 急に感じるものね。踏ん張りをきかせないといけない故に、足が辛い。。。というわけで中間地点くらいの温泉施設 峠の湯でお湯につかり小休止。冷たい峠風を浴びながらの露天風呂は最高でした(ちょっと湯温が低めでしたが、まあその分 長湯できるということでよしとしましょう)。
湯冷めしないよう速足で来た道を戻り横川駅へ。道中、くつろぐお猿さんも。
遅めのお昼に、おぎのやの峠の釜めしをいただいた後、電車に揺られ帰路へ。気持ちよく寝られました。
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tutai-k · 6 months
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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papatomom · 7 months
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20230923(stu)
北陸新幹線、金沢から敦賀までの試験走行が始まった。
わたくしめも野次馬根性で、県内にある新幹線のビューポイントの一つ文殊山トンネルの真上で「East i(イーストアイ、地上設備の状態をチェックする試験車両で検測車というらしい)」の通過を待つ。
福井駅を出たよという「X」のポストを見て、やっと来るかなという期待が、何故か南福井駅あたりから福井駅に引き返したという情報で、見学者らは落胆。帰る人もぼちぼち出てきた。
ぼくも含めて皆さん2時間以上待っているので、さすがに飽きた。鉄道ファンでもなんでもないので、ぼくもどうしようか迷っていたところ、再度福井駅を出発したとの情報が入り、まもなく「East i」が高架のカーブから赤い顔をあらわし歓声が。来年の3月16日の開業が楽しみになってきた。
他の写真は、9月初旬の彼岸花と23日に貰った金沢土産「うら田」の「加賀八幡 起上もなか」。
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yasumitani · 1 month
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個人的に早く見納めになって欲しい福島駅の平面交差を通過。何度通過してもおっかない。
頭では新幹線の運行保安システムは理解しているし、それを支える人々のたゆまぬ努力が安全を保っていることに敬意を表するけど、心情的にやっぱりおっかない。
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nanaintheblue · 10 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを送れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決めつけて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果を��んなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって武器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方���楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思った。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい」と思うことがあるなんて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わないでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはここまで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄越したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさまった。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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kou-fuk · 4 months
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RTSで撮った写真、
撮ったまま放置してたのでここで供養することにする。
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①新幹線こだま
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この新幹線シュッとしてかっこいいよね。
でも空力的には最新のカモノハシみたいなやつがいいらしく、
見た目ほどはスピード出ないらしいw
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②小倉駅
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モノレールがそのままビルのコンコース内に突っ込んでて
カッコいい。
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③魚町銀天街
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この手の田舎のアーケードにしては栄えてるほうだと思った。
でも中はパチンコ屋やらネットカフェやらで昔ながらの感じではない。
カメラ屋さんもあった。
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④旦過市場
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こっちは見ての通り栄えてる。「北九州の台所」。
一部は火災で焼け落ちて2枚目みたいにプレハブの
仮設商店街になってた。
カブをメッチャカッコよく撮れたw
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⑤小倉城
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昔は開けた小高い場所に建ってたんだろうけど、
今は完全に街の中の低い建物になってしまった小倉城。
左のガラス張りの建物は市役所らしい。
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⑥小倉城庭園
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自分は身体がデカいのでこういう昔の建物に入ると
大体ふすまの淵に頭をぶつけますw
五月人形?が飾られてたけど、もう文化的にも
この辺りは厳しいよね。
自分が小さいころはちゃんと飾ってた家も多かったけど。
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⑦小倉城城内
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平日の昼間からお爺ちゃん二人が酒盛りしてたw
お堀の水は濁っててちょっと臭いw
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⑧若戸大橋と渡船場
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モノクロフィルムで撮ったからわからないけど、
真っ赤な橋で、一部塗替え用の足場がついてた。
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この辺りで1本撮り終えてフィルム交換したはずなので、
続きは未現像フィルムの中に眠ってる…はず。
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nyantria · 2 months
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アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅
昭和天皇と731部隊
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。
 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。
新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)
・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。
1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・
 石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。
このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。
 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)
・『731部隊-天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・
 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。
・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。
・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。
・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべ���の細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。
・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)
・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。
日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
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shintani24 · 2 months
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2024年3月5日
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昭和50年代 広島市写真展(広島テレビ)
昭和50年代と現在の広島を比較し、変遷をたどる写真展が、きょうから広島市内で始まりました。
カープが初優勝した1975年。山陽新幹線の岡山・博多間が開業し、「カープの優勝は新幹線のおかげ」とも語られました。
旧日本銀行広島支店では、広島市が大きく発展した昭和50年代の街並みと現在を比較する写真、およそ170枚を展示しています。
会場には1981年に撮影された巨大な空中写真も展示。訪れた人たちは現在のマツダスタジアムの近くにあった貨物駅などを見ながらかつての景色を懐かしんでいました。
「ほとんど見たことがある写真団塊の世代ですからちょうど」
写真展は、今月10日まで開かれています。
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減少する街の書店、国が本格的支援へ…読書イベント・カフェギャラリーなど個性的な取り組み後押し(読売新聞)
全国で減少する街の書店について、経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を5日設置し、初の本格的支援に乗り出す。書店は本や雑誌を売ることを通し、地域文化を振興する重要拠点と位置づける。読書イベントやカフェギャラリーの運営など、個性ある取り組みを後押しする方策を検討する。
経産省によると、プロジェクトチームは映画や音楽、文芸などを扱うコンテンツ産業課に事務局を置く。キャッシュレス決済の推進や中小企業支援を担当する部署も参加し、部局横断型で事業内容の議論や調査を進める。
今後、経産省の担当者らと書店や出版関係者による車座ヒアリングの開催を予定。非効率な出版流通の改善や店舗運営におけるデジタル技術活用の必要性など課題を把握する。店主が一冊ずつ良書を選んで入荷し、店のサイトやSNS上で紹介する個人書店や、カフェや文具店を併設し魅力的な読書空間を作る書店チェーンなど優れた事例を共有し、支援策の参考にする。
街の書店は、インターネットの普及による紙の出版物の不振やネット書店の伸長により苦境が続く。日本出版インフラセンターによると、2013年に全国1万5602店あった書店の総店舗数は、22年に1万1495店に減った。
一般財団法人・出版文化産業振興財団(東京)の調査によると、全国の市区町村のうち、地域に書店が一つもない無書店自治体はおよそ4分の1にのぼる。本や雑誌を直接手に取って購入できない人が増える深刻な状況となっている。
本と出会う機会喪失に深刻な危機感
経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を設置する背景には、街の書店が減り、多くの人がリアルな空間で未知の本と出会う機会を失っていることへの深刻な危機感がある。全国の自治体のうち約4分の1はすでに書店がなく、実際に地域による文化格差は生まれている。
世界経済のグローバル化が進む中、経産省は、映画や音楽をはじめコンテンツ産業の振興を掲げる。「経済が成熟する中で、自国のサービスや商品が海外で勝ち抜くには、文化による新たな付加価値をつけることが必要」と語る。だが文化の基盤である活字や本に人々が広く触れる環境がなければ、新たな魅力的な発想は生まれないだろう。
韓国では、日本の文化庁やスポーツ庁などにあたる文化体育観光省管轄の「韓国出版文化産業振興院」が中核になって支援事業を担当。独立系書店と呼ばれる中小の書店が活気づく。
東京都文京区で街の書店「往来堂書店」を営む笈入(おいり)建志さん(53)は、「雑誌が売れた頃は、お客が定期的に街の書店を訪れる習慣があった。今は2000年頃に比べ、お客は7~8割になった感覚だ」と語る。人々が本を買いに店に立ち寄るきっかけを作るため、トークイベントや読書会などを開く工夫をしている。
各地の書店には、優れた選書眼や読書イベントの経験を持つ書店員たちがいる。まずは、現場から優れた事例を集め、何ができるのか国や民間の垣根を越えて知恵を絞りたい。(文化部 小杉千尋)
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)
見解 街の書店の苦境は、稼ぎ頭だった週刊誌などの雑誌の衰退や漫画の電子本の台頭も要因で、それに店主の高齢化による廃業や後継者不足で店舗数の減少が加速化した。
一方で、若い人を中心に特色ある書店の出店も盛んになりつつあり、紀伊国屋書店をはじめとする大手は堅調で、大型のショッピングモールには書店が必ずと言ってある。
経産省の「書店振興プロジェクトチーム」の設置は、遅まきながらの感もあるが支援は必要だ。ただ、官主導での取り組みだけではなく、地域の人たちがどれだけ書店を必要としているか、そのため主体的に何ができ、何をするのかが求められている。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)
見解 生き残って頑張っている街の書店は、イベントやSNS発信によって文化の灯を消さぬよう努力をしている。しかし、書籍小売業が苦しいのは、本が売れなくなったことに加えて、本がある程度売れたとしても、粗利率が低く抑えられているため(2割強)、収益の確保が難しく、持続するのが困難なことにある。この解決策を見つけたのが、ヴィレッジヴァンガードである。今は店舗を広げすぎて業績が苦しい状態ではあるが、かつて、ヴィレヴァンは、総売上の6割以上を雑貨で構成することで、読んでもらいたい本の売場(売上の3割弱)を維持することに成功した(2002年時点のデータ)。この時の同社の雑貨粗利率36%、本は21%であり、これで事業としての持続可能性を構成していたのである。書店支援は単に予算を流し込むのではなく、書店が事業として収益確保するため、商材やサービス及び、自立的ビジネスモデル開拓の支援に、重点を置いてほしい。
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「書店」10年間で764社が倒産や廃業で消えた(東京商工リサーチ 3月10日)
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「書店」倒産、休廃業・解散、新設法人 社数推移(1-12月)
書店運営会社(以下、書店)の市場退出が止まらない。2014年以降、書店は倒産・休廃業が新設法人を上回る状態が続き、10年間で764社が市場から退出した。店舗数の減少も続いている。経済産業省は3月5日、「書店振興プロジェクトチーム」を立ち上げ、支援意向を示すが、ネット書店や電子書籍に押された書店の減少に歯止めがかかっていない。
書店の倒産 ピークは太洋社破産の2016年
書店の倒産(負債1,000万円以上)は、2014年から2023年の10年間で140社に及ぶ。
ピークの2016年は25社発生した。2016年は、出版取次の(株)太洋社(千代田区)が自主廃業の方針から一転して3月に破産を申請した。連鎖する形で同月30日までに18社の書店が、次々と倒産や廃業に追い込まれた。書店の経営環境が厳しさを増し、書籍を卸す取次店の業績悪化も深刻な時期だった。
その後、書店の倒産は一進一退が続き、コロナ禍では資金繰り支援や巣ごもり需要などを背景に、倒産は減少に転じた。2021年、2022年の倒産は各5社と小康状態にあったが、支援縮小や特需が一巡した2023年は一気に13社と2.6倍に急増した。
書店の休廃業・解散が高止まり
倒産以外で事業を停止した休廃業・解散も分析した。太洋社が破産した2016年の休廃業・解散は63社(前年比28.5%増)と急増。その後も増勢をたどり、2018年は78社、2019年は77社と高水準が続いた。
コロナ禍では倒産と同様、休廃業・解散も減少したが、60社前後で高止まり状態にある。
倒産と休廃業・解散の合計は、ピークの2019年に101社に達した。コロナ禍では減少したが、2023年は67社に微増し、過去10年間で764社が市場から退出している。
書店は8年連続で純減
一方、書店の新設法人は、2013年が81社だった。2013年の倒産と休廃業・解散の合計は75社で、書店は6社の純増だった。
ところが、新設数の減少から2014年は8社の純減に転じ、2019年は56社まで純減が拡大した。コロナ禍の2022年も21社の純減で、2014年から8年連続で純減が続いている。
電子書籍が浸透し、書店の存在が揺らいでいる。店舗で目当ての本を探す楽しみや、知らない本との出会いも、書店の減少で失われつつある。書店の復活には“待ちの営業”から客足を向かせる創意工夫への転換と同時に、国や出版社の継続的な支援が必要だ。
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changyama44 · 14 hours
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4/28(日)
関東2日目
旭リスナーさんの家で起床
無理やりにでも起こしてくださいって頼んでたくらいだったのに1番に起きてしまったw
睡眠時間はそんな長くないはずなのに不思議と睡眠不足感は無く気持ちいい朝だった
朝から楽しくお喋りさせてもらって、9:45頃に旭駅に送ってもらった
旭リスナーさんとはここでお別れ
ほんとに優しくて楽しい人達だった
また会いたい
旭駅でポカリを買って幕張メッセに向かった
海浜幕張駅に11:30頃到着
超会議に行く人達ばかりみたいでみんなについていったら幕張メッセ到着
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プレミアムパスの受け取りを入口前でやってたから僕も貰えることを思い出して立ち寄った
会場内で更にバッジやお菓子をもらえるとのことだった
会場内は凄い人!
過疎サイトのイベントなのにこんなに人が集まるんだとビックリした
入口で貰ったマップを見ながらとりあえず喫煙所に向かった(ヤニカス)
喫煙所のすぐ前にデカデカとNSKの看板があったから立ち寄った
NSKブースにはお世話になった関東のヨーヨーショップさんも物販をしていて挨拶に行った
超会議の物販のみでしか手に入らないヨーヨーもあるとのことだったから記念に買ってきた
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その後は再び喫煙所に行った(ヤニカス)
そして目的の1つ、好きな人のサポーターカードを貰いに行った
ほんとに人が多くてマップを見ながらでも受付してる場所がよくわからなくてウロウロしてた
なんとか見つけて無事サポーターカードゲット
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そして再び喫煙所に向かった(ヤニカス)
プレミアムパスの事を思い出して受付を探した
そこもなかなか見つからなかったけどウロウロしながらなんとか見つけてプレミアムパスのバッジとお菓子をゲット
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ニコニコ動画に9年間もサブスクしているのはとても恥ずかしいが誇りでもある(キャスに浮気してた時代に1度プレ垢を解約してるため実質10年以上はサブスクしている…)
そして喫煙所に向かった(ヤニカス)
もうこの時点でクタクタだった
ほんとに疲れてしまってた
あとは会おうと言っていたリスナーさんと会えればもう帰ろうと思った
リスナーさんとDMで連絡をしながらなんとか合流
既にたくさんの大手さんと会ったりしてたみたいで恐縮だったけど無理やりステッカーを渡して一緒に写真を撮った
合流できるまでに1時間くらいかかってしまった
その間にも何度も喫煙所に行ったりしてた
とにかく会場内は熱気も凄くて喫煙所は外の空気が吸えるからオアシスだった
そして何故か喫煙所にはほとんど僕しかいなかった
いても運営スタッフの方々のみ
肩身が狭くなった
この時点でクタクタだった
帰ろうか迷ったけどせっかく関東のヨーヨーショップさんが物販やってるからネストの後藤さんにお土産としてヨーヨーを買いにNSKブースに再度立ち寄った
あんなにウロウロしてたのに配信者ブースは素通りしてしまってたみたいで全然わからなかった
津山さんのサダさんブースや受賞ちゃんのブースやジョナちゃんのブースに行きたいと思ってたのに行けなかった
サダさんのグッズを買えなかったのは超会議で唯一の後悔
楽しかったけどほんとにクタクタ
なんとか海浜幕張駅に到着して東京に向かった
東京駅は広かった
でも名古屋駅よりわかりやすいかも
もう時間も忘れちゃったけどなんとか新幹線までたどり着いて乗車
新幹線にはトイレがあるからストマついてても安心
ここまで来たらあとはのんびり
行きと違って帰りは座れたからほんとにのんびりできた
1時間半くらいで名古屋駅に到着
帰ってきた
もうこの時点で逆ホームシックだった
横浜も旭も幕張メッセも楽しすぎた
名古屋駅で喫煙所に立ち寄って津島駅に向かった
19:00前頃に帰宅
帰ってきてしまった
夢のような2日間はここで終わり
ほんとに楽しい関東旅行だった
人生で1番楽しくて満足感のある旅行だった
今回でだいぶ関東での移動に慣れたからまた行くぜ
お金に余裕があったら月一で横浜に行きたいくらい
また三連休があったら横浜行きたいな
ヨーヨー関係者まで含めたら関東で会いたい人がまだまだいる
今度ははてなちゃんやヒロシちゃんとも会いたいな
とにかくストマパウチのトラブルが無かったのが1番の救い
行けるもんだな関東
また行くぜ関東
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shunya-wisteria · 6 months
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秋旅2023 東北散策 - リゾートしらかみ
昨年、豪雨被害で断念となった五能線 リゾートしらかみに再挑戦してみた。
青森-秋田間を絶景の五能線経由で結ぶ観光列車 リゾートしらかみ。本当は昨年夏の東北旅行の目玉になるはずだったのですが…、直前 および当日の豪雨によってお流れしてしまい(涙)誕生日休暇を利用してこの度、リベンジしてみました。
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都内から東北新幹線で新青森、そこからリゾートしらかみの始発駅 青森駅へ。午後の青森発 秋田行のリゾートしらかみ4号が今回のお目当て。お昼少し前に青森駅に降り立ち、少し時間があったので、ねぶたの家 ワ・ラッセを訪問。こちらも本当は昨年の夏に訪れてみたかったのですが、ちょうど展示入れ替えのための休館日に重なるというバッドタイミング…、事前調査不足でしたね。今回はちゃんとオープンしていることを確認した上での再訪。大迫力のねぶたを見学。津軽煮干しラーメンをすすってお腹を満たしたところ、ちょうど程よい時間に。お酒とおつまみを調達し、いざ青森駅ホームへ。
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リゾートしらかみは、3つのタイプの列車(橅・青海・くまげれ)が存在し、今回 私は最も新しい橅編成を狙いリゾートしらかみ4号をセレクトしたのですが…、車両故障の影響で選ばらえたのは国鉄気動車を改造した「くまげら」君。最初に目にしたときは結構ショックでした…。まあそういうこともあるよね、仕方がない(かわりに貴重な国鉄車を楽しもう)、と指定した先頭車両 海側最前部の座席につこうとしたものの…、編成変更に伴い指定された番号の席が存在しない!車掌さんに確認し、代わりの席に案内してもらいました。一応 海側の窓際席を用意してくれてはいたものの、中間車両の最前部で見通しがあまりよくなく、足元も(他の座席と比べると)狭めという…。どうやら私はリゾートしらかみとの相性がよろしくない模様。
あまりネガティブになっても勿体ないので、今の状況を存分に楽しもう!起きたことを後悔するのではなく与えられた状況をいかに楽しく過ごせるかも才能のうち、とポジティブに考え、絶景の五能線旅をスタート。日々の面倒ごとやストレスを忘れ、穏やかに流れる車窓を見ながらお酒を飲む。最高ですね。
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日本海に沿った絶景を楽しみながら列車は千畳敷駅に到着。ここでしばしの停車時間を利用し隣接する千畳敷海岸を散策。海底が幾度となく隆起し、出来上がった岩の海岸。夕焼け時ということもあり、水面に映る夕日を堪能。日が沈んだ後のブルーアワーもきっと綺麗なんだろうな、と思いつつも列車の発車時刻の関係上、泣く泣く退散。
列車は東能代から奥羽本線に入り、終点 秋田へ。この日は昨年の夏以来2回目の秋田にて(駅ナカでいぶりがっこをつまみに一杯楽しんだ後)一泊、翌日に備えます。
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pinball-1973 · 15 hours
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1964年のことである。この年に日本はアジアで初となる東京五輪を開催し、東海道新幹線が開通して首都高が完成し、IMF8条国に移行し、堂々、世界のお金持ち国の一角を占めたのである。まことに晴れがましい年であった。 〇ところが当時の日本国は、世界のGDPの4%を占めるに過ぎなかった。西ドイツを抜いて、自由主義圏第2位の経済大国となったのはそれから4年後のことである。高度成長期にあったとは言え、まだまだの存在であったのだ。 〇その後、日本経済は世界経済の17%台(1993年~95年)を占めるに至るのだが、元の木阿弥というか、その他大勢の国々が急成長を遂げたことの論理的帰結というか、今では再び「世界の4%」に回帰している。はて、このことをいかに受け止めるべきなのか。 〇アンガス・マディソン教授の研究によれば、世界経済の超長期GDPを推計すると、もともと日本経済は1000年頃からずっと「3~4%」が相場であったらしい。そういう意味では、今はもともとの人口サイズに見合った規模に戻ってきたのかもしれない。
かんべえの不規則発言
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europiumoon · 8 months
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雷遠く海が鳴る
この数日間なんなら名古屋はとても暑くて、アスファルトからの熱気に負け、私は頭の奥底で唸る頭痛に泣かされた日々を過ごした。
8/18(金)
私は有給を取り名古屋に向かう。片道4時間近くとしっかりした移動時間で一瞬考えるのをやめたくなったけど、地元の電車に乗り向かった。東京から東海道新幹線に乗り、母親から「富士山撮ってきてね」と言われ座席をアプリで覗くものの富士山側が埋まっていた為、普通席ではなくグリーン席に乗ることにした。結果は曇りで撮れずじまいだったけどゆったり出来たため結果オーライだった。(帰りもグリーンで帰った)今回の目的も、も、とは言ったら失礼だけど、恋人を連れ戻しに来た。正しくは彼の地元に遊びに行った。名古屋に着いた後慣れた足取りで地下鉄に向かう。彼の地元に来たのは3回目。1回目はものすごい喧嘩をした後で、2回目は年始だった。彼と合流して、コメダで休憩した。コメダはメロンソーダが1番好き。その後、宿泊先に荷物を置いて夜ご飯を食べに行った。台湾ラーメン。黄身と麺と肉の絡まりに惚れ惚れとしたけど、味の濃さにやられ初日からダウンしてしまった。台湾ラーメンは台湾で名古屋ラーメンと言われているらしい。名前の擦り付け合い。
8/19(土)
名古屋駅前のホテルに荷物を置き、カフェにて本日の行くところを探す。ノリタケの森と明治村に行こうと話をしたけど、外気温38度という暑さで後者は断念した。お昼にヒッコリーのハンバーグを食べた。肉肉しいハンバーグがとても美味しくて2個ペロリと食べてしまった。その後頭痛がひどくて薬を貰った。暑さからだとわかったけどどこにも吐き出せない痛みから、些細なことでイライラしてしまった。温泉に連れてってもらった後、腹痛に悩まされて前日に引き続き泣いた。申し訳なかった。ノリタケの森では小皿を買った。運転沢山してくれてありがとう。
8/20(日)
引き続き頭痛と腹痛に悩まされながら起床して帰る準備をする。チェックアウトギリギリまで寝る彼にイライラした。出る直前彼がキャップがないというので、知らんわ、と心がなってしまっていたが、彼が苛立つ姿に、八つ当たりする姿に呆れてしまった。そんな立場じゃないのに。いろんな場所に問い合わせたけど見当たらなくて、カーシェアで借りた車についても問い合わせたら夜に返却ということで、彼の親に捜索を頼むことになった。暫くしてから、「○○からもらった帽子、無くしちゃってごめんね」と悲しい顔で謝られた時、こちらも悲しくなった。駅前で待ち���わせている最中お土産を買って頭痛薬を飲んだ。別に泣かなくてもいいのに彼の前では涙が溢れてしまって、自分が弱くなった、と思った。彼が再合流した後、新幹線の発車時刻までエキチカのお寿司屋さんでお昼を食べた。セットに含まれていた茶碗蒸しに銀杏が入っていた。とても嬉しかった。チェーン店でも最近見当たらなくて落ち込んでいたから、より一層。新幹線の中で本日泊まるホテル探しをしている最中、隣でゲームする彼に腹立たしくなって、愚痴を吐いた。端的に動く彼が嫌になって、当初向こうに頼んでいた予約も私が取り、不貞腐れた私は涙が止まらなくなりながらイヤホンを耳にさして『愛がなんだ』を観た。愛ってなんだろうね、となりながら平生に戻ろうとして無になった。感情の起伏が激しかったなって、書きながら思うわ。ホテルについてからゲームをしながら寛ぐ彼を横目に何処か行ってやろうと思って部屋を出た。「どこに行くの!」と強くいう彼を放って近くのカフェで頭を冷やそうと思った。ら。電話の嵐。結局コンビニに寄ってホテルの部屋に戻った。戻ったことを確認した彼はマンガを読み始めて、いる意味ないだろうが、と思って私も私でアニメを観た。彼から隣に来てと合図されて、嫌々ながらもベッドに入り横になった。横になると頭痛と腹痛が思い起こされたので、どうしようも無くなり、ごめんなさい、と発したと同時に涙が溢れて声を荒げて泣いてしまった。いつもなら、「泣くな、情けない」という彼も、背中をさすって「大丈夫だよ」と言ってくれたことに、より一層泣いてしまった。一緒に映画を2本観た。2本目の映画でボロ泣きする私を見て彼は笑ったが、涙をマイナスからプラスに変えてくれた気がした。結局キャップは運転席の下にあったらしい。よかった、と思うと共に「○○からもらったキャップがあってよかった」と言われた。
泣き虫な自分を包み隠さず居られる場所になったことに改めて気づいたこと。去年の旅行時にも私が張り詰めてしまった時と比べて、遠くではなく近くまできて寄り添ってくれたことに嬉しかった数日間でした。夏の空のように不安定な自分を愛し続けたいね。
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食べ物ばっかり!
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aramashi · 9 months
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7月27日。仙台にて
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通り雨で車両の窓が斜めに濡れた。バタバタとガラスが叩かれる音でうたた寝から目覚める。すんと湿ったにおいが鼻をかすめて、少し身震いをする。
冷房が効いていて肌寒い。乗り込む直前まではびたびただった汗もすっかり乾いた。ちょっぴり残っていたMATCHを飲み干して新幹線の外に目をやる。
相席のお客さんが郡山か福島かで降りていったから窓の向こうがよく見えた。陽炎みたく淡く浮かぶ山の縁を覆うように、雲がたなびいている。ぽとぽとと灯りを点し始めた町は、雲間からあふれた夕日によってその潤いを増している。
腰を据えるなら空が広い場所がいい。地元に帰っているときもよく思うことだ。上を向いているときにはネガティブな気持ちが減るって言うし。遠く高く変わっていく視界を前にしていたら、なんかどうでもいいなってちゃんと思えるから。
チェックインを済ませてひと休みをしたあとは、先んじて送っていた荷物を受け取りに友人Yの居候先まで向かった。青葉通りを突っ切って、真っ黒な広瀬川を足元に眺めながら大橋を渡る。
渡りながら、1年も2年も昔の自分って他人じゃん、と口を開く。うん?と咀嚼の必要を含んだ反応を返す同居人の横顔を特別確認することもなく、だからさ、と話を続ける。
今じゃ考えられないようなことを考えて、今じゃやらないようなことをやってるんだよね。馬鹿じゃないのとか、もっとうまいことやれるでしょって今なら思うようなことも、平気で。
そうだね、と相槌が打たれる。追いついた表情をしていることが声色からわかる。
でもさ、記憶は残っているから。他人でも、自分だから。それで、そんな思い出が、ここにはたくさんあり過ぎる。
平たいLEDの信号機が十字路を赤に染めている。目の前の坂をぐっとのぼればかつて通った大学の部室棟だ。このまま見つめ続けていたら胃の内側に薄い膜が張られていくような気がして、ぷいと視線を逸して右手に曲がる。
そんなことばかりだよ。彼がつぶやく。木だか虫だか葉だかわからないものをシャクシャクと蹴って美術館の手前で折れる。セブンイレブンが通りの向こうで煌々と照っている。油絵の具のにおいをまとわせて、いい子はもう寝ている時間に飲み物を買いに歩いた道。
そんなことばかりだよね。私もつぶやく。そんなことばかりだ。悔しくて、恥ずかしくて、見たくもないのに、愛おしい。
自作のTシャツに黒のハーフパンツというリラックスした装いで出迎えてくれたYは、林のように本棚があちこちそびえ立つ一軒家にすっかり馴染んで見えた。
せっかくだから、と招き入れてくれたダイニングの真ん中で、こっくりとした色味の木のテーブルに肘をつき、麦茶を片手に軽く話をする。
フリーになってさ、まあぼちぼちよ。ありがたいことに仕事を回してくれる人がいて。ムラはすごいけどお金は最悪、なんとかなるし。ただでもさ、絶望だよね。
不意に強い単語が吐かれたから聞き間違いかと疑った。何が?と問うと、なんていうか、社会?と手をこまねく所作をする。
たとえば『怪物』をさ、ああまだ観てないのか。もし観るなら予告も何も調べないのがいいよ。前情報なく、いきなり観てよ。
それ前にも友だちに言われたわ、と笑って伝えて、次の週末には観に行くと心の中で決めた。
東京のおすすめの喫茶店や本屋をいくつか教え、盆栽に水をどうやるかを見せてもらって玄関に降りた。じゃあね、と家をあとに車道を渡って振り返ると、Yは橙の明かりを背負ったまま、まだ私たちを見送ってくれていた。
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tokyomariegold · 26 days
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2023/11/27〜
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11月27日 都庁へ出張から始まる一週間。また、2時間半もあったら京都へ行けちゃうじゃん!!と思いながらお昼過ぎとかに職場へ出勤した。
昨晩は、ふと、年賀状のことやアドベントカレンダーの記事のこと、これからと今の仕事のことを考えて、どれも自分がいなくなったら頓挫してしまうような気がして、全てが負担になってあまり眠れなかった。写真やインターネット以外で自分がいなくてはどうにもならないものを作りたくなかったのに、関係を作ろうとしたり社会に出るとどうしてもそうはいかなくなっちゃうのかな。 今日は満月だけれど月を見る余裕すらない気がする。
都庁から職場までの移動中に、年末に予定してる大阪行きの新幹線を予約した。教えてもらった下鴨ロンドのSNSを眺めた。
午後の勤務が始まって、一日中現場へ出ずっぱりの予定の中、途中抜けをして産業医の先生と面談。 今のとても目まぐるしくて全く身体がもたない日々をお話しし、上席の方へ一報入れてもらうことになった。今の所の、わたしがわたしを守る術が、これしかなかった。
面談終わりに先生から、夏に退職された保健師さんと最近別の仕事でお会いしたそうで(他の場所で保健師さんをされているとのこと)「◯◯さん(私の名前)によろしくお伝えください、と言っていましたよ。」とご報告いただく。嬉しい。
何もかも虚無な気持ちになっていて、着たい服も撮りたい写真も、インターネットに置きたい言葉も、食べたいものも、会いたい人も、見たい月もない気がする。わたしを癒せる猫はいない気がする。 (これを今、業務中抜けして受けた産業医面談の後の面談室で、1人残って体力を回復させがてら書いています。今から戻ります。)
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11月28日 昨日は結局カメラを二台待ちして満月を見に行った。アドベントカレンダーに投稿したい2023年のことの素案を作れた。これに応募しても…(何さまのつもり?)と思って悩んでいた写真の公募に応募するキャプションや写真を用意できた。 なんだかんだ何かをしてしまって、やっぱりそれができると生きてて少しましな気分になれる。
今日の職場は直属の上司とわたし以外が出張で不在で、何だか久しぶりにまともに職場に滞在できて穏やかに仕事ができた気がする。今週いっぱいで産休に入る上司と、お腹のお子さんのことや仕事のこと、職場の方々のこと等たくさんお話した気がする。「いつまでも待ってます!」と強く伝えてしまった。もしかしたら年度を越えて自分がいなくなっているのかもとずっと思いながら。
少なくとも後2回は都庁へ出向かないといけなくなり、返事なんて来ないと思って送ったメッセージにはやはり返事はなく、もう一生会えないのかな、と思った。
もう一生会えない、と言えば、毎朝通勤途中に見かけていた、木の幹が二股に割れたところに収まっていた落とし物の11匹の猫ポーチがいなくなっていた。3月ごろに見つけてからずっと誰にも拾われず木の幹に収まっていたねこ。ついにいなくなってしまった。
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11月29日 今月何回目?都庁へ向かっている(さすがに落ち込んでもいる!)。この移動時間が虚しすぎる。
西の方へ移り住みたい、の前に、西の方で一度展示をするのもいいかもしれない、と思った。 ソニーもニコンもだめでした〜、と、そろそろ夏に展示したギャラリーへ行って白濱さんに相談したいと思っていたところだった。関西のおすすめの展示スペースを聞いてみよう。
見つけてしまった写真の公募も、キャプションを手直ししたり、写真を見直したりして、手持ちのものでなんとかした感はあるけれど、今晩応募を完了させたい。友人が言う様に知らない審査員の方々ばかりだけれど(無知ですみません…)、今は何か写真の活動を続けているという体を保ってたい。そして、何かできると、やっぱり作品のことを考えるのは楽しい!と思ってしまう。
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お昼休みに歩いていたら電柱に“迷い猫を保護しています!飼い主募集中”の張り紙を見つけた。 勝手に飼い主を募集したりしていいんだっけ?と、最近更新された大島さんの日記を思い出す。
また歩くと、昨日歩道に落ちていた“16時〜16時30頃帰ります”と言うメモ付きのエナジーゼリーが、袋を破かれて中身が綺麗になくなっていた。カラスが飲んだのだと思う。その先には飲みかけのザバスのパックのプロテインミルクが落ちていて、そちらもカラスが飲んでいた。鳥もエナジードリンクやプロテインを飲んで心持ち元気になったりするのかな、と、なんだか面白い。
2年前くらいの楽天スーパーセールで買ったイソップのハンドソープを職場の方にもらってもらった。洗面台の下に入れたままだったのでありがたい!お礼に、と、最近スペインに行っていたとのことでチョコレートと桃のジュースのお土産をいただいた。
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skyflyinginaction · 11 months
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Kobato Illustration & Memories interview Japanese transcript
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I do not own the raw the scans or this very transcript It belongs to this lovely person who kindly offered the scans for the transcript
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かわいい女の子が タイトルロールの 話を描きたかった
——まず、『こばと。』が作られた経 緯をお聞きしたいのですが、『こば と。」はどのような発想で作られた 作品なのでしょうか。
CLAMP かわいい女の子が主役 のタイトルロールの話を作ろうと思 ったんですよね。当時『ツバサ -RESERVoir CHRoNiCLE-』 (以下 『ツバサ』)が、先に行くと暗い展開 になるのがわかっていて(笑)、明 るい話も描きたいなと。 ——では、ラストはハッピーエンド になるのは決まっていたのでしょう か? CLAMP そうですね。ただ、小 鳩の存在があまり明るくないので ・・・・・その辺の展開はシリアスになり ましたけど、ラストを悲惨な終わり 方にはしないでおこうとは思ってい ました。 ———『こばと。』でやりたかったこと、 逆にこれだけはやっちゃいけないと 思っていたことはありますか? CLAMP 掲載誌が男性読者の多 い「ニュータイプ」さんだったんで すけと、そこは許していただいて、 なるべく少女漫画っぽい雰囲気にし
ようと思っていました。 事件事件と 血まなこで追いかけるような話では なく、全体的にゆる~い感じで。 画 面もあまり暗くならないように・・・・・ 髪の毛が黒い子がいっぱいいると画 面が暗くなってしまうので、そこは 気をつけていました。 ——お話もゆるい感じだし(笑)、 画面的にも明るく軽いものを目指し ていたのですね。 CLAMP そうですね、漫画の線 も細くて少女漫画っぽく、カラーも 淡く水彩タッチで······。今までこっ てり塗っていたので(笑)、そんな に塗り重ねないで、筆のタッチが残 ってもいい、はみ出してもいいぐら いの気持ちでやってみようかなと。 ——名前に難しい漢字を使ったり逆 に簡単にしたり、キャラの髪型で短 髪ブームがあったりと、作品を描く ときにそのときそのときでブームが あったとお聞きしていますが、『こ ばと。』ではそういったブームは何 かあったのでしょうか? CLAMP そんなこともありまし たね(笑)。「こばと。」を描いたとき は髪の毛が長い子をすごく描きたか ったんです。 たぶん「ツバサ」のヒ ロインのサクラちゃんが短かった反 動だと思うんですけど。でも、途中
でその大変さに気づき、そのブーム はわりと早く終わってしまいました (笑)。ただ、終わったからといって 髪型を変えるわけにはいかないので、 作画はかわいい帽子とかをかぶせて モチベーションを上げていましたね (笑)。ロングは見てるほうはかわい いと思うし私たちも好きなんですけ ど、いざ描くとなると大変なんだな と身にしみました。 ——髪型を変えようとは思われなか ったんですか? 例えば切ってしま うとか。 CLAMP ちょっと思ったんです けど(笑)、変えてしまうと今まで の既存のCLAMPキャラの誰かに 似てしまう可能性もあるのでやめて おこうということになりました。 ——長い髪は、編んだり結い上げた り、髪型を変えるのも楽しみのひと つかと思うのですが、小鳩は三つ編 みにしたぐらいであまり髪型を変え ませんでしたね。 CLAMP 服が毎回替わっちゃう ので、髪まで変えてしまうと「お前 誰やねん」状態になってしまうかも しれないので(笑)。だから髪型は あまり変えないようにしようという 約束でやっていました。 ——「小鳩は毎日違う服を着る」の
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もお約束のひとつだったそうですが、 いろんな服を着せるのは何か意図が あったのでしょうか。 CLAMP 小鳩は普通の人間とは 言いがたい存在だったので、服装も 不思議な力で着替えてる設定なんで すね。そこを読者に提示するために、 まったく着替えないで「この子、何 でいつも同じ服を着ているの?」と 思わせるか、毎回着替えて「荷物は カバンひとつなのに、何で毎回違う 服なんだろう」と思わせるか、どち らかにしようと考えたときに、着た 切り雀だとネタバレし過ぎちゃうだ ろうと(笑)。 —小鳩の服装は、設定の根幹に関 わっていた部分だったんですね。 CLAMP うちはわりと着替える キャラが多いのに、周りが着替えて いて、まったく着替えないキャラが 混ざると若干ネタバレに······ 気が つく人は気がついちゃいますからね。 ——小鳩の帽子も設定に関わってく る部分ですね。帽子は必ずかぶって いないといけない… 毎回春える など、作画上の事が多くて大変 だったことは? CLAMP 作画には先の展開は知 らせずに「朝は心」ということ だけを教えていたんですね。だから、
最初に小嶋が何もない部屋で眠るシ ーンで「帽子を取っちゃダメ?」と は聞かれました。眠るときに帽子を かぶっていたら変ですからね(笑)。 でも、「そのままかぶらせておいて」 と。以後は特に何も言われるような ことはなかったですね。むしろ、帽 子を考えるのが楽しみな部分があっ たかも。
玄琥たちの真の姿は? 天界・地界・異界の裏設定
——『Wish』と同じく天界・地界 が、そして『こばと。』で異界が登場 しましたが、どちらの作品も基本は 人間界が中心で、別世界のことは少 し触れられる程度でした。 これらの 世界の裏設定みたいなものはあるん でしょうか。 CLAMP 一応作ったんですが、 それをやるとあと10巻あっても終わ らないので、もういいかなと(笑)。 基本は小嶋の物語ですし、そういう 不思議な世界があって、不思議な人 たちがいて…….と、曖昧な感じでい いだろうと思ったんですね。「Wish」 なんとなくわかるので、 同じことをやっても仕方ないし、 「Wish」を読んでもらえればいい かなって(笑)。 アニメでは、どち
らも一応原作として併記されてまし たね。 ——いおりょぎの真の姿がかなりカ ッコイイので、彼の活躍する物語が 読みたいという声もあがっておりま すが。 CLAMP 最初の頃は、もこなは いおりょぎたちの真の姿は獣人系だ と思っていたらしいです。大川が「シ ルエットでは、獣っぽい部分を出し てほしい」と言っていたのが原因な んですが。 いおりょぎと水晶ちゃん との恋愛話も一切知らなかったので、 獣人的な人たちが天界ともめて、そ の罰としてぬいぐるみになっている んだと、かなり長い間思っていたみ たいです。あるとき、「シルエット でいいから、後ろからの横顔描いて」 と言ったときに「えっ、人間なんだ」 と驚かれて発覚しました(笑)。 ―—でも、獣っぽいイメージではあ ったんですよね? CLAMP 人間というか、正確に は2段階あるイメージですね。 人間 っぽいのと、獣っぽいのと。 いおり よぎは狼っぽいですね。彼の真の姿 のデザインは、もこなにしては時間 がかかっていました。もともと天界 地界が出てきたのが「Wish」で、 デザインしたのが猫井なんです。 そ
こに、もこながまた新しい世界を加 えるとなると、どうデザインしたら いいか、少しわからなくなってしま ったみたいで。最終的に獣っぽいア イテムをデザインのどこかに取り入 れることで落ち着きました。設定 が できあがった後は、早く描きたか っ たみたいですよ。せっかく作った の に登場が最後の最後になってしま っ て、そこはかわいそうでした(笑)。 ——今回は天界キャラとして、水晶 も新登場しますが、やはりデザイ ン では悩まれたのでしょうか。 CLAMP 水晶の衣装に関しても 自分がデザインしたわけではない世 界観の中に入れるので、やっぱり悩 んでいたみたいです。なんとなく猫 井とお話ししながらやってましたけ ど(笑)。 ———いおりょぎは、五百蔵という真 の名前がありましたが、どちらが先 に決まったんでしょうか。 CLAMP いおりょぎの方が先で すね。これは、大川がつけたんじゃ ないんですよ。もともと猫が 『CLAMPノキセキ」に青いぬいぐ るみの犬が出てくる話を描いていた んです。 大川がそれを気に入ってい て、小橋の相方がほしいと思ったと きに、 いおりょぎを登場させようと
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思ったんですね。小鳩は基本ひとり ぼっちですから、相方がいないと画 面的にずっと独り言を呟いているア ヤシイ人になってしまうんですよ (笑)。まあ、 いおりょぎがいても世 間的にはぬいぐるみなので、やっぱ り独り言に見えているんですけど、 小鳩の意識の上ではちゃんと会話を してるという……。 だから、五百祗 という漢字は後で当てました。 天界 と地界にもともと漢字縛りがあった ので、異界も漢字名前でいいだろう と、異界だけカタカナなのも変です からね。 ——後から当てるのは大変だったの では。 CLAMP いろいろ調べました (笑)。でも、いおろぎで変換すると 「五百蔵」で出てくるんですよ。だ から、そんなに苦労はしなかったで すね。 ———玄城は虎という漢字が入ってま すが、そんな彼の仮の姿がくまにな ったのは? CLAMP 玄暁は名前が後だった んです。最初にぬいぐるみのいおり よきを決めたので、対比するために 大きい存在が欲しかったんですよ。 大きいと言ったらなんかもいるん ですけど、お店をやるときに手が使
えないから......(笑)。座ったり立 ったりするときの姿も象だと想像つ かなかったんですね。だからくま。 瑞祥は空を飛ぶキャラクターがいい なと思って鳥さんに。銀生だけは最 後に小さくなるので、落差をつけた くて、幻獣っぽい、カッコイイ系の デザインになってますね。 ――玄琥や瑞祥なども真の姿はあっ たんでしょうか。 CLAMP 玄琥は設定してなかっ たですね。でも、描けたら描く気満々 でした(笑)。結局最後までくまの ままでしたけど・・・。銀生は倒れて いる姿を描いていたので、作画は真 の姿を作っていたかもしれないです。 もしかしたらあのシーンだけだった かもしれませんが(笑)。 ———バームクーヘン屋も大変気にな る存在だったのですが、あそこはど ういった場所にあるんでしょうか。 CLAMP イメージ的には『xxx HOLiC』 に出てくるおでん屋さん みたいな。人間も来るけど、変な生 き物も来る。別の空間みたいなそう でないみたいな・・・・よくわからない 場所、ですね。人間がしょっちゅう 来られる場所ではないのは確かです。 ———バームクーヘン屋にしたのは何 か理由があるんですか?
CLAMP くまってバームクーヘ ン焼いてそうだから(笑)。まず、 くまありきだったんですよ。 プーさ んを連想したので蜂蜜で何かを作ろ うかとも思ったんですけどね。
宮田の出番が増えたのは アニメ化のおかげ
―これまで『X』 や 『東京BABY LON』 ではストーリーを最初から 最後まできっちり決めて描き、 『AN GELIC LAYER』 や 『ツバサ』など では最後を決めて、途中経過は各回 ごとに決めてらっしゃるとのことで したが、『こばと。』はどちらのタイ プだったのでしょうか。 CLAMP ある程度は決まってい ましたね。こういう話だと、金平糖 をどうやって集めるかに焦点を当て て描いていくだろうと期待されると 思うんですが、私たちはそれに関し てはあまり追いかけるつもりはなか ったんです。アニメ版はこの辺きち んと描かれていましたけど、漫画だ とわりとすぐ保育園に焦点が移って ます。ただ1巻ぐらいは設定を説明 する必要もあって、集めているエピ ソードが中心になってます。 この金 平糖集めのエピソードぐらいですか ね、最初の予定から若干の揺らぎが
あったのは。 ——本筋に入っていくタイミングは 決められていたんですか? CLAMP アニメもあったので、 だいたいはアニメがあったから内 容が変わったというわけではないの ですが、あちらのほうが先に最終回 を迎えるのはわかっていたことだっ たので、終わり方のタイミングにつ いてはご相談しました。 実は予定よ りちょっと延びちゃったんですけど、 おおむね予定通りの終わらせ方がで きました。 ——最初のほうのカラーイラストで、 メリー・ポピンズのイメージで描か れたものがありますが、あれは単純 に絵としてのイメージで、メリー・ ポピンズ的な話にしていこうと考え られていたわけではないのでしょう か。 CLAMP そうですね。 メリー・ ポピンズというのは、作画上、どう いうキャラクターなのかわかりやす くする説明です。カバン持って、ち ょっと不思議な感じで・・・・とか。意 味ないのに傘とか持ってますからね (笑)。 ——アニメのOPでは、さらに傘を 持って舞い降りてきてましたね。 CLAMP おそらくなんですけど、
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同じ監督に作っていただいたCLA MP インワンダーランド2』 で 小鳩が傘を持って上から降りてくる んですよ。 あれはCLAMPが絵コ ンテを切ったんですが、それをなん となく覚えていらっしゃったんじゃ ないかと。 漫画本編は後期になると 傘なんかほとんど消えてますからね (笑)。カバンも持ち出さなくなって いるし。 そもそも本編にはほとんど 出てないんですよ、傘。 ケーキ屋で ビニール傘を貰って取られちゃった っていう話だけ。イラストで持って いる傘は1回も登場してないんです。 いわゆるイメージ映像ですね(笑)。 ——連載初期にアニメ化が決まって いますが、 アニメからフィードバㇱ クされたことはありますか? CLAMP 私たちとしてはなかっ たんです どうしてもアニメの印 象ってなるので、そういう意味 で読者の中には影響を受けた方もい らしたみたいで、連載が終わってか ら「就が最後に出てこなくて残念 でした」みたいなメールをいただい たり・・・・・・。 実は漫画だとはほと んど登場してないんですよ。登場し て もとばかり会話をしていて、 いおりょぎや小場とは合ってない。 でも、アニメで一緒に歌った印象が
強かったみたいで。 最後に漫画にも 登場して小嶋と絡んで欲しかった。 みたいな感想をいくつかいただきま した。 漫画だと琥珀はそこまで大き い役じゃないんですけどね。 ——沖浦さんの部下に宮田の名前が ついたのはアニメからだとか。 CLAMP あ、そうですね! 漫 画ではついてなかったんですが、横 手さんがつけてくださったので、せ っかくなのでいただきました。台詞 もちょっと増えました(笑)。 ——アニメは漫画より先にエンディ ングを迎えることになるわけですが、 アニメスタッフとはどんな話し合い されましたか? CLAMP それに関してはもう最 初からわかっていたことでもあるの で、よくわからないまま中途半端に 終了してしまうよりは、同じ落ちに なっても構わないので、先にやって くださいと言いました。でも、アニ メのほうで避けてくださったのか、 いおりょぎの詳しい背景などは語ら れずにそのままにしていてくださっ てましたね。 ——漫画では小鳩が記憶を残してい て、藤本が銀生の願いで記憶を取り 戻しましたが、アニメでは逆でした ね。こちらは意図的なものだったん ですか? CLAMP 特に「こうしてくださ い」とお願いはしていませんが、ア ニメ版のストーリーを作るときに一 緒に相談していく中で、ラストをど うしようという話になって、私のほ うから提案させていただいています。 で、監督と横手さんにOKをいただ いて通ったんですね。やはり、でき れば別がいいなという気持ちはあり ました。正直、アニメで先にやられ てしまうと、音がついて演技がつい て、・・・・・・でドラマティック度では向 こうに軍配が上がっちゃうので(笑)。
小鳩のアパートには 隠された設定が!?!?
——『こばと。』には琥珀以外にも CLAMP作品のキャラクターが登 場していますが、リンクをわりと意 識されていたんでしょうか。 CLAMP がっちりとリンクした 作品は『ツバサ』でやっていたので、 『こばと。』はリンクについては逆に さらっとした感じですね。琥珀は世 界観の説明のためにも、出番が多少 多かったんですけど、後はほとんど 通りすがりです。 ——千世、千帆というキャラも出て きますが、ちぃやフレイヤとの関係
は? CLAMP あの子たちは元の話と はまったく関係ないですね。一時考 えていて……今でも少しそのアイデ アは残っているんですけど、「ちょ びっツ』で出たアパートにいろんな 人を住まわせる計画があったんです。 四月一日も別次元ですけどあそこに 住んでいますし、ちょうどいいので 小鳩にも住んでもらいました(笑)。 管理人を誰にしようかすごく悩んだ んですよ。 四月一日とかも考えたん ですけど、できたら女の子の数を増 やしたかったこともあって、じゃあ いっそのこと「ちょびっツ」の管理 人さんでいいじゃないって。せっか くなので、双子も年齢を下げて登場 させました。 ——小鳩の中に天使がもう1人いる という設定は、作画には明かされて なかったそうなんですが、 絵を描く
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ときに特別な指示をされたりしまし たか? 例えば歌を歌うときに神々 しく、とか。 CLAMP 天使が・・・・・水晶が登場 するのは本当に最後だけで、それま で小鳩に影響を与えるようなことは なかったので特になかったですね。 ただ、小は歌がとてもうまいとい う設定なんですが、アイドルっぽい 歌はちょっと違うかなとは思ってい て。「Wish』のアニメで賛美歌っ ぽい歌を作ってくださったんですけ ど、そういうイメージでしょうか。 教会で歌われるような感じの……。 こばと。』のアニメでは童謡っぽい 歌でしたね。 ——花見のカラオケで歌ったときも、 賛美歌のような雰囲気の歌だったん でしょうか。 CLAMP そうじゃないと、その 場で周囲がぎょっとするぐらいうま い歌にならないかなと。普通にボッ ブスがうまい場合だとよくあります
し、一瞬周囲が静まりかえるという より、場が盛り上がる感じですよね。 素人が言葉を失うぐらい歌がうまい というなら賛美歌かなと思っていま す。漫画だと音は流れないですし、 好きにご想像していただいていいん ですが。
藤本は問題児、 沖浦は“だめんず”?
——「こばと。』の男性キャラの中で、 先生がお好きなのは誰ですか? CLAMP みんなちょっと(笑)。 ��いうか、みんな甘すぎで頼れない (笑)。藤本はツンデレといえば聞こ えはいいけど問題ありすぎるし、 沖 浦はちょっと・・・・・。 まだヤクザの中 で頑張ってつなぎを取ってくれた宮 田君のほうがマシかな。後は元の姿 とか一切わからないけど、意外と面 倒見のよい玄琥さんとか。 ——堂元君とかはいかがですか? CLAMP 堂元君は、漫画だと本 当にただの端役なので(笑)。お話 の都合上、大人の自由のきく人が欲 しかったんですね。誰かが行方不明 になったときに、子どもだと探しに 行ける範囲が非常に狭いですから。 だから、藤本の同級生で、ある程度 藤本の事情を小暢に話せる堂元を登
場させたんです。そしたらアニメ版 で、完全にライバルになってしまっ て、ものすごくかわいそうなふられ 方をしてました(笑)。その影響が あるのか、漫画だと小鳩ちゃんを好 きだとは言ってないんですけど「堂 元がかわいそうでした」なんて感想 をいただきましたね。漫画の場合は、 確か堂元とは2回しか会ってないん ですよ。おそらく「藤本がツンツン デレデレしてる女の子」「こんな女の 子が好みなんだな」程度にしか思っ てないんじゃないかな。そういう意 味では、漫画版では堂元のキャラは 弱いですね。『こばと。』は小鳩と藤 本の話ですし、そんなところまで掘 り下げてたら、全6巻では終わらな くなってしまう(笑)。そのうえ、 1巻では設定説明と瓶を貰うために 頑張らないといけなかったので、実 質的には5巻なんですよね。その制 約の中で、小鳩と藤本が出会って、 気持ちを育てて・・・・と話を組み立て たときに、ライバルはいらないだろ うと考えたんです。逆にアニメは、 30分24話という長さで、いろんなキ ャラを掘り下げていかないと、盛り 上がらないでしょうね。 ——キャラクターを作るときに、ご 自分の好みが入ったりはしないので
しょうか? CLAMP 基本、自分の好みでは 作らないですね。話に必要な設定が あって、そこから作っていくような 感じです。本当にかっこよくて何で もできちゃうような男の子が登場し たら、小嶋はそっちに惹かれるだろ うし、いおりょぎもそっちにしてお けって言うでしょうし(笑)、藤本 は欠点のない、誰でも好きになるよ うなキャラではないですからね。 ——藤本のメガネや長いしっぽが特 徴的ですが、あれは大川先生の指定 だったんですか? CLAMP 男の人って髪型変える と特にわかりづらくなっちゃうんで すね。でも、最後に弁護士として出 てくるので、年月が経って大人にな った感じを出したかったんです。 あ る程度髪型を保ちつつ、変化を出し たいとなると、しっぽを長くするし かなくて。 ——将来的に切らせるためのしっぽ だったんですね。 CLAMP 「弁護士になったから 切ったのね」とわからせるためのア イテムですね。メガネは単に好みで す(笑)。 キャラ付けというのもあ りますが 沖浦とか、登場人物全員 メガネにしようかと思った時期もあ
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がお好きですか? CLAMP 大好きです。 でも、作 画的には大不評なんですよ。横のツ ルが漫画を描くときに捌きにくいみ たいで。目の表情にかかってしまう んですね。大川はメガネキャラを出 しがちなんですけど、作画からは「や めて」と言われてしまいます(笑)。 女子メガネも一回やってみたかった ので、清花さんもメガネキャラにな りました。 沖浦がもしもメガネだっ たら、もう少しクールインテリヤク ザ風にふっていたと思います。ただ、 そらすると清花さんがそんな男に惚 れるかって問題も発生するんですよ ね。さんはいかにもだめんず” が好きそう(笑) ——だめん めんずと言い切りました ね(笑) CLAMP アニメ版シリーズ構成 の横手さんが、沖縄によくブーイン グ してました(笑)。社会的制裁を 加えたかった��か言って(笑)。ア ニメのシナリオは、1話だけ水島 xxHOLIC」監督の水島努)さん
が書いて、あとはほぼ女性ばかりだ ったんですね。私たちは最初と最後 ぐらいしかシナリオ会議に参加しな かったんですが、「元凶の沖浦のお 父さんも酷い目に遭わせたい」って、 女性陣がだめんず話で盛り上がる中、 ただひとりの男子の監督が若干かわ いそうでした(笑)。 ——女性陣に人気だったキャラとい
うと? CLAMP わりと堂元は同情され ていたような気がします。その中で プロデューサーの(小林)潤香さん だけが、「いや、あの男には絶対裏 がありますよ」って言い続けていま したね(笑)。
後日談では『こばと。 史上初のアマアマに挑戦!?!?!
CLAMP とりあえず「ニュータ イプ」さんが大変だったと思います (笑)。締め切りもそうなんですけど、 14枚しかないので話が本当に進まな いんですよ。いくら「ニュータイプ」 のサイズが大きいからって、10コマ も20コマもギチギチにコマ詰めて描 くわけにもいかないし、私たちもそ んな少女漫画は読みたくないですし (笑)。おかげで「ここで終わる」と 言っていた時期から、少し遅れてし
まったんですよね。
——確かに14ページで、しかも引きを 作って……となると大変そうですね。 CLAMP 今までの連載では、い くら短くてもひと月で2枚ぐらいだ ったので、さすがに1枚で引くのは 物理的に無理だろうと思っていまし た。だから引くと言うよりは話を単 純に割って、単行本で見たときに見 苦しくならない形であればいいかな とさすがに「ここでぶっつり切る のは」ってところで切ったりはしな いで、ある程度続きっぽくなるよう にとは意識しましたが。でも、”あ ある程度"ですけどね(笑)。 ——この画集には、『こばと。』のシ ョートショートが描き下ろされてい ますが、成り立ちなど詳しくうかが えますか? 本編後の話、途中の話、 外伝的な話・・・・・・などなど、いろんな パターンが考えられたと思うんです が、小鳩と琥珀の話にされた理由 は? CLAMP やっぱりリクエストが 多かった琥珀と小鳩が一緒に歌うと ころを一回やろうかなと思ったんで すね。舞台はバームクーヘン屋さん で、そこでふたりが会って少しお話 しして……そうすると、銀生とかも 出せます 銀生が小鳩のために神
に願って、その引き替えに小さくな るというエピソードがあったので、 銀生が小嶋と喋るところを見たいと いう人も多かったんですよ。位置づ けとしては、本編のエピローグとい うより、番外編的な、本編が終わっ た後の、いわゆる後日談ですね。 ――最後に、読者へのメッセージを お願いいたします。
CLAMP この巻数のわりに本当 に時間がかかった物語でしたが、最 後まで見てくださってありがとうご ざいます。終わったとき、いちばん たくさん質問されたのが「藤本はい くつか」ということだったんですね 今回の描き下ろし漫画で、はっきり とした数字ではないんですけど、な んとなくわかるかと思います。 漫画 の最終回では、その後に小鳩が藤本 とどうつきあっていったかもわから ないんですけど、そのあたりもちょ っとだけわかります。『こばと。」って、 本編では意外とアマアマな部分はな かったんですよね。『Wish」のふ たりがアマアマしているぐらいで、 肝心の小鳩ちゃんではなくて。なの で、後日談ではアマアマしてる部分 が少し描けてよかったです。私たち も 楽しんで描いているので、見てい ただけたら嬉しいです。
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