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#映画で遺書を残して死んだ男の物語
aicannabis · 3 months
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映画「鬼哭(2003)」おぼえがき
「鬼哭」という単語はゲーム「鬼ノ哭ク国」で知った私です。
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幽霊なんぞ見たこと無いし、浮かばれない霊魂が泣くところが見れるわけないので、要は目的成就せぬまま死ぬことがタイトルで分かってしまう任侠ものです!(※ただしエンディングは別バージョンが存在するので、後述します)
今回は感想というより、あらすじを書いてしまうので、今後見るつもりの人は読むのをやめといたほうが良いです!
こちら至って王道な任侠ビデオ映画だと思います。
三池崇史監督作品ですが、ど派手な血しぶきや残酷な描写はありません。
終始、哀愁の表情をした国分誠治こと安岡力也が見れます!もう20年以上前の若き日のRIKIYA!!!
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あらすじ
伊達会・武藤組の構成員・国分誠治 通称セイジ(安岡力也)と岡本良文 通称ヨシ(曽根 悠多)は組長・武藤(岩城滉一)の下、固い絆で結ばれているが、伊達会で抗争が勃発したことから、3人の運命は大きく変わっていく。
まあまあ詳しいあらすじ
誠司は、組長の武藤に育てられた孤児として育った。武藤組は組長の武藤、セイジ、ヨシのたった3人で構成されており、中規模な伊達会の傘下である。
対立する何百人も抱える天堂会への清算のための金を求められた武藤は、代わりに天道会の会長を暗殺することを誓う。 セイジは自分が暗殺を実行することを申し出るが、セイジはすでに暴力団関連の殺人事件で15年の殺人刑に服しており、武藤は承諾しなかった。 翌日、武藤は違法銃器所持で逮捕され、懲役2年の判決を受けた。
セイジは天堂会会長を天道充胤(丹波哲郎)別荘で待ち伏せし、瀕死の状態に陥らせたが、天堂会は即座に反撃してきた。
天道会高坂組(三木良介、本宮泰風ほか2名)は、伊達会に赴き、石黒に「誰が会長を殺したか」と尋ねる。石黒は「国分だ」と答えた。(石黒は撃ち殺される)
その後、天道会高坂組が武藤の元妻サチエのところへ国分の居場所を確認しにやってくる。「知らない」と言い切るサチエに「武藤か国分のどちらかが始末されるんだよ、清算するとはそういうこと」と告げる。 逃亡中のセイジとヨシが食事を食べていると、ヨシの電話に何度か着信があった。セイジは「誰からだ?」ヨシ「なんでも無いっすよ」「・・・女からです・・・」
セイジ「会ってこいよ」
電話をくれた彼女に会いに行くヨシ。
天道会高坂組がやってきて、国分の居場所を確認するふりをしてヨシを殺す。 「女は殺るもんじゃない、犯るもんだ」(彼女はそういうことに)
武藤組長が伊達会からの絶縁された話を聞いたセイジは伊達会に戻るなり、怒鳴ってきた人物を射殺する。 伊達会の関係者たちは、武藤組長が追放されたのは、暗殺の実行を避けるために警察に出頭して刑務所に入ったためだと説明する。 しかしセイジは、自分が武藤組長を守るために警察に密告したのだとあっさり説明する。
そしてセイジに銃で詰め寄られた両角(石橋蓮司)は「絶縁は撤回する」と宣言。
ムショにいる武藤のもとへサチエが知らせに行く。「絶縁処分は一時保留だって」
セイジは天堂会組長の暗殺を実行するが、その直後に左脇腹を撃たれる。
そしてセイジは武藤の妻サチエのバーの前で行き倒れ、医者に連れて行かれる。その直後、伊達組長は暗殺される。
武器商人が武器を持ってサチエの家に現れる。
「伊達総長が解散声明出した。フィリピンあたりに逃げよう。」
彼は去る前に「よくわかったよ、セイジはあんたと一緒じゃなきゃ国外に出ないよ、あんたに惚れているから。あんたを守るためにがんばったんだろうね。」とサチエに告げる。
その頃、武藤が獄中で殺害される。 犯人は武藤殺害のためにわざと無線飲食で捕まっていた。 セイジは武器商人に相談するも武器商人から「獄中なんだぜ?仕組むも何も、裁判所に向かう途中でやるしかねぇだろ。」と言われる。
その後、セイジは裁判に向かう途中の護送車を襲い、武藤を殺した犯人を殺害して報復する。
サチとセイジは武藤とヨシの遺骨を抱えて海へやってくる。 そして海へ散骨する。
フィリピンへ逃亡するための船が到着し始めると、サチエは平和な未来への希望を込めてセイジの銃を海に投げ入れる。
荷物を取りに行くと、セイジに情報を提供していた武器商人(元警察官 公安課)香川が近くのクレーンに吊るされているのに気づく。
二人は波止場の端で追い詰められていることに気づき、船がトラブルを察知して向きを変える。 セイジがサチエに向けられたすべての銃弾を体を挺して阻止する。
泣き崩れるサチ。死んで横たわるセイジに、天道会高坂組のリーダーは「お前カッコ良すぎるぜ」と告げる。その後、天道会高坂組はサチエを傷つけることなく立ち去る。
(終わり)
「これが男気ってもんよ!!!」ということでしょうかね!
セルVHSでは別のエンディングが収録されている。
セイジが暗殺部隊に撃たれ、胸に手を伸ばし光る力の球を取り出し、暗殺者に投げ、宇宙からも見える爆発を引き起こす様子が描かれている。
私は配信で観たので、別エンディングはお目にかかったことがないです。
(2024.1.31追記)
映画「DEAD OR ALIVE 犯罪者」が1999年制作なので、この「別エンディング」は「DEAD OR ALIVE 犯罪者」のエンディングをセルフオマージュしてるってことか!!!!
「鬼哭」のセルVHSにしかない、別エンディング・・・観たいなぁ・・・
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myonbl · 2 years
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2022年8月13日(土)
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毎月1日付けで<京都市民しんぶん>が、15日付けで<下京のひび��(市民しんぶん下京区版)>が発行される。今朝は<下京のひびき>を組内に配付した。今回の特集は<敬老乗車証制度の見直しについて>、赤字が酷いので対象年齢を引き上げるというものだ。<敬老乗車証制度は、現在、70歳以上の希望する市民の皆様に、 所得に応じた負担金(年額0円~15,000円)で市バス・地下鉄共通全線定期券 (年額20万円)相当の価値があるフリーパス証を交付する、 高齢者の社会参加支援を目的とした福祉施策>なのだが、私の場合で言えば73歳から対象となる。施策についての批判はあるが、まずは73歳まで元気に社会の一員であろう・・・、何て健気な納税者!
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5時30分起床。
日誌書く。
シャワー。
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納豆そば+そば湯+ヨーグルト。
涼しいうちに、<下京のひびき>を組内に配付する。
ツレアイはチラシ睨んで買物計画、私はあれこれ家事。
麺つゆを作って冷やす。
キュウリのしょうゆ漬けを仕込む。
枝豆を茹でる。
糠床メンテナンス。
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Apple から Magic Trackpad が届いた。実はこのところ、2日おきくらいに充電しなければならなくなってしまった。さほど古いものではないと思うのだが、使い勝手が悪いので新調したのだ。
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ランチ、息子たちには出石蕎麦、私たちは残り物を片付ける。
録画番組視聴。
▽桂りょうば 落語「強情灸」▽酒井くにお・とおる 漫才
初回放送日: 2022年8月13日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は桂りょうばさんの落語『強情灸』と酒井くにお・とおるさんの漫才です。▽ご案内は南沢奈央さんと桂あおばさんです。
軽く午睡。
資料整理。
夕方、長男夫婦来訪、玄関先で近況報告会。先日の奈良旅行の土産を渡す。
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早めに夕飯準備、暑さの中で揚げ物を頑張った。何しろ、大きなカボチャを処理しなければならず、それならと安売りの地鶏も唐揚げにした。
熊野のHさんから電話、昨日送った残暑見舞いが届いたとのこと。やはりコロナの影響で盆の帰省客は少ないとのことだ。
録画番組視聴。刑事コロンボ
(47)「狂ったシナリオ」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。若き特撮映画監督が旧友を殺害し、遺体の身元がわからないよう工作…パトリック・ウィリアムズの音楽がエミー賞にノミネート
 映画監督アレックス・ブレイディのもとを、旧友のレニーが1本のフィルムを持って訪ねてくる。そこにはブレイディの秘密が映し出されており、それを公表するというのだ。キャリアを守りたいブレイディは、レニーをオープンセットへと連れ出し感電死させる。その後、身元をわからないようにして海岸に遺体を遺棄した。だが、遺体のそばに落ちていた1冊の本から、ブレイディのシナリオは狂い始める。
早めに片付け、そのまま布団の中へ。
露の新治さん、鈴本3日目は<魂切源五郎>とのこと。
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3つのリング完成は最初から諦め、水分は2,000ml達成。
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blue-aotan · 2 years
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ハロー(´ー∀ー`)2022.5.6
実写キングダム2の追加キャストが発表されましたね‼︎昌平君が玉木宏さん‼︎
めちゃくちゃ嬉しい🥹ピッタリすぎる…
呂不韋は佐藤浩市さん
蒙武は平山祐介さん
みんなピッタリすぎる…
キャスティングしてくれた人、ありがとう←
あとはイケメンキャラの李牧と蒙恬と王賁のキャスティングが気になるところ…
私としては瑛太さんに李牧をしてほしいです
そして
「みなさん、李牧が来ましたよ〜」
って言ってほしいです😂
出演者が豪華すぎて実写キングダムにどれほどの力が注がれてるのか…
しかしいつまで続くかはわかりませんが、間違いなく10年コースですよねw
あのるろ剣ですら10年かけて完結したんだもんね。
私が個人的に出演して欲しい俳優さんもたくさんw
鈴木亮平さんとか北村一輝さんとか柳楽優弥さん出て欲しいなぁ
(皆キングダム顔だよーwそして演技が上手だと思う人ばかり
桓騎とか似合いそうですよぉー
鈴木亮平さんはどんなキャラでもできそうだなぁ
1人キングダムしてほしーわww
と思って調べてたら鈴木亮平さんが王騎の格好をしてる写真を発見しました😂
何かの番組でしたのかなー
めっちゃ似合ってたw
7月公開が待ちきれないっ
話は変わって、最近はひたすらFF5に全集中しているわたくしです。
レベル上げというかジョブ上げが辛い…
攻略サイトでマスターしておいた方がいいジョブを紙に書いてそれ通りに何度も進めようとしたけれど、何時間経過してもてんでマスターが捗らないww
めちゃくちゃ時間かかるからレベル上げしながら部屋でジョギングや筋トレしてたけど、この前は8千歩超えてましたww
ストーリーとしては第二世界までやってきました。
めちゃくちゃ面白いです。昔のゲームなのに感情移入がすごいし、シンプルが故にすんなりと心に伝わってきます。昔のゲームって本当にすごいし、私がレトロを欲しているからなのかw
私の心情がFF5のドラマ性を装飾しているのかもしれませんが←
結局ガラフは別の世界から隕石でやってきた暁の4戦士の一人だという事が判明。かつてこの戦士たちはクリスタルの力を借りてバッツ達のいる世界に暗黒魔道士エクスデスを封印したのでありました。
戦士の一人ドルガンはエクスデスの封印を心配し、一人その世界にとどまることを決め他の3人は元の世界に帰るんだけどなんとバッツはそのドルガンの息子だったんです���。
そしてまたこの世界のクリスタルが砕け散り、エクスデスが復活してしまいました。
それを阻止すべく暁の戦士達は凶悪なエクスデスの力に一人また一人と散っていきます😭
そしてガラフも…😭
悲しいよ…HP0なのにエクスデスの凄まじい攻撃に耐え最後の最後まで諦めずに戦いました…そして孫のクルルを助けて死んでしまいました。
ガラフの能力はクルルが全て引き継ぎましたが、クルルが可愛いんじゃ😭
ファリス様も美形でかっこいいんじゃ…FF5もリメイク出してくれんかの←
ゼザが死んだ時もガラフがもう少し待ってくれんかと諦めてないところでも泣けたけど、ガラフが死ぬところでも泣きました🥲
でも全然関係ないけど、ゼザの髪型はサリーちゃんのパパなのかなってずっとモヤモヤしてましたwww
でも少しネットで検索してみたら、ゼザのあの2つの角は髪ではなく闘牛みたいな兜?だったのですよ奥さん
(知らんがな
ジョブは攻略の通りにしなくてもクリアはできるんじゃないかって簡単に思ってたけど、敵がめちゃくちゃ強いwwwこれはある程度は育てないと詰むな…と大人しくレベル上げすることにしました←
私の無計画なキャラの育て方だと完全に回復が間に合わないのですよ奥さん
かといって火力も全然足りないので、何とか頑張って今月中にクリア!という目標にまっしぐらです。
(誠に勝手ながら動画活動はこれに伴い暫く休止しております
そんなこんなで
「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」
を観てきました!!
ラッキーな事にタダのチケットをいただいたので使わせていただきました〜ありがとうございます🙏
以下はネタバレになりますのでご注意を!!!↓
結論から言うとめちゃくちゃ面白かったです。
色んな要素が詰まってましたよ〜今回はホラーになると昨年か?くらいから聞いてましたが、なるほど。ってなりました。
ホラー映画って枠ではないんだけど、ホラー要素がふんだんに盛り込まれていてワンダの動きとかゾンビストレンジとかが私はおおーってなりました😂
SFも特撮もホラー要素もあり、ジャンルを超えてこれがマルチバースか!ってなりました。
これ観て思ったけど、FF5は既にマルチバースしてるじゃんね😂←
でも別の宇宙から来てる訳ではないか。隕石に乗ってくるってことは同じ宇宙の別の惑星とかそんな感じか?←
簡単に言うとマルチバースっていうのは別の宇宙ってことです。
無数の宇宙が存在してて、その宇宙間を移動できる能力を持っている女の子=アメリカ・チャベスが今回登場します。
別の宇宙では別の自分がいて別の人生を歩んでいるんだけど、ワンダがよからぬ闇を抱えてなんとかっていう禁じられた書(もう名前忘れたw)に取り憑かれてしまって、宇宙間を移動できるアメリカを殺してその力を自分のものにし全宇宙を支配する!そして別の宇宙で暮らしている自分の息子達を誰にも脅かされる事なく守りたい!みたいな気持ちで暴走するのですが、それを止めようとストレンジが奮闘するストーリーです。
別の宇宙での出来事を夢で見るという設定なんだけど、自分に置き換えて考えると面白い設定だなと思いましたw横浜流星と親しい自分が別の宇宙に存在しているということにww
話を戻して←
始まりからかなり緊迫してて、アクションのピークから物語は始まるんだけどストレンジさんが本当にかっこいいのよね。カンバーバッジさんには永遠に髭を生やしてて欲しいです←
そして色んな宇宙のストレンジさんを観れて大満足と共に、どの宇宙でもストレンジさんが脅威だと言われているのよね。
今回ワンダがめちゃくちゃ強すぎてさ。
もう、一人でサノス倒せたのでは?ってくらい強いのよ。
そして残虐で美しいです。ワンダ役の方の演技が鬼気迫るものを感じました。表情がとても丁寧で繊細だった。
でもさ、え?ワンダって悪い人になったの?え?何で?息子とかいないじゃん?何だこれ?
ってなるんですよ。で観終わって調べたらどうやらディズニープラスの「ワンダヴィジョン」というドラマが繋がりがあるらしくて、そりゃ知らんわな!ってなりましたw
でも私はそのドラマみてないけど全然楽しめたし、最後のワンダとワンダの会話で何なら泣きそうになったくらいまである😂
そしてストレンジさんはストレンジさんで愛していた女性が別の男性と結婚し、本当の気持ちに蓋をしながら生きている様子がとても切なくて辛かったです…
でも私はそういう悲哀を抱えて生きている人達の味方だよ!!!皆が皆ハッピーエンドじゃないことを私は知ってるよ!だから元気出して!!って勝手に応援していました←
どの宇宙でもストレンジさんは嫌な奴で嫌われてるっぽかったけどw
色んな宇宙へいってストレンジさんも自分について知る事ができたんだと思う。
途中は別の宇宙の自分との対決があるんだけど、それがまさかの楽譜対決なのよね🤣🎼🎶
何だこれ?と思いながらも、別の宇宙でも私達の知るクラシックが演奏されているんだなーとか気づいたら私がこの映画を観る理由みたいなものを画面内にめちゃくちゃ探していましたww
(理解が追いつかなくて別のものに理由を見出そうとしたみたいです←
私たちの知っているストレンジさんはアメリカを救う為に頑張ってくれました。
結局はアメリカはワンダに捕まり殺されそうになるんだけど、別の宇宙にいってしまっていたストレンジさんは禁断の書を使い元の宇宙にいる別の自分の遺体を操作し(ややこしいw)ワンダと戦います。
それがゾンビストレンジなんだけどね🤣
死体を操作するのは禁じられていて悪霊にまとわりつかれるんだけど、それらを利用してワンダを追い詰めます。ゾンビとか悪霊とかなんかちょっと笑えたよね。
でもこの時にどうして別の宇宙の自分の遺体がこの宇宙にあるんだ?って謎が解けましたw
そしてゾンビストレンジさんは力を制御できないアメリカに自分の力を信じろって勇気づけて、最終的にアメリカは幸せに暮らしている別宇宙の母ワンダに悪ワンダを会わせて、息子達が悪ワンダに恐れ慄き自分の醜さ愚かさを思い知らされ打ちひしがれるのですが、母ワンダが悪ワンダの頬に触れ「私が愛します」って言うんですよ。
この時に涙がこぼれそうになってあっぶね、となりました😂
この時に私が感じたのは「自分を救えるのはやっぱり自分なんだな」って妙に納得してしまったのです。
何だか別の自分なんだけど多分どこかで繋がってる部分があるんだろうなって感じたし、自分の中の絶望とか言葉にできない気持ちを理解できるのは自分だけなんだと思うからそれを認めて愛しますって言われた悪ワンダの気持ちが少しわかったような気がして泣きそうになりました。
そして悪ワンダは自分がしでかした事に気づき禁断の書を全宇宙から消滅させ自分自身も封印します。
ストレンジさんは別宇宙の想い人に全ての宇宙の君を愛していると告げるんだけどさ。
そこで
(えーーー元の宇宙のクリスティーンに言えないからって別の宇宙のクリスティーンに言う訳!?それダメじゃない??)
ってストレンジさんにガッカリしかけたんだけどw
待てよ、これはストレンジさんなりの気持ちのけじめの付け方なんだよね、これをしないと次に進めないから仕方ないことなんだよねって自分を納得させました←
そしてゾンビストレンジを操った代償に第三の目が開眼エンドを迎えましたwww
今回もエンドクレジット後の映像がありました。
宇宙同士が衝突して現実が壊れているからそれを修復しないと!ってとある女性がストレンジさんに応援を求めてやってきます。その女性がシャーリーズ・セロンなんだけど
あぁ、それでここからワイスピに繋がっていくんだね〜
って脳がマルチバースして終わりましたwww
という訳でドクター・ストレンジ マルチバースなんちゃらの感想は以上です🤘🤘
見どころをおさらいしますと
・ストレンジ七変化
・ストレンジvsストレンジの楽譜対決
・ファンタスティックフォー代表の人がクワイエットプレイスのお父さん
・アメリカチャベスの大胆な白目
・宇宙から宇宙へ横切っていく時の映像のすごさ
といったところでしょうか。この映画を観て勇気をもらいました。
私も今からカマータージで魔術師になるための修行を積みたいと思います!!←
それでは解散!🤘🤘
追記:最後クリスティーンが「インカージョンみたかった」って言ってたのは何かの伏線なのでしょうか、それともいち科学者としての好奇心なのでしょうか。
(インカージョンとは宇宙と宇宙が衝突することです。それで世界が消滅したりしたこともあったようです
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team-ginga · 23 days
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映画『シェルブールの雨傘』
 NHK. BSお昼の洋画劇場(と勝手に命名)でジャック・ドゥミ監督の映画『シェルブールの雨傘』(1964)を見ました。
 非常に有名な映画ですが見るのは初めてです。
 え?
 今まで見たことなかったの?
 フランス文学者なのに?
 映画好きを自認してるのに?
 隠しても仕方ありませんーーはい、見たことがありませんでした。
 あらすじは知っていました。でも、だからこそ「そんな単純なメロドラマ見たくねえや」と思っていたのです。
 歌が全て吹き替えだというのも、ワタシ的にはマイナス要素でした。
 で、実際見てどうだったかというと……
 「つまんねえ映画だ」というのが正直なところです。
 主演は言わずと知れた(?)カトリーヌ・ドヌーヴ。彼女の出世作ですね。
 ドヌーヴは一般的には美人なのでしょうが、私はあまり魅力的だと思ったことがありません。また、ドヌーヴ出演の映画は結構見ているはずですが、あまり印象にも残っていません。
 『昼顔』、『反撥』あたりは良かった……というか私の好きな映画です。でも、どこまでいっても『昼顔』はルイス・ブニュエル監督の映画、『反撥』はロマン・ポランスキー監督の映画。ドヌーヴの映画という感じがしません。
 『シェルブールの雨傘』のストーリーは非常に単純です。
 シェルブールの街で傘屋を営んでいる女性の娘ジュヌヴィエーヴは向かいの自動車修理工場で働く青年ギイと恋仲です。
 ギイは20歳、ジュヌヴィエーヴは16歳ーー今とは時代が違うんですかね、16歳だけれど高校には行っていない様子で、二人は結婚してガソリンスタンドを開こうなどと寝ぼけたこと……あ、いや夢のようなことを言っているのですが、ジュヌヴエーヴの母親は「まだ早すぎる」と反対しています(そりゃそうです。そりゃ母親の言うことが正しいわ)。
 あるとき母親の元に税金の追徴金支払いの命令書が届きますが、払うべき金がありません。母親は仕方なく宝石を売りに行きますが、思ったほどの金額にはなりません。
 すると親切な紳士が近づいてきて「私がその宝石を高く売ってあげます」と言います。母親は宝石を渡し、紳士は「明日店に伺ってお金を渡します」と言います。
 え?
 な、なんと不用心な。こんなの詐欺に決まってるじゃないですか。
 でも、カサールという名前のその男は本物の紳士でした。彼はきちんとお金を持って店にやってきます。
 そうこうするうちにギイは召集令状を受け取ります。時は1957年ーーフランスはアルジェリア戦争の真っ最中です。ギイは後ろ髪を引かれる思いで戦地に旅立ちます。
 ギイの出征後、ジュヌヴィエーヴは自分が妊娠していることに気づきます。もちろんギイの子どもです。
 さあどうしよう……と思っているところにカサールが現れ、ジュヌヴィエーヴと結婚したいと申し出ます(カサールはジュヌヴィエーヴ本人に言うのではなく、彼女の母親に結婚の申し出をします。随分と前近代的な話だと思いますが、フランスでも1950年代はそうだったんですかね)。
 カサールはすぐには返答は求めず、「3ヶ月後にまた来るので、それまでに考えておいて欲しい」と言い残して旅に出ます。
 その後、ジュヌヴィエーヴのお腹はどんどん大きくなり、ギイからの手紙はだんだん少なくなります。
 3ヶ月後、再びシェルブールを訪れたカサールは、ジュヌヴィエーヴのお腹が大きくなっているのを見ても全く動じることなく、「お腹の子どもは二人の子どもとして育てよう」、「僕と結婚してください」と言います。
 うーん、なんちゅうお人よし……あ、いや、なんていい人なんでしょう。
 というわけで二人は結婚します。
 そんなこととは知らぬギイは、ジュヌヴィエーヴへの手紙に「子どもが生まれて、男の子だったら名前はフランソワにしよう」などとお気楽なことを書いています。
 戦地から帰ってきたギイはジュヌヴィエーヴが結婚したこと、ジュヌヴィエーヴの母親が経営していた傘屋は所有者が変わったことを知って愕然とします。
 やけになったギイは自堕落な生活を送ります。やがて、孤児だった彼を引き取って親代わりとして育ててくれた親切な女性が死んでしまいます。ひとりぼっちになってしまったギイは死んだ女性の看護婦(なのだと思います)をしていたマドレーヌという女性に求婚し、相続した遺産でガソリンスタンドを経営します。
 それから数年ーーギイとマドレーヌにはフランソワという名前の男の子ができています。クリスマスの夜、マドレーヌとフランソワが出かけている間に、ギイのガソリンスタンドに1台の車が止まります。
 運転しているのは……わかりますよね……幼い娘を連れたジュヌヴィエーヴです。
 ギイはジュヌヴィエーヴを事務所に連れて行きます(子どもは車の中に置き去りです。母親としてそれでいいのか、ジュヌヴィエーヴ)。
 二人は事務所の中で抱き合う……なんてことはもちろんありません。あっちゃダメでしょう。二人はただお互いのその後を言葉少なに語り合います。
 ジュヌヴィエーヴの子どもはもちろんギイの子で、名前は……フランソワーズ(フランソワの女名前)です。
 ジュヌヴィエーヴはギイに「フランソワーズに会う?」と尋ねますが、ギイは黙って首を振ります。
 ジュヌヴィエーヴの車が去っていき、マドレーヌとフランソワが戻ってきて、ギイとフランソワが雪合戦をするところでオシマイ。
 うーん、この映画どこがいいんですか?
 偏見かもしれませんが、20歳の男と16歳の女が愛だの恋だの、生きるの死ぬのと言っても、私は本気にできませんし、ジュヌヴィエーヴも母親���結婚のことをギイに知らせなかったのは、あまりと言えばあまりに不誠実ではありませんか。
 作り手としては「甘く切ない恋物語」を作ったつもりなのでしょうが、私には「どこにでも転がっているようなつまらない男とつまらない女のつまらない恋物語」にしか思えませんでした。
 逆に言えばそこが受けたんでしょうか。1964年といえばアルジェリア戦争が終わってまだ2年しか経っていません。ジュヌヴィエーヴとギイのようなカップルはフランスに少なからずいて、この映画はそういう人たちの心に響いたんでしょうか。
 それともセリフが全て歌になっているという形式が新しかったのかな。
 いずれにしても、私は好きじゃありませんね。
 まあ、こういうこともあります。
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【坂本龍一監督追悼 定期演奏会2024】3月31日(日)サントリーホールにて全日程終了いたしました。
2024年の定期演奏会も残すところ1回のみとなりました。 ここサントリーホールは2022年3月に、今から思えば坂本龍一監督との最後の共演のステージとなってしまいました。 舞台裏には世界の名だたるオーケストラのステッカーに混じり、坂本監督が当時のホルン田嶋キャプテンと一緒に手を添え貼りつけたTYOロゴステッカー(長嶋りかこさんデザイン)が輝いています。
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見つかりましたか?
東京近郊に前泊した団員よりひと足早く会場入りして、設営などのお手伝いをしてくれる、今回のツアーのステージング・チームです。
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ありがとう。女子5人に男子2人で、「TYOのNewJeansにKinKi Kids」あたりでどうですかね。
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こちら男子7人組は「TYOのSEVENTEEN(セブチ)を箱推しする事務局岡田さん」で!
ゲネプロ前の挨拶、注意事項です。
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わたしは、生前坂本監督は自分のことを「猛烈な晴れ男だ」だと自称されていましたが、まさかの計らい、追悼の最終公演が3月の観測記録史上の最高温度予想にまでなるとは思わなかった(実際、28度まで上がりました)。最高のホールで、感謝の気持ちを持って、TYO観測史上最高の演奏を、会場のみなさん、ライブビューイングの氷見市のみなさん、坂本監督へ届けましょう、というようなことを言いました。
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東京公演には、今年の2月の福島市での合同練習会に参加してくださった松田理奈さんが、「ぜひみんなと演奏したい」と同じステージに乗っていただけるスペシャルなゲストとしてご出演となりました。しかも、まさに後方から応援のように。団員にとっての好刺激でしかありません。恐縮至極ありがとうございます。
ゲネプロが終わり、第9期の卒団式では、18名の団員の名前を読み上げました。ヴァイオリン菊地彩花さん、山﨑優子さん、渡邉真浩さん、鈴木南々瀬さん、小田知紀くん、戸野部百香さん、千葉隆史くん、コントラバス丹野裕理くん、小針奈々さん、フルート野口菜々水さん、オーボエ菅野怜美さん、クラリネット渡邊理沙子さん、中山優貴さん、ホルン千田捺月さん、田嶋詩織さん、トロンボーン橋本幸歩さん、パーカッション浅野 海輝さん、三浦 瑞穂さん。うち9名が1期からのメンバーです。青春の約半分を東北ユースオーケストラで過ごしてくれたかと思うと感慨深いものがあります。
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コロナ禍でリアルに卒団式ができなかった6期と7期の卒団生の名前もステージで紹介できて良かったです。今回のOBOGとして乗ってくれた16人からは事務局スタッフに花のプレゼント、さらに現役団員からは寄せ書きのプレゼントをいただきました。この時点ですでに涙腺がにじんでおりました。
続けて、全員で毎年恒例の丸尾隆一カメラマンによる集合記念撮影となりました。
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せっかくのサントリーホールのステージですからね。
今回の本番メンバー全員から海津洸太キャプテンへの感謝の寄せ書きを菊野奏良くんが代表してプレゼントです。
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後ろのカメラは、4月に放送のNHKのETV特番チームです。
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今期で卒団してしまうコンミス渡邉真浩さんと、ゲスト奏者のソリスト、成田達輝さんのツーショット。
TYOの一人手芸部である駒井心響さんからは事務局スタッフ一人一人に造花をいただきました。キラキラネームの「ここね」さん、ありがとう。
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福島事務局の竹田学さんには、似顔絵ならぬ似顔折り紙を。そういえば今年の直前合宿初日は竹田さんの指導からはじまったのでした。10日ほど前の出来事ですが、もう1ヶ月くらい経っている気がします。 右に映り込んでいるのは、写真撮影大好きのスーパーサウンドエンジニア、録音のオノセイゲンさん。
そのセイゲンさんが、理事の塩崎恭久さん、「TYOのシュークリームおじさん」荒川祐二さん(実は定期演奏会の配りパンフの楽曲解説執筆者)とブラジル=ポルトガル語について語っておられたので、思わず声をかけました。
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このオジサン三人組は、もちろん「TYOのYMO」です!
今日も舞台裏には坂本龍一監督の遺影が。
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この肖像を通り過ぎる際、軽く会釈する団員(新高校一年生)の姿が心に残りましたが、シャッターは押しませんでした。
さて、開場前のホールのロビーです。
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はじめての定期演奏会で「ラプソディー・イン・ブルー」を共演してくださった山下洋輔さん。その山下さんがアンコールで坂本監督とアドリブ合戦を繰り広げられた記憶が鮮烈な『ETUDE』編曲者の狭間美穂さんから豪勢なお花を頂戴していました。ありがとうございます。そして、毎年協賛してくださっているJA共済さんからは応援のボードに、みんなの意気込みを書いた寄せ書きを展示していました。
こちらはOGのボランティア手伝い、二人組。
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曽我さんと芦名(姉)さんが来てくれました。「TYOの阿佐ヶ谷姉妹」でお願いします。
こちらはTYOオリジナル商品を販売するチーム、4人組。
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えー、「TYOのももいろクローバーZ���で! おかげさまで高額の防災セットも書籍『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからはじまる未来〜』も完売になりました。お買い上げありがとうございました。
開演の14時が近づいて、今日の影アナ隊が集合してきました。
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右から佐藤栞南さん、叶幸多郎くん、海津キャプテン、市川真名さん、丸山周くん(スタッフTデザイナー)です。
舞台袖が賑やかになってきました。
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坂本龍一監督は、音楽を楽しむ大切さを団員に教えてくださいました。追悼公演ですが、これでいいのだ。
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司会の渡辺真理さんまで、嬉々として巻き込まれておられます。
上手では、坂本龍一ピアノへのオマージュほとばしる音を奏でていただいている中野翔太さんを囲んで。
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TYOのヤングな波に飲まれてくださり誠にありがとうございます!
さて開演。
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緊張気味のマエストロを写真撮影で和ませようと試みました。
本番がはじまると、ステージ写真をこっそり撮るのは難しいサントリーホール。今日も休憩前のオリジナル商品の生コマーシャル役三人、TYOのMISAMOが。司会の真理さんに、元団員のNHK密着型ディレクター菊地さんも業務中にピースしてるけど、大丈夫か、ま、そういう業務か。
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もちろん、CDはまだまだ売っています、書籍も電子書籍で買えます。ともに活動資金になりますゆえ、ぜひお買い求めを〜。
まだ2部が残る、休憩中なんですが。
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成田さんへの寄せ書き色紙の贈呈があった模様です。
もはやトランペットよりも自撮り棒を手にしている印象のOB中村教諭。
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今回の演奏会ツアーで団員が撮った写真の総枚数はいかほどか。坂本監督との思い出とともに、みんなの一生の宝物ができたのではないでしょうか。
このサイトのシステム上、ひとつの投稿に30枚までしか写真をアップできないもので、時間は早送りに。
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ホール満員で埋まる観客のみなさんからの拍手喝采を受け、全員が立ち上がるカーテンコールです。あちら、こちらに、涙、涙、涙。
マエストロを囲む、みなさま、本当にありがとうございました!
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吉永小百合さんは、毎年団員から贈られる寄せ書きを楽しみにしてくださっているそうで、
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手に取り、待ちきれないとばかりに文字を追われております。
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プレゼンターの海津キャプテンと。
おかげさまで沢山のメディアに報道していただけました。一部ご紹介します。 「吉永小百合 坂本龍一さんを哀悼「神は意地悪」追悼演奏会に出演し涙」(デイリースポーツ) 吉永小百合 天国の坂本龍一さん思い涙 追悼演奏会で詩を朗読「届いたと思います」(スポニチ) 吉永小百合、盟友・坂本龍一さん思い涙 「あんなに早く天国に迎え入れられたのはすごく悔しい」(中日スポーツ) 吉永小百合、涙 坂本龍一さんに捧げる朗読 「神さまは意地悪」 東北ユースオーケストラ演奏会で(スポーツ報知) 教え受けた坂本龍一さんを追悼、東北の被災地楽団が演奏会 震災の鎮魂曲も(産経ニュース) 坂本龍一さん監督務めた東北ユースオーケストラ追悼演奏会で吉永小百合が涙「坂本さんがいる」(日刊スポーツ) 坂本龍一さん結成のユースオケ、追悼演奏会 吉永小百合さんが詩朗読(毎日新聞) 坂本龍一さん鎮魂の演奏会 教え受けた被災地オーケストラ(47News) 坂本龍一さん鎮魂の演奏会 教え受けた被災地団員が演奏、吉永小百合も出演(サンスポ) 坂本龍一さん立ち上げの東北ユースオーケストラ視聴会 氷見市(NHKオンライン) 能登半島地震から1日で3カ月…東日本大震災きっかけに発足した楽団が演奏会 氷見市でライブビューイング(FNNプライムオンライン) 復興の祈り氷見に響く 東北ユースオケ公演生中継 富山、石川の800人拍手(47News) こちらは、長尺8分ほどの動画ニュース 吉永小百合が坂本龍一追悼コンサートで盟友に捧げる詩を“涙の朗読”(テレ朝ニュース) 東日本から能登の被災地へエール 坂本龍一さんの楽団がつなぐ(朝日新聞デジタル)
追加で、長尺10分弱ほどの動画ニュースです。 坂本龍一さん追悼コンサート キャプテンは演奏中に涙 「それも音楽ということで」(日テレニュース)
この東京公演は、東北ユースオーケストラが「いつまでも支援される側ではなく、支援する側にもなる」、その第一歩でもありました。
コンサートの冒頭、小学校3年生の時に気仙沼で被災した三浦瑞穂さんが、氷見市芸術文化館でのライブビューイングに訪れた800人の観衆のみなさんに向けて、自らの体験をもとに励ましのメッセージを送るにあたって言い淀んだ瞬間がありました。津波に飲み込まる難を逃れ、九死に一生を得た自分が「生きていていいのだろうか」と悩み、自らを責め続けた三浦さんが、東北ユースオーケストラでの活動を通じて、「自分も生きていいんだ」と思えるようになった。その自分がはたして能登半島地震で被災した方々を元気づけるような言葉を発するようなことができるのだろうかという逡巡、自分の言葉が押し付けになっていやしないだろうかという「ためらい」であるように受け止めました。今後、たとえ支援する側になったとしても、この「ためらい」の気持ちは大切だぞとも感じました。坂本龍一監督なら、この慎み深い姿勢には共感されるのでは、とも。
本番の演奏で、三浦さんはいつものように拍子木を打ち、透き通った、まっすぐな音をサントリーホールに響かせてくれました。きっと富山県、石川県のみなさんにも、その音は確実に届いたはずです。
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晴れやかな表情でサントリーホールを後にする5人に混じって、明日から新社会人の三浦瑞穂さん、次の「拍子木スト」の指名、教育もお願いします!
おかげさまで東北ユースオーケストラ 坂本監督追悼 演奏会2024は、無事終了いたしました。
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カーテンコールの中、スクリーンに映し出された言葉は、 「坂本監督、これからも私たちを見ていてください」
ツアー中、自撮り棒を巧みに操っていたOBの中村祐登はカトリック系の小学校の教諭であり、敬虔なクリスチャンなのでありますが、本番中の降り番のタイミングで近づいてきて、「知ってました? 今日31日はイースターなんですよ」「そうか、今日は坂本監督復活祭か」
来年も3月に311を思い返し、坂本龍一監督を偲んで、みんなで集う、音の祭りが開催できますよう。
最後にご支援のお願いをさせてください。 こちらは、寄付プラットフォームのSyncableのサイトより、そして今年の2月からはYahoo! ネット募金でT-ポイントでもご寄付いただけるようになりました。
引き続き東北ユースオーケストラへの応援、支援をよろしくお願いいたします。
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kennak · 3 months
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11月9日 九死に一生(その1) みなさん、ごぶさたしています。お元気ですか? まだ進行中ではありますが、心がだいぶ元気になってきたので、少し書いておきます。 実は、2023年8月24日10時、自宅事務所で仕事中、突然上半身に激痛が走りました。それは下腹部全体から始まり、胸部に波及していきました。 椅子から滑り落ち、床にはいつくばって耐え、武道前進でトイレに向かいました。そのときは、経験したことのない激痛を「前夜に食べた鮨にいたアニサキス」ではないかと疑っていたからです。 ところが吐こうとしても何も出ず、寝室にいきベッドに横たわりました。それから4時間、激痛に耐えていましたが、まったく収まる気配もない。そこで妻に頼んで救急車両で都立病院に搬送してもらいました。 即刻検査をしてもらうと、救急医から「このままICU(集中治療室)に入ってもらいます」と告げられました。24時間、絶対安静。家族も含めて完全に面会謝絶となります。今、会っておきたい人かせいたら、すぐ連絡してください。 病名は、急性大動脈解離。そのときは初めて聞く名称だと思いましたが、ICUに運んでくれる看護師さんから「びっくりしたでしょう。でも大丈夫。九死に一生を得たんですから、がんばりましょう」といわれた時、思い出しました。 30年ほど前、父の死に立ち会ったときに聞いた病名が大動脈解離。父の場合、大動脈の解離(亀裂)が心臓の近くまで達し、担当医からは「この亀裂が心臓に達したら助かりません。覚悟しておいてください」と言われました。 熊本に赴任していた兄に連絡し、飛んできてもらいました。しかし、彼の到着を待たずに翌日、父は「やってしまった」と口にした後、黄泉の国に旅立ちました。享年74歳。私は67歳で、父と同じ病気に罹ったことになります。 ICUの病室に入る前、長男、長女が会いにきてくれました。一人1分くらいで、話しができます。私は「ついにゆく みちとはかねてききしかど きのうけうとは おもはざりしも」と頭に浮かんだ辞世の句を伝えたのです。 結果的に、ICUには7日間、お世話になりました。1日目は、一睡もできませんでした。というのも、ドラマの知識ですが、冬山で遭難した人が「眠ったら死ぬぞ」と言われていた気がしたからです。 点滴と酸素マスクでスパゲッティ状態の私は、強い痛み止めを処方されていたので激痛は減っていたのですが、5分ごとに酸素マスクを外そうともがき、24時間時間、常に監視していてくれる看護師さんに直されました。 「廣川さん、酸素マスクを外してはいけません。外したら死にます。しっかり息をしてください。わかりますか。生きましょう。自分で生きようと思わなければ、このまま死んで仕舞います。わかりますか。もっと生きてください」 それから7日間、右にも左にも動けず、寝返りもできないまま、ひたすら絶対安静の時間のなかにいて、モルヒネで痛みは減少したものの、数分に一回、幻覚を見て死にたくなり、看護師さんが飛んできてくれる日々が続きました。 ICUで、絶対安静の身体も苦しかったけれど、もっと苦しかったのが、どこにも外界の情報がないことでした。面会謝絶は、情報謝絶であり、心から「このまま死にたい」と思えるほど「圧倒的に不自由な状態」だったのです。 ものごころがついたときから、いつも自由な時間につつまれていた自分にとって、初めて、自分の意思ではどうにもならない場所に入り、「出してくれ。自由にしてくれ」と叫びたくなるような閉塞感に襲われていたのです。 そんな私に、ICUの看護師さんは、延べ10名ほどが交代で、つきっきりで励ましてくれました。私はイビキが強く、いわゆる無呼吸症候群なのですが、呼吸が止まると看護師さんが飛んできてくれます。 「廣川さん、わかりますか。息をしなければ死んでしまいます。生きましょう。はい、息を吸って、吐いて。そうです。その調子。続けてください。息を吸って、吐いて。一緒に、血中酸素濃度を上げましょう」 ICUの7日間、一滴の酒も飲まず、食事も摂らず、ひたすら点滴の力で命をつなぎました。7日後、絶対安静と面会謝絶は続いたものの、一般病棟に。そのときは、1カ月以上、ベットで安静にする生活が続くとは思っていませんでした。 ICUから一般病棟に移れたとき、別の看護師さんでしたが「よかったですね。よくがんばりました。廣川さんは、まさに九死に一生を得ましたね」と言ってくれたのです。ああ、とにかく助かったらしい…と思っていました。 その後、都立病院での40日間の入院から退院し、大動脈解離の再発防止のための動脈瘤切除の手術をするために私立病院にも通うようになったのですが、手術してくれる先生も、同じ言葉を使われました。 先生は、都立病院から申し送りされたCT資料を見て「廣川さんの場合、脚から腹、そして胸部まで大動脈の解離(亀裂)がみられます。ところが、心臓の手前で亀裂が止まりました」 「え? どうして止まったのでしょう」 「理由は、わかりません。こんな激しい亀裂が全身をめぐったのに心臓までは達していません。達していたら、緊急手術をしても助かったかは、わかりません。九死に一生を得たのですから、再発防止も、がんばりましょう」 私は、ICUに入って「こんなに苦しいなら、不自由なら、死んでもいいから自由にさせてくれ」と思い続けた自分を、後悔していました。みんなが、生かしてくれた生命なんだと、ようやく理解していたのです。 11月10日 九死に一生(その2) 2023年8月24日16時ころから、私は7日間、都立病院のICUに隔離され、絶対安静と面会謝絶の状態に入っていました。 仕事も途中で放り出し、生れて初めて救急車で救急病院に搬送されたのですが、アニサキスによる腹痛だと思っていたので「急性大動脈隔離」だったと知り、本当にびっくりしました。 まったく、そのような人生が待っているとは考えてもいなかったからです。亡き母を二度、救急車で搬送したときは、息子として付き添っている立場。そのときは、自分が搬送される未来があるとはつゆ、知りません。 それまでは、テレビのニュースや映画のワンシーンでしか見たことのないICUに、自分が運ばれていくなんてことも、考えたことはなかったのです。とうに還暦を過ぎていたので、十分、ありうることだったのですが。 まず、おどろいたのが、右へも左へも寝返りが打てないコト。両手には点滴の針が刺さり、クチと鼻は透明な酸素マスクで固められています。水を飲む場合だけ、外されるマスクは、本当に「邪魔くさい」ものでした。 ICUのベッドに横たわったときは看護師さんに「ここが有名なICUなんですね」などと余裕で減らず口をたたいていましたが、次第に「これは大変なことになった」と自覚していきました。 初日は(その1)で記したように、このまま眠ったら死んでしまうのではないかという不安と緊張から、興奮して一睡もできませんでした。そして、たぶん何百回、何千回と「夢」を見たと思います。 ロシアの文豪ドストエフスキーのデビュー作「貧しい人々」か、獄中の出来事を描いた「死の家の記録」か、あるいはそのどちらかの「あとがき」で読んだのかは定かではありませんが、そこにこんなことが書いてありました。 ドストエフスキーは、学生のときに書いた「貧しい人々」がベストセラーとなり文壇デビューしたわけですが、その後、「無神論者」として、ニヒリズムに侵されて、時の政権への反対運動に身を投じます。 ところが、逮捕され、獄中で様々な犯罪者たちと出会い、そのあげく非民主的な裁判で「死刑」を宣告されました。そして、縛り首になる日がきました。 神父に最後の説教を受け、目隠しをされて13階段を上り、首に縄を回され、あとは床が抜けるだけという状態。その13階段をゆっくりと歩いていく数分間に、ドストエフスキーは、それまでの自分の人生についての夢をみたのです。 その数分間は、無限に近い「夢の時間」だったそうです。 そのエピソードを知ってから、私はこう確信していました。死ぬときは、自分も人生をふり返り、たくさんの夢をみるに違いない……しかし、ICUで絶対安静にしていた私は、人生を夢でふり返ることはありませんでした。 代わりに、今まで見た記憶がない、キラキラしてサイケデリック調の世界に行き、そこで何か���作っているシーンや、見たこともない人にプレゼンをしているシーンや、凄い物語を思い付いてノートに書いているシーンをみました。 ところが、そのサイケ調ではあるものの、やたらリアルで細かい字まで見えている「成果物」を、どこにも保存することができません。ノートをしまう引き出しも、パソコンも、伝えるスマホもありません。 あ、どうしよう。せっかく思いついたのに、保存がきかない。きっと目を覚ましたら、何を創り出したのか忘れているのだろうな、という意識が沸き上がり、そこで目を開けると、ICUの天井があるのです。 天井には緊急手術用の大きな照明が1つあり、それは幸いなことに私のいた天井で光ることはありませんでしたが、何だか脳に直接働きかけて未来の夢を見させている新しい装置のように感じていました。 ああ、そうだ。私は、きっと何も残せないまま死んでいくに違いない。死ぬことは、成果を保存できずに、ただ、消えていくことなのか。死にたくない。もっと何かを作り、それを保存して、みんなに伝えたい。 そう考えたとき、いつも強い不安に襲われました。このまま、プツンと世界が終わってしまう。何も遺すことなく、自分が生み出した世界を誰に伝えられることもなく、ただ終わってしまう。それが、今、目の前にある現実なんだ。 そして、私は手元にあるナースコールを押すか、あるいは狂ったように酸素マスクを外してしまうか、衝動的に何らかのアクションをとっていました。ICUの看護師さんは、いつも、何百、何千回と、いつも飛んできてくれたのです。 ICUで隔離されてから二日目か三日目、カーテンを吊るしている金具のところに異変があるのに気づきました。私は、看護師さんに聞きました。「あそこにある文字は何ですか」 看護師さんは「ああ、文字が見えますか。それは幻覚です」と言います。「え? 看護師さんには見えないのですか」「はい。私には見えません」「そんな…では、カーテンの下にある、ひらひらしているその文字は、ありますよね」 「ああ、カーテンの影が文字に見えているのですね。それも幻覚です。気になりますか。」「はい」「興奮すると身体にさわりますから、専門のスタッフを呼んでおきます」「では、本当に幻覚なんですね」 それから小一時間もたたないうちに、白衣を着た、目を見るだけで美しさが匂い立つ精神科医がやってきて、私の話し相手になってくれました。彼女は、私が何をしている人か尋ね、根気よく、幻覚について聞いてくれたのです。 11月11日 九死に一生(その3) 2023年8月24日に急性大動脈解離でICUに運ばれた私は、24時間絶対安静を強いられる中、激痛を緩和してくれるモルヒネのせいで、さまざまな幻覚を見るようになりました。 私が見ている幻覚について、精神科の女医さんが解説してくれました。「夢から覚めても、幻覚は実際にみえるものです。もちろん廣川さんにしかみえていませんが、薬がぬけていけば、自然に見えなくなるものです」 キラキラした瞳で「どんなふうに見えているか、教えて」と女医さんは小首をかしげる。彼女との距離は、規則なのか、2メートルほどあった。それ以上近づくと、私の心の範疇に入り込んでしまうのかもしれません。 私は、「カーテンの上、金具のあるはずのところには、筆で漢字4文字の言葉が書いてあります。崩してあるから正確には読めませんが、なんだか京都の禅寺で写生をした般若心経ではないか。そんな気がしています」と応えました。 白衣の彼女は、す、と半歩だけ前に来て、私の目を覗き込んだ。私は、夜に見ていた夢の話をしたかったが、どんな内容だったか、すでに忘却していた。それで、夜中に感じていたことを話しました。 いままで、いつも情報につつまれていました。朝起きればBGMを流し、スマホのメールをチェックする。新聞を読み、気になる記事があればテレビをつけてNHKのデジタルかBS1でニュースを見ていました。 本も雑誌もSNSも、見たい時に開くことができた。それが当たり前の日常として、ずっと続いていたんです。ところが、ICUに入ってから、すべての情報が遮断されています。今、何時なのかもわからない。 朝食も昼食も夕食もなく、飲み会もない。ただ、絶対安静の姿勢でいる。こうして先生と話すときは鼻から酸素を吸っているけど、夜は酸素マスクでがんじがらめになっている。 ICUに入った当初は、酸素マスクや点滴や、じっとしていること自体が不自由で、逃げ出したいと感じていました。でも、今は違う。私が耐えられないのは、情報の遮断です。これまで、したことも考えたこともない状態でした。 不自由で息が��まるのではなく、何もない真っ暗闇のなかにいる感覚。情報がない世界、それが死ぬということなんだと意識すると、ぞっとしました。今、まさに暗闇のどん底にいる自分が意識されてきたのです。 もう、ここから出たい。情報に触れたい。行きたいところに行きたい。人に会いたい。想い出の中、夢の中ではなく、街を歩き、空を見上げ、自由に歩き回りたい。そして好きな人たちの声を聴き、話しもしたい。 煎じ詰めると、私は「もっと生きたい」と、「まだ死にたくない」と、女医さんに訴えていたのです。逆に言えば、情報から遮断されていることそのものが「黄泉の国の入口」になると気づいていたことになります。 女医さんが、「お仕事は?」と聞きました。これまで「ビジネス作家」と応じていたのですが、黄泉の国の入口でうろうろしている私は、「しがない物書きです」と応えました。一度、言ってみたかったのです。 「凄い。どんなものを書かれるのですか」私は、迷うことなく「パズル小説」と応えました。「あら、面白い。私、パズル大好き」私は、パズル小説について、かんたんに説明しました。 ところが、ICUでは絶対安静なので、しばらく、といってもたぶん1分もたたないうちに、ピコピコ音がして看護師さんが飛んできました。「血圧、上がってます」女医さんが謝り、「また来ます」と小さく手を振りました。 次に、彼女が姿を見せるのはICUを出て一般病棟のベッドに移ってからのこと。私は、まだ絶対安静のままでしたが、ひとまず生命の危機は去り、意識も明確になり、幻覚は収まっていました。 それから3回、彼女は話に来てくれました。私は、主に自分の生い立ちについてしゃべりました。彼女に、自分の存在について、原点となっている経験について、聞いてほしかったのでしょう。 「生きていて、よかった」と言われるたびに、私は嗚咽しました。言葉にできない何かを伝えたくて、それでもまったく伝わらないもどかしさもあり、涙があふれてきたのです。 彼女がいたのは1回10分程度と思うのですが、去ったあと、私は幻想にひたりました。マスクで顔はわかりませんでしたが、たとえば村上春樹のノルウェイの森にでてくる哀しい少女の雰囲気がありました。 生死の瀬戸際にありながら恋愛感情に励まされるのは一つの発見でもあり慰めでした。二度と戻りたくないICUを卒業(と私は言ってました)した後、私は恋愛経験をなぞることで、絶対安静を維持することができたのです。 そして、退院したらパズル小説「愛夢永遠」を書き始めようと強く願っていました。愛夢永遠というのは、20年前に書いた自伝小説で、メルマガで配信していました。ところが収集がつかなくなり、原稿用紙で500枚ほど書いて中断。 それを、今度はパズル小説にしてみようと思い立ったのです。我ながら、ほんとうに懲りないですね。 11月12日 九死に一生(その4) 人は誰でも、「死」というものがあることを知っていますし、いずれ自分も「死」の瞬間を迎えることは、直観的にわかっています。ただ、それが「どんな瞬間」なのかは、想像できません。 私も、2023年8月24日にICUに運ばれ、身動きができない状態に置かれるまで、数々の「人の死」に向き合ってきたにもかかわらず、死ぬということの本質がわかっていませんでした。 死について考えてしまうと、結局「死んで見るまではわからない」し、死んでしまっては「もう何もわからない」から。結局、自分は一生、生きている間は、「死」について理解することはないだろうと、思っていました。 しかし、ICUで私は、明らかに「死」の姿に触れていました。「あ、このまま終わるのかもしれない」と思える瞬間が、何度か、あったからです。すぐ目の前に「終焉」がありました。 あ、ここに陥ると、死ぬな、と思ったのです。それは、とても苦しい時間でした。息をしたくても身体が動かず、脳内に快楽物質も出ず、ひたすら苦しい。これが続くなら、もう耐えられない。 天国も地獄もなく、ただ「終わってほしい」という感覚。もう、止めたいという感覚。それが「死」の正体なのだと思いました。生きるのを止めたい、そう感じたら、その向こうに「死」があるとわかるのです。 他の人は、もともと、どう「死」を迎えたのか、私は知ることはできません。しかし、私にとっての「死」は、単純に「もう生きている状態を止めたい」と感じたときに、そこに姿を現した気がしています。 私は、1日、90分しか眠れません。もう20年くらい、そんな生活をしています。もちろん、90分では休息が足りませんので、起きてトイレに行き、水を飲んだら、再びベッドに入ります。そこでまた、90分間ほど眠ります。 それを3~4回、くりかえすと、目をつむっても眠れなくなります。あ、今日はもう眠れない、と思ったら、それが起床の時、そんな生活を続けてきました。 ところが、ICUでは、90分も眠ることができません。24時間、食事をすることも、トイレに行くことも(膀胱から直接排尿されるので尿瓶も必要ありません)原稿を書くこともありません。 ひたすら、じっとしています。ですから、いつも起きているし、いつも眠っている状態。そこには考えている自分しかいませんでした。しかも、考えたことを「記録に残す」こともできません。 このまま、ずっとICUに居続けるのかもしれないと考えた時、「死」というものが身近にいました。死は、生きることができなくなることだったんです。当たり前のようですが、2023年8月24日まで、そのことを私は知りませんでした。 そして、「生きることができないかもしれない」から「生きることを止めたい」と思ったとき、私には「生きたい」という力が、ぜんぜん沸いてこなかったのです。それまでは、ここで死んでなるものかという思いがあった。 しかし、ICUで3日目あたりに、「もういいや。生きるのをやめてもいい」という気になっていたのです。そんなときに、苦痛が襲い、息ができなくなり、もがいていると、自然に「死にたい」と思っていたのです。 そして、それを救ってくれたのが「廣川さん、生きましょう。もっと生きてください。ここであきらめたら、死んでしまうんです」と、叫んでくれた若い看護師さんでした。 私は、「ああ、ここで終わるのか」という思い、「終わりにしたい」という思いでいた自分に、怒っていました。外から見たら、きっと自分は「死んでいく」ように見えていたのです。 自分もまた、「終わりでいい」と思い、「終わりが来た」と思っていました。そして、ドストエフスキーが語ったように「一生の夢」を見ることなく、プツンと生命の糸が切れて、終わるのだと感じていました。 それは、日々、眠るときと同じかもしれません。自分は、毎日、疲れ果てて眠るときに、「死んでいた」のではなかったか。だから、90分後に目を覚ました時、自然に「ほっ」として、起きていたのではなかったか。 起きれなくなる、それが「死」の正体。 そんなことを考えながら、私は「廣川さん、ちゃんと呼吸してください。深く吸って、吐いて。吸って、吐いて」「どうしました」「血中酸素濃度低下」「ほんとだ」「呼吸していません」「廣川さん、もっと生きましょう」 男性と女性の看護師さんが、それからつきっきりで、私の枕元で「吸って」「吐いて」と繰り返してくれました。たぶん、1時間くらい私は合いの手に合わせて、酸素マスクから出てくる酸素を吸い続けました。 その呼吸が、あまりにも強く、深く、長時間続いたせいで、私の肺はあちこちで破れ、血液がたまり、猛烈に痛み始めました。翌朝、検査をすると、肺の20%ほど「水」がたまっていると診断されました。 この「水」が引くまで、1カ月かかったのです。しかし、そこで何かを乗り越えられたおかげで、何とか生き延びることができたのだと、今はわかっています。 ICUと、医師と看護師さんちたが、私を救ってくれたのです。 11月12日 九死に一生(その5) 急性大動脈解離でICUに入り、寝返り厳禁の絶対安静、家族もふくめての面会謝絶で外界から閉じた時空間で、私は7日間、暮らしました。 ICUには、特別の時間が流れています。私は、身体の自由を奪われ、生死を何かに託していました。生きていることが当たり前だった場所から、いつ、生きるのを止めてもいい場所に移っていたのです。 それで、病状が落ち着いているときには、何もすることがないので、しかも未来について考える気力がわいてこないので、どうしても過去のことに思いを馳せることになります。 とくに「死」と向き合っていた時代を想い出そうとしていました。せっかく「死」が向こうからやってきているのに、それについて何も考えないというのも、間が抜けています。 私は、生れてから順番に、いつ、死ぬことを意識したのか、思い出していました。おそらく、最初に「死」について考えたのは、小学校1年か2年生のときでした。 私は、鉄棒ができなかったので、一人で逆上がりの練習をしていました。何度目か、冷たい鉄棒を握る手がかじかんできて、身体が空中にあるときに、手が離れました。落ちてしまった私は、地面に後頭部をぶつけてしまったのです。 私は、すり足で家に帰りました。後頭部に「瘤」はありません。そのことが気になってしまい、食事ものどを通りません。夜、床についても、目が冴えてしまって眠れず、やがてしくしくと泣き始めました。 テレビ番組で見たのか、誰かに教わったのか。私は「後頭部を打つと内出血で死ぬことがある」という知識を持っていました。幼い子どもは、このまま死んでしまうことを確信していたのです。 母が、眠らない私に気づき、声をかけました。「どうしたの? 何かあったの?」私は鉄棒から落ちたことを報告し、「死んでしまうかもしれない。怖いよう」と訴えました。 死ぬことが、どのようなことなのか、まだ考えたこともなかったのですが、直観的に「死んでしまう」と感じ、不安で気が狂いそうになりました。母は、私を抱きしめ、大きな温かい手で後頭部をなでてくれました。 「痛いの痛いの、飛んでいけ」 翌朝、目覚めたとき、眠った場所に戻れたことが、とても幸せなことだと理解しました。 あれは、小学4年か5年生の夏。乳首が硬く、ふくらんでいることに気づきました。これもテレビからの知識だと思いますが、私は自分が乳がんになったと思い、愕然としました。 何日も悩み、百科事典で「がん」を調べ、図書館に行き、近くの書店で大人が読むがんの本を読みました。わからない漢字がたくさんあるものの、だいたいのことは、わかりました。 1週間も経つと、乳首のしこりは、もっと大きくなっていました。泣き虫だった私は、一人、ふさいでいました。母は「風邪」だと思い、小学校を休みにして、かかりつけ医の片田先生のところに連れて行きました。 片田先生は私に「どうしました」と聞くので、私はシャツをたくしあげて胸を突き出し、「乳がんになりました」と伝えました。 先生は「ほう、乳がんですか。どれどれ」と胸に触れ、乳首をつまんで「大丈夫、これは乳がんではないから、心配はいらないよ」とにっこり。1週間ほどふさぎ込み、死んでしまうのかと考えていた私は、そこで救われたのです。 中学1年か2年の初夏。私は、最寄り駅である東上線の上板橋駅から小川町駅まで行き、そこから三峰口の峠に向かう山道に入りました。とくに登山用の服装はしていません。 小学生の頃、家族でピクニックに来たことを想い出し、一人で歩いてみたくなったのです。そして数時間かけて峠の頂まできて、景色に見とれてしまった。気が付くと、夕暮れ時になっていました。 もちろん、私は夜の山がどんなものか知りません。経験もありません。ただ、あわてて下山しなければいけないことは、わかっていました。小学生のときに一度歩いた山道とはいえ、懐中電灯もありません。 足元は、どんどん暗くなっていきました。幸い、月明りがあったので、まったくの暗闇にはなりませんが、場所によっては足元どころか、数メートル先に黒いカーテンが引かれたようになっています。 灯りのある山小屋も、売店も、電灯のある電信柱もない山道を、私は、ゆっくり、足場を確認しながら下っていきました。 私は、「死」を意識していました。今度は、助けてくれる母も、かかりつけのお医者さんもいません。携帯電話もなく、山道に自販機はありません。ただ、知識が少しありました。 整備されているハイキング用の山道から外れてはいけないこと。そして、下山していくと、どこかで舗装されている車道の近くに出る。その後、しばらく車道と並行して山道が続く。そんな場所がありました。 2~3時間ほど下山すると、車道を走る車のライトが空の空気を照らして動いていくのが見えました。まだ少し距離はありましたが、車道には街灯があったのです。私はハイキング道を逸れ、山肌を上り始めました。 その後は、残念ながら覚えていないのですが、長ズボンはズタズタになり、両手は傷だらけになっているものの、私は車道を歩いていました。車とすれ違った記憶はありませんが、やがて東上線の駅に着くことは確信していました。 駅舎は無人で、もう終電はありませんでしたが、そこは見知った場所。そこで夜が明けるのを待ち、始発で帰りました。 その頃、私は父が所有する3畳ひと間、トイレ共用、炊事施設はないアパートで一人ぐらしをしていましたから、三度目の「死」を考える時間を持ったことは、父も母も気づきませんでした。 12月19日 起死回生(その1) 2023年8月24日に、突然救急搬送され、ICUで7日間、生死の際まで行って幻覚をみていた私ですが、思い起こせば、その日は突然にやってきたわけではありません。半年前から血圧が高くなってサプリメントを飲んでいました。 この年の夏は地球沸騰といわれる極端気象で、東京も真夏日が続いていました。おまけに、仕事をしている事務所のエアコンが故障し、熱風だけでしのいでいました。半年前から右足がふくれ。足の爪の一部は壊死。 そこにコンサル業界の本の執筆が重なり、30年前のような忙しさ。どこまで肉体を酷使できるか、自分でも先が見えないまま、「これまでやってきたのだから、何とかできるだろう」と高をくくっていたのです。 正直、なめていました。こんなことでつぶれるわけにはいかないと、根拠のない自信をもって、突き進んでいたのです。その結果が、20代から走り続けた結果が、突然の急性大動脈解離だったのです。 ICUで、天井しか見られない時間を過ごしながら「ひょっとしたら、このまま死んでしまうのか」と気づいたのですが、すでに手遅れ。私は、自らのチカラで、この危機を乗り切ることしかできませんでした。 しかも、おそらく、たまたま、生き延びたにすぎません。帝京大学医学部の教授に言われました。「ほら、心臓の手前から両足の部位まで、大動脈が避けているでしょう。これが、心臓の手前で、とまっている」と。 私は「なぜ、心臓の手前で?」と聞くと教授は「理由は、わかりません。心臓のところも、裂けていても不思議はなかった。だから、九死に一生を得たということになります」と。本当に、危なかった。 そして、ICUから出て1ヶ月ほど安静にして回復を待ち、退院。その後、見つかった身体の「懸念材料」を、具体的なは3ヶ所で発見された腫瘍の検査と、それが終わってから「カテーテル」を通して血管の状態を調べました。 血管が丈夫でなければ、退院しても、いつかまた大動脈解離になるか、知れたものではありません。もちろん、塩分を控え、高血圧を治し、肥満状態を変換するなどの体質改善を勧めながら、最後の難関に向かいました。 それは、左足の付け根にあった「大動脈瘤」の処置です。大きさが3.5センチもあり、いつ破裂してもおかしくない状態。ここを適切に処置しておかなければ、社会復帰はありえません。 私は、帝京大学医学部の医師のみなさんに命運を託し、開腹手術にチャレンジすることにしました。大変難しい場所にできた大動脈瘤なので「決して簡単な手術ではなく、後遺症のリスクも1割と、この手のものにしては高い」とのこと。 それでも、私の答えは決まっていました。せっかく九死に一生を得ることができたのだから、起死回生ができる身体にするためにも、医師の腕にすがることにしようと、それこそ腹をくくっていたのです。 12月19日 起死回生(その2) 療養中に、考えました。人間は、あっけなく死んでいくものなんだとわかった上で、それでも生きている間に何をしたいか、日々意識していこうと思っていました。 今しか生きられない宿命に生まれた自分。ただ、その今も、いずれ終わりが来ます。68年間、終わるということを経験せずに生きてきた自分は、何と幸運だったことか。 何の準備も、心構えもないまま「まだ先のこと」と思っているうちに、激痛に見舞われ、病院に搬送されてICUに入っていたのです。 寝返りも禁止された7日間。15分くらい眠っては目を覚まし、口を覆ったマスクを外そうとする。それに気づいた看護師が飛んできて、私を止めた。 「外したら、死にますよ」「生きましょう、頑張って」そのとき、私は悟りました。みんな、こうして死んでいくんだな、と。自ら、終わりにしてしまうのだな、と。 それくらい、生きるという選択肢は、肉体的に苦しかった。こんな苦しいことが続くなら、もう終わりにしたいと思っていたんです。 1月7日 起死回生(その3) 新年、あけましておめでとうございます。パラダイムシフトが起きているなかで迎えた元旦、書初め、2024年初の通院と、初詣は除いて、だいたいのイベントを終えて、ようやく一息ついています。 今年も、厳しい時代は続くと思いますが、みなさん、身体に注意して、健康第一でお過ごしください。無理を重ねると、いつしか、私のように起死回生を狙う道しかなくなってしまいます。 さて、本文は、起死回生の3回目になります。前回は、途中で用事が入って、中断したままになっていました。しかし、年が変わったのですから、新たな気持ちで、起死回生について期しておきたいと思っています。 2023年8月24日に緊急入院してから、2024年1月7日現在、私はお酒を一滴も口にしていません。二十歳を迎えてから、私はお酒を呑まない休肝日は、累積しても30日に満たないと思います。 というのも、眠る前に、晩酌をするか、もの思いにふけりながらいっぱいやるか、いずれにしろ、今日が人生最期の日かもしれないと感じ、生きている幸せをかみしめなければ、寝床に入れなかったからです。 とくに、ここ10年は、一回に90分以上、睡眠することができなくなっていました。そう、今、急性大動脈解離での入院は必然だったと考えているのは、そんな自分の身体の構造が、それこそ身をもって感じていたからです。 ということで、今回は、ここまで。薬を飲み、軽いリハビリをして、無理ない程度に仕事をする時間です。 1月11日 Facebookページ 二十歳のとき、南池袋にあるスナック・サンフラワーに、足しげく通っていました。夜の8時ごろから翌朝6時まで開いている店でした。 お客さんがいなければ、水割り1杯300円で飲ましてくれました。ママが、貧乏学生を応援してくれたんです。 私はカウンターの入口近くに陣取り、お客さんが来るまで、ママと話したりして休んでいました。 あるとき、カウンターの一番奥に、地味な服装をした女性が座っていました。たぶん夜9時ころ。カウンターには、私と彼女しかいませんが、端と端で飲んでいたことになります。 ママが、私に小声で教えてくれました。 「あのこ、あきちゃん。ヒット前に、たまに来てくれた。有名になっても、ちっとも変わらない。ヒロちゃんも見習いなさい」 私が、サンフラワーに通っていたのは半年くらいですが、ずいぶん勉強になりました。ご冥福をお祈りします。
死んだ(はずの)人からのメッセージ | えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
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elle-p · 4 months
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Persona 3 FES Official Fanbook pages 148-149 transcription.
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用語集
Glossary of PERSONA 3 & PERSONA 3 FES
甘味処 小豆あらい
【Y編/場所名】
巌戸台商店街にある甘味処。コミュニティのイベントで何人かの友人と入ることになるが、店内の様子は残念ながら不明。とりあえず男女共に人気の店らしいので、味もなかなかなのだろう。店頭に飾られた “小豆ちゃん” というマスコットキャラクターがトレードマーク。店名の “小豆洗い” とは有名な妖怪の名前が由来。“小豆とぎ” とも呼ばれ、川のほとりで小豆を洗いつつ「小豆とごうか、人とって喰おか、シャカシャカシャカ」と不気味な歌を歌うといわれる。基本的に音のみの妖怪だが、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、目が大きな痩せた小男という姿で描かれている。新潟や福島、長野といった大きな水系がある地に伝わる例が多いが、東京でも江戸時代に某旗本家の炊事場で音を立てたという記録があり、ほぼ本州全域に分布する妖怪話である。
アルカナ
【共通/基本設定】
タロットカードの種類を表わす言葉。本来はラテン語で “神秘” という意味で、18~19世紀ごろにタロットを占い用として使用するようになり、カード1枚ごとに隠された意味を見出すようになってからこの言葉が使われるようになった。1組のタロット78枚中、寓意画を描いた絵札22枚を大アルカナ、それ以外の56枚を小アルカナと呼んで区別する。小アルカナのほうは、さらにソード、ワンド、カップ、ペンタクルの4つの組 (スート) に分けられ、さらに各スートは1から10までの数札と、ペイジ、ナイト、クイーン、キングの人物札4枚に分類される。一般的なタロット占いでは大アルカナのカードだけを使うものがメジャーだが、実際には56枚の小アルカナそれぞれにも隠された意味があり、本来は78枚の全カードを使用するのが正式なものとなっている。ちなみに、小アルカナのタロットが現在のトランプの原型といわれるが、実際にはトランプが先にあってタロットの原型になったという説や、そもそもトランプとタロットの発生はまったく無関係という説もあり、その正しいところは判明していない。
アルダナ
【Y編/バトル】
塔シヴァと女教皇パールバティによるミックスレイド。技名の由来は、性的信仰 (シャクティズム) を伝える聖典『カーマ・スートラ』に記された言葉 “アルダナーリーシュバラ”。これは “半身が女性のシヴァ神” という意味で、シヴァとパールバティとの合体によって両性具有神となり、宇宙創造のシンボルとなったものである。
伊織順平アワー
【Y編/イベント・6月1日】
学校にウワサとして流れた怨霊話を寮で説明するときに、順平が始めた小芝居。おそらく、怪談で有名な某タレントの語りを意識したものであると思われる。ただ順平の語りは、発音が良すぎてやや怖さに欠ける。本家のように、もっとボソボソと囁くような声でやれば完璧。
伊織の叫び声
【Y編/会話・5月17日】
試験前になると、自室から聞こえてくる。上の階にいる女子や、さらに上の作戦室にいる美鶴にまで聞こえているようなので、相当なボリュームの叫び声なのだろう。苦情が出ないのが不思議なくらいだ。もしかして他人の勉強の邪魔をしようという順平の策略なのかも?
幾月修司
【Y編/人物】
最初は月光館学園の理事長と紹介されるが、実は桐条でシャドウとペルソナを研究していた技術者であり、特別課外活動部の顧問である。昼行灯的なのん気さを持ち、周囲が凍りつくほどの冷たいダジャレを連発するのが好き。だが、さらにその姿すらも世間をごまかすためのもので、シャドウ研究を始めた桐条鴻悦の遺志を継ぎ、ひそかに滅びを召喚する宣告者 “デス” を捜し求めていた。10年前の事故時点では、さほど高い地位にはいなかったが、率先して事故の後処理を行なうことで信頼を得て、桐条家現当主である桐条武治の右腕的存在となっている。入寮直後に主人公のペルソナ暴走を見て、10年来追い求めていたデスを発見したことに 気付き、滅びを招くための儀式を密かに進めていた。最終的に死の儀式は失敗し、幾月は天文台から墜落して死亡。ただし、その遺体は未確認である。恐ろしい計画を誰にも気付かれずに遂行したところから、終末思想という滅びの狂気に蝕まれていたように言われているが、監視カメライベントで見られる一生懸命にダジャレを考案する様子を見ると、ダジャレ好きという部分だけは演技ではない愛すべき幾月の一部分であったと思われる。
イゴール
【共通/人物】
ベルベットルームの主で、この世界で唯一ペルソナ合体を行なえる存在。メアリー・シェリー原作の小説『フランケンシュタイン』に登場する召使い、イゴールが名前のルーツとなっている。極端に長い鼻を持ち、『ペルソナ』シリーズをとおして徐々に長くなっているのでは?との疑惑がある。ちなみに相方のエリザベスの名前の由来も、主のイゴールと同じく『フランケンシュタイン』から。ただしこちらは、小説版ではなくハリウッド映画版。シリーズ2作目として作られた『フランケンシュタインの花嫁」に登場する、女性型人造人間の名前から取られている。
「以上、ナビでした」
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭、登校時に主人公を案内してくれたゆかりが、別れ際に言ったセリフ。入寮直後にはやや硬かった態度が柔らかくなり、ちょっと無邪気で子供っぽく見える瞬間である。戦闘時のナビは美鶴と風花の役目となっているが、ゆかりのこの口調でナビをしてもらいたかったかも?
痛いの痛いの、飛んでけー!
【Y編/テレビ・4月9日ほか】
テレビ番組『偶然見かけたこんな人』で、レポーターのトリッシュが使う決めゼリフ。トリッシュはペルソナシリーズの『女神異聞録ペルソナ』と『ペルソナ2 罪』および『ペルソナ2 罰」で、回復施設を営む妖精として登場していたのだが、そのときの挨拶がこの「痛いの痛いの⋯⋯」だったわけだ。ちなみに『偶然見かけたこんな人』で紹介される街の人は、みな前作・前々作の登場人物となっていて、しかもその人物の誕生日に現われるようになっている。興味がある人はチェックしてみよう。
一期一会
【A編/イベント】
真田が順平との出会いをそう表現した。とくに言葉の使い方として誤りがあるというわけではないが、そもそも一期一会とは “誰かとの出会いは、それが最初で最後のつもりで誠意を尽くさねばならない” という意味の茶道で使われていた言葉。むしろ真田たちにとっては、主人公や荒垣との関係において、この言葉を使うべきかもしれない。
稲荷社
【Y編/場所名】
長鳴神社にある稲荷社。小さい社だが、近所に住むお年寄りたちはマジメに拝んでいるようで、お供え物のイナリ寿司が常に置かれている。ここで祈ると、さまざまな効果があるらしいが、何が起こるか祈ってみないとわからないのが玉に瑕だ。
犬語ホンヤク機能
【Y編/イベント・7月29日】
順平が評して言った、アイギスの特殊能力。監視カメライベントでは荒垣もそう言っている。もしかしてアイギスの製品仕様書に、“犬語翻訳機能 (オプション)”とでも書いてあるのだろうか?アイギスが言うには、高次な精神を持つ生き物は、言葉ではなくイメージを発することができ、それを読み取っているのだとか。人間にもあった能力だが、言葉に頼ることで失ったらしい。もちろん、メティスも同様のことが可能。
「今ならお買い得であります」
【Y編/会話・8月1日】
自分のペルソナの長所をアピールするアイギスが言った。本当に買えるものなら買いたいと思う ユーザーは少なくないだろう。ちなみにフィギュアなら、壽屋から 「ペルソナ3 アイギス 1/7スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:新居興介) が2007年8月に発売。また2007年10月にも、アルターから「ペルソナ3 アイギス 1/8スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:齊藤史樹) が発売される予定。
妹ちゃん
【A編/人物】
順平がメティスを呼ぶときの呼び方。いろいろとオリジナルなニックネームをつける順平にしては、ちょっと手抜きっぽいかも。やはり多少、壁を感じていたのだろう。
要らない苦しみ
【Y編/イベント・11月21日】
チドリが順平にもたらされたと言い、彼を遠ざけようとした。順平のことを考えると胸が苦しくなるとは、どう考えても恋愛感情なのだが、チドリがそんな経験のないまま成長してしまったが故の悲劇である。ただ、恋だとわかっていても苦しいものなので、彼女の気持ちもわからなくもない。
イレギュラー
【Y編/基本設定】
タルタロス外で出てくるシャドウ。ゲーム中の主人公たちは知らないが、そもそもシャドウは人間の中から発生するため、すべてのシャドウは発生時点においてはイレギュラーとなる。ただ、その瞬間を捕捉されることが少ないため、シャドウはタルタロス内にいる、という状態になっているだけである。ゲーム中に確認されたイレギュラーは、まずコロマルが神社で戦ったものがそうだが、それ以外では天田の母が死んだ晩に出たシャドウも同様である。
巌戸台分寮
【共通/場所名】
月光館学園の学生が入る寮。学校からやや離れた巌戸台地区にある。本来、学生寮は男女別であるのが原則だが、ここだけは特別課外活動部の拠点という関係から男女共用。またその成り立ちに関しても、妙に内装が広く豪華だったり学生寮には相応しくないとも思えるカウンターバーがある点からわかる通り、元はホテルとして使われていた建物だったという裏設定がある。なお、ゲーム中には台所や風呂が見当たらないが、じつは奥にあるドアから行ける場所にそういった施設がある ことがドラマCDでの描写から明らかになっている。
ヴァルホル
【Y編/バトル】
皇帝オーディンと剛毅ヴァルキリーによるミックスレイドで、仲間ひとりを3ターン完全無敵にする技。“ヴァルホル” とは別名で “ヴァルハラ”。古ノルド語で “戦死者の館” という意味となり、戦争で命を落とした戦士の魂がヴァルキリーによって集められ、オーディンの居城となるこの場所で不死の戦士として来たるべき終末に備えると言われる。
ウインナーコーヒー
【Y編/会話・8月1日】
天田は真剣にウインナーコーヒーが何かということを知らず、コーヒーにウインナーソーセージを入れるのだと勘違いし、からかわないで下さいと文句を言っていた。なんて可愛いんだ、コイツは。
ウエストすっきり��周波パット
【Y編/監視カメラ】
風花が時価ネットたなかで密かに買ったというダイエット用品。低周波を流して起こる筋肉の痙攣によって、強制的に腹筋を動かして脂肪を燃焼させるという仕組み⋯⋯かと思ったら、お腹がビクビクするのがメチャクチャくすぐったくて、笑いをこらえることで腹筋を鍛えるようになっているようだ。また、タイマーロックでもついているのか、一度装着するとしばらく外せないという構造的欠陥を持つ。ちなみに、これをつけて悶絶して苦しむ風花の声を、部屋の外で聞いた美鶴は、気まずそうに「気にせず続けてくれ」と言うが、いったい何をやっていると勘違いしたのだろう?
受付のオバチャン
【Y編/会話・9月28日】
順平が言うには「オレとチドリの仲を阻む、思わぬ伏兵」。ふたりの関係やその他を、根掘り葉掘り聞いてくるらしい。順平の表現を借りると、“オレとチドリの聖域に、イボつき健康サンダルで踏み込んで” くるとか。何やら戦う気満々だが、順平レベルでは返り討ちにあうのがオチだろう。
海丑
【Y編/場所名】
巌戸台の複合ビルに入っている牛丼チェーン店。真田のお気に入りの店で、彼は外で食料をテイクアウトする場合、ここの牛丼しか買ってこないとか。ただしプロテインと同時摂取するという、牛丼好きならずとも目を背けたくなる食べ方をする。それより減量が必要なボクサーとして、栄養の取りすぎが心配だが大丈夫だろうか?
裏口
【Y編/場所名】
入寮直後、大型シャドウに寮を襲撃されたイベントの際、主人公を連れたゆかりが最初に脱出しようとした扉。1階の奥に存在するが、普段は開けることができない。ただ、ゲーム中には用がないからこのドアの先には行かないだけで、実際はみんなが利用する厨房と風呂がこの先にあるらしい。プレイヤーが操作していないあいだに、主人公も食事に入浴にと利用しているに違いない。
占いゲーム
【Y編/場所名】
ゲームパニックにあるゲームで、1回2000円。ドクター・エドガーによる怪しげな占い、と説明されるが、もしやこのドクター・エドガーとは某学園の保健教諭のことかも⋯⋯?占いを行なうと装備ペルソナの魔力がアップする効能があり、このへんの怪しさも江戸川説の根拠となっている。
ウワサ
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭で流れた、主人公とゆかりが付き合ってるとのウワサ。転校初日の登校時にゆかりに付き添ってもらったのが原因である。その後ゆかりが入寮時の影時間の件について、「昨夜のこと言ってないよね」とわざわざ自分から学校で漏らしたせいで、きっとウワサに拍車がかかってしまったのだと思われる。
運命と言う名のフォーチュン
【Y編/コミュ】
鳥海先生の隠者コミュ後日談で、英語の寺内が言う。インド人の旦那と出会ったのが、運命という名のフォーチュンだったらしい。日本語がおかしいというか、英語がおかしいというか、いつもはツッコミを入れられる側の鳥海先生をして、「“頭痛が痛い” よりビックリだわ⋯」とツッコませしむ発言である。なお、珍しくセリフが多いこのイベントで、寺内先生はここぞとばかりに名言を連発する。「素晴らしい発想のチェンジ」、「私にもセイム体験あります」など必見。
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sagara0220 · 4 months
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地面を踏み固めること
今年を振り返ると、のんきに一段ずつ登ってきた階段の途中で、振り返って景色を見てうわ~すごい、きれい、きもちいい、とか言いながらのほほんと眺めたいのに、あちこちで起こっているいろんなことが目について見過ごせなかったり、袖を引かれて止まったり、すれ違っていくひとびとに何かを手渡すその間、地面を踏み固めるみたいな、そういう一年だった。
たとえば今まで自分のなかで淡々と重ねてきた、自分が生き延びるための知識たちを、言葉にして誰かに教え、伝えることがぐっと増えた。アウトプットしてはじめて自分自身に引きつけ咀嚼する必要が生じるので、ものごとの本質に少しずつ近づけるけど、同時に見えてくるものが変わるので、とてもじゃないけど勉強が足りないとも思う。時間がかかるし沢山はこなせないのだけど、地元で起きた戦争や朝鮮人・中国人の強制労働のこと、LGBTQ+、ジェンダーのことは、決して自分の知的好奇心を満たすためだけに学んでいるのではないと、誰かに伝える作業をして強く感じたし、自分が仕事にしている専門分野以外で力になれたり、他者の学びの一助になれることを、難しくも嬉しく思うことが度々あった。
ここ数年ずっと、わたしの大事な部分を固めてくれている韓国文学を手に取ると、高頻度で日本の植民地支配時代の話が出てくる。
先日読んだチェ・ウニョン著「明るい夜」は時代や家父長制に翻弄されながら生きた四世代にわたる女性たちのシスターフッドを書く傑作長編小説だが、戦争中に日本に出稼ぎに行き、広島で被爆したおじさんが原爆症で亡くなる下りがある。作中もっとも信頼できる穏やかで愛に満ちた男性として書かれた彼が「あんな死に方をしなくちゃいけない人はひとりもいなかった」と広島の街を語るのが手紙のかたちで伝えられるシーンは、本の中でも印象に残る。フィクション小説という形を成しているが、祖母の口や手紙で語られる、あくまで一人称としての戦争体験であることが、幾度も胸を刺す。
今年読んで最も強烈な印象を残しているのが、ハンセン病の療養所である長島愛生園に暮らす在日朝鮮人・韓国人を訪ねて聞き取りをした喜田清著「名ぐはし島の詩(うた)」で、読みながらそれぞれの壮絶な人生に涙を流しながらも、植民地支配をしていた側の国で生まれ育ったわたし自身を丸裸にして、病の前にそも支配と略奪が、戦争がどうかれらを根底から変えたかを突きつけられた。ふるさとでハンセン病にかかったあと、当時戦況が悪化して毎日空襲があった日本に行けば誰にも知られず死ねると思い、縄でくくられたまま連行され泣き叫ぶ同胞を横目に、絶望し、死ぬために日本に渡ってくる方の話がある。また、植民地時代に言葉を奪われ、朝鮮語も日本語も読み書きできないまま療養所に入り、進む病と施設での仕事の隙間で辞書を片手に必死に読み書きを学ぶことで、己の知性を守り、踏み躙られた民族の尊厳を守り、宗教や友人を得る過程は、どの方の話を読んでも毎回涙が出た。そして、数多くの方が、祖国が解放されても、続いた朝鮮戦争で家族と生き別れになっている。
余談だが、この本を読んで、買ってから十年ほど経過しているのに、何度挑戦しても読了できないでいる神谷美恵子さんの「生きがいについて」を再度挑戦したいと思った。今のわたしなら読み終えることができるかも、と思える本があるのは、犬だったら噛み応えのある骨をプレゼントされるみたいで嬉しいものだ。
わたしが韓国文学にはまったころ、友人に誘われてかかわりはじめた地元の戦争遺跡の保存活動と、それに伴う朝鮮人・中国人の強制労働の実態調査のボランティアの仕事がある。
今わたしたちは過去に聞き取った肉声をあらゆるデータにして保存する作業をしていて、そのなかで、想像を絶する虐殺を、拷問を、過酷な環境下での作業を、強制労働に従事した方々が話すのに触れる。作業は、一筋縄ではいかない。冷静に、流れ作業として、戦時中のひとつの資料として読み飛ばすことはできない。
戦争というものが、人の一生を根底から壊すものだということを、それが、大国主義というものの前に個々の人生やヒューマニティが一切無視された先にあったものであることを、けれど戦争は大衆の記憶などではなく、個々人のなかにだけあるものだということを、数々の肉声に囲まれながら作業をしていると、つくづく思う。そうして、結局わたしは、大衆の記憶としての近代史しか学んでこなかったことに打ちのめされる。時々手が止まり、証言に聞き入り、読み耽り、あまりにも凄惨な体験と深い苦悩に触れて言葉を失い、立ち尽くす。そうしてまたしばらくして、作業をはじめる。その繰り返しだ。
証言は、ときにあいまいなもので、非常に頭の良い方でも、言葉も地理もわからない場所での過酷な体験であるので、信ぴょう性に欠けるものもいくつかある。通訳されていない原語での理解も必要だし、踏み込んだ調査や研究ができるほどのスキルもお金もないので、ひとまずデータ移行だけをしているのだが、ひとつひとつの、膨大な数の証言を扱っていると、聞き取りのさいごに、「まさかこんな日が来るなんて」「日本から来てくれるなんて」と感無量で語る方がいる。そうして、保障をしてほしいこと、戦争を二度と起こしてはならないというお願いで締められる。(証言に協力してくださった方の何人かは、賃金に関して裁判も起こしている)
戦争でまっさきに失われる個人やヒューマニティにきちんと向き合っていったのが、戦後の被害者への聞き取り作業なのではないか、とわたしは作業をしながら思った。戦中、強制労働というかたちで無視し、否定してきた人間性を、一人ずつ、限られた時間ではあるけど丁寧に聞き取りをして書き起こしたことは、数ではなくひとりの人間の体験として戦争や強制労働や虐殺や暴行や苦しみがあったことを真正面から思い出させてくれる。信ぴょう性の調査や審議の前に、その苦しみをいったん引き受けることが、どれほど切実で、大変なことだったろうと思う。
ノンフィクション作家の保坂正康が「最後の講義」という番組の中で、証言とはどういうものか語っている場面があった。証言とは一生をかけてするもので、証言を聞くということは、本人が背負っているものを半分引き受けることである、という言葉に、仕事でもプライベートでも、物語として消化してしまいがちなわたしという個人を指さされたようだと感じた。
調査に乗り出したうちのひとりがボランティアの大先輩にいて、度重なる訪中、訪韓の膨大なデータを管理してくださっている。そのひとの記憶はすさまじい。名前を尋ねるだけで、どこの出身で、どのように戦中を過ごしたのか、どのような半生だったのか、すらすらと答えてくださる。ときに涙を浮かべながら、ときに苛烈に。かれらの体験に多く出てくる、聞いているだけで指の先がこわばり、胃が縮み、血の気が引くような残酷で非人道的な折檻や拷問の数々を聞くうちに、戦争の映画や物語を見られなくなったという。真実を知るからこそ、痛みが容易く想像できて、目を瞑らないといられないのだという。聞き取りをした方々はもう亡くなっている。そのひとの生き方こそ、語り手の人生の半分を引き受けるということだと思っている。
2017年に、わたしはそれなりの意識を持ってポーランドのアウ���ュビッツや、ドイツのホロコースト関連の資料館に行った。外国に行くときは、その土地の地理や歴史を勉強してから行くのが好きなので、ホロコーストやポーランドの歴史について学び、何本か映画を見て本を読んでから向かった。そこで、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館で案内人をしてくださった中谷剛さんが語った言葉に、そもそも根本をわたしは知ろうとしていなかったのだ、とものすごく恥ずかしい気持ちになったことを今でも鮮明に思い出す。
「――ポーランド語のあいさつができますか?イギリスやフランス、スペインのように。知りませんよね。なぜならそれは、ヨーロッパの歴史は西ばかりが優遇され広められてきたからです。日本人の中にもすでに、民族のヒエラルキーが無意識に植え込まれています。差別をしているんです。私たち日本人は、中国や韓国など、アジア圏の歴史をどれほど理解し歩み寄ろうとしているでしょうか?日本の加害の歴史をどれほど学んでいるでしょうか。ヨーロッパはドイツを戦後よくやってきたとは、決して評価していません。でも、一般のドイツ人のアウシュビッツの訪問者の数がとにかく多いのです。政府の対応ではなく、そういった市民の行動を、みなは評価し、黙っているのです。」
はるばるポーランドまで来て、わたしはその瞬間、浅はかだった自分を恥じた。もちろん、答えられなかったからだ。日本が行なった様々な加害の歴史を、言葉としては知っていても、知識として知らなかった。学んでこなかった。学ぼうとすらしていなかった。
こうして何年か経って、やっと加害の歴史を一生懸命学び、伝える側に回れたので、2017年5月の、どこまでも菜の花の絨毯が広がり、ポプラの綿毛が舞う美しい初夏のポーランドの、ひろびろとしたアウシュビッツ=ビルケナウ博物館のなかで深く恥じたわたしに、今のわたしはちゃんと顔向けができる。あなたは数年後、きちんと向き合う。思う存分恥じるといい。
そんななかで、10月7日を皮切りに、毎日虐殺のニュースを見聞きするようになった。コロナ禍真っ最中の2020年に岡真理さんの「ガザに地下鉄が走る日」を読んだとき、パレスチナで芸術活動をする若者のドキュメンタリーを見たとき、焼身自殺する若者をみたとき、殺されて臓器を売られる子供を見たとき、わたしは都度立ち止まったのに、いつのまにか忘れていて、毎日のニュースに打ちのめされた。
ガザについて勉強会を行い、本を読み、可能な支援をし、同時に自分の国の加害の歴史を学んでいくと、そこに70年余り時が経っていることが、信じられなくなる。イスラエルとパレスチナについて、レイシズムや植民地支配について学べば学ぶほど、かつて日本が行った言語や文化のはく奪が、いかに民族の歴史と尊厳を踏みにじり、取り返せないことであるのかを突きつけてきて、わたしはいままさに、当時を見ているのだと思っている。すごくしんどい作業だ。
でも、今年わたしが、こうした世の中になんとか絶望し切らず、自分の足で立って地面を踏み固めることができたのは、今までの学んできたことが生かしてくれていたからだし、出来事は大衆のものではなく個人に帰結するものだとあらゆる作業を通じてわかっていたからだと思う。じゃないと、物事の大きさの前に、ただただ立ち尽くしていて、わたしを含め、目の前にいるひとたちは世の中から見たら些細なものなんだとよぎることがあったかもしれない。それはまったく、わたしの中の、生活をやっていくというポリシーに反する。わかっていてよかった、言語化できてよかった、とこれを書きながら思う。
今年読んだ本のなかで、大事にしたい本がある。
パク・ソルメ著「未来散歩練習」は、光州事件、釜山アメリカ文化院放火事件と五人の女性の生き方を通して、今を生きる・過去を理解する・未来を思うことを描く長篇小説(出版社解説)で、パク・ソルメらしい独特の語り口調で淡々と物語が進む。岡真理さんのガザを考える緊急セミナーのなかでも、この釜山アメリカ文化院放火事件の犯人の一人である文富軾の言葉である「忘却が次の虐殺を準備する」という言葉が引用されていて、本を読んでいたおかげでどんな事件かを詳細に思い出すことができた。
とにかくずっと思考しながらものを食べて歩く小説なのだが、読んでいてずいぶん励まされたし、大事にしたい文章がいくつかあった。
「現在と未来について考える人たち 来るべきものについて絶えず考え、現在にあってそれを飽きずに探し求める人々は、すでに未来を生きていると思った。絶えず時間を注視し、来るべきものに没頭し、人々の顔から何かを読み取ろうとする人々は、来るべきと信じるそのことを、練習をとおしてもう生きているのだと。」
わたしの来るべきと信じるそのことは、差別のない社会を実現することで、それは綺麗事とかとても無理なことだとは言いたくない。なぜならわたしの半分は医療者で、発達障害の子どもたちに関わる仕事をしていて、大人がしている差別と加害は、子どもにダイレクトに伝わるから。医療と福祉の彼岸にいるような人びとも、社会の中でいっしょに生きていてほしいから。トランス差別を許せないから。
そんな社会に、わたしはいたくないし、大事な人たちを置いておけないと、いつも思っている。そう思いながら、二次創作という形で物語を書けたのも嬉しい。職場で動き出したSOGIチームのコアメンバーになれたのも、今年良かったなと思えることの一つだ。加害の歴史を学んで伝えることも、遅々として進まないように思えるし、歴史家でも研究者でもないわたしが伝えられることは限られている。でも、そういうときはチョン・セランの言葉をお守りにしている。「視線を先に置くことで絶望を乗り越える」「絶望しそうになったら、いや私はいい大人になりたいと思う」「個人の無力を私は信じません」
ふと手に取った本も、学んでいることも、絶望しそうになる世の中で、わたしを生かしてくれていると思う。わたしは、今年、過去と現在と未来を考えながら、今いる場所を踏み固めていた。もちろん、どうにもならないこともあるし、間違えるし、まだまだ知らないことだらけだし、考えるのをサボることもあるし、忘れるし、機動力には欠けるしやっぱり無力だと感じることも多いけど、2017年にアウシュビッツで恥じ入っていたわたしよりは、多少かっこよくなっているはずだと2023年の自分を励ましたい。
来年も生き延びて、のさばってやろう。
たくさんの本たち、今年も生きるのを励ましてくれてありがとう。
 追記
この文章を書いたのが12月24日の夜で、そのあと、ボランティア仲間と忘年会をした。
友人のひとりが、アウシュビッツに行き、中谷さんの案内を受けたという。わたしは仲間内でガザの勉強会をひらいていて、そのときに、もっと身近であったはずのアジア圏のひとびとにした加害と差別について無知でありながらアウシュビッツにいた自分を恥じた経験を話していた。
友人が、中谷さんのお話を聞いているうちに、どうしてもわたしのことを伝えたいと思い、数年前にあなたの話を聞いた友人がいまこうした活動をして加害について学んでいますと話の中で伝えてくれたようで、ものすごくびっくりしたし、嬉しかった。しみじみと、こんなふうにいつか誰かに勝手にもらったバトンを、別の誰かがそっと戻してくれるようなことがあるのだなあ、と、年の瀬に胸がいっぱいになり、勇気をもらったのだった。
そのときの中谷さんのお返事を、友人を通して受け取って、やっぱり、2015年のわたしよりずっとましになっているよ、と思えた。
嬉しいし、頑張りたいと思う。
忘年会当日、車のルーフが割れていることに気づき、わたしは基本的に価格や愛着に関わらず、自分の道具が傷つくことに関しては寛容なのだけど(眼鏡は除く)、ルーフを開けるたびにほとんどまっぷたつと言っていいほど割れているガラスが目に入ると、ちょっと心にくるものがあったので、悪いニュースと良いニュースが同時に来る、年末らしい日だったと思う。新年早々、修理代を捻出しなければならないが……
みなさま、良いお年を。
わたしはこの挨拶が、挨拶のなかで最も好きです。
良いお年を!
≪出てきた本≫
「明るい夜」 チェ・ウニョン 著 古川綾子 訳/亜紀書房
「名ぐはし島の詩 長島愛生園に在日朝鮮人・韓国人を訪ねて」 喜田清 著/海声社
(絶版)
「ガザに地下鉄が走る日」 岡真理 著/みすず書房
「未来散歩練習」 パク・ソルメ 著 斎藤真理子 訳/白水社
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shihlun · 2 years
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Nagisa Oshima
- The Man Who Left His Will on Film
1970
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mikanjiru · 4 months
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取り急ぎ、Evernoteからサルベージしてきたもの。我ながら熱量の高すぎる感想書いててこの頃の私、すごいなと思った(笑)
風立ちぬ 感想
公開二日目にレイトショーで見てきました。
日曜の夜なのにけっこうな人手があった。時間帯もあって、年齢層は高め。20代、30代を中心に、50〜60代くらい?と思われる観客も居た。これまでのジブリ作品では見られなかった現象。番宣効果かな。大人向け、零戦設計者がモデル、という認識が浸透しているのかな、という客層。
映画公開前、原案はモデルグラフィックスという雑誌の連載漫画、と聞いた瞬間に思い浮かんだのは、今回は紅の豚のような、趣味全開の映画なのかな?という事。
公開直前に番宣番組を見て、どうやら本当にそのような映画だな、と確信したので安心して見に行けるな、と思った。安心して、っていうのは、前作の崖の上のポニョの衝撃を未だに引きずっていたから。
別にポニョが面白くなかったわけじゃない。ストーリーがまったく理解出来ないにも関わらず、謎の感動に包まれて涙してしまったシーンもあったし。ただものすごく毒気が強い作品だった。表向きは幼児向けの皮を被った可愛らしい画面作りなのに、その実、老いと死の匂いが濃厚に漂う内容は、私にはまだ早すぎたみたいだ。もしくは遅すぎた。
アレは固定観念で凝り固まっていない幼児か、逆に人生経験豊富でどんな表現にも感情移入できる老人か、もしくはそのようにピュアな心を保ちながらある程度達観している大人じゃないと平静に見られないものなんじゃないかと。
宮崎作品の転換期は今までに何度かあったが、監督本人が今までの総括と言っていたもののけ姫が傍目に一番わかりやすい変化ではないかと思う。
事実、もののけ姫に見られたモチーフはほとんどそれまでの作品(シュナの旅など、映像作品以外のものを含む)に出てきたものばかりだったし、私のように物心ついた頃から宮崎作品を見てきた人にとってはどこかで見た事がある、お馴染みの、安心して見ていられる映画だったんじゃないかと思う。ただ、この映画が大ヒットして社会現象にまで発展していったところを見ると���生粋の宮崎駿ファン以外にとってはとても斬新なものだったようだ。
公開当時、私はこの映画が最後の宮崎駿監督作品になるんじゃないかと思った。それ以前にも、一本撮り終わるごとに引退引退と言っていたけれど、ここまで過去作品を凝縮したようなものを作ってしまってはもういよいよ次はないだろうなと思ったのだ。
その認識は、次回作品の千と千尋の神隠しで大きく覆されたわけだけど。この作品には、本当に久しぶりに度肝を抜かれた。それこそ、ナウシカ以来の衝撃だった。まだこんな引き出しがあったなんて、と驚愕した。
続くハウルの動く城では、この新しい引き出しを広げる幅をもっと増やして、ポニョでとうとう引き出しを全部引っ張りだしてしまったように思えた。
引き出しというのは、要は無意識への扉を開くという事。これは意図してやったというよりは、年齢的なものもあって、自然とそういう方向に向かっていったのかもしれない。もののけ姫は、意識側に留まって物語を構築した最後の作品なんじゃないかと。
だから、ポニョを見終わった時は、ああ、いよいよこれが最後の作品になるのかなぁとまた思った。これが遺作になるのかな、と。
だったら、この難解で不気味で理由もわからず不安にかられるこの作品を、何年かかってでも良いから理解出来るようになりたい、と思って、公開直後から他人の感想を聞いたり読んだり、
ネットの考察サイトを巡ったり、何度も繰り返して見たりして、なんとかしてこの作品への自分なりの感想を言葉で表せるようになりたい、と今現在も努力を続けている。
そんな事をしていたら、また新作やりますよ、とある日ネットで情報が流れてきたわけである。目を疑ったよ。一瞬呼吸が止まったよリアルに!!
もちろん嬉しいですけど!!!当然映画館に見に行くけどな!!!!
ただ、ポニョ以上にぶっ飛んだ内容だったらどうしよう…さすがに物心ついた頃からの妄信的パヤオ信者にして生粋のジブリストの私でも着いていけんくなるかもしれん……という一抹の不安を感じたんだ。
そういう意味の「安心して見に行ける映画みたいだな、楽しみだな」という意味でした。前置き長過ぎィ!!!
実はもう三回も見に行っている。初回では買いそびれたパンフレットも二回目の鑑賞時に無事に買えました。
パンフレットによると、鈴木プロデューサーが「これは宮さんの遺言なんですか?」と訪ねたら、監督は「そうかもしれない」と答えたとの事。失礼だが、年齢的に考えても、今度こそそうなる可能性は高いだろう。
そうだとしたら、ずいぶんと親切な作品を作ってくださったものだ。この映画はたいへんわかりやすい。親切で丁寧な構成で、たぶん初めてジブリ作品、宮崎駿作品を見る方にもお勧め出来る映画だ。実際のところ、人にどんな映画だった?と聞かれて、こんなに説明に苦労しなかった宮崎作品って初めてです。
パンフレットには宮崎監督が初めて地に足の着いた作品を作った(庵野秀明氏談)とも書かれている。確かに、今回の主人公空を飛ばないよね。でももののけ姫のアシタカもサンも厳密には飛んでないと思うけどな、跳びはするけどな。とか、まぁそういう事ではないんだろうけど。
ポニョでピークに達した、あのなんとも説明出来ない得体の知れない不気味さがないなと感じた。人声SEは良い意味で不気味だったが、あれは心象風景の表現としてピッタリハマっていたと思う。
ともかく私のような凡人にも安心して見られる映画ってのはやはり良いものです。
今回の目新しいところとしては、けっこう露骨なラブシーンがある、というところ。あくまで宮崎作品にしては、という括りなんでその他の作品と比べたら全然なんですが。こないだ放映した平成狸合戦ぽんぽこの方が全然エロエロしかったですが、それでも宮崎監督作にしたらこれだけの描写を入れるってのは相当革新的な事だと思った。
それは元ネタの小説のヒロインのキャラがそうだからなのかもしれないけど、元ネタを見てないのでわかんない。それでも、今までの宮崎さんなら、意図してそういう部分は描かなかっただろうと思うんです。
未来少年コナンの時、宮崎さんは意図してラナのキャラクターを原作から変えていた。カリオストロの城のクラリスについても、おしっこもうんこもしなさそうな女の子だと同業者に言われて、そんなその辺に居そうな女の子を描いても楽しくないから、と答えている。
そういう意味では菜穂子もその辺に居そうな女の子ではないが。菜穂子のキャラクター造形としては、良い家のお嬢さんで、上品で、清楚で、芯が強くて、と宮崎ヒロインのテンプレみたいなキャラクターではある。しかし、実はこういう完璧美少女って宮崎作品には久々に登場したキャラクターだったりする。
宮崎作品のヒロイン像は、一見するとどの作品も同じようなキャラクターに見えるけど、ちょっとずつ変化している。
おしっこもうんこもしなそうと言われたラナ、クラリスをピークとして、段々と「完璧な美少女」のイメージを崩していって、千と千尋でついに見た目も美少女とは言い難い少女をヒロインに据えてきた。ハウルのヒロインは少女と老婆の両面を持つという点で宮崎アニメのヒロインの集大成ともいえるが、それ故に少女とは呼べない存在になった。その後のポニョに至っては、もう少女っていうか人間という括りですらない。
それがここにきて、ヒロインの造形が昔の完璧美少女に戻ったわけだ。菜穂子の完璧さは声優さんによるところも大きい。瀧本美織さんの演技はとても良かった。島本須美さんのような透明感、上品さ、清楚さを感じました。
しかし、菜穂子が昔の宮崎アニメに出てきた完全無欠なヒロインかというと、そういうわけでもない。
菜穂子の存在は、この物語に置けるミューズだ。創造者にインスピレーションを与え、モチベーションをアップさせる女神のような女性。元型像でいうと、妖精的なアニマだ。男性を誘惑して、官能の世界に導き、果ては破滅へ向かわせる事もある、美しいけども危険な存在。しかしそれは言い換えれば、男性に性の悦びを通して生きる力を目覚めさせる存在にもなる。傷心の二郎は菜穂子との交流を経て創作意欲を取り戻して立ち直っていく。
そして二郎の夢が叶えられた瞬間、菜穂子は去っていく。それは、菜穂子が美しいままで二郎のそばにいられる時間の終わりであり、同時に二郎に与えられた「創造者に与えられた10年」の終わりを表しているのだと思った。
宮崎監督の求める完全無欠なヒロインとは、少女であると同時に母親でもあるが、母性と官能性は相反する要素だ。菜穂子はその意味で完全無欠ではない。
しかし、菜穂子は二郎が創造者としての命をかけて愛するに値する美少女でなくてはならなかった。菜穂子の官能性はそのために敢えて付随した要素ではないかと思いました。
初めて官能と死の世界を描いたことによって、新たなステージに旅立って行かれたんだと思った。
宮崎さんが完璧な美少女を、初めて出会った瞬間にこの女の子のためならなんだって死ぬ気でやれると思う完璧なヒロインを描き出すことに情熱を燃やした期間もちょうど10年くらいだという事を重ねて見ると、ラストシーンはより味わい深いものに感じる。
朽ち果てた戦闘機の残骸や、儚く去っていく零戦。その後に現れる菜穂子は相変わらず美しいままで、二郎に呼びかける。生きて、と。
これまでインタビューや書籍の中で色々と難しい言葉を発してきた宮崎監督だけど、作品世界で訴え続けた事はかなりシンプルな事だと思う。もののけ姫のおトキさんの台詞、「生きてりゃなんとかなる」これに尽きるんじゃないかなと。
創造者としての命は尽きても人生が続く限り生きるのだ。生きてりゃなんとかなるんだから。
・2015年の地上波初放映後の感想補足
最近になって、このラストの菜穂子の呼びかけは当初の構想では「来て」だったという事を知った。が、これに答える二郎の声を当てたのは、庵野秀明氏である。
庵野氏と宮崎監督のエピソードで印象深いのは、旧劇場版エヴァを制作中に、テレビ版エヴァですべてを出し切り燃え尽きて、これ以上何も出せないのに新しく映画を作らなきゃいけない状況で追い詰められた庵野氏が、もう死にたい、と宮崎監督に相談した話だ。
宮崎監督は、死んでもいいじゃないか、エヴァ作って39歳で死ぬなんてカッコいいよお前、という旨の言葉をかけたとの事。これは宮崎監督の本音なんだろうなと思った。与えられた10年を使いきり、社会現象を巻き起こすほどの作品を遺せたならばもういつ死んだって構わないのだろうな、と。だから一本作り終わるごとに引退する引退すると言い続けたんだろう。
しかし実際は宮崎監督はずっと生き続けて、それこそ棺桶に足を突っ込みながらも何度も世の中に爪痕を残し続けた。その最後のメッセージが「生きて」とは…感無量の表情で空を仰ぎながら発する庵野秀明氏演じる主人公の「ありがとう」が染み入るように心に滑り込んできた。
私は、物心ついた頃から宮崎アニメをずっと見てきた。
最後の長編作品のラストメッセージが「生きて」で本当に良かった。私は宮崎監督が映画を作らなくなってもまだ生きなくてはならないので。人生の大半どころかほとんど全部を占めてきた大きな存在を失う覚悟を決めかねていて、今までずっと「ありがとう」とか「今までお疲れ様でした」と言い兼ねていたが、今なら言える気がします。
今までずっと、美しい夢を見せてくださってありがとうございます。本当にお疲れ様でした。
・2016年 終わらない人宮崎駿 視聴後、その後の新作長編映画制作発表を受けての感想補足
クッソまた騙されたァァァクソがァァァァァァァァ!!!
はい!と、いうわけでね!!またいつもの辞める辞める詐欺でしたね!!よかったねーまた安心して生きていけるわー公開楽しみだなぁ♪…ってなるかぁ今度こそは!!!本気だと信じちゃったでしょうが!!!!
いや、パヤオはいつでも本気で言ってるとは思う。失礼だが年齢的に見ても次回作は予定通りに進行するとは思えないし、最悪の事態も覚悟しなくてはならないでしょう。
しかしこれ、鈴木Pの手のひらの上って事なんでしょうなぁ。正直高畑宮崎コンビだけではジブリはこんなにポンポン映画作れなかったと思うよ。鈴木Pありがとうございます。そしてドワンゴは犠牲になったのだ…
宮さんはパクさん見習って死ぬまで映画作ると言って欲しいよいい加減。何度ファンの心を弄べば気が済むのか。あーもう本当に、こんな人を物心ついた頃から神推ししている己が不憫。でもこれからも推す、神だから。神が天に昇られた後も推す、この命尽きるまで。
でも正直なところちょっと言っていいかな?
神だけど!逆に◯ね!!新作がんばってください応援してます!!!!
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)12月1日(木曜日)
    通巻第7540号
 一度死んだはずの江沢民、あれから11年と五ケ月を生きていた
   反日を仕掛け、軍を腐敗させ、汚職天国とした江沢民が死去
************************
 11月30日、江沢民元国家主席が死去した。享年96歳。
 天皇陛下晩餐会に中山服であらわれ『歴史を鏡とせよ』と呪詛をたれて、日本人の多くがあきれかえった。反日を掲げるとこで江沢民は政治生命を維持した。
 たなばたで権力を受け継いだものの、中央政界に唐突に現れても、長老や幹部は誰も相手にしなかった。97年香港式典などは、李鵬が別の特別機を飛ばして、ふたり並んでいた。つまり、あの時点でも江沢民の権力は半分ほどだった。
 江沢民がまずやったことは権力を守る暴力装置を江沢民の親衛隊とすることで、第一に軍のアルバイトを黙認し、汚職には目をつむり、第二に大将(上将)辞令を乱発した。軍の高層部はこれで江沢民支持となった。
 彼の強運は「新しい」利権がどっさりと転がり込んで来たことだ。守旧派の牙城だった従来の共産党企業、つまり国営企業とは鉄道、炭鉱、電力、通信、銀行である。
 江沢民時代に改革開放が本格化し、外国企業が銀行証券保険に参入した。通信も携帯電話が急激に普及し、ネット通信が主流となった。守旧派の利権など問題にならない巨額の利権である。
 江沢民は自派閥形成とその強化に「新産業」を加えた。経済の繁栄、GDPの右肩上がりに、国民さえ「良い時代がきたなぁ」と吐露し、時に不満が高まると反日を煽り、日本企業、レストラン焼き討ち、大使館へ卵ぶるけ競争を黙認どころか演出し、ガス抜きをはかった。
 江沢民の反日過剰は、じつは父親が日本軍の協力者だったからで、父の兄弟の戸籍に移し替え、何食わぬ顔で世を渡った。上海交通大學(当時は中郷大學)で機械エンジニア、ソ連にも派遣され、工業畑から上海市長、同市書記。トウ子平に大抜擢され上海から北京に呼ばれたのは1989年天安門事件直後だった。
 江沢民が言い出した「三個代表論」というわけの分からない『理論』とは、企業人、財界人も党員として、一緒にがっぽりと稼ごうということである。マンション投機、株式投機に血道を上げるムードが醸成され、スポーツ選手やら不動産王やら、映画スターが人民政協会議メンバーとなった。
 さて江沢民は「いちど死んでいる」!
 2011年7月7日に産経新聞は江沢民死去の『号外』をだした。
 直後に北京に行った筆者は産経北京支局の人から「あれは北京の頭越し、東京本社が『確実だ』という情報源を元にした誤報」と言っていた。
 そして死んだはずだった江沢民は爾後も11年と五ケ月を生き延びた。十月の党大会には姿を見せず植物人間状態という噂があった。
 さてさて残された江沢民の遺族である。
 夫人の王治坪は94歳。当時の上海外国語大学をでた才媛である。
 長男の江綿恒は通信の利権やファンド経営などを言われたが、さきごろ上海アカデミーの『院長』を退任した。学識がないと評判が悪かった。72歳。 
 次男の江綿康は上海市発展情報センターに勤めるらしいが、消息は殆ど無い。68歳。この兄弟は伴に上海師範大学に学んでいる。
 
 思い出すのは江沢民最大ライバルだった李鵬元首相の子供達である。
 李鵬の子供達は地方に飛ばされ、とくに李小琳は電力業界のトップにすわっていて、リムジンで香港に現れ、ブランド品を山のように買う現場がパパラッチされたりしたが、習近平は彼女を山奥の発電所に左遷した。
 江沢民の遺族等に待ち受ける運命やいかに?
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yuitsukishima · 7 months
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全世界 電気屋さん  アダム 彼氏いたことない女子高生が妊娠 自称神 過去のことなら何でも知ってる男と職業紹介事業(女性)の話 帝王学(太陽の沈まない国) 子声 両親を殺した人を探す青年 珍築師 ありえない場所に家を建てる建築士 昆虫図鑑 進化した昆虫が支配する地球 魔法結び 魔法使いが支配する地球 ファンタジア 人類が滅んだあと        地球にやってきた宇宙人が        絵本を元に作った仮想世界
江戸パンク  白人狩り 人口に占める白人の割合が       1割以下になった100年後のアメリカで        差別と生きる白人少女 殺人相乗り 指名手配犯がヒッチハイクで乗った         車の運転手が指名手配犯
善と悪を超えて 生まれた子供が別の子 父親と似ていない ドッペルゲンガー 大学入学で同じ顔の女性と出会う 
火星が地球のような星だったら サイボーグ女子 生まれつき身体障害の女の子が徐々に機械化 戦うために生まれた子供 超能力を持った子供達が戦争に参加
大都会の森の中 宗教学校 いろんな宗教の子供たちが同じクラスで暮らす リゼット 少女が自分を売って家族を養う
フェルム 現代が舞台の不死身の人たち マンサムーサの子孫
女性のほうが大きい世界 人が動物化する世界 大企業が国を持つ時代
ヴィクター あらゆる生物を組み合わせて作られた化け物が        宇宙をさまよう 天使と悪魔の恋  テーマパーク 祖父が残した巨大なテーマパークを探検 ゴールデンエイジ 同じ年に生まれた人達が世界で活躍           現代の青年が海賊時代にタイムスリップして           エルドラードを探す            ファクション 同じ超能力(瞬間移動、念動力)を持った人達が        派閥を作り争う ナノランド ナノマシンに汚染された地域の群集劇 AI戦争 AIが自我を持たなかった世界で2人のAI開発者が      地球の資源がなくなるまでロボットなどで争う
宇宙人に支配された地球 手錠され奴隷のように扱われる男性が                  革命を起こす かぐや姫 月から始まった人類 怪獣姫 いじめられっこの少女が怪獣と出会い世界に復讐 悪魔学 女子大生が大学で専攻した悪魔学の講師が本物の悪魔
グラビティアイドル 生まれつき重力を操る少女が            アイドルをやりながら人助け 魔法資格 現実世界で政府公認の魔法使いが人助け 魔法街 現実世界で魔法使いが暮らす街
竜の遊戯 竜に変身する少女が人間を騙していく プラントパンク 植物サイバーパンク 
傘 突然世界に現れた傘のような形をした巨大浮遊物体が   目に見えない影響(愛をなくす)を人々に与える F計画 1970年代の日本、核実験の失敗で生まれた      超人たちの日常 ハーフ会 深夜に人間と妖怪のハーフたちが騒ぐ PICO ピコテクノロジー、ナノテクノロジーが知性を持つ      透明な機械生命
見えない海 透明な海が見えた人が魚になる世界  人間以外進化 人間以外の生物が突然進化 エリ 先祖代々不死身の遺伝子を持つ女性が何でも屋 アラ 何でもできる神のような宇宙人
メアリー 特殊な力を持った女性が島で隔離生活 宇宙ステーションで人体実験された男が、脱出して地球に復讐 プルート 遊霊地 幽霊が経営する遊園地に      女子高生がバイト
ファンタジア 地球規模のジュマンジみたいなファンタジーすごろく ブラッドドメイン 日本が舞台、ヴァンパイアに血を売る女子高生 最後の楽園 19世紀アメリカ、ヨーロッパから持ち込まれた         人間を怪物にするウイルスがアメリカでも流行り  ���      それらと戦う女性カウボーイ
宇宙の囚人 囚人が脳を宇宙人に移植されて人類と戦う もう1人 父親が生物学者で自分(女子大生)のクローンを       作ってた
一秒後の世界 自殺を図る女性の前に現れた科学者が          女性が死んだ一秒後に世界を滅ぼすという           女性はそれを阻止する
異世界より 異世界から人間の世界に来た女子大生
ピコ 自殺を図る女子高生がナノテクノロジーで    死ねない体になる それから    ナノテクノロジーで理想の世界を作る
地球滅亡で選ばれた人が宇宙に脱出 オブザーバブル 水の惑星に漂流した宇宙飛行士
天と地 超金持ちから貧乏になった女子高生 リディア 宇宙人に支配されてから100年後の地球      わずかに生き残った人間の少女は      地球自体が巨大な仮想現実を生み出す装置に      なってることを突き止めるが、同時に      宇宙そのものが仮想世界で真の現実は別にあることを知る
夏の宇宙 宇宙は寒いか暑いか確かめるため      一般人参加可能な宇宙試験を受けた男子大学生が      宇宙ステーションで宇宙人と恋する エルヴァ 交通事故で首から下が動かなくった貧しい少女が      ある大富豪の脳死の娘に脳移植をして生き返り      その娘のお見合い相手が自分を轢いた男性 熊のヒーロー アイアンマンみたいな熊のパワードスーツを着た女性 取り替え鬼 人間の子供と取り換えられた鬼が故郷に戻る
なんでも切れる剣 なんでも切れる剣を持つ男性が          ファンタジー世界を旅する スチームパンク姫 19世紀終わり、少女が発明家の父親に反抗して          潜水艦にも飛行船にもなる乗り物に          無断で乗り旅に出るが、その乗り物には          降り忘れた清掃員の男と          敵国に向けた新型爆弾が載っていた
ヒューマニスト 人間の体を操る能力を持った人たち 神無月 神様が集まって年間行事(主に天気、災害)を決める
かぐや姫 超能力(瞬間移動、体の伸縮)を持ったかぐや姫  座頭市 生まれつき盲目の少女が父親に男性として育てられる
ディスパリティー サングラスで見える異世界          (ダークマターでできた世界) syzygy いろんな時代で異星人から京都を守る女性教授
パンドラの箱 どんなもの(時間、物質)でも        吸い込んだり出したりできる箱で世界を変える 流れ星 流れ星に願いを込めるとランダムで本当に願いが叶う現代
アニメ AP     ロマン 男がいなくなった世界      アニメ映画 魔法の本 現代が舞台、図書館で               魔法の本を見つけた少女    妖怪語検定 妖怪のいる江戸時代、妖怪語を話す少女
ゲーム マリアネット      シュライン      プロトヒストリー 地球と似た惑星で原始時代生活      ナイロビの虹 アフリカサイバーパンク      マーブル 陸地が1割しかない地球で海学者で            戦闘員の女性      エコー 盲目少女を介護するロボット
100%の恋 なんでも検索 ヒーローゲーム 人助けをするとお金がもらえるアプリで          獲得金10億超えると超能力が使える
すっごく大きい 女子高生が小人になり小人の世界で生きる 難民の少女が3Dプリンターで武器作る 人魚に噛まれて人魚になる 植物と動物が融合した世界   風がめっちゃ強い世界
ドラマ 首から下 キャンプに訪れた女子5人が            首から下だけ入れ替わる     芸歴19年     SNSで知り合った美少女アニメアイコンの女性が            リアルであったらホモのおっさんだった     冷たい偶像     リサイクルショップ川島 リサイクルショップで働く                   男性と女子高生
短編映画 ガイア 地球自体が巨大な生物      アパート 時間(少女)と空間(少年)の擬人化
ニヒル 手で触れただけで何でも消す能力を持つ少女 ヌーメン 怪獣に変身する人間 海洋時代 宇宙から来た巨大物体が海に落ち水位が上がり        陸がなくなった地球で現代の海賊話 エイヴィアン 恐竜時代にいた人間のような知的恐竜
異世界漂流 ある日突然、異世界に飛ばされてから20年たつ男性 アンファミリア 悪魔、魔法使い、アンドロイド、怪獣星人が         経営する時空を超える(いろんな時代、         他の星、異世界に移動できる)ファミレス ベクター 200年前に戦争で腕を失った生物学者が自らを実験台に      他の生物と合体する、その子孫たちが現代を生きる 單(ひとえ) 江戸時代の女海賊が海から来る         水獣(半魚人、人魚)から日本を守る
神の気まぐれ 異世界に集められた          いろんな時代の高校生達がバトロワ 蠅の女王 ヴァンパイアの組織を人間に破壊された            ヴァンパイア(吸血虫)の女性が人間に復讐 ある世界 キリスト教がない世界
ヌーメン 別世界の者達がいろんな姿(怪獣、超能力者)を       遠隔操作してこの世界(宇宙)でやりたい放題
退化する世界 地球上の生き物が退化していく  偽王 その国の王女にそっくりな少女が代わりに王になる おびえる巨人 人口が少ないため兄弟と結婚することになった          女性巨人が巨人町を抜け出して          人間の世界で生きる
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blue-aotan · 2 years
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ハロー(´ー∀ー`)2022.5.1
5月ですねぇ。
暫くNetflixも解約しよう、と決めましたので駆け込みでまた色々観ましたw
「バブル」
突然現れた泡に包まれた東京が舞台。
泡と共に爆発が起こり、東京は荒廃。そこで色んなパルクールチームが生活必需品を賭けてパルクールバトルしてるみたいな話。
青春って感じ‼︎(雑
若者に託す大人の気持ち側視点になるよね。
自分ができなかった事を次の世代に託す。
そして破壊と再生の物語なんですね。
こういう「過去に既に会ってた」系のアニメって色々ありますよね😂
ハウルの動く城とか君の名は。とかね
人って誰かを守りたい時に大きな力を発揮する
そんな話
この映画では泣けませんでしたが笑
ちょっとね、ツブツブとか集合体恐怖症の人とかは苦手かもしれないです笑
ちょっと気持ち悪い泡の表現がいくつかありました🫧
「ヒヤマケンタロウの妊娠」
男性も妊娠し出産をするという世界線。
その例はそんなに多くはないんだけど、バリバリ仕事して仕事中心の生活をしてた斎藤工が突然妊娠してどーする?みたいな話。
妊娠して訪れる心の変化とか周りの変化とか、男性が妊娠することで感じる女性の苦労や妊娠する事の不安や葛藤をとても分かりやすく感じるドラマだったと思います。
(経験者から見るとまた違うかもね
突然やってくる生活の変化や、それに伴う心情の移り変わりが見てて面白かったです。
男性妊夫さんが思ったよりも沢山居て、皆で経験を共有する場面は笑いましたw
「鳩の撃退法」
なんかよくわかんなくて途中で観るのやめました←
なんとなく…後回しでもいいんじゃないかって気分になってしまったよね。
ここまで書いて、すんごい夢見たからその内容をかきます←突然
横浜流星が出てきて、どういう流れかわからんが馬車みたいなのに2人で乗ってるのよ。
(人力車という可能性もある🤣
ほんで距離が近すぎるわけさ。
ピッタリ密着で、私はこの距離はちょっとドキドキが凄まじすぎて身がもたないので離れたいんだけど流星がグイグイくるわけ。
で、私は何かレシートの数字を見たいんだけど印刷がイマイチなのか薄暗いのかよく見えないのよ。
そしたらまた流星がグイグイきて
「956かな?」
とか私の耳元で言ってくるのよ。
吐息が生暖かくて私の髪が揺れるというか髪が吐息で湿るくらいの距離なのよ。
(流星ちょっと近すぎん?やべー…頭皮臭くない?私。大丈夫?いやもうこれ髪にキスしてねーか?流星私の事好きなん?
って心の中がウキャーーーってなってたんだけども。
平静を装って
「母がねお金出すから流星とデートしたいんだって」
って言ったら
「全然いいよー!」
って即快諾してくれて。
「え!?本当??実は姉達もすごい会いたが���ててね…」
「いいよいいよー!」
「ありがとうーーー伝えておくねーー」
って会話したら目的の場所に到着して流星はさっさとどっかに行きましたとさ。
Fin
という夢だったのですよ。
何この夢😂何のメッセージ?って思った←
最近流星の番組見てないけど、何故か夢に出てきてくれました〜ありがとう。
このドキドキドロボー←
人力車に2人で乗ってるの想像したらおかしいよね🤣さすが夢だわ。
それと話は変わって、東野圭吾さんの「手紙」の小説を姉に借りて読んだのですが。
帯には「涙の大ベストセラー 100万部突破」等かかれてました。私は東野圭吾さんの小説を読んだのは初めてだったのですが、とても読みやすかったです。
でも活字を読むのは久しぶりだったので結構時間がかかってしまいました。
一般的にはどれくらいの時間でこのボリュームの小説を読み終わるのでしょうか。
始めから最後までめちゃくちゃ重い話で、正直疲れました←
一言で言ったら「絶望」しかないw
そして最後泣ける、って事だったのですが全然泣けなくて
自分、、、欠陥人間なのだろうか…
私、大丈夫?
ってずっと自問自答してました←
王騎と藨公が死んだ時はあんなに号泣したのに←
突然殺人者の弟になってしまい、兄のせいで人生が破綻していくみたいなストーリー。
身内にそんな人がいるという事は、例え自分が犯した罪ではなくとも社会的死してしまうって何とも救いのない話で…
次から次へと普通の幸せを望めない現実の残酷さに何度も心を砕かれてそれでも葛藤し続けるという
なんだろねー、応援するっていうと偽善になるしそんな軽い事言えないし、「普通の幸せを望む」事すらも許されない逃げ場のない気持ちを感じてズーーーーーンとなりました。
最後の兄から遺族の方への手紙で、弟が泣くんだけど
「何で泣いたの?」
って思った私はまじで欠陥人間かもしれない←
多分そこでみんなは弟に感情移入して泣くって事なのかなって思ったんだけど、どうなのでしょう。
兄側の気持ちにもなるって事なのかなー。
弟に縁を切られて、ようやく自分がしてる事は自分が楽になりたいだけでしてた事でただの自己満足で相手を苦しめてる事だったって気付くんだけど。
罪を償うという事は、自分を何度も殺さなければならないという事なのかもしれません。
何度も何度も死ぬまで自分の心を殺し続け、何かを希望にして生きる事さえ許されない、そんな絶望を抱えて生きるしかないということなのでしょうか。
手紙を読んで、今自由に好きな事ができて自由に好きな発言のできる人生を大切にしないといけないなーと思いました。
映画の方も観てみようと思いました。
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team-ginga · 2 months
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映画『アムステルダム』
 Amazon Primeでデヴィッド・O・ラッセル監督の映画『アムステルダム』(2022)を見ました。
 ほとんど予備知識なしに見たのですが、いやあなんというか「惜しい映画」ですね。
 時は1933年ーースラム街(なのかな?)の診療所で働く医者のバートが、黒人弁護士のハロルドの仲介で、第一次大戦中彼らの上官であったミーキンズ将軍の遺体を解剖することになる。その結果、将軍は何者かに毒殺されたことがわかる。バートとハロルドはそのことを将軍の娘リズに報告に行こうとするが、リズは二人の目の前で自動車に轢かれて死んでしまい、二人はリズ殺害の容疑者に仕立てられるーーという最初のシークエンスはなかなか魅力的です。
 そしてそこから第一次大戦に時間を遡り、バートとハロルドの関係、さらにはヴァレリーという謎の女性との関係が語られるのはワクワクします。
 特に素晴らしいと思ったのが、バート、ハロルド、ヴァレリーの友情です。恋をするのはハロルドとヴァレリーで、バートは邪魔者といえば邪魔者の立場なのですが、ハロルドもヴァレリーもバートを邪魔者扱いすることなく、バートもいじけることなく、3人で本当に楽しそうにしているのが実に微笑ましく、私が10年前演劇ユニット・チーム銀河の旗揚げ公演のために書いた『マイ・スウィート・スウィート・ホーム』を少し思い出しました。『マイ・スウィート・スウィート・ホーム』もある夫婦とその友人の男二人、女一人の友情の物語だからです。
 で、物語は再び1933年に戻り、バートとハロルドはヴァレリーと再会し、自分たちの濡れ衣を晴らそうとするうち国家的な陰謀(!?)に巻き込まれていきます。
 この映画はどうやら第一次大戦の英雄である将軍がムッソリーニやヒトラーを支持するアメリカ人ファシストの陰謀を告発したという史実を使い、そこにバート、ハロルド、ヴァレリーの架空の物語を加えたもののようですが、残念ながら我々日本人にはピンとこない部分があります。
 全体としてバート、ハロルド、ヴァレリーの友情の物語は素晴らしいし、ユーモラスな語りも面白いのですが、余計なものが多いというのかな、そのせいで面白さがストレートに伝わってこないきらいがあります。
 例えば、ラスト近くで陰謀が暴かれる場面で、バートはおかしな目薬を差してしまったため目の前で何が起きているか十分に理解できず、ぼーっとしているだけです。一番大事な場面で主人公がそんな状態でいいんですか。なぜそんな設定にしたのか理解に苦しみます。
 また、バートとハロルドは第一次大戦中に戦場で出会い、傷を負ってフランスの病院に入り、そこで看護師をしていたヴァレリーと出会い、3人でオランダのアムステルダムへ行ってしばらく一緒に暮らします。だから3人にとってアムステルダムは幸福と友情のシンボルであるわけですが、なぜフランスの病院で出会った3人がアムステルダムへ行くのかよくわかりません。
 ラストでもハロルドとヴァレリーは船でアムステルダムへ行こうとするのですが、彼らの仲間(MI6のエージェントとCIAのエージェント)は「この船はアムステルダムへは行かない。アムステルダムはいつゲシュタポが来るかわからないから危険だ。君たちはもっといい場所へ行く」と言います。
 え? それって話がおかしくないですか? 「もっといい場所」ってどこですか?
 そもそも3人の幸福と友情の地はヨーロッパならどこでも良かったはずです。それならアムステルダムにせず、チューリヒとかローザンヌにしておけば良かったんじゃないですか。監督はアムステルダムに何か思い入れがあったんでしょうか。
 主人公のバートを演じるのはクリスチャン・ベイル。『アメリカン・サイコ』に出ていた役者ですね。クリストファー・ノーラン監督の『プレステージ』にも出てましたっけ。
 ヴァレリーを演じるのはマーゴット・ロビー。パリ行きの飛行機の中で見たデイミアン・チャゼル監督の『バビロン』に出ていた女優ですね。『バビロン』では映画スターになるためならなんでもする奔放な女性を演じていました。
 ハロルドを演じたのはジョン・デイヴィッド・ワシントン。私は全くわかっていませんでしたが、クリストファー・ノーラン監督の『TENET』の主演の男優ですか。
 ヴァレリーの兄で富豪のトムを演じたのはラミ・マレック。顎が張っていて特徴のある顔だなと思っていましたが、『ボヘミアン・ラプソディー』でフレディー・マーキュリーを演じた役者なんですね。
 トムの妻リビーを演じたのはアニャ・テイラー=ジョイ。『ウィッチ』や『スプリット』や『マロボーン家の掟』や『ラストナイト・イン・ソーホー』に出ていた女優で、この人も特徴のある顔(目と目の間が広い!)ですね。
 それに忘れちゃいけないロバート・デ・ニーロも出演。
 そう考えていくと「豪華キャスト」ということになるのかな。でもこの映画あまり売れず、大赤字だったそうです。
 そうなんだ……
 いや、悪い映画だとは全く思いません。好みから言うと私の好きなタイプの映画です。
 もうちょっと余計なところは削って、ストレートに物語を伝えてくれれば、こちらに余計な疑問を感じさせないような作りにしてくれれば、私自身は大好きになっていたに違いないと思います。
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7wave3 · 10 months
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20230715
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宮崎駿監督の作品だけでなく、バックボーンも知ったようなファンだったら序盤で「主人公の眞人が宮崎駿だ、これは自叙伝的な内容になるかもしれない」と予測立てるのかなと思うし、実際そういう風に重ね合わせてみると正直理解しやすいと思う。 でも宮崎駿の新作を自叙伝的な話だ!という観点からのみで受け取るのは、それはそれで楽しいし理解も進むけど小さくまとまりすぎた感想になるような気がするし、私は眞人や自分の物語として受け取りたいよなという気持ちでうだうだ横たわってる感じ。
ちょっと眞人くんのことを主観強めで思い出して書きながらまとめてみたい。観た人しか分からないような書き方をします。
ネタバレしてるし無茶理論かもしれませんが思ったことを書いてます。
牧眞人。この眞人くんの、冒頭から引越しが済むまでのシーン、彼のストレスゲージのマッハ感マジやべ~!!だった。 言葉での説明は一切ない。不安だ、とも言わなければ泣い��喚きもしない。現実的な��。 表情や横顔だけで説明される、10歳あまりの男の子が抱える釈然としない胸の内。そういうハイコンテクストな演技をさせるジブリに唸った。
眞人は礼儀正しい。帽子を取ってちゃんと相手にお辞儀をする。そこに好感を覚えた。 でもすぐに不穏な内面を持つ子だと思うことになる。 最初は私も「理不尽な時代に振り回されてかわいそうにな」くらいの目を向けていたんだけど。
多分私が書きたいことは、時代が戦時下という設定でも、この眞人という子は今の子どもや大人とそう変わりない人物像として配役されてるんじゃないかということ。 戦時下でも疎開した屋敷のベッドで眠っている。戦争中に洋式のベッドで。しかもふかふか。現代人だってそうだ。 環境に慣れない、新しい母親を受け入れられない、父親が多忙で寂しい、周りにいるのは側勤めの話の合わない老婆が7人+老人。
ストレスや悩みはあるけどどれも「皆が抱えるような重さのもの」だと私は思ってしまった。 眞人は戦時下でも「(飯が)まずい!」と言える。このジブリっぽさが希薄なクソガキ感何だ?笑う。
学校で喧嘩した後、被害者ぶるために自傷した頭の傷をつききりで看病してくれる老婆にも憮然とした態度でいる。 目覚めた瞬間から青鷺を捕らえてやると言わんばかりの横顔で吸い飲みをやる。 どうせ奉仕活動しかせずに勉強はしないのだから学校には行かなくてもいい、と父親から言われ、その通りにする。本当は帽子を取ってお辞儀をすることも彼の本意じゃないんだと思った。他人の前だから、自分や親が躾けた自分でいるだけなんだ。もう書いていけばいく程、現代の子供や、アダルトチルドレンと大差ないような気がしてくる。 というか私にはそう仕向けてるように見えてくるということなんdなけど。
眞人のキャラクター、人間っぽさは好きだなと思う反面ヒリヒリした怖い奴だなとも思い始める。 いきなり私の考えをぶっこむけど「創造/創作の世界は現実を乗り切るためにある」と思っている。 眞人はそうじゃないし、そこへは逃げ込まない。というより、そんな場所へ行った新しい母を連れ戻しに行く。初めから創造の世界を頼らない、知らないような子にも見えてきた。
だから母が眞人へ残した『君たちはどう生きるか』を読み、涙を流す眞人に対して「良かった!この本の内容で何かを感じて泣いてる!やった!」と思った。 この吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』はざっくりすぎる説明をすると主人公のコペルくんが「自己中心的な考え方だけではなく、自分を世の中の構成員の一人としてとらえるような俯瞰的な視点を獲得しなくてはならない」と気づく話です。 昔は天動説が主流で誰も地球が動いてると考える人なんかいなかった、でももしかすると地球が動いているのではと考えることでまだ見ぬものが見えてくるという、なんと言うか寛容さ何なりを養うような話です。
これを読んで涙した眞人に私は安心しました。でも別に眞人はすぐに優しくもならなければ、塔の中で友情を築いたはずの青鷺に助けてもらっても礼も言わないし、次の瞬間建物のガラス窓をガッシャーン割るんですよね。笑ってしまいました。 創作物で泣いたとて、すぐに心境の変化なんてある訳ねえだろ!と突きつけられた気がしてマスクの下で笑いました。
更に続きますが、眞人は青鷺が喋っても驚きもしません。それ以前に引っ越してきたあの巨大なお屋敷の玄関ポーチを見ても、複雑な設計の屋敷内にも、反応しません。五月とメイちゃんの引越し当日のはしゃぎっぷりの高低差で風邪引きます。 それは塔と呼ばれる創造主が好きに創造した世界が広がる場所でもそうです。塔は宮崎作品やイマジネーションの根源みたいに考えてます。
塔に誘われて灯りがボボボッと奥へ向けて燈っても無反応。チシャ猫のような不思議な登場の仕方をする青鷺にも無反応。 ナウシカがアスベルと一緒に砂に飲まれるように床に飲まれても、ペリカンが喋っても、キリコが若返っても、キリコが住む船の住居にも大きい反応は示しません。淡々と受け入れ、従順に魚捌いたりして働きます。 他にもいろいろありますが、基本的に喜んだり心躍ることがない。フワフワしたやつを見たときは喜んでいたかな。夏子を連れて帰るという目的意識が強いと言えばそれまでなんだけど。
でもあの眞人の雰囲気は身近にファンタジーやイマジネーションが溢れて当たり前になって、側にあっても何も違和感を感じなくなっている子どもに見えたんですよね。 だから後継者としては不足だと拒否したし、創造主の大叔父には「帰そう」と言われる。眞人、真の人か・・・っていう台詞で「イマジネーションの世界に身を置く子ではない」と受け取りました。 眞人が一番心躍ってるシーンは塔の中で出会った幼い姿の母親ヒミが、ジャムとバターを塗ったパンを与えてくれたときのみだと思います。 あれは超個人的な解釈ですが、大好きな相手から与えられるものが一番幸福だと感じるということで、身を削って人に提供するため創作を続けるクリエイティブな世界ではそんな考えでそもそも仕事してる奴いねえよな、やっぱ創造主とか出来るわけない、眞人は現実に帰るのが良いと思ったものです。
眞人は塔(宮崎駿の作品群のメタファー、イマジネーションの世界)を経て、現実世界に積み木を持ち返ります。 でも一緒に出てきた青鷺は「どうせ記憶はすぐなくなる」と言う。『君たちはどう生きるか』を読んで涙しても性格がすぐに変わるわけがないのと同様、ジブリの作品を見て感動したと思っても眞人を含めた観客たち(君たち)はどうせ忘れてしまうということを言いたいんだと思いました。 塔は崩れて、宮崎駿の作る世界は終わり。終わりだけど君たち観客はこれから現実でどう生きていくのか。そういうメッセージなんだと思った。スッと終わってしまうのもいかにも現実と地続きな感じで感心した。
私は眞人ではないし宮崎駿の塔が崩れて欲しくないと思ってるオタクだから、寂しくてしょうがねえよ!という気持ちです。 冷静に考えて長編としては絶対に遺作になるだろうし、まだ死んでねえよ!って感じではあるんですが82歳でこんな映画作るのがもう凄まじくて狂ってると思うし、もう良いよ休んで下さいと思う反面寂しい。 一時代が終わることを考えてしまったんですが、当たり前に年取って皆いなくなるしそうなった時に自分たちが何かしら時代を築く一端になる訳で、そうなった時にこう、君たちはどう生きるかと問われてるみたいで本編と関係ないところで滅茶苦茶悲しくなりました。 眞人は現実で家族と折り合いつけて生きることを選んだ。そういう事実をアニメーションで観せられて、お前はどうするんだって言われた私の顔は半べそです。 「君たちはどう生きるか」ってタイトルが説教くさそうだっていう呟きもありましたが、宮崎駿もそう投げかけるしかないわな、と今は思います。
300円投げつけて車で乗り付けてやる!っていうクソ成金のキムタク父に笑ったことを思い出して気を紛らわすか・・・・・・・なんだこの「これってあなたの感想ですよね」でしかない感想。もっかい観たら何か印象変わるかな。
後米津さんの歌はマジで終わり頃にギィギィ音が鳴ってたことしか覚えておらず、次回ちゃんと聴きたいなと思いました。あまり雰囲気に合ってないような印象を受けましたが、歌詞を読みながら聴いてみたいです。
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kiriusa-etc · 11 months
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らせん
リングの続編を見ましたので
リング見たよーって投稿に少し書いたが、リングはリングだけで完結している話ではなく、らせん、ループの三部作。今回はその二作目であるらせんを見た。
リングの時点では、ホラー、あるいは怪談話という感覚が強かったが、今作は…あのパパの友人である解剖医視点となり、リアリティを追求したというか、科学的な視点でのお話のようだった。とにかくホラーではない。これはそう、人間胸糞系である。
難しいのだがリングの純粋な「続き」ではなかった。単純に言うならばリング2のパラレル。リング2では先生の恋人が主人公で、よういちくんが生き残った世界線だったが、らせんでは親子共々事故死してしまった。(正確にはよういちくんは呪いによる死、それに動揺きたママが自ら事故を起こしたらしい)
率直な感想を述べるならば「ウワ……」である。主に乳くりあう場面が。
今まではビデオテープを媒介し、不安や噂によって広がった貞子ちゃんの怨念。だが、らせんではもはやビデオテープを必要とせず死が広がっていく。なんだっけ、ママの取材日記だったっけ?文字を読むだけでアウト。呪いはウイルスってことになってたけど。そんなに人間の作り上げた枠に押し込みたいか?まぁウイルスが出たなら感染症で良いのか。
乳くりあうというのは呪いによる死から逃れるための条件にもなっていた。そういう行為をする事により、貞子ちゃんの遺伝子を出産という形で広げる。そうやって「協力」することで死から逃れられるようだった。
今回は主人公のオッサンの心が弱すぎたせいなのでは?と思った。呪詛と同じパターンだ。息子を死なせてしまったことを文字通り死ぬほど後悔することも、だからいっそ死にたいとも思うが死ぬのは怖いと思うことも、おねーさんが慰めたように仕方の無いことだと思う。正常な反応だ。
それに心が弱っている時と言うのは弱っていると自覚することも難しい。ヤケになっておかしな行動に出てしまうのも仕方ない……仕方ないですかね?まぁ仕方ないのだとしても乳くりあう方に行っちゃったからね……ウワ……と思ってしまったのも仕方あるまい。
呪詛と同じだね、と言ったのは周りを巻き込むだけ巻き込んで自分だけ満足しやがったため。
主人公は周りを巻き込み、人を死なせ、挙句の果てに(1作目から出ているパパも言ってたけど)世界を売って自分の願いを叶えたのである。公共の福祉って知ってる?
怖いから、寂しいからと体を求めることは自然なことか?人肌恋しいってやつだろうか。湯たんぽでも買えば。
もしかして貞子ちゃんの顔が今作ではハッキリ見えてるのってオッサンが女として見てるからなのか?うへぇ。
そんでさ〜そんでさ〜、オッサンさぁ、貞子ちゃん(生まれ変わりの姿)にあなたが協力してくれたから、抱いてくれたからだよって言われて俺は悪くない、お前が悪いみたいなこと言ったじゃん。あんたみたいに責任転嫁しちゃう人、ヤダ!(同族嫌悪)
仮にも医者やれる程度の知能あるくせに、最も解決すべきなのは自分の心だったって分からんのか?呪いよりあんたの心を調べるべきだったんじゃないですか?
そんで精神が伴ってないのに知能はあるせいで細胞弄って息子蘇らせちゃったよね。「人がホラー」って幅広い。らせんの世界、あの後どうなってくんですかね〜。あの世界も、ろくなことにはなってないんだろう。
技術を扱う者が未熟だとどうなるか、よく分かりましたね。ところで作者の伝えたいことってこれなんすかね?ぜってーちげーよな。けど私はそういうの気にしちゃうもんで。
そうそう、クソ博士と言ってしまった元凶博士ですが。元凶には違いないのだけれど、貞子ちゃんを突き落とす時「許してくれ……お前はうまれちゃいけなかったんだ」という悲痛な叫びを上げていた。自責の念、後悔、恐怖……そんなものに囚われていたようだった。ちょっと哀れみの心が芽生えました。それでもあんたのすべきは貞子ちゃんを泣きながら殺すことではなくきっちり育てることだと思いますけどね。私には荷が重いって?何言ってんだテメーの始めた物語だろうがよ。自分のケツは自分で拭くもんだ。
というわけで超常現象、怪談のような存在であった「貞子」ちゃんを科学的に追求したら追い詰められた男が娘を殺したり愛してもない女と乳くりあったりして、人間ってやっぱクソやわ〜というオチになった映画でした。違います。違うので自分で見よう。読もう。
ただ、間違いなく末恐ろしいお話でございました。完結編の『ループ』がますます気になる。
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